INNOVATION OF PHILOSOPHY: GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience - 2010/05

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




[PR]



2010年05月31日(Mon)▲ページの先頭へ
検討問題:可視界と不可視界:位階的スペクトルと高度超越情報:ver2
ガウス平面を考えよう。
 うまく作図できないので、以下の直交座標系を利用したい。即ち、y軸を虚軸と、x軸を実軸とする。そして、x軸の10を1、-10を-1となり、y軸の 10は+i、-10は-iとなる。
 虚軸(y軸)に、イデア(超越情報)があり、それが、Media Pointで振動し、それが、実軸(x軸)へとベクトル的に伸張する。そして、+1の物質へと帰結する(エンテレケイア)。イデア(超越情報)をデュナミスとし、Media Pointの振動をエネルゲイアとする。
 現象界は当然、実軸に形成される。つまり、物質界は+1となる。しかしながら、エネルギー本体はMedia Pointに存する。
 問題は光である。それは、電磁波であり、波動であり、粒子(光子)である。それは、また、質量がない。
 質量がないというのがポイントである。だから、物質ではないのであり、やはり、Media Pointのエネルギーと考えるのが適切である。
 現象とは、この光と物質界の結合である。しかし、光と物質は一致しないのである。不連続なのである。
 つまり、われわれが、通常感覚知覚する現象界・可視界は不連続であるのだが、それを連続的に知覚認識しているのである。(仏教やフッサール現象学はこれを解体し、解明したという大偉業を成し遂げた。)
 言い換えると、Media Pointを同一性(+1)=物質と同一視するという錯誤を犯しているのである。
 私がここで問題にしたいのは、Media Pointであり、また、虚軸世界(虚界)のことである。前者には、超越的双極子(超越エネルギーがあり、後者には、超越的情報(イデアないしはデュナミス)があると作業仮説する。
 光もここに生起するのである。問題は、光の場合は当然、可視光であるが、光以外の超越エネルギー(超越双極子:簡略化して、超極子)が生起すると考えられ、それは、不可視のエネルギーであると考えられるのであり、その不可視エネルギーはどういう意味をもつのかということである。
 言い換えると、虚界と接するMedia Pointにおいて、可視光が生起すると同時に、それ以外の不可視エネルギーが生起するのであり、それは、いかなる意味をもつのかという問題である。
 可視光は視覚知覚され、現象界を形成するので、明快である。しかしながら、不可視エネルギー、あるいは、矛盾した言い方だが、不可視光が生起されるのであるが、それが、通常、一般には認識されていないと考えられる。
 ここでわかりやすく言えば、紫外線や赤外線は感覚知覚できないのである。しかし、それ以外の超越的エネルギー、電磁波が当然あるのである。
 そして、これも作業仮説であるが、虚界には、位階的スペクトルを成す超越情報(イデア)があると考えたい。
 つまり、単に、電磁波の情報が虚界にあるのではなく、位階的な電磁波が存すると思われるのである。
 例えば、叡知体の電磁波情報があるように考えられるし、また、生命を形成するエーテル体(「気」)も存すると考えられるし、また、情感を形成するアストラル体も存するように思われるのである。
 以前、ガウス平面に直交するZ軸を考えて、それを超越情報軸と想定したが、そのように考えるべきか、それとも、虚軸に位階スペクトルを見るべきなのかという問題があるが、今の時点では、後者の考えをとる。もっとも、両者は、統一できるかもしれない。つまり、高度超越情報が、虚界からMedia Pointに伝わり、それで、超越エネルギーが高度超越情報で変調されるという風に考えられなくないからである。つまり、超越エネルギーを搬送波、高度超越情報を信号波として、両者の共振を被変調波と考えるのである。
 とまれ、Media Pointには、位階的スペクトルがあると考えるのであり、それは、不連続的である。喩えて言えば、竹を考えて、その節を不連続性の境界と見るのである。
 このように質的差異を考えると、量的な連続的電磁波的発想を回避できる。例えば、宗教的発想で、通常の電磁波よりも微細な周波数の電磁波を考えて、それを、霊とするような考えである。これでは、電磁波、即、霊となってしまうのである。
 以上のように作業仮説してみると、Media Pointには、明らかに、不可視の諸エネルギーが鬱勃と蠢動奔出しているのであり、通常、一般には、それを無視し、抑圧・排除・隠蔽していると考えられるのであり、この抑圧等が反動化して、暴力的な、狂気的なエネルギーになると考えられる。所謂、無意識とは、これを指すと考えると、的確、正確になるだろう。
 そして、不可視の諸エネルギーには、神霊エネルギー、天使・精霊エネルギー、霊魂エネルギー等の高位エネルギーがあり、また、より低位に情感エネルギーや気エネルギー(エーテル体)等、また、悪意的エネルギー(悪魔・悪霊エネルギー)等があるのではないだろうか。
 また、虚界に記録されている高度超越情報とは、物質界ないしは現象界から見ると、無時間世界にあり、それは、過去・現在・未来の情報であり、アカシック・レコードと阿頼耶識はそれに相応するものと思われる。
 虚界、Media Pointは、虚時間、あるいは、超越エネルギー振動の時間が支配し、それが展開して、現象界を常時生成消滅させているのではないだろうか。
 時空四次元宇宙とは、超越五次元トランス・コスモスの断面のようなものではないだろうか。現世界では、虚界の位階的スペクトル(ヒエラルキー的スペクトル)の超越的彫刻(天刻、天銘記、天記)が不可視なのである。
 ダーク・エネルギーは正しくはこれを指しているのではないだろうか。また、D. H. ロレンスのダーク・ゴッドdark Godもこれを指しているように思えるのである。


参考・参照


直交座標系による平面上の点の座標と四つの象限
             
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B4%E4%BA%A4%E5%BA%A7%E6%A8%99%E7%B3%BB


FM変調の原理 上:搬送波,中:信号波,下:被変調波
 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%A8%E6%B3%A2%E6%95%B0%E5%A4%89%E8%AA%BF  
 


ファイル:Bamboo forest.jpg

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9


ダークエネルギー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ダークエネルギー (dark energy) とは宇宙に存在するエネルギーの半分以上を占めるとされるが正体が明らかでないエネルギーである。「真空 のエネルギー」等がそうとされる。
概要 [編集 ]

ダークエネルギーとは、宇宙 全体に広がって負の圧力を持ち、実質的に「反発する重力」としての効果を及ぼしている仮想的なエネルギー である。宇宙論 研究者のマイケル・ターナーが最初に作った言葉であるとされる。現在観測されている宇宙の加速膨張や、宇宙の大半の質量 が正体不明であるという観測事実を説明するために、宇宙論の標準的な理論(ロバートソン-ウォーカー計量 )にダークエネルギーを加えるのが現在最もポピュラーな手法である。この新しい宇宙論の標準モデルをΛ- CDMモデル と呼ぶ。現在提案されている2つのダークエネルギーの形態としては、宇宙定数 とクインテセンス (quintessence) がある。前者は静的であり後者は動的である。この二つを区別するためには、宇宙膨張を高い精度で測定し、膨張速度が時間とともにどのように変化しているかを調べる必要がある。このような高精度の観測を行うことは観測的宇宙論の主要な研究課題の一つである。
ダークエネルギーの提唱 [編集 ]

宇宙定数 はアルベルト・アインシュタイン によって、静的な宇宙を表すような場の方程式 の定常解を得るための方法として最初に提案された(つまり、実質的にダークエネルギーを重力 と釣り合わせるために用いた)。しかし後に、アインシュタインの静的宇宙は、局所的な非一様性が存在すると最後には宇宙スケールで膨張または収縮が暴走的に起こるため、実際には不安定であることが明らかになった。また、より重要な点として、エドウィン・ハッブル の観測によって、宇宙は膨張しており、静的ではありえないことが明らかになった。この発見の後、宇宙定数は歴史上の奇妙な存在としてほぼ無視されることとなった。

1980年代 には佐藤勝彦 やアラン・グース が、ごく初期の宇宙で宇宙定数が宇宙のインフレーション を起こした可能性を提案した。しかしインフレーションモデルが広く受け入れられた後でも、宇宙定数はごく初期の宇宙においてのみ重要であり、現在の宇宙とは無関係であると信じられていた。しかし、1990年代の終わりに人工衛星 と望遠鏡 の黄金時代を迎えると、遠方の超新星 や宇宙背景放射 を高い精度で測定することが可能になった。これらの観測で驚くべき結果が得られたが、これらの結果のうちのいくつかは、何らかの形でダークエネルギーが現在の宇宙に存在すると仮定すると最も簡単に説明できるものだった。
現象論的性質 [編集 ]

ダークエネルギーには互いに反発する性質があるため、宇宙膨張を加速する原因となりうる。これは物質優勢の宇宙という伝統的な描像で膨張の減速が起こると予想されているのとは対照的である。宇宙の加速膨張は多くの遠方の超新星の観測から示唆されている。

宇宙の全エネルギー密度の研究からも別の議論がもたらされている。理論的・観測的研究から、宇宙の全エネルギー密度は宇宙がちょうど平坦 になる(すなわち、一般相対性理論 で定義される時空の曲率 が大きなスケールで 0 になる)ような臨界密度 に非常に近いことが昔から知られている。(特殊相対性理論 の E = mc2 から)エネルギーは質量 と等価なので、これは通常、宇宙が平坦になるのに必要な臨界質量密度 と呼ばれる。光 を放出する通常の物質の観測からは、必要な質量密度の2-5%しか説明できない。この足りない質量を補うために、ダークマター と呼ばれる目に見える光を放出しない物質の存在が長い間仮定されてきた。しかし、1990年代 に行われた銀河 や銀河団 の観測で、ダークマターをもってしても臨界質量密度の25%しか説明できないことが強く示唆された。もしダークエネルギーが臨界エネルギー密度の残りの約70%を補えば、全エネルギー密度は宇宙が平坦であるのに必要な量と矛盾しなくなる。
推測 [編集 ]

このダークエネルギーの真の正体は現状ではほぼ推測の対象にすぎない。ダークエネルギーは一般相対論の宇宙定数 (Λ) で表される真空のエネルギーではないか、と考える人々も多く、実際、これはダークエネルギーに対する最も単純な説明である。宇宙定数は、時間や宇宙膨張によらず宇宙全体に存在する一様密度のダークエネルギーと解釈できるからである。これはアインシュタインによって導入された形式のダークエネルギーであり、我々の現在までの観測と矛盾しない。ダークエネルギーがこのような形をとるとすると、これはダークエネルギーが宇宙の持つ基本的な特徴であることを示すことになる。これとは別に、ダークエネルギーはある種の動力学 的な場 が粒子的に励起したものとして生まれるとする考え方もあり、クインテセンス と呼ばれている。クインテセンスは空間と時間に応じて変化する点で宇宙定数とは異なっている。クインテセンスは物質のように互いに集まって構造を作るといったことがないように、非常に軽くなければならない(大きなコンプトン波長 を持つ)。今のところクインテセンスが存在する証拠は得られていないが、存在の否定もされていない。

・・・・・
外部リンク [編集 ]

* HubbleSite のプレスリリース: ダークエネルギーの正体に新たな手がかり
* 宇宙の年齢 . 宇宙のエネルギーの組成についても。
* (百科事典)「Dark Energy」 - スカラーペディア にある「ダークエネルギー」についての項目。(英語)
* 宇宙を満たす暗黒エネルギーの存在にさらなる証拠 - 23,000個のクエーサーを対象にした過去最大の重力レンズ 探索で検証 - 2007/9/26 独立行政法人 理化学研究所

「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC 」より作成


D.H.ロレンスのダーク・ゴッドdark God


http://ameblo.jp/gaikokubungaku/entry-10498726796.html

http://ameblo.jp/gaikokubungaku/entry-10498727441.html

外国文学(イギリス文学他)

プランク定数
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション , 検索

プランク定数(プランクていすう、プランクじょうすう、Planck's constant)は、量子力学 の基礎となる単位 を示す物理定数 である。量子力学 の創始者の一人であるマックス・プランク にちなんで命名された。一般に h と記される。

現在科学技術データ委員会 (CODATA) より発表されているプランク定数の値は

h = 6.626\ 068\ 96(33)\times 10^{-34}\ \mbox{J s} = 4.135 667 33(10)\times 10^{-15}\ \mbox{eV s}

である[1] 。CODATA から発表されるプランク定数の値は 4 年ごとに更新される予定となっている[2] 。

また、プランク定数 h を 円周率 π の 2 倍で割った値も原子単位 などで頻繁に利用される[3] ため、「エイチバー」と発音される専用の記号 \hbar = h / 2 \pi (ℏ Unicode U+210F、JIS X 0213 1-3-61)が使われている。\hbarは「換算プランク定数 」と呼ばれ、単に「プランク定数」と呼んでこちらを指す場合もある。稀にディラック定数とよばれることもある。CODATA による推奨値は

\hbar = {{h}\over{2\pi}} = 1.054\ 571\ 628(53)\times 10^{-34}\ \mbox{J s} = 6.582\ 118\ 99(16)\times 10^{-16}\ \mbox{eV s}

である[4] 。
理論 [編集 ]

プランク定数は、量子 の関わる広範な現象に登場する普遍的な定数である。例えば光子 の持つエネルギー E は振動数 ν に比例し、その比例定数 はプランク定数 h に等しい。

E = hν

また軌道角運動量 やスピン は常に換算プランク定数の定数倍になっている。例えば、電子 のスピンは \pm \frac{1}{2}\hbar である。ただし、量子力学 の分野ではプランク単位系 を用いることが多く、その場合の電子のスピンは \pm \frac{1}{2} となる。

プランク定数は(位置 )×(運動量 )の次元 を持ち、不確定性関係 とも関係しているので、それゆえに位相空間 での面積の最小単位であるとも考えられてきたが、最近では Zurek その他の研究で、量子 カオス 系においてはプランク定数以下のミクロ 構造が現れる事がわかった。
「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E5%AE%9A%E6%95%B0 」より作成

アインシュタイン方程式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
・・・・・
宇宙項 [編集 ]

アインシュタインは、1917年 の論文で、方程式に「宇宙項」を加えて次のようにした。

R_{\mu \, \nu} - {1 \over 2} R g_{\mu\, \nu} + \Lambda g_{\mu\, \nu} = \frac{8\, \pi G}{c^{\,4}} T_{\mu \, \nu}

アインシュタインの定数 κ を用いると、より簡潔に

G_{\mu \, \nu} + \Lambda g_{\mu \, \nu} = \kappa\, T_{\mu \, \nu}

となる。Λ は宇宙定数 を表すが、この項(宇宙項)は1916年 のオリジナル論文には含まれておらず、1917年の論文で追加された。宇宙項は、正負の符合によっては、重力に対する反重力(万有斥力)として機能する。

アインシュタインがこの項を導入した理由については諸説あるが、一般に有名なのは、彼自身が信じる静止宇宙モデル を実現するためという説である。1917年論文の宇宙モデルは重力と宇宙項による反重力とが釣り合う静止宇宙だった。当時、宇宙膨張は発見されていなかった。しかしこのモデルは不安定であり、僅かな摂動で膨張または収縮に転じる(静止宇宙とならない)性質を持つことが後にアレクサンドル・フリードマン により示された。

1929 年 にハッブル が宇宙の膨張を観測的に示した後、1931年 にはアインシュタイン自身により「人生最大の過ち」として消去された。しかしながら、近年の宇宙のインフレーション 理論や素粒子物理学 との関連の中で、宇宙項(に相当する斥力)を再び導入して考えることが通常行われており、むしろ重要な意味を与えている場合がある。観測的宇宙論 において、宇宙膨張を加速させている謎のエネルギーとして、ダークエネルギー が提案されている。ダークエネルギーは方程式上では宇宙項である。

より詳しくは一般相対性理論 の項を参照のこと。


「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3%E6%96%B9%E7%A8%8B%E5%BC%8F 」より作成


2010年05月30日(Sun)▲ページの先頭へ
検討問題:可視界と不可視界:位階的スペクトルと高度超越情報
(注意:画像は以下のブログ記事を見られたい。)
http://ameblo.jp/renshi/entry-10549024731.html

ガウス平面を考えよう。
 うまく作図できないので、以下の直交座標系を利用したい。即ち、y軸を虚軸と、x軸を実軸とする。そして、x軸の10を1、-10を-1となり、y軸の 10は+i、-10は-iとなる。
 虚軸(y軸)に、イデア(超越情報)があり、それが、Media Pointで振動し、それが、実軸(x軸)へとベクトル的に伸張する。そして、+1の物質へと帰結する(エンテレケイア)。イデア(超越情報)をデュナミスとし、Media Pointの振動をエネルゲイアとする。
 現象界は当然、実軸に形成される。つまり、物質界は+1となる。しかしながら、エネルギー本体はMedia Pointに存する。
 問題は光である。それは、電磁波であり、波動であり、粒子(光子)である。それは、また、質量がない。
 質量がないというのがポイントである。だから、物質ではないのであり、やはり、Media Pointのエネルギーと考えるのが適切である。
 現象とは、この光と物質界の結合である。しかし、光と物質は一致しないのである。不連続なのである。
 つまり、われわれが、通常感覚知覚する現象界・可視界は不連続であるのだが、それを連続的に知覚認識しているのである。(仏教やフッサール現象学はこれを解体し、解明したという大偉業を成し遂げた。)
 言い換えると、Media Pointを同一性(+1)=物質と同一視するという錯誤を犯しているのである。
 私がここで問題にしたいのは、Media Pointであり、また、虚軸世界(虚界)のことである。前者には、超越的双極子(超越エネルギーがあり、後者には、超越的情報(イデアないしはデュナミス)があると作業仮説する。
 光もここに生起するのである。問題は、光の場合は当然、可視光であるが、光以外の超越エネルギー(超越双極子:簡略化して、超極子)が生起すると考えられ、それは、不可視のエネルギーであると考えられるのであり、その不可視エネルギーはどういう意味をもつのかということである。
 言い換えると、虚界と接するMedia Pointにおいて、可視光が生起すると同時に、それ以外の不可視エネルギーが生起するのであり、それは、いかなる意味をもつのかという問題である。
 可視光は視覚知覚され、現象界を形成するので、明快である。しかしながら、不可視エネルギー、あるいは、矛盾した言い方だが、不可視光が生起されるのであるが、それが、通常、一般には認識されていないと考えられる。
 ここでわかりやすく言えば、紫外線や赤外線は感覚できないのである。しかし、それ以外の超越的エネルギー、電磁波が当然あるのである。
 そして、これも作業仮説であるが、虚界には、位階的スペクトルを成す超越情報(イデア)があると考えたい。
 つまり、単に、電磁波の情報が虚界にあるのではなく、位階的な電磁波が存すると思われるのである。
 例えば、叡知体の電磁波情報があるように考えられるし、また、生命を形成するエーテル体(「気」)も存すると考えられるし、また、情感を形成するアストラル体も存するように思われるのである。
 以前、ガウス平面に直交するZ軸を考えて、それを超越情報軸と想定したが、そのように考えるべきか、それとも、虚軸に位階スペクトルを見るべきなのかという問題があるが、今の時点では、後者の考えをとる。もっとも、両者は、統一できるかもしれない。つまり、高度超越情報が、虚界へとMedia Pointに伝わり、それで、超越エネルギーが高度超越情報で変調されるという風に考えられなくないからである。つまり、超越エネルギーを搬送波、高度超越情報を信号波として、両者の共振を被変調波と考えるのである。
 とまれ、Media Pointには、位階的スペクトルがあると考えるのであり、それは、不連続的である。喩えて言えば、竹を考えて、その節を不連続性の境界と見るのである。
 このように質的差異を考えると、量的な連続的電磁波的発想を回避できる。例えば、宗教的発想で、通常の電磁波よりも微細な周波数の電磁波を考えて、それを、霊とするような考えである。これでは、電磁波、即、霊となってしまうのである。
 以上のように作業仮説してみると、Media Pointには、明らかに、不可視の諸エネルギーが鬱勃と蠢動奔出しているのであり、通常、一般には、それを無視し、排除していると考えられる。所謂、無意識とは、これを指すと考えると、的確、正確になるだろう。
 そして、不可視の諸エネルギーには、神霊エネルギー、天使・精霊エネルギー、霊魂エネルギー等の高位エネルギーがあり、また、より低位に情感エネルギーや気エネルギー(エーテル体)等、また、悪意的エネルギー(悪魔・悪霊エネルギー)等があるのではないだろうか。
 また、高度超越情報とは、物質界ないしは現象界から見ると、無時間世界にあり、それは、過去・現在・未来の情報であり、それが虚界に記録されているのではないだろうか(参考:アカシック・レコードと阿頼耶識)。
 虚界、Media Pointは、虚時間、あるいは、超越エネルギー振動の時間が支配し、それが展開して、現象界を常時生成消滅させているのではないだろうか。
 時空四次元宇宙とは、超越五次元トランス・コスモスの断面のようなものではないだろうか。現世界では、虚界の位階的スペクトル(ヒエラルキー的スペクトル)の超越的彫刻(天記)が不可視なのである。
 ダーク・エネルギーは正しくはこれを指しているのではないだろうか。また、D. H. ロレンスのダーク・ゴッドdark Godもこれを指しているように思えるのである。


参考・参照


直交座標系による平面上の点の座標と四つの象限
             
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B4%E4%BA%A4%E5%BA%A7%E6%A8%99%E7%B3%BB


複素平面

  xy 平面において, x 軸に実数, y 軸に虚数を対応させて、複素数を表したものを複素平面という。または,複素数平面,ガウス平面ともいう。



 複素数 z=a+ⅈb を複素平面上に表したものが、右の図である。


 複素数z の絶対値の定義:


| z |=| a+ⅈb |= a 2 + b 2 =r


すなわち、複素平面状の原点Oから z までの距離 r となる。


 また, x軸と原点Oと点 z の結ぶ直線O z のなす角をθ とする。このθ をzの偏角といい,arg z で表す。


argz=θ= tan −1 b a


z を r とθ を用いても表すことができる。


z=r( cosθ+ⅈsinθ ) ( ∵a=rcosθ,b=rsinθ )


この表現方法をz の極形式という。

http://w3e.kanazawa-it.ac.jp/math/category/fukusosuu/henkan.cgi?target=/math/category/fukusosuu/fukusoheimen.html

KIT数学ナビゲーション


FM変調の原理 上:搬送波,中:信号波,下:被変調波
 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%A8%E6%B3%A2%E6%95%B0%E5%A4%89%E8%AA%BF  
 


ファイル:Bamboo forest.jpg

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9


ダークエネルギー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ダークエネルギー (dark energy) とは宇宙に存在するエネルギーの半分以上を占めるとされるが正体が明らかでないエネルギーである。「真空 のエネルギー」等がそうとされる。
概要 [編集 ]

ダークエネルギーとは、宇宙 全体に広がって負の圧力を持ち、実質的に「反発する重力」としての効果を及ぼしている仮想的なエネルギー である。宇宙論 研究者のマイケル・ターナーが最初に作った言葉であるとされる。現在観測されている宇宙の加速膨張や、宇宙の大半の質量 が正体不明であるという観測事実を説明するために、宇宙論の標準的な理論(ロバートソン-ウォーカー計量 )にダークエネルギーを加えるのが現在最もポピュラーな手法である。この新しい宇宙論の標準モデルをΛ- CDMモデル と呼ぶ。現在提案されている2つのダークエネルギーの形態としては、宇宙定数 とクインテセンス (quintessence) がある。前者は静的であり後者は動的である。この二つを区別するためには、宇宙膨張を高い精度で測定し、膨張速度が時間とともにどのように変化しているかを調べる必要がある。このような高精度の観測を行うことは観測的宇宙論の主要な研究課題の一つである。
ダークエネルギーの提唱 [編集 ]

宇宙定数 はアルベルト・アインシュタイン によって、静的な宇宙を表すような場の方程式 の定常解を得るための方法として最初に提案された(つまり、実質的にダークエネルギーを重力 と釣り合わせるために用いた)。しかし後に、アインシュタインの静的宇宙は、局所的な非一様性が存在すると最後には宇宙スケールで膨張または収縮が暴走的に起こるため、実際には不安定であることが明らかになった。また、より重要な点として、エドウィン・ハッブル の観測によって、宇宙は膨張しており、静的ではありえないことが明らかになった。この発見の後、宇宙定数は歴史上の奇妙な存在としてほぼ無視されることとなった。

1980年代 には佐藤勝彦 やアラン・グース が、ごく初期の宇宙で宇宙定数が宇宙のインフレーション を起こした可能性を提案した。しかしインフレーションモデルが広く受け入れられた後でも、宇宙定数はごく初期の宇宙においてのみ重要であり、現在の宇宙とは無関係であると信じられていた。しかし、1990年代の終わりに人工衛星 と望遠鏡 の黄金時代を迎えると、遠方の超新星 や宇宙背景放射 を高い精度で測定することが可能になった。これらの観測で驚くべき結果が得られたが、これらの結果のうちのいくつかは、何らかの形でダークエネルギーが現在の宇宙に存在すると仮定すると最も簡単に説明できるものだった。
現象論的性質 [編集 ]

ダークエネルギーには互いに反発する性質があるため、宇宙膨張を加速する原因となりうる。これは物質優勢の宇宙という伝統的な描像で膨張の減速が起こると予想されているのとは対照的である。宇宙の加速膨張は多くの遠方の超新星の観測から示唆されている。

宇宙の全エネルギー密度の研究からも別の議論がもたらされている。理論的・観測的研究から、宇宙の全エネルギー密度は宇宙がちょうど平坦 になる(すなわち、一般相対性理論 で定義される時空の曲率 が大きなスケールで 0 になる)ような臨界密度 に非常に近いことが昔から知られている。(特殊相対性理論 の E = mc2 から)エネルギーは質量 と等価なので、これは通常、宇宙が平坦になるのに必要な臨界質量密度 と呼ばれる。光 を放出する通常の物質の観測からは、必要な質量密度の2-5%しか説明できない。この足りない質量を補うために、ダークマター と呼ばれる目に見える光を放出しない物質の存在が長い間仮定されてきた。しかし、1990年代 に行われた銀河 や銀河団 の観測で、ダークマターをもってしても臨界質量密度の25%しか説明できないことが強く示唆された。もしダークエネルギーが臨界エネルギー密度の残りの約70%を補えば、全エネルギー密度は宇宙が平坦であるのに必要な量と矛盾しなくなる。
推測 [編集 ]

このダークエネルギーの真の正体は現状ではほぼ推測の対象にすぎない。ダークエネルギーは一般相対論の宇宙定数 (Λ) で表される真空のエネルギーではないか、と考える人々も多く、実際、これはダークエネルギーに対する最も単純な説明である。宇宙定数は、時間や宇宙膨張によらず宇宙全体に存在する一様密度のダークエネルギーと解釈できるからである。これはアインシュタインによって導入された形式のダークエネルギーであり、我々の現在までの観測と矛盾しない。ダークエネルギーがこのような形をとるとすると、これはダークエネルギーが宇宙の持つ基本的な特徴であることを示すことになる。これとは別に、ダークエネルギーはある種の動力学 的な場 が粒子的に励起したものとして生まれるとする考え方もあり、クインテセンス と呼ばれている。クインテセンスは空間と時間に応じて変化する点で宇宙定数とは異なっている。クインテセンスは物質のように互いに集まって構造を作るといったことがないように、非常に軽くなければならない(大きなコンプトン波長 を持つ)。今のところクインテセンスが存在する証拠は得られていないが、存在の否定もされていない。

・・・・・
ダークエネルギーが示唆する未来 [編集 ]

もしも仮想的なダークエネルギーが宇宙のエネルギーバランスにおいて支配的であり続けるなら、現在の宇宙膨張は加速し続け、ついにはド・ジッター宇宙 として知られる文字通り指数関数的な膨張となる。

このモデルでは、重力的に束縛されていない構造は見かけ上、光速 を超える速度でばらばらに飛び去ることになる。宇宙に関する我々の知識は光速より遅く伝わる信号によってしか得られないため、この加速によって最終的には、現在見えている遠方の宇宙を見ることすらできなくなる。しかし、ダークエネルギーの密度が増えなければ、銀河や太陽系 など現在重力的に束縛されているどんな構造もそのまま残る。したがって我々の地球 や銀河系 は、宇宙の他の存在が全て我々から離れ去ってもほぼそのまま乱されることなく存在し続ける。

あるいは、ダークエネルギーは一定ではなく、時間とともに増えているかもしれない。「幽霊エネルギー (en:phantom energy )」と呼ばれるこのシナリオでは、宇宙に存在する全てのものは原子 に分解され、最後にはビッグリップ によって吹き飛ばされてしまい、構造のない空っぽの宇宙が残される。

また、最終的にはダークエネルギーは時間とともに散逸し、宇宙は互いに引き合うようになるかもしれない。このような不確定性があるために、やはり重力が宇宙を支配し、やがては宇宙が自ら潰れるビッグクランチ に至るという可能性も残されている。しかしこれは一般的には最も可能性の低いシナリオだと考えられている。
外部リンク [編集 ]

* HubbleSite のプレスリリース: ダークエネルギーの正体に新たな手がかり
* 宇宙の年齢 . 宇宙のエネルギーの組成についても。
* (百科事典)「Dark Energy」 - スカラーペディア にある「ダークエネルギー」についての項目。(英語)
* 宇宙を満たす暗黒エネルギーの存在にさらなる証拠 - 23,000個のクエーサーを対象にした過去最大の重力レンズ 探索で検証 - 2007/9/26 独立行政法人 理化学研究所

「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC 」より作成
カテゴリ : 宇宙論・宇宙物理学 | 天文学 | 相対性理論 | 天文学に関する記事


D.H.ロレンスのダーク・ゴッドdark God


http://ameblo.jp/gaikokubungaku/entry-10498726796.html

http://ameblo.jp/gaikokubungaku/entry-10498727441.html

外国文学(イギリス文学他)

プランク定数
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション , 検索

プランク定数(プランクていすう、プランクじょうすう、Planck's constant)は、量子力学 の基礎となる単位 を示す物理定数 である。量子力学 の創始者の一人であるマックス・プランク にちなんで命名された。一般に h と記される。

現在科学技術データ委員会 (CODATA) より発表されているプランク定数の値は

h = 6.626\ 068\ 96(33)\times 10^{-34}\ \mbox{J s} = 4.135 667 33(10)\times 10^{-15}\ \mbox{eV s}

である[1] 。CODATA から発表されるプランク定数の値は 4 年ごとに更新される予定となっている[2] 。

また、プランク定数 h を 円周率 π の 2 倍で割った値も原子単位 などで頻繁に利用される[3] ため、「エイチバー」と発音される専用の記号 \hbar = h / 2 \pi (ℏ Unicode U+210F、JIS X 0213 1-3-61)が使われている。\hbarは「換算プランク定数 」と呼ばれ、単に「プランク定数」と呼んでこちらを指す場合もある。稀にディラック定数とよばれることもある。CODATA による推奨値は

\hbar = {{h}\over{2\pi}} = 1.054\ 571\ 628(53)\times 10^{-34}\ \mbox{J s} = 6.582\ 118\ 99(16)\times 10^{-16}\ \mbox{eV s}

である[4] 。
理論 [編集 ]

プランク定数は、量子 の関わる広範な現象に登場する普遍的な定数である。例えば光子 の持つエネルギー E は振動数 ν に比例し、その比例定数 はプランク定数 h に等しい。

E = hν

また軌道角運動量 やスピン は常に換算プランク定数の定数倍になっている。例えば、電子 のスピンは \pm \frac{1}{2}\hbar である。ただし、量子力学 の分野ではプランク単位系 を用いることが多く、その場合の電子のスピンは \pm \frac{1}{2} となる。

プランク定数は(位置 )×(運動量 )の次元 を持ち、不確定性関係 とも関係しているので、それゆえに位相空間 での面積の最小単位であるとも考えられてきたが、最近では Zurek その他の研究で、量子 カオス 系においてはプランク定数以下のミクロ 構造が現れる事がわかった。
脚注 [編集 ]

1. ^ http://physics.nist.gov/cgi-bin/cuu/Value?h
2. ^ 2002年には 6.6260693(11) 、2006年には 6.62606896(33) が発表された。
3. ^ IUPAC Gold Book - Planck constant
4. ^ http://physics.nist.gov/cgi-bin/cuu/Value?hbar

「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E5%AE%9A%E6%95%B0 」より作成
カテゴリ : 量子力学 | 統計力学 | 物理定数



2010年05月28日(Fri)▲ページの先頭へ
現在のユーロ危機についての私見
テーマ:超世界恐慌:黙示録:最終戦争と最後の審判

私の知り合いで、以前、マーストリヒト条約の締結に対して、反対していた人がいたが、今や、それは、正鵠を射ていたと言えよう。
 EU/ユーロの失敗はドルの二番煎じを求めたことにあろう。ドルとは異なる通貨システムを作るべきであったのに、それを模してしまったのである。また、米国以上に金融派生商品に依存する体制をつくったことにも、失敗の原因がある。(追記:また、欧州の社会民主主義という左派的体制の非生産性も原因である。)
 とは言え、今の状況は、国際金融資本のあざとさに思いが行くのである。国際金融資本は、いわば、EUを利用したのである。国際金融資本という同一性資本にEUのトップは、盲目であったのである。米国以上の国際金融資本の猟場となったのである。
 結局、今では、遅きに失したのである。あまりに狡猾な国際金融資本(国際同一性資本)に早く気づくべきであったのである。そう、それは世界の癌・悪性腫瘍である。
 結局のところ、国際金融資本・国際同一性資本に依存しない方策を構築する必要があると言えよう。そう、それは、ある意味で金融的な鎖国を意味しよう。しかしながら、絶対的な鎖国は当然不可能である。
 とまれ、今日の黙示録的危機(というか、大破局である)には、途轍も無い苦悩・苦痛を経る必要があるということであろう。甘やかされた今日の若者にとってはあまりにも苛酷であろうが、それが天命である。

参照:

■ ユーロ大崩壊へ 朝倉慶 http://www.funaiyukio.com/money2/

 【抜粋: そもそもユーロ創設は歴史的に壮大な実験だったのです。国家が違った国々が通貨を統一するというかつてなかった試みでした。様々な動機があったと思いますが、戦火を繰り返してきたヨーロッパ地域の統一の夢や、米国に対抗して強い経済圏を構築すること、また東西統合したドイツの肥大化を恐れた周辺諸国の意識など、多くの理想や思惑の元に創設されたのです。通貨を統一すれば、そのすべての国々は通貨発行権を放棄するわけですし、自国の中央銀行、日本でいえば日本銀行の権利を放棄して統一した中央銀行を作るわけですから、まさに思い切った試みだったのです。
 そしてその試みは上手く成功して、ユーロ圏のゆるぎない発展を感じさせることもあったのです。しかし、リーマン・ショック後の経済の混乱とマイナスに陥った各国の経済状況の中で、いよいよその大いなる矛盾が頭をもたげてきた、今はついにその矛盾の大きさからユーロは内部崩壊に向かってきているのです。
 これは日本のケースで考えると、たとえば日本と韓国を中核としてアジア地域、べトナムやインドネシア、フィリピン、マレーシアあたりのASEAN諸国を一まとめにして統一通貨を作ったと想像すればわかりやすいと思います。ユーロ圏に当てはめると、日本はドイツ、韓国をフランス、その他の国々をギリシアやスペイン、イタリアなどと考えてみるとどうでしょうか? 日本と韓国は強いですが、フィリピンやインドネシアはまだ、日本や韓国の経済には追いつきません。
 しかしながらこのようなアジアの通貨統合が起こったとすると、まず、日本などの輸出型の経済の国にとっては為替の変動の問題がなくなります。すると好きなようにアジア地域に輸出が増えるというメリットが起こります。
 現実にユーロ圏の創出においてドイツは、ユーロ域内の輸出が大幅に増えたのです。ドイツマルクを使っている時に比べて、為替変動がないということは圧倒的に有利だったわけです。また通貨統合をすると、その統合された比較的国力の弱い国、アジアのケースで考えるとフィリピンやベトナムですが、これらの国は通貨が日本や韓国と一緒になると、その強い通貨圏に入ったということで、信用が上がるのです。強い国と一緒の通貨を持てたからです。これが現実にユーロ圏では起こりました。ギリシアやスペイン、イタリアなどがユーロを導入したということで、一気にそれらの国の信用が上がったのです。信用が上がるということは、いわゆる資金、お金が借りやすくなるわけです。また外からの投資が増えるわけです。自分のこととして考えるとわかりやすいですが、強力な保証人がついたと思えばいいでしょう。銀行はあなたに強力な保証人がついたことを確認して、今までの数倍も資金を融通してくれるようになったのです。
 これがギリシア、スペイン、ポルトガル、イタリアで起こったことです。要するに、実態以上に信用力がつき、その結果として身の丈に合わない借金ができるようになり、現実に多額の借金をしたと思えばいいでしょう。ギリシアなどはユーロ圏の傘に入ったことで、独仏や英米などからも多くの借入が簡単にできるようになり、また、これら独仏や英米の銀行はこぞってギリシアなどに資金を貸し込みました。また様々な投資をしたのです。
 この借入金で消費して、ドイツなどから輸入しまくり、好況を謳歌、これはドイツなどにとっても好都合だったわけです。輸出好調、物が売れるからです。この資金の循環と経済の拡大でユーロ圏の諸国はすべて恩恵を受けたのでした。ユーロ導入のメリットだけをお互いに享受したのです。 】

東海アマチュア無線  地震予知研究会


検討問題:共時性とは何か:media point cosmos
ユングの言う共時性synchonicityを私はよく経験するが、これは、PS理論で、簡単に説明できそうだ。
 結局、現象(内的現象であれ、外的現象であれ)は、Media Point(以下、mp)を源泉として、生起する。
 そして、mpには、虚軸世界(虚次元)が介入している。おそらく、虚軸世界(以下、虚界)が、普遍的であり、且つ、超時間的、乃至は、虚時間的であると考えられる。
 わかりやすく言うと、ある事象を精神電磁波事象とすると、ある精神電磁波事象が時空界1に存する人間1に生起するとき、mpを介して、その精神電磁波が時空界2に存する人間2のmpを介して、共鳴・共振(Media Resonance)して、同様の精神電磁波現象(エネルゲイア)を生起させるということである。
 これが、共時性現象力学の説明(仮説)である。mpにおける虚界が超越的普遍空間であるために、おそらく、無時間で共時性現象が生起するのである。これは、量子力学における長距離相関事象と関係する事象である。
 そこでは、量子は虚界に存しているのであり、長距離とは仮象に過ぎない。
 問題は、虚界又はmpにおける「時間」のことである。虚時間が考えられるのが、これは、検討課題にする。

追記:私の勘(妄想?)では、最近の地震や火山噴火は、虚界になんらかの未来記録、つまり、天災の集中する未来記録があり、それが、今や現実化(エネルゲイア化)しているのではないかということである。
 シュタイナーは、アカシャ年代記(アカシック・レコード)のことを述べている。虚界の未来記録はこれに当たるかもしれない。
 つまり、虚界という媒体に未来や過去の記録があるのである。そして、未来の記録が、mpを介して、現象化するということになるということになる。

追記2:天命とも言えるが、天知である。

追記3:天記、天刻、天録、天載。

追記4:虚時間であるが、E=mc^2を活用すれば、
E⇒mc^2で、(+ic√m)*(-ic√m)⇒mc^2である。
だから、±icに虚時間が含まれていると言えよう。

参考:

* 事象の地平面はどういう形で現れるか (0)
* 複素平面と四次元抽象イメージの関係(修正) (0)

シムダンス「四次元能」



労働者の〈道徳〉

愚樵空論


参考:
アカシックレコード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション , 検索

アカシックレコード (Akashic Records) とは、宇宙や人類の過去から未来までの歴史 全てが、データバンク的に記されているという一種の記録をさす概念。多くの場合、宇宙空間それ自体にその(一種の)記録がなされると考えられており、アカシャ (akasha) とはサンスクリット で「虚空 」、「空間 」を意味する。日本語訳ではアカシャ 年代記 が当てられることが多い。

神智学 (あるいは人智学 )やリーディングの伝統(チャネリング )などでは精神的に目覚めた人は、この記録から、意のままに過去や未来の情報を引き出すことができるようになり、そして自己の人生の意義や存在の理由がわかるとされる。多くの預言者 や神秘家 がこれにアクセスし、予言として世に伝えてきたとされている。
歴史 [編集 ]

この概念の類似概念は極めて古くから見られるが、直接にこの語が使われるのは、インドに本拠地をおいた神智学協会 の創始者ブラヴァツキー の主張に始まると見られる。ドイツの神秘思想家ルドルフ・シュタイナー は、後の人智学協会の神智学協会からの独立の過程でアカシャ・クロニクル(アカシャ 年代記 。この英訳語がアカシック・レコード)の概念を高度に体系化し、派生的な様々な影響を与えた。

倫理の源泉としての死後の実在の観念が社会的に揺らいだ時期である、19世紀末ごろには複数の人物が、同時多発的に類似の概念を提唱している。少し前後してイギリスの心霊科学研究で、場所の記憶をめぐる説明概念である「残留思念」が提唱されている。残留思念はその元にルヴナンやアッパリッションの概念があり、日本でいう幽霊 を指す言葉だが、「往来するもの・思い起こさせるもの」の意味があり、キリスト教 の死者の霊魂は地上から去るという教理と幽霊の伝承の狭間で展開した民間伝承 を継承している。

シュタイナーの初期のアカシャ年代記(Akasha Chronik) の概念にも、この観念の影響が見られ、シュタイナー初期のアカシャ年代記とは生物や万物の生成の背後にあるとするエーテル体 の残滓・痕跡を意味しており、必ずしも未来の記録を含む概念ではない。また、この概念は哲学者ベルグソン の哲学にも類似性がみられる。これらの観念はギリシア哲学に発しアラブで発展した生気論 (特にアル=キンディー )の中に多くのアイデアを見出すことが出来る。これらの生気論では、生物のみならず鉱物や世界までもが固有の生気=霊魂=プネウマを持つと考えられた。

後にアカシックレコードの概念はエドガー・ケイシー の名前と共に知られるようになる。現在、人智学、チャネリング 、リーディング 、あるいはクトゥルー神話 に代表されるサブカルチャーのガジェット等、様々な文脈において発展を見せており、必ずしも一様な概念ではない。

虚空蔵菩薩 はアカシックレコードを擬人化したものではないか、という説がある。
関連項目 [編集 ]

* 神智学
* ルドルフ・シュタイナー
* エドガー・ケイシー
* ゲリー・ボーネル
* アカシャ年代記より
* ポーソロゴスの図書館
* 銀河ヒッチハイク・ガイド


参考文献 [編集 ]

* ルドルフ・シュタイナー 『神智学概論』(原著1910年、高橋巌 訳 筑摩書房 )

「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89 」より作成
カテゴリ : 超常現象 | ニューエイジ | 神智学


シンクロニシティ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション , 検索
曖昧さ回避 この項目では、分析心理学について記述しています。その他の用法については「シンクロニシティ (曖昧さ回避) 」をご覧ください。

シンクロニシティ(英語:Synchronicity)とは「意味のある偶然 の一致」のことで、日本語訳では「共時性(きょうじせい)」とも言う。非因果的な複数の事象(出来事)の生起を決定する法則 原理 として、従来知られていた「因果性」とは異なる原理として、カール・ユング によって提唱された独 : Synchronizitätという概念 の英訳である。 何か複数の事象が、「意味 ・イメージ」において「類似性・近接性」を備える時、このような複数の事象が、時空間の秩序で規定されているこの世界の中で、従来の因果性では、何の関係も持たない場合でも、随伴して現象・生起する場合、これを、シンクロニシティの作用と見なす。

ユングは、ノーベル物理学賞 受賞理論物理学者 ヴォルフガンク・パウリ と後に1932年から1958年までパウリ=ユング書簡と呼ばれるパウリの夢とそれに対するユングの解釈におけるシンクロニシティの議論をし、それをまとめて共著とした"Atom and Archetype:The Pauli/jung Letters, 1932 - 1958"(『原子と元型』)を出版している。

一般的概念 [編集 ]

ユングは、全てではないにせよ、いくつかの「偶然 の一致」(coincidences)は単なる文字通りの「偶然」ではなく、非因果的な複数の事象の「同時発生(co-inciding)」 か、あるいは普遍的な事象を作り出す力の連続性によるものであると信じたのである。これらの力により、直観 的な意識 と行動が調和する過程を、ユングは「個体化 」と名付けた。集合的無意識 (collective unconscious)による、個体化された人間の意識のコミュニケーション を通じて、現実の出来事が形成されるというのが、ユングの主張であった。

ユングの説明によれば、シンクロニシティとは「非因果的連関の原理」、言い換えれば因果関係の外部、あるいは因果関係に付随して働く連絡の形式である。

ユングのシンクロニシティの最も有名な例は、プラム・プディング に関わるものである。ユングの語るところによれば、1805年にフランス の詩人エミール・デシャン (Émile Deschamps )が、ドゥフォルジュボー(de Forgebeau)氏からプラム・プディングをご馳走してもらったことがあった。その10年後の1815年、デシャンはパリ のレストランでメニューからプラム・プディングを注文したが、給仕は最後のプディングが他の客に出されてしまったと告げた。その客とはドゥフォルジュボー氏であった。更に17年経過した1832年、 デシャンはある集会で再びプラム・プディングを注文した。デシャンは昔の出来事を思い出し、「これでドゥフォルジュボー氏が居れば役者が揃う」と友人に冗談で話していた。まさにその瞬間、年老いたドゥフォルジュボー氏が部屋に入ってきたとのことである。

ユングの説明とは裏腹に、デシャン自身はドゥフォルジュボー氏の名を「ドゥフォンジビュ(de Fontgibu)侯爵大佐」としていて、ナポレオン に敵対して戦ったと書いている。しかし「ドゥフォンジビュ」という名の軍人貴族はフランス史のどこにも登場しないため、このプラム・プディングの話はデシャンによる作り話と考えられる。
批評 [編集 ]
Question book-4.svg
この記事の内容に関する文献や情報源 が必要です。ご存じの方はご提示ください。出典を明記する ためにご協力をお願いします。

シンクロニシティの理論 は科学 的方法による検証が不可能であり、概ね科学よりも疑似科学 であると見做されている。確率論 は、何の普遍的な連続性の力の介入なしに、普通の世界でプラム・プディングのような出来事の説明を試みることができる。しかしながら、その蓋然性を実際に計算するのに必要となる正確な変数を発見することはできない。これは、特定の個人的体験を記述するのにシンクロニシティが良いモデルでないという事ではない――が、シンクロニシティが「厳然たる事実」、すなわち我々の世界に現存する原理であると考えることを、拒否される理由ではある。

シンクロニシティは呪術的思考 に陥っていると、主張する者もいる。

科学的手法 が適用できるのは、(1)再現可能であり、(2)観測者から独立しており、(3)定量化できる現象のみに限られるが、シンクロニシティが科学的に「証明可能」でないとする議論の大部分は、レッド・ヘリング (訳注:「注意をそらせるおとり」の意味)である。

当然ながら、観測者独自の経歴がシンクロニシティによる出来事に意味を与える以上、シンクロニシティによる出来事は、観測者から独立していない。シンクロニシティによる出来事に関する独特な前歴がなければ、その出来事は誰にとっても、他の無意味で「ランダム」な出来事のようにしか見えない。シンクロニシティの原理は、自然界の出来事の連続性が持つ意味への疑問そのものを呼び起こす。

古典的な感覚 では科学的に立証不可能ではあるが、ユングの表現する「非因果的連関の原理」の、より科学的な用語である「相関性 」においては、シンクロニシティ現象の科学的な根拠は、発見されるかもしれない。

「相関性は因果関係を意味しない」は、よく知られた科学の原則である。しかし、相関性は古典的な因果関係によらず、現象間に共有される物理的性質かもしれない。遠く離れた出来事が、直接に物理的な因果関係で結ばれることなく相関性を持ち得るのは、量子力学 の相関関係において明確に表されている(「非局所性 」を参照)。

ユング自身、この説を提唱する際、占星術の誕生宮と結婚のパートナー選択の対応を検分し、共時性原理を見出そうとしたが、調査対象が占星術を真剣に信奉している者たちであり、任意の標本ではなかった。ゆえに統計学的な基礎条件を備えていなかった。


関連項目 [編集 ]

* 分析心理学
* 元型
* 超常現象
* 23エニグマ
* Littlewood's law (en)
* 集合的無意識
* カール・グスタフ・ユング
* サブカルチャー
* グリセリン - シンクロニシティの例として広まった誤った説に関する説明がある。
* パウリ効果

外部リンク [編集 ]

* Psychovision, Synchronicity page
* http://www.dreamscape.com/morgana/naiad2.htm
* http://www.syncharkive.com/

「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%B7%E3%83%86%E3%82%A3 」より作成
カテゴリ : 分析心理学 | 神秘学 | 超常現象

Synchronicity
From Wikipedia, the free encyclopedia
Jump to:navigation , search
This article is about the philosophical concept. For other uses, see Synchronicity (disambiguation) .

Synchronicity is the experience of two or more events that are apparently causally unrelated occurring together in a meaningful manner. To count as synchronicity, the events should be unlikely to occur together by chance.

The concept does not question, or compete with, the notion of causality . Instead, it maintains that just as events may be grouped by cause, they may also be grouped by their meaning. Since meaning is a complex mental construction, subject to conscious and subconscious influence, not every correlation in the grouping of events by meaning needs to have an explanation in terms of cause and effect.

http://en.wikipedia.org/wiki/Synchronicity



2010年05月25日(Tue)▲ページの先頭へ
女性の身体:精神的身体であり、身体は心である:女神に似せて創られたイブ
女性の身体:精神的身体であり、身体は心である:女神に似せて創られたイブ

テーマ:ジェンダー/セクシュアリティ/ヌード

以下、女性の自己身体に対する「執心」の男性との差異、特異性を述べているが、それは、狩猟時代からのことであると述べている。男性は女性の身体に注視してきたということである。
 これは、PS理論で説明できる。女性は正に、
(+i)*(-i)⇒+1であり、⇒+1の精神的身体を形成しているのであるが、男性は+iに傾斜しているので、(+i)*(-i)=+1
となり、唯物論的身体(近代的心身二元論)をもつ傾向があるのである。
 言い換えると、女性の身体は精神、心と同じなのである。だから、女性は身体と一体化、一如なのである。
 当然、身体姿態が重要ななのは言うまでもない。思うに、女性身体は美しいVector Modeとして説明できよう。
 聖書で神に似せて人間を創ったとあるが、神に似せたのは、女性、イブであろう。とすると、神は女神である。
Women and body image: a man's perspective
Ever wondered why a man can look at an advert featuring a six-pack and laugh, while a woman might look at a photograph of female perfection and fall to pieces? William Leith thinks he might have uncovered the answer

By William Leith
Published: 7:00AM BST 23 May 2010
Advertising for lingerie William Leath body image
Advertising for lingerie Photo: PHILIPPE HAYS / ALAMY

Plenty of guys have told me this story. The guy in question is preparing to go to a party with his girlfriend. She is trying on shoes and dresses. He is telling her how good she looks. She tries on more shoes, more dresses. And then: the sudden, inexplicable meltdown. She crumples on the bed. Something is horribly wrong. Now the party is out of the question.


http://www.telegraph.co.uk/fashion/stellamagazine/7725736/Women-and-body-image-a-mans-perspective.html




ポスト・モダン主義者によるtwitter微分論:ポスト・モダンtwitter微分論批判

テーマ:ポスト近代合理主義/ポスト・モダン批判

少しストリーミングを見たが、連続的差異⇒同一性(ないしはゼロ度)の発想であり、ポスト・モダン主義である。微分ではドゥルーズの発想である。
 これは、絶対的差異を同一性ないしはゼロ・無にするニヒリズム論である。つまり、⇒+1の精神的身体を解体して、+1のみを取りだして、それをゼロ度として、無機化するのである。おそらく、彼の言うtwitter身体は機械的「身体」になるはずであり、それは、本来の精神的身体⇒+1ではない。
 ポスト・モダンの起源であるハイデガーの研究者なので、冷たい機械主義、ニヒリズム、ポスト・モダンになるのは当然ではある。
 とまれ、これは、近代主義の極北の断片的ニヒリズムと言うことができよう。つまり、近代主義⇒ポスト・モダンである。
 思うに、PS理論は、実に有機体的である。というか、新しい「有機体」、身体を創造することができるのである。差異共振創造である。それは、新しい社会、新しい経済、新しい政治、新しい文化を生みだすことができるのである。

東京都庁講演「twitter微分論からtwitter身体論へ」 ― 当日のUst録画、およびパワポ原稿をUpしました。
2010年05月02日 | この記事の訪問者数 ( )
http://www.ashida.info/blog/2010/05/twittertwitter_ustup.html
芦田の毎日


哲学者とは何か:哲学ルネサンスへ向けて:哲学(哲学的数学)は科学を包摂する
PS理論は根本的に哲学であり、また、科学理論である。これを提唱する私(ここでは私見を述べるので、Kaisetsu氏を除かせていただく)は、何であろうか。私は自分自身を哲学者と思ったことはない。
 これは、正に禅問答的である。とまれ、私は私であり、私はただ理論家であるとは言える。でも哲学的理論を提唱しているから、哲学者ではないのか、という問いは可能である。哲学的理論を提唱しながら、哲学者ではないというのはどういうことなのか。それは、端的に、後世の人間が判断することであろう。
 結局、哲学的理論家とは言えると思う。そして、哲学とは、根本学ということである。
 そして、PS理論は哲学的科学理論であることを述べなくはならない。哲学と科学の結合とは何を意味するのか。
 これは、エネルギーの問題である。精神はエネルギーであり、これが、科学的現象を生むと考えられるのである。哲学は、精神のエネルギーを秩序化する知性であり、これは、当然、物質界の秩序の法則、即ち、科学となるのである。 


Mon, May 24, 2010 23:28:37
米国ポップスは新クラシック音楽を形成している
テーマ:歌謡/ポップス/シャンソン/カンツォーネ
先にも少し述べたが、AFNの午後9時代から11時代は、ノンストップでポップス(On Gravityという番組である)を流しているが、これが、重厚なのである。ほとんど交響曲の厚みがあるのである。
 先にの述べたが、今、米国ポップスは進化過程にあるのである。音楽ルネサンスである。ポップスは70年代で死んだと思ったが、今や、クラシック音楽的モードで復活しているのである。つまり、ポリフォニー音楽としてである。
 日本の音楽はどうするのか。経済的にも、創造的音楽をプロデュースするのは、ポジティブであるが。


鳩山政権はロックフェラー路線に騙されて、日本を破壊しているのではないのか:カモネギ政権
テーマ:傀儡ペテン売亡国独裁主義国家癌民主党政権
私は以前、ロックフェラー路線が自民党から民主党へ乗り換えたことを示唆した。ロックフェラー路線は、鳩山首相や民主党の政治家にいいカモを見たはずである。こんな単純な人間はころりと騙せるおもったのはずである。例外は小沢一郎である。もっとも彼も、騙されそうになってはいるが。
 単純馬鹿の鳩山と民主党にロックフェラー路線は、売国・亡国路線を吹き込んだはずである。それは、端的に、普天間基地移設問題に表出していると言えよう。
 そして、この口蹄疫問題も、関知しないように言われているのではないだろうか。つまり、政治主導というイデオロギーにマインドコントロールされているのである。
 以前、オバマ政権はロックフェラー路線(戦争産業覇権路線)と「ロックフェラー路線」(差異共振路線)の「絶対矛盾的路線」であることを言った。しかしながら、民主党は、これがまったく識別されていないのである。オバマ政権の後者のトランス・モダン路線を見極めるべきであるのに、前者に従っていると考えられるのである。


参照:
ギョロ目がうつろにギラつく
テーマ:経済

ここに到りて、器でなかったことが、はっきりとした。

これをこっそり笑っているのは、欧米のエスタブリッシュたちでしょう。

もう日本も終わりだと。この程度の人物しか、人がいないのだからと!

あとは自由になるわい、と!

オバマたちは次の手をうち、この国をさらに酷い目に合わせる。

言い換えれば、彼らだけがボロ儲けする手を打ってくるのでしょう。

ただ今、仕込み中です、か?

そのために、今後、もう少し、日本人に自信が戻るような状況が生み出させるかもしれません。

その先に待っているのが、彼らの狙いなのですが…。

http://ameblo.jp/adco/entry-10543661122.html
スロー人ロハス-自由と資本主義と礼節


口蹄疫:種牛49頭延命認めず 国「猶予許されぬ」
毎日新聞 - ‎59 分前‎
宮崎県で多発している家畜伝染病の口蹄疫(こうていえき)を巡り、山田正彦副農相は24日、県側が高級牛ブランド「宮崎牛」保護のため、殺処分をせずに経過観察とする特例を要望していた県家畜改良事業団(高鍋町)の種牛49頭について、要望を認めない方針を正式に表明 ...

【口蹄疫】種牛49頭殺処分、例外認めず えびの市で調査開始
MSN産経ニュース - ‎1 時間前‎
宮崎県で拡大している家畜伝染病・口蹄(こうてい)疫問題で、政府の対策本部は24日、県に殺処分回避を求める動きがある種牛49頭について、正式に殺処分することを決めた。また、14日以降、新たな感染が確認されていない同県えびの市で、血液検査など牛や豚の安全性 ...

種牛49頭、処分方針確認=優良5頭は経過観察続ける−政府
時事通信 - ‎48 分前‎
宮崎県の口蹄(こうてい)疫問題で、政府は24日、県から救済要望があった種牛49頭の扱いについて従来の方針通り殺処分することを確認した。一方、これらの種牛とは別に特例措置として避難させた6頭の優良種牛のうち、感染の疑いで処分された1頭を除く5頭に関しては ...

種牛49頭の殺処分明言 口蹄疫問題で農水副大臣
日本経済新聞 - ‎1 時間前‎
宮崎県で広がる家畜伝染病の口蹄疫(こうていえき)問題で、同県が経過観察にするよう要望していた49頭の種牛について、山田正彦農林水産副大臣は24日の記者会見で、家畜伝染病予防法に沿って殺処分する方針を明言した。処分されれば種牛は主力級の5頭だけになること ...

種牛49頭の殺処分発表 宮崎エース級5頭だけに
47NEWS - ‎2 時間前‎
宮崎県の口蹄疫問題で、現地対策本部長の山田正彦農林水産副大臣は24日午後、現地から経過観察にするよう要望が出ていた49頭の種牛について、家畜伝染病予防法に従って殺処分する方針で鳩山由紀夫首相の了承を得たことを明らかにした。農水省での記者会見で発表した。 ...

口蹄(こうてい)疫 山田副大臣、種牛49頭殺処分の方向性を鳩山首相や赤松農水相らと確認
FNN - ‎2 時間前‎
宮崎県で広がっている口蹄(こうてい)疫の問題で、政府の現地対策本部長を務める山田農水副大臣が記者会見し、焦点となっている種牛49頭の処分について、早急に殺処分するとの方向性を鳩山首相や赤松農水相らと確認したと発表した。 会見で、山田農水副大臣は「これは、 ...

口蹄(こうてい)疫問題 山田農水副大臣、あらためて宮崎県の種牛49頭の殺処分方針表明
FNN - ‎2 時間前‎
宮崎県が殺処分していなかった49頭の種牛について、山田農水副大臣は、あらためて殺処分する方針を明らかにした。 宮崎県の東国原知事は22日、「49頭についても県の願いですよ。願いとしては、検査をやりますから。経過観察とさせていただけないかという願いはある」と ...

種牛49頭 処分の方針を確認
NHK - ‎2 時間前‎
家畜の伝染病、口てい疫の問題で現地対策本部の本部長を務める山田農林水産副大臣は24日、鳩山総理大臣や赤松農林水産大臣と相次いで協議し、宮崎県の家畜改良事業団が飼育していた宮崎牛の種牛49頭について、特例を認めず宮崎県に処分を求めていく方針を確認しました ...

口蹄(こうてい)疫 49頭の種牛の殺処分の方針が固まる
FNN - ‎4 時間前‎
宮崎県内の口蹄(こうてい)疫対策で、49頭の種牛の殺処分の方針が固まった。 宮崎県ではワクチン接種が始まり、懸命の封じ込め作戦が行われている。 こうした中、避難していた宮崎牛エース級の種牛6頭のうち、ナンバーワンの「忠富士」の感染疑いが発覚し、殺処分された。 ...

エース種牛5頭は経過観察
47NEWS - ‎2 時間前‎
山田正彦農林水産副大臣は24日、口蹄疫問題で、宮崎県が殺処分をしないよう求めていた種牛49頭について、殺処分すると発表。一方、宮崎県西都市に避難しているエース級の種牛5頭について「殺処分の対象と考えているわけではない。経過観察している状況」と話した。




2010年05月24日(Mon)▲ページの先頭へ
鳩山政権はロックフェラー路線に騙されて、日本を破壊しているのではないのか:カモネギ政権
テーマ:傀儡ペテン売亡国独裁主義国家癌民主党政権

私は以前、ロックフェラー路線が自民党から民主党へ乗り換えたことを示唆した。ロックフェラー路線は、鳩山首相や民主党の政治家にいいカモを見たはずである。こんな単純な人間はころりと騙せるおもったのはずである。例外は小沢一郎である。もっとも彼も、騙されそうになってはいるが。
 単純馬鹿の鳩山と民主党にロックフェラー路線は、売国・亡国路線を吹き込んだはずである。それは、端的に、普天間基地移設問題に表出していると言えよう。
 そして、この口蹄疫問題も、感知しないように言われているのではないだろうか。つまり、政治主導というイデオロギーにマインドコントロールされているのである。
 以前、オバマ政権はロックフェラー路線(戦争産業覇権路線)と「ロックフェラー路線」(差異共振路線)の「絶対矛盾的路線」であることを言った。しかしながら、民主党は、これがまったく識別されていないのである。オバマ政権の後者のトランス・モダン路線を見極めるべきであるのに、前者に従っていると考えられるのである。

口蹄疫:種牛49頭延命認めず 国「猶予許されぬ」
毎日新聞 - ‎59 分前‎
宮崎県で多発している家畜伝染病の口蹄疫(こうていえき)を巡り、山田正彦副農相は24日、県側が高級牛ブランド「宮崎牛」保護のため、殺処分をせずに経過観察とする特例を要望していた県家畜改良事業団(高鍋町)の種牛49頭について、要望を認めない方針を正式に表明 ...

【口蹄疫】種牛49頭殺処分、例外認めず えびの市で調査開始
MSN産経ニュース - ‎1 時間前‎
宮崎県で拡大している家畜伝染病・口蹄(こうてい)疫問題で、政府の対策本部は24日、県に殺処分回避を求める動きがある種牛49頭について、正式に殺処分することを決めた。また、14日以降、新たな感染が確認されていない同県えびの市で、血液検査など牛や豚の安全性 ...

種牛49頭、処分方針確認=優良5頭は経過観察続ける−政府
時事通信 - ‎48 分前‎
宮崎県の口蹄(こうてい)疫問題で、政府は24日、県から救済要望があった種牛49頭の扱いについて従来の方針通り殺処分することを確認した。一方、これらの種牛とは別に特例措置として避難させた6頭の優良種牛のうち、感染の疑いで処分された1頭を除く5頭に関しては ...

種牛49頭の殺処分明言 口蹄疫問題で農水副大臣
日本経済新聞 - ‎1 時間前‎
宮崎県で広がる家畜伝染病の口蹄疫(こうていえき)問題で、同県が経過観察にするよう要望していた49頭の種牛について、山田正彦農林水産副大臣は24日の記者会見で、家畜伝染病予防法に沿って殺処分する方針を明言した。処分されれば種牛は主力級の5頭だけになること ...

種牛49頭の殺処分発表 宮崎エース級5頭だけに
47NEWS - ‎2 時間前‎
宮崎県の口蹄疫問題で、現地対策本部長の山田正彦農林水産副大臣は24日午後、現地から経過観察にするよう要望が出ていた49頭の種牛について、家畜伝染病予防法に従って殺処分する方針で鳩山由紀夫首相の了承を得たことを明らかにした。農水省での記者会見で発表した。 ...

口蹄(こうてい)疫 山田副大臣、種牛49頭殺処分の方向性を鳩山首相や赤松農水相らと確認
FNN - ‎2 時間前‎
宮崎県で広がっている口蹄(こうてい)疫の問題で、政府の現地対策本部長を務める山田農水副大臣が記者会見し、焦点となっている種牛49頭の処分について、早急に殺処分するとの方向性を鳩山首相や赤松農水相らと確認したと発表した。 会見で、山田農水副大臣は「これは、 ...

口蹄(こうてい)疫問題 山田農水副大臣、あらためて宮崎県の種牛49頭の殺処分方針表明
FNN - ‎2 時間前‎
宮崎県が殺処分していなかった49頭の種牛について、山田農水副大臣は、あらためて殺処分する方針を明らかにした。 宮崎県の東国原知事は22日、「49頭についても県の願いですよ。願いとしては、検査をやりますから。経過観察とさせていただけないかという願いはある」と ...

種牛49頭 処分の方針を確認
NHK - ‎2 時間前‎
家畜の伝染病、口てい疫の問題で現地対策本部の本部長を務める山田農林水産副大臣は24日、鳩山総理大臣や赤松農林水産大臣と相次いで協議し、宮崎県の家畜改良事業団が飼育していた宮崎牛の種牛49頭について、特例を認めず宮崎県に処分を求めていく方針を確認しました ...

口蹄(こうてい)疫 49頭の種牛の殺処分の方針が固まる
FNN - ‎4 時間前‎
宮崎県内の口蹄(こうてい)疫対策で、49頭の種牛の殺処分の方針が固まった。 宮崎県ではワクチン接種が始まり、懸命の封じ込め作戦が行われている。 こうした中、避難していた宮崎牛エース級の種牛6頭のうち、ナンバーワンの「忠富士」の感染疑いが発覚し、殺処分された。 ...

エース種牛5頭は経過観察
47NEWS - ‎2 時間前‎
山田正彦農林水産副大臣は24日、口蹄疫問題で、宮崎県が殺処分をしないよう求めていた種牛49頭について、殺処分すると発表。一方、宮崎県西都市に避難しているエース級の種牛5頭について「殺処分の対象と考えているわけではない。経過観察している状況」と話した。


2010年05月23日(Sun)▲ページの先頭へ
日本人の父権的意識の解体へ向けて:封建的奴隷根性からのエクソダス:奴隷的仮面を剥ぎ取れ!
「政治家」、役人を見て、基本的に、他者性のまったき欠落を思う。
 本来、日本人はこんな馬鹿ではなかった。他者を知る精神的知性をもっていた。つまり、東洋・日本的教養・叡知があったのである。これが、敗戦後が無惨にも捨てられたのである。
 これは、東洋・日本的個の原理、つまり、Media Pointを基盤にした教養である。これが、優れた日本を創ってきたのである。つまり、東洋・日本的個の原理が、西洋文明を消化して、日本を積極的に構築してきたのである。
 もっとも、東洋・日本的個の原理は同時に差異共振原理であり、社会形成的原理でもあるのである。
 日本を狂わせたのは、日本的同一性原理である。これは、父権的原理である。それは、権力・権威と同化する原理である。つまり、モデルを権力・権威に置くのであり、そのモデル=鏡像と自己を重ねる原理である。
 私見では、これは、日本伝統的精神とは異質な発想である。伝統的日本は母権文化である東洋的精神に根差しているのである。
 では、この集団の原理はどこから生まれたのか。個を否定するこの卑しい集団の原理はどこから生まれたのか。
 ニーチェなら、賤民というであろう。確かに、奴隷性である。
 私は今も、森鴎外の『阿部一族』の柄本又一郎の二重性を思っているのである。そこには、権力へ従属する発想が如実に表れているのである。
 確かに、サバイバルのためには、権力に従属する場合があろう。しかし、面従腹背という方法もあるのであるが、上では、正に、服従のみである。というか、個が権力・権威の飲み込まれているのである。
 どうも、やはり、江戸・徳川時代に「培われた」奴隷根性ではないだろうかと思うのである。
 つまり、最初は生きるための方策の服従が、身についてしまったのではないだろうか。
 そう、正に、仮面が本質になったのではないか。つまり、仮面的生き方をするうちに、仮面が本体になってしまったのである。一時的な服従が、精神の本体になってしまったのである。正に、安部公房の『他人の顔』である。
 どうやら、これは、腑に落ちる考えである。ならば、日本人が生き延びるためには、生まれ変わることが必要である。蘇りである。
 欺瞞的生き方が身についた日本人から、赤心の生き方への正統日本人への生まれ変わりである。脱封建的奴隷根性である。
 


社会民主主義の崩壊と国家身体/差異共同体エコノミー主義
ユーロの危機、そして、日本経済の危機、それらは、社会民主主義的公共投資経済の終焉を意味すると思われる。言い換えると、国家主導経済、社会主義的経済の終焉である。
 思うに、国際資本は国家主導経済/社会主義的経済を利用して、国家の債務が膨張させてきたと思われる。そして、リーマン・ショックであり、ユーロ・ショックである。
 経済哲学的には、同一性資本経済が終焉したのであり、本来の差異資本経済へと回帰する必要があるのである。
 成長、富とは、差異共振生産・創造に拠るものであり、それは、市場経済に基づくのである。
 しかし、近代後期やポスト・モダンにおいて、同一性資本(金融資本)が肥大化して、差異資本創造を抑圧してきたのである。そのために、不健全な国債発行による財政赤字が増大してきたと考えられる。
 喩えれば、同一性資本(正確に言えば、連続的同一性資本:悪魔的資本)は国家身体のガン細胞、悪性腫瘍であり、国家身体を滅ぼすのである。
 以上から、世界は第二ルネサンスが必要であることがわかる。あるいは、トランス・ルネサンスである。
 即ち、同一性原理を超克して、差異原理に徹底することである。同一性資本を制御して、差異資本の成長を目指す政策が必須であるということである。米国、英国では、そのトランス・モダンの方向へ歩み出している。
 故に、鳩山政権のような社会主義的バラマキ政策は、反動的、時代錯誤的であり、同一性資本の猛禽類の餌食になるのである。
 必要なのは、減税であり、低所得層に対してであり、また、累進課税の強化であり、企業減税は大企業に有利なので、望ましくないだろう。
 また、思うに、共同体基金を民間で作るべきではないだろうか。それによって、共同体社会を守護するのである。
 つまり、国家・政府の負担に頼るのではなく、個の共同体社会を形成して、それによって自己を守る方向が望ましいのではないだろうか。貯金はその基金に回して、管理維持すべきように思えるのである。
 国家に頼らない自治共同体の構築である。しかしながら、アナーキズムではない。国家は政治・司法・行政の公的な機構として必要であるが、必要最小のものが望まれるのである。
 とまれ、今や、同一性のベルリンの壁は崩壊して、差異の差異への回帰が始まっているのである。新たな1/4回転である。


2010年05月22日(Sat)▲ページの先頭へ
視覚と言語:個・差異的視覚と言語・同一性的視覚:敗戦後の同一性傾斜の言語が視覚空間を破壊した
先に、+iと-iは言語的思考をすると述べたが、補足ないしは補正がいるが、その問題は以下の検討で解明されるだろう。
 さて、視覚と言語の関係について考えたいが、これは、他ならぬ、差異と同一性の関係の問題である。
 これまで、差異即非共振現象が根本にあり、それから、言語習得が為されて、言語同一性が形成される述べた。これは当然、自己同一性(自我)と密接に関係する。
 結局、本来、視覚は差異共振現象の感覚である。しかるに、+iの傾斜があると差異共振的視覚知覚を、同一性的形態・形式(構造:カントの超越論的形式)の枠で制限すると考えられるのである。この差異共振エネルギーの同一性的抑圧・排除は疎外・阻害である。
 精神はここで、矛盾を起こしているのである。差異的視覚と同一性的形態の矛盾である。しかしながら、同一性に傾斜しているので、差異の抑圧は一般には注意されないのである(フッサールの自然的態度、仏教の無明)。
 しかし、本来の正当な芸術家、アーティストは、この被抑圧の差異的視覚(Media Point Vision)を肯定的根拠として、創造活動を行なうのである。だから、差異的視覚と同一性的形態との二重ヴィジョンがそこに生じるのである。それは、 Kaisetsu氏が取り上げるルネ・マグリットの絵画空間に典型的に表現されていると考えられるのである。この二重ヴィジョンは、差異的空間と同一性空間との境界をもつ視覚空間と考えられるのである。
 さて、本題に戻ると、+i傾斜は同一性形態を生み、また、言語形成と結びつき、言語同一性を生み、結局、同一性自己(自我)を形成するのである。
 本来の差異、即ち、自己差異である+iと他者差異である-iは、同一性+1に還元されるのである。これは、
(+i)*(-i)=+1と表記できよう。自己同一性方程式である。
 日本は敗戦後、連合国(米国)と売国奴との占領政策によって、公教育的に敗戦以前の東洋・日本的伝統文化を排除して、近代合理主義をいわば金科玉条として受容したのである。
 近代合理主義とは取りも直さず、自己同一性主義(近代的自我の同一性主義)であるから、敗戦後以降の日本において、差異的視覚を抑圧して同一性的視覚が支配的になったと考えるのは自然である。
 これは、当然、思考においても同じである。差異的思考を抑圧して同一性的思考(果たして、思考と言えるか問題であるが、暫定的、便宜的に思考と呼ぶ)が支配的になるのである。
 日本の場合、父権的同一性が強いので、自己同一性主義は父権的同一性主義になったと考えられる。(西洋の場合、ルネサンスやプロテスタンティズムに基づく、個の原理が基底としてあるが、日本の場合は、本来、東洋・日本的伝統文化の個の原理があったが、それが、否定されて、残存している父権主義と自己同一性主義が結合したと考えられる。)
 結局、差異的視覚/差異的思考が同一性的視覚/同一性的思考によって抑圧・排除されたのであるが、ここで、言語の問題を入れると、差異的言語が同一性的言語に抑圧・排除されたということになる。
 つまり、敗戦後以降、日本社会において、同一性的視覚/思考/言語空間が支配してきたのである。これは、当然、政治・経済においてもそうである。
 とまれ、ここで、対象を芸術・アートに限定すると、敗戦後の日本を支配する同一性的視覚のために、芸術・アートは本来の差異的視覚を奪われて、正当性を喪失してきたと一般には考えられる。結局、擬似的芸術・アートが、似非権威となり、本来の、正統な芸術・アートを奪い、殲滅してきたのである。これは、当然、音楽や文学にも当てはまるのである。つまり、商業的には、同一性的美学を宣伝して、大衆を麻痺させて、ガラクタを与えてきたのである。ここには、似非評論家が強く洗脳活動を行ったのであり、害悪となっているのである。(例えば、村上春樹の作品である。言語観念を同一性観念として使用していて、差異的具体性を喪失した、非現実的な文学である。)
 ここで、言葉の問題があるのである。似非評論家は、差異的視覚/思考/言語を喪失したまま、同一性・抽象的言語の虚構を作り出してきたと考えられるのである。
 民衆、国民との接点を喪失した悪しき、閉鎖空間の構築を手助けしてきたのである。
 以上のことを換言すると、身体性の喪失と言うことが言えよう。視覚的表現にしろ、言語的表現にしろ、音楽的表現にしろ、身体性を敗戦後の日本は喪失してきたのである。
 より正確に言えば、視覚より、言語の方が同一性的である。つまり、言語的同一性主義によって、視覚本来の差異性、差異即非共振性を抑圧、排除してきたと考えられるのである。
 これが、正しい見解である。つまり、敗戦後の日本は近代合理主義=自己同一性をマインド・コントロール的に受容して、言語的同一性主義を形成して、視覚空間を同一性形態・フレームに抑圧、固定して、それを破壊してきたと言えよう。それは、開発という自然破壊、また、東京の醜悪な高層ビル等に如実に見て取ることができる。


参照:『光の帝国』は、白い雲の浮かぶ青空が「光」であり、シルエットのようになる木々や屋敷は「影」であり、真ん中の街灯が、両者の中心である Media Pointと考えられる。思うに、青空を差異とすると、シルエットが同一性となるし、逆に、青空を同一性とすると、シルエットが差異となるだろう。ネガとポジの陰陽性がある。そして、この極性をMedia Pointの街灯が産み出していると言えよう。
 とまれ、ここには、差異共振視覚空間が明快に表現されていると言えよう。

追記:参照の同一性であるが、正確に言うと、⇒の先端である。そして、差異は⇒の起点である。だから、Vector Modeである。だから、「光」は先端となり、「影」は起点となり、また、逆に、「影」が起点となり、「光」が先端となると考えられるのである。つまり、ここには、同一性はなく、ただ、差異の起点と先端の極性があるということになるのである。


Japonesian Trans-Apocalypse:Trans-Modern New Platonic Trans-Creation


マグリット『光の帝国』

http://artguide.269g.net/category/242053-10.html
おまさんたアートでも見に行かんかね


1954年に描かれたマグリットの代表作,「光の帝国」。

この作品に,マグリットはこんな言葉を残しています。

 「 白昼の空の下に夜の風景が広がる。
   最初は判らないが,もう一度よく見て初めて,実写的に描かれた
  この舞台装置の超現実性が意識される。
   「光の帝国」の中に,私は相違するイメージを再現した。つまり,
  夜の風景と,白昼の空だ。風景は夜を想起させ,空は昼を想起させる。
  昼と夜のこの共存が,私達を驚かせ魅惑する力を持つのだと思われる。

   この力を,私は詩と呼ぶのだ。」

http://blog.livedoor.jp/kibora_hiro/archives/cat_50034005.html
ひろ空間


新国富論:豊かに貧しくなるではなく、貧しく豊かになる時代
私の実家の田舎の周辺は、農村地帯であるが、道路は交通の少ないところまで鋪装されているし、また、新しい鋪装道路もいつの間にか造られている。
 また、市役所は高級ホテルのような立派な建物であるが、駅周辺にはシャッター通りがある。市議会議員の削減案は市議会で潰されたそうである。
 結局、公共投資、行政的資本主義が、役人を肥やし、民を貧しくしたのである。
 資本主義は本来、個が単位であるが、日本においては、行政主導となってしまっているのである。端的に、国家資本主義、社会主義的資本主義である。結局、これが、超大な財政赤字を生んだのである。
 そこで、発想を逆転させて、貧しくなることの勧めを説きたいのである。貧しくなることで、国富が豊かになることを説きたいのである。
 これまでは、豊かになるために、国富を貧しくしてきたのである。これは亡国路線である。
 道路建設、ダム建設、原発建設等を無くすことで、民の貧しさはほぼ同じであり、国富が豊かになるのである。


2010年05月20日(Thu)▲ページの先頭へ
近代的二元論の他者否定性:+i=意識的思考(光)と-i=無意識的思考(影)
既述済みであるが、再確認したい。
 +iは言語的思想をするので、+1と結びつくのである。しかしながら、同時に、Media Pointにおいて、-iと即非共振している。つまり、同一性論理と即非論理の間に+iは存するのである。
 しかしながら、近代主義、近代合理主義、近代的自我は、同一性論理を肯定して、即非論理を否定するので、-iとMedia Pointが否定・抑圧・排除されるのである。
 同一性論理の肯定とは、やはり、男性、父権主義において、+iの優位(左脳優位?)があるために、-iを劣位とすることに基因があると考えられる。言い換えると、同一性論理と即非論理が生起するものの、言語に傾斜した+iは同一性論理に結びつくということである。
 とは言え、-iは言語的思考をしないのかという問題があるだろう。これまでの考察から見ると、-iは言語的思考をするのである。だから、正確に言う必要がある。+iは意識的思考をするのである。光の思考である。それに対して、-iは無意識的思考、影の思考をするのである。
 だから、+iに傾斜した思考とは、意識的思考ということであり、それは、-iの無意識的思考を排除するのである。そして、意識的思考は他者を排除するので、自己同一性(自我)となるのであり、それが、+1と結びついて、近代合理主義を形成するのである。
 だから、+i傾斜がルシファーであり、連続主義であり、それが、+1のアーリマン(アンラ・マンユ)と結合して、連続的同一性主義の唯物論を形成すると考えられる。
 イタリア・ルネサンスはMedia Pointの開花であったが、西洋文明という父権主義のコンテクストにあるので、連続的同一性主義の抑圧を被ったと言えよう。つまり、近代西洋とは、差異と同一性の混淆・混濁・混合の二重性があるのであり、それが、ポスト・モダンまで続いたと言えよう。
 日本においては、封建的同一性主義の抑圧が強いので、Media Pointが十分に開花していない欠点があるのあり、これが、今日の衰退・崩壊を生んでいると考えられる。第二維新が必要である。
 因みに、鳩山首相は-iの無意識的思考=差異・他者性がまったく欠落して、+i=+1という同一性の無限回転回路(ルーピー回路)状態なのである。

追記:これも既述済みの事項であるが、+i傾斜の意識的同一性思考、即ち、近代同一性的思考(近代合理主義)は、-i並びにMedia Pointを抑圧するので、エネルギーを枯渇するのであり、うつ病、その他の精神病理現象を引き起こすと考えられる。


2010年05月18日(Tue)▲ページの先頭へ
現代日本政治家は権力亡者だ:日本の似非民主主義/愚民主主義:東京解体へ
テーマ:ニッポン亡国凶相:売国奴と愚民と奴隷根性

結局、現代の日本人は「個」として生きていないのである。思うに、自我としても生きていない。いわんや、自己として生きていない。
 ほぼ動物に退化しているのが、現代日本人である。これは、滅ぶしかないだろう。しかし、この亡国の原因を考えるべきである。今日、折口信夫を知っているは、ごく一部の教養人であろう。
 彼は、日本人は宗教性が長らく欠けていたと述べている。記憶があいまいだが、鎌倉時代以降、宗教性が衰退したと述べている。そして、「第二次世界大戦」の敗戦は、日本の神が西洋の神に敗れたことであると述べている。
 折口信夫の鋭敏なところは、宗教性が権力を形成すると考えていることである。これは、マルクスよりはるかに鋭いのである。
 ここで明確にすべきことは、私が言う宗教性とは、精神的エネルギー、主観的エネルギー、個的エネルギーのことである。神を信じる云々は二義的なことである。だから、生への信念の問題と言える。
 とまれ、折口は敗戦後が新しい神道の時代になることを期待したのであるが、それは、まったく無視されたと言えよう。敗戦後の連合国の占領政策の洗脳が効いたのである。(思うに、明治維新は宗教的エネルギーの産物である。)
 私が言いたいことは、政治とは「宗教性」そのものであるということである。ヘゲモニーである。
 日本における、この「宗教性」=権力性を衰退させた原因が見極める必要がある。それは、直感では、徳川幕府である。江戸という非生産的消費主義的都市を造り、江戸を唯物論的にしたのである。つまり、原東京とは唯物論都市なのである。ここが「宗教性」=権力性を喪失させた原因と思うのである。
 私見では、日本のマイナーな地方は「宗教性」=権力性があるが、それが、東京という唯物論都市によって、破壊されてきたのである。これは、徳川幕府の悪しき遺産であると思うのである。
 思うに、日本が生き延びるには、東京を解体する必要があるのである。これが癌である。そして、東京をまねる地方都市も癌である。
 考えれば、明治維新を創出したのは、薩長土肥である。東京という唯物論都市に感染して腐敗堕落したと考えられる。東京を解体せよ!


1年以上失業114万人=職探し長期化―総務省1〜3月期調査

5月18日18時20分配信 時事通信
 総務省が18日発表した労働力調査(2010年1〜3月期平均)によると、完全失業者(332万人)のうち期間1年以上の長期失業者は前年同期比23万人増の114万人で、四半期ベースで過去3番目に多い水準だった。100万人を超えたのは05年1〜3月期以来5年ぶりで、増加幅は02年の調査開始以来、最大になった。
 総務省は「職がなかなか見つからず労働市場に長期間滞留する失業者が多く、さらに増える可能性もある」と指摘する。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100518-00000146-jij-pol

【関連ニュース】
・ 09年度求人倍率、最悪の0.45倍=3月失業率5.0%、4カ月ぶり悪化
・ 40代自殺の増加幅最大=20〜30代は過去最悪−12年連続3万人超
・ 【図解・経済】完全失業率と有効求人倍率
・ 【写真特集】金融危機
・ 【写真特集】雇用不安  

折口信夫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション , 検索
文学
Lit.jpg
ポータル
各国の文学
記事総覧
出版社 ・文芸雑誌
文学賞
作家
詩人 ・小説家
その他作家

折口 信夫(おりくち しのぶ、明治 20 年(1887 年 )2月11日 - 昭和 28 年(1953 年 )9月3日 )は、日本の民俗学 、国文学 、国学 の研究者。

釈迢空(しゃく ちょうくう)と号した詩人・歌人でもあった。折口の成し遂げた研究は「折口学 」と総称されている。
略歴 [編集 ]

柳田國男 の高弟として民俗学 の基礎を築いた。みずからの顔の青痣をもじって、靄遠渓(あい・えんけい=青インク)と名乗ったこともある。

歌人 としては、正岡子規 の「根岸短歌会 」、後「アララギ 」に「釈迢空」の名で参加し、作歌や選歌をしたが、やがて自己の作風と乖離し、アララギを退会する。 1924年(大正13年)北原白秋 と同門の古泉千樫 らと共に反アララギ派を結成して『日光』を創刊した。
柳田國男との関係 [編集 ]

大正4年(1915年 )の『郷土研究 』誌に載った論文で、互いに似通った折口と柳田の論文が前後して載せられるという事件があった。折口が昨年のうちに送ったものが採用されず、柳田の「柱松考」が3月号、折口の「髯籠の話」が4,5月号に載ったというものだが、それを後に振り返って折口が言った「先生の「柱松考」を先に見ていれば、わたしは「髯籠の話」など書かなかった」という言葉に、潔癖さ、厳しさが表れている。

そして柳田も「(折口君という人は)真似と受け売りの天性嫌いな、幾分か時流に逆らっていくような、今日の学者としては珍しい資質を具えている」とその点では認めていた。ただし「マレビト 」を認めない柳田と折口の間に論争があったのも事実である[1] 。二人は国学 の先輩方に当たる賀茂真淵 ・本居宣長 師弟のように、教えを受けながらも正当だと思った所は譲らず真理の追求を磨く学者の関係を持っていたといえる。

柳田は折口より十二歳年上であったが、共に昭和20年(1945年 )の敗戦 時には60歳を既に迎えていた。その戦後のこと、重い口調で柳田は折口に話しかけたという。「折口君、戦争中の日本人は桜 の花が散る ように潔く死ぬことを美しいとし、われわれもそれを若い人に強いたのだが、これほどに潔く死ぬ事を美しいとする民族が他にあるだろうか。もしあったとしてもそういう民族は早く滅びてしまって、海に囲まれた日本人だけが辛うじて残ってきたのではないだろうか。折口君、どう思いますか」その問いにしばらく両者深く思い沈んでいたという。折口には、18年間共にした養嗣藤井春洋 の硫黄島玉砕 という重い出来事があった。その追悼の念は徹底的で、敗戦の詔 を聞くと四十日間喪 に服し、自分の死ぬまで遺影 前の供養を欠かさなかったという。第二次大戦 で失った戦死者の鎮魂 は大きな課題で、戦没者 が生前に殉じる価値を見出そうとした皇国 などといった概念も天皇の人間宣言 とともに潰え果てたのである。柳田も日本人の神や魂といった問題意識は共有していて、折口は後その問題を「民俗史観における他界観念」という著に収斂させていくこととなる[2] 。

柳田が民俗現象を比較検討することによって合理的説明をつけ、日本文化の起源に遡ろうとした帰納 的傾向を所持していたのに対し、折口はあらかじめマレビトやヨリシロ という独創的概念に日本文化の起源があると想定し、そこから諸現象を説明しようとした演繹 的な性格を持っていたとされる。なお角川ソフィア文庫 版『遠野物語 』に折口の跋文がある。
トリビア [編集 ]

* 天文学者 の萩原雄祐 は府立今宮中学校時代に折口に師事したことで知られている。
* 三島由紀夫 の短篇「三熊野詣」に登場する国文学者藤宮や、舟崎克彦 の長篇『ゴニラバニラ』に登場する民俗学者折節萎(おりふし・しぼむ)は折口がモデルといわれている。
* 同性愛者 (男色 家)であり、高弟加藤守雄 に同衾を強要したことでも知られる。養子の折口春洋 (旧姓藤井)も事実上の愛人 だった。このような折口の性的指向に対して柳田國男 は批判的で、折口の前で加藤に向かって「加藤君、牝鶏になっちゃいけませんよ」と忠告した[3] こともある(牝鶏という言葉は、男性同士の性行為 を意味する鶏姦という語と関係があり、いわゆる稚児 、若衆 を指すと解される)。
* 「同性愛を変態だと世間では言うけれど、そんなことはない。男女の間の愛情よりも純粋だと思う。変態と考えるのは常識論にすぎない」と述べた。[4]
* 折口が主査となり博士号を授与した、西角井正慶 、高崎正秀 、藤野岩友 、今泉忠義 、大場磐雄 の高弟五人を指して折口信夫の五博士という。各博士たちは、折口の学問を継承し、各自の分野において優れた業績を残した。「五博士」という言い方は、折口自身が言い始めた。大場磐雄による西角井正慶の追悼文(「西角井正慶さんのみたまにささげる詞」『芸能』第13巻第2号(通巻144号) 1971年2月)には、「先生(引用者注・折口信夫)によつて学位を頂き、先生から五博士と呼んで下さつた仲間」と書かれている。

年譜 [編集 ]
「折口信夫生誕の地」の碑と文学碑(大阪市浪速区敷津西1丁目)

* 明治 20年(1887 年 )2月11日 - 大阪府 西成郡 木津村 (現在の大阪市 浪速区 鷗町)に父秀太郎、母こうの4男として生まれる。
* 明治23年(1890年 )- 木津幼稚園に通う。
* 明治25年(1892年 )- 木津尋常小学校 (現在の大阪市立敷津小学校 )に入学。
* 明治27年(1894年 )- 叔母えいから贈られた『東京名所図会』の見開きに初めて自作歌を記す。感謝の念篤く、『古代研究 』にはこの叔母への献詞を載せている。
* 明治29年(1896年 )- 大阪市南区竹屋町、育英高等小学校 に入学。
* 明治32年(1899年 )4月 - 大阪府第五中学校(後の天王寺中学) に入学。中学の同級生には武田祐吉 (国文学者)、岩橋小弥太 (国史学者)、西田直二郎 などがいた。
* 明治33年(1900年 )夏 - 大和 の飛鳥坐神社 を一人で訪れた折に、9歳上の浄土真宗 の僧侶 で仏教改革運動家である藤無染 (ふじ・むぜん)と出会って初恋を知ったという説がある[5] 。富岡によると、迢空という号は、このとき無染に付けられた愛称に由来している可能性があるという。
* 明治34年(1901年 )- 15歳になったこの年に父親から『万葉集略解』[6] を買ってもらう[7] 。『文庫』『新小説』に投稿した短歌 一首ずつが入選。
* 明治35年(1902年 )- 成績下がる。暮れに自殺 未遂。
* 明治36年(1903年 )3月 - 自殺未遂。作歌多し。
* 明治37年(1904年 )3月 - 卒業試験にて、英会話 作文・幾何 ・三角・物理 の4科目で落第 点を取り、原級にとどまる。この時の悲惨さが身に沁みたため、後年、教員になってからも、教え子に落第点は絶対につけなかった。同じく後年、天王寺中学から校歌 の作詞を再三頼まれたが、かたくなに拒み続けたと伝えられる。大和に3度旅行した際、室生寺 奥の院で自殺を図った若き日の釈契沖 に共感、誘惑に駆られる。
* 明治38年(1905年 )3月 - 天王寺中学校を卒業。医学 を学ばせようとする家族の勧めに従って第三高等学校 受験に出願する前夜、にわかに進路を変えて上京し、新設の國學院大學 の予科 に入学。藤無染と同居。約500首の短歌を詠む。
* 明治40年(1907年 )- 予科修了、本科国文科 に進んだ。この時期國學院大學において国学者 三矢重松 に教えを受け強い影響を受ける。また短歌 に興味を持ち根岸短歌会 などに出入りした。
* 明治43年(1910年 )7月 - 國學院大學国文科卒業。卒業論文は「言語情調論」。
* 明治44年(1911年 )10月 - 大阪府立今宮中学校 の嘱託教員(国漢担当)となる。
* 大正 元年(1912 年 )8月 - 伊勢 、熊野 の旅に出た。
* 大正2年(1913年 )12月 - 「三郷巷談」を柳田國男 主催の『郷土研究』に発表し、以後、柳田の知遇を得る。
* 大正3年(1914年 )3月 - 今宮中学校を退職し、上京。折口を慕って上京した生徒達を抱え、高利貸 の金まで借りるどん底の暮らしを経験したという[8] 。
* 大正5年(1916年 )- 國學院大學内に郷土研究会を創設する。30歳。『万葉集』全二十巻(4516首)の口語訳上・中・下を刊行する。
* 大正6年(1917年 )
o 1月 - 私立郁文館中学校 教員となる。
o 2月 -「アララギ 」同人となり選歌欄を担当する。一方で、國學院大學内に郷土研究会を創設するなどして活発に活動する。
* 大正8年(1919年 )1月 - 國學院大學臨時代理講師となる。万葉辞典を刊行する。
* 大正10年(1921年 )- 柳田国男 から沖縄 の話を聞き、7〜9月、最初の沖縄・壱岐旅行。
* 大正11年(1922年 )
o 1月 - 雑誌「白鳥」を創刊。
o 4月 - 國學院大學教授 となる。
* 大正12年(1923年 )6月 - 慶應義塾大学 文学部講師となる。第2回沖縄旅行。
* 大正13年(1924年 )1月 - 亡師三矢重松の「源氏物語全講会」を遺族の勧めで再興。後慶應義塾大学に移し没年まで続ける。
* 大正14年(1925年 )5月 - 処女歌集『海やまのあひだ』を刊行。
* 昭和 2年(1927 年 )6月 - 國學院の学生らを伴い能登半島 に採訪旅行し、藤井春洋 の生家を訪う。
* 昭和3年(1928年 )4月 - 慶應義塾大学文学部教授となり芸能史を開講。またこの年には「アララギ」を去って北原白秋 らと歌誌『日光 』を創刊。
* 昭和7年(1932年 )- 文学博士 の称号を受ける。日本民俗協会の設立にかかわり、幹事となる。
* 昭和10年(1935年 )11月 - 大阪木津の折口家から分家する。第3回沖縄旅行。
* 昭和15年(1940年 )4月 - 國學院大學学部講座に「民俗学」を新設。愛知県三沢の花祭り、長野県新野雪祭りをはじめてみる。
* 昭和16年(1941年 )
o 8月 - 中国へ旅し、北京で講演。
o 12月 - 太平洋戦争 起こり、藤井春洋応召。
* 昭和19年(1944年 )7月 - 藤井春洋 、硫黄島に着任。春洋を養嗣子 として入籍。
* 昭和20年(1945年 )
o 3月 - 大阪の生家が戦災により焼失する。大本営より藤井春洋の居る硫黄島の玉砕 発表。
o 8月15日 - 敗戦の詔聞くと箱根山荘に40日間籠もる。
* 昭和23年(1948年 )
o 5月 - 古代感愛集により芸術院賞受賞。
o 12月 - 第一回日本学術会議会員に選ばれる。
* 昭和24年(1949年 )7月 - 能登一ノ宮に春洋との父子墓建立。
* 昭和25年(1950年 ) - 宮中御歌会選者となる。
* 昭和28年(1953年 )
o 7月初め - 箱根行き、健康すぐれず。
o 8月31日 - 衰弱進み慶應義塾大学病院に入院。
o 9月3日 - 胃癌 のため永眠。養子として迎えた春洋(戦死)とともに、気多大社 のある石川県 羽咋市 一ノ宮町にある墓に眠る。折口家の菩提寺願泉寺 に分骨が納められている。

系譜 [編集 ]

折口家は木津の願泉寺 門徒の百姓 であったが、曽祖父彦七の時から商家 となり、医院と生薬 、雑貨を商った。長兄が医者の後を継いだ。[7]

祖父の造酒ノ介はもと、大和の明日香村 岡寺前の岡本善右衛門の8男であったが、同地の古社飛鳥坐(あすかにいます)神社の累代の神主家 飛鳥助信の養子 となった上で、折口家に養子として入り、医を業として従来の家業を兼ねた。

父・秀太郎は河内国 の名主 の家の次男で、折口家の養子となり医を継いだ。信夫が生まれて七年のち双生児 の弟が誕生するが、実は母こうが生んだのではなくて、同居する叔母 ゆうと父の秀太郎との間に生まれたのであった。こうした家庭内の愛情にかかわる葛藤も、信夫の心に深い陰影を刻んだ[9] 。

先妻                  ┏あゐ


 ┃                  ┃


 ┣━━━彦次郎     秀太郎    ┣静


 ┃            ┃     ┃


彦七            ┣━━━━━╋順


 ┃            ┃     ┃


 ┣━━━造酒ノ介    ┏こう    ┣進


 ┃     ┃     ┃      ┃


とよ     ┣━━━━━╋ゆう    ┣信夫


       ┃     ┃      ┃


      つた     ┗えい    ┣親夫


                    ┃


                    ┗和夫

・・・・・

外部リンク [編集 ]

* 折口信夫:作家事典
* 折口 信夫:作家別作品リスト (青空文庫 )
* 大阪市 浪速区 「折口信夫(おりくちしのぶ)生誕の地」の碑と文学碑
* 羽咋の偉人−折口信夫・春洋
* 折口信夫父子 ゆかりの地|羽咋市折口信夫父子の墓
* 関連

「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%98%E5%8F%A3%E4%BF%A1%E5%A4%AB 」より作成


2010年05月17日(Mon)▲ページの先頭へ
トランス・モダン社会的進化:ポスト・ユダヤ/キリスト教西洋文明:トランス・モダン文明期への相転移
2010/05/15 14:46
【RPE】★ギリシャ危機と欧州の今後(続08年と10年は全然違う時代)
http://archive.mag2.com/0000012950/20100515144652000.html


つまり、ポスト・ユダヤ/キリスト教文明のトランス・モダン文明期に入ったということである。占星術史観でいうと、宝瓶宮(水瓶座)の時代である。
 これは、差異即非共振原理(差異共振原理)の時代である。Media Pointに根ざした民族国家精神的身体を秩序化する国が勝利することになると考えられる。
 日本国家身体は、東洋的日本身体精神をOSとして、それへ科学・技術を包摂すべきである。民主主義もそれに包摂されるのである。
 近代的同一性主義と父権的同一性主義は一切合切捨て去らねばならない。明治維新の勤王開国派(横井小楠、勝海舟、坂本龍馬、他)は東洋的身体精神に基づく西洋派(言わば、和魂洋才)であった。
 根源、即ち、魂の東洋的身体精神を復活すべきである。それが、日本ルネサンスを形成するようになるだろう。
 一番の問題は、増す塵と売国奴と愚民によって、Media Point精神が混濁させられてしまっていることである。精神を浄化する必要がある。
 日本国民がPS理論を受容するようになれば、開眼し、日本伝統的トランス・モダン政治が生まれるだろう。


Rebuilding Britain: a new beginning?

Rebuilding Britain: twilight days or a new beginning?
All this week, Telegraph writers and contributors will be examining ways in which the new government can restore Britain’s prosperity and confidence. Today, Jeremy Warner considers our prospects for avoiding terminal economic decline.
http://www.telegraph.co.uk/finance/economics/7731232/Rebuilding-Britain-twilight-days-or-a-new-beginning.html


2010年05月16日(Sun)▲ページの先頭へ
Kaisetsu氏の「コンサバティブ・ラディカル」という新政治概念
テーマ:傀儡ペテン売亡国独裁主義国家癌民主党政権

以下、Kaisetsu氏の現代日本政治分析は透徹したものであり、現代日本政治の流れが明瞭である。
 ラディカルとリベラルの根本的差異の説明が意義深い。これまでの考察から言えば、ラディカルとは、差異主義/母権主義であり、リベラルとは、同一性主義/父権主義である。Kaisetsu氏の言葉では、直観主義と理想主義である。
 思えば、私はイメージから言語観念が生まれた、常々思ってきた。それから言えば、この区別は納得できるものである。
 また、これは、カント哲学批判になるのである。カント哲学は直観主義と同一性主義(悟性主義)の折衷の理性主義である。
 しかし、「理性」とは、直観・直感に基づくものである。言語主義的な同一性主義(悟性)が主導すると、「理性」は「汚染」されて、直観・直感が混濁するのである。
 だから、ポスト・モダンとは、ヘーゲル的であり、且つ、カント的である。
 直観・直感の「清々しい」哲学を説いたのは誰であろうか。これは、芸術家(美術、音楽、文学、他)が表現したのである。直感で言えば、老子であり、シェリングである。


所謂、「ネット右派」は、「コンサバティブ・ラディカル( Conservative radical)」


所謂、コンサバティブとは、理想論よりも現実論、将来の利益よりも現在の利益、理論よりも直観を重視する思考であり、所謂、ネット右派は、このコンサバティブに入る。

 所謂、リベラルとは、現実よりも理想を、現在の利益よりも将来の利益を、直感よりも理論を重視する思考であり、所謂、「サヨク」が、この分類に入る。


 所謂、サヨクは、つい最近まで、野党であり、反体制派であったために、現状を打破することを自己主張の中心とし、将来の幸福を約束することで大衆を操作し、緻密な理論によって合理性を確保する手法を用いてきた。

 一方、右派は、既存体制の支持者であり、現状を肯定することで大衆に安心感を情操し、直観的な意思伝達によって政権への支持を確保してきた。

 ところが、トロツキズムを理論の基礎におくネオ・リベ勢力が、深く既存勢力の中に入り込み、右派の牙城である体制内部に、現状打破のスローガンを持ち込み、保守主義の中に、「現実よりも理想を、現在の利益よりも将来の利益を、直感よりも理論を重視する」手法で、大衆操作をする勢力が頭角を表した。日本では、小泉純一郎である。

 このコンテキストから、この新しい集団を、「New Liberal」と呼ぶことは正確である。

『海舌』 the Sea Tongue by Kaisetsu 


ゼロ・サイズ:モデルとは何か
モデルとは何か。これは哲学的問題である。他者、鏡像の問題である。イメージとは根源的、深層的なものである。それは、Media Pointから発しているVector Modeと言えそうである。
 つまり、+iと-iの即非共振によって⇒+1が形成されるが、⇒の先端ないしは⇒と+1の境界にイメージが形成される。この自己イメージに入るのが、モデルであると考えられる。
 つまり、モデルとは自己イメージなのである。これが、病的になるのは、自己内他者を把捉していないためだと考えられる。他者を認識したとき、自己イメージは、モデルに拠るのでなく、自己創造的なイメージ、オリジナルなイメージになると考えられる。

Health food magazine fattens up skinny model
Kamilla Wladyka

Holland & Barrett under fire over airbrush to make model fuller-figured.


日本は誰が滅ぼすのか:国家精神身体のトランス・モダン化へ向けて
「放っておいたら大変」 大学非常勤講師の惨状
さとうしゅういち 2007/05/26
大学の非常勤講師でつくる労働組合などが、「大学非常勤講師 実態と声 2007」をこのたび出されました。拝読しましたが、非常勤講師の置かれた惨状に声を失いました。
日本 教育 NA
 大学の非常勤講師でつくる労働組合(関西、首都圏)などが「大学非常勤講師 実態と声 2007」 をこのたび出されました。

 拝読しましたが、非常勤講師の置かれた惨状に声を失いました。まず、私の第1の感想は、以下です。

 「いくら、好きな学問のことをしているとはいえ、私が大学院へ行かずに放り出したような学問をきちんと深めている人々が、私より低い給料で、しかも、出産で休んだら、雇止めになるような、労働力使い捨てと言い切ってよいような、悪条件で働かされているとは何たることか?」

 「このようなことがまかり通っているようでは、学生にも悪い影響を及ぼす。すなわち、世の中こんなものだ。先生よりはましだからいいか。と、長時間労働や低賃金労働を受け入れてしまう。先生のほうも、学生に対して就職のことを自己責任としてしまう傾向が強いのもこういうところにあるのではないか?」

 というものです。
http://www.news.janjan.jp/living/0705/0705256108/1.php

*
日本インターネット新聞JanJan



国家身体(国家精神的身体)を考えると、精神である教育、とりわけ、大学、大学院教育は重要である。
 非常勤講師はいわは派遣「労働者」である。以前、外国の労働者のような立場と考えたことがある。日本の政治が、時代錯誤の封建/近代的資本主義(国家資本主義)を主導しているのが根本的な問題である。
 国家身体を発展させる精神(OS)が、旧態依然なのである。差異・質的な国家身体構築が必要である。
 これまで述べているように、伝統的な東洋的身体精神のOSにする必要がある。敗戦後、これが否定されて、日本は自己否定の状態にあるのである。
 これは、米国の被植民地的政策(占領政策)と米国への売国奴勢力に拠ると考えられる。後者の売国奴勢力とは、父権的同一性主義であり、自己中心的であり、差異である国民を虐待するのである。
 また、国民も、気骨・気概もない、腑抜けが大半である。今や亡国モードである。トランス・モダン維新へと展開するべきである。


2010年05月13日(Thu)▲ページの先頭へ
精神的身体としての国家(国家身体=国家共同体)
イギリスの16世紀から18世紀にかけて、Body Politicという概念が流行したが、思うに、それは、本来的ではないだろうか。つまり、国家とは共同体であり、身体であるということである。
 言い換えると、身体とは差異なのである。だから、例えば、国家の財政赤字は身体の苦痛という差異なのである。
 しかしながら、国家身体=民族精神身体という視点がなくなり、同一性主義の発想になると、財政赤字は身体の痛みではなく、同一性の延長となるのである。それは、まったく痛みがないのである。それが、新自由主義化した自民党と現民主党の発想である。
 そう、精神と身体とは一体であるが、物質は精神/身体の同一性の抽象に過ぎないのである。
 近代合理主義とは精神=身体という国家身体を劣化・衰退化させた「病気」である。
 ところで、nation-stateの問題であるが、近代的に同一性主義ないしは連続主義となると、全体主義となるのである。しかし、それを絶対的差異と見るならば、それは、トランス・モダンの基点、「モナド」、創造的モナドとなるだろう。

Body politic
From Wikipedia, the free encyclopedia
Jump to:navigation , search
For the defunct Canadian magazine, see The Body Politic (magazine) .

A body politic refers to the people of a nation , state or country considered collectively as a body of organized citizens.

王の二つの身体
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション , 検索

王の二つの身体(The King's Two Bodies)はエルンスト・カントロヴィチ による政治思想史の研究書。中世政治神学研究との副題がついている。

カントロヴィチの研究によれば、ヨーロッパの王は自然的身体と政治的身体という二つの身体を持っている。自然的身体は死すべき身体であって、偶然や不確実性、生物的な虚弱性の脅威に脅かされる。 一方、政治的身体は見ることも触れることもできない身体である。それは政策と政府から成り、人々を導き、公共の福利を進める身体である。この身体は自然的身体の欠陥や弱点を免れている。自然的身体は政治的身体を具現化する。

カントロヴィチは本書の中で、ヨーロッパの王の二つの身体が統一されており、王が生きている限りは分離されることがないという神学的思考を歴史的に辿ってみせる。この神学的思考はキリストの受肉が下地となり、清教徒革命 、ひいては民主主義 の精神の母胎となったという。
関連書籍 [編集 ]

* 小林公(訳) 『王の二つの身体 中世政治神学研究』 平凡社 、1992年。
* 小林公(訳) 『王の二つの身体〈上・下〉』 筑摩書房 、2003年。

「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E3%81%AE%E4%BA%8C%E3%81%A4%E3%81%AE%E8%BA%AB%E4%BD%93 」より作成


2010年05月11日(Tue)▲ページの先頭へ
視覚の解放へ向けて:光のルネサンス:トランス・モダン維新は視覚ルネサンスである
テーマ:日本ルネサンス:西洋を包摂した新東洋文明

Kaisetsu氏による視覚空間と内界の結びつきの言及は、先に思ったイタリア・ルネサンス=光の誕生に関することを想起させる。つまり、内的光と外的光との一致のことである。また、今さらに考えれば、内的光が外的光を包摂する「精神」に思い至る。
 イタリア・ルネサンスは内的光(ほぼ東洋・アジアの光と言えよう)の解放とその充溢の表現であると考えられる。その後、近代社会は近代合理主義=近代同一性主義によって、それを抑圧するように作用したのである。
 この抑圧が自己精神を歪曲するのであり、異常な病理的自我意識を生むと考えられる。
 戦後日本は被植民地的な近代合理主義を受容して、この内的光を抑圧してきたと考えられるのである。それは、サラリーマンのスーツを見れば一目瞭然である。
 今日の日本社会の「狂気」の原因はここにあると見ていいだろう。トランス・モダン化するには、内的光を復活させる必要がある。そして、これと外的光との即非共振的精神モードを形成する必要があるのである。
 思うに、内的光がアフラ・マズダーである。これが、日=火=緋=妃=霊であると考えられる。また、それは、Media Pointの光である。それはまた当然、超越的光であるし、プラトンの洞窟の比喩における洞窟の外部の太陽と言えよう。
 後で、さらに詳述したい。


参照:
The Light of Asia
From Wikipedia, the free encyclopedia
Jump to: navigation , search

The Light of Asia, subtitled The Great Renunciation, is a book by Edwin Arnold . The first edition of the book was published in London in July 1879.

In the form of poem, the book endeavors to describe the life and time of Prince Gautama Buddha , who after attaining enlightenment became The Buddha, The Awakened One. The book presents his life, character, and philosophy, in a series of verses . It is a free adaptation of the Lalitavistara .

A few decades before the book's publication, very little was known outside Asia about the Buddha and Buddhism , the religion which he founded, and which had existed for about twenty-five centuries.

The book has been highly acclaimed from the time it was first published, and has been the subject of several reviews. It has been translated into several languages like Hindi (by Acharya Ram Chandra Shukla ).
[edit ] Adaptions

A film adaptation of the poem directed by Franz Osten and Himansu Rai was made in 1928, titled, Prem Sanyas (The Light of Asia in English) [1] .
[edit ] References

1. ^ Prem Sanyas at the Internet Movie Database

[edit ] External links

* The Light of Asia at Project Guntenburg


Stub icon This article related to a book about religion is a stub . You can help Wikipedia by expanding it .
v • d • e
Stub icon This poetry -related article is a stub . You can help Wikipedia by expanding it .
v • d • e
Stub icon This Buddhism -related article is a stub . You can help Wikipedia by expanding it .
v • d • e
Retrieved from "http://en.wikipedia.org/wiki/The_Light_of_Asia "
Categories : Religious studies book stubs | Poetry stubs | Buddhism stubs | 1879 books | Buddhism studies books




2010年05月10日(Mon)▲ページの先頭へ
検討問題:視覚空間と聴覚空間:視覚と聴覚の共鳴空間
以下、Kaisetsu氏がイメージ空間に関する意義深い区別を行っている。
 今は余裕がないので詳論できないが、簡単に感じたことを述べたい。
 聴覚空間を外部に、視覚空間を内部に、分けている。これは、私の考え方というか、一般的な考え方とは反対ではないだろうか。何故なら、視覚は外界に向けられ、聴覚は「内界」に向けられるように考えられるからである。
 もっとも、視覚空間が内界的になるというのは理解できることである。文学作品を読むとき、内的視覚空間が「現象」するからである。
 音楽を聴くときは、確かに、外界をイメージすることがあるし、また、私の場合は、内界的に聴いている面が強い。
 すると、私の聴き方は、Kaisetsu氏の視点から言うと、視覚的に音楽を聴いていることになる。
 思えば、私は音楽に強く音色を感じる方である。とまれ、私は音楽を外界的、且つ、内界的に聴いているだろう。
 また、絵画や風景等は、内界的、且つ、外界的に視覚しているのではないだろうか。すると、私の視覚は、聴覚的にものが入っていることになる。思えば、私は伝統的日本画には、音楽を感じるのである。
 どうも、私の視聴覚は共感覚的である。しかしながら、私の感覚知覚は、一見、聴覚に傾斜しているようだが、意外に視覚中心かもしれない。
 バッハのポリフォニーに強く反応するというのは、視覚的なのかもしれない。
 とまれ、後で、熟考したい。
 
************************

【ベクトルモード vector mode】イメージ空間、「視覚は内に、聴覚は外に」

http://blog.kaisetsu.org/?eid=811096
『海舌』 the Sea Tongue by Kaisetsu 

ファイル:Natu-aki kusa zu byoubu.jpg

「風雨草花図」

酒井抱一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

酒井 抱一(さかい ほういつ、 宝暦 11 年7 月1日 (1761 年 8 月1日 ) - 文政 11年11 月29日 (1829 年 1 月4日 ))は、江戸時代 後期の絵師。権大僧都 。本名は忠因(ただなお)、幼名は善次、通称は栄八、字は暉真。鶯村、雨華庵とも号する。浮世絵師 としての名前は、杜陵あるいは屠龍と称し、狂歌 での名前は、尻焼猿人と称している。姫路藩 主・酒井忠以 (ただざね)の弟。


2010年05月07日(Fri)▲ページの先頭へ
田中宇氏の多極主義とは何か:トランス・モダンと父権的同一性主義の倒錯・錯誤による自壊の両面
田中宇氏の多極化論、とりわけ、隠れ多極化路線は、いわば、奇抜な発想である。
 先に述べたように、後者の実体・本体・真相は、父権的同一性主義(近代主義/ポスト・モダン)に拠る自己破滅「路線」ではないかと考えている。言い換えると、隠れ多極主義とは、仮象に過ぎず、必然的自滅的崩壊の結果、そのように「見える」に過ぎないということである。
 例えば、鳩山政権は正に、そのようなもので、自壊・自滅・自虐・自爆的(売国・亡国・国賊的)である。つまり、今や、父権主義・近代主義=同一性主義は、反動的に(「アイロニカルな没入」的に)、白昼夢・夢遊病、妄想・妄念、倒錯・錯乱的になっているということである。
 これは、当然、鋭敏な勢力の餌食になるのである。それは、トランス・モダン政権である。これは、絶対的差異共振路線であり、自滅自壊的に崩壊・解体する父権的同一性主義路線の国家を吸収する形を取るだろう。
 Kaisetsu氏の新帝国主義概念はそのように意味をもっているのではないだろうか。

参考:

顕在化する新帝国主義「先進国の植民地化」

海舌が提示している新しい政治概念。
 米国、EU、日本、中国、インド、ロシア、ブラジル・・・
新しい帝国主義の時代と見る。
先進国(群)の植民地化である。


新政治概念の提示⇒【先進国の植民地化】


田中宇氏の「多極主義外交論」は、むしろ、「先進国の植民地化」という新しい帝国主義論へと収束すると思う。

 この「先進国の植民地化」とは、ナオミ・クライ氏が説く「先進国のコアな部分の市場化」の次の段階であり、疲弊した先進国の切り売りを目指す国際戦略である。

海舌(明日野)
http://blog.kaisetsu.org/?eid=811080
『海舌』 the Sea Tongue by Kaisetsu 


2010年05月05日(Wed)▲ページの先頭へ
オバマ・トランス・モダン政権:差異共振共同体的自由市場経済(自由共同体エコノミー)へ向けて
テーマ:自由共同体主義:自由主義*共同体主義

既述したように、オバマ政権はトランス・モダン政権であり、米国の伝統的な「民主主義」に回帰している。
 それは、共同体的な自由主義、自由主義的な共同体主義である。(参考:Kaisetsu氏のLiberal Communism)
 一見、大きな政府に見えるがそうではなくて、国家が共同体志向となり、アンチ共同体的同一性主義的資本主義(同一性主義的金融資本主義)を制御するのである(思うに、「規制」という用語は不適切である。制御、コントロールが正しい。)。
 だから、国家は基本的には小さくなるのである。それは、自由共同体経済(トランス・モダン・エコノミー)を形成するための管制塔になるのである。即ち、自由共同体経済の法的原理として国家が機能するようになると思われるのである。とまれ、国家共同体となり、多様な自由共同体経済が勃興するものと考えられるのである。
 
************************
米財務長官「大手金融機関への特別税、市場安定を促進」
【ワシントン=岩本昌子】ガイトナー米財務長官は4日、米上院財政委員会の公聴会に出席した。ホワイトハウスが1月に提案した資産規模500億ドル以上の大手金融機関から徴収する特別税について「金融機関がデリバティブ(金融派生商品)などのリスクの高い取引に走る傾向を抑制し、金融市場の安定を促進する」と、上院での法案可決を呼びかけた。

 特別税が導入されれば、今後10年で約900億ドルが徴収され、金融危機の際に企業救済に使った公的資金の穴埋めにあてる。対象となるのは全金融機関の1%以下のため、同長官は「地方銀行への影響はほぼない。かえって、中小金融機関の競争力を高める効果がある」と語った。

http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C9381959CE2E7E2E2938DE2E7E2E7E0E2E3E2E2E2E2E2E2E2;at=ALL

米財務長官、金融危機責任料徴収で議会の理解求める
ロイター - ‎1 時間前‎
[ワシントン 4日 ロイター] ガイトナー米財務長官は4日、上院財政委員会で証言し、大手金融機関から金融危機責任料を徴収する計画について、金融機関の行動がより慎重になるとして理解を求めた。 金融危機責任料は10年間にわたって大手金融機関に課金し、不良資産 ...


2010年05月03日(Mon)▲ページの先頭へ
差異共振市場原理へ:Trans-modern Economy
差異共振市場原理へ:Trans-modern Economy

テーマ:トランス・モダン社会/世界の創造・構築」

市場原理と生活原理―マルクス・ケインズ・ポランニーを超えて (単行本)
根井 康之 (著)

http://www.amazon.co.jp/gp/search?field-keywords=%E6%A0%B9%E4%BA%95%E5%BA%B7%E4%B9%8B&index=blended&tag=mozillajapan-fx-22&sourceid=Mozilla-search&__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&linkCode=qs


既述したことだが、不連続的差異論が生まれる際に、私は、根井康之氏の『東西思想の超克』他の著作に深く影響を受けていた。
 実家に帰って、たまたま本書を取ったが、実に、今日的な視点があると思った。
 20世紀前期において、「市場経済」が崩壊した後、社会主義やケインズ経済が生まれた歴史を踏まえて、根井氏は、フッサール/西田哲学に基づいて、創造的モナド論的経済を説いているのである。
 これは、PS理論のトランス・モダン・エコノミー論と通じると言える。今は、詳論できないが、結局、Media Point的Vector Mode的差異共振経済になると推測できるのである。
 とまれ、根井康之氏は在野の天才的思想家であるが、アカデミズムや主要メディアにまったく無視されていると言えよう。




ブログこそ、トランス・モダン・メディアである

テーマ:Internet media/ICT

ほぼたった二日であるが、ネットと離れた生活をして、いかに、テレビが洗脳・麻酔的メディアであるかわかった。
 ところで、司馬遼太郎の「文学」をどう評価するのか。人物洞察は天才的である。私は島崎藤村の『夜明け前』は、いまだによくわからないが、司馬遼太郎の『竜馬が行く』は明快で、鋭く、感動する。
 私は後で、後者を批評しようと思っているが、直感では、トルストイの『戦争と平和』の思想的叙事詩に似ている。明治維新という日本の近代の叙事詩を描いた大名作であり、西洋の叙事詩の伝統(ホメーロスから始まる)に、優に匹敵するものと思える。
 この後、三島由紀夫の『豊饒の海』が出版されるのである。また、ほぼ同時期に、大江健三郎の『万延元年のフットボール』が発行される。
 
第145号(08/10発行)
狂気の日本

第144号(07/18発行)
日本政治の限界(2006)A

第143号(07/18発行)
日本政治の限界(2006)@




アトランティス文明崩壊とポスト・アトランティス文明

テーマ:ポスト・ユダヤ/キリスト教西洋文明

(c)AFP/Noah's Ark Ministries International (NAMI)

AFPBB News
「ノアの方舟」確率99.9%で発見と探検チーム、トルコ・アララト山頂
2010年04月29 日 18:08
【4月29日 AFP】旧約聖書に登場する「ノアの方舟(はこぶね、Noah's Ark)」を探す中国とトルコの探検家チームが26日、方舟が漂着したといわれるトルコのアララト(Ararat)山の山頂付近で……
≫続きを読む

[PR]

[PR]

現代は、ポスト・アトランティス文明の崩壊期を迎えていると言えるのではないだろうか。


2010年05月01日(Sat)▲ページの先頭へ
5月4日まで更新を中止します


同一性価値的「自由主義」批判・解体と差異共振的「自由市場」志向・創造
テーマ:自由共同体主義:自由主義*共同体主義

ゴールドマン・サックス訴追/捜査とは、これは、トランス・モダン・エコノミーへの巨大な一歩と考えられる。
 モダン/ポスト・モダン的自由主義経済を批判・解体して、トランス・モダン的自由主義経済へと「相転移」・「進化」することを志向していると考えられる。
 言い換えると、自由市場経済における、同一性主義(交換価値中心主義)批判であり、差異共振主義(差異的資本経済)の積極的肯定である。つまり、自由市場、市場経済が批判されているのではなく、同一性価値の中心・主導化を批判し、市場経済における差異共振経済(差異共振創造経済)の進展を目指していると考えられる。

追記:後で詳しく検討したいが、自由市場とは本来、売り手(超越的差異+i)と買い手(超越的差異-i)の差異共振性を意味すると思えるのである。


米連邦検察当局、ゴールドマンに対して犯罪捜査を開始

4月30日9時11分配信 ウォー ル・ストリート・ジャーナル
 米連邦検察当局は、米金融大手ゴールドマン・サックス・グループまたは同社社員に対して、住宅ローン取引に関連して証券詐欺をはたらいた疑いで犯罪捜査を行っている。関係筋が明らかにした。

 今回のマンハッタンの米連邦検察局による捜査は、まだ準備段階だが、米証券取引委員会(SEC)からの要請を受けて行われたもの。SECは最近、ゴールドマンと同社住宅ローン取引部門のトレーダーを証券詐欺の容疑で民事提訴した。ゴールドマンと当該トレーダーは容疑を否定している。

 犯罪捜査の場合は、裁判所への起訴なしで開始されることが多い。関係筋によると今回のケースに関しても、検察側は起訴するかどうかをまだ決定していない。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100430-00000003-wsj-bus_all

銀行はボーナス減らせ! =1万人がデモ行進−米ウォール街
 【ニューヨーク時事】「銀行はボーナスを減らせ」「貸し渋りをやめろ」−。米国各地から集まった労働者約1万人が29日、大手金融機関の集まるニューヨークのウォール街で、銀行の利益至上主義を糾弾するデモ行進を行った。(時事通信)
[記事全文]

・ 米ウォール街で銀行批判デモ、プラカードに「責任取れ」 - ロイター(4月30日)

厳しい金融規制、65%が支持=大統領に勢い−米世論調査

 【ワシントン時事】米国で金融規制改革法案をめぐる与野党調整が本格化する中、ワシントン・ポスト紙は26日、オバマ大統領が推進する金融規制改革に関するABCテレビとの合同世論調査の結果を発表した。それによると、「金融機関のビジネス行動に厳しい規制を課すこと」について、65%が支持すると回答。金融危機の震源地となった「ウォール街(米大手金融機関)」に対し厳しい姿勢を前面に出す大統領が勢いを維持している。
 調査では、金融規制改革をめぐる大統領の「仕事ぶり」について、賛否がそれぞれ48%と評価が分かれた。ただ、「大統領を信頼する」との回答が52%と、「(野党)共和党を信頼する」の35%を大きく上回った。
 調査は22〜25日に全米の成人1001人を対象に電話で実施した。(2010/04/27-08:43)

http://www.jiji.com/jc/zc?k=201004/2010042700104&rel=y&g=int

*


* 辻広雅文 プリズム+one
辻広雅文 プリズム+one【第101回】
日本人はなぜ市場競争が嫌いか〜大竹文雄・大阪大学教授に聞く(上) 

[2010年04月28日]
市場経済への批判がやまない。なぜ、日本人は市場競争に対する拒否反応が強いのだろうか。『競争と公平感―― 市場経済の本当のメリット』の著者である大竹文雄・大阪大学教授に、上下二回にわたって聞く。




   




新着トラックバック/コメント


カレンダ
2010年5月
           
         

アーカイブ
2006年 (104)
7月 (9)
8月 (6)
9月 (7)
10月 (9)
11月 (39)
12月 (34)
2007年 (542)
1月 (48)
2月 (49)
3月 (67)
4月 (45)
5月 (44)
6月 (1)
7月 (33)
8月 (67)
9月 (47)
10月 (42)
11月 (49)
12月 (50)
2008年 (623)
1月 (40)
2月 (29)
3月 (26)
4月 (38)
5月 (32)
6月 (48)
7月 (49)
8月 (61)
9月 (68)
10月 (86)
11月 (86)
12月 (60)
2009年 (472)
1月 (82)
2月 (66)
3月 (58)
4月 (32)
5月 (27)
6月 (34)
7月 (35)
8月 (26)
9月 (36)
10月 (30)
11月 (28)
12月 (18)
2010年 (251)
1月 (19)
2月 (29)
3月 (29)
4月 (11)
5月 (25)
6月 (33)
7月 (28)
8月 (23)
9月 (15)
10月 (18)
11月 (8)
12月 (13)
2011年 (126)
1月 (11)
2月 (12)
3月 (13)
4月 (12)
5月 (6)
6月 (4)
7月 (5)
8月 (11)
9月 (15)
10月 (7)
11月 (16)
12月 (14)
2012年 (117)
1月 (10)
2月 (13)
3月 (6)
4月 (6)
5月 (14)
6月 (8)
7月 (11)
8月 (7)
9月 (3)
10月 (24)
11月 (9)
12月 (6)
2013年 (145)
1月 (12)
2月 (11)
3月 (9)
4月 (21)
5月 (10)
6月 (9)
7月 (17)
8月 (9)
9月 (5)
10月 (22)
11月 (13)
12月 (7)
2014年 (91)
1月 (6)
2月 (13)
3月 (18)
4月 (5)
7月 (4)
8月 (26)
9月 (7)
10月 (5)
11月 (6)
12月 (1)
2015年 (61)
1月 (6)
2月 (12)
3月 (8)
4月 (14)
5月 (10)
6月 (4)
7月 (6)
8月 (1)

アクセスカウンタ
今日:945
昨日:981
累計:4,744,135