INNOVATION OF PHILOSOPHY: GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience - 2013/04/05

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




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2013年04月05日(Fri)▲ページの先頭へ
プラトンのエロース(恋慕)とキリストの愛:無双陰陽原理の気的身体理性:プラトン・ネオルネサンス
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もう少しで、プラトンの『饗宴』を読了するが、やはり、プラトンのエロース(性愛恋)は、無双陰陽原理の気的身体理性に、また、セクシー・スピリチュアリズムに通じると思う。
 その視点から、キリスト教の愛の問題性が見えてくる。キリスト教の愛は、確かに、道徳的愛、倫理的愛であるが、恋慕的側面をほとんどもっていず、性愛・性欲的側面を低く見ているのである。
 つまり、道徳的愛と性愛が分裂的になるのである。両者をつなぐべき恋慕的側面がないのである。
 それに対して、プラトンのエロースは恋慕であり、肉体的であり、また、天上的、霊的である。そして、後者は真理や善に通じるのである。
 単純化して言えば、キリスト教的愛は、天と地を切断して、精神的愛と肉体的愛を分離してしまい、両者をつなぐものがないのである。言い換えると、霊的愛が優位であり、肉体的愛が劣位であり、二項対立的なのである。
 それに対して、プラトンのエロース(恋慕)は、地上的エロース(恋慕)と天上的エロース(恋慕)の両面があるものの、キリスト教的愛とは異なり、分離せずに、いわば、階梯になっているのである。
 あるいは、神と人間をつなぐ中間的存在・神霊として、エロースを捉えているのである。
 ここには、性愛と精神愛を融合化しているのであり、過不足ないのである。
 無双陰陽原理の気的身体理性やセクシー・スピリチュアリズムであるが、それらは、プラトンのエロースに通じるのであり、キリスト教的霊的愛にではない。
 いったい、キリスト教は何に役立っただろうか。
 やはり、プロテスタンティズムと資本主義の相関性があり、資本主義の形成に役立ったということかもしれない。
 しかし、今や、ポスト・キリスト教時代である。プラトン・ネオ・ルネサンスの時代である。

追記:D.H.ロレンスの『逃げた雄鶏(死んだ男)』は、意外に思われようが、キリスト教的愛からプラトン的エロース(恋慕)への転回を意味していると言えよう。そう、地上的エロースと天上的エロースの融合という意味合いが強い。天上のエロースと地上のエロースの融合である。とは言え、やはり、プラトン的エロースを想起するのである。

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陽大化による同一性化=物質化と螺旋的生命物質現象:そして、雌雄分化力学
テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

昨日、以下のように述べたが、今見ると、かなり重要なポイントが提示されているのではないかと思う。特に、物質形成原理における、不連続的差異論の同一性化の視点である。
 結局、螺旋的生命物質体が陰陽共振によって生まれるが、その外面が同一性=物質であると思われるのである。
 つまり、螺旋的生命物質体とは二重構成になっているように思われるのである。即ち、一つは陰陽共振による螺旋体の形成である。
 問題は螺旋力学である。これは、単純に、陰陽の牽引力によって、螺旋的に巻かれていくと考えていいのではないだろうか。
 思うに、陰陽螺旋体があるのであり、それは、実は物質体ではないと思われる。それは、言うならば、陰陽気の螺旋体であるように思われる。
 そして、陽大化という同一性=物質化の力学がその陰陽気の螺旋体に作用して、螺旋体を生命物質体に変容するのではないだろうか。
 故に、陰陽気的螺旋体+陽大化(同一性=物質化)という二重構成が考えられる。
 とまれ、陰陽牽引とは、太一への帰還衝動と考えられよう。
 だから、やはり、+1は天の方向と見ていいのではないだろうか。つまり、+1を物質と見るにしろ、それは、樹木におけるような尖端方向を意味すると思われるのである。
 以上は、植物、とりわけ、樹木や蔓植物のような生命体に当てはまることである。
 では、問題は、生殖の問題である。この力学はどうなるのか。これも太一再帰力動で説明できると思う。
 問題は単性生殖ではなく、有性生殖の方にあるかもしれない。何故なら、後者には、異性の2個体が必要となるからである。
 しかし、原理はそれほど難しくないのではないだろうか。個体における陰陽極性を分離させればいいのではないだろうか。
 では、この陰陽分離力学はどういうものだろうか。
 思うに、同一性=物質力学から考えられないか。
 即ち、陽=同一性が陰=他者に刻印するとき、物質が形成される。このとき境界ないし界面があるだろう。これをとりあえず、陰陽を逆にして、陽陰界面と呼ぶことにする。
 そして、陽陰界面の陽体が分離したのがオスであり、陰体が分離したのが、メスということではないだろうか。
 分離というよりは、陽陰界面の陽体性に傾斜しているのが、オスであり、陰体性に傾斜しているのが、メスと見た方が適切なように思える。
 結局、陽陰界面であるから、オスにしろ、メスにしろ、陰陽両性をもっていると考えられる。
 オスは内在・潜在する欠落的メス性を志向し、逆に、メスは内在・潜在する欠落的オス性を志向するということではないだろうか。(もっとも、欠落性という概念が妥当であるか問題があるが、今は、そう作業仮説する。)
 とりあえず、今日はここで留める。 

********************

不連続的差異論の無双陰陽原理への適用:PS理論の結論に戻る?

物質とは何か:その1:不連続的差異論の(連続的)同一性の視点から物質原理を考える

「今、ふと思ったが、不連続的差異論の段階での視点で、物質形成問題を考えたい。
 主体(主観の方がいいか?)があり、客体(客観の方がいいか?)がある。SとOとする。Sが陽であり、Oが陰である。S=陽は、自我同一性をO=客体に押し付ける。
 このとき、陰陽極性はなくなり、同一性力学が支配する。
 とまれ、この主体=陽中心力学によって、同一性が形成され、それが、物質になるのではないだろうか。
 つまり、陰陽即非力学において、陽の極大化(陽大化と呼んでおく)が生起して、陰を支配する事象が起こり、それが、同一性=物質化ではないだろうか。
 陽大化=同一性・物質化があれば、当然、逆に、陰大化があるはずである。これは、対称的である。
 では、いったい、この陰大化とは何だろうか。ひょっとして、これが、ダークマター(暗黒物質)ではないだろうか。これは措いておく。
 以上のように考えると、物質化は、陽大化であり、同一性原理が成立するのである。これはアリストテレス論理学とも言えよう。
 結局、陽大化による同一性化とは、陰陽即非極性(牽引/離反の矛盾力学)の消失であり、陽同一性による、プラスとマイナスの物質的極性の形成を意味するのではないだろうか。換言すると、陽同一性はプラスであり、否定される陰はマイナスになるということではないだろうか。正に、物質原理、電気の原理、あるいは、NとSに延長すると、磁気の原理、そして、複合すると、電磁波の原理になるのではないだろうか。
 ということで、不連続的差異論の段階での視点で、無双陰陽原理における物質原理を作業仮説的に考えてみた。」

直近で以上のように考えたが、それは、結局、PS理論の結論と同じではないかと思った。
 私がPS理論に疑問をもったのは、プラス1とマイナス1の意味の問題であった。私のイメージでは、どうしても、同一性化はマイナス1であり、プラス1は差異共振を意味したのである。そこで、PS理論と齟齬を来した。そして、オイラーの定理を哲学に主導的に適用することは間違いであると思った。
 結局、その時点では、物質はマイナス1であり、生命体はプラス1である。
 しかし、現時点で、同一性化=物質化をプラス1と捉えたのであり、そうすると、PS理論の考えと同じになるのである。ただし、
そう、PS理論の段階で、私はマイナス1はダーク・マターではないかと言ったが、それも現時点の考えと同じとなる。
 結局、問題は、同一性化のイメージにあったのである。その時の私のイメージでは、同一性化は、他者を否定するものであり、否定はマイナスと考えられるので、マイナスの他者にマイナスを掛けて、プラスになり、それが、虚数の掛け算で、マイナス1になると考えたのである。
 とまれ、現時点では、掛け算、乗法を考えていない。ただ、陰陽即非極性において、陽大化によって、プラス1が形成され、それが、物質(粒子)であると考えるのである。
 もっとも四元数で考えているので、三つの虚数は空間三次元を意味するのである。
 ならば、時間はどうなるのかということになる。
 今、思いつきを言えば、

霊「数」、陽✡、陰✪を仮説して、また、陰陽共振を✇で表わし、以下のように公式化する。無双陰陽原理公式である。
✪✇✡⇒a + bi + cj + dk 
or
✪✇✡⇒+1 + i + j + k

の数式における⇒が時間ではないかとしよう。
 では、気はどうなるのだろうか。気は、左辺の✇に潜在しているのではないだろうか。
 今はここで留める。

追記:陽大化であるが、それは、現時点では、すんなり、プラス1となる。かつて、同一性を他者否定と見ていたが、今は、陽自体の陰への押し付けと見ている。押し付けと否定は異なる。
 押し付けとは、喩えれば、ハンコを押すようなものである。つまり、陽のハンコを陰の紙に押すという感じである。
 それは否定ではない。
 以前は、否定の意味合いがあったが、今は消えている。
 否定は、思うに、病的である。それは、他者を自己から分離させることである。突き放すことである。
 そう、「分裂症」とは、あるいは、精神病とは、そのような力学をもつのではないだろうか。あるいは、パラノイアである。あるいは、父権的自我主義である。
 そう、否定はマイナスではなく、分裂、追放である。排除である。そこには、掛け算もないのではないだろうか。

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11504426011.html


   




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カレンダ
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