GP陰陽哲理学:Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




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2015年04月06日(Mon)▲ページの先頭へ
二つの氣?:デュナミスの氣とエネルゲイアの氣:潜在体の氣と活動体の氣
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12010747481.html

二つの氣?:デュナミスの氣とエネルゲイアの氣:潜在体の氣と活動体の氣

テーマ:氣神論:氣は万物に通ずる:氣的身体理性

氣について提唱しながら、実はよくわかっていないのである。
 経験的に提唱しているのであるが、理論的には、不明の部分が多い。

 
            凸i陽
             |
             |
             自
             我
             |
             |
−1地_____MP・霊______+1天
(重力)         |          (光)
             |
             感
             性
             体
             |
             |
            凹i陰


      応用陰陽ガウス平面

(尚、MPはMedia Pointであり、原点・交点・次元転換点等であり、太極・太一、そして、霊である。)


上図の陰陽ガウス平面から見ると、氣は虚軸に存するのであり、現象は実軸で表現される。
 しかし、生命エネルギーと言ったとき、それは何処に位置するのだろうか。
 感ずる氣とは何処に位置するのか。
 これまでの検討から言えば、エネルギーとしての氣も虚軸に存するのである。
 先に、フィボナッチ数列による等分割による形態形成原理を考察してきた。
 五芒星をもつ正五角形であるが、それは、いわば、イデアである。あるいは、エイドスである。形相、原型としてもいいだろう。
 今閃いたが、その図形を陰陽ガウス平面上に置いているが、それだと、イデアではなく、現象にも関係してしまうと思う。
 だから、以前述べたように、ガウス平面と直交する、いわば、超越軸を設定して、それと虚軸が作る平面において、五芒星等を見たらどうだろうか。
 それは、その平面はいわば、超陰陽ガウス平面である。
 そこに形成される図形ならば、実軸とは関係しないから、イデア的存在として肯定される。
 そして、それが、陰陽共振によって、実軸上に現象展開されると見られる。
 では、本題に戻ると、氣エネルギーは何処に位置するのかである。
 それは、虚軸であり、また、以上の超陰陽ガウス平面に属するだろう。
 では、現象化するときのエネルギーとは何か。
 それは、物質エネルギーでいいのではないだろうか。磁気や電気や熱エネルギーで。
 しかしながら、植物に感じる生命エネルギーには、氣があると思う。
 それは、イデア論的に言えば、分有ではないだろうか。
 現象は氣エネルギーを分有しているのではないだろうか。
 超陰陽ガウス平面の形態氣エネルギーが現象形態に分有されているのではないだろうか。
 確かに、氣次元から現象次元への変換は次元変換であるが、そのとき、高次元を内在しているのではないだろうか。
 おそらく、原点MPを介して、氣エネルギーが現象体から発しているのではないだろうか。
 あえて今、仮説、思考実験するなら、虚軸や超陰陽ガウス平面は現象体に超越的に内在しているのではないだろうか。あるいは、高次元(氣次元)の背景をもって現象しているのではないだろうか。
 問題は虚軸次元と実軸次元の関係である。
 原点・交点・中心MPの問題である。これについては、だいぶ以前、PS理論の段階で執拗に検討した。
 簡単に復習する。
         
           凸i陽
           /       
         /
      虚MP
     /↓
    /  ↓
 凹i陰  ↓
       ↓
−1・・・・・実MP・・・・・+1
  
下手な図であるが、今、原点MPを立体化した。
即ち、虚軸と実軸の間に距離をおき、立体化させたのである。
 そして、原点MPが二つできるのである。虚軸上のMP(虚MP)と実軸上のMP(実MP)である。
 氣は虚MPから実MPへと転移する。
 陰陽方程式は凸i*凹i⇒±1であるが、この⇒は虚MP⇒実MPに相当しよう。
 そして、虚MP⇒実MPの⇒が実は氣エネルギー、生命エネルギーではないだろうか。
 そして、このエネルギーは実MPに達しているために、実軸界、現象界、物質界においても感知できるということではないだろうか。
 そう、陰陽方程式凸i*凹i⇒±1の⇒を氣エネルギー=生命エネルギーと見ることができるのである。
 潜在体の氣とは左辺の凸i*凹iと言えよう。
 これで、本件の問題を解明したことになる。

注:デュナミスとエネルゲイアはアリストテレス哲学の重要な用語である。前者はわかりやすく言えば、潜在エネルギー(ポテンシャル・エネルギー)であり、後者は活動しているエネルギーである。しかし、このエネルギーを物質エネルギーととってはいけない。これは、理念的エネルギーである。


2015年04月05日(Sun)▲ページの先頭へ
五芒星(ペンタグラム)の生成力学:フィボナッチ数列的均等均衡平面原理
画像等は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12010369875.html

五芒星(ペンタグラム)の生成力学:フィボナッチ数列的均等均衡平面原理

テーマ:GP陰陽哲理学:ガウス平面と陰陽論の統合

本件については、かつて、以下参照のように、論じたことがあるが、現段階で再考したい。
 以前は、フィボナッチ数列と等分割原理と結合させた作業仮説を立てた。
 かなり強引だったので、もっと明快な考え方をしたい。
 参照にある図1は、フィボナッチ数列と90度回転を結びつけている。
 90度回転は自然の根源的な動きと見る。
 結局、フィボナッチ数列(あるいは、それと90度回転)から、黄金比が発生する。
ここで、次の記事を参考にしたい。
尚、青色文字は管理人による強調。

〜〜〜引用開始〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
黄金比…そして五芒星について〜エウドクソスからのメッセージなどから ...
「『黄金分割について・エウドクソスより』


『宇宙の根源は無であり有であり、無のなかに有が存在しています』


このような状態はちょうど球体の中に【有】と【無】が混在した、いわゆる『ダークマター』という物質も発生していない、ただエネルギーだけが強い密度で充満している状態をいい、その中に、自然界の五大要素『空・火・水・地・風』というものが作用したことを意味します


【水】と【火】は全く性質が違うもので正反対の性質を持ち合わせており、その2つがあるがゆえに【光】が発生するのです


【火】と【水】が反作用したとき【光】はなくなり【闇】となり、【光】は『フォトン』という光子体となり宇宙空間に降り注いでいるのです


つまり、この相反する性質を五大要素の中に取り入れて構成してゆくと、【風】と【地】という正反対の要素が必要になってきます


【地】は生命維持のために必要な重力場の領域を形成し、【風】は、その重力場を分散させたり収束させる性質をもっています


この二つがうまく相互作用したときに、強力な【龍脈】という磁場が発生するようになっています


これらの4つの要素をうまくバランスをとり、調整し、場を形成する役割をなすのが【空】の性質で、言い換えると、生命維持の為のあらゆるエネルギー源を与えるために転換したり、拡散したり、収束させたり、回転させたり、消滅させたり、する性質を持つもを【五大要素】と呼んでいます


【五大要素】が均等に作用したとき、『星形の五角形』を作り上げます


この五大要素が『創造宇宙のトーラス』の中を回転しているのです


そして『星形五角形』の中に、きれいな【黄金分割比】が現れるのです


【黄金分割比】とは、調和的で美しい比の事を表し、ファイ(Phi)とは、ギリシャ文字のφが由来で、黄金分割の比率1.61803399のことです

(1+√5)/2 ≒ 1:1.618」
http://ameblo.jp/hirokazuakari/entry-11066948579.html
天然な日常から、溢れる想いを綴りつつ〜(≧∇≦)/
〜〜〜引用終了〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

四つの要素と一つの中心で五大原理としている。
 この考え方を借りれば、GP陰陽哲理学における凸i(陽)と凹i(陰)と+1と−1で四つの要素、そして、原点・交点MP(Media Point)を一つの中心とすれば、五大原理ができる。


            凸i陽
             |
             |
             自
             我
             |
             |
−1地_____MP・霊______+1天
(重力)         |          (光)
             |
             感
             性
             体
             |
             |
            凹i陰


      応用陰陽ガウス平面

(尚、MPはMedia Pointであり、原点・交点・次元転換点等であり、太極・太一、そして、霊である。)


 そして、この五大原理が均衡原理によって、正五角形を形成し、その内部において、五芒星(☆)を形成するということになる。
 この考え方は、シンプルで、明快である。現時点では、この仮説を提起する。
 後で、また、見直したい。

追記:確かに、上記の考えは簡潔ではあるが、今一つ、ぴんと来ない。つまり、どうして、四つの要素と一つの中心が均等に作用して、正五角形を形成するのかが、力学的にわからないのである。
 牽強付会と言われても仕方ないだろう。
 では、こう考えたらどうだろうか。
 どうも、以前、考えたフィボナッチ数列と均等・均衡原理を使用することになるが、少し異なる。
 とまれ、初めに0(空?)ありき。そして、それが、1(存在)となる。そして、0+1⇒1の右辺の1が原初(0)をもつ存在だろう。
 そして、1+1⇒2の右辺の2は二元の形成である。正しくは、対極(陰陽)の形成だろう。
 そして、1+2⇒3の右辺の3は、陰陽+MPの三元である。これは、陰陽ガウス平面で言えば、凸i陽と凹i陰とMPの虚軸である。
 そして、2+3⇒5の右辺の5は、凸i、凹i、MP、+1、−1の五元と考えられる。これで、ガウス平面が要素が形成されたことになり、ここで、ガウス平面が完成したことになる。
 次に、このフィボナッチ数列原理に均等・均衡原理を適用するのである。
 わかりやすくするため、3の場合を考えよう。
 3とは一体を形成していて、三つの要素が均等に均衡すると見るのである。平面で言えば、正三角形を意味する。
 そして、5の場合も同様で、五つの要素が均等均衡するのである。平面的には正五角形を形成するのである。
 この内部に五芒星(星形)が生成するのである。
 考え方としては、正三角形に二つの要素が入り、五元(仏教で言えば、五大:地水火風空)となり、正五角形に変形すると見るのである。
 結局、均等均衡原理の力学を明快にする必要がある。
 もっとも、以前、これについては考察済みである。
 すなわち、常に全体ないし一体性で考えるのである。2は二元性(語弊があるが、このままにしておく)であるが、これは全体・一体性である。つまり、陰陽対極性である。
 つまり、一(いつ)における2なのである。だから、
 そして、3も同様で、一(いつ)における3である。全体・一体性を3等分割し、均衡化するのである。だから、3における三つの1は、それぞれ、均衡するのである。
 問題は、均等均衡原理によって、どうして、平面化が起きるのかということになる。
 ここで作業仮説というか思考実験であるが、一(いつ)を円、この場合、ガウス平面上の単位円(簡単に円と呼ぶ)と見るのである。
 そして、均等均衡原理を円に適用するのである。
 そして、均等均衡原理は角度に適用するのである。そうすると、当然、360度÷3=120度であり、正三角形が形成されるのである。
 同様に、5の場合も角度の均等均衡原理が生起して、
360度÷5=72度であり、正五角形が生まれるのである。
 そして、この辺と対角線の関係において、黄金比(黄金分割)が形成されるということになるのである。
 だから、均等均衡原理は、均等均衡平面原理と呼ぶことができる。そして、フィボナッチ数列原理を加えて、
フィボナッチ数列的均等均衡平面原理と呼ぶことができる。これで、黄金比の力学原理ということになる。

追記2:そうすると、この原理に拠る五元とは、いわば、相互交流して、根本的ないし原型的形態形成原理になっているということかもしれない。
 おそらく、陰陽ガウス平面における五芒星(ペンタグラム)と現象する星形(☆)は意味的に異なるだろう。
 前者の五元は質的差異があるが、後者の五元は等価ないし同質化されているだろう。
 簡単に言えば、差異の同一性化ということではないだろうか。

追記3:追記2のように言う必要はないのかもしれない。
 なぜなら、均等均衡平面原理とは、数的原理だからである。
 つまり、質ないし差異を数へ転化しているのである。
 しかし、数は量とは言えないだろう。そう、数的形式普遍原理というものが生じるのだろう。一種の構造主義だろう。
 思うに、この数的形式普遍原理とは、イデアではないだろうか。あるいは、形相ではないだろうか。そして、カントの超越論形式ではないだろうか。さらに、ゲーテのいう原型ではないだろうか。
 とても意義深い、興味深いところで、さらに検討したい。

追記4:0は原点で、1が円で、0+1=1が原点+円で、そして、1+1=2が虚軸形成で、1/2分割で、1+2=3が、円の三等分割で、正三角形が形成され、2+3=5で、円が五等分割されて、正五角形、五芒星が形成されるというように見られないだろうか。
 つまり、単位円の平面で等分割・均衡原理が考えるのである。

 
参照:

Fri, April 11, 2014
陰陽からのフィボナッチ数列ベクトル的生命現象形成の力学
テーマ:GP陰陽哲理学:ガウス平面と陰陽論の統合 以下の図1と図2を念頭に以下のことを読んでいただきたい。


                        図1

生命に宿る黄金比とらせんエネルギー - ゴルフィーライフ(New) 〜 We ...
http://blog.goo.ne.jp/lifelongpassion/e/4e9068485f459e834966f46bc21bf8e7



                   虚軸(陰陽軸)
                     陽凸i
                      |
                      |
                      |
                      |
−1_____MP_____+1 実軸(日光軸)
                      |
                      |
                      |
                      |
                     陰凹i


                     図2


図1のフィボナッチ数列(ベクトル)の螺旋は意味深長である。
 これをわかりやすくするため、弦巻植物や樹木の生長曲線と見るといいだろう。螺旋を描いて、

0+1=1⇒1+1=2⇒1+2=3⇒2+3=5⇒3+5=8・・・

となる。(等号もベクトルでいいかもしれない。)
 例えば、1本の芽が出、2本の双葉となり、さらに芽が出て、3本となり、そして、例えば、5本の枝が出て、五弁の花が生まれて等々と読める。
 問題は、図2と図1を関連させることである。
 図2のガウス平面はいわば、イデア界で、ほぼ不可視界である。物質科学では、ここは存在しないと見ている。ただ、実軸は日光軸であり、日光は当然可視である。
 結局、図2は現象は、陰陽が日光、時間を介して、次元変換したものということを意味する。
 フィボナッチ数列の0+1=1であるが、0(ゼロ)は、図2のガウス平面ならば、原点(MP:メディア・ポイント)と見て、左辺の+1は、ガウス平面の実軸の+1と見られないだろうかということである。(思うに、0+1であるが、0が陰陽イデア情報であり、+1がエネルギー、日光エネルギーと見られないだろうか。そして、0+1=1ないし0+1⇒+1の右辺の1ないし+1が生命体ではないだろうか。)
 そうすると、以前のPS理論の自己認識方程式凸i*凹i⇒+1が再び、使用できるのではないだろうか。
 この場合、左辺の*は積(掛け算)を意味するのである。もっとも、PS陰陽論では、*は90°回転を意味するのであり、陰陽方程式は凹i*凸i⇒±1であり、−1が右辺に入る点で、自己認識方程式とは異なるのであるが。
 いちおう、PS理論の自己認識方程式を、日光方程式と見ておき、PS陰陽方程式の中に組み込むことににする。即ち、90°回転は続くのであり、最初の90°回転で、日光が形成されるというようなことである。
 だから、根本の原動力は、陰陽の90°回転運動に存することになる。それが、いわば、不可視の原エネルギーであり、それが、現象を発現させているということになる。
 ただし、実軸=日光軸であるが、それは、実エネルギーなので、生成消滅するということになる。つまり、エントロピーが作用するということになる。
 それに対して、虚軸の陰陽であるが、それは、いわば、無限のエネルギーであり、反エントロピー的であるということになる。
 以上、ざっとであるが、陰陽ガウス平面とフィボナッチ数列螺旋を組み合わせてみた。

参考:尚、フィボナッチ数列螺旋は以下の図では、z軸=時間軸=天地軸に沿って、展開すると、いちおう考えたい。

氣⇒日光(太陽)⇒有機体物質:x軸=実軸=日光軸、y軸=虚軸=陰陽軸、z軸=天地軸=時間軸
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11803090704.html


この三次元直交座標で、x軸を実軸、y軸を虚軸、z軸を時間軸とする。x軸とy軸でガウス平面を形成する。
 そして、虚軸=y軸=陰陽軸となる。これが、90°回転して、x軸=実軸の±1を形成する。これが日光である。だから、
x軸=実軸=日光(太陽)軸である。 
 そして、90°回転と同時に、z軸=時間軸が生起する。
 これが、日光を物質化するのである。そう、有機体化である。
結局、z軸=時間軸=有機体軸である。
 結局、ガウス平面とは、氣平面であり、実軸において、太陽となり、視覚化されるのである。

****************************

参照:

仮説:フィボナッチ数列は等分割の数だけでなく、均等原理を内在する:フィボナッチ数列ベクトル
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11819109717.html

先に以下のように述べたが、補足すると、90°回転において、形成されるフィボナッチ数列であるが、単に等分割の数だけでなく、そこには、均等原理(原則、法則)が働くのではないだろうか。即ち、たとえば、1+2=3の場合は、円を3つに等分割するような均等原理が働き、正三角形が形成されるということになる。2+3=5の場合は、円を5つに等分割にする均等原理がはたらき、正五角形が形成されるということになる。
 均等原理という考え方は、無理のない自然な考え方だと思う。つまり、常に、全体の一(いつ)、統一の一(いつ)、つまり、円があるが、そこに各数列の数が生起すると、全体がその数によって等分割されるという均等原理、均等力学が作用するというのは、わかりやすいと思う。
 つまり、全体の一、統一の一の中の数列の数ということであり、全体が分子、数列の数が分母になるということである。
 後で整理したい。

追記:言い換えると、力の均衡原理とも言える。一(いつ)の力の場において、ある整数が発生する場合、常に、全体の一(いつ)における整数であり、バランスをとって、等分割されるということである。つまり、全体の原理が整数にはたらくのであり、全体の原理が整数を均等分離すると思われるのである。
 簡単に言えば、例えば、5という整数ならば、1に還元されて、五等分、五等分割されるということである。つまり、単位数の1に還元されるということである。
 あるいは、別の考え方をすれば、整数分のベクトルが生じると見てもいいだろう。円の中心に複数の等しいベクトルが生じるとすると、それは、当然、相互のバランスをとって、等分割するように、分離すると考えられる。つまり、均衡原理である。
 だから、フィボナッチ数列を、数列を均衡するベクトルと見るといいだろう。3ならば、3つの等しいベクトルが中心から発生して、3等分割するということになる。角度は、当然、360°÷3=120°で分割されるのである。
 だから、フィボナッチ数列ベクトルである。

フィボナッチ数列の数の意味:等分割数ではないか:2は2等分割、3は3等分割、5は5等分割、等々

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11818362360.html

直近で、以下の図を参考にしたが、フィボナッチ数列の数であるが、これは、単なる量としての数ではなくて、等分割の等分数ではないかと思った。つまり、最初の1は1分割せよ、とうことになり、それは、全体である。つまり、おそらく、最初に0(ゼロ)ないし原点があるのであり、0+1=1であり、これは、半径1の90°回転である。次に、半径1をまた90°回転させると、最初の半径1と今度の半径1を加えて、1+1=2の半径ができる。この半径2は同時に2等分割を意味するということではないだろうか。少し曲解的だが、1+1が二つの部分ではないだろうか。
 次に、半径2が90°回転すると、1+2=3となり、半径3が形成される。これは、1+1+1=3であり、左辺の1+1+1が3等分を意味するのではないだろうか。
 次に、半径3が90°回転して、1+1+3=5で、半径5が形成される。これは、同様に、1+1+1+1+1=5であり、左辺の1+1+1+1+1が5等分を意味するのではないか。
 以下同様である。
 このように考えると、等分割が形成されて、例えば、正三角形、正五角形、正八角形の形成が簡単に説明できよう。
 ピュタゴラス派がいちばんの神聖数の5であるが、これは、5等分割で説明できよう。そして、これが、黄金比と関係するのである。つまり、自然現象、有機的現象ともっとも関係すると考えられるのであり、当然、人間(私は人間動植体とでも呼びたい)にも当てはまるのである。五本の指、頭と手足、合わせて、5つの部分、あるいは、五臓六腑の五、等々である。
 以上の説明で、かなり、形態発生力学が論理的に説明できるようになっただろう。これまでとは、格段の差である。
 結局、フィボナッチ数列を導入したことが正解であったと言える。


この1,1,2,3,5,8,…という数字の並びはフィボナッチ数列と呼ばれるもの。
隣り合った数字を足し合わすと、
 1+1=2、
 1+2=3、
 3+5=8、、
と続いていきます。

これらの数字の間隔は、5:8 ≒ 1: 1.618、という風に、黄金比率に近づいていきます。

上の図のように「らせん」にも黄金比率が存在するし、
360°の円も、黄金分割すると、約137.5°という黄金角になります。

検討問題:形態はどうやって形成されるのか:螺旋、フィボナッチ数列、黄金分割(黄金比)
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11818276963.html


2015年04月01日(Wed)▲ページの先頭へ
直観又はエウレカ:氣が五芒星形の現象に転換するが、氣は継続する
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12008681829.html

直観又はエウレカ:氣が五芒星形の現象に転換するが、氣は継続する

テーマ:GP陰陽哲理学:ガウス平面と陰陽論の統合

昨日(3/31)閃いたことだが、丁寧に述べるには時間がかかるので、今、簡単に触れておく。
 先に、桜の花の五芒星形(ごぼうせいけい)について述べたが、五芒星形とは、端的に、正五角形であり、それは、黄金比を含み、また、フィボナッチ数列を導くのである。
 これはいわば、自然のもつ形態原理である。私はそれを美的原理とは呼びたくない。それは、いわば、(氣的)快的形態原理とでも呼びたい。
 言いたいことは、この五芒星形ないし正五角形であるが、これは、氣の発現原理に拠るのであり、この形態自体において、なんらかの氣が発動するのではないかということである。
 黄金比は美的であると言われている。私見では、快的と言いたいが。用語概念的には、快的というより、生命快(生快)的という言う方が的確である。
 とまれ、今は直観を言うが、五芒星形(☆)は氣を発しているのではないかということである。
 私は森に接すると、氣を感じるが、それは、基本的には森の場が氣を発しているとは思うが、森の樹木の形態(そして色、緑色)が氣を発しているからではないだろうか。
 つまり、植物有機体の形態は氣を発しているのではないかということである。
 今は、GP陰陽哲理学による理論的考究は行わずに、直観を述べるに留めるのであるが、この形態と氣の相関は十分考察の必要があると思っている。
 いわゆる美はこれで説明がつくと思う。
 美というより、美快は氣の発現形態で説明がつくように思うのである。
 宇宙はcosmosであるが、それは、秩序を意味する。この秩序は、いわば美的秩序である。化粧のcosmeticはここに由来する。
 これは、orderの秩序とは違う。
 そう、cosmosは、古代ギリシア語のピュシスである。自然(じねん)である。
 これは、氣の発現形態と思われるのである。
 自然が何故、生命快(「美」)的なのかと言えば、氣が発現しているからだと思うのである。
 問題は、陰陽ガウス平面から見ると、氣は虚軸にあるのに、どうして、実軸である現象の形態において氣は発動するのかということである。
 今思うことは、形態とは実は、イデア(エイドス、原型・原形)的であり、それは、氣の次元、つまり、虚軸に通じているということである。
 つまり、陰陽ガウス平面図から見ると、形態は原点・交点MP(Media Point)において発生すると思われるのである。
 つまり、形態(イデア、エイドス、原型)とは、高次元と現象次元の中間次元つまりメディア次元にあるということになる。
 このメディア次元、中間次元とは、高次元である氣を帯びると同時に、可視的な現象に体現しているものと考えられる。
 今はここで留める。

参照:

         
            凸i陽
             |
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             自
             我
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−1地_____MP・霊______+1天
(重力)         |          (光)
             |
             感
             性
             体
             |
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            凹i陰


      応用陰陽ガウス平面

(尚、MPはMedia Pointであり、原点・交点・次元転換点等であり、太極・太一、そして、霊である。)

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2015年03月29日(Sun)▲ページの先頭へ
PS(プラトニック・シナジー)理論からGP(ガウス平面)陰陽哲理学への発展:論文を執筆する時期だ
画像等は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12007410959.html

PS(プラトニック・シナジー)理論からGP(ガウス平面)陰陽哲理学への発展:論文を執筆する時期だ

テーマ:GP陰陽哲理学:ガウス平面と陰陽論の統合

2年前の無双太極陰陽論に比べて、現段階のGP陰陽哲理学はだいぶ安定してきた。そう、確立されてきたと言えよう。(参照を見られたい。)
 そろそろ、論文にして、発表してもいい頃である。
 2004年9月、ブログ上で、「海舌」氏と遭遇して、偶然生まれた不連続的差異論から見ると、既に、11年目に入るのである。
 思えば、試行錯誤、紆余曲折の連続であった。
 もっとも、重大のポイントは2013年における、それまでの共同作者の「海舌」氏との理論的分離であった。
 私はPS理論(プラトニック・シナジー理論)から離脱し、出発点の不連続的差異論に基づき、哲学主導の理論を構築しようとした。
 正に、試行錯誤、ほとんど混乱と言っていいような状況になった。しかし、PS理論の数学的公式(凸i*凹i⇒+1)が活用できることを発見して、ほぼ、今のGP陰陽哲理学が形成されたと言えよう。
 即ち、凸i*凹i⇒±1という新たな公式を、桜沢如一氏の無双原理の視点を活用して、形成したのである。

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 一見、PS理論に似ているが、「海舌」氏の仮説とは、ガウス平面的に左右逆になるのであった。
 ⇒+1が光であるのは、PS理論とGP陰陽哲理学とでは同じであるが、物質世界を「海舌」氏は、第一象限においたのである。 
 しかし、GP陰陽哲理学は、物質は第二象限に置かれるのである。
 相違点を説明すると長くなるので、止めるが、私は陰陽原理に基づき、GP陰陽哲理学へと進展したのである。(尚、「海舌」氏はその後、ガウス平面的理論構築を放棄して、四元数(しげんすう)を用いて、立体的構築へと進んだ。)
 とまれ、PS理論における凸i*凹i⇒+1の解釈における混乱が分離・離脱の原因であったと言えよう。
 私自身の思考の相当の懐疑・混乱・混沌があった。
 一例をあげると、凸i*凹iであるが、私は陰陽共振・調和には、
凸i*−凹iとなるのではないかと考えた。凹iの陰を否定しないといけないと考えたのである。すると、凸i*−凹i⇒−1となってしまい、齟齬が生じたのである。
 これは、私の思考の未熟さから来たのであった。「海舌」氏は正しかったのである。
 以下の「海舌」氏の人間認識図を見ていただくわかりやすいだろう。
 一番の相違点は、実軸−1の捉え方である。私は、−1を重力、質量の方向と見ているのであるが、「海舌」氏は、超越的存在と見たのである。(これは、オイラーの等式から来ていると思う。

オイラーの等式 e^{i\pi} +1=0 を変形して、e^iπ=−1となる。この−1を究極のものと「海舌」氏は捉えたと思われる。)
 また、虚軸の凸が光で、凹が闇とするのも、私と異なる。
 私は凸iを陽とし、凹iを陰としたのである。私の基本的思考は、陰陽論であったのである。
 以上簡単ながら、PS理論、「海舌」氏からの分離・離脱の原因を述べた。
 結局、GP陰陽哲理学は、PS理論の方程式を陰陽論に即して、変形した方程式、公式をもつと言える。
 PS理論はいわば母胎であったのである。「海舌」氏は数学・自然科学的な発想であったが、私は陰陽論を基礎にしたのである。この点が「海舌」氏と私の発想の根本的相違点であったと考えられる。
 とまれ、PS(プラトニック・シナジー)という用語であるが、それは、プラトンのイデア論に基づいている。しかし、今や、私はハイデッガーの存在論に立っているので、もはや、その用語は使用できないので、GP(ガウス平面)陰陽哲理学となったわけである。そう、簡単に言えば、PS理論を陰陽存在論化したのが、GP陰陽哲理学と言えよう。

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 付け加えれば、桜沢如一氏の無双原理の一元論(太極論ないし太一論)も取り入れているのが、PS理論との相違である。
 PS理論は、あくまで、二元的極性論であり、陰陽の根本の太極までは、捉えていなかった。
 とにかく、PS理論からの飛躍は、桜沢如一氏の『無双原理』を読んだことが大きいと言えよう。そこで、陰陽原理に即して、理論を発展させたのである。(しかし、先に述べたように、桜沢氏は、氣=物質としているのであり、私はこれを間違いと考えている。氣は物質より高次元存在と見るのである。)
 公式に関して言えば、PS理論の自己認識方程式凸i*凹i⇒+1を陰陽原理的に変形したと言えよう。
 とまれ、「海舌」氏の自己認識方程式とガウス平面(複素数平面)の導入は天才的に画期的であったと言えよう。
 この数学的哲理によって、陰陽原理の数理・科学的土台が構築されたと言っても言い過ぎではない。
 


         「海舌」氏の人間認識図


参照:
作用反作用と陰陽対極性:陽主導は作用反作用が、陰主導は「コーラ」・受容体の力があろう
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12007299410.html

テーマ:GP陰陽哲理学:ガウス平面と陰陽論の統合

陰陽極性を、牽引と反発の矛盾力学と見ている。
これと、ニュートン力学の作用反作用はどういう関係にあるのだろうか。
これまで考えたことはなかったので少し考察してみたい。
 力1→に対して、正反対の力2←が対応するということが、ざっくり言えば、作用反作用の法則であろう。
 陰と陽の氣の対極性(両極性、双極性)力学を見てみよう。
陽の「力1」↓は陰へ作用する。確かに反作用として、「力2」↑が生じると言えよう。
 だから、この点で、陰陽極性においても、作用反作用は成り立つ。
 しかしながら、これは、陽の「力」の場合である。
 陰の場合の「力」は、陽とは正反対である。陰の「力」とは、共振力、共鳴力、共感力、親和力、調和力、等である。つまり、陰の「力1」↑は、反作用の「力2」↓をもたらさないのである。
 ある意味で、吸収、吸引する能力である。
陽が主導的であるとき、 陽の「力1」は、反作用の「力2」をもたらすが、陰が主導的であるとき、陰の「力1」は、反作用をもたらさずに、陽の「力2」を吸収し、共振するのである。
 いったい、これを「力」と言っていいのか問題である。
 果たして、陰に力があるのかも問題である。
 つまり、陰が主導的な場合とはどういう事態なのかである。
 陽が主導的な場合は、陰はただ受け身に過ぎず、陽に支配され、つまり、陽と同一性化され、反作用を引き起こされると言えよう。
 しかし、陰が主導的な場合は、いわば、積極的に陽を吸収し、共振調和をもたらすと考えられる。
 思うに、陽の力をforceとするなら、陰の力はpowerではないだろうか。あるいは、別のネーミング、命名が必要だろう。
 そう、プラトンが『ティマイオス』で述べた有名な「コーラ」の概念を想起する。
 どうも、陰の「力」とは、いわば、容器、場所、あるいは、子宮のような力ではないのか。受け入れる「力」である。感受性のようなものかもしれない。
 途中(今、帰宅しないといけないので、ここでひとまず、止める)。

 さて、続けよう。
 今の段階では、この陰の「力」はプラトンを借りて、「コーラ」ないし、「コーラの力」とするのがいいだろう。
 GP陰陽哲理学では、陰凹iの凹の形が正に、「コーラ」的と言えよう。
 ところで、今、最下部の記事を見たが、それによると、「コーラ」は、陰の「力」というよりも、陰主導の陰陽共振・調和のことかもしれないと思った。
 とまれ、陰主導、陰の「力」によって、陰陽共振・調和が生まれるのだから、そのような「コーラ」と陰の「力」は近いと言えよう。
 とまれ、「コーラ」を受容体と見るなら、やはり、陰の「力」でいいだろう。
 そう、だから、受容力としての陰の「力」ということになる。
 思うに、天才的人物はこれをもっていると思う。英国詩人のジョン・キーツはnegative capability(否定的能力:自己否定して、他者を感受する能力とでも言おうか)と言ったが、それは、正に、受容力に通じよう。
 とまれ、本題に戻ると、作用反作用と陰陽対極性の関係であるが、簡単にまとめれば、陽主導においては、作用反作用は成立すると思われるが、陰主導の場合は、成り立たないと思う。陰の「力」である「コーラ」の力、受容体の力が作用するのであり、陽を受容し、共振調和して、光や自然を産み出すと考えられるのである。これは、反エントロピー的である。
 それに対して、陽主導の作用反作用はエントロピー的ではないだろうか。
 今はここで留めたい。

参考:

作用反作用の法則(第3法則):物理学解体新書
http://www.buturigaku.net/main01/Mechanics/Mechanics08.html
2005年6月3日 ... ここでは、運動の法則の第3法則、作用反作用の法則について解説しよう。 例えば、机 の表面を手で押すとしよう。 押す力を強めるほど、手が感じる力は大きくなる。 これは、 手が机を押すと、机も同じ大きさの力で手を押し返すからだ。

プラトンの宇宙論:神秘主義思想史:So-netブログ
また、興味深いことに、「ティマイオス」ではこのイデア=「存在」と宇宙=「生成」に対する第3の説明し難いものが語られます。
これは「場所(コーラ)」です。
イデア=「原型」=「父」、宇宙=「模像」=「子」であるのに対して、この「場所」はすべてを受け入れる「受容器」=「乳母」だとも表現されます。
つまり、「場所」は一切の形・性質を欠いているので、それ自体を知覚することはできないけれど、イデアを受け入れることで宇宙を生むような根源的な素材 のような存在なのです。
デミウルゴスはこの素材を用いて宇宙を作ったのです。

ジャック・デリダ『コーラプラトンの場』 - 『10+1』 DATABASE

db.10plus1.jp > ... > BACKNUMBER > 『10+1』 No.35 - キャッシュ

コーラ」とは、プラトンの宇宙創世論『ティマイオス』の用語で、場所のこと、それも たんなる空虚な場ではなく、そのなかに何かがあったり、誰かが割り当てられて住んで いるような場所のことである。製作者であるデミウルゴスは、範型となる形相を眺め ながら、それ ...


ジャック・デリダ『コーラプラトンの場』 | Flaschenpost

晩年のプラトンの対話篇『ティマイオス』には、造化の神デミウルゴスによる宇宙開闢が物語られるが、そのなかで存在の母胎のような場として、「受容体であり、すべての誕生の乳母のごときもの」として語られる「コーラ(khôra)」。デリダによると、それを「定冠詞付きで」語ることはできない。「コーラ」が、ある種の主体ないし実体として存在することを、あらかじめ想定することはできないのだ。

プラトンによると、「コーラ」は存在の二つの類、すなわち不易にして叡知的な存在と、滅びやすく生成状態にあり、感性的な存在とのあいだにある、「第三の類」に属するわけだが、「コーラ」を語る言説を厳密に辿るならば、それはいかなる類別も、ジャンルの分類も、さらにはジェンダーをも逃れ去っていく。それは「第三の類」でありながら、他の存在の類と対を、すなわちカップルをなさないのだ。デリダに言わせれば、「誕生の乳母のごとき」ものでありながら、「コーラは、一人の乳母ではないのと同様に一人の母ではなく、また一人の女でもない」。そのようなものとして「コーラ」は、事物を類別して同定するロゴス、あるいはミュトスとしての言葉を逃れ去る。もしかすると、そのことによって「コーラ」は、両者の分別そのものを問題にするのかもしれない。

とすれば、「コーラ」とは「コスモス」としての宇宙の存在を可能にする何かでありながら、その存在を語る論理、つまりプラトンのディアロゴスとしてのロゴスに穿たれた穴である。デリダの『コーラ』は、この穴を厳密に歩測する試みと言えよう。その試みは、哲学すること自体を試す。それは哲学する言葉を、深淵の前に立たせるのである。しかし、そこからこそ考えられうる次元があるのではないか。「コーラ」をめぐる思考は、言葉をそこへ誘うものでもあろう。「彼女=それは、あらゆる人間−神学的図式から、あらゆる歴史=物語から、あらゆる啓示から、あらゆる真実から逃れ去る。前−起源的であり、あらゆる世代=生殖の前かつ外にあって、それはもはや一つの過去や過ぎ去った一つの現在という意味すら持たない」。

しかし、そのような「コーラ」においてこそ、何ものかが存在するようになるとすれば、しかもデリダが言うように、「コーラとは、まさに、その『うえに』、その主体に、それも、その主体にじかに、みずからを書き込みにやって来るものの総体ないしプロセス『である』」とすれば、それをどのように考えたらよいのか。もしかすると「コーラ」とは、そこにおいてある何ものかが存在する、立ち現われてくる、鳴り響いてくるようになる媒体であることそれ自体を指し示す、未だ言葉ならざる言葉なのかもしれない。しかも、デリダによると「コーラ」となるのは、それ自体「独自の事物」でもある。そうだとすれば、宇宙の開闢と関連づけられる「コーラ」は個としても遍在しうる存在の媒体そのものということにもなろう。

ただし、このことは忘れられてはならない。「コーラを思考するためには、はじまりよりも、すなわち宇宙の誕生よりも古いはじまりまで立ち戻る必要があるのだ」。例えば、クリステヴァのような母胎の主体化と実体化に陥ることなく、思考を深淵に曝しながら、起源よりも古い次元を考え抜くこと。デリダの『コーラ』は、思考をその危険へ誘うのである。

[守中高明訳、未來社、2004年]
Flaschenpost


作用反作用と陰陽対極性:陽主導は作用反作用が、陰主導は「コーラ」・受容体の力があろう

リンクは以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12007299410.html

作用反作用と陰陽対極性:陽主導は作用反作用が、陰主導は「コーラ」・受容体の力があろう

テーマ:GP陰陽哲理学:ガウス平面と陰陽論の統合

陰陽極性を、牽引と反発の矛盾力学と見ている。
これと、ニュートン力学の作用反作用はどういう関係にあるのだろうか。
これまで考えたことはなかったので少し考察してみたい。
 力1→に対して、正反対の力2←が対応するということが、ざっくり言えば、作用反作用の法則であろう。
 陰と陽の氣の対極性(両極性、双極性)力学を見てみよう。
陽の「力1」↓は陰へ作用する。確かに反作用として、「力2」↑が生じると言えよう。
 だから、この点で、陰陽極性においても、作用反作用は成り立つ。
 しかしながら、これは、陽の「力」の場合である。
 陰の場合の「力」は、陽とは正反対である。陰の「力」とは、共振力、共鳴力、共感力、親和力、調和力、等である。つまり、陰の「力1」↑は、反作用の「力2」↓をもたらさないのである。
 ある意味で、吸収、吸引する能力である。
陽が主導的であるとき、 陽の「力1」は、反作用の「力2」をもたらすが、陰が主導的であるとき、陰の「力1」は、反作用をもたらさずに、陽の「力2」を吸収し、共振するのである。
 いったい、これを「力」と言っていいのか問題である。
 果たして、陰に力があるのかも問題である。
 つまり、陰が主導的な場合とはどういう事態なのかである。
 陽が主導的な場合は、陰はただ受け身に過ぎず、陽に支配され、つまり、陽と同一性化され、反作用を引き起こされると言えよう。
 しかし、陰が主導的な場合は、いわば、積極的に陽を吸収し、共振調和をもたらすと考えられる。
 思うに、陽の力をforceとするなら、陰の力はpowerではないだろうか。あるいは、別のネーミング、命名が必要だろう。
 そう、プラトンが『ティマイオス』で述べた有名な「コーラ」の概念を想起する。
 どうも、陰の「力」とは、いわば、容器、場所、あるいは、子宮のような力ではないのか。受け入れる「力」である。感受性のようなものかもしれない。
 途中(今、帰宅しないといけないので、ここでひとまず、止める)。

 さて、続けよう。
 今の段階では、この陰の「力」はプラトンを借りて、「コーラ」ないし、「コーラの力」とするのがいいだろう。
 GP陰陽哲理学では、陰凹iの凹の形が正に、「コーラ」的と言えよう。
 ところで、今、最下部の記事を見たが、それによると、「コーラ」は、陰の「力」というよりも、陰主導の陰陽共振・調和のことかもしれないと思った。
 とまれ、陰主導、陰の「力」によって、陰陽共振・調和が生まれるのだから、そのような「コーラ」と陰の「力」は近いと言えよう。
 とまれ、「コーラ」を受容体と見るなら、やはり、陰の「力」でいいだろう。
 そう、だから、受容力としての陰の「力」ということになる。
 思うに、天才的人物はこれをもっていると思う。英国詩人のジョン・キーツはnegative capability(否定的能力:自己否定して、他者を感受する能力とでも言おうか)と言ったが、それは、正に、受容力に通じよう。
 とまれ、本題に戻ると、作用反作用と陰陽対極性の関係であるが、簡単にまとめれば、陽主導においては、作用反作用は成立すると思われるが、陰主導の場合は、成り立たないと思う。陰の「力」である「コーラ」の力、受容体の力が作用するのであり、陽を受容し、共振調和して、光や自然を産み出すと考えられるのである。これは、反エントロピー的である。
 それに対して、陽主導の作用反作用はエントロピー的ではないだろうか。
 今はここで留めたい。

参考:

作用反作用の法則(第3法則):物理学解体新書
http://www.buturigaku.net/main01/Mechanics/Mechanics08.html
2005年6月3日 ... ここでは、運動の法則の第3法則、作用反作用の法則について解説しよう。 例えば、机 の表面を手で押すとしよう。 押す力を強めるほど、手が感じる力は大きくなる。 これは、 手が机を押すと、机も同じ大きさの力で手を押し返すからだ。

プラトンの宇宙論:神秘主義思想史:So-netブログ
また、興味深いことに、「ティマイオス」ではこのイデア=「存在」と宇宙=「生成」に対する第3の説明し難いものが語られます。
これは「場所(コーラ)」です。
イデア=「原型」=「父」、宇宙=「模像」=「子」であるのに対して、この「場所」はすべてを受け入れる「受容器」=「乳母」だとも表現されます。
つまり、「場所」は一切の形・性質を欠いているので、それ自体を知覚することはできないけれど、イデアを受け入れることで宇宙を生むような根源的な素材 のような存在なのです。
デミウルゴスはこの素材を用いて宇宙を作ったのです。

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コーラ」とは、プラトンの宇宙創世論『ティマイオス』の用語で、場所のこと、それも たんなる空虚な場ではなく、そのなかに何かがあったり、誰かが割り当てられて住んで いるような場所のことである。製作者であるデミウルゴスは、範型となる形相を眺め ながら、それ ...


ジャック・デリダ『コーラプラトンの場』 | Flaschenpost

晩年のプラトンの対話篇『ティマイオス』には、造化の神デミウルゴスによる宇宙開闢が物語られるが、そのなかで存在の母胎のような場として、「受容体であり、すべての誕生の乳母のごときもの」として語られる「コーラ(khôra)」。デリダによると、それを「定冠詞付きで」語ることはできない。「コーラ」が、ある種の主体ないし実体として存在することを、あらかじめ想定することはできないのだ。

プラトンによると、「コーラ」は存在の二つの類、すなわち不易にして叡知的な存在と、滅びやすく生成状態にあり、感性的な存在とのあいだにある、「第三の類」に属するわけだが、「コーラ」を語る言説を厳密に辿るならば、それはいかなる類別も、ジャンルの分類も、さらにはジェンダーをも逃れ去っていく。それは「第三の類」でありながら、他の存在の類と対を、すなわちカップルをなさないのだ。デリダに言わせれば、「誕生の乳母のごとき」ものでありながら、「コーラは、一人の乳母ではないのと同様に一人の母ではなく、また一人の女でもない」。そのようなものとして「コーラ」は、事物を類別して同定するロゴス、あるいはミュトスとしての言葉を逃れ去る。もしかすると、そのことによって「コーラ」は、両者の分別そのものを問題にするのかもしれない。

とすれば、「コーラ」とは「コスモス」としての宇宙の存在を可能にする何かでありながら、その存在を語る論理、つまりプラトンのディアロゴスとしてのロゴスに穿たれた穴である。デリダの『コーラ』は、この穴を厳密に歩測する試みと言えよう。その試みは、哲学すること自体を試す。それは哲学する言葉を、深淵の前に立たせるのである。しかし、そこからこそ考えられうる次元があるのではないか。「コーラ」をめぐる思考は、言葉をそこへ誘うものでもあろう。「彼女=それは、あらゆる人間−神学的図式から、あらゆる歴史=物語から、あらゆる啓示から、あらゆる真実から逃れ去る。前−起源的であり、あらゆる世代=生殖の前かつ外にあって、それはもはや一つの過去や過ぎ去った一つの現在という意味すら持たない」。

しかし、そのような「コーラ」においてこそ、何ものかが存在するようになるとすれば、しかもデリダが言うように、「コーラとは、まさに、その『うえに』、その主体に、それも、その主体にじかに、みずからを書き込みにやって来るものの総体ないしプロセス『である』」とすれば、それをどのように考えたらよいのか。もしかすると「コーラ」とは、そこにおいてある何ものかが存在する、立ち現われてくる、鳴り響いてくるようになる媒体であることそれ自体を指し示す、未だ言葉ならざる言葉なのかもしれない。しかも、デリダによると「コーラ」となるのは、それ自体「独自の事物」でもある。そうだとすれば、宇宙の開闢と関連づけられる「コーラ」は個としても遍在しうる存在の媒体そのものということにもなろう。

ただし、このことは忘れられてはならない。「コーラを思考するためには、はじまりよりも、すなわち宇宙の誕生よりも古いはじまりまで立ち戻る必要があるのだ」。例えば、クリステヴァのような母胎の主体化と実体化に陥ることなく、思考を深淵に曝しながら、起源よりも古い次元を考え抜くこと。デリダの『コーラ』は、思考をその危険へ誘うのである。

[守中高明訳、未來社、2004年]
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2015年03月27日(Fri)▲ページの先頭へ
父権民族の自我と母権民族の自我の相違を精神身体力学から説明する
図は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12006684281.html

父権民族の自我と母権民族の自我の相違を精神身体力学から説明する

テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史

これは既述事項であるが、よく知ってもらうために、復習する。もっとも、父権自我と母権自我は理念型、理想型として構築されている。
 先ず、GP陰陽ガウス平面図を見ていただきたい。


            凸i陽
             |
             |
             自
             我
             |
             |
−1地_____MP・霊______+1天
(重力)         |          (光)
             |
             感
             性
             体
             |
             |
            凹i陰


      応用陰陽ガウス平面


簡潔に言えば、父権自我とは、陽凸iが主導的であり、陰凹iを支配するのである。
 数式化すれば、

父権自我方程式

凸i*凹i⇒凸i×−凹i=i×〔−(−i)〕=i×i=−1

(二番目の式の−凹iの−は陽凸iの主導性によって、陰凹iが否定されるという意味をもつ)

となる。つまり、陰陽ガウス平面図の実軸の−1に位置する。
 これは、結論を言えば、同一性、物質主義、利己主義を意味すると考えられる。
 陰陽ガウス平面的には、虚軸(i軸、-iの軸を含めて)が−1へと回転したと考えられる。つまり、+の虚軸は、反時計回りに90度回転し、−の虚軸は時計回りに90度回転して、両者−1で一致するということと考えられる。
 もっとわかりやすく作図すると、


     陽=父権自我
      ↓↓↓↓
      ↓抑圧↓         意識
      ↓↓↓↓
      同一性化
      ↓↓↓↓
ーーーーーーーーーーーー
    MP=こころ・精神・愛
                     無意識

       陰=肚
  
父権自我構造図
  
となる。
  父権自我がこころ(精神・愛・霊)と陰=肚の二つの要素を(連続的)同一性化して抑圧・支配しているのである。自我同一性が支配するのであり、他者は否定される。

 次に母権自我を考える。

母権自我方程式

凹i*凸i⇒i×(−i)=+1

これは、陰陽ガウス平面図において、実軸の+1である。 
この方程式は正に、陰陽共振、陰陽調和を意味する。
つまり、陰凹iを主導にした方程式である。陰凹iが主導的になると、それは、共感的なので、陽凸iを受容して、共鳴均衡調和が可能になると考えられる。
 その結果、+1の光が生まれるのである。これは、いわば、真善美の精神と考えられる。
 これは、虚軸と実軸の交点・原点MP(こころ)を積極的に生成するのである。つまり、精神・愛を内在するのである。
 つまり、自我と感性体(感情・欲望)のバランスをもつ精神・こころ・愛・生命精神をもっているのである。
 陰陽ガウス平面的には、+の虚軸が時計回りに90度回転、−の虚軸が反時計回りに90度回転し、両者+1において、一致したと考えることができる。
 これをわかりやすく作図する。


       陽凸i(頭)
       ↓↑↓↑
       ↓↑↓↑
       ↓↑↓↑
・・・・・・・・・↓↑↓↑・・・・・・・MP(こころ、精神、愛、霊)
       ↓↑↓↑
        ↓↑↓↑
        ↓↑↓↑
       陰凹i(肚)

   母権自我構造図

 すなわち、陽と陰が共振調和して、MP(こころ、精神、愛、霊)が誕生しているのである。
 
 以上、簡単に父権自我と母権自我の質的相違を述べたが、日本民族の場合、明治維新から、前者が後者を牛耳るような体制が構築されたと考えられるのである。
 その帰結が今日の全体主義体制である。
 これは、悪魔的体制であり、新母権主義のポスト日本近代を目指すしか根本的解決はないと考えられる。
 そう、GP陰陽ガウス平面図をわかりやすくするため、身体部位を入れてみる。


          凸i陽(頭脳)
             |
             |
             自
             我
             |
             |
−1地_____MP・心臓______+1天
(重力)         |          (光)
             |
             感
             性
             体
             |
             |
          凹i陰(肚・腹)


      応用身体的陰陽ガウス平面図


新母権自我を形成するには、凹i陰である肚へと測深する必要があるのである。つまり、自我を内的発掘して、肚まで到達しないといけないのである。
 肚はいわば、マグマである。ここはエネルギーが蓄積されているのである。
 だから、凸i陽自我(頭)の知性を喪失しないように、均衡をとる内的発掘作業が必要である。瞑想はその有力な一方法であろう。
 言い換えると、意識を肚の志向と頭の志向へと両極化するのである。そして、胸(こころ)を中点にするのである。
 つまり、意識は肚ー胸ー頭の三位一体となるのである。


2015年03月25日(Wed)▲ページの先頭へ
水素原子とヘリウム原子:中性子生成の力学原理をGP陰陽哲理学から試論する
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12006073136.html

水素原子とヘリウム原子:中性子生成の力学原理をGP陰陽哲理学から試論する

テーマ:GP陰陽哲理学:ガウス平面と陰陽論の統合

先に以下最下部のように書いたが、実に怪しいので、再検討したい。
 即ち、水素原子*水素原子⇒ヘリウム原子としたが、そうではなく、⇒水素分子ではないだろうか。
 また、

〔i*(-i)〕◎〔i*(-i)〕⇒−1

としたが、これは、⇒+1の間違いだろう。
 思うに、◎を掛け算としたが、足し算と見る方が妥当ではないだろうか。
 つまり、±1+(±1)と見るのである。そうすると、±2となる。
 これは陽子が2個、電子が2個ということではないだろうか。
 とまれ、足し算にすると、水素分子になるようである。
 では、ヘリウムはどういう力学から生成するのか。
 やはり、掛け算、積から考えるべきではないだろうか。即ち、

〔i*(-i)〕×〔i*(-i)〕⇒±1×(±1)=+1、+1

だろうか。これは意味不明である。
 いったい、中性子とは何かと見る必要がある。

**************************
物質を作っているもの その2 - 宇宙論グループ
http://astr.phys.saga-u.ac.jp/~funakubo/BAU/chapter3/chapter3-2.html

中性子は原子核の中にいるときは安定なのですが、単独でいると900秒ほどで

という過程で3つの粒子に崩壊します。ここで反ニュートリノという粒子が初めて出てきましたが、これはニュートリノという電荷を持たない、核力がはたらかない、ほとんど質量を持たない粒子の反粒子です。


*************************

〔i*(-i)〕×〔i*(-i)〕⇒±1×(±1)=+1、+1

〔i*(-i)〕×〔(-i)*i〕⇒±1×(−1,+1)=−1,−1

について、さらに考えてみたいが、この式ではどうやっても、対称性しかでてこないだろう。中性子の質量が出てこないだろう。
 強弁、屁理屈、牽強付会気味であるが、陽主導の場合を特化して考えよう。
 陰主導のときは、陰陽調和が生起するが、陽主導のときは、陽的同一性化が生起するのである。つまり、陰陽調和⇒+1は起らないのである。
 思うに、ここがポイントというか、詭弁というか、であるが、陽主導のとき、可能性として、陰陽調和が潜在していると見るのである。つまり、⇒−1は、未形成のi*(-i)⇒+1を巻き込んでいると見るのである。
 そして、巻き込まれた「未形成のi*(-i)⇒+1」は−1の領域にあるために、+1×(−1)=−1となるのではないだろうか。
 この−1を中性子と考えられないだろうか。
 おそらく、中性子は奇妙な振る舞いをするのではないだろうか。
 では、もしそうならば、水素原子の場合は、どうして、中性子は発生しないかが問われなくてはならない。
 どうも、行き詰まってしまった。
 視点を変えよう。陽子が1個のときは、陽子が2個以上の場合における陽子同士の反発は考えなくていい。
 ヘリウムのような陽子が2個が形成されるとき、当然、反発が起きる。それを緩和するのが、中性子ということである。
 ともかく、中性子を正当化する力学を考える必要がある。
 私は⇒−1は陽主導であると言ったが、それは、陽による陰の同一性化を意味するのであり、それは、桜沢如一(ゆきかず)氏の考えからいうと、凝縮、収縮を意味するのである。
 極小化と言ってもいいだろう。
 そうすると、水素原子の場合は、極小化があっても、陽子が1個なので、中性子の存在は必要ない。
 こう考えたらどうだろうか。
 ⇒−1は原子核化であり、それは極小化を意味する。しかし、陽子が2個以上あると+の電荷で反発する。だから、それを抑止する力が必要となる。思うに、反発は⇒+1の方向としていいのではないだろうか。
 すると、それに対抗する⇒−1が加わると見ていいのではないだろうか。
 つまり、水素原子結合において、⇒+1,+1,−1、−1(+1は電子、−1は陽子)となるが、−1と−1は反発する。それは、⇒+1と⇒+1の志向をもつ。
 それに対抗するには、⇒+1⇦−1、⇒+1⇦−1というように、二つの⇦−1(あるいは、⇒−1)が必要となる。 
 この2つの−1がヘリウムにおける中性子ではないだろうか。
以上で、強引であるが、いちおう、中性子の力学の原理的説明を試みた。思考実験である。
 
**************************
『素粒子』の世界28 〜陽子と中性子は常に入れ替わっている?
中性子の発見はなかなかの偉業と言えます。原子核の質量と電荷の両方を説明できるし、原子核の中に陽子が2個以上ある場合には、プラス電荷を持つ陽子同士の電気的反発に対して電荷ゼロの中性子が“接着剤”として機能し、原子核が安定する構造も説明できます。
また、中性子はだいたい15分ほどでβ崩壊して陽子になってしまうこともほぼ同時期に確認されました。後に現代量子力学の発展に大きく貢献したパウリは、『中性子が崩壊 → 陽子 + 電子 +未発見粒子(現在では「反ニュートリノ」と判明)』との解釈を発表しました。これも中性子を組み込んだ原子核モデルの説明には都合のよいものだったのです。なぜなら、「じゃあ、陽子に電子と未発見粒子(=反ニュートリノ)を与えれば、中性子になるのではないか?」という想定(=パウリの解釈の→の向き変えるだけ)をすぐに思いつくからです。
これらのイメージと事実を組み合わせて、当初の原子核モデルは以下のようなものでした。
【1】まず陽子Aと中性子Bがある。
%EF%BC%91%EF%BC%89.gif

【2】中性子Bが壊れて陽子Bになる。電子と反ニュートリノを放出。
%EF%BC%92%EF%BC%89.gif

【3】陽子Aが電子と反ニュートリノを受け取って中性子Aになる。
%EF%BC%93%EF%BC%89.gif

【4】陽子と中性子の位置が入れ替わった状態。※以後、その繰り返し
このモデルは素人にも非常にわかりやすいもので、現代的に表現すると「原子核内の中性子はβ(−)崩壊して陽子に変わり、陽子はβ(+)崩壊して中性子に変わる・・・この繰り返しによって原子核は陽子同士の電気的斥力に打ち勝って安定している」と表現できます。さらに、原子核内に中性子が存在する必然性も説明できますし、陽子と中性子が(電荷を除いて他は)非常に類似している事実とも折り合いがいいのです。
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ところが、事はそう簡単には運びませんでした。実際に中性子が媒介するこの結合力を正確に計算してみたところ、プラスの電荷で陽子同士が反発する力よりも遥かに小さかったのです。もっとも当時の科学者が認識していた「力」は「重力」と「電磁気力」だけでしたから、要は電子または陽電子の質量があまりにも小さかったということだったのです。
こんな経緯を経て、1935年に原子核を安定的に保つための中間子の存在を予言する論文(=「素粒子の相互作用について」)を発表したのが湯川秀樹でした。湯川はこの論文で1949年に日本人初のノーベル物理学賞を受賞しましたが、湯川の論文が今日では定説となっている『4つの力』の理論化の基礎をつくります。少し話がずれますが、もともと「素粒子」という概念は『物質を構成する最小単位』という意味で使われ出しました。したがって、ミクロ世界の研究が進むにつれて、【原子】 【電子・陽子・中性子】 【中間子・クォークetc】へとどんどん細分化され、次々と新しい素粒子が提唱されていきます。それと歩調を合わせるように、新物理量を定義してはその物理量の演算を推し進めることで、物理学の新しい地平を開拓しようとする量子力学分野が花形の地位を不動のものとしていきます。素粒子や原子核の研究は量子力学の最大の“舞台”となって、自然存在や物理現象の摂理やルールを数学的・演算的に解明しようとする傾向が急速に高まったのが20世紀全般の特徴です。その発端のひとつがアインシュタインの相対性理論であり、もう一方の旗頭が今述べた原子核物理学と素粒子物理学を専門とする科学者たちと言えるのです。
ところで、現代の最新の素粒子論や量子論においても、「『強い相互作用』を媒介するΠ中間子のやり取りによって・・・」云々の解説付きではありますが、陽子と中性子は相互に入れ替わりながら原子核を安定させているという構造モデルは変わっていません。しかし、このような描像にはめったにお目にかかりません。このような動的な原子核イメージは、中学・高校の段階で教えるようにすべきだと思います。
http://www.seibutsushi.net/blog/2013/09/1418.html

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楽しい高校化学(第1章−第9講)
http://www2.yamamura.ac.jp/chemistry/chapter1/lecture9/lect1091.html

■ 水素分子
水素原子は、お互い電子を1個取り入れて安定なヘリウムと同じ電子配置になろうとする。

分子式 電子式 構造式 共有電子対 非共有電子対
H2 H:H H−H 1個 0個


 
検討課題:氣の生命力学を具体化する:陰陽メカニズム構築 http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12005096637.html
今、簡単に原子番号2のヘリウムについて考えてみる。
 陽子2個、中性子2個で原子核を構成し、電子2個をもつ。
 
ヘリウム原子           
原子の構造
思うに、水素原子をなんらかの方法で重ねればヘリウムになるのではないだろうか。
 ただし、中性子の存在をどう説明するかである。
 水素原子には中性子がないが、ヘリウムには生じているのである。
 ここで、思考実験する。便宜的に、陽はi、陰は−iとする。そして、水素原子はi*(-i)とする。そして、1個の水素原子と別の1個の水素原子を重ねる作業を考える。それを積、掛け算とみる。

i*(-i)◎i*(-i)⇒i*(-i)*i◎i*(-i)*(-i)=-i◎-i=−1  ・・・A式

(ただし、◎は積算である。)

右辺の−1であるが、これが、中性子と見ることはできないだろうか。
 この負号は、本来は、重力を意味するから、質量と見ることができる。
 そして、A式の左辺の先頭、i*(-i)◎i*(-i)が、ヘリウムにおいて、残っていると見るのである。結局、
 
i*(-i)◎i*(-i)⇔−1   ・・・B式

がヘリウム陰陽方程式となる。
 以上、思いつきであり、かなり怪しいが、いちおう、少しは進展したとしたい。

追記:陰と陽であるが、氣陰と氣陽と呼ぶこともできる。それはいったい何なのか。かつて、イデア論から、氣=イデアとしたが、今は、ハイデッガー哲学から、「存在」と見ている。
 だから、陰存在、陽存在、氣存在という言い方ができる。
 長いので、陰在、陽在、氣在にしてもいい。
 シュタイナーは氣をエーテル体と呼んでいるが、陰陽の対極性は指摘してない。もっとも、ゲーテゆずりで対極性の概念は好んで使用しているが。
 思うに、何故、シュタイナーは陰陽の概念を使用しなかったのか。陰陽概念を使用すれば、エーテル体がわかりやすくなるのに。


2015年03月23日(Mon)▲ページの先頭へ
検討課題:氣の生命力学を具体化する:陰陽メカニズム構築
画像等、以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12005096637.html

検討課題:氣の生命力学を具体化する:陰陽メカニズム構築

テーマ:氣神論:氣は万物に通ずる:氣的身体理性

これまで、氣=陰陽から自然、生命有機体が生まれると述べてきたが、具体的なメカニズムは述べていないのである。
 どうも、シュタイナーの『神秘学概論』(An Outline of Occult Science - Rudolf Steiner Archive http://wn.rsarchive.org/Books/GA013/English/AP1972/GA013_index.html)を再読する必要があるだろう。

神秘学概論 (ちくま学芸文庫)/筑摩書房
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 シュタイナーは熱の生成から始めているのである。
 そう、シュタイナーは人体と太陽系(土星までを太陽系に入れて、海王星、天王星を入れていない。冥王星は今や、太陽系外の星である。)を対応させている。
 また、桜沢如一氏の『無双原理』

無双原理・易―「マクロビオティック」の原点/サンマーク出版
¥1,728
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を参考にするといいかもしれない。ただし、桜沢氏は、氣=物質としてしまっている点が問題である。氣⇒物質としないといけない。氣から物質の生成には、次元転換があると見るのである。
 あまりいい例ではないが、もっともシンプルな原子、水素原子の発生を再確認しよう。
 応用陰陽ガウス平面図を使うと、電子が⇒+1、原子核(陽子)が⇒−1である。(符号の+、−であるが、これは電荷の符号ではなく、光と重力の逆性を意味していると考えられる。)
 結局、もっとも単純な陰陽から水素原子が生まれるということになる。すなわち単純陰と単純陽の結合から、水素原子が生まれるのである。
 陰を- -、陽をーと表記すれば、

--*ー⇒水素原子

である。
 問題は原点MP(Media Point)は虚軸と実軸の交叉する点であるが、水素原子はMPを内在しているのであり、ここにおいて、水素原子は単なる物質というより、氣に通じているということである。
 そして、氣を強くもつ水素原子と氣の強くない水素原子があると考えられる。
 思うに、生命体にある水素原子とは、前者であり、氣の活性作用が強く、単なる物体にある水素原子は後者であると思われる。
 つまり、物質というのは、厳密には、純粋物質というよりは、氣の衰退した物質体ということになろう。
 以上は復習であるが、問題は水素原子以外の複雑な原子をどのようにGP陰陽方程式で解明するのかである。  
 これは検討課題であるが、今、簡単に原子番号2のヘリウムについて考えてみる。
 陽子2個、中性子2個で原子核を構成し、電子2個をもつ。
 
ヘリウム原子           
原子の構造
思うに、水素原子をなんらかの方法で重ねればヘリウムになるのではないだろうか。
 ただし、中性子の存在をどう説明するかである。
 水素原子には中性子がないが、ヘリウムには生じているのである。
 ここで、思考実験する。便宜的に、陽はi、陰は−iとする。そして、水素原子はi*(-i)とする。そして、1個の水素原子と別の1個の水素原子を重ねる作業を考える。それを積、掛け算とみる。

i*(-i)◎i*(-i)⇒i*(-i)*i◎i*(-i)*(-i)=-i◎-i=−1  ・・・A式

(ただし、◎は積算である。)

右辺の−1であるが、これが、中性子と見ることはできないだろうか。
 この負号は、本来は、重力を意味するから、質量と見ることができる。
 そして、A式の左辺の先頭、i*(-i)◎i*(-i)が、ヘリウムにおいて、残っていると見るのである。結局、
 
i*(-i)◎i*(-i)⇔−1   ・・・B式

がヘリウム陰陽方程式となる。
 以上、思いつきであり、かなり怪しいが、いちおう、少しは進展したとしたい。

追記:陰と陽であるが、氣陰と氣陽と呼ぶこともできる。それはいったい何なのか。かつて、イデア論から、氣=イデアとしたが、今は、ハイデッガー哲学から、「存在」と見ている。
 だから、陰存在、陽存在、氣存在という言い方ができる。
 長いので、陰在、陽在、氣在にしてもいい。
 シュタイナーは氣をエーテル体と呼んでいるが、陰陽の対極性は指摘してない。もっとも、ゲーテゆずりで対極性の概念は好んで使用しているが。
 思うに、何故、シュタイナーは陰陽の概念を使用しなかったのか。陰陽概念を使用すれば、エーテル体がわかりやすくなるのに。

参考:
   
            凸i陽
             |
             |
             自
             我
             |
             |
−1地_____MP・霊______+1天
(重力)         |          (光)
             |
             感
             性
             体
             |
             |
            凹i陰


      応用陰陽ガウス平面

(尚、MPはMedia Pointであり、原点・交点・次元転換点等であり、太極・太一、そして、霊である。)
 また、GP陰陽方程式がある。即ち、

凹i*凸i⇒±1

である。
 凹iは陰を、凸iは陽を表わし、両者、虚軸にあり、±1は実軸にある。
 *は陰陽極性力学を意味する。実際は乗法である。陰凹iが主導のときは+1,陽凸iが主導のときは、−1となる。
  ⇒は次元転換を意味する。氣エネルギーが現象エネルギーへと転換する事象を意味している。
 ハイデッガー哲学の存在は、この⇒と見るのが適切かもしれない。おそらく、時間が⇒である。

 追記:虚軸の凸i陽に自我が、凹i陰に感性体(アストラル体)、そして、虚軸は氣軸であり、実軸は物質・生命現象である。


2015年03月18日(Wed)▲ページの先頭へ
天とは何か:原点MP=内的天=太極・太一・元一=超越的天(天の公式=マニ教公式)
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12002867315.html

天とは何か:原点MP=内的天=太極・太一・元一=超越的天(天の公式=マニ教公式)

テーマ:氣神論:氣は万物に通ずる:氣的身体理性

         
            凸i陽
             |
             |
             自
             我
             |
             |
−1地_____MP・霊______+1天
(重力)         |          (光)
             |
             感
             性
             体
             |
             |
            凹i陰


      応用陰陽ガウス平面

(尚、MPはMedia Pointであり、原点・交点・次元転換点等であり、太極・太一、そして、霊である。)



resurrectionのブログ
(この画像は、映画『スライブ』のトーラスであるアップル像である。この画像と応用陰陽ガウス平面図を対応させるには、アップル像は、時計回りに90度回転すれば、いい。アップルの中の上部の白いらせんと軸のようなものがあるが、それが、+1になるのである。)


応用陰陽ガウス平面図において、天は⇒+1の+1に存する。
 樹木が伸びる方向に存する。
 地は⇒−1の方向に位置する。重力の方向である。
 だから、天を+1,地(地球)を−1,そして、人間を原点MPに位置させてもいいと思う。
 そうすると、宇宙ないしコスモスは天と同じ位置に存するだろう。
 いったい何を問題にしたいのか。
 つまり、コスモス(内外宇宙)とは、単に、マクロコスモス(大宇宙)だけでなく、ミクロコスモス(小宇宙)であり、人体、心身に内在すると考えられるのである。
 では、天=大宇宙が+1に存するなら、小宇宙はどこに存するのだろうか。
 ここでシュタイナーの独特な植物とは逆なポジションにある人体を参考にすると、人体における天は肚であり、応用陰陽ガウス平面図では、−1となり、人体における地は頭で+1となる。だから、人体における天=小宇宙は−1に存することになる。
 言い換えると、地球、大地の中心に天があるようなものである。
 つまり、人体において、−1から+1へと「光」が向うことになろう。この「光」は、内的光だろう。だから、氣の光である。
 そうすると、これは、虚軸から原点MPにおいて、形成されるものである。
 とまれ、人体において、MP⇒−1の「光」が形成され、それが、⇒+1の天と呼応すると考えられる。
 問題は、MP⇒−1の「光」とは何かである。
 それは、通常の日光、陽光でいいのだろうか。
 思うに、これは、内的太陽、内的日光、内的陽光である。
 そして、氣の光と上記したのである。
 ⇒−1の「光」を氣の光としたがそれいいのだろうか。
 とまれ、この「光」は、普通の日光、あるいは、氣の光の二通りの可能性があるのである。
 理論的に整合化するなら、普通の日光であるべきである。氣の光ではないのである。
 だから、今の時点では、⇒−1の「光」を内的日光としておく。(もっとも、正確に云うと、⇒−1ではなく、⇒+1である。つまり、人体において、虚軸の陽凸i下部に、陰凹iを上部にする必要があると考えられる。)
 とまれ、人体において、肚(−1)と天(+1)が呼応すると見るのである。これが、ミクロコスモスとマクロコスモスの呼応・照応と見ることができよう。
 しかしである。この場合、マクロコスモスは外的宇宙、物質的宇宙であり、内秘的宇宙ではないのである。
 少なくとも、氣的宇宙(氣的コスモス)ではないのである。
 直観では、ミクロコスモスとは、氣的コスモスである。
 この齟齬、自己撞着をどう見るか。
 そう、天の問題がある。天とは、外的宇宙でもあるし、同時に、内的宇宙である。つまり、内秘的宇宙、氣的宇宙、霊的宇宙である。
 直観で言えば、外的天は+1であり、内的天は原点MPである。そして、後者が前者に投影されるのである。
 とすると、肚−1の宇宙とは、やはり、内的天になるはずである。
 つまり、ミクロコスモス・小宇宙⇔マクロコスモス・大宇宙の照応とは、内的天に関することと言えよう。
 また、当然、外的天に投影されるのであるが。
 つまり、肚と外的天とは、本来、内的天の投影であるということになろう。
 元は同じ、原点MPということになる。
 つまり、原点MP=内的天が、例えば、植物の場合は⇒+1の外的天へ向かい、人体の場合は、上下逆転して、⇒+1の大地的肚へと向うのであるが、それは、内的には、内的天の投影なのである。
 つまり、確かに、外的天と大地的肚は物質的に存するのであるが、原点MP=内的天が両者に投影されるということと考えられるのである。
 そして、この原点MP=内的天であるが、これは、太極・太一、即ち、根源的一(いつ)に通じるのであるから、それは、超越的天と一致すると言えよう。即ち、

原点MP=内的天=太極・太一・元(根)一=超越的天

ということになる。(これを天の公式と呼ぼう。)
 宗教的にはこれらは神、神仏である。
 思うに、この天の公式は実は、マニ教の公式と呼べるのではないだろうか。
 仮説として、天の公式=マニ教公式としておく。

追記:占星術とは、内的天の外的天への投影に起因していよう。そして、内的天と外的天を混同しているのである。
 占星術を哲理学(フィロソフィエンス)にするためには、内的天の力学を考察しないといけないのであるが、内的天と外的天の混同によって、もっぱら、外的天の動きに、内的力学を見ようとしているのである。いわば、本末転倒であり、迷信である。
 しかし、内的天のもつ作用のなんらかの結果は見ていると言えよう。


http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12002847789.html
こころ・精神・氣*知性の均衡としての理性:知性があっても、自我主導ならば、知性は捩じ曲げられる

テーマ:生命力/氣自衛医智学:唯物機械論医学批判

知性(悟性)は、自我に結びついていると考えている。
 だから、自我主導だと、利己主義が知性を歪曲するようになる。
 日本の「科学者」はそのようなものだろう。
 既述済みであるが、知性を知性として、純粋知性として、活かすには、理性が必要なのである。
 それは、こころ、精神の意識、あえて言えば、氣の意識が必要である。
 こころ、精神、氣は他者と自我との共生を目指すから、自我の知性を利己主義的ではなく、利他的に使用するのである。しかし、無私の愛ということではない。自我と他者との均衡を目指するのである。
 また、知性の進展について考えると、実は、自我中心では、それは無理なように思えるのである。
 知性とは事物や事象等の認識である。だから、自我に執着していては、その認識は不可能である。脱自我主義が必要である。
 そのためにも、こころ、精神、氣が必要と考えられる。
 こころ、精神、氣には、思うに、直観、イメージ力、ヴィジョン力があるのである。だから、それを生き生きとさせることで、創造・独創的な知性が生まれると考えられるのである。
 私自身の創意、発見はそのようなものである。
 ということで、ざっとであるが、知性を知性として、純粋知性と活かすには、また、知性を進展させるには、こころ、精神、氣が必要であるということになる。
 そして、理性というものは、このこころ・精神・氣⇔知性のバランスの取れた認識力のことではないだろうか。
 今はここで留める。

図は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12002835893.html

作業仮説:キリストの愛とは生命、氣、陰陽調和のこと?:聖霊は氣ないし氣的霊?:水瓶座の啓示?

テーマ:こころ教共同網:「まことの教え」共同体

私は以前、キリストの愛とは生命のことではないかと示唆した。生命は氣であるから、愛=氣という図式が成り立つことになる。
 また、一般に人間より動物の方が「愛」があるのである。これは、やはり、動物に作用している氣の作用ではないだろうか。個体と他者の共存愛である。
 ただし、猿山のようなボス支配は、父権自我の先駆体ではないだろうか。
 人間の場合、愛が貧乏なのは、当然、自我、とりわけ、父権自我が支配的であるからだと思われる。
 また、父権集団的自我の場合は尚更である。
 そう、父権自我は一種、愛盲であろう。あるいは、理性盲である。(そう、後で、知性と理性の相違を再度確認したい。)
 簡単に図示した方がわかりやすいだろう。
 以下の応用ガウス陰陽平面図を見ていただこう。


            凸i陽
             |
             |
             自
             我
             |
             |
−1地_____MP・霊______+1天
(重力)         |          (光)
             |
             感
             性
             体
             |
             |
            凹i陰


      応用陰陽ガウス平面

(尚、MPはMedia Pointであり、原点・交点・次元転換点等であり、太極・太一、そして、霊である。)

氣とは、陰陽調和によって存すると考えられる。とまれ、虚軸に存し、原点を中心に振動していると考えられる。
 自我は上図から、虚軸のプラス軸に存すると見るのである。
 そして、父権自我の場合は、感性体を(連続的)同一性化するのである。言い換えると、自我と感性体(他者)が癒着するのである。そして、自我の陽と感性体の陰が共振しなくなるのである。
 そう、陰陽共振によって、調和が生まれ、本来の氣が形成されると考えるのである。
 しかし、陽の自我と陰の感性体が(連続的)同一性化によって癒着した場合、もはや、陰陽共振、陰陽調和、氣は形成されないのである。
 しかしながら、その癒着は意識においてである。癒着下の無意識においては、なんらかの陰陽共振はあると思われる。
 さて、意識において、氣がなくなるということは、生命がなくなるということである。愛がなくなるということである。
 だから、自我、とりわけ、父権自我は氣盲、生命盲、愛盲と考えられるのである。
 故に、自我の利益のために、平気で人を騙し、殺戮したりするだろう。ペテン師、詐欺師、殺戮狂、殺人狂、虐殺屋である。
 專争邪や某国の奸凌や葬理や背慈禍は、この典型と考えられるのである。
 では、彼らに覚醒するときが来るのだろうか。
 こころが発芽するときがあるのだろうか。
 そう、無意識においては、生命、氣、愛、こころはあるのであるが、まったく埋没しているのである。
 一般的には不可能に思える。
 しかし、現代は、新古代は、水瓶座エポックである。これは、陰陽調和宇宙を意味する。つまり、陽極まりて陰に転ずの転換が起っていると考えられる。
 すると、陽ではなく、陰が主導化すると、陰陽調和が啓けてくるのである。
 そうすると、父権自我の悪人も覚醒する可能性が出てくると言えよう。マニ教的転換と言おうか。
 今はざっと述べるに留める。


2015年03月09日(Mon)▲ページの先頭へ
ストレスと応用陰陽ガウス平面図:自我*感性体のストレスが氣を介して、身体を阻害し、支障をもたらす
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11998875048.html

ストレスと応用陰陽ガウス平面図:自我*感性体のストレスが氣を介して、身体を阻害し、支障をもたらす

テーマ:氣神論:氣は万物に通ずる:氣的身体理性

以下の記事は、いわばストレスが身体に支障をもたらすことを、わかりやすく解説していると思うが、応用陰陽ガウス平面図(下図:尚、身体は実軸と見るのである。物理的に、+1が上半身で、−1が下半身だろう。しかし、質的には、真逆になるようだ。)を見れば、より霊・氣・身体的に納得できるのではないだろうか。

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−1地_____MP・霊______+1天
(重力)         |          (光)
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             感
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    応用陰陽ガウス平面図

(尚、MPはMedia Pointであり、原点・交点・次元転換点等であり、太極・太一、そして、霊である。)


 即ち、虚軸の感性体を見られたい。ここは、感情・情感・気持ち・欲望・衝動の領域であり、ここに苦痛があると、当然、その基礎には、氣、陰の氣があるので、それに伝導し、ネガティブな氣は物質身体へと作用するので、そこで、身体が阻害されると考えられる。
 思うに、より正確に言えば、虚軸の陽に自我があるが、この陽の自我と陰の感性体が連結しているのであり、その連結による知覚からストレスが生じると見た方が的確だろう。
 とまれ、

自我*感性体のストレス⇒氣のネガティブ化⇒身体の故障

という連鎖力学があると考えられる。
 ストレスに対処する精神方法は、自我と感性体を、氣の陰陽調・均衡作用によって、落ち着かせ、また、それにより、原点MP=霊=太極からの霊的治癒力をもたらすことではないだろうか。
 霊的治癒力はとまれ、氣の陰陽調和・均衡をもたらすはたらきかけが必要である。例えば、森の木々に接して、森の氣に触れて、それと共振・共鳴することである。
 思うに、氣的調和は、原点MPに高次元界から下降する霊的初期力・元力をもたらすのではないだろうか。
 とは言え、まだ、そのいわば、霊的調和の力の力学システムが不明であるが。

その痛みどんな感情からきてる?負の感情が及ぼす体の痛みを部位別で表した「ペインチャート図」
no title

 「身体は魂を入れる器である」と言ったのはファイナルファンタジー・タクティクスに登場するキャラ「アラズラム・J・デュライ」である。少し中2じみた表現ではあるが、物事の本質を射ていると言えよう。私たちの身体は心の動きによって痛みを負うのだ。

 「ネガティブな感情が健康に及ぼす影響」という記事によると、” 感情と経験は私たちのエネルギーであり、それは個々の細胞に記録され続けている。" と表現されている。

 体の痛みを感じた時、病院にいっても原因が不明なことも多い。その原因は心の変化や負の感情、いわゆるストレスから来ている場合がある。海外サイトで、どんな感情の変化によって、体のどの部分に痛みを感じるのかがわかるチャート図が紹介されていた。
カラパイア


http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11998454858.html
何故、原子力科学、唯物自然科学は危険なのか:生命自然現象の根源の氣を否定している

テーマ:生命力/氣自衛医智学:唯物機械論医学批判

既述のことであるが、簡単に再論する。
 近代科学、自然科学は物質主義・唯物科学であり、自然生命現象の根源に氣を見ていない。
 物質が根源なのである。
 しかし、物質、あるいは、原子を基本としたため、天然自然には本来、存在しない、核物質、原子力というものを生んでしまったのである。
 以下の陰陽ガウス平面でいうと、虚軸が欠落して、実軸だけの科学が近代科学、自然科学、即ち、唯物科学なのである。
 物質を悪、闇とすれば、近代科学、自然科学は悪魔科学である。そう、技術を入れれば、悪魔技術である。


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      応用陰陽ガウス平面

(尚、MPはMedia Pointであり、原点・交点・次元転換点等であり、太極・太一、そして、霊である。)
 また、GP陰陽方程式がある。即ち、

凹i*凸i⇒±1

である。
 凹iは陰を、凸iは陽を表わし、両者、虚軸にあり、±1は実軸にある。
 *は陰陽極性力学を意味する。実際は乗法である。陰凹iが主導のときは+1,陽凸iが主導のときは、−1となる。
  ⇒は次元転換を意味する。氣エネルギーが現象エネルギーへと転換する事象を意味している。
 ハイデッガー哲学の存在は、この⇒と見るのが適切かもしれない。おそらく、時間が⇒である。

 追記:虚軸の凸i陽に自我が、凹i陰に感性体(アストラル体)、そして、虚軸は氣軸であり、実軸は物質・生命現象である。


http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11998422361.html
シュタイナー霊学とGP陰陽哲理学の比較:霊と氣

テーマ:シュタイナー高次元・霊的哲理学(霊学)

GP陰陽哲理学は、基本は氣の哲理学であるが、精神・霊・スピリットも対象としている。
 ルドルフ・シュタイナーの霊学・霊的哲理学は、簡単に言えば、人体に関しては、四元論で、自我ーアストラル体ーエーテル体(氣)ー物質体(単に、体。又は鉱物体)から構成されている。
 氣はエーテル体とほぼ一致する。だから、GP陰陽哲理学(簡単にGP陰陽論)とシュタイナー霊学はとても相違する。
 問題は、自我とアストラル体(感情・欲望・衝動)をどう捉えるのかである。


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       陰陽ガウス平面

上図の陰陽ガウス平面において、氣の領域である虚軸に、自我とアストラル体を重ねれば、いちおう、シュタイナー霊学に対応できると思う。
 思うに、アストラル体(簡単に言えば、感性であるから、感性体と言おう)は、原点MP(Media Point)から発して、凹i陰の虚軸に存しよう。
 そして、自我であるが、それは、同様に、原点MPから発して、凸i陽の虚軸に存しよう。
 シュタイナーが精神・霊・スピリットというものは、原点MPに存すると見ればいいだろう。つまり、太極・太一の根源界である。
 ということで、現段階では、氣の領域である虚軸に、シュタイナー霊学で説く自我とアストラル体(感性体)は重なっている、二重・重層化されていると見ることとする。
 これで一応、シュタイナー霊学をGP陰陽論に組み込んだことにはなる。
 以下、組み込んだ陰陽ガウス平面を図示する。


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      応用陰陽ガウス平面



http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11998294346.html
不連続的差異論からGP陰陽哲理学へ:心身構造図による推移

テーマ:不連続的差異論とGP陰陽哲理学

先に以下のように書いたが、実は、実際とは少し違うのである。
だから、より正確に図示する。
 以下の2が不連続的差異論の段階の図示である。
3がGP陰陽哲理学の段階である。
 つまり、不連続的差異論の場合、頭脳自我から不連続化したものが、「こころ」なのか肚なのか未分化であったのである。当時は訳が分からないものだったのである。神秘的ではあった。
 でも、その後、時熟し、こころと肚は分化した。頭脳自我が陽であり、肚が陰であり、こころは、陰陽調和と考えられる。

1)

   頭脳・自我
     ↓
「こころ」と肚の未分化


2)

    頭脳・自我

・・・・・不連続的切断・・・・・

  「こころ」と肚の未分化


3)

   陽凸i: 頭脳・自我

・・・・・不連続的切断・・・・・

 「こころ」=陰陽調和=太極・太一=根源的一(いつ)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    陰凹i:肚

追記:不連続的差異論について補足すると、何故、それが、精神革命になるかと言うと、通常、頭脳自我がこころや肚を支配しているのである。抑圧していると言ってもいい。頭脳自我とは同一性の力学をもち、こころや肚は同一性に支配される。
 しかし、頭脳自我とこころ・肚を不連続化(より理論的に言うと、不連続的差異化)すると、こころと肚は頭脳自我の同一性支配から解放されて、それ自体の生命・力をもって活動するのである。
 こころ・肚の解放は、生命の解放であり、新たな氣が流入して、心身は若返ると考えられるのである。

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不連続的差異論の図式:頭脳・自我とこころ・肚の切断認識

テーマ:不連続的差異論とPS哲科学

今は簡単に図示する。
通常、以下の1のように頭脳とこころと肚が連続しているように知覚するだろう。
 しかし、不連続的差異論は、連続性を否定したのである。
頭脳・自我とこころ・肚は不連続であると認識したのである。
これで、精神革命が起きるのである。
 2004年、海舌氏と共作で不連続的差異論が誕生した。そのときは、歓喜で有頂天であった。2のこころ・肚はコスモスへ通じていると感じたものである。この頭脳・自我とこころ・肚の切断によって、こころ・肚は頭脳・自我から解放されて、生命が蘇るのである。そう、若返るのである。お試しあれ。


1)

   頭脳・自我
     ↓
    こころ
     ↑
     肚



2)

    頭脳・自我

・・・・・不連続的切断・・・・・

     こころ

      肚


http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11998288000.html
オイラーの公式の実部が物質的要素で、虚部が氣的要素ではないのか

テーマ:GP陰陽哲理学(ガウス平面陰陽哲理学)

以前、以下のように記したが、

P : e^i θ=cosθ+i sinθ

Q : e^i (θ+π)=cos(θ+π)+i sin(θ+π)

とすれば、PとQの対、ペア、両極で、陰陽が考えられる。
 陰陽をP*Qとする。

P*Q=e^i θ*e^i (θ+π)

=〔cosθ+i sinθ〕*〔cos(θ+π)+i sin(θ+π)〕

となる。
 とまれ、今言いたい事は、複素数の実部は物質で、虚部が氣であり、また、複素数自体(追記:正確に言えば、陰陽複素数ないし陰陽対極複素数)は、氣による物質現象を記述しているのではないのかという問題提起である。
 多忙なので、今はここで留める。

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陰陽ガウス平面は、虚軸が氣の軸で、実軸が物質の軸で、原点MPは氣⇒物質次元転換点:四象限構成

ところで、PS理論の段階では、これにオイラーの公式

e^{i\theta} =\cos\theta +i\sin\theta.

(数学の至宝 分かりやすいオイラーの公式 - NAVER まとめ )
を持ち込んだのである。今のGP陰陽哲理学においても、オイラーの公式を適用することもできようが、今は課題にしておく。

追記:簡単にオイラーの公式の適用についてのポイントを言うと、陰陽極性があるのだから、π回転(180度回転)の位置も含めて、対にする必要がある。
 だから、

e^i (θ+π)=cos(θ+π)+i sin(θ+π)

を加える必要がある。
 故に、陰陽モード(陰陽極性モード)とは、

e^iθ*e^i (θ+π)

となろう。〔θがπ/2(90度)のとき、凸i*凹i、純粋陰陽極性となる。〕ただし、*は交点MPにおける対となる陰陽モードの力学・ダイナミクスである。
 これについては、検討する必要がある。(追記:陰陽振動と回転への展開を結びつければいいだろう。)



  四つの象限




オイラーの公式の空間図


2015年03月05日(Thu)▲ページの先頭へ
日本の精神・霊的伝統(霊統・法統)には、秘儀・秘智・ソフィアの本格正統的な伝統が喪失している?
日本の精神・霊的伝統(霊統・法統)には、秘儀・秘智・ソフィアの本格正統的な伝統が喪失している?

テーマ:シュタイナー高次元・霊的哲理学(霊学)

直近に以下(参照)のように述べた。
 日本母権文化の衰退の原因を単に、こころ・精神の衰退だけでなく、哲学の欠乏症候群に見たのである。
 しかし、もっと的確に言えば、西洋、その他の文化の底流にあるような秘儀文化、秘智・隠秘文化(「オカルト」文化)、ソフィア(叡知)の文化の衰退・衰弱・頽落・堕落にあるのではないだろうか。あるいは、それらが明確に伝播(でんぱ)伝承されなかったということかもしれない。
 西洋には、多様な秘智文化の伝統が底流にあり、それが、危機的な時代において、大地肚綿奥底から噴出し、形象と結合し、芸術創造が為されるのである。。
 その点でわかりやすい文学芸術は、シェイクスピアの演劇であり、ゲーテの『ファウスト』であり、フランスならボードレールの『悪の華』だろう。
 秘智文化が主要な芸術(この場合は文学)と結合するのである。
 しかし、日本において、先に述べたように、父権精神と母権精神との乖離があったと考えられる。
 日本における秘智文化は、芸術とは結びつかなく、宗教や神秘学に結びついただろう。例えば、大本教や日月神示のようなものである。(そう、シャーマニズムの復興である。しかし、シャーマニズムはあまりにも非合理な面が強いので、シュタイナー霊学のような理智学化、理智的瞑想主義への転換が必要と考えられる。)
 空海密教も秘智学であるが、それの創造的後継者はいないのではないか。ただ反動的な仏教界があるだけではないか。
 そう、今想起したが、折口信夫の『死者の書』(『死者の書』 あらすじ・登場人物・章別あらすじ・系図 )、これは、日本文化における最高度に稀有な秘智の文学である。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
折口信夫 死者の書 - 青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/4398_14220.html

彼 ( か ) の人の眠りは、 徐 ( しず ) かに覚めて行った。まっ黒い夜の中に、更に冷え圧するものの 澱 ( よど ) んでいるなかに、目のあいて来るのを、覚えたのである。 した した した。耳に伝うように来るのは、水の垂れる音か。ただ凍りつくような暗闇の中で、 ...

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 しかし、この秘智小説の、後継者はいるのか。
 思うに、三島由紀夫が暴発しなければ、このような後継者にはなれた資質はもっていたと思う。(追記:うっかり失念していたが、『豊饒の海』は、近現代日本における秘智小説の一つである。しかし、ニヒリズムに浸透されている。三島の闇である。三島には、光が失われていた。霊の光である。)
 澁澤龍彦のエッセイは、啓蒙的ではあったが、流行に終わってしまったと思う。
 結局、日本において、秘智学の発展は、ルドルフ・シュタイナーの霊学・霊的哲理学の本格的紹介(高橋巌、西川隆範、他に拠る)を俟つことになったと言えよう。

神智学 (ちくま学芸文庫)/筑摩書房
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追記:大皇室は、百済大女神文化(太陽大女神王制:「天皇制」)を今でも引き継いでいると考えられる。大母権文化なのである。

追記2:ふと思ったが、沖縄・琉球文化とは土着的な縄文文化に、百済太陽大女神王制文化(渡来人も含めて)が伝播して、誕生したものではないだろうか。(追記:海洋民族文化もあるだろう。)

追記3:百済大女神文化=太陽大女神天皇王制母権文化とは、父権文明以前の、秘儀文化以前の世界史的稀有な国政文化ではないだろうか。

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参照:
近代日本における高次元・超越性・精神-霊-スピリット性の欠落は国学イデオロギーに起因する?
テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史
先に以下のことを述べたが、背景には、なぜ、超越性が、メジャーな近代日本文化からほぼ消えているのかという疑問がある。
 私が若い頃悩んだ理論的問題は、唯物論と内在的心情論の分離と結合の問題であった。
 この解決は、氣の存在の認識に因るのが大きい。身体を超えて存在する氣の認識である。
 しかし、事は簡単には済まなかった。
 結局、時間、時熟が解決したようなものである。
 さて、超越性の喪失の原因であるが、これは、本居宣長の「もののあはれを知る」に存するのではないかと思えるのである。
「もののあはれ」はいわば、心情、情感、リリシズムである。
 これは、内在的個体に留まり、超越性が欠落すると思われるのである。
 そう、有名な
「敷島の大和心を人問わば、朝日に匂う山桜花」という宣長の和歌があるが、この場合、「もののあはれ」を「山桜花」という現象に同一化しているのである。つまり、内在と現象を結合しているのである。
 ここには、超越性はない。きわめて、感覚的である。あえて言えば、即物的である。
 西洋ロマン主義の場合は、たとえば、山桜花の背景に超越界ないし精神界のようなものが現われるのである。
 どうして、宣長の場合、超越性が欠落するのかと言えば、それは、父権的自我の発現があるからだと考えるのである。
 父権的自我は、物質的傾向が強いのである。
 これが、「もののあはれ」から超越性を抑圧しているもののように思えるのである。
 そして、敗戦後は、この父権的自我に唯物科学が結びつくことになったと言えよう。
 今はここで留める。

追記:勿論、近代日本において、超越性を説いたものは多くいるが、それは、神秘学・霊学者、宗教家、民俗学者である。
 芸術においては、稀少であったと思う。勿論、宮沢賢治等には、あるが、明確ではない。
 つまり、近代日本文化において、感覚知覚認識とこころ・精神の乖離があったということになる。
 これは、端的に、父権文化と母権文化の乖離と言えるのではないだろうか。そして、主流は前者であり、後者はマイナーである。
 近代日本人は父権文化に染まり、本来基盤の文化である母権文化を喪失してしまったということのように思えるのである。

追記2:母権文化の喪失であるが、それは、母権文化の基層が衰退したということではないだろうか。
 制度的には、神仏分離令・排仏毀釈で日本伝統精神文化が破壊されたという側面があるが、それとは別に、母権文化の衰退という事態があったのではないだろうか。
 意外に思われるかもしれないが、西洋には、母権文化が残っているのである。イタリアには強く感じるし、英国のケルト文化圏もそうである。
 日本では、沖縄・琉球文化がそうであろう。
 でも、日本では、母権文化は衰弱していると思う。何が原因なのか。
 一つは父権的自我と唯物性が強いことであるが、何か本質的な問題がありはしないだろうか。
 今は一つの可能性を提起するが、それは、肚の文化の衰退が原因である。

追記3:より明快に言えば、こころの文化の衰退があるということである。純心の喪失である。
 そう、こころ、純心を維持するには、集団的ではなく、個的であることが必要である。個的自己を保持する強い姿勢が必要である。
 父権的集団主義が優勢であり、それに、個的自己保持力がないと、こころ・純心が屈しやすいということが考えられる。
 こころ、純心をもって、個的自己を保持すること、これが新母権文化である。

追記4:「こころ、純心をもって、個的自己を保持する」には、思うに、哲学が必要である。
 一般に哲学は難解な抽象的な論理のように思われているが、それは完全な間違いである。
 哲学とは、精神的思考である。だから、誰でもできることなのである。
 自分のこころと知性をもって思考すれば、哲学になるのである。
 そう、自然科学と違う点は、知性だけでなく、こころをもって思考する点であろう。もっとも正しい科学には、こころ・精神、つまり、哲学が必要であるが。
 デカルトの「我思う(コギト)」の自己・主体思考も、単に知性だけでなく、こころ・精神を含めれば、正解である。ただ、デカルトは主知主義である。
 以上から、近代日本において、母権文化が衰弱したのは、単に、こころ・精神が衰退しただけでなく、哲学の欠乏に因ると考えられる。
 そうすると、教育の貧困・貧弱・貧乏に突き当たる。
 思うに、どうして、哲学の授業が義務教育にはないのか。支配者は、自主・独創的思考を恐れるのである。
 思考するには、哲学するには、個的になる必要があるのである。集団では、思考・哲学はできないのである。
 ということで、日本母権文化の衰退は、哲学の欠乏にあるということになった。哲学は、精神・知性・感性の栄養・滋養・養分である。

追記5:単に知性だけでなく、こころ・精神でも思考するということは、ヴィジョン的に思考するということでもある。イメージ的思考である。直観的思考である。ここで、哲学は芸術と結びつくのである。
 また、こころ・精神は超越性をもつので、宗教・霊学に結びつくである。
 また、知性を特化すれば、科学と結びつくのである。
 そして、実践的になれば、技術と結びつくのである。
今でも、哲学は学問の王者である。

 
検討課題:本居宣長の国学イデオロギー力学問題

テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史

今日は疲れて、眠いので十分検討できないが、一言問題点を述べておく。
 本居宣長の「もののあはれを知る」であるが、これは、先に述べたように父権主義的枠内に収められた母権主義ではないか。
 つまり、国学はこれまで批判してきたような父権イデオロギーだけではないということになる。
 母権主義を取り込んだ新父権主義ということになる。
 そして、この思考パターンが近代日本人の思考パターンを形成したのではないか。
 つまり、母権主義は利用されているのである。情感が父権主義に利用されて、情感本来の超越性が抑圧されているのではないだろうか。
 西洋において、ロマン主義は、超越性を包摂していたのである。
 つまり、日本ロマン主義になるべき母権的情感が、父権的枠組みに閉塞されたのではないだろうか。つまり、超越性の否定である。単なる情感に閉じて、超越的感性を否定したのではないだろうか。
 しかし、平田篤胤になると、神道がキリスト教的に一神教化されるのである。
 父権的超越性である。これが、尊王攘夷イデオロギーになったのではないだろうか。
 某国ナニガシ首相の好戦的イデオロギーはここに由来するのではないだろうか。
 とまれ、江戸時代後期に発動したと今の段階で作業仮説する新母権主義が、宣長によって、父権的ナショナリズムに枠に嵌められたのではないだろうか。
 つまり、母権的精神・霊・スピリットを奪われたのではないのか。
 今は問題提起に留める。

追記:宣長ー篤胤ラインによって、尊王攘夷イデオロギー=明治維新イデオロギーが形成されたのではないか。
 つまり、情感を父権的一神教=明治天皇制へと展開させたのではないだろうか。
 宣長では、情感は内在的に留まるが、篤胤によって、一神教化されたのではないだろうか。
 シュタイナー霊学から言えば、情感(アストラル体)は、霊・精神へと繋がるものである。それが、篤胤イデオロギーによって、天皇制へと導かれたのではないか。
 そう、江戸時代後期、新父権主義はあったが、同時に、新母権主義もあったが、それが、前者に抑圧されたということではないだろうか。
 本来、新母権主義は、霊・精神へと発展すべきであったのが、明治天皇制へと展開したのではなかったか。
 つまり、父権的集団主義へと取り込まれたということである。


2015年02月25日(Wed)▲ページの先頭へ
陰陽ガウス平面は、虚軸が氣の軸で、実軸が物質の軸で、原点MPは氣⇒物質次元転換点:四象限構成
画像等は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11993969508.html

陰陽ガウス平面は、虚軸が氣の軸で、実軸が物質の軸で、原点MPは氣⇒物質次元転換点:四象限構成

テーマ:GP陰陽哲理学(ガウス平面陰陽哲理学)

陰陽ガウス平面は実に簡潔明快で、現象存在の本質を捉えていると考えている。(追記:この統合・結合・融合はいったい何を意味しているのだろうか。陰陽力学、氣の力学は、複素数とガウス平面によって、数理化できるということである。つまり、陰陽力学、氣の力学は、複素数とガウス平面という数理的システムを内在させているということである。
 また、ついでながら、映画『スライヴ』のアップル像、つまり、トーラス像へ展開できると考える。)
 近代合理主義とは、虚軸を否定して、実軸だけの世界、つまり、唯物論世界を認証したと言えよう。
 それは、象限で言えば、第二象限と第三象限の世界で、第一象限と第四象限がないと言えよう。(追記:マニ教的に言えば、第二と第三象限が闇の世界であり、第一と第四象限が光の世界である。)
 第二象限は唯物科学、資本主義の世界であり、第三象限は、感覚・感情・欲望・肉体中心主義の世界であろう。
 悪魔アーリマンは主に第二象限、悪魔ルシファーは主に第三象限に存するのではないだろうか。
 第一象限と第四象限であるが、今は簡単に述べるに留めるが、第一象限とは、哲学、数学の理智の世界であり、第四象限は、芸術、宗教、直観・直感の霊的感性(神秘・霊感・不思議)の世界ではないだろうか。(追記:PS理論において、kaisetsu(海舌)氏の作成した人間認識図が便利であるが、左右を逆転し、また、以下の第二象限と第三象限を上下逆転する必要がある。)


      《海舌氏に由る人間認識図》


 ところで、PS理論の段階では、これにオイラーの公式

e^{i\theta} =\cos\theta +i\sin\theta.

(数学の至宝 分かりやすいオイラーの公式 - NAVER まとめ )
を持ち込んだのである。今のGP陰陽哲理学においても、オイラーの公式を適用することもできようが、今は課題にしておく。

追記:簡単にオイラーの公式の適用についてのポイントを言うと、陰陽極性があるのだから、π回転(180度回転)の位置も含めて、対にする必要がある。
 だから、

e^i (θ+π)=cos(θ+π)+i sin(θ+π)

を加える必要がある。
 故に、陰陽モード(陰陽極性モード)とは、

e^iθ*e^i (θ+π)

となろう。〔θがπ/2(90度)のとき、凸i*凹i、純粋陰陽極性となる。〕ただし、*は交点MPにおける対となる陰陽モードの力学・ダイナミクスである。
 これについては、検討する必要がある。(追記:陰陽振動と回転への展開を結びつければいいだろう。)



  四つの象限




オイラーの公式の空間図


resurrectionのブログ
      映画『スライヴ』のトーラス像
(THRIVE Japanese) スライブ―いったい何が必要になるのか - YouTube
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GP陰陽哲理学
(ガウス平面陰陽哲理学)
Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience


            凸i陽
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             |
             |
             |
−1地______MP______+1天
(重力)         |          (光)
             |
             |
             |
             |
            凹i陰


       陰陽ガウス平面

(尚、MPはMedia Pointであり、原点・交点・次元転換点等である。)
 また、GP陰陽方程式がある。即ち、

凹i*凸i⇒±1

である。
 凹iは陰を、凸iは陽を表わし、両者、虚軸にあり、±1は実軸にある。
 *は陰陽極性力学を意味する。実際は乗法である。陰凹iが主導のときは+1,陽凸iが主導のときは、−1となる。
  ⇒は次元転換を意味する。氣エネルギーが現象エネルギーへと転換する事象を意味している。
 ハイデッガー哲学の存在は、この⇒と見るのが適切かもしれない。おそらく、時間が⇒である


参照:
超越軸における回転による超越円の形成と超越円をマトリクスとする現象螺旋形成
テーマ:映画ThriveのトーラスとPS哲科学 先に、ガウス平面において、凸i(+i)と凹i(-i)との揺動によって、回転が生じることを述べた。
 問題は時間現象である。私は先に、凸iが空間形式で、凹iが時間形式ではないかと言った。カント哲学的には、前者は、外的感覚(外官)であり、後者は内的感覚(内官)である。
 差異共振現象という自然現象は、当然、時空間の発現を意味するから、凸i*凹i⇒凸(+1)の右辺の凸(+1)が時空間現象を意味するかもしれない。
 しかし、螺旋運動こそが、自然現象であるから、凸(+1)は自然現象自体ではない。
 それは、これまでの考えでは、超光エネルギーである。あるいは、超氣である。
 思うに、⇒凸(+1)の活動において、螺旋運動が形成されるのであるから、螺旋を空間とすれば、運動が時間と関係すると言えよう。ここで作業仮説であるが、⇒凸(+1)の超光のベクトルが時間ベクトルと一致するとしよう。つまり、凸(+1)は時間を意味することになる。
 そう、時間は内的なものであり、不可視であるから、それは、考えられることである。
 これで、現象螺旋運動の説明は済んだとしよう。
 次に、超越軸における回転・螺旋運動である。
 凸j*凹jも揺動しているとすると、超越円において、回転すると考えられる。(ここで説明しておかないといけないのは、凸i*凹iが形成する螺旋運動であるが、その三次元は現象空間三次元であり、超越軸をもつ三次元ではない。つまり、ここで、現象三次元空間と超越軸を区別する必要があることである。
 結局、ガウス平面に直交する二つの軸があることになる。一つは超越軸であり、一つは、現象空間の第三次元の軸である。)
 しかしながら、果たして、超越円の回転は、螺旋運動を形成するだろうか。
 運動となるには、時間が必要であるが、超越円は時間を形成するだろう。そう、凸j*凹j⇒凸(+1)と形式化したのであり、右辺は時間を意味するのであるから、超越円も螺旋運動を形成することになろう。
 ここで整理したい。
 順序から言うと、超越軸における凸jと凹jの共振的揺動があり、それが回転をもたらし、超越円を形成する。
 この超越円の意味するものは、虚軸y軸の形成ではないだろうか。
 つまり、超越軸z軸と直交する虚軸y軸の形成である。これで、超越界からの凸i(光)と凹i(闇)の形成が説明できると言えよう。
 そして、凸i(光)と凹i(闇)の共振からの現象創造の説明もできる。
 そうすると、上述した超越軸と現象空間第三軸は異なるということはどうなるだろうか。
 つまり、超越軸と虚軸における超越平面と超越円が現象螺旋運動(時空四次元)を形成する基盤、マトリクスであり、それは、現象時空間とは一致しないと考えられる。
 そう、超越円はイデア界と言ってもいいだろう。それは、現象界からは不可視の存在であるが、現象創造の超越的根源ということになる。
 超越円(言わば、イデア・サークル)から可視の螺旋的現象界が形成されるということになる。
 そう、一見、超越軸と現象第三軸は重なるように見えるが、やはり、根本的には別物である。
 つまり、こう言ってもいいだろう。超越軸z軸と現象第三軸は表面的には重なるが、それは、見掛け上のことに過ぎないのであり、両者はまったく別個のものとして存在するのである。(追記:そのように区別したものの、凸j*凹j⇒凸(+1)であるから、media pointにおいて、両者は重なることになるだろう。思うに、media pointは、この重なりにおいて、超越軸の情報を受け取り、それを物質化するのである。そう、いわば、超越情報[イデア情報]を受け取り、それを物質・現象的に具現化すると考えられる。)
 さて、そういうことで、超越円(イデア・サークル)から螺旋形状が形成されるが、それは、黄金比を基本的にもっていると言えよう。だから、五芒星形がなんらかの超越円において、形成された可能性が考えられる。(ピュタゴラス派)
 そうすると、超越軸には何らかの超越的意志が考えられないだろうか。超越的意志によって、現象形成が決められているのではないだろうか。
 しかし、そのように考えると、超越軸を超越した超-超越界を想定する必要があるのではないだろうか。
 この問題は難しいので保留しておき、一応、超越軸における超越円の創造に留めておきたい。
 最後に凸jと凹jについて簡単に考察してみたい。凸iが光、凹iが闇ならば、凸jは原光、凹jは原闇ということになるのではないだろうか。
 原闇と原光が共振して、闇と光の宇宙世界が生まれる。
 原闇が原母であり、原光が原父ということになろう。
 問題は、原父が主導的な場合である。最初期は、原母が主導性をもっていたと考えられるが、あるとき、原父が主導的になったと思われる。
 もし、原父が決定的に自身を原母に押し付けるならば、凸j*凹凹j⇒凹(−1)となり、それは、質料となるのではないだろうか。
 一神教がこのような性格をもっていると考えられる。そう、原母を質料化して、卑賎化するのである。「父」が上位であり、「母」が下位である。そして、それの極端化したものがユダヤ教、ないしは、旧約聖書であり、「母」はほぼ不在となっているのである。
 ここで簡単に日本神話について触れると、それは、原母による原父との共振による現象創造を語っていると思われる。
 天之御中主神とは、原母と原父との共振を意味するのではないだろうか。そう、超越的media pointである。
 そして、高産霊神と神産霊神は凸iと凹iを意味するのではないだろうか。
 では天照御大神とは何であろうか。それは、超光であろう。単に光ではなく、原母と原父との共振、光と闇との共振による超光を意味しよう。
 マニ教の光はそれであろうし、アフラ・マズダ、キリストもそれであろう。
 今はここで留める。後で、再考したい。


凸(+1)を転換点とする脱物質体化・差異共振純粋超光過程
テーマ:映画ThriveのトーラスとPS哲科学 映画THRIVEのトーラスとPS理論:その2:上部から下部への動き
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11242890795.html

以上において、次のように述べた。

「少なくとも、凸(+1)は転換点、折り返し点、回帰点と考えられる。
 超光エネルギーは宇宙を形成し、凸(+1)に到達するのであるが、その後の問題である。
 今、直観で言うと、凸(+1)までの動きは春から夏への成長の動きである、しかるに、凸(+1)から凹(−1)への外皮上の動きは秋から冬の動きである。言い換えると、生から死への動きである。つまり、成長から衰退への動きである。しかし、この衰退は内的成熟への動きである。そう、外的成長から内的成熟への動きである。
 思うに、簡単に言えば、超光エネルギーの衰退があり、それが、外皮的動きとなっているのではないだろうか。物質体の衰退であるが、内的「精神」の成長である。」

映画Thriveのトーラスにおける、上部極から下部極へ移動し、言わば、外殻、外皮、外面形成する力動について、それは、超光エネルギーの衰退を意味すると述べたが、それはある意味では正しく、ある意味では間違いである。
 というのは、螺旋的、乃至は、黄金比(白銀比もおそらく入れられよう)的物質体(身体)形成は確かに、そこ(凸[+1])からは衰退するから、それは、それまでの超光エネルギーから見ると、超光エネルギーの衰退を見ることは可能である。
 しかしながら、視点を変えてみると、凸(+1)に到達した、超光エネルギー、乃至は、差異共振エネルギーは実は、螺旋的物質体(身体)形成過程(Aプロセス)から脱螺旋的物質体(身体)過程(Bプロセス)へと転換するのではないだろうか。
 つまり、Aプロセスは同一性物質化を伴っていた、Bプロセスにおいては、同一性的物質化が消滅して、純粋な差異共振化、超光化が発生するのではないだろうか。これを聖霊プロセスと呼んでもいいだろう。
 つまり、超光エネルギーは衰退するのではなく、ただ、変態したと考えられるのである。喩えれば、蛹から蝶へと変態するようなものである。そう、それをヒントにして言えば、プシュケー・プロセスとも言えよう。
 思うに、それは、超越軸、超越界、神霊界、霊界における差異共振による超光形成と重なるように思えるのである。だから、聖霊プロセスなのでもあるが。
 結局、Bプロセスは物質体・身体形成としては衰退過程であるが、精神形成としては成熟過程である。
 さて、問題は、Bプロセスがどうして、凸(+1)からリンゴや梨のような外殻、外皮、外面である湾曲した球面を辿り、凹(−1)へと進行するのかである。その力学はどういうものか。
 これは単純に、磁界を考えればいいのではないだろうか。即ち、凸(+1)をN極とし、凹(−1)をS極とするのである。磁力がN極からS極へと作用するのであり、それとほぼ同様なことが、Bプロセスに起きている考えればいいのではないだろうか。
 つまり、下部極から上部極の螺旋的物質体化過程(Aプロセス)の方向、即ち、凹(−1)から凸(+1)への実軸x軸の左方から右方への方向を、純粋超光は取ることがもはやできないのであり、つまり、言わば、内的な方向を取ることはできないのであり、そのため、外的な方向を取ることになると考えられるのである。
 しかしながら、内的方向とは実は、外的物質体化の過程であり、外的方向とは内的精神化の過程であるというパラドクシカルな意味合いをもっているのである。
 しかし、外的方向=内的精神化の過程=Bプロセスは、凹(−1)という物質が終点であり、それは、死を意味すると言えよう。だから、その意味では、衰退消滅の過程なのである。純粋超光、純粋差異共振はそこで終了するのである。
 とは言え、それは、新生の過程に入ることである。新たな螺旋的物質体(身体)の過程に入ることになるからである。輪廻転生である。即ち、 凹(−1)の物質において、純粋超光、純粋差異共振、純粋精神を宿していた物質体・身体は消滅すると考えられるが、そのとき、純粋超光、純粋差異共振、純粋精神は完全に脱物質化するのであり、それは、超越軸=超越界=神霊界=霊界に帰還すると考えられるのである。
 そう、凸(+1)において、脱物質化すると言ったが、それは完全な脱物質化ではなく、脱物質化のプロセスの開始を意味するのであり、完全な脱物質化は、凹(−1)の物質において、為されると考えられるのである。説明すると、凹(−1)の物質とは無機的な物質、いわば、鉱物のようなものであり、生命的有機体はそこには存しないと考えられるのである。
 今はここで留める。



映画THRIVEのトーラスとPS理論:その2:上部から下部への動き
テーマ:映画ThriveのトーラスとPS哲科学

* Zero-point energy:ゼロ・ポイント・エネルギー(ゼロ点エネルギー)
* 現象三次元化の力学へ向けて:超光(霊光)による螺旋的現象生成の力学についての思考実験
* 映画THRIVEのトーラスとPS理論

映画ThriveのトーラスとPS理論の比較論は以上において考察したが、まだ、トーラスのいわば外皮における動きについては述べていなかった。今は余裕がないので、簡単に予見を言うだけだが、少なくとも、凸(+1)は転換点、折り返し点、回帰点と考えられる。
 超光エネルギーは宇宙を形成し、凸(+1)に到達するのであるが、その後の問題である。
 今、直観で言うと、凸(+1)までの動きは春から夏への成長の動きである、しかるに、凸(+1)から凹(−1)への外皮上の動きは秋から冬の動きである。言い換えると、生から死への動きである。つまり、成長から衰退への動きである。しかし、この衰退は内的成熟への動きである。そう、外的成長から内的成熟への動きである。
 思うに、簡単に言えば、超光エネルギーの衰退があり、それが、外皮的動きとなっているのではないだろうか。物質体の衰退であるが、内的「精神」の成長である。
 後で、精緻に検討したい。


2015年02月24日(Tue)▲ページの先頭へ
陰陽ガウス平面は、虚軸が氣の軸で、実軸が物質の軸である:4つの象限領域も意味がある
画像等は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11993969508.html

陰陽ガウス平面は、虚軸が氣の軸で、実軸が物質の軸である:4つの象限領域も意味がある

テーマ:GP陰陽哲理学(ガウス平面陰陽哲理学)

陰陽ガウス平面は実に簡潔明快で、現象存在の本質を捉えていると考えている。(追記:この統合・結合・融合はいったい何を意味しているのだろうか。陰陽力学、氣の力学は、複素数とガウス平面によって、数理化できるということである。つまり、陰陽力学、氣の力学は、複素数とガウス平面という数理的システムを内在させているということである。
 また、ついでながら、映画『スライヴ』のアップル像、つまり、トーラス像へ展開できると考える。)
 近代合理主義とは、虚軸を否定して、実軸だけの世界、つまり、唯物論世界を認証したと言えよう。
 それは、象限で言えば、第二象限と第三象限の世界で、第一象限と第四象限がないと言えよう。
 第二象限は唯物科学、資本主義の世界であり、第三象限は、感覚・感情・欲望・肉体中心主義の世界であろう。
 悪魔アーリマンは主に第二象限、悪魔ルシファーは主に第四象限に存するのではないだろうか。
 第一象限と第四象限であるが、今は簡単に述べるに留めるが、第一象限とは、哲学、数学の理智の世界であり、第四象限は、芸術、宗教、直観・直感の霊的感性の世界ではないだろうか。
 ところで、PS理論の段階では、これにオイラーの公式

e^{i\theta} =\cos\theta +i\sin\theta.

(数学の至宝 分かりやすいオイラーの公式 - NAVER まとめ )
を持ち込んだのである。今のGP陰陽哲理学においても、オイラーの公式を適用することもできようが、今は課題にしておく。



  四つの象限




オイラーの公式の空間図


resurrectionのブログ
      映画『スライヴ』のトーラス像
(THRIVE Japanese) スライブ―いったい何が必要になるのか - YouTube
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GP陰陽哲理学
(ガウス平面陰陽哲理学)
Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience


            凸i陽
             |
             |
             |
             |
             |
−1地______MP______+1天
(重力)         |          (光)
             |
             |
             |
             |
            凹i陰


       陰陽ガウス平面

(尚、MPはMedia Pointであり、原点・交点・次元転換点等である。)
 また、GP陰陽方程式がある。即ち、

凹i*凸i⇒±1

である。
 凹iは陰を、凸iは陽を表わし、両者、虚軸にあり、±1は実軸にある。
 *は陰陽極性力学を意味する。実際は乗法である。陰凹iが主導のときは+1,陽凸iが主導のときは、−1となる。
  ⇒は次元転換を意味する。氣エネルギーが現象エネルギーへと転換する事象を意味している。
 ハイデッガー哲学の存在は、この⇒と見るのが適切かもしれない。おそらく、時間が⇒である


参照:
超越軸における回転による超越円の形成と超越円をマトリクスとする現象螺旋形成
テーマ:映画ThriveのトーラスとPS哲科学 先に、ガウス平面において、凸i(+i)と凹i(-i)との揺動によって、回転が生じることを述べた。
 問題は時間現象である。私は先に、凸iが空間形式で、凹iが時間形式ではないかと言った。カント哲学的には、前者は、外的感覚(外官)であり、後者は内的感覚(内官)である。
 差異共振現象という自然現象は、当然、時空間の発現を意味するから、凸i*凹i⇒凸(+1)の右辺の凸(+1)が時空間現象を意味するかもしれない。
 しかし、螺旋運動こそが、自然現象であるから、凸(+1)は自然現象自体ではない。
 それは、これまでの考えでは、超光エネルギーである。あるいは、超氣である。
 思うに、⇒凸(+1)の活動において、螺旋運動が形成されるのであるから、螺旋を空間とすれば、運動が時間と関係すると言えよう。ここで作業仮説であるが、⇒凸(+1)の超光のベクトルが時間ベクトルと一致するとしよう。つまり、凸(+1)は時間を意味することになる。
 そう、時間は内的なものであり、不可視であるから、それは、考えられることである。
 これで、現象螺旋運動の説明は済んだとしよう。
 次に、超越軸における回転・螺旋運動である。
 凸j*凹jも揺動しているとすると、超越円において、回転すると考えられる。(ここで説明しておかないといけないのは、凸i*凹iが形成する螺旋運動であるが、その三次元は現象空間三次元であり、超越軸をもつ三次元ではない。つまり、ここで、現象三次元空間と超越軸を区別する必要があることである。
 結局、ガウス平面に直交する二つの軸があることになる。一つは超越軸であり、一つは、現象空間の第三次元の軸である。)
 しかしながら、果たして、超越円の回転は、螺旋運動を形成するだろうか。
 運動となるには、時間が必要であるが、超越円は時間を形成するだろう。そう、凸j*凹j⇒凸(+1)と形式化したのであり、右辺は時間を意味するのであるから、超越円も螺旋運動を形成することになろう。
 ここで整理したい。
 順序から言うと、超越軸における凸jと凹jの共振的揺動があり、それが回転をもたらし、超越円を形成する。
 この超越円の意味するものは、虚軸y軸の形成ではないだろうか。
 つまり、超越軸z軸と直交する虚軸y軸の形成である。これで、超越界からの凸i(光)と凹i(闇)の形成が説明できると言えよう。
 そして、凸i(光)と凹i(闇)の共振からの現象創造の説明もできる。
 そうすると、上述した超越軸と現象空間第三軸は異なるということはどうなるだろうか。
 つまり、超越軸と虚軸における超越平面と超越円が現象螺旋運動(時空四次元)を形成する基盤、マトリクスであり、それは、現象時空間とは一致しないと考えられる。
 そう、超越円はイデア界と言ってもいいだろう。それは、現象界からは不可視の存在であるが、現象創造の超越的根源ということになる。
 超越円(言わば、イデア・サークル)から可視の螺旋的現象界が形成されるということになる。
 そう、一見、超越軸と現象第三軸は重なるように見えるが、やはり、根本的には別物である。
 つまり、こう言ってもいいだろう。超越軸z軸と現象第三軸は表面的には重なるが、それは、見掛け上のことに過ぎないのであり、両者はまったく別個のものとして存在するのである。(追記:そのように区別したものの、凸j*凹j⇒凸(+1)であるから、media pointにおいて、両者は重なることになるだろう。思うに、media pointは、この重なりにおいて、超越軸の情報を受け取り、それを物質化するのである。そう、いわば、超越情報[イデア情報]を受け取り、それを物質・現象的に具現化すると考えられる。)
 さて、そういうことで、超越円(イデア・サークル)から螺旋形状が形成されるが、それは、黄金比を基本的にもっていると言えよう。だから、五芒星形がなんらかの超越円において、形成された可能性が考えられる。(ピュタゴラス派)
 そうすると、超越軸には何らかの超越的意志が考えられないだろうか。超越的意志によって、現象形成が決められているのではないだろうか。
 しかし、そのように考えると、超越軸を超越した超-超越界を想定する必要があるのではないだろうか。
 この問題は難しいので保留しておき、一応、超越軸における超越円の創造に留めておきたい。
 最後に凸jと凹jについて簡単に考察してみたい。凸iが光、凹iが闇ならば、凸jは原光、凹jは原闇ということになるのではないだろうか。
 原闇と原光が共振して、闇と光の宇宙世界が生まれる。
 原闇が原母であり、原光が原父ということになろう。
 問題は、原父が主導的な場合である。最初期は、原母が主導性をもっていたと考えられるが、あるとき、原父が主導的になったと思われる。
 もし、原父が決定的に自身を原母に押し付けるならば、凸j*凹凹j⇒凹(−1)となり、それは、質料となるのではないだろうか。
 一神教がこのような性格をもっていると考えられる。そう、原母を質料化して、卑賎化するのである。「父」が上位であり、「母」が下位である。そして、それの極端化したものがユダヤ教、ないしは、旧約聖書であり、「母」はほぼ不在となっているのである。
 ここで簡単に日本神話について触れると、それは、原母による原父との共振による現象創造を語っていると思われる。
 天之御中主神とは、原母と原父との共振を意味するのではないだろうか。そう、超越的media pointである。
 そして、高産霊神と神産霊神は凸iと凹iを意味するのではないだろうか。
 では天照御大神とは何であろうか。それは、超光であろう。単に光ではなく、原母と原父との共振、光と闇との共振による超光を意味しよう。
 マニ教の光はそれであろうし、アフラ・マズダ、キリストもそれであろう。
 今はここで留める。後で、再考したい。


凸(+1)を転換点とする脱物質体化・差異共振純粋超光過程
テーマ:映画ThriveのトーラスとPS哲科学 映画THRIVEのトーラスとPS理論:その2:上部から下部への動き
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11242890795.html

以上において、次のように述べた。

「少なくとも、凸(+1)は転換点、折り返し点、回帰点と考えられる。
 超光エネルギーは宇宙を形成し、凸(+1)に到達するのであるが、その後の問題である。
 今、直観で言うと、凸(+1)までの動きは春から夏への成長の動きである、しかるに、凸(+1)から凹(−1)への外皮上の動きは秋から冬の動きである。言い換えると、生から死への動きである。つまり、成長から衰退への動きである。しかし、この衰退は内的成熟への動きである。そう、外的成長から内的成熟への動きである。
 思うに、簡単に言えば、超光エネルギーの衰退があり、それが、外皮的動きとなっているのではないだろうか。物質体の衰退であるが、内的「精神」の成長である。」

映画Thriveのトーラスにおける、上部極から下部極へ移動し、言わば、外殻、外皮、外面形成する力動について、それは、超光エネルギーの衰退を意味すると述べたが、それはある意味では正しく、ある意味では間違いである。
 というのは、螺旋的、乃至は、黄金比(白銀比もおそらく入れられよう)的物質体(身体)形成は確かに、そこ(凸[+1])からは衰退するから、それは、それまでの超光エネルギーから見ると、超光エネルギーの衰退を見ることは可能である。
 しかしながら、視点を変えてみると、凸(+1)に到達した、超光エネルギー、乃至は、差異共振エネルギーは実は、螺旋的物質体(身体)形成過程(Aプロセス)から脱螺旋的物質体(身体)過程(Bプロセス)へと転換するのではないだろうか。
 つまり、Aプロセスは同一性物質化を伴っていた、Bプロセスにおいては、同一性的物質化が消滅して、純粋な差異共振化、超光化が発生するのではないだろうか。これを聖霊プロセスと呼んでもいいだろう。
 つまり、超光エネルギーは衰退するのではなく、ただ、変態したと考えられるのである。喩えれば、蛹から蝶へと変態するようなものである。そう、それをヒントにして言えば、プシュケー・プロセスとも言えよう。
 思うに、それは、超越軸、超越界、神霊界、霊界における差異共振による超光形成と重なるように思えるのである。だから、聖霊プロセスなのでもあるが。
 結局、Bプロセスは物質体・身体形成としては衰退過程であるが、精神形成としては成熟過程である。
 さて、問題は、Bプロセスがどうして、凸(+1)からリンゴや梨のような外殻、外皮、外面である湾曲した球面を辿り、凹(−1)へと進行するのかである。その力学はどういうものか。
 これは単純に、磁界を考えればいいのではないだろうか。即ち、凸(+1)をN極とし、凹(−1)をS極とするのである。磁力がN極からS極へと作用するのであり、それとほぼ同様なことが、Bプロセスに起きている考えればいいのではないだろうか。
 つまり、下部極から上部極の螺旋的物質体化過程(Aプロセス)の方向、即ち、凹(−1)から凸(+1)への実軸x軸の左方から右方への方向を、純粋超光は取ることがもはやできないのであり、つまり、言わば、内的な方向を取ることはできないのであり、そのため、外的な方向を取ることになると考えられるのである。
 しかしながら、内的方向とは実は、外的物質体化の過程であり、外的方向とは内的精神化の過程であるというパラドクシカルな意味合いをもっているのである。
 しかし、外的方向=内的精神化の過程=Bプロセスは、凹(−1)という物質が終点であり、それは、死を意味すると言えよう。だから、その意味では、衰退消滅の過程なのである。純粋超光、純粋差異共振はそこで終了するのである。
 とは言え、それは、新生の過程に入ることである。新たな螺旋的物質体(身体)の過程に入ることになるからである。輪廻転生である。即ち、 凹(−1)の物質において、純粋超光、純粋差異共振、純粋精神を宿していた物質体・身体は消滅すると考えられるが、そのとき、純粋超光、純粋差異共振、純粋精神は完全に脱物質化するのであり、それは、超越軸=超越界=神霊界=霊界に帰還すると考えられるのである。
 そう、凸(+1)において、脱物質化すると言ったが、それは完全な脱物質化ではなく、脱物質化のプロセスの開始を意味するのであり、完全な脱物質化は、凹(−1)の物質において、為されると考えられるのである。説明すると、凹(−1)の物質とは無機的な物質、いわば、鉱物のようなものであり、生命的有機体はそこには存しないと考えられるのである。
 今はここで留める。



映画THRIVEのトーラスとPS理論:その2:上部から下部への動き
テーマ:映画ThriveのトーラスとPS哲科学

* Zero-point energy:ゼロ・ポイント・エネルギー(ゼロ点エネルギー)
* 現象三次元化の力学へ向けて:超光(霊光)による螺旋的現象生成の力学についての思考実験
* 映画THRIVEのトーラスとPS理論

映画ThriveのトーラスとPS理論の比較論は以上において考察したが、まだ、トーラスのいわば外皮における動きについては述べていなかった。今は余裕がないので、簡単に予見を言うだけだが、少なくとも、凸(+1)は転換点、折り返し点、回帰点と考えられる。
 超光エネルギーは宇宙を形成し、凸(+1)に到達するのであるが、その後の問題である。
 今、直観で言うと、凸(+1)までの動きは春から夏への成長の動きである、しかるに、凸(+1)から凹(−1)への外皮上の動きは秋から冬の動きである。言い換えると、生から死への動きである。つまり、成長から衰退への動きである。しかし、この衰退は内的成熟への動きである。そう、外的成長から内的成熟への動きである。
 思うに、簡単に言えば、超光エネルギーの衰退があり、それが、外皮的動きとなっているのではないだろうか。物質体の衰退であるが、内的「精神」の成長である。
 後で、精緻に検討したい。


2015年02月21日(Sat)▲ページの先頭へ
科学とこころ:知性とこころと肚:こころは「理性」、太極(太極氣、太一氣)、精神・霊=スピリット
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11992649752.html

科学とこころ:知性とこころと肚:こころは「理性」、太極(太極氣、太一氣)、精神・霊=スピリット

テーマ:GP陰陽哲理学(ガウス平面陰陽哲理学)

近代(西洋)文化史的には、啓蒙思想とロマン主義の対立があった。合理主義と情感主義の対立とでも言えばいいだろう。(追記:本居宣長の漢心VS大和心は類似していよう。しかし、宣長には、パラドクシカルであるが、前者が強くあったと思う。)
 科学は、当然、前者であり、後者を排除してきた。そう、デカルト哲学の(負の)遺産である。
 私は個人的に、大いに、知性と感性の分離と再結合の問題に関ってきた。結局、それで生まれたのが、不連続的差異論であり、PS理論であり、今や、太極陰陽哲理学(GP陰陽哲理学と改称した。ガウス平面陰陽哲理学Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience)である。
 私なりに問題が片づいたのであり、諒解してしまえば、何てことはないのである。
 結局、二元論では解決できないのである。知性と感性の二元論では、両極に振幅して、統合できないのである。(追記:カントの『判断力批判』は、知性と感性を統合するため、媒体・媒介として、構想力=想像力を提起した。しかし、構想力は「こころ」=太極のもつ一元的根源性、いわば、ドンス・スコトゥスのいう「存在の一義性」が欠落していると思われる。)
 結局、感性を「こころ」性と「肚」性に分ける必要があるのである。この点で、東洋哲理学が完全に正解であった。
 道教の上丹田、中丹田、下丹田という三元論、あるいは、ヨーガの7つのチャクラのいわば七元論の視点は、二元論を超えているのである。
 陰陽哲理学(ガウス平面陰陽哲理学、略して、GP陰陽哲理学と呼んだ方が明快である。あるいは、複素平面陰陽哲理学だから、CP陰陽哲理学である。

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参照:

            凸i陽
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−1地______MP______+1天
(重力)         |          (光)
             |
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             |
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            凹i陰


         陰陽ガウス平面

(尚、MPはMedia Pointであり、原点・交点・次元転換点等である。)
 また、GP陰陽方程式がある。即ち、

凹i*凸i⇒±1

である。
 凹iは陰を、凸iは陽を表わし、両者、虚軸にあり、±1は実軸にある。
 *は陰陽極性力学を意味する。実際は乗法である。陰凹iが主導のときは+1,陽凸iが主導のときは、−1となる。
 ⇒は次元転換を意味する。氣エネルギーが現象エネルギーへと転換する事象を意味している。
 ハイデッガー哲学の存在は、この⇒と見ると適切かもしれない。おそらく、時間が⇒である。

***************************

GPは、Gaussian plane、CPはcomplex planeである。)から云うと、陽が知性であり、陰が肚性であり、陰陽調和がこころ性である。こころは、理性、氣、精神・霊=スピリット(追記:太極でもある。太極氣ないし太一氣という言い方も可能ではないだろうか。)とも言えようか。
 この陰陽バランスによって、知性と感性は統合化されるのである。もちろん、自然の揺らぎはあるが。
  
 ところで、現代日本人であるが、自我に傾斜しているのである。そう、自我とは、知性と結びついているが、自我は感情・欲望があるので、知性は曇り、濁る(曇濁する)のである。
 自我感情・欲望から知性は離脱する必要がある。
それは、私において、不連続的差異論によってもたらされたのである。
 自我は同一性作用をもっているので、感情・欲望と同一化するのである。ここで、知性が感情・欲望と結合するのである。そして、知性が利己主義化し、曇濁するのである。
 GP陰陽哲理学(GP陰陽哲理)の視点から見ると、知性を自我の感情・欲望から分離するには、前者と後者の不連続的切断意識が必要なのである。
 それは、「こころ」(中丹田)を支点にするのである。
 「こころ」は精神・霊であり、自我的感情・欲望とは別の次元にあるのである。そこで、「こころ」と自我を意識的に不連続的に切断するのである。
 「こころ」の領域・次元によって、自我感情・欲望は、抑制されるようになるのである。もっとも、「こころ」の陶冶涵養が必要であるが。
 とは言え、自我感情・欲望(「煩悩」)が消滅するわけではなく、制御されるのである。
 この「こころ」であるが、実は、ロマン主義における情感に内在するものであり、ロマン主義を完全に否定するのは誤りである。
 だから、合理主義はそれだけでは、誤りである。
 とまれ、ロマン主義的情感の「こころ」を取り出して、頭(自我)と肚(おそらく、意志)とのバランスを取るようにすべきである。
 そう、頭脳とこころと肚との三幅対・三一体・トライアッドを形成すべきである。
 現代日本人に戻ると、「こころ」、肚が未発達であり、そのために、自我作用が主導的である。しかし、個的自我ではなく、集団的自我である。自己と他者の同一性反射回路における自我である。
 思うに、そこにおいて、悪が支配していると思う。
 善である「こころ」を排除しているものがそこにあると思われる。
 それは、自我のルシファー&アーリマン結合体制ではないだろうか。
 いわば、悪魔の憑依である。某国の首相やその支配層は完全にそうである。
 つまり、自我を構成する「存在」として、ルシファーとアーリマンの二元論があるということではないだろうか。
 この悪の二元論は形而上学的なのだろう。
 とまれ、この悪の自我は、自我中心主義、利己主義であるから、他者を否定排除していくだろう。有り体に言えば、殺戮するということである。
 これが、今の日本が嵌り込んだ事態である。
 私見では、これは日本父権民族が中心となるのである。どうも、これは、日本民族のカルマである。カルマの清算としての亡国そして復興・復活ということなのではないだろうか。新母権民族の新倭国である。

追記:キリスト教三位一体(父ー子ー聖霊)を、GP陰陽哲理学の視点から見ると、父=太極・太一、子=⇒+1、聖霊が陰陽調和であろうか。しかし、陰陽極性が欠落しているのがわかる。
聖母マリアをもってくるのは、その点で適切だろう。
 何故なら、聖母マリアとは、母権的であり、陰陽調和的であるからである。
 とまれ、陰陽対極・両極・双極性を欠落していること、これが西洋文明文化の最大の欠陥であろう。二元論(二項対立)に陥ってしまったのである。陰陽極性と二元論(二項対立)は似て非なるものである。

追記2:ヘーゲル弁証法であるが、それは、陰陽対極性と二元論の混淆ではないだろうか。
 正反合であるが、合は陰陽バランスと見ることができる。
 しかし、反の否定が強い。正と反は背反するのである。しかし、両者を牽引するものが見えないのである。
 思うに、合の作用において、牽引があるということなのであろう。
 しかし、陰陽的牽引はそこには見えないと思う。何故なら、正反の二元論は二項対立であり、陰陽対極性の牽引要素がないからである。つまり、ヘーゲル弁証法は二元論(二項対立)と陰陽対極性(陰陽論)の折衷であると言えるのではないだろうか。


参照:
「もののあわれを知る」とは、マニ教的では?

テーマ:マニ教新時代:対立を超えて赦し寛恕仁慈
たまたま、小林秀雄の『本居宣長』を見つけて、ふとんの中で、拾い読みした。
 引用されている本居宣長の文章は、気持ち悪いのである。
 相当な曲者である。
 私は、漢心(からごころ)を批判し、大和心を説く宣長は、狭量なナショナリズムの提唱者と感じ、反発してきたのである。
 しかし、ふと視点が変わった。
 「もののあわれ」ないし「もののあわれを知る」とは、実は、マニ教的普遍的視点ではないのかということである。
 「大和」に「こころ」を限定している点で狭量なナショナリズムがある。しかし、それをとり払ってしまえば、「こころ」の普遍主義ではないかと思ったのである。
 今の勘では、宣長は、母権文化を父権文化の枠に限定して説いているのではいうことである。

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http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11992526320.html


2015年01月26日(Mon)▲ページの先頭へ
思考実験:陰陽振動と物質振動の差異:何故、原子力は生命自然に危険なのか:付天皇制論
画像等は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11981750702.html

思考実験:陰陽振動と物質振動の差異:何故、原子力は生命自然に危険なのか:付天皇制論

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

最近は、『日本書紀』読解に関っていて、理論的考察をしていない。久しぶりに行ないたい。
 
            凸i陽
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             |
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−1地______MP______+1天
(重力)         |          (光)
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             |
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            凹i陰


         陰陽ガウス平面

(尚、MPはMedia Pointであり、原点・交点・次元転換点等である)

虚軸に陰陽極を置いている。陰と陽が共振し、そこから、生命が生まれる。氣的生命である。
 そして、それは、実軸において、現象するのである。
+1が天の方向であり、それは、植物の芽や枝葉が伸びる方向であり、−1が地の方向であり、植物の根が伸びる方向と考える。
 つまり、生命現象(この場合植物)は、陰陽振動=氣をもって、発現しているということになるのである。
 陰陽方程式では、凹i*凸i⇒±1となる。
 しかしながら、物質科学は、実軸の物質現象だけに限定して、虚軸の陰陽氣は無視しているのである。
 そして、ミクロ的に物質現象の原子をとり出すわけであるが、それは、電子が+1で、原子核が−1であろう。
とまれ、物質現象において、+1と−1の相互作用があると考えられる。それを対極性と呼んでいいのか、問題である。
 両者に反発力はあると考えられる。あるいは、相互否定力である。
 しかし、牽引力はあるのだろうか。原子における原子核と電子の電荷を見れば、それは考えられる。
 そうすると、±1は、物質的対極性があるということになろう。
これは、陰陽対極性とは区別されなくてならない。
 さて、生命は陰陽振動、陰陽エネルギーをベースにしているのであるが、単なる物質は物質振動(±1の振動)をベースにしているのである。両者に明確な質的差異(絶対的差異)があるのである。
 陰陽振動があれば、生命に通じる。しかしながら、物質振動は、即、生命に通じているわけではない。
 勿論、陰陽振動は氣的物質振動をもつが、それ自体、純粋な物質振動ではない。
 物質振動とは、物質自体のもつ振動であり、必ずしも生命に通じるとは言えないのである。
 そして、原子力の場合、物質振動を利用して、本来、自然現象には存在しない原子を作り出すのであるが、その原子振動は、生命の物質振動を破壊するものと考えられるのである。
 何故なら、生命の物質振動は、自然的物質振動であり、反自然的物質振動である原子振動をポジティブに受容できないと考えられるからである。
 つまり、原子力とは自然の鬼っ子なのである。鬼っ子とはまだ美称である。
 自然の悪魔っ子である。
 以上が思考実験ながらも、私の原子力科学批判である。

 次に、天皇制について考察する。
陰陽ガウス平面を変形する。

            凸i陽
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           T _
           U _
           V _
             |
             |
−1地______SS______+1天
(重力)         |          (光)
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             1_
             2_
             3_
             |
             |
            凹i陰


         陰陽ガウス平面

(尚、SSはSpritual Sun霊的太陽であり、T、U、Vが地球より外側の太陽系の惑星、つまり、火星、木星、土星である。(尚、シュタイナーに倣って、天王星、海王星は外している。冥王星は今は、太陽系外の惑星である)
 そして、1、2、3は地球より内側の惑星である。即ち、月、金星、水星である。
 そして、太陽は+1であり、地球は−1である。
 因みに、虚軸の陽軸に三つのバー、陰軸に三つのバーがあるが、これは、易の陽における三種類の爻、陰における三種類の爻に倣ってもいる。


http://www.keisho.server-shared.com/qa.html )

さて、天皇制であるが、これは、太陽神を受容する天皇が統治する政体である。
 では、太陽神ないし太陽霊とは何かと言うと、上図のSS(スピリチュアル・サン、霊的太陽)である。
 そして、シュタイナーの霊的科学では、太陽霊とはキリストのことである。
 そうすると、天皇制とは、キリスト的政体であるということになるのである。
 コスモスの基である太陽霊=キリストに基づく政体ということになるのである。宇宙的政体なのである。
 私は天皇陛下のオーラは太陽霊ではないかと思うのである。

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りょうへいかおおてふり

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天皇陛下81歳の誕生日 会見全文
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141223/k10014209511000.html

http://migigimi.blog.fc2.com/blog-entry-657.html

かけだし鬼女の 今が日本の一大事! 〜よければ一緒に凸しよう!〜

追記:『日本書紀』読解は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/theme-10056900602.html


2015年01月02日(Fri)▲ページの先頭へ
祝新年!:アマテラス父権民族(天族)とスサノヲ母権民族(地族):アポロとディオニュソス:宇宙と地球(大地)

リンク等は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11971838303.html

アマテラス父権民族(天族)とスサノヲ母権民族(地族):アポロとディオニュソス:宇宙と地球(大地)

テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史

『日本書紀』はスリリング、エキサイティング、刺激的に面白い。
 アマテラス民族は天族(父権民族)であり、スサノヲ(又はオホアナノムチノミコト)民族は地族(母権民族)である。
天族は、いかにも超越的である。地族は、大地的である。
 しかし、『日本書紀』では、前者が当然、優位で、後者が劣位なのである。二項対立が成立しているのである。
 しかし、ジョーゼフ・キャンベル的神話学(以下、J.C神話学)の視点から見ると、実質においては、後者が劣位ということはないのである。『日本書紀』は征服民族のイデオロギー書であるから、地族を貶めて書いてあると考えられるのである。
 思うに、この天地二項対立イデオロギーが今日でも続いていると思うのである。
 ポスト構造主義は二項対立批判を行なったが、完全ではなかった。
 思うに、シュタイナー精神科学的に見ると、天族は逆に、物質に作用する力で、地族は、精神に作用する力を意味するのではないだろうか。
 シュタイナーは植物と人間は垂直性において真逆であると述べている。
 植物における天への志向は、人間では地への志向となるのである。また、その逆でもある。
 だから、天族は、逆に物質的作用の力で、地族は精神的作用の力だと思う。
 結局、今は、予備考察的に予見するが、日本文化において、天族が支配したため、物質的作用力が強化され、精神的作用力が弱化したと思われるのである。
 日本人にとり、大地の力とは、真の天の力、精神の力なのである。日本人が原発地獄に陥ったのは、この点を認識していないからであろう。天族の物質主義に傾斜して、地族の精神主義を排除しているのである。
 とまれ、『日本書紀』を逆に読むことを奨めたい。

追記:以上は作業仮説である。

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日本書紀 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/日本書紀


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シュタイナー「精神科学と医学」
https://r5.quicca.com/~steiner/novalisnova/steiner/.../Medizin.html


* キャッシュ

この「精神科学と医学」は、シュタイナーの医学に関する基本的な考え方を深く知るため
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思 ...





スサノヲと出雲神話:倭母権神話と朝鮮

テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史

『日本書紀』を読み続け、神代上まで読了。
 先に、イザナミ/スサノヲ路線は母権神話ではないかと提起した。
 そして、スサノヲと出雲神話が深い関係にあることがわかり、出雲神話は母権神話ではないかと思った。
 イザナギ/アマテラス路線が父権神話であり、それは、大和朝廷に通じるのであり、それに対抗するものに出雲神話=母権神話があると思うのである。
 また、スサノヲは、オオアナムチノミコト、オオクニヌシノミコト等に関係するのであり、それはいかにも母権神話的ニュアンスが感じられるのである。私は『古事記』を読んだとき、大国主命のもつ父性に強く共感をもったが、それは、父権的父性ではなく、母権的父性と言えよう。
 また、スサノヲは、朝鮮とも関係するのである。やはり、なにか、扶余との関係を想起するのである。
 どうも、扶余・百済と出雲は関係するのではないだろうか。両者、母権文化である。
 また、推測で言えば、国譲りとは、実際は、支配ではなかっただろうか。父権民族が母権民族を支配したのではないだろうか。
 母権国を簒奪したのではないだろうか。そう、端的に、父権民族が母権民族を侵略したと思うのである。
 とまれ、これまで見えなかった母権神話領域が見えてきた。
 最後に一つ、八岐大蛇退治であるが、それは、西洋神話では、龍退治である。
 しかし、スサノヲを母権神話の英雄とすると、龍は殺さないはずである。龍退治をするのは、父権神話においてである。
 つまり、スサノヲは父権神話(アマテラス神話)に利用されているのではないだろうか。

追記:『日本書紀』では、スサノヲは新羅に降ったことになっている。新羅はどうも、父権民族に関係すると思うのである。
 そうすると、作者は、母権神話のスサノヲを、強引に父権神話に結びつけたかったのではないだろうか。

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出雲神話
www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/8918/izumosinwa.html


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出雲神話. 天照大神が復帰したことにより高天原にその秩序が回復しますが、神々は天
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『日本書記』:やはり、父権民族が母権民族を支配するイデオロギー神話ではないだろうか

テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史

今、『日本書紀』の神代の巻を読んでいるが、イザナミ、スサノヲ(面倒なので、神名はカタカナで表記する)がとても悪く書かれているのである。なにか生々しいというか毒々しいのである。
 スサノヲは本当に邪悪という感じであり、少し、これは、邪神ではないかと思ってしまった。
 また、イザナミの黄泉の國に行き、それを夫のイザナギが探しに行き、そこで見たイザナミがきわめて、悪しく、穢く描かれている。非常におぞましい様子である。
 しかるに、イザナギやアマテラスはきれいに描かれている。ツクヨミもそうである。
 神話を批判的に読むことに慣れていない人なら、以上を真に受けてしまうだろう。
 しかし、私は神話学者ジョーゼフ・キャンベルの主著全4巻を読んでいるし、翻訳も多数読んでいるので、それなりに神話の読み方を学んでいるのである。

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 古代神話は、母権神話と父権神話の争闘と見るのが、いいのである。
 このテーゼを『日本書紀』に当てはめると、以上の視点は逆になるのである。
 母権神話がイザナミ/スサノヲ路線であり、父権神話がイザナギ/アマテラス路線だと推察できるのである。
 母権民族の倭国に侵入した父権民族が、正反対に書いたのが、『日本書記』ではないかと思うのである。前者を貶めて、後者を賛美するのである。どうもそう思えてきたのである。
 問題は、「侵略」した父権民族である。これは、何か。騎馬民族か?
 私の直観では意外に、失われたユダヤの十支族を含んだ遊牧的民族である。
 飯山一郎「大博士」は、ツングース民族を見ているが、ツングース民族は私見では、遊牧民族であるが、母権民族だと思う。
 そう、意外に弥生民族を従えたユダヤ民族ではないかというイメージが浮ぶのである。そうすると、『日本書紀』の稲作文化性と好戦性が説明できると考えられるのである。 
 とまれ、面白くなった。読み続けよう。

追記:弥生民族を従えたユダヤ民族と言ったが、もう少し丁寧に言うと、弥生民族を従えた中国系父権遊牧民族且つユダヤ民族ではないだろうか。
 では、ツングース族はどうなるだろうか。これが微妙である。
私見では、彼らは、太陽信仰をもっていて、それが母権天皇文化になるのである。
 それに対して、中国系父権遊牧民族/ユダヤ民族の父権的太陽信仰があり、両者が『日本書紀』で混淆するのであるが、主体は、後者であり、前者は利用されていると見るのである。

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J人父権自我は超一神教自我だろう:自我は自己の正当な拠り所をどこにもつのか

テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史

現代J人の異常さ・狂気であるが、それは、自我主義であることから来ていると考えられる。
 自我とは、陽であり、同一性であり、二項対立主義であり、他者の陰を否定するものである。
 つまり、自我VS自我となり、戦争状態なのである。ホッブズの万人の万人に対する戦争ということである。
 自我は自我を自我の正当さの拠り所にすると考えられる。つまり、独善なのである。自己は正しいという僭越さ、先入観、独断、妄想、傲慢等々があるのである。
 某国の腫症は超典型である。
 ここには、他者との対話関係が生じないのである。二項対立原理で、自己は正しく、他者は誤りであるという優劣二元論が作用するのである。 
 思うに、一神教の場合は、自我を超えた、超越神・唯一神が存するのであるから、それが、正当さの根拠になるから、まったくの自我独善とはならないだろう。 
 しかるには、J人の場合は、一神教ではないので、超越神・唯一神に当たるものが、自我に内在すると思うのである。
すると、これは、超一神教・超唯一神となるのではないだろうか。
 J人の一人一人が、超超越神、超唯一神になっているのである。これでは、超異常・超狂気にならない方がおかしいだろう。
 今は簡単な指摘に留める。





こころ=精神=氣=霊(スピリット:der Geist)

テーマ:唯物科学から物質包摂の氣サイエンスへ

多忙なので、後で検討したい。
 ところで、だんだん、私の内的世界における結構が見えてきた。こころ(心ではない)は精神であり、それは、氣であり、また、霊・スピリットである。
 霊・スピリットというと、普通、引いてしまうが、何て言うことはない、自分の内面に端的にあるものなのである。
 こころ(ココロ)は、胸というか、心臓にあると思う。英語のheartは的確である。フランス語のcoeurもそうだ。古い言い方では、心の臓である。
 こころ=精神=氣=霊・スピリットである。どうして、こんな簡単なことがわからなかったのだろうか。
 それは、近代の主知主義、近代合理主義、唯物論、利己主義に囚われていたからである。
 そう、ベースに肚があり、トップに頭があり、中間に均衡部として、こころがあるのである。こころで、バランスを取るのである。
 もちろん、健康のためには、これに身体理性をもつ必要があるのであるが。
 今は簡単な説明に留める。

追記:ロマン主義は、heartの中心的意義を、reasonに対して、唱えた。しかし、これは、二項対立である。
 そうではないのである。こころを中間点として、頭と肚の均衡を取ることが重要なのである。こころと理性は対立させてはいけないのである。
 だから、ロマン主義は、肯定的な面と反動的な両面をもっていたと言えよう。
 そう、肚のベースに気付かないと、heartとreasonは対立するのである。
 肚とは、陰であり、頭は陽であり、こころは、太極的均衡点なのである。

追記2:魂であるが、それは、こころに近いがこころのより情的な側面、つまり、こころの陰的側面を指すと言っていいだろう。


2014年12月19日(Fri)▲ページの先頭へ
初めに、陰陽有ありき:陰陽有は太極とともにありき:陰陽存在、陰陽存体、陰陽在、陰陽存有、等
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/theme-10035786636.html


初めに、陰陽有ありき:陰陽有は太極とともにありき:陰陽存在、陰陽存体、陰陽在、陰陽存有、等

テーマ:陰陽哲理学

シュタイナーの『精神科学と医学』を読み続けている。
 シュタイナー医学に関するもっとも統一的テキストであると思う。
 とまれ、先に指摘したように、シュタイナーは対極性ないし両極性の観念をもっているが、陰陽については知らないようなのだ。(ハイデッガーもそうだった。)
 植物存在において、根が地球の方向、つまり、重力と関係し、芽や葉や花が天の方向、光と関係し、重力と光は闘争関係にあると述べている。
 PS陰陽哲理学から見ると、天への志向は⇒+1であり、地への志向は⇒−1である。
 そして、前者は陰が主導となって陽と共鳴した状態から生まれると見るのである。陰陽調和である。
 しかるに、後者は陽が主導となって、陰をいわば同一性化=物質化することに関係すると思われるのである。
 しかし、問題は、物質化が植物存在全体に関係することである。思うに、物質と光は対極的作用をすると考えられる。ただし、これは、陰陽極性ではないと思う。しかし、比喩的には、物質を陰、光を陽とは言えよう。
 以上は一つの作業仮説である。
 しかるに、⇒+1が、螺旋的に発現して、植物的有機体を形成するということもありえるのではないだろうか。
 それは、根の植物的有機体とは異質になるのである。
 このように考えると、⇒−1が全体を覆うというような説明が難しい考えをとらないで済む。
 とまれ、シュタイナー医学はPS陰陽哲理学と通じるものがある。⇒+1は天、⇒−1は地である。
 しかし、シュタイナーの視点では、人間の場合、天に当たるのは、内臓、下部人間であり、地に当たるのは、頭脳、上部人間である。植物存在とは逆さまである。
 シュタイナー医学は実に意義深いが、エーテル=氣を陰陽としての対極性と見ていない。
 陰の氣と陽の氣と極性化することで、天地的極性の発生力学が見えてくると考えられるのである。
 シュタイナーの人体の三分節化論であるが、神経ー感覚系、循環系、新陳代謝系に分れるが、第一の系は、⇒−1、第三の系は、⇒+1、第二の系は、両者の均衡の系であり、MP(Media Point)、原点・交点と考えられる。
 そう、第三の系には、一元としての太極も作用しよう。
 D. H. ロレンスの王冠論から言えば、「獅子」・「父」・「闇」は、⇒−1、「一角獣」・「子」・「光」は⇒+1で、「王冠」・「聖霊」・「薄明」はMPないし太極であろう。
 今は余裕がないので、さらに詳述できない。

追記:陰陽(氣)ないしハイデッガーの存在とは、端的に言えば、何かと言えば、それは、超存在であろう。先に原存在としたが、超存在の方がわかりやすい。


        陽凸i
         |
         |
         |
         |
地−1___________MP_______________天+1
         |
         |
         |
         |
        陰凹i

     陰陽ガウス平面  
        

1.
シュタイナー「精神科学と医学」
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思 ...
2. [PDF]
精神科学と医学
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ついては皆さんにもご同意いただけると思いますが、医学の分野における、真の、将来
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知性(悟性)と理性の違いについて

テーマ:陰陽哲理学

思うに、知性と理性の違いを明快に説明できる人は少ないのではないだろうか。
 本件を再度説明してみたい。
今は余裕がないので、一言いうに留める。
 知性とは、端的に、自我、陽自我のもつ機能である。これは、男性が得意な領域であるが、自我と結びつくので、利己主義的なのである。
 では、理性とは、これは、ratio(比率、比例)であるが、それは間違いだと思う。ドイツ語のVernunftの方が適切だと思う。
 端的に、私見を言うと、理性とは、知性と感性の両面を併せ持った精神性である。これは、こころの機能である。ただし、こころが陶冶されているとは限らない。
 そう、先に、古代ギリシアの文化について述べたが、父権的知性とは、古代ギリシアの場合は、理性と見るべきである。母権的こころを内包した知性であり、それは、単なる知性ではないのである。





今年発見したハイデッガー存在哲学とシュタイナーの『精神科学と医学』

テーマ:陰陽哲理学

繰り返すことになるが、今年の発見はタイトルにある通りである。
 ハイデッガー哲学は、いわゆる主著の『存在と時間』

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より、後期のもの(1930年代後半以降)がいい。
それで、「存在」が感得されるようになろう。
 ハイデッガーの「存在」は、いわゆる、普通の存在ではない。通常の存在は、ハイデッガーの言葉では、「存在するもの」である。
 思うに、わかりやすくするため、ハイデッガーの存在を原存在と呼ぶといい。そして、原存在とは、私見では、陰陽(氣)なのである。
 思うに、前ソクラテス期の哲学者は、氣ないしエーテル体を捉えていたと思う。しかし、それが、その後、知性主導の精神によって失われていったと思われる。
 私は古代ギリシアとは、東洋と西洋の結合によって形成されたと考えている。つまり、東洋的母権文化を土台にして、西洋的父権文化が上部構造として構築されたと考えている。これは、私の独断ではなく、神話学者ジョウゼフ・キャンベルの視点である。

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 土台・基底にあった東洋的母権文化、有り体に言えば、氣の文化が、父権的視点によって、見えにくくされていき、ついには、同一性的視点が優位になっていったと思う。(補足:わかりやすく言えば、基底の東洋的母権文化の氣を父権的知性によって捉えようとする哲理学がギリシア哲学、とりわけ、前ソクラテス期の哲学であると考えられるのである。ヘラクレイトスの対極的闘争の哲学は、陰陽論的である。)
 そして、ハイデッガー哲学は、この東洋母権文化、氣の文化を、存在として剔抉したと考えられるのである。
 とまれ、ハイデッガー哲学はまるで、古代ギリシア人が現代において語っているようである。
 さて、次に、本件の後者であるが、これは今、読み続けているが、たいへんな傑作である。語り口が、シュタイナー節で、晦渋ではあるが、とても内容が整理されていると思う。
 第4章の植物的なものから、思考力を形成するという視点は実にスリリングである。
 今は詳述できないが、PS陰陽学、というか、陰陽哲理学にハイデッガーとシュタイナーの視点を組み込むことで、より十全な視野が開けよう。
 また、先に言ったように、D. H. ロレンスの文学ー哲学も、組み込むと、文学芸術のヴィジョンを帯びることができる。
 

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追記:デリダのハイデッガー論も興味深い。少し、かじってみた。

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シュタイナー「精神科学と医学」
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精神科学と医学 - Bekkoame
www.bekkoame.ne.jp/~topos/steiner/medizin/medizin-yoko.pdf
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174シュタイナー医学に関する参照文献等概観 - Bekkoame
www.bekkoame.ne.jp/~topos/steiner/note/S...-/S-note174.html


* キャッシュ

シュタイナーの医学に関するイタ・ヴェークマンとの共著『アントロポゾフィー医学の本質』
(GA27)が、翻訳刊行された。原題は「霊学(精神科学)的認識による医術拡充の基礎」
。ようやくという感じである。これをきっかけに、シュタイナー関係でも、日本ではまだ ..

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ハイデッガーの『技術への問い』は必読である:存在と氣:氣存在哲理学へ

テーマ:陰陽哲理学

私は、心臓手術した年、術後の余裕の時間で、ハイデッガーの主著の『存在と時間』を邦訳で読んだ。
 この時の記録は、2007年の7月以降のブログ記事に書いてある。
 そのときは、当時のPS理論に似ている部分とそうでない部分があると感じた。そう、PS理論に通じる箇所は、「存在」に関する裂け目・亀裂の説明である。これは、MP(Media Point)つまり、陰陽ガウス平面の原点・交点に通じると感じたのであり、驚き、戸惑いがあった。
 とまれ、『存在と時間』は主著ではあれ、私見では、凡庸な部分が多いと思う。確かに、存在に関する解明は優れているが、後の『形而上学入門』ほどではないと思う。
 今、貪るように、ハイデッガーの著書を読んでいる。今は、『技術への問い』を読んでいるが、後、少しである。
 とまれ、ハイデッガーは天才である。どうして、彼を天才と呼ばないのだろうか。彼の議論の鋭さ、斬れ、つまり、洞察力は、尋常ではない。
 先に述べたように、ハイデッガー存在哲学は、東洋哲学、氣の哲学と連結すべきである。
 とまれ、ハイデッガー哲学は、主著は後から読むべきである。最初は、『形而上学入門』、『芸術作品の根源』、『技術への問い』等を読むべきである。
 そう、『形而上学入門』がいちばんいいと思う。

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2014年11月30日(Sun)▲ページの先頭へ
PS陰陽学から人間の攻撃性メカニズムの解明を試みる:精神陰陽心三極構造と「こころ」の光智(神)
図は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11958766345.html

PS陰陽学から人間の攻撃性メカニズムの解明を試みる:精神陰陽心三極構造と「こころ」の光智(神)

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

最近の、少なくとも私の周囲の日本人は、どういうわけか、攻撃的になった。以前は、それほど気にならなかった、なにか急に、発作的な感じで、攻撃的になっている。有り体に言えば、批判・批評ではなく、非難・揶揄等々である。
 今、イメージしているのは、二人の人間である(もっとも、多くの人にもある程度あてはまるが)が、自分自身の欠点・欠陥には、盲目であり、他者の言葉尻等を捉えて、不躾に攻撃するのである。
 私が思いついたのは、かれらは、自分自身の精神、言動等の欠陥という精神の闇(ブラックホール的かもしれない)を抱えている、内包・内含しているのであり、それを見ないように隠蔽する精神力学をもっているのではないだろうか。
 ここで、PS陰陽学(以後、陰陽学)の視点を適用したいのである。
 すなわち、精神(「心」の総体・全体を、適切な言葉が浮ばないので、精神としておく)は、陰陽対極性(両極性・双極性:以後、簡単に、陰陽極性、極性と呼ぶ)からなると見るのである。
 ある意味で、二重人格性である。とまれ、陰陽二重構造と見るのである。
 議論上簡潔にするため、陽を知性(自我)、陰を感性とする。
 しかしながら、MP(Media Point)・原点・交点がある。
 これは、実は、私が「こころ」と呼ぶものである。だから、精神は、単に陰陽二重構造だけではなく、陰陽心(芯とも言えよう)三重構造である。
 さて、(時間がないので、やや端折って述べるが、)通常、意識は陽の自我においてもつのである。陰の感性ないし魂は、無意識である。もっとも、その表面は意識されるのであるが。つまり、感情や欲望等として、意識されるのである。せいぜい、胸部内において、意識されるのであり、肚・腹の陰までは達していないだろう。
 この陰陽二重性、陰陽極性のバランスをとるのは、「こころ」である。MPである。
 しかし、近代主義は、陽の自我に主導性があり、それが支配的である。それは、同一性、物質主義・唯物論を特徴とするのである。
 だから、陰陽バランスをとるべき、第三のものである「こころ」の領域を否定・抑圧・排除・隠蔽するのである。
 そう、「こころ」は言うならば、智性、賢慮性、思慮性をもつのである。これは、陽の自我と陰の感性の両面を注視しているのである。
 だから、陽の自我の欠陥を、「こころ」=MP・原点・交点(ハイデッガー的に言えば、空開処、亀裂であろう)を感知しているのである。
 自我の欠陥を智性である「こころ」は知っていると考えられるのである。
 そこで、欠陥のある陽の自我や陰の感性は、「こころ」の智性を「鬱陶しく」、邪魔者と感じるのである。
 そこで、「こころ」を隠蔽するため、抑圧力学が強く作用するのである。「こころ」の智の精神力学を抑え込むのである。
 つまり、通常の抑圧以上のより強固な抑圧をかけるのである。何故なら、自分の欠陥・欠点、端的に、悪性が浮かび出るからである。
 当然、ここには、「闘争」があるのである。浮上しようとする「こころ」と、抑え込もうとする陽自我と陰感性(両者は同一化している、あるいは、癒着していると言えよう)の「闘争」があるのである。
 ここで、自我は、攻撃性を帯びると考えられる。基本は、内的攻撃性であるが、それが、外的他者へと向けられるのである。
 自分自身の非、欠点・欠陥、悪性の隠蔽力学が、他者の非、欠点・欠陥、悪性への攻撃へと転化すると考えられるのである。
 これで、ざっとであるが、本件の問題の基礎的メカニズムがいくぶん解明されたとしよう。
 有り体に言えば、陽の自我=陰の感性は、一般的には粗野・粗暴・野蛮であるため、内在する「光」である「こころ」に恐怖するのである。「こころ」の光智に怯えるのである。
 そう、この「こころ」の光智(光智心、光智芯とでも言えよう)は、「神」へ通じていると言えよう。シュタイナーの説くキリストは、これと一致すると考えられる。
 因みに、光智心(光智芯)を涵養・陶冶するには、以下の書物が役立つ。(シュタイナーは仏教の八正道を「こころ」の形成のための「インフラ」としているのである。)

いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか (ちくま学芸文庫)/筑摩書房
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シュタイナーは、人間の血を植物化しようとしているのである。精神のグリーン化である。そう、グリーナイゼーションgreenization、グリーナリズムgreenalismと呼ぼう。
 以下、簡単に図式化する。


      陽自我⇒⇒⇒他者への攻撃性
_____↓↓↓_______

___「こころ」・MP・光智芯___

_____↑↑↑_______
       陰感性
 
《精神の攻撃メカニズム・チャート》


参考:

             虚軸 陽凸i
               |
               |
               |
第二象限(物質界)   | 第一象限(霊;哲学、哲学科学)
               |
               |
−1 _________MP________+1 実軸
               |
               |
               |
第三象限(感情・欲望) | 第四象限(魂;芸術・宗教・倫理)
               |
               |
              陰 凹i

           陰陽認識図 


2014年11月26日(Wed)▲ページの先頭へ
PS陰陽論における陽主導と陰主導の違いについて:陰陽調和をもたらす力学
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11957304838.html

PS陰陽論における陽主導と陰主導の違いについて:陰陽調和をもたらす力学

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

PS陰陽論から、何故、父権自我(陽自我)が、悪魔的になるのか説明したい
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11956926277.html

 (「先に以上のように述べたが、少し補足したい。)
本件については、かつて何度も検討したことがあるが、未だ、直観的には、不確定であるので、ここで新たに検討したい。
 問題は、陽主導の場合、同一性、物質化が生じ、陰主導の場合、陰陽調和が生起するということである。
 これまで、陰陽調和は、陰陽ガウス平面のMP(Media Point)つまり原点において、なされると見ているのあり、そこにおいては、太極の一(いつ)が作用していると考えているのである。
 しかし、MPと陰自体は異なるのであり、陰主導がどうして、陰陽調和をもたらすのか、明示する必要がある。
 この問題は微妙である。
 陽主導の場合、陽は陰を同一性化してしまい。陰自体が否定されるのである。しかし、陰主導の場合、陽自体は、同一性化されない。つまり、陰は陰としてあり、陽は陽としてある。
 また、本来、男性は陽主導であり、女性は陰主導であると述べたが、現代女性は、男性化して、陽主導であり、陰がそれに付随しているようなことを既述した。
 つまり、男性にしろ、現代女性にしろ、陽主導なので、陰自体が否定されていて、陰の主導性が欠落していると考えられるのである。
 言い換えると、陽主導による陰陽の癒着があると考えられるのであり、陰陽分極が否定されていると考えられるのである。
 そのように考えれば、陰主導によって陰陽調和がもたらされると考えるのは、妥当であると言えよう。
 以下、海舌氏の人間認識図を参考にして、新たに陰陽認識図を説明したい。

人間認識図

         人間認識図(海舌氏による)

陰陽認識図としては、上図をひとまず、左右反転する必要がある。
 そして、陰陽認識図においては、第一象限を霊の世界、あるいは、哲学、哲学的科学の領域とする。
 第四象限は、魂の世界、あるいは、芸術・宗教・倫理の領域となる。
 第二象限は自我界、物質界、現象界、また、物質科学(唯物科学・技術=近現代)の世界である。
また、第三象限は、自我的な感情・欲望界である。
 つまり、自我の世界は、左半面の領域であり、陰陽調和は、右半面の領域となる。
 では、氣の世界はどこに存するのであろうか。
 氣は虚軸に存するのであり、それが、陽主導において、左半面領域へと、陰主導において右半面領域へと展開すると考えられる。

追記:シュタイナーに拠ると、人間と植物(樹木)とは上下反対になるのである。
 だから、以下の陰陽認識図は植物的構図と言えよう。
 人間の場合は、以下を左右反転する必要があるということになろう。つまり、人間においては、虚軸はそのままでいいが、実軸において、右が−1となるのであり、左が+1となるのである。
 植物においての天が人間では実軸の左の線分となり、植物の地が人間では、実軸の右の線分となるのである。

             虚軸 陽凸i
               |
               |
               |
第二象限(物質界)   | 第一象限(霊;哲学、哲学科学)
               |
               |
−1 ________MP________+1 実軸
               |
               |
               |
第三象限(感情・欲望) | 第三象限(魂;芸術・宗教・倫理)
               |
               |
              陰 凹i

           陰陽認識図





PS陰陽論から、何故、父権自我(陽自我)が、悪魔的になるのか説明したい

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

PS陰陽論は簡潔な哲学・科学仮説であることが一つの取り柄である。
 寝る前に(もう、だいぶ眠いが)、ポイントを述べたい。
 即ち、陰陽力学において、陰が主導的になるときと、陽が主導的になるときがあると考えられる。前者を私は母権的、後者を父権的というのである。実に簡単であろう。
 陰が主導的な場合は、陰と陽は共振・共鳴・和合するのであり、それが、根本的な生命エネルギーである。
 しかし、陽が主導的な場合は、陰と陽は共振せず、陽が陰を支配するのである。これは、哲学的には二項対立である。
 そして、陽とは自我、父権自我である。同一性である。これは、他者を排除するのである。端的に、これは人間的というより、物的、物質的なのである。他者を物、物質、量的なものと捉えるのである。(追記:また、単に、意識的に物質主義的であるばかりでなく、生命的に物質体を形成するものと今の段階では考えている。つまり、陽主導性は、物質体を形成するということである。陰陽方程式凹i*凸i⇒±1で言えば、⇒−1が物質体を形成するということになる。)
 故に、平気で、他者を否定、排除、殺戮するのである。
 一般的に言えば、こころがないのである。たましいがないのである。
 いわゆる、文明とは、実は、父権文明、陽自我文明であり、それ以前の母権文明を否定・排除・抹殺して生まれたものと考えられるのである。
 故に、文明とは殺戮文明、戦争文明なのである。その帰結が、現代の軍産複合体資本主義文明である。そして、その断末魔が今、日本に押し寄せているのであるが、国民は超能天気である。
 とまれ、ここで主張したいのは、自我、父権自我とは、結局、物質主義であるということである。唯物論的なのである。
 同一性主義である父権自我は、当然、物質科学・技術を発展させたと言えよう。
 ここには、共生・共存という視点は欠落しているのであり、平和はありえないのである。
 そう、父権自我文明は、物質主義文明であり、人間主義文明ではないのである。
 しかるに、母権自我には、こころがある。正確には埋れているのである。これを活性化・覚醒化しないといけない。
 父権自我文明とは悪魔文明に帰結したのであり、新母権自我文明を誕生させるべきなのである。
 もっとも、ロシアがその中心になることが今や明らかになっている。
 日本は、滅亡するだろう。そして、少数者によって復活するだろう。
 最後に、やや唐突であるが、うつ病等の心因病について言いたい。 
 これは、父権自我病と言えるのではないだろうか。
 父権自我は、氣や魂や霊を抑圧排除するので、生命である陰陽共振が生起せずに、エネルギーが枯渇するのである。
 そう、それらは反動となり、否定的に自我に作用し、自我を混乱させるとも考えられるのである。
 やや、雑駁であるが、ここで留める。もう23時前であるが、もう寝る。

追記:母権文明ないし新母権文明とは、生命主義文明である。何故なら、陰陽共振調和とは、生命生成の謂であるからである。


2014年11月16日(Sun)▲ページの先頭へ
思うに、自我は悪魔化し、世界破壊を欲望するのではないのか?
思うに、自我は悪魔化し、世界破壊を欲望するのではないのか?

テーマ:総て出鱈目日本の元凶ヤハウェ父権自我悪魔

戦争爺にしろ、ア蔑にしろ、自分のために、他者を破滅させたいのである。
 先に、フロイトの死の欲動について言及したが、どうも、死の欲動は自我と関係していると思う。
 そう、自我は、いわば、唯一神なのである。だから、自我の願望が満たされないと、怨恨をもつのであり、他者を破壊したくなると言えよう。
 ヤハウェは「わたしは嫉妬する神である」といみじくも述べている。
 結局、自我=陽への傾斜、父権自我がもたらすのである。
 母権自我は、内在的にこころ=陰陽調和=愛をもっている。しかし、父権自我の世間にあって、自身の愛を抑圧しているのである。
 父権自我は、もう死者なので、かまう必要はない。母権自我の人間が生存を考えるべきである。


Sun, November 16, 2014
解散・総選挙は極めて謎:隠れ多極派路線か戦争爺路線か:これまでの枠組みが通用しなくなっている?

テーマ:賤民資本主義と共同体的資本主義

私の乏しい知識では、よくわからないのである。
 多元連立方程式を解く必要があるのであるが、必要な知識が足りないのである。
 でも、いちばん簡単な理由は、アベノミクスは、日本経済を破壊し、ひいては、世界経済を破壊することがわかったからではないだろうか。「流石の」戦争爺も、これはまずいと思ったのではないだろうか。
 そう、財務省の自己中路線が戦争爺の路線とずれだしたということかもしれない。
 戦争爺はもちろん、戦争を起こしたいが、実は、軍需産業であり、武器を買ってくれればいいのである。しかし、阿部ノミ屑が延長すると、武器を買う金がなくなることがわかったということではないだろうか。
 結局、商売である。ビジネスである。
 資本主義である。ビジネスから見て、アベノミ屑は、世界経済を破壊することが分かったので、流石の戦争爺もこれはアカンということで、解散・総選挙へとふったのではないのか。
 

年内の唐突な衆議院解散・総選挙サプライズは来年に起こる円株同...

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G20首脳会議で微妙に孤立気味の安倍首相!何故か水を手酌!話し相手がおらず、周りをキョロキョロ・・・ new!!
20141116121936sidu.jpg
今月に入ってから中国やオーストラリアで相次いで首脳会談が開かれていますが、食事会の席では安倍首相が孤立気味になっているようです。北京の会談ではプーチン大統領や習近平国家主席、オバマ大統領らが最前列の席で談笑をしているのに、日本の安倍首相は後方でキョロキョロしていました。そして、先日から開催されているオーストラリアのG20でも昼食会で孤立状態になっている安倍首相が激写されています。
プーチン大統領はお付の人に水を入れてもらっているのに、安倍首相は何故か「手酌」で水を注いでいるのです。単に喉が渇いていたのかもしれませんが、他の首脳らと比較すると、安倍首相の周りにはあまり人が居ないと言えます。

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Sun, November 16, 2014
日本とフランスで、名高いアルタイ産のハチミツが販売される。アルタイ産のハチミツは、珍味
テーマ:有機的自然回帰的ライフ・スタイル
アルタイ産のハチミツ 日本へ
アルタイ産のハチミツ 日本へ
日本とフランスで、名高いアルタイ産のハチミツが販売される。アルタイ産のハチミツは、珍味として、容量100グラムで梱包されて出荷される。




Sun, November 16, 2014
風朕かく語りき:プーチン大統領:制裁は全ての国の妨げになっている

テーマ:ニュー・イースタンの時代:新東洋の時代

政治
プーチン大統領:制裁は全ての国の妨げになっている
プーチン大統領:制裁は全ての国の妨げになっている
ロシアのプーチン大統領は、オーストラリアG20サミットの場で行われた一連の2者会談について、会談では制裁について触れられたと指摘し、制裁は全ての国の妨げになっており、この状況から抜け出さなくてはならないという共通の理解があると述べた。





Sun, November 16, 2014
異性愛の問題:何故、異性に魅かれるのか?

テーマ:セクシュアリティ:植物的花弁対一力と性極

記紀の、凹凸の性交、植物の雄蕊・雌蕊では、異性愛の問題は解決しない。
 おそらく、哲学上、これが一番の問題かもしれない。
キルケゴールは恋愛、倫理、そして、宗教へとステップ・アップした。恋愛は一番低いレベルである。
 空海でも、愛欲は最下位のレベルである。
 私が驚嘆するD. H. ロレンスは、セックス自体を肯定した稀有の作家である。
 でも、私はセックスより、異性愛に興味がある。同性愛はその変形である。
 大哲学者プラトンは、セックスを否定はしなかったが、天上への愛、エロースを説いた。
 これは、わかりやすいのである。
 問題は、霊ではなく、身体である。あるいは、氣である。氣は、霊と身体に通じるのである。
 どうして、このようないわば平凡なことが解明されていないのだろうか。フェロモン云々では説明がつかないのである。
 PS陰陽論から解明を試みよう。
 オスは、当然、陽であり、メスは陰である。これは常道である。
 正反対なものは牽引するのであり、同時に反発するのである。これが、雌雄の性的力学である。つまり、陰陽哲学である。
 ここで、霊的科学者のシュタイナーの理論を借りよう。欲望・感情はアストラル体が担うのである。そして、自我は、知性・悟性であろう。前者は陰であり、後者は陽である。そして、両者は正反対であり、引き合うと同時に反発すると考えられる。
 そう、女性の身体は、欲望・感情体=アストラル体と言えるのではないだろうか。欲望・感情が体現したのが女性身体ではないだろうか。
 だから、陽・自我の男性はそれを見ると、「発情」するのである。
 陽・自我に抑制された欲望・感情が喚起されるということではないだろうか。
 そして、逆に、女性は、男性を見たとき、その陽・自我の知性・悟性に魅かれるはずである。女性の欲望・感情体にはないものがそこには発現しているのであるから。
 両者、自身に欠落しているものを異性身体に見るということではないだろうか。
 だから、異性愛とは、陰陽調和への力学と言えよう。丁寧に言えば、陰陽は牽引と反発であり、そのままでは、調和にはならないのである。闘争となるのである。
 調和にするには、第三のものが必要である。それはこころである。愛である。
 それは、超越的なものなのである。結局、唯物論が支配すると、陰陽調和がありえないのである。
 超越的なもの、それが、陰陽調和をもたらすのである。
今はここで留める。

MODELS.com

http://models.com/mdx/study-of-pose-with-coco-rocha/


2014年11月11日(Tue)▲ページの先頭へ
氣磁場という新しい科学智を作業仮説してみたい:森のある氣磁場環境圏と大都市の無氣磁場電磁波圏
画像は以下で見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11950825273.html

氣磁場という新しい科学智を作業仮説してみたい:森のある氣磁場環境圏と大都市の無氣磁場電磁波圏

テーマ:氣神論:氣は万物に通ずる:氣的身体理性

昨日は、仕事で、新宿から接続で、丸ノ内線を利用した。
 今は、豆乳ヨーグルトに、あらびき茶、オリゴ糖、純粋蜂蜜を入れて食し、オリゴ糖を入れたココアを飲み、また、同様の九州産の青汁を飲み、ようやく、ほっとしてきたところである。たましいが戻ってきたとでも言おうか。
 私は東京の職場は狭いオフィスなので、それで落ち着かないと思ってきた。確かに、横幅が狭く、圧迫感がある。
 しかし、今、都区内における落ち着かなさ、なにか所を得ない感じ、所在感のなさ、浮遊している感じ等は、東京に氣的環境圏がないからではないかと感じたのである。
 とまれ、氣磁場という科学的作業仮説が浮んだのである。
 氣というと、なにか非現実のようなイメージであるが、氣磁場というと、感覚的、直観・直感的にぴんと来やすいだろう。
 (今は、氣電磁場とは言いたくない。氣磁場がピンと来るのである。)
 ここ森が近くにある自宅の場は氣磁場があると思う。森へ行けば、さらに感じる。
 しかし、都区内には、氣磁場が感じられない。無氣場的電磁波環境圏という感じがするのである。
 大気を、空気を、環境を、氣磁場が満たしていない一種、空虚があり、その中にいる私の心身は、それと共振・共鳴・共感しないのであり、そのため、私は、所在なさを感じるのではないだろうか。
 そうならば、よくもそのような環境に30年も住んでいたものだ!
 私は都区内に住んでいて、身体が痛くなるのを感じた。苦痛なのである。
 田舎から出てきたときは、上野公園に行って、緑への飢えを充たそうとしたものである。
 思うに、70年代初期までには、東京には、氣磁場が存在していたと思う。しかし、その後、東京は無氣磁場的電磁波環境になったのではないだろうか。
 それは、いわば、悪魔・狂気的環境ではないだろうか。
 さて、PS陰陽論から、氣磁場はどう説明できるだろうか。
 陰凹i*陽凸⇔±1の陰陽方程式において、⇔がガウス平面の原点(MP:Media Pointと呼んでいる)に当たり、虚軸と実軸の交点であり、この点において、氣磁場が発生するのではないだろうか。
 勿論、これは、単なる磁場ではない。磁場ならば、N極、S極があり、前者から後者へと磁気が流れる。
 しかし、氣磁場はそうではない。いわば、天の氣磁気と地の氣磁気があるのである。これは、不思議な複雑な作用だと思う。
 つまり、虚軸の陰陽対極性と実軸の天地相反性(光⇔重力)があり、この両者が相互浸透しているような力学が、氣磁場作用ではないだろうか。
 問題は、新しい視点である天地相反性である。これは、単なる+と−の極性ではない。天へのベクトルと地へのベクトルがあるのであり、前者がいわば、天氣磁気であり、後者が地氣磁気であり、両者で、氣磁場環境圏を形成しているということになる。
 だから、それは、天地相反的氣磁場環境圏とでも言えよう。
 そして、展開すると、天氣磁気が植物の芽の伸長力であり、地氣磁気が植物の根の伸長力である。
 主に、道教等で、天の氣、地の氣と呼ばれたものは、それを指しているのではないだろうか。
 しかしそれは、根源の陽の氣、陰の氣とは異なるのである。
 これは、混同しやすいし、実に、理氣論なのでは、混同されたと思う。理がイデア的で、氣が物質的と考えられたのであるから。
 後でもう少し、考えてみたい。

参考図(お断り:マックで描くので、ウィンドウズではズレます)

        陽凸i
         |
         |
         |
         |
地−1___________MP_______________天+1
         |
         |
         |
         |
        陰凹i

     陰陽ガウス平面  

ただし、四元数的四次元は、MPに他の二つの虚軸が存し、太一軸=i軸、太極軸=j極、陰陽軸=k軸、そして、天地軸=実軸となる。
 だから、陰陽ガウス平面の陰陽虚軸のiは、四元数的コスモロジーでは、k軸になる。 


2014年11月05日(Wed)▲ページの先頭へ
海舌氏の三元論:四元数の三つの虚軸は太極軸と陰陽軸と天地軸であり、実軸は単に光速度一定の単位?
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11948240944.html

海舌氏の三元論:四元数の三つの虚軸は太極軸と陰陽軸と天地軸であり、実軸は単に光速度一定の単位?

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

海舌氏の三元論:三つの虚軸i, j, kは、三等分割均衡における正三角形の三つの軸に対応する?
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11947882841.html

先に以上のように述べたが、三元論についてもう少し考えてみた。
 二等分割を陰陽極性と見たが、そうではなく、ガウス平面の成立とみたらどうだろうか。つまり、虚軸と実軸の二つの軸の成立と見るのである。そして、三等分割であるが、それは、三次元空間の成立と見るのである。つまり、ガウス平面以外に三つの空間軸ができると見るのである。
 この三つの軸が四元数の三つの虚軸に当たるのではないだろうか。
 思うに、四元数の虚軸は、実は、準虚軸ではないだろうか。
 とまれ、問題は、実軸とこの準虚軸である。
 私はこれまで、実軸を天地軸としているが、それと三つの準虚軸はどう関係するのかが問題である。
 
追記:どうも、四元数は、適用するのに問題がありそうである。
 以下の「エーテル空間」の考え方は、端的に、三次元空間と関係すると言えよう。
 だから、思うに、PS陰陽論で言えば、陰陽からの発現としての三次元空間を考えればいいように思うのである。
 それは、以前考えたように、底面の平面と天地軸による三次元空間である。時間は、虚軸にあるとするのである。
 思うに、四元数の考え方、三つの虚数、虚軸であるが、それは、陰陽氣を超えた霊的空間に適用できるのではないだろうか。
 即ち、太一軸としての例えば、k軸、そして、太極軸としてのj軸、そして、陰陽氣軸としてのi軸である。
 つまり、四元数空間を超ガウス平面空間と見るのである。
 そうならば、海舌氏の三元論は、次元を間違えているとなるのではないだろうか。四元数空間は霊的空間であるが、海舌氏の三元論は、通常の三次元空間を志向していると思われるのである。

追記2:以下の「エーテル空間」を読み直すと、四元数の三つの虚軸は、以下の三つの直線、つまり、空間三次元の三つの軸に相当するように思えてくる。
 ならば、問題は、四元数の実軸の意味である。
 思うに、それは、単位数を意味するのではないだろうか。あるいは、光速度一定である。
 しかし、そのようにした場合、やはり、四元数の三つの虚軸、虚数は、準虚軸ないし準虚数となり、本来の虚軸、虚数ではないのではないだろうか。

追記3:いろいろ想起される。四元数の三つの虚軸、虚数であるが、それは、エーテル空間を意味するのかもしれない。
i軸とj軸とk軸が三つの直交軸であり、それが、エーテル三次元空間を作るのかもしれない。
 そして、実軸、実数は、やはり、光速度かもしれないが、要は単位数である。
 そうすると、i軸を太極軸とし、j軸を陰陽軸とし、k軸を天地軸とすることができるのではないだろうか。実軸は、空間軸とはならないのである。
 このように考えれば、四元数空間はガウス平面を包摂することができるだろう。
 そうした場合、最根源である太一は、どうなるのか。それは、MP(Media Point:原点・交点)にあるのではないだろうか。ゼロ点である。

追記4:追記3のように考えた場合、空間三次元はどう説明できるのだろうか。
 i軸=太極軸、j軸=陰陽軸は、空間軸にはならないはずである。k軸が天地軸でそれは、空間軸の一つとなる。
 足りないのは、水平面、あるいは、地上面である。
 それは、太極軸と陰陽軸による「超越平面」が現象化したものだろうか。その「超越平面」は以前述べていた陰陽円である。
 それが、現象化することによって、水平面が形成されるのではないだろうか。
 とまれ、天地軸とは、実際、現象空間軸なのだろうか。
 それは、シュタイナー的に言えば、光⇔重力軸である。
 ならば、現象空間軸である。
 ならば、k軸=天地軸は、虚軸であっても、空間軸である。
 そして、それに直交する水平面=地上面が現象すると考えられる。これは、球面になるのではないだろうか。
 とまれ、別に二つの空間軸が必要になるのではないだろうか。
 それとも、太極軸と陰陽軸で水平空間軸を考えていいのだろうか。
 思いつきであるが、天地軸が発出するとき、太極軸と陰陽軸による陰陽円=渦動円は、螺旋的に現象化するのではないだろうか。ならば、太極軸と陰陽軸を空間軸と見てもいいのではないだろうか。

追記5:ハイデガーの存在とは、追記3,4の三つの虚数・虚軸の作るエーテル三次元空間ではないだろうか。それとも、太極軸i軸と陰陽軸j軸の作る超越円=陰陽円なのであろうか。


「エーテル空間」ノート23

note23:
・球は中心点に直角三角形をつくり出すだけではなく、
 天球周縁にも直角三角形をつくり出す
・プロセスとしての球形形成運動
・球形形成原理は、虚数に関わり、数エーテル(化学エーテル)として現象界に現れる

<ジョージ・アダムス 『エーテル空間』からの引用>

 空間の無限遠点は球面との関係において、球の中心点を通る平面をもたらします。この平面は、無限遠点がどの方向にあろうとも、無限遠点へ向かう半径に対してつねに直角を成します。そしてこれは球の場合にのみ生じます。このことを最後まで考えていけば、球の中心点で互いの直角を成す“三つ組”の半径が得られます。すなわち三つの直線の各々が、他の二つの直線を含む平面に対して直角を成す、三つ組が見られることになりま
す。これは、この三つ組の直線を球の中心点からあらゆる方向へ向かわせることのできる、いわゆるデカルト座標系です。デカルトの座標系はこのように、球のなかに一種の形態原理を持っていますが、たとえば人間の頭蓋骨の形態はこの原像の現れのひとつです。

 さて
しかし、球はその中心点だけではなく、無限遠平面にもこのような三つ組をつくり出します。球は天球周縁に直角三角形をつくり出すのです。この三角形は、デカルトの座標系が三つの直線と三つの平面から成っているように。三つの直線と三つの点から成っています。
球はこのように、地上にも天上にも三つ組をつくり出しますが、地上では諸半径を構成要素とする中心点をつくり出し、天球では天球諸直線を構成要素とする“周縁中心”をつくり出します。
(P.47-48)
 近代幾何学の原空間において私たちがまず第一に理解しなければならないのは、直角がつくり出す硬い形態ではなくその根底にある数の動力学、完成された円形ではなくプロセスとしての循環運動、完成された球形ではなく丸みをつくり出していくプロセスとしての球形形成運動です。それというのも私たちは、中心点と宇宙の拡がりとの対極性のような、地上的なものと天上的なものとのあいだに永遠に作用している呼吸する対極性とかかわっているばかりでなく、このような二極間に自らの存在を主張している球形形成原理にも、つまり静かに自足している有限の球形に見られるような球形形成原理にもかかわっているからです。
(P.48)
 この原理を数学的に述べるなら、それはその具体的ー霊的な背景をアストラルと呼ばれるものの内に持つ、謎に満ちた虚数(√-1)にかかわる原理です。この原理はもはや空間的なものではありません。しかしそれは、特に循環するものの内に現れる数のリズムの響きをとおして、空間のなかへ形成的に作用しています。この原理は、エーテル的なものの内に作用していることから、数エーテル(化学エーテル)として現象界に現れます。
(P.48)


◎直角三角形が円に内接するように、円や球の形態は密接に「直角」と結びついている。
◎note19で説明したように、空間の無限遠点は、球の中心点を通る平面をもたらすが、
この平面は、無限遠点へ向かう半径に対してつねに直角を形成する。
球の場合、中心点を通る平面と中心点から球面に延びる半径とが直角になっているイメージ。
◎そうすると、球の中心点で互いの直角を成す「三つ組」の半径が得られる。
つまり、この球の中心点を中心とした(x,y,z)座標(デカルトの座標系)のイメージ。
◎球は、この「三つ組」を無限遠平面にも形成する。
つまり、球は天球周縁に、三つの直線と三つの点から成る直角三角形をつくり出す。
◎近代幾何学の原空間においては、そうした直角がつくり出す硬い形態ではなく、
その根底にあるプロセスとしての球形形成運動を理解しなければならない。
これは、完成されたスタティックなものとしてではなく、それが形成されるプロセスが重要になる。
◎私たちは、地上的なものと天上的なものとのあいだの対極性だけではなく、そうした球形形成原理にも関わっている。
◎この原理は、ー霊的な背景をアストラル的なものに持っている「虚数(√-1)」に関わっているが、
呼吸するように循環するものの内に「数のリズムの響き」を通して、空間のなかへ形成的に作用し、
数エーテル(化学エーテル)として現れる。
◎「反空間」である「エーテル空間」は、物質空間に対して、もはや空間的なものではない「虚」の空間として表現されるが、その「虚」つまり、「虚数(√-1)」の原理はアストラル的なものを霊的背景としてもっている
ということはチェックしておく必要があると思われる。
というのも、シュタイナーは、物質界、エーテル界、アストラル界・・・というように、世界を多次元構造としてとらえているからである。
そして、「反空間」である「エーテル空間」は、この物質空間に対する「虚」の空間として位置づけられてる。
◎ちなみに、シュタイナーはエーテル的な力を、
生命エーテル、化学エーテル、光エーテル、熱エーテルの四つに分けてとらえている。
ここで「数のリズムの響き」である「数エーテル」としているのは、そのうち「化学エーテル」である。
◎参考までにいえば(この『エーテル空間』とは直接関係しないが)、電気、磁気、原子力の深部に潜んでいるエネルギーのことを、シュタイナーは《堕落したエーテル》と呼んでいるそうである。
https://r5.quicca.com/~steiner/novalisnova/steiner/aetherischenRaum/ar23.html

参考:
四元数 - Wikipedia

四元数数の単位の積を四次元空間の 90°-回転として視覚的に表現したもの。ij = k, ji = −k, ij = −ji


超越軸における回転による超越円の形成と超越円をマトリクスとする現象螺旋形成

テーマ:映画ThriveのトーラスとPS哲科学

先に、ガウス平面において、凸i(+i)と凹i(-i)との揺動によって、回転が生じることを述べた。
 問題は時間現象である。私は先に、凸iが空間形式で、凹iが時間形式ではないかと言った。カント哲学的には、前者は、外的感覚(外官)であり、後者は内的感覚(内官)である。
 差異共振現象という自然現象は、当然、時空間の発現を意味するから、凸i*凹i⇒凸(+1)の右辺の凸(+1)が時空間現象を意味するかもしれない。
 しかし、螺旋運動こそが、自然現象であるから、凸(+1)は自然現象自体ではない。
 それは、これまでの考えでは、超光エネルギーである。あるいは、超氣である。
 思うに、⇒凸(+1)の活動において、螺旋運動が形成されるのであるから、螺旋を空間とすれば、運動が時間と関係すると言えよう。ここで作業仮説であるが、⇒凸(+1)の超光のベクトルが時間ベクトルと一致するとしよう。つまり、凸(+1)は時間を意味することになる。
 そう、時間は内的なものであり、不可視であるから、それは、考えられることである。
 これで、現象螺旋運動の説明は済んだとしよう。
 次に、超越軸における回転・螺旋運動である。
 凸j*凹jも揺動しているとすると、超越円において、回転すると考えられる。(ここで説明しておかないといけないのは、凸i*凹iが形成する螺旋運動であるが、その三次元は現象空間三次元であり、超越軸をもつ三次元ではない。つまり、ここで、現象三次元空間と超越軸を区別する必要があることである。
 結局、ガウス平面に直交する二つの軸があることになる。一つは超越軸であり、一つは、現象空間の第三次元の軸である。)
 しかしながら、果たして、超越円の回転は、螺旋運動を形成するだろうか。
 運動となるには、時間が必要であるが、超越円は時間を形成するだろう。そう、凸j*凹j⇒凸(+1)と形式化したのであり、右辺は時間を意味するのであるから、超越円も螺旋運動を形成することになろう。
 ここで整理したい。
 順序から言うと、超越軸における凸jと凹jの共振的揺動があり、それが回転をもたらし、超越円を形成する。
 この超越円の意味するものは、虚軸y軸の形成ではないだろうか。
 つまり、超越軸z軸と直交する虚軸y軸の形成である。これで、超越界からの凸i(光)と凹i(闇)の形成が説明できると言えよう。
 そして、凸i(光)と凹i(闇)の共振からの現象創造の説明もできる。
 そうすると、上述した超越軸と現象空間第三軸は異なるということはどうなるだろうか。
 つまり、超越軸と虚軸における超越平面と超越円が現象螺旋運動(時空四次元)を形成する基盤、マトリクスであり、それは、現象時空間とは一致しないと考えられる。
 そう、超越円はイデア界と言ってもいいだろう。それは、現象界からは不可視の存在であるが、現象創造の超越的根源ということになる。
 超越円(言わば、イデア・サークル)から可視の螺旋的現象界が形成されるということになる。
 そう、一見、超越軸と現象第三軸は重なるように見えるが、やはり、根本的には別物である。
 つまり、こう言ってもいいだろう。超越軸z軸と現象第三軸は表面的には重なるが、それは、見掛け上のことに過ぎないのであり、両者はまったく別個のものとして存在するのである。(追記:そのように区別したものの、凸j*凹j⇒凸(+1)であるから、media pointにおいて、両者は重なることになるだろう。思うに、media pointは、この重なりにおいて、超越軸の情報を受け取り、それを物質化するのである。そう、いわば、超越情報[イデア情報]を受け取り、それを物質・現象的に具現化すると考えられる。)
 さて、そういうことで、超越円(イデア・サークル)から螺旋形状が形成されるが、それは、黄金比を基本的にもっていると言えよう。だから、五芒星形がなんらかの超越円において、形成された可能性が考えられる。(ピュタゴラス派)
 そうすると、超越軸には何らかの超越的意志が考えられないだろうか。超越的意志によって、現象形成が決められているのではないだろうか。
 しかし、そのように考えると、超越軸を超越した超-超越界を想定する必要があるのではないだろうか。
 この問題は難しいので保留しておき、一応、超越軸における超越円の創造に留めておきたい。
 最後に凸jと凹jについて簡単に考察してみたい。凸iが光、凹iが闇ならば、凸jは原光、凹jは原闇ということになるのではないだろうか。
 原闇と原光が共振して、闇と光の宇宙世界が生まれる。
 原闇が原母であり、原光が原父ということになろう。
 問題は、原父が主導的な場合である。最初期は、原母が主導性をもっていたと考えられるが、あるとき、原父が主導的になったと思われる。
 もし、原父が決定的に自身を原母に押し付けるならば、凸j*凹凹j⇒凹(−1)となり、それは、質料となるのではないだろうか。
 一神教がこのような性格をもっていると考えられる。そう、原母を質料化して、卑賎化するのである。「父」が上位であり、「母」が下位である。そして、それの極端化したものがユダヤ教、ないしは、旧約聖書であり、「母」はほぼ不在となっているのである。
 ここで簡単に日本神話について触れると、それは、原母による原父との共振による現象創造を語っていると思われる。
 天之御中主神とは、原母と原父との共振を意味するのではないだろうか。そう、超越的media pointである。
 そして、高産霊神と神産霊神は凸iと凹iを意味するのではないだろうか。
 では天照御大神とは何であろうか。それは、超光であろう。単に光ではなく、原母と原父との共振、光と闇との共振による超光を意味しよう。
 マニ教の光はそれであろうし、アフラ・マズダ、キリストもそれであろう。
 今はここで留める。後で、再考したい。



凸(+1)を転換点とする脱物質体化・差異共振純粋超光過程

テーマ:映画ThriveのトーラスとPS哲科学

映画THRIVEのトーラスとPS理論:その2:上部から下部への動き
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11242890795.html

以上において、次のように述べた。

「少なくとも、凸(+1)は転換点、折り返し点、回帰点と考えられる。
 超光エネルギーは宇宙を形成し、凸(+1)に到達するのであるが、その後の問題である。
 今、直観で言うと、凸(+1)までの動きは春から夏への成長の動きである、しかるに、凸(+1)から凹(−1)への外皮上の動きは秋から冬の動きである。言い換えると、生から死への動きである。つまり、成長から衰退への動きである。しかし、この衰退は内的成熟への動きである。そう、外的成長から内的成熟への動きである。
 思うに、簡単に言えば、超光エネルギーの衰退があり、それが、外皮的動きとなっているのではないだろうか。物質体の衰退であるが、内的「精神」の成長である。」

映画Thriveのトーラスにおける、上部極から下部極へ移動し、言わば、外殻、外皮、外面形成する力動について、それは、超光エネルギーの衰退を意味すると述べたが、それはある意味では正しく、ある意味では間違いである。
 というのは、螺旋的、乃至は、黄金比(白銀比もおそらく入れられよう)的物質体(身体)形成は確かに、そこ(凸[+1])からは衰退するから、それは、それまでの超光エネルギーから見ると、超光エネルギーの衰退を見ることは可能である。
 しかしながら、視点を変えてみると、凸(+1)に到達した、超光エネルギー、乃至は、差異共振エネルギーは実は、螺旋的物質体(身体)形成過程(Aプロセス)から脱螺旋的物質体(身体)過程(Bプロセス)へと転換するのではないだろうか。
 つまり、Aプロセスは同一性物質化を伴っていた、Bプロセスにおいては、同一性的物質化が消滅して、純粋な差異共振化、超光化が発生するのではないだろうか。これを聖霊プロセスと呼んでもいいだろう。
 つまり、超光エネルギーは衰退するのではなく、ただ、変態したと考えられるのである。喩えれば、蛹から蝶へと変態するようなものである。そう、それをヒントにして言えば、プシュケー・プロセスとも言えよう。
 思うに、それは、超越軸、超越界、神霊界、霊界における差異共振による超光形成と重なるように思えるのである。だから、聖霊プロセスなのでもあるが。
 結局、Bプロセスは物質体・身体形成としては衰退過程であるが、精神形成としては成熟過程である。
 さて、問題は、Bプロセスがどうして、凸(+1)からリンゴや梨のような外殻、外皮、外面である湾曲した球面を辿り、凹(−1)へと進行するのかである。その力学はどういうものか。
 これは単純に、磁界を考えればいいのではないだろうか。即ち、凸(+1)をN極とし、凹(−1)をS極とするのである。磁力がN極からS極へと作用するのであり、それとほぼ同様なことが、Bプロセスに起きている考えればいいのではないだろうか。
 つまり、下部極から上部極の螺旋的物質体化過程(Aプロセス)の方向、即ち、凹(−1)から凸(+1)への実軸x軸の左方から右方への方向を、純粋超光は取ることがもはやできないのであり、つまり、言わば、内的な方向を取ることはできないのであり、そのため、外的な方向を取ることになると考えられるのである。
 しかしながら、内的方向とは実は、外的物質体化の過程であり、外的方向とは内的精神化の過程であるというパラドクシカルな意味合いをもっているのである。
 しかし、外的方向=内的精神化の過程=Bプロセスは、凹(−1)という物質が終点であり、それは、死を意味すると言えよう。だから、その意味では、衰退消滅の過程なのである。純粋超光、純粋差異共振はそこで終了するのである。
 とは言え、それは、新生の過程に入ることである。新たな螺旋的物質体(身体)の過程に入ることになるからである。輪廻転生である。即ち、 凹(−1)の物質において、純粋超光、純粋差異共振、純粋精神を宿していた物質体・身体は消滅すると考えられるが、そのとき、純粋超光、純粋差異共振、純粋精神は完全に脱物質化するのであり、それは、超越軸=超越界=神霊界=霊界に帰還すると考えられるのである。
 そう、凸(+1)において、脱物質化すると言ったが、それは完全な脱物質化ではなく、脱物質化のプロセスの開始を意味するのであり、完全な脱物質化は、凹(−1)の物質において、為されると考えられるのである。説明すると、凹(−1)の物質とは無機的な物質、いわば、鉱物のようなものであり、生命的有機体はそこには存しないと考えられるのである。
 今はここで留める。


resurrectionのブログ

(THRIVE Japanese) スライブ―いったい何が必要になるのか - YouTube
► 132:03► 132:03

www.youtube.com/watch?v=yp0ZhgEYoBI2012年4月5日 - 132分 - アップロード元: ThriveMovement
http://www.thrivemovement.com/ 詳細は http://www.thrivemovement.com/ まで 『 力強い成長』のDVDご購入を http://www ...
http://www.youtube.com/watch?v=yp0ZhgEYoBI


2014年10月25日(Sat)▲ページの先頭へ
検討問題:不連続的差異論は何を解放し、何を未分化に残したままか:悪魔は生命を憎む?
検討問題:不連続的差異論は何を解放し、何を未分化に残したままか:悪魔は生命を憎む?

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

今日は、いろいろ閃いたが、余裕がないので詳論できない。
 一つは、不連続的差異論の問題で、何を解放し、何をまだ未分化に残しているかということである。 
 一つは、悪魔は生命を憎悪するという問題である。
 前者について簡単に触れたい。
 不連続的差異論は、陽(自我)と陰(魂)を分離した。
 しかし、何をまだ、分離していなかったのか。
 陽凸iと陰凹iを分離したものの、陰凹iと+1を分離しなかったのではないだろうか。言い換えると陽凸iと−1(自我)と陰凹iは分離したが、陰凹iと+1の生命欲が分離しなかったのではないだろうか。
 思うに、−1が頭脳自我であり、+1が身体生命である。
 そうならば、陰凹iと+1のさらなる分離が必要である。これは、言うならば、非連続的不連続的差異論である。これは、氣的身体論ないし中丹田的氣的陰陽バランス論が必要である。D.H.ロレンス的に言えば、王冠=聖霊的陰陽均衡論である。
 聖霊は私の用語では、「こころ」である。
 とまれ、氣的聖霊的陰陽均衡論が必要だと思う。
 それによって、陰凹iと+1の生命欲が分離されて、純粋化するのである。いわば、二重現象学的還元である。
 とまれ、二つの不連続化が必要ということになるのである。
 二重不連続的差異論である。
 また、先に次のように書いた。以下の赤線下線部を見られたい。


死の欲動は過剰自我の破壊的衝動?:金儲け主義には魔が取り憑く
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11942873265.html

追記:陰陽方程式凹i*凸i⇒±1、または凹i*凸i⇔±1であるが、死の欲動は、⇒−1なのか、それとも、⇔±1の←の方向なのか。
 父権的自我は⇒−1で説明がつくだろう。では、←±1とは何か。それは、根源への回帰の志向である。
 ⇒±1は、フロイト的に言えば、エロスの衝動であろう。セクシュアリティの衝動であろう。生命欲である。
 しかし、⇒−1の自我欲があるので、⇒±1は、自我的生命欲である。
 問題は、やはり、←±1の←のベクトルの意味である。
 どうも、これこそ、死の欲動ではないだろうか。⇒−1は自我欲であり、確かに破壊的であるが、必ずしも、死の欲動ではないだろう。
 わかりやすくするため、破壊の欲動を⇒−1とし、死の欲動を←±1としよう。
 思うに、死の欲動とは宗教衝動ではないだろうか。根源の太極・陰陽へと回帰する衝動のように思われる。
 プラトンのエロースもそういうものではないだろうか。
 いわゆる、霊や精神というものも、ここに存するのではないだろうか。例えば、バッハの音楽は、まさに、ここを根源にしているのではないだろうか。
 ←±1の←の先には、いわば、太極・陰陽霊があるだろう。これは、普遍的にすべての宗教に共通するのではないだろうか。
 思うに、この死の欲動=宗教衝動=霊的衝動をコントロールする必要がある。そうでないと、まさに、破壊的にはたらくと思う。なぜなら、これは、地上で目的が見つからないからである。破滅的衝動となるだろう。
 作家、芸術家が破滅的になる傾向があるのは、この欲動があるからと考えられる。
 一般の人は、⇒±1の自我的生命欲衝動で生きているのであり、←±1の形而上学的衝動を抑えていると思う。
 問題は、←±1の衝動と→±1の衝動のバランスをとることである。言い換えると、精神と身体のバランスをとることである。
 最後に現代の破壊の衝動であるが、これは、⇒−1の父権的自我の衝動とみる。
 しかしながら、発出しだした、根源回帰衝動を否定しているので、反動状態になっているのである。この反動が凶暴(狂暴)性をもたらしていると考えられる。
 父権的自我の反動的暴力衝動である。それが、銭葬夜の破壊主義と考えられる。


 どうも、それは間違いである。「地上で目的が見つからない」というのは間違いである。
 実は、二重不連続化(一次・二次的不連続化)によって、陰凹iと+1が分離することによって、地上における他者が見つかるからである。一次的不連続化では、他者が自己生命欲と未分化で、いわば、利己的になるのである。盲目なのである。
 しかし、二次的不連続化を経ることで、地上の他者が生じるのであり、いわば、理性が生じるのである。地上の他者との共生が生じるのである。
 思うに、そのとき、陽凸iの「自我」であるが、それは、いわば、共我ないし共自我というべきものではないだろうか。他者とともにある自我であるからである。
 今はここで留める。


2014年10月08日(Wed)▲ページの先頭へ
「初めに、太極⇔陰陽ありき」:ロゴスは言葉というより、太極=陰陽とすべきだろう
「初めに、太極⇔陰陽ありき」:ロゴスは言葉というより、太極=陰陽とすべきだろう

テーマ:ニュー・イースタンの時代:新東洋の時代

形而上学入門 (平凡社ライブラリー)/平凡社

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最近は、あちこち、本を小食ならぬ、小読しているが、ハイデガーの『形而上学入門』は面白い。主著の『存在と時間』より、本質に迫っていると思うが、そこで、ロゴスについて述べているが、実に、興味深い(まだ、かじっている段階だが)。
 それは、論理や言葉というものではなく、陰陽論の太極⇔陰陽(対極)と類似していると思う。
 思うに、ハイデガー哲学は、東洋哲学に似ているのである。存在とは、氣に通じるのである。
 思うに、20世紀欧州哲学は、東洋哲学へと志向しているのである。
 そう、文学=哲学者のD.H.ロレンスであるが、彼の思考も、東洋哲学的である。
 しかし、彼は、西洋の個人主義を取り入れた陰陽論を説いている。それは、新東洋哲学である。
 近現代西洋とは実は、内部に東洋を包摂しているのである。
 しかし、明治維新は脱亜入欧を唱え、まったく勘違いしたのである。阿呆である。
 
マルチン・ハイデッガー『ロゴス』解説
www.h6.dion.ne.jp/~yukineko/logos.html


* キャッシュ
* 類似ページ

しかし、ハイデッガーはロゴスの動詞形のレゲイン(λέγειν)を、ドイツ語のlegen、つまり〈
下に=そして前におくこと:nieder und vorlegen〉に結び付けて考える。ギリシャ語と
ドイツ語とでは系統がちがうのだが、この二つの語は単なる偶然の音の一致ではなく、 ... 

追記:ヨハネの福音書の有名な冒頭は、本来、ギリシア語で書かれ、「初めにロゴスありき」である。
 これをほとんど「初めに言葉ありき」と訳している。
 しかし、これを「初めに太極⇔陰陽ありき」とすると、聖書が東洋化して、活きてくるだろう。
 思うに、神が太一(たいいつ)であり、ロゴスが太極⇔陰陽である。
 〈エン アルケー エーン ホ タイジ⇔インヤン〉

ヨハネによる福音書 序文
ヨハネによる福音書 1:1-2
1_01
 「はじめ・に」、ギリシャ語で「エン・アルケー」という始まりの2つの言葉は、70人訳聖書の創世記1章1節の冒頭の言葉と全く一緒です。新約聖書中の"en"というギリシャ語前置詞は、ヘブライ語の"be"という多様な意味を持つ前置詞の置き換えである事が多いのですが、この場合は正に典型的な例です。単に時間的な「始めに」という意味だけでなく、創世記のように「始まりはこうであった」という、理由付けの意味も含まれていると考えて良いと思います。
 続く「言葉があった。」と、訳される部分の動詞は、未完了形ですから、「在る」という状態が現在まで線的に続いていて、しかもそれが将来に向かって続いている状態を指します。日本語に訳せば、「世の初まりに言葉があり、それは今もあり、これからも。」というニュアンスに近く、昔の一回切りの出来事では無かったことを示しています。
 これに続く、接続詞"kai"によって繋がれている2つの部分にも全く同じ動詞(eimi)の未完了形"en"が用いられています。1つ目の文節は「(その)言葉は(世の初まりに)神と共にあり、それは今でもそうであり、これからも」と解釈できます。2つ目の文節はギリシャ語のbe動詞"eimi"をヘブライ語の"haya"(存在する)と考えて、「神は(世の初まりに)言葉として存在し、それは今でもそうであり、これからも」と捉えることができます。そのように考える理由は、2節の「それ(言葉)は最初に神と共に在り、それは今でもそうであり、これからも」という、存在と深い関わりがあると思うからです。”YHWH”(ヤーヴェ)という主なる神の名は "HYH"(ハーヤー)という、「存在する」あるいは「有る」という動詞に由来するのは周知の事実です。
 2節は、1節で言っていることを纏めて言い表したものです。別な表現をすれば、これが冒頭の主題と言えるのです。1節は音楽で言えば前奏で、2節に曲の本当の始まりがあるようなものに感じられます。



[ヨハネによる福音書]第1章(POSSIBLE訳聖書) - 疲れた心に強い翼を!

ウェストコットとホートの「ギリシャ語本文」
(possible版行間逐語訳)


possible訳聖書

1 en(中に,〜の内に,〜に,〜によって,〜の手段により) archee(支配に,支配者に,はじめに,最初に,原始に,本源に) een(彼は存在していた,生存していた,〜であった,いた,い続けていた,あり続けていた) ho(その) logos((思想,意志の表現としての)言葉,発言,話,説明,神のみ言葉,ロゴス,計算), kai(そして) ho(その) logos((思想,意志の表現としての)言葉,発言,話,説明,神のみ言葉,ロゴス,計算) een(彼は存在していた,生存していた,〜であった,いた,い続けていた,あり続けていた) pros(〜に向かって,〜の方へ,〜に対して,〜と行き来して,〜と常に接触して,〜と密なる交わりの中に,〜と向き合って,〜と一緒に,〜と共に) ton(その) theon(神を), kai(そして,こうして) theos(神(「無冠詞」の神で,「性質」や「性格」を強調)) een(彼は存在していた,生存していた,〜であった,いた,い続けていた,あり続けていた) ho(その) logos((思想,意志の表現としての)言葉,発言,話,説明,神のみ言葉,ロゴス,計算).
 (エン アルケー(イ) エーン ホ ロゴス, カイ ホ ロゴス エーン プロス トン セオン, カイ セオス エーン ホ ロゴス。)

1 本源(根源)の内に,《その》言葉は〈ずっと〉存在し“続け”ていた。また,《その》言葉は,《その》神と〈向き合い,常に[神と]接触し〉交流し[ながら]存在し“続け”ていた。こうして《その》言葉は,神〈としての性質〉[を持ち],〈ずっと〉存在し“続け”ていた。
2 houtos(この人,この者,この男) een(彼は存在していた,生存していた,〜であった,いた,い続けていた,あり続けていた) en(中に,〜の内に,〜に,〜によって,〜の手段により) archee(支配に,支配者に,はじめに,最初に,原始に,本源に) pros(〜に向かって,〜の方へ,〜に対して,〜と行き来して,〜と常に接触して,〜と密なる交わりの中に,〜と向き合って,〜と一緒に,〜と共に) ton(その) theon(神を).
 (フートス エーン エン アルケー(イ) プロス トン セオン。)




乳酸菌複合有機体的養蜂革命:飯山一郎氏の超執念の結晶:乳酸菌のパワーとは何ぞ哉

テーマ:放射能大洪水飯山一郎新方舟:乳酸菌日光浴

飯山養蜂革命である。画期的というか、自然人類進化的である。
 結局、ミツバチもさるものの、主導的役割は乳酸菌である。
 直観では、乳酸菌は、生命現象が起きるときの、負の部分を抑制して、正の部分を活性化させるように思える。
 生命とは陰陽調和パワーである。しかし、陰陽調和を阻害する要因が生命活動に生まれるのである。それは病気を生むのである。
 陰陽調和を阻害する要因とは、やはり、直観では、有機体を破壊する無機物化である。あるいは、純粋物質化である。つまり、反有機体的現象が生じるのである。(思うに、ガン細胞もそのようなものではないだろうか。)
 これは、PS陰陽論では、陽化なのである。あるいは、陽極大化なのである。そう、陰陽は陰が主導する陰陽調和と陽が主導する陽陰物質化があると考えられる。
 この陽主導物質化の増加を乳酸菌は防ぐのではないだろうか。
 人間で言えば、腸内細菌の活性化である。
 つまり、正の部分を積極的に賦活するはたらきをもっているということではないだろうか。
 以前触れたがと思うが、例えば、酸性化を防ぎ、アルカリ化するのである。
 別の視点で言えば、エントロピーの増加を防ぐのである。
 生命活動は反エントロピー的であるが、実際には、物質現象的には、エントロピーが拡大するのであり、その支配を乳酸菌は防ぐように思う。
 やはり、以前、示唆したように、乳酸菌は氣エネルギーをもっているのであり、それを反有機体的物質化に対抗して、氣エネルギーを物質に与えて、陰陽調和振動を付与するのではないだろうか。
 今は、思いつきのみ。
 

◆ 2014/10/07(火)  世界中で蜜蜂が減っているのに…
あふれんばかりの蜜蜂!
溢れんばかりの蜂
蜜蜂が激減している というのに、我が庭の巣箱では日本蜜蜂が激増!

先ず、乳酸菌の大量散布のお陰で、病気にならない! 長生きする! スムシに食われない!

次に、植物の成長点から抽出した成長ホルモンのお陰で、蜜蜂の成長が早く、蜂の数も増える。

あと、ミード(洋バチの蜂蜜をアルコール発酵させてつくった蜂蜜酒)のお陰で、女王バチの産卵能力や産卵数が激増する。

さらに、あらびき茶 のカフェインのお陰で、蜜蜂たちが張り切って遠方まで元気よく飛ぶようになる。
「お陰様! お陰様! m(__)m」と、飼い主(飯山一郎)が感謝の心(人徳)で接しているので、蜂たちも張り切って、子づくり、子育てに精をだすようになる。
乳酸菌を巣箱に運ぶ蜜蜂たち
巣箱に乳酸菌を運ぶため
ミードや、あらびき茶 や、乳酸菌や、成長ホルモンや、誘引剤(花の芽の抽出液)などを混ぜた秘液を 小皿に入れる…。

すると…、
蜂たちが大量に集まってきて、秘液を吸い、秘液の成分(乳酸菌など)を足に付けて、巣箱(うしろに見える木の箱)に運ぶ…。

あとは…、
乳酸菌が自動的に巣箱のなかで増えていって他の蜜蜂たちにも伝染して、巣箱全体が元気になる!
もちろん、成長ホルモンが「催淫剤」に変化して、女王バチや育児バチが子づくり、子育てに精を出すようになる!と。
「養豚」とは、ようするに、ブタの数を増やすことだ。
「養蜂」も、「養蜂」と言うからには、ハチの数を増やすべきだ。

今までの「養蜂」は、ハチの数を増やすのは成り行きまかせだった。

ところが!
飯山一郎サンの「養蜂」は、積極的、爆発的にハチの数を増やす!

すごいっしょ?!

「もし、ミツバチがこの地球上から消え去ったならば、人間社会は4年後には崩壊してしまうで あろう…」
こう↑言ったのは誰だっけ?

ともかく、いま、何としても! 蜜蜂は増やさねばならん。

だっから、鷲は、いま、連日連夜、日本蜜蜂を増やすための工夫の日々を送っている。あらびき茶 をガブ飲みしながら…(爆)

それから…、
お陰様で、あらびき茶の販売代理店の数が200店になりました!

あらびき茶の販売は、健康(免疫力)と、幸せ(「緑茶って、こんなに美味いんだぁ。幸せ!」)をお客様にお届けする仕事です!
なお一層のご健闘を期待します!>販売代理店の皆様

飯山一郎のHP



陰陽方程式凹i*凸i⇒±1に於いて、シュタイナーの天の力は⇒+1で、地の力は⇒−1ではないか

テーマ:霊学:シュタイナー精神学

以前、述べたと思うが、シュタイナーの説く、天の力と地の力の相互作用であるが、それは、PS陰陽論から見ると、前者は⇒+1、後者は⇒−1ではないだろうか。
 陰陽調和が天の力であり、陽主導の陰陽作用が地の力ではないだろうか。
 ガウス平面で言えば、実軸+1が天であり、実軸−1が地となるだろう。



                     凸i虚軸
                      |
                      |
                      |
                      |
                      |
        地 −1______MP_____+1 実軸  天
                      |
                      |
                      |
                      |
                      |
                      凹i
 

 ところで、原点のMPは、南方熊楠の説く萃点(すいてん)と共通するのではないだろうか。

南方曼荼羅 - 日本語と日本文化 - 東京を描く


この図は、民俗学者の間で「南方曼荼羅」と呼ばれているものである。この奇妙な図を南方熊楠は、土宜法龍宛明治36年7 月18日付書簡の中で描いて見せた。この書簡の中で熊楠は、例の通り春画やらセックスやらとりとめのない話題に寄り道をした挙句に突然仏教の話に入るのであるが、この図はその仏教的世界観(熊楠流の真言蜜教的な世界観)を開陳したものとして提示されたのであった。

・・・

たとえば図の(イ)という点では、多くの線が交叉している。熊楠はこれを萃点(すいてん)と呼んだ。萃点は多くの事理が重なる点だから、我々の目につきやすい。それに対して(ハ)の点は二つの事理が交わるところだから、萃点ほど目立たぬが、それでも目にはつきやすい。(ロ)の点は(チ)、(リ)二点の解明を待って、その意義が初めて明らかになる。(ヌ)はほかの線から離れていて、その限りで人間の推理が及び難いが、それでも(オ)と(ワ)の二点でかろうじて他の線に接しているところから、まったく手掛かりがないわけではない。だが(ル)に至っては、ほかの線から完全に孤立している。したがって既に解明済みの事柄から推論によって到達するということが困難なわけである。

http://japanese.hix05.com/Minakata/minakata105.mandara.html

日本語と日本文化


追記:以上の図はイが見にくいので、以下に別の画像を張り付ける。




南方熊楠の曼荼羅論
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/rensai/asu/23.html


シュタイナー「精神科学と医学」 - Bekkoame

●第18講(本文)

もう一度地球を覆っている植物の面に、すなわち地球の植生に属するものの総体を観察してごらんなさい。地面から宇宙空間に向かって成長しているこの地球の植生全体は、単に地面からこの宇宙空間に向かって成長しているのみならず、ある力により引っ張られていること、つまり、もうお聞きになったとは思いますが、この植生のいたるところでは、地球から植物の内部へと作用する諸力とまったく同様に、植物の成長の一部となっている力が作用している、ということについて、私たち ははっきりと理解しておかなくてはなりません。地球から植物のなかに作用する諸力と、地球外の宇宙から植物へと作用を及ぼす諸力との間には、絶え間ない相互作用が成立しているのです。さて、このような作用、私たちの周囲に実際常に存在しているはずのこの作用はどこにあるのでしょう。宇宙から作用を及ぼして きている諸力が完全に現われることになれば、つまり、宇宙からの力が完全に植物を捉えることができたとしたら、諸惑星がこれらの諸力をまた後退させ、完全に植物を包んでしまわないように配慮しないとしたら、植物は、茎から花と種子へと成長していく際、常に動物になってしまう傾向を持つことになるでしょう。 動物化の傾向が存在するわけです。植物においては、このように宇宙から作用してくるものに対抗して、他方で地球の方から、植物存在を抑え、植物存在の内部で鉱物化させようとする傾向が作用します。

 つまり、注意していただきたいことは、植物存在とは本来、塩化する傾向、つまり植物実質のなかに鉱物を沈殿させ、鉱物化する傾向と、炎症を起こす傾向、つまり動物化する傾向との間で、中庸を保っているのだということです。これは外的自然のなかに常に存在していることです。

 けれども、今皆さんに述べましたことは、人間の生体組織そのもののなかにも、内化され、中心化されて常に存在しているのです。人間の生体組織は、肺というものを持つことによって、ほんものの小さな地球なのです、そして植物の組織においては、まさに地球から発して植物の生体組織のなかに入り込んでく る力が地球から上に向かって作用していますが、それとちょうど同じように、肺から作用するものはすべて、人間の生体組織においては下に向かって作用します。呼吸と心臓の働きを通じて内的な肺の新陳代謝その他に対抗するものはすべて、この宇宙的なもののように外に向かって作用するのです(図参照)。







 さて、人間の生体組織には不可欠のことがあります。生体組織から最終的に心臓の働きのなかに集約されるものはすべて、肺の内的な新陳代謝のなかに最終的に集約されて組織されるものからは、隔てられていなければならない、ということが不可欠なのです。これら二つの活動、これらは、両者の間にいわ ばーーこういう表現を用いてよろしければーーエーテル的な横隔膜[Zwerchfell]あるいはアストラル的な横隔膜がある、という状態以外では互いに 作用してはならないのです。この二つの活動は互いに隔てられていなければなりません。そうすると、こういう問いを投げかけざるをえません、こういう横隔膜ーーこの言葉を使うのは、イメージとして暗示したいからですーーというものが本当に存在しているのか、頭、のど、肺の活動が、外的な呼吸によるのとは別 のしかたで腹部および胸の活動と混ざり合うのを防いでいる、そのような横隔膜が存在するのか、と。ーーこういう横隔膜は存在します、そしてこれは外的な呼吸のリズムそのものなのです。ここで皆さんは、上部人間と下部人間を相互に調律することに至ります。人間における律動的活動と呼ばれるもの、呼吸のリズム のなかに外的、物理的に現われているこのリズミカルな震動、この物理的な震動が、エーテル活動、アストラル活動にまで継続され、まだ肺のなかへと集約されている上部人間の地の力と、心臓のなかにその現われが見られ、宇宙において周辺から地球の中心へと作用するように下から上へと作用する下部人間の天の力と をお互いに引き離しておくのです。

●「精神科学と医学}(GA312)翻訳紹介(yucca訳) *17講訳修正 (2013.2.14.登録)
 PDFデータ medizi.pdf  *新しく横書きで再編集しています。

日本語訳が少しわかりにくいので、以下原文をあげる。

ACHTZEHNTER VORTRAG Dornach, 7. April 1920

Betrachten Sie noch einmal die die Erde bedeckende Pflanzen-fläche, das heißt die Summe alles dessen, was zur Vegetation der Erde gehört. Wir müssen uns klar sein darüber, daß diese ganze Vegetation der Erde, wie sie von der Erde aus dem Weltenraum entgegenwächst, nicht bloß aus der Erde heraus diesem Welten-raum entgegengeschickt wird, sondern daß sie hinausgezogen wird durch Kräfte, daß also, wie wir ja schon gehört haben, überall hier Kräfte wirken, welche zum Pflanzenwachstum genau ebenso ge­hören wie die Kräfte, die von der Erde aus in die Pflanze hinein-wirken. Es ist eine fortwährende Wechselwirkung zwischen den Kräften, die von der Erde aus in die Pflanze hineinwirken, und zwischen den Kräften, die aus dem außerirdischen Kosmos auf die Pflanze wirken. Nun, worinnen besteht diese Wirkungsweise, die ja eigentlich in unserer Umgebung fortwährend vorhanden ist? Würde es dazu kommen, daß diese Kräfte, die da aus dem Kosmos hereinwirken, voll zum Ausdruck kommen, daß sie also ganz die Pflanze ergreifen könnten, würden nicht die Planeten dafür sorgen, daß sich diese Kräfte auch wiederum zurückziehen können, daß sie also nicht voll die Pflanze umfassen, so würde die Pflanze, wenn sie vom Stengel aus der Blüte und dem Samen entgegenwächst, immer die Tendenz haben, zum Tiere zu werden. Es ist die Tendenz vorhanden der Tierwerdung. Das, was da aus dem Kosmos herein-wirkt, dem wirkt auf der anderen Seite wiederum entgegen aus der
#SE312-330
Erde herein bei der Pflanze die Tendenz, das Pflanzensein zu unter­drücken und innerhalb des Pflanzenseins sich zu mineralisieren.
Also ich mache darauf aufmerksam, daß eigentlich das Pflanzen-sein die Mitte hält zwischen dem Hinneigen zum Versalzen, zum Ablagern von Mineralien in der Pflanzensubstanz, zum Minerali­sieren und zum Sichentzünden, zum Tierwerden. Das ist etwas, was fortwährend vorhanden ist in der äußeren Natur.
Dies aber, was ich Ihnen jetzt beschrieben habe, ist auch fort­während vorhanden verinnerlicht, zentralisiert in dem mensch­lichen Organismus selber. Der menschliche Organismus ist dadurch, daß er eine Lunge hat, eine richtige kleine Erde, und alles das­jenige, was von der Lunge aus wirkt, wirkt geradeso im mensch­lichen Organismus nach unten, wie von der Erde aus in den Pflan­zenorganismus nach oben die Kräfte hineinwirken, die eben von der Erde aus in den Pflanzenorganismus hineingehen. Und alles dasjenige, was durch die Atmung und Herztätigkeit dem inneren Lungenstoffwechsel und so weiter entgegenkommt, das wirkt so wie dieses Kosmische draußen (siehe Zeichnung Seite 330).
#Bild s. 330
Nun besteht eine Notwendigkeit im menschlichen Organismus. Es besteht die Notwendigkeit, daß alles dasjenige, was sich zuletzt
#SE312-331
konzentriett vom Organismus aus in der Herztätigkeit, ferngehal­ten wird dem, was sich organisiert, sich zuletzt konzentrierend in dem inneren Stoffwechsel der Lunge. Diese zwei Tätigkeiten, die dürfen nicht anders aufeinander wirken, als daß zwischen ihnen gewissermaßen - wenn ich mich des Ausdrucks leedienen darf -ein ätherisches Zwerchfell ist oder ein astralisches Zwerchfell. Diese beiden Tätigkeiten müssen auseinandergehalten werden. Und wir müssen die Frage aufwerfen: Ist dieses Zwerchfell - ich ge­brauche das Wort nur, um ein Bild anzudeuten - wirklich vor­handen? Gibt es ein solches Zwerchfell, welches abhält die Kopf-, Hals-, Lungentätigkeit, sich zu vermischen mit der Bauch- und Brusttätigkeit anders als durch den äußeren Atmungsrhythmus? -Dieses Zwerchfell gibt es, und es ist der äußere Atmungsrhythmus selber. Und da kommen Sie auf die Ineinanderstimmung des oberen und des unteren Menschen. Dasjenige, das man rhythmische Tätig­keit im Menschen nennt, dieses rhythmische Erzittern, welches sich äußerlich physisch ausdrückt im Atmungsrhythmus, dieses phy­sische Erzittern setzt sich bis in die Äther- und Astraltätigkeit hin­ein fort und hält die Erdenkräfte des oberen Menschen, die noch in die Lunge hinein sich konzentrieren, und die Himmelskräfte des unteren Menschen auseinander, die durch die Tätigkeit, die im Herzen dann ihren Ausdruck findet, von unten nach oben wirken, so wie sie im Kosmos von der Peripherie nach dem Zentrum der Erde hin wirken.

GA 312 Geisteswissenschaft und Medizin ( 22 Beiträge )

Freie Verwaltung des Nachlasses von Rudolf Steiner


2014年09月24日(Wed)▲ページの先頭へ
仮説:三つ巴原理:凹i*凸i⇒±1の⇒±1において、三等分割形成原理(三つ巴原理)が作用する
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11929226539.html

仮説:三つ巴原理:凹i*凸i⇒±1の⇒±1において、三等分割形成原理(三つ巴原理)が作用する

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

先に、点から、反発力で、陰陽極性が生まれることを仮説し、また、それ以前に、陰陽衝突で、90°回転して、プラスマイナス1が形成されると述べた。
 つまり、陰陽ガウス平面でいうと、陰陽は虚軸であり、±1は実軸である。
 これらは、いわば、二元極性である。
 問題は、三つ巴のような三等分割原理なのである。
 これは、どうやって生まれるのか。以前、フィボナッチ数列で説明したが、いまだ直観的明晰さがない。
 とは言え、やはり、フィボナッチ数列が等分割原理となると作業仮説するといちおう説明できる。
 すなわち、0+1=1、1+1=2、1+2=3であるが、0は太一(たいいつ)で、1が太極で、2が陰陽で、3が三つ巴ないし正三角形である。
 さらに、2+3=5で、正五角形であり、ピュタゴラス学派の秘数である。
 これは、等分割形成原理と仮説しよう。決して、次元数ではない。
 とまれ、問題は、3であるが、これは、凹i*凸i⇒±1の陰陽方程式において、⇒±1の実軸の形成のときに発生する等分割数と考えられるのである。つまり、螺旋が形成されるが、その螺旋は、等分割形成原理として、三等分割形成原理、三つ巴原理をもつと考えるのである。
 思うに、⇒±1であるが、実は、このとき、陰陽ガウス平面においては、4つの象限が生まれる。つまり、四元性が生じるのである。これは、空間的ベースではないだろうか。例えば、四大(地水火風)であり、東西南北の四方角である。
 しかし、同時に、三等分割形成原理が作用すると見るのである。
 だから、螺旋は三等分割によって、三つ巴を形成するのである。これは、植物では、三つ葉となるだろうし、おそらく、葉の形成原理である。花弁形成は、五等分割原理が優勢であろう。でも、四枚の花弁の形成原理は何か。これは課題としよう。

追記:陰陽方程式:陰凹i*陽凸i⇒±1(実は、⇔±1であるが)において、⇒±1は、三等分割形成原理と四大的四等分的原理だけでなく、3×4=12等分割の原理を形成するのではないだろうか。それが、黄道十二宮であり、一年12か月の原理ではないだろうか。結局、三等分割原理、四等分割原理、十二等分割原理が、陰陽方程式で発生することになるのである。これは、正に、宇宙・自然の原理と言えよう。
 
追記2:二年前以下のように説明していた。しかし、今から見ると、整合性が乏しいだろう。それよりは、やはり、フィボナッチ数列の等分割原理を仮説した方が整合性があると言えよう。

追記3:以下の説明であるが、それをフィボナッチ数列に組み込めばいいのである。つまり、太極的一極が陰陽二極に組み込まれるのが、フィボナッチ数列なのである。つまり、1+2=3であり、この3が三等分割=三つ巴なのである。


三つ巴と無双PS原理:無双PS原理から三つ巴を説明する:東洋母権文明と西洋父権文明

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

同一性について:自己・陽・凸iのもつ唯一絶対的同一性と直観・他者・陰・凹iの絶対的多様性
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11298889775.html

先に以上において、簡単に父権主義と母権主義の哲学力学について述べたが、そこから、派生的に、三つ巴の説明ができると考えられる。

resurrectionのブログ
三つ巴の紋所の一つ「左三つ巴」
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/212498/m0u/picture/0/

 以前、それについては、陰陽の極性とMPで三元性を説明したが、先の考えは、それよりさらに明快に説明できる。
 即ち、MPの主導性から端的に三つ巴が発生すると考えられるのである。MPにおいて、太極が作用する。それは、三つ巴の一極となる。そして、そこから、陰陽の二極が生起するのである。即ち、太極の一極と陰陽の二極の一元的連関が三つ巴であるということである。
 言い換えると、三つ巴は母権主義(女神文明)の象徴なのである。神社のシンボルの一つが三つ巴であるというのは、神道が母権主義、女神文明であることを意味していると言えよう。

resurrectionのブログ


resurrectionのブログ

佐原の大祭秋祭りの奉納先、「諏訪神社」
http://tama-kousaku.ocnk.net/data/tama-kousaku/image/DSCN43610001.JPG

 ついでながら、神社の透かし彫りで一般的な龍であるが、それはあきらかに、やはり、MPを根源にする陰陽極性様態を意味しよう。あるいは、端的に、三つ巴の様態である。


resurrectionのブログ
聖ゲオルギウスと竜 St. George and the Dragon

http://blogs.yahoo.co.jp/renegaderow/51909252.html

 また、文明文化史論から言うと、西洋文明文化において、聖ゲオルギウスの龍退治が有名であるが、それは、女神の殺戮、東洋文明・女神文明の破壊、MPの排除と考えられる。
 メルヴィル/D. H. ロレンス的に言うと、龍は白鯨(モービー・ディック)であり、それを追跡するエイハブ船長は聖ゲオルギウスである。

追記:上図の『聖ゲオルギウスと竜』における左の女性は、父権制の虜となった女性原理を意味しよう。言わば、家庭に閉じ込められた天使(女神)である。

追記2:ケルト文化のケルズの書も三つ巴文様をもっている。ケルト文化も東洋母権文明に通じるのである。古代において、海洋や大陸を通じて、「西洋」と東洋や環太平洋は通じていたと考えられる。

resurrectionのブログ

ケルズの書
参照:

*
検討問題諸々

・・・る(p. 222)。直観では、正に、ミトラである。太陽神である。どうも、古代アメリカ大陸は、ミトラ的文化であったようである。つまり、太陽神文化である。即ち、シュメール・ケルト・アジア母権・母系・母神大文化圏に通ずるというこ・・・[2012年01月25日]

resurrectionのブログ

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11146168309.html

*
検討問題:ケルト・アジア母権大文化圏とシュメール:高度母権文化と・・・

1)血とは何か。精神と血の連関。氣と血の連関。予見では、血は、氣(精神)の物質的媒体である。民族の血を問題にするのは正しいだろう。2)ケルト・アジア母神・母権・母系大文化圏とシュメールの関係を丁寧に考察する:ケルト文化の鹿と仏教・・・[2012年01月24日]

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http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11144512773.html

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ケルト・アジア母権・母系的大文化圏とシュメール民族・文化

・・・、天の神である。しかし、女神はイナンナinannaである。 どうも、Anuにしろ、inannaにしろ、ANが共通である。これは、DANUと通ずるのはないだろうか。そう、ケルト民族の大女神ダヌと通じるように推測される。 そう・・・[2012年01月22日]

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http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11142947671.html

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検討問題:凸iと感覚:日本における南方母権民族と北方父権民族:二・・・

1)凸iは感覚、外的感覚、「五感」であり、物質的ではないだろう。原物質的、原同一性的とは言えようが。2)日本文化、日本民族問題:英国は、大雑把に言って、基層のケルト文化(これを現代イギリス人はほとんど認識していない)の上に、アン・・・[2012年01月20日]

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トゥアハ・デ・ダナーン

・・・hə dʲeː d̪ˠan̪ˠən̪ˠ] 、古アイルランド語:トゥーアサ・ジェー・ザナン [tuːaθa ðʲeː ðaNaN])またはダーナ神族(ダーナしんぞく)は、ケルト神話で語られるところでは神の一族とされる一族。ト・・・[2012年01月07日]

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http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11129054347.html

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仮説:古代世界海洋の道:ケルト、タミール、東南アジア、琉球・沖縄

・・・味深い。 即ち、古代の倭国連合の貿易範囲が東南アジアの海洋に及ぶことであり、また、タミール文化とのそれとの関係である。 私が折口信夫の『古代研究』において、琉球の宗教がケルト神話に酷似したことに驚愕したことは既述した。 で・・・[2012年01月07日]

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源日本母権文化! DNA分析の研究、約5900年前の縄文人の人骨・・・

・・・学的に証明されたのである。 pic.twitter.com/93G6Z5XV このメディアを報告する powered by Photobucket (フォトバケット) ケルト人とアイヌ人の相似性と対極性テーマ:歴史ケルトと・・・[2011年11月12日]

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みつどもえ【三つ巴】の意味 - 国語辞書 - goo辞書
dictionary.goo.ne.jp › 国語辞書
みつどもえ【三つ巴】とは。意味や解説。1 三つのものが互いに対立して入り乱れること。「―になって争う」2 三人が向かい合って座ること。三つ鼎(がなえ)。3 紋所・文様の名。巴を三つ組み合わせて円形にしたもの。 - goo辞書は国語、英和、和英、中国語、百科 ...

巴 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/巴 - キャッシュ 類似ページ
後には特に武神である八幡神の神紋として巴紋(特に三つ巴)が用いられるようになり、さらには他の神社でも巴紋が神紋として用いられるようになっ ... また、ヨーロッパには、三つ巴に似た「トリスケル(triskele)」という文様があり、日本では三脚巴と訳されている。
巴御前 - 巴 (能) - 三脚巴 - 巴山


   <無双PS原理ガウス平面>

  陰・凹i(-i)・光子:「天」:他者:空間形式
              |
              |
              |
              |
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−1_____太極・MP・母権______+1
無機物          |           有機体・生命体
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              |
陽・凸i(i)・重力子:「地」:自己:時間形式:父権

参照:

愛の日記


■ 春分図と夏至図

日記 マドモアゼル・愛  2012年07月09日(MON)


日本の春分図と夏至図を見ると、共通している部分が多い。上昇はどちらもしし座。度数も近い。10ハウスには金星と木星が合となっている。春分と夏至では4カ月もたつので、通常は金星と木星が同じく合になる確率は非常に少ない。

動きの遅い大惑星なら4か月程度では変わらない場合があるが、金星と木星の合がどちらの図にも出てくるのは珍しいと思う。

上昇がしし座で共通と重ね合わせると、どんなことを読めるか。なんだか、現状とは異なるイメージなのだ。

しし座上昇も金星と木星の合も、どちらも遊びと関係。どちらかと言えば、浮ついた、楽しみ優先の星の配置。面倒なことはそっちのけにして、まず遊ぼうよ、、、という誘いにも見える。

豊富な恋愛体験や、見せびらかし的贅沢とか、プリントアウトされたような大衆芸術というイメージがある。

問題続出の現在の日本、行き詰って堅くなった現在の日本とは、なんだか違うぞ、、、というイメージだ。


星はウソをつかないので、いまの日本にはこうした遊びや恋愛過多とも呼べるような舞い上がった気楽さがあってもよいということになる。

たとえば、国会を取り巻くデモ。これなんかも、子供づれやピクニック気分もあって、よい方向に行っていると思うが、確かにそういうことである。思想や抵抗するイメージよりも、新たな遊びに変えていってしまう。

具体的には今ひとつイメージ化できないが、恋人たちのデート抗議なんかは面白いかも。愛し合うカップルが、原発があるような国じゃ、子供を産めないわよ、、、というような抵抗感を、カップルが熱烈キスしながら何組もつらなって歩いて訴える、、、なんか、とてもいいような。

 恋人募集男軍団がデモパレード。待ち伏せする恋人募集女子軍団。なんて構図があったら、私も駆けつけるよ。でも変なおやじたちだけが売れ残って言い合いになったりすると、機動隊がなぐさめてくれるなんてなると、日本も本当によくなると思う。

デモに限ったことではなく、世直しの楽しいパフォーマンスで遊ぶことで、ある一線を越えた新たな世界が出てこないとも限らない。そんな実験を若者を中心に考えて実行していくと面白いと思う。

原発賛成派が大きな画用紙にペンキをぶちまける。
今度は原発反対派が大きな画用紙にペンキをぶちまける。そして作品を比べあう、、、なんて、面白くないか。つまらないか、、

最後は打ち解けあいとして、お互い、ペンキを画用紙にぶちまけ合戦して、合作として手じまい。後味も悪くなくいいかも。

どちらにせよ、みんな自分の国のことを思っている、、、というパフォーマンスとなっていくことで、対立を超えたこれまでよりも上の世界が広がってくる。

遊びの面白さは、善悪や右左、賛成や反対を超えた世界を現出させる面白さに尽きる。

なぜいま、春分図と夏至図にこのような遊びのメッセージが出てくるのか、、、、もう対立の図式自体が古くなって、それを笑い飛ばしたいからかもしれない。

対立をも遊びの中に取り入れてしまう。ダンス、音楽、キッス、何より、笑いがその中心的なものとなる。

ユーモアも本当に大事な要素である。ユーモアのない一流のものはない。一流のものの中には必ずユーモアの要素がある。対立を超えて動く原理を知っているかどうかは、ユーモアのセンスを見ればわかる。

私が観念論を捨てたのは、昔、学生だったころ、清水谷公園で学生と機動隊がぶつかり合う、まさにその瞬間、「おいも、おいも、おいもだよー」の焼き芋やの売り声を聞いた時だ。

にらみあう学生と機動隊の間に沸き起こった笑い、、、私はそれをもって以来イデオロギーを捨てたのである。

まさにそうした星の配置が訪れようとしている。

まだ自分には何が足りないとか、、もっと学んでからでないととか、、、それは確かにあるのかもしれないが、そろそろ、ありのままの自分で立つ時が来ているのではないか。

何か自分に不足しているものを必死に求め、大金を使い、学ぼうとして動き回ることもあるいは大切だとも思うが、それよりも、一体となる、、、対立を越える、、、それには笑う、遊ぶ、ことが今大事になっているのではないか。



しし座に太陽が入る前夜祭を歌って笑って楽しむ、、、そのために7月21日の妖精ディナーも企画しました。

そろそろ定員に達しますので、明日いっぱいをもって締め切りとさせていただきます。

21日の妖精ディナーでは、真夏の夜の夢のように、楽しみ、これまでの限界を笑いの中で、歌う中で越えていけたら、、、と。本当の開運法則の実験にもなるかと思います。


自己嫌悪を解放する周波数528Hzのチューナー詳細は、公式ショップまで  妖精ディナーのお申込みも

マドモアゼル・愛 公式SHOP
http://iiyama16.blog.fc2.com/blog-entry-767.html#more
『文殊菩薩(ブログ版)』

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11299598592.html
フィボナッチ数 - Wikipedia

n 番目のフィボナッチ数を Fn で表すと

F_0 = 0\,

F_1 = 1 \,

F_{n+2} = F_n + F_{n+1} \quad (n \ge 0)

で定義される。これは、2つの初期条件を持つ漸化式 である。

この数列 はフィボナッチ数列(フィボナッチすうれつ、Fibonacci sequence)と呼ばれ、

0 , 1 , 1, 2 , 3 , 5 , 8 , 13 , 21 , 34 , 55 , 89 , 144 , 233 , 377 , 610 , 987 , 1597 , 2584 , 4181 , 6765 , 10946 , …(オンライン整数列大辞典 の数列 A45 )

と続く。最初の二項は0,1と定義され、以後どの項もその前の2つの項の和となっている。

1202年 にフィボナッチが発行した『算盤の書 』(Liber Abaci) に記載されたことで「フィボナッチ数」と呼ばれているが、それ以前にもインド の音楽家であるヘマチャンドラ (Hemachandra)が和音 の研究により発見し、書物に記したことが判明している[1] [2] 。


2014年09月11日(Thu)▲ページの先頭へ
陰陽未分化から陰陽分極化への力学へ:一から二への分割力学について:等分割原理
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11923531116.html

陰陽未分化から陰陽分極化への力学へ:一から二への分割力学について:等分割原理

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

やはり、等分割原理があるということではないだろうか。
1は、全体である。そして、1を等分割すると、先ず、二等分割となる。そして、次は、三等分割、四等分割、等々となるのではないだろうか。
 自然数的等分割原理があるということになる。
 つまり、これは、一種、平等分割原理である。
 しかし、何故、自然数なのかという問題がある。
 やはり、太一と太極は区別した方がいいのか。
太一はゼロである。そして、太極は、陰陽未分化である。
 だから、太極において、陰陽力学が先鋭化すると、陰陽分極化となるのではないだろうか。
 未分化の陰陽が、分化すると陰陽対極化となるのではないのか。
 これなら、納得はできるだろう。
 未分化であった陰陽において、その微妙な対立が先鋭化すると、陰陽分極化するということになるだろう。
 つまり、陰陽未分化は、陰∞陽である。しかし、先鋭化すると、陰⇔陽となるだろう。これが、陰陽分極化である。
 陰∞陽も陰⇔陽も、両者、メビウスの帯である。
 しかし、質的に異なるだろう。
 陰∞陽は、分化していないメビウスの帯である。陰⇔陽は、分化したそれである。
 思うに、陰陽分極化とは、陰陽の一種極限化である。陰は極大の陰へ、そして、陽は極大の陽へと志向するのである。
 つまり、陰陽の反発の事態である。これが、陰陽分極化を生じさせるのではないだろうか。
 しかし、陰陽はもともと、一(いつ)、太極であり、それは、二元的絶対分離はしないのである。一における二元化、これが、陰陽分極化ということと考えられる。

追記:陰陽反発が陰陽分極化ならば、次に、陰陽牽引⇒陰陽衝突が起るだろう。それが、垂直に捩れて、実軸、±1を生むということではないだろうか。つまり、陰陽分極化は虚軸化であり、陰陽衝突が実軸化である。
 つまり、陰陽は波のように、振幅しているということである。しかし、最初は、反発で、次に、牽引である。
 ならば、その次は、また、反発である。等々。この陰陽律動(リズム)、陰陽波動、陰陽振幅が生命と死をもたらすと言えるのではないだろうか。

               陽凸i 虚軸
                      |
     U:火          |        T:風
                      |
                      |
                      |
−1_____MP_____+1 実軸
                      |
                      |
     V:地          |        W:水
                      |
                      |
                     陰凹i

           陰陽ガウス平面(象限付き)


2014年09月01日(Mon)▲ページの先頭へ
陰陽振幅:陽→←陰が生命、陽←→陰が死:凹i*凸i⇔⇔±1:⇔は氣と物質の接触領域
記号が文字化けするので、正しい記号は以下を見られたい。凹i*凸i⇔⇔±1における、最初の⇔は仮のものである。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11918606606.html

陰陽振幅:陽⇨⇦陰が生命、陽⇦⇨陰が死:凹i*凸i⇔⇔±1:⇔は氣と物質の接触領域

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

陰陽を振動と捉えると、陰と陽が牽引によって衝突する場合と、反発によって離反する場合がある。前者が生命で、後者が死を意味するのではないだろうか。結合と分解である。(追記:思うに、陰陽のサイクルがあると見るのが適切だろう。牽引のサイクルと反発のサイクルである。しかし、基本的には、陰陽はそれぞれのサイクルにおいて、なんらかの波動はもっているということではないだろうか。これについてはさらに検討する必要がある。)
 これは、わかりやすいだろう。
陰陽方程式凹i*凸i⇒±1において、⇒は前者の生命を意味するのである。しかし、凹*凸i⇦±1が後者であり、死ということになろう。(実際、この視点は、D. H. ロレンスの哲学的評論「王冠」からのものである。「王冠」は以下の本に所収されている。

不死鳥(フエニツクス) (下)/山口書店
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D.H.ロレンス紀行・評論選集 3 トマス・ハーディ研究/南雲堂
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Amazon.co.jp)

 つまり、エネルギーが生命体から離脱することを意味しているのである。故に、+1と−1の均衡がなくなり、
+1+(−1)=0(ゼロ)になり、死滅するということではないだろうか。
 生命の場合は、エネルギーの供給により、+1と−1が均衡をとっているのである。0になる(エントロピー)のを、供給されるエネルギー(⇒)が防いでいるのである(反エントロピー)。
 このエネルギーは物質エネルギーではなく、本来、氣エネルギーと考えられる。しかし、物質科学的には、物質エネルギーが供給されると見る。
 結局、氣生命科学的に興味深いのは、⇒±1の⇒の先端の領域である。あるいは、⇒の先端と±1が接する領域である。
 鍼灸で言う、経絡はこの領域であると考えられる。また、チャクラとか丹田も同様であろう。
 そう、太陽神経叢などもそうである。氣と有機体が接続する領域なのである。
 だから、便宜的に、その中間領域を表わす記号として、⇔を使用する。即ち、

陰凹i*陽凸i⇒⇔±1

となる。この氣と肉体が接する領域は極めて重要である。
 私が単に氣だけを主張するのをいくぶんためらうのは、この接触領域が実際には重要だからである。
 氣と物質の接合領域がきわめて重要なのである。
 思うに、免疫力もこの領域に関わっていると思う。太陽神経叢は肚にあり、また、腸内細菌も肚にあるのである。
 今は簡単に指摘に留める。

追記:脳的には、この中間・接触領域は、松果体ー脳下垂体に存するのではないだろうか。

追記2:−1と+1が何を意味しているのか、明示する必要がある。
 −1は陽主導の身体性であり、+1は陰主導の陰陽調和の身体性である。
 人間の場合、−1は自我的なものである。自我的身体であり、それは、大脳皮質と関係しよう。つまり、外的感覚神経と関係するのである。
 それに対して、+1は、植物的なもの、人間では、内臓に関わると思われる。
 そして、以上では触れなかったが、原点=MPは、人間では、心臓=こころ=中丹田と考えられる。
 つまり、実軸(±1と原点=MP)は身体全体を意味しているのである。ただし、人間の場合は、自我が−1に存するのである。

追記3:
陰陽方程式凹i*凸i⇒⇔±1であるが、上述では、死の方程式は凹i*凸i⇦±1となるから、それを含める必要があるだろう。とりあえず、

 凹i*凸i⇄⇔±1

としよう。⇄であるが、上部の→は生命エネルギー(氣エネルギー)であり、下部の←はいわば、死エネルギー(エントロピー)である。



何故、陰陽はπ/2、90度回転するのか?:陰陽の真正面の衝突は垂直に折れ曲がるのでは?
画像は以下見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11918242995.html

何故、陰陽はπ/2、90度回転するのか?:陰陽の真正面の衝突は垂直に折れ曲がるのでは?

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

               陽凸i 虚軸
                      |
     U:火          |        T:風
                      |
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                      |
−1_____MP_____+1 実軸
                      |
                      |
     V:地          |        W:水
                      |
                      |
                     陰凹i

             陰陽ガウス平面(象限付き)


新しい陰陽方程式:−1⇦凹i*凸i⇨+1:⇦は陽⇒陰を、⇨は陰⇒陽を意味する
−1⇦凹i*凸i⇨+1
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11918235366.html

以上のように直近で述べたが、考えたら、どうして、陰陽氣はπ/2、90度回転するのか。
 これまで、そうなるのが、当然と考えて、そのメカニズムを考えなかった。
 思うに、陰と陽が衝突することを考えればいいのである。(衝突はkaisetsu氏が述べていたし、D.H.ロレンスも衝突力学を考えていた。)
 そうすると、同じ力の衝突によって、両者は垂直に折れ曲がるとするのが妥当である。
 だから、π/2回転、90度回転するのである。
 しかし、思うに、それは、単に、陰陽ガウス平面の実軸だけでなく、いわば、その平面に直交するような新しい軸の方向にも折れ曲がるだろう。
 否、思うに、陰陽衝突は原点=MPで起るのであり、そこから、現象が生起するのであるから、結局、陰陽衝突は、三つの現象軸へと折れ曲がると見るのが適切であろう。
 つまり、原点=MPから現象三次元空間が出現すると見るのである。
 これは、四元数(しげんすう)ではない。

陰凹i*陽凸i⇒±1x, ±1y, ±1z

である。ただし、1x,1y、1zは、三次元空間の直交する三つの軸、x軸、y軸、z軸の単位である。
 いわば、実軸が三つ生じたようなものである。
 しかし、そうすると、重力と浮力はどうなるのか。三種類の重力、浮力が生じて、不都合である。
 しかしながら、陰陽ガウス平面の実軸に優先性があるのではないだろうか。これが、重力と浮力、天地軸を形成すると見たい。
 つまり、陰陽ガウス平面が前提であり、それにおいて、陰陽衝突による垂直化は、実軸化と見るのが妥当である。
 では、他の二つの軸をどう見るのかである。
 思うに、実軸への折れ曲がりであるが、それは、二重螺旋ではないだろうか。今はそう作業仮説する。
 そして、二重螺旋である実軸の折れ曲がりの現象力は、当然、実軸の天地軸の一次元だけでなく、それに直交する平面をもっていることになる。これは、映画『スライブ』のトーラスの渦巻きに関係づけられそうである。
 しかし、折れ曲がりの実軸の二重螺旋で、充分、三次元空間は説明がつく。
 つまり、陰陽衝突が起る原点=MPからの垂直の折れ曲がりである実軸とは、現象三次元空間を意味するということになる。
 では、時間はどう説明できるのだろうか。
 思うに、+1が光速度になるのではないだろうか。すると、時間は、やはり、実軸に含まれることなろう。だから、やはり四次元時空間である。
 もっとも、以前、時間を虚軸に見たが、それも可能性としてはあるだろう。これは措いておきたい。
 結局、π/2、90度回転とは、陰陽衝突に拠るということになったのである。では、単位円は何を意味するのだろうか。
 これは課題にしておこう。
 とまれ、今はここで留める。

追記:実軸の二重螺旋であるが、それは、DNAのそれのモデルとなるのではないだろうか。そう、後者は水素結合であった。ここにも鍵があるだろう。
 では、弦巻植物の蔓はどうして、一重なのだろうか。これも課題にしておこう。


新しい陰陽方程式:−1←凹i*凸i→+1:←は陽⇒陰を、→は陰⇒陽を意味する
新しい陰陽方程式:−1←凹i*凸i→+1:←は陽⇒陰を、→は陰⇒陽を意味する

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

「つまり、陽が陰に対して、同一性化すると、−1となり、これが、重力ではないかと思う。それに対して、陰が陽に対して、共振調和すると、浮力になるということではないだろうか。これは、樹木や弦巻植物の上昇力を意味するのではないだろうか。」
四大(地水火風)と四つの象限の対応仮説:陽⇒陰が重力−1を、陰⇒陽が浮力+1を生む (09/01)
http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-2126.html

以上のように述べたが、陽主導と陰主導の場合を分けて陰陽方程式を表記した方がいいだろう。
 だから、次のようになる。

−1←凹i*凸i→+1

←は陽⇒陰を、→は陰⇒陽を意味する。−1は重力を+1は浮力を意味する。だから、+1が天であり、−1が地である。つまり、この新しい陰陽方程式は天地方程式でもある。あるいは、地球方程式でもある。また、生命方程式でもあった。即ち、

陰陽方程式=生命方程式=天地方程式=地球方程式

である。


四大(地水火風)と四つの象限の対応仮説:陽⇒陰が重力−1を、陰⇒陽が浮力+1を生む
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11918165960.html

四大(地水火風)と四つの象限の対応仮説:陽⇒陰が重力−1を、陰⇒陽が浮力+1を生む

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

原子、水、生命、各モデルの統一:陰要素(水)*エネルギー(日光=氣)*陽要素(二酸化炭素)

「陰陽方程式凹i*凸i⇒±1であるが、これは、生命体方程式でもある。左辺凹i*凸iが陰陽氣であり、それが、次元変換ポイントである⇒から、±1の生命体へ変換するわけであるが、生命体を維持するには、⇒に存するエネルギーを常に必要とするのである。そう、±1はエントロピーの世界であり、消滅ないし死へと向う力学世界である。
 だから、更新するには、恒常的なエネルギーの補給を必要とするのであり、その補給は、⇒において、なされると考えられるのである。
 このエネルギー補給であるが、例えば、草木の場合は、それが、現象的には光合成によって行われていると見ることができる。
 つまり、陰陽生命方程式:陰凹i*陽凸i⇒±1の力学は、光合成を指令するものと言えるのではないだろうか。
 少し、便宜的に言うと、陰の要素「水」と陽の要素「空気」(炭素:二酸化炭素から)を日光エネルギーによって、結合させることを、この式は示唆しているのではないだろうか。
 思うに、式を変形させて、

T. 凹i*凸i⇒U. 陰要素(水)*エネルギー(日光=氣)*陽要素(二酸化炭素)⇒V. ±1(生命体)

と見るとわかりやすいだろう。
Tが内在超越的陰陽氣であり、Uが植物体生成構成図式(光合成力学)であり、Vが生成された植物有機体である。
 とまれ、そのように見ると、根源の陰陽氣の三部構成(陰と陽と統合)には、それに対応する現象要素構成力学を含むのではないだろうか。つまり、陰は水を示唆し、陽は二酸化炭素を指示し、そして、統合、陰陽調和、陰陽共振のエネルギーは日光を指示しているのではないだろうか。」
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11917764490.html

先に以上のように述べたが、便宜的に、陰要素として水、陽要素として空気(二酸化炭素)、そして、エネルギーとして、日光エネルギーをあげた。
 思うに、平面座標の象限の考え方を使えるのではないだろうか。
直交座標系 - Wikipedia
直交座標系による平面上の点の座標と四つの象限


                    陽凸i 虚軸
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−1_____MP_____+1 実軸
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                     陰凹i

             陰陽ガウス平面


陰陽ガウス平面に上の直交座標平面の象限を当てはめて考えると、陰要素の水とは、第四象限に、陽要素の空気(二酸化炭素)とは、第一象限に、そして、日光エネルギーは、直交する原点に存しよう。
 では、第二象限、第三象限には何が入るだろうか。
 四大(しだい)の地水火風で考えると、残りは、地と火である。
 すると、地は重く、火は軽いから、第二象限には火、第三象限には、地が入ることになる。
                  
                    陽凸i 虚軸
                      |
     U:火          |        T:風
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                      |
−1_____MP_____+1 実軸
                      |
                      |
     V:地          |        W:水
                      |
                      |
                     陰凹i

             陰陽ガウス平面(1)

しかし、下の上図であるが、上下が反対ではないかと思う。
 何故なら、陽は、軽くはなく、重くなるからである。ならば、次のようになるだろう。

                    陽凸i 虚軸
                      |
     U:地          |         T:水
                      |
                      |
                      |
−1_____MP_____+1 実軸
                      |
                      |
     V:火          |         W:風
                      |
                      |
                     陰凹i

             陰陽ガウス平面(2)

しかし、2の配置は、感性的に合わないのである。水はやはり、陰要素であるからである。直観では、1の配置がいいのである。
論理では、2である。
 どうやら、陰は軽く、陽は重いという考え方を変える必要がありそうだ。
 ただ、陽は収縮力、求心力、陰は発散力、遠心力というのはそのままでいいだろう。つまり、それぞれ、重いと軽いという視点を抜くのである。
 そして、重い、軽いという重力の視点であるが、それは、実軸化によって生じると見るのである。
 つまり、陽が陰に対して、同一性化すると、−1となり、これが、重力ではないかと思う。それに対して、陰が陽に対して、共振調和すると、浮力になるということではないだろうか。これは、樹木や弦巻植物の上昇力を意味するのではないだろうか。
 これで、整合性が出て、明快になった。





検討問題:陰陽方程式:陰凹i*陽凸i⇒±1をどう見るか:氣は虚軸のみで、実軸は物質軸か?
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11918014905.html

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

                     凸i虚軸
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−1_____MP_____+1 実軸
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                      凹i


             陰陽ガウス平面

先に、虚軸において、超越氣、実軸において、内在氣を見たが、果たして、それでいいのか。やはり、氣は虚軸だけに見て、実軸は、有機物質軸ではないかと思った。そして、生命エネルギーは原点=MPにあると見るのである。
 物質を維持しているのは、その氣エネルギーということになるのである。これが、それまでとってきた私の考えである。
 つまり、±1の有機物質体は、原点=MPからのエネルギー(形態情報エネルギー)がないと、−1+(+1)=0(ゼロ)で消滅してしまうことになるのである。
 原点=MPからのエネルギー補給によって、有機物質体を維持していると思えるのである。つまり、反エントロピー力である。
 後でもう少し述べたい。


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