INNOVATION OF PHILOSOPHY: GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience - 2011/10

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




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2011年10月30日(Sun)▲ページの先頭へ
自我意識から自己認識へ:自我鏡面を打ち破り、内的他者へ:PS理論の自己認識方程式
以下、粗削りであるが、自我意識から脱却して自己認識に至る方法を説いた。PS理論のABCである。

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これを概念的というより、直観的に洞察するとき、言い換えると各人の内的経験・体験に即して感得するとき、世界が変わる。(完) @neomanichaeist PS理論はこれを自己認識方程式として定式化。i*(−i)⇒+1、又は凸i*凹i⇒凸である。正負の虚数の積が実数の+1となる。

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PS理論はこれを自己認識方程式として定式化。i*(−i)⇒+1、又は凸i*凹i⇒凸である。正負の虚数の積が実数の+1となる @neomanichaeist 自我と内的他者との陰陽的対極・両極・双極性が確認できるのである。それがプラトニック・シナジー理論(PS理論)の根本原理の一つ
11分前 お気に入りに登録 返信 削除
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PS理論ではこの不連続化が決定的ポイントである。その後、自我と内的他者との陰陽的対極・両極・双極性が確認できるのである。それがプラトニック・シナジー理論(PS理論)の根本原理の一つ。 @neomanichaeist 内的他者に到達する為には、自我と内的他者を不連続化する必要。
14分前 お気に入りに登録 返信 削除
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コギト・エルゴ・スムは典型。内的他者を否定した自我存在論理だ。内的他者に到達する為には、自我と内的他者を不連続化する必要。 @neomanichaeist 近代主義は内的他者を否定して、自我同一性の論理、又は物質の論理だけを見ているのであり、利己主義となり、万人の万人に対する戦争
17分前 お気に入りに登録 返信 削除
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近代主義は内的他者を否定して、自我同一性の論理、又は物質の論理だけを見ているのであり、利己主義となり、万人の万人に対する戦争 @neomanichaeist 内的他者は実は超越的絶対的他者である。それは自我の論理では理解されない。自我は恐怖で逃避したくなるだろうがそこに至福がある
21分前 お気に入りに登録 返信 削除
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内的他者は実は超越的絶対的他者である。それは自我の論理では理解されない。自我は恐怖で逃避したくなるだろうがそこに至福がある @neomanichaeist 内的鏡面を破壊して、その内奥にある内的他者との対話から自己認識が始まるのである。内的他者こそ、真の自己の原基であり、個である
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自己認識に達するには、この内的鏡像を突き破る必要がある。内的鏡面を破壊して、その内奥にある内的他者との対話から自己認識が始まるのである。内的他者こそ、真の自己の原基であり、個である @neomanichaeist 自我は自己自身を否定する内的鏡像をもち、それを外的他者へ投影する
27分前 お気に入りに登録 返信 削除
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自我は自己自身を否定する内的鏡像をもち、それを外的他者へ投影する。内的鏡像は自己否定像であり、その外的他者への投影が他者への攻撃性、敵対性、憎悪となる @neomanichaeist 自我同一性を内的他者に押しつけて、そこに鏡像、自我鏡像を作る。それは、否定的な自我像である
30分前 お気に入りに登録 返信 削除
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自我同一性を内的他者に押しつけて、そこに鏡像、自我鏡像を作る。それは、否定的な自我像である。その否定が外的他者へ投影されるのだ。否定性は先ず自我による自己自身の否定 @neomanichaeist 補足すると自我が自我を内的他者に押しつけて鏡像を作るのでありそれを外的他者に投影
32分前 お気に入りに登録 返信 削除
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補足すると自我が自我を内的他者に押しつけて鏡像を作るのでありそれを外的他者に投影 @neomanichaeist 日本人の自我の問題は、単純に解明できる。自我/内的他者が自己であるが、内的他者を認識することはせず、自我が内的他者に投影して、それを外的他者に映しているのである。
36分前 お気に入りに登録 返信 削除
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日本人の自我の問題は、単純に解明できる。自我/内的他者が自己であるが、内的他者を認識することはせず、自我が内的他者に投影して、それを外的他者に映しているのである。内的他者(差異)を自我化して、それを外的他者に投影して、外的他者も自我化=同一性化するのである。自我同一性反射全体主義


2011年10月27日(Thu)▲ページの先頭へ
三島由紀夫の『禁色』の表層と深層:仮相的表現と哲学的認識
「彼[檜俊輔:ひのきしゅんすけ]の作品に欠けている凡(あら)ゆる要素が日記の各頁に躍動していたが、それらをそのまま作品に移すことは、生の真実を憎む俊輔の態度に背くことであった。天稟(てんぴん)のどんな部分も、自(おのずか)ら流露する部分は贋ものだという確信を抱いていた。それにもかかわらずその作品が客観性を欠いていた原因は、彼が拠ったこのような創作態度の、頑なに失した主観的固執にあったのである。生の真実を憎むあまりに、それとあまりに対蹠(たいせき)的に照応した、いわば生身の裸体から鋳型をとられた彫像のごときものが彼の作品だった。」 

『禁色』(新潮文庫)、p. 18

 以上は、三島由紀夫の『禁色』の最初の箇所から引用したものである。これはよく知られた三島の創作方法を述べものである。これは表層である。私が述べたいのはこの作品で深層で語っているのは哲学的精神、哲学的知性であるということである。明らかに三島は近代、戦後近代の痴態を批判しているのである。この戦後近代批判を行なっているのは表面の語り手ではなく、三島の深層にある哲学的知性である。これはいわば表層では隠れているのである。表面の仮相ではなく、深層に測深しないとこの哲学的知性は認識できないと言えよう。

とまれ、今は三島が本作品で鋭敏な近代批判、近代的自我批判を行なっていること、それは彼の深層の哲学的知性に拠るということを述べるに留めたい。

また、この作品の言語表現はまた映像的であり、魂の視覚をもって外界を捉えている。そう、詩人の眼がここにはあるのである。

今、予見を言うと、三島の哲学は超越的哲学である。彼は超越的世界から語っているのである。三島文学はこの視点から解明される必要がある。単に仏教的視点からだけではない。そう、明らかにパラドクシカルな、イロニーの表現は、鋭敏な陰陽的視野から来ていると考えられる。

思うに、日本文学ないしは世界文学が貧弱になったのは、三島文学・哲学を的確に認識する文学者、作家の不在が原因である。大江健三郎は当然、理解できなかったし、村上春樹は問題外である。

そう、これまで、三島文学・哲学が理解されたことがあったのかと管見で思う。PS理論によってこそ、解明されると考えられる。


2011年10月25日(Tue)▲ページの先頭へ
氣と電磁波:即非氣(即非子)と物質:放射能と光合成細菌
テーマ:manichaeism

本問題は何度も既述したが、まだ不明な点があるので、考察を行ないたい。
 何故、不明かというと、両者は同一ではないかという視点がかなり起るからである。確かに、精神と電磁波を一致させると実に明快明晰になるのであるが、私は留保して両者を区別する路線をとっているのである。
 先にはMP1(IMP)に氣を、MP2(RMP) に電磁気を置いた。
 今思いついたのは即非子ないし即非氣である。即非子は以前使用した言葉である。しかし、今の直観イメージでは、精神(氣)と電磁気の即非体としての即非子(即非氣)である。当然ながら、精神(氣)と電磁気は不連続であるが、しかし、一である。すなわち、精神(氣)=電磁気であるが、且つ精神(氣)≠電磁気である。これは、
精神(氣)⇒電磁気とも表記できよう。
 この即非氣(即非子)の体(身体)の概念を使用すると、これまで曖昧さが明確になるだろう。
 氣を観測すると、電磁波は検出されるというのはこの図式を証明しているだろう。そして、自然、宇宙、人間はこの即非氣で構成されていると考えられる。
 では、問題はこの即非氣と物質の関係である。しかしながら、これはほとんど考える余地はない。PS理論は明快に凸(+1)として物質を規定しているからである。
 つまり、即非氣は凸i*凹i⇒であり、物質は凸(+1)である。これは実に明確明晰であり、疑問の余地はない。
 では、量子力学をどう見るべきか。
 既述したように量子力学は物質主義のフレームがまだついているのが問題点と考えられるのだ。つまり、PS理論で言えば、即非氣と物質を一体化させているのが、量子力学である。それは誤謬と言えよう。
 即非氣と物質を絶対的に分離すれば、量子力学は精神的物理学として生まれ変わるだろう。
 これでこれまでの私の論考が証明されたと言えよう。
 では、放射能問題を考えると、放射能は即非氣における電磁気極(MP2, RMP)の事象と言えよう。では、放射能は氣があるのだろうか?
 思うに、何らかの氣があるが、即非氣の電磁気極の事象の力学に集中しているのであり、即非氣全体は変化していないように思われるのである。
 そう、飯山一郎氏、他が言われるように、光合成細菌が放射性物質を消化するというが、この場合、光合成細菌は放射能と関係する即非氣をもっていると推測されるのである。
 初めに、即非氣ありきである。

参照:

『光合成細菌』で放射能浄化!
http://grnba.secret.jp/iiyama/hikari.html
飯山一郎のHP

EM技術による放射能被曝対策
http://dndi.jp/19-higa/higa_40.php
名桜大学教授
国際EM技術研究所所長
琉球大学名誉教授
比嘉照夫
(ひが てるお)


2011年10月24日(Mon)▲ページの先頭へ
「光」と「身体」
テーマ:manichaeism

D. H. ロレンスは『トマス・ハーディ研究』Study of Thomas Hardyで次のように述べている。

Since the Renaissance there has been the striving for the Light, and the escape from the Flesh, from the Body, the Object. p. 82

ロレンスの「光」は第一象限、「身体」は第三象限とすべきではないだろうか。あるいは、「光」は第二象限かもしれないが。
 とまれ、この対立は単なる知性と身体(物質)の対立と取るべきではない。何故なら、ロレンスの身体は凹(-1)に通じているからである。
 おそらく、正確に言えば、凸(+1)が凹(-1)を暗示しているのかもしれない。
 ここでは近代の「光」が「闇」を回避したことを述べていると言えるだろう。だから、凸iが凹iを回避したと言ってもいいのである。
 これは端的に、美術に現われているだろう。正に印象派において。モネ(追記:正確に言うと、モネには「闇」、「身体」が感じられる. ロレンスは「光」の美術の頂点にターナーをおいている.)。
 直観でいえば、モダン・アートは「闇」、「身体」を喪失しているのである。不思議なのは、セザンヌにはその要素がありながら、モダン・アートはそれから離れていったことである。
 「光」に囚われて、「闇」を喪失していったのである。しかしながら、無意識の内で、「闇」の追求はあった。マーク・ロスコの絵画はそのような試みであろう。また、ルネ・マグリットも「闇」を示唆していると言えよう(「光」と「闇」のコントラストの表現と言えよう)。
 シュルレアリスムは未熟なその探索であったと言えよう。彼らは結局、フロイト主義に阻害されたと言えよう。
 今日、絵画において、立体への志向が強いのは、その意味合いがあるのかもしれない。「闇」と「身体」の回復。
 そう、私が魂というものは、そのようなものだと思う。「闇」である魂、「身体」である魂。
 今はここで留める。


『闇と光の拮抗:1:ツイッターにおけるPS理論の紹介を兼ねて』
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『闇と光の拮抗:1:ツイッターにおけるPS理論の紹介を兼ねて』 amba.to/pWKkM2 『闇と光の拮抗:2:ツイッターにおけるPS理論の紹介を兼ねて』 amba.to/pUE1TY 一連の投稿を二つに分けまとめました。御高覧いただければ幸いです
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『闇と光の拮抗:2:ツイッターにおけるPS理論の紹介を兼ねて』 amba.to/pUE1TY 先の一連の投稿を二つにわけてまとめました。御高覧いただければ幸いです。
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『闇と光の拮抗:1:ツイッターにおけるPS理論の紹介を兼ねて』 amba.to/pWKkM2 先の一連の投稿を二つにわけてまとめました。御高覧いただければ幸いです。
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ガウス平面で虚軸と実軸の直交する原点がmedia pointとなる。特異点。その虚軸が霊魂であり、実軸が自我である。今は以上で留める。 @neomanichaeist PS理論では凸i*凹i⇒凸(+1)を自己認識方程式と呼ぶ。シンプルに言えば、i*(−i)⇒+1である。*は積。
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PS理論では凸i*凹i⇒凸(+1)を自己認識方程式と呼ぶ。シンプルに言えば、i*(−i)⇒+1である。*は積。 @neomanichaeist ここでこの理論(PS理論)ははっきりと超越哲学の姿をとる。そして、霊、霊魂の問題を明確にする。それはガウス平面の虚軸の原点に存する。
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ここでこの理論(PS理論)ははっきりと超越哲学の姿をとる。そして、霊、霊魂の問題を明確にする。それはガウス平面の虚軸の原点に存する。 @neomanichaeist 所謂ポスト・モダンではデリダがこの真理に一番近づいた。しかし、彼はハイデガーに影響されて、超越性を否定した。
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所謂ポスト・モダンではデリダがこの真理に一番近づいた。しかし、彼はハイデガーに影響されて、超越性を否定した。 @neomanichaeist 闇と光の拮抗動態は常時変化するので、同一性の真理がない。永遠の差異の真理しかない。近代乃至西洋の問題は揺らぎを固定化しようとしたこと
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闇と光の拮抗動態は常時変化するので、同一性の真理がない。永遠の差異の真理しかない。近代乃至西洋の問題は揺らぎを固定化しようとしたこと @neomanichaeist 結論が出たので、ユング心理学の欠点を言うと、個性化は闇と光を統一させるということが誤謬である。闇と光は拮抗する。
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結論が出たので、ユング心理学の欠点を言うと、個性化は闇と光を統一させるということが誤謬である。闇と光は拮抗する。 @neomanichaeist 闇と光の拮抗、これこそ真正な陰陽性だろう。この超越的存在の不可視エネルギーを受容した闇の個=他者と光の自我との拮抗こそ、真の内的現実
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闇と光の拮抗、これこそ真正な陰陽性だろう。この超越的存在の不可視エネルギーを受容した闇の個=他者と光の自我との拮抗こそ、真の内的現実 @neomanichaeist 本題に戻り、まとめると、不可視エネルギーは闇で受容し個=他者・絶対的他者を形成する必要がある。闇は光と拮抗する。
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本題に戻り、まとめると、不可視エネルギーは闇で受容し個=他者・絶対的他者を形成する必要がある。闇は光と拮抗する。 @neomanichaeist 個即他者・絶対的他者が新社会、新共同体の原点にならなくはならない。真正な民主主義の原点もここになくてはならない。個即他者の民主主義。
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個即他者・絶対的他者が新社会、新共同体の原点にならなくはならない。真正な民主主義の原点もここになくてはならない。個即他者の民主主義。 @neomanichaeist ここに実に不思議な事象が生起する。不可視エネルギーを受容した陰闇は個となるが、実は個は他者、絶対的他者である
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ここに実に不思議な事象が生起する。不可視エネルギーを受容した陰闇は個となるが、実は個は他者、絶対的他者である @neomanichaeist 正確に言うと、不可視エネルギーは光と闇の陰陽精神で受容すべきだろうが、基本は闇、陰(陰闇)である。陰闇で受容したとき、それは個を形成する
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正確に言うと、不可視エネルギーは光と闇の陰陽精神で受容すべきだろうが、基本は闇、陰(陰闇)である。陰闇で受容したとき、それは個を形成する。 @neomanichaeist 不可視エネルギーを闇の側面で受容することが、本来的だろう。光で受容すると自我的、権力的になる。宗教の権力化
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不可視エネルギーを闇の側面で受容することが、本来的だろう。光で受容すると自我的、権力的になる。宗教の権力化 @neomanichaeist 不可視のエネルギー(dark energy?)を光の側面で認識することは自我的であり、精神的ではない。それを闇の側面で受容することの必要
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不可視のエネルギー(dark energy?)を光の側面で認識することは自我的であり、精神的ではない。それを闇の側面で受容する @neomanichaeist 宗教の説く「光」とは超越的存在から発するエネルギーだろう。が、本来不可視では?それを闇でなく光で認識する問題がある
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宗教の説く「光」とは超越的存在から発するエネルギーだろう。が、本来不可視では?それを闇でなく光で認識する問題がある @neomanichaeist 五感を光とすると、精神・霊は闇では?光の感覚に闇の感性が浸透するので、それを直観する必要。闇の感性に霊性が存する。.光を超える闇
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五感を光とすると、精神・霊は闇では?光の感覚に闇の感性が浸透するので、それを直観する必要。闇の感性に霊性が存する。この闇から放射能汚染に対処できる。光を超える闇 @neomanichaeist 放射能汚染時代は哲学時代。但し感覚には精神、霊と通じている領域がある。芸術は本来そこ
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放射能汚染時代は哲学時代。但し感覚には精神、霊と通じている領域がある。芸術は本来そこ @kentarotakahash @thou77angis @seinaonana 五感で感じとれることの中には、放射能は存在しない。非情なロシアンルーレットは知性を働かさないと感知できない。


2011年10月12日(Wed)▲ページの先頭へ
エネルギーとは何か:気、電磁波、放射能:MP1とMP2の絶対的不連続性
(以下は10月10日に書き出したものだが、今日10月12日になって大半を書いた。)

最近は余裕がない。とまれ、一言、本件について述べておこう。
 先に凸i*凹i⇒は電磁波であり、先端が光であるようなことを述べた。
 そして、凹(-1)⇒凸i/凹iの左辺が「気」ではないかと述べた。有り体に言えば、「気」から電磁波が生まれ「た」ということである。
 D. H. ロレンスはFleshは未分化な超越・絶対的原初的身体と述べている。
 それを受けて考えると、凹(-1)は、気的身体である。それはKaisetsu氏に拠ると自己分割して、陰陽極性を発生させることになる。
 先にも述べたが、MP1(虚軸のmedia point)に第3のものがあり、それが気ではないかと述べた。
 そうすると、問題は、凹(-1)とMP1の関係である。凹(-1)を気的身体としたが、後者に気があるのであるから、両者の関係は微妙となる。
 思うに、凹(-1)を気的身体というよりは、原身体とする方が的確かもしれない。つまり、原身体凹(-1)があり、それが自己分割して、気的陰陽極性を発生させるというようになる。
 そう仮定すると、MP1に気的陰陽極性があり、それが、MP2(実軸のmedia point)に転化する。(思うに、MP1はimaginary media pointだからIMPに、MP2はreal media pointだからRMPと表記した方がいいかもしれない。以下、使用する。)
 RMPに展開したとき、気的陰陽エネルギーは光に変換するのではないだろうか。それが光子である。そして、そこから、さらに、⇒凸(+1)の物質形成へと向かう。
 私が超越光と呼ぶのは、IMPに発生するものであり、それが、RMPの光と二重化するのであるが、実は、両者は即非様態のはずである。つまり、超越光(気)であり、且つ、光(光子)であり、同時に、超越光≠光である。
 そう考えると、以前私が超越光の扱いにてこずった理由がよくわかる。
 ここで電磁波を考えると、それは、端的にRMPを起点するものと思われる。しかしながら、電磁波が必ず、IMPの要素をもっているとは言えないだろう。(それとも、そうなのだろうか。)
 問題は物質である。直観では、RMPを独立させて、電磁波を取り出して、物質を発生させることは可能である。ならば、どう説明するのか。
 思考実験すれば、RMPにおいて、陰陽が+と−、NとSとに変換されるのではないだろうか。つまり、例えば、電子の形成である。言い換えると、IMPにおいては気的陰陽エネルギーであったものが、RMPにおいては、原物質的変換が起こり、電磁気が形成されるのではないだろうか。それは、IMPのエネルギーとは異質なものであり、区別されるのではないだろうか。
 即ち、IMP⇒RMPという変換は不連続な変換、絶対的に不連続な変換ではないだろうか。あえて言えば、精神⇒物質の変換である。
 そう、精神から物質へは転換できるが、物質から精神へは転換できないということである。一方通行である。
 この点から放射能を考えるとその生命体への問題がよくわかるだろう。自然の放射能は気から生まれたように思えるが、人工の放射能はRMPから生まれたものであり、生命体とMedia Resonance(共振)しないのである。それは、逆に、生命差異共振を破壊すると言えるのである。
 今はここで留める。
 

参考:
伊勢ー白山 道

変わり始める時節の到来

私が感じますには、高度な顕微鏡で見える2本の遺伝子とは別に、肉体と霊体を繋ぐ3本目の「見えない遺伝子」が存在するのです。
この3本目の遺伝子の指示を受けて、見える2本の遺伝子が日々変更されています。
この3本目の遺伝子に影響を与えているのが、普段の私たちの心(内在神)なのです。

http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/042e79a3580f4e3126bcb26ac5812661


2011年10月04日(Tue)▲ページの先頭へ
気と電磁波:ニュートリノと光:差異共振を包摂する即非気的根源身体?
余裕がないのでざっと書く。先にも述べたが、D.H.ロレンスのFleshの概念をどう考えるかである。私は凹(-1)に関わっていると推測した。(今、ふと閃いたが、ニュートリノは凹(-1)と関係しているのではないだろうか。)

思うに、ひょっとして、「気」は凹(-1)が根源ではないだろうか。これは、私は凸i*凹iを電磁波ではなく、超電磁波のように考えてきた。つまり、気として考えた。

今の直観では、凹(-1)は凸i*凹iを包摂しているということである。後者は即非的であるが、即非的様態と凹(-1)が一如ではないだろうか。言い換えると、凹(-1)は虚軸に顕現していて、それが、凸i*凹iを包摂しているのではないだろうか。凸i*凹iの即非はほぼそれと一致するのではないだろうか。

もしそうならば、即非様態、ないし凹様態が「気」である。これは、根源様態であり、電磁波を包むものであり、電磁波の視点、物質科学の視点からは認識できないものである。

思うに、光を凸i*凹⇒とするならば、ニュートリノは凹(+1)⇒凸i*凹iではないだろうか。つまり、凸i*凹iを包摂した「気」の粒子ということではないだろうか。

今はここで留める。ロレンスのFleshについては後で検討したいが、やはり、「気」やニュートリノと関係しているのかもしれない。


   




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