INNOVATION OF PHILOSOPHY: GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience - 2014/01

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




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2014年01月30日(Thu)▲ページの先頭へ
万能細胞をPS陰陽論から説明してみる(作業仮説):刺激でMPを賦活し、氣を発動させ万能細胞を成形
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11760956927.html

万能細胞をPS陰陽論から説明してみる(作業仮説):刺激でMPを賦活し、氣を発動させ万能細胞を成形

テーマ:生命力/氣自衛医智学:唯物機械論医学批判

これは、PS陰陽論的に重要な発見である。
 陰陽方程式:陰凹i*陽凸i⇒±1において、±1を個々の体細胞と見ればいい。⇒は不可逆的な方向を意味する。だから、通常、体細胞は後戻りできない。
 しかしながら、実は、MP(メディア・ポイント)において、氣のイデア、氣の「量子」が働いていると考えられる。
 体細胞の酸性化の刺激によって、なんらかのエネルギーが体細胞にかけられると思われる。
 そこで、いわば、蓋してあったMPが開いて、氣の「量子」が賦活化されるのである。言い換えると、陰陽共振が発動するのである。それが実は、万能細胞を作るのではないだろうか。
 以下の説明では、植物では、非可逆的ではないといい、動物では不可逆的であると述べている。
 しかし、氣の「量子」の状態に戻すことで、いわば、植物状態が発生し、それが、万能細胞を成形するのではないだろうか。
 氣の「量子」と言ったが、いわば、氣子=陰陽子である。
 今はここで留めておく。
 
追記:陰陽方程式:陰凹i*陽凸i⇒±1であるが、上記では、体細胞は±1と言った。しかし、動物の場合、−1となるのであり、植物の場合が+1とこれまで考えてきたのである。
 つまり、動物の場合、陽が主導化して、−1の体細胞ができるとうように考えられる。しかし、酸性化によって、−1の体細胞がなんらか解体されて、MPが開いて、氣の発動を受けると考えることができる。つまり、陰陽共振である。これは、植物化であり、それは、⇒+1へと転化することになる。この+1が万能細胞と関係するのではないだろうか。

追記2:人間の場合、動物とは異なり、植物性へ傾斜していると私は考えている。つまり、陰陽方程式:陰凹i*陽凸i⇒±1の±1の両面を人体はもっていると考えられる。
 そうすると、万能細胞はマウスよりずっと作りやすいと考えられるのである。

理研など、動物の体細胞を万能細胞(多能性細胞)へと初期化する新手法を開発 マイナビニュース
理研など、動物の体細胞を万能細胞(多能性細胞)へと初期化する新手法を開発



デイビー日高   [2014/01/30]

理化学研究所(理研)は1月29日、米ハーバード大学との共同研究により、動物の体細胞における分化の記憶を消去し、万能細胞(多能性細胞)へと初期化する原理を新たに発見し、それをもとに核移植や遺伝子導入などの従来の初期化法とは異なる「細胞外刺激による細胞ストレス」によって、短期間に効率よく万能細胞を試験管内で作成する方法が開発されたと発表した。

成果は、理研 発生・再生科学総合研究センター 細胞リプログラミング研究ユニットの小保方晴子 研究ユニットリーダー、同・研究センターの若山照彦元チームリーダー(現・山梨大学教授)、ハーバード大のチャールズ・バカンティ教授らの国際共同研究チームによるもの。研究の詳細な内容は、日本時間1月30日付けで英科学誌「Nature」に掲載された。

ヒトを含めたほ乳類動物の体は、血液細胞、筋肉細胞、神経細胞など多数多様な種類の体細胞(生殖細胞を除く)で構成されている。しかし、発生を遡ると、受精卵にたどり着く。受精卵が分裂して多種多様な種類の細胞に変化していき、体細胞の種類ごとにそれぞれ個性付けされることを「分化」という。

体細胞はいったん分化を完了すると、その細胞の種類の記憶=「分化状態」は固定される(画像1)。例えば、生体の心臓から細胞を取り出してシャーレの中で培養しても心筋細胞は心筋細胞ままで、分化状態が保持されるという具合だ。つまり、細胞は自分が何の細胞であるかという記憶を保持しているのである。従って、分化した体細胞が別の種類の細胞へ変化する「分化転換」や、分化を逆転させて受精卵に近い「未分化状態」に逆戻りしたりする「初期化」は通常は起こらないとされている。

動物の体細胞で初期化を引き起こすには、未受精卵への核移植を行うクローン技術や、未分化性を促進するタンパク質「転写因子」を作らせる遺伝子を細胞へ導入するiPS細胞技術など、細胞核の人為的な操作が必要になる(画像2)。

一方、植物では、分化状態の固定は必ずしも非可逆的ではないことが知られている。分化したニンジンの細胞をバラバラにして成長因子を加えると、カルスという未分化な細胞の塊を自然と作り、それらは茎や根などを含めたニンジンのすべての構造を作る能力を獲得する。

しかし、細胞外環境(細胞が置かれている環境)を変えるだけで未分化な細胞へ初期化することは、動物では起きないと一般に信じられてきた(画像 2)。そこで研究チームは今回、この通説に反して「特別な環境下では動物細胞でも自発的な初期化が起こりうる」という仮説を立て、その検証に挑んだのである。


画像1(左):多能性細胞と体細胞。画像2(右):細胞の分化状態の初期化に関する従来の考え方

研究チームはまずマウスのリンパ球を用いて、細胞外環境を変えることによる細胞の初期化を行う際の影響の解析を行った。リンパ球にさまざまな化学物質の刺激や物理的な刺激を加えて、多能性細胞に特異的な遺伝子である「Oct4」の発現が誘導されるかを詳細に検討した。Oct4遺伝子は、ES細胞などの多能性細胞の未分化性を決定する転写因子であり、多能性のマーカータンパク質を作る遺伝子だ。Sox2、Klf4、L-Mycと共に「山中因子」と呼ばれる、iPS細胞の樹立にも必須の因子の1つだ。なお、解析の効率を上げるため、Oct4遺伝子の発現がオンになると緑色蛍光タンパク質「GFP」が発現して蛍光を発するように遺伝子操作したマウス(Oct4::GFPマウス)のリンパ球を使用した。

こうした検討過程で、研究チームは酸性の溶液で細胞を刺激することが有効なことを発見。分化したリンパ球のみを分離した上、30分間ほどpH5.7 の酸性溶液に入れて培養(刺激)してから、多能性細胞の維持・増殖に必要な増殖因子である「LIF」を含む培養液で培養したところ、2日以内に初期化が始まり、多能性マーカー(Oct4::GFP)の発現が認められた。7日目に多数のOct4陽性の細胞が出現し、それらの細胞は、細胞塊を形成した(画像 3)。

画像3。体細胞刺激による体細胞から多能性細胞への初期化

「酸性溶液処理」で多くの細胞が死滅し、7日目に生き残っていた細胞は当初の約5分の1に減ったが、生存細胞の内、3分の1から2分の1がOct4 陽性であることがわかったのである。ES細胞やiPS細胞などはサイズの小さい細胞だが、酸性溶液処理により生み出されたOct4陽性細胞はこれらの細胞よりさらに小さく、数十個が集合して凝集塊を作る性質を持っていることが判明した。

次に行われた詳細な検討は、Oct4陽性細胞が、分化したリンパ球が初期化されたことで生じたのか、それともサンプルに含まれていた極めて未分化な細胞が酸処理によって選択されたのかについてである。まず、Oct4陽性細胞の形成過程が「ライブイメージング法」(細胞などが生きた状態でリアルタイムに顕微鏡で観察する技術)によって解析され、すると酸性溶液処理を受けたリンパ球は2日後からOct4を発現し始め(画像3)、反対に当初発現していたリンパ球の分化マーカーの「CD45」が発現しなくなった。またこの時リンパ球は縮んで、直径5マイクロメートル前後の特徴的な小型の細胞に変化したのである。

次に、リンパ球の特性を活かして、遺伝子解析によりOct4陽性細胞を生み出した「元の細胞」の検証が行われた。リンパ球の内、T細胞は1度分化すると「T細胞受容体遺伝子」に特徴的な組み替えが起こる。これを検出することで、細胞がT細胞に分化したことがあるかどうかがわかるというわけだ。この解析から、Oct4陽性細胞は、分化したT細胞から酸性溶液処理により生み出されたことが判明したのである。

これらのことから、酸性溶液処理により出現したOct4陽性細胞は、一度T細胞に分化した細胞が「初期化」された結果生じたものであることがわかった。これらのOct4陽性細胞は、Oct4以外にも多能性細胞に特有の多くの遺伝子マーカー(Sox2、SSEA1、Nanogなど)を発現していたのである(画像3)。また、DNAのメチル化状態もリンパ球型ではなく、多能性細胞に特有の型に変化していることが確認された。

産生されたOct4陽性細胞の検査が行われたところ、多様な体細胞に分化する能力も持っていることが判明。分化培養やマウス生体への皮下移植により、神経細胞などの外胚葉、筋肉細胞などの中胚葉、腸管上皮などの内胚葉の組織に分化することが確認された(画像4)。

さらに、「マウス胚盤胞(着床前胚)」に注入した後にマウスの仮親の子宮に戻されたところ、全身に注入細胞が寄与された「キメラマウス」を作成でき、そのマウスからはOct4陽性細胞由来の遺伝子を持つ次世代の子どもが生まれた(画像5)。

これらの結果は、酸性溶液処理によってリンパ球から産生されたOct4陽性細胞が、生殖細胞を含む体のすべての細胞に分化する能力を持っていることを明確に示しているという。研究チームは、このような細胞外刺激による体細胞からの多能性細胞への初期化現象を「刺激惹起性多能性獲得 (Stimulus-Triggered Acquisition of Pluripotency:STAP)」、生じた多能性細胞を「STAP細胞」と名付けた。


画像4(左):STAP細胞は多能性(3胚葉組織への分化能)を持つ。STAP細胞は、試験管内の分化系(上図、胚葉体形成法など)でも、マウスの皮下移植による奇形腫形成法でも、外胚葉、中胚葉、内胚葉組織への分化が確認された。画像5(右):STAP細胞はキメラ形成能を有する。STAP細胞は、胚盤胞(着床前胚)に移植することで、キメラマウスの多様な組織の細胞を生み出し、さらに生殖細胞形成にも寄与する。胎盤のみ形成し、胎仔を形成できない宿主の胚盤胞を用いた場合、注入されたSTAP細胞のみから胎仔全体を形成することも示された

続いて検討されたのが、この現象がリンパ球という特別な細胞だけで起きるのか、あるいは幅広い種類の細胞でも起きるのかについてだ。脳、皮膚、骨格筋、脂肪組織、骨髄、肺、肝臓、心筋などの組織の細胞をリンパ球と同様に酸性溶液で処理したところ、程度の差はあれ、いずれの組織の細胞からもOct4陽性のSTAP細胞が産生されることがわかったのである。

また、酸性溶液処理以外の強い刺激でもSTAPによる初期化が起こるかについての検討も実施された。その結果、細胞に強いせん断力を加える物理的な刺激(細いガラス管の中に細胞を多数回通すなど)や細胞膜に穴を開ける「ストレプトリシンO」という細胞毒素で処理する化学的な刺激など、強くしすぎると細胞を死滅させてしまうような刺激を少しだけ弱めて細胞に加えることで、STAPによる初期化を引き起こすことができることがわかったのである。

STAP細胞は胚盤胞に注入することで、効率よくキメラマウスの体細胞へと分化する仕組みを持つ。この研究過程で、STAP細胞はマウスの胎児の組織になるだけではなく、その胎児を保護し栄養を供給する胎盤や卵黄膜などの胚外組織にも分化していることが発見された(画像6)。

STAP細胞を増殖因子「FGF」を加えて数日間培養することで、胎盤への分化能がさらに強くなることも判明。一方、ES細胞やiPS細胞などの多能性幹細胞は、胚盤胞に注入してもキメラマウスの組織には分化しても、胎盤などの胚外組織にはほとんど分化しないことが知られている。このことは、 STAP細胞が体細胞から初期化される際に、単にES細胞のような多能性細胞(胎児組織の形成能だけを有する)に脱分化するだけではなく、胎盤も形成できるさらに未分化な細胞になったことを示唆するという。

画像6。STAP細胞は胎仔のみならず胎盤の形成能も有する

STAP細胞はこのように細胞外からの刺激だけで初期化された未分化細胞で、幅広い細胞への分化能を有している。一方で、ES細胞やiPS細胞などの多能性幹細胞とは異なり、試験管の中では、細胞分裂をして増殖することがほとんど起きない細胞で、大量に調製することが難しい面があるというわけだ。

研究チームは、理研によって開発された「副腎皮質刺激ホルモン」を含む多能性細胞用の特殊な培養液を用いることでSTAP細胞の増殖を促し、 STAP細胞からES細胞と同様の高い増殖性(自己複製能)を有する細胞株を得る方法も確立した(画像7)。この細胞株は、増殖能以外の点でもES細胞に近い性質を有しており、キメラマウスの形成能などの多能性を示す一方、胎盤組織への分化能は失っていることが確認されている。

今回の研究で、細胞外からの刺激だけで体細胞を未分化な細胞へと初期化させるSTAPが発見された(画像8)。これは、これまでの細胞分化や動物発生に関する常識を覆すものだ。STAP現象の発見は、細胞の分化制御に関するまったく新しい原理の存在を明らかにするものであり、幅広い生物学・医学において、細胞分化の概念を大きく変革させることが考えられるという。

分化した体細胞は、これまで、運命付けされた分化状態が固定され、初期化することは自然には起き得ないと考えられてきた。しかし、STAPの発見は、体細胞の中に「分化した動物の体細胞にも、運命付けされた分化状態の記憶を消去して多能性や胎盤形成能を有する未分化状態に回帰させるメカニズムが存在すること」、また「外部刺激による強い細胞ストレス下でそのスイッチが入ること」を明らかにし、細胞の初期化に関する新しい概念を生み出したというわけだ。


画像7(左):増殖性の高い幹細胞(STAP幹細胞)の樹立。ATCH(副腎皮質刺激ホルモン)を含む培養液で数日間培養することで、増殖能の高い幹細胞 (STAP幹細胞)へ転換される。画像8(右):研究成果のまとめと今後の展望。今回発見されたSTAPによる初期化は、まったく従来は想定していなかった現象である。その原理の解明は、幹細胞や再生医学のみならず幅広い医学生物学研究に変革をもたらすことが期待される。さらに、ヒト細胞への技術展開も今後の課題

また、今回の研究成果は、多様な幹細胞技術の開発に繋がることが期待される。それは単に遺伝子導入なしに多能性幹細胞が作成できるということに留まらない。STAPはまったく新しい原理に基づくものであり、例えば、iPS細胞の樹立とは違い、STAPによる初期化は非常に迅速に起こる。iPS細胞では多能性細胞のコロニーの形成に2〜3週間を要するが、STAPの場合、2日以内にOct4が発現し、3日目には複数の多能性マーカーが発現していることが確認済みだ。また、効率も非常に高く、生存細胞の3分の1〜2分の1程度がSTAP細胞に変化している。

一方で、こうした効率の高さは、STAP細胞技術の一面を表しているにすぎない。研究チームは、STAPという新原理のさらなる解明を通して、これまでに存在しなかった画期的な細胞の操作技術の開発を目指すという。それは、「細胞の分化状態の記憶を自在に消去したり、書き換えたりする」ことを可能にする次世代の細胞操作技術であり、再生医学以外にも老化やがん、免疫などの幅広い研究に画期的な方法論を提供する(画像8)。

さらに、今回の発見で明らかになった体細胞自身の持つ内在的な初期化メカニズムの存在は、試験管内のみならず、生体内でも細胞の若返りや分化の初期化などの転換ができる可能性をも示唆するという。理研の研究チームでは、STAP細胞技術のヒト細胞への適用を検討すると共に、STAPによる初期化メカニズムの原理解明を目指し、強力に研究を推進していくとしている。
http://news.mynavi.jp/news/2014/01/30/081/
マイナビニュース


2014年01月28日(Tue)▲ページの先頭へ
いったい、「わたし」とは何なのだろうか。 PS陰陽論では、陽の極大化したものといちおう見ているが、どうして、極大陽、あるいは、超陽が自我になるのか、である。
いったい、「わたし」とは何なのだろうか。PS陰陽論では、陽の極大化したものといちおう見ているが、どうして、極大陽、あるいは、超陽が自我になるのか、である。

「わたし」、自我とは何か

テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化

いったい、「わたし」とは何なのだろうか。
 PS陰陽論では、陽の極大化したものといちおう見ているが、どうして、極大陽、あるいは、超陽が自我になるのか、である。
 霊学のシュタイナーは最初から自我体というものを前提にしている。これはこれで、わかりやすい。
 では、自我の根源とは何かである。
 そう、「わたし」とは何か、である。
 動物に「わたし」はあるのか。なにか、前「わたし」、前自我のようなものは感じられるが、「わたし」、自我はないのではないだろうか。
 シュタイナーの自我の考え方は、二重の「悪魔」(悪鬼)に基盤がある。物質的な悪魔のアーリマンと独善的な悪魔のルシファーである。PS陰陽論では、超陽と超陰である。
 とまれ、陽的要素が極端化すると、それは一つの陽的自我になるというはわかりやすいだろう。つまり、集中化して、一点となるということである。それが、陽的自我(アーリマン)である。
 それに対して、陰的要素が極端した場合、一つの陰的自我になると考えられよう。それは集中して一点化すると言えるのかどうか。
 陰は一点化するのではなく、拡散するのではないだろうか。あるいは、拡大だと思う。宇宙的拡大があると思う。そう、陰極大化は宇宙化ではないだろうか。
 それが、陰的自我(ルシファー)となるのだろう。
 結局、二つの自我、陽我と陰我が、併存することになる。
 まぁ、これで、ざっくりとだが、「わたし」、自我の問題は解明できた。
 そして、陽我と陰我の調和として、陰陽調和精神、氣精神があるというのが先の話であった。(自我とは何か:二種類の利己主義:陽我と陰我:理性氣=調和氣=一(いつ)の氣 (01/17)http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-2054.html
 シュタイナーでは、キリストに相当するものである。PS陰陽論では植物的精神、太陽的精神である。
 今日、この陰陽調和精神、氣精神が復活しつつあるということである。これは、新東洋文明の時代ということである。
 ひとまず、ここで留める。

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Tue, January 28, 2014
倭国ー百済連合によるユダヤ的天皇制日本国創建の神話としての『日本書紀』?

テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史

いちおう、読了したが、内容が細かく、再読三読すべきものである。
 中国ー新羅「帝国主義」に対抗して、国史、『日本書紀』を作ったというようなことが書かれている。
 私の興味は父権と母権である。
 百済は母権包摂父権主義の国で、おそらく、ユダヤ民族を内包していたように思える。おそらく、母権、父権の多重民族のように思える。
 それが、日本の土着的母権民族を支配するようになるのであるが、唐ー新羅帝国主義による危機状況から、「万世一系」の父権天皇制の日本国が誕生したように思う。それを正当化する国史が『日本書紀』ではないかと思う。
 そして、この天皇制には、ユダヤ民族が入っていると思う。そう、百済民族はユダヤ民族を包摂していたのではないだろうか。とまれ、百済ーユダヤ民族が中心主導的に父権天皇制の日本国を創設したと今は仮説する。
 先住的母権民族(縄文ー弥生民族)は征服されていったと思う。そして、父権的教義が浸透していったと思う。
 そう、古神道であるが、それは、先住的母権民族の宗教だったと思う。それを父権天皇制は取り込んで、(ユダヤ的)神社を建設していったと思う。
 そして、仏教であるが、それは、先住的母権文化と融合し、また、父権天皇制の神社と融合して、神仏習合文化が形成されたと思われる。これは、日本的母権ー父権融合文化の創造である。
 しかしながら、日本文化・社会において、緊張がなくなり、宗教的源泉が弱くなっていった。しかし、鎌倉時代において、宗教ルネサンスがあった。しかし、また、衰退していく。
 そして、江戸時代において、新父権主義の国学が誕生し、それが、明治以降の国家主義(ナショナリズム)の源泉となったと考えられる。(今の安倍首相の発想の源泉はここにあると考えられる。)
 日本人の問題は、ベースの先住民的母権文化の衰退があることである。母権精神の衰退である。PS陰陽論で言えば、陰の衰退である。あるいは肚の衰退である。
 氣=精神生命力の衰退とも言える。
 しかし、今日、世界的氣のルネサンスが起っていると思う。現代日本もいよいよそれに覚醒しつつあるようにも見えるのである。
 新母権世界文化の創造へと向っているのである。

追記:重要なことを言うのを忘れていた。日本民族の母権精神は、先住民的母権精神(縄文ー弥生的母権精神)だけでなく、百済(ないし新羅)の母権精神もあるのである。父権的天皇制の基盤には、母権的天皇制が存するのであり、それは、強い母権的精神、超越的母権精神である。そう、霊的母権精神と言えよう。それは、先住民的母権精神よりも、進化しているように思われるのである。天皇制には、未来の母権精神、霊的母権精神、霊的東洋精神が存すると考えられる。

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Tue, January 28, 2014
植物的氣と動物的氣があるだろう:精神と性愛が融合した陰陽氣が発出する:性氣である

テーマ:氣神論:氣は万物に通ずる:氣的身体理性
動物的性氣は、陽主導のように思える。それに対して、植物的性氣は陰陽調和のように思える。
 いわゆる、エロスは前者にある。植物的性氣は、精神(情愛、共感性、優しさ・愛)になると思う。
 人間の場合、動物的性氣と植物的性氣が混在・混融、ないし、未分化融合していると思われる。
 作家D.H.ロレンスは、この様態を、両者の揺れ動きながら表現したと考えられる。つまり、動物的性氣に傾斜したとき、あるいは、植物的性氣に傾斜したときの両極を描いていると考えられる。
 思うに、動物的性氣は視覚・触覚的であるが、植物的性氣は、不可視的な面が強いと思う。視覚を介して、不可視的氣の世界(氣界)へ通じると思う。

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2014年01月17日(Fri)▲ページの先頭へ
自我とは何か:二種類の利己主義:陽我と陰我:理性氣=調和氣=一(いつ)の氣
自我とは何か:二種類の利己主義:陽我と陰我:理性氣=調和氣=一(いつ)の氣

テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化

これまで、自我を凸iの極大、且つ、固定したものとしたが、以下、参考にあるように、二種類の自我を考えた方が適切なようである。
 シュタイナーの二種類の悪魔論(以下、悪魔を悪鬼とする)を参考にすると、アーリマンに当たるのが、陽の自我であり、ルシファーに当たるのが、陰の自我であるが、シュタイナーの用語では、アストラル体とほぼ一致するのではないだろうか。アストラル体とは、動物体、欲望・感情体である。
 ここで、PS陰陽論の前身である不連続的差異論に返って考えたい。
 不連続的差異論をPS陰陽論に適用すると、不連続化とは、先に述べたように、陰と陽の不連続化、切断である。
 つまり、それまで、陽の自我にもつ連続的同一性主義によって、陰の自我が陽の自我に支配されているのであるが、それを断ち切って、陽のもつ同一性から陰の差異を解放するのである。
 しかしながら、問題は、解き放たれた陰の自我(凹i)であるが、それは、肚であるから、動物的欲望・感情と一如なのである。
 そう、プラトンの『パイドロス』で言えば、黒い馬である。獣欲があるのである。(D.H.ロレンスのセックス主義はここを意味しよう。)
 そう、陰の自我(凹i)、黒い馬は奔馬である。
 そうすると、陽の自我(凸i)の冷酷な自我と陰の自我(凹i)の獣欲の自我が存するのである。
 そう、結局、この陽の自我と陰の自我の不連続化は、だから、実に危険であることがわかる。ここには、道徳、倫理、魂、愛、共感性がないのであるから。
 シュタイナーは二つの悪鬼の間にキリストを媒介させて、両者のバランスを取るのであるが、当然、キリストには、共感性、無私性、他者性がなくてはならない。
 PS陰陽論から言えば、キリストに当たるのは、既述のように、氣である。
 以前、凹i(陰)に関して、コスモス(小宇宙=大宇宙)が感知されると述べたが、それは、凹i(陰)が凸i(陽)と自然発生的に形成している陰陽共鳴に拠るものと思われるのが、それは、まだ、理性になっていないので、今は積極的な意義はない。
 さて、不連続化された陰的自我(陰我)と陽的自我(陽我)に道徳・倫理をもたらすものは、これまでの考察から、氣である。
 氣は本来、一(いつ)で、陰陽調和しているものである。思うに、理性氣というように呼んでもいいのかもしれない。
 確かに、悪い氣もあれば、多様な氣があるから、陰陽調和の氣は理性氣ないし調和氣と呼んでもいいのかもしれない。
とまれ、理性氣=調和氣は一(いつ)であり、それは、陰我と陽我両面に働いて、両者の自我のバランスをもたらすと考えられる。
 理性氣=調和氣=一の氣は、道教で言う中丹田に存すると考えられる。
 ところで、近代合理主義において、いちばん排除されるのは、この理性氣(簡単に理氣としようか)である。
 何故、排除されるかと言えば、それは、陽我にしろ、陰我にしろ、両者の主導性を否定するからである。
 思うに、ロマン主義や神秘主義であるが、それは、意外に、理性氣に起点があるのかもしれない。
 しかしながら、情感が主導的なために、理性氣のもつ知性の側面が従になってしまったと考えられる。本来、理性氣は、情的側面と知的側面の両面の均衡を志向するのであり、ロマン主義、神秘主義は前者に傾斜してしまっていると言えよう。
 思うに、近代合理主義において、陽我が主導化され、中心化すると、理性氣=一の氣のもつ形而上学性は衰退していく。言い換えると、世俗化するのである。
 そして、資本主義の発達にともなう、世俗主義によって、欲望が肯定される。それは、陰我の肯定である。
 結局、陽我と陰我の二つが結合した自我様態がハイパー近代主義と言えよう。理性氣がまったく喪失されるのである。
 ここで、他者の問題を考えよう。そう、同時に、個の問題を考えよう。
 私はこれまで、肚が他者である、個即他者であるというようなことを言ってきたが、それはどう説明できるだろうか。
 肚が他者とは、肚=陰我で、それが、陽我と調和を形成する限りにおいて、そう言えるのではないだろうか。
 だから、中心には、理性氣が存すると思われるのである。
 個も結局、同じことで、中心に理性氣が存するのであり、というか、理性氣が個そのものと言えるのではないだろうか。
 他者の場合、理性氣が肚=陰我へ作動しているときの、肚=陰我ではないだろうか。
 今はざっと言うが、そうならば、近代主義において、他者や個は否定される傾向が強いと言えよう。
 有り体に言えば、二面的利己主義(陽我ー陰我)が他者、個を否定してしまうのである。
 では、そうならば、どうやって、理性氣=調和氣=一の氣、他者、個の意識を形成するのだろうか。
 ここで、優れた文化的作品が役立つと考えられる。
 芸術(美術、音楽)、文学、哲学、宗教的作物、等々である。
 しかしながら、私は自然に接することの重要性を指摘したい。
 自然は、とりわけ、植物的自然は陰陽調和の氣で形成されているので、当然、理性氣=調和氣=一の氣を、接触するものに喚起すると考えられるのである。
 さて、最後に、理性氣=調和氣=一の氣であるが、これは、どうも直観では、近代的意識には不快感をもたらすようなのであるが、どう説明できるだろうか。
 近代的意識は、理性氣=調和氣=一の氣を排除しているので、理性氣をもつ他者は、不快の対象となると考えれる。
 悪鬼は善霊を嫌がるということと言えよう。
 そう、理性氣=調和氣=一の氣は善霊と呼んでもいいように思えるのである。
 最後に氣と霊の関係について、少し触れたい。
 私は言わば、唯氣論で、霊も説明しているが、果たして、それでいいのだろうか。シュタイナーのように、霊(スピリット)を全面に提起した方が正確ではないのか。
 私は、PS陰陽論において、すべて太極⇒氣=陰陽から説明したいと考えているのであり、霊という視点はできるだけ避けているのである。
 近代科学は唯物論であるがPS陰陽論は現段階は唯氣論である。
 もう少し説明すると、陰陽であるが、自我としての陽や陰であるが、それは、当然、植物を形成する陽と陰とは質が異なるだろう。しかし、陽は陽、陰は陰である。
 思うに、陽でも、高次の陽と低次の陽があるのではないだろうか。高次の陽や高次の陰が二つの自我を形成するというように今段階では作業仮説しているのである。
 この点は稿を改めて検討したい。

参考:
ルシファーは陰的なもので、アーリマンは陽的:陰陽調和氣はキリスト的である
テーマ:霊学:シュタイナー精神学

病気、痛み、悩みの積極的意味

いままで、有害なものとして忌み嫌ってきた病気などの苦悩を、有益なもの
として観察し、活用できるようになるからである。この部分の価値観が全く
逆転し、積極的展開ができるからだ。なお、下記和訳の中に、カッコ内に、
ご参考に、筆者斉藤の註記を入れた。

★シュタイナー著「悪の秘儀 アーリマンとルシファー」 松浦賢訳 P62-

「ルシファーの霊たち(注:悪の霊たち)の力によって、人間は地上の印象
に対して関心や欲望を抱くようになりました。・・・このとき、人間が形態
の霊たち(注:善の霊たち、天使など)や高次の霊的な領域全体に完全に離
反しなかったのは、いったいなぜでしょうか。
人間が完全に感覚的な世界の関心や欲望のとりこにならなかったのは、何の
力によるものなのでしょうか。

それは、人間を進化させようとする霊たち(注:善の霊たち)が、ルシファ
ー存在たち(注:悪の霊たち)に対抗する手段を講じることによって可能と
なりました。

これらの霊たちは、本来含まれていなかったものを人間存在の中に混入させ
ることによって、ルシファー存在に対する対抗手段を行使しました。
つまり人間を進化させようとする霊たちは、人間存在の中に病気や、悩みや、
痛みを混入させたのです。このことが、ルシファーの霊たちの行為に対して、
必要なバランスを回復させることになりました。ルシファーの霊たちは、人
間に感覚的な欲望を与えました。

これに対抗して、高次の存在たちは、人間がこのような感覚的な世界に無制
限に落ち込むことがないように、ある種の対抗手段を用いました。
つまり高次の霊たちは、感覚的な欲望や感覚的な関心には病気や苦しみが伴
うようにしたのです。」
斉藤英治@脳力up・著書115万部


2014年01月14日(Tue)▲ページの先頭へ
氣の原子モデル:虚軸が陰陽で、実軸が原子:一としての氣生命と複数多元陰陽極子と現象生命体
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11749973736.html

氣の原子モデル:虚軸が陰陽で、実軸が原子:一としての氣生命と複数多元陰陽極子と現象生命体

テーマ:唯物科学から物質包摂の氣サイエンスへ

後で検討したい。
一言言うと、ガウス平面における原点をMP(メディア・ポイント)と呼んでいるが、虚軸上のものをMP1、実軸上のものをMP2としている。
 結局、原子はMP2⇒±1ではないだろうか。MP2が原子核で、±1が電子ではないだろうか。
 しかしながら、それを形成するのは、それよりも高次の氣である。MP1に陰陽極性がある。それが、MP2⇒±1へと原子転換すると思われる。
 今は思いつきのみ。

追記:簡単に図化する。

                   虚軸
                陽凸i
                / 
              /
            /
          MP1
        / ↓
      /   ↓  
    /     ↓      
  陰凹i     ↓    
           ↓   
−1_____MP2_____+1 実軸
           

尚、MP1からMP2への↓は実際は「空(くう)」と考えられる。空隙(くうげき)である。
 緑色のMP1を含む虚軸が陰陽=氣であり、ブルーのMP2を含む実軸が原子(MP2が原子核で、±1が電子)となる。

追記2:氣から原子への変換モデルであるが、問題は、生命体は、氣と原子が融合しているように思える。つまり、氣が生命情報=力となり、それが、原子を形成しているのである。そして、氣が欠落すると、原子は生命情報=力を失い、崩壊・解体する、つまり、死滅すると考えられる。

追記3:以上の説明は本当は原子というより、有機体にあてはまるだろう。ただ、便宜的に原子モデルにしているのである。
 だから、原子は、原生命的原子とでも言えば、より的確になるだろう。単なる物質としての原子ではなく、生命を構成する原生命体的原子ということである。
 簡単に、生命原子と言っていいだろう。あるいは、氣原子である。
 実際のところ、生命原子=氣原子は、複数のものが連結して、生命有機体を形成するのであるが、そのとき、連結部分を考える必要がある。
 これは、直観で、MP(MP1→MP2)が連結点であると考えられる。
 思うに、一(いつ)としての氣(陰陽)の複数の結合を考えると、一が結合部なのかもしれない。ならば、結合円である。
 一としての氣に、複数多元の陰陽極子(双極子)が重なると見るのである。
 この一が生命自体と言えよう。
 そして、複数多元の陰陽極子がイデア情報となり、物質的生命を形成するとする。
 問題は、この複数多元の陰陽極子(氣子、氣事子)が、積極的に作動しなくなり、静止的になったときが、氣の不活性状態であり、物質生命体は死ぬというように考えられる。
 とまれ、以上は思考実験である。


参照:

     『海舌』氏による人間認識図(要大修正)



2014年01月13日(Mon)▲ページの先頭へ
氣的心身宇宙主義(植物ー人間連合体)と唯物論(動物ー人間連合体):母権個的共同体と父権自我的国家
氣的心身宇宙主義(植物ー人間連合体)と唯物論(動物ー人間連合体):母権個的共同体と父権自我的国家

(植物ー人間連合と動物ー人間連合:氣的身体理性と唯物論)

ブログが調子悪いので、以下の追記をここに記す。
 植物ー人間連合とは、プラトンの『パイドロス』の白い馬と御者の連合、動物ー人間連合は黒い馬と御者の連合にほぼ相応するだろう。
 あるいは、前者は氣的精神調和主義であり、後者は唯物論である。新母権主義と父権主義でもあろう。
 精神と肉体の分裂は明確には、ルネサンスで生じたものである。この心身亀裂はずっと今日は続いているのであるが、唯物論が勝利しているので、動物ー人間連合が主導的である。
 しかしながら、今日、植物ー人間連合が台頭しているのである。
 後者の哲学が、大雑把に言えば、以下で述べたようなものである。
 一般に、植物的自然と動物的自然が未分化混沌様態にあるので、認識されにくいのである。
 しかし、氣の美感、快感、清浄感を中心にして、身体と知性をはたらかせると、動物的欲望は浄化されて、緑化されるのである。
 つまり、氣の美感、快感、清浄感は、植物的生命の陰陽調和に通じているのであり、動物的欲望を氣に接続することで、それが、植物的調和へと変容されるのである。
 性欲は、私見では、氣的美感(氣美感)を介して、主に、例えば、審美的エネルギーに変容するのである。
 思うに、それは、真善美のエネルギー、イデア的エネルギーに変容するのである。プラトン的エネルギーとも言えよう。それは、当然、創造的である。また、健康的であるとも思う。
 思うに、動物ー人間連合は、陽に傾斜しているので、陰陽バランスを崩すのであり、それは、反健康的と考えられる。というか、反生命的である。
 今はここで留める。



悟り:欲望と心の闘い:欲望を氣によって緑化することで、獣欲は止揚浄化される:処女受精

テーマ:二つの自然:植物と動物:氣と獣欲・煩悩


性欲が動物的なものであるとするなら、処女妊娠・処女生殖とは何か。
 それは、結局、植物の心の「受胎」というか、受精である。そう、処女受精である。
 今は一言言うに留めるが、欲望、性欲を氣の快感によって、変容させると、植物の生命が勝利するのである。
 欲望、性欲は動物と人間の結合に拠るだろう。
 しかし、氣的快感に基づくことで、動物人間連合が打破され、植物人間連合が生まれるのである。
 都市に対する田園の勝利でもある。
 とまれ、これは悟り、ポスト西洋/新東洋の悟りなのである。






量子論が唯物論と氣論の境界だろう:量子は氣の影である

テーマ:唯物科学から物質包摂の氣サイエンスへ

現代科学は、現象の単位(「アトム」)を求め、量子、素粒子に達した。しかし、それは、波動と粒子の二つの対立した性質をもつものである。
 ここで、常識的な物質観は崩壊したのである。しかし、現代科学はめげずに、これが物質の性質として、理論化を続けているのであるが、未だに、統一像はできないのである。
 しかし、波動と粒子の二重像であるが、実は、何度も述べているが、これを氣の物質的観測における像と見ればわかりやすくなると思うのである。
 氣は陰陽でいわば振動しているのであり、同時に、一(いつ)である。つまり、波動であり、一(いつ)である。後者が粒子として記録、観測されると見ればいいのである。
 ということで、量子論は既に、物質ではなく、気の領域に入っていると思うのである。ただ、氣を物質的に観測しているに過ぎないと思われるのである。
 物質を作っているのは、氣であると認めてしまえば、実に、科学は明確、明快になると思われるのである。
 今は指摘のみ。

追記:量子、素粒子に倣えば、氣子、氣粒子、あるいは、気素とも呼べる。
 ところで、先に触れたように、氣は事、事象と関係すると思う。物はその後に発生すると思うのである。
 だから、氣事体、氣事子、氣事素、氣事粒子、等々と呼べよう。

追記2:氣論は氣事力論になるだろう。そう、氣とは、氣事力なのである。陽とは氣事陽(事陽)、陰とは氣事陰(事陰)となる。
 MP1(虚軸上原点)において、陰陽対極=氣=一があり、MP2(実軸上原点)において、おそらく、物質的な極性が生起する。即ち、±、NとS。
 しかし、MP1に陰陽だから、MP2には、NとSの磁極ができるのではないだろうか。その後、±の電極ができるのではないろうか。つまり、陰陽→磁極→電極である。
 磁極も電極もMP2で発生すると思う。


2014年01月05日(Sun)▲ページの先頭へ
シュタイナーのエーテルの力と物質の力:エーテルと氣:天=陰陽球、太陽=MP1,地球=MP2
画像は以下を見られたい。
http://sophiology.jugem.jp/?eid=378

シュタイナーのエーテルの力と物質の力:エーテルと氣:天=陰陽球、太陽=MP1,地球=MP2

テーマ:霊学:シュタイナー精神学

シュタイナー霊学のエーテルとは、氣に実に似ている。エーテルをシュタイナーは生命原理としている。
 しかしながら、それとは別に、アストラル体を考えていて、それは、動物的なもの、感情・欲望であるとしているのである。(この捉え方には違和感があるが今はこれ以上言及しない。)
 エーテルないしエーテル体に限定すると、シュタイナーは生命体は、宇宙からの力であるエーテルの作用を受けるが、同時に、地球の物質の力の作用を得ている と言う。つまり、天の力(エーテル)と地の力(物質力、おそらく、重力)の相互作用によって生命体が成形されると見ているのである。
 天と地の対極性によって、生命現象が成形されるとするのである。
 しかしながら、私の太極PS陰陽論から見ると、生命現象は、氣の原理に拠るのであり、陰陽極性の氣の原理から成形されるのである。
 とまれ、シュタイナー霊学とPS陰陽論をすり合わせるならば、前者の天の原理(エーテルの力学)とは、後者の陰陽円=氣の円に即すだろう。
 また、前者の地の原理(物質の力学:思うに重力)は、氣陰陽方程式(陰凹i*陽凸i⇒±1)の⇒±1ではないだろうかと思う。ただし、+1は植物的物質現象であり、−1は鉱物や動物的物質現象を意味する。
 否、そうではない。地の原理は原点のMP(メディア・ポイント)に存すると思う。⇒±1は逆に天の方向を意味すると思う。
 以下の『海舌』氏の人間認識図(要大修正)のガウス平面の原点がMPである。
 
   『海舌』氏による人間認識図(要大修正)

    

  氣陰陽ガウス平面図(本ブログの管理者)

            陽凸i
             |
             |
             |
             |
             |
             |
−1_______MP_______+1
             |
             |
             |
             |
             |
             |
            陰凹i


私は陰陽円=氣円をガウス平面と直交すると見ていて上図においては、三次元になるのであるが、+1や−1を天の方向と見ると、ガウス平面の単位円(上図の氣陰陽ガウス平面図では画かれていない)も陰陽円=氣円と見ることができそうである。
 思うに、以前述べたが、陰陽球=氣の球を考えるといいのではないだろううか。
 しかしながら、無双太極を考えると、陰陽球=氣の球を超えたその領域があることになる。それを太極球と見るのか、否かである。
 思うに、氣陰陽ガウス平面図(簡略化して、陰陽ガウス平面図)におけるMPに重なるようにして、太極点が存するのではないだろうか。無双太極点が大根源 Tとしてあり、それが、陰陽球=氣の球を形成する。これが中根源Uである。そう、陰陽球=氣の球がコスモスではないだろうか。とりわけ、プラトンが説いた それである。しかし、このコスモスは当然、不可視宇宙である。いわば、ダーク・コスモスである。(ダーク・マターやダーク・エネルギーをここから導き出せ ると思う。)
 そして、この氣の宇宙から、可視の宇宙現象、生命現象が生成発現すると考えられるのである。この可視現象の根源はMP(虚軸上のMP1から実軸上のMP2へ移行する)であり、小根源Vと言えよう。
 結局、以下のように図式化されよう。

T:無双太極:大根源:原MP

U:陰陽球=氣の球:中根源:
  コスモス(不可視宇宙:
  ダーク・コスモス)

V:MP:陰陽ガウス平面の
  原点:小根源:生命宇宙
  (可視宇宙:宇宙生命体)


太陽であるが、それは一見、MPに存するように見える。しかし植物、樹木が天へ向かうことを考えると、太陽はMPというよりは、陰陽球=氣の球に属していると見るべきではないだろうか。そう、だから、太陽はMP1(陰陽ガウス平面上の虚軸の原点)に存すると考えられる。
 そして、地球であるが、それは、MP2(陰陽ガウス平面上の実軸の原点)に存すると思う。
 いわば、太陽と地球は双子のようなものと考えられる。
 今はとりあえず、ここで留めたい。
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神とは何か:直感としての神=氣の神:神社スポット:陰陽調和氣場

テーマ:氣神論:氣は万物に通ずる:氣的身体理性

神とは何だろうか。
 宗教史を見れば、多様な神が存する。しかし、それは読者には、一般的には、観念というか概念(観念と概念はまったく異なる概念である。何故なら、観念には、単に知的思考だけでなく、感性的思考も含まれるからである。あるいは、より正確に言うと、観念とは、知性と感性の交流する精神である。)に過ぎない。
 私の経験を言えば、実家近くの神社に接して、「ここには神がいる」と直感したのである。ただ、それだけである。(参考:「なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」京都府神社庁 神社を知る )いうならば、気配としての神である。
 分析すれば、氣の神だと思う。場的に、陰陽調和の場において、そのような直感が起るように思えるのである。
 私が今住んでいる地域にある森であるが、ここには、氣を強く感じるのであり、地域自体もパワースポットのように感じている。
 思うに、日本人にとっての神とは氣の神ではないのか。氣の神とは、陰陽調和の植物的生命力の神ということになろう。
 もっと言えば、森の神である。『ギルガメシュ叙事詩』で言えば、フンババである。
 また、天皇制であるが、母権天皇制に限ると、それは、基本的には氣の政治体制だと思う。氣の根源は太陽、さらには、太陽の根源の氣の太陽に存するのである。
 それを体現するのが、母権天皇であり、その政治社会体制が母権天皇制と思われるのである。
 だから、先に少し示唆したが、母権天皇的民主主義は可能なのである。なぜなら、母権天皇は生命、それも、平和的生命の象徴であるからである。

参照:
日本的精神とキリスト教 - Biglobe
www2.biglobe.ne.jp/~remnant/098nihon.htm


* キャッシュ

何事のおわしますかは 知らねども かたじけなさに涙こぼるる」 とうたいました。そこに
どんなことがあり、どなたがお .... しかし彼はこのとき、密教だけでなく、中国で景教(
ネストリウス派キリスト教)にもふれています。 景教というのは、ペルシャ方面から
やって来た ...
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/098nihon.htm
いいね!



二つの科学:内的科学と外的科学:陰陽極性科学と物質科学

テーマ:二つの科学:内的科学と外的科学:霊と物質

以下の本ブログのカテゴリーにあるように、「二つの〜」が目立つ。
 思えば、両極性という概念に今から30年前頃に魅せられたのが、始まりだろうし、そこから、陰陽論に達するのは、必然だったと言えよう。
 30数年前にヘーゲル哲学によくわからないながらも接して、弁証法力学を知った。そして、マルクスの唯物弁証法も知った。
 しかし、後者は前者を適用していないことがわかった。共産党独裁はヘーゲル的な弁証法力学ではないと考えた。
 当然、レーニンのボルシェビキ論も弁証法的ではないと思った。
 何故、違うのかと言えば、弁証法とは、二つの対立要素を否定を介してであっても包摂する力学であるからである。
正反合の反は正を否定しつつも、正の要素を包摂するのであり、合において、対立が統一・統合されるのである。(ヘーゲル弁証法は、ドイツ哲学、ドイツ神秘哲学の系譜を背景にもっている。それは、陰陽論的なものと考えられる。ニコラウス・クザーヌス - Wikipedia 、他。)
 しかし、唯物弁証法は、対立が統一されないのであり、一方の極が他方の極を排除して、一極中心主義になるのである。
 思うに、弁証法は陰陽論的要素を完全ではないにしても、もっているのであり、それは、多神教原理と思われる。
 しかるに、唯物弁証法は、陰陽論要素はまったくなく、また、ヘーゲル弁証法をまったく曲解しているし、一神教原理と言える。
 私は一神教原理は、二項対立原理と類似すると思っている。また、それは、ユダヤ教的原理、賤民資本主義原理なのではないかと思うのであるが、これは別稿で考えたい。
 さて、本題であるが、「二つの〜」というカテゴリー立ては、結局、宇宙、自然、人間原理のもつ二極、対極・両極・双極原理に基づくと考えられる。
 今、科学を問題にすれば、やはり、二つの科学が存するのである。近代科学は、一つの科学であり、それは、物質主義科学であり、心の外側に見出される現象を対象にした科学である。
 しかし、それとは別の科学があるのである。それが、内的科学である。心、精神、意識・無意識の科学とも言える。しかし、それでは、物質主義科学と区別されなくなるので、内的科学と呼びたい。
 PS陰陽論から言えば、物質主義科学、外的科学は、陽の科学であり、心の科学、内的科学は、陰の科学、ないし、陰陽極性の科学である。
 ここで量子論について簡単に触れると、波動と粒子の一致という事象があるが、それは、内的科学で説明がつくものであり、量子とは、実は、氣であるという のが、私の現段階での解釈である。氣から量子が生まれるのである。というか、氣を物質的観測をすると、量子になるのである。つまり、量子とは、氣の物質的 映像であるということである。この問題は、これ以上は触れない。
 とまれ、今や、物質主義科学、近代科学、外的科学の限界は明らかである。それは、自我、近代的自我、利己主義をベースにする科学なのであり、自我、近代的自我、利己主義という限界をもつのである。
 それを越えるには、内的科学が必要なのである。それは、自我、近代的自我、利己主義とは別の心、精神の原理を認めるのであり、それは、自我、近代的自我、利己主義を乗り越える内的原理である。
 思うに、近代西洋文化は二重文化であり、一方では、外的科学があり、他方では、内的科学(反近代主義)があるが、前者が主流なのである。(これはキリスト教に似ている。キリスト教の唯一神は外的科学に通じ、キリストの精神原理は内的科学に通じるのである。)
 とまれ、今や、内的科学を積極的に肯定する段階に達しているのである。ただし、外的科学を否定するということではなく、外的科学を包摂する内的科学、つまり、外的且つ内的統一科学を目指すということである。
 思うに、シュタイナーの霊的科学であるが、それは、確かに、内的科学を志向するが、外的科学を否定的に見る向きがある。つまり、霊主体従なので、そうなるのである。
 しかし、太極PS陰陽論は、外的包摂内的科学を志向するのであり、外的科学を否定せずに、内的科学に取り入れるのである。
 しかしながら、外的科学の一つの究極である原子力科学は、それは、自然生命体を基本的には、侵すので、肯定することはできないのである。(もっとも光合成細菌の次元では別であるが、まだ、それを原子力科学に応用できる段階ではない。)
 内的科学を基礎として、肯定できる外的科学を志向すべきである。

二つの自然:植物と動物:氣と獣欲・煩悩 ( 18 )
二つの日本民族:母権と父権:日本古代史 ( 148 )
二つの資本主義:自由共同体と掠奪暴利主義 ( 197 )


   




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