INNOVATION OF PHILOSOPHY: GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience - 2013/10

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




[PR]



2013年10月30日(Wed)▲ページの先頭へ
太元霊氣知行学から太極PS理論へと進展?:太元霊から氣への次元転換力学について
画像付きは以下を見られたい。
http://sophiology.jugem.jp/?eid=350

太元霊氣知行学から太極PS理論へと進展?:太元霊から氣への次元転換力学について

テーマ:太玄霊知行学:太玄霊的生命イデア知行学

今はポイントだけ言う。
 太元霊は太水とも呼び、陰陽未分化様態(混沌)と述べた。
 思うに、ここから、陰極と陽極に分極化して、同時、氣が発動すると思われるのである。つまり、氣、即、陰陽対極性である。
 これは、陰陽未分化状態から、陰の要素、陽の要素がそれぞれ、分立し出した結果、極性が形成されるということだと思われるのである。
 しかしながら、根源の一体性は残っているのである。しかしながら、その一体性であるが、もう未分化的一体性ではなく、分極化した一体性である。
 図式化すると、

1)太元霊∞:陰陽未分化=太水:未分化的一如

2)氣・陰陽対極性☯:陰陽的一体性

となる。
 いわゆる、太極(根源的一元性)であるが、それは、1を指すのであり、2の陰陽的一体性ではないと当然考えられる。
 さて、以上のように考えて、ガウス平面+オイラーの等式の等号による前期PS理論をまた、考えてみると、1の太元霊に当たるのは、ガウス平面の原点と見ることできるのではないだろうか。
 前期PS理論においては、MP(Media Pointメディア・ポイント:media point http://ameblo.jp/neomanichaeism/theme-10037824543.html)とガウス平面の原点を呼んでいたが、太元霊をそこに置くのであれば、もはや、MPではない。根源的一元点であるからである。メディアとなる点ではないのである。
 だから、太元点、太玄点と呼ぶことができよう。そのように考えると、前期PS理論はまだ生きていることになるのである。
 というか、太元霊氣知行学の視点をそれに加え合わせることで、前期PS理論が発展することになるのである。
 それを太元PS理論、太元霊PS理論、太元霊PS理論、太元氣PS理論等と呼べよう。
 しかしながら、そのように考えると、まったく正統的な太極陰陽論の基本構造と変わらないことになろう。
 つまり、太元霊を太極と見ればいいのである。
 なにか、お釈迦様の掌の上を知らず移動していたというようなことになる。
 ただし、陰陽未分化⇒氣=陰陽対極性⇒生命物質体という陰陽力学を数哲(数学哲学)的に解明したという点は創造的であると言える。(追記:以下のような図式が成立したのである。

太玄霊氣知行学(太元氣原理仮説)の簡単な図式:民族存亡の放射能地獄の黙示録
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11657862577.html

 T:∞:太玄霊(太元氣):陰陽未分化:
     メビウス太水:ウロボロス

⇒U:☯:氣(陰陽対極性:「水」☯「火」)

⇒V:♁(氣的生命有機体:生命物質体)

⇒W:⊖(陰陽二元論):自我ー純物質体(唯物論世界)) 

とまれ、そうなら、理論名を明快に、太極PS理論とすることが適切ではないだろうか。

追記:MPは、陰陽対極性から生命物質体へと次元変換するときのポイントとして見られると思う。つまり、陰陽から生命現象への次元転換点である。
 そうならば、以前、MP1とMP2に分けたが、前者はもはや成立しないのであり、太極点があり、かつ、MPがあるということになる。そして、両者は原点に存すると言えるが、当然、同じものではない。
 つまり、原点は二層構造である。当然、不連続な二層である。
 しかし、正確に言えば、三層である。1:太極点と2:陰陽共振点と3:陰陽現象次元転換点の三つの点が重なっていると言えよう。
 この点については後で検討したい。

参照:
太極から八卦ができるまで | 易経ネット

太極から八卦ができるまで

易は宇宙間における一切の事物や事象の意味とその変化とを六十四卦に分けて説明しているのですが、それでは一体この六十四卦そのものは、どのような経路をとってできたのでしょうか。十翼のひとつで易の本質を解説した『繋辞伝 (けいじでん)』には、「易に太極有り。これ両儀を生ず。両儀は四象を生じ、四象は八卦を生ず。八卦は吉凶を定め、吉凶は大業を生ず」とあります。

つまり、易の根源は太極である。太極は両儀(陰陽)を生み、陰陽は四象(老陽、少陽、老陰、少陰)を生み、四象から八卦が生じた。八卦は吉凶を定め、吉凶の判断にもとづいて行動することによって、大きな業をなし遂げることができる、というのです。ここに、易の成り立ちが説明されており、それを図示すると、つぎのようになります。
[太極図]

太極図
太極について

太極つまり極めて大きなもの。はじまりであり混沌、根元であるそれは、陰でもなく陽でもなくはっきりした象になる前の何ものか、あるいは無。かなり漠然としていますが、要するにこの世界のすべてであり、易の本体でもあります。この太極をぬきに易は語れません。また太極は、その根源性から数字の一としたり、北極星にたとえられたりもします。老子は太極の前に、無極があるとしました。
両儀について

さらに太極が両儀、つまり陰陽という相互対立的な活動を生んだと考えられました。陰陽というと古めかしく聞こえますが、要するに、陽とは積極的・剛強的なものを指し、陰とは消極的・柔弱的なものを指します。電気でいうとプラス(+)とマイナス(-)の関係であり、一般的な事象としては、男性と女性、表と裏、昼と夜、充実と空虚、勝利と敗北、動と静、進むと退く、奇数と偶数、夏と冬、太陽と月、天と地などです。世の中のすべてのものがこの陰陽から成り立っているとするのが易の考え方であり、この陰陽が易の基本となります。
[陰陽の例]
自然界 天と地、太陽と月、昼と夜、夏と冬、火と水
人間界 男と女、親と子、夫と妻、君子と小人、君と臣、主役と脇役
性質 剛と柔、明と暗、大と小、強と弱、善と悪、積極と消極、奇数と偶数
位置や動き 表と裏、上と下、内と外、開と閉、動と静、気と形、借方と貸方

易では、この陽と陰とを算木(さんぎ)の符号をもってあらわし、一本の切れていない算木 陽 を陽とし、一本の切れている算木 陰 を陰と呼びます。それにしてもこの奇妙な符号が、もともとどのようにして生まれたのか、今日まで論議の的でありましたがいまだに定説はありません。学者の中には、連続と切断をあらわすという説、亀の甲を焼くときにできるひび割れ説、陽 は太陽、陰 は月とする説などがありますが、古代の生殖器崇拝から男女の生殖器を象徴したものとする説が有力です。

気は、易経より後の戦国時代に生まれた概念で、エネルギーの極小粒子(活動子)をいいます。これが陰陽説と結びつき、陰気、陽気という陰陽の働きを表すものとなりました。たとえば、夏という季節は陽の代表的な季節ですが、真夏(夏至)には陰の気を内包しており、時間とともに陰の気が長じ、陽の気が減って秋から冬に変わっていきます。冬至は、純陰の季節ですが、一陽来復して春に向かうのです。人でいえば、生まれた時は親の子として陰であり、結婚すると男は陽、女は陰、親になると子に対して陽となります。このように、場所、位置、時間などによって、陰陽は変化します。これを図式化したのが太極・陰陽の図です。

[太極・陰陽の図]
太極・陰陽の図

外の大きな環が太極、環の中の白が陽、黒が陰で、ウロボロス(自分の尾を食う蛇、再生の象徴)のように右回りに循環しながら、陽が増大したり減少したりしていくのです。陽の中に黒点があるのに注意して下さい。季節のめぐりに置き換えれば、分かりやすいでしょう。陰と陽は最初は等価値だったようですが、しだいに陽を上位に見るようになりました。陽尊陰卑(男尊女卑)の表れといえます。

http://www.ekikyo.net/contents/dekirumade.html




易経ネット


十、太極図の起源と演変 - ようこそ![CORY-P.COM]
www.cory-p.com/chen/stc/10.html - キャッシュ - 類似ページ
しかし、太極図はどこから来ているのでしょうか?《繋辞》には『河出図、洛出書、聖人則
之』と書かれています。其の意味は『黄河から図が出て、洛河から書が出た、聖人(中華
民族の祖先伏羲氏)河図洛書に基づいて太極図を推演した』という…つまり、太極図は ...



陰と陽 LV3 太極と陰陽4つの性質 - macrobi papa
macrobi.livedoor.biz/archives/50751169.html - キャッシュ - 類似ページ
2006年10月20日 ... 太極図って冒頭で出した、韓国の国旗みたいな表です(↓)。 たいきょくず 太極図とは円
の中に対極にある陰と陽の動きを表した古い文様で、円は 【無極むきょく】を表し、宇宙
の完全な統一性とすべての始まりを意味します。 陰は黒、陽は白で ...


 ■太極図■

 この【4つの法則】は、【太極図たいきょくず】の中に見ることができます。
太極図って冒頭で出した、韓国の国旗みたいな表です(↓)。

           たいきょくず







太極図とは円の中に対極にある陰と陽の動きを表した古い文様で、円は
【無極むきょく】を表し、宇宙の完全な統一性とすべての始まりを意味します。

陰は黒、陽は白で描かれています。
交わることのない黒と白は『陰陽の対立』を、
対になった2つの形は『陰陽の依存』を表します。

「陽」は広がり「陰」の中に吸収され、「陰」もまた「陽」の中に呑み込まれます。
これを示す頭が大きく尾が細い形は、『陰陽の消長』を表します。

太極図の一番卓抜したアイデアは、「陽」が中心部に向かって、最も盛んになろうとするときに「陰」の目が生まれることです。
白のオタマジャクシの中にある<黒い点>のことですね。
また、「陰」にも同じく「陽」の目が生まれます。
この目は【極化点きょくかてん】といい、『陰陽の転化』を表します。

対極の力を中心に抱いて互いに互いを取り込んで、生成流転を繰り返していく、
決して一方に偏ることのない「中庸」の姿をあらわします。
この陰と陽の変化の中から万物が生まれるという考え方を【太極思想】といいます。


このように宇宙や自然現象などの大きなものから、お米一粒の小さなものまで
すべてが陰と陽を含みます。
すべての変化はそのバランスの変化が引き起こしているのです。
人間の健康や性格までもがそのバランスで、良くも悪くもなるのです。

「食」を通じて陰陽のバランスを整え、健康で充実した人生を送る。
これが「食養生」の神髄であり、マクロビオティックに受け継がれた基礎です。
http://macrobi.livedoor.biz/archives/50751169.html
マクロビパパの奮闘記

易学から陰陽説 - 八卦とは - 東洋・西洋占星術 - Western-Eastern ...
astrology.neoluxuk.com/hisei/index.php/Cat1No/A100/ - キャッシュ - 類似ページ
太極図の意味. 太極図 図1 太極図. 太極図とは、図1に示す通り、おなじみの陰陽の
図形のことですが、この太極図こそ『易学』の思想の原点とも言える図です。 太極図は、
黒と白、即ち陰と陽から構成されていますが、黒の中には白い点が、また白の中には
黒い ...

陰陽論
www.hanachi.com/shop/hanachi/philosophy/yinyang.htm - キャッシュ - 類似ページ
当初考えられていた陰陽の意味は非常に素朴なものでした。 太陽の光を受けたとき,日
の ... 右図は太極図(太極マーク)と言います。 白い部分、と黒い部分を魚に ... 右図で
白い部分は、「陽」を表し、黒い部分は「陰」を表します。 大きな白い部分の中に、黒い点
...


テトラクテュス達成:1,11,111,1111のカーナンバー目撃
画像付きは以下を見られたい。
http://sophiology.jugem.jp/?eid=349

テトラクテュス達成:1,11,111,1111のカーナンバー目撃

テーマ:日本復活の新福音:吉祥、朗報、吉報

せいぜい、30分くらいだろう。もっとも、国道沿いを10分ほどは往復したことにも拠ろうか。
 最後1が出るのかどうかであった。それまで、11,1111,111が出たのである。3度目の正直か思ったが、最後、今日も後1台が出ずに終わるかと思っていたが、最後、ダンプトラックの1が登場したのである。達成である。
 最近は運気がいわば奇蹟的であったが、今日がアクメと言えよう。
 とまれ、思えば、1,11,111,1111は、ピュタゴロス派のテトラクテュスである。 
 太元霊は、ピュタゴラス派、数霊哲学を伝えているのかもしれない。あるいは、日月神示である。
 そう、かつて、正倉院の螺鈿紫檀五弦琵琶にテトラクテュスを見つけて、何でここにあるのかと、意想外さに驚愕したことがあるが、以下の説明を見ると、和音に関わるということなので、今納得である。
 しかし、ピュタゴラス派の哲学は古代ペルシャ、そして、日本まで伝っていたことになる。

参照:左の画像にあきらかに、テトラクテュスがある。
五弦琵琶

Resurrection : ヤポネシア、夜明けと目覚めの光楽:太玄霊氣知行学(太玄霊的生命イデア論)


永田平八のリュート広場 Place Luth

http://blog.goo.ne.jp/lute21jp/e/c5435b816e2205457b1b3da1ef48cafa

参考:
ピタゴラスについて、テトラクテュスとは - 神秘学が教える、あなたの人生 ...
amorc.or.jp/blog/2012/02/post-1.html - キャッシュ - 類似ページ
2012年2月20日 ... ピタゴラス(ピュタゴラス)は宇宙が数からできていると考えました。そして、特にその
中でも1,2,3,4が重要な数であると考え、それを「テトラクテュス」(テトラクティス)と呼
びました。

ピタゴラスのテトラクテュス

Resurrection : ヤポネシア、夜明けと目覚めの光楽:太玄霊氣知行学(太玄霊的生命イデア論)


神聖なる数「10」 〜テトラクテュス〜|数学美術館 - Ameba
テーマ:★数学美術

こんにちは。

パーソナル数学コーチの八田陽児です。



上質が分かる知識人のための数学美術館 -テトラクテュス
その昔、10は神聖な数とされていました。

右の絵をご覧下さい。

これは●が並んでいるだけではありません。

●が1つ、2つ、3つ、4つ。

この形をテトラクテュス(Tetractys)といい、

完全なる形と考えられていました。

正三角形という美しい形が、自然数の和によって表せるのです。



また、音楽においての調和、和音も説明が出来ます。

音楽において、ハーモニーは、振動数が1:2、2:3、3:4のときにうまく調和します。

それがこのテトラクテュスには書かれているのです。



古代ギリシァにおいて、万物は数で出来ていると考えられていました。

テトラクテュスは、そんな世界を象徴するものかもしれませんね。

http://ameblo.jp/interesting-math/entry-10645822679.html
数学美術館


哲学講義6 -ピタゴラス派-

(1)数学研究 -幾何学・天文学・音楽・天体の音楽-
ピタゴラス派にとっては、10という数は神聖な数で、
たとえば、正三角形は、一辺が4個の格子点からなり、辺内に1個の格子点のある、
計1+2+3+4=10個の格子点から構成されていると見ることができます。
これをテトラクテュスというのですが(図がないとなかなか説明しにくいです)、
このテトラクテュスは、ピタゴラス派にとっては、正三角形という美しい形が、
単純な整数の和によって表現できることを意味しました。
このテトラクテュスは、以下に見るように、音楽や天文学とも密接に関わっています。
 
音楽についていえば、弦の長さと和音との間に美しい比例関係があるのを見出しました。
つまり、一オクターブの和音(ドとド)は長さが2:1の関係にある弦によって作られ、
5度の和音(ドとソ)は長さが3:2の弦、
4度の和音(ドとファ)は長さが4:3の弦によって作られるということです。
これは1:2、2:3、3:4と書き換えられますから、
先のテトラクテュスがここにも現れていることになる、というわけですね。

天文学について言えば、宇宙の中心に「火(かまど)」があって、
その周りを太陽や月、地球など、10個の星が回転していると考えました。
つまり、ピタゴラス派はいわば「地動説」をとっていたわけです。
しかし、実際には、9個の惑星しか観測されなかったため、
「対地星」という観測されない星が存在すると仮定して、
無理やり10個の星が回転しているとしました。

ここで、地上では物体が早いスピードで動くとき、ビュン、というような音をたてます。
とすれば、天体は地上の物体とくらべてもっと早いスピードで動いていると考えられますから、
地上の物体とくらべてもっとおおきな音をたてて動いているはずです。
しかも、例の「かまど」に近いものは遠いものよりゆっくり動くので、比較的低音をたて、
かまどから遠くなるにしたがって、その割合に応じて高音をたてる。
そしてそれらの音が全体として美しい和音・音楽を奏でている。
私たちにその美しい音楽が聞こえないのは、
生まれたときからそれを何度も聞いているうちに、それに慣れっこになってしまい、
とうとう聞こえなくなってしまったのだ、ということです。
これが「天体の音楽」(ハルモニア・ムンディ)と言われる思想ですが、
この思想の言わんとしているのは、次のことであるように思えます。
つまり、天体の音楽は、肉体の耳できく物理的な音ではなくて、
理性によって聞き取られる「理(ことわり)」のこと。
わたしたちは、若いうちは純真なこころでそうした「理(ことわり)」に傾ける耳を持っている。
しかし、年を経るにつれて、世の中の俗事に染まり、純真さが失われ、
そうした理を聞く耳をうしなってしまった。その結果、物事の理が聞こえなくなってしまった。

以上まとめると、ピタゴラス派にとっては、図形、音、天体、といった世界の存在者が、
すべてテトラクテュスに還元され、宇宙全体が簡単な数・数比によって表されます。
このことから、ピタゴラス派は、
万物は数を模倣することによって存在する、万物の原理は「数」である、と考えました。
そして、宇宙(=世界)は数によって秩序づけられた美しい存在であるという意味で、
これを「コスモス」と呼びました(cosmos =宇宙、秩序、飾り)。

http://matsuura05.exblog.jp/d2004-02-06

古代ギリシア哲学と現代倫理学のページ


2013年10月29日(Tue)▲ページの先頭へ
太玄霊論の簡単な図式:太元氣論でもいいかもしれない
記号は文字化けするので、以下を見られたい。
http://sophiology.jugem.jp/?eid=348

太玄霊氣知行学(太元氣原理仮説)の簡単な図式:民族存亡の放射能地獄の黙示録

テーマ:太玄霊知行学:太玄霊的生命イデア知行学

先に以下のように書いた。

 T:∞:メビウス太水:ウロボロス

⇒U:☯:氣(陰陽対極性:「水」☯「火」)

⇒V:♁生命物質体

となる。(追記:Vの♁は、本当は、○書いて、その円内に十字+を入れた文様である。即ち、Earth symbol.svg  である。これは、西洋占星術の地球の記号である。参照:
惑星記号 - Wikipedia
地球 Earth symbol.svg 四大元素 の土(地)の記号の転用で、四方 で大地を表す。あるいは、赤道 と本初子午線 。
Earth astrological symbol.svg 宝珠 。世界 (世界を統治すること)の象徴。


太玄霊気知行学の三層構造:太玄霊(メビウス)⇒氣(陰陽対極性)⇒生命物質体(現象):Ver2 (10/25)
http://sophiology.jugem.jp/?eid=343


この図式を修正して、


 T:∞:太玄霊(太元氣):陰陽未分化:メビウス太水:ウロボロス

⇒U:☯:氣(陰陽対極性:「水」☯「火」)

⇒V:♁(氣的生命有機体:生命物質体)

⇒W:⊖(陰陽二元論):自我ー純物質体(唯物論世界)
とする。Wの⊖は心身ないし主客二元論の記号である。
 近代世界は当然、Wの世界であり、今や、それを越えて、Uの主導によって、TとVの新しい世界を創造する時点になったと考えられる。

 現代日本は、Wにどっぷり染まってしまい、ほぼ亡国となり、今や、民族存亡の放射能地獄の黙示録である。


前期PS理論とオイラーの等式の統合の再考:+1が生命物質体、−1が純物質:氣と同一性自己(自我)
文字化けする恐れがあるので、そのときは、以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11657621030.html

前期PS理論とオイラーの等式の統合の再考:+1が生命物質体、−1が純物質:氣と同一性自己(自我)

テーマ:太玄霊知行学:太玄霊的生命イデア知行学

ふと思いついたので、書いておきたい。
 前期PS理論に自己認識方程式凸i*凹i⇒+1において、オイラーの等式を導入したが、その実数、つまり、+1と−1の解明に、膨大な努力を費やしたが、結局、混迷混乱の内に終り、前期PS理論は崩壊して、『海舌』氏はいわば後期PS理論(四元数をもちいたPS理論)へ移行し、私は脱数学主導の理論の探求に赴いたわけである。
 端的に、+1と−1の解釈に混乱を極めたと言っていい。私は『海舌』氏の説明は完全には納得していなかった。つまり、−1を超越的存在と考える仮説である。何故なら、−1は実数であり、これは、現象界に関係すると思われたからである。(また、先に、−1は太玄霊【太元霊:又新語】になるかと思ったが、私見では、太元霊は超越的であるから、−1に当てることはできないと思う。要検討ではあるが。)
 とまれ、自己認識方程式を氣の方程式に変換して考えよう。即ち、

凹i(陰)*凸i(陽)⇒+1            ・・・T

凹i(陰)☯凸i(陽)⇒+1(生命物質体)   ・・・U

(尚、*を☯に入れ替えた)

ここで、不連続的差異論の視点を導入して、再度、前期PS理論に拠るオイラーの等式の現実的意味を提起したい。
 即ち、不連続的差異論は、自己の自我凸i(陽)のもつ自己同一性志向性を問題にしたのである。それは、他者である不連続的差異を否定するというものである。そして、他者=不連続的差異を凹i(陰)として、捉えて、混乱して言ったわけである。
 結局、不連続的差異としての他者(おそらく、二種類の他者ないし三種類の他者が存する。超越的根源的他者と対になる他者である。後者は内在的なものとその現前化としての外在的なものがあるだろう。)、つまり、太元霊は前期PS理論では提示できなかったと考えられる(『海舌』氏が以下の人間認識図の第3象限をそのようなディープな領域と捉えていたが、やはり、超越的な領域ではなく、単に内在的領域に過ぎないと考えられる。)
 とまれ、陰陽極性において、凸i(陽)に拠る否定を考えてみると、それは、マイナス(この場合は凹)を掛けることである。即ち、

凹凹i*凸i⇒−1       ・・・V

となる。

 さて、次に、オイラーの等式

e^{i \pi} + 1 = 0\,

を変形して、

−1=e^iπ

にする。
 この左辺の−1を上記の氣の方程式Vに当てはめる。

すると、

凹凹i*凸i⇒e^iπ     ・・・W

又は、

凹凹i(−陰)*凸i(陽)⇒e^iπ     ・・・X

となる。
 そして、右辺e^iπを純物質と仮説するのである。そして、本来の氣の方程式TないしUにおける+1を生命物質体と見るのである。つまり、それは、氣(陰陽共振)を内包・内在した生命物質体ということである。わかりやすく言えば、有機体的生命体である。正確に言えば、氣的有機体的生命物質体である。
 結局、整理すると、氣の方程式は二つの様態があるということになる。
 即ち、

1:

凹i(陰)*凸i(陽)⇒+1            ・・・T

【又は、凹i(陰)☯凸i(陽)⇒+1(生命物質体)   ・・・U】


2:

凹凹i(−陰)*凸i(陽)⇒e^iπ     ・・・X

【又は、凹凹i*凸i⇒e^iπ=−1     ・・・Y】

である。
 1と2をまとめると、

凹凹i(−陰)*凸i(陽)⇒e^iπ     ・・・X

のXの式を

凸i(陽)*凹i(陰)⇒−1(=e^iπ) ・・・Z

とし、

それに対して、

凹i(陰)☯凸i(陽)⇒+1(生命物質体)   ・・・U

を対とする。

ここで、今回の私の直観のミソであるが、現象化・物質化には、陽(凸i)が優位に作用しているということである。
 今、ふと浮んだことであるが、Zの式は、純物質化の方程式と言ったが、それは、死の方程式ではないかということである。
 つまり、Uが生命の方程式とするなら、Zは真逆の死の方程式のように思えたのである。あるいは、自我の方程式かもしれない。あるいは、大脳皮質の方程式かも。また、思ったのであるが、死の方程式かもしれないが、それより、自我、自己同一性の方程式と見た方が的確かもしれない。
 今の暫定的段階において、
 
凸i(陽)*凹i(陰)⇒−1(=e^iπ) ・・・Z

のZの方程式を自我方程式とする。
 そして、このZに氣の方程式(生命の方程式と言えよう)が対になるのである。

即ち、

⓵氣の方程式(生命方程式):

凹i(陰)☯凸i(陽)⇒+1(生命物質体)   ・・・U


⓶自我方程式(自己同一性方程式):

凸i(陽)*凹i(陰)⇒−1(=e^iπ) ・・・Z


となる。
 ⓵の方程式は、正に、陰陽方程式とも言えるもので、陰陽のバランスがとれて、共振調和和合するものである。
 それに対して⓶は、陽凸iが陰凹iに対して優位になるもので、陰陽共振が否定されるのである。
 ところで、純物質であるが、それは、やはり、−1が表現しているのではないだろうか。それと自己意識の陽凸iと重なるということではないだろうか。つまり、陽凸iと−1が重なった状態が自我であるということではないだろうか。つまり、陽と純物質が合一した状態ということである。
 そのように考えると、私が『海舌』氏から離脱した原因・理由がまた、彷彿としてくる。
 つまり、『海舌』氏は、あえて言えば、物質を+1と見て(実際は光と見ているが、光は物質形成するのでそう見ていいだろう。)、また、−1を超越的存在と見ていたのであるが、それは、真逆であるということである。それを私はNeo-PS理論(NPS理論) http://ameblo.jp/neomanichaeism/theme-10050415729.htmlで述べたのである。
 思えば、このNeo-PS理論の考えは、THRIVE(映画ThriveのトーラスとPS哲科学 http://ameblo.jp/neomanichaeism/theme-10054150901.html)で展開させたのである。
 上述から−1と自我意識を重ねると、より十全な視点が形成されると思われる。つまり、人間は一般には、−1の視点、つまり、唯物論の視点から現象を見ているということになる。
 ここで、光の問題が第一級の問題として存するのである。
 ここでも、前期PS理論は混乱していたと言える。つまり、陽凸iが光なのか、それとも、『海舌』氏が説いたように+1がそうなのかという問題でもある。
 今は作業仮説的に、暫定的に、思考実験的に述べるだけであるが、光は氣が本体である。つまり、陰陽共振が生命現象として発現する、いわば、直前に存するように思える。
 しかし、それをMP(メディア・ポイント:ガウス平面の原点)に見るのか、それとも⇒に見るのか、が問題である。
 思うに、両方でいいのではないだろうか。即ち、☯⇒(又は、以前の氣の方程式の意味で*⇒)を光の方程式と見ていいのではないだろうか。より分節化すれば、☯がデュナミス (アリストテレス哲学の用語であり、潜勢態と訳される)で、⇒がエネルゲイア (これもアリストテレス哲学の用語で、現実態と訳されるが、私は活動態と訳したい)と思われる。(因みに、同じく、アリストテレス哲学のエンテレケイアであるが、これは、実現態ないし結果態とでも訳したい。+1がそれに当たる。そう、生命物質体ということでもある。しかし、これを物質と取るのは重大な誤りと考えられる。)
 そのように考えると、自我(同一性的自己)は、現象(☯⇒+1)を、−1の視点ないし*⇒−1の視点から、言わば、正反対、裏返しに見ていることになる。そう、光☯⇒を、単に純物質−1の視点から見ていると思えるのである。(思うに、これは、陽凸iにおける同一性反射があると思えるのである。つまり、光☯⇒を自我【*⇒−1における*⇒】から視覚知覚しているということである。精緻な解明は後に行いたい。)
 言い換えると、光は本来、氣を本質とするものであるが、それを物質として錯誤しているということなのである。つまり、電磁波として、捉えているということである。(光、この場合、日光、陽光であるが、それを電磁波とするのは誤謬と考える。単に、電磁波という観測視点から日光を見ているに過ぎないのであり、それは、日光は電磁波ではない。この問題は重要なので、今は措いておく。)
 さて、議論がだいぶ複雑になってきたが、本稿の結論は上述の方程式に存する。即ち、


凹i(陰)☯凸i(陽)⇒+1(生命物質体)   ・・・U


⓶自我方程式(自己同一性方程式):

凸i(陽)*凹i(陰)⇒−1(=e^iπ) ・・・Z


である。 
 しかし、⓶は、自我ー純物質方程式と呼ぶ方が的確と考える。
即ち、


⓷自我ー純物質方程式(自己同一性方程式):

凸i(陽)*凹i(陰)⇒−1(=e^iπ) ・・・Z


である。
 だから、整理し直すと、


➊氣の方程式(生命方程式):

凹i(陰)☯凸i(陽)⇒+1(生命物質体)   ・・・U


➋自我ー純物質方程式(自己同一性方程式):

凸i(陽)*凹i(陰)⇒−1(=e^iπ) ・・・Z


となる。
 今はここで留める。

追記:今、ふと思ったが、氣⇒陰陽ではないだろうか。氣が先行し、それが陰陽に極性分化するということなのではないだろうか。あるいは、同時である。
 だから、陰陽極性が先にあって、氣が形成されるということではないと思う。
 しかし、氣⇒陰陽、即ち、氣が陰陽極性に先行するということならば、氣と太元霊(太玄霊)との関係が問題になる。
 しかし、氣⇒陰陽ならば、その氣は太玄霊と考えられる。
 そうならば、光の問題が出てくる。
 光とは何か。上記では、光☯⇒としたが、これは、陰陽共振が光を形成するということを意味するのである。
 整理すると、太玄霊⇒氣、氣=陰陽=☯である。
 では、氣が光なのか。そうではない。氣は不可視であるからである。氣の発現が光、日光である。
 思うに、上述では、光☯⇒であるが、これだと氣とあまり区別できていない。
 そこで、書き替えて、氣☯⇒+1における⇒と+1の接点が光とするのである。図式化が難しくなるが、とりあえず、

氣☯⇒|光|+1   ・・・[

と図式化しておく。
 説明すれば、氣(陰陽☯)が生命物質体(+1)を成形するとき、氣が成形した+1にぶつかったときに発生するのが光ということになる。つまり、氣が生命体にぶつかったときの反射が光ということになるのである。簡単に言えば、氣の物質体による反射が光である。氣の反射としての光ということになる。
 ここで、D.H.ロレンスの『天道虫』における「黒い太陽dark sun」のことが関係するのである。そこで、登場人物のディオニスは、目に見える光とは闇(いわば、超光である)が物質に当たったときの反射であると述べているのである。
 それに今述べた視点を入れれば、ロレンスの「闇」とは氣ではないのかということになるのである。黒い太陽dark sunとは、端的に氣の太陽ということになろう。しかし、氣(陰陽☯)そのものを氣の太陽として見るのは無理があるだろう。それは、単に氣でしかないのであり、太陽ではないからである。
 だから、太玄霊までを考える必要があるだろう。そこで、

太玄霊⇒氣(陰陽☯)    ・・・\

を考えて、この⇒と氣の接点に氣の太陽(黒い太陽dark sun)を考えたい。
 だから、\に黒い太陽を入れて、[を合わせると、

太玄霊⇒|黒い太陽|氣(陰陽☯)⇒|光|+1 ・・・]

となる。
 接点がわかりにくいので、・を入れる。

太玄霊⇒・|黒い太陽|・氣(陰陽☯)⇒・|光|・+1   

・・・]T

となる。
 しかしながら、ガウス平面+オイラーの等式による前期PS理論では、太玄霊の位置が存しないのである。
 そこで、私は無双PS原理等を考えるようになったというのが経緯である。


参考:

人間認識図(『海舌』氏による)

Resurrection : ヤポネシア、夜明けと目覚めの光楽:太玄霊氣知行学(太玄霊的生命イデア論)

オイラーの等式 - Wikipedia

オイラーの等式(オイラーのとうしき、英 : Euler's identity)とは、解析学 における等式

e^{i \pi} + 1 = 0\,

であり、その名はレオンハルト・オイラー にちなむ。ここに、

e\,: ネイピア数 、すなわち自然対数 の底
i\,: 虚数単位 、すなわち2乗すると −1 となる複素数
\pi\,: 円周率 、すなわち円 の直径 と円周の比

である。


2013年10月28日(Mon)▲ページの先頭へ
耳のある者は聴くがいい:外国語の憶え方を発見する!:反芻咀嚼リズム記憶法:氣憶術伝授
耳のある者は聴くがいい:外国語の憶え方を発見する!:反芻咀嚼リズム記憶法:氣憶術伝授

テーマ:日本復活の新福音:吉祥、朗報、吉報

今日も1時間半ほど、森氣欲歩動を行う。ボランティアの小道掃除もいつものように行う。季節的に気持ちがよい気温である。
 森の小道に脇に作ってある、丸太を置いた小さな休憩場所があり、そこで、語学書を取り出して、学習を続けた。
 同じテキストをもう四度くらいになると思うが、使用している。なかなか語学学習の時間が取れないが、できるだけ暇を見て、行うことにしている。
 先ず、前置きとして、昨日の食事について述べよう。これが、語学新学習法に繋がるのであるから。
 パワースポットと思われるスーパーで半額で買った胡桃パンであるが、一袋三つ入っている。
 先に食べ過ぎかと思ったが、一食で三つとも食べてしまった。
 昨日、森の中で、咀嚼して、一口最低50回噛んで食べた。そうしたら、二つで済み、一つ残ったのである(今、それを食べたところだが)。
 小食にもなり、吸収にもいい。
 ところで、本題だが、なかなか憶えられずに、なんとかいい憶えられる方法はないかと考えた。
 そこで、ふと、咀嚼・反芻食事を思い出し、五十回音読すれば、定着するのではないかと思って、実際やってみたのである。
 左手で、指を折って、音読数を数えたのである。五十回、少し退屈かもしれないが、すぐである。
 その結果は、記憶にかなり残ることが判明した。
これだと思った! エウレカ!である。
 五十回咀嚼するのをヒントに五十回同じ語句を音読するのである。
 そうすると、リズムのようなものも出来てくるのである。
 そう、音楽、リズム、ビートが関係してくるのである。
 理論的に考えると、陰陽氣は陰と陽で共振する、いわば、波である。そう、氣波と呼んでおこう。
 つまり、氣波は、陰と陽の共振によるリズムをもっている。そこへ、音読の律動が刻まれると思う。つまり、氣波に音読の言葉を刻むのである。すると、言葉は氣波に刻印されて、結局、記憶されると思うのである。そう、記憶は氣憶であると思う。氣は心、精神、魂、霊である。
 氣波という心に、言葉を刻むことで、氣波心は記憶をすると思われる。
 そう、敷延すると、氣は多面的な作用をもっていると思う。知性、理性、感性、徳性、霊性等を陶冶、涵養するには、氣のもつ記憶性にはたらきかける必要があると思う。
 氣は先に述べたように、精神と肉体をつなぐ霊的メディアである。それは、精神と生命体の中核であると考えられる。
 とまれ、是非、試(験)されたい。咀嚼、反芻という方法は、存在の本質的な作用をもっていると思う。
 日本人が劣化・退化したのは、咀嚼・反芻術を忘れたからではないか。
 私が中学生の頃は英語学習は反復練習をNHKの続基礎英語で行っていたものである。私は英語をそのようにして学んだ。
 私は反復という言葉は好きではなく、繰り返しという言葉を好む。しかし、今度発見して、咀嚼・反芻記憶術は、単なる繰り返しではない。
 繰り返しでは、抽象的である。咀嚼・反芻術は、最低50回の咀嚼・反芻を要求しているのであり、具体・実践的である。
 日本人は語学に関しては、日本語によるハンディがあるので、語学学習には、日本人にあった創意工夫が必要なのである。
 考えれば、念仏も咀嚼・反芻術を活用していると思う。
 また、読書百遍その義自ずから現るともいう。
 すべては同じ原理だと思う。つまり、氣の原理である。
 陰陽のもつ氣波界に、咀嚼・反芻することで、智を刻むのである。これは、『かく』ということでもあると思う。視覚的であれ、聴覚的であれ、『かく』という行為だと思う。あるいは、美術的に言えば、彫刻の原理である。あるいは、版画の原理である。
 思えば、ポスト・モダンでデリダの脱構築主義が流行ったが、彼は、エクリチュール(書記)がパロル(話語)より先行するという、意表をつく提言をしたが、以上の視点から言えば、それは、『かく』という原理から見れば、評価できるのである。ただし、それを文字に限定するのは誤りである。文字は当然であるが、話語も聴覚的に『かく』に通じると考えられるのであるから。
 そう、氣のキャンバスに、繰り返し『かく』ということである。


氣は偉大である。



尊氣、愛氣、養氣、培氣、育氣
が必要である。


2013年10月27日(Sun)▲ページの先頭へ
地球存在進化図式仮説:太玄霊⇒氣⇒(鉱物?⇒)植物⇒(鉱物?⇒)動物⇒人間物⇒氣人・仙人・森人
テーマ:太玄霊知行学:太玄霊的生命イデア知行学

本題であるが、鉱物の位置が未だよくわからないので、?としておくが、今は、その他の地球存在の進化の力学を太玄霊氣知行学から簡単に考えたい。
 まず、未分化の太玄霊が存する。主体的客体であり、客体的主体である。これを太水と呼んでおく。簡単に言えば、主客未分化ということである。
 ここから、氣へと進展する。即ち、陰と陽の対極性が形成される。ここから、次元変換が行われ、生命体、植物体が生まれたと仮説する。植物体とは、陰陽和合によって成形されたと思われる。
 次に、動物体の生起である。
 これは、以前、簡単に触れたが、今の考えでは、陽の極大化を意味するのではないだろうか。陰陽において、陽の傾斜が起こって、陽のもつ物質的力動性が生起したのではないだろうか。
 ただし、人間物におけるような陰陽の二元的分離・乖離・分裂までは達していないのではないだろうか。まだ、陰陽極性は残っているのであり、完全に陰陽がそれぞれ分離したというわけではないように思えるのである。今はそう作業仮説しておく。
 直観では、陽強化によって、骨(脊椎など)、筋肉、体毛が成形されたのではないだろうか。動物体はここまでにしておく。
 次に、人間物である。
 これは、ちょっと複雑である。思うに、陰陽の二元分離が生起したと思う。陰と陽との切断があるのである。そして、陽が大脳皮質として、拡大したと思われるのである。
 それに対して、切断された陰であるが、それは、脳神経的には、視床下部に局部があり、身体的には、内臓が存していると思われる。
 しかし、私の仮説は、人間物は植物体への復帰の志向があると思われる。垂直歩行の垂直が植物志向のように思えるのである。つまり、陰陽分離とは別に、陰陽内装が起こったのではないだろうか。つまり、矛盾・対立した内的構成が生じたとのではないだろうか。考えると、これは、別々に生起した事象ではなく、一つの事象の裏表であると考えられる。
 つまり、元々は陰陽極性がある。それが、極大的に陰陽分裂が起こり、陰陽二元論と生じる。しかしながら、本来、陰陽対極性があるのであり、それは二元化された陰陽の、いわば、裏面に潜在していると考えられよう。つまり、コインの裏表を考えればいいのである。即ち、表は、陰陽二元論であり、裏が陰陽極性である。
 ただし、優位になっているのは、表の陰陽二元論であり、裏の陰陽極性は劣位、潜在意識(無意識)になっていると考えられる。
 さて、いわば、陰陽極性から超越した陽(極陽、超陽)は、独立した知性を形成する。皮質の作用である。これが、科学等を生みだしたと言えよう。しかしながら、それは、自我であり、自己中心的である。
 少し、急ぎすぎて、父権自己のことになっている。それ以前の母権自己の説明を飛ばしてしまった。
 母権自己とは、完全な陰陽二元化が起こる以前の陰陽極性を保持した自己様態と考えられる。
 しかし、そうすると、動物体と母権自己(母権主体)の区別がつかなくなる。
 ここで、性別、ジェンダーの問題が出てくるが、今は暫定的に次のように述べるに留める。
 つまり、父権自己(父権主体)は陰陽分離で、陽が独立し、その裏面に陰陽極性が潜在するのであるが、母権自己(主体)とは、裏面の陰陽極性が賦活されている様態と思われる。
 おそらく、父権自己(父権主体)へ転換・移行する以前の中間的様態かもしれない。即ち、一方では分離する陽があり、他方では、陰陽極性の保持の様態があるということである。
 今はそう考えておく。
 さて、父権自己(父権主体)であるが、それは、陰陽二元論であるが、裏面に陰陽極性を潜在させている。
 問題は、後者の位置である。
 有り体に言うと、陽は頭部であり、陰は胸部に存する、父権自己において。
 先に、陰陽は心頭と考えたが、しかし、父権自己においては、心頭は分裂しているのである。
 だから、陰陽極性はそこに求めることはできないのである。
 結局、陰陽極性が感じられるのは、先ず、陰=胸部においてである。しかしながら、もはや、陰と陽は分離しているので、陰=胸部に感じられる陰陽極性とは十全なものではない。それは、予感のようなものである。氷山の一角のようなものと考えられる。
 妙な言い方であるが、陰陽極性は、陰の底部に、つまり、胸部の底部に存しているのである。
 そして、それは、さらに言うと、肚の上部に形成されているように思われるのである。
 肚は太玄霊である。つまり、陰陽極性は肚=太玄霊の上部に今やあるように思えるのである。
 あるいは、肚と胸部との境界に存すると言うべきかもしれない。
 そう、ここは難所である。存在の妙である。
 精緻に見るなら、陰陽極性は肚には存しないと思う。肚の上部にも存しないと思う。それは、やはり、陰=胸部の底部に存すると思う。
 しかしながら、それを実際理解するのは困難である。
 何故なら、父権自己のもつ連続性(おそらく、太玄霊の未分化性)によって、陰との極性が理解できないからである。陽(頭)と陰(胸)との二元論はあるが、極性は理解できないと考えられるのである。そう、陽と陰との揺らぎはあるが、極性は理解できないと考えられる。
 ここで、不連続的差異論の決定的意義があると言えよう。
 それは、陽と太玄霊を切断したのである。
 その結果、独立した人体意識の三層構造が明確になったのである。例えば、道教などにおいて、三つの丹田があるが、それは、明確に独立した意識とは捉えられていないと考えられる。
 似て非なるものである。
 即ち、結果的に、T)太玄霊とU)陰陽極性とV)陰陽二元性の三層構造が明確になったということである。(もっとも、不連続的差異論が誕生した初期の段階では不分明ではあったことだが。)
 ということで、人間物・人間体(人体)の三層心体構造が明快になったと考える。即ち、

T:腹部(肚)=太玄霊(太水:原初主客未分化様態:混沌)
U:胸部(心胸)=陰陽極性(氣)
V:頭部(頭)=陰陽二元性

である。
 さて、このように解明できたのであるが、これはまだ、不十分である。
 問題は肚=太玄霊の未分化性なのである。これは、霊肉未分化である(D.H.ロレンスの視点がこれだと思う)。
 私は人間物=人間体は植物体への回帰があると述べた。
 その力学を明確にする必要がある。
 それは、これまで、十分に述べてきたように、積極的な陰陽極性力学である。
 つまり、人間物・人間体において、植物体への回帰があるということは、太玄霊=太水からの陰陽極性=氣を生起力学が繰り返されるということである。
 つまり、いわば、無意識の内に、太玄霊=太水からの陰陽極性=氣の発現が根本的にあるということである。おそらく、これは、原初母権主体に存したことだと思う。それが、父権主体の形成によって、抑圧されたと考えられるのである。
 だから、上述したことは、人間体意識の発展を十分には表現していないのである。この植物体の生成を組み込まないといけないからである。
 ということで、人間体意識とは、陰陽二元論への志向性と陰陽極性への回帰というまったく矛盾する志向性をもっているということ言えるのである。いわば、先天的な「分裂症」、統合失調症である。
 とまれ、そのように認識することで、父権主体・自己形成以後の発展の力学が明確になるのである。それは、当然、内なる植物体をさらに発展させることである。陰陽極性=氣の意識の発展である。
 つまり、氣が主導的になって、人間体を進展・進化させると考えられるのである。
 即ち、氣的人間体存在の成形が考えられるのである。
 いわば、氣人類の誕生である。超人としての氣人である。これは、仙人でもある。あるいは、森人、森人類である。


2013年10月26日(Sat)▲ページの先頭へ
氣の陰陽方程式を経済に活用する:凹i(陰)*凸i(陽)⇒+1(同一性体):陰陽経済生命体へ向けて
氣の陰陽方程式を経済に活用する:凹i(陰)*凸i(陽)⇒+1(同一性体):陰陽経済生命体へ向けて

テーマ:新共同体(協同組合)経済:減価共同体通貨

以下の記事を読んで、氣の方程式で、新しい経済システムを説明できるのではないかと直観した。
 氣の方程式は、以下の通りである。

凹i(陰)*凸i(陽)⇒+1(同一性体)

これは、前期PS理論の自己認識方程式:凸i*凹i⇒凸(+1)  (http://ameblo.jp/neomanichaeism/theme-10035503434.html)とほぼ同じである。【追記:iは虚数であり、凹と凸は虚軸における符号であり、*は共振、共鳴、正確には、即非共振を意味するが、氣から生命物質への次元変換として、積(掛け算)を意味し、⇒はその次元変換による結果、帰結を指し示す記号である。また、+1であるが、これは、同一性体と記したが、わかりやすく言えば、生命物質体である。】
 とまれ、陰陽対極性が同一性体を成形するという力学視点である。
 左辺の陰陽極性に対を入れて、対極的経済生命体系列ができよう。例えば、

T)労働*資本⇒商品生産
U)供給・生産*需要・消費⇒貨幣

であり、UからTへと回帰すべきものである。

つまり、

1.労働*資本⇒2.商品⇒3.生産*消費⇒4.貨幣⇒1’.労働*資本

である。
 これが単純な資本経済有機体(一応、有機体と呼んでおく)である。
 しかし、ここにおいて、金融資本が利子を過剰に要求する場合を考えよう。それは、4の貨幣の流れを金融資本へと分岐させて、労働*資本の対極性には適切に還帰させないのである。
 即ち、図式化すれば、


4.貨幣↴↛↛↛1’.労働*資本
    ↴
    ↴
     金融資本


とでもなろう。↴は流れの方向を、そして、↛は適切な流れの切断を意味することにする。
 この金融資本のいわば、横取りによって、陰陽極性的資本経済有機体は破壊されるのである。
 また、金融資本側からの要求によって、労働*資本の極性は偏向したものになる。つまり、貨幣利潤を増殖させるために、過当な経済活動を要求することになるのである。
 故に、本来、労働*資本の極性力学は、創造的であるために、本来、差異共振(分かりやすく言えば、差異の調和)であるべきであるが、金融資本による貨幣利潤の増殖の欲望(同一性・量的増加の欲望)によって、資本側が強化されて、資本優位、労働劣位の二項対立へと転換してしまい(単純に言えば、労働強化による労働者の疲弊、劣化を引き起こす)、本来あるべき、労働*資本の対極性力学が破壊されて、同一性(量)主義的力学へと還元されてしまうのである。これが、金融資本中心的資本主義であり、左翼側から批判される資本主義とは本当はこれであると考えれる。
 結局、この金融資本側の要求を抑制し、健全な経済生命体を構築する必要があるのである。
 ここで、利子の問題が生じると言えよう。無利子や負利子の視点がここで出るのである。
 シルビオ・ゲゼルが説く負利子通貨(消滅貨幣、減価通貨)は金融資本の蓄財を許さないものであり、経済生命体にとって重要な視点であると考えられる。
 今は簡単な指摘に留めておく。

追記:
4.貨幣↴↛↛↛1’.労働*資本
    ↴
    ↴
   金融資本

は、

4.貨幣↴↛↛↛1’.労働者*資本家
    ↴
    ↴
  金融資本家

と人間として見た方が的確かもしれない。

参考:
1379夜『自由地と自由貨幣による自然的経済秩序』シルビオ・ゲゼル ...
1000ya.isis.ne.jp/1379.html - キャッシュ - 類似ページ
2010年8月23日 ... シルビオ・ゲゼルの波乱に満ちた生涯については、あらかた前夜に書いた。20世紀初頭
の経済理論家があれだけの“経済乱世”をくぐり抜けてきたというのは、めずらしい。
いくつか理由が考えられる。ドイツ帝国の勃興期と多難期のドイツの辺境 ...
http://1000ya.isis.ne.jp/1379.html


おカネってなんですか? -シルビオ・ゲゼルの貨幣論-: 愛と赤裸々の日々
otokita.seesaa.net/article/113264516.html - キャッシュ
2009年1月27日 ... おカネってなんですか? -シルビオ・ゲゼルの貨幣論-,平凡な毎日を非日常へと変えたの
は 未知に飛び込むほんの少しの勇気だった。 ... さて、「忘れられた経済学者」とい
われるシルビオ・ゲゼルという人がいます。 あのケインズをして 「後世
http://otokita.seesaa.net/article/113264516.html

シルビオ・ゲゼル - シャンティ・フーラの時事ブログ - Shanti Phula
shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=19130 - キャッシュ
2012年2月8日 ... 村岡です。 「家族の絆 〜夫婦(90):サーカーの思想:プラウトの金融システム 〜」で
紹介された、減価マネーのシルビオ・ゲゼル氏に関する記事です。 減価マネーが経済を
活性化する様子を感じます。加速する経済をどう制御していくのか、導入 ...
http://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=19130

1.
忘れられた経済学者シルビオ・ゲゼル@ - るいネット
www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=190556 - キャッシュ
2008年10月24日 ... 脱・資本主義の可能性を、政府紙幣・地域通貨制度の導入による”利子”撤廃に見出した
経済学者、シルビオ・ゲゼルに関する投稿を紹介します。(リンク) ーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー>シルビオ・ ...
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=190556

2.
忘れられた経済学者シルビオ・ゲゼルA - るいネット
www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=190558 - キャッシュ
2008年10月24日 ... 実際、彼が提唱した理論を導入し、成功した自治体の事例もあるようです。(リンク) ーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー>ゲゼルの自由
貨幣理論を実践し、大成功をおさめたのが、オーストリア・チロル地方 ...
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=190558

シルヴィオ・ゲゼル『自然的経済秩序』

〜代表作「自然的経済秩序」〜

こちらでは、ゲゼルの代表作「自然的経済秩序」の訳を、校正が済み次第順次公開することにいたします。なお、原文(ドイツ語)はこちら で、英語訳はこちら で、スペイン語訳はこちら で読むことができます。

http://www3.plala.or.jp/mig/gesell/nwo-jp.html

参考2:シュタイナーの難解な経済有機体論であるが、ゲゼルの説く消滅貨幣を導入している。
シュタイナー経済学講座
http://www.geocities.jp/momoforall/booknote1/index.html

*************************

「ドルよ さらば」 非アメリカ化を公式に表明した中国 (10/20)

今回は、上院、下院の議員たち(驚いたことに、アメリカの議員の大半が多国籍企業の操り人形になっている)による臭い芝居によって、アメリカの債務上限は来年3月中旬まで引き延ばされました 。

しかし、この程度の時間では、連邦の国有資産を民間企業に加速度的に投げ売りしたところで、借金は大して減らないでしょう。
すると、来年3月中旬が近づくと、再び債務上限を巡っての混乱が起こるのか。ただし、それで最後の。

大部分のアメリカ国民は、オバマのワシントンの「民営化プログラム」が、バンクホリデーの代わりに巧妙に講じられている「仮面徳政令」とも言うべき詐欺的な手口であることに気がついていないようです。

つまり、ドルの延命を図って時間稼ぎを行い、その間にアメリカの公有資産を、ことごとく民間企業に買い取らせて、アメリカ合衆国をアメリカ株式会社に生まれ変わらせたいのです。そして、デモクラシーからコーポレートクラシーのNWO支配体制を固めようと考えているのです。

http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-2424.html
カレイドスコープ


2013年10月25日(Fri)▲ページの先頭へ
太玄霊気知行学の三層構造:太玄霊(メビウス)⇒氣(陰陽対極性)⇒生命物質体(現象):version2
太玄霊気知行学の三層構造:太玄霊(メビウス)⇒氣(陰陽対極性)⇒生命物質体(現象)

テーマ:太玄霊知行学:太玄霊的生命イデア知行学

仕事の段取り、順繰りがうまくいかず、いらいらしている。とまれ、本件について、ざっと書いておこう。

 
V 生命物質体:現象界・物質界:外界
           ⇑
           ⇑
           ⇑
U 氣(陰⇔陽):氣界・エーテル体:心頭
           ⇑
           ⇑
           ⇑
T太玄霊(玄我・元我・原意識:神霊):肚


TからVまでが原初からの現象までの発展図式である。
 父権主義以前は、氣は均衡が取れていたと考える。つまり、原初母権文明の心体である。
 私は陰は胸部に、陽は頭部に関係するように思う。脳神経的には、間脳がこのバランス局部である。
 しかし、父権が誕生して、この均衡が崩れるのである。即ち、陽へ傾斜するのである。この陽が当然、それまでの母権的陰陽均衡を破壊するのである。言い換えると、抑圧するのである。陽>陰のヒエラルキー、二項対立が生起するのである。
 極めつけが、ユダヤ教的一神教である。陽が極大化して、陰が殲滅させられたのである。極陽ないし超陽の事象(心象)である。この精神図式が西洋文明の基調である。
 デカルト心身二元論はこの帰結と考えられる。
 言い換えると、ユダヤ教的パラダイムは陰陽文化=母権文明の完全破壊を意味するのである。
 これは、自己と身体の切断を意味すると言っていいだろう。精神と身体のそれ。天と地の切断、知性・理性と大地・物質の切断である。
 そして、二千年以上飛んで、デカルト心身二元論哲学が誕生したのであり、近代主義は当然この枠組み・フレームにある。
 これによって、人体・心体の陰陽性は切断され、いわば、病的倒錯的な心的様態が形成されたのである。これは、陽的自己(自我・近代的自我)を肥大化させ、陰的身体感性(氣的感性)を抑圧するのである。
 そのために、後者が反動化して、前者を攻撃的にするのである。狂気化すると言ってもいいだろう。そう、その他、否定的なものを付け加えられる。
 これが近代合理主義のおぞましい実相である。
 そう、簡単に言えば、胸部の心(陰)と頭部の知(陽)が切断されたということである。
 以上は、図式のUに関するものである。陰陽分裂ということである。
 さて、問題はTが近代において、完全看過されたことである。これは、もっとも形而上学的領域である。(Uの領域も、ある意味で形而上学であるが、原形的である。イデア・エイドス的である。そう、低次の形而上学性と言えよう。)
 それを高次の形而上学性と言えよう。簡単に言えば、神霊の領域、宗教の領域、至高の神秘の領域である。
 しかし、身体・人体的には肚と考えている。
 これは原我・原意識の領域でもある。
 問題はこのTからU(氣)への転換の力学である。
 端的に言えば、TとUの間は不連続的切断があると考えられる。あるいは、Uの超越として、Tが存するのであり、UからTは認識できないと思われる。
 しかしながら、先に言及したように、陰とこの太玄(太元)は関係しているように思われるのである。文化論的には女性性、母権性である。
 直観では、太玄は「水」である。そして、氣ないし陽が「火」である。
 だから、「水」から「火」が生まれるのである。(これはお水取りの視点だろう。または、タレスの視点。)
 どうも用語が不整合になるが、

太陰(太玄)⇒陰⇒陽⇒氣(陰陽)⇒生命物質体

と思えるのである。
 そう、太水(太陰は混乱するので、太水と呼ぶ)は、直観的には、主と客が未分化的に融合している様態と言えるのではないだろうか。否、そう作業仮説しよう。
 これは陰陽両極様態とは似て非なるものである。何故なら、陰陽極性は陰と陽が明確に分化しているからである。それに対して、太水とは、主が同時に客であったり、客が主であったりして、いわば、主と客は分離できないのである。端的に未分化様態である。
 おそらく、東洋文化において、混沌と呼ぶものが相応しいだろう。
 言い換えると、客的主であったり、主的客であったりして、常に揺れ動いているのである。
 この未分化力学をもっと明快に解明する必要がある。
 そう、メビウスの輪(帯)というのが、この未分化様態を表現する的確な表現ではないだろうか。それは、明らかに、陰陽対極性とは異なるのである。つまり、メビウスの帯(輪)の場合、どこが裏面でどこが表面か厳密に規定できないのである。
 ということで、太水(ないし玄水)は、メビウスの輪の様態(メビウス様態)と解明された、今の段階であるが。
 このメビウス太水(玄水)が、真の根源であり、そこから、陰陽=氣が生起し、また、生命物質体(現象界)が発現することになるのである。
 図式化すれば、

 T:∞:メビウス太水:ウロボロス

⇒U:☯:氣(陰陽対極性:「水」☯「火」)

⇒V:♁生命物質体

となる。(追記:Vの♁は、本当は、○書いて、その円内に十字+を入れた文様である。即ち、Earth symbol.svg  である。これは、西洋占星術の地球の記号である。参照:
惑星記号 - Wikipedia
地球 Earth symbol.svg 四大元素 の土(地)の記号の転用で、四方 で大地を表す。あるいは、赤道 と本初子午線 。
Earth astrological symbol.svg 宝珠 。世界 (世界を統治すること)の象徴。

 これで本件はかなり明快になったと言えよう。
 結局、ポイントはT:メビウス=ウロボロス=∞とU:氣=陰陽対極性=☯の区別である。
 そう、神話学的に言えば、Tは太母であり、Uが太母のセクシュアリティ、性であり、Vが「子」、生命体ではないだろか。(今はざっと述べるに留める。)
 用語的に言うと、Tは太玄水、太玄海、太水、太海、太母水、太母海、等となろう。(D.H.ロレンスが勃興するフェミニズムに対して、反動性をもっていたが、結局、女性の本質を追求したが、それは、このTへの探求だと思う。太母への探索である。)
 さて、最後に光、日光、太陽の位置づけについて考えよう。
 やはり、これまで検討してきたように、光はUの氣において発生すると考えられる。闇はTなのである。この太闇からUの光が誕生するのである。太闇から太光(太陽)の誕生である。そして、太光から生命が生まれるのである。
 そう、端的に、氣=光なのである。光は原生命なのである。生命知エネルギーなのである。
 簡潔にまとめると、

太闇⇒太光⇒太生命

である。
 あるいは、シンプルに、

闇⇒光⇒生命

である。


2013年10月24日(Thu)▲ページの先頭へ
太玄霊気知行学の三層構造:太玄霊(メビウス)⇒氣(陰陽対極性)⇒生命物質体(現象)
太玄霊気知行学の三層構造:太玄霊(メビウス)⇒氣(陰陽対極性)⇒生命物質体(現象)

テーマ:太玄霊知行学:太玄霊的生命イデア知行学

仕事の段取り、順繰りがうまくいかず、いらいらしている。とまれ、本件について、ざっと書いておこう。

 
V 生命物質体:現象界・物質界:外界
           ⇑
           ⇑
           ⇑
U 氣(陰⇔陽):氣界・エーテル体:心頭
           ⇑
           ⇑
           ⇑
T太玄霊(玄我・元我・原意識:神霊):肚


TからVまでが原初からの現象までの発展図式である。
 父権主義以前は、氣は均衡が取れていたと考える。つまり、原初母権文明の心体である。
 私は陰は胸部に、陽は頭部に関係するように思う。脳神経的には、間脳がこのバランス局部である。
 しかし、父権が誕生して、この均衡が崩れるのである。即ち、陽へ傾斜するのである。この陽が当然、それまでの母権的陰陽均衡を破壊するのである。言い換えると、抑圧するのである。陽>陰のヒエラルキー、二項対立が生起するのである。
 極めつけが、ユダヤ教的一神教である。陽が極大化して、陰が殲滅させられたのである。極陽ないし超陽の事象(心象)である。この精神図式が西洋文明の基調である。
 デカルト心身二元論はこの帰結と考えられる。
 言い換えると、ユダヤ教的パラダイムは陰陽文化=母権文明の完全破壊を意味するのである。
 これは、自己と身体の切断を意味すると言っていいだろう。精神と身体のそれ。天と地の切断、知性・理性と大地・物質の切断である。
 そして、二千年以上飛んで、デカルト心身二元論哲学が誕生したのであり、近代主義は当然この枠組み・フレームにある。
 これによって、人体・心体の陰陽性は切断され、いわば、病的倒錯的な心的様態が形成されたのである。これは、陽的自己(自我・近代的自我)を肥大化させ、陰的身体感性(氣的感性)を抑圧するのである。
 そのために、後者が反動化して、前者を攻撃的にするのである。狂気化すると言ってもいいだろう。そう、その他、否定的なものを付け加えられる。
 これが近代合理主義のおぞましい実相である。
 そう、簡単に言えば、胸部の心(陰)と頭部の知(陽)が切断されたということである。
 以上は、図式のUに関するものである。陰陽分裂ということである。
 さて、問題はTが近代において、完全看過されたことである。これは、もっとも形而上学的領域である。(Uの領域も、ある意味で形而上学であるが、原形的である。イデア・エイドス的である。そう、低次の形而上学性と言えよう。)
 それを高次の形而上学性と言えよう。簡単に言えば、神霊の領域、宗教の領域、至高の神秘の領域である。
 しかし、身体・人体的には肚と考えている。
 これは原我・原意識の領域でもある。
 問題はこのTからU(氣)への転換の力学である。
 端的に言えば、TとUの間は不連続的切断があると考えられる。あるいは、Uの超越として、Tが存するのであり、UからTは認識できないと思われる。
 しかしながら、先に言及したように、陰とこの太玄(太元)は関係しているように思われるのである。文化論的には女性性、母権性である。
 直観では、太玄は「水」である。そして、氣ないし陽が「火」である。
 だから、「水」から「火」が生まれるのである。(これはお水取りの視点だろう。または、タレスの視点。)
 どうも用語が不整合になるが、

太陰(太玄)⇒陰⇒陽⇒氣(陰陽)⇒生命物質体

と思えるのである。
 そう、太水(太陰は混乱するので、太水と呼ぶ)は、直観的には、主と客が未分化的に融合している様態と言えるのではないだろうか。否、そう作業仮説しよう。
 これは陰陽両極様態とは似て非なるものである。何故なら、陰陽極性は陰と陽が明確に分化しているからである。それに対して、太水とは、主が同時に客であったり、客が主であったりして、いわば、主と客は分離できないのである。端的に未分化様態である。
 おそらく、東洋文化において、混沌と呼ぶものが相応しいだろう。
 言い換えると、客的主であったり、主的客であったりして、常に揺れ動いているのである。
 この未分化力学をもっと明快に解明する必要がある。
 そう、メビウスの輪(帯)というのが、この未分化様態を表現する的確な表現ではないだろうか。それは、明らかに、陰陽対極性とは異なるのである。つまり、メビウスの帯(輪)の場合、どこが裏面でどこが表面か厳密に規定できないのである。
 ということで、太水(ないし玄水)は、メビウスの輪の様態(メビウス様態)と解明された、今の段階であるが。
 このメビウス太水(玄水)が、真の根源であり、そこから、陰陽=氣が生起し、また、生命物質体(現象界)が発現することになるのである。
 図式化すれば、

 T:∞:メビウス太水:ウロボロス

⇒U:☯:氣(陰陽対極性:「水」☯「火」)

⇒V:♁生命物質体

となる。
 これで本件はかなり明快になったと言えよう。
 結局、ポイントはT:メビウス=ウロボロス=∞とU:氣=陰陽対極性=☯の区別である。
 そう、神話学的に言えば、Tは太母であり、Uが太母のセクシュアリティ、性であり、Vが「子」、生命体ではないだろか。(今はざっと述べるに留める。)
 用語的に言うと、Tは太玄水、太玄海、太水、太海、太母水、太母海、等となろう。(D.H.ロレンスが勃興するフェミニズムに対して、反動性をもっていたが、結局、女性の本質を追求したが、それは、このTへの探求だと思う。太母への探索である。)
 さて、最後に光、日光、太陽の位置づけについて考えよう。
 やはり、これまで検討してきたように、光はUの氣において発生すると考えられる。闇はTなのである。この太闇からUの光が誕生するのである。太闇から太光(太陽)の誕生である。そして、太光から生命が生まれるのである。
 そう、端的に、氣=光なのである。光は原生命なのである。生命知エネルギーなのである。


2013年10月23日(Wed)▲ページの先頭へ
不連続的差異論と前期PS理論の結婚:シュタイナーのアストラル体と自己を太玄氣で捉える
不連続的差異論と前期PS理論の結婚:シュタイナーのアストラル体と自己を太玄氣で捉える

テーマ:太玄霊知行学:太玄霊的生命イデア知行学

また、新たに閃いたが、時間がないので、十分書けないので一言(追記:一言ではなかった)。
 先に、思考実験していて、混乱したが、その後、新たに考えた。
 シュタイナーのいうアストラル体は太陰ではないか。また、自己(「わたし」)は原我として、やはり、太陰に含められるのではないかと思った。
 つまり、

太陰(太玄霊、太玄氣)は原我でもある。
 そして、これが、陽=日光=氣を形成する。
すると、

太陰=原我⇒陽

である。
 問題は陰や物質成形である。
 太陰と陰の関係について、これまで不分明であった。
 先には初期PS理論を復活させて、考察したりした。
 しかしながら、『エーテル空間』を参考にして、イメージしてみたが、明らかに、陽がエーテル=氣であり、それが、生命力智である。そこには、陰が必要ないように見えるのである。
 そこで、氣を捉え直す必要があると思えるのである。陽=氣とすると、陰を説明するのが難しいのである。
 そこで、エーテル体=陽=氣ではなくて、エーテル体=氣であり、氣は陽/陰の極性をもつとするのである。即ち、

エーテル体=氣=陽/陰=陽極/陰極

である。
 ポイントは、陽の氣、陰の氣とは見ないことである。しかし、天の氣、地の氣はありえるのではないだろうか。
 とまれ、氣一元論で、陽極/陰極の極性をもつということである。
 そして、陰極と太陰は直接は関係しないということと思えるのである。
 思うに、ここで、初期PS理論を適用できるように思えるのである。凸i*凹i⇒+1である。これは、陽*陰⇒生命物質となる。
 そして、氣の垂直軸が回転して、そして、生命物質は螺旋を描くと見るのである。
 そして、陽主導と陰主導の2つが考えられるので、二重螺旋になると考えられるのである。
 これで、螺旋形状の生命体の力学イメージができた。
 そう、ここで補足すると、

凸i(陽)*凹i(陰)⇒+1(生命物質)

 であるが、左辺は上昇垂直力であり、右辺は下降垂直力であると思えるのである。
 具体的に言えば、前者は樹木の垂直に伸びる力であり、後者は樹木にかかる重力である。
 当然、前者>後者である。
 これで、生命体の力学イメージがさらに展開した。
 結局のところ、太陰から氣が生まれるが、両者は段階の異なる異質なものということになる。
 不連続的差異論で連続性が切断されたのであるが、それは、太陰と氣=陽極/陰極の切断と考えられる。
 そう、氣は心頭(胸部+頭部)であろう。それに対して、太陰は肚(腹部)である。この切断を不連続的差異論で実質的に行なったと考えられる。
 初期PS理論、正しくは前期PS理論であるが、それが行き詰まったのは、不連続的差異論の切断の意義を正しく捉えられずに、氣の陰陽的極性の差異を不連続性と見るという誤謬を犯したことに存すると言えよう。そう、根源を求めて、恐ろしく混迷・混乱したのであった。【その後のPS理論であるが、『海舌』氏が四元(しげん)数を導入して、それまでのPS理論とはまったく異なるものに発展させたのであり、そこには、私はまったく関わらず、私独自で、数学主導理論から脱して、今に至っているのである。】
 とまれ、上述のように捉え直して、とりあえず、不連続的差異論の意義と前期PS理論の成果を結合した太陰氣論(太陰霊氣論)の力学の輪郭ができたと言えよう。
 しかし、太陰という用語を使用すると、氣の陰と混乱するので、太玄氣論、ないし、太玄霊氣論とでも言うべきだろう。
 その他、太玄氣、ないし太玄霊氣は、原意識=原我と思えるのである。ここには、シュタイナー霊学の自己とアストラル体が一体となって含まれると今は考えている。
 これについては後で述べたい。






エーテルは当然、氣と読む:氣空間と物質空間(3次元)の相互性の記述

テーマ:太玄霊知行学:太玄霊的生命イデア知行学

後もう少しで読了するが、難解であり、再読再々読等をする必要がある。
 とまれ、太玄氣知行学から言うと、氣界と物質界の関係の力学を説いている。
 太玄氣知行学はエーテル体を超えた視点のものであり、これまでの陰陽球の考え方は直接には、エーテル空間の考えには当てはまらないが実に参考になる。
 できれば後で比較検討したい。

追記:一言言えば、太玄氣知行学(簡単に太玄学又は玄氣学)に拠れば、太玄(これまでは太陰)から陽が生まれると述べたが、この陽がエーテル=氣に相当するだろう。すると、陰の問題が起こるのである。もし、陽=エーテル=氣ならば、陰は何かということである。
 単純に考えて、陽の対極としての陰の成立ということになるのではないだろうか。すると、陽と陰とはそれほど違わないものとなるだろう。極性が正反対だけになるのである。【佐野千遥氏の単極磁石論であるが、それは、ここらへんと関係するかもしれない。どうも陰陽はある一つの力から生まれたと見られるのである。私の場合、太玄氣ないし太玄霊であるが。(霊と氣の区別を明快にすべきであるが。)】
 しかし、陰は陽を補完するだけの存在なのか。積極性はないのか。
 とまれ、今はここで留める。

追記2:どうもシュタイナー派(シュタイナリアン)は、氣から物質の生成力学については述べていなく、単に、物質を前提にしているようにも思えるのである。
 しかし、太玄氣学は、氣からの物質を説くのである。
 少なくとも、陽の氣から物質が生まれる。あるいは、陰陽共振によって生まれる。
 やはり、先の直観像から見ると、玄氣(玄霊)があり、それが、陰陽球を形成する。そして、球面の外は陽であり、内は陰である。この陰陽は均衡しているのである。
 そして、この陰陽共振から周囲に、物質が成形されるのである。
 否、それは直近の考えである。それまでは、陽が物質(電磁波)を発生させると考えていたのである。
 どうも、明らかに混乱がある。
 ここでいちおう留めておく。
 

エーテル空間 (耕文舎叢書)/イザラ書房
¥2,100
Amazon.co.jp

「エーテル空間」ノート
https://r5.quicca.com/~steiner/novalisnova/steiner/aetherischenRaum/ar.html
「エーテル空間」ノート. □テキスト ジョージ・アダムス 『エーテル空間』 (石井秀治訳・耕
文舎叢書/2012夏発行). □全体構成 「はじめに」 「I.ユークリッド幾何学と近代幾何学」 「
II.反空間とその力」 「III.球面に関する対極性」 「IV.物質とエーテルの力と実体」.


2013年10月20日(Sun)▲ページの先頭へ
太玄霊知行学:太玄霊(肚)⇒氣(心頭)⇒(日光⇒)電磁波(生命物質界)
参考のリンクは以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11644918736.html

太玄霊知行学:太玄霊(肚)⇒氣(心頭)⇒(日光⇒)電磁波(生命物質界)

テーマ:太玄氣学:太玄霊生命論:玄氣⇒氣⇒生命体

「陰と太陰が区別されるならば、初期PS理論は使用できるのである。
 ということで、初期PS理論を復活させれば、説明できるのである。
 すると、図式化すると、

太陰(太陰霊)⇒陽(日光)/陰陽⇒電磁波

となる。
 しかし、思うに、太陰ではなくて、無双原理の元の太極とすべきなのかもしれない。
 ならば、


太極(太極霊)⇒陽(日光)/陰陽⇒電磁波

となる。
 今はここで留める。

追記:以上のように、三段階で考えると、以前、ガウス平面に直交させた超越軸の考え方が生きてくるだろう。
 超越軸ではないにしろ、ガウス平面を超越した次元である。
 超越次元は、太極霊の次元であり、それから、陰陽極性次元(虚軸次元=氣次元)が生まれ、そして、電磁波、物質次元が生まれるのである。
 便宜的に、超越軸を仮説することはできるだろう。」

陰陽球という祖宇宙とその球面上の実宇宙:1. 太極霊⇒2. 陽=日光/陰陽⇒3. 電磁波
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11644029810.html

***************************
***************************

直近で以上のように書いたが、そうならば、陽=凸i、陰=凹iの虚軸はどうなるのか。
 陰陽球面の表面が陽、裏面が陰ならば、虚軸は太陰点から円周への半径を伸ばした直線になるだろう。
 そうすると、電磁波は円周の切線の方向に成形されるだろう。直観では、円と直交するものをイメージするが、考えてみれば、球面の皮膜に相当するのであるから、円上の接線で方向的にいいのである。
 そう、陽凸iは天の方向、太陽、アポロの方向であり、陰凹iは地の方向、大地、デーメーテール(ここに、ディオニュソスと入れたい欲求があるが、どうだろうか。ディオニュソスをここに入れるだろうか。単に、アポロとは対照的なものという意味なら、ここに入れることは可能である。この点は、別に検討する必要がある。)の方向である。
 今、浮んだ発想だが、陰凹iはいわゆる心、胸中の心ではないだろうか。道教、気功で言えば、中丹田である。あるいは、単に、ドキドキハートラブラブである。
 しかし、である(この「しかし」はとても強い強調である)。
 私がこれまで説いていた太陰(太極かもしれないが)は、そこにはないのである。それは、陰=凹iではありえないのである。何故なら、陰=凹iは胸部に定置すると考えられるからである。
 これまで何度も述べてきたように、私が説く太陰は肚のことである。だから、まったく、陰=凹iとは異なるのである。(だから、陽=凸iは人体的には、頭に定置すると言えよう。)
 思うに、そのような肚である太陰に、陰という語を含めるのは、不整合である。何故なら、陰陽論的には、太陰とは陰陽の様態の一部であるからである。つまり、極大の陰が太陰なのである。
 故に、ここで、用語を一新しないといけない。そこで、無双原理や一般の陰陽論から太極という用語が候補になるが、私は「太陰」には、母権を見ているので、その意味合いを入れる用語であるべきと考えるので、とりあえず、太玄と呼ぶことにする。【だから、理論名称は太陰氣学(太陰氣行学)から、太玄氣学(太玄氣行学)になる。】
 さて、そのように見ると、氣とは、確かに、陽の氣と陰の氣の二種類あることになるだろう。陽氣と陰氣では、語弊があるので、別の用語を考える必要がある。暫定的に、陽光氣と陰光氣と呼ぶことにする。両者、不可視である。そして、電磁波としての光になって可視化するのである。しかしながら、その光、端的に、日光には、陽光氣と陰光氣が含まれているし、両者の共振作用も含まれていると考えられる。(考えると、三種類の氣が存するだろう。陽光氣と陰光氣といわば陰陽共振氣である。この問題は、別に考えたいが、これも一種の三位一体と言えよう。)
 思うに、私が氣という場合、どうやら、陰の氣と陽の氣との陰陽共振の氣、共振氣を指すように思われる。もっとも、それは、三様態であるが、直観的には、一(いつ)として、感知される。
 そのように氣を捉え直したとき、太玄(これまでの太陰)の力・エネルギーはどう説明できるのだろうか。
 私は、これまで、それをほぼディオニュソスとして捉え、「陽」(これは、上述における氣、三様態の氣である)をアポロと捉えてきたのである。
 上述から、太玄の力・エネルギーは明らかに、氣とは異なるのである。
 氣を創造する根源の力と考えられる。それは、原氣と言えようが、意味的に適切にするために、玄氣と呼びたい。
 つまり、簡単に図示すれば、

玄氣(肚)⇒氣(心頭)⇒(日光⇒)電磁波(生命物質界)

である。(日光の位置が微妙である。これまで、陽=日光としたが、今やそう考えることはできない。日光とは、現象的には、つまり、物質現象的には電磁波であるが、陰陽の三つの氣を超越的に内在していると考えられるのである。)
 初期PS理論で使用したMP(メディア・ポイント)の概念であるが、それも使用でき、それは、そう、わかりやすく言えば、渦巻、渦動の中心点である。あるいは、神話的に言えば、天之御中主神であろう。
 さて、玄氣(肚)であるが、いったい何なのか。大根源点である太玄氣点であり、宗教・霊学的には、太玄氣霊と呼ぶこともできよう。
 ここで、イデアの問題が生じるのである。そう、この大根源点である太玄氣(霊)をイデアと呼ぶことができるだろうか。
 例えば、太玄氣イデアというように。イデアとはエイドスと共通し、結局、原形である。超越的原形ないし超越論的原形である(陰陽は内在的超越であるので、超越的とも超越論的とも形容できよう)。
 直観では、太玄をイデアとは呼べない。イデアと呼べるのは、陰陽部である。陰陽イデアである。
 ならば、太玄は何か。少なくとも、元イデアないし前イデアとは呼べる。
 しかし、形になる前のなんらかの「霊」と思える。そう、「神霊」と言えるかもしれない。
 ここで、先に述べた原意識の図式を考えるのが適切だろう。

* 植物と動物と人間の成形力学について:太陰と陽の陰陽力学? (10/15) http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-2015.html

* 太陰氣学による宇宙生命体人体生成の仮説:内在する5の数と幾何学:ピュタゴラス派に回帰する (10/13) http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-2014.html


即ち、

太陰⇒陽

又は、

原意識=太陰(主体)⇄陽(客体)

ないし太陰(主体)∞陽(客体)

である。
 太玄氣学(太玄霊氣行学がいいように思えた)に即せば、


太玄⇒陰陽


原意識=太玄⇄陰陽(氣)

ないし

=太玄∞陰陽(氣)

である。
 思うに、太玄霊を原意識としてもいいだろう。
 先に、原意識を知即存在としたが、それもここにも当てはめられよう。
 とまれ、今の段階では、太玄は、霊力の世界(霊界、神霊界)とし、陰陽は氣の世界(氣界)としておこう。
 では、霊力の世界とは何か。それは、根源的一(いつ)の世界だろう。森羅万象の根源の世界である。氣の世界が諸原形の世界とすれば、それらが一体となった世界である。
 いわば、原原形世界である。
 直観で言えば、未分化多様体である。多様な原形が未分化で融合しているような世界である。一種、混沌界、カオス界と呼べるかもしれない。あるいは、一即多の混融体である。ここで即非の論理を使用できるかもしれない。一即非多である。(追記:あるいは、一即全、一即非全である。)
 そう、また、超陰陽界、超氣界、超イデア界とも言えよう。超プラトンの世界である。
 D.H.ロレンスがダーク・ゴッドと呼んだものはここを指しているように思える。思うに、一神教の唯一神、超越神とは、このダーク・ゴッドの一の様態の特化のように思える。つまり、極陽化である。これについては別稿で検討したい。
 ところで、プラトンのコスモスとロレンスのコスモスであるが、前者は陰陽氣宇宙であり、後者は太玄霊宇宙ではないだろうか。
 まだ、太玄霊については解明が不十分だが、ここで一時留める。

参考:

*
拡大ガウス平面路線VS四元数路線:時空軸一次元+空間二次元VS時・・・

無双PS原理を再度ガウス平面から構築する:時空軸と平面二次元の構成する現象時空三次元体:超ガウスhttp://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11392233889.htmlまた、揺り戻しで、四元数・・・[2012年10月30日]

resurrectionのブログ: JaponAsia Gr・・・

*
オイラーの公式と螺旋:この図を探していたのである

太極をどう捉えるのか:霊的太極と陰陽極性:Ver3.2:陰陽ラセンと電磁波テーマ:無双PS原理ガウス平面いろいろ問題があって、一挙には、解明できない。一つずつ検討して行くしかない。 その一つの問題が太極である。太極とは、ただ一つ・・・[2012年10月30日]

resurrectionのブログ: JaponAsia Gr・・・
*
無双PS原理を再度ガウス平面から構築する:時空軸と平面二次元の構・・・

無双PS原理を再度ガウス平面から構築する:時空軸と平面二次元の構成する現象時空三次元体:超ガウス五次元体の仮説私は、無双PS原理の数学的システムをガウス平面から四元数(しげんすう)=クォータニオンに変えたが、どうも、直観的には、・・・[2012年10月30日]

resurrectionのブログ: JaponAsia Gr・・・
*
霊数としての陰凹と陽凸:根源軸としての陰陽軸、根源平面としての陰・・・

・・・実軸で、立体空間となり、そこに、陰陽三元性が三次元へと展開するのではないのか。 以上はまったくの思いつきに過ぎない。追記4:追記3の考え方だと結局、これまでの、四元数的無双PS原理でいいことになろう。 陰陽が太極点=MPで・・・[2012年10月29日]

resurrectionのブログ: JaponAsia Gr・・・

http://search.ameba.jp/search.html?q=%E7%84%A1%E5%8F%8CPS%E5%8E%9F%E7%90%86&row=10&profileRow=&target=id&aid=neomanichaeism&author=all&start=20


陰陽球という祖宇宙とその球面上の実宇宙:1. 太極霊⇒2. 陽=日光/陰陽⇒3. 電磁波
テーマ:太陰氣学:太陰イデア論:氣=イデア=生命

じっくり時間がとれるときに検討したい。
 以前は、陰陽円をベースにして、そこから、三次元宇宙ないし四次元時空間が発生すると述べた。ただし、陰陽円は超越界にあり、三次元空間とは別に存しているということになる。
 思うに、その陰陽円を現段階の陰陽円、陰陽球ととれば、より大きな視野が生まれるだろう。
 そう、以前は陰陽両極性で考えていたのである。それが陰陽円を形成し、それから、現象化すると考えたのである。
 しかし、今では、太陰点をもっていて、そこが原点であり、そこから、陽の円周、球面ができると考えているのである。
 そう、陰陽円という名称は同じでも、根本的に視点が異なるのである。
 とまれ、以上のように新たに整理できるように思われるのである。
 太陰点という原点があり、陰陽球があり、それが祖宇宙(祖宇宙球)であり、その球面がいわば、光の球面(光の境界面)であり、そこから、現象宇宙が生起するように思えるのである。
 今日、言われる、ダークマター、ダークエネルギーは、祖宇宙に存すると思う。これは、確かに、光を超えた次元、そう、超越次元にあるのであり、今日の科学では解明できないと言えよう。
 太陰氣行学(簡単に、太陰行学)から言えば、祖宇宙は氣の宇宙であり、さらに原点は太陰霊と考えるのである。
 どうも今の直観では、陰陽球の球面であるが、表面が陽で、裏面が陰ではないかと思ったのである。そして、それが、磁気的ではないかと思うのである。
 というか、電磁界ができるのかもしれない。
 しかし、根本は氣である。氣が電磁界を成形すると思われるのである。氣がN極、S極を作るように思われるのである。
 否、やはり、球面は陽と陰の極性で見るべきであり、磁力、電磁力で見るべきではない。
 陰陽極性から磁力、電気力、電磁気力が生まれると見るべきなのである。
 しかし、そうすると、所期の考えとは異なることになる。
 私のイメージは、陽がプラスと実体化し、それに対にマイナスを形成されるというものである。
 作用、反作用に近い。
 そうすると、陽=日光から、プラスとマイナス、ないし、NとSの物質極性が形成されると見なくてはならないだろう。
 しかし、日光だから、物質的には電磁波である。この点を見ないといけない。
 やはり、元に返って考えるべきだろう。思うに、球面と球面の皮膜を考えたらどうだろうか。
 球面は陽=日光であるが、皮膜が物質、例えば、電磁波である。
 では、球面と皮膜の関係はどうなのか。ここで、初期PS理論が使用できるなら、凸i*凹i⇒+1で、この+1が皮膜になるだろう。陽は凸iであり、それと対になるのが、陰の凹iである。
 そう、陰の凹iと太陰は区別されるのである。
 陰と太陰が区別されるならば、初期PS理論は使用できるのである。
 ということで、初期PS理論を復活させれば、説明できるのである。
 すると、図式化すると、

太陰(太陰霊)⇒陽(日光)/陰陽⇒電磁波

となる。
 しかし、思うに、太陰ではなくて、無双原理の元の太極とすべきなのかもしれない。
 ならば、


太極(太極霊)⇒陽(日光)/陰陽⇒電磁波

となる。
 今はここで留める。

追記:以上のように、三段階で考えると、以前、ガウス平面に直交させた超越軸の考え方が生きてくるだろう。
 超越軸ではないにしろ、ガウス平面を超越した次元である。
 超越次元は、太極霊の次元であり、それから、陰陽極性次元(虚軸次元=氣次元)が生まれ、そして、電磁波、物質次元が生まれるのである。
 便宜的に、超越軸を仮説することはできるだろう。


2013年10月18日(Fri)▲ページの先頭へ
太陰と「水の主」ノンモ:宇宙の根源は《水》(太陰:母権・女)で、《火》(陽:父権・男)は派生物
太陰と「水の主」ノンモ:宇宙の根源は《水》(太陰:母権・女)で、《火》(陽:父権・男)は派生物

テーマ:太陰氣学:太陰イデア論:氣=イデア=生命

太陰は水的で、陽が火的で、陰陽調和は火水(かみ=神)?:月(水)と日(火)の一体としての前古代 (10/17)
http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-2016.html

 先に以上のように、直観的に書いたが、たまたまドゴン族の神話に触れたが、それは、シリウスからやってきたノンモは「水の主」と述べている。検索すると、根源を《水》とする神話等がたくさんあるのに気づいた、今更ながらだが。
 太陰氣学において、根源の太陰を《水》とすると、確かに、うまく、母権と繋がる。
 問題は、太陰を陽=氣とは別に考えていることである。私は、玄氣としている。すると、玄氣=《水》 となる。
 つまり、玄氣=《水》が陽(日)を成形し、陰陽球になるのである。これはほぼ太陽的なものである。しかし、根源は太陰=玄氣=《水》となる。
 だから、思うに、太陰=玄氣=《水》には、『情報』があるのである。根源情報があるのである。直観では霊以前である。元霊である。太陰の魂のようなものである。太陰魂である。《水》に刻印された根源情報=魂である。というか、《水》 がもつ智である。
 なにか、水氣とか呼びたい。あるいは、水氣波、水魂である。
 とまれ、《水》から陽=火=エネルギーが生まれるのである。水母である。比喩的に言えば、海から日が産まれるのである。
 後で、さらに深く検討したい。
 
**************************
27-a7.水の神 ドゴン族神話 - Dynamic DO!.jp
http://bewithgods.ddo.jp/hope/doc20/27-a7.html

27-a7.水の神 ドゴン族神話 ドゴン族の神話を検討すると、現代科学では想像も
できない、知的生命体の進化の歴史が浮かび上がってきます。現在の我々の知って
いる生命の進化は、この知的生命体の双子の進化の後に繰り広げられたのでしたす。
それでは、 ...

目の星は人類の母――天狼星信仰之謎 - Yahoo!ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/sinagawa50/archive/2005/10?m=l&p=7

タイトル 日付

神島の「ゲーター祭」
2005/10/5(水) 午後 0:37

神と「五十」 (1)
2005/10/4(火) 午後 9:55

神の出行は「遊」なり (1)
2005/10/4(火) 午後 4:15

「伏犠・女媧」と「風姓」
2005/10/4(火) 午後 3:27

龍による天地創造
2005/10/4(火) 午後 3:09

「水の支配者」龍
2005/10/4(火) 午後 2:54

聖徳太子と「まつ」の木 (1)
2005/10/4(火) 午後 0:20

「日神再窟出」の意味とは
2005/10/4(火) 午前 10:29

神と「目」
2005/10/3(月) 午後 8:10

「住吉三神」と「一寸法師」
2005/10/3(月) 午後 6:28

「三重」と「伊勢」
2005/10/3(月) 午後 5:54

神は「魚形」になっています (1)
2005/10/3(月) 午後 1:36


Water(水)

 古代ミーレートスの哲学者たちによれば、水は四大のうちの最初のもの、すなわちギリシア語でアルケーArchê (「万物の母」)と呼ばれるものであった[1] 。水は「霊」を生んだが、霊は一般に男性原理と信じられていた。こういうわけでキリスト教徒が異教徒から取り入れた、洗礼による再生という観念は、水(女性)と霊(男性)の両方を必要としたのであった。洗礼盤は「子宮」 、とくに「マリアの子宮 」と呼ばれたが、マリアという名は古代のすべての「海の女神」の名であった[2] 。たいていの神話は、創造の衝動が最初に生じた場所を、混沌 として「無定形」な、子宮 (生命の源)である海としているが、これは太母(ティアマート 、カーリー 、マ・ヌ、テミスなど)を表していた。こういう太母のイメージは実際には、胎児が経験し、生涯にわたって元型的なイメージとして意識下に記憶され続ける自他の区別(すなわち自己と母親との区別)の欠如に由来するものであった。母親Motherを表す文字M (Ma)は波を表す表意文字であった。

 「神話学者たちが認めるところによれば、女性原理は、中世にキリスト教当局から受けたように、執拗な攻撃を受けると、静かに潜行することが多い。生命が生まれた水の中で、女性原理は男性支配の社会の潜在意識を泳ぎまわり、時折表面にぴょこんと顔を出しては、いまだに男性原理とは相容れないことを見てとる」[3] 。

 「水」と「母親」との間の照応関係は、母性原理が理論上抑圧されていた中世にあっても普遍的であって、錬金術師や他の「哲学者たち」は、霊魂 を創造したのは神ではなく、母なる大地 と母なる海であったと主張している[4] 。女神を祀る神殿は例外なくと言っていいほど、井戸、泉、湖、海と関連をもっていた[5] 。「湖上の貴婦人」とは、中世ドイツの吟遊詩人(ミンネジンガーMinnesinger)たちが崇拝した愛の女神ミンネMinne-アプロディーテー のことで、人魚として姿を現し、「水の性質」をもつと考えられていた。しばしば愛そのものの隠喩として水が用いられた。水と同じく愛は、茶碗状にくぼめた掌の中に入れるように、ゆったりと育む男のもとに留まった。しかし、固く握りしめようとする男からは、愛は流れ去って掌の中には何も残らなかった。そして水は愛と同じく、豊穣性や創造性という生命力には不可欠のものであった。水なくしては、物質界同様、精神界も不毛の砂漠、荒地Waste Land となってしまうであろう。


・・・


〔ドゴン族・バンパラ族〕 これまた、緑色の、神の精液たる水は、ドゴン族の宇宙発生論において、大地 を受胎させて《二双子の英雄 》をもうける(GRIE)。この双子は、腰から上が人間、腰から下がヘビ の形で生まれる。彼らは緑色をしている(GRIE)。

 しかし、豊餞をもたらす生命力である、水のシンボルは、ドゴン族とその隣人バンパラ族の思想において、はるかに先まで進む。というのも、水は神の精液だが、また〈光〉であり〈言葉〉だからである。この再生の御言葉の、主要な神話的アヴァターラ(権化、化身)は、純銅の螺旋である。しかしながら、水と言葉が現実態となって現れ、世界創造 をもたらすのは、もっぱら湿った言葉の形をとってである。この湿った言葉に対立するものとして、顕在的生命のサイクル外にとどまる双子の片割れがいて、こちらをドゴンとバンパラは「乾いた水」と「乾いた言葉」と呼ぶ。乾いた水と乾いた吉言葉は、思想、すなわち人間と神の両面における潜在性を表す。世界の創成の基礎である、湿気の原質を、その内部で誕生させた宇宙の卵 が、形成される以前は、すべての水が乾いていたのである。しかし天界の至高神《アンマ》は、その分身《ノンモ》(湿った水の神で、顕在的生命の指針であり、原理である)を造ったとき、彼が宇宙に与えた境界の外にある、天上界の自分の手もとに、この最初の水の半分をとっておいたので、「乾いた水」が残ったのである。同様にして、表現されない言葉、思想は「乾いた言葉」といわれる。それは潜在的価値しか持たず、子をもうけることはできない。人間の小宇宙にあって、それは本源的思想のレプリカであり、現在の人間の出現以前に、アンマから精霊《ユルグ》によって盗まれた「最初の言葉」である。D・ザーアンにとって(ZAHD)、「自意識なき未分化の言葉」であるこの最初の言葉は、無意識に対応する。それは、夢想の言葉であり、人間の自由にできない言葉である。ユルグの化身であるジャッカルまたは青いキツネは、最初の言葉を盗んだので、無意識の、不可視なものの、したがって未来の(未来は不可視の時間的構成要素にすぎない)鍵を持っている。ドゴン族の、最も重要な占いの体系が、この動物への問いかけに立脚するのは、このためなのである。

 ユルグが、普遍的に無意識のシンボルである、冥界 の火と月 にも結びつけられることを記すのは興味深い(PAUC、ZAHD、GAND)。

 あらゆる現象を2つの範疇(水と火とか、湿気と乾気といった、相対立するシンボルによって支配された2つの範疇)に分ける基本的区分の仕方は、アステカ族の葬儀にかかわる宗礼のうちに、顕著な例証を見出す。他方もろもろの事実の示すところによっても、《天地》は、本来1対なりという観念を伴った、この象徴的二元性のアナロジーは成り立つ。「溺れて死んだり、雷に撃たれて死んだ者、ハンセン病や痛風や水腫にかかって死んだ者のすべて、要するに水と雨の神がこの世から連れ去ることによって、いわば区別した者のすべて」は土葬にされた。それ以外の死者は、すべて火葬にされた(SOUA、 231)。

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/water.html

ギリシア神話・伝説ノート
 失われた女神たちの復権

barbaroi.gif
Barbaroi! - kyoto-Inet
古代ギリシャ文学翻訳集。衣食住、武器、船舶などに関する小論文、聖書外典。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/


2013年10月17日(Thu)▲ページの先頭へ
太陰は水的で、陽が火的で、陰陽調和は火水(かみ=神)?:月(水)と日(火)の一体としての前古代
太陰は水的で、陽が火的で、陰陽調和は火水(かみ=神)?:月(水)と日(火)の一体としての前古代

JUGEMテーマ:学問・学校

テーマ:太陰氣学:太陰イデア論:氣=イデア=生命

かつて、冬の日差しを見て、水のように光を感じた。
 また、東大寺のお水取りの祭礼の意味は、水と火の融合である。陰陽結合である。
 一般に根源は火のように思われているが、どうも、太陰は水的ななのではないのかという感じがしている。そして、陽は当然、火(日)的なものである。それが結合して、火水(かみ:神)ではないだろうか。
 創世記に冒頭に水(海?)の上を神霊が漂うということが述べられているが、これは、太陰と陽とのことではないだろうか。
 そう、創世記は父権的宗教の書なので、陽を主体にすると考えられる。しかし、新母権主義の太陰氣学は当然、水の方を根源と見ることになるだろう。

追記:以下の「ツクヨミ」を見ると、様々な神話において、太陽と月がセットになってる。これは、陰陽と見るべきだ。そして、本来、一体と見るべきだ。つまり、太陽と月は一体である。そして、本源は太陽ではなく、月である。火ではなく、水である。
 何故なら、一般に文献としての神話は古代父権文化社会の産物であり、父権的二項対立のイデオロギーが主導的になるからである。つまり、男性中心・優位であり、女性は劣位で、従属、服従する存在という視点によって書かれているということである。

ツクヨミ - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/ツクヨミ - キャッシュ - 類似ページ
中国の盤古伝説には、盤古が死してその左眼が太陽に、右目が月になったという起源
譚があり、また、『旧約聖書』の創世記では、天地創造の四日 .... また「ヲチミヅ(変若水)
」=ヲツ即ち若返りの水の管掌者として現れ、「月と不死」の信仰として沖縄における「
スデミヅ」との類似性がネフスキーや ... その他にも、海神のワタツミ、山神の
オオヤマツミと同じく、「ツクヨのミ」(「ツクヨ」が月で「ミ」は神霊の意)から「月の神」の意と
する説がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%82%AF%E3%83%A8%E3%83%9F

参考:
神霊学的見地から見た「水」の重要性
『旧約聖書』の「創世記」は、次の一文で始まっている。

「初めに、神は天地を創造された。
地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた」

『新約聖書』には、イエスの次の言葉がある。
「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない」
(「ヨハネによる福音書」第3章5節)
http://japan666.seesaa.net/article/145736076.html

生命を進化させる「水」革命: 神泉組1【大和魂の復活と超人革命】
japan666.seesaa.net/category/6913127-2.html - キャッシュ
生命を進化させる「水」革命,一説によると日本は世界の雛形らしい。そして、日本人には
世界を改革 ... 神霊治療能力者が力説する「生水」の効用. 「風邪は万病のもと」という ...
的見地から見た「水」の重要性. 『旧約聖書』の「創世記」は、次の一文で始まっている。
http://japan666.seesaa.net/category/6913127-2.html
神泉組1【大和魂の復活と超人革命】

光と水からエネルギー創造:古代の叡知への科学的回帰?
protophilosophy.noblog.net/blog/k/10594590.html - キャッシュ
2008年7月28日 ... 水からエネルギーを獲得するという記事を以前紹介したが、以下の記事も興味深い。 光
と水からエネルギー創造とは何か、天地創造(『創世記』)を想起する。そう、それは、
相応しているのではないか。神霊が水の上を漂っていて、神霊の息吹が ...




今年(平成25年2013年)は私にとり、画期的な、驚異の年である:運気(共時性・引き寄せ)が強い

テーマ:日の本大覚清創造:心的革命宣言:霊的進化

今日の運気もすごかった。国道だろうか、少し車のナンバーを見て、運気がいいと思い、「出る」と思ったら、1111が出た。(国道沿いでなかったかもしれない。記憶が怪しい。)
 そして、7787、7707のカーナンバーが出て、1字違いではない、4つ揃ったのが出ないと本当ではないと思ったらすぐに、7777が出現した。
 また、帰り道、また出るのではないかと思っていたら、また、7777のダンプが神々しく、崇高に登場した。なにか畏怖のようなものを感じた。いったい何か。
 以上は一種奇跡的な運気についてだが、その他、仕事その他での収穫があったのである。いちいち書かない。


追 記:一言付け足せば、勘が異様に冴えているということである。これは、ベジタリアン、小食、そして、豆乳ヨーグルト食、他のせいかもしれない。それもある が、いちばんは、宇宙の運気が大変化を起こしていることだろう。宝瓶宮(水瓶座)の力(インフルエンス)が注いでいるのだろう。つまり、それと私の氣的心 体が共振共鳴調和しているということだと思う。




「太陽凝視」と森日光気浴、森日光気浴瞑想

テーマ:放射能大洪水飯山一郎新方舟:乳酸菌日光浴

飯山一郎氏が画期的な「太陽凝視」生命力生成を行なっているが、これは、いわば、日想観(じっそうかん:参照日想観の風景 )の現代版に近いし、折口信夫に拠ると、古代か、日本人の習俗として、太陽を追いかけるものがあったということを想起させる。
 太陰氣学では、日光は強度の氣をもっていると考えているので、飯山一郎氏の「太陽凝視」生命術は、論理的であると言えよう。
 さて、去年において、私は森の中で、日光浴しながら瞑想することを行なっていたのである。ただ、その後、持続しなかったのであるが。
 これからは、とりあえず、森氣瞑想をできるだけ行ないたいと思っている。


太陽を食べる男 NASAが研究へ (飯山一郎資料室より) (10/16)


【飯山一郎のコメント】:「太陽凝視」。これが世界的な話題になったのは10年も前のことである。
日本は「医学常識」が支配する国なので一笑に付されるだけだった。
私も「常識人」なので(笑)気には留めたが、実践する気持ちは皆無だった。
ところが今年、日光浴の最中に眠ってしまい、ふと目覚めて背伸びをしたときに身体がこわばってしまい、太陽を直視したまま1〜2秒間、目が閉じられなかった。この時、真ん丸な太陽がクッキリと見えたのである。
これが「太陽凝視」の実践の初めである。
医学常識では「失明のリスクあり!」として禁じられている太陽凝視。これが逆に健康にEーと分かってきた時の衝撃は大きかった。これはコペルニクス的衝撃である。(爆)
誰もが信じてきた医学常識。これがウソだった!と分かっただけでも「収穫」は大きかった。
今の私は、連日、最低30分以上も太陽凝視を実践している。
体調は最高にEー! 老眼がなおってきている。心が爽やかである。
『文殊菩薩(ブログ版)』

***************************

追記:以下の記事を書いてから、私の人生において、画期的なことが起ったのであり、今でも続いているのである。即ち、断酒である。これで、一気に元気になったのである。
 また、さらに小食を始めたのである。一日二食である。今は、1日1.5食である。朝食は食べるが、菜食だけで、ご飯やパンは食べないのである。

Tue, December 11, 2012
健美主義宣言:乳酸菌、豆乳、ケフィア、そして、森日光気浴(瞑想)
テーマ:乳酸菌と食品:ケフィアと豆乳ヨーグルト

私はもともと体力の弱い人間である。だから、元気を出すには、人とは違った生きるための工夫が必要である。
 今年は不調である。前半は不定愁訴気味で、後半は最初はよかったが、師走になり、また、元気がなくなった。
 しかし、ケフィアを飲み、開眼した。健康で、美的生活することを。それには、乳酸菌と豆乳とケフィアがポイントであると。そう、ヨーグルトも入れよう。
 今、豆乳で作った乳酸菌のペットボトルがあるが、上層に乳白色の固形状のものがあり、それ自体、豆乳ヨーグルトではないかと思い(飯山一郎氏がそう述べていたように思うが)、ブルーベリー・ジャムを入れて、今食した。まずくはない。まーまーである。
 これから、数日ぶりに森気浴、森日光気浴、森日光気浴瞑想をしよう。森清掃散策もする。

追記:豆乳で作ったペットボトルの「乳酸菌」であるが、黒糖がなかったので、オリゴ糖を使用したのである。黒糖を使用すると、きつね色の液体ができるが、オリゴ糖なので、乳白色というか、ほとんど白い固形状のものが上層にでき、中間に透明な白っぽい液体ができている。
 以下の参考資料を見ると、乳酸菌はオリゴ糖を食べるというので、玄米とぎ 汁の乳酸菌がオリゴ糖を食すということになる。だから、オリゴ糖を入れて作った豆乳を入れた玄米とぎ汁の発酵した白色のペットボトルであるが、それは、や はり、乳酸菌であり、乳白色の固形状のものは、豆乳ヨーグルトだと思う。


参考:
オリゴ糖 豆乳のナチュラルパワー
オリゴ糖
オリゴ糖とは、ブドウ糖や果糖などの単糖類同士が結合した化合物の中で、多糖類というほどは分子量が大きくないもののことを指します。

オリゴはギリシア語で少ないを意味することから、少糖類と呼ぶこともあります。

オリゴ糖とは、腸内でビフィズス菌や乳酸菌がエサとして好んで食べ、その結果ビフィズス菌や乳酸菌といった善玉菌が増加し、ビフィズス菌や乳酸菌が増えると腸内環境が良くなり、便秘や下痢が改善されますし、さらに免疫力を高め大腸がんの予防にも期待されています。
http://www.tounyu.org/tounyu.s.05.html

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11424695539.html




氣的心身(氣心体)の成熟:「精神」の成熟と未成熟(未発達と反動)

テーマ:心と病気:心のカオスとコスモス:心アート

いわゆる、精神の問題は、今や、氣的心身(氣心身、氣心体:心体という言葉が心身よりもいいだろう)の問題である。
 因みに、デカルト心身二元論、スピノザ心身平行論やライプニッツモナド論、その他心身二元論に関連して言うと、心身のメディアは氣である。
 氣が心と身体を繋いでいるのである。私は氣的身体理性を説いているが、それが、身体と心のバランスをもたらす視点と考える。
 デカルトの心と身体の結節点としての松果体であるが、それは、一部正しいだろう。氣と松果体等の脳局所については後で言及したい。
間脳 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/間脳 - キャッシュ - 類似ページ
間脳(かんのう)は大脳半球と中脳の間にある自律神経の中枢。 目次. 1 解剖; 2 働き.
2.1 入力; 2.2 出力. 2.2.1 自律神経; 2.2.2 ホルモン. 3 画像; 4 外部リンク. 解剖[編集].
ヒト脳のfMRI画像 円弧を描く白い帯状の脳梁に囲まれた部分が間脳。カリフラワー状の
...

スライド・8 4 神経系 - 間脳 - SlideShare
www.slideshare.net/threelotus/8-4-16117676 - キャッシュ - 類似ページ
2013年1月22日 ... 間脳の発生間脳は終脳と中脳の間に位置するため、上行性・下行性の神経線維が間脳
を貫通し、内包が形成される。その際に腹側視床の大部分が外側へ押し出され、淡蒼球
となる。腹側視床の内側部は間脳にとどまり、視床下核となる。

読書日記 再び、『間脳幻想』を読む。
2006530.blog69.fc2.com/blog-entry-255.html - キャッシュ - 類似ページ
2007年9月25日 ... 藤井: 間脳は終脳が包みこんでいて、解剖学的に見た間脳の位置は、脊髄と脳髄を
結びつける脳幹の最京都にあります。 ... この古皮質は間脳の皮質であると考えてもよく
、大脳の辺縁系を構成しているが、古皮質と新皮質が哺乳類の脳の ...

自律神経の中枢は「間脳視床下部」ではないのですか? - Yahoo!知恵袋
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1273689862 - キャッシュ - 類似ページ
2011年10月19日 ... 自律神経の中枢は「間脳視床下部」ではないのですか?クリックありがとうございます。
今、生物の問題で「自律神経の中枢はどこか?」 という問題があり、 私は「間脳視床
下部」だと思ったのですが、答えは「間...

1.
脳の構造
kaiwa-kouza.com/contents/sub/yougo/structure_brain.html - キャッシュ - 類似ページ
間脳 (かんのう), 視床 (ししょう). 視床上部 (ししょうじょうぶ), 手綱 (たづな). 松果体 (
しょうかたい). 後交連 (こうこうれん). 視床下部 (ししょうかぶ), 乳頭体 (にゅうとうたい),
乳頭体核 (にゅうとうたいかく). 視交叉上核 (しこうさじょうかく). 思索上核 (しさくじょうかく
).
2.
脳・神経のメカニズム(1)
www.k2.dion.ne.jp/~yohane/00%200%20seibutu5.htm - キャッシュ - 類似ページ
また、脊椎動物の脳の「発生」( 注) ”進化”ではない!)は、”原始的な脳”ともいうべき 前
脳、中脳、後脳の発達から始まり、後脳からは小脳と 橋が形成され、脊髄の先端が
肥大化して 延髄となる。 この 延髄、橋、中脳、間脳 を総称してして 脳幹(”生命脳”)と
呼ぶ ...


2013年10月15日(Tue)▲ページの先頭へ
植物と動物と人間の成形力学について:太陰と陽の陰陽力学?
植物と動物と人間の成形力学について:太陰と陽の陰陽力学?

テーマ:太陰氣学:太陰イデア論:氣=イデア=生命

太陰氣学(太陰生命=イデア論)から、生物の成形の力学について考えている。
 植物は、太陰と陽の共振で説明つくだろう。思うに、植物の摂取通するエネルギーは日光であり、それは、陽である。つまり、植物自体は太陰で、日光が陽であり、日光=陽を取り入れて、太陰=植物は成長することでいいだろうか。植物は太陰ではなく、陰と見るべきようにも思われるのが、今は措いておく。
 とまれ、植物は太陰と陽が調和共振していると思われるのである。これはこれまでの考えであるが。
 問題は動物の成形である。
 先に自転車乗っていて、思いついたのは、陽が優位化したときに、動物が生起するのではないかということである。
 私がイメージしているのは、陰陽球から陽が飛び出すようなものである。陽的生命体である。しかしながら、太陰が劣位にあるので、植物のように、陽=日光を浴びても、エネルギーを作りだすことはできないということではないだろうか。(理屈的であるが。)
 とまれ、陽に傾斜した生命体として、動物存在を考える。
 それは、陰陽球から飛び出した存在なのであり、太陰=大地から切り離されて、いわば、根から切り離されて、可動的になったと考えるのである。
 そして、可動的になった代償に、エネルギーを自給することができなくなったということになるのである。
 つまり、太陰が過小であり、陽が主要なので、確かに、陽のエネルギーはあるが、それを補充する必要があるということなのである。もし、太陰が強くあれば、日光=陽を吸収して(同化して)、植物のようにエネルギーを作れたと考えれるのである。
 では、動物を超えていると思われる人間、人類はどう成形できたのだろうか。
 当然、動物的ベースはあるだろう。(だからとは言え、進化論的に、類人猿から人類が進化したとは考えない。)
 結局、問題は、自己意識の成形が人類を造るという点にあるだろう。
 動物には自己意識はないだろう。「わたし」はないだろう。しかし、それに微かに似たものはあるかもしれないが、基本的にはないと考えるのである。
 自己意識とは「わたし」という個の意識と言っていいだろう。
 特定される存在の意識ないし認識である。
 動物は英語の不定冠詞a、anであり、人間は定冠詞theに喩えられよう。
 さて、意識の問題であるが、先に、太陰ー陽における原意識について述べた。これは、太極的一元的意識、融合的意識である。認識主体と認識客体が一致するのである。コスモス的意識と言ってもいいし、即非の論理は近いと言えようし、思うに、メビウスの輪(帯)的な意識と言った方がよりよいかもしれない。
 図式化すれば、

原意識=太陰(主体)⇄陽(客体)

ないし太陰(主体)∞陽(客体)

である。
 私は暫定的に、あるいは、作業仮説的に、植物はこの原意識をもっていると考えている。一種、氣の意識である。
 しかし、動物の場合、陽が優位となり、太陰が劣位化される。そう、陽中心となり、太陰は弱体化している。
 だから、太陰(主体)の原意識は脆弱であると考えられる。思うに、反射的な動的な反応が発生するのであり、思考という貯めのある知はないと考えられる(例外はあるだろうが)。
 思うに、直観が発達しているのではないだろうか。(私は動物の部類に近いのか。)
 さて、人類の場合であるが、これは動物とは異なり、太陰(主体)が戻ってきていると思われるのである。
 直観では直立姿勢が、例えば、樹木の垂直性と類似するのである。今は直観だけであるが、植物の原意識、即ち、太陰⇄陽(太陰∞陽)が人類にも内在しているのである。
 しかしながら、動物の身体に内在しているために、不安定である。即ち、動物の陽傾斜、陽中心主義に、植物の原意識、いわば、陰陽バランスが組み合わさっていることになるのである。
 しかし、正確に言えば、原意識自体は無意識であり、原意識がいわば、物質化ないし陽化するのであり、それは、もはや、原意識ではなく、通常の意識になっていると思えるのである。
 つまり、それが、自己意識の原初と思われるのである。即ち、太陰⇄陽ではなく、太陰⇒陽の方向性をもち、これが、さらに、陽⇒外界というように作用するのではないだろうか。
 思うに、正確に言えば、原意識と陽意識の二重性が存するのであり、原意識の宇宙性と陽意識の物質性の二重の意識・認識性がそこにあるように思えるのである。
 原意識はループを形成する。太陰⇄陽のループである。そして、この陽と動物の陽が結合して、物質界への意識が形成されたのではないだろうか。
 言い換えると、人類の陽は一方では太陰につながり、他方では、外界、物質界へと通じているということになるだろう。
 今は精緻、厳密には言えないが、一つ一番の問題をあげれば、植物的原意識が人間において、動物の陽意識と結合する力学の仕組みの解明である。
 どうやって原意識が到来するのか、である。これは、簡単に陰陽力学で説明していいのではないだろうか。
 つまり、動物の場合は陽に傾斜したのであり、陰陽の運動は次は、陰に振れることが考えられよう。つまり、陽から陰への転換である。この陰は太陰のことである。
 今はそのように考えておく。
 そして、今の原意識と陽意識の結合としての人類意識、自己意識であるが、これは原初人類自己意識である。
 これから決定的段階は、父権化である。これは、再び、陽へ傾斜する。否、極大の陽へ傾斜するのであり、陰が消えるのである。典型がヤハウェと考えれる。
 このとき、父権的自己、独立した自己、即ち、自我が形成されると思われる。
 これは、太陰から切り離された極陽の意識である。思うに、これは、動物の陽意識を極端にした面をもつ言えるように思えるのである。
 以上、ざっとであるが、ここで留める。


2013年10月13日(Sun)▲ページの先頭へ
太陰氣学による宇宙生命体人体生成の仮説:内在する5の数と幾何学:ピュタゴラス派に回帰する
以下の1〜10までのリンクの接続は以下でされたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11635505195.html

テーマ:太陰氣学:太陰イデア論:氣=イデア=生命

起きがけの本件の想像を記したい。
 
 やはり、初めに、太陰ありきである。そして、それが、陽を産むのである。即ち、

太陰⇒陽

である。(本ブログの上部の円【陰陽円】を参照されたい。)
 そして、陽が本源の太陰に螺旋的に回帰するときに、宇宙ないし宇宙生命体が生まれる。(これはこれまでの考えである。)
 今回、新たに加えたのは、5という数字ないし正五角形である(これは、ピュタゴラス派の神聖数ないし神聖幾何学である。)。
 とは言え、5という数は、(初期)PS理論の早い段階で、思いつき的に導入したものであり、この視点自体はまったく新しいものではなく、古いものである。
 さて、この5を宇宙成形の基本数と見るわけである。黄金比もここから生まれるのである。(今思いついたが、陰陽五行と言うが、この5と五行が関係するのかもしれない。)
 植物は太陰陽螺旋で正五角形を葉や花の原形と見るのである。その他の多角形はその変化と見るのであるが、検討は措いておく。
 そして、太陽系も5を基本とするのである。シュタイナー霊学的に、水星、金星、火星、木星、土星の5惑星を見るのである。
 そして、太陽と地球であるが、これは、太陰と陽の関係かもしれない。つまり、太陰が地球で、陽が太陽である。(これについては今は検討しない。)
 そして、この太陽系が、その陽の力、つまり、氣(シュタイナーならエーテル体)の力で、内在的に生命体に内臓を産みだすのである。
 少し先走ったが、動物の生成を説明する必要がある。
 動物は陰陽円から外在化された生命体としよう。
 そして、その生命体に太陽系の五惑星の氣(エーテル体)が作用(「影響」)して、内臓が形成されるのである。
 では、人体の生成はどうなるのか。
 基本に動物生命体がある。そこに、自己意識体が成形される必要がある。
 先ず、それを説明する前に、原意識を説明する必要がある。
 原意識とは、


太陰⇒陽


の意識である。これは太陰がもつ意識であり、陽が対象となるのである。しかしながら、太陰と陽は一体である。これは、通常の物質界での認識とは異なる。認識主体と被認識客体が一致するからである。これは、以前、知即存在と言ったものに相当する。(以前、PS理論の段階で、即非の論理を使用したが、それに似ているが、一致はしないように思う。)
 言い換えると、太陰と陽は一つのコスモス(宇宙、内宇宙=外宇宙)を成形しているのであり、それは、不分離一体である。
 そう単純に陰陽対極性であり、それがおそらく一元の太極を成していると言えるかもしれない。(しかし、太陰氣学の根源の太陰とこの太極を一致させてはいけないと考える。太極は陰陽対極性と同様に、太陰から派生したものと考えるのである。)
 さて、以上が原意識(元意識、玄意識、根源意識)である。
 これが、陽においては、一般的な意識、主客分離の意識に変質すると考えるのである。
 この後者、陽における主客分離意識であるが、これが、自己意識を成形すると言えよう。
 そう、原意識は植物に存するし、太陽系的原意識は動物に存するだろう。
 人体は両者を内在しつつ、かつ、陽(頭脳)において、主客分離意識、即ち、自己意識(「わたし」、個)をもつと考えられるのである。
 そして、この初期自己意識は、内在する植物的原意識、動物的太陽系意識となんらか通じている。そう、未分化様態と考えられる。
 しかるに、自己意識が内在する原意識から絶対的に分離するときが来る。それが、父権的自己意識であり、究極はヤハウェ的自己意識(「我あるという存在である。」あるいは、「我は在り余れる存在である。」)になると考えられる。これで、今日のような自我意識が基本が成形されたと考えられる。
 この自我意識(内在原意識から分離した自己意識)から今日の唯物科学、資本主義が生まれたと考えられる。
 そして、今日の黙示録的状況となったのであり、自我意識から新たに原意識に、太陰に回帰して、新たな生成を始める大進化的段階になったと考えられる。
 さて、以上、ざっとであるが、今朝の布団の中での発想から、これまで、不十分であった動物や自己意識の成形力学を太陰氣学的に仮説した。

参考:
ピタゴラス派 - 純丘曜彰教授博士の哲学講義室 - Seesaa Wiki(ウィキ)
http://w.livedoor.jp/philosophy/d/%A5%D4%A5%BF%A5%B4%A5%E9%A5%B9%C7%C9

ピュタゴラス派の「霊魂数」の解明 - TOMOHISA SUZUMURA'S ...
http://borges.blog118.fc2.com/blog-entry-1043.html

ピタゴラス派 - 古代ギリシア哲学と現代倫理学のページ - エキサイトブログ
http://matsuura05.exblog.jp/d2004-02-06

1.
ピタゴラス - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%BF%E3%82%B4%E3%83%A9%E3%82%B9

ピタゴラス(希:Πυθαγόρας、英:Pythagoras、紀元前582年 - 紀元前496年)は、
ピタゴラスの定理などで知られる、古代ギリシアの数学者、哲学者。彼の数学や輪廻
転生についての思想はプラトンにも大きな影響を与えた。「サモスの賢人」、「クロトンの
哲学者」 ...
‎ピタゴラスの定理 - ‎ピタゴラス教団 - ‎ピタゴラス音律 - ‎ピタゴラスコンマ

2.
五芒星 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%8A%92%E6%98%9F

五芒星(ごぼうせい、英: pentagram)または五芒星形・五角星形・五線星型・星型
五角形・正5/2角形は、互いに交差する、長さの等しい5本の線分から構成される図形で
星型正多角形の一種である。正五角形に内接し、対称的である。一筆書きが可能。五紡
星と ...
‎幾何学的性質 - ‎用例 - ‎出典 - ‎関連項目

3.
パラボラ・アンテナ - nifty
http://homepage1.nifty.com/ckasa/mp/myx099.html
ピタゴラス教団が数学や哲学を研究したのは、正しい生き方をするためだった。 その
教えの中心は、数を崇拝することだった。 「1は創造主、2は女性、3は男性を意味し、
万物は数で表わされる」 また、ピタゴラス教団は、五角形の内部に五芒星が描かれ、
その ...

4.
ペンタグラム(五芒星形)
http://www.geocities.jp/ja1tmc/pentagramu.html

いずれにしても、ピタゴラス学園の人々は手紙の前文に、「Health to you」と書いた、
彼らは、ペンタグラムをシンボルとして使い「健康」と呼んだ。 資料、上記の資料の古注
ペンタグラムつまり「五芒星形」は、ピタゴラス派の中ではその派内のものである
シンボル ...

5.
ピタゴラス - FC2
http://mahorobanomori.web.fc2.com/Pythagoras.html

しかし、彼の学派が見付けたピタゴラスの定理によっても算出される√2によって、無理
数が存在しないという考えは後に修正された。皮肉な事に、シンボルマークの五芒星に
現われる黄金比も無理数であった。ちなみに、無理数の存在を否定するがあまり、無理
数 ...

6.
ピタゴラス -- Key:雑学事典
http://www.7key.jp/data/philosophy/pythagoras.html

2007年10月5日 ... このため、ピタゴラスの発見といわれているものはどれがピタゴラス自身の発見である
のか判っていない。有名なピタゴラスの定理も実はピタゴラス本人によるものではなく、
この学派によるものとされる。ちなみにこの学派は五芒星をシンボル ...

7.
ピタゴラスの館 - 五千年前の大洪水 - Google Sites
https://sites.google.com/site/gosennenmaenodaikouzui/pitagorasuno-guan

現代、この流れをくむ占数術は「秘教占数術(ピタゴラス占数術)」と呼ばれている。
その後、現在のイタリアのロクリスに本拠地を置き、ピタゴラス教団を創 設した。当時は
秘密主義なので、一種の秘密宗教結社である。ピタゴラス学派とも呼ばれ、五芒星を ...

8.
ピタゴラス - ピタゴラスの館 - Google Sites
https://sites.google.com/site/pitagorasunoguan/pitagorasu

現代、この流れをくむ占数術は「秘教占数術(ピタゴラス占数術)」と呼ばれている。
その後、現在のイタリアのロクリスに本拠地を置き、ピタゴラス教団を創設した。当時は
秘密主義なので、一種の秘密宗教結社である。ピタゴラス学派とも呼ばれ、五芒星を ...

9.
星と形−The Symbol of Stars- 第4章 - ZAQ
http://www.kcat.zaq.ne.jp/aaagq805/star/star4.htm

メソポタミアでは五芒星は星とは関係なかったようです。」とメールを下さいました。
なるほど。 「私も、なるほど、です。 バビロニア起源の五芒星といえば、かのピタゴラス
教団の紋章で、各辺が互いに他を黄金分割するその作図法は、秘密とされたようですが
、今 ...

10.
ピタゴラス教団|アラフィフダイエット!!キーワードは“楽・健” - Ameba
http://ameblo.jp/irutyan/entry-10814564351.html

2011年2月27日 ... 五芒星 と 六芒星」について調べておりました。 行きついたのは「ピタゴラス教団」. ん?
ピタゴラス?? あの、中学校の数学で習ったあれ?? いやあ、びっくりした. ピタゴラス
って人は、魔術師的な側面をもち、秘密結社みたいなものを作った人 ...


2013年10月10日(Thu)▲ページの先頭へ
何故音楽を聴くのか:生命感(生命力)と氣:陰陽調和波動生命力:(牛が)モーツァルトの音楽と氣
I Need You - America


何故音楽を聴くのか:生命感と氣

ある意味で、音楽を聴いて、つらい浮世をしのいできたと言えよう。音楽には生命感があると直感された。
 しかし、今は、太陰氣学から、よい音楽には氣があると言える。
 おそらく、すぐれた芸術には氣があるだろう。
 とまれ、私の氣の発見は、そんなに古くはない。
 1990年代、ニューエイジブームがあった。新宗教ブームもあった。
 否、それ以前に、そう、80年代前半か半ばに氣について、私は読書していた。(追記:気功ブームがあった。)

気・流れる身体/平河出版社

¥2,100
Amazon.co.jp

 しかし、観念から実感になったのは、もっと後である。
 両親の介護のため、長く住んでいた東京から田舎(農村地帯)へ帰省したとき(平成10年頃か)、実家の部屋の中で、はたと何かを感じたのである。東京にはない何ものかが部屋の中に存在している(充ちていると言えようか)と感じたのである。氣だと思った。
 それが実感としての最初の氣である。しかし、まだ、証拠が足りないと思い、感覚を研ぎ澄ますようになった。
 そして、今や明瞭に氣が存すると唱えるのである。
しかし、神秘的感性はもっと古くからある。中学生の頃、通学路の田んぼの緑に私の心は溶け入ったのである。
 最近は少ないが、死者への霊感はあった。
ところで、オカルトoccultという言葉はよくない。本当は、目に見えない隠れたというような意味である。
 紫外線、赤外線に倣って、感覚外性、感外性とか言う方がいいだろう。
 神秘性は感外性(感覚外性)である。(追記:超感覚というと胡散臭く聞こえるだろう。だから、感外性、感覚外性がいい。)

追記:モーツァルトの音楽を雌牛に聴かすとお乳がよく出るようになるとニュースにあったが、(牛が)モーツァルトの音楽は氣に満ちていると思えば、納得できることである。ただし、アルファー波云々は逆だと思う。氣波動が物質的には、アルファー波的になるのであり、逆は成立しないと思う。

追記2:飯山仙翁が実践しているように、日光には、強度の氣があると私は思っている。光は氣である。人工照明ではなく、自然光である。

追記3:ユング心理学と東洋思想を研究していた湯浅泰雄氏の氣の研究も氣の超越性の認識を私に踏み切らせたものである。そう、私は以前はマルクス主義者で、唯物論者であった。


Mozart, sym 41 Jupiter Frankfurt Radio Symphony Orchestra conducted by Paavo Järvi


参考:
第15回「東洋医学と磁気(1)」
-東洋医学の経絡は「気」の流れか? 生体磁気との関連に世界が注目!-

http://www.tdk.co.jp/techmag/magnetism/zzz15000.htm

「気」とは何か―人体が発するエネルギー (NHKブックス)/日本放送出版協会

¥914
Amazon.co.jp

気・修行・身体/平河出版社

¥2,415
Amazon.co.jp



気の教養?:心身相互成形課程:ポスト・デカルト心身二元論:氣識理性=氣的身体理性の発見
テーマ:全体智学 : holosophy:心智学

人間というのは、難しい存在である。
 生活しないといけないし、また、健康維持に気を付けないといけないし、また、心を涵養・陶冶しないといけない。
 生活、身体、心の三位一体が必要なのである。
 しかし、近代主義は近代的自我主義(利己主義)であり、物質主義(唯物論)であり、また、資本主義経済が支配するために、この三位一体の構築はきわめて困難になっているのである。せいぜい、どれかに偏るであろう。
 また、統括的原理がないことが原因でそうなるとも言えるのである。
 私は、近代主義を哲学的に作ったデカルトの心身二元論に元凶があると考えている。心(思惟)と身体・物質(延長)の二元論である。(正確に言うと、デカルトは両者の結節点を松果体に求めたのだ。この問題は今はおいておく。デカルト『情念論』を解読する | Philosophy Guides - 哲学ガイドブログ http://www.philosophyguides.org/decoding-of-descartes-passions/
 しかし、今や、太陰氣学によって、いわば、内臓心(内臓魂)を介して、心と身体が繋がっていることは明らかであるし、今日の科学の発達からこれは了解されることである。
 問題は、何が両者を繋いでいるのかということである。
 これは、太陰氣学では、氣であると明快に答えるのである。
 あるいは、氣的意識である。そう、いわば、氣識である。
 氣識が心と身体を繋いでいるのである。私が氣的身体理性と呼んだものはこの氣識の理性のことである。
 さて、近代主義はこの氣識がないために、自我中心主義に偏り、自己において、社会において、問題が生じさせるのである。わかりやすく言えば、病態を内外に成形するのである。
 氣識理性とは陰陽調和理性である(知性と呼ばないのは、知性だけだと、頭脳に偏り、共感性や倫理が疎かになるからである)。
 氣識理性(氣的身体理性)は、プラトン的な真善美の核に存するものである。そして、それは、最近の知見から、植物的生命をベースにすることが了解されたのである(飯山一郎氏の不食主義はその極北である飯山一郎さん
http://1tamachan.blog31.fc2.com/blog-category-34.html)。
(思うに、プラトンとはなんという人かと思う。今日を予見していたのか? プラトン哲学は植物生命的哲学、そう、氣的哲学だと思う。これについて、いつか検討したい。)
 この氣識理性の展開によって、心身バランス、そして、社会的調和への成形がなされると考えられるのである。
 そう、デカルト心身二元論は否定・破壊・悪魔の原理だと考えられる。(シュタイナーで言えば、悪魔アーリマンの原理ということになろう。)
 とまれ、氣識理性を中核におくことで、近代主義は超克されるであろう。
 それは、植物的生命原理の世界の構築を意味するのである。やや言葉足らずであるが、今日は疲れているので、ここで留めたい。


2013年10月08日(Tue)▲ページの先頭へ
PS理論批判:物質世界を数学観念的に記述する理論で、物質を越えた氣の世界を無視している
テーマ:PS理論批判

今、太陰氣学の世界が明瞭になってきて、長い間携わってきたPS理論の誤りがはっきりとした。
 それは、物質的世界を数学的観念を用いて、説明するものであり、物質を越えた氣の世界を否定したものであり、基本的には、唯物論的理論ということができるのである。
 確かに、初期PS理論は超簡潔ですごい切れ味ではあった。即ち、自己認識方程式があったが、

凸i*凹i⇒+1

というものである。ガウス平面を使って、これで、森羅万象を説明しようとしたのである。
 これは、近似値的には、陰陽論の数式化である。
 しかし、根源の太極を説明しようとすると、混乱するのである。そこで、私は混迷したのである。
 その結果、PS理論から脱出して、独り歩きを初めて、太陰氣学に到達したのであった。
 別の角度から見ると、PS理論は不連続的差異論の発展として考えられたものであり、対の共振性という考えは、意味深いものである。
 しかしながら、不連続的差異のもつ根源性が凹iではまったく説明できないのであった。そう、不連続的差異が凹iなのかMP(メディア・ポイント:つまり、ガウス平面の原点に相当する)なのか、不明確であったのである。
 不連続的差異を十分に発展できなかったのが、PS理論の大きな欠点の一つである。

追記:「海舌」氏がPS理論の主導的な開発者であるが、結局、私と「海舌」氏では根本的なイメージが異なっていたと言えよう。「海舌」氏は物理学のイメージで不連続的差異やPS理論を把握しようとしていたが、私にとっては、心身現象が母体であり、不連続的差異とは肚であり、また、PS理論の対とは、自我と肚の対であったのであり、このイメージの根本的違いが、私のPS理論からの離脱・脱出をもたらしたと言えよう。
 そう、根源を探すと、PS理論は答えを出せないのである。つまり、太極を求めようとすると、混乱したのであった。
 私は今や、太陰氣学の立場で、根源が太陰(肚)ないし太陰玄氣にあるとして、明快である。

追記2:もう少し丁寧に説明すると、自己認識方程式


凸i*凹i⇒+1

において、私は凸iを陽、凹iを陰、そして、*を陰陽共振と見ていたのである。+1の解釈が問題であった。
 それを物質と取るのか、光と取るのか、それとも氣と取るのか、難航した。
 思うに、本来は自己認識方程式であるから、+1は自己であり、自己認識である。自我凸iと不連続的差異凹iが共振(即非共振)する存在として、自己+1が存するという考えである。それは、表面的には整合性のあるものである。(しかし、不連続的差異を凹iとするのは、問題があるように、思う。この点は再度検討したい。)
 しかし、自己認識から現象一般に展開させると問題が生じたのである。
 私は左辺は陰陽次元であるから、いわば、超越性の世界、超越界である。
 しかし、「海舌」氏の場合は、認識と取ったのである。それも、凸iの陽が主要となる認識である。私も一旦は、そのように考えていたのであり、不連続的差異凹iを従属的に考えていた。しかし、不連続的差異自体に凸iとは異なる認識があるのであり、その特殊な認識をPS理論は見なかったのである。対称的に凸iと凹iを見ていたのである。両者の非対称性を見ていなかったのである。
 とまれ、自己認識方程式に関して、私は陰陽次元、超越的に見ていたが、「海舌」氏は、物質世界の認識として、捉えていたと思う。そこには乖離があるのである。私は氣の次元で考えていたが、「海舌」氏は、物質に対する認識(数学的形式観念)の次元で考えていたと考えられるのである。


氣的自然朋友世界へ:原初太陰(未分化混沌)⇒母権制(植物性)⇒父権制(動物性)⇒氣の生命愛の世界
テーマ:太陰イデア論:太陰人体学:太陰生命氣学

性欲的エクスタシーとは、感覚動物的なもの、それは、身体感覚物質的なものではないだろうか。
 それに対して、別の、一見似ているが異なる、つまり、似て非なる神秘欲動があるように思われたのである。それは、自然との一体感的なものである。
 前者(A)が欲望的であるのに対して、後者(B)は精神的ないし霊的である。
 ニーチェの区別、アポロとディオニュソスであるが、これは、以上に対して、どう関係するだろうか。
 思うに、神話的には、両者が混乱しているように思えるのである。
 ディオニュソスとバッカス(酒神)が混同されているのである。例えば、酒の陶酔はAであり、Bではないと思う。
 しかるに、ディオニュソスは、ギリシア悲劇(エウリピデスの『バッカスの信女』)では確かに、A的であるが、しかし、ニーチェのそれを考えると、それは、きわめて、精神的である。
 思うに、私の内面から言うと、Bはアポロ(天)に通じるのである。そう、私にとって、太陰(肚)にBの原点がある。
 しかし、また、太陰(肚)は、Aに繋がることもある。性欲もそこに関連しうるのである。
 ここには微妙なメカニズムがあるように思える。
 氣の問題である。
 氣は本来、植物的生命であると考えられる。
 それは、陰陽バランス、陰陽調和を意味する。
 しかし、Aはそれを越えている。
 思うに、人間においては、太陰(肚)において、植物性と動物性が同居しているのではないだろうか。
 だから、太陰(肚)の賦活は両者を刺激する。故に、上記のギリシア悲劇のようになりうるのではないだろうか。
 つまり、太陰はAとBの両面があることになる。しかし、それは、一種の混淆ではないのか。細かなことはともかく、二重性があることは言える。
 しかし、B的側面は氣に関係するのである。
 故に、太陰をB化することが一つの浄化のあり方ではないだろうか。食で言えば、菜食穀食である。
 私が氣的身体理性と呼んだものの意義はここにある。太陰的欲望・欲動を氣的に浄化するということである。
 そして、ここにBが発現するように思えるのである。
 そうすると、太陰=ディオニュソスであり、氣=アポロである。
 私は太陰に玄氣を見ているのであり、氣の根源を見ているのである。
 とまれ、太陰の氣化ということことがあるのである。それは、陽化とも言えよう。ニーチェの用語なら、アポロ化である。
 なにかいろいろと考えが浮ぶ。
シュタイナーの説く霊化とは、アポロ化なのではないだろうか。
 物質的身体からの解脱の瞑想を説くのであるが、それは、動物性からの離脱を意味するのではないだろうか。
 少し整理すると、人間の太陰はもともと、混沌(カオス)としている。植物性と動物性が混淆している。
 故に、太陰において、AとBの混淆、混同が起る。それが、ギリシア悲劇にあるし、D.H.ロレンスにもある。ニーチェの場合は、意外にシュタイナーの方向のように思えるのである。
 しかし、植物性が氣であり、動物性が官能性である。
しかし、氣も一種の官能性があるように思うのである。どうも、それが、プラトンのエロースに通じるように直観されるのである。
 明快にするために、暫定的に、植物的エロースと動物的エロースに分けよう。だから、プラトンのエロースは前者である。
 さて、本題にもどると、混沌とした太陰、初期太陰、原初太陰であるが、いわば、植物的エロースと動物的エロースが未分化様態と言えるのではないだろうか。(そう、D.H.ロレンスの官能はそのように捉えることができよう。)
 原初太陰は原初ディオニュソスであり、これは、ニーチェのそれとは異なり、ロレンスのエロースに近いものである。そう、言わば、太一であり、かつ二重である。しかし、この太一は未分化・混沌的一である。
 そして、母権制は、原初太陰=原初ディオニュソスの植物的エロース、即ち、氣(エーテル体)を活用した文化社会ではないだろうか。動物的エロースは抑圧されていたと思う。
 しかるに、父権制が誕生する。それは、宗教的に一神教となる。究極は、ユダヤ教ないし旧約聖書教(旧約聖書の問題はおいておく)である。
 これは、動物的エロースの文化社会に思えるのである。これは、掠奪、簒奪、暴力の「エロース」の文化社会に思えるのである。ロレンスが「父」と言うのはここに存すると言えよう。
 しかし、人類社会はその後、キリスト教をもたらすのである。
 イエス・キリストの誕生である。それ以前に仏陀、ゾロアスター、老子、他がいるが。
 私見では、イエスの教えとは、実は、植物的エロースに関係すると思うのである。そう、氣、エーテル体に関係すると思われるのである。
 そうならば、混沌としていた太陰に分化がもたらされるのである。あるいは、父権制で偏重されていた動物的エロースが修正された思われるのである。
 端的に言えば、未分化太陰が植物性と動物性に分化したと思うのである。言い換えると、動物的感覚が植物的生命を明晰に知覚するようになったということである。動物性と植物性の切断が生まれたのである。
 そう、太陰氣学(氣科学と言おうか)から見ると、イエス・キリストの教えとは、氣の教えである。植物的生命の教えである。
 しかるに、キリスト教は一神教であるので、つまり、父権制であるので、動物的側面が植物的側面よりも強いので、イエス・キリストの教え=氣・植物的生命の教えは軽視、無視される傾向が強かったのである。
 (思うに、イエス・キリストとは、一神教・父権制・西洋文明に侵入した多神教・母権制・東洋文明を意味しよう。)
 結局、キリストの愛とは氣ということになる。愛=氣である。
 思うに、今日、氣が身体において開き出しているのであり、思うに、新キリスト教の時代である。(そう、ロシア正教やケルト的キリスト教の時代と言えよう。あるいは、ゲルマン的キリスト教と言えるかもしれない。日本では、縄文的宮崎駿的アニミズムだろうか。)
 そう、そこで思うに、太陰氣学の原点である不連続的差異論であるが、それは、太陰と自我の不連続性を説いた理論であったが、しかし、太陰自体は未分化で、植物性と動物性が未分化混沌としていたと言えよう。
 つまり、キリスト教まで達していなかったのである。そう、D.H.ロレンス的段階である。
 結局、太陰氣学は、そのような未分化太陰に氣的分化をもたらしたことと考えられる。
 氣的身体理性が、植物性と動物性を分化させ、前者の氣力学を肯定するのである。
 そう、氣とアポロ(陽、日光)は繋がっているのである。当然であるが、一般に、植物と日光は繋がっているのである。(ここで、飯山仙人の不食・乳酸菌・日光浴サバイバル科学の意義があると言えよう。)
 結局、氣的身体理性の発見とは何を意味するのか。
 それは、原初太陰から氣的太陰への発展を意味しよう。
 氣、植物的エロースが支配する世界を意味するのである。
 キリストの復活とも言えよう。(ロレンスの『死んだ男』は、まだ、動物的エロースの外皮をもっているが、ほとんど、これに近づいていると考えられる。)
 とまれ、端的に、太陰の氣化、純粋氣化とは太陰力学的には何を意味するのだろうか。
 それは、陰陽調和和合和解平和の生存を意味しよう。
 氣愛、愛氣の世界である。そう、氣友、氣朋の世界と言えよう。
以前の私の言葉では、差異共振の世界である。
 ロレンス的には氣優ないし氣融の世界である。
 でも、何故、植物的生命の世界が復活するのか。
植物的生命世界が人体において、復活するとは何なのか。
 一体、人間の理性、知性はどうなるのか。科学はどうなるのか。
 少なくとも、氣理性、氣知性、氣的哲学、氣科学に変質する。
 そして、氣的社会、氣的経済、氣的政治、等々になるだろう。
 そう、今思ったが、「霊魂」とは何かの問題が出てこよう。
 個、自己、自我、「わたし」の問題でもある。
 太陰氣学では、シュタイナー霊学とは異なり、個、自己、自我、「わたし」を太陰から生まれたと考えている。ヤハウェは、極陽から生まれたのである。父権自我の誕生である。
 つまり、太陰力学の様態として、個や自己は存すると考えるのである。
 思うに、植物に、あるいは、氣に、原個、原自己を見てもいいのかもしれない。しかし、陰陽的なものである。即非的なものである。
 私が個は肚であり、同時に、他者であると説くものではないだろうか。言い換えると、メビウス的個=他者である。氣的精神性である。氣的霊性である。氣的人性である。
 しかし、太陰氣学から言うと、原点に太陰玄氣があるのであるが、その玄氣と氣とはどう関係するのか。いわば、母と子ではああるが。
 そう、ここに先に言及した、処女生殖=単性生殖=単為生殖が関係すると言えよう。
 とまれ、限定すると、玄氣と氣の力学はどうなのか。
 結局、太陰玄氣の螺旋的発展として、氣の力学を見ることができるのではないだろうか。
 太陰玄氣は最初は未分化混沌であるが、自ら、展開することによって、分化して、純化浄化して、純粋開花していくということではないだろうか。


2013年10月06日(Sun)▲ページの先頭へ
自然物質と人工物質(化学物質)の違い:氣的物質体と無氣的物質体
画像は以下を見られたい。
http://sophiology.jugem.jp/?eid=330

自然物質と人工物質(化学物質)の違い:氣的物質体と無氣的物質体

テーマ:農業・食料問題:有氣物質体と無氣物質体

以前述べたことがあるが、ビタミンCを考えると、みかんにあるそれと、人工的なビタミンCでは違うと思われる。
 そう、粗塩と食塩の違いとも似ているだろう。
自然有機体、自然的物質体には、氣があると思うのである。それは、物質より高次元のものであり、それが、生命形成力なのである。しかし、単に物質、人工物質、化学物質には、氣、生命形成力が欠落していると考えられるのである。
 だから、後者を摂取すると、人体は、生命形成的に反応せずに、破壊的に反応するように思えるのである。
 太陰氣学から言えば、人工物質には、太陰氣ないし太陰玄氣が欠落しているのである。そこに、生命形成情報エネルギーがあると考えられるのである。
 つまり、太陰氣(玄氣)があるか否かが、自然的物質体と人工物質体を区別すると言えよう。

なぜ「本物」を食べると消費が抑えられるのか

▽身体の機能を狂わせる物質の氾濫

前項で記載した、砂糖、異性化糖、人工甘味料の害に加え、もはや必要と考えられない食品にまで添加される「食品添加物」、石油製品(食器等)から溶け出す「内分泌かく乱物質」等、このいずれもが、人体はおろか、自然環境にまで有害な影響を与える「化学物質」です。これらは、人間の脳と身体の機能を著しく損傷させるものです。この影響により、これまでに無かった新しい病気の発現を含め、食への欲求内容や吸収、味覚にも影響を与えていることは否めません。また、この節操の無い化学物質の投入は、医療・製薬業界の「消費」を同時に促進させ、周辺ビジネスも賑わっています。化学物質は俗に言う「不安産業」(人間の不安心理につけ込む商売)の主たる創出要因(問題の根)のひとつです。
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1807774.html
大摩邇(おおまに)



作業仮説:ポスト人間主義:太陰玄氣体と処女生殖と不食文化

テーマ:父権物質文明から新母権・新自然文明へ

今日は、小降りの森の中を森氣浴プロムナード。
 森内氣歩は、心身にいい。元気が出てきた。
 
 さて、いろいろ考えがあるが、一言いちばん重要な思いつきを言うと、太陰玄氣体と処女生殖と単独原理と不食文化は一如ではないかということである。それは、ポスト・ヒューマンの文化である。
 とまれ、飯山仙翁の不食主義は画期的である。というか、進化的に革命的である。
 日光、乳酸菌、腸内微生物による生命保持であるが、それは、太陰氣学から見ると、氣的サブ生命体主義である。
 いったい、微生物や乳酸菌は生物において、どう分類されるのだろうか。植物なのか、動物なのか。
 とまれ、この不食生存は、いちおうは、植物型とは言えよう。植物は、日光を浴びて、栄養、エネルギーを作るのであるから。
 植物は食行為を行なっていないだろう。それは、受容行為に過ぎない。
 私の哲学的関心から言うと、不食主義は、太陰玄氣体、処女生殖、単独原理と通じると感じられる。
 今は詳述できないが、直観でそうなのである。
 一言言うと、不食主義は、脱エロス主義である。
 思うに、エロスは少なくとも二種類ある。
 一つは動物エロスである。それは、超陽のオスが陰陽的メスを捕獲するものである。
 もう一つは植物エロスであり、それは、陰陽牽引、陰陽「磁力」であると思う。
 しかし、それに対して、太陰玄氣主義になると自己生殖、つまり、処女生殖すると思われる。つまり、自ら、陽を形成するのであり、そこには、牽引、エロスはないはずである。
 陽や陰陽のもつ欲望がないのであるから、当然、エロスがないと考えられるのである。
 そう、思うに、これこそ、キリストの愛ではないだろうか。
 思うに、不食主義は真のキリスト教なのかもしれない。
 そう、また、社会であるが、もう結婚が不要となる。
 それは、単独的個を単位とした社会となる。それは、単独的共同体である。あるいは、単独的共振体である。
 これは、一つの人類史の終焉であり、新しい人類史、あるいは、ポスト人類史の始まりと考えられる。

追記:書くのを忘れたが、不食主義は、シュタイナーのアントロポロジー(人智学)を越えるものだろう。
 シュタイナーの霊学は、人間、人体中心なのであるが、不食原理は、人体というよりは、微生物、細菌、日光、氣が中心なのであるから、脱人間化していると考えられる。
 シュタイナーを越えたのである。

◆ 2013/10/05(土)     鬼 手 佛 心
日本の鬼は怨みや憤りで鬼にならざるを得なかった祟る(タタル) 鬼だ。餓鬼や鬼女や般若が鬼気迫る怒りの声を絞りだし唸りながら国中を跳梁跋扈するぞ!
日本は、哀しみと憤りの鬼哭が国中に木霊して怨念一色の憤死亡霊列島になる!怨念は末代までも残るぞ。
呪い殺される前に国外逃亡するも地獄の底まで追いかけて呪い殺す!容赦はしない。民族の怨念だからな。
井原鬼祭
岡山県井原町の秋祭は「鬼祭り」と呼ばれ、100匹もの恐ろしい形相の鬼たちが御神幸の先払を務める。まさに百鬼夜行である。今年は 10月27日(日曜)。
鬼手佛心とは、「仏心を以って敢えて鬼となり衆生を救う、誰かを救うために自身を鬼と化して行動を起こさねばならないとしても、心の真は仏の慈悲を以ってなさねばならない」とある。

しかし鷲は…、
「物事をなす時には 鬼のような手を繰りだせ! ただし 仏様の慈悲の心は決して失うな!」と解釈し、自戒しておる。

太陽凝視も、オドオドと恐れながらヤルと、ヤバイ!

何事も…、
失敗したらどーしよう!ケガでもしたら大変だ。太陽光は危険だ!
こんな思いが心中にあると良くない結果になってしまう。失敗する。

逆に…、ヤルからには、思いきってヤル! 鬼のようになってヤル!
成功することを信じ、ひたすら祈り、成功をイメージしながらヤル!

これを、自己実現的予言という。

自己の成功を信じきった予言は当たるのだ。予言どおりになる。

オドオドと失敗をおそれながらコトにあたると、失敗する…。

だから太陽凝視も…、
「太陽光は危険だ。朝晩の太陽光で少しづつ慣らしていこう…」
などというオソレが心中にあると、永遠にヤバイ。

人間、何事も思い切りが大切。でないと、永遠に変われない。
変化し、進歩し、新日本人に進化するために…、鬼手佛心!
鬼の研究
日本の歴史の暗部に生滅した鬼(オニ) 、特に鬼とならざるを得なかった女たちの怨みと情念を鬼気迫る筆力で描ききった名著である。日本人必読。

◆ 2013/10/04(金)2  鷲は鷹になる! 皆の衆も鷲に続け!
変化する爺さん。進化する爺さん。鷹になる 爺さん。
使用前1 使用前2 使用後
左から 2005年(大病後)、2009年 (絶不調期)、2013年(現在)。鷲は「鷹」 になる!
皆の衆。次の文章は、鷲の主張の「総論」を圧縮表現したものだ。
どうか一読し再読し、納得するまで読んで欲しいの蛇。m(__)m

国家や政府が「殺人機関」と化した今、放射能から身を守るサバイバル技術の習得だけが、生き残り(survival)を保証する最後の砦(とりで) だ。

放射能地獄では議論は不要、互いに助けあう者たちが、ひそかに集い、互いに助けあう! 日本人が生き残る道は、自助努力と相互扶助。この二つしかない。

皆の衆、どう蛇ろか?

鷲たちは、いま、逆境のドンづまりにいる! この認識があるかないか? これが生死の分かれ目になるの蛇が…。

いま…、
鷲らは、国家や政府や知識人や医者などには一切たよらず! 自分たちの健康は自分たちで守り、自力で生き抜いていくほかはないのだ!
こういう覚悟はできておるのか?>皆の衆

「311から2年半が過ぎたが、何てコトないじゃん!」 こんな甘い考えでいる者は、あとで必ず泣きをみる!

チェルノブイリやベラルーシでも、3年が過ぎた頃、「大したコトないね!」と皆が思い始めた途端、人がバタバタと死にはじめた…。
これは内部被曝の放射線障害が一挙に出始まったからだ。

しかし! 鷲みたいになれば、牛ー大丈夫蛇。

ガハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!

耐放射能人間 (新日本人) に変身できれば、逆に長生きできるん蛇夜!

どー蛇、分かったかな? 分かったら、鷲に続け!>皆の衆
豆乳ヨーグルト食って、運動で大汗かいて、太陽を凝視 する毎日!
まぁ、三番目の「太陽凝視」は、弱虫にはムリ蛇ろが…

おっと! その前に…、
次にあげる「新日本人(NJ) 」に変身するための参考文ぐらいは、しっかり読んでおいて猪ー大寝!
・ 新日本人(NJ)の生き方のお手本
・ 放射能にする強い耐性をもった新日本人の誕生!
・ 『耐放射能人間』=『新日本人』になる法
・ 『発酵民族=新日本人』の誕生! (1)
・ 『発酵民族=新日本人』の誕生! (2)
・ 「新日本人」をつくる国民運動
・ 噛んで 噛んで 噛んで 噛んだ!
上の文章を読んだら、その場駆け足で大汗かいて、熱い風呂に入り…、入浴後は、すぐに肌着かパジャマを着る! これでまた大汗が出る!

この風呂あがりの大汗が最高のヒートショック療法なの蛇夜!
こんな工夫を積み重ねていけば、必ず新日本人(NJ) に変身できる!
今の駄目な日本なんか忘れて…、新しい日本をつくろうな!

◆ 2013/10/04(金)  凝視して見る太陽は、黒かった…
写真に映る太陽像は 色々様々だ
太陽2 太陽1 太陽3 太陽4 太陽8 太陽5 太陽7 太陽9 太陽6
人間が太陽を直視したとき、太陽はどのように見えるのか?
太陽は凝視すると↓ このように見える
太陽0
太陽凝視! やってみると…、そんなに大騒ぎすることではない!と、すぐに分かる。
びっくりしたのは、太陽が黒っぽく見えること。その涼しげな黒さ!時折、その黒のなかに、それは綺麗な黄金色の光が放たれる…。あれは本物の純金の色だぞ!
そして、これまた綺麗なのは、コロナの色と形と、ゆらぎ。ゆらめき…。
いったい何だ? この美しさは! その美しさは、上の写真のソレに近い。
正直ゆーと、鷲も太陽は直視してはいけない!と思っていた。
だから太陽を直視したことはなかった。

しっかし、ま〜鷲も67歳にもなってから、お天道さま(太陽) を凝視して、お天道さまの形を確認することになろーとは思わんかった…。

それにしても、正午、南国・亜熱帯の志布志の太陽光線は強烈だが、その南国の太陽を凝視する!という冒険は医学常識では御ハットだが、忍者ハットリくんのノリ=忍者は修行でござる! でOKだったw

まぁ医学者や医者は病人や病気だらけの環境にいるので、考え方もヤルことも病的になっているワケで、健康な人たちをさらに健康にしていく発想など全くない。

彼らは、病気の恐さと病気になる恐怖を病院にきたシトに植えつけて、誰彼かまわず患者=病人にしてしまうのが商売。

だっから、日射病だ! 日食網膜症だ! 紫外線に起因する皮膚ガンだ! 紫外線にあたると最悪は死に至るポルフィリン症だ! などと、誰彼かまわず病名を付けて病人にして濃厚治療をし、最終的には殺してしまう…。

太陽に関しても、上と同じだったんだ罠ー。
太陽光線を浴びることは絶対に必要なのに、太陽光線、とくに紫外線は毒だー!毒だ!と、脅かしまくってきた医者と現代医学。この罪は大きい。
早い話…、
ウツは、一日1時間の日光浴を1週間つづければケロッと治る!
ところが、ウツっぽくて眠れない!からと病院へ行くと、向精神薬飲まされて、真性のウツ病にされて、最後は廃人!と。

◆ 2013/10/03(木)2  変身修行にして 人体実験にあらず
炎々と燃える太陽を見つめる 延々と…
太陽1 太陽2
生命力が注ぎこまれる… 奇蹟の予感
太陽1 太陽2
鷲…、ちゃんと目を開けて、太陽を凝視しているでしょ?
医学の常識は…、
肉眼で直接太陽を観測すると日食網膜症 を引き起こし、網膜の火傷や後遺症、失明のリスクがある。
であるから、「太陽凝視」などということは、絶対にやるな!

ところが鷲は…、
無謀にも、無帽でサングラスなし、しかも、南国の正午の太陽を直視し、凝視している。見つめ続けている毎日。
本日も30分の凝視…。

これって、いったい、どーなるのか?
ウィキ&医学常識が勝つのか?
非常識な飯山一郎が負けるか?

そろそろ結論がでる!

それにしても、太陽凝視は気持ちがEー猫!
β-エンドルフィンの気持ちが良くなる効果とメラトニンの睡眠誘導効果で…、いつしか鷲は眠ってしまった。

すると…、
またまた夢のなかにあのインド人があらわれ、こー言った…。

「太陽神秘熱を “眼”の奥に貯めろ!」

どーゆーことなのか?
と、考えつづける鷲の眼の奥が、なにかしら熱い。
が、とても心地よい熱さだ。涼しい熱さ…?

アッ!
これが、あのインド人が言った太陽神秘熱なのか!
たぶん鷲は、新しい日本人 (NJ) に変身できる…鴨。
# 飯山一郎のHP
# 飯山一郎のHP(ミラーサーバー 1)
# 飯山一郎のHP(ミラーサーバー 2)




直観:母権と植物文化(菜食穀食文化)、父権と動物文化(肉食文化):そして、ポスト人間:不食文化

テーマ:父権物質文明から新母権・新自然文明へ

太陰生命氣学は、太陰から陽が生まれたという考えをとっている。これは、一般の太極陰陽論とは異なる。何故なら、それは、太極から陰陽の両極が均衡的に生じたと考えるものであるからである。いわば、陰陽両極はそれなりに対称的である。しかるに、太陰生命氣学(簡単に、太陰氣学)では、陰陽は当然、非対称的である。
 そして、ジェンダーであるが、女性と男性の差異は非対称的と思えるのであり、陰陽の差異ではないと思われるのである。
 つまり、太陰が女性・母権的であり、陽が男性・父権的である。
 そして、前者は植物的、後者は動物的ではないかと思われるのである。
 前者が氣というか、原氣ないし玄氣的であり、後者は光的ないし物質的である。しかし、後者にも氣があるが、それは、物質と結びついていると思う。
 しかし、ジョセフ・キャンベル神話学から見ると、それは単純化である。思うに、陽のない、太陰のみの文化があったように思えるのである。男性のない文化である。
 それは、思うに、飯山一郎氏の説く腸内微生物や乳酸菌の世界ではないだろうか。
 そう、私の言いたいのは、単性生殖、処女生殖の世界である。
 今は思いつきだけを述べて、不整合、齟齬を気にしない。
 とまれ、太陰のみの世界は闇の世界である。光のない世界である。
 そう、物質以前の世界である。霊の世界?
 検討問題として、太陰=母権=植物、陽=父権=動物という非対称の二元論を述べたが、果たして、そう切っていいのか。
 陰陽で母権、そして、超陽で父権ではないのか。これまでは、この考え方である。

追記:単性生殖、処女生殖について、私は考えは混乱している。
 とまれ、以上の着想は、植物的生殖を越えた生殖を念頭においたものである。

1.
単為生殖 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/単為生殖 - キャッシュ - 類似ページ
単為生殖(たんいせいしょく、英語:parthenogenesis)とは、一般には有性生殖する生物
で雌が単独で子を作ることを指す。有性生殖の一形態に含まれる。なお、単為生殖
によって産まれる子の性が、雌のみならば産雌単為生殖(セイヨウタンポポ、増殖中の ...
‎概論 - ‎単為生殖と染色体 - ‎単為生殖を含む生活環 - ‎その他
2.
無性生殖 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/無性生殖 - キャッシュ - 類似ページ
無性生殖(むせいせいしょく)とは、生殖の方法のひとつで、1つの個体が単独で新しい
個体を形成する方法である。生殖細胞が単独で新個体となる。 概要[編集]. 親の体の一
部が独立して新個体になったり、生殖細胞が他の細胞と融合せずに単独で発生や発芽
を ...
3.
ニュース - 動物 - オスがいても“単為生殖”する野生ヘビ - ナショナルジオ ...
www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id... - キャッシュ - 類似ページ
2012年9月19日 ... ニュース - 動物 - オスがいても“単為生殖”する野生ヘビ - ナショナルジオグラフィック
公式日本語サイト(ナショジオ)
4.
単性生殖 とは - コトバンク - Kotobank
kotobank.jp/word/単性生殖 - キャッシュ - 類似ページ
デジタル大辞泉 単性生殖の用語解説 - ⇒単為生殖(たんいせいしょく) ...
5.
単性生殖とは - Weblio辞書
www.weblio.jp/content/単性生殖 - キャッシュ - 類似ページ
単性生殖とは? ⇒単為生殖(たんいせいしよく) >>『三省堂 大辞林』の表記・記号
についての解説を見る.
6.
単為生殖とは - 生物学用語 Weblio辞書
www.weblio.jp/content/単為生殖 - キャッシュ - 類似ページ
単為生殖とは?生物学用語。 雌が雄と関係なしに、単独で新個体を生ずる生殖法。
ミツバチ・ミジンコ・アリマキなどの動物、ドクダミ・シロバナタンポポなどの植物に見
られる。単性生殖。処女生殖。 →人工単為生殖 >>『三省堂 大辞林』の表...
7.
たんせいせいしょく【単性生殖】の意味 - 国語辞書 - goo辞書
dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/140227/m0u/ - 類似ページ
たんせいせいしょく【単性生殖】とは。意味や解説。⇒単為生殖(たんいせいしょく) - goo
辞書は国語、英和、和英、中国語、百科事典等からまとめて探せる辞書検索サービス
です。
8.
無性生殖と有性生殖 - Hi-HO
www.max.hi-ho.ne.jp/lylle/seishoku1.html - キャッシュ - 類似ページ
生物は、親からもらった特徴を子に伝え、また、長い期間のうちにそのときの環境に
合わせて変化してきました。 現在の地球にはいろいろな生物がいますが、それらがどの
ようにふえ、どのように進化してきたかを考えていきましょう。 遺伝. ネコの子は必ずネコ
...
9.
コモドオオトカゲの単為生殖 [爬虫類・両生類] All About
allabout.co.jp/gm/gc/70185/ - キャッシュ - 類似ページ
ビッグなクリスマスプレゼントが、動物の神様から我々に贈られてきました。世界最大の
トカゲ・コモドドラゴンが、なんとよりによって単為生殖をしている...遺伝の勉強も少し入っ
た記事になっています!
10.
Open ブログ: 人間も単為生殖する?
openblog.meblog.biz/article/2194225.html - キャッシュ - 類似ページ
2010年1月18日 ... 昆虫などの下等生物では、(オスなしで)メスだけで子を生むという「単為生殖」をすること
がある。 ところが人間も同様のことが可能である……と政府が決めるらしい。 ── 人間
も単為生殖する……とういのは、もちろん馬鹿げている。(人間の) ...




聖霊=アクエリアスの時代:水宝瓶の聖霊氣が降り注ぐ大エポック:日本悪霊全体主義体制を打破せよ!

テーマ:父権物質文明から新母権・新自然文明へ

昨日は、1時間足らずで、8888,7777のカーナンバーが2台ずつ現われた。その他、111とかの三つ揃いもいくつかあった。
 また、世界政治におけるオバマとプーチンのいわば盟友の主導権、平和への盟友の行動。
 これは、新しい世界が始まっていることを意味する。
 水瓶座の時代への宇宙(コスモス)の転変である。
 この神霊・宇宙の動きに日本人はポカンと無関心、弥次馬でいいのか。
 何もしなければ、悪霊に滅ぼされる。悪霊政治が今、進んでいるのではないか。




粗塩⇒豆乳洗髪が唯粗塩洗髪よりよい:氣と自然有機体:有氣体(生命物質体)と無氣体(無生命物質体)

テーマ:有機的自然回帰的ライフ・スタイル

今日、粗塩洗髪そして豆乳まぶしで締めた。この方が、やはり、粗塩オンリーよりも、よい。パサつきがなくなるのである。しっとり、髪が収まるのである。豆乳は無調整である。
 これで、育毛養毛となれば、文句ないのであるが。
 もうシャンプーは使えない。
 以前述べたが、自然有機体には、氣があるのであり、無機物、単なる物質は、無氣である。つまり、生命スピリットの有無である。
 物質科学は、自然有機体の氣を見ていないのである。自然を単に物質としてのみ見ているのである。自然の物質を形成しているのは、氣、生命スピリットと思われるのである。この点では、東洋医学は正しいのである。
 太陰生命氣学は、太陰から陽の発生を見ているのであり、この陽が氣である。太陰は原氣(元氣、又は玄氣?)だと思う。(追記:もう少し丁寧に言うと、太陰から陽が形成され、陰陽球が生まれる。この陰陽球を氣と見るのがいいのかもしれない。そして、陰陽球の外側が光や物質である。そう、有機的物質というのか、氣的物質である。)
 ところで、『宇宙生命論』

宇宙生命論/ナチュラルスピリット
¥1,260
Amazon.co.jp


であるが、粗略、粗雑な記述であり、発想としては、使えるが、もっと緻密な説明が必要である。ヒントとしてはとても興味深いのであるが、ちょっとトンデモ系である。





2013年10月02日(Wed)▲ページの先頭へ
日想観(じっそうかん)に先祖返りする飯山一郎役小角転生仙翁
画像は以下を見られたい。
http://sophiology.jugem.jp/?eid=329

日想観(じっそうかん)に先祖返りする飯山一郎役小角転生仙翁

テーマ:放射能大洪水飯山一郎新方舟:乳酸菌日光浴

私もよく太陽を見つめることをしたものだ。小学生の頃、なんとなくやってみた。
 今はやらないが、結構できるものである。
 ところで、飯山仙翁は、古代や中世あたりの日本人がやっていた日想観(じっそうかん)に先祖返りしていると言えよう。
 日光は不可視の氣の「光」、超越光があると私は考える。当然、生命のスピリットである。
 折口信夫が日想観に触れていたのを想起したのである。
 また、「太陽は巨大で偉大だ。」 これは、ニーチェの『ツァラツゥストラかく語り氣』やD.H.ロレンスの『アポカリプス』を想起する。
 とまれ、これは、ゾロアスター教的であることは間違いない。飯山仙翁は、拝火教徒にもなったのである。
 私は昔から、太陽崇拝者、太陽信仰である。

◆ 2013/10/02(水)2  赤勝て! 白勝て! 応援団も負けるな!
太陽は巨大で偉大だ。これを鷲は毎日凝視!
惑星
地球なんてのは…、なんか、鼻くそみたいだ猫〜ww

「ウィキペディアに書いてあった!」と得意気に言うシトがいるがー、これを鷲は「ウィキ坊や」と言ってカラかう。
ま、たしかに恣意的な文章が多いカラ脳〜ww
ところで…、
そのウイキには「太陽観測時の注意点」として次の文章がある。
日光には可視光線の青色光、紫外線、赤外線が含まれるため、肉眼で直接太陽を観測すると日食網膜症 を引き起こし、網膜のやけどや後遺症、失明のリスクがある。
観察には日食グラスや太陽観測専用の遮光フィルターなどの専用の器具を使用する(すすのついたガラスや黒い下敷き、カラーネガフィルムによる減光では不十分とされている)。
太陽の位置を瞬間的に肉眼で確認してから、グラスやフィルターを目に当てる方法では、網膜にダメージが蓄積される(そのため、先にフィルターに目を当ててから、観測をはじめるように勧告されている。)
医学常識では、太陽凝視なんてのは豚でもない! 絶対やるな!鼠〜コトらC〜。

ところが!
鷲は、ウィキにも書いてある「失明のリスク」を心いくまでオカシて、太陽を凝視する毎日。

ちなみに、きょうも鷲は太陽を20分間も凝視したが、いまのところは失明してない。なんせ、モノが良〜く見えるんだからな。

さーーて、お立ちあい!
ウィキ&医学常識が勝つのか?
非常識な飯山一郎が負けるか?
まもなく結論がでる!

◆ 2013/10/02(水)    救うのは、太陽だと思う。
救うのは、太陽だと思う
太陽1 太陽2
シャープは世界一のソーラー企業だが、われわれ人間の身体もソーラーシステムなのだ。
人間の眼球の視床下部から脳の松果体までの構造は、隠れたソーラーシステムなのだ。
(上の2枚の写真はシャープ社のサイトからいただきました。シャープさん、ありがとう!)
鷲は昨日、15分間も太陽を凝視した。凝視し続けた…。
最初は不安だった。
強烈な太陽の紫外線で眼底部が火傷し、損傷するのではないか?と、恐怖感で一杯だった…。

しかし!
そのうち…、
薩摩の黒豹こと飯山一郎 の「目」は…、「眼球」は…、
最初は矢鱈とマブしい南国・志布志の太陽が「真ん丸な火球」であることを、シッカリと認識していた。

太陽を見つづける! 魔坂! そんなことが出来るワケがない!
こーゆー「常識」(これは「医学常識」でもR!) は、見事に崩壊していた。
鷲は前から、下のような文章を書いて「世の常識」を疑っていた…。
・ 日光浴のすすめ (上)   ・ 日光浴のすすめ (下)
・ 運命の分かれ道       ・ ビートたけしは原発そのもの!
さらに鷲は「世の常識」を疑いながら…、太陽を見つめ続けた。
やがて…、
β-エンドルフィンの気持ちが良くなる効果で…、眠ってしまった。

夢のなかに、一人のインド人があらわれた。
そのヒトは、鷲にこー言った…。

「太陽を“眼”で食え! 不食でも生きられる!」

“不食”とは、「何も食わずに生きていく!」ということなんだが…、
「太陽を“眼”で食え!」 とは、いったい、どーゆーことなのか?

たぶん…、
鷲たちの人生は太陽 が救う! ということなの鴨。

いや!
日本民族の生命と健康と、いま、目前にある未曾有の逆境を…

救うのは、太陽だと思う。

◆ 2013/10/01(火)2     太 陽 凝 視 !
これだけの汗が わずか10分の日光浴で出る!
太陽
きょうの志布志は暑かった。
軽い畑仕事のあと、10分の日光浴で猛烈な発汗。
その後、水シャワーを浴びてから撮ったのが上の写真。
おっと!そんなことより、本日から鷲は「太陽凝視」をはじめた。
本日は15分、太陽を凝視した…。
「太陽凝視」とは何か?
それは、簡単に言うと、太陽を凝視することでR!www
太陽凝視! これは、いま、秘法中の秘法である。
だから鷲は、簡単には公開しない。(爆)
鷲は全国的な隠れた人気者なんだそーだ。
その理由は、乳酸菌の秘法を無料公開したからなんだそーだ。

しかし…、
鷲は、特段、大枚のゼニを出したわけ蛇ないんだし…。
ほっておいたら、自然勝手に全国に広まっちゃっただけだ夜寝。
だっから、ホメられる特段の理由なんて、ないん蛇ないのぉ ww

それよか、ホメられたいのは、黒豹になるほどの日光浴だ夜。

皮膚ガンの原因だ!日射病になる!疲労の原因だなどと、さんざん悪く言われてきた太陽光線を、鷲は、連日連夜!全裸の全身に浴び続けて「薩摩の黒豹 」と言われるほどの健康体になった!

ところが、鷲の大胆な人体実験をホメるどころか…、
この“奇蹟”を信用しないシトが大勢いたので、鷲は、その“証拠”をより生々しくリアルに見せるために、なんと! 「ハエ叩きヌード 」を、恥をしのんで…、恥ずかしげもなく…、恥をさらした。

それなのに…、
今回ばかりは、この“奇蹟”は全くと言ってよいほど全国に広まらず、同調者つーか賛同者の数は、そーだなぁ せいぜい10数人かな。
ホメてくれるヒトもほとんどいない。

ままよ!人生なんて、こんなもんだ。孤独こそ我が人生!鼠〜ワケで、鷲は、一人勝手に前に進むことにした。

それが…、
ベニヤ板のベッド上で日光浴をしながらの 太陽凝視
この豚でもない非常識な荒行をすることなの蛇。

太陽凝視! これは、いま、秘法中の秘法である。
おいおい公開したい…。
太陽凝視 が加わって…、↓進化する飯山一郎の真価が深化した…てかww

↑このポスターは きのこ 女史の作品
飯山一郎のHP


1.
日想観 の画像検索結果

2.
今月の行事日程 - 和宗総本山 四天王寺
www.shitennoji.or.jp/event/index.html - キャッシュ - 類似ページ
弘法大師の月命日、毎月21日は俗に「お大師さん」と呼ばれ、境内に露店が並び、
たくさんの参詣の方が来られます。弘法大師は聖徳太子を讃仰され、若き日に四天王寺
に詣でて、西門にて入日を拝する日想観を修された。この機縁により毎月21日に大師会
...
3.
日想観 とは - コトバンク - Kotobank
kotobank.jp/word/日想観 - キャッシュ - 類似ページ
大辞林 第三版 日想観の用語解説 - 出雲聖人の主導した百万遍念仏は,貴賤をとわず
,道俗男女が一定期間参詣して念仏し,鳥羽法皇や藤原忠実・頼長らも参加した。西門
外の海は極楽への道として,夕日に浄土の想いをはせる日想観(につそうかん)を修し,
...
4.
日想観
ww6.enjoy.ne.jp/~myouannji/houwa348.html - キャッシュ - 類似ページ
日想観(にっそうかん)とは、 心を堅くとどめて乱すことなく、一すじに想いつめて他のこと
に触れず、こうして夕日がまさに沈もうとして、ちょうど空に鼓をかけたようになるありさま
を見る ことによって、阿弥陀如来の浄土を想念(そうねん)する観法(かんぽう)です。
5.
【四天王寺】日想観: 驕れる人も久しからず
naga500.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-a3f1.html - キャッシュ
2013年3月20日 ... 今日、春分の日に四天王寺さんでは日想観(じつそうかん)という法要が行われていまし
た。 前々から春分、秋分の日に四天王寺西門に落ちる夕日を見たいと思っていたのです
が、昨日四天王寺さんのHPを見てみたら、日想観というものが行 ...
6.
一心寺 プロフィール 歴史
www.isshinji.or.jp/profile_history.html - キャッシュ - 類似ページ
一心寺の歴史. 日想観. 「法然上人日想観の図」土佐光茂筆・一心寺蔵. 一心寺の発祥
は文治元年(1185)。 浄土宗をお開きになった法然上人がこの地の四間四面の草庵「
荒陵の新別所(あらはかのしんべっしょ)」で「日想観*」を修せられたことが由来とされ
てい ...
7.
日想観 - 岩瀧山往生院六萬寺
oujyouin.com/jitusoukan.htm - キャッシュ - 類似ページ
三善為康が著した「拾遺往生伝」によれば、荒廃した六萬寺の後に 河内往生院が念仏
聖である安助上人により平安時代中期に創建され た。この地は、「四天王寺の東門から
真東にあり、極楽浄土の東門に 当院が当たる」ということから、極楽往生を達するに ...
8.
千年の歴史体験〜初めての日想観@四天王寺: オーサカのカタスミから
odamaki1031.cocolog-nifty.com/osaka_no.../post-20d1.html - キャッシュ - 類似ページ
2012年3月23日 ... 日想観」、不思議な言葉ですね。にっそうかん、と読んでましたが、正しくは「じっそうかん
」だそうです。その昔弘法大師・空海が四天王寺で真西に沈む夕日を見て、西方に極楽
浄土を見いだす修行を始めたことに由来。西門は極楽の東門 ...
9.
四天王寺の日想観 No.1744 - 「世界の高齢者」編集者のブログ
d.hatena.ne.jp/wanbi/touch/20130219/1361276618 - キャッシュ
2013年2月19日 ... [宗教]四天王寺の日想観 No.1744. 聖徳太子が建立したといわれる四天王寺での「日
想観」は、藤原時代より鎌倉時代にかけて勃興した浄土教の影響によって、その時代に
盛に行われた行事である。そして鎌倉以後においても、その情勢には ...
10.
真西の夕日に彼岸の心 総本山 四天王寺 日想観(じっそうかん)
www.pressnet.co.jp/osaka/kiji/100320_12.shtml - キャッシュ - 類似ページ
2010年3月20日 ... 先祖を供養する春の彼岸会が18日、四天王寺(大阪市天王寺区、593年創建)で
始まった。彼岸の中日となる春分・秋分の日には、同寺「石の鳥居」の中を落ちていく
夕日を拝む「日想観法要」が執り行われる。日想観は弘法大師・空海が同寺 ...
11.
日想観の風景
www1.kcn.ne.jp/~kosho/koshoken/ourai/90_kamii.html - キャッシュ
日想観の風景. 神 居 文 彰. 日輪を媒体として佛を観想する行儀に「日想観」という一種
の瞑想法がある。 太陽が沈む西の方を向き、心を静めてその落日をゆっくりと観て、
沈みきった後もその姿を明瞭に見ているかのように観想することである。それは、目を
閉じ ...
12.
天王寺の西:「摂州合邦辻}〜合邦庵室
www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/sakuhin58.htm - キャッシュ - 類似ページ
天王寺には、特に彼岸の中日に「日想観(じっそうかん)」を行うために大勢の人々が
集まってきたものでした。「日想観」と言いますのは、天王寺の西門は極楽浄土の東門と
向かい合っている、という信仰から来たものです。そのために人々は西門 .... 折口信夫:
「玉手御前の恋」(折口信夫全集 第18巻 藝能史篇2 (中公文庫 ) に収録。) (TOP) (戻る

13.
143夜『死者の書』折口信夫|松岡正剛の千夜千冊
1000ya.isis.ne.jp/0143.html - キャッシュ - 類似ページ
2000年10月4日 ... しかしまた、やはりこの一篇の作品は、折口信夫という桁外れの国文学者であって民俗
学者である思索がたまさかもたらした数少ない創作物で ... ここに折口信夫をめぐる以上
のいっさいは集約されるのである。 .... もうひとつは日想観である。
14.
折口信夫 山越しの阿弥陀像の画因 - 青空文庫
www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/46386_26151.html - キャッシュ - 類似ページ
折口信夫. 極楽の東門に 向ふ難波の西の海 入り日の影も 舞ふとかや. 渡来文化が、
渡来当時の姿をさながら持ち伝えていると思われ ..... ただ山越しの弥陀像や、彼岸中日
の日想観の風習が、日本固有のものとして、深く仏者の懐に採り入れられて来たことが
、 ...


同じテーマの記事

* 脱動物化と微生物的氣?:太陰生命氣学か… 10月01日
* 『鷹の選択』(飯山のGの遺言と...) 10月01日
* 不食生存:氣(日光や森林・海岸・山岳の… 09月28日
* 最新の記事一覧 >>

最近の画像つき記事
[ 画像一覧へ ]

* レディ・チャタレー … レディ・チャタレー …

09月29日
* この番組は↓古舘伊知… この番組は↓古舘伊知…

09月22日
* 今日はお釣りが222… 今日はお釣りが222…

09月20日

PR
www.241241.jp

Ads By Google

* なうで紹介
* mixiチェック
* ツイート
*

コメント ペタ
Wed, October 02, 2013
森氣浴プロムナード:草食動物くらいには進んだが、食い意地がある:パン食、1日1食だが

テーマ:健康&治癒:森気浴:医食同源:小食菜食

今日、からだが重いので、久しぶりに、森氣浴を行なった。それで、からだのだるさがなくなり、かなり元気を取り戻せた。
 たんに森の氣に浸ることだけでなく、歩くことが大事である。
有酸素運動ということだろうが、直観では、森の氣を取り入れて、心臓から氣の血液が、氣を体に運んで元気になったように思える。原理的説明は今はしない。
 とにかく、森氣浴プロムナードで、元気を取り戻せたのはうれしい。やはり、氣と運動である。運動で、氣を身体内を巡らすと考えたい。そう、氣と心臓と血である。
 健康方法がだんだん見えてきた。やはり、長時間のデスクワーク、徹夜等で、生命リズムが狂ったと言えよう。
 
"ANA" 上海 航空券上海 直行便 往復48,600円〜。出発3日前までの購入がおトク!www.ana.co.jp

Ads by Google

* なうで紹介
* mixiチェック
* ツイート
*

コメント ペタ
Wed, October 02, 2013
宇宙生命論と太陰生命氣学:氣が共通するが、少し眉に唾付けた方が・・・

テーマ:太陰イデア論:太陰人体学:太陰生命氣学

宇宙生命論/ナチュラルスピリット
¥1,260
Amazon.co.jp

今、これを読みかけであるが、なかなか面白い。佐野千遙博士の単極磁石論に少し関係するが、それより、私の太陰生命氣学に関係するところが多い。氣を基礎としている点では共通である。
 しかし、個ないし自己を否定している点では、首肯くことができない。
 読了したら、少しコメントしたい。

痾呆屁゛から悪米へ:明らかに日本を疲弊させる「米」痾苦魔資本の策略
テーマ:日の本大覚清創造:心的革命宣言:霊的進化
悪とは冷気である。魂の冷気。心の寒冷現象である。
 これは、邪蝿の冷気ではないのか。邪蝿は冷酷の噛みである。
 悪鬼冷鬼との永遠の闘争が必要であろう。アンラ・マンユとの闘争。アフラマズダの闘い。
 日本人の問題は、魂が抜けてしまっていることである。
 奴隷として、生き続ける選択をする可能性が強い。
 ポスト日本、日水湖宮へ。
 悲劇を覚悟しないといけない。

絶望が希望だ。

暗黒が光明だ。

悲劇が喜劇だ。

苦しみが幸せだ。

どん底が天国だ。

とまれ、生命の氣があるのである。

それは、サンクチュアリである。

Photo
記者会見で消費税率上げを表明する安倍晋三首相=1日夕、首相官邸(写真:フジサンケイビジネスアイ)(SankeiBiz)
安倍首相、消費税率引き上げ強行…「政権崩壊」ジンクスは?
日本の安倍晋三首相は1日、現行5%の消費税率を来年4月から8%に引き上げると発表した。(中央日報日本語版)
[記事全文]

◆増税延期の選択肢は事実上なし
・ 景気、政権を左右=神経とがらす安倍首相−消費増税 - 就任以来のアベノミクス効果で各種の経済指標が上向き、「自ら消費税を上げざるを得ない状況にした」(周辺)のは確か。仮に増税を見送れば、財政健全化が後退し、国債金利が上昇する危険もはらむ。時事通信(10月1日)

◇5兆円の景気対策に注目
・ 消費増税、次の焦点は経済対策5兆円の中味 - 東洋経済オンライン(10月2日)
・ [図解]経済政策パッケージの主な内容 - 毎日新聞(10月2日)
・ 新経済対策 主な歳出と減税 - NHK(10月1日)


   




新着トラックバック/コメント


カレンダ
2013年10月
   
   

アーカイブ
2006年 (104)
7月 (9)
8月 (6)
9月 (7)
10月 (9)
11月 (39)
12月 (34)
2007年 (542)
1月 (48)
2月 (49)
3月 (67)
4月 (45)
5月 (44)
6月 (1)
7月 (33)
8月 (67)
9月 (47)
10月 (42)
11月 (49)
12月 (50)
2008年 (623)
1月 (40)
2月 (29)
3月 (26)
4月 (38)
5月 (32)
6月 (48)
7月 (49)
8月 (61)
9月 (68)
10月 (86)
11月 (86)
12月 (60)
2009年 (472)
1月 (82)
2月 (66)
3月 (58)
4月 (32)
5月 (27)
6月 (34)
7月 (35)
8月 (26)
9月 (36)
10月 (30)
11月 (28)
12月 (18)
2010年 (251)
1月 (19)
2月 (29)
3月 (29)
4月 (11)
5月 (25)
6月 (33)
7月 (28)
8月 (23)
9月 (15)
10月 (18)
11月 (8)
12月 (13)
2011年 (126)
1月 (11)
2月 (12)
3月 (13)
4月 (12)
5月 (6)
6月 (4)
7月 (5)
8月 (11)
9月 (15)
10月 (7)
11月 (16)
12月 (14)
2012年 (117)
1月 (10)
2月 (13)
3月 (6)
4月 (6)
5月 (14)
6月 (8)
7月 (11)
8月 (7)
9月 (3)
10月 (24)
11月 (9)
12月 (6)
2013年 (145)
1月 (12)
2月 (11)
3月 (9)
4月 (21)
5月 (10)
6月 (9)
7月 (17)
8月 (9)
9月 (5)
10月 (22)
11月 (13)
12月 (7)
2014年 (91)
1月 (6)
2月 (13)
3月 (18)
4月 (5)
7月 (4)
8月 (26)
9月 (7)
10月 (5)
11月 (6)
12月 (1)
2015年 (61)
1月 (6)
2月 (12)
3月 (8)
4月 (14)
5月 (10)
6月 (4)
7月 (6)
8月 (1)

アクセスカウンタ
今日:677
昨日:1,333
累計:4,689,878