「弁証法」と「ニヒリズム」:他者の絶対的否定と自己の絶対的肯定:唯物弁証法⇒ニヒリズム






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2012年07月29日(Sun)
「弁証法」と「ニヒリズム」:他者の絶対的否定と自己の絶対的肯定:唯物弁証法⇒ニヒリズム
以下、森田実氏の現代日本ニヒリズム論は興味深い。
 私はニヒリズムのことは、最近はまったく考えていなかったから、視点的に興味深いのである。
 私は小泉元首相や橋下氏には共通した「弁証法」を直観していたが、小沢一郎氏については、「弁証法」は感じていない。小沢氏は、「弁証法」ではなく、陰陽的極性論的発想があるように思う。この点は今は論考しない。
 とまれ、「弁証法」について簡単に説明して、「ニヒリズム」との関連に触れたい。
 以前述べたが、ヘーゲル弁証法とマルクス/エンゲルス/レーニン弁証法(簡単に唯物弁証法)とは似て非なることを確認する必要がある。ヘーゲル哲学は周知のように観念論であるから、ヘーゲル弁証法は、観念論弁証法と呼べるものであり、唯物弁証法とは対立するものである。
 但し、有名な正反合のヘーゲル弁証法概念であるが、その形式を唯物弁証法は取り入れているので、一見すると類似的ではある。
 とまれ、ヘーゲル弁証法は簡単に言えば、テーゼとしての「精神」があり、アンチテーゼとしての外化(精神の物質化)があり、ジンテーゼとしての外化の止揚・揚棄(アウフヘーベン)をして、アンチテーゼを包摂した新しいテーゼ(精神)を構築することである。
 つまり、ジンテーゼ(合)とは、アンチテーゼの形式を包摂した新しいテーゼを意味するのである。
 マルクスが述べたように、否定の否定としての合ではないのである。この点がキーポイントである。
 そう、そもそも、ヘーゲル弁証法をテーゼ⇒アンチテーゼ⇒ジンテーゼとするのは、ヘーゲル弁証法本来の発想ではないと思う。それは、唯物弁証法の視点だと思う。
 ヘーゲル弁証法はあくまで、観念論弁証法であり、初めに、形而上学的存在としての精神があり、それが、物質的現象的に外化し、その物質的形式を包摂する新たな精神の成立を意味するものである。
 そう、外化と否定とは異なるのである。外化とは、精神の物質化のことであり、いわば、物質的展開のことである。これを否定とすると、精神の否定ということになるのである。それでは、ヘーゲル弁証法は歪んだものとなる。
 結局、唯物弁証法はそのようにヘーゲル弁証法を捩じ曲げ、歪曲してしまったのである。
 この視点から小泉元首相と橋下氏の言動を見ると、それは、ヘーゲル弁証法ではなく、唯物弁証法に似たものと思われるのである。正としての既成権力があり、反として、その否定がある。そして、合として、否定の否定で、自己正当化を志向するのである。
 この反、アンチテーゼであるが、それは、強い論理的否定であり、他者の否定、排除、消滅を意味するのである。それは、二元論的発想であり、キリスト教的狂信的二元論に近いものである。
 しかし、反・アンチテーゼから合・ジンテーゼへと向うときであるが、実は、他者の否定・排除・消滅は、自己同一性に拠るものであり、合・ジンテーゼには、自己同一性、つまり、自我的同一性主義が残るのであり、それは、独裁的になるのである。
 これは、フランス革命、ロシア革命、その他の革命が「検証」したことである。(追記:これまで、明治維新は革命ではないと考えてきたが、坂本龍馬、西郷隆盛らの母権的勢力を、明治維新政府は排除して行ったのだから、やはり、革命的要素はあるのである。そう、明治維新革命とでも呼ぶのが適切ではないだろうか。)
 つまり、唯物弁証法は独裁の論理ということである。あるいは、同一性、自己同一性の論理とも言える。これは、無双PS原理から言えば、陽・凸i・自己に拠る父権的同一性主義でもある。(新自由主義が左翼主義から形成されたことは知られている。そう、新自由主義と唯物弁証法は、自己同一性論理で共通なのである。)
 さて、以上のように、ヘーゲル弁証法と唯物弁証法を区別して、本題の「ニヒリズム」との比較論に簡単に触れたい。
 私が小泉元首相や橋下氏に共通すると直観する「弁証法」は、結局、唯物弁証法であり、それは、自己同一性論理、同一性主義なのであり、独裁論理なのである。(民主党やその他、今日の日本の政党はこのような論理であり、また、官僚、マスゴミ等も同様である。唯物弁証法的左翼の論理が日本政治経済に行き渡っているのである。)
 では、それと「ニヒリズム」との関係であるが、唯物弁証法の同一性論理であるが、それは、他者の否定・排除・消滅を志向するので、その点で、他者否定のニヒリズムである。また、自己同一性に帰結するのであるが、その自己同一性とは、他者否定において、存在意義があるので、他者否定を行い、合・ジンテーゼを行なったとき、もはや存在意義がないのである。つまり、自己ニヒリズムでもあるのである。空ではなく、無である。
 この点から見て、小沢一郎氏の論理は、唯物弁証法ではないと言えよう。彼の場合、国民という他者が存しているからである。だから、陰陽極性論理に近いと思うのである。
 ということで、本題の「弁証法」と「ニヒリズム」の関連性であるが、結局、唯物弁証法はニヒリズムでもある(唯物弁証法⇒ニヒリズム)という結論に達したのである。森田実氏は実に慧眼である。
 最後に一言言えば、19世紀後半のロシアにおいて、ニヒリズムが蔓延した。それは、文学で表現されている。
 特に、私は、ドストエフスキーの『悪霊』が左翼的ニヒリズムを扱っていると感じるのである。
 思うに、唯物論という「悪霊」が蔓延した結果であろう。それは、シュタイナー的に言えば、悪魔ルシファーと悪魔アーリマンの結合と考えられる。そこには、「キリスト」が存しないのである。無双PS原理から言うと、太極・元気・MP(陰陽均衡点)・元門・霊愛・胸が存しないのである。冷酷利己主義、さらには、悪魔ルシファーが存するので、妄想・妄念・独断・独善・狂信・狂気的なのである。これは、野田「首相」やその他の民主党員を見れば、よくわかる。
 補足して言えば、現代日本政治経済社会における、「ニヒリズム」とは、唯物論、唯物弁証法、父権的自己同一性主義(もっとも、集団主義的父権的自己同一性主義というのが正確ではあるが)の蔓延を意味するのである。
 これは、明治維新による「近代化」、そして、戦後の「米国化」の帰結と言えよう。
 日本・東洋伝統文化、並びに、欧米の教養文化が排除された結果である。とりわけ、前者の否定・排除が大きい。
 とまれ、絶望だけではない。無双PS原理は、日本・東洋伝統文化を哲学的科学論によって、復興させたと考えられるのであり、それは、「弁証法」=唯物弁証法に拠る「ニヒリズム」の超克を意味するである。

追記:正反合は本来のヘーゲル弁証法の視点ではないというようなことを上述したが、言い過ぎているかもしれない。誤りかもしれない。
 問題は、「否定」の意味である。確かに、ヘーゲルは、「否定」をスピノザの「規定」の意味で使用していたのではなかっただろうか。
 つまり、ヘーゲルの「否定」とは、通常の論理的否定ではなく、精神の物質的同一性化の意味合いがあると考えられる。
 この精神から物質への転化という展開における「否定」であり、それは、質的変化という「否定」ということである。
 だから、論理的否定ではないのである。ヘーゲルの「否定」は、精神の物質的同一性への展開における質的変換として捉えるべきである。あるいは、質的否定と言うべきであり、論理的否定ではないのである。


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・2012.7.25(その3)

森田実の言わねばならぬ/平和・自立・調和の日本をつくるために【624】

《新・森田実の政治日誌》[日本におけるニヒリズム論序説(6)]現代日本のニヒリズムの特徴/【解説】森田実著『「橋下徹」ニヒリズムの研究』(東洋経済新報社、2012年7月12日刊、1575円)

「『恋愛』と同じく『憎悪』の感情は、道徳上や利害上の原因よりも、もっと深い所から沸いて来るのだ」(谷崎潤一郎『憎念』大正3年)



 ニヒリズムは多くの場合、憎念や憎悪から生まれます。ニヒリズムにもいろいろあると思います。
 日本でよく知られているのは19世紀ドイツの哲学者ニーチェ(1844−1900)のニヒリズム論です。ニーチェは、キリスト教道徳を批判して、「神は死んだ」と宣言しました。そして、その結果として到来しつつあるニヒリズムを「超人」の思想によって克服しようと考えました。言い換えると、引き裂かれた生の再統一を試みる強者の道徳を打ち立てようとしたのです。ニーチェは、憎念がニヒリズムの根源になっていると考えたようです。
 ニヒリズムという言葉は18世紀に生まれました。既存の権威を徹底的に否定する考え方をニヒリズムと言います。何も信頼しない不信のかたまりのような人物のことをニヒリストと言います。
 ニヒリズムには18世紀型と19世紀型と20世紀型があります。20世紀型にも第二次大戦前と後では違います。西欧的ニヒリズムもロシア的ニヒリズムもあります。日本型もあります。日本型にも第二次大戦前型と戦後型があります。戦後型にも1970年を境にして前と後では変わっています。ニーチェの時代のニヒリズムは哲学的、思想的なものです。これに対して、現代日本のニヒリズムは感覚的なものです。日常生活的です。
 第二次大戦後のニヒリズムは、1970年を境に性格が変わってきています。第二次大戦が終わった年(1945年)から高度成長期が終わる1973年(第一次石油危機)までのニヒリズムは思想的哲学的なもので日本社会では少数派でした。しかし、1973年以後のニヒリズムは日本社会で多数派になりました。多数派になるとともに、ニヒリズムは思想というよりも多くの社会人の感性になり、普通の社会人の生き方になったのです。
 1973年以後の日本のニヒリストは、19世紀末のロシアの革命家のような行動派ではありません。1973年以後、行動派はほとんど消えました。知識層の大衆化とともにニヒリズムも大衆化しました。ニヒリストは、主として新聞、テレビ、ラジオ、雑誌、書籍などジャーナリズムの世界に入りました。ニヒリズムはマスコミのなかで生き続けているのです。また、ニヒリズムは1980年から若手政治家の心のなかに入り込みました。1990年以後、ニヒリズムに染まった政治家が指導的地位に就くようになりました。若手のニヒリスト的政治家は「改革」を強く主張し始めました。このため、国民はニヒリスト政治家を「改革派政治家」と思い込みました。
 1990年代の中心的リーダーの小沢一郎氏は、米英崇拝の衣をまとったニヒリストだと思います。日本の政治を米英的なものに改革することを名目にして、既存の秩序の破壊をめざしたのです。小沢一郎氏のニヒリズムの根底にあったのは官僚エリートへの反感と憎念と政治権力への強い依存心でした。小沢氏の最大の業績の一つは、伝統的な中選挙区制を廃止して、米英型の小選挙区制度導入したことです。しかし、この「改革」は負の改革でした。この結果、政権交代は実現しましたが、政治は急激に劣化しました。国会と政府と政党は弱体化し、第一権力の座をマスコミに奪われてしまいました。その揚げ句、第一党の民主党と第二党の自由民主党は、ほとんど同じ政党になってしまいました。民主党も自民党もマスコミに操られるポピュリスト政党に堕落してしまいました。小選挙区制導入は失敗に終わったのです。小沢一郎氏のニヒリスト的改革は日本を堕落させました。
 2000年代のトップリーダーは小泉純一郎氏でした。小泉純一郎氏も根本的にはニヒリストだと思います。小泉氏の場合は、アメリカ共和党流の新自由主義の衣を身につけて既存の日本的秩序を破壊しました。小泉純一郎氏が推進した新自由主義革命の結果、日本はアメリカ中心の秩序のパートナーとして、グローバル化した世界の一員となりました。それと同時に、アメリカの新自由主義革命派の根底にある「自分さえよければ思想」を取り込みました。小泉純一郎氏は日本を「自分さえよければ社会」にしてしまったのです。指導層が自分さえよければ主義者ばかりになった国民社会は、健全性を失ってしまいました。健全なる常識、しっかりとした道徳が壊れてしまいました。ニヒリスト小泉純一郎は日本を根底から破壊したのです。
 2000年後半〜2010年代初期には橋下徹氏が日本政治の最大のスターとなりました。橋下徹氏の政治理念は小泉純一郎氏と同じ新自由主義・競争至上主義です。しかし、小泉純一郎氏とは行動スタイルにおいて大きな違いがあります。小泉純一郎氏のニヒリズムは、アメリカの物真似的な破壊主義でした。これに対して橋下徹氏のニヒリズムは小児的・遊戯的ニヒリズムです。小児といってもたいへん頭の良い小児です。橋下徹氏のニヒリズムは小児的・遊戯的です。哲学的なものではありません。おそらく橋下徹氏は哲学を勉強したことはないでしょう。無知でしょう。ここに橋下ニヒリズムの特徴があります。(つづく)
http://moritasouken.com/sC1143.HTML

森田実の時代を斬る

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