虚数的超越性と実数的超越性:「気」の理事無碍論と原理事即非論






2007年05月24日(Thu)
虚数的超越性と実数的超越性:「気」の理事無碍論と原理事即非論
以下、Kaisetsu氏の極めて透徹した、「理事無碍、事事無碍」の説明であると思う。理事無碍の方は、霊性と感性/知性の無碍ということで明快であるが、事々無碍の説明は、実に、鋭敏であると思う。私は、事々無碍とは、単純に、物質的事象と物質的事象との共振作用と考えていただけであったからである。実数軸上の不連続な差異と同一性との共振と考えるというのは、すばらしい。事実である。
 今日は、簡単に触れるだけだが、実数軸上の超越性と虚数軸上の超越性との関係の問題である。つまり、虚数的超越性と実数的超越性である。これは、そのままの違いとして考えればいいのかもしれない。
 しかし、私のこれまでのイメージでは、例えば、「気」のようなものは、虚数的超越性が実数的超越性に転化したものと思われるのである。超越性の垂直から水平への転化をこんど考えたいと思っている。
 もっとも、メディア・ポイントにおける虚数性から実数性への転換で既に説明はされているのかもしれない。
 少し具体的に考えてみよう。気功師が、「気」を患者に送ったとする。それは、虚数的超越性から実数的超越性(電磁波)の転換として考えられる。患者の身体には、後者が作用するのである。これは、物質的である。しかしながら、虚数的超越性(本来の「気」)は、どうなったのであろうか。
 これは、患者の身体(物質的身体)ではなくて、患者の精神・心に作用していると思うのである。だから、「気」の作用とは、二重であると考えられる。身体へは実数的超越性が作用し、心へは虚数的超越性が作用するというように考えられるのである。この平行・併存性をどう理解したらいいのであろうか。
 これこそ、正に、Kaisetsu氏の説明した理事無碍論で説明できよう。理としての「気」と事としての「気」との調和で説明できよう。ついでに、朱子学、理気学であるが、これは、理事無碍論で明晰に説明ができるだろう。これまでは、精神としての「気」と物質としての「気」とが混同・混淆・混濁されていたと思うのである。
 つまり、虚数的超越性としての「気」は、心・精神に作用し、実数的超越性としての「気」(電磁波)は、身体に作用するということになる。理事無碍としての「気」である。
 そう、この理事無碍論は強力である。これまで、PS理論の経験論的説明をしようと思って、今一つであったが、理事無碍論が、それである。霊事無碍論でもいいだろう。この点は、後でさらに検討したい。
 最後に、理事無碍論をさらに進展させると、根源的理事即非論があるのではないだろうか。つまり、理(霊)において、根源的に、事(同一性)が配属されているように思えるのである。このまま思考実験すると、言わば、原理事があり、これが、現象化するときに、理と事とに分離して、事は同一性、とりわけ、連続的同一性へと転化する。そして、理が否定される傾向にあるのである。
 しかしながら、知的・精神的訓練によって、理と事とが結びつけられて、⇒+1のような様態が生まれると考えられるのである。
 ということで、同一性とは、単に、現象化において、出現するというよりは、イデア界において、根源的に、原同一性=原事として存しているのではないだろうか。そして、根源的な理、原・理と即非的に合一しているのではないだろうか。原理事即非論である。つまり、差異と同一性が根源的に即非合一しているのではないのかということである。これがイデアの本質ではないのか。

_________________

この筆者は、この鈴木大拙氏の引用テーマとして、「事事無碍法界」としているが、先に引用した鈴木大拙氏の言葉は、将に、「理事無碍」の様相を説明したものである。つまり、Renshi氏の語る「内在と同時に、非内在なのである。これは不思議な事象である。存在するようでいて、存在しないのである。」の部分である。
この近代的合理性では説明できない状況を『霊性的直覚』で丸ごと認めること、さらには、この「理事無碍」こそが「真実」「実在」である認識することが「境地」であって、また、鈴木大拙氏は、むしろ、この「境地」に至ることで心の平安を取り戻すと言っておられると解釈できると思う。
 不連続的差異論から存在論に向かった方向性は非常に賢明であったと今から推測できる。もし、鈴木大拙氏が「Media Point」(ここのMediaの意味はPS理論上定義されたもの)という概念を知っておられれば、おそらく、Media Pointという言葉を使われたと思うのは僭越であろうか。
 少なくとも鈴木大拙氏は、虚数的ゼロと実数的ゼロの差異共振ポイントの存在を認め、これを肯定し、積極的に説明しておられ、此れを『理事無碍』の状態と考えておられる。」と海舌は確信する。
 この確信が生まれたことで、これを数学的に表すことが可能であろう。検討したい。

(補注:鈴木大拙氏が感性と知性の世界を「事」の側に入れるのは現象と捉えているのであり、電磁波や光などと同じく、実数軸上のものと捉えていると解すると理解しやすいと思う。実数軸が不連続である、実数も超越的な存在であることは別に解明されたことである。電磁波や光と言った超越的現状と生活世界の現象とが不連続的であり、差異共振していることを「事事無碍」と言っていると思われる。)
「理事無碍、事事無碍」
注:赤色文字はrenshiによる。
『海舌』 the Sea Tongue by Kaisetsu

http://blog.kaisetsu.org/?eid=553259

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