INNOVATION OF PHILOSOPHY: GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience - 2013/10/10

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




[PR]



2013年10月10日(Thu)▲ページの先頭へ
何故音楽を聴くのか:生命感(生命力)と氣:陰陽調和波動生命力:(牛が)モーツァルトの音楽と氣
I Need You - America


何故音楽を聴くのか:生命感と氣

ある意味で、音楽を聴いて、つらい浮世をしのいできたと言えよう。音楽には生命感があると直感された。
 しかし、今は、太陰氣学から、よい音楽には氣があると言える。
 おそらく、すぐれた芸術には氣があるだろう。
 とまれ、私の氣の発見は、そんなに古くはない。
 1990年代、ニューエイジブームがあった。新宗教ブームもあった。
 否、それ以前に、そう、80年代前半か半ばに氣について、私は読書していた。(追記:気功ブームがあった。)

気・流れる身体/平河出版社

¥2,100
Amazon.co.jp

 しかし、観念から実感になったのは、もっと後である。
 両親の介護のため、長く住んでいた東京から田舎(農村地帯)へ帰省したとき(平成10年頃か)、実家の部屋の中で、はたと何かを感じたのである。東京にはない何ものかが部屋の中に存在している(充ちていると言えようか)と感じたのである。氣だと思った。
 それが実感としての最初の氣である。しかし、まだ、証拠が足りないと思い、感覚を研ぎ澄ますようになった。
 そして、今や明瞭に氣が存すると唱えるのである。
しかし、神秘的感性はもっと古くからある。中学生の頃、通学路の田んぼの緑に私の心は溶け入ったのである。
 最近は少ないが、死者への霊感はあった。
ところで、オカルトoccultという言葉はよくない。本当は、目に見えない隠れたというような意味である。
 紫外線、赤外線に倣って、感覚外性、感外性とか言う方がいいだろう。
 神秘性は感外性(感覚外性)である。(追記:超感覚というと胡散臭く聞こえるだろう。だから、感外性、感覚外性がいい。)

追記:モーツァルトの音楽を雌牛に聴かすとお乳がよく出るようになるとニュースにあったが、(牛が)モーツァルトの音楽は氣に満ちていると思えば、納得できることである。ただし、アルファー波云々は逆だと思う。氣波動が物質的には、アルファー波的になるのであり、逆は成立しないと思う。

追記2:飯山仙翁が実践しているように、日光には、強度の氣があると私は思っている。光は氣である。人工照明ではなく、自然光である。

追記3:ユング心理学と東洋思想を研究していた湯浅泰雄氏の氣の研究も氣の超越性の認識を私に踏み切らせたものである。そう、私は以前はマルクス主義者で、唯物論者であった。


Mozart, sym 41 Jupiter Frankfurt Radio Symphony Orchestra conducted by Paavo Järvi


参考:
第15回「東洋医学と磁気(1)」
-東洋医学の経絡は「気」の流れか? 生体磁気との関連に世界が注目!-

http://www.tdk.co.jp/techmag/magnetism/zzz15000.htm

「気」とは何か―人体が発するエネルギー (NHKブックス)/日本放送出版協会

¥914
Amazon.co.jp

気・修行・身体/平河出版社

¥2,415
Amazon.co.jp



気の教養?:心身相互成形課程:ポスト・デカルト心身二元論:氣識理性=氣的身体理性の発見
テーマ:全体智学 : holosophy:心智学

人間というのは、難しい存在である。
 生活しないといけないし、また、健康維持に気を付けないといけないし、また、心を涵養・陶冶しないといけない。
 生活、身体、心の三位一体が必要なのである。
 しかし、近代主義は近代的自我主義(利己主義)であり、物質主義(唯物論)であり、また、資本主義経済が支配するために、この三位一体の構築はきわめて困難になっているのである。せいぜい、どれかに偏るであろう。
 また、統括的原理がないことが原因でそうなるとも言えるのである。
 私は、近代主義を哲学的に作ったデカルトの心身二元論に元凶があると考えている。心(思惟)と身体・物質(延長)の二元論である。(正確に言うと、デカルトは両者の結節点を松果体に求めたのだ。この問題は今はおいておく。デカルト『情念論』を解読する | Philosophy Guides - 哲学ガイドブログ http://www.philosophyguides.org/decoding-of-descartes-passions/
 しかし、今や、太陰氣学によって、いわば、内臓心(内臓魂)を介して、心と身体が繋がっていることは明らかであるし、今日の科学の発達からこれは了解されることである。
 問題は、何が両者を繋いでいるのかということである。
 これは、太陰氣学では、氣であると明快に答えるのである。
 あるいは、氣的意識である。そう、いわば、氣識である。
 氣識が心と身体を繋いでいるのである。私が氣的身体理性と呼んだものはこの氣識の理性のことである。
 さて、近代主義はこの氣識がないために、自我中心主義に偏り、自己において、社会において、問題が生じさせるのである。わかりやすく言えば、病態を内外に成形するのである。
 氣識理性とは陰陽調和理性である(知性と呼ばないのは、知性だけだと、頭脳に偏り、共感性や倫理が疎かになるからである)。
 氣識理性(氣的身体理性)は、プラトン的な真善美の核に存するものである。そして、それは、最近の知見から、植物的生命をベースにすることが了解されたのである(飯山一郎氏の不食主義はその極北である飯山一郎さん
http://1tamachan.blog31.fc2.com/blog-category-34.html)。
(思うに、プラトンとはなんという人かと思う。今日を予見していたのか? プラトン哲学は植物生命的哲学、そう、氣的哲学だと思う。これについて、いつか検討したい。)
 この氣識理性の展開によって、心身バランス、そして、社会的調和への成形がなされると考えられるのである。
 そう、デカルト心身二元論は否定・破壊・悪魔の原理だと考えられる。(シュタイナーで言えば、悪魔アーリマンの原理ということになろう。)
 とまれ、氣識理性を中核におくことで、近代主義は超克されるであろう。
 それは、植物的生命原理の世界の構築を意味するのである。やや言葉足らずであるが、今日は疲れているので、ここで留めたい。


   




新着トラックバック/コメント


カレンダ
2013年10月
   
10
   

アーカイブ
2006年 (104)
7月 (9)
8月 (6)
9月 (7)
10月 (9)
11月 (39)
12月 (34)
2007年 (542)
1月 (48)
2月 (49)
3月 (67)
4月 (45)
5月 (44)
6月 (1)
7月 (33)
8月 (67)
9月 (47)
10月 (42)
11月 (49)
12月 (50)
2008年 (623)
1月 (40)
2月 (29)
3月 (26)
4月 (38)
5月 (32)
6月 (48)
7月 (49)
8月 (61)
9月 (68)
10月 (86)
11月 (86)
12月 (60)
2009年 (472)
1月 (82)
2月 (66)
3月 (58)
4月 (32)
5月 (27)
6月 (34)
7月 (35)
8月 (26)
9月 (36)
10月 (30)
11月 (28)
12月 (18)
2010年 (251)
1月 (19)
2月 (29)
3月 (29)
4月 (11)
5月 (25)
6月 (33)
7月 (28)
8月 (23)
9月 (15)
10月 (18)
11月 (8)
12月 (13)
2011年 (126)
1月 (11)
2月 (12)
3月 (13)
4月 (12)
5月 (6)
6月 (4)
7月 (5)
8月 (11)
9月 (15)
10月 (7)
11月 (16)
12月 (14)
2012年 (117)
1月 (10)
2月 (13)
3月 (6)
4月 (6)
5月 (14)
6月 (8)
7月 (11)
8月 (7)
9月 (3)
10月 (24)
11月 (9)
12月 (6)
2013年 (145)
1月 (12)
2月 (11)
3月 (9)
4月 (21)
5月 (10)
6月 (9)
7月 (17)
8月 (9)
9月 (5)
10月 (22)
11月 (13)
12月 (7)
2014年 (91)
1月 (6)
2月 (13)
3月 (18)
4月 (5)
7月 (4)
8月 (26)
9月 (7)
10月 (5)
11月 (6)
12月 (1)
2015年 (61)
1月 (6)
2月 (12)
3月 (8)
4月 (14)
5月 (10)
6月 (4)
7月 (6)
8月 (1)

アクセスカウンタ
今日:442
昨日:592
累計:4,905,872