INNOVATION OF PHILOSOPHY: GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience - 2013/09

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




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2013年09月21日(Sat)▲ページの先頭へ
知的生命的存在の根源は何か:形而上的原理か形而下的原理か:あるいは、第3の原理か?
テーマ:太陰イデア論:太陰人体学:太陰原理陰陽球

太陰イデア論では、根源を太陰イデアにおいている(仮説)。
 しかし、太陰=肚(気的身体)であり、太陰イデアとは、気ないし根源的気とも考えられる。
 また、太陰を存在とも考えている。
 佐野千遙博士や以下のケッシュ博士は、根源を物質原理で考えている。(両者に共通するのは、磁場であろう。後者はその他に、重力場もあげているが。)
 ところで、話が変わって、私は2004年に「海舌 http://blog.kaisetsu.org/」氏と遭遇して、いわば、突然変異的に不連続的差異論を独創したが、2005年か2006年に形成された、不連続的差異論の発展と考えられたPS理論に2012年春頃まで関わり、提唱したが、その後、それから脱却して、今や、太陰イデア論を提唱している。
 今、この離脱の意味を簡単に見ると、それは、原理の考え方に違いにあると言えよう。
 PS理論は、認識をベースにおいた理論である。それも、知的な、合理的認識を基盤にしているのである。
 しかし、私が不連続的差異論(PS理論の前身)の段階で捉えていた不連続的差異とは、肚のことであり、それは、一般的認識では捉えられないものなのである。
 それは、一般的認識とは不連続、非連続であり、実際のところ、未だに、明確に捉えられていないのである。
 思うに、それを存在ととっても、なんらかの認識性をもっているとは言える。しかし、それは、頭脳的認識とは異なると考えられるのである。
 イデア的認識と言えるかもしれないが、イデアは理念であり、存在とはズレるので、問題を残している。
 不連続的差異論の段階で述べた、知即存在という概念が適用できるようには思えるのである。
 知即存在としての太陰なのである。それは、当然、単純な形而上学的なものではないし、また、形而下的なものでもない。
 いわば、原物質的原理、原生命的原理である。
 とまれ、余裕のあるとき、精緻に検討したい。

追記:グランド・セオリーの構築には、私一人では、無理であるという感じを最近とみに持つ。私は太陰イデア論(仮説)を提唱しているものの、シュタイナー理論、藤原肇理論、佐野千遙理論、等々の考え方にも、開いているのであり、ドグマではない。
 太陰イデア論もいわば暫定的なものであり、理論的進展に応じて、よりよい仮説になるのである。
 より多くの人に、検討してもらいたいと思っている。決定論ではないのである。あくまで、仮説、作業仮説である。


ケッシュ博士インタビュー そのC

相対的に、根源のエネルギー<原理エネルギー(プリンシプル. エネルギー)>が、物質や、目に見えない熱や電気や、あるいは又、重力や磁気力に姿を変えたものだと理解すれば、足りるのである。
http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/2013/09/post_9793.html
飄(つむじ風)


2013年09月20日(Fri)▲ページの先頭へ
超陽支配が終り、太陰の大地が目覚める時:ポスト旧約聖書-近代文明と勃興するロシア文明の新時代
超陽支配が終り、太陰の大地が目覚める時:ポスト旧約聖書-近代文明と勃興するロシア文明の新時代

テーマ:太陰イデア論:太陰人体学:太陰原理陰陽球

戦争金融資本/旧約聖書イデオロギー資本(ヤハウェ資本)の暴力は気が抜けないが、ヤハウェ資本は衰退の一途であろう。
 思うに、デカルト的心身二元論が目覚めた太陰によって崩壊する。つまり、心身融合(追記:結合の方がいいかもしれない)が起るのである。
 近代主義を信奉した者は自壊するだろう。目覚めた太陰エネルギーを取り込むことができないからである。
 そう、太陰エネルギーは陰陽エネルギーである。気エネルギーである。もっとも、魂と結びついた気エネルギー、即ち、魂気エネルギーないし霊気エネルギーである。
 私の直観では、気エネルギーが魂を浄化するのである。ここで、食事(玄米を含む穀物菜食、豆乳ヨーグルト食等)や気活(自然気浴:森気浴、日光浴等)が重要になるのである。
 ところで、以前から問題であるが、太陰イデア論では、魂の領域を太陰で、頭脳の領域を陽で考えている。つまり、本来、生命に関わる陰陽に精神作用を重ねているのである。
 もっとも、この問題は既述済みではあるが、今においては、やはり、不分明なのであり、再検討が必要と考えられるのである。
 問題は意識ないし自己意識である。
 太陰意識、陽意識があるのではないだろうか。そうならば、植物にも意識があることになる。これはおいておこう。
 今、直観で言えば、

太陰(肚)=他意識
陽=自己意識
超陽=自我意識

である。
 陽は個意識と言えるかもしれない。これは、太陰と超陽の中間のバランス的意識と思えるのである。
 とまれ、太陰が新たに目覚めるということは、陰陽生命意識が目覚めるということである。あるいは、単に、生命意識が目覚めるということである。つまり、気意識、植物的生命意識の目覚めということになる。
 以前からの考えではあるが、共感性は、陰陽共振にあるのである。太陰と陽とのバランスに存するのである。
 つまり、それは、生命力学、植物生命力学的なものである。
 つまり、一般に動物や人間よりも、植物の方が「霊性」が高いということになるように思えるのである。
 さて、人間の自我、父権自我は超陽で説明したが、動物の欲望はどう説明できるのか。シュタイナー霊学で言えば、アストラル体はどう説明できるのか、である。
 今、思ったが、人間の自我ほどではないが、陽への傾斜で説明できるのではないだろうか。太陰を超越したのが、超陽であり、父権自我である。
 しかし、動物的欲望は、太陰の超越まで行かなく、陰陽力学において、陽への傾斜において発生する力学と言えるのではないだろうか。
 しかし、陽の傾斜を単に動物的欲望とするならば、自我一般の説明はどうなるのだろうか。
 これまで、父権自我ではない自我一般は陽の傾斜と考えてきたのであるから、以上の説は齟齬を来すのである。
 次のように考えるのはどうだろうか。陽の傾斜はこれまで通り、自我一般とする。そして、この陽の傾斜に拠る太陰の被抑圧力学において発生するのが動物欲望・感情=アストラル体ではないのか。つまり、動物欲望・感情=アストラル体とは、太陰が自我一般(陽の傾斜)によって抑圧されたときの変形様態であるといういうことである。言い換えると、自我一般はあくまで、傾斜した陽に存するのであり、動物欲望・感情=アストラル体は、自我に抑圧された太陰の変形様態に存するということである。
 以上で、いちおう、整合的な説明はできたことになる。まぁ、作業仮説的であるが。
 そのように仮説して、太陰が新たに目覚めるとはどういうことかと言えば、それは、純粋な植物的生命、宇宙・自然的植物的生命が意識において目覚めるということである。
 簡単に言えば、純粋な陰陽共振・気エネルギーの覚醒である。
 それは、植物生命的な霊性の覚醒ということになるだろう。もし、気の意識を霊性と言えるならばである。
 それは、D.H.ロレンス風に言えば、コスモス的霊性の覚醒と言えよう。シュタイナー的には、エーテル体的宇宙精神の覚醒である。
 思うに、ロシア正教、ロシア文化はそのような要素を強くもっていよう。だから、ポスト旧約聖書文明=ポスト近代文明はロシア文明の時代なのである。


2013年09月15日(Sun)▲ページの先頭へ
政治経済的ゾロアスター教的闘争の時代:プーチン/オバマ平和資本主義路線VS戦争資本主義路線
政治経済的ゾロアスター教的闘争の時代:プーチン/オバマ平和資本主義路線VS戦争資本主義路線

テーマ:二つの資本主義:自由共同体と掠奪暴利主義

先に、以下の参照記事を投稿したが、これで、今日の世界経済闘争の世界・地球史的意味が明確になったと思う。
 プーチン/オバマ平和路線は、旧約聖書的戦争金融資本路線に対抗しているのである。そう、私の用語から言えば、新母権路線が旧父権主義路線と闘争しているのである。
 しかし、現代日本、痾屁゛凄犬(又は政権)は、内在的な父権主義と外在的な父権主義路線の、醜怪な野合であり、日本を破滅させるものである。そう、以前、述べたように、痾屁゛凄犬は新母権平和資本路線(根本的には、自由共同体資本路線)に対する大反動なのである。
 とまれ、日本は内なる「ユダヤ」が外なる「ユダヤ」に支配されて、母権的日本(日水湖宮ひみこく:日本の新国名)を破滅・滅亡させんとしているのである。否、ほぼ、破滅・滅亡なのであるが。
 思うに、以前、オバマ大統領を対ロスチャイルドのロックフェラー路線と考えたが、そういう呼び方は混乱・誤解させるので、それは、マックス・ウェーバーに倣って、プロテスタンティズム路線と言ってもいいだろう。これは、私の用語では、自由共同体資本経済路線である。
 アメリカは日本と同様に、二つの「民族」がある。父権民族と母権民族である。
 問題はキリスト教である。これも二つあるのである。
 「父」的キリスト教(旧約聖書)と「母」的キリスト教(新約聖書)である。
 これと戦争金融資本路線とプーチン/オバマ反戦・平和資本路線が重なるわけである。
 現代日本は恐ろしく厳しい状況にあると言える。内なる「ユダヤ」性を超克する必要があるからでもある。
 やはり、肚(太陰)に回帰する必要がある。日本民族は母権民族と父権民族の混淆であり、前者が後者を介して外的旧約聖書勢力に支配されているということになるのである。
 
追記:ロシアはポスト・ボルシェビキ(ソ連)で、古いロシアが復興したのである。ロシア新ルネサンスである。ロシア正教は、大地と新約聖書的キリスト教の融合であり、それは、母権的キリスト教であり、聖霊的キリスト教と言えよう。これについては、別の機会に触れたい。


参照:
ユダヤ教VSプロテスタンティズム:二重道徳のユダヤ教と二重道徳の日本父権は酷似する

『古代ユダヤ教』M.ウェーバー(2) - きおくのきろく - Yahoo!ブログ
(以下、強調は本ブログの管理者に拠る。)

●対内・対外道徳の二元主義



 隣人愛は古代ユダヤ教でもあったが、それはどうもすべての隣人ではなく、同じ宗派仲間を意味していたらしい。

隣人とは常に民族共同体員であるか、宗派的仲間なのである。このことは、「(隣人を)自分のように愛すべきだ」という心情倫理的説教においてもあてはまる。説教の道徳的内容は「兄弟」のみにかぎられていた。

では、宗派仲間以外の他者についてはどうなるのか。そこに、共同体の境における対内・対外道徳の二重化が発生する。たとえば、「兄弟」からは利子をむさ ぼってはならないが、それ以外の他者からの利子は許容されるとか。ここが、いわゆる「ブロテスタンティズム」の経済倫理と決定的に相違したことをウェー バーは強調する。



プロテスタントのピューリタニズムにとっても、同じ宗派仲間ではない者はやはり「神なき者」であることにかわりはないのだが、それに対して、どのような態度をとったかというと、

彼らはまさに「神なき者」との経済交渉において、ごまかしたり、だましたりするかわりに、合法的で正直で公明であった。彼らは固定価格の制度を遂行し、たとえ子供が買い物に来てもやはり公正価格で公正な商品を常に手渡した。預金もクレジットも彼らにおいてはまさに一般的な「信用」が出来たこと、だからこそ「神なき者たち」の多数が彼らの商業金庫や実業家の顧客となった。要するに、宗教的に制約された、優越せる経済的エートスをもっていたおかげで、「正直は最上の政略」という原則に従って、神なき者たちとの競争に勝った、ということである。 こうしたことはアメリカ合衆国においては、つい2、30年前までは中産階級の現実のエートスとしてそのまま体験することができたものなのである。

それに対して

ユダヤ教の場合は、これと相違した。経済的対外関係の倫理的合理化へと導く救済論的な動機づけが欠如していたからである。 ユダヤ人たちが特に通暁したのは、貨幣高利貸しや商業とならんで、国家・掠奪資本主義であり、これこそピューリタニズムが徹底的に嫌悪したものである。

ウェーバーはユダヤ民族が「客人民族」であったことを強調する。「客人民族」とは現地における部外者民族という意味で、ディアスポラ以降、国を失った彼らの置かれた必然的な状況なのである。




http://blogs.yahoo.co.jp/leic523/35325084.html


『古代ユダヤ教』M.ウェーバー(1) - きおくのきろく - Yahoo!ブログ

マックス・ウェーバー 「古代ユダヤ教」(岩波文庫・上)1/3 - 週に一冊
d.hatena.ne.jp/oshimayukinori/20130306/1362528942 - キャッシュ
2013年3月6日 ... マックス・ウェーバー 「古代ユダヤ教」(岩波文庫・上)1/3. 訳者(内田芳明)まえがき.
賤民宗教のユダヤ教が世界宗教に発展したのはなぜか. 近代西洋の文化形成の根底
にはウェーバーの言う「合理的(禁欲的)実践的生活態度」があるが、 ...
バアルとヤハウェ ウエーバー『古代ユダヤ教』ノート(1) | 聖書における愛 ...
8661.teacup.com/agapekainomos/bbs/32 - キャッシュ
2011年6月19日 ... その後、バアル神信仰の詳細がひどく気になってきて、読みかけになっていたマックス・
ウエーバー『古代ユダヤ教』(岩波文庫)を、第1章第13節「バアルとヤハウェ、偶像と神
の箱」を中心にいくらか読み直しました。関連して、山我哲雄氏の『 ...
 古代日本とユダヤ・キリスト教
http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/yomu.htm#kodainihon

古代日本とイスラエル10部族の謎

もしイスラエル人が古代の日本に渡来し、日本民族の形成に大きな役割を果たしたという考えが事実だとすれば、私たちは少なくとも次の事柄を、心にとめることができるでしょう。
 一つは、私たち日本人にはイスラエル人の血が一部流れているかもしれない、ということです。アブラハム、イサク、ヤコブの血が、私たちの体にも一部流れているかもしれないのです。
 二つ目は、聖書の神ヤハウェは決して、日本人に遠いかたではないということです。
 古代の日本人は、聖書の神ヤハウェを知っていたのです。それが時代とともに「八百万の神」の多神教に堕落したとはいえ、私たちには古来からヤハウェの神への信仰の伝統があるのです。
 ある意味で、日本建国の神は聖書の神ヤハウェである、と言っても過言ではありません。今日の日本は、その堕落変形してしまった姿なのです。
http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/032kodai.htm

参照:
母権的日本人(共自然的日本人)と父権的日本人(反自然的日本人):対立する異民族の混淆の日本人?

飯山一郎氏のように故郷喪失を慨嘆する人は前者である。しかし、私見では、今日の大半の日本人は後者である。
 やはり、まったく異質な民族の混淆としての日本民族を思う。
 敗戦後、アメリカ的都市化を受け入れたのは後者である。
 やはり、「大東亜戦争」で、前者の多くが戦死して、後者の人間が牛耳るようになってしまったように思えるのである。
 国学イデオロギーが、明治近代化のベースにある新父権主義だと思うのであり、それが、敗戦後もしぶとく支配しているのである。
 日本新父権主義の反自然主義は、結局、旧約聖書的なのではないだろうか。日ユ同祖論は、先にも述べたが、この点で考えられるのである。
 積極的な意味もあるが、もはや、否定的な意味が強過ぎよう。


参照2:

* 2013/09/15 : CFR : 2020東京オリンピックは明治維新そして第二次世界大戦以上に日本を改革するイベントとして行われる 宇宙への旅立ち H.25/09/14



「五輪担当大臣」に下村文部科学大臣を任命(13/09/13)
http://www.youtube.com/watch?v=YVbWVgNY7iQ&list=UUGCZAYq5Xxojl_tSXcVJhiQ

奴等は本気だ。この2020東京オリンピックは明治維新そして第二次世界大戦以上に、日本にビッグインパクトを与えるイベントとして扱われるそうだ。オリンピックだけでは終わらないオリンピック、それが2020東京オリンピックだ。2020東京オリンピックを利用し、ますますこの日本をユダヤの国に変えていくという事だ。そう、ユダヤに対して「お.も.て.な.し」をするというのだ。
http://iiyama16.blog.fc2.com/blog-entry-6471.html
『文殊菩薩(ブログ版)』

参考:
2013/09/15 : 美しき日本の心 : 国の援助なし ホンダジェット  きのこ組長 「建築とかあれこれ 呪いもあれこれ」 H.25/09/012
圧倒的に性能が違う! “航空業界のシビック”ホンダジェットで革命を
http://www.sankeibiz.jp/business/news/121121/bsc1211210504006-n1.htm

いかに他人からパクリ、開発費人件費を浮かし、
品質劣化でコストを下げ、
政治家と官僚に賄賂をわたし、
税金で買ってもらって、
さらにボッタクリ価格を設定し、
みなで、山分けをするか。

霞ヶ関&経団連&外郭団体 
偽善集団 なんでもかんでも戦争強奪マルチポチ

こんな日本には、本当の市場原理などなく、
ただのマルチまがい詐欺なので、
資本主義構造がわるいんだーと喚いている陰謀論は、
ばかばかしいほど、子供騙しのはぐらかし。

政府とはかかわらず、
ここまでやったホンダの開発チームに、
おめでとう。
『文殊菩薩(ブログ版)』


2013年09月13日(Fri)▲ページの先頭へ
私の隠遁癖は、ウラル・アルタイル民族森林文化に拠るのか?
私の隠遁癖は、ウラル・アルタイル民族森林文化に拠るのか?

テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史

私は、隠遁癖があり、できれば、人に会わずに、自然と接して生きて行きたい。今夏は海や川に接した。今は、近場の森へ避難するのである。森はサンクチュアリ、アジールである。
 D.H.ロレンス文学でも森はそうである。
どうも、この森林隠遁癖は、ケルト民族と通じるように思われる。そして、かつて、調べたが、ケルト民族とアジア民族は通じているのである。飯山一郎氏の説くツングース民族であるが、ケルト民族と関係しそうである。
 これは、母権民族である。それも、縄文的母権民族に通じると思う。
 かつて、私は19世紀ロシア文学が好き(かつての日本人はそうだった)で、ロシア語をかじったが、難しくて挫折した。
 10代はツルゲーネフ、ドストエフスキーにはまったが、その後、トルストイ、ゴーゴリ、レールモントフ、プーシキンにはまった。
 文体が女性・母権的、つまり、優しいし、メロディアスなのである。
 また、ロシアの神秘文化は太陰イデア論に通じるものがある。
そう、大地とキリスト教との融合としてのギリシア正教、ロシア正教は、思うに、ケルト的キリスト教に近いだろう。つまり、自然とキリスト教(新約聖書のキリスト教)の結合文化である。
 私見では、近代日本の大失敗の元凶、諸悪の根源は、本居宣長に発する国学=新父権主義で、それによって、精神が、いわば、旧約聖書化して、自民族中心主 義になり、そのイデオロギーの下で、権力者は、戦争を起こし、また、敗戦後は、米国に拠る植民地化を受け入れたと考えられるのである。
 本来の、以上のような日本母権主義が忘却・喪失されているのである。つまり、日本人は己の魂をなくした亡魂の民であるということである。無魂の日本人はゾンビである。ゾンビ日本人である。

追記:痾屁゛葬痢は、日本ゾンビ族の首長である。
◆ 2013/09/12(木)  ロシア人と日本人の先祖は同じ…鴨
「プーチンとオバマは、対ユダヤ軍産複合体戦線で戦う同志である、という飯山一郎翁の見立てが当たったのか?」
と、ネットゲリラが(半信半疑でww)鷲をホメてくれている。 (記事)
ネットゲリラにホメられると、鷲は嬉しい!
ぎのご姐さんにホメられたばやいは、あんまり嬉しくない…。
その直後、ハシゴはずされるだけでなく、落とされるからなww
ところで…、
日本の情報は、(隠蔽&洗脳体質の) 日本のメディアよりも『ロシアの声 』を読め!というのが、今、ネット人のトレンドなんだが、鷲の場合は、
『ロシアの声(日本語版)』は、プーチンの日本向けのメッセージだと思っている。
それにしても下の記事には、鷲、ビックリおどろき、驚愕した!
ロシアのウラル・アルタイ地方は日本語のふるさとであり、日本人の先祖であるツングース族(ツラン民族)のふるさとでもあるが、そこで「20年外界との接触を持たなかった青年を発見!」というのは、驚愕の情報だ。
アルタイ地方の冬の極寒は半端ではない!
そこの森林の地面に掘られた穴で20年以上も暮らしてきた青年の生活は、現代人には到底不可能である!
しかし、青年の生活は、じつは、われわれ日本人の先祖の生活様式なのだ。
で、そのうちイノシシを飼いならしてブタにして、ブタを飼いながら東へ東へと移動をはじめたのがツングース民族なのだ。われわれ日本人のご先祖の…。
今回たまたま発見されたのは、青年ひとりだけだが…、外界と接触せず森林のなかでの穴ぐら生活をしている人種が、アルタイやシベリアのタイガ(深い森) には何万人もいるという。 (アナスタシアもその一人…。)
そのタイガに住む人々の生活は、原始的で貧しいものでは決してなく、知的・精神的に非常に豊かである! というメッセージをプーチンは『ロシアの声』を通じて世界に向けて発信している、と。
プーチンが熊に乗って、タイガの川の浅瀬を突進している合成写真 があったが、これはタイガに生きる人々の暮らしの一場面ということ…、分かるかなぁ? ま、おいおい説明していきたい…。

(2013/09/11 【ロシアの声】)
アルタイ地方:20年外界との接触を持たなかった青年を発見

© пресс-служба администрации Алтайского края
西シベリア、アルタイ地方のリゾート地ベロクリフ近くの森林で、生まれてから外界と接触したことのない青年が発見された。
発見された青年は名前は明かされていないが、1993年にアルタイ共和国のある村で助産婦の介助なしで生まれた。教育は一切受けておらず、森の外の世界ともまったく接触を持たなかった。
青年の両親も社会との接触をたち、1997年から息子とともに森林の地面に掘られた穴で暮らしてきたが、2013年春より息子を一人置いて、穴を出てしまっている。
タス通信   (記事)
飯山一郎のHP

ロシア文学 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/ロシア文学 - キャッシュ - 類似ページ
19世紀はロシア文学、とりわけ小説の黄金時代となり、フョードル・ドストエフスキー、
ニコライ・ゴーゴリ、イワン・ゴンチャロフ、ニコライ・レスコフ、ミハイル・サルトィコフ=
シチェドリン、レフ・トルストイ、イワン・ツルゲーネフら無数の才能が出現し、全世界の
文学に ...

ロシア宇宙主義 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/ロシア宇宙主義 - キャッシュ - 類似ページ
ロシア宇宙主義(英: Russian cosmism)とは、20世紀初頭のロシアで発生した宇宙を
中心とした哲学的・文化的運動である。ロシア宇宙論とも呼ばれるが、いわゆる宇宙論と
は直接の関係はない。ロシアではロシアとは冠せず、Космизм(宇宙主義)と呼ばれて ...





気の生命哲学科学:乳酸菌、光合成細菌、又、免疫力とは何ぞ哉

テーマ:放射能大洪水飯山一郎新方舟:乳酸菌日光浴

今は、直観のみを記す。
 太陰生命論(また、新語である)に拠ると、生命とは、陽から太陰へと螺旋回帰するときに発生すると考えられる。
 そう、陽自体は太陽(お天道様)であり、原生命だと思う。それが、螺旋回帰すると生命体が現象するように思えるのである。
 思うに、陽から物質体、生命物質体が形成される。しかし、これは、気エネルギーがないと死ぬのであり、死体(植物等を含めて)となるのである。
 思うに、気は陰陽共振調和波動をもっていると考えられる。しかし、生命体には、異物が生成されたり、侵入する。
 これは、気の調和波動を破壊するものと思われる。
この反生命的「分子」、反気的物質体に対抗するのが、免疫システムと思われる。
 つまり、反調和波動の(生命)物質体に対して、なんらかの攻撃をするのである。
 それは、広義では、生命再生化、復活化ではないだろうか。
 そう、異物を排除するというのがいちばん手っ取り早いのではないだろうか。
 とまれ、異物の無化が免疫システムにはあるだろう。
 それは多様な方法、様態をとるように思えるのである。
 排除、食、破壊、等々である。
 乳酸菌、光合成細菌免疫システムは、気の生命再生・復活システムと考えられる。
 そう、太陰生命論から言えば、陽と生命物質体の境界に存するシステムと思われる。生命と死との中間領域に存するシステムであり、常に、死から生命への反転を志向する生命力学システムと思われる。
 比喩的に言えば、生命体自己防衛組織である。生命自衛組織である。
 とまれ、気活(これも新語)することで、免疫システム=生命自衛組織は活発化するだろう。
 日光浴は気活である。しかし、乳酸菌を直に摂取するというのは、気活の形而下的活動になるだろう。
 飯山一郎氏の乳酸菌サバイバル運動はこれであり、日光浴提唱は気活主義と言えよう。





シリア問題に関する暗黒夜考氏の考えは、飯山一郎氏や新ベンチャー革命氏と同一である:三位一体である

テーマ:自然主人類従の新文明:ポスト旧約聖書文明

私は、シリアに対するアメリカの態度に関して、予測不可能、保留という態度を取っていた。
 もっとも、オバマが反戦争・平和路線であるということは認識していた。
 私の洞察の弱点は、地上戦と空爆との違いを認識していなかったことにあるだろう。
 それがわかれば、オバマの対シリア戦略・戦術がわかったであろう。後一歩で読み切れなかったのである。
 オバマの役者振りは、小泉元首相どころではない。後者はすぐバレたからである。天才的な政治家である。

「シリア情勢」考 〜シリアのロシア・化学兵器国際管理提案受け入れとオバマの真意〜
小生のシリア情勢の見方は、オバマが実はロシア・プーチンと「米国戦争屋」という”共通の敵”打倒という点で水面下で手を握っており、オバマは自らピエロを演じながら、実はシリア侵略を阻止せんとしているというものである。
即ち、「米政府(米銀行屋)&ロシア政府」VS「米戦争屋」という図式であり、オバマは苦境に立たされる役どころを演じながら、プーチンと結託して、着実にシリア侵攻の芽を摘んでいっているということである。
以下のロイター記事にあるように、つい先程、シリアがロシアによる化学兵器の国際管理提案を受け入れる姿勢を明らかにしたことが報じられているが、これでまた「米戦争屋」はシリア侵攻の口実を失ったと言ってよいであろう。
さらに以下2点目のイランラジオ記事にあるように、オバマの後ろ盾たる「米銀行屋」と”お友達”の中国が間髪を入れずこれを支持する姿勢を示しているように、オバマら「米銀行屋」の思惑通りに事が運んでいるというのが個人的見解である。
暗黒夜考〜崩壊しつつある日本を考える〜
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コメント ペタ
Tue, September 10, 2013
久しぶりに森の気に浸ったが、やはり、元気が出る:自然は気的現象体である

テーマ:健康&治癒:森気浴:医食同源:小食菜食

デスクワークが続き、森へ行かなかった。
 今日は森へ行き、森の気に浸った。やはり、自然界には、気があるのである。
 ところで、

気=陰陽球=光の種子=生命種子=生命ミクロコスモス

と思えている。
 この表面ないし外部が生命物質体、現象体であり、これを物質科学はみているのであるが、裏面、内部を無視していると考えられるのである。
 今月は余裕がないので、残念ながら検討できない。

 ところで、自我、つまり、父権自我であるが、それは、ヤハウェ形成の力学と関係していると思う。唯一神的自我ということである。
 問題はそれと自己同一性との関係である。これまではほぼ同一と見ていたのであるが、違うのである。
 父権自我は自我同一性をもつだろうし、それは多重人格的になるように思える。
 しかし、自己同一性は、他者が前提にあると思われるのである。
 
 父権自我に関して、日本父権自我は、父権自我の堕落した形態ではないだろうか。権力に媚びるが、権力のないものには威張るのである。 堕落父権である。





光の種子と陰陽球:後で比較検討したい

テーマ:太陰イデア論:太陰人体学:太陰原理陰陽球

note9:射影/平面像への拡張と点への収縮/光の種子
note9:射影/平面像への拡張と点への収縮/光の種子
<ジョージ・アダムス 『エーテル空間』からの引用>

 空間のなかに点と平面を対置することによって、近代幾何学の本来的な起源であるも
のの見方が純粋思考のなかに生まれます。それは空間世界を透視図法(遠近法)をとお
してみる見方、いわゆる“射影projection”にかかわる見方です。
(“射影幾何学projective Geometorie”という名称はこのことに由来しています)。私た
ちは実際、自身のエーテル体とともに光に満ちた世界のなかで生活しています。かつて
ルドルフ・シュタイナーが語ったように、私たちは光のなかをエーテル的に泳いでいま
す。しかし、それにもかかわらず私たちは ー 多くの誤りを含んでいる ー通常の光
学が説明しているように、物質的器官の助けのもとに上述の“収斂”を生じさせることに
よって、この光の世界を物質的意識へ、物質的ー地上的な生活の覚めた自己意識へと運
び込んでいるだけなのです。私たちは“拡張(周縁への拡がり)と収縮(点への収斂)”
のなかで、陽光に満ちた空間世界を体験しています。(P.25-26)
 たとえば、ある平面上に点や直線などで幾何学図形を描き、それに対して空間上にひ
とつの点、眼点を置きましょう。この点は一粒の種子のように、平面上に拡がりとして、
像として現れるすべての形態を、錐体(角錐や円錐など)として取り込みます。平面図
形のなかの直線は眼点のなかでは平面となり(…)、平面図形のなかの点は射線すなわ
ち眼点の直線となります。つまり平面上に図形を描いている直線と点は、眼点のなかで
はそれぞれ平面と直線として受け取られます。この平面と直線は目で見ることはできま
せん。平面図形は眼点のなかで内包的なものになったのです。まさにそれは光の種子に
なったのです。空間を形成しているのは“光”であることを認識さえすれば、これは容易
に感じ取れるはずです。形態を内包的に含むこの点の前に新たな平面を差し挟めば、そ
こにはもうひとつの図形が、つまりもとの図形に即してメタモルフォーゼした新たな図
形が映し出されます。
(P.26-27)


◎空間のなかに点と平面を対置し、透視図法(遠近法)をとおしてみることで、
「射影projection」の見方が生まれる。(射影幾何学projective Geometorieはこの射影の見方から生まれた)
◎遠近法は視点の前に置いた「投影面」に、それを通過する光を写し取ることであり、
透視図法というのは、そのように目に映る像を平面に映すための技法。
一点透視図法、二点透視図法、三点透視図法などがあるが、
ここでは点と平面との対置ということなので、一点透視図法をイメージする必要がある。
そして、射影というのは、物体に光を当ててその影を映すこと。
◎平面上に幾何学図形(平面図形)を描き、空間上にひとつの点(眼点)を置いて、それを見る。
◎すると、その眼点のなかでは、幾何学図形のなかの点は、その点と眼点との間を結ぶ直線となり、
幾何学図形の直線は、その直線と眼点との間を結ぶ平面となる。
しかし、それらの直線や平面そのものを目で見ることはできない。
◎その直線や平面の外延的なものは、眼点のなかで「内包的なもの」、
つまり「光の種子」になったということができる。
◎この「光の種子」という表現からイメージされるものが重要であると思われる。
種子からは、芽が出、葉が育ち、実り・・・という成長のプロセスが展開してくる。
◎さて、眼点と平面図形がつくりだす形は、、錐体(角錐や円錐など)の形になるが、
そのあいだに別の新たな平面を差し挟むと、そこには平面図形がさまざまに「メタモルフォーゼした新たな図形」が映し出される。
◎私たちは、実際には「平面」であるエーテル体を持ち、
「光に満ちた世界のなかで生活」しているにも関わらず、
この光の世界を物質的な「点」へと「収斂」させ、物質的・地上的な自己意識のなかで生活している。
◎そのように、私たちは「拡張(周縁への拡がり)」と「収縮(点への収斂)」のなかで、
「陽光に満ちた空間世界を体験」している。
◎この「拡張」と「収縮」という対極性は、非常に重要な概念である。
●『エーテル空間』ノート (2013.1.16) *終了
シュタイナー研究室に戻る - Bekkoame
http://www.bekkoame.ne.jp/~topos/steiner/Steiner.html






太陰イデア論と普遍エネルギー:陰陽球と磁場/重力場と単極磁石

テーマ:太陰イデア論:太陰人体学:太陰原理陰陽球

以下のKeshe氏 の普遍エネルギーと太陰イデア論(太陰人体学)の「気」の考え方はなにか類似を感じる。
 また、佐野千遙博士の単極磁石根源エネルギー論も関係するように思う。
 結局、太陰イデア論(太陰宇宙論、太陰コスモス論)からみると、太陰と磁気をどう考えるかということになるだろう。
 私は太陰エネルギーないし陰陽球エネルギーと磁気を一致させていない。しかし、近いことは近いと思う。
 私の太陰原理は、基本的には形而上学原理であり、純粋な物質原理ではないのである。
 余裕のあるとき、検討したい。

2013/09/09 : 霊性の時代 : Keshe氏 「宇宙の磁場で作動する電灯…このシステムには電池がない」動画(13)  ほんとうがいちばん H.25/09/08

私たちは天地創造について話していた...人々が重力場と磁場の概念を理解すれば、人々は私たちが人間として、互いにどれくらい密接に関係があるか、また、生存の為でさえ、いかにお互いを支えとして生きているかを理解するようになるでしょう。

あなたが呼吸するもの、私が呼吸する。私が息を吐くもの、あなたは中へ呼吸する。私のエネルギーの一部をとる、私の細胞の一部をとる、私から取り除かれた磁場、エネルギーの一部をとる。そのように、ある意味では、人間として、私たちはみな生存するためにお互いを必要とする。

Keshe財団では、宇宙においてはこのエネルギーを収穫するので、いかなる食糧も必要としない、という話をしている。私たちがこれを提案した時、それは狂気の沙汰だと言われた。
http://iiyama16.blog.fc2.com/blog-entry-6395.html
『文殊菩薩(ブログ版)』


永久磁力永久機関モーターの実現を!そして放射線除去へ!
世界を変える!佐野千遥博士の永久磁石永久機関モーターを完成させよう!
http://ameblo.jp/pmmipm/

参考:
心の光と自我 (09/05)
http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-2003.html
太陰イデア論 or 太陰プラトニズム(旧不連続的差異論・旧PS理論・旧不連続陰陽イデア論)のページ

参照:
●『エーテル空間』ノートpdf (全データ)
●『エーテル空間』ノート (2013.1.16) *終了
シュタイナー研究室に戻る - Bekkoame
http://www.bekkoame.ne.jp/~topos/steiner/Steiner.html




2013年09月05日(Thu)▲ページの先頭へ
心の光と自我
心の光と自我

テーマ:太陰イデア論:哲学的超科学理論(仮説)

エゴイストは心の光のない人である。
 心の光とは、陰陽球の陽であろう。
とまれ、心は陰陽球にならないといけないが、自我のために、抑圧されているのである。自我は心を抑圧するのである。
 逆に言うと、自我は心の光を恐れるのである。そのため、心の光に暴力的な態度をとるのである。
 これが、社会問題の根本的力学だと思う。
 資本主義は自我中心主義であり、心の光を抑圧するのである。そのため、暴力社会となるのである。
 ところで、日光であるが、それは、陰陽球であると言ったが、外部は光子であり、内部が陰陽共鳴である。
 心の光は太陽光線に、自身と同じ、心の光を見いだすように思われる。
 私が以前、超越光と呼んだものは、この心の光(心光)だと思う。
 そう、宗教上の光もこの心の光のことを指すように思われる。
 これは、太陰と陽の調和バランスを意味するのである。
 問題は自我である。私が批判するのは父権自我であり、それが、心の光を抑圧するのである。
 もう一つ、母権自我がある。それは、心の光を肯定した自我である。主になるのは、心の光であり、自我は二義的である。
 父権自我は自我中心、自我主体であるために、心の光の
差異を肯定できないのである。
 自我の同一性を心の光に押しつけてしまい、心の光を自我化してしまうのである。
 現代の日本人の大半がこのタイプに陥っていると考えられる。
 太陰人体論から言うと、肚にベースを置くことで、心の光と自我のバランスがとれるようになると考えられる。
 光の知覚から言うと、自我は外部の光、物質的光のみを感知し、陰陽の光、つまり、エーテル(生命)の光を感知しないと考えられる。
 日本人が自然から切り離されているのは、この陰陽光、生命光(エーテル光)を感知できなくなっているからである。
 物質主義の都市文明に慣れて、心の光をもつ自然文化を喪失しているのである。
 そう、物質的自然以外に、根本に、心的自然があるのである。これこそ、生命的自然である。
 今日の科学は物質的自然科学であり、生命的自然科学がないのである。
 太陰人体論のこれまでの探究から、陰陽球が光の球であり、この外在性の物質しか、光子しか、これまでの科学は見ていないということになるのである。陰陽球の陰陽という気、エーテルを見ていないのである。
 後で、シュタイナーの説くアストラル体(欲望、感情)について、太陰人体論から検討したい。

参考:陰陽球については以下を見られたい。

* 陰陽球=日光=気(陰陽球内部)+光子(陰陽球球面・表面) (08/25)

http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-2002.html

* 陽と日光と電磁波:日光の物質現象界への刻印を電磁波として観測するのだろう (08/21)

http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-2001.html

* 生命エネルギーと生命情報の二元論の解消:太陰=デュナミス的イデアと陽=エネルゲイア的イデア (08/17)

http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1999.html

* 気と光(陽光)と生命体と物質:陽=日光=生命と四元数時空四次元とトーラス (08/13)

http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1998.html


   




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