『「感情」とは何か:感性主義と知的感性:感性主義は倒錯であり、知的感性ないしは差異共振的「感情」が正当である:emotion,feeling,sentiment』






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2009年08月18日(Tue)
『「感情」とは何か:感性主義と知的感性:感性主義は倒錯であり、知的感性ないしは差異共振的「感情」が正当である:emotion,feeling,sentiment』
『「感情」とは何か:感性主義と知的感性:感性主義は倒錯であり、知的感性ないしは差異共振的「感情」が正当である:emotion,feeling,sentiment』

「感情」については、これまであまり考察してこなかった。しかしながら、先には、麻薬的感性主義はロマン主義的であることを述べ、感性主義を批判した。
 もっとも、批判は超越論的である。だから、超越論的批判というのが的確であるから、感性主義ないしはロマン主義の超越論的批判が趣意である。言い換えると、「感情」自体を否定しているのではなく、感性主義/ロマン主義という「感情」の精神様態を批判しているのである。
 ここでも具象的に考察しよう。例えば、モーツァルトの音楽を聴くとしよう。調べがあり、そこには、叙情がある。これは、「感情」表出ではあるが、ロマン主義的なものではない。なぜなら、知的形成に基づく「感情」だからである。この知的形成がなければ、「感情」表出は感性主義となるだろう。だから、モーツァルト音楽は知的「感情」、知的叙情があるということになる。
 私が言いたいことは、知が主であり、「感情」は従であるということである。何故なら、精神ないしは精神身体は、知意志が主体であるからである。(もっとも正確に言えば、男性の場合、知意志が主体であるが、女性の場合は、知意志と身体との極性が主体であると考えられる。だから、女性の場合は芸術に向いているのである。故に、男性の場合は知意志が主導的であり、女性の場合は知意志が一つの主導性をもつということになる。)
 ということで、知ではなく、「感情」が主導的になるのは、倒錯なのである。故に、感性主義であるロマン主義は倒錯的であるということになる。
 では、端的に「感情」の力学とはどういうものなのか、検討しよう。これまでの検討から言えば、それは、Media Point の一つの様態である。では、どういう力学なのか。それは、主体+iが他者-iによって被る感応と言えよう。つまり、主体の感覚の様態であるということである。単に感覚ではなく、感覚の様態である。ここでも具象的に言えば、冬において夜、東の空高くオリオン座が壮麗に輝いている光景を考えよう。単に輝くだけでなく、「壮麗」に輝くのでああり、「壮麗」という「感情」がそこに生起しているのである。
 いったい、この感応性(感受性)は何であろうか。精神身体力学的に見れば、オリオン座-iの光が、「わたし」+iと差異共振して、エネルギーが発動する。このエネルギーに「壮麗」的「感情」が入ることになるだろう。
 とまれ、光を感受するには、視覚が必要である。視覚はどこに位置するのか。言い換えると、身体は位置はどこなのか。私は精神身体ということを述べてきた。それは、+iと-iの共振によって形成されるものと考えられる。つまり、Media Point が原精神身体であり、実際の身体は、⇒+1であると考えられる。
 だから、Media Point において、原感覚が発生するのであり、それは、本来、精神的感覚である。より精緻、詳細に見れば、+iは能動的感覚であり、-iが受動的感覚であろう。前者は知覚であり、後者は「感情」を内包するだろう。
 端的に言えば、+iは知性・知覚であり、-iは感覚・「感情」である。Media Point における両者の共振(共鳴)によって、知的感覚、感覚知覚が生起すると考えられる。このとき、当然、「感情」もともなうのである。
 では、その「感情」とは何か。それは、Media Point における差異共振様態における感覚のエネルギー価ではないだろうか。
 それを作業仮説にすると、先のオリオン座であるが、それは、知覚者の視覚に入り、視覚者の精神身体に感受されるが、視覚者の感応性・感受性、即ち、 Media Point の感応性・感受性に感覚エネルギー価をもたらすのであり、その感覚エネルギー価が「壮麗」という「感情」ということになる。
 言い換えると、Media Point における視覚的他者-iの感受が、視覚エネルギー価=「感情」を喚起するということである。
 結局、「感情」とは精神身体のMedia Pointにおける感覚エネルギー価ということで説明できることになるだろう。
 そうならば、Media Point においては、知性+iの主導性があるのだから(男性において)、「感情」とは、本来、知的形成を受けるものであり、感性主義は、倒錯であることが証明されるのである。
 では、女性の場合はどうなるかと言えば、知性と身体との共振が本来的であり、極性的であることになる。だから、女性の場合の感知とは、単に知的形成ではなく、正に、差異共振的「感情」を喚起すると考えられよう。これは、即非的「感情」とも言える。とまれ、知性と感覚の両面の共振的「感情」が生起することになるだろう。だから、男性よりは知的主導性は弱いとは言え、感覚のエネルギー価は男性よりも強くなると言えよう。思うに、女性が「感情」的であるというのは、この面が原因ではないだろうか。
 結局、知的感性・「感情」とはemotionというよりは、sentimentである。女性の差異共振「感情」であるが、それは、feelingと呼ぶのが正当ではないだろうか。
 後で、整理したい。

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