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2008年04月30日(Wed)
思考実験:共一性と同一性:共一性言霊と同一性言霊
散歩の途中、+1をどう見るのか、考えていたが、-1が同一性=物質とするなら、+1は差異共振現象であるから、共一性と呼ぶべきではないかと思った。ということで、そうすることにして、検討を続けると、現象化において、共一性(光)と同一性(影)が形成されるとしよう。
そう、その他思ったのは、同一性とは言語であり、ラカン精神分析の象徴界に相当するのではないかということであった。ここは難問の一つであると思う。ソシュール言語学のシニフィアン/シニフィエ、フッサール現象学のノエシス/ノエマ、等にも関わると思われるのである。同一性認識と言語の関係の問題である。 問題をイメージ省察(像察)してみると、一番の問題点は同一性の発生にあるように思える。差異共振性が発現して、共一性(+1)が生まれる。しかし、このときには、同一性は発生していない。自己と他者の共一性があるのみである。では、どうして同一性が発現するのだろうか。 共一性とは実は、身体(精神的身体)でもあり、そこでは、自己と他者が共振揺動しているだろう(ブラウン運動?、クリナーメン?)。いわば、夢の世界のようであるだろう。あるいは、心的故郷(心郷、魂郷)のようであろう。 では、どうして、同一性への志向性が発生するのか。思うに、原同一性が根源にあるように思えるのである。簡潔に言えば、「何」である。原言語志向性と言ってもいいだろう。【ずいぶん、昔に、根源的発話発生について考えたことがある。そのときは、情動的発生論だったようだ。】 ここで思考実験しよう。幼児がいて、遠くに見えるものが「何」かと思ったとしよう。幼児には、何かが見えているが、「何」かはわからない。これはどういうことなのだろうか。 それが誰かに「山」であると教わるとしよう。これは、yamaという音声のシニフィアンである。yamaという音声にはとりわけ意味がないだろう。【もっとも、根源的には、音声には意味があるだろう。この点は今は看過する。】 幼児はyamaと発音して、見えているものがyamaであると認識するのである。これはどういうことなのか。直感で思考実験しよう。実は、見えているものとは、同一性(-1)ではなくて、共一性(+1)ではないだろうか。共一性においてあるものが見えているのではないだろうか。だから、共一映像(共一像)と言ってもいいだろう。 つまり、共一像において、「わたし」は他者である。この場合は、「山」である。「わたし」は「山」と共一である。だから、問題の根源は、「わたし」にあるだろう。これは、自己であろう。そして、これは、フッサールが説くように、ノエシスではないだろうか。ノエマは他者であろう。 ノエシスは思うに、「わたしは知る」ではないだろうか。「わたし」は「山」と共一しているが、この「一」において「山」を知りたいのではないだろうか。他者認識である。そして、他者は「一」である。これが、原同一性ではないだろうか。 そして、ノエシスは「わたしは他者を知る」共一性志向性と考えられるので、共一性の「一」への志向性に原言語志向性があるのではないだろうか。原シニフィアン性と言ってもいいだろう。そして、そこにyamaが入るのではないだろうか。 そのように思考実験すると、言語は本来同一性ではなくて、共一性である。つまり、差異共振性の帰結である。光である。私は以前、言語は物質であると言ったが、それは間違いである。言語は差異共振性の帰結である共一性であり、精神である。言語精神である。【ここで言霊の問題が出てくる。確かに、言霊であると思う。私としては、言魂と表記したい。】結局、共一性としての言語ということになる。 では、言語と同一性はどう関係するのか。それは、やはり、自己同一性主義の発生と関係すると言えよう。共一性の光に影が差して、影を投影して、同一性が発生するのではないだろうか。共一性にルサンチマンが発生して、共一性を否定・排除するように、同一性が形成されるのではないだろうか。共一性の一を否定して、その否定が外界へと投影されて同一性が発生するのではないだろうか。つまり、共一性の一の否定とは、内的同一性であり、それが投影されて外的同一性になるのではないだろうか。 聖書で言えば、共一性がエローヒームであり、同一性がヤハウェではないだろうか。結局、共一性言語と同一性言語があるだろう。共一性言霊と同一性言霊である。 先史時代から古代・中世までは、共一性言霊が支配的であり、神話や詩歌(韻文)が中心的であったろう。しかし、近代以降は同一性言霊(散文)が支配的である。 ここで予見を言うと、トランス・モダンによって、共一性が回帰すると、いわば詩歌が回帰するだろう。これは何か。新共一性言霊とは何か。 一つ言えることは、ブログが新共一性言霊であることである。差異共振精神からブログ言霊(「連詩」)が生まれるのである。
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