GP陰陽原理:哲学主数学従の陰陽哲科学

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




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2013年04月06日(Sat)▲ページの先頭へ
キリストの愛とプラトンのエロース:美と他者
テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

プラトンのエロース(恋慕)とキリストの愛:無双陰陽原理の気的身体理性:プラトン・ネオルネサンス
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11505093121.html

先に以上で、キリストの愛を批判し、プラトンのエロースを肯定した。
 短絡的な判断だと今思う。キリストの愛は他者の問題が全面にあると思う。それに対して、プラトンのエロースは美が全面にある。
 他者は無双陰陽原理では、陰である。プラトンのエロースは、他者の美、陰の美を問題にするのであり、他者自体ではない。もっとも、究極的には他者の肯定へと帰結するのであるが。
 キリストの愛は当然ながら、エロースではない。返って、アンチ・エロースである。つまり、表面的には、キリストの愛とプラトンのエロースは齟齬を来すのである。
 二つの「愛」の衝突があるのである。これは、人生の矛盾である。
 しかし、今ふと思ったが、キリストの愛の上に、プラトンのエロースを載せることはできるのではないか。
 他者肯定的エロースである。キリスト的エロースである。
 今はここで留める。

追記:詩人ヘルダーリンが、キリストとパン神の融合を詩で述べていたと思う。これは、キリスト的エロースになるのではないだろうか。問題は、キリストをベースにすることである。
 ところで、聖霊の問題であるが、それは、根源のイデアと一致するのではないだろうか。しかしながら、問題は微妙である。エロースとイデアと一致させることはできるのか。できないだろうか。後で検討したい。


物質とは何か:その2:気と電磁波は全く別ものである:生命原子(気的原子)と純粋原子
テーマ:science:物質とは何ぞ哉

今日も森の小道を掃除しながら歩き、いつもの、小道の両脇を杉が聳える思索の場で、哲学した。
 今日は、物質についてさらに考察をした。
 陽大化によって同一性=物質化が起きると作業仮説している。ここから考えられるのは、陽大化の同一性化は、原粒子の形成である。それを生命原子ないし気原子と呼びたい。そして、陽が陽子となり、陰が電子となると考えるのである。
 しかしながら、本質的なポイントは、これが単なる原子ではないことである。中核には、陰陽螺旋=気的螺旋ないしそのような原動力が存すると考えられるのである。簡単にざっと言えば、中核には、気が存するのである。(おそらく、気渦流ないし気渦動のようなものである。とりあえず、気渦動と呼ぶ。)
 つまり、原粒子は、生命体を構成する生命原子(気原子)であり、中核に気渦動をもつということになる。(だから、一般の物理学の原子とは、この生命原子から生命・気の脱落したものと考えられる。言い換えると、核心の気渦動が抜けているのである。ということは、気渦動が「魂」、「プシュケー」と言えそうである。)
 さて、陽が陽子となり、陰が電子へと変換する。では、原子核に相当するのは何だろうか。物理学的に言えば、陽子の位置に原子核が来るだろう。
 しかしながら、以上の考えから、原子核とは別に、陰陽螺旋、陰陽原動力、気渦動を中心に見ているのである。それを生命核ないし気核と呼ぶ方が明快であろう。
 このような考え方から、螺旋的生命物質体は、あるいは、生命物質は、生命原子(気原子)から構成されるのであり、生命原子(気原子)のコアには、生命核(気核)があるのであり、それは、気のエネルギーをもっていると思われるのである。
 だから、それは明らかに、電磁波とは異なるのである。電磁波とは、生命原子における物質体(物質外装体)であり原子において発出されるのであり、生命原子の中核の生命核(気核)からは、気波動が発出されると考えられるのである。
 言い換えると、生命体は、中心から生命波動=気波動を、そして、物質体からは電磁波を発生させると考えられる。
 これで、これまで長い間の疑問、気と電磁波の関係の問題の解決に向けて、大きく前進したと考えられる。
 気と電磁波は全く異なるものである。気はオカルティストが言うエーテル体に当たると考えられる。


2013年04月05日(Fri)▲ページの先頭へ
陽大化による同一性化=物質化と螺旋的生命物質現象:そして、雌雄分化力学
テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

昨日、以下のように述べたが、今見ると、かなり重要なポイントが提示されているのではないかと思う。特に、物質形成原理における、不連続的差異論の同一性化の視点である。
 結局、螺旋的生命物質体が陰陽共振によって生まれるが、その外面が同一性=物質であると思われるのである。
 つまり、螺旋的生命物質体とは二重構成になっているように思われるのである。即ち、一つは陰陽共振による螺旋体の形成である。
 問題は螺旋力学である。これは、単純に、陰陽の牽引力によって、螺旋的に巻かれていくと考えていいのではないだろうか。
 思うに、陰陽螺旋体があるのであり、それは、実は物質体ではないと思われる。それは、言うならば、陰陽気の螺旋体であるように思われる。
 そして、陽大化という同一性=物質化の力学がその陰陽気の螺旋体に作用して、螺旋体を生命物質体に変容するのではないだろうか。
 故に、陰陽気的螺旋体+陽大化(同一性=物質化)という二重構成が考えられる。
 とまれ、陰陽牽引とは、太一への帰還衝動と考えられよう。
 だから、やはり、+1は天の方向と見ていいのではないだろうか。つまり、+1を物質と見るにしろ、それは、樹木におけるような尖端方向を意味すると思われるのである。
 以上は、植物、とりわけ、樹木や蔓植物のような生命体に当てはまることである。
 では、問題は、生殖の問題である。この力学はどうなるのか。これも太一再帰力動で説明できると思う。
 問題は単性生殖ではなく、有性生殖の方にあるかもしれない。何故なら、後者には、異性の2個体が必要となるからである。
 しかし、原理はそれほど難しくないのではないだろうか。個体における陰陽極性を分離させればいいのではないだろうか。
 では、この陰陽分離力学はどういうものだろうか。
 思うに、同一性=物質力学から考えられないか。
 即ち、陽=同一性が陰=他者に刻印するとき、物質が形成される。このとき境界ないし界面があるだろう。これをとりあえず、陰陽を逆にして、陽陰界面と呼ぶことにする。
 そして、陽陰界面の陽体が分離したのがオスであり、陰体が分離したのが、メスということではないだろうか。
 分離というよりは、陽陰界面の陽体性に傾斜しているのが、オスであり、陰体性に傾斜しているのが、メスと見た方が適切なように思える。
 結局、陽陰界面であるから、オスにしろ、メスにしろ、陰陽両性をもっていると考えられる。
 オスは内在・潜在する欠落的メス性を志向し、逆に、メスは内在・潜在する欠落的オス性を志向するということではないだろうか。(もっとも、欠落性という概念が妥当であるか問題があるが、今は、そう作業仮説する。)
 とりあえず、今日はここで留める。 

********************

不連続的差異論の無双陰陽原理への適用:PS理論の結論に戻る?

物質とは何か:その1:不連続的差異論の(連続的)同一性の視点から物質原理を考える

「今、ふと思ったが、不連続的差異論の段階での視点で、物質形成問題を考えたい。
 主体(主観の方がいいか?)があり、客体(客観の方がいいか?)がある。SとOとする。Sが陽であり、Oが陰である。S=陽は、自我同一性をO=客体に押し付ける。
 このとき、陰陽極性はなくなり、同一性力学が支配する。
 とまれ、この主体=陽中心力学によって、同一性が形成され、それが、物質になるのではないだろうか。
 つまり、陰陽即非力学において、陽の極大化(陽大化と呼んでおく)が生起して、陰を支配する事象が起こり、それが、同一性=物質化ではないだろうか。
 陽大化=同一性・物質化があれば、当然、逆に、陰大化があるはずである。これは、対称的である。
 では、いったい、この陰大化とは何だろうか。ひょっとして、これが、ダークマター(暗黒物質)ではないだろうか。これは措いておく。
 以上のように考えると、物質化は、陽大化であり、同一性原理が成立するのである。これはアリストテレス論理学とも言えよう。
 結局、陽大化による同一性化とは、陰陽即非極性(牽引/離反の矛盾力学)の消失であり、陽同一性による、プラスとマイナスの物質的極性の形成を意味するのではないだろうか。換言すると、陽同一性はプラスであり、否定される陰はマイナスになるということではないだろうか。正に、物質原理、電気の原理、あるいは、NとSに延長すると、磁気の原理、そして、複合すると、電磁波の原理になるのではないだろうか。
 ということで、不連続的差異論の段階での視点で、無双陰陽原理における物質原理を作業仮説的に考えてみた。」

直近で以上のように考えたが、それは、結局、PS理論の結論と同じではないかと思った。
 私がPS理論に疑問をもったのは、プラス1とマイナス1の意味の問題であった。私のイメージでは、どうしても、同一性化はマイナス1であり、プラス1は差異共振を意味したのである。そこで、PS理論と齟齬を来した。そして、オイラーの定理を哲学に主導的に適用することは間違いであると思った。
 結局、その時点では、物質はマイナス1であり、生命体はプラス1である。
 しかし、現時点で、同一性化=物質化をプラス1と捉えたのであり、そうすると、PS理論の考えと同じになるのである。ただし、
そう、PS理論の段階で、私はマイナス1はダーク・マターではないかと言ったが、それも現時点の考えと同じとなる。
 結局、問題は、同一性化のイメージにあったのである。その時の私のイメージでは、同一性化は、他者を否定するものであり、否定はマイナスと考えられるので、マイナスの他者にマイナスを掛けて、プラスになり、それが、虚数の掛け算で、マイナス1になると考えたのである。
 とまれ、現時点では、掛け算、乗法を考えていない。ただ、陰陽即非極性において、陽大化によって、プラス1が形成され、それが、物質(粒子)であると考えるのである。
 もっとも四元数で考えているので、三つの虚数は空間三次元を意味するのである。
 ならば、時間はどうなるのかということになる。
 今、思いつきを言えば、

霊「数」、陽✡、陰✪を仮説して、また、陰陽共振を✇で表わし、以下のように公式化する。無双陰陽原理公式である。
✪✇✡⇒a + bi + cj + dk 
or
✪✇✡⇒+1 + i + j + k

の数式における⇒が時間ではないかとしよう。
 では、気はどうなるのだろうか。気は、左辺の✇に潜在しているのではないだろうか。
 今はここで留める。

追記:陽大化であるが、それは、現時点では、すんなり、プラス1となる。かつて、同一性を他者否定と見ていたが、今は、陽自体の陰への押し付けと見ている。押し付けと否定は異なる。
 押し付けとは、喩えれば、ハンコを押すようなものである。つまり、陽のハンコを陰の紙に押すという感じである。
 それは否定ではない。
 以前は、否定の意味合いがあったが、今は消えている。
 否定は、思うに、病的である。それは、他者を自己から分離させることである。突き放すことである。
 そう、「分裂症」とは、あるいは、精神病とは、そのような力学をもつのではないだろうか。あるいは、パラノイアである。あるいは、父権的自我主義である。
 そう、否定はマイナスではなく、分裂、追放である。排除である。そこには、掛け算もないのではないだろうか。

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11504426011.html


2013年04月04日(Thu)▲ページの先頭へ
不連続的差異論の無双陰陽原理への適用:PS理論の結論に戻る?
テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

物質とは何か:その1:不連続的差異論の(連続的)同一性の視点から物質原理を考える

「今、ふと思ったが、不連続的差異論の段階での視点で、物質形成問題を考えたい。
 主体(主観の方がいいか?)があり、客体(客観の方がいいか?)がある。SとOとする。Sが陽であり、Oが陰である。S=陽は、自我同一性をO=客体に押し付ける。
 このとき、陰陽極性はなくなり、同一性力学が支配する。
 とまれ、この主体=陽中心力学によって、同一性が形成され、それが、物質になるのではないだろうか。
 つまり、陰陽即非力学において、陽の極大化(陽大化と呼んでおく)が生起して、陰を支配する事象が起こり、それが、同一性=物質化ではないだろうか。
 陽大化=同一性・物質化があれば、当然、逆に、陰大化があるはずである。これは、対称的である。
 では、いったい、この陰大化とは何だろうか。ひょっとして、これが、ダークマター(暗黒物質)ではないだろうか。これは措いておく。
 以上のように考えると、物質化は、陽大化であり、同一性原理が成立するのである。これはアリストテレス論理学とも言えよう。
 結局、陽大化による同一性化とは、陰陽即非極性(牽引/離反の矛盾力学)の消失であり、陽同一性による、プラスとマイナスの物質的極性の形成を意味するのではないだろうか。換言すると、陽同一性はプラスであり、否定される陰はマイナスになるということではないだろうか。正に、物質原理、電気の原理、あるいは、NとSに延長すると、磁気の原理、そして、複合すると、電磁波の原理になるのではないだろうか。
 ということで、不連続的差異論の段階での視点で、無双陰陽原理における物質原理を作業仮説的に考えてみた。」

直近で以上のように考えたが、それは、結局、PS理論の結論と同じではないかと思った。
 私がPS理論に疑問をもったのは、プラス1とマイナス1の意味の問題であった。私のイメージでは、どうしても、同一性化はマイナス1であり、プラス1は差異共振を意味したのである。そこで、PS理論と齟齬を来した。そして、オイラーの定理を哲学に主導的に適用することは間違いであると思った。
 結局、その時点では、物質はマイナス1であり、生命体はプラス1である。
 しかし、現時点で、同一性化=物質化をプラス1と捉えたのであり、そうすると、PS理論の考えと同じになるのである。ただし、
そう、PS理論の段階で、私はマイナス1はダーク・マターではないかと言ったが、それも現時点の考えと同じとなる。
 結局、問題は、同一性化のイメージにあったのである。その時の私のイメージでは、同一性化は、他者を否定するものであり、否定はマイナスと考えられるので、マイナスの他者にマイナスを掛けて、プラスになり、それが、虚数の掛け算で、マイナス1になると考えたのである。
 とまれ、現時点では、掛け算、乗法を考えていない。ただ、陰陽即非極性において、陽大化によって、プラス1が形成され、それが、物質(粒子)であると考えるのである。
 もっとも四元数で考えているので、三つの虚数は空間三次元を意味するのである。
 ならば、時間はどうなるのかということになる。
 今、思いつきを言えば、

霊「数」、陽✡、陰✪を仮説して、また、陰陽共振を✇で表わし、以下のように公式化する。無双陰陽原理公式である。
✪✇✡⇒a + bi + cj + dk 
or
✪✇✡⇒+1 + i + j + k

の数式における⇒が時間ではないかとしよう。
 では、気はどうなるのだろうか。気は、左辺の✇に潜在しているのではないだろうか。
 今はここで留める。

追記:陽大化であるが、それは、現時点では、すんなり、プラス1となる。かつて、同一性を他者否定と見ていたが、今は、陽自体の陰への押し付けと見ている。押し付けと否定は異なる。
 押し付けとは、喩えれば、ハンコを押すようなものである。つまり、陽のハンコを陰の紙に押すという感じである。
 それは否定ではない。
 以前は、否定の意味合いがあったが、今は消えている。
 否定は、思うに、病的である。それは、他者を自己から分離させることである。突き放すことである。
 そう、「分裂症」とは、あるいは、精神病とは、そのような力学をもつのではないだろうか。あるいは、パラノイアである。あるいは、父権的自我主義である。
 そう、否定はマイナスではなく、分裂、追放である。排除である。そこには、掛け算もないのではないだろうか。


物質とは何か:その1:不連続的差異論の(連続的)同一性の視点から物質原理を考える
物質とは何か:その1:不連続的差異論の(連続的)同一性の視点から物質原理を考える

テーマ:science:物質とは何ぞ哉

今は、ざっと述べる。
 オカルティストのルドルフ・シュタイナーは、彼のアントロポゾフィー(人智学)の究極的目的は、物質とは何かを探求することだと言っていた。
 霊学の探究者がこのように述べるのは、意味深長である。
 無双陰陽原理(無双PS原理の方が適切な名称かもしれない)は、思うに、精神原理をこれまで探求してきて、物質形成については、勿論、探求してきたが、精神原理の追求に比べると、弱いところである。
 これまで、四元数(しげんすう)を用いて、三つの虚数i、j、kによる空間三次元を物質体と見てきたが、そうではなく、実数1が物質ではないのかとふと思った。
 陰陽から物質への転換は質的転換であり、両者は不連続であると思われる。
 先に、陰陽結合が物質化であるという作業仮説を立てた。このとき、陰陽力の反発力が排除されて、陰陽は陽電子、陰電子になると言った。(陽電子、陰電子ではなく、電子と原子核と考えた方が適切かもしれない。陽が電子となり、陰が原子核になるのか。それとも逆か。要検討である。)
 つまり、この考え方は、陰陽の牽引/相反力において、相反力が排除されて、牽引力だけとなり、陰陽結合が為されて、物質(粒子)になるというものである。
 これは、言い換えると、陰陽エネルギーが物質(エネルギーを含めて)に変換したということと考えられる。
 陰陽エネルギーとは言い換えると、即非エネルギーである。この即非性が次元転換で消失して、プラスとマイナスの力学(物質の力学)へと転換すると思われる。
 今、ふと思ったが、不連続的差異論の段階での視点で、物質形成問題を考えたい。
 主体(主観の方がいいか?)があり、客体(客観の方がいいか?)がある。SとOとする。Sが陽であり、Oが陰である。S=陽は、自我同一性をO=客体に押し付ける。
 このとき、陰陽極性はなくなり、同一性力学が支配する。
 とまれ、この主体=陽中心力学によって、同一性が形成され、それが、物質になるのではないだろうか。
 つまり、陰陽即非力学において、陽の極大化(陽大化と呼んでおく)が生起して、陰を支配する事象が起こり、それが、同一性=物質化ではないだろうか。
 陽大化=同一性・物質化があれば、当然、逆に、陰大化があるはずである。これは、対称的である。
 では、いったい、この陰大化とは何だろうか。ひょっとして、これが、ダークマター(暗黒物質)ではないだろうか。これは措いておく。
 以上のように考えると、物質化は、陽大化であり、同一性原理が成立するのである。これはアリストテレス論理学とも言えよう。
 結局、陽大化による同一性化とは、陰陽即非極性(牽引/離反の矛盾力学)の消失であり、陽同一性による、プラスとマイナスの物質的極性の形成を意味するのではないだろうか。換言すると、陽同一性はプラスであり、否定される陰はマイナスになるということではないだろうか。正に、物質原理、電気の原理、あるいは、NとSに延長すると、磁気の原理、そして、複合すると、電磁波の原理になるのではないだろうか。
 ということで、不連続的差異論の段階での視点で、無双陰陽原理における物質原理を作業仮説的に考えてみた。
 まだ言い足りないが、ひとまず、ここで留める。





太一から陰陽分極へ、陰陽分極から再・新太一へ:太一と全一

テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

今日も森の参道口で思索した。
 始めに、太一ありき。(太一は西洋哲学の全一と共通するかもしれない。)
 太一(これは、点=1である)から陰陽分極化(線=2)が起こる。
 これは、xy直交座標を考えると、原点(=太一)から、y軸の方向に陰と陽が形成されるとみればわかりやすいだろう。

         陽
         ↑
         |
         |
         |
      原点 ・(太一)
         |
         |
         |
         ↓
         陰


(・が原点=太一である。)

陰陽分極化とは、言わば、対極への離反作用と考えられるのではないだろうか。これを、相反(そうはん)作用と呼べるだろう。これが、太一⇒陰陽分極の力学である。太一をTとすれば、陰陽分極化はUである。即ち、

T:太一
U:陰陽分極化

さて、Uの相反作用に対して、太一は吸引作用、牽引作用を次に引き起こすと考えられる。これは、作用と反作用の力学に近いだろう。あるいは、離と合、膨張と収縮の力学である。この吸引・牽引作用を合結作用とも呼ぼう。
 即ち、太一⇒陰陽分極⇒再太一の運動が生じる。

T:太一
U:陰陽分極:相反作用
V:陰陽再合一:合結作用・・・(生命物質現象化)

と序数化できる。(そう、一見、ヘーゲル弁証法に似ているが、似て非なるものである。違いの説明は今はしない。)
 思うに、Vの再合一作用において、陰陽共振螺旋が発生するのではないだろうか。つまり、生命物質現象化が起こると考えられるということである。
 アリストテレス哲学で言えば、Uがデュナミス、Vがエネルゲイアとなるのではないだろうか。そして、Vの帰結がエンテレケイアということではないだろうか。
 Vを四元数(しげんすう)で考えると、実数1がエネルゲイアで、三つの虚数i, j, kによる三次元がエンテレケイアではないだろうか。
 とまれ、Vの陰陽再合一であるが、それは、原理は太一力学であるから、根源の太一への回帰を意味するのである。この再合一の牽引力がプラトンのエロースに当たると考えられる。
 しかしながら、陰陽次元にとっては、この牽引力は太一次元から発生するものなので、超越的な力ではないだろうか。そう、陰陽内在だけでは説明できないだろう。
 つまり、原点である太一であるが、それは、陰陽次元に作用するものの、陰陽界だけでは説明できない存在と考えられる。
 つまり、原点(太一)であるが、それは、言わば、超越点ではないだろうか。この超越点であるが、原点をどう理解するのかであるが、いわば、不連続点(特 異点)と見るのがいいのではないだろうか。それは、原点でゼロであり、陰陽の軸(y軸)に含まれると同時に、含まれない点と考えられる。陰陽に内在すると 同時に、超越している点、つまり、内在超越点(不連続的超越点)である。
 言い換えると、陰陽次元世界においては、再合一の力は感じられるが、その根源は説明できないということになる。だから、再合一の力(衝動)を生殖本能とかで説明することになるだろう。
 ここで、齟齬が生じている。再合一を螺旋的生命物質現象と考えたが、それを生殖作用とも見ているからである。
 今の段階では、再合一作用であるが、一つは、螺旋的生命物質現象、一つは生殖的作用と見ておくのに留めたい。(詳しい検討は、後日にしたい。思うに、太一の振動、リズムによって、螺旋的生命物質現象や生殖衝動現象は説明できるかもしれない。)
 とまれ、簡単に整理すると、内在超越点である太一から、陰陽分極化が起こる。それは、次元的下降である。即ち、太一次元から陰陽次元へと降りているのである。
 次に、再合一化であるが、螺旋的生命物質現象化の場合は、さらに次元が下降しているように思われる。
 そして、生殖作用であるが、それは、再合一化内部におけるさらなる再合一化と考えられよう。
 ここらへんの問題は複雑なので、今の段階では説明できないが、作業仮説として、第一の再合一化とは、同時に、陰陽分極を内在しているのではないだろうか。
 そう作業仮説すると、第一の再合一化内部の陰陽分極性であるが、それは、当然、それ自体の再合一作用をもつだろう。それが、生殖的衝動ではないだろうか。言うならば、再合一の再合一である。
 とまれ、T太一⇒U陰陽分極⇒V陰陽合一⇒W陰陽再合一と移行するのであるが、TからVまでは次元下降と見られるが、Wはどうだろうか。Vからの次元下降なのだろうか。
 確かに、太一の原運動が超越的力学(原理)としてTからWまで作用していると言えよう。
 しかし、直観では、VからWへの移行は、下降というより、上昇である。ここらへんの事象は複雑で、説明しにくいのである。つまり、Vは次元下降であると同時に、次元上昇的である。そして、Wはさらに次元上昇的と考えられる。
 だから、正に、陰陽現象は次元的にも螺旋的であるということになろう。
 思うに、Vの延長として、Wを考えれば、問題はなくなろう。ならば、

 T太一⇒U陰陽分極⇒V陰陽再合一⇒W太一

となる。しかしながら、先にテトラクテュスで触れたように、UとVの間に中間要素を入れるべきである。つまり、気的身体理性、プラトンのエロースである。すると、

T太一⇒U陰陽分極⇒V和合原理⇒W陰陽再合一⇒X太一

となる。
 問題は形而上学と形而下学である。そう、太一陰陽原理は形而上学であり、思うに、TからXまで、形而上学である。超越原理である。
 思うに、この形而上学、超越原理による現象論理がここにはないのである。
 後で、それについて叙述したい。



2013年04月03日(Wed)▲ページの先頭へ
気的身体理性とプラトンのエロース(愛)
テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

今、数十年ぶりにプラトンの『饗宴』を読んでいるが、直観では、プラトンのエロースとは、私が先に唱えた、陰(身体)と陽(自我)を結ぶ第3のもの、即ち、気的身体理性と合致するのではないかと思い始めている。
 有名な事柄であるが、パウサニアスは、アフロディテには、二種のエロースがあると言い、天の娘(ウラニヤ)と万人向きのもの(パンデモス)と呼んでいる。しかしながら、勘違いしてはいけないのは、この二種のエロースをプラトンは、二項対立させてはいない。確かに、ヒエラルキーはあるが、差別はしてない。
 つまり、言わば、天のエロースと地のエロースを結びつけて、前者への移行を説いていると言える。
 そして、両者の接点にもエロースが存すると考えられる。それが、私の説く第3のもの、気的身体理性と重なると思われるのである。
 私は、セクシー・スピリチュアリズムを説いているが、それは、正に、天のエロースに通じるのであり、また、地のエロース的要素も昇華的にもっているのである。また、そこには、気的身体理性が働くのであるから、正に、プラトンの接点のエロースに通じると思われるのである。
 読後に、詳述したい。

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饗宴

『饗宴』(きょうえん、古希 : Συμπόσιον、Symposion、シュンポシオン)は、プラトン の中期対話篇 のひとつ。そのイデア 論を代表する著作の一つである。トラシュロス による伝統的副題は「恋について」。恋とはエロース(愛 )である。
構成 [編集 ]
パレロン の位置。図の中央下。
登場人物 [編集 ]
後代話者 [編集 ]

* アポロドロス (Apollodorus of Phaleron ) - アテナイ 近郊の漁村パレロン 出身のソクラテスの友人・崇拝者。激情家として知られ、ソクラテス臨終の際には大声で泣き喚いた様が『パイドン 』に描かれている。
* 友人

回想部話者 [編集 ]

* アリストデモス - アテナイのキュダテナイオン 区出身のソクラテスの友人。回想は彼視点で語られる。
* ソクラテス - 53歳頃。
* アガトン - 悲劇 詩人。ゴルギアス の弟子。饗宴の主催者。
* パウサニアス - アテナイのケラメス 区出身アガトンの恋人。プロディコス の生徒。
* パイドロス - アテナイのミュリノス 区出身。弁論家リュシアス の心酔者。彼を冠した対話篇もある。
* エリュクシマコス - 医者。
* アリストパネス - 喜劇詩人。『雲 』によって、ソクラテスに対する大衆の偏見を広めた(『ソクラテスの弁明 』)。
* アルキビアデス - 容姿端麗な名家の子息にして、政治・軍事指導者。ペロポネソス戦争 では主戦論を展開し、ちょうど本作回想部の設定年代(紀元前416年 [1] )の翌年である紀元前415年 、ニキアスの和約 を破り戦争再開、その後亡命生活を繰り返すなど波乱の人生を送る。彼の師と看做されていたことが、ソクラテスが告発される一因となった(『ソクラテスの弁明 』)。初期対話篇『プロタゴラス 』にも登場。

時代・場面設定 [編集 ]

紀元前400年 [1] 頃のアテナイ 。アポロドロスは友人に、紀元前416年 [1] にあった饗宴の話を教えてほしいとせがまれる。

アポロドロスは、ついこの間も、別の知人からその話をせがまれたことを明かしつつ、その饗宴は自分達が子供の頃のかなり昔の話であり、自分も直接そこにいたわけではないが、そこに居合わせたキュダテナイオン区のアリストデモスというソクラテスの友人・敬愛者から、詳しい話を聞いて知っていること、また、その知人にパレロンの自宅からアテナイ市内までの道を歩きがてら、語って聞かせたので、話す準備はできていることを述べつつ、アリストデモスが述べたままに、回想が語られる。

回想内容は、アテナイの悲劇詩人アガトン が悲劇のコンクールで初優勝した翌日、その祝いに友人を招いた饗宴での会話として設定される。ソクラテスはこの出席者のひとりである。標題『饗宴』はこのアガトンの祝賀饗宴を指す。
内容 [編集 ]
あらすじ [編集 ]

対話篇は大きく三つの部分にわかれる。

1. エロス賛美の演説 - アガトンの祝宴に招かれたソクラテスとアガトンの対話から、ソクラテスの提案で、愛の神エロス を賛美する演説を行うこととなる。パイドロス、エリュクシマコス、アガトン、アリストパネスが演説を行う。[要検証 – ノート ]
2. ソクラテスの演説 - ソクラテスは自分の説ではなく、マンネンティア出身の婦人ディオティマに聞いた説として、愛の教説を語る。
愛(エロース)とは欠乏と富裕から生まれ、その両方の性質を備えている。ゆえに不死のものではないが、神的な性質を備え、不死を欲求する。すなわち愛は自身の存在を永遠なものにしようとする欲求である。これは自らに似たものに自らを刻印し、再生産することによって行われる。このような生産的な性質をもつ愛には幾つかの段階があり、生物的な再生産から、他者への教育による再生産へと向かう。愛は真によいものである知(ソピアー)に向かうものであるから、愛知者(ピロソポス)である。愛がもとめるべきもっとも美しいものは、永遠なる美のイデア であり、美のイデアを求めることが最も優れている。美の大海に出たものは、イデアを見、驚異に満たされる。これを求めることこそがもっとも高次の愛である。(以上、ディオティマの説)
3. アルキビアデスの乱入 - ソクラテスの信奉者である若いアルキビアデスが登場する。アルキビアデスはすでに酔っており、ソクラテスが自分をいかに愛さなかったか、自分がソクラテスを愛者(当時のアテナイでは、パイデラスティアー(paiderastia少年愛 )という年齢が上のものが下のものを愛人とし、さまざまな庇護や社会についての知識を与えるのが通例であった)にしようとしていかに拒まれたか、また戦場でソクラテスの態度がいかに立派なものであったかを語る。これはいままで抽象的に展開されてきた愛を体現した人として、プラトンが師の肖像を描こうとした部分といえる。

アルキビアデスの乱入のあと饗宴は混乱し、夜通し騒いだ後みなが宴席で寝静まったところに、ソクラテスは酔い乱れることもなく、体育場へ出て行く。
補足 [編集 ]
人間の起源 [編集 ]

エロスに関する演説では、ソクラテスの同時代人の文体と思想がさまざまに模倣されている。特に有名なものは、アリストパネスのくだりである。

男と女はもと背中合わせの一体(アンドロギュロス)であったが、神によって2つに切り離された。このため、失われた半身を求めるのだ、というもの。この部分はテクストの文脈を離れてしばしば参照される有名な部分である。配偶者のことをone's better half, one's other half というのは、この説話に由来する。
『ヒュペリオーン』への影響 [編集 ]

ソクラテスが言及するディオティマは、「恋のことでもその他のことでも、何にでも通じる知者」とされる。ヘルダーリン の『ヒュペリオーン』に登場するディオティーマの造形はこれに多く拠っている。ディオティマは紀元前430年頃にはアテナイにいた実在の人物のように書かれているが、一般にプラトンの創作の人物であると考えられている。ただしフェミニズム 哲学では、ディオティマの実在性を主張し、女性哲学者としての地位を与えようとする試みがある[要出典 ]。
訳書 [編集 ]

* 『プラトン全集〈5〉 饗宴 パイドロス』 藤沢令夫 編、鈴木照雄 訳、岩波書店 、初版1974年 復刊2005年
* 『饗宴』 久保勉 訳、岩波文庫 、改版2008年、ワイド版2009年
* 『饗宴』 森進一 訳、新潮文庫 、改版2006年
* 『饗宴 パイドン 』 朴一功 訳 京都大学学術出版会 〈西洋古典叢書〉、2007年

ギリシャ語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。
饗宴
英語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。
饗宴
脚注 [編集 ]

1. ^ a b c 『饗宴』 久保勉 訳 岩波文庫 p45

関連項目 [編集 ]

* プラトニック・ラブ
* クセノポン 、同名の『饗宴』がある
* イデア

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カテゴリ :

* プラトンの著作
* 紀元前1千年紀の書籍



2013年03月31日(Sun)▲ページの先頭へ
検討問題:太一気の生命物質化の力学:陰陽共振四元生命物質体と三次元純粋物質:+1が気エネルギー?
テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

先の検討で、太一が気=生命(生命イデア)であるという作業仮説に達した。だから、太一気=生命イデアである。
 では、これが、どのように現象物質化するのか、その力学を考察しないといけない。
 これまでの考え方に拠れば、太一気=生命イデアが陰陽分極化
し、それが、太一気の存在によって、再度、太一へと復帰するように動くのが生命である。
 理論的には、陰陽分極様態において、太一気によって、太一気へと復帰するという考えは、まだまだ、弱い点である。が、今はおいておく。
 根本的に重要なのは陰陽分極が螺旋体を形成するとき、その螺旋生命物質体の力学である。その解明が必要なのである。
 これまで述べたように、生命物質と純粋物質は異なるのであり、前者は後者を包含すると考えられるのである。
 端的に、生命物質とは、気的物質である。気がそこには、存しているのである。これが、気のない純粋物質との根本的違いである。
 直観で言えば、陰陽共振による現象形成において、四元数(しげんすう)のプラス1が時間ないし気であり、三つの虚数による空間三次元であるが、それが純粋物質に通じるのでないか。
 生命物質体は、プラス1の気(時間と関係する)を基軸、中心軸にもつのであり、その周囲に三次元空間、あるいは、三次元物質体をもつということではないだろうか。
 そして、プラス1はエネルギーであり、それは、生成消滅するのであり、その消滅によって、空間三次元物質、つまり、純粋物質が残るということではないだろうか。純粋物質とは、「死体」・「遺体」である。生命は抜けているのである。
 後でさらに叙述したい。

<無双陰陽原理概念座標:Ver.14.1.0>

         陰陽軸(円)

          陽(✡):自我
          |
          |
          |
          |
          |
          ★
_______・______実軸(時間・気=天地軸)+1
          ☆
          |
          |
          |
          |
          |
         陰(✪):他者

【但し、・は太極点(内在的超越点、MP: Media Point)、★は陽における陰点、☆は陰における陽点である。
 そして、陰陽軸(円)は多次元、無限次元、無次元と思われ、陽=自我=知(認識)と陰=他者=存在で、意識、精神、魂、自己=個を形成し、生命気螺旋とは区別される。
尚、実軸は時間軸=気軸=天地軸とし、太極点から発出する生命気螺旋における四元数(1, i, j, k)の三つの虚軸(空間三次元)は記入していない。時間は実数1に相当する。⇒は、気と見ることができるかもしれない。
 霊「数」、陽✡、陰✪を仮説して、また、陰陽共振を✇で表わし、以下のように公式化する。無双陰陽原理公式である。
✪✇✡⇒a + bi + cj + dk 
or
✪✇✡⇒+1 + i + j + k


2013年03月29日(Fri)▲ページの先頭へ
緑の聖霊:気とは太一の聖なるコスモス・エネルギー:植物的気認識による陰身体と陽自我の和合的浄化
テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

今日も森の小道の角で、切られた杉の幹に座して考えた。
 
 陰と陽の和合において、気が存する。陰と陽の両極・両面をもった第3の中間的存在であるが、しかし、一者である。(キリスト教三位一体で言えば、聖霊に相当する。)
 気は直観では、太一に一致・合致する。聖なる気である。太一気である。ここにおいて、陽の智と陰の身体が一体化するのである。
 気的陽智性であり、気的陰感性である。
 超越性はこの気を介するのである。
そう、この気において、即非が為されるのである。陽智性と陰感性は別々であり、且つ、一体化されるのである。
 そう、この気は、植物的である。樹木的である。それは、緑の血液のようなものである。
 動物的な陰の場合、例えば、動物的性欲のような場合、それは、聖なる気のバランスを破壊するのである。
 それは、「アポロ」の領域を破壊するのである。
 植物的気となって、陽のアポロと陰のディオニュソスが和合するのである。
 シュタイナー的に言えば、エーテル体が陽の自我と陰のアストラル体を和合させるのである。
 植物的であるエーテル体=気が陰のディオニュソスを陽のアポロと一体・秩序化させるのである。ディオニュソスのカオスがアポロ的自我と植物的な気と結び、秩序=コスモス化するのである。
 性愛は動物的から植物的へと転移するのである。
 そう、エーテル体的な精神があるのである。気的「愛」の精神があるのである。気的共振の精神があるのである。植物的「愛」の精神である。
 思うに、これがキリストの精神(精霊・聖霊)ではないのか。天照大神、アフラ・マズダ、ミトラスではないか。
 気=エーテル体=太一の精神によって、陰と陽が和合する、コスモス化するということであり、植物的精神が平和な世界を構成するということと考えられる。
 とまれ、そうならば、陰陽世界とは何だろうか。
 太一精神が植物的気的精神ならば、陰と陽もその分化・分極化と考えられよう。
 太一気、太気があり、それが、陰陽分極化する。陰魂と陽霊に分極化する。
 陽霊が自我を、陰魂が感性・動物的身体を形成する。
 結局、当然ながら、緑の聖霊が、陽の自我を、陰の動物存在を形成するのである。始めに、緑ありき、となる。
 そう、緑の聖霊、緑のコスモスがあり、それが、自我と動物をも形成するのであるが、自我と動物は、いわば、緑の聖霊の鬼っ子となるのである。
 しかし、進化、宇宙進化は、陰陽宇宙を緑の宇宙・コスモスへと改新させると考えられる。
 シュタイナー的に言えば、陽自我のアーリマンと陰動物のルシファーの対立を調停するのは、緑の聖霊のキリストである。緑の太陽であるキリストである。
 植物的聖霊が二つの悪魔を調停して、陽自我と陰存在を気緑化するのである。


2013年03月28日(Thu)▲ページの先頭へ
陽の認識に拠る陰の昇華・純化・浄化的変容:認識に拠る身体の変容:認識的錬金術浄化昇華変容
テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

正しい認識は、身体に変容をもたらすのではないだろうか。逆に言えば、正しくない認識はそうではないということであるが。
 無双陰陽原理から言えば、陽の智が陰の身体的存在に変容をもたらすということである。
 そう思えるのであるが、それが正しいならば、その力学はどのようなものなのか。
 思うに、陰の身体的存在はカオス様態にあるのである。あるいは、未分化様態にあるのである。
 しかし、その陰の身体的存在(存在的身体と言うべきか)のカオス様態に対する秩序的智を陽がもったとき、それは、陰のカオスに作用するということではないだろうか。
 では、その作用力学はいかなるものか。
 カオスを秩序(コスモス)化する考えられる智、陽の智であるが、それは、陰のカオスになんらか繋がるのである。
 その繋がりのメカニズムは何か。
 端的に、陽の智は陰のカオスに通じているのである。どのようにして?
 それは、陰の感覚を陽の意識が知覚し、また、逆に、陽の智意識を陰の感覚は受け入れるということではないだろうか。
 陰感覚を陽意識が知覚・認識するというのはわかりやすいが、陽意識を陰感覚が「知覚・認識」するというのはわかりにくいのではないだろうか。
 思うに、陰感覚には、なんらかの知覚・認識があるのである。だから、陽の智を受容して、それを作用させるということではないだろうか。
 この点については、陰陽極性様態を考えれば、問題はない。即ち、陰の中に陽があり、陽の中に陰が存するのであるから、以上のことは当然なのである。
 言い換えると、陽の知性の中には、陰の感性があり、陰の感性の中には、陽の知性があるということである。双対性と言っていいのではないだろうか。双対原理(陰陽相互原理、知性感性相互形成原理)があるということである。
 結局、陰のカオスをコスモス化するには、陽の智が必要であり、また、陽のカオスをコスモス化するには、陰の智が必要であるということになる。陰陽相補コスモス進化原理(陰陽コスモス原理)があると言えよう。


2013年03月26日(Tue)▲ページの先頭へ
父と子と聖霊のキリスト教三位一体と無双陰陽(PSコスミクス)原理
父と子と聖霊のキリスト教三位一体と無双陰陽(PSコスミクス)原理

テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

ざっと指摘する。
 キリスト教三位一体であるが、それは、無双陰陽原理と合致するのではないだろうか。即ち、

父(ヤハウェ)=陽(=霊)=風?

子(キリスト)=陰(=魂)=水?

聖霊=太一(太極、太元)=イデア・・・(天之御中主神)=火?


と図式化できるのではないか。
 これは、また、ケルト文化と神道文化の三つ巴とも一致しよう。
 とまれ、そうすると、父が根源ではなく、聖霊が根源に存することになる。
 フィオーレのヨアキムの理論(父の時代、子の時代、そして、聖霊の時代がやってくる)は正しいように思う。
 先に触れたプラトンのプシュケー(魂、霊魂)であるが、それは、ひょっとして、聖霊=太一に相当するのかもしれない。要検討である。





プシュケー(魂)とは、陰魂陽霊(陽霊陰魂)ではないのか

テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

これは検討課題である。
霊とは陽であり、魂とは陰ではないのか。
 精神とは、陽霊陰魂ではないのか。
 というか、太一性が精神かもしれない。
天之御中主神が太一性であり、精神ではないのか。
そして、高皇産霊神や神産霊神は陽や陰ではないのか。
 そう、イザナミノミコト、イザナギノミコトであるが、それは、陰魂と陽霊ではないのか。
 太一原理があり、それが陰陽に双極化するのであり、陰魂極と陽霊極の対極が生じるのではないのか。
 プラトンの言うプシュケー(魂、霊魂)であるが、それは、陽霊であり、陰魂ではないような感じである。
 『パイドン』を読み進めて、さらに考察しよう。

追記:精神とは、陽霊⇄太一⇄陰魂の三位一体ではないのか。
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ソークラテースの弁明・クリトーン・パイドーン (新潮文庫)/新潮社

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2004年02月18日 : 古代ギリシア哲学と現代倫理学のページ
matsuura05.exblog.jp/d2004-02-18 - キャッシュ - 類似ページ
2004年2月18日 ... わたしの個人的な感想をいえば、『パイドン』は、『パイドロス』のパリノーディア(歌い直し
)の箇所と並んで、プラトンの数ある対話篇の中でも、出色の作品です。 .... 要約するより
、主として訳の形で紹介したい気がしますので、そうします。





プラトン哲学は陰陽哲学をベースにしている:無双PS原理という呼称は使用できる

テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

プラトンの『パイドン』であるが、以下の「三 霊魂不滅の証明 (一) 生成の循環的構造による証明。生から死へ、死から生へ」(p.47〜p.54) は、輪廻転生の証明であるが、それは、陰陽論によっていると言える。プラトンは、陰陽論を深く学んで自分のものにしていたと言える。やはり、プラトン哲学 は東洋哲学がベースにあるのである。
 また、オルフェウス教もやはり東洋から古代ギリシアにやってきたものではないだろうか。そう、古代ギリシア自体が、いわば、原ヘレニズムだと考えられる。
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1. パイドン - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/パイドン - キャッシュ - 類似ページ
パイドンとはエリス学派の創設者である哲学者エリスのパイドンを指し、ソクラテス臨終
の場に居合わせなかったピュタゴラス学派の哲学者エケクラテスに、その様子を語って
いるという設定でもある。『哲学は死の練習』という言葉や、『白鳥が死の際に美しい歌を ...
2. Amazon.co.jp: パイドン―魂の不死について (岩波文庫): プラトン, Plato ...
www.amazon.co.jp/パイドン―魂の不死について.../4003360222 - キャッシュ - 類似ページ
Amazon.co.jp: パイドン―魂の不死について (岩波文庫): プラトン, Plato, 岩田 靖夫:
本.
3. イデア論
philos.fc2web.com/plato/theoryfo.html - キャッシュ - 類似ページ
前回は、『パイドン』の話をしている途中で時間が来てしまいました。前にも言いましたが
、『パイドン』は、ソクラテスの処刑当日1日分の話が書かれている書物です。史実
そのままかどうか、という点は疑わしいのですが、悪妻と名高い妻のクサンチッペが子供
を ...
4. パイドン―魂の不死について | Chase Your Dream !
blog.chase-dream.com/2009/10/24/785 - キャッシュ - 類似ページ
2009年10月24日 ... パイドンが,エケクラテスに請われ,ソクラテスがその生涯の最後に何を語ったかを
述べるという設定で書かれた対話篇.ソクラテスが処刑される当日の朝から日没までに
,ソクラテスとその弟子たちが牢獄で交わした対話が記されている.
5. [PDF]
プラトン著『パイドン―魂の不死について―』(岩田靖夫訳 ... - フィロソフィア
global-spirituality.net/wp-content/uploads/2007/11/handout2-2.pdf - 類似ページ
第二回フィロソフィア 2005/04/29. プラトン著『パイドン―魂の不死について―』(岩田
靖夫訳、岩波文庫、1998 年). <概要>. 紀元前 399 年、ソクラテスは「国家公認の
神々を拝まず、青年を腐敗させる」という罪状で告発. され、アテナイの牢獄で刑死した。
6. プラトン「パイドン −魂の不死について」 - 吾
blog.goo.ne.jp/usmle1789/.../fc1e9196b695719695e8d0feca242009 - キャッシュ
2011年8月3日 ... プラトン「パイドン −魂の不死について」岩波文庫(1998/2/16) を読んだ。 ======
============= <出版社からの内容紹介> 人間のうちにあって
われわれを支配し,イデアを把握する力を持つ魂は,永遠不滅のイデアの ...
7. 京都大学学術出版会:饗宴/パイドン
www.kyoto-up.or.jp/book.php?isbn=9784876981724 - キャッシュ - 類似ページ
内容. 「神のごときプラトン」と謳われた哲人が、師ソクラテスに思いを馳せつつ綴る珠玉
の名品集。『饗宴』では、喜劇作家アリストパネス等の面々が「エロース(恋)」讃美を
繰り広げる。『パイドン』は、ソクラテスの死刑に立ち会った友人たち相手に、「死」を
テーマ ...
8. プラトンのパイドン: 反省芸術・糸崎公朗blog3
itozaki.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-1973.html - キャッシュ
2011年1月6日 ... 年末から正月にかけてプラトンの『パイドン』を読んだのだが、もっと早く読んでいればと
後悔するくらい素晴らしかった。 写真家の友人に「ギリシア哲学は意外に読みやすくて
面白い」と言われ気になっていたのだが、まさに予想を上回るインパクト ...
9. [PDF]
ソクラテスの死についての小論 ープラトン 『パイドン』 における自殺禁止論 ...
glim-re.glim.gakushuin.ac.jp/bitstream/.../1/tetsugakukaishi_26_1_21.pdf - キャッシュ
ープラトン 『パイドン』 における自殺禁止論をめぐって. 小島 和男. はじめに. 三肉体は魂
を乱し、 魂と 一 緒になっている場合、 魂が真実や知を得るのを阻止する三 (ガ】. 鮑
. mm>m'). と語る 『パ イドン』 の中のソクラテスは、 哲学者は死を恐れることはない ...
10. パイドン
sumposion.web.fc2.com/phaidon.html - キャッシュ
パイドンはそのときの状況のすべてを、初めから、ひとつひとつ語ってゆく。 <ソクラテス
の死(ジャック=ルイ・ ... この快活な両名によって『パイドン』全篇を通じて、いきいきと
したソクラテスとの議論が展開されてゆくこととなる。 先ず、ケベスにしてみれば、 ...


2013年03月25日(Mon)▲ページの先頭へ
物質と気と精神:気的理性(身体的理性)への進展:植物的自然への回帰:森へ還れ!
テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

今は余裕がないので、十分述べられない。
 陰は少なくとも、現象的には二つある。つまり、存在としての陰である。
 一つは、物質的存在(身体)の陰であり、一つは精神的存在としての陰である。
 結局、陰において、物質と精神が混合しているのである。
 不連続的差異論の段階で、陰を陽から分離できたとしても、陰のこの二重の混合ないし未分化性は解消されない。
 そう、矛盾した陰の欲望はそのままである。
 精神の追求が、物質的身体の追求となるのである。
 これは、二元論の限界である。
 ここで、先に述べた、身体理性の考え方が重要である。それは、言い換えると、気的身体の視点である。
 気の感性的意識(感性的理性)は、陰であるが、気の生命と通じるので、陰の物質的欲望をいわば節制するのである。言うならば、気の理性によって統制されるのである。
 そして、気の理性は、知性を介して、気的精神性へと向かうことができると言えよう。
 ここで少し飛躍するが、気は植物性、物質的身体は動物性と関係しているように思われるのである。
 シュタイナーの説くアストラル体(いわば、感情・欲望身体)であるが、それは、この物質的身体と通ずるように思われる。
 そして、この物質的身体=動物的身体(アストラル体)が、陽の自我と結合して、権力衝動が生じるように思われるのであるが、今は詳述しない。
 とまれ、気的理性を第3の視点としての把握することによって、二元論から脱却して、三元論となり、気的理性認識によって、物質的身体=動物的身体をコントロールできる感性ー知性をもつようになると思われる。
 そして、このとき、脱物質=動物的身体化が可能になると思われるのである。勿論、物質=動物性がなくなるわけではない。
 気的理性とは、精神的価値観を現実化するものと思われる。何故なら、陰の二重性から脱して、陰の精神性を純粋に追求することができるようになるからである。
 直観では、気的理性は、物質=動物的欲望身体を浄化(カタルシス)、精錬して、精神=植物的欲望身体を洗練させるように思える。
 そう、言い換えると、物質=動物的欲望身体の変容が生成されるように思えるのである。
 物質=動物的欲望身体の、気=植物的欲望身体=精神化のように思える。
 そう、気的精神身体への浄化・洗練である。
 とまれ、気=植物=精神化の変容が生じると思われる。

追記:一つ言いたかったことが抜けているので、補足すると、都市は、物質主義的都市であり、物質的身体=動物的身体と結びついた物質的知性(科学・技術)が支配的であるのに対して、田舎は、気的身体が発達するように思われる。
 都市の物質主義によって、第3のものである気的理性は抑圧されるのである。あるいは、都市資本主義物質主義によって、気的感性は保護されず、傷つくのであり、また、その反動の陰も、精神と物質との連続的二重性によって、物質主義から抜け出せないのである。つまり、蟻地獄、袋小路に陥るのである。
 そう、今日、都市は物質的地獄的悪魔主義に陥るのである。
 結局、自然への回帰が必要になるのである。それも、動物的自然ではなく、植物的自然への回帰である。それが、気的理性、身体的理性への進展へと導くのである。
 植物的自然への回帰とは、母権的大文化への回帰である。当然、螺旋的回帰・復帰である。
 森への回帰である。逆ギルガメシュ叙事詩である。森の番人フンババの復活である。

参照:
ギルガメシュ叙事詩 - Dti
www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm - キャッシュ - 類似ページ
ギルガメシュ叙事詩. ギルガメシュは凄い。・・・・人に衝撃を与える最高傑作です。 (
ライナー・マリア・リルケ、1916年12月11日の手紙より). 現存する世界最古の叙事詩
。旧約聖書の「ノアの洪水」の原型を含み、また数千年前の物語ながらすでに少年
ジャンプ ...

1.
フンババ - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/フンババ - キャッシュ - 類似ページ
フンババ(アッカド語:Humbaba、シュメール語:Huwawa フワワ)は、バビロニア神話の
『ギルガメシュ叙事詩』に登場する怪物。 ... 神々の所有するレバノン杉の森の番人で
あったが、シャマシュの操る風による助力を得た英雄ギルガメシュにより殺害される。
2.
ギルガメシュ叙事詩 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/ギルガメシュ叙事詩 - キャッシュ - 類似ページ
楔形文字でギルガメシュ叙事詩の一部が刻まれた粘土板. 『ギルガメシュ叙事詩』(
ギルガメシュじょじし)は、古代メソポタミアの文学作品。 ... 杉はフンババ(フワワ)という
怪物により守られていたが、二人は神に背いてこれを殺し杉をウルクに持ち帰った。
3.
もののけ姫(1)
www008.upp.so-net.ne.jp/takemoto/D7_42.htm - キャッシュ - 類似ページ
... かもしれません。 『もののけ姫』の下敷きは『ギルガメシュ叙事詩』だという話は金岡新
という方のホームページ『世界史講義録』で知りました。 ... ギルガメシュ叙事詩では、
フンババが殺されたあと「ただ充満するものが山に満ちた」と書かれている。「もののけ姫
」 ...
4.
ギルガメシュ神話と21世紀の農業哲学
www.st.rim.or.jp/~success/no_sisaku06.html - キャッシュ - 類似ページ
2007年9月7日 ... 古代メソポタミアに「ギルガメシュ叙事詩」というものが伝わっている。その中に、文明の
本質を象徴するような「ギルガメシュ神話」というものがある。 ギルガメシュが王となって
最初に行ったことは、森の怪物フンババに、斧と剣を鋳造し ...
5.
もののけ姫 | Renaissancejapan
wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/234.html - キャッシュ
2006年6月7日 ... 人と自然」をテーマにした宮崎駿監督の「もののけ姫」も、シュメールのギルガメッシュ
叙事詩を参考にしたものであると思 ... しかし森の中には、人々に祟りとして恐れられて
いる怪物の姿をした、森の神フンババがいて、シュメールの神エンルリに ...
6.
森の番人 ― フンババ|無人のモグハウスで発見された手記
ameblo.jp/daikengo/entry-10440385198.html - キャッシュ
2010年1月23日 ... 本日は、メソポタミアの神話はギルガメッシュ叙事詩より、神木の森の番人、“フンババ”
をご紹介しましょう。 フンババ(またはフワワとも)は、ギルガメッシュ叙事詩に登場する
怪物です。このフンババとの対決が、丁度中盤の山場に当たります。
7.
『ギルガメシュ叙事詩』 epi の十年千冊。/ウェブリブログ
epi-w.at.webry.info/201106/article_7.html - キャッシュ
2011年6月30日 ... の『ギルガメシュ叙事詩』に関する詳細記事。 ... 世界最古の叙事詩『ギルガメシュ
叙事詩』はメソポタミア地方で成立した。 ... この格闘で双方に友情が芽生え、
ギルガメシュは「香柏の森」に遠征し、そこの守り人フンババを打倒しようとエンキドゥ ...
8.
中東・ヨーロッパの征服・破壊のパラダイムのはじまり(ギルガメシュ ...
blog.goo.ne.jp/.../e/5edc04378079dc1cb4fe8cad3878d7db - キャッシュ - 類似ページ
2006年12月22日... 文明は滅亡する。 番組では世界最古の記録された物語「ギルガメシュの叙事詩」が
紹介された。 ... シュメールの神エンルリに命じられた半身半獣の森の神フンババは、数
千年もの間、人間たちから神々の森を護って来た。 ある日、ウルクの ...
9.
ギルガメシュ:第5の粘土板
homepage1.nifty.com/endow/all%20gilgamesh/.../05th_tablet.html - キャッシュ - 類似ページ
二人よりフンババは巨大なはずですが、新ヒッタイト(現トルコ)まで伝わっていくうちに
大きさが変化したのかもしれません。 ... ギルガメシュ王の仏心を諌め、殺させます。 ...
さて、これですべてめでたし、で終わらないのが、ギルガメシュ叙事詩の面白さです。
10.
東西の神話にみる森のこころ
shikon.nichibun.ac.jp/dspace/handle/123456789/587 - キャッシュ
キーワード: ギルガメシュ叙事詩メソポタミヤフンババレバノンスギ日本書紀
スサノオノミコトイタケルノミコト神話花粉分析森林の変遷. 発行日 ... この叙事詩の
メインテーマはウルクの王ギルガメシュと友人エンキドゥが、森の神フンババを殺す物語
である。


2013年03月23日(Sat)▲ページの先頭へ
陰陽と生命
テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

今日も、森の杉の聳える小道の角で考えた。(あっという間に、桜が咲き、木々の頭の方が黄緑に染まりだした。)
 陰陽から生命が生まれる。陰陽共振の気が生命力である。
しかし、生命体は、食が必須である。
 では、食とは何か。
 思うに、気が常に流入するならば、食は要らないのではないだろうか。そう、霞を食べて生きる仙人とは、気で生命を養っているということだと思うが。
 とまれ、生命体は、エネルギーを補給するために、一般的には、食が必要である。
 そう、思うに、太一(イデア)の生命情報がある。それが、陰陽に刻まれ、気的生命情報となり、それが、生命物質体を形成する。
 生命情報によって物質化されるが、生成した物質体は常に、エントロピーによって、衰滅するのである。だから、維持するには、消滅・消尽する物質(エネルギー)を補う作業が必要であり、それが、食という行為になると考えられる。
 食に拠るエネルギー補給によって、それが、気的生命情報力学に応じて、生命有機的物質を形成し、生命体を維持するというように考えられる。
 思うに、食によるエネルギーであるが、それは、気的生命エネルギーに近い形になるのではないだろうか。気的生命情報力学に呼応するように、食エネルギーが変容させられるのではないだろうか。
 だから、食エネルギーは気エネルギーに近いものになるように思えるのである。
 だから、食を気に近づけるのが、もっとも健康的であるということになろう。小食、断食は、身体を気に近づけると考えられるので、相応しい食と言えよう。
 また、免疫と気の問題がある。
 食は免疫力に通じるものがよいのは当然であるが。
 結局、免疫力とは、気的生命を破壊する害悪物に対して、作用するものであり、気との関係から言えば、気的共振を阻害するもの、つまり、反気的なものへの攻撃力と言えよう。
 陰陽共振を破壊するものとは、端的に、陰陽共振を抑圧するものであろう。つまり、それは、陰陽性のない純粋物質のようなものではないのか。
 途中であるが、ここで今は留める。


2013年03月22日(Fri)▲ページの先頭へ
無双陰陽PSコスミクス原理:プラトンのイデア論と無双陰陽原理とホロコスミクス
テーマ:グランド・セオリー:無双陰陽コスミクス

久しぶりに、プラトンの『パイドロス』を読んだが、なにかほとんど初めて読んだような感じだ。結局、以前は、わかりやすいところだけに注目し、その他、難しいところは、飛ばして読んだということだと思う。
 とまれ、プラトンのイデア論は、先に述べたように、無双陰陽原理と呼応する。だから、以前の理論名称、無双PS(プラトニック・シナジー)原理を復活させてもいい。
 また、藤原肇博士のホロコスミクスもプラトン哲学(ピュタゴラス/プラトン哲学)を取り入れているので、無双陰陽PSコスミクスとでも呼ぶのもいいのかもしれない。
 今は余裕がないので、ポイントだけ記す。

1)太一:1
2)陰陽分極:2
3)陰陽共振:3
4)螺旋生命四次元時空:4
5)太一復帰:5=1

となる。これは、1⇒2⇒3⇒4⇒5=1を意味するように思える。
1から4まででテトラクテュスを意味する。即ち、
1+2+3+4=10である。
5は、ピュタゴラス学派の聖数・秘数と一致するということではないだろうか。
 その他、いろいろ合致する数値や形態を述べたいが、今はここで留める。

追記:秘数5であるが、これは、本来、黄金比における正五角形の5と関係するものである。しかし、以上では、4⇒5=1という移行を仮説して、秘数5と結びつけることにした。

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ピタゴラスについて、テトラクテュスとは - 神秘学が教える、あなたの人生 ...
http://amorc.or.jp/blog/2012/02/post-1.html

ピタゴラスのテトラクテュス



「テトラクテュス」(テトラクティス)



彼は宇宙が数からできていると考えました。
そして、特にその中でも1,2,3,4が重要な数であると考え、
それを「テトラクテュス」(テトラクティス)と呼びました。


古代ギリシア哲学 ピュタゴラス
http://www7a.biglobe.ne.jp/~mochi_space/ancient_philosophy/vorsokratiker/pyutagoras.html

実際、私がここに書いたことのほかにも、テトラクテュスやアリストテレスの残した資料に
見られる「万物は数である」という ... 10を完全数であると考えていたピュタゴラス派の
人々は、下から4:3:2:1で構成される正三角形をテトラクテュスとよんで珍重していました


ピタゴラス派 - 古代ギリシア哲学と現代倫理学のページ - エキサイトブログ
http://matsuura05.exblog.jp/d2004-02-06

2004年2月6日 ... このテトラクテュスは、ピタゴラス派にとっては、正三角形という美しい形が、 ... この
テトラクテュスは、以下に見るように、音楽や天文学とも密接に関わっています。 ... 先の
テトラクテュスがここにも現れていることになる、というわけですね。


2013年03月19日(Tue)▲ページの先頭へ
太一(太元・太極)⇒陰陽分極⇒螺旋的時空四次元界⇒太一復帰
テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

森の小路の角で佇み、思考した。以前もそこで哲学した。
 今はざっと書く。

1)太一(太極)⇒2)陰陽分極⇒3)螺旋時空四次元世界⇒4)太一復帰

これが、「個」の生成循環力学である。
 プラトンのイデア界とは、1の太一である。そして、2は陰陽界であるが、まだ、物質化していない。
 物質界は3である。しかし、本来的には、生命的物質界である。
そして、その螺旋的生命物質体は、太一を再び目指すのであるが、それは、より高いレベルを目指すのである。高進である。
 とまれ、わかりやすく垂直の図式にすると、

       1) 太一
          ↓
      2)陰陽分極
          ↓
     3)螺旋的生命四次元界
          ↓
       4)再太一化

 この下降は実は、上昇でもある。下部は、天の方向である。ここで、樹木、弦巻植物等を想起すればいい。
 ポイントは、2)陰陽分極から3)螺旋的生命四次元界への転化において、いわば、太一力学、つまり、統一力学が働いて、陰と陽が共振して、螺旋化するということである。
 そして、陰陽共振が電磁波形成であると思われる。それが、また、螺旋的生命形成を意味するのである。
 思うに、ここの力学は精緻に検討する必要があるが、今、簡単に直観を述べる。
 2の陰陽分極は、陰陽分離のことであり、陰陽双極(分極)の形成を意味する。
 2から3へ転換するには、2の状態に1の太一の力が入る必要があると思われる。それが、分極から共振へと変化させるように思われる。
 つまり、陰陽分極とは、陰陽共立であり、陰と陽が分離したままで、結合へとは進まない状態である。そう、アリストテレス哲学的には、デュナミス(ポテンシャル)の様態と考えられる。
 そこへ、陰陽を結合させるなんらかの太一の力が作用するのである。この太一の力とは、第3のものである。中間的第三者である。先に、身体理性と言ったものに相応しよう。そう、両極媒介子とも言えよう。
 そして、それによって、陰陽共振というエネルゲイア(エネルギー)化が生起すると考えられる。
 とまれ、ここで、陰陽が物質化するということになる。プラスとマイナス、NとSが生起すると考えられる。思うに、陰陽から物質化への転換は、次元の下降を意味すると考えられる。陰陽次元から物質次元への下降である。
 このとき、問題は、原子をどうとらえるのかということである。直観では、原子核はMP、陰陽共立共振の中心点、MP(メディア・ポイント)である。
 原子核という中心の周囲を陰陽共振による電磁波的物質が回転するように思えるのである。
 この点については、余裕のあるとき、緻密に検討したい。
 さて、次に、思いつきであるが、陽が光、陰がダークマターに関係するのではないかということである。
 あるいは、それとは別に、陰陽共立の様態がダークマターということも考えられるだろう。ダークエネルギーは、参入する太一のエネルギーということだろうか?


2013年03月10日(Sun)▲ページの先頭へ
気と物質:五次元世界と無双陰陽原理Ver.14.0.0
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11487028211.html

テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

ここ一週間、多忙である。また来週いっぱい、忙しいだろう。
 森の中で、佇み、久しぶりに、無双陰陽原理を深化させるために、直観的思考をする。
 陰霊と陽霊があり、それが、接近して、物質化する。つまり、電気となり、磁気となる。
 とまれ、わかりやくするため、イメージ的思考を述べよう。
 陰と陽が共立している。これは、牽引と反発が同時生起している様態である。
 それが、次元変換子によって、マイナス・イオンとプラス・イオンに分離し、かつ、牽引している。陰電子と陽電子であるが、それは、既に、当然、陰と陽ではない。陰と陽が次元変換されたのである。
 ここでとりあえず、二次元座標を考えると、y軸に陰と陽が位置し、x軸は陰電子と陽電子が位置することになるのではないだろうか。
 さらに三次元座標を考えると、z軸が陰と陽、y軸が陰電子と陽電子、x軸がN極とS極となる。
 さらに、光ないし電磁波の進行方向を考えると、四次元座標が必要となるだろう。x、y,zにα(アルファ)を加えると、α軸に陰陽、z軸に陰電子・陽電子、y軸にNS極、x軸に光・電磁波の進行方向をとる。
 ここで、四元(しげん)数を考えると、虚数i, j, kは、z軸、y軸、x軸に対応させると、1は、どうやら、時間になるかもしれない。つまり、z軸、y軸、x軸が空間軸であり、実軸が時間軸ということである。
 これまで、実数軸を気軸としてきたが、時間軸としても、気軸であることを今は否定しないでおく。
 さて、四元数を取り入れると、四次元ではなくて、五次元になる。即ち、陰陽軸として、超軸を取り入れる。S軸とする。
 すると、S軸に陰陽、z軸(i)に陰電子・陽電子、y軸(j)にN極・S極、x軸(k)に電磁波進行方向、そして、α軸=実軸(1)に時間・気を見るのである。
 そうすると、無双陰陽原理概念座標は以下のように変わる。

<無双陰陽原理概念座標:Ver.14.0.0>

         陰陽軸(円)

          陽(✡):自我
          |
          |
          |
          |
          |
          ★
_______・______実軸(時間・気=天地軸)+1
          ☆
          |
          |
          |
          |
          |
         陰(✪):他者

【但し、・は太極点(内在的超越点、MP: Media Point)、★は陽における陰点、☆は陰における陽点である。
 そして、陰陽(円)は軸ではなく、多次元、無限次元、無次元であり、陽=自我=知(認識)と陰=他者=存在で意識、精神、魂、自己=個を形成し、生命気螺旋とは区別される。
尚、実軸は時間軸=気軸=天地軸とし、太極点から発出する生命気螺旋における四元数(1, i, j, k)の三つの虚軸(空間三次元)は記入していない。時間は実数1に相当する。⇒は、気と見ることができるかもしれない。
 霊「数」、陽✡、陰✪を仮説して、また、陰陽共振を✇で表わし、以下のように公式化する。無双陰陽原理公式である。
✪✇✡⇒a + bi + cj + dk 
or
✪✇✡⇒+1 + i + j + k


2013年02月28日(Thu)▲ページの先頭へ
検討問題:プラズマと気
テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

プラズマ現象と気は関係しているように直観された。
 プラズマとは、原子と電子を分離させて、プラス・イオンとマイナス・イオンに遊離させられた状態とざっと言えようが、それは、実は、気に近いと思う。
 陰陽があり、それらは、牽引と反発の相反する極性をもつ。陰陽が牽引が主導的になると、陰陽共振となり、物質化すると思う。これが、例えば、原子である。
 しかし、その原子をまた、引き離すと、陰陽に回帰するように思えるのである。
 つまり、プラスの原子とマイナスの電子を均衡させている力が気ないし陰陽力であると思われるのである。
 プラスとマイナスのイオンは牽引するが、プラズマ化は、両者を引き離す力も存する場合と考えられる。
 この引き離す力と気ないし陰陽力が関係すると思われる。
 つまり、直観ではこうである。

 陰*陽⇒原子(ないし分子)+エネルギー

(尚、*は結合を意味する)

原子を形成するとき、エネルギーが放出されている。
 しかし、このエネルギーに相当するものを原子に当てると、それは、逆反応を起こすと思われる。即ち、

原子(ないし分子)+エネルギー⇒陰*陽

である。
 この右辺の陰*陽が、マイナス・イオンとプラス・イオンの電離、つまり、プラズマ化に相当すると思われるのである。
 無双陰陽原理で言えば、プラズマに相当する陰*陽は当然、陰陽様態ないし気である。
 以上、直観像である。後で、精緻に検討したい。

追記:以上では、原子と分子を区別していないが、原子における陰陽は、分子においても考えられると思う。

参考:

イオン - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%B3

ja.wikipedia.org/wiki/イオン - キャッシュ - 類似ページ
物理学、化学物理学の分野では、気相のイオンに対して、陽イオンの代わりに正イオン(
せいイオン、英: positive ion、カチオン)、陰イオンの代わりに負イオン(ふイオン、
negative ion、アニオン)が多く用いられる。大気電気学では、気相のイオンを大気
イオン(た ...

作用抑制メカニズム

自然界と同じイオンで空気を健康にする、そのメカニズムを詳しく解説します。

http://www.sharp.co.jp/plasmacluster/mechanism/


プラズマクラスター - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%BA%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC

ja.wikipedia.org/wiki/プラズマクラスター - キャッシュ - 類似ページ
プラズマクラスター(Plasmacluster)は、家電メーカーシャープによる造語であり、
プラズマ放電により活性酸素を発生させ+(プラス)と−(マイナス)のプラズマクラスター
イオンを作り空気中に放出するプラズマクラスター技術(特許第3680121号)を総称する
もの ...


放電プラズマにより生成したクラスターイオンを用いた 気中 ... - シャープ
httt://www.sharp.co.jp/corporate/rd/21/pdf/86-03.pdf - キャッシュ - 類似ページ
10. シャープ技報. 第86号・2003年8月. 論 文. * A1229 プロジェクトチーム. 放電
プラズマにより生成したクラスターイオンを用いた. 気中ウイルス不活化技術. Airborne
Viruses Inactivation with Cluster Ions Generated in a Discharge Plasma. 西 川 和
男 * ...

プラズマについての基礎知識
http://www2.kanazawa-it.ac.jp/sakudo-l/beginer.htm

www2.kanazawa-it.ac.jp/sakudo-l/beginer.htm - キャッシュ - 類似ページ
作道研HP内コンテンツです! *フレームが表示されてない方はこちらから入りなおして
ください。 *お願い 本文・画像の無断引用はおやめ下さい(連絡頂ければご相談に応じ
ます). プラズマの基礎知識 この世にある全ての物は 1原子と呼ばれる非常に小さな粒 ...
プラズマ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%BA%E3%83%9E

ja.wikipedia.org/wiki/プラズマ - キャッシュ - 類似ページ
プラズマ(英語:plasma、英語発音: /ˈplæzmə/)は固体・液体・気体につづく物質の第
四の状態の名称であって、通常は「電離した気体」をイメージに持つ。ここではまず、
プラズマの一般的解説を与え、ついでそれを巡るいろいろな話題について記す。
プラズマの ...

プラズマボール。繊維状の構造はプラズマの複雑性を表している。電子が励起状態 から低いエネルギー準位 に緩和 するとき、エネルギーの差に対応した光が放出される。

プラズマとは?
http://p-grp.nucleng.kyoto-u.ac.jp/plasma/

p-grp.nucleng.kyoto-u.ac.jp/plasma/ - キャッシュ - 類似ページ
一方,人間の手によって生み出されたプラズマは,放電現象として,蛍光灯をはじめと
する照明器具や,溶接,エッチング,薄膜形成等の加工技術に広く利用されています.
さらには,核融合反応によるエネルギー生成の実現を目指して, 1 億度以上の超高温 ...

Plasma (physics) - Wikipedia, the free encyclopedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Plasma_%28physics%29

en.wikipedia.org/wiki/Plasma_(physics) - キャッシュ - 類似ページ
Plasma (from Greek πλάσμα, "anything formed") is one of the four fundamental
states of matter (the others being solid, liquid, and gas). Heating a gas may ionize
its molecules or atoms (reducing or increasing the number of electrons in them), ...

Physics of Plasmas
http://pop.aip.org/

pop.aip.org/ - キャッシュ - 類似ページ
Invited talks given at the 54th annual APS Division of Plasma Physics meeting
held in Providence, Rhode Island are now ... Physics of Plasmas congratulates
Liu Chen who is the recipient of this year's James Clerk Maxwell Prize for Plasma ...


2013年02月22日(Fri)▲ページの先頭へ
陰陽を正負・NSに変換する中間力学:次元変換子:陰陽の現象化としての電子と磁気
陰陽を正負・NSに変換する中間力学:次元変換子:陰陽の現象化としての電子と磁気

テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

余裕がないので、ポイントだけ簡単に(追記:簡単に、ではなかった。)指摘する。
 陰陽とは、以前述べたように、牽引と反発の二つの相反する力が働いているという極性をもっている。
 しかしながら、電気や磁気は、正負、NSの極性があり、それは、単に牽引力をもつ。勿論、同じ極は、反発するが。
 とまれ、陰陽から電気、磁気(まとめて、電磁波)が生成するには、陰陽の相反する極性を変換させる必要がある。
 その変換力をとりあえず、中間牽引力と呼ぶ。
 それは、無双陰陽原理では、MPに相当するものである。
 先の陰陽身体三元論から言うと、身体意識・理性に相当するものである。
 ここで簡単に図式化すると、

陰ー中間牽引力ー陽

陰ー身体理性ー陽

である。
 ここで、正負を考えると、例えば、陰側がマイナス、陽側がプラスになるとすると、

陰(マイナス)ー中間牽引力ー陽(プラス)

となる。
 しかし、陰は本来、マイナスではなく、陽も、プラスではない。
 だから、

「陰」(マイナス)ー中間牽引力ー「陽」(プラス)

とでも表記すべきである。
 思うに、中間牽引力を次元変換子と見てもいいだろう。つまり、陰陽の霊的次元から電気・磁気の物質的次元へと変換するものだからである。
 ここで以前簡単に触れた、牽引化と反発化の分離・乖離を考えるといいかもしれない。
 つまり、陰*陽⇒±1を考えるのである。これは、かつての、PS理論の自己認識方程式ではない。何故なら、プラス1とマイナス1が生起しているからである。
 とまれ、牽引化によって、プラス1が、反発化によってマイナス1が生じると考える。
 四元(しげん)数によると、プラス1の他に、三つの虚数が生じることになるが、今は、それをおいておこう。
 とまれ、牽引化が物質化を意味するのであり、そのとき、陰は「陰」=マイナスに、陽は「陽」=プラスに変換しているのである。
 今ふと思ったが、これをガウス平面に見ていいのかもしれない。つまり、ガウス平面の−1がマイナスであり、+1がプラスである。つまり、実軸で、牽引することになるのである。
 しかし、私の最初の考えは、物質化は、+1の側に存するのであり、−1の側ではない。
 −1の側は、物質化の反対であり、脱物質化なのかもしれない。
 そう、以前、THRIVEのトーラスに関して述べたように、+1は、生の側であり、−1は死の側のように思えるのである。
 ということで、次元変換子による陰と陽のマイナスとプラスへの変換は、+1と−1ではないことになる。
 (そう、ここで不連続的差異論の考え方を導入すると、次元変換子とは、連続的同一性化と非連続的非同一性化の二つの過程を意味し、前者が生であり、後者が死となる。
 フロイト精神分析を使えば、前者がエロスで、後者がタナトスかもしれない。追記:この箇所は問題があるので、保留である。)
 さて、ここで、気について考えるとどうなるだろうか。
 これまでの考え方では、気は、+1である。それは、生の力である。
 ここで、陰と陽について、分節化しておこう。
 次元変換子によって、陰ー次元変換子ー陽となるが、このとき、陰は、牽引/反発(以下、牽/反)の牽を、陽も牽/反の牽を見せていて、牽引するというように考えよう。
 つまり、陰と陽、それぞれ、牽の極を見せているとするのであり、そして、反の極を背にしているのである。つまり、

反/陰/牽ー次元変換子ー牽/陽/反

となっていると考えるのである。
 言い換えると、陰の半面と陽の半面が牽引し合うのであり、他の半面はいわば隠れているのである。
 これを陰と陽の反転による牽引化=物質化と呼んでいいかもしれない。
 つまり、陰陽次元では、陰と陽は、牽引/反発の即非的極性であるが、次元変換子によって、それぞれ、反転して、牽引化=物質化するのである。つまり、電子化=正負化、磁気化=NS化である。
 ここで、気について考えると、それは、次元変換子によって、生成される電子や磁気のエネルギーが衰退に対して、新たな電子や磁気の生成をもたらす力ではないのだろうか。
 つまり、陰と陽の反転=牽引化と気が関係するのではないだろうか。つまり、次元変換子の作用が気ではないだろうか。
 どうも議論が錯綜してきたので、発想を変える。
 初めに、太極ありき、である。それが陰陽に分極化する。そして、両者は牽引と反発が存する。しかし、太極へ回帰しようとするために、反発から牽引へと進展するのではないだろうか。
 つまり、

太極⇒陰陽分極化(反発と牽引)⇒陰陽共振(牽引化)⇒再合一化

というプロセスがあるのではないだろうか。
 気はこの陰陽共振の力ではないだろうか。言い換えると、太極へと再合一化する力が気ではないだろうか。
 これは、極言すれば、太極の力、太極の根源的力ではないだろうか。プラトン的には、エロースである。
 そう、超越的力である。現象的には、物質的であるが、本質は、超越的力と言えよう。
 そうすると、やはり、先に述べた次元変換子と関係しよう。
 簡単に数字化すると、

1(太極)⇒2(陰陽分極)⇒1(再合一=再太極)

である。
 ただし、最後の1は、最初と同一の1ではなく、螺旋的回帰した1で、質的に向上していると考えられる。
 なにか弁証法を想起するが、あくまで、陰陽極性であることを想起する必要がある。
 思うに、上図式は、現象化がないようだ。だから、現象化を入れよう。

1⇒2⇒現象⇒1

である。現象を3とすると、

1⇒2⇒3⇒1

となる。
 本題に戻ると、陰陽は現象化⇒1と変換するとき、正負化ないしNS化すると考えられる。
 そうならば、電子や磁気は、陰陽の現象化・物質化と言うことができるかもしれない。
 今はここで留める。

追記:電子、磁気は陰陽の現象化・物質化としても、それらは、そのまま、陰陽ということではない。
 本体は陰陽、太極であり、その現象として、電子、磁気、あるいは、粒子があるということになるのである。
 極論すると、陰霊と陽霊が電子と陽電子になっているということになる。つまり、現象界とは、霊界の現象世界ということになる。





奈良桜井市はなつかしい:もう、20年前のことになる

テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史

約20年前によく、奈良へ遊んだ。桜井市は、大神神社や山の辺の道があり、今でも、情景が浮ぶ。石仏がゆかしい。私が精神的危機に陥った時期に、訪れたものだった。
 思うに、私の精神は、陰と陽で葛藤していたのである。陽の唯物論と陰の神秘主義が争っていたのである。
 そして、その時は、後者に傾斜したのである。私は死に怯えて、救いを求めた。結局、思い過ごしであったと思う。
 しかし、無意識に、陰が作用したと思う。そう、陽へと傾斜して、完結しつつあった私に、陰の急襲があったのである。
 陰と陽の衝突・激突、20年過ぎて、ようやく、解決に至ったと思う。(参照:陰=魂(肚)と陽=自我(頭)をつなぐ身体意識(理性):無双陰陽原理は陰陽身体三元論へ進化する (02/18) http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1925.html)

箸墓古墳で現地調査 土器など確認 NHK
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130220/k10015655321000.html






英語学習のこつを無料で教えましょう:単に英語だけでない、語学学習のために

テーマ:education

最近、英語学習ないし語学学習のこつはなにかがはっきりとしてきた。
 それを、今、無料で教えましょう。
 
1)先ず、文法を知る必要がある。それには、体系的視点が必要である。総体を見る視点が必要なのである。ただ、個々だけを憶えようとすると、憶え切れない。
 秩序立った視点をもって、文法を学ぶと記憶できるのである。

2)NHK講座がダウンロードできるので、それを使われたし。無料である。
 リスニングも大事であるが、発音をよくする必要がある。これは、私の経験から言うが、自分の発声器官(咽喉、舌、唇等)をクラシック音楽の楽器と思って発生すると、きれいな音声になる。今日の日本語は、実に聞き苦しい音になっているので、日本語もきれいになるだろう。
 堅苦しいリスニングが嫌な人は、YouTubeで歌を聴くといいだろう。

3)記憶の問題であるが、これは、結局、何ということはない。繰り返しの問題である。繰り返しと反復は異なるのである。
 繰り返すことは、忘れたことを憶えたり、また、憶えていることを強化することであり、また、言葉の仕組みが見えてくることである。(追記:つまり、繰り返すと、言葉の形が見えてくるのである。言葉の有機化と言えよう。後でもう少し考えたい。)
 これは、期間と関係するが、3ヶ月継続できれば、なんとか形ができるのである。3ヶ月の辛抱である。

4)後は、語源を憶えるといいのである。それと同時に、イメージ(ある人は、感覚というが)で捉えることが役立つのである。
 例えば、onは、「〜の上に」ではなく、「〜に接して」というイメージで捉えるのである。そうすると、「彼女の家はあの通りにある。」の「あの通りに」の「に」は、onであることはわかる。つまり、通りに「接して」存するということだからである。
Her house is on that street.
 あるいは、embraceは、抱くであるが、em(inと同じ意味)が中へ、brace(braceletを参考)が腕であるから、腕の中へという意味である。転義して、取り囲むという意味になる。

5)英語はアングロ・サクソン語(ゲルマン系言語)とフランス語(アングロ・ノルマン)のハーフである。いわば、大和言葉と漢語が同居し混淆(悪く言えば、雑居)しているようなものである。
 だから、何がゲルマン系であり、何がフランス語系かがわかると、視点が見事に拡大する。当然、それ以外のものもあり、世界最多の語彙ではないだろうか。

6)基礎英文法書として、総合英語Forestをあげおく。これは、実にわかりやすく、説明している独習用書である。
総合英語Forest 6th edition/桐原書店

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7)その他、「英語を生きている人」に教わるといい。これは、英語に限らない。結局、言葉は、単に、頭の言葉だけでなく、魂の、心の、血の言葉である。魂の言葉である。それがわかれば、語学学習は楽しいものになる。

8)今日、コミュニカティブな語学が中心である(コミュニカティブアプローチとは - Weblio辞書  さまざまな教授法 )が、私見では、それも大事であるが、日本人は、読むことから入った方がいいと思う。映画の英語が聴いてわかっても、それほどうれしくない。それより、本の英語が理解できた方が有意義である。

 私は定年退職後、古今東西の言語を学んで余生を過ごすつもりである。知ることは亦楽しからずや。

追記:上記を無双陰陽原理にあてはめると、文法は陽であり、イメージは陰である。この両者が結びついて、つまり、陰陽共振となって、語学が身に「着く」のである。そう、先の陰陽身体三元論から言えば、身体理性に言語のコアがあるのである。

追記2:陰について補足すると、陰は陽の知・認識に対して、存在を意味する。だから、言語においても、存在が重要と考えられる。言葉の存在とは何か。それは、言葉の魂、霊魂である。言霊と言えるかもしれない。
 とまれ、身体意識・身体理性によって、言葉の陽=知と言葉の陰=存在が結合して、言葉が生きたものになるのである。
 イメージの陰も、基本的には、存在領域に入ると言えよう。
 ところで、イメージの陰であるが、正確に言うと、微妙な点がある。確かに、陽=知・認識に対して、陰=感性側に存する。しかし、それは、視覚的であるから、陽領域に関係するのではないだろうか。
 そうすると、イメージは陰と陽の結合領域に存することになるのではないだろうか。それは、身体意識、身体理性の結合領域に存するということになる。後でさらに検討したい。
「第1回論語勉強会」

〜「学びて時にこれを習う」〜 瀬戸塾師範 瀬戸謙介

【原文】
学而
子曰、學而時習之、不亦説乎、有朋自遠方夾、不亦欒乎、人不知而不慍、
不亦君子乎
【書き下し文】

      子曰わく、学びて時に之(これを)習(ならう、
          ) 亦(また)説(よろこばしからず)乎(や )
           朋有(あり)遠方(えんぽうより来きたる、
           亦た楽しからず)乎(や
           人知らずして)慍(うらみず、亦た君子ならず)乎


(や )
【解説】
子曰わくの子は先生と言う意味ですが、ここでは孔子を指しています。
学びて時に之を習うの「学び」はもちろん学問の事です。「時に習う」はほとんどの著書で「時々復習する」と訳しています。しかし時々では意味が釈然としません。
 孔子は学問を時々復習すればよい程度に軽んじているのではなく、学問こそが徳を身に付けるために不可欠なものと考えています。学問は学んだことをすぐに 復習し、実践することが大切です。実践することにより書から学んだ学問が生きた学問となり、学問が身に付いたことが実感出来ます。ですから「時に習う」の 時は時々ではなく「時に応じて」と訳すのが正しいと思います。常に復習し、時に応じて(必要に応じて)実践する。実践することにより生きた学問となり、よ り理解が深まり、そうすることにより自分の身に付く。と訳した方が正しいと思います。
「亦た説ばし【注三】からず乎」一生懸命勉強し身に付けた知識が、実践することにより世の中の役に立つという事が実感出来た時、それこそが人生のよろこびではないか。
 「朋有り遠方より来る」の朋はもちろん友人のことも指しますが、この場合には友人とは限りません、学問に対して同じ志を持つ人を指します。同じ志を持つ 人がわざわざ遠方から訪ねてきて学問について語り合い、時には意気投合し時には激論を交わし共に切磋琢磨する。そうして新たな考えを導き出す。「亦楽し 【注四】からず乎」なんと愉快で楽しいことではないか。
 「人知らずしてうら慍みず【注五】」学問の道は人に認められる為にするのではないから、世間が認めてくれないからといって人を恨んだり、天をとがめたりせず、そんなことは気にしないでただ自分を磨く為に勉学に励む。「亦た君子(くんし)ならず乎」 それでこそ君子ではないか。 といった意味です。

古英語 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/古英語 - キャッシュ - 類似ページ
古英語(古英語:Englisce sprǽc, 英語: old English)または古期英語、アングロ・
サクソン語(Engle-Seaxisce sprǽc)は、5世紀半ばから12世紀を中心にイングランドで
使われた、インド・ヨーロッパ語族ゲルマン語派に属し、現代英語の祖語にあたる言語。

アングロ=ノルマン語 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/アングロ___ノルマ___語 - キャッシュ - 類似ページ
アングロ=ノルマン語(アングロ ノルマンご、Anglo-Norman language)は、1066年の
ノルマン・コンクエストによりイングランドにノルマンディー地方で話されていたオイル語(
北フランスの言語のひとつ)の一種であるノルマン語がもちこまれて形成された言語。



2013年02月18日(Mon)▲ページの先頭へ
陰=魂(肚)と陽=自我(頭)をつなぐ身体意識(理性):無双陰陽原理は陰陽身体三元論へ進化する
テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

先に、食事哲学について触れた(世界の謎:食事哲学:地球生活の謎:身体と意識:ポスト唯物論としての逆ルネサンス http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11472263858.html)が、陰と陽を調和させるものは身体理性ではないかと思う。
 魂と自我の二元論がある。ロマン主義と物質主義である。
 一方は超越性を志向し、他方は現実性を志向する。
 魂=陰は身体を住処とし、自我=陽は物質的身体を維持する。だから、両者に身体は共通である。
 そう、魂―身体―自我の三元論があるだろう。無双陰陽原理は、陰陽の媒介として、MP(Media Point)を説くが、それは理念的である。
 しかし、身体ないし身体意識(身体理性)を置くと、明快明確になるだろう。MPだけでは、抽象的である。

 身体を住処とする魂は、魂の欲望を追求する。そして、物質的身体を維持する自我は、その欲望を満たす。

 しかし、魂の欲望は無限であり、自我の欲望もそれなりに無限である。陰=闇の無限と陽=光の無限である。そして、この衝突がある。二元論的衝突である。

 この調和を私は陰をベースに求めた。しかし、それでは、陰の無限に惹かれて、陽が犠牲になるのである。現実性=物質性が阻害されるのである

 この不均衡を解消するのが、身体意識(身体理性)である。

 これは、一方の極に陰=魂=肚をもち、他方の極に陽=自我=頭をもつ。そして、前者に健全に裨益しようとするなら、この身体意識(ないし身体感性)に基づく必要がある。

 ここで、食事哲学がキーポイントとなるのである。食事は気的食品によって、身体を介して、魂に裨益するのである。同時に、当然、食事は物質的身体を保持するのである。

 食事哲学によって、また、身体意識によって、陰=魂の生活と陽=自我の生活のバランスがもたらされるのである。

 身体であるが、これは、気的感性によって、霊と通じ、また、一般的感覚(五感)によって、自我と物質的現実に通じているのである。

 この身体意識は、丁寧に言えば、身体感性感覚意識理性と言うべきものである。そう、あえて言えば理性とは、抽象観念的なものではなく、陰陽身体バランスに存するのである。

 とまれ、以上から、無双陰陽原理を陰陽三元論として発展させることができた。

 理論名であるが、無双陰陽原理から無双陰陽身体原理へ変えようか。簡単にするため、単に陰陽身体原理にしようか。



追記:シュタイナー霊学に即して言えば、陰=ルシファー、陽=アーリマンであり、両者を均衡させるのは、キリストである。これまで、キリストに相当するものをMPにしたが、以上から、それは、身体意識(理性)ということになる。

 しかし、身体理性という視点は、もう単に霊的なものではなく、霊魂と物質の両面に渡るものであるから、キリストではなく、ポスト・キリストである。D.H.ロレンスの「死んだ男」の方がふさわしい。


2013年02月17日(Sun)▲ページの先頭へ
世界の謎:食事哲学:地球生活の謎:身体と意識:ポスト唯物論としての逆ルネサンス
テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

レタスを多く食べ、豆乳ヨーグルトを食し、そして、森気浴(森散策)を行ない、また、一食、玄米を抜いた(小断食)結果、生の謎が解けたように思えた。
 食事は実に深い。食事哲学がこれまで、なかったことが不思議である。もっとも、マイナーではあるだろうが。(追記:マイナーではなく、有名なものがある。ブリア=サヴァラン http://www1.accsnet.ne.jp/~terakoya/biographie/brillat-savarin.html ヴィリア・サヴァランの料理哲学http://stamasan.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-02b8.html 美味学の永遠の基礎−ブリア・サヴァラン「美味礼讃」http://www.pixy10.org/archives/8956358.html)とまれ、思ったことを述べよう。
 体調が悪く、酒を体が受け付けなくなり、断酒した。もっとも、付き合いの酒は飲むが。これまで、一ヶ月に一回である。
 そして、上記したように、レタスを食べ、また、小断食を行ない、コンディションのよい生活を行なうと、それまでの食事、食欲は、物質主義的であったと思う。量的食事、食欲だからである。
 しかるに、食事は小食で、また、野菜、穀物中心で大丈夫なのである。そう、レタス食、断食で、身体、身心の浄化が為されていると思うのである。この浄化が重要である。
 物質主義的食事、食欲では、この身体的浄化が為されないのである。
 物質主義的食事・食欲を唯物的食事・食欲とすれば、今の食事・食欲は、ポスト唯物論的食事・食欲と言えるだろう。
 これは単に、食だけのことではなく、社会全般にも関係することである。資本主義は、端的に、唯物論的経済であった。しかし、今や、ポスト唯物論の時代であり、そうすると、資本主義は、当然、衰退することになる。ポスト唯物論経済へと移行する必要があると考えられる。
 思うに、都市文明とは、唯物論的資本主義文明である。今や、それが、崩壊しつつあると思う。
 そう、ポスト唯物論的食事・食欲から見て、ポスト唯物論的世界が生まれつつあると思う。
 物質主義的文明の崩壊である。思うに、共同体的社会の文明が生まれると思う。創られるだろう。

 ここで、また、無双陰陽原理に関わることを言おう。
 陽=頭=自我は過去(=死)である。そして、陰=肚=他者は現在というか、未来(=生)である。
 今日の文明は、過去の文明である。未来の文明をまったく見ていないだろう。
 創造は陰=肚=他者にあるが、陽=頭=自我はそれにまったく気づいていない。
 思うに、陽=頭=自我は、唯物論=資本主義=権力(暴力、国家)の文明であり、それは、悪魔の文明であり、世界、自然、人類を破壊する。そう、死の文明である。
 それに対して、生の文明は陰=肚=他者から生まれるのである。これは、ポスト唯物論の文明である。
 ポスト唯物論=共同体的経済=共存の文明である。
 陽=頭=自我とは、認識主義を意味するのであり、それは、陰=肚=他者の存在性を否定してしまうのである。(ハイデガーの存在論はこの点で画期的かもしれない。しかし、彼の発想は、まだ、物質主義的である。)
 思うに、陰=存在であるが、それは、根源の太極に通じていよう。超越的知的存在に通じているのである。それは、いわゆる、霊、神霊であろう。しかし、それは誤解されるので、超越的知的存在(陰陽円がそれ?)という方が、科学的である。
 ここで、飛躍的言うと、ダークマター(暗黒物質)とは、陰=存在ではないだろうか。また、ダークエネルギー(暗黒エネルギー)は、そこで喚起されるエネルギーではないだろうか。
 とまれ、陽=頭=自我=唯物論の文明は今や終焉を迎えていると言えよう。新しい陰=肚=他者=ポスト唯物論の文明へと移行しつつあると考えられる。
 そう、ポスト唯物論とは確かに、霊性を意味しよう。しかし、これは恐ろしく誤解される。
 思うに、身体を新たに把捉する必要がある。
 冒頭からの上述から、ポスト唯物論的身体と唯物論的身体があると言えよう。言い換えると、霊的身体と唯物的身体の二つがあるのであり、両者は混同されやすい。
 霊的身体にも当然、物質があるが、それは、霊主体従的物質である。それに対して、唯物的身体の物質は、体主霊従的それである。
 そう、思うに、霊に近い物質があるのであり、没霊の物質もあるのである。
 霊に近い物質とは、気をもつ物質だと思う。植物が主にそうだと思う。それに対して、没霊の物質とは、気の消失した物質である。
 ところで、また、飛躍するが、気は、思うに、これまで、陰陽共振に拠ると述べたが、ひょっとして、陰に存するのではないだろうか。陰陽共振は、正に、現象創造、宇宙自然現象創造を意味するのではないだろうか。不可視の陰=闇を背景にして、陽=光が存するのではないだろうか。例えば、太陽は背景に不可視の陰=闇【D.H.ロレンスの言葉では、ダーク・サンになるだろう】をもつことになる。また、陽=光が純粋物質を作るのではないだろうか。それは、生命的物質体は作らないと思う。生命的物質体とは、陰陽共振が生成すると考えられる。とまれ、この点はここで留める。
 本題に戻ると、霊的物質とは、陰的物質(生命体)であり、唯物論的物質とは、陽的物質(純粋物質)ということになるだろう。
 
 現在は過去を見ているようだ。
 物質的世界は滅びていく。
 陰の不可視の世界から、未来が生まれる。
 自我は、陰界を知らない。しかし、無意識はそれを知っている。
 無意識は、自我より、賢いのである。
 とまれ、霊的身体の新世界、新文明がやってくる。
 唯物論=資本主義=利己主義の旧世界は瓦解してゆく。
 そう、光は暗かったのである。
 陽光の中にある陰闇に本当の「光」があるのである。
 とまれ、陰闇に超越的知的存在=太極が内在するだろう。
 陰闇に神霊の「光」があるだろう。
 それこそ、アフラマズダ、キリスト、天照大神、他であろう。
 マニ教の光も当然、それである。
 闇の中に真の光があったのである。
 日常見ている光は、実は、闇であったのである。
 光は暗く、闇は明るい:私の19才のときの言葉。
 きれいはきたない、きたないはきれい:『マクベス』の魔女の言葉。
 思うに、ルネサンス(イタリア・ルネサンス)は、内在する闇から
 外在する光へと向った。
 今や、外在の光から内在する闇へと帰還して、
 超光へと向うべきであろう。
 逆ルネサンスである。
 
 思うに、陰はすべてを知っているのである。
 今日の唯物文明の必要な理由は、シュタイナー的に言えば、
 陽=頭=自我の覚醒のためである。
 それによって、真の自己=個が生まれるのである。
 
 とまれ、世界の謎が解けると、急激に、旧世界は瓦解していくだろう。
 陽=頭=自我=父権=唯物論=資本主義の旧文明の終焉である。
 
 光は闇であり、
 闇は光である。

 今や来るべきものが来たのである。

追記:性について言うのを忘れていた。
 
 性とは、太極の物質的分極化ではないだろうか。
 陰傾斜が雌となり、陽傾斜が雄となる。
 そして、両者、陽を介して、補完する分極を欲望するのである。
 陰傾斜は陽傾斜を、陽傾斜は陰傾斜を欲望する。
 この分極的欲望が性欲である。
 これは、太極が根源なので、合一へ志向するのである。
 ただ、物質的合一である。
 しかし、母権制においては、性交は太極的合一を
 真に意味しただろう。
 そう、性は聖であった。
 D.H.ロレンスはそれを希求した。
 しかし、ポスト唯物論の時代にあって、性は、プラトンのエロースに
 なるのではないだろうか。
 性はスピリチュアルになるのではないだろうか。


2013年02月13日(Wed)▲ページの先頭へ
生命とは何か:陰=生=主=優=女、陽=死=従=劣=男の対極的力学としての生命?
テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

最近、ソマチッドというものがあることを知ったが、まだ、完全には信じていないが、実在するとすれば、きわめて、挑戦的なものである。
 思うに、一般的生命以前の生命、いわば、原生命体である。気は原生命である。
 とまれ、第一に、生命とは何か、理論的に、定義する必要がある。
 今は余裕がないので、考察できないが、今、直観を述べるに留めたい。
 無双陰陽原理から言うと、陽とは利己的であり、他者を「食べる」ものである。陰は利他的というか、正に、他者であり、自己は「食べられる」ものとなる。
 陽は、必要悪であり、陰は、他者との共存・共生を目指す。
 前者は原父権であり、後者は原母権である。
 生命体はこの絶対的矛盾をもった存在である。
 思うに、陽が物質志向であり、陰が精神志向ではないだろうか。
 そして、陽は陰を「侵略」するのであり、そのため、生命体は、自身を破壊する傾向をもつのである。
 陽の破壊志向に対して、陰は共生志向をもち、未来的である。
 生命はこの両極をもっているだろう。しかし、陽と陰の力学を考えたとき、陽よりも陰の方が、本来、力が強いのではないだろうか。でないと、端的に、生命体は、陽の破壊力によって、滅亡するだろう。
 端的に、陰陽であり、陽陰ではないのである。
 結局、陰基底に拠る陽の冒険のようなものが生命体、生命である。思うに、初めに、陰在りきである。闇在りきである。
 その後、陽が生まれたのである。
 ジェンダー的に言えば、当然、初めに、女在りきである。これは、生物学的にも根拠のあることであるし、その他、神話学的にもそうである。
 つまり、陰という生命の根源の上に陽という死の力が作動しているのだろう。陰=生、陽=死である。この対極的力学が生命力学と言えよう。ただし、あくまでも、陰=生が根源である。
 そこから考えると、陰=生に相当する生命体、物質体があってもいいのかもしれない。それが、ソマチッドなのかもしれない。
 陰的生命体としてのソマチッドを作業仮説にできよう。
 それは、陰陽共振による気よりも以前の存在ということになる。というか、気を生み出す、陰霊と陽霊の共振以前の陰霊が生み出す生命体ということになる。
 今は以上の思考実験で留める。

* ソマチッドと陰陽:あるいは、ソマチッドと気

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11468770693.html

* ソマチッドとアカシックレコードとプラーナ呼吸

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11468558335.html

* ソマチッドとは何ぞ哉:胡散臭い感じもあるが、もう少し見てみよう

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11468523897.html


2013年02月11日(Mon)▲ページの先頭へ
<無双陰陽原理概念座標:Ver13.0.0>:自己を自我に変更する:陽は自我となる    
図は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11468440131.html


<無双陰陽原理概念座標:Ver13.0.0>:自己を自我に変更する:陽は自我となる    
 
テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

自我と知性のズレ:自己同一性の盲目と知性(悟性):父権的自我は知性 ...
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11463254471.html
先に以上で述べたことを受けて、以下のようにバージョンアップする。
つまり、自己が自我となったのである。陽原理は自我の原理であり、自己のではない。自己とは自我・陽と他者・陰との共振体が本当のものであり、それは、個ということである。

<無双陰陽原理概念座標:Ver13.0.0>

         陰陽(円)

          陽(✡):自我
          |
          |
          |
          |
          |
          ★
_______・_______実軸(気=天地軸)+1
          ☆
          |
          |
          |
          |
          |
         陰(✪):他者

【但し、・は太極点(内在的超越点、MP: Media Point)、★は陽における陰点、☆は陰における陽点である。
 そして、陰陽(円)は軸ではなく、多次元、無限次元、無次元であり、陽=自我と陰=他者で意識、精神、魂、自己=個を形成し、生命気螺旋とは区別される。
尚、実軸は気軸=天地軸とし、太極点から発出する生命気螺旋における四元数(1, i, j, k)の三つの虚軸(空間三次元)は記入していない。時間はエネルギーであり、以下の⇒に相当する。
 霊「数」、陽✡、陰✪を仮説して、また、陰陽共振を✇で表わし、以下のように公式化する。無双陰陽原理公式である。
✪✇✡⇒a + bi + cj + dk 
or
✪✇✡⇒+1 + i + j + k

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11468440131.html




英文法革命へ向けて:英語の補語Complementについて:日本人の英語能力を進化させる

テーマ:language

英語の5文型は周知である。
 それは主語Subject、動詞Verb、目的語Object、補語Complementからなるが、補語がどうもしっくり来ないのである。
 Complementは補足、補完という意味である。
 しかし、実際は、そのような意味ではないと「直感」するのである。

1)I am a boy.
2)She is beautiful.
3)I found it very interesting.

下線部が補語であるが、補足、補完しているのだろうか。していないと思う。
 ある主体、存在の存在様態を表現していると思う。
 例えば、1では、私という存在様態が少年ということになり、2では、彼女という存在様態が美しいということであり、3では、それという存在様態がとても興味深いということになるだろう。決して、主体、存在を補足、補完していない。
 だから、補語ではなく、存様語、存象語、存態語、等ではないのか。あるいは、思い切って言えば、現象語Phenomenonである。
 そうすると、

主語S+動詞V+補語C

は、

主語S+動詞V+現象語P

となる。
あるいは、

主語S+動詞V+目的語O+補語C

は、

主語S+動詞V+目的語O+現象語P

となる。
 こうすることで、明快明晰になり、非常にすっきりするのではないだろうか。
 ところで、be動詞であるが、これは、多くの人が言うように、存在動詞と見るといいだろう。

 She is a beauty.

は、

She主語+is存在動詞+a beauty現象語

であり、「彼女は美人という現象として、存在する。」ということになる。

追記:因みに、無双陰陽原理から言うと、主語は、「陰」であり、現象語は「陽」である。
 では、存在動詞は何だろうか。陰⇒陽、ないし、陽⇒陰の⇒ではないだろうか。これは、陰陽極性そのものではないだろうか。私の用語では、共振である。陰陽共振である。
 ならば、主語は陰、存在動詞は共振、現象語は陽となる。
 思うに、存在動詞は太極と言えるような感じがするのである。あるいは、少なくとも、太極と関係するように思えるのである。
 思えば、ヤハウェは、「我は『在りて、在り余れる』ものなり」とモーゼに述べたのである。そうすると、ヤハウェは、存在動詞の根源のようなもの、あるいは、太極のようなものと言えようか。
 とても興味深いが、今はここで留める。

追記2:「わたし」、自己の問題であるが、以上の視点から見ると、根源の 「わたし」、自己は、陰=肚(腹)=他者に存することになろう。自己=他者?!である。そして、一般に、自我とは、陽=頭のことで、これは、根源の「わた し」、自己の現象として存する、存在様態であるということになる。
 この現象としての「わたし」、自己、即ち、自我が、一般には、自分と思われているが、それは、単に現象に過ぎず、本体、本質、実体は、陰=肚=他者に存するのである。
 近代の狂気は、陽=頭=自己を中心としたことに拠る。デカルトの「コギト・エルゴ・スム:我思う故に我在り」はこの原理原則である。
 D.H.ロレンスがそれを逆にすべきであると述べていた。即ち、「スム・エルゴ・コギト:我在り故に我思う」であるが、正に、天才的洞察である。

追記3:結局、陽の光とは、陰の闇から生まれるのである。陰陽論が陰から始めるのは、正しいと言える。
 老子の説く玄牝は正しい。
 ついでに資本主義であるが、金融資本とは陽であり、協働資本とは陰である。今日は、陽が陰を食らっているのである。
 そう、陽が資本で、陰が労働とも言えよう。資本経済に関する無双陰陽原理の考え方は後で検討したい。

追記4:天候を表わすit(It is sunny. It is windy. It is raining. Etc.)であるが、それも、陰(闇)=肚=他者ととると実に明晰明快になるだろう。できれば、後で説明したい。


参照:
5文型とは - ELM英語学習教材研究所
英語5文型のまえがきと目次
3-1 基本五文型
英文法「第5文型」
なぜ日本では5文型論が生き残っているのでしょうか? - 英語と書評 de ...
be動詞、is, am, areについて。 - Yahoo!知恵袋 http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11466674787.html
西田哲学の場所の論理と身体性 - 思考の部屋
blog.goo.ne.jp/.../e/a42af781a62afb871de6c45385ae73ce - キャッシュ
2012年5月12日 ... 西田の場所の論理は述語論理とも言えるものであり、中村(『西田哲学の脱構築』岩波
書店・一九八七年)が指摘するように、これはアリストテレス以来の西洋論理学の中枢を
なす主語論理を逆転させるものである。そして、西田の場所の論理の ...
時枝誠記 : Toward the Sea
yokato41.exblog.jp/tags/時枝誠記/ - キャッシュ
2012年5月23日 ... 時枝は、英語を天秤に喩えた。主語と述語とが支点の双方にあって釣り合っている。
それに対して日本語は「風呂敷」である。中心にあるのは「述語」である。それを包んで「
補語」がある。「主語」も「補語」の一種類である! (私はこの指摘を知っ ...







自我と知性のズレ:自己同一性の盲目と知性(悟性):父権的自我は知性・真理・科学を詐称する

テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

今は簡単に触れるだけだが、これまで、自我同一性(自己同一性)と知性とを結びつけて考察してきたが、両者は同じものではない。
 前者は後者の振りをする。自我は自分が知性であることを独断・独善的に主張する。
 この事象の力学は何であろうか。
 これは、これまでの理論で説明できるだろう。即ち、自我は他者を否定しようとする。これが、自我同一性(自己同一性)の志向である。これは、言わば、一種の悪意である。
 そして、この自我同一性は知性であることを主張する。つまり、自我が知・真であり、他者が反知・偽であると主張するのである。
 しかし、これは、独断、独善、臆断(憶測)でもある。
 何故なら、自我同一性の衝動の基本は、他者否定という欲望であり、真理への志向ではないからである。他者否定の欲望が真理を偽装(擬装)するのである。
 では、この他者否定の欲望の根因は何であろうか。
 思うに、他者への嫌悪・憎悪・反感等のルサンチマン(怨恨)があると思う。
 思うに、他者のもつ共感性の感性・精神への無意識の反感があるのではないだろうか。
 では、何故、共感性に反感をもつのだろうか。
 それは、共感性が自我同一性主義の力学を解体するからではないだろうか。
 つまり、自我同一性主義(有り体に言えば、自己中心主義である)とは、他者を排除することから発生するものである。言い換えると、自己自身の基底にある 他者への共感性を排除することによって、自我同一性主義(自己中心主義)が成立するのであるが、他者の存在(共感的、精神的、魂的存在)は、それを否定す ることになるのであり、そのために、自我同一性主義は他者へ反感・嫌悪・憎悪をもち、他者を否定する言動をとるように思える。
 その時、自我同一性主義は、同一性形式である言語において、他者を否定するように思われるのである。言い換えると、他者の言語(同一性形式)を否定するのである。
 そして、同一性形式(言語)は確かに知性に似ているのである。つまり、観念行為ということで、両者は似るのである。しかしながら、あくまでも似ているということに過ぎず、両者、別物である。
 自我同一性主義の同一性形式(言語)は知性を似せるのであり、真の知性ではないのである。疑似知性、似非知性、虚偽的言語である。
 ということで、本題を解明できたことになる。簡単ではなく、長くなったが。
 結局、これまで、自我同一性と知性が一致するような考えを私はもってきたが、それが誤りなのが判明した次第である。(これまでの私の理論の不十分さをここで明確に指摘する。理論と言っても、無双陰陽原理というよりは、それ以前の不連続的差異論である。そこでは、同一性が知性と一致していたのである。)
 以上のような解明から、父権的自我主義が近代科学、自然科学と関わるときわめて危険な事態になることがわかる。つまり、父権的自我主義は、「科学」の真 理を偽装するからである。自我自身は自分が真理をもっていると盲信(狂信)するが、実は、それは、妄想なのである。(原発や権力に関係する人間はこのタイ プが大半ではないだろうか。)
 そして、逆に言うと、真理(科学的真理や哲学的真理)とは、自我同一性主義(父権的自我主義)ではなく、共感性によってこそ、形成されるものではないだろうか。
 つまり、共感性とは、他者を感知するのであり、それが、自己とは別個の存在であることを知るものである。共感的他者性における思考こそ、真の知性、真理と考えられる。
 自我同一性とは異なる他者的思考が知性、真理であると考えられるのである。
 そう、共感的他者的思考とは、言い換えると、母権的思考である。知性、真理とは、母権的思考においてこそ、形成されると考えられるのである。
 今日の日本、世界が狂気的カオスなのは、父権主義が支配して、知性、真理を喪失しているからと考えられる。
 そう、父権主義、自我同一性主義とは、シュタイナーの霊学から言えば、アーリマンである。
 今日、アーリマンが人間、人類を狂わせていると言えよう。
 ある意味で、アーリマンはルシファーを抑圧しているのである。悪魔の対立があると考えられる。
 神秘・ロマン主義はルシファー主義である。それが、今日、アーリマンの唯物的自我主義によって、抑圧されていると考えられるのである。

追記:うつ病についてであるが、新型うつ病であるが、それは、自我同一性主義が肥大化したもののように思える。それは、他者を抑圧・排除しているので、生命・気の共振エネルギーが形成されず、生命力が弱化するものと思われるのである。
 陽が陰を抑圧して、陰陽共振による気エネルギー=生命エネルギーが喪失されるのである。
 思うに、単に、身体生命エネルギーだけでなく、情感エネルギー(アストラル・エネルギー:造語)も枯渇するのではないだろうか。
 そう、陰を私はアストラル体とも見ていると言えよう。この点は後で検討したい。

参考:以下のアポロとディオニュソスであるが、以上の自我同一性主義と知性との不一致の視点から見ると、アポロと自我を一致させている誤謬があると言えよう。アポロは知性とすべきであり、自我同一性主義とは別のものと見なくてならない。
 この点では、ニーチェの『悲劇の誕生』は明らかに、混乱していると言えよう。
 思うに、アポロの光と自我の光を私は混同したと考えられる。これはたいへんな誤りである。
 とまれ、以上の論考は新たな発見である。光について、新たに論考したい。

******************************
光・陽のもつ闇と闇・陰のもつ光:光の影を他者に投影し、他者と敵対する自我:万人の万人に対する戦争

テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス
以下、簡単に図示する。

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T:陽・光・頭(知)・父権・西洋・自我・同一性
    
              
             アポロ

     
     ↓   ↓   ↓   ↓   ↓   ↓
     影   影   影   影   影   影

ー⇅ーー⇅ーー⇅ー胸・境界・浸透膜ー⇅ーー⇅ーー⇅ー

     光   光   光   光   光   光
     ↑   ↑   ↑   ↑   ↑   ↑


          ディオニュソス


U:陰・闇・肚(魂)・母権・東洋・他者・差異



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



Tの領域は、Uの能力がTとは一致しないので、Uの領域を抑圧するのである。
 つまり、Tは自我の光であり、それは、他者の闇を抑圧するのである。そこで、TとUの境界のTの面、あるいは、Tの底面に影が生じるのである。これは、 光の影(シャドウ)である。このシャドウが光のもつ闇なのであり、その影が光には見えないのである。自分の影に気づかず、返って、それを他者に投影するの である。
 言い換えると、光の影(スクリーン)を通して、自己は他者を見るのであり、他者は自分の影が映った存在となり、自己は他者に敵対的になるのである。
 では、光に生じた影(シャドウ)・闇を取り去るにはどうしたらいいのだろうか。
 それは、Uの領域を肯定する意識をもつことである。
 思うに、TとUとの境界は、言わば、浸透膜である。TはUに触れ、UはTに触れている領域である。
 この浸透膜的境界を介して、Tの光・陽・頭はUの闇・陰・肚を肯定し、TとUとの共振、つまり、陰陽共振を目指すべきである。
 しかし、最高に注意すべきは、Tの同一性でUの差異を認識することはできないということである。Tは認識ならば、Uは存在なのであり、相互に異質なので ある。ただし、TはUを否定するが、UはTを包摂することができるという非対称性があると考えられる。ジェンダー的に言えば、男性原理は女性原理に包摂さ れるということである。おそらく、生物的に、女性原理の方が先行していたことを証すように思われる。
 無双陰陽原理の原点である不連続的差異論がここで重要になる。
 即ち、Tにとって、Uとは不連続なものであるということであり、TはUを同一化できないのである。つまり、Uは絶対的差異、絶対的他者であるということである。
 この点を具体的に言えば、Tは知性とすれば、Uは性(セックス)である。Tの精神はUの身体を理解できないのである。そう、Tを西洋・父権で、Uを東洋・母権と見てもいい。
 今日の世界、日本の闇・悪は、実は、光・善から生まれたものであることがわかる。光の支配による暗黒化なのである。
 価値逆転的に、Uの陰・闇・肚をベースにすれば、光の悪の支配は終焉し、陰と陽との和解・調和が生じるのである。新しい母権の世界である。

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11457363068.html

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11463254471.html


2013年02月04日(Mon)▲ページの先頭へ
気と生命物質体のメカニズムの解明へ向けて:序
気と生命物質体のメカニズムの解明へ向けて:序

2013.02.03 Sunday | category:無双陰陽原理

テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

今日(もう昨日だが)、帰宅途中で、気と物質の関係を精密に詰めたいと思った。物質とは言え、生命物質である。これまでは、ざっくりと関係について作業仮説を提起しただけであった(「無双陰陽原理と自然科学(量子論、宇宙論、生命科学等)との接点:陰陽子(陰陽双極子)と素粒子」http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11457559710.html )が、これからは、精緻に検討したい。
 フルボ酸と気のメカニズムを見るのもいいだろう。

* フルボ酸についての、正しい認識の進め・・・その@続き


キレート作用・・・
キレーション療法・・・
小難しく考える必要はない!
フルボ酸は天然のキレーション作用物質である?!



 つまり、『毒消し作用』物質だと言うことだ。

<キレーション療法>

Fig_bloodvessel



 もっと分かり易い言えば、デトックスDetox(毒を排出)という言葉が、巷にはやっているが、そう考えるのが分かり易いだろう。



 有毒な重金属を封鎖して体外に運び出す働きが、フルボ酸にはある。



 同時に、有用なミネラル(金属元素)を体内に取り込む働きもある。

 キレーション療法 というのは、化学兵器の有毒ガスに等にやられた兵士などを治療する方法である。

* フルボ酸についての、正しい認識の進め・・・その@

要するに、フルボ酸は地球のミネラルの運び屋である言うことである。

Gond

 ミネラル(金属元素)は、微量であるが、不可欠の元素であって、新陳代謝、エネルギー代謝、精神代謝(神経代謝)には、不可欠の元素であることは言うまでもない。

 核種も所詮ミネラルである。

 代謝不能と言うことは、体調不良を意味する。代謝不全は、死だ。
http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/
飄(つむじ風)



生命体の共生を考える(下) 究極のエネルギー源は水にマグネシウムの驚異の力
『ニューリーダー』2012年5月号
全体的宇宙像−ホロコスミクス
『月刊ザ・フナイ』2012年4月号
生命体の共生を考える(上) 地球環境の運命と東南アジアの役割
『ニューリーダー』2012年4月号
http://fujiwaraha01.web.fc2.com/
宇宙巡礼




●ルドルフ・シュタイナー 『エソテリック講義の内容から参加者の覚え書き』GA266
 (佐々木義之 訳) (2013.1.20登録)
・秘教講義 シュツットガルト1-29-1907

●『エーテル空間』ノートpdf (全データ)

●『エーテル空間』ノート (2013.1.16) *終了

《間奏あるいは幕間狂言》
note23:
・球は中心点に直角三角形をつくり出すだけではなく、天球周縁にも直角三角形をつくり出す
・プロセスとしての球形形成運動
・球形形成原理は、虚数に関わり、数エーテル(化学エーテル)として現象界に現れる
note24:
・霊的ー魂的な三つ組は、地上でと同じように天上でも作用し、
 宇宙の霊的根源においては思考、感情、意志の三つ組と関連している
・数学的に述べられてきた事柄は、超感覚的作用に関連して「質的ー理念的」に理解する必要がある
・「彫塑的空間」としてのエーテル空間
・形成諸力体としてのエーテル体
・人間を全宇宙から形成されているものとしてとらえる必要性
「IV.物質とエーテルの力と実体」
note25:
・物質空間:ポジティヴ(プラス)な実体とエーテル空間:ネガティヴ(マイナス)な実体の対極性
・空間世界に作用している物質的なものとエーテル的なものの諸力の対極性:重さと光の軽さ
・重さと光の軽さは、エーテル体と物質的体は互いに均衡を保っているが、死の際にはそれぞれの領域へと向かう
note26:
・ポジティヴな物質空間とネガティヴなエーテル空間の質的反転
・物質空間の容積としての球(点)とエーテル的な球の内部空間としての平面
・物質空間における球面外部の無限空間=エーテル空間の容積
・物質空間における球面内部の容積=エーテル空間的には空っぽ・内への空虚
note27:
・中心点から外へ向かい希薄になっていく物質的作用
・天球周縁から宇宙点に達し無限に拡がる球面面積を持つ点となるエーテル空間の作用
note28:
・エーテル空間においては、中心点(宇宙点)へと向かう規則正しい成長を
・物質的に見れば、宇宙点に向かって密集していくように見える。
・物質的表象としては、∞,1,1/2,1/3,1/4,1/5,・・・
(エーテル的感情としては、無限に続く規則正しいリズム:0,1,2,3,4,5,・・)
・物質的な成長像は、“相反半径による変換”を用いることでエーテル的な成長像へと変換することができる。
note29:
・物質的なものとエーテル的なものの振幅運動の理念
・内へと成長し宇宙点へと到るエーテル的なものはその瞬間に、その物質に新しい始まりをもたらす
・その点のなかで熱が放射し無限平面へ到りまた再びエーテルの活動力へと反転していく
note30:
・物質的なものとエーテル的なものにおける圧力及び吸引力
・エーテル球における「ネガティヴな重さ」と「空間をネガティヴに満たそうとする傾向」とのあいだのバランス
note31:
・エーテル空間の観点から観たホメオパシー作用
・物質を希釈すればするほどエーテル球面の力が周縁的に凝縮しエーテル作用が高められる
・質的な意味での純粋幾何学による「空間知の霊化」という課題

●『エーテル空間』ノート(2012.12.21)  *継続中
note14:ただひとつの宇宙点を起点とする反空間が存在する
    その反空間では、ひとつの点が“無限遠”となる
note15:死後、私たちは太陽の領域へ、星々の領域へ向かい周縁的なもののなかで生きる
note16:地球上の自然のなかでも、また人間の肉体を理解する上でも、
    反空間の作用に関する空間理念、空間感情を育んでいくこと
note17:ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学の対象となる空間と
    アントロポゾフィー的な空間認識の違い
    地上的な空間に対して天上的な空間を見出すこと
note18:地上的物質的な空間と天上的な空間の相互作用
    物質的な空間は、エーテル的なものからその形態を受け取り過去へと向かわせる
    エーテル的な力は、ひとつの物質的な種子点(地球)へ向かい未来と関わる
note19:物質的な相における点が完全に球面のなかにあるように、
    エーテル的な相における平面は完全に球面のなかにある:空間の質的反転
note20:これまでの議論のイメージ的なまとめ:物質的な相を内的かつ積極的に乗り越えること
note21:球をつくり出していくエーテル的形態形成のプロセス
    エーテル的な側面と物質的な側面との相関と差異
note22:球の中心点から放射する物質空間の諸半径は、
    エーテル空間の中心平面を織り成す天球諸直線に対応している

●ルドルフ・シュタイナー 『エソテリック講義の内容から参加者の覚え書き』GA266
 (佐々木義之 訳) (2012.12.8登録)
・秘教講義 シュツットガルト1-20-1907
●『エーテル空間』ノート(2012.12.6)  *継続中
note0:導入
note01:幾何学と霊的認識
note02:人智学的幾何学と対極性
note03:太陽的(エーテル的)なものと地球的(物質的)なものとのあいだにある対極性
note04:点と平面との対極性
note05:無限遠点
note06:平面の縁はひとつの直線であり、空間全体はひとつの平面を持つ
note07:エーテル空間
内包的なものを外延的に、外延的なものを内包的に体験すること(点と平面)
note8:点と平面の対極性は直線によって媒介される・エーテル空間における直線と平面との関係
note9:射影/平面像への拡張と点への収縮/光の種子
note10:種子と像の対極性・リズミカルな交替
note11:周縁全体から作用する反空間を体験する能力を培うこと
note12:物質空間の反対の性質を持つ空間形態としての原空間
(ユークリッド幾何学が扱う一面的に物質的な空間との関係)
note13:「形成原理」は、個々の部分のプロセスと同時に全体のなかにも現れる
    その理念は時間においても空間においても見出すことができる

http://www.bekkoame.ne.jp/~topos/steiner/Steiner.html

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自我と知性のズレ:自己同一性の盲目と知性(悟性):父権的自我は知性・真理・科学を詐称する
テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

今は簡単に触れるだけだが、これまで、自我同一性(自己同一性)と知性とを結びつけて考察してきたが、両者は同じものではない。
 前者は後者の振りをする。自我は自分が知性であることを独断・独善的に主張する。
 この事象の力学は何であろうか。
 これは、これまでの理論で説明できるだろう。即ち、自我は他者を否定しようとする。これが、自我同一性(自己同一性)の志向である。これは、言わば、一種の悪意である。
 そして、この自我同一性は知性であることを主張する。つまり、自我が知・真であり、他者が反知・偽であると主張するのである。
 しかし、これは、独断、独善、そう、憶測でもある。
 何故なら、自我同一性の衝動の基本は、他者否定という欲望であり、真理への志向ではないからである。他者否定の欲望が真理を偽装(擬装)するのである。
 では、この他者否定の欲望の根因は何であろうか。
 思うに、他者への嫌悪・憎悪・反感等のルサンチマン(怨恨)があると思う。
 思うに、他者のもつ共感性の感性・精神への無意識の反感があるのではないだろうか。
 では、何故、共感性に反感をもつのだろうか。
 それは、共感性が自我同一性主義の力学を解体するからではないだろうか。
 つまり、自我同一性主義(有り体に言えば、自己中心主義である)とは、他者を排除することから発生するものである。言い換えると、自己自身の基底にある他者への共感性を排除することによって、自我同一性主義(自己中心主義)が成立するのであるが、他者の存在(共感的、精神的、魂的存在)は、それを否定することになるのであり、そのために、自我同一性主義は他者へ反感・嫌悪・憎悪をもち、他者を否定する言動をとるように思える。
 その時、自我同一性主義は、同一性形式である言語において、他者を否定するように思われるのである。言い換えると、他者の言語(同一性形式)を否定するのである。
 そして、同一性形式(言語)は確かに知性に似ているのである。つまり、観念行為ということで、両者は似るのである。しかしながら、あくまでも似ているということに過ぎず、両者、別物である。
 自我同一性主義の同一性形式(言語)は知性を似せるのであり、真の知性ではないのである。疑似知性、似非知性、虚偽的言語である。
 ということで、本題を解明できたことになる。簡単ではなく、長くなったが。
 結局、これまで、自我同一性と知性が一致するような考えを私はもってきたが、それが誤りなのが判明した次第である。(これまでの私の理論の不十分さをここで明確に指摘する。理論と言っても、無双陰陽原理というよりは、それ以前の不連続的差異論である。そこでは、同一性が知性と一致していたのである。)
 以上のような解明から、父権的自我主義が近代科学、自然科学と関わるときわめて危険な事態になることがわかる。つまり、父権的自我主義は、「科学」の真理を偽装するからである。自我自身は自分が真理をもっていると盲信(狂信)するが、実は、それは、妄想なのである。(原発や権力に関係する人間はこのタイプが大半ではないだろうか。)
 そして、逆に言うと、真理(科学的真理や哲学的真理)とは、自我同一性主義(父権的自我主義)ではなく、共感性によってこそ、形成されるものではないだろうか。
 つまり、共感性とは、他者を感知するのであり、それが、自己とは別個の存在であることを知るものである。共感的他者性における思考こそ、真の知性、真理と考えられる。
 自我同一性とは異なる他者的思考が知性、真理であると考えられるのである。
 そう、共感的他者的思考とは、言い換えると、母権的思考である。知性、真理とは、母権的思考においてこそ、形成されると考えられるのである。
 今日の日本、世界が狂気的カオスなのは、父権主義が支配して、知性、真理を喪失しているからと考えられる。
 そう、父権主義、自我同一性主義とは、シュタイナーの霊学から言えば、アーリマンである。
 今日、アーリマンが人間、人類を狂わせていると言えよう。
 ある意味で、アーリマンはルシファーを抑圧しているのである。悪魔の対立があると考えられる。
 神秘・ロマン主義はルシファー主義である。それが、今日、アーリマンの唯物的自我主義によって、抑圧されていると考えられるのである。

追記:うつ病についてであるが、新型うつ病であるが、それは、自我同一性主義が肥大化したもののように思える。それは、他者を抑圧・排除しているので、生命・気の共振エネルギーが形成されず、生命力が弱化するものと思われるのである。
 陽が陰を抑圧して、陰陽共振による気エネルギー=生命エネルギーが喪失されるのである。
 思うに、単に、身体生命エネルギーだけでなく、情感エネルギー(アストラル・エネルギー:造語)も枯渇するのではないだろうか。
 そう、陰を私はアストラル体とも見ていると言えよう。この点は後で検討したい。

参考:以下のアポロとディオニュソスであるが、以上の自我同一性主義と知性との不一致の視点から見ると、アポロと自我を一致させている誤謬があると言えよう。アポロは知性とすべきであり、自我同一性主義とは別のものと見なくてならない。
 この点では、ニーチェの『悲劇の誕生』は明らかに、混乱していると言えよう。
 思うに、アポロの光と自我の光を私は混同したと考えられる。これはたいへんな誤りである。
 とまれ、以上の論考は新たな発見である。光について、新たに論考したい。

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光・陽のもつ闇と闇・陰のもつ光:光の影を他者に投影し、他者と敵対する自我:万人の万人に対する戦争

テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

以下、簡単に図示する。

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T:陽・光・頭(知)・父権・西洋・自我・同一性
    
              
             アポロ

     
     ↓   ↓   ↓   ↓   ↓   ↓
     影   影   影   影   影   影

ー⇅ーー⇅ーー⇅ー胸・境界・浸透膜ー⇅ーー⇅ーー⇅ー

     光   光   光   光   光   光
     ↑   ↑   ↑   ↑   ↑   ↑


          ディオニュソス


U:陰・闇・肚(魂)・母権・東洋・他者・差異



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Tの領域は、Uの能力がTとは一致しないので、Uの領域を抑圧するのである。
 つまり、Tは自我の光であり、それは、他者の闇を抑圧するのである。そこで、TとUの境界のTの面、あるいは、Tの底面に影が生じるのである。これは、光の影(シャドウ)である。このシャドウが光のもつ闇なのであり、その影が光には見えないのである。自分の影に気づかず、返って、それを他者に投影するのである。
 言い換えると、光の影(スクリーン)を通して、自己は他者を見るのであり、他者は自分の影が映った存在となり、自己は他者に敵対的になるのである。
 では、光に生じた影(シャドウ)・闇を取り去るにはどうしたらいいのだろうか。
 それは、Uの領域を肯定する意識をもつことである。
 思うに、TとUとの境界は、言わば、浸透膜である。TはUに触れ、UはTに触れている領域である。
 この浸透膜的境界を介して、Tの光・陽・頭はUの闇・陰・肚を肯定し、TとUとの共振、つまり、陰陽共振を目指すべきである。
 しかし、最高に注意すべきは、Tの同一性でUの差異を認識することはできないということである。Tは認識ならば、Uは存在なのであり、相互に異質なのである。ただし、TはUを否定するが、UはTを包摂することができるという非対称性があると考えられる。ジェンダー的に言えば、男性原理は女性原理に包摂されるということである。おそらく、生物的に、女性原理の方が先行していたことを証すように思われる。
 無双陰陽原理の原点である不連続的差異論がここで重要になる。
 即ち、Tにとって、Uとは不連続なものであるということであり、TはUを同一化できないのである。つまり、Uは絶対的差異、絶対的他者であるということである。
 この点を具体的に言えば、Tは知性とすれば、Uは性(セックス)である。Tの精神はUの身体を理解できないのである。そう、Tを西洋・父権で、Uを東洋・母権と見てもいい。
 今日の世界、日本の闇・悪は、実は、光・善から生まれたものであることがわかる。光の支配による暗黒化なのである。
 価値逆転的に、Uの陰・闇・肚をベースにすれば、光の悪の支配は終焉し、陰と陽との和解・調和が生じるのである。新しい母権の世界である。

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11457363068.html


2013年02月01日(Fri)▲ページの先頭へ
二つの義:外的義と内的義:超自我・格率(・キルケゴールの神)と内在的個的仁理
テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

先に以下のように(論理がたどたどしいが)、マスコミの原理的批判をしたが、この問題はさらに根本的な哲学的批判が必要である。それは、父権的自我批判に通じるのである。
 もっとも、だいぶ以前にこの問題について、考察したが、今一度、整理する意味でも検討したい。

「マスコミという組織はある利益集団であり、ある階層的集団であり、必ずしも、社会全体を代表していない。というか、極く、偏った階層による組織であるマスコミには、社会を代弁することは本質的にできないと考えられる。
 マスコミ利益特定階層集団というバイアスがあるのであるから、世論を代弁することは不可能である。
 だから、世論を代弁して語る社説は欺瞞的で、胡散臭いのである。
 マスコミ利益特定階層集団組織であるから、その利益に偏した報道するのは、目に見えているのである。
 ということで、マスコミは、偏向した報道機関であり、公正な報道機関ではありえないのである。」

欺瞞のマスコミの終焉と個によるミクロメディア・ネットワーク新時代へ
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11459669475.html

結局、倫理・道徳の問題である。
 先に、日本の父権的集団主義について述べた。そこには、内在的個の原理が欠落していると述べたと思う。
 私的情理はあるが、それは私的個人の情態に留まり、公的には、権力的権威に従属するあり方が、そこにはあるのである。没個の原理である。(何度も言うと、森鴎外の『阿部一族』の柄本又七郎の人格に典型的にこれが見い出せる。)
 思うに、日本人の伝統的倫理・道徳を形成したのは、神道、仏教、儒教等の宗教等(武士道等のエトスも含める)があるだろう。しかしながら、それがどれだけ内面化されたかは問題である。
 ある程度は内面化されたが、時代とともに、衰微してきて、日本人の倫理・道徳は希薄なものとなっていたのではないだろうか。これは、宗教的感性の希薄化とも言えよう。
 さて、本題であるが、父権的自我は善を外的なものとする。つまり、外在的なものである。一神教では、超越神が倫理・道徳の根拠となる。言い換えると、内在的感性を超越した道徳・倫理である。(キルケゴールの宗教は、このような超越的倫理・道徳性をもつ。)
 キリスト教で言えば、キリストないしは聖霊が唯一の超越神と人間を結ぶ媒介である。
 それに対して、日本仏教は内在的倫理・道徳性をもっていると言えよう。ジェンダー論的には、母権的倫理・道徳である。
 内在的倫理・道徳についてはここではこれ以上論じない。
 問題は父権的自我における倫理・道徳・義である。
 私は父権的自我には先験的善の意識があると見ている。言い換えると、独断的善意識があると見ている。つまり、独善的倫理・道徳性である。
 問題は、独善的であるにしろ、善の原因は何か、ということである。有り体に言えば、何故、父権的自我は善意識をもつのか、である。
 さらに根本的に言えば、いったい何処に善の原因があるのか。
 私が以前述べた説明に即すように言えば、自我は同一性志向なので、差異である他者をそのまま肯定できず、不満に感じるのである。否定的感情が生じるのであるが、自我は自我として、自己肯定したいので、他者を自我的同一性の下に取り込むのである。
 そう、それは、同化的感情と呼んでいいのではないだろうか。これは、自我のもつ同一性機能によってもたらされる感情である。
 とまれ、この同化作用によって、自我は自己同一性形成をすると考えられる。
 しかしながら、最初は、自我は他者への、言わば、劣等感があるのである。何故なら、同一性は差異である他者を取りこめないからである。自我の力を越えた存在として、他者が存するからである。
 しかし、同化作用によって、自己同一性価値が形成されると、自我は他者に対して、逆に、優位の感情をもつようになるのではないだろうか。
 このメカニズムは何か。
 思うに、最初は、自我は他者に対して、劣位である。しかし、同化することで、自己同一性が形成される。それは、他者を同一性のもとで取り入れたことになるのである。つまり、自我の同一性によって、他者を統合したのであるから、そこで、自我機能が支配しているのであるから、自我は他者に優位を感じると考えられる。
 つまり、同化作用によって、価値逆転が生じるのである。ここに自我が他者に対して優位である、優越するという意識が生じると考えられる。
 思うに、この同一性価値が善の原因ではないだろうか。自我同一性は価値あるものであり、善であるということではないだろうか。
 そして、そのような自我同一性に即さない他者は悪ということになるのではないだろうか。
 この自我的善とは、だから、正に、倒錯論理である。あるいは劣等感の裏返しの優越感論理である。
 では、この自我的同一性的善と本題の外在的善との関係は何だろうか。
 自我的同一性的善とは、差異である他者に対して、正に、外在的なものである。
 そう、自我とは、一般的に外界、物質的世界と関係するものであり、この意味でも外在的ものであり、だから、自我的同一性的善は、外在的善であると考えられるのである。
 つまり、二重の意味で自我的同一性は外在的なのである。一つは、内在的他者に対して、外在的であり、また、外界、物質的世界に関係するという意味で、外在的なのである。
 ということで、自我同一性的善とは外在的善であることがこれで証明できと言えるのではないだろうか。
 以上が父権的自我の善の分析である。
 では、私が肯定する内在的個的善とは何かと述べる。
 これは、以上の考察から示唆されることである。
 即ち、差異である内的他者の肯定こそが、内在的個的善であるということである。
 しかし、内的他者は絶対的他者(絶対的差異)であり、それは、自我的同一性では認識できないもの、不可知のものである。
 この点を押さえておく必要がある。
 ところで、今ふと思ったのであるが、キルケゴールの宗教性とは、外在的な超越的なものではなく、内在的もの(内在的他者、内在的絶対的差異である他者的なもの)ではないのかということである。
 そう、思うに、ここでは、もう外在的超越性と内在的絶対的差異・他者性とが一致するのではないだろうか。
 無双陰陽原理において、太極とは、内在的超越性である。
 思うに、内在的超越性とは、外在的超越性と一致するのではないだろうか。内在的にしろ、外在的にしろ、超越性であるから、それは、不可知である。
 しかしながら、外在的超越性とは、本質的に、絶対的超越性である。
 それに対して、内在的超越性とは、絶対的超越性ではなく、内在性において、直感できる超越性である。
 外在的超越性においては、直感ないし直観をも超越しているのである。
 だから、内在的超越性と外在的超越性は一致しないと言わなくてはならない。
 ならば、キルケゴールの神の場合はどうなのか。
 やはり、基本は外在的超越性であると思うが、しかしながら、いくばくかは、内在的超越性に近づいているように感じられるのである。
 というのは、内在的他者のもつ絶対的差異性が、外在的超越性に似ているからである。
 とは言え、外在的超越性と内在的超越性とは、異なるものであるとするのが妥当と考える。
 ということで、本題に戻すと、外在的善と内在的善はやはり、異質なものであり、前者は自我に関係するので、超越性が衰退すると、自我的側面、つまり、利己主義が支配的になり、正に、独善主義になるのではないだろうか。
 今日、権力が激しく腐敗しているのは、外在的超越性が衰退した父権的自我が利己主義になった結果ではないだろうか。とりわけ、現代日本の父権的自我は度し難いのである。
 そう、超越性とは、外在的にしろ、内在的にしろ、陰(肚)のエネルギーに拠ると思えるのである。
 陰のエネルギーが枯渇しているのが、現代日本人と言えるのである。

陰(肚)に帰れ!!!


参考:
「死に至る病」におけるキルケゴールの宗教観


三阪祐治:「死に至る病」の自己と絶望に関する考察



「キ ルケゴールの書物はキリスト教徒以外にも極めて興味深い」というヤスパースの言葉はいったい何を意味するのであろうか。そのまま考えれば、それはキルケ ゴールの宗教観をキリスト教以外の宗教にも当てはめることができる、ということである。ではどのような点でキルケゴールの宗教観が普遍性を持つのだろうか。

キ ルケゴールの宗教観の特徴は、信仰を徹底的に自己の問題として捉えていることである。では「自己の問題」とは何か。それは人がこの世界と関わって生きるた めに常に問題にしなければならない基本的かつ重要な問題である。キルケゴールは大衆を非難する。なぜなら、大衆において人は自己を失っているからである。大衆に埋もれることで生じる「主体性のなさ」や「群集心理」といった事態は、広い意味で自己の喪失を意味する。キルケゴールは、大衆に埋もれることなく 「単独者」としての自分を自覚し、主体的に生きることこそ真に人間らしい生き方と考える。キルケゴールでなくても、「個性」や「主体性を持つ」といった言葉は、現代において比較的ポジティヴな意味で使われている。人には、多かれ少なかれ、そういうものを求める傾向がある。しかし我々は「単独者」的な生き方 を求めると同時に常に何らかの集団・組織に属して生きている。だからこそいかにして自己とのバランスをとりながら社会の中で生きるのかが問題となるのである。(付け加えるなら、先のヤスパースの世代は、ヨーロッパがニヒリズムを露呈し、第一次世界大戦と第二次世界大戦を経験して現代よりも切実な意味で自己 が問題となっていた世代である。そのような時代にキルケゴールが求められたのも、ある意味では当然といえる。)

で は、キルケゴールにおいて自己とはどのように考えられているのかを具体的に見ていくと、まず『死に至る病』の冒頭において、「人間は精神である。しかし精 神とは何であるか。精神とは自己である」とある。ここでは人間と精神と自己が同じ様相として捉えられている。人間であることとはつまり自己であることと同義であり、さらにこのように人間を捉えることが人間であることの理由でもある。人間は精神の存在であり、精神によって規定されている。さらに人間を規定す る精神といっても、決してデカルト的コギトをさすのではない。「人は単独な人間を思惟することはできない、ただ人間という概念を思惟しうるばかりである」といわれるように、近代理性主義の「精神」が基礎づける人間存在とはあくまでも概念的な人間でしかない。キルケゴールにとっての自己はあくまでも有神論的 実存主義的な自己である。「信じるがゆえに我在り」なのである。信仰という具体的行為によってこそ人の生は可能になる。決して思惟に還元できない現実存在(事実存在)とは、シュリングに由来するテーゼであるが、シェリングにおいては現実に存在するもの一般をさす言葉であった実存が、キルケゴールにおいて人 間存在にその意味を先鋭化されることになる。つまり人間=自己は思惟することを根拠に、その存在を基礎付けられるようなあり方をするものではない。思惟ではなく神への信仰こそが人間存在を基礎付けるのである。

キ ルケゴールにおいて人間とは、抽象的思考の俎上にのせられるような抽象的人間ではなく、あくまでも今この時の「生」を生きる具体的人間である。そのような 具体的人間の存在を基礎付けるものも具体的なものでなくてはならない。思惟に還元できない具体的存在が思惟によって見出された抽象的なものによって基礎付けられるというのはひとつの矛盾ですらある。キルケゴールにとってその人間存在を基礎付ける具体的なものこそ、「信仰」なのである。ここで誤解してはなら ないのは、キルケゴールは決して抽象的思考を否定しようとしたのではないということである。問題は、抽象的思考が具体的人間存在を呑み込もうとする点にある(「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」というヘーゲルのテーゼはその典型である)。ここが、キルケゴールのドイツ観念論批判の ひとつの要点であり、事実存在を顧みなかったというシェリングのヘーゲル批判を、実存の概念と同じく先鋭化したものである。

キ ルケゴールは先の引用に続いて、「自己とは何であるか、自己とはひとつの関係、その関係それ自身に関係する関係である。あるいは、その関係において、その 関係がそれ自身に関係するということ、そのことである。自己とは関係そのものではなくして、関係がそれ自身に関係することである」と述べている。これは、自己とは「関係そのもの」ではなくて「関係する」ことである、と要約できる。ここで自己とイコールで結ばれる「関係」とは、対立する二つの概念のあいだに ある停止した静的なもの(「主観と客観の関係」というように使われる関係)ではなく、動的な、自ら関係していくものである。自ら態度を決定し自己を決定していくこと、というような積極的な意味である。では何に対して態度を決定し、決定し、関係するのか。もちろんキルケゴールにおいては神である。さらに「神 の観念が増すにつれて、それだけ自己も増し、自己が増すにつれて、神の観念も増す」といわれるように、神への関係は自己への関係に相即する。では、自己へ関係することから神へ関係することへのシフトをどのように捉えればよいのか。

自 己に関係する、という事態を詳しくみていくと、「人間は無限性と有限性との、時間的なものと永遠なものとの、自由と必然との統合、要するに、ひとつの統合 である」さらに「統合というのは、二つのもののあいだの関係である。このように考えたのでは、人間はまだ自己ではない」とされる。自己が対立する二項の弁証法的関係として捉えられているのであるが、問題は前者の「ひとつの統合」と後者の「二つのもののあいだの関係と定義される統合」との違いである。後者の 統合が、二つの対立する概念が「関係」に関係することで成立する弁証法の統合であるのに対し、その「関係」の方が二つの対立する概念に関係することで成立する弁証法の統合が前者のそれである。前述の「積極的な関係」とはこのような意味であり、これがキルケゴールのいう自己である。

こ のような自己は、決して自己自身に関係するだけであるのではない。自己は同時に自己を措定した他者に関係することで均衡を保つのである。もしそこに他者が いないなら、「その場合には、自己自身であろうと欲しない、自己自身から逃れ出ようと欲する、というただひとつの絶望の形式しか問題とはなりえず、絶望して自己自身であろうと欲するという形式のものは、問題になりえないであろう」。後者の絶望は、「あらゆる絶望が結局はこの絶望に分解され、還元される」よ うな本来的な絶望であり、よって前者の他者を考慮にいれない絶望は非本来的な絶望として後者に還元される。そしてそのような本来的な絶望が成立するのは、他者によってである。『死に至る病』のテーマであり、キリスト教徒にとって本来的な死であるとされる「絶望」は、その本来的な形式により他者の存在を保証 する。自己は自己自身(精神)によって規定されていると同時に他者によっても規定されているのである。

し かしなぜそのような本来的な絶望が成立しなければならないのか。一般的に考えれば、絶望などだれもしたくない。しかしキルケゴールの心理学的分析による と、絶望は短所であると同時に長所でもある。「この病(絶望)にかかりうるという可能性が、人間が動物よりも優れている長所なのである」とさえ言う。ではどのような点で絶望が長所になるのか。

我 々は普段の生活のなかで、様々な形で絶望する。近しい人の死であったり、目標の挫折であったり、その理由は様々であるが、これらは自己との関係を不均衡に させる。絶望という心理状態に人が陥るのは、このように自己への関係がバランスをとれなくなったときであり、さらに自己との不均衡とはつまり他者との不均衡である。

http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~konokatu/misaka.htm


追記:以上の引用した下線部の箇所(ブログ管理人強調)が混乱していると思う。


2013年01月28日(Mon)▲ページの先頭へ
無双陰陽原理と自然科学(量子論、宇宙論、生命科学等)との接点:陰陽子(陰陽双極子)と素粒子
無双陰陽原理と自然科学(量子論、宇宙論、生命科学等)との接点:陰陽子(陰陽双極子)と素粒子

テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

以下、陰陽と物質との接点を求めた拙稿である。
 とにかく、資料としてあげておく。

*
超越平面、超越円と虚軸y軸:現象太陽(電磁波)とdark sun・・・

・・・ルギー体と言えるのではないだろうか。 しかしながら、根源の凸jや凹jは、超越的エネルギーをもっているだろう。そして、共振して、超光エネルギーを創出すると思われる。追記:原子とは何か:電子と光子と陽子(原子核)のトーラス体(・・・[2012年05月18日]

resurrectionのブログ

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11253745023.html

*
原子とは何か:電子と光子と陽子(原子核)のトーラス体(仮説)

これも思いつきであるが、簡単に記したい。 いちばん単純な水素原子を考えたい。電子は物質であるから、凸i*凹凹i⇒凹(−1)の右辺である。そして、光子は太陽光と一致させて、凸iである。問題は陽子、原子核である。それは直観では、me・・・[2012年05月13日]

resurrectionのブログ

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11249166480.html

*
水素(原子)とは何か:原子方程式(仮説):陽子(凸i)*電子(凹・・・

水素(原子)は陽子と電子から成る。 ここで、閃きから言うと、陽子は陽電荷をもち、電子は陰電荷をもつので、陽子を凸i、電子を凹iと作業仮説する。 陽子(凸i)*電子(凹i)⇒水素原子(凸:+1)ということになる。 ならば、陰陽論に・・・[2011年04月19日]

resurrectionのブログ

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-10866380469.html

*
原子とは何か

これまで、原子について考察したことはほとんどないと思う。量子については多く考えてきたことに対して、きわめて非対称である。 今は余裕がないので、検討できないが、一言いえば、以下にあるような通常の説は、美的ではないと思う。言い換える・・・[2011年04月19日]

resurrectionのブログ


http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-10866188756.html


追記:以下も資料となる。

* 光・陽のもつ闇と闇・陰のもつ光:光の影を他者に投影し、他者と敵対する自我:万人の万人に対する戦争 (01/26)

http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1916.html

* トンネル効果と無双陰陽原理:粒子はMP共振(共鳴)を起こして、反対側に粒子を生起させるのでは? (01/25)

http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1915.html

* 太極⇒陰霊*陽霊⇒MP⇒気⇒螺旋生命物質体:生命物質現象の根源は太極⇒陰素*陽素:ポスト唯物論 (01/20)

http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1914.html

* 陰霊と陽霊の即非共振から気と螺旋生命物質体が発生:生命物質現象の根源は陰素*陽素:ポスト唯物論 (01/20)

http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1913.html

* 光と闇:二つの光と二つの闇:電磁波の光と気の光、無光の闇と気の闇:気の超光 (01/18)

http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1912.html

* 仮説:無双陰陽原理から宇宙からDNAを経て『戦後史の正体』に至るまで哲科学フラクタル的に説明する (01/14)

http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1911.html


2013年01月26日(Sat)▲ページの先頭へ
光・陽のもつ闇と闇・陰のもつ光:光の影を他者に投影し、他者と敵対する自我:万人の万人に対する戦争
図は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11457363068.html

光・陽のもつ闇と闇・陰のもつ光:光の影を他者に投影し、他者と敵対する自我:万人の万人に対する戦争

テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

以下、簡単に図示する。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                 


 T:陽・光・頭(知)・父権・自我・同一性
    
              
             アポロ


     ↓   ↓   ↓   ↓   ↓   ↓
     陰   陰   陰   陰   陰   陰

ー⇅ーー⇅ーー⇅ー胸・境界・浸透膜ー⇅ーー⇅ーー⇅ー

     光   光   光   光   光   光
     ↑   ↑   ↑   ↑   ↑   ↑


          ディオニュソス


 U:陰・闇・肚(魂)・母権・他者・差異



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



Tの領域は、Uの能力がTとは一致しないので、Uの領域を抑圧するのである。
 つまり、Tは自我の光であり、それは、他者の闇を抑圧するのである。そこで、TとUの境界のTの面、あるいは、Tの底面に影が生じるのである。これは、光の影(シャドウ)である。このシャドウが光のもつ闇なのであり、その影が光には見えないのである。自分の影に気づかず、返って、それを他者に投影するのである。
 言い換えると、光の影(スクリーン)を通して、自己は他者を見るのであり、他者は自分の影が映った存在となり、自己は他者に敵対的になるのである。
 では、光に生じた影(シャドウ)・闇を取り去るにはどうしたらいいのだろうか。
 それは、Uの領域を肯定する意識をもつことである。
 思うに、TとUとの境界は、言わば、浸透膜である。TはUに触れ、UはTに触れている領域である。
 この浸透膜的境界を介して、Tの光・陽・頭はUの闇・陰・肚を肯定し、TとUとの共振、つまり、陰陽共振を目指すべきである。
 しかし、最高に注意すべきは、Tの同一性でUの差異を認識することはできないということである。Tは認識ならば、Uは存在なのであり、相互に異質なのである。ただし、TはUを否定するが、UはTを包摂することができるという非対称性があると考えられる。ジェンダー的に言えば、男性原理は女性原理に包摂されるということである。おそらく、生物的に、女性原理の方が先行していたことの証しように思われる。
 無双陰陽原理の原点である不連続的差異論がここで重要になる。
 即ち、Tにとって、Uとは不連続なものであるということであり、TはUを同一化できないのである。つまり、Uは絶対的差異、絶対的他者であるということである。
 この点を具体的に言えば、Tは知性とすれば、Uは性(セックス)である。Tの精神はUの身体を理解できないのである。そう、Tを西洋・父権で、Uを東洋・母権と見てもいい。
 今日の世界、日本の闇・悪は、実は、光・善から生まれたものであることがわかる。光の支配による暗黒化なのである。
 価値逆転的に、Uの陰・闇・肚をベースにすれば、光の悪の支配は終焉し、陰と陽との和解・調和が生じるのである。新しい母権の世界である。


2013年01月25日(Fri)▲ページの先頭へ
トンネル効果と無双陰陽原理:粒子はMP共振(共鳴)を起こして、反対側に粒子を生起させるのでは?
トンネル効果と無双陰陽原理:粒子はMP共振(共鳴)を起こして、反対側に粒子を生起させるのでは?

テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

直観では、粒子とは実は気である。気の本体は陰陽共振である。
 つまり、

陰陽共振⇒MP⇒気⇒粒子

という流れが考えられる。(MPはメディア・ポイントで、超越性と現象性の媒介点、変換点、中枢点である。)
 しかしながら、これらは、同時存在性ももつと考えられる。つまり、(陰陽共振を陰陽と簡略化すると、)

陰陽-MP-気-粒子

(-は同時存在性、並列性を意味するとする。)
 
だから、粒子は、高い位置エネルギーの壁に対しても、壁に存するMPを介して、粒子自身を壁と共振(共鳴)させて、壁の向こう側へと粒子自身のエネルギーを伝えると考えられる。言わば、一種自己転移的である。
 とまれ、言い換えると、トンネル効果には、超越性が関与していると考えられる。つまり、陰陽超越性が働いているということである。
 以上、思いつきである。
 尚、MP共振(共鳴)であるが、これは、PS理論の段階で、海舌氏が説いた考えである。そのときは、Media Resonanceメディア・レゾナンスと呼んでいた。

追記:わかりやすく言うと、粒子とは気であり、また、陰陽霊である。

陰陽霊(陰陽共振)〜MP〜気〜粒子

結局、量子力学とは、気を量子として見ているのであるが、それを物質化しているのであり、当然、陰陽霊やMPは考えられないのである。

追記2:わかりやすくするため、気を気子ないし気素と言うといいかもしれない(追記:気双極子と呼ぶと理論的に明快になるかもしれない。ただし、双極子(陰陽)領域は、内在超越性の領域である。なぜなら、超越的に陰陽共振があり、超越性と現象性との媒介的中間・変換点にMPがあり、そこから不可視の現象としての気と可視的な生命物質現象が発生するからである。つまり、気は内在且つ超越的に陰陽共振、陰陽霊、陰陽をもっていることになる。言い換えると、霊性があるのである。)。気子(気素)が素粒子の本体である。量子力学、物理学は、気子の物質的影としての素粒子を追っていると言えよう。言わば、気子がイデアであり、素粒子は影である。
 しかしながら、気子をイデアというのは少し問題がある。何故なら、イデアは陽霊に関係し、陰陽霊(陰陽共振)自体ではないからである。
 しかしながら、見方を変えて、気子をイデアということは可能である。そうすると、陽霊は観念、あるいは、超越論的観念になるのではないだろうか。
 思うに、陰陽をこれまで、超越性と呼んできたが、意外に超越論性かもしれない。これは検討問題である。

追記3:陰陽霊(陰陽共振、簡単に陰陽)であるが、それは、超越性なのか、超越論性なのか、哲学(哲科学)的問題がある。
 以上では、陰陽霊は超越性として捉えている。しかし、人間認識・存在を考えると、それは、超越論的に存すると思う。
 この齟齬をどう解決したらいいのか。
 具体的に考えよう。気は直感できるものであり、少なくとも、内在的である。
 しかし、同時に、物質を超越しているから、超越性を帯びている。故に、内在超越性である。
 しかし、超越性の根源は陰陽共振(陰陽霊)である。それは、しかしながら、認識・存在的には、一種、超越論的である。つまり、陽霊は純粋悟性であり、陰霊は、いわば、純粋感性(造語)である。
 ここで、現時点での、作業仮説をざっくりと言うと、結局、内在超越性という概念は、結局のところ、超越性と超越論性の区別を不要にするということだと思う。つまり、内在的になると、もはや、超越性は超越性ではなく、超越論的になるということだと思う。
 これでいちおう解決したこととする。
 

参考:
トンネル効果【トンネルこうか】

* トンネル効果 【tunnelling effect】

2種類の金属 の間に薄い絶縁 物の層(障壁 )を挟み,両端 に電圧 を印加 するとき,絶縁層の厚さがきわめて薄く,ナノメートル(nm)の桁になると電流 が流れるようになる現象 .不純物 濃度 が比較的高い半導体 材料 を用いてpn接合をつくらせると,遷移 領域 (上の障壁に当たる)が10nmほどでもトンネル効果によって電流が流れるようになり,順方向 に負性抵抗 を生じる.これは江崎玲於奈(当時 は東京通信工業(ソニー の前身 ),後に筑波大学 学長 )の発見 になり,このpn接合はエサキダイオード と呼ばれている.

http://kotobank.jp/word/%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB%E5%8A%B9%E6%9E%9C

第6章 トンネル効果
www.phys.aoyama.ac.jp/~w3-furu/lecs/QMA2004/08.pdf - キャッシュ
6-1 トンネル効果とは ... 位置エネルギーの壁を越えて. 別の場所に移動ができる。 →
トンネル効果. 具体例. • 金属中の電子の運動. 1 原子の中での電子. の運動. 1 原子の
... しかし、トンネル効果によって、量子力学的にある原子から別の原子に飛び移. り可能 ...





「藤原氏=唐」が日本父権民族か?:三つの母権民族の融合である原日本を支配した父権民族とは何か

テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史

以下の「藤原氏=唐」(八切止夫やぎりとめお氏の説)が真実なら、私が探していた日本父権民族とは、唐の民族である。これが、三つの母権民族(縄文民族、弥生民族、ツングース系民族)の融合である原日本を支配したのであり、いまだに、父権民族が日本を支配しているのである。
 塀酷に屈従している政権は、この父権民族の末裔と考えられる。

追記:三つの母権民族に、海洋民族を加えることができるだろうから、少なくとも四つの母権民族となる。また、そこにケルト系民族が入りそうである。ケルト系民族は、海陸両面から日本に入ってきた可能性がある。おそらく、ツングース系民族に混じっていたのかもしれない。だから、ツングース系遊牧民族複合体と見るべきかもしれない。
 もし、ケルト系民族をカウントすれば、五つの母権民族となる。

追記2:私の作業仮説では、日本父権民族は、ユダヤ民族(失われた十支族)と中国系の民族であった。だから、ユダヤ民族も入れて考えたい。
 直観では、日本父権主義において、現実主義は中国系父権民族から、攻撃性はユダヤ民族から、来ているのではないだろうか。
 

1.
日本を実質支配した「藤原氏=唐」が、幅24mの古代道路を作った その2 ...
www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=272439
23 時間前 ... その1に続く. こうした古代道都が作られた背景は、国家意志の伝達や物流だけではなく
、当時の国際社会情勢も考慮すべきであろう。 日本は、唐と新羅の連合軍と戦う百済を
軍事支援したが、白村江の戦い(663年)で百済・日本軍は惨敗した ...
2.
日本を実質支配した「藤原氏=唐」が、幅24mの古代道路を作った その1 ...
www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=272438 - キャッシュ
1 日前 ... 今まで、日本の古代道路(奈良・平安時代)のイメージは、細々とした道と思っていたが、
近年の研究で「平均的に幅12メートルもある舗装された道路(地方では 6〜12 m 、都
の周囲では 24〜42mに及ぶ)が、日本全国に総距離実に6300キロ ...


八切止夫 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/八切止夫 - キャッシュ - 類似ページ
メインページ改訂の予選投票を実施中です。投票期間:12月20日(金)23:59 JST(20日
14:59 UTC)まで。投票資格:投票ページ参照。 八切止夫. 出典: フリー百科事典『
ウィキペディア(Wikipedia)』. 移動: 案内、 検索. Question book-4.svg. この記事は
検証 ...

お奨め、八切止夫史観を通した日本史の見つめ直し ぷち熟女
www.asyura2.com/0601/holocaust3/msg/138.html - キャッシュ - 類似ページ
お奨め、八切止夫史観を通した日本史の見つめ直し http://www.asyura2.com/0601/
holocaust3/msg/138.html 投稿者 ぷち熟女 日時 2006 年 5 月 27 日 21:34:17:
WgkZZjZT3HifU. (回答先: 日ユ同祖論について 投稿者 愛国心を主張する者ほど
売国奴 ...

八切止夫作品集
www.rekishi.info/library/yagiri/ - キャッシュ - 類似ページ
八切止夫作品集. 読む, 登録番号, 作品名.

奴隷日本人秘話 - 八切止夫作品集
www.rekishi.info/library/yagiri/scrn2.cgi?n=1068 - キャッシュ - 類似ページ
1068 八切日本史 4. 奴隷日本人秘話 日本人が戦国時代に奴隷に売られて、男は印度
から馬来半島方面のポルトガル領の植民地に、容色のよい女は、魔女裁判によって多く
の女性を焚殺したヨーロッパへ送られていたことは、あまり知られていない。しかし、 ...

耶止説夫時代の八切止夫氏 - So-net
www010.upp.so-net.ne.jp/ya-fuian/ - キャッシュ - 類似ページ
“耶止説夫時代の八切止夫”をめぐって. このホームページ「耶止説夫時代の八切止夫氏
」の内容は極めて煩瑣な事柄を述べなくてはならないので、記述を基本的に“箇条書き
形式”、“項目形式”にさせていただきました。さっそくこの前書きからこの方針でいこうと ...

「本能寺の変」は銀本位制と金本位制との争いという発想 (八切止夫論へ ...
www.asyura.com/09/reki02/msg/564.html - キャッシュ
2011年10月16日 ... 八切止夫氏の「本能寺の変」論とは何だろうか? ... また、鈴木眞哉・藤本正行共著『
信長は謀略で殺されたのか』(2006.02)でも八切止夫氏が真犯人としたのも家康で、
齋藤内蔵助に依頼して信長を殺させたとしている≠ニ八切説を総括して



2013年01月20日(Sun)▲ページの先頭へ
太極⇒陰霊*陽霊⇒MP⇒気⇒螺旋生命物質体:生命物質現象の根源は太極⇒陰素*陽素:ポスト唯物論
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11452921535.html

太極⇒陰霊*陽霊⇒MP⇒気⇒螺旋生命物質体:生命物質現象の根源は太極⇒陰素*陽素:ポスト唯物論

テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

再掲:気と電磁波:生命気(生命気波動)の超越的次元と電磁波の三次元の平行する現象界
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11451893787.html

先に以上の記事を転載したが、考え方を整合的にする必要がある。
 気⇒電磁波は、不正確である。正しくは、陰霊と陽霊の即非共振によって、気と螺旋生命物質体を同時形成されるということである。図式化すると、

陰霊*陽霊⇒気+螺旋生命物質体

(ただし、*は即非共振とする。なお、即非共振とは、端的に、陰陽の極性のことである。即ち、牽引と反発が同時生起している極性である。)
 
 気とは、陰陽霊の即非共振のエネルギー体であると考える(シュタイナーはエーテル体という用語を使う)。
 気が、現象界において、内在超越的に存するのであるが、生命体は、基本的には、螺旋生命物質体としての現象化している。(尚、渦巻であるが、それは、螺旋の原型であると考えられるので、螺旋に含めることを仮説とする。)
 気についてであるが、陰陽即非共振はMP(メディア・ポイント)で為され、そこが起点となり、気が放出される。つまり、

陰霊*陽霊⇒MP⇒気(+螺旋生命体)

である。
 そう、だから、気を感知するということは、超越性に通じるのである。つまり、陰陽即非共振の場・ポイントであるMPを感知するのであり、それは、陰霊と陽霊に通じるということになる。つまり、陰陽円に「通底」するということになる。
 陰陽円に「通底」するということは、究極的には、太極に通じるということになろう。つまり、神霊界に通じるということになる。「神(神々):死者の霊も含まれる」と一体となるということになるだろう。(神霊界・神界・霊界とは、当然、永遠界である。)
 問題は、気と螺旋生命物質体(簡単に生命体と呼ぶ)ないし物質体との関係である。
 分かりやすくする為に、内部に気空間があり、外部が物質空間であるとしよう。
 生命体は現象的には外部空間にあり、その内部に気空間があるということになる。(私は外部空間は三次元空間で、内部空間は天地軸一次元空間と作業仮説している。)
 上図式であるが、気+螺旋生命物質体としているが、気が螺旋生命物質体に先行するのではないだろうか。そうすると、図式を書き直すことになる。

陰霊*陽霊⇒MP⇒気⇒螺旋生命物質体

となる。
 気⇒螺旋生命物質体(生命体)であるが、これは、再掲した図式、即ち、

陰*陽⇒(+*−)&(N*S)

【(+*−)は電気であり、(N*S)は磁気であり、&は両者の結合したものとしての電磁波様態を意味する。】

を変形すると、

陰霊*陽霊⇒MP⇒気⇒(+*−)&(N*S)

となる。そして、右辺の(+*−)&(N*S)が螺旋生命物質体(生命体)と考えられる。
 そして、四元数(しげんすう)であるが、三つの虚数i, j, kは、作業仮説的に、仮に、それぞれ、電気、電磁波、磁気とする。これが、空間三次元を形成するとするのである。
 電磁波は螺旋形状を形成するのであり、その螺旋伸長が一次元であり、それに直交する平面、電気(電界)と磁気(磁界)の平面(二次元)が存すると考えるのであり、それが空間三次元を形成する考えるのである。(四元数の実数1であるが、それは、気と考えるのである。気軸=天地軸を形成すると考える。故に、先に述べたように、私は、現段階では、空間三次元ではなく、空間四次元説を仮説している。)
 とまれ、生命とは気が本質であり、生命体(生命物質体)は、気が形成する物質体であるから、気と結合していることになる。そして、気がなくなると、生命体は死ぬことになり、死体、遺体となるのである。
 もっとも、気と生命物質体の関係であるが、後者はある独立性をもっているだろう。だから、物質の代謝が重要になると考えられる。
 (DNAであるが、思うに、気自体のもつ螺旋形状が二重螺旋であり、それが、物質的に反映したものではないだろうか。これは検討課題である。)
 また、種別の生命体であるが、遺伝情報は、当然、気に存すると考えれる。つまり、陰霊*陽霊(以下、簡便にするために、陰*陽とする)において、気の原情報が存すると思われる。(そう、ここに、DNAの情報を見ていいのかもしれない。)
 つまり、陰*陽の様態の種別があるのであり、それが、それぞれの生命体の遺伝子情報をもっていると思われる。
 ここで、仮に、作業仮説的に、例示すると、

(陰1*陽1)*(陰2*陽2)*(陰3*陽3)*・・・*(陰n*陽n)⇒気n⇒螺旋生命体n

となるのではないだろうか。各生命体において、このnのあり方が異なるということではないだろうか。
 つまり、陰*陽を差異とすると、多元(多種多様)的差異共振体としての生命体ということになる。
 図式化すると、

差異1*差異2*差異3*・・・*差異n⇒多元的気⇒多元的生命体

である。
 とまれ、以上から、思考実験的に、生命現象界が陰陽から形成されることを仮説した。
 つまり、現象の根源に存するのは、素粒子、量子という物質ではなく、陰と陽(陰霊と陽霊)であり、その即非共振としての気=陰陽双極子が原現象であるということになろう。

参考:

resurrectionのブログ: JaponAsia GreatE AwaKleaning!
resurrectionのブログ: JaponAsia GreatE AwaKleaning! resurrectionのブログ: JaponAsia GreatE AwaKleaning! resurrectionのブログ: JaponAsia GreatE AwaKleaning! resurrectionのブログ: JaponAsia GreatE AwaKleaning! resurrectionのブログ: JaponAsia GreatE AwaKleaning! resurrectionのブログ: JaponAsia GreatE AwaKleaning!

追記:内部空間としての気空間と言ったが、思うに、それは、人体では、肚と関係すると思う。つまり、陰に関係すると思う。
 肚=陰がどうして、気と直接直截に関係するのか。
 頭=陽=自己(自我)は同一性なので、肚=陰=他者を直観できずに、同一性化=観念知化してしまい陰陽即非共振を感知できないと考えられる。
 それに対して、肚=陰=他者は、頭=陽=自己(自我)を包摂できるので、即非共振様態を帯びると考えられよう。
 だから、気を感受感知するのは、肚を介した胸=心臓(MP)であると思われるのである。
 気の光(気光)=超越光(超光)も、そこで、視覚できるように思う。これは、一種の霊視である。
 そう、物質的太陽だけでなく、気的太陽が存するのである。それが、D.H.ロレンスのダーク・サンであり、シュタイナーの霊的太陽ではないだろうか。
 因みに、飯山一郎氏が日光浴を推奨するが、それは、物質的太陽の光だけでなく、気の光(気光、不可視光、超越光・超光)を浴びることを意味しよう。
 気は生命であり、日光浴とは生命浴である。

参照:

日曜日。
いま、日本列島には強烈な偏西風が吹きまくっている。
このため東電福島が噴出する放射性物質は太平洋の彼方
へ飛び去っている。日本にとっては神風だ。

志布志も風が強いが、快晴。
きょうは夕方まで客人なし。 よし! パンツ一丁で日光浴でも
するかーー。
日光浴は身体を内部まで温める。汗がでるほど温める。
これで免疫力(マクロファージ)がグ〜ンと増えて、全身に行き
わたる。
とにかく皆さん、春になるまでは身体を冷やさないこと!
このことだけは絶対に忘れないでください。
◆ 2013/01/20(日) 音田がシャープの悪口を書き続ける理由

ct 飯山一郎のHPへ


陰霊と陽霊の即非共振から気と螺旋生命物質体が発生:生命物質現象の根源は陰素*陽素:ポスト唯物論
陰霊と陽霊の即非共振から気と螺旋生命物質体が発生:生命物質現象の根源は陰素*陽素:ポスト唯物論

テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

再掲:気と電磁波:生命気(生命気波動)の超越的次元と電磁波の三次元の平行する現象界
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11451893787.html

先に以上の記事を転載したが、考え方を整合的にする必要がある。
 気⇒電磁波は、不正確である。正しくは、陰霊と陽霊の即非共振によって、気と螺旋生命物質体を同時形成されるということである。図式化すると、

陰霊*陽霊⇒気+螺旋生命物質体

(ただし、*は即非共振とする。なお、即非共振とは、端的に、陰陽の極性のことである。即ち、牽引と反発が同時生起している極性である。)
 
 気とは、陰陽霊の即非共振のエネルギー体であると考える(シュタイナーはエーテル体という用語を使う)。
 気が、現象界において、内在超越的に存するのであるが、生命体は、基本的には、螺旋生命物質体としての現象化している。(尚、渦巻であるが、それは、螺旋の原型であると考えられるので、螺旋に含めることを仮説とする。)
 気についてであるが、陰陽即非共振はMP(メディア・ポイント)で為され、そこが起点となり、気が放出される。つまり、

陰霊*陽霊⇒MP⇒気(+螺旋生命体)

である。
 そう、だから、気を感知するということは、超越性を通じるのである。つまり、陰陽即非共振の場・ポイントであるMPを感知するのであり、それは、陰霊と陽霊に通じるということになる。つまり、陰陽円に「通底」するということになる。
 陰陽円に「通底」するということは、究極的には、太極に通じるということになろう。つまり、神霊界に通じるということになる。「神(神々):死者の霊も含まれる」と一体となるということになるだろう。(神霊界・神界・霊界とは、当然、永遠界である。)
 問題は、気と螺旋生命物質体(簡単に生命体と呼ぶ)ないし物質体との関係である。
 分かりやすくする為に、内部に気空間があり、外部が物質空間であるとしよう。
 生命体は現象的には外部空間にあり、その内部に気空間があるということになる。(私は外部空間は三次元空間で、内部空間は天地軸一次元空間と作業仮説している。)
 上図式であるが、気+螺旋生命物質体としているが、気が螺旋生命物質体に先行するのではないだろうか。そうすると、図式を書き直すことになる。

陰霊*陽霊⇒MP⇒気⇒螺旋生命物質体

となる。
 気⇒螺旋生命物質体(生命体)であるが、これは、再掲した図式、即ち、

陰*陽⇒(+*−)&(N*S)

【(+*−)は電気であり、(N*S)は磁気であり、&は両者の結合したものとしての電磁波様態を意味する。】

を変形すると、

陰霊*陽霊⇒MP⇒気⇒(+*−)&(N*S)

となる。そして、右辺の(+*−)&(N*S)が螺旋生命物質体(生命体)と考えられる。
 そして、四元数(しげんすう)であるが、三つの虚数i, j, kであるが、作業仮説的に、仮に、それぞれ、電気、電磁波、磁気とする。これが、空間三次元を形成するとするのである。
 電磁波は螺旋形状を形成するのであり、その螺旋伸長が一次元であり、それに直交する平面、電気(電界)と磁気(磁界)の平面が存すると考えるのである。
(四元数の実数1であるが、それは、気と考えるのである。)
 とまれ、生命とは気が本質であり、生命体(生命物質体)は、気が形成する物質体であるから、気と結合していることになる。そして、気がなくなると、生命体は死ぬことになり、死体、遺体となるのである。
 もっとも、気と生命物質体の関係であるが、後者はある独立性をもっているだろう。だから、物質の代謝が重要になると考えられる。
 (DNAであるが、思うに、気自体のもつ螺旋形状が二重螺旋であり、それが、物質的に反映したものではないだろうか。これは検討課題である。)
 また、種別の生命体であるが、遺伝情報は、当然、気に存すると考えれる。つまり、陰霊*陽霊(以下、簡便にするために、陰*陽とする)において、気の原情報が存すると思われる。(そう、ここに、DNAの情報を見ていいのかもしれない。)
 つまり、陰*陽の様態の種別があるのであり、それが、それぞれの生命体の遺伝子情報をもっていると思われる。
 ここで、仮に、作業仮説的に、例示すると、

(陰1*陽1)*(陰2*陽2)*(陰3*陽3)*・・・*(陰n*陽n)⇒気n⇒螺旋生命体n

となるのではないだろうか。各生命体において、このnのあり方が異なるということではないだろうか。
 つまり、陰*陽を差異とすると、多元(多種多様)的差異共振体としての生命体ということになる。
 図式化すると、

差異1*差異2*差異3*・・・*差異n⇒多元的気⇒多元的生命体

である。
 とまれ、以上から、思考実験的に、生命現象界が陰陽から形成されることを仮説した。
 つまり、現象の根源に存するのは、素粒子、量子という物質ではなく、陰と陽(陰霊と陽霊)であり、その即非共振としての気=陰陽双極子が原現象であるということになろう。

追記:内部空間としての気空間と言ったが、思うに、それは、人体では、肚と関係すると思う。つまり、陰に関係すると思う。
 肚=陰がどうして、気と直接直截に関係するのか。
 頭=陽=自己(自我)は同一性なので、肚=陰=他者を直観できずに、同一性化=観念知化してしまい陰陽即非共振を感知できないと考えられる。
 それに対して、肚=陰=他者は、頭=陽=自己(自我)を包摂できるので、即非共振様態を帯びると考えられよう。
 だから、気を感受感知するのは、肚を介した胸=心臓(MP)であると思われるのである。
 気の光(気光)=超越光(超光)も、そこで、視覚できるように思う。これは、一種の霊視である。
 そう、物質的太陽だけでなく、気的太陽が存するのである。それが、D.H.ロレンスのダーク・サンであり、シュタイナーの霊的太陽ではないだろうか。
 因みに、飯山一郎氏が日光浴を推奨するが、それは、物質的太陽の光だけでなく、気の光(気光、不可視光、超越光・超光)を浴びることを意味しよう。
 気は生命であり、日光浴とは生命浴である。

参照:
日光浴は身体を内部まで温める。汗がでるほど温める。
これで免疫力(マクロファージ)がグ〜ンと増えて、全身に行き
わたる。
とにかく皆さん、春になるまでは身体を冷やさないこと!
このことだけは絶対に忘れないでください。

◆2013/01/20(日) 音田がシャープの悪口を書き続ける理由

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2013年01月18日(Fri)▲ページの先頭へ
光と闇:二つの光と二つの闇:電磁波の光と気の光、無光の闇と気の闇:気の超光
光と闇:二つの光と二つの闇:電磁波の光と気の光、無光の闇と気の闇:気の超光

テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

光と闇は用語上の問題がある。
 先に、「光は闇であり、闇は光である」と言ったが、いわば、用語の綾がある。
 言葉が貧困ということもあるが、言葉が、二項対立的に使用されているという事態に拠ると言えよう。
 宗教においても同様である。光は善であり、闇は悪である。
 しかし、無双陰陽原理では、陽より陰を重視しているのであり、言わば、光より闇を重視するということである。すると、一般的用語の使い方と齟齬を来すのである。
 用語以外に、現象としての光、例えば、陽光の知覚の問題がある。
 砂漠や熱帯だと太陽は疎ましくなるかもしれないが、一般的には、太陽の存在は積極的に肯定される。確かに、暗闇より、陽光の明るさを人は好むのが普通である。(ドストエフスキーに『地下生活者の手記』があった)
 私は19才頃、「光は冷たく、闇は暖かい」というようなことを述べた。それは、都会の光の冷たさ、田舎の春の夜の蛙の鳴き声の心地よさから喚起されて考えたものである。それは、言い換えれば、エゴと共感性の対立である。
 正確に言うと、私は光と(悪魔的)利己主義を同一視していたのである。
 ここは哲学・理論的には重要な箇所である。
 自我知覚は光を介して、感覚(視覚)的に、外界、物質を認識する。このとき、物は、同一性を帯び、物質存在となるのである。
 この同一性物質とは、自我知覚・認識と結びついているのである。カントの悟性、純粋悟性である。(シュタイナーならアーリマンであろう。)
 これが悪魔的なのは、悟性以外の感性、共感性、魂性、精神性を排除するからである。
 怜悧冷徹冷酷なのである。これが、近代科学のもつ悪魔性でもある。
 そう、光はこのような問題をもつのである。
 しかしながら、光、陽光は、感性においては、救いをもたらすのである。
 ここに光の知覚の二重性の問題があると言える。自我認識においては、悟性的悪魔的冷酷さをもたらし、そして、心的感性においては、精神的救済をもたらすのである。正確に言えば、気的救済である。
 結局、光は、物質と精神の両面的存在であり、唯物科学的には、光の物質的側面が認識されるだけであり、光の精神的側面(気的本体)が認識されないということになる。
 このような認識上の問題があるために、上記した問題が根本的に生じると言えよう。
 だから、言い直せば、光は光であって、光以上のものである、というようになろう。
 光以上のものとは超越光、超光、気の超光、気光である。

追記:感性という用語も問題がある。カント哲学においては、外観と内観の両面があるが、基本的には、外観、つまり、外的感覚知覚の意味で使用していよう。
 感性という用語はあいまいで、外的感覚、内的感覚の両面に使用している。
 外的感覚(外観、外官)の場合は、それは、同一性、物質性と通じるのであり、内的感覚(内観、内官)の場合は、差異、他者、共感性、魂・精神性と通じるのである。
 直観というものであるが、それは、基本的には内的感覚がベースと考えられる。それが、外的感覚に映じるというもののように思う。

追記2:「光は光であって、光以上のものである」と述べたが、この場合の光は陽光、太陽光である。だから、
「陽光は光であるが、光以上のものである」と言うのが的確である。





「わたし」は「三人」いる:三重人間:頭の自我、肚の他者、胸の自他均衡

テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

「わたし」は一人ではない。「わたし」は、基本的には、「三人」いるのである。頭人、肚人、胸人の「三人」である。ある意味で三重人格とは言えようが。
 自我は頭人に存すると言えよう。しかしながら、個を形成する土台は肚人にあると思う。ここは、他者の領域である。ここは、内的宇宙、魂の場である。ここは、全体、普遍の場なのである。このミクロコスモスが頭の自我に対して、個を主張するのである。つまり、自我と他者の衝突が生じるのである。この解決は、不連続的差異論をベースにした無双陰陽原理に存すると考えられる。(それにしても、PS理論は、惜しいことをしたものである。たいへんな知的労力がほぼ無駄になってしまった。陰陽をガウス平面で展開しなければ、例えば、多様な差異の連結、即ち、差異1ー差異2ー差異3ー・・・差異nというような視点が明確に発展できたと思う。)

追記:肚=他者=ミクロコスモス(個宇宙・内宇宙)であるから、それは、多数・多元性でもある。だから、多重人でもある。

追記2:三重人間と言ったが、それがバラバラだと正に、多重人格、分裂的人間である。しかしながら、健全な人間においては、三重性にバランスがあると思う。肚と頭と胸、陰と陽と太極で、いわば、三位一体的にバランスをとっていると、ないし、とろうとしていると思う。





失われた、失わされた東洋日本の陰・肚の智文化:西洋父権は陽・頭の知文化

テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

ここ数日、個人的なことは何も言っていない。
 本件は既述済みの事柄であるが、今日のように、日本社会全般が「狂気」(カオス、アノミー )であると、やはり、再説したくなる。
 いわゆる、文明は、父権的文明、無双陰陽原理で言えば、陽の文明なのであり、それ以前の母権的文明、陰の文明を否定し、その後、破壊して生まれ、発展したものである。
 陽の父権的文明は頭の文明であり、明の文明である。そう、知明文明と言えよう。
 それに対して、陰の母権的文明は肚の文明であり、暗の文明である。魂暗文明である。
 母権文明から父権文明への転換は、人類史の大進化と言えよう。しかしながら、それは、もっとも危険な進化と考えられる。
 それまでの魂の内界(精神界)=闇を見つめていた文明とは、異なり、外界(物質界)=光を見つめる文明となったからである。精神から物質への転換が行われたのであり、精神は物質に否定されることになったのである。
 以上が、単純化した、今日支配的な西洋文明のもつ人類史的意味合いである。
 実は、西洋文明は、内界的文化を形成していたのである。
 それは、魂の文化である。ルネサンスも魂の文化である。プロテスタンティズムも魂の文化である。そして、ロマン・神秘主義も魂の文化である。その他、魂の文化は多くある。(そう、プラトン哲学も魂の文化である。ドイツ観念論哲学は、魂の文化と知の文化との融合の試みである。ポスト・モダン哲学もその現代的継続である。)
 とまれ、外界(感覚・物質界)=光の文化が主流、支配的であり、内界(魂・精神界)=闇の文化を抑圧、破壊しているというのが、現状である。
 今日の日本であるが、既述したように、明治維新からの日本父権派の支配によって、日本母権派は、(超)マイナーになってしまっているのである。前者は陽=頭=知の文化であり、後者は陰=肚=魂の文化である。
 そう、さらに言えば、西洋文明よりも、日本は父権化してしまっていると思う。
 それが、日本の政治に現われているのである。これを潰すには、陰=肚=魂の精神革命が必要である。
 そう、思いついたことを言うのを忘れていたが、陰=肚=魂とは、シュタイナー的に言うと、ルシファー的なものだと思う。それは、個の自由を追求する。
 そして、陽=頭=知=アーリマンとのバランスに内に、太極=胸=優愛=キリストがあると思う。
 経済的には、個的協働資本主義であり、政治的には、個的共同体的民主主義である。

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日本古来の腰肚文化の呼吸法 「斉藤孝著 呼吸入門」 - 忠さんの徒然草 ...
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2008年5月14日 ... 先日UPした「座禅用心記」に参ずるこちら に、幾つかの呼吸法の書が記載されていた。
其の内の一つに『声に出して読みたい日本語』『三色ボールペンで読む日本語』等の
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2012年11月5日 ... 渥美清さんが現実にも腹巻をしていたかどうかはわかりませんが、これは日本の「肚(
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2010年10月7日 ... 明治大学の斉藤孝教授は、身体論において日本的呼吸法の重要性を説き「腰肚文化(
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6.
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2004年12月17日 ... 身体感覚を取り戻す―腰・ハラ文化の再生 齋藤 孝/著 NHKブックス ◇ 日本は「腰肚(
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腰や肚は精神的なことも含んでいますが、その基盤には腰や肚の ...
7.
肚 - ウィクショナリー日本語版
ja.wiktionary.org/wiki/肚 - キャッシュ - 類似ページ
肚. 出典: フリー多機能辞典『ウィクショナリー日本語版(Wiktionary)』. 移動: 案内、
検索. stub この項目はスタブ(書きかけ)です。この項目を加筆して ... 目次. 1 漢字. 1.1
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5 コード等 ... 文化観光部2000年式: du; マッキューン=ライシャワー式: tu; イェール式:
twu ...
8.
(丹田)丹田ベルトで、丹田呼吸、腰、肚による気力、体力、健康の増強と ...
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丹田、肚の文化が成立したゆえんです。そして洋装になった現代、丹田という認識すら
無くなってしまった感のある日本です。タンデンアーツの見解では、臍下にかかる腹圧(
力)の中心部(位置)を丹田と呼び、その精神作用の働きを含め肚(はら)と呼びます。
9.
国際日本文化研究センター | 怪異・妖怪伝承データベース: <谿肚Nit=瀬毘>
www.nichibun.ac.jp/cgi-bin/.../namazu.cgi?query...0... - キャッシュ
国際日本文化研究センター, トップページ. 怪異・妖怪伝承データベース ... 日本語が
でたらめにわかち書きされてしまう { [ 最: 1 ] [ 新: 0 ] [ 情: 0 ] [ 報: 0 ] :: 0 } のように、
でたらめにわかち書きされることがあります。 これは、そもそも 最新情報 という言葉が
検索 ...
10.

www.ssfk.or.jp/p/a/106400.htm - キャッシュ
本書は、著者自身の開腹手術の体験から気づいた、日本人の肚意識について論考し
ます。 日本文化に根ざしている肚意識、西洋人の語る肚意識、そして老子の語る肚意識
に光をあて、そこに共通するものは何かを、ユニークな視点から探ってゆきます。


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