GP陰陽哲理学:Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




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2013年10月17日(Thu)▲ページの先頭へ
太陰は水的で、陽が火的で、陰陽調和は火水(かみ=神)?:月(水)と日(火)の一体としての前古代
太陰は水的で、陽が火的で、陰陽調和は火水(かみ=神)?:月(水)と日(火)の一体としての前古代

JUGEMテーマ:学問・学校

テーマ:太陰氣学:太陰イデア論:氣=イデア=生命

かつて、冬の日差しを見て、水のように光を感じた。
 また、東大寺のお水取りの祭礼の意味は、水と火の融合である。陰陽結合である。
 一般に根源は火のように思われているが、どうも、太陰は水的ななのではないのかという感じがしている。そして、陽は当然、火(日)的なものである。それが結合して、火水(かみ:神)ではないだろうか。
 創世記に冒頭に水(海?)の上を神霊が漂うということが述べられているが、これは、太陰と陽とのことではないだろうか。
 そう、創世記は父権的宗教の書なので、陽を主体にすると考えられる。しかし、新母権主義の太陰氣学は当然、水の方を根源と見ることになるだろう。

追記:以下の「ツクヨミ」を見ると、様々な神話において、太陽と月がセットになってる。これは、陰陽と見るべきだ。そして、本来、一体と見るべきだ。つまり、太陽と月は一体である。そして、本源は太陽ではなく、月である。火ではなく、水である。
 何故なら、一般に文献としての神話は古代父権文化社会の産物であり、父権的二項対立のイデオロギーが主導的になるからである。つまり、男性中心・優位であり、女性は劣位で、従属、服従する存在という視点によって書かれているということである。

ツクヨミ - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/ツクヨミ - キャッシュ - 類似ページ
中国の盤古伝説には、盤古が死してその左眼が太陽に、右目が月になったという起源
譚があり、また、『旧約聖書』の創世記では、天地創造の四日 .... また「ヲチミヅ(変若水)
」=ヲツ即ち若返りの水の管掌者として現れ、「月と不死」の信仰として沖縄における「
スデミヅ」との類似性がネフスキーや ... その他にも、海神のワタツミ、山神の
オオヤマツミと同じく、「ツクヨのミ」(「ツクヨ」が月で「ミ」は神霊の意)から「月の神」の意と
する説がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%82%AF%E3%83%A8%E3%83%9F

参考:
神霊学的見地から見た「水」の重要性
『旧約聖書』の「創世記」は、次の一文で始まっている。

「初めに、神は天地を創造された。
地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた」

『新約聖書』には、イエスの次の言葉がある。
「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない」
(「ヨハネによる福音書」第3章5節)
http://japan666.seesaa.net/article/145736076.html

生命を進化させる「水」革命: 神泉組1【大和魂の復活と超人革命】
japan666.seesaa.net/category/6913127-2.html - キャッシュ
生命を進化させる「水」革命,一説によると日本は世界の雛形らしい。そして、日本人には
世界を改革 ... 神霊治療能力者が力説する「生水」の効用. 「風邪は万病のもと」という ...
的見地から見た「水」の重要性. 『旧約聖書』の「創世記」は、次の一文で始まっている。
http://japan666.seesaa.net/category/6913127-2.html
神泉組1【大和魂の復活と超人革命】

光と水からエネルギー創造:古代の叡知への科学的回帰?
protophilosophy.noblog.net/blog/k/10594590.html - キャッシュ
2008年7月28日 ... 水からエネルギーを獲得するという記事を以前紹介したが、以下の記事も興味深い。 光
と水からエネルギー創造とは何か、天地創造(『創世記』)を想起する。そう、それは、
相応しているのではないか。神霊が水の上を漂っていて、神霊の息吹が ...




今年(平成25年2013年)は私にとり、画期的な、驚異の年である:運気(共時性・引き寄せ)が強い

テーマ:日の本大覚清創造:心的革命宣言:霊的進化

今日の運気もすごかった。国道だろうか、少し車のナンバーを見て、運気がいいと思い、「出る」と思ったら、1111が出た。(国道沿いでなかったかもしれない。記憶が怪しい。)
 そして、7787、7707のカーナンバーが出て、1字違いではない、4つ揃ったのが出ないと本当ではないと思ったらすぐに、7777が出現した。
 また、帰り道、また出るのではないかと思っていたら、また、7777のダンプが神々しく、崇高に登場した。なにか畏怖のようなものを感じた。いったい何か。
 以上は一種奇跡的な運気についてだが、その他、仕事その他での収穫があったのである。いちいち書かない。


追 記:一言付け足せば、勘が異様に冴えているということである。これは、ベジタリアン、小食、そして、豆乳ヨーグルト食、他のせいかもしれない。それもある が、いちばんは、宇宙の運気が大変化を起こしていることだろう。宝瓶宮(水瓶座)の力(インフルエンス)が注いでいるのだろう。つまり、それと私の氣的心 体が共振共鳴調和しているということだと思う。




「太陽凝視」と森日光気浴、森日光気浴瞑想

テーマ:放射能大洪水飯山一郎新方舟:乳酸菌日光浴

飯山一郎氏が画期的な「太陽凝視」生命力生成を行なっているが、これは、いわば、日想観(じっそうかん:参照日想観の風景 )の現代版に近いし、折口信夫に拠ると、古代か、日本人の習俗として、太陽を追いかけるものがあったということを想起させる。
 太陰氣学では、日光は強度の氣をもっていると考えているので、飯山一郎氏の「太陽凝視」生命術は、論理的であると言えよう。
 さて、去年において、私は森の中で、日光浴しながら瞑想することを行なっていたのである。ただ、その後、持続しなかったのであるが。
 これからは、とりあえず、森氣瞑想をできるだけ行ないたいと思っている。


太陽を食べる男 NASAが研究へ (飯山一郎資料室より) (10/16)


【飯山一郎のコメント】:「太陽凝視」。これが世界的な話題になったのは10年も前のことである。
日本は「医学常識」が支配する国なので一笑に付されるだけだった。
私も「常識人」なので(笑)気には留めたが、実践する気持ちは皆無だった。
ところが今年、日光浴の最中に眠ってしまい、ふと目覚めて背伸びをしたときに身体がこわばってしまい、太陽を直視したまま1〜2秒間、目が閉じられなかった。この時、真ん丸な太陽がクッキリと見えたのである。
これが「太陽凝視」の実践の初めである。
医学常識では「失明のリスクあり!」として禁じられている太陽凝視。これが逆に健康にEーと分かってきた時の衝撃は大きかった。これはコペルニクス的衝撃である。(爆)
誰もが信じてきた医学常識。これがウソだった!と分かっただけでも「収穫」は大きかった。
今の私は、連日、最低30分以上も太陽凝視を実践している。
体調は最高にEー! 老眼がなおってきている。心が爽やかである。
『文殊菩薩(ブログ版)』

***************************

追記:以下の記事を書いてから、私の人生において、画期的なことが起ったのであり、今でも続いているのである。即ち、断酒である。これで、一気に元気になったのである。
 また、さらに小食を始めたのである。一日二食である。今は、1日1.5食である。朝食は食べるが、菜食だけで、ご飯やパンは食べないのである。

Tue, December 11, 2012
健美主義宣言:乳酸菌、豆乳、ケフィア、そして、森日光気浴(瞑想)
テーマ:乳酸菌と食品:ケフィアと豆乳ヨーグルト

私はもともと体力の弱い人間である。だから、元気を出すには、人とは違った生きるための工夫が必要である。
 今年は不調である。前半は不定愁訴気味で、後半は最初はよかったが、師走になり、また、元気がなくなった。
 しかし、ケフィアを飲み、開眼した。健康で、美的生活することを。それには、乳酸菌と豆乳とケフィアがポイントであると。そう、ヨーグルトも入れよう。
 今、豆乳で作った乳酸菌のペットボトルがあるが、上層に乳白色の固形状のものがあり、それ自体、豆乳ヨーグルトではないかと思い(飯山一郎氏がそう述べていたように思うが)、ブルーベリー・ジャムを入れて、今食した。まずくはない。まーまーである。
 これから、数日ぶりに森気浴、森日光気浴、森日光気浴瞑想をしよう。森清掃散策もする。

追記:豆乳で作ったペットボトルの「乳酸菌」であるが、黒糖がなかったので、オリゴ糖を使用したのである。黒糖を使用すると、きつね色の液体ができるが、オリゴ糖なので、乳白色というか、ほとんど白い固形状のものが上層にでき、中間に透明な白っぽい液体ができている。
 以下の参考資料を見ると、乳酸菌はオリゴ糖を食べるというので、玄米とぎ 汁の乳酸菌がオリゴ糖を食すということになる。だから、オリゴ糖を入れて作った豆乳を入れた玄米とぎ汁の発酵した白色のペットボトルであるが、それは、や はり、乳酸菌であり、乳白色の固形状のものは、豆乳ヨーグルトだと思う。


参考:
オリゴ糖 豆乳のナチュラルパワー
オリゴ糖
オリゴ糖とは、ブドウ糖や果糖などの単糖類同士が結合した化合物の中で、多糖類というほどは分子量が大きくないもののことを指します。

オリゴはギリシア語で少ないを意味することから、少糖類と呼ぶこともあります。

オリゴ糖とは、腸内でビフィズス菌や乳酸菌がエサとして好んで食べ、その結果ビフィズス菌や乳酸菌といった善玉菌が増加し、ビフィズス菌や乳酸菌が増えると腸内環境が良くなり、便秘や下痢が改善されますし、さらに免疫力を高め大腸がんの予防にも期待されています。
http://www.tounyu.org/tounyu.s.05.html

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11424695539.html




氣的心身(氣心体)の成熟:「精神」の成熟と未成熟(未発達と反動)

テーマ:心と病気:心のカオスとコスモス:心アート

いわゆる、精神の問題は、今や、氣的心身(氣心身、氣心体:心体という言葉が心身よりもいいだろう)の問題である。
 因みに、デカルト心身二元論、スピノザ心身平行論やライプニッツモナド論、その他心身二元論に関連して言うと、心身のメディアは氣である。
 氣が心と身体を繋いでいるのである。私は氣的身体理性を説いているが、それが、身体と心のバランスをもたらす視点と考える。
 デカルトの心と身体の結節点としての松果体であるが、それは、一部正しいだろう。氣と松果体等の脳局所については後で言及したい。
間脳 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/間脳 - キャッシュ - 類似ページ
間脳(かんのう)は大脳半球と中脳の間にある自律神経の中枢。 目次. 1 解剖; 2 働き.
2.1 入力; 2.2 出力. 2.2.1 自律神経; 2.2.2 ホルモン. 3 画像; 4 外部リンク. 解剖[編集].
ヒト脳のfMRI画像 円弧を描く白い帯状の脳梁に囲まれた部分が間脳。カリフラワー状の
...

スライド・8 4 神経系 - 間脳 - SlideShare
www.slideshare.net/threelotus/8-4-16117676 - キャッシュ - 類似ページ
2013年1月22日 ... 間脳の発生間脳は終脳と中脳の間に位置するため、上行性・下行性の神経線維が間脳
を貫通し、内包が形成される。その際に腹側視床の大部分が外側へ押し出され、淡蒼球
となる。腹側視床の内側部は間脳にとどまり、視床下核となる。

読書日記 再び、『間脳幻想』を読む。
2006530.blog69.fc2.com/blog-entry-255.html - キャッシュ - 類似ページ
2007年9月25日 ... 藤井: 間脳は終脳が包みこんでいて、解剖学的に見た間脳の位置は、脊髄と脳髄を
結びつける脳幹の最京都にあります。 ... この古皮質は間脳の皮質であると考えてもよく
、大脳の辺縁系を構成しているが、古皮質と新皮質が哺乳類の脳の ...

自律神経の中枢は「間脳視床下部」ではないのですか? - Yahoo!知恵袋
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1273689862 - キャッシュ - 類似ページ
2011年10月19日 ... 自律神経の中枢は「間脳視床下部」ではないのですか?クリックありがとうございます。
今、生物の問題で「自律神経の中枢はどこか?」 という問題があり、 私は「間脳視床
下部」だと思ったのですが、答えは「間...

1.
脳の構造
kaiwa-kouza.com/contents/sub/yougo/structure_brain.html - キャッシュ - 類似ページ
間脳 (かんのう), 視床 (ししょう). 視床上部 (ししょうじょうぶ), 手綱 (たづな). 松果体 (
しょうかたい). 後交連 (こうこうれん). 視床下部 (ししょうかぶ), 乳頭体 (にゅうとうたい),
乳頭体核 (にゅうとうたいかく). 視交叉上核 (しこうさじょうかく). 思索上核 (しさくじょうかく
).
2.
脳・神経のメカニズム(1)
www.k2.dion.ne.jp/~yohane/00%200%20seibutu5.htm - キャッシュ - 類似ページ
また、脊椎動物の脳の「発生」( 注) ”進化”ではない!)は、”原始的な脳”ともいうべき 前
脳、中脳、後脳の発達から始まり、後脳からは小脳と 橋が形成され、脊髄の先端が
肥大化して 延髄となる。 この 延髄、橋、中脳、間脳 を総称してして 脳幹(”生命脳”)と
呼ぶ ...


2013年10月15日(Tue)▲ページの先頭へ
植物と動物と人間の成形力学について:太陰と陽の陰陽力学?
植物と動物と人間の成形力学について:太陰と陽の陰陽力学?

テーマ:太陰氣学:太陰イデア論:氣=イデア=生命

太陰氣学(太陰生命=イデア論)から、生物の成形の力学について考えている。
 植物は、太陰と陽の共振で説明つくだろう。思うに、植物の摂取通するエネルギーは日光であり、それは、陽である。つまり、植物自体は太陰で、日光が陽であり、日光=陽を取り入れて、太陰=植物は成長することでいいだろうか。植物は太陰ではなく、陰と見るべきようにも思われるのが、今は措いておく。
 とまれ、植物は太陰と陽が調和共振していると思われるのである。これはこれまでの考えであるが。
 問題は動物の成形である。
 先に自転車乗っていて、思いついたのは、陽が優位化したときに、動物が生起するのではないかということである。
 私がイメージしているのは、陰陽球から陽が飛び出すようなものである。陽的生命体である。しかしながら、太陰が劣位にあるので、植物のように、陽=日光を浴びても、エネルギーを作りだすことはできないということではないだろうか。(理屈的であるが。)
 とまれ、陽に傾斜した生命体として、動物存在を考える。
 それは、陰陽球から飛び出した存在なのであり、太陰=大地から切り離されて、いわば、根から切り離されて、可動的になったと考えるのである。
 そして、可動的になった代償に、エネルギーを自給することができなくなったということになるのである。
 つまり、太陰が過小であり、陽が主要なので、確かに、陽のエネルギーはあるが、それを補充する必要があるということなのである。もし、太陰が強くあれば、日光=陽を吸収して(同化して)、植物のようにエネルギーを作れたと考えれるのである。
 では、動物を超えていると思われる人間、人類はどう成形できたのだろうか。
 当然、動物的ベースはあるだろう。(だからとは言え、進化論的に、類人猿から人類が進化したとは考えない。)
 結局、問題は、自己意識の成形が人類を造るという点にあるだろう。
 動物には自己意識はないだろう。「わたし」はないだろう。しかし、それに微かに似たものはあるかもしれないが、基本的にはないと考えるのである。
 自己意識とは「わたし」という個の意識と言っていいだろう。
 特定される存在の意識ないし認識である。
 動物は英語の不定冠詞a、anであり、人間は定冠詞theに喩えられよう。
 さて、意識の問題であるが、先に、太陰ー陽における原意識について述べた。これは、太極的一元的意識、融合的意識である。認識主体と認識客体が一致するのである。コスモス的意識と言ってもいいし、即非の論理は近いと言えようし、思うに、メビウスの輪(帯)的な意識と言った方がよりよいかもしれない。
 図式化すれば、

原意識=太陰(主体)⇄陽(客体)

ないし太陰(主体)∞陽(客体)

である。
 私は暫定的に、あるいは、作業仮説的に、植物はこの原意識をもっていると考えている。一種、氣の意識である。
 しかし、動物の場合、陽が優位となり、太陰が劣位化される。そう、陽中心となり、太陰は弱体化している。
 だから、太陰(主体)の原意識は脆弱であると考えられる。思うに、反射的な動的な反応が発生するのであり、思考という貯めのある知はないと考えられる(例外はあるだろうが)。
 思うに、直観が発達しているのではないだろうか。(私は動物の部類に近いのか。)
 さて、人類の場合であるが、これは動物とは異なり、太陰(主体)が戻ってきていると思われるのである。
 直観では直立姿勢が、例えば、樹木の垂直性と類似するのである。今は直観だけであるが、植物の原意識、即ち、太陰⇄陽(太陰∞陽)が人類にも内在しているのである。
 しかしながら、動物の身体に内在しているために、不安定である。即ち、動物の陽傾斜、陽中心主義に、植物の原意識、いわば、陰陽バランスが組み合わさっていることになるのである。
 しかし、正確に言えば、原意識自体は無意識であり、原意識がいわば、物質化ないし陽化するのであり、それは、もはや、原意識ではなく、通常の意識になっていると思えるのである。
 つまり、それが、自己意識の原初と思われるのである。即ち、太陰⇄陽ではなく、太陰⇒陽の方向性をもち、これが、さらに、陽⇒外界というように作用するのではないだろうか。
 思うに、正確に言えば、原意識と陽意識の二重性が存するのであり、原意識の宇宙性と陽意識の物質性の二重の意識・認識性がそこにあるように思えるのである。
 原意識はループを形成する。太陰⇄陽のループである。そして、この陽と動物の陽が結合して、物質界への意識が形成されたのではないだろうか。
 言い換えると、人類の陽は一方では太陰につながり、他方では、外界、物質界へと通じているということになるだろう。
 今は精緻、厳密には言えないが、一つ一番の問題をあげれば、植物的原意識が人間において、動物の陽意識と結合する力学の仕組みの解明である。
 どうやって原意識が到来するのか、である。これは、簡単に陰陽力学で説明していいのではないだろうか。
 つまり、動物の場合は陽に傾斜したのであり、陰陽の運動は次は、陰に振れることが考えられよう。つまり、陽から陰への転換である。この陰は太陰のことである。
 今はそのように考えておく。
 そして、今の原意識と陽意識の結合としての人類意識、自己意識であるが、これは原初人類自己意識である。
 これから決定的段階は、父権化である。これは、再び、陽へ傾斜する。否、極大の陽へ傾斜するのであり、陰が消えるのである。典型がヤハウェと考えれる。
 このとき、父権的自己、独立した自己、即ち、自我が形成されると思われる。
 これは、太陰から切り離された極陽の意識である。思うに、これは、動物の陽意識を極端にした面をもつ言えるように思えるのである。
 以上、ざっとであるが、ここで留める。


2013年10月13日(Sun)▲ページの先頭へ
太陰氣学による宇宙生命体人体生成の仮説:内在する5の数と幾何学:ピュタゴラス派に回帰する
以下の1〜10までのリンクの接続は以下でされたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11635505195.html

テーマ:太陰氣学:太陰イデア論:氣=イデア=生命

起きがけの本件の想像を記したい。
 
 やはり、初めに、太陰ありきである。そして、それが、陽を産むのである。即ち、

太陰⇒陽

である。(本ブログの上部の円【陰陽円】を参照されたい。)
 そして、陽が本源の太陰に螺旋的に回帰するときに、宇宙ないし宇宙生命体が生まれる。(これはこれまでの考えである。)
 今回、新たに加えたのは、5という数字ないし正五角形である(これは、ピュタゴラス派の神聖数ないし神聖幾何学である。)。
 とは言え、5という数は、(初期)PS理論の早い段階で、思いつき的に導入したものであり、この視点自体はまったく新しいものではなく、古いものである。
 さて、この5を宇宙成形の基本数と見るわけである。黄金比もここから生まれるのである。(今思いついたが、陰陽五行と言うが、この5と五行が関係するのかもしれない。)
 植物は太陰陽螺旋で正五角形を葉や花の原形と見るのである。その他の多角形はその変化と見るのであるが、検討は措いておく。
 そして、太陽系も5を基本とするのである。シュタイナー霊学的に、水星、金星、火星、木星、土星の5惑星を見るのである。
 そして、太陽と地球であるが、これは、太陰と陽の関係かもしれない。つまり、太陰が地球で、陽が太陽である。(これについては今は検討しない。)
 そして、この太陽系が、その陽の力、つまり、氣(シュタイナーならエーテル体)の力で、内在的に生命体に内臓を産みだすのである。
 少し先走ったが、動物の生成を説明する必要がある。
 動物は陰陽円から外在化された生命体としよう。
 そして、その生命体に太陽系の五惑星の氣(エーテル体)が作用(「影響」)して、内臓が形成されるのである。
 では、人体の生成はどうなるのか。
 基本に動物生命体がある。そこに、自己意識体が成形される必要がある。
 先ず、それを説明する前に、原意識を説明する必要がある。
 原意識とは、


太陰⇒陽


の意識である。これは太陰がもつ意識であり、陽が対象となるのである。しかしながら、太陰と陽は一体である。これは、通常の物質界での認識とは異なる。認識主体と被認識客体が一致するからである。これは、以前、知即存在と言ったものに相当する。(以前、PS理論の段階で、即非の論理を使用したが、それに似ているが、一致はしないように思う。)
 言い換えると、太陰と陽は一つのコスモス(宇宙、内宇宙=外宇宙)を成形しているのであり、それは、不分離一体である。
 そう単純に陰陽対極性であり、それがおそらく一元の太極を成していると言えるかもしれない。(しかし、太陰氣学の根源の太陰とこの太極を一致させてはいけないと考える。太極は陰陽対極性と同様に、太陰から派生したものと考えるのである。)
 さて、以上が原意識(元意識、玄意識、根源意識)である。
 これが、陽においては、一般的な意識、主客分離の意識に変質すると考えるのである。
 この後者、陽における主客分離意識であるが、これが、自己意識を成形すると言えよう。
 そう、原意識は植物に存するし、太陽系的原意識は動物に存するだろう。
 人体は両者を内在しつつ、かつ、陽(頭脳)において、主客分離意識、即ち、自己意識(「わたし」、個)をもつと考えられるのである。
 そして、この初期自己意識は、内在する植物的原意識、動物的太陽系意識となんらか通じている。そう、未分化様態と考えられる。
 しかるに、自己意識が内在する原意識から絶対的に分離するときが来る。それが、父権的自己意識であり、究極はヤハウェ的自己意識(「我あるという存在である。」あるいは、「我は在り余れる存在である。」)になると考えられる。これで、今日のような自我意識が基本が成形されたと考えられる。
 この自我意識(内在原意識から分離した自己意識)から今日の唯物科学、資本主義が生まれたと考えられる。
 そして、今日の黙示録的状況となったのであり、自我意識から新たに原意識に、太陰に回帰して、新たな生成を始める大進化的段階になったと考えられる。
 さて、以上、ざっとであるが、今朝の布団の中での発想から、これまで、不十分であった動物や自己意識の成形力学を太陰氣学的に仮説した。

参考:
ピタゴラス派 - 純丘曜彰教授博士の哲学講義室 - Seesaa Wiki(ウィキ)
http://w.livedoor.jp/philosophy/d/%A5%D4%A5%BF%A5%B4%A5%E9%A5%B9%C7%C9

ピュタゴラス派の「霊魂数」の解明 - TOMOHISA SUZUMURA'S ...
http://borges.blog118.fc2.com/blog-entry-1043.html

ピタゴラス派 - 古代ギリシア哲学と現代倫理学のページ - エキサイトブログ
http://matsuura05.exblog.jp/d2004-02-06

1.
ピタゴラス - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%BF%E3%82%B4%E3%83%A9%E3%82%B9

ピタゴラス(希:Πυθαγόρας、英:Pythagoras、紀元前582年 - 紀元前496年)は、
ピタゴラスの定理などで知られる、古代ギリシアの数学者、哲学者。彼の数学や輪廻
転生についての思想はプラトンにも大きな影響を与えた。「サモスの賢人」、「クロトンの
哲学者」 ...
‎ピタゴラスの定理 - ‎ピタゴラス教団 - ‎ピタゴラス音律 - ‎ピタゴラスコンマ

2.
五芒星 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%8A%92%E6%98%9F

五芒星(ごぼうせい、英: pentagram)または五芒星形・五角星形・五線星型・星型
五角形・正5/2角形は、互いに交差する、長さの等しい5本の線分から構成される図形で
星型正多角形の一種である。正五角形に内接し、対称的である。一筆書きが可能。五紡
星と ...
‎幾何学的性質 - ‎用例 - ‎出典 - ‎関連項目

3.
パラボラ・アンテナ - nifty
http://homepage1.nifty.com/ckasa/mp/myx099.html
ピタゴラス教団が数学や哲学を研究したのは、正しい生き方をするためだった。 その
教えの中心は、数を崇拝することだった。 「1は創造主、2は女性、3は男性を意味し、
万物は数で表わされる」 また、ピタゴラス教団は、五角形の内部に五芒星が描かれ、
その ...

4.
ペンタグラム(五芒星形)
http://www.geocities.jp/ja1tmc/pentagramu.html

いずれにしても、ピタゴラス学園の人々は手紙の前文に、「Health to you」と書いた、
彼らは、ペンタグラムをシンボルとして使い「健康」と呼んだ。 資料、上記の資料の古注
ペンタグラムつまり「五芒星形」は、ピタゴラス派の中ではその派内のものである
シンボル ...

5.
ピタゴラス - FC2
http://mahorobanomori.web.fc2.com/Pythagoras.html

しかし、彼の学派が見付けたピタゴラスの定理によっても算出される√2によって、無理
数が存在しないという考えは後に修正された。皮肉な事に、シンボルマークの五芒星に
現われる黄金比も無理数であった。ちなみに、無理数の存在を否定するがあまり、無理
数 ...

6.
ピタゴラス -- Key:雑学事典
http://www.7key.jp/data/philosophy/pythagoras.html

2007年10月5日 ... このため、ピタゴラスの発見といわれているものはどれがピタゴラス自身の発見である
のか判っていない。有名なピタゴラスの定理も実はピタゴラス本人によるものではなく、
この学派によるものとされる。ちなみにこの学派は五芒星をシンボル ...

7.
ピタゴラスの館 - 五千年前の大洪水 - Google Sites
https://sites.google.com/site/gosennenmaenodaikouzui/pitagorasuno-guan

現代、この流れをくむ占数術は「秘教占数術(ピタゴラス占数術)」と呼ばれている。
その後、現在のイタリアのロクリスに本拠地を置き、ピタゴラス教団を創 設した。当時は
秘密主義なので、一種の秘密宗教結社である。ピタゴラス学派とも呼ばれ、五芒星を ...

8.
ピタゴラス - ピタゴラスの館 - Google Sites
https://sites.google.com/site/pitagorasunoguan/pitagorasu

現代、この流れをくむ占数術は「秘教占数術(ピタゴラス占数術)」と呼ばれている。
その後、現在のイタリアのロクリスに本拠地を置き、ピタゴラス教団を創設した。当時は
秘密主義なので、一種の秘密宗教結社である。ピタゴラス学派とも呼ばれ、五芒星を ...

9.
星と形−The Symbol of Stars- 第4章 - ZAQ
http://www.kcat.zaq.ne.jp/aaagq805/star/star4.htm

メソポタミアでは五芒星は星とは関係なかったようです。」とメールを下さいました。
なるほど。 「私も、なるほど、です。 バビロニア起源の五芒星といえば、かのピタゴラス
教団の紋章で、各辺が互いに他を黄金分割するその作図法は、秘密とされたようですが
、今 ...

10.
ピタゴラス教団|アラフィフダイエット!!キーワードは“楽・健” - Ameba
http://ameblo.jp/irutyan/entry-10814564351.html

2011年2月27日 ... 五芒星 と 六芒星」について調べておりました。 行きついたのは「ピタゴラス教団」. ん?
ピタゴラス?? あの、中学校の数学で習ったあれ?? いやあ、びっくりした. ピタゴラス
って人は、魔術師的な側面をもち、秘密結社みたいなものを作った人 ...


2013年10月10日(Thu)▲ページの先頭へ
気の教養?:心身相互成形課程:ポスト・デカルト心身二元論:氣識理性=氣的身体理性の発見
テーマ:全体智学 : holosophy:心智学

人間というのは、難しい存在である。
 生活しないといけないし、また、健康維持に気を付けないといけないし、また、心を涵養・陶冶しないといけない。
 生活、身体、心の三位一体が必要なのである。
 しかし、近代主義は近代的自我主義(利己主義)であり、物質主義(唯物論)であり、また、資本主義経済が支配するために、この三位一体の構築はきわめて困難になっているのである。せいぜい、どれかに偏るであろう。
 また、統括的原理がないことが原因でそうなるとも言えるのである。
 私は、近代主義を哲学的に作ったデカルトの心身二元論に元凶があると考えている。心(思惟)と身体・物質(延長)の二元論である。(正確に言うと、デカルトは両者の結節点を松果体に求めたのだ。この問題は今はおいておく。デカルト『情念論』を解読する | Philosophy Guides - 哲学ガイドブログ http://www.philosophyguides.org/decoding-of-descartes-passions/
 しかし、今や、太陰氣学によって、いわば、内臓心(内臓魂)を介して、心と身体が繋がっていることは明らかであるし、今日の科学の発達からこれは了解されることである。
 問題は、何が両者を繋いでいるのかということである。
 これは、太陰氣学では、氣であると明快に答えるのである。
 あるいは、氣的意識である。そう、いわば、氣識である。
 氣識が心と身体を繋いでいるのである。私が氣的身体理性と呼んだものはこの氣識の理性のことである。
 さて、近代主義はこの氣識がないために、自我中心主義に偏り、自己において、社会において、問題が生じさせるのである。わかりやすく言えば、病態を内外に成形するのである。
 氣識理性とは陰陽調和理性である(知性と呼ばないのは、知性だけだと、頭脳に偏り、共感性や倫理が疎かになるからである)。
 氣識理性(氣的身体理性)は、プラトン的な真善美の核に存するものである。そして、それは、最近の知見から、植物的生命をベースにすることが了解されたのである(飯山一郎氏の不食主義はその極北である飯山一郎さん
http://1tamachan.blog31.fc2.com/blog-category-34.html)。
(思うに、プラトンとはなんという人かと思う。今日を予見していたのか? プラトン哲学は植物生命的哲学、そう、氣的哲学だと思う。これについて、いつか検討したい。)
 この氣識理性の展開によって、心身バランス、そして、社会的調和への成形がなされると考えられるのである。
 そう、デカルト心身二元論は否定・破壊・悪魔の原理だと考えられる。(シュタイナーで言えば、悪魔アーリマンの原理ということになろう。)
 とまれ、氣識理性を中核におくことで、近代主義は超克されるであろう。
 それは、植物的生命原理の世界の構築を意味するのである。やや言葉足らずであるが、今日は疲れているので、ここで留めたい。


2013年10月08日(Tue)▲ページの先頭へ
氣的自然朋友世界へ:原初太陰(未分化混沌)⇒母権制(植物性)⇒父権制(動物性)⇒氣の生命愛の世界
テーマ:太陰イデア論:太陰人体学:太陰生命氣学

性欲的エクスタシーとは、感覚動物的なもの、それは、身体感覚物質的なものではないだろうか。
 それに対して、別の、一見似ているが異なる、つまり、似て非なる神秘欲動があるように思われたのである。それは、自然との一体感的なものである。
 前者(A)が欲望的であるのに対して、後者(B)は精神的ないし霊的である。
 ニーチェの区別、アポロとディオニュソスであるが、これは、以上に対して、どう関係するだろうか。
 思うに、神話的には、両者が混乱しているように思えるのである。
 ディオニュソスとバッカス(酒神)が混同されているのである。例えば、酒の陶酔はAであり、Bではないと思う。
 しかるに、ディオニュソスは、ギリシア悲劇(エウリピデスの『バッカスの信女』)では確かに、A的であるが、しかし、ニーチェのそれを考えると、それは、きわめて、精神的である。
 思うに、私の内面から言うと、Bはアポロ(天)に通じるのである。そう、私にとって、太陰(肚)にBの原点がある。
 しかし、また、太陰(肚)は、Aに繋がることもある。性欲もそこに関連しうるのである。
 ここには微妙なメカニズムがあるように思える。
 氣の問題である。
 氣は本来、植物的生命であると考えられる。
 それは、陰陽バランス、陰陽調和を意味する。
 しかし、Aはそれを越えている。
 思うに、人間においては、太陰(肚)において、植物性と動物性が同居しているのではないだろうか。
 だから、太陰(肚)の賦活は両者を刺激する。故に、上記のギリシア悲劇のようになりうるのではないだろうか。
 つまり、太陰はAとBの両面があることになる。しかし、それは、一種の混淆ではないのか。細かなことはともかく、二重性があることは言える。
 しかし、B的側面は氣に関係するのである。
 故に、太陰をB化することが一つの浄化のあり方ではないだろうか。食で言えば、菜食穀食である。
 私が氣的身体理性と呼んだものの意義はここにある。太陰的欲望・欲動を氣的に浄化するということである。
 そして、ここにBが発現するように思えるのである。
 そうすると、太陰=ディオニュソスであり、氣=アポロである。
 私は太陰に玄氣を見ているのであり、氣の根源を見ているのである。
 とまれ、太陰の氣化ということことがあるのである。それは、陽化とも言えよう。ニーチェの用語なら、アポロ化である。
 なにかいろいろと考えが浮ぶ。
シュタイナーの説く霊化とは、アポロ化なのではないだろうか。
 物質的身体からの解脱の瞑想を説くのであるが、それは、動物性からの離脱を意味するのではないだろうか。
 少し整理すると、人間の太陰はもともと、混沌(カオス)としている。植物性と動物性が混淆している。
 故に、太陰において、AとBの混淆、混同が起る。それが、ギリシア悲劇にあるし、D.H.ロレンスにもある。ニーチェの場合は、意外にシュタイナーの方向のように思えるのである。
 しかし、植物性が氣であり、動物性が官能性である。
しかし、氣も一種の官能性があるように思うのである。どうも、それが、プラトンのエロースに通じるように直観されるのである。
 明快にするために、暫定的に、植物的エロースと動物的エロースに分けよう。だから、プラトンのエロースは前者である。
 さて、本題にもどると、混沌とした太陰、初期太陰、原初太陰であるが、いわば、植物的エロースと動物的エロースが未分化様態と言えるのではないだろうか。(そう、D.H.ロレンスの官能はそのように捉えることができよう。)
 原初太陰は原初ディオニュソスであり、これは、ニーチェのそれとは異なり、ロレンスのエロースに近いものである。そう、言わば、太一であり、かつ二重である。しかし、この太一は未分化・混沌的一である。
 そして、母権制は、原初太陰=原初ディオニュソスの植物的エロース、即ち、氣(エーテル体)を活用した文化社会ではないだろうか。動物的エロースは抑圧されていたと思う。
 しかるに、父権制が誕生する。それは、宗教的に一神教となる。究極は、ユダヤ教ないし旧約聖書教(旧約聖書の問題はおいておく)である。
 これは、動物的エロースの文化社会に思えるのである。これは、掠奪、簒奪、暴力の「エロース」の文化社会に思えるのである。ロレンスが「父」と言うのはここに存すると言えよう。
 しかし、人類社会はその後、キリスト教をもたらすのである。
 イエス・キリストの誕生である。それ以前に仏陀、ゾロアスター、老子、他がいるが。
 私見では、イエスの教えとは、実は、植物的エロースに関係すると思うのである。そう、氣、エーテル体に関係すると思われるのである。
 そうならば、混沌としていた太陰に分化がもたらされるのである。あるいは、父権制で偏重されていた動物的エロースが修正された思われるのである。
 端的に言えば、未分化太陰が植物性と動物性に分化したと思うのである。言い換えると、動物的感覚が植物的生命を明晰に知覚するようになったということである。動物性と植物性の切断が生まれたのである。
 そう、太陰氣学(氣科学と言おうか)から見ると、イエス・キリストの教えとは、氣の教えである。植物的生命の教えである。
 しかるに、キリスト教は一神教であるので、つまり、父権制であるので、動物的側面が植物的側面よりも強いので、イエス・キリストの教え=氣・植物的生命の教えは軽視、無視される傾向が強かったのである。
 (思うに、イエス・キリストとは、一神教・父権制・西洋文明に侵入した多神教・母権制・東洋文明を意味しよう。)
 結局、キリストの愛とは氣ということになる。愛=氣である。
 思うに、今日、氣が身体において開き出しているのであり、思うに、新キリスト教の時代である。(そう、ロシア正教やケルト的キリスト教の時代と言えよう。あるいは、ゲルマン的キリスト教と言えるかもしれない。日本では、縄文的宮崎駿的アニミズムだろうか。)
 そう、そこで思うに、太陰氣学の原点である不連続的差異論であるが、それは、太陰と自我の不連続性を説いた理論であったが、しかし、太陰自体は未分化で、植物性と動物性が未分化混沌としていたと言えよう。
 つまり、キリスト教まで達していなかったのである。そう、D.H.ロレンス的段階である。
 結局、太陰氣学は、そのような未分化太陰に氣的分化をもたらしたことと考えられる。
 氣的身体理性が、植物性と動物性を分化させ、前者の氣力学を肯定するのである。
 そう、氣とアポロ(陽、日光)は繋がっているのである。当然であるが、一般に、植物と日光は繋がっているのである。(ここで、飯山仙人の不食・乳酸菌・日光浴サバイバル科学の意義があると言えよう。)
 結局、氣的身体理性の発見とは何を意味するのか。
 それは、原初太陰から氣的太陰への発展を意味しよう。
 氣、植物的エロースが支配する世界を意味するのである。
 キリストの復活とも言えよう。(ロレンスの『死んだ男』は、まだ、動物的エロースの外皮をもっているが、ほとんど、これに近づいていると考えられる。)
 とまれ、端的に、太陰の氣化、純粋氣化とは太陰力学的には何を意味するのだろうか。
 それは、陰陽調和和合和解平和の生存を意味しよう。
 氣愛、愛氣の世界である。そう、氣友、氣朋の世界と言えよう。
以前の私の言葉では、差異共振の世界である。
 ロレンス的には氣優ないし氣融の世界である。
 でも、何故、植物的生命の世界が復活するのか。
植物的生命世界が人体において、復活するとは何なのか。
 一体、人間の理性、知性はどうなるのか。科学はどうなるのか。
 少なくとも、氣理性、氣知性、氣的哲学、氣科学に変質する。
 そして、氣的社会、氣的経済、氣的政治、等々になるだろう。
 そう、今思ったが、「霊魂」とは何かの問題が出てこよう。
 個、自己、自我、「わたし」の問題でもある。
 太陰氣学では、シュタイナー霊学とは異なり、個、自己、自我、「わたし」を太陰から生まれたと考えている。ヤハウェは、極陽から生まれたのである。父権自我の誕生である。
 つまり、太陰力学の様態として、個や自己は存すると考えるのである。
 思うに、植物に、あるいは、氣に、原個、原自己を見てもいいのかもしれない。しかし、陰陽的なものである。即非的なものである。
 私が個は肚であり、同時に、他者であると説くものではないだろうか。言い換えると、メビウス的個=他者である。氣的精神性である。氣的霊性である。氣的人性である。
 しかし、太陰氣学から言うと、原点に太陰玄氣があるのであるが、その玄氣と氣とはどう関係するのか。いわば、母と子ではああるが。
 そう、ここに先に言及した、処女生殖=単性生殖=単為生殖が関係すると言えよう。
 とまれ、限定すると、玄氣と氣の力学はどうなのか。
 結局、太陰玄氣の螺旋的発展として、氣の力学を見ることができるのではないだろうか。
 太陰玄氣は最初は未分化混沌であるが、自ら、展開することによって、分化して、純化浄化して、純粋開花していくということではないだろうか。


2013年10月06日(Sun)▲ページの先頭へ
自然物質と人工物質(化学物質)の違い:氣的物質体と無氣的物質体
画像は以下を見られたい。
http://sophiology.jugem.jp/?eid=330

自然物質と人工物質(化学物質)の違い:氣的物質体と無氣的物質体

テーマ:農業・食料問題:有氣物質体と無氣物質体

以前述べたことがあるが、ビタミンCを考えると、みかんにあるそれと、人工的なビタミンCでは違うと思われる。
 そう、粗塩と食塩の違いとも似ているだろう。
自然有機体、自然的物質体には、氣があると思うのである。それは、物質より高次元のものであり、それが、生命形成力なのである。しかし、単に物質、人工物質、化学物質には、氣、生命形成力が欠落していると考えられるのである。
 だから、後者を摂取すると、人体は、生命形成的に反応せずに、破壊的に反応するように思えるのである。
 太陰氣学から言えば、人工物質には、太陰氣ないし太陰玄氣が欠落しているのである。そこに、生命形成情報エネルギーがあると考えられるのである。
 つまり、太陰氣(玄氣)があるか否かが、自然的物質体と人工物質体を区別すると言えよう。

なぜ「本物」を食べると消費が抑えられるのか

▽身体の機能を狂わせる物質の氾濫

前項で記載した、砂糖、異性化糖、人工甘味料の害に加え、もはや必要と考えられない食品にまで添加される「食品添加物」、石油製品(食器等)から溶け出す「内分泌かく乱物質」等、このいずれもが、人体はおろか、自然環境にまで有害な影響を与える「化学物質」です。これらは、人間の脳と身体の機能を著しく損傷させるものです。この影響により、これまでに無かった新しい病気の発現を含め、食への欲求内容や吸収、味覚にも影響を与えていることは否めません。また、この節操の無い化学物質の投入は、医療・製薬業界の「消費」を同時に促進させ、周辺ビジネスも賑わっています。化学物質は俗に言う「不安産業」(人間の不安心理につけ込む商売)の主たる創出要因(問題の根)のひとつです。
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1807774.html
大摩邇(おおまに)



作業仮説:ポスト人間主義:太陰玄氣体と処女生殖と不食文化

テーマ:父権物質文明から新母権・新自然文明へ

今日は、小降りの森の中を森氣浴プロムナード。
 森内氣歩は、心身にいい。元気が出てきた。
 
 さて、いろいろ考えがあるが、一言いちばん重要な思いつきを言うと、太陰玄氣体と処女生殖と単独原理と不食文化は一如ではないかということである。それは、ポスト・ヒューマンの文化である。
 とまれ、飯山仙翁の不食主義は画期的である。というか、進化的に革命的である。
 日光、乳酸菌、腸内微生物による生命保持であるが、それは、太陰氣学から見ると、氣的サブ生命体主義である。
 いったい、微生物や乳酸菌は生物において、どう分類されるのだろうか。植物なのか、動物なのか。
 とまれ、この不食生存は、いちおうは、植物型とは言えよう。植物は、日光を浴びて、栄養、エネルギーを作るのであるから。
 植物は食行為を行なっていないだろう。それは、受容行為に過ぎない。
 私の哲学的関心から言うと、不食主義は、太陰玄氣体、処女生殖、単独原理と通じると感じられる。
 今は詳述できないが、直観でそうなのである。
 一言言うと、不食主義は、脱エロス主義である。
 思うに、エロスは少なくとも二種類ある。
 一つは動物エロスである。それは、超陽のオスが陰陽的メスを捕獲するものである。
 もう一つは植物エロスであり、それは、陰陽牽引、陰陽「磁力」であると思う。
 しかし、それに対して、太陰玄氣主義になると自己生殖、つまり、処女生殖すると思われる。つまり、自ら、陽を形成するのであり、そこには、牽引、エロスはないはずである。
 陽や陰陽のもつ欲望がないのであるから、当然、エロスがないと考えられるのである。
 そう、思うに、これこそ、キリストの愛ではないだろうか。
 思うに、不食主義は真のキリスト教なのかもしれない。
 そう、また、社会であるが、もう結婚が不要となる。
 それは、単独的個を単位とした社会となる。それは、単独的共同体である。あるいは、単独的共振体である。
 これは、一つの人類史の終焉であり、新しい人類史、あるいは、ポスト人類史の始まりと考えられる。

追記:書くのを忘れたが、不食主義は、シュタイナーのアントロポロジー(人智学)を越えるものだろう。
 シュタイナーの霊学は、人間、人体中心なのであるが、不食原理は、人体というよりは、微生物、細菌、日光、氣が中心なのであるから、脱人間化していると考えられる。
 シュタイナーを越えたのである。

◆ 2013/10/05(土)     鬼 手 佛 心
日本の鬼は怨みや憤りで鬼にならざるを得なかった祟る(タタル) 鬼だ。餓鬼や鬼女や般若が鬼気迫る怒りの声を絞りだし唸りながら国中を跳梁跋扈するぞ!
日本は、哀しみと憤りの鬼哭が国中に木霊して怨念一色の憤死亡霊列島になる!怨念は末代までも残るぞ。
呪い殺される前に国外逃亡するも地獄の底まで追いかけて呪い殺す!容赦はしない。民族の怨念だからな。
井原鬼祭
岡山県井原町の秋祭は「鬼祭り」と呼ばれ、100匹もの恐ろしい形相の鬼たちが御神幸の先払を務める。まさに百鬼夜行である。今年は 10月27日(日曜)。
鬼手佛心とは、「仏心を以って敢えて鬼となり衆生を救う、誰かを救うために自身を鬼と化して行動を起こさねばならないとしても、心の真は仏の慈悲を以ってなさねばならない」とある。

しかし鷲は…、
「物事をなす時には 鬼のような手を繰りだせ! ただし 仏様の慈悲の心は決して失うな!」と解釈し、自戒しておる。

太陽凝視も、オドオドと恐れながらヤルと、ヤバイ!

何事も…、
失敗したらどーしよう!ケガでもしたら大変だ。太陽光は危険だ!
こんな思いが心中にあると良くない結果になってしまう。失敗する。

逆に…、ヤルからには、思いきってヤル! 鬼のようになってヤル!
成功することを信じ、ひたすら祈り、成功をイメージしながらヤル!

これを、自己実現的予言という。

自己の成功を信じきった予言は当たるのだ。予言どおりになる。

オドオドと失敗をおそれながらコトにあたると、失敗する…。

だから太陽凝視も…、
「太陽光は危険だ。朝晩の太陽光で少しづつ慣らしていこう…」
などというオソレが心中にあると、永遠にヤバイ。

人間、何事も思い切りが大切。でないと、永遠に変われない。
変化し、進歩し、新日本人に進化するために…、鬼手佛心!
鬼の研究
日本の歴史の暗部に生滅した鬼(オニ) 、特に鬼とならざるを得なかった女たちの怨みと情念を鬼気迫る筆力で描ききった名著である。日本人必読。

◆ 2013/10/04(金)2  鷲は鷹になる! 皆の衆も鷲に続け!
変化する爺さん。進化する爺さん。鷹になる 爺さん。
使用前1 使用前2 使用後
左から 2005年(大病後)、2009年 (絶不調期)、2013年(現在)。鷲は「鷹」 になる!
皆の衆。次の文章は、鷲の主張の「総論」を圧縮表現したものだ。
どうか一読し再読し、納得するまで読んで欲しいの蛇。m(__)m

国家や政府が「殺人機関」と化した今、放射能から身を守るサバイバル技術の習得だけが、生き残り(survival)を保証する最後の砦(とりで) だ。

放射能地獄では議論は不要、互いに助けあう者たちが、ひそかに集い、互いに助けあう! 日本人が生き残る道は、自助努力と相互扶助。この二つしかない。

皆の衆、どう蛇ろか?

鷲たちは、いま、逆境のドンづまりにいる! この認識があるかないか? これが生死の分かれ目になるの蛇が…。

いま…、
鷲らは、国家や政府や知識人や医者などには一切たよらず! 自分たちの健康は自分たちで守り、自力で生き抜いていくほかはないのだ!
こういう覚悟はできておるのか?>皆の衆

「311から2年半が過ぎたが、何てコトないじゃん!」 こんな甘い考えでいる者は、あとで必ず泣きをみる!

チェルノブイリやベラルーシでも、3年が過ぎた頃、「大したコトないね!」と皆が思い始めた途端、人がバタバタと死にはじめた…。
これは内部被曝の放射線障害が一挙に出始まったからだ。

しかし! 鷲みたいになれば、牛ー大丈夫蛇。

ガハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!

耐放射能人間 (新日本人) に変身できれば、逆に長生きできるん蛇夜!

どー蛇、分かったかな? 分かったら、鷲に続け!>皆の衆
豆乳ヨーグルト食って、運動で大汗かいて、太陽を凝視 する毎日!
まぁ、三番目の「太陽凝視」は、弱虫にはムリ蛇ろが…

おっと! その前に…、
次にあげる「新日本人(NJ) 」に変身するための参考文ぐらいは、しっかり読んでおいて猪ー大寝!
・ 新日本人(NJ)の生き方のお手本
・ 放射能にする強い耐性をもった新日本人の誕生!
・ 『耐放射能人間』=『新日本人』になる法
・ 『発酵民族=新日本人』の誕生! (1)
・ 『発酵民族=新日本人』の誕生! (2)
・ 「新日本人」をつくる国民運動
・ 噛んで 噛んで 噛んで 噛んだ!
上の文章を読んだら、その場駆け足で大汗かいて、熱い風呂に入り…、入浴後は、すぐに肌着かパジャマを着る! これでまた大汗が出る!

この風呂あがりの大汗が最高のヒートショック療法なの蛇夜!
こんな工夫を積み重ねていけば、必ず新日本人(NJ) に変身できる!
今の駄目な日本なんか忘れて…、新しい日本をつくろうな!

◆ 2013/10/04(金)  凝視して見る太陽は、黒かった…
写真に映る太陽像は 色々様々だ
太陽2 太陽1 太陽3 太陽4 太陽8 太陽5 太陽7 太陽9 太陽6
人間が太陽を直視したとき、太陽はどのように見えるのか?
太陽は凝視すると↓ このように見える
太陽0
太陽凝視! やってみると…、そんなに大騒ぎすることではない!と、すぐに分かる。
びっくりしたのは、太陽が黒っぽく見えること。その涼しげな黒さ!時折、その黒のなかに、それは綺麗な黄金色の光が放たれる…。あれは本物の純金の色だぞ!
そして、これまた綺麗なのは、コロナの色と形と、ゆらぎ。ゆらめき…。
いったい何だ? この美しさは! その美しさは、上の写真のソレに近い。
正直ゆーと、鷲も太陽は直視してはいけない!と思っていた。
だから太陽を直視したことはなかった。

しっかし、ま〜鷲も67歳にもなってから、お天道さま(太陽) を凝視して、お天道さまの形を確認することになろーとは思わんかった…。

それにしても、正午、南国・亜熱帯の志布志の太陽光線は強烈だが、その南国の太陽を凝視する!という冒険は医学常識では御ハットだが、忍者ハットリくんのノリ=忍者は修行でござる! でOKだったw

まぁ医学者や医者は病人や病気だらけの環境にいるので、考え方もヤルことも病的になっているワケで、健康な人たちをさらに健康にしていく発想など全くない。

彼らは、病気の恐さと病気になる恐怖を病院にきたシトに植えつけて、誰彼かまわず患者=病人にしてしまうのが商売。

だっから、日射病だ! 日食網膜症だ! 紫外線に起因する皮膚ガンだ! 紫外線にあたると最悪は死に至るポルフィリン症だ! などと、誰彼かまわず病名を付けて病人にして濃厚治療をし、最終的には殺してしまう…。

太陽に関しても、上と同じだったんだ罠ー。
太陽光線を浴びることは絶対に必要なのに、太陽光線、とくに紫外線は毒だー!毒だ!と、脅かしまくってきた医者と現代医学。この罪は大きい。
早い話…、
ウツは、一日1時間の日光浴を1週間つづければケロッと治る!
ところが、ウツっぽくて眠れない!からと病院へ行くと、向精神薬飲まされて、真性のウツ病にされて、最後は廃人!と。

◆ 2013/10/03(木)2  変身修行にして 人体実験にあらず
炎々と燃える太陽を見つめる 延々と…
太陽1 太陽2
生命力が注ぎこまれる… 奇蹟の予感
太陽1 太陽2
鷲…、ちゃんと目を開けて、太陽を凝視しているでしょ?
医学の常識は…、
肉眼で直接太陽を観測すると日食網膜症 を引き起こし、網膜の火傷や後遺症、失明のリスクがある。
であるから、「太陽凝視」などということは、絶対にやるな!

ところが鷲は…、
無謀にも、無帽でサングラスなし、しかも、南国の正午の太陽を直視し、凝視している。見つめ続けている毎日。
本日も30分の凝視…。

これって、いったい、どーなるのか?
ウィキ&医学常識が勝つのか?
非常識な飯山一郎が負けるか?

そろそろ結論がでる!

それにしても、太陽凝視は気持ちがEー猫!
β-エンドルフィンの気持ちが良くなる効果とメラトニンの睡眠誘導効果で…、いつしか鷲は眠ってしまった。

すると…、
またまた夢のなかにあのインド人があらわれ、こー言った…。

「太陽神秘熱を “眼”の奥に貯めろ!」

どーゆーことなのか?
と、考えつづける鷲の眼の奥が、なにかしら熱い。
が、とても心地よい熱さだ。涼しい熱さ…?

アッ!
これが、あのインド人が言った太陽神秘熱なのか!
たぶん鷲は、新しい日本人 (NJ) に変身できる…鴨。
# 飯山一郎のHP
# 飯山一郎のHP(ミラーサーバー 1)
# 飯山一郎のHP(ミラーサーバー 2)




直観:母権と植物文化(菜食穀食文化)、父権と動物文化(肉食文化):そして、ポスト人間:不食文化

テーマ:父権物質文明から新母権・新自然文明へ

太陰生命氣学は、太陰から陽が生まれたという考えをとっている。これは、一般の太極陰陽論とは異なる。何故なら、それは、太極から陰陽の両極が均衡的に生じたと考えるものであるからである。いわば、陰陽両極はそれなりに対称的である。しかるに、太陰生命氣学(簡単に、太陰氣学)では、陰陽は当然、非対称的である。
 そして、ジェンダーであるが、女性と男性の差異は非対称的と思えるのであり、陰陽の差異ではないと思われるのである。
 つまり、太陰が女性・母権的であり、陽が男性・父権的である。
 そして、前者は植物的、後者は動物的ではないかと思われるのである。
 前者が氣というか、原氣ないし玄氣的であり、後者は光的ないし物質的である。しかし、後者にも氣があるが、それは、物質と結びついていると思う。
 しかし、ジョセフ・キャンベル神話学から見ると、それは単純化である。思うに、陽のない、太陰のみの文化があったように思えるのである。男性のない文化である。
 それは、思うに、飯山一郎氏の説く腸内微生物や乳酸菌の世界ではないだろうか。
 そう、私の言いたいのは、単性生殖、処女生殖の世界である。
 今は思いつきだけを述べて、不整合、齟齬を気にしない。
 とまれ、太陰のみの世界は闇の世界である。光のない世界である。
 そう、物質以前の世界である。霊の世界?
 検討問題として、太陰=母権=植物、陽=父権=動物という非対称の二元論を述べたが、果たして、そう切っていいのか。
 陰陽で母権、そして、超陽で父権ではないのか。これまでは、この考え方である。

追記:単性生殖、処女生殖について、私は考えは混乱している。
 とまれ、以上の着想は、植物的生殖を越えた生殖を念頭においたものである。

1.
単為生殖 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/単為生殖 - キャッシュ - 類似ページ
単為生殖(たんいせいしょく、英語:parthenogenesis)とは、一般には有性生殖する生物
で雌が単独で子を作ることを指す。有性生殖の一形態に含まれる。なお、単為生殖
によって産まれる子の性が、雌のみならば産雌単為生殖(セイヨウタンポポ、増殖中の ...
‎概論 - ‎単為生殖と染色体 - ‎単為生殖を含む生活環 - ‎その他
2.
無性生殖 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/無性生殖 - キャッシュ - 類似ページ
無性生殖(むせいせいしょく)とは、生殖の方法のひとつで、1つの個体が単独で新しい
個体を形成する方法である。生殖細胞が単独で新個体となる。 概要[編集]. 親の体の一
部が独立して新個体になったり、生殖細胞が他の細胞と融合せずに単独で発生や発芽
を ...
3.
ニュース - 動物 - オスがいても“単為生殖”する野生ヘビ - ナショナルジオ ...
www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id... - キャッシュ - 類似ページ
2012年9月19日 ... ニュース - 動物 - オスがいても“単為生殖”する野生ヘビ - ナショナルジオグラフィック
公式日本語サイト(ナショジオ)
4.
単性生殖 とは - コトバンク - Kotobank
kotobank.jp/word/単性生殖 - キャッシュ - 類似ページ
デジタル大辞泉 単性生殖の用語解説 - ⇒単為生殖(たんいせいしょく) ...
5.
単性生殖とは - Weblio辞書
www.weblio.jp/content/単性生殖 - キャッシュ - 類似ページ
単性生殖とは? ⇒単為生殖(たんいせいしよく) >>『三省堂 大辞林』の表記・記号
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単為生殖とは - 生物学用語 Weblio辞書
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単為生殖とは?生物学用語。 雌が雄と関係なしに、単独で新個体を生ずる生殖法。
ミツバチ・ミジンコ・アリマキなどの動物、ドクダミ・シロバナタンポポなどの植物に見
られる。単性生殖。処女生殖。 →人工単為生殖 >>『三省堂 大辞林』の表...
7.
たんせいせいしょく【単性生殖】の意味 - 国語辞書 - goo辞書
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たんせいせいしょく【単性生殖】とは。意味や解説。⇒単為生殖(たんいせいしょく) - goo
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8.
無性生殖と有性生殖 - Hi-HO
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生物は、親からもらった特徴を子に伝え、また、長い期間のうちにそのときの環境に
合わせて変化してきました。 現在の地球にはいろいろな生物がいますが、それらがどの
ようにふえ、どのように進化してきたかを考えていきましょう。 遺伝. ネコの子は必ずネコ
...
9.
コモドオオトカゲの単為生殖 [爬虫類・両生類] All About
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ビッグなクリスマスプレゼントが、動物の神様から我々に贈られてきました。世界最大の
トカゲ・コモドドラゴンが、なんとよりによって単為生殖をしている...遺伝の勉強も少し入っ
た記事になっています!
10.
Open ブログ: 人間も単為生殖する?
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2010年1月18日 ... 昆虫などの下等生物では、(オスなしで)メスだけで子を生むという「単為生殖」をすること
がある。 ところが人間も同様のことが可能である……と政府が決めるらしい。 ── 人間
も単為生殖する……とういのは、もちろん馬鹿げている。(人間の) ...




聖霊=アクエリアスの時代:水宝瓶の聖霊氣が降り注ぐ大エポック:日本悪霊全体主義体制を打破せよ!

テーマ:父権物質文明から新母権・新自然文明へ

昨日は、1時間足らずで、8888,7777のカーナンバーが2台ずつ現われた。その他、111とかの三つ揃いもいくつかあった。
 また、世界政治におけるオバマとプーチンのいわば盟友の主導権、平和への盟友の行動。
 これは、新しい世界が始まっていることを意味する。
 水瓶座の時代への宇宙(コスモス)の転変である。
 この神霊・宇宙の動きに日本人はポカンと無関心、弥次馬でいいのか。
 何もしなければ、悪霊に滅ぼされる。悪霊政治が今、進んでいるのではないか。




粗塩⇒豆乳洗髪が唯粗塩洗髪よりよい:氣と自然有機体:有氣体(生命物質体)と無氣体(無生命物質体)

テーマ:有機的自然回帰的ライフ・スタイル

今日、粗塩洗髪そして豆乳まぶしで締めた。この方が、やはり、粗塩オンリーよりも、よい。パサつきがなくなるのである。しっとり、髪が収まるのである。豆乳は無調整である。
 これで、育毛養毛となれば、文句ないのであるが。
 もうシャンプーは使えない。
 以前述べたが、自然有機体には、氣があるのであり、無機物、単なる物質は、無氣である。つまり、生命スピリットの有無である。
 物質科学は、自然有機体の氣を見ていないのである。自然を単に物質としてのみ見ているのである。自然の物質を形成しているのは、氣、生命スピリットと思われるのである。この点では、東洋医学は正しいのである。
 太陰生命氣学は、太陰から陽の発生を見ているのであり、この陽が氣である。太陰は原氣(元氣、又は玄氣?)だと思う。(追記:もう少し丁寧に言うと、太陰から陽が形成され、陰陽球が生まれる。この陰陽球を氣と見るのがいいのかもしれない。そして、陰陽球の外側が光や物質である。そう、有機的物質というのか、氣的物質である。)
 ところで、『宇宙生命論』

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であるが、粗略、粗雑な記述であり、発想としては、使えるが、もっと緻密な説明が必要である。ヒントとしてはとても興味深いのであるが、ちょっとトンデモ系である。





2013年10月02日(Wed)▲ページの先頭へ
日想観(じっそうかん)に先祖返りする飯山一郎役小角転生仙翁
画像は以下を見られたい。
http://sophiology.jugem.jp/?eid=329

日想観(じっそうかん)に先祖返りする飯山一郎役小角転生仙翁

テーマ:放射能大洪水飯山一郎新方舟:乳酸菌日光浴

私もよく太陽を見つめることをしたものだ。小学生の頃、なんとなくやってみた。
 今はやらないが、結構できるものである。
 ところで、飯山仙翁は、古代や中世あたりの日本人がやっていた日想観(じっそうかん)に先祖返りしていると言えよう。
 日光は不可視の氣の「光」、超越光があると私は考える。当然、生命のスピリットである。
 折口信夫が日想観に触れていたのを想起したのである。
 また、「太陽は巨大で偉大だ。」 これは、ニーチェの『ツァラツゥストラかく語り氣』やD.H.ロレンスの『アポカリプス』を想起する。
 とまれ、これは、ゾロアスター教的であることは間違いない。飯山仙翁は、拝火教徒にもなったのである。
 私は昔から、太陽崇拝者、太陽信仰である。

◆ 2013/10/02(水)2  赤勝て! 白勝て! 応援団も負けるな!
太陽は巨大で偉大だ。これを鷲は毎日凝視!
惑星
地球なんてのは…、なんか、鼻くそみたいだ猫〜ww

「ウィキペディアに書いてあった!」と得意気に言うシトがいるがー、これを鷲は「ウィキ坊や」と言ってカラかう。
ま、たしかに恣意的な文章が多いカラ脳〜ww
ところで…、
そのウイキには「太陽観測時の注意点」として次の文章がある。
日光には可視光線の青色光、紫外線、赤外線が含まれるため、肉眼で直接太陽を観測すると日食網膜症 を引き起こし、網膜のやけどや後遺症、失明のリスクがある。
観察には日食グラスや太陽観測専用の遮光フィルターなどの専用の器具を使用する(すすのついたガラスや黒い下敷き、カラーネガフィルムによる減光では不十分とされている)。
太陽の位置を瞬間的に肉眼で確認してから、グラスやフィルターを目に当てる方法では、網膜にダメージが蓄積される(そのため、先にフィルターに目を当ててから、観測をはじめるように勧告されている。)
医学常識では、太陽凝視なんてのは豚でもない! 絶対やるな!鼠〜コトらC〜。

ところが!
鷲は、ウィキにも書いてある「失明のリスク」を心いくまでオカシて、太陽を凝視する毎日。

ちなみに、きょうも鷲は太陽を20分間も凝視したが、いまのところは失明してない。なんせ、モノが良〜く見えるんだからな。

さーーて、お立ちあい!
ウィキ&医学常識が勝つのか?
非常識な飯山一郎が負けるか?
まもなく結論がでる!

◆ 2013/10/02(水)    救うのは、太陽だと思う。
救うのは、太陽だと思う
太陽1 太陽2
シャープは世界一のソーラー企業だが、われわれ人間の身体もソーラーシステムなのだ。
人間の眼球の視床下部から脳の松果体までの構造は、隠れたソーラーシステムなのだ。
(上の2枚の写真はシャープ社のサイトからいただきました。シャープさん、ありがとう!)
鷲は昨日、15分間も太陽を凝視した。凝視し続けた…。
最初は不安だった。
強烈な太陽の紫外線で眼底部が火傷し、損傷するのではないか?と、恐怖感で一杯だった…。

しかし!
そのうち…、
薩摩の黒豹こと飯山一郎 の「目」は…、「眼球」は…、
最初は矢鱈とマブしい南国・志布志の太陽が「真ん丸な火球」であることを、シッカリと認識していた。

太陽を見つづける! 魔坂! そんなことが出来るワケがない!
こーゆー「常識」(これは「医学常識」でもR!) は、見事に崩壊していた。
鷲は前から、下のような文章を書いて「世の常識」を疑っていた…。
・ 日光浴のすすめ (上)   ・ 日光浴のすすめ (下)
・ 運命の分かれ道       ・ ビートたけしは原発そのもの!
さらに鷲は「世の常識」を疑いながら…、太陽を見つめ続けた。
やがて…、
β-エンドルフィンの気持ちが良くなる効果で…、眠ってしまった。

夢のなかに、一人のインド人があらわれた。
そのヒトは、鷲にこー言った…。

「太陽を“眼”で食え! 不食でも生きられる!」

“不食”とは、「何も食わずに生きていく!」ということなんだが…、
「太陽を“眼”で食え!」 とは、いったい、どーゆーことなのか?

たぶん…、
鷲たちの人生は太陽 が救う! ということなの鴨。

いや!
日本民族の生命と健康と、いま、目前にある未曾有の逆境を…

救うのは、太陽だと思う。

◆ 2013/10/01(火)2     太 陽 凝 視 !
これだけの汗が わずか10分の日光浴で出る!
太陽
きょうの志布志は暑かった。
軽い畑仕事のあと、10分の日光浴で猛烈な発汗。
その後、水シャワーを浴びてから撮ったのが上の写真。
おっと!そんなことより、本日から鷲は「太陽凝視」をはじめた。
本日は15分、太陽を凝視した…。
「太陽凝視」とは何か?
それは、簡単に言うと、太陽を凝視することでR!www
太陽凝視! これは、いま、秘法中の秘法である。
だから鷲は、簡単には公開しない。(爆)
鷲は全国的な隠れた人気者なんだそーだ。
その理由は、乳酸菌の秘法を無料公開したからなんだそーだ。

しかし…、
鷲は、特段、大枚のゼニを出したわけ蛇ないんだし…。
ほっておいたら、自然勝手に全国に広まっちゃっただけだ夜寝。
だっから、ホメられる特段の理由なんて、ないん蛇ないのぉ ww

それよか、ホメられたいのは、黒豹になるほどの日光浴だ夜。

皮膚ガンの原因だ!日射病になる!疲労の原因だなどと、さんざん悪く言われてきた太陽光線を、鷲は、連日連夜!全裸の全身に浴び続けて「薩摩の黒豹 」と言われるほどの健康体になった!

ところが、鷲の大胆な人体実験をホメるどころか…、
この“奇蹟”を信用しないシトが大勢いたので、鷲は、その“証拠”をより生々しくリアルに見せるために、なんと! 「ハエ叩きヌード 」を、恥をしのんで…、恥ずかしげもなく…、恥をさらした。

それなのに…、
今回ばかりは、この“奇蹟”は全くと言ってよいほど全国に広まらず、同調者つーか賛同者の数は、そーだなぁ せいぜい10数人かな。
ホメてくれるヒトもほとんどいない。

ままよ!人生なんて、こんなもんだ。孤独こそ我が人生!鼠〜ワケで、鷲は、一人勝手に前に進むことにした。

それが…、
ベニヤ板のベッド上で日光浴をしながらの 太陽凝視
この豚でもない非常識な荒行をすることなの蛇。

太陽凝視! これは、いま、秘法中の秘法である。
おいおい公開したい…。
太陽凝視 が加わって…、↓進化する飯山一郎の真価が深化した…てかww

↑このポスターは きのこ 女史の作品
飯山一郎のHP


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日想観 の画像検索結果

2.
今月の行事日程 - 和宗総本山 四天王寺
www.shitennoji.or.jp/event/index.html - キャッシュ - 類似ページ
弘法大師の月命日、毎月21日は俗に「お大師さん」と呼ばれ、境内に露店が並び、
たくさんの参詣の方が来られます。弘法大師は聖徳太子を讃仰され、若き日に四天王寺
に詣でて、西門にて入日を拝する日想観を修された。この機縁により毎月21日に大師会
...
3.
日想観 とは - コトバンク - Kotobank
kotobank.jp/word/日想観 - キャッシュ - 類似ページ
大辞林 第三版 日想観の用語解説 - 出雲聖人の主導した百万遍念仏は,貴賤をとわず
,道俗男女が一定期間参詣して念仏し,鳥羽法皇や藤原忠実・頼長らも参加した。西門
外の海は極楽への道として,夕日に浄土の想いをはせる日想観(につそうかん)を修し,
...
4.
日想観
ww6.enjoy.ne.jp/~myouannji/houwa348.html - キャッシュ - 類似ページ
日想観(にっそうかん)とは、 心を堅くとどめて乱すことなく、一すじに想いつめて他のこと
に触れず、こうして夕日がまさに沈もうとして、ちょうど空に鼓をかけたようになるありさま
を見る ことによって、阿弥陀如来の浄土を想念(そうねん)する観法(かんぽう)です。
5.
【四天王寺】日想観: 驕れる人も久しからず
naga500.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-a3f1.html - キャッシュ
2013年3月20日 ... 今日、春分の日に四天王寺さんでは日想観(じつそうかん)という法要が行われていまし
た。 前々から春分、秋分の日に四天王寺西門に落ちる夕日を見たいと思っていたのです
が、昨日四天王寺さんのHPを見てみたら、日想観というものが行 ...
6.
一心寺 プロフィール 歴史
www.isshinji.or.jp/profile_history.html - キャッシュ - 類似ページ
一心寺の歴史. 日想観. 「法然上人日想観の図」土佐光茂筆・一心寺蔵. 一心寺の発祥
は文治元年(1185)。 浄土宗をお開きになった法然上人がこの地の四間四面の草庵「
荒陵の新別所(あらはかのしんべっしょ)」で「日想観*」を修せられたことが由来とされ
てい ...
7.
日想観 - 岩瀧山往生院六萬寺
oujyouin.com/jitusoukan.htm - キャッシュ - 類似ページ
三善為康が著した「拾遺往生伝」によれば、荒廃した六萬寺の後に 河内往生院が念仏
聖である安助上人により平安時代中期に創建され た。この地は、「四天王寺の東門から
真東にあり、極楽浄土の東門に 当院が当たる」ということから、極楽往生を達するに ...
8.
千年の歴史体験〜初めての日想観@四天王寺: オーサカのカタスミから
odamaki1031.cocolog-nifty.com/osaka_no.../post-20d1.html - キャッシュ - 類似ページ
2012年3月23日 ... 日想観」、不思議な言葉ですね。にっそうかん、と読んでましたが、正しくは「じっそうかん
」だそうです。その昔弘法大師・空海が四天王寺で真西に沈む夕日を見て、西方に極楽
浄土を見いだす修行を始めたことに由来。西門は極楽の東門 ...
9.
四天王寺の日想観 No.1744 - 「世界の高齢者」編集者のブログ
d.hatena.ne.jp/wanbi/touch/20130219/1361276618 - キャッシュ
2013年2月19日 ... [宗教]四天王寺の日想観 No.1744. 聖徳太子が建立したといわれる四天王寺での「日
想観」は、藤原時代より鎌倉時代にかけて勃興した浄土教の影響によって、その時代に
盛に行われた行事である。そして鎌倉以後においても、その情勢には ...
10.
真西の夕日に彼岸の心 総本山 四天王寺 日想観(じっそうかん)
www.pressnet.co.jp/osaka/kiji/100320_12.shtml - キャッシュ - 類似ページ
2010年3月20日 ... 先祖を供養する春の彼岸会が18日、四天王寺(大阪市天王寺区、593年創建)で
始まった。彼岸の中日となる春分・秋分の日には、同寺「石の鳥居」の中を落ちていく
夕日を拝む「日想観法要」が執り行われる。日想観は弘法大師・空海が同寺 ...
11.
日想観の風景
www1.kcn.ne.jp/~kosho/koshoken/ourai/90_kamii.html - キャッシュ
日想観の風景. 神 居 文 彰. 日輪を媒体として佛を観想する行儀に「日想観」という一種
の瞑想法がある。 太陽が沈む西の方を向き、心を静めてその落日をゆっくりと観て、
沈みきった後もその姿を明瞭に見ているかのように観想することである。それは、目を
閉じ ...
12.
天王寺の西:「摂州合邦辻}〜合邦庵室
www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/sakuhin58.htm - キャッシュ - 類似ページ
天王寺には、特に彼岸の中日に「日想観(じっそうかん)」を行うために大勢の人々が
集まってきたものでした。「日想観」と言いますのは、天王寺の西門は極楽浄土の東門と
向かい合っている、という信仰から来たものです。そのために人々は西門 .... 折口信夫:
「玉手御前の恋」(折口信夫全集 第18巻 藝能史篇2 (中公文庫 ) に収録。) (TOP) (戻る

13.
143夜『死者の書』折口信夫|松岡正剛の千夜千冊
1000ya.isis.ne.jp/0143.html - キャッシュ - 類似ページ
2000年10月4日 ... しかしまた、やはりこの一篇の作品は、折口信夫という桁外れの国文学者であって民俗
学者である思索がたまさかもたらした数少ない創作物で ... ここに折口信夫をめぐる以上
のいっさいは集約されるのである。 .... もうひとつは日想観である。
14.
折口信夫 山越しの阿弥陀像の画因 - 青空文庫
www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/46386_26151.html - キャッシュ - 類似ページ
折口信夫. 極楽の東門に 向ふ難波の西の海 入り日の影も 舞ふとかや. 渡来文化が、
渡来当時の姿をさながら持ち伝えていると思われ ..... ただ山越しの弥陀像や、彼岸中日
の日想観の風習が、日本固有のものとして、深く仏者の懐に採り入れられて来たことが
、 ...


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09月20日

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Wed, October 02, 2013
森氣浴プロムナード:草食動物くらいには進んだが、食い意地がある:パン食、1日1食だが

テーマ:健康&治癒:森気浴:医食同源:小食菜食

今日、からだが重いので、久しぶりに、森氣浴を行なった。それで、からだのだるさがなくなり、かなり元気を取り戻せた。
 たんに森の氣に浸ることだけでなく、歩くことが大事である。
有酸素運動ということだろうが、直観では、森の氣を取り入れて、心臓から氣の血液が、氣を体に運んで元気になったように思える。原理的説明は今はしない。
 とにかく、森氣浴プロムナードで、元気を取り戻せたのはうれしい。やはり、氣と運動である。運動で、氣を身体内を巡らすと考えたい。そう、氣と心臓と血である。
 健康方法がだんだん見えてきた。やはり、長時間のデスクワーク、徹夜等で、生命リズムが狂ったと言えよう。
 
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Wed, October 02, 2013
宇宙生命論と太陰生命氣学:氣が共通するが、少し眉に唾付けた方が・・・

テーマ:太陰イデア論:太陰人体学:太陰生命氣学

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今、これを読みかけであるが、なかなか面白い。佐野千遙博士の単極磁石論に少し関係するが、それより、私の太陰生命氣学に関係するところが多い。氣を基礎としている点では共通である。
 しかし、個ないし自己を否定している点では、首肯くことができない。
 読了したら、少しコメントしたい。

痾呆屁゛から悪米へ:明らかに日本を疲弊させる「米」痾苦魔資本の策略
テーマ:日の本大覚清創造:心的革命宣言:霊的進化
悪とは冷気である。魂の冷気。心の寒冷現象である。
 これは、邪蝿の冷気ではないのか。邪蝿は冷酷の噛みである。
 悪鬼冷鬼との永遠の闘争が必要であろう。アンラ・マンユとの闘争。アフラマズダの闘い。
 日本人の問題は、魂が抜けてしまっていることである。
 奴隷として、生き続ける選択をする可能性が強い。
 ポスト日本、日水湖宮へ。
 悲劇を覚悟しないといけない。

絶望が希望だ。

暗黒が光明だ。

悲劇が喜劇だ。

苦しみが幸せだ。

どん底が天国だ。

とまれ、生命の氣があるのである。

それは、サンクチュアリである。

Photo
記者会見で消費税率上げを表明する安倍晋三首相=1日夕、首相官邸(写真:フジサンケイビジネスアイ)(SankeiBiz)
安倍首相、消費税率引き上げ強行…「政権崩壊」ジンクスは?
日本の安倍晋三首相は1日、現行5%の消費税率を来年4月から8%に引き上げると発表した。(中央日報日本語版)
[記事全文]

◆増税延期の選択肢は事実上なし
・ 景気、政権を左右=神経とがらす安倍首相−消費増税 - 就任以来のアベノミクス効果で各種の経済指標が上向き、「自ら消費税を上げざるを得ない状況にした」(周辺)のは確か。仮に増税を見送れば、財政健全化が後退し、国債金利が上昇する危険もはらむ。時事通信(10月1日)

◇5兆円の景気対策に注目
・ 消費増税、次の焦点は経済対策5兆円の中味 - 東洋経済オンライン(10月2日)
・ [図解]経済政策パッケージの主な内容 - 毎日新聞(10月2日)
・ 新経済対策 主な歳出と減税 - NHK(10月1日)


2013年09月21日(Sat)▲ページの先頭へ
知的生命的存在の根源は何か:形而上的原理か形而下的原理か:あるいは、第3の原理か?
テーマ:太陰イデア論:太陰人体学:太陰原理陰陽球

太陰イデア論では、根源を太陰イデアにおいている(仮説)。
 しかし、太陰=肚(気的身体)であり、太陰イデアとは、気ないし根源的気とも考えられる。
 また、太陰を存在とも考えている。
 佐野千遙博士や以下のケッシュ博士は、根源を物質原理で考えている。(両者に共通するのは、磁場であろう。後者はその他に、重力場もあげているが。)
 ところで、話が変わって、私は2004年に「海舌 http://blog.kaisetsu.org/」氏と遭遇して、いわば、突然変異的に不連続的差異論を独創したが、2005年か2006年に形成された、不連続的差異論の発展と考えられたPS理論に2012年春頃まで関わり、提唱したが、その後、それから脱却して、今や、太陰イデア論を提唱している。
 今、この離脱の意味を簡単に見ると、それは、原理の考え方に違いにあると言えよう。
 PS理論は、認識をベースにおいた理論である。それも、知的な、合理的認識を基盤にしているのである。
 しかし、私が不連続的差異論(PS理論の前身)の段階で捉えていた不連続的差異とは、肚のことであり、それは、一般的認識では捉えられないものなのである。
 それは、一般的認識とは不連続、非連続であり、実際のところ、未だに、明確に捉えられていないのである。
 思うに、それを存在ととっても、なんらかの認識性をもっているとは言える。しかし、それは、頭脳的認識とは異なると考えられるのである。
 イデア的認識と言えるかもしれないが、イデアは理念であり、存在とはズレるので、問題を残している。
 不連続的差異論の段階で述べた、知即存在という概念が適用できるようには思えるのである。
 知即存在としての太陰なのである。それは、当然、単純な形而上学的なものではないし、また、形而下的なものでもない。
 いわば、原物質的原理、原生命的原理である。
 とまれ、余裕のあるとき、精緻に検討したい。

追記:グランド・セオリーの構築には、私一人では、無理であるという感じを最近とみに持つ。私は太陰イデア論(仮説)を提唱しているものの、シュタイナー理論、藤原肇理論、佐野千遙理論、等々の考え方にも、開いているのであり、ドグマではない。
 太陰イデア論もいわば暫定的なものであり、理論的進展に応じて、よりよい仮説になるのである。
 より多くの人に、検討してもらいたいと思っている。決定論ではないのである。あくまで、仮説、作業仮説である。


ケッシュ博士インタビュー そのC

相対的に、根源のエネルギー<原理エネルギー(プリンシプル. エネルギー)>が、物質や、目に見えない熱や電気や、あるいは又、重力や磁気力に姿を変えたものだと理解すれば、足りるのである。
http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/2013/09/post_9793.html
飄(つむじ風)


2013年09月20日(Fri)▲ページの先頭へ
超陽支配が終り、太陰の大地が目覚める時:ポスト旧約聖書-近代文明と勃興するロシア文明の新時代
超陽支配が終り、太陰の大地が目覚める時:ポスト旧約聖書-近代文明と勃興するロシア文明の新時代

テーマ:太陰イデア論:太陰人体学:太陰原理陰陽球

戦争金融資本/旧約聖書イデオロギー資本(ヤハウェ資本)の暴力は気が抜けないが、ヤハウェ資本は衰退の一途であろう。
 思うに、デカルト的心身二元論が目覚めた太陰によって崩壊する。つまり、心身融合(追記:結合の方がいいかもしれない)が起るのである。
 近代主義を信奉した者は自壊するだろう。目覚めた太陰エネルギーを取り込むことができないからである。
 そう、太陰エネルギーは陰陽エネルギーである。気エネルギーである。もっとも、魂と結びついた気エネルギー、即ち、魂気エネルギーないし霊気エネルギーである。
 私の直観では、気エネルギーが魂を浄化するのである。ここで、食事(玄米を含む穀物菜食、豆乳ヨーグルト食等)や気活(自然気浴:森気浴、日光浴等)が重要になるのである。
 ところで、以前から問題であるが、太陰イデア論では、魂の領域を太陰で、頭脳の領域を陽で考えている。つまり、本来、生命に関わる陰陽に精神作用を重ねているのである。
 もっとも、この問題は既述済みではあるが、今においては、やはり、不分明なのであり、再検討が必要と考えられるのである。
 問題は意識ないし自己意識である。
 太陰意識、陽意識があるのではないだろうか。そうならば、植物にも意識があることになる。これはおいておこう。
 今、直観で言えば、

太陰(肚)=他意識
陽=自己意識
超陽=自我意識

である。
 陽は個意識と言えるかもしれない。これは、太陰と超陽の中間のバランス的意識と思えるのである。
 とまれ、太陰が新たに目覚めるということは、陰陽生命意識が目覚めるということである。あるいは、単に、生命意識が目覚めるということである。つまり、気意識、植物的生命意識の目覚めということになる。
 以前からの考えではあるが、共感性は、陰陽共振にあるのである。太陰と陽とのバランスに存するのである。
 つまり、それは、生命力学、植物生命力学的なものである。
 つまり、一般に動物や人間よりも、植物の方が「霊性」が高いということになるように思えるのである。
 さて、人間の自我、父権自我は超陽で説明したが、動物の欲望はどう説明できるのか。シュタイナー霊学で言えば、アストラル体はどう説明できるのか、である。
 今、思ったが、人間の自我ほどではないが、陽への傾斜で説明できるのではないだろうか。太陰を超越したのが、超陽であり、父権自我である。
 しかし、動物的欲望は、太陰の超越まで行かなく、陰陽力学において、陽への傾斜において発生する力学と言えるのではないだろうか。
 しかし、陽の傾斜を単に動物的欲望とするならば、自我一般の説明はどうなるのだろうか。
 これまで、父権自我ではない自我一般は陽の傾斜と考えてきたのであるから、以上の説は齟齬を来すのである。
 次のように考えるのはどうだろうか。陽の傾斜はこれまで通り、自我一般とする。そして、この陽の傾斜に拠る太陰の被抑圧力学において発生するのが動物欲望・感情=アストラル体ではないのか。つまり、動物欲望・感情=アストラル体とは、太陰が自我一般(陽の傾斜)によって抑圧されたときの変形様態であるといういうことである。言い換えると、自我一般はあくまで、傾斜した陽に存するのであり、動物欲望・感情=アストラル体は、自我に抑圧された太陰の変形様態に存するということである。
 以上で、いちおう、整合的な説明はできたことになる。まぁ、作業仮説的であるが。
 そのように仮説して、太陰が新たに目覚めるとはどういうことかと言えば、それは、純粋な植物的生命、宇宙・自然的植物的生命が意識において目覚めるということである。
 簡単に言えば、純粋な陰陽共振・気エネルギーの覚醒である。
 それは、植物生命的な霊性の覚醒ということになるだろう。もし、気の意識を霊性と言えるならばである。
 それは、D.H.ロレンス風に言えば、コスモス的霊性の覚醒と言えよう。シュタイナー的には、エーテル体的宇宙精神の覚醒である。
 思うに、ロシア正教、ロシア文化はそのような要素を強くもっていよう。だから、ポスト旧約聖書文明=ポスト近代文明はロシア文明の時代なのである。


2013年09月13日(Fri)▲ページの先頭へ
私の隠遁癖は、ウラル・アルタイル民族森林文化に拠るのか?
私の隠遁癖は、ウラル・アルタイル民族森林文化に拠るのか?

テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史

私は、隠遁癖があり、できれば、人に会わずに、自然と接して生きて行きたい。今夏は海や川に接した。今は、近場の森へ避難するのである。森はサンクチュアリ、アジールである。
 D.H.ロレンス文学でも森はそうである。
どうも、この森林隠遁癖は、ケルト民族と通じるように思われる。そして、かつて、調べたが、ケルト民族とアジア民族は通じているのである。飯山一郎氏の説くツングース民族であるが、ケルト民族と関係しそうである。
 これは、母権民族である。それも、縄文的母権民族に通じると思う。
 かつて、私は19世紀ロシア文学が好き(かつての日本人はそうだった)で、ロシア語をかじったが、難しくて挫折した。
 10代はツルゲーネフ、ドストエフスキーにはまったが、その後、トルストイ、ゴーゴリ、レールモントフ、プーシキンにはまった。
 文体が女性・母権的、つまり、優しいし、メロディアスなのである。
 また、ロシアの神秘文化は太陰イデア論に通じるものがある。
そう、大地とキリスト教との融合としてのギリシア正教、ロシア正教は、思うに、ケルト的キリスト教に近いだろう。つまり、自然とキリスト教(新約聖書のキリスト教)の結合文化である。
 私見では、近代日本の大失敗の元凶、諸悪の根源は、本居宣長に発する国学=新父権主義で、それによって、精神が、いわば、旧約聖書化して、自民族中心主 義になり、そのイデオロギーの下で、権力者は、戦争を起こし、また、敗戦後は、米国に拠る植民地化を受け入れたと考えられるのである。
 本来の、以上のような日本母権主義が忘却・喪失されているのである。つまり、日本人は己の魂をなくした亡魂の民であるということである。無魂の日本人はゾンビである。ゾンビ日本人である。

追記:痾屁゛葬痢は、日本ゾンビ族の首長である。
◆ 2013/09/12(木)  ロシア人と日本人の先祖は同じ…鴨
「プーチンとオバマは、対ユダヤ軍産複合体戦線で戦う同志である、という飯山一郎翁の見立てが当たったのか?」
と、ネットゲリラが(半信半疑でww)鷲をホメてくれている。 (記事)
ネットゲリラにホメられると、鷲は嬉しい!
ぎのご姐さんにホメられたばやいは、あんまり嬉しくない…。
その直後、ハシゴはずされるだけでなく、落とされるからなww
ところで…、
日本の情報は、(隠蔽&洗脳体質の) 日本のメディアよりも『ロシアの声 』を読め!というのが、今、ネット人のトレンドなんだが、鷲の場合は、
『ロシアの声(日本語版)』は、プーチンの日本向けのメッセージだと思っている。
それにしても下の記事には、鷲、ビックリおどろき、驚愕した!
ロシアのウラル・アルタイ地方は日本語のふるさとであり、日本人の先祖であるツングース族(ツラン民族)のふるさとでもあるが、そこで「20年外界との接触を持たなかった青年を発見!」というのは、驚愕の情報だ。
アルタイ地方の冬の極寒は半端ではない!
そこの森林の地面に掘られた穴で20年以上も暮らしてきた青年の生活は、現代人には到底不可能である!
しかし、青年の生活は、じつは、われわれ日本人の先祖の生活様式なのだ。
で、そのうちイノシシを飼いならしてブタにして、ブタを飼いながら東へ東へと移動をはじめたのがツングース民族なのだ。われわれ日本人のご先祖の…。
今回たまたま発見されたのは、青年ひとりだけだが…、外界と接触せず森林のなかでの穴ぐら生活をしている人種が、アルタイやシベリアのタイガ(深い森) には何万人もいるという。 (アナスタシアもその一人…。)
そのタイガに住む人々の生活は、原始的で貧しいものでは決してなく、知的・精神的に非常に豊かである! というメッセージをプーチンは『ロシアの声』を通じて世界に向けて発信している、と。
プーチンが熊に乗って、タイガの川の浅瀬を突進している合成写真 があったが、これはタイガに生きる人々の暮らしの一場面ということ…、分かるかなぁ? ま、おいおい説明していきたい…。

(2013/09/11 【ロシアの声】)
アルタイ地方:20年外界との接触を持たなかった青年を発見

© пресс-служба администрации Алтайского края
西シベリア、アルタイ地方のリゾート地ベロクリフ近くの森林で、生まれてから外界と接触したことのない青年が発見された。
発見された青年は名前は明かされていないが、1993年にアルタイ共和国のある村で助産婦の介助なしで生まれた。教育は一切受けておらず、森の外の世界ともまったく接触を持たなかった。
青年の両親も社会との接触をたち、1997年から息子とともに森林の地面に掘られた穴で暮らしてきたが、2013年春より息子を一人置いて、穴を出てしまっている。
タス通信   (記事)
飯山一郎のHP

ロシア文学 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/ロシア文学 - キャッシュ - 類似ページ
19世紀はロシア文学、とりわけ小説の黄金時代となり、フョードル・ドストエフスキー、
ニコライ・ゴーゴリ、イワン・ゴンチャロフ、ニコライ・レスコフ、ミハイル・サルトィコフ=
シチェドリン、レフ・トルストイ、イワン・ツルゲーネフら無数の才能が出現し、全世界の
文学に ...

ロシア宇宙主義 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/ロシア宇宙主義 - キャッシュ - 類似ページ
ロシア宇宙主義(英: Russian cosmism)とは、20世紀初頭のロシアで発生した宇宙を
中心とした哲学的・文化的運動である。ロシア宇宙論とも呼ばれるが、いわゆる宇宙論と
は直接の関係はない。ロシアではロシアとは冠せず、Космизм(宇宙主義)と呼ばれて ...





気の生命哲学科学:乳酸菌、光合成細菌、又、免疫力とは何ぞ哉

テーマ:放射能大洪水飯山一郎新方舟:乳酸菌日光浴

今は、直観のみを記す。
 太陰生命論(また、新語である)に拠ると、生命とは、陽から太陰へと螺旋回帰するときに発生すると考えられる。
 そう、陽自体は太陽(お天道様)であり、原生命だと思う。それが、螺旋回帰すると生命体が現象するように思えるのである。
 思うに、陽から物質体、生命物質体が形成される。しかし、これは、気エネルギーがないと死ぬのであり、死体(植物等を含めて)となるのである。
 思うに、気は陰陽共振調和波動をもっていると考えられる。しかし、生命体には、異物が生成されたり、侵入する。
 これは、気の調和波動を破壊するものと思われる。
この反生命的「分子」、反気的物質体に対抗するのが、免疫システムと思われる。
 つまり、反調和波動の(生命)物質体に対して、なんらかの攻撃をするのである。
 それは、広義では、生命再生化、復活化ではないだろうか。
 そう、異物を排除するというのがいちばん手っ取り早いのではないだろうか。
 とまれ、異物の無化が免疫システムにはあるだろう。
 それは多様な方法、様態をとるように思えるのである。
 排除、食、破壊、等々である。
 乳酸菌、光合成細菌免疫システムは、気の生命再生・復活システムと考えられる。
 そう、太陰生命論から言えば、陽と生命物質体の境界に存するシステムと思われる。生命と死との中間領域に存するシステムであり、常に、死から生命への反転を志向する生命力学システムと思われる。
 比喩的に言えば、生命体自己防衛組織である。生命自衛組織である。
 とまれ、気活(これも新語)することで、免疫システム=生命自衛組織は活発化するだろう。
 日光浴は気活である。しかし、乳酸菌を直に摂取するというのは、気活の形而下的活動になるだろう。
 飯山一郎氏の乳酸菌サバイバル運動はこれであり、日光浴提唱は気活主義と言えよう。





シリア問題に関する暗黒夜考氏の考えは、飯山一郎氏や新ベンチャー革命氏と同一である:三位一体である

テーマ:自然主人類従の新文明:ポスト旧約聖書文明

私は、シリアに対するアメリカの態度に関して、予測不可能、保留という態度を取っていた。
 もっとも、オバマが反戦争・平和路線であるということは認識していた。
 私の洞察の弱点は、地上戦と空爆との違いを認識していなかったことにあるだろう。
 それがわかれば、オバマの対シリア戦略・戦術がわかったであろう。後一歩で読み切れなかったのである。
 オバマの役者振りは、小泉元首相どころではない。後者はすぐバレたからである。天才的な政治家である。

「シリア情勢」考 〜シリアのロシア・化学兵器国際管理提案受け入れとオバマの真意〜
小生のシリア情勢の見方は、オバマが実はロシア・プーチンと「米国戦争屋」という”共通の敵”打倒という点で水面下で手を握っており、オバマは自らピエロを演じながら、実はシリア侵略を阻止せんとしているというものである。
即ち、「米政府(米銀行屋)&ロシア政府」VS「米戦争屋」という図式であり、オバマは苦境に立たされる役どころを演じながら、プーチンと結託して、着実にシリア侵攻の芽を摘んでいっているということである。
以下のロイター記事にあるように、つい先程、シリアがロシアによる化学兵器の国際管理提案を受け入れる姿勢を明らかにしたことが報じられているが、これでまた「米戦争屋」はシリア侵攻の口実を失ったと言ってよいであろう。
さらに以下2点目のイランラジオ記事にあるように、オバマの後ろ盾たる「米銀行屋」と”お友達”の中国が間髪を入れずこれを支持する姿勢を示しているように、オバマら「米銀行屋」の思惑通りに事が運んでいるというのが個人的見解である。
暗黒夜考〜崩壊しつつある日本を考える〜
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Tue, September 10, 2013
久しぶりに森の気に浸ったが、やはり、元気が出る:自然は気的現象体である

テーマ:健康&治癒:森気浴:医食同源:小食菜食

デスクワークが続き、森へ行かなかった。
 今日は森へ行き、森の気に浸った。やはり、自然界には、気があるのである。
 ところで、

気=陰陽球=光の種子=生命種子=生命ミクロコスモス

と思えている。
 この表面ないし外部が生命物質体、現象体であり、これを物質科学はみているのであるが、裏面、内部を無視していると考えられるのである。
 今月は余裕がないので、残念ながら検討できない。

 ところで、自我、つまり、父権自我であるが、それは、ヤハウェ形成の力学と関係していると思う。唯一神的自我ということである。
 問題はそれと自己同一性との関係である。これまではほぼ同一と見ていたのであるが、違うのである。
 父権自我は自我同一性をもつだろうし、それは多重人格的になるように思える。
 しかし、自己同一性は、他者が前提にあると思われるのである。
 
 父権自我に関して、日本父権自我は、父権自我の堕落した形態ではないだろうか。権力に媚びるが、権力のないものには威張るのである。 堕落父権である。





光の種子と陰陽球:後で比較検討したい

テーマ:太陰イデア論:太陰人体学:太陰原理陰陽球

note9:射影/平面像への拡張と点への収縮/光の種子
note9:射影/平面像への拡張と点への収縮/光の種子
<ジョージ・アダムス 『エーテル空間』からの引用>

 空間のなかに点と平面を対置することによって、近代幾何学の本来的な起源であるも
のの見方が純粋思考のなかに生まれます。それは空間世界を透視図法(遠近法)をとお
してみる見方、いわゆる“射影projection”にかかわる見方です。
(“射影幾何学projective Geometorie”という名称はこのことに由来しています)。私た
ちは実際、自身のエーテル体とともに光に満ちた世界のなかで生活しています。かつて
ルドルフ・シュタイナーが語ったように、私たちは光のなかをエーテル的に泳いでいま
す。しかし、それにもかかわらず私たちは ー 多くの誤りを含んでいる ー通常の光
学が説明しているように、物質的器官の助けのもとに上述の“収斂”を生じさせることに
よって、この光の世界を物質的意識へ、物質的ー地上的な生活の覚めた自己意識へと運
び込んでいるだけなのです。私たちは“拡張(周縁への拡がり)と収縮(点への収斂)”
のなかで、陽光に満ちた空間世界を体験しています。(P.25-26)
 たとえば、ある平面上に点や直線などで幾何学図形を描き、それに対して空間上にひ
とつの点、眼点を置きましょう。この点は一粒の種子のように、平面上に拡がりとして、
像として現れるすべての形態を、錐体(角錐や円錐など)として取り込みます。平面図
形のなかの直線は眼点のなかでは平面となり(…)、平面図形のなかの点は射線すなわ
ち眼点の直線となります。つまり平面上に図形を描いている直線と点は、眼点のなかで
はそれぞれ平面と直線として受け取られます。この平面と直線は目で見ることはできま
せん。平面図形は眼点のなかで内包的なものになったのです。まさにそれは光の種子に
なったのです。空間を形成しているのは“光”であることを認識さえすれば、これは容易
に感じ取れるはずです。形態を内包的に含むこの点の前に新たな平面を差し挟めば、そ
こにはもうひとつの図形が、つまりもとの図形に即してメタモルフォーゼした新たな図
形が映し出されます。
(P.26-27)


◎空間のなかに点と平面を対置し、透視図法(遠近法)をとおしてみることで、
「射影projection」の見方が生まれる。(射影幾何学projective Geometorieはこの射影の見方から生まれた)
◎遠近法は視点の前に置いた「投影面」に、それを通過する光を写し取ることであり、
透視図法というのは、そのように目に映る像を平面に映すための技法。
一点透視図法、二点透視図法、三点透視図法などがあるが、
ここでは点と平面との対置ということなので、一点透視図法をイメージする必要がある。
そして、射影というのは、物体に光を当ててその影を映すこと。
◎平面上に幾何学図形(平面図形)を描き、空間上にひとつの点(眼点)を置いて、それを見る。
◎すると、その眼点のなかでは、幾何学図形のなかの点は、その点と眼点との間を結ぶ直線となり、
幾何学図形の直線は、その直線と眼点との間を結ぶ平面となる。
しかし、それらの直線や平面そのものを目で見ることはできない。
◎その直線や平面の外延的なものは、眼点のなかで「内包的なもの」、
つまり「光の種子」になったということができる。
◎この「光の種子」という表現からイメージされるものが重要であると思われる。
種子からは、芽が出、葉が育ち、実り・・・という成長のプロセスが展開してくる。
◎さて、眼点と平面図形がつくりだす形は、、錐体(角錐や円錐など)の形になるが、
そのあいだに別の新たな平面を差し挟むと、そこには平面図形がさまざまに「メタモルフォーゼした新たな図形」が映し出される。
◎私たちは、実際には「平面」であるエーテル体を持ち、
「光に満ちた世界のなかで生活」しているにも関わらず、
この光の世界を物質的な「点」へと「収斂」させ、物質的・地上的な自己意識のなかで生活している。
◎そのように、私たちは「拡張(周縁への拡がり)」と「収縮(点への収斂)」のなかで、
「陽光に満ちた空間世界を体験」している。
◎この「拡張」と「収縮」という対極性は、非常に重要な概念である。
●『エーテル空間』ノート (2013.1.16) *終了
シュタイナー研究室に戻る - Bekkoame
http://www.bekkoame.ne.jp/~topos/steiner/Steiner.html






太陰イデア論と普遍エネルギー:陰陽球と磁場/重力場と単極磁石

テーマ:太陰イデア論:太陰人体学:太陰原理陰陽球

以下のKeshe氏 の普遍エネルギーと太陰イデア論(太陰人体学)の「気」の考え方はなにか類似を感じる。
 また、佐野千遙博士の単極磁石根源エネルギー論も関係するように思う。
 結局、太陰イデア論(太陰宇宙論、太陰コスモス論)からみると、太陰と磁気をどう考えるかということになるだろう。
 私は太陰エネルギーないし陰陽球エネルギーと磁気を一致させていない。しかし、近いことは近いと思う。
 私の太陰原理は、基本的には形而上学原理であり、純粋な物質原理ではないのである。
 余裕のあるとき、検討したい。

2013/09/09 : 霊性の時代 : Keshe氏 「宇宙の磁場で作動する電灯…このシステムには電池がない」動画(13)  ほんとうがいちばん H.25/09/08

私たちは天地創造について話していた...人々が重力場と磁場の概念を理解すれば、人々は私たちが人間として、互いにどれくらい密接に関係があるか、また、生存の為でさえ、いかにお互いを支えとして生きているかを理解するようになるでしょう。

あなたが呼吸するもの、私が呼吸する。私が息を吐くもの、あなたは中へ呼吸する。私のエネルギーの一部をとる、私の細胞の一部をとる、私から取り除かれた磁場、エネルギーの一部をとる。そのように、ある意味では、人間として、私たちはみな生存するためにお互いを必要とする。

Keshe財団では、宇宙においてはこのエネルギーを収穫するので、いかなる食糧も必要としない、という話をしている。私たちがこれを提案した時、それは狂気の沙汰だと言われた。
http://iiyama16.blog.fc2.com/blog-entry-6395.html
『文殊菩薩(ブログ版)』


永久磁力永久機関モーターの実現を!そして放射線除去へ!
世界を変える!佐野千遥博士の永久磁石永久機関モーターを完成させよう!
http://ameblo.jp/pmmipm/

参考:
心の光と自我 (09/05)
http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-2003.html
太陰イデア論 or 太陰プラトニズム(旧不連続的差異論・旧PS理論・旧不連続陰陽イデア論)のページ

参照:
●『エーテル空間』ノートpdf (全データ)
●『エーテル空間』ノート (2013.1.16) *終了
シュタイナー研究室に戻る - Bekkoame
http://www.bekkoame.ne.jp/~topos/steiner/Steiner.html




2013年09月05日(Thu)▲ページの先頭へ
心の光と自我
心の光と自我

テーマ:太陰イデア論:哲学的超科学理論(仮説)

エゴイストは心の光のない人である。
 心の光とは、陰陽球の陽であろう。
とまれ、心は陰陽球にならないといけないが、自我のために、抑圧されているのである。自我は心を抑圧するのである。
 逆に言うと、自我は心の光を恐れるのである。そのため、心の光に暴力的な態度をとるのである。
 これが、社会問題の根本的力学だと思う。
 資本主義は自我中心主義であり、心の光を抑圧するのである。そのため、暴力社会となるのである。
 ところで、日光であるが、それは、陰陽球であると言ったが、外部は光子であり、内部が陰陽共鳴である。
 心の光は太陽光線に、自身と同じ、心の光を見いだすように思われる。
 私が以前、超越光と呼んだものは、この心の光(心光)だと思う。
 そう、宗教上の光もこの心の光のことを指すように思われる。
 これは、太陰と陽の調和バランスを意味するのである。
 問題は自我である。私が批判するのは父権自我であり、それが、心の光を抑圧するのである。
 もう一つ、母権自我がある。それは、心の光を肯定した自我である。主になるのは、心の光であり、自我は二義的である。
 父権自我は自我中心、自我主体であるために、心の光の
差異を肯定できないのである。
 自我の同一性を心の光に押しつけてしまい、心の光を自我化してしまうのである。
 現代の日本人の大半がこのタイプに陥っていると考えられる。
 太陰人体論から言うと、肚にベースを置くことで、心の光と自我のバランスがとれるようになると考えられる。
 光の知覚から言うと、自我は外部の光、物質的光のみを感知し、陰陽の光、つまり、エーテル(生命)の光を感知しないと考えられる。
 日本人が自然から切り離されているのは、この陰陽光、生命光(エーテル光)を感知できなくなっているからである。
 物質主義の都市文明に慣れて、心の光をもつ自然文化を喪失しているのである。
 そう、物質的自然以外に、根本に、心的自然があるのである。これこそ、生命的自然である。
 今日の科学は物質的自然科学であり、生命的自然科学がないのである。
 太陰人体論のこれまでの探究から、陰陽球が光の球であり、この外在性の物質しか、光子しか、これまでの科学は見ていないということになるのである。陰陽球の陰陽という気、エーテルを見ていないのである。
 後で、シュタイナーの説くアストラル体(欲望、感情)について、太陰人体論から検討したい。

参考:陰陽球については以下を見られたい。

* 陰陽球=日光=気(陰陽球内部)+光子(陰陽球球面・表面) (08/25)

http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-2002.html

* 陽と日光と電磁波:日光の物質現象界への刻印を電磁波として観測するのだろう (08/21)

http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-2001.html

* 生命エネルギーと生命情報の二元論の解消:太陰=デュナミス的イデアと陽=エネルゲイア的イデア (08/17)

http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1999.html

* 気と光(陽光)と生命体と物質:陽=日光=生命と四元数時空四次元とトーラス (08/13)

http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1998.html


2013年08月25日(Sun)▲ページの先頭へ
陰陽球=日光=気(陰陽球内部)+光子(陰陽球球面・表面)
陰陽球=日光=気(陰陽球内部)+光子(陰陽球球面・表面)

テーマ:太陰イデア論:哲学的超科学理論(仮説)

陰陽球について:球面をどう見るか:半透膜としての球面:陽且つ光子としての日光
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11599003256.html

以上の追記を独立させる。
追記:
球面を半透膜とすると述べたが、半透膜にする必要がないかもしれない。
結局、陰陽球の内部を気そのもの、球面外部を日光としたらどうだろうか。
生命体は、この陰陽球=日光を受容するので、実際は日光と同時に、陰陽球の気を受容しているということになるのではないだろうか。
明確にするため、陰陽球の内部を気=生命情報エネルギー(生命イデア・エネルゲイア)、球面外部を光子(電磁波)とし、併せて、日光としよう。即ち、

陰陽球=日光=気(陰陽球内部)+光子(陰陽球球面・表面)

である。
そして、今日の自然科学は陰陽球の球面表面の光子のみを捉えているに過ぎないということになる。





陰陽球について:球面をどう見るか:半透膜としての球面:陽且つ光子としての日光

テーマ:太陰イデア論:哲学的超科学理論(仮説)

陰陽球について:球面をどう見るか:半透膜としての球面:陽且つ光子としての日光

今日は余裕がないので、一言。 
直近において、陰陽球の内部を陰陽界、そして、球面を光子と見た。
なにか疑問がある。
それ以前では、球面は陽=日光=生命=1であった。
今の直観では、陰陽球自体は球面を含めて、内在超越界である。
そこから、現象界が出現するのである。
現象界は内在超越界とは不連続である。

あらたな発想を得たので、それを記す。
球面を一種半透膜とするのである。球面裏面は陽であり、陽が球面半透膜を越えて出てくると、日光になるのである。だから、日光は陽の要素をもつと同時に、物質現象的に光子(電磁波)なのである。
つまり、日光は陽且つ光子なのである。ただし、純粋な陽ではなく、半透膜を越えた陽である。だから、準陽としよう。準陽と光子の混合体である。
とまれ、陽であり、光子であるという、一種の即非体である。
このメカニズムを明らかにする必要がある。
これは後で考察検討したい。



追記:

球面を半透膜とすると述べたが、半透膜にする必要がないかもしれない。

結局、陰陽球の内部を気そのもの、球面外部を日光としたらどうだろうか。

生命体は、この陰陽球=日光を受容するので、実際は日光と同時に、陰陽球の気を受容しているということになるのではないだろうか。

明確にするため、陰陽球の内部を気=生命情報エネルギー(生命イデア・エネルゲイア)、球面外部を光子(電磁波)とし、併せて、日光としよう。即ち、



陰陽球=日光=気(陰陽球内部)+光子(陰陽球球面・表面)



である。

そして、今日の自然科学は陰陽球の球面表面の光子のみを捉えているに過ぎないということになる。





気的物質身体の構成について:日光の二重性:内在超越原理としての陽=生命と球面の光子

テーマ:太陰イデア論:哲学的超科学理論(仮説)

気的物質身体の構成について:日光の二重性:内在超越原理としての陽=生命と球面の光子

気と生命物質体の関係力学に関して、決定打が出ない。
あと一歩のところではあるが。
佐野千遥氏の唱える単極磁石をベースにして、それと太陰を結びつける考え方がありうるが、今はそれをとらない。
 私の直観は、陰陽球の内部がデュナミスの気であり、球面がエネルゲイアの気である。
 そして、球面は電磁波である。物質である。しかし、あくまで、球は陰陽球であり、内在超越原理である。わかりやすく言えば、陰陽球が球面において光子になっているということである。
 これが端的に、陽=日光=生命=1⇒光子である。つまり、日光は内在超越的には、陽=生命=気であるということであり、感覚的には光、物質的には光子ということになる。
 通常に目にする日光は感覚物質的には光子であるが、内在超越的には、陽=生命であるということである。日光はだから、両面的なのである。内在超越的には生命=陽であるが、球面外在的には光子という物質なのである。
 単なる物質光と日光の違いは、内在超越性の陰陽性があるか否かにある。
とまれ、陽=生命を失った光は単に物質となるのではないだろうか。
以上ざっとであるが、陽=生命=日光の両面性を提示して、気と物質の違いを構成的に説明してみた。
 後でさらに検討したい。




気とは生命体の全体力ではないか:生命体を統括する気と生命体の末端である物質

テーマ:太陰イデア論:哲学的超科学理論(仮説)

気とは生命体の全体力ではないか:生命体を統括する気と生命体の末端である物質

気とは総合的な生命情報エネルギー体ではないのか。
身体の全体を通貫している内在超越原理ではないのか。
物質科学は部分を独立させる。
しかしながら、実際、生命体全体を統括的気が通貫しているのではないだろうか。
これは、中国医学、東洋医学の考え方である。
ならば、陽=日光=生命=1には統括・包摂的生命情報エネルギーがあると考えられよう。
仙人は、これと共振・共鳴しているのではないのか。
とまれ、この総括的気=生命イデアは物質現象として発現する。しかし、唯物科学は、単に物質現象を捉えているだけで、根本の統合的気=生命イデアをまったく無視していると考えられる。
 気=生命イデアから見ると、物質とは生命体の部分的末端・末梢に過ぎず、いわば、生命体の材料に過ぎないだろう。
 物質科学から生命を見るのは、いわば、本末転倒と言えよう。物質科学は生命の科学ではなく、死の科学である。
 気=生命イデア科学が必要である。








2013年08月21日(Wed)▲ページの先頭へ
陽と日光と電磁波:日光の物質現象界への刻印を電磁波として観測するのだろう
陽と日光と電磁波:日光の物質現象界への刻印を電磁波として観測するのだろう

テーマ:太陰イデア論:哲学的超科学理論(仮説)

日光が電磁波として検出されるということはどういうことなのか。端的に、日光が物質体ももつということだろう。つまり、陽=日光=生命=気であるが、それが、物質体をもつということになる。

 これは陰陽球で考えるとどういうことだろうか。結局、球面をどう捉えるかということになろう。

 これまでの考え方からは、球面は陽である。そして、陽=日光=生命(=1)としたのである。 

 問題は、陽=日光である。どうも、陽・即非・日光としたい気がある。

 つまり、陽はやはり、形而上原理、イデア原理であり、直接現象ではないのではないのかという思いがあるのである。

 でも、そうすると、陽≠日光である。あるいは、陽⇒日光である。

 しかし、これではそれまでの考えと同じである。

 結局、陽・即非・日光がいいようである。しかし、である。

 やはり、陽=日光ではないか。問題は観測である。

いったい現象界、物質界はどこに存するのか。おそらく、陰 陽球の外部である。

 この外部を日光が伝わるときに、電磁波として観測されるということではないだろうか。つまり、陰陽球の外部である物質現象界を日光が伝搬するときに、電磁波として、観測されるということではないのか。日光は日光であり、陽であり、電磁波そのものではないと考えらえる。思うに、言わば、日光の物質界への刻印が電磁波ということではないのか。

 とまれ、そうならば、陽=日光=生命=1は物質現象三次元空間を貫く形而上原理ということになる。D. H. ロレンスがいうdark sunとは、陰陽球における太陰のことではないだろうか。一般に、人間は日光=陽を見るが、陰陽球の外面だけを見ているのであり、内部・内面を見ていないのである。そして、自然科学、物理学は日光の物質現象界の刻印としての電磁波しか捉えていないと考えられるのである。

 以上で、陽 =日光=生命の等式が確認された。


急速・急激にゾロアスター教的状況化する現代日本社会:顕著な善悪二元論化:独善的父権自我化:全体主義への道:悪魔アーリマンの憑依と悪の善化を目指す日本マニ教
急速・急激にゾロアスター教的状況化する現代日本社会:顕著な善悪二元論化:独善的父権自我化:全体主義への道:悪魔アーリマンの憑依と悪の善化を目指す日本マニ教

半年ぶりの帰省だが、もっとも、川や海に行ったのは、昨夏ぶりであるが、ゴミが一年前に比べて、急増した感じだ。空き缶、ビニール袋、等。人心が急に悪化したようだ。
  また、非を咎め、排除・排斥しようと攻撃的な人が多くなった。人心から寛容性が急速に失われていると診断できる。他者を排除する自我同一性主義の善悪二元 論の力学が強化されていると言える。これは、全体主義状況である。社会閉塞状況である。オーウェルの『1984年』状況である。
  この父権自我化であるが、史的に見ると、狭く見ると、1976年の自我悪魔化の帰結であるが、広く見ると、明治父権自我化の帰結であるが、明治父権自我化 とは、父権自我主義である国学イデオロギーに拠ると考えられる。これは、日本父権民族の自民族中心主義イデオロギーでもある。ヤハウェ父権自我悪魔化とい うことになるが、これは、古代、日本に渡来したユダヤ民族の宗教観念の帰結ということになるのだろう。慎重に言えば、江戸時代において、母権と父権の結合 体であった日本民族が、分裂し出し、新父権主義化と新母権主義化の二つの志向性が生じたのではないかと推測できる(参考:ベースの母権民族と渡来遊牧父権民族の結合としての日本複合民族 http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11596330553.html)。そして、明治維新は前者が後者に勝 利したものであり、萌芽した新母権主義【日本ルネサンスの芽と言えよう】が抑圧排除隠蔽されたと考えられる。第二次大戦は新父権主義に拠るもので、多くの 新母権主義の人間が戦死した。敗戦後、GHQによってまた、新父権主義が強化されるが、民主化によって、新母権主義が自生的に再興する。つまり、敗戦後、 1976年まで、約30年間、新父権主義と新母権主義の拮抗が続いたのであるが、その後、国際戦争金融資本によるヤハウェ父権自我悪魔主義によって、無自 覚的な新母権主義が抑圧されて、新父権主義が増強し、ここ一二年の間で、ヤハウェ父権自我悪魔主義が支配したように考えられる。どうも、アーリマンという 悪霊が憑依するように思えるのである。全体的に、社会一般的に憑依されているので、日本人は憑依されているのに気づかないようである。
 とまれ、いよいよ、日本黙示録的状況になったと言える。当ブログの旧名は、Japonesian Trans-Apocalypse、つまり、「ヤポネシア黙示録を越えて(脱日本黙示録)」であったが、今や、Japonesian Apocalypse(日本黙示録)である。
 簡単に言えば、支配層や大都会層(とりわけ、東京層)は悪魔、民衆層、地方層は天使と見るべきである。
 もっとも、悪魔を善化させるのが、日本マニ教徒の義務・責務であるが。





言語精神文化の誕生:言語と精神(感性、気、魂、霊)の相互形成

近代主義は、カント哲学が明らかにしたように、超越論的外在主義である。自然科学に見られるように、物質中心主義であるが、物質主義は超越論性という主観性に拠っているのである。
 この超越論性は、同一性主義ないし自我同一性主義であり、差異、他者を排除するのである。もっとも、カント哲学は、それを越えて、理性、アンチノミーを問題にしているが。
 結局、メインストリームの近代主義では、物質主義を越えられないと言えよう。結局、精神性を培うには、精神言語文化が必要なのである。精神を説く言語文化によって、読者は精神文化の確認ができるのである。精神文化の学習をするのである。
  今日、言語文化が貧困である。それは、近代科学主義が主流であるからである。精神文化を取り戻すには、言語精神文化が必要である。ルドルフ・シュタイナー の霊学はそのようなものであるし、反近代的言語文化もそうである。言語精神文化の観点から、文学、哲学を含む人文科学、歴史、政治経済を含む社会科学を捉 えなおす必要がある。





気身体力学について:生=気的反エントロピーと死=物質体的エントロピー

陽=生命=気を物質から区別するため、生命イデアないし気イデアという用語を使用する。(生命霊、気霊でもいいが。)
 生命イデアは生命現象を生み出す。生命現象は生成と同時に排出を意味しよう。
生成は反(逆、負)エントロピーであり、排出はエントロピーを意味しよう。
 前者は生命イデア的生命体を意味し、後者は脱生命体、脱生命イデア的物質体を意味しよう。前者は、イデア・エネルゲイアで、生命の更新であり、後者は、イデア・エンテレケイア、廃物、死である。肉体と排泄物と言ってもいい。もっと簡単に、生命と物質である。
 今日の自然科学は後者を対象にしたものであり、前者そのものを見ていない。死体・死物・廃物科学である。生命体科学がないのである。(飯山一郎氏の乳酸菌免疫論、太陽肉体 健康論は生命体科学に属すると言えよう。)
 とまれ、太陰イデア論では、生命体科学は、太陰イデアによる陽=生命による生命現象を対象にすると言えよう。陽=生命は太陰に賦活されているのであり、太陰への螺旋的回帰が生命力学の本質と思える。
 これは、逆エントロピーである。熱力学第二法則に反するものである。そう、生命の本質は反物質体である。(今、ダーク・マターを想起した。)
 とまれ、生成と排出の二元論的力学を考えたい。
 ここでは、数学的にベクトルを考えるといいのではないだろうか。即ち、

         生命生成(生命物質体)・・・逆エントロピー
               ↗                         
生命イデア⇒生命生成・廃物⇒
               ↘
         廃物(死物的物質体)・・・エントロピー

である。
 結局、生命体科学と死物科学の二種類の科学が考えられるが、今日の科学は当然、後者である。前者はメタ・サイエンス、トランス・サイエンス等と呼ばなくてはならないだろう。
 とまれ、生命イデア・エネルギーが抜けるとき、生命体は廃物を生み出すであろう。そう、老廃物である。
 この点については、後でさらに検討したい。

参考:
ネゲントロピー - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/ネゲントロピー‎
ネゲントロピー (negentropy) は、生命などの系が、エントロピーの増大の法則に逆らうように、エントロピーの低い状態が保たれて ... もし生命が系として孤立しているとすると、エントロピーは限りなく増大し(たとえば老化現象)、反対にエントロピーが下がること、 ...
高嶋康豪博士への理論的援護射撃と正統派現代物理学に対する鉄槌 ...
ameblo.jp/allahakbar231/entry-11545859129.html‎
2013/06/06 - フリーエージェント世界革命を提唱するフリーエージェント大学ロシアの有名人・ドクター佐野千遥教授-Ameba ロシアの ... 現代物理学に対する一貫した体系的物理学的批判を完了しており、新しい反エントロピー物理学の提起も完了している。





検討課題:1.気的心身体、2.意識と気と身体

テーマ:太陰イデア論:哲学的超科学理論(仮説)

今日は疲れているので一言。

1)気の領域であるが、それは心であり、また、感覚身体である。
いわば、心身体としての気である。心と身体の境界領域である。
 
2)意識力学の問題がある。
自己意識がある。それは、寒い、暑い、痛い、痒い等々の身体感覚と結びついている。
つまり、意識と感覚はつながっている。唯物科学では、神経がつないでいると見るのである。
 しかし、心的現象から見ると、それをつないでいるのは何かと考えるのである。そう、心的力学の問題である。
 それは気であると仮説しよう。意識と感覚をつないでいるのは気であるとするのである。
 だから、気識という言葉を作るといいかもしれない。そうすると、
意識―気識―感覚という図式ができる。
 そして、気識は、単に体内だけでなく、体外にもつながっていると考えられる。気識は自然、宇宙と通じていると考えられる。
 しかしながら、近代合理主義・近代的自己は、気識を排除しているのである。
 思うに、気識はコスモスの感性である。秩序的感性である。陰陽バランスをもつ感性と思われる。また、健康に関わる感性と思われる。また、美的、芸術的感性と思われる。また、倫理・道徳の源泉と思われる。また、神秘性、霊性、ロマン主義の源泉もここにあると思われる。
 太陰イデア論では、気識のベースは肚に見ているのである。一般には、気識は、せいぜい、胸の心に留まるだろうが、太陰イデア論では、肚が気識の基盤である。
 問題は、気識と身体の関係である。多くの病気は気識の抑圧、排除、隠蔽に関係しているように思われる。
 医療的には、気識と身体の物質的構成の科学が必要である
 これまでの考え方では、気的有機体としての肉体科学が必要である。
 今はここで留める。



2013年08月17日(Sat)▲ページの先頭へ
生命エネルギーと生命情報の二元論の解消:太陰=デュナミス的イデアと陽=エネルゲイア的イデア
生命エネルギーと生命情報の二元論の解消:太陰=デュナミス的イデアと陽=エネルゲイア的イデア

テーマ:太陰イデア論:哲学的超科学理論(仮説)

生命エネルギーと生命情報の二元論の解消:太陰=デュナミス的イデアと陽=エネルゲイア的イデア



作業仮説:太陰渦動が陽的生命物質世界の原動力

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11593691648.html


以上の説明では、陽と太陰の二元論に見える。陽がエネルギーで、太陰が情報の二元論である。

 太陰イデア論は、言わば、太陰一元論であるから、二元論に見えるのは不本意である。

簡単に説明すると、根源の太陰から陽が対極として形成されるが、主体は前者であり、後者は言わば、前者の派生物である。しかしながら、陽は相対的に独立しているのである。

 とまれ、わかりやすく言えば、陽/太陰である。分母に太陰があり、分子に陽が存すると見るのが適切である。実際のところは、陽(/太陰)であり、(/太陰)の根元領域が隠されているのである。言わば、オカルトである。

 そこで、気=陽=日光=生命=1を考えると、陽の気とは実は(/太陰)かもしれない。

しかし、そうすると、理論的に齟齬となる。何故なら、端的に、太陰=陽=気となってしまうからである。

 どうも、陽=日光が単純過ぎるようだ。陽・即非・日光が適切だと思う。

 陰陽球で考えると、球面が日光であり、裏面が陽である。そして、球面と裏面を表裏一体と見るのである。そう見ることで、陽・即非・日光となる。

 今日の唯物科学では、陰陽球の球面の日光しか見ず、裏面の陽の気を認知していないのである。

 どうも、視点が適切ではないようだ。日光はやはり、陽の気と見なくてならない。

 今日の自然科学が日光の物質的側面の電磁波しか見ていないと考えられる。気と電磁波はまったく別物と見なくてはならない。

 結局、陰陽球の表面は物質界、現象界である。

 しかるに、日光は、単に、物質現象界の事象ではなく、裏面の陽、陽の気でもあると考えるのである。

 そう、生命体の本体は裏面、陽、陽の気に存すると見るのである。

 ここで当初の問題に返るのである。

 私は、陽から太陰への螺旋的回帰が生命体の創造を意味すると述べてきた。

 ここで作業仮説であるが、太陰をデュナミス的イデアとし、陽をエネルゲイア的イデアとするのである。(デュナミス、エネルゲイアともに、アリストテレス哲学の用語である。)

 そうすると、エネルギーと情報イデアの二元論は避けられる。つまり、陽をエネルゲイア的イデアと見ることで、陽=日光=生命=1は、単にエネルギーだけでなく、情報イデアも内在具備していることなる。気は、生命エネルギー、且つ、生命情報イデアであるということである。

 これで、二元論を解消できた。


2013年08月13日(Tue)▲ページの先頭へ
気と光(陽光)と生命体と物質:陽=日光=生命と四元数時空四次元とトーラス
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11591908757.html


気と光(陽光)と生命体と物質:陽=日光=生命と四元数時空四次元とトーラス

テーマ:太陰イデア論:哲学的超科学理論(仮説)


気と物質の関係がまだ曖昧なので、さらに考察する。

 先に、太陰⇒陽⇒陰陽球⇒螺旋⇒宇宙生命体という図式を提示した。

 今日、新たな直観を得たので、それを説明する。

説明の便宜のため、陰陽円で説明する。

 円の中心が太陰(太陰霊ないし太陰イデア)である。円周が陽である。これが、陰陽円である。

 これまでの考えでは、陽が太陰へと牽引されて、螺旋生命体が形成されるというものであった。

 それはいいと思うが、少し工夫する。即ち、陽を光(陽光)と見るのである。

 つまり、陰陽円(この場合は、陰陽球と見た方が適切だが)を太陽と見ることができよう。

 とまれ、光から生命体や物質が形成されると考えられる。そうすると、光とは、陽である気であると同時に、生命体ないし物質であるということになる。

 これが正しいならば、重大な発見となろう。私は日光に気を見ているのであるから、この考え方は外れてはいない。とまれ、陽=日光と作業仮説する。

 そして、日光の方向を円周の点における接線と、半径と同じように、直交すると考える。これが、以前述べた、天地軸になると考えられる。そして、接線が水平軸になる。ここでも、陰陽球で考えれば、直交する二つの接線が水平面を形成すると言えよう。

 これで、地球上の三次元空間が形成されると言えよう。思うに、ここで、四元数が使えよう。i、j、kの三つの虚数(虚軸)は三次元を、そして、実数1は、陽=日光を表わすのではないだろうか。時間はどうなのかであるが、陽=日光=1に内包されるのではないだろうか。正に、アインシュタインの公式E=mc^2が意味をもつように思える。何故なら、光速cは当然、時間を含んでいるのであるから。そうすると、陰陽球は太陽だけでなく、地球をも意味すると言えよう。また、さらに考えると、陽=日光とは別に、太陰自体のエネルギーがあると言えよう。太陰のエネルギーが、ダーク・エネルギーの本体ではないだろうか。また、ダーク・マター(暗黒物質)であるが、それは、太陰自体が本体ではないだろうか。また、ここで、映画スライブのトーラスを考えると、それは、陰陽球に類似するかもしれない。

 さて、以上で、光を天地軸としたが、そうではなくて、三つの虚数(虚軸)の一つが天地軸になるのであり、光は天地軸を中心として、螺旋を描くのではないだろうか。つまり、光、否、日光が生命体自体であるということである。日光が生命体の本体ということである。否、日光が生命の本体ということである。

 しかしながら、要注意は、陽=日光の起源、根源は、太陰であるということである。そう、陽=日光=生命は、太陰を目指しているということになるだろう。ここで、スライブのトーラス像が的げ確なことが理解されよう。何故なら、天地軸の天の方向とは、その言わば無限遠点とは、太陰になるからである。

 以上で、太陰イデア論の科学的側面が、仮説ではあれ、整合的に説明されたと言えよう。



参考:
四元数 - Wikipedia

数学 における四元数(しげんすう、英 : quaternion; クォータニオン)は複素数 を拡張した数体系 である。四元数についての最初の記述は、1843年にアイルランドの数学者ウィリアム・ローワン・ハミルトン によってなされ[1] [2] 、三次元空間 の力学 に応用された。四元数の特徴は、二つの四元数の積が非可換 となることである。ハミルトンは、四元数を三次元空間内の二つの有向直線の商として定義した[3] 。これは二つのベクトルの商と言っても同じである[4] 。四元数をスカラー と三次元のベクトル との和として表すこともできる。

四元数は純粋数学のみならず応用数学、特に3Dグラフィクス やコンピュータビジョン において三次元での回転の計算 (英語版 )でも用いられる。これはオイラー角 や回転行列 あるいはそれらに代わる道具などとともに、必要に応じて利用される。

現代数学的な言い方をすれば、四元数の全体は実数 体 上四次元 の結合的 ノルム多元体 を成し、またそれゆえに整域 となる。実は四元数の全体は、最初に発見された非可換多元体 である[5] 。四元数全体の成すこの代数は、ハミルトンに因んで H(あるいは黒板太文字 で ℍ)と書かれる。またこの代数を、クリフォード環 の分類に従って Cℓ0,2(R) ≅ Cℓ03,0(R) というクリフォード環として定義することもできる。この代数 H は解析学において特別な位置を占めている。というのも、フロベニウスの定理 に従えば H は実数の全体 R を真の部分環 として含む有限次元可除環 の二種類しかないうちの一つ(もう一つは複素数 の全体 C)だからである。

従って、単位四元数は三次元球面 S3 上の群構造を選んだものとして考えることができて、群 Spin(3) を与える。これは SU(2) に同型、あるいはまた SO(3) の普遍被覆 に同型である。
四元数数の単位の積を四次元空間の 90°-回転として視覚的に表現したもの。ij = k, ji = −k, ij = −ji
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%85%83%E6%95%B

  

スライブのトーラス

 
Resurrection : ヤポネシア、夜明けと目覚めの光楽:太陰イデア論と心智学(psychosophy)


●『エーテル空間』ノートpdf (全データ)
●『エーテル空間』ノート (2013.1.16) *終了

「エーテル空間」ノート

■テキスト
ジョージ・アダムス 『エーテル空間』 (石井秀治訳・耕文舎叢書/2012夏発行)

■全体構成
「はじめに」
「I.ユークリッド幾何学と近代幾何学」
「II.反空間とその力」
「III.球面に関する対極性」
「IV.物質とエーテルの力と実体」

●『エーテル空間』ノート

◎『エーテル空間』ノートpdf (全データ)


「III.球面に関する対極性」

note19:物質的な相における点が完全に球面のなかにあるように、
    エーテル的な相における平面は完全に球面のなかにある:空間の質的反転
note20:これまでの議論のイメージ的なまとめ:物質的な相を内的かつ積極的に乗り越えること
note21:球をつくり出していくエーテル的形態形成のプロセス
    エーテル的な側面と物質的な側面との相関と差異
note22:球の中心点から放射する物質空間の諸半径は、
    エーテル空間の中心平面を織り成す天球諸直線に対応している

《間奏あるいは幕間狂言》

note23:
・球は中心点に直角三角形をつくり出すだけではなく、天球周縁にも直角三角形をつくり出す
・プロセスとしての球形形成運動
・球形形成原理は、虚数に関わり、数エーテル(化学エーテル)として現象界に現れる
note24:
・霊的ー魂的な三つ組は、地上でと同じように天上でも作用し、
 宇宙の霊的根源においては思考、感情、意志の三つ組と関連している
・数学的に述べられてきた事柄は、超感覚的作用に関連して「質的ー理念的」に理解する必要がある
・「彫塑的空間」としてのエーテル空間
・形成諸力体としてのエーテル体
・人間を全宇宙から形成されているものとしてとらえる必要性



http://www.bekkoame.ne.jp/~topos/
神秘学遊戯団 - Bekkoame


2013年08月02日(Fri)▲ページの先頭へ
快感の問題:太陰の突き上げと快感と気的身体理性:酔いの快感から気的快感へ
快感の問題:太陰の突き上げと快感と気的身体理性:酔いの快感から気的快感へ

テーマ:健康&治癒:森気浴:医食同源:小食菜食

後で検討したい。
 人間は快感を求めるが、その方法が問題である。
 私の場合、体調が悪くなり、酒が飲めない状態となり、去年12月から断酒の状態に入った。また、去年10月から森気浴を始めた。断酒後、森の気に触れる快感を積極的に求めたり、また、気的に気持ちのよい菜食をするようになった。
 酒の酔いの快感ではなく、気的快感を求めることにチェンジしたのである。
 当然、体調がよくなり、活力がとてもついたのである。
もし、去年体調が悪くならなかったら、酒を飲み続けていただろう。酔いの快感から気的快感へのチェンジが気的身体理性的にできれば、理想的であるのだが。

追記:太陰の突き上げについて触れていないが、知・感・気の三位一体の太陰を作業仮説して言うと、当然、太陰の突き上げには、感(感性)と気が含まれるので、快感という原理は根本的と考えられる。また、知があるので、感性・気的快感に留まらない。

追記2:そう、うつ病のことにも言及しようと思ったのである。
 うつ病はハイパー自我病の面が強いと思う。太陰の突き上げを救い上げていず、抑圧していると思う。太陰が元気をもたらすのである。太陰を肯定するような心的形成が必要と考えられる。





シュタイナー霊学のアストラル体とは何か:気と感情:根源知と感性と気の三位一体としての太陰

テーマ:太陰イデア論:哲学的超科学理論(仮説) 検討問題である。


一言言うと、太陰の心(霊、スピリット)というとき、そこには、いわば、元識、原識がある。これまで、感識と言っているが。
 元識には、根源知がある。そして、それは、感性(感情、情感、感受性)も入る。
 しかし、私は太陰の心の気波動という言い方をしている。当然、太陰に気を見ているのである。
 つまり、太陰心(霊、スピリット)は、根源知、感性、気を内包していることになる。三重相であるが、相互貫入していよう。
 しかし、根源知は感性でもあり、また、気でもあるように思う。いわば、三位一体である。知と感と気の三位一体である。
 今の段階ではそう作業仮説しよう。 

追記:いわゆる、知情意(知性、感情、意志)であるが、太陰三位一体(知性ー感性ー気)と通じるように思う。
 プラトンは真善美であるが、真は知、善は気、美は感性となるだろう。

参考:
心の気の「量子力学」:心の気の「物理学」
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11580813143.html

参照:以前(約1年3ヶ月前)、以下のようなことを言っていた。
PS理論とシュタイナー精神学:自我とアストラル体とエーテル体と物質 ...

PS理論 とシュタイナー 精神 学:自我 とアストラル体 とエーテル 体と物質 :超越軸と虚軸と実軸の3D 世界

テーマ :シュタイナー 精神 学

以前、本件について比較 論を行なったが、PS理論 から シュタイナー 精神 学を言わば、取り込みたい。

 今は直観 で述べると、



自我 =凸i ・・・ ・・ 純粋 悟性、外的感覚 、空間 、電磁波

アストラル体 =凹i ・・・ ・・ 感情 、欲望、内的感覚 、時間 、(重力波 )

エーテル 体=凸(+1) ・・・ ・・ 生命 、氣、超光、自然 、宇宙

物質 =凹(−1) 

以上のようになるが、それらはガウス 平面に位置付けられている。

 問題は、超越軸z軸の意義である 。それらは、いわば、神霊の領域 であり、感覚 的には、基本的には感知できない領域 である 。

 思うに、カント 哲学 の純粋 理性の領域 に近いが、端的にはそれを超えている。何故なら、純粋 理性とは、純粋 悟性と超越性との境界 に存すると考えられるから である 。超越軸と虚軸の交差するmedia point に存すると考えられる。

 しか しながら、純粋 理性は、その力学 を単にパラドックス である アンチノミー に限定していると考えられるのである 。もっと も、この点は先になるが、厳密に検討 したいと考えている。

 とまれ、超越軸z軸は神霊領域 であり、所謂 、霊界 というもの は、ここに存することになる。他界 、異界、あの世 、彼岸 、天国 ・地獄 、等はそこに存すると言えよう。

 そのように見ると、人間 の魂、霊魂 soul-spirit である が、それは、自我 である 凸iとアストラル体 の凹iの共存 に基本的には存するだろうが、所謂 、生きている間は、実軸x軸(現象界)に存しているが、死んだとき 、あるいは、生まれる以前(前世 )は、そこから 脱して、純粋 に虚軸y軸に回帰 し、また、さら に、media point 化して、超越軸z軸(霊界 )に帰還するのではないだろうか。

 虚軸y軸はmedia point を介して、永劫の情報 を保持しているのではないだろうか。個的霊魂 の情報 のアーカイブ のようなもの ではないだろうか。すると、それは、オカルティストの説くアカ シャ年代 記akashic records(アカシックレコード - Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89

)に相当するだろう。

 そして、死後の浄化が超越軸z軸と虚軸y軸とのmedia point で為されて、霊界 への復帰するのではないだろうか。

 以上、思考実験 、作業仮説である 。
http://d.hatena.ne.jp/antares/20120505

エーテル体とアストラル体 - protophilosophy(タイトルタグ) - のブログ
protophilosophy.noblog.net/blog/g/10483787.html - キャッシュ - 類似ページ
2008年1月23日 ... 人智学のシュタイナーは、人間を1.自己(ichが自我と訳されているが、自己が正しいと
思う)/2.アストラル体/3.エーテル体/4.物質身体の四層に分けている。
プラトニック・シナジー理論から見ると、自己認識方程式(+i)*(-i)⇒+1の左辺に ...




私は憐人形眠や春師恩を飲んだことがある:手術後と不眠症のとき:断酒と気的身体理性(森気浴)で治癒
テーマ:病気哲学:心のカオスとコスモス:心アート
◆ 2013/07/27(土)2 またサーバー停止にするの毛?>サーバー会社
↓ これが原因で、再度サーバー停止になる可能性が大だって夜〜〜 ↓
↑ 「消せ!」と言われたら消しまっせ〜。けど、牛〜全国のブロガーが拡散しちまいました夜〜www ↑
上の表↑と、下の表↓、ワクの感じが違うでしょ? これは「削除対策」と「表のデータをアメリカのサーバーに送った」ためです。はい。

クスリの表を公開したのがサーバー停止の理由だったのですがー、
すんげ〜大勢のヒトから「一部だけでも見せろ!」という電話が鷲に殺到したので、ほんの一部を後悔しながら公開したのが上と下の表。

「これで、また来週早々にサーバーが止まるぞ!」
と言って来るシトもいますがー、サーバーを止められたら止められたで、また何かが分かってくるので、それはそれで面黒いのです。はい。
あ、このサイトが見られなくなってもー、
・ http://grnba.secret.jp/iiyama/  (第1ミラーサーバー)
・ http://grnba.web.fc2.com/  (第2ミラーサーバー)
と、別の二つのサーバーで見られます。
「お気に入り」に入れてブックマークしておいてください寝!>皆の衆
これから、殺すか?殺されるか?の闘いが実況で見られますから…。

つーのは…、
クスリを飲んだシトは廃人になるまである。クスリが売れないと製薬会社は大困り…。
当然、製薬会社にとってクスリの害毒を大宣伝する飯山一郎は憎き敵となる。

とにかく、
上と下の表に載ってるクスリは麻薬!ですからー、クスリの名前を知っているヒトと、知らないシトでは、人生にすんげ〜差がでてきます。
だから、みんな! メモするか、コピーしておこ〜寝!

そして、全国のブロガーの皆さん、上と下のクスリ(麻薬)の表、派手に拡散してください。人助けになりますから…。
いじょうです。 ピンチをチャンスにしましょ!

◆ 2013/07/27(土) 自由な民主主義国家&法治国家、ヌッポン万歳!
↓ こんな資料を強引に削除させる勢力が日本にはいる… ↓
■向精神薬
リタリン 10T \20000
■精神賦活剤
ベタナミン 10mg \1500/st
ベタナミン 50r \4000/st
■睡眠導入剤
ハルシオン 0.25r \2000/st
レンドルミン 0.25r \2000/st
グッドミン 0.25r \1800/st
サイレース 2r \3000/st
ロヒプノール 2r \3000/st
エリミン 5r \3000/st
マイスリー(10t) 10r \3000/st
アモバン 10r \2500/st
ユーロジン 2r \2000/st
■精神安定剤 / 抗不安薬
ベゲダミンA \2500/st
ヒルナミン 25r \2000/st
セレネース 0.75r 1500/st
ウィンタミン(20t) 12.5r \3500/st
リスパダール1mg1シート1500円
デパス(10t) 0.5r \1500/st
デパス(10t) 1r \2000/st
レキソタン 2r \1200/st
レキソタン 5r \1500/st
ソラナックス(10t) 0.4r \1500/st
ソラナックス 0.8r \2500/st
メイラックス 2r \2000/st
ワイパックス 0.5r \1500/st
ワイパックス 1r \2000/st
セディール10r \1000/st
■抗うつ剤 (SSRI)
パキシル(10t) 10r \2000/st
パキシル(14t) 10r \2800/st
ルボックス(10t) 25r \1500/st
ルボックス 50r \2000/st
■抗うつ剤 (SNRI)
トレドミン 25r \1500/st ■三環系抗うつ剤
トリプタノール 25r \500/st
アナフラニール 25r \500/st
アモキサン 25r \500/st
■四環系抗うつ剤
テトラミド(21t) 10r \2500/st
テトラミド(10t) 30r \1800/st
■非定型抗精神病薬(SDA)
リスパダール 1r \1500/st
リスパダール 2r \2500/st
■うつ病・うつ状態の治療薬
ドグマチール 50r \500/st
スルピリド 50r \200/st
ベタマック 50r \250/st
ベタマック 100r \500/st
■抗てんかん剤
デパケンR 200r \800/st
※手渡し(新宿)可
※バラ売り可。少量取引歓迎
↑ 昨日、鷲のメイン・サーバー停止されたが、その理由となった資料の一部。 ↑
3年半も前にアップした「クスリ関係の資料」である。
「その資料を削除せよ! さもなくばサーバーは永久に停止する!」
こう脅され、鷲は、やむなく、「クスリ関係の資料」を消したのでR。「やばいサイト みたいなのでビビりました 」
こんな↑書き込みが、ツイッターや掲示板に書かれた。

たしかに「やばいサイト」だ。
向精神薬や抗うつ剤が麻薬のごとく売買される市場がある!という証拠なのだから…。だからこそ、鷲は、その「やばいサイト」の丸ごとコピーを証拠資料として残しておいたのだ。

向精神薬や抗うつ剤は「麻薬のごとく」ではなく、実質的に麻薬そのものなのだが…、その麻薬市場がある!と、鷲は証拠を残しておいた。
「ソレは駄目だ!許さん!削除させろ!」
とサーバー会社に迫った『第三者機関』。この「機関」に逆らうと、豚でもないコトになる!こー考えたので、サーバー会社は、何の前触れもなく、突然いきなり鷲のサーバーを停止にしたのだろう。

「いや!飯山一郎の医療や製薬資本に対する批判があまりに厳しいので、『Eー加減にしないと表現活動が出来なくなるぞ!』 という脅迫と前触れなの鴨夜」
という意見もあった。この意見を言ってきたヒトには…、
「オドシなんかにビビるよーな飯山一郎ではない象!」
とUー本音は言わなかったが…(爆)

向精神薬や抗うつ剤や精神安定剤は実質的には麻薬そのものだ!というのは、すさまじい禁断症状がでている患者がいて、彼らが豚でもなく高額のクスリを買っている!買わされている! その証拠を消せ!とは…。

医者は凄まじい禁断症状がでることが分かっていても軽々に向精神薬や睡眠薬を処方する…鼠〜現実。
1回服用させれば、患者は確実にリピーターになるし、継続的に儲けられる…鼠〜算術。
こーして、この民族は狂っていくのです。
クスリを飲みながら、放射能を浴びながら、ソレを吸い込みながら、食べて応援しながら…。ながらえるはずありませんが…。
ま、いくとこまでいってくらはい!
飯山一郎のLittleHP



2013年08月01日(Thu)▲ページの先頭へ
ママス&パパス:47年前、今でも新鮮である:自由資本主義経済から自由共同体資本経済へ
ママス&パパス:47年前、今でも新鮮である:自由資本主義経済から自由共同体資本経済へ

テーマ:music/dance/ballet

ハリウッド映画もそうであるが、米国(「鬼畜」米英)の作品は今でも視聴できる。
 それに対して、映画は除くと、歌謡曲で今日聴けるのはどれほどあるのか。美空ひばり、都はるみ、テレサテン、他、名歌手はいるが、果たして、古典となる歌謡曲はどれほどあるのか。
 私は学生の頃、洋楽ポップスが好きで、日本のフォーク・ミュージックはウェットな響きが嫌いであった。(演歌は中年くらいで好きになったが。ニューミュージックでは、五輪真弓が大歌手であり、近年では夏川りみが大歌手であるが。)
 今でも、普段聴くのは洋楽である。それも古いものである。70年代初期である。
 とまれ、なぜ洋楽が好きなのか。それも古いものが。
 一言で言えば、心、ハートがあるということである。では、日本の歌謡にはないのかと言われると困る。
 もちろん、あるが、日本の歌謡はウェットなのである。それが重いし、疲れるのである。
 洋楽の心、ハートはカラッとして、爽快なのである。そう、これを私は求めているのである。陰湿な感情は苦手である。
 「カラッとして、爽快」というのは、いい意味でキリスト教から来ているのではないだろうか。

追記:政治経済的に記述すると、ママス&パパスはどうなるのだろうか。自由資本主義の自由市民の音楽ということだろうか。しかし、自由資本主義は今日、世界寡占・独占資本主義になっているのである。時代の大変化があるのである。

追記2:結局、自由資本主義(自由民主資本主義)が世界独占・寡占全体主義的資本主義に変質してしまったのは、自由において、自我、ヤハウェ父権自我が主導・支配しているのからである。これを乗り越えるには、内在超越的主体の立場が必要である。それは、一種のプラトン主義なのである。太陰イデア論(太陰イデア原理)から言うと、太陰イデアへと主体を転換する必要があるのである。
 自我的自由から個=他者的自由(個的倫理)へと転換する必要があるのである。これは、政治経済的には、自由共同体資本経済への転換を意味すると言えよう。

 
The Mamas and The Papas - Monday, Monday 1966 HQ / HD 1080p


夏川りみ−涙そうそう


2013年07月28日(Sun)▲ページの先頭へ
ヤハウェ父権自我=戦争破壊原理VS太陰母権=平和共生原理:知性=感性=気性三位一体太陰イデア秩序
テーマ:太陰イデア論:哲学的超科学理論(仮説)

私は、予想では数年後、空間形成力学の問題がクリアされたら、太陰イデア論(太陰イデア原理、太陰イデア理論)の本を書くつもりであるが、哲学的問題はほぼ解明できているのである。
 結局、最近の検討によって、自我と太陰の根本的対立が明確明快明晰鮮明鮮烈になった。
 自我とは、ヤハウェ父権自我であり、太陰とは肚にベースがある母権的原理である。それは、知性・感性・気性の三位一体の原識(元識・源識)である。
 当然、人間の心(精神、スピリット)並びに身体の原点は後者にあるのであり、前者はその不連続な派生物に過ぎない。
 そして、西洋文明はユダヤ・キリスト教によってヤハウェ父権自我を強固に体現しているのである。(もっとも、西洋文明は、占星術的文明論に拠れば、双魚宮[魚座]文明であり、物質と心の折衷文明である。ポスト双魚宮文明がいわゆる水瓶座[宝瓶宮]文明である。それは、精神が主導権をもつ文明であり、精神主導に物質との調和が形成されると考えられる。それは、心的波動の文明である。新太陰文明となろう。)
 太陰から不連続に形成されたヤハウェ父権自我であるが、これは、同一性の原理であり、それは、他者=太陰=母権を破壊するのである。端的に、有り体に言えば、悪魔の原理である。シュタイナーで言えば、アーリマンの原理である(シュタイナーはヤハウェがアーリマンであるとは決して言ってないが。シュタイナーはヤハウェがキリストの裏返しとは言っているが。)。
 ヤハウェ父権自我原理が、近代科学・唯物論・近代合理主義、金融資本主義を産み出した原理と考えられる。それは、自然破壊原理でもある。いわば、自然の鬼っ子、悪鬼である。
 先の議論から太陰は知性=感性=気性三位一体原理であるが、ヤハウェ父権自我原理は同一性原理で、それは、太陰の知性を同一性視点から掬い取っているのである。
 カントの超越論性、超越論的形式、悟性(知性)であるが、それは、本来、太陰の知性=感性=気性の知性を自我側から切り取っている形式ではないだろうか。自我は同一性形式であるが、超越論性は太陰性ということだと思う。
 (そう、悟性・知性を自我の縛りから解放し、本来の太陰的三位一体【知性=感性=気性】を新しく形成すれば、人類は新しく生まれ変わることになるのであるが。)
 今日、ヤハウェ父権自我原理と新母権太陰三位一体原理の闘争が行われていると言えよう。
 現代日本人は大半がお馬鹿で、前者に染まってしまっている。とりわけ、都会人、支配層、文化・知識人・大学人である。
 この内因はこれまでの私の考えでは、日本人の二民族性のうちの父権民族である。二民族とは、ベースの母権民族と舶来の父権民族である。そして、明治維新と敗戦後米国支配によって、後者が支配的になり、民衆はそれに染まって行ったと考えられるのである。
 結局、今日の日本の民族存亡をかけた闘争は、人類史的なものであり、父権文明VS新母権文明である。これは、ハルマゲドンである。世界最終闘争である。
 そう、ヤハウェ父権自我原理文明とは戦争文明、破壊・破滅・自滅文明であり、新母権太陰三位一体文明とは平和文明であり、共生・構築・調和秩序の文明である。
 今はここで留める。


2013年07月24日(Wed)▲ページの先頭へ
言葉とは何ぞ哉?:言葉と音楽:五大にみな響きあり:初めに言葉(ロゴス)ありき
言葉とは何ぞ哉?:言葉と音楽:五大にみな響きあり:初めに言葉(ロゴス)ありき

テーマ:language

私は英語や英語の歌に接することが多いが、日本語や日本文化の問題のある点が見えてきた。
 それは、意外かもしれないが、今日の日本語の音楽性の欠落である。
 話し言葉にしろ、書き言葉にしろである。
 社会の狂いは、言葉の狂いと通ずるだろう。
 とまれ、今は一言である。
 明らかに日本人は、音楽的ではない。(それともそのようになってしまったのかもしれないが。)
 日本文化は音楽より美術の方がはるかにすぐれている。もっとも、琳派をみると、絵画が実に音楽的であるが。(日本の美術の問題は、そう、文学を含めた日本文化の問題でもあるが、イデーが弱い点である。感性にイデーを溶け込ませるのが下手である。この点はいつか詳述したい。)
 ニーチェの名著『悲劇の誕生』ではディオニュソスからアポロが生まれことが述べられているが、それは実に天才的洞察である。
 これは、太陰イデア論から言えば、太陰から陽が生まれるということに言い換えられる。
 そして、ディオニュソスは音楽であり、アポロは美術であった。つまり、音楽から美術が生まれるということである。もっとも、ニーチェは悲劇(アポロとしての)の誕生の力学を説いたのだが。
 ということである。ディオニュソス=太陰が根源なのである。
 しかし、日本人は父権化して、アポロ化して、つまり、自我化して、根源のディオニュソス=太陰を喪失しているのである。
 植物で言えば、根が大地から引き抜かれている状態である。
 本題に入れば、結局、言葉もアポロ=陽であり、それは、ディオニュソス=太陰が根源に本来なくてはならないということである。
 私は直観(これが言いたかったことである)では、言葉は太陰と結びついているということである。言葉によって、太陰が形成されるのではないかと、また直観されるのである。
 いったい言葉とは何か。
 ヨハネ福音書は初めに言葉(ロゴス)ありきと述べている。ラカンは無意識は言語のような構造をもっていると述べている。空海は五大に響きありと言う。響きは一種の言葉であろう。そして、デリダはエクリチュール(書記言語)を根本性を言う。
 私は言葉はアポロ=陽であると言ったが、アポロ=陽とは、ディオニュソス=太陰の変容したものである。
 そう、ディオニュソス=太陰=イデアの個体化である。一つ現象である。しかしながら、悟性(知性)と結びついた現象である。
 そう、正に、アポロ=陽の象徴である。
 秩序、コスモスだと思う。言葉は根源がカオスなら、秩序化=コスモス化である。
 そう、アートと言っていいのである。言葉の狂いは、芸術の狂いである。それは美の喪失である。
 言葉を失った日本人は今や、動物の次元に堕したのである。
 人間獣の日本「人」である。日本人獣である。
 まだ、うまく言えていない。
 思うに、言葉は単にアポロ=陽だけでなく、ディオニュソス=太陰ではないだろうか。
 初めに言葉(ロゴス)ありきの言葉である。
それは、何か。それは日常の言葉ではない。
 言霊?
 それは語弊があると思う。確かに、それは近い。
 言葉は音声と同時に文字となり、映像である。
つまり、ディオニュソス=太陰とアポロ=陽の結合と言えるように思う。
 単に、アポロ=陽ではないのである。また、ディオニュソス=太陰、そのものでもないだろう。
 「光あれ」
 つまり、アポロ=陽を形成するために必要な創造活能ではないだろうか。
 つまり、森羅万象は言葉、創造活能としての言語をもっているのではないだろうか。単に、現象ではないのである。そこには、気と同時に、創造活能言語があるのではないだろうか。
 さらに言えば、気は創造活能言語を結びついているのではないだろうか。私は生命知活能と要っているが、この知の部分に創造活能言語があるのではないだろうか。
 そうならば、気=生命創造言語的活能ではないだろうか。

五大にみな響きあり

空海について : 風景の素描
空海について

五大皆響き有り
十界に言語を具す
六塵悉く文字なり
法身は是れ実相なり

現代語訳「五種の存在要素(五大)には、みな響きがある。十種の世界(十界)は、言葉をもっている。六種の認識対象(六塵)は、ことごとく文字である。さとりの当体(法身)とは、実相のことである。」

空海(774-835)は真言宗の開祖で、多くの著作を残した。上の言葉は「声字実相義(しょうじじっそうぎ)」の中の言葉である。

空海によれば、世界の根源あるいは根底には「大日如来」がある。大日如来とは、大いなる光、無色透明の純粋な光である。

この大いなる光が、渦を巻き、螺旋を描きながら(マンダラに描かれているように)、多種多様に生成変化したのが、世界である。

大日如来は言葉(真言)を通じてたえず説法している。それを「法身説法(ほっしんせっぽう)」という(あまり擬人化して考えないように)。

では、大日如来の説法とはどのようなものだろうか。

「五大皆響き有り」。この言葉が出てくる瞬間、体験があるとすれば、それはどのような体験だろう。五大とは、地水火風空のことで、簡単に言えば、森羅万象のことである。森羅万象にみな響きあり、と言える体験とはどのようなものだろうか。

かつて奈良のあまり高くない山に登ったことがある。山頂に立ったとき、青空の下、はるか向こうまで山並みが広がっていた。そのとき、しーんとした底知れぬ静けさを感じた。空があり、山がある。そして自分がいる。ある、という存在感をつよく感じた。「五大皆響き有り」とは、森羅万象があるということへの感動の言葉のように思える。そういう意味で壮大な言葉のように思える。

大日如来の説法とは、「ある」ことの奥深さを説いているような気がする。

(引用、参考文献)
空海コレクション2/宮坂宥勝 監修/ちくま学芸文庫
密教/松長有慶/岩波新書
http://skyinblue.exblog.jp/4673955

風景の素描

1.
空 海 の 名 句 (其の十二)
singetu.ddo.jp/kuukai_meiku/12.htm - キャッシュ
地・水・火・風・空の五大からなる森羅万象には、皆、心理を語る響きがあり、地獄・餓鬼・
修羅・人・天・声聞・緑覚・菩薩・仏の十界 ... 他の仏教にもまして神秘体験を重視すると
みなされがちな密教が、そうした主張すること自体、門外漢から見れば、一個の矛盾と ...
2.
空海について : 風景の素描
skyinblue.exblog.jp/4673955 - キャッシュ
五大皆響き有り十界に言語を具す六塵悉く文字なり法身は是れ実相なり現代語訳「五種
の存在要素(五大)には、みな響きがある。十種の世界(十界)は、言葉をもってい...
3.
第3章思想編 空海の独自思想 5: 空海とNLP・SFA・ナラティブ / 仏教 ...
www.performanceship.com/kotoba/2010/03/post-34f9.html - キャッシュ
ここで空海がいう声字とは、日常で使用される「言葉」とは異なります。空海は、「五大に
みな響きあり」と言い、世界の構成要素(の象徴)である地・水・火・風・空の響きそのもの
に「声」を見いだしています。 すなわち、この世界のすべて(森羅万象)の響きすべてを「 ...
4.
今日の納得お勉強ミニ。空海。五大にみな響きあり。六塵ことごとく文字 ...
blog.livedoor.jp/robinsonrobin/archives/7715623.html - キャッシュ
2013年2月3日 ... 今日の納得お勉強。 <m(__)m> 五大にみな響きあり 十界に言語を具す 六塵
ことごとく文字なり 法身これ実相なり 空海さ。 五大とは火、水、風、空、地。。 つまり森
羅万象、全部。 六塵とは、色、声、香、味、触、法。 法とは意。 ? 五感の ...
5.
五大にみな響きあり - 編集工学研究所
www.eel.co.jp/03_near/01_seigowchannel/.../0807mikyo.html - キャッシュ - 類似ページ
密教21オープンフォーラム 五大にみな響きあり 母なる空海へ. 三界の縁生は 幻化の
ごとくに留まらず、 四生の因起は 電泡のごとくに即ち滅す。 空海密教の方法に学び、21
世紀の精神文化を創造していくことを目的としてつくられた「密教21フォーラム」。
6.
商売繁盛!願望達成!! 「右脳活性 研究室」 五大に皆響きあり M156 ...
ettijouhouman.blog6.fc2.com/blog-entry-644.html
2008年6月1日 ... 五大にみな響きあり 十界に言語を具す六塵ことごとく文字なり 法身はこれ実相なり」
この言葉は、空海が『声字実相義』という著書の中に残されている言葉です。五大とは、
私たちの世界を構成する「空・風・火・水・地」のことで、十界は、地獄から ...
7.
五大にみな響きあり -エンサイクロメディア空海-
www.mikkyo21f.gr.jp/openforum/cat22/ - キャッシュ
五大にみな響きあり>--母なる空海へ--(ダイジェスト). 2001.10.6(Sat)密教21
オープンフォーラム『五大にみな響きあり』--母なる空海へ-- プロローグ満席の草月
ホールナビゲータ. ⇒記事を見る. 反響の声. 昨夜の草月ホールは、異様でした。赤坂の
小さなトポス ...
8.
「高野山真言宗 遍照山 光明院」仏教と現代 −the Sky and the Ocean−
ww35.tiki.ne.jp/~komyoin/buddhism-and-society201204.htm - キャッシュ
2012年4月21日 ... 五大に皆響きあり. 長野県・白糸の滝(光明院檀徒・藤井和子さん撮影). 「何か面白い話
をして」と知人に言われて、とっさに思いついたのが、形質人類学の話でした。 例えば、
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9.
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ci.nii.ac.jp/naid/40002299309 - キャッシュ
... 本をさがす ». 検索. 詳細検索. すべて CiNiiに本文あり CiNiiに本文あり、または連携
サービスへのリンクあり ... 空海は生きている 五大にみな響きあり--不世出の宗教家は、
時代を操るカリスマ・プロデューサーだった (特集 四国八十八ヵ所遍路の旅). 松岡 正剛
...
10.
五大に皆響きあり M156−1 - 商売繁盛!願望達成!! 「右脳活性 ...
d.hatena.ne.jp/news8/20080601 - キャッシュ
2008年6月1日 ... 五大にみな響きあり 十界に言語を具す六塵ことごとく文字なり 法身はこれ実相なり」
この言葉は、空海が『声字実相義』という著書の中に残されている言葉です。五大とは、
私たちの世界を構成する「空・風・火・水・地」のことで、十界は、地獄から ...


2013年07月23日(Tue)▲ページの先頭へ
今日の日本の袋小路は父権主義(ヤハウェ=自我主義)に拠る:太陰(肚)的母権主義が否定されている
今日の日本の袋小路は父権主義(ヤハウェ=自我主義)に拠る:太陰(肚)的母権主義が否定されている

テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史

一言。明らかに、今日の、日本の、いろいろな意味での、支配層は父権主義である。それは、極陽=自我=ヤハウェ主義である。それは、太陰(多神教)=他者=キリスト主義の否定である。
 そう、その意味で、日ユ同祖論は成り立つと思う。つまり、ヤハウェ主義の父権民族が太陰主義の母権民族の日本に到来して、日本国を作った。しかしながら、文化社会のベースは後者にあったのが日本という国である。
 しかるに、明治維新、敗戦後米国支配によって、ヤハウェの父権主義が基底・基層・原基の太陰の母権主義を否定抑圧するようになったのであり、今日がその末期症状と考えられる。
 二つの民族を考えなくては、そして、母権民族がベースであるということを認識しなくては、日本という国は理解できないし、滅亡を免れない。






PS理論批判:PS理論とは何であったか:数学的対称性ー陰陽極性理論としてのPS理論

テーマ:太陰イデア論:哲学的超科学理論(仮説)

後で検討したい。
 一言言うと、不連続的差異論が2004年に誕生して、2年後くらいに、PS理論(プラトニック・シナジー理論)へと進展した。
 それが、去年2012年まで続いた。その後、私は試行錯誤して、今は、太陰イデア論へと展開した。
 PS理論は、不連続的差異論を発展させる意味をもった、Kaisetsu氏(海舌 SeaTongue@Kaisetsu
http://blog.kaisetsu.org/)による数学をベースとした数学的哲学・科学仮説である。
 おそらく、6,7年、PS理論に関わった。しかし、昨年、私はそこから脱却・離脱した。
 理由は数学主導のために、哲学的考察が後追い、後付けになるという欠陥のためである。
 そう、虚数を導入したのは、実に鋭敏であったが、数学的対称性の概念に囚われてしまい、不連続的差異論の意味を積極的に展開できなかった。
 正負の虚数と陰陽極性が結びついて、一見実に整合的な理論と考えられたのである。(追記:凸i*凹i⇒+1というのがPS理論のコアの自己認識方程式である。そして、凸iを陽、凹iを陰とすれば、左辺が陰陽共振で、右辺を生命体と見ることが出来るのである。)
 しかし、さらなる発展を求めたとき、限界に達したのである。
 その後、Kaisetsu氏は、四元数(しげんすう)を用いて、PS理論を新たな段階にもたらした。それは、新PS理論と呼べよう。
 しかし、私はもはや、数学主導の理論には否定的であり、直観的思考に基づいた哲学的思考をベースにして、太陰イデア論を説いている。
 それはPS理論のもっていた数学的対称性・陰陽極性を乗り越えた太陰を中心とした哲学的理論である。
 哲学的科学理論と言いたいが、科学という用語が、物質主義を内包しているので、科学という言葉は使用できないのである。
 そう、超科学という言葉を使用するしかないだろう。故に、太陰イデア論とは、哲学的超科学理論(仮説)である。





内在性と内越(内在超越)性:ドゥルーズ&ガタリ哲学の内在哲学と不連続的差異論/太陰イデア論

テーマ:太陰イデア論:哲学的超科学理論(仮説)

太陰は太差であり、太一ではない:太コスモスと現コスモス:太陰と陽と物質の関係
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11578373941.html

直近で以上のように述べたが、これは、考えると、哲学的にきわめて重要な意義をもっていると考えられる。
 不連続的差異論の画期的意義に関係することでもある。
 つまり、不連続的差異論は基本的にはドゥルーズ哲学の根本的批判である。後者は連続性ないし連続的同一性(正しくは、微分=連続的差異)の概念をベース にしていることを批判したのである。連続性ではなく、不連続な差異をベースにすることを説いたのが、不連続的差異論である。
 そして、今、太陰が太差であると説いて、ドゥルーズ&ガタリの内在哲学を想起したのである。太陰イデア論は太陰の内在的超越性(内越性)を説くが、内在性そのものは説かないのである。
 確かに、内超性は内在性に入るが、超越性がないと、連続性が入ってしまうと考えられるのである。
 言い換えると、ドゥルーズ&ガタリの内在哲学は実は、内在連続的哲学であるということであり、それとは、太陰イデア論は異質なものであるということである。
 そう、太陰イデア論は内在超越的不連続的哲学、内超不連続哲学である。
 太陰イデア論になって、ポスト・ポスト・モダンが完成し、トランス・モダンとなったと言えよう。
 トランス・モダンとはポスト・オクシデントである。



内在性と内越(内在超越)性:ドゥルーズ&ガタリ哲学の内在哲学と不連続的差異論/太陰イデア論
テーマ:太陰イデア論:太陰プラトニズム

太陰は太差であり、太一ではない:太コスモスと現コスモス:太陰と陽と物質の関係
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11578373941.html

直近で以上のように述べたが、これは、考えると、哲学的にきわめて重要な意義をもっていると考えられる。
 不連続的差異論の画期的意義に関係することでもある。
 つまり、不連続的差異論は基本的にはドゥルーズ哲学の根本的批判である。後者は連続性ないし連続的同一性の概念をベースにしていることを批判したのである。連続性ではなく、不連続な差異をベースにすることを説いたのが、不連続的差異論である。
 そして、今、太陰が太差であると説いて、ドゥルーズ&ガタリの内在哲学を想起したのである。太陰イデア論は太陰の内在的超越性(内越性)を説くが、内在性そのものは説かないのである。
 確かに、内超性は内在性に入るが、超越性がないと、連続性が入ってしまうと考えられるのである。
 言い換えると、ドゥルーズ&ガタリの内在哲学は実は、内在連続的哲学であるということであり、それとは、太陰イデア論は異質なものであるということである。
 そう、太陰イデア論は内在超越的不連続的哲学、内超不連続哲学である。
 太陰イデア論になって、ポスト・ポスト・モダンが完成し、トランス・モダンとなったと言えよう。
 トランス・モダンとはポスト・オクシデントである。


太陰は太差であり、太一ではない:太コスモスと現コスモス:太陰と陽と物質の関係
テーマ:太陰イデア論:太陰プラトニズム

これまでの検討で、大根源である太陰が一(いつ)の世界ではなく、差異の世界であることがわかったことは大きい。
 それ以前、太陰に当たるものを太一と呼んだが、それは、大根源に一の世界を見るものであり、一神教的である。
 それは、間違いであると考える。だから、太陰は太差(太差異)の世界と言えるのである。
 そう、今、プラトンの『ティマイオス』の宇宙論を想起したが、コーラと呼ばれるものは太陰・太差に関係するだろう。思うに、原コーラがあり、それが太陰・太差だと思う。コーラは、同一性が生じてから、後ろ向きしたとき、現われる視点だと思う。
 とまれ、プラトンの同一性は、太陰イデア論(太差イデア論とも呼べる)では、陽に当たるものである。(思うに、陽理という言葉を造語してもいいかもしれない。)
 さて、私は今、陽(陽理)を問題にしたい。
 陽は同一性体(個体・個物・同一性・球)である。思うに、内部に気がある。問題は、表面、外面である。あるいは、外部である。
 明快にするために、陽を生命球と呼ぼう。
 この生命球の内部には、気、太陰・太差がある。内在超越界(内越界と造語しよう)である。
 生命球の球面が陽である。ここには、同一性原理が働いている。物質三次元の原理が働いているし、また、それに合う時間原理もはたらいている。
 つまり、現象界原理がはたらいているということである。
 さて、生命球であるが、外殻はいわゆる物質体であると思われる。本来、生命球ないし生命球体における外殻であり、生命球の一部・部分としての外殻物質である。
 そして、先に触れたように、生命球の内部・内在の生命知エネルギー=太陰エネルギーが消滅して、外殻物質が残存して、純粋物質、今日、物質と呼ばれるものが生起すると考えるのである。
 思うに、生命知エネルギー(気)は、陽化、陽理化して、同一性物質体を形成するしか言えないだろう。簡単に言えば、陽化・陽理化=同一性化=物質化である。もっとも、生命物質体化である。そして、内部には、生命知エネルギー=気が存しているということである。
 そして、陽化=物質化であるが、それは、いわゆる、極性化であると思われる。思うに、初期は、単極磁石のようなものなのだろう。
 しかし、直観に即せば、陽化=物質化=極性化によって、なんらかのプラスマイナスが生起するように思えるのである。
 私は初期力として、電気のイメージが強いが、磁気の方が有力なようである。
 直観として、磁気の方はイメージしやすいだろう。
 問題は、生命球は生命知エネルギーを内在した生命物質エネルギー体であることであり、単なる物質ではないということである。
 単なる物質、純粋物質ならば、磁気や電気や電磁波等が問題になるのであり、生命形態形成は問題にならない。生命情報が欠けるということである。
 ここで、用語の問題を出そう。エネルギーを活能としよう。すると、生命知エネルギーは生命知活能(生命活能でいいのかもしれない)となる。
 思うに、生命知活能において、先に述べた、平面と天地軸の三次元が問題になるのだろう。螺旋生命物質体の問題である。
 ここで、3本の軸の一つが特化されて、天地軸になると思われるのである。それは同時に時間軸ではないだろうか。
 とまれ、天地軸は磁性化されるのではないだろうか。
 生命知活能が磁性化されるのではないだろうか。あるいは極性化されるのではないだろうか。(ここでは、単極磁石の問題はおいておく。)
 つまり、生命球化は極性化であり、いわゆる、陰陽極性(プラスとマイナス、NとS:正確に言えば、物質極性である)が生じるのではないのか。
 思うに、量子とは、生命球における根本の太陰ー陽の力学と陽化における物質極性との関係における事象のことであるように思える。
 つまり、内越的な太陰ー陽と外部的な生命物質体との関係における事象を扱う為の仮説のように思えるのである。
 しかし、内越的な太陰ー陽の活能(気、気活能)を認めていないので、真の統一原理が得られていないと思われるのである。
 簡単に言えば、内越事象と外部事象の境界事象を扱っているのであるが、前者を否定しているので、フィクション的になっているのが、量子概念だと思う。
 太陰イデア論から見れば、明らかに、内越事象と外面事象は不連続である。ここには質的な不連続な飛躍があると考えられるのである。
 気、シュタイナーのエーテル体を想定すれば、量子力学は飛躍、進化すると考えられる。それは、超量子論、超物理学、超自然科学となるだろう。
 さて、以上で生命球の極性化と言ったが、そこで、いわゆる、原子が誕生するのである。問題は、単極磁石の問題である。単極磁石と極性物質の関係については稿を改めて論じたい。

ティマイオス - Wikipedia
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ティマイオス』(希: Τίμαιος、羅: Timaeus)は、古代ギリシアの哲学者プラトンの後期
対話篇の1つであり、また、そこに登場する人物の名称。 ... プラトンは、『ティマイオス』と
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陽は個体・個物の原理であり、同一性の原理ではないのか:太陰は多元差異の原理では?
陽は個体・個物の原理であり、同一性の原理ではないのか:太陰は多元差異の原理では?

テーマ:太陰イデア論:太陰プラトニズム

これも検討課題である。
 陽が個体・個物の原理であると思えてきた。球を作るのであるから、それは考えられる。例えば、リンゴの個体を作る原理である。それは、同時に、物質原理でもあろう。正確には、生命体原理である。
 わからないのは、インディヴィジュアリティindividualityの原理である。それは、以上からだと陽の原理のように思えるが、果たしてそうか。
 先に、個とは、太陰をベースにした、陽と共立したものと述べた。
 思うに、ここで混乱が起きるのである。(追記:以下の説明からわかるように、インディヴィジュアリティindividualityの原理とは、一般には、私の説く個の原理と陽のもつ個物・個体・同一性の原理と極陽のもつ唯一的自我の原理の三者が混同していると思われる。しかし、私は、個の原理は、太陰をベースにした陽と極陽と共立した原理であると考えるのである。)
 とまれ、陽は個体・個物、そして、同一性の原理としよう。そして、極大化された陽、即ち、極陽は自我の原理であり、それは、唯一性の原理ではないのか。一神教ではないのか。
 唯我独尊の原理ではないのか。
 それに対して、太陰は異なる。他者の原理であり、マルチ、多元の原理である。多神教の原理である。差異の原理である。
 もっとも、太陰が展開して、陽を形成するのであるが、太陰と陽とは不連続である。そして、なおさら、極陽とはそうである。
 もっとも、極陽も太陰が創ったものである。
 つまり、太陰は自分とはまったく異なる陽と極陽を創るのである。
 つまり、太陰は不連続に、陽(個体・個物・同一性・物質)の原理を創り、また、極陽(自我、唯一神、超越神)の原理を創ると考えられるのである。
 とまれ、極陽であるが、それは、同一性のさらに展開としての唯一性である。でも、それは独自性、独創性とは異なる。
 極陽の唯一性とは、他者否定の独一性に過ぎない。
 陽について正確に言うと、それは、根っ子として、太陰をもっていると思う。正に、陰陽体である。植物で言えば、気という太陰をもっているということである。
 後で精緻に検討したい。


自我とは何か:自我は一神教的であり、太陰は多神教的だと思う

テーマ:太陰イデア論:太陰プラトニズム

後で検討したい。自我は今日の大問題点である。
 一言言えば、自我は、他者を否定する同一性である。極陽ではないだろうか。陽は悟性(知性)、同一性である。陽が極大化したとき、極陽となり、太陰は消える。しかし、他者を同一性で処理しようとして、他者を否定するのが自我ではないか。
 
追記:先に言ったが、ヤハウェは、極陽だと思うのである。ヤハウェが自我原理ではないのか。そして、金融資本主義の原理でもあるし、唯物論の原理でもあるように思えるが。

追記2:女性がヒステリー、狂信的になるのは、無意識の太陰のなさせる業ではないだろうか。つまり、無意識の太陰が自我に取り込まれてしまい、自我絶対的になるように思えるのである。

追記3:先に示唆したが、ヤハウェ=アーリマン(悪魔)=自我=父権主義の図式が成り立つように思えてしまうのである。
 私の父権主義批判の意味合いがこれでおわかりいただけるだろう。


気的生命体と生命物質体の関係力学について:気と物質:陽が物質?

テーマ:太陰イデア論:太陰プラトニズム

意識と気の関係:意識・知意識・明識(認識)VS感識・感意識・暗識(気識)
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11576485698.html

上記では、レタスを事例にして、気と物質との連関について触れたが、両者の実際のメカニズムについてはまだ何も述べていないので、解明する必要がある。
 シュタイナーの霊的生命学において、やはり、この点が不明なのである。生命物質体と気的生命体(エーテル体)の二重性は述べているが、両者の具体的なメカニズムについてはほとんど触れていないように思える。
 簡単に言えば、気が物質になるメカニズムの解明である。でも、ある意味では既述済みであろう。でもすぐ思い出せないので、新たに記述する必要があろう。
 そう、今一言言えば、陽が物質と言えるのではないだろうか。
陽が太陰から切り離されたときが、純粋物質のように思える。
 つまり、生命体とは、太陰ー陽の陰陽体であるが、それが死ぬと、つまり、太陰のエネルギーを喪失すると、太陰による生命形成エネルギー(気=生命智エネルギー)がなくなり、陽だけが残存するようになると思われるのである。生命体の残骸物、形骸物である。
 しかし、果たして、陽をそのまま物質と呼んでいいのか疑問が残る。
 少なくとも、太陰を喪失した陽が物質であると言えるように思われるが。
 今は問題提起が主であり、精緻な検討はこれからの課題である。


2013年07月20日(Sat)▲ページの先頭へ
意識と気の関係:意識・知意識・明識(認識)VS感識・感意識・暗識(気識)
意識と気の関係:意識・知意識・明識(認識)VS感識・感意識・暗識(気識)

テーマ:太陰イデア論:太陰プラトニズム

検討問題:1)自我と陽、2)意識とスピリットと気
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11576182777.html

先に以上のように述べた。
 今、2の問題をさらに検討したいと思っている。
端的に言うと、意識と気の関係である。
 意識が気の領域、つまり、太陰領域ないし陰陽領域に達しない場合は、不調和、分裂・乖離・分離等の状態である。
 そして、現代人、特に、日本の都会人、東京人がそうである。また、知識人がそうである。
 いったい、意識が気と通じるとはどういうことなのか。意識のはたらき、力学は何か。そう精神力学を考えたい。あえて言えば、精神物理学である。
 意識は、思うに、一つの精神力学であり、気、太陰、陰陽も一つの精神力学である。少なくとも、二つの精神力学がある。太陰イデア論以前は、陰と陽の二つに分けていたが。
 今は一言述べておくに留める。
 太陰は意識化されることを求めているのではないのか。そう、太陰は本来、無意識、潜在意識の世界であろう。そこには、陽的な意識、自己意識、自我意識は入らない。
 つまり、二つの意識があるということになろう。自我・自己意識と気・霊的意識である。
 前者は言語・悟性・自我的意識であり、後者は霊・気・直観・想像的意識である。
 そして、生命は、生命智、生命知エネルギーは後者に存するのであり、生命を豊かにするには、後者を積極的に肯定し、共生することが必要だろう。

追記:二つの「意識」を明確にするために、自我・自己・言語・悟性・知性的意識を単に意識、知意識ないし明識(認識)、そして、気・霊・直観・想像力・感性的意識を感識、感意識、暗識(気識)としたらどうか。

1:意識、知意識、明識(認識)・・・自我・言語・悟性(知性)・合理・科学・物質的意識

2:感識、感意識、暗識(気識)・・・太陰・気・霊・直観・想像力・感性・他者的意識

という弁別である。
 私が個というのは、実は、2の感識(暗識)をベースにしたときに、1と共立して形成されるものと考えられる。


追記2:2の感識(暗識)ないし気識であるが、当然、物質的身体と結合しているのである。感覚というものは、感識(暗識、気識)と物質的身体の中間領域だと思われる。
 卑近な、直近の例だが、私がレタスを食べて、気的に浄化されるような気持ちよい美味を感じるとき、気的浄化とは、美味という感覚とともに、感識(暗識、気識)に感知されると思われる。
 そう、味覚という感覚と感識(暗識、気識)は繋がってもいるし、また、共立しているとも言えよう。
 でも、感覚を通して、感識(暗識、気識)もはたらくように思われる。レタスの美味と同時に、気的浄化が作用すると思う。
 直観では、レタスには、生命有機体、生命物質体において、陰陽体が存しているのであり、それが、食べられたときに、身体の感識(暗識、気識)に受容されるということのように思える。
 つまり、レタスは二重体なのである。一つは有機的物質体であり、同時に、気的生命体であるということである。
 レタスの有機的物質体が美味を喚起し、レタスの気的生命体が気的浄化を喚起させるということのように思えるのである。


検討問題:1)自我と陽、2)意識とスピリットと気
検討問題:1)自我と陽、2)意識とスピリットと気

テーマ:太陰イデア論:太陰プラトニズム

1)自我と陽について

2)意識とスピリットと気について

以上について、検討したいが、最近は余裕がないので、できないので、一言述べるに留める。
 
1)について:
太陰から陽が生まれる。このとき、陰と陽はバランスをもっていると考えられる。一般的な陰陽様態である。これが陰陽宇宙(コスモス)である。易、道教、気功等はここに基盤があると思われる。しかし、老子は、太陰イデア論に通じると思う。
 この陰陽宇宙から、螺旋生命有機体が生まれると考えれる。これは、植物的世界である。あるいは、外的宇宙である。渦巻星雲である。しかしながら、太陰の世界はダークマターやダークエネルギーに関係するだろう。
 さて、問題の自我である。これは、やはり、陽の極大化で説明がつくのではないだろうか。
 そして、知性は本当は陽に存するのであり、極大の陽である自我は、それを利用しているのではないだろうか。カントの超越論性は、陽のことを指しているのではないだろうか。陽という悟性があるのではないだろうか。自我はそれを利用するに過ぎないのではないだろうか。

2)について:
 私が具体的にイメージしているのは、うつ病である。これは、私には自我病におもえる。つまり、ハイパー自我病である。自我が肥大したために、太陰、さらには、陽も抑圧、排除されてしまい、生命エネルギーである気が枯渇する心病ではないのか。
 気とは精神と身体を満たしていると考えられる。ある意味で、精神は気であり、身体も気である。
 精神と身体の中間領域としての気というのは平凡な考え方であるが、わかりやすいだろう。
 とまれ、うつ病=ハイパー自我病を考えると、自我が太陰を抑圧排除するのである。
 しかし、気=生命智エネルギーは太陰に存するのである。あるいは、太陰ー陽のコスモスに存するのである。
 だから、うつ病=ハイパー自我病は、私の(勝手な)解釈では、太陰=気=生命智エネルギーを排除するのであり、そのために、エネルギーが枯渇し、元気がなくなるのである。
 また、太陰だけでなく、太陰からの陽も否定してしまうので、妄想的になるのである。
 これは、近代病とも言える。
 もし、以上の考えが正しいなら、うつ病を治癒するのは、理論的には簡単である。
 それは、太陰=肚という基盤を肯定することである。そのためには、禅等の瞑想がいいだろう。あるいは、東洋的武術・武芸である。
 とまれ、太陰=肚という基層へと意識が到達する必要があるということである。
 今はここで留める。後で丁寧に考察する。


2013年07月15日(Mon)▲ページの先頭へ
太陰イデア論(太陰プラトニズム):理論名称について:不連続という言葉を外す
太陰イデア論(太陰プラトニズム):理論名称について:不連続という言葉を外す

テーマ:太陰イデア論:太陰プラトニズム

理論名称が頻繁に変化しているが、どうやら、不連続は外すことができそうである。
 何故なら、太陰を原点にしたとき、そこには、対立する陽が存在しないからである。つまり、例えば、陰と陽が初めから存在していて、その関係が問題になるとき、両者の不連続性を考えるのは、妥当である。
 しかし、初めは太陰、陰しかないのであるから、連続性、不連続性の問題は生じないと思う。
 ただし、太陰から派生する陽であるが、それは連続であるのか、不連続であるのかは問題になろう。
 言い換えると、イデアと現象の関係である。それは、連続なのか不連続なのか、となる。
 これは、常識的に不連続である。何故なら、質が異なるからである。だから、太陰イデア論において、もはや、連続、不連続は問題にならないと言える。
 故に、理論名称は、不連続を外して、太陰イデア論、又は、太陰プラトニズムでいいことになる。
 不連続が問題になったのは、差異に対する同一性の志向性についてである。つまり、同一性が前提であるとき、連続性か不連続性かは問題になったのである。
 しかるに、今や、同一性ではなく、太陰という絶対的差異・他者であるイデアが問題になっているのであるから、もはや、連続か不連続性かの問題はないのであり、必然的に不連続であるから、もう不連続の言葉は不要なのである。

追記:不連続的差異論であるが、それは、ドゥルーズの差異が連続的であるのを批判することから生まれたものである。
 そういう文脈ならば、不連続性の概念は生きている。
しかし、イデアと現象との関係の場合は、そもそも連続性はありえないのでないだろうか。なぜなら、イデアが本体であり、現象は仮象であるからである。
 それを考えれば、太陰をイデアと見るので、やはり、不連続の用語は不要である。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11572805238.html






太陰イデア論とメビウスの輪:太陰三次元メビウス

テーマ:太陰イデア論:太陰プラトニズム

先に以下のように、現時点で、メビウスの輪については否定的なことを書いたが、今朝、少し考えたら、太陰、中心点、原点における内在三次元の四元数(しげ んすう)を考えると、それらは、メビウスの輪になると思った。三つの虚数の軸は、それぞれ、入れ替えることができるのである。陰陽メビウスではないが、太 陰三次元メビウスとは言えそうである。簡単に言えば、太陰メビウスである。
 そして、太陰メビウスが内在コスモスと関係すると思う。そう、神秘宇宙とはこの太陰メビウス=内在コスモスのことのように思えるのである。
 そして、イデア界もここにあるように思えるのである。少なくとも、イデア、あるいは、ビデアはここに存すると思えるのである。
 今は言及だけに留める。

メービウスの帯と不連続陰陽イデア論

佐野千遙博士は、メービウスの帯の中心的重要性を述べているが、不連続的陰陽イデア論はそれをどうみるだろうか。
 今は一言触れるだけである。
 太陰主義になる以前、陰陽メビウスを説いていた(参照を見られたい)。
 太陰主義の現段階では、どうなるのか。
 今の段階では、陰と陽は非対称の関係であり、メビウス的対称性のある反転は考えていない。
 今はそう言うに留める。

参照:

不連続陰陽イデア論の新たな概念作図の必要:ポストPS理論としての不連続無双陰陽イデア論






単極磁石と太陰:不連続太陰論とスミルノフ学派佐野理論

テーマ:太陰イデア論:太陰プラトニズム

佐野博士が提唱する単極磁石とは何か。
 不連続太陰学(と仮に呼ぶ。理論名称がころころ変わるが。)における太陰が単極磁石に近いように思われるのである。
 とまれ、佐野全体学はとても刺激的であり、不連続太陰学と比較したいと思う。

負の質量数十gの単極磁石=霊魂が離脱する死の瞬間、体重はその分増える!スミルノフ学派Dr佐野千遙


霊魂=負の質量の単極磁石であるために、死後魂は天空に向かって上るのであり、肉体が滅亡しても単極磁石である霊魂は生き続ける。

「正統派」現代物理学派と違い、我々の真の正統派物理学が宗教関係者とも対話が出来るのは、そして社会正義の美学・社会的愛の美学に動機付けられて死をも超えて社会変革の為の崇高なる闘魂を維持・発展させる事が出来るのは、上述した事による。
フリーエージェント世界革命を提唱するフリーエージェント大学ロシアの有名人・ドクター佐野千遥教授



2013年07月14日(Sun)▲ページの先頭へ
不連続陰陽イデア論の基礎構築へ:太陰的内在三次元と陽的外在三次元
テーマ:不連続太陰イデア論:無双太陰原理

直近において、以下のように述べて、不連続陰陽イデア論における空間論の弱点を解消し、基本理論の記述が可能になったと考えられる。
 哲学領域では、これまで太陰を原点として、説明してきた。
問題は不連続太陰論と不連続陰陽空間論の整合性である。つまり、哲学と空間論、あるいは、哲学と科学の整合性である。
 思うに、太陰的内在(内在超越)領域と陽的外在領域に区別すれば、整合性ができるだろう。両者は当然、不連続関係である。
 近代科学は後者を中心として、前者をも説明しようとしたことに大欠点があると言えよう。
 また、いわゆる、神秘主義は前者におおまかに言及して、空間論的には説明してこなかった欠陥があるだろう。
 簡単に言えば、内在三次元と外在三次元の相違がこれまで認識されなかったということになる。前者はイデア虚数次元ということになる。後者は物質的次元ということになる。
 そう、これで、内在コスモスと外在コスモスとの関係・相違も説明できるようになったと言えよう。
 いよいよ不連続陰陽イデア論を祖述する段階になったのである。

球は中心点に直角三角形をつくり出すだけではなく、天球周縁にも直角三角形をつくり出す
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11572239757.html

追記3:
私は時間軸・天地軸を他の二つの軸とは異質のものとして、特別視しているが、アダムズの考え方によれば、直角三角形のそれぞれの辺が、天地軸(時間軸は除いておく)になるのであるから、特別視する必要はないだろう。
 そうすると、四元数の視点が有力になってくる。三つの虚数i, j, kは三つの直交軸、直角三角形の三つの辺となる。
 そして、実数1であるが、それは、確かに、時間の量でいいのかもしれない。あるいは、光速である。
 私の陰陽渦巻円の視点は、もっと現象的かもしれない。つまり、三つの直交軸であるが、そのうち二つが陰陽渦巻円を形成し、残りの一つがいわば、天地軸となることになろう。
 そう、だから、最初は三つの直交軸、三つの虚数と考えた方が適切であり、その次の展開として、二つの直交軸・虚数に拠る陰陽渦巻円と天地軸の形成を考えた方が妥当のように思えてきた。


参考:
正四面体4稜を辿り元に戻る一筆書はトポロジカルにメービウスの帯に同相!スミルノフ学派Dr佐野千遥

何故正四面体やメービウスの帯がそんなに重要かと言うと、メビウスの帯は我々の宇宙で唯一の素粒子である単極磁石を至るところで生成しているからである。

電気的イオンとイオンとの化学反応に磁気的に介在する触媒を成す物質は悉く正4面体の結晶構造を持つ。「正統派」現代物理学派にはこのような認識が無く、又事実がそうである事を告げて彼等にそれが何故なのかの説明を求めても「正統派」現代物理学の理論構成が原因で全く説明する事ができない。勿論、物理学に対し従の関係に有る化学は物質に囚われた意識しか持っておらず、その原因まで遡って考察する意欲を持っていない。

そこで反エントロピー新古典物理学を掲げるスミルノフ学派と佐野千遥は、正4面体等の幾何学構造が何故物理現象を左右するのかを以下に論じる。

先回りして言うと、離散値の世界に於けるメービウスの帯=正4面体は分子レベルの触媒の結晶構造に現れるだけでなく、正4面体構造を基に離散値的に整然と並んだ軌道電子と同じく原子核内に正4面体構造を基に離散値的に整然と並んだ核子を構成する宇宙唯一の素粒子=単極磁石はその周りを覆う正4面体メービウスの帯構造により不断に裏返しにされた負の質量、負のエネルギーを得ており、各素粒子=単極磁石を覆う正4面体メービウスの帯構造、各核子を覆う正4面体メービウスの帯構造は、原子核全体を覆う正4面体メービウスの帯構造が内辺に向けてフラクタル分割する事により宇宙史の中で発生してきている。
http://ameblo.jp/allahakbar231/entry-11450740062.html
フリーエージェント世界革命を提唱するフリーエージェント大学ロシアの有名人・ドクター佐野千遥教授


球は中心点に直角三角形をつくり出すだけではなく、天球周縁にも直角三角形をつくり出す
テーマ:不連続太陰イデア論:無双太陰原理

以下の考え方はきわめて興味・意義深い。
 これまで、陰陽円(陽円)ということを述べたが、以下の視点からすると、陰陽球(陽球)が問題になる。
 また、以下、直角三角形というのは、三角錐のことのように思える。とまれ、中心点に直交する三つの座標を見る視点と言えよう。
 後で、検討したい。

追記1:
先に次のように書いた。

「陰陽円(陽円)は、回転しているとする。そのため、陽=円周の太陰回帰は渦巻になるのではないだろうか。
 そして、この渦巻力学が中心点に直交するエネルギーを産み出すのではないのか。そして、結果、螺旋形状、螺旋生命有機体を産み出すのではないのか。
 そうならば、中心点に直交するエネルギーとは何かとなる。
 直観では、時間エネルギーである。(時間をエネルギーと考える。)
 そして、時間エネルギーは垂直軸となり、それは天地軸ではないのか。そして、時空四次元現象を形成するのではないのか。この四次元であるが、時間軸と垂直軸が一致するのである。
 だから、時空三次元と呼ぶ方が的確であろう。
 今はここで留める。

追記:あるいは、以前考えたように、ここで四元数(しげんすう)を取り入れて、三つの虚数(虚軸)と一つの実数(+1)を考えるべきなのか。」
思いつき:太陰⇒陽円⇒渦巻⇒螺旋:陰陽円から螺旋生命有機体へ?
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11572125364.html

以上の三次元の考え方は、基本は平面、陰陽渦巻円である。そこに中心点(太陰、太陰点)に直交する垂直軸(時間軸、天地軸)が発生するというもので、二次元から三次元へと展開する発想であり、以下の最初に三次元が存する視点とは異なる。(しかし、連関させることはできるかもしれない。)
 しかし、私の陰陽渦巻円(陰陽円、陽円)であるが、私は円と球をほぼ同等と見ているので、基本に立体、球を考えることは齟齬ではない。
 立体、球を考えたとき、基本に直角三角形、三角錐を見ることは可能である。
 しかし、今は、陰陽渦巻円の中心点(太陰点)に直交する時間軸・天地軸を考えたい。そして、それによって、螺旋体が形成されるのである。これで、渦巻星雲等は説明できようし、螺旋生命有機体も説明できよう。
 思うに、陰陽円、陰陽渦巻円の円周は実は球面と考えてもいい。だから、球面上の平面と中心点と直交する時間軸・天地軸で三次元空間、三次元時空間ができる。
 そして、この球面(円周)の三次元空間(時空間)を、収縮・還元させて、中心点に引き戻すことはできよう。
 そうすると、中心点・太陰点において、陰陽円があるというより、直角三角形、三角錐があると見た方がいいのかもしれない。
 そう、もともと、中心点と円は別々である。しかし、中心点・太陰点から円周、球面が形成されるとするならば、中心点・太陰点のいて、二次元(平面)、三次元(立体)の基本ベクトルはあってもおかしくないだろう。それが、根源的な直角三角形や三角錐として、表現されてもおかしくないだろう。
 このように見ると、Kaisetsu氏が展開されているNew Platonic Synergyの視点と共通してこよう。
 とまれ、私の陰陽渦巻円と時間軸・天地軸による三次元時空間の考え方とシュタイナー関係のオカルト空間論とNew Platonic Synergyと共通性が考えられると言えよう。
 今はここで留める。

追記2:
以下のシュタイナー系のジョージ・アダムズの原直角三角形の視点であるが、私の視点は中心点・太陰点から陰陽円ないし球面が形成されるとするが、結局、陰陽円の場合、当然、中心点に原二次元(二つの直交する直線)、ないし原三次元(三つの直交する直線)が考えられる。
 だから、ジョージ・アダムズの視点を受け入れてもいいと言えよう。
 しかしながら、時間軸・天地軸の第三次元は生成軸として、重要だと思われるのである。それは、ジョージ・アダムズの視点にはないと考えられる。
 あと、アダムズは虚数を考えているが、そうすると、四元数(しげんすう)の考え方が必要になるようだ。四元数を使用すると、第三次元と時間次元は分ける必要が出てくるだろう。時間次元は実数になるのである。
 とまれ、この問題は検討課題である。

追記3:
私は時間軸・天地軸を他の二つの軸とは異質のものとして、特別視しているが、アダムズの考え方によれば、直角三角形のそれぞれの辺が、天地軸(時間軸は除いておく)になるのであるから、特別視する必要はないだろう。
 そうすると、四元数の視点が有力になってくる。三つの虚数i, j, kは三つの直交軸、直角三角形の三つの辺となる。
 そして、実数1であるが、それは、確かに、時間の量でいいのかもしれない。あるいは、光速である。
 私の陰陽渦巻円の視点は、もっと現象的かもしれない。つまり、三つの直交軸であるが、そのうち二つが陰陽渦巻円を形成し、残りの一つがいわば、天地軸となることになろう。
 そう、だから、最初は三つの直交軸、三つの虚数と考えた方が適切であり、その次の展開として、二つの直交軸・虚数に拠る陰陽渦巻円と天地軸の形成を考えた方が妥当のように思えてきた。



note23:
・球は中心点に直角三角形をつくり出すだけではなく、天球周縁にも直角三角形をつくり出す
・プロセスとしての球形形成運動
・球形形成原理は、虚数に関わり、数エーテル(化学エーテル)として現象界に現れる

note23:
・球は中心点に直角三角形をつくり出すだけではなく、
 天球周縁にも直角三角形をつくり出す
・プロセスとしての球形形成運動
・球形形成原理は、虚数に関わり、数エーテル(化学エーテル)として現象界に現れる

<ジョージ・アダムス 『エーテル空間』からの引用>

 空間の無限遠点は球面との関係において、球の中心点を通る平面をもたらします。こ
の平面は、無限遠点がどの方向にあろうとも、無限遠点へ向かう半径に対してつねに直
角を成します。そしてこれは球の場合にのみ生じます。このことを最後まで考えていけ
ば、球の中心点で互いの直角を成す“三つ組”の半径が得られます。すなわち三つの直線の
各々が、他の二つの直線を含む平面に対して直角を成す、三つ組が見られることになりま
す。これは、この三つ組の直線を球の中心点からあらゆる方向へ向かわせることのできる、
いわゆるデカルト座標系です。デカルトの座標系はこのように、球のなかに一種の形態原
理を持っていますが、たとえば人間の頭蓋骨の形態はこの原像の現れのひとつです。さて
しかし、球はその中心点だけではなく、無限遠平面にもこのような三つ組をつくり出しま
す。球は天球周縁に直角三角形をつくり出すのです。この三角形は、デカルトの座標系が
三つの直線と三つの平面から成っているように。三つの直線と三つの点から成っています。
球はこのように、地上にも天上にも三つ組をつくり出しますが、地上では諸半径を構成要
素とする中心点をつくり出し、天球では天球諸直線を構成要素とする“周縁中心”をつくり
出します。
(P.47-48)
 近代幾何学の原空間において私たちがまず第一に理解しなければならないのは、直角が
つくり出す硬い形態ではなくその根底にある数の動力学、完成された円形ではなくプロセ
スとしての循環運動、完成された球形ではなく丸みをつくり出していくプロセスとしての
球形形成運動です。それというのも私たちは、中心点と宇宙の拡がりとの対極性のような、
地上的なものと天上的なものとのあいだに永遠に作用している呼吸する対極性とかかわっ
ているばかりでなく、このような二極間に自らの存在を主張している球形形成原理にも、
つまり静かに自足している有限の球形に見られるような球形形成原理にもかかわっている
からです。
(P.48)
 この原理を数学的に述べるなら、それはその具体的ー霊的な背景をアストラルと呼ばれ
るものの内に持つ、謎に満ちた虚数(√-1)にかかわる原理です。この原理はもはや空間的
なものではありません。しかしそれは、特に循環するものの内に現れる数のリズムの響き
をとおして、空間のなかへ形成的に作用しています。この原理は、エーテル的なものの内
に作用していることから、数エーテル(化学エーテル)として現象界に現れます。
(P.48)


◎直角三角形が円に内接するように、円や球の形態は密接に「直角」と結びついている。
◎note19で説明したように、空間の無限遠点は、球の中心点を通る平面をもたらすが、
この平面は、無限遠点へ向かう半径に対してつねに直角を形成する。
球の場合、中心点を通る平面と中心点から球面に延びる半径とが直角になっているイメージ。
◎そうすると、球の中心点で互いの直角を成す「三つ組」の半径が得られる。
つまり、この球の中心点を中心とした(x,y,z)座標(デカルトの座標系)のイメージ。
◎球は、この「三つ組」を無限遠平面にも形成する。
つまり、球は天球周縁に、三つの直線と三つの点から成る直角三角形をつくり出す。
◎近代幾何学の原空間においては、そうした直角がつくり出す硬い形態ではなく、
その根底にあるプロセスとしての球形形成運動を理解しなければならない。
これは、完成されたスタティックなものとしてではなく、それが形成されるプロセスが重要になる。
◎私たちは、地上的なものと天上的なものとのあいだの対極性だけではなく、そうした球形形成原理にも関わっている。
◎この原理は、ー霊的な背景をアストラル的なものに持っている「虚数(√-1)」に関わっているが、
呼吸するように循環するものの内に「数のリズムの響き」を通して、空間のなかへ形成的に作用し、
数エーテル(化学エーテル)として現れる。
◎「反空間」である「エーテル空間」は、物質空間に対して、
もはや空間的なものではない「虚」の空間として表現されるが、
その「虚」つまり、「虚数(√-1)」の原理はアストラル的なものを霊的背景としてもっている
ということはチェックしておく必要があると思われる。
というのも、シュタイナーは、物質界、エーテル界、アストラル界・・・というように、
世界を多次元構造としてとらえているからである。
そして、「反空間」である「エーテル空間」は、この物質空間に対する「虚」の空間として位置づけられている。
◎ちなみに、シュタイナーはエーテル的な力を、
生命エーテル、化学エーテル、光エーテル、熱エーテルの四つに分けてとらえている。
ここで「数のリズムの響き」である「数エーテル」としているのは、そのうち「化学エーテル」である。
◎参考までにいえば(この『エーテル空間』とは直接関係しないが)、
電気、磁気、原子力の深部に潜んでいるエネルギーのことを、
シュタイナーは《堕落したエーテル》と呼んでいるそうである。
http://www.bekkoame.ne.jp/~topos/steiner/aetherischenRaum/ar23.html
シュタイナー研究室


思いつき:太陰⇒陽円⇒渦巻⇒螺旋:陰陽円から螺旋生命有機体へ?
思いつき:太陰⇒陽円⇒渦巻⇒螺旋:陰陽円から螺旋生命有機体へ?

テーマ:不連続太陰イデア論:無双太陰原理

以前は陰陽共振が螺旋生命物質体を形成すると考えた。
 現在の仮説では、太陰が中心点であり、円周が陽である。そして、これを陰陽円と考えるのである。(陰陽円という視点は以前もあったが、もっと漠然としていた。つまり、陰陽共振のベースに陰陽円があると考えただけであり、中心点が太陰、円周が陽という現段階の考えはなかった。ただ、陰陽共振というか陰陽共立が陰陽円を形成するような漠然とした発想であった。)
 思うに、太陰⇒陽⇒太陰という力学が考えられよう。陽⇒太陰において、螺旋力学が発生するのではないだろうか。
 今の思いつきでは、中心点を直交するエネルギーが発生しているのであり、そのため、円は螺旋を描くのではというものである。
 あるいは、こう考えたらどうだろうか。陰陽円(陽円)は、回転しているとする。そのため、陽=円周の太陰回帰は渦巻になるのではないだろうか。
 そして、この渦巻力学が中心点に直交するエネルギーを産み出すのではないのか。そして、結果、螺旋形状、螺旋生命有機体を産み出すのではないのか。
 そうならば、中心点に直交するエネルギーとは何かとなる。
 直観では、時間エネルギーである。(時間をエネルギーと考える。)
 そして、時間エネルギーは垂直軸となり、それは天地軸ではないのか。そして、時空四次元現象を形成するのではないのか。この四次元であるが、時間軸と垂直軸が一致するのである。
 だから、時空三次元と呼ぶ方が的確であろう。
 今はここで留める。

追記:あるいは、以前考えたように、ここで四元数(しげんすう)を取り入れて、三つの虚数(虚軸)と一つの実数(+1)を考えるべきなのか。

追記2:

《間奏あるいは幕間狂言》
note23:
・球は中心点に直角三角形をつくり出すだけではなく、天球周縁にも直角三角形をつくり出す
・プロセスとしての球形形成運動
・球形形成原理は、虚数に関わり、数エーテル(化学エーテル)として現象界に現れる
note24:
・霊的ー魂的な三つ組は、地上でと同じように天上でも作用し、
 宇宙の霊的根源においては思考、感情、意志の三つ組と関連している
・数学的に述べられてきた事柄は、超感覚的作用に関連して「質的ー理念的」に理解する必要がある
・「彫塑的空間」としてのエーテル空間
・形成諸力体としてのエーテル体
・人間を全宇宙から形成されているものとしてとらえる必要性
「IV.物質とエーテルの力と実体」
note25:
・物質空間:ポジティヴ(プラス)な実体とエーテル空間:ネガティヴ(マイナス)な実体の対極性
・空間世界に作用している物質的なものとエーテル的なものの諸力の対極性:重さと光の軽さ
・重さと光の軽さは、エーテル体と物質的体は互いに均衡を保っているが、死の際にはそれぞれの領域へと向かう
note26:
・ポジティヴな物質空間とネガティヴなエーテル空間の質的反転
・物質空間の容積としての球(点)とエーテル的な球の内部空間としての平面
・物質空間における球面外部の無限空間=エーテル空間の容積
・物質空間における球面内部の容積=エーテル空間的には空っぽ・内への空虚
note27:
・中心点から外へ向かい希薄になっていく物質的作用
・天球周縁から宇宙点に達し無限に拡がる球面面積を持つ点となるエーテル空間の作用
note28:
・エーテル空間においては、中心点(宇宙点)へと向かう規則正しい成長を
・物質的に見れば、宇宙点に向かって密集していくように見える。
・物質的表象としては、∞,1,1/2,1/3,1/4,1/5,・・・
(エーテル的感情としては、無限に続く規則正しいリズム:0,1,2,3,4,5,・・)
・物質的な成長像は、“相反半径による変換”を用いることでエーテル的な成長像へと変換することができる。
note29:
・物質的なものとエーテル的なものの振幅運動の理念
・内へと成長し宇宙点へと到るエーテル的なものはその瞬間に、その物質に新しい始まりをもたらす
・その点のなかで熱が放射し無限平面へ到りまた再びエーテルの活動力へと反転していく
note30:
・物質的なものとエーテル的なものにおける圧力及び吸引力
・エーテル球における「ネガティヴな重さ」と「空間をネガティヴに満たそうとする傾向」とのあいだのバランス
note31:
・エーテル空間の観点から観たホメオパシー作用
・物質を希釈すればするほどエーテル球面の力が周縁的に凝縮しエーテル作用が高められる
・質的な意味での純粋幾何学による「空間知の霊化」という課題
http://www.bekkoame.ne.jp/~topos/steiner/Steiner.html
シュタイナー研究室

参照画像:スライブのトーラス像。

Resurrection : ヤポネシア、夜明けと目覚めの光楽:不連続太陰イデア論と心智学(psychosophy)

スライブ5分間バージョン:トーラス - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=DIAG1KNYe1M

► 5:20
www.youtube.com/watch?...2012年4月27日 - 5分 - アップロード元: 信二 田中
(THRIVE Japanese) スライブ―いったい何が必要になるのか 2時間12分 から、特に ...

Thriveを観る、トーラス、フリーエネルギー、舞踊による一体感|卵の中の ...
http://haitaka.blog19.fc2.com/blog-entry-1235.html

haitaka.blog19.fc2.com/blog-entry-1235.html - キャッシュ
2012年2月21日 ... 話題になっている『THRIVE』の日本語版をyoutubeで見た。 最初にトーラスが出てきた
ので、これは最後まで見ねば・・・と思った。 トーラスとは、↓こういう形の内側と外側が
つながったような形状のもの。 081113_1326~02 これについては ...


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