INNOVATION OF PHILOSOPHY: GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience - 2014/04

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




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2014年04月20日(Sun)▲ページの先頭へ
生命と物質:死と生命:−1が闇・死で、+1が光・生:西洋文明の闇とロシア文明の光
生命と物質:死と生命:−1が闇・死で、+1が光・生:西洋文明の闇とロシア文明の光

テーマ:生命力/氣自衛医智学:唯物機械論医学批判

これはまったく思いつき。
 陰陽方程式は陰凹i*陽凸i⇒±1である。
 いちばんの問題は、±1なのである。この解釈の問題で、結局、PS理論は瓦解したのである。
 私は+1は陰陽調和の結果と見ている。つまり、植物世界である。螺旋である。
 しかし、−1は、陽が傾斜した場合に思える。
 どうも、これが、動物世界的なのではないだろうか。
もし、そうならば、 陰陽方程式陰凹i*陽凸i⇒±1は植物世界と動物世界の両方を表現していることになる。
 直観では、動物世界は、より物質的であり、植物世界は精神的である。
 ずいぶん昔のKaisetsu氏の解釈に拠れば、+1が光であり、−1が闇である。
 問題は身体である。+1の身体と−1の身体があることになるのではないだろうか。
  そう、+1は精神的身体、氣的身体と言えよう。そして、−1は、物質的身体、無機的身体と言えよう。
 しかしながら、前者へ進化していると考えられる。
 とまれ、前者は植物的セクシュアリティであり、後者は動物的セクシュアリティである。
 氣的性と物質的性である。
 おそらく、これから、前者が進展するわけである。
 
追記:−1を物質的身体、無機的身体と見ていいか問題であるので、これは、無しにする。
 やはり、+1が光、つまり、日光・陽光であり、−1が闇ではないだろうか。思うに、闇という実体を認めるべきではないだろうか。
 以前、−1をダーク・マターにとったことがあるが、確かに、実体の闇をダーク・マターにとることは考えられる。
 もっとも、そうすると、新たに議論を展開させないといけなくなる。だから、実体の闇をダーク・マターと見るというのは、置いておく。
 今は、発想の段階に留めるが、+1が生命ならば、−1は死なのではないだろうか。
 生命があれば、死があるのである。死は物質の力、エントロピーの力ではないだろうか。有機体解体の力、無機的な力である。
 それで、死の力は実に必要であろう。これは、解体力であるが、解体力とは、排出と通じるのではないだろうか。排出がなければ、生命は成り立たないのである。
 だから、生命と死は均衡していると言えよう。
 そして、それが、植物的世界・自然ではないだろうか。
 しかし、人間の場合、死の力が優位になったのではないだろうか。とりわけ、父権主義において。
 大脳の発達(概念知の形成:観念・理念とは異なる)は、生命(陰陽調和氣)を否定しているのではないだろうか。そう、−1は左脳であろう。そして、+1が右脳であろう。
 そして、資本というものも、−1だと思う。死の力である。
 これは、量的な解体力であり、自然生命世界を破壊するのである。
 西洋文明は死の文明である。それに世界が支配されてきたのである。
 しかし、今や、ロシアが世界を主導するような立場になってきたのである。ロシアは、半分、西洋であり、半分、アジア、東洋である。
 思うに、ロシアのアジア・東洋的要素が死の西洋文明に対抗するのである。そう、アジア・東洋的要素とは、私見では、植物的生命性である。陰陽調和性である。
 また、それは光、日光・陽光である。太陽である。
 世界は、闇・死に傾斜し過ぎたのである。物質的解体力に染まり過ぎたのである。
 振り子を光・生へと揺り戻すときであり、そのような時代に移行していると言えよう。
 さて、最後に日本の闇についてであるが、これは、極めて深い闇である。日本父権民族は闇の民族であり、光を知らないのである。そして、日本母権民族は、自己文化の創造性を喪失しているのである。頽廃しているのである。
 それ故に、闇の力に対して、無力なのである。
 日本母権民族の文化とは端的に、氣の文化である。植物的文化である。これに目覚める必要があるのである。




氣の捉え方:氣の気付き方:氣が心身の本体である:お釈迦様の掌の内にあるようなものだ

テーマ:氣神論:氣は万物に通ずる:氣的身体理性

氣は誰でも本来備えていると思うが、氣の存在に気付かないことがほとんだと思う。
 私のことを考えると、子供の頃からずっと氣を感じてはいたが、気付かなかったのである。
 気功の真似事を、四半世紀前にやってみたが。確かに、氣らしきは感じたが、あやふやだった。
 はっきり、氣の存在に気付いたのは、東京に20年以上住んでいて、農村地帯にある実家に、介護でもどって、部屋にいたときである。部屋の空気に東京にはないものを察知したのである。
 これは何だと思った。何か部屋にあるのである。部屋の中になにか充満しているものがあるのである。
 これが氣ではないかと思ったのである。そして、その後、氣を意識するようになったのであり、経験的な確認作業をするようになったのである。
 今では、森氣浴する中で、森の氣を感じるようになったのである。
 思うに、ずっと、東京暮らしをしていたら、氣の存在に気付かなかったと思う。東京という氣のない空間と農村地帯の氣に満ちた空間のギャップによって、気付いたと思う。
 そう、逆に、農村地帯だけに住んでいたら、氣があるのが普通であるから、氣には気付かなかっただろう。
 また、日本語には、気が有り過ぎて、逆に、気に盲目なのだろう。
 しかし、一般的に、氣に気付かないのは、認識論から説明できる。自我的思考(利己主義的思考)をすると、氣を排除することになるのである。あるいは、氣を抑圧すると言ってもいいだろう。
 だから、近代的自我思考あるいは近代合理主義が支配すると、氣はあっても、排除して、無意識化してしまうのである。(肚の形成であるが、これは、氣を肚に降ろすことかもしれない。)
 話は少し飛ぶが、ハイデガーが『存在と時間』の中で、世界内存在とは、気遣いのようなことと言っていた。
 確かに、気遣いは、社会生活における氣の働きだと思う。しかし、それは、形而下的で、氣のもつ形而上性は失せている。
 朱子の理気論の氣も形而下的である。
 でも、どうして、形而上性が失せてしまうのか。
 氣が励起されたとき、明らかに、形而上性が生じるのであるが、それは、一時の非日常経験として捉えられてしまい、平静時の氣には形而上性はないと思ってしまうのではないだろうか。
 私は森氣浴経験を重ねることで、氣の形而上学性の確認をし続けている。

追記:結局、灯台下暗しである。氣が空気のように心身に大気(自然環境における)に充ち満ちているので、つまり、有り過ぎて、気付かないということのように思える。
 それに近代合理主義が加わったので、尚更になったと言えよう。 
 そう、言い換えると、いわば、お釈迦様の掌の内にいるので、お釈迦様=氣に気付かないと言えよう。

追記2:日本の支配層・権力層は、父権民族で、利己主義であるので、氣が排除されて、国民への気遣いがないのである。
 また、母権民族の国民は氣がいいので、支配層の邪氣に気付かないとも言える。


2014年04月11日(Fri)▲ページの先頭へ
有機体資本主義:フィボナッチ数列的等分割・均等原理、陰陽調和原理を資本主義にもたらす
有機体資本主義:フィボナッチ数列的等分割・均等原理、陰陽調和原理を資本主義にもたらす

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

陰陽からのフィボナッチ数列ベクトル的生命現象形成の力学
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11819400017.html

先に以上のように書いたが、陰陽からのフィボナッチ数列的ベクトル的生命現象の発生とは、陰陽共振、陰陽調和に基づいているのである。結局、和(たし算)とは、均等・均衡原理、つまり、民主原理なのである。
 ここで、資本主義の問題を考えると、資本の蓄積とは、資本のたし算であり、資本の均等・均衡原理が作用すべきなのである。
 しかしながら、陰陽調和ではなく、父権自我の連続的同一性が支配するのである。つまり、父権自我という中心が資本を支配していて、陰陽調和の均等・均衡原理が働かないのである。
 ここに資本主義の矛盾があるのである。
資本に陰陽調和原理、フィボナッチ数列的均等・均衡原理をもたらすべきなのである。
 それには、父権自我ではなく、新母権自我が必要である。新母権自我は、集積された資本を均等・均衡原理的に活用すると考えられる。
 民主主義も今日の父権自我支配から、新母権自我支配に転移すれば、自然有機体的民主主義になるのである。今日のは、資本暴力的民主主義に過ぎない。


2014年04月10日(Thu)▲ページの先頭へ
仮説:フィボナッチ数列は等分割の数だけでなく、均等原理を内在する:フィボナッチ数列ベクトル
図像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11819109717.html

仮説:フィボナッチ数列は等分割の数だけでなく、均等原理を内在する:フィボナッチ数列ベクトル

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

先に以下のように述べたが、補足すると、90°回転において、形成されるフィボナッチ数列であるが、単に等分割の数だけでなく、そこには、均等原理(原則、法則)が働くのではないだろうか。即ち、たとえば、1+2=3の場合は、円を3つに等分割するような均等原理が働き、正三角形が形成されるということになる。2+3=5の場合は、円を5つに等分割にする均等原理がはたらき、正五角形が形成されるということになる。
 均等原理という考え方は、無理のない自然な考え方だと思う。つまり、常に、全体の一(いつ)、統一の一(いつ)、つまり、円があるが、そこに各数列の数が生起すると、全体がその数によって等分割されるという均等原理、均等力学が作用するというのは、わかりやすいと思う。
 つまり、全体の一、統一の一の中の数列の数ということであり、全体が分子、数列の数が分母になるということである。
 後で整理したい。

追記:言い換えると、力の均衡原理とも言える。一(いつ)の力の場において、ある整数が発生する場合、常に、全体の一(いつ)における整数であり、バランスをとって、等分割されるということである。つまり、全体の原理が整数にはたらくのであり、全体の原理が整数を均等分離すると思われるのである。
 簡単に言えば、例えば、5という整数ならば、1に還元されて、五等分、五等分割されるということである。つまり、単位数の1に還元されるということである。
 あるいは、別の考え方をすれば、整数分のベクトルが生じると見てもいいだろう。円の中心に複数の等しいベクトルが生じるとすると、それは、当然、相互のバランスをとって、等分割するように、分離すると考えられる。つまり、均衡原理である。
 だから、フィボナッチ数列を数列を均衡するベクトルを見るといいだろう。3ならば、3つの等しいベクトルが中心から発生して、3等分割するということになる。角度は、当然、360°÷3=120°で分割されるのである。
 だから、フィボナッチ数列ベクトルである。

フィボナッチ数列の数の意味:等分割数ではないか:2は2等分割、3は3等分割、5は5等分割、等々

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11818362360.html

直近で、以下の図を参考にしたが、フィボナッチ数列の数であるが、これは、単なる量としての数ではなくて、等分割の等分数ではないかと思った。つまり、最初の1は1分割せよ、とうことになり、それは、全体である。つまり、おそらく、最初に0(ゼロ)ないし原点があるのであり、0+1=1であり、これは、半径1の90°回転である。次に、半径1をまた90°回転させると、最初の半径1と今度の半径1を加えて、1+1=2の半径ができる。この半径2は同時に2等分割を意味するということではないだろうか。少し曲解的だが、1+1が二つの部分ではないだろうか。
 次に、半径2が90°回転すると、1+2=3となり、半径3が形成される。これは、1+1+1=3であり、左辺の1+1+1が3等分を意味するのではないだろうか。
 次に、半径3が90°回転して、1+1+3=5で、半径5が形成される。これは、同様に、1+1+1+1+1=5であり、左辺の1+1+1+1+1が5等分を意味するのではないか。
 以下同様である。
 このように考えると、等分割が形成されて、例えば、正三角形、正五角形、正八角形の形成が簡単に説明できよう。
 ピュタゴラス派がいちばんの神聖数の5であるが、これは、5等分割で説明できよう。そして、これが、黄金比と関係するのである。つまり、自然現象、有機的現象ともっとも関係すると考えられるのであり、当然、人間(私は人間動植体とでも呼びたい)にも当てはまるのである。五本の指、頭と手足、合わせて、5つの部分、あるいは、五臓六腑の五、等々である。
 以上の説明で、かなり、形態発生力学が論理的に説明できるようになっただろう。これまでとは、格段の差である。
 結局、フィボナッチ数列を導入したことが正解であったと言える。


この1,1,2,3,5,8,…という数字の並びはフィボナッチ数列と呼ばれるもの。
隣り合った数字を足し合わすと、
 1+1=2、
 1+2=3、
 3+5=8、、
と続いていきます。

これらの数字の間隔は、5:8 ≒ 1: 1.618、という風に、黄金比率に近づいていきます。

上の図のように「らせん」にも黄金比率が存在するし、
360°の円も、黄金分割すると、約137.5°という黄金角になります。

検討問題:形態はどうやって形成されるのか:螺旋、フィボナッチ数列、黄金分割(黄金比)
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11818276963.html


2014年04月09日(Wed)▲ページの先頭へ
フィボナッチ数列の数の意味:等分割数ではないか:2は2等分割、3は3等分割、5は5等分割、等々
図像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11818362360.html

フィボナッチ数列の数の意味:等分割数ではないか:2は2等分割、3は3等分割、5は5等分割、等々

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

直近で、以下の図を参考にしたが、フィボナッチ数列の数であるが、これは、単なる量としての数ではなくて、等分割の等分数ではないかと思った。つまり、最初の1は1分割せよ、とうことになり、それは、全体である。つまり、おそらく、最初に0(ゼロ)ないし原点があるのであり、0+1=1であり、これは、半径1の90°回転である。次に、半径1をまた90°回転させると、最初の半径1と今度の半径1を加えて、1+1=2の半径ができる。この半径2は同時に2等分割を意味するということではないだろうか。少し曲解的だが、1+1が二つの部分ではないだろうか。
 次に、半径2が90°回転すると、1+2=3となり、半径3が形成される。これは、1+1+1=3であり、左辺の1+1+1が3等分を意味するのではないだろうか。
 次に、半径3が90°回転して、1+1+3=5で、半径5が形成される。これは、同様に、1+1+1+1+1=5であり、左辺の1+1+1+1+1が5等分を意味するのではないか。
 以下同様である。
 このように考えると、等分割が形成されて、例えば、正三角形、正五角形、正八角形の形成が簡単に説明できよう。
 ピュタゴラス派がいちばんの神聖数の5であるが、これは、5等分割で説明できよう。そして、これが、黄金比と関係するのである。つまり、自然現象、有機的現象ともっとも関係すると考えられるのであり、当然、人間(私は人間動植体とでも呼びたい)にも当てはまるのである。五本の指、頭と手足、合わせて、5つの部分、あるいは、五臓六腑の五、等々である。
 以上の説明で、かなり、形態発生力学が論理的に説明できるようになっただろう。これまでとは、格段の差である。
 結局、フィボナッチ数列を導入したことが正解であったと言える。


この1,1,2,3,5,8,…という数字の並びはフィボナッチ数列と呼ばれるもの。
隣り合った数字を足し合わすと、
 1+1=2、
 1+2=3、
 3+5=8、、
と続いていきます。

これらの数字の間隔は、5:8 ≒ 1: 1.618、という風に、黄金比率に近づいていきます。

上の図のように「らせん」にも黄金比率が存在するし、
360°の円も、黄金分割すると、約137.5°という黄金角になります。
検討問題:形態はどうやって形成されるのか:螺旋、フィボナッチ数列、黄金分割(黄金比)
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11818276963.html




図像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11818276963.html

検討問題:形態はどうやって形成されるのか:螺旋、フィボナッチ数列、黄金分割(黄金比)

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

渦巻や螺旋の発生は陰陽の90°回転力学で説明されよう。
 即ち、日光軸が形成され、同時に、時間軸が発生し、空間三次元事象が生起するというように考えるのである。
 今思ったのは、以前考えた陰陽円の存在である。それは、ガウス平面において、虚軸を直径とする、ガウス平面に直交する円である。それが、90°回転すると考えるのである。
 そうすると、それは、ガウス平面上で単位円を形成しよう。どうも、これが、渦巻を創る「原光円」(造語)ではないだろうか。
 そして、三次元空間では、球体となろう。つまり、太陽ないし原太陽である。あるいは、原宇宙、原コスモス球かもしれない。
 とまれ、単位円=原光円において、凸i、凹i、+1,−1のよっつの基本単位がある。これが、四大(地水火風)に関係するのではないだろうか。凸iが風、凹iが水、+1が火、−1が地に相当するかもしれない。また、五大(地水火風空)で言えば、空は原点、MP(メディア・ポイント)に当たろう。
 以下の参照を見ると、直観で、現象形態の発生は、螺旋、フィボナッチ数列、黄金分割に関係すると思われる。
 しかし、問題は、数学的に説明されるだけで、エネルギーが問題になっていないのである。あえて言えば、数学と現象力学が分離しているのである。
 数学、数にエネルギーを与える必要があるのであえる。
以下の参考1の「自然法則と黄金分割」の説明をヒントにしてみよう。
 上述したような五大(地水火風空)が原型となって、黄金分割を形成すると述べている。
 問題は正五角形の形成原理である。四大(地水火風)はわかりやすい。それは、単位円での「十字架」を考えればいいのであるから。しかし、正五角形にするのは難しい。
 ただ、数的には、5は上記のようにすぐ出てくるが、正五角形が生まれないのである。
 ここでは、正五角形を前提するより、フィボナッチ数列的視点から始めた方がいいようだ。
 参考2の図が参考になろう。フィボナッチ数列、1,1,2,3,5,8,13,21,・・・であるが、これをガウス平面の立体的変形座標に適用するのである。
 つまり、最初は、1と1でいいが、その次は、半径が2(=1+1)になり、その次の半径が3(=1+2)となり、同様に展開すると見るのである。
 これで、螺旋現象数的力学は説明されよう。後、時間軸に沿って、立体化させていけばいいだろう。
 そして、後の数を分母、前の数を分子にして、割り算すると、黄金分割に接近するのである。つまり、フィボナッチ数列から黄金分割が生まれることになる。
 そして、黄金分割から念願に正五角形が発生すると思われるのである。これで、現象形態の説明の大雑把な輪郭がわかろう。
 フィボナッチ数列的形成であるが、それは、当然、現象形成であり、ガウス平面での形成ではない。日光軸(実軸)があり、それが、原点を中心にして、時空間四次元現象へ、いわば、展開するのである。
 しかしながら、どうして、フィボナッチ数列的構成をとるのかという疑問が湧く。
 逆に、黄金分割の比が基本であるというようにも考えられる。
 これではどうどう巡りである。
 これは検討課題にしておく。
 

参考1:
自然法則と黄金分割
http://www.nersrch2020.sakura.ne.jp/1-11.htm

『そして、これらの4つの要素をうまくバランスをとり、調整し、場を形成する役割をなすのが「空」の

性質なのです。言い換えると、あらゆるエネルギー源をあなたがたに与えるために転換したり、拡散し

たり、収束させたり、回転させたり、消滅させたり、する性質を持つもの。これを「五大要素」とよんで

おります。


  「五大要素」が均等に作用したとき、ちょうど「星形の五角形」を作り上げるのです。この五大要素が

「創造宇宙のトーラス」の中をぐるぐる、ぐるぐる回転しているのです。

 そして「星形五角形」の中には、きれいな黄金分割比が現れるのです。(黄金分割比とは1:1.618

という分割比を指します。また、その逆が0.618となります。)


 この「黄金分割比」というのは数字を「1,1,2,3,5,8、13、・・・・」というふうに並べてみてくだ

さい。これは、隣り合わせの数字を足して、その次の数字は、たとえば、1と1を足すと2(1+1=2)

となります。2の次は3になります。つまり 1,1,2,3… という数字の配列になっていくわけですが、

永遠にこの演算を繰り返してゆくと、出てくる数値が1.618。または0.618に収束してゆく数列をい

い、これを「フィボナッチ数列」ともいいます。

  この数字の配列というのは、自然界のこの五大要素を基準とした分布システムにも適用されている

のです。隣り合わせの数字を割ってゆくと、限りなく「黄金分割比」に近づくようになっていきます。

 これが自然界の「永遠に続くフラクタル構造」または「入れ子構造」をうまく説明出来るのです。 』

参考2:
生命に宿る黄金比とらせんエネルギー - ゴルフィーライフ(New) 〜 We ...
http://blog.goo.ne.jp/lifelongpassion/e/4e9068485f459e834966f46bc21bf8e7

ゆらぎやフラクタル、といった美しくも心地よい自然の法則を形成する重要なファクターにこの黄金比があります。

この1,1,2,3,5,8,…という数字の並びはフィボナッチ数列と呼ばれるもの。
隣り合った数字を足し合わすと、
 1+1=2、
 1+2=3、
 3+5=8、、
と続いていきます。

これらの数字の間隔は、5:8 ≒ 1: 1.618、という風に、黄金比率に近づいていきます。

上の図のように「らせん」にも黄金比率が存在するし、
360°の円も、黄金分割すると、約137.5°という黄金角になります。

パルテノン神殿やピラミッド、ダビンチをはじめ葛飾北斎に至るまでの絵画や美術品は言うに及ばず、
自然界は黄金比率に溢れている。
ミツバチの巣の中の雄と雌の個体数が黄金比になったり、
木の枝のつく間隔や葉っぱのつく間隔にも、1:3:5:8…と黄金比の法則が顕現する。



 
オウム貝の渦巻きを500万倍に拡大するとハリケーンの渦巻き雲になり、
さらに60兆倍すると、渦巻き星雲の形になるといいます。


参照:
対数螺旋 - Wikipedia
対数螺旋(たいすうらせん、英 : logarithmic spiral)とは、自然界によく見られる螺旋 の一種である。等角螺旋(とうかくらせん、英 : equiangular spiral)、ベルヌーイの螺旋ともいい、「螺旋」の部分は螺線、渦巻線(うずまきせん)、匝線(そうせん)などとも書く。ヤコブ・ベルヌーイ (ジャック・ベルヌーイ)は、17世紀 のスイス の数学者。
定義[編集 ]

極座標表示 (r, θ) で

r=ae^{b\theta}\,

と表される平面曲線を対数螺旋という。ここに、e はネイピア数 、a, b は固定された実数 である。r が原点からの距離を表すため、a は正 でなければならないが、b は正、負のどちらでも構わない。正の場合は中心から離れる際に左曲がりである螺旋になり、負の場合は右曲がりの螺旋になる。裏返すことによって左曲がりを右曲がりにできるため、b > 0 に限った定義をすることもある。定義式において形式的に b = 0 とすると、半径 a の円 となる。

定義式は

\theta=\frac{1}{b}\log \frac{r}{a}

とも書ける。歴史的には指数関数 よりも対数 の方が先に認知されていたので、「対数螺旋」と呼ばれるようになった。b が正(負)の場合、r が 0 に近付くと θ はいくらでも小さく(大きく)なるので、中心近くでは無限回渦巻いている。

直交座標 における媒介変数 表示として、

x(\theta) = r \cos \theta = ae^{b\theta} \cos \theta\,

y(\theta) = r \sin \theta = ae^{b\theta} \sin \theta\,

とも表せる。

後述する理由により、対数螺旋とは(ひとつの定数 B のみを用いて)

r=B^\theta\,

で定まる曲線である、と定義されることもある。ただし、B は 1 ではない正の数。
性質[編集 ]
対数螺旋の回転は、拡大・縮小と同等の変形である。

本節では、対数螺旋の式は

\mathbf{r}(\theta) = (ae^{b\theta} \cos \theta,\,ae^{b\theta} \sin \theta)

で与えられているとする。

対数螺旋は自己相似 である。すなわち、任意の倍率で拡大または縮小したものは、適当な回転によって元の螺旋と一致する。例えば、e2πb 倍に拡大したものは、回転することなしに元の螺旋と一致する。対数螺旋は、拡大・縮小以外にも様々な変換に対する不変性を持つ。例えば、伸開線 および縮閉線 は自分自身に一致する[1] 。

中心から伸ばした半直線 と螺旋は無限回交わるが、隣り合う交点について、原点との距離の比は一定で e2πb である。対して、距離の差が一定であるような螺旋がアルキメデスの螺旋 である。

中心から伸ばした半直線と対数螺旋が成す角は一定である。等角螺旋の名はこの性質に由来する。実際、その角 α は

\alpha=\arccos \frac{\langle \mathbf{r}(\theta), \mathbf{r}'(\theta) \rangle}{\|\mathbf{r}(\theta)\|\|\mathbf{r}'(\theta)\|} = \arccos \frac{b}{\sqrt{b^2+1}} = \arccot b

と計算される。b が正のとき、α は0度から90度の間の角であり、α の余角 90°− α を対数螺旋のピッチ (pitch) という。b が負のときは、α は90度から180度の間の角であり、α − 90° がピッチである。ピッチが大きいほど、螺旋に沿って中心から遠ざかる際に、中心からの直線距離がより速く大きくなる。すなわち、開いた形状になる。ピッチが0度に近付いた極限は円で、ピッチが90度に近付いた極限は中心から伸びた半直線と見ることもできる。

対数螺旋の形状は巻きの向きとピッチのみ、すなわち b のみによって決まるので、回転による違いを考慮しないならば、対数螺旋とは r = ebθ によって定まる曲線である、と定義してもよい。B = eb とおけば、さらに簡潔な式 r = Bθ で定義できる。

螺旋上の一点から螺旋に沿って中心に向かうと、前述のように無限回渦巻き、中心に辿り着くことはできないが、その道のりは有限である。実際、例えば b が正のとき、中心からの直線距離が r である点 (r cos θ, r sin θ) (ただし、r = aebθ)から中心までの道のりは

\int_{-\infty}^\theta \|\mathbf{r}'(\theta)\| d\theta = \frac{a\sqrt{b^2+1}}{|b|}e^{b \theta}=r|\sec \alpha|

と計算される(結論は b が負のときも成り立つ)。

曲率関数 は

\chi(\theta)=\frac{1}{ae^{b\theta}\sqrt{b^2+1}}=\frac{\sin \alpha}{r}

である。螺旋の見た目からも明らかなように、中心に近付くほど限りなく大きくなり、中心から遠ざかるほど限りなく 0 に近付く。b が正である場合は曲率関数は単調減少 であり、b が負である場合は単調増加である。この性質は進行方向に依らない。

指数関数は、複素数平面 において、実軸にも虚軸にも平行でない直線を対数螺旋に写す。しかも、任意の対数螺旋はそのようにして得られる。実際、指数関数によって

x+iy \mapsto e^x \sin y+i e^x \cos y

と対応するから、直線 x = cy + d (c ≠ 0) 上の点 (x, y) は

(e^d e^{cy} \cos y, e^d e^{cy} \cos y)\,

に写る。

同じく複素数平面において、実部と虚部がともに 0 でない定数 k に対する関数 xk は、実軸を対数螺旋に写す。
自然界における対数螺旋[編集 ]

対数螺旋は、自然界のさまざまなところで観察される。例えば、隼 が獲物に近付くとき、対数螺旋を描いて飛行する。その理由は、獲物を一定の角度で視認するためと考えられる[2] 。同様に、蜂 が花に向かって飛ぶ軌跡も対数螺旋に近い[3] 。
相似な多角形を連ねていくと、対数螺旋に近い形を描く。

軟体動物 の殻、牛 や羊 の角、象 の牙など、硬化する部位で、本体の成長に伴って次第に大きい部分を追加することで成長するような生物の器官において、対数螺旋が観察される[4] 。その理由は、図のように相似で少しずつ大きくなる多角形が次々に形成されていくと、螺旋に近い形が描かれるからであると説明される。成長が連続的となるように各断片を小さくしていくと、その極限図形の境界線はちょうど対数螺旋を描く。ピッチは生物によって異なり、サザエ では約10度、アワビ では約30度、ハマグリ では約50度である[5] 。ピッチが小さい場合は自分自身を巻くことができるので巻貝 に見られ、ピッチが大きいものは大きく口を開けた形の二枚貝 やアワビ ・カサガイ のようなものに見られる。

渦巻銀河 の渦上腕は、ピッチがおよそ10度から40度の対数螺旋の形状に近い。太陽系 を含む銀河 である銀河系 は、主要な渦状腕を4本持つとされ、そのピッチは比較的小さく、12度ほどと考えられている[6] 。

なお、同じ渦巻きでもクモの網 に見られる横糸の渦巻きはアルキメデスの螺旋である。巻き貝、あるいはそれ的なものでも、オオヘビガイ のようにあまり太さを増さないままに巻数が多いものはこれに近くなる。
人工物における対数螺旋[編集 ]
紀元前5世紀 に完成したイオニア式 建築の神殿エレクテイオン の柱頭

アルキメデスの螺旋ほどではないが、デカルト やベルヌーイが数学的に解析するよりも前から、自然界に現れる対数螺旋は人々に認識されており、美術作品や建造物に用いられたといわれる。例えば、古代ギリシア の建築様式のひとつ、イオニア式 の柱頭の特徴は、組になった渦巻の飾りであり、対数螺旋に近いものもある[7] 。
バチカン美術館 の二重螺旋階段

また、レオナルド・ダ・ヴィンチ の設計したバチカン美術館 の二重螺旋階段は、真上から見ると対数螺旋である[8] 。

近年では、PlayStation 4 の筐体内部の冷却機構に取り入れられ、PlayStation 3 の後期型に比べ特性を大幅に改善した[9] 。
黄金螺旋[編集 ]
黄金長方形 と黄金螺旋

黄金螺旋 (golden spiral) とは、黄金比 φ に関連した対数螺旋の一種であり、

|b|=\frac{\log \phi}{\pi/2} \approx 0.30634896253

なる定数 b に対して r = ebθ で与えられるものである。さらに、B = eb とおいて、r = Bθ でも定義される。正の b に対しては

B=\phi^{2/\pi} \approx 1.358456274

であり、負の b に対しては

B=\phi^{-2/\pi} \approx 0.736129693

である。黄金螺旋のピッチは約17.03239度である。

オウムガイ の殻の模様は黄金螺旋を描いている、という説は有名である。しかし、その合理的な理由は知られておらず、実際にはオウムガイの殻のピッチは8度から10度であって17度とはかけ離れているなどの、黄金螺旋ではないとの指摘もある[10] [11] 。


かたち*あそび おもしろ図形 螺旋

黄金分割

黄金比

黄金比と正20面体 - 関西学院大学

黄金分割 ―自然と数理と芸術と― / アルプレヒト・ボイテルスパッヒャー ...

渦巻ができていく・・・黄金螺旋 この螺旋は球とも親戚です | 世界史掲示板 ...

夢のもつれの哲学2:黄金比とフィボナッチ数列 はじめの1〜ベンフォード ...

不思議な数字:花の生え方はフィボナッチ数列によって ... - Jackと英語の木
このフィボナッチ数は、花の数とも一致します。ユリ3枚、サクラ、ウメ5枚、コスモス8枚、キク科植物は13枚、21枚、34枚、55枚などあって、いろいろな花の花びらの数となっています。植物の葉っぱも、茎を中心にして、次第に伸びてゆくことにより、2方向、3方向、5方向、8方向に生えてゆき、自然に葉を重ねずに、太陽の光の対して、光合成の効率を上げるように、フィボナッチ数で出来ています。






図像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11815437992.html

有機現象体は、ガウス平面(氣的太陽平面)を内在超越的に内包する:氣は現象に内在超越する

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

先に、ガウス平面において、虚軸が陰陽軸、実軸が日光軸、そして、ガウス平面を原点において直交する時間軸(天地軸)を考えた。
 生命現象は、例えば、樹木は原点から時間軸沿いに現象することになる。
 問題は、螺旋的に発現する物質現象である。
 天への方向へ向う上昇する力は何なのか。また、地の底へと下降する力は何なのか。
 両者、生命力と言えよう。現象生命力である。
 有機的生命力である。これは、ほぼ物質的力である。
 では、氣はどこに働いているのか。
 やはり、有機現象体は内在超越的にガウス平面(氣的太陽平面とでも言えよう)を具有しているのであり、それで、氣を「有」していると考えられる。
 そう、三次元空間、正確には、四次元時空間は、氣のガウス平面を内在超越させているのであり、氣を内包していると考えられる。つまり、有機現象の物質力は氣を内包しているということになるのである。もっとも、内在超越的に内包しているといことであるが。
 今は、ざっと指摘するに留める。

参照:
日光と太陽の区別:実軸と実軸を除いたガウス平面を包摂するMP(原点)
テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化

先に、以下(***の下部)のように書いたが、補足したい。
 太陽と日光は別物であるから、区別しないといけない。
日光は既述のようにx軸=実軸でいいだろう。
 しかし、太陽はx軸とy軸のガウス平面を内在する原点(MP:メディア・ポイント)だと思う。ただし、実軸x軸を除いて。


                   虚軸(陰陽軸)
                     陽凸i
                      |
                      |
                      |
                      |
−1_____MP_____+1 実軸(日光軸)
                      |
                      |
                      |
                      |
                     陰凹i


先に書いた上図のMPが太陽の中心になる。太陽総体はこの実軸を除いたガウス平面総体と考えるのである。
 問題は日光である。これは、陰陽イデアを内在超越的に内包するのではないだろうか。
 だから、日光は単純な光、電磁波ではないのである。陰陽イデアという内在超越情報をもっていると考えるのである。
 この陰陽イデア情報が有機体形成の情報になると思われるのである。
 ここでわかりやすくするため、陰陽イデア情報による生命体形成を考える。
 日光を媒介にして、陰陽イデア情報が現象界に伝達されるのである。そして、陰の成分は、例えば、内臓的なものに、そして、陽の成分は骨格的なものになると考えられるのである。
 大雑把に言えば、陰は水的なものであり、陽は鉱物的なものになるのである。わかりやすく便宜的に言えば、陰は内界に、陽は外界になるのである。
 もっとわかりやすく言えば、陰は肚(下丹田)に、陽は頭脳(上丹田)になるのである。そして、MPは胸の心(中丹田)になるのである。
 というように、光ではなく、日光、陽光、太陽光に、生命体の根源があると考えられるのである。
 ただし、日光が包摂する陰陽イデア情報が生命有機体、自然の本質である。
 後で、この陰陽イデア情報の生命有機体化する力学を解明する必要がある。
 
 
***************************

氣⇒日光(太陽)⇒有機体物質:x軸=実軸=日光軸、y軸=虚軸=陰陽軸、z軸=天地軸=時間軸



この三次元直交座標で、x軸を実軸、y軸を虚軸、z軸を時間軸とする。x軸とy軸でガウス平面を形成する。
 そして、虚軸=y軸=陰陽軸となる。これが、90°回転して、x軸=実軸の±1を形成する。これが日光である。だから、
x軸=実軸=日光(太陽)軸である。 
 そして、90°回転と同時に、z軸=時間軸が生起する。
 これが、日光を物質化するのである。そう、有機体化である。
結局、z軸=時間軸=有機体軸である。
 結局、ガウス平面とは、氣平面であり、実軸において、太陽となり、視覚化されるのである。
 これで、日光の本体が氣であるということが証明されたと言えよう。
 結局、z軸=時間軸=有機体軸は、x軸=実軸=日光(太陽)軸と同時展開である。そして、xyz軸以外に、空間三次元が発現するということになると考えられる。(ここで、四元数が適用できよう。)
 とまれ、以上のように考えると、氣が根源であるものの、日光(太陽)が有機体の基因であると考えられる。
 初めに、太陽ありき、である。
 いわば、光から物質が生まれるのである。
そして、光は氣から生まれるのである。即ち、

氣⇒日光(太陽)⇒有機体物質

である。
 暫定的ではあれ、以上から氣から有機体の発生が以前より、明快になったと言えよう。ポイントは、日光が媒体であるということである。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11803090704.html


2014年04月01日(Tue)▲ページの先頭へ
陰陽未分化と陰陽即非極性:陰傾斜の母権精神と陽傾斜の父権精神の弁証法から不連続的陰陽調和論へ
陰陽未分化と陰陽即非極性:陰傾斜の母権精神と陽傾斜の父権精神の弁証法から不連続的陰陽調和論へ

テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化

PS陰陽論において、太極と太一を分けている。
 太極は陰陽未分化であり、太一は陰陽分化である。しかしながら、太一は、一(いつ)の氣であり、且つ、陰陽分化極性をもつと考えている。
 問題は、後者である。それは、分化とは言え、同時に、一(いつ)なのである。つまり、非分化様態なのである。分化、且つ、非分化の、いわば、即非様態にあるのである。
 そう、この太一の陰陽非分化を未分化と呼ぶことはできない。何故なら、未分化とはまだ、陰陽の区別がないからである。それに対して、太一においては、陰陽の区別があり、極性をなし、その極性は一(いつ)の様態をもつのである。言い換えると、二一原理なのである。
 これでいちおう整理できたが、問題は、量子論の場の理論である。主客非分化の問題である。つまり、不確定性の原理の問題である。
 主を陽、客を陰とすると、確かに、陰陽の区別はあるが、同時に、非分化なのである。だから、主客非分化は存在すると言えよう。ただし、それは、主客未分化ではないのである。この点は混同されてはいけない。
 ただ、これまで述べたように、量子論は、PS陰陽論から言うと、ガウス平面の実軸、実次元でだけ考えていて、虚軸、虚次元、つまり、陰陽次元で考えていないのが問題なのである。つまり、氣の次元が看過されているのである。
 だから、量子論では、氣と物質が混同されていて、曖昧になっていると思われるのである。
 例えば、長距離相関の問題であるが、それは、虚軸、虚次元、氣=陰陽次元を考えると、明確になるだろう。虚軸においては、陰陽は一であるから、それが実次元において、長距離離れていても、超越的に陰陽(「量子」)は相互反応するのである。
 だから、量子論における非分化であるが、それは、虚軸、虚次元、陰陽次元(氣次元)、超越次元(内在超越次元)が明確にされていないので、曖昧な性質をもっていると考えられる。
 さて、次に、人間の精神の問題を考えると、太極=陰陽未分化と太一=陰陽非分化があり、複雑である。
 太極=陰陽未分化とは、端的に、混沌、カオスである。
そこから、太一=陰陽非分化(極性と一の即非)の宇宙、コスモスが生まれるのである。
 問題は無意識を含めて、人間の精神において、太極と太一はどういう構成になっているのかということである。
 私が例えば、「私は樹木と一である」と感覚した場合、それは、太極の陰陽未分化の様態なのか、それとも、太一の陰陽非分化の様態なのかということに関わると考えられる。
 「私は樹木と一である」というのは、後者であると考えれる。つまり、その場合、「私」は「私」であり、「樹木」は「樹木」であり、両者は区別される存在である。つまり、主客の分離がそこにはあるのである。それと同時に、「私は樹木と一である」ということが成り立つのである。
 区別と一が同時生起事象なのである。正に、即非事象である。
 これは、陰陽非分化、主客非分化である。もっとも、正確に言えば、分化且つ非分化の即非であるが。
 では、前者はどういう場合なのか。それは、「私が樹木と融合する」という場合ではないだろうか。「私」と「樹木」は区別されないのである。
 これは、病的な様態と言えよう。
 思うに、陽が欠落して、陰が強化されるとこうなるのではないだろうか。
 そうならば、陰が極大化したとき、つまり、太陰になったとき、陰陽未分化が生起するのではないだろうか。
 また、逆に、陽が極大化したとき、「太陽」になったときは、陰陽絶対分化が起こり、結局、二元論が生起するのではないだろうか。
 そうすると、太極の陰陽未分化=混沌とは、実は、太陰状態のことなのではないのかと思われるのである。
 ならば、初めに、太極=陰陽未分化=混沌(カオス)ではなく、太一=陰陽即非極性=秩序(コスモス)があるのではないだろうか。
 そう、太極とは実は、太一のことなのではないだろうか。
つまり、太極=太一=陰陽即非極性ではないだろうか。
 今はここで留める。

追記:少し補足する。
 陰の極大としての太陰と陽の極大としての太陽であるが、後者が混同されるので、前者を極陰、後者を極陽と呼ぶ。もっとも、以前そうしたのではあるが。
 補足と言ったが、論の発展になる。
 結局、人類精神史に関わるのである。即ち、母権・母系制の文明時代、これは新石器時代はもとより、旧石器時代にも関係しようが、今の父権文明よりはるかに長期の文明時代であるが、これは、陰陽から言うと、陰に傾斜した精神文明だと思われる。
 問題は、精神の根源である。
 上で、私は、根本は陰陽未分化混沌ではなく、太一=陰陽即非極性=秩序(コスモス)があるのではないかと述べた。
 それから、考えると、結局、精神には、陰陽調和点があるのである。ガウス平面では、原点(MP:メディア・ポイント)がそれに当たるのである。
 そして、母権文明の精神において、陰陽様態が陰に傾斜していると考えるが、そのとき、陰陽調和点が陰といわば、癒着していて、つまり、連続化していて、いわば、未分化様態が発生しているように思えるのである。
 しかしながら、陰陽調和点は、陰陽即非性をもつのであるから、母権文明精神は、陰陽未分化と陰陽即非性の連続態にあるように思える。
 陰陽未分化はいわば、今日から見れば、病理的である。あるいは、未開的である。
 しかしながら、陰陽調和点の即非性は、いわば、未来的である。つまり、母権文明精神は今日から見て、消極的なものと積極的なものが未分化融合していると考えられる。
 次に、母権文明を滅ぼした父権文明、つまり、今日の崩壊しつつある文明(とりわけ、西洋文明)であるが、それは、陽に傾斜した文明であると考えられる。極陽の文明である。特に、ユダヤ教の一神教がそのようなものである。
 とまれ、母権文明に対する父権文明の勝利は、ギルガメシュ叙事詩 に浮き彫りにされている。
 森の母権文明が都市の父権文明に滅ぼされるのである。
 とまれ、人類精神史的にもっとも重要な点は、母権精神にあった陰陽調和点が、父権精神によって排除されたことではないだろうか。
 そう、『ギルガメシュ叙事詩』はまだ、母権精神の残照があるのであり、母権精神の完全な否定は、バビロニア神話あるいはメソポタミア神話 にある。
 母なる神のティアマト をマルドゥク が滅ぼすのであり、その心臓を太陽に捧げるのである。
 そう、この母なる神殺しは、母権精神の完全否定、つまり、上述したように、陰陽調和点の否定と考えられるのである。
 少し丁寧に言えば、母権精神の陰傾斜+陰陽調和点の否定が生じたと考えられるのである。
 確かに、陰陽未分化的精神が否定されたのは、進歩であるが、同時に、陰陽調和点を否定したのは、恐ろしいことなのである。何故なら、人類の精神の根源界に通じる精神的通路を閉ざしたからである。(ここにおいて、超越神の宗教、啓示宗教が起ることになるのである。)
 さて、今日、父権文明のどん詰まり状態に生きているわけであるが、また、新母権文明の曙光が見え始めた時代に生きているわけでもあるが、とは言え、日本は暗黒の度合いを増長させているが、新母権文明の精神は当然、過去の母権文明の精神を何らかの形で取り戻すことになるのである。つまり、母権精神ルネサンスである。
 しかしながら、上述したように、母権精神は否定的なものと肯定的なものの混淆であり、そのまま新生させることは混乱である。また、反動である。
 ポイントは当然、陰陽調和点を新生させることである。そして、陰に傾斜した陰陽未分化精神は否定すべきである。
 思うに、ここで、PS陰陽論の前身である不連続的差異論の画期的意義があると思う。
 即ち、陽傾斜による自我(陽自我、頭脳自我)のもつ連続的同一性を切断して、陰陽の極性を取り戻すことである。
 これが第一歩である。そして、次に、分化された陰陽に、陰陽調和点を中心にして、均衡をもたらすようにはたらきかけるのである。これは、心身修行である。
 この陰陽調和点は、胸の中丹田にあると考えている。そこにおける氣の美感を中軸にして、陰陽(下丹田・肚と上丹田・頭)のバランスを形成するように生活するのである。
 そう、旧い母権精神の復活だと陰中心になり、陰陽未分化の退行が起ってしまい、劣化・退化となるだろう。
 胸・中丹田の氣の美感を中心にして、新たに陰陽均衡を形成するのである。これが、新母権精神の形成である。(また、これこそ、真の個の形成でもある。)
 結局、問題は、父権精神が母権精神を否定して形成されたために、単に陰傾斜の陰陽未分化精神だけでなく、根源に通じる陰陽調和点までも否定したことであり、このために、父権精神は病理的ないし反動的になり、狂気・暴力的になっているのであり、戦争、破壊を好むようになっていると考えられるのである。
 しかし、父権精神を乗り越えようとし、母権精神を取り戻そうとすると上記のことが生じるのである。反動化が起るのである。何故なら、旧い母権精神には、陰傾斜の陰陽未分化の退行的様態があるからである。
 だから、とにかく、上述したように、先ずは、陰陽切断である。連続化している精神を陰陽に切断することなのである。陰のもつ不連続性を肯定することなのである。これが第1段階である。
 そして、第2段階は上述した通りである。
 この方法、いわば、不連続的陰陽調和形成によって、退行的な陰傾斜の陰陽未分化様態は抑えられるのである。
 最後の一言、日本人の精神病理について言うと、陽に傾斜してしまっていて、そう、ほぼ極陽と言えるほどであり、陰が排除されている。これは、うつ病等の精神病を引き起こすと思われる。
 精神の治癒のためには、陰・肚を取り戻すことである。それから、陰陽調和を取り戻さないといけない。
 思うに、消費税増税で貧乏人が増加するが、思うに、これを田園回帰のきっかけとしたい。田舎は高齢者が多く、農業は正に滅びんとしているのである。
 都会・都市を捨てて、田舎に回帰するのは、日本、日本人の復活に通じよう。田園には、氣があるのである。氣とともに、生活すべきである。日本母権民族の復興となろう。


周敦頤 『太極図説 』に描かれた最初の太極図 。朱子学 によって重視された。


   




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