連続的同一性自我のもつ他者否定(侮蔑・嫌悪・侮辱・憎悪等)の根因は何か






2007年02月08日(Thu)
連続的同一性自我のもつ他者否定(侮蔑・嫌悪・侮辱・憎悪等)の根因は何か
連続的同一性(連一性)は、自己→他者で、自己が他者を自己同一性化することである。(自己連続的同一性とは、自我のことである。真の自己とは、自己差異的同一性である。)

 さて、この連続的同一性の構造は、既に明らかになったが、他者を否定する同一性の意味を考えたい。

 以前、自己→他者、他者→自己の→は、連続的同一性を意味するとした。後者においては、他者が他者的連続的同一性を形成すると考えたが、先には、それを疑問にして、否定的に考えたのである。

 ここで、この他者的連続的同一性について再考しよう。思うに、自己内部において、内的他者を否定するから、外的他者を否定する結果になるとは言えよう。だから、この内的他者の否定とは何か、である。

 これは、端的に、連続的同一性化=現象化の一面であると考えられるように思う。正確に言うと、現象化とは、同一性化であり、それは、連続性と差異性の両面(±1)をもっているように思えるのである。

 つまり、連続的同一性現象化と差異的同一性現象化の二重性があるということである。これは、否定と肯定の二重性と言っていいだろう。

 ということで、内的他者の否定とは、連続的同一性の力学に拠るのであり、また、本件の問題への解明は、やはり、連続的同一性の力学によるということになるだろう。
 
 そして、思うに、人間は、連続的同一性に傾斜しているので、暴力的存在なのである。

 とは言え、差異的同一性も存在しているので、人間は、ここで、齟齬の様相にあるのである。傲りの連続的同一性自我と共感的な差異的同一性自己の二重性による齟齬があるのである。前者は悪であり、後者は善である。

 しかしながら、一般に人間は、連続的同一性自我に囚われているので、自己盲目なのである。そう、両者が混淆しているのである。悪と善の混淆様態である。

 智慧・叡知とは、この混淆様態に自己認識の光をもたらすものと言えよう。否定した内的他者への思考を向けると、そこで、自己認識の光が発するのである。つまり、差異的同一性への視点の発生である。

 さて、私が真に問題にしたかったのは、連続的同一性自我のもつ暴力的他者否定性である。そう、他者の無化である。私は、これが、病的異常(言わば、病異である)であると考えるのである。これは、他者への憎悪である。他者へのルサンチマンである。フロイトならば、死の欲動と言うのだろうが、果たして、これが、基礎的心的力動として、存しているのだろうか。私の直観では、これが二義的心性であり、第一義的なものではない。

 そうならば、どういう心的構造がここにはあるのだろか。思うに、最初に他者ありき、ではないだろうか。言い換えると、差異的同一性+1ありき、である。i*(-i)⇒+1ありき、である。

 では、連続的同一性自我の心的力学はそれに対して、どういう意味合いをもつのだろうか。初めに、差異共振シナジー様相ありきである。そして、それが、現象化においても、存しているように思えるのである。即非的自己・他者の関係が現象界において初めから存しているように思えるのである。

 その後に、連続的同一性自我化が生起するように思えるのである。そう、人間の場合は、言語的連続的同一性化である。そして、これが、他者否定性に通じるのである。フロイト/ラカンの死の欲動説とは、この作用を指していると考えられるのであり、それは、精神分析が説くように、根源的なものではなく、二義的なものと考えられるのである。

 そうすると、連続的同一性とは、差異的同一性に対する反動作用ということになるだろう。この反動作用が、他者否定・無化作用である。このように考えた方が、明快・明晰であると考えられるだろう。

 これまで、連続的同一性が先にあり、その後、反作用として、差異的エネルギーが発して、イデア界を志向すると考えたのであるが、これまで、今一つ明晰ではなかった。しかし、今のように、初めに、差異的同一性があり、その後に反動作用として、連続的同一性が発生すると考える方が、明晰である。

 なぜ、このような筋道の方が明快であるのかと言えば、もし、初めに、他者との関係が一切なければ、連続的同一性への志向は発しようがないからと考えられるだろう。換言すると、他者がなければ、ただ、自己だけがあるのであり、同一性も生じる必要がないわけである。だから、最初に自己と他者との差異的関係、即ち、差異的共振関係があり、その後、現象化において、差異的同一性+1が発生し、その後から、連続的同一性-1 が発生すると見た方が筋が通るのである。

 この力学を考えると、差異的同一性があるが、その後、自己は、その傾斜する連続的同一性の志向性を他者へと向ける。これが、他者否定・無化なのである。(これが、精神分析の死の欲動である。)これは、ほぼ、父権的欲望=暴力と言っていいだろう。他者を自我同一性化するのである。ここには、感覚欲望が支配しているといると言えるだろう。自己の感覚欲望が支配・優勢的になり、それが、他者を同一化・無化するのである。思うに、言語形成は、この感覚欲望と関連している。感覚欲望の細分化として、言語形成があるように思えるのである。「わたし」が欲するのは、「・・・」ではなく、「リンゴ」なのである。この点に関して、大乗仏教の分析は、正鵠を射ていると思う。妄分別と呼んでいるのである。
 
 整理すると、初めに、イデア界の差異即非様相があり、それが、現象化して、差異的同一性+1となるが、その後、心身の発達に伴い、感覚欲望と言語が形成されて、現象・物質的対象を認識するようになる。それが、連続的同一性自我形成である。この感覚・欲望・言語の連続的同一性自我形成とは、差異的同一性の否定、他者の否定・無化、さらに言えば、差異共振性という精神の否定があるのである。つまり、これは、人間の存在の基盤の否定があるのである。感覚・欲望・言語自我形成は、精神的存在としての人間の否定であるのである。

 近代以前においては、地域共同体、宗教等の「道徳」があり、それが精神性を保証していたが、近代以降、連続的同一性自我中心主義によって、精神性が否定されるようになったのである。いわば、暴力の解放である。人間の野獣・獰猛化である。

 これが、私が目の敵にしている近代的自我の意味である。現代日本は、この近代的自我が増加した状態になっているのである。結局、近代合理主義は、精神の否定なのである。

 問題は、感覚・欲望・言語自我の肯定で、差異共振シナジー様相=精神様相の否定である。

 大乗仏教は約二千年前からこの問題の解決を提示していたのである。トランス・モダンの大乗仏教である。これは、正に、驚くべき智慧である。

 大乗仏教は、感覚・欲望・言語自我の解体、即ち、解脱を説き、基盤・根源の超越様相の差異共振シナジー様相に回帰する方法を解き明かしていたのである。

p.s. 以上のように、初めに、差異ありき、と考えると、連続的同一性(連一性)のもつ全体/一神教的暴力性・独裁/専制的支配性がよく理解できる。すなわち、差異共振シナジー様相という「宇宙」性を否定するから、連一性暴力は、いわば、絶対的な様態をもつのである。

 思うに、ここは、宇宙性と微妙な関係があると思う。そう、D.H.ロレンスの畢生の名著である『黙示録論(アポカリプス)』の主題が正にこれである。ロレンスは、福音書のキリスト教ではなく、黙示録のキリスト教は、賎民の破壊的衝動を表現しているのであり、それは、高貴なもの、優れたもの、宇宙・コスモスの破壊の衝動を説くものであったと糾弾しているのである。
 
 確かに、ロレンスの糾弾している黙示録の破壊的衝動と連続的同一性の志向・欲望とは通じると言えよう。これは、私の考えでは、一神教の欲望、全体主義・ファシズム的欲望に通ずるものである。また、当然、父権的欲望でもある。これは、また、正に、ニーチェの憎んだルサンチマンの情念である。近代主義とは、この恐るべき憎悪・破壊・悪魔的衝動をもっているのである。そう、フロイトの説いた死の欲動は、これに相当すると言えよう。精神分析論は、連続的同一性欲望論であり、一面的なものでしかないが、連続的同一性欲望=死の欲動という点では正解であったと考えられる。これは、一神教・西洋文明のもつ破壊的衝動である。ブッシュ/ネオコン/前コイズミ路線は、この悪魔的欲望をもったものと考えられる。

 そう、ついでに言えば、シェイクスピアの『リア王』のリア王の忘恩の娘に対する憎悪・破壊的衝動は、宇宙性と連一性を併せもったものと思われる。ルネサンス/近代の中間の様態である。

 現代日本は、この連一性的暴力衝動を孕んでいるの、たいへん危険である。前小泉政権を支持した者たちには、この連一性破壊衝動があったと推察されるのである。狂信的自我中心主義である。パラノイアである。

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