霊と気が生命物質体化する力学について:神霊と気波動と物質体:ポスト一神教と太極神霊三位一体






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2012年10月27日(Sat)
霊と気が生命物質体化する力学について:神霊と気波動と物質体:ポスト一神教と太極神霊三位一体
先に、気波動、生命気波動が電磁波になり、三次元空間を形成することを仮説的に述べた。

* 生命気波動に生命情報(遺伝子情報)の原基が存するのだろう:気情報が電磁波をコントロールする? (10/25)

http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1878.html

* 気と電磁波:生命気の超越的次元と電磁波の三次元の平行する現象界 (10/24)

http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1877.html

* 気から物質への変容力学:生命気波動と空間:生命気渦巻を電磁波・時間が螺旋的生命物質体に変容させる (10/23)

http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1876.html

 問題は時間である。どうも、これは、気のエネルギーの発出するように思えるのであるが、要検討である。
 とまれ、今は、霊、神霊が気を産む力学を考えたい。
 これも先に触れたが、太極神霊の三位一体、太極神(一の神)、陽神、陰神の三位一体があると仮説した。

霊と気:太極と神霊:霊から気への変容:霊情報が気情報をコントロールする? (10/25)
http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1879.html

 陽神は自己意識であり、陰神は他者意識であり、太極神(一の神)は、陽神と陰神の均衡と一の意識ではないだろうか。
 とまれ、この太極三位一体神霊が、陰陽の気、陰陽共振生命気波動を産み出すと思われる。そう、造化の神である。
 そう見ると、気は単に生命気波動と言うよりは、一種意識をもっているように考えられる。つまり、陽の意識と陰の意識と太極の一(いつ)の意識の三意識である。
 そうならば、森の気に森の霊を感じるのは間違っていないことになる。
 そう、霊気という言葉がそれを表現しているだろう。
 今はここで留める。後で、考察を続けたい。

追記:以上からアニミズムが間違っていないことがわかる。縄文人はこの感性意識をもっていたと考えられる。無双PS原理から言えば、生命物質体には「神」が宿るのである。「もの」である。物の怪である。
 これで多神教が証明、解明される。一神教は間違いである。ただし、太極神霊は一(いつ)の神であるが、三位一体神霊である。
 問題は物質である。これは、以前述べたように、生命物質体が崩壊して、生じたと思う。始めに生命体ありきで、その生命体が死んで、純粋物質が生起したと思われる。
 生命エネルギー、生命気波動が衰滅して、生命体が解体するわけであるが、その力学は何か。
 思うに、生命気波動に拠る電磁波で形成された生命物質体であるが、生命気波動がなくなり、物質体のみとなる。
 そう、これは、実軸(時間)と三つの虚軸(空間三次元)の四次元世界、四次元物質現象界を意味しよう。
 唯物科学はこれを対象として、根源の太極神霊の霊気の世界を排除している、というか、それは思考の埒外である。そう、唯物主義は、霊、気を物質から説明するのであり、霊、気という独立した意識存在は認めていないのである。


参考:
古今和歌集仮名序 - Wikipedia
冒頭文 [編集 ]

(原文) やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふ事を、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり。花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生きるもの、いづれか歌をよまざりける。力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり。

新古今和歌集

新古今和歌集仮名序

 やまとうたは、昔あめつち開けはじめて、人のしわざいまだ定まらざりし時、葦原中国の言の葉として、稲田姫素鵞の里よりぞつたはりける。しかありしよりこのかた、その道さかりに興り、その流れいまに絶ゆることなくして、色にふけり、心をのぶるなかだちとし、世をおさめ、民をやはらぐる道とせり。
 かゝりければ、代ゝのみかどもこれを捨てたまはず、えらびをかれたる集ども、家〃のもてあそびものとして、詞の花のこれる木のもとかたく、思ひの露もれたる草がくれもあるべからず。しかはあれども、伊勢の海きよき渚の玉は、ひろふとも尽くることなく、泉の杣しげき宮木は、ひくとも絶ゆべからず。ものみなかくのごとし。うたの道またおなじかるべし。
 これによりて右衛門督源朝臣通具、大蔵卿藤原朝臣有家、左近中将藤原朝臣定家、前上総介藤原朝臣家隆、左近少将藤原朝臣雅経らにおほせて、むかしいま時をわかたず、たかきいやしき人をきらはず、目に見えぬ神仏の言の葉も、うばたまの夢につたへたる事まで、ひろくもとめ、あまねく集めしむ。
 をの/\えらびたてまつれるところ、夏引の糸のひとすぢならず、夕の雲のおもひ定めがたきゆへに、緑の洞、花かうばしきあした、玉の砌、風すゞしきゆふべ、難波津の流れをくみて、すみ濁れるをさだめ、安積山の跡をたづねて、ふかき浅きをわかてり。
 万葉集にいれる歌は、これをのぞかず、古今よりこのかた七代の集にいれる歌をば、これを載する事なし。たゞし、詞の苑にあそび、筆の海をくみても、空とぶ鳥のあみをもれ、水にすむ魚のつりをのがれたるたぐひは、昔もなきにあらざれば、今も又しらざるところなり。すべてあつめたる歌二千ぢ二十巻、なづけて新古今和歌集といふ。
 春霞立田の山に初花をしのぶより、夏は妻恋ひする神なびの郭公、秋は風にちる葛城の紅葉、冬は白たへの富士の高嶺に雪つもる年の暮まで、みなおりにふれたる情なるべし。しかのみならず、高き屋にとをきをのぞみて、民の時をしり、末の露もとの雫によそへて、人の世をさとり、たまぼこの道のべに別れをしたひ、あまざかる鄙の長路に都をおもひ、高間の山の雲居のよそなる人をこひ、長柄の橋の浪にくちぬる名をおしみても、心中にうごき、言外にあらはれずといふことなし。いはむや、住吉の神は片そぎの言の葉をのこし、伝教大師はわがたつ杣の思ひをのべたまへり。かくのごとき、しらぬ昔の人の心をもあらはし、ゆきて見ぬ境の外のことをもしるは、たゞこの道ならし。
 そも/\むかしは五たび譲りし跡をたづねて、天つ日嗣の位にそなはり、いまは八隅知る名をのがれて、藐姑射の山に住処をしめたりといへども、天皇は子たる道をまもり、星の位はまつりごとをたすけし契りをわすれずして、天の下しげき言わざ、雲の上のいにしへにもかはらざりければ、よろづの民、春日野の草のなびかぬかたなく、よもの海、秋津島の月しづかにすみて、和歌の浦の跡をたづね、敷島の道をもてあそびつゝ、この集をえらびて、永き世につたへんとなり。
 かの万葉集はうたの源なり。時うつり言へだたりて、今の人しることかたし。延喜のひじりの御代には、四人に勅して古今集をえらばしめ、天暦のかしこきみかどは、五人におほせて後撰集をあつめしめたまへり。そののち、拾遺、後拾遺、金葉、詞華、千載等の集は、みな一人これをうけたまはれるゆへに、聞きもらし見をよばざるところもあるべし。よりて、古今、後撰のあとを改めず、五人のともがらを定めて、しるしたてまつらしむるなり。
 そのうへ、みづから定め、てづから磨けることは、とをくもろこしの文の道をたづぬれば、浜千鳥あとありといへども、わが国やまと言の葉始まりてのち、呉竹のよゝに、かゝるためしなんなかりける。
 このうち、みづからの歌を載せたること、古きたぐひはあれど、十首にはすぎざるべし。しかるを、今かれこれえらべるところ、三十首にあまれり。これみな、人の目たつべき色もなく、心とゞむべきふしもありがたきゆへに、かへりて、いづれとわきがたければ、森のくち葉かず積り、汀の藻くづかき捨てずなりぬることは、道にふける思ひふかくして、後の嘲りをかへりみざるなるべし。
 時に元久二年三月廿六日なんしるしをはりぬる。
 目をいやしみ、耳をたふとぶるあまり、石上ふるき跡を恥づといへども、流れをくみて、源をたづぬるゆへに、富緒河のたえせぬ道を興しつれば、露霜はあらたまるとも、松ふく風の散りうせず、春秋はめぐるとも、空ゆく月の曇なくして、この時にあへらんものは、これをよろこび、この道をあふがんものは、今をしのばざらめかも。

http://www.eonet.ne.jp/~log-inn/koten/sinkokin.htm

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