INNOVATION OF PHILOSOPHY: GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience - 2014

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




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2014年12月19日(Fri)▲ページの先頭へ
初めに、陰陽有ありき:陰陽有は太極とともにありき:陰陽存在、陰陽存体、陰陽在、陰陽存有、等
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/theme-10035786636.html


初めに、陰陽有ありき:陰陽有は太極とともにありき:陰陽存在、陰陽存体、陰陽在、陰陽存有、等

テーマ:陰陽哲理学

シュタイナーの『精神科学と医学』を読み続けている。
 シュタイナー医学に関するもっとも統一的テキストであると思う。
 とまれ、先に指摘したように、シュタイナーは対極性ないし両極性の観念をもっているが、陰陽については知らないようなのだ。(ハイデッガーもそうだった。)
 植物存在において、根が地球の方向、つまり、重力と関係し、芽や葉や花が天の方向、光と関係し、重力と光は闘争関係にあると述べている。
 PS陰陽哲理学から見ると、天への志向は⇒+1であり、地への志向は⇒−1である。
 そして、前者は陰が主導となって陽と共鳴した状態から生まれると見るのである。陰陽調和である。
 しかるに、後者は陽が主導となって、陰をいわば同一性化=物質化することに関係すると思われるのである。
 しかし、問題は、物質化が植物存在全体に関係することである。思うに、物質と光は対極的作用をすると考えられる。ただし、これは、陰陽極性ではないと思う。しかし、比喩的には、物質を陰、光を陽とは言えよう。
 以上は一つの作業仮説である。
 しかるに、⇒+1が、螺旋的に発現して、植物的有機体を形成するということもありえるのではないだろうか。
 それは、根の植物的有機体とは異質になるのである。
 このように考えると、⇒−1が全体を覆うというような説明が難しい考えをとらないで済む。
 とまれ、シュタイナー医学はPS陰陽哲理学と通じるものがある。⇒+1は天、⇒−1は地である。
 しかし、シュタイナーの視点では、人間の場合、天に当たるのは、内臓、下部人間であり、地に当たるのは、頭脳、上部人間である。植物存在とは逆さまである。
 シュタイナー医学は実に意義深いが、エーテル=氣を陰陽としての対極性と見ていない。
 陰の氣と陽の氣と極性化することで、天地的極性の発生力学が見えてくると考えられるのである。
 シュタイナーの人体の三分節化論であるが、神経ー感覚系、循環系、新陳代謝系に分れるが、第一の系は、⇒−1、第三の系は、⇒+1、第二の系は、両者の均衡の系であり、MP(Media Point)、原点・交点と考えられる。
 そう、第三の系には、一元としての太極も作用しよう。
 D. H. ロレンスの王冠論から言えば、「獅子」・「父」・「闇」は、⇒−1、「一角獣」・「子」・「光」は⇒+1で、「王冠」・「聖霊」・「薄明」はMPないし太極であろう。
 今は余裕がないので、さらに詳述できない。

追記:陰陽(氣)ないしハイデッガーの存在とは、端的に言えば、何かと言えば、それは、超存在であろう。先に原存在としたが、超存在の方がわかりやすい。


        陽凸i
         |
         |
         |
         |
地−1___________MP_______________天+1
         |
         |
         |
         |
        陰凹i

     陰陽ガウス平面  
        

1.
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この「精神科学と医学」は、シュタイナーの医学に関する基本的な考え方を深く知るため
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精神科学と医学
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知性(悟性)と理性の違いについて

テーマ:陰陽哲理学

思うに、知性と理性の違いを明快に説明できる人は少ないのではないだろうか。
 本件を再度説明してみたい。
今は余裕がないので、一言いうに留める。
 知性とは、端的に、自我、陽自我のもつ機能である。これは、男性が得意な領域であるが、自我と結びつくので、利己主義的なのである。
 では、理性とは、これは、ratio(比率、比例)であるが、それは間違いだと思う。ドイツ語のVernunftの方が適切だと思う。
 端的に、私見を言うと、理性とは、知性と感性の両面を併せ持った精神性である。これは、こころの機能である。ただし、こころが陶冶されているとは限らない。
 そう、先に、古代ギリシアの文化について述べたが、父権的知性とは、古代ギリシアの場合は、理性と見るべきである。母権的こころを内包した知性であり、それは、単なる知性ではないのである。





今年発見したハイデッガー存在哲学とシュタイナーの『精神科学と医学』

テーマ:陰陽哲理学

繰り返すことになるが、今年の発見はタイトルにある通りである。
 ハイデッガー哲学は、いわゆる主著の『存在と時間』

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より、後期のもの(1930年代後半以降)がいい。
それで、「存在」が感得されるようになろう。
 ハイデッガーの「存在」は、いわゆる、普通の存在ではない。通常の存在は、ハイデッガーの言葉では、「存在するもの」である。
 思うに、わかりやすくするため、ハイデッガーの存在を原存在と呼ぶといい。そして、原存在とは、私見では、陰陽(氣)なのである。
 思うに、前ソクラテス期の哲学者は、氣ないしエーテル体を捉えていたと思う。しかし、それが、その後、知性主導の精神によって失われていったと思われる。
 私は古代ギリシアとは、東洋と西洋の結合によって形成されたと考えている。つまり、東洋的母権文化を土台にして、西洋的父権文化が上部構造として構築されたと考えている。これは、私の独断ではなく、神話学者ジョウゼフ・キャンベルの視点である。

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 土台・基底にあった東洋的母権文化、有り体に言えば、氣の文化が、父権的視点によって、見えにくくされていき、ついには、同一性的視点が優位になっていったと思う。(補足:わかりやすく言えば、基底の東洋的母権文化の氣を父権的知性によって捉えようとする哲理学がギリシア哲学、とりわけ、前ソクラテス期の哲学であると考えられるのである。ヘラクレイトスの対極的闘争の哲学は、陰陽論的である。)
 そして、ハイデッガー哲学は、この東洋母権文化、氣の文化を、存在として剔抉したと考えられるのである。
 とまれ、ハイデッガー哲学はまるで、古代ギリシア人が現代において語っているようである。
 さて、次に、本件の後者であるが、これは今、読み続けているが、たいへんな傑作である。語り口が、シュタイナー節で、晦渋ではあるが、とても内容が整理されていると思う。
 第4章の植物的なものから、思考力を形成するという視点は実にスリリングである。
 今は詳述できないが、PS陰陽学、というか、陰陽哲理学にハイデッガーとシュタイナーの視点を組み込むことで、より十全な視野が開けよう。
 また、先に言ったように、D. H. ロレンスの文学ー哲学も、組み込むと、文学芸術のヴィジョンを帯びることができる。
 

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追記:デリダのハイデッガー論も興味深い。少し、かじってみた。

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シュタイナー「精神科学と医学」
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* キャッシュ

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精神科学と医学 - Bekkoame
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174シュタイナー医学に関する参照文献等概観 - Bekkoame
www.bekkoame.ne.jp/~topos/steiner/note/S...-/S-note174.html


* キャッシュ

シュタイナーの医学に関するイタ・ヴェークマンとの共著『アントロポゾフィー医学の本質』
(GA27)が、翻訳刊行された。原題は「霊学(精神科学)的認識による医術拡充の基礎」
。ようやくという感じである。これをきっかけに、シュタイナー関係でも、日本ではまだ ..

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ハイデッガーの『技術への問い』は必読である:存在と氣:氣存在哲理学へ

テーマ:陰陽哲理学

私は、心臓手術した年、術後の余裕の時間で、ハイデッガーの主著の『存在と時間』を邦訳で読んだ。
 この時の記録は、2007年の7月以降のブログ記事に書いてある。
 そのときは、当時のPS理論に似ている部分とそうでない部分があると感じた。そう、PS理論に通じる箇所は、「存在」に関する裂け目・亀裂の説明である。これは、MP(Media Point)つまり、陰陽ガウス平面の原点・交点に通じると感じたのであり、驚き、戸惑いがあった。
 とまれ、『存在と時間』は主著ではあれ、私見では、凡庸な部分が多いと思う。確かに、存在に関する解明は優れているが、後の『形而上学入門』ほどではないと思う。
 今、貪るように、ハイデッガーの著書を読んでいる。今は、『技術への問い』を読んでいるが、後、少しである。
 とまれ、ハイデッガーは天才である。どうして、彼を天才と呼ばないのだろうか。彼の議論の鋭さ、斬れ、つまり、洞察力は、尋常ではない。
 先に述べたように、ハイデッガー存在哲学は、東洋哲学、氣の哲学と連結すべきである。
 とまれ、ハイデッガー哲学は、主著は後から読むべきである。最初は、『形而上学入門』、『芸術作品の根源』、『技術への問い』等を読むべきである。
 そう、『形而上学入門』がいちばんいいと思う。

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2014年11月30日(Sun)▲ページの先頭へ
PS陰陽学から人間の攻撃性メカニズムの解明を試みる:精神陰陽心三極構造と「こころ」の光智(神)
図は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11958766345.html

PS陰陽学から人間の攻撃性メカニズムの解明を試みる:精神陰陽心三極構造と「こころ」の光智(神)

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

最近の、少なくとも私の周囲の日本人は、どういうわけか、攻撃的になった。以前は、それほど気にならなかった、なにか急に、発作的な感じで、攻撃的になっている。有り体に言えば、批判・批評ではなく、非難・揶揄等々である。
 今、イメージしているのは、二人の人間である(もっとも、多くの人にもある程度あてはまるが)が、自分自身の欠点・欠陥には、盲目であり、他者の言葉尻等を捉えて、不躾に攻撃するのである。
 私が思いついたのは、かれらは、自分自身の精神、言動等の欠陥という精神の闇(ブラックホール的かもしれない)を抱えている、内包・内含しているのであり、それを見ないように隠蔽する精神力学をもっているのではないだろうか。
 ここで、PS陰陽学(以後、陰陽学)の視点を適用したいのである。
 すなわち、精神(「心」の総体・全体を、適切な言葉が浮ばないので、精神としておく)は、陰陽対極性(両極性・双極性:以後、簡単に、陰陽極性、極性と呼ぶ)からなると見るのである。
 ある意味で、二重人格性である。とまれ、陰陽二重構造と見るのである。
 議論上簡潔にするため、陽を知性(自我)、陰を感性とする。
 しかしながら、MP(Media Point)・原点・交点がある。
 これは、実は、私が「こころ」と呼ぶものである。だから、精神は、単に陰陽二重構造だけではなく、陰陽心(芯とも言えよう)三重構造である。
 さて、(時間がないので、やや端折って述べるが、)通常、意識は陽の自我においてもつのである。陰の感性ないし魂は、無意識である。もっとも、その表面は意識されるのであるが。つまり、感情や欲望等として、意識されるのである。せいぜい、胸部内において、意識されるのであり、肚・腹の陰までは達していないだろう。
 この陰陽二重性、陰陽極性のバランスをとるのは、「こころ」である。MPである。
 しかし、近代主義は、陽の自我に主導性があり、それが支配的である。それは、同一性、物質主義・唯物論を特徴とするのである。
 だから、陰陽バランスをとるべき、第三のものである「こころ」の領域を否定・抑圧・排除・隠蔽するのである。
 そう、「こころ」は言うならば、智性、賢慮性、思慮性をもつのである。これは、陽の自我と陰の感性の両面を注視しているのである。
 だから、陽の自我の欠陥を、「こころ」=MP・原点・交点(ハイデッガー的に言えば、空開処、亀裂であろう)を感知しているのである。
 自我の欠陥を智性である「こころ」は知っていると考えられるのである。
 そこで、欠陥のある陽の自我や陰の感性は、「こころ」の智性を「鬱陶しく」、邪魔者と感じるのである。
 そこで、「こころ」を隠蔽するため、抑圧力学が強く作用するのである。「こころ」の智の精神力学を抑え込むのである。
 つまり、通常の抑圧以上のより強固な抑圧をかけるのである。何故なら、自分の欠陥・欠点、端的に、悪性が浮かび出るからである。
 当然、ここには、「闘争」があるのである。浮上しようとする「こころ」と、抑え込もうとする陽自我と陰感性(両者は同一化している、あるいは、癒着していると言えよう)の「闘争」があるのである。
 ここで、自我は、攻撃性を帯びると考えられる。基本は、内的攻撃性であるが、それが、外的他者へと向けられるのである。
 自分自身の非、欠点・欠陥、悪性の隠蔽力学が、他者の非、欠点・欠陥、悪性への攻撃へと転化すると考えられるのである。
 これで、ざっとであるが、本件の問題の基礎的メカニズムがいくぶん解明されたとしよう。
 有り体に言えば、陽の自我=陰の感性は、一般的には粗野・粗暴・野蛮であるため、内在する「光」である「こころ」に恐怖するのである。「こころ」の光智に怯えるのである。
 そう、この「こころ」の光智(光智心、光智芯とでも言えよう)は、「神」へ通じていると言えよう。シュタイナーの説くキリストは、これと一致すると考えられる。
 因みに、光智心(光智芯)を涵養・陶冶するには、以下の書物が役立つ。(シュタイナーは仏教の八正道を「こころ」の形成のための「インフラ」としているのである。)

いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか (ちくま学芸文庫)/筑摩書房
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シュタイナーは、人間の血を植物化しようとしているのである。精神のグリーン化である。そう、グリーナイゼーションgreenization、グリーナリズムgreenalismと呼ぼう。
 以下、簡単に図式化する。


      陽自我⇒⇒⇒他者への攻撃性
_____↓↓↓_______

___「こころ」・MP・光智芯___

_____↑↑↑_______
       陰感性
 
《精神の攻撃メカニズム・チャート》


参考:

             虚軸 陽凸i
               |
               |
               |
第二象限(物質界)   | 第一象限(霊;哲学、哲学科学)
               |
               |
−1 _________MP________+1 実軸
               |
               |
               |
第三象限(感情・欲望) | 第四象限(魂;芸術・宗教・倫理)
               |
               |
              陰 凹i

           陰陽認識図 


2014年11月26日(Wed)▲ページの先頭へ
PS陰陽論における陽主導と陰主導の違いについて:陰陽調和をもたらす力学
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11957304838.html

PS陰陽論における陽主導と陰主導の違いについて:陰陽調和をもたらす力学

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

PS陰陽論から、何故、父権自我(陽自我)が、悪魔的になるのか説明したい
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11956926277.html

 (「先に以上のように述べたが、少し補足したい。)
本件については、かつて何度も検討したことがあるが、未だ、直観的には、不確定であるので、ここで新たに検討したい。
 問題は、陽主導の場合、同一性、物質化が生じ、陰主導の場合、陰陽調和が生起するということである。
 これまで、陰陽調和は、陰陽ガウス平面のMP(Media Point)つまり原点において、なされると見ているのあり、そこにおいては、太極の一(いつ)が作用していると考えているのである。
 しかし、MPと陰自体は異なるのであり、陰主導がどうして、陰陽調和をもたらすのか、明示する必要がある。
 この問題は微妙である。
 陽主導の場合、陽は陰を同一性化してしまい。陰自体が否定されるのである。しかし、陰主導の場合、陽自体は、同一性化されない。つまり、陰は陰としてあり、陽は陽としてある。
 また、本来、男性は陽主導であり、女性は陰主導であると述べたが、現代女性は、男性化して、陽主導であり、陰がそれに付随しているようなことを既述した。
 つまり、男性にしろ、現代女性にしろ、陽主導なので、陰自体が否定されていて、陰の主導性が欠落していると考えられるのである。
 言い換えると、陽主導による陰陽の癒着があると考えられるのであり、陰陽分極が否定されていると考えられるのである。
 そのように考えれば、陰主導によって陰陽調和がもたらされると考えるのは、妥当であると言えよう。
 以下、海舌氏の人間認識図を参考にして、新たに陰陽認識図を説明したい。

人間認識図

         人間認識図(海舌氏による)

陰陽認識図としては、上図をひとまず、左右反転する必要がある。
 そして、陰陽認識図においては、第一象限を霊の世界、あるいは、哲学、哲学的科学の領域とする。
 第四象限は、魂の世界、あるいは、芸術・宗教・倫理の領域となる。
 第二象限は自我界、物質界、現象界、また、物質科学(唯物科学・技術=近現代)の世界である。
また、第三象限は、自我的な感情・欲望界である。
 つまり、自我の世界は、左半面の領域であり、陰陽調和は、右半面の領域となる。
 では、氣の世界はどこに存するのであろうか。
 氣は虚軸に存するのであり、それが、陽主導において、左半面領域へと、陰主導において右半面領域へと展開すると考えられる。

追記:シュタイナーに拠ると、人間と植物(樹木)とは上下反対になるのである。
 だから、以下の陰陽認識図は植物的構図と言えよう。
 人間の場合は、以下を左右反転する必要があるということになろう。つまり、人間においては、虚軸はそのままでいいが、実軸において、右が−1となるのであり、左が+1となるのである。
 植物においての天が人間では実軸の左の線分となり、植物の地が人間では、実軸の右の線分となるのである。

             虚軸 陽凸i
               |
               |
               |
第二象限(物質界)   | 第一象限(霊;哲学、哲学科学)
               |
               |
−1 ________MP________+1 実軸
               |
               |
               |
第三象限(感情・欲望) | 第三象限(魂;芸術・宗教・倫理)
               |
               |
              陰 凹i

           陰陽認識図





PS陰陽論から、何故、父権自我(陽自我)が、悪魔的になるのか説明したい

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

PS陰陽論は簡潔な哲学・科学仮説であることが一つの取り柄である。
 寝る前に(もう、だいぶ眠いが)、ポイントを述べたい。
 即ち、陰陽力学において、陰が主導的になるときと、陽が主導的になるときがあると考えられる。前者を私は母権的、後者を父権的というのである。実に簡単であろう。
 陰が主導的な場合は、陰と陽は共振・共鳴・和合するのであり、それが、根本的な生命エネルギーである。
 しかし、陽が主導的な場合は、陰と陽は共振せず、陽が陰を支配するのである。これは、哲学的には二項対立である。
 そして、陽とは自我、父権自我である。同一性である。これは、他者を排除するのである。端的に、これは人間的というより、物的、物質的なのである。他者を物、物質、量的なものと捉えるのである。(追記:また、単に、意識的に物質主義的であるばかりでなく、生命的に物質体を形成するものと今の段階では考えている。つまり、陽主導性は、物質体を形成するということである。陰陽方程式凹i*凸i⇒±1で言えば、⇒−1が物質体を形成するということになる。)
 故に、平気で、他者を否定、排除、殺戮するのである。
 一般的に言えば、こころがないのである。たましいがないのである。
 いわゆる、文明とは、実は、父権文明、陽自我文明であり、それ以前の母権文明を否定・排除・抹殺して生まれたものと考えられるのである。
 故に、文明とは殺戮文明、戦争文明なのである。その帰結が、現代の軍産複合体資本主義文明である。そして、その断末魔が今、日本に押し寄せているのであるが、国民は超能天気である。
 とまれ、ここで主張したいのは、自我、父権自我とは、結局、物質主義であるということである。唯物論的なのである。
 同一性主義である父権自我は、当然、物質科学・技術を発展させたと言えよう。
 ここには、共生・共存という視点は欠落しているのであり、平和はありえないのである。
 そう、父権自我文明は、物質主義文明であり、人間主義文明ではないのである。
 しかるに、母権自我には、こころがある。正確には埋れているのである。これを活性化・覚醒化しないといけない。
 父権自我文明とは悪魔文明に帰結したのであり、新母権自我文明を誕生させるべきなのである。
 もっとも、ロシアがその中心になることが今や明らかになっている。
 日本は、滅亡するだろう。そして、少数者によって復活するだろう。
 最後に、やや唐突であるが、うつ病等の心因病について言いたい。 
 これは、父権自我病と言えるのではないだろうか。
 父権自我は、氣や魂や霊を抑圧排除するので、生命である陰陽共振が生起せずに、エネルギーが枯渇するのである。
 そう、それらは反動となり、否定的に自我に作用し、自我を混乱させるとも考えられるのである。
 やや、雑駁であるが、ここで留める。もう23時前であるが、もう寝る。

追記:母権文明ないし新母権文明とは、生命主義文明である。何故なら、陰陽共振調和とは、生命生成の謂であるからである。


2014年11月16日(Sun)▲ページの先頭へ
思うに、自我は悪魔化し、世界破壊を欲望するのではないのか?
思うに、自我は悪魔化し、世界破壊を欲望するのではないのか?

テーマ:総て出鱈目日本の元凶ヤハウェ父権自我悪魔

戦争爺にしろ、ア蔑にしろ、自分のために、他者を破滅させたいのである。
 先に、フロイトの死の欲動について言及したが、どうも、死の欲動は自我と関係していると思う。
 そう、自我は、いわば、唯一神なのである。だから、自我の願望が満たされないと、怨恨をもつのであり、他者を破壊したくなると言えよう。
 ヤハウェは「わたしは嫉妬する神である」といみじくも述べている。
 結局、自我=陽への傾斜、父権自我がもたらすのである。
 母権自我は、内在的にこころ=陰陽調和=愛をもっている。しかし、父権自我の世間にあって、自身の愛を抑圧しているのである。
 父権自我は、もう死者なので、かまう必要はない。母権自我の人間が生存を考えるべきである。


Sun, November 16, 2014
解散・総選挙は極めて謎:隠れ多極派路線か戦争爺路線か:これまでの枠組みが通用しなくなっている?

テーマ:賤民資本主義と共同体的資本主義

私の乏しい知識では、よくわからないのである。
 多元連立方程式を解く必要があるのであるが、必要な知識が足りないのである。
 でも、いちばん簡単な理由は、アベノミクスは、日本経済を破壊し、ひいては、世界経済を破壊することがわかったからではないだろうか。「流石の」戦争爺も、これはまずいと思ったのではないだろうか。
 そう、財務省の自己中路線が戦争爺の路線とずれだしたということかもしれない。
 戦争爺はもちろん、戦争を起こしたいが、実は、軍需産業であり、武器を買ってくれればいいのである。しかし、阿部ノミ屑が延長すると、武器を買う金がなくなることがわかったということではないだろうか。
 結局、商売である。ビジネスである。
 資本主義である。ビジネスから見て、アベノミ屑は、世界経済を破壊することが分かったので、流石の戦争爺もこれはアカンということで、解散・総選挙へとふったのではないのか。
 

年内の唐突な衆議院解散・総選挙サプライズは来年に起こる円株同...

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G20首脳会議で微妙に孤立気味の安倍首相!何故か水を手酌!話し相手がおらず、周りをキョロキョロ・・・ new!!
20141116121936sidu.jpg
今月に入ってから中国やオーストラリアで相次いで首脳会談が開かれていますが、食事会の席では安倍首相が孤立気味になっているようです。北京の会談ではプーチン大統領や習近平国家主席、オバマ大統領らが最前列の席で談笑をしているのに、日本の安倍首相は後方でキョロキョロしていました。そして、先日から開催されているオーストラリアのG20でも昼食会で孤立状態になっている安倍首相が激写されています。
プーチン大統領はお付の人に水を入れてもらっているのに、安倍首相は何故か「手酌」で水を注いでいるのです。単に喉が渇いていたのかもしれませんが、他の首脳らと比較すると、安倍首相の周りにはあまり人が居ないと言えます。

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Sun, November 16, 2014
日本とフランスで、名高いアルタイ産のハチミツが販売される。アルタイ産のハチミツは、珍味
テーマ:有機的自然回帰的ライフ・スタイル
アルタイ産のハチミツ 日本へ
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日本とフランスで、名高いアルタイ産のハチミツが販売される。アルタイ産のハチミツは、珍味として、容量100グラムで梱包されて出荷される。




Sun, November 16, 2014
風朕かく語りき:プーチン大統領:制裁は全ての国の妨げになっている

テーマ:ニュー・イースタンの時代:新東洋の時代

政治
プーチン大統領:制裁は全ての国の妨げになっている
プーチン大統領:制裁は全ての国の妨げになっている
ロシアのプーチン大統領は、オーストラリアG20サミットの場で行われた一連の2者会談について、会談では制裁について触れられたと指摘し、制裁は全ての国の妨げになっており、この状況から抜け出さなくてはならないという共通の理解があると述べた。





Sun, November 16, 2014
異性愛の問題:何故、異性に魅かれるのか?

テーマ:セクシュアリティ:植物的花弁対一力と性極

記紀の、凹凸の性交、植物の雄蕊・雌蕊では、異性愛の問題は解決しない。
 おそらく、哲学上、これが一番の問題かもしれない。
キルケゴールは恋愛、倫理、そして、宗教へとステップ・アップした。恋愛は一番低いレベルである。
 空海でも、愛欲は最下位のレベルである。
 私が驚嘆するD. H. ロレンスは、セックス自体を肯定した稀有の作家である。
 でも、私はセックスより、異性愛に興味がある。同性愛はその変形である。
 大哲学者プラトンは、セックスを否定はしなかったが、天上への愛、エロースを説いた。
 これは、わかりやすいのである。
 問題は、霊ではなく、身体である。あるいは、氣である。氣は、霊と身体に通じるのである。
 どうして、このようないわば平凡なことが解明されていないのだろうか。フェロモン云々では説明がつかないのである。
 PS陰陽論から解明を試みよう。
 オスは、当然、陽であり、メスは陰である。これは常道である。
 正反対なものは牽引するのであり、同時に反発するのである。これが、雌雄の性的力学である。つまり、陰陽哲学である。
 ここで、霊的科学者のシュタイナーの理論を借りよう。欲望・感情はアストラル体が担うのである。そして、自我は、知性・悟性であろう。前者は陰であり、後者は陽である。そして、両者は正反対であり、引き合うと同時に反発すると考えられる。
 そう、女性の身体は、欲望・感情体=アストラル体と言えるのではないだろうか。欲望・感情が体現したのが女性身体ではないだろうか。
 だから、陽・自我の男性はそれを見ると、「発情」するのである。
 陽・自我に抑制された欲望・感情が喚起されるということではないだろうか。
 そして、逆に、女性は、男性を見たとき、その陽・自我の知性・悟性に魅かれるはずである。女性の欲望・感情体にはないものがそこには発現しているのであるから。
 両者、自身に欠落しているものを異性身体に見るということではないだろうか。
 だから、異性愛とは、陰陽調和への力学と言えよう。丁寧に言えば、陰陽は牽引と反発であり、そのままでは、調和にはならないのである。闘争となるのである。
 調和にするには、第三のものが必要である。それはこころである。愛である。
 それは、超越的なものなのである。結局、唯物論が支配すると、陰陽調和がありえないのである。
 超越的なもの、それが、陰陽調和をもたらすのである。
今はここで留める。

MODELS.com

http://models.com/mdx/study-of-pose-with-coco-rocha/


2014年11月11日(Tue)▲ページの先頭へ
氣磁場という新しい科学智を作業仮説してみたい:森のある氣磁場環境圏と大都市の無氣磁場電磁波圏
画像は以下で見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11950825273.html

氣磁場という新しい科学智を作業仮説してみたい:森のある氣磁場環境圏と大都市の無氣磁場電磁波圏

テーマ:氣神論:氣は万物に通ずる:氣的身体理性

昨日は、仕事で、新宿から接続で、丸ノ内線を利用した。
 今は、豆乳ヨーグルトに、あらびき茶、オリゴ糖、純粋蜂蜜を入れて食し、オリゴ糖を入れたココアを飲み、また、同様の九州産の青汁を飲み、ようやく、ほっとしてきたところである。たましいが戻ってきたとでも言おうか。
 私は東京の職場は狭いオフィスなので、それで落ち着かないと思ってきた。確かに、横幅が狭く、圧迫感がある。
 しかし、今、都区内における落ち着かなさ、なにか所を得ない感じ、所在感のなさ、浮遊している感じ等は、東京に氣的環境圏がないからではないかと感じたのである。
 とまれ、氣磁場という科学的作業仮説が浮んだのである。
 氣というと、なにか非現実のようなイメージであるが、氣磁場というと、感覚的、直観・直感的にぴんと来やすいだろう。
 (今は、氣電磁場とは言いたくない。氣磁場がピンと来るのである。)
 ここ森が近くにある自宅の場は氣磁場があると思う。森へ行けば、さらに感じる。
 しかし、都区内には、氣磁場が感じられない。無氣場的電磁波環境圏という感じがするのである。
 大気を、空気を、環境を、氣磁場が満たしていない一種、空虚があり、その中にいる私の心身は、それと共振・共鳴・共感しないのであり、そのため、私は、所在なさを感じるのではないだろうか。
 そうならば、よくもそのような環境に30年も住んでいたものだ!
 私は都区内に住んでいて、身体が痛くなるのを感じた。苦痛なのである。
 田舎から出てきたときは、上野公園に行って、緑への飢えを充たそうとしたものである。
 思うに、70年代初期までには、東京には、氣磁場が存在していたと思う。しかし、その後、東京は無氣磁場的電磁波環境になったのではないだろうか。
 それは、いわば、悪魔・狂気的環境ではないだろうか。
 さて、PS陰陽論から、氣磁場はどう説明できるだろうか。
 陰凹i*陽凸⇔±1の陰陽方程式において、⇔がガウス平面の原点(MP:Media Pointと呼んでいる)に当たり、虚軸と実軸の交点であり、この点において、氣磁場が発生するのではないだろうか。
 勿論、これは、単なる磁場ではない。磁場ならば、N極、S極があり、前者から後者へと磁気が流れる。
 しかし、氣磁場はそうではない。いわば、天の氣磁気と地の氣磁気があるのである。これは、不思議な複雑な作用だと思う。
 つまり、虚軸の陰陽対極性と実軸の天地相反性(光⇔重力)があり、この両者が相互浸透しているような力学が、氣磁場作用ではないだろうか。
 問題は、新しい視点である天地相反性である。これは、単なる+と−の極性ではない。天へのベクトルと地へのベクトルがあるのであり、前者がいわば、天氣磁気であり、後者が地氣磁気であり、両者で、氣磁場環境圏を形成しているということになる。
 だから、それは、天地相反的氣磁場環境圏とでも言えよう。
 そして、展開すると、天氣磁気が植物の芽の伸長力であり、地氣磁気が植物の根の伸長力である。
 主に、道教等で、天の氣、地の氣と呼ばれたものは、それを指しているのではないだろうか。
 しかしそれは、根源の陽の氣、陰の氣とは異なるのである。
 これは、混同しやすいし、実に、理氣論なのでは、混同されたと思う。理がイデア的で、氣が物質的と考えられたのであるから。
 後でもう少し、考えてみたい。

参考図(お断り:マックで描くので、ウィンドウズではズレます)

        陽凸i
         |
         |
         |
         |
地−1___________MP_______________天+1
         |
         |
         |
         |
        陰凹i

     陰陽ガウス平面  

ただし、四元数的四次元は、MPに他の二つの虚軸が存し、太一軸=i軸、太極軸=j極、陰陽軸=k軸、そして、天地軸=実軸となる。
 だから、陰陽ガウス平面の陰陽虚軸のiは、四元数的コスモロジーでは、k軸になる。 


2014年11月05日(Wed)▲ページの先頭へ
海舌氏の三元論:四元数の三つの虚軸は太極軸と陰陽軸と天地軸であり、実軸は単に光速度一定の単位?
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11948240944.html

海舌氏の三元論:四元数の三つの虚軸は太極軸と陰陽軸と天地軸であり、実軸は単に光速度一定の単位?

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

海舌氏の三元論:三つの虚軸i, j, kは、三等分割均衡における正三角形の三つの軸に対応する?
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11947882841.html

先に以上のように述べたが、三元論についてもう少し考えてみた。
 二等分割を陰陽極性と見たが、そうではなく、ガウス平面の成立とみたらどうだろうか。つまり、虚軸と実軸の二つの軸の成立と見るのである。そして、三等分割であるが、それは、三次元空間の成立と見るのである。つまり、ガウス平面以外に三つの空間軸ができると見るのである。
 この三つの軸が四元数の三つの虚軸に当たるのではないだろうか。
 思うに、四元数の虚軸は、実は、準虚軸ではないだろうか。
 とまれ、問題は、実軸とこの準虚軸である。
 私はこれまで、実軸を天地軸としているが、それと三つの準虚軸はどう関係するのかが問題である。
 
追記:どうも、四元数は、適用するのに問題がありそうである。
 以下の「エーテル空間」の考え方は、端的に、三次元空間と関係すると言えよう。
 だから、思うに、PS陰陽論で言えば、陰陽からの発現としての三次元空間を考えればいいように思うのである。
 それは、以前考えたように、底面の平面と天地軸による三次元空間である。時間は、虚軸にあるとするのである。
 思うに、四元数の考え方、三つの虚数、虚軸であるが、それは、陰陽氣を超えた霊的空間に適用できるのではないだろうか。
 即ち、太一軸としての例えば、k軸、そして、太極軸としてのj軸、そして、陰陽氣軸としてのi軸である。
 つまり、四元数空間を超ガウス平面空間と見るのである。
 そうならば、海舌氏の三元論は、次元を間違えているとなるのではないだろうか。四元数空間は霊的空間であるが、海舌氏の三元論は、通常の三次元空間を志向していると思われるのである。

追記2:以下の「エーテル空間」を読み直すと、四元数の三つの虚軸は、以下の三つの直線、つまり、空間三次元の三つの軸に相当するように思えてくる。
 ならば、問題は、四元数の実軸の意味である。
 思うに、それは、単位数を意味するのではないだろうか。あるいは、光速度一定である。
 しかし、そのようにした場合、やはり、四元数の三つの虚軸、虚数は、準虚軸ないし準虚数となり、本来の虚軸、虚数ではないのではないだろうか。

追記3:いろいろ想起される。四元数の三つの虚軸、虚数であるが、それは、エーテル空間を意味するのかもしれない。
i軸とj軸とk軸が三つの直交軸であり、それが、エーテル三次元空間を作るのかもしれない。
 そして、実軸、実数は、やはり、光速度かもしれないが、要は単位数である。
 そうすると、i軸を太極軸とし、j軸を陰陽軸とし、k軸を天地軸とすることができるのではないだろうか。実軸は、空間軸とはならないのである。
 このように考えれば、四元数空間はガウス平面を包摂することができるだろう。
 そうした場合、最根源である太一は、どうなるのか。それは、MP(Media Point:原点・交点)にあるのではないだろうか。ゼロ点である。

追記4:追記3のように考えた場合、空間三次元はどう説明できるのだろうか。
 i軸=太極軸、j軸=陰陽軸は、空間軸にはならないはずである。k軸が天地軸でそれは、空間軸の一つとなる。
 足りないのは、水平面、あるいは、地上面である。
 それは、太極軸と陰陽軸による「超越平面」が現象化したものだろうか。その「超越平面」は以前述べていた陰陽円である。
 それが、現象化することによって、水平面が形成されるのではないだろうか。
 とまれ、天地軸とは、実際、現象空間軸なのだろうか。
 それは、シュタイナー的に言えば、光⇔重力軸である。
 ならば、現象空間軸である。
 ならば、k軸=天地軸は、虚軸であっても、空間軸である。
 そして、それに直交する水平面=地上面が現象すると考えられる。これは、球面になるのではないだろうか。
 とまれ、別に二つの空間軸が必要になるのではないだろうか。
 それとも、太極軸と陰陽軸で水平空間軸を考えていいのだろうか。
 思いつきであるが、天地軸が発出するとき、太極軸と陰陽軸による陰陽円=渦動円は、螺旋的に現象化するのではないだろうか。ならば、太極軸と陰陽軸を空間軸と見てもいいのではないだろうか。

追記5:ハイデガーの存在とは、追記3,4の三つの虚数・虚軸の作るエーテル三次元空間ではないだろうか。それとも、太極軸i軸と陰陽軸j軸の作る超越円=陰陽円なのであろうか。


「エーテル空間」ノート23

note23:
・球は中心点に直角三角形をつくり出すだけではなく、
 天球周縁にも直角三角形をつくり出す
・プロセスとしての球形形成運動
・球形形成原理は、虚数に関わり、数エーテル(化学エーテル)として現象界に現れる

<ジョージ・アダムス 『エーテル空間』からの引用>

 空間の無限遠点は球面との関係において、球の中心点を通る平面をもたらします。この平面は、無限遠点がどの方向にあろうとも、無限遠点へ向かう半径に対してつねに直角を成します。そしてこれは球の場合にのみ生じます。このことを最後まで考えていけば、球の中心点で互いの直角を成す“三つ組”の半径が得られます。すなわち三つの直線の各々が、他の二つの直線を含む平面に対して直角を成す、三つ組が見られることになりま
す。これは、この三つ組の直線を球の中心点からあらゆる方向へ向かわせることのできる、いわゆるデカルト座標系です。デカルトの座標系はこのように、球のなかに一種の形態原理を持っていますが、たとえば人間の頭蓋骨の形態はこの原像の現れのひとつです。

 さて
しかし、球はその中心点だけではなく、無限遠平面にもこのような三つ組をつくり出します。球は天球周縁に直角三角形をつくり出すのです。この三角形は、デカルトの座標系が三つの直線と三つの平面から成っているように。三つの直線と三つの点から成っています。
球はこのように、地上にも天上にも三つ組をつくり出しますが、地上では諸半径を構成要素とする中心点をつくり出し、天球では天球諸直線を構成要素とする“周縁中心”をつくり出します。
(P.47-48)
 近代幾何学の原空間において私たちがまず第一に理解しなければならないのは、直角がつくり出す硬い形態ではなくその根底にある数の動力学、完成された円形ではなくプロセスとしての循環運動、完成された球形ではなく丸みをつくり出していくプロセスとしての球形形成運動です。それというのも私たちは、中心点と宇宙の拡がりとの対極性のような、地上的なものと天上的なものとのあいだに永遠に作用している呼吸する対極性とかかわっているばかりでなく、このような二極間に自らの存在を主張している球形形成原理にも、つまり静かに自足している有限の球形に見られるような球形形成原理にもかかわっているからです。
(P.48)
 この原理を数学的に述べるなら、それはその具体的ー霊的な背景をアストラルと呼ばれるものの内に持つ、謎に満ちた虚数(√-1)にかかわる原理です。この原理はもはや空間的なものではありません。しかしそれは、特に循環するものの内に現れる数のリズムの響きをとおして、空間のなかへ形成的に作用しています。この原理は、エーテル的なものの内に作用していることから、数エーテル(化学エーテル)として現象界に現れます。
(P.48)


◎直角三角形が円に内接するように、円や球の形態は密接に「直角」と結びついている。
◎note19で説明したように、空間の無限遠点は、球の中心点を通る平面をもたらすが、
この平面は、無限遠点へ向かう半径に対してつねに直角を形成する。
球の場合、中心点を通る平面と中心点から球面に延びる半径とが直角になっているイメージ。
◎そうすると、球の中心点で互いの直角を成す「三つ組」の半径が得られる。
つまり、この球の中心点を中心とした(x,y,z)座標(デカルトの座標系)のイメージ。
◎球は、この「三つ組」を無限遠平面にも形成する。
つまり、球は天球周縁に、三つの直線と三つの点から成る直角三角形をつくり出す。
◎近代幾何学の原空間においては、そうした直角がつくり出す硬い形態ではなく、
その根底にあるプロセスとしての球形形成運動を理解しなければならない。
これは、完成されたスタティックなものとしてではなく、それが形成されるプロセスが重要になる。
◎私たちは、地上的なものと天上的なものとのあいだの対極性だけではなく、そうした球形形成原理にも関わっている。
◎この原理は、ー霊的な背景をアストラル的なものに持っている「虚数(√-1)」に関わっているが、
呼吸するように循環するものの内に「数のリズムの響き」を通して、空間のなかへ形成的に作用し、
数エーテル(化学エーテル)として現れる。
◎「反空間」である「エーテル空間」は、物質空間に対して、もはや空間的なものではない「虚」の空間として表現されるが、その「虚」つまり、「虚数(√-1)」の原理はアストラル的なものを霊的背景としてもっている
ということはチェックしておく必要があると思われる。
というのも、シュタイナーは、物質界、エーテル界、アストラル界・・・というように、世界を多次元構造としてとらえているからである。
そして、「反空間」である「エーテル空間」は、この物質空間に対する「虚」の空間として位置づけられてる。
◎ちなみに、シュタイナーはエーテル的な力を、
生命エーテル、化学エーテル、光エーテル、熱エーテルの四つに分けてとらえている。
ここで「数のリズムの響き」である「数エーテル」としているのは、そのうち「化学エーテル」である。
◎参考までにいえば(この『エーテル空間』とは直接関係しないが)、電気、磁気、原子力の深部に潜んでいるエネルギーのことを、シュタイナーは《堕落したエーテル》と呼んでいるそうである。
https://r5.quicca.com/~steiner/novalisnova/steiner/aetherischenRaum/ar23.html

参考:
四元数 - Wikipedia

四元数数の単位の積を四次元空間の 90°-回転として視覚的に表現したもの。ij = k, ji = −k, ij = −ji


超越軸における回転による超越円の形成と超越円をマトリクスとする現象螺旋形成

テーマ:映画ThriveのトーラスとPS哲科学

先に、ガウス平面において、凸i(+i)と凹i(-i)との揺動によって、回転が生じることを述べた。
 問題は時間現象である。私は先に、凸iが空間形式で、凹iが時間形式ではないかと言った。カント哲学的には、前者は、外的感覚(外官)であり、後者は内的感覚(内官)である。
 差異共振現象という自然現象は、当然、時空間の発現を意味するから、凸i*凹i⇒凸(+1)の右辺の凸(+1)が時空間現象を意味するかもしれない。
 しかし、螺旋運動こそが、自然現象であるから、凸(+1)は自然現象自体ではない。
 それは、これまでの考えでは、超光エネルギーである。あるいは、超氣である。
 思うに、⇒凸(+1)の活動において、螺旋運動が形成されるのであるから、螺旋を空間とすれば、運動が時間と関係すると言えよう。ここで作業仮説であるが、⇒凸(+1)の超光のベクトルが時間ベクトルと一致するとしよう。つまり、凸(+1)は時間を意味することになる。
 そう、時間は内的なものであり、不可視であるから、それは、考えられることである。
 これで、現象螺旋運動の説明は済んだとしよう。
 次に、超越軸における回転・螺旋運動である。
 凸j*凹jも揺動しているとすると、超越円において、回転すると考えられる。(ここで説明しておかないといけないのは、凸i*凹iが形成する螺旋運動であるが、その三次元は現象空間三次元であり、超越軸をもつ三次元ではない。つまり、ここで、現象三次元空間と超越軸を区別する必要があることである。
 結局、ガウス平面に直交する二つの軸があることになる。一つは超越軸であり、一つは、現象空間の第三次元の軸である。)
 しかしながら、果たして、超越円の回転は、螺旋運動を形成するだろうか。
 運動となるには、時間が必要であるが、超越円は時間を形成するだろう。そう、凸j*凹j⇒凸(+1)と形式化したのであり、右辺は時間を意味するのであるから、超越円も螺旋運動を形成することになろう。
 ここで整理したい。
 順序から言うと、超越軸における凸jと凹jの共振的揺動があり、それが回転をもたらし、超越円を形成する。
 この超越円の意味するものは、虚軸y軸の形成ではないだろうか。
 つまり、超越軸z軸と直交する虚軸y軸の形成である。これで、超越界からの凸i(光)と凹i(闇)の形成が説明できると言えよう。
 そして、凸i(光)と凹i(闇)の共振からの現象創造の説明もできる。
 そうすると、上述した超越軸と現象空間第三軸は異なるということはどうなるだろうか。
 つまり、超越軸と虚軸における超越平面と超越円が現象螺旋運動(時空四次元)を形成する基盤、マトリクスであり、それは、現象時空間とは一致しないと考えられる。
 そう、超越円はイデア界と言ってもいいだろう。それは、現象界からは不可視の存在であるが、現象創造の超越的根源ということになる。
 超越円(言わば、イデア・サークル)から可視の螺旋的現象界が形成されるということになる。
 そう、一見、超越軸と現象第三軸は重なるように見えるが、やはり、根本的には別物である。
 つまり、こう言ってもいいだろう。超越軸z軸と現象第三軸は表面的には重なるが、それは、見掛け上のことに過ぎないのであり、両者はまったく別個のものとして存在するのである。(追記:そのように区別したものの、凸j*凹j⇒凸(+1)であるから、media pointにおいて、両者は重なることになるだろう。思うに、media pointは、この重なりにおいて、超越軸の情報を受け取り、それを物質化するのである。そう、いわば、超越情報[イデア情報]を受け取り、それを物質・現象的に具現化すると考えられる。)
 さて、そういうことで、超越円(イデア・サークル)から螺旋形状が形成されるが、それは、黄金比を基本的にもっていると言えよう。だから、五芒星形がなんらかの超越円において、形成された可能性が考えられる。(ピュタゴラス派)
 そうすると、超越軸には何らかの超越的意志が考えられないだろうか。超越的意志によって、現象形成が決められているのではないだろうか。
 しかし、そのように考えると、超越軸を超越した超-超越界を想定する必要があるのではないだろうか。
 この問題は難しいので保留しておき、一応、超越軸における超越円の創造に留めておきたい。
 最後に凸jと凹jについて簡単に考察してみたい。凸iが光、凹iが闇ならば、凸jは原光、凹jは原闇ということになるのではないだろうか。
 原闇と原光が共振して、闇と光の宇宙世界が生まれる。
 原闇が原母であり、原光が原父ということになろう。
 問題は、原父が主導的な場合である。最初期は、原母が主導性をもっていたと考えられるが、あるとき、原父が主導的になったと思われる。
 もし、原父が決定的に自身を原母に押し付けるならば、凸j*凹凹j⇒凹(−1)となり、それは、質料となるのではないだろうか。
 一神教がこのような性格をもっていると考えられる。そう、原母を質料化して、卑賎化するのである。「父」が上位であり、「母」が下位である。そして、それの極端化したものがユダヤ教、ないしは、旧約聖書であり、「母」はほぼ不在となっているのである。
 ここで簡単に日本神話について触れると、それは、原母による原父との共振による現象創造を語っていると思われる。
 天之御中主神とは、原母と原父との共振を意味するのではないだろうか。そう、超越的media pointである。
 そして、高産霊神と神産霊神は凸iと凹iを意味するのではないだろうか。
 では天照御大神とは何であろうか。それは、超光であろう。単に光ではなく、原母と原父との共振、光と闇との共振による超光を意味しよう。
 マニ教の光はそれであろうし、アフラ・マズダ、キリストもそれであろう。
 今はここで留める。後で、再考したい。



凸(+1)を転換点とする脱物質体化・差異共振純粋超光過程

テーマ:映画ThriveのトーラスとPS哲科学

映画THRIVEのトーラスとPS理論:その2:上部から下部への動き
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11242890795.html

以上において、次のように述べた。

「少なくとも、凸(+1)は転換点、折り返し点、回帰点と考えられる。
 超光エネルギーは宇宙を形成し、凸(+1)に到達するのであるが、その後の問題である。
 今、直観で言うと、凸(+1)までの動きは春から夏への成長の動きである、しかるに、凸(+1)から凹(−1)への外皮上の動きは秋から冬の動きである。言い換えると、生から死への動きである。つまり、成長から衰退への動きである。しかし、この衰退は内的成熟への動きである。そう、外的成長から内的成熟への動きである。
 思うに、簡単に言えば、超光エネルギーの衰退があり、それが、外皮的動きとなっているのではないだろうか。物質体の衰退であるが、内的「精神」の成長である。」

映画Thriveのトーラスにおける、上部極から下部極へ移動し、言わば、外殻、外皮、外面形成する力動について、それは、超光エネルギーの衰退を意味すると述べたが、それはある意味では正しく、ある意味では間違いである。
 というのは、螺旋的、乃至は、黄金比(白銀比もおそらく入れられよう)的物質体(身体)形成は確かに、そこ(凸[+1])からは衰退するから、それは、それまでの超光エネルギーから見ると、超光エネルギーの衰退を見ることは可能である。
 しかしながら、視点を変えてみると、凸(+1)に到達した、超光エネルギー、乃至は、差異共振エネルギーは実は、螺旋的物質体(身体)形成過程(Aプロセス)から脱螺旋的物質体(身体)過程(Bプロセス)へと転換するのではないだろうか。
 つまり、Aプロセスは同一性物質化を伴っていた、Bプロセスにおいては、同一性的物質化が消滅して、純粋な差異共振化、超光化が発生するのではないだろうか。これを聖霊プロセスと呼んでもいいだろう。
 つまり、超光エネルギーは衰退するのではなく、ただ、変態したと考えられるのである。喩えれば、蛹から蝶へと変態するようなものである。そう、それをヒントにして言えば、プシュケー・プロセスとも言えよう。
 思うに、それは、超越軸、超越界、神霊界、霊界における差異共振による超光形成と重なるように思えるのである。だから、聖霊プロセスなのでもあるが。
 結局、Bプロセスは物質体・身体形成としては衰退過程であるが、精神形成としては成熟過程である。
 さて、問題は、Bプロセスがどうして、凸(+1)からリンゴや梨のような外殻、外皮、外面である湾曲した球面を辿り、凹(−1)へと進行するのかである。その力学はどういうものか。
 これは単純に、磁界を考えればいいのではないだろうか。即ち、凸(+1)をN極とし、凹(−1)をS極とするのである。磁力がN極からS極へと作用するのであり、それとほぼ同様なことが、Bプロセスに起きている考えればいいのではないだろうか。
 つまり、下部極から上部極の螺旋的物質体化過程(Aプロセス)の方向、即ち、凹(−1)から凸(+1)への実軸x軸の左方から右方への方向を、純粋超光は取ることがもはやできないのであり、つまり、言わば、内的な方向を取ることはできないのであり、そのため、外的な方向を取ることになると考えられるのである。
 しかしながら、内的方向とは実は、外的物質体化の過程であり、外的方向とは内的精神化の過程であるというパラドクシカルな意味合いをもっているのである。
 しかし、外的方向=内的精神化の過程=Bプロセスは、凹(−1)という物質が終点であり、それは、死を意味すると言えよう。だから、その意味では、衰退消滅の過程なのである。純粋超光、純粋差異共振はそこで終了するのである。
 とは言え、それは、新生の過程に入ることである。新たな螺旋的物質体(身体)の過程に入ることになるからである。輪廻転生である。即ち、 凹(−1)の物質において、純粋超光、純粋差異共振、純粋精神を宿していた物質体・身体は消滅すると考えられるが、そのとき、純粋超光、純粋差異共振、純粋精神は完全に脱物質化するのであり、それは、超越軸=超越界=神霊界=霊界に帰還すると考えられるのである。
 そう、凸(+1)において、脱物質化すると言ったが、それは完全な脱物質化ではなく、脱物質化のプロセスの開始を意味するのであり、完全な脱物質化は、凹(−1)の物質において、為されると考えられるのである。説明すると、凹(−1)の物質とは無機的な物質、いわば、鉱物のようなものであり、生命的有機体はそこには存しないと考えられるのである。
 今はここで留める。


resurrectionのブログ

(THRIVE Japanese) スライブ―いったい何が必要になるのか - YouTube
► 132:03► 132:03

www.youtube.com/watch?v=yp0ZhgEYoBI2012年4月5日 - 132分 - アップロード元: ThriveMovement
http://www.thrivemovement.com/ 詳細は http://www.thrivemovement.com/ まで 『 力強い成長』のDVDご購入を http://www ...
http://www.youtube.com/watch?v=yp0ZhgEYoBI


2014年11月04日(Tue)▲ページの先頭へ
学ぶことを忘れたのが亡国の原因?:読書は読智である:脱日本一神教原理:新多神教・新陰陽原理へ
学ぶことを忘れたのが亡国の原因?:読書は読智である:脱日本一神教原理:新多神教・新陰陽原理へ

テーマ:哲学philosophy:ソフィアへの愛

私の両親は無学であった。読書をしなかった。農薬を使う野菜農家であった。父は胃ガンでなくなった。
 思うに、読書とは、読智なのである。知恵を得ない読書ならば、それは、皮相な読書である。知恵とは自分に役立てることである。内的、外的に実践的である。
 日本人は知恵を捨ててきたと思う。
 傲りがあると思う。知恵に対する冒瀆があると思う。
 それは、やはり、父権自我から来ていると思う。
 再論するが、西洋文化とは、二重文化であり、基層には、母権文化があり、その上に父権文化が支配しているのである。だから、常に、両者の対立と対話が為されるのである。そこで、知恵が生まれるのである。それが、哲学である。古代ギリシアから哲学の伝統が西洋には流れているのである。
 日本において、母権文化が衰退してしまっている。
 これは、やはり、明治維新と敗戦後の被占領体制に因るだろう。
 それまで、日本文化は東洋文化であり、中国、インド、韓国・朝鮮の文化を基礎としてきたのである。
 中国文化には、基層に母権文化があるし、インドもそうである。
正に、陰陽文化がそうである(ただし、『易経』は父権化されて解釈されている)。
 これを似非近代日本は否定したのである。つまり、自己否定したのである。端的に、脱亜入欧である。しかし、この欧米文化の輸入は、父権的であり、母権文化を見ていなかったと思う。
 とまれ、伝統を否定する極端な在り方が「近代」日本で生じたのである。これこそ、自虐的であるが。
 そう、バランス、均衡を失ったのである。
 いったい、この極端な自己否定的な「近代主義」とはどこから発するのだろうか。 
 これは、一神教の発想に近いと思う。
 私見では、国学の神学によっているのである。
 国学は、神道を一神教化したのである。
 国学神学が「近代」日本を支配しているということではないだろうか。一神教支配である。
 どうも、これが、日本の自己否定原理であるように思えてきた。
 本来、多神教である神道が一神教化されたのである。ここには、日本父権民族の視点があると思う。(やはり、日ユ同祖論を支持したくなる。)
 一神教は、非常に危険である。それは、帝国主義原理になるのである。キリスト教は本来は三位一体で、多義的であるが、一神教的に解釈されてきたのである。
 今の結論として、脱一神教化、脱国学神学であり、新多神教、新陰陽原理を提唱したい。
 ついでに、ハイデッガーのきわめておもしろい本を推奨したい。これは、主著の『存在と時間』より、ずっと優れていると思えるのである。わかりやすいのである。解説書は返って、深遠にしてしまっている。ハイデガーの説く「存在」は明快である。

追記:智は光であり、智のない人間は闇が支配している。闇の無智から智光へ。


形而上学入門 (平凡社ライブラリー)/平凡社

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文芸空間 ハイデガー『形而上学入門』
literaryspace.blog101.fc2.com/blog-entry-27.html


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* 類似ページ

2007年5月15日 ... 「2ちゃんねる」系のページのことである。 女子高生の書いたページにリンクを張って、
話題にしていた。 女の子のピースをした顔写真。 黒を基調とした背景。 短い言葉、
ほんの数文字で書かれた自己紹介。 大きく取られた余白に、殺とか狂とか ...

マルティン・ハイデッガー - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/マルティン・ハイデッガー


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マルティン・ハイデッガー(Martin Heidegger、1889年9月26日 - 1976年5月26日)は、
ドイツの哲学者。ハイデガー、ハイデカーとも表記される。エトムント・フッサールの現象
学の他、イマヌエル・カントからゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルへと至る ...


2014年10月26日(Sun)▲ページの先頭へ
新エクソダス:森モーセは誰?:脱旧日本:何処へ?:聖霊=こころの国へ?
新エクソダス:森モーセは誰?:脱旧日本:何処へ?:聖霊=こころの国へ?

テーマ:日水湖宮(ひみこく);新国名:水瓶座時代

ヘブライ人が、囚われ人であったエジプトから脱出したように、真・森日本人は、エクソダス(脱旧日本)が必要である。
 でも、何処へ?
 聖霊=こころの森国へである。
 とにかく、鈍愚の集群農耕民族と狂魔の日本父権民族の旧日本からの脱出である。
 死者をして死者を葬らせよ!

追記:結局、薬局、総局、黙示録の時代には、人間の質的レベルが生じるのである。劣化・退化した日本人は地獄落ちである。
真・森の日本人は、ガラパゴス化した旧日本から脱出すべきである。かかわるべきではない。滅びるものは滅びるのである。
 イエス・キリストの教えは正しい。
新しい葡萄酒は新しい皮袋に入れよ。

追記2:結局、薬局、総局、垂直の二つの世界があるのである。あるいは、位階の二つの世界があるのである。
 高次元の世界と低次元の世界である。魂の世界と物質・自我の世界である。旧日本人は、後者に属する俗凡人である。
 しかし、今や、高次元の世界が開けたのである。
 旧い日本とはおさらばである。魂霊の世界が到来したのである。

マルコ福音書講解 13
ha3.seikyou.ne.jp/home/tenryo/mark_013.htm


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21 だれも、まださらしてない新しい布を、古い着物に縫いつけはしない。そんなことを
すると、新しい継ぎ布が古い布を引き裂き、破れはさらにひどくなる。 22 まただれも、
新しい葡萄酒を古い皮袋に入れはしない。そんなことをすると、葡萄酒が皮袋を引き裂き
、 ...


2014年10月25日(Sat)▲ページの先頭へ
検討問題:不連続的差異論は何を解放し、何を未分化に残したままか:悪魔は生命を憎む?
検討問題:不連続的差異論は何を解放し、何を未分化に残したままか:悪魔は生命を憎む?

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

今日は、いろいろ閃いたが、余裕がないので詳論できない。
 一つは、不連続的差異論の問題で、何を解放し、何をまだ未分化に残しているかということである。 
 一つは、悪魔は生命を憎悪するという問題である。
 前者について簡単に触れたい。
 不連続的差異論は、陽(自我)と陰(魂)を分離した。
 しかし、何をまだ、分離していなかったのか。
 陽凸iと陰凹iを分離したものの、陰凹iと+1を分離しなかったのではないだろうか。言い換えると陽凸iと−1(自我)と陰凹iは分離したが、陰凹iと+1の生命欲が分離しなかったのではないだろうか。
 思うに、−1が頭脳自我であり、+1が身体生命である。
 そうならば、陰凹iと+1のさらなる分離が必要である。これは、言うならば、非連続的不連続的差異論である。これは、氣的身体論ないし中丹田的氣的陰陽バランス論が必要である。D.H.ロレンス的に言えば、王冠=聖霊的陰陽均衡論である。
 聖霊は私の用語では、「こころ」である。
 とまれ、氣的聖霊的陰陽均衡論が必要だと思う。
 それによって、陰凹iと+1の生命欲が分離されて、純粋化するのである。いわば、二重現象学的還元である。
 とまれ、二つの不連続化が必要ということになるのである。
 二重不連続的差異論である。
 また、先に次のように書いた。以下の赤線下線部を見られたい。


死の欲動は過剰自我の破壊的衝動?:金儲け主義には魔が取り憑く
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11942873265.html

追記:陰陽方程式凹i*凸i⇒±1、または凹i*凸i⇔±1であるが、死の欲動は、⇒−1なのか、それとも、⇔±1の←の方向なのか。
 父権的自我は⇒−1で説明がつくだろう。では、←±1とは何か。それは、根源への回帰の志向である。
 ⇒±1は、フロイト的に言えば、エロスの衝動であろう。セクシュアリティの衝動であろう。生命欲である。
 しかし、⇒−1の自我欲があるので、⇒±1は、自我的生命欲である。
 問題は、やはり、←±1の←のベクトルの意味である。
 どうも、これこそ、死の欲動ではないだろうか。⇒−1は自我欲であり、確かに破壊的であるが、必ずしも、死の欲動ではないだろう。
 わかりやすくするため、破壊の欲動を⇒−1とし、死の欲動を←±1としよう。
 思うに、死の欲動とは宗教衝動ではないだろうか。根源の太極・陰陽へと回帰する衝動のように思われる。
 プラトンのエロースもそういうものではないだろうか。
 いわゆる、霊や精神というものも、ここに存するのではないだろうか。例えば、バッハの音楽は、まさに、ここを根源にしているのではないだろうか。
 ←±1の←の先には、いわば、太極・陰陽霊があるだろう。これは、普遍的にすべての宗教に共通するのではないだろうか。
 思うに、この死の欲動=宗教衝動=霊的衝動をコントロールする必要がある。そうでないと、まさに、破壊的にはたらくと思う。なぜなら、これは、地上で目的が見つからないからである。破滅的衝動となるだろう。
 作家、芸術家が破滅的になる傾向があるのは、この欲動があるからと考えられる。
 一般の人は、⇒±1の自我的生命欲衝動で生きているのであり、←±1の形而上学的衝動を抑えていると思う。
 問題は、←±1の衝動と→±1の衝動のバランスをとることである。言い換えると、精神と身体のバランスをとることである。
 最後に現代の破壊の衝動であるが、これは、⇒−1の父権的自我の衝動とみる。
 しかしながら、発出しだした、根源回帰衝動を否定しているので、反動状態になっているのである。この反動が凶暴(狂暴)性をもたらしていると考えられる。
 父権的自我の反動的暴力衝動である。それが、銭葬夜の破壊主義と考えられる。


 どうも、それは間違いである。「地上で目的が見つからない」というのは間違いである。
 実は、二重不連続化(一次・二次的不連続化)によって、陰凹iと+1が分離することによって、地上における他者が見つかるからである。一次的不連続化では、他者が自己生命欲と未分化で、いわば、利己的になるのである。盲目なのである。
 しかし、二次的不連続化を経ることで、地上の他者が生じるのであり、いわば、理性が生じるのである。地上の他者との共生が生じるのである。
 思うに、そのとき、陽凸iの「自我」であるが、それは、いわば、共我ないし共自我というべきものではないだろうか。他者とともにある自我であるからである。
 今はここで留める。


こころは森林、樹木と氣によって共振・共鳴・共感している
こころは森林、樹木と氣によって共振・共鳴・共感している

テーマ:復活の森:森へ還れ:グリーンマン森共同体

東洋哲学は、端的に、氣の哲学である。
 これを、明治維新の脱亜入欧は否定した。戦後はさらに輪をかけた。
 確かに、唯物科学からすれば、氣とは迷信・迷妄に過ぎない。
しかし、しょせん、唯物科学も仮説である。絶対ではありえない。
 不思議であるが、どうして、西洋の作家・芸術家は、氣を説かなかったのか。想像力を説いたが、氣は説かなかった。
 ところで、想像力であるが、それは、像在力というのが的確と思うのである。像在力、これは、夢のイメージ力でもある。
 今日、知性中心主義であるが、それは、この点が欠陥であるのである。像在力を欠落した知性は、単に、抽象的知性に過ぎない。像在力をもって具象的知性になるのである。そして、これが、真の哲学的知性だと思うのである。そう、芸術的知性とも言える。哲学的知性は芸術的知性と一体ではないだろうか。
 後で、精緻に検討したい。

追記:キーポイントを言わなかった。想像力は像在力とすべきであると述べたが、像在力の本体は氣であると考えるのである。いわば、氣像力でもある。
想像力=像在力=氣像力
という図式になる。




日本宗教革命:超越神としての神々

テーマ:日本復活の新福音:吉祥、朗報、吉報

私が西洋の宗教に接して、もっとも驚いたのは、その神が超越神であるということである。一神教ということより驚愕した。
 私はそれまで、内在的に宗教を理解してきた。
 しかし、端的に、西洋の神は超越神なのである。あるいは、一神教の神は超越神なのである。
 超越という観念が日本人にはおそらくピントこないだろう。
 超越とは自我の理解を超えるということである。これは、実は、他者の観念に通じるように思われるのである。
 内在観念では、連続的になり、自我を介した他者理解になると思う。
 もっとも、内在観念であるが、不連続的差異論を介すると、そこには、不連続的他者(差異)があるのである。
 この不連続的他者であるが、これは、実は超越性に通じていると思うのである。何故なら、自我とは関与しないからである。純粋他者である。つまり、超越的他者である。
 キリストの隣人もこの超越的他者と言えよう。

追記:超越的他者とは、コスモスと感じられたのである。
 それは、氣的宇宙ということである。
 しかしながら、今では、それが静まって、個的肚になっている。
 そう、地上的コスモスになったのである。外的他者との共在性になっているのである。
 では、コスモス感性はどこに行ったのであろうか。
 もう、かなり長い間、コスモス感性は失せているのである。
 思うに、外在的コスモス感性が消えて、今や、内在的コスモスとしての内在且つ外在的他者になっているように思う。
 コスモス感性は多様な個々の世界の知覚へと変容したように思うのである。





死の欲動は過剰自我の破壊的衝動?:金儲け主義には魔が取り憑く

テーマ:放射能汚染と闘う知恵:光合成細菌、乳酸菌

人間は言わば、自我の動物である。自我は、他の生物にはないだろう。
 そう、自我の動物というよりは、自我が発達し過ぎた動物である。
 仏教は自我を否定したが、否定できるものではない。(因みに、キリストの教えは、無私の愛ではない。自我を肯定した、共感的精神、生命的精神である。「イエスは言われた。『わたしは復活であり、命である。
わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたし
を信じる者はだれも、決して 死ぬことはない。
このことを信じるか。』マルタは言った。
『はい、主よ、あなたが世に来ら れるはずの神の子、
メシアであるとわたしは信じております。』
(ヨハネ福音書11:17-27)
ヨハネ福音書から・・・・ラザロの死と復活 - nifty )
 自我が過剰になると、憎しみ、憎悪、嫉妬、怨恨、悪意、殺意、等の破壊・攻撃的衝動が生まれると思う。
 戦争の原因は、端的に、この自我過剰性にあると思う。父権的自我がそのような性向をもつのである。悪魔的自我である。
 とまれ、今日のゾロアスター教的黙示録的状況において、知恵をもって切り抜けないといけない。
 とまれ、原発主義は、自我過剰主義に因るのであり、生命破壊的である。そう、死の欲動に取り憑かれているということではないだろうか。
 なにか。今の日本は、死の欲動に捉えられ、自壊自滅へと向っているようだ。

追記:陰陽方程式凹i*凸i⇒±1、または凹i*凸i⇔±1であるが、死の欲動は、⇒−1なのか、それとも、⇔±1の←の方向なのか。
 父権的自我は⇒−1で説明がつくだろう。では、←±1とは何か。それは、根源への回帰の志向である。
 ⇒±1は、フロイト的に言えば、エロスの衝動であろう。セクシュアリティの衝動であろう。生命欲である。
 しかし、⇒−1の自我欲があるので、⇒±1は、自我的生命欲である。
 問題は、やはり、←±1の←のベクトルの意味である。
 どうも、これこそ、死の欲動ではないだろうか。⇒−1は自我欲であり、確かに破壊的であるが、必ずしも、死の欲動ではないだろう。
 わかりやすくするため、破壊の欲動を⇒−1とし、死の欲動を←±1としよう。
 思うに、死の欲動とは宗教衝動ではないだろうか。根源の太極・陰陽へと回帰する衝動のように思われる。
 プラトンのエロースもそういうものではないだろうか。
 いわゆる、霊や精神というものも、ここに存するのではないだろうか。例えば、バッハの音楽は、まさに、ここを根源にしているのではないだろうか。
 ←±1の←の先には、いわば、太極・陰陽霊があるだろう。これは、普遍的にすべての宗教に共通するのではないだろうか。
 思うに、この死の欲動=宗教衝動=霊的衝動をコントロールする必要がある。そうでないと、まさに、破壊的にはたらくと思う。なぜなら、これは、地上で目的が見つからないからである。破滅的衝動となるだろう。
 作家、芸術家が破滅的になる傾向があるのは、この欲動があるからと考えられる。
 一般の人は、⇒±1の自我的生命欲衝動で生きているのであり、←±1の形而上学的衝動を抑えていると思う。
 問題は、←±1の衝動と→±1の衝動のバランスをとることである。言い換えると、精神と身体のバランスをとることである。
 最後に現代の破壊の衝動であるが、これは、⇒−1の父権的自我の衝動とみる。
 しかしながら、発出しだした、根源回帰衝動を否定しているので、反動状態になっているのである。この反動が凶暴(狂暴)性をもたらしていると考えられる。
 父権的自我の反動的暴力衝動である。それが、銭葬夜の破壊主義と考えられる。


◆2014/10/22(木) 木下は 消されて当然!と 得意顔



問題は…、何の挨拶もなく、ブログの全てが、突然、削除された!ということ。これは、まこと、尋常なことではない!

ところが木下黄太は、「ブログをやめたのは当然の成り行き…」とかと、まことに冷酷な口調なのだ。
ためしに、木下黄太のこの冷酷な文章 を読んでみて下さい。

「東京から脱出しろ! 」 と叫ぶだけで、本心は反原発系が憎い!という木下黄太の本性(読売のウラパシリ)が見えてくるから…。

さらに…、
「反原発系のブログなど消えて当然!」といった木下黄太の物言いに、「反原発系のブログなどは消してしまえ!」という読売的な殺意を感じる人もいるだろう。

同時に…、
反体制的な言論を冷酷に封殺し謀殺する警察官憲の足音も…。
にっぽんよ おまえは いったい どこまで いくんだい?


飯山一郎のHP

1.「悪霊」ドストエフスキー
www.geocities.jp/gaimutorisimariyaku/bun1.htm


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* 類似ページ

そして、それは悪霊たちがたくさんの豚(マルコ伝では二千匹と言われる)にそれぞれ
入っていったという記述からもみてとれる。 ... 悪霊どもが豚の中に入る許しを願うと、
イエスはお許しになった。33)悪霊どもはその人から出て、豚の中に入った。すると、豚
の ...


ご注意あれ!「自然死の尊厳を守る」とは、マネーのための意図的な戦争・疫病は排除だが、放射能・電磁波・食品汚染での人口減は黙認のようです。

こんにちは。名古屋・大阪では、人類史の構造変換が始まったことを話しました。

FRBに戦争屋がいて、そこが、意図的な戦争や疫病で人口減を引き起こしながら、これまでの金融資産を維持するやり方に対し、17万トンの金塊を管理する側(王族会議)が、ノーをつきつけ、方向転換させましたが、

重要なことは、その王族会議や華僑系グループ自身も、個人としては、米ドル建てでの金融資産を持っていること。 この資産を活かして、平和で快適な世界を作ろうとしていることです。

ここには、二つ大きな意味があります。  

 @米ドル建ての金融資産があるということは、米ドルをミスミス無価値することはないということ。 

 A平和で快適な世界といった場合、犯罪に関して厳しい管理社会になることと、人口減を歓迎するということ。
新井信介 「京の風」




あたらしい日の国へ向けて:New Dawn

テーマ:日水湖宮(ひみこく);新国名:水瓶座時代

今年は、私にとって試練の年であると述べたが、苦境から脱出しつつあると感じる。運気も向上している。
 陰陽論を知っていると、悪いことも、良いことに転ずることの理解ができる。経験的には、それはわかるのである。悪⇒善である。
 陰陽論は基本的に他者に寛容である。では、悪に対してはどうかというと、勿論、悪は批判するが、実は、悪には、そのパラドクシカルな役割があると思う。
 ユダヤ教文化は、今日では悪であるが、それは、物質・軍事科学をもたらしたのである。ネットもコンピュータも、それがなければ、存在しなかったであろう。
 悪を批判しつつも、肯定できること、これは、達人の精神である。そう、これは、端的に、キリストの教えである。
 しかしながら、今日、日本人の内在的悪は極まっている。とりわけ、権力層である。
 今日、多極化路線がメインストリームであり、日和見主義の日本権力層はそちらに赴くだろう。千争邪を裏切るだろう。
 いい加減な日本父権主義は、多極化路線へ移行するだろう。





Wed, October 22, 2014
「歩く」とは「在るく」?:森氣浴清掃散策のせいか快腸快便だ

テーマ:健康&治癒:森気浴:医食同源:小食菜食

今や、散策にベストシーズンである。
 昨日も、夕方であるが、数時間過した。蚊がいないのは、実に幸いである。
 散歩は1時間ほどした。やはり、歩くことが大事である。今の考えでは、散歩とは、身体の揺動である。これは、陰陽共振をもたらすのではないだろうか。陰陽共振とは正に、生命エネルギーの賦活と考えられるのである。
 じっとしていることは、陰陽共振が生じないので、陰気になるのである。
 そう、音楽が生命的なのは、律動・リズムという陰陽共振があるからだろう。
 そう、昨日思ったのは、聴覚は闇である。視覚は当然、光の世界である。現実においては、視覚優位である。しかし、聴覚は音楽は視覚、光より深いと言えよう。
 私は視聴覚人間であるが、どちらが強いだろうか。
 私は音楽人間であるが、意外に、視覚人間である。見た目で、人間を判断するのである。
 思うに、音楽は植物的であろう。視覚は動物的ではないだろうか。
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Wed, October 22, 2014
「死の衝動」とは何か:フロイトの「死の欲動」(「死の本能」)

テーマ:生命力とは何か:氣と小食と腸内細菌

PS陰陽論は、生命の理論(仮説:もっとも、すべての理論は仮説である)であるが、どうしても、「死の衝動」というべきものがあるように思う。
 確かに、生への志向があれば、死への志向があるのは、バランスから正当である。
 これは、陰陽方程式凹i*凸i⇔±1における←の方向ではないだろうか。つまり、凹i*凸i←±1ではないだろうか。
 凹i*凸i⇒±1が生の方程式なら、凹i*凸i←±1は死の方程式ではないだろうか。
 ならば、死の方程式の力学はどう説明できるのだろうか。
 直観では、作用反作用の力学で説明できそうである。
生の方程式が作用なら、死の方程式は反作用である。
 しかしである。生の志向自体が、天への志向ならば、それは、同時に、死への志向ではないだろうか。つまり、生即死である。
 あるいは、光即闇である。
 太陽即暗い太陽である。
 私は若いとき、真夏の海岸で体験した太陽は、暗い太陽である。陽光は闇である。
 言い換えると、生への欲動と死への欲動が同時に生起するのではないだろうか。
 生きるとは死ぬことではないだろうか。
 セックスは、一種の死であろう。ニルバーナへの回帰だろう。
 とまれ、方程式に戻ると、作用反作用では、生と死は均衡が取れていて、それだけでは、生への欲動が死への欲動より強いことが説明できないだろう。
 思うに、陰陽において、陰の方が陽より強いのではないだろうか。そうならば、生への欲動が死への欲動よりも強いことが説明できるのである。つまり、陰>陽である。
 そうならば、ダークマターが多いというのの説明できよう。
陽=原光より、陰=原闇が強いということである。
 陰陽論は当然、そういう含みがある。
 初めに、玄牝ありきである。
 後で、より哲学的に深めたい。
 

1.
デストルドー - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/デストルドー


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* 類似ページ
患者はしばしば「死にたい」という言葉を発するが、「死の本能」でなく「死の欲動」と訳す
ことにより、「死にたい気持ちに駆られる」と言わしめるもの、フロイトが「生の欲動」「死の
欲動」の二元論で説明しようとしたものは臨床現場で頻繁に聞かれる「死にたい気持ち」
...
2.
死の本能 とは - コトバンク
kotobank.jp/word/死の本能


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* 類似ページ
世界大百科事典 第2版 死の本能の用語解説 - S.フロイトの用語。正確には〈死の衝動〉
ないし〈死の欲動〉。フロイトの本能論は,本能の内容は理論的展開とともに変わってい
ったが,つねに二つのものを対立させる二元論である点は変わらなかった。〈死の本能〉
...


2014年10月13日(Mon)▲ページの先頭へ
二つの西側:賤民資本主義的西側と社会的資本主義の西側
二つの西側:賤民資本主義的西側と社会的資本主義の西側

テーマ:賤民資本主義と共同体的資本主義

千争邪に支配された西側と社会的資本主義的西側があると言えよう。二重構造である。当然、米国もそうであるが、前者が優勢的である。
 ノーベル賞を宣伝に使う「西側」は正に、賤民(パーリア)資本主義である。自分たちの利益さえ守り、かつ、拡大できれば、他者は利用するための手段に過ぎないのである。冷酷な利己主義である。
 ダブルスタンダードである。イデオロギーと利益を使い分けているのである。
 とまれ、賤民資本主義は、父権主義であり、専制・独裁主義であり、自己利益のためには、なんでもする「悪魔」、鬼である。
 とまれ、そこにあるのは、自我欲望主義である。利己のため、他者は道具、奴隷に過ぎないのである。つまり、封建主義である。
 さて、この見せ掛けと実体の二重構造=ダブルスタンダードであるが、これは、こころの欠落した父権主義的自我の所産と言えよう。これは、自分が生きるため、他者を利用し、破滅させるか、それとも、自分が死ぬかの発想である。妥協はないのである。「死ぬのは奴らだ」である。
 これは、哲学的には、二項対立原理である。(ポスト・モダンはこれを批判したが、現実的には無力である。)
 それに対して、母権主義とは、対極性原理、陰陽原理である。
 それは、他者との共立を志向するのである。
 宗教的に言うと、ユダヤ教的民族主義に対して、キリスト教は、母権主義をもたらしたのである。しかし、結局、ユダヤ教的父権主義がキリスト教を支配してきたのが、西洋文明の歴史である。
 とまれ、父権主義=賤民資本主義の「西側」の欺瞞・偽善性に気付かないといけない。
 ただし、社会的資本主義の「西側」は忘れるべきではない。
 そう、こういうことである。社会的資本主義の作ってきた、民主主義や自由主義を賤民資本主義はイデオロギー、見せ掛けとして、利用しているのである。
 端的に言えば、言葉のもつ、いわば、魔術を利用して、賤民資本主義は、他者を利用するのである。
 そう、言葉は、単に、形式的容物に過ぎず、その形式は空虚なのである。しかし、その空虚な形式が、言葉の受容者に、魔術的に実体を想起させるのである。言葉の幻惑力、幻想力が作動するのである。
 とまれ、言葉は魔法・魔術である。あるいは、言葉はペテン、詐欺である。
 政治家はそれを知っている。愚民が引っかかるのである。
 さらに言えば、騙されるその他の理由は、他者を信じていることである。騙さないだろうと思っていると、言葉のマジックに引っかかるのである。
 今日の文明は父権文明であり、騙しの文明である。賤民資本主義の文明である。
 しかし、言葉がマジックにしろ、賤民資本主義が気付かない現実があるのである。それは、お金、資本である。賤民資本主義は拝金主義であり、お金が富を産むと思っているのである。
 これが、最大の誤謬である。お金は言葉と同じである。空虚な形式である。形式は形式を産むに過ぎない。
 言葉の魔術を利用するが、お金の魔術に騙されているのが、賤民資本主義である。


参照:

「ノーベル賞に西側支配層の宣伝機関としての役割があることは否定できない。学問分野の評価もそうだが、醜悪なのは平和賞。」(櫻井ジャーナル) (10/12)

詐欺師ほど耳ざわりの良い美しい言葉をつかう。
その美しい言葉を簡単に信じてしまい、ケロッと騙される…。これが一般的な日本人の傾向だ。

「核の平和利用」、「ノーベル平和賞」から、「秘伝の乳酸菌!(わずか8000円!)」まで、まったく疑いもせずにコロリ、コロリと騙され続けてきた日本人…。

ま、下の文章と、本文をよ〜〜く読んで、目からウロコを落として、少しは賢くなりましょう!
(だっけど、ココ(『文殊菩薩』)は賢いヒトしか読まないからな〜 www)

「ノーベル賞に西側支配層の宣伝機関としての役割があることは否定できない。学問分野の評価もそうだが、醜悪なのは平和賞。」
(飯山一郎)

『文殊菩薩』


参考:
『古代ユダヤ教』M.ウェーバー(2) - きおくのきろく

『古代ユダヤ教』
マックス・ウェーバー
岩波文庫

●対内・対外道徳の二元主義

 隣人愛は古代ユダヤ教でもあったが、それはどうもすべての隣人ではなく、同じ宗派仲間を意味していたらしい。

隣人とは常に民族共同体員であるか、宗派的仲間なのである。このことは、「(隣人を)自分のように愛すべきだ」という心情倫理的説教においてもあてはまる。説教の道徳的内容は「兄弟」のみにかぎられていた。

では、宗派仲間以外の他者についてはどうなるのか。そこに、共同体の境における対内・対外道徳の二重化が発生する。たとえば、「兄弟」からは利子をむさぼってはならないが、それ以外の他者からの利子は許容されるとか。ここが、いわゆる「ブロテスタンティズム」の経済倫理と決定的に相違したことをウェーバーは強調する。

プロテスタントのピューリタニズムにとっても、同じ宗派仲間ではない者はやはり「神なき者」であることにかわりはないのだが、それに対して、どのような態度をとったかというと、

彼らはまさに「神なき者」との経済交渉において、ごまかしたり、だましたりするかわりに、合法的で正直で公明であった。彼らは固定価格の制度を遂行し、たとえ子供が買い物に来てもやはり公正価格で公正な商品を常に手渡した。預金もクレジットも彼らにおいてはまさに一般的な「信用」が出来たこと、だからこそ「神なき者たち」の多数が彼らの商業金庫や実業家の顧客となった。要するに、宗教的に制約された、優越せる経済的エートスをもっていたおかげで、「正直は最上の政略」という原則に従って、神なき者たちとの競争に勝った、ということである。

こうしたことはアメリカ合衆国においては、つい2、30年前までは中産階級の現実のエートスとしてそのまま体験することができたものなのである。

それに対して

ユダヤ教の場合は、これと相違した。経済的対外関係の倫理的合理化へと導く救済論的な動機づけが欠如していたからである。

ユダヤ人たちが特に通暁したのは、貨幣高利貸しや商業とならんで、国家・掠奪資本主義であり、これこそピューリタニズムが徹底的に嫌悪したものである。

ウェーバーはユダヤ民族が「客人民族」であったことを強調する。「客人民族」とは現地における部外者民族という意味で、ディアスポラ以降、国を失った彼らの置かれた必然的な状況なのである。

ブロテスタンティズムの「世俗内的禁欲」は、自己修養・自己鍛錬・向上心、傲慢をひかえ謙虚に前向きに努力するような自己に対する態度と、勤勉・節約・蓄財を美徳とする経済倫理的生活態度(エートス)を生み出した。また自らの職業に対する研鑽の努力と献身は、職業を神からの「召命」としてとらえる独特の職業倫理から来たものである。つまり現世内で一定の職業を持ち、研鑽し、力量を高めることは、救済への確証を得る手段であった。

隣人の定義が自らのうちわだけの隣人ではなく、まさにおのれ以外のすべての他者を意味するように普遍化された時、万人に対して平等に通用する公正さこそ、神との契約を履行するものであるという宗教的信条をもつにいたったのである。このような経済倫理は法律で定められない以前は、ただ人々の生活習慣や個人的信条に基づくほかはないのであり、それは宗教の教えによって根本的に規定された。

「時は金なり」というフランクリンの言葉は、資本主義だからそのような精神が出てきたのではなく、上記のようなプロテスタンティズムが生み出した独特の職業倫理・労働倫理から来ているものなのである。つまり、彼らはカネのために働いたのではなく、働くことは信仰に基づく救済論的な意味合いをもつ行為だったのであり、勤勉であることは、救済の確証を得るための前提条件だったのである。そしてのこような宗教的倫理観念に基づいて、職業・労働の尊さや、勤勉であること、浪費しないこと、カネをためることが美徳とされるようになった。逆に、働かないこと、浪費することは悪ということになるだろう。

この美徳観念は現代でもわずかながら残っているように思える。しかしながら、もはや一般的に通用しているとは言い難いだろう。それは根本的には救済論的な動機づけがなくなったからである。つまり存在を主導的に導く理念と、それを信じつづけながら、それに従いつつ生きるという生活態度がなくなったからである。その救済論的な理念こそ、「人間」という名の共同体の理念であり、それを確信的にもつことが現世的な倫理観念を決定的に規定するのである。

プロテスタンティズムの倫理は実際資本主義の精神を生み出すきっかけになったであろうが、いつしか世俗内的禁欲の、経済的に合理的なエートスは、その宗教的な、倫理的に強固な地盤を失い、物質主義的な欲望の体系の資本主義的精神となっていった。
世俗内的禁欲における自己修養は自己を”武器にする”ことにかわり、向上心は常に資本主義的な”評価”を求める心に、謙虚に前向きに努力する態度はあくなき闘争心にかわって、この経済社会においてはむしろそれのほうが適合的なのである。確かにこのような精神は、われわれがそこで生き抜いていかなければならない資本主義経済社会によって規定されている精神である。

勤勉はたしかに美徳ではあるが、倫理的内発性によるものではなく、逆に勤勉でなければ生きていけないという、せっぱ詰まった外的・強制的な事情になっている。
経済的に合理的な生活態度は、生存のための必然性であり、欲求を満たす手段である。かつて神に忠実であろうとすることに地盤をもっていた合理的な経済的生活態度=エートスは、今では、資本に忠実であろうとするところの”賃金奴隷のエートス”と呼ばれるようになったのである。

ウェーバーが強調するのは、経済社会は人間にとって外から規定するような外的・強迫的なものではなく、むしろ人間が日常生活においてすでに実践しているところの、日々の経済的生活慣習によって規定される、そういう側面も必ずあるということである。そして、経済的生活慣習を主導する人間の価値観や倫理観念は、過去においては、宗教の強大な影響があった、ということである。

この宗教が倫理観念を通して規定する人間の生活態度や慣習・価値観が、その共同体の経済を合理化に導くか否かは、当の宗教自体にかかっている。

要するに、ユダヤ人たちがもっとも長い期間住んでいたオリエント、南ヨーロッパや東ヨーロッパ地域においては、古代・中世・近世において、特殊な傾向をおびた近代資本主義というものは発展しなかったのである。

西洋の発展におけるユダヤ人の関与は、本質的に彼らの「客人民族」としての特徴に基づくものであった。そしてこれは、ユダヤ人が自らの意志でおこなった遮断が、ユダヤ人自身に刻印づけた地位なのである。

ヤハウェは万人に理解可能な言葉を語り、また在来宗教につきものの「魔術的」な要素を排除していった点で、まことに理性的な神であった。しかし、のちのキリスト教と、そのまた宗教改革以後のキリスト教がもたらしたような経済的な観点での合理主義的な生活態度を、ユダヤ人たちが持たなかったのは、対内・対外道徳の二元主義にもとづくという。このダブルスタンタードが、共同体の境を越え、国境を越え、文明の違いを越えて万人に通用する行動基準や生活態度を生み出さなかった。それはユダヤ人自身がみずからの「純潔」を守るためにとった「遮断」が行き着いた先であり、彼ら自身が決断したことの結果であって、近代資本主義を最高の価値原理として前提しないならば、この決断は彼らにとってやはり合理的だったのかもしれない。

近代合理主義的な資本主義の「資本の論理」は、あらゆる民族・宗教・また思想・信条の壁を越えて貫徹する。
その意味でまことに合理的である。ただし、資本の論理においては、人間は労働力商品という商品として生き残るほかはないのである。そして商品として生き残るというのは、つまりは売れる商品でなければダメ、ということなのだが…。しかしそれも、資本主義的に見て、まことに合理的なことなのである。

このような状況において、「遮断」は神との契約を遵守する上で合理的な態度であったと思われる。むしろ、富を蓄えることによって、それが何らかの「救済」に結びつくものと発想することのほうが、宗教的に異質な感覚ではないだろうか。経済生活と信仰生活を切り離す態度のほうが、純宗教的に見える。だが、それは社会学的な立場からいうと非現実的なのだが。

人間の営みという観点において、宗教的な精神生活と物質的な経済生活をウェーバーは切り離さなかった。むしろ、経済生活にどれだけ宗教的な価値観が作用するかに重点をおいている。経済的な観点における合理的な生活態度は、自己に対しても他者に対しても平等に適用しえる態度、つまり「公正さ」を倫理観念にまで高めた。それは古代ユダヤ教において準備され、キリスト教、就中プロテスタンティズムによって、普遍的な倫理的価値に高められたのである。
http://blogs.yahoo.co.jp/leic523/35325084.html




日本の狂気は明治維新から始まり、戦争で亡国し、今日、狂気が昂じて、再び、亡国へ向かう

テーマ:総て出鱈目日本の元凶ヤハウェ父権自我悪魔

先に次のように書いた。

日本の狂気は、主語・主体なき日本語+農耕民族集団主義+父権民族に拠るだろう


この三つの中で、最大の原因は、三つ目の父権民族だろう。

 今は、簡単に指摘するが、明治維新までは、ベースの母権民族と上層の父権民族のなんらかの均衡があり、それが、伝統日本文化社会を形成してきた。

 しかし、そして、ベースの母権民族は神仏習合をもっていただろうし、母権民族と父権民族は、他者として、東洋文化をもっていた。決して、偏狭なナショナリズムはもっていなかったのである。

 しかし、国学の勃興とともに、尊皇攘夷が生じて、それが、父権民族と結びつき、明治維新を為すのである。

ここで、母権民族とその神仏習合文化と脱亜入欧で伝統を形成していた東洋文化が排除され、偏狭な夜郎自大なナショナリズムと官僚制国家主義が起ったのである。

 それによって、日本支配層は他者なき、傲慢・厚顔・妄想・独善・独断・無責任主義主義に陥ったのである。これが、日本似非近代の狂気であり、それが、今日に帰結しているのである。

 そう、確かに、主語・主体なき日本語や農耕民族の集団主義がそれに寄与しているのは、否定できないが、やはり、主因は、父権民族中心主義である。





シュタイナーの生命霊学とPS陰陽論の共通点:光と重力の対立は⇒+1と⇒−1の対立で表示できよう

画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11937952715.html

テーマ:霊学:シュタイナー精神学


以下、シュタイナーのエーテル(氣)的生命学はPS陰陽論ととても共通することがわかり、いささか驚いている。
 後で、説明したい。

●第6講(本文)

きょうはまず初めに、植物形成のプロセスそのものを、その宇宙的連関のなかに置いて皆さんにお見せすることから始めたいと思います。私たちが見てまいりましたように、人間においては、植物生成プロセスにおいて開示されているのとは逆のプロセスが、いわば機能的に働いています。従いまして、人間に対する植物界の直接の関係を見出すためには、この植物生成プロセスを少なくとも暗示的にここでご覧に入れておかなくてはなりません。皆さんが植物をご覧になると、植物はその形成プロセスにおいて、明らかに対立する二つの傾向を持っていることがおわかりでしょう。一方は地球に向かいます。そして昨日すでに暗示しましたように、いわば樹のような植物においては、その幹のなかに地球がいわばまくりあげられていて、そのため樹の場合、花は、ふつう草のような植物や下等な植物が地球に根付くように、その葉とともに幹に根付いているのです。

 さて、一面においては、植物の地球へ向かう傾向へと私たちの注意が向けられます。けれども、他面において植物は地球から離れようとしているのです。植物は、単に地球の引力に対抗する機械的な力によって地球から離れようとしているのみではなく、その形成プロセス全体、それも内的な形成プロセスにおいて、地球から離れようとしているのです。花において起こっている経過は、根において起こっている経過よりもずっと、地上を越えたもの、地球外のものに依存していることでしょう。そしてこのように、花の形成が、本来地上的でない諸力に依存しているということを、私たちはまず見ておかなければならないのです。なぜなら、花ー種子形成プロセスを花の外部に導いていくために、植物によって用いられる諸力、他ならぬこのプロセスが、皆さんに先日の講演で暗示しました、人間における機能的に逆転した植物プロセスのために必要になる、ということがおわかりにになるでしょうから。この、人間における逆転した植物プロセスは、人間の下腹部において、排泄、分泌、そして性(セクシュアリティ)の根本にも関係するすべてのものにおいて、見出すことのできるものなのです。このように、私たちが人間と植物のこういう関係を探し出すときこそ、植物の地球上のプロセスと同様地球外的なプロセスもまた、個別的に示されるのです。



☆第6講(解説)


シュタイナー「精神科学と医学」 - Bekkoame


原文:


Da möchte ich heute zunächst davon ausgehen, Ihnen den Pflanzenbildungsprozeß als solchen in seinem kosmischen Zusammenhange hinzustellen. Wir haben ja darauf aufmerksam gemacht, wie im Menschen gewisser-maßen funktionell der umgekehrte Prozeß tätig ist, der sich im Pflanzenwerdeprozeß offenbart. Es ist daher notwendig, um die direkte Beziehung der Pflanzenwelt zum Menschen zu finden, diesen Pflanzenwerdeprozeß wenigstens andeutungsweise hier vorzuführen. Wenn Sie die Pflanze sich ansehen, so werden Sie finden, daß sie ganz entschieden zwei entgegengesetzte Tendenzen in ihrem ganzen Bildeprozeß hat. Die eine geht nach der Erde hin. Und ich habe ja schon gestern angedeutet, daß gewissermaßen bei den baurnartigen Pflanzen in dem Stamm die Erde gewissermaßen aufgestülpt ist, so daß die Blüten beim Baum mit den dazugehörigen Blättern im Stamm so wurzeln, wie sonst die bloß krautartigen Pflanzen oder gar die niederen Pflanzen in der Erde wurzeln.
Nun werden wir da hingewiesen auf der einen Seite zu der Ten­denz der Pflanzen nach der Erde. Aber auf der anderen Seite strebt die Pflanze von der Erde weg. Sie strebt nicht nur von der Erde weg wie durch eine mechanische Kraft, die sich der Anziehungskraft
#SE312-118
der Erde entgegensetzt, sondern sie strebt von der Erde in ihrem ganzen, auch inneren Bildungsprozeß weg. Die Vorgänge in der Blüte werden andere als die Vorgänge in der Wurzel. Die Vor­gänge in der Blüte werden viel abhängiger von dem Außerirdischen, von dem Außertellurischen als die Vorgänge in der Wurzel. Und auf diese Abhängigkeit der Blütenbildung von den nicht eigentlich irdischen Kräften müssen wir zunächst hinsehen. Denn wir werden finden, daß dieselben Kräfte, die von der Pflanze gebraucht werden, um den Blüten- und Samenbildungsprozeß außen in der Blüte ein­zuleiten, daß dieselben Prozesse notwendig werden wegen der Ihnen in den vorhergehenden Vorträgen angedeuteten funktionellen Um­kehrung des Pflanzenprozesses im Menschen, im menschlichen Unterleibe und in all dem, was die Entleerungen, die Absonderun­gen und auch was die Grundlage der Sexualität betrifft, zu finden sind. So werden wir gerade, wenn wir diese Beziehung des Men­schen zur Pflanze aufsuchen, auch im einzelnen auf den außer­tellurischen Prozeß der Pflanze ebensogut verwiesen wie auf den tel lurischen.


6 SECHSTER VORTRAG Dornach, 26. März 1920


Freie Verwaltung des Nachlasses von Rudolf Steiner


参考:
新しい陰陽方程式:−1⇦凹i*凸i⇨+1:⇦は陽⇒陰を、⇨は陰⇒陽を意味する

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

「つまり、陽が陰に対して、同一性化すると、−1となり、これが、重力ではないかと思う。それに対して、陰が陽に対して、共振調和すると、浮力になるということではないだろうか。これは、樹木や弦巻植物の上昇力を意味するのではないだろうか。」
四大(地水火風)と四つの象限の対応仮説:陽⇒陰が重力−1を、陰⇒陽が浮力+1を生む (09/01)
http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-2126.html

以上のように述べたが、陽主導と陰主導の場合を分けて陰陽方程式を表記した方がいいだろう。
 だから、次のようになる。

−1⇦凹i*凸i⇨+1

⇦は陽⇒陰を、⇨は陰⇒陽を意味する。−1は重力を+1は浮力を意味する。だから、+1が天であり、−1が地である。つまり、この新しい陰陽方程式は天地方程式でもある。あるいは、地球方程式でもある。また、生命方程式でもあった。即ち、

陰陽方程式=生命方程式=天地方程式=地球方程式

である。

追記:天地方程式は以下の通りである。

−1(地)⇦凹i*凸i⇨+1(天)

追記2:重力(−1)、浮力(+1)を入れると次になる。また、原子核と電子も入れる。また、樹木の生命性を入れる。

−1(重力・地・原子核・根)⇦凹i*凸i⇨+1(浮力・天・電子・幹枝葉)



http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11918235366.html


追記:以下の四大(地水火風)配置は、シュタイナーの説明を使えば、変更される。

なお、マックで作図したので、ウィンドウズでは、ずれてしまう。マックのある方は、マックで見られたい。



               陽凸i 虚軸
                      |
     U:火          |        T:風
                      |
                      |
                      |
−1_____MP_____+1 実軸
                      |
                      |
     V:地          |        W:水
                      |
                      |
                     陰凹i

           陰陽ガウス平面(象限付き)



                ⇩

                ⇩

                ⇩



                陽凸i・風 虚軸
                         |
           U            |         T
                         |
                         |
                         |
−1・地_____MP_____+1・火 実軸
                         |
                         |
          V:           |        W
                         |
                         |
                     陰凹i・水

             陰陽ガウス平面(象限付き)


2014年10月08日(Wed)▲ページの先頭へ
「初めに、太極⇔陰陽ありき」:ロゴスは言葉というより、太極=陰陽とすべきだろう
「初めに、太極⇔陰陽ありき」:ロゴスは言葉というより、太極=陰陽とすべきだろう

テーマ:ニュー・イースタンの時代:新東洋の時代

形而上学入門 (平凡社ライブラリー)/平凡社

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最近は、あちこち、本を小食ならぬ、小読しているが、ハイデガーの『形而上学入門』は面白い。主著の『存在と時間』より、本質に迫っていると思うが、そこで、ロゴスについて述べているが、実に、興味深い(まだ、かじっている段階だが)。
 それは、論理や言葉というものではなく、陰陽論の太極⇔陰陽(対極)と類似していると思う。
 思うに、ハイデガー哲学は、東洋哲学に似ているのである。存在とは、氣に通じるのである。
 思うに、20世紀欧州哲学は、東洋哲学へと志向しているのである。
 そう、文学=哲学者のD.H.ロレンスであるが、彼の思考も、東洋哲学的である。
 しかし、彼は、西洋の個人主義を取り入れた陰陽論を説いている。それは、新東洋哲学である。
 近現代西洋とは実は、内部に東洋を包摂しているのである。
 しかし、明治維新は脱亜入欧を唱え、まったく勘違いしたのである。阿呆である。
 
マルチン・ハイデッガー『ロゴス』解説
www.h6.dion.ne.jp/~yukineko/logos.html


* キャッシュ
* 類似ページ

しかし、ハイデッガーはロゴスの動詞形のレゲイン(λέγειν)を、ドイツ語のlegen、つまり〈
下に=そして前におくこと:nieder und vorlegen〉に結び付けて考える。ギリシャ語と
ドイツ語とでは系統がちがうのだが、この二つの語は単なる偶然の音の一致ではなく、 ... 

追記:ヨハネの福音書の有名な冒頭は、本来、ギリシア語で書かれ、「初めにロゴスありき」である。
 これをほとんど「初めに言葉ありき」と訳している。
 しかし、これを「初めに太極⇔陰陽ありき」とすると、聖書が東洋化して、活きてくるだろう。
 思うに、神が太一(たいいつ)であり、ロゴスが太極⇔陰陽である。
 〈エン アルケー エーン ホ タイジ⇔インヤン〉

ヨハネによる福音書 序文
ヨハネによる福音書 1:1-2
1_01
 「はじめ・に」、ギリシャ語で「エン・アルケー」という始まりの2つの言葉は、70人訳聖書の創世記1章1節の冒頭の言葉と全く一緒です。新約聖書中の"en"というギリシャ語前置詞は、ヘブライ語の"be"という多様な意味を持つ前置詞の置き換えである事が多いのですが、この場合は正に典型的な例です。単に時間的な「始めに」という意味だけでなく、創世記のように「始まりはこうであった」という、理由付けの意味も含まれていると考えて良いと思います。
 続く「言葉があった。」と、訳される部分の動詞は、未完了形ですから、「在る」という状態が現在まで線的に続いていて、しかもそれが将来に向かって続いている状態を指します。日本語に訳せば、「世の初まりに言葉があり、それは今もあり、これからも。」というニュアンスに近く、昔の一回切りの出来事では無かったことを示しています。
 これに続く、接続詞"kai"によって繋がれている2つの部分にも全く同じ動詞(eimi)の未完了形"en"が用いられています。1つ目の文節は「(その)言葉は(世の初まりに)神と共にあり、それは今でもそうであり、これからも」と解釈できます。2つ目の文節はギリシャ語のbe動詞"eimi"をヘブライ語の"haya"(存在する)と考えて、「神は(世の初まりに)言葉として存在し、それは今でもそうであり、これからも」と捉えることができます。そのように考える理由は、2節の「それ(言葉)は最初に神と共に在り、それは今でもそうであり、これからも」という、存在と深い関わりがあると思うからです。”YHWH”(ヤーヴェ)という主なる神の名は "HYH"(ハーヤー)という、「存在する」あるいは「有る」という動詞に由来するのは周知の事実です。
 2節は、1節で言っていることを纏めて言い表したものです。別な表現をすれば、これが冒頭の主題と言えるのです。1節は音楽で言えば前奏で、2節に曲の本当の始まりがあるようなものに感じられます。



[ヨハネによる福音書]第1章(POSSIBLE訳聖書) - 疲れた心に強い翼を!

ウェストコットとホートの「ギリシャ語本文」
(possible版行間逐語訳)


possible訳聖書

1 en(中に,〜の内に,〜に,〜によって,〜の手段により) archee(支配に,支配者に,はじめに,最初に,原始に,本源に) een(彼は存在していた,生存していた,〜であった,いた,い続けていた,あり続けていた) ho(その) logos((思想,意志の表現としての)言葉,発言,話,説明,神のみ言葉,ロゴス,計算), kai(そして) ho(その) logos((思想,意志の表現としての)言葉,発言,話,説明,神のみ言葉,ロゴス,計算) een(彼は存在していた,生存していた,〜であった,いた,い続けていた,あり続けていた) pros(〜に向かって,〜の方へ,〜に対して,〜と行き来して,〜と常に接触して,〜と密なる交わりの中に,〜と向き合って,〜と一緒に,〜と共に) ton(その) theon(神を), kai(そして,こうして) theos(神(「無冠詞」の神で,「性質」や「性格」を強調)) een(彼は存在していた,生存していた,〜であった,いた,い続けていた,あり続けていた) ho(その) logos((思想,意志の表現としての)言葉,発言,話,説明,神のみ言葉,ロゴス,計算).
 (エン アルケー(イ) エーン ホ ロゴス, カイ ホ ロゴス エーン プロス トン セオン, カイ セオス エーン ホ ロゴス。)

1 本源(根源)の内に,《その》言葉は〈ずっと〉存在し“続け”ていた。また,《その》言葉は,《その》神と〈向き合い,常に[神と]接触し〉交流し[ながら]存在し“続け”ていた。こうして《その》言葉は,神〈としての性質〉[を持ち],〈ずっと〉存在し“続け”ていた。
2 houtos(この人,この者,この男) een(彼は存在していた,生存していた,〜であった,いた,い続けていた,あり続けていた) en(中に,〜の内に,〜に,〜によって,〜の手段により) archee(支配に,支配者に,はじめに,最初に,原始に,本源に) pros(〜に向かって,〜の方へ,〜に対して,〜と行き来して,〜と常に接触して,〜と密なる交わりの中に,〜と向き合って,〜と一緒に,〜と共に) ton(その) theon(神を).
 (フートス エーン エン アルケー(イ) プロス トン セオン。)




乳酸菌複合有機体的養蜂革命:飯山一郎氏の超執念の結晶:乳酸菌のパワーとは何ぞ哉

テーマ:放射能大洪水飯山一郎新方舟:乳酸菌日光浴

飯山養蜂革命である。画期的というか、自然人類進化的である。
 結局、ミツバチもさるものの、主導的役割は乳酸菌である。
 直観では、乳酸菌は、生命現象が起きるときの、負の部分を抑制して、正の部分を活性化させるように思える。
 生命とは陰陽調和パワーである。しかし、陰陽調和を阻害する要因が生命活動に生まれるのである。それは病気を生むのである。
 陰陽調和を阻害する要因とは、やはり、直観では、有機体を破壊する無機物化である。あるいは、純粋物質化である。つまり、反有機体的現象が生じるのである。(思うに、ガン細胞もそのようなものではないだろうか。)
 これは、PS陰陽論では、陽化なのである。あるいは、陽極大化なのである。そう、陰陽は陰が主導する陰陽調和と陽が主導する陽陰物質化があると考えられる。
 この陽主導物質化の増加を乳酸菌は防ぐのではないだろうか。
 人間で言えば、腸内細菌の活性化である。
 つまり、正の部分を積極的に賦活するはたらきをもっているということではないだろうか。
 以前触れたがと思うが、例えば、酸性化を防ぎ、アルカリ化するのである。
 別の視点で言えば、エントロピーの増加を防ぐのである。
 生命活動は反エントロピー的であるが、実際には、物質現象的には、エントロピーが拡大するのであり、その支配を乳酸菌は防ぐように思う。
 やはり、以前、示唆したように、乳酸菌は氣エネルギーをもっているのであり、それを反有機体的物質化に対抗して、氣エネルギーを物質に与えて、陰陽調和振動を付与するのではないだろうか。
 今は、思いつきのみ。
 

◆ 2014/10/07(火)  世界中で蜜蜂が減っているのに…
あふれんばかりの蜜蜂!
溢れんばかりの蜂
蜜蜂が激減している というのに、我が庭の巣箱では日本蜜蜂が激増!

先ず、乳酸菌の大量散布のお陰で、病気にならない! 長生きする! スムシに食われない!

次に、植物の成長点から抽出した成長ホルモンのお陰で、蜜蜂の成長が早く、蜂の数も増える。

あと、ミード(洋バチの蜂蜜をアルコール発酵させてつくった蜂蜜酒)のお陰で、女王バチの産卵能力や産卵数が激増する。

さらに、あらびき茶 のカフェインのお陰で、蜜蜂たちが張り切って遠方まで元気よく飛ぶようになる。
「お陰様! お陰様! m(__)m」と、飼い主(飯山一郎)が感謝の心(人徳)で接しているので、蜂たちも張り切って、子づくり、子育てに精をだすようになる。
乳酸菌を巣箱に運ぶ蜜蜂たち
巣箱に乳酸菌を運ぶため
ミードや、あらびき茶 や、乳酸菌や、成長ホルモンや、誘引剤(花の芽の抽出液)などを混ぜた秘液を 小皿に入れる…。

すると…、
蜂たちが大量に集まってきて、秘液を吸い、秘液の成分(乳酸菌など)を足に付けて、巣箱(うしろに見える木の箱)に運ぶ…。

あとは…、
乳酸菌が自動的に巣箱のなかで増えていって他の蜜蜂たちにも伝染して、巣箱全体が元気になる!
もちろん、成長ホルモンが「催淫剤」に変化して、女王バチや育児バチが子づくり、子育てに精を出すようになる!と。
「養豚」とは、ようするに、ブタの数を増やすことだ。
「養蜂」も、「養蜂」と言うからには、ハチの数を増やすべきだ。

今までの「養蜂」は、ハチの数を増やすのは成り行きまかせだった。

ところが!
飯山一郎サンの「養蜂」は、積極的、爆発的にハチの数を増やす!

すごいっしょ?!

「もし、ミツバチがこの地球上から消え去ったならば、人間社会は4年後には崩壊してしまうで あろう…」
こう↑言ったのは誰だっけ?

ともかく、いま、何としても! 蜜蜂は増やさねばならん。

だっから、鷲は、いま、連日連夜、日本蜜蜂を増やすための工夫の日々を送っている。あらびき茶 をガブ飲みしながら…(爆)

それから…、
お陰様で、あらびき茶の販売代理店の数が200店になりました!

あらびき茶の販売は、健康(免疫力)と、幸せ(「緑茶って、こんなに美味いんだぁ。幸せ!」)をお客様にお届けする仕事です!
なお一層のご健闘を期待します!>販売代理店の皆様

飯山一郎のHP



陰陽方程式凹i*凸i⇒±1に於いて、シュタイナーの天の力は⇒+1で、地の力は⇒−1ではないか

テーマ:霊学:シュタイナー精神学

以前、述べたと思うが、シュタイナーの説く、天の力と地の力の相互作用であるが、それは、PS陰陽論から見ると、前者は⇒+1、後者は⇒−1ではないだろうか。
 陰陽調和が天の力であり、陽主導の陰陽作用が地の力ではないだろうか。
 ガウス平面で言えば、実軸+1が天であり、実軸−1が地となるだろう。



                     凸i虚軸
                      |
                      |
                      |
                      |
                      |
        地 −1______MP_____+1 実軸  天
                      |
                      |
                      |
                      |
                      |
                      凹i
 

 ところで、原点のMPは、南方熊楠の説く萃点(すいてん)と共通するのではないだろうか。

南方曼荼羅 - 日本語と日本文化 - 東京を描く


この図は、民俗学者の間で「南方曼荼羅」と呼ばれているものである。この奇妙な図を南方熊楠は、土宜法龍宛明治36年7 月18日付書簡の中で描いて見せた。この書簡の中で熊楠は、例の通り春画やらセックスやらとりとめのない話題に寄り道をした挙句に突然仏教の話に入るのであるが、この図はその仏教的世界観(熊楠流の真言蜜教的な世界観)を開陳したものとして提示されたのであった。

・・・

たとえば図の(イ)という点では、多くの線が交叉している。熊楠はこれを萃点(すいてん)と呼んだ。萃点は多くの事理が重なる点だから、我々の目につきやすい。それに対して(ハ)の点は二つの事理が交わるところだから、萃点ほど目立たぬが、それでも目にはつきやすい。(ロ)の点は(チ)、(リ)二点の解明を待って、その意義が初めて明らかになる。(ヌ)はほかの線から離れていて、その限りで人間の推理が及び難いが、それでも(オ)と(ワ)の二点でかろうじて他の線に接しているところから、まったく手掛かりがないわけではない。だが(ル)に至っては、ほかの線から完全に孤立している。したがって既に解明済みの事柄から推論によって到達するということが困難なわけである。

http://japanese.hix05.com/Minakata/minakata105.mandara.html

日本語と日本文化


追記:以上の図はイが見にくいので、以下に別の画像を張り付ける。




南方熊楠の曼荼羅論
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/rensai/asu/23.html


シュタイナー「精神科学と医学」 - Bekkoame

●第18講(本文)

もう一度地球を覆っている植物の面に、すなわち地球の植生に属するものの総体を観察してごらんなさい。地面から宇宙空間に向かって成長しているこの地球の植生全体は、単に地面からこの宇宙空間に向かって成長しているのみならず、ある力により引っ張られていること、つまり、もうお聞きになったとは思いますが、この植生のいたるところでは、地球から植物の内部へと作用する諸力とまったく同様に、植物の成長の一部となっている力が作用している、ということについて、私たち ははっきりと理解しておかなくてはなりません。地球から植物のなかに作用する諸力と、地球外の宇宙から植物へと作用を及ぼす諸力との間には、絶え間ない相互作用が成立しているのです。さて、このような作用、私たちの周囲に実際常に存在しているはずのこの作用はどこにあるのでしょう。宇宙から作用を及ぼして きている諸力が完全に現われることになれば、つまり、宇宙からの力が完全に植物を捉えることができたとしたら、諸惑星がこれらの諸力をまた後退させ、完全に植物を包んでしまわないように配慮しないとしたら、植物は、茎から花と種子へと成長していく際、常に動物になってしまう傾向を持つことになるでしょう。 動物化の傾向が存在するわけです。植物においては、このように宇宙から作用してくるものに対抗して、他方で地球の方から、植物存在を抑え、植物存在の内部で鉱物化させようとする傾向が作用します。

 つまり、注意していただきたいことは、植物存在とは本来、塩化する傾向、つまり植物実質のなかに鉱物を沈殿させ、鉱物化する傾向と、炎症を起こす傾向、つまり動物化する傾向との間で、中庸を保っているのだということです。これは外的自然のなかに常に存在していることです。

 けれども、今皆さんに述べましたことは、人間の生体組織そのもののなかにも、内化され、中心化されて常に存在しているのです。人間の生体組織は、肺というものを持つことによって、ほんものの小さな地球なのです、そして植物の組織においては、まさに地球から発して植物の生体組織のなかに入り込んでく る力が地球から上に向かって作用していますが、それとちょうど同じように、肺から作用するものはすべて、人間の生体組織においては下に向かって作用します。呼吸と心臓の働きを通じて内的な肺の新陳代謝その他に対抗するものはすべて、この宇宙的なもののように外に向かって作用するのです(図参照)。







 さて、人間の生体組織には不可欠のことがあります。生体組織から最終的に心臓の働きのなかに集約されるものはすべて、肺の内的な新陳代謝のなかに最終的に集約されて組織されるものからは、隔てられていなければならない、ということが不可欠なのです。これら二つの活動、これらは、両者の間にいわ ばーーこういう表現を用いてよろしければーーエーテル的な横隔膜[Zwerchfell]あるいはアストラル的な横隔膜がある、という状態以外では互いに 作用してはならないのです。この二つの活動は互いに隔てられていなければなりません。そうすると、こういう問いを投げかけざるをえません、こういう横隔膜ーーこの言葉を使うのは、イメージとして暗示したいからですーーというものが本当に存在しているのか、頭、のど、肺の活動が、外的な呼吸によるのとは別 のしかたで腹部および胸の活動と混ざり合うのを防いでいる、そのような横隔膜が存在するのか、と。ーーこういう横隔膜は存在します、そしてこれは外的な呼吸のリズムそのものなのです。ここで皆さんは、上部人間と下部人間を相互に調律することに至ります。人間における律動的活動と呼ばれるもの、呼吸のリズム のなかに外的、物理的に現われているこのリズミカルな震動、この物理的な震動が、エーテル活動、アストラル活動にまで継続され、まだ肺のなかへと集約されている上部人間の地の力と、心臓のなかにその現われが見られ、宇宙において周辺から地球の中心へと作用するように下から上へと作用する下部人間の天の力と をお互いに引き離しておくのです。

●「精神科学と医学}(GA312)翻訳紹介(yucca訳) *17講訳修正 (2013.2.14.登録)
 PDFデータ medizi.pdf  *新しく横書きで再編集しています。

日本語訳が少しわかりにくいので、以下原文をあげる。

ACHTZEHNTER VORTRAG Dornach, 7. April 1920

Betrachten Sie noch einmal die die Erde bedeckende Pflanzen-fläche, das heißt die Summe alles dessen, was zur Vegetation der Erde gehört. Wir müssen uns klar sein darüber, daß diese ganze Vegetation der Erde, wie sie von der Erde aus dem Weltenraum entgegenwächst, nicht bloß aus der Erde heraus diesem Welten-raum entgegengeschickt wird, sondern daß sie hinausgezogen wird durch Kräfte, daß also, wie wir ja schon gehört haben, überall hier Kräfte wirken, welche zum Pflanzenwachstum genau ebenso ge­hören wie die Kräfte, die von der Erde aus in die Pflanze hinein-wirken. Es ist eine fortwährende Wechselwirkung zwischen den Kräften, die von der Erde aus in die Pflanze hineinwirken, und zwischen den Kräften, die aus dem außerirdischen Kosmos auf die Pflanze wirken. Nun, worinnen besteht diese Wirkungsweise, die ja eigentlich in unserer Umgebung fortwährend vorhanden ist? Würde es dazu kommen, daß diese Kräfte, die da aus dem Kosmos hereinwirken, voll zum Ausdruck kommen, daß sie also ganz die Pflanze ergreifen könnten, würden nicht die Planeten dafür sorgen, daß sich diese Kräfte auch wiederum zurückziehen können, daß sie also nicht voll die Pflanze umfassen, so würde die Pflanze, wenn sie vom Stengel aus der Blüte und dem Samen entgegenwächst, immer die Tendenz haben, zum Tiere zu werden. Es ist die Tendenz vorhanden der Tierwerdung. Das, was da aus dem Kosmos herein-wirkt, dem wirkt auf der anderen Seite wiederum entgegen aus der
#SE312-330
Erde herein bei der Pflanze die Tendenz, das Pflanzensein zu unter­drücken und innerhalb des Pflanzenseins sich zu mineralisieren.
Also ich mache darauf aufmerksam, daß eigentlich das Pflanzen-sein die Mitte hält zwischen dem Hinneigen zum Versalzen, zum Ablagern von Mineralien in der Pflanzensubstanz, zum Minerali­sieren und zum Sichentzünden, zum Tierwerden. Das ist etwas, was fortwährend vorhanden ist in der äußeren Natur.
Dies aber, was ich Ihnen jetzt beschrieben habe, ist auch fort­während vorhanden verinnerlicht, zentralisiert in dem mensch­lichen Organismus selber. Der menschliche Organismus ist dadurch, daß er eine Lunge hat, eine richtige kleine Erde, und alles das­jenige, was von der Lunge aus wirkt, wirkt geradeso im mensch­lichen Organismus nach unten, wie von der Erde aus in den Pflan­zenorganismus nach oben die Kräfte hineinwirken, die eben von der Erde aus in den Pflanzenorganismus hineingehen. Und alles dasjenige, was durch die Atmung und Herztätigkeit dem inneren Lungenstoffwechsel und so weiter entgegenkommt, das wirkt so wie dieses Kosmische draußen (siehe Zeichnung Seite 330).
#Bild s. 330
Nun besteht eine Notwendigkeit im menschlichen Organismus. Es besteht die Notwendigkeit, daß alles dasjenige, was sich zuletzt
#SE312-331
konzentriett vom Organismus aus in der Herztätigkeit, ferngehal­ten wird dem, was sich organisiert, sich zuletzt konzentrierend in dem inneren Stoffwechsel der Lunge. Diese zwei Tätigkeiten, die dürfen nicht anders aufeinander wirken, als daß zwischen ihnen gewissermaßen - wenn ich mich des Ausdrucks leedienen darf -ein ätherisches Zwerchfell ist oder ein astralisches Zwerchfell. Diese beiden Tätigkeiten müssen auseinandergehalten werden. Und wir müssen die Frage aufwerfen: Ist dieses Zwerchfell - ich ge­brauche das Wort nur, um ein Bild anzudeuten - wirklich vor­handen? Gibt es ein solches Zwerchfell, welches abhält die Kopf-, Hals-, Lungentätigkeit, sich zu vermischen mit der Bauch- und Brusttätigkeit anders als durch den äußeren Atmungsrhythmus? -Dieses Zwerchfell gibt es, und es ist der äußere Atmungsrhythmus selber. Und da kommen Sie auf die Ineinanderstimmung des oberen und des unteren Menschen. Dasjenige, das man rhythmische Tätig­keit im Menschen nennt, dieses rhythmische Erzittern, welches sich äußerlich physisch ausdrückt im Atmungsrhythmus, dieses phy­sische Erzittern setzt sich bis in die Äther- und Astraltätigkeit hin­ein fort und hält die Erdenkräfte des oberen Menschen, die noch in die Lunge hinein sich konzentrieren, und die Himmelskräfte des unteren Menschen auseinander, die durch die Tätigkeit, die im Herzen dann ihren Ausdruck findet, von unten nach oben wirken, so wie sie im Kosmos von der Peripherie nach dem Zentrum der Erde hin wirken.

GA 312 Geisteswissenschaft und Medizin ( 22 Beiträge )

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2014年09月24日(Wed)▲ページの先頭へ
仮説:三つ巴原理:凹i*凸i⇒±1の⇒±1において、三等分割形成原理(三つ巴原理)が作用する
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11929226539.html

仮説:三つ巴原理:凹i*凸i⇒±1の⇒±1において、三等分割形成原理(三つ巴原理)が作用する

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

先に、点から、反発力で、陰陽極性が生まれることを仮説し、また、それ以前に、陰陽衝突で、90°回転して、プラスマイナス1が形成されると述べた。
 つまり、陰陽ガウス平面でいうと、陰陽は虚軸であり、±1は実軸である。
 これらは、いわば、二元極性である。
 問題は、三つ巴のような三等分割原理なのである。
 これは、どうやって生まれるのか。以前、フィボナッチ数列で説明したが、いまだ直観的明晰さがない。
 とは言え、やはり、フィボナッチ数列が等分割原理となると作業仮説するといちおう説明できる。
 すなわち、0+1=1、1+1=2、1+2=3であるが、0は太一(たいいつ)で、1が太極で、2が陰陽で、3が三つ巴ないし正三角形である。
 さらに、2+3=5で、正五角形であり、ピュタゴラス学派の秘数である。
 これは、等分割形成原理と仮説しよう。決して、次元数ではない。
 とまれ、問題は、3であるが、これは、凹i*凸i⇒±1の陰陽方程式において、⇒±1の実軸の形成のときに発生する等分割数と考えられるのである。つまり、螺旋が形成されるが、その螺旋は、等分割形成原理として、三等分割形成原理、三つ巴原理をもつと考えるのである。
 思うに、⇒±1であるが、実は、このとき、陰陽ガウス平面においては、4つの象限が生まれる。つまり、四元性が生じるのである。これは、空間的ベースではないだろうか。例えば、四大(地水火風)であり、東西南北の四方角である。
 しかし、同時に、三等分割形成原理が作用すると見るのである。
 だから、螺旋は三等分割によって、三つ巴を形成するのである。これは、植物では、三つ葉となるだろうし、おそらく、葉の形成原理である。花弁形成は、五等分割原理が優勢であろう。でも、四枚の花弁の形成原理は何か。これは課題としよう。

追記:陰陽方程式:陰凹i*陽凸i⇒±1(実は、⇔±1であるが)において、⇒±1は、三等分割形成原理と四大的四等分的原理だけでなく、3×4=12等分割の原理を形成するのではないだろうか。それが、黄道十二宮であり、一年12か月の原理ではないだろうか。結局、三等分割原理、四等分割原理、十二等分割原理が、陰陽方程式で発生することになるのである。これは、正に、宇宙・自然の原理と言えよう。
 
追記2:二年前以下のように説明していた。しかし、今から見ると、整合性が乏しいだろう。それよりは、やはり、フィボナッチ数列の等分割原理を仮説した方が整合性があると言えよう。

追記3:以下の説明であるが、それをフィボナッチ数列に組み込めばいいのである。つまり、太極的一極が陰陽二極に組み込まれるのが、フィボナッチ数列なのである。つまり、1+2=3であり、この3が三等分割=三つ巴なのである。


三つ巴と無双PS原理:無双PS原理から三つ巴を説明する:東洋母権文明と西洋父権文明

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

同一性について:自己・陽・凸iのもつ唯一絶対的同一性と直観・他者・陰・凹iの絶対的多様性
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11298889775.html

先に以上において、簡単に父権主義と母権主義の哲学力学について述べたが、そこから、派生的に、三つ巴の説明ができると考えられる。

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三つ巴の紋所の一つ「左三つ巴」
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/212498/m0u/picture/0/

 以前、それについては、陰陽の極性とMPで三元性を説明したが、先の考えは、それよりさらに明快に説明できる。
 即ち、MPの主導性から端的に三つ巴が発生すると考えられるのである。MPにおいて、太極が作用する。それは、三つ巴の一極となる。そして、そこから、陰陽の二極が生起するのである。即ち、太極の一極と陰陽の二極の一元的連関が三つ巴であるということである。
 言い換えると、三つ巴は母権主義(女神文明)の象徴なのである。神社のシンボルの一つが三つ巴であるというのは、神道が母権主義、女神文明であることを意味していると言えよう。

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佐原の大祭秋祭りの奉納先、「諏訪神社」
http://tama-kousaku.ocnk.net/data/tama-kousaku/image/DSCN43610001.JPG

 ついでながら、神社の透かし彫りで一般的な龍であるが、それはあきらかに、やはり、MPを根源にする陰陽極性様態を意味しよう。あるいは、端的に、三つ巴の様態である。


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聖ゲオルギウスと竜 St. George and the Dragon

http://blogs.yahoo.co.jp/renegaderow/51909252.html

 また、文明文化史論から言うと、西洋文明文化において、聖ゲオルギウスの龍退治が有名であるが、それは、女神の殺戮、東洋文明・女神文明の破壊、MPの排除と考えられる。
 メルヴィル/D. H. ロレンス的に言うと、龍は白鯨(モービー・ディック)であり、それを追跡するエイハブ船長は聖ゲオルギウスである。

追記:上図の『聖ゲオルギウスと竜』における左の女性は、父権制の虜となった女性原理を意味しよう。言わば、家庭に閉じ込められた天使(女神)である。

追記2:ケルト文化のケルズの書も三つ巴文様をもっている。ケルト文化も東洋母権文明に通じるのである。古代において、海洋や大陸を通じて、「西洋」と東洋や環太平洋は通じていたと考えられる。

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ケルズの書
参照:

*
検討問題諸々

・・・る(p. 222)。直観では、正に、ミトラである。太陽神である。どうも、古代アメリカ大陸は、ミトラ的文化であったようである。つまり、太陽神文化である。即ち、シュメール・ケルト・アジア母権・母系・母神大文化圏に通ずるというこ・・・[2012年01月25日]

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http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11146168309.html

*
検討問題:ケルト・アジア母権大文化圏とシュメール:高度母権文化と・・・

1)血とは何か。精神と血の連関。氣と血の連関。予見では、血は、氣(精神)の物質的媒体である。民族の血を問題にするのは正しいだろう。2)ケルト・アジア母神・母権・母系大文化圏とシュメールの関係を丁寧に考察する:ケルト文化の鹿と仏教・・・[2012年01月24日]

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http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11144512773.html

*
ケルト・アジア母権・母系的大文化圏とシュメール民族・文化

・・・、天の神である。しかし、女神はイナンナinannaである。 どうも、Anuにしろ、inannaにしろ、ANが共通である。これは、DANUと通ずるのはないだろうか。そう、ケルト民族の大女神ダヌと通じるように推測される。 そう・・・[2012年01月22日]

resurrectionのブログ

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11142947671.html

*
検討問題:凸iと感覚:日本における南方母権民族と北方父権民族:二・・・

1)凸iは感覚、外的感覚、「五感」であり、物質的ではないだろう。原物質的、原同一性的とは言えようが。2)日本文化、日本民族問題:英国は、大雑把に言って、基層のケルト文化(これを現代イギリス人はほとんど認識していない)の上に、アン・・・[2012年01月20日]

resurrectionのブログ

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11140632671.html

*
トゥアハ・デ・ダナーン

・・・hə dʲeː d̪ˠan̪ˠən̪ˠ] 、古アイルランド語:トゥーアサ・ジェー・ザナン [tuːaθa ðʲeː ðaNaN])またはダーナ神族(ダーナしんぞく)は、ケルト神話で語られるところでは神の一族とされる一族。ト・・・[2012年01月07日]

resurrectionのブログ

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11129054347.html

*
仮説:古代世界海洋の道:ケルト、タミール、東南アジア、琉球・沖縄

・・・味深い。 即ち、古代の倭国連合の貿易範囲が東南アジアの海洋に及ぶことであり、また、タミール文化とのそれとの関係である。 私が折口信夫の『古代研究』において、琉球の宗教がケルト神話に酷似したことに驚愕したことは既述した。 で・・・[2012年01月07日]

resurrectionのブログ

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11129030863.html

*
源日本母権文化! DNA分析の研究、約5900年前の縄文人の人骨・・・

・・・学的に証明されたのである。 pic.twitter.com/93G6Z5XV このメディアを報告する powered by Photobucket (フォトバケット) ケルト人とアイヌ人の相似性と対極性テーマ:歴史ケルトと・・・[2011年11月12日]

resurrectionのブログ

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11076399253.html
みつどもえ【三つ巴】の意味 - 国語辞書 - goo辞書
dictionary.goo.ne.jp › 国語辞書
みつどもえ【三つ巴】とは。意味や解説。1 三つのものが互いに対立して入り乱れること。「―になって争う」2 三人が向かい合って座ること。三つ鼎(がなえ)。3 紋所・文様の名。巴を三つ組み合わせて円形にしたもの。 - goo辞書は国語、英和、和英、中国語、百科 ...

巴 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/巴 - キャッシュ 類似ページ
後には特に武神である八幡神の神紋として巴紋(特に三つ巴)が用いられるようになり、さらには他の神社でも巴紋が神紋として用いられるようになっ ... また、ヨーロッパには、三つ巴に似た「トリスケル(triskele)」という文様があり、日本では三脚巴と訳されている。
巴御前 - 巴 (能) - 三脚巴 - 巴山


   <無双PS原理ガウス平面>

  陰・凹i(-i)・光子:「天」:他者:空間形式
              |
              |
              |
              |
              |
−1_____太極・MP・母権______+1
無機物          |           有機体・生命体
              |
              |
              |
              |
陽・凸i(i)・重力子:「地」:自己:時間形式:父権

参照:

愛の日記


■ 春分図と夏至図

日記 マドモアゼル・愛  2012年07月09日(MON)


日本の春分図と夏至図を見ると、共通している部分が多い。上昇はどちらもしし座。度数も近い。10ハウスには金星と木星が合となっている。春分と夏至では4カ月もたつので、通常は金星と木星が同じく合になる確率は非常に少ない。

動きの遅い大惑星なら4か月程度では変わらない場合があるが、金星と木星の合がどちらの図にも出てくるのは珍しいと思う。

上昇がしし座で共通と重ね合わせると、どんなことを読めるか。なんだか、現状とは異なるイメージなのだ。

しし座上昇も金星と木星の合も、どちらも遊びと関係。どちらかと言えば、浮ついた、楽しみ優先の星の配置。面倒なことはそっちのけにして、まず遊ぼうよ、、、という誘いにも見える。

豊富な恋愛体験や、見せびらかし的贅沢とか、プリントアウトされたような大衆芸術というイメージがある。

問題続出の現在の日本、行き詰って堅くなった現在の日本とは、なんだか違うぞ、、、というイメージだ。


星はウソをつかないので、いまの日本にはこうした遊びや恋愛過多とも呼べるような舞い上がった気楽さがあってもよいということになる。

たとえば、国会を取り巻くデモ。これなんかも、子供づれやピクニック気分もあって、よい方向に行っていると思うが、確かにそういうことである。思想や抵抗するイメージよりも、新たな遊びに変えていってしまう。

具体的には今ひとつイメージ化できないが、恋人たちのデート抗議なんかは面白いかも。愛し合うカップルが、原発があるような国じゃ、子供を産めないわよ、、、というような抵抗感を、カップルが熱烈キスしながら何組もつらなって歩いて訴える、、、なんか、とてもいいような。

 恋人募集男軍団がデモパレード。待ち伏せする恋人募集女子軍団。なんて構図があったら、私も駆けつけるよ。でも変なおやじたちだけが売れ残って言い合いになったりすると、機動隊がなぐさめてくれるなんてなると、日本も本当によくなると思う。

デモに限ったことではなく、世直しの楽しいパフォーマンスで遊ぶことで、ある一線を越えた新たな世界が出てこないとも限らない。そんな実験を若者を中心に考えて実行していくと面白いと思う。

原発賛成派が大きな画用紙にペンキをぶちまける。
今度は原発反対派が大きな画用紙にペンキをぶちまける。そして作品を比べあう、、、なんて、面白くないか。つまらないか、、

最後は打ち解けあいとして、お互い、ペンキを画用紙にぶちまけ合戦して、合作として手じまい。後味も悪くなくいいかも。

どちらにせよ、みんな自分の国のことを思っている、、、というパフォーマンスとなっていくことで、対立を超えたこれまでよりも上の世界が広がってくる。

遊びの面白さは、善悪や右左、賛成や反対を超えた世界を現出させる面白さに尽きる。

なぜいま、春分図と夏至図にこのような遊びのメッセージが出てくるのか、、、、もう対立の図式自体が古くなって、それを笑い飛ばしたいからかもしれない。

対立をも遊びの中に取り入れてしまう。ダンス、音楽、キッス、何より、笑いがその中心的なものとなる。

ユーモアも本当に大事な要素である。ユーモアのない一流のものはない。一流のものの中には必ずユーモアの要素がある。対立を超えて動く原理を知っているかどうかは、ユーモアのセンスを見ればわかる。

私が観念論を捨てたのは、昔、学生だったころ、清水谷公園で学生と機動隊がぶつかり合う、まさにその瞬間、「おいも、おいも、おいもだよー」の焼き芋やの売り声を聞いた時だ。

にらみあう学生と機動隊の間に沸き起こった笑い、、、私はそれをもって以来イデオロギーを捨てたのである。

まさにそうした星の配置が訪れようとしている。

まだ自分には何が足りないとか、、もっと学んでからでないととか、、、それは確かにあるのかもしれないが、そろそろ、ありのままの自分で立つ時が来ているのではないか。

何か自分に不足しているものを必死に求め、大金を使い、学ぼうとして動き回ることもあるいは大切だとも思うが、それよりも、一体となる、、、対立を越える、、、それには笑う、遊ぶ、ことが今大事になっているのではないか。



しし座に太陽が入る前夜祭を歌って笑って楽しむ、、、そのために7月21日の妖精ディナーも企画しました。

そろそろ定員に達しますので、明日いっぱいをもって締め切りとさせていただきます。

21日の妖精ディナーでは、真夏の夜の夢のように、楽しみ、これまでの限界を笑いの中で、歌う中で越えていけたら、、、と。本当の開運法則の実験にもなるかと思います。


自己嫌悪を解放する周波数528Hzのチューナー詳細は、公式ショップまで  妖精ディナーのお申込みも

マドモアゼル・愛 公式SHOP
http://iiyama16.blog.fc2.com/blog-entry-767.html#more
『文殊菩薩(ブログ版)』

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11299598592.html
フィボナッチ数 - Wikipedia

n 番目のフィボナッチ数を Fn で表すと

F_0 = 0\,

F_1 = 1 \,

F_{n+2} = F_n + F_{n+1} \quad (n \ge 0)

で定義される。これは、2つの初期条件を持つ漸化式 である。

この数列 はフィボナッチ数列(フィボナッチすうれつ、Fibonacci sequence)と呼ばれ、

0 , 1 , 1, 2 , 3 , 5 , 8 , 13 , 21 , 34 , 55 , 89 , 144 , 233 , 377 , 610 , 987 , 1597 , 2584 , 4181 , 6765 , 10946 , …(オンライン整数列大辞典 の数列 A45 )

と続く。最初の二項は0,1と定義され、以後どの項もその前の2つの項の和となっている。

1202年 にフィボナッチが発行した『算盤の書 』(Liber Abaci) に記載されたことで「フィボナッチ数」と呼ばれているが、それ以前にもインド の音楽家であるヘマチャンドラ (Hemachandra)が和音 の研究により発見し、書物に記したことが判明している[1] [2] 。


2014年09月11日(Thu)▲ページの先頭へ
陰陽未分化から陰陽分極化への力学へ:一から二への分割力学について:等分割原理
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11923531116.html

陰陽未分化から陰陽分極化への力学へ:一から二への分割力学について:等分割原理

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

やはり、等分割原理があるということではないだろうか。
1は、全体である。そして、1を等分割すると、先ず、二等分割となる。そして、次は、三等分割、四等分割、等々となるのではないだろうか。
 自然数的等分割原理があるということになる。
 つまり、これは、一種、平等分割原理である。
 しかし、何故、自然数なのかという問題がある。
 やはり、太一と太極は区別した方がいいのか。
太一はゼロである。そして、太極は、陰陽未分化である。
 だから、太極において、陰陽力学が先鋭化すると、陰陽分極化となるのではないだろうか。
 未分化の陰陽が、分化すると陰陽対極化となるのではないのか。
 これなら、納得はできるだろう。
 未分化であった陰陽において、その微妙な対立が先鋭化すると、陰陽分極化するということになるだろう。
 つまり、陰陽未分化は、陰∞陽である。しかし、先鋭化すると、陰⇔陽となるだろう。これが、陰陽分極化である。
 陰∞陽も陰⇔陽も、両者、メビウスの帯である。
 しかし、質的に異なるだろう。
 陰∞陽は、分化していないメビウスの帯である。陰⇔陽は、分化したそれである。
 思うに、陰陽分極化とは、陰陽の一種極限化である。陰は極大の陰へ、そして、陽は極大の陽へと志向するのである。
 つまり、陰陽の反発の事態である。これが、陰陽分極化を生じさせるのではないだろうか。
 しかし、陰陽はもともと、一(いつ)、太極であり、それは、二元的絶対分離はしないのである。一における二元化、これが、陰陽分極化ということと考えられる。

追記:陰陽反発が陰陽分極化ならば、次に、陰陽牽引⇒陰陽衝突が起るだろう。それが、垂直に捩れて、実軸、±1を生むということではないだろうか。つまり、陰陽分極化は虚軸化であり、陰陽衝突が実軸化である。
 つまり、陰陽は波のように、振幅しているということである。しかし、最初は、反発で、次に、牽引である。
 ならば、その次は、また、反発である。等々。この陰陽律動(リズム)、陰陽波動、陰陽振幅が生命と死をもたらすと言えるのではないだろうか。

               陽凸i 虚軸
                      |
     U:火          |        T:風
                      |
                      |
                      |
−1_____MP_____+1 実軸
                      |
                      |
     V:地          |        W:水
                      |
                      |
                     陰凹i

           陰陽ガウス平面(象限付き)


2014年09月07日(Sun)▲ページの先頭へ
簡単な文明転移図式:母権⇒父権⇒新母権:東洋文明⇒西洋文明⇒新東洋文明
簡単な文明転移図式:母権⇒父権⇒新母権:東洋文明⇒西洋文明⇒新東洋文明

テーマ:脱欧入亜:ポスト欧米文明:新東洋文明回帰

陰陽方程式:陰凹i*陽凸i⇒±1、又は、−1⇦凹i*凸i⇨+1から、文明転移を簡単に説明できる。
 思うに、陰陽であるから、陰が先なのである。つまり、初めは陰が優位なのである。それは、陰陽調和⇒+1をもたらすのである。植物的文明、母権的文明である。新石器時代である。
 しかし、陰陽は揺動しているので、陰から陽へと主導性が移動すると考えられる。それは、陰を否定するのである。即ち、−陰凹i*陽凸i⇒−1である。わかりやすく書けば、-(-i)・i⇒−1である。
 この−1は、自我的であり、同一性的である。そう、自我同一性と言えよう。
 これが、今日の自我の起源と考える。また、父権文明のそれである。これは、陰を否定するのである。あるいは、抑圧するのである。同一性であるから、物事を一般化、量化するのである。これと、貨幣は関係していると思う。貨幣は、差異を同一性化するものである。マルクスがいみじく説いたように。
 商品1=商品2=・・・商品n=価格(貨幣)である。商品の差異は価格という同一性によって等化されるのである。
 私がここで述べたいのは、自我同一性と貨幣の深い結びつきである。
 ここには、他者(差異)はないのである。「自己完結」的である。
 とまれ、自我同一性という概念は貨幣の概念と酷似していると思う。おそらく、自我同一性概念の形成によって、すぐ貨幣が生まれたのではないだろうか。
 とにかく、自我同一性は貨幣に己の現実的根拠を見るのではないだろうか。
 その力学を考えると、父権的自我にとって、陰である他者・差異は否定対象である。そのいわば、抑圧的力学は、力(force)の力学であり、暴力的である。そして、二項対立的で、自我優位、他者劣位である。この暴力的優越力学は、貨幣に己の分身を見るのではないだろうか。
 貨幣のもつ同一性的支配力がある。それは有無を言わさぬ強制力である。その貨幣支配力に父権的自我同一性は自身の支配の根拠をもつのではないだろうか。
 父権的自我同一性は支配的であり、その現実的基盤として、貨幣支配力が自身と同型(同形)なので、結びつくということではないだろうか。
 自我同一性と貨幣同一性は、いわば、類が類を呼ぶというものではないだろうか。
 これは、支配的権力となるのである。そして、国家もここから生まれたと言えよう。父権的文明社会である。
 そして、この帰結が西洋文明なのである。
 しかしながら、陰陽は揺動しているのであり、今や、水瓶座の時代で、対極の調和、陰陽調和の時代に入ったのである。
 つまり、陽に傾斜していた陰陽力学は変化して、再び、陰へと傾斜し始めたと思われるのである。
 それは、父権を超える新母権という意味があると言えよう。
 今、ウクライナで、旧文明と新文明の闘いが行われているのである。日本は、旧父権文明、邪悪な旧父権文明に支配されて、その道具になっているのである。
 とまれ、戦争と平和の闘いである。悪と善の闘いである。

追記:新たな陰陽調和の世界は、脱自我同一性世界である。自我と他者の共鳴する世界である。
 当然、貨幣の意味も変わるだろう。自我同一性と結びついていた貨幣がどう変質するのか。
 そう、他者とともにある価値が重要となるのである。そして、貨幣は、他者共生主義的になると言えよう。
 つまり、共同体的貨幣となることである。これについては、新たに検討したい。

参照:【お知らせ】《新井信介勉強会『皆神塾(東京)』》開催のご案内

中央銀行の成立以来、人類活動を規定してきた通貨制度に歴史的変質が起ころうとしています。  「国家」の持つ「略奪」を極力押さえ、通貨の持つ「育成」作用を高めて、個々人が、地域ごとに、自ら 企図して快適な現実を作り出すのを促すためです。これまで、通貨が国家権力と一体であったために、ここに、戦争屋と詐欺師が取り憑いていました。



国家とは別に「地域ごと」の通貨の発行を認め、通貨自体に実質価値を持たせるために、スマホやICカードと同じように金(ゴールド)の一部をマネーに印刷して偽札を防ぎ、流通状況を管理し、通貨膨張を抑え、一部の人間が独占してきた通貨発行益を消していく。

そのとき現在の銀行に預けてある「富」は、どんな扱いになるのでしょう。
戦後のブレトンウッズ体制はアメリカの軍事力と日本の産業力が支えてきたのですが、それがもちません。新通貨制度は、私たち日本国民に、国家依存からの脱却と、自分が暮らす現場の現実つくりに、共同で乗り出すことを迫っています。
http://www.k2o.co.jp/blog2/2014/09/post-1245.php

新井信介 「京の風」 K2O 新井ワールド


2014年09月01日(Mon)▲ページの先頭へ
陰陽振幅:陽→←陰が生命、陽←→陰が死:凹i*凸i⇔⇔±1:⇔は氣と物質の接触領域
記号が文字化けするので、正しい記号は以下を見られたい。凹i*凸i⇔⇔±1における、最初の⇔は仮のものである。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11918606606.html

陰陽振幅:陽⇨⇦陰が生命、陽⇦⇨陰が死:凹i*凸i⇔⇔±1:⇔は氣と物質の接触領域

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

陰陽を振動と捉えると、陰と陽が牽引によって衝突する場合と、反発によって離反する場合がある。前者が生命で、後者が死を意味するのではないだろうか。結合と分解である。(追記:思うに、陰陽のサイクルがあると見るのが適切だろう。牽引のサイクルと反発のサイクルである。しかし、基本的には、陰陽はそれぞれのサイクルにおいて、なんらかの波動はもっているということではないだろうか。これについてはさらに検討する必要がある。)
 これは、わかりやすいだろう。
陰陽方程式凹i*凸i⇒±1において、⇒は前者の生命を意味するのである。しかし、凹*凸i⇦±1が後者であり、死ということになろう。(実際、この視点は、D. H. ロレンスの哲学的評論「王冠」からのものである。「王冠」は以下の本に所収されている。

不死鳥(フエニツクス) (下)/山口書店
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D.H.ロレンス紀行・評論選集 3 トマス・ハーディ研究/南雲堂
¥4,194
Amazon.co.jp)

 つまり、エネルギーが生命体から離脱することを意味しているのである。故に、+1と−1の均衡がなくなり、
+1+(−1)=0(ゼロ)になり、死滅するということではないだろうか。
 生命の場合は、エネルギーの供給により、+1と−1が均衡をとっているのである。0になる(エントロピー)のを、供給されるエネルギー(⇒)が防いでいるのである(反エントロピー)。
 このエネルギーは物質エネルギーではなく、本来、氣エネルギーと考えられる。しかし、物質科学的には、物質エネルギーが供給されると見る。
 結局、氣生命科学的に興味深いのは、⇒±1の⇒の先端の領域である。あるいは、⇒の先端と±1が接する領域である。
 鍼灸で言う、経絡はこの領域であると考えられる。また、チャクラとか丹田も同様であろう。
 そう、太陽神経叢などもそうである。氣と有機体が接続する領域なのである。
 だから、便宜的に、その中間領域を表わす記号として、⇔を使用する。即ち、

陰凹i*陽凸i⇒⇔±1

となる。この氣と肉体が接する領域は極めて重要である。
 私が単に氣だけを主張するのをいくぶんためらうのは、この接触領域が実際には重要だからである。
 氣と物質の接合領域がきわめて重要なのである。
 思うに、免疫力もこの領域に関わっていると思う。太陽神経叢は肚にあり、また、腸内細菌も肚にあるのである。
 今は簡単に指摘に留める。

追記:脳的には、この中間・接触領域は、松果体ー脳下垂体に存するのではないだろうか。

追記2:−1と+1が何を意味しているのか、明示する必要がある。
 −1は陽主導の身体性であり、+1は陰主導の陰陽調和の身体性である。
 人間の場合、−1は自我的なものである。自我的身体であり、それは、大脳皮質と関係しよう。つまり、外的感覚神経と関係するのである。
 それに対して、+1は、植物的なもの、人間では、内臓に関わると思われる。
 そして、以上では触れなかったが、原点=MPは、人間では、心臓=こころ=中丹田と考えられる。
 つまり、実軸(±1と原点=MP)は身体全体を意味しているのである。ただし、人間の場合は、自我が−1に存するのである。

追記3:
陰陽方程式凹i*凸i⇒⇔±1であるが、上述では、死の方程式は凹i*凸i⇦±1となるから、それを含める必要があるだろう。とりあえず、

 凹i*凸i⇄⇔±1

としよう。⇄であるが、上部の→は生命エネルギー(氣エネルギー)であり、下部の←はいわば、死エネルギー(エントロピー)である。



何故、陰陽はπ/2、90度回転するのか?:陰陽の真正面の衝突は垂直に折れ曲がるのでは?
画像は以下見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11918242995.html

何故、陰陽はπ/2、90度回転するのか?:陰陽の真正面の衝突は垂直に折れ曲がるのでは?

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

               陽凸i 虚軸
                      |
     U:火          |        T:風
                      |
                      |
                      |
−1_____MP_____+1 実軸
                      |
                      |
     V:地          |        W:水
                      |
                      |
                     陰凹i

             陰陽ガウス平面(象限付き)


新しい陰陽方程式:−1⇦凹i*凸i⇨+1:⇦は陽⇒陰を、⇨は陰⇒陽を意味する
−1⇦凹i*凸i⇨+1
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11918235366.html

以上のように直近で述べたが、考えたら、どうして、陰陽氣はπ/2、90度回転するのか。
 これまで、そうなるのが、当然と考えて、そのメカニズムを考えなかった。
 思うに、陰と陽が衝突することを考えればいいのである。(衝突はkaisetsu氏が述べていたし、D.H.ロレンスも衝突力学を考えていた。)
 そうすると、同じ力の衝突によって、両者は垂直に折れ曲がるとするのが妥当である。
 だから、π/2回転、90度回転するのである。
 しかし、思うに、それは、単に、陰陽ガウス平面の実軸だけでなく、いわば、その平面に直交するような新しい軸の方向にも折れ曲がるだろう。
 否、思うに、陰陽衝突は原点=MPで起るのであり、そこから、現象が生起するのであるから、結局、陰陽衝突は、三つの現象軸へと折れ曲がると見るのが適切であろう。
 つまり、原点=MPから現象三次元空間が出現すると見るのである。
 これは、四元数(しげんすう)ではない。

陰凹i*陽凸i⇒±1x, ±1y, ±1z

である。ただし、1x,1y、1zは、三次元空間の直交する三つの軸、x軸、y軸、z軸の単位である。
 いわば、実軸が三つ生じたようなものである。
 しかし、そうすると、重力と浮力はどうなるのか。三種類の重力、浮力が生じて、不都合である。
 しかしながら、陰陽ガウス平面の実軸に優先性があるのではないだろうか。これが、重力と浮力、天地軸を形成すると見たい。
 つまり、陰陽ガウス平面が前提であり、それにおいて、陰陽衝突による垂直化は、実軸化と見るのが妥当である。
 では、他の二つの軸をどう見るのかである。
 思うに、実軸への折れ曲がりであるが、それは、二重螺旋ではないだろうか。今はそう作業仮説する。
 そして、二重螺旋である実軸の折れ曲がりの現象力は、当然、実軸の天地軸の一次元だけでなく、それに直交する平面をもっていることになる。これは、映画『スライブ』のトーラスの渦巻きに関係づけられそうである。
 しかし、折れ曲がりの実軸の二重螺旋で、充分、三次元空間は説明がつく。
 つまり、陰陽衝突が起る原点=MPからの垂直の折れ曲がりである実軸とは、現象三次元空間を意味するということになる。
 では、時間はどう説明できるのだろうか。
 思うに、+1が光速度になるのではないだろうか。すると、時間は、やはり、実軸に含まれることなろう。だから、やはり四次元時空間である。
 もっとも、以前、時間を虚軸に見たが、それも可能性としてはあるだろう。これは措いておきたい。
 結局、π/2、90度回転とは、陰陽衝突に拠るということになったのである。では、単位円は何を意味するのだろうか。
 これは課題にしておこう。
 とまれ、今はここで留める。

追記:実軸の二重螺旋であるが、それは、DNAのそれのモデルとなるのではないだろうか。そう、後者は水素結合であった。ここにも鍵があるだろう。
 では、弦巻植物の蔓はどうして、一重なのだろうか。これも課題にしておこう。


新しい陰陽方程式:−1←凹i*凸i→+1:←は陽⇒陰を、→は陰⇒陽を意味する
新しい陰陽方程式:−1←凹i*凸i→+1:←は陽⇒陰を、→は陰⇒陽を意味する

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

「つまり、陽が陰に対して、同一性化すると、−1となり、これが、重力ではないかと思う。それに対して、陰が陽に対して、共振調和すると、浮力になるということではないだろうか。これは、樹木や弦巻植物の上昇力を意味するのではないだろうか。」
四大(地水火風)と四つの象限の対応仮説:陽⇒陰が重力−1を、陰⇒陽が浮力+1を生む (09/01)
http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-2126.html

以上のように述べたが、陽主導と陰主導の場合を分けて陰陽方程式を表記した方がいいだろう。
 だから、次のようになる。

−1←凹i*凸i→+1

←は陽⇒陰を、→は陰⇒陽を意味する。−1は重力を+1は浮力を意味する。だから、+1が天であり、−1が地である。つまり、この新しい陰陽方程式は天地方程式でもある。あるいは、地球方程式でもある。また、生命方程式でもあった。即ち、

陰陽方程式=生命方程式=天地方程式=地球方程式

である。


四大(地水火風)と四つの象限の対応仮説:陽⇒陰が重力−1を、陰⇒陽が浮力+1を生む
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11918165960.html

四大(地水火風)と四つの象限の対応仮説:陽⇒陰が重力−1を、陰⇒陽が浮力+1を生む

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

原子、水、生命、各モデルの統一:陰要素(水)*エネルギー(日光=氣)*陽要素(二酸化炭素)

「陰陽方程式凹i*凸i⇒±1であるが、これは、生命体方程式でもある。左辺凹i*凸iが陰陽氣であり、それが、次元変換ポイントである⇒から、±1の生命体へ変換するわけであるが、生命体を維持するには、⇒に存するエネルギーを常に必要とするのである。そう、±1はエントロピーの世界であり、消滅ないし死へと向う力学世界である。
 だから、更新するには、恒常的なエネルギーの補給を必要とするのであり、その補給は、⇒において、なされると考えられるのである。
 このエネルギー補給であるが、例えば、草木の場合は、それが、現象的には光合成によって行われていると見ることができる。
 つまり、陰陽生命方程式:陰凹i*陽凸i⇒±1の力学は、光合成を指令するものと言えるのではないだろうか。
 少し、便宜的に言うと、陰の要素「水」と陽の要素「空気」(炭素:二酸化炭素から)を日光エネルギーによって、結合させることを、この式は示唆しているのではないだろうか。
 思うに、式を変形させて、

T. 凹i*凸i⇒U. 陰要素(水)*エネルギー(日光=氣)*陽要素(二酸化炭素)⇒V. ±1(生命体)

と見るとわかりやすいだろう。
Tが内在超越的陰陽氣であり、Uが植物体生成構成図式(光合成力学)であり、Vが生成された植物有機体である。
 とまれ、そのように見ると、根源の陰陽氣の三部構成(陰と陽と統合)には、それに対応する現象要素構成力学を含むのではないだろうか。つまり、陰は水を示唆し、陽は二酸化炭素を指示し、そして、統合、陰陽調和、陰陽共振のエネルギーは日光を指示しているのではないだろうか。」
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11917764490.html

先に以上のように述べたが、便宜的に、陰要素として水、陽要素として空気(二酸化炭素)、そして、エネルギーとして、日光エネルギーをあげた。
 思うに、平面座標の象限の考え方を使えるのではないだろうか。
直交座標系 - Wikipedia
直交座標系による平面上の点の座標と四つの象限


                    陽凸i 虚軸
                      |
                      |
                      |
                      |
                      |
−1_____MP_____+1 実軸
                      |
                      |
                      |
                      |
                      |
                     陰凹i

             陰陽ガウス平面


陰陽ガウス平面に上の直交座標平面の象限を当てはめて考えると、陰要素の水とは、第四象限に、陽要素の空気(二酸化炭素)とは、第一象限に、そして、日光エネルギーは、直交する原点に存しよう。
 では、第二象限、第三象限には何が入るだろうか。
 四大(しだい)の地水火風で考えると、残りは、地と火である。
 すると、地は重く、火は軽いから、第二象限には火、第三象限には、地が入ることになる。
                  
                    陽凸i 虚軸
                      |
     U:火          |        T:風
                      |
                      |
                      |
−1_____MP_____+1 実軸
                      |
                      |
     V:地          |        W:水
                      |
                      |
                     陰凹i

             陰陽ガウス平面(1)

しかし、下の上図であるが、上下が反対ではないかと思う。
 何故なら、陽は、軽くはなく、重くなるからである。ならば、次のようになるだろう。

                    陽凸i 虚軸
                      |
     U:地          |         T:水
                      |
                      |
                      |
−1_____MP_____+1 実軸
                      |
                      |
     V:火          |         W:風
                      |
                      |
                     陰凹i

             陰陽ガウス平面(2)

しかし、2の配置は、感性的に合わないのである。水はやはり、陰要素であるからである。直観では、1の配置がいいのである。
論理では、2である。
 どうやら、陰は軽く、陽は重いという考え方を変える必要がありそうだ。
 ただ、陽は収縮力、求心力、陰は発散力、遠心力というのはそのままでいいだろう。つまり、それぞれ、重いと軽いという視点を抜くのである。
 そして、重い、軽いという重力の視点であるが、それは、実軸化によって生じると見るのである。
 つまり、陽が陰に対して、同一性化すると、−1となり、これが、重力ではないかと思う。それに対して、陰が陽に対して、共振調和すると、浮力になるということではないだろうか。これは、樹木や弦巻植物の上昇力を意味するのではないだろうか。
 これで、整合性が出て、明快になった。





検討問題:陰陽方程式:陰凹i*陽凸i⇒±1をどう見るか:氣は虚軸のみで、実軸は物質軸か?
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11918014905.html

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

                     凸i虚軸
                      |
                      |
                      |
                      |
                      |
−1_____MP_____+1 実軸
                      |
                      |
                      |
                      |
                      |
                      凹i


             陰陽ガウス平面

先に、虚軸において、超越氣、実軸において、内在氣を見たが、果たして、それでいいのか。やはり、氣は虚軸だけに見て、実軸は、有機物質軸ではないかと思った。そして、生命エネルギーは原点=MPにあると見るのである。
 物質を維持しているのは、その氣エネルギーということになるのである。これが、それまでとってきた私の考えである。
 つまり、±1の有機物質体は、原点=MPからのエネルギー(形態情報エネルギー)がないと、−1+(+1)=0(ゼロ)で消滅してしまうことになるのである。
 原点=MPからのエネルギー補給によって、有機物質体を維持していると思えるのである。つまり、反エントロピー力である。
 後でもう少し述べたい。


2014年08月31日(Sun)▲ページの先頭へ
原子、水、生命、各モデルの統一:陰要素(水)*エネルギー(日光=氣)*陽要素(二酸化炭素)
画像、リンクは以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11917764490.html

原子、水、生命、各モデルの統一:陰要素(水)*エネルギー(日光=氣)*陽要素(二酸化炭素)

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

原子モデル:その2:−1の原子核と+1の電子をどう見るか
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11917282894.html

水は謎めいている:水の親和性・神秘性・叙情性は何か:水素結合と正四面体
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11917178796.html

生命とは何か:その1:生命はより高度な陰陽調和的実現を求める自己組織体
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11917084495.html

先に以上のように、それぞれ異なる視点から素描したが、これらを一つに結びつける視点が必要であるが、なかなか複雑で、すぐには仮説が見つからない。
 とまれ、原子モデル、水モデル、生命モデル、この三つを組み合わせる必要がある。
 今は、頭がクリアではないので、精緻細緻に行なえない。
 一言いうと、生命モデルの氣・物質的基礎は水だと思う。
 そして、植物の生命モデルは、氣の自己組織化=オートポイエーシスで規定されるのではないだろうか。
 例えば、光合成は、根から水を吸い上げて、葉において呼吸で取り入れた二酸化炭素と組み合わせて、太陽エネルギー(氣エネルギー)を吸収して合成するシステムであるが、有機体という氣的物質体を形成するための形態モデルは、既に、生命モデルに存しているのではないだろうか。それを実行するために、光合成というシステム形成を行なうのではないだろうか。
 でも、光合成システムはでき過ぎている感じをもつ。
 結局、生命が物質世界で生きるために、物質的形態・構成をとらないといけないが、その物質形態力学は氣的次元変換力学で説明できるだろう。
 陰陽方程式凹i*凸i⇒±1であるが、これは、生命体方程式でもある。左辺凹i*凸iが陰陽氣であり、それが、次元変換ポイントである⇒から、±1の生命体へ変換するわけであるが、生命体を維持するには、⇒に存するエネルギーを常に必要とするのである。そう、±1はエントロピーの世界であり、消滅ないし死へと向う力学世界である。
 だから、更新するには、恒常的なエネルギーの補給を必要とするのであり、その補給は、⇒において、なされると考えられるのである。
 このエネルギー補給であるが、例えば、草木の場合は、それが、現象的には光合成によって行われていると見ることができる。
 つまり、陰陽生命方程式:陰凹i*陽凸i⇒±1の力学は、光合成を指令するものと言えるのではないだろうか。
 少し、便宜的に言うと、陰の要素「水」と陽の要素「空気」(炭素:二酸化炭素から)を日光エネルギーによって、結合させることを、この式は示唆しているのではないだろうか。
 思うに、式を変形させて、

T. 凹i*凸i⇒U. 陰要素(水)*エネルギー(日光=氣)*陽要素(二酸化炭素)⇒V.±1(生命体)

と見るとわかりやすいだろう。
Tが内在超越的陰陽氣であり、Uが植物体生成構成図式(光合成力学)であり、Vが生成された植物有機体である。
 とまれ、そのように見ると、根源の陰陽氣の三部構成(陰と陽と統合)には、それに対応する現象要素構成力学を含むのではないだろうか。つまり、陰は水を示唆し、陽は二酸化炭素を指示し、そして、統合、陰陽調和、陰陽共振のエネルギーは日光を指示しているのではないだろうか。
 思うに、氣的原子構成において、既に、水分子、あるいは、二酸化炭素分子を創造するプラグラムがあるのではないだろうか。 また、統合エネルギー、結合エネルギーは太陽エネルギーと当然、考えられよう。それが、内在氣エネルギーの大元であるから。
 そう、陰陽方程式凹i*凸i⇒±1において、かなりの生命体プログラムが潜んでいると思われる。
 そして、そこには、フィボナッチ数列、等分割・均衡原理が作用していると思う。どうも、根源数理空間原理があるようである。
 そして、それは、無意識的認識原理でもあるようだ。ただし、人間には、意識には、これは、認識できないである。つまり、陰陽無意識があり、それが、生命現象を形成しているということになる。いわば、陰陽は創造神である。
 後で、もう少し、分割原理について検討しよう。
 
追記:陰陽には、現象プログラムが内包されているように思う。
易である。やはり、映画『スライブ』のトーラス(アップル像)に通じるだろう。
 ただし、力学的には説明できても、本質的にはどうか。植物や動物は説明できても、人間の進化は説明できないのでは。
 しかし、人間認識であるが、それは、内在する原点=MPの促動によって説明できるだろう。
 とは言え、陰陽プログラムは形態は説明できても、認識内容は説明できないのではないだろうか。

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2014年08月30日(Sat)▲ページの先頭へ
原子モデル:その2:−1の原子核と+1の電子をどう見るか
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11917282894.html

原子モデル:その2:−1の原子核と+1の電子をどう見るか

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

http://www.storkdt.com/view.php?id=38

これまで、原子核を渦巻きの中心かそれ自体とし、電子を螺旋と想定した。
 しかし、陰陽図にあるように、原子核と電子は陰陽像を形成しているのではないかと閃いた。
 およよ氏は、原子核は存在しなく、竜巻原子説を立てている。
 そこまでいかないとしても、原子核は、以上の図で言うと、白い勾玉の部分であり、その中の黒い円が原子核で、黒い勾玉が電子で、その中の白い円は、原子核に通じる原点=MPではないだろうか。
 これは、陰陽原子説である。
 これは一種、渦巻きを描くだろう。いわば、陰陽渦巻きである。しかし、中心は二つあることになる。双極渦巻きであり、なにか、楕円を想起する。
 また、これを現象化すると、三次元になり、螺旋、二重螺旋になると考えられる。
 ならば、原子は二重螺旋である。二重螺旋原子説となる。
 しかし、原子核と電子では動きの方向が異なる。前者は求心的であり、後者は遠心的である。
 そう、すると、内在氣の流れは、−1(原子核)から+1(電子)へとなるだろう。これが、磁場を意味しよう。
 これは、映画『スライブ』のトーラス(アップル像)と同じになる。

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言い換えると、原子核、陽子や中性子は、原点=MPに向かい、そして、電子は、原子核から「天」へと螺旋化するということになろう。(上アップル像では、下部の極が−1、S極であり、上部の極が+1、N極である。そして、下部から上部へと内在氣エネルギーが作用するが、それは現象では電磁波である。)
 さて、ここで、正負の符号が逆になっていることについて考えよう。私説では、原子核が−1で、電子が+1である。普通は、原子核の陽子は正電荷で、電子は当然、負電荷である。
 私説の場合、±は電荷の符号というわけではない。それは、−1とは、陰陽調和ではなく、陽主導の同一性化を意味し、+1は、陰陽調和であり、陰主導の差異共振化を意味するのである。だから、哲学的符号と見るといいのである。
 それに対して、物理学では、±は、電荷の符号となるのであり、視点が異なるから符号の逆は矛盾ではないと考えられる。
 少し、陰陽原子説を補正すると、原子核自体は、原点=MPではなく、やはり、−1とするべきであろう。それが、原点=MPを介して、電子へと作用すると見るべきではないだろうか。
 つまり、陽の中の白い円と陰の中の黒い円は、原点=MPで一致するということになるのである。
 とまれ、陰陽渦巻き螺旋原子説となろう。
 ひょっとして、およよ氏の唱えるように、原子核はないのかもしれない。
 しかし、やはり、陰陽原子説から見ると、−1が原子核であり、+1が電子でいいと考えられるのである。
 ならば、上記の二重螺旋像は誤りとなるだろう。
 これについては、再検討が必要である。


水は謎めいている:水の親和性・神秘性・叙情性は何か:水素結合と正四面体
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11917178796.html

水は謎めいている:水の親和性・神秘性・叙情性は何か:水素結合と正四面体

テーマ:生命力とは何か:氣と小食と腸内細菌

水の不思議は、水素結合と(正)四面体にあることがなんとなくわかってきた。
 水の親和性、「共感性」は、主に、水素結合に存するように思われる。
 以下、参考1(青色と赤色の箇所)にあるように、水素原子核が他の陰電子と結合しやすいということなので、ここで、親和性が出るのではないだろうか。
 もっとも、水素結合の電子の方にも、親和性があるだろう。
 とまれ、氣的水を考えると、陰陽ガウス平面において、実軸が原子構造になり、−1が原子核、+1が電子である。そして、前者が渦巻き、後者が螺旋と想定した(正負の符号が逆だがそのままにしておく)。(思うに、陰陽ガウス平面で考えると、全体は、渦巻きの形態をしているとしていいのではないだろうか。)
 この水素原子は、陰陽氣振動によって、原点=MPにおける次元変換によって、発生していると見るのである。
 そして、実軸に磁場が形成されると見るのである。+1がN極で、−1がS極である。
 そして、電磁波が放出されると考えるのである。
 しかし、電磁波のエネルギーは内在的氣に拠ると、これまでから考えるのである。しかし、通常の科学では、電磁波のみを観測し、氣は観測できないのである。
 さて、水分子の集合である水であるが、それは、クラスターでわかるように、水分子が揺らいだ状態にあると思われる。
 つまり、水素結合が連結したり、離れたりしていると考えられる。
 思うに、揺らぐ水素結合が内在氣による電磁波を放出するのではないだろうか。そして、この内在氣の電磁波が、人間の感性・心性において、親和性として捉えられるのではないだろうか。それは、電磁波自体というよりは、電磁波に内在する氣、氣エネルギーによると思われるのである。
 きれいな水辺で感じる心地よさは、これに拠るのではないだろうか。また、汚染された水辺の場合は、水素結合が汚染物質と反応して、内在氣による電磁波が衰退しているのではないだろうか。そのため、心地よくなく、すなわち、不快に感じるのではないだろうか。
 今は、思いつきのみである。

参考1:
水質化学1.2水分子の構造と水分子間の相互作用
1.2 水分子の構造と水分子間の相互作用
 水分子の形状は簡単に表すと中心に酸素、2つの角に水素イオンを持つ4面体(4つの側面を持つ三角形のピラミッド型)で表される。水素と酸素は2個の電子(electron pare)により結合している。一つ電子は酸素から、もう片方は水素から供給されている。酸素はその外殻に6つの電子を持つのでこの配置では2つの共有電子対と4つの非共有電子(unshared electrons)、すなわち2つの非共有電子対が残ることになる。これら4つの電子対が4 面体の4つの角を構成する。2つの水素イオンと2つの非共有電子対が4面体の角に存在している。他の2つの電子(H-O間にある)は共有されている。一組が酸素原子と各水素原子の間に存在している。分子形状は実際にはわずかにゆがんだ四面体となる。理想的な四面体では109°となるがH-O-Hの角度は 105°かそれ以下である。
 ここでメタンとアンモニアについても考える。
 水素-酸素結合を作る電子は2つの原子に共有(share)されるが、等しく共有されているわけではない。酸素は水素よりも電子をより強くひきつける(attract)。(これはなぜか?酸素原子と水素原子の核内の陽子数を考えると分かる。)結果として、水分子は全体としては電気的に中性(陽子数も電子数も10)である(すなわちイオンではない)ものの、水分子内には電荷の偏りが生ずる。具体的には、約0.24 esu(electrostatic unit、電子一つが持つ電荷)の正電荷が水素原子の近くに存在し、約0.48 esuの負電荷が酸素原子の近くに存在する。この電荷の分離のことを「極性」と言い、このような分子は「極性(polar)をもつ」と表現される。
 水素原子は一つの陽子と一つの電子を持つ。この一つの電子は通常水分子中の水素原子と酸素原子の中間に存在するので、周りを取り囲む水分子=残りの溶液から見ると、水素イオンは裸の陽子=プロトンのように見える。負電荷の電子がなく正電荷のプロトンのみとなっていることで、他の負電荷をもつ分子、すなわち陰イオンと、分子内に負電荷部分を持つ極性分子が、無防備なプロトンに大変近くまで接近できるようになる。実際に他の分子が他のいかなる正荷電を持つ原子の核に近づくよりも、水分子中のプロトンに近い状態となった水素原子に近づくことができる。(プロトン以外は1つ以上の電子を持つので、反発力が発生してしまう。)このように極めて接近することで普通では見られない強力な静電気的結合(electrostatic bond)が水分子中のプロトンと他の分子の負電荷部分の間に形成されることとなる。
 このような結合は「水素結合(hydrauric bond)」と呼ばれ、水溶液中ではとくに重要な現象である。水素結合は水分子中の電子が少ない(poor)水素原子と他の分子中の電子がリッチな部分(すなわち、非共有電子対の部分)の間に形成される。この結果、全ての水分子は最大で4つの水素結合(二つの水素原子のプラスの部分と二つの非共有電子対のマイナスの部分。すなわち四面体の四つ角の部分)で他の水分子と水素結合する可能性がある。氷中では4つの水素結合が形成されている。ある実験結果は、水中では各分子は他の3分子と瞬時に水素結合をすることを示している。水素結合のために水は他のいかなる溶媒よりも密着しており、このことが多くの重要な物理的または化学的挙動に影響を及ぼす。
北大 佐藤久研究グループ  


参考2:
水素結合とはなんですか? - キリヤ: Q&A
水素結合とは分子間結合の1つで、酸素−水素結合(O-H)の電子の偏りに由来する双極子相互作用の1つであることをQ 49 で説明しました。この水素結合はわれわれ生物にとって非常に重要なものです。人間には多くの水が含まれ、タンパク質、核酸、脂肪、炭水化物などが含まれています。これらの物質が機能するためには、水素結合が大きな役割をしているのです。家は材木を組み立てて作られますが、材木と材木をつなぎ止めるところが水素結合であると考えられます。材木だけでは家にはなりませんが、材木をつなぎ合わせて、はじめて立体的な家ができ上がります。水素結合は、タンパク質などを立体的な形にするために必要なのです。では、生物における水素結合の重要性を見てみましょう。


水分子の水素結合
  
http://www.kiriya-chem.co.jp/q&a/q50.html


共有結合
 水の分子はH-O-Hですが、このH-O-の結合が共有結合です。水素(H)と酸素(O)がそれぞれ電子を1個ずつ出し合って共有し、1つの結合を作っているのです。共有結合は−で表しますが、そこには電子が2個入っています。
 2個の電子は酸素と水素の間で均等に存在するのではなく、酸素が電子を引き付けて酸素側に片寄っています。それぞれの原子の極性は酸素が-0.820、水素が+0.410となっています。したがって、水分子は極性を持つことになり、食塩(NaCl)などの極性物質を溶かすことができるのです。



水分子の極性


電子の偏り

 例えばポリ袋はポリエチレンですが、-CH2-CH2-CH2-CH2-とC-Cの共有結合が何十万、何百万と続いていますし、C-Hの間も共有結合です。有機化合物はほとんど共有結合からできています。このように、有機化合物は共有結合でできていて1つの分子を作っています。したがって、分子とは共有結合だけでできているものと考えていいでしょう。

http://www.kiriya-chem.co.jp/q&a/q49.html
キリヤ: Q&A - キリヤ化学

参考3:

―簡単な分子;水・アンモニア・メタン―

まず一番と言ってもいいほど有名なメタンの形を考えよう。

メタンは言わずもがな正四面体型である。

その理由はルイス構造式から導かれる。


まずメタンのルイス構造式を書いてみよう。



この構造式を見ると、(最外殻に)電子対は4つあることがわかる。

電子対はその名の通り電子の対であるから、マイナスの電荷を持っている。

しかしお隣さんの電子対もマイナスである。

すなわちマイナス・マイナスで電子対同士はお互い反発しあう。

一番自然なことを考えると、全部がお互いに反発しあうのでお互いに一番遠くへ離れたがるだろう。

しかし球形の中心原子(この場合C)を中心に反発して逃げるので、
ある一つの電子対から逃げすぎると背後の別の電子対と近づいてしまう。

すると、全てがお互いに一番離れるためには、電子対は中心に対して均等にばら撒かれるはずである。

正四面体の形は、4つの頂点がお互いに全て109.5度に一番遠くへ配置されている。

なのでメタンは正四面体なのである。

4つの頂点(電子対)が空間的に均等にばら撒かれる非常に自然な形なのである。

・・・


最後に水について。

同様にルイス構造式を書く。



すると2つの共有電子対と2つの非共有電子対で、またしても電子対は合計4つである。

したがって同様にこれらは正四面体の4つの頂点になる。

すると、今度はうち2つだけがHなので、中心のOと二つのHで折れ線になる。



以上で簡単な分子の形の根拠がわかった。


また、これらの簡単な分子は正四面体を基本としていたが、下で解説するような二重結合を持つ分子や第三周期以降の原子が中心となる分子等は正四面体を基本とするとは限らない。

http://chemieaula.web.fc2.com/lecture/shape.html

放課後化学講義室


2014年08月29日(Fri)▲ページの先頭へ
生命とは何か:その1:生命はより高度な陰陽調和的実現を求める自己組織体
画像等、以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11917084495.html

生命とは何か:その1:生命はより高度な陰陽調和的実現を求める自己組織体

テーマ:生命力とは何か:氣と小食と腸内細菌

氣的原子から気的分子への転換を解明しようと思っていたが、たいへん難しい。  
 とまれ、先ず、生命とは何かを明確する必要があると思った。
 単に、渦巻きや螺旋を描くだけでは、生命とは言えない。では、何を以て、生命というのだろうか。
 エントロピーに対し、反エントロピーがあることが生命と言えるのか。それは、生命の一つの特質であり、本質ではないのではないだろうか。
 D. H. ロレンス的に言えば、成就すること、開花することである。結実することではない。
 実現である。何を実現するのか。
 それは、氣で言えば、陰陽氣を物質的に開花させることではないだろうか。そう、花とは何か。
 私説では、やはり、陰陽調和の極致ではないだろうか。陰は雌蕊、陽は雄蕊となり、それらは、一つの花弁に共立している。
 陰陽調和の至上の実現と言えるのではないだろうか。
 そのように考えると、生命とは(この場合は、植物であるが)、陰陽調和の最高度の実現を成す、動的自己組織力であると言えるのではないだろうか。
 全体としては、生命はより高度な陰陽調和的実現を求める自己組織体と言えるのではないだろうか。
 しかし、人間の場合、植物のような、あるいは、動物のような、陰陽調和性に恐ろしく欠けている。(植物はわかりやすいが、動物の陰陽調和とは、その姿態にあるのではないだろうか。バランスのとれたしなやか姿態である。)
 人間と他の生命との違いは、当然、自我や思考等の認識能力をもっていることである。とりわけ、自我である。
 これがあるために、利己主義になり、他者との陰陽調和を破壊するのである。
 そう、肉食もそのようなものだろう。
 とまれ、人間の場合、生命のより高度な陰陽調和的実現は、きわめて困難である。
 しかし、潜在内在的には、その「種子」、「胚珠」はもっているのである。それは、端的に、「こころ」に存すると考えるが。
 とまれ、自我認識のために、人間は生命としての自己実現が妨げられるのである。
 では、どうしたら、人間は、生命としての自己実現、陰陽調和的自己実現が可能になるのだろうか。
 それは、自我(頭)=陽=知性をもちつつも、魂(肚)=陰の感性をもち、また、両者の調和であるこころ=中丹田=心臓を開花させることだと思う。ただし、陰と陽は不連続であることを確認する必要がある。それによって、自我は、欲望・感情から切り離されて、いわば、個になると思われる。(この点は、既述済みである。)
 とまれ、自我中心の精神から、魂をもち、また、両者を均衡させるこころの精神形成が人間の生命としての開花であると思われる。もっとも、これは、発展させられるべきものである。
 以上、ざっとであるが、生命の意味を確認した。
 陰陽調和の視点から、生命体の形成力学をこれから探求することになる。

参照:
第八章 人間の心の正体 Dシュタイナーの生命観|心の奥にひそむ ...
シュタイナーは言います、生命のあるところには必ず重力を克服しようとする傾向が見られ、その際に欠かせないのが水(液体)であると。そのことについて、F.W.ツァイルマンス、ファン・エミショーベン著『ルドルフ・シュタイナー』(人智学出版社)に、比較的まとまった記述があるので、それを要約して以下に示します。

 鉱物がある種の安定性、形状普遍性に特徴づけられるのに対して、水の特徴は絶えざる運動にある。水は雲から落下し、大地を流れ下り、山から谷へ流れ、集まって湖や海となり、空に上り凝縮して再び雲になるが、そのことで分かるように水は地表に拡散するだけでなく、天と地を上昇したり下降したりして絶えず動いてる。液体は天と地の間で普段の運動状態にあるのだ。

 ところで重力というものがあって、それは中心的・求心的な力であり、地球の中心に向かって作用する。その一方で、この重力とは別の力があって、それが浮力であり、地球外に発生源を持つもので、その力は地球の外へ、宇宙に向かって作用する周辺的・遠心的な力である。それは重力とは逆の作用をもたらし、この力が水に作用しつつ、生命にとって重要な役割を演じているのである。
http://ameblo.jp/syuta17/entry-11501730760.html


第八章 人間の心の正体(実相) Gシュタイナーの精神科学の特

http://ameblo.jp/syuta17/entry-11643034668.html  

第八章 人間の心の正体(実相) F人間の三つの側面と自我(「私」)とのかかわり
http://ameblo.jp/syuta17/entry-11502042974.html
第八章 人間の心の正体(実相) E意識は生命からは生じない
http://ameblo.jp/syuta17/entry-11502027255.html
第八章 人間の心の正体(実相) Dシュタイナーの生命観
http://ameblo.jp/syuta17/entry-11501730760.html
第八章 人間の心の正体(実相) C人間を超えた上位の「究極的全体」を意識せよ!
http://ameblo.jp/syuta17/entry-11501719075.html
第八章 人間の心の正体(実相) B究極の超越的存在を確信させる論理
http://ameblo.jp/syuta17/entry-11501710658.html
第八章 人間と心の正体(実相) A自我の全一性とその起源
http://ameblo.jp/syuta17/entry-11501455425.html
第八章 人間の心の正体(実相) @「私」という意識の奇跡的ありよう
http://ameblo.jp/syuta17/entry-11501197693.html

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参考:
花 - Wikipedia
生物学的「花」[編集 ]
花の定義[編集 ]

花は雌蕊や雄蕊を含む(ないものもある)、一個の有限の茎頂 に胞子葉 (花葉)と不稔の付属物などから構成された、種子植物の生殖器官である。

しかし、その厳密な定義については複数の考え方が存在する。

1. 被子植物 の生殖器官を花とする考え方
2. 胚珠 のある生殖器官を花とする考え方(被子植物 と裸子植物 )
3. 生殖器官が密集したものを花とする考え方

花は、胞子葉が枝先に固まった構造から生じたと見られるが、この意味を広く考えれば、普通の被子植物の花以外に、裸子植物における松ぼっくりなどの元になる構造や、さらにはスギナ の胞子葉であるツクシのようなものまでが花と言えてしまう。2は、松ぼっくりまでは花だというもので、3は、ツクシも花だという立場と言える。

1はアメリカの研究者に多く、2はヨーロッパの研究者に多い。19世紀は3の考え方が主流だったが、現在では一番合理的とされる2が主流になりつつある。
構造[編集 ]

花全体の構造は、1本の枝に、先端の方から大胞子葉、小胞子葉、不実の葉が並んだ構造が、ごく短くつまったものと見なせる。

典型的な花は、枝から伸びた柄の先につき、中心に雌蕊 をもち、その周囲を雄蕊 が囲む。その周囲には、花びら や萼 などが配置する。雄蕊では花粉 が作られ、雌蕊には胚珠 が入っている。この両者の働きで種子 が作られる。

裸子植物 においては、雌雄異花が普通で、軸を中心に胞子葉由来の鱗片状の構造が並んだ形を取るのが普通である。

被子植物 では、花びらや萼 といった装飾的な構造が多数加わることが多い。したがって、その構造は中心に大胞子葉由来の雌蕊、その外側に小胞子葉由来の雄蕊、そしてその外側に葉 由来の花弁、そしていちばん外側にやはり葉由来の萼が取り巻くという形になる。花弁、萼はまとめて花被と呼ばれる。ただし、すべての花がこのような構造を持っているわけではなく、花びらや萼などがない花も多い。特に、風媒花 などでは、花びらがかけていたり、退化 しているものが多い。イネ科 の場合このような花を小穂 という。

また、1つの花に雄蕊と雌蕊を備える花が多いが、どちらかだけを持つ、雌雄異花のものもある。雄蕊と雌蕊が両方備わっていても、片方が機能していない例、どちらかが先に熟し、同時には熟さないようになっている例も多い。

花の配列状態を花序 という。花序 は花によって異なるが、ある一定の方式にしたがって並ぶ。

苞 は、花や花序の基部につく葉のことをいう。包葉ともいう。通常は、小型であるが花弁状になるものもある。
生殖様式[編集 ]

花粉 により受粉をさせ、生殖を行う。受粉には花の構造により、自家受粉 と他家受粉にわけられる。通常、他家受精であることが望ましいので、種類によっては自家受精を妨げるようなしくみが見られる。例えば、雄蕊と雌蕊のどちらか先に成熟するようになっているのもそのひとつである。どちらが先かで雄性先熟、雌性先熟とよばれる。
花の進化[編集 ]

種子植物がシダ植物 から進化 するに伴い、雄蕊は小胞子のう をつける胞子葉、雌蕊は大胞子のうをつける胞子葉 が変化してできたと考えられる。また、花びら、萼も葉が起源のものと思われる。

被子植物の花が、どのようにして進化したかについては、大きく2説がある。

1. 1雄蕊1雌蕊1花被1の花を原始的なものと見なし、次第に複雑な構造のものが出現したとする説で、新エングラー体系 の根拠となっている。
2. 軸を中心に多数の雄蕊、雌蕊、花被が螺旋状に並んだ花を原始的なものと見なし、次第にその形が整理されてきたと見なすもので、クロンキスト体系 はこれを基礎とする。

クロンキスト体系 によれば、双子葉植物綱 ではキク目 を最も進化したものとし、単子葉植物綱 ではラン目 が最も進化しているとする。
花が美しいわけ[編集 ]

花は人目を引く魅力がある。一般的な概念での花は、それ以外の部分が緑などの地味な中にあって、それとは対照的に鮮やかな色合いの花弁などを並べてよく目立つようになっている。これは、そもそも花の存在が、他者の目を引くことを目的としているからである。ただし、本来はヒト の目ではなく、昆虫 や鳥 などの目を引くためのものである。これは、植物が固着性 の生活様式を持つため、繁殖時の生殖細胞 、具体的には花粉 の輸送に他者の力を借りなければならない。被子植物の多くがその対象を昆虫や鳥などの小動物とし、彼らを誘うために発達した構造が美しい花びらで飾られた花なのである[2] 。

したがって、無生物によって花粉を運搬する植物の花は目立たなくてもいい。裸子植物 は風媒なので、花弁などを持たない。被子植物でもイグサ科 やイネ科 などは虫媒花から進化して二次的に風媒となったもので、イグサ科では花弁はあるがきわめて地味になっており、イネ科では花弁は完全に退化し、開花時にも全く目立たない。


参考2:
いまだ謎多き水分子の世界 −その意外な構造と運動様態の秘密に迫る ...
水分子に特有な水素結合とは?

 酸素原子の外側の電子軌道には6個の電子が、また、水素原子の電子軌道には1個の電子が入っています(図1参照)。酸素原子1個に水素原子2個が結合し水分子H2O をつくる場合、それぞれの水素原子は、なけなしの電子1個を酸素の電子軌道に供与するかわりに、酸素からも自分の電子軌道に電子1個を供与してもらい、互いにしっかりと結び付きます。水素原子はその電子軌道に2個、酸素原子は外側の軌道に8個の電子が入った状態になると安定する特別な性質があるため、「共有結合」と呼ばれる水素2個と酸素1個の強い結び付きが起こるのです。相互に電子を貸し借りし、帳尻の合う密な関係を形成しているわけです。
 ところで、個々が独立し安定的に存在するはずの水分子が、なぜ氷のような固体の結晶になったり、4°Cで最大密度をもつ液体となったりするのでしょう。その謎を解く鍵は「水素結合」という水分子間の特殊な相互吸引メカニズムにあると考えられています。水分子の水素原子2個の電子は酸素との共有結合部分に引き寄せられるため、水素原子の共有結合部の反対側は弱い正電荷(プラスの電気)を帯び、一方、酸素原子の外側電子軌道の残り4個の電子(共有結合部の2個以外の電子)は、2組の孤立した電子対をなして負電荷(マイナスの電気)を帯びます(図2参照)。そのため、水分子の正電荷を帯びた2箇所の水素原子端部には他の2個の水分子の負電荷部分(孤立電子対部分)が、また逆に負電荷を帯びた2箇所の孤立電子対部分には他の2個の水分子の水素原子端部が引き付けられることになります。それが水素結合(図3参照)と呼ばれるもので、その結合力は共有結合の10分の1程度だと考えられています。
 この水素結合のメカニズムにより1個の水分子はその周りに4個の水分子を引き寄せます。正4面体の各頂点とその中心とに合計5個の水分子が位置する構図を想像してみてください。この基本構造が規則的に重なって形成された結晶体が氷というわけなのです。これまで氷中のH2O分子相互の結合状態やその機能の直接観測は困難だったので、コンピュータ上で仮想原子間の相互作用やそのメカニズムを推定する分子動力学シミュレーションを用い、その解明が行われてきました。しかし、最近、SPring-8の高エネルギー非弾性散乱ビームライン(BL08W)でのコンプトン散乱法を用いた高精度実験により、直接的な氷の構造・機能の観測に成功し、分子動力学シミュレーションの予想を裏付けることができました。
 コンプトン散乱法とは、X線の粒子(光子)が電子と衝突し散乱する前と後のエネルギー差を解析し、研究対象の分子や原子がもつ電子の運動様態を調べる手法です。この一連の研究により、氷のもつ冷熱エネルギーの一部は低温になるほど水分子の結合力が強まるネットワーク構造中に蓄えられ、残りの一部が分子の振動エネルギーとして蓄えられることが明らかになりました。今後の蓄熱材料開発や新物質の蓄熱特性の解明に貢献すると思われるこの基礎研究は、米国の一流科学誌でも紹介されました。
図1.水素原子と酸素原子の模式図

図1.水素原子と酸素原子の模式図
図2.水分子および共有結合の模式図

図2.水分子および共有結合の模式図
図3.水の4つの水素結合の模式図

図3.水の4つの水素結合の模式図

酸素や窒素など、電子をひきつけやすい原子と共有結合した水素原子は電子を引っ張られて弱い正電荷を帯び、隣接原子の持つ負電荷との間に共有結合の10分の1程度の弱い結合を生じる。これを水素結合と呼ぶ。水分子の場合、酸素原子のもつ6つの価電子のうち、2つの電子が2つのOH結合に関与して、残りの4つが2組の孤立電子対となり、隣接する水分子と合計で4つの水素結合を作ることができる。
http://www.spring8.or.jp/ja/news_publications/research_highlights/no_54/
ホーム ― SPring-8 Web Site


検討課題:原子から分子・有機体への転移力学
リンクは以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11916848963.html

検討課題:原子から分子・有機体への転移力学

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

先に以下のように書いたが、いわば、比喩的である。
原子から即植物等の形成を考えるのは、おかしい。
もっとも、フラクタルと見れば、それなりの論理はあるが。
 とまれ、原子から分子の移行を見る必要がある。
これは、検討課題である。
 一言いえば、諸原子の結合(分子)力学を探求する必要がある。
 もっとも、フィボナッチ数列的等分割・正多角形原理を考えると、それが、原子レベルでも作用しているのであり、それと分子形成がどう結びつくのかということもある。

*************************

検討問題:陰陽ガウス平面は、等分割・正多角形平面?
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11916706299.html

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

先にざっとフィボナッチ数列による等分割・均等原理から、正多角形の形成を考えた。
 思うに、それは、陰陽ガウス平面に形成されると見ていいのではないかと思った。
0,1,2は、形が形成できない。0は点、1は直線、ないし、線分、そして、2は、1に直交する直線、線分ではないだろうか。
 そして、3になって、正三角形が形成されるのではないだろうか。
 2π、360度を三等分割するということで、正三角形ができるとしていいのではないだろうか。そして、5の場合は、正五角形ができるということでは。
 そして、この分割論理=力学が、電子螺旋に適用されるのではないだろうか。そうすると、三つ葉や五弁の花等が生まれるのでは。また、五本の指等々である。
 先に述べた、原子渦巻螺旋仮説であるが、原子核=渦巻と電子=螺旋としたが、後者が以上のような分割論理=力学を体現するとするならば、前者はどういう意味があるのでだろうか。
 渦巻きであるから、当然、フィボナッチ数列が関係しよう。
すると、原子渦巻螺旋仮説であるが、それは、渦巻きと螺旋ともに、フィボナッチ数列力学が作用すると見ていいだろう。
 そう、−1の原子核は、渦巻きを主に形成する。例えば、銀が星雲や、台風である。しかしながら、+1の電子と結びついて、螺旋的形状、朝顔や蔦を生むと見られよう。
 そう、陽凸iが主導だと渦巻きを、陰凹iが主導だと螺旋を産出形成するのでは。もっとも、両者の中間的な現象もあるだろう。
 この力学については、後で検討したい。

参考:
目で見て操作する「分子の世界」−そのミクロ構造と物性− 基礎知識ベース
rikanet2.jst.go.jp/contents/cp0200a/contents/


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(2) 分子軌道の生成; 等核2原子分子 (1) 軌道生成 (2) エネルギー準位 ... (1) メタンの
分子構造 (2) sp混成軌道の概要 (3) 水の分子構造 (4) アンモニアの ... ファンデル
ワールス結合 (1) ファンデルワールス力とは (2) 無極性分子に働くファンデルワールス力

1.
いまだ謎多き水分子の世界 −その意外な構造と運動様態の秘密に迫る ...
www.spring8.or.jp/ja/news_publications/research.../no_54/


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水はとても身近な存在で、H2Oというそのシンプルな分子構造は中高生にもよく知られ
ています。そんな水の様態に未解明の謎があるなどとは、ほとんどの人が想像さえし
ていないことでしょう。でもそれは紛れもない事実なのです。科学研究とは未知の新奇な
...
2.
水の分子構造
rikanet2.jst.go.jp/contents/cp0200a/contents/20503.html


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* 類似ページ
混成軌道の形成は炭素原子に限らず他の原子でもみられる。14族のSi,Geは炭素と
同じくsp3混成軌道により四面体形の水素化物(SiH4、GeH4)などを作るし、
アンモニウムイオン(NH4+)も四面体形である。(N+とCは同じ電子配置であることに
注意! ) 水 ...
3.
1.1.1 水分子の構造:水の話 - コンプロネット
www.con-pro.net/readings/water/doc0002.html


* キャッシュ
* 類似ページ
1.1 水の構造. 1.1.1 水分子の構造 ―水は典型的な極性分子→水素結合を形成する―
水については誰もがよく知っており、また、水分子の構造についても理科の本に詳しく
記述されていますので、いまさら触れる必要はないと思いますが、話しの順序として簡単
...
4.
水 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/水


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そのため固体である氷は液体の水に浮き、氷に圧力をかけると融ける。これは多くの他
の分子とは異なる水の特性であり、氷の結晶構造が水分子間での水素結合により嵩
高いものであることによるものである。氷が融解して水になると、その体積は約11分の1
...
5.
1-5. 水分子の構造と性質|これだけは知っていてほしい恋愛の話
www.hozugawa.net/eukaryota/1-5.html


* キャッシュ
* 類似ページ
Top > 1-5. 水分子の構造と性質. 生体の大部分を占める水. 水は我々にとって最も身近
であり、また最も重要な液体です。水がなければ全ての生物が生きていくことは
できません。 我々の体の70%は水でできていて、生体構成成分として最も高い比率を
占めます ...
6.
水の構造と性質
www.geocities.co.jp/Beautycare/9506/water/01kozo.html


* キャッシュ
* 類似ページ
水の構造はすでにご存知と思いますが、2個の水素原子(H)と1個の酸素原子(O)から
なり、水の分子(H−O−H結合)の形態で存在します。これは、水分子間の水素(H)が
持つ正電荷と酸素(O)の持つ負電荷とが引き合うことによって、水素結合という結合が ...
7.
水の性質「氷・水・水蒸気…水の三態」 水大事典 水と生きるSUNTORY ...
www.suntory.co.jp/company/mizu/jiten/know/kn_01_01.html


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水分子の構造. 水の分子は、化学記号からわかるとおり水素原子(H)2つと酸素原子(O
)1つが結合してできていますが、この水分子1つでは液体になりません。水という液体に
なるためには、水分子がたくさん連なることが必要です。物質を構成する分子と分子が ...
8.
水質化学1.2水分子の構造と水分子間の相互作用
www.eng.hokudai.ac.jp/labo/aqua/contents/.../WatChem-1.2.html


* キャッシュ
* 類似ページ
1.2 水分子の構造と水分子間の相互作用. 水分子の形状は簡単に表すと中心に酸素、2
つの角に水素イオンを持つ4面体(4つの側面を持つ三角形のピラミッド型)で表される。
水素と酸素は2個の電子(electron pare)により結合している。一つ電子は酸素から、 ...
9.
氷の融解が始まる“きっかけ” - 詳細|トピックス|分子科学研究所
www.ims.ac.jp/topics/2013/130620.html


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* 類似ページ
2013年6月20日 ... 氷の結晶は、それぞれの水分子が隣接する4つの水分子と計4本の水素結合を作って
おり、図2のように、規則正しく秩序を保った非常に安定な水素結合ネットワーク構造を
形成しています。一方、液体の水は、水素結合は残っていますが、より ...
10.
有機化合物の特徴
www.geocities.jp/don_guri131/yuukitokuryou.html


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炭素C含む化合物を有機化合物といい、炭素以外の元素からなる化合物を無機化合物
と区別している。 .... エタノール. 5)異性体. 分子式が同じで性質が異なる化合物を、
互いに異性体という。 構造異性体. 分子式が同じで構造式が異なる異性体。 立体異性
体.
11.
炭化水素 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/炭化水素


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[編集]. 炭化水素の構造はトポロジー的には鎖状構造と環構造のいずれもとりうる。それ
ゆえ炭化水素の分類の基本は構造的に. 鎖状構造(鎖式炭化水素)か環構造(環式
炭化水素)か; 単結合のみで構成される(飽和炭化水素)か ...



検討問題:陰陽ガウス平面は、等分割・正多角形平面?
検討問題:陰陽ガウス平面は、等分割・正多角形平面?
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11916706299.html

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

先にざっとフィボナッチ数列による等分割・均等原理から、正多角形の形成を考えた。
 思うに、それは、陰陽ガウス平面に形成されると見ていいのではないかと思った。
0,1,2は、形が形成できない。0は点、1は直線、ないし、線分、そして、2は、1に直交する直線、線分ではないだろうか。
 そして、3になって、正三角形が形成されるのではないだろうか。
 2π、360度を三等分割するということで、正三角形ができるとしていいのではないだろうか。そして、5の場合は、正五角形ができるということでは。
 そして、この分割論理=力学が、電子螺旋に適用されるのではないだろうか。そうすると、三つ葉や五弁の花等が生まれるのでは。また、五本の指等々である。
 先に述べた、原子渦巻螺旋仮説であるが、原子核=渦巻と電子=螺旋としたが、後者が以上のような分割論理=力学を体現するとするならば、前者はどういう意味があるのでだろうか。
 渦巻きであるから、当然、フィボナッチ数列が関係しよう。
すると、原子渦巻螺旋仮説であるが、それは、渦巻きと螺旋ともに、フィボナッチ数列力学が作用すると見ていいだろう。
 そう、−1の原子核は、渦巻きを主に形成する。例えば、銀が星雲や、台風である。しかしながら、+1の電子と結びついて、螺旋的形状、朝顔や蔦を生むと見られよう。
 そう、陽凸iが主導だと渦巻きを、陰凹iが主導だと螺旋を産出形成するのでは。もっとも、両者の中間的な現象もあるだろう。
 この力学については、後で検討したい。
 
参考:
渦巻きとフィボナッチ数
www.m-ac.jp/me/subjects/geometry/golden.../index_j.phtml


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2014年7月19日 ... つぎは,松ぼっくりの下から見た画像である:. 渦巻きが見えてくるので,その数を数えると,13。 フィボナッチ数の一つである。 また, (少し無理しつつも) つぎのような感じで,フラクタル構造を見ることができる:. これを一例に,植物の形態形成 ...

渦巻銀河と対数螺旋☆
テーマ:ブログ
黄金比(≒1.618)にちなんで、黄金螺旋、というものがあることを知りました。
その黄金螺旋は、対数螺旋というものの一部。
対数螺旋を一例あげると、こういう形です。(図はGRAPESで描きました)
$☆私自身をSINLAI☆-対数螺旋

これがなんと、渦巻銀河の形に似てる♪(画像はお借りしました)
$☆私自身をSINLAI☆-渦巻銀河

☆私自身をSINLAI☆

はまぐりの数学
www.rd.mmtr.or.jp/~bunryu/mokuzi.shtml


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2014年8月6日 ... は ま ぐ り の 数 学 ※ 数学は自然、社会、文学と、どうつながっているかという話 ※
現在の時刻 ... 相似と貝 角度による貝の分類 2枚貝の不思議 あわびの生き方 成長
曲線 成長に現れるeとフィボナッチ数列のなぞ』 『フィボナッチ数列と植物 ..









無農薬農法:「殺しの思想」から「鬼は外」の哲学へ
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11916469051.html

テーマ:有機的自然回帰的ライフ・スタイル

以下は、驚いた。発想が斬新である。
 農薬は、虫や病気を「殺す」、「殺戮」する発想のものである。これは、西洋文明である。
 しかし、強力な風で、追い払い、そして、吸引してしまうという発想は、節分の発想である。日本民俗の視点である。
 排除とも言えるが、これは、排出という発想と言えよう。
 排出は、生命体の基本原理である。
 殺害・殺戮・殺しの発想から、排出・追い払い・掃除の発想への転換である。
 これは、東洋日本伝統文化的である。
 後でもう少し哲学したい。

追記:排出の哲学は、掃き清め(吐き浄め)の哲学とも言えよう。神社の境内の掃き清めはそのような生命体哲学があるのでは。

◆ 2014/08/27(水)  和香園:無農薬への執念!
2機の「台風製造機」が並走するド迫力!
ハリケーンキング
台風の猛烈な雨と風で害虫が吹き飛ばされて消えてしまう。このことをヒントに作った「人工の台風製造機(ハリケーンキング)」。
人工でも二つの「台風」が茶畑を走りまわる姿は、威風堂々! おそろしい迫力である。
害虫を吸い尽くす巨大な掃除機。40馬力!
バキュームキング
和香園の秘密兵器を、あえて初公開する! ウンカやアザミウマを吸い尽くしてしまう巨大な掃除機(40馬力)である。和香園の技術開発チームの無農薬への執念が実っている!
鳥取の智頭町から来た大麻の栽培農家の若主人・上野俊彦氏と、彼の親友は、感激の一日だったろう。
なにしろ、和香園の堀口社長と、「甘藷芋と焼酎の神様」中山信一氏が、2名の農業青年のために「農業の秘訣と秘法」を語りまくったのだから…。

鷲が感激したのは、上の写真だ。
ハリケーンキング(60馬力)と、巨大な害虫吸引機(40馬力)が茶畑を豪快に走り回るド迫力には、感激!と言うより、「ここまで執念を燃やすのか!」と、度肝を抜かれる思いだった。

「農薬は茶葉の細胞も傷める。香りも損なわれる。無農薬でこそ!本当に美味い茶葉が育つ。農薬代は無駄な経費だし!」 と和香園の技術者が本音を言っていたが…、そのとおりだ。

『あらびき茶』を飲んだ方々が、
「こんなに美味い日本茶は飲んだことがない!」
「日本茶って、こんなに美味しいものなの?!」
と一様に言われる…、その秘密は、美味い茶葉をつくる!という飽くなき執念だったのだ。

その『あらびき茶 』、アマゾンでは「在庫切れ」になってましたが…、昨日より芽出たく販売を再開しました。
「在庫切れ」は “商人の恥” なので…、鷲も恥ずかしい思いをしました。
以後、気をつけます!

あらびき茶     


薩摩の黒豹! 飯山一郎が 兵法を語る 口演会場 . . .









単極磁石とは何か:−1と+1をそれぞれ、S極の単極磁石、N極の単極磁石と作業仮説してみる
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11916393672.html

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

単極磁石とはよくわからないが、本件を後で検討したい。
 ところで、佐野千遙氏の仮説(SS仮説としよう)における単極磁石であるが、それは、PS陰陽論では、±1に相当するのではないだろうか。エーテルの視点があるが、それは、現象形式力のエーテル、動的イデア、氣的エネルゲイアのように思える。
 しかし、内在超越的氣、虚軸の陰陽氣、凹iと凸iは考えていないようである。
 形式力の氣は、原点=MPから実軸における、内在的氣であるが、虚軸の陰陽氣は、内在超越的氣である。あえて言えば、内在的氣と超越的氣の違いがあると考える。

追記:内在的氣は、動的氣、エネルギー的氣、超越的氣は静的氣、ポテンシャルな氣(デュナミス的氣)と言えよう。
 この2種類のまったく異なる氣をこれまで混同してきたのではないだろうか。生命力と言った場合は、当然、前者である。経絡の氣もそうである。現象空間に感じる氣もそうであろう。
 しかし、後者の氣も感知すると思う。それは、霊に近い感じだろう。これまでの
太極両界曼荼羅現象方程式0(=∞)⇒凹I*凸I⇒凹i*凸i⇒±ijk=−+1
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11910115554.html
から見ると、静的陰陽氣凹i∞凸iには、霊魂の凹I∞凸Iが作用していると考えられるのであり、そこに霊魂を感知するのは、間違っていないことになる。でも、そこは不思議な領域である。
 根源氣と霊魂が重なる領域である。

N極・S極だけをもつ磁石「磁気モノポール」の発見、高密度集積化の限界 ...
gigazine.net/news/20120227-magnetic-monopole/


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2012年2月27日 ... N極またはS極だけをもつ磁石(磁気モノポール)を普通の磁石と白金を組み合わせた
簡単な構造で作ることができることを理論的に示した、というリリースが首都大学東京
から出ています

「S極だけ」「N極だけ」の磁石を作る方法が発見される。 | スラッシュドット ...
science.slashdot.jp/.../「S極だけ」「N極だけ」の磁石を作る方法が発見される。


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2012年2月28日 ... あるAnonymous Coward 曰く、これまで存在が発見されたことがなく、作ることもでき
なかった、磁気単極子(N極またはS極だけの磁石)。その作り方が首都大学東京の
研究者によって発見された(ITmedia)。発見したのは、首都大学東京・ ...

地磁気はN極、S極別々の単極磁石!ロシア科学アカデミー・スミルノフ ...
ameblo.jp/allahakbar231/entry-11232715281.html


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2012年4月25日 ... 地磁気とは通常、現代地球物理学によって、北極側にS極、南極側にN極を持った双極
棒磁石と考えられていますが、実はこれ、誤っているのではないか、実は地磁気とは
北極の相当深い位置に(むしろ地球の中心に近い位置に)S極単極 ...

単極磁石(モノポール)は存在する:掲示板:シムダンス「四次元能 ... - Beach
www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100200438795


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2013年9月22日 ... 単極磁石(モノポール)は存在する<既知の外=反エントロピー宇宙論との共振:電流の
本質は電子の単極誘導(磁場)である>の続き http://www.beach.jp/circleboard/
ad00178/topic/1100200436883 単極磁石(モノポール)は存在しない ...


2014年08月27日(Wed)▲ページの先頭へ
原子モデル:その1:−1の収縮力による渦巻原子核と+1の陰陽調和力による螺旋生命電子の形成
陰陽ガウス平面図は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11916018137.html

原子モデル:その1:−1の収縮力による渦巻原子核と+1の陰陽調和力による螺旋生命電子の形成

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

原子核の斥力問題:核力とは何か:原子渦巻を作業仮説する (08/24)
http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-2117.html

先に、原子渦巻を作業仮説したが、もう少しスケッチしてみよう。
 複数の陽子のある原子であるが、直観では、氣の一性(いつせい)によって、結合しているのである。
 −1は収縮する力をもち、原子核を形成する。複数の陽子のとき、その収縮力が陽子同士の斥力を超えて陽子を結合させると見るのである。
 思うに、−1の場合は、渦巻を形成し、中心が原子核である。しかし、+1の場合は、どうだろうか。
 こちらは、陰陽調和が生じると考えるのであり、螺旋が形成されるだろう。つまり、電子の螺旋である。それは、映画『スライブ』のアップル像(正しくは、トーラス)の上半分の螺旋に関係するのではないだろうか。
 そのアップル像で言えば、原子核は、渦巻の中心にあり、ないし、渦巻自体が「原子核」であり、電子は、その上部の螺旋であるということになる。
 
o0680038311952983128.jpg

(THRIVE Japanese) スライブ―いったい何が必要になるのか - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=yp0ZhgEYoBI

だから、作業仮説として、上アップル像が原子モデルということになるのではないだろうか。
 つまり、渦巻の「原子核」と螺旋の電子である。
 そして、−1と+1の関係であるが、両者を、陰陽氣が原点=MPを介して、均衡させていると見るのである。
 もし、陰陽氣が仲介しないと、−1+(+1)=0(ゼロ)となり、消滅してしまうだろう。
 つまり、原子の根本力は陰陽氣ということであり、それが、原子核+電子の原子を形成していると見るのである。
 この氣エネルギーは、通常の科学では当然、認識されないものであり、反エントロピーのエネルギーと考えられる。
 つまり、原子は気的原子であるということになるのであり、気エネルギーが消失する場合、原子崩壊になると考えられる。
 とまれ、以上の作業仮説に拠ると、陽子を結合させる核力とは、−1の収縮引力ということになる。これは、同一性原理なので、点へと収束・収斂するように考えられるのである。
 また、+1の電子であるが、これは螺旋を描くので、生命電子ないし植物電子と言っていいくらいではないだろうか。
 今はここで留める。


追記:−1の収縮力とは何だろうか。また、+1の陰陽調和力とは何なのだろうか。
 それは物質力なのだろうか。否、違うだろう。物質現象を形成する力である。形成力である。
 アリストテレス哲学で言えば、エネルゲイアに相当するのではないだろうか。
 先に述べた、動的イデア、生の理性である。
 これは、超越的内在力(内包力)と思われる。
 原点=MPにおいて、働きかけていると思われるのである。
 −1は陽の氣が主導的である。とは言え、−1を陽の力とは言えないだろう。何故なら、陽の氣が、陰の氣に働きかけているからである。(追記:陽的エネルゲイア、陽的動的イデアとは言えよう。そして、陰の氣が主導的な陰陽調和力の場合は、陰的エネルゲイア、陰的動的イデアと言えるだろう。)
 この働きかけに於いて、作用するのが、エネルゲイア=動的イデアである。
 この形成力であるが、氣的エネルゲイア(氣的エイドス、氣的形成力)と呼べないだろうか。
 −1と+1は対称的であるが、氣的エネルゲイアでは共通である。
 虚軸の陰陽氣は、静態的イデア(デュナミス)であるが、原点=MPを介した実軸的転換は、動態的イデアが作用するということではないだろうか。
 とまれ、そうならば、±1の力とは、氣的エネルゲイア、動態的イデア、生の理性と言えよう。
 この氣的エネルゲイア(氣的エネルギー)を、物質的力として、捉えようとしているのが、量子力学である。
 しかしながら、それは、当然、近似値でしかないだろう。
 原子、素粒子は、物質的力(エネルギー)が作用しているのではなく、物質を超えた氣エネルギーが作動していると考えられるのである。
 後で、整理したい。


追記2:以下参考の原子竜巻説は実に興味深い。精緻な整合性のある仮説が立てられている。
 私の原子仮説(原子=渦巻ー螺旋仮説)と似ている面がある。
磁場の考えを、私の原子仮説に適用できると思う。+1がN極で、−1がS極になろう。ただし、私説では、−1から+1へと磁気が流れるだろう。
 とまれ、原子竜巻説を創造的に適用することで、原子渦巻・螺旋仮説が飛躍的に発展するように思える。
 ただし、原子竜巻説は、唯物科学であり、氣を想定していないと思われる。
 とまれ、実に興味深い仮説である。


参考:
モデルを変えれば、原子の謎はすべて解ける − 質量・万有引力から反重力まで
http://oyoyo7.blog100.fc2.com/blog-entry-2194.html

今回私は、この原子核の存在を否定します。その代わりに、ある一定のルールをもって、陽子も中性子も回っているというものです。電子だけでなく、陽子も中性子も回っている。こういう理解です。簡単に説明すると、原子内には、対(つい)になる竜巻が存在しており、電子が片側の竜巻内に、そして陽子(+中性子)がもう片側の竜巻内に配置されます。どの原子に変わっても、電子と陽子は、常に1対1の関係である。こういうモデルです。
 そもそも自然界において、自発的に回転(運動)するものはたった1つしかありません。それは竜巻です。大きなものは台風と呼ばれます。この竜巻回転の原動力は求心力。回転するほどにエネルギーを高め、それが更なる回転エネルギーを生み出します。一方、ごく普通の回転(運動)は遠心力。こちらは徐々にエネルギーを失い、やがて停止してしまいます。

 さて私が提唱するこの新しい説。竜巻説と自称していますが、陽子も動いていることから、天体の動きになぞらえて、陽子地動説とも呼んでいます。このモデルを量子化学に当てはめていくと、今まで分からなかったさまざまな不可思議な現象が、合理的に説明できるようになるのです。その代表的なものは、質量や万有引力の原理です。さらには質量がエネルギーである(E=mc^2、特殊相対性理論)の意味、核分裂や核崩壊、遷移や励起、温度(分子運動)のメカニズムなどです。もちろん、現在の見解では、これらの点いずれにおいても、満足できる合理的な説明はありません。いずれも、結果の羅列であり、何故こうなるのか?と問われたとき、誰も答えられないものばかりなのです。
 私の知見を発展させると、一般的にはオカルトだと信じられている現象、具体的には反重力など、さまざまな不可思議な現象が、ごくごく自然に、その延長線上に浮かび上がってきます。


・・・

第二部:まったく新しい原子モデルの提唱

私の考える新しい原子モデル

 そもそも、何故、電子は回り続けるのでしょうか?何故エネルギーを失って、原子核に激突しないのでしょうか?宇宙が誕生してから何十億年もの間、ずっと回っているのに、何故全く減衰しないのでしょうか?
 この問題を解決するヒントが、我々の身近にあります。それは竜巻です。大きなものは台風と呼ばれます。竜巻は自発的に発生し、自発的に回転します。しかも回転するほどにエネルギーを大きくしながら回ります。普通の回転とは異なり、中心部では速く、外周部では遅く回転するのが、その特徴です。この回転を支える力は求心力です。遠心力ではだめなのです。遠心力の場合、力は拡散し、やがて回転は止まる運命にあります。継続して回り続けるためには、この求心力を原理的に利用するしかないのです。

(ウィキペディアより)
竜巻

 原子内でも同様の現象が起こっているのではないでしょうか?そこで下記のようなモデルを考えてみました。原子内に2つの竜巻を配置するのです。そして片側に電子(−)を、もう片側に陽子(+)を入れます。これらの2つの竜巻は対(つい)になっており、同じ回転軸を共有しています。回転は同じ方向です。これは一種のコイルです。電荷をもったものが動くと磁場が発生します。互いに電荷が異なることから、発生する力は逆方向になります。そして、竜巻からくる求心力、リュウシにかかる遠心力と、発生した磁力が釣り合う位置で回転を続けます。一種のコマだと思えばよいでしょう。次図はもっとも簡単な原子:水素の場合における竜巻回転部分の模式図です。青矢印は回転の方向(デンシ・ヨウシの流れ)、赤矢印は竜巻回転面内での磁界の方向です。

対の竜巻 3001

 なお、既存の概念での電子、陽子、中性子、粒子、質量などと区別するために、以後カタカナで表記します。デンシ、ヨウシ、チュウセイシ、リュウシ、シツリョウという具合です。というのも、これらは回転運動をした結果生じたものと考えますので、特性を示す単位そのものを再定義する必要が生じるためです。

およよと驚く毎日


2014年08月24日(Sun)▲ページの先頭へ
原子核の斥力問題:核力とは何か:原子渦巻を作業仮説する
原子核の斥力問題:核力とは何か:原子渦巻を作業仮説する

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

先に少し思いつきを述べたが、別の見方をすると、−1=原子核、+1=電子、そして、原点=MPは一体的結合力である(正負の符号は逆であるが、そのままにしておく)。
 これも思いつきであるが、陽子が複数ある場合であるが、思うに、これは、原点=MP結合しているのではないだろうか。言い換えると、陰陽氣結合原理があり、それによって、複数の陽子が、原子核に結合されるのではないだろうか。
 陰陽氣とは一体原理である。それは、陰陽結合力である。
そして、これが、原点=MPで作用するのであり、それが、複数の陽子に作用して、結合させるのではないだろうか。
 つまり、原子は氣的原子であり、氣が作用し、原子核や電子を結合させているのではないだろうか。
 そして、原点=MPが複数の陽子の斥力を無化しているのではないだろうか。言い換えると、原点=MPにおいて、複数の陽子は陽子であると同時に、斥力を無化された、つまり、電荷を無化された陽子ではないだろうか。即非である。陽子であると同時に、陽子ではない。
 まったく思いつきなので、無視されたい。

追記:最後の陽子であって、陽子ではないという即非の視点は止めておきたい。
 以下の参考資料を見ると、核力、中間子による引力を述べている。
 そう、核力に当たるのが、陰陽氣の結合力ではないだろうか。
 原点=MPには、陰陽氣が働いていると考えられるのである。
 これは、結合力だけでなく、均衡力である。単に結合力なら、±1が反応してしまうだろう。
 
 今新たに思いついたが、先に、原子渦巻というようなことを示唆した。それを作業仮説として考えると、原子渦動があるのであり、その渦巻の中心が当然、原子核であり、その回りの渦巻が電子の層、帯、雲である。
 つまり、台風の渦巻を考えれば、わかりやすいが、中心に引き寄せされるのである。この向心力、求心力、引力を核力と見ればいいのではないだろうか。
 だから、電子は引き寄せられ、消失・消費されるだろう。しかしながら、氣エネルギーによって、原子渦巻の発生が維持されるということではないだろうか。つまり、電子を消費するエントロピーと電子を生産する反エントロピーが同時作用しているということではないだろうか。

参考:
KEK:News@KEK(重圧に押しつぶされない強い力)
www.kek.jp/newskek/2007/julaug/supercomputer3.html


* キャッシュ

2007年7月12日 ... 電磁気力とは別に原子核の中で働く力「核力」があり、これが陽子や中性子の間に強い
引力を作り出す。核力が働く距離はとても ... この中性子を安定に支えているのが、核力
にひそむ大きな反発力(斥力と呼ばれる)です。中間子が媒介する核 ...
 
森のように深い ‏@fractaleman68 2 時間

核の求心力
http://ameblo.jp/allahakbar231/entry-11462412118.html … Sは現代物理が間違っていることを核の求心力の導き方の中に発見した。現代物理の先端は量子論であるがその始めにはφ=e^iθとE=1/2(mv^2)+Uがある。ここからどうして求心力が生まれるのだろうか。





原点=MPから原太陽が誕生する?:物質の発生について:実軸=イデア軸と物質生起

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

「結局、まとめると、陰陽ガウス平面=氣的イデア平面は不可視次元、高次元にあり、通常は認識されない。
 そして、陰陽ガウス平面の実軸が動的イデア=時間的イデアを意味し、それが、現象界の形成の基本的原動力である。
 そう、実軸のイデアはエイドスとも呼べよう。原型的ヴィジョンである。
 そして、虚軸はイデアのイデアであり、いわば、プロト・イデア、祖イデア、原イデアである。
 そして、動的イデア=時間的イデアから形成される現象平面(渦巻)や現象立体空間(螺旋)であるが、それは、当然、物質的である。
 この物質の力学をどうみるのか問題である。
 今、作業仮説すると、実軸は動的イデア=時間的イデアと言ったのが、±1が基本単位であり、物質・物理性の単位にもなるのではないだろうか。つまり、実軸とは、イデアと物質の接点であるということになるのではないだろうか。あるいは、イデア・即非・物質(原子、素粒子)である。
 だから、実軸とは実に不思議、奇妙なものである。
 いわば、イデア物質、イデア原子、イデア素粒子である。
 しかし、イデア即物質(原子、素粒子)ではないことに注意である。
 ということで、物質力学のベースはやはり、実軸に存するということに今作業仮説しておく。」
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11914031649.html

先に以上のように実軸の物質性について述べたが、まだ、十分に整合性がないようなので、再考したい。
 一言予見を言うと、実軸=イデア軸が物質性をもつというのはやはり、矛盾である。実軸=イデア軸は物質イデアが存するところである。
 思うに、原点=MP(Media Point:メディア・ポイント)に物質発生の秘密があるのではないだろうか。つまり、原点=MPから三次元空間現象が発生するとき、その原点には、根本物質があるのではないだろうか。
 でも、そこには、「太陽」がまず誕生するのではないだろうか。
 つまり、原点=MPは太陽ポイント(SP: Sun Point or Solar Point)でもあるということではないだろうか。
 初めに、太陽ありき、ではないだろうか。
 そして、太陽が物質を産むのである。惑星もであるが。
 太陽という宇宙「有機体」が生まれ、そこから、物質(水素原子等)が生まれると見るのである。


参照:
太陽 - Wikipedia
中心核[編集 ]

詳細は「太陽核 」を参照

太陽の中心には半径10万kmの核(中心核)があり[19] 、これは太陽半径の0.2倍に相当する。密度が1.56 ×105 kg/m3(およそ水 の150倍)であり、このため太陽全体の2%ほどの体積の中に約50%の質量が詰まった状態になっている[23] 。その環境は2500億気圧 、温度が1500万K に達するため物質は固体 や液体 ではなく理想気体 的な性質を持つ[12] 、結合が比較的低い量子論的な縮退 したプラズマ (電離気体)状態にある[24] 。

太陽が発する光のエネルギー は、この中心核においてつくられる[25] 。ここでは熱核融合によって物質 からエネルギーを取り出す熱核融合 反応が起こり[12] 、水素 がヘリウム に変換されている。1秒当たりでは約3.6 ×1038 個の陽子 (水素原子核)がヘリウム原子核に変化しており、これによって1秒間に430万トンの質量 が3.8 ×1026 Jのエネルギー [12] (TNT 火薬換算で9.1 ×1016 トンに相当する)に変換されている。このエネルギーの大部分はガンマ線 に変わり、一部がニュートリノ に変わる。ガンマ線は周囲のプラズマと衝突・吸収・屈折・再放射などの相互作用を起こしながら次第に「穏やかな」電磁波に変換され、数十万年かけて太陽表面にまで達し、宇宙空間に放出される[25] 。一方、ニュートリノは物質との反応率が非常に低いため、太陽内部で物質と相互作用することなく宇宙空間に放出される[25] [注 2] [26] 。それ故、太陽ニュートリノの観測は、現在の太陽中心部での熱核融合反応を知る有効な手段となっている。

原子核融合 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/原子核融合


* キャッシュ
* 類似ページ

原子核融合(げんしかくゆうごう、英: nuclear fusion)とは、軽い核種同士が融合して
より重い核種になる核反応を言う。 一回の反応で、核分裂反応に比較して、大きい
エネルギーを取り出せるところに特徴がある。


2014年08月23日(Sat)▲ページの先頭へ
陰陽ガウス平面における−1の力学と+1の力学:収縮と拡散
画像等は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11914031649.html

陰陽ガウス平面における−1の力学と+1の力学:収縮と拡散

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

陰陽方程式凹i*凸i⇒±1における−1と+1とは何か
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11913696826.html

「 同一性は、−1に存する。それは、陽凸iによって陰凹iを同一化したものである。この同一性を不連続にするというのは、端的に、陽凸iと陰凹iの不連続性を認識することだろう。言い換えれば、原点=MP=こころを取り戻すきっかけとなろう。(というか、あらたに原点=MP=こころを形成するきっかけというべきだろう。)
 とまれ、以上のように考えると、実軸は現象身体、現象人体、現象個体と言えそうである。
 −1を含む左半円が光の世界、可視界で、+1を含む右半円が不可視界ではないだろうか。(海舌氏の人間認識図は、やはり、左右逆であろう。)
 デカルトの心身二元論とは、−1=自我と+1=身体・物質(スム)の二元論ということで、原点=MP=こころが消失した理論と言えるのではないだろうか。(もっとも、松果体に両者の統合を求めたが、松果体は、原点=MP=こころに通じる、脳器官とは言えよう。)
 とまれ、実軸は、以上から見ると、存在のモデル、フラクタルのモデルと言えそうである。原子のモデルであるし、また、太陽系のモデル、人体のモデル等であろう。
 単純に言えば、−1=外部志向、+1=内部志向、原点=MP=こころ=調和志向と言えるのではないだろうか。」

先に以上のように述べたが、原子モデルで考えると、−1が原子核であり、+1が電子である。(水素原子を考える。)
 そして、−1は同一性であるから、一(いつ)を志向し、中心化する。思うに、原点=MPに近づくのである。
 そして、+1が陰陽共振調和であり、拡散拡大である。故に、原点=MPから離れる。
 つまり、−1⇒MP、 +1⇒−MP ではないだろうか。
 そして、−1が中心核となり、+1は陰陽回転によって、渦巻を描くのではないだろうか。台風の渦巻を考えもいいだろう。
 台風の目に向うのが−1であり、渦自体は、+1である。
 (ひょっとして、原子渦巻を考えるといいのかもしれない。原子核を中心とする円運動ではなく。)
 問題は、この原子が形成される空間である。原子渦巻は、ガウス平面で形成されるのだろうか。
 陰陽ガウス平面では、虚軸は、陰陽氣であり、それは、不可視である。だから、陰陽ガウス平面で原子渦巻を考えるのは、間違いだろう。
 やはり、現象平面や現象立体を考えるべきだろう。
 ここで、やはり、四元数を考えるべきなのだろう。
 実軸は、イデア的軸、哲学的軸である。理念的軸である。
 そして、四元数の平面において、原子渦巻が形成され、また、時間軸に沿って、垂直の軸が形成されて、螺旋が形成されるのではないだろうか。時間軸は、実軸であろう。
 そうすると、陰陽ガウス平面とは、氣的イデア平面であり、現象空間(三次元空間)のベースである。(ただし、現段階では、氣の上位に、霊魂界や神霊界を考えているが、今は措いておく。)
 ここで想起するのは、ドゥルーズの内在平面という考え方である。それは正しくは、氣的イデア平面である陰陽ガウス平面と見る方が正しいのではないだろうか。また、想起するに、シュタイナーは霊界が平面であると述べていた。
 とまれ、氣的イデア平面=陰陽ガウス平面を不可視の基盤として、現象三次元空間が形成されると見るのである。
 そして、実軸はイデア軸、理念軸であり、また、時間軸である。スペインのオルテガが、動的イデア(正しくは、生の理性)とか述べていたのを想起する。【だいぶ以前、次のように述べていた。「Media Pointの存在 をどう考えたらいいのだろうか。わかりやすく言えば、動的なイデア (エネルゲイア )である。(ここで、オルテガ ・イ・ガセットの生の理性の概念 を想起する。)これは、一時的なものなのか、それとも、永続的なのか。」
http://d.hatena.ne.jp/sophiologist/20071007
構造と連続性:輪廻転生はあるのか - はてなダイアリー 】
そう、思えば、虚軸から実軸へと次元変換されると、そこには、生動性、動態性、ダイナミズムが生まれよう。アリストテレスで言えば、エネルゲイアである。これが、時間ではないだろうか。時間エネルギーである。そして、+の時間と−の時間があるだろう。−の時間は通常の過去から未来への時間で、+の時間は、未来から過去への時間ではないだろうか。
 とまれ、実軸において、イデア、現象モデルと時間が同時生起することになる。
 しかし、両者はどう結びつくのか。
 そう、やはり、動的イデア、動態的イデア、エネルギー的イデア、エネルゲイア的イデア、生の理性、つまり、時間的イデアを成しているのではないだろうか。動的イデアというか時間的イデアである。これが決定的ではないだろうか。
 そして、これが、三次元空間現象化すると考えられる。
 そして、それは、基本的には、現象平面では渦巻を、現象三次元空間では螺旋を描くと考えられる。
 現象平面の渦巻は既述の映画『スライブ』のアップル像の中心の渦巻を意味しようし、螺旋は、それに直交する螺旋像を意味しよう。

resurrectionのブログ
(THRIVE Japanese) スライブ―いったい何が必要になるのか - YouTube

結局、まとめると、陰陽ガウス平面=氣的イデア平面は不可視次元、高次元にあり、通常は認識されない。
 そして、陰陽ガウス平面の実軸が動的イデア=時間的イデアを意味し、それが、現象界の形成の基本的原動力である。
 そう、実軸のイデアはエイドスとも呼べよう。原型的ヴィジョンである。
 そして、虚軸はイデアのイデアであり、いわば、プロト・イデア、祖イデア、原イデアである。
 そして、動的イデア=時間的イデアから形成される現象平面(渦巻)や現象立体空間(螺旋)であるが、それは、当然、物質的である。
 この物質の力学をどうみるのか問題である。
 今、作業仮説すると、実軸は動的イデア=時間的イデアと言ったのが、±1が基本単位であり、物質・物理性の単位にもなるのではないだろうか。つまり、実軸とは、イデアと物質の接点であるということになるのではないだろうか。あるいは、イデア・即非・物質(原子、素粒子)である。
 だから、実軸とは実に不思議、奇妙なものである。
 いわば、イデア物質、イデア原子、イデア素粒子である。
 しかし、イデア即物質(原子、素粒子)ではないことに注意である。
 ということで、物質力学のベースはやはり、実軸に存するということに今作業仮説しておく。
 以上であるが、生成門氏の独特の実軸論がヒントになったようなので、記しておく。

追記:陰陽ガウス平面=氣的イデア平面であるが、それは、現象界から見ると、内在超越界に存すると言えよう。あるいは、現象界にそれは超越内在している、超越内包されていると言えよう。

追記2:シュタイナー系のエーテル空間であるが、それは、いわば、球面であるが、思うに、陰陽ガウス平面=氣的イデア平面とそれを考えられないだろうか。逆に言えば、陰陽ガウス平面=氣的イデア平面とは、球面であるということになる。

参照:

森のように深い @fractaleman68 · 23 時間

実軸だから物理的現実というのはこれまでの物理の影響である。発想を逆転させてMPが真理であるとして実軸をイデア的現実とする。そうすると実軸は精神と物質の二元現象になり、ガウス平面は認識であると解釈できるのである。そうするとMP=(Fv一定)⇒{F1*v1=-F2*v2}となる。


森のように深い @fractaleman68 · 24 時間

PS理論をホログラフィックの原理を応用して解釈できないだろうか。イデア=虚軸であるがMPをイデア界として実軸をイデアの本質とする。そこから虚軸が立ち上がりガウス平面が形成される。そしてそれがプラトンの洞窟=現象なのである。

森のように深い


陰陽方程式凹i*凸i⇒±1における−1と+1とは何か
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11913696826.html

陰陽方程式凹i*凸i⇒±1における−1と+1とは何か

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

本件は先に、示唆したが、熟考が必要である。
 −1を中心とする陰陽ガウス平面の左半円領域が外的現象界、+1を中心とする右半円領域が内的現象界と見たと思う。
 前者は光の領域であり、後者は闇の領域である。
 物質界は当然、前者であるが、後者はそう、生命界と言えるのではないだろうか。あるいは、植物界である。
 とまれ、外面と内面である。
 思うに、原点=MP(Media Point)を考えると、陰陽共振は、+1へと発動し、陽主導の変換は、−1へと発動すると考えられる。
 氣による生命力とは、だから、+1ではないだろうか。
 では、−1とは何か。それは、直観では、力、フォースである。運動である。
 また、自我は−1において、形成されるように思われる。ならば、+1とは、他者との調和である。

追記:−1=自我=頭、+1=身体=内臓・無意識となるように思える。もっとも、先に述べたことだが。
 この自我(−1)と身体(+1)であるが、これらは、原点=MPにおいて、結合していると言えよう。原点=MPとは、心臓=こころ=中丹田である。
 とまれ、実軸が、四元数的には、三次元空間現象、四次元時空現象と発現していると言えよう。
 実軸は、原点=MPに似て、いわば、内在的超越存在ではないだろうか。
 否、人体と見るべきではないだろうか。ないし、個体である。
以前述べたが、+1が植物身体であり、−1が動物身体である。そして、人間は、両者を、原点=MPを介してもっているというように考えられるのではないだろうか。
 人間の場合、−1が発達して、自我になっているというように思える。
 そして、−1=自我と+1=身体が不連続になっていると言えるのかもしれない。ただし、原点=MPを発見することによって、陰陽共振が可能になるだろう。
 もしそうならば、不連続的差異論はどういう力学なのだろうか。
 同一性は、−1に存する。それは、陽凸iによって陰凹iを同一化したものである。この同一性を不連続にするというのは、端的に、陽凸iと陰凹iの不連続性を認識することだろう。言い換えれば、原点=MP=こころを取り戻すきっかけとなろう。(というか、あらたに原点=MP=こころを形成するきっかけというべきだろう。)
 とまれ、以上のように考えると、実軸は現象身体、現象人体、現象個体と言えそうである。
 −1を含む左半円が光の世界、可視界で、+1を含む右半円が不可視界ではないだろうか。(海舌氏の人間認識図は、やはり、左右逆であろう。)
 デカルトの心身二元論とは、−1=自我と+1=身体・物質(スム)の二元論ということで、原点=MP=こころが消失した理論と言えるのではないだろうか。(もっとも、松果体に両者の統合を求めたが、松果体は、原点=MP=こころに通じる、脳器官とは言えよう。)
 とまれ、実軸は、以上から見ると、存在のモデル、フラクタルのモデルと言えそうである。原子のモデルであるし、また、太陽系のモデル、人体のモデル等であろう。
 単純に言えば、−1=外部志向、+1=内部志向、原点=MP=こころ=調和志向と言えるのではないだろうか。
 今は指摘に留める。
 
追記2:陰陽ガウス平面全体が人体とも言えるかもしれない。

追記3:実軸、±1と原点=MP(Media Point)であるが、これはいわば、現象円ないし渦巻の直径を成すのではないだろうか。
 これまで、陰陽円について述べたが、それとは別に、現象円・渦巻があると思う。それは、いわば、ディスクである。太陽系や渦巻星雲は、このディスクがベースではないだろうか。
 以上は、思いつきである。

追記4:以下の映画『スライブ』のアップル像の真ん中の渦巻を参照されたい。

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2014年08月22日(Fri)▲ページの先頭へ
欠陥人類について:他者の存在しない、あるいは、こころの存在しない、自我欲望存在について
欠陥人類について:他者の存在しない、あるいは、こころの存在しない、自我欲望存在について

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

やはり、人類には、まったく異なる二種類の存在があると思う。これまで、父権的人類と母権的人類と分けてきたが。
 別の分け方では、自我中心人類とこころ中心人類である。
 金融資本主義は前者が支配しているのはわかりやすい。
しかし、大衆はこころ中心人類というよりは、カメレオン的で、御都合主義で、中心的理念はないだろう。いわば、混合的人類である。
 とまれ、自我中心人類であるが、欲望・感情(シュタイナー的にはアストラル体)と自我が結合しているのであり、こころの領域が排除されているというか、非存在なのである。
 そう、シュタイナー的には、アーリマン(自我)とルシファー(恣意)の結合であろう。
 この他者が完全に欠落しているというのは、すごいと言えよう。自我完結主義である。自我の欲望・都合で、他者存在を無視して、行動するのである。專葬邪が典型である。
 問題は、この自我中心主義と金融資本主義(賤民資本主義)が結合しているという事態である。
 自我や同一性主義であるから、他者を否定するし、また、欲望・感情をともなうので、同一性が徹底化すると言えよう。
 正に、悪魔・悪霊的存在である。
 とまれ、こころの欠落、陰陽調和的こころのまったき欠落があるのであり、いわば、欠陥人類である。
 この欠陥人類はいったい何なのだろうか。
 完全に、いわば、ガン細胞の増殖である。
 数字的合理主義は優れているのは認めなくてはならない。
 ただ、それだけである。中味がないのである。量的であり、質がないのである。
 数量的合理主義ロボットである。しかし、反感は猛烈である。
 そう、量的合理主義的悪魔ロボットである。
 彼らを覚醒するのは、至難の業である。
 悪霊とどう付き合うのかである。
 思うに、悪霊のエサを断てばいいのではないだろうか。
 金融資本というエサを断つのである。
やはり、減価貨幣は有力である。
 


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