宗教的思考とイデア論的思考:超越エネルギーと信仰:近代的自我はカルトである:脱父権一神教としてのトランス・モダン・パラダイム・チェンジ |
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2008年03月15日(Sat)
宗教的思考とイデア論的思考:超越エネルギーと信仰:近代的自我はカルトである:脱父権一神教としてのトランス・モダン・パラダイム・チェンジ
先に、宗教的思考について説明したが、これは、言い換えると、イデア論的思考ということになる。勿論、厳密に言えば、プラトニック・シナジー理論的思考ではあるが。思うに、差異共振イデア論的思考ともいえよう。簡略して、差異イデア論的思考であろう。
もっとも、同一性主義と差異主義を、一神教原理と多神教原理と言い換えた方が深さを表現するときは優れているだろう。また、インパクトもある。 ところで、今日、日本人の多くが無宗教と言うのは、決して無神論ということもないだろう。神社仏閣に参拝するのだから、無神論ではない。やはり、日本人の無宗教・不無神論とは、イデア論的なのだと思う。超越エネルギーは感じているのであるが、それに無自覚であったり、また、うまく表現していないと思えるのである。 ここで、超越エネルギーと信仰ないしは信について簡単に言おう。超越エネルギーは、Media Point において発出される。それが同一性自己(自我)を形成し、また、差異として、内発している。同一性自己(自我)が中心化(同一性主義ないしは同一性中心主義。デリダのロゴス中心主義に相当する)されると差異は抑圧否定されて無意識になる。【既述したように、Media Point とは、超越・即非・内在の様態にあるのであり、単純な超越性でなければ、また、単純な内在性でもなければ、また、内在的超越性でもない。この点は、いくら注意しても注意し過ぎることはないだろう。】 Media Point とは、伝統文化的には、魂や心や霊や精神等という用語で指し示されてきたものであると考えられるが、当然、宗教の領域に属するのであるし、また、思想・哲学の領域にも属するのである。 ここにおいて、広義の心は、ある力を受動するのである。ある力とは、超越エネルギーであると考えられるのである。【ただし、同一性主義(自我中心主義)である限り、この力は感受されない。言い換えると、同一性主義では、この超越エネルギーを抑圧否定するのである。平明に言うと、不可視のものの排除である。】この超越エネルギーの感受とは、同一性によっては合理化できない。これは、差異としか理解されないし、的確には、特異性であり、差異共振性と考えられるのである。 この超越エネルギーは、同一性現象性を越えているので、神的現象(ルドルフ・オットーのヌミノーゼ)として捉えられたりする。【いわゆる、オカルト的なものも本来はここに発して、ある場合超常現象として、誤って考えられているだろう。私は占いも本来は、ここに発していると考えている。占いも根源に変えれば、宗教・哲学・科学的である。】この超越エネルギーに対する感受性(感性)における帰依が信仰であろうし、宗教の根源であろう。 しかしながら、この超越エネルギーの受動と共に、能動的な知性を形成することは可能なのである。これが、私が言う宗教的思考=イデア論的思考に当たると考えられる。そう、また、この超越エネルギーに基づいて、能動的表現をすることも可能である。これが、いわゆる、芸術・アート活動であろう。芸術は宗教的である(D. H. ロレンス)というのは、この意味においてである。 問題は、超越エネルギーと同一性の関係である。超越エネルギーが同一性主義化(自我中心主義化)したときは、恐ろしく危険である。思うに、狂信化とは、このことではないだろうか。少し脱線するが、《近代的自我は狂気である》という私のテーゼであるが、これは、超越エネルギーの同一性主義化と言い換えることができそうである。そして、そう考えた方が的確であるような気がする。 これは、また、カルトの問題にも適用できると思われる。オウム真理教の場合であるが、超越エネルギーが同一性主義化して、排他的二元論となり、同一性主義に宗教観念が入って、一種イデオロギーとなり、カルトとなったと言えるのではないだろうか。これは、また、西洋植民地主義、帝国主義、金融資本主義にも適用できよう。また、さらに、ナショナリズムにも適用できる理論ではないだろうか。そう、明治維新におけるナショナリズム・文明開化路線は、この超越エネルギーの同一性主義化(同一性中心主義化)で説明できると思われるのである。端的に言えば、超越エネルギーが、差異という理性を喪失して、同一性主義へと放出されるのである。 この超越エネルギーの同一性主義化(カルト化)の問題について、精緻に考えよう。Media Point と同一性は本来、不連続なのであり、前者は特異性・特異点なのである。言い換えると、両者の間には、亀裂・溝があるのである。しかしながら、カルト化の場合、両者の亀裂・溝が消えて、超越エネルギーが即、同一性へと放出されるのである。言わば、差異回路のショート・短絡である。正に、狂気なのであるが、この原因は何か。 上記において、私は超越エネルギーの受動・感受のことを言い、同一性主義はそれを抑圧否定すると言った。そして、直近において、超越エネルギーの同一性主義化について言い、両者はいわば矛盾・齟齬状態になっているが、このことはどう解明されるだろうか。 超越エネルギーの受動・感受とは、差異の形成を意味するが、超越エネルギーの抑圧否定とは、差異の未形成を意味する。差異が形成される場合、超越エネルギーは能動・積極・肯定的に主体に作用する(スピノザの能動的観念とは、このことを指していると考えられる)が、差異が未形成である場合、超越エネルギーは反動・消極・否定的に主体に作用すると思われる。だから、超越エネルギーの同一性主義化(カルト化)とは、超越エネルギーの能動・積極・肯定化ではなくて、反動・消極・否定化であると考えられる。 しかしながら、後者はどういう事態なのだろうか。やはり、ここには、Media Point の新たな開放があると思われるのである。原近代は、Media Point の開放から開始されたと考えられる。即ち、イタリア・ルネサンスである。そして、それがベースになり、プロテスタンティズム的近代化が生起するのである。しかし、それは、父権一神教的同一性化であったのである。だから、必然的に、そこには、カルト化が起こったと見るべきであろう。魔女狩りは端的にそのようなものであるし、植民地主義や帝国主義もそのようなものである。 そう、やはり、近代的自我/近代合理主義は狂気であると見るべきである。しかし、正しくは、ここで検証したように、近代的自我/近代合理主義はカルトであると修正すべきであろう。 そうならば、敷延すると、父権一神教自体がカルトではないのか。おそらく、そうだろう。ユダヤ・キリスト教はカルトなのである。また、天皇制的一神教もカルトである。(しかしながら、天皇文化は、本来、多神教である。多神教的天皇宗教文化が正しいのである。) だから、オウム真理教問題であるが、それは、端的に、父権一神教の新興宗教的現象であると言えよう。世界の縮図と言えよう。 最後に大問題を投げ掛けよう。いったい、どうして、父権一神教ないしは父権的神話が生まれる必然性があったのか、である。 今は、簡単に答えるだけだが、やはり、母権多神教の衰退があり、なんらかの原因で父権主義化が生起したということであろう。つまり、女性主義が衰退して、男性主義が生起したということである。予見では、Media Point という太極において、陰の志向性が衰退して、陽の志向性が台頭した結果が、父権一神教の誕生であると思われるのである。そうならば、自然のもつカルト性ということになるだろう。 しかし、カルト化の意味とは何か、である。それは、端的に、同一性主義の形成である。つまり、自我主義・物質主義の形成である。言い換えると、西洋文明の形成である。(実際、キリスト教は母権多神教をネガティブながら包摂していると考えられる。)そして、今日、これが終末を迎えて、いよいよ、脱父権一神教=脱自我主義・脱唯物論であるトランス・モダンへとパラダイム・シフトしつつあるということなのだろう。 |
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