プラス1とマイナス1の本性の根本問題:初期PS理論への回帰の試み






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2012年02月19日(Sun)
プラス1とマイナス1の本性の根本問題:初期PS理論への回帰の試み
プラス1とマイナス1の本性の根本問題:初期PS理論への回帰の試み

テーマ:PS理論:プラトニック・シナジー理論

先の論考『連続性(連続的同一性)とは物質的様態ではなく、認識的同一性(言語)様態を意味する:修正版 http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11169036692.html』において次のように述べた。

「 連続性は自我化ではあっても、物質化ではない。この場合、物質化は違うレベル、端的に、身体のレベルの問題である。
 凸iの支配が、人間のメルクマールである。これは、人間以外の自然にはありえないと考えられる。サルには、自我がないのである。
 この凸iの支配が連続的同一性をもたらすのであるが、この同一性は物質の同一性とは異なる。何故なら、それは、知覚的認識的同一性であるからである。端的に、それは、言語である。
 ならば、物質的同一性は何か。それは、端的に、凸、+1である。
 つまり、凸i*凹i⇒凸(+1)において、右辺の+1は、物質だけでなく、認識的同一性、言語を意味するということである。
 ただし、気をつけるべきは、物質を帰結する自然現象の場合、左辺は差異共振を意味するが、人間の場合は連続的同一性力学、凸iに拠る凹iの同一性支配を意味するという点である。」(色文字・下線は本稿での筆者の強調)

上記のように考え直したが、そうすると、だいぶ以前にPS理論の初期にKaisetsu氏が提起したプラス1が光であり、マイナス1が闇であるという視点に回帰するのがいいように思われるのである。
 その場合、凸iは陽/原光(「アポロ」)であり、凹iは陰/原闇(「ディオニュソス」)である。原光と光、原闇と闇は異なる。
 だから、自己認識方程式凸i*凹i⇒+1において、+1は物質ではなく、光、自己である。凸i*凹凹i⇒−1における−1は、闇、あるいは、自我である。
 これは、認識上の事象である。
 人間以外の自然事象において、自己認識方程式において、+1は自然的身体を意味しよう。それは、氣を本質にもつ物質的身体である。そう、単なる物質は−1と思われる。
 仏教的に言えば、−1は無明の世界である。そして、人間認識図は、これまでのものとは左右逆転(言わば、「鏡の国」化)になるだろう。
 即ち、第一象限が道徳・倫理、法等の世界であり、第二象限が物質的言語的生活世界であり、第三象限が物質的欲望、唯物論の世界であり、第四象限が直観の世界であろう。哲学、数学、芸術は第一象限と第四象限の境界、+1の線分領域に存するのではないだろうか。また、科学であるが、近代科学は凸iに近い第一象限ではないだろうか。そして、相対性理論や量子力学は、凸i*凹iの世界、虚軸の世界に属するのではないだろうか。つまり、精神的世界と一致するのである。
 以上、PS理論読み直しの試みであるが、人間認識図の領域区分はまだ暫定的で未確定なので、当然、再考したい。

追記:以上のように考えると、e^iπ+1=0のオイラーの等式を変形させた、e^iπ=−1の−1は、超越的存在ではなく、自我を意味するだろう。
 自我は人間特有・固有の本性である。ルドルフ・シュタイナーは自我(「わたし」)ichを最重視した。
 もっとも、それを+1の自己に変容することが人間存在の基本的課題であるが。

追記2:上記の初期PS理論において、オイラーの公式に規定されたガウス平面(オイラー・ガウス平面と仮称する)の右半円が光の世界、左半円が闇の世界ということになる。あるいは、右半円が自然界であり、左半円が人間・人工界である。
 思うに、虚軸を含めて右半円は精神界とも呼べよう。だから、虚軸を含まない左半円は世俗界(娑婆)とも呼べよう。




連続性(連続的同一性)とは物質的様態ではなく、認識的同一性(言語)様態を意味する:修正版

テーマ:media point

先に、『仮説:連続性とは凸iの凹i支配のことである
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11168826166.html』において以下のように述べた。

「結局、連続性とは物質(自我)化を意味するのであり、これが、人間の自然的原理である。しかしながら、鉱物、植物、動物においては異なるだろう。
 例えば、松の木の生成に、凸iの支配が必要だったのか。そうではなく、それは、Vector Modeと考えられる。
 とまれ、ここは微妙な問題である。
 今の段階では、人間においては、凸iが支配的であり、自我的物質様態が生まれたのに対して、鉱物、植物、動物においては、差異共振のVector Modeが支配的であると考えられる。
 ならば、連続性とは人間において、生起したものである。正確に言えば、人間の精神において生起したものである。身体は差異共振的であると考えられる。」

上述の「連続性とは物質(自我)化を意味する」と「人間においては、凸iが支配的であり、自我的物質様態が生まれた」の箇所は両者ともに、不正確である。
 連続性は自我化ではあっても、物質化ではない。この場合、物質化は違うレベル、端的に、身体のレベルの問題である。
 凸iの支配が、人間のメルクマールである。これは、人間以外の自然にはありえないと考えられる。サルには、自我がないのである。
 この凸iの支配が連続的同一性をもたらすのであるが、この同一性は物質の同一性とは異なる。何故なら、それは、知覚的認識的同一性であるからである。端的に、それは、言語である。
 ならば、物質的同一性は何か。それは、端的に、凸、+1である。
 つまり、凸i*凹i⇒凸(+1)において、右辺の+1は、物質だけでなく、認識的同一性、言語を意味するということである。
 ただし、気をつけるべきは、物質を帰結する自然現象の場合、左辺は差異共振を意味するが、人間の場合は連続的同一性力学、凸iに拠る凹iの同一性支配を意味するという点である。


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