INNOVATION OF PHILOSOPHY: GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience - 2011/08

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




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2011年08月30日(Tue)▲ページの先頭へ
検討問題:光自己認識方程式と闇自己認識方程式
検討問題:光自己認識方程式と闇自己認識方程式

1)materialityとphysicalityは同じものか:直観では異なる。前者は同一性としての体bodyであり、後者は差異としての体bodyである。

2)光的自己認識方程式は絵画だけではなく、音楽にも、とりわけ、バッハのフーガに適用できるだろう。一般には、ポリフォニーの解明がそれでできるだろう。【予備考察:(1/i)*(i/1)は例えば、主旋律をiとすれば、副旋律が1となるだろう。しかし、副旋律1は逆に主となり、主旋律iを指し示すのである。バッハのフーガは正に、ルネ・マグリットのような陰陽的絵画に似ていると考えられる。】

3)i/iとは思うに、media pointの差異共振様態を示しているのではないのか。私はi/-i⇒−1になることに注意した。これをKaisetsu氏の新しい分数理論(哲学)に拠って考えれば、-iが分母でiが分子だから、ベクトルの根元が-iで先端がiである。これは、陰から陽へと向かうことで、即非差異共振様態をもたらすのである。それは、-i/iとは正反対である。それは、父権的ないし近代的連続的自己様態をもたらすのである。しかし、それも⇒−1になる。しかしながら、それは、第二象限的−1であろう。それに対して、i/-iの場合は、第三象限的−1を意味しよう。
 ここで変形して考えてみよう。

(-i/i)*(i/-i)⇒+1

言い換えると、

(陽⇒陰)*(陰⇒陽)⇒+1(物質現象、自我現象)

あるいは、

第二象限*第三象限⇒第一象限(*第四象限?)

である。
 これは人類の精神の脱物質化ないし脱自我化への至難の業を提示しているのではないだろうか。なぜなら、超越性(−1)への志向性が存しても、陰陽力学によって、+1(物質、自我)へと絡めとられてしまうことを意味すると考えられるからである。
 問題は積ないし精神的フィルターの作用である連続的同一性に拠ると言えよう。思うに、宗教が権威化、権力化するのは、ここの起因があるのではないだろうか。超越性凹(−1)は直観しているのに、現象化して、物質化、自我かしてしまうからである。
 不連続化とは、-i/iの作用を停止、静止させることではないだろうか。そうすると、

(-i/i)*(i/-i)⇒i*(i/-i)⇒-i

となるだろう。つまり、これが瞑想の作用ではないだろうか。精神は-iになるのである。そして、i/-i⇒−1を付加すると、−1-iである。これは正に第三象限である。
 ここで付加(加算)とは何かを考えるべきである。それは、

複素数様態=実数様態(存在様態)+虚数様態(精神様態)

ということではないだろうか。瞑想ないし空様態とは、精神を負の虚数精神様態+負の実数存在様態になるということではないだろうか。
 今はここで留める。

追記:闇または陰陽自己認識方程式?

凹(−1)⇒i/(-i)⇒(i/1)*(1/-i)⇒−〔(-i/1)*(1/i)〕⇒−凸(+1)

i/1は1⇒iだから、物質から陽への志向、1/-iは陰から物質への志向性。前者はわかりやすいが、後者が何を意味するのか難しい。今、当てずっぽうで言えば、前者は頭脳であり、後者は肚ではないのか。言い換えると、上丹田と下丹田である。つまり、差異即非共振のmedia pointではないのか。中丹田の均衡調和である。
 しかし、興味深いのは光と闇は符号が違うだけで形式は同じであることである。ここで、ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』を想起する。
 ところで、上下反転と左右反転は意味合いが違うのではないだろうか。上下反転はやはり、上に優位性があり、下が劣位ではないだろうか。それに対して、左右反転の場合はどうだろうか。優劣があったとしても、上下反転ほどではないだろう。果たして、左右は優劣があるのか。西洋では、右が優位であり、左が劣位である。rightは正義であり、左はsinistraからわかるように悪である。
 普通、鏡で見てもそれほど違和感はないが、上下反転は違和感がある。明らかにヒエラルキーがあるのであるし、上意下達である。
 とまれ、上(天)は、⇒ではないだろうか。下(地)は←ではないだろうか。180度回転、i^2回転である。そう、思うに、『不思議の国のアリス』のオリジナルは『地下の国のアリス』であった。地下への落下を意味する。それは、−1の世界への降下では。
 PS理論ガウス平面では、上下が実軸になるのか。それとも、虚軸なのか。
 いろいろ検討したいことはあるが、今はここで留める。

 
参考:

『指し示し分割と「指し示し分数」概念の提示』

通常、分数は、スカラー量として把握されるが、

海舌(明日野)は、分数に、方向性、矢印を持ち込む。

 つまり、

分数表記に、「分子が矢印の先で分母が矢印の根元、というような関係」を持ち込むのである。

量としての、分数の機能も保持する。
http://blog.kaisetsu.org/?eid=813125


『【凸光の一般自己認識方程式】 認識対象の回転と凸光自己認識の差異認識』


凸光の自己認識方程式
凸(+1)⇒i/i⇒(i/1)*(1/i)⇒凸(+1)

を、より、一般化する必要がある。

i=e^i(1/2π)

であり、iとなるのは、θがπ/2などの特別な数値の場合のみであるから、

一般化すると、

Q(θ) = q = e^iθ

である。ここで、Q(θ) = q はθの関数である。

一般化しても、凸光の自己認識方程式
凸(+1)⇒i/i⇒(i/1)*(1/i)⇒凸(+1)

は成立する。
http://blog.kaisetsu.org/?eid=813123

『海舌』 the Sea Tongue @ Kaisetsu with Archaic smile



参聴:
Bach - The Art of Fugue, BWV 1080 [complete on Organ]
Herbert Tachezi, organ


2011年08月27日(Sat)▲ページの先頭へ
光が自己を認識する過程を多角的に捉えることが可能になるということらしい
光が自己を認識する過程を多角的に捉えることが可能になるということらしい
テーマ:自己認識方程式:凸i*凹i⇒凸(+1)
以下、生成門氏によるKaisetsu氏の「光の自己認識方程式」の解明をざっと読んだが、たいへん意味深長で、刺激的である。精読して、後でコメントしたい。

光による自己認識方程式 (0)

光による自己認識方程式
<PS理論の深化>

海舌氏がまたPS理論を発展させてくれました。応用を目論む四次元能としては嬉しい限りです。早速、その内容の理解に取り組みましょう。

詳しくは「光の思考類推:自己認識方程式の若干の変形」
http://blog.kaisetsu.org/?eid=813113
を参照してください。

以下は、その内容を元にして私が解釈したことです。

自己認識方程式:(i)*(-i)⇒+1
これは凸i*凹-i⇒+1とも表現します。

これを、海舌氏は次のように変形しています。
i/i⇒(i/1)*(1/i)⇒+1⇒i/i

このように変形する理由は何でしょうか。また、どのような御利益があるのでしょうか。

それは、光が自己を認識する過程を多角的に捉えることが可能になるということらしいのです。

どうしてそのようなことが言えるのでしょうか。

先ず、式は分数で表現されています。一体、認識という過程に分数という数学的表現がどうして出てくるのでしょうか。

分数の意味を考えて見ましょう。

分数とは、文字通り分けたれた数であり、一般的にはa/bと表現します。パンを半分に分けて食べようなどと言いますが、そのときは、一つを半分にするのですから、1=1/2+1/2と表現できるでしょう。

私とあなたが半分づつ(1/2)手にしているのですが、私とあなたでは1です。

分母の2の意味は、私とあなたの2であり、分子の1は、互いに手にした持分です。元の1は私とあなたに分離する前の1です。同じ1でも私の1、あなたの1と、私とあなたの1があります。

これだけ見ても分数というのは奥が深いですね。これ以上の学的な解釈は私には出来ませんので、海舌氏の説明を要約します。

分数とは、
1. 分子を分母が包む
2. 分母の上に分子が置かれる
3. 分子が分母に支配される
4. 分母の背景に分子が存在する
5. 分子が矢印の先で分母が矢印の根元

というような関係であると言っています。
http://www.c-player.com/ad00178?rf=notice&pf=pc
シムダンス「四次元能」

追記:以下、生成門氏の考察に対するRenshiのコメントである。



[708] Re:光による自己認識方程式
>> 返信元メッセージを表示
From: Renshi

生成門さん

ご無沙汰しています。

さて、本稿の解説は実に洞察に満ちていると思います。私はKaisetsu氏の光自己認識方程式の意味がすぐにわからなかったですが、生成門氏の分数等の説明が明快です。
 この新しい自己認識方程式の驚異的な点は、
i*(-i)⇒+1⇒i/i⇒i*1/i⇒(i/1)*(1/i)
となることです。
 +1は連続的同一性(物質ないし自我)ですが、それが、虚数的に即非共振様態に変換していることです。正に、正確な自己認識です。
 色々言いたいことがありますが、紙幅の都合、一点言いますと、母⇒子と子⇒母ですが、
後者は「先祖返り」です。始原への回帰です。それは、media pointへの回帰だと思います。そして、それは、実は−1に通じていると思います。光と闇が一致します。

http://www.c-player.com/ad00178/message


2011年08月26日(Fri)▲ページの先頭へ
spirit of place地霊:communion with watery ambience
spirit of place地霊:communion with watery ambience

帰省先、夕食後、数時間寝たが、これまでとは異なり、気分、体調が安らかになった。思うに、この地の大気や環境が作用して、調子がよくなったように思える。
通常居住しているところは、国道があり、車の通りが多い。しかし、近くには大きな森があり、一見軽井沢風であり、緑陰の道をサイクリングするのは気持ちがいい。しかしながら、やや高台のためか、空気が乾燥する嫌いがある。
それに対して、ここ農村地帯は今、稲刈りが近い、黄緑の葉と黄色の穂の稲田が広がり、湿潤な地と言えよう。どうも、湿潤さの気が私の身心に必要なようだ。
都市は乾く。そして、それがストレスをもたらすようだ。また、現代人のドライな、空威張りの精神のプレッシャーもストレスの一部であろう。
とまれ、久しぶりに、ゆったりとした心持ちがあり、落ち着いた、安らかな気分である。そう、気的環境(「気境」)と身心が結びついていると直感する。気的有機的環境である。PS理論では、media pointの多元的共振である。内的且つ外的共振である。そして、私の場合、湿潤な外的気的環境と親和すると言えよう。
思うに、私にとって、大地が潤っている必要があるようだ。湿潤な地霊wet spirit of placeが必要なようだ。凸i、+iはエレメント的には「風」か「火」であろう。そして、凹i、−iは「水」か「地」であろう。dry and wet. fire and water.

Today people have lost the soul of water (the water soul). Water, water, water.
My soul feels communion with the watery earth, the watery air and the watery light.
I remember having a peaceful feeling at a certain village in Deep Nara.



思考実験:media circle planeとガウス平面に直交するエネルギー軸

T:
まったくの想像であるが、ガウス平面の単位円平面をメディア平面とし、そこに原像が発現すると想定する。エイドスである。あるいは、フラクタルである。それが、media pointを直交する垂直軸の方向に展開するとする。三次元空間が生起する。

U:
重力の問題:朝顔は「天」に向かう。根は「地」へ向かう。ツルは重力とは反対方向に向かう。これは、⇒の方向ではないのか。そして、←が重力の方向ではないのか。自己認識方程式:凸i*凹i⇒凸:(+i)*(-i)⇒+1は光の方向を提示しているのではないのか。光と反対の方向が重力ではないのか。
また、思うに、ブラックホールとは、⇒+1への転換以前のmedia pointの一種の均衡状態ではないのか。光を発出しない状態。

V:
Uの視点からは、第一象限、第四象限の半円(半月)は現象界である。光の世界、可視の世界である。そして、第二象限、第三象限の半円(半月)は、闇の世界、不可視の世界である。いわば、太陽と月の世界である。
しかし、「天」が+1、「地」がMedia Pointの方向ならば、実に、超越界は後者にあることになる。いわば、地下の方向に超越界があることになる。D. H. ロレンスは東洋的に、大地の内部に大蛇が住んでいると述べているが、それが、dark sunでもある。
ひょっとして、それは、Media Pointのことではないのか。では、凹、−1は何か。dark sunは第三象限という風にも考えられるが。あるいは、左半円がdark sunなのか。
今は発想だけである。後で精緻に考察しよう。


2011年08月24日(Wed)▲ページの先頭へ
「わたし」とは自我なのか自己なのか:個と自我と自己
(人間認識図は以下を見られたい。)
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-10996218453.html

「わたし」とは自我なのか自己なのか:個と自我と自己

私はシュタイナーの本の翻訳者がichを自我と訳しているのは大誤訳であり、自己とすべきであると何度も唱えている。これは、デカルトに始まる近代哲学の大問題であるから、ここで、繰り返しになるのが、論述したい。
父権的民族は凸i、iが優位であり、母権的民族は凹i、−iが優位であると考えられる。
そして、近代になって凸i、iが極端化して、凹i、−iを否定するようになったと考えられる。それが、コギト・エルゴ・スムの意味するものと考えられる。
そのときの「わたし」は確かに、自我と訳していいものである。その意味ならば、シュタイナーのichを自我と訳すことは正しいことになる。
では何故、私は自己という訳語にこだわるのだろうか。それは、PS理論の陰陽性からの要請からである。即ち、自己は陰陽的存在であり、単に自我的存在だけではないからである。言い換えると、「わたし」は自我と他者の極性から成り立つのであり、自我だけを切り離すのは間違いと考えられるからである。
とまれ、近代哲学において凸i、iの優位は決定的であり、そのために、他者凹i、−iは劣位なのである。この場合、不連続的差異論で述べたように、連続的同一性が中心化するのである。そう、連続性の支配があるのである。
しかるに、凸i、iの優位性から凹i、−iを不連続化したとき、自己において、質的転換(変容)が生起するのである。思うに、それを自己のmedia point化を呼べるだろう。
media point Iの生起である。そのとき、自己は極性的自己(個)となっている。他者を考慮した凸i、iにもなるし、凸i、iを制御した凹i、−iに転ずることもできる。
先に、個=アートマンや「空」=media pointを述べたが、今や正確に事態を認識することができる。media point I(略して、mpI、又はmepoI)こそが、個=アートマンであり、その様態が「空」であるということである。すなわち、

media point I=陰陽(極性)的自己=個=アートマン(=ブラフマン)=「空」

である。
そして、瞑想等を介して、凹i、−iを主導化して、人間認識図の第三象限へと参入するのである。それを神界(神海)、霊界(霊海)、コスモス界(コスモス海)と呼ぶことができよう。そう、冥界(冥海)である。
最後に、シュタイナーの自己論に関して付加すると、既述したが、自我とアストラル体は極性化して考えるべきということである。つまり、それぞれ、凸i、iと凹i、−iと見るべきであるということである。

参考:自己認識方程式と人間認識図

自己認識方程式

i*(−i)⇒+1

or

凸i*凹i⇒凸

ただし、*は実軸的には積を意味する。

人間認識図



2011年08月22日(Mon)▲ページの先頭へ
思考実験としての再考:粒子と反粒子の生成力学に関して:粒子/反粒子は物質的対であり、反粒子/反物質は超越的存在、霊的存在ではない
思考実験としての再考:粒子と反粒子の生成力学に関して:粒子/反粒子は物質的対であり、反粒子/反物質は超越的存在、霊的存在ではない

先に、+1を粒子、−1を反粒子(反物質)としたが、それは、勘違いであり、訂正したい。⇒+1において、粒子/反粒子の対生成があると考えられる。それを作業仮説的に共役複素数とする。とまれ、粒子/反粒子の対を電子と陽電子とすると、原子核とはMedia Pointではないだろうか。思うに、原子核のMedia Pointを中心として、電子と陽電子が回転するのである。それが、物質の原像ではないだろうか。
ここで、「空」について触れると、それは、やはり、Media Pointと考えられる。有と無を生み出すものである。(思うに、ハイデガーの存在論はこの点でまったく一面的ではないだろうか。存在ではなく、「空」である。もっとも、「空」が「在る」ということになるが。しかしながら、「空」=Media Pointは、「在る」を超えている。)
さらに、それは、−1に通じる。しかし、正確には、第三象限である。なぜなら、「空」=Media Pointは陽である凸i、+1を滅却して、到達できるからである。つまり、凹i、−iの根源的優位性があると考えられるからである。前者を個我とすれば、後者は非個我である。しかしながら、個我を経過して、非個我には達するべきである。そうでないと、全体性ないし集合性に飲み込まれるからである。
ここで個やアートマンについて考えると、それは、陰陽ないし霊魂と考えられる。それをブラフマンと考えること、即ち、梵我一如と、「空」=Media Pointとは異なるだろう。
後者は前者を包摂していると考えられる。なぜなら、空即是色、色即是空であるからである。言い換えると、個/アートマンとは、「空」=Media Pointの「存在」あるいは陽=凸i=+1の傾斜と考えられるからである。後者から前者が生成するのである。
ここでジェンダー論的に説くと、前者が父権であり、後者が母権である。母権から父権が生まれ、今や新たに母権に回帰しつつあるのである。



龍樹(ナーガールージュナ)をちらと見たが、PS理論に通じると直観される

テーマ:Buddhism

「空」とは端的に、PS理論のmedia pointのことであると言えよう。それは、在ると同時に、無いのであるから。問題はウパニシャッド哲学のアートマンの問題である(梵我一如)。
 私は個は他者であると言った。つまり、アートマンは他者(ブラフマン)になるのである。
 ならば、ウパニシャッド哲学と仏教哲学はPS理論において統一されると言えよう。
 D. H. ロレンスの唱えるコスモスも個=他者=「神」と同じことである。個でありつつ、他者なのである。「個」即非「他者」である。
空 (仏教) - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/空_(仏教) - キャッシュ
龍樹の空観 に移動‎: この空の理論の大成は、龍樹の『中論』などの著作によって果たされた。 龍樹は、存在という ...
インドでの基本概念 - 仏典の用例 - 空とは何か - 類似の発想の西洋での芽生え



『平家物語』と『源氏物語』:民衆的文学と貴族的文学:どちらが日本を代表する文学か

テーマ:二つの日本:父権的日本と母権的日本

以下、kaisetsu氏の日本文化に関するコメントは徹底している。想起するのは、以前、私が日本文学を代表するのは『源氏物語』ではなく、あえて『平 家物語』であると述べたことである。前者の権威が強いために、断言するのは勇気がいるのであるが、面白さから言えば、端的に、後者の方が面白いのである。 日本語の簡潔で力強い口語体がすばらしいし、私はトルストイの叙事的文学の文体を想起したものである。そう、私が日本で一番好きな人物は木曽義仲である。 個に徹した人物、日本では稀有である。坂本龍馬に通じる人物だと思う。
 思うに、『源氏物語』の美学は当然に貴族趣味的であり、なにか生活感情から言うと、繊細すぎて、ぴんとこない点が強いのではないだろうか。閑人の感情と言おうか。
 それに対して、『平家物語』は野太い声が聞こえるが、清冽な感情が漲っていると思う。あえて言えば、ホメロスの叙事詩に匹敵するのではないだろうか。それにしても、端正な生活的な言語である。
 思うに、kaisetsu氏の日本美学大転換は大きな意味があるだろう。舶来趣味にかぶれた日本知識人や愚民への大痛打である。

倭国と日本国は異なる。よって、他国が倭(ウェイ)と揶揄しても日本人は「平気」だ。

注:基本的に、鎌倉以降の日本人的精神は、貴族趣味を嫌い、土着的で泥臭い文化を愛しているのである。

 倭国が百済や新羅的な貴族趣味的な傾向を持つのに対して、天武朝は地方豪族と半農半武、半漁半武の土着的で泥臭い気風と皇族との結託によって、中央勢力である倭国が打倒され、日本国が形成されたのである。

 平安期になると、また、百済的、新羅的な貴族趣味が蔓延するが、やはり、鎌倉期に、地方の武士階級と浄土宗などの泥臭い庶民階級によって、日本的精神の覚醒が起こるのである。

 日本人は、泥鰌掬いの踊りを、誇りを持って、眺めるのである。「カッコイイ」と感じるのである。

海舌
『海舌』 the Sea Tongue @ Kaisetsu with Archaic smile





2011年08月19日(Fri)▲ページの先頭へ
media pointの「振動」の即非様態について:積と商:粒子志向性と反粒子志向性
(画像つきは以下を見られたい。)
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-10990710922.html

これは思いつきであり、実質上検討問題に属するが、そのイメージを表記してみよう。
 media pointは凸i*凹iないしi*(-i)の「振動」様態にある。そして、精神的フィルターを介して、現象としての物質化する。それが、⇒+1の意味であり、+1が物質である。
 以前提起したことだが、media pointの「振動」において、積(結果は+1)が物質化(粒子化)を意味し、商(結果は-1)は超越的存在を意味するのでは述べたことがある。
 今の直観では、積はそのまま物質化(粒子化)でいいが、商は反物質化(反粒子化)ではないかということである。また、積(引力)と商(斥力)は「振動」を構成している要素である。
 これは、当然、以前の視点と一致する。即ち、商の反物質化(反粒子化)は超越的存在へと通じていることになる。
 media pointの「振動」様態であるが、それは、「波」、「波動」と一般には見られるかもしれないが、微妙である。
 また、商の様態の問題もある。積の場合、ベクトル・モードを造形したが、商の場合はどうなのか。これは検討課題としてひとまずおいておく。
 さて、media pointの「振動」様態は何か。それは、粒子志向性と反粒子志向性との即非的様態ではないのか。それが、「波」、「波動」として、現象化するのではないのか。
 そうならば、商における様態はどうなのだろうか。斥力であるから、拡散のイメージがある。ベクトル・モードのように回転や螺旋を描くのだろうか。
 イメージできるのは、絶対的空(くう)である。斥力としての商において、media pointは絶対的空、絶対的な空虚になるのではないだろうか。
 そうならば、反粒子(反物質)は絶対的空なのだろうか。それとも、絶対的空を包含する存在なのだろうか。
 どうも、後者のような気がする。絶対的空をもつ反粒子(反物質)の志向性がそこにあるように思える。
 そして、絶対的空をもつ反粒子とは、斥力なので、二重性を強くもっているだろう。+iと-iが並立している様態である。そう、反立という用語が使えよう。
 思うに、端的に言って、斥力で生まれる絶対的空をもつ並立且つ反立する二重性をもつ反粒子とはいったい何か。果たして、「粒子」なのか。
 思うに、脱「粒子」ではないのか。さりとて、「波」でもない。仮定として、それはspiritと言えるだろう。
 もしそうならば、media pointにおいて、物質化の方向、現象化の方向では粒子が出現するが、「反粒子」の方向ではspiritが出現しているということになる。
 そうすると、超越的存在(-1)は、spiritual beingということになるだろう。
 今はひとまず、ここで留めておく。


参考:

反粒子とは?
今世紀の初頭、原子・分子の世界を支配する基本法則として量子力学が確立されるやいなや、イギリスの天才物理学者ディラックは、これを自然をつかさどるもう一つの基本法則であるアインシュタインの相対性理論と合体させる作業にとりかかりました。非相対論的なニュートン力学が、光の速さに近いスピードで運動する物体に適用できないように、量子力学も、相対性理論との合体なくして、高速で運動する電子を正しく扱うことができないことは明らかだったからです。

こうしてできあがったのが、電子の相対論的運動方程式であるディラック方程式です。この方程式を解いてみると、-eの負の電荷を持つ電子を表す解だけでなく、電子と同じスピンや質量を持ちながら、+eの正の電荷を持つ粒子と解釈できるもう1つの解が出てきたのです。これは予想外のことでしたが、今にして思えば、電子の反粒子である陽電子に対応する解に他なりませんでした。ほどなく、こうして予言された陽電子が実験で見つかりました。これは、相対論的量子力学の輝かしい勝利でした。

今では、素粒子を記述する相対論的量子場理論の必然的な帰結として、 全ての素粒子が、それと同じ質量を持ち、電荷のような符号を持つ(加算的)量子数が正負反対であるような反粒子の相棒を持つことが分かっています(符号を持つ量子数を持たない粒子の場合は、自分自身が自分自身の反粒子だとみなせます)。相対論的量子場理論が描く素粒子の世界は、以下に説明するように、粒子と反粒子が次々と生まれたり消えたりしながら移り変わっていくとてもダイナミックな世界です。

対消滅と対生成
粒子と、反粒子が出会うと、量子数が正と負で打ち消しあってゼロになり、真空と同じ状態になります。そしてそこには、もともと粒子と反粒子が持っていたエネルギーが残ります。これを対消滅といいます。静止した粒子と反粒子が対消滅した場合には、アインシュタインの関係式

E = mc2

によってエネルギーと質量が等価であることが分かっていますから、粒子と反粒子が同じ質量を持つことを考え合わせると、そこには2mc2 のエネルギーが残されることになります。高いエネルギーに加速された粒子と反粒子が正面衝突して対消滅した場合には、消滅した点にはさらに高いエネルギーが集中して残されます。

対消滅とは反対に、真空の1点に 2mc2 以上のエネルギーを集中させれば、そこから粒子と反粒子の対を取り出すことができます。これを対生成と呼んでいます(ここまであいまいにエネルギーの集中と呼んできたものは、実は粒子と反粒子を対にして生み出す力を秘めた、光子や、Z粒子、グルーオンなどの力の粒子の特殊な状態だと考えられます)。十分なエネルギーを注入できれば、宇宙創成直後の超高エネルギーの世界にしか存在しなかったような、重い粒子を作り出すこともできるのです。高エネルギー衝突型加速器は、まさにこの方法を使って、今まで人類が知らなかった新粒子を見つけたり、また、それらの粒子の間に働く力を調べるための装置なのです。
http://www.kek.jp/kids/class/particle/class01-05.html

粒子反粒子振動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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この記事の正確さ については疑問が提出されているか、あるいは議論中です。
議論はノート を参照してください。このタグは2009年2月に貼り付けられました。

粒子・反粒子振動(りゅうしはんりゅうししんどう、particle-antiparticle oscillation)または中性粒子振動(ちゅうせいりゅうししんどう、Neutral particle oscillation)とは素粒子物理学 において、非ゼロの内部量子数 をもつ中性粒子がその反粒子 へと交互に変換すること。振動数は毎秒 数兆回程度。これらの振動と関連する粒子混合を通じ、ポアンカレ群 (即ちP対称性 (P)、C対称性 (C)、T対称性 (T))の個々の部分を理解することができる。
現象 [編集 ]

K中間子 、中性子 、ボトムクォーク を含む中間子、ニュートリノ はフレーバー とよばれる内部量子数をもっている。これは粒子とその反粒子は異なるということを意味している。粒子とその反粒子が同じ最終状態へと崩壊する場合には、崩壊には振動に寄与する時間反転した過程がありえる。

A → (F) → B → (F) → A → ...

中性K中間子の振動。中間状態のππには粒子とその反粒子 の双方が崩壊しえる。

ここでA は粒子、Bは反粒子、Fは粒子・反粒子の双方が崩壊しえる粒子の一式である。Fは崩壊しえるものではあるが、実際に崩壊するとは限らないので、カッコ内に記しておいた。

例として、中性K中間子 の図を右に示した。

このような過程は実際には量子場理論 におけるAとBの状態の質量繰り込み と関連している。しかし、特定の状況下においてはより単純な量子力学 模型により取り扱うことができる。即ち、中間の多粒子量子状態 を無視して、AとBだけの状態として取り扱うことができる。
歴史 [編集 ]

粒子反粒子振動が観測された中間子 は、これまでK中間子とB中間子がある。

Bs中間子の振動は、小林誠 、益川敏英 両博士が1973年に発表した「小林・益川理論」で予想されていた。その後、米国立フェルミ加速器研究所の巨大加速器「テバトロン」を使う国際グループ実験がなされた。2006年4月12日には、同グループの日本側代表が実験で観測したことを発表した。それによると、Bs中間子の粒子反粒子振動の振動数は1秒間に約2兆8000億回である。
関連項目 [編集 ]

* K中間子 、en:B-Bbar oscillations 、ニュートリノ振動 (en )
* CP対称性の破れ 、CPT対称性

執筆の途中です この項目「粒子反粒子振動」は、物理学 に関連した書きかけの項目 です。加筆・訂正 などをして下さる協力者を求めています 。(ポータル 物理学 /ウィキプロジェクト 物理学 )
「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%92%E5%AD%90%E5%8F%8D%E7%B2%92%E5%AD%90%E6%8C%AF%E5%8B%95 」より作成
カテゴリ : 素粒子物理学 | 標準模型 | 量子力学


反粒子

空孔理論
 原子構造の解明や中性子の発見の歴史の流れに従って話しているうちに、 1950 年代くらいの内容まで入ってきてしまった。 しかし少し時代を遡って別の流れについても話しておかないといけない。

 1928 年、ディラックが相対論的な量子力学を考え、「反粒子」なるものが存在するだろうと予言した。 彼は、何もないように見える真空にも実は無数の電子が詰まっていて、そこから飛び出した電子が通常の粒子として観測され、それが抜けた穴が反粒子として観測されるのだというイメージの理論を発表したのである。

 この理論は後には場の量子論によって再解釈されることになるのだが、今回の話ではまだそこまで踏み込む必要もないので、この古いイメージのままで説明しよう。

 この理論によると、真空に対してある程度のエネルギーを与えれば、電子とその反粒子が対になって飛び出してくるだろうということになる。 これが「対生成」である。 そして粒子と反粒子が再び出会えば、その両方の質量分のエネルギーを放り出して消滅し、もとの真空に戻る。 これが「対消滅」である。

 反粒子というのは存在の欠けた穴なのだから、電場を掛ければ電子とは逆の方向に動く。 まるでプラスの電荷を持っているかのように振舞うだろうというわけだ。 詳しくは量子力学のページの「ディラックの海」という記事でも説明しているので参考にしてほしい。


http://homepage2.nifty.com/eman/elementary/antiparticle.html

EMANの物理学



2011年08月12日(Fri)▲ページの先頭へ
私達が良く見ている球の形をした物は、全てではないとしても、多くが四次元球なのです。
テーマ:manichaeism

生成門氏の同心球対はきわめて興味深い考え方である。
 私は先に、メディア平面の時間的発動(発現)が三次元空間であると述べた。それを使えば、同心球対はmedia pointの両面である。つまり、中心と外面である。あるいは、ベクトル・モードのもつ内面と外面ではないだろうか。
 とまれ、そうならば、基本単位は点でいいのである。
 又、四次元時空間であるが、それは三次元時空間で済むのではないだろうか。

脳は同心球面対か? (0)

一部転載:

deepmodel

・・・

球という形状は最も対称性が高く、自然界で基本となる形状です。私達が良く見ている球の形をした物は、全てではないとしても、多くが四次元球なのです。

例えば、自然界では、地球の地殻と地核、果物の表皮と核、細胞膜と核などのように外周面と中心核を持つ構造が見られます。

物質の基本である原子においても、上で述べたように中心に核をもっていますし、地球ガイアは、地球という表面と大気圏という球面があって、二つの同心球対の構造になっているのです。

同心球対の最大の特徴は、二つの球の間には見えないエネルギー共振回路があるということです。

http://www.c-player.com/ad00178?rf=notice&pf=pc

シムダンス「四次元能」


2011年08月06日(Sat)▲ページの先頭へ
PS理論的ガウス平面から三次元空間、立体空間を考える
PS理論的ガウス平面から三次元空間、立体空間を考える

テーマ:検討問題

先に、「ガウス立体」を考えられないかと問題提起したが、ガウス平面から立体構築を考えることはできると直観される。
 つまり、凸i*凹i⇒凸(+1)において、⇒はベクトル・モードである。それは、わかりやすく言えば、螺旋モードであり、ツルマキ植物を想起すればいい。つまり、実軸を中心とした、螺旋立体空間ができるとすればいいのである。
 思うに、メディア平面media planeがmedia pointを中心にして、形成されるのではないだろうか。それは、ガウス平面と直交しているのである。メディア平面の時間的移動が三次元空間と考えてもいいだろう。
 ⇒は時間でもあり、三次元でもあるのではないだろうか。
 今はここで留める。
 


media pointと陰陽

テーマ:検討問題

陰陽のお馴染みの図では、陽の中に陰の「点」が、陰の中に陽の「点」がある。これまで、それがmedia pointに当たる考えてきたが、それらの二つの「点」とmedia pointは果たして一致するのか。つまり、前者を一つと見ていいのか。それとも、別個のものなのか。もしそうならば、それらとmedia pointはどう関係するのか。
 後で検討したい。

追記:凸i*凹i⇒凸(+1)において、凸iと*の間が陽の中の陰(陽中陰)、*と凹iの間が陰の中の陽(陰中陽)ではないのか。そうすると、media pointは虚軸と実軸の二重性だけでなく、陰と陽における二重性があるのではないだろうか。後で検討したい。



陰陽五行説
www.geocities.jp/mishimagoyomi/inyo5gyo/inyo5gyo.htm - キャッシュ 類似ページ
公開でこれに +1 を付けました 取り消す
陰陽五行説(いんようごぎょうせつ). 古代中国では、自然界のあらゆるものを陰(いん)と陽(よう)にわけました。たとえば、太陽は陽で月は陰、奇数が陽で ... こうした思想を陰陽思想といい、この陰陽思想はやがて五行と結びついていくことになります。 ...






There is the Unseen World inside the Seen World.
今日は東京に用のあった日だった。
 仕事の帰り、午後7時前頃、交差点で見た空に神秘を感じた。最近は神秘を特に感じない生活をしたが。
 とまれ、西空に神秘を感じたし、また、全体に神秘を。
 途中。

追記:後で説明したいが、簡単に言うと、目に見える世界(現象界)以外に、the unseen, dark worldがあるということを直感したということである。
 その不可視の世界こそが本当であり、可視世界は単なる仮象に過ぎない。物質的仮象世界に過ぎない。

追記2:以前述べたが、言うならば、ガウス立体を構想したくなる。即ち、垂直の軸が平面を貫くものである。
 z軸が直交軸で、x軸とy軸による平面を貫くのである。z軸は精神軸(霊軸)であり、xy平面は物質平面(現象平面、仮象平面)である。

凸i*凹i⇒(x^2+y^2)^1/2⇒+1

後で検討。

追記3:二次元空間と三次元空間の問題:以前、三次元とは二次元に時間ないしエネルギーが加わったものではないかと述べことがあるだろう。
 つまり、立体とは平面の時間的展開ということになる。ならば、現象界とは平面の時間的展開空間となる。
 しかしながら、現象界、可視界において、虚軸界が不可視である。あるいは、media pointが。さらにはマイナスの世界が。⇒+1の⇒の先端と+1の世界が現象界で、光に拠る可視界である。
 しかし、⇒の起点、media point、-1は不可視界である。D. H. ロレンス的に言えば、dark God, dark sun、darkness, the unseenの世界である。当然、近代はこの世界を排除したのである。超感覚的世界。
 また、ロレンスはコスモスを「暗い」薔薇と喩えていた。それは、⇒と言えよう。それが不可視の薔薇宇宙なのだろう。
 結局、近代は+1を知るのみで、⇒+1を理解しなかった。


2011年08月02日(Tue)▲ページの先頭へ
最近の小さな論考集成:マニ教的新文明へ
最近の小さな論考集成:マニ教的新文明へ

テーマ:manichaeism
カオスの二乗、無限乗とは、media resonance:MP共振と言えよう

テーマ:PS 理論:プラトニック・シナジー理論

resurrection

neomanichaeist resurrection


PS理論はi*(-i)⇒+1が根本原理、左辺がカオスの種子で⇒がカオス。その内在的カオスが外在的カオスと共振するのがカオスの二乗、無限乗だろう@Novalis_bot 未来の世界は理性的なカオスである。自己自身を貫き―自己の内と自己の外にあるカオス。カオスの二乗、あるいは無限乗



Novalis

Novalis_bot Novalis


未来の世界においては、いっさいがかつての世界のごとくである―それでいて、すべてはまったくちがっている。未来の世界は理性的なカオスである。自己自身を貫き―自己の内と自己の外にあるカオス。カオスの二乗、あるいは無限乗。 『一般草稿』



法とは差異と同一性の二重構造であるが、今日、同一性中心主義で差異が排除されている

テーマ:manichaeism

以下の記事に対して、簡単にコメントしたい。
 法とは本来、差異に対する公平さを制定するものであるが、結果は当然、同一性としての法である。だから、法とは二重構造をもつのである。差異と同一性の並立・共立である。しかるに、今日、法は同一性のみで把握されていて、差異を無視している。これは、法の堕落以外の何ものでもない。法律家よ、御用学者、権力の走狗に甘んじていいのか?!

追記:正確に言えば、法とは差異が主であり、同一性は従である。これは正に、万物の力学そのものである。法=科学=哲学。

追記2:法とは「差異と同一性の並立・共立」と上述したが、そうではなく、差異と同一性との一種の対立ではないのか。あるいは、両者の極性ではないのか。正に、陰陽極性では? 後で十分検討したい。

gama

gamagamagaman gama


tokaiamaがリツイート


国会、ふくいちで働いていた父を亡くし、浪江町のアパートの家賃収入で子供二人を育てていた母親が、避難先から家賃収入がゼロになり、損害賠償を東電に求めたところ、今住んでいるところが、圏外居住であることから賠償を認めないとの返事。公明党浜田議員による質疑。氷山の一角と思われます。



万物にみちみちている一切智智について、もしも決断の徳を明らかにするときには、「智」という名で

テーマ:manichaeism

以下、空海の説く「智」、「心」、「法」とは、PS理論のmedia pointのモードと一致するのではないだろうか。
 決断である「智」とは、不連続であるmedia pointの最初の認識ではないだろうか。また、「心」は当然、media pointの最初期モードである。そして、「法」はmedia pointの「知」そのものではないか。
 とにかく、空海の仏教哲学は根本的、本質的にはPS理論に通じると直観される。

『・・・ 万物にみちみちている一切智智について、もしも決断の徳を明らかにするときには、「智」(ジュニャーナ)という名でこれをよぶ。諸現象の生起する原因の集まり、という意味をあらわすときには、「心」(チッタ)という名でよぶ。真理が軌範となって人の心に理解を生じさせる意味をあらわすときは「法門」(ダルマ)という名でよぶ。
 「智」と「心」と「法」という名は、いずれも「人」を離れてあるものではない。このような「人」は、数がはななだ多く、国土を砕いて塵にした数量より以上にもおよぶのである。だから、すべての人びとがそなえている智慧、という意味で、「一切智智」と名づけるのである。』
「八 心数心王過刹塵 各具五智無際智」:弘法大師:空海全集第二巻「即身成仏義」:筑摩書房 p. 251


参考:〈薩般若(さはんにゃ)〉とは、梵語である。・・・。漢訳では、「一切智智」という。「一切智智」の「智」とは、「決断し」「えらびとる」という意味である。同上 pp. 25~26
弘法大師空海全集〈第2巻〉思想篇2 [-]

空海 (著), 弘法大師空海全集編輯委員会 (編集)
内容(「BOOK」データベースより)

真言密教の神髄を開示する諸論集!精神の発達を十段階に分けて説く『秘蔵宝鑰』、顕教と密教の違いを明示する『弁顕密二教論』、身体論・言語論・記号論を展開して現代思想に大きな示唆を与える『即身成仏義』『声字実相義』『吽字義』など、真言密教の神髄を端的に開示する諸論。

5つ星のうち 5.0 甚深の書, 2004/9/16

By

輿聖龍 - レビューをすべて見る

レビュー対象商品: 弘法大師空海全集〈第2巻〉思想篇2

秘蔵宝鑰は普通、十住心論(本全集の巻1)のダイジェスト版と言われているが、読んでみると、必ずしもそうではなさそうである。余談だが、多くの仏者は頭を剃っても欲は剃っていない、とか、誦すだけなら鸚鵡(当時は極希少であったろう)でもできるとかが書いてあって、親しみがもてる。弘法大師はユーモアのセンスもまた豊であったようだ。

本巻なかで、極めつきは吽(ウン)字義である。千経万論の全仏教は大日経の三句に要約できる。この三句をさらに束ねると吽の一字となる、ということからして、王冠の中のそのまた、一番大粒のダイヤモンドである。言葉による概念の圧縮、象徴化(真言)である。視覚によるイメージ操作とは類似だが別個の回路を形成すると思われる。これは、祈りの集中力を強化して、その効率を飛躍的に高めるための、すぐれた技法でもあろう。真言を原始的、幼稚なまじないくらいに思っているあなたに薦めたい。

尚、十巻章とは、菩提心論一巻、弁顕密二教論二巻、秘蔵宝鑰三巻、即身成仏義一巻、声字義一巻、吽字義一巻、般若心経秘鍵一巻、これである。このうち、菩提心論(本全集第八巻に収録)以外はすべて本巻に収められてある。梅原猛著、講談社学術文庫の「空海の思想について」も解説書として参考になる。


amazon



自己双極子が「霊魂」だろう:凸i*凹i、又はi*(-i)が「霊魂」となろう

テーマ:自己認識方程式:凸i
*凹i⇒
凸(+1)

PS理論的には凸i*凹i⇒凸、又は、i*(-i)⇒+1において、左辺が⇒から分離する事象だろう。即ち、独立した左辺が霊魂である。

ルドルフ・シュタイナー

R_Steiner_jp ルドルフ・シュタイナー


アストラル体:繰り返して没意識状態から意識を目覚めさせる、人間の第三の本性。アストラル体の働きは、人間が眠りに落ちた時に消えてしまうように見えるが、超感覚的に観察すれば、その場合も存在し続ける。ただその場合のアストラル体は、エーテル体から離れて、または抜け出て存在している。



蝉の哲学:これは物質から精神への飛翔を意味しよう

テーマ:森羅万象

resurrection

neomanichaeist resurrection

@

目覚ましい哲学的問いである。蝉は地 earthの要素を強くもつのであり、そこから、風air、空気の要素へと変換するのである。これは物質から精神への飛翔を意味しよう。 @2I000mg 何で土中に6年も居る必要が?とは人間の考えであって、大宇宙から見ると大きな意味があるのだろう。



父権的2項対立と近代日本:新マニ教的精神形成の時代

テーマ:manichaeism

父権的二項対立が近代日本を支配している心的メカニズムである。例えば、日本VSアジア。しかし、脱亜入欧路線は西洋VS自国やアジアである。結局、西洋>日本>アジア(日本を除く)の力学がある。原発路線もこの図式である。日本における父権的二項対立は国学が作ったと思う。国学は実はキリスト教の影響で一神教的なのである。八百万の神々の日本。




法とは差異と同一性の二重構造であるが、今日、同一性中心主義で差異が排除されている
法とは差異と同一性の二重構造であるが、今日、同一性中心主義で差異が排除されている

テーマ:manichaeism

以下の記事に対して、簡単にコメントしたい。
 法とは本来、差異に対する公平さを制定するものであるが、結果は当然、同一性としての法である。だから、法とは二重構造をもつのである。差異と同一性の 並立・共立である。しかるに、今日、法は同一性のみで把握されていて、差異を無視している。これは、法の堕落以外の何ものでもない。法律家よ、御用学者、 権力の走狗に甘んじていいのか?!

追記:正確に言えば、法とは差異が主であり、同一性は従である。これは正に、万物の力学そのものである。法=科学=哲学。

追記2:法とは「差異と同一性の並立・共立」と上述したが、そうではなく、差異と同一性との一種の対立ではないのか。あるいは、両者の極性ではないのか。正に、陰陽極性では? 後で十分検討したい。

gamagamagaman gama

tokaiamaがリツイート

国会、ふくいちで働いていた父を亡くし、浪江町のアパートの家賃 収入で子供二人を育てていた母親が、避難先から家賃収入がゼロになり、損害賠償を東電に求めたところ、今住んでいるところが、圏外居住であることから賠償 を認めないとの返事。公明党浜田議員による質疑。氷山の一角と思われます。



万物にみちみちている一切智智について、もしも決断の徳を明らかにするときには、「智」という名で

テーマ:manichaeism

以下、空海の説く「智」、「心」、「法」とは、PS理論のmedia pointのモードと一致するのではないだろうか。
 決断である「智」とは、不連続であるmedia pointの最初の認識ではないだろうか。また、「心」は当然、media pointの最初期モードである。そして、「法」はmedia pointの「知」そのものではないか。
 とにかく、空海の仏教哲学は根本的、本質的にはPS理論に通じると直観される。

『・・・ 万物にみちみちている一切智智について、もしも決断の徳を明らかにするときには、「智」(ジュニャーナ)という名でこれをよぶ。諸現象の生起す る原因の集まり、という意味をあらわすときには、「心」(チッタ)という名でよぶ。真理が軌範となって人の心に理解を生じさせる意味をあらわすときは「法 門」(ダルマ)という名でよぶ。
 「智」と「心」と「法」という名は、いずれも「人」を離れてあるものではない。このような「人」は、数がはななだ多く、国土を砕いて塵にした数量より以上にもおよぶのである。だから、すべての人びとがそなえている智慧、という意味で、「一切智智」と名づけるのである。』
「八 心数心王過刹塵 各具五智無際智」:弘法大師:空海全集第二巻「即身成仏義」:筑摩書房 p. 251

参考:〈薩般若(さはんにゃ)〉とは、梵語である。・・・。漢訳では、「一切智智」という。「一切智智」の「智」とは、「決断し」「えらびとる」という意味である。同上 pp. 25~26
弘法大師空海全集〈第2巻〉思想篇2 [-]
空海 (著), 弘法大師空海全集編輯委員会 (編集)
内容(「BOOK」データベースより)
真言密教の神髄を開示する諸論集!精神の発達を十段階に分けて説く『秘蔵宝鑰』、顕教と密教の違いを明示する『弁顕密二教論』、身体論・言語論・記号論を 展開して現代思想に大きな示唆を与える『即身成仏義』『声字実相義』『吽字義』など、真言密教の神髄を端的に開示する諸論。
5つ星のうち 5.0 甚深の書, 2004/9/16
By
輿聖龍 - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: 弘法大師空海全集〈第2巻〉思想篇2
秘蔵宝鑰は普通、十住心論(本全集の巻1)のダイジェスト版と言われているが、読んでみると、必ずしもそうではなさそうである。余談だが、多くの仏者は頭 を剃っても欲は剃っていない、とか、誦すだけなら鸚鵡(当時は極希少であったろう)でもできるとかが書いてあって、親しみがもてる。弘法大師はユーモアの センスもまた豊であったようだ。
本巻なかで、極めつきは吽(ウン)字義である。千経万論の全仏教は大日経の三句に要約できる。この三句をさらに束ね ると吽の一字となる、ということからして、王冠の中のそのまた、一番大粒のダイヤモンドである。言葉による概念の圧縮、象徴化(真言)である。視覚による イメージ操作とは類似だが別個の回路を形成すると思われる。これは、祈りの集中力を強化して、その効率を飛躍的に高めるための、すぐれた技法でもあろう。 真言を原始的、幼稚なまじないくらいに思っているあなたに薦めたい。
尚、十巻章とは、菩提心論一巻、弁顕密二教論二巻、秘蔵宝鑰三巻、即身 成仏義一巻、声字義一巻、吽字義一巻、般若心経秘鍵一巻、これである。このうち、菩提心論(本全集第八巻に収録)以外はすべて本巻に収められてある。梅原 猛著、講談社学術文庫の「空海の思想について」も解説書として参考になる。

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