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2008年07月05日(Sat)
同一性主義は、何故、否定感情的なのか:新イデア文明としての新太母文化:新超母・新超女文明の誕生へ
これは、既に答えが出ている疑問かもしれないが、再考したい。
思うに、差異を否定するときに、否定感情が発動するということではないだろうか。差異を肯定するならば、肯定感情になり、共感(共鳴)的になると言えよう。 思うに、差異は、異質であり、いわば、異文化的なので、不快感をもたらすであろう。ここにも、否定感情がある。 ところで、白人が有色人種に感じる不快感の原因は何だろうか。それは、視覚印象から来ているのではないだろうか。もし、心眼があれば、不快感はなくなるだろう。思うに、差異への不快感とは、同一性形象がいわば、原型となり、それを基盤として、視覚の快・不快が形成されると考えられる。そう、同一性視覚形象がモデルとなり、それにそぐわないものが排除されるという力学になるのだろう。 思うに、白人の場合、この同一性視覚形象モデル主義が根強くあるのである。そして、これが同一性主義の基盤にあるものではないかと思われるのである。そこに欠落しているのは、心眼である。共感性である。端的に、差異共振性という知恵である。他者への配慮である。 キリスト教は本来、これをもっていたが、一神教性によって阻害されると考えられる。イエスの教えは、本来、差異共鳴性である。 そう、ここであえて言えば、イエスの原型とはディオニュソスである。ディオニュソスは、端的に、イデア・エネルギーであり、それは、太母・大女神文化的である。イエスにとって、母・妻・恋人の女神が本来必要なのである。 父を+iとするなら、母-iが必要である。だから、キリスト教には、母が欠けているのである。これが、白人文明の欠陥であると考えられる。 では、太母と「父」と「母」という対イデアとの関係はどうなるのだろうか。私は、直感では、対イデアを太母と考えてきたのであるが、「父」と「母」との対イデアを考えると、「母」が太母なのかもしれない。 しかしながら、直感は、対イデア自体が太母である。この齟齬をどうみるのか。私は、太母文明は、差異共振文明であるとこれまで述べてきた。それは、「父」と「母」との共鳴文明でなければならない。思うに、文明史・文化史的に、太母と「母」とで混乱が起きたのではないだろうか。 思うに、大地母神と呼ばれるものは、本来、太母であり、「父」と「母」との共鳴エネルギーではなかったか。それが、「母」に同定されていると考えられるのである。つまり、これは、対イデアである太母が、父権主義=同一性主義によって、「母」へと、いわば、貶められた結果ではないのか。 即ち、父権主義の「父」は、+iであり、劣位に置かれた「母」とは、-iである。そして、後者が太母のように考えられたのである。 ギリシア神話で言えば、デーメーテールが大地母神である。しかし、本来は、太母であり、対イデア(イデア共鳴体)と考えられる。 この勘違い・錯誤は、「父」が対イデア(イデア共鳴体)を支配してしまうことに発すると言えるのではないだろうか。 そう、端的に、一神教の神(ヤハウェ)の、いわば、簒奪である。ギリシア神話では、ゼウスの簒奪である。オリュンポスの神々とは、思うに、父権神話と母権神話の、前者中心の混淆ではないだろうか。言い換えると、父権化された母権神話である。 おそらく、これは、多くの神話において生じた混乱ではなかっただろうか。太母が「母」とされたのである。思うに、ギリシア神話では、太母は、アルテミスのような処女神ではないだろうか。アフロディーテ(ヴィーナス)となると、「母」になるのではないだろうか。 とまれ、問題は、母権文化と言ったとき、太母文化なのか、「母」文化なのか、である。一般に混同されていると考えられるのである。ジェンダーによる混乱である。 私が唱える新母権文化とは、新太母文化であり、新イデア(イデア共鳴体)文化である。新ディオニュソス文化と言ってもいいだろう。 例えば、イシス・オシリス神話で言うと、オシリスはディオニュソスになるのであるが、イシスとは何かである。イシスは、イデア共鳴体でなくてはならない。「母」ではなく、太母である。 では、イシスの内包する+iと-iとは何だろうか。それは、天と地である。(そうすると、先に述べた天の柱であるが、それは、虚軸であろう。)天と地との共鳴としてのイシスであり、その現象光としてのオシリスではないだろうか。正に、自己認識方程式が表現するものではないだろうか。 今はここで留めるが、結局、太母と「母」を絶対的に峻別する必要があるということになる。イシスは太母であり、「母」=地ではない。 ここには言葉の問題がある。思うに、超母という言葉を造語して、太母の替わりに使用するのがいいのかもしれない。あるいは、超女であろうか。
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