不連続的差異論とPS理論を再検討する:自我と同一性と物質






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2012年02月26日(Sun)
不連続的差異論とPS理論を再検討する:自我と同一性と物質
不連続的差異論とPS理論を再検討する:自我と同一性と物質
テーマ:不連続的差異論とPS理論

不連続的差異論のポイントは、ある自己差異が他者を認知するとき、通常は他者を自己同一性化してしまい、他者の差異を無視することである。
 自己差異A、他者差異Bとすると、AはBの認識に当たり、AをBに投影してしまうのであり、Bは否定されるのである。
 この場合、Aは自我であり、また、自我同一性である。AによってBは否定されるのである。
 しかし、不連続的差異とは、B自体を肯定することである。だから、AはBであり、同時に、Aである。いわゆる、即非様態である。
 このとき、Aは自我ではなく、自己である。
 そう、Aが自我となり、他者Bを自己同一性化するとき、それが、A*B⇒+1であろう。+1が自己同一性、自我となるだろう。
 Aは原自己ないし原自我であり、+1が自我である。しかし、それは、また、自己同一性である。
 例えば、Bを樹木としよう。Aは樹木を認識する。それは、自己同一性化であり、その+1はB=樹木である。だから、Bは物質ということではないだろう。Bは現象である。
 では、物質とはどうなのか。
 端的に言えば、ある数量化が必要である。他者Bを数量化ないし、抽象的数量化する必要がある。
 だから、A自体に数量的認識、抽象的認識が必要である。
 それは、先の言語についての検討からわかることは、凸iの分析的認識性に拠るということである。
 つまり、A自体は、単に、感覚的に現象認識するだけでなく、現象を抽象的数量的に認識するということになる。
 だから、自我と物質とは⇒+1として重なるようになるとは言えよう。
 しかしながら、感覚的具体的同一性認識と抽象的数量的同一性認識は異なるのではないだろうか。
 端的に言えば、感覚と数量の違いがあると思える。
 感覚は具体性をもっているが、数量はあくまで、抽象性である。
 そう、正に、具体的同一性と抽象的同一性の違いである。
 だから、問題は、⇒+1としたとき、両者の違いが区別できないことである。
 思うに、凸i*凹i⇒凸(+1)と凸*凹⇒凹(−1)があるのかもしれない。
 これは作業仮説的であるが、前者が具体的同一性、後者を抽象的同一性と考えることができるかもしれない。
 だから、感覚的現象は+1であり、抽象的現象である物質は−1となる。光は+1であり、闇は−1である。
 では、そうしたとき、精神はどう記述できるのだろうか。つまり、差異共振精神、即非精神である。
 それは、今の直観では、ガウス平面に直交する垂直軸(z軸)で表記されるように思われる。
 同一性はx軸の+1と−1で表記され、差異共振、即非様態はz軸の凸jと凹jで表記されるのではないだろうか。
 思うに、差異共振、即非様態であるが、凸iが主導的な場合は凸jに、凹iが主導的な場合は凹jになるのではないだろうか。
 そう、つまり、差異共振、即非様態でも凸i主導と凹i主導がありえるように思えるのである。つまり、差異共振とは本来、凹i主導であるが、それが一端成立すると、凸i主導と凹i主導の両面があるように思えるのである。そう、差異共振の極性論理(即非論理)である。
 今はここで留める。







差異1*差異2*差異3・・・差異nの連結
テーマ:media point

不連続的差異論からPS理論(ガウス平面的複素数精神理論)に移行したとき、本件の多重差異の連結の様態が見落とされるような印象をもった。
 もっとも、media resonanceの概念でそれは説明できるように感じたが。
 とは言え、少し、多重差異の問題を少し考えたい。直観では、これこそ、双極子としての多重差異の問題ではないだろうか。
 cosθk+i*sinθkとcos(θ+π)k+i*sin(θ+π)kの双極子において、多重化が生じるのではないだろうか。
 すなわち、

{cosθ1+i*sinθ1, cos(θ1+π)+i*sin(θ1 +π}*{cosθ2+i*sinθ2, con(θ2+π)+i*sin(θ2+π}*
・・・・・{cosθn+i*sinθn, cos(θn+π)+i*sin(θn+π}

となるのではないだろうか。
 どうも、これが有機体や生命体を形成する要素ではないだろうか。
 今は提起だけである。 







初期PS(PPS)理論から見た人間認識図の様態
テーマ:media point

今は簡単に記すに留める。
 凸i*凹i⇒+1であるが、先に+1が光と述べたが、⇒が光であり、+1が物質かもしれない。
 そして、凸iの支配による自我方程式は凸i*凹凹⇒−1であり、−1が自我である。
 そのように見ると、第一象限が自然界であり、第二象限が自我的言語生活世界である。
 そして、第三象限が腹黒い世界、悪の世界である。そして、第四象限は、直観の世界である。



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