自我と知性のズレ:自己同一性の盲目と知性(悟性):父権的自我は知性・真理・科学を詐称する






[PR]



2013年02月04日(Mon)
自我と知性のズレ:自己同一性の盲目と知性(悟性):父権的自我は知性・真理・科学を詐称する
テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

今は簡単に触れるだけだが、これまで、自我同一性(自己同一性)と知性とを結びつけて考察してきたが、両者は同じものではない。
 前者は後者の振りをする。自我は自分が知性であることを独断・独善的に主張する。
 この事象の力学は何であろうか。
 これは、これまでの理論で説明できるだろう。即ち、自我は他者を否定しようとする。これが、自我同一性(自己同一性)の志向である。これは、言わば、一種の悪意である。
 そして、この自我同一性は知性であることを主張する。つまり、自我が知・真であり、他者が反知・偽であると主張するのである。
 しかし、これは、独断、独善、そう、憶測でもある。
 何故なら、自我同一性の衝動の基本は、他者否定という欲望であり、真理への志向ではないからである。他者否定の欲望が真理を偽装(擬装)するのである。
 では、この他者否定の欲望の根因は何であろうか。
 思うに、他者への嫌悪・憎悪・反感等のルサンチマン(怨恨)があると思う。
 思うに、他者のもつ共感性の感性・精神への無意識の反感があるのではないだろうか。
 では、何故、共感性に反感をもつのだろうか。
 それは、共感性が自我同一性主義の力学を解体するからではないだろうか。
 つまり、自我同一性主義(有り体に言えば、自己中心主義である)とは、他者を排除することから発生するものである。言い換えると、自己自身の基底にある他者への共感性を排除することによって、自我同一性主義(自己中心主義)が成立するのであるが、他者の存在(共感的、精神的、魂的存在)は、それを否定することになるのであり、そのために、自我同一性主義は他者へ反感・嫌悪・憎悪をもち、他者を否定する言動をとるように思える。
 その時、自我同一性主義は、同一性形式である言語において、他者を否定するように思われるのである。言い換えると、他者の言語(同一性形式)を否定するのである。
 そして、同一性形式(言語)は確かに知性に似ているのである。つまり、観念行為ということで、両者は似るのである。しかしながら、あくまでも似ているということに過ぎず、両者、別物である。
 自我同一性主義の同一性形式(言語)は知性を似せるのであり、真の知性ではないのである。疑似知性、似非知性、虚偽的言語である。
 ということで、本題を解明できたことになる。簡単ではなく、長くなったが。
 結局、これまで、自我同一性と知性が一致するような考えを私はもってきたが、それが誤りなのが判明した次第である。(これまでの私の理論の不十分さをここで明確に指摘する。理論と言っても、無双陰陽原理というよりは、それ以前の不連続的差異論である。そこでは、同一性が知性と一致していたのである。)
 以上のような解明から、父権的自我主義が近代科学、自然科学と関わるときわめて危険な事態になることがわかる。つまり、父権的自我主義は、「科学」の真理を偽装するからである。自我自身は自分が真理をもっていると盲信(狂信)するが、実は、それは、妄想なのである。(原発や権力に関係する人間はこのタイプが大半ではないだろうか。)
 そして、逆に言うと、真理(科学的真理や哲学的真理)とは、自我同一性主義(父権的自我主義)ではなく、共感性によってこそ、形成されるものではないだろうか。
 つまり、共感性とは、他者を感知するのであり、それが、自己とは別個の存在であることを知るものである。共感的他者性における思考こそ、真の知性、真理と考えられる。
 自我同一性とは異なる他者的思考が知性、真理であると考えられるのである。
 そう、共感的他者的思考とは、言い換えると、母権的思考である。知性、真理とは、母権的思考においてこそ、形成されると考えられるのである。
 今日の日本、世界が狂気的カオスなのは、父権主義が支配して、知性、真理を喪失しているからと考えられる。
 そう、父権主義、自我同一性主義とは、シュタイナーの霊学から言えば、アーリマンである。
 今日、アーリマンが人間、人類を狂わせていると言えよう。
 ある意味で、アーリマンはルシファーを抑圧しているのである。悪魔の対立があると考えられる。
 神秘・ロマン主義はルシファー主義である。それが、今日、アーリマンの唯物的自我主義によって、抑圧されていると考えられるのである。

追記:うつ病についてであるが、新型うつ病であるが、それは、自我同一性主義が肥大化したもののように思える。それは、他者を抑圧・排除しているので、生命・気の共振エネルギーが形成されず、生命力が弱化するものと思われるのである。
 陽が陰を抑圧して、陰陽共振による気エネルギー=生命エネルギーが喪失されるのである。
 思うに、単に、身体生命エネルギーだけでなく、情感エネルギー(アストラル・エネルギー:造語)も枯渇するのではないだろうか。
 そう、陰を私はアストラル体とも見ていると言えよう。この点は後で検討したい。

参考:以下のアポロとディオニュソスであるが、以上の自我同一性主義と知性との不一致の視点から見ると、アポロと自我を一致させている誤謬があると言えよう。アポロは知性とすべきであり、自我同一性主義とは別のものと見なくてならない。
 この点では、ニーチェの『悲劇の誕生』は明らかに、混乱していると言えよう。
 思うに、アポロの光と自我の光を私は混同したと考えられる。これはたいへんな誤りである。
 とまれ、以上の論考は新たな発見である。光について、新たに論考したい。

******************************

光・陽のもつ闇と闇・陰のもつ光:光の影を他者に投影し、他者と敵対する自我:万人の万人に対する戦争

テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

以下、簡単に図示する。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                 


T:陽・光・頭(知)・父権・西洋・自我・同一性
    
              
             アポロ

     
     ↓   ↓   ↓   ↓   ↓   ↓
     影   影   影   影   影   影

ー⇅ーー⇅ーー⇅ー胸・境界・浸透膜ー⇅ーー⇅ーー⇅ー

     光   光   光   光   光   光
     ↑   ↑   ↑   ↑   ↑   ↑


          ディオニュソス


U:陰・闇・肚(魂)・母権・東洋・他者・差異



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



Tの領域は、Uの能力がTとは一致しないので、Uの領域を抑圧するのである。
 つまり、Tは自我の光であり、それは、他者の闇を抑圧するのである。そこで、TとUの境界のTの面、あるいは、Tの底面に影が生じるのである。これは、光の影(シャドウ)である。このシャドウが光のもつ闇なのであり、その影が光には見えないのである。自分の影に気づかず、返って、それを他者に投影するのである。
 言い換えると、光の影(スクリーン)を通して、自己は他者を見るのであり、他者は自分の影が映った存在となり、自己は他者に敵対的になるのである。
 では、光に生じた影(シャドウ)・闇を取り去るにはどうしたらいいのだろうか。
 それは、Uの領域を肯定する意識をもつことである。
 思うに、TとUとの境界は、言わば、浸透膜である。TはUに触れ、UはTに触れている領域である。
 この浸透膜的境界を介して、Tの光・陽・頭はUの闇・陰・肚を肯定し、TとUとの共振、つまり、陰陽共振を目指すべきである。
 しかし、最高に注意すべきは、Tの同一性でUの差異を認識することはできないということである。Tは認識ならば、Uは存在なのであり、相互に異質なのである。ただし、TはUを否定するが、UはTを包摂することができるという非対称性があると考えられる。ジェンダー的に言えば、男性原理は女性原理に包摂されるということである。おそらく、生物的に、女性原理の方が先行していたことを証すように思われる。
 無双陰陽原理の原点である不連続的差異論がここで重要になる。
 即ち、Tにとって、Uとは不連続なものであるということであり、TはUを同一化できないのである。つまり、Uは絶対的差異、絶対的他者であるということである。
 この点を具体的に言えば、Tは知性とすれば、Uは性(セックス)である。Tの精神はUの身体を理解できないのである。そう、Tを西洋・父権で、Uを東洋・母権と見てもいい。
 今日の世界、日本の闇・悪は、実は、光・善から生まれたものであることがわかる。光の支配による暗黒化なのである。
 価値逆転的に、Uの陰・闇・肚をベースにすれば、光の悪の支配は終焉し、陰と陽との和解・調和が生じるのである。新しい母権の世界である。

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11457363068.html

writebacks(0)
トラックバック(trackback)
URL:

コメント(comment)
名前(*):
URL/Email: (optional)
タイトル(*):
コメント内容(*):
画像認証(*): 表示された画像の文字を入力してください:

名前と URL/Email をcookieで保存



新着トラックバック/コメント


カレンダ
2013年2月
         
4
   

アーカイブ
2006年 (104)
7月 (9)
8月 (6)
9月 (7)
10月 (9)
11月 (39)
12月 (34)
2007年 (542)
1月 (48)
2月 (49)
3月 (67)
4月 (45)
5月 (44)
6月 (1)
7月 (33)
8月 (67)
9月 (47)
10月 (42)
11月 (49)
12月 (50)
2008年 (623)
1月 (40)
2月 (29)
3月 (26)
4月 (38)
5月 (32)
6月 (48)
7月 (49)
8月 (61)
9月 (68)
10月 (86)
11月 (86)
12月 (60)
2009年 (472)
1月 (82)
2月 (66)
3月 (58)
4月 (32)
5月 (27)
6月 (34)
7月 (35)
8月 (26)
9月 (36)
10月 (30)
11月 (28)
12月 (18)
2010年 (251)
1月 (19)
2月 (29)
3月 (29)
4月 (11)
5月 (25)
6月 (33)
7月 (28)
8月 (23)
9月 (15)
10月 (18)
11月 (8)
12月 (13)
2011年 (126)
1月 (11)
2月 (12)
3月 (13)
4月 (12)
5月 (6)
6月 (4)
7月 (5)
8月 (11)
9月 (15)
10月 (7)
11月 (16)
12月 (14)
2012年 (117)
1月 (10)
2月 (13)
3月 (6)
4月 (6)
5月 (14)
6月 (8)
7月 (11)
8月 (7)
9月 (3)
10月 (24)
11月 (9)
12月 (6)
2013年 (145)
1月 (12)
2月 (11)
3月 (9)
4月 (21)
5月 (10)
6月 (9)
7月 (17)
8月 (9)
9月 (5)
10月 (22)
11月 (13)
12月 (7)
2014年 (91)
1月 (6)
2月 (13)
3月 (18)
4月 (5)
7月 (4)
8月 (26)
9月 (7)
10月 (5)
11月 (6)
12月 (1)
2015年 (61)
1月 (6)
2月 (12)
3月 (8)
4月 (14)
5月 (10)
6月 (4)
7月 (6)
8月 (1)

アクセスカウンタ
今日:441
昨日:564
累計:4,604,389