INNOVATION OF PHILOSOPHY: GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience - 2011/03

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




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2011年03月30日(Wed)▲ページの先頭へ
dismodern(不近代)のエポック:又は、アイオーン・エポックiOn epoch
テーマ:近代合理主義/唯物論/ポスト・モダン批判

意識の不連続化という最高度のキーポイントを思い、トランス・モダンや脱近代に替わって、dismodern(不近代)はどうかと思った。先には、トランセンデント・モダン(超越的近代)を提起したが、それよりはこの方がはるかにいいだろう。
 思うに、人類史において、近代とは、唯物論の時代であり、最悪・大凶の時代ではなかったのか。
 シュタイナーは近代の意義は自己が、いわば、個に還元されることにあると述べている。物質はまったくのマーヤーであると述べている。
 とまれ、dismodernはまだ、近代に囚われている発想である。modernを無くした方がいいのである。
 また、modernは直線的時間の考え方に拠るものでもあるので、異なる時間の意識・史観から、名づけるべきである。
 アイオーンを使用してもいいだろう。何故なら、それは、精神的意味合いに拠る時代区分であるから。
 ならば、アイオーン・エポックとしようか?

参考:
アイオーン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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アイオーン(ギリシア語 : αἰών; aiōn,ラテン語 : aeonまたはæon,英 : aeon又はeon)とは、古代ギリシア語である期間の時間 を指し、時代 や世紀 、人の生涯というような意味である。ラテン語の Saeculum やサンスクリット の kalpa(कल्प; 漢訳では「劫波 」)がこれに似た意味を持つ。

アイオーンは、紀元2世紀 より5世紀 頃にかけて、ローマ帝国 内やその辺境地域で興隆した、グノーシス主義 における高次の霊 、あるいは超越的な圏界を示す意味で使用されたので、宗教学 的・思想 的にはこの意味でよく知られている。
古代ギリシア [編集 ]
ギリシア哲学 [編集 ]

アイオーンは「時代 」や「ある期間」を意味し、占星術 における魚座 の時代、水瓶座 の時代などの時代と通じるところがある。魔術 やオカルト においては、「テレマ(w:en:Thelema )」の概念と関係する。世界の文化一般に、様々な時代があり、特徴のある時間の期間があるという概念は一般である。

一方、アイオーンを哲学 的に思索して行くと、この現象世界における時間のありようがアイオーンであるとも考えられる。歴史 もまたアイオーンで特徴付けられる。このような背景で、プラトーン はアイオーンを「永遠 」の意味で使ったことが知られる。
ギリシア神話 [編集 ]

ギリシア神話 は自然 現象 を擬人化 して神 や精霊 と見なしたが、抽象概念 なども神と見なした。時間の神は、クロノス が有名であるが、季節 や秩序 の女神 としてのホーラ もまた存在した。

アイオーンもまた神と見なされ、当初の意味はともかく、永遠 ・永劫を象徴 する神ともされた。通常、「時間の神」として知られる。
神秘主義 [編集 ]
ヨハネ福音書 冒頭
Wycliffe の翻訳写本 (14 世紀)。中段より本文が始まり、中世英語で「 In þe bigynnyng was / þe word & þe word / was at god / & god was / þe word. 」と記されている。これはグノーシス主義と関連がある。
グノーシス主義 [編集 ]

1966年の「グノーシス主義の起源に関する国際学会」等の定義によれば、グノーシス主義 は、以下の点をふまえた神話 を創作することが一般であると考えられている。

1. 反宇宙的二元論: この世界は悪であり、この世界を創造した劣悪な神とは別に、善なる「至高者」が存在する。
2. 人間内部に存在する「神的火花」「本来的自己」への確信: 人間は、劣悪な造物主に創造されたが、人間の内部には至高者に由来する要素が閉じこめられている。
3. 人間に「本来的自己」を認識させる啓示者・救済者の存在: 以上のことを知らない人間に対して、至高者の下からそれを知らせる使いがやって来て、認識を促す。

この「至高者」の下には、至高者に由来する諸の神的存在があり、グノーシス主義の創作神話では、この神的存在を「アイオーン」と呼ぶ。

* キリスト教グノーシス主義

キリスト教グノーシス主義では、人間に「本来的自己」を認識させる啓示者・救済者とは、もちろん「イエス」であり、イエスは「父なる神」(=至高者)の下から派遣され、旧約聖書 の創造神(=劣悪なる造物主)の束縛から人間を解放するため、「本来的自己の認識」を説く福音をもたらしたという神話を持つ(神話の詳細は、グノーシス各派により異なる。)。

キリスト教グノーシス主義は、異端 であるとして、正統派・主流は教会から反駁されてきた。紀元2世紀 のリヨン 司教 であったエイレナイオス や、3世紀 のローマ 司祭 であったヒッポリュトス など反駁書を記している。ヒッポリュトスは、グノーシス主義の教義 や神話 などが、ギリシア神話やプラトン の思想や、その他、諸々の素材を元に創作したものであるという説を唱え、「アイオーン」という用語もまた、ギリシア神話やプラトーンの著作から借用したものだと述べた。

このように、伝統的には、グノーシス主義は、諸宗教の要素が混淆したシンクレティズム 宗教 に過ぎないと考えられていたが、とくにナグ・ハマディ写本 の発見により、非キリスト教グノーシス主義の存在が知られるようになり、現在では、グノーシス主義を、単なる混淆宗教、とりわけキリスト教にギリシア哲学や東方の諸宗教の要素を加えただけの異端説として論ずる学者は少ない。

以下に、グノーシス神話における諸の「アイオーン」について概説する。
プレーローマ [編集 ]
プレーローマ(オグドアス・アイオーン )

グノーシス主義におけるアイオーンは、高次の霊または霊的な階梯圏域で、アイオーンこそは「真の神」で、ユダヤ教 やキリスト教 などが信仰している神は、「偽の神」である。またアイオーンは複数が存在し、プレーローマ と呼ばれる超永遠世界にあって、男性アイオーンと女性アイオーンが対になって「両性具有 」状態を実現している。

紀元2世紀 の大ウァレンティノスと呼ばれるグノーシスの思想家の高弟であるプトレマイオスの説では、プレーローマには、男女を一対として、四対、合計八体の至高アイオーンが存在するとされる。それらは、オグドアス (8個の集まり)とも呼ばれ、次のようなアイオーンで構成される。

* プロパトール − 伴侶:エンノイア(思考 )
* ヌース −伴侶:アレーテイア(真理 )
* ロゴス − 伴侶:ゾーエー(生命 )
* アントローポス − 伴侶:エクレシア(教会 )

伴侶は女性アイオーンである。アイオーンの筆頭に来るのは「プロパトール」であるが、この名は「先在の父」とも訳され、超越性の更に超越性にあるとされる。プロパトールとは何かは、人間は無論のこと至高アイオーンであるオグドアスのアイオーンもまた、それを知ることはなかったとされる。プロパトールは、ビュトス(深淵)の名でも呼ばれる。またオグドアスはプレーローマの中心であるが、そのなかにあって更に上位の四アイオーンは、テトラクテュス (4個の集まり)と称する。

グノーシス主義では、新プラトン主義 のプロティノス の考えを取り入れ、「流出説」を提唱した。ウァレンティノス派では、原初、先在の父(プロパトール)が唯一存在し、プロパトールは流出 によって諸アイオーンを創造したとされる。
ソピアー神話 [編集 ]

グノーシス主義 においてはまた、アイオーン・ソピアー の失墜とその回復、分身の地上への落下の物語が記されている。グノーシス文献『この世の起源について』などにおいては、この世界がいかにしてデーミウルゴス によって創造され、人間の悲惨の運命が始まったのかを神話の形において説話している。

アイオーン・ソピアーはプレーローマにおける最低次のアイオーンであったが、知られざる先在の父(プロパトール)を理解したいと云う欲望に取り付かれた。彼女はこの欲望の故にプレーローマより落下し、分身アカモートを生み出し、アカモートは造物主 デーミウルゴスを生み出した。デーミウルゴスはかくて、この世と人間 を創造するのである。

ソピアーの娘・バルバロイ はグノーシス主義バルバロイ派において地上の人間を救うとされているが、キリスト教では悪魔 とされている。

ソピアーの救済、従って人類 の救済 と関連して、イエス・キリスト もグノーシス 神話 においてはアイオーンと考えられた。
ユングの元型象徴 [編集 ]

分析心理学 の創始者であるスイス の精神医学 者カール・グスタフ・ユング は、グノーシス主義 の研究者でもあったが、人間 の完全性を、プラトーン と同様に、精神 的な両性具有 性の実現にあるとした。また、4が神聖数 であることを見出したのであり、オグドアスは、両性具有の実現と、四対のアイオーンの構成する超宇宙として、元型 における完全 性象徴 の具象化と考えた。
自然科学 [編集 ]
地質学 [編集 ]

詳細は「累代 」を参照

地質学では、アイオーン(ラテン語 aeon、英語 eon、現代ギリシア語 αιών)は、地球 誕生以来の46億年 の地質時代 を大きく4つに分けた各々で、数億年から十数億年の長さである。日本語 ではこの意味の場合に限り、累代 と訳される。
時間の単位 [編集 ]

時間の単位 としては、eon は10億年と定義される。単位記号 はAE。たとえば、地球の年齢は 4.6 AE となる。

宇宙物理学 者のジョージ・ガモフ が、1968年 、科学雑誌 Nature 219, 765 にて提案した。
アイオーンの像 [編集 ]
ミトラス密儀の獅子頭像

考古学 の発掘等により、ローマ 帝政期時代において、頭部が獅子 で、人間(男性)の身体を持ち、蛇を全身に巻き付けた神と思える像が発見された。この像は、「アイオーン神の像」と考えられたが、ギリシア神話におけるアイオーンの神の像とも、グノーシス主義におけるアイオーンの擬人化神像とも考えられた。

また近年有力なのは、これはミトラス教 の「時間の主神」であるペルシア 起源のズルワーン の像であるという説もある。ズルワーンはゾロアスター教 の神であり(ただし、ズルワーンを主神として崇拝する派は、正統 ではないとされる。ズルワーン主義とも呼ばれる)、ミトラス教でも重要な位置を持っていた。アイオーンの像が何であるのか、正確には判明していない。
関連項目 [編集 ]

* ギリシア神話
* プラトーン - プロティノス
* グノーシス主義
* デーミウルゴス - ヤルダバオート - ヤハウェ
* アブラクサス - アルコーン
* ナグ・ハマディ写本
* 分析心理学 - カール・グスタフ・ユング
* ミトラス教 - ゾロアスター教 - マニ教
* アイオーン - 阿修羅 - 天照
* デーミウルゴス - シヴァ - 大黒 - 大国主
* キリスト教 - ヨハネ福音書
* エイレナイオス - ヒッポリュトス
* 異端 - 異教
* 神秘主義 - 占星術 - 魔術

参考書籍 [編集 ]

* ハンス・ヨナス 『グノーシスの宗教』 人文書院 1986年
* 荒井献 『新約聖書とグノーシス主義』 岩波書店 1986年
* クルト・ルドルフ 『グノーシス』 岩波書店 2001年

外部リンク [編集 ]

* Khoora Sophiaas (日本語)
* テルトゥリアヌス「ウァレンティノスに対し」 (英語)
* 「ウァレンティノスに対し」ラテン語原文 (ラテン語)
* エイレナイオス『異端反駁』 (英語)

「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%B3 」より作成
カテゴリ : ギリシア神話の神 | グノーシス主義 | 深層心理学 | 神話学 | 宗教学 | 時間の単位

Aeon
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For the geologic time, see eon (geology) . For other uses, see Aeon (disambiguation) .
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The word aeon, also spelled eon or æon (English pronunciation: /ˈiːɒn/ ), originally means "life", and/or "being", though it then tended to mean "age", "forever" or "for eternity ". It is a Latin transliteration from the koine Greek word ὁ αἰών (ho aion), from the archaic αἰϝών (aiwon). In Homer it typically refers to life or lifespan. Its latest meaning is more or less similar to the Sanskrit word kalpa and Hebrew word olam . A cognate Latin word aevum or aeuum (cf. αἰϝών) for "age" is present in words such as longevity and mediæval.[1]

Although the term aeon may be used in reference to a period of a billion years (especially in geology , cosmology or astronomy ), its more common usage is for any long, indefinite, period of time.


[edit ] In Cosmology

Roger Penrose uses the word aeon to describe the period between successive and cyclic big bangs within the context of conformal cyclic cosmology . In this theory, the remote future of the previous aeons becomes the Big Bang of subsequent aeons.

http://en.wikipedia.org/wiki/Aeon


2011年03月27日(Sun)▲ページの先頭へ
「天皇制」と封建制:近代日本の封建的国家体制:父権的自我優越妄想主義:トランセンデント・モダン
以下、東海アマ氏は持論の「天皇制」批判を唱えているが、この問題については既述したので、繰り返さない。
 ただ、今度の大震災における政府の姿勢を見て、日本国の封建的国家体制が浮き彫りになったと感じられる。
 つまり、江戸・徳川幕府体制との連続性ないしは類似性が感じられるのである。
 これは当然、ヒエラルキー体制であり、国家支配層が上部にそびえ、民衆が下部にいて、支配される体制である。
 民主主義体制ではあるが、それは、形式主義的でしかなく、封建的ヒエラルキーが実質的に存すると考えられる。
 日本の「資本主義」が国家資本主義、社会主義であるのは、これが原因だと考えられる。つまり、国家権力形式として、封建主義が存しているので、それが、資本主義を吸収して、国家資本主義、社会主義を生んでいるのである。
 民主主義も同様で、封建的国家権力形式が民主主義を吸収しているのであり、言わば、封建的民主主義である。
 そう、これはまた、「天皇制」(今日の「天皇制」ではなく、戦後以前のそれである)も同様であると考えられる。封建的国家権力形式が「天皇制」を吸収して、封建的「天皇制」となっていると考えられる。
 結局、明治維新を迎えても、背景にある封建制はしぶとく延命して、今日まで日本国を支配してきたと考えられる。
 では、封建制とは何かと言うと、端的に、父権制であることである。それは、父権的自我主義なのであり、自我優越妄想主義なのである。
 それは、知や真理ではなく、自我の虚栄心(名誉心・面子や体面:これは儒教的というべきでなく、儒教が父権的自我主義によって捩じ曲げられた結果、そのような見栄を生むと見るべきだ)にこだわる態度である。
 そう、自我には先験的優越・妄想性があるのであり、それが、独善性、独断性、欺瞞性等々の虚偽を生んでいると考えられるのである。
 自分が正しいと妄想的に思い込んでいるのである。だから、狂信・狂気的なのである。
 このような封建・父権的国家体制だから、「太平洋戦争」で破滅して、また、今日、大震災・原発崩壊で破滅を迎えていると考えられるのである。
 先に「二つの民族」の日本民族説を唱えたが、父権的民族性が徳川幕府から今日まで、支配的になったということではないのか。
 東海アマ氏が批判する「天皇制」をそのよう封建・父権的国家体制が取り込んだ「天皇制」として見るべきであり、本来のアジア的母権的天皇文化ではないと考えるべきと判断する。

追記:近代化、近代主義について触れていないので、少し触れたい。いったい、それは何か。当然、西欧近代化ないし、欧米的近代化である。
 そこには、イタリア・ルネサンスに拠る『個』の覚醒があり、また、プロテスタンティズムにおける、『個』と『神』との超越的関係の生起が基盤としてあった。
 そして、近代的自我とは、それが元になりながらも、自我意識が主体になったものと考えられる。デカルトの自我である。
 つまり、西欧ないし欧米の近代化、近代主義には、精神における『個』と自我との統合があると考えられる。正しく言えば、『個』と自我との連続体(連続的同一性)があると考えられる。
 それに対して、日本の明治以降の近代化とは、どうか。日本伝統文化・社会においては、個的共同体主義があったと私は考えているが、日本の近代化は封建・父権主義が西欧ないし欧米の近代化を導入し、この伝統的な個的共同体主義を破壊していったと考えられる。
 ここに日本近代化の問題点があるのである。つまり、西欧ないし欧米においては、ベースに『個』が存しているのであるが、日本の場合は、支配層の封建・父権的自我主義が主導的なことが決定的な問題点である。
 ここに日本近代化のボタンの掛け違いがあるのである。本来、近代化とはベースに『個』があるが、日本では、伝統的な個的共同体の『個』を破壊して、封建・父権的自我主義がベースになったと考えられるのである。
 つまり、逆立ちした近代化・近代主義なのである。(以前、封建的近代主義と呼んだものはこのように理解されるべきである)。だから、きわめて、いびつなグロテスクな、そう、倒錯した近代化・近代主義なのである。
 もっとも、そうは言うものの、西欧近代化、欧米的近代化がそのままいいというわけではない。そこには、『個』と自我との連続性がある点が問題なのである。言い換えると、『個』と自我が混淆・混同されているために、『個』のもつ共同体性がわからなくなっていることが最大の問題点であると考えられるのである。わかりやすく言えば、利己主義が中心化していることが問題なのである。
 とまれ、近代化・近代主義は乗り越えが必要であるが、それは、『個』と自我の脱連続化・不連続化が大前提である。これは、PS理論の前身の不連続的差異論が為したことである。これまで、この精神をトランス・モダンと呼んだが、『個』と自我とが分離する精神をトランス・モダンと呼ぶだけいいのか問題である。少なくとも、トランス・セルフとは言える。
 今はここで留める。

追記2:インター・インディヴィジュアル inter-individualという言葉が浮んだ。相互個、間個、共同個である。
 なお、個と個人は異なる。『個』とは人間を越えたものがあるのである。つまり、超越性が関与するのである。
 そう、トランセンデント・モダン transcendent modernという言い方が可能であろう。超越的近代である。

tokaiama


1. 天皇制をこれ以上書くとフォロワーが半分消えるはず。これだけで数千名が消えたかな。しかし、福島原発巨大事故の根底に死刑・天皇・原発の三点セットによる国民管理があると東海アマが妄言を吐いていたとだけ記憶してもらいたい 5秒以内前 webから
2. 天皇を研究してきた人は100%万世一系などという幻想を信じてない。天皇制の根底が山県有朋や平泉澄らの教育洗脳であることを知っている。それどころか天皇が百済由来の秦氏末裔という学説に反対できる者など皆無だ。天皇は朝鮮から来たことはもう常識なんだ。先住民は蘇州や沿海州から来ていた 3分前 webから
3. 日本では9割の人たちが死刑制度を支持している。国家の国民管理の根底に「言うことを聞かないと殺すぞ!」と人を脅して従わせる原理をとっている。同じ人たちが「便利な生活のために原発は仕方ない」と洗脳されてきた。「天皇様のいる日本を愛す」という虚構とともに。放射能よ洗脳を洗い流せ! 7分前 webから
4. 死刑・原発・天皇制これは三点セットで国家基盤を作っていた。これに反対すると多くの人が無条件に嫌悪し排斥するだろう。その一角、原発が崩壊した。次は死刑、最期に天皇制になる。もう一度イマジンを思い出して「想像してごらん国なんてどこにもないんだよ」 我々は地球の上にいるだけ、命とともに 11分前 webから


悲劇と歴史
テーマ:三千世界の立替え立直し:艮うしとらの金神

私はもう二十年前くらいになるか、歴史を動かすのは、悲劇であると感じたものである。また、常々、現代日本人は物質主義に染まり、醜態を呈していて、これには、荒療治が必要だと感じていた。
 悲劇とは実に男性的思考である。女性は本能的に悲劇を避ける。ここが女性の難点であろうが。
 私はこの度の大地震を大『神』災と呼んだ。人工地震という視点もあるが、私は天災説である。
 シュタイナーのカルマ論に拠れば、不幸は自ら招くものである。日本は戦後、唯物論に染まり、伝統的日本に背を向けて生きてきたのであるが、そのカルマが今回、大震災となったと解釈できる。
 また、馬鹿菅民主盗や大悪魔東電による人災が大破壊、大悲劇的である。
 しかし、人災を含めて、私は近代日本のカルマがここで爆発したと考える。
 人間は愚鈍な生き物で、身にしみないと、悟らないのである。私もそうである。極度の苦痛を感じないと悟らない愚鈍な、能天気な生き物なのである。
 とまれ、正に、大『神』災であり、「最後の審判」が下されたのである。これは、新たな日本の創世への「ビッグ・バン」である。
 「天罰」は日本人全体に下ったのである。これは謙虚に受け止める必要があるし、今や、民衆にとって、誰が悪人であるか明瞭になったと言えよう。民はお馬鹿で、実例がないと理解できないのである。
 因みに、何度も言うが、小泉元首相は、私は、すぐペテン師であると直観したし、菅首相も、昔の四国巡礼の編み笠の下の醜悪な顔をみて、これは、食わせ者だと思った。
 そのような直観的認識力を失った日本人に今回、鉄槌が下ったとも見るべきである。
 私はこの大災厄は大天恵であると先に述べたが、その考えを今も変えていない。

・ 不明の仲間きっと見つける 高田分団、懸命の捜索

不明の仲間きっと見つける 高田分団、懸命の捜索
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 津波で大きな被害を受けた陸前高田市で、市中心部を管轄する市消防団高田分団(大坂淳分団長)は団員126人中27人が波にのまれた。最後まで住民の避難誘導を続け、12人はいまだ見つかっていない。残った団員は家族や家を失いながら、震災から2週間たった今も捜索に打ち込む。生存は絶望的でも「せめて冷たい場所から救ってあげたい」。その一念で命を投げ出し、住民を守ろうとした仲間を捜し続ける。

 25日午後。白い防護服の団員が身をかがめ、がれきの下をのぞく。重機の作業が中断し、遺体収容係が呼ばれた。消防団の捜索活動は連日続く。

 市中心部を管轄する高田分団は、入団したばかりの団員や結婚を控えた若手、分団の中心的存在だった幹部ら20〜50代の精鋭が波にさらわれた。

 高田分団は地震発生と同時に、避難場所の市民体育館に本部を設置。1〜6部が各持ち場で避難誘導や交通整理などに当たった。高齢者の一人暮らしが多い地区に向かった団員、高齢者の手を引いたまま不明になった団員もいた。

 避難場所だった市民体育館近くの交差点で交通整理や避難誘導を担当する1部はほぼ半数の11人が消えた。市民体育館は壁がすっぽり抜け破壊された。

 菅野達也さん(48)は「津波のばか野郎だ。全員持っていかれた」と不意の災害を恨む。及川満伸副本部長(47)は「若い団員もおり、親に申し訳ない。とにかく全員見つけ出したい」と唇をかんだ。

 本部の市民体育館にいた大坂分団長(53)は3メートルの津波情報を聞き、団員を避難させるために現場を回った。自身にも危険が迫り、陸前高田駅をのみ込もうとする黒い波が背後に。胸まで水に漬かったが、奇跡的に助かった。

 しかし、市民体育館に詰めていた分団本部の上部仁先任副分団長、平野正浩本部長はいまだ行方が分かっていない。

 大坂さんと上部さんは同級生。「嫌な仕事も率先してくれる最高の仲間。平野は何一つ文句を言わない男だった」と振り返る。波にのまれた仲間の思いを胸に大坂さんは家族を亡くしながらも消防団の指揮を執っている。

 「家族も家もなくした連中ばかり。自立するためのすべを考え、前を向くんだ」と語気を強めた。

【写真=がれきをかき分け、捜索活動に取り組む陸前高田市消防団員ら=25日午後、陸前高田市高田町】
(2011/03/26)
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110326_14


2011年03月25日(Fri)▲ページの先頭へ
日本民族の問題:「二つの民族」仮説:母権的民族と父権的民族
テーマ:日本伝統文化:神話・宗教祭礼・民俗・芸能

先にも触れたが、日本とは二つの民族が混在しているのではないだろうか。
 それは、母権的民族と父権的民族である。しかし、また、私は、日本とは、古代ギリシアと同じように、両者の「結合」によって成立したと思うのである。
 だから、母権的民族と父権的民族の統合としての日本民族である。 
 しかしながら、歴史の進展によって、後者の父権的民族が力をもつようになったのではないだろうか。それは、江戸時代以降である。
 しかし、明治維新は、何度も述べるように、母権的民族の業績であり、その後、父権的民族が牛耳ったのである。
 そして、今の国難は父権的民族の支配の帰結ではないかと思われるのである。
 では、日本の父権的民族とは何かと思うと、それは、日ユ同祖論におけるユダヤ民族の可能性が考えられるのである。
 私は仮定される日本のユダヤ民族を貶める考えはまったくない。返って、それが、日本民族の知性を促進したと思う。
 しかしながら、日本文化において、母権的民族と父権的民族の均衡においてこそ、真の日本的知(差異共振的知)、日本的文化が生まれたのであり、後者が支配的になり、前者を抑圧すると、「狂気」が始まるのではないだろうか。
 その表出が第2次世界大戦であり、今回の東日本大地震の対応(原発路線も含めて)である。
 完全に「一神教」化したとき、狂信・妄想となるのではないだろうか。
 因みに、ユダヤ教は複雑である。ヤハウェとエローヒーム(神の複数形:つまり、神々)の二つの神が旧約聖書に存するのである。


エウレカ!:風向が極めて重要である:ほとんど悟りである:悟りとは直観だ
テーマ:三千世界の立替え立直し:艮うしとらの金神

3月24日21時現在、福島原発付近の風向は北西の風であり、いわば、「神風」である。
 今日は、私が予測した通り、放射能風(造語)は、少なかったと直感された。なぜなら、爽やか大気だったからだ。そう、私は自分の(気的)身体が放射能のセンサーになると思った次第である。
 呼吸器系、循環器系が弱い(弱かった:心臓手術した)私は、空気、大気、「気」に敏感である。
 本当に今日は久しぶりにさわやかであった。冒頭に述べたが、明日は関東は「神風」状態で、放射能風は少ないだろう。
 ところで、私が思ったのは、この放射能風であるが、偏西風のある日本において、それは、東へと進み、米国を直撃するということである。
 そう、広島、長崎の、いわば、仇討ちである。米国が放射能汚染される可能性はあるのである。
 シュタイナーの霊学では、悪徳のブーメラン効果ということが説かれている。悪事した人間には、後で、悪事に相当するものがお返しに来るということである。 
 私は時間をかけて観察した結果、それは、(かなり)法則的である。米国は日本に悪事を働き、今や、ブーメラン効果で放射能風の直撃を受けるのではないだろうか。
 広島の原爆、長崎の原爆のブーメラン効果で、福島の原発事故が米国の原爆となるのではないだろうか。

* 関東地方の風向:気象庁
* 福島第一、第二原発の避難半径地図と風向き:マピオン
* HAARPグラフ(現状)
* 福島県の風向


2011年03月20日(Sun)▲ページの先頭へ
菅という日本のカルマ:物質主義のアーリマンと唯我論のルシファーの支配:精神の全き欠落のカルマ
テーマ:奸夜魔民死党米国帝国植民地主義売亡国政権
(本考察に追記を二つ加えた。)

菅という日本のカルマ。私は日本の父権主義を批判してきたが、それが、彼に出現していると言えよう。
 まったく、即自的自己であり、対自性、他者性が欠落しているのである。哲学の欠落を指摘することができる。
 物事をすべて表面的、皮相にしか見てこなかった人間である。教養ゼロと言っていい。無知蒙昧な人間が首相になれるという日本の民主主義は大欠陥をもっていると言える。
 近代合理主義というか、唯物論の思考の欠陥が菅政権に出ていると思う。SFではマッド・サイエンティストが出てくるが、それに何か近い。そう、狂信性である。独善性である。
 以前述べたように、私は近代合理主義ないし唯物論的科学には、精神がないことに驚愕したものである。正に、悪魔の知なのである。
 思うに、凹iが空虚になることで、どうも、そこに悪魔的なものが侵入しているのではないだろうか。私は菅に悪霊憑依のようなものを感じるが、どうも、悪がそこに入っていると思う。
 シュタイナー的には、ルシファーであろう。物質主義のアーリマンと唯我論のルシファーの二重悪魔が菅に巣くっているように思われる。
 端的に、精神のまったき欠落、これが、菅に現われている日本のカルマと考えられる。
 日本文化において、精神がまったく欠落した原因は何なのか。やはり、これまで、述べたように、脱亜入欧と戦後による近代化である。
 また、そこに私は何というか、一種の言語中心主義をあげたい。言語に囚われていて、直観、直感を喪失しているのである。
 とまれ、物質主義と言語主義は相即的である。言語は、勿論、精神面も指示するが、一般的には同一性主義である。
 そうすると、元に戻るがやはり、父権主義が元凶として存するのである。
 先に述べたが、二つの日本を想定したくなるのである。母権主義の日本と父権主義の日本である。後者が悪である。
 母権的民族の日本と父権的民族の日本。思うに、明治維新前までは、両者のある種のバランスがあったが、明治近代化以降、後者が主導化して、日本文化、日本社会を阻害してきたのではないだろうか。
 私はこれまで、国学を目の敵にしてきたが、やはり、儒教的封建主義の硬直したものにも原因があるように思われる。端的に言えば、男性中心主義である。この男性的同一性主義が精神の喪失の元凶として存するのではないだろうか。
 では、どうして、民族本来的な母権的精神性が喪失するようになったのか。これも以前述べたが、母権的精神性のデカダンスがどこかで生じたのだと思う。何度も述べるが、折口信夫は、鎌倉時代以降、日本人の宗教心が衰退したと述べていた。
 だから、これまでの考察と同じ結論になるが、母権的精神の衰退と比例するような父権主義の台頭が精神の喪失をもたらしたということになる。

追記:母権的精神のデカダンスと終わりの方で述べたが、思うに、江戸時代において、鎖国となり、他国からの知的刺激がなくなり、内向きになり、自己満足していったことが、その原因ではないか。
 国学も、その鎖国によって、自民族中心主義に染まって生まれたものではないか。
 思うに、母権的精神を創造的に保持するには、危機が必要である。それによって、研ぎ澄ますことができるのであるが、逆に、鎖国的平穏無事になると、刺激がなくなり、母権的精神が自我的に閉ざされて、眠り込んでしまったのではなかったか。
 そう、自我的閉鎖・閉塞とは、父権化である。つまり、鎖国的自己満足、慢心によって、精神の超越性を喪失されて、母権的精神が衰退し、かつ、自我・父権化したというのが、日本近世文化史の実体ではないのか。

追記2:追記の自我・父権化という視点から、どうも、母権的精神が自我・父権化した様態になり、たとえば、尊王攘夷的発想が生まれたのではなかったのか。これが、明治脱亜入欧へと繋がったのではないのか。
 しかしながら、以前述べたように、坂本龍馬らの開国主義は、自我・父権主義ではなく、母権的精神、東洋的母権主義に基づくのである。だから、江戸時代において、母権的精神の父権化の方向性と母権的精神の賦活化の方向性の二つの志向性があったのではないだろうか。
 しかしながら、明治維新を後者が成立させると、前者が権力を「奪取」して、母権的精神の自我・父権化路線を進めて、狂信的戦争に突き進み、破滅し、また、戦後、その路線が支配して、今日の大惨状・大破壊を生み出したのではないのか。

http://gendai.net/shimens/view/T.gif

http://gendai.net/shimens/view/L.gif

無能な指揮官と玉砕する英雄たち

2011年03月19日15時17分
提供:フリーライター宮島理のプチ論壇 since1997

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 無能な政権 を即時退陣させなかったツケが、最悪の形で新たな人災を誘発している。尖閣事件以来、菅政権退陣を訴え続けてきた私も、さすがに今回の大震災では菅政権が目を覚ますと思って応援してきた。しかし、彼らの本質である「無能なのに学習能力は皆無で、失敗は常に他人のせいにする」という性質は、まるで改まっていない。「必要なのは首相の演説でなく実務」 でも書いたように、菅首相は自分の政治的アピールに必死で、現場の邪魔ばかりしている。

記事全文

なぜ本当のこと言わないのか…米政府「菅隠蔽体質」に怒!!

2011.03.19


大震災への全面協力を申し出たオバマ大統領(左)だが、菅首相率いる官邸中枢は原発情報を共有しなかったという(写真はコラージュ、AP、ロイターなど)【拡大】

 米政府が、菅直人政権の「隠蔽体質」に激怒している。東京電力福島第1原発事故のデータを明かさず、放射性物質漏れの重要情報を共有しようとしない、というのが理由だ。空母や在日米軍を出動させ、東日本大震災の救援活動に全面協力している同盟国を軽視するような姿勢にいらだつ一方、米軍無人偵察機が検出した数値から、放射能専門家部隊の派遣準備も始めた。外交専門家の中には「日米関係が悪化しかねない」との声も噴出している。

 「なぜ、菅政権は本当のことを言わないのか。こちらは全面協力する姿勢なのに。正確な情報を出さないのは間違いだ」

 ホワイトハウス関係者は、こういらだちを隠さない。米政府は原発事故直後の13日深夜、米原子力行政を統括するエネルギー省や原子力規制委員会(NRC)の専門家らを来日させて、緊急支援に乗り出した。

 ところが、米専門家らが、経産省や原子力安全・保安院、東電に出向いても、新聞に出ているような情報しか出さない。情報共有を求めても、担当者に「待っていてくれ」と言われて、放置される始末。米専門家らは本国に「菅政権は情報を隠蔽している」「まったく狂っている」と通報した。

 米政府は、菅政権に対し、「一体どうなっているのか」「こちらは空母まで派遣して協力している」「同盟国ではないのか?」と抗議したが、菅政権は事務方を通じて、「心配はいらない」「きちんと対応している」などと突き放したような態度だったという。

 これで米政府の不信感は決定的になった。軍事衛星の情報に加え、北朝鮮が核実験をしたときなどに運用する無人偵察機を飛ばして、詳細なデータを収集。菅政権が発表している数字とは異なる数値を入手した。これは藤崎一郎駐米大使を通じて、菅首相に伝えられているという。前出のホワイトハウス関係者はいう。

 「われわれは駐米大使館などを通じて、『こういうデータがある』『事実を話してくれ』『事態収拾に協力する』と何度も伝えたが、やはり菅政権はまともな対応をしなかった。どうも、官邸中枢の数人がおかしいようだ。わが国は単独で決断を下した」

 米政府は16日(日本時間17日未明)、在日大使館を通じ、第1原発の半径80キロ以内の米国民に避難勧告し、大使館職員の家族らの自主的な国外退避を認めた。在日米軍の家族らも退避に動き出している。日本政府は、第1原発から半径20キロ以内には避難を、20キロから30キロは屋内退避を指示している。NRCのヤツコ委員長は16日、米CNNテレビでこの違いについて聞かれ、「米国の基準ならそうする」と答えた。

 菅首相は18日、IAEA(国際原子力機関)の天野之弥事務局長と官邸で会談した際、「これまでもそうしてきたが、情報は最大限、透明性を持って伝える」と語ったが、米国をはじめ、世界各国はそうは見ていない。

 現に、ヒラリー米国務長官は「日本の情報は混乱していて信用できない」とテレビのインタビューで答え、ドイツのメルケル首相も「日本からの(原発)情報は矛盾している」と記者会見で語っている。

 国際政治学者の藤井厳喜氏は「米国は『ともだち作戦』と称して、大震災の救援活動に全面協力してくれている。そんな同盟国を軽視していたとすれば、両国の関係悪化が心配される。背景には、民主党の一部にある反米的性格と、東京電力と役所の官僚主義、秘密主義があるのでは。危機管理の基本は『事実を明らかにして、最悪のケースに備える』ことだが、菅政権には期待できそうにない」と語る。

 大震災と原発危機に加え、日本は同盟危機まで背負い込むのか。

http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20110319/plt1103191509001-n1.htm


2011年03月15日(Tue)▲ページの先頭へ
『気』超越的エネルギーについて:不可視界と物質界:超越的絶対的「知即存在」と『気』の精神
テーマ:神道ルネサンス:気と東洋文明:新マニ教

東日本大『神』災は、『気』、つまり、宇宙エネルギー(コズミック・エネルギー)によって引き起こされたと私は仮説している。
 『気』とは、不可視であり、また、一般には感知されていない。しかしながら、東洋文化は、伝統的に、『気』の文化であり、それを否定することは、東洋文化を否定することである。
 先に述べたように、明治近代西洋化と戦後は近代合理主義を中心化して、日本における東洋文化を否定してきたのであり、そのため、『気』は一般的認識から排除されることになったのである。
 意識や心を形成しているものも『気』と考えられるが、自我のもつ連続的同一性によって、『気』が自我と一体化していて、的確に言えば、即自化しているので、『気』を対象化できないと考えられるのである。
 それは、一般的なことであるが、ここで、私自身の経験に即して考えたい。
 私は戦後以降の物質主義・唯物論的科学教育を刷り込まれて成長した人間であるが、二十歳前後であろうか、シューベルトの『冬の旅』を聴いて、胸中になにかある「存在」、事象が感じられたのである。
 そう、物質科学的知性と胸中の感性、この二つに私の意識は分裂したのである。
 ある意味で私の半生はこれをどう統一するかにあったと言えよう。深層心理学(フロイト、ユング)を読み、また、ユング心理学の研究者であった湯浅泰雄氏の著作を読んで、ユング心理学から『気』の研究へと進んだのに注目した。そう、そこで、胸中の感性は単に自己の主観性だけでなく、物質的身体を超えたものであることが確認されたので、近代的自我を超えた視点をもつことができたのである。
 それは、今から言えば、不可視的エネルギーの確認であったと言えよう。その後、それが、私の中では、「コスモス」cosmos(宇宙)と結びついていったのである。
 しかしながら、この『気』の感性と物質的合理的知性とは分裂したままであった。カントの判断力批判から、構想力(想像力)によって、両者をつなげる試みもしたが、それは、まだ、統一的視点にはならなかったのである。
 その後、いわゆる、ポスト構造主義等の思考に触れて、差異の哲学を知ることになった。ドゥルーズ哲学に触れた後、スピノザ哲学に感動して、個と共同体の「精神」をほぼ形成していたのである。それは、原不連続的差異論であり、原PS理論であった。その後の展開はスレッド、『不連続的差異論の誕生』で知ることができるので、ここでは述べない。
 ここで述べたいことは、『気』の感性、正確には、『気』の精神である。これが、不可視界を形成していることがほぼわかっている。この不可視界は、Kaisetsu氏の人間認識図で言えば、ガウス平面の第三象限に当たると考えられる。

Japonesian Trans-Apocalypse:Trans-Modern New Platonic Trans-Creation
         人間認識図

 そして、『気』の感性、『気』の直観・直感とは、陰陽(凸i*凹i)の共振に存すると思われる。これもほぼ不可視界に存すると思われる。
 問題は、不可視界と『気』の精神との関係である。ここに、宇宙の秘密があると考えられる。
 まだ十分判明していないが、『気』の精神はmedia point(陰陽交叉点)と凹i(陰)に存すると思われるのである。あるいは、media pointに存するのかもしれない。この点がまだ判明していないのである。
 確かに、経験的基礎は凹i(陰・肚)にあるが、主に感知するのは、media point(陰陽交差点・心胸・差異均衡点)のように思えるのである。思うに、以前述べたように、差異均衡が形成されたときに、『気』の精神が発動するので、それは、media pointの賦活であり、また、凹iの直感を意味すると考えられるのである。この問題は、いちおう、これで済んだこととする。
 では、本題に入ると、『気』の精神と不可視界(第三象限、コスモス)はどう関係するのか。
 直感で言うと、『気』の精神は凹(超越的存在)に接触しているのである。あるいは、一体、一如である。以前、即非的事象の一如性について述べたが、即非的事象の半面は『気』の精神と凹の接触、すなわち、第三象限であると思われるのである。即ち、「わたし」は「樹木」であり、且つ、「わたし」は「樹木」でないという即非的事象の前者がそれだと考えられる。それは、神秘主義的融即に似ている。
 そう、差異均衡点で『気』の精神と凹との接触があるというのだから、第三象限的認知は、即非的事象を帯びると言えよう。
 とまれ、本題に集中しよう。『気』の精神と凹の接触であるが、それは、凹i(陰、他者)を介するのであり、このとき、自我中心的態度は否定されるのである。自我はあるが、自我主義ではなくなるのである。
 この他者的精神と不可視界ないし超越的存在は繋がっているのである。ここで、わかりやすくするために、超越的存在を『神』と呼ぼう。宇宙創造神としてもいいし、グノーシス主義的ないしマニ教的に、至高神としてもいい。あるいは、宇宙論的に、ビッグ・バンを形成する超越的原点(母点)と見てもいいだろう。
 ともあれ、そこには、根源的な力・エネルギー(ポテンシャル・エネルギー)が存していると考えられる。
 それはまた、以前に述べた「知即存在」であると考えられる。つまり、「知即存在」である根源的力・エネルギーである。この根源的「知即存在」が他者的精神、凹iに働きかけるのではないだろうか。つまり、超越的絶対的「知即存在」が、個における凹i、他者的精神に働きかけると考えられるのである。端的に言えば、個における凹i、他者的精神において、超越的絶対的「知即存在」がいわば、臨在しているのである。
 そして、超越的絶対的「知即存在」とは、単に、人間を創造・形成し関与するだけでなく、森羅万象を創造・形成し関与すると考えられるのである。
 もし、人間が凹iの他者的精神を喪失した場合、どうなるのだろうか。超越的絶対的「知即存在」は、その力・エネルギーを能動的に発動させることができなくなると考えられる。そのため、未使用の力・エネルギーを人間以外に振り向けるということになるのではないだろうか。
 端的に言えば、あるいは、有り体に言えば、超越的絶対的「知即存在」は、人間が「消費」しない余剰の力・エネルギーを他の事象に振り向けるということになるのではないだろうか。即ち、地球という惑星自体に働きかけるのである。地球のマグマ、活断層、プレートに働きかけるのではないだろうか。
 そうならば、大地が活性化して、火山活動や地震が増加すると考えられるのである。人間によって、使われない宇宙的エネルギーを地球に振り向けるのである。(これを書いたとき、地震が起きた。震度4と外で、市の防災が放送している。なにかまだ揺れそうだ。みしみししている。)
 今回の東日本大『神』災はこのように作業仮説的に説明するのである。
 後でさらに検討したい。

追記:人間に否定される超越的絶対的「知即存在」のエネルギーとは、超越的絶対的「知即存在」にとって、「被造物」である人間によって自己自身が否定されたのであるから、つまり、人間の尊大な行為によって否定されたので、「怒り」、「憤慨」を覚えると言えよう。この「怒り」が人間に向けられるということも考えられる。


2011年03月14日(Mon)▲ページの先頭へ
東日本大『神』災(日本大『神』災・平成大『神』災)と太陽系差異共振的気エネルギー的地震仮説
テーマ:マニ教とPS理論:光と闇の陰陽双極子

今回の大『神』災は、リーマン・ショックに並ぶ、否、それ以上の影響力を世界史・人類史においてもつと思われる。
 原発路線がこれで崩壊したのであり、当然、それと一体のグリーン路線も崩壊したのであり、また、近代西洋の人間中心主義が崩壊したのであるから。
 先に、ポスト・オクシデント(ポスト西洋)と言ったが、正に、そうであるが、今は、出西洋、Exoccident(エクソクシデント)と言いたい。
 とまれ、主題はそれではなく、先に、触れた太陽系的『気』エネルギーによる地震仮説である。
 先のは、まったく、思考実験であり、あくまで暫定的である。本日、考えたのは、太陽の『気』エネルギー(陰陽エネルギー)を中心とした太陽系ベクトル・モード的地震仮説である。
 即ち、太陽を凸i*凹iと表現すると、凸i*凹i⇒凸において、⇒がベクトル・モードとなり、凸が表現体である。端的に、凸は太陽系である。
 すると、太陽ベクトル・モードに太陽系の諸惑星(小惑星や月を含めて)が形成されることになる。
 ここで、考察を簡潔にするために、太陽と太陽ベクトル・モードにおける地球(あるいは、地球と月)の関係を考える。
 太陽ベクトル・モードは、太陽陰陽『気』エネルギーによって形成されるのであり、太陽陰陽『気』エネルギーが活性化するとき、当然、恒常的な関係が変化して、その活性化に即した太陽ベクトル・モードのためのエネルギーが発生すると考えられる。
 最近は太陽活動が盛んであり、来年は黒点が最大化する。それは、太陽陰陽『気』エネルギーの賦活と考えると、当然、太陽ベクトル・モードのエネルギーが活性化して、地球へのエネルギー、『気』エネルギーが活発となり、そのため、地球のマグマ等の活動に影響を与えると考えられる。その結果、火山噴火や断層の活性化による地震が増大すると考えられるだろう。
 だから、結局は、太陽陰陽『気』力学を明確にすることで、地球での地震発生のメカニズムが明らかになるのではないだろうか。それは、当然、月との関係も考慮に入れなくてはならないが。
 思いつきであるが、地球と月との関係は、太陽と地球との関係との相似で説明できないだろうか。そう、ここで、フラクタルの考えが基本になるようである。
 今はここで留める。


2011年03月12日(Sat)▲ページの先頭へ
PS理論から、地震発生力学仮説を考える:太陽と地球の共振:太陽系的「気」=「エーテル」的共振活動
テーマ:マニ教とPS理論:光と闇の陰陽双極子

簡単にするため、太陽と地球の差異共振エネルギーが地震を起こすとしよう。実際は、月や他の惑星の関係、そして、銀河系やその他の天体を考慮する必要があるが、やはり、いちばん大きな関係は太陽と地球の関係と考えられるので、二つの「星」の関係から地震を考える。
 思うに、太陽を凸i、地球を凹iとする。両者は差異共振する。

凸i(太陽)*凹i(地球)⇒凸(地震)

又は、

凸i(Sun)*凹i(Earth)⇒凸(Earthquake)

である。
 差異共振エネルギーとは、物理学的には電磁波であるが、これまでの検討から、「気」=精霊振動(自然精霊エネルギー)である。
 太陽自体の活動の活発化は、「気」エネルギーを強化すると考えられる。それで、地球の「気」エネルギーが活発になるのである。
 この「気」が、地球のプレートに作用すると考えられる。例えば、大陸プレートと太平洋プレートの差異的境界に「気」エネルギーが働きかけると考えるのである。
 両プレートはいわば、衝突しているのであるから、ここでも、
凸i*凹iの関係を見ることができるが、それはおいておく。
 とまれ、二つのプレートの境界に「気」エネルギー=精霊振動(精霊エネルギー)が作用すると、両者は振動を起こすと考えられる。それが、大きく、二つのプレートをずらすことになると考えられる。それが、地震である。
 これは、いわば、太陽・地球差異共振地震力学である。

追記:どういうわけか、私は飲料水を段ボールで、5箱くらい買っておいた。初めてである。水道の水が泥臭くまずいので、安く売っていたものを買ったのである。
 また、3月5日の茨城県の海岸でのクジラの打ち上げを見て、最近では珍しく、地震予想をしてみたのである。昔はカラスが鳴き声が多く発生したとき、予想してみたが、これが、うまく当たらないのである。
 おそらく、動物は異常な「気」エネルギー(⇒電磁波)に反応しているのだろう。しかし、動物の異常な行動があっても、必ず、地震が起きるということではない。可能性は高くなったが、必要・十分な条件ではない。(追記:つまり、閾値があるのである。それにエネルギーが達しないと地震は発生しないということである。)

追記2:重力、万有引力のことも考えないといけないが、重力も超量子論的に、つまり、PS理論から見ると、「気」=「エーテル」=自然精霊によって発生すると考えられるので、以上の説明は妥当性があると言えよう。

追記3:以上の視点から、コスモス理論ができるだろうし、占星術も乗り越えて、コスモス精神力学が形成されるだろう。

参考:
プレートテクトニクス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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地殻を構成するプレート群 色分けされた領域が一枚のプレートである。例えば太平洋プレートは肌色で示されている。

プレートテクトニクス(plate tectonics)は、プレート理論ともいい、1960年代 後半以降に発展した地球科学 の学説 。地球 の表面が下図に示したような何枚かの固い岩板(プレート と呼ぶ)で構成されており、このプレートが対流するマントル に乗って互いに動いていると説明される。
プレートとは [編集 ]
地球の内部構造 薄い地殻 の下に上部マントル と下部マントル があり、中心部の白っぽい部分は核 。プレートは地殻と上部マントルの最上部が一体となった岩板

詳細は「プレート 」を参照

地球は半径約6,500kmであるが、その内部構造を物質的に分類すると外から順に下記のようになる。

1. 深さ約10km〜30kmまで : 地殻
2. 深さ約670kmまで : 上部マントル
3. 深さ約2,900kmまで : 下部マントル
4. 深さ約5,100kmまで : 外核 (外部コア)
5. 中心 : 内核 (内部コア)

地殻とマントルは岩石 で構成されており、核は金属 質である。マントルを構成する岩石は地震波 に対しては固体 として振舞うが、長い時間単位で見れば流動性を有する。その流動性は深さによって著しく変化し、上部マントルの最上部(深さ約100kmまで)は固くてほとんど流れず、約100km〜400kmまでの間は比較的流動性がある。地殻と上部マントル上端の固い部分を合わせてリソスフェア (岩石圏)と呼び、その下の流動性のある部分をアセノスフェア (岩流圏)と呼んで分類する。この厚さ約100kmの固いリソスフェアが地表を覆っているわけであるが、リソスフェアはいくつかの「プレート」という巨大な板に分かれている。

地球表面が2種類のプレート群からなっていることは、地球表面の高度や深度の分布の割合にもあらわれている。地球表面は大陸と大陸棚 からなる高度1,500m〜深度500mの部分と、深度2,000m〜6,000mの海洋底 と呼ばれる部分が多く、その中間である深度500m〜2,000mの海底は割合が少なくなっている。
プレートの動き [編集 ]
プレートの境界(Illustration by Jose F. Vigil. USGS)

プレートはその下にあるアセノスフェア の動きに乗っておのおの固有な運動を行っている。アセノスフェアを含むマントルは定常的に対流しており、一定の場所で上昇・移動・沈降している。プレートはその動きに乗って移動しているが、プレート境界部では造山運動 、火山 、断層 、地震 等の種々の地殻変動 が発生している。プレートテクトニクスはこれらの現象に明確な説明を与えた。

大局的なプレートの運動は、すべて簡単な球面 上の幾何学 によって表される。また、局地的なプレート運動は平面 上の幾何学でも十分に説明しうる。3つのプレートが集合する点(トリプルジャンクション )は、それらを形成するプレート境界の種類(発散型・収束型・トランスフォーム型)によって16種類に分類されるが、いずれも初等幾何学でその安定性や移動速度・方向を完全に記述することができる。

一般にプレートの運動は、隣接する2プレート間での相対運動でしか表されない。しかし、隣接するプレートの相対運動を次々と求めることで、地球上の任意の2プレート間の相対運動を記述することができる。近年では、準星 の観測を応用したVLBI と呼ばれる方法やGPS によって、プレートの絶対運動も理解され始めている。
発散型境界 [編集 ]

マントルの上昇部に相当し、上の冒頭図では太平洋東部や大西洋中央を南北に走る境界線に相当する。この境界部は毎年数cmずつ東西に拡大している。開いた割れ目には地下から玄武岩 質マグマが供給され新しく地殻が作られている。この部分は海洋底からかなり盛り上がっており、(中央)海嶺 と呼ばれている。また、その付近にはチムニー と呼ばれる熱水の噴出口も多数見つかっている。

発散型境界は、(中央)海嶺が有名だが、陸上にも存在する。アフリカ の大地溝帯 やアイスランド などが知られている。双方とも大規模な正断層 が発達している。
収束型境界 [編集 ]
沈み込み型:海洋−大陸
沈み込み型:海洋−海洋
衝突型

上図の日本 周辺やインド北部 に相当。

沈み込み型
東北日本の東の海中では、約1億年前に太平洋東部で生まれた太平洋プレート(比重 の大きい海洋プレート)が東北日本を載せた北アメリカプレート(比重の小さい大陸プレート)に衝突している。重い太平洋プレートは軽い北アメリカプレートにぶつかって、斜め下 40〜50°の角度で沈み込んでいる。プレートが衝突して沈み込む部分は海溝 となり、衝突した岩盤が互いに動くことで地震 が発生する。地下深く沈んだ太平洋プレートから分離された水が周辺の岩石の融点を下げるためマグマ が発生し、多くの火山 を生成する。太平洋プレートに衝突され押された北アメリカプレートは、圧縮応力を受けてひび割れ、たくさんの断層が発生し北上山地 などが生まれた。
また、海嶺で作られて以来、長い時間をかけて海の底を移動してきたプレートには、チャート 、石灰岩 、砂岩 、泥岩 といった多くの堆積物 が載っているため、プレートが沈み込む際に陸側のプレートに張り付く現象が起こることがある。これを付加と言い、そうしてできたものを付加体 と呼ぶ。日本列島 もこのようにしてできた部分が多い。
衝突型
現在でも活発で大規模な大陸衝突が起きているのはヒマラヤ だけである。元来南極大陸 と一緒だったインドプレートが分離・北上して、約4,500万年前にアジアプレートと衝突しそのままゆっくり北上を続けている。大陸プレート同士の衝突のため、日本近海のような一方的な沈み込みは生起せずインドプレートがユーラシアプレートの下に部分的にもぐりこみながら押し上げている。その結果 8,000m級の高山が並ぶヒマラヤ山脈 や広大なチベット高原 が発達した。
規模は小さいながらも衝突運動が現在でも進行している地域としては、ニュージーランド (南島 )や台湾 が挙げられる。これらは世界で最も速く成長している山地であり、台湾の隆起速度は海岸線でも年間5mmを超える。
日本においては、日高山脈 や丹沢山地 が衝突型造山帯である。特に丹沢山地は伊豆半島 の衝突によって出来たものであり、この衝突過程は現在も進行中である。ただし、日高は活動を終えている。
過去の大規模な大陸衝突の跡は多く見つかっている。有名なものは、ヨーロッパアルプス 、アパラチア山脈 、ウラル山脈 などだろう。大陸衝突の過程には未知の部分が非常に多く残っている。その理由は、沈み込み型境界では、深部で発生する地震の位置から地下のプレート形状を推定できるのに対して、大陸衝突帯では深部で地震が発生しないからである。

トランスフォーム型境界 [編集 ]

詳細は「トランスフォーム断層 」を参照

すれ違う境界同士の間では、明瞭な横ずれ断層(トランスフォーム断層 )が形成される。アメリカ西部のサンアンドレアス断層 やトルコ の北アナトリア断層 などが有名で、非常に活発に活動している。

サンアンドレアス断層は大陸上にあるが、一連の海嶺 の列(大西洋中央海嶺や東太平洋海嶺など)の間で個々の海嶺と海嶺をつなぐものが多数を占める。

理論上は、2プレート間の相対運動軸を通る大円 に直交 し、海嶺とも直交する。
プレートテクトニクスの証拠 [編集 ]
中央海嶺と周囲の磁化された岩石の分布 溶岩はキュリー点 を下回ると同時に磁化され、磁区の方向がそろう(熱残留磁気)。一方、地球の磁場が何度か逆転したことは、火山研究から生まれた古地磁気学により実証されている。中央海嶺周辺の岩石を調べると、海嶺と並行して磁化の方向が現在と同じ部分(着色部)、逆の部分(白)が左右に同じパターンをなして並んでいる。以上の証拠から、海洋底が中央海嶺を中心に拡大したことが推論できる。

地球は、地表を覆う地殻、その下のマントル、そして中心にある核の3つに分けられる。マントルは大きくは上部マントルと下部マントルに分かれる。その上部マントルは最上層、低速度層(アセノスフェア、岩流圏)、遷移層に分けられる。下部マントルはメソスフェア(固い岩石の層)と呼ばれる。

地殻とマントルの最上層を合わせてプレート(リソスフェア、岩石圏)と呼ばれる。プレートは大きく見ると十数枚に分けることができるが、それぞれのプレートは対流 していると推定されるアセノスフェアの上に乗った状態になっており、アセノスフェアの対流によって、それぞれ固有の方向へ年に数cmの速さで動かされることになる。この結果、プレートどうしがぶつかり合うことになり、さまざまな変動を起こしている。

1950年代 に入ってから、地球物理学 の分野で各大陸の岩石に残る古地磁気 を比較することで、磁北移動の軌跡を導き出し、その考察の結果を受けて、海洋底拡大説を基に、大陸移動説のプレートの概念を導入して体系化されていった。

海嶺はプレートが生産され両側に広がっている場所であるが、海嶺周辺の地磁気 を調査したところ、数万年毎に発生する地磁気の逆転現象が海嶺の左右で全く対称に記録されており、海嶺を中心として地殻が新しく生産されている証拠とされた(ヴァイン・マシューズのテープレコーダーモデル)。一方の海溝では、日本海溝に第一鹿島海山が沈み込んでいる様子なども観察されている。

またこれら地学的な現象のみならず、陸上古生物の分布状況なども、「大陸が動いて離合集散した」状況証拠とされている。


プレートの一覧 [編集 ]

詳細は「プレート 」を参照

7つの大きなプレートといくつかの小さなプレートのあることが知られている。

* ユーラシアプレート  ユーラシア大陸や日本など
* 北アメリカプレート  北アメリカ大陸やオホーツク地方など
* 太平洋プレート  太平洋
* フィリピン海プレート  フィリピン海
* インドプレート  インド半島
* オーストラリアプレート  オーストラリア
* アラビアプレート  アラビア半島
* アフリカプレート  アフリカ大陸や大西洋南東部など
* 南アメリカプレート  南アメリカ大陸や大西洋南西部など
* スコシアプレート  大西洋南部
* ナスカプレート  ペルー沖
* ココスプレート  中米沖(太平洋側)
* ファンデフカプレート  アメリカカリフォルニア沖
* カリブプレート  カリブ海
* 南極プレート  南極大陸など

過去に存在したプレート [編集 ]

* イザナギプレート
* クラプレート
* ファラロンプレート
* バンクーバープレート

参考文献 [編集 ]
この節は執筆の途中です この節は執筆中 です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています 。
関連項目 [編集 ]
ウィキメディア・コモンズ
ウィキメディア・コモンズ には、プレートテクトニクス に関連するカテゴリがあります。

* プルームテクトニクス
* ホットスポット (地学)
* 地磁気
* 地向斜
* 竹内均

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%86%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%8B%E3%82%AF%E3%82%B9


2011年03月10日(Thu)▲ページの先頭へ
気(=精霊振動)について:「エーテル」の復活:新東洋知、新マニ教としてのPS理論
気(=精霊振動)について:「エーテル」の復活:新東洋知、新マニ教としてのPS理論


テーマ:神道ルネサンス:気と東洋文明:新マニ教


今日は少し余裕があるので、常日頃感じている『気』(以下、気)エネルギーについて簡単に触れてみたい。気功師が発する気を調べると、電磁波が検出される。しかしながら、気=電磁波ではない。気は精霊振動と考えられる。それは、物理的には電磁波という事象をもたらすが、本体は精霊エネルギーである。PS 理論的に言えば、凸iと凹iの極性共振エネルギーである。そして、これは、思うに、有機生命体に限らず、無機物にも存すると思われる。
 とまれ、一番身近なものは、自然に近い土地、大地におけるそれではないだろうか。そこには、四大(地水火風)の気・精霊振動が強く働いていると感知されるのである。私は空気の気・精霊振動を強く感じる。一見、植物の気のように思われるかもしれないが、空気の気の方が強いと思う。なぜならば、例えば、東京のやや郊外の緑の多い公園よりは、気は、自然の多い土地の方が強いと感じられるからである。
 かつて物理学では、「エーテル」の存在を想定していたが、その後、相対性理論等によって、否定されたが、気ないしエーテル体を考えると、当然、「エーテル」の実在を考えていいのである。
 なぜ、否定されたかといえば、「エーテル」を物質として想定したからと考えられる。「エーテル」は気、精霊振動であり、物質ではないから、物質的科学の物理学では、観測できなかったと考えられる。
 とまれ、高次元としての「エーテル」を復活させると物理学は進化すると言えよう。言うならば、超物理学となるだろう。それは、量子論にもあてはまり、超量子論となるだろう。
 そして、「エーテル」の本源として、第三象限の「光」を認識することになるだろう。これは、物理学と精神学との統一を意味する。高次元科学とも言える。
 これによって『光』の本質が理解されるようになる。物質世界で見る「光」は、いうならば、物質的光である。しかし、それは、気=精霊振動によって発生しているのである。つまり、「エーテル」によって発生しているのである。そして、この「エーテル」は、本源的に、第三象限の『光の世界』から生まれているのである。
 とまれ、東洋文化においては、気=精霊振動は伝統的であり、美術、芸術、宗教、哲学、他において、本質、本体であったが、近代西洋化によって、つまり、唯物論化、物質主義科学によって、否定されたと言える。言い換えると、本来、東洋文化と近代西洋文化は齟齬を来たすのであり、前者を肯定するならば、後者を乗り越える必要があるのであるが、これまで、少数のパイオニア的人物を除いて、それは為されずに、逆に、後者が前者を否定・排除していったのである。
 比較的近年においては、東洋文化の研究者と量子力学の研究者が共同討議したことがあったが、類似点ないし相似点を見出したものの、理論的な接点、整合的な接点は発見できなかったと考えられるが、今や、今日のマニ教というべきPS理論によって、それは成就されたと考えられるのである。トランス・モダン科学というよりは、トランス西洋科学であり、新東洋科学である。あるいは、東洋的哲学や数学の視点によって、西洋科学・哲学を超越包摂的に乗り越えて、新東洋的哲学・科学が誕生したということになるのである。
 

参考:
エーテル (物理)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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地球は光を伝える「媒質」であるエーテルの中を運動していると考えられていた。

エーテル (aether, ether, luminiferous aether) は、主に19世紀 までの物理学 で、光 が伝播 するために必要だと思われた媒質 を表す術語であった。現代では特殊相対性理論 などの理論がエーテルの概念を用いずに確立されており、エーテルは廃れた物理学理論 の一部であると考えられている。

このエーテルの語源はギリシア語 のアイテール (αιθήρ) であり、ラテン語 を経由して英語になった。アイテールの原義は「燃やす」または「輝く」であり、古代ギリシア以来、天空を満たす物質を指して用いられた。英語ではイーサーのように読まれる。
光とエーテルの歴史 [編集 ]

空間に何らかの物質が充満しているという考えは古くからあったが、17世紀以後、力や光が空間を伝わるための媒質としてエーテルの存在が仮定された。その端緒の一つはデカルト に見られ、デカルトはぶどうの樽のぶどう酒のようにあらゆる物質の隙間を埋める「微細な物質」を想定してそれが光を伝達させるのだとした。また惑星はその渦に乗って動いていると考えた[1] 。

ニュートン は、光の実体は多数の微粒子であると考えた。これは、光が直進することや物体表面で反射されるという事実に基づく仮定であった。しかし、光が粒子であると仮定すると、屈折 や回折 を説明することが難しいという問題があった。屈折を説明するために、ニュートンは『光学』(1704年 )で「エーテル様の媒質 (aethereal medium)」が光よりも「速い」振動を伝えており、追いこされた光は「反射の発作」や「透過の発作」の状態になり、結果として屈折や回折が生じると述べた。この発作とは、ニュートン環 などで見られる干渉縞 を説明するための仮説である。屈折面を通過した光の粒子は過渡的な状態になり、「反射の発作」の状態と「透過の発作」の状態を一定の間隔で遷移する。そして次の屈折面を通過する際に、その粒子が「反射の発作」の状態であれば反射され、「透過の発作」の状態にあれば透過する[2] 。ニュートンはこれらの「発作」のしくみについては説明しなかったが、これは今日でいう、光子の位相 の概念に相当する。ニュートンは、このエーテル様の媒質の振動は熱放射 、すなわち真空中でも熱が伝わるという事実に関係があると考え、次のように述べた。

空気を排出して真空の空間を作ったとしても、そこに空気より微小な媒質が残存し、その媒質の振動により熱が伝えられるのではあるまいか?そして、その媒質は光をして屈折または反射せしめる媒質と同一であり、その振動によって光は物体間の熱輸送を行い、さらに、その振動によって光は反射や透過の発作に至るのではあるまいか?[3]

ホイヘンス は、ニュートンよりも前に、光はエーテル中を伝播する縦波 であるとの仮説を唱えたが、ニュートンはこの考えを否定した。もし光が縦波であるならば、その進行方向以外に特別な方向を持つことができず、偏光 のような現象は考えられない。従って、偏光の向きによって屈折の具合が変わる複屈折 などの現象を説明することができないのである。この点について、ニュートンは光の粒子は球形ではなく、その「側面」の向きの違いによって複屈折が起こると考えた。ニュートンが光は波ではないと考えた理由は他にもあった。もしエーテルが空間中に充満していて、エーテル同士の相互作用により光が伝わるのであるならば、エーテルが巨大な物体、すなわち惑星 や彗星 の運動に影響を与えないと考えることは困難である。しかし現実にはそのような影響は観測されていないのであるから、エーテルは存在しないと考えたのである。

ブラッドリー は1728年 に、地球の位置、つまり季節による恒星が見える位置のずれ(年周視差 )の測定を試みて失敗した。しかし、この際に、地球の運動による恒星の見かけ上の位置のずれ、すなわち光行差 を発見した。ブラッドリーは、これをニュートンの理論に沿って解釈した。つまり、光の微粒子が飛んで来る見かけ上の方向は、地球の運動の向きと速さに依存すると考えることで測定結果を合理的に説明でき、さらに、地球の運動の速度と光行差から光の速さを知ることができたのである。これは、鉛直に落下する雨粒が、高速で移動する電車の中からは斜めに降っているように見える、という現象と同様の解釈である。一方、光がエーテルの振動であると考える場合には、光行差を説明することは困難であった。なぜならば、地球がエーテル中を運動しているにもかかわらず、地球の周りのエーテルは掻き乱されずに静止している、つまり地球とエーテルは殆ど相互作用をしないということになるからである。ニュートンは、この考えを受け入れなかった。

しかし、19世紀 の物理学者ヤング とフレネル は光は波動であると考えた。彼らは、光が横波 であると考えるならば、波の振動の向きによって偏光を考えることができ、複屈折を説明することができると指摘した。さらに、回折について様々な実験を行うことにより、ニュートンの粒子モデルを否定した。しかし、当時の物理学では、光の波が伝播するためには、水面の波や音の波と同様に何らかの媒質が必要であると考えられており、ガス状のエーテルが空間に充満している、というホイヘンスの考えが支持されていた。

とはいえ、光を媒質中の横波と考えるのは困難である。なぜならば、横波を伝えるためには、エーテルの個々の粒子は強く結合して紐のようなものになっていなければならず、流体状のエーテルでは縦波しか伝えることができないからである。この強固な結合を持つ紐状のエーテルが普通の物質と相互作用しないと考えるのは奇妙であり、ニュートンやホイヘンスが縦波にこだわったのは、このためである。コーシー は、エーテルが普通の物質に引きずられる と考えたが、そうすると今度は光行差を説明することができなくなってしまう。コーシーは、また、エーテル中に縦波が発生しないということから、エーテルの圧縮率 は負であると考えた。グリーン は、このような流体は安定に存在し得ないと指摘した。一方、ストークス は引きずり仮説を支持した。彼は、個々のエーテル粒子は高周波で振動しつつも全体として滑かに動くようなモデルを構築した。このモデルにより、エーテル同士は強く相互作用し、故に光を伝え、かつ、普通の物質とは相互作用しないという性質が説明された。

後年、マクスウェルの方程式 から電磁波 の存在が予想され、さらにヘルツ は電磁波の送受信が可能であることを実験的に示した。マクスウェルの方程式によれば、電磁波が伝播する速さcは誘電率 εおよび透磁率 μとの間に

c^2 = \frac{1}{\varepsilon \mu}

の関係があり、この速さは、実験的に知られていた光の速さと一致した。この事実から、光は電磁波の一種であると推定された。しかし、ニュートン力学 の基準系 、つまりガリレイの相対性原理 に従うならば、光の速さは、その光と同じ方向に進む観測者からは遅く、逆方向に進む観測者からは速く見えるはずである。上式によれば、観測者の運動にかかわらず光の速さは一定である。従って、上式のような関係は一般には成立できないと考えられた。そこで、エーテルの運動を基準とした絶対座標系が存在し、その座標系でのみマクスウェルの方程式は厳密に成立すると推定された。マクスウェルやフィッツジェラルド らは、このようなエーテルのモデルを提唱した。なお、今日の特殊相対性理論 の観点からは、マクスウェルの方程式は常に成立し、ガリレイの相対性原理が不正確なのだと考えられている。

しかし、これらのモデルでは、エーテルが持つ機械的性質は、実に奇妙なものにならざるを得なかった。すなわち、空間に充満していることから流体 でなければならないが、高周波の光を伝えるためには、鋼 よりもはるかに硬くなければならない。さらに、天体の運動に影響を与えないという事実から、質量 も粘性 も零のはずである。さらに、エーテル自体は透明で非圧縮性 かつ極めて連続的でなければならない。

マクスウェルは、ブリタニカ百科事典 に次のように書いた:

Aethers were invented for the planets to swim in, to constitute electric atmospheres and magnetic affluvia, to convey sensations from one part of our bodies to another, and so on, until all space had been filled three or four times over with aethers.... The only aether which has survived is that which was invented by Huygens to explain the propagation of light.

(参考訳)

エーテルは、惑星の泳動、電磁気の振る舞い、そして我々の日常に起こる様々な事象を説明するために発明された。しかし、辻褄を合わせるためには、エーテルの理論は三重にも四重にも変更され、複雑怪奇なるものとなった。...結局のところ、ホイヘンスが光の伝播を説明するために発明したもの以上に納得できる理論は、残らなかった。

20世紀 初頭まで、エーテルの理論は混迷を極めた。19世紀 後半から、マイケルソン・モーリーの実験 を始めとする、エーテルの性質を明らかにする試みが為されたが、それらは失敗に終わった。これらの実験結果に対する合理的な説明は、ローレンツ とフィッツジェラルドによってローレンツのエーテル理論 として与えられた。この理論によれば、長さの収縮 および時間の遅れ のために、この種の実験によってエーテルの運動を検出することはできないのである。また、彼らの理論と数学的に等価である特殊相対性理論により、エーテルの存在を仮定することなく実験結果を説明することができた。結果として、オッカムの剃刀 を用いるならば、エーテルは物理学の理論から除外されることになった。

エーテルと古典力学 [編集 ]

エーテル仮説の最たる困難は、ニュートンの力学とマクスウェルの電磁気学の整合性であった。ニュートン力学はガリレイ変換 の下で不変 であったが、マクスウェルの電磁気学はそうでなかった。従って、厳密には、少なくとも一方の理論は誤りであると考えざるを得ない。

ガリレイ変換とは、観測者の視点 を変えることである。例えば時速80キロメートルで走る電車の中を、進行方向に向かって時速4キロメートルで歩いている乗客は、別の乗客からは、もちろん、時速4キロメートルで動いているように見える。しかし、電車の外にいる人からは、この乗客は時速84キロメートルで動いているように見える。見る人が変われば運動も異なって見える、その見え方の違いを定式化したものがガリレイ変換である。そしてニュートンの運動方程式 は、ガリレイ変換をしても、つまり誰から見ても、成立する。このように、常に成立することを「不変」という。

しかしながら、マクスウェルの方程式によれば、光の速さは誘電率と透磁率から定まるのであるが、この値は、観測者の運動に依存しない。つまり、電車に乗っている人にとっても、外にいる人にとっても、光の速さは同じでなければならないことになる。すなわち、マクスウェルの方程式はガリレイ変換について不変ではない。全ての物理学理論はガリレイ変換について不変であるべきだと考えられていたため、「エーテルに対する絶対座標系」が存在し、マクスウェルの方程式はこの座標系においてのみ厳密に成立すると考えられた。

そこで、地球の、絶対座標系に対する運動に関心が持たれるようになった。マクスウェルは1870年代後半に、地球の運動が光の速さに及ぼす影響を調べることで、地球の絶対座標系に対する運動を知ることができると述べた。光の進行方向が地球の進行方向と一致すれば光は遅く見え、逆方向であれば光は速く見えるはずである、と考えたのである。季節あるいは昼夜が変化すれば観測者の運動の方向が反転するが、この運動の変化は光の速さに比べて小さいものの、検出不可能なほど小さくはないと考えられた。すなわち、地球はエーテルの中を進んでいるのであるから、地上ではいわば「エーテルの風」が吹いていることになり、これは光速の変化として捉えられると考えたのである。
実験 [編集 ]
マイケルソン・モーリーの実験は、直交する二つの経路を進むのに光が要する時間を比較するものである。これは、絶対座標系の不存在を確認する実験手法として広く用いられている。

19世紀 後半には、この「エーテルの風」の効果を調べる実験が数多く行われた。しかし、それらの多くでは、実験精度の不足により満足な結果を得ることができなかった。しかしマイケルソン・モーリーの実験 では、ハーフミラー を用いることにより、直交する二つの経路を進むのに光が要する時間の差を高精度で測定することができた。1887年 に、彼らはエーテルの風による影響は観測されなかった、との結果を報告した。これは、エーテルの概念に重大な誤りがあることの証左であると考えられた。同様の実験は、多くの物理学者によって、装置の精度を向上させながら繰り返し行われたが、ついにエーテルの風は検出されなかった。

これらの「エーテルの風」の実験結果について、エーテルの概念そのものを否定する意見と、エーテルは従来考えられていたよりも複雑な性質を持つが故に検出されなかったとする意見に分かれた。特に後者については、エーテルが地球に引きずられる ことによりエーテルの風が極めて弱くなる、との考えが支持されていた。しかし、既に指摘されていたように、エーテル引きずり仮説には、光行差を説明できないという問題があった。この仮説の直接的検証はハマールの実験 によって為された。この実験では、光に巨大な鉛ブロックの間を通過させることにより、エーテルの運動が質量に引きずられるかどうか調べられた。そして、そのような引きずりは起きないことが確認されたのである。

この問題に対する解決はローレンツ・フィッツジェラルド収縮仮説 によって為された。すなわち、エーテル中を運動している一切の物体は、エーテルに対する運動の向きに沿って縮むと仮定されたのである。この仮説によれば、マイケルソン・モーリーの実験によりエーテルの風が検出されなかったのは、装置がエーテルの風向きと平行に縮んでいたために、光速の変化と光の移動距離の変化が相殺されたからである。フィッツジェラルドは、この仮説のヒントをヘヴィサイド の論文から得た。この仮説の検証はケネディ・ソーンダイクの実験 によって1932年 に為され、装置の収縮および光の振動数の変化が、予想された値と一致すると結論された[4] 。

エーテルの性質を調べる有名な実験としては、他に1851年 にフィゾー が行った実験が挙げられる。これは1818年 にフレネルが予言した「速度vで動いている屈折率 nの媒質中において、vと同じ方向に進む光の速さは、真空中の光速をcとして

\frac{c}{n} + \left( 1 - \frac{1}{n^2} \right) v

である」という法則を確認したものである。これは、スネルの法則 や光行差を矛盾なく説明するための仮説であった。当初この仮説は、エーテルが物質に引きずられるために、光速の変化は媒質の速度よりも小さくなる、と解釈された。しかし、この解釈はウィルヘルム・ヴェルトマン が、フレネルの式中のnが光の波長 に依存することを実証したため、エーテルの運動は波長に依存し得ないことから、否定された。さらに、特殊相対性理論の観点から、フォン・ラウエ により、フレネルの式はvがcよりも十分小さい場合にのみ成立し、一般の式は

\frac{c/n + v}{1 + \frac{v c/n} {c^2}} \approx \frac{c}{n} + \left( 1 - \frac{1}{n^2} \right) v + O\left(\frac{v^2}{c^2}\right).

であることが1907年 に示された。また、1913年 に発見されたサニャック効果 や1925年 のマイケルソン・ゲイル・ピアソンの実験 の結果は、特殊相対性理論による予想と合致するものであった。

1920年代 には、デイトン・ミラー によってマイケルソンと同様の実験が繰り返され、エーテルの風の存在を示唆する結果が得られた。しかし、これは従来のエーテル理論から予想される値よりも極めて小さく、また、他の研究者による追試 ではミラーの結果は再現されなかった。後年の研究では、ミラーは温度変化による実験結果への影響を過小評価していたのだと考えられた。さらに高精度の実験が繰り返されたが、ついに、特殊相対性理論と矛盾する結果は得られなかった。
エーテルの否定 [編集 ]

前述の「エーテルの風」の実験結果についてエーテルの風が検出されなかったことは、エーテルの概念そのものを否定する意見を生み出した。そして、アインシュタインの特殊相対性理論はエーテルの実在性を根本から完全否定するに至った。ローレンツがエーテルを基準とした絶対座標系の存在を考えたのに対し、アインシュタインはエーテルも含めた絶対座標系及び絶対性基準は特殊相対性理論を根本から否定するとし、その存在を否定した。これは「相対性」理論と称される所以となっている。

アインシュタインは、より根本的な原理から「長さ」や「時間」といった性質を導出できるはずであると考えた。そして、ローレンツ変換 をマクスウェルの方程式から切り離し、時空間の性質を表す基本的な法則であると仮定した。また、アインシュタインは「エーテル」を物質を表わす言葉とせず、真空であっても空間には重力場や電磁場が存在することから、こうした空間を「エーテル」と呼ぶことを提唱した。この場合、エーテルには位置という概念が存在せず、従って「エーテルに対する相対運動」を考えることは無意味となる[5] 。

アインシュタインが相対性原理を最も根本的な原理として考えたのに対し、特殊相対性理論の基礎を造ったローレンツは相対性原理の根本がエーテルであると考え、「長さの収縮」や「時間の遅れ」に表されるように、物体の特性はエーテル中の運動により変化すると考えた。アインシュタインとの違いは、長さや時間について絶対的な基準を設けることを可能と考えるか否かである。これは物理哲学 の問題であるため、決着はついていない。従って、エーテルの実在性は完全には否定されていないと言える。

「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%AB_(%E7%89%A9%E7%90%86) 」より作成


2011年03月05日(Sat)▲ページの先頭へ
精神と自然Z:ベクトル凸i*ベクトル凹iの自然的陰陽原理と特異点凸i*特異点凹iの人間的陰陽原理
テーマ:マニ教とPS理論:光と闇の陰陽双極子

今は余裕がないので、簡単に指摘するに留める。
 これまで、自己精神的陰陽原理と自然的陰陽原理を統一させようとしてきたが、まだ、不整合である。
 先に直観したのは、凸iではなく、凸iベクトル、凹iではなく、凹iベクトルを自然的陰陽原理に考えれば、解決するのではないかということである。
 すなわち、凹⇒ベクトル凸i*ベクトル凹iとみるのである。そして、ベクトル凸iにおける凸i、ベクトル凹iにおける凹iを特異点として考えるのである。
 各特異点が、先に述べた超越絶対的即自と超越絶対的対自となると考えるのである。
 思うに、自然的陰陽原理においては、ベクトル凸i*ベクトル凹iが常時変動的に変化していると考えられるが、人間において、凸iと凹iが特異点となり、人間の認識・意識の基盤になっているのではないかと作業仮説するのである。
 問題は凸iと凹iがどのように特異点となるのか、である。直観で言えば、例えば、ベクトルが凸iに収束する場合とは、結局、実軸の要素が消えるのであり、その点で、脱物質的、つまり、超越的である。
 また、反対に、ベクトルが凹iに収束するときも、実軸の要素が消えるのであり、同様に、脱物質的、超越的である。
 問題はそのように考えても、自己原理の必然性が明確にならないことである。
 思うに、なんらかの力が作用して、凸iと凹iとを固定する必要があるのである。
 シュタイナーの場合は、悪魔アーリマンと悪魔ルシファーは、本来、善であった精神が、進化が止まって生まれたものと述べているのである。これも、いわば、神の深慮に拠るのである。
 ここで、作業仮説であるが、ベクトル凸i*ベクトル凹iにおいて、凸iと凹iのモードを人間精神のモードと考えるのである。そして、その他は、通常の自然的陰陽モードと考えるのである。
 そうならば、自然的陰陽論に、人間的陰陽論を「組み込む」ことができるのである。言い換えると、自然的陰陽であるベクトル凸i*ベクトル凹iにおいて、特異点凸iと特異点凹iを人間的陰陽の極性、すなわち、凸i*凹iと見るということである。
 そうすると、人間は自然から生まれながらも、特異な存在であることがこれでも説明できる。
 今はここで留める。後で整理するようにさらに検討したい。


精神と自然X:太陽凸iと太陰凹iの不連続性:超越絶対的即自と超越絶対的対自:マニ教とPS理論
画像つきは以下を見られたい。
http://ameblo.jp/renshi/entry-10820813688.html
http://d.hatena.ne.jp/antares/20110305

精神と自然X:太陽凸iと太陰凹iの不連続性:超越絶対的即自と超越絶対的対自:マニ教とPS理論

テーマ:マニ教とPS理論:光と闇の陰陽双極子

凸i(「太陽」:陰陽の太陽)は、すべてと「わたし」が一致しているというか、「わたし」しか存しない精神モードであり、凹i(「太陰」:陰陽の太陰)は、逆に、「わたし」はすべてに「溶け込んで」いる精神モードと考えられる。
 有り体に言えば、前者が絶対的自我であり、後者が絶対的他者である。
 後者はいわば、非自我であるが、私はなんらかの「わたし」がそこには基底に存すると直観する。いわば、非自我的自己が存するのではないだろうか。先に述べた、「闇」の「わたし」である。そう、陰の「わたし」である。森羅万象に融け込んでいる「わたし」である。D. H. ロレンスがコスモスと呼んだものは、ここに関係しよう。
 言い換えると、前者は自己絶対主義の「わたし」であり、後者は宇宙主義の「わたし」である。
 前者はまた、超越的絶対的自己主義であり、後者は超越的絶対的他者=自己主義である。
 両者ともに、超越的存在凹に基づくが、前者においては、いわば、即自的モードであり、それを認識できないが、後者においては、対自的モードであり、それを感知しうるのである。ここに、両者の非対称性があると言えよう。
 故に、凹iと凹に基づく第三象限の意義があると言えよう。つまり、超越的絶対的存在と一如になっている自己領域が第三象限と考えられる。
 東洋・日本身体的精神科学において、肚を強調するのは、この点で、核心的である。何故なら、肚が凹iの領域と考えられるからである。
 しかるに、西洋文化は、凸iに傾斜しているために、肚=凹iの領域が認識できないのである。ただし、オカルト主義や神秘主義からわかるように、肚=凹i に接点をもつ精神文化はあるのである。ただし、反動的に、肚=凹iに傾斜すると考えられる。つまり、凸iに対する反動となり、肚=凹iに没入してしまうのである。例をあげれば、詩人・版画家のウィリアム・ブレイクがそうである。
 とまれ、凸i*凹iの双極的自己・個が確認できた。
 では、本題の精神と自然との連関性に関して、さらに考察を続けたい。
 東洋的身体的精神科学では、物質的身体に精神が、言わば、埋蔵されている、つまり、組み込まれているのである。これを測深して、発見し、涵養・陶冶することが、東洋的叡知である。(何度も述べるが、これが、明治近代化、戦後において、失われたのである。ロスト東洋的叡知約一世紀半である。失われた日本である。)
 この物質的身体と精神の関係力学を解明する必要がある。正確に言えば、有機体的身体と精神の関係力学である。
 結局、凸i太陽も凸i太陰も『気』=気霊である。つまり、気霊の特異点として、凸i太陽と凹i太陰を考えるのであり、本源的には、自己・個は『気』=気霊に属すると作業仮説する。
 故に、陰陽双極子において、精神が、自然として、組み込まれているのであり、精神的双極子の組み込まれた『気』=気霊の発現として、精神的有機体的身体としての人間的身体を整合的に説明することができる。
 これで、東洋的身体的精神がPS理論的に解明されたことになる。
 では、ここで、課題のシュタイナー精神科学の問題に返ると、明確にシュタイナー精神科学の自然との乖離性が露呈されるのである。
 即ち、霊=Spiritと、自然=有機体、物質体とが、『気』=エーテル体を挟んで、分離しているのである。明らかに、絶対的二元論であり、東洋的身体的精神科学とは異なるのである。(思えば、以前、その分離的二元論を指摘したことがある。)
 ここでマニ教の視点を入れて、考察すると、マニ教は、シュタイナー精神科学とは異なり、物質世界にも、精神の元素、『光』の粒子を入れているのであるから、絶対的二元論ではないのである。
 ここで、マニ教とPS理論を比較すると、前者の『光』の世界は後者の第三象限に相応し、『光』の粒子は、凹i=肚の意識をもつmedia pointに相応するのではないだろうか。
 そして、物質世界であるが、それは、第一象限である。それを、マニ教は闇の世界と見る。PS理論からは、連続的同一性体という仮構の世界として見るだろう。そう、言い換えると、PS理論的には、物質世界はいわば、バーチャルな世界、仮想世界である。
 だから、マニ教の闇としての物質世界はPS理論の連続的同一性体、バーチャルな世界・仮想世界としての物質世界はやはり、呼応していると言えよう。
 問題は物質世界を悪とするマニ教的視点である。PS理論は、物質世界を悪と見るだろうか。PS理論は、端的に、物質主義、唯物論を絶対的悪と見る。もっとも、物質科学の成果は否定しない。それは、物質という根拠による合理的科学だからである。
 だから、物質世界を物質主義、唯物論の世界と見るならば、マニ教の悪としての物質世界観にPS理論は呼応すると言える。
 Kaisetsu氏は、悪を第四象限に見ているが、この点とマニ教の悪の世界観を比較してみよう。
 現象において、自我は凸iと凹iとの連続的同一性体である。それは、物質世界とリンクしているのである。しかし、自我は、凸iの側面と凹iの側面があるのである。つまり、二重人格的様態なのである。
 ここで、例えば、本音と建前の二重性が生起すると言えようし、これが、近代的日本人の心性の一種の典型である。そう、腹黒いとは正に、凹iの側面に拠るのである。ということで、陰謀、嫉み・嫉妬、悪意、詐欺、等の悪徳は、自我における凹i的側面に拠ると考えることができるのである。故に、その面での悪を考えると、それは、正に、第四象限に存するのである。ただし、それは、物質世界の悪というよりは、物質世界における人間の悪である。
 マニ教の悪の世界観とは、やはり、この面を含んでいると考えられるのである。そう、マニ教の悪の世界観とは唯物論的悪と人間の反感的悪の両面を含んでいると考えられるのであり、PS理論と一致するのである。
 以上からシュタイナー精神科学を論駁・論破し、マニ教とPS理論との本質的共通性を述べた。

参考:人間認識図 (by Mr. Kaisetsu with Mr. Seiseimon's cooperation)

Japonesian Trans-Apocalypse:Trans-Modern New Platonic Trans-Creation

File:Blake Dante Hell V.jpg

Blake's The Lovers' Whirlwind illustrates Hell in Canto V of Dante 's Inferno


2011年03月03日(Thu)▲ページの先頭へ
精神と自然V:陰陽と自己:シュタイナー精神科学批判の試み
テーマ:ゾロアスター教とマニ教:「光」VS「闇」

先に、『精神と自然U:「わたし」と気:内的な灯火と否定=不連続化による超越化』(http://ameblo.jp/renshi/theme-10014593365.html )において、精神領域の自己と自然とを統一する、不十分な試みをした。
 結局、陰陽論とシュタイナーの四元的人間論が噛み合わないのである。
 そこで、思いついたのは、陰陽論に徹する考えであり、凸iとは、陰陽の太陽(絶対的陽)であり、凹iとは陰陽の太陰(絶対的陰)であるという視点である。
 ここで、宗教的視点を入れれば、太陽とはヤハウェ(「父」)であり、太陰とはイエス・キリスト(「子」)である。そして、両者の均衡点が正に、media pointであり、これは、「聖霊」である。
 そして、太陽=ヤハウェ=悪魔アーリマン、太陰=キリスト=ルシファーとすると、両者のバランスとは、media point=聖霊となるのである。
 しかしながら、均衡ポイントをシュタイナーは、キリスト(=アフラマズダー)としているのである。
 PS理論的陰陽論(D. H. ロレンス的王冠=聖霊論)からみると、キリストは、太陰=凹iであり、均衡ポイントにはならないのである。
 これをどうみるのか、である。思うに、シュタイナーが理論的に牽強付会を行っているのではないだろうか。
 私見では、どうも、シュタイナーは、欧州文明の存続を守りがたいために、キリストを固持したように思えるのである。確かに、キリスト教の崩壊を予見しているが、キリストは中心として残しているのである。
 しかし、シュタイナー自身の考えでは、アーリマンとルシファーの均衡点がキリストなのである。しかしながら、上述したように、均衡点は、聖霊にならなくてはならないのである。
 これは、「父」と「子」との均衡・調和としての「聖霊」である。そして、これは、人間認識図では、第三象限に相当する。
 もし、そうならば、シュタイナーのキリストとは何を意味するのだろうか。それは、悪魔ルシファーではないだろうか。凹iである。
 シュタイナー自身も人智学が、ルシファーに傾斜していることを述べているのである。だから、シュタイナーのキリスト=悪魔ルシファーとは考えられることである。
 最後に、ついでに言えば、私はシュタイナーの占星術的人類史観は間違っていると思う。15世紀に新しい西欧の歴史が始まったとして、それは、双魚宮(魚座)文化期を意味するとするが、これは、一般的に占星術的人類史観からはずれているのである。双魚宮(魚座)文化期は、イエス・キリストから始まったと通常考えるのである。即ち、西暦ゼロ年あたりからである。
 やはり、ここにも、シュタイナーの欧州中心主義が見られるように思うのである。
 今はここで留める。


   




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カレンダ
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