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  <title>INNOVATION OF PHILOSOPHY: NEW PLATONIC SYNERGY THEORY</title>
  <tagline>PROTOMODERN PHILOSOPHY:</tagline> 
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  <modified>2008-07-06T01:37:47</modified>
  <entry>
  <title>同一性主義は、何故、否定感情的なのか：新イデア文明としての新太母文化：新超母・新超女文明の誕生へ</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://protophilosophy.noblog.net/blog/d/10576943.html" /> 
  <issued>2008-07-05T13:45:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		これは、既に答えが出ている疑問かもしれないが、再考したい。<br />
　思うに、差異を否定するときに、否定感情が発動するということではないだろうか。差異を肯定するならば、肯定感情になり、共感（共鳴）的になると言えよう。<br />
　思うに、差異は、異質であり、いわば、異文化的なので、不快感をもたらすであろう。ここにも、否定感情がある。<br />
　ところで、白人が有色人種に感じる不快感の原因は何だろうか。それは、視覚印象から来ているのではないだろうか。もし、心眼があれば、不快感はなくなるだろう。思うに、差異への不快感とは、同一性形象がいわば、原型となり、それを基盤として、視覚の快・不快が形成されると考えられる。そう、同一性視覚形象がモデルとなり、それにそぐわないものが排除されるという力学になるのだろう。<br />
　思うに、白人の場合、この同一性視覚形象モデル主義が根強くあるのである。そして、これが同一性主義の基盤にあるものではないかと思われるのである。そこに欠落しているのは、心眼である。共感性である。端的に、差異共振性という知恵である。他者への配慮である。<br />
　キリスト教は本来、これをもっていたが、一神教性によって阻害されると考えられる。イエスの教えは、本来、差異共鳴性である。<br />
　そう、ここであえて言えば、イエスの原型とはディオニュソスである。ディオニュソスは、端的に、イデア・エネルギーであり、それは、太母・大女神文化的である。イエスにとって、母・妻・恋人の女神が本来必要なのである。<br />
　父を+iとするなら、母-iが必要である。だから、キリスト教には、母が欠けているのである。これが、白人文明の欠陥であると考えられる。<br />
　では、太母と「父」と「母」という対イデアとの関係はどうなるのだろうか。私は、直感では、対イデアを太母と考えてきたのであるが、「父」と「母」との対イデアを考えると、「母」が太母なのかもしれない。<br />
　しかしながら、直感は、対イデア自体が太母である。この齟齬をどうみるのか。私は、太母文明は、差異共振文明であるとこれまで述べてきた。それは、「父」と「母」との共鳴文明でなければならない。思うに、文明史・文化史的に、太母と「母」とで混乱が起きたのではないだろうか。<br />
　思うに、大地母神と呼ばれるものは、本来、太母であり、「父」と「母」との共鳴エネルギーではなかったか。それが、「母」に同定されていると考えられるのである。つまり、これは、対イデアである太母が、父権主義＝同一性主義によって、「母」へと、いわば、貶められた結果ではないのか。<br />
　即ち、父権主義の「父」は、+iであり、劣位に置かれた「母」とは、-iである。そして、後者が太母のように考えられたのである。<br />
　ギリシア神話で言えば、デーメーテールが大地母神である。しかし、本来は、太母であり、対イデア（イデア共鳴体）と考えられる。<br />
　この勘違い・錯誤は、「父」が対イデア（イデア共鳴体）を支配してしまうことに発すると言えるのではないだろうか。<br />
　そう、端的に、一神教の神（ヤハウェ）の、いわば、簒奪である。ギリシア神話では、ゼウスの簒奪である。オリュンポスの神々とは、思うに、父権神話と母権神話の、前者中心の混淆ではないだろうか。言い換えると、父権化された母権神話である。<br />
　おそらく、これは、多くの神話において生じた混乱ではなかっただろうか。太母が「母」とされたのである。思うに、ギリシア神話では、太母は、アルテミスのような処女神ではないだろうか。アフロディーテ（ヴィーナス）となると、「母」になるのではないだろうか。<br />
　とまれ、問題は、母権文化と言ったとき、太母文化なのか、「母」文化なのか、である。一般に混同されていると考えられるのである。ジェンダーによる混乱である。<br />
　私が唱える新母権文化とは、新太母文化であり、新イデア（イデア共鳴体）文化である。新ディオニュソス文化と言ってもいいだろう。<br />
　例えば、イシス・オシリス神話で言うと、オシリスはディオニュソスになるのであるが、イシスとは何かである。イシスは、イデア共鳴体でなくてはならない。「母」ではなく、太母である。<br />
　では、イシスの内包する+iと-iとは何だろうか。それは、天と地である。（そうすると、先に述べた天の柱であるが、それは、虚軸であろう。）天と地との共鳴としてのイシスであり、その現象光としてのオシリスではないだろうか。正に、自己認識方程式が表現するものではないだろうか。<br />
　今はここで留めるが、結局、太母と「母」を絶対的に峻別する必要があるということになる。イシスは太母であり、「母」＝地ではない。<br />
　ここには言葉の問題がある。思うに、超母という言葉を造語して、太母の替わりに使用するのがいいのかもしれない。あるいは、超女であろうか。
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>検討問題：どうやら、減価通貨が法定通貨となる時期は近づいているのかもしれない</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://protophilosophy.noblog.net/blog/t/10576689.html" /> 
  <issued>2008-07-05T00:56:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		検討問題：どうやら、減価通貨が法定通貨となる時期は近づいているのかもしれない<br />
<br />
テーマ：差異通貨・貨幣論<br />
<br />
なにやら、新世界恐慌のような感じになってきた。<br />
　思うに、今や、法定通貨としての減価通貨が現実味を帯びてきたのかもしれない。２１世紀初頭流行った地域通貨であるが、これは、志はいいが、いかんせん、現実の通貨経済には太刀打ちできないものであった。<br />
　私は地方共同体を形成して、地方通貨（無利子通貨ないしは消滅通貨）を発行すべきではないのかという気がしている。<br />
　つまり、円通貨と地方通貨との二本立てということになるのである。後で検討したい。
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>複素平面のMedia Pointに直交する軸と天の柱（又は、宇宙樹）</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://protophilosophy.noblog.net/blog/l/10576055.html" /> 
  <issued>2008-07-04T00:16:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		イザナミとイザナギの有名な天の柱の話であるが、天の柱とは、ガウス平面のMedia Pointにおいて直交する軸ではないかとふと思った。もっとも、この思いつきは、だいぶ以前に抱いたものであるが。<br />
　そして、これは、神話的には、エデンの園の生命の木に通じるのではないだろうか。蛇は当然、対イデアの二重螺旋ではないかと思うが。そう、注連縄もこれではないだろうか。これを、二匹の蛇の交尾の捉える人がいるが、それは、いわば、世俗化であると思われる。<br />
　聖書では、知恵の木と生命の木の二本になっているが、オリエントの神話では、元々は一本である。私はこれが本来であると思う。<br />
　イデア・エネルギーは、知であり、かつ、身体・存在であると考えられるのである。換言すると、イデアとは知であり、且つ、身体・存在であるということであり、前者が知恵であり、後者が生命ということではないだろうか。<br />
<br />
p.s.　それとも、+1を天に、-1を地にして、実軸を天の柱と見るべきか。<br />
<br />
p.p.s.　呉茂一氏の『ギリシア神話』のディオニュソスの説明を読んで、アポロとディオニュソスは、上述したような対イデアを形成すると直感した。つまり、+iがアポロであり、-iがディオニュソスであり、両者が即非的に、知となり、身体となると思ったのである。【p.s. 　これは、どうも訂正しないといけないかもしれない。呉茂一氏は、ディオニュソスは、「天と地の子」と想定している。すると、天（ゼウス）=+iであり、地（セメレー）=-iが成り立ち、その共鳴として、ディオニュソスが考えられるだろう。つまり、差異共振エネルギーである。イデア・エネルギーである。では、アポロはどういうことかと言えば、それは、同一性ではないだろうか。つまり、+１ではないだろうか。-1は同一性主義であるが、+1は同一性であろう。つまり、自己認識方程式の左辺がディオニュソスであり、右辺がアポロではないのか。しかしながら、アポロはディオニュソスに包摂されるのではないのか。また、アポロは、同一性主義に転化しうるだろう。それは、-1であろう。この辺のところは微妙である。後で、精緻に検討したい。】<br />
<br />
3p.s.　D. H. ロレンスの「王冠」の思想であるが、それは、「父」と「子」との平衡として、「聖霊」を説いているが、「父」は+i、「子」は-i と見て、「聖霊」は+1ではないだろうか。<br />
　思うに、「父」主義も「子」主義も、-1になると思う。両者の共振が「聖霊」であり、+1ではないだろうか。<br />
<br />
<br />
参照：<br />
<br />
ユグドラシル<br />
出典: フリー百科事典『ウィキペディア（Wikipedia）』<br />
移動: ナビゲーション , 検索<br />
曖昧さ回避 その他の用法についてはユグドラシル (曖昧さ回避) をご覧ください。<br />
曖昧さ回避 世界樹はこの項目へ転送 されています。その他の用法については世界樹_(曖昧さ回避) をご覧ください。<br />
北方神話における世界図。中心の木がユグドラシル。<br />
北方神話における世界図。中心の木がユグドラシル。<br />
ユグドラシルに住みつく生き物たち<br />
ユグドラシルに住みつく生き物たち<br />
<br />
ユグドラシル（古ノルド語 : Yggdrasill）は、北欧神話 に登場する「世界」を体現する巨大な木 であり、「世界樹」もしくは「宇宙樹」とも呼ばれる。アイスランド語 ではイグドラシル（イッグドラシル）という。その姿はトネリコ の木を想起させる。アースガルズ 、ミズガルズ 、ウートガルズ 、ヘル などの異なる世界（九つの世界 ）をすべて含んでいると考えられている。<br />
<br />
「ユグドラシル」という名前の由来には諸説あるが、最も有力なものは「恐ろしい者の馬」すなわち「オーディン の馬」を意味しているという説である。Yggrは、オーディンがもつ名前の一つである。<br />
<br />
3つ根が幹を支えており、それぞれアースガルド、ミッドガルド、ヘルに通じている。 アースガルドに向かう根のすぐ下に、神聖なウルドの泉 があり、ミッドガルドに向かう根のすぐ下にはミーミルの泉 がある。<br />
<br />
この木に住むリス のラタトスク が、それぞれの世界の間に情報を伝えるメッセンジャーとなっている。<br />
<br />
木の頂上には1羽の大鷲 （時にフレースヴェルグ とされる）が止まっており、その目の間にヴェズルフェルニル と呼ばれるタカ が止まっているという。<br />
<br />
ユグドラシルの根は、蛇 のニーズヘッグ によってかじられている。ヤギ のヘイズルーン は、ユグドラシルの頂上に住み、その葉を食べている。また、ダーインとドヴァリン、ドゥネイルとドゥラスロール（古D&amp;#225;inn ok Dvalinn,D&amp;#250;neyrr ok Dura&amp;#254;r&amp;#243;r）と言う四頭の鹿 がユグドラシルの樹皮を食料としている。<br />
<br />
ちなみに、ザクセン人 がイルミンスール（Irmins&amp;#363;l、「イルミンの柱」の意、イルミンとはザクセン人の祖神）という同じような世界樹を崇拝していたことが、772年 にその木を切り倒したカール大帝 の記録などから分かっている。<br />
<br />
[編集 ] 関連項目<br />
<br />
    * 神話 - 北欧神話<br />
    * 九つの世界<br />
    * 生命の樹<br />
    * 黄金樹<br />
<br />
ウィキメディア・コモンズ<br />
ウィキメディア・コモンズ には、ユグドラシル に関連するカテゴリがあります。<br />
 " より作成<br />
カテゴリ : 北欧神話の地名 | 神話伝説の植物 | 世界観<br />
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>唯物教育の終焉とトランス・モダン教育：イデア・エネルギーとPS理論：ver 2</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://protophilosophy.noblog.net/blog/c/10575783.html" /> 
  <issued>2008-07-03T15:11:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		私自身のことを考えると、戦後の唯物教育を受けて、精神を疎外することになったと思う。それは、生のエネルギーの枯渇を意味するのである。それは、また、ニヒリズムを生じさせるのである。<br />
　今日の日本人の学力低下や政治を初め日本全体の退行化・劣化は、確実に、戦後唯物論の帰結であると考えられるのである。唯物論は、精神を滅ぼす考え方であり、端的に、悪魔的な思想である。これは、自滅・自壊的な思想であり、これを乗り越える必要があるのである。<br />
　私は神道の復活を唱えているが、結局は、イデア・エネルギーを心身に取り込むことを意味するのである。あるいは、Media Pointを知的に開放することを意味する。即ち、Media Pointを心身において開くことにより、差異共振エネルギーであるイデア・エネルギー（コスモス・エネルギー）が流入し、心身が賦活することと考えられるのである。<br />
　学力は、この流入したイデア・エネルギーによって、向上すると考えられるのである。このイデア・エネルギーを取り込む技法に関しては、東洋は豊饒である。そう、「気」とは正に、イデア・エネルギーであると考えられる。（電磁波の本体もこれであると考えられる。これについては、後で検討したい。）<br />
　また、今日蔓延する心の病であるが、これも、私見では、戦後唯物論の帰結である。イデア・エネルギー（生エネルギー）が枯渇しているので、心身が衰退していると考えられるのである。日本人は、疾く、戦後唯物論から脱出すべきである。【p.s.　心の病について言うと、同一性主義が差異（心・精神・魂）を抑圧・排除するので、賦活されるべき差異が常に否定されるので、同一性主義の主体は、悪循環に陥り、症状を悪化させると考えられるのである。】<br />
　イデア・エネルギーは、いわば、宗教エネルギーと言えるが、しかしながら、知的に捉えるならば、イデア・エネルギーと言うのが正しい。<br />
　おそらく、イデア・エネルギーを取り込むための問題点は、そのエネルギーがあまりにも強力であるため、あるいは、物質的知性にとって、あまりにも異質であるために、一般に、知性が混乱させられる点ではないだろうか。<br />
　そう、宗教、信仰へと救いを求めるのはいいとしても、問題は、知性を麻痺させて盲信、狂信する点が問題なのである。そう、今日、必要なのは、いうならば、知的宗教、知的信仰であろう。知性なき宗教、信仰は邪道である。<br />
　思うに、知性の鍛練が、イデア・エネルギーを取り込むための大前提となるだろう。そのためには、哲学が必須である。哲学は本来、感性を包摂する形式の知性を探求する学、プロト学知である。そこには、論理学や数学的知性も関係する。<br />
　とまれ、哲学は、学・知性の根本である。ここを鍛えないと、イデア・エネルギーを知的に取り込むことはできず、返って、大変危険であると言わなくてはいけない。そう、ここには、スキュラとカリュブデスの危険があると言えよう。一方では、新興宗教（カルト）的盲信であり、他方では、オカルティズムである。（ただし、新興宗教の宗教性やオカルティズムは、批判的に見れば、叡知が隠されていると考えられる。）<br />
　思うに、１９世紀後半から２０世紀全体にかけての、哲学的問題の核心は、イデア・エネルギー（認識存在エネルギー）にあったと思われるのである。それは、プラトニック・シナジー理論から見ると、トランス・モダンを志向していたと考えられるのである。<br />
　ポスト・モダン哲学は、トランス・モダンの志向の一つの試論であったと考えられる。しかしながら、フッサールの捉えた超越性（超越論的主観性）を否定してしまったために、ポスト・モダンは行き詰まってしまったと考えられるのである。<br />
　これを打破したと自負するのが、不連続的差異論であり、また、そこから深化したプラトニック・シナジー理論である。この理論により、イデア・エネルギーと物質との関係が解明されたと考えられるのである。これによって、唯物論が乗り越えられたと考えられるのである。Kaisetsu氏による数学化によって、イデア論的科学が生まれたと言えるのである。これは、トランス唯物論である。（これによって、量子論は、イデア論的量子論となったと考えられるのである。）<br />
　結局、プラトニック・シナジー理論は、知的な、合理的な、イデア・エネルギーの取り込みを可能した理論と考えられるのである。このトランス知性によって、安心して、イデア・エネルギーを心身に取り込むことができるのである。とりわけ、本理論は、日本人にとって、福音となるはずである。<br />
　神道的源流を忘れた亡国日本人は、これによって、自身を再発見するだろうし、現代の大危機的状況を乗り越える知を得ることになろう。聞く耳を持つ者は聞くがいい。<br />
<br />
p.s.　以上のことは、いわば、即自的な現象に限定している。当然、これは、対自的な現象に関係するのである。イデア・エネルギーは、他者との差異共振関係（差異共振共同体）を志向するのである。
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>唯物教育の終焉とトランス・モダン教育：イデア・エネルギーとPS理論</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://protophilosophy.noblog.net/blog/c/10575386.html" /> 
  <issued>2008-07-03T02:12:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		私自身のことを考えると、戦後の唯物教育を受けて、精神を疎外することになったと思う。それは、生のエネルギーの枯渇を意味するのである。それは、また、ニヒリズムを生じさせるのである。<br />
　今日の日本人の学力低下や日本総体の劣化は、確実に、戦後唯物論の帰結であると考えられるのである。唯物論は、精神を滅ぼす考え方であり、端的に、悪魔的な思想である。これは、自滅・自壊的な思想であり、これを乗り越える必要があるのである。<br />
　私は神道の復活を唱えているが、結局は、イデア・エネルギーを心身に取り込むことを意味するのである。あるいは、Media Pointを知的に開放することを意味する。即ち、Media Pointを心身において開くことにより、差異共振エネルギーであるイデア・エネルギー（コスモス・エネルギー）が流入し、心身が賦活すると考えられるのである。<br />
　学力は、この流入したイデア・エネルギーによって、向上すると考えられるのである。このイデア・エネルギーを取り込む技法に関しては、東洋は豊饒である。そう、「気」とは正に、イデア・エネルギーであると考えられる。（電磁波の本体もこれであると考えられる。これについては、後で検討したい。）<br />
　また、今日蔓延する心の病であるが、これも、私見では、戦後唯物論の帰結である。イデア・エネルギー（生エネルギー）が枯渇しているので、心身が衰退していると考えられるのである。日本人は、疾く、戦後唯物論から脱出すべきである。<br />
　イデア・エネルギーは、いわば、宗教エネルギーと言えるが、しかしながら、知的に捉えるならば、イデア・エネルギーと言うのが正しい。<br />
　おそらく、イデア・エネルギーを取り込むための問題点は、そのエネルギーがあまりにも強力であるため、あるいは、物質的知性にとって、あまりにも異質であるために、一般に、知性が混乱させられる点ではないだろうか。<br />
　そう、宗教、信仰へと救いを求めるのはいいとしても、問題は、知性を麻痺させて盲信、狂信する点が問題なのである。そう、今日、必要なのは、いうならば、知的宗教、知的信仰であろう。知性なき宗教、信仰は邪道である。<br />
　思うに、知性の鍛練が、イデア・エネルギーを取り込むための大前提となるだろう。そのためには、哲学が必須である。哲学は本来、感性を包摂する形式の知性を探求する学、プロト学知である。そこには、論理学や数学的知性も関係する。<br />
　とまれ、哲学は、学・知性の根本である。ここを鍛えないと、イデア・エネルギーを知的に取り込むことはできず、返って、大変危険であると言わなくてはいけない。そう、ここには、スキュラとカリュブデスの危険があると言えよう。一方では、新興宗教的盲信であり、他方では、オカルティズムである。（ただし、宗教やオカルティズムは、批判的に見れば、叡知が隠されていると考えられる。）<br />
　思うに、１９世紀後半から２０世紀全体にかけての、哲学的問題の核心は、イデア・エネルギー（認識存在エネルギー）にあったと思われるのである。それは、プラトニック・シナジー理論から見ると、トランス・モダンを志向していたと考えられるのである。<br />
　ポスト・モダン哲学は、トランス・モダンの志向の一つの試論であったと考えられる。しかしながら、フッサールの捉えた超越性（超越論的主観性）を否定してしまったために、ポスト・モダンは行き詰まってしまったと考えられるのである。<br />
　これを打破したと自負するのが、不連続的差異論であり、また、そこから深化したプラトニック・シナジー理論である。この理論により、イデア・エネルギーと物質との関係が解明されたと考えられるのである。これによって、唯物論が乗り越えられたと考えられるのである。Kaisetsu氏による数学化によって、イデア論的科学が生まれたと言えるのである。これは、トランス唯物論である。（これによって、量子論は、イデア論的量子論となったと考えられるのである。）<br />
　結局、プラトニック・シナジー理論は、知的な、合理的な、イデア・エネルギーの取り込みを可能した理論と考えられるのである。このトランス知性によって、安心して、イデア・エネルギーを心身に取りこめることができるのである。とりわけ、本理論は、日本人にとって、福音となるはずである。<br />
　神道的源流を忘れた亡国日本人は、これによって、自身を再発見するだろうし、現代の大危機的状況を乗り越える知を得ることになろう。聞く耳を持つ者は聞くがいい。
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>日本美術とは何か：差異共振エネルギーによる高次元時空間美術とヤポネシアン・ルネサンス</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://protophilosophy.noblog.net/blog/g/10575005.html" /> 
  <issued>2008-07-02T13:42:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		『日本美術館』小学館<br />
<br />
もう十年以上まえの本であるが、これは、日本美術をコンパクトに総括した一巻本である。ただし、amazonのコメントにあるように、旧石器時代の捏造がそのまま掲載されていることが残念ではあるが。<br />
　私は、室町時代、桃山時代、江戸時代がすばらしいと思った。日本の伝統美術のエネルギーは、ダイナミックで、のびのびとして、自由闊達なものである。それに対して、近代日本は、苦難・試練の時代であったと言えよう。<br />
　日本美術の伝統のもっているエネルギーは端的に、Media Pointにおける差異共振エネルギーであると考えられる。それが、近代化によって、殺がれて行ったと考えられる。もっとも、個々の作家においては、格闘があったと考えられるが。<br />
　問題は戦後であろう。国家主義、近代合理主義、唯物論、近代的自我的同一性主義、これが、日本の伝統文化の差異共振エネルギーを圧殺しているのである。<br />
　日本は、端的に、自己喪失状態である。統合失調症である。日本に還れと言いたい。そうすると、他者、世界が見えてくるのである。<br />
　そう、一言で日本美術のエッセンスを言うと、Media Pointの差異共振エネルギーによる高次元時空間表現ということになるのではないだろうか。<br />
<br />
参照：<br />
<br />
水墨画<br />
出典: フリー百科事典『ウィキペディア（Wikipedia）』<br />
移動: ナビゲーション , 検索<br />
松林図屏風（長谷川等伯、国宝）<br />
松林図屏風（長谷川等伯 、国宝 ）<br />
<br />
水墨画（すいぼくが）とは、「墨 」一色で表現される絵画 で、墨線だけでなく、墨を面的に使用し、暈かしで濃淡・明暗を表す。墨絵（すみえ）とも言う。<br />
<br />
中国 で唐 代後半に山水画の技法として成立し、宋代には、文人官僚の余技としての、四君子（松竹梅菊）の水墨画が行われた。また、禅宗の普及に伴い、禅宗的故事人物画が水墨で制作された。明代には花卉、果物、野菜、魚などを描く水墨雑画も描かれた。<br />
<br />
日本 には鎌倉時代 に禅 とともに伝わった。日本に伝わった絵画は、『達磨図 』・『瓢鮎図 』などのように禅の思想を表すものであったが、徐々に変化を遂げ、風景を描く山水画 も書かれるようになった。<br />
<br />
<br />
日本の水墨画<br />
如拙筆　瓢鮎図　京都・退蔵院蔵<br />
如拙筆　瓢鮎図　京都・退蔵院蔵<br />
雪舟筆　秋冬山水図のうち冬景<br />
雪舟筆　秋冬山水図のうち冬景<br />
<br />
墨一色で表現した絵画は、日本では正倉院 宝物の「墨画仏像」のような奈良時代の作例があり、古代から制作されていた。しかし、美術史で「水墨画」という場合には、単に墨一色で描かれた絵画ということではなく、墨色の濃淡、にじみ、かすれ、などを表現の要素とした中国風の描法によるものを指し、日本の作品については、おおむね鎌倉時代以降のものを指すのが通常である。着彩画であっても、水墨画風の描法になり、墨が主、色が従のものは「水墨画」に含むことが多い。<br />
<br />
平安時代初期、密教の伝来とともに、仏像、仏具、曼荼羅等の複雑な形態を正しく伝承するために、墨一色で線描された「密教図像」が多数制作された。絵巻物の中にも『枕草紙絵巻』のように彩色を用いず、墨の線のみで描かれたものがある。しかし、これらのような肥痩や濃淡のない均質な墨線で描かれた作品は「白描」（はくびょう）ないし「白画」といい、「水墨画」の範疇には含めないのが普通である。<br />
<br />
[編集 ] 初期水墨画<br />
<br />
中国における水墨画表現は唐 時代末から、五代 〜宋 時代初め（9世紀末〜10世紀）にかけて発達した。中国の水墨画が写実表現の追求から自発的に始まったものであるのに対し、日本の水墨画は中国画の受容から始まったものである。日本における水墨画の受容と制作がいつ頃始まったかは必ずしも明確ではない。すでに12世紀末頃の詫磨派の仏画に水墨画風の筆法が見られるが、本格的な水墨画作品が現れるのは13世紀末頃で、中国での水墨画発祥からは4世紀近くを経ていた。13世紀末から14世紀頃までの日本の水墨画を美術史では「初期水墨画」と呼んでいる。水墨画がこの頃盛んになった要因としては、日本と中国の間で禅僧の往来が盛んになり、宋・元の新様式の絵画が日本にもたらされたことが挙げられる。13世紀になり、無学祖元 、蘭渓道隆 らの中国禅僧が相次いで来日した。彼らは絵画を含め宋・元の文物や文化を日本へもたらした。鎌倉の建長寺 仏日庵の所蔵品目録である「仏日庵公物目録」（ぶつにちあんくもつもくろく）は元応2年（1320年）に作成された目録を貞治2年（1363年）頃に改訂したものであるが、これを見ると、当時の建長寺には多数の中国画が所蔵されていたことがわかる。<br />
<br />
日本の初期水墨画は絵仏師や禅僧が中心となって制作が始められた。師資相承（師匠から弟子へ仏法を伝える）を重視する禅宗では、師匠の法を嗣いだことを証明するために弟子に与える頂相 （ちんぞう、禅僧の肖像）や禅宗の始祖・達磨 をはじめとする祖師像などの絵画作品の需要があった。この時期に制作された水墨画の画題としては、上述の頂相、祖師像のほか、道釈画（道教および仏教関連の人物画）、四君子 （蘭、竹、菊、梅を指す）などが主なものである。なお、水墨画と禅宗の教義とには直接の関係はなく、水墨画は禅宗様の建築様式などと同様、外来の新しい文化として受容されたものと思われる。鎌倉時代の絵巻物 に表現された画中画を見ると、当時、禅宗以外の寺院の障子絵などにも水墨画が用いられていたことがわかる。<br />
<br />
14世紀の代表的な水墨画家としては、可翁 、黙庵 、鉄舟徳済 などが挙げられる。可翁については作品に「可翁」の印が残るのみで伝記は不明だが、元に渡航した禅僧の可翁宗然と同人とする説が有力である。黙庵は元に渡り、同地で没した禅僧である。鉄舟徳済は夢窓疎石 の弟子の禅僧で、やはり元に渡航している。<br />
<br />
代表作<br />
<br />
    * 達磨図（山梨・向嶽寺 蔵、国宝） - 達磨の衣などに彩色があるが、水墨画の筆法で描かれている。絵の上部に蘭渓道隆の賛があることから、蘭渓の没した1278年が制作年代の下限である。<br />
    * 蘭渓道隆像（神奈川・建長寺蔵、国宝） - 着彩画であるが、中国画と同様の筆法で描かれている。この時代の頂相の代表作である。絵の上部に文永8年（1271年）の蘭渓自身の賛がある。<br />
    * 可翁筆　寒山図（個人蔵、国宝） - 減筆体の人物画。寒山は唐時代、天台山に住んでいたという伝説的な隠者で、水墨画の好画題とされる。<br />
<br />
[編集 ] 室町水墨画<br />
<br />
室町時代は日本水墨画の全盛期と言ってよいであろう。足利家が禅宗を庇護したこともあり、禅文化や五山文学 が栄え、足利家の寺である京都の相国寺 からは如拙 、周文 、雪舟 をはじめとする画僧を輩出した。また、東福寺 の画僧・明兆 （みんちょう）は、濃彩の仏画から水墨画まで幅広い作品を制作した。8代将軍足利義政 は政治を省みなかったが、文化の振興には力を入れ、唐物と呼ばれる中国舶載の書画、茶道具などを熱心に収集・鑑賞した。当時の日本で珍重されたのは、中国・南宋時代の画家の作品で、夏珪、馬遠、牧谿 （もっけい）、梁楷、玉澗（ぎょくかん）らが特に珍重された。牧谿、梁楷、玉澗などは中国本国よりも日本で評価の高い画家である。なお、室町時代の日本画壇が水墨画一色であったと考えるのは誤りで、この時代には伝統的な大和絵 の屏風も盛んに描かれていたことが、20世紀後半以降の研究で明らかになっている。<br />
<br />
14世紀までの日本水墨画が頂相、祖師図、道釈画などの人物画や花鳥画を中心としていたのに対し、15世紀には日本でも本格的な山水画が描かれるようになる。日本の水墨山水画のうち、もっとも初期の作とされるものは、「思堪」という印章のある『平沙落雁図』（個人蔵）である。この作品には中国出身の禅僧・一山一寧 の賛があり、彼の没年である1317年が制作年代の下限となる。画面下部に「思堪」の朱印があり、これが画家名と思われるが、その伝記等は不明である。この『平沙落雁図』にはまだ水墨画の画法をこなしきれていない稚拙な部分があり、遠近感の表現なども十分ではない。それから約1世紀を経た応永年間（15世紀初頭）に、「詩画軸」と称される一連の作品が制作される。<br />
<br />
「詩画軸」とは、「詩・書・画一体」の境地を表わしたもので、縦に長い掛軸の画面の下部に水墨画を描き、上部の余白に、画題に関連した漢詩を書いたものである。この種の詩画軸で年代のわかる最古のものとされるのが藤田美術館 蔵の『柴門新月図』（さいもんしんげつず）で、応永12年（1405年）の作である。この図は杜甫 の詩を題材にしたもので、絵の上部には序文に続いて18名の禅僧が詩文を書いており、絵よりも書の占めるスペースが倍以上大きい。15世紀前半に制作された詩画軸の代表作としては他に『渓陰小築図』、『竹斎読書図』、『水色巒光図』（すいしょくらんこうず）などがあり、絵の筆者は『渓陰小築図』が明兆（みんちょう）、『竹斎読書図』、『水色巒光図』が周文との伝えもあるが、確証はない。この時期の詩画軸は、「書斎図」と呼ばれる、山水に囲まれた静かな書斎で過ごす、文人の理想の境地を題材にしたものが多い。<br />
<br />
この時代にはようやく画人の名前と個性が明確になってくる。相国寺の画僧・如拙は、『瓢鮎図』（ひょうねんず、京都・退蔵院蔵）をはじめ、若干の作品が知られる。やはり相国寺の画僧であった周文は、幕府の御用絵師としての事績が文献からは知られ、詩画軸、山水屏風などに「伝周文筆」とされる作品が多数残るが、確証のある作例は1点もない。<br />
<br />
15世紀の後半には、水墨画家としてのみならず、著名な画家の一人である雪舟（1420 - 1502/1506）が登場する。雪舟は備中国 （岡山県）の出身で、地方武士の血を引くと言われる。上京して相国寺の僧となるが、後に大内氏 を頼って山口に移住。応仁の乱（1467−1477年）の始まりと前後して中国・明に渡航、足掛け3年滞在して帰国した。帰国後は山口、大分など、もっぱら地方を遍歴して制作し、80歳代まで作品を残している。雪舟は明応4年（1495年）、76歳の時、弟子の宗淵に与えた作品『山水図』（通称「破墨山水図」）の自賛に、「自分は絵を学ぶために明に渡航したが、そこには求める師はいなかった」と記し、先輩に当たる如拙や周文の画業をたたえている。この自賛は、日本の画家が自らの画業について語ったものとしては最古のものであり、日本人画家としての自負がうかがえる。雪舟は中国絵画の影響を消化しつつ『天橋立図』のような日本の実景を題材にした独自の水墨画を制作した。また、多くの弟子を育成し、彼らの中には秋月（薩摩出身）、宗淵（鎌倉円覚寺の画僧）など、それぞれの出身地に帰って活躍した者もいた。こうした面でも、雪舟が日本絵画に与えた影響は大きかった。<br />
<br />
室町時代には、地方にも多くの画人が現われ、その多くは武家の出身であった。その代表的な存在が、常陸国太田（茨城県常陸太田市）の武家出身の画家・雪村 であった。雪村は後に出家して画僧となり、関東地方と会津地方で80歳代まで制作を続けたが、その作品には武家の出身らしい気迫のこもったものが多い。<br />
<br />
この時代には他にも多くの水墨画家がいた。著名な者としては、曾我蛇足、松谿、岳翁蔵丘らがいるが、これらの人物の伝記はあまり明らかでない。足利将軍家に仕えた「同朋衆」（唐物の目利きなど、芸術顧問的な仕事をしていた）の阿弥派一族（能阿弥 、芸阿弥 、相阿弥 ）も水墨の作品を残している。<br />
<br />
[編集 ] 参考文献<br />
<br />
    * 「特別展　水墨画」図録、東京国立博物館<br />
    * 週刊朝日百科『世界の美術』115号「室町時代の水墨画」、116号「雪舟・雪村と戦国画壇」、朝日新聞社、1980年<br />
<br />
[編集 ] 関連項目<br />
<br />
    * 明兆<br />
    * 如拙<br />
    * 周文<br />
    * 雪舟<br />
    * 狩野正信 ：狩野派 の祖<br />
    * 狩野元信<br />
    * 長谷川等伯<br />
    * 破墨山水<br />
    * 襖<br />
    * 東山文化<br />
<br />
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B<br />
0%B4%E5%A2%A8%E7%94%BB " より作成<br />
カテゴリ : 水墨画 | 絵画技術 | 絵画のジャンル | 禅 | 日本美術史 | 室町時代の文化<br />
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>時代錯誤の同一性主義の日本政治と差異共振主義という進化エネルギー：国家資本主義から神道資本主義へ</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://protophilosophy.noblog.net/blog/t/10574670.html" /> 
  <issued>2008-07-01T22:11:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		思うに、官僚であれ、自民党であれ、あるいは、野党であれ、発想が近代主義的ではないだろうか。もっとも、日本は、国家資本主義という封建制（ほんとうは絶対主義の名残）が継続している。近代主義なり、封建制なり、同一性が支配する。近代合理主義や封建的国家主義は同一性主義である。<br />
　問題は、今日の経済は、同一性主義と差異共振主義が混淆しているが、後者の積極面を評価しなくてはならないことである。これが、進化的なのである。これを、日本の官僚、政治家はほんと気づいていないと思われるのである。<br />
　これは、明らかに、時代遅れであり、退行しているのである。退化である。差異共振主義という発展的エネルギーを取り込まないと、日本は明らかに、衰滅する。<br />
　日本にとっては、神道的資本主義が必要である。神道は、差異共振主義なのであるから。<br />
<br />
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊<br />
<br />
自民税調：前倒しスタート　どうなる消費税増税<br />
自民党税制調査会の総会であいさつする津島雄二会長＝東京都千代田区の自民党本部で２００８年７月１日午後４時３分、木葉健二撮影<br />
自民党税制調査会の総会であいさつする津島雄二会長＝東京都千代田区の自民党本部で２００８年７月１日午後４時３分、木葉健二撮影<br />
<br />
　自民党税制調査会（津島雄二会長）は１日の総会で、０９年度税制改正に向けた議論を開始した。例年秋にスタートする議論を大幅に前倒ししたものだが、焦点の消費税引き上げ問題は衆院解散・総選挙をにらむ与党内に反対意見が多く、明確な道筋をつけられるか不透明だ。政府が決めた道路特定財源の一般財源化も大きな課題になる。【赤間清広】<br />
<br />
　「国民の理解を得て税制抜本改革に道筋をつけたい」。津島会長は、消費税も含む税制抜本改正の必要性を強調した。０９年度に予定される基礎年金の国庫負担（現行３分の１）の２分の１への引き上げには消費税１％分（約２兆３０００億円）の財源が必要。高齢化で膨らむ医療費などの財源確保も合わせ、消費税増税は避けられない課題だ。<br />
<br />
　しかし、消費税増税をめぐっては福田康夫首相が「決断の時期」とした発言を撤回し、「２〜３年後の長い単位」の課題と修正。自民党の伊吹文明幹事長も「０９年度は困難」と語るなど政府・与党の腰は据わっていない。値上げと景気減速が同時進行する中、税調内でも「年末の税制改正大綱に増税時期や幅を明記できるか微妙」との声がある。<br />
<br />
　消費税増税が０９年度以降に先送りされた場合、基礎年金の国庫負担引き上げの代替財源に急浮上しそうなのがたばこ税増税。たばこ関連税収は国・地方で約２．２兆円で、たばこ１箱３００円を増税で倍の６００円にすればやりくりできるだけに、「逃げ道」になる可能性がある。<br />
　◇道路特定財源<br />
<br />
　道路特定財源の一般財源化では、「税収を確保するためガソリン税などの暫定税率の維持が不可欠」（税調幹部）。ただ「道路整備に充てる」としてドライバーから高い税金を取ってきただけに、道路以外に使うことを正当化するには新たな名目が必要になる。税調では温室効果ガス排出抑制を進める「環境税」への衣替えが検討される見通しだが、自動車業界は反発している。一般財源化による予算配分拡大を狙う各省庁との調整も難題となりそうだ。<br />
　◇ことば　自民党税制調査会<br />
<br />
　自民党政務調査会の中に設置され、毎年度の税制改正を審議する。政府税制調査会（首相の諮問機関）が税制改正の大枠を議論するのに対し、自民税調は関係省庁、経済団体などとの利害調整を行い、各年度の税制改正を事実上決定する。例年は秋から議論を始め、１２月に同党税制改正大綱、公明党との与党税制改正大綱をまとめる。<br />
【関連記事】<br />
<br />
    * 年金改革:給付維持に黄信号 国庫負担率上げの方針揺らぎ<br />
    * 社会保障:給付抑制、一部見直し…国民会議<br />
    * 社会保障会議:医療、介護の財源、今夏に試算…中間報告<br />
    * 消費税:自民財革研・園田座長「来秋10%に」<br />
    * 消費税:引き上げ幅「2%ぐらいでいい」…伊吹自民幹事長<br />
<br />
毎日新聞　2008年7月1日　19時41分（最終更新　7月1日　19時43分）http://mainichi.jp/photo/news/<br />
20080702k0000m020061000c.html?inb=yt<br />
<br />
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊<br />
<br />
橋下府知事と教育：ユーバリゼーションの大阪？：感性を包摂した知性教育：トランス・モダン教育へ向け<br />
<br />
<br />
以下の抗議は一理あるが、私はいつも思うのであるが、どうして、教員はそんなにも課外活動や休日出勤をするのだろうか、とういうことである。確かに、部活の責任はあるだろうが、毎日見る必要があるのだろうか。また、休日出勤をする必要があるのであろうか。それより、自分の教育能力を高める努力をするべきではないだろうか。<br />
　日本の教育は、公立の義務教育は地に落ちていると思う。きちんと、基本的なことを憶えさせていないのである。思うに、感性を包摂した知性教育（インテリジェンス教育）が必要である。ここには、哲学が入らないといけないし、芸術、宗教・神話・民話、芸能、等々が入るのである。豊かな精神知性があって、知的合理性が生まれるのである。<br />
　とまれ、橋下府知事は胡散臭いと思う。パフォーマンスである。大阪は夕張化（ユーバリゼーション）するのではないだろうか。<br />
<br />
<br />
橋下知事へ「府職員も大阪府民やで！人件費カットで誰が笑えるねん！ほんまに大阪がよくなること考えて行動してや！」<br />
<br />
<br />
先のことを考えずに府職員の希望や、やる気を奪う削減案しか出せない橋下知事とＰＴ案作成委員会の幼稚さに憤慨するばかりです。タレントという知名度だけでは大阪は背負われへんのやなぁと知事選当選当初の橋下さんの顔がだんだんくすんで見える今日このごろです。<br />
<br />
　知事がほんまに大阪の「にんげん」やったら財政再建は、身内を仇討、斬首する戦国時代の大名みたいなことせんと、経済立て直すための大阪の商売どうするのかを本腰入れて考えてもらいたい。<br />
<br />
　大型プロジェクト不振のつけを人件費で解消しようなんて方向違いです。そっちのほうを先にどうにかせなあかんのとちがいますか。大阪がよくなること、窓口になる大阪府の職員がいきいきした笑顔で働けること考えて行動してください。<br />
http://www.news.janjan.jp/area/<br />
0806/0806038608/1.php <br />
<br />
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊<br />
<br />
新太郎銀鉱であるが、この闇は濃い。一体、真相は何であったのか。私は、先に、企業の赤字埋め合わせに<br />
<br />
テーマ：ニッポン亡国の凶相<br />
<br />
新太郎銀鉱であるが、この闇は濃い。一体、真相は何であったのか。私は、先に、企業の赤字埋め合わせに注入されたのではないかとかんぐった。どうもそれよりは悪いと思う。最初から、税金を横取りするつもりで、行ったのではないだろうか。そうならば、税金泥棒詐欺である。<br />
<br />
石原銀行　融資めぐり、都議ら５００回も口利きしていた！<br />
2008年07月01日10時00分<br />
ゲンダイネット<br />
<br />
　東京都が１０００億円を出資し、経営ボロボロの新銀行東京で、とんでもないデタラメが発覚した。特定企業への融資をめぐり、都議らの口利きが５００回以上も繰り返されていたのだ。<br />
<br />
　２８日の毎日新聞によると、口利きしていたのは都議会の与野党議員をはじめ、自民党の衆院議員など数十人。このうち、少なくとも都議３人と衆院議員１人の政治団体が、０４〜０６年の間に、口利きした企業や社長個人から計２２万〜１３２万円の政治献金を受けていたという。<br />
<br />
　また、新銀行では３カ月に１回ほどのペースで特定企業を紹介した議員の名前や件数が報告され、審査の結果、融資が通らなかったケースもあったが、報告もされずに融資の可否が決められた案件もあったという。<br />
<br />
　関係議員は都民にどう説明するのか。<br />
<br />
【2008年6月28日掲載】<br />
<br />
http://news.livedoor.com/<br />
article/detail/3708176/
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>古典的問題：必然性と自由：偶然性とは何か：即非の論理あるいはMedia Point Logic</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://protophilosophy.noblog.net/blog/c/10574044.html" /> 
  <issued>2008-06-30T22:43:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		古典的問題：必然性と自由：偶然性とは何か：即非の論理あるいはMedia Point Logic<br />
<br />
テーマ：検討問題<br />
<br />
最近は、私は、いわば、運命論的である。しかし、諦めはないのである。これをどう考えるべきか。<br />
　この問題は、私が小学生の頃から考えていたことである。必然性（運命）と自由の問題である。これは、哲学の根本的問題の一つではある。<br />
　そう、当然、カント哲学の問題である。カント哲学では、アンチノミー（矛盾）が生起するのである。また、マルクス「哲学」の問題でもある。<br />
　直感では、私はどう考えているのだろうか。思うにこの問題は既に解決されているのである。差異共振的イデア＝太極を考えた時点で、それは、いわば、科学的法則的である。必然である。運命である。<br />
　しかし、個を深化させると、この必然性に到達するのである。即ち、必然即自由である。スピノザ／マルクス主義である。<br />
　問題は偶然である。偶然性をどう考えるのか、である。直感では、偶然性は、実は、必然性である。結局、差異の問題であろう。<br />
　そう、的確に言えば、Media Point(MP)の問題である。MPは同一性と差異を形成するのである。つまり、同一性的必然性と生み、同時に、差異的必然性を生むのである。後者が偶然性であろう。九鬼周造の偶然性はこれだと思う。<br />
　結局、Media Point論理が支配するのである。即非の論理とは、Media Point Logicと言えるだろう。<br />
<br />
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊<br />
<br />
Mon, June 30, 2008 22:09:00<br />
「ポスト・近代国家」としての差異共振主義<br />
<br />
テーマ：トランス・モダン差異共振共同体圏<br />
<br />
国家とは何ぞ哉。今日、国家主義と民族主義との衝突が起っているのだろう。国家主義は、ヘーゲルの国家理性からわかるように、同一性主義である。しまし、民族とは本来、差異である。ここに矛盾が起るのである。<br />
　結局、単純化して言えば、今日、差異共振的国家が要請されていると言えよう。このモデルは、実は、きわめて不十分とは言え、アメリカ合衆国である。<br />
　日本も最近、アイヌを先住民族を認めたのである。これは差異共振主義への大きな一歩である。思うに、近代の国民国家、民族国家、ネーション・ステートが、今や意味をなさなくなっていると言えよう。<br />
　ポスト近代⇒トランス・モダンである。国家は、グローバル経済における支店に過ぎなくなると思われる。もっとも、私は、民族の差異を絶対的価値としている。しかし、諸民族の価値と価値が共振するのが、差異共振主義という未来である。<br />
<br />
セルビア系住民が独自「議会」＝分断状態に拍車−コソボ<br />
<br />
6月29日8時0分配信 時事通信<br />
<br />
　【ベルリン28日時事】コソボからの報道によると、独立に伴い同国で少数民族になったセルビア系住民は28日、北部ミトロビツァで独自の「議会」を創設した。<br />
　同議会は「コソボ独立を認めない」と宣言、多数派のアルバニア系が主体のコソボ政府や欧州連合（EU）の文民支援隊との協力を拒否しており、新生国家は新たな火種を抱えた形だ。<br />
　この日の初会合には、セルビアのコソボ担当相らも駆け付けた。一方、コソボ政府は「違法であり受け入れられない」と批判している。　<br />
http://headlines.yahoo.co.jp/<br />
hl?a=20080629-00000006-jij-int
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>折口信夫の『死者の書』：登場人物と粗筋</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://protophilosophy.noblog.net/blog/r/10573488.html" /> 
  <issued>2008-06-30T01:41:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		折口信夫の『死者の書』：登場人物と粗筋<br />
<br />
テーマ：折口信夫『死者の書』<br />
<br />
以下、元の掲載では、水色でみにくくなっていたので、ここで、文字色を変えて、また、少し補足して再掲する。<br />
<br />
折口信夫の『死者の書』：登場人物と粗筋<br />
テーマ：折口信夫『死者の書』 『死者の書』の主要登場人物と構成<br />
<br />
登場人物<br />
<br />
１． 死者（大津皇子、滋賀津彦）<br />
２． 藤原南家（なんけ）の郎女（いらつめ：死者には、耳面刀自と思われている。　　<br />
　　　 中将姫（ちゅうじょうひめ）と普通呼ばれる。）<br />
３． 耳面刀自（みみものとじ）：淡海公（たんかいこう）の妹君、祖父の叔母君<br />
４． 郎女の祖父は、武智麻呂（たけちのまろ）<br />
５． 郎女の父は、豊成<br />
６． 郎女の父の弟は、仲麻呂＝大師藤原恵美中卿<br />
７． 兵部太輔大伴家持（おおとものやかもち）<br />
８． 当麻真人（たいままひと）の氏の語部（かたりべ）<br />
９． 乳母：身狭乳母（むさのちおも）；郎女の世話をする。<br />
<br />
話の筋<br />
<br />
１） 死者の目覚め<br />
<br />
２） 九人の杖人による郎女の魂ごひの行：死者の応答<br />
<br />
３） 万法蔵院の小庵室に留め置かれる郎女：当麻真人の「氏の語部」<br />
<br />
４） 当麻の語部の姥（おうな）の神懸かりによる歌。大津皇子の処刑（日のみ子に弓を引いたため）と執心。郎女の彼岸中日のヴィジョン。天若日子の神話：天の神々に弓を引いた罪ある神：「天若みこ」の話。<br />
<br />
５） 死者の想起。滋賀津彦（しがのつひこ）。<br />
<br />
６） 郎女の失踪。家から二上山へと行く。称讃浄土経の写経。千部手写。春分、秋分の彼岸における俤の人の幻視。<br />
<br />
７） 千部手写が完成した夜、郎女が神隠しにあった。郎女は、二上山の女人禁制の境内に入って、山肌を見ていた。寺の者たちがおおぜい、集まり、郎女に問うものがいた。<br />
<br />
８） 石城（しき）と言われる石垣のある家が残っていた。古い氏素性の、神代以来の家職の神聖を誇った者どもは、家職自身が、新しい藤原奈良の都には、次第に意味を失っているのに気がついていなかった。大伴家持は、旧習を守っている。話は、東大寺の四天王像の開眼のこととなり、その像が誰それに似ているといううわさ話がたっている。大師藤原恵美中卿もうわさになる。そして、その姪の横はき家の郎女が神隠しにあった話がもちあがる。<br />
<br />
９） 大伴家持の散策：横はきかきつの家まで来る。<br />
<br />
１０） 妻問い式とそういうもののないしきたり。南家の郎女にも、妻を求める男がとりまいた。郎女は、父藤原豊成が書き綴った『仏本伝来記』が手に入り、手写した。郎女は、御仏に感謝した。<br />
<br />
１１） 称讃浄土仏摂受経の千部手写の願を発起した頃の郎女。女性をも救うことを説いた法華経のことが気になっている。<br />
<br />
１２） 寺の浄域を穢した郎女は、自ら、咎をあがなうと述べ、乳母を感動させた。<br />
<br />
１３） 寺の深夜、郎女は廬にいる。帷帳（とばり）を掴んだ片手の白く光る指が見えたとき、郎女は思わず、「なも　阿弥陀ほとけ。あなたふと　阿弥陀ほとけ。」と言葉をもらした。それから、白玉をとりあげる夢を見る。水底の白玉、珊瑚の木となった夢をみる。天井の光の輪の隈から、俤（おもかげ）の人の姿が見えた。<br />
<br />
１４） 大師藤原恵美中卿（仲麻呂）と兵部大輔大伴家持の歓談：郎女のことが話題となる。<br />
<br />
１５） 郎女は、不思議な音がする恐ろしい夜更けを待つようになった。候は、躑躅（つつじ）の咲く頃であった。ある夜、天井の光のところに、大きな花が見えた。「郎女の目には、何とも知れぬ浄らかな花が、車輪のように、宙にぱっと開いている。」（p.125）その花の蕋（しべ）から、黄金の髪が動く。その髪の中から、顔、肩、胸、肌が現れる。<br />
　<br />
１６） ヤマツツジの時候。初夏となる。寺にいる郎女が魂がもどってくることだけを望みにして、人々は山村に留まっていた。人々は、蓮の茎を取って、蓮糸を紡いだ。そして、蓮糸のまるがせが、廬堂に高く積まれていった。郎女は、秋分の日が近づいてきているのを身の内に感じた。<br />
<br />
１７） 彼岸中日、秋分の夕方。郎女は、いつの間にか、廬の外へ出ていた。乳母たちは、驚き、郎女を探しに出かける。郎女は、万法蔵院に来ていた。そして、二上山の男嶽（おたけ）と女嶽（めたけ）の間を見ていた。そこへ、俤の人のヴィジョンが現れた。<br />
<br />
１８） 郎女は、奈良の御館から取り寄せた高機で、蓮糸織りをすることになった。郎女は、織物を織って、俤の人の素肌のお身を、掩ってあげたいと思う。しかし、うまくいかない。当麻語部姥（たいまのかたりべおうな）の声で、織り方を教わる。<br />
<br />
１９） ５反目の織物を織る。それから、郎女自身で、裁ち始める。<br />
<br />
２０） 当麻語部はもう一人語りの物語の時代ではないことを知る。さて、郎女は、奈良の家の絵の具を思い出して、取りに遣らせる。そして、その絵の具でもって、作った織物の衣に、先の夕に見た幻を描き始めた。そこには、豪華絢爛な伽藍があり、また「照り充ちた色身」の尊者が現れた。「姫の俤びとに貸す為の衣に描いた絵様は、そのまま曼荼羅の相（すがた）を具えて居たにしても、姫はその中に、唯一人の色身の幻を描いたに過ぎなかった。併し、残された刀自・若人たちの、うちまもる画面には、見るみる、数千地涌（すせんぢゆ）の菩薩の姿が、浮き出て来た。其は、幾人の人々が同時に見た、白日夢のたぐひかも知れぬ。」<br />
<br />
http://ameblo.jp/renshi/<br />
entry-10002171474.html
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>社会保障費の削減によって、日本社会が地獄化する：自民党、自公党傀儡政権である。日本国民の眠りは続</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://protophilosophy.noblog.net/blog/m/10573306.html" /> 
  <issued>2008-06-29T20:49:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		テーマ：ニッポン亡国の凶相<br />
<br />
社会保障費お削減によって、日本社会が地獄化する。思うに、自民党内部に老人の医療・福祉にコストがかかるのを不満に思っている人間が多いと思う。自民党の傲り気質である。<br />
　思うに、額賀財務省は、自身の考えを表明しているのではなく、官僚の冷酷な意見を代弁しているに過ぎないのではないだろうか。どうもこちらの方が的確なようである。<br />
　自民党、自公党傀儡政権である。日本国民の眠りは続くのか。<br />
<br />
p.s.　とにかく、自爆的な発言できわめて恐ろしい。そんなにも日本の没落を欲しているのか。とにかく、亡国売国自民党・自公党である。<br />
　フランス革命前夜に近くなっているのか。<br />
<br />
額賀財務相：社会保障費抑制方針を堅持<br />
<br />
　額賀福志郎財務相は２９日、ＮＨＫ番組に出演し、社会保障費の伸びを２０１１年度までの５年間で１兆１０００億円（単年度で２２００億円）抑制する政府方針について「３年目で挫折するようでは世界の信任は得られず、国民の将来の不安もぬぐい去れない」と述べた。０９年度予算編成に向け、７月末にも示す概算要求基準（シーリング）でも抑制方針を堅持する考えを表明した。<br />
<br />
　抑制方針については、自民党の厚生労働族議員から「削減はすでに限界だ」と棚上げ論が出ているが、財務相は雇用保険の国庫負担廃止などを削減候補にあげ、達成可能だと強調した。一方、骨太の方針０８に盛り込まれた医師不足や救急医療対策などには「歳出のムダを省き、財源を手当てしたい」と述べ、抑制方針とは別枠で対応することで理解を求めた。<br />
<br />
　また、高齢化に伴い増大する社会保障費負担については「勤労者にすべて任せれば、日本経済は沈没する」と語り、今秋の税制抜本改革論議では、消費税率の引き上げを議論すべきだとの考えを表明した。さらに「北欧やドイツの消費税率は２０％前後だ。そのうえで所得税や法人税は下げるのが世界の姿だ」と指摘し、消費税増税の際には、所得税の一部負担減も含め、税制全体の見直しが必要との認識も示した。【清水憲司】<br />
<br />
http://mainichi.jp/select/seiji/<br />
news/20080630k0000m010045000c.html<br />
<br />
財務相「社会保障費の抑制は堅持」<br />
<br />
<br />
額賀財務相は２９日のＮＨＫ番組で、社会保障費の伸びを５年間で１．１兆円抑制する方針を０９年度の予算編成でも堅持する方針を示した。「始まって３年目で挫折しては世界の信任を得られない」と述べ、具体策として後発医薬品の使用促進や雇用保険の国庫負担縮減を挙げた。<br />
<br />
　２７日に決定した骨太の方針０８は、抑制目標を定めた骨太の方針０６に沿って「最大限の削減を行う」としていた。<br />
<br />
　また、社会保障費の財源として消費税率を上げる際は、法人税の引き下げや所得税の負担軽減も併せて必要になる、との認識を示した。「消費税率は２０％前後で、所得税や法人税を下げてバランスをとるのが世界の姿だ」と指摘。全体的な税体系を見直す際に国際競争力強化などに配慮する考えを示したものだ。<br />
<br />
http://www.asahi.com/politics/<br />
update/0629/TKY200806290131.html<br />
<br />
 <br />
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>中東大戦争と多極化路線（差異共振路線）：国家資本主義自公党OSから差異共振資本主義の政権OSへ</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://protophilosophy.noblog.net/blog/t/10572699.html" /> 
  <issued>2008-06-28T17:59:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		中東大戦争の可能性であるが、これは微妙なのではないだろうか。田中宇氏の唱える多極化路線を取るならば、アメリカは中東大戦争を回避する方法を取ると考えられる。しかしながら、覇権主義が主導的になれば、中東大戦争は起るだろう。今のところ、直感では、前者である。しかし、なにが起るかわからない。<br />
　経済についても、同様で、サブプライムによるバブルの清算がどこまで続くかが問題であろう。思うに、世界資本は中東を含めてアジアに行くのではないだろうか。<br />
　日本は自公党という国家資本主義＝社会主義のOSを取り換えて、差異共振資本主義のOSへと転換すべきである。私は北朝鮮のテロ国家指定の解除は、政権のナショナリズム的目眩しから、国民を少しは覚醒させることになったのではと思う。<br />
<br />
<br />
＊＊＊以下、転載＊＊＊<br />
<br />
<br />
★　2008年6月27日 金曜日 、７時半更新<br />
<br />
・・・・・<br />
<br />
　数日中に恐怖の世界大恐慌勃発か！<br />
<br />
【２７日ＮＥＶＡＤＡ引用：：　ＮＹダウや今はメルトダウンに入り始めており、今後、世紀の暴落を演じることになるかも知れません。この際には日本の株式市場も指数銘柄は軒並みストップ安になるでしょうが、問題は金融システムです。昨夜のＮＹ市場では、信用不安問題が出てきています【シティ】、【ＡＩＧ】、【リーマン】がそろって急落しており、ＦＲＢ等は緊急協議に入ったとも言われています。<br />
ＡＩＧ　　−５．５５％<br />
シティ　　−６．２６％<br />
バンカメ　−６．７６％<br />
リーマン　−８．４２％<br />
皆、恐ろしい程の急落となっておりますが、【ＧＭ】の株価はこれらを遥かに上回る暴落となっているのです。ＧＭ　−１１．４３％<br />
今、次第に金融市場は追い込まれており、この先、何が起こりましても不思議ではありません。特に、米国の預金保険機構がパンクする事態も想定されており、海外預金をお持ちの方は１０万ドルまで保護はされていますがこれを履行するだけの財源がなくなりつつあり、カットはされないはずですが、支払いは１０年払いということも考えられますので、くれぐれもご留意ください。詳しいことは７月１日付け【ワールドレポート】で解説させて頂きます。】<br />
<br />
<br />
　アメリカで大暴落、１１４００ドル台に 、モノライン大手が今日にも破綻し、連鎖してシティ銀行が来月にも倒産する可能性が強まっている。ＧＭももはや見捨てられ崩壊倒産の様相、当然、連鎖倒産で大恐慌に至る。日本ではミズホ・リソナが危ない。いずれペイオフ発動が避けられないだろう。<br />
　なお、原油がバレル１４０ドルを突破しているが、これは弱体化し、下落したドルによってドル建て原油を確保したい意志が働いているからだ。ドルが信用されず、虚構マネーの所有者は、一刻も早く、原油・穀物・レアメタル・金などの先物商品に切り替えてしまいたいわけだ。やがて基軸通貨をユーロにシフトする流れが加速し、そうなれば原油バブルは大崩壊するだろう。需給実体価格はバレル５０〜８０ドルである。現在１０７円のドルは、年内に８０円を割り込む見込み。<br />
<br />
　国内は静かな大不況が進行している。首都高をはじめ、日本中の幹線道路、高速道路がガラガラになっている。物資の流通がない。人々はモノを買うカネがない。インフレとカネ不足が、インフレでもデフレでもないスタグフレーションという現象を生んでいる。<br />
　現在、国内企業の半数が存続ボーダーライン上に右往左往していると指摘されているが、この世界規模のスタグフレーションが続くなら、間違いなく、史上最悪の倒産ラッシュとなるだろう。巷に餓えた人々が満ちあふれ、餓死者の死骸を踏みつぶして歩く事態が近づいている。<br />
<br />
　現実的な解決策は、唯一、世界戦争あるのみ。膨大な浪費が大金持ちたちを救う。しかし、それにより数十億の民が凄まじい悲惨を享受し、地球環境は壊滅的に破壊される。<br />
　アメリカは必ず世界戦争を引き起こす。ブッシュの逮捕を阻止するために戦時体制が必要なのだ。来月にもイスラエルが単独でイラン核施設を攻撃し、ロシアに支えられたイラン防空網が、それに反撃し、イスラエルは建国以来最大の損害を被るだろう。そこにアメリカが参戦するわけだ。<br />
<br />
　筆者は、このときを２０年以上前から予測してきた。資本主義は共産主義との戦いに敗北して滅ぶのではない。共産主義が自滅し、資本主義の一人勝ちになった段階で、自らの腐敗によって滅ぶのである。<br />
　朝鮮やベトナムにおける共産主義との戦いに駆り出されて、膨大なアメリカの若者たちが死んでいった。彼らがもたらしたものは資本主義の勝利ではなく、彼らの血によって贖われた資本主義独裁体制であり、その腐乱であった。結局のところ、イデオロギーは自然の秩序と乖離し、自滅の道を辿るしかなかったのだ。<br />
　人の作為など矮小で愚かなものだ。自然がもたらす秩序に比べれば、吹けば飛ぶゴミでしかない。天を畏れよ！　人を支配できるなどと傲慢な妄想を抱くな。世界支配を実現する寸前の、宗教的ユダヤ勢力もまた、天の力の前に吹き飛ばされる運命にあるのだ。<br />
<br />
　●　統一教会について、筆者は度々、強い警告を書いてきた。表に出ているトンチンカンなピント外れの陰謀団体の顔だけ見て甘く考えていると、彼らを手足として利用している巨悪を見過ごすことになる。見た目は、狂信的詐欺団体であって、誰も相手にしないと思いたいところだが、本当は、隠れた恐るべき裏の顔がある。<br />
　岸信介・笹川良一・児玉誉士夫・福田赳夫ら、前世紀の亡霊たちが文鮮明と交友を持ち、狂信的な反共活動を繰り広げてきたが、表の顔だけ見ていると、箸にも棒にもかからない狂信カルトにしか見えないが、筆者は、全然違う、不気味な裏の顔に気付いている。世界日報やワシントンタイムズ、ＵＰＩ通信という報道機関を買収して反共思想運動に利用しているだけではない。<br />
　表向き、ブッシュへの献金額は数億円程度だが、本当は、その数十倍あるらしい。ブッシュにとって大きな金蔓であって、その意志決定に強い影響力を持っている。おまけに、池田大作と組んで世界的な反共ネットワークを作っていて、ブッシュやチェイニー個人への莫大な寄与を行っているとの情報がある。<br />
　文鮮明はアメリカの北朝鮮政策に大きな影響力を持っている。今回の、北朝鮮テロ指定解除により、世銀から１兆円もの融資を受けられる利益誘導について、背後に、文鮮明の意志が働いていると考えるのが自然であろう。<br />
　さらに、寡占的リン鉱石産出国である中国とアメリカが同時に輸出禁止措置をとったことの意味についても考えたい。「株式日記」が指摘しているように、北朝鮮はイランに、イスラエル攻撃可能な核ミサイルを公然と販売できることになった。これらの意味を総合的に判断しよう。<br />
<br />
　余談　死刑廃止問題<br />
<br />
　筆者が死刑廃止運動に関わったのは、ほとんど単独で名古屋日建土木保険金殺人事件 の支援運動を行った１９８０年代のことで、かれこれ２０年を超える。<br />
　日建土木事件は、主犯として逮捕され一審で死刑判決を受けた山根氏について、筆者は当初、冤罪と見ていたが、調査するうちに、一定の責任を免れないことが分かってきた。しかし、主犯ではなく従犯に留まるものであり、法理論上は最大１０年程度が相当であった。（当時、司法書士・調査士の受験勉強をしていた）<br />
　この事件は、結局、最高裁で山根氏の情状が軽いものと認定されて死刑判決が撤回され、無期に減刑されたわけで、筆者の拙い小さな助力も無駄にはならなかったと自負している。（１０万枚以上のチラシ配布や、メディアへの冤罪宣伝が裁判官の心証に影響したと信じている）<br />
<br />
　しかし、主犯と認定された西尾氏は、１０年前死刑執行された。筆者の当時の調査では、西尾氏は有名な暴力団組長で、その計画の周到さ、慣れを見るなら殺人常習者だった可能性が強いが、公判に何度も通い、慣れ親しんだ顔が権力によって殺害されたことが死刑制度自体の異常さ、問題の深刻さに気付かせる衝撃的なきっかけとなり、これを廃止しない限り、死を軽視する風潮はなくならないと考えた。<br />
　それどころか、死刑制度の本質は、権力による民衆に対する「殺すぞ！」の恫喝以外のものではなく、社会の安全を担保する上で、何一つ役立つ制度ではなく、逆効果でしかないと強く確信したのである。<br />
<br />
　以来、一人で中古の印刷機を買い込んで、死刑反対のチラシを数万枚も印刷し、戸別配布したり、あらゆる機会を捉えて死刑制度の不当性を訴えてきたつもりだ。たまたま学生時代から旧知の安田好弘弁護士が死刑廃止運動のリーダーになっていたが、彼と直接の交際はなく、まったく無関係に、筆者は、ほとんど一人で孤独な反対運動を続けねばならなかった。<br />
<br />
　もとより、これまでの活動に評価を求めるつもりなど毛頭ないが、実際問題として、評価はおろか、小さな好意的反応さえなかったことに深い絶望感を抱かざるをえなかった。「死刑を廃止すべし！」という仲間を見つけることは至難の業であった。<br />
　人々は庚申信仰者ばかりなのか、死刑問題について見猿・言わ猿・聞か猿を決め込む者が多く、「被害者感情を考えろ」・・・・つまり江戸時代のような復讐容認論で、「悪いヤツは殺せ」の幼稚園児のような、あまりに薄く愚かな理屈を一歩も超えるこことのできない者が大多数なのである。<br />
<br />
　このホームページは、死刑問題とは別に、研究中だった宏観的地震予知・アマチュア無線による予知を広く宣伝するために始めたものだが、昨日の余談に書いたように、筆者が学歴も権威も、機材も評価もないために、権威主義を信奉する連中から軽視されるだけなら、まだしも、ほとんど小馬鹿にされ、蔑視され、詐欺師のように扱われ排斥されることになった。<br />
　その理由は、結局のところ、日本社会の間違いの根元に、権威主義や差別の問題があったからで、地震予知でも死刑でも教育でも、すべての根は同じだったのである。<br />
<br />
　このため、地震予知だけで、すませることができず、必然的に、あらゆる社会問題を包摂する総合的問題提起へと進まざるをえなかった。<br />
　当初、死刑廃止を訴えていても、当ＨＰの協力者である船長氏や鹿島氏などが賛同してくれるとは思わず、おそらく死刑廃止を主張すれば筆者から去ってゆくだろうと思っていた。<br />
　しかし予想に反して、逆に、船長氏や鹿島氏は、死刑廃止論に大いに賛成し、心強い味方になってくれている。これは筆者にとって、本当に感動的な出来事であった。<br />
　なぜなら、この世には、もう安田氏以外、死刑廃止の意味を理解できる人がいないのでは？　と思うほど深い絶望に苛まれていたからだ。<br />
　死刑廃止こそが旧約聖書以来、人々にかけられた権力の呪いを解き放ち、閉ざされた心を解放する鍵になるのであり、人が人を追いつめない暖かい社会を作ることだけが、誤った道に進んだ日本社会を、人間性豊かな素晴らしい社会に戻す唯一の道だと確信しているからである。<br />
<br />
　だが、その彼らでも、死刑掲示板に出てくる、うんざりするほどの無内容な死刑正当化論に辟易し、まるでゴムでできたスルメを噛みしめるような味気なさを味わっていることだろう。<br />
　説明しても、説得しても、あらゆる論理、調査された数値、言葉を駆使しても、それを読みもしない、聞きもしないで、はじめから理解する意志もなく、ただ、固陋な自分の感情の殻に閉じこもり、一歩も前に出ようとしない者ばかりが、無意味な言葉の羅列で自己正当化、自己満足だけを目的に「反論」を次々に書き込んでくる。<br />
　しかし、どれひとつ人の心を打つ内容はなく、「もう、うんざりだ、お願いだから消えてくれ」と思うしかないものばかりだ。<br />
<br />
【６／２７管理人板：　通行人ですが、私は死刑賛成の一番の理由は、わが身に危険が及ぶのが怖いからです。名前忘れたけど、母親を殺した少年がその後姉妹２人を殺した事件ありましたよね。……怖いです。日本では絶対的終身刑が無いから、殺人犯には一生社会に出てきてほしくない】<br />
<br />
　上の引用は最近のものだが、正直、人間として固陋・姑息で情けない限りだ。そんなに怖ければ、死ぬまで社会に出ずに、誰も来ない洞窟を見つけて閉じこもってろ！　人と付き合うことはリスクが伴うものだ。誰だって怒り、ときには殺意を抱く。だが、その殺意を実現するかどうかが社会の分かれ目になる。<br />
　人は、よほど追いつめられない限り、他人を殺して自分も死のうなどと考えないものだ。心の解放された良い社会では、人を追いつめず、理性が心をコントロールすることができる。心の閉ざされた悪い社会では、人は追いつめられるばかりで、どうしたらいいか分からず、結局、暴走して社会の破壊に向かうのであり、これは人間社会が成立してから今日、未来に至るまで変わることのない社会法則、心の法則なのである。<br />
<br />
　人は、どんなに悪いヤツばかりであっても、人と一緒に生きてゆくしかないのだ。筆者も幼稚というしかない理性を見失った死刑賛成者と一緒に生きている。社会をよくするためには何をすべきか？　まるで理解できない固陋な人たちと一緒に、これからも生きてゆくのかと思うと心底ウンザリだが、これも前世の報いと諦めている。<br />
　人間社会は一種の地獄であるらしい。箸にも棒にもかからない、およそ問題の解決方法を理解できない遅れた人たちの住む星、互いに苦悩を生産し続け、死ぬまで叩き合う星、人を追いつめることで自分を追いつめ、最期は自殺するしかない星、そんな地獄星に我々は生かされている。<br />
http://www1.odn.ne.jp/<br />
~cam22440/yoti01.htm<br />
<br />
東海アマチュア無線 　地震予知研究会<br />
<br />
<br />
<br />
Global markets reel after first-half carnage<br />
<br />
Global equities were on Friday heading for their worst first-half performance in 26 years after a week in which oil surged to a record and there were renewed worries about the health of the financial system and &amp;#173;global growth.<br />
<br />
A high of $142.99 a barrel for oil sparked a tumble in Asian markets and selling in Europe and New York. The Dow Jones Industrial Average on Friday closed just shy of 20 per cent below its record high set in October and is on cusp of entering an official bear market.<br />
<br />
Global equities were on Friday heading for their worst first-half performance in 26 years after a week in which oil surged to a record and there were renewed worries about the health of the financial system and &amp;#173;global growth.<br />
<br />
A high of $142.99 a barrel for oil sparked a tumble in Asian markets and selling in Europe and New York. The Dow Jones Industrial Average on Friday closed just shy of 20 per cent below its record high set in October and is on cusp of entering an official bear market.<br />
http://www.ft.com/cms/s/0/<br />
8d32f66a-4470-11dd-b151-<br />
0000779fd2ac.html<br />
<br />
<br />
    *<br />
      US markets tumble as oil price rises<br />
      Wall Street is teetering on the brink of an official bear market after a miserable day of trading<br />
<br />
http://www.guardian.co.uk/business<br />
/2008/jun/28/dowjones.useconomy<br />
<br />
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>新万教帰一とイデア・エネルギー（コズミック・エネルギー）のMedia Point位相</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://protophilosophy.noblog.net/blog/i/10572664.html" /> 
  <issued>2008-06-28T16:32:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		今日は余裕がないので、論考できないが、結局、宗教とは、イデア・エネルギーのMedia Pointにおける位相を表現しているのではないかと思えるのである。神とは還元すれば、イデア・エネルギー（コズミック・エネルギー）である。それが、 Media Pointの諸位相によって、多様な表現（mode）になると考えられる。この多様な表現modeが諸宗教ないしは諸神話と考えられるのである。<br />
　結局、プラトニック・シナジー理論から、新たな万教帰一が考えられるのである。Media Pointの位相の違いによって、人類は言わば、流血惨事を起していると言えよう。Media Pointのmodeの諸相に気づけば、イデア・エネルギーで統一できると考えられるのである。一神教も多神教も一である。
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>英雄神話とは何か：太母と英雄：二つの父権化：多神教的調和統合型と一神教的同一性主義型</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://protophilosophy.noblog.net/blog/i/10570716.html" /> 
  <issued>2008-06-25T13:13:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		神話（物語）では、龍退治がよく出てくる。日本神話では、周知のように、スサノオによる八岐大蛇の退治がある。ギリシア神話では、これは、ペルセウス型神話と呼ばれる。<br />
　一般に、西洋文化では、龍退治が重要な機能をもっている。東洋文化の場合は、龍自体が崇拝されることが多い。<br />
　私はこれまで、差異の視点から、龍退治を同一性主義と結びつけてきた。だから、ヤハウェとは、一種の龍退治を行う「英雄」と言えよう。<br />
　問題は、この英雄はどのような意味があったのか、ということである。私が思っているのは、Media Pointと太母が一致するのではないのかということである。言い換えると、龍退治は、Media Point＝太母を排除・抑圧する行為と考えられるということである。<br />
　では、問題は、何故、そうする必要があったのか、である。ユング派心理学は、太母＝グレートマザーを根源において、自己実現＝個性化を説いている。これは、当然、根源的多神教と一神教との関係の問題でもあるし、母権文化と父権文化の関係の問題でもある。<br />
　ギリシア神話で言うと、女神的なものは、英雄によって否定される。しかしながら、一神教のようには、完全に排除はされない。形を変えるのである。女神は怪物にされるのである。ゴルゴン、スフィンクス、キマイラ、等々。<br />
　ユング派心理学では、太母は恐ろしい母の側面をもつが、いったい、これは何か。食べるとか、飲み込むということがそこにはある。<br />
　これは、差異共振性に包摂された同一性をこのような否定的な意味合いで表現しているのかもしれない。思うに、自己認識方程式(+i)*(-i)⇒+1において、+iが自己差異であり、-iが他者差異であるが、前者の自己差異が他者差異との関係（共鳴）を断ち切って、「独立」するのが、英雄神話の意味なのかもしれない。<br />
　では、この他者差異との関係（共鳴）を断ち切るとはどういう力学なのか。この問題はこれまで、繰り返し検討してきたことであり、同一性主義の志向性ということである。これを父権主義と呼んできたのである。<br />
　しかし、問題は単純ではない。英雄神話には、龍がもっている「宝」を獲得する意味がある。これは、普遍的構造をもっている。<br />
　この「宝」とは何か。それは、また、囚われの「姫」を救済し、結婚（聖婚）することと等価であろう。<br />
　思うに、太母にあるイメージは、束縛・拘束・幽閉等の閉鎖の意味がある。私が思ったのは、太母とは、Media Pointではあるが、同一性と差異との未分化様態にある位相を意味しているのではないのかということである。言い換えると、連続態である。一方では、同一性様態があり、他方では差異様態がある。しかし、両者は、いわば、癒着しているのである。還元すると、同一性には差異が付着し、差異には同一性が付着するのである。<br />
　だから、ここには、純粋な同一性や純粋な差異が形成されないのである。このMedia Pointの未分化様態が太母なのではないだろうか。どうもそう考えた方がいいように思えている。<br />
　この未分化様態を断ち切る意味が英雄神話にはあるように思えるのである。未分化様態である龍が退治されるのである。そして、「宝」や「姫」を獲得するのである。「宝」や「姫」であるが、「宝」は同一性主義ではないだろうか。そして、「姫」は、純粋差異ではないだろうか。<br />
　ならば、どうして、純粋差異が発生するのだろうか。これは、保留しておこう。<br />
　今思っているのは、二つのタイプのポスト母権主義があるように思えるのである。一つは、純粋な父権主義（二項対立型）と、一つは、父権文化と母権文化の結合・統合（統合型）である。ギリシア神話は後者的であり、ユダヤ・キリスト教は前者的であると考えられるのである。<br />
　そうすると、英雄神話の場合も、この二つのタイプがあることになる。ペルセウス型は後者になると思うし、また、バビロニア神話は前者であると思う。<br />
　この二つをどうみるのか、である。前者は純粋な同一性主義で説明できるが、後者をどう見るのか、である。後者には、調和・平衡志向がある。共鳴・共振志向である。共立・共生・平和志向である。<br />
　いったい調和統合型には、どういう力学が働いているのか。端的に言えば、それは、なんらかの形で、他者差異を肯定するということである。他者差異を排除抑圧しないということであり、他者差異をなんらかの形に変換するように思えるのである。<br />
　思うに、同一性志向性が発動したとき、差異は抑圧・排除されるが、しかしながら、差異自体は消滅するのではなく、潜在化したのである。この潜在化された差異が「姫」に当たるのではないだろうか。<br />
　つまり、同一性志向性の発生とは、同時に、差異の潜在化である。しかし、差異の潜在化をも徹底して排除しようとしたのが、一神教である。それはある意味で特異点なのである。一神教的特異点である。<br />
　思うに、一般的には、同一性と差異の両面があると考えられるのである。父権化とは、同一性志向性を意味する。しかしながら、当然、差異が潜在化し、それは、差異志向性となると思う。<br />
　父権化における、顕在的な同一性志向性と潜在的な差異志向性があるが、調和統合型は、この二つの志向性を共立させる方向性を当然もっていると考えられる。<br />
　しかし、一神教的父権化は、同一性中心主義へと傾斜して、差異を闇ないし無へと葬るのである。この同一性中心主義の光は、だから、同時に、闇である。光即闇となるのである。父権的合理主義は光であると同時に闇ということである。<br />
　どうも以上の思考実験（試行錯誤）で、本件に対して、少しは明瞭になってきたように思える。二つの父権化があり、一つは調和統合型であり、これは、２１世紀文化・文明の原型になるものであり、一つは一神教的同一性主義であり、これは、乗り越えられるべきものである。<br />
　一神教的父権化の力学は、これまで述べたように、いわば、極性の極端化である。陽の極へと極端化した場合と考えられるのである。<br />
　今はここで留める。後で再考したい。<br />
<br />
p.s.　Media Point＝太母の説明は不十分だと考えられる。以上では、未分化様態と言っているのが、それは不正確だと思えるので、訂正したい。<br />
　正しくは、本来は未分化ではなく、同一性を包摂した差異共振性がPrimary Media Point＝太母である。しかしながら、それが、いわば、デカダンの様態になるのである。そのときに、未分化様態・連続態が発生すると考えられる。この「カオス」の乗り越えるのが、父権化の意味であったと思う。発生的に見る必要がある。<br />
<br />
p.p.s.　結局、太母文化は、差異共振性を「宝」（おそらく、聖杯、指輪、大鍋、角、等々がこれをmode化している）＝叡知（ソフィア）としてきた。そう、例えば、日本で言えば、卑弥呼（「日巫女」）は、この叡知を知る者（参照：聖【ひじり】）であったように思える。<br />
　しかるに、この太母文化が長く続くと、堕落が始まる。それは、物質的生活の進展に伴い、同一性が強化されることによって、発生すると考えられる。有り体に言えば、利己主義化が起るのである。<br />
　しかしながら、太母文化においては、同一性の強化は、差異による包摂関係があるので、連続化が発生すると考えられるのである。つまり、差異による包摂性が前提にあるが、そこにおいて、同一性志向性が強化されると、同一性は勘違いして、「自己」が差異から独立していると錯誤するのである。差異による被包摂性があるのだから、同一性は、差異からは自由にはなっていないのである。これは、没入、短絡、ショートである。<br />
　やや飛躍するが、全体主義の根因はここにあるように思える。つまり、太母文化が基盤にあるが、そこにおいて、同一性主義が強化されるショートして、全体主義化するように思えるのである。ロシア、ドイツ、イタリア、日本で特に全体主義が起ったのは、ベースの太母文化によるのではないだろうか。<br />
　それに対して、イギリスやフランスはいい意味での、合理主義が進展していたので、全体主義化は避けられたのかもしれない。もっとも、ナチスの場合は、経済的原因が大きいと思うが。<br />
　太母文化の核である差異共振叡知をもった文化は強い文化であるが、歴史の進展ともに、太母文化の記憶は薄れていき、同一性化が強化されるのである。そして、未分化・連続化が生起するのである。<br />
　日本の場合、明治維新は、太母文化を天皇制という形で、同一性化したと言えよう。ここにおいて、二つのあり方が存したと言えるのではないだろうか。<br />
　一つは、差異共振叡知をもった日本近代化であり、一つは、同一性中心主義的近代化である。私が考える明治日本ルネサンスとは、前者であり、軍国主義は後者である。<br />
　そして、戦後日本は、差異共振性＝太母文化を排除するようにして、アメリカ的な近代化を行った。つまり、日本太母文化の根をなくして、つまり、そこから、切断されて、戦後近代化を行ったのである。<br />
　同一性合理主義の発生である。これは、一種の一神教化と言えるのではないだろうか。自国文化の太母文化は完全に否定されたのである。<br />
　結局、排除された差異共振性＝魂＝イデアが復活する必然性がここにはあるのである。その大マグマが日本人の無意識に蠢いていると言えよう。<br />
　そして、この賦活されつつある差異共振魂を戦後同一性近代化は、抑圧するのであり、そこで、暴力、狂気、犯罪、悪意が生じるのである。それが、今日のカオスの意味ではないか。
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>統合失調症と多種多様なMedia Point</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://protophilosophy.noblog.net/blog/k/10570473.html" /> 
  <issued>2008-06-25T01:06:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		統合失調症であるが、これは、先に触れたように、Media Pointにおける、多元的要素が分裂して、「自己主張」しているように思える。つまり、差異共振化せずに、同一性主義化＝自乗化していると思われるのである。<br />
　Media Pointは多元・多様的である。ドゥルーズ＆ガタリ的に言えば、多種多様である。これを共振的にmode表現する必要があると考えられる。同一性主義によって、抑圧すれば、抑圧された多元・多様性が分裂的に発動すると思われる。後で、精緻に検討したい。<br />
<br />
「悪魔の命令」心神喪失で２審も無罪　大阪・茨木の５人殺傷<br />
<br />
6月24日19時16分配信 産経新聞<br />
<br />
　大阪府茨木市で平成１６年１１月、車で男女５人を次々とはねて２人を殺害したとして、殺人と殺人未遂の罪に問われた産経新聞販売店の元配達員の男（２７）の控訴審判決公判が２４日、大阪高裁で開かれた。古川博裁判長は、男が犯行当時、心神喪失状態で責任能力がなかったとして無罪（求刑・無期懲役）とした１審・大阪地裁判決を支持、検察側の控訴を棄却した。<br />
<br />
　公判は１、２審を通じ、男の刑事責任能力の有無が最大の争点となった。<br />
<br />
　男は捜査段階と１審公判段階にそれぞれ精神鑑定を受け、両鑑定とも統合失調症に罹患（りかん）し、幻聴による「悪魔の声」に命令された犯行とした。<br />
<br />
　しかし、幻聴が犯行に及ぼした影響の程度をめぐる認定に違いがあり、捜査段階の鑑定は限定的な責任能力を認める心神耗弱、公判段階の鑑定は責任能力がない心神喪失とし、昨年２月の１審判決は公判段階の鑑定を採用して無罪を言い渡していた。<br />
<br />
　控訴審で検察側は、男が「お母さんと妹を殺す」という幻聴の命令を拒否しており、幻聴に完全に支配された状態ではなかったと主張した。しかし古川裁判長は、家族への殺害命令について「１回だけなされたもので、拒絶しようと耐えている間に『５人殺せ』という次の命令に変わった。決して執拗（しつよう）なものではなかった」と指摘。男が犯行後、幻聴に従って車内で全裸になり、自殺を試みたことなどから「幻聴の圧倒的な影響下にあった」と認定、検察側の主張を退けた。<br />
<br />
　男は１６年１１月１８日朝、茨木市で車を暴走させ、自転車に乗っていたいずれも会社員の村田忠治郎さん＝当時（６１）＝と米林和夫さん＝同（５６）＝を相次いではねて殺害、自転車の男女３人に重傷を負わせたとして起訴された。<br />
<br />
　男は１審判決後から措置入院中といい、この日は黒色のジャージー姿で入廷。証言台のいすに座り、判決が読み上げられる間、時折首をゆっくり上下に揺らすなど落ち着きのない様子で聞き入った。閉廷後に突然、古川裁判長に「一言、言わせてもらいたい」と意見陳述を求め、弁護人から静止される一幕もあった。<br />
<br />
【関連記事】<br />
・ 長男絞殺の母親不起訴　心神喪失と青森地検支部<br />
・ 【主張】責任能力　裁判員にも分かりやすく<br />
・ 勇貴被告と歌織被告　責任能力分けた「なぜ？」　獰猛な別人格支配<br />
・ 妹バラバラの武藤勇貴被告に殺人罪で懲役７年　死体損壊は無罪<br />
・ さいたまのドンキ放火３人死亡　２審も無期懲役<br />
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a<br />
=20080624-00000945-san-soci&amp;kz=soci<br />
<br />
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>重力の中心とmedia point：自己認識方程式の⇒の右辺が重力で、左辺がダークエネルギー？</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://protophilosophy.noblog.net/blog/k/10570469.html" /> 
  <issued>2008-06-25T00:53:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		http://ameblo.jp/renshi/<br />
entry-10109555883.html<br />
<br />
先に、以上のように、Kaisetsu氏のmode理論（思うに、PS-Mode理論と呼べよう）によって、文系、理系のクロスオーバーが、modeという概念によって理論化できたが、私は以下の土星の記事を見て、思いついたのは、Media Pointが、例えば、土星の中心になるということである。つまり、惑星の中心、太陽の中心、銀河系の中心、他の星雲の中心、そして、宇宙の中心は、 Media Pointであるということである。思うに、複数あるので、media pointsとすることが可能である。複数・多数・ほとんど無数のmedia pointsがあり、これらが、共鳴・共振・resonanceしているのである。<br />
　そう、直感では、このResonanceにダークエネルギーを説く鍵がありそうである。media pointsの共振は、個々のエネルギーを超える、大共鳴エネルギー（コスモス・エネルギー）と考えられる。<br />
　このことを単純に表記すれば、(+i)*(-i)＞+1ではないだろうか。もっとも、単に、量的な差異ではなく、質的な差異もあるだろう。複合共鳴によって、質的な差異が生じると考えられる。多様な共鳴modeが生じると考えられるのである。<br />
　これは、正に、超渦であろう。Super-Spiral Media Point又はSuper Media Pointである。後で、さらに検討したい。<br />
<br />
p.s.　ざっと言うが、思うに、単純にmedia pointが重力の中心ではないだろう。思うに、⇒+1が重力の中心ではないだろうか。それに対して、左辺の中心があると思う。それが、ダークエネルギーの方向ではないだろうか。<br />
　イデア差異がmedia pointを介して、連続化したとき、即ち、+1になったとき、media pointが重力の中心の意味をもち、差異共振様相の場合が、ダークエネルギーの方向ではないだろうか。<br />
　有り体に言えば、⇒の方向が重力の中心であり、⇒の左辺がダークエネルギーの方向ではないだろうか。思うに、左辺と右辺は一種反発すると思われるのである。推測では、両者、自己保存的に作用して、斥力となるのではないだろうか。右辺の重力に対して、左辺が反重力の斥力ではないだろうか。<br />
<br />
	<br />
Saturn Outback storm<br />
An amateur sky- watcher captures rare Saturn images<br />
		<br />
Hydrogen map of Mars (Nasa) Ice on Mars<br />
Evidence of Martian ice emerges from the shadows<br />
http://news.bbc.co.uk/2<br />
/hi/science/nature/7468832.stm
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>重力の中心としてのmedia pointとSuper Media Point</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://protophilosophy.noblog.net/blog/k/10570392.html" /> 
  <issued>2008-06-24T22:37:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		http://ameblo.jp/renshi/<br />
entry-10109555883.html<br />
<br />
先に、以上のように、Kaisetsu氏のmode理論（思うに、PS-Mode理論と呼べよう）によって、文系、理系のクロスオーバーが、modeという概念によって理論化できたが、私は以下の土星の記事を見て、思いついたのは、Media Pointが、例えば、土星の中心になるということである。つまり、惑星の中心、太陽の中心、銀河系の中心、他の星雲の中心、そして、宇宙の中心は、 Media Pointであるということである。思うに、複数あるので、media pointsとすることが可能である。複数・多数・ほとんど無数のmedia pointsがあり、これらが、共鳴・共振・resonanceしているのである。<br />
　そう、直感では、このResonanceにダークエネルギーを説く鍵がありそうである。media pointsの共振は、個々のエネルギーを超える、大共鳴エネルギー（コスモス・エネルギー）と考えられる。<br />
　このことを単純に表記すれば、(+i)*(-i)＞+1ではないだろうか。もっとも、単に、量的な差異ではなく、質的な差異もあるだろう。複合共鳴によって、質的な差異が生じると考えられる。多様な共鳴modeが生じると考えられるのである。<br />
　これは、正に、超渦であろう。Super-Spiral Media Point又はSuper Media Pointである。後で、さらに検討したい。
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>Media Pointのmodeについて：文系と理系の壁をなくしたmode理論</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://protophilosophy.noblog.net/blog/f/10570366.html" /> 
  <issued>2008-06-24T21:47:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		以下のmodeに関するKaisetsu氏の解明は、ＰＳ理論の具体的な適用に役立つであろう。後で、私なりに説明をこころみたい。<br />
　思うに、スピノザ（ドゥルーズ経由）の表現やライプニッツの表象とは、このmodeによって明確になるだろう。そして、一挙に、理科系と文科系の壁がなくなったと言えるのではないだろうか。直感では、これまで、PS理論は、理系と文系のクロスオーバーしていた、このmodeという定義で、理論化されたと言えよう。<br />
<br />
    * PS理論の「mode」定義は、波動の基本振動と倍振動関係も包摂する。 (06/23)<br />
    * Mode とはMedia Pointの多様性を表す形式である。 (06/20)<br />
    * Mode とは　Media pointの多様性を表す「様式」である。 (06/19)<br />
<br />
http://theory.platonicsynergy.org/<br />
Theories for the Platonic Synergy Concept. <br />
<br />
<br />
<br />
<br />
検討問題：子規の写生と映像性：イマジズムとヴィジョン：視覚と身体<br />
<br />
子規の短歌は、とても、映像的である。単に写生というのでは足りない感じがする。生き生きとしている。これは、差異共振的映像とでも呼べるのではないだろうか。単に写実主義ではないのである。<br />
　これは、英米の詩では、俳句の影響を受けて、イマジズムが起ったことと何か関係があるのか。同時代性？　とまれ、差異共振的イメージ性があると思う。<br />
　思えば、以前、私がヴィジョンと呼んだものに通じるのではないだろか。これは、身体とも関係するのである。身体的視覚なのである。<br />
　これについて、考察しようと思っている。視覚と身体の関係である。私にとっては、視覚は身体的なのである。<br />
<br />
<br />
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>坂の上の雲ミュージアム</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://protophilosophy.noblog.net/blog/g/10570364.html" /> 
  <issued>2008-06-24T21:45:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		時間が少しあったので、以下を訪れた。いわば、駆け足だったので、ざっと見ただけである。安藤忠雄氏の設計であるが、なにか、斜めになった壁に貼った資料を上がりながら見ていくスタイルや、室内が、三角形だったりして、吹き抜けがあったりして、変化に富んでいるし、また、爽やかである。（黒川紀章氏の国立新美術館は、内部が狭苦しく、圧迫感がある。そう、檻みたいである。展示するスペースはすっきりしているが。）<br />
　NHKでこんどドラマ化する『坂の上の雲』に対する千人のアンケートの返事が展示されていた。有名人あり、一般人ありである。<br />
　正岡子規が、単に俳人だけでなく、日本を動かさんとする青雲の志をもっていた人物とは知らなかった。<br />
<br />
p.s.　松山は、独特の「気」がある。一種ドリームランドである。別天地である。理想郷である。すばらしい町・都市である。共同体である。今はこれで留める。<br />
<br />
p.p.s.　おそらく、差異共振的「気」があるのではないだろうか。山々に包まれた場であること、また、瀬戸内海に面していること、地霊が豊かなのだ。<br />
<br />
参照：<br />
【プロジェクト】出足好調の「坂の上の雲ミュージアム」、設計は安藤忠雄氏<br />
<br />
2007/09/10<br />
坂の上の雲ミュージアム 　 まちづくり 　 安藤忠雄 　<br />
<br />
　司馬遼太郎氏の代表作の一つである『坂の上の雲』。この小説に感銘を受けた中村時広松山市長は1999年に市長に就いて以来、坂の上の雲を軸としたまちづくりを推進している。まちづくりの核となるのが今年4月にオープンした「坂の上の雲ミュージアム」だ。安藤忠雄氏が設計した。松山市総合政策部坂の上の雲ミュージアム事務所の河本直人所長に、開業後の状況を聞いた。<br />
<br />
坂の上の雲ミュージアムの西側全景。城山公園と市街地の境に建つ（写真：吉田 誠）<br />
坂の上の雲ミュージアムの西側全景。城山公園と市街地の境に建つ（写真：吉田 誠）<br />
http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/<br />
article/building/news/20070906/<br />
511164/<br />
<br />
ＮＨＫスペシャルドラマ「坂の上の雲」が、来年秋の放送スタートをめざしクランクイン！　来年８月には松山ロケ<br />
<br />
Photo_2 　来年の秋から放送予定のＮＨＫスペシャルドラマ「坂の上の雲」（司馬遼太郎原作）がクランクインしました。このスペシャルドラマは司馬遼太郎の代表的長編小説「坂の上の雲」を原作として、平成２１年（２００９年）から３年にわたって放送されます。<br />
<br />
http://yagi.typepad.jp/413/<br />
2007/11/post_91ae.html<br />
<br />
<br />
坂の上の雲ミュージアム<br />
出典: フリー百科事典『ウィキペディア（Wikipedia）』<br />
移動: ナビゲーション , 検索<br />
<br />
坂の上の雲ミュージアム（さかのうえのくもミュージアム）は、愛媛県 松山市 にある博物館 で、同市が取り組んでいる司馬遼太郎 の小説 『坂の上の雲 』を軸としたまちづくりの中心を担う施設である。<br />
<br />
2007年 （平成19年）4月28日 に市内中心部の松山城 を頂く城山の南裾に開館し、総工費は約30億円。<br />
<br />
館長は松原正毅 国立民族学博物館 名誉教授。
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>検討問題：イデア・エネルギーと物質エネルギーと現象の関係</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://protophilosophy.noblog.net/blog/l/10569588.html" /> 
  <issued>2008-06-23T18:47:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		問題は、ダークエネルギーである。宇宙の加速する膨張のエネルギーが可視される物質のエネルギーと大きく釣り合わない事態が生じていることをどう見るのか、である。<br />
　私は以前に、-1と+1との相違を想定したが、それは訂正されて、イデア・エネルギーと物質エネルギーの相違を説いた。しかしながら、それでは、不十分である。<br />
　そこで考え直して、元に戻して、-1と+1の相違が、ダークエネルギー問題に関係するのではないかと作業仮説する。先程、思いついたことから考えると、可視化される物質宇宙とは、-1であり、それは、差異共振エネルギーの帰結の+1の表面に過ぎず、当然、-1と+1は不連続であり、-1の物質宇宙から+ 1のエネルギー宇宙を導き出すことは、理論的に不可能ではないだろうかと思うのである。<br />
　そうすると、アインシュタインのエネルギー公式はどうなるのだろうか。E=mc^2におけるm（質量）は当然、物質宇宙の事象である。問題は、c（光速度）の意味である。<br />
　ここでは、思考実験するが、mは、-1に関係し、cは+1に関係するのではないだろうか。すると、この公式は、折衷になるのではないだろうか。<br />
　直感で言えば、+1から-1が派生するのであるから、mは+1から派生するのであり、+1における、いわば、原質量とは何かということが考えられるのではないだろうか。<br />
　そう、いま思いついたのであるが、この原質量がダークマターに相応するのではないだろうか。では、問題のダークエネルギーは何だろうか。<br />
　原質量をＸとすれば、+1のエネルギーは、Xc^2となるだろう。+1のエネルギーを、primary energy として、PEと表記すれば、PE=Xc^2となるだろう。思うに、このPEがダークエネルギーではないだろうか。この問題は今はここで留めておく。<br />
　さて、以上の考え方によれば、ダークマターやダークエネルギーは、+1の世界の事象に過ぎず、イデア界には、達していないのである。+1は四次元と考えると、五次元のイデア界を捉えていないのである。言い換えると、イデア・エネルギー（仮説）を看過しているのである。<br />
　思うに、「気」とは、イデア・エネルギーではないだろうか。また、コスモスとは、イデア界のことではないだろうか。もっとも、Media Pointとの関係を見ないといけないが。つまり、Media Pointを介して、イデア界が現象界へと「流入」するのである。このとき、イデア・エネルギーは、例えば、「気」として、発出されると思われるのである。もっとも、イデア・エネルギーすべてが、「気」というわけではないと思うが、とりあえず、作業仮説的に、イデア・エネルギー＝「気」として、考えたい。<br />
　そして、イデア界＝コスモスとなるのだろうか。（ここで、プラトンの古代宇宙論を説いた『ティマイオス』を想起するといいだろう。）<br />
　では、魂とはどうなるだろうか。これまでは、Media Pointが魂であるとおおむね考えてきた。今思うと、微妙である。イデアを魂としてもいいと思えるのである。<br />
　その方が、整合的だと思うのである。イデア界は思うに、多数、ないしは、ほとんど無数のイデアがあるのではないだろうか。（先には、唯一のイデアを構想したが。思えば、不連続的差異論のときに、イデア界は、多者の世界であると考えたのである。）<br />
　そうならば、Media Pointと魂＝イデアの関係はどうなるのだろうか。Media Pointは、いわば、宇宙の臍（へそ）である。存在の臍である。現象の臍である。森羅万象の臍である。<br />
　現象界の人間にとって、Media Pointは、イデア界と交流する「場」である。一般的に、魂というものは、Media Pointを介してのイデアではないだろうか。それとも、Media Pointとともにあるイデアのことなのだろうか。<br />
　死者の「魂」は、イデア界に帰還すると思われる。純粋な、差異共振様相となるのである。確かに、天国である。しかし、イデアは認識体であるから、現象界の記憶があるだろう。言わば、イデア・アーカイブである。<br />
　ということで、魂に関しては、これまでの考えを変更して、イデア＝魂ということにしたい（まったく、純粋なプラトニズム、プラトン原理主義である）。もっとも作業仮説である。
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>Kaisetsu氏の明快明敏な、日本社会の診断であり処方箋である：市場且つ共同体主義</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://protophilosophy.noblog.net/blog/t/10567557.html" /> 
  <issued>2008-06-20T03:18:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		Kaisetsu氏の明快明敏な、日本社会の診断であり処方箋である。特に、市場主義と共同体主義の共鳴、共振、resonanceの見解に注意されたい。<br />
　とかく、両極のどちらか一方へ傾斜する「イデオロギー」が多いが、この重い意味を噛みしめられたい。<br />
　私見では、国家資本主義＝社会主義の解体が必須である。日本人は、個のルネサンスを味わう必要がある。個＝自由であることは、厳しく驚異である。それは、この世の頂点である。<br />
　現代日本人は、封建主義下の奴婢である。<br />
　<br />
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊<br />
<br />
植草一秀氏の事実認識は正しい。但し、「市場主義　対　共同体主義」の対立と言うべきである。<br />
2008.06.19 Thursday<br />
嘗て、日本社会が中流社会であったのに対して、当時の小泉政権は、格差社会こそ「普通の国」という理屈で、団塊世代と団塊ジュニアを狙った攻撃を開始した。小泉氏の卓抜した「騙し」の技量によって、この「団塊世代と団塊ジュニア」が歓喜して熱狂的に小泉政策を支持したのである。当時、海舌が小泉を批判すると、これら愚民・墓掘り人に貢ぐ層から、支離滅裂な嫌がらせが猛烈に届いた。<br />
兎に角、小泉政権は、日本の中流社会という「共同体」を壊したのである。今、大阪で橋下という知事が、同じように大阪の共同体を壊し、生活を虐待され続けている層が、橋下知事を熱狂的に支持している。<br />
http://blog.kaisetsu.org/<br />
?day=20080619<br />
『海舌』　the Sea Tongue by Kaisetsu<br />
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>来るべきもの：Cosmos wil come to the earth. Ready?</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://protophilosophy.noblog.net/blog/h/10567360.html" /> 
  <issued>2008-06-19T20:40:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		わたしは病院の側の坂道を下りながら、この道の「気」が好きだと感じた<br />
病院のある場所は聖地と同様、「気」のいい場所だろうか<br />
とまれ、私の心は、ある「力」に満たされるつつあるようだ<br />
わたしは、最後の手段を取るような気分になっている<br />
そう、わたしの最深部によって、コスモスの気をもたらそうとしているのである<br />
私は神とは呼ばない<br />
コスモスの「気」である<br />
それに私は呼びかける<br />
否、主体的に地上にもたらそうとするのである<br />
合理・批判的方法以外に、この精神的方法をわたしはとりたい気分である<br />
そう、いっしゅの祈りや呪術であるが、これは、最終手段である<br />
わたしはコスモスに呼びかける<br />
コスモスの気に呼びかける<br />
というか、コスモスの気が降臨することを意志するのである<br />
これは、いわば、私とイデア界との交流の問題である<br />
思えば、古くからの私とコスモスとの関係に因るとは言えよう<br />
私は強く呼び寄せたい、コスモスの降臨を<br />
私は神とは言わない<br />
神は嘘臭い<br />
大いなるコスモスの降臨を願うのである<br />
これは、私の「復讐するはわれにあり」である<br />
そう、人間の生の意味は量的長さにあるのではない<br />
短い人生であっても、魂の生命を感じれば、それは永遠に触れたのである<br />
わたしはコスモスをもたらしたい<br />
ただ、それだけである<br />
それが私の積極的な意志である<br />
Cosmos will come to us.<br />
Cosmos the Harmony Wave will come upon us.<br />
Are you ready for it?<br />
Cosmos shall come upon us.
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>イデアとエネルギーと物質：超越エネルギーとMedia Pointと+1と-1</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://protophilosophy.noblog.net/blog/q/10566905.html" /> 
  <issued>2008-06-19T02:52:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		本件の問題は、先に検討問題として提起したものであるが、今日のところは簡単に触れるに留める。<br />
　直感で考えたい。イデア界は差異共振エネルギーの「光」がある。これは、いわば、超光である。これが、１／４回転によって、Media Pointにおいて、光を発生させる。そう、この光とは何か。+1なのか、-1なのか、である。<br />
　これは、ある意味で愚問である。何故なら、これまで、+1と-1とは同時生起すると考えてきたからである。だから、光は、両者である。物質的光は-1であり、エネルギーとしての光は+1である。とまれ、屈折して、-1になると考えればいいだろう。<br />
　問題は、+1とは何か、ということである。思うに、これが最高の問題の一つである。先にダークエネルギーと呼んだが、それは間違いだろう。<br />
　-1が物質であるから、+1は物質エネルギーではないのか。しかし、やはり、難しい。なぜなら、先に、-1は+1に包摂されると言ったからである。思うに、-1が現象であり、+1が本体、つまり、物質の本体である。カント的に言えば、+1が物自体であろう。<br />
　やはり、先に言ったように、+1＞-1ではないだろうか。思うに、-1のエネルギーと+1のエネルギーがあるのではないだろうか。物質エネルギーとは、-1になるのではないだろうか。そうならば、+1は何エネルギーだろうか。<br />
　+1は、アインシュタイン