相対性理論/量子力学/生命科学/遺伝子問題
PROTOMODERN PHILOSOPHY:
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INNOVATION OF PHILOSOPHY: NEW PLATONIC SYNERGY THEORY/一覧 (866)
相対性理論/量子力学/生命科学/遺伝子問題 (28)
不連続的差異論 (1) 哲学/日本哲学の創造 (17) ポスト・ユダヤ/キリスト教西洋文明/新東洋文明 (39) ポスト近代的自我/ポスト唯物論 (27) プラトニック・シナジー理論 (125) 新東洋文明:新霊性new spirituality:日本伝統文化 (20) 詩・和歌・俳句・漢詩・連詩・創作 (5) 神話・宗教:古事記・聖書・ケルト神話 (34) 音楽(クラシック・ポピュラー) (9) メディア・ポイント Media Point/高次元・超次元・五次元 (100) 検討問題・課題 (42) 日本覚醒計画:日本の政治・経済 (36) 教育/女男差異/ジェンダー/新母性論 (9) フッサール/ハイデガー現象学 (21) トランス・モダン/トランス・モダン叡知学 (31) (+i)*(-i)⇒+1(自己認識方程式):同一性と差異と差異共振性 (116) 文学・哲学・美術・アート・映画・舞台・アニメ・漫画 (87) 英語・外国語学習 (3) トランス・モダン社会/差異共振シナジー経済/差異共振共同体 (81) |
2008年06月17日(Tue)▲ページの先頭へ
細胞とは何か。結局、生命や物質とはイデアであると考えられる。イデアがもつ認識エネルギーがあるので
細胞とは何か。結局、生命や物質とはイデアであると考えられる。イデアがもつ認識エネルギーがあるのである。それが、他者を極性的に認識するのである。思うに、表面では、物質形態をとる。同一性主義である。
しかしながら、本体は、差異共振体である。エネルギー体である。しかし、このエネルギー体は、イデアの現象本体である。物質科学は、現象の物質体を把捉するだけである。エネルギー体を真に把握していないし、また、イデア本体を、当然、把捉していない。 おそらく、+1はイデアの影のエネルギーである。思うに、ダークエネルギーである。物質科学は、いわば、イデアの影の影を捉えているに過ぎないと思われる。後でさらに検討したい。 <遺伝子>生殖細胞への変化に必要な働き解明 理研チーム 6月15日6時16分配信 毎日新聞 細胞が卵子や精子(生殖細胞)になるのに必要な遺伝子の働きを、理化学研究所(神戸市)の斎藤通紀(みちのり)・哺乳(ほにゅう)類生殖細胞研究チームリーダーと栗本一基特別研究員らがマウスの細胞を使った実験で解明した。この遺伝子は細胞が一般的な細胞(体細胞)に変化するのを防ぐブレーキ役をしていた。さらに、生殖細胞にとって重要な、どんな細胞にも変化できる能力(多能性)の維持に関係していた。 15日付の米科学誌「ジーンズ・アンド・デベロップメント」に論文が掲載される。 斎藤さんらは、生殖細胞形成に重要だとみられた遺伝子「Blimp1」を、人為的に欠損させた受精卵を作り、正常な受精卵と比べた。 その結果、正常な受精卵は受精後6〜8日で、一部の細胞が生殖細胞に向かって変化し始めた。 一方、Blimp1のない受精卵では、生殖細胞になるはずの細胞で、皮膚や骨などの基になる体細胞への変化を促す遺伝子が次々と働き出した。多能性維持に重要な別の遺伝子「Sox2」は働かなかった。 Sox2は、京都大の山中伸弥教授らがつくった人工多能性幹細胞(iPS細胞)に必要な遺伝子の一つ。斎藤さんは「Blimp1はヒトにもある。何らかの共通の働きをしている可能性がある」と話している。【野田武】 http://headlines.yahoo.co.jp/ hl?a=20080615-00000010-mai-soci ヒトゲノム、分かりやすく 京大院生が入門書 6月16日16時9分配信 京都新聞 ヒトゲノム、分かりやすく 京大院生が入門書 「ヒトゲノムマップ」を手にする加納圭さん 人の染色体を並べて遺伝子とその役割を説明したポスター「一家に1枚ヒトゲノムマップ」を制作した京都大大学院生が人とゲノム(全遺伝情報)について解説した入門書「ヒトゲノムマップ」(京都大学学術出版会)が出版された。大学院生は「生命についてさらに深く知りたい高校生や先生はもちろん、健康情報が気になる一般の方にも読んでもらえれば」と話している。 ■寿命や血液型、瞳の色…遺伝子から説明 京都大生命科学研究科大学院生の加納圭さん(28)が、文部科学省が企画して全国の小中学校や高校に配布された「一家に1枚ヒトゲノムマップ」(2006年)の「公式解説書」として著した。多くの人が遺伝やゲノムについて学校で学んでいない現状に「人に内容を絞れば分かりやすいし、自分の体の中のDNAへの興味につながる」と、マップで書き尽くせなかった内容を盛り込んだ。 前半はゲノムの基礎知識、遺伝や進化でのDNAの役割や個人差の意味などについて図解を交えながら解説。後半は血液型や瞳の色、寿命など身近なテーマをゲノム、遺伝子から易しく説明している。遺伝子がすべてを決めるのではないことなど、誤解の多い点も丁寧に解説した。 付録として「一家に1枚ヒトゲノムマップ」と、マップに掲載できなかった遺伝子の解説を収録した。文中に登場するさまざまな遺伝子の位置や役割をマップで確かめることができる。 加納さんは「DNAと健康についての科学的な考察や、個人の遺伝情報を守る大切さなども知っていただきたい」と話している。2200円(税別)。 http://headlines.yahoo.co.jp/ hl?a=20080616-00000030-kyt-l26
2008年06月14日(Sat)▲ページの先頭へ
以下、量子論に関する拙稿を転載しているブログである。その他のブログも転載してある。
以下、量子論に関する拙稿を転載しているブログである。その他のブログも転載してある。
************** 量子力学とは、目に見えない小さな粒子の世界のこと。つまり、分子や原子、またはもっと小さいものの構成要素を研究する物理学の分野の一つです。量子力学に関するサイトをまとめてみました。 http://maglog.jp/rarirarihaha /Article319014.html 量子力学入門編 *************** 以上の『量子力学入門編』に紹介されていたブログで興味深い内容があたので、研究資料として、転載させていただく。 「ミンコフスキー時間軸を虚軸として考える」という点、また、時間軸の回転による遠心力が向心力なのか等、実に興味深い。 私は、遠心力=向心力=重力であり、そして、プラトニック・シナジー理論では、-1であり、そして、+1に当たるのが、ダークエネルギー、反発力ではないのかと想像(妄想)する。 ****以下転載内容***** 時間軸による回転空間メモ 回転ベクトル:O(回転軸に平行なベクトル) 遠心力:Ox(rxO) ミンコフスキー時間軸を虚軸として考えると、時間軸の回転から生じる遠心力は iOx(rxiO)=-Ox(rxO) 向心力なのか 回転速度がsqrt(1/r^3)に比例する空間から受ける遠心力(向心力)の力線は 重力(引力)線に似ている この空間でのコリオリ力 iOxv vに垂直だけど時間軸とvが形成する平面って? 回転線速度がcを超えるr限界(もしかしてシュバルツシルト半径のことか?) 【メモ】地球半径:6.37*10^6 +0.3*10^6(シャトルなどの軌道レベル)での回転線速度 1周(4*10^7)約7,200s(120分)として5.5*10^3(m/s) ちなみにこれ、おおよそマッハ15です。 50過ぎのスーパージェッター・ファンの皆様 こんな速さで時を超えることができる流星号ってどんな乗り物なんでしょうね。 ちなみに、この空間でこんな楽しげなこと (リンク切れの場合ご容赦)が 遠心力(向心力)と重力子の関係 ゲージ場との関係(ヒッグス場から受ける抵抗が質量の源?) http://nouryoku.cocolog-nifty. com/blog/2008/06/post_2ae8.html 濃緑研の日記
2008年05月29日(Thu)▲ページの先頭へ
胎生・へその緒とMedia Point:太母と超越神:トランス資本主義と差異的共進化
胎生とは、哺乳類を想起させる。直感では、ここには、生命の本質の「秘密」がある。そう、へその緒がポイントである。英語では、
臍の緒 a navel string; an umbilical cord である。辞書では、 um・bil・i・cus 1 【解剖】 臍(へそ) (navel). 2 (問題などの)中心点, 核心 (core, heart). 3 【動物】 (巻貝の)へそ穴. 4 【植物】 臍(さい) 《種子の胎座に付着する部分; hilum ともいう》. 5 【数学】 臍点(せいてん) (umbilic, umbilical point). 6 【考古】 (巻物の)軸玉《軸の両端につけられた飾り》. #《1615》 L umbilicus ← UMBO: cf. Gk omphalos [株式会社研究社 新英和大辞典第6版] である。ギリシア語だと、オンファロス(臍)である。 直感では、臍とは、Media Pointである。ならば、へその緒とは何だろうか。神話で言えば、イシス・オシリス神話に関係するし、キリスト教では、聖母子に関係する。 へその緒とは、臍と同様に、Media Pointの物質・身体的「表現」ではないだろうか。イデアから現象へと展開する際の、要(かなめ)、蝶番であろう。【p.s. へその緒は、Media Resonanceメディア共鳴の物質的表現というべきだろう。】 ここで、考察を進展させるならば、「母」の本体とはイデア・エネルギー(超越エネルギー)である。イデアと言ってもいい。そして、Media Pointを介して、「子」とつながる。これが、アニミズム、シャーマニズム、母権多神教の様相であろう。 それに対して、父権一神教(超越神宗教:この方が適切ではないだろうか)は、これを、一端、切断するようであり、切断する主体が、超越神である。Media PointにおけるMedia Resonance(メディア共鳴)を排除的に否定するのである。 以前述べたが、超越神とは、太母の変形ではないだろうか。太母の変形として、有り体に言えば、太母の1/4回転として、超越神が存するのではないだろうか。つまり、原宗教(母権宗教)は、本来、ゼロ回転ではないだろうか。それが、1/4回転して、父権宗教が生まれたのではないだろうか。この問題はおいておく。 この1/4回転の力学が、Media Pointの切断を意味するのではないだろうか。そして、それが、また、生物的には、出生ではないのか。 そう、キリスト教的には、楽園追放である。エデンの園からの人間の追放である。これは、精神・生物的事実ではないだろうか。1/4回転で、Media Pointが閉ざされるのである。⇒+1の結果の+1である。(だから、これまで、-1として見たものは、+1で表現できていると言えよう。後で、整合化したい。) 結局、言い換えると、太母が原型であり、超越神は一つの様相ということである。そして、後者の場合、Media Pointは隠蔽されて、壁になるのである。構造主義やポスト・モダンは、ここを問題にしたのである。【そう、また、小説家ハーマン・メルヴィルもここを問題にし、ほとんど、トランス・モダンに近い発想に到達しているだろう(『白鯨』)。】 超越神では、Media Pointが壁となり、二元論が発生する。超越性と現象性である。お馴染の、西洋の絶対的二元論である。そして、西欧近代は、超越性を否定して、内在的知性を形成してきた。【ほとんど、唯一の例外がフッサールである。カントは先駆的な役割をしたとは言える。】 結局、東洋文化では、基盤であるMedia Pointに、西洋は接近していたとは言える。西洋哲学が東洋文化に近づいたのである。そして、東洋文化、日本文化は、逆に西洋哲学に接近して、 Media Pointを哲学化する努力がなされたのである。鈴木大拙の即非の論理、西田幾多郎の絶対矛盾的自己同一、等は、その成果である。 問題は、超越神文化において生じた絶対的二元論を新たに乗り越えることなのである。これが、ポスト近代の思潮・趨向である。 そう、イデア・エネルギーの発現方法が問題なのである。以前の私の作業仮説に戻るが、イデアの回転が本来的にあると思われるのである。ある1/4回転に対して、さらなる1/4回転が生起する。これで、新たにMedia Pointが開くと考えられるのである。 結局、人間の心身(精神的身体)は、Media Pointを基礎に形成されていると考えられるのである。そして、1/4回転に対して、マイナス1/4回転の反作用がはたらき、回帰するのではないだろうか。つまり、絶対的二元論と差異共振性が交互に生起するのではないだろうか。言い換えると、同一性と差異との交互変換である。 すると、同一性エネルギーが主導のときと、差異エネルギーが主導のときが存するのである。西洋文明は、ユダヤ・キリスト教文明なので、前者が主導的なのであるが、二重性の文化であり、無意識においては、差異エネルギーが存しているのである。同一性主導であるが、同一性と差異の二重性・分裂性をもっているのである。 私見では、今日、マイナス1/4回転が発動しているのであり、差異エネルギーが賦活されているのである。しかしながら、人間の意識は、同一性に留まっているので、賦活された差異エネルギーを受容することができずに、排除・隠蔽しているのである。そのために、無意識のエネルギーとなり、非合理主義的なエネルギーとなって、いわば、今日現代の人間・人類を襲っているのである(戦争、犯罪、病気、等)。 つまり、新たに、Media Pointは開いているが、人間の意識は、近代合理主義/近代的自我の二元論に留まり、開いたMedia Pointから発動する差異エネルギー(差異共鳴エネルギー=イデア・エネルギー=超越エネルギー)の現前・現象に対して、無力なのである。排除したり、隠蔽したりするが、存在するものを排除したり、隠蔽するというのは、無理なことであるので、病理的なのである。 そう、今日・現代、差異エネルギー=差異共鳴エネルギー=イデア・エネルギー=超越エネルギーは賦活され、発現しているのである(聖霊の時代)。 これに対する反動が起きているのである。とりわけ、現代日本がそうである。国家主義経済の反動であり、近代主義の反動である。この反動は、大澤真幸氏の「アイロニカルな没入」で説明できよう。【同一性意識と差異無意識の分裂があるが、後者が主導的になっているので、その過剰性から、ショートを起すのである。つまり、同一性による連続性があるので、両者はショートしてしまうのである。】 グローバリゼーションは、この差異エネルギーの能動と反動の両側面があるのかもしれない。だから、新しい経済とは、差異エネルギーを能動積極的に取り入れる経済と言えよう。これは、同一性主義を乗り越えるので、脱資本主義になると思われるのである。つまり、同一性資本ではなくて、差異資本が発生するのである。差異資本を積極的に発展すべきなのである。【これまでの資本主義が同一性に拘束されていたとするならば、新しい経済は、差異資本主義としての脱資本主義である。差異資本とは、物質資本、貨幣資本を包摂した精神資本、精神的身体資本と言えるだろう。Media資本ないしはMedia Point資本と言えるのではないだろうか。ならば、Media 資本主義、Media Point資本主義である。】 これは、経済だけでなく、政治もそうならなくてならない。差異共振政治である。結局、今日現代、人類は、差異共振進化のエポックを迎えていると言えよう。大進化の時代である。あるいは、新たな大洪水の時代である。黙示録的時代である。 化石:3億8000万年前のへその緒、最古の胎生化石 豪の研究チーム、新種の魚発見 約3億8000万年前の地層から、人間のように赤ちゃんを産んでいた新種の魚の化石を、豪ビクトリア博物館などの研究チームが発見し、29日付の英科学誌ネイチャーに発表した。さい帯(へその緒)とつながった胚(はい)(受精卵)が初めて確認され、脊椎(せきつい)動物で交尾−出産が行われた最古の記録となる。 発見された化石は2種類で、初めてあごに骨を持った魚類の仲間「板皮(ばんぴ)類」に分類される。約3億年前に絶滅したとされているが、このうち1種類は新種だった。 研究チームは、西オーストラリア州のデボン紀(4億1600万〜3億5920万年前)の地層で発見されたこの化石を調べた。顕微鏡で精査すると、新種の魚の子宮内から胚とさい帯、卵黄の痕跡が見つかった。もう一方の既知の魚の体内からも3個の胚を確認した。 交尾によりメスの体内で卵子と精子が受精し、成長後に赤ちゃんとして体外に出る繁殖は胎生(たいせい)と呼ばれる。従来の最古の胎生化石は中生代の爬虫(はちゅう)類で、研究チームは記録は約2億年さかのぼったと分析する。【田中泰義】 毎日新聞 2008年5月29日 東京朝刊 http://mainichi.jp/select/science /news/20080529ddm0410401 01000c.html ギョギョ!?へその緒残る古代魚化石 「胎生」起源、2億年遡及 2008.5.29 07:55 発見された化石を元に作成された、魚の出産の想像図(ビクトリア博物館提供) 発見された化石を元に作成された、魚の出産の想像図(ビクトリア博物館提供) へその緒(臍(さい)帯(たい))で母子がつながった約3億8000万年前の古代魚の化石が、オーストラリア西部で見つかった。母体内である程度まで子供を成長させてから出産する「胎生」が確認された最古の脊椎(せきつい)動物となる。同国のビクトリア博物館の研究者らが、29日発行の英科学誌「ネイチャー」に発表した。 見つかった化石は、板(ばん)皮(ぴ)類と呼ばれる絶滅した魚類の1種で、全長約25センチ。発見場所はオーストラリア西部の古生代・デボン紀後期の地層。 化石は保存状態が良く、体内に臍帯とつながった胎仔(たいし)、栄養をためる卵黄嚢(のう)が石化した痕跡などが残っていた。現代のサメやエイの一部と同様に、母体から胎仔に直接栄養を供給する「胎生」の生殖機能を備えていることが分かった。 今回の発見で、脊椎動物の胎生の起源は、これまでよりも2億年ほどさかのぼることになる。 このニュースの写真 発見された化石を元に作成された、魚の出産の想像図(ビクトリア博物館提供) オーストラリアの約3億8000万年前の地層から見つかった魚の化石の一部。へその緒や子の骨が見られる(ビクトリア博物館提供) http://sankei.jp.msn.com/culture/ academic/080529/acd080529075 8002-n1.htm
2008年04月21日(Mon)▲ページの先頭へ
癌化抑制遺伝子と差異共振性:霊主体従と健康ver2
(最初に書いたものが支離滅裂だったので、書き直すことにする。)
健康維持とは差異共振性(差異共振エネルギー)によると考えると、病気とは、その否定である連続的同一性主義であることになるだろう。 この考え方は、いわば、霊主体従(精神が主であり、肉体が従である)という考え方に通ずるだろう。(とは言え、病気の場合は、通常の物質的医学にかかることを私は勧める。この点については後で検討したい。) 以下の記事に適用すると、癌化抑制遺伝子「p53」は、差異共振性と関係すると思われる。そして、連続的同一性主義(自我主義)の場合、⇒-1でこれが癌化と関係するということになるだろう。 精神と肉体の関係は複雑であり、簡単には霊主体従とは言えない。ここでは、遺伝子と精神性のなんらかのつながりを示唆するに留めるものである。 私は霊的治療はありえると思うが、基本的には、物質的医学を奨める。何故なら、物質的身体とは本来、精神的身体(霊的身体・魂的身体、つまり、 Media Point身体)であり、物質的医療は、その精神的身体の物質的末端に作用して、精神的身体を正常化すると思われるからである。つまり、霊主体従という言い方は語弊があるというか、ミスリーディングである。即ち、霊自体がMedia Pointにおいて、身体化するのである。そして、この身体を物質的医療が治癒すると考えられるのである。推測するに、物質的治療が、精神的身体の末端の物質的身体を介して、精神的身体を正常化するのである。 もし、霊的治療(例えば、祈祷)を主にすると、この末端の物質的身体に関与することができずに、物質的身体が悪化して、病状が悪化すると考えられる。 ******************* <がん細胞>増殖加速遺伝子を解明 日医大チーム 4月20日22時15分配信 毎日新聞 がん細胞がエネルギー源であるブドウ糖を取り込む一連の仕組みを、日本医科大の川内敬子助教と田中信之教授(分子生物学)らが発見した。この仕組みを遮断する薬剤を開発すれば、「兵糧攻め」でがん細胞の増殖を抑えられることになる。 研究チームは、細胞が、がん化するのを抑制する遺伝子「p53」に注目した。マウスの細胞でp53を除去すると、がん化するだけでなく、別の遺伝子「NFκB」の働きが活発になっていることに気付いた。 詳細に調べると、NFκBが、がん細胞のエネルギー源であるブドウ糖を取り込む別のたんぱく質を増やし、がん細胞の増殖を加速させることを突き止めた。p53が働かなくなると、NFκBが活性化し、がん細胞へのエネルギー供給が進み、増殖するという流れを解明した。また、正常な細胞では、がん細胞の増殖に不可欠なブドウ糖分解を起こすNFκBの働きを、p53が「ブレーキ役」となって抑制している仕組みもわかった。田中教授は「p53の機能を回復したり、NFκBの機能を抑えれば、新しいがん治療薬の開発につながるだろう」と話している。英科学誌ネイチャー・セル・バイオロジー(電子版)で発表した。【奥野敦史】 http://headlines.yahoo.co.jp/ hl?a=20080420-00000080-mai-soci
2008年03月24日(Mon)▲ページの先頭へ
量子力学とPS理論:試論1:連続性の粒子と不連続性の波動の二重性:イデアとMedia Point
量子力学とPS理論:試論1:連続性の粒子と不連続性の波動の二重性:イデアとMedia Point
テーマ:相対性理論/量子論 研究課題であるが、今漠然と感じていることを記録しておきたい。直感である。 量子ないしは素粒子は連続性と不連続性の二重性をもっている。周知の、粒子と波動の二重性もこの中に入るだろう。思うに、粒子とは連続性の概念であり、波動の方が不連続性に関係するのではないだろうか。つまり、粒子は実軸領域の事象であり、波動は虚軸領域の(超越的)事象ではないだろうか。 そう、波動とは、正に、電磁波であり、よく知られた「奇妙な」性質をもっているのである。ベルの定理はそのようなものであるが、しかし、何度も既述したように、長距離相関とは、Media Pointを介した超越次元の事象であると考えるのが正しいと思われるのである。つまり、空間とは、Media Pointの穴が無数にあり、それが高次元へと導くのである。喩えて言えば、スポンジ状空間なのであり、穴一つ一つが、Media Pointで高次元・超次元へと通じているということになる。現象的には、Media Pointや高次元・超次元は不可視なのである。 だから、量子力学とは、基本的には、高次元科学なのである。ただし、何度も指摘したように、近代主義/物質主義的視点から完全に脱却していないのである。もっとも、最近では、リサ・ランドールの高次元的量子論が出現して、物理学はトランス・モダン化へと進展し出したと言えよう。 そう、思うに、量子・素粒子であるが、プラトニック・シナジー理論の観点から、Media Point自体と考えてもいいのかもしれない。あるいは、Media Point Particleである。Media Point子である。とまれ、Media Point科学となるだろう。 だから、物質の本質もMedia Pointとなるだろう。そうすると、イデアとMedia Pointとの相違も明確する必要があるだろう。 思うに、イデアはデュナミス(可能態、可能体)であり、Media Pointがエネルゲイア(活動態・活動体:実動態・実動体)ではないだろうか。 しかしながら、デュナミスとしてのイデアは、ゆらぎがあるように思えるのである。つまり、端的に、イデアは太極、陰陽ではないだろうか。それは、易で明らかなように、恒常的な流転様態にあると考えられるのである。 それとも、Media Pointを太極と見るべきなのだろうか。今のところは、イデアを太極と見たい。 太極としてのイデアの回転が、自然・宇宙、また、人間社会をも動かしていると思えるのである。確かに、人間の知恵や力も能動的であるが、やはり、イデアが主導的であるように思えるのである。 また、さらに考えると、イデアの多様性というか、振動の多様性が存しているだろう。換言すると、イデアの情報の多様性である。それは、イデアの波形、振動数に存しているのではないだろうか。 問題は、現象の多様性とイデアの多様性の関係である。端的に言えば、イデアの多様性とは、一つ、又は、唯一のイデアが内包する多様性なのか、それとも、複数のイデアに拠るものなのか、である。例えば、花のイデアと木のイデアとは、唯一のイデアから派生するのであるのか、それとも、元々、別個のものなのか。 この問題に関しては、エイドスを考えなくてはならないだろう。今のところ、私の考えでは、Media Pointの実軸点、つまり、ゼロ・ポイントであるが、ここにおいて、形相が発生している。これは、アリストテレスが言った意味であるが、この形相は、元はと言えば、プラトンのエイドスであると思う。 整理すると、Media Pointの、いわば、下層部において、エイドスが発生し、それが、実軸のゼロ・ポイントにおいては、アリストテレスの形相になると思われるのである。 思うに、このエイドスがイデアの多様性の様態を形成するのである。そして、エイドスの実軸化が形相であり、それが、情報物質的には、遺伝子を形成するのではないだろうか。つまり、イデアのエイドスの振動の、実軸化が形相であり、情報物質化が遺伝子ではないだろうか。この問題は検討課題にしておく。 さて、問題点である、イデアの多様性であるが、生命体のイデアであるが、それは、基本的な構造が共通するように思えるのである。つまり、生命体の多様性であるが、それは、イデアのエイドスの変容で説明が可能であると思われる。 だから、生命体のプロト・イデアがあり、それが、振動数の違いによって、多様な生命体が生まれるのではないだろうか。 そう考えると、生命体の多様性においては、イデアの多様性とは、基本的に、唯一のイデアの多様性で説明できそうである。これは、敷延すると、他の現象の多様性も、唯一のイデアで説明ができるのかもしれない。この問題はおいておきたい。 最後に、生命体の多様性は唯一のイデアで説明ができたとしても、例えば、人間と他の動物や植物の差異はどう説明がつくのあろうか。 これは、以前、言及したが、Media Pointの開放性で説明がつくように思えるのである。例えば、犬の場合は、犬のイデア、ないしは、犬のエイドスは、犬という同一性=個体を形成するが、それによって、Media Pointは閉鎖するのである。犬は犬である。まったく同一性そのものである。 それに対して、人間の場合は、同一性を形成しても、それは、差異を基づく同一性、鏡像的同一性、すなわち、自我であり、基盤としてのMedia Pointが、同一性形成後も開いているのである。つまり、新たな差異共振エネルギーが放出されているのが、人間と考えられるのである。この差異共振エネルギーによって、人間は、創意工夫して、諸文化を形成して、諸環境に対応してきたと考えられるのである。 言い換えると、人間の場合、他の動物に比べて、Media Pointのエネルギーが過剰なのである。つまり、差異共振エネルギーが過剰なのである。そのため、同一性主義的な自己、すなわち、自我は、反動化して、暴力を引き起こすのである。だから、創造・平和の原動力が破壊・戦争に転化するのである。 思うに、自我であれ、意識であれ、知性であれ、それらは、過剰なエネルギーの所産であると考えられるのである。 思うに、他の動物の場合、内包されるMedia Pointが同一性形成において、いわば、尽くされるのであり、いわば、Media Pointと同一性が見合っているのである。過不足なく、閉じているのである。 それに対して、人間の場合は、同一性(自我)を形成しても、それを逸脱する過剰なエネルギーがMedia Pointから放出されていると考えられるのである。初期は、同一性形成が中心であるが、その後、差異化・差異創造へと転換するのが本来的であるが、自己同一性=自我が中心化されていると、反動化して、悪徳化・病理化するのである。差異化・差異創造化は、芸術表現を含んで、叡知化とも呼べよう。 とまれ、人間の場合は、本質的に、Media Pointのエネルギーが、他の動物に比べてはるかに強大であり、同一性化は自我を形成し、さらに、自我を超えて、自己創造へと発展する能力をもっているのである。(同一性主義に固着するのが、父権主義であり、差異共振性を開放させているのが、母権主義であると考えられる。) 聖書で人間は神の形に似せて創造された(神の似姿)とあるが、それは、真実を捉えているだろう。神をMedia Pointの総合エネルギーとすると、人間はそれに類したエネルギーを内包していると考えられるからである。神秘学の伝統では、人間をコズミック・マンと表現するが、それも、それなりに真実的である。Media Pointをコスモス(宇宙)的とみることができるからである。そう、古代宇宙論(占星術)はそれなりに真実を含んでいると思われるのである。この点については後で検討したい。 簡単にまとめると、生命体の唯一のイデアがあり、それが、多様な攻生命体のエイドスを形成するが、人間の場合、Media Pointにおいて、総合エネルギーが開放されているので、差異化が特質なのであるということになる。 余談: シューベルトの名曲、弦楽四重奏ロザムンデの第1楽章を聴き、その対位法における差異性を認識し、また哀調から、シューベルトには、東洋の影響があるのではないかと思って、wikipediaで調べたら、父親がモラヴィアのドイツ系であった。モラヴィアとは、今日、チェコであり、ハンガリー王国に従属したことがあるのである。どうも、私の心眼ならぬ心耳には、シューベルト音楽には、このハンガリー王国のマジャール人の血がありそうに聴こえるのである。ジプシーの血といってもいいかもしれない。 とまれ、私には、シューベルト音楽は、大バッハ音楽同様に、差異を感じさせる音楽であり、東洋的に思えるのである。偉大な音楽である。 p.s. 母親はシレジアの錠前屋の娘である。シレジアは今日では、ポーランド、チェコ、ドイツの交わる地であった。中欧ないしは東欧である。やはり、なにか東洋を感じさせる。 ******************** 近代主義の大崩壊:トランス父権主義とMedia Pointの開放系 テーマ:哲学 私が感じたことをKaisetsu氏が明敏に説明しているので、それは以下、参考1で読んでいただくことにして、私なりに簡単に述べてみたい。 国家主義とは、父権主義にもたらしものであり、今日、超越エネルギーの貫流するグローバル経済において、完全に阻害するものになってきている。父権的自己同一性(自我)主義が、トランス・モダンへの相転移期において、反動になっているのである。 巨視的に見ると、これは人類文化史上の大きな進化を意味すると考えられるのである。何千年前に現われた父権遊牧民、アーリア民族やセム民族の文明が今終焉しようとしているのであり、それ以前の母権文明が螺旋的に回帰しつつあると思われるのである。 父権主義の反動的無能さは、現在の自民党政治や官僚制に現われている。これは、明らかに知的衰退、知的麻痺、劣化・退行である。そして、国民の多くも同様であると思われるのである。 進展的な現実に対して、意識の遅れというか、意識の鈍化があるのである。では、この進展的な現実とは何だろうか。 それは、端的に言えば、差異共振性が現実化していることである。それまで、近代合理主義・物質主義的二項対立原理でよかったが、いつからか、差異共振主義が現実化して、その原理は役に立たなくなってしまったのである。 言い換えると、トランス・モダン変容が起っているのである。そう、明らかに、差異共振価値が近代主義の同一性価値に取って代わっているのである。 これは、資本主義の変容である。近代資本主義は終焉したのである。トランス・モダン資本主義である。 言い換えると、縦割りの同一性主義から水平的共振主義へと転換しているのである。この進展の中間にポスト・モダン時代があったが、今やそれは反動形態となり、トランス・モダン化が中心化しているのである。PS理論から言うと、Media Resonanceが普遍化しているのである。 端的に、同一性価値はもう意味がないのである。近代主義においては、同一性価値は目的であったが、今や、無意味である。 差異共振大進化だと思う。これに対応しない体制はすべて壊滅していくだろう。 ******************* 参考1: 現在起こっておるのは、ウェブ(精神世界、電磁波的世界)への権力移譲である。+ 日本におけるウェブ中枢は、ブログ世界 2008.03.24 Monday 現実の現象界権力の崩壊、浮遊化、価値減少、帝国の崩壊、多極化と見える状況は、実は、現象界権力機構の上に、上方に、価値階段の上層部に、ウェブ権力機構が創設されつつあることの、現象界からの見え方であろう。 但し、「精神世界」は、必ず、「身体」を必要とする。 その生活世界の中枢部のロケーションは、USAに存在する。 人間としての個体がUSAにある、というのではなく、精神世界の秩序、アルゴリズム、言語的秩序は、USAによって制御されている。 オイル価格も、実は、超現実世界によって形成されている。ヘッジファンドも、量子力学の世界によって「秩序」付けられている。為替動向も、所謂、ウィーナー過程(ブラウン運動)的世界によって形成されている。 つまり、精神世界、電磁波的世界が、現実世界、生活世界を支配する仕組みが構築されつつあるのである。 日本におけるウェブ中枢は、ブログ世界である。 このブログを支えているのは、アルファベットであり、USA言語体系である。具体的には、ロスアラモスの系譜である。 http://blog.kaisetsu.org/?eid=640640 『海舌』 the Sea Tongue by Kaisetsu
2008年01月23日(Wed)▲ページの先頭へ
遺伝子とは何か:イデアか、構造か、ゲノム(情報物質)か?
遺伝子とは何か、考察したい。ゲノム、DNAと遺伝子は同じなのか。直感では、遺伝子はイデアではないのか。そして、Media Pointの実軸性(実性ないしは実点と仮に呼ぶ)において、痕跡=差延が生じる。構造点である。これが、ゲノムないしはDNAの領域ではないのか。問題が複雑なのは、心と身体が関係するからである。
身体の遺伝子はわかりやすいが、心の遺伝子があるのか。魂をイデアとするなら、魂が遺伝子になることになる。それでいいのか。 もし、魂=イデアが遺伝子ならば、それが、身体の遺伝子をも含んでいることになる。それでいいのだろうか。もしそうならば、心と身体の遺伝子はどう区別がつくのだろうか。オカルティズムのように、霊と物質を区別するのか。それは、二元論である。 また、根本的に、心と身体の問題がある。しかしながら、プラトニック・シナジー理論は、原心(原魂)の差異共振志向性が、身体をも作り出すと考えるだろう。つまり、+iを形相、-iを質料とみたとき、両者の共振融合によって、心身一如(いちにょ)が形成されるのではないだろうか。知且つ身体である。意識即身体である。正確には、知・即非・身体、意識・即非・身体の即非態であろう。 とまれ、プラトニック・シナジー理論では、イデアから心身一如、心身即非を説明すると考えられる。だから、イデアを遺伝子とするならば、遺伝子とは、心の遺伝子でもあり、身体の遺伝子でもあるということになるだろう。これは、実に興味深い考え方だと思う。オカルティズムのような霊と物質的身体の二元論を回避できるのである。 心と身体の共通の遺伝子ということで、イデア=魂が考えられることになる。つまり、遺伝子=イデア=魂である。 では、この観点から見直すと、遺伝子とゲノム・DNAは区別されることになる。前者はイデア情報であり、後者はイデア情報物質であるからである。そして、ここで、Media Pointを考えると、差異共振様態にあるのが、遺伝子=イデア=魂である。Media Pointの実性が、ゲノム・DNAではないかと作業仮説してみるのである。構造点であり、構造性をもっている。 問題は、遺伝子とゲノム・DNA(以下、単に、ゲノムとするl)との関係である。遺伝子は情報化された量子である。そして、その痕跡が構造点であるが、しかしながら、構造点とゲノムは別のものではないのか。つまり、構造点は、いわば、構造としてのゲノムであり、物質であるゲノムではないからである。だから、整理すると、 遺伝子⇒構造⇒ゲノム となるのではないだろうか。丁寧に表記すると、 遺伝子(イデア)⇒構造(Media Point実軸)⇒ゲノム(情報物質) ではないか。今日、遺伝子(イデア)とゲノム(物質)が同一視、混同されているということになる。 とまれ、構造とは不思議なものである。それは、イデアではないし、物質でもない。イデアの写しであり、また、物質の原型である。アリストテレスの言う形相はこれだろう。また、プラトンのイデアもこれに近いときがある。しかしながら、イデアと構造の区別は絶対的でなくてはならない。これが決定的である。(ポスト・モダン哲学の誤りは、これらを混同していることにあるだろう。) とまれ、構造とは、イデアと物質との境界である。しかし、連続的境界である。ここが決定的ポイントである。それに対して、Media Point自体は、不連続的境界、即非的境界である。これまでの哲学・思想は、構造とMedia Pointを区別できなかったのである。混淆していたのである。(ドゥルーズ哲学が完全な混淆であり、連続的差異の哲学である。デリダ哲学は、構造自体における揺らぎを認識したが、イデア自体を同一性と見て、超越性を否定してしまい、袋小路に陥ったのである。) 結局、遺伝子(イデア)と構造とゲノム(情報物質)の三者を区別した。ここで、形状について考えると、二重螺旋とは、遺伝子の時間的形状と言えるだろう。遺伝子自体は、原二重螺旋であろう。構造は二重螺旋構造であり、ゲノムは二重螺旋物質ということではないだろうか。 今日のゲノム研究の問題点は、単に物質レベルの研究であり、構造にも、遺伝子=イデアにも達していないことであろう。そう、ここで、情報物質であるゲノムを理論化すると、構造から発生する構造物質と言えよう。新たに図式化すると、 遺伝子(イデア)⇒Medai Point⇒構造⇒ゲノム(構造物質)⇒生命体 となるだろう。付加して言うと、DNAを変化させることで、生命体は変化するだろうが、根本の構造や遺伝子は変化しないのではないだろうか。 参考: Gene findings: Disease-by-disease Genetic test Scientists analysed DNA from 17,000 people A team of UK researchers have identified several genes and regions of the genome involved in seven common diseases - but what are the implications for people suffering from the conditions? http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/6727043.stm Detailed gene map 'within grasp' By Helen Briggs BBC News science reporter Image: Sanger Institute The map will relate genetic variation to particular diseases One thousand people are to have their genomes mapped in a major effort to understand how genes influence disease. To date, only a handful of humans have had their genes analysed in this way, including scientists Craig Venter and James Watson, and anonymous volunteers. Teams in the UK, US and China say the project will create the most useful catalogue ever of genetic variation. Any two humans are genetically more than 99% identical: variations can explain why some get certain diseases. http://news.bbc.co.uk/2/hi/ science/nature/7201994.stm
2007年12月09日(Sun)▲ページの先頭へ
千島学説とプラトニック・シナジー理論:血液⇒細胞とMedia Point⇒同一性
血液から細胞が生まれるという千島仮説であるが、これは、プラトニック・シナジー理論から説明を試みると、血液をMedia Pointとして、細胞を同一性と考えれば、簡単に説明できるように思えるのである。そして、食べ物が血液になるということであるが、それは、消化器官と食べ物との差異共振作用によって、Media Pointとしての血液が発生するというように考えられないだろうか。即ち、自己認識方程式(+i)+(-i)⇒+1に適用すれば、
消化器官(+i)*食べ物(-i)=血液Media Point⇒細胞(+1) とならないだろうか。細部については後で考察したい。 *************************** ★千島博士の大発見 氏が発見したものは、ニワトリの卵の黄身(卵黄球)が赤血球に変化(分化)し、 その赤血球が生殖細胞に変化している様子でした。 氏は、この現象に自分の眼と頭を疑いました。 細胞は細胞から生まれる、これは先に書いたウィルヒョ−が細胞病理学のなかで発表して以来、生物学の最も重要な根本原理だったからです。 しかし、千島氏が見たものは、生殖細胞でない赤血球から生殖細胞が作られていると言う現象だったのです。 どうやら、自分は生物学だけでなく、それにつながる医学、遺伝学、細胞学、血液学の定説を根本からくつがす世紀の大発見をやったのではないか?? 氏は、体のふるえを感じながら考えた。 そして、氏は実験を何度も繰り返し行い、赤血球が細胞に変わることを確認しました。 そして、「卵胚子生殖腺の組織発生並びに血球分化に関する研究」と題する論文が、九州大学農学部に正式受理されたのは、1947年9月の事でした。 正式受理された学位請求論文は、四ケ月以内に教授会に審査報告をする規定がありますが、氏の論文は4年もの間ほうっておかれたあげくに、論文の取り下げを要求されました。 実は、この時氏の論文は 九州大学内部の問題ではなくなっていました。 日本の生物学会のすべてが、千島の新説にこぞって反対したのです。 「血球と細胞は別のものだ。」その血球が細胞になるなどとは、犬が一晩で人間に変わるようなものだ」と批判したのです。 現代の最も進歩的な生物学者に、生物とは何かと質問すれば、生物は1つの機械だという答えが返ってくるでしょう。 「遺伝情報が詰め込まれたDNAの指令にしたがった部品が集まって決まった方向に流れていく」 物理と化学の法則に従っている物質と変わりがない。 しかし、この理論では生物の特性である心のはたらきがまったく考慮されていません。 そして、何よりも間違っているのは、自然の大法則である全てのものは変わるということを無視していることになります。 赤血球が細胞に変わり、また赤血球に戻る。 この繰り返しこそ自然の本当の姿であり、この事実は見ようとすればいつでも見ることが出来るのです。 http://sungod2012.blog96.fc2.com/blog-entry-255.html 温故知新・2012年アセンションに向かって 参考: 新生命医学会 http://www.chishima.ac/
2007年12月06日(Thu)▲ページの先頭へ
免疫力と細菌の差異共振エネルギー場と差異共振的健康生成
以下、「腸内細菌は種類や数が多いほど免疫力が高まります。人間の免疫力はさまざまな細菌と共生することで刺激を受けて活性化します」とあるが、免疫力とは、端的に、差異共振力ということではないのか。つまり、免疫力が腸内細菌と差異共振して、いわば、差異共振場を形成するだろう。そして、この差異共振場に、外部から細菌、たとえば、O157が侵入したとき、この差異共振場が、O157に差異共振エネルギーないしは差異共振振動を与えて、O157が本来もっている振動を変質変容させて、差異共振場の振動と共振させてしまい、いわば、害毒性を抑止しているのではないのか。
*********************** 腸内細菌で免疫力UP 「きれい好き」もほどほどに 食事やエアコンにも配慮を 12月6日8時1分配信 産経新聞 食品添加物だらけの加工食品を摂(と)り、抗菌、除菌グッズに囲まれて生活する現代人。さきごろ『病気に強い人、弱い人』(幻冬舎)を書いた感染免疫学の第一人者で東京医科歯科大学名誉教授の藤田紘一郎さん(68)は、「生活環境そのものが病気にかかりやすくした」と指摘する。病気になったことがないという藤田さんに、病気をしないで安心して暮らせる方法を聞いた。(渋沢和彦) 「現代人はきれい好きが行き過ぎて、体を守ってくれる腸内細菌まで減らし、免疫力が低下しています。だから病気になりやすい」 藤田さんは風邪など病気にかかりやすい人は腸内細菌に問題があると指摘する。 たとえば社会問題になった病原性大腸菌O157の流行。「O157は生命力は弱いのですが、腸の中に敵となる菌がいないから大きな顔をする。腸にさまざまな細菌が棲み着いていれば感染しても軽い下痢程度で済んでしまいます」 藤田さんは調査で仲間の研究者らとしばしばインドネシアに行くそうだが、「若い研究者はエルトール・コレラ菌による下痢ですぐダウンしてしまいます。腸内に大腸菌がいっぱいいれば追い出してしまうヤワな菌で、いつもわたしはへっちゃらです」と話す。 菌に強い人と弱い人がいて、その差は腸内細菌の数によるという。 ◇ 生活環境にはさまざまな抗菌、除菌グッズがあふれているが、腸内細菌を減らしているのが極端な清潔志向だという。 「文明が人間の力を弱めている。子供は室内でゲームばかりさせないで、外で泥んこ遊びをさせた方がいい。無菌状態化しているからアレルギーなどの問題が生じる。菌に棲んでもらった方がいい」 さらに添加物や合成保存料を多用した加工食品が、良い腸内細菌を殺してしまっているという。 「合成保存料は食品に付着した細菌が増殖できないようにする物質なので、それを摂取していると腸内細菌類すべてが元気なくなる」 子供のときから少々汚いものでも平気で食べ、清潔とは無縁に育ってきた藤田さん。 「むしろ細菌がいた方がいい。わたしはサナダムシがいましたから」とうれしそうに話し、腸内にいたというサナダムシを東京医科歯科大学の研究室に標本として飾っている。 「腸内細菌は種類や数が多いほど免疫力が高まります。人間の免疫力はさまざまな細菌と共生することで刺激を受けて活性化します」 ◇ そこで必要なのが野菜を食べることという。 「野菜類、穀類、豆類、果物類などの植物性食品は免疫力を高めてくれます。ただし、大切なのはバランスです。魚や肉をほどよく組み合わせた食事を心がけることが大事です」 さらにエアコンなどに頼り過ぎる生活を警告する。 「エアコンなどにより、内と外との温度差が大きいほど体温の調節は大変になり、そのたびに免疫力は落ちていきます」 快適性を求めると、逆に体は弱くなるというわけだ。 「現代文明は、よりキレイでより便利で、より快適な社会をつくり上げてきました。いつでも好きなものを食べられるように食品添加物が考え出され、それが免疫力を低下させています。まったく摂らないというのは無理ですから、せめて加工食品の原材料名を見る習慣をつけ、関心を持ってほしい」 【関連記事】 ・ 細菌動かすクラゲ骨格 微小モーター開発に道 ・ ブルセラ菌など危険病原体ずさん管理 内規に反し300株 ・ 殺菌効果スゴい!?5円、10円玉は金貨超えた ・ あなたのお口は何歳? 口腔年齢知り歯科疾患予防 ・ 微生物で安全な「いもち病」対策 出光興産が防除剤 http://headlines.yahoo.co.jp/ hl?a=20071206-00000099-san-soci ************************ ************************ 「スパイダーシルク」とは何ぞや:バイオテクノロジーと自己認識方程式 テーマ:生命科学/遺伝子問題 これも、PS理論で説明できそうである。即ち、「ジョロウグモの糸の遺伝子」を+iとして、「蚕の卵」を-iとすれば、両者が差異共振して、(+i)*(-i)⇒+1である「スパイダーシルク」(「蜘蛛の絹」)となるのではないのか。 思うに、⇒+1とは、三相共振様相ではないのか。 国内 遺伝子技術でクモの糸の成分も、「スパイダーシルク」開発 12月6日21時53分配信 読売新聞 信州大(長野県)の中垣雅雄教授(昆虫遺伝学)が、クモが出す糸の成分を蚕に組み入れた絹糸「スパイダーシルク」を開発した。 強度や伸縮性が通常の絹より2倍以上優れた製品にできる可能性があり、靴下製造卸大手「岡本」(奈良県広陵町)と共同で、靴下などの製品化を目指す。経営環境が厳しい国内の製糸業、繊維産業にとって、スパイダーマンのような“救世主”として期待されそうだ。 ジョロウグモの糸の遺伝子を抽出し、蚕の卵に注入すると、生まれた蚕が吐く糸は、クモ糸の成分を約10%含み、従来の生糸よりも丈夫で柔らかいという。今後、用途に応じた繊維を作るため、適したクモ糸の成分比率を研究し、2010年には製品化したい考え。繊維製品以外にも手術用の縫合糸など多様な分野へ応用できそうという。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a =20071206-00000014-yom-soci
2007年12月05日(Wed)▲ページの先頭へ
思考実験:生命と精神と細胞:Media Pointの霊的生命とメディア平面の物質的生命
京都大学の新たな万能細胞形成の発見のニュースで、ネオコンのブッシュが喜んだということを聞いて、これは、単純に万能細胞を肯定するのは問題のように思えるので、少し考え直す必要があると感じた。
先に、垂直的振動が原生命であり、原精神であると考えてきた。そして、Media Pointの共振振動によって、物質化されると考えた。つまり、ざっと言えば、原生命=原精神が物質的に誕生するということである。そして、差異が同一性と「融合」する平面、メディア平面が考えた。ここが、万能細胞ではないかと思った。つまり、差異情報があるし、同時に、それが、同一性化(有機体化)へと志向するのかもしれない。つまり、ここでは、差異情報は、連続化し、原有機体化である万能細胞になるのではないだろうか。(このメディア平面とは完全に作業仮説に過ぎないが、思うに、ドゥルーズの内在平面、ハイデガーの存在に当たるように感じられる。ある意味で、構造である。ポスト・モダン構造である。) 問題は、Media Pointとメディア平面の関係である。前者には、差異共振性があるが、後者には、連続的差異があるのである。だから、ここには、断絶があるのである。前者は不連続であり、後者は連続ということである。 では、ここで、本件について考えると、これまで、原精神と原生命とを一致させたが、どうだろうか。とまれ、両者は、原知的生命と考えられるよう。すると、原知的生命とメディア平面における物質的生命体(たとえば、細胞)は異なると考えられる。端的に言えば、精神的生命と物質的生命は異なるということである。以前、二三年前、霊学的発想から、霊魂と物質的生命とは異なり、前者が後者に、いわば、付着して、人間生命体になると考えた。つまり、霊が物質的身体と結合して、人間生命体となると考えたのである。どうやら、それに類した考えがここに生じたと言えよう。 つまり、精神生命(霊的生命)と物質生命(物質身体)とは異質なものであるということである。両者、不連続であるということである。これは、正に、前近代の伝統的文化の思想であると言えよう。魂と肉体(空蝉)である。そう、一般的に、宗教的思想は正しいということになろう。霊と肉体とは不連続なのである。そして、霊は、永遠の生命ということだろう。また、それは、同一体ではなくて、振動体であるから、多様に変化するだろう。この点は後で検討したいので、ここで留める。 結局、物質的生命科学は、後者の物質生命体を対象としているのであり、前者をまったく考慮・考察していないということになろう。霊学の霊主体従は、間違っていないのである。 今は、ここで留めたい。
2007年11月30日(Fri)▲ページの先頭へ
四次元量子論から、PS理論的高次元量子論へ:実軸現象界からガウス平面五次元界へ
以下の量子論の解釈は、量子とは、粒子と波動とが相互変換するものということである。
しかし、この解釈も奇妙ではないだろうか。そうならば、相互転換する仕組みはどうなのだろうか。やはり、同時二重性を認めるのが、整合的であると思えるのである。 この問題は解明済みであるが、ミクロの世界に、Media Pointを見ることで解明されるのである。波動=振動とは、Media Pointにおける波動=振動であり、そこでは、いわば、超越波動(虚波動)と物質波動(実波動)とが即非的に併存しているのである。(おそらく、共振していると言うべきであろう。) 粒子とは、物質波動における生成する同一性物質のことであろう。だから、量子とは、粒子であり、物質波動であり、且つ、超越波動(虚波動)なのである。一種三相共振態である。つまり、超越波動が根源にあり、Media Pointを介して、粒子と物質波動が同時生起するのではないだろうか。 言い換えると、粒子は同一性であり、波動は二重なのである。思うに、Media Point波動ないしはMedia Point振動と呼べるだろう。すなわち、Media Point Wave(MP Wave)である。略して、MP波動(振動)と言おう。 このMP波動が水平性と垂直性を共振させているのである。二重スリットの実験では、光子は一個であると同時に、MP波動が作用していると考えられるのである。 以前にも述べたが、このMP波動(MP波動/粒子)が、いわゆる非局所的長距離相関を合理的に解明すると考えられるのである。すなわち、Media Pointの虚軸の方向に量子が作動しているということである。端的に、量子とは高次元体なのである。量子を単に実軸的四次元世界で考えると、非局所的長距離相関というパラドックスが生まれてしまうのである。 リサ・ランドールによって、量子論は五次元・高次元へと今や進展したのである。それは、実軸原点という壁をブレークスルーしたと言えよう。トランス・モダン量子力学である。 とまれ、後で、超越波動と物質波動との共振様相の実相について考察したい。 ######以下引用・転載########### 結論。 以上のすべてをまとめて言えば、次のようになる。 従来の学説は、量子を「粒子と波の双方の性質をもつもの」というふうに描写する。その際、基本としては、「量子は粒子である」と立場を取る。 その結果、「一つの粒子が複数の状態をもつ」(一つの粒子の可能性が広く分布する)(重ね合わせ状態にある)という奇妙な表現を取るようになった。その奇妙さが、さまざまなパラドックスとして現れた。次のように。 ・ シュレーディンガーの猫は、「生と死」という双方の状態にある。 ・ 二重スリット実験では、一つの電子が二つのスリットを同時に通る。 こういう奇妙な結論が出る。その理由は? 話の最初に、「波の性質をもつ粒子」というものを考えたからだ。 だから、そういう根源的に矛盾した発想を、捨てればよい。かわりに、「粒子と波の相互転換」という発想を取ればよい。そうすれば、すべては整合的に理解される。 http://hp.vector.co.jp/authors/ VA011700/physics/quantum.htm 量子論/量子力学 …… その最前線 **************************** 参考: いま、この力学系には、A(の力学量)が値aを取ればB(の力学量)が値bを取り、A(の力学量)が値bを取ればB(の力学量)が値aを取という相関関係が与えられていたとする。例としては、第五章の「スピンと波動関数」 の項のスピン状態χ+(s, s')またはχ-(s, s')などがある。(簡単のために、これからは断りなしに「の力学量」および「値」という言葉を省略することもある。)この相関関係があるとき「Aがa、Bがb」および「Aがb、Bがa」という運動状態が同時に存在する。したがって、そのおのおのの波動関数を、それぞれ、Ψ1(Aがa、Bがb)とΨ2(Aがb、Bがa)と書くことにすれば、重ね合わせの原理により、この力学系の状態は Ψ=Ψ1(Aがa、Bがb)+Ψ2(Aがb、Bがa) でなければならない(Ψはプサイと読む)。この相関関係が成立した後、AとBを十分遠く(たとえば、宇宙の中で星間距離ほど遠く)引き離して、Aがいる場所でAの力学量の測定を行う。その結果、第一の場合として、A(の力学量)が(値)aを取ったことがわかれば、「波動関数の収縮」Ψ→Ψ1(Aがa、Bがb)が起きるはずだ。したがって、ただちにB(の力学量)が(値)bを持っていることを知る。第二の場合として、測定結果がA(の力学量)の値としてbを与えたとすれば、「波動関数の収縮」は、Ψ→Ψ2(Aがb、Bがa)であり、ただちにB(の力学量)が(値)aを取ることを知るわけだ。 いずれの場合も、宇宙的距離ほど離れたBに情報が瞬時に(光の速度を超える速さで)伝わった! なんとも不思議である。これを非局所的長距離相関という。 http://homepage2.nifty.com/einstein/ contents/relativity/contents/relativity316.html ●EPRパラドックス --- アインシュタインの嫌う非局所的長距離相関 近未来最先端軍事テクノロジーhttp://www.f5.dion.ne.jp/ ~mirage/hypams04/quantum_1.html EPRパラドックスの検証 http://nucl.phys.s.u-tokyo.ac.jp/sakai_g/epr/ コペンハーゲン解釈 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 移動: ナビゲーション , 検索 コペンハーゲン解釈(コペンハーゲンかいしゃく)は、量子力学 の解釈 の一つである。量子力学の状態は、いくつかの異なる状態の重ねあわせで表現される。このことを、どちらの状態であるとも言及できないと解釈 し、観測すると観測値に対応する状態に変化する(波束 の収束 )と解釈する。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%8 3%9A%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%82%B2%E 3%83%B3%E8%A7%A3%E9%87%88 参照: +1は何も生まない。-1は豊穣である。 http://blog.kaisetsu.org/?eid=610782 A-T,C-Gが対となった二重螺旋の意味 http://blog.kaisetsu.org/?eid=610784 『海舌』 the Sea Tongue by Kaisetsu
2007年11月25日(Sun)▲ページの先頭へ
海藻みたいでも脳がある動物:生命とは何か:メディア平面とMedia Point
生命とは何か。これは、やはり、自己認識方程式で説明できるだろう。では、植物と動物、そして、人間の区別はどう説明できるのか。
後で検討としたい。とまれ、ひとこと言うと、万能細胞のことを考慮すると、そして、気のことを考えると、生命情報、生命情報エネルギーがあると考えられる。以前、メディア平面ということを言ったが、それは、差異と同一性が結合している平面であるが、裏面が差異であり、表面が同一性である。これは、 Media Pointではなく、同一性構造に近いものである。あるいは、同一性構造そのものかもしれない。 思うに、メディア平面の表面において、差異と差異の間に同一性が形成されて行く。そして、この同一性がメディア平面の裏面の差異のエネルギーによって賦活されているのではないだろうか。つまり、差異エネルギーが生命のエネルギーであり、同一性は物質であり、それは、物質の生成消滅のあり方をもつだろう。つまり、メディア平面の同一性の展開を支配しているのが、裏面の差異エネルギー、差異情報エネルギーであると思われる。 そして、思うに、メディア平面の裏面の差異情報エネルギーとは、Media Pointにもつ振動が構成しているのではないだろうか。作業仮説として、Media Pointの振動は差異の回転によって、複雑化するとしよう。直感で言えば、螺旋的差異情報である。差異+iと差異-iとの共振の螺旋的回転によって、もたらされる情報である。 とまれ、直感で言うと、+i→-iが知性であり、-i→+iが感情である。そして、自己認識方程式において、知性/感情が生起するのである。そして、これが人間の原型であると考えられる。植物の場合は、この自己認識方程式は隠れてしまっているのだろう。そして、メディア平面だけの存在となっている。 人間を除いた動物の場合であるが、思うに、Media Pointの活動が固定してしまっているのではないだろうか。ある固定したMedia Pointが動物の原型であり、創造が為されないのである。ただ、反復が中心なのである。 では、Media Pointの固定化とは何だろうか。それは、志向性の固定化であろう。言い換えると、志向性の停止である。思うに、ある段階で志向性が停止しているのである。それに対して、人間の場合は、志向性がつねに生成していると考えられるのである。言い換えると、Media Pointの振動が発生しているのである。 結局、動物の場合は、Media Pointが固定化して、ある同一性の膜のようなものがMedia Pointを覆う。しかるに、人間の場合は、同一性の膜を破壊するものがあるのである。あるいは、差異がむき出しなのである。つまり、差異強度が動物に比べてはるかに強いと言えよう。 とまれ、メディア平面とMedia Pointの関係はどうなるのか。あるいは、遺伝子との関係は。思うに、生命の層、生命の多層性があるのではないだろうか。Media Pointが根源的遺伝子層であり、そして、そこから、同一性が発動するのであるが、そのとき、メディア平面が形成される。それは、生命物質平面とでも言えるのではないだろうか。植物的な層である。 まとめると、Media Pointが魂である。そこには、知性と感情が平行している。そして、同一性化が始まり、メディア平面が形成される。メディア平面が生命物質であり、植物的層である。そう、メディア平面の裏面とはMedia Pointであろう。そして、表面が物質体であると考えられる。 気というのは、Media Pointからメディア平面に関わるエネルギー情報の一種ではないだろうか。それは、メディア平面の裏面の差異であろう。だから、素粒子空間に近いと言えると思う。 思考実験であり、今は、ここで留める。後で、精緻に再考したい。 p.s. ちなみに、メディア平面が同一性の構造であり、同一性の壁である。ハイデガーの存在は、この壁である。閉塞しているのである。三島由紀夫の無であるが、それも壁であるが、壁を越えたMedia Pointを示唆しているだろう。大江健三郎を壁を越えて、Media Pointを示唆しているだろう。ポスト・モダンも、この壁にぶつかっているのである。そして、差異も裏面に限定されて、Media Pointへの超越化を否定しているのである。 ########################## 海藻みたいでも脳がある動物=「ニッポンウミシダ」を継続飼育−東大臨海実験所 赤っぽい海藻に見えるが、脳に当たる中枢神経節があり、身体を複雑に動かして移動できる「ニッポンウミシダ」を代々継続して飼育することに、三浦半島・三崎の東京大臨海実験所が24日までに世界で初めて成功し、国内外の研究者への提供体制を整えた。既に米国やオーストラリアの研究者から提供を求められており、動物の進化過程や身体再生メカニズムの解明に幅広く利用が期待される。 (時事通信) 海藻みたいでも脳がある動物 # ニッポンウミシダ - 海響館 [写真]海藻のように見える棘皮(きょくひ)動物のニッポンウミシダ。根元部分に脳があり、身体を複雑に動かして移動する。東大臨海実験所が世界で初めて継続飼育に成功した(7日、神奈川県三浦市の東大臨海実験所)(時事通信社) http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/ entertainment/animals_and_pets/ 海藻のように見える棘皮(きょくひ)動物のニッポンウミシダ。根元部分に脳があり、身体を複雑に動かして移動する。東大臨海実験所が世界で初めて継続飼育に成功した(7日、神奈川県三浦市の東大臨海実験所)【時事通信社】 http://news.livedoor.com/article/image_detail/3402135/
2007年11月23日(Fri)▲ページの先頭へ
万能細胞とMedia Point
皮膚細胞から、万能細胞を作る発見についてであるが、先に、それは、Media Pointに関係するのではないかと示唆したが、思うに、万能細胞とは、Media Pointから同一性へと発展するときの細胞ではないだろうか。同一性になってしまえば、それは、個別化であり、個別的な細胞になるということだろう。だから、Media Pointから同一性への志向性の発端・始点をこの発見は捉えたということではないだろうか。
(これはまた、一種の処女生殖であろう。) 結局、遺伝子とは、思うに、(+i)*(-i)ではないだろうか。これが、皮膚細胞に入れられて、万能細胞になったということではないか。それとも、遺伝子は+iであり、皮膚細胞は-iということなのだろうか。それらが、結合して、いわば、受精状態となる。それは、正に、(+i)*(-i)ではないだろうか。そして、これが、万能細胞の作る原型ではないだろうか。ここから同一性化して、個別の細胞になるように考えられる。 'This is a very exciting advance' By Dr Lyle Armstrong Geneticist Fibroblast Fibroblast skin cells were transformed by the new technology Scientists have discovered a way to reprogramme human skin cells so that they mimic embryonic stems with the potential to become any tissue in the body. The breakthrough promises to have signficant implications for medical research. Scientists are very excited by the announcement of these findings, that cells that look and act like stem cells can be created from skin cells (known in science as fibroblasts). Last year similar work was done in mice, and we were waiting with bated breath to see if it would also work in humans. http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/7103787.stm
2007年11月21日(Wed)▲ページの先頭へ
量子論は高次元・超越次元・精神/霊的次元科学である
光についてであるが、復習になるが、(+i)*(-i)⇒+1において、左辺が波動ないしは振動であり、右辺は粒子であろう。この両者の「差異」に注意しないといけない。不確定性の原理であるが、それは、左辺が特異点であるMedia Pointに関係していることから発すると考えられるだろう。つまり、そこでは、波動は垂直に、また、超越的、虚軸的に、振動するのであり、実軸的には、不確定となると考えられるのである。
思うに、素粒子ないしは量子は、複素数的存在と言っていいだろう。だから、単なる物質ではないのである。だから、量子論は、物質科学からエクソダスする必要がある。それは、イデア的科学である。虚次元・高次元的科学である。精神・霊的科学である。 ########################## 光 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 移動: ナビゲーション, 検索 Disambiguation この項目では電磁波の一種について記述しています。その他の光についてはひかりをご覧ください。 光(ひかり)は、電磁波の一種。おもに可視光線のことだが、赤外線・紫外線を含めていうことも多い。光は波動と粒子の二重性をもち、波動であることを強調する場合は光波、粒子であることを強調する場合は光子と呼ばれる。光源や観測者の速度にかかわらず「相対速度が変化しない」という特徴を持つ。 プリズムによる分光 光の波動性 波動としての光を光波と呼び、反射・屈折・回折などの現象を起こす。ヤングの干渉実験により光の波動説として証明され、その後マクスウェルらにより光は電磁波であることが示された。厳密にはマクスウェルの方程式で記述されるベクトル波であり偏光を持つが、波動光学では簡略化のためにスカラー波として扱うことが多い。 (光のエネルギーは電場の振幅の2乗に比例する) (光の運動量はポインティング・ベクトルに比例する) [編集] 光の粒子性 粒子(量子)としての光を光子(光量子)という。光子は電磁場の量子化によって現れる量子の1つで、電磁相互作用を媒介する。ニュートンの光の粒子説によって唱えられた。現在の光子の概念はアインシュタインによって提唱された。 E = hν (光のエネルギーは振動数νに比例する) E = pc (光のエネルギーは運動量p に比例する) [編集] 粒子説と波動説 「光は粒子か波か?」 この問題は、かつてよく議論された。何故なら、光が波でなければ説明がつかない現象(たとえば光の干渉、分光など)と、光が粒子でなければ説明のつかない現象(光電効果など)が、どちらも明確に確認できたからである。 この問題は、20世紀前半から後半にかけて「量子力学」という学問分野が確立していく中で、「光は粒子でもあり波でもある。粒子と波の両方の性質を併せ持つ、量子というものである」という事が確かめられ、決着がついた。この量子の持つ特異な性質のことを指して、「光は〈粒子性〉と〈波動性〉を併せ持つ」と表現することがある(量子の詳しい性質については記事:量子を参照)。 現在では呼び方として、光の粒子性に重点を置く場合は「光子」、波動性に重点を置く場合には「光波」、光が粒子と波の二面性を持った量子である、という点に重点をおく場合は光量子と言う。 [編集] 光の性質 性質としては上記の通り粒子性と波動性があり屈折・(全)反射・干渉(ホログラフィ)・回折・偏光 (LPL・CPL) などの * 光は、通常、直進する。(エウクレイデスの光の直進の法則) * 凸凹の無い平面鏡に当たった光は、鏡に当たったときと同じ角度で反射する。 (エウクレイデスの光の反射の法則) * 屈折率の異なる物質の境界面で光の速度が変化する。その結果、境界面への入射角が直角でない場合には、光の進路が変化する。(屈折) * 光の屈折の際は、スネルの法則が成立する。 * 光の強さは、光源からの距離に逆2乗する。 (ケプラーの光の逆2乗の法則) 主な物質との関係ではフォトニクスと呼ばれ大別してPhoto(光化学、光物理などの分子場理論)とOpto(光学などの放射場理論)と呼び方が異なり、光物理機能としては励起エネルギー移動や化学発光、電界発光 (EL) 等、光化学機能としてはフォトレジストや光触媒、光エネルギー変換等、光波機能としては、光ファイバーや近接場光学、コヒーレント分光などがある。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89
2007年11月09日(Fri)▲ページの先頭へ
ブラックホールとは何か:ブラックホールの特異点とMedia Point
ブラックホールとは、直感では、Media Pointである。中心に特異点があるというのは、Media Pointと呼応する。興味深いのは、『その手前には「事象の地平面」が存在』するいうことである。
「事象の地平面」とは、PS理論から言えば、実軸世界であろう。これを超えたところに、Media Pointがあるのである。しかしながら、重力が無限大というのは、実軸世界、つまり、同一性=物質の世界の発想からものと考えられるのである。量子力学の長距離相関(ベルの定理)と同様の事象と考えられるのである。つまり、同一性=物質の世界から見ると、重力が無限大に見える(計算される)のである。しかし、ここでは、やはり、特異点=Media Pointにおける虚数、ないしは、複素数が問題になっていると考えられるのである。 おそらく、無限大の重力とは、超越的な重力のことだと考えられるのである。先に、Kaisetsu氏が、PS理論から光と重力の関係式を出されたが、超越的なエネルギーとしての「無限大の重力」、すなわち、ブラックホールが想定されているのではないだろうか。 さらに興味深いことは、リサ・ランドールの五次元論であるが、その第五次元は重力次元なのである。正に、虚軸・超越的次元である。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 『 ブラックホールの恐ろしい重力は、光すら飲み込んでしまいます。誰もその重力から逃れられません。おまけに飲み込まれた後どうなるのか、どこへ行くのかもわかっていません。ブラックホールはまだまだ未知の天体なのです。 ブラックホールの中心には「特異点」と呼ばれる密度、重力が無限大の点があり、ここではすべての方程式、法則が破綻します。その手前には「事象の地平面」が存在し、ここを越えてしまうとすべてのものは一点にとどまっていることが出来ずに「特異点」へと引きずり込まれてしまいます。もし、ブラックホールに出会ってしまったら、「事象の地平面」から先へは決して踏み込まないよう気を付けましょう(^^) 』 ★ブラックホールって??? http://www2b.biglobe.ne.jp/~pyuwa/black.html 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 最高エネルギー宇宙線、地球に近いブラックホールから飛来 11月9日11時14分配信 読売新聞 どこから地球までやって来るのか謎だった、飛び抜けて高いエネルギーを持つ「最高エネルギー宇宙線」が、地球から比較的近い巨大ブラックホールから飛来していることが、国際研究チームの観測で明らかになった。 9日付の米科学誌サイエンスに掲載された。もし遠くから来ているなら、アインシュタインの相対性理論を書き換える必要があるという見解もあり、起源の解明が待たれていた。 宇宙線は、光に近い速度で宇宙空間を飛び交う陽子などの小さな粒子。中でも最高エネルギー宇宙線は、銃弾と同程度の運動エネルギーを持つ。2004年以降、17か国の科学者によるチームが、アルゼンチンに建設中の観測所で、この宇宙線27個の正確な観測に成功。到来方向は地球から1000万〜2・5億光年の比較的近い「活動銀河」の位置に合致していた。銀河中心のブラックホールが加速器の役割を果たしているらしい。 http://headlines.yahoo.co.jp/ hl?a=20071109-00000302-yom-soci # 宇宙線とは - 解説や調べ方。東京大学宇宙線研究所 # 宇宙線を見る - 図解。高エネルギー加速器研究機構 # 宇宙線の最高エネルギ− - 高エネルギー加速器研究機構 # ブラックホールって??? - 特徴。お星様パラダイス # 相対性理論 - はてなダイアリー http://dailynews.yahoo.co.jp/ fc/science/astronomy/
2007年07月31日(Tue)▲ページの先頭へ
ワープする宇宙 5次元時空の謎を解く
まだ、以下の話題の本を読んでいないが、Kaisetsu氏も言及されていたが、この五次元理論は、プラトニック・シナジー理論と通じる内容をもっていると思われる。時空四次元を超えた五次元の不可視の世界が潜在しているという発想である。そして、この時空四次元の現象世界は、膜(ブレイン)に張り付いた水滴のようなものだと説明している。そして、膜と膜の間が五次元であると言うのである。
とまれ、この発想は、ウスペンスキーの四次元と共通する。ただ、ウスペンスキーの場合は、4次元を時間空間ないし永遠の次元としていることが異なると言えよう。 リサ・ランドールの考えで興味深いのは、五次元と現象世界とを連絡している力が重力であるということである。この点については、本書を読んでみないとよくわからない。 プラトニック・シナジー理論では、mic*(-ic)⇒mc^2というエネルギー公式を使用したが、では、質量mは何かとなるだろう。mを変形して、 √m ・i*√m・(-i)とすれば、イデア界(四次元ないし五次元)において、超光だけでなく、超質量もあることになるだろう。±超質量があることになる。そして、これが、重力に関係するのではないだろうか。−超質量は、反重力に関係しないだろうか。あるいは、超質量とは、重力子と関係しないだろうか。 PS理論では、光と重力が高次元世界・四次元/五次元・イデア界と関係がありそうである。 ワープする宇宙 5次元時空の謎を解く ■著者 リサ・ランドール 著 向山信治 監訳 塩原通緒 訳 ■発売年月日 2007年6月28日 ■定価 3,045円 (本体2,900円) ■送料 120円 ■判型 四六判 ■ページ数 656ページ ■商品コード 0081239 ■Cコード C0042(物理学) ■ISBN 978-4-14-081239-6 http://www.nhk-book.co.jp/shop/ main.jsp?trxID=0130&webCode= 00812392007
2007年03月13日(Tue)▲ページの先頭へ
超越的現象としての自然・宇宙・人間:西田哲学を参考にしてPS理論と物理学の関係を考える
先に、「絶対矛盾的自己同一」の冒頭を読み、PS理論と物理学の関係を新たに考えられるのではないかと思った。
西田は、一即多、多即一との「間」を述べていると思う。つまり、メディア・ポイント的「間」である。 創造性の「間」である。 とまれ、物理学、相対性理論を考えよう。 一を超越界としよう。そして、多を現象界としよう。 個体が相互限定すると西田は述べている。 ★引用開始 《例えば、物が空間において相働くということは、物が空間的ということでなければならない。その極、物理的空間という如きものを考えれば、物力は空間的なるものの変化とも考えられる。しかし物が何処(どこ)までも全体的一の部分として考えられるということは、働く物というものがなくなることであり、世界が静止的となることであり、現実というものがなくなることである。現実の世界は何処までも多の一でなければならない、個物と個物との相互限定の世界でなければならない。故に私は現実の世界は絶対矛盾的自己同一というのである。》 ★引用終了 http://www.aozora.gr.jp/cards/ 000182/files/1755.html かなり晦渋な説明である。とまれ、言っていることは、物とは、一の多であるあるが、それでは、静的であるから、多の一でなくてはならないということである。これが、「個物と個物との相互限定の世界」ある。 これは、差異ー同一性ー差異のことを意味しているように思える。つまり、同一性が差異を相互限定しているのである。 すなわち、同一性が物理性であると言えるのではないだろうか。 例えば、同一性は時空間形式である。それは、+1であろう。 差異は同一性=時空間形式=+1によって相互限定されるということだろう。 ここには、重力や電磁気力の関係があるだろう。 とまれ、問題は光である。 差異が同一性化されると、物質となり、エネルギーをもつ。 mc^2=Eである。 同一性化された差異は、質量mをもつ。 しかし、これは、光速度と関係して、エネルギーをもつ。 ic*(-ic)がメディア・ポイントでの差異(即非差異)の光である。差異(即非差異)の元光ないし超光である。 差異は、虚数軸上を光速度で移動しているということなのだろうか。虚数的光速度である。 とまれ、メディア・ポイントで、差異が共振同一性化する。つまり、物質化すると考えられる。 つまり、差異の物質化であり、物質エネルギー化である。すなわち、 ic*(-ic)⇒mc^2=Eである。 この質量mは、物質である差異同一性の力ではないのか。 そう、即非差異の虚エネルギーが、メディア・ポイントで、同一性化して、実エネルギーになる。そのとき、同一性の力、質量が発生するのではないのか。 この質量=力が時空間形式の力ではないのか。 あるいは、mc^2のエネルギーが時空間形式の力ではないのか。 個物は、このエネルギー形式をもつのであるから。 つまり、個物は、実エネルギーないし質量を属性にもつのである。 この実数性が時空間形式ではないのか。 icないし-icではなくて、cという実・光速度が発生するのであるから。(icないし-icは虚・光速度であろう。) 実数性は、物理量をもつと言えよう。そして、マクロ的には古典的力学の世界を構築するのではないのか。 言い換えると、実数性が、有・存在を意味しよう。 そして、虚数性が、無・非存在を意味しよう。 だから、現象界において、実数性が発生して、物質性を形成しているのである。 しかしながら、実数とは、メディア・ポイントにおいて発生するのであるが、ここには、また、虚数が存しているのである。 つまり、現象界とは単に、実数=物質の世界だけではなくて、虚数性を内包していると言えるのである。 マクロ的な知覚・認識においては、実数=物質が中心的になるだろう。 しかし、ミクロ的な認識においては、虚数=差異(不連続的差異、即非差異、イデア)が中心的になると言えよう。 これは、メディア・ポイントにおける「絶対矛盾的自己同一」である。 そして、光の特異性は、単に、実数=物質に関わるだけでなく、虚数=差異に関わる点にあるのではないか。 一般に物質は、実数性である。mないしmc^2ないし+1で十分である。 しかしながら、光は物質(粒子)でありながら、同時に、虚数=差異=超越性である。そう、虚数=超越性である。 このために、量子力学において、粒子と波動の相補性や非局所的長距離相関が発生すると言えよう。 これはどういうことなのか。 光は、思うに、物質であり、同時に、非物質なのである。超越性・イデアなのである。 つまり、同一性であり、且つ、超越性である。 これは、他の物質にはない特異性である。 相対性理論とは、Kaisetsu氏の説くように、光の絶対的普遍性を説くものであろう。 即ち、光速度一定とは、光の超越的普遍性を意味しているということだろう。 言い換えると、一般の物質は、mc^2で閉じるのであるが、光は、ic*(-ic)という超越性を内包していると言えるのではないだろうか。 これは、端的にどういうことなのであろうか。 一般の物質は、メディア・ポイントが、いわば、閉塞・閉鎖するのであるが、光は、メディア・ポイントの超越的現象であるということではないのか。 一般の物質は、連続的同一性であるが、光は、差異的同一性、即ち、超越的同一性ではないのか。 ということは、光は連続化しないということだろう。同一性化はするが、連続化はしないということではないのか。 不連続的同一性が光の特異性ではないのか。 そうすると、相対性理論や量子力学から判明することは、現象界とは、実は、メディア・ポイントにおいて、超越界に接しているのであるから、端的に、超越的現象界と言えるのではないだろうか。 ただ、連続的同一性(3次元空間ないし4次元時空間)の認識では、この超越界は洩れてしまうのである。 光現象において、現象界は超越界に連絡していると言えるのではないだろか。 だから、光は、即、超越光なのであろう。 つまり、光速度一定とは、超越界を観測しているということではないのか。 ic*(-ic)の超越界である。 これが、神仏ではないのか。
2007年02月21日(Wed)▲ページの先頭へ
以下、Kaisetsu氏によるPS理論的量子論である。これを、量子論と呼んでいいのだろうか。とま
以下、Kaisetsu氏によるPS理論的量子論である。これを、量子論と呼んでいいのだろうか。とまれ、コペンハーゲン解釈は崩壊したのである。
______________________ 第3の『現在』 Theories for the Platonic Synergy Concept. 第3の『現在』 * 2007.02.21 Wednesday * 超越性の哲学 * 02:22 * comments(0) * trackbacks(0) * by 明日野甘頓 現在を指し示す方法は、まず、過去からの指し示しである。 つまり、歴史による『意味付け』である。 因果の法則である。 つまり、「過去⇒現在」である。 これを第1の「現在」と呼ぶことにする。 http://blog.kaisetsu.org/?eid=518676 ______________________ カシミール効果のPS理論的解法 カシミール効果 カシミール効果とは、次の現象だ。 「真空中において、二枚の金属板を、ごく狭い距離で隔てて立てると、二枚の金属板はたがいに引き合うこと」 Kaisetsuの説明 ◆空間の連続性を否定。空間に虚数次元の組み込みを仮定。虚数次元の組み込み点はメディア・ポイントである。 ◆真空中において、二枚の金属板を、ごく狭い距離まで近づけていくと、PS理論上の「空間のメディア・ポイント」の次元に迫る。実数(現象状態)は、虚数次元では認識されないので、二枚の金属板は距離を保つことが出来ず(距離を保った状態は現象化できず)、融合しようとする。(ように見える)⇒二枚の金属板はたがいに引き合う (参照) +i*(-i)⇒+1 http://blog.kaisetsu.org/?eid=518682 ________________________ 二重スリット実験のPS理論的解法 http://blog.kaisetsu.org/?eid=518687 ________________________ シュレーディンガーの猫」のPS理論的解法 シュレーディンガーの猫の核心 by 南堂久史 【 エピソード1 】 男が女に求婚した。 「きみが好きだ。結婚してくれ」 しかし女は迷った。 「困ったなあ。あなたのこと、半分だけ好きなの。半分だけなら、結婚してもいいわ」 「半分結婚なんて、ありえないよ。結婚するか、結婚しないか、どっちかだ。どっちにするか、とにかく決めてくれ」 「そんなこと言っても、半分好きなんだから、しょうがないでしょ。決められないわよ」 白黒で決められないものを、白と黒のどちらかに無理に決めようとすると、ジレンマが起こる。……これが実は、「シュレーディンガーの猫」の本質だ。 説明 前項のこと(表で示したこと)を、文章で書くと、次のようになる。 「ミクロの世界で、○ と ● が同時に成立する」(重ね合わせ状態) と仮定しよう。そのあと、ミクロをマクロの世界に結びつける。すると、 「マクロの世界で、○ と ● が同時に成立する」(重ね合わせ状態) というふうになるはずだ。 しかしながら、マクロの世界では、そんなことはありえない。(重ね合わせ状態はありえない。)── このことを、「猫は、生きていて、かつ、死んでいるのは、おかしい」というふうに表現できる。 これが、「シュレーディンガーの猫」のパラドックスだ。 問題の本質 この問題の本質は、どこにあるか? 実は、次のことにある。 「量子を粒子と見なすこと」 量子を粒子と見なすと、量子は自然数の値(0または1)しか取れない。しかるに、波動関数で決まる値は、確率として定まるので、中間的な値(たとえば 0.5 )という値を取る。── この双方が成立しないことに、問題の本質がある。 そこで、成立しそうにないことを強引に成立させるために、「重ね合わせ」という解釈が生まれた。 つまり、個々の量子は「0または1」という値しか取れないとしても、「0の量子と1の量子が同時に存在する」と解釈すれば、両者の平均として「 0.5 という中間的な値を取ることになる」というわけだ。 しかしこれは、一種の文学的な解釈である。とうてい科学的とは言えない。もちろん、ほころびが出る。そのほころびが、「シュレーディンガーの猫」というパラドックスだ。 海舌の解法 ◆空間の不連続性を仮定する。 ◆生活世界(マクロ世界)では、瞬きする間の誤差や不存在は認識されない。(比喩である。) ◆量子論的世界では、空間の連続性が否定される部分の問題が重要な認識レベルに達する。空間の不連続部分は、鈴木大拙氏の所謂「即非」構造を為しており、PS理論では「メディア・ポイント」と呼ぶ。 ◆次の「論理学からの解決」に当たる。但し、中間値として存在したり(中間値は連続概念である)、確率論的に存在するのではなく(神はサイコロを振らない)、メデイア・ポイントとして、次元の異なる世界(宇宙)が存在するだけである。 http://blog.kaisetsu.org/?eid=518693
2007年02月20日(Tue)▲ページの先頭へ
非局所的長距離相関をどう見るのか:自己認識方程式と量子:原波即非粒としてのイデアと連続的同一性
夕飯時だというのに、人の少ないドトゥールで、ミラノサンドAとブレンドを注文して、夕飯代わりにしたが、引き込まれている『量子力学入門』を取り出して、最後の方を読んで、素粒子の波動と粒子性の排他的二重性を確認して、先の私の考察(思いつき)では、波動が説明できていないことがわかったので、また、考え直すため、シャーペンを取り出して、本の余白に書き込んだ。メモはそのままにして、内容を簡潔に記そう。
すなわち、自己認識方程式i*(-i)⇒+1において、iを原波動、-iを原粒子と考えてみた。すると、方程式は、 原波動-即非-原粒子⇒光 となるだろう。簡単にするため、原波動を原波、原粒子を原粒としよう。即ち、 原波-即非-原粒⇒光 となる。光は光子であり、電磁波であるから、粒子であり、波動である。しかし、これは、排他的二重性である。 電子の場合でも、当然、かまわない。電子波動と電子粒子である。 さて、問題は、観測である。波動関数が収縮するという問題である。つまり、波動が粒子に変換する問題である。(この収縮であるが、なにか、クザーヌスの無限の縮限としての有限・現象の考えを想起した。おそらく、通じるだろう。) ここで、原点(メディア・ポイント)を考えたのである。素粒子(この場合、光子)は、原波・即非・原粒⇒光である。つまり、原点(メディア界ないしメディア・フィールドないしメディア場)において、素粒子(正しくは、原素粒子)は、原波・即非・原粒様相である。つまり、簡単に言えば、波動と粒子との二重矛盾様態にあるということである。しかし、正確に言えば、前波動と前粒子の二重矛盾様態である。ここは微妙である。 とまれ、私が想像したのは、この原点の素粒子を観測するとき、i*i⇒-1、(-i)*(-i)⇒-1となると考えたのである。即ち、前者が、波動であり、後者が粒子である。粒子として観測すれば、粒子となり、波動と観測すれば、波動となるということである。 もう少し正確に述べよう。原点の素粒子とは何か。それは、イデア/現象境界の素粒子ということである。メディア場の素粒子ということである。ここは、イデア界と現象界の境界である。即ち、原波動/原粒子が作用しているのである。原二重性が作用しているのである。これが、観測によって、現象・物質化して、波動なり、粒子なりと実測されると考えられよう。 素粒子は、これまで述べてきたように、イデア/現象境界、すなわち、メディア界(メディア場、メディア・フィールド)の「存在」であり、中間・両義的である。 だから、原波動・即非・原粒子というイデアと、波動と粒子という物質の両面を帯びていると考えられるのである。そして、観測によって、素粒子は、物質化されて、波動か粒子のどちらかに分化すると考えられるだろう。 ここから、本件の非局所的長距離相関という仮説を考えると、量子力学は根本的に書き換えられなくてはならないように考えられるのである。 すなわち、素粒子は、粒子と波動との相補性というよりは、原粒子と原波動との即非様相(事相)にあると見るべきなのである。つまり、非局所性は成立しないのである。なぜなら、粒子でも波動でもなく、ただ、原粒子・即非・原波動の二重矛盾様態(「絶対矛盾的自己同一」)にあるのであるから。イデア空間は、即非空間であり、純粋な粒子性はないからである。 ならば、量子力学は書き換えられて、PS素粒子論(PS量子論)ないしイデア素粒子論(イデア量子論)ないし即非素粒子論(即非量子論)にならなくてはならないだろう。
2006年09月23日(Sat)▲ページの先頭へ
プラトニック・シナジー音楽としてのビートルズ音楽:プラトニック・シナジー文明の創造
プラトニック・シナジー音楽としてのビートルズ音楽:プラトニック・シナジー文明の創造
テーマ:ポスト・ユダヤ/キリスト教西洋文明 プラトニック・シナジー音楽としてのビートルズ音楽:プラトニック・シナジー文明の創造 テーマ:音楽/ポップス f:id:sophiologist:20060923145123j:image http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Liverpool_2008_Flag.jpg 今、ある目的から、ビートルズを聴き返しているが、今更感じるのは、その多様性である。一つ一つの歌が、個性が強いのである。これは、特異性と言うべきである。また、各メンバーの特異性とそのシナジーに拠るし、また、特異性が賦活された時代環境にも拠ると言えよう。 歌自体が、不連続的差異 であり、また、メンバーの不連続的差異 の(零度)シナジーでもある。整理して言うと、不連続的差異 である各メンバーのシナジーとしてのビートルズというグループがある。そして、このプラトニック・シナジー様相から、不連続的差異 である歌が創造される。しかし、この不連続的差異 である歌とは、実は、シナジー様相におけるそれである。つまり、ビートルズ音楽とは、正に、プラトニック・シナジー音楽であるということである。 p.s. 私説では、イギリス文化とは、基層にケルト 文化をもっている。これは、単に、ケルト 民族的(アイルランド、スコットランド、等々)というよりは、ブリテン文化全体の基層・古層・基盤としての意味においてである。 f:id:sophiologist:20060923145324j:image http://en.wikipedia.org/wiki/Image:KellsFol034rChiRhoMonogram.jpg ケルズの書等における組み紐紋の流動的に絡まるケルト 紋様は、有名であるが、これは、メディア 平面ないしプラトニック・シナジー空間的であると考えられよう。私の仮説は、ケルト 文化とは、プラトニック・シナジー文化であることである。(参考: ケルズの書: http://www.shajisitu.or.tv/c2l2.htm http://www.boudicca.gr.jp/shop/celtic_design/celtic-design4.html ) この仮説から、ビートルズ音楽は、正に、イギリス文化の基層(「地霊」)であるケルト 文化の20世紀的発出であると言えよう。つまり、プラトニック・シナジー文化の一つの様相であるケルト 文化の20世紀的発現としてのビートルズ音楽ということになるのである。 21世紀は、プラトニック・シナジー文明・文化が超創出されるだろう。 p.p.s. ケルズの書を見て、失われた文明という観念が浮かんできたのである(p.s. D.H.ロレンスの、自然美が満ち溢れた処女作 『白孔雀』の中で、花スノードロップに失われた叡知が示唆されていたことを想起する。因みに、D.H.ロレンスは、プラトニック・シナジー文化であるケルト ・ブリテン文化の文学・哲学 的な超噴火を意味すると考えられる。今日、ロレンスが忘却されていることは、大問題である。モダニズム志向が、抹殺したと言えよう。 f:id:sophiologist:20050327134524j:image http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Galanthus_nivalis.jpg 参考:スノードロップ http://www6.ocn.ne.jp/~pruitt/snow/index.html )。プラトニック・シナジー文明ないし文化がかつてあったと思うのである。それが、現代の狂気的文明によって破壊されてしまったと思うのである。現代の狂気的文明とは、当然、ユダヤ ・キリスト教 的資本主義 西洋文明である。プラトニック・シナジーの叡知が、やはり、これまで述べてきたことから理解されるように、ユダヤ ・キリスト教 によって、破壊され、排除されたのである。 プラトン 哲学 ・イデア 論哲学 とは、この、失われた叡知であるプラトニック・シナジー理論の積極的な発現である。(思うに、プラトン 哲学 が、野蛮・狂気のユダヤ ・キリスト教 西洋文明によって焚書されずに、遺産相続されたのは、奇蹟的である。この点に関しては、後で検討したい。) 問題は、イデア 叡知が、超越的・超次元的普遍知・叡知・智慧・般若 であるならば、この喪失とは何を意味するのかである。普遍的叡知の喪失とは何なのだろうか。換言すると、ユダヤ ・キリスト教 とは何か。一神教 とは、宗教 とは、神話 とは、何か、である。あるいは、神秘思想やオカルティズムとは何か、である。あるいは、東洋思想とは何か、である、等々。 思うに、かつて、イデア 叡知体を見ること(ヴィジョン:ギリシア語 、ラテン語 のvideo見ること、ideo観念には、この名残があるだろう)ができたのではないだろうか。オカルティズムで、「霊視」や「透視」が言われるが、それは、イデア 光の視覚ではないだろうか。つまり、イデア 光視である。これが、なんらかの理由・原因で、かき曇って、不可視になったのだろう。現象知覚が中心となり、イデア 知覚が失われたのだろう。(ここから見ると、プラトン 哲学 は、喪失されつつあったイデア 叡知知覚を、遺産相続すべく、言語化したものだろう。また、この点から見ると、「イエス・キリスト 」も、このイデア 叡知を、なんらかの形で、現象界に伝えようとした試みと言えるように考えられる。私は、グノーシス 主義のイエス が本来の形であろうと述べているが、グノーシス 主義とは、イデア 叡知の一つの様態であると考えられるので、やはり、「イエス 」は、イデア 叡知の伝達者であると考えられるのである。それが、ユダヤ ・キリスト教 という信仰 に、歪曲されてしまったと考えられるのである。) イデア 叡知の喪失、現象化とは、連続・同一性化である。「物質」化である。これは、メディア 平面の同一性面の事象と考えられるだろう。つまり、メディア 界を同一性面の視点から見ると、連続・同一性=現象化が出現して、メディア 界の本体である「イデア 」、プラトニック・シナジーが不可視になると言えるだろう。そうならば、ユダヤ教 化とは、父権的一神教 化とは、メディア 界の極性が同一性極・陽極に傾いた事象と言えるだろう。あるいは、視点の同一性への傾斜と言えよう。そして、この究極的帰結が、ユダヤ ・キリスト教 的資本主義 西洋文明であり、今日、衰退・衰滅・衰亡しつつあるのである。 結局、ユダヤ ・キリスト教 的西洋文明とは、古代ギリシア やイタリア・ルネサンス等を内包していることを考えると、メディア 平面の同一性視点の文明であり、差異、即ち、メディア 界・差異共振 シナジーを基盤として、内包した、その連続・同一性視点の文明であると言えるだろう。簡単に言えば、差異の同一性視点である。換言すると、差異を同一性視点から観察しているのである。差異は、カント 哲学 で言えば、物自体である。同一性が、超越論的形式である。そう、近代的自我、近代合理主義、近代主義とは、同一性の帰結である。同一性中心主義ないし同一性絶対主義である。これは、唯物科学・技術となり、また、グローバル資本主義 となったと言えよう。ついでに言えば、いわゆる、自己愛性人格障害、私の言葉では、近代的自我同一性狂気症が、この帰結の病理であると考えられる。同一性自我の極点である。 さて、次に問題にしたいのは(別稿の予定であったが、ここで述べた方がいいだろう)、プラトニック・シナジー理論(プラシナ理論)の創造、イデア 叡知の復活・ルネサンスの意味である。これをどう見るのかである。これまで、メディア 面の極性力学を説いてきた。つまり、差異面・陰極と同一性面・陽極の極性力学である。これまでの考え方から見ると、父権一神教 以前は、差異面・陰極の文明・文化であったことになり、ポスト同一性文明とは、これに回帰するように見えることになるのである。 しかしながら、先に指摘したように、イシス /オシリス神話 からヤハウェ/キリスト教 が投影されたように見えるのであるから、前者への回帰とは、結局、前進にならないだろう。 ここで指摘すべき点は、極性力学自体は、間違っていないのであり、左右的交互的変化の考え方が間違いであるということである。つまり、ポスト同一性文明とは、確かに、差異面への回帰であるが、これは、正しくは、螺旋的回帰と見るべきであるということである。1/4回転による垂直方向への捩れというイデア 界の力学を考えると、螺旋的回帰運動は、当然である。つまり、ポスト同一性文明とは、差異面への螺旋的回帰を意味するということである。こう考えると、先の疑問も解決すると言えよう。即ち、ポスト・ヤハウェ/キリスト教 文明とは、一見、イシス /オシリス神話 への回帰に見えるが、そうではなくて、新たな差異面の文明の創造ということになるのである。私がイデア 光と呼ぶ零度差異共振 シナジーの発する「光」も、この新たな差異面の文明に関係すると言えよう。 結局、永遠普遍的なイデア 叡知のイデア 光を知覚することになると考えられる新たな文明とは、何を意味するのか。思うに、これまで、地球上に、様々な文明が生成消滅してきたのであり、新たな文明とは、始点においては、この永遠普遍のイデア 叡知光を見ていたと思うのである。それが、文明の展開によって、かき曇らせられ、不可視になり、当文明が、堕落 腐敗して、終末をむかえ、終焉すると思うのである。だから、ユダヤ ・キリスト教 的西洋文明も始発点においては、イデア 叡知光を見ていたはずである。しかし、同一性の展開によって、それが、濁り、不可視になってしまったと言えるだろう。現象光だけになってしまったのである。そう、ヤハウェとは、本来、イデア 叡知光の一様態(同一性の一様態:「我在り」・スム)であったろう。そう、イデア 叡知光の一様態の展開から、キリスト教 的西洋文明が発現して、近代的文明が帰結したのであり、これが、USAグローバリズム と最終帰結したと言えるだろう。おそらく、この同一性化とは、つまり、螺旋的極性力学、的確に言えば、対極性力学は永遠に反復されるのかもしれない。そうだ、正に、ニーチェ の永遠回帰 ・永劫回帰 である。 しかし、そうなのだろうか。ポスト・永遠回帰 ではないだろうか。イデア 叡知光を可視する新たな文明とは、同一性の悲劇を体現した文明であり、もはや、同一性へ回帰しないはずである。それとも、愚行を繰り返すというのだろうか。理論的に考えよう。螺旋的回帰運動を考えると、確かに、永遠回帰 となり、愚行は繰り返されるだろう。本当にそうなのだろうか。 新たな文明においても、同一性化が発生するのだろうか。確かに、メディア 平面における同一性面があるから、その極性はあるのである。だから、同一性化は生起するだろう。しかし、今や、デジタル情報化の時代である。これは、知識がかつてのようには消失しない。焚書できないということである。情報・知識の公開が前提なのである。これが、これまでの情報・知識が権力的少数者に支配された時代と決定的に異なる点である。このように考えると、もはや、同一性の全体化は生じないと思うのである。情報・知識、即ち、イデア 叡知の独占・寡占の時代は、永遠に過ぎ去ったのである。つまり、極性力学はあっても、もはや、それは、ほとんど意味をなさなくなったと言えるだろう。 ということで、新たなイデア 叡知の文明は、決定的に、過去の文明とは異なることになるのである。そう、ポスト人類の地球エポックと言っていいだろう。同一性的自然からの解放と言えるだろう。そうならば、これは、逆に、永遠回帰 と言えるだろう。 最後に、イデア 叡知光の可視化を意味を考えてみよう。これは、永遠普遍のイデア 叡知光の可視ということであり、いわば、精神感覚として、第6感覚となるだろう。これに基づく新文明が創造されるということである。これは、イデア 叡知光ないしイデア 叡知に基づく新文明の創出ということでもある。プラトン の哲人政治 が実現することになるのである。そう、ポスト同一性国家としての新国家である。これは、プラトニック・シナジー国家・連邦 となるだろう。いわば、世界連邦 ないし地球連邦 となるだろう。 では、理論的に考えると、このイデア 叡知光の文明とイシス ・オシリス神話 との関係はどうなのだろうか。イシス ・オシリス神話 とは何か、である。また、神話 とは何か、である。簡単に言えば、神話 とは、イデア 叡知の文学化である。そして、民話は、その地方・地域的変異であろう。そうならば、イシス ・オシリス神話 は、イデア 叡知の神話 ・文学であると言えるだろう。プラトニック・シナジー理論の神話 である。(この点は、アメリカの神話 学者 ジョゼフ・キャンベルの主著を読めば理解されるだろう。『神の仮面』) では、宗教 は何であるのか。これも、当然、イデア 叡知ないしイデア 叡知光を志向する何らかの表現である。ただし、信仰 や情緒の作用が主導的になるので、盲目になる危険が常にあると言えよう。推察するに、イデア 叡知光を見た人、たとえば、仏陀 やモーゼ やイエス やマホメット (ムハンマド )が、その神々しい姿にひれ伏して(cf. イスラーム )、信仰 が生起したのではないだろうか。だから、宗教 は美的なのである。芸術よりも、美的な反応であろう。 そう、では、叡知学とは何か。それは、不合理な形式で、神秘学、オカルティズム、秘教・密教 に伝えられたと言えよう。しかし、プラトン 哲学 においては、純正な形を保持していると言えよう。そう、仏教 哲学 にも、叡知学が保持されてきたと言えるだろう。そして、鈴木大拙 の即非の論理 学として、結晶したと言えるだろう。そして、神秘学的には、ウスペンスキーの「ターシャム・オルガヌム」に発現したと言える。 また、哲学 philo-sophia(愛好・叡知)であるが、これも、その名前から、叡知学の一部であったと言えよう。しかし、西洋哲学 は、同一性への傾斜を強くもっていたのである。叡知のロゴス (論理 ・合理)が、言語に帰結したと言えよう(近代主義)。 最後についでに、今日、流行している文学形態のファンタジー であるが、この源流であるトールキンの指摘から、ファンタジー とは、正に、ヴィジョンであり、イデア 光ないしイデア 叡知光に通じるものであると考えられるのである。つまり、ファンタジー =ヴィジョン=イデア 叡知光文学である。 以上、http://d.hatena.ne.jp/sophiologist/ から
2006年09月09日(Sat)▲ページの先頭へ
キリスト教を脱構造化する:「光」の連続・同一性自我化としての「イエス・キリスト」批判
キリスト教を脱構造化する:「光」の連続・同一性自我化としての「イエス・キリスト」批判
『ヨハネの福音書』の冒頭はきわめて興味深い。「初めにロゴスありき」として、不連続的差異論/プラトニック・シナジー理論ddps理論から見ると、「ロゴス」は、メディア界・差異共振シナジー相である。そして、これが、「光」である。しかし、この「光」は、イデア・シナジーである。だから、不可視の「光」である。「闇」である「光」である。現象界の「光」ではないのである。つまり、浄土教の阿弥陀如来の「光」と等価と見ていいだろう。原光・プロトライトである。そして、この「光」が肉体化したのが、「イエス・キリスト」であるが、しかし、これは、おかしいと思うのである。すべては、「光」から生成したのであるから、誰でも、「光」を体現しているはずである。「イエス・キリスト」だけに限定されるものではないのである。凡人や悪人にさえ、「光」は潜在しているのである。そう、悪魔にさえ、「光」は潜在しているだろう。思うに、「光」の顕在をなんらかの精神修練によって実現した人物が「イエス・キリスト」であったろう。これは、「イエス・キリスト」が唯独りということはありえないのである。これは、また、D.H.ロレンスの懐疑であったのであるが。「光」の顕在的体現は、多くの、いわゆる、神秘家に生起したと考えられるのである。やはり、この点が、ドグマティックに考えられるのである。「光」の独占である。これは、不合理である。ここには、「光」の連続・同一性自我化があると思うのである。デカルトのコギトに近いと思う。そう、キリスト教は、「光」、「ロゴス」、コスモスの理(「ダルマ」)を、連続・同一性自我化していると思う。だから、やはり、ポスト・キリスト教として、キリスト教の脱連続・同一性化=不連続的差異化が必要である。 また、ヨハネの福音書は、父とロゴスとを混同している向きがあると思う。だから、父とは、イデア界である。そして、ロゴスはメディア界である。そして、子(複数)とは、現象界である。そして、聖霊もメディア界である。聖母マリア、聖母子も、メディア界である。これらが、非常に、混乱しているように思えるのである。カオス状態にあるように思えるのである。古代の叡智が、キリスト教によって、カオス状態にされてしまったように思えるのである。狂乱のキリスト教ではないだろうか。狂気の、精神異常の、精神分裂症のキリスト教ではないだろうか。 聖書は、文学、フィクション、物語として見るといいと思う。しかし、これは、古代の叡智の破壊ではないか。ポスト・キリスト教である。 _____________________________________ English: New American Standard Bible Japanese: JKUG John 1 [Commentary] 1. In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God. 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 2. He was in the beginning with God. この言は初めに神と共にあった。 3. All things came into being through Him, and apart from Him nothing came into being that has come into being. すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。 4. In Him was life, and the life was the Light of men. この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。 5. The Light shines in the darkness, and the darkness did not comprehend it. 光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。 6. There came a man sent from God, whose name was John. ここにひとりの人があって、神からつかわされていた。その名をヨハネと言った。 7. He came as a witness, to testify about the Light, so that all might believe through him. この人はあかしのためにきた。光についてあかしをし、彼によってすべての人が信じるためである。 8. He was not the Light, but he came to testify about the Light. 彼は光ではなく、ただ、光についてあかしをするためにきたのである。 9. There was the true Light which, coming into the world, enlightens every man. すべての人を照すまことの光があって、世にきた。 10. He was in the world, and the world was made through Him, and the world did not know Him. 彼は世にいた。そして、世は彼によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた。 11. He came to His own, and those who were His own did not receive Him. 彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。 12. But as many as received Him, to them He gave the right to become children of God, even to those who believe in His name, しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。 13. who were born, not of blood nor of the will of the flesh nor of the will of man, but of God. それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れたのである。 14. And the Word became flesh, and dwelt among us, and we saw His glory, glory as of the only begotten from the Father, full of grace and truth. そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。 15. John *testified about Him and cried out, saying, "This was He of whom I said, `He who comes after me has a higher rank than I, for He existed before me.' " ヨハネは彼についてあかしをし、叫んで言った、「『わたしのあとに来るかたは、わたしよりもすぐれたかたである。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この人のことである」。 16. For of His fullness we have all received, and grace upon grace. わたしたちすべての者は、その満ち満ちているものの中から受けて、めぐみにめぐみを加えられた。 17. For the Law was given through Moses; grace and truth were realized through Jesus Christ. 律法はモーセをとおして与えられ、めぐみとまこととは、イエス・キリストをとおしてきたのである。 18. No one has seen God at any time; the only begotten God who is in the bosom of the Father, He has explained Him. 神を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわしたのである。 19. This is the testimony of John, when the Jews sent to him priests and Levites from Jerusalem to ask him, "Who are you?" さて、ユダヤ人たちが、エルサレムから祭司たちやレビ人たちをヨハネのもとにつかわして、「あなたはどなたですか」と問わせたが、その時ヨハネが立てたあかしは、こうであった。 20. And he confessed and did not deny, but confessed, "I am not the Christ." すなわち、彼は告白して否まず、「わたしはキリストではない」と告白した。 21. They asked him, "What then? Are you Elijah?" And he *said, "I am not." "Are you the Prophet?" And he answered, "No." そこで、彼らは問うた、「それでは、どなたなのですか、あなたはエリヤですか」。彼は「いや、そうではない」と言った。「では、あの預言者ですか」。彼は「いいえ」と答えた。 22. Then they said to him, "Who are you, so that we may give an answer to those who sent us? What do you say about yourself?" そこで、彼らは言った、「あなたはどなたですか。わたしたちをつかわした人々に、答えを持って行けるようにしていただきたい。あなた自身をだれだと考えるのですか」。 23. He said, "I am A VOICE OF ONE CRYING IN THE WILDERNESS, `MAKE STRAIGHT THE WAY OF THE LORD,' as Isaiah the prophet said." 彼は言った、「わたしは、預言者イザヤが言ったように、『主の道をまっすぐにせよと荒野で呼ばわる者の声』である」。 24. Now they had been sent from the Pharisees. つかわされた人たちは、パリサイ人であった。 25. They asked him, and said to him, "Why then are you baptizing, if you are not the Christ, nor Elijah, nor the Prophet?" 彼らはヨハネに問うて言った、「では、あなたがキリストでもエリヤでもまたあの預言者でもないのなら、なぜバプテスマを授けるのですか」。 26. John answered them saying, "I baptize in water, but among you stands One whom you do not know. ヨハネは彼らに答えて言った、「わたしは水でバプテスマを授けるが、あなたがたの知らないかたが、あなたがたの中に立っておられる。 27. "It is He who comes after me, the thong of whose sandal I am not worthy to untie." それがわたしのあとにおいでになる方であって、わたしはその人のくつのひもを解く値うちもない」。 28. These things took place in Bethany beyond the Jordan, where John was baptizing. これらのことは、ヨハネがバプテスマを授けていたヨルダンの向こうのベタニヤであったのである。 29. The next day he *saw Jesus coming to him and *said, "Behold, the Lamb of God who takes away the sin of the world! その翌日、ヨハネはイエスが自分の方にこられるのを見て言った、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。 http://unbound.biola.edu/index.cfm?method=unbound.welcome から 画像以下から。 http://www.amazon.co.jp/gp/product/0141007311/sr=8-7/qid=1157750601/ref=sr_1_7/250-8960880-5103431?ie=UTF8&s=gateway [ 更新日時:2006/09/09 06:26 ] [ コメントを見る・書く(0) ] [ ↑ページトップ ] 近代的自我と言葉の関係:言語とは何か:言語とメディア界の関係について:「初めにロゴスありき」 [ 03:18 ] [ 言語と差異 ] [ スライドショウ ] [ 編集 ] [ 削除 ] 「初めに言葉ありき」とは、あまりに有名なヨハネの福音書の冒頭の言である。しかし、何度も既述したが、原語のギリシア語では、「初めにロゴス(ο λογος)ありき」なのである。「言葉」と「ロゴス」は、一般に、同じものを意味していると考えられている。しかし、誰が見ても、両者、異なるのである。 英語の欽定聖書やドイツ語のルター訳聖書では、「言葉」と訳(誤訳)されているのである。近代主義とは、精神的には、ここから発したと言ってもいいくらいだと思われるのである。 _______________________________ Greek NT: Byzantine/Majority Text (2000) English: King James Version German: Luther (1545) English: New Revised Standard Version John 1 [Commentary] 1. εν αρχη ην ο λογος και ο λογος ην προς τον θεον και θεος ην ο λογος In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God. Im Anfang war das Wort, und das Wort war bei Gott, und Gott war das Wort. In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God. 2. ουτος ην εν αρχη προς τον θεον The same was in the beginning with God. Dasselbige war im Anfang bei Gott. He was in the beginning with God. 3. παντα δι αυτου εγενετο και χωρις αυτου εγενετο ουδε εν ο γεγονεν All things were made by him; and without him was not any thing made that was made. Alle Dinge sind durch dasselbige gemacht, und ohne dasselbige ist nichts gemacht, was gemacht ist. All things came into being through him, and without him not one thing came into being. What has come into being. 次は仏語版である。 Greek NT: Byzantine/Majority Text (2000) French: Louis Segond (1910) French Jerusalem Bible French: Darby John 1 [Commentary] 1. εν αρχη ην ο λογος και ο λογος ην προς τον θεον και θεος ην ο λογος Au commencement était la Parole, et la Parole était avec Dieu, et la Parole était Dieu. Au commencement était le Verbe et le Verbe était avec Dieu et le Verbe était Dieu. ¶ Au commencement était la Parole; et la Parole était auprès de Dieu; et la Parole était Dieu. 2. ουτος ην εν αρχη προς τον θεον Elle était au commencement avec Dieu. Il était au commencement avec Dieu. Elle était au commencement auprès de Dieu. 3. παντα δι αυτου εγενετο και χωρις αυτου εγενετο ουδε εν ο γεγονεν Toutes choses ont été faites par elle, et rien de ce qui a été fait n'a été fait sans elle. Tout fut par lui, et sans lui rien ne fut. Toutes choses furent faites par elle, et sans elle pas une seule chose ne fut faite de ce qui a été fait. The Unbound Bible http://unbound.biola.edu/ _______________________________ 問題は、連続・同一性自我と言葉・言語の関係である。これまで、既述したように、同一性と言葉・言語とが、いわば、一致・一体化するのである。つまり、同一性自我・近代的自我と言葉・言語とが、結合するのである。この結果生起する同一性言語自我・近代的言語自我(ラカンの象徴界は、言語自我界であり、ここと一致するだろう。)は、差異を否定・排除・隠蔽する様相となっているのである。ここで、差異とは、メディア界・差異共振シナジー相・心身性・精神である。 結局、近代合理主義・近代的自我・同一性言語自我とは、差異を排除して成立しているものである。そう、近代的自我とは、言語と結合することで、強固な内在超越論的連続・同一性構造を形成していると言えるだろう。換言すると、プラス・エネルギーと言語とが結合しているのである。この近代的同一性言語は、差別的な言語であり、主体の差異・他者と同時に、外的な差異・他者を差別・排除するのである。思うに、ナショナリズムや宗教はここと結びついているので、暴力・攻撃的に排外的なのである。(参照:石原都知事、小泉首相、等々、国粋主義的ナショナリズムの面々) とまれ、言語と一体化している近代的同一性自我についてであるが、それは、独断・独善的自我中心主義である。「自己中」である。自己盲目であり、妄想・妄念・妄言的である、小泉首相のように。 そう、先に述べたように、内部環境がプラス・エネルギーの場合は、これが、能動的であったと言えようが、今日のような「ポストモダン」状況では、マイナス・エネルギーが賦活・活性化されていると考えられるので、この近代的同一性言語自我は、反動狂気様態になっているのである。 では、言語と差異との関係を見る必要がある。明らかに、差異は、言語ではない。あえて言えば、差異とはロゴスである。「理」である。ただし、近代合理主義の「理」ではなく、メディア界・差異共振シナジー界の「理」である。これは、心身・精神的「理」である。だから、言語は、これを、直截に把捉できないのである。言語の他者としての差異なのである。だから、ヨハネの福音書の冒頭の「ロゴス」=「理」を、「言葉」・「言語」と訳すのは誤訳であることが、これで証明されたと言えよう。ロゴスと言葉は、まったく別のものであり、メディア界・メディア平面・差異共振シナジー界の「ロゴス」=「理」と、現象界の同一性形式である言語との混同が、西欧近代において形成・確立されたと言えよう。そして、極論すれば、その結果、主体意識において、内在超越意識が喪失されて、現象界中心主義(=唯物論)になったとも言えよう。(この内在超越界の取り戻しは、芸術では、ロマン主義以降の運動、そして、哲学では、スピノザ、カント、ニーチェ、フッサール、ウスペンスキー、他によって為された。また、日本では、西田幾多郎や鈴木大拙によって為されたと言えよう。私としては、在野の根井康之氏を含めたい。 http://ameblo.jp/renshi/entry-10001141893.html http://shop.ruralnet.or.jp/search_result.php?mode=detail&id=011706&b_no=01_454083021X ) 結局、現代において、言語と差異とが矛盾する事態となっているのである。私は、以前、ポストモダンとは、言語からのズレのことを意味するのだと、戯れに、仲間に言ったものである。そう、このズレが、心身・精神性なのである。そして、これを、さらに、不連続化して、差異共振シナジー相の純粋なメディア界・メディア平面が発生しうるのである。 問題は、どうやって、このズレを気づきさせるのか。ここに大きなポイントがあると言えよう。差異をどうやって、気づきさせるのか。これが、わかれば、精神意識革命が生起するのである。「こころ」と言われているものは、まだ、連続観念をもっているので、危険だと思う。ズレを不連続的単独化する必要があるのである。「犀の角のように唯独り歩め」。そして、このズレの心身性を、不連続化し、また、スピノザの能動的観念化する必要があると思うのである。つまり、差異・心身性という言語からのズレを不連続且つ能動的観念化すること、これで、不連続的差異論精神意識革命が発生するはずである。つまり、不連続的差異的能動的観念論である。これで、心身は、自我は、イデア界に達して、純粋メディア界・差異共振界を形成するのである。 また、問題は、どうやって、言語とのズレ・差異を発生させるのかということがある。ここにすぐれた芸術の役割があるだろう。すぐれた芸術は、心身・精神・差異を賦活させるのである。バッハ芸術、シューベルト芸術、トルストイ芸術、芭蕉芸術、セザンヌ芸術、D.H.ロレンス芸術、等々である。また、すぐれた哲学もそうである。スピノザ哲学、ニーチェ哲学、フッサール哲学、ウスペンスキー哲学、仏教を含めた東洋哲学、他。精神的点火をもたらす芸術・哲学・思想・宗教が、すべてである。 また、自然との単独的触れ合いが重要である。自然は、言語とのズレ・差異を、永遠に喚起するだろうから。 画像以下から。 http://it.wikipedia.org/wiki/Immagine:Simbolo_dell%27evangelista_Giovanni.jpg
2006年09月03日(Sun)▲ページの先頭へ
東京父権的近代主義批判:一神教的父権主義日本と「縄文」的母権主義日本の分裂二重性の超克
東京父権的近代主義批判:一神教的父権主義日本と「縄文」的母権主義日本の分裂二重性の超克 テーマ:ポスト・ニッポン/太陽国ルネサンス 一つ日本社会における問題点を指摘すると、現代日本人の殺伐とした攻撃的な精神性は、上述した超越的同一性構造に拠るとは言えるものの、それだけでは、不十分だと考えられる。現代日本人、とりわけ、東京人の殺伐さは、近代的自我に拠るとは言え、極めて極端なものに思えるのである。つまり、差異の否定・排除・隠蔽の度合が極めて強く、病理的になっているのである。近代的自我そのものが、病的であるが、それが、徹底していると思うのである。近代的自我病理に、東京人が集団的に染まっているように思えるのである。そして、これは、日本人全体に感染するのである。 この原因は、思うに、東京における生活の、過度の同一性自我意識にあると思う。一種過度の競争心であるが、病的な競争心である。己の差異を忘失しての病理的な競争心である。これが、どこから生まれたのか。つまり、ここには、個がないのである。単に、近代的自我が、個・差異・特異性を暴力的に排除している社会様態がここにはあるのである。 この問題は、とても本質的な重要さをもっていると思う。何故、東京社会において、近代的自我意識が跋扈して、個・差異・特異性を攻撃的に否定・排除・隠蔽するのか。東京の問題点がある。これは、日本人の個・差異・特異性にも、当然、関係する重大の事柄である。何故、東京社会には、近代的自我、近代的合理主義、近代主義が、跋扈するのか。直観では、マインドコントロール・洗脳があると思う。また、何か、地方出身者の精神の有り様にも関係していると思う。現代、江戸っ子の精神がほぼ消えている。(漱石が『坊ちゃん』で問題化したのは、ここに何か関係するようにも思えるが。) とまれ、近代的自我として、攻撃的であること、マッチョ的であることが、東京において、ステータスの有り様となっているのだ。これは、一体どこから生まれたのか。私に言わせれば、このような無粋さ、野蛮さを価値としている起因は何であるのか。ひとことで言えば、ここには、父権主義がある。もっとも、近代的自我が、父権主義的である。いくら、民主主義云々と説いてもそうである。 何か、東京社会には、根本的な倒錯があるのだ。それは、何か。父権主義と結びついた近代的自我である。これは、欧米の個人主義とは異なるのである。何故なら、欧米は、ルネサンスに発する個人主義・差異主義がベースにあるからである。他方、その反動としてのプロテスタンティズム的同一性自我ある図式である。日本の近代的自我には、このルネサンス的個人主義・差異主義が欠落している。ルネサンスとは、換言すると、母権的個人主義だと、私は考えている。そう、差異共振主義があると思うのである。日本、とりわけ、東京社会には、これが、欠落している。これは、いったい何なのか。狂気の社会なのである。 考えられるのは、日本の父権主義と欧米の近代的自我主義とが結びついたものが、この東京近代的自我である。では、日本の父権主義とは何だろうか。私は、ここに、日本社会の元凶を見ている。西洋の近代主義も、狂気的ではあるが、日本の父権主義も狂気的である。狂気+狂気の、二重狂気である。私は、以前に、日本の父権的部族主義という考え方をした。これは、先には、豪族主義と呼んだ。(思うに、ヤクザ社会に共通する何かがあるのではないだろうか。) この父権的部族主義、豪族主義とは何か。また、病的な競争心とは何か。深い精神病理・社会病理・狂気の病巣がある。差異を徹底して憎悪して排除する「精神」が、東京社会を、支配している。差異への狂気的な憎悪、これは、何か。これが、東京、日本を、狂わせている元凶だと思う。 ここでは、直観で述べよう。一つは、日本のナショナリズムがあると思う。国学から発するナショナリズムである。これは、連続・同一性主義であり、差異を排除している。一つは、・・・。 そう、どうも、バビロニア神話他におけるような父権神話と同質の純粋な父権主義があるのではないだろうか。それは、言わば、純粋父権主義、絶対的父権主義である。二項対立暴力である。差異である母権主義を完全否定する父権主義である。どうも、これが、日本社会にあると思う。二年前に、日本の母権主義と父権主義の分裂的二重性について言及した。前者は、「縄文」文化であり、後者は、「天皇族」文化である。そして、これが、不連続であると私が、その時、考えたのである。つまり、差異と同一性との分裂があるということになるだろう。今考えても、日本の社会の歴史は、この母権的差異と父権的同一性の分裂的二重社会の歴史と言えよう。これは、現代においても、まったく変わらない。自民党/公明党は、これを利用しているのである。小泉/安倍自民党は、この二重性に立っているのである。 火焔土器 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Jomon_vessel_3000-2000BC.jpg ようやく、見え始めてきたようだ。思うに、日本社会には、ユダヤ・キリスト教と共通するような父権主義をもつ部族(「天孫降臨族」)がある時代に到来して、伝統的であった母権的社会(「縄文」的母権社会)を支配するようになった。しかし、その支配のために、後者の宗教文化を前者は利用したのである。それが |