INNOVATION OF PHILOSOPHY: GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience - 2012/05

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




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2012年05月26日(Sat)▲ページの先頭へ
超越軸における回転による超越円の形成と超越円をマトリクスとする現象螺旋形成
テーマ:映画ThriveのトーラスとPS哲科学

先に、ガウス平面において、凸i(+i)と凹i(-i)との揺動によって、回転が生じることを述べた。
 問題は時間現象である。私は先に、凸iが空間形式で、凹iが時間形式ではないかと言った。カント哲学的には、前者は、外的感覚(外官)であり、後者は内的感覚(内官)である。
 差異共振現象という自然現象は、当然、時空間の発現を意味するから、凸i*凹i⇒凸(+1)の右辺の凸(+1)が時空間現象を意味するかもしれない。
 しかし、螺旋運動こそが、自然現象であるから、凸(+1)は自然現象自体ではない。
 それは、これまでの考えでは、超光エネルギーである。あるいは、超氣である。
 思うに、⇒凸(+1)の活動において、螺旋運動が形成されるのであるから、螺旋を空間とすれば、運動が時間と関係すると言えよう。ここで作業仮説であるが、⇒凸(+1)の超光のベクトルが時間ベクトルと一致するとしよう。つまり、凸(+1)は時間を意味することになる。
 そう、時間は内的なものであり、不可視であるから、それは、考えられることである。
 これで、現象螺旋運動の説明は済んだとしよう。
 次に、超越軸における回転・螺旋運動である。
 凸j*凹jも揺動しているとすると、超越円において、回転すると考えられる。(ここで説明しておかないといけないのは、凸i*凹iが形成する螺旋運動であるが、その三次元は現象空間三次元であり、超越軸をもつ三次元ではない。つまり、ここで、現象三次元空間と超越軸を区別する必要があることである。
 結局、ガウス平面に直交する二つの軸があることになる。一つは超越軸であり、一つは、現象空間の第三次元の軸である。)
 しかしながら、果たして、超越円の回転は、螺旋運動を形成するだろうか。
 運動となるには、時間が必要であるが、超越円は時間を形成するだろう。そう、凸j*凹j⇒凸(+1)と形式化したのであり、右辺は時間を意味するのであるから、超越円も螺旋運動を形成することになろう。
 ここで整理したい。
 順序から言うと、超越軸における凸jと凹jの共振的揺動があり、それが回転をもたらし、超越円を形成する。
 この超越円の意味するものは、虚軸y軸の形成ではないだろうか。
 つまり、超越軸z軸と直交する虚軸y軸の形成である。これで、超越界からの凸i(光)と凹i(闇)の形成が説明できると言えよう。
 そして、凸i(光)と凹i(闇)の共振からの現象創造の説明もできる。
 そうすると、上述した超越軸と現象空間第三軸は異なるということはどうなるだろうか。
 つまり、超越軸と虚軸における超越平面と超越円が現象螺旋運動(時空四次元)を形成する基盤、マトリクスであり、それは、現象時空間とは一致しないと考えられる。
 そう、超越円はイデア界と言ってもいいだろう。それは、現象界からは不可視の存在であるが、現象創造の超越的根源ということになる。
 超越円(言わば、イデア・サークル)から可視の螺旋的現象界が形成されるということになる。
 そう、一見、超越軸と現象第三軸は重なるように見えるが、やはり、根本的には別物である。
 つまり、こう言ってもいいだろう。超越軸z軸と現象第三軸は表面的には重なるが、それは、見掛け上のことに過ぎないのであり、両者はまったく別個のものとして存在するのである。(追記:そのように区別したものの、凸j*凹j⇒凸(+1)であるから、media pointにおいて、両者は重なることになるだろう。思うに、media pointは、この重なりにおいて、超越軸の情報を受け取り、それを物質化するのである。そう、いわば、超越情報[イデア情報]を受け取り、それを物質・現象的に具現化すると考えられる。
 さて、そういうことで、超越円(イデア・サークル)から螺旋形状が形成されるが、それは、黄金比を基本的にもっていると言えよう。だから、五芒星形がなんらかの超越円において、形成された可能性が考えられる。(ピュタゴラス派)
 そうすると、超越軸には何らかの超越的意志が考えられないだろうか。超越的意志によって、現象形成が決められているのではないだろうか。
 しかし、そのように考えると、超越軸を超越した超-超越界を想定する必要があるのではないだろうか。
 この問題は難しいので保留しておき、一応、超越軸における超越円の創造に留めておきたい。
 最後に凸jと凹jについて簡単に考察してみたい。凸iが光、凹iが闇ならば、凸jは原光、凹jは原闇ということになるのではないだろうか。
 原闇と原光が共振して、闇と光の宇宙世界が生まれる。
 原闇が原母であり、原光が原父ということになろう。
 問題は、原父が主導的な場合である。最初期は、原母が主導性をもっていたと考えられるが、あるとき、原父が主導的になったと思われる。
 もし、原父が決定的に自身を原母に押し付けるならば、凸j*凹凹j⇒凹(−1)となり、それは、質料となるのではないだろうか。
 一神教がこのような性格をもっていると考えられる。そう、原母を質料化して、卑賎化するのである。「父」が上位であり、「母」が下位である。そして、それの極端化したものがユダヤ教、ないしは、旧約聖書であり、「母」はほぼ不在となっているのである。
 ここで簡単に日本神話について触れると、それは、原母による原父との共振による現象創造を語っていると思われる。
 天之御中主神とは、原母と原父との共振を意味するのではないだろうか。そう、超越的media pointである。
 そして、高産霊神と神産霊神は凸iと凹iを意味するのではないだろうか。
 では天照御大神とは何であろうか。それは、超光であろう。単に光ではなく、原母と原父との共振、光と闇との共振による超光を意味しよう。
 マニ教の光はそれであろうし、アフラ・マズダ、キリストもそれであろう。
 今はここで留める。後で、再考したい。


2012年05月23日(Wed)▲ページの先頭へ
不連続的差異とはいったい何か:不連続的差異論の再検討:闇と光の共振造化作用
テーマ:不連続的差異論とPS哲科学

もう一度、不連続的差異論に立ち返って、根底から再検討したい。基本は、自我的意識と他者的意識が一般には、連続的(未分化)であるが、両者を意識において切断することで、後者が不連続的差異になるのである。
 この自我的意識から切断され、独立的になった他者的意識(他者性)、不連続的差異は、実際、どういう事象を形成するのか。
 この点については、当然、既に考察して、それは、差異共振様態を形成すると考察しているが、それを今、再検討するのである。
 わかりやすく具体的に言えば、他者的意識=不連続的差異とは、肚の意識である。それに対して、自我的意識とは、頭の意識である。そして、その中間に胸(心胸)の意識があり、それは、media pointと考えている。
 では、独立した肚の意識とは何であろうか。直観では、他者を映す鏡である。他者をダイレクトに受容する鏡である。そう、優れた芸術家は、この能力をもっている。(英国の詩人、ジョン・キーツは、否定的能力negative capabilityを説いたが、これは、言わば、自我を無、空にして、他者を肯定する能力と考えられる。)
 かつては、そこで、「コスモス(宇宙)」を直感したが、今は感じなくなっている(「コスモス」はどこに行ったのか? おそらく、内在化して、一体化して、感じなくなっているということではないだろうか。)。
 とまれ、この他者の鏡の認知力と自我の意識が結合して、思考、認識が形成されるのである。
 そう、両者の間に存する胸(心胸)の意識はmedia pointであり、それは、媒介的な役割をするだろう。一面では他者的意識(肚)であり、他面では自我的意識(頭)である。中継的存在である。
 ということで、独立した他者的意識=不連続的差異は、結局、自我的意識=同一性的意識と対話的協働の関係をもつに至ると考えられる。両者は対話的であるから、常に変動する様態をもつと考えられる。
 不連続的差異は、自我と差異共振するとこれまで考察してきたが、この対話的協働が一つの差異共振であるとは言えよう。
 しかしながら、対話的協働だけでは、差異共振が発出すると考える超光(超光エネルギー)が考えられない。
 そう、ここで陰陽の視点が必要となるのである。即ち、他者的意識(肚)=不連続的差異は、闇darknessであり、自我的意識(頭)=同一性的意識は光lightであるということになる。
 闇と光の「対話」が生起すると考えられる。ここでは、物理学的視点も提起されているのである。
 言い換えると、闇の宇宙dark universeと光の宇宙light universeの交叉がここで形成されているのである。
 そう、闇宇宙は光宇宙に作用して、光宇宙を「侵略」する。光宇宙を闇宇宙に染めようとする。しかし、光宇宙は、それに対して(抗して)、光宇宙を闇宇宙に浸透させようとする。
 ここでは、両者の鬩(せめ)ぎ合いがあるのである。永遠の鬩ぎ合いである。闘争と言ってもいい。しかし、これは弁証法ではない。極性力学である。
 しかしながら、両者のバランスが形成される時点があるだろう。闇の宇宙と光の宇宙の調和均衡点である。
 D. H. ロレンスはそれを聖霊=王冠と呼んだのである。鈴木大拙の即非の論理学と一致しよう。
 ここで整理しよう。闇宇宙と光宇宙の争闘があるが、それは、それなりに、差異共振であり、「波動」を発出すると考えられる。そう、差異共振波動と呼んでいいだろう。
 闇宇宙に揺れたり、光宇宙に揺れたりするのである。闇と光の揺動する波動である。
 これは、数学的に見れば、ガウス平面において、円運動を形成すると見ていいだろう(ここでオイラーの公式が役立つのである)。そして、時間軸を考えれば、円運動は螺旋運動となるのはわかりやすいことである。
 そう、時間軸は、実軸の+1(凸)の領域に相当するだろう。つまり、螺旋運動はガウス平面の実軸の+1の方向に形成されるということになる。
 では、実軸の−1(凹)の領域はどういうことになるだろうか。
 ここが一つの重要なポイントである。ここで躓きやすいのである。光宇宙は自我的意識=同一性的意識であり、それは、他者的意識(闇宇宙)を否定するのである。
 これは上述した闇と光の争闘、差異共振波動とは異なると考えられるのである。
 何故なら、波動ではなく、言わば、凝固・固体化があると考えられるからである。
 そう、ここで、対話的協働と否定を理論・哲学的に区別する必要がある。換言すると、闇と光の闘争、差異共振における対立と他者的意識(闇宇宙)に対する否定を区別しないといけない。
 対立において、「否定に見えるもの」と自我的意識における否定との区別である。そう、前者の「否定に見えるもの」とはいったい何であるのか、これが、重大なポイントである。
 そう、これは、端的に矛盾と言われるものである。論理的は、パラドックス、背理、アンチノミーである。あるいは、鈴木大拙の即非である。
 しかし、これを厳密に詰める必要がある。
 今閃いたが、対立とは極性原理の問題である。極性とは考えたら、対立ではあるが、牽引するのでる。
 異質な、対極的なものは対立するが、同時に、牽引するのである。ここがポイントと考えられる。
 そう、対立的牽引があるのである。造語して、これを対引(ついいん)性と呼ぶことができよう。否定ではなく、対引である。
 元々一体である対立性である。対一性である。
 とまれ、暫定的に、闇と光の闘争、差異共振における「否定に見えるもの」を対引と呼びたい。
 これはまったく否定と異なるものである。それが、自然の生成力学の原理である。
 しかしながら、人間においては、否定が強く存しているのである。つまり、自我的意識=同一性的意識のもつ他者的意識=差異共振意識への否定である。
 つまり、人間においては、光宇宙へ傾斜して、バランスが崩れているのである。端的に言えば、自我・同一性原理の傾斜によって、極性原理がある意味で崩壊しているのである。もっとも、抑圧されていると言った方が正確であると考えられる。
 自我・同一性原理とは、ほぼ物質原理と言っていいだろう。何故なら、それは他者を同一性化するからである。つまり、本来、闇である他者を光化して、モノと捉えるからである。
 そう、ここには、対引性ではなく、否定性が作用しているのである。
 ここで、物質とは何かと考える必要がある。上述の思考から見ると、宇宙・自然は、闇と光の極性原理から形成されるのである。宇宙・自然には物質が形成されるのであるから、闇と光の極性原理は、物質を産出すると考えられる。
 思うに、極性原理の対引力とは、氣と見るといいと考えられる。(ルドルフ・シュタイナーならば、エーテル体である。)
 氣が宇宙・自然を創造形成する根源力と考えられる。
 では、氣と物質との関係はどうなるのだろうか。これも最重要な問題点の一つである。
 直観で言えば、極性、差異共振が「有機体」的宇宙・自然を形成するのである。つまり、基本は無機的な物質ではなく、「有機体」的な物質が形成されるのである。つまり、氣の生命体的形成原理によって物質が形成されるのである。しかし、この物質は生命体に付属するものであり、無機的物質ではないのである。
 闇と光の共振が生命体を形成し、そこに「有機体」的物質が付属すると考えられる。闇と光の共振における氣・対引力が、外在的に螺旋的に物質を形成するのである。内在的には氣・対引力が存しているのである。
 問題は、この外在性である。この形成原理はどういうものだろうか。
 直観では、光が闇と共振する時、物質を形成するのである。つまり、光と闇の共振において、氣的形成が為されるが、そこにおける光の要素が物質を形成すると考えられるのである。
 つまり、共振体における光の要素が物質体を形成すると考えられるのである。光が物質に転化しているのである。
 ならば、闇は共振体において、どうなっているのだろうか。
 直観で言えば、共振体の不可視の部分である。それは何か。思うに、端的に、氣の内在部分ではないだろうか。つまり、氣の外在部分としての物質は光が転化したものであるのに対して、氣の内在部分に闇は転化したと考えられる。
 では、氣の内在部分とは何か。
 どうも、短絡的になったようだ。闇と光の共振であるが、それを氣とするのは、勘違いのようである。そうではなく、それは、宇宙・自然形成力(造化力)と見るべきである。その形成力の外在・外部が物質であり、内部が氣であると考えた方が適切であると考えられる。
 つまり、造化力の外在・外部の物質を形成するのが、光の原理であり、造化力の内在・内部の氣を形成するのが闇の原理であるということになる。陰陽論で言えば、陽が物質を、陰が氣を形成することになる。
 もっとも、陰陽において、陽も氣であるから、陽が物質を、陰が氣を形成するというのは、齟齬である。
 だから、氣という用語を使用すると混乱することになる。
 だから、闇と光、陰と陽との共振作用とは、これまで述べたように、超光形成作用であると見た方がいいだろう。この超光エネルギーが造化力であり、光=陽の転化したものが、その外在の物質であり、闇=陰の転化したものがその内在の不可視の力であると言うことができよう。
 そう、一般には、後者の内在する不可視の力を氣と述べていると考えられるが、上述したように、陽も陰も氣であるから、それを氣とすると、混乱するのである。もし、氣という用語を使用するなら、内在する不可視の力は超氣、合氣、結氣とか呼ぶべきである。そう、超氣がとりあえずいいだろう。
 そうすると、闇と光の共振創造造化作用において、光=陽は、その外在的物質へと転化し、闇=陰はその内在的超氣へと転化するということができる。(ルドルフ・シュタイナーのエーテル体とは、後者の内在的超氣のことと言えよう。)
 最後に、カント哲学の視点から言うと、純粋悟性とは、自我的意識=同一性的意識であり、それは、他者・差異を否定して、同一性化=物質化するのであるが、それは、闇と光の差異共振体を同一性化するものと言える。つまり、それは光=陽の原理であり、闇と光の共振体である宇宙・自然という「有機体」を同一性という物質に断片化する原理である。無機性の原理である。
 それは近代の原理であり、今や、光の原理ではなく、闇と光の共振原理へと立ち返る必要があるのである。そう、トランス・モダンの哲科学へと進化する必要があるのである。
 以上のことは、これまで行なったように、数学的に説明できる。即ち、闇と光の差異共振作用は、

凸i*凹i⇒凸(+1)

であり、

光の同一性的他者否定作用は

凸i*凹凹i⇒凹(−1)

である。
 また、光は光子、電磁波であり、闇は闇子(造語したもの)、重力波(作業仮説)である。

追記:ヘーゲル哲学について一言述べておこう。
 思うに、ヘーゲル哲学とは、上記の闇と光の極性共振原理と光の同一性原理の混淆であり、後者が前者を取り込んでいる形になっていると考えられる。
 つまり、同一性原理が極性共振原理を支配している様態にヘーゲル哲学がなっていると考えられる。
 また、ヘーゲル弁証法の正反合であるが、正は光の同一性原理、そして、反は否定性、そして、合は否定を媒介として、同一性の確定と考えられる。
 つまり、ヘーゲル哲学一般は、かなり、極性共振原理的視点がある。つまり、矛盾によって成長するというような思考においてである。しかし、ヘーゲル弁証法は、同一性原理が中心になって、極性共振原理は後退して、その形骸が正反合になっていると考えられる。

追記2:極性原理における対引(ついいん)であるが、反引、対反(ついはん)と呼んでもいいだろう。


2012年05月22日(Tue)▲ページの先頭へ
PS理論批判:PS哲科学:数学主導のPS理論に換えて哲学主導のPS哲科学
テーマ:PS哲科学(PS哲学-科学)

PS理論批判の批判は、カントの純粋理性批判の批判と同じ意味で使用する。
 結局、PS理論の前身の不連続的差異論は、端的に哲学的理論(仮説)であったが、その後、数学を導入して、プラトニック・シナジー理論(PS理論)となったのである。
 問題は、数学の導入の意義である。ここで、批判が入るのである。この問題について、これから、検討考察したい。
 端的に言えば、哲学に数学を導入したとき、つまり、哲学が数学化されるとき、哲学は数学的構築をもつようになる。
 問題は、果たして、数学的構築と哲学とが等しいのかということである。ベースには哲学があるが、それに数学的構築が付与されるのである。つまり、ここで、理論は哲学と数学の二重性をもつのである。つまり、哲学-数学理論である。
 この哲学-数学理論は、基本的には、主は哲学であり、数学は従である。つまり、あえて言えば、哲学のための数学であり、数学のための哲学ではないのである。哲学を質的に、ないしは、科学的に拡張するために数学を導入するのであり、本体は哲学である。
 結局、PS理論とは、哲学理論であり、数学理論ではないのである。この点はいくら強調してもし過ぎることはない。
 とまれ、数学を導入し、数学的構築をもったPS理論、あるいは、PS哲学(この呼び方の方が、明快である)は、数学の論理を借りて、飛躍的に展開したのは事実である。
 端的に言えば、科学的要素を哲学に組み込むことができるようになったのである。現代物理学等に適用することができるようになったのである。
 また、さらには、宗教等の超越性にも対応できる超越論的哲学にもなったのである。
 結局、森羅万象に対応できる哲学になったのである。
 しかしながら、数学的構築、数学的体系をもったPS理論であるが、やはり、基本的な二重性があるのであり、哲学と数学の間には、仮説があることを確認する必要があるのである。
 具体的に言えば、純粋悟性ないしは自我を凸i(わかりやすく言えば、虚数i)とし、また、それを光子や現象太陽としているのが、それは一つの仮説ないしは仮構に過ぎず、絶対的に一致するとは言えないのである。
 簡潔に言えば、果たして、自我を虚数凸i(i)とすることは、絶対的に正しいのかは問題である。自我ないしは純粋悟性を虚数に対応させて、計算した結果が、哲学的帰結と一致するように考えられる(仮説される)ので、哲学に数学を組み込んだのである。
 つまり、ここには、普遍的真理は、哲学だけではなく、数学にも発現するのであり、哲学に数学を組み込むことで、普遍的真理の認識が単に哲学では届かないものに達したということになるのである。
 しかしながら、上記の条件へと戻るが、数学を組み込んだものの、あくまで、性格は哲学である。このベースを忘れた時、数学が独走し、哲学が置いてきぼりになるのである。
 つまり、哲学が主で、数学が従であったのが、数学が主であり、哲学が従となるのである。
 そう、普遍的真理と言ったが、基本、根本は哲学的真理であり、数学的真理ではないのである。何故なら、哲学には、数学にはない、精神、意識、内面性等があるからである。数学はそれをもたないのである。
 だから、数学が主となり、独走すると、PS理論は、いわば、本末転倒となり、単に、数学的理論になってしまうのである。
 数学に拠る哲学の、言わば、隷属化が生じるのである。哲学が数学に支配されるのである。
 ここでは、PS理論は、もはや、本来の哲学ではなくなり、数学的理論になってしまっているのである。
 これが、PS理論批判の眼目である。
 具体的に、私の思考における問題点を言うと、端的に、自己認識方程式、即ち、

凸i*凹i⇒凸(+1)     (*は積を意味する)

において、オイラーの等式を適用するときである。オイラーの公式

e^iπ+1=0

を変形させて、

−1=e^iπ

となるとき、この−1を凹(−1)と見て、これが、根源であると考えたのである。そして、凸i*凹i⇒凸(+1)の右辺を物質と見たのである。
 これは、オイラーの公式の簡潔さに魅かれて、哲学を数学に合わせたことになるのである。
 しかしながら、哲学的思考では、同一性の思考は、凹(−1)を導くであり、差異の思考こそ、凸(+1)を導くのである。
 この点は、理論を展開する上で、大いに悩んだ点であるが、結局、オイラーの公式に服する形で、凹、−1を根源とし、凸、+1を
物質としたのであった。つまり、ここで哲学が数学に服したのである。
 しかしながら、最近、PS理論を再検討し、反省した結果、それが、間違いであることが判明したのである。
 これは、PS理論にとって、言わば、致命的な誤りである。ある意味で、決定的な誤謬である。
 そう、端的に言えば、PS理論はその点で破綻したのである。
 この誤謬は、結局、本来、哲学が主で数学が従であるべきことに反して、数学を主、哲学を従としたことに拠るのである。
 ここで、PS理論は終わったと言うべきである。そして、私は、本来の哲学的思考を基盤として、数学を導入し、また、ガウス平面を超えた超越軸をもつ新しいPS理論(NPS理論)を提唱することになったのである。
 思うに、新しい名前が必要である。明快な名前は、PS哲学である。あるいは、明確に言えば、Platonic Synergy Philosophy Assisted by Mathematics、即ち、数学によって支援されたプラトニック・シナジー哲学である。
 以上で、PS理論批判は明快になったと考えられる。

追記:PS哲学より、PS哲科学(PS哲学-科学)の方が適切である。PS philosophic science、又は、 PS philosophienceである。
 

参照:

オイラーの等式(オイラーのとうしき、英 : Euler's identity)とは、解析学 における等式

e^iπ + 1 = 0

であり、その名はレオンハルト・オイラー にちなむ。ここに、

e: ネイピア数 、すなわち自然対数 の底
i: 虚数単位 、すなわち2乗すると −1 となる複素数
π: 円周率 、すなわち円 の直径 と円周の比

である。

オイラーの等式 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/オイラーの等式 - キャッシュ 類似ページ
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この項目では、オイラーの公式の特別な場合について記述しています。オイラーの ... オイラーの等式(オイラーのとうしき、英: Euler's identity)とは、解析学における等式 ... オイラーの等式は、その数学的な美によって特筆すべきものと多くの人に認識されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%AE%E7%AD%89%E5%BC%8F


2012年05月18日(Fri)▲ページの先頭へ
超越平面、超越円と虚軸y軸:現象太陽(電磁波)とdark sun(重力波):前物質的エネルギー体
テーマ:manichaeism: 哲学

今は指摘だけ。
 超越平面ないしは超越円は物質を超越していると述べたが、虚軸y軸において、それは、光子と闇子と接するのであるから、厳密には、物質を完全に超越しているとは言えないのではないのかという問題がある。
 即ち、凸iが光子であり、凹iが闇子であり、前者は現象太陽、後者はdark sunを形成しているのである。
 問題は、光子や闇子を物質と見るのか、否かである。先には、現象太陽には物質体があると考え、また、dark sunにはそれに対応するような物質体があると考えた。
 思うに、現象太陽に物質体があるというは、凸i*凹凹i⇒凹(−1)においてであり、凸i自体は光子であり、それは、いわば、前物質、つまり、一種の精神体であると思われるのである。
 闇子の場合も同様に前物質の一種の精神体であると考えられる。
 思うに、光子や闇子、あるいは、電磁波や重力波は、霊魂の前物質的エネルギー体と言えるのではないだろうか。
 しかしながら、根源の凸jや凹jは、超越的エネルギーをもっているだろう。そして、共振して、超光エネルギーを創出すると思われる。

追記:原子とは何か:電子と光子と陽子(原子核)のトーラス体(仮説) http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11249166480.html
において、陽子、原子核を凸(+1)と仮説したが、それは、物質であるのか、否か。
 これは微妙である。前物質・精神体の凸iと凹iの差異共振によって陽子、原子核が形成されるのであるから、物質ではないように思われるかもしれない。
 しかしながら、物質(この場合は、電子)を外装した存在であるから、単純に非物質とは言えない。あるいは、電子が離脱して、イオン化することがあるのであるから、微妙である。
 思うに、凸(+1)は陽子という物質と見た方がいいのかもしれないが、前物質の精神体である凸iと凹iによる差異共振の超光と陽子の関係がどうなるのかが問題となる。これまでの考えでは、超光=陽子となり、齟齬となる。
 そうすると、超光の位置付けを変更する必要があるようだ。思うに、凸j*凹j⇒凸(+1)と凸i*凹i⇒凸(+1)の二つの凸(+1)の形成があるが、果たして、両者の右辺は同一なのかである。
 常識的には、同一であるので、やはり、超光と考えたい。ならば、凸(+1)=陽子説はどうなるのだろうか。
 思うに、凸(+1)=超光=陽子と考えるのは、おもしろい。とまれ、そう作業仮説すると、陽子、原子核は、物質ではなく、超光であり、超光エネルギーをもつことになるからである。言い換えると、陽子、原子核は精神体の一種になるのである。
 そうすると、物質であるとした電子凹(−1)との関係はどうなるのだろうか。また、電荷、電気とは何かという問題にもなる。
 とまれ、以上の作業仮説からすると、原子とは、物質と精神体との合成体であることになる。言わば、半物質半精神体である。そう、キメラとしての原子である。
 これは、思考実験である。後で、本件に関して、再考したい。


2012年05月17日(Thu)▲ページの先頭へ
作業仮説:z軸とy軸の超越平面と超越円を前提とする
作業仮説:z軸とy軸の超越平面と超越円を前提とする

テーマ:manichaeism: 哲学

z軸の原回転もうまく説明できないので、超越軸(z軸)と虚軸(y軸)による超越平面と虚数の単位円(超越円)を前提とする。また、超越円は回転していると前提する。
 そして、凸j*凹j⇒凸(+1)ないしは凸i*凹i⇒凸(+1)の右辺のベクトルは回転していると考えられる。つまり、原螺旋運動が存すると考えられる。
 問題は、以下のトーラス像における渦巻星雲をどう説明するのかである。
 つまり、超越円において、どのように渦巻が形成されるのかを明らかにする必要がある。
 凸(+1)のベクトルが原螺旋的に回転しているというのであるから、media pointにおいて、原螺旋、つまり、渦巻形状が存すると考えることができるだろう。それが、トーラス像における渦巻星雲を説明できると直観される。
 結局、前提である超越平面、超越円を根源的に説明できるのかどうかが問題である。
 言い換えると、始めから、超越軸z軸と虚軸y軸が存したのか、それとも、始めは超越軸だけであり、それから虚軸が派生したのか、ということである。
 始めに、超越平面ないしは超越円ありきとすれば、問題はないのであるが。
 現時点では、両者の可能性を残しておく。もっとも、前者の方に今は傾いているが。

追記:やはり、後者の可能性も有力である。ならば、どうやって、虚軸y軸が形成されたのかが一番の問題である。
 先に、フレミング左手の法則や右手の法則から、作業仮説的に導き出したが、それでは、磁力と電気力の直交の説明が必要となり、複雑になってしまうのである。
 今閃いたが、最初に超越軸ありき、としよう。そして、それが、原点(原始media point)を中心にして、実軸x軸とは垂直に回転、円運動すると仮定するのである。
 当然、その時、虚軸y軸が発生するだろう。つまり、凸iと凹iの両極、双極、対極が発生するのである。
 ならば、この回転、円運動の力学は何か、である。
 これは謎である。もし、実軸x軸が回転していれば、超越軸の回転(超越円)は可能であるが、果たして、実軸x軸は回転しているのか。
 やはり、超越平面、超越円を大前提とした方がいいのだろうか。そうならば、超越軸z軸は霊軸(霊界)であり、虚軸y軸は魂軸(意識軸)である。霊と魂は異なることになる。
 しかし、陰魂凹iは、超越軸、霊界に通じていると直観されるのである。というか、media pointに通じていて、そこで、超越軸による差異共振による超光を直観するというような感じである。
 コスモスは、⇒凸(+1)と思われる。また、マニ教の光の世界もそこだと思われるのである。
 とまれ、霊z軸と魂y軸の直交による超越平面ないしは超越円、これは、霊魂平面ないしは霊魂円と呼んでもいいだろう。
 プラトンのイデア界はそこに属すると考えられる。
 また、カント哲学における純粋理性は、超越軸を想定できない状態にあると言えよう。そのために、批判限定されると考えられる。
 フッサールの超越論的主観性であるが、それは、虚軸y軸における差異共振までには達したが、超越軸までには達していないように思えるのである。しかし、予感はあったであろう。

torus.jpg






内在平面と超越平面

テーマ:manichaeism: 哲学

ドゥルーズ(&ガタリ)が内在平面を説いたが、これは、物質と連続的な平面であり、超越平面とは当然異なるものである。
 ドゥルーズ「哲学」の基本は、不連続的差異論の段階で説いたように、差異=微分であり、連続的差異を基礎とするものである。
 この連続性の背景に内在平面をドゥルーズは考えたと言っていいだろう。
 しかし、超越平面は、物質を超越した平面であり、純粋精神平面と言えるものである。
 宇宙、自然、物質の根底に存するものであるが、現象界からは、演繹的には、証明できない世界である。
 プラトンのイデア界と通ずると言っていいだろう。ただし、超越平面の「イデア」は動的なものである。
 ところで、超越平面について後で、具体的に解明したい。
 まだ、発想、着想段階に過ぎない。超越平面とは、想定では、z軸とy軸(虚軸)に作る平面である。それが、z軸の原回転によって形成されると直観したのであるが、果たして、それで合理的に説明できるのか。





作業仮説:超越軸z軸の原回転

テーマ:manichaeism: 哲学

なんとか、回転力学を見つけようとしたが、うまくいかない。
 そこで発想・視点を変えて、超越軸z軸の根源的回転があると仮定すれば、円盤の回転、螺旋運動、渦巻の形成、言い換えると、トーラス・モデルの形成は論理的に説明できる。
 また、それは先に触れた、超越的平面と現象的三次元(四次元)も説明できる。即ち、超越軸z軸と虚軸y軸の直交によって形成される平面が超越的平面(以 下、超越平面)であり、超越平面のmedia pointから発出する螺旋運動が現象的三次元(現象三次元)を形成すると考えられるからである。
 ルドルフ・シュタイナーは、霊界は平面、二次元であると言っていたのを想起するのである。超越平面は霊的平面と言ってもいいだろう。
 後で、さらに検討したい。




超越的平面における根源的回転:超越的平面と現象的空間(時空間)

テーマ:manichaeism: 哲学

5次元ないしは6次元で考えたい。
 最初に根源的超越的2次元を想定する。それが、現象3次元空間ないしは現象4次元時空間を形成すると仮定する。
 根源的超越的2次元(簡略化して、超越的平面)において、根源的回転(円運動)が存するとする。
 そして、それが、現象空間において、螺旋形状ないしはトーラス形状を形成すると想定する。
 超越的平面の回転は、プラトンのイデア界の円に通じるだろう。そして、その現象的反映が螺旋運動、乃至は、トーラス形態とするのである。
 今は発想だけである。その力学は後で検討したい。

追記:超越的平面の直交する二つの軸をα軸とβ軸ととりあえず呼んでおく。(α軸とω軸としてもいいだろうが。)
 そして、現象的3次元空間の軸をx軸、y軸、z軸とする。尚、時間については、保留しておく。


2012年05月13日(Sun)▲ページの先頭へ
原子とは何か:電子と光子と陽子(原子核)のトーラス体(仮説)
テーマ:science

これも思いつきであるが、簡単に記したい。
 いちばん単純な水素原子を考えたい。電子は物質であるから、凸i*凹凹i⇒凹(−1)の右辺である。そして、光子は太陽光と一致させて、凸iである。問題は陽子、原子核である。それは直観では、media pointである。そして、凹i(dark sun)、つまり、作業仮説では重力波ないしは重力子は、一般の量子論では、考慮されていないように思われる。
 あるいは、凹iを陽子、原子核と仮定できるかもしれないが、今は、陽子、原子核をmedia pointと作業仮説して、考察する。
 水素原子は、電子と陽子の間で光子を交換しているということであるが、先のトーラス・モデルで考えると、凹(−1)の電子は、超光エネルギーで外装的に螺旋形状となる。そして、コアとして、陽子、原子核があるが、それは、media pointである。そして、外装としての電子と中核としての陽子、原子核、media pointの間には、確かに、光子、凸iが、差異共振の一つの極として存しているのであり、外装(外皮、外殻)の電子と中核の陽子、原子核、media pointの中間に位置すると見ることができるのである。
 しかし、光子、凸iが両者の間で交換されているという事象をPS理論はどう見るかである。(以上をA説とする。)
 ここで、発想を変えてみると、陽子、原子核をmedia pointではなくて、凸(+1)と見るのである。それならば、電子凹(−1)に対して、陽子、原子核は凸(+1)で、電荷的に釣り合うと言えよう。
 この作業仮説でも、電子と陽子(原子核)の間に、光子を置くことは可能であるし、さらに、電子と陽子を繋ぐものとしての光子の位置が明快になると考えられる。というのは、電子凹(−1)の形成に光子凸iが積極的に作用し(光子の自乗としての電子?)、また、電子凹(−1)を牽引する陽子凸(+1)の力動に光子が差異共振において、作用しているからである。電子と陽子の形成の両面に光子は重要な作用をしているのである。(以上をB説とする。)
 現時点では、B説を採用するが、PS理論的解明に拠るトーラス・モデル仮説(凸(+1)を転換点とする脱物質体化・差異共振純粋超光過程 (05/06) http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1819.html)から見ると、きわめて、不十分なことがわかる。何故なら、凹i(闇、dark sun、又は、作業仮説に拠る、重力波、重力子、あるいは、造語して、闇子[あんし])の存在がまったく看過されているからである。
 つまり、量子論的原子論は、光子凸iの対極となる闇子凹iを欠いているので、まったく「片手落ち」なのである。
 PS理論的トーラス・モデル仮説に拠れば、陽子、原子核を形成しているのは、光子と闇子の差異共振の超光エネルギーということになるのである。量子論において、重力の処理が問題になるのは、この闇子の存在が抜けているからではないのか。
 また、先に述べたように、闇子(「重力波」、「重力子」)を仮定すれば、dark matter, dark energyの存在も解明できるのである。
 そのように考えると、今日、考えられている量子論の正しさとは、近似値的正しさということになるだろう。重力を無視できるような、ミクロの世界では、量子論は正しいのであるが、宇宙大のマクロの世界では、重力の問題は重大になり、dark matter, dark energyという仮説が必要になり、量子論は限界に達しているのではないだろうか。
 そう、古典力学を相対性理論や量子力学が超克したように、相対性理論や量子力学はPS理論的トーラス・モデル仮説で超克される可能性が考えられるのである。
 今は作業仮説で留める。

追記:水素原子にはない中性子であるが、それは、思うに、media pointと関係していそうである。何故なら、media pointは陽子凸(プラス1)の正電荷と電子凹(−1)の負電荷の均衡点にあり、中性子の電荷ゼロに対応できるからである。
 故に、作業仮説的に、media pointを中性子か、又は、その位置と考える。あるいは、トーラス・モデルの渦巻星雲に相当するのが、中性子かもしれないが。どうも、後者の方がいいような気がする。何故なら、media pointは粒子というよりは、差異共振の領域、力の衝突が起る領域だからである。その結果、中性子、陽子の核子が生成すると考えるのは、合理的である。
 下のトーラス像から言うと、最下部が電子であり、渦巻星雲が中性子であり、最上部が陽子であり、中心がmedia pointである。そして、凸i(光子)と凹i(闇子)の同一性的物質を外装化する差異共振・超光エネルギーの螺旋形状は、電子が牽引された様態であると考えられる。

中性子 - Wikipedia

中性子(ちゅうせいし、neutron)は、バリオンの一種。原子核の構成要素の一つ。陽子1 個でできている水素の最も一般的な同位体1Hを唯一の例外として、すべての原子の 原子核は、陽子と中性子だけから構成されている。陽子と中性子を核子と呼ぶ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%80%A7%E5%AD%90

torus.jpg


2012年05月06日(Sun)▲ページの先頭へ
凸(+1)を転換点とする脱物質体化・差異共振純粋超光過程
凸(+1)を転換点とする脱物質体化・差異共振純粋超光過程


テーマ:映画ThriveのトーラスとPS理論


映画THRIVEのトーラスとPS理論:その2:上部から下部への動き
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11242890795.html


以上において、次のように述べた。


「少なくとも、凸(+1)は転換点、折り返し点、回帰点と考えられる。
 超光エネルギーは宇宙を形成し、凸(+1)に到達するのであるが、その後の問題である。
 今、直観で言うと、凸(+1)までの動きは春から夏への成長の動きである、しかるに、凸(+1)から凹(−1)への外皮上の動きは秋から冬の動きである。言い換えると、生から死への動きである。つまり、成長から衰退への動きである。しかし、この衰退は内的成熟への動きである。そう、外的成長から内的成熟への動きである。
 思うに、簡単に言えば、超光エネルギーの衰退があり、それが、外皮的動きとなっているのではないだろうか。物質体の衰退であるが、内的「精神」の成長である。」


映画Thriveのトーラスにおける、上部極から下部極へ移動し、言わば、外殻、外皮、外面形成する力動について、それは、超光エネルギーの衰退を意味すると述べたが、それはある意味では正しく、ある意味では間違いである。
 というのは、螺旋的、乃至は、黄金比(白銀比もおそらく入れられよう)的物質体(身体)形成は確かに、そこ(凸[+1])からは衰退するから、それは、それまでの超光エネルギーから見ると、超光エネルギーの衰退を見ることは可能である。
 しかしながら、視点を変えてみると、凸(+1)に到達した、超光エネルギー、乃至は、差異共振エネルギーは実は、螺旋的物質体(身体)形成過程(Aプロセス)から脱螺旋的物質体(身体)過程(Bプロセス)へと転換するのではないだろうか。
 つまり、Aプロセスは同一性物質化を伴っていた、Bプロセスにおいては、同一性的物質化が消滅して、純粋な差異共振化、超光化が発生するのではないだろうか。これを聖霊プロセスと呼んでもいいだろう。
 つまり、超光エネルギーは衰退するのではなく、ただ、変態したと考えられるのである。喩えれば、蛹から蝶へと変態するようなものである。そう、それをヒントにして言えば、プシュケー・プロセスとも言えよう。
 思うに、それは、超越軸、超越界、神霊界、霊界における差異共振による超光形成と重なるように思えるのである。だから、聖霊プロセスなのでもあるが。
 結局、Bプロセスは物質体・身体形成としては衰退過程であるが、精神形成としては成熟過程である。
 さて、問題は、Bプロセスがどうして、凸(+1)からリンゴや梨のような外殻、外皮、外面である湾曲した球面を辿り、凹(−1)へと進行するのかである。その力学はどういうものか。
 これは単純に、磁界を考えればいいのではないだろうか。即ち、凸(+1)をN極とし、凹(−1)をS極とするのである。磁力がN極からS極へと作用するのであり、それとほぼ同様なことが、Bプロセスに起きている考えればいいのではないだろうか。
 つまり、下部極から上部極の螺旋的物質体化過程(Aプロセス)の方向、即ち、凹(−1)から凸(+1)への実軸x軸の左方から右方への方向を、純粋超光は取ることがもはやできないのであり、つまり、言わば、内的な方向を取ることはできないのであり、そのため、外的な方向を取ることになると考えられるのである。
 しかしながら、内的方向とは実は、外的物質体化の過程であり、外的方向とは内的精神化の過程であるというパラドクシカルな意味合いをもっているのである。
 しかし、外的方向=内的精神化の過程=Bプロセスは、凹(−1)という物質が終点であり、それは、死を意味すると言えよう。だから、その意味では、衰退消滅の過程なのである。純粋超光、純粋差異共振はそこで終了するのである。
 とは言え、それは、新生の過程に入ることである。新たな螺旋的物質体(身体)の過程に入ることになるからである。輪廻転生である。即ち、 凹(−1)の物質において、純粋超光、純粋差異共振、純粋精神を宿していた物質体・身体は消滅すると考えられるが、そのとき、純粋超光、純粋差異共振、純粋精神は完全に脱物質化するのであり、それは、超越軸=超越界=神霊界=霊界に帰還すると考えられるのである。
 そう、凸(+1)において、脱物質化すると言ったが、それは完全な脱物質化ではなく、脱物質化のプロセスの開始を意味するのであり、完全な脱物質化は、凹(−1)の物質において、為されると考えられるのである。説明すると、凹(−1)の物質とは無機的な物質、いわば、鉱物のようなものであり、生命的有機体はそこには存しないと考えられるのである。
 今はここで留める。


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(THRIVE Japanese) スライブ―いったい何が必要になるのか - YouTube
► 132:03► 132:03

www.youtube.com/watch?v=yp0ZhgEYoBI2012年4月5日 - 132分 - アップロード元: ThriveMovement
http://www.thrivemovement.com/ 詳細は http://www.thrivemovement.com/ まで 『 力強い成長』のDVDご購入を http://www ...
http://www.youtube.com/watch?v=yp0ZhgEYoBI




物質的外装する超光エネルギー


テーマ:manichaeism: 哲学


「凹i*凸iの差異共振によって、物質を巻き込んで、螺旋的な宇宙・自然世界、あるいは、トーラス的な宇宙・自然世界が形成されると言えよう。
 ここで仮説であるが、差異共振によって物質を巻き込む超光(霊光)は螺旋的な力を発生させると考えるのである。そして、その螺旋力学を基体、下敷きとして、物質的螺旋が形成されると考えるのである。」
現象三次元化の力学へ向けて:超光(霊光)による螺旋的現象生成の力学についての思考実験
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11242135164.html

上記のように先に述べたが、「物質を巻き込む」という表現であるが、「物質を外装化する」内的超光エネルギーと表現する方がより適切であろう。言い換える と、精神が物質を螺旋的に、乃至は、黄金比的に外装化するのである。それは広義の生命体である。つまり、例えば、銀河系宇宙も一種の生命体と考えるのであ る。




映画THRIVEのトーラスとPS理論:その2:上部から下部への動き


テーマ:映画ThriveのトーラスとPS理論


• Zero-point energy:ゼロ・ポイント・エネルギー(ゼロ点エネルギー)
• 現象三次元化の力学へ向けて:超光(霊光)による螺旋的現象生成の力学についての思考実験
• 映画THRIVEのトーラスとPS理論
映画ThriveのトーラスとPS理論の比較論は以上において考察したが、まだ、トーラスのいわば外皮における動きについては述べていなかった。今は余裕がないので、簡単に予見を言うだけだが、少なくとも、凸(+1)は転換点、折り返し点、回帰点と考えられる。
 超光エネルギーは宇宙を形成し、凸(+1)に到達するのであるが、その後の問題である。
 今、直観で言うと、凸(+1)までの動きは春から夏への成長の動きである、しかるに、凸(+1)から凹(−1)への外皮上の動きは秋から冬の動きであ る。言い換えると、生から死への動きである。つまり、成長から衰退への動きである。しかし、この衰退は内的成熟への動きである。そう、外的成長から内的成 熟への動きである。
 思うに、簡単に言えば、超光エネルギーの衰退があり、それが、外皮的動きとなっているのではないだろうか。物質体の衰退であるが、内的「精神」の成長である。
 後で、精緻に検討したい。


2012年05月05日(Sat)▲ページの先頭へ
Zero-point energy:ゼロ・ポイント・エネルギー(ゼロ点エネルギー)
テーマ:energy


絶対零度において存するエネルギーのことであるが、これをPS理論から見るとどうなるだろうか。今は予見のみである。
 PS理論(三次元化されたPS理論、正確には四次元ないし五次元化されたPS理論)に拠ると、超越軸・超越界凹j*凸jが根源に存するのである。それは完全に物質や物質現象(生命を含めて)を超越した世界である。そう、神霊界、霊界である。
 凹j*凸j(母神*父神)はmedia pointを介して、宇宙・自然を創造するのである。この最初期のmedia pointは、物質のないゼロ点、ゼロ・ポイントと考えられるだろう。確かに、そこから宇宙創造が為されるのであるから、おそらく、無限の原エネルギー、超エネルギーが存すると考えられる。もっとも、最初は潜在的に存していたのであるから、ポテンシャル・原エネルギー(超エネルギー)である。
 それが、同一性化(物質化)を牽引する差異共振化(超光・霊光化)を発動させることで、超光エネルギーが発生し、宇宙・自然創造が為されると考えられるのである。
 そう、PS理論から言えば、premier media point energyがzero-point energyの正体となるだろう。
 日本神話では、それは天之御中主神であろう。


ゼロ点エネルギー
零点エネルギー検証:プランク式と単振動式の比較 に移動‎: プランクはまた、定性的に零点エネルギーhν/2を導入した。これは以下に示す単振動のエネルギーの式のn=0の場合に相当するエネルギーである。 1. En =(n+―――)hν0 2 プランクが ...
http://www.h5.dion.ne.jp/~antibody/zero%20point.htm

ゼロ・ポイント・フィールド - Skeptic's Wiki
ゼロ点エネルギー(ZPE). 「零点エネルギー」という言葉はごく普通に量子力学の教科書に登場する。電子などの素粒子の位置は不確定であり、「波動関数」を用いて確率論的にしか表せない。このことを古典論的に解釈すると、素粒子は静止することはなく、 ...
http://skepticswiki-jp.org/wiki.cgi?page=%A5%BC%A5%ED%A1%A6%A5%DD%A5%A4%A5%F3%A5%C8%A1%A6%A5%D5%A5%A3%A1%BC%A5%EB%A5%C9


真空からエネルギーを取り出せ | 日経サイエンス
正確にどれほどの量の零点エネルギー(ゼロ点エネルギー)が真空に存在しているかは不明だ。宇宙論研究者の中には,宇宙の始まりの時点では,どこもかしこもブラックホールの内部のようなありさまで,真空エネルギーが高く,それがビッグバンを誘発したと ...
www.nikkei-science.com/page/magazine/9803/zero.html


零点振動
零点振動 ・・・ 調和振動子モデルによる 1. 1次元調和 ... この第2項の係数が q → ±∞ で発散するから q = ±∞ がこの微分方程式の特異点である。 ... これを、零点振動(れいてんしんどう、Zero-point motion)といい、そのエネルギー を零点エネルギーという。
www.k2.dion.ne.jp/~yohane/000000utyuusouzou103.htm


声明:大衆レベルからフリー・エネルギー革命を開始しよう - nifty
この「フリー・エネルギーと代替エネルギー特集:パート?」は、私たち自身および私たちの愛しい惑星の存続にとって、私たちがこれまで .... しかし、零点エネルギーは、エネルギーが真空―――すなわちゼロ・ポイント―――内に含まれているという科学的理論に ...
http://homepage2.nifty.com/silverring/maatdrunvalofeb2editor.htm


Zero-point energy - Wikipedia, the free encyclopedia
Zero-point energy is the lowest possible energy that a quantum mechanical physical system may have; it is the energy of its ground state. All quantum mechanical systems undergo fluctuations even in their ground state and have an associated ...
http://en.wikipedia.org/wiki/Zero-point_energy


Zero Point Energy
Zero point energy (ZPE), some times described as:"Zero Point Vacuum Fluctuation" or the "quantum vacuum" is understood by researchers to be a permanent, inexhaustible energetic medium pervading through space time. The energy density ...
http://www.panacea-bocaf.org/zeropointenergy.htm


Zero-Point Energy
5 Feb 2009 – Quantum theory predicts, and experiments verify, that so-called empty space (the vacuum) contains an enormous residual background energy known as zero-point energy or ZPE. This energy derives its name from the fact that ...
www.halexandria.org/dward154.htm


Tesla The Race to Zero Point Free Energy - YouTube
► 109:39
From Google Videos. Lightworks Video&Audio Hosted by Bill Jenkins, formerly of ABC Radio, this ...
http://www.youtube.com/watch?v=aKWPht3fU-o


Free Energy - Zero-Point Energy Extraction from the Quantum Vacuum
► 70:32
This is Tom Valone's amazing video lecture Zero-Point Energy Extraction from the Quantum Vacuum (2004 ...
http://video.google.com/videoplay?docid=-5738531568036565057


現象三次元化の力学へ向けて:超光(霊光)による螺旋的現象生成の力学についての思考実験
映画THRIVEのトーラスとPS理論
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11241248426.html

A案:以下の渦巻星雲の画像において、垂直軸は、PS理論ではx軸(実軸、現象軸)である。そして、下部の極が凹(−1)であり、上部の極が凸(+1)である。
 ここまでは一致する。しかし、問題は、上部の垂直軸に絡まる螺旋と実際の渦巻星雲をどう捉えるかである。
 上部の垂直軸に絡まる螺旋は超光による螺旋であり、渦巻星雲は、その光/物質的螺旋形態と言えるのではないだろうか。
 つまり、超光(霊光)による螺旋の光・物質的現象体が渦巻星雲と考えるのである。

****************************

先に上記のように、A案が理論的にはいいと述べたが、この点についてさらに考察してみよう。
 問題は超光(霊光)のベクトルによって、物質的宇宙・自然世界、つまり、現象界が形成されると考えるが、その力学はいかなるものなのかということである。
 凸iを現象太陽、凹iをdark sunとしたが、それを形成する力学が問題である。だから、超越軸(超越界)、凸j*凹jから始めないといけないことになる。

凹j*凸j⇒凹i+凸(+1)  ・・・・・  A

A式が超光創造根源式と作業仮設する。
 凹jはいわば太母・母神であり、凸jは太父・父神である。
 とまれ、media pointにおいて、超光(霊光)凸(+1)が発出される。
 そう、これは、dark sunである凹iが創る超光である。ここでは、まだ、物質宇宙、現象宇宙は存在していないことになる。
 物質宇宙・現象宇宙が生まれるには、

凸j*凹j⇒凸i+凹(−1)  ・・・・・  B

B式が必要である。現象光の凸iが生まれ、また、物質凹(−1)が発生している。しかし、B式だけでは、光と物質だけであり、まだ、生命や螺旋形態はない。
 AとBが連携して、宇宙・自然世界が創造されると言えよう。即ち、凹iに凸iが共振し、また、凸と凹が牽引するのではないだろうか。
 凹i*凸iの差異共振によって、物質を巻き込んで、螺旋的な宇宙・自然世界、あるいは、トーラス的な宇宙・自然世界が形成されると言えよう。

(ここに映画Thriveのトーラス像が入る。以下参照。)
http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1817.html

 ここで仮説であるが、差異共振によって物質を巻き込む超光(霊光)は螺旋的な力を発生させると考えるのである。そして、その螺旋力学を基体、下敷きとして、物質的螺旋が形成されると考えるのである。
 この螺旋原理であるが、これも仮説となるが、凸i*凹iは回転、円運動すると考えるのである。それも、ガウス平面とは垂直方向に回転すると仮定するのである。
 分かりやすくするために、半径iの円盤を垂直にして、ガウス平面の虚軸y軸に置くのである。その回転する円盤の円弧に凸i*凹iは位置することになる。
 そして、超光(霊光)による直進(ベクトル)は、時間を伴うので(凹iを時間とも考えている)、円弧の運動は螺旋を描くことになるのである。
 これで、螺旋的物質体(宇宙・自然現象)の形成原理の説明がなんらかできた。
 また、螺旋形態的物質現象の中でも、黄金比をもつものが大半ということになるのだろう。だから、差異共振の比率(ratio)として、黄金比Φが代表的になるだろう。
 ところで、映画Thriveの渦巻星雲のトーラスであるが、中心を貫く下から上への流れにおいて、中間部の平面に、渦巻星雲が形成されているのである。
 これをどう説明するのかである。超光(霊光)のよる螺旋は説明できたが、渦巻については説明していないのである。
 上記の説明からでは、この渦巻、ないしは、渦巻星雲は、虚軸の円盤に相当するものである。
 これを原螺旋円盤と名づけたい。超光(霊光)による螺旋的物質化様式において、変数があると考えられる。ある数値においては、このように原螺旋円盤を形成し、あるときは、朝顔のように螺旋形態を展開すると仮説したい。
 以上で、本件の思考実験的考察を終える。

追記:現象三次元化と言ったが、時間も含まれるので、現象時空四次元化というのが正確ではある。

追記2:上のトーラス像の下方からも螺旋が生まれているようである。これをまだ説明していない。問題は物質形成において、⇒凹(−1)になり、ベクトルは左向きになるのであり、トーラス像にあてはめれば、中心から下方に向うのであり、下方から上方へではないのである。
 これは大きな齟齬である。今、作業仮説的に言うと、物質形成同一性力学よりも、超光形成差異共振力学の方が、はるかに強いということがあるのではないだろうか。これは、現代宇宙科学において、物質や光のエネルギーよりもダーク・マターやダーク・エネルギーがはるかに多い(両者併せて、宇宙全体の物質エネルギーの96%を占める)と考えられていることで裏付けられるのではないだろうか。
 つまり、差異共振の超光ベクトル⇒凸は物質ベクトル⇒凹よりも強力であるので、後者を前者の方向に牽引してしまうということではないだろうか。
 今はここで留める。

参考:
対数螺旋 - Wikipedia
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対数螺旋(たいすうらせん、logarithmic spiral)とは、自然界によく見られる螺旋の一種である。等角螺旋(とうかくらせん、equiangular spiral)、ベルヌーイの螺旋ともいい、「螺旋」の部分は螺線、渦巻線(うずまきせん)、匝線(そうせん)などとも書く。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BE%E6%95%B0%E8%9E%BA%E6%97%8B

映画Thrive(日本語版)
http://www.youtube.com/watch?v=yp0ZhgEYoBI&feature=player_embedded 


映画THRIVEのトーラスとPS理論
画像付きは以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11241248426.html


森羅万象、トーラスの形態(とベクトル平衡体:追記)が原形であると映画thriveでは主張されている。トーラスの問題点をPS理論から言うと、認識性がそこには反映されていないことだと思う。つまり、人間の自己認識性が見られないことである。
 とまれ、実に興味深いので、PS理論と結びつけてみたい。
 
A案:以下の渦巻星雲の画像において、垂直軸は、PS理論ではx軸(実軸、現象軸)である。そして、下部の極が凹(−1)であり、上部の極が凸(+1)である。
 ここまでは一致する。しかし、問題は、上部の垂直軸に絡まる螺旋と実際の渦巻星雲をどう捉えるかである。
 上部の垂直軸に絡まる螺旋は超光による螺旋であり、渦巻星雲は、その光/物質的螺旋形態と言えるのではないだろうか。
 つまり、超光(霊光)による螺旋の光・物質的現象体が渦巻星雲と考えるのである。

B案:以上の視点とは異なり、次のように考えるのも、可能性があるだろう。即ち、トーラスの垂直軸をガウス平面に直交する超越軸z軸を仮定する。だから、トーラスの下部極は、凹jであり、上部極は凸jとなる。そして、それが、ガウス平面上に渦巻星雲をもたらすと考えるのである。

C案:また、他の可能性としては、この二つの可能性を合わせたものもありえよう。

D案:四つ目の可能性としては、トーラスの垂直軸を虚軸y軸と見るものである。上部極が凸iであり、下部極が凹iである。そして、下部極から上部極への「流動」はベクトルである。そして、media pointで、実軸x軸へと展開するが、それは回転して、渦巻、螺旋を形成するのではないのか。

 以上、思いつきであるが少なくとも四つの可能性を想定したが、現段階では、A案かD案がより可能性がありそうである。しかし、理論的にはA案がいいが、直観では、D案がいいのである。肚凹iから頭凸iへと氣が流れ上がるが、上がった「氣」を呼吸を介して、下部へ下降させることを私はしているのであるからである。下部⇒上部⇒下部である。

Film review: Why 'Thrive' is best avoided » Transition Culture

resurrectionのブログ

http://transitionculture.org/2012/01/09/film-review-why-thrive-is-best-avoided/
Thriveを観る、トーラス、フリーエネルギー、舞踊による一体感|卵の中の ...
haitaka.blog19.fc2.com/blog-entry-1235.html - キャッシュ

Thriveを観る、トーラス、フリーエネルギー、舞踊による一体感. 2012-02-21. 話題になっている『THRIVE』の日本語版をyoutubeで見た。 最初にトーラスが出てきたので、これは最後まで見ねば・・・と思った。 トーラスとは、↓こういう形の内側と外側がつながった ...


2012年05月04日(Fri)▲ページの先頭へ
PS理論とシュタイナー精神学:自我とアストラル体とエーテル体と物質:超越軸と虚軸と実軸の3D世界
以前、本件について比較論を行なったが、PS理論からシュタイナー精神学を言わば、取り込みたい。
 今は直観で述べると、
 
自我=凸i ・・・・・ 純粋悟性、外的感覚、空間、電磁波

アストラル体=凹i ・・・・・ 感情、欲望、内的感覚、時間、(重力波)

エーテル体=凸(+1) ・・・・・ 生命、氣、超光、自然、宇宙

物質=凹(−1) 

以上のようになるが、それらはガウス平面に位置付けられている。
 問題は、超越軸z軸の意義である。それらは、いわば、神霊の領域であり、感覚的には、基本的には感知できない領域である。
 思うに、カント哲学の純粋理性の領域に近いが、端的にはそれを超えている。何故なら、純粋理性とは、純粋悟性と超越性との境界に存すると考えられるからである。超越軸と虚軸の交差するmedia pointに存すると考えられる。
 しかしながら、純粋理性は、その力学を単にパラドックスであるアンチノミーに限定していると考えられるのである。もっとも、この点は先になるが、厳密に検討したいと考えている。
 とまれ、超越軸z軸は神霊領域であり、所謂、霊界というものは、ここに存することになる。他界、異界、あの世、彼岸、天国・地獄、等はそこに存すると言えよう。
 そのように見ると、人間の魂、霊魂soul-spiritであるが、それは、自我である凸iとアストラル体の凹iの共存に基本的には存するだろうが、所謂、生きている間は、実軸x軸(現象界)に存しているが、死んだとき、あるいは、生まれる以前(前世)は、そこから脱して、純粋に虚軸y軸に回帰し、また、さらに、media point化して、超越軸z軸(霊界)に帰還するのではないだろうか。
 虚軸y軸はmedia pointを介して、永劫の情報を保持しているのではないだろうか。個的霊魂の情報のアーカイブのようなものではないだろうか。すると、それは、オカルティストの説くアカシャ年代記akashic records(アカシックレコード - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89
)に相当するだろう。
 そして、死後の浄化が超越軸z軸と虚軸y軸とのmedia pointで為されて、霊界への復帰するのではないだろうか。
 以上、思考実験、作業仮説である。


2012年05月03日(Thu)▲ページの先頭へ
差異共振の比率が黄金比ではないのか:精神の物質に対する比:原形としてのペンタクル
「闇」が「光」と共振するとき、「光」による物質を巻き込むが、その物質形態の比率が黄金比になるのではないだろうか。
 言い換えると、超光(霊光)が「光」の物質体を組織・秩序(コスモス)化するとき、発生するのが黄金比ではないのか。簡単に言えば、精神の物質に対する比率が黄金比ではないのか。そして、ピュタゴラス派がペンタクル(五芒星形)を最重要視したのは、黄金比を形成する象徴的な、典型的な図形だからと考えられる。
 そう、ペンタクルは、形態的には、精神の物質に対する、言うならば、プロト・パターン、原形、そう、根源的フラクタルと考えられるだろう。
 後で更に検討したい。

黄金比
http://gakuen.gifu-net.ed.jp/~contents/museum/golden/page62.html

縦と横の比率が最も均斉のとれた長方形を想像してみて下さい。それは人によって様々かもしれませんが,黄金比と呼ばれる比が最も美しいと言われています。ところで,どうしてその比率がバランスよく見えるのでしょうか。もしかしたら,その中に何か神秘的な ...


現象太陽とdark sunの交差するmedia point:超越軸と虚軸と実軸の交差するMP
先に、凸iを現象太陽、凹iをdark sunとし、両者の共振から超光(霊光)が生まれると作業仮説した。
 そうすると、現象太陽とdark sunの発生が問題となる。しかしながら、既に、超越軸(ガウス平面に直交する軸)を想定している。それが、凸iと凹iを発生させると作業仮説したのである。
(思考実験:光の問題:光と物質:視覚とは何か:視覚としてのmedia point (04/18) http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1810.html)
即ち、超越軸に凸jと凹jを置き、

凸j*凹j⇒凹i+凸(+1)  ・・・・・T

凸j*凹凹j⇒凸i+凹(−1) ・・・・・U

という方程式を作業仮説したのである。
 だから、現象太陽凸iはU式から、生まれるのであり、dark sunは、T式から生まれるのである。即ち、超越的極性において、同一性力学から現象太陽凸iが、差異共振力学からdark sun凹iが誕生すると考えられるのである。
 以上のように仮説すると、media pointは超越軸とy軸(虚軸)とx軸(実軸)との三者交差が重要になる。
 とまれ、現象太陽とdark sunの交差におけるmedia pointを考えると、やはり、当然、同一性力学と差異共振力学があり、いわば、現象太陽とdark sunが「渦巻いている」と思われる。これは、比喩である。
 具体的に考えると、例えば、渦巻き星雲であるが、それは、dark sun主導の差異共振力学の螺旋的運動によって、現象太陽が巻き込まれて取る形態・形象ではないのか。(複数の現象太陽、複数のdark sunを一応想定する。しかし、dark sunは一つかもしれないが。)
そう、それは、弦巻植物の螺旋とフラクタルな関係が考えられる。
 差異共振力学とはdark energyに拠ると考えられるので、渦巻き星雲は超越的にdark energyを内在していると考えられる。
 これは、直観では、Vector Modeに関係すると思われるのである。
つまり、物質的平面に現象太陽の渦巻き(渦巻星雲)を現象化させるのであるが、精神的超越的内面において、dark sun主導の差異共振のdark energyが(直線的に)力動していると考えられるのである。つまり、現象太陽凸iとdark sun凹iの差異共振によるdark energyが超光を形成しているのである。そう、超光はdark lightと言ってもいいだろう。
 とまれ、現代物質宇宙科学は、dark sunを導入することで、進化するだろう。現象光だけでなく、不可視の闇の存在を肯定することで、進化するのである。そう、唯物論的科学は、精神的物質科学となるだろう。

追記:先にdark matterは存しないのではないのかと述べたが、dark sunを考えると存するのではないのか。つまり、現象太陽凸iは物質体をもっているのであるから、dark sunもそれに応ずる「体」をもっていると思われる。それが、dark matterではないのか。
 それとも、凸(+1)の超光をdark matterと見るのか。後で更に検討したい。

追記2:現象太陽凸iが電磁波ならば、dark sun凹iは対応するに何であろうか。重力波であろうか。もしそう仮説するならば、ブラック・ホールは、ここに位置するのかもしれない。とまれ、思考実験である。

参照:
■ フリーエネルギーに挑戦する現代の平賀源内たち:エマモーターの衝撃 ( 2012-05-02 15:20:18 )
http://quasimoto.exblog.jp/17902189/

Kazumoto Iguchi's blog


2012年05月02日(Wed)▲ページの先頭へ
思考実験:電磁波と物質:現象光と超光:二つの太陽:現象太陽とdark sun
テーマ:manichaeism: 哲学

これまでの考えによれば、電磁波は物質形成力学と関係する。

つまり、凸i*凹凹i⇒凹(−1)の物質方程式と関係する。

私の考える光は実際のところ、超光であり、凸i*凹i⇒凸(+1)の右辺である。これは精神的光である。

それに対して、物質的光、現象的光(電磁波)があり、それが、物質方程式と関係するということである。

そう、先にmedia pointが視覚であると述べたことをここで取り上げたい。

つまり、media pointにおいて、同一性の光(現象光)と差異の光(超光)が併存しているのであるが、物質感覚は同一性の光を基礎としているのであり、差異の光を感知、認知しないのである。

また、現象光凸iが自乗して、⇒凹(−1)の物質になると思われる。

E=mc^2は、このことと関係するように思われる。もっとも、cは現象光である。そして、Eは物質エネルギーである。

それに対して、凸i*凹i⇒凸(+1)の超光は、dark energyをもつように思われるのである。

 思うに、現象光凸iが現象太陽であり、凹iがdark sun、霊的太陽に相当する。そして、超光は現象太陽と霊的太陽の差異共振によって発生するということになる。「光」と「闇」、陽と陰との差異共振によって、超光(超越光)が誕生するのである。


追記:以下の現代物質科学による宇宙の解明であるが、やはり、唯物論ではその謎は解けないだろう。根源は精神である。「光」と「闇」であり、それが、差異共振して、超光を創り出す。そして、「光」の自乗で物質、物質エネルギーを産み出すのである。

 「光」は実に二面的なのである。一方では、超光、霊光を創出するが、他方、自乗して物質形成をするのである。その点で、「光」は善であり、悪である。

参考:

* 宇宙を解き明かす
神の素粒子

http://nationalgeographic.jp/nng/magazine/0803/feature04/


   




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カレンダ
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