氣的自然朋友世界へ:原初太陰(未分化混沌)⇒母権制(植物性)⇒父権制(動物性)⇒氣の生命愛の世界






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2013年10月08日(Tue)
氣的自然朋友世界へ:原初太陰(未分化混沌)⇒母権制(植物性)⇒父権制(動物性)⇒氣の生命愛の世界
テーマ:太陰イデア論:太陰人体学:太陰生命氣学

性欲的エクスタシーとは、感覚動物的なもの、それは、身体感覚物質的なものではないだろうか。
 それに対して、別の、一見似ているが異なる、つまり、似て非なる神秘欲動があるように思われたのである。それは、自然との一体感的なものである。
 前者(A)が欲望的であるのに対して、後者(B)は精神的ないし霊的である。
 ニーチェの区別、アポロとディオニュソスであるが、これは、以上に対して、どう関係するだろうか。
 思うに、神話的には、両者が混乱しているように思えるのである。
 ディオニュソスとバッカス(酒神)が混同されているのである。例えば、酒の陶酔はAであり、Bではないと思う。
 しかるに、ディオニュソスは、ギリシア悲劇(エウリピデスの『バッカスの信女』)では確かに、A的であるが、しかし、ニーチェのそれを考えると、それは、きわめて、精神的である。
 思うに、私の内面から言うと、Bはアポロ(天)に通じるのである。そう、私にとって、太陰(肚)にBの原点がある。
 しかし、また、太陰(肚)は、Aに繋がることもある。性欲もそこに関連しうるのである。
 ここには微妙なメカニズムがあるように思える。
 氣の問題である。
 氣は本来、植物的生命であると考えられる。
 それは、陰陽バランス、陰陽調和を意味する。
 しかし、Aはそれを越えている。
 思うに、人間においては、太陰(肚)において、植物性と動物性が同居しているのではないだろうか。
 だから、太陰(肚)の賦活は両者を刺激する。故に、上記のギリシア悲劇のようになりうるのではないだろうか。
 つまり、太陰はAとBの両面があることになる。しかし、それは、一種の混淆ではないのか。細かなことはともかく、二重性があることは言える。
 しかし、B的側面は氣に関係するのである。
 故に、太陰をB化することが一つの浄化のあり方ではないだろうか。食で言えば、菜食穀食である。
 私が氣的身体理性と呼んだものの意義はここにある。太陰的欲望・欲動を氣的に浄化するということである。
 そして、ここにBが発現するように思えるのである。
 そうすると、太陰=ディオニュソスであり、氣=アポロである。
 私は太陰に玄氣を見ているのであり、氣の根源を見ているのである。
 とまれ、太陰の氣化ということことがあるのである。それは、陽化とも言えよう。ニーチェの用語なら、アポロ化である。
 なにかいろいろと考えが浮ぶ。
シュタイナーの説く霊化とは、アポロ化なのではないだろうか。
 物質的身体からの解脱の瞑想を説くのであるが、それは、動物性からの離脱を意味するのではないだろうか。
 少し整理すると、人間の太陰はもともと、混沌(カオス)としている。植物性と動物性が混淆している。
 故に、太陰において、AとBの混淆、混同が起る。それが、ギリシア悲劇にあるし、D.H.ロレンスにもある。ニーチェの場合は、意外にシュタイナーの方向のように思えるのである。
 しかし、植物性が氣であり、動物性が官能性である。
しかし、氣も一種の官能性があるように思うのである。どうも、それが、プラトンのエロースに通じるように直観されるのである。
 明快にするために、暫定的に、植物的エロースと動物的エロースに分けよう。だから、プラトンのエロースは前者である。
 さて、本題にもどると、混沌とした太陰、初期太陰、原初太陰であるが、いわば、植物的エロースと動物的エロースが未分化様態と言えるのではないだろうか。(そう、D.H.ロレンスの官能はそのように捉えることができよう。)
 原初太陰は原初ディオニュソスであり、これは、ニーチェのそれとは異なり、ロレンスのエロースに近いものである。そう、言わば、太一であり、かつ二重である。しかし、この太一は未分化・混沌的一である。
 そして、母権制は、原初太陰=原初ディオニュソスの植物的エロース、即ち、氣(エーテル体)を活用した文化社会ではないだろうか。動物的エロースは抑圧されていたと思う。
 しかるに、父権制が誕生する。それは、宗教的に一神教となる。究極は、ユダヤ教ないし旧約聖書教(旧約聖書の問題はおいておく)である。
 これは、動物的エロースの文化社会に思えるのである。これは、掠奪、簒奪、暴力の「エロース」の文化社会に思えるのである。ロレンスが「父」と言うのはここに存すると言えよう。
 しかし、人類社会はその後、キリスト教をもたらすのである。
 イエス・キリストの誕生である。それ以前に仏陀、ゾロアスター、老子、他がいるが。
 私見では、イエスの教えとは、実は、植物的エロースに関係すると思うのである。そう、氣、エーテル体に関係すると思われるのである。
 そうならば、混沌としていた太陰に分化がもたらされるのである。あるいは、父権制で偏重されていた動物的エロースが修正された思われるのである。
 端的に言えば、未分化太陰が植物性と動物性に分化したと思うのである。言い換えると、動物的感覚が植物的生命を明晰に知覚するようになったということである。動物性と植物性の切断が生まれたのである。
 そう、太陰氣学(氣科学と言おうか)から見ると、イエス・キリストの教えとは、氣の教えである。植物的生命の教えである。
 しかるに、キリスト教は一神教であるので、つまり、父権制であるので、動物的側面が植物的側面よりも強いので、イエス・キリストの教え=氣・植物的生命の教えは軽視、無視される傾向が強かったのである。
 (思うに、イエス・キリストとは、一神教・父権制・西洋文明に侵入した多神教・母権制・東洋文明を意味しよう。)
 結局、キリストの愛とは氣ということになる。愛=氣である。
 思うに、今日、氣が身体において開き出しているのであり、思うに、新キリスト教の時代である。(そう、ロシア正教やケルト的キリスト教の時代と言えよう。あるいは、ゲルマン的キリスト教と言えるかもしれない。日本では、縄文的宮崎駿的アニミズムだろうか。)
 そう、そこで思うに、太陰氣学の原点である不連続的差異論であるが、それは、太陰と自我の不連続性を説いた理論であったが、しかし、太陰自体は未分化で、植物性と動物性が未分化混沌としていたと言えよう。
 つまり、キリスト教まで達していなかったのである。そう、D.H.ロレンス的段階である。
 結局、太陰氣学は、そのような未分化太陰に氣的分化をもたらしたことと考えられる。
 氣的身体理性が、植物性と動物性を分化させ、前者の氣力学を肯定するのである。
 そう、氣とアポロ(陽、日光)は繋がっているのである。当然であるが、一般に、植物と日光は繋がっているのである。(ここで、飯山仙人の不食・乳酸菌・日光浴サバイバル科学の意義があると言えよう。)
 結局、氣的身体理性の発見とは何を意味するのか。
 それは、原初太陰から氣的太陰への発展を意味しよう。
 氣、植物的エロースが支配する世界を意味するのである。
 キリストの復活とも言えよう。(ロレンスの『死んだ男』は、まだ、動物的エロースの外皮をもっているが、ほとんど、これに近づいていると考えられる。)
 とまれ、端的に、太陰の氣化、純粋氣化とは太陰力学的には何を意味するのだろうか。
 それは、陰陽調和和合和解平和の生存を意味しよう。
 氣愛、愛氣の世界である。そう、氣友、氣朋の世界と言えよう。
以前の私の言葉では、差異共振の世界である。
 ロレンス的には氣優ないし氣融の世界である。
 でも、何故、植物的生命の世界が復活するのか。
植物的生命世界が人体において、復活するとは何なのか。
 一体、人間の理性、知性はどうなるのか。科学はどうなるのか。
 少なくとも、氣理性、氣知性、氣的哲学、氣科学に変質する。
 そして、氣的社会、氣的経済、氣的政治、等々になるだろう。
 そう、今思ったが、「霊魂」とは何かの問題が出てこよう。
 個、自己、自我、「わたし」の問題でもある。
 太陰氣学では、シュタイナー霊学とは異なり、個、自己、自我、「わたし」を太陰から生まれたと考えている。ヤハウェは、極陽から生まれたのである。父権自我の誕生である。
 つまり、太陰力学の様態として、個や自己は存すると考えるのである。
 思うに、植物に、あるいは、氣に、原個、原自己を見てもいいのかもしれない。しかし、陰陽的なものである。即非的なものである。
 私が個は肚であり、同時に、他者であると説くものではないだろうか。言い換えると、メビウス的個=他者である。氣的精神性である。氣的霊性である。氣的人性である。
 しかし、太陰氣学から言うと、原点に太陰玄氣があるのであるが、その玄氣と氣とはどう関係するのか。いわば、母と子ではああるが。
 そう、ここに先に言及した、処女生殖=単性生殖=単為生殖が関係すると言えよう。
 とまれ、限定すると、玄氣と氣の力学はどうなのか。
 結局、太陰玄氣の螺旋的発展として、氣の力学を見ることができるのではないだろうか。
 太陰玄氣は最初は未分化混沌であるが、自ら、展開することによって、分化して、純化浄化して、純粋開花していくということではないだろうか。


   




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カレンダ
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