INNOVATION OF PHILOSOPHY: GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience - 2012/02/19

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




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2012年02月19日(Sun)▲ページの先頭へ
プラス1とマイナス1の本性の根本問題:初期PS理論への回帰の試み
プラス1とマイナス1の本性の根本問題:初期PS理論への回帰の試み

テーマ:PS理論:プラトニック・シナジー理論

先の論考『連続性(連続的同一性)とは物質的様態ではなく、認識的同一性(言語)様態を意味する:修正版 http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11169036692.html』において次のように述べた。

「 連続性は自我化ではあっても、物質化ではない。この場合、物質化は違うレベル、端的に、身体のレベルの問題である。
 凸iの支配が、人間のメルクマールである。これは、人間以外の自然にはありえないと考えられる。サルには、自我がないのである。
 この凸iの支配が連続的同一性をもたらすのであるが、この同一性は物質の同一性とは異なる。何故なら、それは、知覚的認識的同一性であるからである。端的に、それは、言語である。
 ならば、物質的同一性は何か。それは、端的に、凸、+1である。
 つまり、凸i*凹i⇒凸(+1)において、右辺の+1は、物質だけでなく、認識的同一性、言語を意味するということである。
 ただし、気をつけるべきは、物質を帰結する自然現象の場合、左辺は差異共振を意味するが、人間の場合は連続的同一性力学、凸iに拠る凹iの同一性支配を意味するという点である。」(色文字・下線は本稿での筆者の強調)

上記のように考え直したが、そうすると、だいぶ以前にPS理論の初期にKaisetsu氏が提起したプラス1が光であり、マイナス1が闇であるという視点に回帰するのがいいように思われるのである。
 その場合、凸iは陽/原光(「アポロ」)であり、凹iは陰/原闇(「ディオニュソス」)である。原光と光、原闇と闇は異なる。
 だから、自己認識方程式凸i*凹i⇒+1において、+1は物質ではなく、光、自己である。凸i*凹凹i⇒−1における−1は、闇、あるいは、自我である。
 これは、認識上の事象である。
 人間以外の自然事象において、自己認識方程式において、+1は自然的身体を意味しよう。それは、氣を本質にもつ物質的身体である。そう、単なる物質は−1と思われる。
 仏教的に言えば、−1は無明の世界である。そして、人間認識図は、これまでのものとは左右逆転(言わば、「鏡の国」化)になるだろう。
 即ち、第一象限が道徳・倫理、法等の世界であり、第二象限が物質的言語的生活世界であり、第三象限が物質的欲望、唯物論の世界であり、第四象限が直観の世界であろう。哲学、数学、芸術は第一象限と第四象限の境界、+1の線分領域に存するのではないだろうか。また、科学であるが、近代科学は凸iに近い第一象限ではないだろうか。そして、相対性理論や量子力学は、凸i*凹iの世界、虚軸の世界に属するのではないだろうか。つまり、精神的世界と一致するのである。
 以上、PS理論読み直しの試みであるが、人間認識図の領域区分はまだ暫定的で未確定なので、当然、再考したい。

追記:以上のように考えると、e^iπ+1=0のオイラーの等式を変形させた、e^iπ=−1の−1は、超越的存在ではなく、自我を意味するだろう。
 自我は人間特有・固有の本性である。ルドルフ・シュタイナーは自我(「わたし」)ichを最重視した。
 もっとも、それを+1の自己に変容することが人間存在の基本的課題であるが。

追記2:上記の初期PS理論において、オイラーの公式に規定されたガウス平面(オイラー・ガウス平面と仮称する)の右半円が光の世界、左半円が闇の世界ということになる。あるいは、右半円が自然界であり、左半円が人間・人工界である。
 思うに、虚軸を含めて右半円は精神界とも呼べよう。だから、虚軸を含まない左半円は世俗界(娑婆)とも呼べよう。




連続性(連続的同一性)とは物質的様態ではなく、認識的同一性(言語)様態を意味する:修正版

テーマ:media point

先に、『仮説:連続性とは凸iの凹i支配のことである
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11168826166.html』において以下のように述べた。

「結局、連続性とは物質(自我)化を意味するのであり、これが、人間の自然的原理である。しかしながら、鉱物、植物、動物においては異なるだろう。
 例えば、松の木の生成に、凸iの支配が必要だったのか。そうではなく、それは、Vector Modeと考えられる。
 とまれ、ここは微妙な問題である。
 今の段階では、人間においては、凸iが支配的であり、自我的物質様態が生まれたのに対して、鉱物、植物、動物においては、差異共振のVector Modeが支配的であると考えられる。
 ならば、連続性とは人間において、生起したものである。正確に言えば、人間の精神において生起したものである。身体は差異共振的であると考えられる。」

上述の「連続性とは物質(自我)化を意味する」と「人間においては、凸iが支配的であり、自我的物質様態が生まれた」の箇所は両者ともに、不正確である。
 連続性は自我化ではあっても、物質化ではない。この場合、物質化は違うレベル、端的に、身体のレベルの問題である。
 凸iの支配が、人間のメルクマールである。これは、人間以外の自然にはありえないと考えられる。サルには、自我がないのである。
 この凸iの支配が連続的同一性をもたらすのであるが、この同一性は物質の同一性とは異なる。何故なら、それは、知覚的認識的同一性であるからである。端的に、それは、言語である。
 ならば、物質的同一性は何か。それは、端的に、凸、+1である。
 つまり、凸i*凹i⇒凸(+1)において、右辺の+1は、物質だけでなく、認識的同一性、言語を意味するということである。
 ただし、気をつけるべきは、物質を帰結する自然現象の場合、左辺は差異共振を意味するが、人間の場合は連続的同一性力学、凸iに拠る凹iの同一性支配を意味するという点である。



連続性とガウス平面複素数精神様態マップ
先の考察は、以下の生成門氏のかなり難解な、例えば、以下、赤文字と下線で強調した箇所、即ち「第1象限のG(0.7,0.7)の左側、つまり、述語優位の認識」という考え方について述べなかったので、連続性の問題の視点から、一言述べたい。
 先に、連続性とは凸iによる凹iの支配、凸i自体の同一性による凹iの支配であると述べた。(仮説:連続性とは凸iの凹i支配のことである http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11168826166.html)
 連続性力学(凸iによる凹iの支配力学)の視点から見ると、第一象限とは、基本的には連続性(連続的同一性)の領域に思える。
 ただし、a+biの複素数精神様態をどう見るのか、問題である。そう、私見では、a±biの方が実際的に思える。
そして、aがゼロのときに、±bi、即ち、凸i、凹iが生起する。つまり、不連続化が起こるような感じがする。
 では、aがゼロでないときは、どうなのだろうか。そのときは、純粋な凸iと凹iは生起していないのではないだろうか。
 そうならば、やはり、連続性のままであるように思えるのである。
 ただし、一端、不連続化が生起したとき、不連続態を保持したまま、a±biの様態はあり得ると思う。
 暫定的であるが、今の段階では、私見では、第一象限は、連続性(連続的同一性)の領域に思えるのである。だから、果たして、そこに述語優位の領域があるのか疑問である。(連続性とは先述したように、凸iに拠る凹i支配力学であり、凸iの支配とは、端的に、主語優位になると考えられる。)
 最後に第四象限について簡単に触れよう。それは、一種の連続性の領域、ないし逆連続性の領域に思える。
 強度の凸iの支配があるとき、原始差異共振性は衰滅し、反動的な凹iが生起する。それは、当然、同一性=物質と結びつき、物質欲となるのである。凹i+1の世界である。
 補足的に、原始差異共振について一言述べておこう。先に、それは、新しい差異共振によって乗り越えられると述べたが、それはそれで正しいが、内的メカニズムを捉えていないと思う。
 原始差異共振は凹i主導の差異共振であり、凸iは覚醒化していないのである。しかしながら、凸iの支配力学にあって、深層的に、原始差異共振のもつエネルギーは凹i中心に蠢いていると考えられる。
 凸i支配下にあって、原始差異共振エネルギーを不連続化すること、それが、新しい差異共振の創造を意味すると考えられるのである。
 
資料:

第4象限はウィルスが活躍するグラウンド (0)

『モナドの視点とはなんでしょうか?

「おーい」と呼ぶと「おーい」と帰ってくるのが「こだま」です。そのときどう感じますか?

大人なら知識がありますから、それは音の反射ださ!などと物知り顔で言うことになりますが、子供はそうではありません。そこには何か不思議な力が働いているように感じるでしょう。

「響く」感じです。

これがイデアなのです。イデアと言えば犬のイデアとか、リンゴのイデアということになるのが普通ですが、そういうイデアは自己同一イデアであり、自我形成の源泉です。

しかし、ここでは動詞のイデアを考えます。これを述語イデアと呼ぶことにします。子供が感じた不思議な力とは述語イデアだったのです。

これを大人は「山彦」という形に主語化したのです。「山彦」の中に、[響く]を閉じ込めたのです。「山彦」には光は見えません。[響く]には光が見えます。

「山彦」は闇であり、[響く]は光なのです。

述語と主語の認識

ここで、疑問が出てきたと思います。

第1象限は光の認識であって、山彦が闇なら、第4象限になるのではないかと言うことです。ところが、第1象限は述語優位(響く)から主語優位(山彦)に移っていきますから、第1象限に闇が入ってきてしまいます。これはおかしなことです。

そうです。これが認識の段階が螺旋的だという意味の難しいところです。

子供に大人の認識が入って来るので混同しているのです。

子供はまだ闇を知りません。ですから「響く」だけです。つまり、第1象限のG(0.7,0.7)の左側、つまり、述語優位の認識であって、そこから勝手には右にはいかないのです。

大人はG(0.7,0.7)右、つまり、主語優先の位置に行きます。それは何故でしょうか?

大人は知識を持っています。知識というのは、「帰ってきた、おーい」は「山彦である」という知識です。

しかし、知識は「物」ではありませんから目では見えません。つまり、知識は闇の認識なのです。言い換えると、闇とは他者の知識(認識)なのです。知識とは誰かの先祖とか、科学者、お婆さんの知恵なのです。それが言い伝えられてきた文化伝統の類です。

ですから、その他者の知が私という自己の中に侵入して来なければ、闇は生まれないのです。

子供がこの知識を始めて知ったとしましょう。その瞬間、子供が大人になったときであり、闇が生まれたときなのです。つまり、他者が私に中に入ってきたのです。他者とは、私の中に無断では入って来るのですから、ウィルスのようなものなのです。

このとき子供に凹i(他者)が生成され、第4象限のG(0.7,0.7)から右側の認識が生まれるのです。第4象限の凹iからG(0.7,0.7)を経由して、−1に向かうのが自分で理解したときです。

親から教えてもらうようなケースでは、途中からG(0.7,0.7)が発生するのです。

第4象限のウィルスのように侵入した他者の知による闇の認識:G(0.7,0.7)と、既に発生している第1象限のG(0.7,0.7)との間に共役が生まれます。こうして、第1象限の認識がG(0.7,0.7)から右に移動して+1に向かうのです。これはまるでウィルスによる乗っ取りです。

つまり、第4象限から第1象限へ反転するのです。しかし、ただ、同じGPを渡ることはありません。GPは螺旋的に回転しているのですから、GP1(述語優位)→GP2(主語優位)という渡りになるでしょう。

GP2(主語優位)とは二枚目のGPであり、しかもその半分が主語優位となって出てきたのですから、他者(ウィルス)によって乗っ取られたようなものです。

一枚目GPS(a,-b):a>0,7.b<0 .7→二枚面のGP(a,b):a>0.7,b<0.7

これが自我の発生という瞬間の実況中継です。

http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100108516663

シムダンス「四次元能」


   




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カレンダ
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