瞑想時間を生活に:肚で瞑想し、空となり、無(超越性)とつながる:西洋哲学の終焉と新東洋哲学の誕生






2007年08月30日(Thu)
瞑想時間を生活に:肚で瞑想し、空となり、無(超越性)とつながる:西洋哲学の終焉と新東洋哲学の誕生
先に、ハイデガー哲学を論じて、西洋哲学・西洋文化が、超越論的構造に囚われていること、そして、東洋哲学・東洋文化が、超越性へと開かれていることを述べた。http://ameblo.jp/renshi/entry
-10045219894.html
 思うに、現代日本は、アメリカ的近代物質・金融主義が支配的である。それは、基本的には、超越論的構造ないしは超越論的同一性構造に支配されているのである。自我同一性中心主義である。これが日本や世界を狂わせているのである。新自由主義は最たるものである。
 前世紀の第四・四半世紀に支配的であったポスト・モダン哲学であるが、それは、超越論的構造をもつ哲学であり、いわば、西洋形而上学を脱却できず、知的に混濁したまま、現実的な力とはなりえず、後退した。
 不連続的差異論そして真打ちであるプラトニック・シナジー理論が21世紀初頭、日本で形成されたことの意味は大きい。これは、東洋思想・東洋文化の復興を意味すると考えられるのである。単なる伝統としてのそれではなく、西洋哲学・西洋文化を成果を批判的に継承した、新たな東洋思想・文化である。
 理論的には、既述済みであるので、ここでは、もっと平明に述べたい。即ち、端的に、瞑想を生活においてもつことである。肚を基盤として、瞑想することの必要である。座禅となると本格的になるが、私が言うのは、もっと簡単な、肚へと測深して、瞑想することである。
 これによって、実践的に、空様態となり、無へと接続するのである。つまり、PS理論でいうとMedia Pointに接続できるのである。これが、21世紀世界文化の中心となるべき心身様相であると考える。
 ところで、いわゆる、ホーリズム(全体論)的な考えには反対である。全体論とは連続主義である。それは、正に、全体主義につながる。マインド・コントロール的な宗教に通じる。ホーリズムではなく、空無や虚空へと連絡することが必要である。それは、差異共振主義となる。
 西洋哲学は、分析的知性が発達しているので、細部への精緻さにこだわり、一般には、複雑なものになり過ぎていて、理解ができないものとなってしまった。
 私は経験的には、現代日本のある社会においては、差異共振性は実際に生きられていると思う。東洋文化の社会があると思う。思うに分析知性の傲りがあるのである。それは、無である超越性ないしは超越的差異の一種の経験性を無視しているのである。だから、晦渋な、ハイデガー哲学となったり、デリダ哲学となったりするのである。何といっても、超越論的構造主義の支配のもたらしたものである。
 PS理論は新東洋哲学・数理理論であり、超越性や超越的差異を説くのであるが、これは、実質的には、空や無の経験・体験への回帰を意味するのである。西田哲学のような晦渋さももう必要ではない。何故なら、超越論的構造による哲学が終焉したからである。超越性、超越的差異の新時代なのである。
 差異共振世界へと21世紀世界は向かわなくてはならない。

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