原光+iの力(陽)と原闇-iの力(陰)の均衡点としてのMedia Point(太極点):思考実験としての⇒-1の解釈:現象闇とスプンタ・マンユ






[PR]



2009年08月23日(Sun)
原光+iの力(陽)と原闇-iの力(陰)の均衡点としてのMedia Point(太極点):思考実験としての⇒-1の解釈:現象闇とスプンタ・マンユ
原光+iとは「自己」・知であり、原闇-iとは「他者」・「識」(?)である。問題は、実軸領域にある。既述のように、近代合理主義(近代的自我)は、+1の同一性=物質に主体を没入させたのである。即ち、原光+iが同一性=物質+1へと没入し、原闇-iを抑圧したのである。
 思うに、原闇-iの反動がロマン主義や神秘主義(オカルト主義)だと考えられる。(ポスト・モダンもほぼこの延長上である。特にドゥルーズがそうである。)
 わかりやすくするために、原光を「光」、原闇を「闇」としよう。すると、精神・心において、この二つの「力」、「光」と「闇」が対極として拮抗しているのである。
 しかしながら、これをゾロアスター教(ないしはマニ教)的な善悪二元論と見るのは誤謬である。何故なら、そこでの善(アフラ・マズダー)とは、Media Point (太極)における超光であり、悪(アンラ・マンユ)とは+1であると考えられるからである。(因みに、善神のスプンタ・マンユは⇒-1であろう。)
 さて、近代合理主義は、数学的には虚数(虚軸)と実数(実軸)の混同による誤謬であるが、その「闇」の抑圧であるが、それは「光」の傾斜、「光」の近代合理性への傾斜によってもたらされる。即ち、同一性=物質+1に没入した「光」は、Media Point(太極点)にある「闇」を把捉できないため、抑圧するのである。没入した「光」の盲目さに拠るのである。
 そして、被抑圧の「闇」であるが、それは端的に「影」(シャドー)になると言えよう。これは「無意識」である。そして、盲目の「光」に対して、本来のMedia Point(太極点)の「力」の復権への志向性が生起するのである。(この事態が19世紀後半から20世紀初期にかけての諸理論の動機であり、また、ポスト・モダンのそれであると言えよう。)
 この「力」(太極力=差異共振力)は、同一性的「光」の支配下においては、反発となるのである。それは、本来、超越的、絶対的差異的な「力」であるために、同一性的「光」にはまったく不可解・不可知のものである。異質、不可思議なものとなるのである。
 思うに、この「力」の、いわば、「感識」(造語)があるだろう。それは、本来的には、理性や知性というよりは、直感(直観)力である。イマジネーションやヴィジョンもここから派生するだろう。あるいは、「気」「感識」である。
 ということで、近代合理主義の盲目の「光」の支配下において、「闇」ないしは「影」が無意識的に反発し、それを破壊しようとするのである。言わば、アポロ主義に対するディオニュソス主義である(ニーチェ)。
 しかしながら、反発の本来の意味はMedia Point の回復にあるのである。即ち、同一性とは不連続である「闇」の確認と「光」と「闇」の共振であるMedia Point の復権である。イデア論の復権である。
 さて、最後に用語を整理する必要がある。これまで、⇒+1を光、⇒-1を闇と述べたので、「光」(原光)と「闇」(原闇)と混乱する恐れが強いからである。そこで、⇒+1の光を現象光、⇒-1を、矛盾する言い方だが、現象闇と呼び、+iと-iこれまで通り、それぞれ、原光と原闇とし、この共振によって生起するエネルギーを超越光と呼ぼう。
 一番わかりにくいのは、⇒-1の現象闇である。それは端的に何か。それは、いわば、現象光の裏面である。メダルの表裏のように、現象の裏面にあるものである。一種、ルイス・キャロルの「鏡の国」である。Media Point において、超越光が発生し、それが、現象光となり、また、現象闇となるのである。同時生起である。
 とまれ、より具体的に言うと何なのであろうか。思うに、これは、D.H.ロレンスが述べた「暗い太陽、黒い太陽」dark sunに相当するのではないだろうか。これは、通常の「明るい太陽」light sunと対になるものであるが、役割は、思うに、先の発言と異なるが、身体的なもの、重力的なもの、大地的なものではないだろうか。ギリシア神話で言うと、ティターン神族や巨人族ではないだろうか。(「明るい太陽」は当然、オリンポスの神々となる。)そう作業仮説すると、⇒+1が「天」であり、⇒-1が「地」となる。もっとも、これは現象的にである。
 ここでゾロアスター教に返ると、⇒+1の「天」の帰結として、同一性=物質の+1が生起するが、これが、悪神アンラ・マンユであり、そして、⇒-1の「地」の帰結が善神スプンタ・マンユではないだろうか。だから、「地」の善神が「天」の悪神を否定して、原点のMedia Point (太極点)であるアフラマ・マズダーを喚起するということではないのだろうか。今はここで留める。


   




新着トラックバック/コメント


カレンダ
2009年8月
           
23
         

アーカイブ
2006年 (104)
7月 (9)
8月 (6)
9月 (7)
10月 (9)
11月 (39)
12月 (34)
2007年 (542)
1月 (48)
2月 (49)
3月 (67)
4月 (45)
5月 (44)
6月 (1)
7月 (33)
8月 (67)
9月 (47)
10月 (42)
11月 (49)
12月 (50)
2008年 (623)
1月 (40)
2月 (29)
3月 (26)
4月 (38)
5月 (32)
6月 (48)
7月 (49)
8月 (61)
9月 (68)
10月 (86)
11月 (86)
12月 (60)
2009年 (472)
1月 (82)
2月 (66)
3月 (58)
4月 (32)
5月 (27)
6月 (34)
7月 (35)
8月 (26)
9月 (36)
10月 (30)
11月 (28)
12月 (18)
2010年 (251)
1月 (19)
2月 (29)
3月 (29)
4月 (11)
5月 (25)
6月 (33)
7月 (28)
8月 (23)
9月 (15)
10月 (18)
11月 (8)
12月 (13)
2011年 (126)
1月 (11)
2月 (12)
3月 (13)
4月 (12)
5月 (6)
6月 (4)
7月 (5)
8月 (11)
9月 (15)
10月 (7)
11月 (16)
12月 (14)
2012年 (117)
1月 (10)
2月 (13)
3月 (6)
4月 (6)
5月 (14)
6月 (8)
7月 (11)
8月 (7)
9月 (3)
10月 (24)
11月 (9)
12月 (6)
2013年 (145)
1月 (12)
2月 (11)
3月 (9)
4月 (21)
5月 (10)
6月 (9)
7月 (17)
8月 (9)
9月 (5)
10月 (22)
11月 (13)
12月 (7)
2014年 (91)
1月 (6)
2月 (13)
3月 (18)
4月 (5)
7月 (4)
8月 (26)
9月 (7)
10月 (5)
11月 (6)
12月 (1)
2015年 (61)
1月 (6)
2月 (12)
3月 (8)
4月 (14)
5月 (10)
6月 (4)
7月 (6)
8月 (1)

アクセスカウンタ
今日:600
昨日:981
累計:4,654,990