超越的現象としての自然・宇宙・人間:西田哲学を参考にしてPS理論と物理学の関係を考える






2007年03月13日(Tue)
超越的現象としての自然・宇宙・人間:西田哲学を参考にしてPS理論と物理学の関係を考える
先に、「絶対矛盾的自己同一」の冒頭を読み、PS理論と物理学の関係を新たに考えられるのではないかと思った。

西田は、一即多、多即一との「間」を述べていると思う。つまり、メディア・ポイント的「間」である。

創造性の「間」である。

とまれ、物理学、相対性理論を考えよう。

一を超越界としよう。そして、多を現象界としよう。

個体が相互限定すると西田は述べている。

★引用開始
《例えば、物が空間において相働くということは、物が空間的ということでなければならない。その極、物理的空間という如きものを考えれば、物力は空間的なるものの変化とも考えられる。しかし物が何処(どこ)までも全体的一の部分として考えられるということは、働く物というものがなくなることであり、世界が静止的となることであり、現実というものがなくなることである。現実の世界は何処までも多の一でなければならない、個物と個物との相互限定の世界でなければならない。故に私は現実の世界は絶対矛盾的自己同一というのである。》
★引用終了
http://www.aozora.gr.jp/cards/
000182/files/1755.html

かなり晦渋な説明である。とまれ、言っていることは、物とは、一の多であるあるが、それでは、静的であるから、多の一でなくてはならないということである。これが、「個物と個物との相互限定の世界」ある。

これは、差異ー同一性ー差異のことを意味しているように思える。つまり、同一性が差異を相互限定しているのである。

すなわち、同一性が物理性であると言えるのではないだろうか。

例えば、同一性は時空間形式である。それは、+1であろう。

差異は同一性=時空間形式=+1によって相互限定されるということだろう。

ここには、重力や電磁気力の関係があるだろう。

とまれ、問題は光である。

差異が同一性化されると、物質となり、エネルギーをもつ。

mc^2=Eである。

同一性化された差異は、質量mをもつ。

しかし、これは、光速度と関係して、エネルギーをもつ。

ic*(-ic)がメディア・ポイントでの差異(即非差異)の光である。差異(即非差異)の元光ないし超光である。

差異は、虚数軸上を光速度で移動しているということなのだろうか。虚数的光速度である。

とまれ、メディア・ポイントで、差異が共振同一性化する。つまり、物質化すると考えられる。

つまり、差異の物質化であり、物質エネルギー化である。すなわち、

ic*(-ic)⇒mc^2=Eである。

この質量mは、物質である差異同一性の力ではないのか。

そう、即非差異の虚エネルギーが、メディア・ポイントで、同一性化して、実エネルギーになる。そのとき、同一性の力、質量が発生するのではないのか。

この質量=力が時空間形式の力ではないのか。

あるいは、mc^2のエネルギーが時空間形式の力ではないのか。

個物は、このエネルギー形式をもつのであるから。

つまり、個物は、実エネルギーないし質量を属性にもつのである。

この実数性が時空間形式ではないのか。

icないし-icではなくて、cという実・光速度が発生するのであるから。(icないし-icは虚・光速度であろう。)

実数性は、物理量をもつと言えよう。そして、マクロ的には古典的力学の世界を構築するのではないのか。

言い換えると、実数性が、有・存在を意味しよう。

そして、虚数性が、無・非存在を意味しよう。

だから、現象界において、実数性が発生して、物質性を形成しているのである。

しかしながら、実数とは、メディア・ポイントにおいて発生するのであるが、ここには、また、虚数が存しているのである。

つまり、現象界とは単に、実数=物質の世界だけではなくて、虚数性を内包していると言えるのである。

マクロ的な知覚・認識においては、実数=物質が中心的になるだろう。

しかし、ミクロ的な認識においては、虚数=差異(不連続的差異、即非差異、イデア)が中心的になると言えよう。

これは、メディア・ポイントにおける「絶対矛盾的自己同一」である。

そして、光の特異性は、単に、実数=物質に関わるだけでなく、虚数=差異に関わる点にあるのではないか。

一般に物質は、実数性である。mないしmc^2ないし+1で十分である。

しかしながら、光は物質(粒子)でありながら、同時に、虚数=差異=超越性である。そう、虚数=超越性である。

このために、量子力学において、粒子と波動の相補性や非局所的長距離相関が発生すると言えよう。

これはどういうことなのか。

光は、思うに、物質であり、同時に、非物質なのである。超越性・イデアなのである。

つまり、同一性であり、且つ、超越性である。

これは、他の物質にはない特異性である。

相対性理論とは、Kaisetsu氏の説くように、光の絶対的普遍性を説くものであろう。

即ち、光速度一定とは、光の超越的普遍性を意味しているということだろう。

言い換えると、一般の物質は、mc^2で閉じるのであるが、光は、ic*(-ic)という超越性を内包していると言えるのではないだろうか。

これは、端的にどういうことなのであろうか。

一般の物質は、メディア・ポイントが、いわば、閉塞・閉鎖するのであるが、光は、メディア・ポイントの超越的現象であるということではないのか。

一般の物質は、連続的同一性であるが、光は、差異的同一性、即ち、超越的同一性ではないのか。

ということは、光は連続化しないということだろう。同一性化はするが、連続化はしないということではないのか。

不連続的同一性が光の特異性ではないのか。

そうすると、相対性理論や量子力学から判明することは、現象界とは、実は、メディア・ポイントにおいて、超越界に接しているのであるから、端的に、超越的現象界と言えるのではないだろうか。

ただ、連続的同一性(3次元空間ないし4次元時空間)の認識では、この超越界は洩れてしまうのである。

光現象において、現象界は超越界に連絡していると言えるのではないだろか。

だから、光は、即、超越光なのであろう。

つまり、光速度一定とは、超越界を観測しているということではないのか。

ic*(-ic)の超越界である。

これが、神仏ではないのか。

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