問題は、どうして、欧米とりわけアメリカは、世界に対して攻撃的なのか。覇権主義の原因は何か。単に軍






2007年03月19日(Mon)
問題は、どうして、欧米とりわけアメリカは、世界に対して攻撃的なのか。覇権主義の原因は何か。単に軍
テーマ:ポスト・アメリカ


父権的意識、連続的同一性自我意識は、差異共振的知性を否定する。

問題は、どうして、欧米とりわけアメリカは、世界に対して攻撃的なのか。覇権主義の原因は何か。単に軍事・経済的支配のためだけとは思えない。

私は、プロテスタンティズム、とりわけ、アメリカ建国におけるピューリタニズム(清教)が観念的動因として重大だと考えている。

カルヴァンの予定説をピューリタニズムは引き継いでいると思う。
それは、神に救済される人物は予め決定されているということであり、それは人知を超えたものとされているのである。

だから、救済は不可知なのである。そのために、ピューリタンは、救済の証を得ようとして、攻撃的に布教するようになるということだと思うのである。

つまり、不可能の行為なのである。

つまり、常に不安がピューリタンにはあることになるのである。何かをして、救済を信じようとすると考えられるのである。

このような不可知論的決定論は、結局、超越的差異共振界であるイデア界を否定する観念から発していると考えられる。それは、当然、父権的な連続的同一性主義から発していると思う。本来、超越的意識が自身を否定するようにして、現象的に連続的同一性化するのである。

ここには、起源の差異共振性が隠蔽されているから、当然、不安・恐怖となるのである。

そして、これは、また、盲目の衝迫に取り憑かれることになるのである。

ピューリタニズムの予型論(タイポロジー)は、思うに、そのような不可知論的決定論を基礎とした聖書中心的適用主義(キリスト教原理主義)と思われるのである。

現前の世界に聖書を予型として適用するのである。聖書をプログラム・プランとして、現実に適用するのである。

ここには、不安に基づく善悪二元論がある。自我の影を他者に投影することになるのであり、他者を悪魔的敵として攻撃するようになるのである。

どうも、これが、欧米、とりわけ、アメリカの覇権主義の精神・観念的要因のように思えるのである。

父権主義によるイデア界の喪失による不安・恐怖が、無意識の影を生み、その反動として、覇権主義的になると思うのである。男性の精神の問題があると思うのである。


参考:
ピューリタニズムはルターの宗教改革から50年たったケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに発祥した。世はエリザベス女王時代。最初の中心人物はトーマス・カートライトである。
 当時、エリザベス女王はカンタベリー大主教パーカーにアングリカニズム(英国国教会)による国民的礼拝様式の統一と強化を依頼していた。アングリカニズムはヘンリー8世のイギリス的宗教改革によって生まれたもので、カトリシズムがユニヴァーサリズム(普遍主義)だとすれば、ナショナリズム(愛国主義)と結合した。いまもロンドンのウェストミンスター・アベイに入ると、そこがいかにイギリスの土着ナショナリズムで満たされているかが一目瞭然である。そこにはイギリスが生んだ神武天皇や楠木正成の聖人像や記念碑が埋め尽くされている。
 ヘンリー8世がアングリカニズムを主張したのは、ルターのプロテスタンティズムによってカトリシズムが脅かされたことに対する反発が動機になっているのだが、一方では、このままローマ教皇庁によるカトリシズムを守るだけではイギリスの宗教政治はやっていけないという現実判断にももとづいていた。
 だからヘンリー8世のアングリカニズムは次の3つの柱でできていた。ナショナリズム、国王絶対主義、そして受動的服従主義である。
 これをエリザベス女王が引き継いだ。
 ところが、カートライトはこの3本柱をことごとく批判した。それはアングリカニズムが体制の思想であるとすれば、まさに反体制の思想であった。

 カートライトの反体制思想は、もともとはカルヴァンのプロテスタントな宗教思想から出ている。
 カルヴィニズムとは一言でいえば「ソラ・スクリプトラ」、すなわち「聖書のみ主義」である。ピューリタニズムは聖書が適用できないような「間隙」をけっして認めない。どんな隙間も聖書に書いてあるとする。逆に、ヘンリー8世のアングリカニズムはこの「間隙」を生かした国教だった。
 これに対して同じプロテスタンティズムでも、ルターのばあいは「ソラ・フィデ」(信仰のみ主義)である。
 しかし、これらの差異はまだ思想上のことであって、社会的にはそこにアン女王時代(1550年代)に迫害されてジュネーブやオランダに逃れた「エミグレ」がイギリスから帰ってきた事情が直結していた。
 エミグレはもともと移住者とか亡命者を意味するが、ピューリタニズムの生きた本質があるとすれば、まさにこの「移住すること」にある。その後の歴史上のピューリタニズムが、ついに「移住しつづける者の思想」となったからである。なんといってもカートライト自身が大学から追放され、エミグレとなったのだ。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0620.html

ピルグリム・ファーザーズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション , 検索

ピルグリムファーザーズ (Pilgrim Fathers, Pilgrims、巡礼始祖の意) は、アメリカに渡ったイギリスの清教徒(ピューリタン )である。

16世紀、イギリスのエリザベス1世 がイギリス国教会 を確立したが、17世紀 にかけて、教会の改革を主張する清教徒が勢力を持つようになり、特に国教会からの分離を求めるグループは分離派 と呼ばれ、弾圧を受けていた。信仰の自由を求め、亡命した清教徒を含む102人がメイフラワー号 に乗ってアメリカ に渡った。メイフラワー号船上での「メイフラワー誓約」は社会契約説 に基づくものとして知られる。1620年アメリカ大陸に到着したピルグリムは、理想的な社会を建設することをめざした。植民地をメイ・フラワー号の出航地プリマスに因み、ニュー・プリマスと名づけたとよく言われるが、1614頃の地図にその名が出ている。偶然、同名の地に到着したのである。

入植当初の状況は厳しく、半年で半数程が病死したが、先住民 ワンパノアグ族 の協力を得て、ニュー・プリマスはやがて、発展するニュー・イングランドの最初の植民地となった。

しかし後に、ピルグリムとインディアンとの間でトラブルが起きたりして、インディアンと戦闘なども起きた。ワンパノアグ族の酋長マサソイト は平和と友好を保つためにピルグリムと条約を結ぶが、ピルグリムはこの条約は彼らインディアンの土地を自分達が領有して入植してもよいと言う神の暗黙の許可であるとも解釈もしていた。そのため、ピルグリムは入植地を拡大しようと、まず1630年にマサチューセッツ族 が住む土地に進入し、ピルグリムの白人が持ち込んだ天然痘 により、天然痘に対して免疫 力があまりなかったマサチューセッツ族のほとんど多くの者は死んでしまった。1636年 には1人のピルグリムの白人がピクォート族 に殺された事が切っ掛けで起きたピクォート戦争 が翌年の1634年 に起きた。ピルグリムは殺した容疑者を差し渡せと要求したがピクォート族がそれに応じなかったため、ピクォート族の村を襲い、大勢のピクォート族を殺害し大集落を崩壊した。しかしピルグリムの白人殺しの犯人は実はピクォート族の者ではなくピルグリムの白人であった。さらに、平和の条約を結んでいたワンパノアグ族とも悪化していった。ピルグリムが「フィリップ王」と呼んでいた、マサソイトの息子でもあった、酋長メタコメット が父マサソイトが結んだあの条約は結局は部族にとって不正であり、ピルグリムは自分達、部族の土地を奪っているとし、1675年 にピルグリムのプリマス入植地を攻撃してフィリップ王戦争 が勃発した。この戦争により周辺部族も巻き込み、1676年 に終結するまで、ピルグリムとインディアンの両方共に多くの犠牲者が出る悲劇をもたらした。


[編集 ] 関連

* プロテスタント
* ピューリタン
* メイフラワー号
* プリマス (マサチューセッツ州)
* w:Timeline of United States history (1600-1699)
* w:Pilgrim
* w:Pilgrimage

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83
%94%E3%83%AB%E3%82%B0%
E3%83%AA%E3%83%A0%E3%
83%BB%E3%83%95%E3%82%
A1%E3%83%BC%E3%82%B6%
E3%83%BC%E3%82%BA " より作成

カテゴリ : アメリカ合衆国の歴史 (-1776)

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Lessons of War
The fighting in Iraq enters its fifth year.

Sunday, March 18, 2007; Page B06



TOMORROW MARKS the fourth anniversary of the start of the Iraq war, as appropriate a moment as any to take stock. What matters most is finding the best policy now -- doing whatever can be done to help Iraq and safeguard U.S. interests in a vital region. But looking back also is essential, particularly for those of us who supported the war.

We will never know what might have happened had Saddam Hussein and his sons been left in power. Nor do we know how Iraq will evolve; history's judgment in five years or 10 may look very different than today's. But the picture today is dire, and very different from what we would have hoped or predicted four years ago. The cost in lives, injuries and dislocations, to Americans and Iraqis, has been tragic; the opportunity costs for U.S. leadership globally have been immense. So there is an obligation to reassess. What have we learned?
http://www.washingtonpost.com/
wp-dyn/content/article/2007/
03/17/AR2007031700950.html

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