検討問題:イデア知性とイデア界の関係について |
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2008年04月21日(Mon)
検討問題:イデア知性とイデア界の関係について
先にイデア知性とは、エネルギーを包摂している知(理念知性)であると言ったが、そうすると、イデアとMedia Pointとイデア知性とのかんけいはどうなるのだろうかと思うのである。
イデアは虚軸上の超越的差異の様相である。問題は、イデア界とMedia Pointとの関係を明確にすることである。言い換えると、イデアとイデア・エネルギーとMedia Pointとの関係はどうなのか、である。また、私がいうイデア知性との関係はどうなのかである。これは、実に根本的な問いである。 今は余裕がないので、検討できないが、一言いうと、イデア・エネルギー(エネルゲイア)は、Media Pointで発生するだろう。しかし、同時に、同一性志向性が発生する。正確に言えば、連続的同一性志向性が発生するのである。だから、通常、このイデア・エネルギーを同一性的に捉えてしまうのである。 しかし、私が言うイデア知性とは、イデア・エネルギーを同一性とは不連続なものとして捉える知性である。だから、不連続的知性、即非的知性とでも呼べるものである。ここが大ポイントなのである。これを知性的に捉えたのは、これまで、鈴木大拙とウスペンスキー、他くらいであろう。(しかしながら、真の民衆はこれを直感的に捉えているものである。霊性である。) そう、一神教は、この、本来、不連続的なイデア知性を、同一性化してきたのである。とりわけ、キリスト教である。 やや飛躍するが、ルネサンスとは、Media Pointにおけるイデア・エネルギーの発露であったろう。しかし、プロテスタンティズムの勃興によって、それが同一性化されたと思われる。もっとも、ルネサンス自体においても、自然発生的な連続性はあったろうが、プロテスタンティズム的な抑圧はなかったろう。近代西欧史は、この差異と同一性との争闘である。 近代において、最初にイデア知性に近づいたのは、思うに、シェリングではなかったろうか。彼の同一性哲学と呼ばれるのは、実は、イデア知性哲学ではないだろうか。そう、シェリング以前では、スピノザとライプニッツをあげるべきだろう。また、ジョルダーノ・ブルーノ、他もあげるべきだろう。(思うに、ヘーゲル哲学は、Media Pointの原同一性を捉えているように思う。だから、観念論なのである。) では、端的に、イデア知性とは何か。それは、Media Pointがもつ純粋知性ではないだろうか。Media Point純粋知性ではないのか。 同一性主義に囚われていると、イデア・エネルギーは非合理的になる。しかし、不連続化すると、純粋イデア・エネルギー=ディオニュソスになる。そして、そこに、イデア知性が生起すると思う。つまり、イデア知性とは、純粋イデア・エネルギーが内包する知性ではないのか。すると、これまで言ったのは逆に、エネルギーが知性を包摂するのではないのか。これまでは、エネルギーを包摂した知性と言ったので有る。 思うに、純粋イデア・エネルギーとイデア知性とは同じものなのではないのか。つまり、後者はデュナミスではないのか。イデア・デュナミスである。知・即・エネルギーとしてのイデア知性ではないのか。後でさらに検討したい。 |
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