INNOVATION OF PHILOSOPHY: GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience - 2012/02/26

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




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2012年02月26日(Sun)▲ページの先頭へ
新しい差異共振は凹i∞凸i⇒凹(−1)なのか凹j∞凸j⇒凹(−1)なのか:注意:陰陽記号がタイトル欄では出ないので、仮に∞を使用した
先に以下のように書いた。

原初差異共振と凸i支配と新差異共振:Neo-PS理論へ向けて:人間・自然認識立体図
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11175759478.html

ふと、ガウス平面で足りるのではないかと思ったので、少し検討したい。
 問題は新しい差異共振の位置である。これまでのPS理論の考え方から言えば、新しい差異共振とは、凸i*凹i⇒凸(プラス1)の凸i支配の連続性から、不連続化された凹iが主導する凹i*凸i⇒凹(−1)に存するのである。
 しかし、これは、私見では、氣の差異共振であり、精神の差異共振ではないのである。あるいは、両者が区別がつかないのである。
 私説では、1.原初差異共振⇒2.同一性力学⇒3.新差異共振というように推移するのであるが、

1. 凹i☯凸i⇒凹(−1)

2. 凸i*凹i⇒凸(+1)

3. 凹i☯凸i⇒凹(−1)

という方程式になる。
 問題は2から3への推移である。あるいは、1から2への推移である。後者を考えると、氣から精神へと転化できるのかという問題である。
 純粋に氣を考えると、凹i☯凸i⇒凹(−1)であり、凸i*凹i⇒凸(+1)はありえないのではないか。もし、それが可能ならば、氣が硬直化することになるのである。氣は常に変動しており、「陽」が「陰」を支配することはありえないのではないだろうか。言い換えると、常に差異共振様態としての氣と考えられるのである。
 だから、1から2への転移は不可能と思われるのである。また、それは、2から3への転移の不可能性でもある。何故なら、それは、精神から氣への転換となるからである。
 故に、先に作業仮説したように、精神軸としてのz軸を提起することは、問題解決の意味をもつと考えられるのである。
 故にやはり、新しい差異共振は凹i*☯凸i⇒凹(−1)ではなく、凹j☯凸j⇒凹(−1)と現段階では考えられるのである。
 整理すると、

1. 氣の差異共振方程式:凹i☯凸i⇒凹(−1)

2. 自己同一性力学方程式:凸j*凹j⇒凸(+1)

3. 新しい(自己)差異共振方程式:凹j☯凸j⇒(−1)

となる。但し、凸i*凹i⇒凸(+1)は成立しないことになる。
 最後に、ルドルフ・シュタイナーの精神学の四元的体との関連を言うと、自我は凸(+1)であり、エーテル体(生命体、氣)は、凹i☯凸i⇒であり、アストラル体(感情欲望体)は、凹jであり、物質体は凹(−1)ということになるように思える。そして、「悪魔」であるが、アーリマンは凸j優位、ルシファーは凹j優位、そして、「キリスト」は自己である凹j☯凸j⇒凹(−1)と考えられる。


原初差異共振と凸i支配と新差異共振:Neo-PS理論へ向けて:人間・自然認識立体図
これまで、原始差異共振と呼んだものを原初差異共振primary difference(co-difference?) resonanceと呼び直す。これは凹i主導のもので、まだ、凸i支配の同一性は形成されていない。虚軸上のmedia point(imaginary axis media point)での事象である。凹i優位(凹i superiority)があるのである。言い換えると、凸i劣位(凸i inferiority)があるのである。これはまた、原初母権文化的意識primary matriarchal culture senseということもできよう。
 そして、連続性、凸i支配の力学が生起する。これは、人間固有の連続性支配である。凸i優位、凹i劣位の力学である。同一性力学の支配である。実軸上の media point(real axis media point)における連続性様態である。ここに、精神的フィルターがあるし、また、カント哲学の超越論的「精神」が存するだろう(後で再検討。純粋理性は原初差異共振と新差異共振の両方に関わるようだ。これも再検討)。
 問題は原初差異共振、虚軸上のmedia pointの様態の方程式である。
 後期PS理論において、凸i*凹凹i⇒凹(−1)とそれを方程式化したが、差異共振は凹凹iというような凹iの否定ではなく、あくまで、凹iの肯定でなくてはならないから、それは間違いと考えられる。
 凸i*凹i⇒凸(+1)の*であると、凸i支配の力学と勘違いするので、原初差異共振を凹i☯凸iと表記する。この虚軸上のmedia pointの事象であるが、これはどういうベクトルを形成するのか。それとも、そのままなのか。
 また、問題は、凹(−1)の意味である。果たして、それが、差異共振のベクトルの方向の終点でなければ何なのか。
 今想起したのは、☯は積ではなく、商ではないのかということである。つまり、凹i÷凸iないし凸i÷凹iである。そうすると、当然、⇒凹(−1)になる。だから、凹i☯凸i⇒凹(−1)となる。(これは作業仮説である。)
 以上のようにPS理論を再確認すると、初期PS理論ではなく、後期PS理論の妥当性、整合性が明らかになる。結局、差異共振と同一性との区別が凸i*凹 i⇒凸(+1)の場合、不明瞭であるので、疑問が生じたわけであるが、原初差異共振を凹i☯凸i⇒凹(−1)としたので、区別が判明となり、疑問が解消したのである。
 そうすると、先に、差異共振を表記するのに、想定したz軸は不要となる。
 そうすると、オイラーの公式と統合したガウス平面(仮称:Euler's formula integrated Gaussian plane:EGP)上の円において、左半円(虚軸を含めて)は光(マニ教の光)の様態であり、右半円は闇(無明)の様態となる。(凸iは陽、原光であり、凹iは陰、原闇と見るのがいいだろう。しかし、これは紛らわしい。後で用語を考えたい。)
 では、物質はどう表記されるだろうか。これまで、凸(+1)としてきた。思うに、自然現象は差異共振現象であり、それは、⇒凹(−1)を意味しよう。Vector Modeはこちらに生起しよう。
 ならば、⇒凸(+1)は何か。これは、同一性ではないだろうか。凸iが超越論的同一性精神とするなら、その力学の結果の⇒凸(+1)は同一性でないのか。あるいは、自我(自己同一性)である。(今はそう作業仮説する。)
 ここで、氣を考えると、やはり、それは、差異共振様態と考えられるが、そうすると、精神、光と同一体になってしまうだろう。
 先に述べたように、氣と精神を区別したいのである。すると、z軸が必要になるのである。
 氣を凹i☯凸i⇒凹(−1)とすると、精神は凸j☯凹j⇒凹(−1)と考えられないだろうか。jはz軸という第二の虚軸の虚数記号とする。
 そうすると、これまでの考え方を変更しないといけない。つまり、原初差異共振とは凹j☯凸j⇒凹(−1)であり、同一性力学は凸j*凹j⇒凸(+1)となる。そして、当然、凸iは氣の陽であり、凹iは氣の陰である。
 だから、三重、三次元のmedia point(three-dimensional media point)において、精神と氣と原自我(凸j)の混合することになるように思われる。
 しかし、そのように作業仮説したとき、問題は、氣が物質を生み出すこと(造化)はいいとしても、精神も物質を生むことになるが、それでいいのだろうか。
 それは正しいと思う。精神様態によって身体、肉体は変化するのは当然である。ストレスを考えればいいのである。ということで、この点もクリアされた。
 最後に、凸jの支配からの脱却である不連続化に拠る新しい差異共振についてであるが、それは、凹j☯凸j⇒凹(−1)と考えられる。そう、精神と氣と物質が一体となっているのである。
 今はここで留める。

追記:人間認識図であるが、それは、人間・自然認識立体図となるだろう。

追記2:光や量子はどう記述されるのだろうか。凹i☯凸i⇒凹(−1)の⇒が光ではないだろうか。そう、マニ教の光は凹j*凸j⇒凹(−1)の⇒ではないだろうか。前者が現象光であり、後者が精神光(霊光)である。
 しかしながら、3D media pointにおいて、それらは、融合しよう。
 では、量子はどうなるのかと言えば、それは、光の⇒の振動数、波動の違いで説明できるかもしれない。思うに、ここで濃度概念を使用できるだろう。凹iの最高濃度(凸iが最大強度)の場合と凹iの最低濃度(凸iの最小強度)の場合の両極における中間値(極大の場合も含めて)をもつように思える。

追記3:そうすると、円ではなく、球ないし球面が人間・自然認識立体図の主要な空間となる。


不連続的差異論とPS理論を再検討する:自我と同一性と物質
不連続的差異論とPS理論を再検討する:自我と同一性と物質
テーマ:不連続的差異論とPS理論

不連続的差異論のポイントは、ある自己差異が他者を認知するとき、通常は他者を自己同一性化してしまい、他者の差異を無視することである。
 自己差異A、他者差異Bとすると、AはBの認識に当たり、AをBに投影してしまうのであり、Bは否定されるのである。
 この場合、Aは自我であり、また、自我同一性である。AによってBは否定されるのである。
 しかし、不連続的差異とは、B自体を肯定することである。だから、AはBであり、同時に、Aである。いわゆる、即非様態である。
 このとき、Aは自我ではなく、自己である。
 そう、Aが自我となり、他者Bを自己同一性化するとき、それが、A*B⇒+1であろう。+1が自己同一性、自我となるだろう。
 Aは原自己ないし原自我であり、+1が自我である。しかし、それは、また、自己同一性である。
 例えば、Bを樹木としよう。Aは樹木を認識する。それは、自己同一性化であり、その+1はB=樹木である。だから、Bは物質ということではないだろう。Bは現象である。
 では、物質とはどうなのか。
 端的に言えば、ある数量化が必要である。他者Bを数量化ないし、抽象的数量化する必要がある。
 だから、A自体に数量的認識、抽象的認識が必要である。
 それは、先の言語についての検討からわかることは、凸iの分析的認識性に拠るということである。
 つまり、A自体は、単に、感覚的に現象認識するだけでなく、現象を抽象的数量的に認識するということになる。
 だから、自我と物質とは⇒+1として重なるようになるとは言えよう。
 しかしながら、感覚的具体的同一性認識と抽象的数量的同一性認識は異なるのではないだろうか。
 端的に言えば、感覚と数量の違いがあると思える。
 感覚は具体性をもっているが、数量はあくまで、抽象性である。
 そう、正に、具体的同一性と抽象的同一性の違いである。
 だから、問題は、⇒+1としたとき、両者の違いが区別できないことである。
 思うに、凸i*凹i⇒凸(+1)と凸*凹⇒凹(−1)があるのかもしれない。
 これは作業仮説的であるが、前者が具体的同一性、後者を抽象的同一性と考えることができるかもしれない。
 だから、感覚的現象は+1であり、抽象的現象である物質は−1となる。光は+1であり、闇は−1である。
 では、そうしたとき、精神はどう記述できるのだろうか。つまり、差異共振精神、即非精神である。
 それは、今の直観では、ガウス平面に直交する垂直軸(z軸)で表記されるように思われる。
 同一性はx軸の+1と−1で表記され、差異共振、即非様態はz軸の凸jと凹jで表記されるのではないだろうか。
 思うに、差異共振、即非様態であるが、凸iが主導的な場合は凸jに、凹iが主導的な場合は凹jになるのではないだろうか。
 そう、つまり、差異共振、即非様態でも凸i主導と凹i主導がありえるように思えるのである。つまり、差異共振とは本来、凹i主導であるが、それが一端成立すると、凸i主導と凹i主導の両面があるように思えるのである。そう、差異共振の極性論理(即非論理)である。
 今はここで留める。







差異1*差異2*差異3・・・差異nの連結
テーマ:media point

不連続的差異論からPS理論(ガウス平面的複素数精神理論)に移行したとき、本件の多重差異の連結の様態が見落とされるような印象をもった。
 もっとも、media resonanceの概念でそれは説明できるように感じたが。
 とは言え、少し、多重差異の問題を少し考えたい。直観では、これこそ、双極子としての多重差異の問題ではないだろうか。
 cosθk+i*sinθkとcos(θ+π)k+i*sin(θ+π)kの双極子において、多重化が生じるのではないだろうか。
 すなわち、

{cosθ1+i*sinθ1, cos(θ1+π)+i*sin(θ1 +π}*{cosθ2+i*sinθ2, con(θ2+π)+i*sin(θ2+π}*
・・・・・{cosθn+i*sinθn, cos(θn+π)+i*sin(θn+π}

となるのではないだろうか。
 どうも、これが有機体や生命体を形成する要素ではないだろうか。
 今は提起だけである。 







初期PS(PPS)理論から見た人間認識図の様態
テーマ:media point

今は簡単に記すに留める。
 凸i*凹i⇒+1であるが、先に+1が光と述べたが、⇒が光であり、+1が物質かもしれない。
 そして、凸iの支配による自我方程式は凸i*凹凹⇒−1であり、−1が自我である。
 そのように見ると、第一象限が自然界であり、第二象限が自我的言語生活世界である。
 そして、第三象限が腹黒い世界、悪の世界である。そして、第四象限は、直観の世界である。




   




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カレンダ
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