INNOVATION OF PHILOSOPHY: GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience - 2012/07

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




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2012年07月29日(Sun)▲ページの先頭へ
「弁証法」と「ニヒリズム」:他者の絶対的否定と自己の絶対的肯定:唯物弁証法⇒ニヒリズム
以下、森田実氏の現代日本ニヒリズム論は興味深い。
 私はニヒリズムのことは、最近はまったく考えていなかったから、視点的に興味深いのである。
 私は小泉元首相や橋下氏には共通した「弁証法」を直観していたが、小沢一郎氏については、「弁証法」は感じていない。小沢氏は、「弁証法」ではなく、陰陽的極性論的発想があるように思う。この点は今は論考しない。
 とまれ、「弁証法」について簡単に説明して、「ニヒリズム」との関連に触れたい。
 以前述べたが、ヘーゲル弁証法とマルクス/エンゲルス/レーニン弁証法(簡単に唯物弁証法)とは似て非なることを確認する必要がある。ヘーゲル哲学は周知のように観念論であるから、ヘーゲル弁証法は、観念論弁証法と呼べるものであり、唯物弁証法とは対立するものである。
 但し、有名な正反合のヘーゲル弁証法概念であるが、その形式を唯物弁証法は取り入れているので、一見すると類似的ではある。
 とまれ、ヘーゲル弁証法は簡単に言えば、テーゼとしての「精神」があり、アンチテーゼとしての外化(精神の物質化)があり、ジンテーゼとしての外化の止揚・揚棄(アウフヘーベン)をして、アンチテーゼを包摂した新しいテーゼ(精神)を構築することである。
 つまり、ジンテーゼ(合)とは、アンチテーゼの形式を包摂した新しいテーゼを意味するのである。
 マルクスが述べたように、否定の否定としての合ではないのである。この点がキーポイントである。
 そう、そもそも、ヘーゲル弁証法をテーゼ⇒アンチテーゼ⇒ジンテーゼとするのは、ヘーゲル弁証法本来の発想ではないと思う。それは、唯物弁証法の視点だと思う。
 ヘーゲル弁証法はあくまで、観念論弁証法であり、初めに、形而上学的存在としての精神があり、それが、物質的現象的に外化し、その物質的形式を包摂する新たな精神の成立を意味するものである。
 そう、外化と否定とは異なるのである。外化とは、精神の物質化のことであり、いわば、物質的展開のことである。これを否定とすると、精神の否定ということになるのである。それでは、ヘーゲル弁証法は歪んだものとなる。
 結局、唯物弁証法はそのようにヘーゲル弁証法を捩じ曲げ、歪曲してしまったのである。
 この視点から小泉元首相と橋下氏の言動を見ると、それは、ヘーゲル弁証法ではなく、唯物弁証法に似たものと思われるのである。正としての既成権力があり、反として、その否定がある。そして、合として、否定の否定で、自己正当化を志向するのである。
 この反、アンチテーゼであるが、それは、強い論理的否定であり、他者の否定、排除、消滅を意味するのである。それは、二元論的発想であり、キリスト教的狂信的二元論に近いものである。
 しかし、反・アンチテーゼから合・ジンテーゼへと向うときであるが、実は、他者の否定・排除・消滅は、自己同一性に拠るものであり、合・ジンテーゼには、自己同一性、つまり、自我的同一性主義が残るのであり、それは、独裁的になるのである。
 これは、フランス革命、ロシア革命、その他の革命が「検証」したことである。(追記:これまで、明治維新は革命ではないと考えてきたが、坂本龍馬、西郷隆盛らの母権的勢力を、明治維新政府は排除して行ったのだから、やはり、革命的要素はあるのである。そう、明治維新革命とでも呼ぶのが適切ではないだろうか。)
 つまり、唯物弁証法は独裁の論理ということである。あるいは、同一性、自己同一性の論理とも言える。これは、無双PS原理から言えば、陽・凸i・自己に拠る父権的同一性主義でもある。(新自由主義が左翼主義から形成されたことは知られている。そう、新自由主義と唯物弁証法は、自己同一性論理で共通なのである。)
 さて、以上のように、ヘーゲル弁証法と唯物弁証法を区別して、本題の「ニヒリズム」との比較論に簡単に触れたい。
 私が小泉元首相や橋下氏に共通すると直観する「弁証法」は、結局、唯物弁証法であり、それは、自己同一性論理、同一性主義なのであり、独裁論理なのである。(民主党やその他、今日の日本の政党はこのような論理であり、また、官僚、マスゴミ等も同様である。唯物弁証法的左翼の論理が日本政治経済に行き渡っているのである。)
 では、それと「ニヒリズム」との関係であるが、唯物弁証法の同一性論理であるが、それは、他者の否定・排除・消滅を志向するので、その点で、他者否定のニヒリズムである。また、自己同一性に帰結するのであるが、その自己同一性とは、他者否定において、存在意義があるので、他者否定を行い、合・ジンテーゼを行なったとき、もはや存在意義がないのである。つまり、自己ニヒリズムでもあるのである。空ではなく、無である。
 この点から見て、小沢一郎氏の論理は、唯物弁証法ではないと言えよう。彼の場合、国民という他者が存しているからである。だから、陰陽極性論理に近いと思うのである。
 ということで、本題の「弁証法」と「ニヒリズム」の関連性であるが、結局、唯物弁証法はニヒリズムでもある(唯物弁証法⇒ニヒリズム)という結論に達したのである。森田実氏は実に慧眼である。
 最後に一言言えば、19世紀後半のロシアにおいて、ニヒリズムが蔓延した。それは、文学で表現されている。
 特に、私は、ドストエフスキーの『悪霊』が左翼的ニヒリズムを扱っていると感じるのである。
 思うに、唯物論という「悪霊」が蔓延した結果であろう。それは、シュタイナー的に言えば、悪魔ルシファーと悪魔アーリマンの結合と考えられる。そこには、「キリスト」が存しないのである。無双PS原理から言うと、太極・元気・MP(陰陽均衡点)・元門・霊愛・胸が存しないのである。冷酷利己主義、さらには、悪魔ルシファーが存するので、妄想・妄念・独断・独善・狂信・狂気的なのである。これは、野田「首相」やその他の民主党員を見れば、よくわかる。
 補足して言えば、現代日本政治経済社会における、「ニヒリズム」とは、唯物論、唯物弁証法、父権的自己同一性主義(もっとも、集団主義的父権的自己同一性主義というのが正確ではあるが)の蔓延を意味するのである。
 これは、明治維新による「近代化」、そして、戦後の「米国化」の帰結と言えよう。
 日本・東洋伝統文化、並びに、欧米の教養文化が排除された結果である。とりわけ、前者の否定・排除が大きい。
 とまれ、絶望だけではない。無双PS原理は、日本・東洋伝統文化を哲学的科学論によって、復興させたと考えられるのであり、それは、「弁証法」=唯物弁証法に拠る「ニヒリズム」の超克を意味するである。

追記:正反合は本来のヘーゲル弁証法の視点ではないというようなことを上述したが、言い過ぎているかもしれない。誤りかもしれない。
 問題は、「否定」の意味である。確かに、ヘーゲルは、「否定」をスピノザの「規定」の意味で使用していたのではなかっただろうか。
 つまり、ヘーゲルの「否定」とは、通常の論理的否定ではなく、精神の物質的同一性化の意味合いがあると考えられる。
 この精神から物質への転化という展開における「否定」であり、それは、質的変化という「否定」ということである。
 だから、論理的否定ではないのである。ヘーゲルの「否定」は、精神の物質的同一性への展開における質的変換として捉えるべきである。あるいは、質的否定と言うべきであり、論理的否定ではないのである。


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・2012.7.25(その3)

森田実の言わねばならぬ/平和・自立・調和の日本をつくるために【624】

《新・森田実の政治日誌》[日本におけるニヒリズム論序説(6)]現代日本のニヒリズムの特徴/【解説】森田実著『「橋下徹」ニヒリズムの研究』(東洋経済新報社、2012年7月12日刊、1575円)

「『恋愛』と同じく『憎悪』の感情は、道徳上や利害上の原因よりも、もっと深い所から沸いて来るのだ」(谷崎潤一郎『憎念』大正3年)



 ニヒリズムは多くの場合、憎念や憎悪から生まれます。ニヒリズムにもいろいろあると思います。
 日本でよく知られているのは19世紀ドイツの哲学者ニーチェ(1844−1900)のニヒリズム論です。ニーチェは、キリスト教道徳を批判して、「神は死んだ」と宣言しました。そして、その結果として到来しつつあるニヒリズムを「超人」の思想によって克服しようと考えました。言い換えると、引き裂かれた生の再統一を試みる強者の道徳を打ち立てようとしたのです。ニーチェは、憎念がニヒリズムの根源になっていると考えたようです。
 ニヒリズムという言葉は18世紀に生まれました。既存の権威を徹底的に否定する考え方をニヒリズムと言います。何も信頼しない不信のかたまりのような人物のことをニヒリストと言います。
 ニヒリズムには18世紀型と19世紀型と20世紀型があります。20世紀型にも第二次大戦前と後では違います。西欧的ニヒリズムもロシア的ニヒリズムもあります。日本型もあります。日本型にも第二次大戦前型と戦後型があります。戦後型にも1970年を境にして前と後では変わっています。ニーチェの時代のニヒリズムは哲学的、思想的なものです。これに対して、現代日本のニヒリズムは感覚的なものです。日常生活的です。
 第二次大戦後のニヒリズムは、1970年を境に性格が変わってきています。第二次大戦が終わった年(1945年)から高度成長期が終わる1973年(第一次石油危機)までのニヒリズムは思想的哲学的なもので日本社会では少数派でした。しかし、1973年以後のニヒリズムは日本社会で多数派になりました。多数派になるとともに、ニヒリズムは思想というよりも多くの社会人の感性になり、普通の社会人の生き方になったのです。
 1973年以後の日本のニヒリストは、19世紀末のロシアの革命家のような行動派ではありません。1973年以後、行動派はほとんど消えました。知識層の大衆化とともにニヒリズムも大衆化しました。ニヒリストは、主として新聞、テレビ、ラジオ、雑誌、書籍などジャーナリズムの世界に入りました。ニヒリズムはマスコミのなかで生き続けているのです。また、ニヒリズムは1980年から若手政治家の心のなかに入り込みました。1990年以後、ニヒリズムに染まった政治家が指導的地位に就くようになりました。若手のニヒリスト的政治家は「改革」を強く主張し始めました。このため、国民はニヒリスト政治家を「改革派政治家」と思い込みました。
 1990年代の中心的リーダーの小沢一郎氏は、米英崇拝の衣をまとったニヒリストだと思います。日本の政治を米英的なものに改革することを名目にして、既存の秩序の破壊をめざしたのです。小沢一郎氏のニヒリズムの根底にあったのは官僚エリートへの反感と憎念と政治権力への強い依存心でした。小沢氏の最大の業績の一つは、伝統的な中選挙区制を廃止して、米英型の小選挙区制度導入したことです。しかし、この「改革」は負の改革でした。この結果、政権交代は実現しましたが、政治は急激に劣化しました。国会と政府と政党は弱体化し、第一権力の座をマスコミに奪われてしまいました。その揚げ句、第一党の民主党と第二党の自由民主党は、ほとんど同じ政党になってしまいました。民主党も自民党もマスコミに操られるポピュリスト政党に堕落してしまいました。小選挙区制導入は失敗に終わったのです。小沢一郎氏のニヒリスト的改革は日本を堕落させました。
 2000年代のトップリーダーは小泉純一郎氏でした。小泉純一郎氏も根本的にはニヒリストだと思います。小泉氏の場合は、アメリカ共和党流の新自由主義の衣を身につけて既存の日本的秩序を破壊しました。小泉純一郎氏が推進した新自由主義革命の結果、日本はアメリカ中心の秩序のパートナーとして、グローバル化した世界の一員となりました。それと同時に、アメリカの新自由主義革命派の根底にある「自分さえよければ思想」を取り込みました。小泉純一郎氏は日本を「自分さえよければ社会」にしてしまったのです。指導層が自分さえよければ主義者ばかりになった国民社会は、健全性を失ってしまいました。健全なる常識、しっかりとした道徳が壊れてしまいました。ニヒリスト小泉純一郎は日本を根底から破壊したのです。
 2000年後半〜2010年代初期には橋下徹氏が日本政治の最大のスターとなりました。橋下徹氏の政治理念は小泉純一郎氏と同じ新自由主義・競争至上主義です。しかし、小泉純一郎氏とは行動スタイルにおいて大きな違いがあります。小泉純一郎氏のニヒリズムは、アメリカの物真似的な破壊主義でした。これに対して橋下徹氏のニヒリズムは小児的・遊戯的ニヒリズムです。小児といってもたいへん頭の良い小児です。橋下徹氏のニヒリズムは小児的・遊戯的です。哲学的なものではありません。おそらく橋下徹氏は哲学を勉強したことはないでしょう。無知でしょう。ここに橋下ニヒリズムの特徴があります。(つづく)
http://moritasouken.com/sC1143.HTML

森田実の時代を斬る


2012年07月28日(Sat)▲ページの先頭へ
日本で誕生した人間は、人種・民族を問わず海水塩が合うと思います。 生命誕生の視点、生命に必須の塩
正しい画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11313944473.html

日本で誕生した人間は、人種・民族を問わず海水塩が合うと思います。 生命誕生の視点、生命に必須の塩

テーマ:food:乳酸菌と食物

< 無双PS原理「逆」ガウス平面:
 Polar Oneness Platonic Synergy
 Principle Inverted-Gauss Plane:
 POPSPIP:ポップスピップ>


陰極・凹i(-i)・光子:「天」:頭(悟性)・他者:空間形式(外在)
               |
               |
               |
  U物質科学      |    T気的身体
               |
               |
−1____太極・原気・MP・胸・母権____+1
無気物質          |               有気物質
「自我」           |               「個」
               |
  V欲望/感情    |     W精神
               |
               |
陽極・凸i(i)・重力子:「地」:肚・自己:時間形式(内在):父権


以下の伊勢ー白山道氏の論説はたいへん興味深い。
 産土とは、無双PS原理「逆」ガウス平面(以下、popspip又はポップスピップ)では、陽・凸i・重力子・「地」に相当するのではないだろうか。また、ここは四大(地水火風)で言うと、「水」にも相当するように思われる。地球においては、とりわけ、海水ではないだろうか。
 さらに四大を当てはめると、「風」は陰・凹i・「天」でいいだろうが、問題は、「火」である。これは、暫定的に、太極・元気・MP(陰陽均衡点)に置きたい。
 産土は、D. H. ロレンスで言えば、地霊(spirit of place)であろう。産土=地霊である。
 そして、子宮は、MP(陰陽均衡点)に存しよう。そして、陰・凹i・「天」が外在的知覚力であり、それと、産土=地霊=陽・凸i・「地」が陰陽和合・調合して、赤子=⇒+1が出生するということではないだろうか。気的身体(+1)をもった赤子である。
 では、魂(霊)であるが、それは、ポップスピップでは明快ではないのである。それは、図示されていない超越軸、超越円、超越界(魂界・霊界)から到来するものと考えられるのである。
 popspipでは、太極・元気・MPの元点に魂の参入点があると言えよう。それは、「逆」ガウス平面の原点に直交するように参入(下降)するということになる。
 簡単に言うと、垂直の超越界(魂界・霊界)の魂・霊がポップスピップにおける陰・凹i・光・知覚と陽・凸i・闇・身体の陰陽共振和合に、いわば、巻き込まれるようにして、赤子が誕生すると思われるのである。
 そうすると、ポップスピップの象限的領域の意味付けを変更する必要があるようだ。第一象限が精神で、第四象限が気的身体となるだろう。また、その他の象限領域も変更されることになる。
 以下、変更したポップスピップを図示する。

< 無双PS原理「逆」ガウス平面:
 Polar Oneness Platonic Synergy
 Principle Inverted-Gauss Plane:
 POPSPIP:ポップスピップ>

陰極・凹i(-i)・光子:「天」:頭(悟性)・他者:空間形式(外在)
               |
               |
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  U物質認識      |    T精神
               |
               |
−1____太極・原気・MP・胸・母権____+1
無気物質          |               有気物質
「自我」           |               「個」
               |
  V物質身体      |     W気的身体
    欲望/感情    |
               |
陽極・凸i(i)・重力子:「地」:肚・自己:時間形式(内在):父権


産土(うぶすな)=海砂(うみのすな)=塩
海水塩の話が何度も降ろされましたが、古神道に産土思想(うぶすなしそう)という考えが在ります。
魂がコノ世に受肉するには、その土地の精霊(産土神・うぶすなかみ・うむ“スナ”のかみ)が、人間の母体と魂を「玉の緒」と呼ぶ霊線で「結ぶ」ことにより受胎するという思想です。
つまり人間とは、母親が妊娠中に住んでいた大地の精霊が凝縮して凝り固まった存在とも言えるのです。

ここで、エベレスト山の山頂でも海の貝殻の化石が存在する事実は、
土地=「海の砂・スナ」
だと霊的に考えます。今の大地は、元は海底だったのです。
さらに飛躍しますと、産土(うぶすな)=海砂(うみのすな)=海水塩、だと感じます。
つまり、古神道の産土思想は、海水塩と生命の誕生の秘密を示唆していると示されます。
要は、海水塩とは、人類の誕生に関わるのです。

では、海から離れた大陸の内地で誕生する魂は、どう考えるか?
海水塩が変化した岩塩の成分組成が、逆に肉体に合うかも知れません。
産土信仰の視点から考えますと、人類は海水塩が合う人間と、岩塩が合う人間に分類されるかも知れません。日本で誕生した人間は、人種・民族を問わず海水塩が合うと思います。
生命誕生の視点、生命に必須の塩分、魂が受肉する地域、産土思想、・・・・色んな視点が真理に向けて統一して行くことを感じます。

伊勢ー白山 道


日本支配層の集団主義的父権主義に拠る狂気錯乱の解明
日本支配層の集団主義的父権主義に拠る狂気錯乱の解明

テーマ:二つの日本民族:母権民族と父権民族

日本国の支配層が金目当てで、狂気錯乱しているのは、常識のある人間の目にはまったく明らかであるが、では、どうして、それほど、アホ的に狂うのか、その原因を考えてみたい。(もっとも、これは、既述済みであるが。)
 既述したように、明治維新以降、父権主義が支配的になった。これは、同一性主義である。唯物論である。
 それは、陽・凸i・自己を中心とする視点をもつ。しかしながら、日本父権主義は、集団主義が混入している。
 故に、完全に、自我主義にはならない。集団主義的父権主義である。
 つまり、権力的集団が主となり、それに従う父権主義である。
 権力的集団が中心であり、単に、それに服従する父権主義なのである。
 無双PS原理から言えば、陽・凸i・自己と陰・凹i・他者が未分化で、両者の間で揺れ動いているのである。つまり、半陽と半陰の未分化様態である。
 半陰は、外在的権力に従う。つまり、集団主義である。半陽は、内在的権力、つまり、自我に従うのである。父権主義である。
 つまり、権力には唯々諾々と服従し、それ以外では、内なるエゴイズムを放らつに行なうのである。
 これで、一応、解明した。

追記:丁寧に言うと、権力的集団と一体化している半自我的父権主義である。つまり、外在的権力集団と父権的自我が一体化しているのであり、権力的集団と自我の区別がつかない、未分化様態にあるのである。
 また、集団主義的父権主義の狂気錯乱と述べたが、それには、邪悪さも当然あるのである。
 

(07/27)大阪の子どもを福島県へ−福島ステークホルダー調整協議会の黒い霧
http://onodekita.sblo.jp/article/57285153.html


チェルノブイリが起きた時に、ソビエト政府は一週間で子どもを含めて、避難させました。そして、徐々に避難区域を拡大し、いまでは0.28マイクロシーベルト以上の放射線量の村が全て廃村に。チェルノブイリから180キロ圏内のほとんどの村が消えた。 という状況です。

 翻って日本は、警戒区域を解除し、今度は楢葉町まで解除し、子どもを戻すそうです。なぜ、ソビエトと正反対のことをやるんでしょうか。どちらかが間違っているのは間違いありませんが。日本人は、ヒロシマ・ナガサキを経験したから特別放射能に強いとでも言うのでしょうか。

 大阪の茨木市の教育委員会がにわかには信じがたい企画をこの夏休みにします。

院長の独り言


オスプレイ問題で見えてきたこと:グア...
http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/30014843.html

2012/7/27(金) 午後 0:51
新ベンチャー革命 2012 年 7 月 27 日  No.608 タイトル:オスプレイ問題で見えてきたこと:グアム移転したがっている沖縄米軍を必死で引き留めているのは日米安保マフィア日本勢だった 1.大手テレビ局、オスプレイ報道に限って、まともになった?   2012 年 7 月 26 日のテレ朝報道番組モーニ ... すべて表示

新ベンチャー革命


2012/07/28 : 政治・権力・陰謀 : 尖閣問題、オスプレイ、原発再稼働にみる“煽動的噴き上がり”想像以上に危険な水域  『世相を斬る あいば達也』
http://iiyama16.blog.fc2.com/blog-entry-947.html#more


『文殊菩薩(ブログ版)』





人間には、悪人と善人がいるという単純な事実認識:父権的人間は冷酷利己主義で共感・霊愛性が欠落する

テーマ:二つの日本民族:母権民族と父権民族

以下、『「10年に一度の大物次官」と言われるのなら、増税後に購入して、少しでも庶民の痛みを感じることぐらい、簡単にできるハズなのだが。』とあるが、これは、実に甘い認識だと思う。
 人間を一様と思うのは、現実的には誤りだと思う。悪人もいれば、善人もいるのである。
 もっとも、理念・宗教的には、全員が救いの対象ではあるが。
 渇穢夷痔牢氏は、明らかに、・・・である。そのような人間に対して、「少しでも庶民の痛みを感じることぐらい、簡単にできるハズなのだが」とはまったくの大甘の認識である。
 これまでの私の議論から言えば、父権的人間は、利己主義であり、共感性・霊愛は欠落しているのである。

追記:丁寧に言うと、一人の人間の精神・心の内部には、善と悪の極性があると考えられる。ただ、悪人は、悪の極性が極大的で、善の極性を圧倒しているのである。
 とまれ、近現代日本人の問題は、既述したように、端的に、集団主義的父権主義に存すると言える。
 それは、これまでの仮説では、弥生的農耕文化的集団性と大陸的父権主義の混淆である。
 今、思いついたが、前者の弥生農耕文化的集団性であるが、単純にそれが、そのまま、今日の集団主義になっているのではなく、江戸時代の封建制を通じて、形成された、封建的集団主義を経過して、今日の集団主義になっていると推測される。
 だから、集団主義的父権主義とは、江戸時代の封建制を経過した明治維新の中央集権主義のもつ父権主義を内在しているということになる。

【経済の死角 】
消費増税案が衆院通過して、アタマの中は優雅な老後のことですか 勝栄二郎(財務事務次官)が駆け込み購入か?「豪華すぎる新居」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33106



その一方で、こんな皮肉な見方をする人もいる。
「家賃の安い公務員宿舎に住んでいる間にずいぶんと蓄財したんでしょう。ただし、実際のところ、消費増税の実施までまだ2年あるとはいえ、こんな時期に買うなんて駆け込み購入と国民に非難されても仕方ない」(前出・経済部記者)
 勝氏本人を直撃した。
---新居の住み心地はいかがですか。
「・・・・・・・・・・・・」
---このタイミングで引っ越した理由は? 駆け込み購入ですか。
「・・・・・・・・・・・・」
 終始仏頂面で、ひと言も発さず迎えの車に乗り込んだ。「10年に一度の大物次官」と言われるのなら、増税後に購入して、少しでも庶民の痛みを感じることぐらい、簡単にできるハズなのだが。
「フライデー」2012年8月3日号より
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33106?page=2


二つの母権:縄文的精神と弥生的精神:個の精神と集団の精神:「天皇」仮説:東洋の母権・父権的王
二つの母権:縄文的精神と弥生的精神:個の精神と集団の精神:「天皇」仮説:東洋の母権・父権的王

テーマ:二つの日本民族:母権民族と父権民族

Primitive Mythology: The Masks of God, Volume I/Penguin Books
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途中で読書が止まっていた神話学の本の続きを少し読んだが、旧石器時代はシャーマンによる「個」の精神の時代であったが、新石器時代は、農耕に伴う「グループ」(集団と見ていいだろう)の精神の時代であったというようなことが書かれてあったが、実に新鮮な視点であった。
 狩猟・採集の時代である縄文時代は、それに倣えば、「個」の時代であり、農耕の時代である弥生時代は、「集団」の時代である。
 そして、私の分類では、どちらも、母権文化である。
 私はこれまで、日本民族を母権民族と父権民族に分けて考えたが、前者における「差異」を見るべきだと思う。
 これまでの国家に従順な国民は、「集団」的国民であり、それは、弥生時代の精神を継承しているとしよう。
 それは、自己否定的に、陰・凹iへ、言わば、傾斜しているタイプと考えられる。
 個とは、先に述べたように(個とは何か:太極・MP・霊愛的陰陽均衡点に個が存する:個とは他者と自己の陰陽均衡である (07/13) http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1842.html)、自己と他者との陰陽均衡に存するのであり、それは、太極・MDに帰属するのである。
 とまれ、日本民族は、母権的民族として、縄文的民族、弥生的民族と父権的民族との混淆であるというように見た方が適切と考えられる。
 結局、江戸時代の封建制と明治維新の父権的中央集権主義と戦後民主主義は、縄文的精神を抑圧して、父権的権力が弥生的集団主義の国民を支配してきたと言えるのではないだろうか。
 国民が集団主義なので、父権的出鱈目がまかり通ったということなのだろう。
 後で、もう少し丁寧に論説したい。 

追記:日本に渡来した母権民族で忘れてならないのは、飯山一郎氏が説く大陸北方からのツングース系民族である。(参照: 飯山一郎の古代史 http://grnba.com/iiyama/html/16kodaisi.html)
 古代朝鮮の神話を見ると、明らかに、母権的文化であることがわかるのである。(参照:日中韓三国通史
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/index.htm
高句麗の歴史
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/koukurigaisi/koukuri-tsusi-mokuji.htm)
 ただし、日本に渡来(侵入?)した父権的民族がよくわからないのである。中国からの父権民族、あるいは、イスラエルの失われた十支族の父権民族、又はその他か、浅学・管見で不明である。
 以前の仮説では、北方から渡来した民族は、母権と父権の混淆したものであった。
 景教も関係するかもしれない。
 ところで、これまで、日本父権主義を激しく批判してきたが、上記の視点から新たに考えられることは、弥生的集団的母権民族と父権的民族が混淆して、日本人の精神には、集団主義と父権主義の混淆が存するということであり、日本父権主義とは、純粋な父権主義ではなく、集団主義的側面をもつということになると考えられる。
 この、言わば、集団主義的父権主義は、最低最悪のものと考えられる。どうも、日本父権主義とは、そのように見た方がいいようだ。
 後で丁寧に考察する必要がある。
 まとまりのない論説になったが、最後に一言、直観的予見を記しておきたい。
 つまり、古墳時代の問題である。前方後円墳は一体、どの民族のものなのか。それは父権的民族のものなのか、母権的民族のものなのか。私見では、後者である。
 しかし、問題は、王の捉え方である。王は母権的王と考えられる。端的に言えば、太陽神を体現する「天皇」である。
 いったい、前方後円墳の王(「天皇」)は、農耕民族の王なのか、それとも、遊牧民族の王なのか。(モンゴル民族的な遊牧民族の渡来が考えられるのである。) それとも、狩猟・採集民族、つまり、縄文民族の王なのか。(この問題は、ずっと、私の心の中で、問うてきたが、謎のままである。)
 あるいは、母権民族の王ではなく、父権的民族の王、例えば、イスラエルの失われた十支族の王なのか。
 現時点での、作業仮説を言えば、前方後円墳の王(「天皇」とは、農耕民族と(母権的)遊牧民族と父権的遊牧民族、三民族の三重の王である。
 そして、排除されたのが、狩猟・採集の王である。それは、端的に、縄文的民族の王(「太陽神」・太極)である。言い換えると、個の王が排除されたのである。
 とまれ、三民族三重王としての「天皇」が権力・権威の中心となるが、思うに、好戦的な父権的民族がそれを利用するように日本国を支配するようになったのではないだろうか。それが、記紀、とりわけ、日本書紀に現われているのではないだろうか(撃ちてし止まん)。
 本来、母権的民族の王である「天皇」が父権的民族によって利用されたのではないだろうか。
 しかしながら、やはり、「天皇」は三民族三重王である。混淆的王である。
 とは言え、排除された縄文的民族の「王」が、根源的に日本人の精神の内に存しているのではないだろうか。
 そう、表向きは、三民族三重王とは言え、民衆は、そこに縄文的民族の王を見ていたのではないだろうか。
 つまり、四民族四重王としての「天皇」である。しかも、縄文的王が中心である。
 とまれ、以上の作業仮説からすると、前方後円墳の王である「天皇」はきわめて複合的な存在であり、思うに、東洋・アジアの統合的王と言えるのではないだろうか。
 簡単に論点を整理すると、前方後円墳の王は、農耕民族、母権的遊牧民族、父権的遊牧民族の三重の王である「天皇」であり、そのとき、縄文的民族の王は排除されている。しかしながら、民衆は縄文的王をそこに見い出しているのである。つまり、実質は四民族四重王であり、縄文的王主導のそれであるということである。
 今はここで留める。


参照:
夫余 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/夫余 - キャッシュ
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夫余. 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』. 移動: 案内, 検索. 2世紀頃の東夷諸国と夫余の位置。 4世紀頃の東夷諸国と夫余の位置。 夫余(ふよ、拼音:Fūyú、旧字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AB%E4%BD%99

縄文と古代文明を探求しよう! | 朝鮮半島に前方後円墳があるのなんで?
www.jyoumon.com/blog/2008/10/000617.html - キャッシュ
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2008年10月21日 – みなさんもよく知っている前方後円墳。私は日本固有の古墳だと思っていたのですが近年では朝鮮半島西南部でもその前方後円墳が10数カ所発見されているそうです。 :shock: 前方後円墳は日本では3世紀頃に登場して7世紀前半に消滅 ...
http://www.jyoumon.com/blog/2008/10/000617.html

前方後円墳 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/前方後円墳 - キャッシュ 類似ページ
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朝鮮半島南部の前方後円墳 に移動‎: 1983年に韓国慶尚南道固城の松鶴洞一号墳が前方後円墳であるとして紹介されて以来、朝鮮半島南西部で前方後円墳の発見が相次いだ。その後の調査により、松鶴洞一号墳は築成時期の異なる3基の ...
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E6%96%B9%E5%BE%8C%E5%86%86%E5%A2%B3

イスラエルの失われた十支族 | ミントの忙中閑あり
demosika.blog35.fc2.com/blog-entry-529.html - キャッシュ
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皆さんは、「日本人は、イスラエルの失われた十支族である。」という説をご存じでしょうか?イスラエルの失われた10支族 - Wikipedia日本民族とユダヤ民族には、驚くべき共通点があります。それは、様々な研究者によって指摘されてきました。『古事記』と『日本 ...
http://demosika.blog35.fc2.com/blog-entry-529.html


参考:
事実なら、許し難い外務省日米安保マフィアども 新ベンチャー革命 H.24/07/22
http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/archive/2012/07/22


事実なら、許し難い外務省日米安保マフィアども:オスプレイ日本配備強行をけしかけている張本人だった?


新ベンチャー革命  No.605 2012/7/22(日) 午後 3:11


1.オスプレイ日本配備を強行させているのは日本の外務省だった?

 2012 年7月22日の日曜日朝のテレ朝報道番組に、軍事評論家の神浦氏(注1)が登場し、超過激な発言をしました、それは『日本国民の強い反対にもかかわらず、米軍がオスプレイの日本配備を強行するのは、外務省がそのように米国政府にけしかけている可能性がある』という発言です。これが事実なら、日本の外務省はまさに米務省そのものということになります。

 なぜ、外務省がこのようにけしかけているかというと、もし、ここで米軍が日本国民の要求に屈したら、前例ができて、日本全国にて在日米軍撤退を要求する声が高まり、日米安保が危うくなるからだそうです。

続きを読む


『文殊菩薩(ブログ版)』


宇宙自然フリーエネルギーと無双PS原理:陰凹i*陽凸i⇒+1:*は共振、⇒は気、+1は有気物質
宇宙自然フリーエネルギーと無双PS原理:陰凹i*陽凸i⇒+1:*は共振、⇒は気、+1は有気物質
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11313805247.html

テーマ:無双PS原理

< 無双PS原理「逆」ガウス平面:
 Polar Oneness Platonic Synergy
 Principle Inverted-Gauss Plane:
 POPSPIP:ポップスピップ>

< 無双PS原理「逆」ガウス平面>

陰極・凹i(-i)・光子:「天」:頭(悟性)・他者:空間形式(外在)
               |
               |
               |
  U物質科学         |    T気的身体
               |
               |
−1_______太極・原気・MP・胸・母権_______+1
無気物質             |             有気物質
「自我」            |            「個」
               |
  V欲望/感情        |     W精神
               |
               |
陽極・凸i(i)・重力子:「地」:肚・自己:時間形式(内在):父権



以下の最初の記事は大変興味深いので、大半を転載させていただいた。
 大気から電気を取り出すというのは、水蒸気の電荷を利用するということであるが、それは無双PS原理では、先に述べたように、有気物質としての水は、±イオンを内包していると考えられる。つまり、酸素イオンと水素イオンの電荷の共振様態をもっていると考えられる。
 この電荷を取り出せば、電力となると思われる。
 また、フリー・エネルギーであるが、これも、無双PS原理から、陰・凹i・光子*陽・凸i・重力子の「差異共振」エネルギーと関係すると推測される。
 以前、ニコラ・テスラに関する本を読んだことがあるが、彼の学説は、無双PS原理によって、よく理解されるのではないだろうか。

追記:スーパー・ストリング理論については、最近は関心がなくなっているが、波動ということを言えば、陰・凹i・光子*陽・凸i・重力子⇒+1の陰陽 差異共振方程式(と名づける:簡略化して、差異共振方程式ないしは陰陽方程式である)の左辺が原波動であり、⇒が気波動である。
 思うに、原波動からフリー・エネルギーが取り出せるのかもしれない。それとも、気波動からであろうか。

追記2:フリー・エネルギーは、無双PS原理から見ると、その根源は、当然、太極・原気・MP(陰陽均衡点)・胸に存する。
 そこでは、実は、霊と気の二つの「精神」が発出されると考えられるのである。
 霊で言えば、聖霊が流入する原点(元門:ポータル・ポイント)であり、自然では、気が流入する原点(元門:ポータル・ポイント)である。
 フリー・エネルギーは自然のエネルギーなので、気のエネルギーに関係すると考えられる。
 これは、無双PS原理の陰陽方程式(差異共振方程式)、即ち、陰・凹i*陽・凸i⇒+1から見ると、左辺の*の太極・原気・MDと⇒の両面に存するのではないだろうか。簡略化して、*⇒と記号化してもいいだろう。つまり、*⇒がフリー・エネルギーを意味することになる。
 また、空気中の水蒸気、ないしは、大気の水の帯びる電荷(イオン)であるが、これは、端的に、陰・凹i*陽・凸iの陰陽極性、陰陽差異極性を意味するのではないだろうか。

• もともとエネルギーってただなんですが、誰かが勝手に商売にしちゃったんですよねw
大気から電気を収集:金沢工大教授等の研究
大気中から電気を取り出し、安価でクリーンなエネルギーとして利用するという研究が進んでいる。金沢工大の饗庭貢教授の「雷雲蓄電」研究等について紹介。

Duncan Geere, Wired UK

Image: Flickr/Bobby Dimitrov

太陽光や風や波が新しい電力源として期待されているが、最近は、大気中[の静電気]から電気を収集する技術も研究されている 。

科学者たちは何世紀もの間、雷の電気を集めて 利用 するというアイディアに魅せられてきた。発明家ニコラ・テスラ もさかんに実験を行なったが、大気電気学 の分野を詳細に解明することは、最近まで困難だと考えられてきた。

しかし、ブラジルのカンピーナス大学の Fernando Galembeck氏 は、アメリカ化学会(ACS) の第240回国際会議において報告を行ない、すべての住宅の屋根に装置を取り付け、大気から安価でクリーンな電力を取得するという未来の構想を語った 。

元来、大気中の水滴は電気的に中性であり、たとえ塵の粒子や他の液体の電荷と接触しても中性を保つと考えられてきた。しかしGalembeck氏は、一連の実験の結果、実際には水滴は電荷を帯びることを発見した。

Galembeck氏は、空気中に 塵粒子 として多くみられるシリカ 粒子とリン酸アルミニウム を用いて実験を行ない、空気中の水蒸気の量が増える[湿度が高い]と、それら物質の粒子はますます電荷を帯びる傾向があることを突き止めた。

「これは、大気中の水が電荷を蓄積し、接触した他の物質にその電荷を移動させられることを示す明らかな証拠だ」とGalembeck氏は述べている。

特に熱帯地方などの湿度の高い地域においては、このような「湿度電気」(hygroelectricity)を大気中から「収穫」することが可能かもしれ ない。この技術を産業化するべく、Galembeck氏はすでに、大気中の電気を捕捉する収集パネルの素材に最も適している金属を特定するための実験を行 なっている。

また、同様の仕組みを、落雷の被害防止に役立てることもできる。雷雨多発地域の建物に湿度電気収集パネルを設置し、周辺の大気中から電気を集めて取り除くのだ。
[大気中に存在する、雷にならない程度の比較的低圧の静電気を回収して電力として利用する技術を大気電流発電 と呼び、日本では金沢工大の饗庭貢教授が研究を行なっている。

饗庭教授の 研究 で は、雷雲が近づくたびに地表との間に流れる大気電流と、雷放電後の続流と呼ばれる弱い電流を蓄える仕組み。具体的には、地上5m以上に設置した数10メー トル程度の避雷針を用い、大気中の500V以下の低圧の静電気を電気二重層キャパシタに回収し電力として利用する。雷を引き起こす500V以上の静電気は 地中に逃がすため、落雷防止にも利用できる。

高さ65メートルの避雷針を用いた観測では、雷が多い冬の1カ月で105回の電流が計測され、推定400キロワット時の電気量が可能。一般家庭の月間平均電気使用量は約340キロワッ ト時とされるため、一世帯で必要な電気がほぼまかなえる計算になるという。

雷の専門家として知られる饗庭教授は、1977年から、ピアノ線をつ けた超小型ロケットを雷雲の中に打ち上げる実験を始め、ピアノ線の端に放電電極を取り付け、雷の電気で水を温める「雷温水器」の開発にも 成功している ]
[日本語版:ガリレオ-高橋朋子/合原弘子]

WIRED NEWS 原文(English)

http://wired.jp/wv/2010/09/01/%E5%A4%A7%E6%B0%97%E3%81%8B%E3%82%89%E9%9B%BB%E6%B0%97%E3%82%92%E5%8F%8E%E9%9B%86%EF%BC%9A%E9%87%91%E6%B2%A2%E5%B7%A5%E5%A4%A7%E6%95%99%E6%8E%88%E7%AD%89%E3%81%AE%E7%A0%94%E7%A9%B6/

ストリング理論によると、われわれが生きている宇宙は現実=SFということになります。
宇宙には11の次元があり、すぐ隣にパラレルな宇宙が存在します。
そして、エレガントな宇宙それを構成するのは弦・ストリングの音楽だけなのです。
目指すところは大きくても、ストリング理論の基本的な考えはいたってシンプルです。
宇宙にあるすべてのものは、極小の粒子から、遥かかなたの星に至るまで1種類の材料、構成要素からできているというもので、それは想像を絶するほど小さなエネルギーの振動する紐。これをストリングと呼びます。
チェロの弦と同じように、これから実にさまざまな音が生まれてくるのです。
ストリング理論のこの極小さなストリング、弦は様々なやり方で振動します。
そこから自然のすべての構成要素が生まれてきます。
つまり宇宙は壮大な宇宙交響曲のようなもので、ありとあらゆる音と共鳴します。
この小さい振動するエネルギーの弦・ストリングがそれを奏でます。
ストリング理論はまだ生まれたばかりですが、宇宙に関する全く新しい概念をそこに提示しつつあります。
奇妙で、しかも美しい宇宙をーーー。

数年前、ストリング理論についてのグリーン教授の本「エレガント・ユニバース」は驚くべきベストセラーとなりました。
現在、コロンビア大学 物理学・数学の教授を務めるクリーン氏がテレビ番組でストリング理論を紹介しています。

理論物理学の最先端で、このストリング理論が完成され、合意が得られた場合それは一般の人々の世界観、宇宙観をどう変えていくのでしょうか?
「すぐにガラリと世界観が変わるものではありませんが、我々の営む暮らしの大きな流れの中で、これは捕えることができるでしょう。
つまり、ストリング理論で世界すべてのものを支配する基本的な原則を本当に理解することができるでしょう。
もう一つお話ししたいと思います。
仮に1920年代に量子力学が、世の中にどういった影響を与えたか?と聞かれたらほとんど何も答えることができなかったでしょう。しかし、今では携帯・レーザー・医療機器・CD・パソコンも登場し、これらすべて量子力学の理論に基づいて作られています。
それ自体が不思議とも言えることですが、これが行き着くところが何なのか、新たな発見に行きつくか分かりません」



原子がより小さなもので構成されていると考える量子力学、そしてストリング理論が生まれてきたのですが、これまでと同じ道筋をたどるのですか?つまり完成されて証明された後、そこから変化が始まるのでしょうか?

「科学の進歩により以前の世界観が、変わってしまうように考えられがちですが、そんなことはあまり実際に起こってはいないのです。むしろ科学の進展は、以前の成果に基づいて築きあげられているのです。
ですから同じ道をたどっているのです。
この道は古代ギリシャ人が、2500年前に世界を構成する目に見えない基本的な要素は何か?切り開いた道と同じ延長なのです。
数学的研究によって原子・電子・中性子・陽子・クオークを超えて、この微細な振動するストリング状のフィラメントに至ったわけです。
数学でここまで行き着く事が出来たのです」
(途中カットしました。)
物理学の最高の進展は、そういったぶつかりあいから生まれてきました。
実際このストリング理論も物理学の2つの理論、アインシュタインの重力の法則と量子力学が正面衝突して生まれたんです。
物理学会のすべてがストリング理論を支持しているわけではなく、議論も多いところですが、それが本当にあるべき健全な姿だと思うのです。
何かが実験で証明されるまでは、論争があってしかるべきなんです。






しかし、以前に聞いたことがある。−−−と言う方は通の人かもね。UFOか宗教で
ーーー波動なのです。
ストリング理論が理解されたものとして
増幅送電機
テスラが発明したテスラ・コイルという特殊コイルを使って、電気を無線で送る装置だが、無線で送る過程で、空間の宇宙エネルギーと共振し、宇宙エネルギーを取り込んでエネルギーを増幅して電気を送ることができる画期的な装置である。

テスラによれば、テスラコイルから出る電磁波は超光速であり、しかもほとんど減衰しない。

 テスラはニューヨークに研究所を作って研究を開始するが、惜しいかな、この研究所は火災で焼失してしまう。
 その後、一八九九年から一九〇〇年にかけて、コロラドスプリングスの高原で実験を行い、テスラは自らの考えを確固たるものとした。

 コロラドでの実験を終えてニューヨークに戻ったテスラは資本家1・P・モルガンの提助を得て、「世界システム」の建設に着手する。
 世界システム。
 それは文字通り、世界中にラジオを放送し、無線通信を行い、電力を送るという、ケタはずれに大きなスケールのプランである。その拠点となるのは、ロングアイランドに建てられることになる
ウォーデンクリフ・タワー

テスラは、巨大なテスラ・コイルの塔を作って送電実験を行い、四十キロメートル以上離れたところで受電して、50ワットの白熱ランプ200個点けることに成功している。

 この装置は、モルガン財閥の資金援助で開発が進められていたが、電気を空間から無料で取り出す装置のため、電力産業界にとってはメリットのないものだったので、資金援助が打ち切りになってしまった。
 結局、増幅送電機は世の中に普及することなく葬り去られてしまったのである。

「ロックフェラーの関係者が、テスラを訪ねてきたこともあった」
テスラの甥のピーター・セヴォ。

テスラの死後すぐに、 FBIをはじめとする機関が捜索にやってきて書類のほとんどを持ち去ったのである。
この時押収されたテスラの論文は、今では米国の防衛機関の図書館に機密として保存されている

テスラは 無線で電力を送ることに成功し、数百ワットの電球をつけることができた、と伝説は語っている。
 この時期にテスラが書いたのが、『コロラドスプリングス・ノート』である。興味半分に首を突っ込んでみても、インタクタンスやら容量やらの計算が延々と 出てくる内容を前に素人はサジを投げるのがオチである。電気を知らない者には相当に手ごわいので、これに挑む人は覚悟しなくてはならない。
「空間はエネルギーで満たされている」
「われわれは終わりのない空間を、想像もつかない速度で渦を巻いて回転している。すべては回転し、運動している。すべてはエネルギーである。このエネルギーを直接手にする方法があるにちがいない」
 「何世代もしないうちに、人類は空間の中で好きな所からエネルギーを取り出すことができるようになるだろぺう」
「この事実は、真空管を使った実験ではっきりと実証できる」
 テスラはこう断言するのである。


アメリカのトーマス・ペアデンという工学者
「真空中に宇宙(フリーエネルギー)は、確実に存在する。このエネルギーは、燃料を燃やして大気を汚染することもなく、核廃棄物を生む心配もない。害を残さないきれいなエネルギーが大気中の真空から無冬蔵に取り出せるのだ。
ニコラ・テスラは、無公害の宇宙エネルギーを空間から取り出し、世界に供給しようとした。
しかし、彼の努力はすげなく拒絶された。
テスラは交流発電機や交流システムなどさまざまな発明をし、電気の二〇世紀の功労者だ。彼を十分評価していれば、安いエネルギーが手に入っただろう。
 私は、真空中のエネルギーの理論(スカラー波理論)を学会で数多く発表した。テスラの 増幅送電機のメカニズムが実用化されていれば、メーターをつけて電気代を取られることもなかっただろう。アンテナとタップをつければ安い電気が豊富に得られるのだから。
  それで権力がテスラの研究を妨害したわけだ。メーターを外されては困るからね。
結局、安くて、クリーンな電気は実現しなかった。我々は素晴らしい発明をしたテスラの声に、もっと耳を傾けるべきだったのだ。
 彼は電流を一切使うことなく電球の灯りをつけてみせた。彼は偉大な天才で、財閥から資金提助を受けて研究をしていた。資金援助が継続され、増幅送電機の研究が成就して実用化されていれば、現代科学は一〇〇年進んでいただろう。
  テスラの増幅送電機の挫折から八○年を経過して、今世紀初頭に彼がしたことを再発見するときが、今やっとやってきた。
 我々は一〇〇年遅れている。ニコラ・テスラは実に偉大な科学者だったのだ」

 テスラの開発した テスラ・コイルは、「共振回路」 と「火花放電」 のある特殊変圧器であるが、この 「共振回路」と「火花放電」は宇宙エネルギーを取り込む働きをする。そのため、テスラ以後の宇宙エネルギー装置開発者の多くがこの原理を利用している。

日本はまだまだ遅れている。
日本は原子力より、太陽の光子の研究を進めるように
電信柱が立っているようでは、まだまだ駄目な世じゃ。


http://www2.ocn.ne.jp/~chikyuu/sutorinngu.htm
• おやおや?銀行の力を弱めてどうするおつもりですか?銀行統合の手段ですか?w
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• 抗議の電話が来たから立件するんでしょ?電話が来なかったらどうしたんでしょうか?w
donのブログ


2012年07月21日(Sat)▲ページの先頭へ
陰・凹iと陽・凸iの本性について:光ー太陽ー闇、自己ー太極ー他者
正しい画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11308123995.html

陰・凹iと陽・凸iの本性について:光ー太陽ー闇、自己ー太極ー他者

テーマ:無双PS原理

< 無双PS原理「逆」ガウス平面>

陰極・凹i(-i)・光子:「天」:頭(悟性)・他者:空間形式(外在)
               |
               |
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  U物質科学      |    T気的身体
               |
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−1____太極・原気・MP・胸・母権____+1
無気物質          |                有気物質
「自我」           |                 「個」
               |
  V欲望/感情    |     W精神
               |
               |
陽極・凸i(i)・重力子:「地」:肚・自己:時間形式(内在):父権

無双原理・易―「マクロビオティック」の原点/サンマーク出版


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 無双PS原理の一番の問題点をここで検討しよう。
 私は桜沢如一氏の無双原理に従って、それまで、ガウス平面上において、凸i(i)=陽=光=自我、凹i(-i)=陰=闇=他者としてきたのを否定して、上図のようにガウス平面の上下を転倒させ、又、凹i(-i)=陰=重力子=自己、凸i(i)=陽=光子=他者とした。
 この変換の一番の問題は、陰・闇・肚を自己、陽・光・頭を他者とすることにある。
 常識的には、頭は自己となるのが、普通であると考えられるのであり、このような布置はパラドクシカルである。
 桜沢氏は、陰が上昇するもので、発散的であり、陽は下降し、集中的なものであると述べているのであり、それに即すと、前者は自我ではなく他者、後者は他者ではなく、自己とするのが妥当と考えて、布置を逆転させたのである。
 問題は、光の意味である。通常、光と太陽を一致させるが、私はそうは考えない。太陽は太極・MPの原点に置くのが妥当のように思われる。太陽からの光があり、また、太陽の内部・コアがある。太陽からの光は発散するものであり、これは、桜沢氏の視点と一致するのである。発散する光は軽いものであり、それは、知性と通じるとした方がいいだろう。クールということである。それは、陽ではなく、陰・凹iが相応しいだろう。
 それに対して、太陽の内部・コアであるが、それは、重力的に集中されるものであり、凝集であり、下降する重いものであり、また、発熱するもの、エネル ギー、パワーのあるものと考えられる。それは、ホットであるから、陽・凸iが妥当のように思えるのである。また、それは、自我ないしは自己に相応しいだろ う。
 そう、陽・凸iを自我にするのか、自己にするのかは、以前検討したが、繰り返すと、人間は自己傾斜しているので、自己は連続性、ないしは、連続的同一性へと必然的に向かい、自我となるのである。 
 ではあるが、純粋に見れば、陽・凸iは自己とするのが適切であると考えられるのである。
 結局、これまでの無双PS原理「逆」ガウス平面の再確認をしたことになった。
 さて、最後に、自己傾斜=自我化、連続化=連続的同一性化の精神的意義について考えたい。
 ルドルフ・シュタイナーが、悪魔論で、アーリマンとルシファーの二種類の悪魔を述べているが、自己傾斜・連続化とは、確かに、悪魔的に考えられるが、それは、どちらに当たるのだろうか。
 アーリマンとは物質主義の悪魔であり、ルシファーは利己主義の悪魔であると簡単に言えるのではないだろうか。
 それを考えると、自己傾斜とはルシファーであり、連続的同一性がアーリマンということになるのではないだろうか。
 私は自己傾斜=連続的同一性として捉えているが、そうではなく、両者をシュタイナーのように、別々に捉えた方が明晰になるだろう。
 即ち、自己傾斜とは悪魔ルシファーの作用であり、連続的同一性化とは悪魔アーリマンの作用であるということである。

追記:シュタイナーの悪魔論では、ルシファーは、神秘的、夢幻的なものでもある。陽・凸iを肚とすると、それは、よく理解されると思う。確かに、かつて、私は、肚に神秘的なコスモスを感じたものである。だから、ルシファーは、陽・凸i・肚に定置するのがいいのである。
 また、アーリマンであるが、それは、固定化、硬化させるものである。私は、ルシファーの連続性と結びついた同一性と見ているが、どこに定置させたらいいのだろうか。
 自己傾斜のもつ同一性志向が他者の差異を否定するときに、同一性自体=自我が形成される。それは、−1である。
 しかし、私の考えでは、自己傾斜が基本にあり、それが、ルシファーであり、同時に、アーリマンであるということなってしまい、シュタイナーの考えには、合わないことになる。このいわば齟齬をどう解決するのか。
 私は自己傾斜は同一性志向であると考えているが、自己、即ち、陽・凸i・肚が同一性志向とはどういうことなのか。それは、求心的な同一性志向ということである。一(いつ)への志向である。唯一神的志向である。
 これが、他者、陰・凹i・頭に衝突すると、それを否定して、自我が形成されるのである。
 問題は、求心的同一性の意味である。それは、いわば、観念的同一性、抽象的同一性であり、物の同一性ではないだろうか。つまり、言語的同一性ではないだろう。
 求心的同一性が言語的同一性と結びつくとき、真の同一性が形成されると言えよう。
 言語的同一性とは悟性である。つまり、自己同一性が悟性と結合したときが、真正の同一性が形成されるのである。
 悟性の位置は陰・凹i・頭であると考えられる。だから、真正の同一性とはやはり、陽・凸i・肚と陰・凹i・頭の同一化に存すると考えられるのである。
 以上のように考えると、アーリマンとは、陰・凹i・頭の悟性に関係すると考えられる。そう、植物、動物には、悟性はないだろう。人間だけに存するのである。
 すると、結局、アーリマンとは陰・凹i・頭における悟性を意味すると思われるのである。そして、これが、唯物論を促進するということである。
 これでとりあえず、解明できた。つまり、ルシファーは陽・凸i・肚の自己傾斜、自己同一性志向であり、神秘的コスモス志向をもつのであり、アーリマンは陰・凹i・頭における悟性であるということである。
 シュタイナーはルシファーとアーリマンの間にキリストを置き、両者の均衡を説いたのである。シュタイナーのキリストは、無双PS原理から言えば、端的に、太極・原気・MP(陰陽均衡点)・胸である。

追記2:陰・凹i・空間形式は外在であり、陽・凸i・時間形式は内在であると考えられるので、無双PS原理「逆」ガウス平面に加えた。
 また、陰・凹i・頭に悟性を加えた。


参照:
悪魔論に進む
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そして悪魔というと、尻尾を生やした何やらやけに人間っぽい存在を想像して、お話の中の存在と思う人が多いかもしれません。 しかしシュタイナーが悪について語る時、悪は肉体的姿をもたない霊的存在として現れてきます。 それを悪魔と呼べば呼べますが、 ...

「アーリマン的なもの」と「ルシファー的なもの」 - 狂気をくぐり抜ける - ココログ
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2006年11月27日 – アーリマン的なもの」と「ルシファー的なもの」. 注)シュタイナーの人間における2系統の悪魔的性向「アーリマン的なもの」と「ルシファー的なもの」を対比させた記事です。 アーリマン的 ルシファー的肉体的… 固くなること ←→ 軟化すること ...

シュタイナー・ノート 21-30 - BEKKOAME
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シュタイナーノート 23●ルシファーとアーリマン に移動‎: (1998.3.1). 宇宙進化の中には天使とは別の存在がいます。彼らは、人類を進化の道から逸脱させることに関心を抱いています。これらの存在とは即ちアーリマンとルシファーに ...

アーリマンの受肉 of SAAS Stray Armchair Anthroposophists' Society
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シュタイナーによれば、悪の本質は、磁石のような両極性の観点からしか把握できない。 ルシファーは悪の両極性の一端を担うものであり、もう一方の悪の極性を担う霊的存在者がアーリマンである。ルシファーが人間を地上から限りなく舞い上がらせる傾向を ...

ルシファーとアーリマンの中間に立つ第三の存在がキリスト|林田明大の ...
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2010年12月24日 – 上記文中の中略部分でシュタイナーが言いたいことというのは、ルシファー的なものとアーリマン的なものとの区別をすることの重要性である。多くの人々が、それらをごっちゃ混ぜにしてしまっているが、区別することによってのみ、キリスト的な ...

北の緑の窓 - So-net
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そこには「アーリマン存在」が描かれている。 最初に「アーリマン」について、 『悪の秘儀 アーリマンとルシファー』(松浦賢訳イザラ書房)を 参考にしてまとめておきたい。 シュタイナーによると アトランティスの時代に人間のエーテル体にアーリマンの介入があった。

悪の秘儀
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人間の進 化の過程においては、一方の極にルシファーの受肉があり、中央にキリストの受肉があり、もう一方の極にアーリマンの受肉が ..... シュタイナーに拠れば、アーリマンの受肉を体験することは、人類にとっては避けることのできない運命なのである(本書の ...

シュタイナーの哲学体系【B】(進化から逸脱したヒエラルキア) - 地球の ...
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2005年6月8日 – 画像はシュタイナー作のキリスト像 (上・ルシファー、中央・キリスト、下・アーリマン) 「ルドルフ・シュタイナー」 上松佑ニ 著 PARKO出版 (¥4800)より ◇◇◇進化から逸脱したヒエラルキア◇◇◇ ○一般的に『悪魔』と呼ばれる霊的存在の ...

シュタイナー語録【R】(アーリマンとルシファーを退ける力について) - 地球 ...
blogs.yahoo.co.jp/sakimorikeikan/18209276.html - キャッシュ 類似ページ
2005年11月25日 – シュタイナー語録【R】(アーリマンとルシファーを退ける力について) ○その1 ルシファーを退ける力があります。 道徳です。 道徳はルシファーを焼き尽くす激しい炎です。 アーリマンに対抗する手段は、精神科学によって修練された判断力と認識 ...





気の問題あるいは+1と−1の問題:太極は原気・気であり、陰・凹iは陰極、陽・凸iは陽極ではないか
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11307584956.html

テーマ:無双PS原理

ようやく、週末になり、疲れはあるものの、いくぶん余裕があるので、本件について簡単に考察を続けたい。
 さて、先に、
 化学物質と生命物質
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11307556066.html
という物質の区別をした。
 結局、無生命物質と生命物質の違いである。もっとも、生命の定義が難しいのであるが。
 とりあえずは、常識的な視点から、両者を区別する。植物、動物、人間は生命をもつ物質である。また、ウィルス、細菌等も生命ある物質とする。
 (私見では、銀河系等の星雲も生命ある物質にしたいのであるが、それは、常識的見地とは異なるので、ここでは入れない。)
 これまでの発想では、陰・凹i×陽・凸i⇒+1は、螺旋形状の物質体であり、多くの生命体はここに入る。
 今思うに、二重らせんというのは、ここに属するのである。
 +1とは、端的には、陰陽和合体と言えるのではないだろうか。これまでの用語では、差異共振体である。(差異とは、陰・凹iと陽・凸iの両者である。)
 それに対して、−1は何であろうか。
 これが難問である。
 哲学的には、同一性体、ないしは、自我であることは、ほぼ確信しているが、物質的には何であるのか。
 思うに、同一性とは差異への否定であり、差異、即ち、陰・凹iと陽・凸iへの否定とは、気の否定であるということであり、純粋物質ということになるのではないだろうか。無気の物質ということになる。
 思うに、やはり、−1は、いわゆる、物質でいいと思われるのである。
 それに対して、+1は気のある物質ということである。
造語して、−1を無気物質(気のない物質)、+1を有気物質(気、陰陽気のある物質)としたい。
 この無気物質と有気物質の区別は、これまでの、区別よりも優れていると思われる。つまり、渦巻星雲も、有気物質に加えることができるからである。
 では、次の問題は、陰・凹iの気と陽・凸iの気と+1との関係である。
 思うに、+1は、差異共振体であり、そこには、陰・凹iと陽・凸の両気が共振しているということであり、気の極性が存しているのではないだろうか。つまり、気はあくまでも、極性をもつのであり、極性のない一元的気はないということである。
 しかしながら、そうすると、太極と気の関係が問題になる。太極は正に、原気(元気)である。それは、気の根源であるから、気との混同は避けなくてはならない。
 先に気の身体について触れたが、その気はやはり、陰の気と陽の気との共振における気と見るべきだと思われる。
 つまり、気の身体の気は極性をもっているのであり、陰・凹iの極と陽・凸iの極があるということである。
 つまり、陰の気と陽の気という言い方は妥当ではなく、気の陰・凹iの極と陽・凸iの極があるというべきである。
 簡単に言えば、気の陰極と陽極があるということである。
 では、そうすると、気とは原気・元気と一致することになるだろう。つまり、太極こそが気=原気・元気であるということになる。
 後で再検討したい。
 

< 無双PS原理「逆」ガウス平面>

  陰極・凹i(-i)・光子:「天」:頭・他者:空間形式
               |
               |
               |
  U物質科学      |    T気的身体
               |
               |
−1____太極・原気・MP・胸・母権____+1
無気物質          |                有気物質
「自我」           |                 「個」
               |
  V欲望/感情    |     W精神
               |
               |
 陽極・凸i(i)・重力子:「地」:肚・自己:時間形式:父権





ナンナミストのことである! 強酸性水・強酸化水・超酸化水のことである! いや、超超酸化水のことで
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11305313840.html

テーマ:life science

先に、電荷の正負を、陽・凸iと陰・凹iではないかと示唆した。
 例えば、水の電気分解は、水素イオンHプラスは、陰・凹iの極へ、酸素イオンOマイナスは、陽・凸iの極へと生起するということではないか。
 問題は水の捉え方である。普通、水は無機物である。しかし、私の感覚では、水は、「有機体」である。
 思うに、用語を変える必要がある。あるいは、造語する必要がある。
 陰・凹i×陽・凸i=+1
であるが、+1を私は有機体ないしは生命体としたのである。
 しかし、直観では、水も+1である。この齟齬をどう捉えるべきか。
 −陰・凹i×陽・凸i=−1
の−1を無機物としたが、これが間違っている可能性がある。私の感覚では、−1とは、陰陽共振しない場合における物質である。
 今、思いついたが、−1は、掛け算ではなく、割り算で出されるのではないか。即ち、

陰・凹i÷陽・凸i=−1

ということである。
 まとめると、掛け算(積)の場合は、陰陽結合で、分子を形成するということではないか。即ち、

陰・凹i×陽・凸i=+1

の+1が分子である。例えば、酸素イオン(陰・凹i)と水素イオン(陽・凸i)の結合は水(+1)を形成するということになる。つまり、それは、正負イオンの牽引力が作用したということではないだろうか。
 次に、割り算の場合であるが、それは、正負イオンが分離したまま、あるいは、離反したままの様態を意味するのではないだろうか。
 即ち、

 陰・凹i÷陽・凸i=−1

の−1は、分子になっていない、分離状態を意味するのではないだろうか。言い換えると、分解状態である。
 暫定的に−1を分離状態にして、、+1に分子を加えて、無双PS原理「逆」ガウス平面図を少し書き替えてみる。
 

< 無双PS原理「逆」ガウス平面>

  陰・凹i(-i)・光子:「天」:頭・他者:空間形式
              |
              |
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  U物質科学     |    T気的身体
              |
              |
−1____太極・MP・胸・母権______+1
分離状態        |            分子・生命体
「自我」          |              「個」
              |
  V欲望/感情   |     W精神
              |
              |
 陽・凸i(i)・重力子:「地」:肚・自己:時間形式:父権


追記:極性は正負において、当然、牽引力が生じるが、他方、反発力も存するだろう。そうでないと極性にはならないだろう。陰は陰、陽は陽としての独立性があるからである。
 牽引力が支配的になった場合、陰陽結合で分子が形成されると考えられる。逆に、反発力が支配的になったときは、陰陽分離、陰陽離反状態で、おそらく、イオン状態と言えるのではないだろうか。
 −1をイオンとして、以下のように仮に作図してみる。


< 無双PS原理「逆」ガウス平面>

  陰・凹i(-i)・光子:「天」:頭・他者:空間形式
              |
              |
              |
  U物質科学     |    T気的身体
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              |
−1____太極・MP・胸・母権______+1
イオン          |            分子・生命体
「自我」          |              「個」
              |
  V欲望/感情   |     W精神
              |
              |
 陽・凸i(i)・重力子:「地」:肚・自己:時間形式:父権


追記2:−1をイオンとすると、自我と合わないと思える。検討が必要である。
 −1とは基本的には、連続的同一性の結果である。思うに、−1を通常の物質に、+1を気的物質とするのはどうだろうか。後で検討したい。

< 無双PS原理「逆」ガウス平面>

  陰・凹i(-i)・光子:「天」:頭・他者:空間形式
              |
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  U物質科学     |    T気的身体
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−1____太極・MP・胸・母権______+1
物質           |            気的物質・生命体
「自我」          |              「個」
              |
  V欲望/感情   |     W精神
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              |
 陽・凸i(i)・重力子:「地」:肚・自己:時間形式:父権



参考:

ベストアンサーに選ばれた回答
maruboorox さん
もともと、「有機」とは生物が作り出す化学物質のこと、「無機」とはそれ以外の鉱物のような生命と直接関係せずに存在している物質のことです。
これを拡張して、炭素・水素を含む化合物を有機化合物、炭素を含まない化合物を無機化合物と言います。
ですので、有機水銀は炭素・水素を含む水銀化合物、無機水銀は金属の水銀や酸化水銀のような炭素・水素を含まない化合物のことです。
また、有機肥料というのは化合物の分類とは関係なく原義に戻った言葉の使い方で生物由来の自然肥料のことを指します。
有機肥料に対する言葉は「化学肥料」であって、「無機肥料」なんて言葉はありません。




• 回答日時:2007/10/6 10:38:21
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1212999047


 

何(なん)な? このミスト(水)は??!−ナンナミスト−

このナンナミストは、強力な持続性殺菌水として利用できる。しかし、残留性は皆無であるから、毒性の心配はない。超酸化水は有機物によって死活化するからである。その殺菌力は瞬時であって、皮膚に用いれば暫時、安全な水と何ら変わりがない。
 同時に強力な超酸化水は、引き締め効果を発揮し、アストリンゼンとして弱酸性水の比ではない。強力速効アストリンゼン水となる。

 当然、洗髪後のヘアーに用いれば、酸性リンスとして絶大な効果を発揮する。櫛通りは良くなり、つやも増す。パサツキは一瞬にして改善される。

 洗顔後、洗髪後のスプレーすれば、瞬時に保湿性与え、乾燥を防止する優れものである。同時に引き締めるから、つやが出るのである。

 超酸化水特有の殺菌・消毒・アストリンゼン効果で、瞬時の効果を発揮するが、その持続性を持たせたのが商品『ナンナミスト』である。

http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/2012/07/post_4c44.html

飄(つむじ風)


2012年07月14日(Sat)▲ページの先頭へ
個的自由独立(自独)と太極的超越性:母権的超越性(個的超越性)と父権的超越性(同一性的超越性)
個的自由独立(自独)と太極的超越性:母権的超越性(個的超越性)と父権的超越性(同一性的超越性)

テーマ:他者とは何か:Otherness

個とは何か:太極・MP・霊愛的陰陽均衡点に個が存する:個とは他者と自己の陰陽均衡である (07/13)
http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1842.html

先に以上のように、個について検討し、定義したが、日本人が個になれない理由が閃いた。
 それは端的に、超越性を否定するように洗脳・マインドコントロールされているからと考えられる。
 そう仕向けるのは、支配側である父権民族である。その民族文化は、陽・凸i・自己傾斜して、自我主義(利己主義)、(連続的)同一性主義であり、霊愛・魂のない悪魔・悪霊的なものである。そして、彼らの超傲慢・狂気・狂信・妄想・妄念・独善・偽善・詐欺・ペテン・二枚舌等の根因もこれである。
 思うに、現代日本において、個となるには、世間から外れ、孤独になることは当然である。悲劇は必要である。
 とまれ、個となるとき、個的超越性が作用するのである。それは、宗教性であるが、あくまで、個的宗教性である。何々教ではない。(キリスト教の用語を用いれば、聖霊的宗教と言えようが。)もっとも、日本民族の場合、民族宗教である神道や仏教等が重要である。
 とりわけ、神道が重要である。個的超越性は神道を復興するだろう。それは、新しい天皇制を生むだろう。何故なら、天皇制とは太陽神信仰(正確には、天照御大神)の具現であるからである。(明治維新の天皇制は疑似天皇制であり、本来、母権的である天皇制の父権化であった。)
 とまれ、個的自由独立に伴う超越性の流入ないしはそれへの参入を阻害してきたものは、やはり、父権民族文化社会である。これは、同一性・自我・物質中心主義であり、超越性を抑圧するのである。
 しかし、この問題は丁寧に扱う必要がある。私がここで言う超越性とは、太極のことである。それは、母権的超越性である。しかしながら、一神教でわかるように父権的超越性もあるのである。
 この二つの超越性を区別する必要がある。
 父権的超越性とは同一性的超越性であり、母権的超越性とは個的超越性である。
 思うに、一神教は本来前者であるが、その後、物質主義の発展にともない、超越性を喪失し、完全な世俗主義へと頽廃すると考えられる。
 今はここで留める。





父権的民族と母権的民族:中央集権同一性集団主義と個的民衆共同体:太極=天照御大神への回帰

テーマ:二つの日本民族:母権民族と父権民族

以下転載した記事の次の言葉が興味深い。即ち、「渡来系の偽日本人がPR戦略の司令塔をしていたような”電通”の配 下にある日本のマスコミのことですから、真性日本人の美意識を求めてもしょうがないのかもしれませんね。」(赤色はresurrection強調)
 「渡来系」というが、日本民族は多様な渡来系が存するだろう。しかし、上述に関わる「渡来系」は、私見では既述したように、父権的民族である。
 彼らが、母権的民族の日本人を日本史を通して、裏で支配しているように感じるが、とりわけ、明治維新以降にそれを感じるのである。
 私説日本史では、母権的民族と父権的民族の陰陽結合が日本民族であるが、元々は別の民族なので、両者は相互に異質的であると言えよう。
 明治維新以前は、両民族の比較的統合が存していたと考えられるが、その後、父権的民族が中心化して、母権的民族を否定するようになったと思われる。
 その帰結が今日の悪魔的全体主義的日本国家である。
 そう、陽・凸i・自己傾斜の為に、陰・凹i・他者を連続的同一性化(否定)してしまうのである。
 やはり、従来述べているように、新母権主義が日本には必須である。それは、太極=天照御大神の新回帰である。

**************************

「そもそも、3年前の政権交代選挙での約束を平然と反古にしながら、議会内党派の多数派談合で、霞ヶ関の無駄は放置する一方 で、国内経済を沈没させ未来にも多大なマイナス効果を与える大増税路線をすすめる毒ブタ大王”ノダ”民主党政権の居座りに加担するということは、国政選挙 という民主主義の根幹を踏みにじる行為だと思います。

その意味で、純粋な義侠心から当たり前の行動をとった人たちに対して、”世間は支持していない”というマイナスイメージの洗礼を連日繰り返すマスコミ報道は、とうてい日本人とは思えないえげつないものだと思います。

日 本人であるならば、新党参加者一人一人のさばさばした表情を見るだけで、また、その会場に流れる空気を感じ取るだけで、マスコミ報道のいうような”選挙目 当て””私的権力闘争”というレッテルがいかに的外れかということは明白だと思います。渡来系の偽日本人がPR戦略の司令塔をしていたような”電通”の配 下にある日本のマスコミのことですから、真性日本人の美意識を求めてもしょうがないのかもしれませんね。
せめて、土着氏族の流れを汲む日本人のひとりとして、偽日本人企業”電通”が誘導する心無いマスコミ世論誘導を、”生暖かい””侮蔑の視線”で見下し続けていきたいと思います。」
財政再建の「方法論」を持っていた政治家 = 小沢一郎 太陽光発電日記 H.24/07/12

財政再建の「方法論」を持っていた
政治家 = 小沢一郎


太陽光発電日記 by 太陽に集いしもの 2012年7月12日 (木) 

昨日、財務官僚の傀儡政権と化した”毒ブタ大王”ノダ民主党を離党した小沢一郎氏を代表とする新党が誕生しました。
個人的には”国民の生活が第一”という新党名は、上滑りな宣伝文句みたいで、個人的にはあまりいいと思いませんでしたが、平然と国民に対する裏切りを重ねる民主党と決別し、けじめをつける一歩を踏み出したという意味では、なにはともあれ、よかったと思います。
『文殊菩薩(ブログ版)』


2012年07月11日(Wed)▲ページの先頭へ
三つ巴と無双PS原理:無双PS原理から三つ巴を説明する:東洋母権文明と西洋父権文明
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11299598592.html

同一性について:自己・陽・凸iのもつ唯一絶対的同一性と直観・他者・陰・凹iの絶対的多様性
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11298889775.html


先に以上において、簡単に父権主義と母権主義の哲学力学について述べたが、そこから、派生的に、三つ巴の説明ができると考えられる。
 以前、それについては、陰陽の極性とMPで三元性を説明したが、先の考えは、それよりさらに明快に説明できる。
 即ち、MPの主導性から端的に三つ巴が発生すると考えられるのである。MPにおいて、太極が作用する。それは、三つ巴の一極となる。そして、そこから、陰陽の二極が生起するのである。即ち、太極の一極と陰陽の二極の一元的連関が三つ巴であるということである。
 言い換えると、三つ巴は母権主義(女神文明)の象徴なのである。神社のシンボルの一つが三つ巴であるというのは、神道が母権主義、女神文明であることを意味していると言えよう。

resurrectionのブログ


resurrectionのブログ

佐原の大祭秋祭りの奉納先、「諏訪神社」
http://tama-kousaku.ocnk.net/data/tama-kousaku/image/DSCN43610001.JPG

 ついでながら、神社の透かし彫りで一般的な龍であるが、それはあきらかに、やはり、MPを根源にする陰陽極性様態を意味しよう。あるいは、端的に、三つ巴の様態である。


resurrectionのブログ
聖ゲオルギウスと竜 St. George and the Dragon

http://blogs.yahoo.co.jp/renegaderow/51909252.html

 また、文明文化史論から言うと、西洋文明文化において、聖ゲオルギウスの龍退治が有名であるが、それは、女神の殺戮、東洋文明・女神文明の破壊、MPの排除と考えられる。
 メルヴィル/D. H. ロレンス的に言うと、龍は白鯨(モービー・ディック)であり、それを追跡するエイハブ船長は聖ゲオルギウスである。

追記:上図の『聖ゲオルギウスと竜』における左の女性は、父権制の虜となった女性原理を意味しよう。言わば、家庭に閉じ込められて天使である。

resurrectionのブログ
三つ巴の紋所の一つ「左三つ巴」
みつどもえ【三つ巴】の意味 - 国語辞書 - goo辞書
dictionary.goo.ne.jp › 国語辞書
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みつどもえ【三つ巴】とは。意味や解説。1 三つのものが互いに対立して入り乱れること。「―になって争う」2 三人が向かい合って座ること。三つ鼎(がなえ)。3 紋所・文様の名。巴を三つ組み合わせて円形にしたもの。 - goo辞書は国語、英和、和英、中国語、百科 ...

巴 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/巴 - キャッシュ 類似ページ
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後には特に武神である八幡神の神紋として巴紋(特に三つ巴)が用いられるようになり、さらには他の神社でも巴紋が神紋として用いられるようになっ ... また、ヨーロッパには、三つ巴に似た「トリスケル(triskele)」という文様があり、日本では三脚巴と訳されている。
巴御前 - 巴 (能) - 三脚巴 - 巴山


<無双PS原理ガウス平面>

  陰・凹i(-i)・光子:「天」:他者:空間形式
              |
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              |
              |
              |
−1_____太極・MP・母権______+1
無機物          |           有機体・生命体
              |
              |
              |
              |
陽・凸i(i)・重力子:「地」:自己:時間形式:父権

参照:

愛の日記


■ 春分図と夏至図

日記 マドモアゼル・愛  2012年07月09日(MON)


日本の春分図と夏至図を見ると、共通している部分が多い。上昇はどちらもしし座。度数も近い。10ハウスには金星と木星が合となっている。春分と夏至では4カ月もたつので、通常は金星と木星が同じく合になる確率は非常に少ない。

動きの遅い大惑星なら4か月程度では変わらない場合があるが、金星と木星の合がどちらの図にも出てくるのは珍しいと思う。

上昇がしし座で共通と重ね合わせると、どんなことを読めるか。なんだか、現状とは異なるイメージなのだ。

しし座上昇も金星と木星の合も、どちらも遊びと関係。どちらかと言えば、浮ついた、楽しみ優先の星の配置。面倒なことはそっちのけにして、まず遊ぼうよ、、、という誘いにも見える。

豊富な恋愛体験や、見せびらかし的贅沢とか、プリントアウトされたような大衆芸術というイメージがある。

問題続出の現在の日本、行き詰って堅くなった現在の日本とは、なんだか違うぞ、、、というイメージだ。


星はウソをつかないので、いまの日本にはこうした遊びや恋愛過多とも呼べるような舞い上がった気楽さがあってもよいということになる。

たとえば、国会を取り巻くデモ。これなんかも、子供づれやピクニック気分もあって、よい方向に行っていると思うが、確かにそういうことである。思想や抵抗するイメージよりも、新たな遊びに変えていってしまう。

具体的には今ひとつイメージ化できないが、恋人たちのデート抗議なんかは面白いかも。愛し合うカップルが、原発があるような国じゃ、子供を産めないわよ、、、というような抵抗感を、カップルが熱烈キスしながら何組もつらなって歩いて訴える、、、なんか、とてもいいような。

 恋人募集男軍団がデモパレード。待ち伏せする恋人募集女子軍団。なんて構図があったら、私も駆けつけるよ。でも変なおやじたちだけが売れ残って言い合いになったりすると、機動隊がなぐさめてくれるなんてなると、日本も本当によくなると思う。

デモに限ったことではなく、世直しの楽しいパフォーマンスで遊ぶことで、ある一線を越えた新たな世界が出てこないとも限らない。そんな実験を若者を中心に考えて実行していくと面白いと思う。

原発賛成派が大きな画用紙にペンキをぶちまける。
今度は原発反対派が大きな画用紙にペンキをぶちまける。そして作品を比べあう、、、なんて、面白くないか。つまらないか、、

最後は打ち解けあいとして、お互い、ペンキを画用紙にぶちまけ合戦して、合作として手じまい。後味も悪くなくいいかも。

どちらにせよ、みんな自分の国のことを思っている、、、というパフォーマンスとなっていくことで、対立を超えたこれまでよりも上の世界が広がってくる。

遊びの面白さは、善悪や右左、賛成や反対を超えた世界を現出させる面白さに尽きる。

なぜいま、春分図と夏至図にこのような遊びのメッセージが出てくるのか、、、、もう対立の図式自体が古くなって、それを笑い飛ばしたいからかもしれない。

対立をも遊びの中に取り入れてしまう。ダンス、音楽、キッス、何より、笑いがその中心的なものとなる。

ユーモアも本当に大事な要素である。ユーモアのない一流のものはない。一流のものの中には必ずユーモアの要素がある。対立を超えて動く原理を知っているかどうかは、ユーモアのセンスを見ればわかる。

私が観念論を捨てたのは、昔、学生だったころ、清水谷公園で学生と機動隊がぶつかり合う、まさにその瞬間、「おいも、おいも、おいもだよー」の焼き芋やの売り声を聞いた時だ。

にらみあう学生と機動隊の間に沸き起こった笑い、、、私はそれをもって以来イデオロギーを捨てたのである。

まさにそうした星の配置が訪れようとしている。

まだ自分には何が足りないとか、、もっと学んでからでないととか、、、それは確かにあるのかもしれないが、そろそろ、ありのままの自分で立つ時が来ているのではないか。

何か自分に不足しているものを必死に求め、大金を使い、学ぼうとして動き回ることもあるいは大切だとも思うが、それよりも、一体となる、、、対立を越える、、、それには笑う、遊ぶ、ことが今大事になっているのではないか。



しし座に太陽が入る前夜祭を歌って笑って楽しむ、、、そのために7月21日の妖精ディナーも企画しました。

そろそろ定員に達しますので、明日いっぱいをもって締め切りとさせていただきます。

21日の妖精ディナーでは、真夏の夜の夢のように、楽しみ、これまでの限界を笑いの中で、歌う中で越えていけたら、、、と。本当の開運法則の実験にもなるかと思います。


自己嫌悪を解放する周波数528Hzのチューナー詳細は、公式ショップまで  妖精ディナーのお申込みも

マドモアゼル・愛 公式SHOP
http://iiyama16.blog.fc2.com/blog-entry-767.html#more
『文殊菩薩(ブログ版)』


2012年07月10日(Tue)▲ページの先頭へ
同一性について:自己・陽・凸iのもつ唯一絶対的同一性と直観・他者・陰・凹iの絶対的多様性
正しい図は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11298889775.html

テーマ:他者とは何か:Otherness

陽・凸iが自己であり、陰・凹iの他者と連続化すると、それは、自我になり、他者を同一性化(連続的同一性化)すると述べた。
 つまり、自我は同一性志向であるということである。しかしながら、陰・凹iは純粋悟性であるから、一種、同一性である。問題は複雑である。
 先に、陽・凸i=自己と陰・凹i=他者はそれぞれ、差異であると述べた。しかし、連続化において、前者は自我、後者は他我となる。それは、同一性である。
 また、陰・凹iを純粋悟性とするとき、それと差異との関係はどうなるのか問題である。
 今、作業仮説的に、陰・凹ik=他者=差異=純粋悟性とする。つまり、差異=純粋悟性的同一性ということになる。これは、一種、齟齬である。解明する必要がある。
 純粋悟性は言語と関わるのであるから、言語問題でもある。言語のもつ同一性(観念・概念)と他者=差異はどう関係するのかということになる。
 具体的に考えよう。ある他者Aを知覚したとしよう。それは、果たして、純粋悟性的知覚だろうか。それは、当然、違う。
 ある他者Aの知覚とは先ず、直観である。そう、直観が端的に、他者性、差異をもつと言える。
 では、直観を、無双PS原理ガウス平面の何処に位置させるべきであろうか。
 この場合、外的直観であるから、当然、光に関係する。そうすると、陰・凹i=他者ではないかということになる。
 そうならば、純粋悟性を陰・凹iとするのは問題となるのである。
 これをどう考えたらいいのか。確かに、直観は他者であり、差異である。しかし、純粋悟性は同一性(観念・概念)である。
 どうも、純粋悟性は自我に関係すると思われるのである。つまり、陽・凸iと関係する。
 やはり、連続的同一性において純粋悟性を捉えるべきように思われる。
 そう、やはり、自己が連続化して、自我となり、その自我のもつ同一性と直観が結びついて、純粋悟性が形成されるのではないのか。否、違うだろう。自我のもつ同一性こそが純粋悟性ではないのか。
 結局、従来の説明が正しいことになる。つまり、連続的同一性によって、直観・他者・差異が同一性化されるということである。
 問題は、純粋悟性=同一性は、自己(陰・凹i)に存するのか、それとも、自我に存するのか、である。
 連続的同一性とは、自己傾斜(自我化)に拠るのであり、そのとき、直観・他者・差異が同一性化されるのである。つまり、同一性は、元々、自己に存していたと考えられる。
 すると、さらに問題は、差異である自己(陽・凸i)が同一性であることである。
 これは、一見、矛盾・齟齬であるが、差異である自己の性質が同一性であるというように考えることができる。
 それに対して、直観・他者・差異は、端的に、差異、絶対的差異である。
 差異である自己(陽・凸i)が同一性であることの意味をさらに追求する必要がある。
 自己(陽・凸i)も差異、絶対的差異でありながら、同一性とはいかなることであるのか。
 思うに、これは、絶対的同一性と言えるのではないだろうか。あるいは、唯一性である。あるいは、唯一絶対性である。
 それは、それで確かに、差異、絶対的差異である。そのように、作業仮説しよう。
 結局、直観・他者・差異(陰・凹i)は絶対的多様性であり、自己・同一性(陽・凸i)は唯一絶対性であり、両者、真逆である。
 ここでジェンダー論を考えると、父権主義とは、自己・同一性(陽・凸i)が中心・支配化したものであると考えられる。一神教は正に、ここと合致する。
 母権主義であるが、それは、微妙である。一見、直観・他者・差異(陰・凹i)の傾斜と考えられるが、そうではなく、MPの太極性=陰陽均衡性=霊愛がコアになった存在様式と考えられる。
 この問題は、後ほど、詳述したい。
 以上、本件の問題は、いちおう、解決したので、ここで留める。後で再考したい。

追記:純粋悟性とは自己の同一性による他者の差異の認識であると言えよう。つまり、連続的同一性の「知性」である。


    <無双PS原理ガウス平面>

  陰・凹i(-i)・光子:「天」:他者:空間形式
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−1________MP________+1
無機物          |           有機体・生命体
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  陽・凸i(i)・重力子:「地」:自己:時間形式


2012年07月08日(Sun)▲ページの先頭へ
他者について:その1:陰・凹iは他者、陽・凸iは自己である
正しい画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11297462986.html


他者について:その1:陰・凹iは他者、陽・凸iは自己である

テーマ:他者とは何か:Otherness

本件については既に何度も検討したが、まだ、すっきりとしないので、新たに考察を行ないたい。なお、これからもさらに検討するだろうことは予想できる。
 すっきりしないのは、他我が陰・凹iであり、不連続化によって、他者となるという点である。
 MP(media point)には、超越界である太極からの霊愛ないしは陰陽均衡作用が存する。
 思うに、MPが陰陽の原点ではないだろうか。つまり、そこから、陰・凹iと陽・凸iの対極が形成されるのではないだろうか。
 つまり、霊愛であるMPは一方では、陰・凹iであり、他方では、陽・凸iであるということになる。
 しかしながら、対極が形成されると、根源のMPが一般には埋没されるように考えられる。つまり、陽・凸iである内界ないしは自我と陰・凹iである外界ないしは他我・対象の二元論化が形成されて、一元であったMPが抑圧されるのではないだろうか。
 そして、人間は自我傾斜があるので、自我のもつ同一性原理を他我の差異・多様性に覆って、同一性世界を形成すると考えられる。これは、言語/物質/貨幣的世界である。
 この覆いは言い換えると、連続的同一性である。では、連続性とは力学的にどういう事象なのか。
 それは、不連続的差異論のときに明らかになったように、陰・凹iに陽・凸iが自己を押し付けて、同一化することである。
 そう、差異・他者である陰・凹iを陽・凸iの自我同一性に一致させることである。
 これは、境界であるMPが排除されて、陰・凹iと陽・凸iが直に接触する事態となり、その接点で、陽・凸iである自我が陰・凹iである他者・差異に自己を強制するのである。
 これは、暴力である。哲学的には、否定である。即ち、

陽・凸i×(−陰・凹i)=−1

となると考えられる。−陰・凹iの−とは、否定の意味である。
 つまり、連続性ないしは連続的同一性とは、−1を帰結するのであり、それは、利己主義と言うこともできる。
 しかしながら、単に、利己主義だけでなく、唯物論的合理主義もそれを意味すると考えられる。物質科学の真理は−1であると考えられる。言い換えると、唯物科学は利己主義と合致するのである。
 さて、以上のように考察すると、本稿の問題の解明がされたと言えよう。「すっきりしないのは、他我が陰・凹iであり、不連続化によって、他者となるとい う点である。」と上述した問題点であるが、結局、陰・凹i自体が他者・差異であるということになる。他我・対象ではないのである。陰・凹iが他我・対象と なるのは、自我的同一性の視点からである。
 また、そうならば、陽・凸iを自我と呼んでいいのかと疑問が生じる。端的に、自己でいいのではないだろうか。それが自我になるのは、MPが抑圧・排除された場合である。つまり、連続性、連続的同一性が生じる場合である。
 また、差異であるが、陰・凹iだけが差異でなく、陽・凸iも差異であるから、他者・差異という表記は間違いである。
 結局、

陰・凹i=他者

陽・凸i=自己

陰・凹iと陽・凸i、両者とも差異(絶対的差異)である。

ということになる。



    <無双PS原理ガウス平面>

  陰・凹i(-i)・光子:「天」:他者:空間形式
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−1________MP________+1
無機物          |           有機体・生命体
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  陽・凸i(i)・重力子:「地」:自己:時間形式

尚、従来の象限を当てはめると、第一象限が自然・宇宙空間であり、第四象限が自然・宇宙時間であり、第二象限は唯物科学、物質科学の世界であり、第三象限は自我・利己主義・悪魔/悪霊の世界である。
 ところで、シュタイナーは悪魔をアーリマンとルシファーに分けているが、前者は第二象限に、後者は第三象限に存するのではないだろうか。これは検討課題である。

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11291604855.html





超無双PS哲科学から無双PS原理へ

テーマ:無双PS原理

無双原理・易―「マクロビオティック」の原点/サンマーク出版


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桜沢如一(ゆきかず)氏の無双原理を包摂する仮説として、超無双PS哲科学を唱えたが、考えてみると、超無双は無意味である。無双とは、太極、対極一元 論、極性的一元論、「不二(ふに)一元論」等を意味するからで、ただ、無双原理を包摂するものとして、超を付けたが、そうだとしても、超は不要である。故 に、超を取り、無双PS学と変名したい。尚、学は、哲学、科学等を統一する原理として用いる。もちろん、仮説であるが。

追記:学という言葉は座りがわるいので、原理としたい。即ち、無双PS原理となる。


  陰・凹i(-i)・光子:「天」:他我・対象:空間形式
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−1________MP________+1
無機物          |           有機体・生命体
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  陽・凸i(i)・重力子:「地」:自我:時間形式


        無双PS原理的ガウス平面

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11291604855.html



2012年07月01日(Sun)▲ページの先頭へ
他者・差異とは何か:自我・陽・凸iと他我・陰・凹iの差異共振・陰陽均衡・霊愛作用の復活
正確な図は以下を参照されたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11291604855.html


他者・差異とは何か:自我・陽・凸iと他我・陰・凹iの差異共振・陰陽均衡・霊愛作用の復活

テーマ:超無双PS哲科学

本問題は、超無双PS哲科学仮説にとって、最重要な問題の一つである。
 PS理論の段階では、他者・差異を陰・凹iに置いて考えたのである。
 しかしながら、無双原理を吸収した超無双PS哲科学(Super Advaita[non-dual oneness] Platonic Synergy Philosophience:略して、SAPSP)においては、単純には、そうとは考えられなくなった。
 先には、他者・差異はMPの陰陽均衡作用において存すると述べたのである。
 自我を陽・凸iとして、他我を陰・凹iとすると、自我は、その同一性志向から、他我を否定的に捉える。そう、否定的な悟性が形成される。
 問題は、果たして、他我を陰・凹iとしていいのか。陰・凹iは純粋悟性の原理であるからである。
 しかし、光において、他我や対象を捉えるのであるから、陰・凹iを他我ないしは対象とするのは、妥当のように思えるのである。だから、いちおう、そのように作業仮説したい。
 他我・対象・陰・凹iを自我・主観・陽・凸iは同一性化するのである。つまり、有り体に言えば、我が物にするのである。何故なら、人間において、一般的に自我傾斜があるからである。とりわけ、父権主義において、それが顕著である。
 しかしながら、既述したように、人間には、原始差異共振主義、ないしは、原始母権主義が存する。それは、MPの陰陽均衡作用ないしは霊愛の作用である。
 ここにおいて、他我・対象は、自我の同一性欲望から切断されて、共感の対象、乃至は、他我・対象自体へと変ずると考えられる。
 霊愛であるMPによって緩和された他我がいわゆる、他者と言えよう。
 しかしながら、ここでは、意識において、分裂状態になっているのである。即ち、自我の同一性志向とMPの霊愛=陰陽均衡作用が併存して、両者、矛盾様態になっているのである。
 思うに、一般的に正常な人間はこれを使い分けていると考えられる。つまり、二元的意識の人間である。
 しかし、分裂状態は分裂であり、理論的に不整合極まりないのである。結局、極端化すれば、いわば、一種の統合失調症となるのである。
 しかし、この齟齬を解消したのが、既述したように、不連続的差異論である。つまり、自我的同一性(自我的連続的同一性)志向(欲望)を切断して、即ち、自我・陽・凸iが支配(連続化)する他我・陰・凹iを、自我・陽・凸iの支配・連続化から「救済」して、他者・差異(絶対的他者)に変容させて、結果、自我・陽・凸iと他我・陰・凹iの陰陽均衡作用をもたらしたと考えられる。
 そう、不連続的差異論とは、ほとんど、超無双PS哲科学の原形である。
 ただし、明確な差異共振性、陰陽均衡作用、あるいは、霊愛の段階には到達しなかったと考えられる。
 とまれ、自我・陽・凸iのもつ自我同一性作用(連続的同一性作用)の支配を「打破」したことで、自然本来のもつ陰陽均衡作用・霊愛作用の回路が決定的に開けたのである。
 そうここにおいて、超越性が明確に開けたのである。新たな宗教的エネルギーがもたらされることになったのである。
 そう、これは、トランス・モダン、イントラ・モダン、ネオ・オリエントである。
 唯物論は滅びたのである。新しい精神世界が開けたのである。そう、唯一多神教の神霊世界、聖霊教の世界が開けたのである。


参考:
         陰・凹i(-i)・光子:「天」:他我・対象
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−1________MP________+1
無機物          |           有機体・生命体
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         陽・凸i(i)・重力子:「地」:自我


        超無双PS哲科学的ガウス平面


参照:

ひどい政治の混沌。最大の原因は、小沢氏への「裏切り」行為にあります。


パターン知にすぎない紋切型の優等生集団=東大法学部の権威に依拠する官僚主義と一体化したわが国の自民党一党独裁政治は、永久に続くかとも思われましたが、小沢一郎氏を核とした民主党は「生活が第一」という思想に基づき、戦後はじめて選挙による政権交代の偉業をなしとげました。どなたも御存じの通りです。

ところが、官僚主義の元を断とうとする小沢氏を核とした政治活動が支持を集め政権交代が現実味を帯びてくると、検察庁は小沢氏の政治生命を断つための策謀を開始しました。これは、日本を官僚が支配する「官治主義」を守るための官僚の集合意識(無意識を含む)に基づく行為で、極めて根の深い「病気」が成せる業ですが、それを生むのは、彼ら自身も気付かぬ「客観知」(客観神話)という暗黙の想念なのです。これについては、3年前に参議院調査室から依頼された論文『キャリアシステムを支える歪んだ想念 』に記しましたので、ここでは繰り返しません。

検察庁の行為がいかにデタラメで恐ろしいものであるかは、特捜部の前田元検事の証言にもありますが、23年間の勤務で検察内部の事情に精通している郷原信郎さん(東大の数学科を卒業した後に司法試験に合格し請われて検察庁に勤務)が『検察が危ない 』に明瞭に記しています。郷原さんは、検察作成のストーリーに基づく小沢氏周辺への締め付けが開始された時点で、すでにテレビ出演して明瞭に検察批判を展開していました。彼は政治的には「反小沢」系の議員と親しい人でしたので、その発言は「色」が着いたものではなく、検察庁の策謀については、国会議員の多くは当然承知していました。

にも関わらず、民主党の国会議員は、思想でも選挙でも一番多くの恩がある小沢氏の周辺に検察の魔の手が伸びると、手のひらを返したように「反小沢」となり、見事なまでに彼を裏切りました。海外からの公平な目の代表であるウォルフレン氏もこの日本人の行為には呆れ果て警句を発しましたが、聞く耳持たずでした。

このような民主党議員の小心とエゴイズムによる裏切り行為がなければ、検察庁の策謀を契機にして(危機をチャンスにして)主権在民に基づく「民治主義」の新政権 VS 政治を官僚が主導する「官治主義」に基づく旧政権、言い換えれば、【主権在民 VS 主権在官】の闘いが分かりやすいカタチで始まり、日本の根本的な社会改革が始まったはずなのです。市民革命にも匹敵する大改革が。

きょう、財務省の思惑通りに消費税の増税が決まりましたが、日本の消費税という税金がインチキな間接税であることに対しては、いまだにあまり知られていません。今朝の東京新聞26面にはそのカラクリについて簡明に記されていましたが、この件についてはまた後で書きましょう。いまは、騙しのプロである財務省の罪は極めて重いとだけ言っておきます。

武田康弘

http://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen/e/e1e2425fc0657522b667b282ff7f399e


思索の日記



参考2:


近代史が明示していることは、あらゆる現象が資本のダイナミズムから生起するというある種の発展法則だ。換言するならば紛争も革命も利潤増殖を求める資本の循環運動プロセスであり、むしろ歴史現象は人格化した資本の顕現そのものであると言えるだろう。奴隷貿易やプランテーション、レーニンらへ拠出された革命資金、世界恐慌のトリガーとなった過剰マネーサプライ、ヒトラー政権の財政基盤であったドイツ・アメリカ合弁企業群、あるいはマンハッタン計画、大空襲後の東京都再整備事業、イラク・アフガン攻撃と現地の公共資源略取など、これらにかかわる「投資」の淵源が、おおよそ同一の寡占的資本であることは語るまでもない。「死んだものが生きているものを支配する」という教義はここでも普遍だ。資本は対立も国境もイデオロギーも空間すら超越する壮大なエネルギー体なのであり、むしろ人間活動そのものが「利潤増殖の絶対」というエートス(精神)に裏付けられている。我々はメカニズムへの洞察が欠落しているのであり、議会制民主主義という仮想現実に捕囚されているのであり、意思決定は民意を付託された政治者ではなく、圧倒的マネーと諸力をもって君臨する者の掌上にあると言えるだろう。ALIENは毎年30兆円をこえる産業資本を株式市場から略奪し、8兆円を超える社会資本(企業減税+還付税)を国家会計から収奪しているのだが、それに反比例して個々は加速的に疲弊し、雇用は切り捨てられ、社会保障は縮小され、破滅的な税制が導入され、つまりプレカラティ(労働と生活の不確実性)が最大化した挙句に、強烈な放射線の中で数十万人の児童が放置されているわけだ。人間生命にとってのディストピアは、投資集団にとってのユートピアであるのかもしれない。過剰増税と原発稼動を決断した与野党の政治者らは、ALIEN(経団連企業株主)の「政党評価表」で課せられた実行ノルマ達成のインセンティブとして、莫大な献金が確保されるのであり、つまり飼い犬の餌として、あるいは裏切りの代価として利益を得るのであり、あからさまに国家統治は外国人投資家の手に委ねられている。

http://alisonn003.blog56.fc2.com/blog-entry-230.html


独りファシズムVer.0.1










検討問題:時間とは何か:無限時間(アイオーン)と有限時間

テーマ:超無双PS哲科学

         陰・凹i(-i)・光子:「天」
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−1________MP________+1
無機物          |           有機体・生命体
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         陽・凸i(i)・重力子:「地」


        超無双PS哲科学的ガウス平面

以上の図(自然ガウス平面図と仮に呼ぶ)において、カント哲学における空間形式は陰・凹iであり、時間形式は陽・凸iである。
 しかしながら、両方とも、当然ながら、現象空間形式、現象時間形式であり、有限である。
 それに対して、ミトラス教、ズルヴァン教、グノーシス主義等で言われる無限時間は、上図では規定されていない。
 現象空間、現象時間を創造すると思われる無限時間は、当然ながら、超越界にあると考えられる。それは、超越軸z軸、超越円、あるいは、MPに存すると思われる。
 大根源をMPとすると、そこに無限時間があるのだろうか。そこは、無限時間をも超越した点であろう。
 だから、一応、超越円に無限時間が存すると作業仮説したい。

**************************

超無双PS哲科学ガウス平面図解説:陰陽均衡作用の解放の為に:MPを介して光の神が到来する

テーマ:超無双PS哲科学     
    

        陰・凹i(-i)・光子:「天」
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−1________MP________+1
無機物          |           有機体・生命体
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              |
         陽・凸i(i)・重力子:「地」


        超無双PS哲科学的ガウス平面

尚、無双原理に倣って、陰・凹i(-i)・光子を上に、陽・凸i(i)・重力子を下に布置している。そして、MPは原点であり、media pointである。
 また、ガウス平面に直交する超越軸z軸や、z軸とy軸の虚軸が形成する超越円、超越界が本来存しているが、上図では、作図が難しいので、省略している。

検討問題:凸(+1)や凹(−1)とは何か:有機体、生命体的物質と無機物的物質
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11284973493.html


先に以上のように作図したが、補足説明をしたい。
 簡単にするために、凹iを陰、又は-i、凸iを陽、又はi、凸(+1)を+1,凹(−1)を−1で表記する。
 陰(-i)には、純粋悟性が機能している、簡単に言えば、知性である。それは、頭、頭脳である。カント哲学では、空間である。
 陽(i)には、自我が機能している。それは、感情や意志をもつのである。それは、肚である。カント哲学では時間である。
 そして、MP(media point)、原点は、胸であり、霊愛をもつ。ここには、超越界からの聖霊が作用しているのである。
 そう、ここで先に述べたことは一面的であり、訂正する必要がある。即ち、自然円において、基本的には超越性はないのであるが、MP(media point)、原点が超越界に通じる唯一点であると述べ、それは、自然界では、現象太陽であると述べたが、それは外界、外在、外面的には正しいが、内界、 内在、内面的には誤りである。
 人間の内面においても、胸、心胸において、MP(media point)が存するのであり、そこが、超越界へと通じていると考えられるのである。
 魂という呼ばれるものもそれと考えられる。
 結局、MP(media point)は二つの点に存するのであり、一つの点は、外在的点である現象太陽であり、もう一つの点は、内在的点である胸・心胸である。
 次に、重要な変更を述べる必要がある。つまり、差異や他者の問題である。
 これまで、無双原理に接するまでは、ずっと、他者、差異を陰(-i)で考えたが、無双原理に接して、他者、差異は陽(i)になると予想してきた。
 しかし、それも違うと考えられる。
 いったい、そうすると、他者、差異は何処に存するのか。
直観で言えば、他者、差異を胸、MP(media point)で感じるのではないのか。
 自我、陽(i)は他者、差異に反発、反感、嫉妬する。そして、悟性(知性)、陰(-i)は、他者、差異を知的に認識しようとする。しかし、それは、悟性は言語認識であるから、同一性的に他者、差異を認識するので、他者、差異自体を受容していない。
 他者、差異を受容するのは、陽である自我と陰である悟性を抑制し、均衡させるMP(media point)、胸・心胸だと考えられる。
 何故なら、陽の自我は反発し、陰の悟性は同一性的把握(言語的把握)であり、両者は他者、差異を真に受容していないのであり、両者を抑制するMP(media point)、胸・心胸・魂こそ、そうできると考えられるのである。
 そう、他者、差異自体は、言わば、カントの述べた物自体であり、それは、絶対的には把握できないと考えられる。だから、不可知のものとして、他者、差異をMPは受容すると考えられる。
 また、単に、不可知のものばかりでなく、他者、差異への「共感性」が生じると考えられる。それはどういう力学に拠るのだろうか。
 それは、鈴木大拙の即非の論理のもつ力学と考えられる。
 陽の自我は自己求心性をもつので、他者、差異を否定する。陰の悟性は遠心性をもつので、他者、差異を放置、放散させる。
 しかし、両者は陰陽であるから、牽引作用があるのである。この牽引作用がMP(media point)、胸・心胸・魂に作用すると考えられるのである。
 というか、陰陽牽引作用がMP(media point)、胸・心胸・魂の作用ではないだろうか。
 ここは実に微妙な問題点である。
 陰陽の均衡作用は自然においては、常に為されていると考えられる。
 しかし、人間の場合は、自我に傾斜しているので、不均衡的なのである。言い換えると、自我同一性や悟性同一性の二つの同一性が支配的であると考えられる。
 言い換えると、自然本来の陰陽均衡牽引作用は人間には、一般的には作用していないと考えられる。
 だから、陰陽均衡作用を自ら形成しないといけないことになるのである。
 以前述べたことだが、人間には原始の陰陽均衡作用が潜在すると考えられるのである。
 それが、MP(media point)、胸・心胸・魂として、配備されていると考えられるが、それは、陽・自我、陰・悟性によって抑圧され、埋没していると考えられる。
 しかしながら、それは、人間の精神の故郷であり、諸芸術の源泉であり、端的に霊愛の源泉である。
 この埋れたMPを開化させることによって、人間において、陰陽均衡作用を復活させることができると考えられる。
 ただし、問題は、陽・自我と陰・悟性のもつ枠組みを否定しないようにしないといけないのである。そうでないと、物質的世界・社会には合わない、逸脱、倒錯したものになってしまうと考えられる。
 だから、十分に陽・自我と陰・悟性を準備して、MP(media point)、胸・心胸・魂を開発すべきということになるのである。
 その一つの重要な方策はPS哲科学の前身である不連続的差異論である。
 それは、陽・自我と陰・悟性の癒着、連続性を立ち切って、陽・自我と陰・悟性との均衡をもたらす働きあると考えられるのである。
 しかし、連続性を切断するものは、実は、MPの作用であると考えられる。
 結局、陰陽均衡作用を形成するには、準備として、優れた芸術・文化によって、MPを陶冶・涵養しておく必要があるのである。
 優れた文学、音楽、美術、哲学、宗教等、そして、豊かな自然等に接する必要があるのである。
 しかし、物質科学である近代合理主義は、陽・自我と陰・悟性の形成をもたらしたが、MP(media point)、胸・心胸・魂の陶冶・涵養はまったく疎かにしてしまい、言わば、自我悪魔を形成したのである。
 そう、近代主義は物質文化を形成したが、精神文化を衰退させてしまったのである。
 とまれ、抑圧され、埋没したMPを発掘して開発することで、新たに、超越界に通じることができるようになるのである。新しい宗教が生まれるのである。それは、聖霊宗教であるが。
 とまれ、それは、トランス・モダン、イントラ・モダンであるが、物質的基礎を介して、形成されると考えられる。
 思うに、時代的に、超越エネルギーが強化されていると思われるのである。それは、人間の内面のMP、そして、自然界の外在の現象太陽のMPに強くはたらきかけていると推測されるのである。
 この超越エネルギー、神霊エネルギーは、陰陽均衡の開化を刺激的に促進するが、陽・自我と陰・悟性に囚われた近代人は、そのエネルギーを積極的に摂取することができないので、反動的になり、病理化したり、凶悪・犯罪化したりするであろう。
 とまれ、MP、胸・心胸・魂の解放が必要である。そう、太極である光の神が到来するのである。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11285790892.html


   




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カレンダ
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