ポスト・ユダヤ/キリスト教西洋文明/新東洋文明

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




[PR]



2014年10月13日(Mon)▲ページの先頭へ
二つの西側:賤民資本主義的西側と社会的資本主義の西側
二つの西側:賤民資本主義的西側と社会的資本主義の西側

テーマ:賤民資本主義と共同体的資本主義

千争邪に支配された西側と社会的資本主義的西側があると言えよう。二重構造である。当然、米国もそうであるが、前者が優勢的である。
 ノーベル賞を宣伝に使う「西側」は正に、賤民(パーリア)資本主義である。自分たちの利益さえ守り、かつ、拡大できれば、他者は利用するための手段に過ぎないのである。冷酷な利己主義である。
 ダブルスタンダードである。イデオロギーと利益を使い分けているのである。
 とまれ、賤民資本主義は、父権主義であり、専制・独裁主義であり、自己利益のためには、なんでもする「悪魔」、鬼である。
 とまれ、そこにあるのは、自我欲望主義である。利己のため、他者は道具、奴隷に過ぎないのである。つまり、封建主義である。
 さて、この見せ掛けと実体の二重構造=ダブルスタンダードであるが、これは、こころの欠落した父権主義的自我の所産と言えよう。これは、自分が生きるため、他者を利用し、破滅させるか、それとも、自分が死ぬかの発想である。妥協はないのである。「死ぬのは奴らだ」である。
 これは、哲学的には、二項対立原理である。(ポスト・モダンはこれを批判したが、現実的には無力である。)
 それに対して、母権主義とは、対極性原理、陰陽原理である。
 それは、他者との共立を志向するのである。
 宗教的に言うと、ユダヤ教的民族主義に対して、キリスト教は、母権主義をもたらしたのである。しかし、結局、ユダヤ教的父権主義がキリスト教を支配してきたのが、西洋文明の歴史である。
 とまれ、父権主義=賤民資本主義の「西側」の欺瞞・偽善性に気付かないといけない。
 ただし、社会的資本主義の「西側」は忘れるべきではない。
 そう、こういうことである。社会的資本主義の作ってきた、民主主義や自由主義を賤民資本主義はイデオロギー、見せ掛けとして、利用しているのである。
 端的に言えば、言葉のもつ、いわば、魔術を利用して、賤民資本主義は、他者を利用するのである。
 そう、言葉は、単に、形式的容物に過ぎず、その形式は空虚なのである。しかし、その空虚な形式が、言葉の受容者に、魔術的に実体を想起させるのである。言葉の幻惑力、幻想力が作動するのである。
 とまれ、言葉は魔法・魔術である。あるいは、言葉はペテン、詐欺である。
 政治家はそれを知っている。愚民が引っかかるのである。
 さらに言えば、騙されるその他の理由は、他者を信じていることである。騙さないだろうと思っていると、言葉のマジックに引っかかるのである。
 今日の文明は父権文明であり、騙しの文明である。賤民資本主義の文明である。
 しかし、言葉がマジックにしろ、賤民資本主義が気付かない現実があるのである。それは、お金、資本である。賤民資本主義は拝金主義であり、お金が富を産むと思っているのである。
 これが、最大の誤謬である。お金は言葉と同じである。空虚な形式である。形式は形式を産むに過ぎない。
 言葉の魔術を利用するが、お金の魔術に騙されているのが、賤民資本主義である。


参照:

「ノーベル賞に西側支配層の宣伝機関としての役割があることは否定できない。学問分野の評価もそうだが、醜悪なのは平和賞。」(櫻井ジャーナル) (10/12)

詐欺師ほど耳ざわりの良い美しい言葉をつかう。
その美しい言葉を簡単に信じてしまい、ケロッと騙される…。これが一般的な日本人の傾向だ。

「核の平和利用」、「ノーベル平和賞」から、「秘伝の乳酸菌!(わずか8000円!)」まで、まったく疑いもせずにコロリ、コロリと騙され続けてきた日本人…。

ま、下の文章と、本文をよ〜〜く読んで、目からウロコを落として、少しは賢くなりましょう!
(だっけど、ココ(『文殊菩薩』)は賢いヒトしか読まないからな〜 www)

「ノーベル賞に西側支配層の宣伝機関としての役割があることは否定できない。学問分野の評価もそうだが、醜悪なのは平和賞。」
(飯山一郎)

『文殊菩薩』


参考:
『古代ユダヤ教』M.ウェーバー(2) - きおくのきろく

『古代ユダヤ教』
マックス・ウェーバー
岩波文庫

●対内・対外道徳の二元主義

 隣人愛は古代ユダヤ教でもあったが、それはどうもすべての隣人ではなく、同じ宗派仲間を意味していたらしい。

隣人とは常に民族共同体員であるか、宗派的仲間なのである。このことは、「(隣人を)自分のように愛すべきだ」という心情倫理的説教においてもあてはまる。説教の道徳的内容は「兄弟」のみにかぎられていた。

では、宗派仲間以外の他者についてはどうなるのか。そこに、共同体の境における対内・対外道徳の二重化が発生する。たとえば、「兄弟」からは利子をむさぼってはならないが、それ以外の他者からの利子は許容されるとか。ここが、いわゆる「ブロテスタンティズム」の経済倫理と決定的に相違したことをウェーバーは強調する。

プロテスタントのピューリタニズムにとっても、同じ宗派仲間ではない者はやはり「神なき者」であることにかわりはないのだが、それに対して、どのような態度をとったかというと、

彼らはまさに「神なき者」との経済交渉において、ごまかしたり、だましたりするかわりに、合法的で正直で公明であった。彼らは固定価格の制度を遂行し、たとえ子供が買い物に来てもやはり公正価格で公正な商品を常に手渡した。預金もクレジットも彼らにおいてはまさに一般的な「信用」が出来たこと、だからこそ「神なき者たち」の多数が彼らの商業金庫や実業家の顧客となった。要するに、宗教的に制約された、優越せる経済的エートスをもっていたおかげで、「正直は最上の政略」という原則に従って、神なき者たちとの競争に勝った、ということである。

こうしたことはアメリカ合衆国においては、つい2、30年前までは中産階級の現実のエートスとしてそのまま体験することができたものなのである。

それに対して

ユダヤ教の場合は、これと相違した。経済的対外関係の倫理的合理化へと導く救済論的な動機づけが欠如していたからである。

ユダヤ人たちが特に通暁したのは、貨幣高利貸しや商業とならんで、国家・掠奪資本主義であり、これこそピューリタニズムが徹底的に嫌悪したものである。

ウェーバーはユダヤ民族が「客人民族」であったことを強調する。「客人民族」とは現地における部外者民族という意味で、ディアスポラ以降、国を失った彼らの置かれた必然的な状況なのである。

ブロテスタンティズムの「世俗内的禁欲」は、自己修養・自己鍛錬・向上心、傲慢をひかえ謙虚に前向きに努力するような自己に対する態度と、勤勉・節約・蓄財を美徳とする経済倫理的生活態度(エートス)を生み出した。また自らの職業に対する研鑽の努力と献身は、職業を神からの「召命」としてとらえる独特の職業倫理から来たものである。つまり現世内で一定の職業を持ち、研鑽し、力量を高めることは、救済への確証を得る手段であった。

隣人の定義が自らのうちわだけの隣人ではなく、まさにおのれ以外のすべての他者を意味するように普遍化された時、万人に対して平等に通用する公正さこそ、神との契約を履行するものであるという宗教的信条をもつにいたったのである。このような経済倫理は法律で定められない以前は、ただ人々の生活習慣や個人的信条に基づくほかはないのであり、それは宗教の教えによって根本的に規定された。

「時は金なり」というフランクリンの言葉は、資本主義だからそのような精神が出てきたのではなく、上記のようなプロテスタンティズムが生み出した独特の職業倫理・労働倫理から来ているものなのである。つまり、彼らはカネのために働いたのではなく、働くことは信仰に基づく救済論的な意味合いをもつ行為だったのであり、勤勉であることは、救済の確証を得るための前提条件だったのである。そしてのこような宗教的倫理観念に基づいて、職業・労働の尊さや、勤勉であること、浪費しないこと、カネをためることが美徳とされるようになった。逆に、働かないこと、浪費することは悪ということになるだろう。

この美徳観念は現代でもわずかながら残っているように思える。しかしながら、もはや一般的に通用しているとは言い難いだろう。それは根本的には救済論的な動機づけがなくなったからである。つまり存在を主導的に導く理念と、それを信じつづけながら、それに従いつつ生きるという生活態度がなくなったからである。その救済論的な理念こそ、「人間」という名の共同体の理念であり、それを確信的にもつことが現世的な倫理観念を決定的に規定するのである。

プロテスタンティズムの倫理は実際資本主義の精神を生み出すきっかけになったであろうが、いつしか世俗内的禁欲の、経済的に合理的なエートスは、その宗教的な、倫理的に強固な地盤を失い、物質主義的な欲望の体系の資本主義的精神となっていった。
世俗内的禁欲における自己修養は自己を”武器にする”ことにかわり、向上心は常に資本主義的な”評価”を求める心に、謙虚に前向きに努力する態度はあくなき闘争心にかわって、この経済社会においてはむしろそれのほうが適合的なのである。確かにこのような精神は、われわれがそこで生き抜いていかなければならない資本主義経済社会によって規定されている精神である。

勤勉はたしかに美徳ではあるが、倫理的内発性によるものではなく、逆に勤勉でなければ生きていけないという、せっぱ詰まった外的・強制的な事情になっている。
経済的に合理的な生活態度は、生存のための必然性であり、欲求を満たす手段である。かつて神に忠実であろうとすることに地盤をもっていた合理的な経済的生活態度=エートスは、今では、資本に忠実であろうとするところの”賃金奴隷のエートス”と呼ばれるようになったのである。

ウェーバーが強調するのは、経済社会は人間にとって外から規定するような外的・強迫的なものではなく、むしろ人間が日常生活においてすでに実践しているところの、日々の経済的生活慣習によって規定される、そういう側面も必ずあるということである。そして、経済的生活慣習を主導する人間の価値観や倫理観念は、過去においては、宗教の強大な影響があった、ということである。

この宗教が倫理観念を通して規定する人間の生活態度や慣習・価値観が、その共同体の経済を合理化に導くか否かは、当の宗教自体にかかっている。

要するに、ユダヤ人たちがもっとも長い期間住んでいたオリエント、南ヨーロッパや東ヨーロッパ地域においては、古代・中世・近世において、特殊な傾向をおびた近代資本主義というものは発展しなかったのである。

西洋の発展におけるユダヤ人の関与は、本質的に彼らの「客人民族」としての特徴に基づくものであった。そしてこれは、ユダヤ人が自らの意志でおこなった遮断が、ユダヤ人自身に刻印づけた地位なのである。

ヤハウェは万人に理解可能な言葉を語り、また在来宗教につきものの「魔術的」な要素を排除していった点で、まことに理性的な神であった。しかし、のちのキリスト教と、そのまた宗教改革以後のキリスト教がもたらしたような経済的な観点での合理主義的な生活態度を、ユダヤ人たちが持たなかったのは、対内・対外道徳の二元主義にもとづくという。このダブルスタンタードが、共同体の境を越え、国境を越え、文明の違いを越えて万人に通用する行動基準や生活態度を生み出さなかった。それはユダヤ人自身がみずからの「純潔」を守るためにとった「遮断」が行き着いた先であり、彼ら自身が決断したことの結果であって、近代資本主義を最高の価値原理として前提しないならば、この決断は彼らにとってやはり合理的だったのかもしれない。

近代合理主義的な資本主義の「資本の論理」は、あらゆる民族・宗教・また思想・信条の壁を越えて貫徹する。
その意味でまことに合理的である。ただし、資本の論理においては、人間は労働力商品という商品として生き残るほかはないのである。そして商品として生き残るというのは、つまりは売れる商品でなければダメ、ということなのだが…。しかしそれも、資本主義的に見て、まことに合理的なことなのである。

このような状況において、「遮断」は神との契約を遵守する上で合理的な態度であったと思われる。むしろ、富を蓄えることによって、それが何らかの「救済」に結びつくものと発想することのほうが、宗教的に異質な感覚ではないだろうか。経済生活と信仰生活を切り離す態度のほうが、純宗教的に見える。だが、それは社会学的な立場からいうと非現実的なのだが。

人間の営みという観点において、宗教的な精神生活と物質的な経済生活をウェーバーは切り離さなかった。むしろ、経済生活にどれだけ宗教的な価値観が作用するかに重点をおいている。経済的な観点における合理的な生活態度は、自己に対しても他者に対しても平等に適用しえる態度、つまり「公正さ」を倫理観念にまで高めた。それは古代ユダヤ教において準備され、キリスト教、就中プロテスタンティズムによって、普遍的な倫理的価値に高められたのである。
http://blogs.yahoo.co.jp/leic523/35325084.html




日本の狂気は明治維新から始まり、戦争で亡国し、今日、狂気が昂じて、再び、亡国へ向かう

テーマ:総て出鱈目日本の元凶ヤハウェ父権自我悪魔

先に次のように書いた。

日本の狂気は、主語・主体なき日本語+農耕民族集団主義+父権民族に拠るだろう


この三つの中で、最大の原因は、三つ目の父権民族だろう。

 今は、簡単に指摘するが、明治維新までは、ベースの母権民族と上層の父権民族のなんらかの均衡があり、それが、伝統日本文化社会を形成してきた。

 しかし、そして、ベースの母権民族は神仏習合をもっていただろうし、母権民族と父権民族は、他者として、東洋文化をもっていた。決して、偏狭なナショナリズムはもっていなかったのである。

 しかし、国学の勃興とともに、尊皇攘夷が生じて、それが、父権民族と結びつき、明治維新を為すのである。

ここで、母権民族とその神仏習合文化と脱亜入欧で伝統を形成していた東洋文化が排除され、偏狭な夜郎自大なナショナリズムと官僚制国家主義が起ったのである。

 それによって、日本支配層は他者なき、傲慢・厚顔・妄想・独善・独断・無責任主義主義に陥ったのである。これが、日本似非近代の狂気であり、それが、今日に帰結しているのである。

 そう、確かに、主語・主体なき日本語や農耕民族の集団主義がそれに寄与しているのは、否定できないが、やはり、主因は、父権民族中心主義である。





シュタイナーの生命霊学とPS陰陽論の共通点:光と重力の対立は⇒+1と⇒−1の対立で表示できよう

画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11937952715.html

テーマ:霊学:シュタイナー精神学


以下、シュタイナーのエーテル(氣)的生命学はPS陰陽論ととても共通することがわかり、いささか驚いている。
 後で、説明したい。

●第6講(本文)

きょうはまず初めに、植物形成のプロセスそのものを、その宇宙的連関のなかに置いて皆さんにお見せすることから始めたいと思います。私たちが見てまいりましたように、人間においては、植物生成プロセスにおいて開示されているのとは逆のプロセスが、いわば機能的に働いています。従いまして、人間に対する植物界の直接の関係を見出すためには、この植物生成プロセスを少なくとも暗示的にここでご覧に入れておかなくてはなりません。皆さんが植物をご覧になると、植物はその形成プロセスにおいて、明らかに対立する二つの傾向を持っていることがおわかりでしょう。一方は地球に向かいます。そして昨日すでに暗示しましたように、いわば樹のような植物においては、その幹のなかに地球がいわばまくりあげられていて、そのため樹の場合、花は、ふつう草のような植物や下等な植物が地球に根付くように、その葉とともに幹に根付いているのです。

 さて、一面においては、植物の地球へ向かう傾向へと私たちの注意が向けられます。けれども、他面において植物は地球から離れようとしているのです。植物は、単に地球の引力に対抗する機械的な力によって地球から離れようとしているのみではなく、その形成プロセス全体、それも内的な形成プロセスにおいて、地球から離れようとしているのです。花において起こっている経過は、根において起こっている経過よりもずっと、地上を越えたもの、地球外のものに依存していることでしょう。そしてこのように、花の形成が、本来地上的でない諸力に依存しているということを、私たちはまず見ておかなければならないのです。なぜなら、花ー種子形成プロセスを花の外部に導いていくために、植物によって用いられる諸力、他ならぬこのプロセスが、皆さんに先日の講演で暗示しました、人間における機能的に逆転した植物プロセスのために必要になる、ということがおわかりにになるでしょうから。この、人間における逆転した植物プロセスは、人間の下腹部において、排泄、分泌、そして性(セクシュアリティ)の根本にも関係するすべてのものにおいて、見出すことのできるものなのです。このように、私たちが人間と植物のこういう関係を探し出すときこそ、植物の地球上のプロセスと同様地球外的なプロセスもまた、個別的に示されるのです。



☆第6講(解説)


シュタイナー「精神科学と医学」 - Bekkoame


原文:


Da möchte ich heute zunächst davon ausgehen, Ihnen den Pflanzenbildungsprozeß als solchen in seinem kosmischen Zusammenhange hinzustellen. Wir haben ja darauf aufmerksam gemacht, wie im Menschen gewisser-maßen funktionell der umgekehrte Prozeß tätig ist, der sich im Pflanzenwerdeprozeß offenbart. Es ist daher notwendig, um die direkte Beziehung der Pflanzenwelt zum Menschen zu finden, diesen Pflanzenwerdeprozeß wenigstens andeutungsweise hier vorzuführen. Wenn Sie die Pflanze sich ansehen, so werden Sie finden, daß sie ganz entschieden zwei entgegengesetzte Tendenzen in ihrem ganzen Bildeprozeß hat. Die eine geht nach der Erde hin. Und ich habe ja schon gestern angedeutet, daß gewissermaßen bei den baurnartigen Pflanzen in dem Stamm die Erde gewissermaßen aufgestülpt ist, so daß die Blüten beim Baum mit den dazugehörigen Blättern im Stamm so wurzeln, wie sonst die bloß krautartigen Pflanzen oder gar die niederen Pflanzen in der Erde wurzeln.
Nun werden wir da hingewiesen auf der einen Seite zu der Ten­denz der Pflanzen nach der Erde. Aber auf der anderen Seite strebt die Pflanze von der Erde weg. Sie strebt nicht nur von der Erde weg wie durch eine mechanische Kraft, die sich der Anziehungskraft
#SE312-118
der Erde entgegensetzt, sondern sie strebt von der Erde in ihrem ganzen, auch inneren Bildungsprozeß weg. Die Vorgänge in der Blüte werden andere als die Vorgänge in der Wurzel. Die Vor­gänge in der Blüte werden viel abhängiger von dem Außerirdischen, von dem Außertellurischen als die Vorgänge in der Wurzel. Und auf diese Abhängigkeit der Blütenbildung von den nicht eigentlich irdischen Kräften müssen wir zunächst hinsehen. Denn wir werden finden, daß dieselben Kräfte, die von der Pflanze gebraucht werden, um den Blüten- und Samenbildungsprozeß außen in der Blüte ein­zuleiten, daß dieselben Prozesse notwendig werden wegen der Ihnen in den vorhergehenden Vorträgen angedeuteten funktionellen Um­kehrung des Pflanzenprozesses im Menschen, im menschlichen Unterleibe und in all dem, was die Entleerungen, die Absonderun­gen und auch was die Grundlage der Sexualität betrifft, zu finden sind. So werden wir gerade, wenn wir diese Beziehung des Men­schen zur Pflanze aufsuchen, auch im einzelnen auf den außer­tellurischen Prozeß der Pflanze ebensogut verwiesen wie auf den tel lurischen.


6 SECHSTER VORTRAG Dornach, 26. März 1920


Freie Verwaltung des Nachlasses von Rudolf Steiner


参考:
新しい陰陽方程式:−1⇦凹i*凸i⇨+1:⇦は陽⇒陰を、⇨は陰⇒陽を意味する

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

「つまり、陽が陰に対して、同一性化すると、−1となり、これが、重力ではないかと思う。それに対して、陰が陽に対して、共振調和すると、浮力になるということではないだろうか。これは、樹木や弦巻植物の上昇力を意味するのではないだろうか。」
四大(地水火風)と四つの象限の対応仮説:陽⇒陰が重力−1を、陰⇒陽が浮力+1を生む (09/01)
http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-2126.html

以上のように述べたが、陽主導と陰主導の場合を分けて陰陽方程式を表記した方がいいだろう。
 だから、次のようになる。

−1⇦凹i*凸i⇨+1

⇦は陽⇒陰を、⇨は陰⇒陽を意味する。−1は重力を+1は浮力を意味する。だから、+1が天であり、−1が地である。つまり、この新しい陰陽方程式は天地方程式でもある。あるいは、地球方程式でもある。また、生命方程式でもあった。即ち、

陰陽方程式=生命方程式=天地方程式=地球方程式

である。

追記:天地方程式は以下の通りである。

−1(地)⇦凹i*凸i⇨+1(天)

追記2:重力(−1)、浮力(+1)を入れると次になる。また、原子核と電子も入れる。また、樹木の生命性を入れる。

−1(重力・地・原子核・根)⇦凹i*凸i⇨+1(浮力・天・電子・幹枝葉)



http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11918235366.html


追記:以下の四大(地水火風)配置は、シュタイナーの説明を使えば、変更される。

なお、マックで作図したので、ウィンドウズでは、ずれてしまう。マックのある方は、マックで見られたい。



               陽凸i 虚軸
                      |
     U:火          |        T:風
                      |
                      |
                      |
−1_____MP_____+1 実軸
                      |
                      |
     V:地          |        W:水
                      |
                      |
                     陰凹i

           陰陽ガウス平面(象限付き)



                ⇩

                ⇩

                ⇩



                陽凸i・風 虚軸
                         |
           U            |         T
                         |
                         |
                         |
−1・地_____MP_____+1・火 実軸
                         |
                         |
          V:           |        W
                         |
                         |
                     陰凹i・水

             陰陽ガウス平面(象限付き)


2014年09月07日(Sun)▲ページの先頭へ
簡単な文明転移図式:母権⇒父権⇒新母権:東洋文明⇒西洋文明⇒新東洋文明
簡単な文明転移図式:母権⇒父権⇒新母権:東洋文明⇒西洋文明⇒新東洋文明

テーマ:脱欧入亜:ポスト欧米文明:新東洋文明回帰

陰陽方程式:陰凹i*陽凸i⇒±1、又は、−1⇦凹i*凸i⇨+1から、文明転移を簡単に説明できる。
 思うに、陰陽であるから、陰が先なのである。つまり、初めは陰が優位なのである。それは、陰陽調和⇒+1をもたらすのである。植物的文明、母権的文明である。新石器時代である。
 しかし、陰陽は揺動しているので、陰から陽へと主導性が移動すると考えられる。それは、陰を否定するのである。即ち、−陰凹i*陽凸i⇒−1である。わかりやすく書けば、-(-i)・i⇒−1である。
 この−1は、自我的であり、同一性的である。そう、自我同一性と言えよう。
 これが、今日の自我の起源と考える。また、父権文明のそれである。これは、陰を否定するのである。あるいは、抑圧するのである。同一性であるから、物事を一般化、量化するのである。これと、貨幣は関係していると思う。貨幣は、差異を同一性化するものである。マルクスがいみじく説いたように。
 商品1=商品2=・・・商品n=価格(貨幣)である。商品の差異は価格という同一性によって等化されるのである。
 私がここで述べたいのは、自我同一性と貨幣の深い結びつきである。
 ここには、他者(差異)はないのである。「自己完結」的である。
 とまれ、自我同一性という概念は貨幣の概念と酷似していると思う。おそらく、自我同一性概念の形成によって、すぐ貨幣が生まれたのではないだろうか。
 とにかく、自我同一性は貨幣に己の現実的根拠を見るのではないだろうか。
 その力学を考えると、父権的自我にとって、陰である他者・差異は否定対象である。そのいわば、抑圧的力学は、力(force)の力学であり、暴力的である。そして、二項対立的で、自我優位、他者劣位である。この暴力的優越力学は、貨幣に己の分身を見るのではないだろうか。
 貨幣のもつ同一性的支配力がある。それは有無を言わさぬ強制力である。その貨幣支配力に父権的自我同一性は自身の支配の根拠をもつのではないだろうか。
 父権的自我同一性は支配的であり、その現実的基盤として、貨幣支配力が自身と同型(同形)なので、結びつくということではないだろうか。
 自我同一性と貨幣同一性は、いわば、類が類を呼ぶというものではないだろうか。
 これは、支配的権力となるのである。そして、国家もここから生まれたと言えよう。父権的文明社会である。
 そして、この帰結が西洋文明なのである。
 しかしながら、陰陽は揺動しているのであり、今や、水瓶座の時代で、対極の調和、陰陽調和の時代に入ったのである。
 つまり、陽に傾斜していた陰陽力学は変化して、再び、陰へと傾斜し始めたと思われるのである。
 それは、父権を超える新母権という意味があると言えよう。
 今、ウクライナで、旧文明と新文明の闘いが行われているのである。日本は、旧父権文明、邪悪な旧父権文明に支配されて、その道具になっているのである。
 とまれ、戦争と平和の闘いである。悪と善の闘いである。

追記:新たな陰陽調和の世界は、脱自我同一性世界である。自我と他者の共鳴する世界である。
 当然、貨幣の意味も変わるだろう。自我同一性と結びついていた貨幣がどう変質するのか。
 そう、他者とともにある価値が重要となるのである。そして、貨幣は、他者共生主義的になると言えよう。
 つまり、共同体的貨幣となることである。これについては、新たに検討したい。

参照:【お知らせ】《新井信介勉強会『皆神塾(東京)』》開催のご案内

中央銀行の成立以来、人類活動を規定してきた通貨制度に歴史的変質が起ころうとしています。  「国家」の持つ「略奪」を極力押さえ、通貨の持つ「育成」作用を高めて、個々人が、地域ごとに、自ら 企図して快適な現実を作り出すのを促すためです。これまで、通貨が国家権力と一体であったために、ここに、戦争屋と詐欺師が取り憑いていました。



国家とは別に「地域ごと」の通貨の発行を認め、通貨自体に実質価値を持たせるために、スマホやICカードと同じように金(ゴールド)の一部をマネーに印刷して偽札を防ぎ、流通状況を管理し、通貨膨張を抑え、一部の人間が独占してきた通貨発行益を消していく。

そのとき現在の銀行に預けてある「富」は、どんな扱いになるのでしょう。
戦後のブレトンウッズ体制はアメリカの軍事力と日本の産業力が支えてきたのですが、それがもちません。新通貨制度は、私たち日本国民に、国家依存からの脱却と、自分が暮らす現場の現実つくりに、共同で乗り出すことを迫っています。
http://www.k2o.co.jp/blog2/2014/09/post-1245.php

新井信介 「京の風」 K2O 新井ワールド


2014年08月22日(Fri)▲ページの先頭へ
欠陥人類について:他者の存在しない、あるいは、こころの存在しない、自我欲望存在について
欠陥人類について:他者の存在しない、あるいは、こころの存在しない、自我欲望存在について

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

やはり、人類には、まったく異なる二種類の存在があると思う。これまで、父権的人類と母権的人類と分けてきたが。
 別の分け方では、自我中心人類とこころ中心人類である。
 金融資本主義は前者が支配しているのはわかりやすい。
しかし、大衆はこころ中心人類というよりは、カメレオン的で、御都合主義で、中心的理念はないだろう。いわば、混合的人類である。
 とまれ、自我中心人類であるが、欲望・感情(シュタイナー的にはアストラル体)と自我が結合しているのであり、こころの領域が排除されているというか、非存在なのである。
 そう、シュタイナー的には、アーリマン(自我)とルシファー(恣意)の結合であろう。
 この他者が完全に欠落しているというのは、すごいと言えよう。自我完結主義である。自我の欲望・都合で、他者存在を無視して、行動するのである。專葬邪が典型である。
 問題は、この自我中心主義と金融資本主義(賤民資本主義)が結合しているという事態である。
 自我や同一性主義であるから、他者を否定するし、また、欲望・感情をともなうので、同一性が徹底化すると言えよう。
 正に、悪魔・悪霊的存在である。
 とまれ、こころの欠落、陰陽調和的こころのまったき欠落があるのであり、いわば、欠陥人類である。
 この欠陥人類はいったい何なのだろうか。
 完全に、いわば、ガン細胞の増殖である。
 数字的合理主義は優れているのは認めなくてはならない。
 ただ、それだけである。中味がないのである。量的であり、質がないのである。
 数量的合理主義ロボットである。しかし、反感は猛烈である。
 そう、量的合理主義的悪魔ロボットである。
 彼らを覚醒するのは、至難の業である。
 悪霊とどう付き合うのかである。
 思うに、悪霊のエサを断てばいいのではないだろうか。
 金融資本というエサを断つのである。
やはり、減価貨幣は有力である。
 


2013年12月31日(Tue)▲ページの先頭へ
マックス・ウェーバー『古代ユダヤ教』を読みだす:ユダヤ教の二重性を剔抉する
マックス・ウェーバー『古代ユダヤ教』を読みだす:ユダヤ教の二重性を剔抉する

テーマ:二つの資本主義:自由共同体と掠奪暴利主義

年の瀬、仕事から解放され、気になっていた本書を読み出した。
 先にユダヤ教の二重道徳に関する記事を転載した(再掲:政治=経済的ゾロアスター教的闘争の時代:プーチン/オバマ平和資本主義路線VS戦争資本主義路 http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11737871837.html)が、本書の訳者の内田芳明氏が下巻の解説で、明快に述べている。
 ここだけでも読む価値がある。ユダヤ教の二重の産物、賤民資本主義と合理的資本主義の対比が見事に叙述されている。
 現代日本、現代世界を解明する鍵がここにある。
私が批判するジェノサイド戦争資本主義は古代ユダヤ教社会の賤民資本主義に起源があり、プーチン=オバマ平和資本主義に存すると私見する自由共同体資本主義はキリスト教を媒介にした古代ユダヤ教合理的資本主義に由来する言えよう。

古代ユダヤ教 (上) (岩波文庫)/岩波書店
¥903
Amazon.co.jp


古代ユダヤ教 (中) (岩波文庫)/岩波書店
¥882
Amazon.co.jp


古代ユダヤ教 (下) (岩波文庫)/岩波書店
¥1,113
Amazon.co.jp


『古代ユダヤ教』M.ウェーバー(2) - きおくのきろく - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp#:#http://blogs.yahoo.co.jp/leic523/35325084.html
blogs.yahoo.co.jp/leic523/35325084.html‎
2010/01/27 - 『古代ユダヤ教』 マックス・ウェーバー 岩波文庫 ○ 対内・対外道徳の二元主義 隣人愛は古代ユダヤ教でもあったが、それはどうもすべての隣人ではなく、同じ宗派仲間を意味していたらしい。 隣人とは常に民族共同体員であるか、宗派的仲間 ...

バアルとヤハウェ ウエーバー『古代ユダヤ教』ノート(1) | 聖書における愛 ... 8661.teacup.com#:#http://8661.teacup.com/agapekainomos/bbs/32
8661.teacup.com/agapekainomos/bbs/32‎
2011/06/19 - 投稿 1 件 - ‎1 人の編集者
その後、バアル神信仰の詳細がひどく気になってきて、読みかけになっていたマックス・ウエーバー『古代ユダヤ教』(岩波文庫)を、第1章第13節「バアルとヤハウェ、偶像と神の箱」を中心にいくらか読み直しました。関連して、山我哲雄氏の『 ...


2013年09月15日(Sun)▲ページの先頭へ
政治経済的ゾロアスター教的闘争の時代:プーチン/オバマ平和資本主義路線VS戦争資本主義路線
政治経済的ゾロアスター教的闘争の時代:プーチン/オバマ平和資本主義路線VS戦争資本主義路線

テーマ:二つの資本主義:自由共同体と掠奪暴利主義

先に、以下の参照記事を投稿したが、これで、今日の世界経済闘争の世界・地球史的意味が明確になったと思う。
 プーチン/オバマ平和路線は、旧約聖書的戦争金融資本路線に対抗しているのである。そう、私の用語から言えば、新母権路線が旧父権主義路線と闘争しているのである。
 しかし、現代日本、痾屁゛凄犬(又は政権)は、内在的な父権主義と外在的な父権主義路線の、醜怪な野合であり、日本を破滅させるものである。そう、以前、述べたように、痾屁゛凄犬は新母権平和資本路線(根本的には、自由共同体資本路線)に対する大反動なのである。
 とまれ、日本は内なる「ユダヤ」が外なる「ユダヤ」に支配されて、母権的日本(日水湖宮ひみこく:日本の新国名)を破滅・滅亡させんとしているのである。否、ほぼ、破滅・滅亡なのであるが。
 思うに、以前、オバマ大統領を対ロスチャイルドのロックフェラー路線と考えたが、そういう呼び方は混乱・誤解させるので、それは、マックス・ウェーバーに倣って、プロテスタンティズム路線と言ってもいいだろう。これは、私の用語では、自由共同体資本経済路線である。
 アメリカは日本と同様に、二つの「民族」がある。父権民族と母権民族である。
 問題はキリスト教である。これも二つあるのである。
 「父」的キリスト教(旧約聖書)と「母」的キリスト教(新約聖書)である。
 これと戦争金融資本路線とプーチン/オバマ反戦・平和資本路線が重なるわけである。
 現代日本は恐ろしく厳しい状況にあると言える。内なる「ユダヤ」性を超克する必要があるからでもある。
 やはり、肚(太陰)に回帰する必要がある。日本民族は母権民族と父権民族の混淆であり、前者が後者を介して外的旧約聖書勢力に支配されているということになるのである。
 
追記:ロシアはポスト・ボルシェビキ(ソ連)で、古いロシアが復興したのである。ロシア新ルネサンスである。ロシア正教は、大地と新約聖書的キリスト教の融合であり、それは、母権的キリスト教であり、聖霊的キリスト教と言えよう。これについては、別の機会に触れたい。


参照:
ユダヤ教VSプロテスタンティズム:二重道徳のユダヤ教と二重道徳の日本父権は酷似する

『古代ユダヤ教』M.ウェーバー(2) - きおくのきろく - Yahoo!ブログ
(以下、強調は本ブログの管理者に拠る。)

●対内・対外道徳の二元主義



 隣人愛は古代ユダヤ教でもあったが、それはどうもすべての隣人ではなく、同じ宗派仲間を意味していたらしい。

隣人とは常に民族共同体員であるか、宗派的仲間なのである。このことは、「(隣人を)自分のように愛すべきだ」という心情倫理的説教においてもあてはまる。説教の道徳的内容は「兄弟」のみにかぎられていた。

では、宗派仲間以外の他者についてはどうなるのか。そこに、共同体の境における対内・対外道徳の二重化が発生する。たとえば、「兄弟」からは利子をむさ ぼってはならないが、それ以外の他者からの利子は許容されるとか。ここが、いわゆる「ブロテスタンティズム」の経済倫理と決定的に相違したことをウェー バーは強調する。



プロテスタントのピューリタニズムにとっても、同じ宗派仲間ではない者はやはり「神なき者」であることにかわりはないのだが、それに対して、どのような態度をとったかというと、

彼らはまさに「神なき者」との経済交渉において、ごまかしたり、だましたりするかわりに、合法的で正直で公明であった。彼らは固定価格の制度を遂行し、たとえ子供が買い物に来てもやはり公正価格で公正な商品を常に手渡した。預金もクレジットも彼らにおいてはまさに一般的な「信用」が出来たこと、だからこそ「神なき者たち」の多数が彼らの商業金庫や実業家の顧客となった。要するに、宗教的に制約された、優越せる経済的エートスをもっていたおかげで、「正直は最上の政略」という原則に従って、神なき者たちとの競争に勝った、ということである。 こうしたことはアメリカ合衆国においては、つい2、30年前までは中産階級の現実のエートスとしてそのまま体験することができたものなのである。

それに対して

ユダヤ教の場合は、これと相違した。経済的対外関係の倫理的合理化へと導く救済論的な動機づけが欠如していたからである。 ユダヤ人たちが特に通暁したのは、貨幣高利貸しや商業とならんで、国家・掠奪資本主義であり、これこそピューリタニズムが徹底的に嫌悪したものである。

ウェーバーはユダヤ民族が「客人民族」であったことを強調する。「客人民族」とは現地における部外者民族という意味で、ディアスポラ以降、国を失った彼らの置かれた必然的な状況なのである。




http://blogs.yahoo.co.jp/leic523/35325084.html


『古代ユダヤ教』M.ウェーバー(1) - きおくのきろく - Yahoo!ブログ

マックス・ウェーバー 「古代ユダヤ教」(岩波文庫・上)1/3 - 週に一冊
d.hatena.ne.jp/oshimayukinori/20130306/1362528942 - キャッシュ
2013年3月6日 ... マックス・ウェーバー 「古代ユダヤ教」(岩波文庫・上)1/3. 訳者(内田芳明)まえがき.
賤民宗教のユダヤ教が世界宗教に発展したのはなぜか. 近代西洋の文化形成の根底
にはウェーバーの言う「合理的(禁欲的)実践的生活態度」があるが、 ...
バアルとヤハウェ ウエーバー『古代ユダヤ教』ノート(1) | 聖書における愛 ...
8661.teacup.com/agapekainomos/bbs/32 - キャッシュ
2011年6月19日 ... その後、バアル神信仰の詳細がひどく気になってきて、読みかけになっていたマックス・
ウエーバー『古代ユダヤ教』(岩波文庫)を、第1章第13節「バアルとヤハウェ、偶像と神
の箱」を中心にいくらか読み直しました。関連して、山我哲雄氏の『 ...
 古代日本とユダヤ・キリスト教
http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/yomu.htm#kodainihon

古代日本とイスラエル10部族の謎

もしイスラエル人が古代の日本に渡来し、日本民族の形成に大きな役割を果たしたという考えが事実だとすれば、私たちは少なくとも次の事柄を、心にとめることができるでしょう。
 一つは、私たち日本人にはイスラエル人の血が一部流れているかもしれない、ということです。アブラハム、イサク、ヤコブの血が、私たちの体にも一部流れているかもしれないのです。
 二つ目は、聖書の神ヤハウェは決して、日本人に遠いかたではないということです。
 古代の日本人は、聖書の神ヤハウェを知っていたのです。それが時代とともに「八百万の神」の多神教に堕落したとはいえ、私たちには古来からヤハウェの神への信仰の伝統があるのです。
 ある意味で、日本建国の神は聖書の神ヤハウェである、と言っても過言ではありません。今日の日本は、その堕落変形してしまった姿なのです。
http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/032kodai.htm

参照:
母権的日本人(共自然的日本人)と父権的日本人(反自然的日本人):対立する異民族の混淆の日本人?

飯山一郎氏のように故郷喪失を慨嘆する人は前者である。しかし、私見では、今日の大半の日本人は後者である。
 やはり、まったく異質な民族の混淆としての日本民族を思う。
 敗戦後、アメリカ的都市化を受け入れたのは後者である。
 やはり、「大東亜戦争」で、前者の多くが戦死して、後者の人間が牛耳るようになってしまったように思えるのである。
 国学イデオロギーが、明治近代化のベースにある新父権主義だと思うのであり、それが、敗戦後もしぶとく支配しているのである。
 日本新父権主義の反自然主義は、結局、旧約聖書的なのではないだろうか。日ユ同祖論は、先にも述べたが、この点で考えられるのである。
 積極的な意味もあるが、もはや、否定的な意味が強過ぎよう。


参照2:

* 2013/09/15 : CFR : 2020東京オリンピックは明治維新そして第二次世界大戦以上に日本を改革するイベントとして行われる 宇宙への旅立ち H.25/09/14



「五輪担当大臣」に下村文部科学大臣を任命(13/09/13)
http://www.youtube.com/watch?v=YVbWVgNY7iQ&list=UUGCZAYq5Xxojl_tSXcVJhiQ

奴等は本気だ。この2020東京オリンピックは明治維新そして第二次世界大戦以上に、日本にビッグインパクトを与えるイベントとして扱われるそうだ。オリンピックだけでは終わらないオリンピック、それが2020東京オリンピックだ。2020東京オリンピックを利用し、ますますこの日本をユダヤの国に変えていくという事だ。そう、ユダヤに対して「お.も.て.な.し」をするというのだ。
http://iiyama16.blog.fc2.com/blog-entry-6471.html
『文殊菩薩(ブログ版)』

参考:
2013/09/15 : 美しき日本の心 : 国の援助なし ホンダジェット  きのこ組長 「建築とかあれこれ 呪いもあれこれ」 H.25/09/012
圧倒的に性能が違う! “航空業界のシビック”ホンダジェットで革命を
http://www.sankeibiz.jp/business/news/121121/bsc1211210504006-n1.htm

いかに他人からパクリ、開発費人件費を浮かし、
品質劣化でコストを下げ、
政治家と官僚に賄賂をわたし、
税金で買ってもらって、
さらにボッタクリ価格を設定し、
みなで、山分けをするか。

霞ヶ関&経団連&外郭団体 
偽善集団 なんでもかんでも戦争強奪マルチポチ

こんな日本には、本当の市場原理などなく、
ただのマルチまがい詐欺なので、
資本主義構造がわるいんだーと喚いている陰謀論は、
ばかばかしいほど、子供騙しのはぐらかし。

政府とはかかわらず、
ここまでやったホンダの開発チームに、
おめでとう。
『文殊菩薩(ブログ版)』


2013年08月04日(Sun)▲ページの先頭へ
ヤハウェとは何ぞ哉:超越性と父権と自我と物質:父権的強制力:超越的自我、唯物論、世俗主義
テーマ:マイナス・減法の新文明:ポスト聖書文明

思いつきであるが、ヤハウェ(キリスト教では、「父」であるが)とは、物質主義、世俗主義に結びついているのではないかと思えてきたのである。
 超越神であるが、物質主義だと思えるのである。「産めよ殖やせよ。地に満ちよ。」
 では、モーゼの十戒をどう見るのか。その外在的道徳を。
 それはひとまず置いておこう。
 私はヤハウェは自我(父権的自我)の神だと思うのであり、自我による物質的身体とその欲望の肯定があると思われるのである。
 自我を肯定すれば、そこには、マテリアリズム(唯物論)が生まれると考えられるのである。
 皮肉であるが、世俗主義はヤハウェに基づくように思えるのである。(古代ギリシアは実は、太陰から陽へ展開するコスモスの精神が開花した大時代だと思う。つまり、母権的自我の芽生えである。)
 では、保留したモーゼの十戒、外在的道徳はどう説明できるのか。
 十戒の一つの唯一神の教えは正に、極陽、超越的同一性の力学を意味するのであり、道徳というよりは、力学、「物理学」である。更に言えば、強制力である。つまり、一種、物質的な強制力がそこにあると考えられる。正確には自我的強制力である。言い換えると、一種の暴力ではないだろうか。
 つまり、モーゼの十戒から唯一神の教えだけをとって見ると、それは、道徳というよりは、自我、超越的自我の強制力であり、道徳というよりは、暴力である。
 つまり、そこには、モーゼの十戒には、重要な唯一神の教えにおいて、極言すれば、道徳ではなく、強制力・暴力があるということになるのである。
 このことと物質主義(唯物論)、世俗主義とを併せてみると、ヤハウェとは、超越的自我、強制力、暴力、物質主義(唯物論)、世俗主義の「神」である。しかも、ユダヤ民族主義的神、ユダヤ自民族中心主義的神である。
 これは端的に、恐ろしい「神」である。悪魔、悪霊のたぐいである。私は、戦争・破壊の神、アーリマン(悪魔の一種)と結びつけたが、間違い、あるいは、まったく外れているとは言えないだろう。
 思えば、グノーシス主義が、デミウルゴス(創造神)を悪魔と考えたのは、故無きにあらずである。
 もっとも、デミウルゴスとヤハウェをそのまま結びつけることは問題があるが。
 つまり、ヤハウェとエローヒーム(神の複数形)の問題があるからである。両者、混同され、デミウルゴスと見られているが、区別すべきである。本来のデミウルゴスは後者であろう。しかし、ヤハウェは、本来のデミウルゴスではないだろう。
 それは、デミウルゴスを簒奪した父権神と考えられるのである。
 とまれ、以上、ざっとであるが、ヤハウェは物質主義、世俗主義の「神」であり、また、道徳の「神」ではなく、自我的強制力、暴力の「神」であることが解明された。
 私の思いつきは、間違っていなかったことになる。もっとも、さらに検討は必要であるが、以上は仮説となる。
 
参考:
モーセの十戒 - Wikipedia
モーセの十戒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内 、 検索
ホセ・デ・リベーラ 作『モーセ』(1638年 ):十戒が書かれた石板を持つモーセが描かれている。

十戒(十誡、じっかい、ヘブライ語 עשרת הדיברות‎)とは、モーセ が神 から与えられたとされる10の戒律 のこと。十戒の内容は神の意思が記されたものであり、モーセが十戒そのものを考え出し、自らもしくは他者に記させたものではない[1] 。モーセの十戒とも呼ばれる。二枚の石板からなっている。

二度神から渡されており、最初にモーセが受け取ったものはモーセ自身が叩き割っている。
出典[編集 ]

旧約聖書 の出エジプト記 20章3節から17節、申命記 5章7節から21節に書かれてある。

エジプト 出発の後にモーセ がシナイ山 にて、神より授かったと記されている。
キリスト教
キリスト教
関連記事
原理

イエス・キリスト
降誕 十字架 復活
使徒 教会 聖伝
聖書

旧約聖書 新約聖書
正典 外典
神学
三位一体 (父 、子 、聖霊 )
歴史と伝統

キリスト教の歴史 年表
初代教会 公会議 信条
大シスマ 十字軍 宗教改革
東方教会

正教会 東方諸教会
東方典礼カトリック教会
西方教会

カトリック · 聖公会 · プロテスタント
再洗礼派 · ルター派 · カルヴァン主義
バプテスト · メソジスト · ホーリネス
聖霊派 · ペンテコステ派
自由主義神学 · 新正統主義
根本主義 · 福音派 · 社会派
話題

教派 エキュメニズム
説教 祈り 音楽 暦
礼拝・典礼・奉神礼
キリスト教 ポータル
表 ・話 ・編 ・歴
正教会・プロテスタント(ルーテル教会以外)の場合[編集 ]

1. 主が唯一の神 であること
2. 偶像 を作ってはならないこと(偶像崇拝 の禁止)
3. 神の名を徒らに取り上げてはならないこと
4. 安息日 を守ること
5. 父 母 を敬うこと
6. 殺人 をしてはいけないこと(汝、殺す無かれ)
7. 姦淫 をしてはいけないこと
8. 盗んではいけないこと
9. 偽証してはいけないこと(嘘 を言ってはならない)
10. 隣人 の家をむさぼってはいけないこと

1から4までは神と人との関係であり、5から10までは人と人に関する項目(同時に刑法 の根幹)である。

ユダヤ教 の安息日 は土曜日 であるが、キリスト教会ではイエスの復活 の日である日曜日 を主の日と呼び、日曜日を聖日として礼拝している。
カトリック教会・ルーテル教会の場合[編集 ]

わたしはあなたの主なる神である。

1. わたしのほかに神があってはならない。
2. あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
3. 主の日を心にとどめ、これを聖とせよ。
4. あなたの父母を敬え。
5. 殺してはならない。
6. 姦淫してはならない。
7. 盗んではならない。
8. 隣人に関して偽証してはならない。
9. 隣人の妻を欲してはならない。
10. 隣人の財産を欲してはならない。

参考[編集 ]

* ユダヤ教
* 旧約聖書
o 出エジプト記
o 申命記

関連[編集 ]
ウィキメディア・コモンズには、モーセの十戒 に関連するカテゴリがあります。

* 十誡 (映画) (1923年米映画)
* 十戒 (映画) (1956年米映画)


執筆の途中です この項目「モーセの十戒」は、キリスト教 に関連した書きかけ項目 です。加筆・訂正 などをして下さる協力者を求めています (P:キリスト教 /PJ:キリスト教 )。
執筆の途中です この項目は、ユダヤ教 に関連した書きかけの項目 です。この項目を加筆・訂正 などしてくださる協力者を求めています (プロジェクト /ポータル )。

1. ^ ただし旧約聖書にはモーセがシナイ山に登り、十戒を授けられ下山した旨記されており、どのようにそれが授けられたか第三者の目撃談という形では記されてはいない。

「http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=モーセの十戒&oldid=46575495 」から取得
カテゴリ :

* 旧約聖書
* ユダヤ教
* 聖書の語句
* キリスト教の法
* 名数10
* 出エジプト記


199:ユダヤ教 - Dokidoki
www.dokidoki.ne.jp/home2/islam/philo/iwata/lb199.htm - キャッシュ
古代ユダヤ教」はウェーバーの宗教社会学の研究の一環として著わされた本ですが、彼
は常に世界史におけるこの民族そして宗教の特異性を意識していたように思います。
この本によるとユダヤ人の由来はベリースという契約によって成立した戦争のための
連合 ...
マックス・ウェーバー 「古代ユダヤ教」(岩波文庫・上)1/3 - 週に一冊
d.hatena.ne.jp/oshimayukinori/20130306/1362528942 - キャッシュ
2013年3月6日 ... マックス・ウェーバー 「古代ユダヤ教」(岩波文庫・上)1/3. 訳者(内田芳明)まえがき.
賤民宗教のユダヤ教が世界宗教に発展したのはなぜか. 近代西洋の文化形成の根底
にはウェーバーの言う「合理的(禁欲的)実践的生活態度」があるが、 ...
バアルとヤハウェ ウエーバー『古代ユダヤ教』ノート(1) | 聖書における愛 ...
8661.teacup.com/agapekainomos/bbs/32 - キャッシュ
2011年6月19日 ... その後、バアル神信仰の詳細がひどく気になってきて、読みかけになっていたマックス・
ウエーバー『古代ユダヤ教』(岩波文庫)を、第1章第13節「バアルとヤハウェ、偶像と神
の箱」を中心にいくらか読み直しました。関連して、山我哲雄氏の『 ...
マックス・ウェーバーと近代 姜尚中 - Pages
www18.atpages.jp/hisao123/newpage189.htm - キャッシュ
資本主義のなれの果てを官僚主義的非人間性に見たウェーバーをプロテスタンティズム
の精神から古代ユダヤ教にまで遡って究明した力作である。 社会主義をねじ伏せたか
に見える資本主義はウェーバーの危惧した官僚的合理主義よりも、その原始的・賭博性
...
Ancient Judaism (book) - Wikipedia, the free encyclopedia
en.wikipedia.org/wiki/Ancient_Judaism_(book) - キャッシュ - 類似ページ
Ancient Judaism, also known as Ancient Palestine: Society and Religion (
German: Das antike Judentum), is a book written by Max Weber, a German
economist and sociologist, in early the 20th century. The original edition was in
German - the ...


2013年05月21日(Tue)▲ページの先頭へ
男性原理が女性原理を恐れる根拠について:陰が中心であり、陽は円周・周囲・周辺である(仮説)
テーマ:父権物質文明から新母権霊性-霊物文明へ

先に以下の参考の考察を提起した。
これは、これまでなかった視点である。単純に言えば、

「太一=陰=中心にして、陰陽円が形成され、陽は円周となる。」

ということである。
 根源、ベースは、太一=陰である。『老子』では、根源を玄牝(げんひん)と呼んでいる。(そう、谷神(こくしん)である。谷は内在性、潜在性、また、神は超越性を意味しよう。)
 玄牝=谷神とは、太一=陰=中心(=MP)に相当するように思えるのである。
 さて、この根源、暗い根源ダーク・ソースdark source(ダーク・マザー、暗い母とも言えよう。そう、黒い聖母、黒いアテナ女神を想起する)に対して、円周ないし球面に陽が存すると思う。しかし、中心と陽はいわば、分離しているのである。陽は自分が根無し草的であるのを感じよう。根源から切り離されているのである。
 そう、ニーチェの『悲劇の誕生』の言葉を借りれば、ディオニュソスが太一=陰=中心であり、それの投影として、アポロ=陽が存するのである。
 極論すれば、アポロ=陽は幻影である。
 とまれ、円周=陽の父権的自我は、中心=陰=母権を感じるがそれにコンプレックスを感じるのである。何故なら、それは、自分には失われた根源であるからである。自分は中心から浮標している存在であり、根源が喪失されているのである。
 円周=球面=陽=父権的自我は、中心=陰=母権を認識できず、それを排除したりして、自己同一性の世界を形成するのである。父権的合理=物質=現象主義の世界である。
 そう、太一=陰=中心=暗い根源=母権は、円周=球面=陽=父権自我にとり、超越的領域なのである。父権は、超越神を形成するが、根源を「父」、男性、父権にしてしまうのである。本来は陰=母権であるのにかかわらず。言い換えると、陽に拠る陰の簒奪があるのである。陰=母神を父権的超越神にメイクアップしてしまうのである。
 そう、陽が中心になったとき、二元的分裂が生じるのである。陽を天にし、陰を地にするのである。それは絶対的二元論であり、二項対立である。
 しかしながら、それは、陽の視点である。
 本来は太一=陰=中心=暗い根源=母神・母権から始めないといけないのである。そこでは、陰陽共振が形成されているのである。陰は陽をいわば、分有するのである。陰のいわば一部として、陽が形成されるのである。あくまで、陰が主体であり、陽は従者である。
 この陰陽「位階」が本来であり、陽中心の位階(陽主陰従の二項対立)は倒錯的なものである。
 今日の文明は父権文明であり、本来的に倒錯しているのであり、正統な母権文明の陰主陽従の陰陽共振の法を排除しているのである。
 身体的に言えば、陰文明とは、肚主体の文明である。今日の父権文明は頭主体の文明である。
 東洋文明は本来、陰文明であり、西洋文明は陽文明であるが、後者が世界を支配しているのである。しかしながら、今は、後者はその存在意義を喪失して今や反動的破壊主義になっているのである。
 そして、今日、今や新たな陰文明の黎明期となっているのである。
 とまれ、これで、

太一=陰=中心=暗い根源=母神・母権

自我=陽=円周=明るい表面=父神・父権

という図式の仮説が立てられよう。
 今はここで留める。

参考:

不連続的陰陽ヴィデア論:陰陽ヴィデアリズム:太一⇒陰陽分極(陰陽円)⇒陰陽共振⇒生命螺旋宇宙

2)太一(太極)は陰と通じている。陰に太一が存するように感じられる。この陰とは別に陽が分極化するということではないのか。
 陽が陰へと回帰するときが、現象化ではないだろうか。
 まだ、十分洞察できていない。
 太一が陰に内在する。陰を原点とすると、原点の周囲に陽が形成されるのだろうか。点というより、円を考えるべきか。
 陰が中心で、円が生じる。その円周が陽ということか。次のような生成図式を考えてみる。

 0(ゼロ):太一⇒@陰陽円(陰が中心点で、陽が円周?)⇒A陰陽共振⇒B生命螺旋現象

@が陰陽分極様態である。陰陽円が形成されている。その中心は陰であり、円周が陽ということである。陰陽分極であり、離反の力がはたらいていると考えられる。
 それから、牽引の力がはたらいて、陰陽が共振するようになる。そして、このとき、次元転換が生じると考えるのである。
 空間的に言えば、陰陽円の平面に直交する軸が生じるのである。それが、時間ー物質ー光の軸(一次元)ではないだろうか。
 そして、空間三次元であるが、それは、四元(しげん)数の三つの虚数i、j、kの軸によって形成されるということではないだろうか。この点は検討課題である。

追記:陰陽円と原子との関係に触れるべきである。また、陰陽円の中心とMP(メディア・ポイント)について考察すべきである。

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11533748957.html

参照:
老子:道経:成象第六 - Web漢文大系
kanbun.info/shibu02/roushi06.html - キャッシュ
老子:道経:成象第六. 成象第六. 谷神不死。是謂玄牝。玄牝之門。是謂天地根。綿綿若
存、用之不勤。 谷神 ( こくしん ) は死なず。これを 玄牝 ( げんぴん ) と謂う。玄牝の門
、これを天地の 根 ( こん ) と謂う。 綿綿 ( めんめん ) として存するごとく、これを用いて ...

http://kanbun.info/shibu02/roushi06.html

参照2:
黒い聖母 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/黒い聖母 - キャッシュ - 類似ページ
黒い聖母 (くろいせいぼ) は、一般に黒い聖母マリア及び聖母子の画・像。 聖画・像が
ただ単に黒ずんだものもあるが、キリスト教信仰以前にオリエント一帯に広まっていた
大地母神信仰が吸収されたものともいわれる。 また、芥川龍之介の短編作品にも「黒衣 ...

Black Athena - Wikipedia, the free encyclopedia
en.wikipedia.org/wiki/Black_Athena - キャッシュ - 類似ページ
Black Athena: The Afroasiatic Roots of Classical Civilization is a controversial
three-volume scholarly work by Martin Bernal. He discusses Ancient Greece in a
new light. Bernal's thesis discusses the perception of ancient Greece in relation
to ...

『黒いアテナ』のすすめ 小田 実 - PR誌「機」 | 藤原書店
fujiwara-shoten.co.jp/main/ki/archives/2004/06/post_877.php - キャッシュ - 類似ページ
2004年6月1日 ... 西欧による古代ギリシア史の偽造を暴く問題作、遂に刊行! 『黒いアテナ』の鮮烈な
主張 昔はよく現代のギリシア人が「黒い」のは、金髪、白い肌、長身、長脚のギリシア
彫像の栄光の時代のあと、ギリシアの周囲の蛮族(英語のバーバリアン ...

古代の女神 「黒いアテナ」を読む - 猫と女神
www.nekomegami.com/2012ne/black_atena.html - キャッシュ
2012年7月25日 ... ギリシア文明がエジプト・フェニキア等アフロ・アジアから大きな影響を受けて発展した
ことを、文書的・言語学的・考古学的に示した『黒いアテナ』(全3巻)。近代の人種差別的
・過剰な科学主義的〈アーリア・モデル〉によって駆逐された考えを ...


2013年04月05日(Fri)▲ページの先頭へ
プラトンのエロース(恋慕)とキリストの愛:無双陰陽原理の気的身体理性:プラトン・ネオルネサンス
饗宴 (岩波文庫)/岩波書店
¥630
Amazon.co.jp


饗宴 (新潮文庫 (フ-8-2))/新潮社
¥452
Amazon.co.jp


プラトン全集〈5〉 饗宴 パイドロス/岩波書店
¥4,410
Amazon.co.jp


もう少しで、プラトンの『饗宴』を読了するが、やはり、プラトンのエロース(性愛恋)は、無双陰陽原理の気的身体理性に、また、セクシー・スピリチュアリズムに通じると思う。
 その視点から、キリスト教の愛の問題性が見えてくる。キリスト教の愛は、確かに、道徳的愛、倫理的愛であるが、恋慕的側面をほとんどもっていず、性愛・性欲的側面を低く見ているのである。
 つまり、道徳的愛と性愛が分裂的になるのである。両者をつなぐべき恋慕的側面がないのである。
 それに対して、プラトンのエロースは恋慕であり、肉体的であり、また、天上的、霊的である。そして、後者は真理や善に通じるのである。
 単純化して言えば、キリスト教的愛は、天と地を切断して、精神的愛と肉体的愛を分離してしまい、両者をつなぐものがないのである。言い換えると、霊的愛が優位であり、肉体的愛が劣位であり、二項対立的なのである。
 それに対して、プラトンのエロース(恋慕)は、地上的エロース(恋慕)と天上的エロース(恋慕)の両面があるものの、キリスト教的愛とは異なり、分離せずに、いわば、階梯になっているのである。
 あるいは、神と人間をつなぐ中間的存在・神霊として、エロースを捉えているのである。
 ここには、性愛と精神愛を融合化しているのであり、過不足ないのである。
 無双陰陽原理の気的身体理性やセクシー・スピリチュアリズムであるが、それらは、プラトンのエロースに通じるのであり、キリスト教的霊的愛にではない。
 いったい、キリスト教は何に役立っただろうか。
 やはり、プロテスタンティズムと資本主義の相関性があり、資本主義の形成に役立ったということかもしれない。
 しかし、今や、ポスト・キリスト教時代である。プラトン・ネオ・ルネサンスの時代である。

追記:D.H.ロレンスの『逃げた雄鶏(死んだ男)』は、意外に思われようが、キリスト教的愛からプラトン的エロース(恋慕)への転回を意味していると言えよう。そう、地上的エロースと天上的エロースの融合という意味合いが強い。天上のエロースと地上のエロースの融合である。とは言え、やはり、プラトン的エロースを想起するのである。

世界文学全集〈第28巻〉息子と恋人・死んだ男―カラー版 (1968年)/河出書房
¥788
Amazon.co.jp


The Man Who Died/UMash Marketing Ltd
¥価格不明
Amazon.co.jp


THE ESCAPED COCK/classic novellas of D. H. Lawrence
¥価格不明
Amazon.co.jp


St. Mawr & The Man Who Died (Vintage)/Vintage
¥996
Amazon.co.jp


2013年02月27日(Wed)▲ページの先頭へ
少・粗・減・絶・断食の意味するもの:ポスト・ユダヤ/キリスト教文明としてのマイナス・減法の新文明
テーマ:マイナス・減法の新文明:ポスト聖書文明

1日2食にしてみよう:今日はお昼を抜こう:せいぜい野菜サラダか
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11478244621.html

先に、以上のように、飯山一郎氏の放射能時代の小(少)食・減食・粗食・断食等の推奨・提唱を転載したが、今日、実際、お昼をほぼ抜いてみて、体調がいいのが、感じられた。
 そこで、ふと思った。これは、マイナスの新文明であると。
 聖書では、ヤハウェが「生めよ、増(殖)やせよ」(産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。創世記9章1〜19 | 布忠.com )とのたまったが、それが、経済成長主義のイデオロギー的大本と言えようか。
 残念ながら、今は余裕がないので、他日、詳述したいが、マイナス、あるいは、引き算こそ、新しい文明の要点ではないかと思うのである。
 食べることを減らすことが、免疫力の強化につながるとは、驚き桃の木山椒の木(実ではなかった)である。
 そう、痩せた土地で、植物は育つ。かつて、ジャンボ・トマト(なんとか、ジャポニカ)のことを読んで、頭では理解していたが、減食主義までは至らなかった。
 この減食・断食主義によって、マイナス主義、引き算主義の新文明が浮んだのである。
 これは、以前、よく考えたマイナス利子通貨、減価通貨、消滅貨幣の視点と一致すると思われる。
 これまで、成長主義、成長中心主義であった。しかし、マイナス、引き算に、生命、共生の価値があることがわかったのである。脱成長主義、ポスト成長主義である。言い換えると、成長という増量主義から、マイナス成長という減量主義への転換であり、それは、質的構築への進化を意味する。
 思うに、これは、新しい自然主義である。免疫主義である。質的発展主義である。
 今はここで留める。

追記:当然、ポスト資本主義を意味する。マイナス自然的共生経済主義である。

追記2:マイナス自然主義の視点から、気はどうなるのだろうか。気は、マイナス的自然に深く関係すると言えよう。気は、マイナス的自然力ではないのか。実に興味深い点であるが、後で検討したい。

追記3:マイナスということでは、PS理論のときの、マイナス1を想起する。再度、マイナスの問題を哲学数学的に検討すべきである。

参照:
創世記(口語訳) - Wikisource
第9章
[編集 ] 9:1

神はノアとその子らとを祝福して彼らに言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ。
[編集 ] 9:2

地のすべての獣、空のすべての鳥、地に這うすべてのもの、海のすべての魚は恐れおののいて、あなたがたの支配に服し、
[編集 ] 9:3

すべて生きて動くものはあなたがたの食物となるであろう。さきに青草をあなたがたに与えたように、わたしはこれらのものを皆あなたがたに与える。
[編集 ] 9:4

しかし肉を、その命である血のままで、食べてはならない。
[編集 ] 9:5

あなたがたの命の血を流すものには、わたしは必ず報復するであろう。いかなる獣にも報復する。兄弟である人にも、わたしは人の命のために、報復するであろう。
[編集 ] 9:6

人の血を流すものは、人に血を流される、神が自分のかたちに人を造られたゆえに。
[編集 ] 9:7

あなたがたは、生めよ、ふえよ、地に群がり、地の上にふえよ」。
[編集 ] 9:8

神はノアおよび共にいる子らに言われた、
[編集 ] 9:9

「わたしはあなたがた及びあなたがたの後の子孫と契約を立てる。
[編集 ] 9:10

またあなたがたと共にいるすべての生き物、あなたがたと共にいる鳥、家畜、地のすべての獣、すなわち、すべて箱舟から出たものは、地のすべての獣にいたるまで、わたしはそれと契約を立てよう。

http://ja.wikisource.org/wiki/%E5%89%B5%E4%B8%96%E8%A8%98%28%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3%29#.E7.AC.AC9.E7.AB.A0


参照2:

ベジタリアンと喫煙と映画「ライフオブパイ」


実は、医食同源ですから、口に入れるものは、何でも食物であり薬物です。

私達は、食物と薬物と医薬品とを区別して考えるので、判断が混乱します。

ニコチンも、コカインも、脱法ハーブも、糖尿病薬も、降圧剤も、ビタミン剤も、ヨーグルトも、風邪薬も、肉も、野菜も、漢方も、カフェインも、砂糖も、塩も、アルコールも、放射性ヨード剤も、超極微量の放射能も…

私たちが暮らす社会には、気持ち良ければ、少々害があろうと、何でも自由で、気にしないという論理空間があって、何でも食べて肥満し、糖尿病薬も、降圧剤も、放射能も、なんでもドンドン…です。


逆に、イスラム社会には、自然の倫理を守るために、ニコチンやアルコールどころか、ブタさえも食べない人々がいます。彼らは、自由を失っているんでしょうか…

はて?、食物では、どこに善悪の境界線を引いたら良いんでしょう?


http://ameblo.jp/u-sa-kichi/entry-11477620246.html
クラスタ民主主義システム研究室

 
参考:
減価貨幣についてのメモ - 楽天ブログ - 楽天市場
plaza.rakuten.co.jp/epocha/diary/200703280000/ - キャッシュ - 類似ページ
2007年3月28日 ... コインで減価貨幣を実現するには、中世ヨーロッパのデマレージ通貨のように、期限を
区切って回収(通用しなくする)しなけれ .... 基礎金利と融資金利○減価貨幣は、お金が
お金を産む「基礎金利」を消滅させるが、実物経済のための繋ぎ融資や ...

第2章 地域通貨の歴史的背景 - 和歌山社会経済研究所
www.wsk.or.jp/work/b/h14-b-01/02.html - キャッシュ - 類似ページ
... 貨幣もまた劣化しなければならない」として、貨幣が劣化する市場経済の構築を目標
として自由貨幣(スタンプ貨幣、消滅貨幣)を提唱した。物と等価である貨幣であれば
時間とともに減価するはずである、ということから、プラスの金利よりむしろマイナスの
金利により減価し、蓄財しない貨幣を目指した。 ... また、アルゼンチンのデフレ政策を
見抜き「アルゼンチンの通貨問題」を刊行した。1900年スイスのレゾート・ジュネヴィ−に
移住し、6 ...

お金って何だ?I減価する貨幣の意味
sekaibank.net/okane001-10.htm - キャッシュ - 類似ページ
そのため地域通貨を紙幣として発行すれば、その紙幣は自然と減価する貨幣になる。 B
数字はけして老化しないし、消滅はしない. でも、紙幣で書かれた数字を電子マネー化
したら、それは老化しない。お金に書かれた数字自体はけして変わらないからだ。数字
の ...

個通貨はマイナス利子通貨(減価通貨、消滅貨幣) - なんでも哲学する ...
sophiology.jugem.jp/?eid=120
個通貨を管理する個通貨共同体銀行が必要:個通貨はマイナス利子通貨(減価通貨、
消滅貨幣)になろう. 2012.11.02 Friday | category:通貨・貨幣論. 先に以下のように
述べたが、個通貨は個が発行する通貨であるが、個的共同体で使用するものであり、 ...

金貸しは、国家を相手に金を貸す | 減価する貨幣を導入すればどうなる!?
www.kanekashi.com/blog/2009/12/001113.html - キャッシュ
2009年12月8日 ... それを見た風辺の200以上の都市が減価する貨幣の導入を検討し始めましたが、これ
は金貸しにとって不都合なシステムだったのでしょう。1933年に ... B国が、製品を輸出
した場合に受け取る通貨がA国通貨(減価)であれば、前述通り受け取りを拒否するで
しょう。 ... 但し、1970年に貧困は消滅し物欲は衰弱し続ける一方であり、また昨今の
デフレ現象が象徴的なように、大前提として生存圧力克服→物欲が衰弱して ...


2012年01月09日(Mon)▲ページの先頭へ
スィームルグ文化とシュメール文化:日神教、ミトラ教、マニ教の起源に向けて
スィームルグ文化とシュメール文化:日神教、ミトラ教、マニ教の起源に向けて


テーマ:manichaeism: 哲学

私は先に、ミトラ教に関して、資料1を書いた。
 ミトラの友の東條真人博士によると、イラン文化の全体的背景にスィームルグ文化が提唱されている。
 私は西方ミトラ教において、牡牛が生け贄に殺されているのを見て、それは、シュメール文化のテラコッタ(註:先に円筒印章と述べたのは勘違いであり、訂正する。また、次の牡牛の修飾語は聖なるではなく月のであり、これも訂正する。)の「月の牡牛とライオン鳥」の図像を想起して、ミトラ教の起源にシュメール文化を仮説した。
 資料2のスィームルグの語源

「スィームルグ †

Sīmurγ, Simurgh, Simurg, Semuru, Sīn bird

地域・文化:イラン、ゾロアスター教
 別名:セーンムルヴ(Sēnmurw, Sēnmurv)、セーノー・ムールーク(Sēnō mūrūk)、セーノー・ムールーウォ(Sēnō mūrūvo)、シーナムルー(Sīnamrū)など。」

を見て、スィームルグはシュメールと似ていると直観した。もし、それが一致するならば、イラン文化、スィームルグ文化とは、端的に、シュメール文化が起源になる。
 シュメール文化は未だに謎の文化・文明である。しかしながら、私の直観では、古代アトランティス文明の最良のものを受け継いだ精神文化である。そう、それも母権化されたアトランンティス文化である。
 後で検討したい。

追記:牡牛が重要なfigureである。これは明らかに女神文化である。占星術の牡牛座と関係する。牡牛の女神文化とアトランティス文明が結合してシュメール文化が生まれたのかもしれない。つまり、母権文化、月の文化と日霊文化が融合して、シュメール文化が生まれたのかもしれない。
 もっとも、私が考える日霊文化とは、基盤が女神文化であり、女神が日を産み出すのである。
 おそらく、この女神(月)の日霊文化とアトランティス文化の高度な霊知的文化が結合したのがシュメール文化かもしれない。
 とまれ、根源は日霊文化である。それは、母権的日霊文化である。凹i⇒凸iの文化である。
 その後、media pointの変化によって、凸i⇒凹iへと精神の動きが変化したと思われる。これは父権的同一性知性の文化への動きである。父権文明、一神教文明、西洋文明への動きである。自我への動きである。同一性=物質的光・視覚への動きである。
 思うに、母権的日霊文化に対して、父権的同一性=物質=自我的文明が台頭してきたということだろう。
 両者の鬩ぎあいが、これまでの文明史と言えようか。そして、西洋文明が支配的となり、母権的日霊文化はほとんど消失するようになった。
 しかしながら、今や、西洋文明は落日となり、ようやく、新母権的日霊文化が新生する進化的エポックになったと考えられる。マニ教的PS理論の誕生がそれを象徴していると言えよう。
 父権=同一性=物質=自我の光から母権=差異=精神=自己(個)の光へと大転換したのである。
 これは、宇宙的相転移と言えよう。すべて超大変容すると言えよう。
 PS理論から言うと、media pointの極性の変化が起きたのだ。これまで、世界、地球は凸i⇒凹iであったが、それが、凹i⇒凸iへとらせん的に回帰したと考えられる。
 新しい母権的日霊の時代である。第三象限の時代である。新しい東洋・アジアの時代である。差異共振がキーワードとなる。
 太陽精神の夜明けである。復活の時代である。
 思うに、インスピレーションが第三象限からmedia pointを介して、大洪水のように送信されてきていると考えられる。そう、宝瓶宮(水瓶座)の時代である。天才の時代である。
 人類新生、大進化の時代が到来したのである。超越光の時代となったのである。
 

資料1:
ミトラ教とシュメール文化とエトルリア文化:日の神キリストの西洋父権化とPS理論的マニ教的日の神
テーマ:manichaeism: 哲学

ミトラの密儀/フランツ・ヴァレリ・マリ キュモン

¥3,262
amazon.co.jp

ミトラ教の古典的名著と翻訳者が呼ぶ本書を拾い読みしているが、ミトラ教についてよく知らなかったので、新鮮な、実に興味深い内容である。
 想起したのは、シュメール美術の円筒印章に描かれた牡牛とライオン鳥の図像である。前者を後者が食べるのであるが、前者は微笑んでいる。これは、明らかに、女神文化である。どうも、ミトラ教はシュメール女神文化と関係すると推測される。
 次に思ったのは、イタリアの先住民のエトルリア文化である。D. H. ロレンスが『エトルリアの地』で、エトルリアの墓地の壁画を分析しているが、そこに宇宙・自然的な陰陽的均衡文化を認めているのである。どうも、直観では、それにはミトラ教が影響していると思われるのである。
 そうすると、シュメール⇒イラン・インド⇒エトルリア⇒西方ミトラ教という図式が見えてくる。
 そして、ローマ帝国において、キリスト教と「覇権」を争ったのであるが、敗れたのである。結局、宇宙母権的要素が否定されて、父権的なキリスト教が勝利したことになる。言い換えると、東洋的要素が否定されて、西洋的父権的キリスト教の覇権が明確になったことである。
 私見では、キリストは母権的なのであるが、「父」がヤハウェなので、母権的要素が抑圧されたキリストの宗教が生まれたことになる。母権的キリストならば、第三象限になるが、父権的キリストだと第二象限に属すると考えられる。
 結局、ミトラ教がキリスト教に敗北したということは、東洋母権的宗教(霊的日輪宗教、大女神宗教)が西洋父権的宗教に取り込まれるように敗北しことを意味する。つまり、キリスト教は東洋的な日の神であるキリストを取り込んでいるのである。父主母従、西主東従になっているのである。
 ここで少しマニ教について触れると、それは、光の神としてのキリストを説いていると考えられる。つまり、ミトラ教の母権的キリストを発展的に継続する形でマニ教が生起したように思われる。しかし、マニ教もキリスト教、その他に滅ぼされたのである。
 その後、西欧において近代合理主義という唯物論が発達するが、そのとき、ルドルフ・シュタイナーのマニ教的霊学、D. H. ロレンスの独特なやや反動性をもった東洋的母権的身体的霊学が生まれたのである。
 結局、東洋母権宇宙的霊的日輪グノーシスを創造する衝動が現代世界にあると考えられる。
 そして、PS理論の創造がある。これは、明らかに、この人類史的精神の流れの帰結と考えられる。これは大マニ教、超マニ教と言うべき理論、グノーシスである。日の国で、日輪教の国でこれが生まれたのはある意味で必然である。東洋と西洋の合流点である日の国でこそ生まれるべくして生まれた理論である。
 今はここで留める。

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11121426412.html


資料2:
スィームルグ †
Sīmurγ, Simurgh, Simurg, Semuru, Sīn bird

地域・文化:イラン、ゾロアスター教

 別名:セーンムルヴ(Sēnmurw, Sēnmurv)、セーノー・ムールーク(Sēnō mūrūk)、セーノー・ムールーウォ(Sēnō mūrūvo)、シーナムルー(Sīnamrū)など。
 アヴェスターでは、メレゴー・サエーノと呼ばれていた。

 中世ペルシア以降のイラン地域における、全ての鳥の王。長命。サエーナの木に棲んでいて、その木の実は全ての病気を癒やす力がある。しかしその木はダエーワたちによって切り倒され、枯れてしまった。そこで、スィームルグはアルブルス山に棲みついたといわれる。
 パフラヴィー語文献『ブンダヒシュン』などによると、スィームルグはどの鳥よりも巨大な存在であり、最初に創造された。ただ、それはこの世界のためではなく、この世界の鳥の王としてはカルシプト鳥が創造された。『マインヨー・イ・カルド』では、シーナムルー(スィームルグ)はあまりに巨大なため、とまっている樹は大迷惑であるという。この鳥が飛べば千の枝が折れて落ち、梢に止まればまた千の枝が壊れる。種はその大きな体の陰になってしまう。
 その姿は、アヴェスターによれば光輪に包まれている。また、『王書』には、子供を乗せるくらい大きく、人語を話し、英知を持っている、とある。また、全ての言葉も理解する。また、哲学者の様に議論することもあった。ササン朝時代のペルシアでは、犬の上半身に孔雀の下半身を持つ鳥の姿で表された*1 。2本の足はふさふさしているが、足の指は鳥のように3本ある。爪は出し入れできる。翼や尾は、燃え上がる炎のようになっていた。
 スィームルグは、英雄を乗せたり、爪で運んだりし、不思議な羽を渡すことがある。

関連項目 †

中央アジア/セムルグ 、../サエーナ鳥 、イスラーム、アラビア/アンカ 、../チャームローシュ 、西欧/キンナモルグス

キーワード/鳥

参考資料 - 資料/348 :; 資料/126 :


http://www.toroia.info/dict/index.php?%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%B3%2F%E3%82%B9%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%AB%E3%82%B0


資料3:




イラン文化研究



大宇宙の三位一体 نهپروان گل و شمع :کاینات تریلژی

2008年5月に独自サイトに移行・強化しました。

http://www.shamogoloparvaneh.com/



文化・倫理・宗教 ―― نﻴد ،اخلاق ،فرهنگ Culture, Ethics, Religion

http://www.shamogoloparvaneh.com/farhang.html

スィームルグ文化 

ジャムシディ先生の講演 2009.08.08 Sat. 於大阪大学ペルシア語学科 第六回関西イラン研究会

「古代イラン神話の再発見−神話の近代的な解説の一試み− 」(日本語)

 −古代神話が現社会変革に役立つか?



http://www.shamogoloparvaneh.com/adabiyat.html

東條の論文: 下記の論文が掲載されています。

スィームルグ運動

「現代イランの新異教主義と現在のミトラ教 」 (日英)

Neo-Paganism of modern Iran and our Mithraism

歴史

「序論:東アジアにおけるスィームルグ文化とミトラ教」(英文) 2009.01.11 Sun.

An Introduction to the Simorghian Culture and Mithraism in the East Asia

「古代におけるイラン・日本の文化交流の歴史」

Part 1 Part 2-1 Part 2-2  (日英)

「禅とペルシア文化」(英文) 2010.04.19 Mon.

Zen Buddhism and Persian Culture

秘儀

「スィームルグの光の中の十牛図とローマ帝国のミトラの秘儀」(英文) 2009.02.01 Sun.

Ten Bull Pictures and Roman Mysteries of Mithta in the Light of Simorgh

神智学

「神智学:現代におけるスィームルグ文化の復活」(英文) 2009.02.01 Sun.

Theosophy: A Modern Revival of the Simorghian Culture

「明教・密教・東方神智学:その共通する存在論的図式」(英文) 2009.03.23 Mon.

Manichaeism, Esoteric Buddhism and Oriental Theosophy: Their Common Ontological Scheme

ミトラ教の秘教占星学

「ミトラの秘教占星術」(英文) 2009.10.18 Sun.

Mithra’s Esoteric Astrology





イラン文化の起源とアイデンティティー فرهنگ اصيل و هويت ايراني The root of Iranian culture & identities

スィームルグ協会 ――イラン Simorghian Society Ltd.

http://www.jamali.info/index.php

http://www.mahmag.org/philosophy.php

http://www.jamali-online.com/

http://www.farhang-asil-iran.com/

http://www.farhang-asil-iran.com/

    東條の論文も掲載されています。



http://homepage2.nifty.com/Mithra/HP_Mithraism_Links.html


ミトラ教天使七星教会.リンク集

資料4:
The Mother of the Minotaur


In mythology, the serpent or the bull are usually symbolic of the power that fecundates the earth. In the sacrifices of the bull in Mesopotamia, the death of the bull was giving life to the creatures of the earth. A terra-cotta plaque from ancient Sumer places the Moon-Bull at the center of this process, where it appears as the ever-dying, ever-living lunar bull, consumed through all time by the lion-headed solar eagle. The bull has its foot on the earth, and is thus linked directly to the earth. The symbol here seems to represent the plane of juncture of earth and heaven, who appear to be two but are in being one. As we know from ancient Sumerian myth, heaven (An) and the earth (Ki) were in the beginning a single, undivided mountain (Anki), of which the lower part (the earth) was female and the upper (heaven) male. But the two were separated (as Adam into Adam and Eve) by their son Enlil (in the Bible by their “creator” Yahweh), whereupon the world of temporality appeared. The state of the ultimate bull is invisibility, that is to say pitch black (which is the color of the bulls that were used in the Mesopotamian rites).



The enigmatically blissful, impassive expression of the bull on the terra-cotta plaque appears again on the masklike figure of the Indian symbolic form of the Dancing Shiva. Shiva holds a drum in his lifted right hand, the drumbeat of time, the beat of creation, while on the palm of his left is the fire of the knowledge of immortality by which the bondages of time are destroyed. Shiva is the Lord of Beasts; so too is the great Sumerian lord of death and rebirth Dumuzi-Tammuz-Adonis, whose animal is this beatific bull; so too is the Greek God Dionysus, known – like Shiva – as the Cosmic Dancer, who is both the bull torn apart and the lion tearing.



In the mythology of the god-king Pharaoh of Egypt, was called “the bull of his mother”. When dead within the mound of his tomb (the mound symbolic of the goddess), he was identified with Osiris begetting his son, and when alive, sitting on his throne (likewise symbolic of the goddess), he was the son of Osiris – Horus. These two, representing the whole mythic role of the dead yet reembodied King of the Universe, were in substance one. The cosmic cow-goddess Hathor (hat-hor: the house of Horus) stood upon the earth in such a way that her four legs were the pillars of the earth quarters and her belly was the firmament. The god Horus symbolized as a golden falcon, the sun, flying east to west, entered her mouth at the evening to be born again the next dawn. In this sense he was, in his night character, the “bull of his mother”, whereas by day – as a ruler of the world of light – he was a sharp-eyed bird of prey. Moreover, the animal of Osiris (the bull) was incarnate in the sacred Apis bull, which was ceremonially slain every twenty-five years – thus relieving the pharaoh himself of the obligation of a ritual regicide. (Ritual regicide was an integral part of ancient Sumerian and early Egyptian tradition.)



It may well be that the ritual game of the Cretan bull ring served the same function for the young god-kings of Crete. There are a number of representations of Cretan kings, and they always show a youth about twenty; there is none of an old man. So there may have been a regicide at the close of each Venus cycle. However, the prominence of the bull ring in the ritual art of Crete suggests that a ritual substitution may have been introduced at some time. In an old Cretan plaque there is the motive of a man-bull – a Minotaur – attacked by a man-lion. The analogy with the bull and lion-bird of Sumer seems clear. The lion as the animal of the blazing solar heat, slaying the bull as the animal of the moon by whose night dew the vegetation is restored. The matador with his sword, performing the same function as the lion-bird of Sumer, facing the bull in its role of the ever-dying, ever-living god: the lord of the goddess Earth (a role which in the classic Greek mythology was taken by Poseidon).



Cretan mythology has a preponderance of goddesses and female cult officiants, in contrast to the later Greek. The mythology of the Cretan world appears to represent an earlier stage of Bronze Age civilization than the kingly states of both Sumer and the Nile, which also sets them apart from these. It has a milder, gentler form, antecedent to the opening of the course of Eurasian history introduced by the wars and victory monuments of the self-interested kings. The invasions from the north and the east, with the Mycenaean heroic age of Agamemnon, Menelaus, Nestor and Odysseus, introduce the transition from the age of the goddess to the age of the warrior sons of god.

http://www.fredosor.com/the-consort-of-the-bull.html
Fredosor


2012年01月01日(Sun)▲ページの先頭へ
ミトラ教とシュメール文化とエトルリア文化:日の神キリストの西洋父権化とPS理論的マニ教的日の神
ミトラ教とシュメール文化とエトルリア文化:日の神キリストの西洋父権化とPS理論的マニ教的日の神

テーマ:manichaeism: 哲学

ミトラの密儀/フランツ・ヴァレリ・マリ キュモン
¥3,262
amazon.co.jp

ミトラ教の古典的名著と翻訳者が呼ぶ本書を拾い読みしているが、ミトラ教についてよく知らなかったので、新鮮な、実に興味深い内容である。
 想起したのは、シュメール美術の円筒印章に描かれた牡牛とライオン鳥の図像である。前者を後者が食べるのであるが、前者は微笑んでいる。これは、明らかに、女神文化である。どうも、ミトラ教はシュメール女神文化と関係すると推測される。
 次に思ったのは、イタリアの先住民のエトルリア文化である。D. H. ロレンスが『エトルリアの地』で、エトルリアの墓地の壁画を分析しているが、そこに宇宙・自然的な陰陽的均衡文化を認めているのである。どうも、直観では、それにはミトラ教が影響していると思われるのである。
 そうすると、シュメール⇒イラン・インド⇒エトルリア⇒西方ミトラ教という図式が見えてくる。
 そして、ローマ帝国において、キリスト教と「覇権」を争ったのであるが、敗れたのである。結局、宇宙母権的要素が否定されて、父権的なキリスト教が勝利したことになる。言い換えると、東洋的要素が否定されて、西洋的父権的キリスト教の覇権が明確になったことである。
 私見では、キリストは母権的なのであるが、「父」がヤハウェなので、母権的要素が抑圧されたキリストの宗教が生まれたことになる。母権的キリストならば、第三象限になるが、父権的キリストだと第二象限に属すると考えられる。
 結局、ミトラ教がキリスト教に敗北したということは、東洋母権的宗教(霊的日輪宗教、大女神宗教)が西洋父権的宗教に取り込まれるように敗北しことを意味する。つまり、キリスト教は東洋的な日の神であるキリストを取り込んでいるのである。父主母従、西主東従になっているのである。
 ここで少しマニ教について触れると、それは、光の神としてのキリストを説いていると考えられる。つまり、ミトラ教の母権的キリストを発展的に継続する形でマニ教が生起したように思われる。しかし、マニ教もキリスト教、その他に滅ぼされたのである。
 その後、西欧において近代合理主義という唯物論が発達するが、そのとき、ルドルフ・シュタイナーのマニ教的霊学、D. H. ロレンスの独特なやや反動性をもった東洋的母権的身体的霊学が生まれたのである。
 結局、東洋母権宇宙的霊的日輪グノーシスを創造する衝動が現代世界にあると考えられる。
 そして、PS理論の創造がある。これは、明らかに、この人類史的精神の流れの帰結と考えられる。これは大マニ教、超マニ教と言うべき理論、グノーシスである。日の国で、日輪教の国でこれが生まれたのはある意味で必然である。東洋と西洋の合流点である日の国でこそ生まれるべくして生まれた理論である。
 今はここで留める。


2011年11月28日(Mon)▲ページの先頭へ
氣霊の世界への飛翔:氣霊世界旅行の夢:大変革期と東日霊の時代
テーマ:manichaeism: 哲学

最近はよく眠れるようになった。そして、「霊界」へ魂が移動していると考えられる夢を見ることが増えた。
 わかりやすく言うと、氣の降りる場所への旅行の夢である。バスの中で、ある中年の女性が、満たされた表情で、旅行した場所で何日も留まってしまったということであった。私が「居るだけでも気持ちよかったでしょう」というと首肯いていた。
 また、途中、車中、広島の病院の最上階や屋上が、氣に優れていて療養する人が多いという情報もあった。
 もっと夢を見たが、今思い出せないが、言いたいことは、おそらく、この魂の氣霊界(氣霊海)への飛翔は私個人に限定された事象ではなく、一般的な事象のことのように思える。つまり、多くの人に氣霊界が積極的に訪れているように思えるのである。
 そう、氣霊の何かが人間の魂にはたらきかけているのだろう。
 聖霊力学から言うと、陽凸iへの傾斜が終わり、陰凹iへの傾斜が形成され出したと思われるのである。
 陰凹iへの道が開けたのである。それは、不可視の穴のようなものである。ブラック・ウィンドウ、ダーク・ウィンドウ、black windows, dark windows, black doors, dark doors, dark holes, dark burrows, etc.
 夢とは氣霊界(第三象限)の映しであると考えられるが、それは、凸iの光のイメージを活用するのだろう。つまり、media pointで夢映像が形成されると思われるのである。media point dreamsである。いわゆる、霊的ヴィジョンとは、これで説明できよう。聖書の預言書のヴィジョンもそうであるし、中世、鎌倉時代に見られる宗教的ヴィジョンもそうである。
 そう、やはり、氣霊界が開かれる時代があるのである。それは、根本的変革期である。今の時代は、新たな時代への大変革へ向っていると言えよう。
 近代の終焉は当然であるが、西洋の終焉であると推測される。以前、アイオーンの時代と言ったが、日本的霊性の時代でもあるし、さらに、東洋的霊性の時代でもあると考えられる。
 東霊の時代、日霊の時代、東日霊の時代。


2011年11月19日(Sat)▲ページの先頭へ
凸i中心父権的民族と凹i中心母権的民族:ヤハウェとエローヒーム:一神教と多神教:マニ教の光の教会
テーマ:manichaeism

これは既述済みで復習である。
 父権的民族は凸i中心主義なので、他者凹iを否定する力学をもつ。具体的に言えば、西洋文明は東洋文明他を否定する。
 凸i中心主義は同一性主義であり、超越神であるヤハウェからわかるように、超越性をもった同一性主義である。基盤は第二象限である。
 この超越的同一性主義は、他者・差異凹i(-i)を自己同一性化して止まない。同一性化が極大化すれば、他者の殲滅を志向する。
 つまり、自己を脅かす他者は殲滅させる力学(暴力力学)をもっているのである。これは容赦のないものであり、いわば、悪魔的である。
 この同一性主義は結局、ゾロアスター教のアーリマンと重なるだろう。(思えば、グノーシス主義は旧約の創造神を邪神と見たのである。でも、シュタイナーは実に興味深いことを述べている。ヤハウェはキリストの裏返しであるというのである。キリストの光を第三象限に置けば、ヤハウェの光は第二象限に属すると言えよう。あるいは、キリストの光をD. H. ロレンス的に闇と呼ぶことも可能だろう。凹iである。)
 さて、父権主義は既述したように、明治以降の「近代」日本国家の支配層に基本的に見られるものである。
 だから、権力者は国民に酷いのである。国民のlifeのことなど、一顧だにしないのである。また、封建的心性があるために、集合的であり、個がないために、的確な判断ができないのである。主従関係があるので、主の権力に服従するのである。(思うに、ここに西洋的父権主義と日本的父権主義の違いが見られるだろう。前者はルネサンスやプロテスタンティズムを経ているために、個的自我を基盤とするが、日本は日本的個・母権的個を否定してしまったのである。また、日本の愚民であるが、やはり、封建的心性、主従性があるので、主に対して盲従して、無・没思考的になっていると考えられる。)
 今日、明らかに、父権的文明の終末を迎えているのである。PS理論から言えば、決定的に他者・差異を欠損した文明の終焉であり、当然、他者・差異を肯定する新文明が必須である。
 ここでマニ教の光の粒子、光の教会の概念を導入するとどうなるだろうか。
 これは世界普遍的に作用する理論である。多様性の中に普遍性を見る理論である。そう、正に、他者・差異の理論である。
 このマニ教の光であるが、それは、media point、差異共振を意味するのであり、私の言葉では超越光である。
 これは、光であり、また、闇である。しかし、基本は闇凹i(-i)であると考えられる。
 闇が光と共振する超越光がマニ教の光であると思われる。第三象限に属するのである。確かに、第二象限にも光がある。これは西洋文明ないし父権主義の光である。所謂、理性の光である。(ヘラクレイトスの万物の根源の「火」とはそれではなく、超越光であると思う。そう、超越火である。陰と陽の闘争・衝突のエネルギーとしての「火」と考えられる。「万物は流転する」とは正に、media pointの本質である。)
 第二象限の光、理性の光とは、実は当為、格率にしか過ぎない。その実体は強制なのである。到達できない超越的存在を同一性で強制するための「暴力装置」である。(超越神のことを言うと、原同一性である凸i(i)からは凹(−1)は絶対的に把捉できない彼岸に存するものであり、凸i(i)中心主義からこそ、超越神が生まれたと言えよう。正確に言えば、超越的唯一神である。凹i(-i)がベースの母権主義は内在的超越的多神教を産むと考えられる。この問題は課題としよう。)
 ということで、マニ教の光、光の粒子は第三象限の光、超越光(超越火)ということになる。
 では、光の教会とは何か。(そう、私は「父」の時代⇒「子」の時代⇒「聖霊」の時代と進展するフィオーレのヨアキムの精神・霊的史観は、マニ教に起源があるのではと直観している。)
 光の教会とは、今日では、一つの中心として、インターネット世界ではないだろうか。
 インターネットは母権主義のメディア、他者・差異のためのメディアと言えよう。だから、それは光の教会と呼べるのである。また、あえて言えば、マニ教的であるPS理論を伝播するので、ネットこそ、正に、光の教会と言えよう。


2011年11月14日(Mon)▲ページの先頭へ
一つの世界文明、父権的物質文明の終焉:母権的個の螺旋的回帰と新共同体創造
一つの世界文明、父権的物質文明の終焉:母権的個の螺旋的回帰と新共同体創造

テーマ:manichaeism

resurrection
neomanichaeist resurrection

『一つの世界文明、父権的物質文明の終焉:母権的個の螺旋的回帰と新共同体創造』 amba.to/s1J4mi 一連のツイッターへ投稿したものをまとめたものです。思うがまま書いたので、荒削りのままです。とまれ、私のブログの名前を借りると、ヤポネシアの脱黙示録となります。
»
resurrection
neomanichaeist resurrection

8)これで止めるが、日本人は民族伝統の母権的個の原理に覚醒する必要がある。これこそ、日本が世界に誇るべき大文化である。とまれ、最初に述べたように一つ世界文明、父権的物質文明の終焉を迎えているのである。それは、母権的個の原理の螺旋的回帰であり、新共同体原理でもある。個的新共同体へ。

お気に入りに登録 返信 削除
»
resurrection
neomanichaeist resurrection

7)今やグローバル戦争金融資本主義がその危機(おそらく断末魔)から、日本へと標的を定めて大襲来しているのである。それに対して日本政府は某国の出先機関と化して、その侵略の斧の下に、首を差し出し、切断されるのを甘受するだけである。これは、必然の結果である。民族文化を否定した帰結である

お気に入りに登録 返信 削除
»
resurrection
neomanichaeist resurrection

6)この没個的無道徳的封建的利己主義の蔓延った日本の帰結が無謀な原発建設と原発爆発であり、無思慮な、封建的隷従的な自民党・民主党政権支配である。米国に隷従する没個的な封建的心性が政治家らを支配して、国民は没個的教育(狂育)や教養主義の崩壊によって、ますます無知蒙昧化していった。
5分前 お気に入りに登録 返信 削除
»
resurrection
neomanichaeist resurrection

5)没個的封建的心性があり、かつ戦後の米国近代合理主義が主導的となり、日本人の精神は近代以前かつ唯物論的になった。すなわち、精神的自立がまったくなされずに、封建的唯物主義が支配的なのである。ここには、個に基づく道徳・倫理はなく、無思考の利己主義が跋扈することになったのである。
12分前 お気に入りに登録 返信 削除
»
resurrection
neomanichaeist resurrection

4)戦後日本は米国中心主義となり、いわば脱亜入米が起こったと言えよう。それは、米国文明の刷り込み、洗脳である。自己民族伝統文化を否定し、米国文明が支配的になったのである。また、暴虐な戦争を生んだ「戦犯」は米国の戦略によって無罪放免となった。自ら「戦犯」処理できず、背徳人間を残した
15分前 お気に入りに登録 返信 削除
»
resurrection
neomanichaeist resurrection

3)日本的個の文化があるが、明治維新において、それを体現する龍馬や西郷らが排除されていってしまい、没個的封建的心性が支配的になり、無責任な、没合理的な大戦へと突き進み、大惨禍をもたらしたのである。それの反省もなく戦後はGHQ支配の下、日本文化破壊の戦後近代が始まった。精神文化否定
22分前 お気に入りに登録 返信 削除
»
resurrection
neomanichaeist resurrection

2)日本近代は私見では後期江戸時代の封建的心性を「発展」的に継続し、それが支配層の原理となった。未分化の半自我・半隷従的原理であり、森鴎外『阿部一族』の柄本又七郎の心性に表出していると思う。そこには、西洋近代の基本の個の原理が欠落しているのである。集団的自我の原理が支配した。
25分前 お気に入りに登録 返信 削除
»
resurrection
neomanichaeist resurrection

1)今一つの世界文明が終焉しつつある。それは父権・西洋的世界文明の終焉である。結局、父権的自我が母権的他者・差異・個を暴力的に否定・排除・消滅させる原理・力学がそれにある。グローバル戦争資本主義、超巨大資本的国家資本主義、反人間有機体的原発利権主義等々だ。アーリマン闇魔支配。


2011年09月25日(Sun)▲ページの先頭へ
D. H. ロレンスの『欧州史における動き』のエピローグは現代日本人への奇蹟的な指針
以下、Google BooksからD. H. ロレンスの学校テキスト用の欧州の歴史の一部を読むことができる。実に洞察力に満ちた、今日の日本人への未来創造のための指針をもたらすと考えられるエピローグの一部(260〜263ページ)を読むことができる。
 「力」powerと「強制力」forceを区別しているがすばらしい。
 A man invested with power has a profound responsibility. Force is irresponsible, unless controlled by the higher power. (p. 263)

また、以下、内在する天賦の精神的貴族原理を説いている。一言注意すると、ロレンスは男性中心に考えていることである。女性にも天賦の精神的貴族原理はあるというか、女性こそ、本来豊饒なる精神的貴族原理を具備している。それが、母権原理である。

Now we begin to understand the old motto, nobless oblige. Noblesse means, having the gift of power, the natural or sacred power. (p. 265)

・・・

 The hereditary aristocratic class has fallen into disuse. And democracy means the electing of tools to serve the fears and the material desires of the masses. Noblesse n'blige plus! ・・・ But a spark of nobility redeems everything. (p. 266)

・・・

This is our job, then , our uncommonsense: to recognise the spark of noblesse inside us, and let it make us. To recognise the spark of noblesse in one another, and add our sparks together, to a flame. And to recognise the men who have stars, not mere sparks of nobility in their souls, and to choose these for leaders. (p. 266)

商品の詳細
D.H.ロレンスのヨーロッパ史のうねり D.H. ロレンス、D.H. Lawrence、 増口 充 (単行本 - 2000/3)
新品 : ¥ 5,040


Movements in European History - Google Books
- [ このページを訳す ]
books.google.com › History › Europe › General
一般公開で +1 しました 取り消す
Movements in European History was written by D. H. Lawrence during 1918 and 1919 in response to Oxford University Press's invitation to prepare a textbook for schools. It is a vivid sketch of European history from ancient Rome to the early ...


2010年08月07日(Sat)▲ページの先頭へ
自我アイデンティティという利己主義:父権的凸i傾斜的劣等/優越コンプレックス
(お断り:これまで、自己認識方程式を(+i)*(-i)⇒+1としたが、その後、Kaisetsu氏による理論進展によって、凸i*凹i⇒+1となった。)

Media Pointないし、凹iを満たす必要がある、本来。しかしながら、凸iに傾斜しているので、Media Pointや凹iが無意識になるのである。
 先に、凹iはアストラル体ではないかと提起した。それは、感情的身体である。あるいは、内臓的感情身体である。
 凸iは抽象観念を志向するので、凹iを基本的には排除するだろう。そう、凹iは受容的身体とも言えよう。内的他者であり、外的他者を感受するのである。つまり、受け身なのである。だから、外的他者に対して、反感を感じるのである。
 この点を厳密に分析する必要がある。
 思うに、凹iは感受点である(追記:Media Pointを感受点すべきか、この点は検討課題である)。快不快・苦楽を感じるポイントである。また、人間は鏡像自我を形成するが、それは、排他的力学をもつ。即ち、自我肯定であり、他者排除的な力学である。利己主義・エゴイズムの原点である。
 個人はこの鏡像自我という利己的な優越志向があるが、外的他者を感受するときは、当然、優位に立とうとするのである。自我優位であり、他者を劣位におとしめようと欲するのである。
 この優越主義は当然、優れた他者に対しては、劣等感を感じるのである。というか、他者一般に対して、裏返しの劣等感をもつと思われるのである。
 ということは、鏡像自我形成の原点において、なにか劣等感があるということではないだろうか。
 そう、それは、人間が幼児・小児としてもつ身体的な非力さ・無力性から来ているのではないだろうか。
 馬の子は生まれるとすぐ立つことができるが、人間の赤子はできない。そう、心身的な根源的弱さがあると言えよう。
 この弱点をカバーするのが鏡像自我ではないだろうか。非力さを裏返しにした、認知的優越性をもつものではないだろうか。
 しかし、それですべてであろうか。
 思うに、凸iは凹iに対して、根源的な劣等感をもっているのではないだろうか。何故なら、凸iにとり、凹iはまったくの他者であり、異質なものであり、了解不可能であるからである。絶対的他者である。
 この原劣等感があるので、凸iは、アイデンティティを形成して、自我を優位・優越に保とうとするのではないだろうか。それはまた、攻撃的志向である。
 そして、凸iの傾斜は父権的なものである。あるいは、一神教的なものである。
 しかしながら、凹iは母権的なもの、多神教的なものだろうか。私は以前から、母権的なもの、多神教的なものとは、凸iと凹iとのバランスのとれたものと考えている。
 とまれ、父権的な傾斜、凸iの傾斜は凹iにコンプレックスを感じるのである。そのために、自我アイデンティティを形成しようとするのである。しかしながら、それは、凹iを隠蔽しているので、本来、不適切な、誤魔化しの、虚偽・欺瞞的なアイデンティティに過ぎない。
 だから、父権的意識が本来の自己認識に達するには、凹iを肯定する必要があるのであるが、それが一般的にはきわめて困難なのである。
 しかしながら、東洋文化は本来、身体的文化であり、凹iを肯定する技術をもった文化なのである。日本文化で言えば、肚の文化である。これは、中国では、道教の丹田の文化であり、インドでは、クンダリニー覚醒のための瞑想文化(ヨガ)である。仏教では、禅の瞑想文化である。
 ということで、凹iを肯定する身体的文化(教養)があったのである。(追記:武芸・武道もこれに関係する。弓道、剣道、柔道、相撲、武士道、等)
 それに対して、西洋文化は凸iに傾斜した文化(デリダのロゴス中心主義)であり、凹iを排除する父権的文化であると言えよう。
 サイードのオリエンタリズムはこれで説明できよう。凸iの文化が凸iに劣った、凹i中心の東洋を指導する必要があるということである。(しかし、東洋文化は凹i中心ではなく、凸iと凹iとの均衡を追究する文化である。)
 ということで、本題のアイデンティティの利己主義性について解明できたと言えよう。つまり、父権的アイデンティティの利己主義性ということである。
 因みに言えば、資本主義は凸iが中心となり、凹iを抑圧して成立した経済である。同一性価値経済である。
 今日、ポスト・リーマンショックとして、新経済が要請されている。それは、凹iを肯定する経済である。それは、差異共立経済である。即ち、自由共同体的経済である。
 ポイントは差異共立主義である。これは、他者との共同性を志向するものである。この点については後で検討したい。

追記:ここで述べたアイデンティティとは父権的アイデンティティということである。あるいは、自我的アイデンティティである。なぜなら、母権的アイデンティティ、差異的アイデンティティ、民族的アイデンティティ等があるからである。


参考:
tokaiama


1. 世界を拓く新しい秩序は自給自足の農業共同体から生まれる。ちょうどアメリカインディアン部族をイメージすればよい。数十名単位の大家族、部族なのだ。人は部族に心を置いて帰属し、個人を超えて部族が一個の独立人格として永続的に生き続ける。その発展型が客家だ。構成員の目的は子供達を育てること 約2時間前 webから
2. 既存の組織、秩序が、経済崩壊によって、すべて崩壊の危機に晒されている。国家、行政、企業、学校、宗教、家族、あらゆる帰属体、組織が崩壊し、人々は真に心を置いて安心できる帰属体を求めて彷徨うのだ。新たな帰属体は農業共同体だろう。そこには、もはや一夫一婦制家族もなく、男女は自由に離合 約2時間前 webから
3. 人が常識と信ずるものは「帰属体」を維持するために必要な倫理、秩序であることに気づく必要がある。心を置いて安心できる帰属体を見いだすことで人は自分のアタマ、足、意志で考え、判断する責務を逃れ、世間体、常識に従って生きていれば、疎外孤立から解放され安心できる。これが宗教団体の秘密 約2時間前 webから
4. ツイッター見てると、価値観、判断基準が帰属意識にあることが鮮明に。自分が帰属すると信ずる社会的ステータスの利害に沿った取捨選択を行う。帰属意識が成立するのは小中学校における力関係、洗脳だ。人は人生の根底に帰属を置いているのだ。家族・学校・会社・多重の帰属が生涯を縛り続ける 約2時間前 webから


アイデンティティという利己主義:父権的凸i傾斜的劣等/優越コンプレックス
Media Pointないし、凹iを満たす必要がある、本来。しかしながら、凸iに傾斜しているので、Media Pointや凹iが無意識になるのである。
 先に、凹iはアストラル体ではないかと提起した。それは、感情的身体である。あるいは、内臓的感情身体である。
 凸iは抽象観念を志向するので、凹iを基本的には排除するだろう。そう、凹iは受容的身体とも言えよう。内的他者であり、外的他者を感受するのである。つまり、受け身なのである。だから、外的他者に対して、反感を感じるのである。
 この点を厳密に分析する必要がある。
 思うに、凹iは感受点である。苦楽を感じるポイントである。また、人間は鏡像自我を形成するが、それは、排他的力学をもつ。即ち、自我肯定であり、他者排除的な力学である。利己主義・エゴイズムの原点である。
 個人はこの鏡像自我という利己的な優越志向があるが、外的他者を感受するときは、当然、優位に立とうとするのである。自我優位であり、他者劣位にしようと欲するのである。
 この優越主義は当然、優れた他者に対しては、劣等感を感じるのである。というか、他者一般に対して、裏返しの劣等感をもつと思われるのである。
 ということは、鏡像自我形成の原点において、なにか劣等感があるということではないだろうか。
 そう、それは、人間が幼児・小児としてもつ身体的な非力さ・無力性から来ているのではないだろうか。
 馬の子は生まれるとすぐ立つことができるが、人間の赤子はできない。
 そう、心身的な根源的弱さがあると言えよう。
 この弱点をカバーするのが鏡像自我ではないだろうか。非力さを裏返しにした、認知的優越性をもつものではないだろうか。
 しかし、それですべてであろうか。
 思うに、凸iは凹iに対して、根源的な劣等感をもっているのではないだろうか。何故なら、凸iにとり、凹iはまったくの他者であり、異質なものであり、了解不可能であるからである。絶対的他者であある。
 この原劣等感があるので、凸iは、アイデンティティを形成して、自我を優位・優越に保とうとするのではないだろうか。それはまた、攻撃的志向である。
 そして、凸iの傾斜は父権的なものである。あるいは、一神教的なものである。
 しかしながら、凹iは母権的なもの、多神教的なものだろうか。私は以前から、母権的なもの、多神教的なものとは、凸iと凹iとのバランスのとれたものと考えている。
 とまれ、父権的な傾斜、凸iの傾斜は凹iにコンプレックスを感じるのである。そのために、自我アイデンティティを形成しようとするのである。しかしながら、それは、凹iを隠蔽しているので、本来、不適切な、誤魔化しの、虚偽的なアイデンティティに過ぎない。
 だから、父権的意識が本来の自己認識に達するには、凹iを肯定する必要があるのであるが、それが一般的にはきわめて困難なのである。
 しかしながら、東洋文化は本来、身体的文化であり、凹iを肯定する技術をもった文化なのである。日本文化で言えば、肚の文化である。これは、中国では、道教の丹田の文化であり、インドでは、クンダリニーのための瞑想文化である。仏教では、禅の瞑想文化である。
 ということで、凹iを肯定する身体的文化(教養)があったのである。
 それに対して、西洋文化は凸iに傾斜した文化(デリダのロゴス中心主義)であり、凹iを排除する父権的文化であると言えよう。
 サイードのオリエンタリズムはこれで説明できよう。凸iの文化が凸iに劣った、凹i中心の東洋を指導する必要があるということである。(しかし、東洋文化は凹i中心ではなく、凸iと凹iとの均衡を追究する文化である。)
 ということで、本題のアイデンティティの利己主義性について解明できたと言えよう。つまり、父権的アイデンティティの利己主義性ということである。
 因みに言えば、資本主義は凸iが中心となり、凹iを抑圧して成立した経済である。同一性価値経済である。
 今日、ポスト・リーマンショックとして、新経済が要請されている。それは、凹iを肯定する経済である。それは、差異共立経済である。即ち、自由共同体的経済である。
 ポイントは差異共立主義である。これは、他者との共同性を志向するものである。この点については後で検討したい。

参考:
tokaiama


1. 世界を拓く新しい秩序は自給自足の農業共同体から生まれる。ちょうどアメリカインディアン部族をイメージすればよい。数十名単位の大家族、部族なのだ。人は部族に心を置いて帰属し、個人を超えて部族が一個の独立人格として永続的に生き続ける。その発展型が客家だ。構成員の目的は子供達を育てること 約2時間前 webから
2. 既存の組織、秩序が、経済崩壊によって、すべて崩壊の危機に晒されている。国家、行政、企業、学校、宗教、家族、あらゆる帰属体、組織が崩壊し、人々は真に心を置いて安心できる帰属体を求めて彷徨うのだ。新たな帰属体は農業共同体だろう。そこには、もはや一夫一婦制家族もなく、男女は自由に離合 約2時間前 webから
3. 人が常識と信ずるものは「帰属体」を維持するために必要な倫理、秩序であることに気づく必要がある。心を置いて安心できる帰属体を見いだすことで人は自分のアタマ、足、意志で考え、判断する責務を逃れ、世間体、常識に従って生きていれば、疎外孤立から解放され安心できる。これが宗教団体の秘密 約2時間前 webから
4. ツイッター見てると、価値観、判断基準が帰属意識にあることが鮮明に。自分が帰属すると信ずる社会的ステータスの利害に沿った取捨選択を行う。帰属意識が成立するのは小中学校における力関係、洗脳だ。人は人生の根底に帰属を置いているのだ。家族・学校・会社・多重の帰属が生涯を縛り続ける 約2時間前 webから



2010年06月06日(Sun)▲ページの先頭へ
イスラエルの攻撃、天安艦沈没、原油流失災害、菅政権、等々:ロックフェラー路線のオバマ政権への攻撃
イスラエルの攻撃、天安艦沈没、原油流失災害、菅政権、等々:ロックフェラー路線のオバマ政権への攻撃

テーマ:ゾロアスター教的「光と闇」の戦争闘争時代

(c)AFP/IDF

AFPBB News
イスラエル、再びガザ支援船を拿捕
2010年06月06日 11:03
【6月6 日 AFP】イスラエル海軍は5日、パレスチナ自治区ガザ地区(Gaza Strip)に向かっていた支援船の第2陣「レイチェル・コリー(MV Rachel Corrie)」を拿捕し、約5時間後にイ……
≫続きを読む

[PR]

[PR]


「天安艦の沈没事件に似た不自然な作為的な事件が多い:ロックフェラー路線のあせりや妨害を感じる」

メキシコ湾原油流失事件もなにか作為的であるし、口蹄疫災害もそうだし、何かある。
 オバマ政権のトランス・モダン路線(差異共振平和共存路線)に、ロックフェラー路線が攻撃をしているのではないだろうか。
 天安艦沈没、原油流失、イスラエルの攻撃も、オバマ政権への打撃となるからである。(口蹄疫はいちおう除く。しかし、これも、根本では同一勢力を感じる)
 そういう文脈から見ると菅政権は実に危険であり、きな臭いと言えよう。何かある。

new
3652.韓国国民、選挙で戦争拒否 2010.06.06F
月曜有料版の0章をお送りします。
   
new
3651.菅新政権の見通し 2010.06.05F
1946年10月10日生まれの菅直人氏が総理大臣になった。この政権を占うことにする。
   
国際戦略コラム

 
ガザ支援船また拿捕 平和賞受賞者も乗船

2010年6月6日 朝刊

 【カイロ=内田康】イスラエル軍は五日、アイルランドからパレスチナ自治区ガザに向け航行していた新たな支援船「レイチェル・コリー号」を、ガザ沖の地中海で拿捕(だほ)した。AFP通信によると、十五人の乗船者は船に乗り込んできたイスラエル兵に抵抗せず、負傷者はいなかった。コリー号は軍の監視下で、イスラエル南部アシュドッド港に到着した。

 五月末に起きた国際支援船団拿捕事件で乗船者九人が死亡したことから、アイルランド政府はイスラエルに対し、安全にガザに入港させるよう要請していた。ガザの経済封鎖を続け、自由な航行を認めないイスラエルの方針に、再び批判の声が高まるとみられる。

 イスラエル軍の艦船は五日朝にコリー号に接近し、アシュドッドに入港するよう要請。支援物資はイスラエル政府が検査した上でガザに運ぶと提案したが、コリー号側が拒否したため、拿捕に踏み切った。AP通信によると、現場は公海上だった。

 コリー号は国際支援団体「自由ガザ運動」が運航。アイルランドから車いすや薬品などを運ぶ途中だった。一九七六年にノーベル平和賞を受賞した英国・北アイルランドの活動家マイレッド・マグワイア氏や、アイルランドやマレーシアなどの活動家が乗船。五月末に拿捕された船団に加わる予定だったが航海が遅れ、単独でガザを目指していた。

 「レイチェル・コリー」は二〇〇三年にガザで、イスラエル軍のブルドーザーにひかれて死亡した米国人活動家の名前。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2010060602000064.html


(06/06)ガザ援助船拿捕とイスラエルが恐れる核開発

田中龍作ジャーナル



★ 2010年06月06日日曜日 9時更新

■ ゴールドマンサックス、原油流出事故の一ヶ月も前にBPの株を売り抜けていた!

 http://www.nikaidou.com/archives/2486

■ メキシコ湾原油流出:BP、爆発事故6週間前に制御困難と当局に報告 このインサイダー情報がゴールドマンに漏れた可能性
 
 【5月30日(ブルームバーグ):英BPのメキシコ湾の油井で起きた爆発事故の6週間前に、同社が制御が困難になっていると電子メールで米政府当局に伝えていたことが分かった。原油流出事故について調査している米下院エネルギー・商業委員会が30日、この電子メールを公表した。
  BP幹部のシェリー・ダグラス氏から内務省のミネラルズ・マネジメント・サービス(MMS)ニューオーリンズ地区担当掘削技術官、フランク・パットン氏にあてた3月10日付電子メールによると、BPは油井とリグ(掘削設備)をつなぐパイプを切断し穴をふさぐことを計画していた。   ダグラス氏は電子メールで「MC252#001に関して油井を制御しようとしており、パイプをふさいだ。掘削パイプを切断し、油井をふさぎ原油を迂回(うかい)させるため機器を入れて作業を開始する」と報告している。「MC252#001」とは制御が困難となっていた深海油井ミシシッピ・キャニオン 252鉱区を指す。
  エネルギー・商業委員会のワクスマン委員長(民主、カリフォルニア州)と、監視小委員会のステュパック委員長(同、ミシガン州)は油井の設計に関する文書や、今年2月と3月、昨年11月の関連電子メールを公表した。両委員長は、これらの文書について「問題を提起しているが、爆発事故関連では追加調査が必要だ」との見解を示した。
  今回の電子メールで、BPが3月第2週には、原油流出への対処法についてJ・コナー・コンサルティング(ヒューストン)に支援を求めていたことが明らかになった。同社は世界の大手エネルギー企業数社に原油流出対策について助言している。電子メールによると、掘削機器に穴が開いた後、政府当局はBPが基準よりも浅い深さで油井をセメントでふさぐことを許可していた。】

■ BP原油汚染処理に伴って北米南部大気に処理剤ベンゼン汚染が発生、国連保安軍と FEMAが大規模に移動開始! 何でも板情報より

 50万人をFEMA収容所にと信頼性の高い情報 http://translate.google.com/translate?hl=ja&ie=UTF-8&sl=en&tl=ja&u=http://motherjones.com/politics/2010/06/bp-oil-spill-fema-camps&prev=_t&rurl=translate.google.co.jp&twu=1

 http://blogs.yahoo.co.jp/jennifer1215b/31549221.html

 【フロリダから内陸へ4000万人とそれ以上の人の退避を命じます。アーユーレディ?政府はおよそあなたに湾の石油流出のすべてを知らせていません。
現地では信じ難い量のベンゼンが空中に放たれています。人々が病気になっています。何千という国連のバン(車)がジャクソンビルのすぐ下のフロリダの AF 基地の公衆サイトから人里離れたエリアで駐車されています。それらは同じく多くの他のエリアにもいます。あなた自身の為にも見て下さい。
このグリッドをグーグル地図に入力してください。29.97213、 − 81.660047
そうすればあなたはそれを見ることができます。あるいはフロリダの AF 基地のジャクソンビルFの下にグーグル地図を見いだしてください。軍用車隊は、FEMAキャンプに人々をエスコートするため、西の砂漠地帯から来る予定です。あなたは多くの人々が一点に集められるのは、何が内陸で我々に起こるのかと言う考えを持っていますか?
これはただタンパエリアからの人々に過ぎません。彼らがまた、東海岸からも人々を避難させると、1億の人々が内陸に来るでしょう。ベンゼンと油は、海の上で雲の中に気化し、それが雨にかかって内陸を漂流しています。我々は同じく危険に面するでしょう。我々の新鮮な水は汚染されるでしょう。
http://soundwaves2000.com:80/shatterthedarkness/
http://www.examiner.com/x-33986-Political-Spin-Examiner%7Ey2010m5d9-Gulf-oil-spill-Suggestions-of-BP-
↑ビックリ!あっと言う間に消された!】

■ メキシコ湾原油漏出大事故で崩壊したリグは韓国ヒュンダイ社製造、耐用年数30年なのに、製造後10年しか経ていない アメリカ政府はヒュンダイ社にも数千億円の損害賠償請求訴訟

 【4月20日に米南部ルイジアナ州沖のメキシコ湾で発生した原油流出事故で、石油掘削施設を建設した韓国の現代重工業に責任が生じるか否かについて関心が集まっている。現代重工業は事故との関係性を否定しているが、油田の掘削権を持つ英石油大手BP以外の企業にも責任が飛び火した場合には、大きな影響が生じるものとみられている。
韓国メディアによると、オバマ大統領は12日、事故を起こしたBPに対して全ての関連費用を全額負担する責任があると発言した。今後、BPには除去作業にかかった費用をはじめ、各種訴訟などの費用や罰金など、天文学的な負担金が請求される見通しだ。
事故が起きた石油掘削施設は現代重工業が2001年に建設し、油田掘削会社R&Bファルコンに3億6500万ドル(約337億円)で売却されものであることが明らかになっている。R&Bファルコンは世界最大の掘削請負会社 トランスオーシャンに買収されたことにより、同施設はトランスオーシャンの所有となっている。
これについて、現代重工業の関係者は「施設が作られてから10年以上が過ぎた。アフターサービスも終わり、10年間の運用をみると施工上の問題ではなく運用上の問題だと思われる」と事故との関係性を否定した。 しかし、一部の韓国メディアは、石油掘削施設の寿命は通常25〜30年程度であり、建設してアフターサービス期間が過ぎたからといって責任が消滅したとはいえないと指摘。BPが事故の責任をほかの企業に転嫁した場合 には、現代重工業にも何らかの影響が及ぶ可能性があるとしている。(編集担当:新川悠) 】

東海アマチュア無線  地震予知研究会




エドマンド・バーク 崇高と美の観念の起原 Edmund Burke : A Philosophi

テーマ:Media P./Vector Mode

私はカントの『判断力判断』で崇高と美に関する議論を知ったが、バークの論考はそれの原点であるが、類似したものと思っていたが、実は異なるのである。
 カントの区別だと、両者の差異がやや曖昧になるが、バークは明確に、両者を区別しているのである。
 分かりやすく言えば、崇高とは悲劇的なものであり、美とは喜劇的なものである。あるいは、恐怖と愛らしさの違いである。
 ある文学理論では、悲劇は喜劇的構造に入るということが言われるが、バークの観念では、両者は独立したものである。つまり、絶対的差異である。
 哲学的には、これは、スピノザ哲学の歓喜主義を批判していることになる。恐怖や苦が肯定されるからである。
 まだ、よく理解していないが、バークの区別は、現代でも有効である。例えば、以前指摘したが、日本の似非ジャーナリズムは、悲劇的認識が欠落していると述べた。言い換えると、バークの用語から言えば、崇高性が欠けているのである。
 私がよく転載する英国のテレグラフ紙は、崇高的認識があるのである。
 邦訳であるが、生硬で、読みにくいのは確かである。もっとも原文の叙述にも問題があるだろう。

エドマンド・バーク
崇高と美の観念の起原
Edmund Burke : A Philosophical Inquiry into the Origin of
Our Ideas of the Sublime and Beautiful 1757 中野好之訳
みすず書房 1973・1999


Amazon で購入する



 いまはなぜだかすっかり看過されてしまっているようだが、哲学芸術思想のなかには、「美学」という領域がある。エステテイックス(英 aesthetics、仏 esthe´tique)だ。そう言っては実も蓋もないけれど、つまりはエステだ。エステではあるけれど、メルロ=ポンティ(123夜) も、ロラン・バルト(714夜) も、九鬼周造(689夜) も中井正一(1068夜) も、それからウンベルト・エーコ(241夜) も、みんな本格的な美学者だった。こういうエステにこそ通院したほうがいい。
 美学は、1735年にドイツのアレクサンダー・バウムガルデンがその必要に気づいたときは、まだ「感性学」という意味だった。認識の能力には上位に“悟性の学”としての論理の学があるとしたら、下位には“感性の学”としての美についての認識の学があるはずだという判断から生まれた。バウムガルデンはライプニッツ(994夜) とヴォルフの思索の系統を引いていた。
 その後、美学はカントによってその最初の体系の確立を見たというのが通り相場になっている。1790年の『判断力批判』がその結晶的成果である。それでまちがってはいないのだが、そのカントに多大な影響を与えた一人の青年の大論文があったことを忘れてはいけない。それがエドマンド・バークなのである。ぼくは「遊」の第1期をつくっているころに出会って、うーん、と唸った。


http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1250.html

* A PHILOSOPHICAL INQUIRY INTO THE ORIGIN OF OUR IDEAS OF THE SUBLIME AND BEAUTIFUL; WITH AN INTRODUCTORY DISCOURSE CONCERNING TASTE 67
*
o PREFACE
o CONTENTS
o INTRODUCTION
o PART I
o PART II
o PART III
o PART IV
o PART V
o APPENDIX

http://www.gutenberg.org/files/15043/15043-h/15043-h.htm


2010年05月28日(Fri)▲ページの先頭へ
現在のユーロ危機についての私見
テーマ:超世界恐慌:黙示録:最終戦争と最後の審判

私の知り合いで、以前、マーストリヒト条約の締結に対して、反対していた人がいたが、今や、それは、正鵠を射ていたと言えよう。
 EU/ユーロの失敗はドルの二番煎じを求めたことにあろう。ドルとは異なる通貨システムを作るべきであったのに、それを模してしまったのである。また、米国以上に金融派生商品に依存する体制をつくったことにも、失敗の原因がある。(追記:また、欧州の社会民主主義という左派的体制の非生産性も原因である。)
 とは言え、今の状況は、国際金融資本のあざとさに思いが行くのである。国際金融資本は、いわば、EUを利用したのである。国際金融資本という同一性資本にEUのトップは、盲目であったのである。米国以上の国際金融資本の猟場となったのである。
 結局、今では、遅きに失したのである。あまりに狡猾な国際金融資本(国際同一性資本)に早く気づくべきであったのである。そう、それは世界の癌・悪性腫瘍である。
 結局のところ、国際金融資本・国際同一性資本に依存しない方策を構築する必要があると言えよう。そう、それは、ある意味で金融的な鎖国を意味しよう。しかしながら、絶対的な鎖国は当然不可能である。
 とまれ、今日の黙示録的危機(というか、大破局である)には、途轍も無い苦悩・苦痛を経る必要があるということであろう。甘やかされた今日の若者にとってはあまりにも苛酷であろうが、それが天命である。

参照:

■ ユーロ大崩壊へ 朝倉慶 http://www.funaiyukio.com/money2/

 【抜粋: そもそもユーロ創設は歴史的に壮大な実験だったのです。国家が違った国々が通貨を統一するというかつてなかった試みでした。様々な動機があったと思いますが、戦火を繰り返してきたヨーロッパ地域の統一の夢や、米国に対抗して強い経済圏を構築すること、また東西統合したドイツの肥大化を恐れた周辺諸国の意識など、多くの理想や思惑の元に創設されたのです。通貨を統一すれば、そのすべての国々は通貨発行権を放棄するわけですし、自国の中央銀行、日本でいえば日本銀行の権利を放棄して統一した中央銀行を作るわけですから、まさに思い切った試みだったのです。
 そしてその試みは上手く成功して、ユーロ圏のゆるぎない発展を感じさせることもあったのです。しかし、リーマン・ショック後の経済の混乱とマイナスに陥った各国の経済状況の中で、いよいよその大いなる矛盾が頭をもたげてきた、今はついにその矛盾の大きさからユーロは内部崩壊に向かってきているのです。
 これは日本のケースで考えると、たとえば日本と韓国を中核としてアジア地域、べトナムやインドネシア、フィリピン、マレーシアあたりのASEAN諸国を一まとめにして統一通貨を作ったと想像すればわかりやすいと思います。ユーロ圏に当てはめると、日本はドイツ、韓国をフランス、その他の国々をギリシアやスペイン、イタリアなどと考えてみるとどうでしょうか? 日本と韓国は強いですが、フィリピンやインドネシアはまだ、日本や韓国の経済には追いつきません。
 しかしながらこのようなアジアの通貨統合が起こったとすると、まず、日本などの輸出型の経済の国にとっては為替の変動の問題がなくなります。すると好きなようにアジア地域に輸出が増えるというメリットが起こります。
 現実にユーロ圏の創出においてドイツは、ユーロ域内の輸出が大幅に増えたのです。ドイツマルクを使っている時に比べて、為替変動がないということは圧倒的に有利だったわけです。また通貨統合をすると、その統合された比較的国力の弱い国、アジアのケースで考えるとフィリピンやベトナムですが、これらの国は通貨が日本や韓国と一緒になると、その強い通貨圏に入ったということで、信用が上がるのです。強い国と一緒の通貨を持てたからです。これが現実にユーロ圏では起こりました。ギリシアやスペイン、イタリアなどがユーロを導入したということで、一気にそれらの国の信用が上がったのです。信用が上がるということは、いわゆる資金、お金が借りやすくなるわけです。また外からの投資が増えるわけです。自分のこととして考えるとわかりやすいですが、強力な保証人がついたと思えばいいでしょう。銀行はあなたに強力な保証人がついたことを確認して、今までの数倍も資金を融通してくれるようになったのです。
 これがギリシア、スペイン、ポルトガル、イタリアで起こったことです。要するに、実態以上に信用力がつき、その結果として身の丈に合わない借金ができるようになり、現実に多額の借金をしたと思えばいいでしょう。ギリシアなどはユーロ圏の傘に入ったことで、独仏や英米などからも多くの借入が簡単にできるようになり、また、これら独仏や英米の銀行はこぞってギリシアなどに資金を貸し込みました。また様々な投資をしたのです。
 この借入金で消費して、ドイツなどから輸入しまくり、好況を謳歌、これはドイツなどにとっても好都合だったわけです。輸出好調、物が売れるからです。この資金の循環と経済の拡大でユーロ圏の諸国はすべて恩恵を受けたのでした。ユーロ導入のメリットだけをお互いに享受したのです。 】

東海アマチュア無線  地震予知研究会


2010年05月17日(Mon)▲ページの先頭へ
トランス・モダン社会的進化:ポスト・ユダヤ/キリスト教西洋文明:トランス・モダン文明期への相転移
2010/05/15 14:46
【RPE】★ギリシャ危機と欧州の今後(続08年と10年は全然違う時代)
http://archive.mag2.com/0000012950/20100515144652000.html


つまり、ポスト・ユダヤ/キリスト教文明のトランス・モダン文明期に入ったということである。占星術史観でいうと、宝瓶宮(水瓶座)の時代である。
 これは、差異即非共振原理(差異共振原理)の時代である。Media Pointに根ざした民族国家精神的身体を秩序化する国が勝利することになると考えられる。
 日本国家身体は、東洋的日本身体精神をOSとして、それへ科学・技術を包摂すべきである。民主主義もそれに包摂されるのである。
 近代的同一性主義と父権的同一性主義は一切合切捨て去らねばならない。明治維新の勤王開国派(横井小楠、勝海舟、坂本龍馬、他)は東洋的身体精神に基づく西洋派(言わば、和魂洋才)であった。
 根源、即ち、魂の東洋的身体精神を復活すべきである。それが、日本ルネサンスを形成するようになるだろう。
 一番の問題は、増す塵と売国奴と愚民によって、Media Point精神が混濁させられてしまっていることである。精神を浄化する必要がある。
 日本国民がPS理論を受容するようになれば、開眼し、日本伝統的トランス・モダン政治が生まれるだろう。


Rebuilding Britain: a new beginning?

Rebuilding Britain: twilight days or a new beginning?
All this week, Telegraph writers and contributors will be examining ways in which the new government can restore Britain’s prosperity and confidence. Today, Jeremy Warner considers our prospects for avoiding terminal economic decline.
http://www.telegraph.co.uk/finance/economics/7731232/Rebuilding-Britain-twilight-days-or-a-new-beginning.html


2010年03月31日(Wed)▲ページの先頭へ
連続性力学について:2:+iの傾斜力学が連続点・連続性力学である:ゾロアスター教とユダヤ教
『連続性力学について:反動的感情が連続性の力学である:父権制/一神教が連続性力学を生んだ』http://ameblo.jp/renshi/entry-10494347108.html
先に以上のように検討したが、さらに考察を緻密明晰にしたい。
 
 先に連続性力学の根因を+iの傾斜による父権制/一神教に求めたが、この+iの傾斜による連続性力学の仕組みを考えてみよう。
 先ず、母権的精神は、+iと-iとの即非的調和的共鳴である。しかるに、父権的精神とは、即非的共鳴と+iへの傾斜が「併存」する様態があると考えられる。
 言い換えると、父権的精神も初期においては、母権的な即非的調和的共鳴性があるものの、潜在する+iへの傾斜が現実態(エネルゲイア)化し、不均衡・不安定をもたらすと作業仮説しよう。
 だから、初期即非的均衡と活性化された+i傾斜の間で不均衡・不安定が生まれるということになる。
 このとき、+i傾斜の自己は、初期即非的様態に対して、否定的態度を取るように考えられるのである。なぜなら、今や優位的ないしは主導的になったと考えられる+i傾斜の自己は当然、初期即非的均衡を劣位的にないしは従属的に見ると考えられるからである。
 この+iの傾斜自己エネルギー(攻撃的能動的エネルギーではある)の発露自体が、連続性力学の出現と言ってもいいのではないではないだろうか。
 というのは、初期即非的均衡にいわば、連続点が発現するからである。なぜ、それが連続点であるかと言えば、-iに対する+iという自己優位が生成して、差異の即非的均衡が解体するからと考えられる。つまり、本来、+iと-iはそれぞれ、絶対的差異であり、不連続なのであるが、+iの優位が生起すると、+i中心的に主体が作用するのであり、それが、初期即非的均衡のもたらす⇒+1の現象を支配することになり、結果、+i⇒+1、さらには、+i=+1 になると考えられるのである。これは、初期即非的均衡の成果を簒奪するような作用と言えよう。つまり、これが、抑圧である。Media Pointの抑圧である。あるいは、否定、排除、隠蔽である。当然、暴力・攻撃・破壊的である。
 この優位傾斜した+iが連続点であり、連続性力学であり、それが、同一性(物質)の+1と合致した様態が連続的同一性であり、シュタイナー精神科学的に言えば、ルシファーとアーリマンの合体である。
 とまれ、父権制・一神教とは、端的に、+iの連続的傾斜力学がもたらすものと言えよう。
 では、先に問題とした同一性+1の原理はどこから生まれるだろうか。今の直感で言えば、父権制/一神教の誕生と同時ではないだろうか。否、正確に言えば、父権制ないしは父権的宗教の誕生のときではないだろうか。
 なぜなら、連続性力学があってこそ、同一性+1と連続化して、差異、Media Pointから切り離された同一性の原理が誕生すると考えられるからである。
 ここでゾロアスター教を考えると、それは、単に父権的宗教ではなく、母権的宗教の側面を残している。否、父権的宗教ではないと言えよう。
 ゾロアスター教は、父権的宗教が誕生したとき、つまり、連続性や同一性が形成されたとき、それに対抗するための叡知の母権的宗教であると思われるのである。何故なら、それは、初期即非的均衡つまりMedia Pointをアフラ・マズダーとして、積極的に肯定する宗教であるからである。(思うに、+iの傾斜に対する、初期即非的均衡の復興であるとも言えよう。)
 さて、最後に一神教、とりわけ、ユダヤ教を考えよう。否、的確に言えば、ヤハウェ教を考えよう。これこそが、真の一神教であるからである。ユダヤ教は母権的宗教の名残りをもっている。というか、正確には旧約聖書がそうである。
 ヤハウェ教とは、+iの極大的傾斜力学を意味すると考えられる。つまり、連続的同一性力学(ルシファーとアーリマンの合体力学)である。
 これは、究極のエゴイズムの宗教である。誠に恐るべき宗教である。
 しかしながら、旧約聖書自体は、ヤハウェだけでなく、エローヒーム(神の複数)が存しているのである。
 エローヒームこそ、母権的宗教の存続を意味するのである。オリエントの母権的宗教である。
 だから、ユダヤ教とはまったく矛盾した宗教であると考えられる。一方では、父権的宗教の連続的同一性(二重悪魔性)をもち、他方では母権的宗教の即非的均衡性をもっているからである。
 今はここで留める。


2010年02月15日(Mon)▲ページの先頭へ
白人文明の嫉みによる嫌がらせ、暴力・攻撃・支配が問題である
白人文明、西洋文明は表面は天使の顔であるが、肚の中には、悪魔が潜んでいる。
 民主主義的な押しつけ善意(独善性)があるし、実態は、帝国/植民地主義である。
 白人民主主義をキリスト教的民主主義と見てもいいだろう。問題は、他者に白人民主主義/キリスト教的民主主義を押しつけることである。
 この力学は何か。民主主義的善意の根底には、暴力・支配・攻撃、つまり、悪意があるのである。
 つまり、自分を民主主義的善と同一化したとき、それは、同一性主義であり、差異である他者を否定・排除することになるのである。
 つまり、ここには、白人民主主義の同一性主義の問題があるのである。自己を差異と認識しないといけない。民主主義的善と同一化したとき、自己差異は否定され、同時に、他者の差異も否定されるのである。
 この自己差異/他者差異の否定が端的に暴力・攻撃・支配なのである。善的同一性主義になったとき、差異・他者に対する憎悪が発生するのである。これが、白人・西洋民主主義的精神の内面・基盤にあるものと考えられる。言い換えると、ジキルとハイド的文明ということである。
 ところで、肝心なことを考察するのを忘れていた。この同一性の嫉みは、ユダヤ教に拠るのか、キリスト教に拠るのか。
 ニーチェはキリスト教のルサンチマンを説き、ユダヤ教には肯定的であった。
 愛にしろ、ヤハウェの正義にしろ、それは、同一性に基づくのであり、両者が同一性の嫉み(ルサンチマン)を発生させると考えられる。後で精緻に考えたい。

追記:ここでは、白人文明、西洋文明とは、父権的文明と理解する必要がある。これまで何度も述べたように、西欧文化のベースには母権的文化があり、それこそ、真正な、つまり、差異的な民主主義の母体だと考えている。
 また、アングロ・サクソンと言っても、イギリス文化の基盤には、ケルト文化があるのであり、それは、女神文化なのである。東洋的文化なのである。


「愛しい」モーツァルト弦楽五重奏曲第4番K.516ト短調

テーマ:クラシック CD/DVD/YouTube

この弦楽五重奏の冒頭は、交響曲40番の冒頭よりも、痛切な美しい哀感がある。それにしても、ト短調はモーツァルトの運命の調性なのだろう。これは、正 に、愛しい(かなしい)と形容すべきである。
 また、憂い、憂愁があるとも形容ができよう。しかし、単に情感というよりは、普遍的な精神が一時生 きているこの世の愛しさを歌っているのである。いわば、幽界(幽世かくりよ・霊界)と現し世(顕世うつしよ・この世)との境界でモーツァルトは歌っている のである。それは、正に、ps理論で説くMedia Pointで歌っているのである。天才たちは皆、Media Pointで表現するのである。あの世とこの世の奇蹟的な融合点で歌うのである。

追記:ピアノ協奏曲20番も傑作であり、ニ短調もいい。

参 考:
大辞林 第二版 (三省堂)

かなしい 【悲しい/哀しい/愛しい】

(形)[文]シク かな・し

[一]心が痛んで泣きたくなるような気持ちだ。つらく切ない。《悲・哀》
「母に死なれて―・い」「誠意が通じなくて―・い」

[二](古くは「愛し」と書かれた)

(1)身にしみていとしい。切ないほどにかわいい。《愛》
「何そこの児(こ)のここだ―・しき/万葉 3373」

(2)心にしみるような趣だ。深い感興を感ずる。
「みちのくはいづくはあれど塩釜の浦こぐ舟の綱手―・しも/古今(東歌)」

(3)見事だ。感心するほど立派だ。
「―・しくせられたりとて、見あさみけるとなん/著聞 17」

参考 2:YouTubeのコメントも同じことを告げている。人間の心・精神の全人類的普遍性。


wanzenettl (1年前) 表示 非表示
0
スパムとしてマーク
返信
Mozart_ at his very finest.
Libertein818 (1年前) 表示 非表示
0
スパムとしてマーク
返信
I'd never heard this piece before now, its so moving_ and very sad but beautiful as well. wonderful playing, thanks for uploading.
elias12186 (1年前) 表示 非表示
スパムとしてマーク
返 信
Well the miss out_ on the saddest, best part.
ashraniyyah (10 か月前) 表示 非表示
0
スパムとしてマーク
返信
Of course; with sadness comes joy._
http://ameblo.jp/renshi/entry-10459568809.html


哲学とブログ:悪は誤魔化し・隠蔽と一如である

テーマ:ゾロアスター教とトランス・モダン

優れたブログやHPは、真実、真相、真理を追究・追求しているのであり、それは、端的に、哲学的希求である。
 それに対して、悪を事とする支配・権力側、つまり、悪霊側は、当然、悪であるから知られないように誤魔化しを、虚偽・隠蔽・排除(殺人)をするのであ る。
 これは、明らかに、ゾロアスター教の世界観に即している。善と悪との最終戦争が行われているのが、現代である。それは、トランス・モダン進化を意味す る。
 それに対して、善でも悪でもない、凡庸の徒が大半である。烏合の衆、有象無象、愚衆・愚民である。彼らは、何のために生きているのか。それは、悪人を肥 やすために、欺されて、奴隷のように生かされているということだろう。


地球寒冷化:地球温暖化「神話」は排出権国際的利権屋の共謀ペテン
テーマ:エネルギー問題・国連地球温暖化共謀ペ テン
■ 地球寒冷化の実態

 http://www.epochtimes.jp/jp/2010/02/html/d22054.html

東海アマチュア地震予知研究会


2010年01月26日(Tue)▲ページの先頭へ
カルマ論と自然的霊性(自然美術)
カルマ論と自然的霊性(自然美術)

テーマ:新霊性new spirituality

以下、東海アマ氏の霊学である。これは、カルマ論であり、基本的には仏教思想である。シュタイナーもカルマ論を説いていた。
 私もカルマ論に近い考えをもつが、でも、と思う。果たして、地球は単に地獄の星なのか。私にとっては、自然はとても美しい。もっとも、人間は度し難いところがあるが。
 このギャップは何なんだろうか。今、地元で、箒状に広がる落葉した森の木々を見るが、私には、美術である。自然アートである。
 そして、それらは、スピリチュアルである。そう、自然はスピリチュアルである。これは、通俗的なそれではなく、感覚・身体的な霊性である。気的霊性である。
 思うに、西洋文明、ユダヤ・キリスト教西洋文明はこの自然的霊性を徹底して破壊してきたのである。
 その結果がマネー・ゲームや唯物論である。(ヤハウェは、貨幣神、物質神である。)
 今日の黙示録的危機は、大局的には、自然的霊性を復活させて、この西洋文明を超克することで脱することができるだろう。
 日本人、戦後日本人は、まったく西洋文明に染まりきって、日本・東洋的な自然的霊性を喪失してしまったのである。アンラ・マンユ(悪霊)に支配されているのである。

***********************

★ 2010年01月26日火曜日 7時半更新

■ 中津川五名殺害事件、無期判決 報復制裁によって国民の恐怖支配を狙う検察がつまずいた

 【岐阜・中津川の家族6人殺傷、2審も無期判決 1月26日10時13分配信 読売新聞
 岐阜県中津川市で2005年2月、家族6人を殺傷したとして、殺人罪などに問われた、市老人保健施設の元事務長、原平被告(62)の控訴審判決が26日、名古屋高裁であった。片山俊雄裁判長は、「主観的だが精神的に追い込まれた末の一家心中事件で、極刑には躊躇(ちゅうちょ)が残る」と述べ、無期懲役とした1審・岐阜地裁判決を支持し、死刑を求刑した検察側と、有期懲役を求めていた弁護側双方の控訴を棄却した。 検察側は「一家心中ではなく、世間体を気にして家族を皆殺しにしようとした短絡的な犯行」として、改めて死刑を求刑していた。 片山裁判長は1審同様、一家心中の側面がある事件と判断。「母が妻に嫌がらせを続けたため、精神的に追いつめられた面は否定できない」とも指摘し、無期懲役が不当ではないとした。
 控訴審から死刑を求めた娘婿の藤井孝之さん(44)の処罰感情については、「原被告の今後の対応で緩和の余地があり、重くとらえるべきではない」とした。
 判決によると、原被告は05年2月27日、かねてから、嫌がらせを受けて憎んでいた母・チヨコさん(当時85歳)を自宅で絞殺。長男・正さん(同33歳)や、長女・藤井こずえさん(同30歳)、その長男・孝平ちゃん(同2歳)、長女・彩菜ちゃん(同生後21日)の5人を殺害し、孝之さんを刃物で刺して、2週間のけがを負わせた。犯行後、原被告は自分の首を包丁で刺し、自殺を図った】

● 5年前、普段は静かな中津川市街にとどろき渡ったヘリの爆音に「いったい何事が起きたのか?」と筆者も驚いたが、戦後、この地域での殺人事件など聞いたこともなかった地元の人間にとって、続いた殺人事件は大きなショックだった。(もう一つは2006年4月地元中学生女子殺人事件)
 翌年、かのハラタイラが死亡したのも、この事件にショックを受けてではなかったか? と余計な推量をしたほどだ。
 筆者は、常々、「人間は元々アホである!」と主張してきた。完全無欠のマトモな人物など、この世に存在しないのだ。この地球に誕生する人々は、みんな救いのないアホばかりであり、その愚かさを肉体によって思い知ることこそ、この世に産まれる本当の理由と筆者は考えてきた。

 「地球は苦悩の惑星である」
 これは、ある霊的存在からのメッセージであり、地球に産まれる人間は、よほど物好きで、深刻なカルマの持ち主ばかりということらしい。箸にも棒にもかからないアホだけが人間となり、人を傷つけ、己を痛めつけ、バカを繰り返し、泣き騒いで死んでゆく。いわば、宇宙における一種の地獄星なのであり、「囚獄星」ともいわれている。筆者も、その一員であることに恥じ入るばかりだ。キリストや釈迦だって、ホントは相当に欠陥人間だったらしい。孔子やムハンマドに至っては、現代にまで強烈な影響を及ぼしている人類史上の極悪人であって、ルシファーの分身というしかない。

 すべての人は、生きているうちに、必ず何度も同じ過ちを繰り返す。人の罪を憎む人は、必ず同じ罪を人に対して行うことになっている。人をバカにした人は、必ず自分がバカにされることになり、今死刑を執行される人は、実は前世で死刑を要求した人である。これが宇宙を貫く「因果応報」の原理である。
 ハラタイラ氏は本当に愚かな男だ。自分の苦悩の腹いせに何の罪もない家族まで殺害してしまった。しかし、これは心の病気であった。我々は、病気によって罪を犯した人までも制裁してはいけないのである。もし彼を制裁し処刑する者がいるなら、彼は来世、ハラ氏の運命を味わうことになるだろう。

 犯罪というものは、すべて心の病の結果であって、本当は病気なのだ。また、死刑制度容認者たちの「罪を憎み、復讐し、制裁する」という考え方自体も実は心の病気なのである。本当に正しい、カルマから解放された司法というものが存在するとするなら、それは「罪」という言葉を「過ち」という概念に置き換えなければいけない。
 この世には罪は存在しない。過ち、病気しかないのだ。それは制裁されるのではなく「治療」されねばならないのである。
 人類が、この境地に達したとき、はじめて地球は地獄・囚獄を脱し、楽園に生まれ変わるだろう。

東海アマチュア無線  地震予知研究会


2009年09月28日(Mon)▲ページの先頭へ
■タルムード:キリスト教徒と利子
単に、タルムード批判では、反ユダヤ主義になる。問題は、キリスト教側に(も)あったと考えられる。
 思うに、利子の問題である。本来、聖書では、利子を禁止していたが、ある時点で、利子を認めるようになった。
 排除・差別されていたユダヤ人が高利貸を営むようになる。金融経済の力をユダヤ人が握るようになったのである。それをキリスト教側は妬んだのである。それで排除したと思う。
 『ヴェニスの商人』を読むとわかるだろう。キリスト教側のユダヤ人高利貸(シャイロック)への差別が露骨である。
 とは言え、これまで検討したように、ヤハウェ神は、同一性の神であり、物質や貨幣の神となったのである。
 ユダヤ教は単にヤハウェ崇拝の宗教でなく、エローヒーム(神の複数形)も存するし、また、神秘的な側面もあるのである。つまり、東洋の宗教の側面があるのである。こちらを、トランス・モダン的に評価すべきである。

追記:深層心理的に言えば、キリスト教徒の深層に、ユダヤ人的なものがあるということである。つまり、ヤハウェ的なもの=同一性主義である。父と子と聖霊の三位一体説であるから、当然であろう。父はヤハウェなのだから。つまり、クリスチャンは、矛盾していて、子(キリスト)的であろうとして、父(ヤハウェ)を排除しているのである。その排除されたものが、被抑圧として、クリスチャンの内面に怨恨(ルサンチマン)として存在するのである。これが、西洋文明の覇権の精神力学的原動力である。ニーチェの慧眼は超驚異的である。

追記2:さらに展開すると、父ヤハウェ(エホバ)とは何かがわかるだろう。ヤハウェは、力をもつが、その根源は、端的に、Media Pointであり、それが、同一性志向性エネルギーを帯びたものがヤハウェである。超越性と同一性志向性をもっているのである。

***************
■ タルムード
yohmei

歴史をたどると、中世 ヨーロッパ では各国から次々とユダヤ人 が追放されています。

1290年 イギリス

1306年 フランス

1348年 ザクセン

1360年 ハンガリー

1370年 ベルギー

1380年 スロヴァキア

1420年 オーストリア

1444年 オランダ

1492年 スペイン

これはどうみても異常でしょう。犯罪 者個人が国外に追放されるのならばわかりますが、すべてのユダヤ人 が追放されるということは、よほどの理由があるはずです。

当時のユダヤ人 の所業を知る手がかりとして、腐敗した中世 教会 に対して立ち向かった宗教改革 者マルティン・ルター の著作『ユダヤ人と彼らの嘘』 があります。

(全文が、こちらで読めます。http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/5614/yumoku.html )

過激派 を糾弾、暴力を伴う改革を否定したルター が、ユダヤ人 に対しては、「ユダヤ教 のシナゴーグ (礼拝所)は火を放して焼き尽くせ・・・ユダヤ人 の住家屋は取り壊されるべし・・・ユダヤ人 は家畜小屋のようなところに押し込めてしまい、この国土で彼らが主人ではないことを思い知らしめよう・・・これら有毒な苦虫たち(=ユダヤ人 )から かれらの持ち物(私財)を取り上げてしまえ・・・そして二度とこの地に帰ってこないように国外に放逐してしまえ」と述べています。

何故、ユダヤ人 はこれほどに忌み嫌われたのでしょう?

その理由は、タルムード を知ることによって推し測れるのではないかと思います。

http://d.hatena.ne.jp
/rainbowring-abe/20060105
日本人が知らない 恐るべき真実


参考:
タルムード
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション , 検索
Talmud-Berachoth.jpg

タルムード(ヘブライ語 : תלמוד‎ Talmud、「研究」の意)は、モーセ が伝えたもう一つの律法とされる「口伝律法 」を収めた文書群である。6部構成、63編から成り、ラビの教えを中心とした現代のユダヤ教 の主要教派の多くが聖典 として認めており、ユダヤ教徒 の生活・信仰の基となっている。ただし、聖典として認められるのはあくまでヘブライ語 で記述されたもののみであり、他の言語に翻訳されたものについては意味を正確に伝えていない可能性があるとして聖典とはみなされない。
成立の過程 [編集 ]

ユダヤ教の伝承によれば、神はモーセに対し、書かれたトーラー とは異なる、口伝で語り継ぐべき律法をも与えたとされる。これが口伝律法 (口伝のトーラー)である。

時代が下って2世紀末ごろ、当時のイスラエル におけるユダヤ人共同体の長であったユダ・ハナシー(ハナシーは称号)が、複数のラビ たちを召集し、口伝律法を書物として体系的に記述する作業に着手した。その結果出来上がった文書群が「ミシュナ 」である。本来、口伝で語り継ぐべき口伝律法があえて書物として編纂された理由は、一説には、第一次 ・第二次ユダヤ戦争 を経験するに至り、ユダヤ教の存続に危機感を抱いたためであるともされる。

このミシュナに対して詳細な解説が付されるようになると、その過程において、現在それぞれ、エルサレム・タルムード、バビロニア・タルムードと呼ばれる、内容の全く異なる2種類のタルムードが存在するようになる。現代においてタルムードとして認識されているものは後者のバビロニア・タルムードのことで、6世紀ごろには現在の形になったと考えられている。

当初、タルムードと呼ばれていたのはミシュナに付け加えられた膨大な解説文のことであったが、この解説部分は後に「ゲマラ 」と呼ばれるようになり、やがてタルムードという言葉はミシュナとゲマラを併せた全体のことを指す言葉として使用されるようになった。
ユダヤ教徒にとってのタルムード [編集 ]

「タルムードはユダヤ教徒の聖典である。」という解説が今まで日本では多くなされてきているが、実際には必ずしもすべてのユダヤ教徒がタルムードの権威を認めているわけではない。

タルムードの権威とは、すなわちラビ (教師)の権威のことでもあり、こうした権威を認めないユダヤ教の宗派は決して少なくはない。

カライ派 は、ラビ文書の権威を認めない代表的な宗派であり、モーセのトーラー のみを聖典としているのは有名である。

また、シャブタイ派 (サバタイ派)の流れを汲むユダヤ教 においては、むしろタルムードを否定するという立場をとる。
構成 [編集 ]
バビロニア・タルムード全巻

ミシュナを中央に配置し、その周囲にゲマラを記述する形式となっている。

* זרעים (Zeraim) - 11編構成。祈りと祝福・什一税 ・農業に関する法を扱う。
1. ベラホット
2. ペアー Pe'ah
3. デマイ
4. キルアイム Kilayim
5. シェビイート
6. テルモット
7. マアセロット
8. マアセル・シェニー Ma'aser Sheni
9. ハッラー Hallah
10. オルラー Orlah
11. ビクリーム
* מועד (Moed) - 12編構成。安息日 と祭りに関係する。
1. シャバット
2. エルビン
3. ペサヒーム
4. シェカリーム
5. ヨマー
6. スカー
7. ベイツァー
8. ロシュ・ハシャナー
9. タアニート
10. メギラー
11. モエード・カタン Mo'ed Katan
12. ハギガー
* נשים (Nashim) - 7編構成。結婚と離婚、誓約に対する作法とナジル人 の法に関係する。
1. イェバモット
2. ケトゥボット
3. ネダリーム
4. ナジール
5. ソター
6. ギッティン Gittin
7. キダシン Kiddushin
* נזיקין (Nezikin) - 10編構成。市民の商売と刑罰、法廷の機能と誓約について。
1. ババ・カマ
2. ババ・メツィア
3. ババ・バトラ
4. サンヘドリン
5. マコット
6. シェブオット
7. エドゥヨット
8. アボダー・ザーラー
9. アボット
10. ホラヨット
* קודשים (Kodshim) - 11編構成。生贄の儀式に関する、神殿 と食事の法。
1. ゼバヒーム
2. メナホット
3. フリン Hullin
4. ベホロット
5. アラヒン
6. テムラー
7. ケリトット
8. メイラー
9. タミード
10. ミドット
11. キニーム
* טהרות (Taharot) - 12編構成。祭儀的な潔・不潔等の法に関係する。
1. ケイリーム
2. オホロット
3. ネガイーム
4. パーラー
5. トホロット
6. ミクヴァオート
7. ニダー
8. マフシリン
9. ザービーム
10. テブール・ヨーム
11. ヤダイム
12. ウクツィーン

関連項目 [編集 ]
ウィキメディア・コモンズ
ウィキメディア・コモンズ には、タルムード に関連するカテゴリがあります。

* ラビ・ユダヤ教  (ラビ的ユダヤ教)
* ファリサイ派 - 口伝律法を伝えた教派。
* モーゼス・マイモニデス

外部リンク [編集 ]

* 魔女の鎚 - タルムード全巻一覧


2009年09月23日(Wed)▲ページの先頭へ
脱欧(米)入亜の新エポック:トランス・オクシデント&トランス・モダン:差異民主主義へ
これまで、本テーマを唱えてきたが、いよいよ現実化する時代(エポック)になってきた。
 西洋文明は物質文明と精神文明が連続化していた文明(占星術的には、双魚宮文明である)であった。今や、精神が主となり、物質が従となる「霊主体従」の新東洋文明の時代(占星術的には、宝瓶宮文明)に相転移すると考えられる。
 私はどうも韓国がリードするように思える。次いで、中国圏であり、東南アジアであり、イランであり、インドである。日本の場合、明治維新/戦後の近代主義化を清算する必要がある。これは、深く、封建主義=父権主義が作用している。この清算が難しいだろう。官僚主義もこの一環である。
 あえて言えば、前近代の日本に、創造的に回帰する必要があるのである。

参照:(鳩山首相は宝瓶宮生まれだが、胡散臭い「友愛」はこれと関係するのか?)
《 宝瓶宮時代の幕開け 》

追記:以下で述べられていることは、かなり理想主義的である。大きな欠陥の一つは、調和主義に傾斜していて、悲劇的認識が欠落していることである。創造と破壊の両面がここでは必要なのである。
 また、クリスタルな精神性を説くが、しかしながら、問題は絶対的差異である。多様な絶対的差異が共鳴するのがトランス・モダン/トランス・オクシデントである。何か、統一主義的な発想があるのが問題である。その他、言いたいことはあるが、今はここで留めたい。

世界は今後、約2,160年間続く「宝瓶宮時代」を迎えました。
宝瓶宮時代を迎えた今日、これまでの価値観や世界の在り方が変わっていくとともに、新しい真実が次々と明らかになっていきます。
それは、超能力などの不思議なパワーや、超常現象の解明も夢ではありません。
なぜなら、水瓶宮(宝瓶宮:ほうへいきゅう)のシンボルマーク「同じ形の上下の波」に象徴される電磁波や宇宙放射線など、目に見えない「波動」の存在や影響力は、宝瓶宮時代において次々と解明され、その活用が広がっていくからです。

・・・・・
《 世界的な友愛精神による宝瓶宮時代 》

さて、宝瓶宮時代は、ルル・ラブア師の書籍にも書かれていることですが、「今までの一切の思想や宗教、国籍や人種にとらわれない、水晶(クリスタル)のような透明な精神を持った新しい人類が現れてくる」と言われています。
やや文学的な表現ではありますが、宝瓶宮時代(水瓶宮)の象意の一端を象わした表現に間違いはありません。
この「一切の思想や宗教、国籍や人種にとらわれない…」という文言は、双魚宮時代をリードしてきた「思想や宗教」が、そのパワーをなくしていくということです。それは、人類歴史に対する「思想や宗教」の大きな使命が終わりを迎えたことを意味しています。
また「国籍や人種にとらわれない、水晶(クリスタル)のような透明な精神…」というのは、近現代の主流となった自由・平等・博愛の精神、すなわち「友愛精神」を示しています。
これらの動きや、世界的な友愛精神やプラトニックな愛は、水瓶宮の特徴なのです。
これからは双魚宮時代の旧い価値観から、宝瓶宮時代の新しい価値観へと徐々に変化していくのです。

One-Point ◆ 近年、すでにその変化が現れていることにお気づきでしょうか? 詳しくは、このあと述べてまいります。思想や宗教といった魚宮の観念的な世界ではなく、自由な個性や平等(博愛)社会の実現といった現実理想が宝瓶宮時代の主な価値観になっていくのです。

http://www.aqast.net
/500history.html

NEW HORIZON
宝瓶宮占星学


2009年08月15日(Sat)▲ページの先頭へ
『思考実験としての宗教推理:ヤハウェの精神力学について:ユダヤ教的一神教問題:光の神と超光の神の二重性と唯一神:二つのユダヤ教とゾロアスター教:捩じ曲げたのはキリスト教ではないのか?:父権的ローマ帝国が「父」・ヤハウェを欲したのではないのか。』
『思考実験としての宗教推理:ヤハウェの精神力学について:ユダヤ教的一神教問題:光の神と超光の神の二重性と唯一神:二つのユダヤ教とゾロアスター教:捩じ曲げたのはキリスト教ではないのか?:父権的ローマ帝国が「父」・ヤハウェを欲したのではないのか。』

自己認識方程式(+i)*(-i)⇒+1について復習的に言うと、⇒が正エネルギーで、+1が同一性・物質を意味するが、同一性は同一性自己ないしは自我ということでもある。この同一性自己自体は、左辺の差異共振様態を知らない。では、左辺の原事象はどうなっているのか。これまで、対象に対する同一性の投影ということを考えてきたが、同一性自己においては、単に他者である対象-iを「誤認」するだけでなく、本来の自己である+iも「誤認」しているのではないのか。
 では、この「誤認」の様態はいかなるものか。端的に、本来の自己+iを+1と「誤認」している。そして、他者-iをも+1と「誤認」しているのではないだろうか。この二つの「誤認」は、自己と他者を、言わば、+1の同一性のヴェールで包むことではないだろうか。同一性の仮現化とも言えよう。これは、言い換えると、自己と他者との一致ではないだろうか。即非で言えば、即である。あるいは、自己と他者の癒着である。あるいは、混淆・混同・混濁である。理論的には、連続化、又は、連続的同一性化と言える。そして、これが、フッサールが説いた自然的態度に相当するし、仏教で言えば、「色」である。
 以上は確認であるが、同一性に関してより明晰になったと考えられる。この視点を参考にして、次に、本題、即ち、聖書のヤハウェの力学についてここで改めて検討したい。
 これまでの考えでは、ヤハウェは、+iであり、それが、-iを否定して、同一性の構造と結びついていると考えた。思うに、⇒+1の⇒の先端が同一性構造ではないだろうか。
 さて、超越神であり、また、唯一神であるから、+iというのは妥当である。これは、ヤハウェである。しかし、創造神としての神が存するが、それは、実は、ヤハウェではなく、エローヒーム(神の複数形)である。創造は、端的に、差異共振からの同一性現象を発現を意味するから、+iのみでは、創造はできないのあり、だから、-iが存するということになる。そうなので、エローヒームは、Media Point と考えられる。
 だから、聖書には、+iの神とMedia Point の神の二重性を確認するのが妥当であり、だから、既述したが、端的に、唯一神、一神教とは虚構である。結局、創造には、Media Point が必要なのであり、それは、最低、二重ないしは三重であり、唯一神では足りないのである。
 とまれ、問題はヤハウェの力学である。それは、+iであり、-iを抑圧するもと考えたが、いったいそれはどういうことなのだろうか。思考実験するが、ひょっとしたら、(+i)*-(-i)⇒-1を意味するのではないだろうか。あるいは、商としての-1である。いったい、-1とは何だろうか。+1が同一性とすれば、-1は、非同一性ではないだろうか。同一性を解体する「力」ではないのか。
 考えると、エローヒームが差異共振によって、創造する。それは、当然、同一性現象となるのである。しかし、ヤハウェ+iは、-1の非同一性の「力」をもって、同一性現象を破壊・解体するのではないだろうか。偶像破壊とはこれがもたらすのではないのか。
 以上のように想定すると、聖書(旧約聖書)は、正に、「絶対矛盾的自己同一」の様態をもつのではないだろうか。現象であり、かつ、脱現象である。あるいは、両極に引き裂かれていると言うべきではないだろうか。
 とまれ、そうならば、結果的に、+i/-1の超越神・「唯一神」のヤハウェは、重要な役割をもっていると言えよう。つまり、絶対的抽象化である。具象の否定である。抽象知性化である。しかも、超越的な知性である。言い換えると、超越論的知性ではないだろうか。思うに、フッサールの超越論的主観性も、PS 理論の知もここに位置するのではないのか。
 ⇒+1が光ならば、⇒-1は闇である。しかし、それは、正しくは、光の裏面ではないのか。非光である。いわば、鏡面の裏側ではないだろうか。⇒+1は光であるが、+1 の同一性のために、同一性(物質)の闇を抱えているのである。ゾロアスター教的には、悪神アンラ・マンユである。それこそ、本来の闇であるから、-1を闇と呼ぶのは、混同となる。思うに、不可視の領域と言うべきではないだろうか。あるいは、超光の領域と。そうならば、ゾロアスター教的には、善神のスプンタ・マンユがそこに位置するだろう。
 とまれ、-1を暫定的に超光と呼ぼう。そうすると、先のことにもどると、聖書は、光の神と超光の神の「二人」の神がいるということになる。しかしながら、それは、ゾロアスター教の様態と同質ではないのか。
 否、違う。つまり、通常、聖書(旧約)は、一神教の聖典と考えられていて、唯一神の書と見られているのである。つまり、光の神と超光の神が同一化・混同されているということである。これは、聖書の本来の事象から見ると、捩じ曲げ、ないしは、「書き換え」である。そうならば、本来のユダヤ教と一神教化されたユダヤ教があるということになろう。前者はゾロアスター教的である。(本題から少しそれているが、本題の検討はいちおう終了として、この捩じ曲げの問題の検討を続けよう。)
 本来の聖書(旧約)は、ヤハウェとエローヒームの「二人」の神がいるのである。それを唯一神(一人の神)Godにしたのは、西洋文化ではないのか。直感では、ローマ帝国のキリスト教教父たちである。
 そう、キリスト教が「二人」の神を唯一神に捩じ曲げたのではないのか。あるいは、改竄したのではないのか。本来のユダヤ教(プロト・ユダヤ教と言おう)は、「父」と「母」が存するのであるが、「父」だけをとり出したのは、キリスト教と考えられよう。
 これは、いったい何なのか。ヤハウェだけをとり出すとはいったい何なのか。そう、端的に、父権化と考えられる。エローヒームは創造神・造化の神であり、「母」であり、母権的であり、多神教的である。
 ということで、父権制を意味すると言えよう。社会的に言えば、父権的なローマ帝国を護持するために、「父」・唯一神が必要であったと思われるのである。
 今はここで留める。


2009年05月23日(Sat)▲ページの先頭へ
コーラ教会Chora Churchの円天井画を見て驚嘆する:東洋・アジア的大女神的イエス教である:Ver2
私はこのカーリエ博物館の円天井画を見て驚いた。中心に聖母子が位置し、使徒12人を統括している図像でああるからである。ここには、なんとヤハウェ(唯一神/超越神)が不在である。正に、大女神的イエス教の図像であると思った。使徒12人とは、黄道十二宮が本来ではないだろうか。(追記:使徒12人と言ったが、図像には、翼がついている。すると、天使、大天使となるだろう。しかし、天使は通常、9階級あるのである。)
 とまれ、イスタンブールであるから、古代はアナトリアの地であり、小アジアであり、女神信仰・崇拝の盛んな地域であったのである。だから、女神信仰・崇拝の一環としてイエス教がここに描かれていると思ったのである。すばらしい21世紀/トランス・モダン聖霊教の図像であると考えられるのである。
 そう、またさらに驚くべきことは、英語名では、コーラ教会となっていることである。コーラとはプラトンの『ティマイオス』のコーラと同じであると考えられる(以下、英語Wikipediaの青文字で強調した箇所を参照されたい。強調は花鳥風月庵。少し説明すると、イエスを「生者の土地[郷土・郷国)」として、聖母マリアを「容れることが不可能なものの容器」と述べていることである。この「土地」や「容器」の概念が正に、プラトンのコーラに通じると言えよう。これは、PS理論としては、端的に、Media Pointと考えられるのである。言い換えると、超越性を身体・大地化するというようなことだと考えられる。後で、精緻に検討したい。)。つまり、Media Pointである。Media Point Church(Temple, Shrine)となるのである。正に、大女神に相応しい教会と言えよう。東洋・アジア的教会と言えよう。

追記:昔、トルストイの『戦争と平和』や『復活』を読んで、簡潔ながら、蒼穹を円天井として美しく表現されていたが、その発想の元はこのような東方教会ではなかったかと思った次第である。トルストイやドストエフスキーの「キリスト教」はロシア正教(正教会)である。それは、今や非唯一神的東洋・アジア的大女神(大元母神)的イエス(「日御子」)教と呼べよう。


File:Chora Church Constantinople 2007 011.jpg

The Virgin and child, painted dome of the parecclesion of Chora Church.
(クリックすると拡大します。)

Chora Church
From Wikipedia, the free encyclopedia
Jump to: navigation , search
Front view of Chora Church
Rear view of Chora Church

The Chora Museum (Turkish Kariye Müzesi, Kariye Camii, or Kariye Kilisesi ― the Chora Museum, Mosque or Church) is considered to be one of the most beautiful examples of a Byzantine church .[1] The church is situated in the western, Edirnekapı district of Istanbul . In the 16th century, the church was converted into a mosque by the Ottoman rulers , and it became a secularised museum in 1948. The interior of the building is covered with fine mosaics and frescoes .
History
Sketch map of the church interior
Sketch map of the interior plan of the Chora Church

The Chora Church was originally built outside the walls of Constantinople , to the south of the Golden Horn . Literally translated, the church's full name was the Church of the Holy Saviour in the Country: although "The Church of the Holy Redeemer in the Fields" would be a more natural rendering of the name in English. (Greek ἡ Ἐκκλησία του Ἅγιου Σωτῆρος ἐν τῃ Χώρᾳ, hē Ekklēsia tou Hagiou Sōtēros en tē Chōra).[2] The last part of that name, Chora, referring to its location originally outside of the walls, became the shortened name of the church. The original church on this site was built in the early 5th century, and stood outside of the 4th century walls of Constantine the Great . However, when Theodosius II built his formidable land walls in 413–414, the church became incorporated within the city's defences, but retained the name Chora. The name must have carried symbolic meaning, as the mosaics in the narthex describe Christ as the Land of the Living (ἡ Χώρα των ζώντων, hē Chōra tōn zōntōn) and Mary, the Mother of Jesus , as the Container of the Uncontainable (ἡ Χώρα του Ἀχώρητου, hē Chōra tou Achōrētou).

The majority of the fabric of the current building dates from 1077–1081, when Maria Dukaina, the mother-in-law of Alexius I Comnenus , rebuilt the Chora Church as an inscribed cross or quincunx : a popular architectural style of the time. Early in the 12th century, the church suffered a partial collapse, perhaps due to an earthquake . The church was rebuilt by Isaac Comnenus, Alexius's third son. However, it was only after the third phase of building, two centuries after, that the church as it stands today was completed. The powerful Byzantine statesman Theodore Metochites endowed the church with much of its fine mosaics and frescos . Theodore's impressive decoration of the interior was carried out between 1315 and 1321. The mosaic-work is the finest example of the Palaeologian Renaissance. The artists remain unknown. In 1328, Theodore was sent into exile by the usurper Andronicus III Palaeologus . However, he was allowed to return to the city two years later, and lived out the last two years of his life as a monk in his Chora Church.

During the last siege of Constantinople in 1453, the Icon of the Theotokos Hodegetria , considered the protector of the City, was brought to Chora in order to assist the defenders against the assault of the Ottomans .[3]

Around fifty years after the fall of the city to the Ottomans , Atık Ali Paşa, the Grand Vizier of Sultan Bayezid II , ordered the Chora Church to be converted into a mosque ― Kariye Camii. Due to the prohibition against iconic images in Islam , the mosaics and frescoes were covered behind a layer of plaster. This and frequent earthquakes in the region have taken their toll on the artwork.

In 1948, Thomas Whittemore and Paul A. Underwood, from the Byzantine Institute of America and the Dumbarton Oaks Center for Byzantine Studies, sponsored a programme of restoration. From that time on, the building ceased to be a functioning mosque. In 1958, it was opened to the public as a museum ― Kariye Müzesi.

[edit ] Interior
The Virgin and child, painted dome of the parecclesion of Chora Church.

The Chora Church is not as large as some of the other Byzantine churches of Istanbul (it covers 742.5 m²), but what it lacks in size, it makes up for in the beauty of its interior. The building divides into three main areas: the entrance hall or narthex , the main body of the church or naos , and the side chapel or parecclesion. The building has six domes : two in the esonarthex, one in the parecclesion and three in the naos.

・・・・・

File:HSX Mary genealogy.jpg

Mosaic of the Virgin Mother with child, north dome of inner narthex


File:Chorachurchfresco.JPG.jpg

Close-up of the Virgin Mother with child, north dome of inner narthex



http://en.wikipedia.org/wiki
/Chora_Church


Chora Churchの円天井画を見て驚く:東洋・アジア的大女神的イエス教である
私はこのカーリエ博物館の円天井画を見て驚いた。中心に聖母子が位置し、使徒12人を統括している図像であれうからである。ここには、ヤハウェ(唯一神/超越神)がいないのである。正に、大女神的イエス教の図像であると思った。使徒12人とは、黄道十二宮が本来ではないだろうか。
 とまれ、イスタンブールであるから、古代はアナトリアであり、小アジアであり、女神信仰の盛んな地域であったのである。だから、女神信仰の一環としてイエス教がここに描かれていると思ったのである。すばらしい21世紀/トランス・モダン聖霊教の図像であると考えられるのである。
 そう、また驚くべきことは、英語名では、コーラ教会となっていることである。コーラとはプラトンのコーラと同じであると考えられる。つまり、Media Pointである。Media Point Church(Temple, Shrine)となるのである。正に、大女神に相応しい教会と言えよう。東洋・アジア的教会と言えよう。

追記:昔、トルストイの『戦争と平和』や『復活』を読んで、簡潔ながら、蒼穹を円天井として美しく表現されていたが、その発想の元はこのような東方教会ではなかったかと思った次第である。トルストイやドストエフスキーの「キリスト教」はロシア正教である。それは、今や東洋・アジア的大女神的イエス教と呼べよう。


File:Chora Church Constantinople 2007 011.jpg

The Virgin and child, painted dome of the parecclesion of Chora Church.
(クリックすると拡大します。)

Chora Church
From Wikipedia, the free encyclopedia
Jump to: navigation , search
Front view of Chora Church
Rear view of Chora Church

The Chora Museum (Turkish Kariye Müzesi, Kariye Camii, or Kariye Kilisesi ― the Chora Museum, Mosque or Church) is considered to be one of the most beautiful examples of a Byzantine church .[1] The church is situated in the western, Edirnekapı district of Istanbul . In the 16th century, the church was converted into a mosque by the Ottoman rulers , and it became a secularised museum in 1948. The interior of the building is covered with fine mosaics and frescoes .
History
Sketch map of the church interior
Sketch map of the interior plan of the Chora Church

The Chora Church was originally built outside the walls of Constantinople , to the south of the Golden Horn . Literally translated, the church's full name was the Church of the Holy Saviour in the Country: although "The Church of the Holy Redeemer in the Fields" would be a more natural rendering of the name in English. (Greek ἡ Ἐκκλησία του Ἅγιου Σωτῆρος ἐν τῃ Χώρᾳ, hē Ekklēsia tou Hagiou Sōtēros en tē Chōra).[2] The last part of that name, Chora, referring to its location originally outside of the walls, became the shortened name of the church. The original church on this site was built in the early 5th century, and stood outside of the 4th century walls of Constantine the Great . However, when Theodosius II built his formidable land walls in 413–414, the church became incorporated within the city's defences, but retained the name Chora. The name must have carried symbolic meaning, as the mosaics in the narthex describe Christ as the Land of the Living (ἡ Χώρα των ζώντων, hē Chōra tōn zōntōn) and Mary, the Mother of Jesus , as the Container of the Uncontainable (ἡ Χώρα του Ἀχώρητου, hē Chōra tou Achōrētou).

The majority of the fabric of the current building dates from 1077–1081, when Maria Dukaina, the mother-in-law of Alexius I Comnenus , rebuilt the Chora Church as an inscribed cross or quincunx : a popular architectural style of the time. Early in the 12th century, the church suffered a partial collapse, perhaps due to an earthquake . The church was rebuilt by Isaac Comnenus, Alexius's third son. However, it was only after the third phase of building, two centuries after, that the church as it stands today was completed. The powerful Byzantine statesman Theodore Metochites endowed the church with much of its fine mosaics and frescos . Theodore's impressive decoration of the interior was carried out between 1315 and 1321. The mosaic-work is the finest example of the Palaeologian Renaissance. The artists remain unknown. In 1328, Theodore was sent into exile by the usurper Andronicus III Palaeologus . However, he was allowed to return to the city two years later, and lived out the last two years of his life as a monk in his Chora Church.

During the last siege of Constantinople in 1453, the Icon of the Theotokos Hodegetria , considered the protector of the City, was brought to Chora in order to assist the defenders against the assault of the Ottomans .[3]

Around fifty years after the fall of the city to the Ottomans , Atık Ali Paşa, the Grand Vizier of Sultan Bayezid II , ordered the Chora Church to be converted into a mosque ― Kariye Camii. Due to the prohibition against iconic images in Islam , the mosaics and frescoes were covered behind a layer of plaster. This and frequent earthquakes in the region have taken their toll on the artwork.

In 1948, Thomas Whittemore and Paul A. Underwood, from the Byzantine Institute of America and the Dumbarton Oaks Center for Byzantine Studies, sponsored a programme of restoration. From that time on, the building ceased to be a functioning mosque. In 1958, it was opened to the public as a museum ― Kariye Müzesi.

[edit ] Interior
The Virgin and child, painted dome of the parecclesion of Chora Church.

The Chora Church is not as large as some of the other Byzantine churches of Istanbul (it covers 742.5 m²), but what it lacks in size, it makes up for in the beauty of its interior. The building divides into three main areas: the entrance hall or narthex , the main body of the church or naos , and the side chapel or parecclesion. The building has six domes : two in the esonarthex, one in the parecclesion and three in the naos.

・・・・・

File:HSX Mary genealogy.jpg

Mosaic of the Virgin Mother with child, north dome of inner narthex


File:Chorachurchfresco.JPG.jpg

Close-up of the Virgin Mother with child, north dome of inner narthex



http://en.wikipedia.org/wiki
/Chora_Church


2009年04月28日(Tue)▲ページの先頭へ
太陽活動の低下(黒点の異常な減少)と新型インフルエンザ:新黙示録
テーマ:医学・病気

私は先に、結核が流行していることを怪訝に感じた。そこで、おそらく太陽活動の低下について言及したのではないだろうか。言い換えると、「気」エネルギーが低下しているということである。
 どうも、今回の「恐怖」の豚インフルエンザの世界的拡大も、そのようなことが背景にあるのではないだろうか。
 ここで語源からinfluenzaを見てみよう。小学館ランダムハウス大辞典からである。

*****************

influenza

[1743.<イタリア語<中世ラテン語 influentia; イタリア語で16世紀始めから天体の影響とみなされる大流行の伝染病を指したが,1743年のイタリアかぜ[流感]から各国語に借用された; INFLUENCE]

influence

[中期英語<中世ラテン語 influentia 星の感化力;中世には星の光が体内に流れ込み心身に影響を与えると考えられ,のちに一般的な「影響」という意味になった; INFLUENT, INFLUENZA]

***************

つまり、インフルエンザとは天体がもつ信じられていた影響力によって生じた大流行の伝染病のことである。これは、占星術に拠る考え方である。
 占星術はそのままではあまりに不合理であるが、PS理論の視点を介すると、Media Pointにおけるエネルギーの放出が考えられるのであり、黒点が異常に減少しているというのは、太陽というMedia Pointからのエネルギーが不足しているということになり、免疫系がそれによって、弱化するということが考えられないことはない。
 道教的に言えば、「気」エネルギーが不足しているのである。そのために、免疫系が弱体化して、それまで、抑えられていたウィルス等が活性化するというのは、考えられるのである。
 そうならば、これから、さらに多くの新型インフルエンザが大流行することになるだろう。経済だけでなく、病気においても、「大恐慌」の事態となる可能性がある。私は西洋文明の終焉を唱えてきたが、それは、父権文明の終焉でもある。新黙示録的な時代になってきたと言えよう。新大洪水の時代である。

参照:次のように結核と宇宙環境の関係を示唆していた。
『結核と環境:「気」の浸透する田舎の環境
テーマ:医学・病気

結核が流行っているというのは何年も前から聞いてはいるが、感染の増加はなにか気にかかる。なにかが壊れているという直感がある。そう、日本人の身体の免疫系が壊れかけているのではないのか。それは、なんらかの自然・宇宙環境の突然変異的変化と関係しているのではないだろうか。
 中には謀略を言う人もいるが。思うに、食生活と都市環境に問題があるのではないだろうか。私はたまには、田畑や杉林に囲まれた田舎の実家に戻るが、はっきりと、「気」に浸透されているのが直覚される。東京に戻ると、「気」はほとんど感じられないのである。』
http://ameblo.jp/renshi
/entry-10238732013.html

@@@@@@@@@@@@@@@@

新型インフルQ&A:症状や感染経路、治療方法は?
豚インフルエンザ感染拡大を知らせる電光掲示板=東京・有楽町で2009年4月28日午前9時32分、尾籠章裕撮影
豚インフルエンザ感染拡大を知らせる電光掲示板=東京・有楽町で2009年4月28日午前9時32分、尾籠章裕撮影

 豚インフルエンザの世界各地への流行の広がりで注目される「新型インフルエンザ」。症状や予防法など基礎知識をまとめた。
 ◇ Q 新型インフルエンザとは何ですか?

 A 動物のインフルエンザウイルスが人に感染し、人の体内で増殖できるように変化した後、人から人へと効率よく感染できるようになった未知のウイルスによって発症するインフルエンザです。現在、流行しているインフルエンザとは異なり、人類のほとんどが新しいウイルスに対する免疫を持たないため、簡単に感染しやすく、世界的大流行(パンデミック)につながる恐れがあると警戒されています。今回は豚インフルエンザウイルスの感染が広がり、世界保健機関(WHO)が警戒レベルを引き上げました。想定されていた鳥インフルエンザから変異した新型インフルエンザとは異なりますが、日本政府は新型インフルエンザと認定しました。現代社会は、都市への人口集中、大量輸送交通機関の発達などによって、短期間で世界中にまん延する可能性が高く、WHOや各国政府は、新型インフルエンザの発生に備えた対策を進めてきました。
 ◇ Q 警戒レベル引き上げを受け、どのように行動すべきですか?

 A 現段階では、日本国内での感染者は確認されておらず、パニックになる必要はありません。厚生労働省のホームページ(http://www‐bm.mhlw.go.jp/index.html)などから正確な情報を入手して、落ち着いて行動してください。
 ◇ Q 新型インフルエンザは、どんな症状が出るのですか?

 A 高熱、頭痛、関節痛などの全身症状のほか、のどの痛みや鼻水など風邪のような症状が出ます。気管支炎、肺炎などが併せて起こり重症化することもあります。重症患者の発生割合は、ウイルスの毒性によって異なります。
 ◇ Q 新型インフルエンザは、どのように感染するのですか?

 A 主な感染経路は飛沫(ひまつ)感染と接触感染です。くしゃみやせきによって、唾液(だえき)や鼻水の細かい粒を吸い込むことと、汚染された手で鼻や目を触ることで感染すると考えられています。
 ◇ Q 新型インフルエンザの感染予防策を教えてください。

 A 厚労省が通常のインフルエンザに有効として挙げている予防策は以下の点です。

 ▽外出後には手洗い、うがいをする▽手洗いはせっけんを用いて15秒以上。水を十分にふき取る▽流行地への渡航、人ごみや繁華街への不要不急な外出をしない▽十分に休養をとり、体力や抵抗力を高め、バランスよく栄養をとる。

 新型が出現した場合も、同様の予防策に努めることが重要です。

 また他人に感染させないためにも、せきやくしゃみの症状がある人は、必ずマスクをつける「せきエチケット」の徹底を呼びかけています。
 ◇ Q 発熱など、発症が疑われる場合はどうすればいいですか?

 A 厚労省は、メキシコや米国から帰国した人などの問い合わせに応じる電話相談窓口(03・3501・9031)を設置しています。各地の保健所なども問い合わせに応じますので、指示に従って指定された医療機関で受診してください。
 ◇ Q 豚肉を食べても大丈夫ですか?

 A 豚肉や豚肉加工品を食べても、感染しません。インフルエンザウイルスは熱に弱く、通常の調理をすれば死滅するからです。WHOのホームページには、豚インフルエンザウイルスは70度で調理すれば死滅すると書かれています。また、万が一ウイルスが付着していても、インフルエンザウイルスは酸に弱いため、胃酸によって活動できなくなるためです。
 ◇ Q 今回の豚インフルエンザに感染した場合の治療法は?

 A WHOなどによると、インフルエンザ治療薬のタミフル(一般名リン酸オセルタミビル)とリレンザ(同ザナミビル)は効果があるとされます。シンメトレル(同アマンタジン)は耐性が確認され、効果が期待できません。
 ◇ Q 新型インフルエンザの発生は以前もあったのでしょうか?

 A 過去に発生した新型インフルエンザには、世界で約4000万人、日本で約39万人が死亡したスペイン風邪(1918年)や、アジア風邪(57年)、香港風邪(68年)があります。10〜40年周期で発生するとされ、警戒を求める声が高まっていました。【江口一、永山悦子】

http://mainichi.jp/select/science
/news/20090428k0000e
040074000c.html

新型インフルエンザ対策関連情報
国民の生命と健康を守るため
万全の対策を講じていきます。

「日本時間の4月27日23時、WHOにおいて専門家による緊急委員会が開催され、その結果を踏まえて公表されたWHO事務局のステートメントの中で、継続的に人から人への感染がみられる状態になったとして、フェーズ4宣言が正式になされました。

こうした事態を受け、厚生労働省としては、メキシコ、アメリカ、カナダにおいて、「感染症の予防及び感染症の患者に対する法律」に規定する新型インフルエンザ等感染症が発生したことを、ここに宣言します。

今後は。同法や検疫法に基づき、新型インフルエンザのまん延防止のため必要な措置を講じていくとともに、「新型インフルエンザ対策行動計画」等に則って、関係省庁と密接に連携しながら、国民の生命と健康を守るため、万全の対策を講じていくこととしております。」

厚生労働大臣 舛添要一


新型インフルエンザについてもっと知りたい! 新型インフルエンザQ&A


* 国・自治体としての対策
* 個人でできる対策
* 事業者・職場でできる対策

* 新型インフルエンザ対策行動計画
* 新型インフルエンザ対策ガイドライン

http://www.mhlw.go.jp/bunya
/kenkou/kekkaku-kansen
shou04/index.html
厚生労働省



2009年02月28日(Sat)▲ページの先頭へ
反感(ルサンチマン)の発生:内的他者に対する根源的反感:ヤハウェ文明の終焉と新女神文明の夜明け
『反感(ルサンチマン)の発生について:内的他者に対する反感が根源にあるのか:父権主義の発生又は謎の解明へ向けて:差異共振極性と同一性的二項対立との異質性・不連続性:同一性原理の突然変異性:ヤハウェ文明の終焉と新女神・東洋文明の夜明け』


先に、以下のように、反感とは、鏡面に外的他者=ライバルが現われたとき発生すると述べたが、果たして、内的他者に対して、反感が生じないのかという疑問が浮んだので、この点について検討したい。
 今の直感では、先の考察とは反対に、内的他者への反感があるのではないかと思える。Media Point における虚軸から実軸への不連続的転移において、内的他者-iは、原同一性自己+iにとっては、不都合な存在となると考えられる。本来、双子の片割れであり、親しい存在であるが、同一性志向性においては、いわば、邪魔になる存在である。だから、当然、その時点で、原同一性+iにとって、原他者-iと差異共振性(+i)*(-i)は、反感を覚える存在、状態のはずではないのか。
 ここでも直感で考えよう。「独立」しよう(同一性志向性)とする原同一性+iにとって、原他者-iと差異共振性(+i)*(-i)とは、いわば、抵抗するものであり、原同一性の主観にとっては、反感を催すものではないのか。つまり、原同一性の「自立」の方向(同一性志向性)に対して、それら(本当は、一つで、それ)は、いわば、纏(まと)わりついて、「自立」させない反作用をもたらすと考えられるのである。だから、原同一性はそれらに反感を覚えると考えていいと思うのである。
 ならば、この内的他者への内的反感が原初にあり、それが、外的他者へ投影されると見るのが正当であると考えられることになる。その方が論理的である。外的他者が鏡面に出現する以前に、内的他者に対して反感を抱いているのであり、それが、外的他者に反発すると思われるのである。言い換えると、内的暴力(内的戦争)が外的暴力(外的戦争、つまり、普通の戦争)をもたらすということになる。そう、原同一性の原他者へ抱く優越感とこの内的反感を一如であると言える。
 また、さらに一歩を進めると、この内的優越感と内的反感は、裏返しではないだろうか。平明に言えば、劣等感の裏返しではないのか。反感というのは、本来、優れたものに対するものと考えられるのである。精緻に考えてみよう。ここは、父権主義の秘密を解くキーポイントである。というのは、内的他者・差異共振性とは文化史的には母権主義を意味するのであり、同一性志向性とは、父権的志向性と考えられるからである。
 端的に言えば、同一性志向性とは極端な志向性である。陰陽で言えば、完全な陽に向かうことであり、陰が消失する事態である。いわば、極陽である。極性が消失し、自己完結的となる。(もっとも、極陽とは極陰でもある。つまり、極陽の裏返しが極陰である。)力学的にはそれは、自然的ではあるが、質的、内面的にはどうなのか、である。
 ここで持論の父権主義の同一性傾斜論を導入して考察しよう。内的他者・差異共振性(母権主義)に対して、同一性志向性(原父権主義)は、理解できないものを感じるはずである。わかりやすく言えば、極性精神に対して、二項対立精神は理解できない、不可解なものを感じるはずである。平俗に言えば、女性を男性は理解できない、不可解なものに感ずることと等価である。【だから、Media Point に生起した同一性志向性(原父権主義)とは、一つの突然変異ではないだろうか。異質なものではないのか。あるいは、不連続なものではないのか。言い換えると、女性と男性は完全に他者同士ではないのか。それぞれ、別宇宙の生命体ではないのか】
 理論的には上記のように、極性の極端なケースとして考えることができるが、やはり、同一性志向性とは特異であると思えるのである。何故なら、極性が原理であり、他者とは共鳴するのが本来的であり、他者を排除するのは、原理から外れるからである。極性原理にとって、二項対立原理とは、異常である。
 理論的に考えてみよう。極性(陰陽)において、極陽になった場合、果たして、極陽は陰を排除しているのか。それは、排除していない。陰は単に隠れているだけである。いわば、新月状態である。だから、極陽・極陰を考えても、それは、二項対立ではないのである。
 だから、やはり、同一性志向性=二項対立志向性=原父権主義は、極性原理にとって、突然変異的、異質、異常なのである。極性原理にとり、二項対立はエイリアンである。極性を善にすれば、二項対立は悪である。
 結局、二つの異質な、不連続な原理があると見るべきである。ならば、突然変異的に発生した同一性志向性にとって、差異共振原理は理解できない不可解なものであり、当然、劣等感を感じるものであるから、反感を覚えるはずである。これで解明できた。内的他者(差異共振性=母権原理)に対して、原同一性+iが内的優越感、内的反感を覚えるというのは、根本的には、内的他者に対して、劣等感を感じているからである。つまり、父権原理とは、母権原理に根本的に劣等感を感じているために、反感を感じて、裏返しに、虚栄的な優越感をもつのである。これが、父権暴力の原因である。結局、父権原理の単純さが、盲目に、不合理に母権原理を否定して抑圧しているのである。そして、父権原理の典型がヤハウェである。そして、今日、このヤハウェ文明が終焉を迎えたのである。ヤハウェ葬送の時代であり、新女神文明の夜明けなのである。
 付け加えると、「東海」氏が慧眼にも女性へのコンプレックスが今日の文明にはあると述べていたのである。恐れ入る次第である。
 
参照:
 他者への反感、憎悪、ルサンチマンが生じるには、次のステップが必要となる。同一自己/鏡像自己が形成された後、外的他者が出現したときから、反感の可能が生じると思われる(作業仮説)。それもライバルとしての外的他者である。これをどう見るのか。
 鏡面の位置にライバルの位置があると言えよう。同一性自己像を鏡面の他者に投影するが、鏡面の他者は、それと一致せずに、同一性自己は不快を催すと考えられる。このときに、反感が生起すると言えよう。
 この力学を考察しよう。同一性自己=鏡像自己は既に内的他者を否定しているのである。しかし、それは、内的他者への反感を意味していない。しかし、鏡面の他者=ライバルが出現したとき、それは、実は、否定された内的他者-iの喚起を意味するのではないだろうか。これはどういう力学か。
 そもそも内的他者の否定が鏡面に投影されて外的他者の否定を生むのである。だから、外的他者=ライバルの出現とは、内的他者の否定の心的装置(同一性心的装置)を阻害するものである。ここでこそ、反感(憎悪、ルサンチマン)が発生すると考えられる。言い換えると、内的他者の否定が反感の潜在力なのであり、鏡面の外的他者=ライバルの出現とともに、反感が現実化・実動化(エネルゲイア化)すると考えられるのである。
http://ameblo.jp/renshi
/entry-10215023687.html


1 2 3 4    全102件




新着トラックバック/コメント


カレンダ
2017年6月
       
29 30  

アーカイブ
2006年 (104)
7月 (9)
8月 (6)
9月 (7)
10月 (9)
11月 (39)
12月 (34)
2007年 (542)
1月 (48)
2月 (49)
3月 (67)
4月 (45)
5月 (44)
6月 (1)
7月 (33)
8月 (67)
9月 (47)
10月 (42)
11月 (49)
12月 (50)
2008年 (623)
1月 (40)
2月 (29)
3月 (26)
4月 (38)
5月 (32)
6月 (48)
7月 (49)
8月 (61)
9月 (68)
10月 (86)
11月 (86)
12月 (60)
2009年 (472)
1月 (82)
2月 (66)
3月 (58)
4月 (32)
5月 (27)
6月 (34)
7月 (35)
8月 (26)
9月 (36)
10月 (30)
11月 (28)
12月 (18)
2010年 (251)
1月 (19)
2月 (29)
3月 (29)
4月 (11)
5月 (25)
6月 (33)
7月 (28)
8月 (23)
9月 (15)
10月 (18)
11月 (8)
12月 (13)
2011年 (126)
1月 (11)
2月 (12)
3月 (13)
4月 (12)
5月 (6)
6月 (4)
7月 (5)
8月 (11)
9月 (15)
10月 (7)
11月 (16)
12月 (14)
2012年 (117)
1月 (10)
2月 (13)
3月 (6)
4月 (6)
5月 (14)
6月 (8)
7月 (11)
8月 (7)
9月 (3)
10月 (24)
11月 (9)
12月 (6)
2013年 (145)
1月 (12)
2月 (11)
3月 (9)
4月 (21)
5月 (10)
6月 (9)
7月 (17)
8月 (9)
9月 (5)
10月 (22)
11月 (13)
12月 (7)
2014年 (91)
1月 (6)
2月 (13)
3月 (18)
4月 (5)
7月 (4)
8月 (26)
9月 (7)
10月 (5)
11月 (6)
12月 (1)
2015年 (61)
1月 (6)
2月 (12)
3月 (8)
4月 (14)
5月 (10)
6月 (4)
7月 (6)
8月 (1)

アクセスカウンタ
今日:681
昨日:1,333
累計:4,689,882