INNOVATION OF PHILOSOPHY: GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience - 2013/01

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




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2013年01月28日(Mon)▲ページの先頭へ
無双陰陽原理と自然科学(量子論、宇宙論、生命科学等)との接点:陰陽子(陰陽双極子)と素粒子
無双陰陽原理と自然科学(量子論、宇宙論、生命科学等)との接点:陰陽子(陰陽双極子)と素粒子

テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

以下、陰陽と物質との接点を求めた拙稿である。
 とにかく、資料としてあげておく。

*
超越平面、超越円と虚軸y軸:現象太陽(電磁波)とdark sun・・・

・・・ルギー体と言えるのではないだろうか。 しかしながら、根源の凸jや凹jは、超越的エネルギーをもっているだろう。そして、共振して、超光エネルギーを創出すると思われる。追記:原子とは何か:電子と光子と陽子(原子核)のトーラス体(・・・[2012年05月18日]

resurrectionのブログ

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11253745023.html

*
原子とは何か:電子と光子と陽子(原子核)のトーラス体(仮説)

これも思いつきであるが、簡単に記したい。 いちばん単純な水素原子を考えたい。電子は物質であるから、凸i*凹凹i⇒凹(−1)の右辺である。そして、光子は太陽光と一致させて、凸iである。問題は陽子、原子核である。それは直観では、me・・・[2012年05月13日]

resurrectionのブログ

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11249166480.html

*
水素(原子)とは何か:原子方程式(仮説):陽子(凸i)*電子(凹・・・

水素(原子)は陽子と電子から成る。 ここで、閃きから言うと、陽子は陽電荷をもち、電子は陰電荷をもつので、陽子を凸i、電子を凹iと作業仮説する。 陽子(凸i)*電子(凹i)⇒水素原子(凸:+1)ということになる。 ならば、陰陽論に・・・[2011年04月19日]

resurrectionのブログ

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-10866380469.html

*
原子とは何か

これまで、原子について考察したことはほとんどないと思う。量子については多く考えてきたことに対して、きわめて非対称である。 今は余裕がないので、検討できないが、一言いえば、以下にあるような通常の説は、美的ではないと思う。言い換える・・・[2011年04月19日]

resurrectionのブログ


http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-10866188756.html


追記:以下も資料となる。

* 光・陽のもつ闇と闇・陰のもつ光:光の影を他者に投影し、他者と敵対する自我:万人の万人に対する戦争 (01/26)

http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1916.html

* トンネル効果と無双陰陽原理:粒子はMP共振(共鳴)を起こして、反対側に粒子を生起させるのでは? (01/25)

http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1915.html

* 太極⇒陰霊*陽霊⇒MP⇒気⇒螺旋生命物質体:生命物質現象の根源は太極⇒陰素*陽素:ポスト唯物論 (01/20)

http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1914.html

* 陰霊と陽霊の即非共振から気と螺旋生命物質体が発生:生命物質現象の根源は陰素*陽素:ポスト唯物論 (01/20)

http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1913.html

* 光と闇:二つの光と二つの闇:電磁波の光と気の光、無光の闇と気の闇:気の超光 (01/18)

http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1912.html

* 仮説:無双陰陽原理から宇宙からDNAを経て『戦後史の正体』に至るまで哲科学フラクタル的に説明する (01/14)

http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1911.html


2013年01月26日(Sat)▲ページの先頭へ
光・陽のもつ闇と闇・陰のもつ光:光の影を他者に投影し、他者と敵対する自我:万人の万人に対する戦争
図は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11457363068.html

光・陽のもつ闇と闇・陰のもつ光:光の影を他者に投影し、他者と敵対する自我:万人の万人に対する戦争

テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

以下、簡単に図示する。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                 


 T:陽・光・頭(知)・父権・自我・同一性
    
              
             アポロ


     ↓   ↓   ↓   ↓   ↓   ↓
     陰   陰   陰   陰   陰   陰

ー⇅ーー⇅ーー⇅ー胸・境界・浸透膜ー⇅ーー⇅ーー⇅ー

     光   光   光   光   光   光
     ↑   ↑   ↑   ↑   ↑   ↑


          ディオニュソス


 U:陰・闇・肚(魂)・母権・他者・差異



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



Tの領域は、Uの能力がTとは一致しないので、Uの領域を抑圧するのである。
 つまり、Tは自我の光であり、それは、他者の闇を抑圧するのである。そこで、TとUの境界のTの面、あるいは、Tの底面に影が生じるのである。これは、光の影(シャドウ)である。このシャドウが光のもつ闇なのであり、その影が光には見えないのである。自分の影に気づかず、返って、それを他者に投影するのである。
 言い換えると、光の影(スクリーン)を通して、自己は他者を見るのであり、他者は自分の影が映った存在となり、自己は他者に敵対的になるのである。
 では、光に生じた影(シャドウ)・闇を取り去るにはどうしたらいいのだろうか。
 それは、Uの領域を肯定する意識をもつことである。
 思うに、TとUとの境界は、言わば、浸透膜である。TはUに触れ、UはTに触れている領域である。
 この浸透膜的境界を介して、Tの光・陽・頭はUの闇・陰・肚を肯定し、TとUとの共振、つまり、陰陽共振を目指すべきである。
 しかし、最高に注意すべきは、Tの同一性でUの差異を認識することはできないということである。Tは認識ならば、Uは存在なのであり、相互に異質なのである。ただし、TはUを否定するが、UはTを包摂することができるという非対称性があると考えられる。ジェンダー的に言えば、男性原理は女性原理に包摂されるということである。おそらく、生物的に、女性原理の方が先行していたことの証しように思われる。
 無双陰陽原理の原点である不連続的差異論がここで重要になる。
 即ち、Tにとって、Uとは不連続なものであるということであり、TはUを同一化できないのである。つまり、Uは絶対的差異、絶対的他者であるということである。
 この点を具体的に言えば、Tは知性とすれば、Uは性(セックス)である。Tの精神はUの身体を理解できないのである。そう、Tを西洋・父権で、Uを東洋・母権と見てもいい。
 今日の世界、日本の闇・悪は、実は、光・善から生まれたものであることがわかる。光の支配による暗黒化なのである。
 価値逆転的に、Uの陰・闇・肚をベースにすれば、光の悪の支配は終焉し、陰と陽との和解・調和が生じるのである。新しい母権の世界である。


2013年01月25日(Fri)▲ページの先頭へ
トンネル効果と無双陰陽原理:粒子はMP共振(共鳴)を起こして、反対側に粒子を生起させるのでは?
トンネル効果と無双陰陽原理:粒子はMP共振(共鳴)を起こして、反対側に粒子を生起させるのでは?

テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

直観では、粒子とは実は気である。気の本体は陰陽共振である。
 つまり、

陰陽共振⇒MP⇒気⇒粒子

という流れが考えられる。(MPはメディア・ポイントで、超越性と現象性の媒介点、変換点、中枢点である。)
 しかしながら、これらは、同時存在性ももつと考えられる。つまり、(陰陽共振を陰陽と簡略化すると、)

陰陽-MP-気-粒子

(-は同時存在性、並列性を意味するとする。)
 
だから、粒子は、高い位置エネルギーの壁に対しても、壁に存するMPを介して、粒子自身を壁と共振(共鳴)させて、壁の向こう側へと粒子自身のエネルギーを伝えると考えられる。言わば、一種自己転移的である。
 とまれ、言い換えると、トンネル効果には、超越性が関与していると考えられる。つまり、陰陽超越性が働いているということである。
 以上、思いつきである。
 尚、MP共振(共鳴)であるが、これは、PS理論の段階で、海舌氏が説いた考えである。そのときは、Media Resonanceメディア・レゾナンスと呼んでいた。

追記:わかりやすく言うと、粒子とは気であり、また、陰陽霊である。

陰陽霊(陰陽共振)〜MP〜気〜粒子

結局、量子力学とは、気を量子として見ているのであるが、それを物質化しているのであり、当然、陰陽霊やMPは考えられないのである。

追記2:わかりやすくするため、気を気子ないし気素と言うといいかもしれない(追記:気双極子と呼ぶと理論的に明快になるかもしれない。ただし、双極子(陰陽)領域は、内在超越性の領域である。なぜなら、超越的に陰陽共振があり、超越性と現象性との媒介的中間・変換点にMPがあり、そこから不可視の現象としての気と可視的な生命物質現象が発生するからである。つまり、気は内在且つ超越的に陰陽共振、陰陽霊、陰陽をもっていることになる。言い換えると、霊性があるのである。)。気子(気素)が素粒子の本体である。量子力学、物理学は、気子の物質的影としての素粒子を追っていると言えよう。言わば、気子がイデアであり、素粒子は影である。
 しかしながら、気子をイデアというのは少し問題がある。何故なら、イデアは陽霊に関係し、陰陽霊(陰陽共振)自体ではないからである。
 しかしながら、見方を変えて、気子をイデアということは可能である。そうすると、陽霊は観念、あるいは、超越論的観念になるのではないだろうか。
 思うに、陰陽をこれまで、超越性と呼んできたが、意外に超越論性かもしれない。これは検討問題である。

追記3:陰陽霊(陰陽共振、簡単に陰陽)であるが、それは、超越性なのか、超越論性なのか、哲学(哲科学)的問題がある。
 以上では、陰陽霊は超越性として捉えている。しかし、人間認識・存在を考えると、それは、超越論的に存すると思う。
 この齟齬をどう解決したらいいのか。
 具体的に考えよう。気は直感できるものであり、少なくとも、内在的である。
 しかし、同時に、物質を超越しているから、超越性を帯びている。故に、内在超越性である。
 しかし、超越性の根源は陰陽共振(陰陽霊)である。それは、しかしながら、認識・存在的には、一種、超越論的である。つまり、陽霊は純粋悟性であり、陰霊は、いわば、純粋感性(造語)である。
 ここで、現時点での、作業仮説をざっくりと言うと、結局、内在超越性という概念は、結局のところ、超越性と超越論性の区別を不要にするということだと思う。つまり、内在的になると、もはや、超越性は超越性ではなく、超越論的になるということだと思う。
 これでいちおう解決したこととする。
 

参考:
トンネル効果【トンネルこうか】

* トンネル効果 【tunnelling effect】

2種類の金属 の間に薄い絶縁 物の層(障壁 )を挟み,両端 に電圧 を印加 するとき,絶縁層の厚さがきわめて薄く,ナノメートル(nm)の桁になると電流 が流れるようになる現象 .不純物 濃度 が比較的高い半導体 材料 を用いてpn接合をつくらせると,遷移 領域 (上の障壁に当たる)が10nmほどでもトンネル効果によって電流が流れるようになり,順方向 に負性抵抗 を生じる.これは江崎玲於奈(当時 は東京通信工業(ソニー の前身 ),後に筑波大学 学長 )の発見 になり,このpn接合はエサキダイオード と呼ばれている.

http://kotobank.jp/word/%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB%E5%8A%B9%E6%9E%9C

第6章 トンネル効果
www.phys.aoyama.ac.jp/~w3-furu/lecs/QMA2004/08.pdf - キャッシュ
6-1 トンネル効果とは ... 位置エネルギーの壁を越えて. 別の場所に移動ができる。 →
トンネル効果. 具体例. • 金属中の電子の運動. 1 原子の中での電子. の運動. 1 原子の
... しかし、トンネル効果によって、量子力学的にある原子から別の原子に飛び移. り可能 ...





「藤原氏=唐」が日本父権民族か?:三つの母権民族の融合である原日本を支配した父権民族とは何か

テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史

以下の「藤原氏=唐」(八切止夫やぎりとめお氏の説)が真実なら、私が探していた日本父権民族とは、唐の民族である。これが、三つの母権民族(縄文民族、弥生民族、ツングース系民族)の融合である原日本を支配したのであり、いまだに、父権民族が日本を支配しているのである。
 塀酷に屈従している政権は、この父権民族の末裔と考えられる。

追記:三つの母権民族に、海洋民族を加えることができるだろうから、少なくとも四つの母権民族となる。また、そこにケルト系民族が入りそうである。ケルト系民族は、海陸両面から日本に入ってきた可能性がある。おそらく、ツングース系民族に混じっていたのかもしれない。だから、ツングース系遊牧民族複合体と見るべきかもしれない。
 もし、ケルト系民族をカウントすれば、五つの母権民族となる。

追記2:私の作業仮説では、日本父権民族は、ユダヤ民族(失われた十支族)と中国系の民族であった。だから、ユダヤ民族も入れて考えたい。
 直観では、日本父権主義において、現実主義は中国系父権民族から、攻撃性はユダヤ民族から、来ているのではないだろうか。
 

1.
日本を実質支配した「藤原氏=唐」が、幅24mの古代道路を作った その2 ...
www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=272439
23 時間前 ... その1に続く. こうした古代道都が作られた背景は、国家意志の伝達や物流だけではなく
、当時の国際社会情勢も考慮すべきであろう。 日本は、唐と新羅の連合軍と戦う百済を
軍事支援したが、白村江の戦い(663年)で百済・日本軍は惨敗した ...
2.
日本を実質支配した「藤原氏=唐」が、幅24mの古代道路を作った その1 ...
www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=272438 - キャッシュ
1 日前 ... 今まで、日本の古代道路(奈良・平安時代)のイメージは、細々とした道と思っていたが、
近年の研究で「平均的に幅12メートルもある舗装された道路(地方では 6〜12 m 、都
の周囲では 24〜42mに及ぶ)が、日本全国に総距離実に6300キロ ...


八切止夫 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/八切止夫 - キャッシュ - 類似ページ
メインページ改訂の予選投票を実施中です。投票期間:12月20日(金)23:59 JST(20日
14:59 UTC)まで。投票資格:投票ページ参照。 八切止夫. 出典: フリー百科事典『
ウィキペディア(Wikipedia)』. 移動: 案内、 検索. Question book-4.svg. この記事は
検証 ...

お奨め、八切止夫史観を通した日本史の見つめ直し ぷち熟女
www.asyura2.com/0601/holocaust3/msg/138.html - キャッシュ - 類似ページ
お奨め、八切止夫史観を通した日本史の見つめ直し http://www.asyura2.com/0601/
holocaust3/msg/138.html 投稿者 ぷち熟女 日時 2006 年 5 月 27 日 21:34:17:
WgkZZjZT3HifU. (回答先: 日ユ同祖論について 投稿者 愛国心を主張する者ほど
売国奴 ...

八切止夫作品集
www.rekishi.info/library/yagiri/ - キャッシュ - 類似ページ
八切止夫作品集. 読む, 登録番号, 作品名.

奴隷日本人秘話 - 八切止夫作品集
www.rekishi.info/library/yagiri/scrn2.cgi?n=1068 - キャッシュ - 類似ページ
1068 八切日本史 4. 奴隷日本人秘話 日本人が戦国時代に奴隷に売られて、男は印度
から馬来半島方面のポルトガル領の植民地に、容色のよい女は、魔女裁判によって多く
の女性を焚殺したヨーロッパへ送られていたことは、あまり知られていない。しかし、 ...

耶止説夫時代の八切止夫氏 - So-net
www010.upp.so-net.ne.jp/ya-fuian/ - キャッシュ - 類似ページ
“耶止説夫時代の八切止夫”をめぐって. このホームページ「耶止説夫時代の八切止夫氏
」の内容は極めて煩瑣な事柄を述べなくてはならないので、記述を基本的に“箇条書き
形式”、“項目形式”にさせていただきました。さっそくこの前書きからこの方針でいこうと ...

「本能寺の変」は銀本位制と金本位制との争いという発想 (八切止夫論へ ...
www.asyura.com/09/reki02/msg/564.html - キャッシュ
2011年10月16日 ... 八切止夫氏の「本能寺の変」論とは何だろうか? ... また、鈴木眞哉・藤本正行共著『
信長は謀略で殺されたのか』(2006.02)でも八切止夫氏が真犯人としたのも家康で、
齋藤内蔵助に依頼して信長を殺させたとしている≠ニ八切説を総括して



2013年01月20日(Sun)▲ページの先頭へ
太極⇒陰霊*陽霊⇒MP⇒気⇒螺旋生命物質体:生命物質現象の根源は太極⇒陰素*陽素:ポスト唯物論
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11452921535.html

太極⇒陰霊*陽霊⇒MP⇒気⇒螺旋生命物質体:生命物質現象の根源は太極⇒陰素*陽素:ポスト唯物論

テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

再掲:気と電磁波:生命気(生命気波動)の超越的次元と電磁波の三次元の平行する現象界
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11451893787.html

先に以上の記事を転載したが、考え方を整合的にする必要がある。
 気⇒電磁波は、不正確である。正しくは、陰霊と陽霊の即非共振によって、気と螺旋生命物質体を同時形成されるということである。図式化すると、

陰霊*陽霊⇒気+螺旋生命物質体

(ただし、*は即非共振とする。なお、即非共振とは、端的に、陰陽の極性のことである。即ち、牽引と反発が同時生起している極性である。)
 
 気とは、陰陽霊の即非共振のエネルギー体であると考える(シュタイナーはエーテル体という用語を使う)。
 気が、現象界において、内在超越的に存するのであるが、生命体は、基本的には、螺旋生命物質体としての現象化している。(尚、渦巻であるが、それは、螺旋の原型であると考えられるので、螺旋に含めることを仮説とする。)
 気についてであるが、陰陽即非共振はMP(メディア・ポイント)で為され、そこが起点となり、気が放出される。つまり、

陰霊*陽霊⇒MP⇒気(+螺旋生命体)

である。
 そう、だから、気を感知するということは、超越性に通じるのである。つまり、陰陽即非共振の場・ポイントであるMPを感知するのであり、それは、陰霊と陽霊に通じるということになる。つまり、陰陽円に「通底」するということになる。
 陰陽円に「通底」するということは、究極的には、太極に通じるということになろう。つまり、神霊界に通じるということになる。「神(神々):死者の霊も含まれる」と一体となるということになるだろう。(神霊界・神界・霊界とは、当然、永遠界である。)
 問題は、気と螺旋生命物質体(簡単に生命体と呼ぶ)ないし物質体との関係である。
 分かりやすくする為に、内部に気空間があり、外部が物質空間であるとしよう。
 生命体は現象的には外部空間にあり、その内部に気空間があるということになる。(私は外部空間は三次元空間で、内部空間は天地軸一次元空間と作業仮説している。)
 上図式であるが、気+螺旋生命物質体としているが、気が螺旋生命物質体に先行するのではないだろうか。そうすると、図式を書き直すことになる。

陰霊*陽霊⇒MP⇒気⇒螺旋生命物質体

となる。
 気⇒螺旋生命物質体(生命体)であるが、これは、再掲した図式、即ち、

陰*陽⇒(+*−)&(N*S)

【(+*−)は電気であり、(N*S)は磁気であり、&は両者の結合したものとしての電磁波様態を意味する。】

を変形すると、

陰霊*陽霊⇒MP⇒気⇒(+*−)&(N*S)

となる。そして、右辺の(+*−)&(N*S)が螺旋生命物質体(生命体)と考えられる。
 そして、四元数(しげんすう)であるが、三つの虚数i, j, kは、作業仮説的に、仮に、それぞれ、電気、電磁波、磁気とする。これが、空間三次元を形成するとするのである。
 電磁波は螺旋形状を形成するのであり、その螺旋伸長が一次元であり、それに直交する平面、電気(電界)と磁気(磁界)の平面(二次元)が存すると考えるのであり、それが空間三次元を形成する考えるのである。(四元数の実数1であるが、それは、気と考えるのである。気軸=天地軸を形成すると考える。故に、先に述べたように、私は、現段階では、空間三次元ではなく、空間四次元説を仮説している。)
 とまれ、生命とは気が本質であり、生命体(生命物質体)は、気が形成する物質体であるから、気と結合していることになる。そして、気がなくなると、生命体は死ぬことになり、死体、遺体となるのである。
 もっとも、気と生命物質体の関係であるが、後者はある独立性をもっているだろう。だから、物質の代謝が重要になると考えられる。
 (DNAであるが、思うに、気自体のもつ螺旋形状が二重螺旋であり、それが、物質的に反映したものではないだろうか。これは検討課題である。)
 また、種別の生命体であるが、遺伝情報は、当然、気に存すると考えれる。つまり、陰霊*陽霊(以下、簡便にするために、陰*陽とする)において、気の原情報が存すると思われる。(そう、ここに、DNAの情報を見ていいのかもしれない。)
 つまり、陰*陽の様態の種別があるのであり、それが、それぞれの生命体の遺伝子情報をもっていると思われる。
 ここで、仮に、作業仮説的に、例示すると、

(陰1*陽1)*(陰2*陽2)*(陰3*陽3)*・・・*(陰n*陽n)⇒気n⇒螺旋生命体n

となるのではないだろうか。各生命体において、このnのあり方が異なるということではないだろうか。
 つまり、陰*陽を差異とすると、多元(多種多様)的差異共振体としての生命体ということになる。
 図式化すると、

差異1*差異2*差異3*・・・*差異n⇒多元的気⇒多元的生命体

である。
 とまれ、以上から、思考実験的に、生命現象界が陰陽から形成されることを仮説した。
 つまり、現象の根源に存するのは、素粒子、量子という物質ではなく、陰と陽(陰霊と陽霊)であり、その即非共振としての気=陰陽双極子が原現象であるということになろう。

参考:

resurrectionのブログ: JaponAsia GreatE AwaKleaning!
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追記:内部空間としての気空間と言ったが、思うに、それは、人体では、肚と関係すると思う。つまり、陰に関係すると思う。
 肚=陰がどうして、気と直接直截に関係するのか。
 頭=陽=自己(自我)は同一性なので、肚=陰=他者を直観できずに、同一性化=観念知化してしまい陰陽即非共振を感知できないと考えられる。
 それに対して、肚=陰=他者は、頭=陽=自己(自我)を包摂できるので、即非共振様態を帯びると考えられよう。
 だから、気を感受感知するのは、肚を介した胸=心臓(MP)であると思われるのである。
 気の光(気光)=超越光(超光)も、そこで、視覚できるように思う。これは、一種の霊視である。
 そう、物質的太陽だけでなく、気的太陽が存するのである。それが、D.H.ロレンスのダーク・サンであり、シュタイナーの霊的太陽ではないだろうか。
 因みに、飯山一郎氏が日光浴を推奨するが、それは、物質的太陽の光だけでなく、気の光(気光、不可視光、超越光・超光)を浴びることを意味しよう。
 気は生命であり、日光浴とは生命浴である。

参照:

日曜日。
いま、日本列島には強烈な偏西風が吹きまくっている。
このため東電福島が噴出する放射性物質は太平洋の彼方
へ飛び去っている。日本にとっては神風だ。

志布志も風が強いが、快晴。
きょうは夕方まで客人なし。 よし! パンツ一丁で日光浴でも
するかーー。
日光浴は身体を内部まで温める。汗がでるほど温める。
これで免疫力(マクロファージ)がグ〜ンと増えて、全身に行き
わたる。
とにかく皆さん、春になるまでは身体を冷やさないこと!
このことだけは絶対に忘れないでください。
◆ 2013/01/20(日) 音田がシャープの悪口を書き続ける理由

ct 飯山一郎のHPへ


陰霊と陽霊の即非共振から気と螺旋生命物質体が発生:生命物質現象の根源は陰素*陽素:ポスト唯物論
陰霊と陽霊の即非共振から気と螺旋生命物質体が発生:生命物質現象の根源は陰素*陽素:ポスト唯物論

テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

再掲:気と電磁波:生命気(生命気波動)の超越的次元と電磁波の三次元の平行する現象界
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11451893787.html

先に以上の記事を転載したが、考え方を整合的にする必要がある。
 気⇒電磁波は、不正確である。正しくは、陰霊と陽霊の即非共振によって、気と螺旋生命物質体を同時形成されるということである。図式化すると、

陰霊*陽霊⇒気+螺旋生命物質体

(ただし、*は即非共振とする。なお、即非共振とは、端的に、陰陽の極性のことである。即ち、牽引と反発が同時生起している極性である。)
 
 気とは、陰陽霊の即非共振のエネルギー体であると考える(シュタイナーはエーテル体という用語を使う)。
 気が、現象界において、内在超越的に存するのであるが、生命体は、基本的には、螺旋生命物質体としての現象化している。(尚、渦巻であるが、それは、螺旋の原型であると考えられるので、螺旋に含めることを仮説とする。)
 気についてであるが、陰陽即非共振はMP(メディア・ポイント)で為され、そこが起点となり、気が放出される。つまり、

陰霊*陽霊⇒MP⇒気(+螺旋生命体)

である。
 そう、だから、気を感知するということは、超越性を通じるのである。つまり、陰陽即非共振の場・ポイントであるMPを感知するのであり、それは、陰霊と陽霊に通じるということになる。つまり、陰陽円に「通底」するということになる。
 陰陽円に「通底」するということは、究極的には、太極に通じるということになろう。つまり、神霊界に通じるということになる。「神(神々):死者の霊も含まれる」と一体となるということになるだろう。(神霊界・神界・霊界とは、当然、永遠界である。)
 問題は、気と螺旋生命物質体(簡単に生命体と呼ぶ)ないし物質体との関係である。
 分かりやすくする為に、内部に気空間があり、外部が物質空間であるとしよう。
 生命体は現象的には外部空間にあり、その内部に気空間があるということになる。(私は外部空間は三次元空間で、内部空間は天地軸一次元空間と作業仮説している。)
 上図式であるが、気+螺旋生命物質体としているが、気が螺旋生命物質体に先行するのではないだろうか。そうすると、図式を書き直すことになる。

陰霊*陽霊⇒MP⇒気⇒螺旋生命物質体

となる。
 気⇒螺旋生命物質体(生命体)であるが、これは、再掲した図式、即ち、

陰*陽⇒(+*−)&(N*S)

【(+*−)は電気であり、(N*S)は磁気であり、&は両者の結合したものとしての電磁波様態を意味する。】

を変形すると、

陰霊*陽霊⇒MP⇒気⇒(+*−)&(N*S)

となる。そして、右辺の(+*−)&(N*S)が螺旋生命物質体(生命体)と考えられる。
 そして、四元数(しげんすう)であるが、三つの虚数i, j, kであるが、作業仮説的に、仮に、それぞれ、電気、電磁波、磁気とする。これが、空間三次元を形成するとするのである。
 電磁波は螺旋形状を形成するのであり、その螺旋伸長が一次元であり、それに直交する平面、電気(電界)と磁気(磁界)の平面が存すると考えるのである。
(四元数の実数1であるが、それは、気と考えるのである。)
 とまれ、生命とは気が本質であり、生命体(生命物質体)は、気が形成する物質体であるから、気と結合していることになる。そして、気がなくなると、生命体は死ぬことになり、死体、遺体となるのである。
 もっとも、気と生命物質体の関係であるが、後者はある独立性をもっているだろう。だから、物質の代謝が重要になると考えられる。
 (DNAであるが、思うに、気自体のもつ螺旋形状が二重螺旋であり、それが、物質的に反映したものではないだろうか。これは検討課題である。)
 また、種別の生命体であるが、遺伝情報は、当然、気に存すると考えれる。つまり、陰霊*陽霊(以下、簡便にするために、陰*陽とする)において、気の原情報が存すると思われる。(そう、ここに、DNAの情報を見ていいのかもしれない。)
 つまり、陰*陽の様態の種別があるのであり、それが、それぞれの生命体の遺伝子情報をもっていると思われる。
 ここで、仮に、作業仮説的に、例示すると、

(陰1*陽1)*(陰2*陽2)*(陰3*陽3)*・・・*(陰n*陽n)⇒気n⇒螺旋生命体n

となるのではないだろうか。各生命体において、このnのあり方が異なるということではないだろうか。
 つまり、陰*陽を差異とすると、多元(多種多様)的差異共振体としての生命体ということになる。
 図式化すると、

差異1*差異2*差異3*・・・*差異n⇒多元的気⇒多元的生命体

である。
 とまれ、以上から、思考実験的に、生命現象界が陰陽から形成されることを仮説した。
 つまり、現象の根源に存するのは、素粒子、量子という物質ではなく、陰と陽(陰霊と陽霊)であり、その即非共振としての気=陰陽双極子が原現象であるということになろう。

追記:内部空間としての気空間と言ったが、思うに、それは、人体では、肚と関係すると思う。つまり、陰に関係すると思う。
 肚=陰がどうして、気と直接直截に関係するのか。
 頭=陽=自己(自我)は同一性なので、肚=陰=他者を直観できずに、同一性化=観念知化してしまい陰陽即非共振を感知できないと考えられる。
 それに対して、肚=陰=他者は、頭=陽=自己(自我)を包摂できるので、即非共振様態を帯びると考えられよう。
 だから、気を感受感知するのは、肚を介した胸=心臓(MP)であると思われるのである。
 気の光(気光)=超越光(超光)も、そこで、視覚できるように思う。これは、一種の霊視である。
 そう、物質的太陽だけでなく、気的太陽が存するのである。それが、D.H.ロレンスのダーク・サンであり、シュタイナーの霊的太陽ではないだろうか。
 因みに、飯山一郎氏が日光浴を推奨するが、それは、物質的太陽の光だけでなく、気の光(気光、不可視光、超越光・超光)を浴びることを意味しよう。
 気は生命であり、日光浴とは生命浴である。

参照:
日光浴は身体を内部まで温める。汗がでるほど温める。
これで免疫力(マクロファージ)がグ〜ンと増えて、全身に行き
わたる。
とにかく皆さん、春になるまでは身体を冷やさないこと!
このことだけは絶対に忘れないでください。

◆2013/01/20(日) 音田がシャープの悪口を書き続ける理由

ct 飯山一郎のHPへ


2013年01月18日(Fri)▲ページの先頭へ
光と闇:二つの光と二つの闇:電磁波の光と気の光、無光の闇と気の闇:気の超光
光と闇:二つの光と二つの闇:電磁波の光と気の光、無光の闇と気の闇:気の超光

テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

光と闇は用語上の問題がある。
 先に、「光は闇であり、闇は光である」と言ったが、いわば、用語の綾がある。
 言葉が貧困ということもあるが、言葉が、二項対立的に使用されているという事態に拠ると言えよう。
 宗教においても同様である。光は善であり、闇は悪である。
 しかし、無双陰陽原理では、陽より陰を重視しているのであり、言わば、光より闇を重視するということである。すると、一般的用語の使い方と齟齬を来すのである。
 用語以外に、現象としての光、例えば、陽光の知覚の問題がある。
 砂漠や熱帯だと太陽は疎ましくなるかもしれないが、一般的には、太陽の存在は積極的に肯定される。確かに、暗闇より、陽光の明るさを人は好むのが普通である。(ドストエフスキーに『地下生活者の手記』があった)
 私は19才頃、「光は冷たく、闇は暖かい」というようなことを述べた。それは、都会の光の冷たさ、田舎の春の夜の蛙の鳴き声の心地よさから喚起されて考えたものである。それは、言い換えれば、エゴと共感性の対立である。
 正確に言うと、私は光と(悪魔的)利己主義を同一視していたのである。
 ここは哲学・理論的には重要な箇所である。
 自我知覚は光を介して、感覚(視覚)的に、外界、物質を認識する。このとき、物は、同一性を帯び、物質存在となるのである。
 この同一性物質とは、自我知覚・認識と結びついているのである。カントの悟性、純粋悟性である。(シュタイナーならアーリマンであろう。)
 これが悪魔的なのは、悟性以外の感性、共感性、魂性、精神性を排除するからである。
 怜悧冷徹冷酷なのである。これが、近代科学のもつ悪魔性でもある。
 そう、光はこのような問題をもつのである。
 しかしながら、光、陽光は、感性においては、救いをもたらすのである。
 ここに光の知覚の二重性の問題があると言える。自我認識においては、悟性的悪魔的冷酷さをもたらし、そして、心的感性においては、精神的救済をもたらすのである。正確に言えば、気的救済である。
 結局、光は、物質と精神の両面的存在であり、唯物科学的には、光の物質的側面が認識されるだけであり、光の精神的側面(気的本体)が認識されないということになる。
 このような認識上の問題があるために、上記した問題が根本的に生じると言えよう。
 だから、言い直せば、光は光であって、光以上のものである、というようになろう。
 光以上のものとは超越光、超光、気の超光、気光である。

追記:感性という用語も問題がある。カント哲学においては、外観と内観の両面があるが、基本的には、外観、つまり、外的感覚知覚の意味で使用していよう。
 感性という用語はあいまいで、外的感覚、内的感覚の両面に使用している。
 外的感覚(外観、外官)の場合は、それは、同一性、物質性と通じるのであり、内的感覚(内観、内官)の場合は、差異、他者、共感性、魂・精神性と通じるのである。
 直観というものであるが、それは、基本的には内的感覚がベースと考えられる。それが、外的感覚に映じるというもののように思う。

追記2:「光は光であって、光以上のものである」と述べたが、この場合の光は陽光、太陽光である。だから、
「陽光は光であるが、光以上のものである」と言うのが的確である。





「わたし」は「三人」いる:三重人間:頭の自我、肚の他者、胸の自他均衡

テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

「わたし」は一人ではない。「わたし」は、基本的には、「三人」いるのである。頭人、肚人、胸人の「三人」である。ある意味で三重人格とは言えようが。
 自我は頭人に存すると言えよう。しかしながら、個を形成する土台は肚人にあると思う。ここは、他者の領域である。ここは、内的宇宙、魂の場である。ここは、全体、普遍の場なのである。このミクロコスモスが頭の自我に対して、個を主張するのである。つまり、自我と他者の衝突が生じるのである。この解決は、不連続的差異論をベースにした無双陰陽原理に存すると考えられる。(それにしても、PS理論は、惜しいことをしたものである。たいへんな知的労力がほぼ無駄になってしまった。陰陽をガウス平面で展開しなければ、例えば、多様な差異の連結、即ち、差異1ー差異2ー差異3ー・・・差異nというような視点が明確に発展できたと思う。)

追記:肚=他者=ミクロコスモス(個宇宙・内宇宙)であるから、それは、多数・多元性でもある。だから、多重人でもある。

追記2:三重人間と言ったが、それがバラバラだと正に、多重人格、分裂的人間である。しかしながら、健全な人間においては、三重性にバランスがあると思う。肚と頭と胸、陰と陽と太極で、いわば、三位一体的にバランスをとっていると、ないし、とろうとしていると思う。





失われた、失わされた東洋日本の陰・肚の智文化:西洋父権は陽・頭の知文化

テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

ここ数日、個人的なことは何も言っていない。
 本件は既述済みの事柄であるが、今日のように、日本社会全般が「狂気」(カオス、アノミー )であると、やはり、再説したくなる。
 いわゆる、文明は、父権的文明、無双陰陽原理で言えば、陽の文明なのであり、それ以前の母権的文明、陰の文明を否定し、その後、破壊して生まれ、発展したものである。
 陽の父権的文明は頭の文明であり、明の文明である。そう、知明文明と言えよう。
 それに対して、陰の母権的文明は肚の文明であり、暗の文明である。魂暗文明である。
 母権文明から父権文明への転換は、人類史の大進化と言えよう。しかしながら、それは、もっとも危険な進化と考えられる。
 それまでの魂の内界(精神界)=闇を見つめていた文明とは、異なり、外界(物質界)=光を見つめる文明となったからである。精神から物質への転換が行われたのであり、精神は物質に否定されることになったのである。
 以上が、単純化した、今日支配的な西洋文明のもつ人類史的意味合いである。
 実は、西洋文明は、内界的文化を形成していたのである。
 それは、魂の文化である。ルネサンスも魂の文化である。プロテスタンティズムも魂の文化である。そして、ロマン・神秘主義も魂の文化である。その他、魂の文化は多くある。(そう、プラトン哲学も魂の文化である。ドイツ観念論哲学は、魂の文化と知の文化との融合の試みである。ポスト・モダン哲学もその現代的継続である。)
 とまれ、外界(感覚・物質界)=光の文化が主流、支配的であり、内界(魂・精神界)=闇の文化を抑圧、破壊しているというのが、現状である。
 今日の日本であるが、既述したように、明治維新からの日本父権派の支配によって、日本母権派は、(超)マイナーになってしまっているのである。前者は陽=頭=知の文化であり、後者は陰=肚=魂の文化である。
 そう、さらに言えば、西洋文明よりも、日本は父権化してしまっていると思う。
 それが、日本の政治に現われているのである。これを潰すには、陰=肚=魂の精神革命が必要である。
 そう、思いついたことを言うのを忘れていたが、陰=肚=魂とは、シュタイナー的に言うと、ルシファー的なものだと思う。それは、個の自由を追求する。
 そして、陽=頭=知=アーリマンとのバランスに内に、太極=胸=優愛=キリストがあると思う。
 経済的には、個的協働資本主義であり、政治的には、個的共同体的民主主義である。

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本書は、著者自身の開腹手術の体験から気づいた、日本人の肚意識について論考し
ます。 日本文化に根ざしている肚意識、西洋人の語る肚意識、そして老子の語る肚意識
に光をあて、そこに共通するものは何かを、ユニークな視点から探ってゆきます。


2013年01月14日(Mon)▲ページの先頭へ
仮説:無双陰陽原理から宇宙からDNAを経て『戦後史の正体』に至るまで哲科学フラクタル的に説明する
テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

『戦後史の正体』は買って最初の方を読んだが、以下、二番目を除いて、ほんの少し立ち読みした。
 そして、先の陰霊波とダーク・コスモス(暗黒宇宙:造語)の関係の問題に関連して、考えていたが、次のように、思考実験した。
 陰陽は陰霊と陽霊の極性であると考えているが、それは、陰エネルギー、陽エネルギーとも言えよう。
 それが、共鳴(共振)して、気が生まれるのである(これまで述べているように、私は、陰や陽を気と見る伝統的な考えをとらず、陰霊、陽霊と見ている)。
 そして、発生した気はいちおう、天地軸的に垂直方向をもつとする(どうも、小さな螺旋形状をもっているように思えるが)。
 そして、気の軸(気軸:気螺旋軸:天地軸)の周囲に、円筒・円柱の側面上に陰陽螺旋が形成される。ここにおいて、光と物質体を形成される。
 思うに、陰陽螺旋の陽の側面が物質や光なのではないだろうか。そして、陰が暗黒物質(ダークマター)ではないだろうか(ついでに言えば、陰霊が暗黒エネルギー、ダークエネルギーということではないだろうか。)。
 つまり、陰陽螺旋が宇宙であるが、それは、光と物質の可視の宇宙、顕在宇宙、陽的宇宙と思われる。
 それに対して、闇の宇宙(暗黒宇宙、ダークコスモス)がそこには存すると考えられる。
 それが、暗黒物質(ダークマター)ではないだろうか。
 それは、陰の宇宙、不可視の宇宙であり、陽の宇宙、可視の宇宙とは共振的に存していると考えられる。
 共振と言ったが、陰陽螺旋は現象界を形成するのであり、それは、その共振は、陰陽円=超越円での共振とは異なると考えられる。
 そう、陰陽円=超越円での共振とは、正確に言えば、即非共振である。
 それに対して、陰陽螺旋とは、単に共振である。つまり、陰陽円からMPにおいて、陰陽螺旋が発生するとき、即非共振エネルギーは、反発エネルギーを放出して、単に共振エネルギーになるのではないだろうか。
 この共振エネルギーが物質エネルギーではないだろうか。そして、このときには、電磁波が形成されるのである。陰陽即非極性から、正負極性、NS極性へと牽引極性が形成されると思われる。
 では、MP結合・融合(仮にそう呼ぶ)が起こり、現象が生起されるとき、放出される反発エネルギーはどうなるのだろうか。
 共振エネルギーが生のエネルギーならば、反発エネルギーは死のエネルギーではないだろうか。(あるいは、反物質エネルギーかもしれない。)これは置いておく。
 共振エネルギー(=電磁波おそらく)がプラスとマイナス、N極とS極の牽引極性を形成することになった。
 考察が錯綜しているので、整理しよう。
 陰陽螺旋は実は二つ考えられる。気という陰陽螺旋(これが本来である)と物質体という陰陽螺旋である。
 陰陽螺旋の語義に値するのは、前者であり、後者は牽引共振による物質螺旋である。(だから、上記の暗黒物質、暗黒宇宙であるが、それは、陰陽螺旋の内部世界のように思える。)
 牽引共振による物質螺旋において、つまり、電磁波による物質螺旋において、プラスとマイナス、NとSとの牽引極性が生じているのであり、ここに物質的二重螺旋の原型があるのではないだろうか(作業仮説とする)。
 ここで、四元数(しげんすう)の三つの虚数i, j, kの表わす三次元空間であるが、それは、この物質螺旋のもつ三次元空間を意味するのではないだろうか。具体的に言えば、例えば、朝顔の蔓であるが、それは、それ自体で三次元空間をもつのではないだろうか。そして、それは、気軸=天地軸を中心にもっているというように考えられよう。
 さて、ここで、飛躍的に、孫崎享氏の『戦後史の正体』の基本的力学に移動すると、それは、対米追従路線VS自主独立路線があるということである。
 前者は陽(自我、同一性)の路線であり、後者は陰(他者、差異)の路線と考えられる。つまり、従米路線は、陽霊路線であり、自主路線は陰霊路線と考えられる。
 一見、逆に見えるだろう。しかしながら、陽とは、自我主義であり、利己主義なので、自分が生きる為なら、追従はするのである。現実的である。
 それに対して、陰は他者主義であるが、この他者性とは盲目な他者追従ではなくて、他者存在認識主義である。つまり、他者を認知する性質をもつのである。
 故に、他者と自己との共存均衡を計る主義である。故に、追従ではなく、他者との関係に基づく自己独立路線を取るのである。正しくは、個立路線である。
 上述の「陰陽螺旋」で言えば、追米路線とは、物質的螺旋主義であり、自主路線とは、気の路線、気軸の路線であり、陰陽の即非共振バランスを取る考え方である。
 以上でざっとであるが、無双陰陽原理から、宇宙(とりわけ、暗黒物質、暗黒宇宙=ダークコスモス)から、DNAを経由して、『戦後史の正体』に至るまで、試論した。

追記:一つ大事なことを述べるのを忘れていた。
 日本的父権主義と西洋的父権主義の違いである。『戦後史の正体』を読むと米国の徹底した世界戦略を思い知らされるが、それは、端的に父権主義的知性に拠るものである。
 それに対して、近代日本を牛耳ってきた勢力も父権主義であるが、米国の父権主義の知性はそこには欠落して、盲目的である。
 この違いは何かと考えたが、今は簡単に言うが、それは、超越性ないし超越論性の有無に拠ると思う。
 西洋文明はユダヤ・キリスト教の超越神の伝統とプラトン、フッサール、カントの超越論的哲学の伝統をもつから、その父権主義は超越的ないし超越論的知性をもちえるのであり、それは、個人の感情・欲望を超えたものをもっていると考えられる。簡単に言えば、自我感情・欲望に曇らされない知性である。
 それに対して、そのような超越・超越論的知性の伝統をもたない日本の父権主義は、自我感情・欲望によって、知性が曇らされる必然性をもっていると考えられる。
 この差は決定的である。


追記2:近代日本を支配した日本父権派(知性が曇りやすい事大主義者)に対して、自主独立路線は、日本母権派である。それは、明治維新においては、否定された坂本龍馬、西郷隆盛らの路線である。この日本母権派こそ、陰霊・陰陽太極路線であり、真の日本である。

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2013年01月11日(Fri)▲ページの先頭へ
マニ教の本質:悪とゆるし:マニとキリスト:罪悪の許しとは何か
テーマ:霊学:シュタイナー精神学

今日的に最高度に重要な論説なので、全文転載させていただく。
 今は簡単に触れるだけである。
 姦淫を犯した女を人々が責めているとき、キリストは、罪のない人は女を打つがいいとようなことを言ったと思う。
 確かに、人間で、罪、悪、罪悪のない人間がいるだろうか。ただ、程度が人によって異なるだろう。
 悪魔的罪悪を為す人間もいれば、イジメをする人間もいるし、ちょっとした盗みをする人間もいる。
 結局、人間はすべて、多かれ少なかれ、罪人、悪人である。
 ここで、キリストの罪の許しの教えのもつ本質的鋭さ深さ(深鋭さ:造語)がある。
 シュタイナーは以下のように、マニ教のもつキリスト原理(罪の許し)を説いている。
 そう、結局、人を責めるより、人の罪悪を認識しつつも、許す視点が決定的に重要だろう。
 悪魔も許すのだろうか。そう、悪魔的悪を為す悪人は、自分が悪をしているのをおそらく知らないのである。あるいは、悪と知りつつも、欲望のために、悪を為すのであるが、その欲望も永遠ではなく、いつか衰えるのであり、悪も減衰すると考えられる。
 結局、悪から善への道が、万人に開けているということではないだろうか。悪人正機説ではない。悪人善機説である。


第二章 四 マニ教と薔薇十字会のクリスティアン・ローゼンクロイツ @ ...

一)歴史におけるマニ教の流れ

 前回の■三■では、ゾロアスター教のゾロアスターとキリスト教との霊的な繋がりと、その後の中国・日本における仏教や弥勒信仰への影響、さらには弥勒信仰と出口王仁三郎の関連性をおおまかに辿ってきました。

 そこで、■四■では、ゾロアスター教と深い繋がりのあるマニ教を掘り下げることで、クリスティアン・ローゼンクロイツの創始した薔薇十字会とシュタイナーの人智学に至るまでの経緯をおおまかに辿ってみることにいたします。

 三世紀にペルシアの人物、マー・マニ(二一六―二七六)によって開教されたマニ教と呼ばれる宗教があります。マニ教はゾロアスター教を母体とし、これにキリスト教の異端とされてきた神秘主義的な教派であるグノーシス派の影響を受けているとされます。
 
 一般的な観点では、マニ教はゾロアスター教と同様、すべてに善悪、明暗といった二次元的対立を主張する二元論で、この現実世界は悪魔によって創造されたと考えていたとされています。したがって、人間の肉体は穢れたものであり、そのなかから唯一の心的なものである霊魂を一刻も早く離脱させなければならないとし、この世界はやがて巨大な炎のなかで滅びると予言したともいわれています。

 そのため、マニ教は、マニの生前からササン朝によって迫害され、最終的にマニは処刑され、その皮ははがされ、藁を中身に詰められ、城の門にぶら下げられたと伝えれています。
 
 その後、歴史的には中世キリスト教の異端であるカタリ派(南フランス)やボゴミール派(バルカン半島)が、マニ教の影響のもとに成立したといわれています。また、中国の北宋末期の農民指導者である方臘(ほうろう)の反乱に参加した「喫菜事魔(きっさいじま)」という秘密結社も、マニ教の一派とされています。そして、マニ教は弾圧を逃れるために、明教と名を改めて中国にも伝えられます。

 こうして、マニ教はミトラ神話を受け入れたゾロアスター教と似た形をとりながらも、秘教的な要素を強めながら、仏教やキリスト教といった諸宗教に影響を与えていったとされています。

 (二)につづく
http://blogs.yahoo.co.jp/sakimorikeikan/63363999.html



第二章 四 マニ教と薔薇十字会のクリスティアン・ローゼンクロイツ A ...

(二)「寡婦の息子」と呼ばれたマニとオシリスとイシスの秘密
  
 シュタイナーの講義におけるマニ教の概要を記すと、おおよそ次のようになります。

 西アジアの地方の博識な商人が、四巻の著作をペルシア人の夫人に託して他界してしまいます。それによって寡婦(かふ:未亡人)となった夫人は、身代金を払って自由にしてやった奴隷に、こられの著作を残すのですが、その奴隷が、マニであったというのです。また、マニはミトラ教の秘儀も伝授されており、こうした経緯から宗教活動をはじめることになります。
 
 当時、人はマニを 「寡婦の息子」 と呼び、マニの信者を 「寡婦の子たち」 と呼んでいたといいます。
さらに、マニ自身は自らをヨハネ福音書の助け主(聖霊)を意味する「パレクレート」と名付けたとしています。このパレクレートとは、新約聖書ではヨハネ福音書・第十六章で、キリストが遣わす弁護者のことであり、「父上から遣わされた者」という意味もあるとされています。

 博識な商人(四巻の著作を残して他界)
   ↓
 証人の妻(寡婦となり、奴隷に夫の著作を託す) 
   ↓
 寡婦の奴隷 → マニ自身   → 寡婦の息子
            マニの信者 → 寡婦の子たち

 シュタイナーは、マニが「寡婦の息子」と呼ばれたことには、霊的に深く重要な意味が秘められているとして、次のように語っています。

 「すべての秘教においては、魂は『母』と呼ばれました。指導者は『父』です。父と母、オシリスとイシスは、魂の中にある二つの力です。直接に流れ込む神的なものをあらわす指導者は、オシリス、すなわち父です。

 魂自身であるイシスは妊娠し、神的なるものをみごもります。彼女は母です。さて、第五根幹人類期の間に、父は退きます。魂は寡婦になります。寡婦になるべきだったのです。人類は自分自身に頼らざるをえないのです。人類は自己の魂のなかに、自分自身を導くための、真実の光を求めなければなりません。魂的なものすべては、以前から女性的なものとして象徴化されてきました。

 ですから、この魂的なもの―――今日は萌芽状態にあり、やがて完全に発展するもの―――、この自分自身を指導する魂的なるものは、もはや神的な配偶者をもっていません。それでマニは(信者を)『寡婦の子』と呼んだのです。そして彼は自分自身を『寡婦の息子』と呼びました。」 (神殿伝説と黄金伝説)
 
 シュタイナーは、こうしたマニの思想を人類の未来(第六根幹人類期)を準備するためのものであったとしています。しかし、それは当時のキリスト教にとっては受け入れ難いことであり、そのためにアウグスティヌスによってマニ教は弾圧され、マニ自身も処刑されたのです。
 
 魂の指導者 → 父・オシリス → 第五根幹人類期の間退く。
 
 魂自身 → 母・イシス → 夫(指導者)を失って寡婦となる。→人間は寡婦の子(指導者を失った魂)となる。
                                        →自ら真実の光を求めなければならない。
 
 また、この 「父と母、オシリスとイシスは、魂の中にある二つの力です。」 というシュタイナーの見解は、王仁三郎が霊界物語の中で 「人間には日の大神と、月の大神の霊魂を賦与されて、肉体は国常立尊の主宰として、神の御意志を実行する機関となし給うた。」 (霊界物語・第一巻・第十二章)と口述した内容との関連性を感じさせます。

 R.シュタイナー  ・・・・・・ 父(オシリス)  と 母(イシス)  → 人間の魂の中にある二つの力

 出口王仁三郎   ・・・・・・ 日の大神(厳) と 月の大神(瑞) → 人間の霊魂に付与されている

 そして、日の大神の化身である国常立大尊は悪神によって引退を余儀なくされ、人類の指導的立場から退くという経緯も、人智学的なオシリスの洞察と一致しているのです。

     父(オシリス;魂の指導者) → 悪神(セト)によってバラバラにされ、川に流される
                       → 死後の世界の裁きの神となる
                       → 現実界は「寡婦の息子」であるホルスに託される     

     日の大神(国常立尊)    → 悪神によってバラバラにされ、艮に引退する
                       → 艮の金神(幽冥会の大王)となる
                       → 現実界は素盞鳴尊に託される

 そして、このマニ教における「オシリス」「イシス」「寡婦の息子マニ」という言葉は、大本における「大国常立尊(厳魂)」「豊雲野尊(瑞魂)」「須佐之男命(伊都能売)」という関係にも重なってくるのです。(本章■七■(七)、■八■(二)参照)
http://blogs.yahoo.co.jp/sakimorikeikan/63364162.html
第二章 四 マニ教と薔薇十字会のクリスティアン・ローゼンクロイツ B ...
(三)シュタイナーが語ったマニ教の本質

 マニの教えは、光神に闇の神が反抗するという経緯を語っており、その意味では先にご紹介したミトラ神話に類似しています。

 しかし、シュタイナーはマニ教ではこの世の起源は光の国の霊が自らの国の一部を取って、闇の物質の国に混ぜたことに起因するとしています。そして、この光の国の霊が闇の中に光を混ぜたことは、闇の国の悪霊にとっては、光の国を侵略しようとしたことによって生じた「マイナスのカルマを清算する目的」を兼ねているというのです。

 それによって、闇の世界は、その中に絶えず自分を消耗し、自分を破壊する芽を担うことになり、それに伴って生と死が生じたのだとしています。そして、人類はその闇を克服するために、光の国から善悪が混ぜられた国に送られる存在となったわけです。
 
 このことからマニ教では、 「光の一部が悪の中に入ることによって、闇の国は光の国によって罰せられるのではなく、むしろ寛大さによって征服されるべきである」 という洞察がなされたのだとシュタイナーは捉えています。つまり、人間においても「善者は悪を追放するのではなく、寛大さによって悪そのものを克服してしまうべきである」ということになります。
 
 例えば、シュタイナーは、こうした悪の寛容について次のようにも述べています。
 「レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』に目を向けてみましょう。この絵を前にすると、地球の意識を目のあたりにしているようです。この絵にはキリストが描かれています。『最後の晩餐』の意味を理解するために、マタイ福音書の次の言葉を思い出しましょう。


 『供犠の死を避けて通ろうと思えば、私に全ての天使の長を呼び寄せられないことがあろうか。』(第二十六章・五十六)このとき、キリストが受け取ることができたものは断念されたのです。キリスト・イエスは断念を通して、裏切り者ユダを自分の領域に入らせました。ユダの中に見ることのできるものをイエスの中に見るとき、私たちは宇宙進化の中で供犠を断念した、断念を本性とする存在の似姿を見なければなりません。


 ―――神々が太陽紀に断念を通じて敵対者(アーリマン)を生起させたように、キリストはユダを使徒に加えていなければ避けられた死を、諦念のうちに受け入れるのです。断念という行為が繰り返されるのです。キリストは十二使徒とともにあり、十二使徒の一人ユダが裏切り者として立ち上がるのです。

 あたかも、宇宙の諸力への反逆者の出現のようにです。人類の進化にとって非常に価値のあるものを導入するために、キリストは自らの敵対者を作る必要があったのです。」 (薔薇十字会の神智学)

 このように、マニの教えは悪に屈するのではなく、キリストがユダの裏切りを断念し受入れたように、悪を寛容し受け入れることによって悪を克服することを意図していたのです。
 
 では、キリストが敵対者を作り、悪を受入れることによって導入することができる 「人類の進化にとって非常に価値のあるもの」 とは何でしょうか。それは、神の光という恩恵を受けながらも、悪によって個我に自由を与えられ、その自由の中で悪に対する寛大さ、つまり「愛」と「赦し」を学ぶことであるはずです。同時に、悪を克服して「愛」と「赦し」を獲得できるまで人間が無制限に悪に落ち込まないようにするためにカルマの法則があるといえます。

 シュタイナーは次のようにも述べています。
 「自由がなければ、愛の行為が崇高な在り方を示すことはできません。無条件的に衝動に従わねばならない存在は、まさにそれに従って生きています。勝手なことを行うことのできる存在にとって、従わねばなぬ衝動はただ愛だけなのです。自由と愛は、互いに結び合うことのできる両極です。

 私たちの宇宙の中で愛が成就すべきであるなら、それは自由を通してのみ、すなわちルツィフィル(ルシファー)を通してのみ可能なのです。そして同時にまた、人間の救済者であり、ルツィフィルの克服者でもあるキリストを通してのみ、可能なのです。」 (霊的宇宙論・進化の目標)

 そうして、人間は善悪、正邪、美醜、真偽といった多様性を保持しながらも、自らの意志によって善悪を理解するようになり、自分の意志で善を愛し、道徳を重んじるようになり、最終的には善悪を超越した存在としての「大愛」なる神に近づいてゆくのだと捉えることができます。
 
 それでは、悪とは何なのかと問うならば、シュタイナーは悪に対する認識を次のようにも語っています。

 「ある時には非常に優れた善であるところのものが、さらに自己を保持し続けるならば、それは硬化したものになり、進歩を妨害することで善に反抗し、疑いもなく悪になってしまいます。

 たとえば、月紀の指導的な諸力が、その活動を排他的に行なうならば、その諸力は、その後の発展にも介入し、そのことによって地球紀の発展の中で、悪を現すことにちがいないのです。
 
 そのように、悪は神的なるもの以外の何ものでもありません。なぜなら、場違いな時の悪は、かつての時代においては、完全なるもの、神的なるものの表現であったものだからです。」
 
 ここで「月紀の指導的な諸力が、その活動を排他的に行なうならば……」というのは、月紀において運動霊ディナミスが、天上の戦いによって太陽と月の霊に分裂したことを示しています。
(本ブログ:シュタイナーを読みために ・ シュタイナーの哲学体系【B】進化から逸脱したヒエラルキアを参照)。

 これによって、月紀には進化から取り残された霊が出現し、その霊が地球紀のレムリア時代から堕天使ルシファーという悪魔の働きをするようになったのです。同様にアーリマンも、太陽紀において堕天使となった存在なのです。
 
 一方、霊界物語十三巻の「モノログ」には、 「仁慈無限なる神様の方より、天地間の万物を御覧になった時は、一さいの神人禽獣虫魚草木にいたるまで、一として善ならざるはなく、愛ならざるはないのであります。ただ、人間としての行為の上において、誤解より生ずる諸多の罪悪が不知不識のあいだに発生しそれが邪気となり、天地間を汚濁し曇らせ、みづから神をけがし道を破り、自業自得的に災禍を招くにいたるものであります。」 としています

  そう考えることができるなら、ディナミス(運動霊)以上のヒエラルキアにとっては、こうした悪的存在は人間の個我を成長させ、愛と赦しによって真の自由を獲得させるための存在であり、究極的には至善至愛の神意が秘められているともいえるのです。

 それは、第一章で取り上げた素盞鳴尊の多様性が善であることをも意味しているはずなのです。王仁三郎は、昭和十九年三月に、 「神は偽悪だ。悪に見せて大善をなす。」と語ったといいますが、この言葉もこうした洞察によるものから発せられたのかもしれません。

 実際、シュタイナーも神と悪の存在について、次のようにも語っているのです。
 「神々が断念していなかったらなら、ルツィフィル(ルシファー)は神々に反逆することができなかったでしょう。――中略――

  悪の原因は悪魔の中にではなく、神の中にあるのです。神が断念を行うことによって初めて、悪を世界にもたらす霊が出現したのです。――中略――

 神々は悪を斥けませんでした。悪のみが自由を与えることができるのです。神々が悪を斥けていたなら、世界は単調な、変化に乏しいものになっていたでしょう。自由を賦与するために、神々は世界に悪を出現させねばなりませんでした。そして、悪を再び善に戻す力を獲得しなければなりませんでした。この力は断念によってのみ得られるです。」 (薔薇十字会の神智学)
 
 そして、シュタイナーは、黙示録の講義の中で、マニについて次のように語っています。
 「いつか偉大な教育の課題を解決するために、このような教えによって魂の準備をされた者たちが、マニ教という精神の方向の弟子たちです。

 マニ教は普通は誤って理解されています。マニ教について聞いたり、読んだりすると、紋切り型の話しを聞くことになります。マニ教徒たちは世界の初めから善と悪という二つの原理があったと信じていた、というのです。そうではありません。

 マニ教は未来において、悪を善に変えるためのものであり、マニ教の弟子たちは、将来の受肉において、その課題をなしとげることができるのです。マニはくりかえし地上に受肉する高次の人物であり、悪を改心させるために存在する人々の指導者なのです。人類の偉大な導師たちのことを語るとき、悪の改心という課題を担ったこの人物のことも考えねばなりません。

 現在では、霊的なことがわずかしか理解されていないので、マニの原則は背後に引っ込んでいますが、精神生活に対する理解が深まれば、この偉大なマニ教原則は多くの弟子たちを獲得していくでしょう。」 (黙示録の秘密)
 
 この講義では、後アトランティス時代から、次の第六根幹人類期に移行するまでの間、霊的に善人が道徳性に貫かれ、悪人が内面的悪を外的な容貌として露呈させる時代が到来するとも語られています。

 さらに、マニとその弟子たちに代表される者たちは、この時代に「悪を善に改心させるための準備」をしている存在であるとしているのです。こうしたシュタイナーのマニに関する洞察は、霊界物語の中で善と悪が繰り広げる一連のストーリーを連想させます。実際、霊界物語では神の教えを人々に伝える宣伝使の言葉は、悪を善に変えるために改心を即すのです。
http://blogs.yahoo.co.jp/sakimorikeikan/63365673.html

第二章 四 マニ教と薔薇十字会のクリスティアン・ローゼンクロイツ C ...

(四)クリスティアン・ローゼンクロイツと薔薇十字会の霊的経緯

 シュタイナーは、薔薇十字会の起源について興味深いことを語っています。ここでは、「薔薇十字会の神智学」の「あとがき」として日本の人智学者・西川隆範氏がまとめた内容を基に説明してゆきたいと思います。

 西暦四世紀、後アトランティス時代の菩薩たちの叡智すべてを人類の未来に流し込む計画について話し合うために、霊的な次元でマニはスキティアノス、ゾロアスター、仏陀の三人を呼び集めます。
 シュタイナーは、彼らについて邦語訳書「仏陀からキリストへ」の講義の中で、次のように述べています。

@ スキティアノス: 「アトランティス時代の人々は霊視力をもっており、理解を見ることができました。この霊視力は発達を続けることができず、西洋人は霊視力を失ってゆかねばなりませんでした。霊視力は当時、世間から隠れて生きていた人物に管理されていました。この偉大な秘儀参入者が弟子たちと共に世間から隠れて、アトランティスからもたらされたものを後の時代に保管していたのです。この高次の秘儀参入者、肉体の秘密を伝えるアトランティスの太古の叡智の保持者は、中世初期、スキティアノスという名前で知られました。ヨーロッパの秘儀の本質を知っている者は、スキティアノスとう名前が地上の最高の秘儀参入者を指すものであることを知っています。」

A ゴータマ仏陀: 「霊的な観点から観察すると、地上には菩薩と呼ばれる存在が昔から生きていたことが分かります。この菩薩は西洋に於ける任務を果たした後、紀元前約六百年にゴータマ仏陀に受肉しました。人類の師として東洋に赴いた存在は既に高度に進化を遂げていまいた。この菩薩が第二の偉大な導師、秘儀の封印の管理者、ゴータマ仏陀となった存在です。」

B ゾロアスター:「第二章 ■二■・■三■を参照」

C マニ : 「第四の人物も良く知られていない人部分が多いのですが、スキティアノス、仏陀、ゾロアスターの三人よりも大きな存在がマニです。マニは、マニ教徒が考えた以上に偉大な、キリストの使者です。」

この四人の会合で、後アトランティス時代の菩薩の叡智のすべてを薔薇十字の秘儀の中に保管伝、伝承されることになりました。
「薔薇十の秘儀には常にスキティアノス、仏陀、ゾロアスターが行き来しました。彼らは薔薇十字会の学童の導師となり、叡智を地球に送りました。彼らの伝授する叡智を通して、キリストの本質が把握されるのです。」

・・・

http://blogs.yahoo.co.jp/sakimorikeikan/63387903.html
地球の救い方・・・R.シュタイナーの人智学に学ぶ


2013年01月06日(Sun)▲ページの先頭へ
金融資本主義批判:金融資本=陽=イデア中心主義の為、協働=陰=存在を否定・抑圧する:二つの資本主義:イデア資本主義と陰陽共振資本主義
金融資本主義批判:金融資本=陽=イデアで協働=陰=存在を喪失:イデア資本主義と陰陽共振資本主義

テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

金融資本主義批判:金融資本=陽=イデア中心主義の為、協働=陰=存在を否定・抑圧する:二つの資本主義:イデア資本主義と陰陽共振資本主義

これから、森気(樹)美容浴をしたり、明日からの仕事の準備のため、余裕がないので、ざっと言う。
 先に、プラトンのコーラに関して、それは陰=(原)存在ではないかと述べた。そして、陽=イデアということになるのである。
【プラトンのコーラと陰(肚):古代ギリシア文化は、陰(ディオニュソス)がベースで陽(アポロ)が開花  http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11442507200.html】
 この図式を資本主義に適用できると思った。即ち、

陽=イデア=金融資本

陰=存在=協働・共同力

陰陽共振によって、協働(共同)資本主義になる。そして、実際、二つの資本主義が今日併存していると考えられる。即ち、金融資本主義と協働資本主義である。
 前者は利己中心主義であり、後者は利他主義的である。(シュタイナー経済学は、資本主義における分業のもつ利他主義を説いている。)
 とまれ、重要な点は、陽=イデア=金融資本主義とは、実体、実在、現実、物質性が欠落しているということである。喩えて言えば、幽霊である。幽霊資本主義である。あるいは、ゾンビ資本主義である。
 これは、具体的には、グリーンバックや日本銀行券を輪転機でいくらでも刷れる、コピーできるということである。
 ところで、反対に言うと、社会主義・共産主義とは、陽=イデア=金融資本を否定して、陰=存在=協働・共同力だけを肯定したのである。そのために、創造的生産性が欠落して、瓦解したのである。
 結局、創造的協働資本主義には、陰陽共振が必要であるということである。陽=イデア=金融資本と陰=存在=協働・共同力の共振・共鳴・結合・融合・調和が必要ということである。
 わかりやすく言えば、

陽=イデア=資本

陰=存在=労働

の共振が必要であるということである。
 しかし、今日、陽=イデア=資本が金融資本主義として支配的なので、資本主義は世界=地星(地球)=自然、世界民衆にとって、破滅的になっているのである。
 創造的協働資本主義の構築のためには、個民から始める必要がある。個的経済共同体、個的通貨、個的共同体銀行等が必要になるだろう。
 陰陽共振共同体を創ること、これが、未来の燈である。

追記:イデア界は太極界として、プラトニック・シナジーplatonic synergyの考え方を否定したが、今、上記の視点では、プラトニック・シナジーの考え方が戻っているのである。だから、無双PS原理の名称を復活してもいいのである。
 思うに、無双PS陰陽原理ないし無双陰陽PS原理とするのがいいのではないだろうか。少し長くなるが。
 後で検討したい。


2013年01月04日(Fri)▲ページの先頭へ
易経批判:易経の父権的国家イデオロギー化:陰陽論が二項対立に変質:儒家と道家
易経批判:易経の父権的国家イデオロギー化:陰陽論が二項対立に変質:儒家と道家

『易経(上)』(岩波文庫)の解説を読み続けて、易経の陰陽論としての性格を喪失した事態が史的に生じたと確信した。それは、易経の父権化である。これは理論・哲学的に由々しき事態である。何故なら、無双陰陽原理から見ると、陰陽原理とは、基本的には、陰と陽とは対等であり、陽が主、陰が従となることはありえないからである。あえて言えば、陰陽原理は、名前から、陰が先で、陽が後であるから、陰が主であり、陽が従である。
 この点では、『老子』の玄牝(げんひん)を根源とする視点は正鵠を射ていると考えられるのである。
 『易経』は『老子』の視点、母権主義、無双陰陽原理の視点で理解、認識されないといけない。以下、問題の箇所を引用する。尚、問題個所に下線をつける。

「・・・、『太極とは天地未だ分れざるの前、元気混じて一と為るをいう』とあるのが、おそらく最も古義を得ていると思われる。この一元の気が変化してあるいは陰となりあるいは陽となって無限の作用をなすのである。ゆえに太極は陰陽を包括する大陽の気であるということができる。易の思想は、陰陽を対待して説くけれども、最も重んずる所は生成と発展を主とする大陽にあるのである。ゆえに太極もまた―を以って表わしている。易は『一陰一陽、これ道と謂う』といって、陰陽二気の作用を説くのであるが、それが未だ陰陽に分かれないであるいは陰となりあるいは陽となるところの根元的な一元気は、活動的流行作用を説く易にあっては、それが凝集静止する陰に属すべきものではなくて、活動流行の陽的なものであることが予想されなければならない。この一元気が陰陽に分かれて剛柔変化の作用をなし、陽徳を以って剛健となし陰徳をもって柔順となし、陽を以って陰をひきい、陰を以って陽に従うとなすのが、易の本旨である。ゆえに易は陰陽の二元を以って万物の理を明らかにするのであるが、尊ぶところは陽にあって、陰は陽に従いこれをうけるものである。道家が虚静無為を主とするのに反して、儒家が剛健正大の徳を尊ぶのは、またこれに基くのである。」p. 42)

「 3)国家、家族、朋友、処世
 繋辞伝の冒頭に『天は尊く、地は卑しくして乾坤定まる』とある。これは易における根本観念である。陰陽は相対するものであるが、易は陽を尊び陽を以って陰を兼ねることのできるものである。乾を君となし、坤を臣となす。君主は天の如く絶対的に尊厳であり、臣は坤道の如く柔順であらねばならぬ。これを易における国家に対する君臣思想とすることができる。」(p. 52)

以上の下線部から、易の陰陽論が、父権国家二項対立イデオロギーで変質しているのがわかる。変質というよりは、反陰陽論化である。陰陽論の破壊である。易経はこの時点で陰陽論ではなく、父権二項対立イデオロギー、西洋文明的イデオロギーに捻じ曲げられてしまったのである。
 まだ、詳述したいが、今は、ここで留める


『老子』を読む 6 | mojabieda Blog
mojabieda.jugem.jp/?eid=581 - キャッシュ
2009年1月7日 – その万物の源(谷神)と母性(玄牝)とを老子は重ねている。女性原理、母性原理というのか。老子の当時の社会で、女性がどのように見られ、扱われていたのかは知らない。しかし、はるかな過去からはるかな未来へとつづく万物の永遠の流れ ...

老子小話from有無 no-6
www.medianetjapan.com/town/meeting/.../no-6.htm - キャッシュ
これを玄牝といい、道の働きも、この玄牝と同じである。 玄牝の働きが現れる陰門から、万物が生まれ出るので、. これは天地(万物)の根源という。 ... 老子が生きていた春秋時代は、農民が地方諸国の国力を支えた。 有事には、農民は兵士となって国を防衛した ...





易経と無双陰陽原理

テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス
易経〈上〉 (岩波文庫)/岩波書店

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易経〈下〉 (岩波文庫 青 201-2)/岩波書店

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『易経(上)』(岩波文庫)の解説に無双陰陽原理の根本原理を説明すると考えられる文章があるので、引用したい。
 「次に何ゆえに--、−を以って陰陽を表現する符号としたかという問題が附随してくるのであるが、思うに金文等によって上古文字の変遷を考えると−は○から転化して来ているのであるから、−は円転性や連続性のものを表わし、したがって--は折断性(切断性?)や不連続性のものを表わすことになる。・・・そしてこの二つの符号を基本として、実際的に吉兆の判断をなす場合に、否定と肯定との作用をなすものとして運用されて来たものであろう。」(p. 13~p. 14)
無双陰陽原理では、−(陽爻)は、陽=頭=自我=同一性であり、陰との関係においては、連続的同一性をなすものである。これは、不連続的差異論の核心部分である。
 また、--(陰爻)であるが、陰は、不連続的差異論においては、不連続的差異であり、無双陰陽原理では、差異・他者であり、以上の説明にぴったり合うのである。

追記:
整理すると、

陽(−):連続性・・・同一性・・・自我・・・頭・・・合理性

陰(--):不連続性・・・差異・・・他者・・・肚・・・神秘性


『易』の構成 | 易経ネット
www.ekikyo.net/contents/kousei.html - キャッシュ
易』の構成. 『周易』の原文は、ポケット版の小冊子で150項ほどのもので、「経(けい)」と呼ばれる本文と「伝(でん)」と呼ばれる解説部分からなっています。 ... 鳥の翼がその全身を空気中に支えるように、『易経』の本文を助け支えるという意味で、. 彖伝(たんでん) ...

易経 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/易経 - キャッシュ
易経』(えききょう、正字体:易經、拼音: Yì Jīng )とは、古代中国の占筮(細い竹を使用する占い)の書である。符号を用いて状態の変遷、変化の予測を体系化した古典。中心思想は、陰陽二 ..... 中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。 易経 ...

易経原文_frame
mokusai-web.com/shushigakukihonsho/.../ekikyou_body.h... - キャッシュ
易曰、見龍在田、利見大人、君コ也。 九三曰、君子終日乾乾、夕タ若、持ル咎、何謂也。子曰、君子進コ脩業。忠信所以進コ也。脩辭立其誠、所以居業也。知至至之、可與幾也。知終終之、可與存義也。是故居上位而不驕、在下位而不憂。故乾乾。因其時而 ...
周易 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/周易 - キャッシュ
周易(しゅうえき)は易経に記された、爻辞、卦辞、卦画に基づいた占術である。「易」の意味は、変化、蜥蜴、日月、など、昔から諸説ある。伝説によると易経は周王朝時代に成立した、中国で最初の書物とされているが、易経の繋辞伝は漢の時代に成立したもの ...
易、周易
homepage2.nifty.com/~meigaku/eki.htm - キャッシュ
易には、連山、帰蔵、周易の三種類あったといわれています(周礼)が、連山、帰蔵についてはどういうも のであったかまったく ... 易は占事に対して卦を立て将来の得失、吉凶を占うわけですが、周易は得卦の象を見てまた爻の示すとこ ろにより神意(自然の変化 ...
文王 (周) - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/文王_(周) - キャッシュ
文王(ぶんのう、ぶんおう、? - 紀元前1152年−紀元前1056年 寿命 97才)は、中国の周朝の始祖。姓は姫、諱は昌。父季歴と母太任の子。周王朝の創始者である武王の父にあたる。 文王は商に仕えて、三公(特に重要な三人の諸侯)の地位にあり、父である季 ...
周公旦 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/周公旦 - キャッシュ
魯の開祖で周公は称号と思われる。文王の第四子で、初代武王の同母弟である。次兄・武王の補佐を勤め、さらに武王の少子(年少の子)の成王を補佐して建国直後の周を安定させた。太公望や召公奭と並び、周建国の大功臣の一人である。 兄の武王存命中 ...


2013年01月02日(Wed)▲ページの先頭へ
作業仮説:小宇宙/大宇宙の照応:地球・水星・金星―太陽―火星・木星・土星
作業仮説:小宇宙/大宇宙の照応:地球・水星・金星―太陽―火星・木星・土星

先に、ミクロコスモス(内臓)とマクロコスモス(太陽系)の照応論から、太陽と地球は交換可能ではないかと言ったが、それでは、あいまいなので、太陽=心臓=MPを中心として、易の視点から構造化すると、上部の三つの爻を上から、地球=大脳、水星=肺臓、金星=腎臓とし、中心に太陽=心臓=MPが来て、下部の三つの爻を上から、火星=胆汁(胆のう)、木星=肝臓、土星=脾臓と作業仮説する。
 上部は主に外界、物質界に関わり、下部は主に内界、精神界に関わるとする。そして、中心、中間の太陽=心臓=MPは上部と下部との調和・均衡点である。そして、さらに、太極に通じているとする。
 太極界は、これまで述べたように、神霊界・霊界である。易=陰陽を統括しているポイントである。そして、ここに一元の神霊が存すると思われる。シュタイナーの説くアフラマズダ=キリストがここに位置すると思われる。それは、結局、霊的太陽、あるいは、ダーク・サンdark sun、さらには、dark Godではないだろうか。
 そう、中間・中心に太陽=心臓=MPを置いたが、ほとんど霊的太陽、ダーク・サンのように思える。
 丁寧に見ると、陰陽⇒気の図式において、⇒が太陽=MPとなり、気⇒太陽光なので、太陽=心臓=MPはやはり、霊的太陽、ダーク・サンとなろう。
 そして、大根源の太極界であるが、それは、ダーク・ゴッドとなろう。
 キリスト教三位一体論から見ると、父=太極、子=太陽(霊的太陽)、聖霊=陰陽共振ではないだろうか。
 ここで、西洋占星術の宇宙進化論を考えると、双魚宮(うお座)の時代とは、陰が存しながらも、陽に傾斜し、陰陽バランスの喪失した文明エポックであり、今や、宝瓶宮(水瓶座)の文明エポックに移行しつつあると考えられるが、それは、陰陽バランスの調和をもたらすと考えられる。キリスト教三位一体の用語から言うと、聖霊=陰陽共振の文明エポックということになる。
 無双陰陽原理から見ると、それは、新しい子=太陽(霊的太陽)をもたらすのである。しかし、それは、キリストの再臨ということになるだろうか。
 宇宙(コスモス)進化は、螺旋的に回帰すると考えられるので、同じキリストの再臨は考えられない。シュタイナーは、エーテル体(気界)において、キリストが視覚(霊視)できるようになると述べていた。
 無双陰陽原理から見て、子(キリスト)=太陽(霊的太陽)は、聖霊=陰陽共振からもたらされるのだから、新たな強い気エネルギーに背後にキリストが霊視できるようになるように推測できる。
 とまれ、今は上記の作業仮説が主眼である。



B:陰のもつ神秘性の意味:何故、陰は超越性と直結するのか。

これは、以前、考えたことがあるが、まだ判然としないので、ここで簡単に考えたい。
 陽領域は、同一性領域であり、合理性が形成され、対象と分離した悟性(知性)がもたらされる。
 しかし、陰領域は、対象と一体となる直観・直感的感性、共感性が存する。そして、さらに、それは、超越性、霊性に通じていると考えられる。
 以前、この問題に悩んだのである。陰自体にそのような性質があるのか、それとも、陰が陽と共振して、そうなのか、と。
 経験から言うと、陰自体が神秘性、超越性を帯びるのである。それは正しいように思える。
 ならば、それと陰陽共振=MP、あるいは、太極との関係はどうなるのか。陰陽共振が太極と通じているのであり、それが神秘ではないのか。
 考えると、陰陽共振は気エネルギーを産出するのであり、それは、神秘というよりは、物質的現象、生命的現象である。もっとも、その背後に太極があるだろうが。
 それに対して、陰自体は、陰陽共振ではなく、内的宇宙(コスモス)であり、外的宇宙と通じると感じられる。
 そう、それが的確だと思う。陰領域に内的宇宙の内臓があるからである。
 これで解明できた。神秘主義、ロマン主義は、陰の世界なのである。


トランス・サイエンス文明の新時代、気の復権の革命的意義、ミクロコスモス&#8211;マクロコスモスと無双陰陽原理
トランス・サイエンス文明の新時代、気の復権の革命的意義、ミクロコスモス–マクロコスモスと無双陰陽原理

1)トランス・サイエンス文明の新時代
 科学は、より厳密に言えば、自然科学は、真理としては、証拠として、物質的再現性が要求される。言い換えると、仮説にたいする反復できる物質的検証が絶対的要請である。
  しかしながら、それは、陽=頭脳=自我のもつ同一性の原理に基づく考え方である。それは、陰陽精神における、陽中心主義の精神であり、陰のもつ能力を軽 視、無視・看過した思考法である。(思うに、カント哲学における内観という視点には、陰に通じるものがあるように感じられるが、カントの直観はあくまで、 外界中心だと思う。)
 とまれ、陰とは、肚である。(胸や心としての心臓であるが、それは、太極に通じるMP【メディア・ポイント】として考えているが、それは陰陽分極・双極の均衡点・交流点であり、陰と陽の両面をもっていることになる。)
 肚は内界(神秘学では、ミクロコスモス)である。そして、直観・直感、(気的)感性、魂、精神、意志(おそらく)、情動、神秘、他の性質をもっていると考えられる。
  この陰の精神は、陽の精神のような同一性をもたず、差異・他者の領域であり、物質的同一性の視点が通じない世界である。故に、端的に、陽精神に基づく自然 科学の視点はここには、厳密には適用できないのである。(もっとも、物質的に、観測はできるのであるが、物質という枠を通してである。)
  無双陰陽原理は、陰領域を陽領域より重視するので、自然科学の視点は一面的であると考えるのであるが、陰領域を記述することはできるが、もはや自然科学の 証明法が使用できないのである。直観を重視した陰陽哲学科学、即ち、無双陰陽原理をトランス・サイエンスとして位置づけ、物質文明に堕した西洋文明を乗り 越えるトランス・サイエンス文明の到来を唱える次第である。
 もっとも、先に述べたように、トランス・サイエンスは、サイエンスを包摂して乗り越えた学知として位置付けられるのであり、サイエンスの営為を肯定するものである。ただ、唯物主義を否定するのである。

2)気の復権の革命的意義

私は20代初期から、心と物質の関係で大いに苦悩・苦悶した。初め、物質主義と心的理性論を結合すればいいと考えた。しかし、それは、明らかに折衷であり、統一した理論ではない。
 結局、90年代、故湯浅泰雄氏らの気に関する著書を読んで、気が物質的身体を超越することを確信し、私の知は革命的に進化したのである。それまでは、唯物論的枠組みに囚われていて、外界における物質的制限から逃れられなかったのである。
  ちなみに、西洋文明においても、実は気に相当するものは、近代史の出発点に出現したと思われるのである。それは、イタリア・ルネサンスである。フィチーノ の人間精気(スピリトゥス)は、端的に、気、あるいは、陰陽霊を指すと思われるのである。その後、ガリレオ・ニュートンの機械論が支配的になり、人間精気 論は忘却されるのである。
 イタリア・ルネサンスとは何か。これは、南欧のもつ母権文化、陰文化の発現であったと思う。あえて言えば、東洋的なのである。

3)ミクロコスモス/マクロコスモスと無双陰陽原理

  今は余裕がないので、考察できないが、一言言えば、易の卦、即ち、上部の三つの爻と下部の三つの爻であるが、これは五臓六腑に関係すると思われる。内臓は内宇宙であり 、それは、太陽系の惑星に関係するようだ。
 そして、無双陰陽原理であるが、陰陽円において、折り畳まれた螺旋を考えると、陰領域に三つの陰体、陽領域に三つの陽体を想定することができる。これらを内宇宙=内太陽系の諸惑星と考えてみたい。
 そのときの問題は、太陽と地球の位置づけである。これまでの議論の流れでは、中心、MPに内的太陽を置くのが妥当であるが、そうすると、地球は、上部の陽領域になってしまうのである。
 地球を中心、MPに置くことも考えられるが、そのとき、太陽が陽領域に位置することになる。それは、また、これまでの議論にはそぐわないのである。
 結局、太陽と地球をどう捉えるのかということになる。
 どうも、両者は共通する要素があるのではないだろうか。つまり、交換可能な面があるのではないだろうか。そういう意味で、太陽地球、地陽球のような視点があっていいのではないだろうか。
 とまれ、今は問題提起に留める。





日本集団的自我とは何か:弥生農耕民族の集団主義を利用した支配的父権的自我である

テーマ:二つの日本民族:母権民族と父権民族

検討問題:日本集団的自我とは何か:弥生農耕民族の集団主義を利用した支配的父権的自我である

A. 集団的自我(半自我-半集団的自己、自我と集団の未分化的自己)と自我(父権的自己)と個の区別

 集団的自我というのは、日本人だけに存するとはいうことはないが、とりわけ、一般的には、日本人には、独特のそれが強いと思う。それは、半自我-半集団的自己とでもいうものである。
 それは、言い換えると、カメレオンのような自己であり、そのとき、そのときの場、状況に応じて、変身する自己である。言わば、一種のご都合主義である。風見鶏である。
 ただし、単純に変化するということではなくて、力関係、権力力学に応じて、変化するのである。自分が劣位な環境にあると思えば、優位なものに取り入るため、優等生ぶるのであり、逆に、優位な環境にあると思えば、劣位なものに対して、見下す、傲慢な態度をとるのである。
 ここには、自己同一性はないだろう。何故なら、環境依存の自我が存するのであり、自我、自己、個において、自立・独立していないからである。そう、明らかに、自我と社会環境との未分化な自我が存すると言えよう。
 そして、この未分化な自我(自己)が、日本の権力層や愚民層を占めていると考えられる。これは、父権・封建制(とりわけ、江戸時代の封建制、また、明治維新以降の中央集権制)と弥生農耕集団主義との融合によって形成された日本独特の自我(自己)であると私は考えている。
 この集団的自己であるが、直観的には、自我、利己主義と呼びたい。そう、当然、近代的自我ではありえない。何故なら、それは、自我的個体として独立していないからである。
 この非近代的自我である自我・利己主義の力学はいかなるものか。端的に、野放図な自我である。しかし、単に陽の自我だけでなく、陰の他者も存しているのである。しかし、あくまで、陽が主であり、陰は従である。陰は陽に利用されるのである。
 そう見ると、この集団的自己力学とは、基本が父権主義であり、それに集団的母権主義が付随していると考えることができる。
 だから、これは、支配者の力学であることがわかる。原日本の母権民族に進入したと考えられる父権民族の力学である。しかも、三つの母権民族のうちで、もっとも利用しやすい弥生農耕民族の集団文化を取り込んでいるのである。
 ということで、日本の集団的自我の力学が明らかになったと考えられる。
 この、言わば、集団的父権的自我は、当然ながら、今日、現代でも、支配的なのである。そう、ヘゲモニーをもっているのである。
 この体制を崩さないと日本人は自由になれない。そう、個として、自由になれない。
  私見では、日本的個の原形は、縄文民族、あるいは、ツングース系民族に存する。そして、日本伝統文化は、本来、個をベースにした共同性の文化であると考え ている。つまり、母権的個の文化、母権的個的共同的文化である。(これまで、個的共同体と呼んできたが、果たして、共同体と言えるのか問題がある。しか し、自発的共同・協働性はあると思う。)
 この母権的個的共同文化社会が明治維新、戦後、小泉政権後、破壊されてきた。日本人はまったく洗脳されていて、個的自由を喪失しているのである。
 とまれ、一言、処方箋を言えば、肚に帰れ!である。肚に母権的個的共同性の母胎があるからである。


B. オカルト学からトランス・サイエンス:

オカルト生理学 (ちくま学芸文庫)/筑摩書房

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シュタイナーの『オカルト生理学』は、無双陰陽原理によって、明解になると思う。ただし、「オカルト」という用語は、胡散臭いので、「トランス・サイエンス」とでもすべきである。即ち、『トランス・サイエンス生理学』である。


C. ミクロコスモス(内宇宙)とマクロコスモス(外宇宙)の照応:トランス・サイエンス=神秘学の奥義

これは、Bのシュタイナーの本の視点を、無双陰陽原理から読み直すとより整理
されるように思う。




   




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カレンダ
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