INNOVATION OF PHILOSOPHY: GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience - 2013/04

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




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2013年04月28日(Sun)▲ページの先頭へ
ホロコスミクスと不連続的陰陽論(不連続的プラトニック陰陽共振論):東洋哲科学的グランド・セオリー
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11519681787.html

ホロコスミクスと不連続的陰陽論(不連続的プラトニック陰陽共振論):東洋哲科学的グランド・セオリー

テーマ:グランド・セオリー:無双陰陽コスミクス 不連続的陰陽論とホロコスミクスはかなり重なる可能性を感じる。

 以下のメビウスの輪であるが、不連続的陰陽論においても、中核を担っている。それは、陰陽共振のことである。これが、メビウスの輪になっているということである。
 また、トーラス像も共通すると言えよう。私は数式に詳しくないので、それについてはほとんど言えないが、フィボナッチ数列が出てくる点も不連続的陰陽論と共通しよう。後者は、黄金比を自然造形に見ているからである。

追記:以下、図4であるが、「空」は、太一(太極)を、「無」は陰主導陰陽共振宇宙=暗黒宇宙=不可視宇宙を、そして、「実」は陽主導陰陽共振宇宙=光の宇宙(生命物資雨宇宙)=可視宇宙を意味するように思える。


全体的宇宙像−ホロコスミクス
『月刊ザ・フナイ』2012年4月号


全体的宇宙像−ホロコスミクス(※1)


藤原 肇(フリーランス・ジャーナリスト/理学博士)

・・・

ホロコスミクスとは


 宇宙のすべてを支配する「直線から曲線への幾何学的な発展の理論化」という壮大な課題を達成するためには、ホロコスミクスの概念をあらわすことのできる「メタ・サイエンス」という用語を使用せざるを得ない(図4)。
 物理学者の使う「宇宙」という概念は意味があまりに限定されている。しかしながら、ホロコスミクスでは「宇宙」というのは、普遍的な宇宙システムのサブシステムでしかないことが明らかになる。
 この概念は超科学的な革命をもたらすはずである。(#5; Chang K & Fujiwara H.; 1994)
 ホロコスミクスの概念では、点は数学的なゼロ次元をあらわしているだけではなく、この特異点の向こう側には広大な「無」が広がっていることを示している。
 さらに、普遍的なシステムの彼岸には「空」が存在する。「無」は道教のカギとなる概念であるし、「空」は仏教哲学の本質である。「現実世界」はこの2つの問に存在している。「無」と「空」の問にある「現実世界」が伝統的な科学の基礎であった。


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【図4】ホロコスミクスをあらわした図。数理発想に基づいて概念化したホロコスミクスは、アインシュタインの相対性理論では排除されていた「超高速領域」を含むので、統一の場を考えるためのアプローチとして有効である。




ミンコフスキーの「世界線」と「幽霊層の場」の排除


 1905年、アインシュタインは特殊相対性理論の論文を発表した。その3年後、ハーマン・ミンコフスキー(リトアニア生まれのユダヤ系ドイツ人数学者。 1864〜1909)は、「世界線」を「零円錐(ゼロえんすい)」のモデルを用いて定義し、アインシュタインの理論をより明快な概念図であらわした。
 しかし、アインシュタインーミンコフスキーモデルは光速を超える領域の存在を無視した。なぜなら、零円錐(ゼロえんすい)は、光速と同速度であるフォトン(光子=こうし)の世界線に限定されていたからだ。ちなみに、光速は30万km/秒である(図5)。


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【図5】過去、現在、未来をあらわす「零円錐(ゼロえんすい)」。

・・・

ホロコスミクスは、「無」と「空」をそれぞれの極線として収縮−拡大運動を行い、フォトンの「世界線」を超えて、「現実世界」と「幽霊層の場」を形成する多次元の概念で構成されている。
 「幽霊層の場」と現実世界は、始まりと終わりがないメビウスの輪(※11)に統合されて考えられるべきである。このメビウスの輪こそ、未発見のものも含めた宇宙すべての「究極の素粒子」を発生させている原理である。


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(尚、上画像はクリックすると拡大する)

ホロコスミクスの場の数式


 アインシュタインの一般相対性理論は、「場の方程式」を基礎にしている。これは演算子「G」が表わす。これをどの計量テンソル(※12)に適用する場合でも、Gを演算子として扱うことができる。
 するとGAx(アイシュタインテンソル)を得ることができる。この「場の方程式」は以下である。
 GAx=Mx.
 何も存在していない真空では方程式は以下になる。
 GAx=0
 重力場を支配する方程式も存在する。これを記述すると、物理学ではもっとも難解な10個の部分的な方程式になる。(#6; Synge, J.L.;1970)
 しかしながら、「幽霊層の場」には「場の方程式」は適用できない。「幽霊層の場」は自然の広大さそのものだからである。
 ここでは、メビウスの輪の不思議と統一性の特異点を見ることができる。「無」と「空」の間に発見できる現実世界は、以下のように表現できるホロコスミクスを構成する。
 【図6】は、ホロコスミクスの無限な発展を説明している。これは宇宙の基本原理にかかわる思想である。この原理こそ、宇宙の謎の法則を支配する原理である。


【図6】ホロコスミクスの無限な発展をあらわす式。

http://fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/article/funai201204.html
宇宙巡礼

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2013年04月27日(Sat)▲ページの先頭へ
陰主導陰陽共振暗黒宇宙は太一に通じている:暗黒太陽ダークサンは宇宙心臓太陽:血・気の心臓太陽
テーマ:不連続的陰陽論:不連続的差異共振理論

宗教の光とは何ぞ哉:太陽とは何か:暗黒太陽ダークサンが太陽神(お天道様、天照大神)である
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11517667656.html

先に以上のように言ったが、結局、陰主導陰陽共振の暗黒宇宙、暗黒太陽であるが、それは、イメージでは暗黒螺旋である。そして、そこにプラトニック・エロースの原形がある。そして、それは、一者である太一(原イデア・大イデア・プロトイデア)に通じている。一であり、二である暗黒螺旋、陰陽共振である。
 トリスタンとイゾルデの神話であるが、その原形もそこにあると思う。暗黒陰陽共振に存すると思うし、チベット密教の図像の意味もそこにあると思う。
 タントラの意味もそこにあると思う。それは、性的であるが、本質は霊的なのである。性霊的という言葉を使用したい。
 これを通常の性交と捉えるのは、まったくの間違いである。言うならば、霊的性交である。肉体的性交は次元が低いものである。それは、動物的次元のものである。
 この暗黒陰陽共振(暗黒螺旋)、暗黒エロースは、気的植物精神的なものだと思う。だから、ダーク・グリーン・エロースとも呼べよう。
 そして、ここにこそ、宇宙・自然の本質があると思う。それは、母権的本質である。父権主義は物質主義的なのである。
 そう、神話から言うと、二つの太陽がある。母権的太陽と父権的太陽である。前者がダークサンであり、後者がライトサンである。血の太陽、ブラッド・サンと物質の太陽、マテリアル・サンである。
 そう、日本人が太陽を赤く染めるのは、血の太陽、ブラッド・サンを直感している(いた)からではないだろうか。血の太陽、そう、心臓の太陽の鼓動を感じている(いた)からではないだろうか。
 そう、ダークサンは正に、宇宙の心臓の太陽であり、人間の心臓と通じていよう。
 正に、マクロコスモス=ミクロコスモスである。血と気の道である。
 そう、血とは何か、という大問題がある。それは、気と当然、通じている。
 私の直感では、血即気であるが、正確には違いがあるだろう。
 暗黒気の物質的現象が血である。気が血となったのだろう。
 すると、免疫力であるが、それは、やはり、気の生命力の有力な一部と考えられる。
 そう、ダーク陰陽共振力の生命分子的現象ではないだろうか。太陽が、自然が、樹木が、森が、海が、免疫力を強化するというのは考えられるし、物質的には、発酵食品がそれを強化しよう。
 飯山一郎氏の唱える乳酸菌免疫力強化であるが、それも暗黒気的血の生命物質的強化に通じると考えられる。
 今は、単に直感的思考に留める。

追記:D.H.ロレンスの文学・哲学(文哲学)であるが、陰主導陰陽共振宇宙の力・源泉を捉えていると考えられる。タントラ的であるが、上述にあるように不連続的プラトニック陰陽論で説くタントラ的なものである。
 というか、私の不連続的プラトニック陰陽理論は、ロレンス文哲学を一つの中心的土台にしているのである。

参照:
トリスタンとイゾルデ - Wikipedia
トリスタンとイゾルデ (楽劇) - Wikipedia

参考:チベット密教に関連して

輪(りん)
http://www.kikou-c.com/kiso/kiso-chibet4.html

チベット密教と気功

タントラライフ - セックスから超意識へ
http://www.tantralife.jp/

タントラ の画像検索結果

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2013年04月25日(Thu)▲ページの先頭へ
宗教の光とは何ぞ哉:太陽とは何か:暗黒太陽ダークサンが太陽神(お天道様、天照大神)である
テーマ:不連続的陰陽論:不連続的差異共振理論

朝早かったので、もう寝ようと思うが、一言述べよう。
 宗教の光とは何か。これまで不連続的陰陽論の視点から見ると、根源は闇である。というか、不可視の世界である。
 そこには、光はない。
 そう、闇から光が生まれると考えられる。
 否、闇の宇宙があり、光の宇宙がある。平行している。
 否、光は闇を内包している。
  
眠くなったので、ここでいったん止める。

追記:D.H.ロレンスは、ダーク・サンdark sunと言った。不可視の太陽、暗黒の太陽である。そして、我々が見ている光とは、その背中に過ぎないと述べている(『てんとう虫』のディオニス卿の言葉)。
 不可視の太陽・暗黒の太陽とは、これまでの考察から、暗黒宇宙に相当するだろう。渦巻暗黒宇宙がダーク・サンに相当するのである。
 そして、可視の宇宙は、陽の同一性=物質化による宇宙である。陽が陰に自己を印刻しているのである。つまり、陰への自己反射としての可視宇宙である。これが、可視の太陽に相当しよう。
 陰を鏡とすると、その反射を見ているのであり、陰自体は見ていないのである。暗黒宇宙、暗黒太陽dark sunは見ていないのである。
 言い換えると、暗黒宇宙・暗黒太陽の表面の光・物質しか見ていないのである。そう、本体が暗黒宇宙・暗黒太陽であるのに、その表層の光・可視宇宙・可視太陽・物質現象しか見ていないのである。
 しかし、この暗黒は実は、光を超えた光ではないのか。黒々とした「光」ではないのか。
 私がかつて言った超越光、超光とは、それに通じるのではないのか。私は光に超越光、超光を感じると言ったが、それは何か。
 人間の知覚には、陰の知覚がある。無意識の知覚である。そこに暗黒宇宙・暗黒太陽があり、その闇の炎が陽の光に洩れているのではないだろうか。
 そう、思えば、若い頃、真夏の海岸でぎらぎら輝く太陽を見上げたとき、暗闇を感じた。それも、暗黒太陽の漏出ではないのか。
 この暗黒太陽こそ、宗教の本当の光ではないだろうか。通常の光ではないはずである。キリストの光も暗黒太陽ということになろう。
 では、太陽とは何かという問いに答えてみよう。
 太陽は、暗黒太陽の陽的反射ではないだろうか。暗黒太陽の光の表面ではないだろうか。
 明るい太陽の本体は暗黒太陽ということになる。
 では、暗黒太陽dark sunを知覚できるのか。あるいは、それをなんらか感じることはできるのか。
 ダーク・サンは生成・生命の根源である。それは、なんらか直感できるのではないだろうか。
 そう、宗教の原始形態である太陽崇拝、太陽神信仰であるが、それは、ダークサン、暗黒太陽崇拝ではないだろうか。キリストはダーク・キリスト、暗黒キリストということになるだろう。天照大神も天照暗黒大神だろう。
 仏陀の光も暗黒太陽の「光」だろう。
 ロレンスはダーク・ゴッド、暗黒神と言ったが、その通りだろう。暗黒が本当の光なのである。
 
光は暗く、
闇は明るい

そのようなことを19才のとき私は言ったが、それは正鵠を射ていたと考えられる。
 以上のように本件を解明した。

参照:
THE LADYBIRD - Project Gutenberg Australia

'This is what I was taught. The true fire is invisible. Flame, and the red fire we see burning, has its back to us. It is running away from us. Does that mean anything to you?'

'Yes.'

'Well then, the yellowness of sunshine--light itself--that is only the glancing aside of the real original fire. You know that is true. There would be no light if there was no refraction, no bits of dust and stuff to turn the dark fire into visibility. You know that's a fact. And that being so, even the sun is dark. It is only his jacket of dust that makes him visible. You know that too. And the true sunbeams coming towards us flow darkly, a moving darkness of the genuine fire. The sun is dark, the sunshine flowing to us is dark. And light is only the inside-turning away of the sun's directness that was coming to us. Does that interest you at all?'

'Yes,' she said dubiously.

'Well, we've got the world inside out. The true living world of fire is dark, throbbing, darker than blood. Our luminous world that we go by is only the reverse of this.'

'Yes, I like that,' she said.

'Well! Now listen. The same with love. This white love that we have is the same. It is only the reverse, the whited sepulchre of the true love. True love is dark, a throbbing together in darkness, like the wild-cat in the night, when the green screen opens and her eyes are on the darkness.'

http://gutenberg.net.au/ebooks02/0200821h.html

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2013年04月23日(Tue)▲ページの先頭へ
作業仮説:陰は内臓情報を、陽は頭脳情報を内在する:陰=他者=肚を肯定して、陽=自我=頭の独裁から脱却する:気的身体理性の形成の最重要性
作業仮説:陰は内臓情報を、陽は頭脳情報を内在する:陰=他者=肚を肯定して、陽=自我=頭の独裁から脱却する:気的身体理性の形成の最重要性

思うに、陰が内臓神経系を、陽が頭脳神経系(脊髄神経系)を形成する「イデア」ではないだろうか。先の考察【二つの宇宙:陽主導陰陽共振宇宙(光・可視界)と陰主導陰陽共振宇宙(闇・不可視界):気←原気→太霊
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11515380980.html】をミクロコスモスに適用すれば、陰主導陰陽共振宇宙(暗黒宇宙・不可視宇宙)が内臓神経系に、陽主導陰陽共振宇宙(光の宇宙・可視宇宙)が頭脳神経系(脊髄神経系)に結びつくことになる。
 思うに、両宇宙それぞれに、イデア情報があると思われる。簡単に言えば、陰イデアであり、陽イデアである。
 (今想起したが、空海の両界曼荼羅であるが、胎蔵界曼荼羅が陰イデア、金剛界曼荼羅が陽イデアに関係していると単純には思うが、少し違うような感じもある。)
 今述べたいのは、情報、イデア知の問題である。それが、生命宇宙の形態を構成する根源知であると考えられるからである
 陰イデアと陽イデアという言い方は、二元論的なので、陰陽イデアと陽陰イデアにした方がいいだろう。陰陽イデアとは、陰主導陰陽共振を、陽陰イデアとは陽主導陰陽共振を意味する。(あまりよい用語ではないが、とりあえずそうする。)
 結局、陰陽イデアは気的有機体を構成し、陽陰イデアは生命物質体を構成するのではないだろうか。
 そして、前者は内臓神経系に関連し、後者は頭脳神経系(脊髄神経系)に関係するということではないだろうか。
 ここで大胆に作業仮説すると、陰主導陰陽共振=陰陽イデア⇒気的有機体⇒内臓神経系のミクロコスモスは、太陽系マクロコスモスに対応するのではないだろうか。
 しかし、問題は微妙である。陰主導陰陽共振は渦巻暗黒宇宙であり、それは、可視宇宙ではないからである。
 だから、徹底して二重に考察する必要があると思われる。つまり、不可視宇宙系と可視宇宙系である。だから、ミクロコスモス=マクロコスモスもそのように二重に見るべきである。
 だから、内臓神経系「宇宙」を考えるとき、それは、あくまで、不可視宇宙の問題であり、頭脳神経系(脊髄神経系)「宇宙」は可視宇宙に関係するということになる。
 しかし、先の検討から、前者の物質体として後者があると言うことであり、前者がエッセンス、後者が現象体と見ることができよう。言い換えると、気的宇宙と生命物質的宇宙の関係である。
 さて、ここで自我を考えると、それは、同一性中心主義であるから、陰陽イデア体である霊魂を阻害すると考えられる。端的に言えば、陽中心主義なので、陰が阻害されるのである。そのために、内臓神経系だけでなく、頭脳神経系も阻害されるということになるのではないだろうか。
 カント哲学で言えば、頭脳神経系は超越論的形式である。これは、悟性=知性の形式であるが、自我によって、陽が陰を否定するようになるので、陰への刻印としての陽の悟性=知性が阻害されると考えられるのである。
 つまり、陽によって陰を否定することは、他者が阻害されるのであり、そのため、陽の「知」は現実離れしたもの、虚妄・妄想・錯誤したものになると考えられるのである。
 結局、科学的精神も、自我をコントロールできない限り、自我に支配されてしまい、悪魔的に利用されてしまうのである。(自我はルドルフ・シュタイナー的に言えば、アーリマンである。)
 とまれ、以上から簡単に、陰陽イデアと陽陰イデアについて触れたに過ぎず、より具体的に検討しなくてはならない。
 最後に一言付け加えれば、現代人類にとって、陰の最重要性を確認する必要がある。陽=自我の支配が悪魔的破壊・狂気をもたらしているからである。陰=他者を積極的に肯定することによって、陰陽共振を、意識的に、賦活させる必要があるのである。そう、わかりやすく言えば、陰は内臓、肚である。肚の主体性が必要なのである。
 しかしながら、正確に言えば、肚を基盤にしつつも、気的身体理性の形成こそが、最重要なのである。それにより太一と共鳴して、宇宙全体と響き渡ることができるのである。コズミック・シンフォニーの誕生である。

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2013年04月21日(Sun)▲ページの先頭へ
PS理論から不連続的陰陽論へ:不連続的陰陽論の世界をいかに概念図化するのか
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11515496821.html


PS理論から不連続的陰陽論へ:不連続的陰陽論の世界をいかに概念図化するのか

テーマ:不連続的差異共振論:不連続的陰陽イデア論

二つの宇宙:陽主導陰陽共振宇宙(光・可視界)と陰主導陰陽共振宇宙(闇・不可視界):気←原気→太霊

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11515380980.html

先に以上のように述べたが、この世界をどのように作図すべきか。
 次の概念図の立体座標を参考にしよう。

<無双PS原理三次元世界:Ver4.1>
                

               虚軸y軸:陽・凸i・時間形式・自己
                                /
         超越軸z軸:太極・霊界       /
               |           /
               |         /
               |       /
U:物質認識       |     /    T:頭
               |   /
               | /
−1__←重力波_MP・胸_電磁波⇒_+1実軸x軸
地・自我       /  |            天・個
           /     |
V:肚     /      |    W:精神認識(魂認識)
      /         |
    /           |
陰・凹i・空間形式     |
・他者           |

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11324260617.html


今の図とだいぶ違うが、三次元に注目したい。
 z軸とy軸の平面に陰陽円(陰陽共立)がある。そして、太一は、z軸の原点(MP)ではないだろうか。それとも、z軸の方向なのか。
 次に、螺旋的生命物質現象であるが、それは、思うに、四元(しげん)数的に発現するとみる。とまれ、x軸のプラスが樹木的垂直方向である。これはこれまでの考え通りである。これは、先の以上の考察では、陽主導による陰陽共振である。
 問題は、陰主導による暗黒渦巻(宇宙)の位置である。これをどう布置するのか。
 x軸のプラスの方向が螺旋的生命物質体の方向ならば、x軸のマイナスの方向はダークマターの方向と思われる。
 とまれ、x軸は物質、マターの方位である。しかるに、陰主導の暗黒渦巻は物質ではないのである。
 どうも作図が難しい。今のままでは、陰陽円と暗黒渦巻が重なってしまうようになるのである。
 思うに、ひょっとしたら、陰陽円と暗黒渦巻は一致してもいいのかもしれない。
 考えてみると、陰陽共立はまだ、円を形成していないのではないだろうか。陰主導の陰陽共振が陰陽円を形成するというのは考えられるし、それが、暗黒渦巻というのも考えられるのである。
 そう、そこで想起するのは、『老子』である。そこでは、玄牝(げんひん)が根源に存するのである。黒い雌であるが、それは、陰主導陰陽共振=陰陽円=暗黒渦巻に適合する表現ではないだろうか。
 そのように作業仮説すると、陰主導陰陽共振はz軸とy軸における陰陽円に存するということになった。
 『スライブ』におけるトーラス像で言えば、やはり、真ん中の渦巻の存する円が陰陽円であり、渦巻は正に、暗黒渦巻と考えられる。
 しかしながら、陰陽円は同時に陰陽メビウスでもあろう。
 とまれ、以上から不連続的陰陽論の世界図は明快になったと言えよう。

resurrectionのブログ: JaponAsia GreatE AwaKleaning!

 

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参考:
Tue, October 30, 2012
拡大ガウス平面路線VS四元数路線:時空軸一次元+空間二次元VS時空軸一次元+空間三次元
テーマ:不連続的差異共振論:不連続的陰陽イデア論 無双PS原理を再度ガウス平面から構築する:時空軸と平面二次元の構成する現象時空三次元体:超ガウス
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11392233889.html

また、揺り戻しで、四元数路線の方がいいように思える。ただし、実軸は、時空軸=天地軸である。
 そして、弦巻植物は、それを中軸にして、螺旋的空間三次元を形成するということになる。

追記:樹木の場合(例えば、ケヤキ)、時空軸=天地軸に幹が来て、螺旋的空間三次元に枝葉が来るのではないだろうか。
 つまり、樹木は時空一次元と空間三次元の「時空・空間」四次元体となる。

追記2:時空一次元+空間三次元という時空/空間四次元体という概念は、拡大ガウス平面路線と四元数路線の合体・結合と言えるだろう。拡大ガウス平面-四元数的無双PS原理ということになる。


追記3:そうすると、まったく虚数が拡大ガウス平面と四元数で支離滅裂になる。これではまったく誤謬である。
 やはり、霊数凸(陽)と凹(陰)が必要になるだろう、とりあえず。

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<無双PS原理:Ver6.3.0>

         陰陽(円)

          陽(凸):自己
          |
          |
          |
          |
          |
          ★
_______・_______実軸(時空軸)+1
          ☆
          |
          |
          |
          |
          |
         陰(凹):他者

【但し、・は太極点(内在的超越点、MP: Media Point)、★は陽における陰点、☆は陰における陽点である。
 そして、陰陽(円)は軸ではなく、多次元、無限次元、無次元であり、陽=自己と陰=他者で意識、精神、魂を形成し、生命気螺旋とは区別される。
 尚、太極点から発出する生命気螺旋における三つの虚軸(空間三次元)は記入していない。】
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11392346422.html

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二つの宇宙:陽主導陰陽共振宇宙(光・可視界)と陰主導陰陽共振宇宙(闇・不可視界):気←原気→太霊
二つの宇宙:陽主導陰陽共振宇宙(光・可視界)と陰主導陰陽共振宇宙(闇・不可視界):気←原気→太霊

テーマ:不連続的差異共振論:不連続的陰陽イデア論

陽主導の物質形成と陰陽共振:物質宇宙と暗黒宇宙:光と気と闇
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11515239556.html

先に以上の、理論的にしどろもどろの試行錯誤を行なったが、少し冷静に考え直した。
 問題は生命物質体の形成力学の的確な認識である。
 これまで、生命物質形成は陽の同一性力学に拠ると述べてきたのである。そして、その力学は陰も同一性化して、マイナス(負)にするのである。つまり、陽の同一性化はプラス(正)であり、同一性力学は、陰陽をプラスとマイナス(正負)の極性に転換すると述べてきたのである。
 この仮説に基づいて議論しなくてはならないのであり、そうでないと、秩序立った、首尾一貫した、整合的な理論考察はできなくなるのである。
 では、それに従えば、陽主導で生命物質現象が形成されるのであり、その内部には、陰陽共振が内包されていると考えられる。
 問題は、内包される陰陽共振作用である。これをこれまで、気的螺旋と見てきたのである。
 先の議論と関係させると、この陰陽共振と陰主導の共振との関係はどういうものかということが問題である。
 これまでの直観的前提では、陰陽共振とは、陽主導でも、陰主導でもない、陰陽均衡・平衡の作用である。陰が陽に差し込み、同時に、陽が陰に差し込み、相互的に両者差し込み、差し込まれる相互作用・相互形成があり、それが、気的螺旋体と考えるのである。
 この気的螺旋体に陽主導の同一性力学が作用して、生命物質現象が生起すると考えるのである。
 では、気的螺旋体に陰主導の力学が作用したらどうなるのだろうか。ここが問題の核である。(マルクスの常套句に倣えば、「ここがロドスだ、ここで跳べ」である。)
 ここらへんの問題に関しては、確かに、私のイメージの混乱、あいまいさ、錯綜がある。
 思うに、螺旋的生命物質体とは、そもそも陽主導の陰陽共振力学によって形成されるのではないのか。
 陰陽均衡ならば、生命物質体の形成へ発動・始動しないのではないだろうか。つまり、陰陽イデアのままではないだろうか。言い換えると、陰陽共立、差異共立のままではないだろうか。アリストテレス哲学では、デュナミスに相当しよう。
 陰陽均衡が破れることによって、動きが生起して、生命物質体への形成が為されるということではないか。
 そう考えると、陰陽均衡による陰陽共振はあり得ないことになる。それは、陰陽共立のみ、静的な陰陽共立のみが存するということになる。
 そのように作業仮説してさらに考察を進めよう。
 ということで、陽主導で螺旋的生命物質体が形成される。つまり、螺旋的生命物質現象が生まれる、「創造」されるということである。(記紀神話の天之御中主神と高皇産霊神と神産霊神の三者による造化を想起する。最初が太一であり、後の二者が陰陽であろう。)
 では、陽主導とは正反対の陰主導の場合ーこれが一番の問題であるがーどうなるのか。
 当然、考えられるのは、これは、生命物質体、螺旋的生命物質現象を形成しないということである。
 考察を展開する前に、確認しておかなくてはならないのは、陽主導に拠る螺旋的生命物質現象であるが、そこにおいて、気はどう作用しているのかということである。
 思うに、やはり、内部というか軸、核、コアに気的螺旋のようなものが存していると思う。それは、陰陽均衡・陰陽共立の延長であるように思えるのである。
 ここで、映画『スライブ』のトーラス、アップルの形を想起するといいのである。以下の上部半分の真ん中に軸に沿って螺旋が形成されているが、この軸と螺旋が、今述べた陰陽均衡・陰陽共立の延長のように思えるのである。しかしながら、ここには、時間が作用しているのだろう。軸ないし螺旋となるには、時間が作用していると思う。時間については別に検討したい。

o0680038311952983128.jpg


(THRIVE Japanese) スライブ―いったい何が必要になるのか - YouTube

 さて、検討を進めよう。
 本考察の核心の問題、陰主導の力学は何をもたらすのかを検討しよう。
 以上の考察から、当然、陰陽均衡・陰陽共立をそれも引き継ぐのは確かと考えられる。言い換えると、原螺旋力学をもつということである。それは、渦動力学と言えるのではないだろうか。螺旋の根源としての渦動・渦流・渦巻・渦である。(それは、上画像のトーラスの真ん中の渦巻で描かれているように思われる。)
 今考えようとしていたが、イメージが湧かないので、昨日の森の直観ヴィジョン的思索を借りれば、陰主導の陰陽共振宇宙は、暗黒渦巻宇宙である。螺旋より渦巻である。
 そう、陽の主導性がまったくないので、同一性が成立しないのであり、物質形成が為されないのである。これは、陰陽共立よりも、その意味で徹底している。陰陽共立の場合は、まだ、陽の主体性があるので、原物質性があるだろう。
 しかるに、陰主導になると、まったく陽の主体性がなく、原物質性もなくなるのである。つまり、前物質性がそこにはあると思われる。
 陰陽共立が気であるなら、陰主導のもたらすものは、気ではないだろう。
 精緻に考察しよう。陰陽共立の力は、気というよりは、原気である。陽主導によって、気へと展開するということではないかと思う。
 では、陰主導の場合、この原気が何かに転換するということになるだろう。何になるのか。
 直観では、太一の「気」である。ならば、太気、太一気、太極気である。あるいは、超気である。
 気という言葉を使用すると、陽主導の場合と混同するので、ここで霊という言葉を使用する。
 すると、陰主導によって、原気は太霊、太一霊になるのではないだろうか。
 つまり、正に、太一・太極(造語して、祖一、祖極、原一、原極)と一体となるのではないだろうか。
 そのように考えて、整理すると、陽主導によって、原気が気となり、螺旋的生命物質現象が形成される。
 それに対して、陰主導によって原気が太霊となり、暗黒渦巻が形成される。
 では、この太霊であるが、それは、太一と一致するので、それは、キリスト教的に言えば、聖霊となるのではないだろうか。また、プラトン哲学で言えば、天上的エロースとなるだろう。
 ここで、キリスト教三位一体の用語に即して言うと、

父(ヤハウェ)=陽・・・「風」、「空」

子(キリスト)=陰・・・「海」

聖霊=太霊

となるのではないだろうか。
 しかし、ここには、気ないし原気はない。
 とは言え、気は父から生まれるだろう。そして、原気に当たるものは、ないようだ。
 思うに、キリストから流れる「水」とは、聖霊=太霊ではないだろうか。
 そう、それで想起するのは、宝瓶宮(水瓶座)の水である。それは、「海」の水ではなく、聖霊=太霊ではないだろうか。調和というより、和解、和共、和融、和合、等を意味しよう。
 これで、ひとまず本問題の解明をここで終える。




陽主導の物質形成と陰陽共振:物質宇宙と暗黒宇宙:光と気と闇

テーマ:不連続的差異共振論:不連続的陰陽イデア論

今日も森で考えた。約二時間半いた。
 今は簡単に触れる。考えたのは、陽主導によって物質が形成されるということであり、陰陽共振は気的螺旋を形成するということである。
 しかしながら、陰主導の場合はどうなるのかは考えなかった。
 そこで整理すると、

1)陽主導の場合
2)陰陽均衡共振の場合
3)陰主導の場合

が考えられる。

 1は物質形成を意味すると思う(今の段階)。
 2は気的生命体ではないだろうか。
 3は不明である。

森の中での直観を思い出すと、陽主導で物質形成があり、陰主導で不可視の気的生命体(気の身体)が形成されるというものだったと思う。
 
 ところで、今、思ったのであるが、陰陽共振体がある。その陽の面が物質で、陰の面が太一に通じるのではないだろうか。
 つまり、陰陽共振体が生命体、つまり、物質的生命体である。物質体は陽の力が形成するのではないか。
 陰が主導すると、真に共振して、気的螺旋になるのではないのか。
 
 どうも混乱している。今日は疲れているので、ここでやめる。元気なときに再考したい。

追記:どうもすっきりしないので、森の思考を辿る。
 思ったのは、どうして、陰に太一というかコスモス(宇宙)が感じられるのか、ということである。これは、以前、何度も考えたことであるが、再考である。
 結局、陽中心だと物質現象が支配的であり、それは、コスモスにはならないのである。個物の世界に過ぎないのである。
 陰は、陽の物質性から抜け出ているので、気的身体理性に差す太一を感じるのではないだろうか。その一(いつ)性がコスモス(宇宙)を感じさせるということではないのか。
 身体理性の場合は陽極、陽の側面があるので、完全にはコスモスを感じないと思うのである。
 はっきりとすべきは、陰に感じるコスモスとは、陽主導による物質的宇宙とは異なるということである。二つの宇宙があるということである。現象宇宙(可視宇宙)と暗黒宇宙(不可視宇宙)である。(思えば、かつて、私は両者を一致させていた。陰に感じるコスモスは可視の宇宙と一体であると感じていた。)
 この二つの宇宙であるが、物質宇宙・可視宇宙は、陽主導に拠るもので、暗黒宇宙・不可視宇宙は陰主導に拠るものではないだろうか。
 問題は陰陽均衡の場合はどうなのかということである。
 ひょっとして、均衡の場合は動かなくなるのではないだろうか。静止するのではないだろうか。これはおいておく。
 とまれ、二つの宇宙であるが、両者は平行していると思われる。気の宇宙と言ったら、当然、暗黒宇宙・不可視宇宙であろう。
 以上が、今日の森における思考を想起したものであるが、それは、これまでの陰陽共振としての生命体の概念とは異なると言えよう。
 どうも次のように整理できるかもしれない。
 これまで述べてきた陰陽共振としての物質生命体であるが、そこにおいて、陽主導的側面が物質体であり、生命体とは、陰陽共振的螺旋に存する。
 しかし、以上で述べた陰主導による暗黒宇宙・不可視宇宙であるが、それは、物質的生命体とは異なるのである。
 D.H.ロレンスが『死んだ男(逃げた雄鶏)』で述べた、「宇宙の暗い薔薇」のように思えるのである。
 今日、宇宙論で問題になっているダークマターはここに関係しているのではないのか。
 とまれ、そうすると、気と暗黒宇宙・不可視宇宙との関係はどうなるのだろうか。
 陰主導では、ダークエネルギーが生まれるということなのだろうか。
 そうすると、物質エネルギー(光)と気とダークエネルギーの三種類のエネルギーがあることになる。
 複雑怪奇になってきているので、とりあえず、ここで留める。

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2013年04月20日(Sat)▲ページの先頭へ
身体理性(気的身体理性)と植物生命イデア:陰陽界面と大イデア:太一⇔身体理性⇔陰陽分極
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11514701550.html

テーマ:不連続的差異共振論:不連続的陰陽イデア論

今は余裕がないので、ポイントだけ記す。
 以下のように、陰と陽を結ぶ身体理性(気的身体理性)を先に考えた。これは第3のものである。
 では、これと大イデア=植物生命イデアはどう関係しているのか。
 当然、繋がっているものである。つまり、端的に、身体理性=大イデア(太一イデア)ということになる。
 しかし、果たしてそうか。
 身体理性は陰と陽を繋いでいる。つまり、陰極と陽極をもつ理性である。思うに、これは、太一(太極)ではないのか。太一が分極化して、陰陽となる。その様態が身体理性にあるのではないだろうか。
 問題は一(いつ)と陰陽分極・二との有り様である。
 結局、身体理性は、一(いつ)でありつつ、二なのである。この「矛盾」をどう説明するのか。
 思うに、一は超越次元にあり、二は心的現象次元にあり、その中間に次元変換点があるということではないだろうか。次元変換点であるが、それは、これまでの記述では、MP(メディア・ポイント)に当たるだろう。
 直観では、トンネルのようなものである。上部では、一であるが、下部では二なのである。
 そう、即非様態と見るといいのだろう。一であり、且つ、二であるという様態である。
 問題は、一と二が接しているのか、否かである。
 思うに、接していない。超越的一が、次元下降的に、二となるのであるが、一と二は一つなのである。
 やはり、内在的超越性という概念が適切なようである。
 そして、即非である。一であり、同時に、二である。しかし、一と二は、当然、異なるものであり、一致しない、接しない。
 しかし、身体理性とは、いわば、一(太一・太極)と二(分極・陰陽)を繋げている媒介点、そう、メディアと考えられる。つまり、

一(太一・太極)⇔身体理性メディア⇔二(陰陽分極)

という図式が考えられるのである。
 一と二が一種の三つ巴を形成し、その交点として、(気的)身体理性メディアが考えられるということである。
 直観では、(気的)身体理性メディアには、捩れが考えられる。それが、陰陽様態を意味するのではないだろうか。
 一の捩れとしての二である。
 そして、この捩れの力学が生命力学であるということになるのではないだろうか。
 とまれ、以上から四元論が形成されたことになる。
 とまれ、気的身体理性とは、一と二をつなぐ接点・メディアであり、それは言い換えると、一と多をつなぐ接点・メディアということになる。言い換えると、一神教と多神教をつなぐ接点・メディアということになる。
 そうすると、以前、考えたように、xyの直交座標に、垂直に交わるz軸を入れて立体座標が考えられる。
 z軸が太一イデアであり、y軸が陰陽軸であり、x軸が物質現象軸である。
 以前、作図した以下のような三次元を考えるといいのである。


<無双PS原理三次元世界:Ver4.1>
                

               虚軸y軸:陽・凸i・時間形式・自己
                                /
         超越軸z軸:太極・霊界       /
               |           /
               |         /
               |       /
U:物質認識       |     /    T:頭
               |   /
               | /
−1__←重力波_MP・胸_電磁波⇒_+1実軸x軸
地・自我       /  |            天・個
           /     |
V:肚     /      |    W:精神認識(魂認識)
      /         |
    /           |
陰・凹i・空間形式     |
・他者           |

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11324260617.html

参照:

無双PS原理ガウス平面 ( 10 )

http://ameblo.jp/neomanichaeism/theme-10057545046.html

追記:太一⇔気的身体理性メディア⇔陰陽分極を以下のような構造として見るといい。


           太一
           |
           |
           |
           |
      気的身体理性メディア
          /\
        /    \
      /        \
  陰極(他者)     陽極(自我)

今はここで留める。
 

1.
陰=魂(肚)と陽=自我(頭)をつなぐ身体意識(理性):無双陰陽原 ...
d.hatena.ne.jp/antares/20130218 - キャッシュ
2013年2月18日 ... 陰=魂(肚)と陽=自我(頭)をつなぐ身体意識(理性):無双陰陽原理は陰陽身体三元
論へ進化する. テーマ:無双陰陽 ... 先に、食事哲学について触れた(世界の謎:食事
哲学:地球生活の謎:身体と意識:ポスト唯物論としての逆ルネサンス ...
http://d.hatena.ne.jp/antares/20130218

2.
陰陽を正負・NSに変換する中間力学:次元変換子:陰陽の現象化とし ...
d.hatena.ne.jp/antares/20130222 - キャッシュ
2013年2月22日 ... 陰と陽の衝突・激突、20年過ぎて、ようやく、解決に至ったと思う。(参照:陰=魂(肚)と
陽=自我(頭)をつなぐ身体意識(理性):無双陰陽原理は陰陽身体三元論へ進化する (
02/18) http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1925.html) ...
http://d.hatena.ne.jp/antares/20130222

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2013年04月17日(Wed)▲ページの先頭へ
現代日本人は唯物主義者ではなく、唯物教信者である:森は気(「神」)に満ちる:気のサイエンス誕生
テーマ:ForestPhiloSophia森哲学

気と電磁波を混同・同一視する人がいるが、それはとんでもない間違いだと思う。
 私は長い間かけて、気を「合理」的に検討してきて、ようやく、気のサイエンスを立てられるようになった。物質のサイエンスを超える気のサイエンスである。これは、イデア・サイエンスとも言える。
 今は簡単な指摘に留める。

参考:

* 森には、樹木には、気、生命イデア・エロース・エネルギーが宿るだろう (04/16)

http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1949.html

* 理論名称:不連続的差異共振論(不連続的陰陽イデア論)の方がいい:PS理論の呼称の問題点 (04/16)

http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1948.html

* 不連続的陰陽イデア論:陰イデア∞陽イデアのメビウスの輪と太一イデア (04/14)

http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1947.html

* 理論名称:不連続的陰陽論:不連続的差異共振理論よりも明快である (04/14)

http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1946.html

参照:

無限の宇宙と響き合って生きるか、有限の「地球」に囚われて生きるか?

http://www.k2o.co.jp/blog2/2013/04/post-872.php
新井信介 「京の風」

鎮守の森 - Wikipedia
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内 、 検索
土佐神社 (高知県 高知市 )の例
長尾神社(神奈川県 川崎市 多摩区 長尾)の例
足寄神社(北海道 足寄郡 足寄町 )の例
山全体が鎮守の森になっている例(柏原八幡神社 <兵庫県 丹波市 >)

鎮守の森(ちんじゅのもり)とは、日本において、神社 に付随して参道 や拝所を囲むように設定・維持されている森林 である。鎮守の杜とも。

古神道 における神奈備 (かむなび・かんなび)という神が鎮座する森のことで神代 ・上代(かみしろ)ともいう。
その意味 [編集 ]

鎮守の森というのは、かつては神社 を囲むようにして必ず存在した森林 のことで、杜の字をあてることも多い。「神社」と書いて「もり」と読ませている例もあり古神道 から神社神道 が派生したことがうかがえる[1] 。また、「社叢」(しゃそう)と称されることも多い。

神社を遠景から見ると、たいていはこんもりとした森があり、その一端に鳥居 がある。鳥居から森林の内部に向けて参道 があり、その行き当たりに境内 や本殿 があり、その背後には森林の中央部が位置するようになっていて、森の深い方に向かって礼拝をする形になっている。このことからも「社 (やしろ)」が先に在ったのではなく、信仰された森に社が建てられたことが良くわかる。また海岸 近くに魚つき林 という、古くから保護された森林がある場合、そこに神社が設けられている例が多い。

現在の、神社神道(じんじゃしんとう)の神体 (しんたい)は本殿や拝殿 などの、注連縄 の張られた「社 」(やしろ)であり、それを囲むものが鎮守の森であると理解されているが、本来の神道 の源流である古神道(こしんとう)には、神籬 (ひもろぎ)・磐座 (いわくら)信仰 があり、森林や森林に覆われた土地、山岳(霊峰富士 など)・巨石や海 や河川 (岩礁 や滝 など特徴的な場所)など自然 そのものが信仰の対象になっている。

神社神道の神社 も、もともとはこのような神域 (しんいき)や、常世 (とこよ)と現世 (うつしよ)の端境と考えられた、神籬や磐座のある場所に建立 されたものがほとんどで、境内に神体としての神木 や霊石なども見ることができる。そして古神道そのままに、奈良県 の三輪山 を信仰する大神神社 のように山そのものが御神体 、神霊 の依り代 とされる神社は今日でも各地に見られ、なかには本殿や拝殿さえ存在しない神社もあり、森林やその丘 を神体としているものなどがあり、日本の自然崇拝 ・精霊崇拝 でもある古神道を今に伝えている[2] 。

宮脇昭 によれば、「鎮守の森」は国際植生学会では学術用語として用いられるという[3] [4] 。

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2013年04月16日(Tue)▲ページの先頭へ
森には、樹木には、気、生命イデア・エロース・エネルギーが宿るだろう
テーマ:Forest PhiloSophia森哲学

古代人が森(「杜」:鎮守の杜)や巨木を神聖していたのは、そこに、気=生命エネルギーが流れていることを直観・直感したからではないだろうか。
 父権的物質文明は、そのような生命の森を破壊することから勃興したのであり、現代文明は当然その末裔である。
 人々は森、樹木に「神聖さ」=気=生命エネルギーを感じなくなっているのだ。
 しかし、日本人の血には、森・樹木の気エネルギーを感受する精神がある。唯物科学的精神を超克して、陰陽イデア・生命エネルギーを肯定する必要がある。
 後で、精緻に気エネルギーについて述べたい。

参照:
無限の宇宙と響き合って生きるか、有限の「地球」に囚われて生きるか?

http://www.k2o.co.jp/blog2/2013/04/post-872.php
新井信介 「京の風」

鎮守の森 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/鎮守の森 - キャッシュ - 類似ページ
鎮守の森(ちんじゅのもり)とは、日本において、神社に付随して参道や拝所を囲むように
設定・維持されている森林である。鎮守の杜とも。 古神道における神奈備(かむなび・
かんなび)という神が鎮座する森のことで神代・上代(かみしろ)ともいう。

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理論名称:不連続的差異共振論(不連続的陰陽イデア論)の方がいい:PS理論の呼称の問題点
理論名称は不連続的差異共振論の方がすっきり、カッコいいだろう。

追記:かつて使用したPS理論(Platonic Synergy Theory)であるが、確かに優れた命名・名称であると思うが、私がひっかかるのは、シナジーである。これだと量的な結合を私は感じるのである。もっとも、プラトニックということで、イデア次元を提起していて、その点では、イデア的結合という意味にはとれるのは確かである。
 しかし、差異共振、陰陽共振は、単にシナジーではないと考えられる。何故なら、そこには、次元転換が生起していると考えられるからである。
 正確に言えば、差異共振、陰陽イデア共振は、物質を形成すると同時に、その「内部」に、いわば、潜在的にそれ自身を存在させていると考えられるのである。
 言い換えると、物質的外装があり、内部は差異共振・陰陽イデア共振=気エネルギーである。
 シナジーと呼べるのは、物質的側面であり、内部の差異共振・陰陽イデア共振・気エネルギーはシナジーとは言えないのではないだろうか。
 しかし、螺旋形状を形成するという点では、シナジーとは言えよう。
 ならば、私のこだわりは偏見ということになる。
 故に、結局、PS理論の名称のいちばんの問題は、もっとも重要である不連続性の概念が示唆されていないことである。

追記2:PS理論という名称を避けるのは、それが哲学より数学を主導させた理論であること、そして、それは、認識理論より、物質原理理論であることに拠ることが一つの要因である。
 また、上記の追記と関係するが、やはり、陰陽イデア次元と陰陽イデア共振物質形成次元は異なると考えられる。
 有り体に言えば、前者はイデア界=超越界に存している。しかるに、後者は現象界に属している。もっとも、後者には陰陽イデア共振=気的螺旋(気的エネルギー)が内包されていると考えられるのである。
 ここの辺の問題は微妙である。
 陰陽イデア次元とは、陰陽円、超越円であり、それがMPにおいて、物質化するのである。
 問題は、陰陽イデア共振とは何かである。陰陽円=超越円において、陰陽イデア共振はあるのである。しかし、正確に言うと、それは、陰陽イデア共立(あるいは、陰陽イデア極性共立)である。ここには、物質はまだ形成されていないのである。
 物質が形成されるには、先に述べたように、陽イデアの極大化が必要なのである。そのときに、陰陽イデア共立は言うならば、陰陽イデア共振となるのである。陽イデアの極大化、即ち、陽大化によって、連続同一性力学が作用して、陰陽イデア共立は共振化して、正負対・相補物質化されるのである。
 このような次元転換という点でもPS理論というシナジー(結合)を用いる名称は語弊があると考えられるのである。

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2013年04月14日(Sun)▲ページの先頭へ
不連続的陰陽イデア論:陰イデア∞陽イデアのメビウスの輪と太一イデア
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11511333265.html

不連続的陰陽イデア論:陰イデア∞陽イデアのメビウスの輪と太一イデア

テーマ:不連続的陰陽イデア論:不連続的差異共振論

森で考えた。
 陰陽様態はメビウスの輪のイメージで考えるといい。そして、その中心を垂直に、つまり、それに直交するのが、太一軸である。
 次に、陰と陽をイデアと考えると明快になると思う。即ち、陰イデアと陽イデアであり、また、陰陽様態は陰陽イデアであり、それは、超物質と考えられる。
 気は陰陽イデア・エネルギーであると考えられる。
そして、知性であるが、それは、陽イデアであり、感性は陰イデアである。陽イデアは霊、陰イデアは魂ということでもあると思われる。
 そして、陰イデア、陽イデア、陰陽イデアを統括しているのが、太一イデア、原イデア、大イデアである。
 そして、陰陽イデアにおいて、陽イデアの連続同一性作用によって、物質化が為されると考えられる。
 陽イデアの連続同一性作用は同時に、陰イデアの連続同一性作用であり、両者、プラスとマイナスの対構造を作ると考えられる。これが、DNAの二重らせんの基本になっているのではないだろうか。もっとも、それ以前に原子構造の基本であろう。この点は後で検討したい。
 人間の精神は上記したところから、陰陽イデア体であると言えよう。それは、当然、不死不滅、永遠存在である。
 物質的生と死を繰り返し、因果応報により、進化していくのだろう。(俗に、輪廻転生であるが、陰陽イデア体の発展プロセスと見るといいだろう。)
 結局、陰陽をイデアと見るのが、キーポイントなのである。これによって、様々な問題が解明されよう。
 陰陽イデアである人間精神(人間身心)は、その思考から、身体や物質を形成するのがわかるだろう。精神は物質を形成するのである。
 ただし、病気に関しては、陰陽イデアの欠陥と同時に物質的身体の故障を考えなくてはならない。
 結局、物質とは、不連続的陰陽イデアの連続体なのである。連続体は生成消滅するが、不連続的陰陽イデアは不滅なのである。

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)/講談社
¥777
Amazon.co.jp

『生物と無生物のあいだ』(福岡伸一著)の説く「生命とは動的平衡にある流れ」というテーゼであるが、動的平衡とは、不連続的陰陽極性のもたらすものであり、当然、陰陽はエネルギーを生成するので、流れがあるのである。

追記:陽イデアは光であり、陰イデアは闇である。光と闇は二つの「光」(参考:twilight)と考えられる。
 問題は、陽イデアが主導化したとき、連続同一性化=物質化が生起し、プラスとマイナスの対・相補構造が形成されるが、陰イデアが主導したとき、何が起るのか。これは、課題としておく。
 とまれ、明快に区別するため、陽イデア=光を陽光、陰イデア=闇を陰光と呼ぼう。
 ならば、太一には「光」はないのか。私が以前、超光と呼んだものがそうではないのか。超越光とも呼んだ。そうしておこう。

追記2:陽光、陰光ではなく、明光と暗光の方がいいのでは。(追記:可視光と不可視光)

resurrectionのブログ: JaponAsia GreatE AwaKleaning!

http://blogs.yahoo.co.jp/bouchan_chika/14767392.html

メビウスの帯 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/メビウスの帯 - キャッシュ - 類似ページ
メビウスの帯. メビウスの帯(メビウスのおび、Möbius strip, Möbius band)、または
メビウスの輪(メビウスのわ、Möbius loop)は、帯状の長方形の片方の端を180°ひねり
、他方の端に貼り合わせた形状の図形(曲面)である。メービウスの帯ともいう。 数学的
に ...




グリーン・イデア・エロース:キリスト愛とプラトン・エロースの一致

テーマ:フォレスト・フィロソフィア:森の哲学

先に、キリスト愛とプラトン・エロースを比較したが、そこでは、両者区別があった。しかしながら、あらためて考えたら、両者一致する考えられたのである。
 簡単に言うと、キリスト愛は、自我欲の解体、連続的同一性自我欲の解体をもたらすのである。即ち、他者肯定によって、新たな陰陽イデア体を発動させるのである。つまり、連続的同一性中心主義によって隠れていた、抑圧排除されていた陰陽イデア体が発動するのである。
 それは、根本の太一エロースを帯びるのである。だから、キリスト愛とプラトン・エロース(イデア・エロース)は一致するのである。
 太一=大イデアは植物的生命イデアと考えられるので、それは、キリスト愛=プラトン・エロースをグリーン・イデア・エロースとも呼べよう。
 今はここで留める。





蛇は螺旋、永遠の生命の象徴だろう:母権文明の精神

テーマ:フォレスト・フィロソフィア:森の哲学

後で少し説明したい。

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理論名称:不連続的陰陽論:不連続的差異共振理論よりも明快である
理論名称:不連続的陰陽論:不連続的差異共振理論よりも明快である

テーマ:不連続的陰陽論:不連続的差異共振理論

理論名をプラトニック不連続的差異共振理論と長い名称にしたが、これは端的に長過ぎるし、ピンと来ない。理論名称を不連続的陰陽論にした方が、すっきりとするだろう。
 ここで、物質原理を言えば、それは、連続的同一性原理である。陰陽共振の外側に連続的同一性原理による物質が形成されるのである。
 内部には、陰陽共振(気)があり、外部には物質があるのである。これは、生命物質体である。
 人間の場合、連続的同一性原理が一般生物よりも強化されているのであり、連続的同一性中心主義になっていると考えられる。
 この縛りを、不連続化が解除するのである。そして、脱連続化によって、主観は、いわば、カオスの他者に遭遇するのである。
 しかし、それは、コスモス的カオスである。つまり、陽が陰に出会っているのであり、陰陽共振が生起しているのである。
 これは、太一への志向性である。カオスモスという言い方は適切かもしれない。
 問題は、陰は動物的陰と植物的陰があると思われる。これは、欲望でもある。動物的欲望と植物的「欲望」が生起すると思われる。
 そう、動物的欲望がプラトンの説く万民向けのエロースで、植物的「欲望」が天上的エロースに当たるように思える。
 思うに、前者は陰陽共振をもたらさない。陰陽破壊である。それに対して、後者は陰陽共振をもたらすと思う。太一への方向である。
 このカオスモスであるが、動物的欲望を昇華する方法があるのだろうか。
 今の考えでは、それは、健康的視点である。何故なら、動物的欲望は健康を破壊するものだからである。それは、陰でありながら、陰自体を破壊するのである。
 だから、動物的欲望を避けて、植物的「欲望」の肯定によって、陰の肯定がもたらされ、陰陽共振が成就すると考えられる。
 思うに、動物的欲望は男性に傾斜していて、植物的「欲望」は女性に傾斜しているように思われるのである。
 とまれ、植物的「欲望」の肯定によって、陰陽共振(気)がもたらされ、それは、また、美・愛(エロース)である。
 そう、太一(太極)とは、生命イデアである。それも植物的生命イデアである。動物的生命ではないだろう。
 初めに、植物的生命イデアありき、となる。
 ここで、キリストの愛を考えると、それは、植物的「欲望」、エロースと同じなのだろうか。
 確かに、キリスト愛も植物的「欲望」に通ずるだろう。しかし、何か、エロースと呼べないものがあるようだ。これは措いておこう。
 とまれ、植物的「欲望」の観点(感点)から、太一=植物的生命イデアへの志向が生まれるように思われる。
 それは、美的であり、また、性的である。しかし、美的性愛的である。
 そう、美と愛と性が融合したものである。
 問題は異性愛である。やはり、植物的異性愛と動物的異性愛があるのではないだろうか。
 私が唱えるセクシー・スピリチュアリズムとは、前者と考えられる。イデア的なエロースである。
 
追記:キリスト愛であるが、やはり、それは、精神主義的愛であり、エロース的ではないと思う。いわば、カント的な格率、当為になっていると思われるのである。汝為すべしである。
 しかしである。その精神主義的愛の源泉は、精神的エロースではないのか。つまり、初めに、イデア的エロースありきではないだろうか。女性的植物的エロースである。
 ならば、植物的エロースが精神主義的愛になったのがキリスト愛と言えよう。
 そうすると、キリスト愛とは、精神主義的愛と植物的エロースの中間に位置するように思える。
 しかし、前者が優位である。
 だから、聖霊の時代とは、精神とエロースとの均衡の時代、精神とエロースの真のバランスの時代ではないだろうか。
 私がいう気的身体理性の時代ではないだろうか。
 精神とエロースの両極をもつ植物的エロース精神である。
 



Sat, April 13, 2013
生命原理とは何か:動的平衡論と不連続的陰陽論

テーマ:不連続的陰陽論:不連続的差異共振理論

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)/講談社
¥777
Amazon.co.jp

177ページまで来た。
 とても知的興味の起る名著である。
DNAの二重らせん構造発見の生臭い裏話と知的ミステリーが一体となり、実に「面白い」評論である。確かに、著者は文学的素養・才能がある。文理融合型知性である。
 とまれ、先に触れたが、著者の唱える生命における動的平衡という概念は、不連続的差異共振理論(不連続的陰陽論)で説明がつくと思われるのである。
 多忙なので、読書時間が短い。

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2013年04月08日(Mon)▲ページの先頭へ
(プラトニック)不連続的差異共振理論の提唱:物質理論を包摂する精神理論仮説
テーマ:不連続的差異共振(プラトニック陰陽)理論

不連続的差異論は認識哲学、PS理論は自我物質原理:無双陰陽原理は精神と物質の両者包含原理を目指す
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11506897777.html

先に以上のように、不連続的差異論とPS理論を包摂する理論として無双陰陽原理を説いたが、理論名をより明確なもの、即ち、不連続的差異共振理論に改称した。(プラトニック不連続的差異共振理論の方がより的確だと思うが、長過ぎる。)
 さて、そこで述べたことを、整理して、より包括的に述べたい。以下、図式的に記述する。(以下をA図式とする。)

T:太一・太極:原イデア:プロトイデア

U:陰陽分極化:陰イデア/陽イデア:陰陽イデア

V:陰陽和合:差異共振:陰陽気:陰陽螺旋形態:気的陰陽螺旋生命体(物質化以前):「エーテル体」的生命体

W:再太一・再合一化:螺旋的回帰

(A図式)


以上が精神原理(仮説)である。ここには、物質化はない。つまり、物質化以前の原理である。完全に精神的実在としての主観原理がここにある。
 
 次に、同一性=物質化の原理を挿入しよう。それは、A図式のUとVの間で出現する。
 だから、A図式を書き直して、B図式とする。

T:太一・太極・全一:原イデア:祖イデア:プロトイデア

U:陰陽分極化:陰イデア/陽イデア:陰陽イデア

V:同一性・自我・物質化:連続的同一性化現象

W:陰陽共振:差異共振:陰陽気:陰陽螺旋形態:気的陰陽螺旋生命体(物質化以前):「エーテル体」的生命体

X:再太一・再合一化:螺旋的回帰

(B図式)


このB図式が物質現象、正確には、生命物質現象図式と呼べるものと考えられる。
 しかし、これはまだ、不十分、不正確である。何故なら、実際は、VとWが同時生起していると考えられるからである。故に、C図式を作らないといけない。即ち、


T:太一・太極・全一:原イデア:祖イデア:プロトイデア

U:陰陽分極化:陰イデア/陽イデア:陰陽イデア

-V&W同時生起:VはWを包摂する:Vは外部、Wは内部-

V:同一性・自我・物質化:連続的同一性化現象

W:陰陽和合:差異共振:陰陽気:陰陽螺旋形態:気的陰陽螺旋生命体(物質化以前):「エーテル体」的生命体

X:再太一・再合一化:螺旋的回帰

(C図式)

先に述べたように、C図式のV、つまり、同一性=物質化は陽の極大化(陽大化)に拠ると考えている。
 しかしながら、もっとも重要な点は、Wの陰陽和合・差異共振が、同一性=物質化内部に巻き込まれるようにして生起していると考えられることである。
 言い換えると、A図式にある陰陽和合に拠る陰陽螺旋・気的生命螺旋を内包して、外部に同一性=物質化による物質体を形成するということになる。これが、可視の螺旋的生命物質体(ここでは、渦巻体も含める。故に、渦巻宇宙、弦巻植物等が妥当する。)になるのである。(思うに、これとトーラスが関係すると思うが、それについては別に検討したい。)
 ここで、非常に重要なことを付け加える必要がある。即ち、陰陽和合、差異共振とは、植物的生命・生成であると考えられることである。(私は、これは、キリスト的愛に通じると思っているし、結局、プラトンのエロースもこれに通じると思っている。)
 気的生命、気的生成である。しかしながら、それは、気(「エーテル体」)に留まっていて、同一性=物質化=陽大化によって、可視の物質的生命体・生命物質体になると考えられる。
 そう、ここで、齟齬が生じているのである。それは、同一性化の問題である。私はそれを自我原理と見ているのであるが、そうすると、植物に自我があることになってしまうのである。
 自我原理は確かに同一性原理であるが、物質化原理とは少し異なると考えられる。
 自我原理は同一性的否定原理と考えられるのであり、そこには、否定原理が強く働くと考えられる。
 では、同一性原理は否定原理ではないのかという疑問が生じる。
 有り体に言えば、否定ではなく、同一性刻印が生起するのであり、刻印である。貼り付けである。スタンプ、プリントである。だから、否定ではない。否定は、陰=他者を排除するものである。
 それは刻印・貼り付け・スタンプ・プリントとは異質の原理と考えられる。
 それは、陽の固定原理ではないだろうか。つまり、同一性=物質原理は陽大化(陽の極大化)であったが、それが固定したものが自我原理ではないかということである。
 一応、陽固定化(陽固化ないし陽固着化)が生起して、自我原理が生まれたと考える。(実は、これは、ルドルフ・シュタイナーの悪魔論の考え方を参考にしている。ここではそれについては説明しない。)
 つまり、陽固(固着)化=自我原理とは、同一性固(固着)化原理ということでもある。
 だから、C図式では、不十分で、D図式を作らないといけない。即ち、

T:太一・太極・全一:原イデア:祖イデア:プロトイデア

U:陰陽分極化:陰イデア/陽イデア:陰陽イデア

-V&W同時生起:VはWを包摂する:Vは外部、Wは内部-

V:同一性・自我・物質化:連続的同一性化現象

W:陰陽和合:差異共振:陰陽気:陰陽螺旋形態:気的陰陽螺旋生命体(物質化以前):「エーテル体」的生命体

X:自我原理:陽固定(固・固着)化=同一性固定(固・固着)化

Y:再太一・再合一化:螺旋的回帰

(D図式)

となる。
 しかしながら、XとYの間には、不連続的差異(絶対的差異、他者)の肯定原理が必要なのであるから、さらにE図式が必要となる。即ち、

T:太一・太極・全一:原イデア:祖イデア:プロトイデア

U:陰陽分極化:陰イデア/陽イデア:陰陽イデア

-V&W同時生起:VはWを包摂する:Vは外部、Wは内部-

V:同一性・自我・物質化:連続的同一性化現象

W:陰陽和合:差異共振:陰陽気:陰陽螺旋形態:気的陰陽螺旋生命体(物質化以前):「エーテル体」的生命体

X:自我原理:陽固定(固・固着)化=同一性固定(固・固着)化

Y:不連続的差異(絶対的差異、他者)の肯定

Z:再太一・再合一化:螺旋的回帰

(E図式)

となる。
 これがプラトニック不連続的差異共振理論の7段階プロセスということになる。

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2013年04月07日(Sun)▲ページの先頭へ
不連続的差異論は認識哲学、PS理論は物質原理:無双陰陽原理は精神と物質の両者包含原理を目指す
テーマ:プラトニック不連続的差異共振理論

今日も森(ゆかし森神社とでも呼びたい:ゆかし森とは私の勝手な名称である)のいつもの片隅(奥の細道参道入り口)で、思索した。
 その前に、『生物と無生物のあいだ』の冒頭を読んで、DNAの複製原理は、先に述べた(連続的)同一性=物質化理論で説明できると思った。同一物のコピーを作るのであるから、それは、同一性原理に拠るのである。

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)/講談社
¥777
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 そこで、今は離脱したPS理論であるが、それは、物質理論であると考えられる。自己認識方程式i*−i⇒+1は、自己認識理論というよりは、同一性=物質化理論である。そう、認識的には、それは、自我認識理論であり、自己認識理論ではない。何故なら、それは、自我の反転を他者としているからである。
 つまり、PS理論は、物質理論、自我理論としては正当であるが、認識理論としては、不連続的差異論から後退しているということになるのである。
 私は差異共振を考えるのに、さんざん悩んだが、今にしてみれば、PS理論(ガウス平面付き)では、差異共振は説明できないのである。
 結局、不連続である他者を数学化することが困難だと思われる。私は数学については、素人なので、不連続な他者(不連続的差異)を数学化する方法がわからないのである。
 とまれ、私にとって、数学主導で哲学をすると、数学の形式に振り回されて、哲学的認識が弱くなるのが判明して、私はPS理論から離れた。
 その後、無双陰陽原理を唱えることになったが、プラトンの著作を再読して、プラトン哲学・イデア論が原理的に近いことがわかり、プラトニック陰陽理論と改名した。しかし、無双陰陽原理は括弧に入れておきたい。
 とまれ、同一性=物質化理論にたどり着いて、理論的問題点が明快になった。即ち、精神原理と物質原理が混淆していたことである。
 言い換えると、不連続的差異論に回帰したということである。ここから考え直す必要があるということである。(だから、2004年から2012年まで、約8年迂回したことになる。)
 簡単に言うと、繰り返しになるが、陰陽螺旋的生命形成がある。それを同一性=物質化が装っている。物質装備である。
 それは、気的螺旋が「内部」にあり、外部は物質的螺旋形態であるということである。
 陰陽螺旋であるが、それは、差異共振であると考えている。言い換えると、陰陽共振であり、陰陽同一性=物質化ではないのである。ただし、「外部」は後者である。
 とまれ、ざっとであるが、不連続的差異論に回帰して、同一性=物質化原理と陰陽螺旋=差異共振原理の二つが明確になったのであり、理論的には回帰して、進展したことになる。
 さて、理論名称であるが、新たに、プラトニック陰陽理論(無双陰陽原理)としたが、不連続という言葉は、捨てがたいのである。それを使用するならば、プラトニック不連続的陰陽理論Platonic Discontinuous Ying-Yang Theoryとでもなる。(しかし、もう一度、不連続的差異=不連続的他者の意義を考えるべきであるが、これは課題にしておく。)
 最後に簡単に整理すると、陰陽イデアがあり、それが、生命イデアである。それが、同一性=物質化原理によって、生命物質体を形成する。基本的には螺旋形状である。
 しかし、陰陽イデア=精神原理は、向上を目指しているのである。螺旋的回帰という向上を。
 それは、物質化することによって、いわば、汚染されるのであるが、その汚染によって苦悩・苦労するのである。そう、自我の原理、物質の原理を帯びるのである。自我ー物質の原理に陥りつつも、陰陽イデア=精神原理は内在・潜在しているのである。
 ここに矛盾があるのである。
 同一性=物質化して、陰=他者が失われるのである。しかし、陰=他者の肯定によって、再び、陰陽極性が回帰すると考えられる。(なにか、ヘーゲル哲学に似ているが、陰=他者は不連続的差異である点で異なるだろう。この点は要検討。)
 結局、陰陽イデア=精神原理の向上とは、自我原理になった後に、他者肯定を学び、再び、陰陽極性原理へと回帰することと考えられる。つまり、同一性化⇒他者化による陰陽共振原理への回帰である。
 雑駁な感もあるが、ここで留める。

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2013年04月06日(Sat)▲ページの先頭へ
キリストの愛とプラトンのエロース:美と他者
テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

プラトンのエロース(恋慕)とキリストの愛:無双陰陽原理の気的身体理性:プラトン・ネオルネサンス
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11505093121.html

先に以上で、キリストの愛を批判し、プラトンのエロースを肯定した。
 短絡的な判断だと今思う。キリストの愛は他者の問題が全面にあると思う。それに対して、プラトンのエロースは美が全面にある。
 他者は無双陰陽原理では、陰である。プラトンのエロースは、他者の美、陰の美を問題にするのであり、他者自体ではない。もっとも、究極的には他者の肯定へと帰結するのであるが。
 キリストの愛は当然ながら、エロースではない。返って、アンチ・エロースである。つまり、表面的には、キリストの愛とプラトンのエロースは齟齬を来すのである。
 二つの「愛」の衝突があるのである。これは、人生の矛盾である。
 しかし、今ふと思ったが、キリストの愛の上に、プラトンのエロースを載せることはできるのではないか。
 他者肯定的エロースである。キリスト的エロースである。
 今はここで留める。

追記:詩人ヘルダーリンが、キリストとパン神の融合を詩で述べていたと思う。これは、キリスト的エロースになるのではないだろうか。問題は、キリストをベースにすることである。
 ところで、聖霊の問題であるが、それは、根源のイデアと一致するのではないだろうか。しかしながら、問題は微妙である。エロースとイデアと一致させることはできるのか。できないだろうか。後で検討したい。

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物質とは何か:その2:気と電磁波は全く別ものである:生命原子(気的原子)と純粋原子
テーマ:science:物質とは何ぞ哉

今日も森の小道を掃除しながら歩き、いつもの、小道の両脇を杉が聳える思索の場で、哲学した。
 今日は、物質についてさらに考察をした。
 陽大化によって同一性=物質化が起きると作業仮説している。ここから考えられるのは、陽大化の同一性化は、原粒子の形成である。それを生命原子ないし気原子と呼びたい。そして、陽が陽子となり、陰が電子となると考えるのである。
 しかしながら、本質的なポイントは、これが単なる原子ではないことである。中核には、陰陽螺旋=気的螺旋ないしそのような原動力が存すると考えられるのである。簡単にざっと言えば、中核には、気が存するのである。(おそらく、気渦流ないし気渦動のようなものである。とりあえず、気渦動と呼ぶ。)
 つまり、原粒子は、生命体を構成する生命原子(気原子)であり、中核に気渦動をもつということになる。(だから、一般の物理学の原子とは、この生命原子から生命・気の脱落したものと考えられる。言い換えると、核心の気渦動が抜けているのである。ということは、気渦動が「魂」、「プシュケー」と言えそうである。)
 さて、陽が陽子となり、陰が電子へと変換する。では、原子核に相当するのは何だろうか。物理学的に言えば、陽子の位置に原子核が来るだろう。
 しかしながら、以上の考えから、原子核とは別に、陰陽螺旋、陰陽原動力、気渦動を中心に見ているのである。それを生命核ないし気核と呼ぶ方が明快であろう。
 このような考え方から、螺旋的生命物質体は、あるいは、生命物質は、生命原子(気原子)から構成されるのであり、生命原子(気原子)のコアには、生命核(気核)があるのであり、それは、気のエネルギーをもっていると思われるのである。
 だから、それは明らかに、電磁波とは異なるのである。電磁波とは、生命原子における物質体(物質外装体)であり原子において発出されるのであり、生命原子の中核の生命核(気核)からは、気波動が発出されると考えられるのである。
 言い換えると、生命体は、中心から生命波動=気波動を、そして、物質体からは電磁波を発生させると考えられる。
 これで、これまで長い間の疑問、気と電磁波の関係の問題の解決に向けて、大きく前進したと考えられる。
 気と電磁波は全く異なるものである。気はオカルティストが言うエーテル体に当たると考えられる。

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2013年04月05日(Fri)▲ページの先頭へ
プラトンのエロース(恋慕)とキリストの愛:無双陰陽原理の気的身体理性:プラトン・ネオルネサンス
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もう少しで、プラトンの『饗宴』を読了するが、やはり、プラトンのエロース(性愛恋)は、無双陰陽原理の気的身体理性に、また、セクシー・スピリチュアリズムに通じると思う。
 その視点から、キリスト教の愛の問題性が見えてくる。キリスト教の愛は、確かに、道徳的愛、倫理的愛であるが、恋慕的側面をほとんどもっていず、性愛・性欲的側面を低く見ているのである。
 つまり、道徳的愛と性愛が分裂的になるのである。両者をつなぐべき恋慕的側面がないのである。
 それに対して、プラトンのエロースは恋慕であり、肉体的であり、また、天上的、霊的である。そして、後者は真理や善に通じるのである。
 単純化して言えば、キリスト教的愛は、天と地を切断して、精神的愛と肉体的愛を分離してしまい、両者をつなぐものがないのである。言い換えると、霊的愛が優位であり、肉体的愛が劣位であり、二項対立的なのである。
 それに対して、プラトンのエロース(恋慕)は、地上的エロース(恋慕)と天上的エロース(恋慕)の両面があるものの、キリスト教的愛とは異なり、分離せずに、いわば、階梯になっているのである。
 あるいは、神と人間をつなぐ中間的存在・神霊として、エロースを捉えているのである。
 ここには、性愛と精神愛を融合化しているのであり、過不足ないのである。
 無双陰陽原理の気的身体理性やセクシー・スピリチュアリズムであるが、それらは、プラトンのエロースに通じるのであり、キリスト教的霊的愛にではない。
 いったい、キリスト教は何に役立っただろうか。
 やはり、プロテスタンティズムと資本主義の相関性があり、資本主義の形成に役立ったということかもしれない。
 しかし、今や、ポスト・キリスト教時代である。プラトン・ネオ・ルネサンスの時代である。

追記:D.H.ロレンスの『逃げた雄鶏(死んだ男)』は、意外に思われようが、キリスト教的愛からプラトン的エロース(恋慕)への転回を意味していると言えよう。そう、地上的エロースと天上的エロースの融合という意味合いが強い。天上のエロースと地上のエロースの融合である。とは言え、やはり、プラトン的エロースを想起するのである。

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陽大化による同一性化=物質化と螺旋的生命物質現象:そして、雌雄分化力学
テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

昨日、以下のように述べたが、今見ると、かなり重要なポイントが提示されているのではないかと思う。特に、物質形成原理における、不連続的差異論の同一性化の視点である。
 結局、螺旋的生命物質体が陰陽共振によって生まれるが、その外面が同一性=物質であると思われるのである。
 つまり、螺旋的生命物質体とは二重構成になっているように思われるのである。即ち、一つは陰陽共振による螺旋体の形成である。
 問題は螺旋力学である。これは、単純に、陰陽の牽引力によって、螺旋的に巻かれていくと考えていいのではないだろうか。
 思うに、陰陽螺旋体があるのであり、それは、実は物質体ではないと思われる。それは、言うならば、陰陽気の螺旋体であるように思われる。
 そして、陽大化という同一性=物質化の力学がその陰陽気の螺旋体に作用して、螺旋体を生命物質体に変容するのではないだろうか。
 故に、陰陽気的螺旋体+陽大化(同一性=物質化)という二重構成が考えられる。
 とまれ、陰陽牽引とは、太一への帰還衝動と考えられよう。
 だから、やはり、+1は天の方向と見ていいのではないだろうか。つまり、+1を物質と見るにしろ、それは、樹木におけるような尖端方向を意味すると思われるのである。
 以上は、植物、とりわけ、樹木や蔓植物のような生命体に当てはまることである。
 では、問題は、生殖の問題である。この力学はどうなるのか。これも太一再帰力動で説明できると思う。
 問題は単性生殖ではなく、有性生殖の方にあるかもしれない。何故なら、後者には、異性の2個体が必要となるからである。
 しかし、原理はそれほど難しくないのではないだろうか。個体における陰陽極性を分離させればいいのではないだろうか。
 では、この陰陽分離力学はどういうものだろうか。
 思うに、同一性=物質力学から考えられないか。
 即ち、陽=同一性が陰=他者に刻印するとき、物質が形成される。このとき境界ないし界面があるだろう。これをとりあえず、陰陽を逆にして、陽陰界面と呼ぶことにする。
 そして、陽陰界面の陽体が分離したのがオスであり、陰体が分離したのが、メスということではないだろうか。
 分離というよりは、陽陰界面の陽体性に傾斜しているのが、オスであり、陰体性に傾斜しているのが、メスと見た方が適切なように思える。
 結局、陽陰界面であるから、オスにしろ、メスにしろ、陰陽両性をもっていると考えられる。
 オスは内在・潜在する欠落的メス性を志向し、逆に、メスは内在・潜在する欠落的オス性を志向するということではないだろうか。(もっとも、欠落性という概念が妥当であるか問題があるが、今は、そう作業仮説する。)
 とりあえず、今日はここで留める。 

********************

不連続的差異論の無双陰陽原理への適用:PS理論の結論に戻る?

物質とは何か:その1:不連続的差異論の(連続的)同一性の視点から物質原理を考える

「今、ふと思ったが、不連続的差異論の段階での視点で、物質形成問題を考えたい。
 主体(主観の方がいいか?)があり、客体(客観の方がいいか?)がある。SとOとする。Sが陽であり、Oが陰である。S=陽は、自我同一性をO=客体に押し付ける。
 このとき、陰陽極性はなくなり、同一性力学が支配する。
 とまれ、この主体=陽中心力学によって、同一性が形成され、それが、物質になるのではないだろうか。
 つまり、陰陽即非力学において、陽の極大化(陽大化と呼んでおく)が生起して、陰を支配する事象が起こり、それが、同一性=物質化ではないだろうか。
 陽大化=同一性・物質化があれば、当然、逆に、陰大化があるはずである。これは、対称的である。
 では、いったい、この陰大化とは何だろうか。ひょっとして、これが、ダークマター(暗黒物質)ではないだろうか。これは措いておく。
 以上のように考えると、物質化は、陽大化であり、同一性原理が成立するのである。これはアリストテレス論理学とも言えよう。
 結局、陽大化による同一性化とは、陰陽即非極性(牽引/離反の矛盾力学)の消失であり、陽同一性による、プラスとマイナスの物質的極性の形成を意味するのではないだろうか。換言すると、陽同一性はプラスであり、否定される陰はマイナスになるということではないだろうか。正に、物質原理、電気の原理、あるいは、NとSに延長すると、磁気の原理、そして、複合すると、電磁波の原理になるのではないだろうか。
 ということで、不連続的差異論の段階での視点で、無双陰陽原理における物質原理を作業仮説的に考えてみた。」

直近で以上のように考えたが、それは、結局、PS理論の結論と同じではないかと思った。
 私がPS理論に疑問をもったのは、プラス1とマイナス1の意味の問題であった。私のイメージでは、どうしても、同一性化はマイナス1であり、プラス1は差異共振を意味したのである。そこで、PS理論と齟齬を来した。そして、オイラーの定理を哲学に主導的に適用することは間違いであると思った。
 結局、その時点では、物質はマイナス1であり、生命体はプラス1である。
 しかし、現時点で、同一性化=物質化をプラス1と捉えたのであり、そうすると、PS理論の考えと同じになるのである。ただし、
そう、PS理論の段階で、私はマイナス1はダーク・マターではないかと言ったが、それも現時点の考えと同じとなる。
 結局、問題は、同一性化のイメージにあったのである。その時の私のイメージでは、同一性化は、他者を否定するものであり、否定はマイナスと考えられるので、マイナスの他者にマイナスを掛けて、プラスになり、それが、虚数の掛け算で、マイナス1になると考えたのである。
 とまれ、現時点では、掛け算、乗法を考えていない。ただ、陰陽即非極性において、陽大化によって、プラス1が形成され、それが、物質(粒子)であると考えるのである。
 もっとも四元数で考えているので、三つの虚数は空間三次元を意味するのである。
 ならば、時間はどうなるのかということになる。
 今、思いつきを言えば、

霊「数」、陽✡、陰✪を仮説して、また、陰陽共振を✇で表わし、以下のように公式化する。無双陰陽原理公式である。
✪✇✡⇒a + bi + cj + dk 
or
✪✇✡⇒+1 + i + j + k

の数式における⇒が時間ではないかとしよう。
 では、気はどうなるのだろうか。気は、左辺の✇に潜在しているのではないだろうか。
 今はここで留める。

追記:陽大化であるが、それは、現時点では、すんなり、プラス1となる。かつて、同一性を他者否定と見ていたが、今は、陽自体の陰への押し付けと見ている。押し付けと否定は異なる。
 押し付けとは、喩えれば、ハンコを押すようなものである。つまり、陽のハンコを陰の紙に押すという感じである。
 それは否定ではない。
 以前は、否定の意味合いがあったが、今は消えている。
 否定は、思うに、病的である。それは、他者を自己から分離させることである。突き放すことである。
 そう、「分裂症」とは、あるいは、精神病とは、そのような力学をもつのではないだろうか。あるいは、パラノイアである。あるいは、父権的自我主義である。
 そう、否定はマイナスではなく、分裂、追放である。排除である。そこには、掛け算もないのではないだろうか。

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11504426011.html

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2013年04月04日(Thu)▲ページの先頭へ
不連続的差異論の無双陰陽原理への適用:PS理論の結論に戻る?
テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

物質とは何か:その1:不連続的差異論の(連続的)同一性の視点から物質原理を考える

「今、ふと思ったが、不連続的差異論の段階での視点で、物質形成問題を考えたい。
 主体(主観の方がいいか?)があり、客体(客観の方がいいか?)がある。SとOとする。Sが陽であり、Oが陰である。S=陽は、自我同一性をO=客体に押し付ける。
 このとき、陰陽極性はなくなり、同一性力学が支配する。
 とまれ、この主体=陽中心力学によって、同一性が形成され、それが、物質になるのではないだろうか。
 つまり、陰陽即非力学において、陽の極大化(陽大化と呼んでおく)が生起して、陰を支配する事象が起こり、それが、同一性=物質化ではないだろうか。
 陽大化=同一性・物質化があれば、当然、逆に、陰大化があるはずである。これは、対称的である。
 では、いったい、この陰大化とは何だろうか。ひょっとして、これが、ダークマター(暗黒物質)ではないだろうか。これは措いておく。
 以上のように考えると、物質化は、陽大化であり、同一性原理が成立するのである。これはアリストテレス論理学とも言えよう。
 結局、陽大化による同一性化とは、陰陽即非極性(牽引/離反の矛盾力学)の消失であり、陽同一性による、プラスとマイナスの物質的極性の形成を意味するのではないだろうか。換言すると、陽同一性はプラスであり、否定される陰はマイナスになるということではないだろうか。正に、物質原理、電気の原理、あるいは、NとSに延長すると、磁気の原理、そして、複合すると、電磁波の原理になるのではないだろうか。
 ということで、不連続的差異論の段階での視点で、無双陰陽原理における物質原理を作業仮説的に考えてみた。」

直近で以上のように考えたが、それは、結局、PS理論の結論と同じではないかと思った。
 私がPS理論に疑問をもったのは、プラス1とマイナス1の意味の問題であった。私のイメージでは、どうしても、同一性化はマイナス1であり、プラス1は差異共振を意味したのである。そこで、PS理論と齟齬を来した。そして、オイラーの定理を哲学に主導的に適用することは間違いであると思った。
 結局、その時点では、物質はマイナス1であり、生命体はプラス1である。
 しかし、現時点で、同一性化=物質化をプラス1と捉えたのであり、そうすると、PS理論の考えと同じになるのである。ただし、
そう、PS理論の段階で、私はマイナス1はダーク・マターではないかと言ったが、それも現時点の考えと同じとなる。
 結局、問題は、同一性化のイメージにあったのである。その時の私のイメージでは、同一性化は、他者を否定するものであり、否定はマイナスと考えられるので、マイナスの他者にマイナスを掛けて、プラスになり、それが、虚数の掛け算で、マイナス1になると考えたのである。
 とまれ、現時点では、掛け算、乗法を考えていない。ただ、陰陽即非極性において、陽大化によって、プラス1が形成され、それが、物質(粒子)であると考えるのである。
 もっとも四元数で考えているので、三つの虚数は空間三次元を意味するのである。
 ならば、時間はどうなるのかということになる。
 今、思いつきを言えば、

霊「数」、陽✡、陰✪を仮説して、また、陰陽共振を✇で表わし、以下のように公式化する。無双陰陽原理公式である。
✪✇✡⇒a + bi + cj + dk 
or
✪✇✡⇒+1 + i + j + k

の数式における⇒が時間ではないかとしよう。
 では、気はどうなるのだろうか。気は、左辺の✇に潜在しているのではないだろうか。
 今はここで留める。

追記:陽大化であるが、それは、現時点では、すんなり、プラス1となる。かつて、同一性を他者否定と見ていたが、今は、陽自体の陰への押し付けと見ている。押し付けと否定は異なる。
 押し付けとは、喩えれば、ハンコを押すようなものである。つまり、陽のハンコを陰の紙に押すという感じである。
 それは否定ではない。
 以前は、否定の意味合いがあったが、今は消えている。
 否定は、思うに、病的である。それは、他者を自己から分離させることである。突き放すことである。
 そう、「分裂症」とは、あるいは、精神病とは、そのような力学をもつのではないだろうか。あるいは、パラノイアである。あるいは、父権的自我主義である。
 そう、否定はマイナスではなく、分裂、追放である。排除である。そこには、掛け算もないのではないだろうか。

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物質とは何か:その1:不連続的差異論の(連続的)同一性の視点から物質原理を考える
物質とは何か:その1:不連続的差異論の(連続的)同一性の視点から物質原理を考える

テーマ:science:物質とは何ぞ哉

今は、ざっと述べる。
 オカルティストのルドルフ・シュタイナーは、彼のアントロポゾフィー(人智学)の究極的目的は、物質とは何かを探求することだと言っていた。
 霊学の探究者がこのように述べるのは、意味深長である。
 無双陰陽原理(無双PS原理の方が適切な名称かもしれない)は、思うに、精神原理をこれまで探求してきて、物質形成については、勿論、探求してきたが、精神原理の追求に比べると、弱いところである。
 これまで、四元数(しげんすう)を用いて、三つの虚数i、j、kによる空間三次元を物質体と見てきたが、そうではなく、実数1が物質ではないのかとふと思った。
 陰陽から物質への転換は質的転換であり、両者は不連続であると思われる。
 先に、陰陽結合が物質化であるという作業仮説を立てた。このとき、陰陽力の反発力が排除されて、陰陽は陽電子、陰電子になると言った。(陽電子、陰電子ではなく、電子と原子核と考えた方が適切かもしれない。陽が電子となり、陰が原子核になるのか。それとも逆か。要検討である。)
 つまり、この考え方は、陰陽の牽引/相反力において、相反力が排除されて、牽引力だけとなり、陰陽結合が為されて、物質(粒子)になるというものである。
 これは、言い換えると、陰陽エネルギーが物質(エネルギーを含めて)に変換したということと考えられる。
 陰陽エネルギーとは言い換えると、即非エネルギーである。この即非性が次元転換で消失して、プラスとマイナスの力学(物質の力学)へと転換すると思われる。
 今、ふと思ったが、不連続的差異論の段階での視点で、物質形成問題を考えたい。
 主体(主観の方がいいか?)があり、客体(客観の方がいいか?)がある。SとOとする。Sが陽であり、Oが陰である。S=陽は、自我同一性をO=客体に押し付ける。
 このとき、陰陽極性はなくなり、同一性力学が支配する。
 とまれ、この主体=陽中心力学によって、同一性が形成され、それが、物質になるのではないだろうか。
 つまり、陰陽即非力学において、陽の極大化(陽大化と呼んでおく)が生起して、陰を支配する事象が起こり、それが、同一性=物質化ではないだろうか。
 陽大化=同一性・物質化があれば、当然、逆に、陰大化があるはずである。これは、対称的である。
 では、いったい、この陰大化とは何だろうか。ひょっとして、これが、ダークマター(暗黒物質)ではないだろうか。これは措いておく。
 以上のように考えると、物質化は、陽大化であり、同一性原理が成立するのである。これはアリストテレス論理学とも言えよう。
 結局、陽大化による同一性化とは、陰陽即非極性(牽引/離反の矛盾力学)の消失であり、陽同一性による、プラスとマイナスの物質的極性の形成を意味するのではないだろうか。換言すると、陽同一性はプラスであり、否定される陰はマイナスになるということではないだろうか。正に、物質原理、電気の原理、あるいは、NとSに延長すると、磁気の原理、そして、複合すると、電磁波の原理になるのではないだろうか。
 ということで、不連続的差異論の段階での視点で、無双陰陽原理における物質原理を作業仮説的に考えてみた。
 まだ言い足りないが、ひとまず、ここで留める。





太一から陰陽分極へ、陰陽分極から再・新太一へ:太一と全一

テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

今日も森の参道口で思索した。
 始めに、太一ありき。(太一は西洋哲学の全一と共通するかもしれない。)
 太一(これは、点=1である)から陰陽分極化(線=2)が起こる。
 これは、xy直交座標を考えると、原点(=太一)から、y軸の方向に陰と陽が形成されるとみればわかりやすいだろう。

         陽
         ↑
         |
         |
         |
      原点 ・(太一)
         |
         |
         |
         ↓
         陰


(・が原点=太一である。)

陰陽分極化とは、言わば、対極への離反作用と考えられるのではないだろうか。これを、相反(そうはん)作用と呼べるだろう。これが、太一⇒陰陽分極の力学である。太一をTとすれば、陰陽分極化はUである。即ち、

T:太一
U:陰陽分極化

さて、Uの相反作用に対して、太一は吸引作用、牽引作用を次に引き起こすと考えられる。これは、作用と反作用の力学に近いだろう。あるいは、離と合、膨張と収縮の力学である。この吸引・牽引作用を合結作用とも呼ぼう。
 即ち、太一⇒陰陽分極⇒再太一の運動が生じる。

T:太一
U:陰陽分極:相反作用
V:陰陽再合一:合結作用・・・(生命物質現象化)

と序数化できる。(そう、一見、ヘーゲル弁証法に似ているが、似て非なるものである。違いの説明は今はしない。)
 思うに、Vの再合一作用において、陰陽共振螺旋が発生するのではないだろうか。つまり、生命物質現象化が起こると考えられるということである。
 アリストテレス哲学で言えば、Uがデュナミス、Vがエネルゲイアとなるのではないだろうか。そして、Vの帰結がエンテレケイアということではないだろうか。
 Vを四元数(しげんすう)で考えると、実数1がエネルゲイアで、三つの虚数i, j, kによる三次元がエンテレケイアではないだろうか。
 とまれ、Vの陰陽再合一であるが、それは、原理は太一力学であるから、根源の太一への回帰を意味するのである。この再合一の牽引力がプラトンのエロースに当たると考えられる。
 しかしながら、陰陽次元にとっては、この牽引力は太一次元から発生するものなので、超越的な力ではないだろうか。そう、陰陽内在だけでは説明できないだろう。
 つまり、原点である太一であるが、それは、陰陽次元に作用するものの、陰陽界だけでは説明できない存在と考えられる。
 つまり、原点(太一)であるが、それは、言わば、超越点ではないだろうか。この超越点であるが、原点をどう理解するのかであるが、いわば、不連続点(特 異点)と見るのがいいのではないだろうか。それは、原点でゼロであり、陰陽の軸(y軸)に含まれると同時に、含まれない点と考えられる。陰陽に内在すると 同時に、超越している点、つまり、内在超越点(不連続的超越点)である。
 言い換えると、陰陽次元世界においては、再合一の力は感じられるが、その根源は説明できないということになる。だから、再合一の力(衝動)を生殖本能とかで説明することになるだろう。
 ここで、齟齬が生じている。再合一を螺旋的生命物質現象と考えたが、それを生殖作用とも見ているからである。
 今の段階では、再合一作用であるが、一つは、螺旋的生命物質現象、一つは生殖的作用と見ておくのに留めたい。(詳しい検討は、後日にしたい。思うに、太一の振動、リズムによって、螺旋的生命物質現象や生殖衝動現象は説明できるかもしれない。)
 とまれ、簡単に整理すると、内在超越点である太一から、陰陽分極化が起こる。それは、次元的下降である。即ち、太一次元から陰陽次元へと降りているのである。
 次に、再合一化であるが、螺旋的生命物質現象化の場合は、さらに次元が下降しているように思われる。
 そして、生殖作用であるが、それは、再合一化内部におけるさらなる再合一化と考えられよう。
 ここらへんの問題は複雑なので、今の段階では説明できないが、作業仮説として、第一の再合一化とは、同時に、陰陽分極を内在しているのではないだろうか。
 そう作業仮説すると、第一の再合一化内部の陰陽分極性であるが、それは、当然、それ自体の再合一作用をもつだろう。それが、生殖的衝動ではないだろうか。言うならば、再合一の再合一である。
 とまれ、T太一⇒U陰陽分極⇒V陰陽合一⇒W陰陽再合一と移行するのであるが、TからVまでは次元下降と見られるが、Wはどうだろうか。Vからの次元下降なのだろうか。
 確かに、太一の原運動が超越的力学(原理)としてTからWまで作用していると言えよう。
 しかし、直観では、VからWへの移行は、下降というより、上昇である。ここらへんの事象は複雑で、説明しにくいのである。つまり、Vは次元下降であると同時に、次元上昇的である。そして、Wはさらに次元上昇的と考えられる。
 だから、正に、陰陽現象は次元的にも螺旋的であるということになろう。
 思うに、Vの延長として、Wを考えれば、問題はなくなろう。ならば、

 T太一⇒U陰陽分極⇒V陰陽再合一⇒W太一

となる。しかしながら、先にテトラクテュスで触れたように、UとVの間に中間要素を入れるべきである。つまり、気的身体理性、プラトンのエロースである。すると、

T太一⇒U陰陽分極⇒V和合原理⇒W陰陽再合一⇒X太一

となる。
 問題は形而上学と形而下学である。そう、太一陰陽原理は形而上学であり、思うに、TからXまで、形而上学である。超越原理である。
 思うに、この形而上学、超越原理による現象論理がここにはないのである。
 後で、それについて叙述したい。


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2013年04月03日(Wed)▲ページの先頭へ
気的身体理性とプラトンのエロース(愛)
テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

今、数十年ぶりにプラトンの『饗宴』を読んでいるが、直観では、プラトンのエロースとは、私が先に唱えた、陰(身体)と陽(自我)を結ぶ第3のもの、即ち、気的身体理性と合致するのではないかと思い始めている。
 有名な事柄であるが、パウサニアスは、アフロディテには、二種のエロースがあると言い、天の娘(ウラニヤ)と万人向きのもの(パンデモス)と呼んでいる。しかしながら、勘違いしてはいけないのは、この二種のエロースをプラトンは、二項対立させてはいない。確かに、ヒエラルキーはあるが、差別はしてない。
 つまり、言わば、天のエロースと地のエロースを結びつけて、前者への移行を説いていると言える。
 そして、両者の接点にもエロースが存すると考えられる。それが、私の説く第3のもの、気的身体理性と重なると思われるのである。
 私は、セクシー・スピリチュアリズムを説いているが、それは、正に、天のエロースに通じるのであり、また、地のエロース的要素も昇華的にもっているのである。また、そこには、気的身体理性が働くのであるから、正に、プラトンの接点のエロースに通じると思われるのである。
 読後に、詳述したい。

饗宴 (岩波文庫)/岩波書店
¥630
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饗宴 (新潮文庫 (フ-8-2))/新潮社
¥452
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饗宴 恋について (角川ソフィア文庫)/角川学芸出版
¥660
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饗宴

『饗宴』(きょうえん、古希 : Συμπόσιον、Symposion、シュンポシオン)は、プラトン の中期対話篇 のひとつ。そのイデア 論を代表する著作の一つである。トラシュロス による伝統的副題は「恋について」。恋とはエロース(愛 )である。
構成 [編集 ]
パレロン の位置。図の中央下。
登場人物 [編集 ]
後代話者 [編集 ]

* アポロドロス (Apollodorus of Phaleron ) - アテナイ 近郊の漁村パレロン 出身のソクラテスの友人・崇拝者。激情家として知られ、ソクラテス臨終の際には大声で泣き喚いた様が『パイドン 』に描かれている。
* 友人

回想部話者 [編集 ]

* アリストデモス - アテナイのキュダテナイオン 区出身のソクラテスの友人。回想は彼視点で語られる。
* ソクラテス - 53歳頃。
* アガトン - 悲劇 詩人。ゴルギアス の弟子。饗宴の主催者。
* パウサニアス - アテナイのケラメス 区出身アガトンの恋人。プロディコス の生徒。
* パイドロス - アテナイのミュリノス 区出身。弁論家リュシアス の心酔者。彼を冠した対話篇もある。
* エリュクシマコス - 医者。
* アリストパネス - 喜劇詩人。『雲 』によって、ソクラテスに対する大衆の偏見を広めた(『ソクラテスの弁明 』)。
* アルキビアデス - 容姿端麗な名家の子息にして、政治・軍事指導者。ペロポネソス戦争 では主戦論を展開し、ちょうど本作回想部の設定年代(紀元前416年 [1] )の翌年である紀元前415年 、ニキアスの和約 を破り戦争再開、その後亡命生活を繰り返すなど波乱の人生を送る。彼の師と看做されていたことが、ソクラテスが告発される一因となった(『ソクラテスの弁明 』)。初期対話篇『プロタゴラス 』にも登場。

時代・場面設定 [編集 ]

紀元前400年 [1] 頃のアテナイ 。アポロドロスは友人に、紀元前416年 [1] にあった饗宴の話を教えてほしいとせがまれる。

アポロドロスは、ついこの間も、別の知人からその話をせがまれたことを明かしつつ、その饗宴は自分達が子供の頃のかなり昔の話であり、自分も直接そこにいたわけではないが、そこに居合わせたキュダテナイオン区のアリストデモスというソクラテスの友人・敬愛者から、詳しい話を聞いて知っていること、また、その知人にパレロンの自宅からアテナイ市内までの道を歩きがてら、語って聞かせたので、話す準備はできていることを述べつつ、アリストデモスが述べたままに、回想が語られる。

回想内容は、アテナイの悲劇詩人アガトン が悲劇のコンクールで初優勝した翌日、その祝いに友人を招いた饗宴での会話として設定される。ソクラテスはこの出席者のひとりである。標題『饗宴』はこのアガトンの祝賀饗宴を指す。
内容 [編集 ]
あらすじ [編集 ]

対話篇は大きく三つの部分にわかれる。

1. エロス賛美の演説 - アガトンの祝宴に招かれたソクラテスとアガトンの対話から、ソクラテスの提案で、愛の神エロス を賛美する演説を行うこととなる。パイドロス、エリュクシマコス、アガトン、アリストパネスが演説を行う。[要検証 – ノート ]
2. ソクラテスの演説 - ソクラテスは自分の説ではなく、マンネンティア出身の婦人ディオティマに聞いた説として、愛の教説を語る。
愛(エロース)とは欠乏と富裕から生まれ、その両方の性質を備えている。ゆえに不死のものではないが、神的な性質を備え、不死を欲求する。すなわち愛は自身の存在を永遠なものにしようとする欲求である。これは自らに似たものに自らを刻印し、再生産することによって行われる。このような生産的な性質をもつ愛には幾つかの段階があり、生物的な再生産から、他者への教育による再生産へと向かう。愛は真によいものである知(ソピアー)に向かうものであるから、愛知者(ピロソポス)である。愛がもとめるべきもっとも美しいものは、永遠なる美のイデア であり、美のイデアを求めることが最も優れている。美の大海に出たものは、イデアを見、驚異に満たされる。これを求めることこそがもっとも高次の愛である。(以上、ディオティマの説)
3. アルキビアデスの乱入 - ソクラテスの信奉者である若いアルキビアデスが登場する。アルキビアデスはすでに酔っており、ソクラテスが自分をいかに愛さなかったか、自分がソクラテスを愛者(当時のアテナイでは、パイデラスティアー(paiderastia少年愛 )という年齢が上のものが下のものを愛人とし、さまざまな庇護や社会についての知識を与えるのが通例であった)にしようとしていかに拒まれたか、また戦場でソクラテスの態度がいかに立派なものであったかを語る。これはいままで抽象的に展開されてきた愛を体現した人として、プラトンが師の肖像を描こうとした部分といえる。

アルキビアデスの乱入のあと饗宴は混乱し、夜通し騒いだ後みなが宴席で寝静まったところに、ソクラテスは酔い乱れることもなく、体育場へ出て行く。
補足 [編集 ]
人間の起源 [編集 ]

エロスに関する演説では、ソクラテスの同時代人の文体と思想がさまざまに模倣されている。特に有名なものは、アリストパネスのくだりである。

男と女はもと背中合わせの一体(アンドロギュロス)であったが、神によって2つに切り離された。このため、失われた半身を求めるのだ、というもの。この部分はテクストの文脈を離れてしばしば参照される有名な部分である。配偶者のことをone's better half, one's other half というのは、この説話に由来する。
『ヒュペリオーン』への影響 [編集 ]

ソクラテスが言及するディオティマは、「恋のことでもその他のことでも、何にでも通じる知者」とされる。ヘルダーリン の『ヒュペリオーン』に登場するディオティーマの造形はこれに多く拠っている。ディオティマは紀元前430年頃にはアテナイにいた実在の人物のように書かれているが、一般にプラトンの創作の人物であると考えられている。ただしフェミニズム 哲学では、ディオティマの実在性を主張し、女性哲学者としての地位を与えようとする試みがある[要出典 ]。
訳書 [編集 ]

* 『プラトン全集〈5〉 饗宴 パイドロス』 藤沢令夫 編、鈴木照雄 訳、岩波書店 、初版1974年 復刊2005年
* 『饗宴』 久保勉 訳、岩波文庫 、改版2008年、ワイド版2009年
* 『饗宴』 森進一 訳、新潮文庫 、改版2006年
* 『饗宴 パイドン 』 朴一功 訳 京都大学学術出版会 〈西洋古典叢書〉、2007年

ギリシャ語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。
饗宴
英語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。
饗宴
脚注 [編集 ]

1. ^ a b c 『饗宴』 久保勉 訳 岩波文庫 p45

関連項目 [編集 ]

* プラトニック・ラブ
* クセノポン 、同名の『饗宴』がある
* イデア

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カテゴリ :

* プラトンの著作
* 紀元前1千年紀の書籍


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