INNOVATION OF PHILOSOPHY: GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience - 2012/12

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




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2012年12月30日(Sun)▲ページの先頭へ
検討問題:螺旋回転の問題:太極→陰陽円→MP→気→螺旋生命物質体
検討問題:螺旋回転の問題:太極→陰陽円→MP→気→螺旋生命物質体

テーマ:無双陰陽原理

検討問題:螺旋回転の問題、その他

1. 螺旋回転の問題が難しい。螺旋の起点は、円周にあるのか、MP(メディア・ポイント:つまり、螺旋の中心の始点)にあるのか。やはり、二重に考える必要があるようだ。
 陰陽円=超越円がある。そこには、陰陽双極子が回転している。これは、陰陽霊界の事象である。しかし、その回転は、現象界(三次元空間)を産み出す。陰陽円の中心を直交する力が働き、陰陽円はいわば、現象円となり、螺旋回転が生起し、螺旋形状が形成される。
 直観では、直交する力は気である。気の中心軸(気軸とする)の周囲に螺旋回転が形成されると思われる。思うに、気軸が天地軸である。そして、螺旋形状が宇宙・自然生命体、生命現象・生命物質体である。
  例えば、朝顔の蔓は、気軸=天地軸(垂直軸)を中心にして、螺旋的回転を行うと考えられよう。だから、朝顔において、蔓の螺旋の内部に気界が存するように 考えられる。そして、樹木の場合は、中心の幹に気軸があると考えられる。つまり、幹は、気に満ちていると考えられる。そう、気は天地を垂直に貫いていると いうことになる。
 以上のように、思考実験的に考えて、整理すると、陰陽円とはやはり、超越的次元、霊的次元に存するのであり、陰陽霊が作動する領域であり、陰陽共振がなされる領域であるが、陰陽共振は、気を発出するのであるが、それは、MPを介してと考えられる。
 正確に言えば、気はMPで形成されるのであり、それまでは、陰陽霊である。
 私は超越界は内在的超越界であると述べているが、それは正に、MPの本性であると考えられる。説明すると、気は人体内に存する。それは、心身に浸透している。だから、気は内在的である。そして、心身自体にMPがある。だから、心身のMPを 介して、超越界に通じることが可能なのである。故に、超越界(陰陽円)は内在的超越界である。【太極であるが、それは、陰陽円を超えた存在である。だか ら、果たして、それは内在的超越界と呼べるかどうか問題である。内在性からは、陰陽円の超越界に通じることが可能であるが、太極まで達することができるだ ろうか。しかし、陰陽相補性を直覚したとき、陰陽は即非的極性であり、一(いつ)であるという認識があるだろう。だから、陰陽円に通じたとき、やはり、太 極に達していると見ていいと思われる。だから、言い換えると、太霊があり、それが、分極・双極化して、陰陽霊となる。そして、陰陽霊が共振して、気(生命 霊)が発出し、螺旋的生命現象・生命物質体を形成していくと考えられる。】
 ここで四元数(しげんすう)に関係させると、複素数i, j, kと実数1であるが、以上の視点に拠れば、これまで、三つの複素数を空間三次元と見、それらが、螺旋形状を形成すると仮説してきたが、それは上記の論に適合すると言えよう。わかやすく言えば、朝顔の蔓とは、複素数i, j, kの三次元に位置するということになる。
そして、いちばん問題であった実数1であるが、今や、それは、気であるということになったのである。

1=気 

である。しかし、感覚-物質界的には、光であろう。しかし、それは言わば、仮象である。本体はあくまでも、気(エーテル体)である。
 今はここで留める。


2. 父権-封建制の精神的遺制の存続する現代日本:半自我―半集団的自己の日本人:自我と位階(ヒエラルキー)的集団の未分化様態:個の形成に必要な他者意識の欠落:自我を他者に投影している自我同一性の意識様態

  おそらく、この一種奴隷根性は、弥生農耕集団文化社会が、父権的支配社会の下に置かれたときに、発生したように思える。もっとも、初期は生きるための手段 であり、おそらく、例えば、面従腹背という生存方法である。しかし、時が経つにつれて、それが習慣になり、本来の集団文化社会(一種の共同体)の維持から 外れて、保身的習性となってしまったのではないだろうか。
 これを敷衍して言うと、米国に隷従している日本の政権は、この父権支配下における弥生農耕集団文化社会の「奴隷根性」をもつ、大資本家と結託した政治家、官僚、司法管理者等によって占められてきたと考えられる。
 この隷属するタイプは、何度も指摘するが、森鴎外の『阿部一族』の柄本又七郎に見い出せると考えている。 
 とまれ、父権・封建制下の農耕集団文化社会のもつ隷属的エトスが日本人の個的自立の形成を阻害していることは確かだと考えられる。
 この隷従エトスであるが、それは先にスノッブ(俗物)の意味をあげたが、まったくスノッブである。上位、優位の者に取り入れ、下位、劣位の者を見下すというものである。
 明治維新は父権主義が勝利して、このスノッブな人間が上層を占めるようになったのである。とまれ、一言で言えば、父権的集団的隷従エトスが近代・現代日本権力の「イデオロギー」と言える。





検討問題:トランス・サイエンスとしての無双陰陽原理、その他
テーマ:無双陰陽原理
1.トランス・サイエンスへ向けて:

無双陰陽原理から見ると、科学、悟性・知性とは、陽=頭=自我=同一性=悟性(知性)=アーリマンの原理である。
 つまり、陰=肚=他者=差異=感性(直観・直感、心魂性、精神性)=ルシファーが欠落しているのである。
 科学とは、真理の再現性を要求する。それは、陽の同一性の視点に基づくものであり、陰の事象については、それはあてはまらない。なぜなら、陰の領域は、差異、絶対的差異、特異・単独的差異の事象の領域であり、同一性の真理は適応できないからである。
わかりやすく言えば、直観・直感の領域は合理的には、記述できないからである。 
もっとも、陰の直観・直感領域は、普遍的であると考えられる。これは、悟性(知性、言語)では、指し示すことはできても、真理自体であることは不可能である。これは、各人、感じるしかないのである。
し かし、感得した人間同士はそれを理解し、コミュニケーションできるのである。この陰=肚(正確には、胸も含むが)の内界は、陽=自我=頭の科学では認識不 可能であり、科学の対象になりえないのである。せいぜい、肚の太陽神経叢を物質的に観測するしかないだろう。もっとも、それは意味がないということではな いが。
と まれ、陰=肚=他者=感性(直観、直感、魂、精神)=内的存在を理解、意識、認識するには、科学ではなく、トランス・サイエンスが必要であると考えられる のである。日本語で、超科学と言いたいところであるが、それはなにか胡散臭い感じを与える語弊があるので、使用できない。
ト ランス・サイエンスとは、科学を超えたものであるが、それは、科学を否定するのではなく、科学を内包・包摂して超越したものである。だから、内超科学、包 超科学とでも日本語で言えるかもしれないが、それでは、ぴんと来ない。故に、トランス・サイエンスと呼ぶのである。(メタ・サイエンスという言い方も可能 かもしれない。しかし、メタでは、超越ではなく、超越論的な意味合いがあるので、使用できないと考える。トランスとは、あくまで、超越性を意味するのであ る。もっとも、正確には、内在的超越性であるが(この意味で、内超科学とは呼べるだろうが)。
もう少し丁寧に言うと、陽の科学を内包し、超越した学ということで、トランス・サイエンスなのである。あくまで、科学を基盤としているのである。(思うに、科学と学を区別すべきである。今日、科学万能であるが、学が存すると考えられる。これについては、後で検討したい。)
とまれ、トランス・サイエンスは感性・直観・直感・心魂・精神学であるが、それは、言語で記述できるであろうし、それは、科学の成果と照合可能である。というか、科学の成果と比較照合するようにして、確固とした、説得力のあるものとなろう。


2.陰陽円=超越円と内的空間:
超越円とは、当然、物質現象界を超越しているが、単に超越しているのではなく、内在的に超越していると考えられる。
 先にMPから、現象が飛び出すと述べたが、そのような考え方だと、超越界と現象界が二分化されてしまうだろう。
 気の世界(気界と呼ぼう)は、現象界にも当然、存在しているのである。朝顔で言えば、蔓の螺旋空間に気界が存していると考えられる。そう、自然空間は、一般に、気界である。螺旋的事象ないし渦巻的事象に満ちた自然・宇宙空間はぶ、気界と考えられる。
 だから、厳密に言えば、陰陽円とは、気界ではなく、原気界、即ち、陰陽霊界である。そして、それが、MPを原点、起点、始点として、現象界に気的物質界(生命的物質界)を形成すると考えられる。つまり、現象界とは、単に物質界ではなく、気的物質界なのである。
  思えば、アインシュタインが相対性理論を確立する前、物理学では、光の媒体として、エーテルの存在が問題になったが、マイケルソン・モーリーの実験によ り、それが否定された。しかしながら、トランス・サイエンスである無双陰陽原理に拠れば、気が存するのであり、光は当然、気を背景にもっているのである。 否、光(太陽光)の本体が気(気光)と考えられるのである。だから、気(シュタイナーではエーテル体)は媒体ではなく、本体である。太陽光とは、気(気 光)の影である。D. H. ロレンスが説くようにダーク・サンが正しい。
 そう、トランス・サイエンスの無双陰陽原理に拠って、科学は超克されることになるだろう。

3.超言語学へ:外界言語と内界言語:後者は、内界の感性、精神を指すが、その対象は、概念・観念とは別の存在である。そう、内的存在である。それは、言語観念・概念を超越した外部に存するものである。

以上、まだ言い足りないが、帰省中で、マックから、BBポイントを介してネットにアクセスしているので、そろそろ、出て行かなくてならないので、ここで留める。








仮説:回転は垂直の力を生む:回転する陰陽双極子は陰陽円に螺旋回転し直交する力を生み出す

テーマ:無双陰陽原理

先に、陰陽双極子の回転と螺旋回転について言及した。
 問題は、そのメカニズムなのである。私の知識では、的確に解明できないのである。
 そこで、仮説ないし作業仮説ということで、タイトルのようにした。(実は、竹とんぼを思いついて、このような発想が浮んだのである。)
 そのようにして、イメージすると、陰陽双極子は、気の双極子であり、それが、回転、螺旋回転すると、電磁波を発生させるように思える。
 イメージでは、外部が電磁波、物質体であり、内部が気である。
 言い換えると、外部とは外界、物質界であり、内部とは内界、精神界である。
 物質科学は、前者を観測しているのであり、後者をまったく看過していると考えられる。
 気の科学は、当然、後者を主にして、前者を従にして考えることになる。漢方はそのような考え方である。
 今は、イメージ、直観で考えているだけで、思考実験である。
 結局、外界とは、陰陽双極子の螺旋回転の外部であり、そこに三次元空間と時間を見ていることになる。
 時間は、陰陽円に直交する力が作っているように思える。
 さて、問題は、先に陰陽円とガウス平面とを結びつけて考えた点である。
 陰陽円は端的に、ガウス平面上にはない。まったく別である。それは、超越円である。
 その超越円において、陰陽双極子が回転しているのであり、その超越性を破るようにして、螺旋回転が生じると考えられるのである。
 そうすると、先に、内部は内界、精神界と述べたが、内部は、超越円の世界ということになるだろう。
 そう、超越界はあくまで、二次元平面であろう。
 そのように考えると、超越界から現象界への外化であるが、発生点は何だろうか。
 発生点は、陰陽円=超越円の中心であるMPではないだろうか。この中心点=MPから現象が飛び出すのではないだろうか。
 もっとも、それは、いわば、原生命体である。それは螺旋回転している。しかし、最初は、渦巻状態ではないだろうか。その後、螺旋回転へと展開するのではないだろうか。(これは検討問題。)
 思うに、蔓植物であるが、例えば、朝顔であるが、種子とは、中心点=MPの物質化したものではないのか。それは、陰陽円の原回転運動をもっており、現象的には螺旋的に蔓を伸ばすと考えられよう。
 そう、MPの物質体としての種子という着想がここで生じた。
 それは、陰陽双極子の回転運動を内在しているように思われる。
 今は、雑駁であるが、ここで留める。



2012年12月26日(Wed)▲ページの先頭へ
螺旋回転の力学:陰陽円における第一半回転物質過程と反転時点と第二半回転精神過程
新啓示=黙示録の時代:自我=陽=父権の民族の発狂:他者=陰=母権の民族の勃興

今はまだ不明であるが、太極が一種回転していて、それが、時間によって、螺旋的回転になり、今や、ある段階の一回転(サイクル)が終わり、新たな段階での一回転(サイクル)が始まる時になったと思われるのである。
 そして、旧い回転(サイクル)から新しい回転(サイクル)に進展する時、新たなエネルギー、つまり、太極エネルギーが注入される、参入・流入するように思われるのである。
 これは陰陽共振エネルギーでもあるから、当然、気エネルギーの注入・参入・流入である。また、それと同時に、より高次のエネルギー、霊的エネルギーも注がれているように思われるのである。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11433084189.html

先に以上のように書いたが、螺旋回転の力学について、もっと詰めていきたい。
 わかりやすく言うと、原点のゼロ・ポイントがあり、ここから、差異共振によって、新しい情報エネルギーが生起する。
 そこではまた、時間も生起して、空間が形成される。
 螺旋回転の力学に重要なのは、情報エネルギーではなく、その根因の陰陽力学である。
 今は思考実験として、試行錯誤したい。
 陰陽円で考えよう。これは、実はガウス平面で考えるとわかりやすいので、ガウス平面で考えると、陰陽軸は虚軸である。そして、陰陽双極子としての気が存する。
 陰陽が陰陽軸=虚軸に存するとき、それは、百パーセント陰陽共振を行なう。これが原点=ゼロ・ポイントである。
 しかし、双極子は回転し、差異共振の側面は減衰していく。今は、とりあえず、反時計回りの回転を考えよう。
 反時計回りに90°回転すると、陰陽双極子は、陽が−1、陰が+1となる。これは、陰陽が完全に物質化された状態ではないだろうか。
 次に、さらに、90°回転すると、つまり、始めからだと、180°回転である。
 そうすると、陰陽双極子であるが、陽は陰となり、陰は陽となる。つまり、陰陽反転様態である。
 思うに、当然、ここが半回転であり、折り返し点である。そして、その次の90°回転、つまり、最初からだと、270°回転の場合、陰陽双極子は、陽が+1となり、陰が−1となる。これもなんらかの物質化を意味しよう。そして、さらに90°回転、つまり、最初からだと360°回転、つまり、一回転すると、元に戻る。しかしながら、時間が発生しているので、螺旋回転になり、これは、最初の位置よりは、進展している原点になる。
 以上のように考えると、陰陽双極子の一回転において、陰陽共振の極大点は三つある。即ち、最初の時点と半回転した時点と一回転した時点である。
 最初の時点と一回転した時点は、始点となるから、わかりやすいが、半回転の時点の様態の意味がよくわからない。
 とまれ、少なくとも、始点(同時に終点でもあるが)において、純粋陰陽共振が行われ、情報エネルギーがもっとも強いということは理解されることである。
 問題は半回転の時点での陰陽双極子の意味である。ここでも明らかに一種の陰陽共振は為されると考えられる。
 しかし、陽が陰となり、陰が陽となった時点での陰陽共振とは何か。
 今の段階での作業仮説では、それは、反転移動を意味するのではないだろうか。それまで、反時計回りで、左円を形成していたが、半回転後からは、右円を形成するということではないだろうか。
 つまり、これは、左右の逆転でもあるということではないだろうか。鏡の反転と言えるのではないだろうか。(ルイス・キャロルで言えば、鏡の国である。)
 だから、陰陽共振は、いわば、逆陰陽共振とでも言うものになるのではないだろうか。しかし、ここでも、エネルギーは極大的だと思う。しかしながら、新しい段階の回転は作らない。
 ざっと以上のように考えて、やはり、原点・始点(終点)において、陰陽共振のエネルギーが純粋に発動することがわかる。どうも、これが、根源の情報エネルギーのように思える。その後は、減衰していくが、反転において、おそらく、逆情報エネルギーが発動する。そして、それから、終点(新しい始点)へと向うということだろう。
 思うに、反転時点での逆情報エネルギーとは生体で言えば、成長から衰退への転化をもたらすエネルギーを意味するのではないだろうか。
 熱力学ではエントロピーの増大である。
 しかしながら、それは、生命物質体の物質体にあてはまることと思われる。
 逆に、精神は物質の衰退といわば反比例して、成長するようになると、成熟するようになると思われる。これは、もっとも、一般的にである。個々人によって、様態が異なると考えられる。唯物論に染まった人は、精神成長が著しく妨げられるだろう。そして、悪徳化していくことだろう。
 とまれ、反転時点において、物質体は衰退過程に入るが、精神体は成熟過程に入ると思われる。(ここで、心理学者のユングが言った中年の危機を想起する。)
 そう、反転時点とは、陽が陰となり、陰が陽となる。つまり、逆転であり、無双陰陽原理から言うと、頭が肚となり、肚が頭となることであり、それは、両極の交流、相互形成、試練・鍛練・陶冶を意味するだろう。
 頭が肚と通じ、肚が頭と通じるということである。つまり、外界と内界との交流である。物質界と精神界の交流である。
 しかし、近代主義、近代合理主義、唯物論に染まっていると、この重要な交叉交流を阻害してしまい、人間は精神の危機を迎えると考えられる。端的に、心の病である。
 今日、世界的にこの危機を迎えていると思う。先に、陰陽が牽引せずに、乖離背反する状態になっていると述べたが、それはこのことと一致するだろう。
 世界的カオス=狂気の時代、黙示録時代である。
 私見では、双魚宮(魚座)文明の回転(サイクル)は終わりに近づき、新たな宝瓶宮(水瓶座)文明の回転(サイクル)に入りつつあるのだ。魚座サイクルの終点すなわち、水瓶座サイクルの始点に近づいているということである。
 闇はますます濃くなるが、同時に黎明、曙光、夜明けの光がますます感じられる時代・エポック・エァラと考えられる。
 私見では、超越光、気の光、大光が見え出しつつあるのだ。
 そう、新たな霊性の時代である。新しい霊的次元が感知、認知できる時代になっていると考えられる。
 今日、物質的次元で、人間界では、大狂気が演じられている。金融資本主義という唯物経済がこの原因である。
 新たな霊的次元に覚醒し、新しい世界、新しい政治・経済・社会・文化のシステムを創造・構築すべき進化時代になっているのである。
 
追記:以上の考察では、陰陽円とガウス平面を同一視しているが、ガウス平面を設置する場合、四元数と齟齬を来すので、首尾一貫させるには、思うに、ガウス平面ではなく、陰陽円に即した平面が考えるべきである。とりあえず、陰陽円、陰陽平面を前提とする。

追記2:後、時間のことについて、述べなくてはならない。

追記3:ユングは中年の危機に起る人生の反転をエナンティオドロミアと呼んでいた。

参考:
アペイロン、エナンテオドロミア、プシコイド
2008-08-29 00:22:24 | 随想
■エナンテオドロミア(エナンティオドロミア)は、古代ギリシアの哲学者ヘラクレイトスに由来する概念です。
自然哲学の用語で、一方に偏ったものが他方の極に向かって変化することを指し、ユング心理学では、一面的になった意識を無意識がバランスを保つべく作用することを意味します。

アナクシマンドロスは、無限定であるところのアルケーは、神的で不滅なアペイロンから、暖かいものと冷たいもの、乾いたものと湿ったもの、などの性質の対立するものが分離したと主張しました。さらに争い合うこの対立するものからは地・水・火・風が生じ、また星辰や生物が生じたとして、こうした掟にしたがって、やがて争いの罪を贖って死滅すべきもので、すべてはアペイロンへ戻ると唱えました。

アペイロンはペラス(有限)に対立しますが、アナクシマンドロスはそれがすべての生成の源であると考え、人生とは、個人の内面にあって、外在的現実への没頭、執着から顔をそむけ、内面的世界の探求へ視線を移す動向の予兆を示すものとなります。またその逆の過程も考えられます。このような契機において、個人の探求は、それ自体無限に深化するだけでなく、深化の過程で再びエナンテオドロミアの動向をはらむこととなります。

――ユングは、無意識層のさらに深部には、プシコイドとよぶ領域があり、精神と物質が渾然一体となって万象のカオスに繋がっていると考えました。私たちが出来事の偶然として認識する、説明不可能でふしぎな体験には、集合的無意識と現実との作用を同時共調させる未知のエネルギーが働く場合があるのではないかと考え、シンクロニシティの仮説をたてました。そしてシンクロニシティの現象は、プシコイドを循環するエネルギーの強弱や方向性によって惹き起こされると推論したのです。


〈アペイロン、エナンテオドロミア、プシコイド〉_1

〈アペイロン、エナンテオドロミア、プシコイド〉_2
http://blog.goo.ne.jp/syncr/e/85e7b02c9ca1d38b3a47b08eeebef0ee
人生の謎學
―― あるいは、瞑想と世界


ユング5-3

3 心的エネルギーのシーソー



 フロイトとジャネ、この二人がユングの心的エネルギー論の先駆者と言えるわけですが、この人たちに共通しているのは、心のエネルギーの総量は一定していると仮定したことです。総量が変わらないというのは物理学におけるエネルギー保存則の見方ですが、それを心のエネルギーにも適用している。

 そして、意識がエネルギーを使っている状態と、無意識の中でエネルギーが使われている状態がある。意識と無意識の間で、エネルギーが行ったり来たりする。行ったり来たりが交互に繰り返されるということです。エネルギーが行ったきりで、一生分裂病のままでいる人もいますが、普通は無意識の方へ行ったきりでそのままということはあまりない。意識の方へ戻ってくる、行ったり来たりするほうが普通だと彼らは考えたんですね。

 これは言ってみると、シーソーみたいなものです。シーソーみたいにエネルギーは流れると考えた。この見方が最も当てはまるのが躁鬱病ですね。躁のときにはエネルギーがあるように見えますが、これは意識の方にほとんどのエネルギーが来ているからです。普通の人は、意識的に行動しているようですが全部意識的というわけではないんですよ。エネルギーが100%意識で使われているわけじゃない。躁のときには100%近く意識で使われているから、活動的で元気がある。しかしこれは長続きしないんです。しばらくするとダーッと落ち込んでしまって、何もやる気がしなくなる。この時には意識にはエネルギーがなくて、ほとんどが無意識の方に行ってしまっている。意識的には何もできなくなってしまう。これが鬱病の状態です。つまりは極端な行ったり来たりを繰り返すのが躁鬱病です。エネルギーの行き来の振幅があまり大きいのは危険ですね。

 エネルギーがこのように行ったり来たりする状態を、ユングは「エナンティオドロミー」と言いました。エナンティオドロミアというギリシア語は、古代ギリシア哲学者のヘラクレイトスの言葉です。ヘラクレイトスの「万物は流転する」という言葉は有名ですが、これは万物は対立し争いながら、その対立する相手の方に変化していく、しかし対立しても元に戻って、全体としては調和しているのだという見方です。例えば、天にあるときは火であるが、この火が地に降りてくると水となる。水は土になる。しかし土はまた水に戻って、その水はさらに火になって天に戻っていく。ユングは『元型論』で、精神(ガイスト)は天にあって火であるが、現代は地上に降りて水になっていると言っていますが、これはこのヘラクレイトスの言葉をふんでいるんです。こういった逆転現象が心にも見られるとユングは考えました。

 つまり、意識的な状態が、ある一面的な状態に偏ると、それに対する反動現象が起きて、「補償」ということが出てくる。そういう意味では「反動」というのはいいことです。これが起きないと、一面的になりすぎるわけですから。

http://www007.upp.so-net.ne.jp/rindou/jung5-3.html



心とこころを響かせて : エナンティオドロミア(enantiodromia)

とにかく、「辛と幸」の字が非常に似ているということを認識した時点で、
すぐに頭に浮かんできたのは、「エナンティオドロミア」という言葉でした。

「エナンティオドロミア」について、ユング派分析家で現大阪大学教授の老松克博先生は、
このように説明されておられます。

「『エナンティオドロミア』について説明しておく。
これは古代ギリシアの哲人、ヘラクレイトスの術語で、文字どおりには「逆転」「反転」を意味する。
万物の生々流転の原理を表わすもので、中国の陰陽思想に近い。
陰陽の言葉を用いて説明するならば、陰の極まるところおのずから陽が現われ、
陽の極まるところおのずから陰が現われる、ということである。
状況は極端になると反転する。
宇宙のいっさいは、そのようにして変転していく。
この原理は、心という宇宙で起こる諸現象にも当てはまる。
無意識は極端を嫌う。
意識のなかで偏りがひどくなってくると、反対のものが無意識からおのずと現われてきて補償しようとするのである。」

http://twinbells.blogo.jp/archives/1627336.html
心とこころを響かせて


「アニマ・アニムス」と「エナンティオドロミア」 - Ameba


「エナンティオドロミアの法則」とは、

意識が極端に偏ると、バランスをとるために

無意識が反対方向に補償する働き。


陰陽の思想でいう、「陰極まれば陽に転じ、陽極まれば陰に転ず」太極図

ユングの思想と、陰陽の思想の一致。


夢の中に、アニマ・アニムスが出てくるときに、

エナンティオドロミアが起きやすくなると言われます。



アセンションは、二極化されていたエネルギーの統合が

重要なテーマだと言われています。

「男性性と女性性の統合」音譜


文明の終わりと始まりは、エナンティオドロミアの繰り返しですね。。

近代化された現在の世の中は、男性性が強く出ていますが、

でも今回は、男性性が極まっても、次は女性性に転じない、

どちらにも偏らない真ん中、中庸を目指してるんですね
http://ameblo.jp/mametantantan/entry-11401760965.html
Peaceful Landscape。・:,。☆

Enantiodromia - Wikipedia, the free encyclopedia
en.wikipedia.org/wiki/Enantiodromia - キャッシュ - 類似ページ
Enantiodromia (Greek: ἐνάντιος, enantios, opposite + δρόμος, dromos, running
course) is a principle introduced by psychiatrist Carl Jung that the
superabundance of any force inevitably produces its opposite. It is equivalent to
the principle of ...
http://en.wikipedia.org/wiki/Enantiodromia


2012年12月24日(Mon)▲ページの先頭へ
アポロとディオニュソス:陽と陰:古代ギリシアと古代日本:陰陽結合共振:奇蹟の二つの古代文化
参考のリンクは以下を見られたい。
http://sophiology.jugem.jp/?eid=200

アポロとディオニュソス:陽と陰:古代ギリシアと古代日本:陰陽結合共振:奇蹟の二つの古代文化

テーマ:二つの日本民族:母権民族と父権民族

新啓示=黙示録の時代:自我=陽=父権の民族の発狂:他者=陰=母権の民族の勃興
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11433084189.html

光は闇であり、闇は光である:「きれいはきたない、きたないはきれい」『マクベス』の魔女の言葉
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11432346716.html

超越神と太極:陽=自我=父権の民族が太極エネルギーを超越神・唯一神と捉えるだろう
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11432156704.html

アントロポゾフィーと無双陰陽原理:自我=陽=アーリマンと他者=陰=ルシファーと陰陽均衡=キリスト
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11431487047.html

以上のように考察を進めてきて、今、ニーチェが『悲劇の誕生』で説いた有名なアポロとディオニュソスについて、明快になったと直観した。
 即ち、端的に、アポロとは陽=頭=自我=父権であり、ディオニュソスとは陰=肚=他者=母権ということである。
 これは、まったく古代ギリシアの史実に合致する事柄である。即ち、古代ギリシアは東地中海の母権・女神文化民族を基底にもっているが、そこへ父権民族のアカイア民族が到来して、母権・女神文化民族を征服したのである。しかしながら、ベースの母権・女神文化民族は強力であり、父権民族はそれを根絶できずに、それと習合したのである。即ち、象徴的に、ディオニュソスとアポロの結合である。母権と父権の結合である。
 これが、古代ギリシア文化の本質であり、それをニーチェが『悲劇の誕生』でほぼ解明したと言えるのである。
 ニーチェはディオニュソスを音楽、アポロを美術に喩えたが、それは正鵠を射ていると言える。
 無双陰陽原理から見ると、ディオニュソス=肚、アポロ=頭であり、前者は聴覚的であり、後者は視覚的であるからである。
 問題は両者の結合の意味することである。
 それは、当然、陰陽共振、ディオニュソスとアポロの共振である。それは、無双陰陽原理では、気エネルギーを意味した。おそらく、ディオニュソスとアポロの共振も気エネルギーを意味したはずである。
 ルドルフ・シュタイナーは、古代ギリシアの彫刻は、人体のエーテル体を表現したものと述べているが、エーテル体とは正に、気である。気の身体である。
 ニーチェが範をとったギリシア悲劇であるが、それは、果たして、陰陽共振の芸術であろうか。
 『オイディプス王』を見ると、アポロの方が勝っていると言えよう。実母と結婚してしまったオイディプスであるが、それは、アポロ側の婚姻の法から見ると侵犯であるからである。ディオニュソスからそれをどう判断するのかはわからないが。
 また、アイスキュロスのオレステイア三部作であるが、それは、明らかに、母権と父権の闘争である。つまり、ディオニュソスとアポロの闘争である。陰と陽の闘争である。
 そして、第三部において、和解が生じるのである。それは、アポロ側の法とディオニュソス側(復讐の女神)の神格化である。
 結局、アポロとディオニュソスの和解であるが、それは、現実的には、ギリシア民主主義の肯定となるが、背景には、霊的次元があることを認識しないといけない。
 この霊的次元をなくしたのが、近代主義、近代民主主義である。
 そう、無双陰陽原理の視点から見ると、陰陽の霊的次元が古代ギリシアにはあり、近代には欠損しているということである。
 とまれ、本題に戻れば、ニーチェが説いたアポロとディオニュソスの原理とは、陰陽原理であり、両者の和解とは陰陽共振であり、調和であり、気エネルギーの形成を意味するのである。
 そう、プラトンの対話篇に感ぜられる心地よい雰囲気であるが、それは、古代ギリシア人に感知されていた気の空間ではないだろうか。
 言い換えると、古代ギリシア人は気を感じて、偉大な文化、民主主義を形成したのである。
 そして、そこから、プラトン哲学を考えることが可能である。イデア論とは何か。
 それは、当然、気の世界に関係するし、さらに、太極の世界に関係するだろう。イデア界とは先に触れたように、太極であり、イデアの型とは、陰陽共振の気の情報にあるのではないだろうか。これについては、検討課題である。

追記:古代日本について言うのを忘れたが、これは既述済みなので、簡単に言うと、基底の三つの母権民族(縄文民族、弥生民族、ツングース系民族)と上層の父権民族(おそらく、ユダヤ民族と中国の父権民族)の結合から、古代日本は誕生したのである。それが、記紀神話に表現されていると思う。
 ただし、古代ギリシアに比べて、ディオニュソスより、アポロに傾斜している向きがある。
 そう、日本人は、音楽より、美術に秀でている。それは、ここに根拠があるのでないだろうか。
 今はざっと言うに留めた。

追記2:上述の論は、いかにも、アポロとディオニュソスの二元論の趣がある。しかし、それでは、ニーチェの視点と同じである。もっとも重要な点は、アポロとディオニュソスが陰陽極性を形成するということである。両者を切り離すことができない、不可分一体ということである。不二一元論である。この両極性を理解しないと古代ギリシア文化の本質を逸することになる。つまり、古代ギリシア文化は単に西洋文化の源流だけではなく、本質として、東洋文化であったということである。太極陰陽論が古代ギリシア文化に存していたということである。

追記3:古代ギリシアの秘密はまだまだ、奥深い。問題は、例えば、ギリシア神話のゼウスの位置付けである。それは、主宰神とされるが、実は、大女神に似た生産的特徴がある。これをどう見るのか。
 いちおう、以下のように仮説しよう。即ち、大女神・母権文化であるが、それは、陰をベースにしながらも、陽を包摂していた。その陽の位置にゼウスが収まったということではないだろうか。故に、母権文化をベースにしつつ、陽の位置に父権文化が入ったということではないだろうか。
 思うに、古代日本もそうではないだろうか。基底の母権天皇制があり、その陽(太陽)の位置に父権天皇が入ったということではないだろうか。
 

参考:
古代ギリシア
古代ギリシアの民主政
古代ギリシア2
古代ギリシア - Wikipedia
男爵ディーノ_「悲劇の誕生」読解メモ
ニーチェ『悲劇の誕生』
“ディオニュソス的なもの”と“アポロン的なもの” - Keyword ...
アポロン的なもの と ディオニュソス的なもの - T_NAKAの阿房ブログ
アポロン(Apollon)とディオニュソス(Dionysos): ブゾーニとラバン ...
松岡正剛の千夜千冊『母権制』ヨハン・ヤコプ・バハオーフェン
母権制とはいかなる概念か
ルドルフ・シュタイナー - Wikipedia
エーテル体 - Wikipedia
オイディプス王 - Wikipedia
オレステイア - Wikipedia
アイスキュロスの「オレステイア」(芸術論02)
プラトン
第16講義「イデア論」 - ギリシア哲学への招待状
'プラトンのイデア論'とはどういったものなのでしょうか? - Yahoo!知恵袋
イデア論 - Wikipedia
イデア - Wikipedia
プラトン - Wikipedia
Plato - Wikipedia, the free encyclopedia

* Works by Plato at Perseus Project - Greek & English hyperlinked text
* Works of Plato (Jowett, 1892)
* Works by Plato at Project Gutenberg







新啓示=黙示録の時代:自我=陽=父権の民族の発狂:他者=陰=母権の民族の勃興

テーマ:無双陰陽原理

超越神と太極:陽=自我=父権の民族が太極エネルギーを超越神・唯一神と捉えるだろう
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11432156704.html

先に以上の小論で、父権民族は太極ないし陰のエネルギーを超越性として捉えると述べた。
 これは私のまったくの主観であるが、今日、新たに、太極エネルギーが、参入している(influence: 【占星】 (天体から流れて来る霊液が人の性格・運命などに与えるという)感応力(の働き).[株式会社研究社 新英和大辞典第6版])と思われるのである。
 そう、私は西洋占星術のプラトン年の考え方を支持している。簡単に言えば、星座(宮)による時代の変遷(進化)の考え方である。今は、双魚宮(魚座)から、宝瓶宮(水瓶座)への転換期である。
 今はまだ不明であるが、太極が一種回転していて、それが、時間によって、螺旋的回転になり、今や、ある段階の一回転(サイクル)が終わり、新たな段階での一回転(サイクル)が始まる時になったと思われるのである。
 そして、旧い回転(サイクル)から新しい回転(サイクル)に進展する時、新たなエネルギー、つまり、太極エネルギーが注入される、参入するように思われるのである。
 これは陰陽共振エネルギーでもあるから、当然、気エネルギーの注入・参入である。また、それと同時に、より高次のエネルギー、霊的エネルギーも注がれているように思われるのである。(追 記:注入、参入と言っているが、正しくは、内入、内注である。あるいは、内注入、内参入である。influlenceであるが、もともとは占星術の用語で ある。参照:in・flu・ence 〔初14c;ラテン語 influentem (流れ込んだ).「in- (中へ)+-flu (流れる)+-ence=流れ込むもの」〕[ジーニアス英和大辞典 株式会社大修館書店])
 とまれ、陰陽共振エネルギーであり、陰と陽が賦活されるわけであるが、先に述べたように、当然、陰エネルギーも活性化するのである。
 しかしながら、近代(モダン)という時代は、陽=頭中心主義の時代であり、陰=肚を閉鎖しているのである。
 思うに、一神教が誕生したとき、父権民族の預言者たちが、太極エネルギー、陰エネルギーを受信したわけであるが、そのとき、無意識において、陰=肚=魂はMPを介して、開いていたと思われる。
 だから、預言者はMPを介して、高次のエネルギー(高次の情報エネルギー)を受信し得たと考えられる。一種シャーマン的にである。
 しかし、21世紀の今日、近代主義化して、今や、陽=頭中心化していて、陰=肚は鎖されていて、新たな高次のエネルギーは注入されなくなっているのではないか。
 高次のエネルギーは人間の魂に入ろうとするが、その魂が鎖されているので、参入できないと考えられる。否、正確に言えば、陰に高次エネルギーは参入して いるのである。しかしながら、陽と共振すべく媒介となるMPが閉じているので、陽と共振できずにいると考えられるのである。
 すると、陰エネルギーはMPに強く働きかけるのであるが、MPはダムのように閉じたままなので、陰エネルギーは行き場を失うのである。
 おそらく、反動化した陰エネルギーは、陽の世界を襲うようになると思われるのである。つまり、衝動化である。それも、破壊、攻撃的衝動である。
 なぜ、破壊、攻撃的であるのか。陽と共振すれば、調和的な気エネルギーとなり、積極的、創造的なものとなるだろう。
 しかしながら、陽と共振できない陰エネルギーは、思うに、反気的衝動、アンチ・気的衝動になるのではないだろうか。
 当然、生命エネルギーである気が破壊されるだろう。そのために、人間は、元気を喪失するし(うつ病の蔓延)、また、陽に拠るコントロールをもたないために、おそらく、陰エネルギーが元来もつ破壊、攻撃的エネルギーが発動すると思われる。つまり、暴力的衝動化である。
 当然、暴力、犯罪、戦争等が起ることになる。
 しかし、もう少し丁寧に解明すべきである。
 直観では、陰エネルギーがMPを介して、陽へと進入しようとする。しかし、それに対して、陽側は、陰エネルギーの進入を抑圧するのである。なぜなら、近代主義の陽は、陰を抑圧しているものであるからである。
 しかし、今や、陰エネルギーが新たに賦活化されていると考えられるのである。故に、ここに陰エネルギーと陽エネルギーの単なる衝突が生じて、陰エネルギーと陽エネルギーはそれぞれ、反動化して、暴発すると思われるのである。
 この牽引なき背反の状態が今日、父権的人間の精神に起きていると考えられるのであり、それは、カオス=狂気であると言える。
 つまり、端的に、暴力的衝動が父権的人間の精神に起きていると思われるのである。それは、利己主義、エゴイズムの暴力化であるから、悪の暴力化である。つまり、黙示録化である。
 そう、他者を否定、抑圧、攻撃する暴力的衝動が過剰に強化されていると考えられる。やはり、黙示録時代である。
 夜明け前の闇である。

追記:旧い回転(サイクル)から、新しい回転(サイクル)への進展と述べたが、これは、旧いエネルギーから新しいエネルギーへのチェンジと捉えることができるだろう。
 言い換えると、旧い陰陽共振エネルギー(あるいは、旧い霊的情報気エネルギー)から新しい陰陽共振エネルギー(新しい霊的情報気エネルギー)への転換である。
 旧いものは、もう消尽されたのであり、新しいものを創造することはで きなくなっている。そう、気エネルギーが欠落しているのである。それに対して、新しいものは、新たな気エネルギーをもっていて、元気なのである。また、単 に元気なだけでなく、新しい霊的情報(霊知=グノーシス)をもっているので、真に創造・建設的なのである。
 旧い文明にはない霊知(グノーシス)をもっているのであり、それによって、新しい文明を創造すると考えられるのである。
 端的に、西洋物質文明を超克する新東洋霊物文明である。これは、物質を包摂した霊性文明である。

参照:
偽キムチ右翼が安倍圧勝を歓迎、自公別動隊野田一派が祝杯、ブッシュの八百長選挙加担者ヒラリー失脚で被害者ケリーが就任である  ★阿修羅♪ 掲示板 H.24/12/22


親和性が高く小沢が緑の党を通じて日独を結びつけたのは大仕事であり極東の雄とEUの雄に太いパイプができた事は両国にとっても

人類にとっても朗報でありユーラシア共同体が使命のプーチンも大仕事がやりやすくなった筈である。

小沢にとっては日本をワールドシリーズで優勝できる国にしようとしているのでありセリーグやパリーグで八百長優勝にしがみつく

クズなどはなから相手にしていないのである。

とはいえ不正を正すことも大事であるがブッシュの不正選挙に加担したヒラリーが失脚しその時割を食ったケリーが後任に就くとは

粋な人事である。

911が偽ユダヤの自作自演と公然と語られるのに10年かかったが光が定着しスマフォが登場して不正が暴かれるスピードが加速

しており衆院選の八百長が暴かれるのも時間の問題だろう。
『文殊菩薩(ブログ版)』





「全く反対なことでも 言葉にすると余計に近いですね」

テーマ:無双陰陽原理

光は闇であり、闇は光である:「きれいはきたない、きたないはきれい」『マクベス』の魔女の言葉

すずらんさんから、上記の記事に以下のコメントをいただきました。感謝。

「全く反対なことでも

言葉にすると余計に近いですね」

との意見はそういう感じ方もあるのかと思いました。
この陰陽的極性の見方は、古代中国人の見方です。おそらく、今日の中国人にもあると思いますし、日本人の無意識にもあると思います。
 この陰陽の見方ができる人は、賢者になります。近代合理主義は、正しいか否かの二元論で、陰陽極性論を否定しています。

*************************

とっても 深いですね(*^▽^*)

全く反対なことでも

言葉にすると余計に近いですね(‐^▽^‐)

不思議です

すずらん 2012-12-22 15:05:25 >>このコメントに返信





光は闇であり、闇は光である:「きれいはきたない、きたないはきれい」『マクベス』の魔女の言葉

テーマ:無双陰陽原理

頭=陽(光)=自我=アーリマン=同一性=知性(悟性)=金融資本=父権主義=近代=唯物論=一神教(唯一神、男・父神)
   
        VS・MP(理性・聖霊)

肚=陰(闇)=他者=ルシファー=差異=魂性=協働資本=母権主義=トランス・モダン=気(霊)論=多神教(女・母神)


注:上の図式(無双陰陽図式とでも呼ぼう)の陽を陽(光)、陰を陰(闇)とした。
 ただし、それほど単純ではない。実は太陽光には、超越光が存すると思う。 そう、気の光、気光である。それは、一般的には不可視の光であるが、精神の眼には見えるのである。それは、闇の光と言ってもいいだろう。しかし、正確に は、陰陽共振、太極の光、大光である。Great Lightである。
 






超越神と太極:陽=自我=父権の民族が太極エネルギーを超越神・唯一神と捉えるだろう

テーマ:manichaeism: 哲学

アントロポゾフィーと無双陰陽原理:自我=陽=アーリマンと他者=陰=ルシファーと陰陽均衡=キリスト

先に以上のように書き、頭=自我=陽=アーリマン=同一性のフレームがよくわかった。
 カントの超越論的形式、超越論的悟性はここに存しよう。ただし、時間は超越論的形式ではないと思う。
 とまれ、以上から、超越神の問題への糸口が見えたと考えられる。
 即ち、超越神とは、上記のフレームを超越する存在であるということになる。
 だから、例えば、陰からの強い働きかけが陽にあったとき、陽はそれを超越したものと感じるだろう。
 つまり、陰のエネルギーが陽に強くはたらきかけたとき、それは、MPを介して、陽に参入するだろう。
 しかしながら、陽はMPを認識できないのであるから、参入した陰のエネルギーは陽にとり、超越的なものと捉えられると考えられるのである。
 これが、端的に超越神である。陽=同一性に作用するので、当然、同一性的超越神、即ち、唯一神になると考えられるのである。
 もし、陽中心主義ではなく、陰の文化をもっているときは、陰のエネルギーは調和的となり、内在神的になるだろう。
 ところで、陰のエネルギーと言ったが、根源は、太極の一のエネルギーに拠ると考えられる。
 それが、陰陽的に分極化すると考えられる。そのとき、陽中心だと、それが、超越的、唯一的なものになると考えられるのである。
 日本のベースは母権民族、即ち、陰の民族であるから、太極的はたらきかけは、陰陽共振的で、内在的な多神教になると考えられる。
 父権民族において、太極エネルギーは超越的なものとなるのである。
 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という啓典の宗教は、母胎は当然、父権民族ということになる。



2012年12月22日(Sat)▲ページの先頭へ
気と免疫:無双陰陽原理から免疫を考える:思考実験:『呼吸-血-免疫』システム
余裕がないので、ごく大雑把に述べたい。
 免疫とは簡単に言えば、生体内に入った異物を攻撃し、排除する生命システムであり、生命の中枢的機能の一つと言えよう。
 そう、自己と非自己の認識が重要である。無双陰陽原理から見ると、自己とは個である。陰陽均衡をもつ個である。それに対して、非自己とは個である陰陽均衡を破壊するものである。
 思うに、個体の生命気波動があり、それが、異物の気波動によって阻害されるのであり、それに対して、免疫システムは作用するのである。
 思うに、異物を認識する必要がある。それは、無双陰陽原理では、MP(メディア・ポイント)がセンサーなので、それが、異物気波動を認識して、それに対抗するなんらかのもの形成すると思われる。
 反異物体の形成である。これは、抗体ということであろう。
 この異物認識から対抗する反異物体の形成であるが、思うに、これは思考実験であるが、異物の陰陽を共振させないようになんらかの波動ないし物質体の形成が考えられる。
 今思いついたことは、陰1○陽1を異物の陰陽体とする。
 これに対して、陰1に対する陽2、陽1に対する陰2を異物に当てるのである。
 そうすると、陰1は陽1と共振せずに、陽2と共振し、また、陽1も同様である。
 その結果、陰1○陽2、陰2○陽1の二つの別の陰陽体が生まれるのである。これは、もはや、異物ではない。おそらく、両者、生命力が弱く、すぐ死滅するようなものではないだろうか。
 以上はまったくの思考実験である。

追記:乳酸菌と免疫力であるが、飯山一郎氏が述べるように、白血球を活性化させるということで、いいのだろう。
 思うに、人類は、初期から、乳酸菌と共生していたのではないだろうか。
 そう、逆に言うと、白血球とは強力な、攻撃的な生命力をもっていると言えよう。おそらく、気が白血球には強く作用していると思われる。
 先に、

気→血→免疫システム→生命物質体

と書いたが、

気→血-免疫システム→生命物質体

のように変えた方がいいだろう。血-免疫システムである。
 先には呼吸を入れなかったが、呼吸も生命活動の中枢の一つである。だから、

気→『呼吸-血-免疫』システム→生命物質体

である。
 そう、『呼吸-血-免疫』システムとは循環器系と消化器系の結合したシステムである。


参照:

Thu, April 21, 2011
乳酸菌で免疫力を高める:飯山一郎のHPから
テーマ:放射能汚染と闘う知恵:光合成細菌、乳酸菌
◆ 2011/04/21(木) 免疫力:放射能を浄化する! (2)
いま,日本人にとって最も必要な情報は何か?
それは…,
放射能が降る街に住みながらも,一人一人がしぶとく生き残っていく生き方!
つまり,「放射能に勝つための生活情報=サバイバル技術」です.

できるなら,放射能が降りつづく街になど住みたくない!
こんな街から出ていきたい! 遠く西のほうに逃げていきたい!
しかし…,
放射能が降る街を去ることが出来ない….

関東平野にも,日本の首都・東京にも,濃密な放射能が降り注ぎ,舞い散る…,
こんな見たこともない,考えたこともない悪夢が現実になってしまった今…,
私たちは,いったい,どう生きていったらいいのか?

放射能にも負けずガンにも負けぬ丈夫な体をつくるには,どうしたらいいのか?
この答をさぐるために,先ず私たちは,ガンの発生機序を勉強してきました.
ガンの発生機序とは,正常細胞がガン細胞に変化する仕組みのことです.
放射線=電磁粒子(鉄砲玉)が,テロメア=遺伝子を破壊するからガンになる….
このテロメア破壊がガンの原因だということは,私達の“常識”になりました.
この“常識”がまだ分からないヒトは,このあたり に戻って,読みなおして下さい.
命にかかわる問題なんですから!

いよいよ本題に入ります.
ガンにならない方法.ガンになっても,ガンを消滅させる方法です.
結論から言います.
免疫力を高めればガンにはなりませんし,できてしまったガンも消滅します.
では,免疫力とは何か?
免疫力とは,元気で丈夫な白血球のことです.
とくにマクロファージと呼ばれる白血球が元気なら,ガンにはなりません.
じゃあ,マクロファージを元気にするためにはどうしたらいいか?
答を言います.
乳酸菌です.乳酸菌.
大切なことなので,2回言いました.   \( 乳酸菌だぞ!)/

たたかう老人! 飯山一郎の ハッタリなしの 口演会場 .http://grnba.com/iiyama/
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-10868290690.html

マクロファージ - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/マクロファージ - キャッシュ - 類似ページ
マクロファージ(Macrophage, MΦ)は白血球の1つ。免疫システムの一部をになう
アメーバ状の細胞で、生体内に侵入した細菌、ウイルス、又は死んだ細胞を捕食し消化
する。また抗原提示を行い、B細胞による抗体の作成に貢献する。別名大食細胞、貪食
細胞 ...

白血球 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/白血球 - キャッシュ - 類似ページ
分葉核球になる前には核が大きく曲がったジェリービーンズ様の桿状である段階がある(
桿状核球)。殺菌性顆粒はリソソームの一種であり、ゴルジ体(内網装置)で作られる。
直径は12〜15μmであり、白血球の中ではリンパ球より大きく、単球・マクロファージより ...


免疫を詳しく見る|バイオのはなし|中外製薬
chugai-pharm.info/hc/ss/bio/antibody/antibody_p01.html - キャッシュ - 類似ページ
免疫は、どのような意味でしょうか? 免疫とは「疫(えき)から免れる(まぬがれる)」、
すなわち「伝染病」などからのがれるということを意味する言葉です。 たとえば、一度「は
しか」などの伝染病にかかったほとんどの人はその伝染病にかからなくなります。これを
「 ...

免疫とは何か。 - がんサポート情報センター
www.gsic.jp/immunity/mk_01/02/index.html - キャッシュ
免疫とはなにか。体の中でどんな働きを ... しているのか。 「がん免疫療法」はどこまで
進み、何が課題なのか。免疫研究とその臨床応用の最前線で指揮をとる慶應義塾大学
医学部先端医科学研究所細胞情報研究部門教授の河上裕さんに解説していただいた。

細胞性免疫と体液性免疫
kanri.nkdesk.com/hifuka/men16.php - キャッシュ
細胞性免疫と体液性免疫. 最初のほうで少しだけ述べた細胞性免疫と体液性免疫、この
二つの理解がまとめとなります。 細胞性免疫とは抗体(Ig)の絡まない免疫のことでTh1
や単球、顆粒球が活躍します。 体液性免疫とは抗体(Ig)が絡む免疫のことでTh2、B ...


アントロポゾフィーと無双陰陽原理:自我=陽=アーリマンと他者=陰=ルシファーと陰陽均衡=キリスト
アントロポゾフィーと無双陰陽原理:自我=陽=アーリマンと他者=陰=ルシファーと陰陽均衡=キリスト

テーマ:無双陰陽原理

昨日、思いついたが、余裕がなかったので、書けなかった。今も、余裕がほとんどないので、簡単に触れるだけである。
 近代(モダン)とは結局、自我=陽=アーリマンが中心化した時代と言えよう。
 これと近代科学、科学的技術は結びついている。唯物論的科学・技術ということである。
 言い換えると、近代とは、自我中心主義、利己主義ということである。
 これは、当然、万人の万人に対する戦争という状態を生むのである。これは、永遠の戦争ということであり、結局は、破滅路線である。
 ところで、近代文化において、自我=陽=アーリマン=近代合理主義・唯物科学・技術=金融資本主義に対して、言うならば、他者=陰=ルシファーの文化があった。
 それは、簡単に言えば、精神文化と言っていい。しかしながら、近代合理主義が主であり、精神文化は従である。つまり、陽の陰に対する優位があるのである。
 今日、他者=陰=ルシファーの文化がほぼ忘却されて、自我=陽=アーリマンの文化が中心化してしまっているのである。
 そう、ポスト・モダンという近代の乗り越えの哲学的運動があったが、結局、十分に理解されることなく、流行で終わってしまった。
 因みに、不連続的差異論(これは、「海舌」氏と私の合作した独創的理論である。不連続的差異論とPS哲科学 ( 3 ) http://ameblo.jp/neomanichaeism/theme-10050337795.html)は、ポスト・モダンの欠点を超克した理論であり、ここから、真の近代の乗り越えが始まると言っても過言ではないと考えている。無双陰陽原理は、この上に立って、陰陽論を展開しているのである。そして、ポスト・ポスト・モダンとして、トランス・モダンを唱えているのである。
 トランス・モダンとは、結局、自我=陽=アーリマン中心のモダンの乗り越えのために、他者=陰=ルシファーの絶対的差異性、絶対的独立性を説くものである。
 つまり、後者は前者とはまったく異質なものであり、前者は後者を取りこめないのである。そう、認識不可能と言ってもいい。(追記:頭は知的認識性、肚は直観的存在性と言えるのではないだろうか。西洋文明、近代は前者中心で後者を忘却しているのである。ハイデガーの存在論であるが、私の説く肚=直観的存在性とは関係がないように思える。しかし、かつて、『存在と時間』に関して考察したとき、ハイデガーの存在がMPに近いものをもっていることを述べたことがある。そうすると、ハイデガーの存在論は、肚=直観的存在性に通じるものがあるのかもしれない。これは検討課題である。参考:ハイデガー現象学 (8) http://sophio.blog19.fc2.com/blog-category-81.html )
 そう、明快にするために、身体局所を付与していいだろう。即ち、自我=頭=陽=アーリマンと他者=肚=陰=ルシファーである。
 結局、頭に対して、肚の独立性を確認する必要があるのである。これによって、自我=近代帝国は崩壊するのである。そう、金融資本帝国も崩壊するのである。(現代は、近代の反動の時代であり、悪が反動的に跋扈しているのである。黙示録的である。)
 とまれ、肚=陰=他者の独立性を確認することが絶対的前提であり、これと頭=陽=自我との新たな関係の主観的並びに社会的構築がトランス・モダン進化ということになる。
 どうも、肚=陰=他者が頭=陽=自我よりも主になるべきように感じている。もっとも、物質的生活のためには、後者が主となる必要はある。
 だから、やはり、シュタイナーが説くように、両者の均衡(キリスト)が必要になるのだろう。
 しかし、シュタイナーの説くキリストであるが、それは、正しくは、聖霊ではないだろうか。本来のイエス・キリストは、肚=陰=他者の意義を説いたのではないだろうか。つまり、本当のキリスト教とは、東洋的知恵であるということである。
 因み、肚=陰=他者と頭=陽=自我との均衡調和としての聖霊とは、正に、陰陽共振であり、太極的である。
 今日は、正に、西洋文明の黄昏の時代であり、頭=陽=自我=ユダヤ・キリスト教の時代の黄昏であるが、それらが、反動化して、凶暴になっていると考えられる。
 簡単に言えば、世界金融資本と世界民衆との闘争の時代になっているのである。これが、経済的黙示録である。
 ここで想起すべきは、シュタイナーの経済学講座である。彼は、資本主義は利他主義的であると述べているのである。これは、私が言う差異共振主義である。そして、出口が金融資本主義的なのである。
 つまり、資本主義は、内部に肚=陰=他者の文化を形成しているのである。
 だから、トランス・モダン資本主義が可能であり、それは、民衆が資本主義の主体になることである。それは、差異共振資本主義、共同体資本主義、恊働的資本主義である。
 今日、これを目指すべきなのである。
 とまれ、今日、頭=陽=自我=アーリマン=金融資本が反動的に支配している。これを打破する必要があるのである。
 これは、実は光の現象界の中心化を意味しよう。光が悪になっているのである。
 そして、陰の闇に善的未来があるのである。
 そう、最後にこの光と闇の不思議な関係について述べよう。実はこれがいちばん述べたかったことである。
 視覚は当然、光の世界に関係する。それは、主として、外界である。それは、感覚・物質的世界である。
 そして、人間はそれを言わば、頼りに生きているのである。視覚の優位性である。
 問題は視覚美と頭=陽=自我=アーリマン=金融資本との関係である。
 とまれ、視覚美とは何か。
 自然は基本的には美しい。そして、女性も一般的には美しい。
 女性の場合は官能性が入るだろう。
 とまれ、両者、視覚美である。
 問題は、美とは何かである。私の主観では、今日、視覚美と頭=陽=自我=アーリマンは結びついているが、果たして、それは、本質的なのか。
 直観で言えば、二種類の美がある。いわゆる、感覚美と精神美である。
 思うに、本当の視覚美とは、両者の結合したものだろう。
 自然美はそのようなものだと思うし、女性美もそのようなものだろう。
 しかしながら、今日は、頭=陽=自我=アーリマン=金融資本が支配しているので、美は本来的ではなく、感覚美に傾斜し、精神美が希薄になっていると言えよう。
 つまり、美を利己主義が支配しているために、感覚美が支配し、精神美は忘却されていると言えよう。
 そう、感覚の眼(肉眼)で見るのか、精神の眼(心眼)で見るのかとではまったく異なるのである。
 それによって、物が異なって見えるのである。
 そう、精神の美とは、魂の美と言ってもいい。
そして、それは、音楽と強く結びついていると言えよう。
 ニーチェは、音楽からの美術の誕生を説いたが、それは、陰から陽が生まれるという発想で、東洋的と言えよう。
 今日は、「美術」が音楽を抑圧しているのである。感覚が精神・魂を抑圧しているのである。
 そう、ここには、意識のヒエラルキーがあるのである。近代主義のヒエラルキーがあり、頭=陽=自我=アーリマン=金融資本が肚=陰=他者=ルシファー=協働資本を支配抑圧しているのである。
 前者が支配・権力層であり、後者が被支配・民衆層である。
 前者は攻撃的であり、後者はその被害を受けるのである。
 そう、述べるのを忘れていたが、前者は父権主義であり、後者は母権主義である。だから、付加すると、

頭=陽=自我=アーリマン=金融資本=父権主義=近代

           VS

肚=陰=他者=ルシファー=協働資本=母権主義=トランス・モダン

という図式ができる。
 無双陰陽原理から言えば、前者は後者を否定するが、後者は前者を包摂して、新しい世界を創造することができるのである。それが、トランス・モダン進化、新東洋・新母権的進化である。


追記:同一性、差異、知性(悟性)、魂性、理性、MP(メディア・ポイント:陰陽均衡点、そして、太極点)、そして、一神教、多神教も図式に入れてみると、

頭=陽=自我=アーリマン=同一性=知性(悟性)=金融資本=父権主義=近代=唯物論=一神教(唯一神、男・父神)
   
        VS・MP(理性・聖霊)

肚=陰=他者=ルシファー=差異=魂性=協働資本=母権主義=トランス・モダン=気(霊)論=多神教(女・母神)
 

追記2:シュタイナーはキリストは陰ではないかと上述したが、そうすると、キリストとルシファー(悪魔の一人)は一致してしまう。
 だから、上述の論は問題がある。検討課題にしておく。


追記3:やはり、キリストは、シュタイナーの説くように、両者の均衡と見る方が妥当だと考えられる。なぜなら、イエスは、「汝自身を愛すごとく、隣人を愛せよ」と言っているのであり、そこには、自我が含まれているからである。
 イエス・キリストの教えを陰とするのは、間違った解釈になるだろう。D. H. ロレンスはこの点で間違っていたと考えられる。陰はあくまで、ルシファーの教えである。神秘主義である。


追記4:追記3で、ルシファーは神秘主義と書いたが、想起したのは、キリスト教が誕生する前後の何世紀において勃興したグノーシス主義である。シュタイナーは、グノーシス主義を背景にして、キリスト教が広まったと述べていた。
 グノーシス主義は、アンチ物質主義、つまり、アンチ・アーリマン主義の神秘主義であり、ルシファー原理と言えよう。
 そうすると、アーリマン的物質主義文化において、ルシファー原理のグノーシス主義を借りて、キリスト教は、神秘主義的に、キリストの教えを説いたと言えよう。言い換えると、陰=肚をベースにして、キリスト教は受容されたことになる。陰のキリスト教である。
 しかしながら、ローマ帝国の国教となると、権力のアーリマン主義によって、陰のキリスト教から陽のキリスト教へと変質してしまったと考えられる。それこそ、恐るべき帝国主義化されたキリスト教の始まりではないのか。
 

アントロポゾフィー - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/アントロポゾフィー - キャッシュ - 類似ページ
アントロポゾフィー(独: Anthroposophie)とは、オーストリア帝国出身の神秘思想家
ルドルフ・シュタイナーが自身の思想を指して使った言葉である。またこれは、一般に人
智学と訳されている言葉の音訳である。「アントロポゾフィー」と「人智学」の違いに関して
は ...

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1.
グノーシス主義 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/グノーシス主義 - キャッシュ - 類似ページ
グノーシス主義(グノーシスしゅぎ、独: Gnostizismus、英: Gnosticism)または
グノーシス(古希: Γνῶσις、ラテン文字転写:Gnosis)は、1世紀に生まれ、3世紀から4
世紀にかけて地中海世界で勢力を持った古代の宗教・思想の1つである。物質と霊の
二元論に ...
‎定義 - ‎反宇宙的二元論 - ‎研究史、異端 vs.異教 - ‎東西のグノーシス主義
2.
グノーシス主義略説
homepage3.nifty.com/mirandaris/gnosis0.html - キャッシュ - 類似ページ
2004年5月24日 ... 一般に、「グノーシス主義」と呼ばれている思想・信仰は、基本的には、紀元一世紀より、
三世紀乃至四世紀頃まで、ヘレニク世界・地中海世界において流布した、独特の世界観
と神観・人間観を持つ「教え」です。これを、「ヘレニク・グノーシス ...
3.
グノーシス主義はどのような点が「危険」とされカトリックから異端視された ...
oshiete.goo.ne.jp/qa/1160085.html - キャッシュ - 類似ページ
2005年1月9日 ... グノーシス主義はどのような点が「危険」とされカトリックから異端視されたのでしょうか

4.
叡智の光_グノーシス主義概論 Outline of Gnosticisms
www.joy.hi-ho.ne.jp/sophia7/sop-gnos.html - キャッシュ - 類似ページ
グノーシス主義では、一般に、此の世を善の世界とは考えずに、矛盾と悲惨、悪しきこと
ごとが充満する「悪の宇宙」と考えます。ヘレニク・グノーシス主義の場合も同様であり、
しかし特徴的なのは、このグノーシス主義は、 ギリシアやローマの哲学の理論体系や、 ...
5.
Amazon.co.jp: グノーシス主義の思想―“父”というフィクション: 大田 俊寛 ...
www.amazon.co.jp/グノーシス主義の思想―“父”というフィクション.../4393332989 - キャッシュ - 類似ページ
Amazon.co.jp: グノーシス主義の思想―“父”というフィクション: 大田 俊寛: 本.
6.
大田俊寛『グノーシス主義の思想』:おもしろいが、どこまでが定説? ポア ...
d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20120410/1334064382 - キャッシュ
2012年4月10日 ... 本論で見たように、グノーシス主義は、人が「そのために死ぬ」ような、あるいは人を「
そのために死に至らしめる」ような超越的人格、フィクションの人格を、結果的に分析・
解体する思想的傾向を有している (p.276). さて、ぼくはここでかなりの ...
7.
ユダの福音書U〜グノーシス主義 - ベネディクト 地球歴史館
www.benedict.co.jp/Smalltalk/talk-131.htm - キャッシュ - 類似ページ
神秘主義 このような危険な?グノーシス派がよりどころとしたのが、グノーシス主義(
グノーシス思想)である。じつは長い間、 ... この思想をベースに、地中海世界で「
グノーシス主義」、エジプトでは「ヘルメス学」、ヘブライでは「カバラ」が生まれた。そして
、相乗的 ...
8.
グノーシス主義 (gnosis)
kstn.fc2web.com/gnosis_.html - キャッシュ - 類似ページ
2006年6月18日 ... グノーシス(gnosis)主義は、紀元二世紀前後に欧羅巴や中近東を席巻した一種の思想
を云ひます。叡智を認識(グノーシス)する事が目的の思想です。正統を標榜する羅馬
教会の基督教からは、「最大の異端」として敵対視されてゐました。
9.
世界の終わり グノーシス主義が描く終末
flamboyant.jp/eschatology/esc022/esc022.html - キャッシュ
グノーシス主義の基礎知識 グノーシス主義はキリスト紀元1世紀頃の東地中海地域で
盛んになった思想運動の1つで、黎明期にあったキリスト教を思想的に脅かすほどの
存在だったといわれている。当時の東地中海を中心とした地域で盛んだったのは、
キリスト ...
10.
Gnosticism(グノーシス主義)
web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/gnosticism.html - キャッシュ
西欧のグノーシス主義においては、根本的にはキリスト教徒である宗派も含めて、
タントラ風の瞑想と性的儀式が目立った。タントラのヨーガの最終的目標が「沈黙」、
すなわち本来の創造的言葉ロゴスを包む、女性的力の原初の領域に入ることであった
ので、 ...



超越神と太極:陽=自我=父権の民族が太極エネルギーを超越神・唯一神と捉えるだろう

テーマ:manichaeism: 哲学

アントロポゾフィーと無双陰陽原理:自我=陽=アーリマンと他者=陰=ルシファーと陰陽均衡=キリスト

先に以上のように書き、頭=自我=陽=アーリマン=同一性のフレームがよくわかった。
 カントの超越論的形式、超越論的悟性はここに存しよう。ただし、時間は超越論的形式ではないと思う。
 とまれ、以上から、超越神の問題への糸口が見えたと考えられる。
 即ち、超越神とは、上記のフレームを超越する存在であるということになる。
 だから、例えば、陰からの強い働きかけが陽にあったとき、陽はそれを超越したものと感じるだろう。
 つまり、陰のエネルギーが陽に強くはたらきかけたとき、それは、MPを介して、陽に参入するだろう。
 しかしながら、陽はMPを認識できないのであるから、参入した陰のエネルギーは陽にとり、超越的なものと捉えられると考えられるのである。
 これが、端的に超越神である。陽=同一性に作用するので、当然、同一性的超越神、即ち、唯一神になると考えられるのである。
 もし、陽中心主義ではなく、陰の文化をもっているときは、陰のエネルギーは調和的となり、内在神的になるだろう。
 ところで、陰のエネルギーと言ったが、根源は、太極の一のエネルギーに拠ると考えられる。
 それが、陰陽的に分極化すると考えられる。そのとき、陽中心だと、それが、超越的、唯一的なものになると考えられるのである。
 日本のベースは母権民族、即ち、陰の民族であるから、太極的はたらきかけは、陰陽共振的で、内在的な多神教になると考えられる。
 父権民族において、太極エネルギーは超越的なものとなるのである。
 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という啓典の宗教は、母胎は当然、父権民族ということになる。


2012年12月04日(Tue)▲ページの先頭へ
父権主義は陽中心主義であり、母権主義は陰ベースである:陰は自然と直結する:トランス・モダン陰文化
本の画像は以下を見られたい。
http://sophiology.jugem.jp/?eid=156


明治維新までの日本文化は、陰の文化であったと思う。
 しかし、父権派が母権派(坂本龍馬、西郷隆盛ら)に勝利して、陽の文化へと転換したと考えられる。
 また、西洋文明自体が陽の文化であり、本来、陰の文化であった日本文化は、自己否定的に陽化されたのである。この「トラウマ」が近代・現代日本にはある。
 そう、ユダヤ・キリスト教西洋文明とは、陽中心主義であり、陰を否定、排除、殲滅しようとするのである。あるいは、支配である。
 そして、戦後日本は、GHQの支配下で、陰文化を否定され、無理矢理、陽文化を洗脳されたのである。
 とまれ、私が言いたいのは、陰の文化とは、実は、自然主義文化である。自然にダイレクトに直結した文化である。そして、深まると、自然への神秘的交感へと進むのである。
 アニミズムはこの陰の神秘的文化の一つである。
 陽中心主義が陰の文化を恐れるのは、当然である。陽中心主義とは、物質的合理主義、物質科学主義、自己同一性主義等であるからである。内的な神秘性を認めると、それは破綻するからである。
 そして、戦後日本人は、固有の陰文化の神秘性を恐れて、それを排除していったのである。その結果が、自然大破壊的「開発」である。
 原発も正に同様である。物質科学・技術、そして、戦争資本主義の産物としてそれは存するのであり、自然生命を破壊する悪魔的科学・技術・産業である。
 とまれ、今や、陰の文化が新たに産まれようとしている。それは、新陰文化である。それは、陽文化、物質文化を経由した新しい霊的文化である。
 根本にあるのは、陰の霊性である。陰霊性である。これは、自然神秘文化である。
 しかしながら、近代科学を経由しているので、科学を否定するということはない、いわば、科学的自然神秘文化である。
 霊学者のルドルフ・シュタイナーの人智学とは、そのようなものである。
 しかし、私見では、人智学は、神秘性、霊性に傾斜し過ぎていると感じる。もっと、物質的現実、政治・経済的現実を直視し、認識する必要があると感じる。
 彼の「オカルティズム」は科学的合理主義を背景にもつのであるが、一般には、誤解されやすいだろう。
 モダン文化を前提にした「オカルティズム」である。私のこれまでの哲学的探究から言えば、トランス・モダン文化への移行である。
 とまれ、陰=肚の文化の新生が必要である。これによって、西洋的陽文化の金縛りから解放されて、新しい日本文化が創造されよう。

追記:以前、何度も述べたが、心の病とは、陰意識を抑圧していることから発生するように考えられる。
 例えば、うつ病とは、私見では、陰陽共振による気・生命エネルギーの枯渇に拠ると思える。つまり、陽意識が陰意識を否定、抑圧、排除しているので、陰と陽との共鳴共振調和が十全に起こらないために、生命エネルギーが枯渇すると考えられるのである。
 陽意識(頭脳意識)が陰意識(肚意識)と共鳴すれば、気・生命エネルギーが豊かに発生すると考えられるのである。
 しかし、陰意識を抑圧すると、それは、言わば、反動的に陽意識に攻撃的になるのではないだろうか。それが攻撃的衝動になると思えるのである。つまり、心の病はなんらかの攻撃衝動をはらむと考えられる。
 D. H. ロレンスの『アメリカ古典文学研究』のメルヴィルの『白鯨』論は正に、秀逸であり、西洋文明、ユダヤ/キリスト教文明がもっている父権・陽の文明の陰の文明への偏執的攻撃性を抉り出していると考えられるのである。
 後でさらに付け加えたい。

追記2:今日の文明は、あるいは、文字記録に残された文明は、父権文明であり、それ以前の母権文明を滅ぼし、いわば、殲滅させたのである。母権文明は口承的文化であり、文字記録がほとんどないので、あたかも存在しなかったように一般には考えられているのである。
 そして、私見では、父権文明とは、陽意識に傾斜した文明であり、陰意識を理解できないのである。陽意識は陰意識を憎むと考えられる。これが、先に触れた男性原理は女性原理を恐れるということと同じことであると考えられる。
 いったい、この憎悪、恐怖のメカニズムは何であろうか。
 実は不連続的差異論は正に、このメカニズムの解明にあったとも言えるのである。
 つまり、陽意識とは自己同一性主義であり、それは、絶対的差異である他者の陰意識を認識できないからである。理解不可能なので、それを否定したり、恐怖すると考えられる。
 思うに、女性・母権原理は陰意識である。しかし、陰意識は陽意識を包摂できるのである。ここに女性・母権原理の男性・父権原理に対する優位性があると言えよう。
 とまれ、陽意識に傾斜しているので、男性は、自己中心的に支配、権力を目指すのである。それは自己同一性・物質原理によって、自然を破壊するのである。森林破壊は『ギルガメシュ叙事詩』に雄弁に描かれている。
 もう少し、陽意識の陰意識に対する力学を述べると、前者は後者を自己同一性的に取り込むのである。つまり、支配である。それは反感、憎悪、怨恨をもっていると思われる。何故か。
 それは思うに、陽意識の自己同一性意識とは、陰意識への否定であるからと考えられる。否定とは、同化することのできない対象への憎悪を伴うと考えられる。
 端的に、陽意識は陰意識を認識不可能である。故に、それに「負ける」ので、憎み否定するのである。これが現段階での仮説である。
 また、後で補足したい。
 

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46.suzuki
www.tenri-u.ac.jp/tngai/americas/files/newsltrs/.../no46suzuki.html - キャッシュ
彼の文芸批評のうちでもっともまとまった、そして最大の業績は『アメリカ古典文学研究』
(以下『研究』と略記する)である。ロレンスがアメリカに渡ったのは1922年のことであるが
、『研究』の原稿そのものは既に1917年頃に書かれ、最終稿はアメリカのニュー ...


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女性の国政進出 未来のため増やしたい





2012年12月3日


 四日公示の総選挙で女性議員を増やせるだろうか。国政は原発事故の対応をはじめ、この国の未来を左右する問題が山積みだ。多様な民意を反映させなければならない。女性の力が必要だ。

 二十九日に告示された都知事選には九人が立候補したが、女性は一人もいない。女性の視点があまりにも示されなかったことに落胆した有権者は少なくないだろう。

 男女共同参画社会だと言われながら、今なお政治の場で女性は少数派だ。戦後改革で女性に参政権が認められて以来、国会議員は大量当選した時期もあったが、解散前の割合で11%。地方議会では比較的多い市議会でもその割合は全体で15%ほどにすぎない。国や身近な街の問題を話し合い、将来像を決める場に、有権者の半数を占める女性の経験や感性が生かされないのでは、議論の幅や厚みを失わせてしまう。

 議員としてでなくても、地域の問題に取り組んでいる女性は大勢いる。福島第一原発事故後は放射能の被害から子どもを守ろうと、地元の行政や議会に働きかけ、放射能を自主的に測ったりして、懸命に行動する人が目立っている。

 女性の国政進出が伸び悩んだ原因には、男女の性によって役割が決められがちで、政治も他の公的分野と同様に、女性が頼りにされないような風潮もあっただろう。だが、最たる原因は各政党に女性議員を増やそうとする努力が足りなかったことだ。

 世界では男女差をなくすために「クオータ(人数割り当て)制」を導入し、議員や候補者の一定割合を女性にするように決めた国が多い。政党法や選挙法の改正によって、比例代表の女性比率を一定以上にしたり、名簿に載せる候補者の半数を女性にしたり、奇数順位を女性にしたりする。韓国では二〇〇五年に女性議員の比率が一割を超え、今では15%近い。北欧やドイツなどは女性の国会議員が三割を超えている。

 一九八九年の参院選で当選し、その後、千葉県知事を務めた堂本暁子さんは、「国の意思決定の場に女性が存在することの意味、予算と権限を持つことの意味」を実感したという。

 震災や原発事故をきっかけに暮らしや命に寄り添った政治に変えようといううねりが始まった。社会保障も、経済対策も、安全保障も、教育も、どの分野でもその解決に女性の視点はなくてはならない。女性議員をもっと増やすよう、各党は競い合ってほしい。


http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012120302000132.html


東京新聞


   




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