INNOVATION OF PHILOSOPHY: GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience - 2014/11

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




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2014年11月30日(Sun)▲ページの先頭へ
PS陰陽学から人間の攻撃性メカニズムの解明を試みる:精神陰陽心三極構造と「こころ」の光智(神)
図は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11958766345.html

PS陰陽学から人間の攻撃性メカニズムの解明を試みる:精神陰陽心三極構造と「こころ」の光智(神)

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

最近の、少なくとも私の周囲の日本人は、どういうわけか、攻撃的になった。以前は、それほど気にならなかった、なにか急に、発作的な感じで、攻撃的になっている。有り体に言えば、批判・批評ではなく、非難・揶揄等々である。
 今、イメージしているのは、二人の人間である(もっとも、多くの人にもある程度あてはまるが)が、自分自身の欠点・欠陥には、盲目であり、他者の言葉尻等を捉えて、不躾に攻撃するのである。
 私が思いついたのは、かれらは、自分自身の精神、言動等の欠陥という精神の闇(ブラックホール的かもしれない)を抱えている、内包・内含しているのであり、それを見ないように隠蔽する精神力学をもっているのではないだろうか。
 ここで、PS陰陽学(以後、陰陽学)の視点を適用したいのである。
 すなわち、精神(「心」の総体・全体を、適切な言葉が浮ばないので、精神としておく)は、陰陽対極性(両極性・双極性:以後、簡単に、陰陽極性、極性と呼ぶ)からなると見るのである。
 ある意味で、二重人格性である。とまれ、陰陽二重構造と見るのである。
 議論上簡潔にするため、陽を知性(自我)、陰を感性とする。
 しかしながら、MP(Media Point)・原点・交点がある。
 これは、実は、私が「こころ」と呼ぶものである。だから、精神は、単に陰陽二重構造だけではなく、陰陽心(芯とも言えよう)三重構造である。
 さて、(時間がないので、やや端折って述べるが、)通常、意識は陽の自我においてもつのである。陰の感性ないし魂は、無意識である。もっとも、その表面は意識されるのであるが。つまり、感情や欲望等として、意識されるのである。せいぜい、胸部内において、意識されるのであり、肚・腹の陰までは達していないだろう。
 この陰陽二重性、陰陽極性のバランスをとるのは、「こころ」である。MPである。
 しかし、近代主義は、陽の自我に主導性があり、それが支配的である。それは、同一性、物質主義・唯物論を特徴とするのである。
 だから、陰陽バランスをとるべき、第三のものである「こころ」の領域を否定・抑圧・排除・隠蔽するのである。
 そう、「こころ」は言うならば、智性、賢慮性、思慮性をもつのである。これは、陽の自我と陰の感性の両面を注視しているのである。
 だから、陽の自我の欠陥を、「こころ」=MP・原点・交点(ハイデッガー的に言えば、空開処、亀裂であろう)を感知しているのである。
 自我の欠陥を智性である「こころ」は知っていると考えられるのである。
 そこで、欠陥のある陽の自我や陰の感性は、「こころ」の智性を「鬱陶しく」、邪魔者と感じるのである。
 そこで、「こころ」を隠蔽するため、抑圧力学が強く作用するのである。「こころ」の智の精神力学を抑え込むのである。
 つまり、通常の抑圧以上のより強固な抑圧をかけるのである。何故なら、自分の欠陥・欠点、端的に、悪性が浮かび出るからである。
 当然、ここには、「闘争」があるのである。浮上しようとする「こころ」と、抑え込もうとする陽自我と陰感性(両者は同一化している、あるいは、癒着していると言えよう)の「闘争」があるのである。
 ここで、自我は、攻撃性を帯びると考えられる。基本は、内的攻撃性であるが、それが、外的他者へと向けられるのである。
 自分自身の非、欠点・欠陥、悪性の隠蔽力学が、他者の非、欠点・欠陥、悪性への攻撃へと転化すると考えられるのである。
 これで、ざっとであるが、本件の問題の基礎的メカニズムがいくぶん解明されたとしよう。
 有り体に言えば、陽の自我=陰の感性は、一般的には粗野・粗暴・野蛮であるため、内在する「光」である「こころ」に恐怖するのである。「こころ」の光智に怯えるのである。
 そう、この「こころ」の光智(光智心、光智芯とでも言えよう)は、「神」へ通じていると言えよう。シュタイナーの説くキリストは、これと一致すると考えられる。
 因みに、光智心(光智芯)を涵養・陶冶するには、以下の書物が役立つ。(シュタイナーは仏教の八正道を「こころ」の形成のための「インフラ」としているのである。)

いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか (ちくま学芸文庫)/筑摩書房
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シュタイナーは、人間の血を植物化しようとしているのである。精神のグリーン化である。そう、グリーナイゼーションgreenization、グリーナリズムgreenalismと呼ぼう。
 以下、簡単に図式化する。


      陽自我⇒⇒⇒他者への攻撃性
_____↓↓↓_______

___「こころ」・MP・光智芯___

_____↑↑↑_______
       陰感性
 
《精神の攻撃メカニズム・チャート》


参考:

             虚軸 陽凸i
               |
               |
               |
第二象限(物質界)   | 第一象限(霊;哲学、哲学科学)
               |
               |
−1 _________MP________+1 実軸
               |
               |
               |
第三象限(感情・欲望) | 第四象限(魂;芸術・宗教・倫理)
               |
               |
              陰 凹i

           陰陽認識図 

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2014年11月26日(Wed)▲ページの先頭へ
PS陰陽論における陽主導と陰主導の違いについて:陰陽調和をもたらす力学
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11957304838.html

PS陰陽論における陽主導と陰主導の違いについて:陰陽調和をもたらす力学

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

PS陰陽論から、何故、父権自我(陽自我)が、悪魔的になるのか説明したい
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11956926277.html

 (「先に以上のように述べたが、少し補足したい。)
本件については、かつて何度も検討したことがあるが、未だ、直観的には、不確定であるので、ここで新たに検討したい。
 問題は、陽主導の場合、同一性、物質化が生じ、陰主導の場合、陰陽調和が生起するということである。
 これまで、陰陽調和は、陰陽ガウス平面のMP(Media Point)つまり原点において、なされると見ているのあり、そこにおいては、太極の一(いつ)が作用していると考えているのである。
 しかし、MPと陰自体は異なるのであり、陰主導がどうして、陰陽調和をもたらすのか、明示する必要がある。
 この問題は微妙である。
 陽主導の場合、陽は陰を同一性化してしまい。陰自体が否定されるのである。しかし、陰主導の場合、陽自体は、同一性化されない。つまり、陰は陰としてあり、陽は陽としてある。
 また、本来、男性は陽主導であり、女性は陰主導であると述べたが、現代女性は、男性化して、陽主導であり、陰がそれに付随しているようなことを既述した。
 つまり、男性にしろ、現代女性にしろ、陽主導なので、陰自体が否定されていて、陰の主導性が欠落していると考えられるのである。
 言い換えると、陽主導による陰陽の癒着があると考えられるのであり、陰陽分極が否定されていると考えられるのである。
 そのように考えれば、陰主導によって陰陽調和がもたらされると考えるのは、妥当であると言えよう。
 以下、海舌氏の人間認識図を参考にして、新たに陰陽認識図を説明したい。

人間認識図

         人間認識図(海舌氏による)

陰陽認識図としては、上図をひとまず、左右反転する必要がある。
 そして、陰陽認識図においては、第一象限を霊の世界、あるいは、哲学、哲学的科学の領域とする。
 第四象限は、魂の世界、あるいは、芸術・宗教・倫理の領域となる。
 第二象限は自我界、物質界、現象界、また、物質科学(唯物科学・技術=近現代)の世界である。
また、第三象限は、自我的な感情・欲望界である。
 つまり、自我の世界は、左半面の領域であり、陰陽調和は、右半面の領域となる。
 では、氣の世界はどこに存するのであろうか。
 氣は虚軸に存するのであり、それが、陽主導において、左半面領域へと、陰主導において右半面領域へと展開すると考えられる。

追記:シュタイナーに拠ると、人間と植物(樹木)とは上下反対になるのである。
 だから、以下の陰陽認識図は植物的構図と言えよう。
 人間の場合は、以下を左右反転する必要があるということになろう。つまり、人間においては、虚軸はそのままでいいが、実軸において、右が−1となるのであり、左が+1となるのである。
 植物においての天が人間では実軸の左の線分となり、植物の地が人間では、実軸の右の線分となるのである。

             虚軸 陽凸i
               |
               |
               |
第二象限(物質界)   | 第一象限(霊;哲学、哲学科学)
               |
               |
−1 ________MP________+1 実軸
               |
               |
               |
第三象限(感情・欲望) | 第三象限(魂;芸術・宗教・倫理)
               |
               |
              陰 凹i

           陰陽認識図





PS陰陽論から、何故、父権自我(陽自我)が、悪魔的になるのか説明したい

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

PS陰陽論は簡潔な哲学・科学仮説であることが一つの取り柄である。
 寝る前に(もう、だいぶ眠いが)、ポイントを述べたい。
 即ち、陰陽力学において、陰が主導的になるときと、陽が主導的になるときがあると考えられる。前者を私は母権的、後者を父権的というのである。実に簡単であろう。
 陰が主導的な場合は、陰と陽は共振・共鳴・和合するのであり、それが、根本的な生命エネルギーである。
 しかし、陽が主導的な場合は、陰と陽は共振せず、陽が陰を支配するのである。これは、哲学的には二項対立である。
 そして、陽とは自我、父権自我である。同一性である。これは、他者を排除するのである。端的に、これは人間的というより、物的、物質的なのである。他者を物、物質、量的なものと捉えるのである。(追記:また、単に、意識的に物質主義的であるばかりでなく、生命的に物質体を形成するものと今の段階では考えている。つまり、陽主導性は、物質体を形成するということである。陰陽方程式凹i*凸i⇒±1で言えば、⇒−1が物質体を形成するということになる。)
 故に、平気で、他者を否定、排除、殺戮するのである。
 一般的に言えば、こころがないのである。たましいがないのである。
 いわゆる、文明とは、実は、父権文明、陽自我文明であり、それ以前の母権文明を否定・排除・抹殺して生まれたものと考えられるのである。
 故に、文明とは殺戮文明、戦争文明なのである。その帰結が、現代の軍産複合体資本主義文明である。そして、その断末魔が今、日本に押し寄せているのであるが、国民は超能天気である。
 とまれ、ここで主張したいのは、自我、父権自我とは、結局、物質主義であるということである。唯物論的なのである。
 同一性主義である父権自我は、当然、物質科学・技術を発展させたと言えよう。
 ここには、共生・共存という視点は欠落しているのであり、平和はありえないのである。
 そう、父権自我文明は、物質主義文明であり、人間主義文明ではないのである。
 しかるに、母権自我には、こころがある。正確には埋れているのである。これを活性化・覚醒化しないといけない。
 父権自我文明とは悪魔文明に帰結したのであり、新母権自我文明を誕生させるべきなのである。
 もっとも、ロシアがその中心になることが今や明らかになっている。
 日本は、滅亡するだろう。そして、少数者によって復活するだろう。
 最後に、やや唐突であるが、うつ病等の心因病について言いたい。 
 これは、父権自我病と言えるのではないだろうか。
 父権自我は、氣や魂や霊を抑圧排除するので、生命である陰陽共振が生起せずに、エネルギーが枯渇するのである。
 そう、それらは反動となり、否定的に自我に作用し、自我を混乱させるとも考えられるのである。
 やや、雑駁であるが、ここで留める。もう23時前であるが、もう寝る。

追記:母権文明ないし新母権文明とは、生命主義文明である。何故なら、陰陽共振調和とは、生命生成の謂であるからである。

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2014年11月16日(Sun)▲ページの先頭へ
思うに、自我は悪魔化し、世界破壊を欲望するのではないのか?
思うに、自我は悪魔化し、世界破壊を欲望するのではないのか?

テーマ:総て出鱈目日本の元凶ヤハウェ父権自我悪魔

戦争爺にしろ、ア蔑にしろ、自分のために、他者を破滅させたいのである。
 先に、フロイトの死の欲動について言及したが、どうも、死の欲動は自我と関係していると思う。
 そう、自我は、いわば、唯一神なのである。だから、自我の願望が満たされないと、怨恨をもつのであり、他者を破壊したくなると言えよう。
 ヤハウェは「わたしは嫉妬する神である」といみじくも述べている。
 結局、自我=陽への傾斜、父権自我がもたらすのである。
 母権自我は、内在的にこころ=陰陽調和=愛をもっている。しかし、父権自我の世間にあって、自身の愛を抑圧しているのである。
 父権自我は、もう死者なので、かまう必要はない。母権自我の人間が生存を考えるべきである。


Sun, November 16, 2014
解散・総選挙は極めて謎:隠れ多極派路線か戦争爺路線か:これまでの枠組みが通用しなくなっている?

テーマ:賤民資本主義と共同体的資本主義

私の乏しい知識では、よくわからないのである。
 多元連立方程式を解く必要があるのであるが、必要な知識が足りないのである。
 でも、いちばん簡単な理由は、アベノミクスは、日本経済を破壊し、ひいては、世界経済を破壊することがわかったからではないだろうか。「流石の」戦争爺も、これはまずいと思ったのではないだろうか。
 そう、財務省の自己中路線が戦争爺の路線とずれだしたということかもしれない。
 戦争爺はもちろん、戦争を起こしたいが、実は、軍需産業であり、武器を買ってくれればいいのである。しかし、阿部ノミ屑が延長すると、武器を買う金がなくなることがわかったということではないだろうか。
 結局、商売である。ビジネスである。
 資本主義である。ビジネスから見て、アベノミ屑は、世界経済を破壊することが分かったので、流石の戦争爺もこれはアカンということで、解散・総選挙へとふったのではないのか。
 

年内の唐突な衆議院解散・総選挙サプライズは来年に起こる円株同...

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G20首脳会議で微妙に孤立気味の安倍首相!何故か水を手酌!話し相手がおらず、周りをキョロキョロ・・・ new!!
20141116121936sidu.jpg
今月に入ってから中国やオーストラリアで相次いで首脳会談が開かれていますが、食事会の席では安倍首相が孤立気味になっているようです。北京の会談ではプーチン大統領や習近平国家主席、オバマ大統領らが最前列の席で談笑をしているのに、日本の安倍首相は後方でキョロキョロしていました。そして、先日から開催されているオーストラリアのG20でも昼食会で孤立状態になっている安倍首相が激写されています。
プーチン大統領はお付の人に水を入れてもらっているのに、安倍首相は何故か「手酌」で水を注いでいるのです。単に喉が渇いていたのかもしれませんが、他の首脳らと比較すると、安倍首相の周りにはあまり人が居ないと言えます。

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Sun, November 16, 2014
日本とフランスで、名高いアルタイ産のハチミツが販売される。アルタイ産のハチミツは、珍味
テーマ:有機的自然回帰的ライフ・スタイル
アルタイ産のハチミツ 日本へ
アルタイ産のハチミツ 日本へ
日本とフランスで、名高いアルタイ産のハチミツが販売される。アルタイ産のハチミツは、珍味として、容量100グラムで梱包されて出荷される。




Sun, November 16, 2014
風朕かく語りき:プーチン大統領:制裁は全ての国の妨げになっている

テーマ:ニュー・イースタンの時代:新東洋の時代

政治
プーチン大統領:制裁は全ての国の妨げになっている
プーチン大統領:制裁は全ての国の妨げになっている
ロシアのプーチン大統領は、オーストラリアG20サミットの場で行われた一連の2者会談について、会談では制裁について触れられたと指摘し、制裁は全ての国の妨げになっており、この状況から抜け出さなくてはならないという共通の理解があると述べた。





Sun, November 16, 2014
異性愛の問題:何故、異性に魅かれるのか?

テーマ:セクシュアリティ:植物的花弁対一力と性極

記紀の、凹凸の性交、植物の雄蕊・雌蕊では、異性愛の問題は解決しない。
 おそらく、哲学上、これが一番の問題かもしれない。
キルケゴールは恋愛、倫理、そして、宗教へとステップ・アップした。恋愛は一番低いレベルである。
 空海でも、愛欲は最下位のレベルである。
 私が驚嘆するD. H. ロレンスは、セックス自体を肯定した稀有の作家である。
 でも、私はセックスより、異性愛に興味がある。同性愛はその変形である。
 大哲学者プラトンは、セックスを否定はしなかったが、天上への愛、エロースを説いた。
 これは、わかりやすいのである。
 問題は、霊ではなく、身体である。あるいは、氣である。氣は、霊と身体に通じるのである。
 どうして、このようないわば平凡なことが解明されていないのだろうか。フェロモン云々では説明がつかないのである。
 PS陰陽論から解明を試みよう。
 オスは、当然、陽であり、メスは陰である。これは常道である。
 正反対なものは牽引するのであり、同時に反発するのである。これが、雌雄の性的力学である。つまり、陰陽哲学である。
 ここで、霊的科学者のシュタイナーの理論を借りよう。欲望・感情はアストラル体が担うのである。そして、自我は、知性・悟性であろう。前者は陰であり、後者は陽である。そして、両者は正反対であり、引き合うと同時に反発すると考えられる。
 そう、女性の身体は、欲望・感情体=アストラル体と言えるのではないだろうか。欲望・感情が体現したのが女性身体ではないだろうか。
 だから、陽・自我の男性はそれを見ると、「発情」するのである。
 陽・自我に抑制された欲望・感情が喚起されるということではないだろうか。
 そして、逆に、女性は、男性を見たとき、その陽・自我の知性・悟性に魅かれるはずである。女性の欲望・感情体にはないものがそこには発現しているのであるから。
 両者、自身に欠落しているものを異性身体に見るということではないだろうか。
 だから、異性愛とは、陰陽調和への力学と言えよう。丁寧に言えば、陰陽は牽引と反発であり、そのままでは、調和にはならないのである。闘争となるのである。
 調和にするには、第三のものが必要である。それはこころである。愛である。
 それは、超越的なものなのである。結局、唯物論が支配すると、陰陽調和がありえないのである。
 超越的なもの、それが、陰陽調和をもたらすのである。
今はここで留める。

MODELS.com

http://models.com/mdx/study-of-pose-with-coco-rocha/

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2014年11月11日(Tue)▲ページの先頭へ
氣磁場という新しい科学智を作業仮説してみたい:森のある氣磁場環境圏と大都市の無氣磁場電磁波圏
画像は以下で見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11950825273.html

氣磁場という新しい科学智を作業仮説してみたい:森のある氣磁場環境圏と大都市の無氣磁場電磁波圏

テーマ:氣神論:氣は万物に通ずる:氣的身体理性

昨日は、仕事で、新宿から接続で、丸ノ内線を利用した。
 今は、豆乳ヨーグルトに、あらびき茶、オリゴ糖、純粋蜂蜜を入れて食し、オリゴ糖を入れたココアを飲み、また、同様の九州産の青汁を飲み、ようやく、ほっとしてきたところである。たましいが戻ってきたとでも言おうか。
 私は東京の職場は狭いオフィスなので、それで落ち着かないと思ってきた。確かに、横幅が狭く、圧迫感がある。
 しかし、今、都区内における落ち着かなさ、なにか所を得ない感じ、所在感のなさ、浮遊している感じ等は、東京に氣的環境圏がないからではないかと感じたのである。
 とまれ、氣磁場という科学的作業仮説が浮んだのである。
 氣というと、なにか非現実のようなイメージであるが、氣磁場というと、感覚的、直観・直感的にぴんと来やすいだろう。
 (今は、氣電磁場とは言いたくない。氣磁場がピンと来るのである。)
 ここ森が近くにある自宅の場は氣磁場があると思う。森へ行けば、さらに感じる。
 しかし、都区内には、氣磁場が感じられない。無氣場的電磁波環境圏という感じがするのである。
 大気を、空気を、環境を、氣磁場が満たしていない一種、空虚があり、その中にいる私の心身は、それと共振・共鳴・共感しないのであり、そのため、私は、所在なさを感じるのではないだろうか。
 そうならば、よくもそのような環境に30年も住んでいたものだ!
 私は都区内に住んでいて、身体が痛くなるのを感じた。苦痛なのである。
 田舎から出てきたときは、上野公園に行って、緑への飢えを充たそうとしたものである。
 思うに、70年代初期までには、東京には、氣磁場が存在していたと思う。しかし、その後、東京は無氣磁場的電磁波環境になったのではないだろうか。
 それは、いわば、悪魔・狂気的環境ではないだろうか。
 さて、PS陰陽論から、氣磁場はどう説明できるだろうか。
 陰凹i*陽凸⇔±1の陰陽方程式において、⇔がガウス平面の原点(MP:Media Pointと呼んでいる)に当たり、虚軸と実軸の交点であり、この点において、氣磁場が発生するのではないだろうか。
 勿論、これは、単なる磁場ではない。磁場ならば、N極、S極があり、前者から後者へと磁気が流れる。
 しかし、氣磁場はそうではない。いわば、天の氣磁気と地の氣磁気があるのである。これは、不思議な複雑な作用だと思う。
 つまり、虚軸の陰陽対極性と実軸の天地相反性(光⇔重力)があり、この両者が相互浸透しているような力学が、氣磁場作用ではないだろうか。
 問題は、新しい視点である天地相反性である。これは、単なる+と−の極性ではない。天へのベクトルと地へのベクトルがあるのであり、前者がいわば、天氣磁気であり、後者が地氣磁気であり、両者で、氣磁場環境圏を形成しているということになる。
 だから、それは、天地相反的氣磁場環境圏とでも言えよう。
 そして、展開すると、天氣磁気が植物の芽の伸長力であり、地氣磁気が植物の根の伸長力である。
 主に、道教等で、天の氣、地の氣と呼ばれたものは、それを指しているのではないだろうか。
 しかしそれは、根源の陽の氣、陰の氣とは異なるのである。
 これは、混同しやすいし、実に、理氣論なのでは、混同されたと思う。理がイデア的で、氣が物質的と考えられたのであるから。
 後でもう少し、考えてみたい。

参考図(お断り:マックで描くので、ウィンドウズではズレます)

        陽凸i
         |
         |
         |
         |
地−1___________MP_______________天+1
         |
         |
         |
         |
        陰凹i

     陰陽ガウス平面  

ただし、四元数的四次元は、MPに他の二つの虚軸が存し、太一軸=i軸、太極軸=j極、陰陽軸=k軸、そして、天地軸=実軸となる。
 だから、陰陽ガウス平面の陰陽虚軸のiは、四元数的コスモロジーでは、k軸になる。 

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2014年11月05日(Wed)▲ページの先頭へ
海舌氏の三元論:四元数の三つの虚軸は太極軸と陰陽軸と天地軸であり、実軸は単に光速度一定の単位?
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11948240944.html

海舌氏の三元論:四元数の三つの虚軸は太極軸と陰陽軸と天地軸であり、実軸は単に光速度一定の単位?

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

海舌氏の三元論:三つの虚軸i, j, kは、三等分割均衡における正三角形の三つの軸に対応する?
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11947882841.html

先に以上のように述べたが、三元論についてもう少し考えてみた。
 二等分割を陰陽極性と見たが、そうではなく、ガウス平面の成立とみたらどうだろうか。つまり、虚軸と実軸の二つの軸の成立と見るのである。そして、三等分割であるが、それは、三次元空間の成立と見るのである。つまり、ガウス平面以外に三つの空間軸ができると見るのである。
 この三つの軸が四元数の三つの虚軸に当たるのではないだろうか。
 思うに、四元数の虚軸は、実は、準虚軸ではないだろうか。
 とまれ、問題は、実軸とこの準虚軸である。
 私はこれまで、実軸を天地軸としているが、それと三つの準虚軸はどう関係するのかが問題である。
 
追記:どうも、四元数は、適用するのに問題がありそうである。
 以下の「エーテル空間」の考え方は、端的に、三次元空間と関係すると言えよう。
 だから、思うに、PS陰陽論で言えば、陰陽からの発現としての三次元空間を考えればいいように思うのである。
 それは、以前考えたように、底面の平面と天地軸による三次元空間である。時間は、虚軸にあるとするのである。
 思うに、四元数の考え方、三つの虚数、虚軸であるが、それは、陰陽氣を超えた霊的空間に適用できるのではないだろうか。
 即ち、太一軸としての例えば、k軸、そして、太極軸としてのj軸、そして、陰陽氣軸としてのi軸である。
 つまり、四元数空間を超ガウス平面空間と見るのである。
 そうならば、海舌氏の三元論は、次元を間違えているとなるのではないだろうか。四元数空間は霊的空間であるが、海舌氏の三元論は、通常の三次元空間を志向していると思われるのである。

追記2:以下の「エーテル空間」を読み直すと、四元数の三つの虚軸は、以下の三つの直線、つまり、空間三次元の三つの軸に相当するように思えてくる。
 ならば、問題は、四元数の実軸の意味である。
 思うに、それは、単位数を意味するのではないだろうか。あるいは、光速度一定である。
 しかし、そのようにした場合、やはり、四元数の三つの虚軸、虚数は、準虚軸ないし準虚数となり、本来の虚軸、虚数ではないのではないだろうか。

追記3:いろいろ想起される。四元数の三つの虚軸、虚数であるが、それは、エーテル空間を意味するのかもしれない。
i軸とj軸とk軸が三つの直交軸であり、それが、エーテル三次元空間を作るのかもしれない。
 そして、実軸、実数は、やはり、光速度かもしれないが、要は単位数である。
 そうすると、i軸を太極軸とし、j軸を陰陽軸とし、k軸を天地軸とすることができるのではないだろうか。実軸は、空間軸とはならないのである。
 このように考えれば、四元数空間はガウス平面を包摂することができるだろう。
 そうした場合、最根源である太一は、どうなるのか。それは、MP(Media Point:原点・交点)にあるのではないだろうか。ゼロ点である。

追記4:追記3のように考えた場合、空間三次元はどう説明できるのだろうか。
 i軸=太極軸、j軸=陰陽軸は、空間軸にはならないはずである。k軸が天地軸でそれは、空間軸の一つとなる。
 足りないのは、水平面、あるいは、地上面である。
 それは、太極軸と陰陽軸による「超越平面」が現象化したものだろうか。その「超越平面」は以前述べていた陰陽円である。
 それが、現象化することによって、水平面が形成されるのではないだろうか。
 とまれ、天地軸とは、実際、現象空間軸なのだろうか。
 それは、シュタイナー的に言えば、光⇔重力軸である。
 ならば、現象空間軸である。
 ならば、k軸=天地軸は、虚軸であっても、空間軸である。
 そして、それに直交する水平面=地上面が現象すると考えられる。これは、球面になるのではないだろうか。
 とまれ、別に二つの空間軸が必要になるのではないだろうか。
 それとも、太極軸と陰陽軸で水平空間軸を考えていいのだろうか。
 思いつきであるが、天地軸が発出するとき、太極軸と陰陽軸による陰陽円=渦動円は、螺旋的に現象化するのではないだろうか。ならば、太極軸と陰陽軸を空間軸と見てもいいのではないだろうか。

追記5:ハイデガーの存在とは、追記3,4の三つの虚数・虚軸の作るエーテル三次元空間ではないだろうか。それとも、太極軸i軸と陰陽軸j軸の作る超越円=陰陽円なのであろうか。


「エーテル空間」ノート23

note23:
・球は中心点に直角三角形をつくり出すだけではなく、
 天球周縁にも直角三角形をつくり出す
・プロセスとしての球形形成運動
・球形形成原理は、虚数に関わり、数エーテル(化学エーテル)として現象界に現れる

<ジョージ・アダムス 『エーテル空間』からの引用>

 空間の無限遠点は球面との関係において、球の中心点を通る平面をもたらします。この平面は、無限遠点がどの方向にあろうとも、無限遠点へ向かう半径に対してつねに直角を成します。そしてこれは球の場合にのみ生じます。このことを最後まで考えていけば、球の中心点で互いの直角を成す“三つ組”の半径が得られます。すなわち三つの直線の各々が、他の二つの直線を含む平面に対して直角を成す、三つ組が見られることになりま
す。これは、この三つ組の直線を球の中心点からあらゆる方向へ向かわせることのできる、いわゆるデカルト座標系です。デカルトの座標系はこのように、球のなかに一種の形態原理を持っていますが、たとえば人間の頭蓋骨の形態はこの原像の現れのひとつです。

 さて
しかし、球はその中心点だけではなく、無限遠平面にもこのような三つ組をつくり出します。球は天球周縁に直角三角形をつくり出すのです。この三角形は、デカルトの座標系が三つの直線と三つの平面から成っているように。三つの直線と三つの点から成っています。
球はこのように、地上にも天上にも三つ組をつくり出しますが、地上では諸半径を構成要素とする中心点をつくり出し、天球では天球諸直線を構成要素とする“周縁中心”をつくり出します。
(P.47-48)
 近代幾何学の原空間において私たちがまず第一に理解しなければならないのは、直角がつくり出す硬い形態ではなくその根底にある数の動力学、完成された円形ではなくプロセスとしての循環運動、完成された球形ではなく丸みをつくり出していくプロセスとしての球形形成運動です。それというのも私たちは、中心点と宇宙の拡がりとの対極性のような、地上的なものと天上的なものとのあいだに永遠に作用している呼吸する対極性とかかわっているばかりでなく、このような二極間に自らの存在を主張している球形形成原理にも、つまり静かに自足している有限の球形に見られるような球形形成原理にもかかわっているからです。
(P.48)
 この原理を数学的に述べるなら、それはその具体的ー霊的な背景をアストラルと呼ばれるものの内に持つ、謎に満ちた虚数(√-1)にかかわる原理です。この原理はもはや空間的なものではありません。しかしそれは、特に循環するものの内に現れる数のリズムの響きをとおして、空間のなかへ形成的に作用しています。この原理は、エーテル的なものの内に作用していることから、数エーテル(化学エーテル)として現象界に現れます。
(P.48)


◎直角三角形が円に内接するように、円や球の形態は密接に「直角」と結びついている。
◎note19で説明したように、空間の無限遠点は、球の中心点を通る平面をもたらすが、
この平面は、無限遠点へ向かう半径に対してつねに直角を形成する。
球の場合、中心点を通る平面と中心点から球面に延びる半径とが直角になっているイメージ。
◎そうすると、球の中心点で互いの直角を成す「三つ組」の半径が得られる。
つまり、この球の中心点を中心とした(x,y,z)座標(デカルトの座標系)のイメージ。
◎球は、この「三つ組」を無限遠平面にも形成する。
つまり、球は天球周縁に、三つの直線と三つの点から成る直角三角形をつくり出す。
◎近代幾何学の原空間においては、そうした直角がつくり出す硬い形態ではなく、
その根底にあるプロセスとしての球形形成運動を理解しなければならない。
これは、完成されたスタティックなものとしてではなく、それが形成されるプロセスが重要になる。
◎私たちは、地上的なものと天上的なものとのあいだの対極性だけではなく、そうした球形形成原理にも関わっている。
◎この原理は、ー霊的な背景をアストラル的なものに持っている「虚数(√-1)」に関わっているが、
呼吸するように循環するものの内に「数のリズムの響き」を通して、空間のなかへ形成的に作用し、
数エーテル(化学エーテル)として現れる。
◎「反空間」である「エーテル空間」は、物質空間に対して、もはや空間的なものではない「虚」の空間として表現されるが、その「虚」つまり、「虚数(√-1)」の原理はアストラル的なものを霊的背景としてもっている
ということはチェックしておく必要があると思われる。
というのも、シュタイナーは、物質界、エーテル界、アストラル界・・・というように、世界を多次元構造としてとらえているからである。
そして、「反空間」である「エーテル空間」は、この物質空間に対する「虚」の空間として位置づけられてる。
◎ちなみに、シュタイナーはエーテル的な力を、
生命エーテル、化学エーテル、光エーテル、熱エーテルの四つに分けてとらえている。
ここで「数のリズムの響き」である「数エーテル」としているのは、そのうち「化学エーテル」である。
◎参考までにいえば(この『エーテル空間』とは直接関係しないが)、電気、磁気、原子力の深部に潜んでいるエネルギーのことを、シュタイナーは《堕落したエーテル》と呼んでいるそうである。
https://r5.quicca.com/~steiner/novalisnova/steiner/aetherischenRaum/ar23.html

参考:
四元数 - Wikipedia

四元数数の単位の積を四次元空間の 90°-回転として視覚的に表現したもの。ij = k, ji = −k, ij = −ji


超越軸における回転による超越円の形成と超越円をマトリクスとする現象螺旋形成

テーマ:映画ThriveのトーラスとPS哲科学

先に、ガウス平面において、凸i(+i)と凹i(-i)との揺動によって、回転が生じることを述べた。
 問題は時間現象である。私は先に、凸iが空間形式で、凹iが時間形式ではないかと言った。カント哲学的には、前者は、外的感覚(外官)であり、後者は内的感覚(内官)である。
 差異共振現象という自然現象は、当然、時空間の発現を意味するから、凸i*凹i⇒凸(+1)の右辺の凸(+1)が時空間現象を意味するかもしれない。
 しかし、螺旋運動こそが、自然現象であるから、凸(+1)は自然現象自体ではない。
 それは、これまでの考えでは、超光エネルギーである。あるいは、超氣である。
 思うに、⇒凸(+1)の活動において、螺旋運動が形成されるのであるから、螺旋を空間とすれば、運動が時間と関係すると言えよう。ここで作業仮説であるが、⇒凸(+1)の超光のベクトルが時間ベクトルと一致するとしよう。つまり、凸(+1)は時間を意味することになる。
 そう、時間は内的なものであり、不可視であるから、それは、考えられることである。
 これで、現象螺旋運動の説明は済んだとしよう。
 次に、超越軸における回転・螺旋運動である。
 凸j*凹jも揺動しているとすると、超越円において、回転すると考えられる。(ここで説明しておかないといけないのは、凸i*凹iが形成する螺旋運動であるが、その三次元は現象空間三次元であり、超越軸をもつ三次元ではない。つまり、ここで、現象三次元空間と超越軸を区別する必要があることである。
 結局、ガウス平面に直交する二つの軸があることになる。一つは超越軸であり、一つは、現象空間の第三次元の軸である。)
 しかしながら、果たして、超越円の回転は、螺旋運動を形成するだろうか。
 運動となるには、時間が必要であるが、超越円は時間を形成するだろう。そう、凸j*凹j⇒凸(+1)と形式化したのであり、右辺は時間を意味するのであるから、超越円も螺旋運動を形成することになろう。
 ここで整理したい。
 順序から言うと、超越軸における凸jと凹jの共振的揺動があり、それが回転をもたらし、超越円を形成する。
 この超越円の意味するものは、虚軸y軸の形成ではないだろうか。
 つまり、超越軸z軸と直交する虚軸y軸の形成である。これで、超越界からの凸i(光)と凹i(闇)の形成が説明できると言えよう。
 そして、凸i(光)と凹i(闇)の共振からの現象創造の説明もできる。
 そうすると、上述した超越軸と現象空間第三軸は異なるということはどうなるだろうか。
 つまり、超越軸と虚軸における超越平面と超越円が現象螺旋運動(時空四次元)を形成する基盤、マトリクスであり、それは、現象時空間とは一致しないと考えられる。
 そう、超越円はイデア界と言ってもいいだろう。それは、現象界からは不可視の存在であるが、現象創造の超越的根源ということになる。
 超越円(言わば、イデア・サークル)から可視の螺旋的現象界が形成されるということになる。
 そう、一見、超越軸と現象第三軸は重なるように見えるが、やはり、根本的には別物である。
 つまり、こう言ってもいいだろう。超越軸z軸と現象第三軸は表面的には重なるが、それは、見掛け上のことに過ぎないのであり、両者はまったく別個のものとして存在するのである。(追記:そのように区別したものの、凸j*凹j⇒凸(+1)であるから、media pointにおいて、両者は重なることになるだろう。思うに、media pointは、この重なりにおいて、超越軸の情報を受け取り、それを物質化するのである。そう、いわば、超越情報[イデア情報]を受け取り、それを物質・現象的に具現化すると考えられる。)
 さて、そういうことで、超越円(イデア・サークル)から螺旋形状が形成されるが、それは、黄金比を基本的にもっていると言えよう。だから、五芒星形がなんらかの超越円において、形成された可能性が考えられる。(ピュタゴラス派)
 そうすると、超越軸には何らかの超越的意志が考えられないだろうか。超越的意志によって、現象形成が決められているのではないだろうか。
 しかし、そのように考えると、超越軸を超越した超-超越界を想定する必要があるのではないだろうか。
 この問題は難しいので保留しておき、一応、超越軸における超越円の創造に留めておきたい。
 最後に凸jと凹jについて簡単に考察してみたい。凸iが光、凹iが闇ならば、凸jは原光、凹jは原闇ということになるのではないだろうか。
 原闇と原光が共振して、闇と光の宇宙世界が生まれる。
 原闇が原母であり、原光が原父ということになろう。
 問題は、原父が主導的な場合である。最初期は、原母が主導性をもっていたと考えられるが、あるとき、原父が主導的になったと思われる。
 もし、原父が決定的に自身を原母に押し付けるならば、凸j*凹凹j⇒凹(−1)となり、それは、質料となるのではないだろうか。
 一神教がこのような性格をもっていると考えられる。そう、原母を質料化して、卑賎化するのである。「父」が上位であり、「母」が下位である。そして、それの極端化したものがユダヤ教、ないしは、旧約聖書であり、「母」はほぼ不在となっているのである。
 ここで簡単に日本神話について触れると、それは、原母による原父との共振による現象創造を語っていると思われる。
 天之御中主神とは、原母と原父との共振を意味するのではないだろうか。そう、超越的media pointである。
 そして、高産霊神と神産霊神は凸iと凹iを意味するのではないだろうか。
 では天照御大神とは何であろうか。それは、超光であろう。単に光ではなく、原母と原父との共振、光と闇との共振による超光を意味しよう。
 マニ教の光はそれであろうし、アフラ・マズダ、キリストもそれであろう。
 今はここで留める。後で、再考したい。



凸(+1)を転換点とする脱物質体化・差異共振純粋超光過程

テーマ:映画ThriveのトーラスとPS哲科学

映画THRIVEのトーラスとPS理論:その2:上部から下部への動き
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11242890795.html

以上において、次のように述べた。

「少なくとも、凸(+1)は転換点、折り返し点、回帰点と考えられる。
 超光エネルギーは宇宙を形成し、凸(+1)に到達するのであるが、その後の問題である。
 今、直観で言うと、凸(+1)までの動きは春から夏への成長の動きである、しかるに、凸(+1)から凹(−1)への外皮上の動きは秋から冬の動きである。言い換えると、生から死への動きである。つまり、成長から衰退への動きである。しかし、この衰退は内的成熟への動きである。そう、外的成長から内的成熟への動きである。
 思うに、簡単に言えば、超光エネルギーの衰退があり、それが、外皮的動きとなっているのではないだろうか。物質体の衰退であるが、内的「精神」の成長である。」

映画Thriveのトーラスにおける、上部極から下部極へ移動し、言わば、外殻、外皮、外面形成する力動について、それは、超光エネルギーの衰退を意味すると述べたが、それはある意味では正しく、ある意味では間違いである。
 というのは、螺旋的、乃至は、黄金比(白銀比もおそらく入れられよう)的物質体(身体)形成は確かに、そこ(凸[+1])からは衰退するから、それは、それまでの超光エネルギーから見ると、超光エネルギーの衰退を見ることは可能である。
 しかしながら、視点を変えてみると、凸(+1)に到達した、超光エネルギー、乃至は、差異共振エネルギーは実は、螺旋的物質体(身体)形成過程(Aプロセス)から脱螺旋的物質体(身体)過程(Bプロセス)へと転換するのではないだろうか。
 つまり、Aプロセスは同一性物質化を伴っていた、Bプロセスにおいては、同一性的物質化が消滅して、純粋な差異共振化、超光化が発生するのではないだろうか。これを聖霊プロセスと呼んでもいいだろう。
 つまり、超光エネルギーは衰退するのではなく、ただ、変態したと考えられるのである。喩えれば、蛹から蝶へと変態するようなものである。そう、それをヒントにして言えば、プシュケー・プロセスとも言えよう。
 思うに、それは、超越軸、超越界、神霊界、霊界における差異共振による超光形成と重なるように思えるのである。だから、聖霊プロセスなのでもあるが。
 結局、Bプロセスは物質体・身体形成としては衰退過程であるが、精神形成としては成熟過程である。
 さて、問題は、Bプロセスがどうして、凸(+1)からリンゴや梨のような外殻、外皮、外面である湾曲した球面を辿り、凹(−1)へと進行するのかである。その力学はどういうものか。
 これは単純に、磁界を考えればいいのではないだろうか。即ち、凸(+1)をN極とし、凹(−1)をS極とするのである。磁力がN極からS極へと作用するのであり、それとほぼ同様なことが、Bプロセスに起きている考えればいいのではないだろうか。
 つまり、下部極から上部極の螺旋的物質体化過程(Aプロセス)の方向、即ち、凹(−1)から凸(+1)への実軸x軸の左方から右方への方向を、純粋超光は取ることがもはやできないのであり、つまり、言わば、内的な方向を取ることはできないのであり、そのため、外的な方向を取ることになると考えられるのである。
 しかしながら、内的方向とは実は、外的物質体化の過程であり、外的方向とは内的精神化の過程であるというパラドクシカルな意味合いをもっているのである。
 しかし、外的方向=内的精神化の過程=Bプロセスは、凹(−1)という物質が終点であり、それは、死を意味すると言えよう。だから、その意味では、衰退消滅の過程なのである。純粋超光、純粋差異共振はそこで終了するのである。
 とは言え、それは、新生の過程に入ることである。新たな螺旋的物質体(身体)の過程に入ることになるからである。輪廻転生である。即ち、 凹(−1)の物質において、純粋超光、純粋差異共振、純粋精神を宿していた物質体・身体は消滅すると考えられるが、そのとき、純粋超光、純粋差異共振、純粋精神は完全に脱物質化するのであり、それは、超越軸=超越界=神霊界=霊界に帰還すると考えられるのである。
 そう、凸(+1)において、脱物質化すると言ったが、それは完全な脱物質化ではなく、脱物質化のプロセスの開始を意味するのであり、完全な脱物質化は、凹(−1)の物質において、為されると考えられるのである。説明すると、凹(−1)の物質とは無機的な物質、いわば、鉱物のようなものであり、生命的有機体はそこには存しないと考えられるのである。
 今はここで留める。


resurrectionのブログ

(THRIVE Japanese) スライブ―いったい何が必要になるのか - YouTube
► 132:03► 132:03

www.youtube.com/watch?v=yp0ZhgEYoBI2012年4月5日 - 132分 - アップロード元: ThriveMovement
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http://www.youtube.com/watch?v=yp0ZhgEYoBI

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2014年11月04日(Tue)▲ページの先頭へ
学ぶことを忘れたのが亡国の原因?:読書は読智である:脱日本一神教原理:新多神教・新陰陽原理へ
学ぶことを忘れたのが亡国の原因?:読書は読智である:脱日本一神教原理:新多神教・新陰陽原理へ

テーマ:哲学philosophy:ソフィアへの愛

私の両親は無学であった。読書をしなかった。農薬を使う野菜農家であった。父は胃ガンでなくなった。
 思うに、読書とは、読智なのである。知恵を得ない読書ならば、それは、皮相な読書である。知恵とは自分に役立てることである。内的、外的に実践的である。
 日本人は知恵を捨ててきたと思う。
 傲りがあると思う。知恵に対する冒瀆があると思う。
 それは、やはり、父権自我から来ていると思う。
 再論するが、西洋文化とは、二重文化であり、基層には、母権文化があり、その上に父権文化が支配しているのである。だから、常に、両者の対立と対話が為されるのである。そこで、知恵が生まれるのである。それが、哲学である。古代ギリシアから哲学の伝統が西洋には流れているのである。
 日本において、母権文化が衰退してしまっている。
 これは、やはり、明治維新と敗戦後の被占領体制に因るだろう。
 それまで、日本文化は東洋文化であり、中国、インド、韓国・朝鮮の文化を基礎としてきたのである。
 中国文化には、基層に母権文化があるし、インドもそうである。
正に、陰陽文化がそうである(ただし、『易経』は父権化されて解釈されている)。
 これを似非近代日本は否定したのである。つまり、自己否定したのである。端的に、脱亜入欧である。しかし、この欧米文化の輸入は、父権的であり、母権文化を見ていなかったと思う。
 とまれ、伝統を否定する極端な在り方が「近代」日本で生じたのである。これこそ、自虐的であるが。
 そう、バランス、均衡を失ったのである。
 いったい、この極端な自己否定的な「近代主義」とはどこから発するのだろうか。 
 これは、一神教の発想に近いと思う。
 私見では、国学の神学によっているのである。
 国学は、神道を一神教化したのである。
 国学神学が「近代」日本を支配しているということではないだろうか。一神教支配である。
 どうも、これが、日本の自己否定原理であるように思えてきた。
 本来、多神教である神道が一神教化されたのである。ここには、日本父権民族の視点があると思う。(やはり、日ユ同祖論を支持したくなる。)
 一神教は、非常に危険である。それは、帝国主義原理になるのである。キリスト教は本来は三位一体で、多義的であるが、一神教的に解釈されてきたのである。
 今の結論として、脱一神教化、脱国学神学であり、新多神教、新陰陽原理を提唱したい。
 ついでに、ハイデッガーのきわめておもしろい本を推奨したい。これは、主著の『存在と時間』より、ずっと優れていると思えるのである。わかりやすいのである。解説書は返って、深遠にしてしまっている。ハイデガーの説く「存在」は明快である。

追記:智は光であり、智のない人間は闇が支配している。闇の無智から智光へ。


形而上学入門 (平凡社ライブラリー)/平凡社

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文芸空間 ハイデガー『形而上学入門』
literaryspace.blog101.fc2.com/blog-entry-27.html


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2007年5月15日 ... 「2ちゃんねる」系のページのことである。 女子高生の書いたページにリンクを張って、
話題にしていた。 女の子のピースをした顔写真。 黒を基調とした背景。 短い言葉、
ほんの数文字で書かれた自己紹介。 大きく取られた余白に、殺とか狂とか ...

マルティン・ハイデッガー - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/マルティン・ハイデッガー


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マルティン・ハイデッガー(Martin Heidegger、1889年9月26日 - 1976年5月26日)は、
ドイツの哲学者。ハイデガー、ハイデカーとも表記される。エトムント・フッサールの現象
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