『自然界とは何か:差異共振的同一性界か、それとも、差異共振界か?:自然という差異共振鏡面と人間の同一性像の投影(マーヤー):差異共振ミメーシスと差異共振視覚・感覚:シェイクスピアの差異共振ミメーシス性とケルト文化の差異共振精神:年輪や木目と差異共振性の縁としての同一性形状(差異共振的パターン:差異共鳴パターン)』






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2009年02月26日(Thu)
『自然界とは何か:差異共振的同一性界か、それとも、差異共振界か?:自然という差異共振鏡面と人間の同一性像の投影(マーヤー):差異共振ミメーシスと差異共振視覚・感覚:シェイクスピアの差異共振ミメーシス性とケルト文化の差異共振精神:年輪や木目と差異共振性の縁としての同一性形状(差異共振的パターン:差異共鳴パターン)』
『自然界とは何か:差異共振的同一性界か、それとも、差異共振界か?:自然という差異共振鏡面と人間の同一性像の投影(マーヤー):差異共振ミメーシスと差異共振視覚・感覚:シェイクスピアの差異共振ミメーシス性とケルト文化の差異共振精神:年輪や木目と差異共振性の縁としての同一性形状(差異共振的パターン:差異共鳴パターン)』


先に以下のように鏡像自己に関する解明を行なったが、自然、自然現象についての解明に少しブレがあるようなので検討したい。
 鏡面は差異共振的同一性面であり、そして、自然が差異共振現象であると述べたのであるが、そうすると、鏡面と自然との関係を明晰にする必要がある。例えば、自然現象は本来、差異共振現象であり、自然に接すると差異共振視覚が喚起されるということを言ったが、そのとき、自然は鏡面なのだろうか。
 問題のポイントは鏡面が差異共振的同一性面であるということにある。では、自然も差異共振的同一性面だろうか。ここは微妙である。
 直感で考えよう。自然に面して、主観には差異共振像が生まれる。これは、Media Point 的視覚(MP的視覚:Media Point Vision:MPV)である。では、このとき、自然は何なのであろうか。自然は差異共振現象であると述べたのであるから、主観(主体)におけるMP的視覚が差異共振現象である自然と共鳴して、差異共振像を生起させると考えることができよう。
 これを分析するなら、主観(主体)が差異共振エネルギー(超越光/光)を放出する自然に臨むとき、それを視覚受容し、MP的視覚が賦活・活性化・「励起」され、差異共振像を結像すると考えられる。このとき自然は鏡面ではないのか。そう、確かに、一種の鏡面であるが、差異共振的鏡面である。(神鏡とは、差異共振的鏡面、Media Point Mirrorと言えよう。)しかし、差異共振的同一性鏡面と言えないのか。差異共振的同一性鏡面とは、端的に、差異共振的鏡面である。だから、結局、自然と鏡面は一致するのである。だから、やはり、問題は、人間主体の志向する同一性像(同一性志向性)である。この人間の主体の同一性像志向性が差異共振像である自然鏡面(差異共振鏡面)に、臨むとき、その同一性像を投影して、自然現象を同一性像(マーヤー)化すると考えられるのである。これで本件の問題が解明された。
 【因みに、『ハムレット』における有名な鏡としての演劇論(ミメーシス論)を簡単に考えてみよう。即ち、演劇とは時代を映す鏡であるという美学である。この場合、ミメーシス/リアリズムは、先に述べた通り、同一性=物質的リアリズムではなく、差異共振的リアリズム(差異共振的ミメーシス)、即ち、即非ミメーシス、Media Point Mimesisと考えるべきである。これは、ゴヤの絵画に似ている。とまれ、この視点で、シェイクスピア演劇の美学も解明されると考えられる。シェイクスピアの洞察眼・心眼は、差異共振的視覚に拠ると考えられるのである。また、創作方法も、差異共振的知覚で、対象に成り切って、表現するので、シェイクスピア個人は消えるのである。シェイクスピアの長年の謎もこれで解明されたと考えられる。ついでに、私が唱える英国文学におけるケルト文化性であるが、ケルト文化性とは、端的に、差異共振的精神性と言えるだろう。私はケルト神話と日本神話(折口信夫の説くもの)とが酷似していると述べているが、それは、差異共振的精神ということで説明できよう。】
 では、発展させて言うと、視覚ないしは感覚とは何なのだろうか。これは、本質的・核心的な問題の一つである。視覚に限定すると、それは、端的に、差異共振的視覚であり、本来、その中に同一性視覚(物質視覚)が包摂されているのであるが、近代/現代において、同一性像の傾斜(西欧近代主義)があるため、同一性像が支配的になり(同一性像主義=唯物論)、差異共振的視覚が抑圧・排除されていると考えられるのである。
 そうすると、今日、一般に言われる視覚ないしは感覚とは、端的に、同一性主義的視覚・感覚、唯物論的視覚・感覚である。だから、それは、錯誤の視覚・感覚である。同一性視覚・感覚である。因みに、よく感性と言われるが、それは、差異共振視覚・感覚を示唆しているが、きわめてあいまい、不明晰である。端的に、差異共振視覚・感覚と言うべきである。
 追加として、自然の差異共振像であるが、例えば、年輪や木目等であるが、それは差異共振像の一つではないだろうか。問題は黄金分割等にも関係するが(そう、デザインの問題にも関係するが)、即ち、年輪や木目とは確かに、同一性=物質をともなっているが、その形状・形態は、差異共振エネルギーの波動の現象化したものではないだろうか。言い換えると、差異共振エネルギーによる、不連続的転移における、差異共振像の痕跡ではないだろうか。
 より的確な考察は別稿にするが、要するに、年輪の輪であるが、それは、差異共振エネルギーが同一性=物質化するとき形成される形状・形態であると考えられ、差異共振的同一性的形態と呼べるが、この形態は単なる同一性=物質の形態ではなく、差異共振エネルギーないしは差異共振像の痕跡ではないのか、ということである。木目も同様ではないのか。
 直感では、それらに差異共振エネルギーを感じるのであるが、それは、その形状(単に形状だけからでなく、その材質からも感じるが)から発しているように思えるのである。そう、黄金分割と同様なことがあると思えるのである。つまり、差異共振エネルギーの同一性の縁である。だから、年輪や木目とは、差異共振性の縁としての同一性形状・形態であり、そのため、差異共振エネルギーを放出しているのではないだろうか。これは敷延して、自然現象の形態に当てはまると考えられる。例えば、渦巻やラセンはそういうものではないだろうか。端的に、差異共振的パターン(差異共鳴パターン)と言えよう。
 これは、音楽で言うと、モーツァルトの音楽である。差異共振エネルギーの縁としてのモーツァルト音楽ではないだろうか。その古典主義という同一性は、差異共振性の縁、差異共振性の同一性の縁と考えられるのではないだろうか。
 長くなったので、稿を改めて検討したい。
 
参照:
《『鏡面と鏡像と視覚:差異共振像と同一性像と視覚主導:脱同一性鏡像化と差異共振視覚の復活』

・ ・・・・

鏡面は差異共振像の反映する差異共振的同一性面(差異的同一性面:以下、共振同一面または共鳴同一面)であり、そこに同一性志向性の不連続的転移に拠る同一性放射光が注がれ、同一性鏡像が生まれるのである。
 ポイントは、本来、差異共振像である鏡面に、差異共振性を否定する同一性像が反照されるということである。この差異共振鏡面に同一性像が反照されるという事象に、人間の謎・秘密の黄金の鍵があると言える。《先にも触れたが、神器の一つである鏡とは、この共振鏡面のことであると考えられる。そして、そこに差異共振像・超越光を見るのが正しいのであるが、同一性自己(自我)の人間には、そこに同一性像しか見い出せないのである。》
 問題は視覚の作用である。同一性志向性の視覚が、共振鏡面に同一性像を反映するのである。即ち、差異共振像に同一性像を投影して、前者に後者を重ねて、連続化して、いわば、覆ってしまうのである。同一性像の覆いである。そして、同一性像は差異共振像を抑圧・排除してしまい、主体は同一性自己(同一性主義)に転ずるのである。鏡面に映した同一性像によって、差異共振像を排除してしまい、鏡像自己を形成して、同一性自己を完成するのである。

・ ・・・・

自然現象とは、本来、差異共振現象であるからである。だから、自然は本来、マーヤーではなくて、Media Point 的現象なのである。マーヤーは人間の同一性鏡像に源泉があり、その投影から形成されるのである。》
http://ameblo.jp/renshi
/entry-10214379246.html


   




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カレンダ
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