GP陰陽哲理学:Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




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2014年02月04日(Tue)▲ページの先頭へ
遺伝子氣:MPにおける多陰陽結合と生命体創造者(霊);超越軸=霊軸、虚軸=氣軸、実軸=生命体軸
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11764773444.html

遺伝子氣:MPにおける多陰陽結合と生命体創造者(霊);超越軸=霊軸、虚軸=氣軸、実軸=生命体軸

テーマ:唯物科学から物質包摂の氣サイエンスへ

先に以下の参考のように記した。
 今は簡単に指摘するだけだが、ガウス平面の虚軸の陽凸iと陰凹iであるが、そこに、氣遺伝子が重層化すると見れば、それが、元遺伝子になるように思える。
 つまり、(凸i1*凹i1)*(凸i2*凹i2)*(凸i3*凹i3)*・・・*(凸in*凹in)という氣遺伝子、元遺伝子、遺伝子イデアが考えられるのである。
 これらは、結局、一(いつ)の氣である。思うに、一の氣が基盤になって陰陽1,陰陽2,陰陽3,・・・陰陽nが重層化すると思われる。
 否、一の氣が共通基盤ではなく、MP(ガウス平面の原点)に共通の中心があるのではないだろうか。
 とまれ、陰陽凹i*凸iは振動していると思う。そして、その振動数の違いで、多様な遺伝子情報が発生しているのではないだろうか。
 簡単に図式化すれば、

陰陽1*陰陽2*陰陽3*・・・*陰陽n⇒±1(生命体)

(なお、*がMP(原点)である。そして、陰陽kは各陰陽の振動数の違いを表していることになる。)

となるのではないだろうか。
 ある振動数(和音)は、正多角形を形成するのではないだろうか。正三角形、正方形、正五角形、正六角形、等々である。
 思うに、ピュタゴラス派に倣い、正五角形をベースに見るならば、それが、単に生命体だけでなく、宇宙生命体、太陽系生命体をも成形していると見られよう。つまり、大宇宙と小宇宙の一致ないし照応があるということである。(あるいは、上にあるごとく、下にも。)
 そう、ここで、フラクタルを考えもいいだろう。宇宙大のフラクタルと生命体のフラクタルが相似するということである。
 とまれ、今の段階では、多陰陽結合、諸陰陽結合ではあるが、それは、MP(メディア・ポイント、原点)にゼロ度における結合を見ておこう。陰陽ゼロ度結合である。
 そして、陰と陽の二重螺旋が形成されるのであり、それが、DNAのイデア、元DNAであると思われる。つまり、それらは、ガウス平面の虚軸に存するのであり、それが、MPを介する次元変換によって、物質的なDNAに変容すると思われるのである。
 以上について、細部について後で検討したい。
 最後に、問題は、全体像を決定、規定するものをどう考えるのかである。
 人体なら、人体の設計図、デザイン、イデアを構成するものは何かということでもある。
 ここは、氣を超えて、霊を想定したくなる時点である。
 言い換えると、多様な陰陽結合を構成する原理は何かという疑問である。
 ここで、霊を作業仮説すると、人体全体を設計、デザインする総合原理を霊とする。霊の設計図に従い、多様な陰陽結合なされるということになるのである。
 そう、陰陽情報の作者である。それを、神霊と呼ぶことはできるのである。すると、

神霊⇒氣⇒生命体

となる。すると、以前想定したように、ガウス平面に直交する軸、いわば、超越軸を仮定しないといけなくなる。
 そして、これが、私と『海舌』氏が別離した事柄なのである。後者は、ガウス平面から離れて、四元数(しげんすう)へと飛躍したのであり、私は、試行錯誤の迷宮に入ったのである。ここで、長い間、提唱してきたPS理論が終焉したのである。
 やはり、超越軸、言い換えると、霊軸を入れるのは、考えられることなのである。(以下、参照2を見られたい。)
 

参考:

Tue, January 14, 2014
氣の原子モデル:虚軸が陰陽で、実軸が原子:一としての氣生命と複数多元陰陽極子と現象生命体

テーマ:唯物科学から物質包摂の氣サイエンスへ

後で検討したい。
一言言うと、ガウス平面における原点をMP(メディア・ポイント)と呼んでいるが、虚軸上のものをMP1、実軸上のものをMP2としている。
 結局、原子はMP2⇒±1ではないだろうか。MP2が原子核で、±1が電子ではないだろうか。
 しかしながら、それを形成するのは、それよりも高次の氣である。MP1に陰陽極性がある。それが、MP2⇒±1へと原子転換すると思われる。
 今は思いつきのみ。

追記:簡単に図化する。

                   虚軸
                陽凸i
                / 
              /
            /
          MP1
        / ↓
      /   ↓  
    /     ↓      
  陰凹i     ↓    
           ↓   
−1_____MP2_____+1 実軸
           

尚、MP1からMP2への↓は実際は「空(くう)」と考えられる。空隙(くうげき)である。
 緑色のMP1を含む虚軸が陰陽=氣であり、ブルーのMP2を含む実軸が原子(MP2が原子核で、±1が電子)となる。

追記2:氣から原子への変換モデルであるが、問題は、生命体は、氣と原子が融合しているように思える。つまり、氣が生命情報=力となり、それが、原子を形成しているのである。そして、氣が欠落すると、原子は生命情報=力を失い、崩壊・解体する、つまり、死滅すると考えられる。

追記3:以上の説明は本当は原子というより、有機体にあてはまるだろう。ただ、便宜的に原子モデルにしているのである。
 だから、原子は、原生命的原子とでも言えば、より的確になるだろう。単なる物質としての原子ではなく、生命を構成する原生命体的原子ということである。
 簡単に、生命原子と言っていいだろう。あるいは、氣原子である。
 実際のところ、生命原子=氣原子は、複数のものが連結して、生命有機体を形成するのであるが、そのとき、連結部分を考える必要がある。
 これは、直観で、MP(MP1→MP2)が連結点であると考えられる。
 思うに、一(いつ)としての氣(陰陽)の複数の結合を考えると、一が結合部なのかもしれない。ならば、結合円である。
 一としての氣に、複数多元の陰陽極子(双極子)が重なると見るのである。
 この一が生命自体と言えよう。
 そして、複数多元の陰陽極子がイデア情報となり、物質的生命を形成するとする。
 問題は、この複数多元の陰陽極子(氣子、氣事子)が、積極的に作動しなくなり、静止的になったときが、氣の不活性状態であり、物質生命体は死ぬというように考えられる。
 とまれ、以上は思考実験である。


参照:

     『海舌』氏による人間認識図(要大修正)

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11749973736.html

参照2:

Sat, August 04, 2012
太極をどう捉えるのか:霊的太極と陰陽極性:Ver3.2:陰陽ラセンと電磁波
テーマ:無双PS原理ガウス平面

いろいろ問題があって、一挙には、解明できない。一つずつ検討して行くしかない。
 その一つの問題が太極である。太極とは、ただ一つなのか、それとも、根源に霊的太極があり、気的太極はその派生と見るのかが問題である。
 以下のVer3.0やVer3.1では、後者の発想に近い。しかし、私の元々の発想は、前者である。
 基本的な視点から見るべきだろう。超越界は、超越円ということである。つまり、それが、太極であり、そこから、陰陽極性が形成されると考えられる。つまり、太極はそもそも霊的太極であり、それが、陰陽極性を形成すると考えられる。
 だから、太極は一つであり、以下のVer3.0やVer3.1の説明は誤りということになる。
 ということで、Ver3.2を作図したい。

無双PS原理ガウス平面:Ver3.0かVer3.1か決めかねている

< 無双PS原理ガウス平面:Ver3.0>

                  

                       虚軸y軸:陽・凸i・時間形式
                                /
       超越軸z軸:超太極・霊界       /
               |           /
               |         /
               |       /
                 |     /
               |   /
               | /
−1__←重力波_太極・MP_電磁波⇒_+1実軸x軸
地          /   |              天
          /    |
        /       |    
      /        |
    /          |
陰・凹i・空間形式    |

追記5:陽・凸iは空間形式で、陰・凹iは時間形式ではないだろうか。

< 無双PS原理ガウス平面:Ver3.1>

                  

                       虚軸y軸:陽・凸i・空間形式
                                /
       超越軸z軸:超太極・霊界       /
               |           /
               |         /
               |       /
                 |     /
               |   /
               | /
−1__←重力波_太極・MP_電磁波⇒_+1実軸x軸
地          /   |              天
          /    |
        /       |    
      /        |
    /          |
陰・凹i・時間形式    |


追記6:上図のVer3.1を見ると、PS理論の考え方と近くなっている。しかし、PS理論では、+1が物質であるが、修正無双PS原理では、宇宙、自然、生命体の天の領域であり、−1は、それの地の領域になると考えられる。



<無双PS原理ガウス平面:Ver3.2>
                

                       虚軸y軸:陽・凸i・時間形式
                                /
         超越軸z軸:太極・霊界       /
               |           /
               |         /
               |       /
                 |     /
               |   /
               | /
−1__←重力波__MP_電磁波⇒_+1実軸x軸
地          /   |              天
          /    |
        /       |    
      /        |
    /          |
陰・凹i・空間形式    |

尚、Ver3.2はVer3.0を基にして作った。また、原点、MPにおいてあった太極を外した。

追記:電磁波であるが、磁場と電場が垂直に融合した波動であるが、全くの思いつきであるが、磁場は超越軸の方向、電場は虚軸の方向に関係するのではないだろうか。それとも逆か。

追記2:これも思いつきであるが、虚軸の陽・凸iが右ないしは左脳で、陰・凹iが左ないしは右脳ではないだろうか。そうすると、超越軸は前後の方向となる。それでいいだろうか。
 これまで、自己と他者を置いたが、Ver3.2では設定するのが難しい。これまで通り、自己が陽・凸iで、他者が陰・凹iでいいのだろうか。これは検討課題にする。

追記3:電磁波における電場と磁場の垂直様態であるが、これは、⇒の電磁波発生において、螺旋時空四次元を形成されていくが、このときの三次元空間において、電場と磁場との垂直様態を発生すると見るべきであり、超越軸と虚軸との垂直関係を導入すべきではないと思われる。
 では、問題は、電場と磁場との垂直様態の発生力学は何かである。
 直観で言うと、虚軸における陽・凸iと陰・凹iが共振するときに、垂直に捻れるのではないだろうか。例えば、陽・凸iが磁場へ、陰・凹iが電場へと転化していくということではないだろうか。
 そう、陽・凸iと陰・凹iの二重ラセンのようなものと、電磁波の様態が関係するのではないだろうか。これも直観で言えば、二重ラセンと電磁波の電場と磁場の垂直様態が対応しているのではないだろうか。これは検討課題である。(追記:以下の参考のラセン図が参考になる。円運動において、求心力と回転力が相応しているのではないだろうか。求心力と垂直の関係が回転力には存するだろう。この求心力と回転力の垂直様態が、電磁波の電場と磁場の垂直様態へと展開しているのではないのか。
 以下のオイラーの公式によるラセン形状であるが、例えば、求心力に磁場、回転力に電場が関係すると見られないだろうか。それとも逆であろうか。とにかく、陰陽の牽引力がある。それが回転、ラセン運動を生み出すと考えられる。そのとき、二つの力が垂直に作用する電磁波がラセン運動に発生するのではないだろうか。求心力を電場、回転力を磁場とした方がいいのかもしれない。)

(参考:
無双PS原理「逆」ガウス平面に頭(上丹田)ー胸(中丹田)ー肚(下丹田)を加えた
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11303219941.html

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11319551387.html


2014年02月03日(Mon)▲ページの先頭へ
氣=内超的力・即・内超的知:陰陽調和心の観念(イデー)・理念(イデア)とは超越的知性(理性)だ
氣=内超的力・即・内超的知:陰陽調和心の観念(イデー)・理念(イデア)とは超越的知性(理性)だ

テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化

私は不連続的差異論(不連続的差異論 (108)  http://sophio.blog19.fc2.com/blog-category-3.html)の段階で、心(心身、氣身)、あるいは、肚に発生した不連続的差異(今のPS陰陽論では、陰我と陰陽調和心の未分化混淆様態か)における思考とは何なのかと大いに疑問に思ったものである。
 不連続的差異とは、直感では、コスモス(不可視宇宙、小宇宙=大宇宙)に通じる、繋がるものであった。そして、そこにおいて、思考することができるのである。とまれ、その段階(2004年から数年間か)では、それが何なのか、不明であった。
 しかし、今や、PS理論(不連続的差異論の進展した理論で、2005年、2006年頃に形成され、2013年初期まで継続した)の後、一年ほどの大試行錯誤を経て、太極無双PS陰陽論(簡略して、PS陰陽論)に到達したが、今や、不連続的差異論におけるその疑問が、理論的にはより明晰になった形で、解明されると思われる。
 即ち、不連続的差異は、今や、新たに分化して、陰我と陰陽調和心に錬成したのである。即ち、

不連続的差異⇒陰我+陰陽調和心

である。
 そして、陰陽調和心は、一(いつ)としての氣であり、それは、内在超越した心性であり、直観・直感では、イデアであると思われるのである。
 しかしながら、不連続的差異におけると同様に、そこでも、当然、思考が存するのであり、私自身、そこで思考しているのである。そして、この思考が、私の周囲の人の自我・主観的思考(近代的利己的自我思考)とは、異なることが明瞭なのである。
 私は、それは、陰陽調和心は、観念の領域であると思う。それは、概念を包摂したイメージ、情感、意志等を内包した「知」・「智」である。
 そして、同時に、それは、プラトン哲学のイデア(理念)ではないかと思うのである。
 そこでは、自我的、利己的、主観的感情、否定的感情、諸々の反感から超越し、肯定的な思考が支配しているのである。自我(両自我、つまり、陽我と陰我)を包摂して超越した(造語で、包超ないし内超した)、いわば、自己ないし個の思考が支配するのであるが、同時にそれは、普遍的思考(普遍的知・智)であると思えるのである。
 それは、端的に、哲学的思考であり、同時に、そこは、芸術領域、倫理領域に通じると思われるのである。つまり、プラトンの言う真善美のイデア領域ということになるのである。
 思うに、日本人が無思考であると言われるのは、この観念(イデー)・理念(イデア)の領域において思考できないからのように思えるのである。
 それに対して、西洋の知識人、賢者は、このレベルで思考していると思えるのである。しかし、そうはっきり自覚していないと思われるのであるが。また、日本の伝統的な賢者もそうであったと思われる。例えば、空海、道元、世阿弥、芭蕉、西田幾多郎、鈴木大拙、漱石、宮沢賢治等々である。
 そう、戦前までのまともな日本人はこの観念・理念のレベルを十分ではなかっとしても、もっていたと思う。(追記:美空ひばりの歌唱は、純粋な観念・理念のレベルに存すると考えられる。)
 しかし、戦後、唯物科学が支配して、その哲学的思考が壊滅してしまったと思う。私見では、特に、1970年代後半以降である。
 本題に返れば、自我を包摂的に超越した陰陽調和心における、観念(イデー)・理念(イデア)の思考であるが、それは、上記したように、一(いつ)としての氣の領域でもあるのである。
 つまり、この思考、超越的知・智は、氣的でもあるということになるのである。
 ここで想起するのが、朱子の理気論である。即ち、朱子は、理を形而上学的なもの、氣を形而下的なものと捉えているが、思うに、一(いつ)としての氣とは、ほぼ、朱子の理に相当すると思うのである。
 そう、ここが微妙なところである。つまり、私が唱える氣は、一としての氣と陰陽としての氣があり、前者は、朱子の理に相当する。あるいは、観念・理念と一致するのである。
 しかし、一としての氣は同時に、陰陽の氣である。つまり、

一(いつ)の氣=陰陽の氣

である。
 それで、一の氣=理であるから、結局、

理=一の氣=陰陽の氣

である。
 そして、一の氣は観念・理念であるから、結局、

理=一の氣=観念・理念=陰陽の氣

となる。少し整理すると、

理=観念・理念=一の氣=陰陽の氣

である。
 そうすると、朱子の氣の考え方は、間違っていたのではないかと思うのである。
 確かに、氣は、物質に近いものであるが、物質の内在超越的原理と見るべきであり、物質そのものではないのである。
 ただし、朱子が氣を生命的原理にとっていたならば、それは、間違っていないと言えよう。(今、ふと想起したが、スピノザの説く心身並行論であるが、彼の精神をここでの理=観念・理念と捉えれば、スピノザ哲学はより整合的になると直観される。)
 思うに、この公式は、多くのことを物語ると思う。つまり、今や、氣が解明されたと思うのである。それは、実は、力であり、且つ、知なのである。力即知(智)なのである。これが、自然を形成しているのである。
 しかし、この知(智)は、物質的な知、あるいは、自我的知(陽我の知)ではないのである。つまり、それは、超越的知なのである。
 だから、書き直して、氣=力即超越的知、さらに、

氣=超越的力即超越的知

となる。より正確に言えば、

氣=内在超越的力・即・内在超越的知

簡単にすれば、

氣=内超的力・即・内超的知

となる。
 結局、陰陽調和心の思考、観念・理念の思考、超越的思考に達すると、それは、氣でもあるのであり、結局、それは、心身的であるので、身体をも形成するし、引いては、環境、社会、自然、宇宙も形成すると言えよう。
 キリストの説いた信とは、いわば、氣信と見るべきだろう。
 今はここで留める。

追記:大事なことを言うのを忘れていた。即ち、氣は自然を生成成形造形するが、人間は超越的思考によっては、一般的には、その一部しか意識できないのである。例えば、五臓六腑において、その一つの、心臓において、氣がどのような超越的力・即・超越的知=超越的理力をもっているか、意識できないのである。そう、無意識である。(しかし、シュタイナーのような瞑想によっては、理解できるようになるかもしれない。)
 ただ、思うに、直観・直感・勘(感)において、その暗示を捉えることはできるように思える。


2014年02月01日(Sat)▲ページの先頭へ
陰陽調和心(中丹田=胸)とは、内在超越的な一(いつ)の氣(イデア)である
陰陽調和心(中丹田=胸)とは、内在超越的な一(いつ)の氣(イデア)である

2014.02.01 Saturday | category:太極PS理論:PS陰陽論

陰陽調和心(中丹田=胸)とは、内在超越的な一(いつ)の氣(イデア)である

テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化


先に以下のように述べたが、陰陽調和心は内在超越的な一(いつ)の氣(イデア)と通じているのであり、実に意味深長である。
 後で、さらに説明したい。




現代日本人の悪鬼自我の分析:陽我⇄陰我のループ回路で、陰陽調和の友愛性が喪失される

テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化


近代的自我という父権的自我に現代日本人は陥っている。
 それは、物質主義である陽我(凸i)と自己中心主義である陰我(凹i)が連続化したものであり、両者を均衡させる陰陽調和心(魂)が未形成なのである。
 シュタイナー霊学で言えば、陽我はアーリマンであり、陰我はルシファーである。そして、陰陽調和心はキリストである。
 言葉で言うより、図式化した方が直観できるだろう。



  陽我(アーリマン)・・・頭・・・上丹田
    ☟    ☝
    ☟    ☝ ☞排除☞(陰陽調和心)・・・胸・・・中丹田
    ☟    ☝
  陰我(ルシファー)・・・肚・・・下丹田
 
現代日本人の父権近代自我



 
   陽我(アーリマン)・・・頭・・・上丹田
    ☟     ☟
    ☟     ☟
   陰陽調和心(キリスト)・・・胸・・・中丹田
    ☝     ☝
    ☝     ☝
   陰我(ルシファー)・・・肚・・・下丹田

 ポスト唯物論の自己様態
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11762178912.html
| sophiology | 12:30 | comments(0) | trackbacks(0) |




現代日本人の悪鬼自我の分析:陽我⇔陰我のループ回路で、陰陽調和の友愛性が喪失される

2014.02.01 Saturday | category:太極PS理論:PS陰陽論

現代日本人の悪鬼自我の分析:陽我⇄陰我のループ回路で、陰陽調和の友愛性が喪失される

テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化

近代的自我という父権的自我に現代日本人は陥っている。
 それは、物質主義である陽我(凸i)と自己中心主義である陰が(凹i)が連続化したものであり、両者を均衡させる陰陽調和心(魂)が未形成なのである。
 シュタイナー霊学で言えば、陽我はアーリマンであり、陰我はルシファーである。そして、陰陽調和心はキリストである。
 言葉で言うより、図式化した方が直観できるだろう。

以下の作図は次のリンクを見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11762178912.html



  陽我(アーリマン)・・・頭・・・上丹田
    ☟    ☝
    ☟    ☝ ☞排除☞(陰陽調和心)・・・胸・・・中丹田
    ☟    ☝
  陰我(ルシファー)・・・肚・・・下丹田
 
現代日本人の父権近代自我



 
   陽我(アーリマン)・・・頭・・・上丹田
    ☟     ☟
    ☟     ☟
   陰陽調和心(キリスト)・・・胸・・・中丹田
    ☝     ☝
    ☝     ☝
   陰我(ルシファー)・・・肚・・・下丹田

 ポスト唯物論の自己様態





氣身論(身氣論):身(み)は心と体を同時に指す:氣を介した心と身体の相互浸透様態としての身(み)

テーマ:氣神論:氣は万物に通ずる:氣的身体理性

以前、月-心という造漢字で、「こころ」と読ませると言ったが、実は、「身(み)」という言葉がそれに相応しいと言える。
 「相手の身になって考えなさい」の「身」は、心であり、且つ、身体である。
 ということで、「身」の「心」は氣に近いのである。何故なら、「身」は身体に通じるからである。氣だとまだ、身体と心の中間であるが、「身」は氣と身体との中間である。即ち、「身」=氣+身体である。
 故に、氣身論ないし身氣論を提唱したい。
 これは、いわゆる、氣のサイエンスを越えているのである。そう、氣身サイエンス、身氣サイエンスを提唱したい。
 後で、さらに発展させたい。

追記:単に、身サイエンスでいいはずである。ただし、氣が見えないので、身-氣と造漢字してもいい。あるいは、身/氣サイエンスである。

追記2:「身は心と身体を同時に指す」というのは不十分な言い方である。
 身とは、心であり、且つ、身体である。心と身体が一如の様態を指していると思う。それは未分化様態なのか。
 思うに、心は氣を介して、身体へ浸透し、また、身体は氣を介して、心に浸透しているのである。
 この氣を介した心と身体の相互浸透様態が身(み)と言われるものだろう。ならば、氣身論、ないし、身氣論は成立するのである。

追記3:氣をわかりやすく言うと、太陽光線と見るといいだろう。しかし、正確に言うと、太陽光線に内在超越している本体(イデア)が氣である。とまれ、実践的には、氣=太陽光線(日光、陽光)と見れば、明快になろう。






三位一体放射能黙示録サバイバル・ライフスタイル:森氣浴散策&瞑想ー断酒・小食ー豆乳ヨーグルト

テーマ:健康&治癒:森気浴:医食同源:小食菜食

ようやく、今月初旬に引いた風邪による体調やライフスタイルの崩れから立ち直り出した。
 今日も森氣浴散策・瞑想を行った。そして、また、体がだるくなり、また、腹や顔に脂肪が付きだしたので、断酒した。
 やはり、肝臓が弱っているのだろう。断酒したら、調子がよくなった。やはり、パーティーのときだけ、飲むのが適切である。
 とまれ、再び、調子が出てきたのはうれしい。
とにかく、体、体、体である。
 そして、心、心、心である。
そう、体心、体心、体心である。
 霊学は、霊主体従と言うが、私は、霊学が否定的に捉える体主霊従と言いたい。
 体調が悪いと心も荒む。

追記:結局、氣の問題である。体調は氣を介して、心と通じているのである。

体⇔氣⇔心

である。
 そう、体・氣・心の三位一体である。


2014年01月28日(Tue)▲ページの先頭へ
いったい、「わたし」とは何なのだろうか。 PS陰陽論では、陽の極大化したものといちおう見ているが、どうして、極大陽、あるいは、超陽が自我になるのか、である。
いったい、「わたし」とは何なのだろうか。PS陰陽論では、陽の極大化したものといちおう見ているが、どうして、極大陽、あるいは、超陽が自我になるのか、である。

「わたし」、自我とは何か

テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化

いったい、「わたし」とは何なのだろうか。
 PS陰陽論では、陽の極大化したものといちおう見ているが、どうして、極大陽、あるいは、超陽が自我になるのか、である。
 霊学のシュタイナーは最初から自我体というものを前提にしている。これはこれで、わかりやすい。
 では、自我の根源とは何かである。
 そう、「わたし」とは何か、である。
 動物に「わたし」はあるのか。なにか、前「わたし」、前自我のようなものは感じられるが、「わたし」、自我はないのではないだろうか。
 シュタイナーの自我の考え方は、二重の「悪魔」(悪鬼)に基盤がある。物質的な悪魔のアーリマンと独善的な悪魔のルシファーである。PS陰陽論では、超陽と超陰である。
 とまれ、陽的要素が極端化すると、それは一つの陽的自我になるというはわかりやすいだろう。つまり、集中化して、一点となるということである。それが、陽的自我(アーリマン)である。
 それに対して、陰的要素が極端した場合、一つの陰的自我になると考えられよう。それは集中して一点化すると言えるのかどうか。
 陰は一点化するのではなく、拡散するのではないだろうか。あるいは、拡大だと思う。宇宙的拡大があると思う。そう、陰極大化は宇宙化ではないだろうか。
 それが、陰的自我(ルシファー)となるのだろう。
 結局、二つの自我、陽我と陰我が、併存することになる。
 まぁ、これで、ざっくりとだが、「わたし」、自我の問題は解明できた。
 そして、陽我と陰我の調和として、陰陽調和精神、氣精神があるというのが先の話であった。(自我とは何か:二種類の利己主義:陽我と陰我:理性氣=調和氣=一(いつ)の氣 (01/17)http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-2054.html
 シュタイナーでは、キリストに相当するものである。PS陰陽論では植物的精神、太陽的精神である。
 今日、この陰陽調和精神、氣精神が復活しつつあるということである。これは、新東洋文明の時代ということである。
 ひとまず、ここで留める。

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Tue, January 28, 2014
倭国ー百済連合によるユダヤ的天皇制日本国創建の神話としての『日本書紀』?

テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史

いちおう、読了したが、内容が細かく、再読三読すべきものである。
 中国ー新羅「帝国主義」に対抗して、国史、『日本書紀』を作ったというようなことが書かれている。
 私の興味は父権と母権である。
 百済は母権包摂父権主義の国で、おそらく、ユダヤ民族を内包していたように思える。おそらく、母権、父権の多重民族のように思える。
 それが、日本の土着的母権民族を支配するようになるのであるが、唐ー新羅帝国主義による危機状況から、「万世一系」の父権天皇制の日本国が誕生したように思う。それを正当化する国史が『日本書紀』ではないかと思う。
 そして、この天皇制には、ユダヤ民族が入っていると思う。そう、百済民族はユダヤ民族を包摂していたのではないだろうか。とまれ、百済ーユダヤ民族が中心主導的に父権天皇制の日本国を創設したと今は仮説する。
 先住的母権民族(縄文ー弥生民族)は征服されていったと思う。そして、父権的教義が浸透していったと思う。
 そう、古神道であるが、それは、先住的母権民族の宗教だったと思う。それを父権天皇制は取り込んで、(ユダヤ的)神社を建設していったと思う。
 そして、仏教であるが、それは、先住的母権文化と融合し、また、父権天皇制の神社と融合して、神仏習合文化が形成されたと思われる。これは、日本的母権ー父権融合文化の創造である。
 しかしながら、日本文化・社会において、緊張がなくなり、宗教的源泉が弱くなっていった。しかし、鎌倉時代において、宗教ルネサンスがあった。しかし、また、衰退していく。
 そして、江戸時代において、新父権主義の国学が誕生し、それが、明治以降の国家主義(ナショナリズム)の源泉となったと考えられる。(今の安倍首相の発想の源泉はここにあると考えられる。)
 日本人の問題は、ベースの先住民的母権文化の衰退があることである。母権精神の衰退である。PS陰陽論で言えば、陰の衰退である。あるいは肚の衰退である。
 氣=精神生命力の衰退とも言える。
 しかし、今日、世界的氣のルネサンスが起っていると思う。現代日本もいよいよそれに覚醒しつつあるようにも見えるのである。
 新母権世界文化の創造へと向っているのである。

追記:重要なことを言うのを忘れていた。日本民族の母権精神は、先住民的母権精神(縄文ー弥生的母権精神)だけでなく、百済(ないし新羅)の母権精神もあるのである。父権的天皇制の基盤には、母権的天皇制が存するのであり、それは、強い母権的精神、超越的母権精神である。そう、霊的母権精神と言えよう。それは、先住民的母権精神よりも、進化しているように思われるのである。天皇制には、未来の母権精神、霊的母権精神、霊的東洋精神が存すると考えられる。

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Tue, January 28, 2014
植物的氣と動物的氣があるだろう:精神と性愛が融合した陰陽氣が発出する:性氣である

テーマ:氣神論:氣は万物に通ずる:氣的身体理性
動物的性氣は、陽主導のように思える。それに対して、植物的性氣は陰陽調和のように思える。
 いわゆる、エロスは前者にある。植物的性氣は、精神(情愛、共感性、優しさ・愛)になると思う。
 人間の場合、動物的性氣と植物的性氣が混在・混融、ないし、未分化融合していると思われる。
 作家D.H.ロレンスは、この様態を、両者の揺れ動きながら表現したと考えられる。つまり、動物的性氣に傾斜したとき、あるいは、植物的性氣に傾斜したときの両極を描いていると考えられる。
 思うに、動物的性氣は視覚・触覚的であるが、植物的性氣は、不可視的な面が強いと思う。視覚を介して、不可視的氣の世界(氣界)へ通じると思う。

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2014年01月17日(Fri)▲ページの先頭へ
自我とは何か:二種類の利己主義:陽我と陰我:理性氣=調和氣=一(いつ)の氣
自我とは何か:二種類の利己主義:陽我と陰我:理性氣=調和氣=一(いつ)の氣

テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化

これまで、自我を凸iの極大、且つ、固定したものとしたが、以下、参考にあるように、二種類の自我を考えた方が適切なようである。
 シュタイナーの二種類の悪魔論(以下、悪魔を悪鬼とする)を参考にすると、アーリマンに当たるのが、陽の自我であり、ルシファーに当たるのが、陰の自我であるが、シュタイナーの用語では、アストラル体とほぼ一致するのではないだろうか。アストラル体とは、動物体、欲望・感情体である。
 ここで、PS陰陽論の前身である不連続的差異論に返って考えたい。
 不連続的差異論をPS陰陽論に適用すると、不連続化とは、先に述べたように、陰と陽の不連続化、切断である。
 つまり、それまで、陽の自我にもつ連続的同一性主義によって、陰の自我が陽の自我に支配されているのであるが、それを断ち切って、陽のもつ同一性から陰の差異を解放するのである。
 しかしながら、問題は、解き放たれた陰の自我(凹i)であるが、それは、肚であるから、動物的欲望・感情と一如なのである。
 そう、プラトンの『パイドロス』で言えば、黒い馬である。獣欲があるのである。(D.H.ロレンスのセックス主義はここを意味しよう。)
 そう、陰の自我(凹i)、黒い馬は奔馬である。
 そうすると、陽の自我(凸i)の冷酷な自我と陰の自我(凹i)の獣欲の自我が存するのである。
 そう、結局、この陽の自我と陰の自我の不連続化は、だから、実に危険であることがわかる。ここには、道徳、倫理、魂、愛、共感性がないのであるから。
 シュタイナーは二つの悪鬼の間にキリストを媒介させて、両者のバランスを取るのであるが、当然、キリストには、共感性、無私性、他者性がなくてはならない。
 PS陰陽論から言えば、キリストに当たるのは、既述のように、氣である。
 以前、凹i(陰)に関して、コスモス(小宇宙=大宇宙)が感知されると述べたが、それは、凹i(陰)が凸i(陽)と自然発生的に形成している陰陽共鳴に拠るものと思われるのが、それは、まだ、理性になっていないので、今は積極的な意義はない。
 さて、不連続化された陰的自我(陰我)と陽的自我(陽我)に道徳・倫理をもたらすものは、これまでの考察から、氣である。
 氣は本来、一(いつ)で、陰陽調和しているものである。思うに、理性氣というように呼んでもいいのかもしれない。
 確かに、悪い氣もあれば、多様な氣があるから、陰陽調和の氣は理性氣ないし調和氣と呼んでもいいのかもしれない。
とまれ、理性氣=調和氣は一(いつ)であり、それは、陰我と陽我両面に働いて、両者の自我のバランスをもたらすと考えられる。
 理性氣=調和氣=一の氣は、道教で言う中丹田に存すると考えられる。
 ところで、近代合理主義において、いちばん排除されるのは、この理性氣(簡単に理氣としようか)である。
 何故、排除されるかと言えば、それは、陽我にしろ、陰我にしろ、両者の主導性を否定するからである。
 思うに、ロマン主義や神秘主義であるが、それは、意外に、理性氣に起点があるのかもしれない。
 しかしながら、情感が主導的なために、理性氣のもつ知性の側面が従になってしまったと考えられる。本来、理性氣は、情的側面と知的側面の両面の均衡を志向するのであり、ロマン主義、神秘主義は前者に傾斜してしまっていると言えよう。
 思うに、近代合理主義において、陽我が主導化され、中心化すると、理性氣=一の氣のもつ形而上学性は衰退していく。言い換えると、世俗化するのである。
 そして、資本主義の発達にともなう、世俗主義によって、欲望が肯定される。それは、陰我の肯定である。
 結局、陽我と陰我の二つが結合した自我様態がハイパー近代主義と言えよう。理性氣がまったく喪失されるのである。
 ここで、他者の問題を考えよう。そう、同時に、個の問題を考えよう。
 私はこれまで、肚が他者である、個即他者であるというようなことを言ってきたが、それはどう説明できるだろうか。
 肚が他者とは、肚=陰我で、それが、陽我と調和を形成する限りにおいて、そう言えるのではないだろうか。
 だから、中心には、理性氣が存すると思われるのである。
 個も結局、同じことで、中心に理性氣が存するのであり、というか、理性氣が個そのものと言えるのではないだろうか。
 他者の場合、理性氣が肚=陰我へ作動しているときの、肚=陰我ではないだろうか。
 今はざっと言うが、そうならば、近代主義において、他者や個は否定される傾向が強いと言えよう。
 有り体に言えば、二面的利己主義(陽我ー陰我)が他者、個を否定してしまうのである。
 では、そうならば、どうやって、理性氣=調和氣=一の氣、他者、個の意識を形成するのだろうか。
 ここで、優れた文化的作品が役立つと考えられる。
 芸術(美術、音楽)、文学、哲学、宗教的作物、等々である。
 しかしながら、私は自然に接することの重要性を指摘したい。
 自然は、とりわけ、植物的自然は陰陽調和の氣で形成されているので、当然、理性氣=調和氣=一の氣を、接触するものに喚起すると考えられるのである。
 さて、最後に、理性氣=調和氣=一の氣であるが、これは、どうも直観では、近代的意識には不快感をもたらすようなのであるが、どう説明できるだろうか。
 近代的意識は、理性氣=調和氣=一の氣を排除しているので、理性氣をもつ他者は、不快の対象となると考えれる。
 悪鬼は善霊を嫌がるということと言えよう。
 そう、理性氣=調和氣=一の氣は善霊と呼んでもいいように思えるのである。
 最後に氣と霊の関係について、少し触れたい。
 私は言わば、唯氣論で、霊も説明しているが、果たして、それでいいのだろうか。シュタイナーのように、霊(スピリット)を全面に提起した方が正確ではないのか。
 私は、PS陰陽論において、すべて太極⇒氣=陰陽から説明したいと考えているのであり、霊という視点はできるだけ避けているのである。
 近代科学は唯物論であるがPS陰陽論は現段階は唯氣論である。
 もう少し説明すると、陰陽であるが、自我としての陽や陰であるが、それは、当然、植物を形成する陽と陰とは質が異なるだろう。しかし、陽は陽、陰は陰である。
 思うに、陽でも、高次の陽と低次の陽があるのではないだろうか。高次の陽や高次の陰が二つの自我を形成するというように今段階では作業仮説しているのである。
 この点は稿を改めて検討したい。

参考:
ルシファーは陰的なもので、アーリマンは陽的:陰陽調和氣はキリスト的である
テーマ:霊学:シュタイナー精神学

病気、痛み、悩みの積極的意味

いままで、有害なものとして忌み嫌ってきた病気などの苦悩を、有益なもの
として観察し、活用できるようになるからである。この部分の価値観が全く
逆転し、積極的展開ができるからだ。なお、下記和訳の中に、カッコ内に、
ご参考に、筆者斉藤の註記を入れた。

★シュタイナー著「悪の秘儀 アーリマンとルシファー」 松浦賢訳 P62-

「ルシファーの霊たち(注:悪の霊たち)の力によって、人間は地上の印象
に対して関心や欲望を抱くようになりました。・・・このとき、人間が形態
の霊たち(注:善の霊たち、天使など)や高次の霊的な領域全体に完全に離
反しなかったのは、いったいなぜでしょうか。
人間が完全に感覚的な世界の関心や欲望のとりこにならなかったのは、何の
力によるものなのでしょうか。

それは、人間を進化させようとする霊たち(注:善の霊たち)が、ルシファ
ー存在たち(注:悪の霊たち)に対抗する手段を講じることによって可能と
なりました。

これらの霊たちは、本来含まれていなかったものを人間存在の中に混入させ
ることによって、ルシファー存在に対する対抗手段を行使しました。
つまり人間を進化させようとする霊たちは、人間存在の中に病気や、悩みや、
痛みを混入させたのです。このことが、ルシファーの霊たちの行為に対して、
必要なバランスを回復させることになりました。ルシファーの霊たちは、人
間に感覚的な欲望を与えました。

これに対抗して、高次の存在たちは、人間がこのような感覚的な世界に無制
限に落ち込むことがないように、ある種の対抗手段を用いました。
つまり高次の霊たちは、感覚的な欲望や感覚的な関心には病気や苦しみが伴
うようにしたのです。」
斉藤英治@脳力up・著書115万部


2014年01月14日(Tue)▲ページの先頭へ
氣の原子モデル:虚軸が陰陽で、実軸が原子:一としての氣生命と複数多元陰陽極子と現象生命体
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11749973736.html

氣の原子モデル:虚軸が陰陽で、実軸が原子:一としての氣生命と複数多元陰陽極子と現象生命体

テーマ:唯物科学から物質包摂の氣サイエンスへ

後で検討したい。
一言言うと、ガウス平面における原点をMP(メディア・ポイント)と呼んでいるが、虚軸上のものをMP1、実軸上のものをMP2としている。
 結局、原子はMP2⇒±1ではないだろうか。MP2が原子核で、±1が電子ではないだろうか。
 しかしながら、それを形成するのは、それよりも高次の氣である。MP1に陰陽極性がある。それが、MP2⇒±1へと原子転換すると思われる。
 今は思いつきのみ。

追記:簡単に図化する。

                   虚軸
                陽凸i
                / 
              /
            /
          MP1
        / ↓
      /   ↓  
    /     ↓      
  陰凹i     ↓    
           ↓   
−1_____MP2_____+1 実軸
           

尚、MP1からMP2への↓は実際は「空(くう)」と考えられる。空隙(くうげき)である。
 緑色のMP1を含む虚軸が陰陽=氣であり、ブルーのMP2を含む実軸が原子(MP2が原子核で、±1が電子)となる。

追記2:氣から原子への変換モデルであるが、問題は、生命体は、氣と原子が融合しているように思える。つまり、氣が生命情報=力となり、それが、原子を形成しているのである。そして、氣が欠落すると、原子は生命情報=力を失い、崩壊・解体する、つまり、死滅すると考えられる。

追記3:以上の説明は本当は原子というより、有機体にあてはまるだろう。ただ、便宜的に原子モデルにしているのである。
 だから、原子は、原生命的原子とでも言えば、より的確になるだろう。単なる物質としての原子ではなく、生命を構成する原生命体的原子ということである。
 簡単に、生命原子と言っていいだろう。あるいは、氣原子である。
 実際のところ、生命原子=氣原子は、複数のものが連結して、生命有機体を形成するのであるが、そのとき、連結部分を考える必要がある。
 これは、直観で、MP(MP1→MP2)が連結点であると考えられる。
 思うに、一(いつ)としての氣(陰陽)の複数の結合を考えると、一が結合部なのかもしれない。ならば、結合円である。
 一としての氣に、複数多元の陰陽極子(双極子)が重なると見るのである。
 この一が生命自体と言えよう。
 そして、複数多元の陰陽極子がイデア情報となり、物質的生命を形成するとする。
 問題は、この複数多元の陰陽極子(氣子、氣事子)が、積極的に作動しなくなり、静止的になったときが、氣の不活性状態であり、物質生命体は死ぬというように考えられる。
 とまれ、以上は思考実験である。


参照:

     『海舌』氏による人間認識図(要大修正)



2014年01月13日(Mon)▲ページの先頭へ
氣的心身宇宙主義(植物ー人間連合体)と唯物論(動物ー人間連合体):母権個的共同体と父権自我的国家
氣的心身宇宙主義(植物ー人間連合体)と唯物論(動物ー人間連合体):母権個的共同体と父権自我的国家

(植物ー人間連合と動物ー人間連合:氣的身体理性と唯物論)

ブログが調子悪いので、以下の追記をここに記す。
 植物ー人間連合とは、プラトンの『パイドロス』の白い馬と御者の連合、動物ー人間連合は黒い馬と御者の連合にほぼ相応するだろう。
 あるいは、前者は氣的精神調和主義であり、後者は唯物論である。新母権主義と父権主義でもあろう。
 精神と肉体の分裂は明確には、ルネサンスで生じたものである。この心身亀裂はずっと今日は続いているのであるが、唯物論が勝利しているので、動物ー人間連合が主導的である。
 しかしながら、今日、植物ー人間連合が台頭しているのである。
 後者の哲学が、大雑把に言えば、以下で述べたようなものである。
 一般に、植物的自然と動物的自然が未分化混沌様態にあるので、認識されにくいのである。
 しかし、氣の美感、快感、清浄感を中心にして、身体と知性をはたらかせると、動物的欲望は浄化されて、緑化されるのである。
 つまり、氣の美感、快感、清浄感は、植物的生命の陰陽調和に通じているのであり、動物的欲望を氣に接続することで、それが、植物的調和へと変容されるのである。
 性欲は、私見では、氣的美感(氣美感)を介して、主に、例えば、審美的エネルギーに変容するのである。
 思うに、それは、真善美のエネルギー、イデア的エネルギーに変容するのである。プラトン的エネルギーとも言えよう。それは、当然、創造的である。また、健康的であるとも思う。
 思うに、動物ー人間連合は、陽に傾斜しているので、陰陽バランスを崩すのであり、それは、反健康的と考えられる。というか、反生命的である。
 今はここで留める。



悟り:欲望と心の闘い:欲望を氣によって緑化することで、獣欲は止揚浄化される:処女受精

テーマ:二つの自然:植物と動物:氣と獣欲・煩悩


性欲が動物的なものであるとするなら、処女妊娠・処女生殖とは何か。
 それは、結局、植物の心の「受胎」というか、受精である。そう、処女受精である。
 今は一言言うに留めるが、欲望、性欲を氣の快感によって、変容させると、植物の生命が勝利するのである。
 欲望、性欲は動物と人間の結合に拠るだろう。
 しかし、氣的快感に基づくことで、動物人間連合が打破され、植物人間連合が生まれるのである。
 都市に対する田園の勝利でもある。
 とまれ、これは悟り、ポスト西洋/新東洋の悟りなのである。






量子論が唯物論と氣論の境界だろう:量子は氣の影である

テーマ:唯物科学から物質包摂の氣サイエンスへ

現代科学は、現象の単位(「アトム」)を求め、量子、素粒子に達した。しかし、それは、波動と粒子の二つの対立した性質をもつものである。
 ここで、常識的な物質観は崩壊したのである。しかし、現代科学はめげずに、これが物質の性質として、理論化を続けているのであるが、未だに、統一像はできないのである。
 しかし、波動と粒子の二重像であるが、実は、何度も述べているが、これを氣の物質的観測における像と見ればわかりやすくなると思うのである。
 氣は陰陽でいわば振動しているのであり、同時に、一(いつ)である。つまり、波動であり、一(いつ)である。後者が粒子として記録、観測されると見ればいいのである。
 ということで、量子論は既に、物質ではなく、気の領域に入っていると思うのである。ただ、氣を物質的に観測しているに過ぎないと思われるのである。
 物質を作っているのは、氣であると認めてしまえば、実に、科学は明確、明快になると思われるのである。
 今は指摘のみ。

追記:量子、素粒子に倣えば、氣子、氣粒子、あるいは、気素とも呼べる。
 ところで、先に触れたように、氣は事、事象と関係すると思う。物はその後に発生すると思うのである。
 だから、氣事体、氣事子、氣事素、氣事粒子、等々と呼べよう。

追記2:氣論は氣事力論になるだろう。そう、氣とは、氣事力なのである。陽とは氣事陽(事陽)、陰とは氣事陰(事陰)となる。
 MP1(虚軸上原点)において、陰陽対極=氣=一があり、MP2(実軸上原点)において、おそらく、物質的な極性が生起する。即ち、±、NとS。
 しかし、MP1に陰陽だから、MP2には、NとSの磁極ができるのではないだろうか。その後、±の電極ができるのではないろうか。つまり、陰陽→磁極→電極である。
 磁極も電極もMP2で発生すると思う。


2014年01月05日(Sun)▲ページの先頭へ
シュタイナーのエーテルの力と物質の力:エーテルと氣:天=陰陽球、太陽=MP1,地球=MP2
画像は以下を見られたい。
http://sophiology.jugem.jp/?eid=378

シュタイナーのエーテルの力と物質の力:エーテルと氣:天=陰陽球、太陽=MP1,地球=MP2

テーマ:霊学:シュタイナー精神学

シュタイナー霊学のエーテルとは、氣に実に似ている。エーテルをシュタイナーは生命原理としている。
 しかしながら、それとは別に、アストラル体を考えていて、それは、動物的なもの、感情・欲望であるとしているのである。(この捉え方には違和感があるが今はこれ以上言及しない。)
 エーテルないしエーテル体に限定すると、シュタイナーは生命体は、宇宙からの力であるエーテルの作用を受けるが、同時に、地球の物質の力の作用を得ている と言う。つまり、天の力(エーテル)と地の力(物質力、おそらく、重力)の相互作用によって生命体が成形されると見ているのである。
 天と地の対極性によって、生命現象が成形されるとするのである。
 しかしながら、私の太極PS陰陽論から見ると、生命現象は、氣の原理に拠るのであり、陰陽極性の氣の原理から成形されるのである。
 とまれ、シュタイナー霊学とPS陰陽論をすり合わせるならば、前者の天の原理(エーテルの力学)とは、後者の陰陽円=氣の円に即すだろう。
 また、前者の地の原理(物質の力学:思うに重力)は、氣陰陽方程式(陰凹i*陽凸i⇒±1)の⇒±1ではないだろうかと思う。ただし、+1は植物的物質現象であり、−1は鉱物や動物的物質現象を意味する。
 否、そうではない。地の原理は原点のMP(メディア・ポイント)に存すると思う。⇒±1は逆に天の方向を意味すると思う。
 以下の『海舌』氏の人間認識図(要大修正)のガウス平面の原点がMPである。
 
   『海舌』氏による人間認識図(要大修正)

    

  氣陰陽ガウス平面図(本ブログの管理者)

            陽凸i
             |
             |
             |
             |
             |
             |
−1_______MP_______+1
             |
             |
             |
             |
             |
             |
            陰凹i


私は陰陽円=氣円をガウス平面と直交すると見ていて上図においては、三次元になるのであるが、+1や−1を天の方向と見ると、ガウス平面の単位円(上図の氣陰陽ガウス平面図では画かれていない)も陰陽円=氣円と見ることができそうである。
 思うに、以前述べたが、陰陽球=氣の球を考えるといいのではないだろううか。
 しかしながら、無双太極を考えると、陰陽球=氣の球を超えたその領域があることになる。それを太極球と見るのか、否かである。
 思うに、氣陰陽ガウス平面図(簡略化して、陰陽ガウス平面図)におけるMPに重なるようにして、太極点が存するのではないだろうか。無双太極点が大根源 Tとしてあり、それが、陰陽球=氣の球を形成する。これが中根源Uである。そう、陰陽球=氣の球がコスモスではないだろうか。とりわけ、プラトンが説いた それである。しかし、このコスモスは当然、不可視宇宙である。いわば、ダーク・コスモスである。(ダーク・マターやダーク・エネルギーをここから導き出せ ると思う。)
 そして、この氣の宇宙から、可視の宇宙現象、生命現象が生成発現すると考えられるのである。この可視現象の根源はMP(虚軸上のMP1から実軸上のMP2へ移行する)であり、小根源Vと言えよう。
 結局、以下のように図式化されよう。

T:無双太極:大根源:原MP

U:陰陽球=氣の球:中根源:
  コスモス(不可視宇宙:
  ダーク・コスモス)

V:MP:陰陽ガウス平面の
  原点:小根源:生命宇宙
  (可視宇宙:宇宙生命体)


太陽であるが、それは一見、MPに存するように見える。しかし植物、樹木が天へ向かうことを考えると、太陽はMPというよりは、陰陽球=氣の球に属していると見るべきではないだろうか。そう、だから、太陽はMP1(陰陽ガウス平面上の虚軸の原点)に存すると考えられる。
 そして、地球であるが、それは、MP2(陰陽ガウス平面上の実軸の原点)に存すると思う。
 いわば、太陽と地球は双子のようなものと考えられる。
 今はとりあえず、ここで留めたい。
いいね!




神とは何か:直感としての神=氣の神:神社スポット:陰陽調和氣場

テーマ:氣神論:氣は万物に通ずる:氣的身体理性

神とは何だろうか。
 宗教史を見れば、多様な神が存する。しかし、それは読者には、一般的には、観念というか概念(観念と概念はまったく異なる概念である。何故なら、観念には、単に知的思考だけでなく、感性的思考も含まれるからである。あるいは、より正確に言うと、観念とは、知性と感性の交流する精神である。)に過ぎない。
 私の経験を言えば、実家近くの神社に接して、「ここには神がいる」と直感したのである。ただ、それだけである。(参考:「なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」京都府神社庁 神社を知る )いうならば、気配としての神である。
 分析すれば、氣の神だと思う。場的に、陰陽調和の場において、そのような直感が起るように思えるのである。
 私が今住んでいる地域にある森であるが、ここには、氣を強く感じるのであり、地域自体もパワースポットのように感じている。
 思うに、日本人にとっての神とは氣の神ではないのか。氣の神とは、陰陽調和の植物的生命力の神ということになろう。
 もっと言えば、森の神である。『ギルガメシュ叙事詩』で言えば、フンババである。
 また、天皇制であるが、母権天皇制に限ると、それは、基本的には氣の政治体制だと思う。氣の根源は太陽、さらには、太陽の根源の氣の太陽に存するのである。
 それを体現するのが、母権天皇であり、その政治社会体制が母権天皇制と思われるのである。
 だから、先に少し示唆したが、母権天皇的民主主義は可能なのである。なぜなら、母権天皇は生命、それも、平和的生命の象徴であるからである。

参照:
日本的精神とキリスト教 - Biglobe
www2.biglobe.ne.jp/~remnant/098nihon.htm


* キャッシュ

何事のおわしますかは 知らねども かたじけなさに涙こぼるる」 とうたいました。そこに
どんなことがあり、どなたがお .... しかし彼はこのとき、密教だけでなく、中国で景教(
ネストリウス派キリスト教)にもふれています。 景教というのは、ペルシャ方面から
やって来た ...
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/098nihon.htm
いいね!



二つの科学:内的科学と外的科学:陰陽極性科学と物質科学

テーマ:二つの科学:内的科学と外的科学:霊と物質

以下の本ブログのカテゴリーにあるように、「二つの〜」が目立つ。
 思えば、両極性という概念に今から30年前頃に魅せられたのが、始まりだろうし、そこから、陰陽論に達するのは、必然だったと言えよう。
 30数年前にヘーゲル哲学によくわからないながらも接して、弁証法力学を知った。そして、マルクスの唯物弁証法も知った。
 しかし、後者は前者を適用していないことがわかった。共産党独裁はヘーゲル的な弁証法力学ではないと考えた。
 当然、レーニンのボルシェビキ論も弁証法的ではないと思った。
 何故、違うのかと言えば、弁証法とは、二つの対立要素を否定を介してであっても包摂する力学であるからである。
正反合の反は正を否定しつつも、正の要素を包摂するのであり、合において、対立が統一・統合されるのである。(ヘーゲル弁証法は、ドイツ哲学、ドイツ神秘哲学の系譜を背景にもっている。それは、陰陽論的なものと考えられる。ニコラウス・クザーヌス - Wikipedia 、他。)
 しかし、唯物弁証法は、対立が統一されないのであり、一方の極が他方の極を排除して、一極中心主義になるのである。
 思うに、弁証法は陰陽論的要素を完全ではないにしても、もっているのであり、それは、多神教原理と思われる。
 しかるに、唯物弁証法は、陰陽論要素はまったくなく、また、ヘーゲル弁証法をまったく曲解しているし、一神教原理と言える。
 私は一神教原理は、二項対立原理と類似すると思っている。また、それは、ユダヤ教的原理、賤民資本主義原理なのではないかと思うのであるが、これは別稿で考えたい。
 さて、本題であるが、「二つの〜」というカテゴリー立ては、結局、宇宙、自然、人間原理のもつ二極、対極・両極・双極原理に基づくと考えられる。
 今、科学を問題にすれば、やはり、二つの科学が存するのである。近代科学は、一つの科学であり、それは、物質主義科学であり、心の外側に見出される現象を対象にした科学である。
 しかし、それとは別の科学があるのである。それが、内的科学である。心、精神、意識・無意識の科学とも言える。しかし、それでは、物質主義科学と区別されなくなるので、内的科学と呼びたい。
 PS陰陽論から言えば、物質主義科学、外的科学は、陽の科学であり、心の科学、内的科学は、陰の科学、ないし、陰陽極性の科学である。
 ここで量子論について簡単に触れると、波動と粒子の一致という事象があるが、それは、内的科学で説明がつくものであり、量子とは、実は、氣であるという のが、私の現段階での解釈である。氣から量子が生まれるのである。というか、氣を物質的観測をすると、量子になるのである。つまり、量子とは、氣の物質的 映像であるということである。この問題は、これ以上は触れない。
 とまれ、今や、物質主義科学、近代科学、外的科学の限界は明らかである。それは、自我、近代的自我、利己主義をベースにする科学なのであり、自我、近代的自我、利己主義という限界をもつのである。
 それを越えるには、内的科学が必要なのである。それは、自我、近代的自我、利己主義とは別の心、精神の原理を認めるのであり、それは、自我、近代的自我、利己主義を乗り越える内的原理である。
 思うに、近代西洋文化は二重文化であり、一方では、外的科学があり、他方では、内的科学(反近代主義)があるが、前者が主流なのである。(これはキリスト教に似ている。キリスト教の唯一神は外的科学に通じ、キリストの精神原理は内的科学に通じるのである。)
 とまれ、今や、内的科学を積極的に肯定する段階に達しているのである。ただし、外的科学を否定するということではなく、外的科学を包摂する内的科学、つまり、外的且つ内的統一科学を目指すということである。
 思うに、シュタイナーの霊的科学であるが、それは、確かに、内的科学を志向するが、外的科学を否定的に見る向きがある。つまり、霊主体従なので、そうなるのである。
 しかし、太極PS陰陽論は、外的包摂内的科学を志向するのであり、外的科学を否定せずに、内的科学に取り入れるのである。
 しかしながら、外的科学の一つの究極である原子力科学は、それは、自然生命体を基本的には、侵すので、肯定することはできないのである。(もっとも光合成細菌の次元では別であるが、まだ、それを原子力科学に応用できる段階ではない。)
 内的科学を基礎として、肯定できる外的科学を志向すべきである。

二つの自然:植物と動物:氣と獣欲・煩悩 ( 18 )
二つの日本民族:母権と父権:日本古代史 ( 148 )
二つの資本主義:自由共同体と掠奪暴利主義 ( 197 )


2013年12月23日(Mon)▲ページの先頭へ
氣から光への変換力学:虚軸交点のMP1から実軸交点のMP2へと転換する
氣から光への変換力学:虚軸交点のMP1から実軸交点のMP2へと転換する

テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化

In Deep氏の処女生殖の記事に触発されて、簡単に氣から光の変換について考えてみる。もっとも、既述であるが、いわば再確認である。
 凸i=陽、凹i=陰であり、それは、虚軸に存する。そして、

氣一元=陰陽極性凹i*凸i⇒±1

である。これが、氣陰陽方程式である。(⇒±1は現象化である。)
 座標的には、氣は陰陽円であり、それは、ガウス平面上の単位円ではなく、それと直交すると思われる。
 とまれ、氣一元=陰陽円であり、陰陽極性は虚軸に存する。そして、陰陽は、虚軸上の交点MP1において、交接する。そして、それが、実軸上の交点MP2へと移行するのである。ここが光の元素と思える。ここから、±1と現象化するのである。
 そう、だいぶ以前述べたように、MP1とMP2とは、即非関係にある。とまれ、MP1は陰陽の理念上の交接点に思える。そして、MP2は、陰陽交接から生まれる光の素であり、ほとんど光と考えていいと思う。
 今は便宜的に考える。MP1を氣、MP2を光とする。
 そして、MP2=光(日光)は、背景にMP1=氣をもっていると考えられる。それは、陰陽氣である。
 そして、陰陽氣とは、生命情報である。生命イデア情報であると考えられる。
 故に、日光を介して、生命イデア情報が生命体に入ることは考えられる。
 (今、思い出したが、ギリシア神話で、ゼウスの黄金の雨を受けて、妊娠したダナエの話があった。
 黄金の雨とは何だろうか。黄金は陽光ではないだろうか。雨は粒子を意味するのではないだろうか。つまり、ダナエは陽光を受けて、受胎したということではないだろうか。
ダナエとペルセウス アルゴス国の王アクリシオスの娘ダナエは美しく育っ ...
http://palladion.fantasia.to/003-RAY2/017Perseus03.html


* キャッシュ

しかしこの美女に目をつけたのが、神々の王様ゼウス。 ゼウスは黄金の雨となって青銅
の塔に降り注ぎ、ダナエが窓を開けるとそこからゼウスは忍び込み、ダナエの膝に
流れ込み交わりをかわしてしまった。 こうして生まれたのが英雄ペルセウスである。)
 結局、氣が本体、本質、本源である日光によって、処女生殖することはありうると考えられるのである。
 今はここで留める。

MP1とMP2:前期PS理論は生きている:但し、『海舌』氏の人間認識図は大修正を要する (12/01)

   『海舌』氏による人間認識図(要大修正)

人間認識図

 今は、MP1とMP2について簡単に触れる。
MP1とは、ガウス平面における虚軸上の陽凸iと陰凹iの共鳴における交点である。
MP2は実軸上における陽凸iと陰凹iの共鳴における交点である。
 先の説明では、MP1に霊的太陽、MP2に現象太陽の、それぞれのコアがあるということである。
 霊的太陽とは氣の太陽と言えるのではないだろうか。
 思うに、MP1からMP2への次元転換があるのであり、それは、二次元から三次元への転換ではないだろうか。円から球への転換であろう。
http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-2045.html

* 氣と太陽と現象(生命体を含めて):氣の現象力学(現象科学):氣の哲学ー科学へ向けて (12/01)

http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-2044.html

* 有氣体(氣的物質、生命体)と無氣体(純物質):氣=陰陽共鳴に拠る生命ー物質双体様態の有氣体 (11/26)

http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-2043.html

* 二重天皇制の精神力学分析:母権と父権のゆらぎ:氣・植物体的魂と動物体的自我の二元論主体 (11/22)

http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-2042.html

* 『海舌』氏の人間認識図修正:右半円が氣自然、左半円が物質自然:陽凸i=自我・頭、陰凹i=魂・肚 (11/19)

http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-2041.html
無双(太極)PS陰陽論Nonpolar(Taiji) Platonic Synergy Yin-Yang Theory(旧不連続的差異論・旧PS理論・旧太玄霊気知行学)のページ

(12/23)光で語り合う自分の細胞と他人の細胞。そして、人間は「生きているだけで永遠を体現している」ことをはじめて知った日
http://oka-jp.seesaa.net/article/383372083.html
In Deep
地球最期のニュースと資料


2013年12月19日(Thu)▲ページの先頭へ
私の中の母権民族と父権民族:母の血と父の血:肚の土台と植物的陰陽バランスの「月-心(こころ)」
画像付きの記事は以下を見られたい。
http://sophiology.jugem.jp/?eid=374

私の中の母権民族と父権民族:母の血と父の血:肚の土台と植物的陰陽バランスの「月-心(こころ)」

テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史

私の心体、「月-心(こころ)」は、ようやく、安定してきた。
私の人生を振り返ると、明らかに精神の分裂があったのである。それは、私の仮説から、母権的精神と父権的精神の分裂である。
魂と自我の分裂である。肚と頭の分裂である。
 これは、個人的には、母の血と父の血の分裂と言えると思う。私が何故、父権主義を批判するかと言えば、それは、個人的には、私の亡父の存在故である。亡父は父権主義の原型となったのである。
 それに対して、動物嫌いで、植物の好きな、庭作りの好きな母は、母権主義のタイプとなったのである。ただし、父権的要素もあるが、それは付随的である。
 結局、気的身体理性実践によって、二元分裂を私は克服したのである。
 そう、単に氣の理論だけでは、結合はされないのである。氣の感性、氣の美的感性に基づいて、実践しないといけないのである。
 また、飯山一郎氏の説くすばらしい有機体的養生方法(豆乳ヨーグルト等)が必要だったのである。
 つまり、氣と生命有機体の叡知の結びつきが必要だったのである。
 ここにおいて、この氣的身体理性実践の叡知は、シュタイナーの霊学を越えているのである。
 シュタイナーの智は、霊的であり、身体は従属的なのである。しかし、それだと、身体実践が等閑にされがちなのである。
 これは、氣の理論においても同様である。
 有機的身体への着目が欠けているのである。
 とまれ、氣的有機生命体論が、今や私の提唱する生命理論である。太極無双PS陰陽論はそのようなものである。
 そう、理論と実践の結合が必要である。造語して、理論と実践の結合を理行(りこう)と呼ぼう。(王陽明の知行一致の系譜ではある。)
 そうすると、
太極無双PS陰陽理行である。
 最後に一言。私の両親に欠けていた、私の独特の個性は、氣の感性・直観だと思う。それが、私の天賦の才であろう。
 この氣的感性・直観が私を不可視の世界、不可視のコスモス、自然(じねん)宇宙へと誘ったのである。また、過去においては、近代合理主義教育によって、それを抑圧して、私は精神を病んだのである。
 そう、肚の解放・開放は確かに、氣を発動させるが、それは単なる出発点に過ぎない。哲学修行と氣の美的感性と有機生命身体叡知の実践によって、陰陽調和融合を形成するまで到達しないといけないのである。いわば、哲智氣理身行である。 




飯山一郎『日本書紀』を語り出す:先住母権民族を渡来父権民族が支配する

テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史

『日本書紀』は少し読めば、これは、異常な書であることがすぐわかる。やたらに異伝が多いのである。
 神話として、このようなものは世界にはないのではないだろうか。
 いわば、正確を期して、「科学」的典拠を記しているのである。
 しかし、あまりに、典拠が多すぎるのである。
 かんぐれば、多数の典拠があるのではなく、実は、ある一つの典拠があり、それを糊塗したいのではないのか。
 おそらく、先住母権民族の伝承の神話があったのである。それを、侵入した父権民族が書き換えたのである。
 私は先に二つの天皇制と言った。それが日本書紀に存すると思う。
 簡単に言えば、先住民において、太陽神は母権的神である。しかし、侵入した父権民族にとり、太陽神は父権的神である。そのため、母権的太陽神を父権的太陽神に書き換えているのである。それが、おそらく、「アマテラス」に現れていると作業仮説している。
 とまれ、飯山一郎氏の卓抜な読みが楽しみではある。

追記:以下の人生は冥土までの暇潰し の「一神教派」と「多神教派」はそれぞれ、父権民族、母権民族と読めよう。

追記2:以上は単純化し過ぎである。事情は複雑で、複数の先住民民族がいた。少なくとも縄文民族、弥生民族の先住民族がいた。両者、母権民族である。
 そこへ、百済民族が進入する。しかし、百済民族は、二重の原天皇制、つまり、太陽信仰をもっていた。母権太陽信仰と父権太陽信仰である。
 この二重の太陽信仰が先住民族に入るのである。
 先住民族の母権宗教と母権太陽信仰は共鳴し同化しただろう。これが母権天皇制となる。
 しかるに、それらを父権太陽信仰、つまり、父権天皇制が利用することになるのである。
 しかし、当然、イデオロギーだけでなく、政治・経済・社会的侵略支配があったと考えられる。
 これは、世界各地に見られた、父権民族による母権民族の侵略の一形態であると思う。
 ところで、今の私の思いつきでは、二つの「倭国」があったのではないだろうか。一つは九州「倭国」であり、一つは畿内「倭国」である。前者が母権を包摂した父権民族であり、後者が先住母権民族となる。そして、前者が後者を乗っ取ったということになる。神武東征である。
 

参考:
みち324号(平成22年10月01日) ツランの足跡 ─ 大化改新から壬申の乱へ 1

●本稿の構想の発端は前号の安西正鷹「お金の本質」で、次のように喝破したからである。

 ……そもそも日本ではすでに銀の地金や無文銀銭が広く行き渡っていた。朝廷という公権力が保証せずともお金は何ら支障なく流通し、経済活動の円滑な運営に寄与していた。
 この便利なお金に替えてクズ同然の名目貨幣をわざわざ熱望する者がどこにいようか。これは明らかに発行者である朝廷の政治的意向による。……
 あの強大な専制国家の唐ですら躊躇したほどの法外な公定価格を、日本の朝廷は臆面もなく設定した。
 同じ土地に住み、同じ言葉を話し、同じ食べ物を口にする家族のような同胞に、なぜこれほど惨い経済的纂奪を平然と演じることができるのか。
 これはまるで、奴隷に対する主人の傍若無人なふるまいではないか。近代の西洋帝国主義列強のアジア・アフリカの植民地に対する残虐な行為を彷彿とさせる。
 神の国である日本の朝廷が、同じ血のかよったわが子のように慈しむべき民衆から骨の髄まで奪い尽すような策を採ったとは理解に苦しむ。
 だが、民衆と同じ思想や価値観を共有し得ない者のなせる業だとすれば、何の違和感もない。
 そう、これはれっきとした異民族による植民地経済支配政策の一環なのではないか。

 安西はわが国最初の通貨発行の経緯を調べている内に、それは異様な状況下で発行されたことを突き止めたのだ。「富本銭から和同開珎『銅銭』の導入 に至るまでの期間とその前後の時期に、日本の歴史にとてつもない大きな断層が走っている」ことに安西は想到した。そしてそれが、「異民族による植民地経済 支配政策なのではないか」とまで疑うに至ったのである
●安西の卓見に触れて咄嗟に浮かんだのは、蘇我入鹿を惨殺した宮廷の現場にいたが事情を知らされていなかった古人大兄皇子(ふるひとのおおえのみこ)が自 家に逃げ帰り語った「韓人、鞍作臣を殺しつ」という言葉だ。「鞍作臣」とは入鹿だが、「韓人」とは誰か。それは明らかに、入鹿殺害の張本人の中大兄皇子で ある。では、なぜ彼は「韓人」と呼ばれたのか。(つづく)★

http://michi01.com/tendoh/324ktg26701001.html

 みち365号(平成24年08月01日) ツラン源郷への日本民族大移住計画 3
 みち364号(平成24年07月15日) ツラン源郷への日本民族大移住計画 2
 みち363号(平成24年07月01日) ツラン源郷への日本民族大移住計画 1

みち330号(平成23年01月15日) ツランの足跡 ─ 遙かなるツラン
みち329号(平成22年12月15日) ツランの足跡 ─ 大化改新から壬申の乱へ 6
 みち328号(平成22年12月01日) ツランの足跡 ─ 大化改新から壬申の乱へ 5
 みち327号(平成22年11月15日) ツランの足跡 ─ 大化改新から壬申の乱へ 4
 みち326号(平成22年11月01日) ツランの足跡 ─ 大化改新から壬申の乱へ 3
 みち325号(平成22年10月15日) ツランの足跡 ─ 大化改新から壬申の乱へ 2
 みち324号(平成22年10月01日) ツランの足跡 ─ 大化改新から壬申の乱へ 1
 みち322号(平成22年09月01日) 北方異民族慰霊碑を訪れた
 みち321号(平成22年08月01日) 北方ツラン少数民族ウィルタ人ゲンダーヌ 3
 みち320号(平成22年07月15日) 北方ツラン少数民族ウィルタ人ゲンダーヌ 2
 みち319号(平成22年07月01日) 北方ツラン少数民族ウィルタ人ゲンダーヌ 1
 みち318号(平成22年06月15日) 北方ツラン民族同胞を慰霊する碑がある 3
 みち317号(平成22年06月01日) 北方ツラン民族同胞を慰霊する碑がある 2
 みち316号(平成22年05月15日) 北方ツラン民族同胞を慰霊する碑がある 1
 みち315号(平成22年05月01日) 「チベット仏教はツラン民族全体に布教する」

  

◆ 2013/12/18(水)  日本人なら日本書紀! (1)
日本書紀:読みの深さが試される
日本書紀
日本書紀.この日本最古の歴史書は「或る目的」をもって書かれた.この「目的」が分からないままに日本書紀を読むと妄想がふくらむだけだ.今こそ妄想・妄誕を排して日本国建国の真相を解明して…,この日本列島に日本民族が生きてきた「証(あかし)」を発見し,後世への“記念碑”としたい.(飯山一郎)
大層らしい前触れを↑書いたが…,ようは日本書紀の真実と真相を“行間”を読んで明らかにしよう!という試みだ.

さて…,
何ごとも書かれていることをマトモに信じてしまうと,マンマとダマされてしまう.

「熊本産で無農薬と書いてあったので…」「放射能に効く!と書かれていたから…」 って,あーた,今どき無農薬の野菜なんてないし,放射能に効くなんてのは,みーんな詐欺商品だ.

日本書紀も同じだ.

これまでの日本古代史の研究は,日本書紀の文章に束縛されすぎていた.字面(じづら)だけを一所懸命に読んでいた.

たとえば…,
推古天皇とか聖徳太子が実在した!と,(そのように書いてあるので)信じこんでいた.

しかし,率直な日本見聞録が書かれた『隋書・俀国伝 』を読むと,推古天皇という女帝など小野妹子の国にはいなかった!ことが分かる.

じゃあ,なぜ? どーして日本書紀はウソを書いたのか?

いかなる理由があって,そして,いかなる目的で日本書紀にはウソの物語が多いのか?

日本書紀を書いた目的と理由.これが分からないと…,いくら緻密に日本書紀を読んでも真相は見えてこない.
それでは,日本書紀には,いったいどんな目的があったのか?
このことを(次回から)明らかにしていきたい

飯山一郎のLittleHP - GRNBA.com

倭族→倭人→卑弥呼の倭国→(国譲り)→崇神の倭国→応神の倭国→俀(タイ)国→日本国

新井信介

扶桑国王蘇我一族の真実 (12/18)
『扶桑国王蘇我一族の真実』について鋭く分析している人物がいる。世界戦略情報誌『みち』の編集人・天童竺丸さんだ。

大 化の改新(乙巳の変)で中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足(藤原氏)という“一神教派” が天下を取り、それが壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)という“多神教派”の天下となった。そして公になっていないが三度目の乱が起こって再び藤原氏によ る体制=“一神教派”の天下に戻り、それが今日に至っても続いている。

人生は冥土までの暇潰し




北朝鮮の大反動としての粛清:專葬死奔吸血金鬼悪魔路線VS多元共生資本主義

テーマ:二つの資本主義:自由共同体と掠奪暴利主義

專葬資本悪魔団に拠る東亜戦争へのドラスティックな挑発と私は判断する。
 丹知仲戦争がなかなか起こらないので、搦め手から攻めたと言えようか。
 しかし、仲克の政府中枢は、今回の粛清が專葬資本暴力団に拠ることが当然分かっている。 
 だから、挑発には乗らないだろう。
問題はロシアと韓国である。
 これについては後で考察しよう。

*

“血の粛清”に 習近平激怒 「中朝戦争」秒読みの恐怖

「金正恩体制は経済改革と軍備増強という2つのスローガンを掲げてきました。その経済改革を担っていたのが張成沢・前国防副委員長で14カ所の経済特区を 選定し、中国企業を誘致してきた。それに対して、反発を強めてきたのが軍部で、経済発展を考えれば、今の北朝鮮軍は3分の2が過剰なのです。そのため、軍 部の間では張排除の動きがあって、金体制は対立する勢力の股裂き状態の上に立っていた。どちらかを選択するしかなく、今回の粛清で軍部に乗ったことが明ら かになりました。今後は金正恩は軍部の傀儡(かいらい)政権になっていくのでしょうね。そうなった場合、北は核を持っている。中国が絶対に許さないはず で、今後、金体制排除に向けて動き出すと思います」(明大講師で週刊現代編集次長の近藤大介氏)
日刊ゲンダイ ゲンダイネット







張氏 犬120匹に襲われ処刑か

*
記事画像

張成沢は巨大機関銃と火炎放射器で消し炭に? 金正恩が実行した残忍、冷酷無比の処刑 [ 拡大 ]
* [0] 張成沢は巨大機関銃と火炎放射器で消し炭に? 金正恩が実行した残忍、冷酷無比の処刑

(J-CASTニュース)12月16日(月)19時12分

北朝鮮の「摂政」張成沢氏の末路は、人間かどうかも判別できない無残な「肉片」だったという。こうした冷酷無比の処刑ぶりが少しずつ伝えられ始めた。 「最高司令官の命令に不服する者はそれ… [ 記事全文 ]

アット・ニフティ ロゴ ニュース

北朝鮮は「文化大革命」でも「フルシチョフの雪解け」にもならない
金正恩氏が張成沢解任劇で見せたものは
金正恩 チャン・ソン・テクを更迭
ハサンー羅津鉄道は、未来の朝鮮半島横断鉄道の最初の区間となるか?
ロシア政府 南北朝鮮問題で仲介役に
北朝鮮の賃金100倍に
金正恩氏 市場改革を開始 油断は禁物
市場経済の顔を持つ北朝鮮社会主義作りを始めた金正恩

政治, 北朝鮮, 解説, アジア・オセアニア, 国際, 私見アンドレイ・ラニコフ





二つの科学:内界科学(外近代科学)と外界科学(近代科学):陰が内界であり、陽が外界

テーマ:内超近代:intrans-modern

後で詳説したい。

追記:イタリア・ルネサンス、プロテスタンティズム(宗教改革)とは何か。
 それは、陰の内界から発する精神運動と思われる。ルネサンスは陰から陽への発動と考えられる。
 宗教改革は陰の内界から超越神への跳躍であり、個の倫理衝動である。
 とまれ、両者は陰の内界が源泉である。言い換えると、東洋文化が源泉なのである。近代西洋は東洋文化を内在させているのである。
 しかし、近代日本は真逆的に、東洋文化を否定するように出発したのであり、反動的父権化が起こったと考えられる。これについては別の機会に検討したい。




検討問題:1,理とイデアの位置、2.天地と陰陽の位置、3.何故、朝の氣は爽快か、等々

テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化

後で検討したい。

4.修正人間認識図において、右半円が陰陽共鳴現象で、左半円が陽主導現象。
 →+1は植物型生命物質体で、→−1は鉱物や動物の物質体であろうか。




「不戦の誓い」という「太極」と日中陰陽調和への鋭意努力:「北京コンセンサス」という東亜和解の精華

テーマ:日本復活の新福音:吉祥、朗報、吉報

余裕がないので、詳述できないが、以下のダイアモンド・オンラインの記事は必読である。
 日中の政治・外交的対立の背後・影にあって、日中和解の努力が花開き、「北京コンセンサス」となったのだ。
 「不戦の誓い」こそ、陰陽論の太極無双一元に相当すると言えよう。あるいは、「氣」とは言えよう。
 中国、日本ともに氣の文化の国である。西洋文明の弁証法的敵対、二項対立の文化ではなく(追記:もっとも、国家レベルは、二項対立である。)、調和・和解できる文化をもつのである。氣の文化において、中国と日本は共通するのである。両国とも、氣の東亜文化圏なのである。

追記:以上を書きながら、対立を超越する一元が太極なのか氣なのか迷ったのである。以上では、太極の一元を述べたが、PS陰陽論から言えば、氣・陰陽一元論であろう。太極の一元と氣の一元は少し異なるのである。前者は陰陽未分化であるが、後者は陰陽極性をもつ一元である。
 だから、「不戦の誓い」とは、氣・陰陽一元である。

追記2:太極一元、氣一元で迷ったが、両者は即非関係であり、両者関係するのであるから、氣一元とは、ベースに太極一元をもつということになる。
 しかし、太極一元とは、陰陽未分化混沌(カオス)である。これは、氣=陰陽バランスによって、コスモス(宇宙、秩序)として、成形すべきである。
 そう、コスモスを常時生成する鋭意努力によって、平和的創造がもたらされると言えよう。カオスはエネルギーの大源泉であるが、それをコスモスへと常時変容させる必要があると考えられる。

追記3:太極、又は、無双太極とは龍のことだと思う。陰陽未分化混沌(カオス)である龍である。ここから、氣=陰陽の自然(じねん)宇宙(コスモス又はユニバース)が創造成形されると考えられる。
 とまれ、東亜、また、東洋は龍を大根源とする地球圏である。それに対して、西洋は龍を否定・排除する父権的知性の地球圏である。
 カオスの龍を肯定する東洋・東亜文明に対し、龍を殺戮するのが(聖ゲオルギウスの龍退治)が西洋文明(ユダヤ/キリスト教的西洋文明)である。




龍の威光をあやかりに! - 株式会社キット

第6回 臨済宗黄檗宗各派本山 雲龍図 : 臨済・黄檗 禅の公式サイト



聖ゲオルギウスの竜退治

追記4:人体(人心体)で言うと、龍は肚になるだろう。即ち、太極=龍=肚である。
 これをカオスと述べたが、実は、東洋美学は、ここに根拠があるのではないだろうか。特に、日本美学である。
 氣=陰陽=コスモスは、秩序であり、整然とする可能性がある。直観では、池泉回遊式庭園の美学の根拠は太極の混沌ではないだろうか。



三室戸寺 ―池泉回遊式庭園と石庭―@京都| ウーマンエキサイト ...

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【第392回】 習近平指導部が日本へ送った独特の“サイン”
民間団体が主導した「不戦の誓い」合意の舞台裏 

[2013年12月13日]
今年10月に北京で開催された言論NPO主催の「東京―北京フォーラム」。日中関係が最悪の状況であるなか で、不戦の誓いを柱にした「北京コンセンサス」に合意、発表した。困難を極めた話し合いを後押ししたのは、習近平指導部が日本へ送った独特の“サイン”。 合意までの舞台裏をレポートする。

DOL特別レポート

「北京コンセンサス」全文


 「第9回 東京−北京フォーラム」は10月26日から2日間にわたって北京で行われ、政治、経済、安全保障及び両国民間の深刻な感情悪化の問題に関して、日中両国を代表する約80人の有力者、有識者、ジャーナリストが熱心に対話に参加した。

 今回、私たちは北京での2日間の対話に、特別の覚悟で臨んだ。

 それは、「対話の力」で困難を乗り越えるという、民間外交(公共外交)の責任を果たすためである。そして、この決意こそ、「東京−北京フォーラム」の9年前の創設以来から、私たちが守り続けてきた原点である。

 私たちが民間の対話に強い希望を共有するのは、「民間の対話」に政府外交の困難を乗り越える特別な役割がある、と考えるからである。昨年、私たちは東京でのフォーラムでこのことを再確認し、その覚悟を「東京コンセンサス」として公表した。

 この2日間、私たちがこだわり続けたのもまさにこの民間対話の使命である。

http://tokyo-beijingforum.net/index.php/programs/9th/9th-beijing-consensus



東京−北京フォーラム 公式サイト - Home





大正解・大お奨め:靴下の先を切り取った膝巻きは実に暖かい:

テーマ:Weblog

先に以下のように書いたが、ソックス膝巻きを実践してみたが、大正解である。片方しかないソックスの先をカッターで切って、筒のようにして、膝に巻いた。靴下なので、ギュッと膝に巻き付くのであり、ぴったりである。
 そう、ついでに、薄いタイツを二枚履いたが、それも正解であった。
 後問題は、手袋である。自転車で通勤なので、指先が冷たくなるのである。妙案はないものか。ネットで検索してみようか。

ユニクロ・ヒートテックのタイツ+ハイソックス+ヒザ巻き(裏技)

膝下が寒いので、知人に紹介されてユニクロのヒートテックのタイツを買い、また、ハイソックスを買った。
 とても暖かいが、問題はヒザ部分である。そこで、要らない靴下の先を切って、ヒザにサポーターのように巻けばいいと思った。今日早速やってみよう。

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Sat, December 14, 2013





風水や氣は迷信?:近代科学と風水・氣:建て替え以来、俳優のけが・体調不良4人、死亡が5人

テーマ:氣神論:氣は万物に通ずる:氣的身体理性

私は氣を(作業)仮説して、理論化しているが、これは、もし、氣ではなく、物質で説明できれば、氣の仮説は廃棄するのである。
 ただ、氣を仮説した方が、多くの現象を説明できるので、そうしているのである。
 あくまで科学的態度をとっている。科学の検証の基本の再現性も、氣には確認できるのである。
 さて、以下の記事であるが、建物を変えれば、当然、氣の流れが変わるのであり、変調が生じることは考えられる。
 また、氣には、霊が存しうると考えられる。死者の霊が氣にはありうると思われるのである。
 しかし、これについては、「検証」が必要である。

新歌舞伎座の「呪い」まだ続いている? 建て替え以来、俳優のけが・体調不良4人、死亡が5人 (J-CASTニュース)16時0分

ただ建て替え以降、歌舞伎界では不幸な出来事が続き、「歌舞伎座の呪い」という言葉まで一部で出ているのだ。

真偽は定かではないが、新歌舞伎座について市川海老蔵さんはこんな言葉を漏らしていたという。

「歌舞伎座の上には守り主がいる。後ろにあんな高いビルができたら、舞台の神様も降りてこないよ」(週刊新潮2013年4月11号)

最初は2010年9月に起きた中村隼人さんの交通事故だった。自転車で走行中に車と接触して右手人差し指を骨折した。11月には、市川海老蔵さんが暴走族グループとのトラブルに巻き込まれ、左頬を陥没骨折するなど顔面に大けがを負った。
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/jcast-191391/1.htm




英語とプラトン哲学:動詞runを例にとって両者が関係することを述べる

テーマ:language

後で、英語とプラトン哲学の関係を述べたいと思う。英語には哲学があるのである。それは、私の直観では、プラトン哲学に似るのである。
 一般的には、アリストテレス哲学の方との類似を指摘されるだろうが、アリストテレス哲学ではなく、プラトン哲学の方が的確に英語(さらには西洋言語、さらには、言語一般)を解明すると思うのである。
 最近は多忙で、残念ながら、十分な考察のための時間がない。

run1 /r#n/→#
#v. (ran /r#n/; run; run・ning)
#vi.
1a 走る, 駆ける.
・run fast まっしぐらに走る[一目散に逃げる].
・run down 駆け下りる.
・run on 走り続ける.
・run out 走って外へ出る.
・run a mile [a distance] 1 マイル[ある距離を] 走る.
・He who runs may read. ⇒read1 vi. 1 a.
b 逃亡[逃走]する, 逃げる, 逐電する.
・run for one's life 一生懸命[命からがら]逃げる.
・After the third volley the enemy ran. 3 回目の斉射の後敵は逃げた.
c 〈馬が〉疾駆[疾走]する.
2a 急ぐ, 駆けつける; 突進する.
・run [come running] to a person's aid 人の救援に駆けつける.
・run for [to catch] a bus バスに乗ろうとして急ぐ.
b 急いで[短期間]旅行する; ちょっと行く[訪ねる], (気軽に)立ち寄る.
・run up to London 急いでロンドンへ行く.
・run over to borrow money 金を借りに気軽にやってくる.
・I'll run over to my uncle's. おじさんの所へちょっと行ってこよう.
c (困って)援助・慰めを求めて〔…へ〕出かけて行く 〔to〕.
・run to the police.
3a 競走に加わる, レースに出る.
・I used to run for my school [when I was at school]. 学校代表で[学校にいたころは]よく短[長]距離走に出たものだ.
・This horse ran in the Derby. この馬はダービー競馬に出た.
b 走って…着になる.
・His horse ran second. 彼の馬は 2 着だった.
c 《米》 〔選挙などに〕立候補する (《英》 stand) 〔for〕.
・run for Congress [Mayor, Governor, election] 国会議員[市長, 知事, 選挙]に立候補する.
・run for President [the Presidency] 大統領に立候補する.
4a 〈車・船などが〉進む, 走る, (帆をかけて)走る, (船尾からの風を受けて)帆走する.
・The car ran fast.
・Trains run on rails. 列車はレールを走る.
b するする動く, 滑る, 滑走する; 滑らかに動く, よく動く.
・Curtains run on metal rods. カーテンは金属棒を滑って動く.
・A rope runs through the pulley. 綱が滑車をするする通る.
・His tongue [He] runs on (about everything). 彼の舌は(何にでも)よく動く《よくしゃべる》.
c 〈ボールが〉転がる; (ゴルフで)〈打ったボールが〉一度着地したあと弾んで[転がって]行く.
5a 自由に動く[行く]; ぶらぶらする, ぶらつく, さまよう 〈about, around〉.
・run around in the woods.
b 〈船・車などが〉コースを外れる.
・run aground [on (to) the rocks] 暗礁に乗り上げる.
c 〈のこぎりの切り目が〉それる.
d 交際する; (特に) 〈動物の雄が〉〔雌と〕交わる, つがう 〔with〕.
6 〈魚が〉 (産卵のため群れをなして)移動する, 遡上(そじょう)する; 群れ泳ぐ.
・run wide 〈魚群が〉沖に群れ泳ぐ.
・The salmon run up the rivers. サケは川に上る.
7 〈車・馬・船が〉通う, 往復する; 発車[出帆]する.
・Trains [Buses] run every five minutes. 列車[バス]は 5 分ごとに出る.
・Ferries run daily between France and England. フェリーは毎日フランスと英国の間を通う.
・There are no trains running today. 今日は列車が走っていない.
8a 〈川・潮が〉流れる.
・The river Arno runs into the Mediterranean. アルノ川は地中海に注ぐ.
・The current is running strong(ly). 流れが強い.
・The river runs clear [thick, high, low]. 川が澄んで[濁って, 増水して, 減水して]いる.
・The water ran hot [cold]. (蛇口から水を流しているうちに)熱く[冷たく]なった.
b 〈血・涙・鼻汁・よだれ・うみなどが〉流れる, したたる; 〈目が〉涙を流す, 〈鼻が〉鼻水をたらす.
・run with sweat 汗を流す.
・Blood was running from his wound. 傷口から血が流れていた.
・Blood was running in the streets.=The streets were running with blood. 通りは血の海だった.
・His nose runs. 鼻水が出る.
・Tears ran from his eyes.=His eyes ran with tears. 彼の目から涙がこぼれた.
・Moisture was running down the walls.=The walls were running with moisture. 水滴が壁を伝って流れていた.
c 漏れる, こぼれる; 流れ出す; 〈砂時計の砂が〉流れ落ちる 〈out〉.
・leave the water [faucet] running 水を流しっぱなし[蛇口をあけっぱなし]にする.
・Water runs from a tap [《米》 faucet]. 水が飲み口から流れる.
・Beer runs from a cask. ビールが樽から流れる.
・The sands are running out. 砂時計[猶予時間]が切れかかっている.
9 〈道路などが〉 (一定の方向に)延びている, 通る, 通じる.
・The road runs for several miles by the sea. 道路は海岸を数マイル走っている.
・The road runs along [at right angles to] the river. 道路は川に沿って通っている[直交している].
・Does this road run to [past] Long Beach? この道路はロングビーチに[を越してその先に]通じているのですか.
・The fence runs round the house. 塀が家を取り巻いている.
・A scar ran across his cheek. 傷跡が彼のほおを走っていた.
10a 〈時が〉経過する, 過ぎる, 推移する.
・How fast the years run by! 年月は何と早くたつものであろう.
b 〈心像・記憶などが〉ふと浮かぶ, 去来する.
・His words were running in [through] my head all day. 彼の言葉が終日私の頭に去来していた.
・An idea ran through his mind (that he should do something). (何かしなければならないという)考えが頭に浮かんだ.
・The quest for freedom runs like a red thread through our history. 自由の探究は赤い一筋の糸のように歴史を貫いて通っている.
c ざっと目を通す, 急いで読む.
・He [His eyes] ran through a book [over the accounts]. 彼は本[計算書]にざっと目を通した.
11a 〈色などが〉しみ出る, 〈インクなどが〉にじむ.
・The colors of dyed material are apt to run if exposed to moisture. 染め物の色は湿るとにじみやすい.
b 溶けて流れる, 熱で溶ける, 溶解する.
・The candle runs. 蝋燭(ろうそく)が溶けて流れる.
12 〈編物・織物などが〉するするとほどける; 〈靴下〉の糸が線となって解ける, 伝線する (《英》 ladder).
・Silk stockings, and knitting sometimes run. 絹の靴下やニット製品は伝線することがある.
13a 迅速に移って行く[広がる].
・Fire ran along the street. 火が通りを走った.
・A cold shiver ran up [down, up and down] my spine. 背筋を冷たい震えが走った.
・The news ran like wildfire. そのニュースは野火のように広がった.
b 〈うわさなどが〉広まる, 流布する.
・The rumor runs that he is going to resign. 彼が辞職するといううわさが広まっている.
14 〈匍匐(ほふく)性の植物が〉はびこる, はう, 広がる.
・run wild はびこる.
・The vine ran along the fence. つるがフェンスに沿って広がっていた.
15a うまく行く, 望み通りに進行する.
・All his arrangements [businesses] ran smoothly. 彼の計画[事業]はすべて順調に進んだ.
・His life runs smoothly. 彼の人生は順風満帆だ.
・Things are running for me at the moment. 目下のところ, 万事順調だ.
b 回転する.
c 〈機械などが〉運転する.
・leave the engine running エンジンをかけっ放しにしておく.
・I can't make the lawn mower run properly. 芝刈機がうまく動かせない.
16a 続く, 継続する.
・The lease runs (for) more seven years.=The lease has seven years more to run. 賃貸契約はあと 7 年(間)続く.
b 〈劇などが〉打ち続けられる.
・a brilliant new play now running on Broadway 目下ブロードウェーで上演中の素晴らしい新作の芝居.
・run and run (劇など)長く続演される.
・The play runs for nearly three hours. その劇は上演に 3 時間近くかかる.
c 〈利子などが〉かさむ, たまる.
d 〈血統などが〉(継続して)流れる, 伝わる.
・Bad blood runs in his veins. 悪い血が彼の血管を流れている.
・Genius runs in the family [blood]. その家には天才の血が流れている.
17a 〈話題などが〉及ぶ, わたる.
・His talk ran on current events. 彼の話は時事問題に及んだ.
b さまざまな段階を含む.
・His works run from poems to novels. 彼の作品は詩から小説に及ぶ.
18 (できが)大体[平均して, 一般に]…である.
・Our peaches have run big this year. 今年はうちの桃は概して大ぶりだ.
・Oats run forty-four pounds to the bushel. オート麦は(平均すると) 1 ブッシェルにつき 44 ポンドである.
19a [悪い状態を表す形容詞の補語を伴って] 〈ある状態に〉なる, 変わる.
・run mad 発狂する.
・run dry 乾く; 〈水・乳などが〉出なくなる, かれる.
・run rampant 自由奔放にふるまう, やたらにはびこる.
・His blood ran cold. 彼はぞっとした.
・Feelings were running high about the scandal [that something had to be done]. スキャンダルについての[何とかしなければならないという]感情が高まっていた.
・Rumors were running rife about the scandal. スキャンダルについてのうわさが広まっていた.
・⇒run AMOK, →run LOW1, →run RIOT, →run SCARED, →run SHORT (of), →run WILD.
b 〔ある状態に〕なる 〔to〕.
・run to leaves 葉となる.
・run to seed 種になる.
・run to ruin 荒廃する.
・He is running to fat a bit. やや太り気味である.
c 〔ある傾向に〕向かう, 傾く 〔to〕.
・run to extremes 極端に走る.
・run to sentiment 感傷に傾く[走る].
d 〈数量などが〉〔…に〕達する, 及ぶ 〔to〕.
・The cost runs to ten thousand dollars [into the thousands]. 費用は 1 万ドルに[何千(ドル)にも]達する.
e 〔別の状態に〕移る, 陥る, はまる 〔into〕.
・run into peril [debt] 危険に陥る[借金する].
20a 〈話・写真などが〉〔新聞・雑誌などに〕掲載される, 載る 〔in, on〕.
・The story ran in the magazine [on the front page, on p. 23]. その記事は雑誌[表紙, 23 ページ]に載った.
b 〔…と〕書いてある, 述べられてある 〔as〕.
・The will runs as follows. 遺言書には次のように書いてある.
・So the story runs. 話がそういう風になっている.
・How did that last line run, again? その最後のせりふ, どうなっていたかな, もう一度言ってくれ.
21 【法律】 〈令状などが〉効力をもつ, 有効である; 〈権利・義務が〉伴う 〔with〕.
22 【音楽】 〈楽句などを〉速く演奏する[歌う].
23 【アメフト】 (攻撃に際して)ランニングプレーを利用する.
24 【トランプ】 (ブリッジのビッドで)逃げる 〈out〉 《パートナーのビッドがダブられた場合 (cf. →double vt. 8), 別のスーツあるいはノートランプをビッドして難を避ける; cf. →rescue vt. 3》.
25 【クリケット】 (両打者が, 得点するためにそれぞれ反対側の)三柱門へ走る.
26 【電算】 〈プログラムが〉走る, 動作する.
・run on Unix ユニックス上で走る.
#vt.
1a 〈道・コースなどを〉走って行く, 走る; 通る, 経る; 走って横切る.
・run a road through 通路を走り抜ける.
・have run one's [its] course 一生を終わる[行く所まで行く].
・The disease will run its course in a week. 病気(の治癒に)は 1 週間かかるでしょう.
・Things must run their course. 物事はなるようにしかならぬ.
b 走って行う.
・run a race 競走する.
・run errands [messages] 走り使いをする.
・The Derby was run in the rain. ダービーは雨の中で行われた.
2a 〈馬などを〉走らせる, 駆けさせる.
・run a horse up and down 馬をあちこち走らせる.
b 走って…させる.
・run a horse to death 馬を乗りつぶす.
・He ran himself out of breath. 彼は走って息が切れた.
・He ran me off my legs. 彼に走らされて足が棒になった.
3a 競馬に出す, 出走させる.
・He ran three horses. 彼は 3 頭の馬を出走させた.
b …と競走する.
・I will run him two miles [two blocks]. 私は彼と 2 マイル[ブロック]かけっこをする.
・He ran me a close second. 彼はもう少しで私を抜くところだったが 2 位に終わった.
c 《米》 〈選挙など〉に立候補させる.
・run a person for the Senate 人を上院議員に立候補させる.
・run a candidate 候補者を立てる.
4a 〈車・馬・船を〉通わせる, 往復させる; 〈車・列車を〉走らせる.
・run a steamer 汽船を通わせる.
・run a car into the garage 車を車庫に入れる.
・run a train 列車を走らせる.
・They run buses (there) every five minutes. (そこでは)バスは 5 分おきに走っている.
b (船・車で)運ぶ, 車に乗せて行く.
・run a person to the station [back home from the station] 駅まで[駅から家まで]人を乗せて行く.
c 密輸する.
・run liquor [guns] 酒[銃]を密輸する.
5a 経営する, 管理する, 支配する, 〈人を〉指揮する.
・run a hotel [shop, school, company, business, country, house, one's life, everything] 旅館[商店, 学校, 会社, 事業, 国, 家庭, 人生, 全て]を経営する[営む, 動かす, 切り盛りする, やりくりする, 処理する].
・run a campaign [party] 政治運動[政党]を指揮する.
・run a tight ship ⇒tight ship.
b 〈機械などを〉動かす, 運転する; 〈実験などを〉行う, 実行する.
・run a machine (on diesel oil).
・It is a cheap machine to run.=It is a machine that is cheap to run.=It's cheap to run the machine. その機械は運転コストが低い.
・run a check on… …を点検する.
c 《英》 〈車などを〉持つ, …に乗っている.
・I don't earn enough to run an expensive car. 高級車を乗り回すほど稼いではいない.
6a …から逃亡[逃走, 脱走]を企てる; 逃亡[脱走]する.
b 走り抜ける, 通り抜ける, 突破する, 乗り切る.
・run a blockade.
・run a stoplight 停止信号を突破する.
・run the rapids 急流を乗り切る.
7a 追う, 追跡する, 狩り立てる.
・run a scent 臭跡を追う.
・run a fox [hare] 狐[うさぎ]を狩り立てる.
・run a hare to earth [ground, cover] うさぎを穴まで追い詰める.
・run a criminal to earth 犯人をとことん捜して発見する.
・run the missing facts to earth in an encyclopedia 欠けている事実を百科事典で調べて捜し出す.
・run a person out of town 人を町から追い出す.
b (考えて)追求する, 突きとめる.
・run a rumor back to its source うわさの根拠を突きとめる.
8a 〈家畜を〉〔牧場へ〕追い出す 〔to〕.
・run cattle (to pasture) 牛を牧場に追い出す.
b 〈家畜を〉放牧する.
・run 200 head of sheep 200 頭の羊を牧場で飼っている.
9a 突き刺す, 突き通す, 突っ込む.
・run a knife into a person 人にナイフを突き刺す.
・run a sword through a person=run a person through with a sword=run through a person with a sword 人に剣を突き刺す.
b 通す, 通過させる.
・run a string [stitch] through a hem へりに糸を通す[を一針ぬう].
・run a rope through an eyelet 綱を穴に通す.
・run one's fingers [a comb] through one's hair 指[くし]で髪をさっととかす.
・run a carpet sweeper over a rug 敷物にじゅうたん掃除機をかける.
10 打ちつける, 突き当てる, 打ち当てる.
・run one's head against a wall 頭を壁に打ちつける.
・run a cart into a guardrail 車をガードレールに突き当てる.
・run a ship aground [on(to) the rocks] 船を座礁させる.
11a 流れさす, 流す.
・run water into casks 水を樽へ流し込む.
・run water over one's hair 髪に水をかける.
・run tears [blood] 涙[血]を流す.
b 〈溶液を〉流し込む; 鋳造する.
・run lead into molds (溶けた)鉛を型に流し込む.
・run bullets 弾丸を鋳造する.
c 〈風呂おけなど〉に水を張る.
・run a hot tub [bath] 風呂をたてる.
・run a bath (蛇口から)風呂に水[湯]を入れる.
・Run me a bath.=Run a bath for me.
12a 処理する.
・run a problem through a computer コンピューターにかけて問題を処理する.
b 加工する, 精製する.
・run crude oil.
13a 〈危険〉に身をさらす, 冒す, 招く, 賭ける (incur).
・run risks [dangers] 冒険する[危険を冒す].
・run the risk of… …の危険を冒す.
b 〈病気〉にかかる, 〈熱を〉出す.
・run a temperature [fever] (病気で)熱を出す.
14 陥らせる, 追い込む.
・run a person into trouble [debt] 人を困難[借金]に陥らせる.
15a ざっと〈目を〉通す 〔over, through〕 (cf. →RUN1 over… (1)).
・run one's eye(s) over a letter 手紙にさっと目を通す.
b 〈指などを〉走らせる (cf. →RUN1 over… (5)).
・run a finger down the pages of a ledger 元帳のページに指を走らせる.
・run one's tongue over one's dry lips 乾いた唇を舌でなめる.
16 〈線・仕切りなどを〉引く, 画する, 立てる.
・run a boundary 境界を画する.
・run a partition across a room 部屋に仕切りを立てる.
17 《米》 〈ストッキング〉に伝線を作る (《英》 ladder).
・run a stocking on a nail 爪をひっかけてストッキングに伝線させる.
18 〈布地を〉直線縫い[ランニングステッチ]で縫う.
19a 〔新聞・雑誌に〕 〈連載物・広告などを〉掲載[連載]する 〔in, on〕.
・run an ad [a story, a headline] in an evening paper [on p. 23] 夕刊 [23 ページ]に広告[記事, 見出し]を載せる.
b 印刷する, 出版する, …のコピーを取る 〈off〉.
20 〈勘定などを〉滞らせる.
・run an account [a charge account] at Bloomingdale's ブルーミングデールズのつけ[掛け売り]代金を払っていない.
21a 費用[価]が〈いくら〉かかる.
・This coat ran fifty dollars. この上着は 50 ドルした.
b 〈人〉に〈いくら〉費用がかかる.
・The repairs will run me fifty pounds. 修理は 50 ポンドかかるだろう.
22 【ゴルフ】 〈ボールを〉 (特にグリーン上で)着地してから転がるようにショットする, ランさせる.
23 【トランプ】 (プリッジやホイストで) 〈切札などのスーツ (suit) を〉走らせる《勝てることが確実な一連の札を上から順に出してトリック (trick) を取り続ける; cf. →establish vt. 10》.
24 【玉突】 ミスをしないで〈連続の得点を〉あげる.
25 【クロッケー】 球を打って〈門柱を〉くぐらせる, 〈柱〉に当てる.
・run a croquet hoop.
26 【電算】 〈プログラムを〉走らせる, 実行する.
r#n ab#ut
(1) 走り[駆け]回る; (方々)遊び回る; 車で走り回る.
(2) (仕事で)駆けずり回る.
r#n acr#ss
(1) 〈人〉に偶然出会う, 不意に行き合う; 〈物を〉偶然見つける.
・I ran across him in the park. 公園で彼に出くわした.
(2) …を走って渡る (cf. →vi. 9).
r#n #fter
(1) …の後を追う, 追跡する (chase); …を追い求める, 探す.
(2) 〈異性〉の尻を追い回す, 〈異性〉との交際を求める.
(3) 〈研究など〉に熱中する, に夢中になる.
(4) 《口語》 〈人〉のために尽くす, …の世話[雑用]をして回る.
r#n ag#inst
(1) …と衝突する; (利害・意見などで)…とぶつかる.
(2) …に偶然出会う.
(3) …の不利になる.
・At first luck ran against him. 初めは彼は運がなかった.
(4) 〈人〉と競走する.
(5) 〈相手〉と選挙戦をたたかう.
r#n ah#ad of…の先を行く, …をしのぐ.
r#n al#ng 《口語》
(1) 去る, 出かける, 発(た)つ.
(2) [通例子供に対して, 命令形で] あっちへ行く.
・Run along! (うるさいから)あっちへ行っていなさい.
r#n #nd… すぐ[はやく]…しなさい.
r#n ar#und
#(vi.)
(1) ⇒vi. 5 a.
(2) (雑用・世話などで)駆けずり回る, 大忙しである 〈doing〉 〔after〕.
(3) (通例, 好ましくない人と)交際する; (異性と)遊び回る 〔with〕.
(4) 〈既婚者が〉浮気する.
#(vt.) 《英》 〈人を〉車であちこち連れて行く[案内する].
r#n ar#und… 《米》 …を次々とうまくかわす[外す].
r#n at
(1) (突進して)…を攻撃する; …に向かって走る.
(2) 〈エンジンなどが〉…の速度で動く; 〈取引きなどが〉…に及ぶ.
r#n aw#y
(1) 逃げる, 逃走する; 急いで立ち去る.
(2) 〈馬が〉逸走する, 逃げ出す.
(3) 家出する, 出奔する, 駆け落ちする 〔from〕.
(4) 〔問題などを〕避ける, 〔事実などから〕目をそらす 〔from〕.
(5) 〈競走馬・競走者が〉〔相手を〕引き離す 〔from〕.
(6) 〈水などが〉流れ出る.
(7) [won't を伴い] 〈問題・課題などが〉消えてなくなる.
r#n aw#y with
(1) 《主に米》 …を持ち逃げする; 盗む.
(2) …を連れて逃げる, …と駆け落ちする.
(3) 〈馬が〉 〈車・乗客など〉を付け[乗せ]たまま駆け出す.
(4) 〈感情などが〉 〈人〉の自制心を失わせる.
・Don't let your feelings run away with you. 感情に駆られてはいけない.
(5) 〈人の意見など〉を早のみ込みする, 早合点する.
(6) 〈計画・機械などが〉〈金・燃料など〉を浪費する, 費やす.
(7) 〈試合など〉で圧倒的に[やすやすと]勝つ; 優勝して[優等で] 〈賞など〉をもらう.
(8) 《主に米》 〈ショーなど〉で人気をさらう.
(9) 〈計画など〉を思い通りに進める.
(10) 【海事】 〈滑車のロープ〉を(大きく引くために)甲板を走って引く.
r#n b#ck
#(vi.)
(1) 走って帰る, 走って戻る 〔to〕.
(2) 〈家系などが〉(…に)遡(さかのぼ)る; 回想する.
・run back over the past 過去を追想する.
・His memory doesn't run so far back [back so far]. 彼はそんなに前の事は覚えていない.
(3) 【アメフト】 (キックオフのボールを取ったりした後で)ボールを持って相手ゴールめがけて走る.
(4) 〈水などが〉逆流する.
#(vt.)
(1) 〈フィルムなどを〉巻き戻す.
(2) ⇒vt. 4 b
r#n bef#re one can w#lk 基礎ができないうちに難しいことに取り組む (cf. →WALK before one can run).
r#n beh#nd (予定などより)遅れる.
r#n beh#nd…
(1) 〈予定〉より遅れる.
(2) …の後について走る.
r#n by… 〈…〉を急いで訪れる.
r#n…by― 《米口語》 (反応などを知るために)〈人〉に〈…について〉話す[見せる].
・Run that by me again. もう一度説明してくれませんか.
r#n a person cl#se [h#rd]
(1) 〈競争相手を〉追い詰める.
(2) 〈人を〉窮迫させる.
r#n d#wn
#(vi.)
(1) 〔…に〕急いで行く; 〔…に〕流れ落ちる; 〔…まで〕〈土地などが〉のびている 〔to〕 (cf. →vi. 1 a).
(2) (ぜんまいの巻きがほぐれたり, 動力がなくなって) 〈時計が〉止まる; 〈運転が〉止まる, 〈電池などが〉切れる.
(3) (過労・栄養不良などのために) 〈健康が〉衰える; 〈地域・建物などが〉荒廃する.
(4) 〈数量が〉減る.
(5) (都会から)田舎を訪れる.
・run down to Torquay (cf. →vi. 2 b).
(6) 《英》 (洪水のあと) 〈川の水が〉引く.
#(vt.)
(1) 〈人を〉突き倒す, 衝突する; [しばしば受身で] 〈車が〉〈人などを〉轢(ひ)き倒す.
(2) 〈電池などを〉使い果たす.
(3) [通例受身で] 〈病気などが〉〈人を〉衰弱させる.
・I feel run down. 私は体の衰えを感じる (cf. →run-down).
(4) 《英》 〈人員などを〉減らす, 削減する.
(5) 〈船に〉衝突して沈没させる.
(6) 威圧する, 圧倒する.
(7) 〈人・獲物を〉追い詰める, 狩り立てる.
(8) 捜して見つけ出す, つかまえる.
(9) けなす, くさす, そしる.
・You're always running me down! 君はいつも僕のことを悪く言うね.
(10) 《英・豪》 [しばしば受身で] 〈物〉の価値[量]を減らす; 〈組織などの規模を〉縮小する.
・run stocks down 在庫を減らす.
(11) 【野球】 〈走者を〉挟殺(きょうさつ)する.
r#n d#wn…
(1) 〈リストなど〉にさっと目を通す.
(2) 【海事】 〈岸〉に平行して近くを航行する.
★その他の用法については ⇒vi. 8 b, →13 a.
r#n for it 《口語》 (危険などから)急いで逃げる.
r#n f#ll 【海事】 帆を十分にはらませて走る.
r#n a person h#rd=→RUN a person close.
r#n #n
#(vi.)
(1) 駆け込む; 流れ込む.
(2) 〈列車が〉駅へ入って来る.
(3) 突進して取り組む, 肉薄する 〔to〕.
(4) 《口語》 〔人の家に〕立ち寄る, ちょっと訪問する 〔to〕.
(5) 〈負債〉を作る, 生む.
(6) 【ラグビー】 ボールを持って敵のゴール内へ駆け込みこれを地につける.
(7) 【印刷】 〈原稿が〉(組んでみて)予想外に縮まる.
#(vt.)
(1) 差し込む, はさむ.
(2) 《口語》 逮捕連行する, (捕縛して)投獄する, ぶち込む.
(3) 【印刷】 追込みにする; 〈母型を〉装填する.
(4) 《英》 〈新しい機械, 特に新車を〉ならし運転して調子を出す[整える].
r#n #nto… …に思いがけなく会う, 偶然…に出くわす.
r#n #nto…
(1) 〈川などが〉…に流れ込む.
(2) …にぶつかる, 衝突する.
(3) 〈苦しい状況など〉に陥る (cf. →vi. 19 e); 〈悪天候など〉に遭う.
(4) …に達する.
・run into a large sum of money 大きな金額に達する.
(5) …と合体する.
(6) 〈習慣など〉に染まる[がつく].
(7) …に続く[代わる]; 〈色などが〉…にとけ込む.
r#n…#nto― ⇒vt. 4 a, →9 a, →10, →11 a, →14.
r#n #nto the gr#und ⇒ground1 成句.
r#n #n with
(1) …と一致する, …に同意する.
(2) 【海事】 〈岸・船など〉に接近して航行する.
r#n it f#ne ⇒fine1 adv. 成句.
r#n #ff
#(vi.)
(1) 逃げる; 家出[駆け落ち]する 〔from, to〕.
(2) 流れ去る.
(3) 突然脱線する; 〈話が〉わき道にそれる.
(4) 下痢をする.
(5) [通例命令文で] 立ち去る.
(6) 〈道・廊下などが〉始まる.
#(vt.)
(1) 〈一覧表・詩などを〉すらすらと読む, すらすらと書く.
(2) 刷る, 印刷する, 刷り出す.
(3) (機械で)造り出す, 製作する.
(4) 〈液体を〉流出させる, 干上がらせる; 放出する.
(5) [しばしば受身で] 〈レースなどの決勝戦を〉する.
(6) 〈侵入者などを〉追い出す.
(7) 《米》 〈家畜を〉(追い払って)盗む.
(8) 走って〈体重を〉落とす.
r#n off…
(1) 〈機械などが〉…を動力源にする.
(2) 〈水などが〉…から流れ去る.
(3) 〈道・レール〉から外れる.
r#n…off―
(1) 〈…を〉―から追い出す; 〈…を〉―から飛び出させる, 脱線させる.
(2) 〈…を〉―(を動力源)で動かす, 使う.
r#n #ff at the m#uth 《米口語》 しゃべりまくる, まくしたてる.
・He's always running off at the mouth about the government. いつも政府のことをべらべらしゃべっている.
r#n #ff with
(1) …と駆け落ちする.
(2) …を持ち逃げする; 盗む.
r#n #n
#(vi.)
(1) ⇒vi. 1 a.
(2) 続ける; 話し続ける.
(3) 〈書体が〉続き文字になる.
(4) 作用[効力]を続ける.
(5) 〈時が〉経過する; 〈道などが〉〔…に〕続いている 〔to〕.
(6) 〈印刷物〉の行[段]が切れずに続く.
#(vt.)
(1) 〈印刷物〉の行[段]を追い込む, 行[段]を切らずに続ける; 〈文などを〉続ける.
(2) (辞書などの項目の)最後に付け加える, 追い込む.
r#n on…
(1) 〈車が〉…を燃料とする, …で走る; 〈ソフトウェアが〉…で作動する.
・run on diesel oil [batteries, electricity].
(2) 〈心が〉…にとらわれる, くよくよ考える.
・run on the past 過去にこだわる.
(3) ⇒vi. 17 a.
r#n…on― 〈…を〉―(を動力源)で動かす, 使う; 〈ソフトウェアを〉―で作動させる. ⇒vt. 5 b.
★その他の用法については ⇒vt. 12 a, →17, →19 a.
r#n #n #mpty 《米口語》 (資金・燃料・エネルギーなどがなくなっても)(走り)続ける.
r#n #ut
#(vi.)
(1) ⇒vi. 1 a.
(2) ⇒vi. 8 c.
(3) 〈土地・桟橋などが〉突き出る, 突出する.
(4) 〈金・食料などが〉尽きる, 終わる; 〈時間・蓄えなどが〉なくなる 〔for〕.
(5) 満期になる; 〈契約・カードなどの〉有効期限が切れる.
(6) 使い尽くす; 無一文になる, 貧乏になる.
(7) (交配などの結果)〈植物・動物が〉特徴をなくす, 退化してしまう.
(8) (ある成績で)競争[コンテスト]にパスする; 必要な得点を挙げる.
(9) 【海事】 〈索が〉ロープ一杯繰り出される, 繰り出す.
(10) 〈馬が〉障害を避けてわきにそれる.
#(vt.)
(1) 〈競技などを〉終了する, けりをつける.
(2) 〈ロープなどを〉繰り出す.
(3) 《米》 〈人を〉追い出す, 追放する 〔of〕.
(4) 【印刷】 〈行を〉 (クワタ (quad) や飾りなどを入れて)いっぱいに組む, 広く組む; 〈段落の一行目などを〉頭を出して組む (cf. →hanging indention).
(5) 【クリケット】 [しばしば受身で] 〈打者線 (popping creases) 間を走っている走者を〉アウトにする.
(6) 【野球】 〈打者を〉アウトにする.
・The runner was run out between 2nd and 3rd. ランナーは 2, 3 塁間でアウトになった.
(7) 【野球】 〈打者を〉(ヒットを打って)一塁へ全力疾走させる.
(8) 突き出す.
(9) 〈…を〉走って疲れさせる.
r#n #ut at 〈経費・合計などが〉…に達する.
r#n #ut of… …を使い果たす, 切らす, …が欠乏する, なくなる.
・run out of coffee, energy, fuel, money, etc.
r#n #ut on 《口語》 …を見捨てる.
r#n #ut the cl#ck ⇒clock 成句.
r#n #ver
#(vi.)
(1) ⇒vi. 2 b.
(2) 〈液体またはその容器が〉あふれる.
・The last drop makes the cup run over. 最後の一滴でカップはあふれる《物事は程合いを知らねばならない》.
(3) 超過する; 〈ゲーム・番組などが〉予定時間を越える.
#(vt.)
(1) 〈車が〉〈人などを〉轢(ひ)く.
・He was run over by a car. 彼は車にひかれた.
(2) 〈…を〉運ぶ, 持ってゆく 〔to〕.
r#n over…
(1) 〈せりふ・要点など〉をざっと見る, 通読する, 復習する (cf. →vt. 15 a); …について考えてみる; 急いで述べる, かいつまんで話す.
(2) 繰り返す, 復唱[復習]する, (もう一度)調べて[考えて]みる.
(3) 〈車が〉〈人など〉を轢(ひ)く.
・The car ran over him.=The car ran him over. その車が彼を轢いた. ★後者の over は副詞.
(4) 〈限度・予定などを〉超す, 超過する; 〈感情が〉…を圧倒する.
(5) 〈鍵盤など〉に続けざまに素早く触れる (cf. →vt. 15 b).
r#n…past a person=r#n…by a person.
r#n thr#ugh
#(vi.) 走り抜ける; 流れ抜ける.
#(vt.)
(1) 〈…を〉〔刃・針などで〕突き刺す 〔with〕 (⇒vt. 9 a).
(2) 〈フィルム・テープなどを〉(機械に)かける.
r#n through…
(1) 〈場所〉を走り抜ける; 流れ抜ける (cf. →vi. 4 b); 〈道・川などが〉…を貫いている.
(2) 〈考えなどが〉〈社会など〉に行き渡っている; 〈感情などが〉〈作品〉に流れている.
(3) 〈恐怖などが〉…を突然襲う; 〈ささやき・うわさなどが〉…にさっと広まる (cf. →vi. 13 a).
(4) 〈一連の出来事など〉について初めから終わりまで考える, 説明する.
(5) 〈手紙・リストなど〉をさっと読む, 見る, 調べる (cf. →vi. 10 c).
(6) …をさっと復習する; 〈場面・劇など〉を通しでリハーサルする.
(7) 〈財産など〉を使い尽くす, 浪費する.
(8) 〈書いた文字〉を線を引いて消す.
(9) ⇒vi. 10 b.
r#n…through―
(1) 〈…に〉―を走り抜けさせる; 〈…を〉―に流す.
(2) ⇒vt. 9 a, →b.
(3) 〈…に〉―の場面をリハーサルさせる.
(4) 〈…を〉〈機械〉にかける (⇒vt. 12 a).
r#n to
(1) ⇒vi. 19 b, →c, →d.
(2) ⇒vi. 2 c.
(3) [しばしば can, will などを伴い否定文で] 〈人が〉…の能力[財力]をもっている; 〈金が〉〈経費・事業など〉に(十分)足りる.
(4) 〈好みなどが〉…に向う.
r#n tog#ther 混ぜる; 結合する.
・run words together 言葉を混ぜる.
・Don't run sentences together without proper punctuation. 適切な句読点なしで文を結合してはいけない.
r#n to m#et 〈不幸などを〉 (早まって)先取りする (anticipate).
・⇒run to meet one's TROUBLEs.
r#n to p#ttern ⇒pattern 成句.
r#n #p
#(vi.)
(1) 駆けよる; 駆け上がる 〔to〕; 助走する.
(2) 速やかに成長する.
・Children run up rapidly. 子供はぐんぐん成長する.
(3) 〈物価などが〉騰貴する.
(4) 〈数量が〉〔…に〕達する 〔to〕.
(5) 〈出費・借金などが〉 (どんどん)かさむ, 増える.
(6) 二位になる, 二着に入る.
#(vt.)
(1) 〈出費・借金などを〉 (どんどん)増やす; 〈カードで〉出費を重ねる.
・run up debts.
・She ran up huge bills. (やたらに買物などをして)すごく勘定がたまった.
(2) (競売で)〈競う相手に〉競り上げさせる.
(3) [しばしば受身で] 〈旗などを〉 (するすると)掲げる.
(4) 〈家などを〉建てる, 作る; 安普請(やすぶしん)で建てる, 大急ぎで建てる, 急造する; 高く建てる.
(5) 大急ぎで縫う.
(6) 〈数字の列を〉迅速に寄せる, 加える.
(7) 〈物価を〉押し上げる; 〈日用品など〉の価格を上げる.
(8) 《主に米》 〈勝敗などを〉重ねる.
r#n up ag#inst
(1) …に衝突する.
(2) 〈困難・難題など〉に出くわす.
r#n up#n (cf. →RUN on)
(1) …に不意に出会う.
(2) 〈考えなどが〉…に集中する, に奪われる.
r#n with
(1) …と付き合う.
(2) 〈場所が〉…であふれる (⇒vi. 8 b).
(3) 〈事〉を進める, 発展させる; …を受け入れる.

・・・・・

#《1685》 # ON #r#n <Gmc #r#naz ← #reu- mystery, secret (Dan. rune / Swed. runa / OE r#n mystery, secret counsel): cf. round2#

[株式会社研究社 新英和大辞典第6版]


run1 S1 W1 [See pronunciation table in "How to use dictionary" pages] past tense ran [See pronunciation table in "How to use dictionary" pages] , past participle run, present participle running

http://www.ldoceonline.com/dictionary/run_1

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理性とは純粋自我知性+陰陽調和精神:汝の肚を知れ!

テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化

理性とは、知性+陰陽調和精神と思う。
知性は自我と一体化している。だから、知性だけでは、自我とともにあるために、自我に傾斜すると、利己主義(利我主義が正確だと思う)、自己中心主義になり、知性が歪曲されるのであり、知性から乖離し、妄想・妄念化すると思う。
 これを精神疾患に当てはめられよう。
自我欲望が強いと、知性はねじ曲げられ、あらぬものまで軽信、妄信、狂信するのである。しかも、そこへ恣意を入れて、UFOが世界を救済するまでいくのである。
 そう、自我は基本的に、盲点、つまり、自己に対して、盲目であるという大欠点をもっているのである。
 ひとまで、ここで留める。

追記:いろいろ言いたいことがあるが、デルフォイの神託の有名な「汝自身を知れ」とは、汝の肚を知れである。(追記:正確に言えば、汝の肚を知った上で、さらに、心=心臓を中枢とする氣の感性、氣の美的感性を通して、身体に健康にはたらくことを知り、実践する必要があるのである。つまり、肚を知り、氣的身体理性実践をせよ!ということになる。)
 そう、シュタイナー霊学であるが、心=心臓まではよく説くが、肚を避けているように見えるのである。
 シュタイナー霊学は非常に精緻な精神科学であるが、太極無双PS陰陽論の原点である肚がそこには欠けていると思えるのである。
 そう、シュタイナー霊学は東洋の肝である肚を避けているように見える。あれほど、東洋文化を評価しているのに、肚を避けているのである。

追記2:カントの理性を意識しているが、ここで考える理性とカントの純粋理性の関係であるが、ここでの理性は、カントの純粋理性を越えてると言える。
 陰陽調和は内在超越的事象である。
 だから、ここで私が提示した理性は、いわば、超理性である。あるいは、内在超越的理性である。いわば、内超理性である。
 ひとまずここで。




ガン細胞とは何ぞ哉:ガン細胞は内なる他者か?:ミトコンドリアは氣の貯蔵庫?

テーマ:生命力とは何か:氣と小食と腸内細菌

以下のような視点が出るのを私は待っていたようだ。
 私は免疫機構は単純過ぎると思っていたからである。異物を排除するという自己認識機構は、それは、同一性機構であり、PS陰陽論(又は前期PS理論)で説いた、内なる他者(不連続的差異)との共振・共鳴の視点からは単純というか、逆に否定すべきものに見えるからである。
 おそらく、内なる他者という視点が重要だと思う。排除される異物とは、外部の他者であり、内在する他者とは別物であると考えられる。
 PS陰陽論から見ると、免疫機構は、陰陽共振・共鳴に不適応な他者を排除するのではないだろうか。
 しかしながら、ガン細胞とは、実に、内なる他者、免疫機構と同質ということになるのかもしれない。
 それで、ミトコンドリアであるが、私は先に、思いつきで、ミトコンドリアに氣が物質的に貯蔵されているのではないのかと述べた。
 以下の見解から、今思いついたが、ミトコンドリアは、氣のカプセルではないだろうか。つまり、陰陽共鳴・共振が静態的に(アリストテレス哲学なら、デュナミスである)保存されているのではないだろうか。静態的ならば、それは、先の作業仮説では、岩、磐座、鉱物と関係することになるだろう。
 ミトコンドリアと岩は関係する?
 とまれ、重要な検討課題である。
 

癌とは人体の一部であり,しかも「敵」ではなくて「味方」あり「仲間」である! (12/08)

マクロファージもT細胞もオートファジーもヒートショックプロテインすらもガン細胞は自身の生き残りのために取りこみます。

免疫システムも自然治癒物質もガン細胞にとっては味方なのです。

つまりガンとは自分自身なのであり敵ではなかったということなのです。

存在理由があって存在する60兆個の細胞の仲間。それが癌なのです。

癌があればこそ解糖系を駆使し速攻でATPが供給できるのです。

癌によっても生かされているのがヒトです。

95%のATP供給源であるミトコンドリアを疲弊させなければ細胞は解糖系を亢進してガン化したりなどしません。

・・・・・
ガン化阻止の鍵を握るのはミトコンドリア

今村さん、おはようございます。
「ガン化阻止の鍵を握るのはやはりミトコンドリアなのです。」
まったくその通りだと思います。
http://www.jst.go.jp/pr/announce/20121001/
「細胞間の相互作用で良性腫瘍ががん化する仕組みを解明」
@がん細胞では高頻度にミトコンドリアの機能が低下している
Aミトコンドリア機能が低下した細胞が隣の細胞のがん化を促進することを発見
B炎症性のたんぱく質の放出により周辺組織ががん化
『文殊菩薩』


2013年12月01日(Sun)▲ページの先頭へ
MP1とMP2:前期PS理論は生きている:但し、『海舌』氏の人間認識図は大修正を要する
MP1とMP2:前期PS理論は生きている:但し、『海舌』氏の人間認識図は大修正を要する

テーマ:PS理論:プラトニック・シナジー理論

氣と太陽と現象(生命体を含めて):氣の現象力学(現象科学):氣の哲学ー科学へ向けて
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11715571610.html

先に以上のように述べたが、結局のところ、前期PS理論はほぼ生きているのである。

   『海舌』氏による人間認識図(要大修正)

人間認識図


 今は、MP1とMP2について簡単に触れる。
MP1とは、ガウス平面における虚軸上の陽凸iと陰凹iの共鳴における交点である。
MP2は実軸上における陽凸iと陰凹iの共鳴における交点である。
 先の説明では、MP1に霊的太陽、MP2に現象太陽の、それぞれのコアがあるということである。
 霊的太陽とは氣の太陽と言えるのではないだろうか。
 思うに、MP1からMP2への次元転換があるのであり、それは、二次元から三次元への転換ではないだろうか。円から球への転換であろう。
 とまれ、後で、詳述したい。
 最後に一言。結局、PS理論の問題点は、自己認識方程式凸i*凹i⇒+1の解釈と人間認識図の解釈にあると言えよう。
 両者とも、『海舌』氏の独創である。天才的独創と言えよう。しかしながら、解釈が拙速であったと思う。
 しかし、PS理論は、陰陽論の太極一元論の見方が欠落していたのであり、私はPS理論から離脱して、それを追求したのであった。
 また、『海舌』氏は、四元数を用いて、新たなPS理論を展開して行った。それは、もはや、PS理論ではないように思えるが、一応、後期PS理論と言うことができよう。
 とまれ、結局、私は数学主導を排して、太極一元論を展開して行ったが、結局、前期PS理論に回帰するようにして、それと太極的陰陽論を結びつけて、無双(太極)PS陰陽論とし、今に至ったのである。
 そう、『海舌』氏と2004年9月ブログ上で遭遇して、不連続的差異論が誕生し、その後、(前期)PS理論が誕生した。それらは、哲学と数学の奇蹟的な 融合と言えよう。(前者は哲学主体であり、思うに、私が主導したものである。後者は上述したように『海舌』氏の陰陽論の独創的数学化である。)
 しかし、その後、哲学志向と数学志向で分裂したのである。
 そして、その分裂前の奇跡的な不連続的差異論/(前期)PS理論へと私は、太極的陰陽論をもって回帰したのである。

追記:後で簡略に、修正人間認識図を作図したい。


氣と太陽と現象(生命体を含めて):氣の現象力学(現象科学):氣の哲学ー科学へ向けて
氣と太陽と現象(生命体を含めて):氣の現象力学(現象科学):氣の哲学ー科学へ向けて

テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化

氣と太陽
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11715437947.html

先に以上のように書いたが、単なる思いつきの寄せ集めである。
 もう一度、より整合的に考えたい。

どうも、私の直観像がうまく言語化されていないという感じなのである。だから、それをもう一度試みたい。

 これまでの考え方を整理しよう。

尚、次を参照されたい。

有氣体(氣的物質、生命体)と無氣体(純物質):氣=陰陽共鳴に拠る生命ー物質双体様態の有氣体 (11/26)

http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-2043.html



1)根源は無双太極である。陰陽未分化様態、

  いわば、混沌である。

2)それが図形化すれば、円を成形している。これを

  元円(原円)と呼んでもいいだろう。

3)この元円が、陰陽円となる。元円と陰陽円は

  即非様態である。即ち、

  元円=陰陽円、且つ、元円≠陰陽円である。

4)そして、陰陽円であるが、それは氣自体である。

  また、氣=陰陽極性=陰陽対極性である。

5)氣=陰陽は二つの方向で展開する。これを数式化

  すると、

  陰凹i*陽凸i⇒±1

  となる。⇒−1は陽主導であり、⇒+1は陰主導で

  ある。

6)鉱物は陽主導であり、なおかつ、右半円は

  生命潜在態の様態である。そして、植物は陰主導で

  右半円に属し、それから、動物は陽主導で、

  左半円的になり、人間は再び、陰主導で、右半円

  的になる。しかし、母権では、陰陽調和があるが、

  父権化によって、陽へ傾斜する。つまり、父権

  化は、人間に陰主導の母権と陽主導の父権の

  分裂様態をもたらす。次を参照:


無双太極⇒氣⇒陰陽共鳴(双体性)⇒鉱物(陽主導)⇒

植物(陰陽調和)⇒動物(陽主導)⇒人間物(陰陽調和と陽極大と陰極大)


7)現代人類の課題は、陰主導性を取り戻し、

  分裂様態を克服して、新しい

  植物的陰陽調和様態へ進展することである。



参考:『海舌』氏の人間認識図(要大修正:左右反転させる、他)
人間認識図


ざっとであるが、以上である。

 以上の図式には、太陽、日光の事象について、触れられていないが、直近のメモはそれについてものである。

 だから、単純に見て、両者の整合化が必要なのである。言い換えると、氣的生命図式と氣的太陽図式のすり合わせが必要ということである。

 しかし、後者が不明確なので、ここで、氣的生命図式を背景にしつつも、再度、検討する必要がある。

 端的に、問題は、氣と日光ないし太陽の関係なのである。

 直観では、陰陽共鳴は両方向へ展開する。陽主導は⇒−1で物質・現象(可視界)志向であり、陰主導は⇒+1で生命体、絞って言えば、植物体志向である。

 ここで、もう齟齬が生じる。即ち、⇒−1を可視界志向とするなら、⇒+1は不可視界志向ということになるから、それを植物体志向というのは齟齬となるのである。

 ここで、作業仮説的に明確に首尾一貫させておく。

 即ち、⇒−1(左半円)は陽主導(哲学的に言うと、連続化方向)であり、陽的現象をもたらし、⇒+1(右半円)は陰主導、つまり、陰陽調和志向であり、陰陽調和現象をもたらすと作業仮説する。

 例えば、左半円は鉱物、動物、父権的ヒトが属し(−1は無氣物質)、右半円は、植物、母権的ヒトが属する(+1は有氣物質)。(尚、細菌、ウィルス等はおいておく。これは別に検討が必要である。それに根本的な検討が必要である。)

 ただし、陽主導であるが、いわば、影、陰影として、陰主導が内包され、又、逆に、陰主導は陽主導を内包するように思われるのである。影、シャドーの内包である。

 とまれ、以上のように作業仮説すると、新たに、


陰陽方程式:陰凹i*陽凸i⇒±1


とする。

 すると、⇒のベクトルは、エネルゲイアを意味しよう。(ただし、これをエネルギーと呼ぶと物質エネルギーと混同されるので、今の段階では、エネルゲイアとする。)

 ⇒=エネルゲイアは、情報を内包した力動と考えられる。いわば、情報成形力動である。

 これは生命現象で言えば、いわゆる、生命力ということになるだろうが、鉱物を含むので、現象成形力と言うべきである。東洋の言葉では、造化である。西洋では、天地創造である。

 この現象成形力の二方向であるが、これを極性で捉えると、陰陽極性と混同されるだろう。

 しかし、いちおう、陽成形力、陰成形力の二元論を見ておきたい。しかしながら、両者、相補的な面があると考える。だから、相補的二元陰ー陽成形力である。

 しかし、今、はっきりさせておくが、この現象成形力(現象造形力と呼ぶ方がいいかもしれない。)は、氣ではない。氣から派生する力であり、いわば、物理的力である。そう、形而下的力である。それに対して、氣はあくまで、形而上的力である。(今日の科学は、当然、前者に関係するが、根本の氣の力学を見ていないために、暗黒物質【ダーク・マター)や暗黒エネルギー【ダーク・エネルギー】を仮説せざる得なくなっているのである。氣を前提にすれば、それらは氣の力学で説明できると思われる。)

 次に、いよいよ、核心の、氣と太陽、日光の関係力学について整理する。

 直観では当然、太陽は陰陽共鳴である。上図で言えば、原点(MP:メディア・ポイント)に、おそらく、原太陽があり、それが、⇒±1の両方向へ発現・発出するのである。

 そうすると、太陽は二種類あることになるのではないだろうか。陽主導の太陽と陰主導の太陽である。

 しかし、太陽は太陽である。とまれ、±1の両面太陽を考えておきたい。あくまで、一つの太陽である。

 そして、太陽現象は当然、⇒±1であり、太陽の核心は原点(MP:メディア・ポイント)であり、それは、元太陽=陰陽共鳴である。

 さらに言えば、その根源は一(いつ)としての氣=陰陽である。

 だから、


氣=陰陽⇒元太陽(陰陽共鳴)⇒太陽(両面太陽)


となる。

 次に、いよいよ、日光、現象光についてである。

 以上から、それは当然、《陰陽方程式:陰凹i*陽i⇒±1》における±1が日光、現象光であると考えられる。

 ならば、極言すれば、二つの日光があることになる。即ち、−1と+1である。しかしながら、両面日光ということで一つのものと見る。

 さて、以上で、現象の陰陽力学と太陽・日光の陰陽力学を見てきたが、両者をすり合わせる必要がある。

 整理しよう。《陰陽方程式:陰凹i*陽i⇒±1》において、⇒は、主に力動を、左辺の陰凹i*陽凸iを主に情報と見る。

 そう、ここで、アリストテレス哲学の用語を用いれば、⇒はエネルゲイア(活動態:現実態と訳されるが)で、左辺はデュナミス(静的潜在態:可能態と訳される)となるだろう。

 ここで、大空海(あえて、空海をこう呼びたい)の両界曼荼羅の哲学を想起すると、金剛界曼陀羅は左辺のデュナミスに、胎蔵界曼陀羅は⇒に相当するのではないだろうか。

 簡便に言えば、前者は情報ないしイデアであり、後者はエネルギーである。つまり、前者を動態化してものが、後者であるということであり、エネルギー、正確には、エネルゲイアは情報・イデアを内包しているのである。だから、エネルゲイア(エネルギー)とは単純に量的なものでなく、智(霊智、氣智)の動的展開であるということと考えるのである。

 そして、太陽、日光について考えると、太陽は⇒で、日光は両端の±1となるだろう。

 太陽=⇒は当然、エネルゲイアであるから、現象情報・イデア・智(霊智・氣智)を内包しているのであるから、「知性体」である。

 そして、±1の日光であるが、これをどうみるのか、である。

 先に、太陽現象は⇒±1と上述した。

 そう、±1はアリストテレス哲学の用語では、エンテレケイア(完全現実態:つまり、エネルゲイアの帰結である)に相当すると言える。

 しかしながら、日光をエネルギー現象と見るならば、当然、⇒±1の太陽現象と見るべきである。

 ならば、当然、日光も太陽現象の情報・イデア・智(霊智、氣智)を内包する「知性体」であると考えられよう。

 もう少し精緻に言えば、±1とは、⇒ のエネルゲイアの無い状態であり、無時間的である。つまり、時間を静止させた様態である。それは、つまり、死せるものである。死せる様態である。故に、日光というときは、それは死せるものではない。それは時間的に現象するのであるから、当然、⇒±1と見なくてはならないのである。

 以上のように見て、現象陰陽力学と太陽陰陽力学を統合すると、氣=陰陽というデュナミス(静的潜在態)=イデア=金剛界曼陀羅は、元太陽そして、太陽現象を成形するのである。そして、それから、諸現象を造化・創造・成形・造形するのである。

 そう、


 0:始原は無双太極=陰陽未分化混沌=太霊・太水

   であった。

 1:初めに、氣=陰陽ありき、

 2:次に、元太陽(=太陽と見ていいだろう)

   ありき、

 3:その次に、太陽現象=日光ありき、

 4:それから、諸現象、鉱物・植物・動物・人類

   ありき

(5:超人類としての森人類)


となる。

 ゲーテが「もっと光を」、そして、D.H.ロレンスが「太陽から始めよ」と説いたのは、正に、大真理である。

 さて、最後にシュタイナーの説く霊的太陽、D.H.ロレンスが説くダーク・サン(黒い太陽)について簡単に考えたい。

 霊的太陽とは、氣=陰陽から生起する虚軸における陰陽共鳴交点(MP1)に生起する元太陽であり、太陽は実軸における陰陽共鳴交点(MP2)に生起すると言えよう。(PS理論、正確には、前期PS理論の考えは生きているのである。)

 そう考えれば、ロレンスのダーク・サン(黒い太陽:正しくは、玄い太陽だろう)も霊的太陽と考えていいとなる。


2013年11月26日(Tue)▲ページの先頭へ
有氣体(氣的物質、生命体)と無氣体(純物質):氣=陰陽共鳴に拠る生命ー物質双体様態の有氣体
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11712291592.html

有氣体(氣的物質、生命体)と無氣体(純物質):氣=陰陽共鳴に拠る生命ー物質双体様態の有氣体

テーマ:唯物科学から物質包摂の氣サイエンスへ

岩、磐座、鉱物の解明でつまづいているが、今、作業仮説的に、物質を二つにわける。それは、有氣体(有氣物質)と無氣体(純物質、無氣物質)である。
 岩、磐座、鉱物はそうすると、実は、前者に属するのである。それは、氣をもっているのである。
 すると、氣を生命力としたこれまでの考えを訂正する必要がある。氣は原生命力であるが、生命力自体ではないとするのである。氣から生命力は生まれるとするのである。


    『海舌』氏による人間認識図(要大修正)

Resurrection : ヤポネシア、夜明けと目覚めの光楽:無双(太極)PS陰陽論Nonpolar(Taiji) Platonic Synergy Yin-Yang Theory

 思うに、有氣体とは、上図で言えば、円全体である。右半円が氣的様態であり、左半円が物質的様態と思える。
 しかし、両者は原点、中心点で結合しているのである。以前は、MP(メディア・ポイント)と呼んだ点である。
 それは、氣と物質の紐帯である。臍の緒である。
(しかし、ここに作図されていないのが、陰陽円、超越円である。それは、この円に直交するような虚軸を直径とするような円である。そこで、いわば、イデア界となるだろう。そう、無双太極界である。だから、陰陽円というよりは、陰陽未分化円と呼ぶ方が正確である。これについては、別に述べたい。)
 説明すると、陰主導の陰陽共鳴によって陰凹i*陽凸i⇒+1の氣様態が生成する。同時生起的に、陽主導の陰陽共鳴によって陽凸i*陰凹i⇒−1の物質様態が生成する。
 つまり、陰陽共鳴は同時生起的に、氣様態と物質様態を生成すると考えるのである。当然、前者は不可視様態である。後者が可視様態である。
 重要な点は両者が同時生起であるばかりでなく、両者、一体となっている点である。(思うに、空海の卓抜な両界曼荼羅であるが、それは、この氣様態と物質様態の同時生起的一体を指しているのではないだろうか。ならば、両氣物体と言えるかもしれない。)
 そう、結局、陰陽共鳴が成形する双つの様相・様態である。それを、双体性、あるいは、両体性と仮に呼ぶ。つまり、有氣体とは、双体性、両体性をもっているということである。
 そして、岩、磐座、鉱物は有氣体であり、双体性、両体性をもっているということになる。
 では、そうしたとき、通常の生命体はどう説明できるのか。
 当然、それは、有氣体である。しかし、鉱物との違いはどう説明できるのか。
 今、気付いたが、上記の説明を修正する必要がある。
 陰凹i*陽凸i⇒+1は氣様態ではなく、生命様態と修正する必要がある。
 考えてみれば、陰陽共鳴は当然、氣(一の氣)に基づくものであるから、それから、氣様態が生成するというのは矛盾である。
 故に、陰陽共鳴の双体性・両体性とは、生命様態と物質様態の両面を意味することになる。
 さて、生命体の問題に戻る。
 ここでさらに作業仮説であるが、岩、磐座、鉱物であるが、それは、陰陽共鳴でも、陽優勢、陽優先、陽主導の双体・両体ではないだろうか。つまり、おそらく、岩、磐座、鉱物には、生命様態があるのであるが、それは、いわば、潜在態になっているのである。つまり、おそらく、完全に陽主導になって物質体になっているのである。勿論、氣はあるが、生命は潜在態となっているということである。
 それに対して、植物、動物、人間物の生命体(思うに、細菌等も含めていいだろう)であるが、それは、陰陽共鳴において、陽優先を乗り越えて、陰主導が賦活されているのである。
 故に、生命様態が成形されているということになるのである。
 この生命様態こそ、生命体の本質、本体である。しかしながら、現象的には、物質体(左半円)が発現するということなるのである。右半円の生命様態は、氣自体と同様に、不可視であるということになるのである。
 ただし、螺旋形状の「イデア」あるいは「エイドス」は生命様態に存すると思われる。ゲーテを言う原植物とは、ここに存することになる。
 そう、プラトンのイデアの一つはここに存するだろう。(プラトンのイデアはどうも少なくとも二種類に分けられる。根本の無双太極と氣における生命様態である。これは、別に検討したい。)
 ここで、有氣体の変遷を簡単に図式化する。

無双太極⇒氣⇒陰陽共鳴(双体性)⇒鉱物(陽主導)⇒植物(陰陽調和)⇒動物(陽主導)⇒人間物(陰陽調和と陽極大と陰極大)

である。
 簡単に説明すれば、氣に基づく陰陽共鳴(陰陽対極性・両極性)が最初は陽に傾斜して、鉱物を産出し、次に、陰陽調和によって植物(細菌等はおいておく)を産出し、次に、再び、陽に傾斜して、動物(下等動物と上等動物の力学の違いを説明すべきであるが、おいておく)を産出し、その後、再び、陰陽調和がもたらされ、人間物(母権人間物)が産出されるが、次に、極陽としての自我、極陰としての魂が産出される。前者が悪霊アーリマン、後者が悪霊ルシファーである。とまれ、それは父権人間物に関係すると思われる。
 とまれ、以上で、岩、磐座、鉱物について解明し、これまでの齟齬の解消を試論した。

追記:以上のように考えると、地球はどう説明されるだろうか。
 それは、太陽とともに生命体を育む物質体であるが、それは、当然、岩・磐座・鉱物的存在である。だから、それは、有氣体である。そう、多様複合的有氣体としての地球である。地球自体、生命体とは別に、氣、それも、きわめて、複雑多様な氣を内包しているのである。
 D.H.ロレンスが地霊(spirit of place)について頻繁に言及するが、それは、この地球の氣のことと言えよう。それは、実に多様複雑と言えよう。
 そう、氣の叡知では、龍脈を説くが、それも地球の氣を意味すると考えられよう。そう、地球は地氣湧である。
 ここで、氣、地球の氣と磁気、地磁気の関係が問題になる。
 しかし、これは、直観では当然、別物である。近いとは言え、異質である。
 今は、漠然と言うが、磁気は−1や+1の実数と関係すると思う。一見陰陽対極性と関係するように思われるかもしれないが。
 否、陰陽共鳴の物質化で説明がつくかもしれない。
 思うに、陰陽共鳴の陽主導による物質化であるが、それは、連続化と言えると思う。つまり、陰陽を連続化し、氣=陰陽を物質化するのである。このとき、物質は物質的極性を獲得するのではないだろうか。つまり、磁気であり、電気力である。(単性磁力の問題はここではおいておく。)
 つまり、本来、氣=陰陽対極性は、牽引と反発の矛盾力をもっているが、陽主導の連続化によって、反発が消えて、牽引だけでになると考えられる。故に、物質的極性が形成されると考えられるのである。つまり、磁気ならば、NとSは牽引するのであり、反発はしないのである。

追記2:タイトルの一部の無氣体(純物質)については言及していないので、少し補足する。
 当然、氣のない物質である。それは、上記から、陰陽共鳴の氣エネルゲイア(エネルギーというより、アリストテレスの用語エネルゲイアの方が内包性が多いので、使用する)から鉱物や生命体を含めた有氣体が成形されるが、その後、氣エネルゲイアの枯渇したとき、有氣体は生成性を喪失して、帰結として、−1の純物質、即ち、無氣体になると考えられる。
 ならば、+1は何か。生命体の帰結である+1とは。
 直観では、種子だと思う。遺伝子の包摂された種子だと思う。では、動物はどうなのか。卵子? 精子? 
 確かに言えるのは、遺伝子である。これは、卵子、精子ということではなく、全体として、遺伝子であろう。
 とまれ、要検討である。
 
参照:陰陽方程式に関しては、以下を参照されたい。
オイラーの公式とマイナスの実部:自我と物質の結びつき
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11687938079.html

自己(個)陰陽方程式:自我は陽凸iであり、非我(無私・愛)は陰凹iである:オイラーの公式
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11686282196.html




氣の科学へ向けて:物質科学から物質を包摂した超越科学へ

テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化

以下は昨日書いたもので、雑ぱくとしている。
 今日はもう寝るので(雨も降っていて、買い物には行かない)、まとまったことは言えないが、一言、書きたい。
 今、私の考えが混乱しているのは、岩、磐座を考え出してからである。
 感性では、わかりやすいと思えたので、それまで触れなかったのであるが、いざ、説明しようとしたら、うまく説明できないのである。
 結局、これまで、氣と生命体の観点で考察を行ってきて、鉱物を対象から外してきたのであり、そのため、生命体に関しては、それなりに説明できても、鉱物についてはすぐできないということだと思う。
 これまでの考えは、初めに氣があり、それが、生命体を形成し、純物質(生命物質ではない)とはそれから派生するというものである。
 だから、感じとしては、鉱物を純物質に入れればいいということだったのである。
 しかし、いざ、鉱物、岩、磐座を考えようとすると、それは、氣があるということで、純物質には入らなくなるのである。
 これは、齟齬、パラドックスである。何故なら、純物質とは、生命物質において、氣が失われたことを意味するのであるからである。
 途中。

**************************

明日早いので、一言のみ。
 以下において、氣の力学を試行錯誤している。
 まだ、決定打は出ていない。いくつか作業仮説が出ている。いったん整合化して、問題点をクリアにしたい。
 結局、氣とシュタイナー霊学のエーテル体との関係なのである。私は氣とエーテルないしエーテル体は同じだと思ってきたが、先に述べたが、後者には、陰陽極性はないのである。
 例えば、作業仮説で、天の氣と地の氣を考えると、シュタイナーのエーテルとは、天の氣で、地の氣は含んでいないように思えるのである。
 また、岩、磐座についても再考したい。
 岩、磐座は不思議な存在である。依り代なら、どうして、植物でなく、岩なのか。
 直感では、地球と関係しているのではないだろうか。地球を磐座として、霊を太陽とすればどうだろうか。
 そう、端的に、シャーマニズムの問題である。
 直観では、地の気を岩、磐座が代表し、それが、天の気を受けるのである。

* 磐座とは何ぞ哉:岩と森:天の氣と地の力の結合:巨石信仰 (11/24)
* 二重天皇制の精神力学分析:母権と父権のゆらぎ:氣・植物体的魂と動物体的自我の二元論主体 (11/22)
* 二つの天皇制:母体の母権天皇制と父権天皇制:藤原氏と日本書紀 (11/21)
* 松果体と脳下垂体の二重システム:人体(人心体)における動物体と植物体の結合における免疫力と生命力 (11/21)
* 現象界(物質界)と光と氣 (11/20)

なんでも哲学する:無双(太極)PS陰陽論Nonpolar(Taiji) Platonic Synergy Yin-Yang Theory:日本心的革命宣言




磐座とは何ぞ哉:岩と森:天の氣と地の力の結合:巨石信仰

テーマ:氣神論:氣は万物に通ずる:氣的身体理性

私はかつて日曜登山をしたが、沢の石、登山道の岩、あるいは、神社の磐座に興味をもってきたが、考えてみるとほとんど考察したことがないのである。これは我ながら不思議なことである。
 芭蕉の「閑かさや岩にしみいる(沁み入る)蝉の声」は日本人の岩への感性を表明していると思う。
 これはよくわかるのである。
 しかし、これは何なのだろうか。岩と確かに一体となるのである。これは、PS陰陽論から言えば、陰陽調和であるが、陰において、岩と一体となるのである。
 確かに、植物、樹木とも一体になるが、それは生命体であるにに対して、岩は非生命体である。
 しかし、直観では、岩には氣があるのである。
 そう、私は宇宙も生命体と捉えるので、その意味で、岩も生命体になるのである。
 ここで、理論的に整理する必要がある。氣は自然宇宙の創造力である。
 それは、鉱物体も生命体も創ると考えられる。
これは難解なので、今はおいておく。
 今は、感性経験から、考えたい。
 岩が宇宙を象徴すると思う。直観でそう思う。
ならば、氣の象徴なのだろうか。
 思うに、山と似るのではないだろう。
 山には、上からの力と下からの力が交差していると思う。前者が氣ならば、後者は何なのか。これは先の疑問である。
 今閃いたが、岩は無双太極の象徴ではないだろうか。氣に先行する根源である。
 山歩きして、路傍の岩に、氣を感じるのである。
岩の氣があるのである。
 今又閃いたが、やはり、岩は天から来る気の依り代である。つまり、天からの氣を受ける地の受け皿、容器である。
 天からの氣を受ける地の容器である。
そして、そこに森、樹木があれば、それは、陰陽調和である。氣の純粋表現ではないだろうか。
 つまり、天の氣を受けた地の容器ある岩(磐座)とは、森、樹木を意味しているのではないだろうか。
 つまり、森、樹木の原型としての岩(磐座)ではないのか。
 森、樹木、植物は、天の氣を受けて生長する、地の衣装をまとう存在ということで、岩に原点があるということではないだろうか。
 簡単に言えば、生命体は本質が氣であっても、鉱物の身体をまとうということである。その鉱物の身体を岩(磐座)は意味するのではないのか。
 当然、植物体、動物体、人体以前の身体である。そう、鉱物体である。
 直観では、地の氣をもつ身体である。
そう、作業仮説的に、地の氣を考えよう。そして、岩(磐座)は地の氣の身体であるが、同時に、天からの氣を宿していると思えるのである。
 ならば、やはり、生命の原型である。ただ、未生命の様態ということになる。
 ここで、直観を言うと、陽主導は地を生み、陰主導は天を生むのである。
 否、違う、陽主導は地への志向性を生み、陰主導は天への志向性をもつように思う。
 これがポイントだと思う。後者の天への志向性とは正に、樹木の天へ伸長力を意味するだろうし、前者の地への志向性は、根の伸長力を意味できよう。
 そう、両者は生命力であり、氣自体ではないのだろう。
 氣は陰陽一体の陰陽円として存するのだろう。陰陽の一(いつ)としての氣である。
 氣が陰極と陽極に分離して、生命力を産み出すということになろう。
 ここで、用語が混乱するのである。
 陰極と陽極の力をそれぞれ、陰力、陽力としよう。
そして、天への志向性を生命天力、地への志向性を生命地力と呼ぼう。
 そして、それらの基底に一(いつ)としての氣が存するということである。
 そうしたとき、天の位置づけが問題となる。これは一時今はおいておく。
 
追記:時間がないので、簡単に補足しておく。
 先に『海舌』氏の人間認識図の修正を提示したが、その修正人間認識図(いつか、新たに作図したい)の右半円が天で、左半円が地ではないだろうか。(追記:岩は左半円に属することになる。そして、右半円の天を原点を介して、内在・内包するのかもしれない。)

Resurrection : ヤポネシア、夜明けと目覚めの光楽:無双(太極)PS陰陽論Nonpolar(Taiji) Platonic Synergy Yin-Yang Theory

 そうすると、虚軸は、凸(+)が陽極であり、凹(−)が陰極である。実軸は、+が天で、−が地である。
 そして、四大(地水火風)であるが、第一象限=火、第二象限=地、第三象限=水、第四象限=風ではないだろうか。
 しかし、こうすると、実軸の天と地の地と齟齬となる。思うに、四大の地水火風であるが、その地は土とすべきように思う。つまり、土水火風である。だから、第二象限=土となる。

追記2:今思ったのであるが、天と地はそのままにして、つまり、天=火=+1,地=−1として、陽=風、陰=水と考えることもできる。そうすると、四大(地水火風)の地を土にする必要がなくなる。
 
 

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磐座 巨石信仰 古神道 - YouTube. Subscribe 1. Changes to YouTube ...
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場所は、巴川沿いの旧足助(あすけ)街道から九久平の滝川沿いに国道301号を
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37年までは東加茂郡松平町大字長坂(ながさか)といった。長坂・下河地(しもごうち)・
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文明があったと言われています。 何故、そのような巨石文明ができたのかは分かりませ
んが、各地にピラミッドのようなものがあったようです。 当時は、現代 ...


2013年11月19日(Tue)▲ページの先頭へ
『海舌』氏の人間認識図修正:右半円が氣自然、左半円が物質自然:陽凸i=自我・頭、陰凹i=魂・肚
画像は以下を見られたい。
http://sophiology.jugem.jp/?eid=364


『海舌』氏の人間認識図修正:右半円が氣自然、左半円が物質自然:陽凸i=自我・頭、陰凹i=魂・肚


テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化


         『海舌』氏による人間認識図

Resurrection : ヤポネシア、夜明けと目覚めの光楽:無双(太極)PS陰陽論Nonpolar(Taiji) Platonic Synergy Yin-Yang Theory

上図は、PS理論に基づく『海舌』氏による人間認識図であり、これは、『海舌』氏独自のものである。私自身はこの作成に関わっていない。
 今、さらに、無双太極PS陰陽論(以下、PS陰陽論)の見地から検討したい。
 以下変更点を箇条書きにする。

1)左右を逆にして、入れ替える。即ち、第二象限が自我物質界であり、第三象限が陰謀の世界である。
 第一象限と第四象限はおいておく。

2)虚軸の凸=i=光であるが、それは、光ではなく、陽ないし陽極とし、同様に、凹=−i=闇を陰ないし陰極とする。
それぞれ、凸i、凹iとする。

3)実軸+1を存在、現存在ではなく、天、実軸−1を超越的存在ではなく、地とする。

4)植物的生命体(以下、植物体)は、⇒+1の方向性をもち、動物的生命体(動物体)は−1⇐の方向性をもつこととする。

5)人体は植物体⇒+1と動物体−1⇐の両面をもち、前者が主導的であると仮説する。

6)氣は一体としては、円である。しかし、陰陽調和、つまり、植物体を形成する氣としては、⇒と思われる。

7)日光であるが、それは、わかりにくいが、⇒と+1の中間ないし、⇒の先端に位置するのではないだろうか。そう、今の段階では、日光と太陽を一致させておく。

8)自我は凸i陽であり、魂は凹i陰である。そして、心情は原点、MPである。

9)氣的エネルギーによる形状、例えば、螺旋形状は、⇒+1を軸として成形されるだろう。

追記:1で残しておいた、第一象限と第四象限について簡単に触れたい。
 知性や科学の位置がわからなかったのである。思うに、人体(人心体)において、植物体と動物体が重なっているのであるから、⇒±1の二重性があるのである。
 そして、自我は陽凸iである。だから、これが、⇒±1の二重性に関わって、知性や科学が形成されると思われるのである。
 しかし、自然界は⇒+1のように思えるのである。しかし、そうならば、−1⇐の動物体はどうなるのか、である。動物体も当然、自然界であるからである。
 端的に言えば、知性の原形は⇒+1に存すると思う。そして、知性行為は−1⇐のように思える。
 つまり、知性行為とは自我優位の行為である。だから、−1⇐になるのである。頭脳行為である。しかし、知性行為のベースには、知性の原形がなくてはならないと思う。それが、⇒+1である。
 どうも、間違っているかもしれない。⇒+1の陰陽調和様態は理性を意味するのではないだろうか。そして、−1⇐の自我優位陰陽様態が知性かもしれない。
 ならば、陽凸iがカントの超越論形式、悟性・知性かもしれない。そして、−1が純物質であり、+1が氣的物質ではないだろうか。
 ならば、近代科学は−1の科学であり、+1を−1から見ているのである。
 そして、基本的に、陽凸i傾斜であるので、自我中心(自己中心)主義になり、マッド・サイエンティストになる傾向をもつのである。
 理性を保持するには、陰凹iの対極が必要ということになろう。
 時間がないので、今はここで留める。

************************

以下は、まったくの思いつきである。

10)シュタイナー系の視点(以下の本)では、エーテル体は、天から地へ働きかけるのである。それは、⇐+1のような方向性になるだろう。
 意外にその考え方は使えるかもしれない。つまり、⇒+1と⇐+1の両面から、例えば、樹木が成形されるということなのかもしれない。シュタイナー系の考 え方を使用すれば、⇒+1は生命エネルギーで、⇐+1はエーテル的成形力である。つまり、前者が原動力で、後者が形状力である。というか、明確に言えば、 前者は生命物質力で、後者は生命形状力である。
 この問題は難しいのおいておく。

エーテル空間 (耕文舎叢書)/イザラ書房
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11)結局、以前の視点に戻るが、虚軸を直径とするような陰陽円、つまり、ガウス平面とは直交する陰陽円(超越円)があり、それが、生命現象化するとき、三次元空間化するのではないだろうか。ここで、四元(しげん)数の考え方が使えるのである。
今は、図示できないので、言葉で簡単に説明すると、陰陽円(超越円)があり、その中心から直交する軸、現象軸、つまり、天地軸が発現する。しかし、それは、当然、平面を伴って、三次元空間を形成する。
 思うに、球を考えればいいのかもしれない。
 それはおいておき、超越的陰陽円、イデア的陰陽円から直交するように、三次元空間が生まれるとするのである。
 超越二次元(平面)から、物質三次元空間が生まれるのである。(思うに、超越二次元、超越平面とは、球面のように思える。ならば、超越球面である。)
 
12)11のように考えても、植物体と動物体の考え方はできるように思えるが、検討する必要がある。

以上、今は暫定的に留める。後で整理したい。





飯山古代史炸裂:日本古代史の謎が解明される:百済国の「亡命」先としての「日本」:古代日本文明誕生
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11702185203.html


テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史


以下は、画期的な説明である。
 私の長年の古代史の謎がほぼ氷解した。
 私は以前、奈良の正倉院の螺鈿紫檀五弦琵琶を見て、その豪華絢爛たる装飾に感動した。ここには何かがあると直観した。
 何かとは、なにか途方もない、豊かさ、力をもったものということである。
 しかし、それが何であるのか長年の疑問であった。しかし、未知数は百済国の亡命であったのである。
 それで、悲劇ののち、輝かしい日本古代文化が生まれたのである。
 今日明日は余裕がないので、感想を十分に書けない。
 一言言うと、先に沖の島の豊饒な神話に言及したが、それは、古代の叡知を伝えているのである。私なりに言うと、氣の叡知をもっていたのである。当然、古代母権文化社会があったのである。
 しかし、なにか父権の要素もあるようにも思えるが、基本は、太陽信仰の母権文化だと思う。
 中国(大唐)が父権制、中央集権制なのである、おそらく。
 とまれ、百済は、古代の叡知、文化を「日本」にもたらし、土着的な日本を統治したように思える。
 しかしながら、記紀の感じからすると、どうも、単に、母権だけでなく、父権が感じられるのである。一種の合理主義がそこに感じられるのである。
 飯山氏が提示している工芸品の画像からは、合理主義が感じられるのである。洗練である。
 なんらかの父権があるにしろ、中国的父権主義ではないだろう。そう、母権から生まれた父権とでも言うべきものかもしれない。純粋な父権主義ではないと思う。
 私が批判する国学国家主義的父権主義であるが、それは、まったくの想像であるが、中国からの渡来人に拠るのかもしれない。利に敏い者たちが、百済/土着的日本の母権文化社会を利用したのであり、それが、今も続き、母権日本を破滅させようとしているのかもしれない。
 中国からの渡来人と言ったが、単純に中国人ではない。そうではなくて、中国へ侵攻した父権民族がいるのであり、それらが、日本に渡ったとまったく空想、妄想するのである。
 さらに妄想すれば、一種のアーリア系民族ではないだろうか。
 今は思いつきだけである。そう、一言付け足せば、豊饒な母権文化があったが、欠点は哲学の欠如ではないだろうか。日本に入ってきた、アーリア系が優秀ではなかったということではないだろうか。
 アーリア民族(今はこのような言い方はしないが)は、インドでは、インド哲学を生み、ギリシアではギリシア哲学を生んだのである。
 否、それは短絡的だ。空海の壮大な密教哲学(これは、私的に言うと、これまで、まだ乗り越えられていない氣宇宙の哲学である)を生み出したのではないか。


◆2013/11/18(月) 沖ノ島に大量の金銀財宝があるのは、なぜ?


国宝級以上! 百済国の国宝を
保管する 絶海の孤島 沖ノ島
写真をクリックすると拡大します。↓じっくり御覧になって下さい。 金製指輪 三角縁神獣鏡
日本には国宝を収める正倉院が三つある。奈良の正倉院、西の正倉院(百済の里)、海の正倉院=沖ノ島だ。このうち歴史的に最も重要なのは沖ノ島で、次が「百済の里にある西の正倉院」。本家「奈良の正倉院」は、飾りが多い高級博物館で歴史学的には劣る。
上の三角縁神獣鏡も金製指輪も、私の鑑定では「魏」(北魏 )由来だ。三角縁神獣鏡は中原では出土しないが満州から平城京=今の大同にかけて出土している。
ともあれ百済の王族貴族以外は手に入らなかった逸品だ。
663年。白村江で新羅と唐の連合軍に完敗した百済国は滅亡した。

勢力・版図の拡大期にあった唐による百済掃討作戦は過酷だった。

唐の過酷な追討を避けるため、生き残った百済の残党は、日本列島に避難した。

王族・貴族、技術者、平民、そして金銀財宝の数々…。百済は、国土を捨て、国をあげ国ごと九州まで避難してきた。

この「国家」の運搬を担当したのは海の豪族・宗像海人族の首長・宗像(胸形)君徳善。
このボスの娘が尼子娘で、天武天皇の側室となり高市皇子を生む。
ちなみに藤原氏に滅ぼされた長屋王は高市皇子の長男だ。

白村江で闘った海人族に安曇族がいた。指揮官の安曇比羅夫は壮絶に戦死するが、安曇海人族は唐軍の掃討作戦を恐れて九州まで逃げ、博多湾の志賀島に集結する。

が、唐の追討を恐れるあまり、その後、さらに長野の山奥、今の安曇野盆地まで避難する…。これで今まで不明だった「なぜ安曇野なのか?」の疑問が解けたと思う。

安曇比羅夫。この名前、安曇野市では有名だ。安曇野市の穂高神社では今でも安曇比羅夫を祀り、「御船祭り」で供養している。
このように「大唐」の版図拡大作戦は、なんと長野の山奥にまで及んだのである。

さて、歴史は、先ず大きな鳥瞰図で見なければならない。

百済、高句麗。この両国を滅亡に追い込んだのは「大唐」。
この「大唐」の凄まじい勢力・版図拡大作戦によって、当時の東アジアの歴史は、目まぐるしく激しくダイナミックに動いた。この視点がない歴史学は、重箱のスミを突付く矮小な学問となる…。

とにかく7世紀、唐の大拡大期の東アジアの歴史は、「大唐」を中心に動いた。日本の遣唐使も、いや! じつは『日本書紀』も「大唐」に対するメッセージなのである。

長くなったが…、
海の正倉院=沖ノ島。
この玄界灘に浮かぶ絶海の孤島に収められた膨大な量の金銀財宝の全てが百済国由来である!ということ。お分かりになったと思う。
去る7月4日、皇太子殿下が宗像大社に行啓され、神宝館では「秘宝」を御覧あそばされた。東宮様は何をお思いになられたか…、「事情」はすべてご存知のはずである。 (記事)
金 銅 製 龍 頭
宗像大社の沖津宮が鎮座する玄界灘の孤島沖ノ島で発見された、龍の頭の形をした一対の金具です。竿の先に付けて、その口から天蓋や幡を吊り下げていたと考えられる。中国の東魏時代に作られた渡来品とみられ、「海の正倉院」沖ノ島を代表する宝物の一つ。これまた百済の王族貴族以外は手に入らない逸品だ。
金銅製龍頭
写真をクリックすると拡大します。↑じっくり御覧になって下さい。

飯山一郎のHP


2013年11月15日(Fri)▲ページの先頭へ
色即是空:空とは陰陽調和共鳴と仮説する:波動は物質的である:氣は自然霊的である
色即是空:空とは陰陽調和共鳴と仮説する:波動は物質的である:氣は自然霊的である

テーマ:氣神論:氣は万物に通ずる:氣的身体理性

以下の転載記事に興味深い空=波動説が提起されているが、空とは、最近、陰陽調和共振のことではないかと私は考えているのである。
 そうならば、確かに、空は、陰陽調和波動ということになるかもしれないが、私は、陰陽つまり氣を波動と呼ぶことはほとんどない。確かに、数回は波動と呼んだことはあると記憶するが、積極的に、氣=陰陽を波動と呼んだことはない。
 とまれ、氣=陰陽調和とは、植物体の生命力(生命緑:これは、なかなか楽しい言葉遊びだ)であり、当然、太陽、日光と関係するのである。何故なら、太陽の根源は少なくとも、氣=陰陽調和と考えているからである。(そう、氣のさらに根源の無双太極が太陽の真の根源と考えられよう。)
 では、何故、氣を積極的に波動と呼ばないのか。そう、氣波と呼ぶことを先には考えていたが。氣波ならば、呼べないことはないが、それでも、そう呼ぶことはしないでいる。
 氣=陰陽調和(思うに、氣は陰陽調和だけでなく、陰陽の多様な様態があるように思われるが、それについては、後で考えたい)を波動、波とは呼ばないのは何故か。
 それは、私の心体において感ずる氣が波動、波という感じではないからである。波動、波より、霊の方がいいと思う。あるいは、精霊か霊精である。
 そう、それは、言うならば、自然霊であり、波動、波というと物質的になるので、それを使用するのを躊躇うのであろう。
 氣=陰陽調和は物質ではないのである。物質を産み出す「霊」、「精神」、「精霊」なのである。
 波動、波では、また、機械的なのである。氣=陰陽調和は、機械的ではありえないのである。
 そう、以下の説明は、波動ではなく、氣霊=陰陽霊と言えば、正当になるのではないだろうか。
 波動では、ペテン的な波動商品がついて回るのである。
 そう、波動だと物質と連続的であるが、氣=陰陽調和は、物質と不連続なのである。この点が決定的である。(追記:以下の転載記事では、波動を量子とも見ている点で、波動は物質的であると言えよう。しかし、氣は量子ではなくて、氣の物質的影像が量子だと思われる。)


追記:補足すると、氣の陰陽とは、一(いつ)であり、かつ、極性をもつということである。この一であるが、それは、無双太極自体なのかどうか微妙である。
 しかし、現時点では、陰陽の一とは、無双太極であるとしておきたい。

追記2:上記の追記で陰陽の一を無双太極としたのは、間違いである。ここで訂正したい。
 根源は無双太極であるが、それが、陰陽の一=陰陽極性に転換するのである。
 そう、無双太極から氣=陰陽への転換は連続的なのか、不連続的なのか、問題である。
 直観では、連続的なように思えるのである。つまり、直観ではその変換は滑らかに感じられるのである。滑らかな移行を感じるのである。
 そう、先の説明を思い出した。つまり、無双太極と氣=陰陽は即非関係であるということである。
 だから、それは、中間的である。つまり、不連続であり、且つ、連続的であるということである。実に微妙ということである。
 因みに、陰と陽も即非関係である。連続であり、且つ、不連続であると考えられる。
 この点は、一度再確認する必要がある。

 
************************

超人ピタゴラスの音楽魔術

仏教は最先端科学
 仏教は最先端科学の内容をすでに知っていた  [TOP]

 宇宙は波動で構成されていて、異なる振動数(周波数)の世界が何層にも重なり合って存在しているということでした。そのことは今日の最先端科学が明らかにしていますので、ここで素人の私が解説するまでもありません。
 驚くべきことに、それと全く同じ意味のことが、仏教のエッセンスといわれる般若心経にしっかり述べられているのです。私は仏教に関しては解説書をかじった程度の知識しかありませんが、般若心経の解釈については、「これしかない」という確信を持つに至りました。
 般若心経のなかで最も有名なのは「色即是空、空即是色」という言葉です。この「色」は物質や現象のことを意味しています。しかし、たとえば「物質は空である。空が物質である」と解釈しても、何のことか理解できないと思います。仏教の世界にいる人たちの解説は、ここでつまずいてしまうのです。「空」を「無」に近いものと解釈しているからです。「物質はあるようにみえるけど、時間が経つとなくなる不安定なものだ。だから執着してはいけない」といわれれば、何となくわかったようで、それでも釈然としない気持ちが残ります。
 現代物理学は、この「空」の存在を立派に証明してくれました。ひところ、この空間には「エーテル状」のものが充満している、との考え方があったのをアインシュタインが否定したといわれています。いま、その考え方が再び復活し、「量子真空」という言葉で再定義されています。(『魂の記憶』喰代栄一・著/日本教文社)
 この空間は目に見えない粒子、波動で満ち満ちているということです。その波動に一定の力が加わることによってエネルギーが発生し、「無」と思われたところにさまざまな「物質」が生み出されるというわけです。(『空間からの物質化』ジョン・デビッドソン・著/たま出版)
 そこで、「色即是空、空即是色」を「色即是波動、波動即是色」というふうに置き換えて解釈してみてください。つまり、「物質は波動でできている。また、波動に一定の力が加わると物質に変化するんだよ」ということです。これが仏教の真髄なのです。2500年前に、お釈迦様はこの最先端科学の発見を完璧に理解しておられたということです。すごいと思いませんか。
 般若心経はこの「空即是色」の後に「受想行識亦復如是」という言葉が続きます。「受想行識」はセットになった言葉で、物質的現象を意味するする「色」に対して「精神的作用」を総称したものです。「受」は感覚、「想」は想念、「行」は意志、「識」は認識、と理解したらよいと思います。「亦復如是」は、「〜もまた同じものだよ」と言う意味です。つまり、私たちの感覚も想念も意志も認識も、みんな波動だといっているのです。これも最先端の現代科学がいっていることとまったく同じです。
 この理解を得ると、難解な仏教もフツーの人の頭で解釈できるようになります。
 私たちは死ぬと、魂が物質としての肉体から離れ、波動の違う別次元に行くのです(正確には、魂はもともと別次元にも同時に存在しているのですが、そのことがこの物質次元からでは認識されないだけのことです)。ですから、魂は死滅することはありません。別次元のことは「幽界」とか「霊界」とか呼ばれていますが、その世界も波長の違いにより更に細かな階層に分かれているようです。
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1814911.html

大摩邇(おおまに)


オイラーの公式とマイナスの実部:自我と物質の結びつき
画像は以下のリンクを見られたい。


オイラーの公式とマイナスの実部:自我と物質の結びつき
http://sophiology.jugem.jp/?eid=361

テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化

先に以下のように書いた。
 思うに、θがπ/2になるときは、純粋のときであり、実際は、π/2<θ<3π/2ではないだろうか。つまり、実部がマイナスになって、純物質に近くなっていると思う。
 『海舌』氏の人間認識図であるが、それは、去年、『海舌』氏のPS理論から離脱する直前あたり、左右逆であると述べたが、今もそう感じる。

          『海舌』氏に拠る人間認識図          

Resurrection : ヤポネシア、夜明けと目覚めの光楽:無双(太極)PS陰陽論Nonpolar(Taiji) Platonic Synergy Yin-Yang Theory

 第二象限が自我・物質的世界であり、第三象限が、腹黒い、陰謀の世界に当たると思う。
 そして、第一象限が知性、合理性の世界であり、第四象限が芸術的感性や宗教的感性の世界だと思う。
 そう、『海舌』氏の各象限への意味的布置は単に逆だけでなく、本質的に違うと思う。
 哲学は+1に近いと思うし、数学は第一象限ではないかと思う。宗教は芸術に近い方だろう。
 途中だが、今はここで留める。


自己(個)陰陽方程式:自我は陽凸iであり、非我(無私・愛)は陰凹iである:オイラーの公式
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11686282196.html

自己陰陽方程式、又は、個陰陽方程式

e^iθ☯e^i(θ+π)

=〔cosθ+isinθ〕☯〔cos(θ+π)+isin(θ+π)〕


である。ただし、☯は極性を意味することにする。(参考:三角関数 http://www12.plala.or.jp/mz80k2/electronics/math/math.html)
 これは、極論的に言えば、自我と魂との対極性を意味しよう。
そこで、自我的要素を(凸i)、魂的要素を(凹i)とすれば、
自己陰陽方程式、個陰陽方程式は、

(凸i)*(凹i)

=e^iθ*e^i(θ+π)

=〔cosθ+isinθ〕*〔cos(θ+π)+isin(θ+π)〕

となる。(尚、*は、☯と同じとする。)
 だから、自己陶冶とは、θがπ/2(90°)になるようにして、氣の方程式に接近することではないだろうか。即ち、


氣の方程式(生命方程式):

凹i(陰)☯凸i(陽)⇒+1(生命物質体)  
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自己(個)陰陽方程式:自我は陽凸iであり、非我(無私・愛)は陰凹iである:オイラーの公式






自己(個)陰陽方程式:自我は陽凸iであり、非我(無私・愛)は陰凹iである:オイラーの公式
http://sophiology.jugem.jp/?eid=360

テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化

今は問題提起のみだが、自我は、PS陰陽論の方程式で言うと、−1ではなくて、陽凸iの極大だと思う。それが、否定抑圧的に陰凹iに作用して、−1を極点とする自我的動物体(人間獣:人獣)になるように思える。(この点は検討課題である。)
 また、オイラーの公式が積極的に自然造形の原理として、使用できるように思えている。
 即ち、公式や図は以下である。

e^{i\theta} = \cos\theta + i \, \sin\theta

オイラーの公式の幾何的な表示

とまれ、オイラーの公式、即ち、

e^{i\theta} = \cos\theta + i \, \sin\theta

を用いると、
 θがπ/2(90°)のとき、

e^iπ/2=0+i

となる。これをPS陰陽論に変換すると、

e^iπ/2=凸i(陽)

となる。(i=凸iと見るのである)
 これが、自我である。
 そうならば、逆に、−i=凹i(陰)は、無私、非自我、つまり、他者ではないだろうか。(今 ふと思いついたが、シュタイナー霊学の悪魔論であるが、アーリマンが凸iで、ルシファーが凹iではないだろうか。前者は近代的自我、近代合理主義をもたら し、後者がロマン主義、神秘主義、オカルティズムをもたらすのではないだろうか。そうならば、仏陀やイエスの教えは、一見、ルシファー的ではないかと思え よう。しかし、それは、皮相だろう。仏陀やイエスの教え、太陽の光の教え、あるいは、植物体の教えとは、陰陽調和の教えと思う。陰と陽のバランスである。 これは、シュタイナーのキリスト論と一致しよう。シュタイナーは、キリストとは、アーリマンとルシファーの均衡と述べているからである。
 そうならば、PS陰陽論はシュタイナー霊学とも一致することになる。もっとも、私自身、後者から強い影響を受けているが、それを盲信するのではなく、批判的立場を取っているのであるが。

参考:「アーリマン的なもの」と「ルシファー的なもの」 - 狂気をくぐり抜ける - ココログ
http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post-f9e6.html)
 議論を続けると、θがπ/2(90°)のとき、陽凸i=自我と言ったが、これだけだと、単に、いわば、半身である。つまり、人体(人心体)は、少なくとも、陰陽体(陰陽双極体)であると考えられるからである。つまり、必ず、陰凹i=非我の要素があると思うのである。
 だから、以前、PS理論のときに触れたように、オイラーの公式のe^iπに対して、π回転(180°回転、半回転)した座標ももつと思われるのである。だから、
 θにθ+πを入れた場合を考えると、

e^i(θ+π)=cos(θ+π)+isin(θ+π)

となり、これが、他の「半身」であると思われるのである。
 だから、まとめると、いわば、自己陰陽方程式(自我ではなく、自己であるのに注意。あるいは、個でもいいだろう。ならば、個陰陽方程式。)になるだろう。即ち、

自己陰陽方程式、又は、個陰陽方程式

e^iθ☯e^i(θ+π)

=〔cosθ+isinθ〕☯〔cos(θ+π)+isin(θ+π)〕


である。ただし、☯は極性を意味することにする。(参考:三角関数 http://www12.plala.or.jp/mz80k2/electronics/math/math.html)
 これは、極論的に言えば、自我と魂との対極性を意味しよう。
そこで、自我的要素を(凸i)、魂的要素を(凹i)とすれば、
自己陰陽方程式、個陰陽方程式は、

(凸i)*(凹i)

=e^iθ*e^i(θ+π)

=〔cosθ+isinθ〕*〔cos(θ+π)+isin(θ+π)〕

となる。(尚、*は、☯と同じとする。)
 だから、自己陶冶とは、θがπ/2(90°)になるようにして、氣の方程式に接近することではないだろうか。即ち、


氣の方程式(生命方程式):

凹i(陰)☯凸i(陽)⇒+1(生命物質体)  


である。
 いろいろ他に考えるべきことがあるが一先ず、ここで留める。

追記:氣の方程式は、仏陀方程式、キリスト方程式、ゾロアスター方程式、老子方程式、朱子方程式、神道方程式、等々と(世界)宗教方程式とも呼べよう。
 宗教とは結局、太陽教である。


☆☆☆別テーマ:数霊と形象☆☆☆

やはり、ピュタゴラス的数霊が植物体の形象、さらに、そのいわば、展開として、動物体の形象を造形成形するのではないだろうか、数霊とは幾何学として展開すると考えられる。(黄金比等)
 やはり、これは、オイラーの公式で解明できるのではないだろうか。θを適度に展開する数霊を考えればいいのではないだろうか。
 
************************

⓵氣の方程式(生命方程式):

凹i(陰)☯凸i(陽)⇒+1(生命物質体)   ・・・U


⓶自我方程式(自己同一性方程式):

凸i(陽)*凹i(陰)⇒−1(=e^iπ) ・・・Z


前期PS理論とオイラーの等式の統合の再考:+1が生命物質体、−1が純物質:氣と同一性自己(自我) (10/29)
http://sophiology.jugem.jp/?eid=347

参考:

オイラーの公式 - Wikipedia

移動: 案内 、 検索

数学 、特に複素解析 におけるオイラーの公式(オイラーのこうしき、Euler's formula、オイラーの恒等式とも)とは、指数関数 と三角関数 の間に成り立つ等式

e^{i\theta} = \cos\theta + i \, \sin\theta

オイラーの公式の幾何的な表示

をいう。ここに、θ は幾何学的には弧度法 に従う角と見なされる実変数 である。三角関数を複素変数に関する解析的関数と考えることで、この等式は θ を複素変数 と見ても成立している。レオンハルト・オイラー に帰せられるためこの名がある。この公式ははじめ、ロジャー・コーツ によって1714年 に提出されたが、その証明は曖昧なものだった。その後オイラーによって1748年 に再発見され、有名になった。

この公式は複素解析をはじめとする純粋数学の様々な分野や、電気工学 ・物理学 などであらわれる微分方程式の解析において重要な役割を演じる。物理学者のリチャード・ファインマン はこの公式を評して「我々の至宝」かつ「すべての数学のなかでもっとも素晴らしい公式」 [1] [2] だと述べている。

また、θ = π のとき、オイラーの等式 と呼ばれる

e^{i \pi} +1 = 0

が導かれる。

オイラーの公式の発見
www.rd.mmtr.or.jp/~bunryu/euler.shtml - キャッシュ - 類似ページ
オイラーの公式 eiχ=cosχ+i sinχ はじめて見た時、意味がわかりませんでした。eって
何? i 乗ってできるの?・・・しばらくして微分方程式を学習した時、なんてすごい公式だ
ろうと思いました。 この公式は中学生にはほとんど縁がありませんが、やはりこれを ...






陰陽極性の2つの螺旋?:氣的螺旋と物質的螺旋?
http://sophiology.jugem.jp/?eid=359

テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化

明日早いので、今は一言。
 先に、純物質が−1で、生命体が+1と氣の方程式を使って説明した。
 私のこれまでのイメージでは、+1に生命物質があると見てきた。つまり、生命有機体である。
 しかし、陽凸iの極大化によって、純物質が形成と考えたが、それは、生命有機体がまとう物質性ではないだろうか。
 つまり、−1は生命有機体の物質であり、+1は生命有機体全体ではないのかということである。捉えにくいが、氣的身体、氣的物質体が+1なのではないだろうか。
 今は問題提起のみである。

追記:読み直して、思いついたことは、−1は動物体で、+1が植物体ではないのかということである。
 私の仮説では、人体は植物体と動物体によって主に構成されているのである。もっとも、細かく言うと、先には、四層構造体(無双太極+植物体+動物体+自我)と述べたが。
人体四層構造図:T.太極点/U. 植物体(氣=陰陽)/V.動物体/W.自我体・・・(X.外界)
 もしそうならば、私の人体仮説がかなり明快になる。後で深く検討したい。

追記2:もし、追記のようならば、純物質はどう表記できるのか。思うに、⇒+1が植物体、⇒−1が動物体であり、±1自体が純物質ではないのか。有り体に言えば、枯れた状態、死体・遺体である。つまり、⇒はエネルギー状態、生命エネルギーである。
 そう、氣である。そして、⇒の尖端が光ではないのか。
 とまれ、要検討課題である。

追記3:追記、追記2のように考えるならば、2つの氣が存するだろう。⇒+1の⇒は陰の氣であり、⇒−1は陽の氣である。これまで、陰極、陽極は考えて、陰の氣、陽の氣は存在しないと見てきたが。
 やはり、根源の氣と極性の氣を別にしないといけないように思えている。例えば、太極氣と陰陽氣である。
 これも要検討である。
 
追記4:人間認識図であるが、これは活用できるように思える(ただし、『海舌』氏の認識布置は使用しない。)
思うに、⇒−1は動物体の極限として、自我ではないだろうか。
 とまれ、ざっと言うと、第一象限と第四象限が植物体に関係し、第二象限と第3象限が動物体と自我に関係する。

    『海舌』氏による人間認識図

Resurrection : ヤポネシア、夜明けと目覚めの光楽:無双(太極)PS陰陽論Nonpolar(Taiji) Platonic Synergy Yin-Yang Theory
参考:
前期PS理論とオイラーの等式の統合の再考:+1が生命物質体、−1が純物質:氣と同一性自己(自我)
氣の方程式(生命方程式):

凹i(陰)☯凸i(陽)⇒+1(生命物質体) 


2013年11月09日(Sat)▲ページの先頭へ
問題:1.欲望と快感、2.純物質と生命有機体、3.氣と日光、4.屁蜜反故呆による屁遺政痴暗遺痔崩
強調を含む本記事は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11679946939.html

問題:1.欲望と快感、2.純物質と生命有機体、3.氣と日光、4.屁蜜反故呆による屁遺政痴暗遺痔崩

テーマ:氣神論:氣は万物に通ずる:氣的身体理性

徒然に予見を述べておく。

1)欲望と快感

これはまったくの思いつきであるが、欲望を満足させたときの快感であるが、これには、脳内麻薬が関係しているのではないだろうか。
 酒を飲んだときの快感は、脳神経を麻痺させるものだろう。アルコールが麻痺させるということだろうが、いったい酔いとは何なのか。
 酩酊欲とは別に、食欲、性欲、所有欲等であるが、私の直観は、なにか依存症にさせるものが体内に生じるのではないだろうか。
 これは作業仮説として出すが、食欲が満たされたときの快感、性欲が満たされたときの快感、所有欲が満たされたときの快感、等の快感には、脳内麻薬の形成がともなうように思えるのである。
 だから、欲望は一種の依存症になるように思えるのである。
 この欲望/快感の問題は、3.自我の問題にも関係するのであるが、ここでは、脳内麻薬の問題に限定しておく。
 とまれ、欲望は一般には、増加する傾向にあると思う。快感をさらに求めて、拡大するのである。獣欲的になるのである。これは、醜悪的になるのである。
 近代とは欲望を肯定してきたので、これは必然、帰結である。(自由の問題がここには関係する。トランス・モダンという視点、立場を強調したが、やはり、近代の問題を考えると、近代を超える視点はもっとも重要なことの一つなので、トランス・モダンという用語を多く提起する必要はあろう。氣の哲学・科学[フィロソフィエンス]は、トランス・モダンの理性知である。)
 【今、空腹状態であるが、空腹というのは、確かに、食欲が満たされない、一種の苦痛、不満の状態であるが、しかし、それに耐えているが、その忍耐心には、なにか快感がある。性的快感だろうか。マゾヒズム? ひょっとして、欲望に耐えるということ自体になにか別の快感があるのではないだろうか。思えば、山歩きをしたとき、登るときは苦痛を耐えていくが、あるとき、その苦痛がぐっと減って、ほとんど感じなくなり、ハイの状態になるのである。なにかそれと類似して、忍耐の脳内麻薬があるのかもしれない。ひょっとして、それは氣による快感かもしれない。そう、よい音楽の快感は、明らかに、氣に拠るのである。生命力の快感である。ならば、少なくとも2つの快感を分ける必要があるのではないだろうか。私の仮説に拠れば、動物体による快感と植物体による快感となる。獣欲的快感と氣的快感である。そう、性愛が問題になるとき、この辺が分かりにくくなるのである。同性愛を含めて、性愛とは何か。人体の美の問題。これは、プラトンが『饗宴』や『パイドロス』で問題にしたものである。エロースの問題である。】(追記:性愛についての考察が尻切れトンボになっている。後で別稿で述べたい。)

追記:大事なことを言うのを忘れていた、資本増殖の欲望であるが、それこそ、人間にとって、もっとも「クセ」になるもの、脳内麻薬が出て、依存症、中毒になるものではないだろうか。
 これは、単に欲望だけでなく、自我に関係しているものである。後で、欲望と自我の関係について考察を行ないたい。


2)純物質と生命有機体

これについては、先に、氣方程式、自我方程式に関係して述べた。純物質とは−1であり、生命物質体は+1である。
 −1とは氣のない、氣の生命エネルギーが欠落した物質状態である。
 【ここで、付加的に、カント哲学の超越論性について言うと、超越論的形式であるが、それは、この−1に関係しているものだと思う。凸i陽の極大化によって−1へと次元転換(氣の霊的次元から現象次元への転換)するのであるから、超越論的形式(悟性)とは、凸i陽と−1との統合した様態を指しているのではないだろうか。数式的に言えば、凸i×凹凹i⇒−1となろう。そうならば、それが、超越論的形式(悟性・知性)方程式である。

参照:http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11657621030.html

⓵氣の方程式(生命方程式):

凹i(陰)☯凸i(陽)⇒+1(生命物質体)   ・・・U


⓶自我方程式(自己同一性方程式):

凸i(陽)*凹i(陰)⇒−1(=e^iπ) ・・・Z

追記:自我方程式であるが、それは、同時に、純物質方程式とも呼べると考えられる。
 因みに、カント哲学のアンチノミー(「矛盾」)であるが、それは、氣の方程式と自我(純物質)方程式の衝突を意味するのではないだろうか。ならば、カントの理性は、氣の方程式と自我(純物質)方程式の混同があると言えよう。PS陰陽論の視点から言うと、両者の衝突ないし混同は、MP(メディア・ポイント:つまり、ガウス平面の原点)で生起していると言えよう。これについては、稿を改めて述べたいが。】
 繰り返すことになるが、近代科学とは自我(純物質)方程式の科学であるということになる。そう、自我と純物質の結びついた、カント哲学的に言えば、超越論的形式(悟性・知性)の科学であるということである。 
 しかし、自我(陽凸iの極大:極陽)は、氣を抑圧しているので、当然、氣の反動作用を受けるのである。そうすると、それに対抗して、自我は反動作用をもつと考えられる。これは、超越的な氣の作用なので、自我は、反動的超越性を志向するようになると思われる。(ハマッキーとか、UFOとか、あるいは、「超越」的商品詐欺にハマるのは、この反動作用に拠ると思えるのである。)
 そう、結局、近代科学は、最初は正当な物質科学、つまり、近代合理主義であるが、それだけであると、氣を抑圧しているので、反動化する必然があるのである。だから、もともと、自我中心主義なので、暴力に狂気が入ってくることになるのである。
 だから、近代科学の正常な発達のためには、それを規定する必要があるのである。つまり、それは、自我(純物質)方程式に拠るものであり、自我と純物質の枠組み、限定されたものであるということである。思うに、哲学的には、カントが近代合理性を超越論的形式ということで、規定している、つまり、限界付けているのであるが、それをとりわけ日本の科学者は理解していずに、科学中心主義、科学絶対主義になり、マッド・サイエンティストになってしまう傾向が強いと言えよう。
 また、科学を進化させる必要があると言えよう。それは、氣という高次の存在を認めることで、高次科学に進化するだろう。物質包摂した氣・霊(精神)科学である。


3)氣と太陽(陽光・日光)
 
先に以下のように書いた。

*****

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11657621030.html

氣☯⇒|光|+1   ・・・[

と図式化しておく。
 説明すれば、氣(陰陽☯)が生命物質体(+1)を成形するとき、氣が成形した+1にぶつかったときに発生するのが光ということになる。つまり、氣が生命体にぶつかったときの反射が光ということになるのである。簡単に言えば、氣の物質体による反射が光である。氣の反射としての光ということになる。
 ここで、D.H.ロレンスの『天道虫』における「黒い太陽dark sun」のことが関係するのである。そこで、登場人物のディオニスは、目に見える光とは闇(いわば、超光である)が物質に当たったときの反射であると述べているのである。
 それに今述べた視点を入れれば、ロレンスの「闇」とは氣ではないのかということになるのである。黒い太陽dark sunとは、端的に氣の太陽ということになろう。しかし、氣(陰陽☯)そのものを氣の太陽として見るのは無理があるだろう。それは、単に氣でしかないのであり、太陽ではないからである。
 だから、太玄霊までを考える必要があるだろう。そこで、

太玄霊⇒氣(陰陽☯)    ・・・\

を考えて、この⇒と氣の接点に氣の太陽(黒い太陽dark sun)を考えたい。
 だから、\に黒い太陽を入れて、[を合わせると、

太玄霊⇒|黒い太陽|氣(陰陽☯)⇒|光|+1 ・・・]

となる。
 接点がわかりにくいので、・を入れる。

太玄霊⇒・|黒い太陽|・氣(陰陽☯)⇒・|光|・+1   

・・・]T

*****

氣☯⇒|光|+1  

とは、氣=陰陽(共振)が光を生むということである。
 この図式だが、日光は氣の副産物のように見えるが、今の時点では、そうではないと見る。

氣の方程式(生命方程式):

凹i(陰)☯凸i(陽)⇒+1(生命物質体)  

における⇒が日光ではないかと思う。つまり、氣のエネルギー体が日光ではないだろうか。アリストテレス哲学を使えば、氣のエネルゲイア(活動態)が日光となる。(ならば、同様に、氣自体は、デュナミス潜在態である。 )
 わかりやすく言えば、氣の現象が日光であるということである。そして、氣自体も存在するということである。
 つまり、不可視の氣と氣の現象である可視の日光が存在するということである。
 だから、可視の日光は、不可視の氣を内在しているのではないだろうか。
 次の氣の方程式を見れば、

凹i(陰)☯凸i(陽)⇒+1(生命物質体) 

左辺が不可視の氣=陰陽極性ということになるのである。わかりやすく書けば、

氣(陰陽)⇒(=日光)+1(生命体)

となる。⇒(=日光)が上記とは決定的に異なる点である。
もっと簡潔にすれば、

氣⇒(=日光)生命体

である。
 記号がわかりにくいので、工夫する必要があるが。
 これで、これまで、私が述べていたように、日光には、生命情報があるということがよく理解できるだろう。つまり、日光は生命力の本質である氣を内包しているのであるから、当然、生命力をもつのである。飯山一郎氏が太陽凝視による生命力について述べているが、これでざっとは説明できよう。(松果体等について説明する必要があるが。)
 そう、もっと明快に図式化できるだろう。即ち、

氣⇒日光⇒生命体

である。
 では、人工照明の光はどう解明できるだろうか。それは端的に電磁波、物質波である。
 純物質の光である。それは、当然、−1に関係すると考えられる。つまり、陰陽共振ではなく、極陽主導の純物質事象である。
 そこには、氣はないのである。故に、人工照明による栽培は、氣の豊かな植物は成長しないと考えられるのである。


4)屁蜜反故呆倒による屁遺政痴暗遺痔崩

秘密保護法等の全体主義諸法の問題であるが、歴史は繰り返すというが、単純には反復はしない。戦前とまったく状況が異なるのである。変わらないのは、日本国内かもしれないが、海外世界の状況は全く異なるのである。ロシアの世界共同体的志向と米国の反戦争資本路線、その他があり、米国1国覇権主義は衰退しているのである。
 日本の戦前・戦中の国内外の状況を考えるべきである。
 当時は敵国を作れた。鬼畜米英であり、満州国建設という似非ユートピア主義があった。全体主義は憎悪の対象となる敵国が必要であるが、今日はどうだろうか。中国を敵国にしようとしているが、貿易的に、それは無理だろう。では、どこが敵国になるのか、ロシアは共産主義ではない。北朝鮮だろうか。しかし、強力な敵国にはなりえないだろう。では、何処?
 アベコベ氏の反動路線は、現実を無視した空理空論のところがあると考えられるのである。ドン・キホーテ路線である。空回り的なのである。
 とは言え、全体主義志向路線であることは確かであるし、暗黒路線である。
 また、国内の状況であるが、戦前・戦中において、大本営発表を盲信したようには、今日、盲信する人は、多くはないだろう。勿論、愚民が大半ではあるが、盲信はしないだろう。そう、魔刷塵が釈迦力に洗脳しようとしているが、国民は戦前・戦中のようには踊らないだろう。
 そう、アベコベ氏はなにか漫画チックなのである。もっとも、ここ20年ほどの日本の政権は漫画チックであるが。
 とまれ、平成治安維持法が登場し、警察国家にはなるだろう。
 しかし、戦前・戦中と同じではない。
戦前・戦中とは異なる最も大きな事態は、父権収奪戦争資本主義が追いつめられていることだ。
 そのいわば断末魔を担っているのがアベコベ反動政権である。そこのところを確と認識する必要がある。
 直観では、アベコベ政権は空回りして、空中分解するのである。何故なら、今や経済は、父権収奪戦争資本主義の時代ではなく、母権共生資本主義の時代であるからである。まったくのドン・キホーテの阿呆屁゛政権である。

追記:マルクスの有名な警句があった。歴史は二度繰り返す。一度は悲劇として、二度目は喜劇として。違った。「一度は悲劇として、二度めは茶番として」である。茶番ということである。

以下を参照:
ヘーゲルはどこで「歴史は二度現われる」と言ったか?
 「ヘーゲルはどこかで、すべて世界史上の大事件と大人物はいわば二度現われる、と言っている。ただ彼は、一度は悲劇として、二度めは茶番として、とつけくわえるのを忘れた。」(マルクス・エンゲルス全集第8巻P.107)というのは、マルクスが1851〜52年に執筆した論文『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』の、あまりにも有名な書き出しです


2013年11月08日(Fri)▲ページの先頭へ
仮説:緑の血green blood:氣エネルギーが様態傾斜して、獣欲(性欲、食欲、物欲他)になる
仮説:緑の血green blood:氣エネルギーが様態傾斜して、獣欲(性欲、食欲、物欲他)になる

テーマ:氣神論:氣は万物に通ずる:氣的身体理性

以前、性欲とは、精神エネルギーが変化したもの、それも劣化したものではないかと考えた。
 しかし、その時は、まだ、思いつきに近かった。いわば、直観である。
 しかし、今や、PS陰陽論(無双太極PS陰陽論)の視点から、理論的に解明できると思う。
 つまり、生命エネルギーは氣である。それは、植物体のエネルギーである。それは、欲望ではなく、霊的エネルギーなのである。(あえて言えば、霊的欲望である。しかし、それは、不条理な言葉だろう。)
 それは、清浄なエネルギーである。快晴のような、宇宙空間、オリオン座の秋の夜空のような清澄清浄なエネルギーである。これが、基本なのである。それが、陽に傾斜すると欲望、獣欲になると考えられる。そして、さらに、自我が入ると持続的な、集団的な破壊性を帯びるのである。
 朱子が性即理と説いたのは、この意味で考えるべきである。性は植物体の氣のエネルギーである。ここによって、根本の理、いわば、太理を得ると考えられる。
 この点では、仏陀もゾロアスターもプラトンもイエスも同じであると言えよう。
 緑の生命を生きること、ここに人間進化の鍵がある。
 これが仏陀の悟りの本義だと思うし、他、哲理者の摂理と言えよう。
 あえて言えば、血を緑にすることである。緑血をもつことである。
 いわば、緑の氣が身体を浄化するのである。身体を霊化するのである。身体の緑化である。
 性欲や食欲他は氣エネルギーに還元されるのである。昇華であるが、回帰が本質である。




アバの歌声にある陰:これは、無双太極の影ではないだろうか

テーマ:music/dance/ballet

やはり、アバの歌声には深い陰があると思う。
一見、まったく華やかに聞こえるが、裏地のように深い陰が付いているのである。
 以前、夢中になって聴いていたが、深い闇を感じて、それ以後聴くのを止めた。
 しかし、今聴くと、光と闇の融合したトーンが分かるのである。これは、実に、東洋的なサウンドだと思う。モネの絵画と似るのである。少し違うが。

[HD] ABBA - SOS (SS 1975)


ABBA SOS ( AGNETHA LIVE VOCALS )


Abba - SOS


Abba - Fernando


Abba - Knowing Me, Knowing You





欲望とは秘密を帯びている:食べないと食欲は減るし、食べると食欲が出る

テーマ:生命力とは何か:氣と小食と腸内細菌

私の作業仮説に、人体(人心体)における植物体と動物体の区別がある。前者は氣の身体であり、後者は、いわば、欲望の身体(肉体といった場合、こちらを主に指すだろう)である。
 不食とは私説では、当然、前者を目指すことになる。つまり、欲望の滅却である。これは、仏陀の教えに酷似しよう。(そう、先に言ったが、仏陀やキリストの教えとは、植物体の教え、氣の教えであると仮説している。思えば、仏陀が菩提樹の下で悟りを開いたというのは、意味深長である。植物に関係しているのである。私説では、氣に関係するのである。因みに、D. H. ロレンスは樹木の下で腰を下ろして創作するのが好きだった。)
 とまれ、今日は、朝、豆乳ヨーグルトを食べただけで、まだ、何も食べていない。しかし、元気である。思うに、食べると、食欲が出るのである。これは一体何なのか。先に述べたが、どうも、食という行為は、食欲を刺激するである。否、先に、条件反射的なものではないかと示唆したが。
 できるだけ、食べないでいよう。仏陀は先達である。




森氣浴ウォーキングは活力を生む?:歩動は、氣を発生させる?

テーマ:健康&治癒:森気浴:医食同源:小食菜食

今日は、簡単に20分ほど、雨上がりの森の中を森氣浴歩を行った。朝は元気がなかったが、夜は元気になっている。どうも、森氣浴歩は活力を生むのかもしれない。
 歩いて、体を動かすことは、体内に氣を発生させることでないかと思った。もっとも、検証が必要である。





情感の欠如は、自然とのコミュニケーションの欠如に拠る面が強いだろう:物質的都市化による感性枯渇

テーマ:2つの自然:植物と動物:氣と獣欲・煩悩

ある若者、女子を見て、情感が不足していると思う。
 情感は本来、「水」的である。陰陽論で言えば、陰の欠落であるし、また、根源の太水の枯渇である。
 利己的物質主義優位からすれば今更でもあるが。
 しかし、根本的には、自然への接触の欠落が大きいように思う。私は、幸い、子供の頃、車社会になる前の、有機的な農業の「ど田舎」で過した。緑の感性が私の心に成形された。
 そう、自然感性をもっていると、東京は灰色地獄である。私なりに言うと、東京の空気は氣が死んでいるのである。以前、述べたが、東京の空気は、「痛い」のである。


2013年11月04日(Mon)▲ページの先頭へ
氣と日光:太陽とは何ぞ哉:無双太極と氣と日光
画像付きは以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11667353270.html

氣と日光:太陽とは何ぞ哉:無双太極と氣と日光

テーマ:生命力とは何か:氣と小食と腸内細菌

氣(陰陽)と光:凹i(陰)☯凸i(陽)⇒+1(生命物質体)の⇒が日光ではないのか
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11665630928.html

飯山一郎氏は今年の「大事件」として太陽凝視をあげている。
 私はだいぶ前にやったことがあるのである。そう、まぶしくなく太陽凝視ができるので、不思議に思ったものである。
 しかし、その時は、氣という霊的科学概念を明確にもたなかったので、あきてすぐ止めてしまった。
 さて、今、氣という霊的存在が、私にとっては確実になっている。これは、物質科学的に直接検証することはできないが、結果的には検証できよう。その問題はおいておく。
 今は余裕がないので、予見を記すに留める。
 飯山一郎氏は松果体に秘密があると述べている。
 ここで、粗いが、シュタイナーの霊的生理学を応用して言えば、シュタイナーは松果体(松果腺と言っているが)と脳下垂体の対立を外界と内界の対立と見ている。
 そして、松果体は外界と内界を結びつける作用があると言う。これは、私なりに解釈すると、松果体は意識と無意識を結合するはたらきをもっているのである。
 そして、無意識とは、太極PS陰陽論から言えば、中丹田や下丹田である。つまり、陰陽未分と氣=陰陽である。
 つまり、松果体は外界の光を受容して、それと身体の内部を結ぶのであるが、それは、当然、人体の植物体(氣=陰陽)と根源の無双太極=陰陽未分を賦活すると考えられるのである。
 そう、陽光の本体は少なくとも氣であるから、その氣が、人体の植物体の氣=陰陽や太極と和合するのではないだろうか。
 つまり、陽光は松果体を媒介として、氣(生命力)によって、人体を活性化するのである。
 今はここで留める。

追記:先に、モネの睡蓮の絵を無双太極(陰陽未分化)の表現でだろうと述べたが、また、無双太極から光が生まれるとも述べたし、また、無双太極と光の接点をモネの睡蓮は表現しているとも述べた。
 思う、以上の論からすると、モネは松果体を介して、内界(霊界)と外界を融合させていると思うのである。肚と胸と頭と外界を融合しているのである。

モネの睡蓮の絵画力学について:陰陽未分化の太極(太元霊)の表現ではないか:水と光の未分化融合
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11659956335.html

最近急にモネを絵を見たくなった。
 しっとりとした映像に見入りたいと思うのである。
ずいぶん昔(30年ほど前か?)、モネの絵の美しさに恍惚となったものである。そう、あまり言う人はいないようだが、神秘的なのである。
 陰の心から画面と一体になるのである。
 しかし、その後、モネに興味を失った。なにかピントがずれているように感じたのである。
 そして、今、太極PS理論ができて、根源の太極・太元霊すなわち、太水にたどり着いたのである。水的なものが根源なのである。
 しかし、その水は日を産むのである。(参照:お水取り)
 とまれ、太水は陰と陽の未分化様態である。
 どうも、モネの睡蓮の絵はそれを表現しているように思えるのである。
 今はざっと指摘するに留める。

追記:光の画家ということだが、それは一面である。神秘の画家である。太極の陰陽未分化の太水と光の接点を描いているように思えるのである。
 そう、太水の神秘である。モネは中国的というか、東洋的である。

追記2:これは精緻に検討すべきことであるが、一言言うと、太水と陰陽の陰が、いわば、連携するのである。
 この点の力学はどうなっているのか明確にすべきである。
 今、直観で言うと、太極点の太水があるが、それが氣=陰陽極性へと変換する。
 つまり、陰陽未分化から氣=陰陽分極化である。
 前者と後者は不連続なのか、連続なのか。
 今は連続的なように思える。
太水の変化で、陰陽極性ができるのは、連続変化のように思えるのである。
 そうならば、不連続的差異論とは何であったのかということになる。それは、太極と自己同一性との不連続性を説いたものであるからである。
 どうも妙な具合になってきた。
 2つの直観が相矛盾するという感じなのである。
 整理すると、先ず、肚=太元=太極は、氣=陰陽とは不連続である。これが一つの直観である。
 しかし、太極から直観すると、それは、陰と連動するようなのである。すると連続的である。
 思えば、この直観像で、前期PS理論は混迷したと言えよう。
 途中であるが、時間がないので、ここで留める。これは、慎重に丁寧に精密に検討すべき問題である。

 以下、クロード・モネ - Wikipedia から。

Resurrection : ヤポネシア、夜明けと目覚めの光楽:太玄霊氣知行学(太玄霊的生命イデア論)


Resurrection : ヤポネシア、夜明けと目覚めの光楽:太玄霊氣知行学(太玄霊的生命イデア論)



Resurrection : ヤポネシア、夜明けと目覚めの光楽:太玄霊氣知行学(太玄霊的生命イデア論)


Resurrection : ヤポネシア、夜明けと目覚めの光楽:太玄霊氣知行学(太玄霊的生命イデア論)


Resurrection : ヤポネシア、夜明けと目覚めの光楽:太玄霊氣知行学(太玄霊的生命イデア論)

 
参考:

オカルト生理学 (ちくま学芸文庫)/筑摩書房
¥1,155
Amazon.co.jp

S-note103 - Bekkoame
www.bekkoame.ne.jp/~topos/steiner/note/S...-/S-note103.html - キャッシュ
2004年12月29日 ... シュタイナー『オカルト生理学』ちくま学芸文庫/P93-95) ごくごく単純なことで、だれ
でも考えることのできることなのだけれど、 私たちが ... そして松果腺と脳下垂体という二
つの器官の対峙によって、 魂と身体の相互作用が可能になっている。

四次元思考の獲得のために その32 | シュタイナーから読み解く神秘学 ...
plaza.rakuten.co.jp/5dolphin/diary/201309300001/ - キャッシュ
2013年9月30日 ... つまり、松果体と脳下垂体が、人間の喜怒哀楽を形成している基本であることがわかる。
次に、詳しく、シュタイナーの話から、再度、松果体と脳下垂体の関係に迫ってみたい。
... シュタイナー『オカルト生理学』ちくま学芸文庫/P93-95)

松果腺を使うとちょっと時間が自由になる | Quantum Mind 第三の眼 とは
daisannome.jugem.jp/?eid=9 - キャッシュ - 類似ページ
この二つの器官とは松果腺と脳下垂体のことです。この二つは、魂と身体とが相互に
働き合っていることの可視的な表現なのです。」(オカルト生理学、ちくま学芸文庫、P97-
102)」 シュタイナーに関しては、わたしはつい、そのまま丸呑みしてしまう癖がある。


In Deep: 科学技術と未来
oka-jp.seesaa.net/category/12013650-3.html - キャッシュ
2011年9月8日 ... この研究結果を発表したのが、医学系の単科教育研究機関としては世界で最大であり、
また、ノーベル賞の生理学 .... これまで、松果体などのことについて書いたことがありま
したが、今、私たちは「見る」という行為について、非常に狭い範囲で考えている面は
あります。 .... シュタイナーが言う体内における光合成の件、これは明らかにオカルトに
聞こえますが、薔薇十字の伝統に生きる者は本気でこれを実践します。

日本人研究者が獲得した「暗闇での視覚」: 人類と光と植物


(参考記事) ペアである自分(2) より。

これは、彼ら眼を持たない魚が、視覚で光を見ているわけではないけれど、彼らが見ているものは決して夢や想像だけではなく、「光」という現実を見ていることを示します。


pine-foton.jpg

▲ 人間の松果体の位置。


松果体というのは二つの大脳の間あたりに位置する器官ですが、医学的な意味では、メラトニンというホルモンを作り出すことに関与していること以外の役割はほとんど不明です。ただ、思想ベースでは古くから語られてきたようで、Wikipedia にこうあります(抜粋)。

デカルトはこの世界には物質と精神という根本的に異なる二つの実体があるとし、その両者が松果体を通じて相互作用するとした。デカルトは松果体の研究に時間を費やし、そこを「魂のありか」と呼んだ。

松果体は眠っている器官であり、目覚めるとテレパシーが使えるようになると信じる人もいる。ニューエイジ運動の初期の指導者であるアリス・ベイリーのような作家は、精神的な世界観において「松果体の目」を重要な要素としている。






このメキシコの魚たちも、目は使っていないとはいえ、実際には松果体で「光」を見ているということになり、「やはり光は重要なんだ、光だ、光だ」と幼き我々は叫ぶわけですが(誰だよ)、しかし、そこに立ちはだかったのが、上の3番目のニュースの大阪大学の栗栖教授たちの研究「植物や藻類の中で葉緑素が緑色になる反応のしくみを解明」なんです。

裸子植物、つまり、マツやスギやソテツたちの仲間。
あれらは光も要らないのです。

ついに、「光を否定した生命」が出てきた。

論文は下のようなものです。
これは論文そのものではなく、プレスリリースから。

ダイズを暗いところで芽生えさせると緑にならないで黄色い"もやし"になってしまいます。これはダイズなどの植物では、緑色のもとになる葉緑素を作るための最終段階ではたらく酵素が光を使ってはたらくためです。これに対して、クロマツやドイツトウヒなどの裸子植物の芽生えは暗いところでも葉緑素を作り緑色になることができます。また、多くの藻類やラン藻、光合成細菌も暗所でも緑になる能力をもっています。



「お前たちは光もなしで光合成をやっちゃうのかよ・・・」と私は驚き、興奮しました。
うちには観葉植物としてのソテツもあるのですが、そのソテツと向かい合って、酒を飲んだりしたものでした(キチガ・・)。

ちなみに、ソテツはソテツ(生きた化石) によりますと、

 > ソテツの化石は古生代のペルム紀初期の約2億8000万年前にさかのぼることができます。

と、非常に歴史のある生命のひとつです。
3億年の地球の歴史の中にはかなり苛酷な時代もあったと思われます。

低温、高温、そして超巨大火山の噴火などでの日照不足や、大洪水、大干ばつ、いろいろとあったでしょうが、ソテツは生き残っています。

滅んでいった恐竜や、あらゆる小型生物、大型生物そして、やはり生き残れなかった大多数の植物を横目に生き残り、今では観葉植物店で売っていたり、あるいは、たとえば私の部屋にあったりします。

今もこれを書きながら、「ソテツよ・・・お前のことを書いている」と話かけたりしていますが(キ・・・まあいいや)、人類あたりと比べると大変な歴史を持つ生命のひとつであることは確かです。

sotetu3-2.jpg

▲ ソテツ。うちのはデカいです。


「先人の知恵」というような言葉がありますが、マツやソテツが生き残ることができた方法を体得すれば、他の生命も追随できる可能性はあると考えます。

どうしてこんなに植物のことにこだわっているかというと、「人間が植物を目指すことは理想的なことかもしれない」という考えを知ってからのことです。



「原植物」を目指す人類

昔、ブログに西洋オカルトの中心的思想のひとつである「薔薇十字」の修行をしている方がコメントを書かれていたことがあり、その人が書いていたコメントを転載させていただきたいと思います。

私は中世のオカルトの知識がゼロですので、私自身が理解しているかというと、それはわからないですが、概念として興味深く、今でも好きなもののひとつです。

ここから転載です。
改行だけさせていただいています。



部屋とウイルスと私 コメント欄より。
--

シュタイナーが言う体内における光合成の件、これは明らかにオカルトに聞こえますが、薔薇十字の伝統に生きる者は本気でこれを実践します。狂気の沙汰と言われようと、呼吸による身体内の炭素の把握はぼくらの最重要の関心事です。

これは呼吸の行とよばれます。

ぼくら薔薇十字の徒は人間の本来のバランスを取り戻そうとします。呼吸の行というのは人間である自分と植物との共生の問題です。人間は生きているだけで大気中に二酸化炭素をばら撒きます。そして「どれだけ二酸化炭素を排出しないか」という冗談みたいなことが、ぼくら薔薇十字の修行者にとっては真面目な課題です。

古神道の大国隆正という人の『本学挙要』という本の中に人と稲が逆さに並べて描かれている図があります。これはフトマニの区象といって、人間は逆さまになった植物であり、互いに共生しているという旨を説明するものです。西洋でも東洋でも霊学ではこれは一般的な認識です。

薔薇十字でもおなじです。

植物というのは、体内に緑色の血が流れ、太陽に向かって真っすぐに成長する地上の存在としてはピュアなあり方のお手本みたいなものです。

ゲーテには「原植物」という理想的な植物の概念があります。つまりあれが人間として目指すべき理想であり、最高の元型です。鉱物の中にも例えば水晶のように炭素が純化された存在として理想的な存在たちが居ます。植物や鉱物というのは本来の意味において頭上の天体運動の鏡像みたいなものです。薔薇十字の理想は、赤い血の情熱を保ちつつ植物のように上へと向かうことです。そして太陽に向かうことです。これが重要な点です。

天体のなかで西洋神秘学でロゴス(言語)と呼ばれるものの象徴が「太陽」です。

でも現在の宇宙で頭上に輝く太陽が人間にとっての「言語」の象徴に過ぎないとすれば、物理的に把握されるただの象徴である太陽より、植物のほうが先に創造されるというのは自然ですよね?

その前に「言語」は既に存在している、というより、むしろこの宇宙の原初には「言語」が先にあったのですから。それ自体は植物の誕生よりずっと昔だというわけです。「言語」という表現がいけませんね。ロゴスとは「秩序」のことです。

人間によって認識される物理的な宇宙が誕生したのは、つい最近のことです。

それを観察する科学が人間中心であるのは当然といえば、当然かも知れません。ロジックによって把握する対象として宇宙が存在を開始したのは、ロジックを駆使するようになった人間の大脳の誕生と密接に関わりがあります。人間はそれ以前に存在していた "見えない" ロジックの宇宙を "見える" ロジックとして観察することが出来るようになりました。

これは物理的な脳が誕生したおかげです。人間のロジックは宇宙のそれの模倣に過ぎませんが、でもこの模倣を可能にする大脳という精密な器官を作り上げるために、宇宙はとてつもない長い時間と労力を費やして来ました。だからある意味、科学的な認識手法というのはこの宇宙の最大の成果であると言えます。

それ以前の宇宙は、光があっても太陽がないようなものでした。内的な光で認識されただけです。

しかし実際、太陽が出現し、またこれによって眼という器官が形成され、そして脳が作り出されました。人類がこの能力をどう利用したかは別として、人間における理知的な行為を可能にする完成された脳神経系は、どう見積もっても神の最高傑作であるに違いありません。

そして人間に与えられたこの認識力の限り、ロゴスの象徴である太陽のなかに根源的な神性を知ることこそ、霊的な伝統のいずれの系譜においても追求されてきた共通の課題でした。

気の遠くなるような昔から過去の賢人たちはそのために気の遠くなるような努力によってその道を準備して来ました。宗教とは、そのようなものの大成です。

太陽へと向かう植物のようにしかも自由への衝動を内に担いながら上へと成長しようとする、地上では類をみない神聖な存在として人間存在が語られ、そしてその正しい道が古今東西どの流派に限るとなく実践されて来ました、、、、、と、このようなことを信じる、信じないは別として、いずれにせよこれが宇宙と人間の歴史に対する薔薇十字の伝統の解釈です。



転載ここまで。
http://oka-jp.seesaa.net/category/12013650-3.html

In Deep

人類の進化の可能性(2):裸子植物が行う暗黒での光合成: クレアな ...
tok2.seesaa.net/article/151375315.html - キャッシュ
2010年5月28日 ... 松果体の役割の発見のことなど .... 植物の種類によって芽生えが緑化する能力に違い
があることは、一世紀以上前にドイツの植物生理学者によって報告されていましたが、
それがどの ... シュタイナーが言う体内における光合成の件、これは明らかにオカルトに
聞こえますが、薔薇十字の伝統に生きる者は本気でこれを実践します。

始源流原始占い - Yahoo!ブログ
blogs.yahoo.co.jp/mizuguchiaiko/archive/2012/5/2 - キャッシュ
2012年5月2日 ... オカルトでいえば、負のエネルギーとは、精神世界のことで、霊界になる。 ... 今回は、
この緊張(均衡)を暗示するだけだが、以後の考察で更に詳しく述べていく松果腺と、
粘液腺の2つの器官に集中する ... シュタイナーはこのような文化状況の中で,人々の
想像力の方向性を危うんでいたのである。 ... うとしたり、人間の血を生理学的に
沸き立たせ、無我夢中にさせようとしたりするものすべてに働いている力のことである」.

INNOVATION OF PHILOSOPHY: Discontinuous Difference ...
protophilosophy.noblog.net/blog/2010/08/ - キャッシュ
2010年8月30日 ... もっとも、シュタイナーによれば、松果体が接点である。つまり、Media Pointになる ..... 【
シュタイナーの『オカルト生理学』から言えば、脳=脳髄神経系が前者であり、交感神経
系(自律神経系)が後者にあたるだろう。】 つまり、絵画鑑賞には、凹i ...

Nikon|光と人の物語|第3の眼の進化 - ニコン
www.nikon.co.jp/channel/light/chap05/sec02/index.htm - キャッシュ - 類似ページ
その痕跡は今も私たちの脳の中で光を感じ、一日のリズムを調整する役割を果たして
いる。 1. 第3の眼; 2. 脳の中の「眼 ... その器官、「松果体」は脳の中にありながら、細胞
レベルでは驚くほど眼、特に網膜の細胞と構造が似ている。松果体になる細胞がごく
若い ...

『 光輝と質量 』 19978‐1998へ - UEDA Nobutaka Formal Site
uedanobutaka.info/jpopsisphysis.html - キャッシュ
そのシュタイナーの色彩論は、当然ながらゲーテの表現を踏み越えるものだった。
ゲーテにとって、色彩は、光と闇が織り成す自然現象と人間の目との間で起こる。
シュタイナーにとって、色彩は、精神と魂の映像だった(図版4)。そのような色彩が、重要
だったので ...

13 - 「人間原理の探求」渡辺久義
www.dcsociety.org/id/ningen_genri/013.html - キャッシュ
光は霊的なものである、とルドルフ・シュタイナー(「シュタイナー教育」で有名な哲学者、
霊能者)が言っていたことを思い出す。我々は物理学の一部門としての光学というような
ものに慣らされているためにそういう感覚を持てなくなっているが、デントンのなしたよう ...

生命に合わせて調整されている自然法則? - 始源流原始占い - Yahoo ...
blogs.yahoo.co.jp/mizuguchiaiko/9983287.html - キャッシュ
2013年10月17日 ... ゲーテが言うように光があったから目ができたのであって、目が光を作ったわけではない
! 目が光を見ることができるのは、目が光によって作られたからだ. ゲーテ 小杉英了「
シュタイナー入門」. 若いときのショーペンハウアーとういう哲学者が ...


2013年11月03日(Sun)▲ページの先頭へ
人体四層構造図:T.太極点/U. 植物体(氣=陰陽)/V.動物体/W.自我体・・・(X.外界)
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11665314072.html

人体四層構造図:T.太極点/U. 植物体(氣=陰陽)/V.動物体/W.自我体・・・(X.外界)

テーマ:太玄霊知行学:太玄霊的生命イデア知行学

ちょっと簡単に、人体の四重構造を図式化してみたい。
うまく作図できないので、見にくいがざっと書く。仮に人体四層構造図と呼ぶ。


 T        U           V       W    (X)
     |            |        |
     |            |        |
太極点 |植物体(氣・陰陽) | 動物体  | 自我  (外界)
     |              |        |
     |              |        |
 肚   |   胸         | 皮膚?    |   頭
      |              |         |
下丹田 |   中丹田      |        |  上丹田

         
       人体四層構造図

本来は太極点は、円ないし球の中心である。
 そして、植物体は陰陽円ないし陰陽球である。そして、その外皮に動物体があり、そして、それから遊離するものとして、自我を考えたい。
 わかりやすくするため、全体をほぼ同心円で考えたい。つまり、円の中心に太極点、そして、円総体が植物体であり、その外皮が動物体で、それから衛星のように遊離して自我がある。
 動物体は陽に傾斜した存在であるが、まだ、陰陽と連続的である。
 しかし、人体において、自我があり、それは、動物体と連続であるが、尚、分離している。ここの辺の記述は難しい。
 私は極大の陽を考えている。これは、まったき陽であり、陰が消えている状態である。そして、これが重要であるが、極大の陽(極陽)で固定しているのである。そのために、陰陽的生成変化を行なわないのである。
 しかしながら、動物体とは連続であるために、完全な遊離ではない。だから、訂正する必要がある。自我は動物体から遊離しているのではなく、動物体と連続しつつ固定している極陽であるということである。
 しかしながら、人体において、植物体がある意味で発達しているのである。これが純粋な動物と異なる点である。
 人体四層構造図で言えば、Uの中丹田が賦活しているのである。
 陰陽論で説明すれば、Tが陰陽未分化で、Uが氣=陰陽共鳴であり、Vが陽傾斜であり、Wが極陽固定である。
 人体において、簡潔に言えば、Uの氣とVWの陽が矛盾対立しているのである。何故なら、VWは陽でUの氣=陰陽を抑圧するが、Uの氣=陰陽はその否定に対しては、当然反対するからである。これが、人間の先天的「分裂症」、統合失調症である。
 さて、簡単に外界に対する自我の意識の力学を考えてみよう。
 自我は極陽で、自己中心主義である。
 問題は同一性である。これはどこから生まれるのか。
 これは、極陽による氣=陰陽のまったき否定に拠ると思われる。先に自我方程式を述べたが、それを考えるといいだろう。


⓶自我方程式(自己同一性方程式):

凸i(陽)*凹i(陰)⇒−1(=e^iπ) ・・・Z

前期PS理論とオイラーの等式の統合の再考:+1が生命物質体、−1が純物質:氣と同一性自己(自我) (10/29)
http://sophiology.jugem.jp/?eid=347

これは陽が中心化して、陰を否定するものである。
 結局、同一性、自我の同一性とは、陽自体のことであると言えよう。正確に言えば、極陽自体である。(結局、極陽と純物質が一致するというのが自我方程式の意味であるが)
 結局、人体の矛盾対立とは、氣=陰陽VS極陽同一性(純物質性)ということになる。
 さて、準備ができたので、外界認識を考えよう。
 自我は同一性の視点で外界を見るのである。それが、植物、動物の場合はそのまま支配できるので、問題はないのである。
 しかし、他者に対するとき、困惑するのである。自我の同一性に服さない差異がそこにはあるからである。植物や動物の差異は力の支配で克服するのである。
 しかし、他者の場合は、簡単に力で支配できないのである。
 思うに、視覚のスクリーンはUとVの間にあるのである。これは単なる肉体的な網膜ではなく、心の網膜である。
 そう、氣と生命物質体の境界のスクリーンとも言えよう。
 このスクリーンに他者が映し出されるわけであるが、それは、自我の支配に服さない映像であり、それは、スクリーンにわだかまりを生じさせるのである。つまり、抑圧してあるUの氣=陰陽を賦活させるのである。故に、ここで、反感が生じると考えられる。嫉妬はここから生まれると言えよう。
 そして、自我が強力で、氣=陰陽が弱い場合は、暴力的になるだろう。怨恨をもったりして、他者を攻撃対象し、暴力を振るうことになるのである。
 これが、いわば、父権自我暴力である。
 しかしながら、母権文化であるとき、それは暴力には至らない。
 何故なら、氣=陰陽が強く働くからである。思うに、それは、根源の太極から発しているのであり、TとUは連関している思われるのである。
 すると、ここに(TU)VS(VW)という矛盾対立があることがわかるのである。これは母権VS父権とも言えるのである。あるいは、東洋VS西洋である。(ヤハウェは、極陽を固定するような力学と思われる。ならば、ヤハウェは悪魔ではないだろうか。ヤハウェは超越性とは、太極の超越性だと思われる。)
 さて、母権文化において、他者認識を考えると、氣=陰陽が自我の極陽の様態に浸透していると思われるので、自我は陰陽を支配せず、同化しているので、他者認識は共感的になると考えられるのである。言い換えると、自我は同一性ではなく、陰陽共振的、他者共振的なのである。それは、植物的な成形性をもつのである。そう、共同体的なのである。
 以上で、ざっとであるが、人体の四層構造について考察してみた。
 さて、先に齟齬のまま終わっていた、太極と陰陽との関係力学について最後に触れておこう。
 両者、連続なのか不連続なのか不明であったのである。
 人体構造図では、当然、TとUの境界力学の問題である。
 今の作業仮説では、TとUは即非様態にあると見たい。即ち、即(同一性)においては、TとUは連続的である、しかし、非(差異)においては、TとUは不連続であるということである。
 考えれば、陰と陽も即非の様態にあると言えよう。というか、それは、TとUの即非と同じことを意味しているのである。何故なら、陰と陽とは、太極において、一体(一如)であるからである。ただし、私説では、陰陽未分化様態(混沌)である。
 以上で現段階における人体四層構造の説明を終える。

追記:太極PS原理の人体四層構造は、シュタイナーの人体四層構造に一見に似ているが、根本的に異なる。
 もっとも、後者のエーテル体を植物体、アストラル体を動物体、そして、自我はそのまま自我として活用している。植物体と動物体はほぼシュタイナー霊学と同じである。
 しかし、太極PS原理は、原点に太極点、そして、シュタイナーの物質体に当たる箇所に純物質と重なる自我を見ている点が異なると言える。
 また、植物体を氣=陰陽と見ている点も異なると言える。
 そして、基本的には、太極PS原理(TPSP)は、太極の根本原理から陰陽論で演繹的に説明している点も異なる。
 シュタイナーの人体論は、四層がいわば、別々に存在していて、発展的成形がそこいはないと言える。
 だから、原理としては、今の段階だが、太極PS原理の方が首尾一貫して優れていると考えられる。


2013年10月30日(Wed)▲ページの先頭へ
太元霊氣知行学から太極PS理論へと進展?:太元霊から氣への次元転換力学について
画像付きは以下を見られたい。
http://sophiology.jugem.jp/?eid=350

太元霊氣知行学から太極PS理論へと進展?:太元霊から氣への次元転換力学について

テーマ:太玄霊知行学:太玄霊的生命イデア知行学

今はポイントだけ言う。
 太元霊は太水とも呼び、陰陽未分化様態(混沌)と述べた。
 思うに、ここから、陰極と陽極に分極化して、同時、氣が発動すると思われるのである。つまり、氣、即、陰陽対極性である。
 これは、陰陽未分化状態から、陰の要素、陽の要素がそれぞれ、分立し出した結果、極性が形成されるということだと思われるのである。
 しかしながら、根源の一体性は残っているのである。しかしながら、その一体性であるが、もう未分化的一体性ではなく、分極化した一体性である。
 図式化すると、

1)太元霊∞:陰陽未分化=太水:未分化的一如

2)氣・陰陽対極性☯:陰陽的一体性

となる。
 いわゆる、太極(根源的一元性)であるが、それは、1を指すのであり、2の陰陽的一体性ではないと当然考えられる。
 さて、以上のように考えて、ガウス平面+オイラーの等式の等号による前期PS理論をまた、考えてみると、1の太元霊に当たるのは、ガウス平面の原点と見ることできるのではないだろうか。
 前期PS理論においては、MP(Media Pointメディア・ポイント:media point http://ameblo.jp/neomanichaeism/theme-10037824543.html)とガウス平面の原点を呼んでいたが、太元霊をそこに置くのであれば、もはや、MPではない。根源的一元点であるからである。メディアとなる点ではないのである。
 だから、太元点、太玄点と呼ぶことができよう。そのように考えると、前期PS理論はまだ生きていることになるのである。
 というか、太元霊氣知行学の視点をそれに加え合わせることで、前期PS理論が発展することになるのである。
 それを太元PS理論、太元霊PS理論、太元霊PS理論、太元氣PS理論等と呼べよう。
 しかしながら、そのように考えると、まったく正統的な太極陰陽論の基本構造と変わらないことになろう。
 つまり、太元霊を太極と見ればいいのである。
 なにか、お釈迦様の掌の上を知らず移動していたというようなことになる。
 ただし、陰陽未分化⇒氣=陰陽対極性⇒生命物質体という陰陽力学を数哲(数学哲学)的に解明したという点は創造的であると言える。(追記:以下のような図式が成立したのである。

太玄霊氣知行学(太元氣原理仮説)の簡単な図式:民族存亡の放射能地獄の黙示録
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11657862577.html

 T:∞:太玄霊(太元氣):陰陽未分化:
     メビウス太水:ウロボロス

⇒U:☯:氣(陰陽対極性:「水」☯「火」)

⇒V:♁(氣的生命有機体:生命物質体)

⇒W:⊖(陰陽二元論):自我ー純物質体(唯物論世界)) 

とまれ、そうなら、理論名を明快に、太極PS理論とすることが適切ではないだろうか。

追記:MPは、陰陽対極性から生命物質体へと次元変換するときのポイントとして見られると思う。つまり、陰陽から生命現象への次元転換点である。
 そうならば、以前、MP1とMP2に分けたが、前者はもはや成立しないのであり、太極点があり、かつ、MPがあるということになる。そして、両者は原点に存すると言えるが、当然、同じものではない。
 つまり、原点は二層構造である。当然、不連続な二層である。
 しかし、正確に言えば、三層である。1:太極点と2:陰陽共振点と3:陰陽現象次元転換点の三つの点が重なっていると言えよう。
 この点については後で検討したい。

参照:
太極から八卦ができるまで | 易経ネット

太極から八卦ができるまで

易は宇宙間における一切の事物や事象の意味とその変化とを六十四卦に分けて説明しているのですが、それでは一体この六十四卦そのものは、どのような経路をとってできたのでしょうか。十翼のひとつで易の本質を解説した『繋辞伝 (けいじでん)』には、「易に太極有り。これ両儀を生ず。両儀は四象を生じ、四象は八卦を生ず。八卦は吉凶を定め、吉凶は大業を生ず」とあります。

つまり、易の根源は太極である。太極は両儀(陰陽)を生み、陰陽は四象(老陽、少陽、老陰、少陰)を生み、四象から八卦が生じた。八卦は吉凶を定め、吉凶の判断にもとづいて行動することによって、大きな業をなし遂げることができる、というのです。ここに、易の成り立ちが説明されており、それを図示すると、つぎのようになります。
[太極図]

太極図
太極について

太極つまり極めて大きなもの。はじまりであり混沌、根元であるそれは、陰でもなく陽でもなくはっきりした象になる前の何ものか、あるいは無。かなり漠然としていますが、要するにこの世界のすべてであり、易の本体でもあります。この太極をぬきに易は語れません。また太極は、その根源性から数字の一としたり、北極星にたとえられたりもします。老子は太極の前に、無極があるとしました。
両儀について

さらに太極が両儀、つまり陰陽という相互対立的な活動を生んだと考えられました。陰陽というと古めかしく聞こえますが、要するに、陽とは積極的・剛強的なものを指し、陰とは消極的・柔弱的なものを指します。電気でいうとプラス(+)とマイナス(-)の関係であり、一般的な事象としては、男性と女性、表と裏、昼と夜、充実と空虚、勝利と敗北、動と静、進むと退く、奇数と偶数、夏と冬、太陽と月、天と地などです。世の中のすべてのものがこの陰陽から成り立っているとするのが易の考え方であり、この陰陽が易の基本となります。
[陰陽の例]
自然界 天と地、太陽と月、昼と夜、夏と冬、火と水
人間界 男と女、親と子、夫と妻、君子と小人、君と臣、主役と脇役
性質 剛と柔、明と暗、大と小、強と弱、善と悪、積極と消極、奇数と偶数
位置や動き 表と裏、上と下、内と外、開と閉、動と静、気と形、借方と貸方

易では、この陽と陰とを算木(さんぎ)の符号をもってあらわし、一本の切れていない算木 陽 を陽とし、一本の切れている算木 陰 を陰と呼びます。それにしてもこの奇妙な符号が、もともとどのようにして生まれたのか、今日まで論議の的でありましたがいまだに定説はありません。学者の中には、連続と切断をあらわすという説、亀の甲を焼くときにできるひび割れ説、陽 は太陽、陰 は月とする説などがありますが、古代の生殖器崇拝から男女の生殖器を象徴したものとする説が有力です。

気は、易経より後の戦国時代に生まれた概念で、エネルギーの極小粒子(活動子)をいいます。これが陰陽説と結びつき、陰気、陽気という陰陽の働きを表すものとなりました。たとえば、夏という季節は陽の代表的な季節ですが、真夏(夏至)には陰の気を内包しており、時間とともに陰の気が長じ、陽の気が減って秋から冬に変わっていきます。冬至は、純陰の季節ですが、一陽来復して春に向かうのです。人でいえば、生まれた時は親の子として陰であり、結婚すると男は陽、女は陰、親になると子に対して陽となります。このように、場所、位置、時間などによって、陰陽は変化します。これを図式化したのが太極・陰陽の図です。

[太極・陰陽の図]
太極・陰陽の図

外の大きな環が太極、環の中の白が陽、黒が陰で、ウロボロス(自分の尾を食う蛇、再生の象徴)のように右回りに循環しながら、陽が増大したり減少したりしていくのです。陽の中に黒点があるのに注意して下さい。季節のめぐりに置き換えれば、分かりやすいでしょう。陰と陽は最初は等価値だったようですが、しだいに陽を上位に見るようになりました。陽尊陰卑(男尊女卑)の表れといえます。

http://www.ekikyo.net/contents/dekirumade.html




易経ネット


十、太極図の起源と演変 - ようこそ![CORY-P.COM]
www.cory-p.com/chen/stc/10.html - キャッシュ - 類似ページ
しかし、太極図はどこから来ているのでしょうか?《繋辞》には『河出図、洛出書、聖人則
之』と書かれています。其の意味は『黄河から図が出て、洛河から書が出た、聖人(中華
民族の祖先伏羲氏)河図洛書に基づいて太極図を推演した』という…つまり、太極図は ...



陰と陽 LV3 太極と陰陽4つの性質 - macrobi papa
macrobi.livedoor.biz/archives/50751169.html - キャッシュ - 類似ページ
2006年10月20日 ... 太極図って冒頭で出した、韓国の国旗みたいな表です(↓)。 たいきょくず 太極図とは円
の中に対極にある陰と陽の動きを表した古い文様で、円は 【無極むきょく】を表し、宇宙
の完全な統一性とすべての始まりを意味します。 陰は黒、陽は白で ...


 ■太極図■

 この【4つの法則】は、【太極図たいきょくず】の中に見ることができます。
太極図って冒頭で出した、韓国の国旗みたいな表です(↓)。

           たいきょくず







太極図とは円の中に対極にある陰と陽の動きを表した古い文様で、円は
【無極むきょく】を表し、宇宙の完全な統一性とすべての始まりを意味します。

陰は黒、陽は白で描かれています。
交わることのない黒と白は『陰陽の対立』を、
対になった2つの形は『陰陽の依存』を表します。

「陽」は広がり「陰」の中に吸収され、「陰」もまた「陽」の中に呑み込まれます。
これを示す頭が大きく尾が細い形は、『陰陽の消長』を表します。

太極図の一番卓抜したアイデアは、「陽」が中心部に向かって、最も盛んになろうとするときに「陰」の目が生まれることです。
白のオタマジャクシの中にある<黒い点>のことですね。
また、「陰」にも同じく「陽」の目が生まれます。
この目は【極化点きょくかてん】といい、『陰陽の転化』を表します。

対極の力を中心に抱いて互いに互いを取り込んで、生成流転を繰り返していく、
決して一方に偏ることのない「中庸」の姿をあらわします。
この陰と陽の変化の中から万物が生まれるという考え方を【太極思想】といいます。


このように宇宙や自然現象などの大きなものから、お米一粒の小さなものまで
すべてが陰と陽を含みます。
すべての変化はそのバランスの変化が引き起こしているのです。
人間の健康や性格までもがそのバランスで、良くも悪くもなるのです。

「食」を通じて陰陽のバランスを整え、健康で充実した人生を送る。
これが「食養生」の神髄であり、マクロビオティックに受け継がれた基礎です。
http://macrobi.livedoor.biz/archives/50751169.html
マクロビパパの奮闘記

易学から陰陽説 - 八卦とは - 東洋・西洋占星術 - Western-Eastern ...
astrology.neoluxuk.com/hisei/index.php/Cat1No/A100/ - キャッシュ - 類似ページ
太極図の意味. 太極図 図1 太極図. 太極図とは、図1に示す通り、おなじみの陰陽の
図形のことですが、この太極図こそ『易学』の思想の原点とも言える図です。 太極図は、
黒と白、即ち陰と陽から構成されていますが、黒の中には白い点が、また白の中には
黒い ...

陰陽論
www.hanachi.com/shop/hanachi/philosophy/yinyang.htm - キャッシュ - 類似ページ
当初考えられていた陰陽の意味は非常に素朴なものでした。 太陽の光を受けたとき,日
の ... 右図は太極図(太極マーク)と言います。 白い部分、と黒い部分を魚に ... 右図で
白い部分は、「陽」を表し、黒い部分は「陰」を表します。 大きな白い部分の中に、黒い点
...


2013年10月29日(Tue)▲ページの先頭へ
太玄霊論の簡単な図式:太元氣論でもいいかもしれない
記号は文字化けするので、以下を見られたい。
http://sophiology.jugem.jp/?eid=348

太玄霊氣知行学(太元氣原理仮説)の簡単な図式:民族存亡の放射能地獄の黙示録

テーマ:太玄霊知行学:太玄霊的生命イデア知行学

先に以下のように書いた。

 T:∞:メビウス太水:ウロボロス

⇒U:☯:氣(陰陽対極性:「水」☯「火」)

⇒V:♁生命物質体

となる。(追記:Vの♁は、本当は、○書いて、その円内に十字+を入れた文様である。即ち、Earth symbol.svg  である。これは、西洋占星術の地球の記号である。参照:
惑星記号 - Wikipedia
地球 Earth symbol.svg 四大元素 の土(地)の記号の転用で、四方 で大地を表す。あるいは、赤道 と本初子午線 。
Earth astrological symbol.svg 宝珠 。世界 (世界を統治すること)の象徴。


太玄霊気知行学の三層構造:太玄霊(メビウス)⇒氣(陰陽対極性)⇒生命物質体(現象):Ver2 (10/25)
http://sophiology.jugem.jp/?eid=343


この図式を修正して、


 T:∞:太玄霊(太元氣):陰陽未分化:メビウス太水:ウロボロス

⇒U:☯:氣(陰陽対極性:「水」☯「火」)

⇒V:♁(氣的生命有機体:生命物質体)

⇒W:⊖(陰陽二元論):自我ー純物質体(唯物論世界)
とする。Wの⊖は心身ないし主客二元論の記号である。
 近代世界は当然、Wの世界であり、今や、それを越えて、Uの主導によって、TとVの新しい世界を創造する時点になったと考えられる。

 現代日本は、Wにどっぷり染まってしまい、ほぼ亡国となり、今や、民族存亡の放射能地獄の黙示録である。


前期PS理論とオイラーの等式の統合の再考:+1が生命物質体、−1が純物質:氣と同一性自己(自我)
文字化けする恐れがあるので、そのときは、以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11657621030.html

前期PS理論とオイラーの等式の統合の再考:+1が生命物質体、−1が純物質:氣と同一性自己(自我)

テーマ:太玄霊知行学:太玄霊的生命イデア知行学

ふと思いついたので、書いておきたい。
 前期PS理論に自己認識方程式凸i*凹i⇒+1において、オイラーの等式を導入したが、その実数、つまり、+1と−1の解明に、膨大な努力を費やしたが、結局、混迷混乱の内に終り、前期PS理論は崩壊して、『海舌』氏はいわば後期PS理論(四元数をもちいたPS理論)へ移行し、私は脱数学主導の理論の探求に赴いたわけである。
 端的に、+1と−1の解釈に混乱を極めたと言っていい。私は『海舌』氏の説明は完全には納得していなかった。つまり、−1を超越的存在と考える仮説である。何故なら、−1は実数であり、これは、現象界に関係すると思われたからである。(また、先に、−1は太玄霊【太元霊:又新語】になるかと思ったが、私見では、太元霊は超越的であるから、−1に当てることはできないと思う。要検討ではあるが。)
 とまれ、自己認識方程式を氣の方程式に変換して考えよう。即ち、

凹i(陰)*凸i(陽)⇒+1            ・・・T

凹i(陰)☯凸i(陽)⇒+1(生命物質体)   ・・・U

(尚、*を☯に入れ替えた)

ここで、不連続的差異論の視点を導入して、再度、前期PS理論に拠るオイラーの等式の現実的意味を提起したい。
 即ち、不連続的差異論は、自己の自我凸i(陽)のもつ自己同一性志向性を問題にしたのである。それは、他者である不連続的差異を否定するというものである。そして、他者=不連続的差異を凹i(陰)として、捉えて、混乱して言ったわけである。
 結局、不連続的差異としての他者(おそらく、二種類の他者ないし三種類の他者が存する。超越的根源的他者と対になる他者である。後者は内在的なものとその現前化としての外在的なものがあるだろう。)、つまり、太元霊は前期PS理論では提示できなかったと考えられる(『海舌』氏が以下の人間認識図の第3象限をそのようなディープな領域と捉えていたが、やはり、超越的な領域ではなく、単に内在的領域に過ぎないと考えられる。)
 とまれ、陰陽極性において、凸i(陽)に拠る否定を考えてみると、それは、マイナス(この場合は凹)を掛けることである。即ち、

凹凹i*凸i⇒−1       ・・・V

となる。

 さて、次に、オイラーの等式

e^{i \pi} + 1 = 0\,

を変形して、

−1=e^iπ

にする。
 この左辺の−1を上記の氣の方程式Vに当てはめる。

すると、

凹凹i*凸i⇒e^iπ     ・・・W

又は、

凹凹i(−陰)*凸i(陽)⇒e^iπ     ・・・X

となる。
 そして、右辺e^iπを純物質と仮説するのである。そして、本来の氣の方程式TないしUにおける+1を生命物質体と見るのである。つまり、それは、氣(陰陽共振)を内包・内在した生命物質体ということである。わかりやすく言えば、有機体的生命体である。正確に言えば、氣的有機体的生命物質体である。
 結局、整理すると、氣の方程式は二つの様態があるということになる。
 即ち、

1:

凹i(陰)*凸i(陽)⇒+1            ・・・T

【又は、凹i(陰)☯凸i(陽)⇒+1(生命物質体)   ・・・U】


2:

凹凹i(−陰)*凸i(陽)⇒e^iπ     ・・・X

【又は、凹凹i*凸i⇒e^iπ=−1     ・・・Y】

である。
 1と2をまとめると、

凹凹i(−陰)*凸i(陽)⇒e^iπ     ・・・X

のXの式を

凸i(陽)*凹i(陰)⇒−1(=e^iπ) ・・・Z

とし、

それに対して、

凹i(陰)☯凸i(陽)⇒+1(生命物質体)   ・・・U

を対とする。

ここで、今回の私の直観のミソであるが、現象化・物質化には、陽(凸i)が優位に作用しているということである。
 今、ふと浮んだことであるが、Zの式は、純物質化の方程式と言ったが、それは、死の方程式ではないかということである。
 つまり、Uが生命の方程式とするなら、Zは真逆の死の方程式のように思えたのである。あるいは、自我の方程式かもしれない。あるいは、大脳皮質の方程式かも。また、思ったのであるが、死の方程式かもしれないが、それより、自我、自己同一性の方程式と見た方が的確かもしれない。
 今の暫定的段階において、
 
凸i(陽)*凹i(陰)⇒−1(=e^iπ) ・・・Z

のZの方程式を自我方程式とする。
 そして、このZに氣の方程式(生命の方程式と言えよう)が対になるのである。

即ち、

⓵氣の方程式(生命方程式):

凹i(陰)☯凸i(陽)⇒+1(生命物質体)   ・・・U


⓶自我方程式(自己同一性方程式):

凸i(陽)*凹i(陰)⇒−1(=e^iπ) ・・・Z


となる。
 ⓵の方程式は、正に、陰陽方程式とも言えるもので、陰陽のバランスがとれて、共振調和和合するものである。
 それに対して⓶は、陽凸iが陰凹iに対して優位になるもので、陰陽共振が否定されるのである。
 ところで、純物質であるが、それは、やはり、−1が表現しているのではないだろうか。それと自己意識の陽凸iと重なるということではないだろうか。つまり、陽凸iと−1が重なった状態が自我であるということではないだろうか。つまり、陽と純物質が合一した状態ということである。
 そのように考えると、私が『海舌』氏から離脱した原因・理由がまた、彷彿としてくる。
 つまり、『海舌』氏は、あえて言えば、物質を+1と見て(実際は光と見ているが、光は物質形成するのでそう見ていいだろう。)、また、−1を超越的存在と見ていたのであるが、それは、真逆であるということである。それを私はNeo-PS理論(NPS理論) http://ameblo.jp/neomanichaeism/theme-10050415729.htmlで述べたのである。
 思えば、このNeo-PS理論の考えは、THRIVE(映画ThriveのトーラスとPS哲科学 http://ameblo.jp/neomanichaeism/theme-10054150901.html)で展開させたのである。
 上述から−1と自我意識を重ねると、より十全な視点が形成されると思われる。つまり、人間は一般には、−1の視点、つまり、唯物論の視点から現象を見ているということになる。
 ここで、光の問題が第一級の問題として存するのである。
 ここでも、前期PS理論は混乱していたと言える。つまり、陽凸iが光なのか、それとも、『海舌』氏が説いたように+1がそうなのかという問題でもある。
 今は作業仮説的に、暫定的に、思考実験的に述べるだけであるが、光は氣が本体である。つまり、陰陽共振が生命現象として発現する、いわば、直前に存するように思える。
 しかし、それをMP(メディア・ポイント:ガウス平面の原点)に見るのか、それとも⇒に見るのか、が問題である。
 思うに、両方でいいのではないだろうか。即ち、☯⇒(又は、以前の氣の方程式の意味で*⇒)を光の方程式と見ていいのではないだろうか。より分節化すれば、☯がデュナミス (アリストテレス哲学の用語であり、潜勢態と訳される)で、⇒がエネルゲイア (これもアリストテレス哲学の用語で、現実態と訳されるが、私は活動態と訳したい)と思われる。(因みに、同じく、アリストテレス哲学のエンテレケイアであるが、これは、実現態ないし結果態とでも訳したい。+1がそれに当たる。そう、生命物質体ということでもある。しかし、これを物質と取るのは重大な誤りと考えられる。)
 そのように考えると、自我(同一性的自己)は、現象(☯⇒+1)を、−1の視点ないし*⇒−1の視点から、言わば、正反対、裏返しに見ていることになる。そう、光☯⇒を、単に純物質−1の視点から見ていると思えるのである。(思うに、これは、陽凸iにおける同一性反射があると思えるのである。つまり、光☯⇒を自我【*⇒−1における*⇒】から視覚知覚しているということである。精緻な解明は後に行いたい。)
 言い換えると、光は本来、氣を本質とするものであるが、それを物質として錯誤しているということなのである。つまり、電磁波として、捉えているということである。(光、この場合、日光、陽光であるが、それを電磁波とするのは誤謬と考える。単に、電磁波という観測視点から日光を見ているに過ぎないのであり、それは、日光は電磁波ではない。この問題は重要なので、今は措いておく。)
 さて、議論がだいぶ複雑になってきたが、本稿の結論は上述の方程式に存する。即ち、


凹i(陰)☯凸i(陽)⇒+1(生命物質体)   ・・・U


⓶自我方程式(自己同一性方程式):

凸i(陽)*凹i(陰)⇒−1(=e^iπ) ・・・Z


である。 
 しかし、⓶は、自我ー純物質方程式と呼ぶ方が的確と考える。
即ち、


⓷自我ー純物質方程式(自己同一性方程式):

凸i(陽)*凹i(陰)⇒−1(=e^iπ) ・・・Z


である。
 だから、整理し直すと、


➊氣の方程式(生命方程式):

凹i(陰)☯凸i(陽)⇒+1(生命物質体)   ・・・U


➋自我ー純物質方程式(自己同一性方程式):

凸i(陽)*凹i(陰)⇒−1(=e^iπ) ・・・Z


となる。
 今はここで留める。

追記:今、ふと思ったが、氣⇒陰陽ではないだろうか。氣が先行し、それが陰陽に極性分化するということなのではないだろうか。あるいは、同時である。
 だから、陰陽極性が先にあって、氣が形成されるということではないと思う。
 しかし、氣⇒陰陽、即ち、氣が陰陽極性に先行するということならば、氣と太元霊(太玄霊)との関係が問題になる。
 しかし、氣⇒陰陽ならば、その氣は太玄霊と考えられる。
 そうならば、光の問題が出てくる。
 光とは何か。上記では、光☯⇒としたが、これは、陰陽共振が光を形成するということを意味するのである。
 整理すると、太玄霊⇒氣、氣=陰陽=☯である。
 では、氣が光なのか。そうではない。氣は不可視であるからである。氣の発現が光、日光である。
 思うに、上述では、光☯⇒であるが、これだと氣とあまり区別できていない。
 そこで、書き替えて、氣☯⇒+1における⇒と+1の接点が光とするのである。図式化が難しくなるが、とりあえず、

氣☯⇒|光|+1   ・・・[

と図式化しておく。
 説明すれば、氣(陰陽☯)が生命物質体(+1)を成形するとき、氣が成形した+1にぶつかったときに発生するのが光ということになる。つまり、氣が生命体にぶつかったときの反射が光ということになるのである。簡単に言えば、氣の物質体による反射が光である。氣の反射としての光ということになる。
 ここで、D.H.ロレンスの『天道虫』における「黒い太陽dark sun」のことが関係するのである。そこで、登場人物のディオニスは、目に見える光とは闇(いわば、超光である)が物質に当たったときの反射であると述べているのである。
 それに今述べた視点を入れれば、ロレンスの「闇」とは氣ではないのかということになるのである。黒い太陽dark sunとは、端的に氣の太陽ということになろう。しかし、氣(陰陽☯)そのものを氣の太陽として見るのは無理があるだろう。それは、単に氣でしかないのであり、太陽ではないからである。
 だから、太玄霊までを考える必要があるだろう。そこで、

太玄霊⇒氣(陰陽☯)    ・・・\

を考えて、この⇒と氣の接点に氣の太陽(黒い太陽dark sun)を考えたい。
 だから、\に黒い太陽を入れて、[を合わせると、

太玄霊⇒|黒い太陽|氣(陰陽☯)⇒|光|+1 ・・・]

となる。
 接点がわかりにくいので、・を入れる。

太玄霊⇒・|黒い太陽|・氣(陰陽☯)⇒・|光|・+1   

・・・]T

となる。
 しかしながら、ガウス平面+オイラーの等式による前期PS理論では、太玄霊の位置が存しないのである。
 そこで、私は無双PS原理等を考えるようになったというのが経緯である。


参考:

人間認識図(『海舌』氏による)

Resurrection : ヤポネシア、夜明けと目覚めの光楽:太玄霊氣知行学(太玄霊的生命イデア論)

オイラーの等式 - Wikipedia

オイラーの等式(オイラーのとうしき、英 : Euler's identity)とは、解析学 における等式

e^{i \pi} + 1 = 0\,

であり、その名はレオンハルト・オイラー にちなむ。ここに、

e\,: ネイピア数 、すなわち自然対数 の底
i\,: 虚数単位 、すなわち2乗すると −1 となる複素数
\pi\,: 円周率 、すなわち円 の直径 と円周の比

である。


2013年10月27日(Sun)▲ページの先頭へ
地球存在進化図式仮説:太玄霊⇒氣⇒(鉱物?⇒)植物⇒(鉱物?⇒)動物⇒人間物⇒氣人・仙人・森人
テーマ:太玄霊知行学:太玄霊的生命イデア知行学

本題であるが、鉱物の位置が未だよくわからないので、?としておくが、今は、その他の地球存在の進化の力学を太玄霊氣知行学から簡単に考えたい。
 まず、未分化の太玄霊が存する。主体的客体であり、客体的主体である。これを太水と呼んでおく。簡単に言えば、主客未分化ということである。
 ここから、氣へと進展する。即ち、陰と陽の対極性が形成される。ここから、次元変換が行われ、生命体、植物体が生まれたと仮説する。植物体とは、陰陽和合によって成形されたと思われる。
 次に、動物体の生起である。
 これは、以前、簡単に触れたが、今の考えでは、陽の極大化を意味するのではないだろうか。陰陽において、陽の傾斜が起こって、陽のもつ物質的力動性が生起したのではないだろうか。
 ただし、人間物におけるような陰陽の二元的分離・乖離・分裂までは達していないのではないだろうか。まだ、陰陽極性は残っているのであり、完全に陰陽がそれぞれ分離したというわけではないように思えるのである。今はそう作業仮説しておく。
 直観では、陽強化によって、骨(脊椎など)、筋肉、体毛が成形されたのではないだろうか。動物体はここまでにしておく。
 次に、人間物である。
 これは、ちょっと複雑である。思うに、陰陽の二元分離が生起したと思う。陰と陽との切断があるのである。そして、陽が大脳皮質として、拡大したと思われるのである。
 それに対して、切断された陰であるが、それは、脳神経的には、視床下部に局部があり、身体的には、内臓が存していると思われる。
 しかし、私の仮説は、人間物は植物体への復帰の志向があると思われる。垂直歩行の垂直が植物志向のように思えるのである。つまり、陰陽分離とは別に、陰陽内装が起こったのではないだろうか。つまり、矛盾・対立した内的構成が生じたとのではないだろうか。考えると、これは、別々に生起した事象ではなく、一つの事象の裏表であると考えられる。
 つまり、元々は陰陽極性がある。それが、極大的に陰陽分裂が起こり、陰陽二元論と生じる。しかしながら、本来、陰陽対極性があるのであり、それは二元化された陰陽の、いわば、裏面に潜在していると考えられよう。つまり、コインの裏表を考えればいいのである。即ち、表は、陰陽二元論であり、裏が陰陽極性である。
 ただし、優位になっているのは、表の陰陽二元論であり、裏の陰陽極性は劣位、潜在意識(無意識)になっていると考えられる。
 さて、いわば、陰陽極性から超越した陽(極陽、超陽)は、独立した知性を形成する。皮質の作用である。これが、科学等を生みだしたと言えよう。しかしながら、それは、自我であり、自己中心的である。
 少し、急ぎすぎて、父権自己のことになっている。それ以前の母権自己の説明を飛ばしてしまった。
 母権自己とは、完全な陰陽二元化が起こる以前の陰陽極性を保持した自己様態と考えられる。
 しかし、そうすると、動物体と母権自己(母権主体)の区別がつかなくなる。
 ここで、性別、ジェンダーの問題が出てくるが、今は暫定的に次のように述べるに留める。
 つまり、父権自己(父権主体)は陰陽分離で、陽が独立し、その裏面に陰陽極性が潜在するのであるが、母権自己(主体)とは、裏面の陰陽極性が賦活されている様態と思われる。
 おそらく、父権自己(父権主体)へ転換・移行する以前の中間的様態かもしれない。即ち、一方では分離する陽があり、他方では、陰陽極性の保持の様態があるということである。
 今はそう考えておく。
 さて、父権自己(父権主体)であるが、それは、陰陽二元論であるが、裏面に陰陽極性を潜在させている。
 問題は、後者の位置である。
 有り体に言うと、陽は頭部であり、陰は胸部に存する、父権自己において。
 先に、陰陽は心頭と考えたが、しかし、父権自己においては、心頭は分裂しているのである。
 だから、陰陽極性はそこに求めることはできないのである。
 結局、陰陽極性が感じられるのは、先ず、陰=胸部においてである。しかしながら、もはや、陰と陽は分離しているので、陰=胸部に感じられる陰陽極性とは十全なものではない。それは、予感のようなものである。氷山の一角のようなものと考えられる。
 妙な言い方であるが、陰陽極性は、陰の底部に、つまり、胸部の底部に存しているのである。
 そして、それは、さらに言うと、肚の上部に形成されているように思われるのである。
 肚は太玄霊である。つまり、陰陽極性は肚=太玄霊の上部に今やあるように思えるのである。
 あるいは、肚と胸部との境界に存すると言うべきかもしれない。
 そう、ここは難所である。存在の妙である。
 精緻に見るなら、陰陽極性は肚には存しないと思う。肚の上部にも存しないと思う。それは、やはり、陰=胸部の底部に存すると思う。
 しかしながら、それを実際理解するのは困難である。
 何故なら、父権自己のもつ連続性(おそらく、太玄霊の未分化性)によって、陰との極性が理解できないからである。陽(頭)と陰(胸)との二元論はあるが、極性は理解できないと考えられるのである。そう、陽と陰との揺らぎはあるが、極性は理解できないと考えられる。
 ここで、不連続的差異論の決定的意義があると言えよう。
 それは、陽と太玄霊を切断したのである。
 その結果、独立した人体意識の三層構造が明確になったのである。例えば、道教などにおいて、三つの丹田があるが、それは、明確に独立した意識とは捉えられていないと考えられる。
 似て非なるものである。
 即ち、結果的に、T)太玄霊とU)陰陽極性とV)陰陽二元性の三層構造が明確になったということである。(もっとも、不連続的差異論が誕生した初期の段階では不分明ではあったことだが。)
 ということで、人間物・人間体(人体)の三層心体構造が明快になったと考える。即ち、

T:腹部(肚)=太玄霊(太水:原初主客未分化様態:混沌)
U:胸部(心胸)=陰陽極性(氣)
V:頭部(頭)=陰陽二元性

である。
 さて、このように解明できたのであるが、これはまだ、不十分である。
 問題は肚=太玄霊の未分化性なのである。これは、霊肉未分化である(D.H.ロレンスの視点がこれだと思う)。
 私は人間物=人間体は植物体への回帰があると述べた。
 その力学を明確にする必要がある。
 それは、これまで、十分に述べてきたように、積極的な陰陽極性力学である。
 つまり、人間物・人間体において、植物体への回帰があるということは、太玄霊=太水からの陰陽極性=氣を生起力学が繰り返されるということである。
 つまり、いわば、無意識の内に、太玄霊=太水からの陰陽極性=氣の発現が根本的にあるということである。おそらく、これは、原初母権主体に存したことだと思う。それが、父権主体の形成によって、抑圧されたと考えられるのである。
 だから、上述したことは、人間体意識の発展を十分には表現していないのである。この植物体の生成を組み込まないといけないからである。
 ということで、人間体意識とは、陰陽二元論への志向性と陰陽極性への回帰というまったく矛盾する志向性をもっているということ言えるのである。いわば、先天的な「分裂症」、統合失調症である。
 とまれ、そのように認識することで、父権主体・自己形成以後の発展の力学が明確になるのである。それは、当然、内なる植物体をさらに発展させることである。陰陽極性=氣の意識の発展である。
 つまり、氣が主導的になって、人間体を進展・進化させると考えられるのである。
 即ち、氣的人間体存在の成形が考えられるのである。
 いわば、氣人類の誕生である。超人としての氣人である。これは、仙人でもある。あるいは、森人、森人類である。


2013年10月25日(Fri)▲ページの先頭へ
太玄霊気知行学の三層構造:太玄霊(メビウス)⇒氣(陰陽対極性)⇒生命物質体(現象):version2
太玄霊気知行学の三層構造:太玄霊(メビウス)⇒氣(陰陽対極性)⇒生命物質体(現象)

テーマ:太玄霊知行学:太玄霊的生命イデア知行学

仕事の段取り、順繰りがうまくいかず、いらいらしている。とまれ、本件について、ざっと書いておこう。

 
V 生命物質体:現象界・物質界:外界
           ⇑
           ⇑
           ⇑
U 氣(陰⇔陽):氣界・エーテル体:心頭
           ⇑
           ⇑
           ⇑
T太玄霊(玄我・元我・原意識:神霊):肚


TからVまでが原初からの現象までの発展図式である。
 父権主義以前は、氣は均衡が取れていたと考える。つまり、原初母権文明の心体である。
 私は陰は胸部に、陽は頭部に関係するように思う。脳神経的には、間脳がこのバランス局部である。
 しかし、父権が誕生して、この均衡が崩れるのである。即ち、陽へ傾斜するのである。この陽が当然、それまでの母権的陰陽均衡を破壊するのである。言い換えると、抑圧するのである。陽>陰のヒエラルキー、二項対立が生起するのである。
 極めつけが、ユダヤ教的一神教である。陽が極大化して、陰が殲滅させられたのである。極陽ないし超陽の事象(心象)である。この精神図式が西洋文明の基調である。
 デカルト心身二元論はこの帰結と考えられる。
 言い換えると、ユダヤ教的パラダイムは陰陽文化=母権文明の完全破壊を意味するのである。
 これは、自己と身体の切断を意味すると言っていいだろう。精神と身体のそれ。天と地の切断、知性・理性と大地・物質の切断である。
 そして、二千年以上飛んで、デカルト心身二元論哲学が誕生したのであり、近代主義は当然この枠組み・フレームにある。
 これによって、人体・心体の陰陽性は切断され、いわば、病的倒錯的な心的様態が形成されたのである。これは、陽的自己(自我・近代的自我)を肥大化させ、陰的身体感性(氣的感性)を抑圧するのである。
 そのために、後者が反動化して、前者を攻撃的にするのである。狂気化すると言ってもいいだろう。そう、その他、否定的なものを付け加えられる。
 これが近代合理主義のおぞましい実相である。
 そう、簡単に言えば、胸部の心(陰)と頭部の知(陽)が切断されたということである。
 以上は、図式のUに関するものである。陰陽分裂ということである。
 さて、問題はTが近代において、完全看過されたことである。これは、もっとも形而上学的領域である。(Uの領域も、ある意味で形而上学であるが、原形的である。イデア・エイドス的である。そう、低次の形而上学性と言えよう。)
 それを高次の形而上学性と言えよう。簡単に言えば、神霊の領域、宗教の領域、至高の神秘の領域である。
 しかし、身体・人体的には肚と考えている。
 これは原我・原意識の領域でもある。
 問題はこのTからU(氣)への転換の力学である。
 端的に言えば、TとUの間は不連続的切断があると考えられる。あるいは、Uの超越として、Tが存するのであり、UからTは認識できないと思われる。
 しかしながら、先に言及したように、陰とこの太玄(太元)は関係しているように思われるのである。文化論的には女性性、母権性である。
 直観では、太玄は「水」である。そして、氣ないし陽が「火」である。
 だから、「水」から「火」が生まれるのである。(これはお水取りの視点だろう。または、タレスの視点。)
 どうも用語が不整合になるが、

太陰(太玄)⇒陰⇒陽⇒氣(陰陽)⇒生命物質体

と思えるのである。
 そう、太水(太陰は混乱するので、太水と呼ぶ)は、直観的には、主と客が未分化的に融合している様態と言えるのではないだろうか。否、そう作業仮説しよう。
 これは陰陽両極様態とは似て非なるものである。何故なら、陰陽極性は陰と陽が明確に分化しているからである。それに対して、太水とは、主が同時に客であったり、客が主であったりして、いわば、主と客は分離できないのである。端的に未分化様態である。
 おそらく、東洋文化において、混沌と呼ぶものが相応しいだろう。
 言い換えると、客的主であったり、主的客であったりして、常に揺れ動いているのである。
 この未分化力学をもっと明快に解明する必要がある。
 そう、メビウスの輪(帯)というのが、この未分化様態を表現する的確な表現ではないだろうか。それは、明らかに、陰陽対極性とは異なるのである。つまり、メビウスの帯(輪)の場合、どこが裏面でどこが表面か厳密に規定できないのである。
 ということで、太水(ないし玄水)は、メビウスの輪の様態(メビウス様態)と解明された、今の段階であるが。
 このメビウス太水(玄水)が、真の根源であり、そこから、陰陽=氣が生起し、また、生命物質体(現象界)が発現することになるのである。
 図式化すれば、

 T:∞:メビウス太水:ウロボロス

⇒U:☯:氣(陰陽対極性:「水」☯「火」)

⇒V:♁生命物質体

となる。(追記:Vの♁は、本当は、○書いて、その円内に十字+を入れた文様である。即ち、Earth symbol.svg  である。これは、西洋占星術の地球の記号である。参照:
惑星記号 - Wikipedia
地球 Earth symbol.svg 四大元素 の土(地)の記号の転用で、四方 で大地を表す。あるいは、赤道 と本初子午線 。
Earth astrological symbol.svg 宝珠 。世界 (世界を統治すること)の象徴。

 これで本件はかなり明快になったと言えよう。
 結局、ポイントはT:メビウス=ウロボロス=∞とU:氣=陰陽対極性=☯の区別である。
 そう、神話学的に言えば、Tは太母であり、Uが太母のセクシュアリティ、性であり、Vが「子」、生命体ではないだろか。(今はざっと述べるに留める。)
 用語的に言うと、Tは太玄水、太玄海、太水、太海、太母水、太母海、等となろう。(D.H.ロレンスが勃興するフェミニズムに対して、反動性をもっていたが、結局、女性の本質を追求したが、それは、このTへの探求だと思う。太母への探索である。)
 さて、最後に光、日光、太陽の位置づけについて考えよう。
 やはり、これまで検討してきたように、光はUの氣において発生すると考えられる。闇はTなのである。この太闇からUの光が誕生するのである。太闇から太光(太陽)の誕生である。そして、太光から生命が生まれるのである。
 そう、端的に、氣=光なのである。光は原生命なのである。生命知エネルギーなのである。
 簡潔にまとめると、

太闇⇒太光⇒太生命

である。
 あるいは、シンプルに、

闇⇒光⇒生命

である。


2013年10月24日(Thu)▲ページの先頭へ
太玄霊気知行学の三層構造:太玄霊(メビウス)⇒氣(陰陽対極性)⇒生命物質体(現象)
太玄霊気知行学の三層構造:太玄霊(メビウス)⇒氣(陰陽対極性)⇒生命物質体(現象)

テーマ:太玄霊知行学:太玄霊的生命イデア知行学

仕事の段取り、順繰りがうまくいかず、いらいらしている。とまれ、本件について、ざっと書いておこう。

 
V 生命物質体:現象界・物質界:外界
           ⇑
           ⇑
           ⇑
U 氣(陰⇔陽):氣界・エーテル体:心頭
           ⇑
           ⇑
           ⇑
T太玄霊(玄我・元我・原意識:神霊):肚


TからVまでが原初からの現象までの発展図式である。
 父権主義以前は、氣は均衡が取れていたと考える。つまり、原初母権文明の心体である。
 私は陰は胸部に、陽は頭部に関係するように思う。脳神経的には、間脳がこのバランス局部である。
 しかし、父権が誕生して、この均衡が崩れるのである。即ち、陽へ傾斜するのである。この陽が当然、それまでの母権的陰陽均衡を破壊するのである。言い換えると、抑圧するのである。陽>陰のヒエラルキー、二項対立が生起するのである。
 極めつけが、ユダヤ教的一神教である。陽が極大化して、陰が殲滅させられたのである。極陽ないし超陽の事象(心象)である。この精神図式が西洋文明の基調である。
 デカルト心身二元論はこの帰結と考えられる。
 言い換えると、ユダヤ教的パラダイムは陰陽文化=母権文明の完全破壊を意味するのである。
 これは、自己と身体の切断を意味すると言っていいだろう。精神と身体のそれ。天と地の切断、知性・理性と大地・物質の切断である。
 そして、二千年以上飛んで、デカルト心身二元論哲学が誕生したのであり、近代主義は当然この枠組み・フレームにある。
 これによって、人体・心体の陰陽性は切断され、いわば、病的倒錯的な心的様態が形成されたのである。これは、陽的自己(自我・近代的自我)を肥大化させ、陰的身体感性(氣的感性)を抑圧するのである。
 そのために、後者が反動化して、前者を攻撃的にするのである。狂気化すると言ってもいいだろう。そう、その他、否定的なものを付け加えられる。
 これが近代合理主義のおぞましい実相である。
 そう、簡単に言えば、胸部の心(陰)と頭部の知(陽)が切断されたということである。
 以上は、図式のUに関するものである。陰陽分裂ということである。
 さて、問題はTが近代において、完全看過されたことである。これは、もっとも形而上学的領域である。(Uの領域も、ある意味で形而上学であるが、原形的である。イデア・エイドス的である。そう、低次の形而上学性と言えよう。)
 それを高次の形而上学性と言えよう。簡単に言えば、神霊の領域、宗教の領域、至高の神秘の領域である。
 しかし、身体・人体的には肚と考えている。
 これは原我・原意識の領域でもある。
 問題はこのTからU(氣)への転換の力学である。
 端的に言えば、TとUの間は不連続的切断があると考えられる。あるいは、Uの超越として、Tが存するのであり、UからTは認識できないと思われる。
 しかしながら、先に言及したように、陰とこの太玄(太元)は関係しているように思われるのである。文化論的には女性性、母権性である。
 直観では、太玄は「水」である。そして、氣ないし陽が「火」である。
 だから、「水」から「火」が生まれるのである。(これはお水取りの視点だろう。または、タレスの視点。)
 どうも用語が不整合になるが、

太陰(太玄)⇒陰⇒陽⇒氣(陰陽)⇒生命物質体

と思えるのである。
 そう、太水(太陰は混乱するので、太水と呼ぶ)は、直観的には、主と客が未分化的に融合している様態と言えるのではないだろうか。否、そう作業仮説しよう。
 これは陰陽両極様態とは似て非なるものである。何故なら、陰陽極性は陰と陽が明確に分化しているからである。それに対して、太水とは、主が同時に客であったり、客が主であったりして、いわば、主と客は分離できないのである。端的に未分化様態である。
 おそらく、東洋文化において、混沌と呼ぶものが相応しいだろう。
 言い換えると、客的主であったり、主的客であったりして、常に揺れ動いているのである。
 この未分化力学をもっと明快に解明する必要がある。
 そう、メビウスの輪(帯)というのが、この未分化様態を表現する的確な表現ではないだろうか。それは、明らかに、陰陽対極性とは異なるのである。つまり、メビウスの帯(輪)の場合、どこが裏面でどこが表面か厳密に規定できないのである。
 ということで、太水(ないし玄水)は、メビウスの輪の様態(メビウス様態)と解明された、今の段階であるが。
 このメビウス太水(玄水)が、真の根源であり、そこから、陰陽=氣が生起し、また、生命物質体(現象界)が発現することになるのである。
 図式化すれば、

 T:∞:メビウス太水:ウロボロス

⇒U:☯:氣(陰陽対極性:「水」☯「火」)

⇒V:♁生命物質体

となる。
 これで本件はかなり明快になったと言えよう。
 結局、ポイントはT:メビウス=ウロボロス=∞とU:氣=陰陽対極性=☯の区別である。
 そう、神話学的に言えば、Tは太母であり、Uが太母のセクシュアリティ、性であり、Vが「子」、生命体ではないだろか。(今はざっと述べるに留める。)
 用語的に言うと、Tは太玄水、太玄海、太水、太海、太母水、太母海、等となろう。(D.H.ロレンスが勃興するフェミニズムに対して、反動性をもっていたが、結局、女性の本質を追求したが、それは、このTへの探求だと思う。太母への探索である。)
 さて、最後に光、日光、太陽の位置づけについて考えよう。
 やはり、これまで検討してきたように、光はUの氣において発生すると考えられる。闇はTなのである。この太闇からUの光が誕生するのである。太闇から太光(太陽)の誕生である。そして、太光から生命が生まれるのである。
 そう、端的に、氣=光なのである。光は原生命なのである。生命知エネルギーなのである。


2013年10月23日(Wed)▲ページの先頭へ
不連続的差異論と前期PS理論の結婚:シュタイナーのアストラル体と自己を太玄氣で捉える
不連続的差異論と前期PS理論の結婚:シュタイナーのアストラル体と自己を太玄氣で捉える

テーマ:太玄霊知行学:太玄霊的生命イデア知行学

また、新たに閃いたが、時間がないので、十分書けないので一言(追記:一言ではなかった)。
 先に、思考実験していて、混乱したが、その後、新たに考えた。
 シュタイナーのいうアストラル体は太陰ではないか。また、自己(「わたし」)は原我として、やはり、太陰に含められるのではないかと思った。
 つまり、

太陰(太玄霊、太玄氣)は原我でもある。
 そして、これが、陽=日光=氣を形成する。
すると、

太陰=原我⇒陽

である。
 問題は陰や物質成形である。
 太陰と陰の関係について、これまで不分明であった。
 先には初期PS理論を復活させて、考察したりした。
 しかしながら、『エーテル空間』を参考にして、イメージしてみたが、明らかに、陽がエーテル=氣であり、それが、生命力智である。そこには、陰が必要ないように見えるのである。
 そこで、氣を捉え直す必要があると思えるのである。陽=氣とすると、陰を説明するのが難しいのである。
 そこで、エーテル体=陽=氣ではなくて、エーテル体=氣であり、氣は陽/陰の極性をもつとするのである。即ち、

エーテル体=氣=陽/陰=陽極/陰極

である。
 ポイントは、陽の氣、陰の氣とは見ないことである。しかし、天の氣、地の氣はありえるのではないだろうか。
 とまれ、氣一元論で、陽極/陰極の極性をもつということである。
 そして、陰極と太陰は直接は関係しないということと思えるのである。
 思うに、ここで、初期PS理論を適用できるように思えるのである。凸i*凹i⇒+1である。これは、陽*陰⇒生命物質となる。
 そして、氣の垂直軸が回転して、そして、生命物質は螺旋を描くと見るのである。
 そして、陽主導と陰主導の2つが考えられるので、二重螺旋になると考えられるのである。
 これで、螺旋形状の生命体の力学イメージができた。
 そう、ここで補足すると、

凸i(陽)*凹i(陰)⇒+1(生命物質)

 であるが、左辺は上昇垂直力であり、右辺は下降垂直力であると思えるのである。
 具体的に言えば、前者は樹木の垂直に伸びる力であり、後者は樹木にかかる重力である。
 当然、前者>後者である。
 これで、生命体の力学イメージがさらに展開した。
 結局のところ、太陰から氣が生まれるが、両者は段階の異なる異質なものということになる。
 不連続的差異論で連続性が切断されたのであるが、それは、太陰と氣=陽極/陰極の切断と考えられる。
 そう、氣は心頭(胸部+頭部)であろう。それに対して、太陰は肚(腹部)である。この切断を不連続的差異論で実質的に行なったと考えられる。
 初期PS理論、正しくは前期PS理論であるが、それが行き詰まったのは、不連続的差異論の切断の意義を正しく捉えられずに、氣の陰陽的極性の差異を不連続性と見るという誤謬を犯したことに存すると言えよう。そう、根源を求めて、恐ろしく混迷・混乱したのであった。【その後のPS理論であるが、『海舌』氏が四元(しげん)数を導入して、それまでのPS理論とはまったく異なるものに発展させたのであり、そこには、私はまったく関わらず、私独自で、数学主導理論から脱して、今に至っているのである。】
 とまれ、上述のように捉え直して、とりあえず、不連続的差異論の意義と前期PS理論の成果を結合した太陰氣論(太陰霊氣論)の力学の輪郭ができたと言えよう。
 しかし、太陰という用語を使用すると、氣の陰と混乱するので、太玄氣論、ないし、太玄霊氣論とでも言うべきだろう。
 その他、太玄氣、ないし太玄霊氣は、原意識=原我と思えるのである。ここには、シュタイナー霊学の自己とアストラル体が一体となって含まれると今は考えている。
 これについては後で述べたい。






エーテルは当然、氣と読む:氣空間と物質空間(3次元)の相互性の記述

テーマ:太玄霊知行学:太玄霊的生命イデア知行学

後もう少しで読了するが、難解であり、再読再々読等をする必要がある。
 とまれ、太玄氣知行学から言うと、氣界と物質界の関係の力学を説いている。
 太玄氣知行学はエーテル体を超えた視点のものであり、これまでの陰陽球の考え方は直接には、エーテル空間の考えには当てはまらないが実に参考になる。
 できれば後で比較検討したい。

追記:一言言えば、太玄氣知行学(簡単に太玄学又は玄氣学)に拠れば、太玄(これまでは太陰)から陽が生まれると述べたが、この陽がエーテル=氣に相当するだろう。すると、陰の問題が起こるのである。もし、陽=エーテル=氣ならば、陰は何かということである。
 単純に考えて、陽の対極としての陰の成立ということになるのではないだろうか。すると、陽と陰とはそれほど違わないものとなるだろう。極性が正反対だけになるのである。【佐野千遥氏の単極磁石論であるが、それは、ここらへんと関係するかもしれない。どうも陰陽はある一つの力から生まれたと見られるのである。私の場合、太玄氣ないし太玄霊であるが。(霊と氣の区別を明快にすべきであるが。)】
 しかし、陰は陽を補完するだけの存在なのか。積極性はないのか。
 とまれ、今はここで留める。

追記2:どうもシュタイナー派(シュタイナリアン)は、氣から物質の生成力学については述べていなく、単に、物質を前提にしているようにも思えるのである。
 しかし、太玄氣学は、氣からの物質を説くのである。
 少なくとも、陽の氣から物質が生まれる。あるいは、陰陽共振によって生まれる。
 やはり、先の直観像から見ると、玄氣(玄霊)があり、それが、陰陽球を形成する。そして、球面の外は陽であり、内は陰である。この陰陽は均衡しているのである。
 そして、この陰陽共振から周囲に、物質が成形されるのである。
 否、それは直近の考えである。それまでは、陽が物質(電磁波)を発生させると考えていたのである。
 どうも、明らかに混乱がある。
 ここでいちおう留めておく。
 

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「エーテル空間」ノート
https://r5.quicca.com/~steiner/novalisnova/steiner/aetherischenRaum/ar.html
「エーテル空間」ノート. □テキスト ジョージ・アダムス 『エーテル空間』 (石井秀治訳・耕
文舎叢書/2012夏発行). □全体構成 「はじめに」 「I.ユークリッド幾何学と近代幾何学」 「
II.反空間とその力」 「III.球面に関する対極性」 「IV.物質とエーテルの力と実体」.


2013年10月20日(Sun)▲ページの先頭へ
太玄霊知行学:太玄霊(肚)⇒氣(心頭)⇒(日光⇒)電磁波(生命物質界)
参考のリンクは以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11644918736.html

太玄霊知行学:太玄霊(肚)⇒氣(心頭)⇒(日光⇒)電磁波(生命物質界)

テーマ:太玄氣学:太玄霊生命論:玄氣⇒氣⇒生命体

「陰と太陰が区別されるならば、初期PS理論は使用できるのである。
 ということで、初期PS理論を復活させれば、説明できるのである。
 すると、図式化すると、

太陰(太陰霊)⇒陽(日光)/陰陽⇒電磁波

となる。
 しかし、思うに、太陰ではなくて、無双原理の元の太極とすべきなのかもしれない。
 ならば、


太極(太極霊)⇒陽(日光)/陰陽⇒電磁波

となる。
 今はここで留める。

追記:以上のように、三段階で考えると、以前、ガウス平面に直交させた超越軸の考え方が生きてくるだろう。
 超越軸ではないにしろ、ガウス平面を超越した次元である。
 超越次元は、太極霊の次元であり、それから、陰陽極性次元(虚軸次元=氣次元)が生まれ、そして、電磁波、物質次元が生まれるのである。
 便宜的に、超越軸を仮説することはできるだろう。」

陰陽球という祖宇宙とその球面上の実宇宙:1. 太極霊⇒2. 陽=日光/陰陽⇒3. 電磁波
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11644029810.html

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直近で以上のように書いたが、そうならば、陽=凸i、陰=凹iの虚軸はどうなるのか。
 陰陽球面の表面が陽、裏面が陰ならば、虚軸は太陰点から円周への半径を伸ばした直線になるだろう。
 そうすると、電磁波は円周の切線の方向に成形されるだろう。直観では、円と直交するものをイメージするが、考えてみれば、球面の皮膜に相当するのであるから、円上の接線で方向的にいいのである。
 そう、陽凸iは天の方向、太陽、アポロの方向であり、陰凹iは地の方向、大地、デーメーテール(ここに、ディオニュソスと入れたい欲求があるが、どうだろうか。ディオニュソスをここに入れるだろうか。単に、アポロとは対照的なものという意味なら、ここに入れることは可能である。この点は、別に検討する必要がある。)の方向である。
 今、浮んだ発想だが、陰凹iはいわゆる心、胸中の心ではないだろうか。道教、気功で言えば、中丹田である。あるいは、単に、ドキドキハートラブラブである。
 しかし、である(この「しかし」はとても強い強調である)。
 私がこれまで説いていた太陰(太極かもしれないが)は、そこにはないのである。それは、陰=凹iではありえないのである。何故なら、陰=凹iは胸部に定置すると考えられるからである。
 これまで何度も述べてきたように、私が説く太陰は肚のことである。だから、まったく、陰=凹iとは異なるのである。(だから、陽=凸iは人体的には、頭に定置すると言えよう。)
 思うに、そのような肚である太陰に、陰という語を含めるのは、不整合である。何故なら、陰陽論的には、太陰とは陰陽の様態の一部であるからである。つまり、極大の陰が太陰なのである。
 故に、ここで、用語を一新しないといけない。そこで、無双原理や一般の陰陽論から太極という用語が候補になるが、私は「太陰」には、母権を見ているので、その意味合いを入れる用語であるべきと考えるので、とりあえず、太玄と呼ぶことにする。【だから、理論名称は太陰氣学(太陰氣行学)から、太玄氣学(太玄氣行学)になる。】
 さて、そのように見ると、氣とは、確かに、陽の氣と陰の氣の二種類あることになるだろう。陽氣と陰氣では、語弊があるので、別の用語を考える必要がある。暫定的に、陽光氣と陰光氣と呼ぶことにする。両者、不可視である。そして、電磁波としての光になって可視化するのである。しかしながら、その光、端的に、日光には、陽光氣と陰光氣が含まれているし、両者の共振作用も含まれていると考えられる。(考えると、三種類の氣が存するだろう。陽光氣と陰光氣といわば陰陽共振氣である。この問題は、別に考えたいが、これも一種の三位一体と言えよう。)
 思うに、私が氣という場合、どうやら、陰の氣と陽の氣との陰陽共振の氣、共振氣を指すように思われる。もっとも、それは、三様態であるが、直観的には、一(いつ)として、感知される。
 そのように氣を捉え直したとき、太玄(これまでの太陰)の力・エネルギーはどう説明できるのだろうか。
 私は、これまで、それをほぼディオニュソスとして捉え、「陽」(これは、上述における氣、三様態の氣である)をアポロと捉えてきたのである。
 上述から、太玄の力・エネルギーは明らかに、氣とは異なるのである。
 氣を創造する根源の力と考えられる。それは、原氣と言えようが、意味的に適切にするために、玄氣と呼びたい。
 つまり、簡単に図示すれば、

玄氣(肚)⇒氣(心頭)⇒(日光⇒)電磁波(生命物質界)

である。(日光の位置が微妙である。これまで、陽=日光としたが、今やそう考えることはできない。日光とは、現象的には、つまり、物質現象的には電磁波であるが、陰陽の三つの氣を超越的に内在していると考えられるのである。)
 初期PS理論で使用したMP(メディア・ポイント)の概念であるが、それも使用でき、それは、そう、わかりやすく言えば、渦巻、渦動の中心点である。あるいは、神話的に言えば、天之御中主神であろう。
 さて、玄氣(肚)であるが、いったい何なのか。大根源点である太玄氣点であり、宗教・霊学的には、太玄氣霊と呼ぶこともできよう。
 ここで、イデアの問題が生じるのである。そう、この大根源点である太玄氣(霊)をイデアと呼ぶことができるだろうか。
 例えば、太玄氣イデアというように。イデアとはエイドスと共通し、結局、原形である。超越的原形ないし超越論的原形である(陰陽は内在的超越であるので、超越的とも超越論的とも形容できよう)。
 直観では、太玄をイデアとは呼べない。イデアと呼べるのは、陰陽部である。陰陽イデアである。
 ならば、太玄は何か。少なくとも、元イデアないし前イデアとは呼べる。
 しかし、形になる前のなんらかの「霊」と思える。そう、「神霊」と言えるかもしれない。
 ここで、先に述べた原意識の図式を考えるのが適切だろう。

* 植物と動物と人間の成形力学について:太陰と陽の陰陽力学? (10/15) http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-2015.html

* 太陰氣学による宇宙生命体人体生成の仮説:内在する5の数と幾何学:ピュタゴラス派に回帰する (10/13) http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-2014.html


即ち、

太陰⇒陽

又は、

原意識=太陰(主体)⇄陽(客体)

ないし太陰(主体)∞陽(客体)

である。
 太玄氣学(太玄霊氣行学がいいように思えた)に即せば、


太玄⇒陰陽


原意識=太玄⇄陰陽(氣)

ないし

=太玄∞陰陽(氣)

である。
 思うに、太玄霊を原意識としてもいいだろう。
 先に、原意識を知即存在としたが、それもここにも当てはめられよう。
 とまれ、今の段階では、太玄は、霊力の世界(霊界、神霊界)とし、陰陽は氣の世界(氣界)としておこう。
 では、霊力の世界とは何か。それは、根源的一(いつ)の世界だろう。森羅万象の根源の世界である。氣の世界が諸原形の世界とすれば、それらが一体となった世界である。
 いわば、原原形世界である。
 直観で言えば、未分化多様体である。多様な原形が未分化で融合しているような世界である。一種、混沌界、カオス界と呼べるかもしれない。あるいは、一即多の混融体である。ここで即非の論理を使用できるかもしれない。一即非多である。(追記:あるいは、一即全、一即非全である。)
 そう、また、超陰陽界、超氣界、超イデア界とも言えよう。超プラトンの世界である。
 D.H.ロレンスがダーク・ゴッドと呼んだものはここを指しているように思える。思うに、一神教の唯一神、超越神とは、このダーク・ゴッドの一の様態の特化のように思える。つまり、極陽化である。これについては別稿で検討したい。
 ところで、プラトンのコスモスとロレンスのコスモスであるが、前者は陰陽氣宇宙であり、後者は太玄霊宇宙ではないだろうか。
 まだ、太玄霊については解明が不十分だが、ここで一時留める。

参考:

*
拡大ガウス平面路線VS四元数路線:時空軸一次元+空間二次元VS時・・・

無双PS原理を再度ガウス平面から構築する:時空軸と平面二次元の構成する現象時空三次元体:超ガウスhttp://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11392233889.htmlまた、揺り戻しで、四元数・・・[2012年10月30日]

resurrectionのブログ: JaponAsia Gr・・・

*
オイラーの公式と螺旋:この図を探していたのである

太極をどう捉えるのか:霊的太極と陰陽極性:Ver3.2:陰陽ラセンと電磁波テーマ:無双PS原理ガウス平面いろいろ問題があって、一挙には、解明できない。一つずつ検討して行くしかない。 その一つの問題が太極である。太極とは、ただ一つ・・・[2012年10月30日]

resurrectionのブログ: JaponAsia Gr・・・
*
無双PS原理を再度ガウス平面から構築する:時空軸と平面二次元の構・・・

無双PS原理を再度ガウス平面から構築する:時空軸と平面二次元の構成する現象時空三次元体:超ガウス五次元体の仮説私は、無双PS原理の数学的システムをガウス平面から四元数(しげんすう)=クォータニオンに変えたが、どうも、直観的には、・・・[2012年10月30日]

resurrectionのブログ: JaponAsia Gr・・・
*
霊数としての陰凹と陽凸:根源軸としての陰陽軸、根源平面としての陰・・・

・・・実軸で、立体空間となり、そこに、陰陽三元性が三次元へと展開するのではないのか。 以上はまったくの思いつきに過ぎない。追記4:追記3の考え方だと結局、これまでの、四元数的無双PS原理でいいことになろう。 陰陽が太極点=MPで・・・[2012年10月29日]

resurrectionのブログ: JaponAsia Gr・・・

http://search.ameba.jp/search.html?q=%E7%84%A1%E5%8F%8CPS%E5%8E%9F%E7%90%86&row=10&profileRow=&target=id&aid=neomanichaeism&author=all&start=20


陰陽球という祖宇宙とその球面上の実宇宙:1. 太極霊⇒2. 陽=日光/陰陽⇒3. 電磁波
テーマ:太陰氣学:太陰イデア論:氣=イデア=生命

じっくり時間がとれるときに検討したい。
 以前は、陰陽円をベースにして、そこから、三次元宇宙ないし四次元時空間が発生すると述べた。ただし、陰陽円は超越界にあり、三次元空間とは別に存しているということになる。
 思うに、その陰陽円を現段階の陰陽円、陰陽球ととれば、より大きな視野が生まれるだろう。
 そう、以前は陰陽両極性で考えていたのである。それが陰陽円を形成し、それから、現象化すると考えたのである。
 しかし、今では、太陰点をもっていて、そこが原点であり、そこから、陽の円周、球面ができると考えているのである。
 そう、陰陽円という名称は同じでも、根本的に視点が異なるのである。
 とまれ、以上のように新たに整理できるように思われるのである。
 太陰点という原点があり、陰陽球があり、それが祖宇宙(祖宇宙球)であり、その球面がいわば、光の球面(光の境界面)であり、そこから、現象宇宙が生起するように思えるのである。
 今日、言われる、ダークマター、ダークエネルギーは、祖宇宙に存すると思う。これは、確かに、光を超えた次元、そう、超越次元にあるのであり、今日の科学では解明できないと言えよう。
 太陰氣行学(簡単に、太陰行学)から言えば、祖宇宙は氣の宇宙であり、さらに原点は太陰霊と考えるのである。
 どうも今の直観では、陰陽球の球面であるが、表面が陽で、裏面が陰ではないかと思ったのである。そして、それが、磁気的ではないかと思うのである。
 というか、電磁界ができるのかもしれない。
 しかし、根本は氣である。氣が電磁界を成形すると思われるのである。氣がN極、S極を作るように思われるのである。
 否、やはり、球面は陽と陰の極性で見るべきであり、磁力、電磁力で見るべきではない。
 陰陽極性から磁力、電気力、電磁気力が生まれると見るべきなのである。
 しかし、そうすると、所期の考えとは異なることになる。
 私のイメージは、陽がプラスと実体化し、それに対にマイナスを形成されるというものである。
 作用、反作用に近い。
 そうすると、陽=日光から、プラスとマイナス、ないし、NとSの物質極性が形成されると見なくてはならないだろう。
 しかし、日光だから、物質的には電磁波である。この点を見ないといけない。
 やはり、元に返って考えるべきだろう。思うに、球面と球面の皮膜を考えたらどうだろうか。
 球面は陽=日光であるが、皮膜が物質、例えば、電磁波である。
 では、球面と皮膜の関係はどうなのか。ここで、初期PS理論が使用できるなら、凸i*凹i⇒+1で、この+1が皮膜になるだろう。陽は凸iであり、それと対になるのが、陰の凹iである。
 そう、陰の凹iと太陰は区別されるのである。
 陰と太陰が区別されるならば、初期PS理論は使用できるのである。
 ということで、初期PS理論を復活させれば、説明できるのである。
 すると、図式化すると、

太陰(太陰霊)⇒陽(日光)/陰陽⇒電磁波

となる。
 しかし、思うに、太陰ではなくて、無双原理の元の太極とすべきなのかもしれない。
 ならば、


太極(太極霊)⇒陽(日光)/陰陽⇒電磁波

となる。
 今はここで留める。

追記:以上のように、三段階で考えると、以前、ガウス平面に直交させた超越軸の考え方が生きてくるだろう。
 超越軸ではないにしろ、ガウス平面を超越した次元である。
 超越次元は、太極霊の次元であり、それから、陰陽極性次元(虚軸次元=氣次元)が生まれ、そして、電磁波、物質次元が生まれるのである。
 便宜的に、超越軸を仮説することはできるだろう。


2013年10月18日(Fri)▲ページの先頭へ
太陰と「水の主」ノンモ:宇宙の根源は《水》(太陰:母権・女)で、《火》(陽:父権・男)は派生物
太陰と「水の主」ノンモ:宇宙の根源は《水》(太陰:母権・女)で、《火》(陽:父権・男)は派生物

テーマ:太陰氣学:太陰イデア論:氣=イデア=生命

太陰は水的で、陽が火的で、陰陽調和は火水(かみ=神)?:月(水)と日(火)の一体としての前古代 (10/17)
http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-2016.html

 先に以上のように、直観的に書いたが、たまたまドゴン族の神話に触れたが、それは、シリウスからやってきたノンモは「水の主」と述べている。検索すると、根源を《水》とする神話等がたくさんあるのに気づいた、今更ながらだが。
 太陰氣学において、根源の太陰を《水》とすると、確かに、うまく、母権と繋がる。
 問題は、太陰を陽=氣とは別に考えていることである。私は、玄氣としている。すると、玄氣=《水》 となる。
 つまり、玄氣=《水》が陽(日)を成形し、陰陽球になるのである。これはほぼ太陽的なものである。しかし、根源は太陰=玄氣=《水》となる。
 だから、思うに、太陰=玄氣=《水》には、『情報』があるのである。根源情報があるのである。直観では霊以前である。元霊である。太陰の魂のようなものである。太陰魂である。《水》に刻印された根源情報=魂である。というか、《水》 がもつ智である。
 なにか、水氣とか呼びたい。あるいは、水氣波、水魂である。
 とまれ、《水》から陽=火=エネルギーが生まれるのである。水母である。比喩的に言えば、海から日が産まれるのである。
 後で、さらに深く検討したい。
 
**************************
27-a7.水の神 ドゴン族神話 - Dynamic DO!.jp
http://bewithgods.ddo.jp/hope/doc20/27-a7.html

27-a7.水の神 ドゴン族神話 ドゴン族の神話を検討すると、現代科学では想像も
できない、知的生命体の進化の歴史が浮かび上がってきます。現在の我々の知って
いる生命の進化は、この知的生命体の双子の進化の後に繰り広げられたのでしたす。
それでは、 ...

目の星は人類の母――天狼星信仰之謎 - Yahoo!ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/sinagawa50/archive/2005/10?m=l&p=7

タイトル 日付

神島の「ゲーター祭」
2005/10/5(水) 午後 0:37

神と「五十」 (1)
2005/10/4(火) 午後 9:55

神の出行は「遊」なり (1)
2005/10/4(火) 午後 4:15

「伏犠・女媧」と「風姓」
2005/10/4(火) 午後 3:27

龍による天地創造
2005/10/4(火) 午後 3:09

「水の支配者」龍
2005/10/4(火) 午後 2:54

聖徳太子と「まつ」の木 (1)
2005/10/4(火) 午後 0:20

「日神再窟出」の意味とは
2005/10/4(火) 午前 10:29

神と「目」
2005/10/3(月) 午後 8:10

「住吉三神」と「一寸法師」
2005/10/3(月) 午後 6:28

「三重」と「伊勢」
2005/10/3(月) 午後 5:54

神は「魚形」になっています (1)
2005/10/3(月) 午後 1:36


Water(水)

 古代ミーレートスの哲学者たちによれば、水は四大のうちの最初のもの、すなわちギリシア語でアルケーArchê (「万物の母」)と呼ばれるものであった[1] 。水は「霊」を生んだが、霊は一般に男性原理と信じられていた。こういうわけでキリスト教徒が異教徒から取り入れた、洗礼による再生という観念は、水(女性)と霊(男性)の両方を必要としたのであった。洗礼盤は「子宮」 、とくに「マリアの子宮 」と呼ばれたが、マリアという名は古代のすべての「海の女神」の名であった[2] 。たいていの神話は、創造の衝動が最初に生じた場所を、混沌 として「無定形」な、子宮 (生命の源)である海としているが、これは太母(ティアマート 、カーリー 、マ・ヌ、テミスなど)を表していた。こういう太母のイメージは実際には、胎児が経験し、生涯にわたって元型的なイメージとして意識下に記憶され続ける自他の区別(すなわち自己と母親との区別)の欠如に由来するものであった。母親Motherを表す文字M (Ma)は波を表す表意文字であった。

 「神話学者たちが認めるところによれば、女性原理は、中世にキリスト教当局から受けたように、執拗な攻撃を受けると、静かに潜行することが多い。生命が生まれた水の中で、女性原理は男性支配の社会の潜在意識を泳ぎまわり、時折表面にぴょこんと顔を出しては、いまだに男性原理とは相容れないことを見てとる」[3] 。

 「水」と「母親」との間の照応関係は、母性原理が理論上抑圧されていた中世にあっても普遍的であって、錬金術師や他の「哲学者たち」は、霊魂 を創造したのは神ではなく、母なる大地 と母なる海であったと主張している[4] 。女神を祀る神殿は例外なくと言っていいほど、井戸、泉、湖、海と関連をもっていた[5] 。「湖上の貴婦人」とは、中世ドイツの吟遊詩人(ミンネジンガーMinnesinger)たちが崇拝した愛の女神ミンネMinne-アプロディーテー のことで、人魚として姿を現し、「水の性質」をもつと考えられていた。しばしば愛そのものの隠喩として水が用いられた。水と同じく愛は、茶碗状にくぼめた掌の中に入れるように、ゆったりと育む男のもとに留まった。しかし、固く握りしめようとする男からは、愛は流れ去って掌の中には何も残らなかった。そして水は愛と同じく、豊穣性や創造性という生命力には不可欠のものであった。水なくしては、物質界同様、精神界も不毛の砂漠、荒地Waste Land となってしまうであろう。


・・・


〔ドゴン族・バンパラ族〕 これまた、緑色の、神の精液たる水は、ドゴン族の宇宙発生論において、大地 を受胎させて《二双子の英雄 》をもうける(GRIE)。この双子は、腰から上が人間、腰から下がヘビ の形で生まれる。彼らは緑色をしている(GRIE)。

 しかし、豊餞をもたらす生命力である、水のシンボルは、ドゴン族とその隣人バンパラ族の思想において、はるかに先まで進む。というのも、水は神の精液だが、また〈光〉であり〈言葉〉だからである。この再生の御言葉の、主要な神話的アヴァターラ(権化、化身)は、純銅の螺旋である。しかしながら、水と言葉が現実態となって現れ、世界創造 をもたらすのは、もっぱら湿った言葉の形をとってである。この湿った言葉に対立するものとして、顕在的生命のサイクル外にとどまる双子の片割れがいて、こちらをドゴンとバンパラは「乾いた水」と「乾いた言葉」と呼ぶ。乾いた水と乾いた吉言葉は、思想、すなわち人間と神の両面における潜在性を表す。世界の創成の基礎である、湿気の原質を、その内部で誕生させた宇宙の卵 が、形成される以前は、すべての水が乾いていたのである。しかし天界の至高神《アンマ》は、その分身《ノンモ》(湿った水の神で、顕在的生命の指針であり、原理である)を造ったとき、彼が宇宙に与えた境界の外にある、天上界の自分の手もとに、この最初の水の半分をとっておいたので、「乾いた水」が残ったのである。同様にして、表現されない言葉、思想は「乾いた言葉」といわれる。それは潜在的価値しか持たず、子をもうけることはできない。人間の小宇宙にあって、それは本源的思想のレプリカであり、現在の人間の出現以前に、アンマから精霊《ユルグ》によって盗まれた「最初の言葉」である。D・ザーアンにとって(ZAHD)、「自意識なき未分化の言葉」であるこの最初の言葉は、無意識に対応する。それは、夢想の言葉であり、人間の自由にできない言葉である。ユルグの化身であるジャッカルまたは青いキツネは、最初の言葉を盗んだので、無意識の、不可視なものの、したがって未来の(未来は不可視の時間的構成要素にすぎない)鍵を持っている。ドゴン族の、最も重要な占いの体系が、この動物への問いかけに立脚するのは、このためなのである。

 ユルグが、普遍的に無意識のシンボルである、冥界 の火と月 にも結びつけられることを記すのは興味深い(PAUC、ZAHD、GAND)。

 あらゆる現象を2つの範疇(水と火とか、湿気と乾気といった、相対立するシンボルによって支配された2つの範疇)に分ける基本的区分の仕方は、アステカ族の葬儀にかかわる宗礼のうちに、顕著な例証を見出す。他方もろもろの事実の示すところによっても、《天地》は、本来1対なりという観念を伴った、この象徴的二元性のアナロジーは成り立つ。「溺れて死んだり、雷に撃たれて死んだ者、ハンセン病や痛風や水腫にかかって死んだ者のすべて、要するに水と雨の神がこの世から連れ去ることによって、いわば区別した者のすべて」は土葬にされた。それ以外の死者は、すべて火葬にされた(SOUA、 231)。

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/water.html

ギリシア神話・伝説ノート
 失われた女神たちの復権

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Barbaroi! - kyoto-Inet
古代ギリシャ文学翻訳集。衣食住、武器、船舶などに関する小論文、聖書外典。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/


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カレンダ
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