続「光とは何か」:肚から大空への放光:個の道と自我の道:陽から陰へと陽から外光へ






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2013年06月04日(Tue)
続「光とは何か」:肚から大空への放光:個の道と自我の道:陽から陰へと陽から外光へ
テーマ:不連続的陰陽ヴィデア論:イデア=エイドス

今は疲れて余裕がないので、明日にも論考したいが、簡単に触れておく。
 結局、闇の中に光、原光が存するのか、それとも、闇自体が光に転ずるのか、どちらが的確なのか、である。
 私の直観は後者であるが、前者も可能性があるのである。
 そう、問題は心の眼である。心の眼に映る光があるのである。それは、外界の光ではない。
 心の光である。それが陽ではないのか。陽は陽光自体ではないと思われる。
 これまでの視点から言えば、陰陽円における円周の陽が心の光であり、また、眼である。つまり、円周ないし球面の陽は陰の派生物である。
 だから、闇から発出する「光」とは、闇が産み出す「光」であり、闇に内在する光、原光ではないと思われるのである。
 そうすると、やはり、最初に述べたように、闇が本体であり、光はその転化物である。
 D.H.ロレンス風に言えば、闇の背中が光ということになる。
 では、次に、個と自我の問題を検討する必要がある。
 闇の光ではなく、外光に焦点を合わせる主体は自我だと思われる。
 思うに、陽から外光の方向である。これは自我の方向だと思う。
 それに対して、個とは、陽から陰への方向性に存するように思える。
 近代主義とは、陽から外光の方向性に成立したのではないだろうか。しかしながら、ルネサンスにしろ、プロテスタンティズムにしろ、それは、闇から光への方向性が基盤にあると思う。
 つまり、闇がベースにあると思うが、闇の作る光から外光へ向かい、それが、中心化してしまったのが近代だと思う。
 思うに、闇から光への方向性は、完全ではないが、個の一部のように思える。そして、光(陽)から闇への反転が真の個のように思える。
 だから、闇から光、陰から陽への方向性は個と自我との中間のように思える。
 近代主義の問題は、光、陽が外光へと展開して、それが固定してしまった点にあるだろう。根源、基盤の闇、陰が排除されているのである。これは、他者の否定である。悪魔主義である。
 今はここで留める。

追記:陰の中心から陽の円周ないし球面への方向が天の方向ではないだろうか。樹木が伸びる方向である。
 陽の天、光の天は至高の美であろう。
 思うに、陽、光とは、陰、闇の頂点である。陰、闇は陽、光を求めたのである。それが、目的である。
 そう、この点に宗教や文化の光やそのメタファーの意義が存すと考えられる。
 マニ教の光とはそのようなものである。
 闇自体が光に変身するのである。
 しかし、問題は、その後の光の運命である。
 闇から生まれた光が、いわば、独立する。闇という根を失い、光の帝国、独裁を生むのである。
 言い換えると、光の物質化、光の自我化である。
 闇の根源を喪失した光が支配するのである。
 闇の光と単なる光を区別する必要がある。
 わかりやすいところでは、陽光は本来は闇の光であろう。そして、物質的光、例えば、電灯は後者である。
 太陽は思うに、両者の中間点である。闇の光と物質光の中間点である。しかし、前者が本質と思われる。
 そう、科学、自然科学は太陽の「表面」、外面しか見ていないのである。つまり、物質面しか見ていないのである。太陽の物質面とは、本来の太陽の外装部分に過ぎないと考えられるのである。
 科学、自然科学は、太陽の内面、本体を見ていないのである。それは、宗教で言えば、「神」であろう。天照大御神である。
 そう、太陽神は闇の光、そう、闇の光鳥とでも呼びたい。不死鳥、フェニックスはこの象徴であろう。天照大御神は不死鳥であろう。
 そして、赤く染められる日本の太陽であるが、それも闇という大生命の光を意味しよう。

初めに闇ありき、そして、闇は光となった。光は不死鳥である。

sammon_phoenix.jpg


 とまれ、この闇の太陽が、赤い太陽が、ドットドットドットと、ドクドクドクと鼓動を打っているのである。それは、宇宙の心臓でもある。
 血、血液であるが、それは、闇という大生命が光に化するときのエッセンスではないのか。闇の光のエッセンス。
 とまれ、物質の太陽の背後には、闇の太陽が潜んでいると考えられる。それが、太陽神として、宗教的に表象されてきたと思われる。霊学者のシュタイナーはキリストを太陽霊と考えているが、それは闇の太陽と考えられる。
 
私は復活であり、生命である。

とキリストは言ったのが、闇の太陽は不死鳥であり、正に、その通りである。
 これで、すべての宗教は一致することが理解される。
 では、気とは何か。それは、やはり、闇の太陽の光ではないだろうか。闇の光である。
 しかし、闇自体と気はどう関係するのか。闇の力が気とも言えるだろう。しかし、闇の光が真の気のように思える。これは検討課題にしよう。

追記2:闇の太陽とはD.H.ロレンスの用語dark sunダーク・サンの訳である。黒い太陽と普通訳されるが、黒いでは、語弊がある。暗い太陽も語弊がある。闇の太陽が的確と考えられる。


   




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カレンダ
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