INNOVATION OF PHILOSOPHY: GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience - 2010/03

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




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2010年03月31日(Wed)▲ページの先頭へ
連続性力学について:2:+iの傾斜力学が連続点・連続性力学である:ゾロアスター教とユダヤ教
『連続性力学について:反動的感情が連続性の力学である:父権制/一神教が連続性力学を生んだ』http://ameblo.jp/renshi/entry-10494347108.html
先に以上のように検討したが、さらに考察を緻密明晰にしたい。
 
 先に連続性力学の根因を+iの傾斜による父権制/一神教に求めたが、この+iの傾斜による連続性力学の仕組みを考えてみよう。
 先ず、母権的精神は、+iと-iとの即非的調和的共鳴である。しかるに、父権的精神とは、即非的共鳴と+iへの傾斜が「併存」する様態があると考えられる。
 言い換えると、父権的精神も初期においては、母権的な即非的調和的共鳴性があるものの、潜在する+iへの傾斜が現実態(エネルゲイア)化し、不均衡・不安定をもたらすと作業仮説しよう。
 だから、初期即非的均衡と活性化された+i傾斜の間で不均衡・不安定が生まれるということになる。
 このとき、+i傾斜の自己は、初期即非的様態に対して、否定的態度を取るように考えられるのである。なぜなら、今や優位的ないしは主導的になったと考えられる+i傾斜の自己は当然、初期即非的均衡を劣位的にないしは従属的に見ると考えられるからである。
 この+iの傾斜自己エネルギー(攻撃的能動的エネルギーではある)の発露自体が、連続性力学の出現と言ってもいいのではないではないだろうか。
 というのは、初期即非的均衡にいわば、連続点が発現するからである。なぜ、それが連続点であるかと言えば、-iに対する+iという自己優位が生成して、差異の即非的均衡が解体するからと考えられる。つまり、本来、+iと-iはそれぞれ、絶対的差異であり、不連続なのであるが、+iの優位が生起すると、+i中心的に主体が作用するのであり、それが、初期即非的均衡のもたらす⇒+1の現象を支配することになり、結果、+i⇒+1、さらには、+i=+1 になると考えられるのである。これは、初期即非的均衡の成果を簒奪するような作用と言えよう。つまり、これが、抑圧である。Media Pointの抑圧である。あるいは、否定、排除、隠蔽である。当然、暴力・攻撃・破壊的である。
 この優位傾斜した+iが連続点であり、連続性力学であり、それが、同一性(物質)の+1と合致した様態が連続的同一性であり、シュタイナー精神科学的に言えば、ルシファーとアーリマンの合体である。
 とまれ、父権制・一神教とは、端的に、+iの連続的傾斜力学がもたらすものと言えよう。
 では、先に問題とした同一性+1の原理はどこから生まれるだろうか。今の直感で言えば、父権制/一神教の誕生と同時ではないだろうか。否、正確に言えば、父権制ないしは父権的宗教の誕生のときではないだろうか。
 なぜなら、連続性力学があってこそ、同一性+1と連続化して、差異、Media Pointから切り離された同一性の原理が誕生すると考えられるからである。
 ここでゾロアスター教を考えると、それは、単に父権的宗教ではなく、母権的宗教の側面を残している。否、父権的宗教ではないと言えよう。
 ゾロアスター教は、父権的宗教が誕生したとき、つまり、連続性や同一性が形成されたとき、それに対抗するための叡知の母権的宗教であると思われるのである。何故なら、それは、初期即非的均衡つまりMedia Pointをアフラ・マズダーとして、積極的に肯定する宗教であるからである。(思うに、+iの傾斜に対する、初期即非的均衡の復興であるとも言えよう。)
 さて、最後に一神教、とりわけ、ユダヤ教を考えよう。否、的確に言えば、ヤハウェ教を考えよう。これこそが、真の一神教であるからである。ユダヤ教は母権的宗教の名残りをもっている。というか、正確には旧約聖書がそうである。
 ヤハウェ教とは、+iの極大的傾斜力学を意味すると考えられる。つまり、連続的同一性力学(ルシファーとアーリマンの合体力学)である。
 これは、究極のエゴイズムの宗教である。誠に恐るべき宗教である。
 しかしながら、旧約聖書自体は、ヤハウェだけでなく、エローヒーム(神の複数)が存しているのである。
 エローヒームこそ、母権的宗教の存続を意味するのである。オリエントの母権的宗教である。
 だから、ユダヤ教とはまったく矛盾した宗教であると考えられる。一方では、父権的宗教の連続的同一性(二重悪魔性)をもち、他方では母権的宗教の即非的均衡性をもっているからである。
 今はここで留める。


民主党独裁による国家の私物化だ!:国家の悪性腫瘍の民主党:参院選挙で民主党を大敗北させよ!
民主党独裁による国家の私物化だ!:国家の悪性腫瘍の民主党:参院選挙で民主党を大敗北させよ!

テーマ:傀儡ペテン売亡国全体主義反動民主党 政権

<民主党職員>国が給与 内閣官房在籍の調査員
3月31日2時32分配信 毎 日新聞
 鳩山内閣は30日、内閣官房に籍を置き、無給・非常勤の「専門調査員」として勤務している27人の民主党職員の一部を、有給・常勤の「政務調査官」など として登用する方針を固めた。各府省の政務三役を補佐している党職員を正規の国家公務員とすることで「政治主導」をさらに進める。国会に提出している政治 主導確立法案に新役職の創設を盛り込んでおり、成立後に起用する見通しだ。

 同法案で新設されるのは、官房長官や国家戦略局長らを補佐する「内閣政務参事」「内閣政務調査官」と、各府省で政務三役を補佐する「政務調査官」。国家 公務員に準じた給与が支払われ、政務参事は月額85万〜72万6000円、政務調査官は同62万1000〜37万6000円などの俸給を受けるとしてい る。

 政府・民主党は政権交代直後、政策決定一元化のために民主党の政策調査会を廃止。政調職員たちが首相官邸や各府省で政務三役を補佐する態勢にしたが、官 僚側から情報漏れの懸念が示されたため、27人を守秘義務を課す「専門調査員」とした。ただ、非常勤ながら休日を除きほぼ毎日勤務していて、党務にはほと んど関与していないため、党ではなく国から給与を支払う方針に転じた。

 30日に閣議決定した答弁書でも「(党職員の)参事等への任用を排除しない」とした。

 これに対し官僚からは「党職員を税金で養え、という話 だ」との反発も出ている。【佐藤丈一】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100331-00000010-mai-pol

2010.3.30(その3)
森田実の言わねばならぬ【277】
平和・自立・調和の日本をつくるために[277]
新連載《「商工会」必要論〈4・完〉》地方軽視政策を改め、地方重視・中小小規模企業対策強化・失業対策重視・積極財政金融政策・公共事業推進への政策転 換をすれば日本は甦る−−「商工会」への期待は大きい
「月満れば虧(か)く」(『史記』)




 地方軽視の新自由主義・自由競争至上主義はもはや限界である。欧米においては、国民は新自由主義・自由競争至上主義が人間の幸せの敵であることに気づ き、新自由主義から訣別しつつある。しかるにわが国においては、政権交代が実現しても新自由主義政策がつづいている。鳩山民主党政権が誕生したが、基本的 経済政策は変わっていないのである。
 日本で2009年8月30日の総選挙で起きたのは、「政策転換なき政権交代」だった。日本国民は民主党に裏切られたのである。この矛盾は正されなければ ならない。
 このチャンスが日本国民の前にある。2010(平成22)年夏の参院選である。この参院選において、政府の政策を転換させなければならない。地方を重視 し、経済成長を推進する政治家を参議院に送らなければならないと思う。
 政治の方向転換が必要である。東京中心主義から地方重視・草の根重視への転換である。草の根からの日本再生を担うのは商工会である。政府・自治体は商工 会の役割を正当に評価し、応援すべきである。商工会への期待は大きいのである。(了)
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C06225.HTML




イタリア・ルネサンス美学と東洋美学:超越的現象光と外界的現実


テーマ:美術・デザイン・ファッション・美容・ 整形
以下、Toxandoria氏の述べている
 
『二つの「文化の光」、つまり「オランダ の 光」と「ヴェネツィアの光」が両者間の交流プロセス』と『「現実認識能力(リアリズム感覚)」』

は興味深い。思うに、イタリア・ルネサンス美学の問題であるが、主に、ダヴィンチでわかるように、それは、東洋的美学なのである。差異即非・共振原理から 生まれる超越的光と現象的光が融合しているように思える。遠近法も本来、この二重性から生まれた現象的光を意味しているように思える。PS理論から言え ば、⇒+1である。⇒が超越的光と現象的光の融合であり、+1が物質的現実である。

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[芸術の価値] 「ヴェネツィア派の誕生」と歴史的リアリズムの現代的意味(改訂版‐3/3)
【画像】アントネッロ・ダ・メッシー ナ 『受胎告知の聖母』


Antonello da  Messina(ca1430−1479)「Virgin Annunciate」 c. 1476 Oil on wood 45 x 34,5 cm Galletria Nazionale della Sicilia, Palermo

ここに描かれているクリヴェリの人間的な聖母マリアからエ キセントリック で “カルトに近い偏狭な宗教原理主義 的リアリズ ム 観”は感じられない。おそらく、そのことにはヨーロッパ中央部における文化・経済的な「重層的融合と調和」の前史の一環として、それより少し前 にイタリアの画家アントネッロ・ダ・メッシーナ(Antonello da Messina/ca1430−1479)がフ ランドル地方 を旅したことがあり、その時に彼がヤン・ファ ン・アイク (Jan van Eyck/ca1390-1441)の下で先端描画法を学びヴェネツィアに帰国していたという歴史的事実が影響を与 えたと考えられる。だから、明らかにクリヴェリの聖母は“アントネッロの聖母”(=上の【画像】Virgin Annunciate、 c. 1476)の影響下にあると見なすべきなのだ。

このように美術史上で決定的な意味を持つ文化交流のプロセス で見 逃せないのは、自然・風土・市民社会 とい う広義の地域(ローカル )環 境に根ざす個性的で異質な二つの「文化の光」、つまり「オランダ の 光」と「ヴェネツィアの光」が両者間の交流プロセスで極めて重要な役割を果たしていたと考えられることだ。言い換えれば、この二つの「文化の光」のコミュ ニケーションと融合は、「理性と感性」を伴いつつ「歴史・伝統」と「目前の現実」(世界における内外環境の差異の絶えざる認識)を同時に直視できるタフで 豊かな「現実認識能力(リアリズム感覚)」を創造したのだ。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20100323/p1


toxandoria
『toxandoria の日記、アートと社会』




エクソダス・トランス・モダン:脱近代日本へ:半封建/半近代国家日本の精算:東洋・日本精神の復興

テーマ:日本ルネサンス:西洋を包摂した新東洋 文明

明治時代の脱亜入欧、戦後の米国支配の近代合理主義からの絶対的脱却が必要である(因みに、プラグマティズムの米国は、キリスト教を信奉する宗教国家であ る)。
 そのためには、日本本来の思想である差異共振原理を復興させる必要がある。それには、先ず、国学的一神教国家主義(これが国家神道の根本的イデオロギー である)や封建的父権主義の批判が必須である。
 日本本来の差異共振原理とは多神教としての神道と不連続性の叡知の仏教との融合によって形成されたと思われる。この、いわゆる、神仏習合を哲学・科学的 に復興させる必要がある。PS理論はそのようなものである。

3587.江戸時代の実心実 学の復活が必要 2010.03.30F
日本の次のあるべき姿を追い求めると、江戸時代の実心実学の思想に行き着く。
国際戦略コラム


激化する金融世界大戦
2010年3月30日   田中 宇


この記事は「危うくなる米国債」 の 続きです。
 前回の記事の末尾に「金融財政を使った覇権をめぐる世界規模の戦い(暗闘)が激化し、金融世界大戦と呼ぶべき状況になりつつある」と書い た。この「金融世界大戦」は私の造語だが、比喩的に発したのではない。第一次世界大戦や第二次世界大戦と同じ構図を持った戦いが、軍事ではなく金融という 道具立てを使って、今まさに展開しているという意味である。
 1980年代以来、米英の覇権が「金融覇権体制」とも呼ぶべき新事態に転換した結果、世界覇権をめぐる「世界大戦」も、軍事分野を主軸と する戦いから、金融分野を主軸とする戦いへと、すでに転換したと私は分析している。イラクやアフガニスタンでは軍事の動きも続いているが、これはむしろ軍 産複合体を黙らせておくためとか、米英覇権を軍事面で自滅させるための、脇役的な存在になっている。今後起きるかもしれないイランと米イスラエルの戦争 も、米英覇権を自滅させる意味を持つ。
「戦争」は本質的に、覇権をめぐる争いだ(領土紛争の多くも、旧宗主国を含む関係国の過去の覇権的行為の遺物である)。覇権とは、他国に対 する影響力のことだ。昔は、覇権拡大といえば他国の領土を物理的に占領支配することだったが、産業革命と国民革命(フランス革命)の後「国家主権の侵害は 国際的に許されない」とする国際的な取り決めが欧州から世界に広がり、他国を戦争で破ってもその国土を併合することは国際的に許されず、代わりに傀儡政権 を置くやり方が主流になった。
 この転換は、人々が人権に目覚めたから起きたというのが教科書的な説明だが、実際には、産業革命によって覇権(英米)内部で資本家が強く なったために起きた。覇権国が世界を支配する植民地体制ではなく、国民のやる気(付加価値)を引き出せる国民国家が世界的に並立する方が経済成長が大きく なるので、二度の大戦を契機に、植民地支配は禁止され、覇権国である米英は世界を隠然と支配するやり方に切り替えた。世界がこの体制にあった時代が、近現 代(モダン)である。
http://tanakanews.com/100330worldwar.htm




モスクワにおける「テロリズム」そして、アフガンにおける「テロリズム」:何か符合している

テーマ:戦争屋覇権主義:新植民地主義・新帝国 主義

オバマ大統領がアフガンへ行き、アンチ・テロリズム路線を再確認し、今度はモスクワで自爆テロ事件が起きた。これは、一種の新帝国主義ではないの か。アンチ・テロリズムという名目で、地政学的に他国を侵略する戦略ではないのだろうか。敵側の攻撃を大義名分として、侵略できるのである。当然、敵側の 攻撃(テロ)とは、諜報活動の一端に拠るものではないかと勘ぐるのであるが。モスクワ911バージョンである。

3588.大国政治の復活と リベラル民主主義の将来 2010.03.31F
英語表題「The Return of History」であるロバート・ケーガンの講演会を聞いてきた。
国際戦略コラム

Moscow metro: 19 black widows could launch fresh attacks

Nineteen "black widow" female suicide bombers trained by an Islamist terrorist known as "the Russian Bin Laden" remain at large and may launch fresh attacks on Moscow, Russian investigators have warned.

自爆テロで 警察署長ら9人死亡=ロシア南部ダゲスタン
 【モスクワ時事】ロシア南部ダゲスタン共和国の町キズリャルで31日、自爆テロがあり、地元の警察署長を含む9人が死亡した。インタファクス通信が伝え た。(時事通信)
[記 事全 文]

・ キズリャルの位 置 - Google マップ

◇混乱が続くロシア南部・ダゲスタン
・ ロ シア南部・カフカス地方(チェチェン、イングーシ、ダゲスタン)で続く混乱 - 孤帆の遠影碧空に尽き(2009年8月26日)
・ ア ジアを読む 「北コーカサス連邦管区設置・クレムリンの狙い」 - NHK解説委員室ブログ(2月3日)

◇29日にはモスクワでテロ(Yahoo!トピックス バックナンバー)
・ 露 テロ 共犯容疑者の行方追う (3月30日)
・ 露 テロ、2件とも女の自爆犯か (3月29日)

カ フカースの国々


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%95%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B9

中央アジアの地図



http://www.mars.dti.ne.jp/~raindog/WorldMusic/casia/casia.html
共犯容疑者 の行方追う=モスクワ・テロ
 【モスクワ時事】モスクワでの地下鉄連続テロ事件で、インタファクス通信は29日、ロシア治安機関筋の話として、自爆した2人の女性の共犯とみられる男 の行方を当局が追っていると伝えた。写真を合成した男の似顔絵が配布されているという。 (時事通信)

◇女2人による自爆テロと見られる
・ モスクワ連 続テロ、死者38人に…女2人自爆 - 読売新聞(3月30日)
・ モスクワ地 下鉄で連続テロ=女が自爆、38人死亡−通勤時間帯狙う・ロシア - 時事通信(3月30日)

◇北カフカス地方のイスラム武装勢力による犯行か
・ 浸透する過 激イスラム思想 モスクワ「テロの時代」暗示 - 産経新聞(3月29日)
・ 「女の自爆 か」…テロ連鎖断ち切れぬロシア - 読売新聞(3月29日)

◇被害は
・ モスクワ連 続自爆攻撃、死傷者は少なくとも100人超に - ロイター(3月30日)
・ 泣く女性、 男性は顔から血=市民に衝撃−モスクワ地下鉄テロ - 時事通信(3月29日)

◇外務省が注意喚起
・ ロ シア:モスクワの地下鉄における連続爆発事件の発生に伴う注意喚起 - 海外安全ホームページ(3月29日)

◇北カフカスの勢力が関係すると見られる主なテロ事件
発生年月 事件名 リンク先サイト名
2002年10月 モ スクワ劇場占拠事件
通信用語の基礎知識
2004年2月 ロ シア地下鉄爆破テロ事件
防災システム研究所
2004年9月 ロ シア・北オセチアの学校占拠事件
AFPBB News
2007年8月 ロ シア列車爆発・脱線事故
AFPBB News


◇北カフカスやチェチェンについて
・ 北カフカスの民 族集団 - フレッシュアイペディア
・ チェ チェン人とは誰か - チェ チェン総合情報
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/world/russia/
犠牲者少なくとも39人に、モスクワ地下鉄駅の連続爆弾テ ロ
CNN Japan - ‎3 時間前‎
モスクワ(CNN) モスクワ中心部の地下鉄駅2カ所で29日朝起きた連続爆弾テロで、同国の緊急事態省などは30日、犠牲者は少なくとも39人と上方修正した。29日より1 人増えている。負傷者は60人以上。 自爆犯は女性2人とみられ、連邦保安局(FSB)は、 ...

モスクワ地下鉄連続爆破テロ:スラブ系に共犯者か 実行犯付き添い、ひげの男情報も
毎日新聞 - ‎5 時間前‎
【モスクワ大前仁】モスクワの地下鉄で29日に起きた連続爆破テロは、カフカス系の女2人が相次いで自爆を実行したとの見方が強まる一方、スラブ系の共犯 者がいた疑いがあるとする捜査情報が浮上している。ロシア政府は犯行の背後に控えるとみられるテロ集団を抹殺すると ...

ロシア大統領、制圧に全力誓う…地下鉄爆弾テロ
読売新聞 - ‎7 時間前‎
【モスクワ=山口香子】ロシアのメドベージェフ大統領は29日夜(日本時間30日未明)、計38人が犠牲となったモスクワの地下鉄連続爆弾テロで、テロ現 場となったクレムリンに近い地下鉄ルビャンカ駅を訪れ、連続テロに関与した犯人を「必ず捜し出し、 殲滅 ( せんめつ ...

モスクワ地下鉄テロ G8や安保理、相次ぎ非難声明
日本経済新聞 - ‎7 時間前‎
【ガティノー(カナダ東部)=弟子丸幸子】モスクワでの自爆テロを受け、国際社会は29日、テロ非難の声明を相次いで発表した。 主要8カ国(G8)外相はカナダで「卑劣なテロ攻撃を強く非難する」との声明を発表。犠牲者への哀悼の意を表するとともに「引き続き ...

地下鉄爆破『犯人根絶やしに』 対テロ作戦 ロ大統領が決意
東京新聞 - ‎5 時間前‎
【モスクワ=酒井和人】ロシアのメドベージェフ大統領は二十九日夜、連続爆破テロ事件の現場となったモスクワ中心部のルビャンカ駅を訪れ、「犯人たちを根 絶やしにする」と述べ、対テロ作戦の強化に向けて決意を表明した。 インタファクス通信などによると、 ...

メドベージェフ大統領、「テロリストをせん滅」
日本経済新聞 - ‎10 時間前‎
【モスクワ=金子夏樹】ロシアのメドベージェフ大統領は29日夜、自爆テロの発生したモスクワ中心部のルビャンカ駅を訪問した。同大統領はプラットフォー ムに献花し「テロリストは野獣だ。彼らを逮捕し、せん滅する」と強い口調で語り、求心力の維持に向け、テロ対策に強い ...

Moscow bombing: Russia braced for new wave of terror attacks

Moscow Attack a Test for Putin and His Record Against Terror
By CLIFFORD J. LEVY
The bombings confronted Prime Minister Vladimir V. Putin with a challenge to his record on terrorism, and raised the possibility that he would tighten his control over the government.
UPDATE1: 米ロ首脳、START1後継条約で最終合意

[ワシントン 26日 ロイター] オバマ米大統領とロシアのメドベージェフ大統領は26日の電話会談で、第1次戦略兵器削減条約(START1) の後継条約について最終合意に達した。条約の署名は4月8日にプラハで行う見通し。


 オバマ米大統領は記者会見で「1年間の交渉を経て、米国とロシアは過去約20年間で最も包括的な軍縮合意に達した」と語った。


 モスクワではメドベージェフ露大統領が、合意は「両国の利益の均衡」を反映しているとし、合意を歓迎する意を表明した。新条約は両国議会 での批准手続きを経て発効する。



 新条約は昨年12月に失効した1991年のSTART1の後継条約となり、有効期限は批准から10年間。ホワイトハウスによると、米ロの 戦略核弾頭の配備数を現行の2200から1550に、核運搬手段を半分に、それぞれ削減する。 


 クリントン米国務長官は合意について、イランと北朝鮮に対し、核拡散防止に向けたメッセージを送るものだと述べた。



 オバマ米大統領は「合意は核の二大国である米ロが(核軍縮を)リードしていくという明確なシグナル」と強調。


 新条約の署名を行う予定のプラハは、オバマ米大統領が昨年4月、「核兵器なき世界」を提唱する演説を行った場所。4月12─14日にワシ ントンで開催する核安全保障サミットに向けて弾みとなる。



 交渉の焦点となっていた米ミサイル防衛(MD)システムについては、米側が「(新条約は)MDを制限するものではない」(ゲーツ米国防長 官)とする一方、ロシア側は新条約では戦略攻撃兵器と防衛兵器の関連性が法的に規定されるとの見解を示した。
http://jp.reuters.com/article/marketsNews/idJPnTK037482120100328

• 「イランへ強固な手段」声明、G8外相会合閉幕
読売新聞 - ‎10 分前‎
【ガティノー(カナダ)=本間圭一、石川有希子】カナダの首都オタワ郊外ガティノーで開催していた主要8か国(G8)外相会合は30日、核開発疑惑の深ま るイランへの国連安全保障理事会の追加制裁決議採択に向け、「適切で強固な手段を取る」などとした議長声明を採択 ...

G8外相会合議長声明の要旨
時事通信 - ‎9 分前‎
【ガティノー時事】主要8カ国(G8)外相会合の議長国(カナダ)が30日に発表した議長声明の要旨は以下の通り。 一、核拡散による世界の安全保障への脅威は深刻であり、2010年は将来の進路を決める極めて重要な年になる。 一、核兵器削減に向けた米ロの交渉妥結 ...

イラン核開発に「強い措置」 G8外相会合
日本経済新聞 - ‎26 分前‎
【ガティノー(カナダ東部)=山内菜穂子】主要8カ国(G8)外相会合は30日午後(日本時間31日未明)、オタワ近郊のガティノーで2日間の日程を終え て閉幕した。国連安全保障理事会決議に反して核開発を続けるイランに強い懸念を共有した上で「適切で強い措置をとる必要 ...

核に関するG8声明要旨
時事通信 - ‎19 分前‎
【ガティノー時事】主要8カ国(G8)外相会合が発表した核不拡散・軍縮・核の平和利用に関する共同声明の要旨は次の通り。 一、核不拡散体制の礎石で、核軍縮追求と核の平和利用促進に不可欠な基盤として、核拡散防止条約(NPT)に対する絶対的支持を確認する。 ...

「核なき世界つくる」=不拡散・軍縮で共同声明−G8外相会合
時事通信 - ‎1 時間前‎
【ガティノー(カナダ東部)時事】カナダの首都オタワ近郊ガティノーでの主要8カ国(G8)外相会合は30日午後(日本時間31日未明)、5月の核拡散防 止条約(NPT)再検討会議成功に向け「すべての人々にとり安全な世界を追求し、核なき世界に向けた条件づくりを ...

G8外相会合、核問題めぐりイランへの圧力を拡大
ロイター - ‎2 時間前‎
[ガティノー(加ケベック州) 30日 ロイター] 主要8カ国(G8)外相会合は30日、イランの核開発プログラムをめぐり、同国に対するより強硬な措置を呼び掛けた。また、米国は、制裁の必要性について 中国から同意を得ることに確信を示した。 G8外相は、国際社会に ...

G8外相、「核のない世界」実現へ努力
TBS News - ‎1 時間前‎
カナダで開かれていたG8外相会合が閉幕し、アメリカのオバマ大統領が提唱した「核のない世界」の実現へ向け、G8各国が努力していくことを確認しまし た。 G8外相は、議長声明に加え、核軍縮・不拡散に関する別の声明を発表し、「我々はより安全な世界を追求し、 ...

G8外相:イラン核開発計画に「重大な疑念」−解決へ強力な措置
ブルームバーグ - ‎3 時間前‎
3月30日(ブルームバーグ):主要8カ国(G8)外相は30日、カナダのケベック州ガティノーで開かれた外相会合で、イランの行動によって同国が平和利 用と主張する核開発計画に「重大な疑念」が強まっていると指摘し、問題解決に向けて「強力な措置」を講じる用意があると ...




東洋的ゲーテ:精神的自然科学論

テーマ:生命科学/遺伝子問題/進化論

これは、コンパクトな、しかし、凝縮された内容のゲーテの自然科学論文集である。全集版は高価であるが、これなら、買えるだろう。
 ゲーテの資質が東洋的であるのがよくわかる。ドゥルーズがゲーテはスピノザ主義者ではないと批判していたが、私はスピノザ以上にゲーテは東洋的であると 思う。
 10年以上前に読んだと思う。ほとんど内容を忘れていたが、対極論等はここでも確認したと思う。
 再読するとまた新しい知見を得るだろう。また、先に触れたように、ベクトル・モード論とゲーテ形態論の比較が最高度に意義深いと考えられる。

追記:ベクトル・モード論がゲーテ形態論を 検証するだろう。




[目次・構成・収録内容(抜粋)]
解題 高橋義人
凡例
第一部 自然観
  神と世界
 『形態学論考』誌序 有機的自然の形成と変形
 『色彩論』序
第二部 方法論
第三部 形態学
 自然の同 一性と原型
 メタモルフォーゼ
 自然の非同一性
 諸論各説
 二つの系のあいだで
 総合的生物学
第四部  色彩論
 観察と方法
 色彩の成立と各種の色彩
 色彩現象の法則
 絵画と色彩
 反ニュートン
 特殊研究: 内視的色彩

訳者後記
付載
用語解説兼牽引
人名解説兼牽引
ゲーテ年譜

http://www.milbooks.com/shop/detail.php?code=BK050721




ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

自 然科学者としての業績 [編集 ]
ゲーテは学生時代から自然科学研究に興味を持ち続け、文学活動や公務の傍らで人体解剖学、植物学、地質学、光学などの著作・研究を残している。20 代のころから骨相学の研究者ヨハン・カスパール・ラヴァーターと親交のあったゲーテは骨学に造詣が深く、1784年 に はそれまでヒトにはないと考えられていた前顎骨 がヒトでも胎児の時にあることを発見し比較解剖学に貢献している。
自然科学についてゲーテの思想を特徴付けているのは原型(Urform)という概念である。ゲーテはまず骨学において、すべての骨格器官の基になっ ている「元器官」という概念を考え出し、脊椎がこれにあたると考えていた。1790年 に 著した「植物変態論」ではこの考えを植物に応用し、すべての植物は唯一つの「原植物」(独:de:Urpflanze )から発展したものと考え、また植物の花を構成する花弁や雄しべ等の各器官 は様々な形に変化した「葉」が集合してできた結果であるとした。[5] こ のような考えからゲーテはリンネ の分類学を批判し、「形態学 (Morphologie)」と名づけた新しい学問を提唱したが、これは進化論 の先駆けであるとも言われている[6] 。
またゲーテは20代半ばのころ、ワイマール公国の顧問官としてイルメナウ鉱山 を視察したことから鉱山学、地質学を学び、イタリ ア滞在中を含め生涯にわたって各地の石を蒐集しており、そのコレクションは1万9000点にも及んでいる。なお針鉄鉱 の英名「ゲータイト(goethite)」はゲーテに名にちなむものであり、ゲーテと親交のあった鉱物学者によっ て1806年に名づけられた。
晩年のゲーテは光学の研究に力を注いだ。1810年 に 発表された『色彩論 』は20年をかけた大著である。この書物でゲーテは青と黄をもっとも根源的な色とし、また色彩は光と闇との相互 作用によって生まれるものと考えてニュートン のスペクトル 分析を批判した。ゲーテの色彩論は発表当時から科学者の間でほとんど省みられることがなかったが、ヘーゲル やシェリング はゲーテの説に賛同している。
ゲーテの科学研究についての翻訳は以下のものが入手しやすい。
• 『自然と象徴 自然科学論集』 高橋義人 ・前田富士男編訳 (冨山房百科文庫 、1982年)
• 『色彩論 完訳版』 高橋義人・前田富士男ほか訳 (全2巻+別冊:工作舎、1999年) ISBN 9784875023203
• 『色彩論』 木村直司 訳 (ちくま学芸文庫 、2001年)
• 『ゲーテ形態学論集 植物篇・動物篇』 各.木村直司編訳 (ちくま学芸文庫、2009年)
• 『ゲーテ全集.14 自然科学論』 木村直司・高橋義人ほか訳 (潮出版社 、新版2003年)
文庫版が出ていた。


ゲーテ形態学論集・植物篇
ゲーテ 著 , 木村 直司 編訳
花、それは
葉のメタモルフォーゼ
花は葉のメタモルフォーゼ。根も茎もすべてが葉である。『色彩論』に続く、いま時代も待望する形態学全2巻。文庫版新訳オリジナ ル。図版多数。

• シリーズ:ちくま学芸文庫
• 定価:1,575円(税込)

イタリア旅行で南欧の植物の多様性に目を見はったゲーテは、仔細に観察し、それらを統べるものへと想像をめぐらせた。メンデルの法則が世に知ら れる100年以上も前に圧倒的洞察力で、植物のメタモルフォーゼを確信している。「すべては葉である」「花は葉の変形したもの」「地面の下で湿潤だけを吸 収する葉を根と呼ぶ」「すぐに拡張する葉は葉柄ないし茎である」。文豪にして偉大な自然科学者の樹立した形態学は、分析と還元を旨とする現代の先端研究者 たちに思いがけぬ指針を残していた。「形態学」の真髄とその周辺をていねいに掬い上げた文庫版新訳オリジナル。本書姉妹篇に『動物篇』がある。

形態学―有機体の形成と変形(形態学序論
形態学と諸科学の関係
形態学一般に関する考察
形態学への予備的研究
友 好的呼びかけ)
植物学(論文「植物のメタモルフォーゼ試論」の成立
植物のメタモルフォーゼ試論
植物のメタモルフォーゼ第二試論
そ の後の展開
植物メタモルフォーゼ論の展開
私の論文の影響とそこで言い表された理念の展開
植物生理学の予備的研究
植物学断 章
ビクノニア・ラディカンス
植物の螺旋的傾向について
著者は自己の植物研究の歴史を伝える)
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480091857/

ゲーテ形態学論集 動物篇
ゲーテ 著 , 木村 直司 編訳
生きて発展する
刻印されたフォルム
多様性の原型。それは動物の骨格に潜在的に備わる「生きて発展する刻印されたフォルム」。ゲーテ思想が革新的に甦る。文庫版新訳オ リジナル。

• シリーズ:ちくま学芸文庫
• 定価:1,365円(税込)

生きて発展する刻印されたフォルム!それは動物の骨格に潜在的にそなわっている「比較の第三者」としての原型を意味するゲーテの革新的な生物学 思想の言葉である。植物において「すべては葉である」としたゲーテ形態学は、さらに対象を動物にも広げていく。動物形態の多様性は骨学的原型から発するも の、またそれぞれの動物の骨格部分は同一の基本器官のメタモルフォーゼ(変態)と洞察した。それら哺乳類についての論考のほかに、チョウのメタモルフォー ゼやヒトの観相学をも含むオリジナル編集になる新訳決定版論考集成。図版多数。哲学しはじめた20世紀後半の現代科学に贈られた、ゲーテの大いなる遺産。 『植物篇』の姉妹篇。

観相学(観相学一般について
観相学者の一見誤った推論
観相学的診断
アリストテレスによる動物の頭蓋に関する観相学的所 見)
動物学(昆虫、とくに蝶のメタモルフォーゼ
普遍的比較説の試論
動物の形態についての試論
骨学から出発する比較解剖学 総序論の第一草案
比較解剖学総序論第一草案最初の三章に関する論述 ほか)
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480091871/

色彩論
ゲーテ 著 , 木村 直司 翻訳
数学的・機械論的近代自然科学と一線を画し、自然の中に「精神」を読みとろうとする特異で巨大な自然観を示した思想家・ゲーテの不 朽の業績。

• シリーズ:ちくま学芸文庫
• 定価:1,575円(税込)

文豪ゲーテは多くの貌をもつ。その文業とともに、終生情熱を傾けたのが、植物学・動物学・地質学・解剖学・気象学などに及ぶ広汎な自然研究で あった。とりわけ形態学と色彩論はその白眉と言うべく、シュタイナーらの再評価を経て、現代的関心もきわめて高い。分析と還元を旨とする近代科学の方法に 対して、綜合と全体化を目指すゲーテの理念の背景には、汎知学‐ヘルメス学の伝統が控えている。『色彩論』の精髄たる「教示編」に加え、「科学方法論」を 併載し、ゲーテ自然思想へのチチェローネとなす。

科学方法論(近代哲学の影響
直観的判断力
省察と忍従
形成衝動
種々の問題
適切な一語による著しい促進
客 観と主観の仲介者としての実験
経験と科学
分析と綜合
自然哲学
自然―断章
箴言的論文『自然』への注釈)
色 彩論―教示編(色彩論草案
序論
生理的色彩
物理的色彩
化学的色彩
内的関連の外観
隣接諸領域との関係
色 彩の感覚的精神作用)
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480086198/


Johann Wolfgang von Goethe
Texte
• Werke von Johann Wolfgang von Goethe . In: Zeno.org .
• Werke von Johann Wolfgang von Goethe . In: Projekt Gutenberg-DE .
• Werke von Johann Wolfgang von Goethe als Hörbücher bei LibriVox
• Gedichte von Johann Wolfgang von Goethe (Ausgabe letzter Hand; West-östlicher Divan) bei di-lemmata.de (inkl. lemmatisierter Wortlisten)
• Werke von Goethe im Literaturnetz
• Informationen zu Goethe, Johann, Wolfgang, von im BAM-Portal
• Gedichte auf zgedichte.de

Naturwissenschaftliche Schriften
Zeno.org
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2010年03月29日(Mon)▲ページの先頭へ
連続性力学について:反動的感情が連続性の力学である:父権制/一神教が連続性力学を生んだ
同一性原理(アンラ・マンユ)については、+1ということで、明晰に解明できるが、連続性原理について、まだPS理論的には、明晰に解明されていないと考えられる。
 不連続性の概念が不連続的差異論の出発点であり、その視点から、ドゥルーズの差異=微分の連続的差異論を批判することができた。
 では、連続性の力学とはいかなるものなのか。本来、差異、絶対的差異ないしは絶対的他者を同一性と結びつける誤謬・錯誤・錯視の力学であるが、その「妄想」の力学は何か。
 ⇒+1において、認識は本来⇒であるが、それが、+1と一致するのが、連続性の錯誤・誤認である。言い換えると、精神を物質と一致させる発想である。これは、ヘーゲル哲学の核心である。
 フッサールはノエシス/ノエマの超越論的認識性を提示したが、ノエマは、物質+1ではなく、⇒の先端を見なくてはならない。言い換えると、ノエマは現象像である。ベクトル・モードである。
 では、⇒の先端のモードと+1の物質を連続させる力学が一般に作用するのであるが、この連続的作用とは何かである。
 ここで少し迂回してみよう。言い換えると、違う視点をとってみよう。
 それは、他者問題である。自己内他者があるが、それを一般に自己は否定するのである。つまり、自我の形成である。自我は他者を否定するのである。つまり、差異を否定するのである。この他者・差異の否定であるが、そのとき、自我となった自己は、否定した他者・差異と裏返しに一致するのではないだろうか。つまり、他者・差異とネガティブに一致(同一性化)しているのではないだろうか。
 自己を +iとし、他者を -iとすると、他者の否定は-(-i)=+i である。つまり、ここで、自己は他者を否定して、思うに、シャドウ(影)である自己-(-i)=+iを形成するのである。これは、自己+i=シャドウ自己+i で、自己同一性(=自我)が形成されるのではないだろうか。
 思うに、この自己同一性=自我が、連続性を意味するのではないだろうか。
 とまれ、この自己同一性=自我は、他者を同一性化しているのであり、ここに連続性の原理が生起していると思われる。そして、この自己同一性=自我が、物質的同一性の原理と重なると、唯物論ないしは近代合理主義(近代的自我)が生まれると考えられる。
 以上から、連続性とは自己の否定作用によって生起する力学であることになったが、自己の否定作用とは何だろうか。
 それは、否定的感情、反感、ルサンチマンと考えられる。自己の鏡像(同一性自己)に対して、他者はそれをいわば異化するのであり、その異化に対して、自己は反感をもつと考えられる。この反感が他者を否定するのであり、自己鏡像(同一性自己)が支配的になるのである。
 つまり、感情の反動が自己の否定作用であり、それが連続性の力学の根本であることになる。
 反動的感情(反感)が、他者・差異という現実を曇らせる、濁らせる、誤らせるのであり、それが誤謬・錯誤・錯視・妄想・妄念・邪念を生むと考えられる。
 仏教的に言えば、無明、色である。結局、不連続的差異=絶対的差異=絶対的他者の認識とは、この反動的感情による連続性の誤謬を断つ真理的認識である。
 これは、実に仏教がはるか二千年以上前から説いてきたことでもある。(これは、フッサールの現象学が20世紀において説いたことに通ずる。ただし、フッサールは、超越論的主観性を明確に絶対的差異、超越的差異としては捉えてはない。)色即是空、空即是色の般若心経の叡知は、連続性を断つ不連続性の認識を説いているのである。禅の哲学も同じことである。そして、鈴木大拙の即非の論理とはこの仏教の不連続性の認識の至高の精華・宝玉であると言えよう。
 では、この反感=連続性の原因は何かと考えると、これは、やはり、父権制ないしは封建制にあると思う。男性の志向は、他者への反発を強くもっているからである。言い換えると、攻撃性、暴力性、破壊性である。
 シュタイナーは私の理解では連続性の原理と考えられる悪魔ルシファーを説いているが、それは、父権制・父権主義・男性中心主義の文明になったときに生じたと考えられる。(では、同一性=物質原理であるアンラ・マンユはいつ生まれたのだろうか。これは課題にする。)
 この父権制とは、一神教の成立と深く関係する。なぜなら、当然ながら、一神教は父権主義であるからである。
 故に、ヤハウェは、連続性の原理をもっていると考えられるのである。西洋文明が覇権主義、すなわち、帝国主義/植民地主義なのは、この連続性の原理に拠ると考えられる。
 しかしながら、「キリスト」原理とは、実は、本来は差異・他者の原理であるが、それが、ヤハウェの連続性の原理とつながっている(三位一体論)ために、せいぜい、連続的差異の思想になってしまうのである。だからこそ、「聖霊の時代」の意義があるのである。それは、キリスト教会の崩壊である。(シュタイナーの説くキリストは太陽霊であり、アフラ・マズダーである。PS理論から言えば、太陽はいわば、Primary Media Point, Fundamental Media Point, Principal Media Point, Original Media Pointの象徴であると考えられる。それは多様な超越的対極差異が共振融合している様態であると考えられる。)
 日本を考えると、連続性力学は当然、封建時代の父権主義によって生起したと考えられる。(武士の問題であるが、私は武士は根源は父権的ではなく、母権的ではないと思う。もちろん、後になり、父権制が重なるのであるが。)
 イデオロギー的には、国学が連続性力学を生み出したと考えられる。それが狂信的な尊皇攘夷を生み出し、また、昭和の狂気の戦争路線を生みだしたと考えられるのである。ここで一言天皇制について言うと、それは、本来、母権制である。女神信仰である。(そして、仏教と習合して、日本独自の差異共振原理を生みだしていたと考えられる。)しかしながら、国学的ナショナリズムや明治の軍国主義的国家主義に利用されて、一神教・父権的な国家神道にされてしまったと考えられる。
 この封建・父権的連続性力学が未だに強く日本を支配しているのであり、それが戦後の近代合理主義(唯物論)の同一性原理と結びついて、完全に精神的知性を喪失したのが、現代日本である。
 簡単に日本の資本主義に触れると、封建・父権的連続性力学は、実態としては、国家資本主義(社会主義)となり、政治家・官僚が支配する同一性的資本主義なのである。
 資本主義とは、本来、差異(個)の経済である。差異共振(個の共同)の経済であるが、交換価値=同一性価値が支配すると資本主義は恐慌となるのである。
 本来の差異的創造である資本主義を駆動させるための知恵が今日必要とされているのである。差異価値が主であり、交換価値が従である差異共振創造資本主義の構築が必要である。このためには減価通貨制度を取り入れたり、兌換通貨制度(銀本位制、金本位制)を復活させる必要があると考えられるのである。思うに、両者を複合化させることができるのではないだろうか。この点は検討課題である。 

追記:後で、連続性力学について整理したい。

追記2:先ほど、帰路で浮んだのであるが、やはり、父権制/一神教とは、+iに傾斜しているのであり、+i⇒+1 になるのである。そして、他者的差異である-iは否定・排除されるのである。
 母権/母系制とは私見では、+iと-iの均衡がとれ、正に、自己認識方程式(+i)*(-i)⇒+1が純粋に成立していると考えられる。換言すると、Media Pointが活かされているのである。
 本来、母権/母系制の日本がどうして、今日のように封建・父権的なのか。それは、やはり、国学の一神教イデオロギーが根因ではないかと思うのである。確かに儒教の問題であるが、国学ほどではないと考えられるのである。
 とまれ、国学によって連続性の悪しき力学が日本に導入されて、日本を狂気・狂信化にさせたと考えられる。
 個人的には、本居宣長のナショナリズムに嫌悪感を感じるのである。


参考:

日本の美 「わびさびと琳派」


日本美術の受難
一方、これとは別に、幕府を倒し、天皇を絶対的な軸とする初期の明治政府は神道こそ信じるべき宗教とし、廃仏きしゃくの運動を引き起こし、仏教を軽く扱うと同時に、日本の伝統の美をも排斥する動きを強くした。
先ごろアフガニスタンでタリバンが仏像を破壊して大きな国際問題となったが、明治の日本でもこれと似たような悲しい歴史があったのである。
現在でも、多くの寺の一角に神社が祭られているが、これは寺に神社を取り込むことで廃仏きしゃくからまぬがれようとした歴史の痕跡である。

さて、この時これに真っ向から対立したのが当時、東京美術学校(現在の東京芸大)の初代校長であった岡倉天心だった。
彼は教え子であった横山大観や菱田春草、下村観山などを引き連れてアメリカに渡り、アメリカで創作活動をすると同時に、破棄される仏像や日本の美術品を、アメリカを拠点として買い集め、メトロポリタン美術館などに避難させたのである。
やがてそうした動きが下火となり、彼らは日本に戻って美術活動を再開するが、岡倉天心、菱田春草、下村観山は早く亡くなってしまった。しかし、横山大観は90歳の長寿をまっとうし、明治、大正、昭和にかけて日本画の重鎮として活躍したことは有名である。
http://yp1.jp/corporate/backnumber/2004/1114.html

株式会社ヤマプラ



2010年03月28日(Sun)▲ページの先頭へ
ベクトル・モード・ポリフォニー:Multiple Media Aesthetic Resonance
「とまれ、植物(だけではないが)のもつ黄金比等の美的電磁波が複雑に共振して、無限に美的な印象をもたらすのだと思う(池泉回遊式庭園はそのような美学を感じる)。」
http://ameblo.jp/renshi/entry-10492335795.html

先に上のように書いたが、「美的電磁波が複雑に共振して」という箇所の「複雑に」はあいまいである。
 これは、音楽で言えば、ポリフォニーであると思う。美的電磁波のポリフォニーが原生林や雑木林に発生すると思われる。これは、形態や色彩におけるポリフォニー、美術的ポリフォニーである。
 しかしながら、電磁波(波動)であるので、音楽的ではある。つまり、音楽/美術的電磁波的ポリフォニーである。
 では、このポリフォニー美学の力学はいかなるものか。直感ではなにかフーガに似ているような感じがする。森の中のある樹木の美的電磁波を感受し、すぐ後で、他の樹木のそれを感受すると、最初の残響があり、それが、後の響きと重なるのである。
 とまれ、ポリフォニーという方が総合的である。(シンフォニーとも言えるが。)
 思うに、美的感受性はMedia Pointにあり、そこで、美を感受するのである。それは、内的な差異共振エネルギー(精神的数学的美的エネルギー)を生起させると思われる。だから、 Media Pointに多様な美的電磁波が入って、Media Pointで多元多様に共振すると考えられる。
 つまり、Multiple Media Resonance(MMR)が生起するが、それが、雑木林の外部や内部で感受する美の実態であり、ポリフォニーの力学であると考えられる。
 とまれ、ここで生じている精神的数学的美は単に視覚的美だけではなく、音楽的な美でもあるということになる。思うに、尾形光琳などの古典的日本美術に感ずる美には音楽性があるが、それは、これで説明できるのではないだろうか。一種共感覚的な美であるが。というか、共感覚こそ、このMMRで解明されると言えよう。
 感覚に即して言えば、Multiple Media Aesthetic Resonance と言えよう。そして、美が単に感覚的ではなく、精神的であることもこれで明確になる。
 後でさらに考察を行ないたい。


「尾形光琳の松島図屏風」

http://yp1.jp/corporate/backnumber/2004/1114.html

株式会社ヤマプラ

J.S.Bach - The Art of Fugue - Contrapunctus 1
http://www.youtube.com/watch?v=aCUS5F-DI2o
Contrapunctus 1
http://www.youtube.com/watch?v=-a6KUAONwzM&feature=related
J.S.Bach - The Art of Fugue - Contrapunctus 14
http://www.youtube.com/watch?v=JbM3VTIvOBk&feature=related


2010年03月27日(Sat)▲ページの先頭へ
検討問題:樹木等の植物が上昇する力と情報
これは、気=エーテル体であり、電磁波、植物情報的電磁波ではないだろうか。
 それは、Media Pointの共振エネルギーであるから、虚軸から実軸へと向かう。それは、⇒+1であるが、+1にベクトル・モードが描かれるのである。その反対の-1 は、鏡像ではないだろうか。
 つまり、+1と-1のベクトル・モードが現象するということになる。だから、実軸の垂直線と直交する平面が生起して、三次元モードとなるのではないだろうか。
 そうならば、Media Pointを介した虚軸次元は四次元である。また、根源情報の軸、Z軸を想定すると、それが五次元である。
 しかし、その必要があるだろうか。電磁波は⇒であり、情報は虚軸の対極虚数に存するのではないのか。
 しかしながら、対極虚数(陰陽)は情報を産み出すのか。例えば、易を考えると、上下に三元、全部で六元があり、陰爻と陽爻の順列となる。すなわち、2^6=64通りである。
 このような順列の情報が虚軸の対極虚数に存するだろうか。直感ではそれは難しいのではないだろうか。
 ならば、やはり、根源情報軸として、Z軸を想定した方がいいことになる。
例えば、電波放送ならば、周波数を変調させて、情報を送るのである。だから、変調にあたるものがZ軸にあるのではないだろうか。虚軸はいわば搬送波ではないのか。
 ならば、Z軸情報がMedia Pointにおいて、虚軸に変調を与えて、それが、共振して、電磁波を放出するということになるのではないのか。
 精神科学的に言えば、Z軸に精神情報(霊的情報)があることになる。今はここで留める。

参照:
変調方式
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変調方式
アナログ変調
AM | SSB | FM | PM
デジタル変調
OOK | ASK | PSK | FSK | QAM | APSK
DM | MSK | CCK | CPM | OFDM
パルス変調
PWM | PAM | PDM | PPM | PCM
スペクトラム拡散
FHSS | DSSS
関連項目
復調

変調方式(へんちょうほうしき)は、変調すなわち情報 を記録・伝送するにあたり、情報および記録・伝送媒体の性質に応じて情報を最適な電気信号に変換する操作の方式である。

無線通信では一定周波数の電波を発生し、それを変調することにより情報を伝送する。この変調を受ける電波を搬送波(キャリア)という。有線通信においても伝送媒体が電線になるほかは同様なことを行い、媒体として光ケーブル を用いる光通信でも、搬送波が電気信号でなく光 になる以外は同様である。尚、変調により、特に光通信の場合は多くのチャンネルを確保できるという有用性もある。一般に一つの伝送路を多くの回線として使う目的も大きい。

キャリアを用いないベースバンド伝送 でも情報信号を何らかの形で変化させて送るのが一般的である。これらはラインコーディング (符号化方式の分類の一つ)とも呼ばれる。
基本的な変調方式 [編集 ]
アナログ変調 [編集 ]

詳細は「アナログ変調 」を参照
情報信号がAM信号またはFM信号によって搬送されている例

アナログ変調は、アナログ情報信号に対応して連続的に適用される。

一般的なアナログ変調を、各種の変調方式でどのような変化を用いて情報を送るか簡単に以下に示す。

* 振幅変調 (AM; Amplitude Modulation) :搬送波の振幅の変化で変調するものである。
* 角度変調
o 周波数変調 (FM; Frequency Modulation) :搬送波の周波数 の変化。
o 位相変調 (PM; Phase Modulation) :搬送波の位相 の変化。

デジタル変調 [編集 ]

詳細は「デジタル変調 」を参照

デジタル信号 で搬送波を変調するものである。 搬送波を最終的に変化させる操作は上記の振幅や位相などを不連的に変化させて用いる。

* 位相偏移変調 (PSK; Phase Shift Keying) :一定周波数の搬送波の位相を変化させることで変調するもの。変調1回あたりの送信ビット数を増やすごとに、BPSK、QPSKなどと呼ばれる。
* 周波数偏移変調 (FSK; Frequency Shift Keying)
* 振幅偏移変調 (ASK; Amplitude Shift Keying)
* 直角位相振幅変調 (もしくは直交振幅変調 ) (QAM; quadrature amplitude modulation)

パルス変調 [編集 ]

詳細は「パルス変調 」を参照

パルスの振幅・幅・位相・符号などで変調するものである。パルス符号変調はデジタル 情報を、他はアナログ 情報またはデジタル情報を伝送可能である。

* パルス符号変調 (PCM; Pulse-code modulation) (アナログ-デジタル変換)
* パルス幅変調 (PWM; Pulse-width modulation) (アナログ-アナログ変換)
* パルス振幅変調 (PAM; Pulse-amplitude modulation) (アナログ-デジタル変換)
* パルス位置変調 (PPM; Pulse-position modulation) (アナログ-アナログ変換)
* パルス密度変調 (PDM; Pulse-density modulation) (アナログ-アナログ変換)

変調方式の応用 [編集 ]

* 直交変調 :複数の独立な情報を互いに干渉することなく同時に伝送するための多重変調方式である。
* 同期放送 (通信)(Single Frequency Network) :同期した同一の周波数を発信する無線局を多数配置し、広いサービスエリアを得る方法である。

関連項目 [編集 ]

* 電波型式の表記法
* 無線工学 ・伝送工学 ・通信工学
* 搬送波

ウィキメディア・コモンズ
ウィキメディア・コモンズ には、変調方式 に関連するカテゴリがあります。
「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%89%E8%AA%BF%E6%96%B9%E5%BC%8F 」より作成
カテゴリ : 変調方式 | 無線 | 無線工学 | 通信工学 | データ転送


自然美(自然造形美)とは精神的数学的美である:西洋美学から東洋美学への転換
これまでのベクトル・モード論の検討から、何故、自然(正確に言うと、人の手を適度に加えた、より自然化された自然)が美しいのか明晰、明快な答えを得たと言えよう。
 黄金比が自然に発露しているのであり、そのために、美的なのである。
 私はずいぶん昔(学生の頃)から西洋美学に疑問を抱いてきた。つまり、芸術の方が自然よりも美的であるという思想である。しかしながら、私は自然美は、凡庸な芸術よりもはるかに美的であると感じてきた。そして、日本美術は、つまり、伝統的日本美術は、自然美から生まれた(自然美と共振して美的創造力が喚起され、制作された)と感じてきたのである。
 ここで想起するのは、オノ・ヨーコ氏の「わたしがいくらがんばっても、青空の青にはかなわない」というような言葉である。まったく同感である。
 ユダヤ・キリスト教的思想を考えれば、芸術が自然よりもすぐれていると判断するのは当然である。(追記:ギリシア・ローマの伝統も考えないといけない。それは、しかしながら、人体が中心であるが、自然的であると言えよう。)
 今は余裕がないので、詳述しないが、ひと言付け加えれば、原生林や雑木林の方が、人工的な木立、例えば、公園で見られるようなシンメトリカルに「秩序」立てられたものより、はるかに日本人の本来の美的感覚には合うのである。もっとも、原生林や雑木林も放っておけば、野放図に蔓延るが、そこに適度な間伐等を行なえば、より美的な森林にはなりうると言えよう。
 とまれ、植物(だけではないが)のもつ黄金比等の美的電磁波が複雑に共振して、無限に美的な印象をもたらすのだと思う(池泉回遊式庭園はそのような美学を感じる)。

追記:私は東京や大都市の大半の機械的、無機質な建物は、近代合理主義、つまり、唯物論に基づくもので、醜悪醜怪なものだと思う。つまり、+1の同一性=物質の論理、アンラ・マンユ(アーリマン=悪神、悪霊、悪魔)の論理に基づくのである。
 それは、自然の造形美をまったくもたない反美的なものである。それは、日本人の伝統的精神的感覚を損なう害悪である。
 アーリマンの東京や大都市の「景観」である。結局、同一性の悪魔、正確に言うと、連続的同一性の悪魔(ルシファー/アーリマン)にとり憑かれたのである。
 この原因は明治維新からの封建的父権的国家主義と戦後の近代合理主義の結合にあると思う。前者がルシファーが強く、後者がアーリマンが強いと言えよう。
 神仏習合の差異共振の精神原理が排除されたのである。これは、基本的には戦後近代合理主義に拠ると考えられる。唯物論教育が支配したからである。
 とまれ、日本が生まれ変わるには、先ず、東洋的身体精神教育が必要である。そして、哲学・科学・芸術教育が必要である。

回遊式庭園
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桂離宮庭園

回遊式庭園(かいゆうしきていえん)は、日本庭園 の形式のひとつで、園内を回遊して鑑賞する庭園 。園内を回遊する形式の庭園は日本以外にも存在するが、回遊式庭園という語は主に日本庭園のみを指して用いられる。
概要 [編集 ]

回遊式庭園は、江戸時代 に大名 によって造営された大名庭園 において発達した形式であり、日本庭園の集大成とも位置づけられる。

最も一般的な形式は池泉回遊式庭園(ちせんかいゆうしきていえん)と呼ばれるもので、大きな池を中心に配し、その周囲に園路を巡らして、築山 、池中に設けた小島、橋、名石などで各地の景勝などを再現した。園路の所々には、散策中の休憩所として、また、庭園を眺望する展望所として、茶亭、東屋などが設けられた。
代表的な回遊式庭園 [編集 ]

* 桂離宮 庭園(京都府 京都市 西京区 )
* 京都御所 庭園(京都府京都市上京区 )
* 小石川後楽園 (東京都 文京区 ) - 特別史跡 ・特別名勝
* 浜離宮恩賜庭園 (東京都中央区 ) - 特別史跡・特別名勝
* 一乗谷朝倉氏庭園 (福井県 福井市 ) - 特別史跡・特別名勝
* 偕楽園 (茨城県 水戸市 ) - 史跡 ・名勝
* 兼六園 (石川県 金沢市 ) - 特別名勝
* 後楽園 (岡山県 岡山市 北区 ) - 特別名勝
* 玄宮園 (滋賀県 彦根市 ) - 特別史跡・名勝
* 足立美術館 庭園(島根県 安来市 )
* 栗林公園 (香川県 高松市 ) - 特別名勝

執筆の途中です この「回遊式庭園」は日本の文化 に関する書きかけ項目 です。この項目にさらなる加筆、訂正 などをして下さる協力者を求めています (ポータル 日本 /ウィキプロジェクト 日本文化 )。
「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9E%E9%81%8A%E5%BC%8F%E5%BA%AD%E5%9C%92 」より作成
カテゴリ : 日本庭園


2010年03月26日(Fri)▲ページの先頭へ
葉や花や実等の形態形成力学:葉序と葉の形状と花や実の形態
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/renshi/entry-10491944207.html


葉序はフィボナッチ数と関係する。フィボナッチ数は黄金比に収束する。
 故に、葉序もKaisetsu氏のベクトル・モードで解明される。
 次に葉の形状の形成力学はどうなのだろうか。これも、直感ではベクトル・モードで当然説明できると思うが、実際はどうなのだろうか。葉の平面の形成力学はいかに。
 以下の説明では、蓮の葉の形態形成力学はやはりベクトル・モード論で解明できよう。ならば、他の葉の形もそれで解明できるのではないだろうか。
 そのとき、円接多角形が要になるのではないだろうか。正五角形ならば、五葉であり、また、五弁の花弁が形成されるのではないのか。もっともイチョウの葉の場合は、それでは説明できだろう。以下には、双曲図形と結びつけている。
 今はここで留めるが、人体の形態もこれで解明できそうである。
 
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フィボナッチ数 と植物の形態 †

この「研究」は、下のムスメとの共同研究である。 ……というか、ムスメの夏休みの自由研究(2007年夏)をネタに、あれこれ考察してみたものだ。

この「研究」のおかげで、植物の葉を見ると、つい数えるようになってしまった。

* フィボナッチ数と植物の形態
o 葉序
o 葉序とフィボナッチ数
o 葉序と開度
o 葉序・開度と葉の重なり方
o 究極の開度と黄金比
o 花とフィボナッチ数
o 果実とフィボナッチ数
+ 松ぼっくり
+ パイナップル
o 植物は数学を知っているか?

http://mshi.no.coocan.jp/pukiwiki/?%B8%A6%B5%E6%BC%BC%2F%A5%D5%A5%A3%A5%DC%A5%CA%A5%C3%A5%C1%BF%F4%A4%C8%BF%A2%CA%AA#z632eab1
研究室/フィボナッチ数と植物

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フィボナッチ数
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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フィボナッチ数列の各項を一辺とする正方形

フィボナッチ数(ふぃぼなっちすう、Fibonacci number)とは、イタリア の数学者レオナルド・フィボナッチ (ピサのレオナルド)にちなんで名付けられた数である。n 番目のフィボナッチ数を Fn で表わすと

F_0 = 0,\ F_1 = 1 \,
F_{n+2} = F_n + F_{n+1} \quad (n \ge 0)

で定義される。

この数列はフィボナッチ数列 と呼ばれ、最初の数項は

0 , 1 , 1, 2 , 3 , 5 , 8 , 13 , 21 , 34 , 55 , 89 , 144 , 233 , 377 , 610 , 987 , …

である。定義より、どの項もその前の2つの項の和となっている。

1202 年 にフィボナッチが発行した『算盤の書 』(Liber Abaci) に記載されたが、その前に、インド の数学書にも記載されていた[1] [2] 。

フィボナッチ数列は、漸化式 Fn = Fn−1 + Fn−2 を全ての整数 n に対して適用することにより、n が負の整数の場合に拡張できる。そして F−n = (−1)n+1Fn が成り立つ。この式より、負の番号に対する数項は次のようになる。

…, −55, 34, −21, 13, −8, 5, −3, 2, −1, 1.
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%9C%E3%83%8A%E3%83%83%E3%83%81%E6%95%B0

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* フィボナッチ数列

フィボナッチ数列とは

Fn+2=Fn+1+Fn (F1=1 F2=1)

で表される数列です。具体的には

1、1、2、3、5、8、13、21、34、55、89、144、・・・・・・

というものです。この数列がどの様に植物に関係しているのでしょうか。
 ヒマワリについて種の並びに注目すると、写真のように整然と並んでいることがわかります。黄色・緑色・赤のらせん毎に、このヒマワリには全体で何本あるのかを調べてみると、それぞれ34本,55本,89本となります。らせんの本数はフィボナッチ数列に含まれていることがわかります。このことは偶然ではなく、これより小さなヒマワリで観察しても、らせんの本数は減ってもその数はフィボナッチ数列に含まれるはずです。
 ヒマワリの種の並びは次の式で表すことができます。vは任意の定数で、tに自然数を順に代入してプロットしていくと下の図にしめす散布図が得られます。ここでは図の中心が原点となります。注目点は式の中に黄金角が含まれていることです。ヒマワリは黄金角を知っているのでしょうか。
http://www2.plala.or.jp/aki_ogawa/episode/fibon.html
長野周辺の山歩きと山野草

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葉序に潜むフィボナッチ数列

推理ものの映画やドラマで、謎解きの小ネタとして時々でてくるフィボナッチ数列。
これは、

0, 1, 1, 2, 3, 5, 8, 13, 21, 34, 55, 89, 144,…

というように前の二つの数を足していくという簡単な数列です。
(例えば、上の数列で7番目の数は8ですが、これは前の二つの数、3と5を足した数です)

しかしながら、この数列は不思議な事に、自然界の様々な場面で垣間見ることができます。
http://blogs.yahoo.co.jp/cytherella500/19981339.html
SHIN-EN
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ほかにも面白い例がある。開花植物の葉序(ようじょ)にフィボナッチ数列が現れるのだ。葉は、通常、垂直に伸びた茎の周りを決まった角度おきに螺旋状に取り巻いている。上から見ると、チューリップの葉は2枚で茎を一周するので、1/2×360度ごとに付いていることになる。カヤツリグサ科の葉は、1 /3×360度ごとに付いていて、3枚で1周する。サクラやウメでは5枚の葉で2周、つまり2/5×360度ごとに付いている。アブラナ科では3 /8×360度、タンポポやグミでは5/13×360度、マツでは数えたことはないけれど8/21×360度だと言われている。ここに出てきた分数の列
はフィボナッチ数列と関係している。
フィボナッチ数列 { fn } は
f1=1, f2=1, fn=fn-1+fn-2 と表され、
1,1,2,3,5,8,13,21,34,55,89,144 ………
と続いていく。そこで数学者は葉が13/34×360度ごとに付いた植物はあるのだろうかと考えてしまう。

ヒマワリの種は螺旋を描いて並んでいる。右巻き螺旋の数が55個なら左巻きは34個に、144個なら89個になることが多いという。
(図=Scientific American 1969/3をもとに作成)
フィボナッチ数列はヒマワリにも現れている。種がきれいな螺旋、それも右回りと左回りの螺旋を描いて並んでおり、その個数は、右回りが55個、左まわりが 34個になる場合が多いと聞く。じつはまだ真面目に数えてみたことはないので、今年の夏は数えてみたいと思う。品種改良して、それぞれ144個、89個の螺旋をもつ巨大なヒマワリ、さらに多くの螺旋をもつヒマワリもあると聞いている。それにしても不思議なのは、ここに出てくる数はすべて隣り合うフィボナッチ数だということだ。これも葉序と同じ原理で説明できるのだろうか。
 私たちが十進法を使うのは両手で10本の指があるからで、天与のものと思われる数学も、私たちの生物としての存在に大きく影響を受けている。ではなぜ指は5本ずつあるのか。理由を知りたいが、こうした問いかけは現代科学では禁じられているのかもしれない。アリストテレスの目的因の考察を忘れて、変化のプロセスだけを記述することで大成功を収めた近代科学は、指はなぜ5本あるのかと問うことはやめにして、5本の指ができるプロセスを記述してきた。だから、葉序やヒマワリがフィボナッチ数と関係していたり、オウム貝の曲線が対数螺旋になっている理由を問うのは、科学を逸脱することになるのかもしれない。でもやはり私は理由が知りたい。
http://www.brh.co.jp/seimeishi/1993-2002/24/es_1.html

季刊誌「生命誌」通 巻24号
生き物と数:上野健爾


右ねじれのフィボナッチ

はてさて、「右ねじれの桜たち 」シリーズも、みなさんのフォローアップを受けて3回転も跳んでしまったが、今回はちょっと番外編である。

今書いているこの冒頭の文章、記事を全部書き終えて最後に書いているのだけれど、しかし我ながら今回もなんだかとんでもない結末になってしまった。

どんな事態になってしまったのかは、読んでみてのお愉しみ。

http://zatsunen-karada.seesaa.net/article/11786453.html
雑念する「からだ」

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木の葉の形
 私たちの周りにはいろいろな種類の樹木があり、それらの木の葉の形にもいろいろな形があります。もっとも多い形は眼形です。その数が極端に少ないものにイチョウの葉と蓮の葉をあげることができます。イチョウは反りかえった形、蓮は円形をそれぞれもっています。蓮の葉脈は、ロゼット文様のように中心から放射状に伸びています。私が木の葉にこだわるわけは、
・多くの木の葉……ふくらみ凸=楕円図形
・イチョウの葉……へこみ凹 =双曲図形
・蓮の葉……………円形○  =楕円図形
の視点をもつことができるからです。

伏羲・女媧とひょうたん形
 人類と植物の歴史的な結びつきといえば、ひょうたんを忘れることができません。ひょうたんは人類が利用した最初の植物といわれています。中国の伏羲・女媧伝承に、大洪水の時、ひょうたんに逃れて命が助かったというのがあります。いわゆる「ひょうたん伝説」といわれるものです。この伏羲と女媧の名前がひょうたんに因む名前であることは、明らかになっています。
・伏羲=庖羲とも書く。庖は匏瓜の匏に通じ、「ひさご」の意味をもつ。この解は葫蘆(ころ)=ひさごにつながっている(白川静『中国の神話』中央公論社一九七五)。ひさごはひょうたんの別名
・女媧=名前は豊饒のシンボルである「メロン」を意味する「瓜」に由来する(レイチェル・ストーム『世界の神話百科』原書房)。また、女媧の字形を作る「咼」に渦という意味と女性の象徴である穴、陰門を示す意味がある(鉄井慶紀『中国神話の文化人類学的研究』平河出版社一九九〇)。
 右において、ひょうたんと瓜は、ともに蔓科の植物です。それらは、蔓、すなわち「螺旋・渦巻き」/双曲図形と楕円図形の概念でつながっています。ひょうたんの属す瓜の仲間には食用に供されるものがあることは記憶にとどめておいてください。それだけ新石器人の身近にあったということになります。
 伏羲・女媧の洪水伝説は、生命に関わっています。つまり、螺旋・渦巻き/双曲図形と楕円図形が生命に関わっていることを意味します。問題は螺旋・渦巻き/双曲図形と楕円図形が、どのように生命につながっているのか、そのメカニズムにあります。

イチョウの葉と双曲図形
 イチョウの葉は、種類の差は当然ありますが、生育年月の差によっても、その形に変化が現われるといわれております。古木のイチョウの葉四枚を +形に置けば、イチョウ形の十字形(ロシア十字)を作ることができます。この形は、世界の新石器人にとって極めて重要な意味をもつものでした。
 イチョウの実の銀杏は食用に、イチョウの葉は薬用に供されています。

蓮の葉と円接正多角形
 仏教では、蓮は仏様の座る台座になっています。「蓮」はヒンズー教、仏教、密教において、特別の意味を持ち重用されています。蓮の葉は円形を呈し、その葉脈は中心から放射状に伸びています。一枚の紙に描かれた蓮の葉を連想してください。、この蓮の葉の中心に向って円周から切れ込みをいれます。その両端をつまみ重ね合わせながら一方を巻き込みます。この時、円形の葉は円錐状の渦巻きを形づくっていることに気づくことでしょう。
 つまり、円接正多角形は円錐状の渦巻きを内包する図形ということになります。この円接正多角形から円錐形渦巻きへの変化に新石器人は注目していたのです。新石器人の発想法に近づくためには、この視点が重要です。つまり、円接正多角形と渦巻きを異形同質の存在として理解し、両者をトポロジー的に等式で結ぶという視点です。世界の新石器人が蓮(あるいは睡蓮)を神聖視した理由は、このようなところに根拠があったわけです。蓮の実と根っこ(レンコン)は食用に、蓮の葉が薬用に供されていることは、新石器人と蓮の結びつきを考える上で重要です。
 春日井市のウォーキングロードの池には、縄文時代の大賀ハスが今を盛りに咲いています。同じ縄文ハスが八ヶ岳の南西麓に位置する縄文遺跡である井戸尻遺跡にも植えられています。ここの縄文ハスは7月末に最盛期を迎えます。
縄文文化に興味のある方は7月26日(土)・27日(日)に井戸尻遺跡を訪れてみてはいかがでしょうか。
イベントもあり、すばらしいところですヨ。

双曲図形と楕円図形に気づいていた縄文人
 右のことは、ひょうたんの実とイチョウの葉、そして蓮の葉の形が問題になっています。この形の基本に双曲図形と楕円図形が存在することに、縄文人、そして世界の新石器人は気づいていました。この双曲図形と楕円図形は、森羅万象に存在します。双曲図形と楕円図形の最大の特徴は、それらの所有する相対性に発見されます。この相対性の発見から縄文人と自然との共生の歴史が始まります。
http://joumon-uzumaki.com/mobius/modules/weblogD3/details.php?blog_id=9






縄文うずまき




http://kayoikujira.seesaa.net/category/2508267-1.html
長門市くじら資料館館長のブログ


ファイル:Ginkgo Biloba Leaves - Black Background.jpg

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Ginkgo_Biloba_Leaves_-_Black_Background.jpg

ファイル:W hyoutan2091.jpg

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:W_hyoutan2091.jpg


PS理論からシュタイナーの霊/魂/身体の三元論を脱構築する:精神のメディア変換
テーマ:新霊性:聖霊、気、地霊、性霊

ルドルフ・シュタイナーは、霊と魂と身体(感覚)の認識的三元論を強調している。
 わたしは魂をほぼ精神と同義にとっているが、それは、シュタイナーの「霊」に相当しよう。だから、シュタイナーの「霊」を精神と理解するのが明快である。結局、der Geistの問題である。
 直感で考えたい。Media Pointが魂である。そこには、精神エネルギーが作用する。そして、物質化が帰結する(⇒+1)。Media Point=魂に作用している精神的エネルギーであるが、それは、対の虚数(+iと-i)の共鳴に拠って生起するのである。(それは、電磁波と考えていいだろう。ただし、Z軸の情報の質によって、様態が質的に異なる。)
 この精神的エネルギーは、身体(物質)に対しては「気」(=エーテル体)となり作用すると考えられる。つまり、⇒+1の⇒が「気」(=エーテル体)である。
 しかしながら、精神的エネルギー=「気」ではない。精神的エネルギー⇒「気」⇒身体(物質)の変容・変換があると考えられる。
 この変換力学はMedia Pointにおいて、虚軸点における精神的エネルギーが実軸点における「気」に変換するということで説明できるだろう。ここでは、理念的な下降、位階的下降があるのである。これをMediaTransformation(Metamorphosis or Conversion)、Media 変換(転換)、ないしはメディア変換(転換)と呼ぼう。
 このメディア変換は既述したように即非的であり、不連続な転換である。また、⇒の不可逆性も確認すべき点である。
 とまれ、メディア変換を簡単に図式化すれば、

メディア変換:(精神⇒気)⇒物質

である。(精神⇒気)がMedia Pointにおけるメディア変換である。(こう考えると、電磁波は微妙になる。電磁波は気ではないのかという感じがある。これは検討課題にする。)
 以上のように考えると、シュタイナーの「霊」とは、Z軸の精神情報と精神的エネルギーと気であると考えられる。だから、Media Pointの様態であると言えよう。
 では、シュタイナーの「魂」とは何か。それは、感情や欲求や意志を意味しているのであるが、それは、PS理論では、Media Pointの虚軸点と実軸点が連続化されたときに生起する連続的精神的エネルギー様態ではないだろうか。言い換えると、虚軸の超越性が否定された連続的エネルギーの様態である。いわば、近代的主観的内面的エネルギー様態である。
 そう見ると、シュタイナーの「魂」とは決して、純粋なものではなく、混濁したものだと思われる。
 結局、要点は不連続性や即非性なのである。Media Pointとは、不連続点であり、即非点なのである。しかしながら、シュタイナーの「魂」は連続点なのである。これは、ポスト・モダンの連続的差異の思想と共通すると言えよう。
 また、シュタイナーの「霊」は自我とアストラル体とエーテル体から成るが、思うに、シュタイナーの自我も連続的である。PS理論から言うと、自己にしないといけないのである。ないしは自己精神である。
 結局、整理すると、「霊」は自己精神と差異共振情感と気によって構成されていると言えよう。
 思うに、「霊」というよりは、精神と言う方が明晰である。あるいは、超越的精神である。

追記:電磁波問題であるが、上述から見ると、電磁波は気(=エーテル体)と一致するように思える。しかし、問題は、精神的エネルギーと電磁波の関係である。
 精神的エネルギーはその情報をもって電磁波へ変換されると考えられる。だから、結果的には、精神的エネルギーと電磁波は類似するのである。
 しかしながら、厳密に見ると、精神的エネルギーは高次のエネルギーであり、電磁波は低次のエネルギーである。
 また、見方を変えると、精神的エネルギーと気を含めて電磁波と見ることができよう。つまり、Media Pointのエネルギー全体としての電磁波である。そこには、超越的情報が含まれるのである。
 以前述べたように、今日の電磁波の考え方は唯物論に制約されていて、虚軸=超越性を無視しているのである。しかし、虚軸=超越性を含めた電磁波を考えることができるのである。例えば、聖霊的電磁波、天使的電磁波、悪魔的電磁波、妖精的電磁波、等々、考えることができるのである。


2010年03月24日(Wed)▲ページの先頭へ
日本の政治の時代遅れ:未だに封建/近代主義だ:知の貧困が政治・経済・社会の貧困をもたらす
オバマ大統領はアフガン問題では戦争屋路線であるが、それとは別に、国内では、自由共同体主義(Kaisetsu氏のリベラル・コミュニズム)を志向して いる。
 これは、既述したように、米国の伝統的民主主義への回帰なのである(参照:トクヴィルの『米国の民主主義』)。伝統への創造的回帰である。
 しかるに、現代日本の民主党政治はどうだろうか。そこには、美辞麗句による売国・亡国的政治があるのである。
 結局、真の合理性が欠落しているのである。真の合理性とは、Media Point Rationalismである。不連続的差異(共振)的合理性である。
 米国と日本のこの相違の原因は何だろうか。結局、教養・知性の問題である。
 米国は今や、差異=精神を見ているのであるが、日本は未だに同一性=物質のみを見ているのである。

Obama signs landmark health bill President Barack Obama sealed the first triumph of his young presidency when he signed historic healthcare legislation into law, realising a goal that had eluded generations of Democratic leaders
http://link.ft.com/r/19JYUU/26VECR/P3KPK/267R62/9Z71UB/1G/h

哲学と科学の融合としてのPS理論
テーマ:プラトニック・シナジー理論
哲学なき科学は盲目であり、科学なき哲学も盲目である。
 PS理論は、哲学と科学のピュタゴラス/プラトン的現代的融合である。しかしながら、正確に言うと、仏教を中心として宗教も入るのである。しかしなが ら、仏教は精神哲学と見るのが的確である。
 とまれ、哲学とは、PS理論が明らかにしたのは、それが、精神的知性の論理学であるということである。そして、精神とは超越的エネルギーであり、ここ で、自然科学と結合することができるのである。
 超越的エネルギーは電磁波と関係するのである。これは、PS理論のMedia Pointの概念に基づくのである。
 言い換えると、精神的エネルギーが虚数によって数理化されたことがブレーク・スルーなのである。近代合理主義においては、精神と物質は二元論化されて、 別々のものとされたのである。
 とまれ、精神(=電磁波)が原因で物質が生まれるというプラトニズム的視点が現代的に確認されたのであり、脱近代、すなわち、トランス・モダンの視点が 明確に生まれたのである。即ち、近代の終焉であり、新たな東洋の誕生である。



三次元空間創造形成について:ベクトル・モード概念の視点
以下も思考実験である。

三次元空間形成の仕組みをどう考えるか。勿論、ベクトル・モード概念の視点からであるが。

Three dimensional Cartesian coordinate system with the x-axis pointing towards the observer
(図をクリックすると拡大します)

http://en.wikipedia.org/wiki/Three-dimensional_space

 
上図を参照して、X軸が実軸であり、Y軸が虚軸であり、Z軸を仮に原軸とする。三つの軸が直交する原点・交叉点をMedia Pointとする。
 Z軸(原軸)の「力」がMedia Pointに作用する。それには、下降ベクトル(ダウン・ベクトル)と上昇ベクトル(アップ・ベクトル)があるとする。
 ここで視点の問題を考えると、下降ベクトルの場合、上部からの視点と下部からの視点があり、同様に上昇ベクトルの場合もあると考えられる。
 下降ベクトル・モードを考えると、上部視点からはそれは、右回り・右巻きであり、下部視点からは逆で左回り・左巻きである。
 また、上昇ベクトル・モードの場合は、上部視点からは逆に、左回り・左巻きであり、下部視点からは右回り・右巻きとなる。
 もっとも、上昇ベクトル・モードの場合、下部と言ったが、それは、上昇ベクトルの「視点」にとっては、上部ではないのだろうか。
 つまり、Z軸のプラス軸とマイナス軸を考えると、プラス軸の視点とマイナス軸の視点があるのであり、前者から見ると、下降ベクトル・モードと上昇ベクトル・モードの回転や螺旋回転はそれぞれ逆になるが、後者から見ると、それが正反対になるだろう。例えば、下降ベクトル・モードを例にとると、プラス軸視点では、右回転であり、マイナス軸視点では、左回転である。
 言い換えると、下降ベクトル・モードの場合、極性的視点から、右回転と左回転が同時に生起していると言えるだろう。
 これは、上昇ベクトル・モードにおいても同様である。結局、ここには、回転の四極性ないしは四元性があると言えよう。とまれ、この問題は意義深いが、別稿で考察することにして、本論を続ける。
 Z軸の「力」がMedia Pointで交叉共振して、回転や螺旋形態を描く。この回転空間をガウス平面で水平に切った面が円である。これは仮にガウス円と呼ぶ。
 そして、以下は作業仮説であるが、ガウス円の円弧が前後次元ではないだろうか。上下は当然、Z軸次元である。そして、左右であるが、それは、Media Pointから円への半径方向ではないだろうか。
 そして、前後方向が円になるならば、左右方向も円になるのではないだろうか。そう仮定しよう。つまり、ガウス円上の任意の点をPとすると、原点からPへの半径方向がP点の左右方向となり、また、左右方向が円を描くとすると、ガウス円とP点の円が結合して、立体の球が形成されると考えられる。これを仮にガウス球と呼ぶ。これが星辰の形態を意味するのではないだろうか。
 そして、P点をZ軸のプラス軸にもってくると、P点において、上下はZ軸方向であり、前後はガウス円方向であり、左右はそれとは垂直の円方向となる。
 とまれ、これで三次元空間、とりわけ、星辰(惑星)的三次元空間の形成が説明されるとしよう。
 また、問題を明快にするために、三次元空間(仮にガウス立体と呼ぶ)ではなく、ガウス平面空間を基礎として考えることにしたい。つまり、ガウス円が現象平面を表現し、Z軸を垂直・鉛直方向とする。
 さて、ベクトル・モード(Vector Mode)に戻ると、下降モードと上昇モードがあるが、ここで太陽系を考えると、北極を上部視点とすると、反時計回りに回転している。
 つまり、北極をZ軸のプラス極とすると、太陽系は上昇ベクトル・モードであると言える。これは、朝顔の蔓の螺旋と同じ方向である。
 では、上昇ベクトル・モードと対になる下降ベクトル・モードはどこにあるのかが問題である。
 ここでまた、作業仮説であるが、上昇ベクトル・モードとは、光のモードとしよう。それに対して、下降ベクトル・モードは闇のモードとしよう。ならば、下降ベクトル・モードは、ダーク・マターやダーク・エネルギーの宇宙ではないだろうか。これも興味深いがここで留める。
 とまれ、上昇ベクトル・モードに限定すると、太陽系や宇宙は螺旋を描いて、上昇していることになるだろう。それが、人類や宇宙の進化と関係するのではないだろうか。つまり、先に述べた螺旋的進化論である。
 そして、西洋占星術であるが、その占星術的史観であるが、それは、本来、この螺旋的進化論の通俗版ではないだろうか。
 とまれ、螺旋的調和秩序が宇宙の原理としてあるということになるだろう。これが、コスモスの原理となるのである。
 次に、簡単にDNAの二重らせんに言及したい。Wikipediaの説明には、「二重らせんは右巻き(右手) である(右方向へまわりながら下る螺旋階段をイメージ)。」(追記:中には、左巻きの二重らせんもあると以下にある)とあるので、二重らせんは下降ベクトル・モードである。
 当然、これは、太陽系や宇宙の上昇ベクトル・モードとは反対である。この対称性は実に興味深い。
 ここでは、比喩的に言うが、星辰の上昇ベクトル・モードは生のモードであり、DNAの二重らせんは死のモード、乃至は、誕生以前のモードではないだろうか。あるいは、上記に従えば、光のモードと闇のモードである。
 とまれ、下降ベクトル・モードから上昇ベクトル・モードが発生するということではないだろうか。これも実に興味深いが今はここで留めたい。
 
追記:二重らせんの二重の意味は何か。これは、虚軸の極性、+iと-iの極性に拠ると言えるのではないだろうか。とまれ、当然ながら、二重化によって、新しい交配が生じるのであり、進化に寄与するものと考えられる。

 
参照:

太陽系の起源

学校で太陽系の構造、というのを習ったかな?太陽系内の惑星や衛星は自転や公転という回転運動をしているけれど、それが殆どの場合、同じ方向だといういうことに気付いたかな?地球を北極の上空から見てみると、「反時計回り」に自転している。同 じように太陽の「北極」から地球の公転の方向を見てみればやはり「反時計まわり」だ。これは地球だけじゃない。地球以外の惑星の公転もすべて「反時計まわり」だし、太陽の「自転」の方向も「反時計回り」。あまつさえ、月の自転や公転の方向さえ「反時計回り」だ。

これは単なる偶然なのだろうか? ある意味ではこれは偶然だ。太陽系内の星々が全て「反時計回り」である代わりに全 ての星々が「時計回り」でも良かったという意味では。大体、宇宙には上下なんて無いから太陽系の星々を反対側、つまり、地球の南側から見てやれば回転方向は「時計回り」になる。

しかし、別の意味ではこれは必然だ。全ての回転運動が同じ向きで無くてはならなかったという意味では。太陽系はその昔、とても大きな、しかし、薄い気体と塵のボールだった。このボールの回転は一様では無く、時計回りの部分も反時計回りの部分も あったけれど、全体としてはわずかに「反時計回り」の部分が多かった。そして、これが重力の力で潰れて、平たい円盤になり、更にいくつかの塊(=星)へと進化した時、もともとのボールの回転方向が保存されてそのまま太陽や地球の自転や公転の方向になったのだ。

これをもう一度見てみるわけには行かないが、簡単な実験をすることは誰にでも出来る。洗面台に水を張り、ごくゆっくりと右回りか左回りに手で回転を与えてから、栓を抜いて水を流してみよう。最初はゆっくりだった回転が排水口から流れ出る時には ずっと高速の回転になっていることが解るだろう。そして、その回転方向は最初に手 で与えた回転の方向と同じになる。原始の「ボール」は今の太陽系の大きさよりずっ と大きかった。これが、太陽系の大きさに「縮む」時に、ちょうどこの洗面台から流 れ出る水の回転と同じことが起きて、太陽系の星々に高速の自転と公転を与えたのだ。そんなわけで宇宙広しと言えども、殆ど例外なく星は回転している。それどころか、銀河系さえも回転している。どっちの方向にだって?それはまあ、みんなへの宿題と いうことにしておこう。

http://www.granular.com/shobutsu/980708.html


諸物ノ方則


二重らせん
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二重らせん
バチカン美術館 の二重らせん階段

二重らせん(にじゅうらせん)とは二本の線がらせん 状になった構造のこと。本項目ではDNA が生細胞中でとっている立体構造 について述べる。二本のDNA鎖が互いに絡み合うような形で存在するこの構造は、遺伝子 の物理的実体がDNAであることを決定付けた最後の証拠とされている。

DNA の構造は、分子模型を構築する手法を用いて1953年にジェームズ・ワトソン とフランシス・クリック によって提唱された (Nature 171 pp. 737-738, 1953)。このDNA分子模型の構築は、モーリス・ウィルキンス とロザリンド・フランクリン によってすすめられていたX線結晶構造解析 の画像及び解析情報やエルヴィン・シャルガフ によって示されていたDNA塩基存在比の法則などのDNAに関する既知情報をすべて満足させるように配慮しながら行われた。当時、既にDNAが遺伝物質の正体であることは実験的に示されていたが、複雑な遺伝情報を単純な物質である DNA が担っているという考えには批判も多く、複雑なタンパク質 こそが遺伝物質であるという意見も強かった。DNAの構造が決定されることで、遺伝 が DNAの複製によって起こることや塩基配列 が遺伝情報であることが見事に説明できるようになり、またその後の分子生物学 の発展にも大きな影響を与えるパラダイムシフト となった。1962 年 、 DNA二重らせん構造に関する研究により、ワトソンとクリックはウィルキンスとともにノーベル生理学・医学賞 を受賞した。

DNAが二重らせん構造を取っていることは現在では当たり前のことになっているが、1953年以前ではDNAが生体内でどのような形状を取っているかは明らかではなかった。二重らせん構造の提唱以降DNAを実験材料とする分子生物学 が発展し、事実クリックは分子生物学の主要な研究に関わりながら遺伝子への理解に貢献した。

なお、狭義には二本鎖DNAが細胞内で取る形状としているが、細胞外でも少し構造の異なる二重らせんをとっている。したがって広義には単に「二本鎖DNAがとる立体構造」としても良い。別名、二重らせん構造、ダブルヘリックス (double helix)。またアクチン によるマイクロフィラメント のように二重らせん構造をとる他の生体物質もある。
二重らせんの主要な特徴 [編集 ]
DNAの二重らせん構造。主溝 (major groove) と副溝 (minor groove) が示されている。

二重らせんはDNAに関する多くの研究の中からワトソンとクリックのたどり着いた最も理想的なモデルだが、その構造には7つの重要な特徴が強調される。なお、DNAの構造は3種類あるが、次の特徴はB−DNAのもの。

1. 二重らせんは2本のポリヌクレオチド から形成される。
2. プリン およびピリミジン 環は二重らせんの内部に配向している。
3. 相補的な関係にある塩基は水素結合 によって結ばれている。
4. らせん1回転あたり10.4塩基対存在する。
5. 二重らせんの2本のポリヌクレオチドはそれぞれ方向が逆である(逆平行である)。
6. 二重らせんには主溝と副溝の2種類の溝がある。
7. 二重らせんは右巻き(右手) である(右方向へまわりながら下る螺旋階段をイメージ)。

以上が7つの特徴だが、1. の特徴が中でも証明に困難を要した部分と言われている。光学異性体 の研究で有名なライナス・ポーリング もDNAの立体構造について研究し、ワトソンとクリックの論文の数ヶ月前に三重らせんモデルを提案している。後にDNA密度測定により二重らせんが正しいことが証明された。

2. の特徴はプリン、ピリミジン環が内部であると同時に糖 -リン酸 に関しては外部に配向していることを説明している。なおプリン、ピリミジン環はらせん軸に対してほぼ直角に傾いている。

3.の特徴はエルヴィン・シャルガフ によって提案された塩基存在比の法則(後述 )の証明となった。後にアデニン (A) とチミン (T) の間に2本の、グアニン (G) とシトシン (C) の間に3本の水素結合が存在することが示された。(詳しくは相補的塩基対 )

4. の特徴はDNAの二重らせんの数字的な部分も説明しており、例えばらせん一回転あたり螺旋軸の長さは34オングストローム (Å)(この長さをピッチ) 、したがって螺旋軸に沿った塩基対間の距離は3.4Å(この長さをライズ)、らせんの直径は20Åである。

5. の特徴は逆平行の二本鎖DNAのみが二重らせんを構築できることを説明している。デオキシリボース の5'側の配列を上流、3'側の配列を下流とする。

6. の特徴は二重らせんは完全に規則正しいらせんを描いているわけではなくことをあらわしている。塩基の積み重なりと糖ーリン酸骨格のねじれの関係上、完全に規則正しい二重螺旋から鎖がずれ、螺旋に長さの違う2種類の溝が存在する。大きなほうを主溝、小さなほうを副溝という。主溝と副溝の存在はDNA の複製 や遺伝子発現 時に重要な立体構造であると考えられている。

7. の特徴は例外的であり、後述するがZ型DNAでは逆の左巻き(左手) のらせんを示す。Z型は従来は人工的なものと考えられてきたが、実は生体内でもこのような構造を取りうることが最近の研究でわかってきている。しかし、生物の有する大半のDNAは右回りであることは間違いない。
様々な二重らせん [編集 ]

DNAは主に水分の含有率によってサイズの異なる二重らせんを示すことがある。DNAの周囲に存在する水分子を減らすことによってプリン、ピリミジン塩基の位置が多少変化することにより立体構造が変わってくると考えられている。なお、上記の7つの特徴を有するDNAはB-DNAである。

現在、A-、B-、C-、D-、E-、Z-の6つが見つかっているが、水分の量を調節すればこの先更に見つかると考えられる。中でも重要なのが生体内で取るべき形状であり、それらはA-、B-、Z-である。主な特徴を以下にあげる。

* A-:右巻き 、1回転あたり塩基数11、塩基対間距離2.6Å、らせんの直径23Å、湿度 75%時にとる立体構造
* B-:右巻き、1回転あたり塩基数10、塩基対間距離3.4Å、らせんの直径20Å、湿度92%時にとる立体構造、生体内では最も一般的な構造[1]
* Z-:左巻き 、1回転あたり塩基数12、塩基対間距離3.7Å、らせんの直径18Å、グアニンとシトシンの繰り返し配列の時にとる立体構造

一般的な二重らせんはB型であるが、A型は二本鎖RNAでとることがある。Z型はZ-DNA領域と呼ばれる配列が染色体 内で見つかり、生体内でこのような構造を取っている可能性が示唆されている。
二重らせんに貢献した研究 [編集 ]

ワトソン、クリックがDNAの二重らせん構造にたどり着いたのは、2つの有名な研究があってこそである。その1つはエルウィン・シャルガフによる『DNAの塩基存在比の法則』であり、もう1つがモーリス・ウィルキンス とロザリンド・フランクリン による『X線結晶構造解析』である。

DNA塩基存在比の法則はDNA中に含まれるアデニンとチミン、グアニンとシトシンの量比がそれぞれ等しいという至極シンプルな法則である。現在であれば相補的塩基対が水素結合しているからという理由こそ付けられるものの、シャルガフの時代にはこれらを満たすDNAモデルは存在していなかった(テトラヌクレオチドモデル がそうかもしれないが)。

X線結晶構造解析は19世紀後半から低分子の物質の構造解析に使用されてきたが、高分子の結晶化が容易になると同時に生体分子にも応用されてきた。タンパク質 はDNAよりも早くに立体構造が判明している。DNAの構造解析に用いられた最も有名な写真はロザリンド・フランクリンの撮影したものであり、彼女はこの結果から、DNAは『2、3あるいは4本の鎖からなるらせん構造』をとっていることをレポートに残している。

ロザリンド・フランクリンとワトソン、クリックの二重らせん構造解析の争いは数多くの本に筆記されているが、中でも『ロザリンド・フランクリンと DNA―ぬすまれた栄光』はフランクリン側、『二重らせん』はワトソンの観点から描かれている。フランクリンの二重らせんの公表が遅れた理由のひとつとして、B型以外にも取りうる構造(A型のこと)があることを発見し、その両方を解析したうえで公表しようと考えていたというコメントが残っている。ワトソン、クリックの提案した二重らせんはB型のみであった。

なお、ワトソン、クリックがX線結晶構造解析を行ったと誤解されていることが多いが、彼らは構造解析を行っていない。上記の2つの研究を含めた多くのDNAに関するデータの蓄積の中から全てを満足させるDNAの構造をモデル構築したのである。
関連項目 [編集 ]

* DNA
* 遺伝子
* コンフォメーション
* 構造生物学
* 分子生物学

参考文献 [編集 ]

1. ^ Leslie AG, Arnott S, Chandrasekaran R, Ratliff RL (1980). “Polymorphism of DNA double helices”. J. Mol. Biol. 143 (1): 49–72. DOI : 10.1016/0022-2836(80)90124-2 . PMID 7441761 .

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2010年03月22日(Mon)▲ページの先頭へ
Kaisetsu氏のベクトル・モード概念はブレーク・スルーである:自然界の根源情報的モード概念
渦巻き等の自然界に見られる形状をどう説明するかは、問題であったが、ベクトル・モードの概念で解明・解決されたと言えよう。
 思うに、天から地への下降垂直方向のベクトルと地から天への上昇垂直方向のベクトルが当然考えられる。
 竜巻や樹木の幹の螺旋や朝顔などのつるまき植物、等の説明ができる。そして、何故、右巻き(かつては左巻き)なのかの説明もできよう。
 下降も上昇も右巻きとなる。しかし、下降ベクトル・モードと上昇ベクトル・モードは一見同じベクトル・モードに見えるが、直観では違うように思える。
 樹木を考えると、根は当然、下降ベクトル・モードであり、幹や枝葉は上昇ベクトル・モードである。つまり、樹木においては、同時に、下降ベクトル・モードと上昇ベクトル・モードが作用しているのである。これをどう説明するか。
 Media Pointにおいて、⇒+1と⇒-1があるのではないだろうか。前者を下降ベクトル・モードとすれば、後者は上昇ベクトル・モードである。あるいは、逆である。
 しかし、+1を物質とすると、前者が下降(重力)で、後者が上昇である方が適切であるように思える。
 あるいは、まったく異なる考えた方をして、ガウス平面でMedia Point において、直交するZ軸を考えると、そこにベクトルが作用するのだから、虚軸の+iの方向と虚軸-iの方向に向かうことが考えられる。
 つまり、⇒+iと⇒-iである。前者が上昇で、後者が下降というのはわかりやすい。
 朝顔の蔓が+iの方向に右巻きで螺旋を描くのは見やすいだろうし、根が-iの方向にやはり、右巻きで捻れると見るも同様である。
 ということでざっとであるが、予備考察を行なった。上記の試論は後者の視点の方が明快であると考えられる。今はここで留めるが、このブレーク・スルーというべきベクトル・モードの概念は単に自然界の形状を説明・解明するだけでなく、宇宙の進化、人間の進化等も説明できると推察される。
 つまり、不連続的差異論の誕生直後、不明瞭ながら考えた螺旋的な進化が証明されると思われる。オカルト・神秘的な思想もこれで超克されて科学的になると考えられる。
 余裕のあるとき、熟慮したいが、ひと言付け加えると、ガウス平面に直交するZ軸(超虚軸?)が重要である。どうやら、ここに根源的精神(情報)があり、それが、Media Pointで、天+iと地-iを創造する、即ち、天地創造を行なうと思える。つまり、創造神はZ軸に存するということになる。(しかし、創造神は多神であろう。)だから、創造神的ベクトルによって、天地のベクトル・モードが創造・形成さるのである。言い換えると、ガウス平面が天地、自然、宇宙ということになる。
 
追記:ピュタゴラス派が何故「5」を神聖な数と考えたこともベクトル・モード概念で説明できることになったのである。それは、ベクトル・モードによる黄金比と関係しているのであり、それは、正五角形を指し示しているのである。そして、それは、五芒形(いわゆる、星形)を説明するのである。換言すれば、自然界、造化の本質と関係しているのである。

追記2:ひと言、次元について言うと、ベクトルとベクトル・モードで三次元空間が説明できる。また、ベクトルを時間とすると、それで、時空四次元が説明できる。
 ここまではアインシュタインの相対性理論である。しかしながら、Z 軸、根源的軸を想定できるので、それが、五次元となると思われるのである。空間で言えば、四次元であるが。
 緻密に言えば、⇒+1が仮想円盤を形成するとすれば、それが空間三次元ないしは時空四次元である。
 それに対して、Z軸となる虚軸を考えると、虚軸が五次元ないしは四次元となるだろう。
 この仮説の方がガウス平面だけで済むので、エコノミー的である。後でさらに考察を行ないたい。

追記3:まったくの思いつきであるが、Media Pointにおいて、情報軸として、Z軸が形成されるとしよう。これは、また、いわば、ベクトル軸ではないだろうか。
 そして、それが、ガウス平面でベクトル・モードを形成するのではないのか。だから、⇒+1とは、実は、ガウス平面上の半径1の円ではないだろうか。それで、三次元空間は説明ができる。
 それとも、実軸を直径する円が形成されるということかもしれない。この円はガウス平面にではなく、実軸的平面にある。
 思うに、実軸的平面が二次元であり、虚軸が一次元(天地)であり、合わせて三次元空間である。それに対して、Z軸(根源情報軸l)を想定すると、四次元空間ないしは五次元時空間が考えられる。
 そうならば、実軸的平面をガウス平面と明確に区別する必要がある。仮に実平面としよう。そして、虚軸が天地の次元で、立体空間が生じる。
 そして、それ以外にZ軸の根源情報軸を想定すると、四次元空間、ないしは五次元時空間となる。
 それとも、Z軸をベクトル軸にして考えるべきかもしれない。つまり、虚軸こそ根源で、Media Pointにおいて、ベクトル軸のZ軸が発生するとしよう。このベクトル軸=Z軸と実平面(仮想円盤)が結合して、三次元空間となる。
 また、虚軸次元があるから、四次元空間ないしは五次元時空間となる。
 後でさらに検討したい。 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

[03/22]
└ 「浴槽の栓を抜くことでできる渦巻き」とベクトル・モード(Vector Mode)
http://blog.kaisetsu.org/?eid=810824

『海舌』 the Sea Tongue by Kaisetsu 


参照:

Q5 アサガオのつるは左巻きそれとも右巻き? A5   アサガオのようなつるの巻き方を今までは左巻きとしてきましたが現在では科学一般の呼び方に従って右巻きとしています。
http://www.proto-ex.com/gentaiken/qa5asagaonoturu.html

植物に関するQ&Aコラムシリーズ


2010年03月21日(Sun)▲ページの先頭へ
Kaisetsu氏によるPS理論の新たな展開:情報モード概念としてのベクトル・モード
Kaisetsu氏が新たな理論的進展を行っている。是非、確認されたい。
 私見では重要な概念は仮想円盤であり、また、そこに表出される「描像」=モードである。
 このベクトル・モードという創造的な概念によって、現象界=自然界における形態の発生が解明されたと言っても言い過ぎではないだろう。
 渦巻き、らせん、円、等の発生力学が説明される。思うに、星の球体、そして、その他の形象、例えば、花弁の形や数、等もここから説明されるだろう。
 直感で言えば、ベクトル・モードの情報のなんらかの周期が基本的な形象を描出するように思える。
 例えば、正五角形のベクトル・モードを考えると、それは、らせん形状において、「上」から見たとき、正五角形になるような螺旋を描くような情報エネルギーをもてばいいのではないか。
 後でさらに考察したい。
 
*********************** 

[03/20]
├ ベクトル・モード(Vector Mode)の定義
http://blog.kaisetsu.org/?eid=810815

☆☆☆☆☆一部引用開始☆☆☆☆☆


DSC07955 DSC07955 posted by (C)天花一海


 矢印は、矢印の方向と垂直方向の平面(或いは、空間、断面)を仮想的に必要とする説明のための図である。

 この図のように、矢印と垂直方向の平面に仮想的に描かれた模様の種類を、ベクトル・モード(Vector Mode)と定義する。

 上記の図では、円盤状の平面(空間)に渦巻き模様が描かれている。

 例えば、この渦巻き模様の種類を、べクトル・モード(Vector Mode)と呼ぶことにする。

☆☆☆☆☆一部引用終了☆☆☆☆☆

└ 指し示し(矢印)と仮想円盤の中心(仮想重力)の連関
http://blog.kaisetsu.org/?eid=810813

[03/21]
└ ベクトル・モード(Vector Mode)、電流、コイル、磁力
http://blog.kaisetsu.org/?eid=810817

└ 巻貝とベクトル・モード(Vector Mode)
http://blog.kaisetsu.org/?eid=810818

『海舌』 the Sea Tongue by Kaisetsu 

参考:
五角形
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正五角形

五角形(ごかくけい、ごかっけい、英 : pentagon)は、5 つの頂点 と辺 を持つ多角形 の総称。


正五角形 [編集 ]

正五角形は、各辺の長さが等しく、内角 も108°(中心角 は72 ° )と一定な五角形である。辺の長さを a とすると

面積
A = \frac{5a^2}{4}\cot\frac{\pi}{5} = \frac{a^2}{4}\sqrt{25+10\sqrt{5}} \simeq 1.72048 a^2
内接円の半径
r = \frac{a}{2}\cot\frac\pi{5}
外接円の半径
R = \frac{a}{2}\csc\frac\pi{5}

正五角形の作図 [編集 ]

正五角形は定規とコンパスによる作図 が可能である。以下に示すのは古典的な方法の一つである。
(1) (2) (3) (4)
(1) (2) (3) (4)

1. 直線上の一点Oを中心にとった円を描画し、直線と交わる二点をA, Bとする。ABの垂直二等分線、およびOAの垂直二等分線を作図する。
2. OAとその垂直二等分線が交わる点をC、円OとABの垂直二等分線が交わる点のうち一つをDとする。CDを半径にとり、Cを中心にDからABまで弧を描画する。弧とABが交わる点をEとする。
3. DEを半径にとり、Dを中心に弧を描画する。弧が円Oと交わる二点をF, Gとする。
4. 同じ半径のままF, Gを中心とした弧を描画する。これらの弧が円Oと交わる五点D, F, G, I, Hを結ぶ図形が正五角形である。

定理 [編集 ]

* 正五角形の一辺と対角線との比 は、黄金比 に等しい。
* 正五角形の交わる対角線は、互いに他を黄金比 に分ける。

その他五角形に関する事項 [編集 ]

* アメリカ国防総省を俗にペンタゴン というが、これは庁舎が五角形であることに由来する。
* 五角形を模した星形(☆)を五芒星 (ペンタグラム)という。長崎市 の市章はペンタグラムとなっている。
* ヒトデ やウニ など、棘皮動物 の体制は五放射総称を基本とする。
* \sin 18^\circ = \frac{\sqrt{5} - 1}{4}で、 これに黄金比 を掛けると1/2になる。つまり、2sin18°は黄金比の逆数。
* 五角数 は多角数 の一つである。
* 野球 で使用される本塁 は、五角形をしている。

参考文献 [編集 ]

* 高木貞治『数学小景』岩波書店〈岩波現代文庫〉、2002年。ISBN 4006000812

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角運動量
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角運動量
angular momentum
量記号 L
次元 M L 2 T −1
種類 擬ベクトル
SI単位 ニュートンメートル秒 (N·m·s)
プランク単位 有理化されたプランク定数 (ℏ)
表 ・話 ・編 ・歴
固定された回転軸をもつ系に対して、力を作用させた時の物理量の関係。力のモーメント \vec{\tau} と位置ベクトル \vec{r} と力 \vec{F} との関係(上の式)、および角運動量 \vec{L} と位置ベクトル \vec{r} と運動量 \vec{p} との関係(下の式)。

角運動量(かくうんどうりょう)とは、運動量 のモーメント を表す力学 の概念である。

位置 \vec{r} において、速度 \vec{v} で運動している質量 \,m の質点の、原点のまわりの角運動量 \vec{L} は、次式で定義される。

\vec{L} \equiv \vec{r} \times \vec{p} = \vec{r} \times m \vec{v} = m \vec{r} \times \frac{d \vec{r}}{dt}

ここで、\,\timesは外積 を表す記号であり、\vec{p} = m \vec{v} は質点の運動量 である。方向は他のモーメント同様\vec{r}から\vec{p}に回転するとき、右ねじの進む方向である。外積であるので、角運動量の大きさ\,Lは次のように表される。

L=rp\,\sin \theta

ここで、\,\thetaは\vec{r}と\vec{p}のなす角を示す。

角運動量の単位時間当たりの変化量 \tfrac{d\vec{L}}{dt}は力のモーメント \vec{N} \equiv \vec{r} \times \vec{F} に等しい。

\frac{d\vec{L}}{dt}=\frac{d(\vec{r}\times \vec{p})}{dt}=\frac{d\vec{r}}{dt}\times \vec{p}+\vec{r}\times \frac{d\vec{p}}{dt}=\vec{r}\times \vec{F}\equiv N

ここで次の関係を使った。

\frac{d\vec{r}}{dt}\times \vec{p}=\frac{d\vec{r}}{dt}\times (m\frac{d\vec{r}}{dt})=0 ,\frac{\vec{dp}}{dt}=\vec{F}

このことから、力が動径方向(\vec{r}方向)にあるか、あるいは力が働いていないときは\vec{N}=0となり、したがって、このとき角運動量は時間とともに変化しなくなる。このことを角運動量保存の法則(角運動量の保存則)という。

詳細は「角運動量保存の法則 」を参照

保存則が成り立っている物体に加わっている力、すなわち動径方向(\vec{r}方向)と同じ向きにある力は、その大きさを\,f(r)とすると、次のように表すことができる。

\vec{F}=f(r)\vec{\hat{r}},\,\,\,\,\,\hat{r}\equiv \frac{\vec{r}}{r}

この力は中心力と呼ばれる。

惑星間に働く万有引力は中心力であり、したがって、惑星の角運動量は保存される。保存則は、ケプラーの第2法則「面積速度一定」 と密接な関わりがある。単位時間当たりに惑星の掃く面積は、次のように表され、

\frac{dS}{dt}\fallingdotseq \frac{1}{2}r\frac{ds}{dt}=\frac{1}{2}rv=\frac{1}{2m}L

したがって、掃かれる面積の時間による変化率が一定ならば、角運動量も一定の値をとる。

\frac{dS}{dt}=h\Leftrightarrow L=2mh

等速直線運動 においてはベクトル量 である運動量 \vec{p} が時間によらず一定であるのに対し、等速円運動 においては、運動量の大きさは一定であるが、向きは時間により変化する。外力 \vec{F} が加わらないとき、力のモーメント \vec{N} は \,0 であり、角運動量は等速直線運動でも等速円運動でも時間によらず一定のベクトル量となる。
回転運動と角運動量 [編集 ]

円運動 している質点 の速さ\vec{v}は次のように表される。

\vec{v}=\vec{r}\times \vec{\omega},\mid \vec{v}\mid =v=\mid \vec{\omega}\times \vec{r}\mid =\omega r

ここでωは角速度 である。したがって、回転運動している質点の角運動量は

\vec{L}=\vec{r}\times \vec{p}=\vec{r}\times (m\vec{\omega }\times \vec{r})=m\vec{r}\times \vec{\omega }\times \vec{r}

最後の式の形はベクトル三重積 であり、よって、

\vec{L}=mr^2\vec{\omega}
\,L=m\omega r^2

次に、多数の質点が混在する質点系の、力のモーメントと角運動量の関係を述べる。質点系の角運動量の時間的変化率\tfrac{d\vec{L}}{dt}=\vec{N}は外力のモーメントに等しく、内力のモーメントに依存しない。これは次のように示される。 \,i番目の質点の角運動量を\vec{l_i}とすると、その質点の力のモーメント\vec{N_i}は

\frac{d\vec{l_i}}{dt}=\vec{N_i}

また、\,i番目の質点に作用する力で表せば、

(1)\vec{N}_i=\vec{r}_i\times (\vec{F}_i+\sum_{j} \vec{F}_{ij})

となるが、内力の部分の力のモーメントについては、運動の第3法則 \vec{F}_{ij}=-\vec{F}_{ji}により、

(2)\vec{r}_i\times \vec{F}_{ij}+\vec{r}_j\times \vec{F}_{ji}=(\vec{r}_i-\vec{r}_j)\times \vec{F}_{ij}

の関係が成り立つ。内力の向き\vec{F}_{ij}はちょうど\,i番目と\,j番目の質点間を結ぶベクトル(\vec{r}_i-\vec{r}_j)と同じ向きであることから、(2)は0となり、力のモーメント(1)の総和をとれば、質点系での内力のモーメントは

\sum_{i} \vec{r}_i\times \sum_{j} \vec{F}_{ij}=0\,\,\,\,\,(i\ne j)

となる。したがって、質点系での力のモーメントの総和\vec{N}は外力のモーメントでだけの和で与えられ、角運動量の総和を\vec{L}とすれば次式のようになる。

\vec{N}\equiv \sum_{i} \vec{N}_i=\sum_{i} \vec{r}_i\times \vec{F}_i=\sum_{i} \frac{d\vec{l}_i}{dt}=\frac{d\vec{L}}{dt},\,\,\,\,\,\sum_{i} \vec{l}_i\equiv \vec{L}

ゆえに、質点系の全角運動量\vec{L}の時間的変化の割合は、外力のモーメントの和に等しくなり、内力のモーメントには依存しない。


量子力学の角運動量 [編集 ]

量子力学 では、角運動量は軌道角運動量 とスピン角運動量 がある。詳しくは各項目を参照。
関連項目 [編集 ]

* 角運動量保存の法則
* 力のモーメント
* トルク (回転軸の周りの力のモーメント)
* ジャイロスコープ

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太陽光的熱エネルギー発電論:太陽光を凸レンズで集中させ水を沸騰させ、タービンを回し発電させる
テーマ:エネルギー問題と国際地球温暖化共謀ペテン
散歩をしていて、ふと、火力発電の仕組みは何かと思い、また、太陽光発電の効率の悪さを思って、太陽光を利用して、火力発電的発電方法に使用できないのかと思った次第である。
 私は太陽電池という発想が、太陽光をうまく利用していない感じをもっている。太陽の熱エネルギーを巧みに、効果的に電力に転換できるいい方法はないかと思った。
 以下の説明からわかるように、あるいはよく知られているように、火力発電とは石油を燃やして、その熱で水を沸騰させて、その力でタービンを回転させて、電力(電気)を取り出す方法である。
 だから、その熱を太陽光で産み出せばいいということになる。単に太陽光で水を温めても、沸騰はしない。だから、巨大な凸レンズを利用して、その焦点に容器に入れた水を置けば、沸騰するはずである。その沸騰でタービンを回転させて電気を発生させることができる。
 当然ながら、この巨大凸レンズは常に向日葵のように太陽を向くように設計されることになる。
 問題点は夜間や曇天や雨天の時である。理論的には、巨大なバッテリーを作れば、そこに蓄電しておけばそのとき利用できる。
 思うに、日本の場合、温泉の宝庫であるから、温泉のお湯を使い、それに凸レンズを介した太陽光を照射し、沸騰させ、タービンを回転させれば、効率よく電気が発生するだろう。
 
 

火力発電
火力発電の役割 火力発電のしくみ 火力発電を活用した新たなビジネスへの挑戦
火力、水力そして原子力の各発電方法の中で、火力はどんな役割をしているのか、火力の特徴を含めて説明します。



火力発電のしくみはどうなっているの?どんな燃料で発電しているの??基本からたのしく見てみよう!

火力発電で習得した技術は、ガス事業などの新しいビジネスで活かされています。

関西電力

http://www.kepco.co.jp/energy/fpac/plant/index.html

太陽光発電
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太陽光発電(たいようこうはつでん、Photovoltaic power generation)は、太陽電池 を利用し、太陽光 のエネルギー を直接的に電力 に変換する発電 方式である。ソーラー発電とも呼ばれる。再生可能エネルギー の一種であり、太陽エネルギー 利用の一形態である。

導入費用が高めな代わりに、昼間の電力需要ピークを緩和し、温室効果ガス 排出量を削減できるなどの特長を有する。近年の競争によって性能が向上し、設置や保守が容易である等の利点や、低炭素社会 の成長産業としての将来性を買われ、需要が拡大している。
砂漠に設置された大規模太陽光発電所(米国)
建物一体型の太陽光発電(BIPV)システム(スペイン)
一般家庭の屋根に載せた太陽光発電システム(米国)

この項では、主に発電方式としての太陽光発電について述べる。発電の原理 や太陽電池の種類 などについては、「太陽電池 」の項を併せて参照されたい。
特徴 [編集 ]

太陽光発電は昼間のみ発電するなど、従来の集中型電源とは様々な点で異なる特徴を持つ。また再生可能エネルギー の一種であり、エネルギー・環境面でのメリットのほか、経済的なメリットも有する。欠点は商用電源として導入コストが比較的高いことであり、価格低減や普及促進の政策を採る国が多い。一般に、下記のような長所や短所を有する。

利点・特徴

* 装置に可動部分が無いものがほとんどで、機械的にメンテナンスフリーである。
* 分散型電源 のため、災害などの有事における影響範囲を小さく抑えられ、非常用の電源となりうる。
* 輸出産業として経済・産業面での利益が見込める。
* 構成材料の大部分がリサイクル可能で、原子力発電のように放射性廃棄物になることもない。
* 他の電力施設と比較して、小規模でも効率が低下しないため、任意の規模で利用できる。
* 需要地に近接して設置できるため、送電のコストや損失を低減できる。
* 原子力・火力等の発電と比較して、冷却水・廃棄物・排気などの発生がない。
* 建築物の屋根・壁面にも設置できるため、土地を占有せずに設置することも可能。水力・原子力・火力などの発電方式と比較して設置要件が少ない。
* 太陽光 を利用する再生可能エネルギー であり、化石燃料 に依存しない。
* 発電量あたりの温室効果ガス の排出量が比較的少ない。
* 出力ピークが昼間電力需要ピークと重なり、需要ピーク電力の削減に効果がある。
* 設置国のエネルギー 自給率を向上させる。

欠点・課題

* 2007年時点で電気的・機械的部品の寿命と総発電量を用いて計算した場合、発電電力量当たりのコストが他の発電方法に比べて2〜3倍と割高。
* 発電電力が天候に左右される(曇天・雨天時、パネルに積雪した場合は発電量が低下する)。
* 夜間は発電できず、蓄電性もない。
* 太陽光利用のため、設置面積当たりの発電電力量が既存の発電方式に比べて低い。

発電可能な量 [編集 ]
資源量 [編集 ]
地球上の太陽光エネルギー資源量の分布(1991-1993年の平均、昼夜の変化や天候の影響含む)。黒点は、変換効率を8%と仮定して世界の主要エネルギー源を太陽光で十分賄うために必要な面積を表す。(英語版"Solar energy" より)
ドイツ、EU25カ国および全世界の需要と等しい電力を太陽エネルギー で発電するのに必要な面積[1]

太陽 から地球全体に照射されている光エネルギーは膨大で、地上で実際に利用可能な量でも世界のエネルギー消費量の約50倍と見積もられている[2] 。たとえばゴビ砂漠 に現在市販されている太陽電池を敷き詰めれば、全人類のエネルギー需要量に匹敵する発電量が得られる計算になる[3] 。日本においても、需要より遙かに多い量を置けるだけの場所がある と見積もられている。

太陽光発電システムの生産に必要な原料も基本的に豊富であり、少なくとも2050年頃までに予測される需要は十分に満たせるとされる[4] 。シリコン を用いる太陽電池では、資源量は事実上無限とされる。またシリコンを用いない太陽電池についてはインジウム などの資源が将来的に制約になる可能性があるが、技術的に使用量を節約することで2050年以降も利用可能ではないかと見られている[4] 。なお、太陽電池用シリコン原料の供給は2008年までは逼迫して価格も高止まりしていたが、各社の増産が追いつくことで2009年からは価格の低下が予測されている[5] 。太陽電池専用のシリコン原料(ソーラーグレードシリコン )の生産技術も様々なものが実用化されており、精製に必要なエネルギーやコストも大幅に削減されると見られている。

「太陽光発電の資源量 」も参照
設置可能な場所 [編集 ]

太陽光発電は、設置する場所の制約が少ないのが特徴であり、腕時計から人工衛星 まで様々な場所で用いられる。

地上に直接設置することも可能であるが、太陽光を十分に受けることができ、パネルの重量に耐えることができる場所であれば屋根や壁など建造物の様々な場所に設置が可能である[6] [7] 。また近年は軽量で柔軟なフレキシブル型太陽電池も開発されており、取り付けの自由度が高まっている[8] 。




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太陽電池
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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太陽電池(たいようでんち、Solar cell)は、光起電力効果 を利用し、光 エネルギー を直接電力 に変換する電力機器 である。光電池(こうでんち、ひかりでんち)とも呼ばれる。一般的な一次電池 や二次電池 のように電力を蓄えるのではなく、光起電力効果 により、受けた光を即時に電力に変換して出力する。主流のシリコン太陽電池の他、様々な化合物半導体などを素材にしたものが実用化されている。色素増感型(有機太陽電池)と呼ばれる太陽電池も研究されている。

太陽電池(セル)を複数枚直並列接続して必要な電圧と電流を得られるようにしたパネル状の製品単体は太陽電池パネル 又は太陽電池モジュール と呼ばれ、モジュールをさらに複数直並列接続して必要となる電力が得られるように設置したものは太陽電池アレイ となる。電源としての特徴などについては太陽光発電 の項を参照されたい。

本項では太陽電池(セル)そのものについて述べる。
歴史 [編集 ]

太陽電池の基本原理そのものは1839年 フランスの物理学者アレクサンドル・エドモン・ベクレル によって最初に発見されていた。しかし実際に発電が可能となったのは1884年 アメリカの発明家Charles Frittsによる、半導体 性のセレン と極めて薄い金 の膜とを接合したものである。これにより得られた変換効率は僅か1%ほどであった。この発明は後にセレン光電池として1960年 代までカメラの露出計などに広く応用されていたが、シリコン 型の普及とともに市場から去っていった。

電力機器としての太陽電池の先駆けは米国のベル研究所 にて開発された単結晶シリコン 型太陽電池で、1954年 に M.B.Princeによって論文が発表されている。当時は Bell Solar Battery と呼ばれ、太陽光 のエネルギー を電力 に変換する効率は6%であった。当初は宇宙用が主な用途で、一次電池を用いた世界最初の人工衛星 スプートニク1号 が21日の寿命しかなかったのに対し、太陽電池を用いた最初の人工衛星 ヴァンガード1号 ([3] )は6年以上動作し、その有用性を示している。その後無人灯台 など徐々に用途を拡大し、日本でも1960年代に量産が開始された。しかし電源としての本格的な開発が始まったのは1974年 の石油ショック 以降である。生産量は1980年代初めは数MW分に過ぎなかったが、2004年 現在では世界全体で約1.2GWにまで成長している。(参照:1977年からの生産量の推移 近年の生産量とシェア )。

変換効率については、2006年 には変換効率40.7%の多接合型集光セルも開発されるなど[1] 、高性能化が進んでいる。一方で一般市場向けの製品では省資源化と低コスト化が進んでおり、市場が急拡大している。2000年から2006年まで、シャープ が太陽電池製造量世界一であったが、住宅用太陽光発電への補助金廃止や市場の急拡大に伴うシリコンの供給不足に対応できなかったこともあり、2006年の太陽電池生産量は434MWから2007年は363MWに落とし、生産量はドイツQセルズ 社がトップに立っている[2] 。メーカー別で見れば、2007年末の日系メーカーの太陽電池生産シェアは24.6%であり、世界一のシェアを誇っている。[3] また近年中国や台湾の生産量が急激に増えている。

執筆の途中です この項目「太陽電池」は、工学 ・技術 に関連した書きかけ項目 です。加筆、訂正 などをして下さる協力者を求めています 。
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原発がどんなものか知ってほしい

平井憲夫

 私は原発反対運動家ではありません。二○年間、原子力発電所の現場で働いていた者です。原発については賛成だとか、危険だとか、安全だとかいろんな論争がありますが、私は「原発とはこういうものですよ」と、ほとんどの人が知らない原発の中のお話をします。そして、最後まで読んでいただくと、原発がみなさんが思っていらっしゃるようなものではなく、毎日、被曝者を生み、大変な差別をつくっているものでもあることがよく分かると思います。

* 全ページ一括表示

1. 私は原発反対運動家ではありません
2. 「安 全」は机上の話
3. 素人が造る原発
4. 名ばかりの検査・検査官
5. いいかげんな原発の耐震設計
6. 定期点検工事も素人が
7. 放射能垂れ流しの海
8. 内部被爆が一番怖い
9. 普通の職場環境とは全く違う
10. 「絶対安全」だと5時間の洗脳教育
11. だれが助けるのか
12. びっくりした美浜原発細管破断事故!
13. もんじゅの大事故
14. 日本のプルトニウムがフランスの核兵器に?
15. 日本には途中でやめる勇気がない
16. 廃炉も解体も出来ない原発
17. 「閉鎖」して、監視・管理
18. どうしようもない放射性廃棄物
19. 住民の被曝と恐ろしい差別
20. 私、子供生んでも大丈夫ですか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ。
21. 原発がある限り、安心できない

筆者「平井憲夫さん」について:

1997年1月逝去。
1級プラント配管技能士、原発事故調査国民会議顧問、原発被曝労働者救済センター代表、北陸電力能登(現・志賀)原発差し止め裁判原告特別補佐人、東北電力女川原発差し止め裁判原告特別補佐人、福島第2原発3号機運転差し止め訴訟原告証人。
「原発被曝労働者救済センター」は後継者がなく、閉鎖されました。
http://genpatsu_shinsai.at.infoseek.co.jp/hirai/

<バイオ燃料>アオコから高効率抽出…従来の70倍に成功
 湖や池の水面を埋めるアオコから、簡単に安くバイオ燃料を生み出す新技術の開発に、電力中央研究所エネルギー技術研究所(神奈川県横須賀市)が成功した。従来の方法より約70倍も生産性が高く、製造時の環境影響も少ないという。東大阪市で開かれる日本化学会で29日発表し、水の浄化と地球温暖化対策の一石二鳥になる「緑の原油」として数年後の実用化を目指す。(毎日新聞)
[記事全文]

◇研究成果発表
・ アオコから『緑の原油』の抽出に成功 - 電力中央研究所と連名。新エネルギー・産業技術総合開発機構(3月17日)




排仏毀釈は日本人の精神を狂わせた:国学こそ、反日本思想である:脱近代日本へ
私は、神仏習合とはすばらしい伝統だと直観してきた。それが、明治維新で破壊されたのである。
 思うに、神道だけだと連続化するが、仏教が入ることで、不連続化する。仏教は途方もない叡知である。
 結局、明治維新で仏教を排除したために、狂気の戦争路線へと展開したと考えられる。私は既述したように、国学が一神教的であり、非日本的だと考えている。


追記:正確に言うと、神道が連続化の害悪をもたらしたのではなく、国家神道である。これは、国学的な一神教/民族主義(排他的自民族中心主義)/自我主義をベースにしているのであり、それは、連続性をもたらすのである。(国学が尊王攘夷のベースである。)
 神道ないしは古神道は、多神教であり、差異共振的であり、仏教の「空」と実に共振的に合致するのである。この神道と仏教の「結婚」とはすばらしい「産霊(むすひ)」、「結い」である。



廃仏毀釈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


廃仏毀釈(はいぶつきしゃく、廢佛毀釋)とは仏教 寺院 ・仏像・経巻を破毀し僧尼など出家 者や寺院が受けていた特権を廃するなどを指す。排仏棄釈とも。文献によっては「廃仏稀釈」と表記されることもあるが、誤用である。
明治の廃仏毀釈 [編集 ]

一般に「廃仏毀釈」と言えば、日本 において明治維新 後に成立した新政府が慶応 4 年3 月13日 (1868 年 4 月5日 )に発した太政官布告 「神仏分離令 」、明治3年1 月3日 (1870 年 2 月3日 )に出された詔書 「大教宣布 」などの政策によって引き起こされた仏教施設の破壊などを指す。

神仏分離令や大教宣布は神道と仏教の分離が目的であり、仏教排斥を意図したものではなかったが、結果として廃仏毀釈運動(廃仏運動)とも呼ばれる民間の運動を引き起こしてしまった。神仏習合 の廃止、神体 に仏像 の使用禁止、神社から仏教的要素の払拭などが行われた。祭神 の決定、寺院 の廃合、僧侶 の神職 への転向、仏像・仏具 の破壊、仏事 の禁止などを急激に実施したために混乱した。明治4年(1871年 )ごろ終熄したが、影響は大きかった。

例えば千葉県 の鋸山 には五百羅漢 像があるが、全ての仏像が破壊された。現在は修復されているが、羅漢像には破壊された傷跡が残っている。また、華族 の墓地も仏教方式から神道方式へと変更させられた。

明治政府は神道を国家統合の基幹にしようと意図した。一部の国学者 主導のもと仏教は外来の宗教であるとしてそれまでさまざまな特権を持っていた仏教勢力の財産や地位を剥奪した。江戸時代までは寺院法度 によって禁止されていた僧侶の肉食 ・妻帯を明治政府は「肉食妻帯勝手なるべし」とし、破戒により僧侶を還俗させようとした。また僧侶の下に置かれていた神官の一部は「廃仏毀釈」運動を起こし、寺院を破壊し、土地を接収する者もいた。また僧侶のなかには神官や兵士となるものや寺院の土地や宝物を売り逃げていくものもいた。現在は国宝 に指定されている興福寺 の五重塔 は、明治の廃仏毀釈の法難に遭い、2円(2006年現在の価値で約5万円)で売りに出され薪 にされようとしていた。大寺として広壮な伽藍を誇っていたと伝えられる内山永久寺 に至っては破壊しつくされ、その痕跡すら残っていない。

廃仏毀釈が徹底された薩摩藩 では寺院1616寺が廃され、還俗 した僧侶は2966人にのぼった。その内の3分の1は軍属 となったため、寺領から没収された財産や人員が強兵にまわされたと言われることもある。

国学 の普及による神仏習合 への不純視や江戸時代 は寺院がさまざまな特権を持っており寺社奉行 による寺請制度 で寺院を通じた民衆管理が法制化され汚職の温床となったことで、それに対する民衆の反発が背景にあった。これに政府主導による神道優位の風潮が影響した。

平田篤胤 派の国学や水戸学 が盛んであった地域ではとくに仏教排斥の動きが激しく神道を国教 化する運動へと結びついてゆき、国家神道 の発端ともなった。
日本以外の廃仏毀釈 [編集 ]

歴史を紐解けば、海外でも「廃仏毀釈」は頻発しており、以下の事例がある。

* エフタル におけるミヒラクラ王の破仏
* インド の有力仏教寺院・ヴィクラマシラー寺へのイスラーム 教徒の軍勢による攻撃(インドにおける仏教の弾圧 )。
* 中国 での「三武一宗の法難 」と呼ばれる北魏 の太武帝 ・北周 の武帝 ・唐 の武宗 ・後周 の世宗 による仏教への弾圧。
* 李氏朝鮮 の朝鮮太祖 よる崇儒廃仏政策。
* アフガニスタン で起こった、タリバン によるバーミヤン石仏 の破壊。

関連書籍 [編集 ]

* 安丸良夫 『神々の明治維新』神仏分離と廃仏毀釈 岩波新書 黄版 103 岩波書店 ISBN 4004201039
* 羽賀祥二『明治維新と宗教』筑摩書房 ISBN 4-480-85670-6
* ジェームス・E. ケテラー『邪教/殉教の明治 廃仏毀釈と近代仏教』ぺりかん社 平成 18 年(2006 年 ) ISBN 4831511294
* 佐伯恵達『廃仏毀釈百年 虐げられつづけた仏たち 改訂版』みやざき文庫20 鉱脈社 ISBN 4-86061-060-1

関連項目 [編集 ]

* 神仏分離
* 法難
* 増上寺
* 神仏習合
* 本地垂迹
* 鶴岡八幡宮
* 東白川村 (岐阜県 加茂郡 )

執筆の途中です この「廃仏毀釈」は、仏教 関連の書きかけ項目 です。この記事を加筆・訂正 して下さる協力者を求めています (ポータル 仏教 /ウィキプロジェクト 仏教 )。 Dharma wheel
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シュタイナーの霊=精神の問題点:Media Point的即非的精神/物質性
テーマ:新霊性:聖霊、気、地霊、性霊

シュタイナーの霊学(精神科学)の問題点は、霊=精神が物質=身体を完全に超越し、前者が後者を「支配」ないしは規定しているが、その接合の関係が不明瞭な点である。わかることは、前者の「現象」が後者なのである。
 ということは、霊=精神は物質=身体性(現象性)を帯びるということである。しかしながら、シュタイナーは後者を否定的に見て、前者中心へと志向するのである。
 ここには明らかに齟齬があるのである。すなわち、物質=身体的現象への志向がありながら、根源の霊=精神を中心化して、物質=身体的現象を否定的にみるという齟齬である。
 思うに、シュタイナーの霊学を積極的に捉えるならば、霊=精神の涵養による、物質=身体の霊=精神的変容である。(つまり、霊=精神が物質=身体を超越して、後者を否定的に見るシュタイナー精神科学の半面は批判され、もう半面の霊=精神⇒物質=身体という霊=精神的現象性という視点は評価されるということになるだろう。)
 ならば、「霊=精神」的「物質=身体」性の創造・形成が考えられるだろう。思うに、これは、アートである。トランス・モダン・アートとしての現象界である。
 とまれ、両者の関係はPS理論のMedia Pointにおける即非性ないしは精神的フィルター性で的確に説明できるのである。

追記:霊や精神は、性霊、性神、性精、性魂、性心にするともっとも的確かもしれない。


2010年03月18日(Thu)▲ページの先頭へ
「近代」の発端の中国人と近代の末端の日本人:脱近代=トランス・モダン、又は魂の資本主義
スロー人氏は以下、いい点をついている。結局、今の日本は近代末期であり、且つ、脱近代の志向が消失している状況なのである。精神科学的に言えば、魂・精神の喪失状態である。
 私見・管見では、中国の人々は今や、「高度成長」を迎えているのである。しかしながら、問題点は、近代主義の外向性にある。同一性=唯物論である。内的には、魂、つまり、Media Pointから発しているが、「自己」は+1の自我、物質を志向するということである。これは、日本を繰り返しているのである。
 結局、脱近代、トランス・モダンを視野に入れる必要があるのである。そして、日本の復活は一重にこの点にかかっていると言えよう。明治維新並びに戦後を介して、魂=精神を喪失した日本人が再び、魂=精神を見いだして、生まれ変われるかである。
 
************************

本当はチャンスがいっぱいある時代なのだ
中国の若者たちは歯を食いしばってがんばるが、日本の若者たちはカンタンにあきらめるのだとか。


 たしかにそんな感じはします。日本は、豊かになって、わがままになって、がんばれる人が少なくなったように感じられる。


 結局、日本の停滞の背景には、こういう人的な要素も関係しているように感じられるときもある。


 確かに今は働く者にとって、働きやすい環境ではなくなった。夢を追うことすら、まじめに考えられないような時代になった。


 そういう意味では、今の若者たちはとても可哀想だと思う。


 だからこそ、かつての日本のように、若者たちが夢をもって、懸命にがんばれるようにするにはどうすればよいのだろうか、と思う。


 すでにモノづくりの重心は日本からアジアに移転してしまった。


 そんな日本で若者たちが夢を描けるようになるためにはどうすればいいのか。


 若者たちと一緒に大人も自分の責任であると自覚して、改善するように努力するべきなんだと思う。


 しかし、口ばかりの大人が多い。とくにこの不景気下にあっても、生活が保障されているような恵まれた大人には、若者が直面している不安定さに実感が持てない。


 他人ごとだ。


 こういう連中が、自分らの利益ばかりを考えて、世の中を動かしている。

 というか、なにが建設的で前向きな考えなのかが、分からない大人が増えた。


 だから、この国は少しもよくならない。


 だから、この国の若者たちには江戸末期の若者たちの姿に注目してもらいたい。国を変えることができるのは、20〜30代なんだという誇りを。


 大人は現状肯定だ。こんな人たちに、この苦しさを改善する意欲などまったく沸かない。


 実は、最初に紹介した方によれば、中国には、気概のある日本の若者が増えてきているという。


 小さくはまとまるのではなく、自分の可能性に賭けてみたいという日本の若者もまだまだいるのだ。


 この腐った日本では芽の出ない人も、世界に羽ばたけば、違った人生を見つけ出すことができるのかもしれないと思う。


 残って未来がない人生か、それとも、海外に出て、夢、可能性に賭けてみるか…。そんな選択がある時代になったのだ。

http://ameblo.jp/adco/entry-10484907670.html
スロー人ロハス-自由と資本主義と礼節


シュタイナー精神科学をPS理論的に「翻訳」する
神秘学概論 (ちくま学芸文庫) (文庫)
ルドルフ シュタイナー (著), Rudolf Steiner (原著), 高橋 巖 (翻訳)


今、久しぶりに本書を読んでいるが、以前と比べて、たいへん読みやすくなっていると感じた。これは、翻訳の違いに拠るかもしれないが、それとは別に、私見では、PS理論の深化に拠ると感じるのである。
 例えば、シュタイナーがルシファーやアーリマンと名指した「悪魔」であるが、これは、PS理論で説明できると思った。
 シュタイナーは哲学博士であり、また、自然科学を専攻した人間であることを考えると、彼の「オカルト」・宗教・神秘学的用語は、PS理論的に哲学・科学的に転換できるのもある意味で当然である。
 後で、それを少し提示したい。

追記:ひと言言えば、ルシファーとは、個の原理であると言えよう(正確に言うと、Media Pointと同一性の連続志向性である)。そして、アーリマンとは、同一性=物質の原理である。そして、キリストは、ルシファーの連続性を切断したときに生じるの不連続性に拠る差異共振性であると言えよう。
 また、エーテル体は、⇒+1の⇒であり、アストラル体は、-1であると思われる。

追記2:おそらく、いちばんの問題は、シュタイナーの「自我」をどう捉えるかである。
 PS理論では、自己を重視する。それは、自我とは全く異なるものである。思うに、シュタイナーの自我とは、+iのことだと思う。これが、近代においては、+1と等価となると考えられる。即ち、+i⇒+1である。
 思うに、シュタイナー精神科学に欠けているのは、不連続性、即非性、他者-i、Media Point等の概念である。


追記3:不連続性や即非性の概念がないために、修行者が誤謬に陥らないように、即ち、幻想と真実とを混同しないように、執拗に慎重な注意深さを説いていると考えられる。PS理論の視点からは、より明晰に解明することができよう。


2010年03月15日(Mon)▲ページの先頭へ
現代の人間の意識の異常性の原因は精神性の喪失である:精神に倫理・道徳・「理性」があるのである
テーマ:滅びゆく日本と新倫理社会/有徳政治へ

近代合理主義=唯物論が人々の意識に浸透して、精神性を排除したのである。その結果、「狂気」が日常的意識になっているのである。
 精神的認識によって、正常な対他認識をともなう自己認識、さらには、妥当な現実認識ができるのである。


参考:

以下には、仏教の八正道がベースになって科学的なないしは哲学科学的な精神陶冶・涵養実践方法が説かれている。
 端的に言えば、西洋人向けの瞑想の奨めであるが、瞑想の行をしなくても、読むだけでも、啓蒙的である。
 私はそれにD. H. ロレンスの『無意識の幻想曲』の読書を奨めたい。これは、東洋的身体意識論であるし、PS理論の即非的極性論に通じる内容をもっているのである。

『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか 』
(ちくま学芸文庫) (文庫)
ルドルフ シュタイナー (著), Rudolf Steiner (原著), 高橋 巌 (翻訳)

八正道(はっしょうどう、aaryaaSTaaGgo-maargo、आर्याष्टाङ्गो मार्गो)は、釈迦が最初の説法において説いたとされる、涅槃に至る修行の基本となる、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念および正定の、 8種の徳。「八聖道」とも「八支正道」とも言うが、倶舎論 では「八聖道支」としている。この 「道」が偏蛇を離れているので正道といい、聖者の「道」であるから聖道(aaryaamaarga)と言う。
概略 [編集 ]

八正道は四諦 の中の道諦として説かれるから、教学的には四諦の教え以外に八正道が別にあるわけではない。四諦といえば、そこに道諦として八正道があるのだから別に、古来いわれるように四諦八正道と併称する必要はないが、このような総括がインドの様式のようである。

古い『相応部 経典』では、釈迦は、その最初の説法(初転法輪 )で、まず非苦非楽の中道 を説き、それを八正道であるといい、さらに四諦を説いたといわれる。四諦を説いて、その道諦として八正道を説いたのでなく、中道とは八正道であることを説いて、ついで四諦を説いたのである。このことは、四諦という教義的組織は、八正道を中道と説く立場の教義的な裏づけであることを示している。釈迦の説法は、直接に人間の実践を主としており、教理は実践を体系付け裏付けるものである。われわれの仏教の理解も、書物による知識ではなく常に現実における実践を中心としなくてはならない。
正見 [編集 ]

「正しく眼の無常を観察すべし。かくの如く観ずるをば是を正見と名く。正しく観ずるが故に厭を生じ、厭を生ずるが故に喜を離れ、貪を離る。喜と貪とを離るるが故に、我は心が正しく解脱すと説くなり」といわれる。われわれが身心のいっさいについて無常の事実を知り、自分の心身を厭う思を起こし、心身のうえに起こす喜や貪の心を価値のないものと斥けることが「正見」(samyag-dRSTi, sammaa-diTTi)である。このように現実を厭うことが正見であるなら、人間の日常性を否定する消極的なもののように思われる。しかし、その日常性の否定は、真実を積極的に追求することから生まれるから、かえって真実の認識の完成である。この意味で「心解脱」といわれ、正見が「四諦の智」といわれる。

この正見は、以下の七種の正道によって実現される。その点で、八正道は、すべて正見である「智慧」の活動してゆく相である。 八正道は全て正見に納まる。
正思惟 [編集 ]

正思惟(samyak-saMkalpa, sammaa-saGkalpa)とは、出家を思惟し無瞋を思惟し、無害を思惟することである。このうち「出家を思惟する」とはパーリの原文では「ネッカンマ・サンカッパ」(nekkhamma saMkappa)であって、「nekkhamma」とは「否認」「否定」の意味だから、日常的なもののいっさいの否定をいう。財欲、色欲、飲食欲、名誉欲、睡眠欲等の「五欲」にまつわる、人間の日常生活の否定であり、それを思惟することが正思惟である。

この五欲の心の否定は、具体的には無瞋の思惟、無害の思惟である。いわば瞋恚の心や害心のすがたを、ありのままの姿で思惟し、これを捨てることを思惟するのである。自己本位にふるまう人間の行動や、独善的な人間の行為を、思惟によって明らかにして、これを否定するのである。

このように正思惟とは、自我的立場を否定して、無我こそ自己の真実であると見きわめることである。この立場の転換に人間生存の転換がなされる。しかし、それが「正思惟」である限り、このような生の転換も観念的である。そこで、次の「正語」と「正業」が説かれ、正思惟の中に示される行動への意志が実行されるのである。
正語 [編集 ]

正語(samyag-vaac, sammaa-vaacaa)とは、妄語を離れ、綺語を離れ、両舌を離れ、悪口を離れることである。
正業 [編集 ]

正業(samyak-kalmaanta, sammaa-kammanta)とは、殺生を離れ、不与取を離れ、愛欲を離れ、愛欲における邪行より離れることをいう。 この二つは正思惟されたものの実践である。妄語・綺語・悪口・両舌を離れること、これは人格の破壊を斥けるものであり、殺生・偸盗・邪婬を離れることは人間人格の尊重である。
正命 [編集 ]

正命(samyag-aajiiva, sammaa-aajiiva)

「邪命を捨てて、正命によって命を営む」とか「如法に衣服、飲食、臥具、湯薬を求めて不如法に非ず」といわれるのは、如法な生活それが正命であることをあらわす。これは、まちがった生活を捨てて正しい生活を営むことであり、常に無明を滅する方向に動いてゆく生活である。したがって、それは人間の日常性に根差している価値を追求する生活を否定するものである。この点、「正命」はこのようにすべき生活として求められつつあるものである。
正精進 [編集 ]

この「正命」の生活は、ひたすらな努力の中にのみ得られる。このひたむきな努力の生活、それが「正精進」(samyag-vyaayaama, sammaa-vaayaama)である。「未生の悪、不善法の不生のために欲を生じ、勤め精進し、心を摂し努力する」「常に行じて退せざるを正精進という」というのは、これをいう。これが、やがて四正勤 (ししょうごん)として、すでに起こった悪不善を断ずる努力、未来に起こる悪不善を生こらないようにする努力、過去の善法の増長への努力として説かれるようになった。
正念 [編集 ]

このような「正精進」に示される現前の事実的価値追求への否定の努力は、主として過去の集約として与えられた、身体的なものに対する否定である。このような立場から「身にありて身を観察して住し、熱心にして正しく理解し、精神を集中し、明瞭な心と精神集中と、専一なる心とをもって、如実に身体を知る」と説かれるのが「正念」(samyak-smrTi, sammaa-sati)である。

現にあるものとしてでなく、あるべきものとしての「正命」が実現されるのは、身体における日常的なものが克服されることによってである。それが「身の観察であり、精神を集中して如実に知る」ことである限り、真に身体的なものの克服とはなりえないで、やはりイデア的であることを免れない。これを身体的なものとして、生活自身において克服するものそれが「正定」である。
正定 [編集 ]

「心は不乱に住し、堅固摂持し、三昧一心に寂止す」と説かれる。これは心身一致の禅定 において正しい智慧を完成することである。この「正定」(samyak-samaadhi, sammaa-samaadhi)によってはじめて、「正見」が得られるのである。

このようにして、八正道は八聖道として人間完成への道となる。これを人間の実践として、中道であると説くのである。以上の八正道の「正見」こそ真実の智慧の実践であり、それを実現してゆく具体的な道が「正思惟」以下の七支であるから、この八正道は、次のような形で人間の実践道となる。
関連項目 [編集 ]

* 中道

「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%AD%A3%E9%81%93 」より作成
カテゴリ : 原始仏教 | 名数8


2010年03月13日(Sat)▲ページの先頭へ
シュタイナー精神学とPS理論:+1が月(物質)であり、-1が太陽(精神)である。
これは、精神学者シュタイナーの思想に関わるので、特殊な問題である。しかし、PS理論に関わる面があるので、考察を行ないたい。(以下は、一般の人は無視されたい。おそらく、チンプンカンプンのはずである。)
 シュタイナーはヤハウェを月に存した太陽霊としている。(因みに、シュタイナーの精神学は実に東洋的なのである。彼は太陽霊をキリストとしているが、実はこれは、アフラ・マズダーなのである。つまり、シュタイナー精神学とは、ゾロアスター教的精神学なのである。あるいは、比較精神学である。)
 この月に存した太陽霊が問題なのである。先の検討では、ヤハウェは+1となるのであるが、シュタイナーの思想では、-1である。実陰に存する太陽霊なのである。
 ここで想起すべきは、シュタイナーは物質を月に、精神を太陽に見ていることである。
 それから考えると、+1は月になるのであり、-1が太陽になるのである。だから、ヤハウェが月にいる太陽霊であるというのは、+1である太・陽と一致するのである。
 だから、PS理論的陰陽論とシュタイナーの精神学は一致することになるのである。

追記:そうすると、更なる問題は、エーテル体とアストラル体と「自我」である。+1を形成するエネルギーがエーテル体であり、-1を形成するエネルギーがアストラル体ではないだろうか。そして、「自我」、正確には、自己は、 Media Pointの垂直的認識であると考えられる。これらの点については、精緻に検討する必要がある。

参考:
『父権的自我の力学について:父権は母権に包摂される:二つの陰陽:虚軸の陰陽と実軸の陰陽』
http://ameblo.jp/renshi/entry-10479923357.html
Japonesian Trans-Apocalypse:Trans-Modern New Platonic Trans-Creation


「民主主義」イデオロギーと新帝国主義の結合するUSA問題
『「民主主義」イデオロギーと新帝国主義の結合するUSA問題』

テーマ:戦争屋覇権主義:新植民地主義・新帝国 主義

この問題はブッシュ前大統領のときのイラク侵略問題で論考したが、再度、検討したい。
 今は余裕がないので、ざっと予見を書く。結局、米国の民主主義とは、覇権外交のためのイデオロギーの武器であり、また、国内的には、確かに、有効な理念 ではあるが、実際には、貧困者が多く、差別があり、やはり、イデオロギー的虚飾の面が強い。
 結局、おおかた、米国民主主義は、特権的金融資本の新帝国主義のための覇権イデオロギーになっていると見るが妥当だと考えられるのである。
 私は差異共振主義を唱えている。これは、トランス・デモクラシーである。

追記:以前述べたことだが、米国民主主義は対外的には、同一性民主主義になっているということである。米国という同一性を他国に押しつけているのである。
 差異民主主義になる必要があるのである。同一性とは暴力的であるからである。
 同一性の根源とは、ヤハウェであり、また、父権主義である。これは、+1に傾斜した意識なのである。父権的攻撃意識なのである。
 民主主義の深化のためには、東洋思想を基礎とすべきなのである。民主主義のトランス・モダン化である。あるいは、東洋的民主主義である。
人権問題:「北朝鮮は慨嘆すべき状況」=米国務省
朝鮮日報 - ‎2 時間前‎
米国務省は11日、年次報告書『2009 Country Reports on Human Rights Practices』を発表し、北朝鮮の全般的な人権状況について、「依然として慨嘆(がいたん)すべき状況にある」と記した。また同報告書は、北朝鮮の 政権が非合法的な処刑、拷問、強制中絶、乳児殺害などを ...

米国務省の人権報告書「北朝鮮の人権状況は残念でたまらない」
東亜日報 - ‎2 時間前‎
米国務省は、11日発表した09年版の人権報告書で、北朝鮮の人権状況について「残念でたまらない(deplorable)」と表現した。昨年、バラッ ク・オバマ政府発足直後に発表した08年版の報告書では「劣悪(poor)」という表現を使っていた。米国は毎年、世界各国に対する ...


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『リアリズムとは何か:精神的認識と物質的現実』

テーマ:検討問題:思考実験・仮説

物質的現実を的確に洞察するには、唯物論的思考では無理である。何故なら、それは、物質的現実に没入して、自我の考えを挿入して、混濁するからである。
 物質的現実を洞察するには、精神的認識が必要なのである。精神的認識は物質的現実に対して他者なので、物質的現実を冷静に見ることができると考えられる のである。
 そう考えると、私は初めから小泉元首相を見て、ペテン師であると直覚した理由がよくわかると言えよう。

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『法人税減税は消費税増税、国債増発とセットであろう:民主党は前自民党政権化した』


テーマ:鳩山代表と民主党:ポスト・モダン反動 路線

早くも民主党「革命(同一性主義)」の明らさまな反動化である。官僚より才 知の劣る政治家が多く、ただ虚勢を張って官僚叩きを行なったものの、経済の叡知がないために、これまでの自民党路線を踏襲することになったのではないか。
 何度も述べたように、オバマ政権のような差異共振の知恵が欠落しているの である。脱近代(トランス・モダン)の視点がなくては、今日の状況は克服できない。
 裏切られた政権交代。


法人税減税に意欲=「国際標準を考慮」−首相
 鳩山由紀夫首相は12日夕、法人税について「大企業も中小企業も含めて、在り方を国際的な標準 を考慮しながら考えていく」と述べ、引き下げに意欲を示した。首相官邸で記者団に語った。平野博文官房長官も午後の記者会見で「(年末の2011年度税制 改正で)そういう(引き下げの)議論は当然出てくると思う」との見方を示した。
 民主党は衆院選マニフェスト(政権公約)で中小企業の法人税減税 を掲げたが、景気悪化による大幅な税収減で見送った経緯がある。国税と地方税を合わせた実質的な税負担を示す実効税率は、日本は約40%とフランスやドイ ツなどの約30%に比べて高く、経済界からは引き下げを求める声が強い。(2010/03/12-20:22)
http://www.jiji.com/jc/c?g=eco&k=2010031200865

消費税、社会保障目的税に…首相が検討表明
読売新聞 - ‎3 時間前‎
参院予算委員会は12日、「経済・財政」をテーマに集中審議を行った。 鳩山首相は今後の税制の抜本改革に関し、「政治への信頼が回復した後に、消費税の議論をしっかり行う。それは社会保障を目的にしたものにする」と述べ、消 費税を社会保障目的税とする検討を行う考え ...

法人税は減税 消費税増税なら社会保障目的税に
MSN産経ニュース - ‎2 時間前‎
鳩山由紀夫首相は12日の参院予算委員会で、現行税制について「世界との比較で法人税は高くて消費税が極めて低いのは事実だ。税率を国際的な流れにふさわ しいものにする。法人税は減税の方向に導くのが筋だ」と述べ、法人税率の引き下げに前向きな姿勢を示した。 ...



2010年03月12日(Fri)▲ページの先頭へ
父権的自我の力学について:父権は母権に包摂される:二つの陰陽:虚軸の陰陽と実軸の陰陽
これまで、ほぼ、父権的意識とは+iに傾斜したものと考えてきたが、そうすると、整合性が見いだせないのである。
 そこで、父権的意識とは、⇒+1に傾斜したものと考えられないかと考えたのである。
 つまり、Media Pointにおいて、積への傾斜が強いのではないかということである。だから、端的に、同一性傾斜である。あるいは、連続的同一性傾斜である。
 それに対して、母権的意識とは、-1を保持していると思われるのである。これは、実に自然的調和を意味する。
 +1に対して、-1が生じるのは、調和原理から見て正当である。それは、積に対して、商であろう。積が合一原理とすれば、商は共立原理ではないだろうか。
 そうすると、父権的意識とは母権的意識の部分、半面に過ぎないということになる。つまり、前者は後者に包摂されるということである。母⇒父である。これは、イシス⇒オシリス、あるいは、アマテラス⇒日御子(ひのみこ:cf. 卑弥呼⇒日巫女)と変換できる。
 しかるに、父権的神話(宗教)とは、左辺を右辺が否定しているのである。つまり、一種の倒錯がそこにはあるのである。自然から見ると、父権的神話は奇形の一種である。本来、あり得ないことが起きたのである。
 それが意味するのは、物質が精神を否定しているということである。つまり、唯物論の発生なのである。
 ゾロアスター教から見ると、アンラ・マンユ(悪神、悪霊、悪魔)の発生を意味するのである。
 奇形とは言ったが、以前考察したように、陰陽論で説明ができるだろう。即ち、『易』が説くように、陰陽は常に揺れ動いているのである。流動的に振動しているのである。そして、陽に傾斜するときがあるのである。太・陽(空の太陽ではない)である。そして、それが、父権的意識であると考えられるのである。(そして、陽、極まれば、陰に転ず、である。)
 つまり、父権的意識は奇形ではなく、陰陽論で説明できる自然力学に拠るものと考えられる。
 そして、母権的意識とは、端的に、陰陽的意識ということになるだろう。完全に父権的意識とは母権的意識に内包・包摂されるのである。
 しかしながら、父権的同一性意識が、西洋文明において、固着してしまったとは言えよう。それは、既述したように、ヤハウェという唯一神・超越神信仰に拠ると考えられる。(一神教でも、イスラーム教は、これまで述べたように、ヤハウェ信仰とは異なるのである。イスラーム教の唯一神とは、Media Pointと考えられるからである。)
 今や、この父権的同一性意識の断末魔の黙示録的時代である。
 以上で、父権的意識の力学は説明ができたが、そうすると、当然、+1だけではなく、-1の世界も考慮する必要が出てくるのである。これは、社会的には、共同体ないしは社会有機体を意味しよう。(しかしながら、-1に傾斜したのが、社会主義だと思う。)
 ここで本件の問題を整理する意味でも、新たに用語を与えたい。即ち、

+i=虚陽(原陽)
-i=虚陰(原陰)
+1=陽(実陽)
-1=陰(実陰)

である。
 『易』の太極とは、虚陽と虚陰の双極性を意味することになる。思うに、理気論が不明瞭になったのは、虚界と実界を絶対的に区別しなかった、即ち、混同したことに拠るだろう。
 つまり、そこには、「気」の問題があるのである。私は、今や、「気」は実軸に関係すると思っている。物質が+1であるから、「気」は-1である。
 しかるに、「理」とは虚軸ないしはMedia Pointを意味すると考えられる。思うに、Media Pointと考えた方が的確であろう。つまり、Media Pointの「理」から物質の+1と「気」の-1が発生するということになる。
 以上で本件は解明されたことになる。


2010年03月08日(Mon)▲ページの先頭へ
創造的知性の潜在性と資本の融合:創造知性的資本経済
日本経済が低迷・沈滞しているのは、シュタイナー的に言えば、資本家に才知が欠落しているということになるだろう。既成の発想しかもたない資本家は当然新しい経済を創造できないのである。
 坂本龍馬が注目されるのはそのような意味があるだろう。「創造的資本」経済が必要なのである。これまで、差異資本主義、差異共振資本主義と呼んだものは、そのようなものである。金融資本主義は「同一性的資本」経済であり、反復経済であり、創造的資本経済ではないのである。

追記:PS理論から言えば、+iを創造的知性(才知)、-iを資本として、 ⇒創造的価値となるだろう。即ち、

(創造的知性)*(資本)⇒創造的価値

となる。

金融資本主義は創造的知性がなく、同一性的知性である近代合理主義、唯物論しかないのである。同一性の反復なのである。
 日本の場合、官僚的資本主義で、同一性である負債漬けの箱物経済である。ここには、創造的知性、差異共振的知性が欠落しているのである。これが、日本経済が活性化しない根因である。


  第4講 分業による資本の発生ー貨幣経済と資本

今現在、金銭を所有している者の才知が、どのような程度のものか、

金銭を、いかに実りある形で、経済プロセスに送り出せるか、

それだけが、ここでは、意味のあることなのです。

●ここでは、資本を生み出した、第1段階の労働は、第2段階では、もはや国民経済的な意味を、

持ちません。ここでは、金銭を役立てる才知のみが、国民経済的な意味を持っているのです。

資本の中には、非常に多くの労働が蓄えられているということを、考えてみて下さい。

すべてを、無駄に使ってしまう、愚かな人が、居ます。

賢明な人物が登場すると、実りあるプロセスを導入し、全く違った創造的なプロセスが生まれます。

投資家と、投資先に関わる第2段階においては、すでに、労働の痕跡を失った資本に関わっている

と、言わなくてはなりません。

投下資本は、一面で債務資本であることによって、経済プロセスの第2段階へ移行する、と言うことが

出来ます。その中には、資本の循環以外のものは、何もありません。

●何をはじめていいのかわからない投資家と、資本を活用出来る投資先との間には、社会的な落差が

あるのです。

その落差を生じさせるものは何か?

人間のさまざまな素質です。

愚かな?人が資本を持っている時、経済プロセスが健全であれば、その人が川上にいて、

川下には、賢い人が居て、とどこおりなく、資本は、賢い人の方へ流れます。

人間の素質の落差をとおして、資本は流れる、そう言う事が出来ます。

社会有機体の中の人々の質の差が、経済プロセスを継続させるのです。

http://www.geocities.jp/momoforall/booknote1/mybooknote4.html

シュタイナー経済学講座

モルガンが焦土から立ちあがるとき

2010年03月08日06時18分 / 提供:Market Hack
Market Hack
ここ数年のモルガン・スタンレー(ティッカーMS)の凋落ぶりは目を覆わんばかりでした。かつてはモルガン・スタンレーと言えば高飛車なウォール街の投資銀行の中でも「別格」の存在でした。でも今では「その他大勢」の中に括られる、地味な存在に成り下がっています。何がモルガン・スタンレーの「のれん」を台無しにしたのか?それは金融危機のずっと以前に、ディーン・ウィッターを買収した事に端を発します。

記事全文


2010年03月07日(Sun)▲ページの先頭へ
磁気、磁界について:性的磁気と超越的磁気:プラトンのエロースは超越的引力である
誰もが知ってる、N極とS極。しかしながら、これは、電界とは電磁波において密接に関係するが異なるものである。
 とまれ、磁石を考えよう。NーSを磁石(棒磁石)とする。これを複数、結びつけると、

・・・NーS⇔NーS⇔NーS⇔NーS・・・

となる。なお、⇔は磁気による引力である。・・・は、磁力線となる。
 問題はこの引力で接合している箇所である。棒磁石をくっつけると、確かに、面と面が接合するが、その接合面はどのように記述できるだろうか。
 これはやはりPS理論から説明できるだろう。Nを+i、Sを-iとし、共鳴結合させればいいのだろう。N*S⇒+1である。この+1が磁力の引力である。
 そして、接合面とは、当然、Media Pointである。そこは、Nであり、且つ、Sであるし、又、Nでもなく、Sでもないのである。即非フェースである。
 磁気が人間の性的魅力にも適用されると作業仮説すると、性的磁力があるということになり、女男、NとSになる。これは明快である。思うに、プラトンが述べたエロースであるが、それは、いわば、超越的磁気のことになるだろう。
 そう、やはり、Media Pointである。ここで、超越的磁気ないしは超越的電磁波が作用するのであり、それが、プラトンのエロースということになるだろう。
 そして、性的魅力というのは、その下位の現象であろう。性的魅力は⇒+1であるが、⇒には、超越的エネルギーがあるのである。
 性欲とは本来、精神(精神身体)的なものであろう。性という字が本来、例えば、性向のように、精神(精神身体)的なものである。
 近代的自我は物質的身体と一致しているので、性欲が物質的身体的になり、本来の精神エネルギーが喪失されているのである。
 トランス・モダン・スピリットとは、性的あり方も変容させると言える。シュタイナーは将来的には咽喉部が生殖器官になると言っている。

追記:まだ釈然としない点がある。引力の問題である。私は磁性の引力は性的であるとしたが、問題は、差異共立の側面である。人間においては、女男において、本来、差異共立性があるべきである。だから、磁力のように一体化する(追記:両極による「一体化」であるが、接合面では確かに、「一体化」しているが、実際は、N極とS極は一体化はしていない。この点を深く考えるべきである。つまり、極性的引力においても、差異性は消えないのである。後で再考したい。)ことはないはずであるので、上述した磁気的引力論によっては、性的関係を完全には説明できないだろう。
 つまり、女男双方に、NとSの面があるだろう。NとSが作用すれば、性的引力が生じるが、NとNないしはSとSとが作用すれば、性的斥力が生じて反発することになる。
 だから、女男関係とは、磁気の両極同士が関係するので、四極的になるのである。NとS、NとN、SとN、SとSの四相である。この複合様態があり、それぞれ、微妙に揺れ動くので、四相が連関して複雑に多様化するのである。
 思うに、Nを「原男性性」、Sを「原女性性」と見ることできよう。そう、一人の女性の場合、後者が指し示し対象となり、Nが背景となるときと、反転するときがあるだろう。これは、男性においても同様である。今日は、この反転が起きている時代である。つまり、新母権のエポックである。
 しかしながら、現代、女性の「原男性性」が「原女性性」を抑圧していると考えられる。換言すると、父権化なのである。女性の父権化があるのである。だから、女性の「原女性性」を復興させる必要のある今日の新母権時代である。

追記2:同性愛ないしは性同一性障害問題であるが、NS論から言うと、一般には、優位の極があり、それが、物質的身体と一致している。つまり、N極優位の主観性をもつと生物的に雄の身体を、S極優位の主観性をもつと生物的に雌の身体をもつ。
 しかしながら、これが必ずしも一致しない場合があるのである。それが同性愛や性同一性障害となるのだろう。思うに、超越的情報における、なんらかの偏差があって、遺伝子的に逆転が起きるのではないだろうか。
 思うに、主観性の磁性と物質的身体の磁性を区別する必要があるが、それについては後で検討したい。

追記3:結局、性的磁極論(性的NS論)は、意識において優位な極と劣位な極があり、優位な極が物質的身体の雌雄を規定していると考えられる。
 しかしながら、それが逆転する場合が同性愛、性同一性障害である。優位な極に対して、生物的身体が劣位な極になっているのである。
 PS理論から言うと、+iと-iの極性があり、一般には、+iが優位の場合、生物的身体は雄に、-iが優位の場合は生物的身体は雌になると作業仮説しよう。
 しかし、これが逆転して、+iの優位意識に対して、-iの身体が、-iの優位意識に対して、+iの身体が生起する場合があるということになる。
 思うに、これは一種の相補性原理、補償原理ではないだろうか。優位意識に対する先天的(超越的)な補償原理ではないだろうか。どうも超越的情報(霊的情報)が作用しているように思える。
 以上は作業仮説である。私は女性は本来、+iと-iの調和性をもっていると思っているので、以上の論は持論とは齟齬を来しているのである。この点は後で検討したい。

参考:

じしゃく忍法帳
身の回りにある製品のあらゆるところで働く磁石を中心に、生活の中の科学を再発見していく読み物シリーズです。
書籍「じしゃく忍法帳」も発売中です。ぜひ、ご覧ください。
じしゃく忍法帳へ >>

磁気と生体 磁気と生体
磁気と生体(生命)との関係に他方向からアプローチした、興味のつきないサイエンスストーリーです。

磁気と生体へ >>

磁性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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磁性(じせい)または、磁気(じき)とは、物理学 で、物質 が他の物質に引力や斥力 を及ぼす現象 の一つである。容易に分かるほど強い磁性を示す物質として、鉄 やある種の鋼 、磁鉄鉱 (天然磁石)や磁硫鉄鉱 といった鉱物 などがよく知られている。全ての物質は磁場 によって多かれ少なかれ影響を受けるが、ほとんどの場合、その影響は特別な装置を使わなければ検出できないほど小さい。

磁力 は電荷 の運動によって引き起こされる基本的な力 である。磁力を支配する源や場の振る舞いはマクスウェル方程式 で記述される(ビオ・サバールの法則 も参照のこと)。よって磁性は電荷を持つ粒子 が運動 をすればいつでも現れる。磁性は電流 の中の電子 の運動によって発生して電磁気 と呼ばれたり、電子の量子力学 的な軌道運動やスピン によって生じ、永久磁石 の力の源となったりする(電子は太陽 を周る惑星 のような軌道運動を行なっているわけではないが、「実効的な電子の速度」は存在する)。
磁場中の荷電粒子 [編集 ]

磁場 B の中を運動する荷電粒子は、以下の外積 で表される力 F(ローレンツ力 )を受ける。

\vec F = q \vec v \times \vec B

ここで、
q\, は粒子の電荷
\vec v \, は粒子の速度ベクトル
\vec B \, は磁場

この力は外積なので、粒子の速度と磁場の両方に対して垂直な方向に働く。このため、磁力は粒子の運動の方向だけを変え、速さは変えない。
磁気双極子 [編集 ]

通常、磁場は双極子 場として現れ、S極 とN極 を持つ。「S極」「N極」という用語は磁石を方位磁石 として使っていたことに由来している(方位磁石は地球の磁場と相互作用し、地球上での北 (North) と南 (South) を指し示す)。

磁場はエネルギー を蓄える。物理系は普通、エネルギーが最小となる配置で安定となる。そのため、磁気双極子 を磁場の中に置くと、磁場と反対の方向に自らの磁極を向けようとし、これによって正味の磁場の強さをできるだけ打ち消して磁場に蓄えられるエネルギーを小さくしようとする。例えば、2つの同じ棒磁石を重ねると普通、互いのN極とS極がくっついて正味の磁場が打ち消されるようになり、同じ方向に重ねようとする力には逆らおうとする。2つの棒磁石を同じ方向で重ねるために使われたエネルギーは重なった2本の磁石が作る磁場に蓄えられ、その強さは1本の磁石の2倍になる。(これが、方位磁石として使われる磁石が地球磁場と作用して北と南を向く理由である。)
磁気単極子 [編集 ]

通常の経験に反して、いくつかの理論物理学のモデルでは磁気単極子 (モノポール)の存在を予言している。1931年 にポール・ディラック は、電気と磁気にはある種の対称性があるため、量子論 によって単独の正あるいは負の電荷の存在が予言されるのと同様に、孤立したS極あるいはN極の磁極も存在するはずだ、と述べた。しかし実際には、荷電粒子は陽子 と電子 のように個々の電荷として容易に孤立して存在できるが、SとNの磁極はばらばらには現れない。ディラックは量子論を用いて、もしも磁気単極子が存在するならば、なぜ観測される素粒子 が電子の電荷の整数倍の電荷しか持たないのか、という理由を説明できることを示した。なお、クォーク は分数電荷を持つが、自由粒子としては観測されない。

現代の素粒子論では、電荷の量子化は非可換ゲージ 対称性 の自発的破れによって実現されるとされている。現在のある種の大統一理論 で予言されているモノポールはディラックによって考えられた元々のモノポールとは異なることに注意する必要がある。今日考えられているモノポールはかつての素粒子としてのモノポールとは異なり、ソリトン 、すなわち局所的に集まったエネルギーの「束」である。こういったモノポールが仮にも存在するとすれば、宇宙論 の観測結果と矛盾することになる。宇宙論の分野でこのモノポール問題を解決する理論として考えられたのが、現在有力とされているインフレーション のアイデアである。
原子の磁気双極子 [編集 ]

物体が磁性を持つ物理的原因は、電流の場合とは異なり、原子 に生じる磁気双極子である。原子スケールでの磁気双極子、あるいは磁気モーメント は、電子の2種類の運動によって生じる。1番目は原子核 の周りを回る電子の軌道運動である。これは電流のループと見なすことができ、原子の軸方向に軌道磁気モーメントを生じる。2番目の、もっとずっと強い磁気モーメントの源は、スピン と呼ばれる量子力学的な性質である。これはスピン磁気モーメントと呼ばれる(ただし現代の量子力学の理論では、電子が実際に物理的に自転したり原子核の周りを軌道運動したりするとされているわけではない)。

原子の全体的な磁気モーメントは、個々の電子の磁気モーメントの総和になる。磁気双極子は互いに反発して正味のエネルギーを小さくしようとするため、軌道運動においてもスピン磁気モーメントにおいても、いくつかの電子のペアが持つ反対向きの磁気モーメントは互いに打ち消しあう。このため、電子殻 や副殻が完全に満たされている原子では磁気モーメントは通常は完全に打ち消される。磁気モーメントを持つのは電子殻が部分的に満たされている原子だけであり、その強さは不対電子の数で決まる。

そのため、様々な元素 ごとの電子配置の違いが原子の磁気モーメントの性質や強さを決めており、また様々な物質の磁気的な特性の違いをも決めている。様々な物質で以下のようないくつかの形態の磁気的な振る舞いが見られる。

* 反磁性
* 常磁性
o 分子磁石
* 強磁性
o 反強磁性
o フェリ磁性
o メタ磁性
* スピングラス
* 超常磁性

マグネター と呼ばれる非常に強い磁場を持つ星も存在すると考えられている。


Kaisetsu氏による質的転換における指し示し対象と背景の反転法則
以下、Kaisetsu氏による、とても重要な法則を非常に明快明晰に解明している。
 質的転換における「背景」と「指し示し対象」の「反転」という法則は、他の領域においても重大な解明をもたらすだろう。例えば、経済領域で言えば、交換価値を指し示し対象とすれば、背景は使用価値、差異価値、差異共同価値等である。そして、これが、近代資本主義の様態である。しかし、質的転換(トランス・モダン化)によって、反転して、使用価値、差異価値、差異共同価値が指し示し対象となり、交換価値が背景に転化するということになろう。
 まだまだ、いろいろなことが考えられるが、ここで留める。



結晶に於けるMedia Point (メディア ポイント)の態様:質と量の反転

 (結論)

 つまり、質的転換の本質は、背景と指し示し対象の「反転」である。

 また、背景とは量的優位性であり、指し示し対象は、量的劣位性を有する。

 さらに、指し示し対象が概念の意義の本質である。
http://blog.kaisetsu.org/?eid=810771
『海舌』 the Sea Tongue by Kaisetsu 

参考:
Media Point の態様 (Mode): 指し示し、囲い込み、中心


2010年03月05日(Fri)▲ページの先頭へ
日本における一神教主義と多神教主義:父権主義と母権主義
テーマ:ニッポン亡国の凶相:売国奴と愚民と狂信者

スロー人氏の大(だい)正論である。
 ルドルフ・シュタイナーは人類は、ヤハウェ型(一神教タイプ)とエローヒーム型(多神教タイプ)に分けられると述べていたと思う。
 西洋文明は両者混淆しているものの、当然、前者が中心である。そして、この断末魔を今日迎え、今や、後者が新たに進展する時代であるとわたしは考えている。日本人を抑圧してきた国学的一神教の発想(民族主義)を廃棄する必要があり、新たに、多神教的発想を進展させる必要があると言えよう。
 思うに、今日の日本人は一神教的酷い発想をもつ人が多数である。これを乗り越えて、日本本来の多神教へと回帰すべきである。

追記:スロー人氏の判断に即せば、武市半平太が一神教的であり、龍馬が多神教的である。

追記2:正確に言うと、国学的民族主義と封建的父権主義と近代合理主義の結合したものが、現代日本の「一神教」である。

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人の命を粗末に扱う武市半平太は現代日本にも大勢いる

毎週、NHKの「龍馬伝」を楽しみしているが、先週のストーリーにも感じさせられるものがあった。


 本物はどうだったのか、それは分からないが、今回のドラマでは、後に土佐勤王党を結成する武市半平太に焦点が当てられていた。


 武市は、問題を起こした山本琢磨に切腹を命じる。しかし、龍馬は生きて、自分の人生を見つけろと逃がしてやる。


 武市は大義のために「死ね!」という。


 日本では、こうした事態に追い詰められて、死を迎えることを潔いとする。こんな文化がある。


 ぼくは大切な命をこのように粗末に扱う人間たちが嫌いだ。


 だいたいこういう思想があるから、アメリカとの戦争において大敗を喫したと考えている。


 民主主義のアメリカは逆だ。一人ひとりの命を大切にする。「生き延びよ!」と温かい。


 昨夜、同じNHKで「ゼロ戦」のドキュメンタリーが放送された。


 そのなかでも、第一回の出撃後、すでに現場からの改善点として防備の充実を求める意見が出されているにもかかわらず、結局、日本は貴重なパイロットの命を守ることに努力しなかった。


 ぼくの叔父たちも終戦直後、命からがら大陸から帰国したが、叔父たちは現地でつかっていた人々に優しくしていたおかげで、ずいぶん、助けもらったそうだ。


 反対にあこぎに儲けていたような人は酷い目を見たのだろう。


 ところで、この引揚げにおいても、日本軍は皇軍だからということで、日本人を守るために護衛の任務にはつかなかった。


以上冒頭を転載させていただきました。

スロー人ロハス-自由と資本主義と礼節


『大学・中庸』は智慧・叡知の書であり、大古典である:中国の基底にある母権文化を評価する必要がある
テーマ:日本ルネサンス:西洋を包摂した新東洋文明

以下、現代語訳部分を中心に読了したが、朱子(朱熹)の注釈部分は未読である。
 注釈者・翻訳者金谷治氏の方針は、朱子によって権威づけられた読みを排除して、『大学』と『中庸』本来のテクストに戻って読むことであり、それが管見ながら、大成功を収めたと考えられる。
 とまれ、画期的、ブレーク・スルー的な読解である。端的に言えば、儒教・儒学は、朱子路線によって改変されているということだろう。あるいは、孔子路線によって。
 私見では、この智慧の書の読み方は、基底の母権文化と上層の父権文化との二重性に注意する批判的リーディングである。中国の古典には、以前『論語』について述べたように、基底に母権文化があるのであり、その上に父権文化を戴いているのである。
 思うに、『大学』も『中庸』もベースは母権文化の叡知である。それを父権的にアレンジしているのが見えるのである。これは、ギリシア神話や記紀や聖書等と共通する事態であると考えられる。
 とにかく、この書は智慧・叡知の書として今日でも役立つものである。

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トランス・モダン的漢籍:『大学・中庸』:有徳から富が生まれる
テーマ:読書案内

これまで儒教というと、孔子が中心となってきたが、この『大学』は数章を読んだだけだが、実にトランス・モダン的哲学・思想となっている。有徳から富が生まれるのであり、逆ではないというのである。思うに、この道徳的経済論が日本の伝統的経済を生んできたと言えよう。漢籍はすばらしい。温故知新。

Japonesian Trans-Apocalypse:Trans-Modern New Platonic Trans-Creation

大学・中庸 (岩波文庫) (文庫)
金谷 治 (翻訳)

カスターレビュー

大学・中庸ともに平易な現代語訳が、充実した注を伴って解説されており、容易に理解できます。難しい書だと構えて読む必要はありません。両者を合わせても分量は短く通読も容易です。“大学”は己自身を収めて(修己)こそ、人を治める(治人)ことができることを述べており、人の上に立つ人間であれば(親であれ、上司であれ)必読の書と言えます。修己には自分のおもいを誠実にすることが必要で、それは自分で自分をごまかさない、自ら欺くことがない(その独を慎む、慎独)ということであると述べています。“中庸”は、誠なる者は、天の道なり。これを誠にする者は、人の道なりの言葉に代表されるように、人間の本性である“誠”に従う道を示します。至誠の人は、他人はおろか物の本性をも十分に発揮させることができ、天地自然の造化育成を助けるまでの天地と並ぶ存在になると説きます。大学・中庸とも解説が素晴らしく、成立の歴史的背景が詳述され、原文の意味は勿論、それ以降の朱子学者の解釈、江戸時代から近現代の解釈を比較しており、学問的に高い信頼の置ける名著と言えます。

訳注者の金谷治氏自身が解説で述べているように、本書の意味は、「儒教」というよりは「朱子学」のなかで特別なテキストとされてきた「大学」「中庸」の二書に、朱子以前の古義を追求する読みをした、という点である。単に儒教=朱子学入門として本書を読むならば、島田虔次氏の訳注本(朝日古典選)のほうがよい。評者は島田氏の本を先に読み、その後でこの金谷氏のものを読んだので、朱子の注釈によらないこの本の読みは新鮮で興味深かった。というのは、朱子はこのテクストを、オリジナルな意味を尊重するよりは、自らの哲学体系の構築のために利用しているからである。しかし、江戸期には朱子学が公式の学問として採用されたために、朱熹の読みがむしろ正当の読みとされてきたことは注意すべきだろう。
 「大学」は、天下を治めるためには一身を治めることがすべてである、とする、道徳的政治観を述べた本。「中庸」は、前半が「中庸の徳」を持つことがいかにむずかしいか、後半が「誠」、すなわち「性」に従い修養することの大切さを述べた本である。

大学・中庸は、論語、孟子とあわせて四書をなす。日本人の民族思想を知る上で四書五経は避けてとおれないので、ともかく、一度は目を通しておきたいと思い、手に取った。

大学・中庸はもともと礼記49編の一部で、宋代(13世紀)に朱子が再評価して、論語・孟子とともに新儒教(=宋学=朱子学)の聖典としたものだそうだ。朱子はとくに大学への思い入れが深く、原文に大幅に手を加えて改変したばかりでなく、死の三日前まで自身の注釈書に筆をいれ続けたという。

しかし、朱子の「大学」には江戸期から解釈に誤りがあるとして批判も多く、本書では朱子の書き直した大学ではなく、もともとのテキストをとりあげ、原文、読み下し文、訳文という体裁で解説を加えたものだそうだ。

内容はむろん、一読したくらいでちゃんと理解できるものではないが、江戸期の小学生がこういうものを教科書として読んでいたのかと思うと、正直驚いてしまう。仁であれ、義であれ、子供でも教えればわかる、ということだろう。
武家の子どもが立派な口上を述べて切腹する話が新渡戸の「武士道」にあるが、大人の教養書である四書五経を子供のうちから暗記させるような教育方法でこそ、子供にして大人社会での美しい身のこなし方を身につけることが可能になるのだろう。
翻って現代を見るに、ここ150年ばかりの科学の知識は教えても、悠久として受け継がれてきた数千年の知恵は教えない。そんな嘆息を覚えた。

儒教『四書』の中に含まれる、素晴らしい名著です。特に、倫理道徳を重んじながらも、どこか軽やかな《自由さ》と、大らかな《優しさ》が感じられる所が、非常に素晴らしいです。でも、一つだけ言うなら、朱子による『大学章句』と『中庸章句』は、少し違うと思います。朱子の文章には、本文の持つ《自由さ》や《優しさ》が、ほとんど感じられません。むしろ、朱子独特の《排他心》の強さには、正直言って疑問を感じてしまいます。私は、朱子の文章を抜いて、本文だけを読んでいますが、その方が本文の意味をよく理解できると思います。やはり、教育関係者には心の狭い人が多い、ということでしょう。でも、本文は素晴らしいので、読む価値は十分あると思います。
http://ameblo.jp/renshi/entry-10472416895.html

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金谷治
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金谷 治(かなや おさむ、1920年 2 月20日 - 2006 年 5 月 5日 )は、日本の東洋学者。専門は中国哲学、特に中国古代思想史 。三重県 伊賀市 出身。長男は金谷茂則(大阪大学 大学院工学研究科生命先端工学専攻教授)。
業績 [編集 ]

現行の岩波文庫 版で『論語 』および『孫子 』・『荀子 』・『荘子 』・『韓非子 』・『大学 、中庸 』の訳注書を刊行。講談社学術文庫 で、『易の話 易経 と中国人の思考』・『淮南子 の思想 老荘 的世界』・『老子  無知無欲のすすめ』<訳註解説>・『孔子 』<伝記研究>を刊行した。

主著に『管子 の研究 中国古代思想史の一面』(岩波書店 )

論文集に『金谷治中国思想論集』全3巻(平河出版社 )、『秦漢思想史研究』(東洋學叢書 平楽寺書店 )
略歴 [編集 ]

* 1944年東北帝国大学 法文学部支那哲学科卒業。指導教授は武内義雄 のち講座を継いだ。
* 1946年旧制弘前高等学校 講師
* 1948年東北大学 法文学部講師
* 1950年同大文学部助教授
* 1961年文学博士
* 1962年同教授
* 1975年から1977年まで同文学部長
* 1983年東北大学 名誉教授。追手門学院大学 文学部長
* 1990年追手門学院大名誉教授
* 2002年日本学士院会員
* 2003年勲二等瑞宝章
* 2006年5月5日、腎不全 により死去。叙正四位

著書 [編集 ]

* 「老荘的世界 淮南子の思想」 平楽寺書店 1959 、「淮南子の思想」講談社 学術文庫、1992
* 「秦漢思想史研究」 日本学術振興会 1960 <東洋學叢書>平楽寺書店 1992
* 「孟子 」 岩波新書 1966 復刊1988ほか
* 「論語の世界」 日本放送出版協会(NHK ブックス)1970、のち新装版 
* 「易の話」 講談社現代新書 1972、同学術文庫 2003
* 「孔子 人類の知的遺産4」 講談社 1980、同学術文庫 1990
* 「死と運命−中国古代の思索」 <法蔵選書37>法蔵館  1986 
* 「管子 の研究 中国古代思想史の一面」 岩波書店 1987
* 「老子 <無知無欲>のすすめ」 講談社(中国の古典) 1988、同学術文庫 1997
* 「老荘を読む」 大阪書籍(朝日カルチャーブックス) 1988
* 「中国思想を考える 未来を開く伝統」 中公新書 1993
* 「中国古代の自然観と人間観 金谷治中国思想論集 上巻」 平河出版社 1997
* 「儒家思想と道家思想 金谷治中国思想論集 中巻」 平河出版社 1997
* 「批判主義的学問観の形成 金谷治中国思想論集 下巻」 平河出版社 1997
* 「論語と私」 展望社 2001 論文集
* 「孫臏兵法 ―もうひとつの<孫子>」 ちくま学芸文庫  2008(初版は東方書店 1976) 
* 「中国における人間性の探究」(編著) 創文社 1983
* 「諸子百家争鳴」<共著>中公クラシックス 別冊、中央公論新社  2007

 元版は「世界の名著 諸子百家 」

訳注ほか [編集 ]

* 「孟子 」  <中国古典選>朝日新聞社 1955−1956

新訂版・第5巻 1966、文庫版が、同・朝日文庫全2冊 1978

* 「荀子 」 岩波文庫 全2冊  1961−1962 原文記載なし
* 「荀子」 <全釈漢文大系 7.8>集英社 佐川修と共訳著 1973-74、新版1981
* 「論語」 岩波文庫 1963 新訂版 1999、ワイド版2001
* 「孫子」 岩波文庫 1963 新訂版 2000、ワイド版2001
* 「荘子 」 岩波文庫全4冊  1971−1983、ワイド版1994
* 「韓非子 」 岩波文庫全4冊  1994
* 「大学・中庸 」 岩波文庫 1998、ワイド版2003

旧版は<世界古典文学全集18> 筑摩書房 1970

* 「唐抄本 鄭氏注論語集成」 平凡社 1978 編著
* 「荻生徂徠 集」<日本の思想12> 筑摩書房 1970 編著

「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E8%B0%B7%E6%B2%BB 」より作成
カテゴリ : 思想史家 | 日本の東洋学者 | 日本学士院会員 | 1920 年生 | 2006 年没

朱子
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朱子像
儒教
儒家思想
仁 義 礼
孝 忠
中庸
儒学者
儒学者一覧
経書
《四書 》《五経 》《十三経 》
儒教の歴史
孔子
七十子
儒家八派
孟子 荀子
焚書坑儒 五経博士
訓詁学
玄学
宋学:
理学 朱子学 陽明学
漢学 :考証学
今文学派
新儒家
関連項目
三孔 孔子弟子
書院 国子監
科挙 諸子百家
表 ・話 ・編 ・歴

朱子(しゅし)は中国 の宋代 の儒学者 である朱熹(しゅき 1130年 10月18日 (建炎 4 年9 月15日 ) - 1200 年 4 月23日 (慶元 6年3 月9日 ))の尊称。

姓 は朱、諱 は熹、字 は元晦または仲晦。号は晦庵・晦翁・雲谷老人・滄洲病叟・遯翁など。また別号として考亭・紫陽がある。謚 は文公。

徽州婺源(江西省 )の人。南宋 の建炎4年(1130 年 )、南剣州尤渓(福建省 )に生まれ、慶元 6 年(1200 年 )、建陽 (福建省)の考停にて没した。儒教の体系化を図った儒教の中興者であり、いわゆる「新儒教」の朱子学 の創始者である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B1%E5%AD%90


2010年03月04日(Thu)▲ページの先頭へ
同一性民主主義から差異共振民主主義へ:近代の終焉とトランス・モダン・エポック
PS理論は(+i)*(-i)⇒+1に集約される。これが、公理と言っていい。近代主義とは、右辺の+1(同一性・量・自我・物質・交換価値)に基礎を置き、それを中心に展開したものである。民主主義も当然、そうであり、同一性的民主主義なのである。つまり、同一性としての国民、市民、民と考えられているのである。しかしながら、同一性は差異・他者を否定するので、民主主義の理念とは齟齬を来すのである。
 民主主義を達成するには、結局、左辺の形態をとる必要があるのである。つまり、差異、絶対的差異、超越的差異としての国民、市民、民であり、それらが、共振することで、民主主義が実際的なものになるのである。差異共振民主主義である。



「中庸」とは、Media Pointのことだろう:『大学・中庸』はPS理論の一つの先駆だ

テーマ:プラトニック・シナジー理論

戦後、漢籍を捨てたのは、何という損失であったろうか。儒教とは、『論語』以外の世界があるのである。
 
「喜・怒・哀・楽などの感情が動き出す前の平静な状態、それを中(ちゅう)という。〔それは偏りも過・不及もなく中正だからである。〕感情は動き出したが、それらがみな然るべき節度にぴたりとかなっている状態、それを和という。〔感情の乱れがなく、正常な調和を得ているからである。〕こうした中こそは世界じゅうの〔万事万物の〕偉大な根本であり、こうした和こそは世界じゅういつでもどこでも通用する道である。中と和とを実行しておしきわめれば、〔人間だけでなく、〕天地宇宙のあり方も正しい状態に落ちつき、あらゆるものが健全な生育をとげることになるので。」 『大学・中庸』 岩波文庫 p. 145


トランス・モダン的漢籍:『大学・中庸』:有徳から富が生まれる
これまで儒教というと、孔子が中心となってきたが、この『大学』は数章を読んだだけだが、実にトランス・モダン的哲学・思想となっている。有徳から富が生まれるのであり、逆ではないというのである。思うに、この道徳的経済論が日本の伝統的経済を生んできたと言えよう。漢籍はすばらしい。温故知新。

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大学・中庸 (岩波文庫) (文庫)
金谷 治 (翻訳)

カスターレビュー

大学・中庸ともに平易な現代語訳が、充実した注を伴って解説されており、容易に理解できます。難しい書だと構えて読む必要はありません。両者を合わせても分量は短く通読も容易です。“大学”は己自身を収めて(修己)こそ、人を治める(治人)ことができることを述べており、人の上に立つ人間であれば(親であれ、上司であれ)必読の書と言えます。修己には自分のおもいを誠実にすることが必要で、それは自分で自分をごまかさない、自ら欺くことがない(その独を慎む、慎独)ということであると述べています。“中庸”は、誠なる者は、天の道なり。これを誠にする者は、人の道なりの言葉に代表されるように、人間の本性である“誠”に従う道を示します。至誠の人は、他人はおろか物の本性をも十分に発揮させることができ、天地自然の造化育成を助けるまでの天地と並ぶ存在になると説きます。大学・中庸とも解説が素晴らしく、成立の歴史的背景が詳述され、原文の意味は勿論、それ以降の朱子学者の解釈、江戸時代から近現代の解釈を比較しており、学問的に高い信頼の置ける名著と言えます。

訳注者の金谷治氏自身が解説で述べているように、本書の意味は、「儒教」というよりは「朱子学」のなかで特別なテキストとされてきた「大学」「中庸」の二書に、朱子以前の古義を追求する読みをした、という点である。単に儒教=朱子学入門として本書を読むならば、島田虔次氏の訳注本(朝日古典選)のほうがよい。評者は島田氏の本を先に読み、その後でこの金谷氏のものを読んだので、朱子の注釈によらないこの本の読みは新鮮で興味深かった。というのは、朱子はこのテクストを、オリジナルな意味を尊重するよりは、自らの哲学体系の構築のために利用しているからである。しかし、江戸期には朱子学が公式の学問として採用されたために、朱熹の読みがむしろ正当の読みとされてきたことは注意すべきだろう。
 「大学」は、天下を治めるためには一身を治めることがすべてである、とする、道徳的政治観を述べた本。「中庸」は、前半が「中庸の徳」を持つことがいかにむずかしいか、後半が「誠」、すなわち「性」に従い修養することの大切さを述べた本である。

大学・中庸は、論語、孟子とあわせて四書をなす。日本人の民族思想を知る上で四書五経は避けてとおれないので、ともかく、一度は目を通しておきたいと思い、手に取った。

大学・中庸はもともと礼記49編の一部で、宋代(13世紀)に朱子が再評価して、論語・孟子とともに新儒教(=宋学=朱子学)の聖典としたものだそうだ。朱子はとくに大学への思い入れが深く、原文に大幅に手を加えて改変したばかりでなく、死の三日前まで自身の注釈書に筆をいれ続けたという。

しかし、朱子の「大学」には江戸期から解釈に誤りがあるとして批判も多く、本書では朱子の書き直した大学ではなく、もともとのテキストをとりあげ、原文、読み下し文、訳文という体裁で解説を加えたものだそうだ。

内容はむろん、一読したくらいでちゃんと理解できるものではないが、江戸期の小学生がこういうものを教科書として読んでいたのかと思うと、正直驚いてしまう。仁であれ、義であれ、子供でも教えればわかる、ということだろう。
武家の子どもが立派な口上を述べて切腹する話が新渡戸の「武士道」にあるが、大人の教養書である四書五経を子供のうちから暗記させるような教育方法でこそ、子供にして大人社会での美しい身のこなし方を身につけることが可能になるのだろう。
翻って現代を見るに、ここ150年ばかりの科学の知識は教えても、悠久として受け継がれてきた数千年の知恵は教えない。そんな嘆息を覚えた。

儒教『四書』の中に含まれる、素晴らしい名著です。特に、倫理道徳を重んじながらも、どこか軽やかな《自由さ》と、大らかな《優しさ》が感じられる所が、非常に素晴らしいです。でも、一つだけ言うなら、朱子による『大学章句』と『中庸章句』は、少し違うと思います。朱子の文章には、本文の持つ《自由さ》や《優しさ》が、ほとんど感じられません。むしろ、朱子独特の《排他心》の強さには、正直言って疑問を感じてしまいます。私は、朱子の文章を抜いて、本文だけを読んでいますが、その方が本文の意味をよく理解できると思います。やはり、教育関係者には心の狭い人が多い、ということでしょう。でも、本文は素晴らしいので、読む価値は十分あると思います。


2010年03月01日(Mon)▲ページの先頭へ
見えないものは忘れられる:近代の忘れものとしての東洋的身体思想:例えば、禅や道教
テーマ:ニッポン亡国の凶相:売国奴と愚民と狂信者

近代合理主義の視覚では、例えば、禅や道教の肚は見えない。しかし、肚を練ることは、かつては、日本の教養cultivationであった。身体的精神の陶冶・涵養が必須であったのである。それが、近代合理主義・唯物論で、すっかり、忘れられた。
 そう、日本思想の東洋的土台が忘却されたのである。これは、とりわけ、戦後の近代合理主義/近代科学・技術の洗脳に拠ると考えられる。

追記:思うに、日本人には短絡的な二項対立主義があるのではないだろうか。狂信的な尊王攘夷思想や、明治維新の脱亜入欧の欧化思想、そして、戦後のアメリカかぶれ、等々、あれか、これかで二者択一する発想があるのである。
 これは、いわば、一神教的発想である。他者なき自我・同一性の思想である。思うに、この短絡的同一性主義の発想はどこから由来しているのか。とにかく、父権的な発想であることは間違いない。後で検討したい。

追記2:近いところでは、小泉「フィーバー」がそうであった。この日本人の短絡的直情性は何なのか。血が頭に上ってしまうのである。まったき差異や他者の欠落・欠損・欠如。一種狂信性がかなりの日本人にはあると言えよう。狂信者としての日本人である。言い換えると、没知性的な日本人ということになる。

追記3:目に見えない肚や魂や精神というものは、ある形で目に見えるようにする必要がある。神社や寺院は、神仏の「存在」を可視化するものだろう。しかし、習慣の一部となり、意味がわからなくなるのである。

追記4:今日の民主党支持者も短絡的である。つまり、民主党崇拝になっているのである。そう、日本人は、自分が宗教的であることを認識すべきである。無宗教というのは、間違いである。日本人は宗教的衝動をもつが、それが、イデオロギーに利用されるのである。つまり、自分自身を見つめていないのである。
 そう、宗教的衝動と言っても、集団・団体・集合的宗教である。個としての独立が達成されていないのである。
参照:

058 池見酉次郎、潮文社
肚・もう一つの脳

普段、上半身は立ってるので、体の上部からのリンパ液は下半身へ流れる。しかし下半身のリンパ液のリターンには、太腿の筋肉ポンプが必要なのである。これも「気を巡らせる」ことになるであろうと思う。先ず、ウォーキングが循環促進に効果がありそうだ。歩いて太腿の筋肉が収縮するたびに、それがポンプの役目をするのである。同様に、気功体操には、同様の効果がある体位のものがあるに違いない。私も一つ考案した。まず仰向けに寝て、U型の呼吸法を数回する。足を上にあげて手で腰を支える。足だけを曲げて、太腿を胸に近づける。また上へ伸ばす。2〜3回やって、足を床につけ上体だけを起こして、呼吸を整える--と言うものである。ヨーガの鍬のポーズより楽であるが、リンパ液の移動の効果は、太腿の高低差分、こちらが優れいると考えている。

 このように気功や古武術は、さまざまの身体のメカニズムを組み合わせた健康法の宝庫であろうと考えられる。生物学の延長でチョット生理学を齧っただけの私ですら、気功の○○は生理学で言う××ではないか、と推測したくなる程、興味深いし真理を含んでいそうに思える。まして、医学の大家、心身医学の創設者の目からみれば、もっと深い理解があるだろう。

 池見は、ストレスによる障害等の心身の問題は、肚(はら)=丹田を鍛える事が解決策だと言う。肚を鍛えるには腹式呼吸と腰を立てる姿勢をとるやり方がある。医学会のみならず仏・武両道の達人との交際をきっかけとして肚を鍛えることの重要性を語っている。池見も肚に太陽神経叢の働きの以上のモノを見ているに違いない(なお、肚は日本の文化の根本原理であった、今やそれが失われている、という主張の本があるらしい。いずれまとめることとする)。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~monadon/books058.htm

道教復興:下丹田(肚)の復権
テーマ:日本ルネサンス:西洋包摂した新東洋文明
東洋思想とは、身体思想である。これによって、西洋思想との区別が自明である。
 しかるに、近代日本、とりわけ、戦後日本は、東洋思想を切り捨てたのである。
 伝統的日本文化は、肚の思想をもっていた。これは、道教で言えば、下丹田の思想だと思う。因みに、道教では、上丹田(頭)ー中丹田(心臓)ー下丹田(肚)の身体性を説いている。(インドのヨガでは、七つのチャクラを説いている。)
 作業仮説するが、PS理論の+iが上丹田であり、-iが下丹田であり、Media Pointが中丹田はないだろうかと思うのである。
 今日、下丹田-iが喪失されていると思う。近代合理主義=近代的自我は、これを否定してきたと考えられる。そして、現代日本人の堕落が生じたのである。

追記:時間がないので、精緻に考察できないのが残念である。私が問題にしたかったのは、「近代化」は、中丹田から上丹田へかけての意識形成を行い、下丹田を抑圧・排除しているということである。
 つまり、中丹田に関わるので、Media Pointはそれなりに存するが、しかし、下丹田が排除されているために、Media Pointが上丹田的な同一性と連続化していると思われるのである。つまり、利己主義化された中丹田になっているのである。
 下丹田を「啓蒙」化するならば、中丹田は、超越化されるようになると考えれる。そこで、下丹田の差異と上丹田の同一性が衝突するのである。しかしながら、中丹田ー下丹田の領域と中丹田ー上丹田の領域は不連続であるとして、絶対的に切断することで、この衝突は、「調和」されるようになると考えられるのである。
 思うに、下丹田とは、小宇宙・ミクロコスモスだと思う。いわゆる、神秘主義は、ここから発するだろう。
 とまれ、余裕のあるとき精緻に考察を行いたい。

後記:今日の日本人にリリシズムが欠落しているのは、下丹田が埋もれているため、豊かな精神の水源が塞止められているためと考えられる。三島由紀夫が「断絃の時」と言ったが、これは、下丹田の喪失をしよう。これが、とりわけ、戦後に起ったと考えられる。日本民族・日本文化の絶滅の危機である。
 
参考:
丹田
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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丹田(たんでん)は、内丹術 で仙人 になるための霊薬 仙丹を練るため気 を集め練る体内の部位。東洋医学 における関元穴 に相当し、へその下3寸(へそと恥骨稜の間を5寸とする)に位置する。

意味は気 の田 のこと。古くは『素問 』遺篇本病論に「神游上丹田」、邊韶の書『老子銘』に「存想丹田」、張仲景の『金匱要略 』にもみられる。これらは後漢 (3世紀前半)の書として伝来するが、文献学的には唐代以後のものである。内丹術では、気を材料として下丹田を炉とみなし、呼吸 をフイゴとして仙丹を練る。なお女性の場合は乳房の間の膻中穴 を炉とする。

解剖学 的には該当臓器などはないが、心身医学 の領域では、自律神経 の働きと免疫 機構の関係が注目され、太陽神経叢 が丹田に相当すると考えられている。

丹田は男性での名称で、両眉の間にある上丹田、心臓の下にある中丹田、ヘソ下3寸(約9cm)にある下丹田などがある。上丹田は、鼎、泥丸(ニルヴァーナ(涅槃 )の漢字の音訳)という。下丹田は地、臍下丹田(せいかたんでん)、気海丹田(きかいたんでん)などとも呼ばれ、単純に丹田と言った場合、下丹田のことを指していうことが多い。丹田の概念はインドのヨーガ思想を模倣したものと言われる。

関連項目 [編集 ]

* 呼吸法
* 調和道丹田呼吸法
* 腹式呼吸
* 肥田春充
* 肥田式強健術

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B9%E7%94%B0 " より作成
カテゴリ : 錬丹術 | 身体論

身体感覚を取り戻す―腰・ハラ文化の再生

身体感覚を取り戻す―腰・ハラ文化の再生
齋藤 孝/著 NHKブックス



◆ 日本は「腰肚(こしはら)文化」


日本の伝統的な文化は「腰肚文化」に集約されるのではないでしょうか。

腰や肚は精神的なことも含んでいますが、その基盤には腰や肚の身体感覚が実際にあるのです。

「腰をすえる」や「肚を決める」は、文化によって身につけられる身体感覚です。

腰と肚の身体感覚が強調されることにより、からだの「中心感覚」が明確にされるのです。
http://blog.livedoor.jp/longpa/archives/11396692.html

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