INNOVATION OF PHILOSOPHY: GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience - 2015/02

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




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2015年02月25日(Wed)▲ページの先頭へ
陰陽ガウス平面は、虚軸が氣の軸で、実軸が物質の軸で、原点MPは氣⇒物質次元転換点:四象限構成
画像等は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11993969508.html

陰陽ガウス平面は、虚軸が氣の軸で、実軸が物質の軸で、原点MPは氣⇒物質次元転換点:四象限構成

テーマ:GP陰陽哲理学(ガウス平面陰陽哲理学)

陰陽ガウス平面は実に簡潔明快で、現象存在の本質を捉えていると考えている。(追記:この統合・結合・融合はいったい何を意味しているのだろうか。陰陽力学、氣の力学は、複素数とガウス平面によって、数理化できるということである。つまり、陰陽力学、氣の力学は、複素数とガウス平面という数理的システムを内在させているということである。
 また、ついでながら、映画『スライヴ』のアップル像、つまり、トーラス像へ展開できると考える。)
 近代合理主義とは、虚軸を否定して、実軸だけの世界、つまり、唯物論世界を認証したと言えよう。
 それは、象限で言えば、第二象限と第三象限の世界で、第一象限と第四象限がないと言えよう。(追記:マニ教的に言えば、第二と第三象限が闇の世界であり、第一と第四象限が光の世界である。)
 第二象限は唯物科学、資本主義の世界であり、第三象限は、感覚・感情・欲望・肉体中心主義の世界であろう。
 悪魔アーリマンは主に第二象限、悪魔ルシファーは主に第三象限に存するのではないだろうか。
 第一象限と第四象限であるが、今は簡単に述べるに留めるが、第一象限とは、哲学、数学の理智の世界であり、第四象限は、芸術、宗教、直観・直感の霊的感性(神秘・霊感・不思議)の世界ではないだろうか。(追記:PS理論において、kaisetsu(海舌)氏の作成した人間認識図が便利であるが、左右を逆転し、また、以下の第二象限と第三象限を上下逆転する必要がある。)


      《海舌氏に由る人間認識図》


 ところで、PS理論の段階では、これにオイラーの公式

e^{i\theta} =\cos\theta +i\sin\theta.

(数学の至宝 分かりやすいオイラーの公式 - NAVER まとめ )
を持ち込んだのである。今のGP陰陽哲理学においても、オイラーの公式を適用することもできようが、今は課題にしておく。

追記:簡単にオイラーの公式の適用についてのポイントを言うと、陰陽極性があるのだから、π回転(180度回転)の位置も含めて、対にする必要がある。
 だから、

e^i (θ+π)=cos(θ+π)+i sin(θ+π)

を加える必要がある。
 故に、陰陽モード(陰陽極性モード)とは、

e^iθ*e^i (θ+π)

となろう。〔θがπ/2(90度)のとき、凸i*凹i、純粋陰陽極性となる。〕ただし、*は交点MPにおける対となる陰陽モードの力学・ダイナミクスである。
 これについては、検討する必要がある。(追記:陰陽振動と回転への展開を結びつければいいだろう。)



  四つの象限




オイラーの公式の空間図


resurrectionのブログ
      映画『スライヴ』のトーラス像
(THRIVE Japanese) スライブ―いったい何が必要になるのか - YouTube
***************************

GP陰陽哲理学
(ガウス平面陰陽哲理学)
Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience


            凸i陽
             |
             |
             |
             |
             |
−1地______MP______+1天
(重力)         |          (光)
             |
             |
             |
             |
            凹i陰


       陰陽ガウス平面

(尚、MPはMedia Pointであり、原点・交点・次元転換点等である。)
 また、GP陰陽方程式がある。即ち、

凹i*凸i⇒±1

である。
 凹iは陰を、凸iは陽を表わし、両者、虚軸にあり、±1は実軸にある。
 *は陰陽極性力学を意味する。実際は乗法である。陰凹iが主導のときは+1,陽凸iが主導のときは、−1となる。
  ⇒は次元転換を意味する。氣エネルギーが現象エネルギーへと転換する事象を意味している。
 ハイデッガー哲学の存在は、この⇒と見るのが適切かもしれない。おそらく、時間が⇒である


参照:
超越軸における回転による超越円の形成と超越円をマトリクスとする現象螺旋形成
テーマ:映画ThriveのトーラスとPS哲科学 先に、ガウス平面において、凸i(+i)と凹i(-i)との揺動によって、回転が生じることを述べた。
 問題は時間現象である。私は先に、凸iが空間形式で、凹iが時間形式ではないかと言った。カント哲学的には、前者は、外的感覚(外官)であり、後者は内的感覚(内官)である。
 差異共振現象という自然現象は、当然、時空間の発現を意味するから、凸i*凹i⇒凸(+1)の右辺の凸(+1)が時空間現象を意味するかもしれない。
 しかし、螺旋運動こそが、自然現象であるから、凸(+1)は自然現象自体ではない。
 それは、これまでの考えでは、超光エネルギーである。あるいは、超氣である。
 思うに、⇒凸(+1)の活動において、螺旋運動が形成されるのであるから、螺旋を空間とすれば、運動が時間と関係すると言えよう。ここで作業仮説であるが、⇒凸(+1)の超光のベクトルが時間ベクトルと一致するとしよう。つまり、凸(+1)は時間を意味することになる。
 そう、時間は内的なものであり、不可視であるから、それは、考えられることである。
 これで、現象螺旋運動の説明は済んだとしよう。
 次に、超越軸における回転・螺旋運動である。
 凸j*凹jも揺動しているとすると、超越円において、回転すると考えられる。(ここで説明しておかないといけないのは、凸i*凹iが形成する螺旋運動であるが、その三次元は現象空間三次元であり、超越軸をもつ三次元ではない。つまり、ここで、現象三次元空間と超越軸を区別する必要があることである。
 結局、ガウス平面に直交する二つの軸があることになる。一つは超越軸であり、一つは、現象空間の第三次元の軸である。)
 しかしながら、果たして、超越円の回転は、螺旋運動を形成するだろうか。
 運動となるには、時間が必要であるが、超越円は時間を形成するだろう。そう、凸j*凹j⇒凸(+1)と形式化したのであり、右辺は時間を意味するのであるから、超越円も螺旋運動を形成することになろう。
 ここで整理したい。
 順序から言うと、超越軸における凸jと凹jの共振的揺動があり、それが回転をもたらし、超越円を形成する。
 この超越円の意味するものは、虚軸y軸の形成ではないだろうか。
 つまり、超越軸z軸と直交する虚軸y軸の形成である。これで、超越界からの凸i(光)と凹i(闇)の形成が説明できると言えよう。
 そして、凸i(光)と凹i(闇)の共振からの現象創造の説明もできる。
 そうすると、上述した超越軸と現象空間第三軸は異なるということはどうなるだろうか。
 つまり、超越軸と虚軸における超越平面と超越円が現象螺旋運動(時空四次元)を形成する基盤、マトリクスであり、それは、現象時空間とは一致しないと考えられる。
 そう、超越円はイデア界と言ってもいいだろう。それは、現象界からは不可視の存在であるが、現象創造の超越的根源ということになる。
 超越円(言わば、イデア・サークル)から可視の螺旋的現象界が形成されるということになる。
 そう、一見、超越軸と現象第三軸は重なるように見えるが、やはり、根本的には別物である。
 つまり、こう言ってもいいだろう。超越軸z軸と現象第三軸は表面的には重なるが、それは、見掛け上のことに過ぎないのであり、両者はまったく別個のものとして存在するのである。(追記:そのように区別したものの、凸j*凹j⇒凸(+1)であるから、media pointにおいて、両者は重なることになるだろう。思うに、media pointは、この重なりにおいて、超越軸の情報を受け取り、それを物質化するのである。そう、いわば、超越情報[イデア情報]を受け取り、それを物質・現象的に具現化すると考えられる。)
 さて、そういうことで、超越円(イデア・サークル)から螺旋形状が形成されるが、それは、黄金比を基本的にもっていると言えよう。だから、五芒星形がなんらかの超越円において、形成された可能性が考えられる。(ピュタゴラス派)
 そうすると、超越軸には何らかの超越的意志が考えられないだろうか。超越的意志によって、現象形成が決められているのではないだろうか。
 しかし、そのように考えると、超越軸を超越した超-超越界を想定する必要があるのではないだろうか。
 この問題は難しいので保留しておき、一応、超越軸における超越円の創造に留めておきたい。
 最後に凸jと凹jについて簡単に考察してみたい。凸iが光、凹iが闇ならば、凸jは原光、凹jは原闇ということになるのではないだろうか。
 原闇と原光が共振して、闇と光の宇宙世界が生まれる。
 原闇が原母であり、原光が原父ということになろう。
 問題は、原父が主導的な場合である。最初期は、原母が主導性をもっていたと考えられるが、あるとき、原父が主導的になったと思われる。
 もし、原父が決定的に自身を原母に押し付けるならば、凸j*凹凹j⇒凹(−1)となり、それは、質料となるのではないだろうか。
 一神教がこのような性格をもっていると考えられる。そう、原母を質料化して、卑賎化するのである。「父」が上位であり、「母」が下位である。そして、それの極端化したものがユダヤ教、ないしは、旧約聖書であり、「母」はほぼ不在となっているのである。
 ここで簡単に日本神話について触れると、それは、原母による原父との共振による現象創造を語っていると思われる。
 天之御中主神とは、原母と原父との共振を意味するのではないだろうか。そう、超越的media pointである。
 そして、高産霊神と神産霊神は凸iと凹iを意味するのではないだろうか。
 では天照御大神とは何であろうか。それは、超光であろう。単に光ではなく、原母と原父との共振、光と闇との共振による超光を意味しよう。
 マニ教の光はそれであろうし、アフラ・マズダ、キリストもそれであろう。
 今はここで留める。後で、再考したい。


凸(+1)を転換点とする脱物質体化・差異共振純粋超光過程
テーマ:映画ThriveのトーラスとPS哲科学 映画THRIVEのトーラスとPS理論:その2:上部から下部への動き
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11242890795.html

以上において、次のように述べた。

「少なくとも、凸(+1)は転換点、折り返し点、回帰点と考えられる。
 超光エネルギーは宇宙を形成し、凸(+1)に到達するのであるが、その後の問題である。
 今、直観で言うと、凸(+1)までの動きは春から夏への成長の動きである、しかるに、凸(+1)から凹(−1)への外皮上の動きは秋から冬の動きである。言い換えると、生から死への動きである。つまり、成長から衰退への動きである。しかし、この衰退は内的成熟への動きである。そう、外的成長から内的成熟への動きである。
 思うに、簡単に言えば、超光エネルギーの衰退があり、それが、外皮的動きとなっているのではないだろうか。物質体の衰退であるが、内的「精神」の成長である。」

映画Thriveのトーラスにおける、上部極から下部極へ移動し、言わば、外殻、外皮、外面形成する力動について、それは、超光エネルギーの衰退を意味すると述べたが、それはある意味では正しく、ある意味では間違いである。
 というのは、螺旋的、乃至は、黄金比(白銀比もおそらく入れられよう)的物質体(身体)形成は確かに、そこ(凸[+1])からは衰退するから、それは、それまでの超光エネルギーから見ると、超光エネルギーの衰退を見ることは可能である。
 しかしながら、視点を変えてみると、凸(+1)に到達した、超光エネルギー、乃至は、差異共振エネルギーは実は、螺旋的物質体(身体)形成過程(Aプロセス)から脱螺旋的物質体(身体)過程(Bプロセス)へと転換するのではないだろうか。
 つまり、Aプロセスは同一性物質化を伴っていた、Bプロセスにおいては、同一性的物質化が消滅して、純粋な差異共振化、超光化が発生するのではないだろうか。これを聖霊プロセスと呼んでもいいだろう。
 つまり、超光エネルギーは衰退するのではなく、ただ、変態したと考えられるのである。喩えれば、蛹から蝶へと変態するようなものである。そう、それをヒントにして言えば、プシュケー・プロセスとも言えよう。
 思うに、それは、超越軸、超越界、神霊界、霊界における差異共振による超光形成と重なるように思えるのである。だから、聖霊プロセスなのでもあるが。
 結局、Bプロセスは物質体・身体形成としては衰退過程であるが、精神形成としては成熟過程である。
 さて、問題は、Bプロセスがどうして、凸(+1)からリンゴや梨のような外殻、外皮、外面である湾曲した球面を辿り、凹(−1)へと進行するのかである。その力学はどういうものか。
 これは単純に、磁界を考えればいいのではないだろうか。即ち、凸(+1)をN極とし、凹(−1)をS極とするのである。磁力がN極からS極へと作用するのであり、それとほぼ同様なことが、Bプロセスに起きている考えればいいのではないだろうか。
 つまり、下部極から上部極の螺旋的物質体化過程(Aプロセス)の方向、即ち、凹(−1)から凸(+1)への実軸x軸の左方から右方への方向を、純粋超光は取ることがもはやできないのであり、つまり、言わば、内的な方向を取ることはできないのであり、そのため、外的な方向を取ることになると考えられるのである。
 しかしながら、内的方向とは実は、外的物質体化の過程であり、外的方向とは内的精神化の過程であるというパラドクシカルな意味合いをもっているのである。
 しかし、外的方向=内的精神化の過程=Bプロセスは、凹(−1)という物質が終点であり、それは、死を意味すると言えよう。だから、その意味では、衰退消滅の過程なのである。純粋超光、純粋差異共振はそこで終了するのである。
 とは言え、それは、新生の過程に入ることである。新たな螺旋的物質体(身体)の過程に入ることになるからである。輪廻転生である。即ち、 凹(−1)の物質において、純粋超光、純粋差異共振、純粋精神を宿していた物質体・身体は消滅すると考えられるが、そのとき、純粋超光、純粋差異共振、純粋精神は完全に脱物質化するのであり、それは、超越軸=超越界=神霊界=霊界に帰還すると考えられるのである。
 そう、凸(+1)において、脱物質化すると言ったが、それは完全な脱物質化ではなく、脱物質化のプロセスの開始を意味するのであり、完全な脱物質化は、凹(−1)の物質において、為されると考えられるのである。説明すると、凹(−1)の物質とは無機的な物質、いわば、鉱物のようなものであり、生命的有機体はそこには存しないと考えられるのである。
 今はここで留める。



映画THRIVEのトーラスとPS理論:その2:上部から下部への動き
テーマ:映画ThriveのトーラスとPS哲科学

* Zero-point energy:ゼロ・ポイント・エネルギー(ゼロ点エネルギー)
* 現象三次元化の力学へ向けて:超光(霊光)による螺旋的現象生成の力学についての思考実験
* 映画THRIVEのトーラスとPS理論

映画ThriveのトーラスとPS理論の比較論は以上において考察したが、まだ、トーラスのいわば外皮における動きについては述べていなかった。今は余裕がないので、簡単に予見を言うだけだが、少なくとも、凸(+1)は転換点、折り返し点、回帰点と考えられる。
 超光エネルギーは宇宙を形成し、凸(+1)に到達するのであるが、その後の問題である。
 今、直観で言うと、凸(+1)までの動きは春から夏への成長の動きである、しかるに、凸(+1)から凹(−1)への外皮上の動きは秋から冬の動きである。言い換えると、生から死への動きである。つまり、成長から衰退への動きである。しかし、この衰退は内的成熟への動きである。そう、外的成長から内的成熟への動きである。
 思うに、簡単に言えば、超光エネルギーの衰退があり、それが、外皮的動きとなっているのではないだろうか。物質体の衰退であるが、内的「精神」の成長である。
 後で、精緻に検討したい。

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2015年02月24日(Tue)▲ページの先頭へ
陰陽ガウス平面は、虚軸が氣の軸で、実軸が物質の軸である:4つの象限領域も意味がある
画像等は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11993969508.html

陰陽ガウス平面は、虚軸が氣の軸で、実軸が物質の軸である:4つの象限領域も意味がある

テーマ:GP陰陽哲理学(ガウス平面陰陽哲理学)

陰陽ガウス平面は実に簡潔明快で、現象存在の本質を捉えていると考えている。(追記:この統合・結合・融合はいったい何を意味しているのだろうか。陰陽力学、氣の力学は、複素数とガウス平面によって、数理化できるということである。つまり、陰陽力学、氣の力学は、複素数とガウス平面という数理的システムを内在させているということである。
 また、ついでながら、映画『スライヴ』のアップル像、つまり、トーラス像へ展開できると考える。)
 近代合理主義とは、虚軸を否定して、実軸だけの世界、つまり、唯物論世界を認証したと言えよう。
 それは、象限で言えば、第二象限と第三象限の世界で、第一象限と第四象限がないと言えよう。
 第二象限は唯物科学、資本主義の世界であり、第三象限は、感覚・感情・欲望・肉体中心主義の世界であろう。
 悪魔アーリマンは主に第二象限、悪魔ルシファーは主に第四象限に存するのではないだろうか。
 第一象限と第四象限であるが、今は簡単に述べるに留めるが、第一象限とは、哲学、数学の理智の世界であり、第四象限は、芸術、宗教、直観・直感の霊的感性の世界ではないだろうか。
 ところで、PS理論の段階では、これにオイラーの公式

e^{i\theta} =\cos\theta +i\sin\theta.

(数学の至宝 分かりやすいオイラーの公式 - NAVER まとめ )
を持ち込んだのである。今のGP陰陽哲理学においても、オイラーの公式を適用することもできようが、今は課題にしておく。



  四つの象限




オイラーの公式の空間図


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      映画『スライヴ』のトーラス像
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GP陰陽哲理学
(ガウス平面陰陽哲理学)
Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience


            凸i陽
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−1地______MP______+1天
(重力)         |          (光)
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            凹i陰


       陰陽ガウス平面

(尚、MPはMedia Pointであり、原点・交点・次元転換点等である。)
 また、GP陰陽方程式がある。即ち、

凹i*凸i⇒±1

である。
 凹iは陰を、凸iは陽を表わし、両者、虚軸にあり、±1は実軸にある。
 *は陰陽極性力学を意味する。実際は乗法である。陰凹iが主導のときは+1,陽凸iが主導のときは、−1となる。
  ⇒は次元転換を意味する。氣エネルギーが現象エネルギーへと転換する事象を意味している。
 ハイデッガー哲学の存在は、この⇒と見るのが適切かもしれない。おそらく、時間が⇒である


参照:
超越軸における回転による超越円の形成と超越円をマトリクスとする現象螺旋形成
テーマ:映画ThriveのトーラスとPS哲科学 先に、ガウス平面において、凸i(+i)と凹i(-i)との揺動によって、回転が生じることを述べた。
 問題は時間現象である。私は先に、凸iが空間形式で、凹iが時間形式ではないかと言った。カント哲学的には、前者は、外的感覚(外官)であり、後者は内的感覚(内官)である。
 差異共振現象という自然現象は、当然、時空間の発現を意味するから、凸i*凹i⇒凸(+1)の右辺の凸(+1)が時空間現象を意味するかもしれない。
 しかし、螺旋運動こそが、自然現象であるから、凸(+1)は自然現象自体ではない。
 それは、これまでの考えでは、超光エネルギーである。あるいは、超氣である。
 思うに、⇒凸(+1)の活動において、螺旋運動が形成されるのであるから、螺旋を空間とすれば、運動が時間と関係すると言えよう。ここで作業仮説であるが、⇒凸(+1)の超光のベクトルが時間ベクトルと一致するとしよう。つまり、凸(+1)は時間を意味することになる。
 そう、時間は内的なものであり、不可視であるから、それは、考えられることである。
 これで、現象螺旋運動の説明は済んだとしよう。
 次に、超越軸における回転・螺旋運動である。
 凸j*凹jも揺動しているとすると、超越円において、回転すると考えられる。(ここで説明しておかないといけないのは、凸i*凹iが形成する螺旋運動であるが、その三次元は現象空間三次元であり、超越軸をもつ三次元ではない。つまり、ここで、現象三次元空間と超越軸を区別する必要があることである。
 結局、ガウス平面に直交する二つの軸があることになる。一つは超越軸であり、一つは、現象空間の第三次元の軸である。)
 しかしながら、果たして、超越円の回転は、螺旋運動を形成するだろうか。
 運動となるには、時間が必要であるが、超越円は時間を形成するだろう。そう、凸j*凹j⇒凸(+1)と形式化したのであり、右辺は時間を意味するのであるから、超越円も螺旋運動を形成することになろう。
 ここで整理したい。
 順序から言うと、超越軸における凸jと凹jの共振的揺動があり、それが回転をもたらし、超越円を形成する。
 この超越円の意味するものは、虚軸y軸の形成ではないだろうか。
 つまり、超越軸z軸と直交する虚軸y軸の形成である。これで、超越界からの凸i(光)と凹i(闇)の形成が説明できると言えよう。
 そして、凸i(光)と凹i(闇)の共振からの現象創造の説明もできる。
 そうすると、上述した超越軸と現象空間第三軸は異なるということはどうなるだろうか。
 つまり、超越軸と虚軸における超越平面と超越円が現象螺旋運動(時空四次元)を形成する基盤、マトリクスであり、それは、現象時空間とは一致しないと考えられる。
 そう、超越円はイデア界と言ってもいいだろう。それは、現象界からは不可視の存在であるが、現象創造の超越的根源ということになる。
 超越円(言わば、イデア・サークル)から可視の螺旋的現象界が形成されるということになる。
 そう、一見、超越軸と現象第三軸は重なるように見えるが、やはり、根本的には別物である。
 つまり、こう言ってもいいだろう。超越軸z軸と現象第三軸は表面的には重なるが、それは、見掛け上のことに過ぎないのであり、両者はまったく別個のものとして存在するのである。(追記:そのように区別したものの、凸j*凹j⇒凸(+1)であるから、media pointにおいて、両者は重なることになるだろう。思うに、media pointは、この重なりにおいて、超越軸の情報を受け取り、それを物質化するのである。そう、いわば、超越情報[イデア情報]を受け取り、それを物質・現象的に具現化すると考えられる。)
 さて、そういうことで、超越円(イデア・サークル)から螺旋形状が形成されるが、それは、黄金比を基本的にもっていると言えよう。だから、五芒星形がなんらかの超越円において、形成された可能性が考えられる。(ピュタゴラス派)
 そうすると、超越軸には何らかの超越的意志が考えられないだろうか。超越的意志によって、現象形成が決められているのではないだろうか。
 しかし、そのように考えると、超越軸を超越した超-超越界を想定する必要があるのではないだろうか。
 この問題は難しいので保留しておき、一応、超越軸における超越円の創造に留めておきたい。
 最後に凸jと凹jについて簡単に考察してみたい。凸iが光、凹iが闇ならば、凸jは原光、凹jは原闇ということになるのではないだろうか。
 原闇と原光が共振して、闇と光の宇宙世界が生まれる。
 原闇が原母であり、原光が原父ということになろう。
 問題は、原父が主導的な場合である。最初期は、原母が主導性をもっていたと考えられるが、あるとき、原父が主導的になったと思われる。
 もし、原父が決定的に自身を原母に押し付けるならば、凸j*凹凹j⇒凹(−1)となり、それは、質料となるのではないだろうか。
 一神教がこのような性格をもっていると考えられる。そう、原母を質料化して、卑賎化するのである。「父」が上位であり、「母」が下位である。そして、それの極端化したものがユダヤ教、ないしは、旧約聖書であり、「母」はほぼ不在となっているのである。
 ここで簡単に日本神話について触れると、それは、原母による原父との共振による現象創造を語っていると思われる。
 天之御中主神とは、原母と原父との共振を意味するのではないだろうか。そう、超越的media pointである。
 そして、高産霊神と神産霊神は凸iと凹iを意味するのではないだろうか。
 では天照御大神とは何であろうか。それは、超光であろう。単に光ではなく、原母と原父との共振、光と闇との共振による超光を意味しよう。
 マニ教の光はそれであろうし、アフラ・マズダ、キリストもそれであろう。
 今はここで留める。後で、再考したい。


凸(+1)を転換点とする脱物質体化・差異共振純粋超光過程
テーマ:映画ThriveのトーラスとPS哲科学 映画THRIVEのトーラスとPS理論:その2:上部から下部への動き
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11242890795.html

以上において、次のように述べた。

「少なくとも、凸(+1)は転換点、折り返し点、回帰点と考えられる。
 超光エネルギーは宇宙を形成し、凸(+1)に到達するのであるが、その後の問題である。
 今、直観で言うと、凸(+1)までの動きは春から夏への成長の動きである、しかるに、凸(+1)から凹(−1)への外皮上の動きは秋から冬の動きである。言い換えると、生から死への動きである。つまり、成長から衰退への動きである。しかし、この衰退は内的成熟への動きである。そう、外的成長から内的成熟への動きである。
 思うに、簡単に言えば、超光エネルギーの衰退があり、それが、外皮的動きとなっているのではないだろうか。物質体の衰退であるが、内的「精神」の成長である。」

映画Thriveのトーラスにおける、上部極から下部極へ移動し、言わば、外殻、外皮、外面形成する力動について、それは、超光エネルギーの衰退を意味すると述べたが、それはある意味では正しく、ある意味では間違いである。
 というのは、螺旋的、乃至は、黄金比(白銀比もおそらく入れられよう)的物質体(身体)形成は確かに、そこ(凸[+1])からは衰退するから、それは、それまでの超光エネルギーから見ると、超光エネルギーの衰退を見ることは可能である。
 しかしながら、視点を変えてみると、凸(+1)に到達した、超光エネルギー、乃至は、差異共振エネルギーは実は、螺旋的物質体(身体)形成過程(Aプロセス)から脱螺旋的物質体(身体)過程(Bプロセス)へと転換するのではないだろうか。
 つまり、Aプロセスは同一性物質化を伴っていた、Bプロセスにおいては、同一性的物質化が消滅して、純粋な差異共振化、超光化が発生するのではないだろうか。これを聖霊プロセスと呼んでもいいだろう。
 つまり、超光エネルギーは衰退するのではなく、ただ、変態したと考えられるのである。喩えれば、蛹から蝶へと変態するようなものである。そう、それをヒントにして言えば、プシュケー・プロセスとも言えよう。
 思うに、それは、超越軸、超越界、神霊界、霊界における差異共振による超光形成と重なるように思えるのである。だから、聖霊プロセスなのでもあるが。
 結局、Bプロセスは物質体・身体形成としては衰退過程であるが、精神形成としては成熟過程である。
 さて、問題は、Bプロセスがどうして、凸(+1)からリンゴや梨のような外殻、外皮、外面である湾曲した球面を辿り、凹(−1)へと進行するのかである。その力学はどういうものか。
 これは単純に、磁界を考えればいいのではないだろうか。即ち、凸(+1)をN極とし、凹(−1)をS極とするのである。磁力がN極からS極へと作用するのであり、それとほぼ同様なことが、Bプロセスに起きている考えればいいのではないだろうか。
 つまり、下部極から上部極の螺旋的物質体化過程(Aプロセス)の方向、即ち、凹(−1)から凸(+1)への実軸x軸の左方から右方への方向を、純粋超光は取ることがもはやできないのであり、つまり、言わば、内的な方向を取ることはできないのであり、そのため、外的な方向を取ることになると考えられるのである。
 しかしながら、内的方向とは実は、外的物質体化の過程であり、外的方向とは内的精神化の過程であるというパラドクシカルな意味合いをもっているのである。
 しかし、外的方向=内的精神化の過程=Bプロセスは、凹(−1)という物質が終点であり、それは、死を意味すると言えよう。だから、その意味では、衰退消滅の過程なのである。純粋超光、純粋差異共振はそこで終了するのである。
 とは言え、それは、新生の過程に入ることである。新たな螺旋的物質体(身体)の過程に入ることになるからである。輪廻転生である。即ち、 凹(−1)の物質において、純粋超光、純粋差異共振、純粋精神を宿していた物質体・身体は消滅すると考えられるが、そのとき、純粋超光、純粋差異共振、純粋精神は完全に脱物質化するのであり、それは、超越軸=超越界=神霊界=霊界に帰還すると考えられるのである。
 そう、凸(+1)において、脱物質化すると言ったが、それは完全な脱物質化ではなく、脱物質化のプロセスの開始を意味するのであり、完全な脱物質化は、凹(−1)の物質において、為されると考えられるのである。説明すると、凹(−1)の物質とは無機的な物質、いわば、鉱物のようなものであり、生命的有機体はそこには存しないと考えられるのである。
 今はここで留める。



映画THRIVEのトーラスとPS理論:その2:上部から下部への動き
テーマ:映画ThriveのトーラスとPS哲科学

* Zero-point energy:ゼロ・ポイント・エネルギー(ゼロ点エネルギー)
* 現象三次元化の力学へ向けて:超光(霊光)による螺旋的現象生成の力学についての思考実験
* 映画THRIVEのトーラスとPS理論

映画ThriveのトーラスとPS理論の比較論は以上において考察したが、まだ、トーラスのいわば外皮における動きについては述べていなかった。今は余裕がないので、簡単に予見を言うだけだが、少なくとも、凸(+1)は転換点、折り返し点、回帰点と考えられる。
 超光エネルギーは宇宙を形成し、凸(+1)に到達するのであるが、その後の問題である。
 今、直観で言うと、凸(+1)までの動きは春から夏への成長の動きである、しかるに、凸(+1)から凹(−1)への外皮上の動きは秋から冬の動きである。言い換えると、生から死への動きである。つまり、成長から衰退への動きである。しかし、この衰退は内的成熟への動きである。そう、外的成長から内的成熟への動きである。
 思うに、簡単に言えば、超光エネルギーの衰退があり、それが、外皮的動きとなっているのではないだろうか。物質体の衰退であるが、内的「精神」の成長である。
 後で、精緻に検討したい。

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2015年02月23日(Mon)▲ページの先頭へ
故陳舜臣氏の『桃源郷』読了:宗教的叙事詩的小説:ユートピア小説ではない
リンク等は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11993550143.html

故陳舜臣氏の『桃源郷』読了:宗教的叙事詩的小説:ユートピア小説ではない

テーマ:こころ教共同網:「まことの教え」共同体

印象ではあっという間、文庫本で上下で750頁弱の本書を読了してしまった。
 これまで読んだことのない、独創的な小説である。
先に、ユートピア小説と呼んだが間違いである。ユートピアは何処にもない理想郷を意味するが、この小説の桃源郷はフィクション上であれ、存在するからである。詳細は言わない。
 また、文学というより歴史を読んでいるようだとも言ったが、これも訂正する。
 登場人物の内面が生きている。
 宗教を扱った文学は多いが、マニ教とそのマニ教の自己超克をテーマにした作品は空前ではないだろうか。
 とまれ、マニの名を捨てた「まことの教え」、「まことの信仰」が中心的主題であるが、内容的に魅かれる。
 思うに、マニ教本来の意義から言って、名を捨てることは、マニ教の完成成就のように考えられる。
 つまり、マニ教とは、いわば、純粋宗教で、何々が神、仏ということはないのである。つまり、本質は、名なき宗教なのである。
 でも、哲学的に、名をなくすことの意味は何だろうか。
 たとえば、こころに感ずるなんらかの形而上学的なものを、
国之常立神 (くにのとこたちのかみ)
と呼ぶのと、なにも名をもたない存在とするのとでは、どう違うのか。
 当然、名をつければ、その存在は限定される。特定される。哲学用語があったが忘れた。(追記:言葉は現実、物質界を指すことが大半である。だから、言葉の分節化は、いわば、物質的実体化である。だから、宗教の次元における、言語化、特に、固有名化は、物質化なのである。これは、当然、排他的になるのである。形而上学的次元に形而下的次元を持ち込んで、前者の秩序を破壊すると言えよう。)
 有神化と一応言えようが、名をもたない場合は、無神ではなく、非神である。非神非仏的前宗教である。そう、プレ宗教である。
 そう、どうやら、このプレ宗教という視点が大事ではないだろうか。
 陳舜臣氏は、思うに、既成の宗教を超えて、いわば、先祖返り的に、プレ宗教を小説芸術化したのではないだろうか。
 しかし、それは、ポスト宗教ないし超宗教(トランス宗教)ということになる。プレ宗教を今日的に復活させたポスト宗教、トランス宗教がマニの名を捨てた「まことの教え」、「まことの信仰」ということではないだろうか。
 これは、実に水瓶座エポックに相応しい精神・霊のあり方ではないだろうか。
 そのように考えると、本作品はたいへんな傑作であることがわかる。
 とまれ、マニ教⇒マニの名を捨てた「まことの教え」
である。しかし、マニ教=「まことの教え」とも言えよう。
あるいは、真マニ教とも言えよう。ママニ教である。

追記:単純に固有名をもつ宗教と固有名を捨てた「宗教」を比べてみよう。
 X神と言えば、非X神があり、対立が生じるのである。
実は、啓典の宗教は一神教で本来、同じ神を崇拝するのであるが、歴史的に対立していることが多い。(オスマン・トルコの場合、諸宗教は共存していたのであるが。)
 一方ではヤハウェであり、他方では、アッラーである。
 本来、同じ神なのである。
つまり、ヤハウェと非ヤハウェが存在することになり、ヤハウェは非ヤハウェを排除しよう。これは、アッラーの場合も同じである。
 つまり、これは、宗教というより、言葉の概念の力学に由るのではないだろうか。
 例えば、目の前に、デスクがあるとする。そうすると、デスクと非デスクの対立が生じるのである。これは、言語概念力学である。たとえば、その存在をチェアと呼べば、否定されるだろう。
 これは二元論ないし二項対立である。
 これは、知性(悟性)の精神力学である。
(それに対して、陰陽対極・両極性は、知性の力学ではなく、精神・霊の力学ないし、こころ、理性の力学である。つまり、デスク=非デスクという即非の力学【鈴木大拙】、絶対矛盾的自己同一【西田幾多郎】という力学がはたらくのである。)
 だから、固有名を宗教においてもつことは、一種の知性化であり、それは、宗教本来の精神性から逸脱することということになろう。
 だから、『桃源郷』で、主要人物たちが、隠れマニを止めて、マニの名を捨てて「まことの教え」に到達したのは、宗教的見地から、本来・本質的であると考えられる。
 だから、宗教戦争とは、知性戦争なのである。特に、父権宗教は自我が強固なので、宗教戦争となるのである。
 そう、宗教から固有名を捨てて、こころ教になるのは、今日的である。それは、戦争宗教から平和宗教への進化である。

追記2:ここで、千争邪について考えると、それは、明らかに、二項対立主義である。自分は正しく、他者は間違っている。だから、自分たちの生存のために、他者から略奪したり、他者を湮滅させることは正しいということになろう。
 父権主義の極大化である。

追記3:今日の日本が息苦しいのは、上述したような、知性=悟性的自我が主導化しているからである。特に、若い世代に見受けられる。
 完全に二項対立であり、容赦がないのである。これは、知性(悟性)的自我(父権的自我)はあるが、精神・こころ的自我(母権的自我)が欠落しているということと言えよう。
 そう、唯物化である。氣・精神-霊・こころの次元・領域・世界が欠落しているのである。これは、悪魔化である。


陳舜臣 長い長い旅の話: SilverFish Files
sfish.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_1ce1.html


* キャッシュ
* 類似ページ

2008年3月23日 ... 桃源郷(上・下)/陳舜臣(集英社,2001) 陳舜臣の歴史説の主人公は旅をすることが
多いが、この作品の移動距離はこれまでの最長記録ではないだろうか。 時代は12世紀
前半、新興王朝「金」が「北宋」と「遼」を滅ぼし、中国の北半分を占領 ...

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桃源郷 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/桃源郷


* キャッシュ
* 類似ページ

創作されてから約1600年経った現在でも『桃花源記』が鑑賞されているのは、既に人々
の心の内にある存在を、詩的に具象化したものが桃源郷であるためとされる。既に知っ
ているものであるため地上の何処かではなく、魂の奥底に存在している。桃源郷に漁師
...

1.
桃源郷 の画像検索結果

2.
桃源郷ってどういう意味ですか? - 国語 | 教えて!goo
oshiete.goo.ne.jp/qa/1551843.html


* キャッシュ
* 類似ページ
2005年8月1日 ... 桃源郷って、どういう意味ですか? 楽園、、、という意味のような気がするのですが、も
うすくし詳しく、語源も(たしか中国の話だったような気がするんですが)教えてください。
手持ちの辞書や検索で意外と見つからなかったので、桃源郷の意味、 .

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2015年02月22日(Sun)▲ページの先頭へ
有機農耕基盤新共同体社会のイメージ:小家族、独居人、子供老人、障害者、等々のマニ共同体へ
リンクは以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11993107110.html

有機農耕基盤新共同体社会のイメージ:小家族、独居人、子供老人、障害者、等々のマニ共同体へ

テーマ:新共同体・マニ共同体:減価通貨マニ

新母権共同体を唱えているが、具体的なイメージが湧かなかったが、陳舜臣氏の『桃源郷』(下)も残り、60頁強となり、そこに活写されるマニの名を捨てた「まことの信仰」による共同生活から、そのイメージが浮んだ。
 隠れマニであった夫婦あり、単独者あり、商人あり、学者あり、武人あり、等々が集まる共同生活である。
 これから、放射能汚染や貧困等の地獄社会がやってくるが、それに対抗するには、単独では無力であり、共同するのがサバイバルであると思う。血縁地縁を超えた共同体社会である。
 有機農法が基盤となるだろう。
精神的基盤は「まことの教え」、「まことの信仰」がいいだろう。
 これは、私なりに云うと、氣身体(氣身)の教えである。氣だけというより、氣身体という方が、現実的、実際的である。
 これは、特に宗教ではない。もちろん、宗教性へ展開はできるのであるが。
 氣身体の教えとは、個人を中核とする教えであり、集団主義ではない。あえて言えば、「私だけの宗教、神」であり、他の誰にも適用できないものである。
 とまれ、そのような、氣身体の個人と個人が共同する社会である。
 とまれ、出発点は、宗教を超えた「まことの教え」、「まことの信仰」である。神なき宗教である。無神論的宗教、無神論的信仰、無神論的精神・霊である。

追記:共同体というより、共同ネットワーク、あるいは、ネットワーク協同社会とでも言う方が移動性、ノマッド性があっていいだろう。

追記2:神なき宗教では不十分だ。仏教がそうだからだ。だから、神仏なき宗教・信仰・教えである。氣的身体の哲理学である。

追記3:タイトルからもわかるように、これはユートピア文学である。それにしても、作者の博覧強記には驚かされる。

追記4:共同体の営為において、通貨や銀行をどうするかである。これは、「まことの通貨」、「まことの貨幣」を使用し、「まことの銀行」、「まことの金融」を設計すべきである。
 「まこと通貨」、「まこと貨幣」は、減価貨幣がいいだろう。
蓄財させないためである。自然経済にするためである。
 そして、起業するに当たり、「まこと銀行」、「まこと金融」を活用できるようにしないといけない。
 通貨の単位はマニにしようか。1マニ、10マニ、千マニ、等々である。
 思うに、スーパー等でやっているようなポイントにすればいいだろう。1マニ・ポイント、千マニ・ポイント、1万マニ・ポイント、等々。
 これは、現行の資本主義と併存できる。現在の通貨をまこと共同体のマニ・ポイントに変換すれば、いいのだ。
 まこと共同体の成員は、そのマニ・ポイントを使用して、売買すればいいのである。マニ・ポイントをマニ・バンクに貯蓄すればいいのである。
 思うに、マニ共同体(追記:スーパー・マニぐらいでもいいかもしれない)でもいいような気がしてきた。
 マニ教というより、マニ精神、マニ智、マニ・ソフィア、マニ哲理である。
 今はざっと指摘するに留める。

追記5:考えたら、『桃源郷』では、マニ教本来の教えを説いていないのである。マニ教の教えは実に意義深いものがあるのである。いったい、このなにか排除のような省略は何なのか。

追記6:スーパー・マニ・ネットワークにおいて、マニ・ポイントは、スーパー・マニでの営業もあるし、また、現行の貨幣を獲得できるので、その点、現実的である。
 いわば、通貨両制である。マネー両制である。マニのマネー?
 マニーと言おうか。マニ・ポイント=マニーと現行通貨(マネー)の通貨両制である。


参考:
第二章 四 マニ教と薔薇十字会のクリスティアン・ローゼンクロイツ B ...
blogs.yahoo.co.jp/sakimorikeikan/63365673.html


* キャッシュ

2010年6月20日 ... 第二章 □四□ マニ教と薔薇十字会のクリスティアン・ローゼンクロイツ B (三)
シュタイナーが語ったマニ教の本質 マニの教えは、光神に闇の神が反抗するという経緯
を語っており、その意味では先にご紹介したミトラ神話に類...

悲しき秀才・改: マニ教とフリーメーソン・・・
sassasa1234.seesaa.net/article/64281261.html


* キャッシュ
* 類似ページ

2007年11月3日 ... マニ教」 ルドルフ・シュタイナー(西川隆範・訳)より. 聖アウグスティヌスはマニ教に対し
て戦ったが、カトリック教会に加入する以前は、マニ教に属していた。 マニ教は、西暦三
世紀に生きたマニという人物によって樹立された。マニ教は中近東の ...

叡智の光_マニ教概説・序説 Introduction of Manichaean Religion
www.joy.hi-ho.ne.jp/sophia7/mani-ri.html


* キャッシュ
* 類似ページ

2004年8月2日 ... マニは、マニ教の教義綱要をみずから著した最初の教典『シャープーラカーン』を王に献
げる。これに続いてマニは、数多くのマニ教教典を著すが、その大部分は散逸し今日
残っていない。マニは大宗教の開祖であって、かつみずから教典を著 ...

***************************
桃源郷: 雲外の峰 ‎
http://takusen2.seesaa.net/article/114435516.html

* キャッシュ

2009年2月18日 ... 桃源郷. 陳舜臣 集英社 01.10 桃源境といえば、陶淵明の「桃花源記」による「武陵桃源」だが、著者は場所を武陵から離れて雲南に求めた。それによって「境」を「郷」に
替えたという。そのため、大理や麗江に旅をした。
 

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2015年02月21日(Sat)▲ページの先頭へ
科学とこころ:知性とこころと肚:こころは「理性」、太極(太極氣、太一氣)、精神・霊=スピリット
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11992649752.html

科学とこころ:知性とこころと肚:こころは「理性」、太極(太極氣、太一氣)、精神・霊=スピリット

テーマ:GP陰陽哲理学(ガウス平面陰陽哲理学)

近代(西洋)文化史的には、啓蒙思想とロマン主義の対立があった。合理主義と情感主義の対立とでも言えばいいだろう。(追記:本居宣長の漢心VS大和心は類似していよう。しかし、宣長には、パラドクシカルであるが、前者が強くあったと思う。)
 科学は、当然、前者であり、後者を排除してきた。そう、デカルト哲学の(負の)遺産である。
 私は個人的に、大いに、知性と感性の分離と再結合の問題に関ってきた。結局、それで生まれたのが、不連続的差異論であり、PS理論であり、今や、太極陰陽哲理学(GP陰陽哲理学と改称した。ガウス平面陰陽哲理学Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience)である。
 私なりに問題が片づいたのであり、諒解してしまえば、何てことはないのである。
 結局、二元論では解決できないのである。知性と感性の二元論では、両極に振幅して、統合できないのである。(追記:カントの『判断力批判』は、知性と感性を統合するため、媒体・媒介として、構想力=想像力を提起した。しかし、構想力は「こころ」=太極のもつ一元的根源性、いわば、ドンス・スコトゥスのいう「存在の一義性」が欠落していると思われる。)
 結局、感性を「こころ」性と「肚」性に分ける必要があるのである。この点で、東洋哲理学が完全に正解であった。
 道教の上丹田、中丹田、下丹田という三元論、あるいは、ヨーガの7つのチャクラのいわば七元論の視点は、二元論を超えているのである。
 陰陽哲理学(ガウス平面陰陽哲理学、略して、GP陰陽哲理学と呼んだ方が明快である。あるいは、複素平面陰陽哲理学だから、CP陰陽哲理学である。

***************************

参照:

            凸i陽
             |
             |
             |
             |
             |
−1地______MP______+1天
(重力)         |          (光)
             |
             |
             |
             |
            凹i陰


         陰陽ガウス平面

(尚、MPはMedia Pointであり、原点・交点・次元転換点等である。)
 また、GP陰陽方程式がある。即ち、

凹i*凸i⇒±1

である。
 凹iは陰を、凸iは陽を表わし、両者、虚軸にあり、±1は実軸にある。
 *は陰陽極性力学を意味する。実際は乗法である。陰凹iが主導のときは+1,陽凸iが主導のときは、−1となる。
 ⇒は次元転換を意味する。氣エネルギーが現象エネルギーへと転換する事象を意味している。
 ハイデッガー哲学の存在は、この⇒と見ると適切かもしれない。おそらく、時間が⇒である。

***************************

GPは、Gaussian plane、CPはcomplex planeである。)から云うと、陽が知性であり、陰が肚性であり、陰陽調和がこころ性である。こころは、理性、氣、精神・霊=スピリット(追記:太極でもある。太極氣ないし太一氣という言い方も可能ではないだろうか。)とも言えようか。
 この陰陽バランスによって、知性と感性は統合化されるのである。もちろん、自然の揺らぎはあるが。
  
 ところで、現代日本人であるが、自我に傾斜しているのである。そう、自我とは、知性と結びついているが、自我は感情・欲望があるので、知性は曇り、濁る(曇濁する)のである。
 自我感情・欲望から知性は離脱する必要がある。
それは、私において、不連続的差異論によってもたらされたのである。
 自我は同一性作用をもっているので、感情・欲望と同一化するのである。ここで、知性が感情・欲望と結合するのである。そして、知性が利己主義化し、曇濁するのである。
 GP陰陽哲理学(GP陰陽哲理)の視点から見ると、知性を自我の感情・欲望から分離するには、前者と後者の不連続的切断意識が必要なのである。
 それは、「こころ」(中丹田)を支点にするのである。
 「こころ」は精神・霊であり、自我的感情・欲望とは別の次元にあるのである。そこで、「こころ」と自我を意識的に不連続的に切断するのである。
 「こころ」の領域・次元によって、自我感情・欲望は、抑制されるようになるのである。もっとも、「こころ」の陶冶涵養が必要であるが。
 とは言え、自我感情・欲望(「煩悩」)が消滅するわけではなく、制御されるのである。
 この「こころ」であるが、実は、ロマン主義における情感に内在するものであり、ロマン主義を完全に否定するのは誤りである。
 だから、合理主義はそれだけでは、誤りである。
 とまれ、ロマン主義的情感の「こころ」を取り出して、頭(自我)と肚(おそらく、意志)とのバランスを取るようにすべきである。
 そう、頭脳とこころと肚との三幅対・三一体・トライアッドを形成すべきである。
 現代日本人に戻ると、「こころ」、肚が未発達であり、そのために、自我作用が主導的である。しかし、個的自我ではなく、集団的自我である。自己と他者の同一性反射回路における自我である。
 思うに、そこにおいて、悪が支配していると思う。
 善である「こころ」を排除しているものがそこにあると思われる。
 それは、自我のルシファー&アーリマン結合体制ではないだろうか。
 いわば、悪魔の憑依である。某国の首相やその支配層は完全にそうである。
 つまり、自我を構成する「存在」として、ルシファーとアーリマンの二元論があるということではないだろうか。
 この悪の二元論は形而上学的なのだろう。
 とまれ、この悪の自我は、自我中心主義、利己主義であるから、他者を否定排除していくだろう。有り体に言えば、殺戮するということである。
 これが、今の日本が嵌り込んだ事態である。
 私見では、これは日本父権民族が中心となるのである。どうも、これは、日本民族のカルマである。カルマの清算としての亡国そして復興・復活ということなのではないだろうか。新母権民族の新倭国である。

追記:キリスト教三位一体(父ー子ー聖霊)を、GP陰陽哲理学の視点から見ると、父=太極・太一、子=⇒+1、聖霊が陰陽調和であろうか。しかし、陰陽極性が欠落しているのがわかる。
聖母マリアをもってくるのは、その点で適切だろう。
 何故なら、聖母マリアとは、母権的であり、陰陽調和的であるからである。
 とまれ、陰陽対極・両極・双極性を欠落していること、これが西洋文明文化の最大の欠陥であろう。二元論(二項対立)に陥ってしまったのである。陰陽極性と二元論(二項対立)は似て非なるものである。

追記2:ヘーゲル弁証法であるが、それは、陰陽対極性と二元論の混淆ではないだろうか。
 正反合であるが、合は陰陽バランスと見ることができる。
 しかし、反の否定が強い。正と反は背反するのである。しかし、両者を牽引するものが見えないのである。
 思うに、合の作用において、牽引があるということなのであろう。
 しかし、陰陽的牽引はそこには見えないと思う。何故なら、正反の二元論は二項対立であり、陰陽対極性の牽引要素がないからである。つまり、ヘーゲル弁証法は二元論(二項対立)と陰陽対極性(陰陽論)の折衷であると言えるのではないだろうか。


参照:
「もののあわれを知る」とは、マニ教的では?

テーマ:マニ教新時代:対立を超えて赦し寛恕仁慈
たまたま、小林秀雄の『本居宣長』を見つけて、ふとんの中で、拾い読みした。
 引用されている本居宣長の文章は、気持ち悪いのである。
 相当な曲者である。
 私は、漢心(からごころ)を批判し、大和心を説く宣長は、狭量なナショナリズムの提唱者と感じ、反発してきたのである。
 しかし、ふと視点が変わった。
 「もののあわれ」ないし「もののあわれを知る」とは、実は、マニ教的普遍的視点ではないのかということである。
 「大和」に「こころ」を限定している点で狭量なナショナリズムがある。しかし、それをとり払ってしまえば、「こころ」の普遍主義ではないかと思ったのである。
 今の勘では、宣長は、母権文化を父権文化の枠に限定して説いているのではいうことである。

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http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11992526320.html

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2015年02月15日(Sun)▲ページの先頭へ
二つの日本:明治維新以前の日本と以後の日本:母権・父権統合日本と母権排除父権日本
画像等は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11990085177.html

二つの日本:明治維新以前の日本と以後の日本:母権・父権統合日本と母権排除父権日本

テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史

私の日本民族仮説は以下の参照2に一番よく表れている。
 簡単に復習すると、古代において、三つの民族が大和朝廷を構成した。伽倻族、新羅族、百済族である。三つの民族の三幅対・三重構造・三位一体である。
 しかし、伽倻族が主導支配的であり、全体を指導した。
伽倻族は敗北主義的農耕集団父権主義であり、新羅族はスキタイ系好戦性をもち、百済族は天皇王制で母権民族である。
 この三幅対は、伽倻族が主導的であったとは言え、全体においては、いわば、父権⇔母権陰陽バランスを保ち、それが明治維新まで継続した。
 しかし、明治維新は、伽倻・新羅の父権主義が百済母権主義を排除して、それが突出して生まれたものであり、伝統的な日本国政体は破壊された。
 伽倻・新羅的父権的国家であるが、それは、排他的な自民族中心主義であり、また、狂信的好戦性をもっていた。
 狂信は思うに、伽倻族から、好戦性は新羅族からのものである。
 この狂信的好戦性は、凶暴残虐非道無道であり、これが、東・東南アジア戦争をもたらし、諸国民に膨大な犠牲をもたらした。
 しかし、敗戦後において、似非日本国は、伽倻・新羅民族に拠る権力体制を解体せず、残存させてしまったのである。
 この残存した明治維新後の戦前・戦中の狂信暴虐好戦的な伽倻・新羅民族権力体制が今日の某首相の政府へと帰結していると考えられる。
 極論すれば、まったく異質な二つの民族が「日本」に併存しているのであるが、国民はそれに気付かないのである。
 例えば、英国の場合、ケルト系とアングロ・サクソン系に分れる。前者は母権的であり、後者は父権的である。
 それは見やすいことである。
 そのような二元性が「日本」において、認識されていないのである。
 それは、大和朝廷による天皇制が、単一民族的統一国家を形成したというイデオロギー(イデオロギーには映像が関係するので、
ヴィデオロギーという語を造語してもいいだろう。)に拠るのではないだろうか。
 否、それより、明治維新に拠る「天皇制」による統一国家のイデオロギー=ヴィデオロギーに拠ると言えよう。本来、多様な民族から成る日本国が単一民族から成る国家とされたのである。
 結局、現某国の破滅的事態は明治維新の帰結・負の遺産と言えよう。

追記:ロシアがロシア革命を否定したように、日本も明治維新革命を否定する必要があるだろう。
 そう、母権民族が主導する必要があるのである。先に唱えた神聖天皇制は無理であるから、母権天皇文化は残し、母権的政体を形成する必要がある。
 ロシアの同じように、内部に巣くった專争邪を追い出す必要がある。
 とまれ、放射能汚染で、能天気な伽倻的民族の国民は滅亡するだろう。そこから、日本の精華である母権民族が新倭国を創建すべきである。

参照:
陰陽均衡の日本伝統文化から父権中心母権排除の明治維新の狂信的精神風土への転移

参照2:

伽耶主導三極父権・母権陰陽体制(明治以前)と伽耶・新羅二極父権体制(明治維新後)
テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史
先に以下のように書いたが、思うに、明治維新まで、日本の政体は、伽耶主導の三極体制(伽耶-新羅-百済)であったと思われる。
 もっとも、江戸時代後期になって、それが分裂しだしたと思われる。伽耶-新羅父権路線と百済母権路線の分裂である。前者は国学イデオロギーをもち、尊王攘夷を振り翳し、そして、父権化された天皇制国家を形成したと思う。それは、伽耶−新羅の二極路線であり、それまで護持していた百済母権路線を排除したものと思われ、日本の政体の伝統を逸脱したものと思われる。
 父権と母権、つまり、陰陽バランスをもっていた、日本の政体が崩壊し、父権に傾斜した体制ができあがったと考えられる。
 問題は、伽耶-新羅体制の意味するものである。私は国学イデオロギーを問題にするのである。
 私は国学は父権的反動であると見ているが、それは、好戦的新羅父権的反動というより、伽耶稲作集団父権民族の反動が主体ではないかと思う。
 民族集団中心主義が生まれたと思うのである。そう、自民族中心主義であり、中国、朝鮮他を排他的に排除したのである。
 これに私は新羅父権民族の好戦性が重なり、尊皇攘夷イデオロギーが生まれて、きわめて排他かつ戦闘的イデオロギーが生まれたと思うのである。国家神道の前身である。
 この伽耶主導の伽耶・新羅二極父権体制、このいわば狂信的体制が明治維新以後、支配的になった思われる。
 しかし、伽耶の敗北主義、強者に媚び諂い、従属し、弱者を暴虐する姿勢態度がそれには色濃く残っていると考えられる。
 伽耶の敗北主義的狂信排他的民族集団、これが、ベースにあり、新羅父権民族の好戦性を吸収したとものと思われる。
 これは、悪霊的破滅・自滅集団である。

******************************************
伽倻主導三元体制:伽倻稲作集団父権民族と新羅スキタイユダヤ父権民族と百済ツングース・扶余母権民族
テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史

先に、以下のように、伽倻族が、母権百済族と父権新羅族を支配していると仮説した。もっとも、土着母権縄文族、母権海洋族等は便宜上、省いているが。
 似本の支配・権力層は確かに、好戦的姿勢を取っているが、果たして、本質的に好戦性をもっているのだろうか。
 狡猾なので、新羅族の好戦性を利用しているだけではないだろうか。
 一見、某首相の姿勢は好戦的であるが、果たして、本質的にそうなのか。
 やはり、古代において、伽倻族が新羅族を支配したとき、後者の好戦性を利用する狡猾な手段を取るようになったのではないだろうか。好戦的なポーズをとれば、好戦的な新羅族を利用できるはずである。
 どうも、このように考えた方が、伽倻族が好戦的であると見るより、合理的であるようだ。
 伽倻族が好戦的であると見る場合は、やはり、伽倻族が、新羅族と融合した見ることになるだろう。
 しかし、融合だと、新羅族にも主導性が生じるのである。
 ちょっと、あいまいになってきた。
 後代の武士層の生成を考えると、やはり、好戦的新羅族がなんらか、支配層に存したと見るべきではないのか。
 そうならば、伽倻族だけが主導的であったのはなく、伽倻族と新羅族の融合した民族(融合民族)が主導的であったことになる。
 そうすると議論は元に戻る。それは、私の最初の作業仮説であったからである。
 ここで、新たな作業仮説を提示すると、日本古代においては、伽倻族、新羅族、百済族の三民族の三幅対、三重構造、三つ巴の権力体制があったとするのである。
 三元ないし三極民族体制である。これが、古代天皇制の実体、本体となる。
 だから、『日本書紀』は、この三元(三極、三重)民族体制の様相が描写・活写・実写されているというようにも考えられる。(追記:思うに、この三元体制の実相が、装飾・潤色・創作はあるものの、活写されていると言う方が適切だろう。汩
 神武天皇、雄略天皇の好戦性は、新羅族のそれを表現しているということになるし、仁徳天皇の仁慈ある治世は、百済族主導の統治を意味し、また、中央集権体制=律令制は、伽倻族の専制に因るものではないだろうか。
 ということで、現時点での新仮説として、日本古代は、伽倻族、新羅族、百済族の三つの異なる民族の併存併合混合混淆する三元・三極・三重体制であったとしたい。

追記:伽倻ー新羅ー百済の三元体制を仮説したが、やはり、その中では、伽倻族がもっとも主導的であったのではないだろうか。
 だから、伽倻主導的三元・三極・三重体制を大和朝廷の政体の本質としたい。

追記2:明治国家であるが、それは、この伽倻主導の三元体制から、百済母権民族が抜けている(追記:というよりは、百済母権民族の天皇王制が形式化され、つまり、「天皇制」化されて、きわめて、抑圧されたものになったのではないだろうか。完全には排除はしていないだろう)、伽倻主導伽倻・新羅二元体制ではなかっただろうか。百済母権民族の天皇王制は、形式として形骸的に利用されたということだろう。いわば、父権天皇制、独裁天皇制、専制天皇制となったと思われる。

**************************
後期弥生稲作民族(伽倻族)が、母権(扶余百済族)的と父権的(スキタイ新羅族)両騎馬民族を支配する

テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史

先に以下のように、日本国を主導(支配)している民族を推測した。
 やはり、2が支配的であると思う。その力学をもう少し説明すると、以下に仮説したように、日本古代において、三つの主要な民族の三幅対、三重構造、三つ巴があったとする。
 しかし、主導・支配的なのは、後期弥生農耕集団父権民族(伽倻族)と考える。
 彼らが背後、影で、母権的な百済族(天皇族)と父権的な新羅族(好戦的民族)を利用-操作-支配しているように推察されるのである。
 『日本書紀』はそれを物語っているように思える。
 例えば、有名な神武東征であるが、それは、伽倻族が好戦的な新羅族を利用して、為さしめた(あるいは、創作した、虚構した)ことではないだろうか。
 また、天皇制自体であるが、それは、母権的な百済族の天皇王国の政体を簒奪して、加工利用しているように推測できるのである。
 好戦性と平和性がイデオロギー的に利用されているのである。
 そして、伽倻族の集団主義が、日本国民全体に「伝染」しているように思うのである。これは、支配者「伽倻族」の思うつぼである。
 また、強調すべきは、伽倻族は、狡猾で利に敏いが、頭はよくない点である。つまり、集団的思考なので、明晰明確・的確正確な思考ができないと考えられる。
 そして、敗北主義であり、強者に媚び、屈従・隷従し、弱者に強圧暴虐的に振る舞うのである。
 それで、その末裔が後代、千争邪に騙されて、殲滅破滅を被るという図式ではないかと思う。
 東アジア世界戦争(「大東亜戦争」)は、伽倻族が千争邪の謀略・計略に嵌められた戦争だと思う。
 犠牲になったのは、母権的天皇族であり、父権的好戦的新羅族であろう。もっとも、伽倻的人民も犠牲になったことは当然であるが。

追記:上記のように考えれば、アマテラスがスサノヲを嫌ったことの意味も判明するだろう。つまり、伽倻族が、百済天皇王制を利用しつつ、好戦的新羅族をアマテラスに投影しつつも、天皇制イデオロギーから同じく、新羅族であるスサノヲを排除したということではないだろうか。
 ただ、問題は、出雲神話とスサノヲ(新羅族)の関係である。出雲神話は母権神話と考えるが、それと新羅をどう結びつけるのか。
 思うに、母権と父権の違いはあれ、二つの騎馬民族は友好的であったのではないだろうかと今仮説するのである。


追記2:果たして、スサノヲを父権的新羅族と見ていいのか。ちょっとマザコンぽいスサノヲは、母権民族ではないだろうか。ならば、新羅族の好戦性を投影されたアマテラスが、天皇制父権的イデオロギー位階秩序から、母権的スサノヲを否定排除するのは、まったく必然の力学である。

結局、薬局、北極、日本において何民族が主導しているのか

テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史

私の仮説では、二つの主導民族がある。

1.後期弥生農耕集団父権民族とスキタイ(/ユダヤ)系遊牧父権新羅民族の融合した民族

2.後期弥生農耕集団父権民族

である。
 最近のイメージでは、2に傾いている。しかし、確定的ではない。
 私の脳裏では、藤原不比等の存在がある。彼は、1というより、2に属するような感じである。
 どうも、今のイメージでは、三つの主要な民族が基本にある。後期弥生民族(伽倻)と父権遊牧民族(新羅)と母権遊牧民族(扶余・百済)の三つである。
 日本古代において、この三幅対が存在していたのではないだろうか。そして、後期弥生民族(伽倻)が支配的であり、他の二つの民族を服属させていたのではないだろうか。
 伽倻は敗北主義ながら、隠微狡猾である。これは、今の現政権に繋がると思うのである。
 そう、現政権の好戦性であるが、実は、これは、父権遊牧民族(新羅)のそれを利用しているだけではないだろうか。ずる賢い、悪賢い賤民である。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11988393633.html


天皇制国家の源流7 ツングース(百済)やモンゴル(新羅)に追われた呉越 ...
天皇制国家の源流7 ツングース(百済)やモンゴル(新羅)に追われた呉越(伽耶)が大和朝廷

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画像はこちら からお借りしました。
「天皇制国家の源流6 朝鮮の支配階級の源流」 では、次のことを明らかにした。
【1】韓人(呉人)・倭人(越人)が農耕部族連合を形成していた朝鮮半島に、遊牧騎馬民族である扶余族(ツングース系)が断続的に南下してきた。彼らが建てたのが、辰国→馬韓→百済や高句麗である。
このように、辰国→辰韓→百済と高句麗は元々は同じ扶余族(ツングース系)である。
【2】それに対して、秦に追われて華北から逃れてきた秦亡民(主力はモンゴル系)が建てたのが辰韓→新羅である。
馬韓(後の百済)ではツングース系の扶余族が呉越系の韓人・倭人を直接支配し、
弁韓(後の伽耶)では扶余族が韓倭農耕連合を服属させ、
辰韓(後の新羅)では秦に追われたモンゴル系部族がツングース系の扶余族に服属しながら、韓人・倭人を支配していた。
これが、古代朝鮮の支配構造である。
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以下、『「日本=百済」説〜原型史観でみる日本事始め』(金容雲著 三五館刊)「第四章 謎の辰国を追ってみると」 から、辰国→馬韓→百済や高句麗の出自を要約する。

ユーラシア大陸の極東に位置する韓半島の地理は、西海岸から大陸文化が流れ込みやすいようになっている。もちろんシベリア沿岸州経由で東海岸ルートもあるが、山脈が海岸線に迫り、島もなく、文明の主流は西側であり、国家の形成も遅れた。そのような地勢学を背景に南韓には馬韓・辰韓・弁韓(弁辰)があった。
三韓の馬韓・辰韓・弁韓の後身が百済・新羅・伽耶。伽耶は6世紀に滅亡し、韓半島の三国(百済・新羅・高句麗)となる。
重要なことは、南韓のほとんどの国の王が扶余系出身だったということ。
辰国領土の各地に馬韓・辰韓・弁韓の三韓が派生するが、実質的に辰王族出身の馬韓王系が、辰韓・弁韓の王になった。
倭国を訪れた隋の使節は『隋書』に、倭の秦王の国があるとしている(この「秦」は「辰」の誤写)。
倭国は7世紀半ばまでも辰王の国と見なされていた。韓半島と日本列島の古代王国の首長は、すべて騎馬民族出身で同じ扶余系、つまり辰王家出身者であった。
天皇の辰王系説を正式に否定したのは『記紀』以後のことで、それまでは辰王・辰国につらなる正当性を以って、半島と列島での主権を主張していた。

辰国は扶余族の一部で、同じ扶族出身の高句麗建国に先立ち紀元前4世紀頃、韓半島に入り、遼河と平壌にわたる一帯に建国し、鴨緑江流域に高句麗勢力が建国すると南下し、平壌が中心となる。
その後、漢の植民地漢四郡が設置されると、辰国はそれに押されて帯方郡に隣接した漢江以南に国を移した。
それ以前、南韓には、緩い組織の稲作中心の諸部族国家が散在していた。
辰国は馬韓以外の地域を直接統治してはいなかったものの、辰国の王族の子弟を派遣して在地の諸部族の連合体を構成し、辰韓・弁韓にまとめあげた。
それら分国(辰韓・弁韓)の王が辰王家出身で、辰王の直系が馬韓で「辰王(馬韓)だけが南韓の王になれる」という信仰は、北から民族移動をしてきた扶余系の騎馬民族集団が共有した。
但し、辰王は宗教的・象徴的な性格の存在であり、強力な統一国家ではなかった。
『後漢書』によると、辰王は馬韓の中に別途に目支国を置き、そこで南韓全体を支配していたという。それはヴァチカン市国がローマの中にあり、ローマ法王が宗教面で欧州の各王の上にあったのに相当する権威が、辰王にもあったと考えられる。すなわち、「扶余系の太陽神の直系が各国を治める権威を持つ」という思想である。
辰王は、宗教的権威で三韓に君臨して馬韓の中にある目支国を拠点にしていた。辰王を戴く辰国から農耕民を母胎とした三韓が生まれ、紀元前後に扶余系の遊牧騎馬民族が南下し、三韓をもとにした三国を樹立する。しかし尚、その初期においては辰王の権威は無視できなかった。
辰王の直系が馬韓王、その王族が辰韓・弁韓の王となって派遣されたという。
扶余系の高句麗から百済が分派・南下し(つまり、百済と高句麗は同根)、辰国の正当継承者である馬韓を吸収することで、百済王が辰王の地位を得る。百済王はその権威をもって新羅・加耶の王を任命した。初期三国の王家は辰王家出身であることが原則で、その権威は大きかった。
紀元前2世紀から紀元後1世紀にかけて、三韓から三国(百済・新羅・伽耶)に移行する。その変革の最も大きな理由は鉄器の普及にあり、百済・新羅がはっきりした国の体制になり、伽耶も統一こそしなかったものの連合勢力の王権が強化された。
初期の新羅王までは辰王系を継承した百済王家出身だったが、その後の新羅ではその原則が守られなくなった。新羅には姓の異なる複数の王が登場し、その後の新羅は辰王推戴の原則が守られなくなり、その時点で百済は扶余王直系と主張するようになってゆくと考えられる。
三国間の争いが激しくなるにしたがい、辰王の物理的な実力のない宗教的な権威は無視され、半島の正史にすらその名を留められないようになる。韓国史家の間でも、辰国は想像の産物と思われるようになった。

【2】このように、辰国→辰韓→百済と高句麗は元々は同じ扶余族(ツングース系)だが、新羅は別の部族(モンゴル系)らしい。
以下、『「日本=百済」説〜原型史観でみる日本事始め』(金容雲著 三五館刊)「第四章 謎の辰国を追ってみると」 から、新羅の出自を要約する。

新羅は高句麗・百済とは別系統でありながらも、初期に馬韓王に指名された王、すなわち百済人を推戴している。中国史書の記録では「新羅人は辰韓の出身でありながら、辰韓王は常に馬韓人」(『梁書』「新羅伝」)、「新羅の前身辰韓王は馬韓人」(『晋書』「辰韓伝」)とある。
しかし、その後の王族は扶余系ではない別系統の王を輩出する。
新羅王家には朴・昔・金という3つの姓氏があった。
王の称号も第1代が「居西干(コセガン)」、2代が「次次雄(チャチャウン)」、3代から18代が「尼師今(イサグム)」、19代から22代は「麻立干(マリッカン)」であり、23代以後は中国式の「王」を使うが、それ以前は4つの王号があった。号が異なるということは民族が異なることを示唆する。
新羅の支配階級は、シベリアを横断して日本海側を南下して、迎日湾付近から慶州平野へ進出したスキタイ族に近い勢力であったと思われる。
実際、新羅の文化は、扶余系の高句麗・百済のものと大きく異なり、シベリア・スキタイ系文化の特色が見られる。また、『後漢書』「辰韓伝」によると新羅の前身である辰韓の言葉は高句麗や百済の言語とは違っていた。
中国史書『晋書』「辰韓伝」によると、新羅の前身である辰韓の建国は、秦の始皇帝の
万理の長城建設に動員された塞外地帯の民がその労役をさけて移動をしてきたため、馬韓が領土の東部の一部を割譲したことから始まったとある。このことは、辰韓→新羅が扶余族とは異なる民族であることを示唆している。
新羅王家は少なくとも朴・昔・金の三家が交代していることから、「王は神であり、他の姓とは替えられない」という扶余系の現人神思想が新羅にはなかったと推測できる。

まとめると、次のようになる。


【1】紀元前5〜4世紀、中国戦国時代に滅んだ呉人(韓人)、越人(倭人)が朝鮮半島に流れ着き、農耕社会を形成した。(一部は日本列島に流れ着き、弥生社会を形成)。


【2】紀元前4世紀〜、遊牧騎馬民族であるツングース系の扶余族が朝鮮半島を南下。朝鮮半島西部に辰国をつくり、朝鮮半島南部・東部の韓倭農耕部族連合を服属させた。
これがそのまま、馬韓(西部)・弁韓(南部)・辰韓(東部)となる。
つまり、三韓とは、ツングース族(扶余族)が韓人・倭人(呉越人)を服属させた社会である。


【3】スキタイ系部族の影響を受けた(or混融した?)モンゴル系部族が、秦に追われて南下し、馬韓から辰韓の地を割譲してもらい支配した。これが新羅の源流である。そして、辰韓は馬韓に服属していた。
秦支配から逃げる過程で一部は海に脱出、出雲・敦賀に流れ着き丹波・大和に拠点をつくったのがスサノオ・オオクニヌシ・ニギハヤヒなどの新羅勢力だと考えられる。(管理者:この点は疑問がある。)
(秦の始皇帝を騙して日本列島に脱出した徐福の伝説と同じ構図である。)


【4】さらに、辰国とは別の扶余系部族が、高句麗を建て南満州〜北朝鮮を支配。その分派の百済が朝鮮半島を南下し馬韓を奪取。弁韓(→伽耶)と辰韓(→新羅)を服属させた。
つまり、ツングース系の扶余族(百済)が、韓倭農耕部族連合(伽耶)とモンゴル系(新羅)を服属させた。ところが、新羅はすぐに百済から独立し、弁韓(→伽耶)を侵食しながら、百済と対抗するようになる。
そして、百済(ツングース)や新羅(モンゴル)に追い詰められた伽耶(韓倭農耕部族連合)の一派が、日本列島に逃れてきた。そして、先着していた新羅勢力(オオクニヌシやニギハヤヒ)を追い出しor服属させたのが、第一期大和朝廷(天孫族)である。
つまり、大和朝廷の原点は、春秋戦国時代に滅亡した呉越の生き残り(韓人・倭人)が、さらに、ツングース系の扶余族(高句麗・百済)やモンゴル族(新羅)に追われて日本列島にやってきた二重の敗残者である。
これが「属国意識の源流〜日本の支配階級に刻印された敗北思考(体裁思考)」 の理由ではないだろうか。
敗北主義にもかかわらず彼が生き延びることができたのは、流れ着いた先の日本列島は、圧倒的大多数を縄文人が占める平和な共同体社会とお上捨象体質だったからである。それをいいことに、彼ら伽耶勢力は日本に君臨することになった。
つまり、大和朝廷(伽耶勢力)とは、敗北思考にも拘わらず君臨するという、世界中でも稀に見る特異な性格の支配者なのである。
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2012/11/2410.html

天皇制国家の源流(葛城ネットワーク)まとめ1 日本と朝鮮の支配部族の源流

http://blog.nihon-syakai.net/blog/2013/01/2475.html

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2015年02月14日(Sat)▲ページの先頭へ
陰陽均衡の日本伝統文化から父権中心母権排除の明治維新の狂信的精神風土への転移
リンクは以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11989675549.html

陰陽均衡の日本伝統文化から父権中心母権排除の明治維新の狂信的精神風土への転移

テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史

先に以下のように書いた。

天皇(雄略天皇)、琴の声を悟りたまひて、その罪を赦したまふ
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11989226760.html

「明治維新は、先に仮説したように、伽倻ー新羅父権民族に拠るものであった。そこには、百済母権文化が欠落しているのであり、それが、今日まで尾を引いているのである。
 ナニガシ首相は、正に、伽倻ー新羅父権民族の好戦性をもっていると思う。しかし、本質は伽倻的で、新羅的好戦性を利用していると思うが。
 国民も、伽倻ー新羅父権民族「文化」・ヘゲモニー的「空気」に汚染・感化され、百済母権文化を喪失してしまった。天皇皇后両陛下は、それを護持しているが。」

 私は明治維新以前にあった百済母権文化、正確に言うと、縄文母権文化=前期弥生農耕母権文化=海洋母権文化=百済母権文化の母権文化複合体は明治維新以後、どうなったかと思った。
 私は昔から、神仏分離令、排仏毀釈が日本伝統文化を破壊したと感じていた。神仏習合に直感的に私は親和していた。
それは、森(森と言っても、雑木森や原生森である。杉が植樹された人工森ではない)に対する情感と似る。それは、抽象的に言えば、多様なものの交錯・混淆体・渾然一体性への親和性である。
 とまれ、日本母権文化は仏教あるいは神仏習合が担ってきたと思う。
 そう、百済母権文化ないし日本母権文化は仏教が神道と結び担ってきたと思う。
 しかし、国学イデオロギー(日本父権主義)から進展した明治維新は、神仏分離令によって、日本母権文化を破壊したと思う。
伝統的日本が壊れたのである。日本は別の國になったのである。
 仏教ないし神仏習合が担ってきた日本母権文化が排除否定され崩壊した後、それはどうなったのだろうか。
 現天皇皇后両陛下は日本母権文化を体現されているが、それ以外にどのような事態になっているのだろうか。
 今や仏教はビジネス仏教である。もっとも反抗的仏教徒はいるが。
 そう、民俗学が母権的である。南方熊楠、柳田国男、折口信夫。
 そして、哲学者の西田幾多郎や仏教者の鈴木大拙がそうだろう。
 文学者は漱石、宮沢賢治、等々がそうだろう。(追記:俳句は母権文化であろう。芭蕉の俳句は最深の倭国・日本母権文化だと思う。芭蕉の凄みは一見わからない。短歌もそうだろうが、日本人には俳句がぴんときよう。)
 青鞜社もそうだろう。
 しかし、何か、決定的なものを欠いていたようである。
 日本には父権文化と母権文化があるということの認識の欠落だと思う。
 結局、明治維新と戦後の脱亜入欧や近代主義イデオロギーによって、日本人の認識力が破壊されたと思う。
 とまれ、明治維新まで、仏教ないし神仏習合が日本母権文化を保持してきたと仮説することができた。
 思うに、この習合文化、日本母権文化は、マニ教的なのではないだろうか。マニ教は、宗旨にこだわらない、直感の宗教である。
 日本母権文化はマニ教の影響があるのではないだろうか。日本人の、一見杜撰な行動様式はそれではないだろうか。初詣、葬式仏教、クリスマス等々。何でもありである。
 無宗教と云われているが、本質はマニ教的純粋性ではないだろうか。

追記:弓道等の武芸は日本陰陽文化である。母権と父権の結合である。剣道、柔道、等々。風朕が柔道や日本の武芸に魅かれるのは、日本伝統文化への親和性があるからだろう。
 

参考:

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廃仏毀釈 - Wikipedia


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僧尼など出家者や寺院が受けていた特権を廃することを指す。「廃仏」は仏を廃し(破壊)
し、「毀釈」は、釈迦(釈尊)の教えを壊(毀)すという意味。日本においては一般に、神仏
...
2.
排仏毀釈は日本人の精神を狂わせた:国学こそ、反日本思想である:脱 ...

2010年3月22日 ... 廃仏毀釈(はいぶつきしゃく、廢佛毀釋)とは仏教 寺院 ・仏像・経巻を破毀し僧尼など
出家 者や寺院が受けていた特権を廃するなどを指す。排仏棄釈とも。文献によっては「
廃仏稀釈」と表記されることもあるが、誤用である。 明治の廃仏毀釈 ...
3.
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変革の手段として文化破壊のエネルギーが利用されるのは歴史の常套だが、この排仏
毀 ...
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排仏毀釈と国家神道:「一神教」思想が二方面に - 實川幹朗の世界学ブログ

2014年3月5日 ... 排仏毀釈は近代の日本に大きく影を落とす運動である。しかも下から盛り上がった動き
で、不可思議な歴史であった。私にはそう映る。島薗進氏によると背後に儒教がある
そうだ。なるほど気付かなかった。だが儒教はずっと幕府の官学だった。


1.
神仏習合 - Wikipedia


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信仰体系として再構成(習合)された宗教現象。神仏混淆(しんぶつこんこう)ともいう。
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による ...
2.
7. 日本の神々と仏たちの正体 - 5. 「神仏習合」とは何か



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ところが、朝鮮から「日本の朝廷に献上される」という形で日本に「仏教」が伝来してくると
、この伝来の神々と仏教とは融合してしまうのでした。それを一般に「神仏習合」と呼んで
います。 この「仏教」と「神道」の習合の原因や仕方はさまざまですが、それを見ること ...
3.
神仏習合



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神仏習合については、説明が非常に難しく、私自身も理解が十分ではありません。 (*^_
^*) そこで、「神社ふしき探検」( ... 一方、仏教も、古代インドの在来宗教との習合、中国
の道教との習合を経て、日本に伝えられました。 それだけに豊かな経験と柔軟性が ...
4.
日本の宗教−神道と仏教の歴史的関係− - Biglobe


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日本の宗教−神道と仏教の歴史的関係−. 神仏習合(しんぶつしゅうごう). 日本固有の
神祇信仰と仏教が混ざり合い、独特の行法・儀礼・教義を生み出した宗教現象。他文化
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させた仏教側の要因, 11、昔からあった舶来信仰. 5、仏の多身説, 12、公的には神道、
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1.
マニ教 - Wikipedia


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2015年02月13日(Fri)▲ページの先頭へ
伽耶主導三極父権・母権陰陽体制(明治以前)と伽耶・新羅二極父権体制(明治維新後)
伽耶主導三極父権・母権陰陽体制(明治以前)と伽耶・新羅二極父権体制(明治維新後)

テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史

先に以下のように書いたが、思うに、明治維新まで、日本の政体は、伽耶主導の三極体制(伽耶-新羅-百済)であったと思われる。
 もっとも、江戸時代後期になって、それが分裂しだしたと思われる。伽耶-新羅父権路線と百済母権路線の分裂である。前者は国学イデオロギーをもち、尊王攘夷を振り翳し、そして、父権化された天皇制国家を形成したと思う。それは、伽耶−新羅の二極路線であり、それまで護持していた百済母権路線を排除したものと思われ、日本の政体の伝統を逸脱したものと思われる。
 父権と母権、つまり、陰陽バランスをもっていた、日本の政体が崩壊し、父権に傾斜した体制ができあがったと考えられる。
 問題は、伽耶-新羅体制の意味するものである。私は国学イデオロギーを問題にするのである。
 私は国学は父権的反動であると見ているが、それは、好戦的新羅父権的反動というより、伽耶稲作集団父権民族の反動が主体ではないかと思う。
 民族集団中心主義が生まれたと思うのである。そう、自民族中心主義であり、中国、朝鮮他を排他的に排除したのである。
 これに私は新羅父権民族の好戦性が重なり、尊皇攘夷イデオロギーが生まれて、きわめて排他かつ戦闘的イデオロギーが生まれたと思うのである。国家神道の前身である。
 この伽耶主導の伽耶・新羅二極父権体制、このいわば狂信的体制が明治維新以後、支配的になった思われる。
 しかし、伽耶の敗北主義、強者に媚び諂い、従属し、弱者を暴虐する姿勢態度がそれには色濃く残っていると考えられる。
 伽耶の敗北主義的狂信排他的民族集団、これが、ベースにあり、新羅父権民族の好戦性を吸収したとものと思われる。
 これは、悪霊的破滅・自滅集団である。

********************************

伽倻主導三元体制:伽倻稲作集団父権民族と新羅スキタイユダヤ父権民族と百済ツングース・扶余母権民族

テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史

先に、以下のように、伽倻族が、母権百済族と父権新羅族を支配していると仮説した。もっとも、土着母権縄文族、母権海洋族等は便宜上、省いているが。
 似本の支配・権力層は確かに、好戦的姿勢を取っているが、果たして、本質的に好戦性をもっているのだろうか。
 狡猾なので、新羅族の好戦性を利用しているだけではないだろうか。
 一見、某首相の姿勢は好戦的であるが、果たして、本質的にそうなのか。
 やはり、古代において、伽倻族が新羅族を支配したとき、後者の好戦性を利用する狡猾な手段を取るようになったのではないだろうか。好戦的なポーズをとれば、好戦的な新羅族を利用できるはずである。
 どうも、このように考えた方が、伽倻族が好戦的であると見るより、合理的であるようだ。
 伽倻族が好戦的であると見る場合は、やはり、伽倻族が、新羅族と融合した見ることになるだろう。
 しかし、融合だと、新羅族にも主導性が生じるのである。
 ちょっと、あいまいになってきた。
 後代の武士層の生成を考えると、やはり、好戦的新羅族がなんらか、支配層に存したと見るべきではないのか。
 そうならば、伽倻族だけが主導的であったのはなく、伽倻族と新羅族の融合した民族(融合民族)が主導的であったことになる。
 そうすると議論は元に戻る。それは、私の最初の作業仮説であったからである。
 ここで、新たな作業仮説を提示すると、日本古代においては、伽倻族、新羅族、百済族の三民族の三幅対、三重構造、三つ巴の権力体制があったとするのである。
 三元ないし三極民族体制である。これが、古代天皇制の実体、本体となる。
 だから、『日本書紀』は、この三元(三極、三重)民族体制の様相が描写・活写・実写されているというようにも考えられる。(追記:思うに、この三元体制の実相が、装飾・潤色・創作はあるものの、活写されていると言う方が適切だろう。汩
 神武天皇、雄略天皇の好戦性は、新羅族のそれを表現しているということになるし、仁徳天皇の仁慈ある治世は、百済族主導の統治を意味し、また、中央集権体制=律令制は、伽倻族の専制に因るものではないだろうか。
 ということで、現時点での新仮説として、日本古代は、伽倻族、新羅族、百済族の三つの異なる民族の併存併合混合混淆する三元・三極・三重体制であったとしたい。

追記:伽倻ー新羅ー百済の三元体制を仮説したが、やはり、その中では、伽倻族がもっとも主導的であったのではないだろうか。
 だから、伽倻主導的三元・三極・三重体制を大和朝廷の政体の本質としたい。

追記2:明治国家であるが、それは、この伽倻主導の三元体制から、百済母権民族が抜けている(追記:というよりは、百済母権民族の天皇王制が形式化され、つまり、「天皇制」化されて、きわめて、抑圧されたものになったのではないだろうか。完全には排除はしていないだろう)、伽倻主導伽倻・新羅二元体制ではなかっただろうか。百済母権民族の天皇王制は、形式として形骸的に利用されたということだろう。いわば、父権天皇制、独裁天皇制、専制天皇制となったと思われる。

**************************

後期弥生稲作民族(伽倻族)が、母権(扶余百済族)的と父権的(スキタイ新羅族)両騎馬民族を支配する

テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史

先に以下のように、日本国を主導(支配)している民族を推測した。
 やはり、2が支配的であると思う。その力学をもう少し説明すると、以下に仮説したように、日本古代において、三つの主要な民族の三幅対、三重構造、三つ巴があったとする。
 しかし、主導・支配的なのは、後期弥生農耕集団父権民族(伽倻族)と考える。
 彼らが背後、影で、母権的な百済族(天皇族)と父権的な新羅族(好戦的民族)を利用-操作-支配しているように推察されるのである。
 『日本書紀』はそれを物語っているように思える。
 例えば、有名な神武東征であるが、それは、伽倻族が好戦的な新羅族を利用して、為さしめた(あるいは、創作した、虚構した)ことではないだろうか。
 また、天皇制自体であるが、それは、母権的な百済族の天皇王国の政体を簒奪して、加工利用しているように推測できるのである。
 好戦性と平和性がイデオロギー的に利用されているのである。
 そして、伽倻族の集団主義が、日本国民全体に「伝染」しているように思うのである。これは、支配者「伽倻族」の思うつぼである。
 また、強調すべきは、伽倻族は、狡猾で利に敏いが、頭はよくない点である。つまり、集団的思考なので、明晰明確・的確正確な思考ができないと考えられる。
 そして、敗北主義であり、強者に媚び、屈従・隷従し、弱者に強圧暴虐的に振る舞うのである。
 それで、その末裔が後代、千争邪に騙されて、殲滅破滅を被るという図式ではないかと思う。
 東アジア世界戦争(「大東亜戦争」)は、伽倻族が千争邪の謀略・計略に嵌められた戦争だと思う。
 犠牲になったのは、母権的天皇族であり、父権的好戦的新羅族であろう。もっとも、伽倻的人民も犠牲になったことは当然であるが。

追記:上記のように考えれば、アマテラスがスサノヲを嫌ったことの意味も判明するだろう。つまり、伽倻族が、百済天皇王制を利用しつつ、好戦的新羅族をアマテラスに投影しつつも、天皇制イデオロギーから同じく、新羅族であるスサノヲを排除したということではないだろうか。
 ただ、問題は、出雲神話とスサノヲ(新羅族)の関係である。出雲神話は母権神話と考えるが、それと新羅をどう結びつけるのか。
 思うに、母権と父権の違いはあれ、二つの騎馬民族は友好的であったのではないだろうかと今仮説するのである。


追記2:果たして、スサノヲを父権的新羅族と見ていいのか。ちょっとマザコンぽいスサノヲは、母権民族ではないだろうか。ならば、新羅族の好戦性を投影されたアマテラスが、天皇制父権的イデオロギー位階秩序から、母権的スサノヲを否定排除するのは、まったく必然の力学である。

結局、薬局、北極、日本において何民族が主導しているのか

テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史

私の仮説では、二つの主導民族がある。

1.後期弥生農耕集団父権民族とスキタイ(/ユダヤ)系遊牧父権新羅民族の融合した民族

2.後期弥生農耕集団父権民族

である。
 最近のイメージでは、2に傾いている。しかし、確定的ではない。
 私の脳裏では、藤原不比等の存在がある。彼は、1というより、2に属するような感じである。
 どうも、今のイメージでは、三つの主要な民族が基本にある。後期弥生民族(伽倻)と父権遊牧民族(新羅)と母権遊牧民族(扶余・百済)の三つである。
 日本古代において、この三幅対が存在していたのではないだろうか。そして、後期弥生民族(伽倻)が支配的であり、他の二つの民族を服属させていたのではないだろうか。
 伽倻は敗北主義ながら、隠微狡猾である。これは、今の現政権に繋がると思うのである。
 そう、現政権の好戦性であるが、実は、これは、父権遊牧民族(新羅)のそれを利用しているだけではないだろうか。ずる賢い、悪賢い賤民である。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11988393633.html

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2015年02月12日(Thu)▲ページの先頭へ
伽や主導三元政体:伽や稲作集団父権民族と新羅スキタイユダヤ父権民族と百済ツングース・扶余母権民族
伽やの「や」(人偏の右に耳、左に郎の作りを入れる)の字体が文字化けするので、以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11988839848.html

伽倻主導三元体制:伽倻稲作集団父権民族と新羅スキタイユダヤ父権民族と百済ツングース扶余母権民族

テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史

先に、以下のように、伽倻族が、母権百済族と父権新羅族を支配していると仮説した。もっとも、土着母権縄文族、母権海洋族等は便宜上、省いているが。
 似本の支配・権力層は確かに、好戦的姿勢を取っているが、果たして、本質的に好戦性をもっているのだろうか。
 狡猾なので、新羅族の好戦性を利用しているだけではないだろうか。
 一見、某首相の姿勢は好戦的であるが、果たして、本質的にそうなのか。
 やはり、古代において、伽倻族が新羅族を支配したとき、後者の好戦性を利用する狡猾な手段を取るようになったのではないだろうか。好戦的なポーズをとれば、好戦的な新羅族を利用できるはずである。
 どうも、このように考えた方が、伽倻族が好戦的であると見るより、合理的であるようだ。
 伽倻族が好戦的であると見る場合は、やはり、伽倻族が、新羅族と融合した見ることになるだろう。
 しかし、融合だと、新羅族にも主導性が生じるのである。
 ちょっと、あいまいになってきた。
 後代の武士層の生成を考えると、やはり、好戦的新羅族がなんらか、支配層に存したと見るべきではないのか。
 そうならば、伽倻族だけが主導的であったのはなく、伽倻族と新羅族の融合した民族(融合民族)が主導的であったことになる。
 そうすると議論も元に戻る。それは、私の最初の作業仮説であったからである。
 ここで、新たな作業仮説を提示すると、日本古代においては、伽倻族、新羅族、百済族の三民族の三幅対、三重構造、三つ巴の権力体制があったとするのである。
 三元ないし三極民族体制である。これが、古代天皇制の実体、本体となる。
 だから、『日本書紀』は、この三元(三極、三重)民族体制の様相が描写・活写・実写されているというようにも考えられる。(追記:思うに、この三元体制の実相が、装飾・潤色・創作はあるものの、活写されていると言う方が適切だろう。)
 神武天皇、雄略天皇の好戦性は、新羅族のそれを表現しているということになるし、仁徳天皇の仁慈ある治世は、百済族主導の統治を意味し、また、中央集権体制=律令制は、伽倻族の専制に因るものではないだろうか。
 ということで、現時点での新仮説として、日本古代は、伽倻族、新羅族、百済族の三つの異なる民族の併存併合混合混淆する三元・三極・三重体制であったとしたい。

追記:伽倻ー新羅ー百済の三元体制と仮説したが、やはり、その中では、伽倻族がもっとも主導的であったのではないだろうか。
 だから、伽倻主導的三元・三極・三重体制を大和朝廷の政体の本質としたい。

追記2:明治国家であるが、それは、この伽倻主導の三元体制から、百済母権民族が抜けている(追記:というよりは、百済母権民族の天皇王制が形式化され、つまり、「天皇制」化されて、きわめて、抑圧されたものになったのではないだろうか。完全には排除はしていないだろう)、伽倻主導伽倻・新羅二元体制ではなかっただろうか。百済母権民族の天皇王制は、形式として形骸的に利用されたということだろう。いわば、父権天皇制、独裁天皇制、専制天皇制となったと思われる。

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後期弥生稲作民族(伽倻族)が、母権(扶余百済族)的と父権的(スキタイ新羅族)両騎馬民族を支配する

テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史

先に以下のように、日本国を主導(支配)している民族を推測した。
 やはり、2が支配的であると思う。その力学をもう少し説明すると、以下に仮説したように、日本古代において、三つの主要な民族の三幅対、三重構造、三つ巴があったとする。
 しかし、主導・支配的なのは、後期弥生農耕集団父権民族(伽倻族)と考える。
 彼らが背後、影で、母権的な百済族(天皇族)と父権的な新羅族(好戦的民族)を利用-操作-支配しているように推察されるのである。
 『日本書紀』はそれを物語っているように思える。
 例えば、有名な神武東征であるが、それは、伽倻族が好戦的な新羅族を利用して、為さしめた(あるいは、創作した、虚構した)ことではないだろうか。
 また、天皇制自体であるが、それは、母権的な百済族の天皇王国の政体を簒奪して、加工利用しているように推測できるのである。
 好戦性と平和性がイデオロギー的に利用されているのである。
 そして、伽倻族の集団主義が、日本国民全体に「伝染」しているように思うのである。これは、支配者「伽倻族」の思うつぼである。
 また、強調すべきは、伽倻族は、狡猾で利に敏いが、頭はよくない点である。つまり、集団的思考なので、明晰明確・的確正確な思考ができないと考えられる。
 そして、敗北主義であり、強者に媚び、屈従・隷従し、弱者に強圧暴虐的に振る舞うのである。
 それで、その末裔が後代、千争邪に騙されて、殲滅破滅を被るという図式ではないかと思う。
 東アジア世界戦争(「大東亜戦争」)は、伽倻族が千争邪の謀略・計略に嵌められた戦争だと思う。
 犠牲になったのは、母権的天皇族であり、父権的好戦的新羅族であろう。もっとも、伽倻的人民も犠牲になったことは当然であるが。

追記:上記のように考えれば、アマテラスがスサノヲを嫌ったことの意味も判明するだろう。つまり、伽倻族が、百済天皇王制を利用しつつ、好戦的新羅族をアマテラスに投影しつつも、天皇制イデオロギーから同じく、新羅族であるスサノヲを排除したということではないだろうか。
 ただ、問題は、出雲神話とスサノヲ(新羅族)の関係である。出雲神話は母権神話と考えるが、それと新羅をどう結びつけるのか。
 思うに、母権と父権の違いはあれ、二つの騎馬民族は友好的であったのではないだろうかと今仮説するのである。


追記2:果たして、スサノヲを父権的新羅族と見ていいのか。ちょっとマザコンぽいスサノヲは、母権民族ではないだろうか。ならば、新羅族の好戦性を投影されたアマテラスが、天皇制父権的イデオロギー位階秩序から、母権的スサノヲを否定排除するのは、まったく必然の力学である。


画像は以下のリンクを見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11988314822.html

結局、薬局、北極、日本において何民族が主導しているのか

テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史

私の仮説では、二つの主導民族がある。

1.後期弥生農耕集団父権民族とスキタイ(/ユダヤ)系遊牧父権新羅民族の融合した民族

2.後期弥生農耕集団父権民族

である。
 最近のイメージでは、2に傾いている。しかし、確定的ではない。
 私の脳裏では、藤原不比等の存在がある。彼は、1というより、2に属するような感じである。
 どうも、今のイメージでは、三つの主要な民族が基本にある。後期弥生民族(伽倻)と父権遊牧民族(新羅)と母権遊牧民族(扶余・百済)の三つである。
 日本古代において、この三幅対が存在していたのではないだろうか。そして、後期弥生民族(伽倻)が支配的であり、他の二つの民族を服属させていたのではないだろうか。
 伽倻は敗北主義ながら、隠微狡猾である。これは、今の現政権に繋がると思うのである。
 そう、現政権の好戦性であるが、実は、これは、父権遊牧民族(新羅)のそれを利用しているだけではないだろうか。ずる賢い、悪賢い賤民である。


参考:尚、緑色文字、イタリック、下線は管理人resurrectionに拠る。
天皇制国家の源流7 ツングース(百済)やモンゴル(新羅)に追われた呉越 ...
天皇制国家の源流7 ツングース(百済)やモンゴル(新羅)に追われた呉越(伽耶)が大和朝廷

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画像はこちら からお借りしました。
「天皇制国家の源流6 朝鮮の支配階級の源流」 では、次のことを明らかにした。
【1】韓人(呉人)・倭人(越人)が農耕部族連合を形成していた朝鮮半島に、遊牧騎馬民族である扶余族(ツングース系)が断続的に南下してきた。彼らが建てたのが、辰国→馬韓→百済や高句麗である。
このように、辰国→辰韓→百済と高句麗は元々は同じ扶余族(ツングース系)である。
【2】それに対して、秦に追われて華北から逃れてきた秦亡民(主力はモンゴル系)が建てたのが辰韓→新羅である。
馬韓(後の百済)ではツングース系の扶余族が呉越系の韓人・倭人を直接支配し、
弁韓(後の伽耶)では扶余族が韓倭農耕連合を服属させ、
辰韓(後の新羅)では秦に追われたモンゴル系部族がツングース系の扶余族に服属しながら、韓人・倭人を支配していた。
これが、古代朝鮮の支配構造である。
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以下、『「日本=百済」説〜原型史観でみる日本事始め』(金容雲著 三五館刊)「第四章 謎の辰国を追ってみると」 から、辰国→馬韓→百済や高句麗の出自を要約する。

ユーラシア大陸の極東に位置する韓半島の地理は、西海岸から大陸文化が流れ込みやすいようになっている。もちろんシベリア沿岸州経由で東海岸ルートもあるが、山脈が海岸線に迫り、島もなく、文明の主流は西側であり、国家の形成も遅れた。そのような地勢学を背景に南韓には馬韓・辰韓・弁韓(弁辰)があった。
三韓の馬韓・辰韓・弁韓の後身が百済・新羅・伽耶。伽耶は6世紀に滅亡し、韓半島の三国(百済・新羅・高句麗)となる。
重要なことは、南韓のほとんどの国の王が扶余系出身だったということ。
辰国領土の各地に馬韓・辰韓・弁韓の三韓が派生するが、実質的に辰王族出身の馬韓王系が、辰韓・弁韓の王になった。
倭国を訪れた隋の使節は『隋書』に、倭の秦王の国があるとしている(この「秦」は「辰」の誤写)。
倭国は7世紀半ばまでも辰王の国と見なされていた。韓半島と日本列島の古代王国の首長は、すべて騎馬民族出身で同じ扶余系、つまり辰王家出身者であった。
天皇の辰王系説を正式に否定したのは『記紀』以後のことで、それまでは辰王・辰国につらなる正当性を以って、半島と列島での主権を主張していた。

辰国は扶余族の一部で、同じ扶族出身の高句麗建国に先立ち紀元前4世紀頃、韓半島に入り、遼河と平壌にわたる一帯に建国し、鴨緑江流域に高句麗勢力が建国すると南下し、平壌が中心となる。
その後、漢の植民地漢四郡が設置されると、辰国はそれに押されて帯方郡に隣接した漢江以南に国を移した。
それ以前、南韓には、緩い組織の稲作中心の諸部族国家が散在していた。
辰国は馬韓以外の地域を直接統治してはいなかったものの、辰国の王族の子弟を派遣して在地の諸部族の連合体を構成し、辰韓・弁韓にまとめあげた。
それら分国(辰韓・弁韓)の王が辰王家出身で、辰王の直系が馬韓で「辰王(馬韓)だけが南韓の王になれる」という信仰は、北から民族移動をしてきた扶余系の騎馬民族集団が共有した。
但し、辰王は宗教的・象徴的な性格の存在であり、強力な統一国家ではなかった。
『後漢書』によると、辰王は馬韓の中に別途に目支国を置き、そこで南韓全体を支配していたという。それはヴァチカン市国がローマの中にあり、ローマ法王が宗教面で欧州の各王の上にあったのに相当する権威が、辰王にもあったと考えられる。すなわち、「扶余系の太陽神の直系が各国を治める権威を持つ」という思想である。
辰王は、宗教的権威で三韓に君臨して馬韓の中にある目支国を拠点にしていた。辰王を戴く辰国から農耕民を母胎とした三韓が生まれ、紀元前後に扶余系の遊牧騎馬民族が南下し、三韓をもとにした三国を樹立する。しかし尚、その初期においては辰王の権威は無視できなかった。
辰王の直系が馬韓王、その王族が辰韓・弁韓の王となって派遣されたという。
扶余系の高句麗から百済が分派・南下し(つまり、百済と高句麗は同根)、辰国の正当継承者である馬韓を吸収することで、百済王が辰王の地位を得る。百済王はその権威をもって新羅・加耶の王を任命した。初期三国の王家は辰王家出身であることが原則で、その権威は大きかった。
紀元前2世紀から紀元後1世紀にかけて、三韓から三国(百済・新羅・伽耶)に移行する。その変革の最も大きな理由は鉄器の普及にあり、百済・新羅がはっきりした国の体制になり、伽耶も統一こそしなかったものの連合勢力の王権が強化された。
初期の新羅王までは辰王系を継承した百済王家出身だったが、その後の新羅ではその原則が守られなくなった。新羅には姓の異なる複数の王が登場し、その後の新羅は辰王推戴の原則が守られなくなり、その時点で百済は扶余王直系と主張するようになってゆくと考えられる。
三国間の争いが激しくなるにしたがい、辰王の物理的な実力のない宗教的な権威は無視され、半島の正史にすらその名を留められないようになる。韓国史家の間でも、辰国は想像の産物と思われるようになった。

【2】このように、辰国→辰韓→百済と高句麗は元々は同じ扶余族(ツングース系)だが、新羅は別の部族(モンゴル系)らしい。
以下、『「日本=百済」説〜原型史観でみる日本事始め』(金容雲著 三五館刊)「第四章 謎の辰国を追ってみると」 から、新羅の出自を要約する。

新羅は高句麗・百済とは別系統でありながらも、初期に馬韓王に指名された王、すなわち百済人を推戴している。中国史書の記録では「新羅人は辰韓の出身でありながら、辰韓王は常に馬韓人」(『梁書』「新羅伝」)、「新羅の前身辰韓王は馬韓人」(『晋書』「辰韓伝」)とある。
しかし、その後の王族は扶余系ではない別系統の王を輩出する。
新羅王家には朴・昔・金という3つの姓氏があった。
王の称号も第1代が「居西干(コセガン)」、2代が「次次雄(チャチャウン)」、3代から18代が「尼師今(イサグム)」、19代から22代は「麻立干(マリッカン)」であり、23代以後は中国式の「王」を使うが、それ以前は4つの王号があった。号が異なるということは民族が異なることを示唆する。
新羅の支配階級は、シベリアを横断して日本海側を南下して、迎日湾付近から慶州平野へ進出したスキタイ族に近い勢力であったと思われる。
実際、新羅の文化は、扶余系の高句麗・百済のものと大きく異なり、シベリア・スキタイ系文化の特色が見られる。また、『後漢書』「辰韓伝」によると新羅の前身である辰韓の言葉は高句麗や百済の言語とは違っていた。
中国史書『晋書』「辰韓伝」によると、新羅の前身である辰韓の建国は、秦の始皇帝の
万理の長城建設に動員された塞外地帯の民がその労役をさけて移動をしてきたため、馬韓が領土の東部の一部を割譲したことから始まったとある。このことは、辰韓→新羅が扶余族とは異なる民族であることを示唆している。
新羅王家は少なくとも朴・昔・金の三家が交代していることから、「王は神であり、他の姓とは替えられない」という扶余系の現人神思想が新羅にはなかったと推測できる。

まとめると、次のようになる。


【1】紀元前5〜4世紀、中国戦国時代に滅んだ呉人(韓人)、越人(倭人)が朝鮮半島に流れ着き、農耕社会を形成した。(一部は日本列島に流れ着き、弥生社会を形成)。


【2】紀元前4世紀〜、遊牧騎馬民族であるツングース系の扶余族が朝鮮半島を南下。朝鮮半島西部に辰国をつくり、朝鮮半島南部・東部の韓倭農耕部族連合を服属させた。
これがそのまま、馬韓(西部)・弁韓(南部)・辰韓(東部)となる。
つまり、三韓とは、ツングース族(扶余族)が韓人・倭人(呉越人)を服属させた社会である。


【3】スキタイ系部族の影響を受けた(or混融した?)モンゴル系部族が、秦に追われて南下し、馬韓から辰韓の地を割譲してもらい支配した。これが新羅の源流である。そして、辰韓は馬韓に服属していた。
秦支配から逃げる過程で一部は海に脱出、出雲・敦賀に流れ着き丹波・大和に拠点をつくったのがスサノオ・オオクニヌシ・ニギハヤヒなどの新羅勢力だと考えられる。(管理者:この点は疑問がある。)
(秦の始皇帝を騙して日本列島に脱出した徐福の伝説と同じ構図である。)


【4】さらに、辰国とは別の扶余系部族が、高句麗を建て南満州〜北朝鮮を支配。その分派の百済が朝鮮半島を南下し馬韓を奪取。弁韓(→伽耶)と辰韓(→新羅)を服属させた。
つまり、ツングース系の扶余族(百済)が、韓倭農耕部族連合(伽耶)とモンゴル系(新羅)を服属させた。ところが、新羅はすぐに百済から独立し、弁韓(→伽耶)を侵食しながら、百済と対抗するようになる。
そして、百済(ツングース)や新羅(モンゴル)に追い詰められた伽耶(韓倭農耕部族連合)の一派が、日本列島に逃れてきた。そして、先着していた新羅勢力(オオクニヌシやニギハヤヒ)を追い出しor服属させたのが、第一期大和朝廷(天孫族)である。
つまり、大和朝廷の原点は、春秋戦国時代に滅亡した呉越の生き残り(韓人・倭人)が、さらに、ツングース系の扶余族(高句麗・百済)やモンゴル族(新羅)に追われて日本列島にやってきた二重の敗残者である。
これが「属国意識の源流〜日本の支配階級に刻印された敗北思考(体裁思考)」 の理由ではないだろうか。
敗北主義にもかかわらず彼が生き延びることができたのは、流れ着いた先の日本列島は、圧倒的大多数を縄文人が占める平和な共同体社会とお上捨象体質だったからである。それをいいことに、彼ら伽耶勢力は日本に君臨することになった。
つまり、大和朝廷(伽耶勢力)とは、敗北思考にも拘わらず君臨するという、世界中でも稀に見る特異な性格の支配者なのである。
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2012/11/2410.html



天皇制国家の源流(葛城ネットワーク)まとめ1 日本と朝鮮の支配部族の源流
天皇制国家の源流(葛城ネットワーク)まとめ1 日本と朝鮮の支配部族の源流

 いままで十数回にわたり天皇制国家の源流を追求してきました。ここで、いままでのまとめを行いたいと思います。ちょうど年末のなんでや劇場で、日本の闇勢力について追求が行われました。その内容も併せて、四回程でまとめてみたいと思います。
まず、古代以前のユーラシア大陸の状況からです。
●北方モンゴロイドの南下
・5万年前〜2.1万年前、極寒化で北方モンゴロイドは小部族で南下。シベリアは無人状態に。
・2.1万年前〜1.3万年前、温暖化で人口爆発し、モンゴル平原に北上。アルタイ系3祖族を形成(新モンゴロイド)。父系集団で垂直的な上天信仰、熊神信仰、冬祀りetcの文化。
・1.3万年前、急激な冷え戻りで、南下。チュルク族は西方に、モンゴル族は南方に、ツングース族は東方に拡散。(下図参照)
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(画像はリンク よりお借りしました)
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・6千年前〜4千年前、中央アジアの乾燥を契機にアーリア族による略奪闘争が発生し、東西に玉突き的に伝播。アーリア族→チュルク族→モンゴル族→ツングース族と玉突き的に急激な移動・拡散が起こる。
チュルク族は、早くからアーリア族と混融。馬と金属の文化で、西アジアから地中海、あるいは東欧・ロシアにまで分布。
モンゴル族は、東アジアから中央アジアに広域に拡散。北方は遊牧を続け、南下した部族は農耕に転換。
ツングース族は、極東で長く狩猟を維持(馬とトナカイを飼い慣らす)。モンゴル族と混融。シベリア・満州・朝鮮の源流。
・3.5千年前、モンゴル族が殷を建国。3.1千年前、チベット族が周を建国。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
☆日本には3〜1万年前から、主に南方のスンダランドから列島にやってきた人々が縄文人を形成、そこに新たに大陸の戦乱から逃れた江南人がやってきて弥生人が生まれます。
●縄文人+江南流民=弥生人
 日本人の基層を成すのは縄文人であるが、2480年前の呉、2340年前の越、2235年前の楚の滅亡に伴って江南人の一部が日本列島に亡流した。彼ら江南流民は、何れも少人数で、周りの縄文人に受け入れられ、混融していった。これら少数の江南流民と縄文人の混血を弥生人と呼ぶことにする。
 彼らは2400年前〜2200年前までに、九州、出雲、北陸、あるいは瀬戸内、高知、尾張、紀伊、伊豆に国を作っていった。=弥生人の小国。
 ここで、倭人について触れたいと思います。倭人とは、日本史では古代の日本人そのもののように言われていますが、明らかに間違いで、上記の中国南方からの流民(江南人)を指しています。日本列島に流れ着いたのは一部であり、その主力は朝鮮半島へ流れ着いていました。
●倭人とは江南人(呉・越・楚人)
 倭人とは、2500年前〜2200年前に発生した江南人(呉人、越人、楚人)の流民である。2480年前の呉滅亡→呉人が弁韓へ、2340年前の越滅亡→越人が馬韓へ、2235年前の楚滅亡→楚人が辰韓へ(いずれも一部は日本列島へ亡流)。
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〔呉・越・楚の滅亡と遺民(倭人)の移動〕(図版はリンク よりお借りしました。)
 倭人が江南人のことであることの証拠に、中国からみた倭(人)の範囲が時代を追うにつれ南に下がってゆく。
 最初、中国は南朝鮮全体を倭と呼んでいたが、百済・新羅国家が形成されると、国家が形成されずに部族連合として残った伽耶を倭と呼ぶようになり、伽耶滅亡後には、倭は日本列島だけを指すようになった。
 魏志倭人伝の時代は主に伽耶の倭人が活躍していた時代であり、そこで登場する倭は日本ではなく、朝鮮半島にあったのである。高句麗の広開土王が戦った倭も朝鮮半島の伽耶のことである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
☆倭人は、朝鮮半島で水田稲作を始めていました。そこに稲作民を支配する様式を持つ北方部族が南下して、国家を形成し始めます。
●倭人+扶余族=韓人
 朝鮮半島では、これら江南流民がほぼ原住民=倭人であるが、後に朝鮮半島へツングース族(一部モンゴル族)が南下する。後から侵入してきた扶余族との倭人との混血を韓人と呼びます。
1.2300年前、ツングース系の扶余族が南下し、半島西部に辰国を作り、南部(弁韓)、東部(辰韓)を服属させる。つまり、三韓とは、扶余族が韓倭人(呉・越人)を服属させた国である。扶余族と倭人(呉・越人)が混血したのが韓人である。
2.2235年前、秦に強制移住させられていたモンゴル系部族(スキタイとも混融?)が大量の楚人と共に脱出・南下。辰国(中心が馬韓)から東部の辰韓を割譲してもらい、これを支配。
3.1950年前、別の扶余族が半島北部に高句麗を建国。その分派が南下して馬韓を奪い百済に。百済が、弁韓(→伽耶)と辰韓(→新羅)を支配。
 新羅は、百済=扶余族に従属するモンゴル系部族が江南流民(主に楚人)を支配した国である。新羅が扶余族ではない証拠に、新羅はシベリア・スキタイ系文化の色彩を帯び、言葉も扶余系とは異なる。従って新羅には「王は神で、他の姓は替れない」という扶余族の現人神(天孫降臨)信仰はなかった。
 秦の長城建設の為に強制移住させられていた楚人とモンゴル族(スキタイ族?)が、モンゴル族に率いられて脱出し、極東を東端まで横断した後、日本海沿岸を南下して慶州平野に進出した。中国「辰韓伝」によると、馬韓が脱出してきた民に、馬韓領土の東部を割譲したとあり、辰韓は馬韓に服属することで成立した。
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〔秦帝国と万里の長城、朝鮮半島の付け根まで万里の長城が伸びている。そこで強制労働させられていた人々が逃げ出し(図中の矢印)朝鮮半島の辰韓を形成 〕
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
☆この時代までは、日本へは流民として命からがらやって来て、原住民の縄文の人々に受け入れられた人々でしたが、中国の秦の時代になると様相が変わってきます。計画的に大集団がまとまってやってきます。伝説でも有名な徐福です。彼らが、それ以後の日本でネットワークを形成し支配勢力の中核となっていきます。(続く)

http://blog.nihon-syakai.net/blog/2013/01/2475.html

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11988393633.html

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後期弥生稲作民族(伽倻族)が、母権(扶余百済族)的と父権的(スキタイ新羅族)両騎馬民族を支配する
リンクは以下から見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11988393633.html

尚、本記事は直近の記事の一部修正したものである。

後期弥生稲作民族(伽倻族)が、母権(扶余百済族)的と父権的(スキタイ新羅族)両騎馬民族を支配する

テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史

先に以下のように、日本国を主導(支配)している民族を推測した。
 やはり、2が支配的であると思う。その力学をもう少し説明すると、以下に仮説したように、日本古代において、三つの主要な民族の三幅対、三重構造、三つ巴があったとする。
 しかし、主導・支配的なのは、後期弥生農耕集団父権民族(伽倻族)と考える。
 彼らが背後、影で、母権的な百済族(天皇族)と父権的な新羅族(好戦的民族)を利用-操作-支配しているように推察されるのである。
 『日本書紀』はそれを物語っているように思える。
 例えば、有名な神武東征であるが、それは、伽倻族が好戦的な新羅族を利用して、為さしめた(あるいは、創作した、虚構した)ことではないだろうか。
 また、天皇制自体であるが、それは、母権的な百済族の天皇王国の政体を簒奪して、加工利用しているように推測できるのである。
 好戦性と平和性がイデオロギー的に利用されているのである。
 そして、伽倻族の集団主義が、日本国民全体に「伝染」しているように思うのである。これは、支配者「伽倻族」の思うつぼである。
 また、強調すべきは、伽倻族は、狡猾で利に敏いが、頭はよくない点である。つまり、集団的思考なので、明晰明確・的確正確な思考ができないと考えられる。
 そして、敗北主義であり、強者に媚び、屈従・隷従し、弱者に強圧暴虐的に振る舞うのである。
 それで、その末裔が後代、千争邪に騙されて、殲滅破滅を被るという図式ではないかと思う。
 東アジア世界戦争(「大東亜戦争」)は、伽倻族が千争邪の謀略・計略に嵌められた戦争だと思う。
 犠牲になったのは、母権的天皇族であり、父権的好戦的新羅族であろう。もっとも、伽倻的人民も犠牲になったことは当然であるが。

追記:上記のように考えれば、アマテラスがスサノヲを嫌ったことの意味も判明するだろう。つまり、伽倻族が、百済天皇王制を利用しつつ、好戦的新羅族をアマテラスに投影しつつも、天皇制イデオロギーから同じく、新羅族であるスサノヲを排除したということではないだろうか。
 ただ、問題は、出雲神話とスサノヲ(新羅族)の関係である。出雲神話は母権神話と考えるが、それと新羅をどう結びつけるのか。
 思うに、母権と父権の違いはあれ、二つの騎馬民族は友好的であったのではないだろうかと今仮説するのである。


追記2:果たして、スサノヲを父権的新羅族と見ていいのか。ちょっとマザコンぽいスサノヲは、母権民族ではないだろうか。ならば、新羅族の好戦性を投影されたアマテラスが、天皇制父権的イデオロギー位階秩序から、母権的スサノヲを否定排除するのは、まったく必然の力学である。

結局、薬局、北極、日本において何民族が主導しているのか

テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史

私の仮説では、二つの主導民族がある。

1.後期弥生農耕集団父権民族とスキタイ(/ユダヤ)系遊牧父権新羅民族の融合した民族

2.後期弥生農耕集団父権民族

である。
 最近のイメージでは、2に傾いている。しかし、確定的ではない。
 私の脳裏では、藤原不比等の存在がある。彼は、1というより、2に属するような感じである。
 どうも、今のイメージでは、三つの主要な民族が基本にある。後期弥生民族(伽倻)と父権遊牧民族(新羅)と母権遊牧民族(扶余・百済)の三つである。
 日本古代において、この三幅対が存在していたのではないだろうか。そして、後期弥生民族(伽倻)が支配的であり、他の二つの民族を服属させていたのではないだろうか。
 伽倻は敗北主義ながら、隠微狡猾である。これは、今の現政権に繋がると思うのである。
 そう、現政権の好戦性であるが、実は、これは、父権遊牧民族(新羅)のそれを利用しているだけではないだろうか。ずる賢い、悪賢い賤民である。

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2015年02月11日(Wed)▲ページの先頭へ
母権(扶余百済族)的と父権的(スキタイ新羅族)両騎馬民族を後期弥生稲作民族(伽倻族)が支配する
リンクは以下から見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11988393633.html


母権(扶余百済族)的と父権的(スキタイ新羅族)両騎馬民族を後期弥生稲作民族(伽倻族)が支配する

テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史

先に以下のように、日本国を主導(支配)している民族を推測した。
 やはり、2が支配的であると思う。その力学をもう少し説明すると、以下に仮説したように、日本古代において、三つの主要な民族の三幅対、三重構造、三つ巴があったとする。
 しかし、主導・支配的なのは、後期弥生農耕集団父権民族(伽倻族)と考える。
 彼らが背後、影で、母権的な百済族(天皇族)と父権的な新羅族(好戦的民族)を利用-操作-支配しているように推察されるのである。
 『日本書紀』はそれを物語っているように思える。
 例えば、有名な神武東征であるが、それは、伽倻族が好戦的な新羅族を利用して、為さしめた(あるいは、創作した、虚構した)ことではないだろうか。
 また、天皇制自体であるが、それは、母権的な百済族の天皇王国の政体を簒奪して、加工利用しているように推測できるのである。
 好戦性と平和性がイデオロギー的に利用されているのである。
 そして、伽倻族の集団主義が、日本国民全体に「伝染」しているように思うのである。これは、支配者「伽倻族」の思うつぼである。
 また、強調すべきは、伽倻族は、狡猾で利に敏いが、頭はよくない。つまり、集団的思考なので、明確な思考ができないと考えられる。
 そして、敗北主義であり、強者に媚び、屈従・隷従し、弱者に強圧暴虐的に振る舞うのである。
 それで、千争邪に騙されて、破滅を被るということではないかと思う。
 東アジア世界戦争(「大東亜戦争」)は、伽倻族が千争邪の謀略・計略に嵌められた戦争だと思う。
 犠牲になったのは、母権的天皇族であり、父権的好戦的新羅族であろう。もっとも、伽倻的人民も犠牲になったことは当然であるが。

追記:上記のように考えれば、アマテラスがスサノヲを嫌ったことの意味も判明するだろう。つまり、伽倻族が、百済天皇王制を利用しつつ、好戦的新羅族をアマテラスに投影しつつも、天皇制イデオロギーから同じく、新羅族であるスサノヲを排除したということではないだろうか。
 ただ、問題は、出雲神話とスサノヲ(新羅族)の関係である。出雲神話は母権神話と考えるが、それと新羅をどう結びつけるのか。
 思うに、母権と父権の違いはあれ、二つの騎馬民族は友好的であったのではないだろうかと今仮説するのである。


追記2:果たして、スサノヲを父権的新羅族と見ていいのか。ちょっとマザコンぽいスサノヲは、母権民族ではないだろうか。ならば、新羅族の好戦性を投影されたアマテラスが、天皇制父権的イデオロギー位階秩序から、母権的スサノヲを否定排除するのは、まったく必然の力学である。

結局、薬局、北極、日本において何民族が主導しているのか

テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史

私の仮説では、二つの主導民族がある。

1.後期弥生農耕集団父権民族とスキタイ(/ユダヤ)系遊牧父権新羅民族の融合した民族

2.後期弥生農耕集団父権民族

である。
 最近のイメージでは、2に傾いている。しかし、確定的ではない。
 私の脳裏では、藤原不比等の存在がある。彼は、1というより、2に属するような感じである。
 どうも、今のイメージでは、三つの主要な民族が基本にある。後期弥生民族(伽倻)と父権遊牧民族(新羅)と母権遊牧民族(扶余・百済)の三つである。
 日本古代において、この三幅対が存在していたのではないだろうか。そして、後期弥生民族(伽倻)が支配的であり、他の二つの民族を服属させていたのではないだろうか。
 伽倻は敗北主義ながら、隠微狡猾である。これは、今の現政権に繋がると思うのである。
 そう、現政権の好戦性であるが、実は、これは、父権遊牧民族(新羅)のそれを利用しているだけではないだろうか。ずる賢い、悪賢い賤民である。

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2015年02月08日(Sun)▲ページの先頭へ
鯊似本に、風朕、緒葉真、秋欣瓶が畿内のか?:父権遊牧民的好戦性と農耕父権集団民的屈従性の融合
画像等は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11987177642.html

鯊似本に、風朕、緒葉真、秋欣瓶が畿内のか?:父権遊牧民的好戦性と農耕父権集団民的屈従性の融合

テーマ:総て出鱈目日本の元凶ヤハウェ父権自我悪魔

私は日本父権民族批判をしている。今の支配層・権力層の人間をそう見るのである。
 強者に媚び、屈従隷従し、弱者は暴虐的に利用する。
 私は後期弥生農耕的集団民族と遊牧系父権民族の混淆が源泉と考えている。
 しかし、私の疑念は、農耕的集団民族は、母権的なのだろうかという点である。意外に父権的なのではないだろうか。
 そうすると、遊牧系父権民族を仮説する必要がなくなるのである。
 しかしながら、問題は好戦性の源泉である。それを考えると、遊牧系父権民族が想定されるのである。
 思うに、農耕的集団父権民族と遊牧系父権民族の混合(追記:これを融合と見れば、明快になるのである)が、日本父権民族を形成したのではないかということが考えられる。
 つまり、後者の好戦性と前者の屈従性が融合して、日本父権民族の性格が生まれたということではないだろうか。

追記:以下の最初の参考記事「天皇制国家の源流7 ツングース(百済)やモンゴル(新羅)に追われた呉越(伽耶)が大和朝廷」に、日本支配層の敗北主義の説明があるが、私の説とは異なる。
 伽倻(これが、私の仮説する農耕父権集団民族)が日本に到来するのは、肯定しよう。しかし、伽倻が既に到来していた新羅勢力を服属させるという点は肯定しない。
 私は思うに、新羅民族(スキタイ系遊牧民族)が、伽倻民族を服属させたように思うのである。新羅民族の好戦性と伽倻民族の屈従性の混合が日本父権民族の性格を形成したのではないだろうか。
 さらに、検討しないといけない。

追記2:日本父権民族の好戦性を、後期弥生農耕父権集団民族(伽倻民族)の性格で説明できるだろうか。
 もしできるなら、以下の説明は納得できることになるが。
 しかし、凶暴無惨残虐暴虐な好戦性は、農耕民族の性格からは説明できないのではないだろうか。
 しかし、私の仮説の新羅民族の好戦性にも欠点がある。何故、スキタイ系遊牧民族が伽倻民族と融合して、屈従・敗北主義的になるのかという問題があるからである。
 今、思いついたが、日本民族は、二重構造ではなく、三重構造ないし四重構造ではないかということである。
 つまり、日本民族は、

1,ツングース系扶余・百済母権民族
2.スキタイ系新羅父権民族
3.後期弥生農耕父権集団民族
4.土着的縄文母権民族

の四つの民族から、少なくとも構成されると見るのである。
 三重構造というのは、4を外して考える場合である。
 いちおう、三重構造で考えると、以下の記事にあるように、3が主体になって、1と2を服属させ、支配したとしよう。
 3は狡猾な民族であり、1の母権天皇制と2の父権遊牧民族の好戦性を利用して、『日本書記』をメイクアップしたのではないだろうか。
 そう、日本父権民族の好戦性は新羅民族から来ていて、それを、巧妙狡猾卑怯卑劣な3の父権民族が利用しているのではないだろうか。
 つまり、後期弥生農耕父権集団民族が二つの、異なる遊牧民族(母権扶余民族と父権スキタイ系新羅民族)を利用支配しているということではないだろうか。 
 四重構造で見れば、さらに、土着的母権縄文民族を新羅民族を利用して、迫害虐殺したと考えられる。ターゲットは蝦夷や隼人等である。
 3はとんでもない賤民民族である。

追記3:3が日本父権民族の主体としても、その好戦性は、2の好戦性を狡猾に利用しているということではないだろうか。本当は、好戦性はないのである。2をイデオロギー的に利用していると考えられるのである。
 つまり、現実的に言えば、椅子羅謀黒への闘争を宣言すれば、日本民族の構成員の2が反応すると現似本背腐は重っているということではないだろうか。

追記4:今、ふと想起したが、3の農耕父権集団民族と2のスキタイ系新羅父権民族は、一国両制の統治システムをとったのではないだろうか。つまり、スキタイ系新羅父権民族は「北面官」が、後期弥生的農耕集団父権民族を「南面官」が支配するようになったのではないだろうか。つまり、二つの民族を並行的に支配するシステムである。だから、中心は二つのあるのであり、「北面官」と「南面官」である。
 そして、新羅系は、扶余・百済系の母権天皇制を簒奪して、父権制に変えてしまったのではないだろうか。その改竄的記録が『日本書記』ではないか。
 とまれ、一国両制システムを仮説したい。
尚、この制度概念は、陳舜臣氏の『桃源郷』の冒頭の説明にある。
 「遼の独特の制度は、なんといっても、契丹族をはじめ遊牧の人民は北面官が治め、定住の漢族は南面官が担当するという一国両制のシステムである。」 (上巻)7頁

追記5:一国両制システムをとっていたとしよう。しかし、時間が経つに連れて、後期弥生農耕集団父権民族(伽倻民族)とスキタイ系遊牧父権民族(新羅民族)は融合して、上述したような、強者に服従し、弱者を虐待する性格が生まれたのではないだろうか。敗北主義と暴政主義である。

追記6:好戦的遊牧父権民族であるが、それにユダヤ民族を含めてもいいかもしれない。つまり、多重複合的な好戦的遊牧父権民族を見ていいのではないだろうか。

追記7:天孫降臨族とは、2と3の融合した父権民族であり、天孫ないし天孫降臨という理念は、1の扶余・百済母権民族の天皇王国制度のそれをイデオロギー的に借用・利用した、奪った・横取りした、「パクった」ものではないだろうか。父権民族は狡猾である。

桃源郷〈上〉 (集英社文庫)/集英社

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参考:尚、緑色文字、イタリック、下線は管理人resurrectionに拠る。

天皇制国家の源流7 ツングース(百済)やモンゴル(新羅)に追われた呉越(伽耶)が大和朝廷

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画像はこちら からお借りしました。
「天皇制国家の源流6 朝鮮の支配階級の源流」 では、次のことを明らかにした。
【1】韓人(呉人)・倭人(越人)が農耕部族連合を形成していた朝鮮半島に、遊牧騎馬民族である扶余族(ツングース系)が断続的に南下してきた。彼らが建てたのが、辰国→馬韓→百済や高句麗である。
このように、辰国→辰韓→百済と高句麗は元々は同じ扶余族(ツングース系)である。
【2】それに対して、秦に追われて華北から逃れてきた秦亡民(主力はモンゴル系)が建てたのが辰韓→新羅である。
馬韓(後の百済)ではツングース系の扶余族が呉越系の韓人・倭人を直接支配し、
弁韓(後の伽耶)では扶余族が韓倭農耕連合を服属させ、
辰韓(後の新羅)では秦に追われたモンゴル系部族がツングース系の扶余族に服属しながら、韓人・倭人を支配していた。
これが、古代朝鮮の支配構造である。
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以下、『「日本=百済」説〜原型史観でみる日本事始め』(金容雲著 三五館刊)「第四章 謎の辰国を追ってみると」 から、辰国→馬韓→百済や高句麗の出自を要約する。

ユーラシア大陸の極東に位置する韓半島の地理は、西海岸から大陸文化が流れ込みやすいようになっている。もちろんシベリア沿岸州経由で東海岸ルートもあるが、山脈が海岸線に迫り、島もなく、文明の主流は西側であり、国家の形成も遅れた。そのような地勢学を背景に南韓には馬韓・辰韓・弁韓(弁辰)があった。
三韓の馬韓・辰韓・弁韓の後身が百済・新羅・伽耶。伽耶は6世紀に滅亡し、韓半島の三国(百済・新羅・高句麗)となる。
重要なことは、南韓のほとんどの国の王が扶余系出身だったということ。
辰国領土の各地に馬韓・辰韓・弁韓の三韓が派生するが、実質的に辰王族出身の馬韓王系が、辰韓・弁韓の王になった。
倭国を訪れた隋の使節は『隋書』に、倭の秦王の国があるとしている(この「秦」は「辰」の誤写)。
倭国は7世紀半ばまでも辰王の国と見なされていた。韓半島と日本列島の古代王国の首長は、すべて騎馬民族出身で同じ扶余系、つまり辰王家出身者であった。
天皇の辰王系説を正式に否定したのは『記紀』以後のことで、それまでは辰王・辰国につらなる正当性を以って、半島と列島での主権を主張していた。

辰国は扶余族の一部で、同じ扶族出身の高句麗建国に先立ち紀元前4世紀頃、韓半島に入り、遼河と平壌にわたる一帯に建国し、鴨緑江流域に高句麗勢力が建国すると南下し、平壌が中心となる。
その後、漢の植民地漢四郡が設置されると、辰国はそれに押されて帯方郡に隣接した漢江以南に国を移した。
それ以前、南韓には、緩い組織の稲作中心の諸部族国家が散在していた。
辰国は馬韓以外の地域を直接統治してはいなかったものの、辰国の王族の子弟を派遣して在地の諸部族の連合体を構成し、辰韓・弁韓にまとめあげた。
それら分国(辰韓・弁韓)の王が辰王家出身で、辰王の直系が馬韓で「辰王(馬韓)だけが南韓の王になれる」という信仰は、北から民族移動をしてきた扶余系の騎馬民族集団が共有した。
但し、辰王は宗教的・象徴的な性格の存在であり、強力な統一国家ではなかった。
『後漢書』によると、辰王は馬韓の中に別途に目支国を置き、そこで南韓全体を支配していたという。それはヴァチカン市国がローマの中にあり、ローマ法王が宗教面で欧州の各王の上にあったのに相当する権威が、辰王にもあったと考えられる。すなわち、「扶余系の太陽神の直系が各国を治める権威を持つ」という思想である。
辰王は、宗教的権威で三韓に君臨して馬韓の中にある目支国を拠点にしていた。辰王を戴く辰国から農耕民を母胎とした三韓が生まれ、紀元前後に扶余系の遊牧騎馬民族が南下し、三韓をもとにした三国を樹立する。しかし尚、その初期においては辰王の権威は無視できなかった。
辰王の直系が馬韓王、その王族が辰韓・弁韓の王となって派遣されたという。
扶余系の高句麗から百済が分派・南下し(つまり、百済と高句麗は同根)、辰国の正当継承者である馬韓を吸収することで、百済王が辰王の地位を得る。百済王はその権威をもって新羅・加耶の王を任命した。初期三国の王家は辰王家出身であることが原則で、その権威は大きかった。
紀元前2世紀から紀元後1世紀にかけて、三韓から三国(百済・新羅・伽耶)に移行する。その変革の最も大きな理由は鉄器の普及にあり、百済・新羅がはっきりした国の体制になり、伽耶も統一こそしなかったものの連合勢力の王権が強化された。
初期の新羅王までは辰王系を継承した百済王家出身だったが、その後の新羅ではその原則が守られなくなった。新羅には姓の異なる複数の王が登場し、その後の新羅は辰王推戴の原則が守られなくなり、その時点で百済は扶余王直系と主張するようになってゆくと考えられる。
三国間の争いが激しくなるにしたがい、辰王の物理的な実力のない宗教的な権威は無視され、半島の正史にすらその名を留められないようになる。韓国史家の間でも、辰国は想像の産物と思われるようになった。

【2】このように、辰国→辰韓→百済と高句麗は元々は同じ扶余族(ツングース系)だが、新羅は別の部族(モンゴル系)らしい。
以下、『「日本=百済」説〜原型史観でみる日本事始め』(金容雲著 三五館刊)「第四章 謎の辰国を追ってみると」 から、新羅の出自を要約する。

新羅は高句麗・百済とは別系統でありながらも、初期に馬韓王に指名された王、すなわち百済人を推戴している。中国史書の記録では「新羅人は辰韓の出身でありながら、辰韓王は常に馬韓人」(『梁書』「新羅伝」)、「新羅の前身辰韓王は馬韓人」(『晋書』「辰韓伝」)とある。
しかし、その後の王族は扶余系ではない別系統の王を輩出する。
新羅王家には朴・昔・金という3つの姓氏があった。
王の称号も第1代が「居西干(コセガン)」、2代が「次次雄(チャチャウン)」、3代から18代が「尼師今(イサグム)」、19代から22代は「麻立干(マリッカン)」であり、23代以後は中国式の「王」を使うが、それ以前は4つの王号があった。号が異なるということは民族が異なることを示唆する。
新羅の支配階級は、シベリアを横断して日本海側を南下して、迎日湾付近から慶州平野へ進出したスキタイ族に近い勢力であったと思われる。
実際、新羅の文化は、扶余系の高句麗・百済のものと大きく異なり、シベリア・スキタイ系文化の特色が見られる。また、『後漢書』「辰韓伝」によると新羅の前身である辰韓の言葉は高句麗や百済の言語とは違っていた。
中国史書『晋書』「辰韓伝」によると、新羅の前身である辰韓の建国は、秦の始皇帝の
万理の長城建設に動員された塞外地帯の民がその労役をさけて移動をしてきたため、馬韓が領土の東部の一部を割譲したことから始まったとある。このことは、辰韓→新羅が扶余族とは異なる民族であることを示唆している。
新羅王家は少なくとも朴・昔・金の三家が交代していることから、「王は神であり、他の姓とは替えられない」という扶余系の現人神思想が新羅にはなかったと推測できる。

まとめると、次のようになる。


【1】紀元前5〜4世紀、中国戦国時代に滅んだ呉人(韓人)、越人(倭人)が朝鮮半島に流れ着き、農耕社会を形成した。(一部は日本列島に流れ着き、弥生社会を形成)。


【2】紀元前4世紀〜、遊牧騎馬民族であるツングース系の扶余族が朝鮮半島を南下。朝鮮半島西部に辰国をつくり、朝鮮半島南部・東部の韓倭農耕部族連合を服属させた。
これがそのまま、馬韓(西部)・弁韓(南部)・辰韓(東部)となる。
つまり、三韓とは、ツングース族(扶余族)が韓人・倭人(呉越人)を服属させた社会である。


【3】スキタイ系部族の影響を受けた(or混融した?)モンゴル系部族が、秦に追われて南下し、馬韓から辰韓の地を割譲してもらい支配した。これが新羅の源流である。そして、辰韓は馬韓に服属していた。
秦支配から逃げる過程で一部は海に脱出、出雲・敦賀に流れ着き丹波・大和に拠点をつくったのがスサノオ・オオクニヌシ・ニギハヤヒなどの新羅勢力だと考えられる。(管理者:この点は疑問がある。)
(秦の始皇帝を騙して日本列島に脱出した徐福の伝説と同じ構図である。)


【4】さらに、辰国とは別の扶余系部族が、高句麗を建て南満州〜北朝鮮を支配。その分派の百済が朝鮮半島を南下し馬韓を奪取。弁韓(→伽耶)と辰韓(→新羅)を服属させた。
つまり、ツングース系の扶余族(百済)が、韓倭農耕部族連合(伽耶)とモンゴル系(新羅)を服属させた。ところが、新羅はすぐに百済から独立し、弁韓(→伽耶)を侵食しながら、百済と対抗するようになる。
そして、百済(ツングース)や新羅(モンゴル)に追い詰められた伽耶(韓倭農耕部族連合)の一派が、日本列島に逃れてきた。そして、先着していた新羅勢力(オオクニヌシやニギハヤヒ)を追い出しor服属させたのが、第一期大和朝廷(天孫族)である。
つまり、大和朝廷の原点は、春秋戦国時代に滅亡した呉越の生き残り(韓人・倭人)が、さらに、ツングース系の扶余族(高句麗・百済)やモンゴル族(新羅)に追われて日本列島にやってきた二重の敗残者である。
これが「属国意識の源流〜日本の支配階級に刻印された敗北思考(体裁思考)」 の理由ではないだろうか。
敗北主義にもかかわらず彼が生き延びることができたのは、流れ着いた先の日本列島は、圧倒的大多数を縄文人が占める平和な共同体社会とお上捨象体質だったからである。それをいいことに、彼ら伽耶勢力は日本に君臨することになった。
つまり、大和朝廷(伽耶勢力)とは、敗北思考にも拘わらず君臨するという、世界中でも稀に見る特異な性格の支配者なのである。
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2012/11/2410.html



天皇制国家の源流(葛城ネットワーク)まとめ1 日本と朝鮮の支配部族の源流
天皇制国家の源流(葛城ネットワーク)まとめ1 日本と朝鮮の支配部族の源流

 いままで十数回にわたり天皇制国家の源流を追求してきました。ここで、いままでのまとめを行いたいと思います。ちょうど年末のなんでや劇場で、日本の闇勢力について追求が行われました。その内容も併せて、四回程でまとめてみたいと思います。
まず、古代以前のユーラシア大陸の状況からです。
●北方モンゴロイドの南下
・5万年前〜2.1万年前、極寒化で北方モンゴロイドは小部族で南下。シベリアは無人状態に。
・2.1万年前〜1.3万年前、温暖化で人口爆発し、モンゴル平原に北上。アルタイ系3祖族を形成(新モンゴロイド)。父系集団で垂直的な上天信仰、熊神信仰、冬祀りetcの文化。
・1.3万年前、急激な冷え戻りで、南下。チュルク族は西方に、モンゴル族は南方に、ツングース族は東方に拡散。(下図参照)
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(画像はリンク よりお借りしました)
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・6千年前〜4千年前、中央アジアの乾燥を契機にアーリア族による略奪闘争が発生し、東西に玉突き的に伝播。アーリア族→チュルク族→モンゴル族→ツングース族と玉突き的に急激な移動・拡散が起こる。
チュルク族は、早くからアーリア族と混融。馬と金属の文化で、西アジアから地中海、あるいは東欧・ロシアにまで分布。
モンゴル族は、東アジアから中央アジアに広域に拡散。北方は遊牧を続け、南下した部族は農耕に転換。
ツングース族は、極東で長く狩猟を維持(馬とトナカイを飼い慣らす)。モンゴル族と混融。シベリア・満州・朝鮮の源流。
・3.5千年前、モンゴル族が殷を建国。3.1千年前、チベット族が周を建国。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
☆日本には3〜1万年前から、主に南方のスンダランドから列島にやってきた人々が縄文人を形成、そこに新たに大陸の戦乱から逃れた江南人がやってきて弥生人が生まれます。
●縄文人+江南流民=弥生人
 日本人の基層を成すのは縄文人であるが、2480年前の呉、2340年前の越、2235年前の楚の滅亡に伴って江南人の一部が日本列島に亡流した。彼ら江南流民は、何れも少人数で、周りの縄文人に受け入れられ、混融していった。これら少数の江南流民と縄文人の混血を弥生人と呼ぶことにする。
 彼らは2400年前〜2200年前までに、九州、出雲、北陸、あるいは瀬戸内、高知、尾張、紀伊、伊豆に国を作っていった。=弥生人の小国。
 ここで、倭人について触れたいと思います。倭人とは、日本史では古代の日本人そのもののように言われていますが、明らかに間違いで、上記の中国南方からの流民(江南人)を指しています。日本列島に流れ着いたのは一部であり、その主力は朝鮮半島へ流れ着いていました。
●倭人とは江南人(呉・越・楚人)
 倭人とは、2500年前〜2200年前に発生した江南人(呉人、越人、楚人)の流民である。2480年前の呉滅亡→呉人が弁韓へ、2340年前の越滅亡→越人が馬韓へ、2235年前の楚滅亡→楚人が辰韓へ(いずれも一部は日本列島へ亡流)。
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〔呉・越・楚の滅亡と遺民(倭人)の移動〕(図版はリンク よりお借りしました。)
 倭人が江南人のことであることの証拠に、中国からみた倭(人)の範囲が時代を追うにつれ南に下がってゆく。
 最初、中国は南朝鮮全体を倭と呼んでいたが、百済・新羅国家が形成されると、国家が形成されずに部族連合として残った伽耶を倭と呼ぶようになり、伽耶滅亡後には、倭は日本列島だけを指すようになった。
 魏志倭人伝の時代は主に伽耶の倭人が活躍していた時代であり、そこで登場する倭は日本ではなく、朝鮮半島にあったのである。高句麗の広開土王が戦った倭も朝鮮半島の伽耶のことである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
☆倭人は、朝鮮半島で水田稲作を始めていました。そこに稲作民を支配する様式を持つ北方部族が南下して、国家を形成し始めます。
●倭人+扶余族=韓人
 朝鮮半島では、これら江南流民がほぼ原住民=倭人であるが、後に朝鮮半島へツングース族(一部モンゴル族)が南下する。後から侵入してきた扶余族との倭人との混血を韓人と呼びます。
1.2300年前、ツングース系の扶余族が南下し、半島西部に辰国を作り、南部(弁韓)、東部(辰韓)を服属させる。つまり、三韓とは、扶余族が韓倭人(呉・越人)を服属させた国である。扶余族と倭人(呉・越人)が混血したのが韓人である。
2.2235年前、秦に強制移住させられていたモンゴル系部族(スキタイとも混融?)が大量の楚人と共に脱出・南下。辰国(中心が馬韓)から東部の辰韓を割譲してもらい、これを支配。
3.1950年前、別の扶余族が半島北部に高句麗を建国。その分派が南下して馬韓を奪い百済に。百済が、弁韓(→伽耶)と辰韓(→新羅)を支配。
 新羅は、百済=扶余族に従属するモンゴル系部族が江南流民(主に楚人)を支配した国である。新羅が扶余族ではない証拠に、新羅はシベリア・スキタイ系文化の色彩を帯び、言葉も扶余系とは異なる。従って新羅には「王は神で、他の姓は替れない」という扶余族の現人神(天孫降臨)信仰はなかった。
 秦の長城建設の為に強制移住させられていた楚人とモンゴル族(スキタイ族?)が、モンゴル族に率いられて脱出し、極東を東端まで横断した後、日本海沿岸を南下して慶州平野に進出した。中国「辰韓伝」によると、馬韓が脱出してきた民に、馬韓領土の東部を割譲したとあり、辰韓は馬韓に服属することで成立した。
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〔秦帝国と万里の長城、朝鮮半島の付け根まで万里の長城が伸びている。そこで強制労働させられていた人々が逃げ出し(図中の矢印)朝鮮半島の辰韓を形成 〕
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
☆この時代までは、日本へは流民として命からがらやって来て、原住民の縄文の人々に受け入れられた人々でしたが、中国の秦の時代になると様相が変わってきます。計画的に大集団がまとまってやってきます。伝説でも有名な徐福です。彼らが、それ以後の日本でネットワークを形成し支配勢力の中核となっていきます。(続く)
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2013/01/2475.html

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