陰陽を正負・NSに変換する中間力学:次元変換子:陰陽の現象化としての電子と磁気






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2013年02月22日(Fri)
陰陽を正負・NSに変換する中間力学:次元変換子:陰陽の現象化としての電子と磁気
陰陽を正負・NSに変換する中間力学:次元変換子:陰陽の現象化としての電子と磁気

テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

余裕がないので、ポイントだけ簡単に(追記:簡単に、ではなかった。)指摘する。
 陰陽とは、以前述べたように、牽引と反発の二つの相反する力が働いているという極性をもっている。
 しかしながら、電気や磁気は、正負、NSの極性があり、それは、単に牽引力をもつ。勿論、同じ極は、反発するが。
 とまれ、陰陽から電気、磁気(まとめて、電磁波)が生成するには、陰陽の相反する極性を変換させる必要がある。
 その変換力をとりあえず、中間牽引力と呼ぶ。
 それは、無双陰陽原理では、MPに相当するものである。
 先の陰陽身体三元論から言うと、身体意識・理性に相当するものである。
 ここで簡単に図式化すると、

陰ー中間牽引力ー陽

陰ー身体理性ー陽

である。
 ここで、正負を考えると、例えば、陰側がマイナス、陽側がプラスになるとすると、

陰(マイナス)ー中間牽引力ー陽(プラス)

となる。
 しかし、陰は本来、マイナスではなく、陽も、プラスではない。
 だから、

「陰」(マイナス)ー中間牽引力ー「陽」(プラス)

とでも表記すべきである。
 思うに、中間牽引力を次元変換子と見てもいいだろう。つまり、陰陽の霊的次元から電気・磁気の物質的次元へと変換するものだからである。
 ここで以前簡単に触れた、牽引化と反発化の分離・乖離を考えるといいかもしれない。
 つまり、陰*陽⇒±1を考えるのである。これは、かつての、PS理論の自己認識方程式ではない。何故なら、プラス1とマイナス1が生起しているからである。
 とまれ、牽引化によって、プラス1が、反発化によってマイナス1が生じると考える。
 四元(しげん)数によると、プラス1の他に、三つの虚数が生じることになるが、今は、それをおいておこう。
 とまれ、牽引化が物質化を意味するのであり、そのとき、陰は「陰」=マイナスに、陽は「陽」=プラスに変換しているのである。
 今ふと思ったが、これをガウス平面に見ていいのかもしれない。つまり、ガウス平面の−1がマイナスであり、+1がプラスである。つまり、実軸で、牽引することになるのである。
 しかし、私の最初の考えは、物質化は、+1の側に存するのであり、−1の側ではない。
 −1の側は、物質化の反対であり、脱物質化なのかもしれない。
 そう、以前、THRIVEのトーラスに関して述べたように、+1は、生の側であり、−1は死の側のように思えるのである。
 ということで、次元変換子による陰と陽のマイナスとプラスへの変換は、+1と−1ではないことになる。
 (そう、ここで不連続的差異論の考え方を導入すると、次元変換子とは、連続的同一性化と非連続的非同一性化の二つの過程を意味し、前者が生であり、後者が死となる。
 フロイト精神分析を使えば、前者がエロスで、後者がタナトスかもしれない。追記:この箇所は問題があるので、保留である。)
 さて、ここで、気について考えるとどうなるだろうか。
 これまでの考え方では、気は、+1である。それは、生の力である。
 ここで、陰と陽について、分節化しておこう。
 次元変換子によって、陰ー次元変換子ー陽となるが、このとき、陰は、牽引/反発(以下、牽/反)の牽を、陽も牽/反の牽を見せていて、牽引するというように考えよう。
 つまり、陰と陽、それぞれ、牽の極を見せているとするのであり、そして、反の極を背にしているのである。つまり、

反/陰/牽ー次元変換子ー牽/陽/反

となっていると考えるのである。
 言い換えると、陰の半面と陽の半面が牽引し合うのであり、他の半面はいわば隠れているのである。
 これを陰と陽の反転による牽引化=物質化と呼んでいいかもしれない。
 つまり、陰陽次元では、陰と陽は、牽引/反発の即非的極性であるが、次元変換子によって、それぞれ、反転して、牽引化=物質化するのである。つまり、電子化=正負化、磁気化=NS化である。
 ここで、気について考えると、それは、次元変換子によって、生成される電子や磁気のエネルギーが衰退に対して、新たな電子や磁気の生成をもたらす力ではないのだろうか。
 つまり、陰と陽の反転=牽引化と気が関係するのではないだろうか。つまり、次元変換子の作用が気ではないだろうか。
 どうも議論が錯綜してきたので、発想を変える。
 初めに、太極ありき、である。それが陰陽に分極化する。そして、両者は牽引と反発が存する。しかし、太極へ回帰しようとするために、反発から牽引へと進展するのではないだろうか。
 つまり、

太極⇒陰陽分極化(反発と牽引)⇒陰陽共振(牽引化)⇒再合一化

というプロセスがあるのではないだろうか。
 気はこの陰陽共振の力ではないだろうか。言い換えると、太極へと再合一化する力が気ではないだろうか。
 これは、極言すれば、太極の力、太極の根源的力ではないだろうか。プラトン的には、エロースである。
 そう、超越的力である。現象的には、物質的であるが、本質は、超越的力と言えよう。
 そうすると、やはり、先に述べた次元変換子と関係しよう。
 簡単に数字化すると、

1(太極)⇒2(陰陽分極)⇒1(再合一=再太極)

である。
 ただし、最後の1は、最初と同一の1ではなく、螺旋的回帰した1で、質的に向上していると考えられる。
 なにか弁証法を想起するが、あくまで、陰陽極性であることを想起する必要がある。
 思うに、上図式は、現象化がないようだ。だから、現象化を入れよう。

1⇒2⇒現象⇒1

である。現象を3とすると、

1⇒2⇒3⇒1

となる。
 本題に戻ると、陰陽は現象化⇒1と変換するとき、正負化ないしNS化すると考えられる。
 そうならば、電子や磁気は、陰陽の現象化・物質化と言うことができるかもしれない。
 今はここで留める。

追記:電子、磁気は陰陽の現象化・物質化としても、それらは、そのまま、陰陽ということではない。
 本体は陰陽、太極であり、その現象として、電子、磁気、あるいは、粒子があるということになるのである。
 極論すると、陰霊と陽霊が電子と陽電子になっているということになる。つまり、現象界とは、霊界の現象世界ということになる。





奈良桜井市はなつかしい:もう、20年前のことになる

テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史

約20年前によく、奈良へ遊んだ。桜井市は、大神神社や山の辺の道があり、今でも、情景が浮ぶ。石仏がゆかしい。私が精神的危機に陥った時期に、訪れたものだった。
 思うに、私の精神は、陰と陽で葛藤していたのである。陽の唯物論と陰の神秘主義が争っていたのである。
 そして、その時は、後者に傾斜したのである。私は死に怯えて、救いを求めた。結局、思い過ごしであったと思う。
 しかし、無意識に、陰が作用したと思う。そう、陽へと傾斜して、完結しつつあった私に、陰の急襲があったのである。
 陰と陽の衝突・激突、20年過ぎて、ようやく、解決に至ったと思う。(参照:陰=魂(肚)と陽=自我(頭)をつなぐ身体意識(理性):無双陰陽原理は陰陽身体三元論へ進化する (02/18) http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1925.html)

箸墓古墳で現地調査 土器など確認 NHK
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130220/k10015655321000.html






英語学習のこつを無料で教えましょう:単に英語だけでない、語学学習のために

テーマ:education

最近、英語学習ないし語学学習のこつはなにかがはっきりとしてきた。
 それを、今、無料で教えましょう。
 
1)先ず、文法を知る必要がある。それには、体系的視点が必要である。総体を見る視点が必要なのである。ただ、個々だけを憶えようとすると、憶え切れない。
 秩序立った視点をもって、文法を学ぶと記憶できるのである。

2)NHK講座がダウンロードできるので、それを使われたし。無料である。
 リスニングも大事であるが、発音をよくする必要がある。これは、私の経験から言うが、自分の発声器官(咽喉、舌、唇等)をクラシック音楽の楽器と思って発生すると、きれいな音声になる。今日の日本語は、実に聞き苦しい音になっているので、日本語もきれいになるだろう。
 堅苦しいリスニングが嫌な人は、YouTubeで歌を聴くといいだろう。

3)記憶の問題であるが、これは、結局、何ということはない。繰り返しの問題である。繰り返しと反復は異なるのである。
 繰り返すことは、忘れたことを憶えたり、また、憶えていることを強化することであり、また、言葉の仕組みが見えてくることである。(追記:つまり、繰り返すと、言葉の形が見えてくるのである。言葉の有機化と言えよう。後でもう少し考えたい。)
 これは、期間と関係するが、3ヶ月継続できれば、なんとか形ができるのである。3ヶ月の辛抱である。

4)後は、語源を憶えるといいのである。それと同時に、イメージ(ある人は、感覚というが)で捉えることが役立つのである。
 例えば、onは、「〜の上に」ではなく、「〜に接して」というイメージで捉えるのである。そうすると、「彼女の家はあの通りにある。」の「あの通りに」の「に」は、onであることはわかる。つまり、通りに「接して」存するということだからである。
Her house is on that street.
 あるいは、embraceは、抱くであるが、em(inと同じ意味)が中へ、brace(braceletを参考)が腕であるから、腕の中へという意味である。転義して、取り囲むという意味になる。

5)英語はアングロ・サクソン語(ゲルマン系言語)とフランス語(アングロ・ノルマン)のハーフである。いわば、大和言葉と漢語が同居し混淆(悪く言えば、雑居)しているようなものである。
 だから、何がゲルマン系であり、何がフランス語系かがわかると、視点が見事に拡大する。当然、それ以外のものもあり、世界最多の語彙ではないだろうか。

6)基礎英文法書として、総合英語Forestをあげおく。これは、実にわかりやすく、説明している独習用書である。
総合英語Forest 6th edition/桐原書店

¥1,575
Amazon.co.jp

7)その他、「英語を生きている人」に教わるといい。これは、英語に限らない。結局、言葉は、単に、頭の言葉だけでなく、魂の、心の、血の言葉である。魂の言葉である。それがわかれば、語学学習は楽しいものになる。

8)今日、コミュニカティブな語学が中心である(コミュニカティブアプローチとは - Weblio辞書  さまざまな教授法 )が、私見では、それも大事であるが、日本人は、読むことから入った方がいいと思う。映画の英語が聴いてわかっても、それほどうれしくない。それより、本の英語が理解できた方が有意義である。

 私は定年退職後、古今東西の言語を学んで余生を過ごすつもりである。知ることは亦楽しからずや。

追記:上記を無双陰陽原理にあてはめると、文法は陽であり、イメージは陰である。この両者が結びついて、つまり、陰陽共振となって、語学が身に「着く」のである。そう、先の陰陽身体三元論から言えば、身体理性に言語のコアがあるのである。

追記2:陰について補足すると、陰は陽の知・認識に対して、存在を意味する。だから、言語においても、存在が重要と考えられる。言葉の存在とは何か。それは、言葉の魂、霊魂である。言霊と言えるかもしれない。
 とまれ、身体意識・身体理性によって、言葉の陽=知と言葉の陰=存在が結合して、言葉が生きたものになるのである。
 イメージの陰も、基本的には、存在領域に入ると言えよう。
 ところで、イメージの陰であるが、正確に言うと、微妙な点がある。確かに、陽=知・認識に対して、陰=感性側に存する。しかし、それは、視覚的であるから、陽領域に関係するのではないだろうか。
 そうすると、イメージは陰と陽の結合領域に存することになるのではないだろうか。それは、身体意識、身体理性の結合領域に存するということになる。後でさらに検討したい。
「第1回論語勉強会」

〜「学びて時にこれを習う」〜 瀬戸塾師範 瀬戸謙介

【原文】
学而
子曰、學而時習之、不亦説乎、有朋自遠方夾、不亦欒乎、人不知而不慍、
不亦君子乎
【書き下し文】

      子曰わく、学びて時に之(これを)習(ならう、
          ) 亦(また)説(よろこばしからず)乎(や )
           朋有(あり)遠方(えんぽうより来きたる、
           亦た楽しからず)乎(や
           人知らずして)慍(うらみず、亦た君子ならず)乎


(や )
【解説】
子曰わくの子は先生と言う意味ですが、ここでは孔子を指しています。
学びて時に之を習うの「学び」はもちろん学問の事です。「時に習う」はほとんどの著書で「時々復習する」と訳しています。しかし時々では意味が釈然としません。
 孔子は学問を時々復習すればよい程度に軽んじているのではなく、学問こそが徳を身に付けるために不可欠なものと考えています。学問は学んだことをすぐに 復習し、実践することが大切です。実践することにより書から学んだ学問が生きた学問となり、学問が身に付いたことが実感出来ます。ですから「時に習う」の 時は時々ではなく「時に応じて」と訳すのが正しいと思います。常に復習し、時に応じて(必要に応じて)実践する。実践することにより生きた学問となり、よ り理解が深まり、そうすることにより自分の身に付く。と訳した方が正しいと思います。
「亦た説ばし【注三】からず乎」一生懸命勉強し身に付けた知識が、実践することにより世の中の役に立つという事が実感出来た時、それこそが人生のよろこびではないか。
 「朋有り遠方より来る」の朋はもちろん友人のことも指しますが、この場合には友人とは限りません、学問に対して同じ志を持つ人を指します。同じ志を持つ 人がわざわざ遠方から訪ねてきて学問について語り合い、時には意気投合し時には激論を交わし共に切磋琢磨する。そうして新たな考えを導き出す。「亦楽し 【注四】からず乎」なんと愉快で楽しいことではないか。
 「人知らずしてうら慍みず【注五】」学問の道は人に認められる為にするのではないから、世間が認めてくれないからといって人を恨んだり、天をとがめたりせず、そんなことは気にしないでただ自分を磨く為に勉学に励む。「亦た君子(くんし)ならず乎」 それでこそ君子ではないか。 といった意味です。

古英語 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/古英語 - キャッシュ - 類似ページ
古英語(古英語:Englisce sprǽc, 英語: old English)または古期英語、アングロ・
サクソン語(Engle-Seaxisce sprǽc)は、5世紀半ばから12世紀を中心にイングランドで
使われた、インド・ヨーロッパ語族ゲルマン語派に属し、現代英語の祖語にあたる言語。

アングロ=ノルマン語 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/アングロ___ノルマ___語 - キャッシュ - 類似ページ
アングロ=ノルマン語(アングロ ノルマンご、Anglo-Norman language)は、1066年の
ノルマン・コンクエストによりイングランドにノルマンディー地方で話されていたオイル語(
北フランスの言語のひとつ)の一種であるノルマン語がもちこまれて形成された言語。


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