イデア的知性について再考:ディオニュソスとアポロ:プラトニック・シナジー理論とプラトンのイデア論 |
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2008年04月17日(Thu)
イデア的知性について再考:ディオニュソスとアポロ:プラトニック・シナジー理論とプラトンのイデア論
イデア的知性とは、考えると、不思議なものに思える。まだ、完全にクリアになっていないので、さらに考察を続けたい。
ここでは、先の考察に、ニーチェの『悲劇の誕生』の有名なディオニュソスとアポロの視点を加えて、多角的に検討したい。 ニーチェのディオニュソスとアポロの概念は一見明快なようでいて、実は複雑であると考えられる。先にも言及したが、これは、実は、ニーチェが攻撃したイデア論に通じるものをもっていると考えられるのである。そう、だからこそ、ここで、それらの概念の視点を持ち出すのは有意義だと考えられる。 ここで、簡単に見取り図を言えば、ディオニュソスが差異(差異共振性)であり、アポロが同一性であるという図式が考えられる。ここで、問題はなのは、アポロの意味なのである。ニーチェ自身の叙述から、アポロがソクラテスの合理主義と結びつけられて、いわば、アポロが同一性主義と一致するように述べられている点である。 しかしながら、よく読めば、アポロはヴィジョンなのである。同一性合理主義ではないのである。それが注意する第一点である。 次に、母権神話/父権神話の二重構造の視点から見ると、ディオニュソスが母権神話に、アポロが父権神話に属すると見ることができよう。これが第二点である。 これらの視点をふまえて、本件のテーマに返ってみると、情動・情感・情緒等(リリシズム)を包摂・内包するイデア(理念)とは、端的に、ディオニュソス的イデアであり、同一性的イデアではないということになろう。プラトン自身の記述から、イデアは、同一性的イデアに限定される恐れがあるし、事実は、そのように、いわば、通俗的に理解されてきたと考えられる。(プラトン自身、差異と同一性の間で揺れ動いていたと考えられる。) このディオニュソス的イデアであるが、これは、実は、ヴィジョンとしてのアポロに通じると考えられるのである。同一性のアポロではなく、ヴィジョンとしてのアポロである。 思うに、このディオニュソス的イデア=ヴィジョン的アポロと考えると、音楽=美術になると考えられる。ニーチェは音楽の源泉から悲劇の誕生を考えたのであるが、しかし、音楽は美術と一如になると思われるのである。 そうすると、ヴィジョン的アポロと同一性的アポロを区別しないといけないだろう。思うに、極言すれば、ここに母権多神教と父権一神教、差異と同一性の問題の核心があるだろう。 ヴィジョン的アポロとは言い換えれば、ディオニュソス的アポロということになるだろう。これは、母権的視覚である。それに対して、同一性的アポロが発生したのである。これが、父権的視覚であろう。同一性的視覚である。そして、この両者が古代ギリシア文化において、結合ないし融合したと考えられるのである。そして、この心的事態が、『悲劇の誕生』の中核ではないだろうか。母権文化と父権文化の結合・融合としての『悲劇の誕生』である。 結局、その結合・融合の本質は何か、である。おそらく、即非の論理に類似するのである。矛盾論理のように思えるのである。一方では、母権=ディオニュソスであり、他方では父権=アポロなのである。しかし、ヴィジョン的アポロは、同時に、母権=ディオニュソスの側に存するのである。このような複合体であるように思えるのである。 思うに、ギリシアの古典主義/合理主義とは、後者の父権=アポロから発生したものであろう。しかしながら、ギリシア神話は、母権=ディオニュソス文化を色濃く反映していると言えよう。また、父権=アポロであるが、それは、同一性主義と言っていいだろう。それは、ギリシア悲劇では、支配的な政治として表現されているだろう。有名なアンチゴネーであるが、それは、明らかに、母権=ディオニュソス文化を体現していると言えよう。 では、主題のイデア的知性について考察しよう。最初に私が考えるイデア的知性について、次に、プラトンのイデア論について述べたい。 結局、イデア的知性とは、母権的ディオニュソスを「叡知」化したものだと考えられる。端的に、母権的ディオニュソスとは、エネルゲイア、即ち、エネルギーである。動的なものである。さらに言えば、超越エネルギーである。それは、現象界を創造するエネルギーである。根源的エネルギーである。だから、これは、同一性的知性・合理性(現象界・物質界の知性)によっては、捉えることができないのである。【近代合理主義は、アイロニカルに、非合理主義・狂気にいわば復讐されるのである。それが、全体主義であり、自然・精神破壊であり、また、戦争・犯罪の蔓延である。】 この超越エネルギーである母権的ディオニュソスを、知性において把握しようとするのが、イデア的知性である。これは、イデア界を仮構して、その理念・イデアがこの母権的ディオニュソスとなり発現すると考えるのである。現象界を超越したイデア界を仮構することで、この母権的ディオニュソスをイデア知性として把握しようとするのである。しかしながら、イデア知性は母権的ディオニュソスのエネルギーを包摂・内包しているのであるのであるから、単純な知性・合理性ではないのである。エネルギー包摂・内包的知性・合理性である。 そして、母権的ディオニュソスとは、差異ないし差異共振性と考えられるので、イデア的知性=ディオニュソス的知性=差異的知性ということになる。ここで想起されるのは、ドゥルーズの差異論である。それは、差異的イデア論を目したものであるが、連続性の囚われていたので、差異的イデアを同一性的知性へと連続化してしまい、イデア的知性を取り逃がしてしまったと考えられるのである。 とまれ、以上のようにイデア的知性を考えると、ニーチェのディオニュソスとは、イデアの動態であるが、ニーチェ自身は、イデア的知性までは達していなかったと言えよう。晩年の力への意志とは、思うに、基本的には、ディオニュソスの別の言い方であると見るべきだと思う。 次に、プラトンのイデア論であるが、それは、母権的ディオニュソスを初めて、イデアとして捉えた試みであろう。そして、それは画期的であった。イデア的知性が誕生したのである。しかしながら、以上検討したように、古代ギリシアにおいて、母権的ディオニュソスがアポロ的ヴィジョンを介して、同一性的アポロと矛盾同一化していたと考えられるのである。即ち、アポロ的ヴィジョンとは、ディオニュソス的ヴィジョンであり、それは、ディオニュソスが発現させる同一性のヴィジョンであり、それは、未だ、霊的なヴィジョンである。 そして、古代ギリシアにおいて、この霊的な同一性ヴィジョンと現象的同一性的アポロとが結合・融合していたと考えられるのである。この結合・融合は、即非的である。前者は霊的同一性であり、後者は物質的同一性である。 そして、プラトンのイデア論は、単に、母権的ディオニュソスのイデア化だけでなく、この霊的同一性をイデア化したと考えられるのである。前者が善のイデアであり、後者が同一性のイデアであり、通俗的には、後者が中心化されたのである。 後で整理する予定であるが、私が先に述べたイデア的知性とは、母権的ディオニュソスのイデア化であり、主に差異、差異共振性の知性を意味する。しかし、プラトンにおいては、ディオニュソスだけでなくて、ディオニュソス的アポロ(ディオニュソス的同一性)も、イデア化していると考えられるのである。 この相違をどう見るのか、である。私は、母権文化とは、同一性が差異共振性において存しているのであり、同一性主義には至っていない、いわば、未分化の文化と言った。言い換えると、母権文化は、同一性を内包した差異共振文化である。 そう考えると、私がいうイデア的知性はまったくプラトンのイデア的知性と一致することになると言えよう。ただ、私は、今日的に、差異・差異共振性を強調しているが、同一性は含んでいるのであるし、プラトンは、差異よりは、同一性の側面、視覚的側面を強調していると考えられるのである。強調の違いに過ぎないと考えられるのである。 そうすると、この差異・差異共振性における同一性、ディオニュソス的アポロとは何か、ということになるだろう。同一性のイデアとは何か、である。上では、霊的同一性と言った。 これは、端的に、プラトンのエイドスに当たると考えられるが、これは一体何なのか。まだ、完全には、現象化していないが、原現象であるような同一性である。それは、Media Pointにおける同一性志向性に当たるように思えるのである。あるいは、先の作業仮説の図式では、ハイデガーの存在に当たるかもしれない。先の図式を訂正すれば、⇒の先端が、この同一性のイデアないしはエイドスかもしれない。とまれ、原同一性と言う方が明快であろう。 さて、直感では、この原同一性・エイドスとは、「気」になるのではないかと思われるのである。シュタイナーの霊学で言えば、エーテル体である。霊性としての「気」である。「霊気」である。 【そして、さらに考えると、ディオニュソスとは、シュタイナーのアストラル体(情動・情感身体)に当たるのではないだろうか。そして、ディオニュソスのイデア的知性が、シュタイナーの自己に当たるのではないだろうか。これらは、まだあいまいなので、後再考したい。】 とまれ、以上、試行錯誤の跡が見られるが、とりあえず、本件の検討をここで終える。
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