INNOVATION OF PHILOSOPHY: GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience - 2009/12

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




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2009年12月27日(Sun)▲ページの先頭へ
個を原点として民主主義が生まれた:本来、民主主義は差異的である:個・差異としての平等主義だろう
民主主義は個・差異から生まれたのではないのか。同一性からではない。
 だから、個・差異としての平等があるということであり、同一性とは、民主主義の本質とは本来関係のないことである。同一性は、封建制の発想である。
 後で詳論すべきである。

追記:補足すれば、問題は近代的理性である。それは、同一性になるのである。ここで、個・差異との齟齬が生じるのである。プロト・モダンにおいて、個・差異が肯定されたが、近代的理性・近代的合理性は同一性なのである。近代民主主義は、両者の混同があるだろう。本来、個・差異が単位であるが、それが、近代的理性によって、同一性へ向けられるのである。
 個・差異と同一性との混同・混淆が近代主義であり、ポスト・モダンはその終末である。そして、今や、個・差異を絶対的個・差異として捉えるトランス・モダン哲学が生まれたのであるし、現代は、それを志向していると言えよう。


12月28日から1月3日まで更新を休む予定です


検討問題:Media Point・精神的フィルターのエネルゲイアとしての即非様態
今日は逍遥派スタイルである。即ち、森を貫く道路沿いの歩道を歩いたり、森の中を歩きながら、考えた。
 Media Point(以下、MP)において、即非・差異共振現象が生起する。これは、「光」現象である。
 しかしながら、+1と-1の極性をもつ「光」現象である。そして、+1が光の極であり、-1が「闇」の極であると思う。
つまり、「光」現象とは、実は、光の面と闇の面をもつと考えられる。ただし、闇とは、通常の闇ではないのである。だから、正確に言えば、不可視性である。
 即ち、「光」現象とは、光面と闇面、可視面と不可視面の両面が即非様態にあるのであるが、一般的には、前者しか知覚していないと考えられる。
 それだからこそ、ダーク・マターやダーク・エネルギーの問題が出てくると考えられるのである。
 思うに、「光」を超光、トランス・ライト、マハー・ライト、大光、等と呼ぶ方が適切である。暫定的に、大光と呼ぶ。
 だから、大光は光極(光面)と闇極(闇面)をもつ極性体である。
 しかしながた、旧来の科学は、光極だけしか知らず、闇極に無知であったのであり、そのため、今日、ダーク・マターやダーク・エネルギー等の問題が出現していると考えられる。
 しかし、ダーク・マターやダーク・エネルギーを光ないしは大光とは別のものと考える限り、宇宙の謎は解明されないだろう。
 光と闇の極性をもつ大光を想定しない限り、解明されないと考えられる。
 西洋文明は、光極に傾斜した文化をもち、闇極を排除してきたのであるが、今や、後者を是認する必要に迫られていると言えよう。
 また、ここから、量子とは何かということも洞察できるだろう。量子あるいは光子とは、やはり、光極中心の考え方であり、闇極を考えていないのである。だから、非局所的長距離相関の仮説が生まれるのではないのか。
 以上の視点から言えば、もともと、「量子」は、即非極性的なエネルギーであり、同一性に限定できないのである。だから、双子(そうし)、対子(ついし)、極子(きょくし)、あるいは、即非子と呼ぶ方が明快である。
 具体的に言えば、大光とは、可視光であり、非可視光である。後者は赤外線や紫外線ではないことに要注意である。
 そして、肉眼とは可視光への視覚性であり、心眼とは非可視光を包摂した大光への視覚性ではないだろうか。
 また、さらに展開すると、身体、精神、「気」等とは何かとなる。
 ここで、先ず、「気」の問題について述べたい。私の今日の直感では、「気」とは、-1である。つまり、大光の極性において、光の極(+1)があり、他方、「気」の極(-1)があるのではないだろうか。
 そして、光子とは、+1であり、量子論は、-1の「気」を的確に捉えていないのではないだろうか。言い換えると、ダーク・マターとして、-1を捉えているのではないのか。
 ここで、暫定的に、光子の対極として、暗子を仮説する。そして、電磁波の一様態として、光子があるが、他の様態として、暗子があるのではないだろうか。そして、それこそ、ダーク・マターの単位ではないのか。
 また、ダーク・エネルギーであるが、それは、大光自体がそうではないのか。
 今はここで留める。

参考:

●EPRパラドックス --- アインシュタインの嫌う非局所的長距離相関

 すでに何回か繰り返した話だが、量子力学建設後、アインシュタインは確率解釈を基軸とするコペンハーゲン流の正統的量子力学に強く反発した。彼の反発は、ボーアをはじめ当時の指導的物理学者たちを大層驚かせたようだ。無理もない。かつて、アインシュタインは量子論発展の先頭に立っていた人だ。しかも、ブラウン運動論や光子の統計分布などでは、物理学における確率論的手法の開拓者でもあった人だ。衝撃はあまりにも大きく、その驚きを書き残している人もいる。歴史に残るアインシュタイン-ボーア論争は、そのような雰囲気の中で始まった。
 しかし、そのような反発はアインシュタインばかりではなかった。量子論の始祖プランク、物質波仮説のド・ブロイ、波動力学の創始者シュレーディンガーなども、正統的量子力学の受け入れを渋った。ド・ブロイは一時コペンハーゲン流量子力学を受け入れたが、あとで拒否し、彼独自の解釈を推進し続けた。あとで触れるが、シュレーディンガーもブラウン運動論の視点から彼独自の解釈と方法で量子力学の再構築を試みたことがある。シュレーディンガーがコペンハーゲンを訪れて病気になったとき、ボーアがその枕元に長時間座って説得を続けた話は有名である。
 しかし、何といっても、アインシュタインの反発が一番すさまじい。彼はコペンハーゲン流量子力学の矛盾点をえぐり出す目的で、いくつかの思考実験やパラドックスを考察してボーアなどの正統派に挑戦したのである。その一つはすでに紹介した(「粒子を見るか波動を見るか」 参照)。別のあるパラドックスに対しては、ボーアはアインシュタインの質問に答えて、アインシュタインの創設した一般相対性理論を使って応酬するという一幕もあった。これも物理的観点から見て大層面白いパラドックスだった。しかし、アインシュタインの出したパラドックスをすべてここで紹介する必要はあるまい。結局、それらのパラドックスはすべてボーアによってコペンハーゲン流量子力学の枠内で解決されてしまい、量子力学自身の改変までまでには至らなかった。とはいえ、緊張感を伴った彼らの論争は、量子力学の内部理解にとって極めて有益だったのである。
 ボーアがすべて解いてしまったといったが、ただひとつだけ、いまだに重い疑問として物理学者の心の中に残り、繰り返し論争を呼んでいる問題がある。EPRパラドックスがそれである。 

(EPRパラドックス --- アインシュタインの嫌う非局所的長距離相関)
 1935年。アインシュタインはポドルスキー(B. Podolsky)、ローゼン(N. Rosen)と連名の論文を『フィジカル・レビュー』誌(アメリカ)に発表して、量子力学の記述が不完全だと主張した。その論文の表題は、「Can quantum-mechanical description of physical reality be considered complete? --- 物理的実在の量子力学的記述は完全と考えられるか?」であった。その際、考案されたのが、アインシュタイン-ポドルスキー-ローゼンのパラドックスである。通常、簡略化してEPRパラドックスという。アインシュタインたちは、その論文の冒頭で「物理的実在」に関する見解を述べている。EPRパラドックスそのものを説明する前に、まずその見解について語る必要があるだろう。
 アインシュタインたちは、次のような基準体をおいて物理的実在(physical reality)について考える。


 (a) 力学系を乱すことなく、ある物理量の値を測定できるとき、その物理量に対応する物理的実在の要素が存在する。


 (b) 物理学の理論体系は、物理的実在のすべての要素に対応する部分をもたなければならない。


 この基準には、自然界は確かな客観的な存在であるべきだとするアインシュタインの強固な信念が表明されている。徹底的な古典物理学的自然観だといえるだろう。アインシュタイン-ボーアの論争の根元はこの自然観にあるのだ。
 アインシュタインたちは、この基準によって量子力学を批判するのであるが、批判点を明示するために工夫された思考実験がEPRパラドックスだ。原論文では、ある相関関係をもつ二個の粒子の位置と運動量の測定を題材にしているが、忠実に紹介するには少々面倒な数式を使う必要がある。それはやめて、概略を説明するだけにしておこう。本質は、それで理解できると思う。
 いま二個の粒子A、Bからなる力学系を考える。各粒子は、二つの値a、bしか取らない特定の力学量をもっているとする。この力学量が値aをとる場合と、値bをとる場合とは排他的である。例としては、スピンなどを考えればいよい( 電子のスピン/パウリの排他原理 参照のこと)。この力学系を相手に、次のような思考実験を設定するのだ。
 いま、この力学系には、A(の力学量)が値aを取ればB(の力学量)が値bを取り、A(の力学量)が値bを取ればB(の力学量)が値aを取という相関関係が与えられていたとする。例としては、第五章の「スピンと波動関数」 の項のスピン状態χ+(s, s')またはχ-(s, s')などがある。(簡単のために、これからは断りなしに「の力学量」および「値」という言葉を省略することもある。)この相関関係があるとき「Aがa、Bがb」および「Aがb、Bがa」という運動状態が同時に存在する。したがって、そのおのおのの波動関数を、それぞれ、Ψ1(Aがa、Bがb)とΨ2(Aがb、Bがa)と書くことにすれば、重ね合わせの原理により、この力学系の状態は

Ψ=Ψ1(Aがa、Bがb)+Ψ2(Aがb、Bがa)

でなければならない(Ψはプサイと読む)。この相関関係が成立した後、AとBを十分遠く(たとえば、宇宙の中で星間距離ほど遠く)引き離して、Aがいる場所でAの力学量の測定を行う。その結果、第一の場合として、A(の力学量)が(値)aを取ったことがわかれば、「波動関数の収縮」Ψ→Ψ1(Aがa、Bがb)が起きるはずだ。したがって、ただちにB(の力学量)が(値)bを持っていることを知る。第二の場合として、測定結果がA(の力学量)の値としてbを与えたとすれば、「波動関数の収縮」は、Ψ→Ψ2(Aがb、Bがa)であり、ただちにB(の力学量)が(値)aを取ることを知るわけだ。
 いずれの場合も、宇宙的距離ほど離れたBに情報が瞬時に(光の速度を超える速さで)伝わった! なんとも不思議である。これを非局所的長距離相関という。
 今の話では、簡単のために、素朴コペンハーゲン解釈を使い、一方の分波(Ψ1またはΨ2)消えると議論した。しかし、第6章で詳しく述べたように、正しくは「波動関数の収縮」は、両分波の位相相関が喪失して排他的事象に対応する確率の和に分解することだ。そのように話を進めても、結論は同じである。
 ところで、AとBは遠く離れているのだから、第一の場合も第二の場合も、Aに対する測定がBを乱すことはない。まず、第一の場合を考えよう。この場合は、Bを乱すこともなく、B(の力学量)の値bがわかったのだ。したがって、基準(a)によれば、Bのその力学量は物理的実在の一要素である。しかも、この状況はAに対する測量とは無関係に、始めからB(の力学量)が確定値bを取っていたことを意味する。一方、第二の場合からも、同様の論理でBのその力学量が物理的実在の一要素であるという結論が出てくる。しかし、今度は、初めからB(の力学量)の値はbではなく、aに確定していたのだ。
 物理的実在に対応する力学量の値が、初めから、たがいに排他的な値aとbを取っていたという結論は矛盾以外の何物でもない。だから、量子力学は間違っているというのだ。
 ボーアは、これに対して、同じ表題の論文で次のように答えた。このパラドックスの根源は、Bとは無関係にAについての測定が行われるとしたところにある。相関関係が確立している場合は、全体を一つの力学系と考えなければならない。したがって、Aについての測定操作は二個の粒子からなる力学系全体に及ぶはずである。ボーアはこれを分離不能性という。非局所的長距離相関の本質はここにあったのである。これを取り除いてしまうと、量子力学の成功の重要な部分が、ほとんど失われてしまう。けっきょく、EPRパラドックスは、アインシュタインが主張する「物理的実在」という古典的概念が量子力学と両立し得ないことを示す物だと、ボーアは結論する。
 とはいえ、このような分離不能性または非局所的長距離相関は何はともあれ不思議だ。本当に、宇宙的空間をへだてた二つの粒子の間の相関関係が瞬時に現れるのか? アインシュタインならずとも、疑問に思う。
 この疑問は思弁的討論だけで済ませるべき問題ではない。長距離相関の存在は現実の実験で確かめることのできるはずなのである。アインシュタインが問題を提起した1935年頃は、思考実験でしか考えられなかったが、実験技術の格段の進歩のおかげで、今や実験室実験が可能になった。すでにかなり前から、いくつかの試みがあったが、この10年ほどの間に見事な実験が行われた。フランスのアスペ(A. Aspect)とそのグループ、およびスコットランドのクラインポッペン(H. Kleinpoppen)とその協力者たちの実験である。いずれも、一つの原子から反対方向に放出された相関関係をもつ二個の光子を使い、十分離れたところ(といっても実験室の中だが)で、両方の光子の間に量子力学のいう相関関係が保たれているかどうかを調べた実験だ。
 結果は量子力学の予言どおりであった。アインシュタインが嫌う非局所的長距離相関(ボーアのいう分離不可能性)が実験的に証明されたのである。若い物理学者アスペが、最初に、この実験に成功し、ベテランの実験家クラインポッペンが、それを追認した。彼らの実験は、直接的には「ベルの不等式」の検証という形で行われた。ベルの不等式についてはあとで触れる。
 改めて見直せば、アインシュタインの嫌う非局所的長距離相関は量子力学が突出するところには必ずといってよいほど存在する。ボーアの主張するように、アインシュタインのいう「物理的実在」についての古典的概念は量子力学とは矛盾するものなのだろう。この意味でも、古典的な素朴実在論は量子力学では成立しない。結局、アインシュタインは、量子力学を受け入れないまま、量子力学を理解できない年寄りと思われたまま、1955年に死んだ。まだ今のようなアインシュタイン・ブームがの起きる以前のことである。さびしい晩年だったに違いない。(量子力学入門 並木美喜雄 岩波新書より)
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2009年12月26日(Sat)▲ページの先頭へ
竹島問題:自民党が正しい:日本の竹島という差異を主張すべきだ:対立から調和が生まれる
自民党の方が正しい。鳩山首相には、差異がないのである。日本の竹島という差異を差異として絶対的に主張する必要がある。
 対立から調和が生まれるのである。
 友愛路線とは、連続的差異の思想であり、差異がぼやけてしまうのである。
 
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関係良好、韓国に配慮=自民は追及の構え−「竹島」明記見送り
  政府は高校の新学習指導要領解説書に、日韓が領有権を主張する竹島(韓国名・独島)の明記を見送った。良好な日韓関係に水を差したくないとの判断とみられ るが、領土問題で譲歩したかのような印象を与えかねない。自民党などからは「逃げずにちゃんと書くべきだ」(町村信孝元官房長官)と批判の声が出ている。
 日本政府の見解は、竹島は「歴史的にも、国際法上もわが国固有の領土」。2008年7月に福田政権下で中学校の学習指導要領を改定した際、解説書に「わが国と韓国の間に竹島をめぐって主張に相違がある」と明記したのは、竹島問題での日本の立場を明確にするためだった。
  今回、高校解説書で竹島について記述せず、「中学校における学習を踏まえ(中略)領土問題について理解を深めさせる」とするにとどめた。政府は「解説書に 『竹島』と書かなくても、ほとんどの教科書が取り上げている」(外務省幹部)と説明するが、日本側が軟化した観は否めない。
 鳩山政権は「東アジア共同体」の構築を掲げ、外交でのアジア重視の姿勢をアピールし、韓国の李明博大統領は同構想に理解を示している。こうした日韓関係を踏まえた上での判断と言えそうだ。(2009/12/25-19:46)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2009122500803


Sat, December 26, 2009 13:40:30
検討問題:Media Point現象学
テーマ:Media Point/精神的フィルター
1)イデアとエイドス(形相)の違いをどう解明するのかということがある。


2)他者への志向性:それは、+iが-iへと志向することと言えよう。このとき、光現象が起こり、⇒+1となる。しかしながら、+iは他者-iへと志向したが、+iが+iであり、-iではないのである。
+iの絶対的独立は-iとの連続化を否定する。それが、-1ではないのか。反発である。
 問題は、牽引と反発のメカニズムである。先に、光の二重性を述べたが、即非的共鳴において、+iと-iは連続性と同時に、非連続性をもつのである。前者が+1であり、後者が-1ではないのか。暫定的に、前者を「陽光」、後者を「陰光」と呼んだ。
 思うに、+1と-1は即非関係である。両者は一(いつ)、一如であるが、絶対的差異である。そう、光の極性を呼べるかもしれない。+1が正の極であり、-1が陰の極である。
 そうならば、通常、人間の視覚は、光のプラスの極を見ているだけで、マイナスの極を見ていないのである。
 しかし、プラスの光だけでは、同一性の世界、物質の世界だけであり、色の世界に過ぎない。
 マイナスの光を肯定することにより、真の光、心眼の光が見えてくると言えよう。思う、ロレンスが言ったdark sunとは、このマイナスの光ではないだろうか。
 とまれ、人間は、一般に、プラスに傾斜していて、マイナスを抑圧、排除、隠蔽するのである。


3)身体性の問題:視覚中心主義は、身体性が希薄になるようだ。つまり、それは外的世界を中心にするために、内的世界、身体的世界(内面的身体性)を排除するのではないだろうか。
 内面性、精神性をもつことで、視覚は心眼的になるのである。


Sat, December 26, 2009 13:27:00
新ゾロアスター教のトランス・モダン:魂のあるピープルと邪悪な、愚劣なサブ・ヒューマン
テーマ:トランス・モダン社会/世界の創造・構築
以下、スロー人氏の考察はまったく同感である。
 民の魂にある未来が、時代を変えるのである。そう、私には、現在、魂のある日本人と邪悪な、あるいは、愚劣な日本人の二種類が存するのをはっきり認識で きる。トランス・モダン・ピープルとモダン/ポスト・モダン・サブ・ヒューマンである。これも、ゾロアスター教的と言えよう。

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時代を変えるのは、今は名もない人びとの中から
時代を変えるのは、今は名もない人びとの中から
テーマ:経済
 昨日か、明後日が、仕事納めという方も多いと思います。2009年もいよいよ終わりです。2010年は今年よりも酷い年になる可能性が濃厚です。それはアメリカで発生するかもしれない二番底にかかっています。

 ところで、新しい神話について前回少し話をさせていただきました。神話とは、多くの人々が共有する「おとぎ話」です。

 神話を通じて、人びとは共通の意識を持ち、国家あるいは民族としての単位を形成することができます。

 日本人は、アメリカと交戦して敗北した結果、神話を放棄することを強制されました。

 その結果、現代の日本人は、日本人の核を失って自分勝手な理屈を並べ、あい睦みあうことのできない集団になってしまったかように見えます。

 80年代のバブルを通して、大企業の役付きの人びと、官僚、天下り、政治家などが、勝ち組として日本のエリート層を構成するようになりました。

 その大多数は、日本経済に直接の果実をもたらす能力を持たず、無為徒食の輩とも呼べる人びとであるともいえます。

 それが、目下の不況の一番の原因である、とぼくは考えています。

 日本という国の物資的な豊かさは彼らの力によって達成されたものではなく、名もない人びとの日々の精進だったはずです。

 エリートたちは、自らはロクな働きをせずとも、権力が約束する力によって、物資的な豊かさを享受している集団といえるでしょう。

 その反動として、他の名もない国民が鬱々とした日々を必死に生きるしかないわけです。

 ぼくはだからと言って、西洋人のように、彼らを血祭りにあげてしまえ、というバカなことは主張しませんが、歴史の必然としてこういう社会層がいつまでもエリートとして存在を許されるものでないことも明白だと思います。

 居座りつづければ、日本という国が他国に飲み込まれるわけです。

 そういうことには決してならない、それが日本人の矜持であろうと思います。
スロー人ロハス-自由と資本主義と礼節


Sat, December 26, 2009 12:59:08
Kelly Clarkson Already Gone American Idol FX HD
テーマ:音楽/ポップス
AFNで最近よく聴かれる曲である。とくに優れた曲ということではないが、このような、ある意味で素朴なリリカルな曲がアメリカから生まれるということである。(カントリーの土壌である。)
 米国のポップスの土壌は豊饒肥沃である。
思うに、アメリカの大地がミューズを発生させるのではないだろうか。天と地の共鳴によって、音楽の「気」=ミューズが生まれるのではないだろうか。 
 日本は、狂気のような開発主義で、大地を台無しにしてしまった。大地がないために、豊かな音楽が生まれないと考えられる。三島由紀夫は、断絃のときを説いた。

追記:なにか東洋的なものというか、ケルト的なあるのではと感じたが、やはり、ケルトの血が入っている。
 なお、私が直感するケルト的なもの、あるいは、東洋的なものとは、身体的な情感である。

「クラークソンはギリシャ系、アイルランド系、及びドイツ系家系の両親のもと、テキサス州フォートワースで生まれた。」

Kelly Clarkson - Already Gone
http://www.youtube.com/watch?v=z082xUBdzrM

http://www.youtube.com/watch?v=o_fYZnymJDs

http://www.youtube.com/watch?v=z082xUBdzrM

Kelly Clarkson Already Gone American Idol FX HD My Life Would Suck Without You


Kelly Clarkson-Behind These Hazel Eyes
http://www.youtube.com/watch?v=svxP2LjBg_4&NR=1

Kelly Clarkson - Walk Away


ケリー・クラークソン
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ケリー・クラークソン
Kelly Clarkson, Women's World Awards 2009 a.jpg
基本情報
出生 Flag of the United States.svg アメリカ合衆国 テキサス州フォートワース
1982年4月24日(27歳)
ジャンル ポップロック
職業 歌手
活動期間 2002年 -
公式サイト http://www.kellyclarksonweb.com/
表・話・編・歴

ケ リー・クラークソン(Kelly Clarkson、1982年4月24日 - )は、アメリカ合衆国の歌手。合衆国の人気オーディション番組『アメリカン・アイドル』の第1シーズンに出場し、親しみやすい容姿とやわらかな歌声で瞬く 間に人気を集め、ついには優勝、合衆国のみならず世界中で活躍するポップロックシンガーである。テキサス州生まれ、身長161cm[1]。
目次
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* 1 経歴
o 1.1 初期の生活
o 1.2 アメリカンアイドル
o 1.3 キャリアの始まり
* 2 ディスコグラフィ
o 2.1 スタジオアルバム
o 2.2 シングル
* 3 脚注
* 4 外部リンク

経歴 [編集]
初期の生活 [編集]

クラークソンはギリシャ系、アイルランド系、及びドイツ系家系の両親のもと、テキサス州フォートワースで生まれた。
アメリカンアイドル [編集]

彼 女が学生のころ、歌を歌っている時のことだった、たまたま通りかかった音楽の先生が言った。「どうして歌わないの?」クラークソンは「できないから。」と 答えた。しかし彼女は学校の聖歌隊に参加し、音楽の才能を徐々にのばしていった。彼女は、夢が必ずしも叶うとは限らないということを知っていたが、心のど こかで夢を信じていた。それから彼女はお金をため、カリフォルニアで暮らし始めた。だが、悲劇が彼女を待ち受けていた。彼女の暮らしていた家が火事になっ てしまったのだ。こうして再びテキサスに戻った彼女に、ある日「アメリカンアイドル」のオーディションを受けるのはどうかという友人の誘いがあり、結局彼 女はオーディションを受けてみることにする。

2002年9月4日、人気オーディション番組『アメリカン・アイドル』で、彼女のその飾らないキャラクターと圧倒的な歌唱力が万人に受け、全米からの総応募者数1万人の中から約10週間にわたる激戦を勝ち抜きついに優勝。

当時ウェイトレスだった彼女は親友に誘われてオーディションを受けに来ていた。
キャリアの始まり [編集]
Kelly-clarkson-live-in-geelong.JPG

オー ディション終了直後の2002年10月5日にデビューシングル「A Moment Like This」が全米シングル・チャート(ビルボード)で初登場52位から翌週いきなり1位にジャンプ・アップ。歴史を塗り替える記録を樹立した。(これまで の記録はビートルズ「キャント・バイ・ミー・ラヴ」が1964年に達成した初登場27位から翌週1位)(2007年にマルーン5によってこの記録は塗り替 えられてしまう)

2003年4月に発売されたデビュー・アルバム『Thankful』は全米アルバムチャート初登場1位を獲得。 全米で200万枚を超えるセールスを記録。日本でも15万枚のセールス。シングル曲「A Moment Like This」「Before Your Love」「Miss Independent」「Low」「The Trouble With Love Is」等を収録。

2004年 12月にはセカンド・アルバム『Breakaway』を発表。今作でジャンルをロックへと大きく方向転換し世間を驚かせたが、全米アルバムチャートで3位 を獲得、2年間もチャートを賑わせるロングヒットとなり全米だけで600万枚近いセールスを記録し大成功を収めた。「Breakaway」「Since U Been Gone」「Behind These Hazel Eyes」「Because of You 」「Walk Away」等のシングル曲はどれも世界中で大ヒットを記録した。

2006年2月に開催された第48回グラミー賞ではBest Pop Vocal AlbumとBest Female Pop Vocal Performanceを獲得。グラミー二冠を達成した。

2007年6月に二年半ぶりとなるアルバム「My December」を発売。 全世界で合計約250万枚のセールスとなり、アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア各国ではプラチナアルバムとなる。

2009年3月6日、ニューアルバム「All I Ever Wanted」をリリース。
ディスコグラフィ [編集]
スタジオアルバム [編集]

* 2003年:Thankful ― #1 US (2x Platinum)、US sales:250万枚 worldwide sales:300万枚
* 2004年:Breakaway ― #3 US (6x Platinum)、US sales:600万枚 worldwide sales:1300万枚
* 2007年: My December ― #2 US、US sales:78万枚 worldwide sales:250万枚
* 2009年: All I Ever Wanted ― #1 US, US sales : 80万枚, #3 UK *チャートイン中

シングル [編集]

* Thankful
o 2002年:"A Moment Like This" - #1 US (2 Weeks);#1 CAN (2 Weeks)
o 2003年:"Miss Independent" - #9 US;#6 CAN; #6 UK;#6 CAN;#3 AUS
o 2003年:"Low" - #58 US;#35 UK;#2 CAN;#11 AUS
o 2003年:"The Trouble With Love Is" - #101 US;#35 UK;#18 CAN
+ UKでは"Low" と共にdouble A-sideでリリース

* Breakaway
o 2004年:"Breakaway" - #6 US;#22 UK;#10 CAN;#10 AU
o 2004年:"Since U Been Gone" - #2 US;#5 UK;#1 CAN (2 Weeks);#3 AUS
o 2005年:"Behind These Hazel Eyes" - #6 US;#9 UK;#4 CAN;#6 AUS
o 2005年:"Because of You" - #7 US;#7 UK;#2 CAN;#4 AUS
o 2006年: "Walk Away" - #12 US;#21 UK;#4 CAN;#27 AUS

* My December
o 2007年: "Never Again" - #8 US;#9 UK;#12 CAN;#5 AUS
o 2007年: "Sober" - #110 US

* All I Ever Wanted
o 2009年: "My Life Would Suck Without You" - #1 US;#1 UK;#5 AUS
o 2009年: "I Do Not Hook Up" - #46 US;#174 UK
o 2009年: "Already Gone" -

脚注 [編集]

1. ^ Kelly Clarkson - Biography - IMDb

外部リンク [編集]
ウィキメディア・コモンズ
ウィキメディア・コモンズには、ケリー・クラークソンに関連するマルチメディアがあります。

* Kelly Clarkson(英語版)
* The Official Fan Club of Kelly Clarkson(英語版)
* IMDB Kelly Clarkson(英語版)
* ケリー・クラークソン(Sony Music)
* ケリー・クラークソン(BMG JAPAN)

[隠す]
表・話・編・歴
アメリカン・アイドル
シーズン
1 · 2 · 3 · 4 · 5 · 6 · 7 · 8 · 9
司会
ライアン・シークレスト · ブライアン・ダンクルマン(シーズン1のみ)
審査員
ランディ・ジャクソン · ポーラ・アブドゥル(シーズン1〜8) · サイモン・コーウェル · カーラ・ディオガルディ(シーズン8〜) · エレン・デジェネレス(シーズン9〜)
優勝者
ケリー・クラークソン · ルーベン・スタッダード · ファンテイジア・バリーノ · キャリー・アンダーウッド · テイラー・ヒックス · ジョーダン・スパークス · デヴィッド・クック · クリス・アレン
準優勝者
ジャスティン・グアリーニ · クレイ・エイケン · ダイアナ・デガルモ · ボー・バイス · キャサリン・マクフィー · ブレイク・ルイス · デヴィッド・アーチュレッタ · アダム・ランバート
関連項目
アイドルシリーズ

「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%83%B3」より作成
カ テゴリ: アメリカ合衆国の歌手 | アメリカン・アイドル | テキサス州の人物 | ギリシャ系アメリカ人 | アイルランド系アメリカ人 | ウェールズ系アメリカ人 | 1982年生 | 存命人物 | クリエイティヴ・アーティスツ・エージェンシー | RCAレコードのアーティスト


Sat, December 26, 2009 12:06:50
普天間基地移設問題と日米関係:属国・植民地からのエクソダスとは
テーマ:沖縄/米軍基地/日米関係/日米安保問題
以下の普天間基地国外移設が脱属国へのキー・ポイントであると述べられている。
 「線型」的に言えば、確かに、そうなのだが、外交は裏があるのである。
 トランス・モダンの流れからすれば、普天間基地を国外に移設させるという方向はありうる。
 しかし、素人の考えであるが、国外に置くことは考えにくい。なぜなら、国内の基地は東アジアを睨む要衝になるからである。また、米国は「思いやり予算」を当てにしている。
 少なくとも、国内である。また、沖縄以外の国内は準備ができていないだろう。
 そして、この問題は、当然、軍事外交的バランスの問題である。私は国防軍が必要であると考えている。憲法九条は、国防は許容範囲であると私は考えている。
 国防体制ができたとき、米軍基地の国外への移設が現実味を帯びると考える。米軍の核の傘が抑止力である。
 米軍が国外退去した場合、東アジアの軍事バランスが崩れ、不穏になるだろう。

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「脱・不幸な国日本」「カギは普天間問題」 ― 加賀乙彦さんが日本のこれからを語る

阿修羅掲示板で次の投稿を見た。

「わが意を得たり−作家加賀乙彦の東京新聞コラム(12月25日朝刊24面)」

> 老作家のインタビュー記事で,取材記者自身が加賀さんの言に感動してるのですが,この中で加賀さんは戦後の日米関係を今回の政権交代を機に全面的に見直 し,普天間を初めとする米軍基地を日本から撤収させるべきである,と説いております。つまり,米軍の存在こそ属国日本の象徴であり,日本人の自立をさまた げてきた元凶であって,将来日本という国を亡ぼすことになると,警告を発しております。


どこへ行く、日本。(政治に無関心な国民は愚かな政治家に支配される)



2009年12月24日(Thu)▲ページの先頭へ
戦争屋は鳩山政権の対米的攻撃的態度を待っているのではないのか
米国の外交の狡猾さについていくら強調してもし過ぎることはない。
 米国は戦争するときは、敵国を挑発して、敵国に攻撃を先んじさせて、その後宣戦するのである。例外はイラク戦争であろうか。
 この視点から鳩山政権を見ると、普天間基地移設問題は、たいへん危険である。米国は、日本を非難して、そして、中国とさらに接近し、また、中国も日本を批判的になるだろう。孤立するのである。
 対米従属から脱却するため、普天間基地を沖縄外や国外に置くというのは、米国の戦争屋の論理ではないだろうか。
 直線的で単純な鳩山政権は売国・亡国政権である。


「聖霊」のときとdark Godのとき:自己認識と超越的他者
以下のAkehino(Kaisetsu)氏の洞察は非常に深い。
 自己認識のときと、超越的他者による自己と他者の認識のときが、まったく異なるということである。
 私が想起したのは、D. H. ロレンスの「聖霊」論である。「父」と「子」の絶対的対立がある。しかし、「聖霊」のときがあり、そのとき両者は和解するのである。つまり、即非のときと言えよう。それは、以下では、□のときに当たるだろう。
 では、the imaginary personの認識のときとは何だろうか。それは、ロレンスが求めた「神」、dark Godのときではないだろうか。darkはblackではなく、unseenの意味ととるべきである。unseen Godである。
 後でさらに検討したい。

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The formation of imaginary action in media point □.


・・・・・

These discontinuous actions is seen as a sequences of vibration.

The discontinuous vibration is the following repetition.

1) □
2) 凸,凹
3) □
4) 凸,凹
5) □
..........
..........
..........

And □ is divided into 凸 and 凹 with imaginary cut knife(Vertical action).

And 凸 will move itself and find 凹 to the automatic target on the horizontal field.

Then only when 凸 meets 凹, 凸 can recognize 凸-self. And at the same time, 凸 will disappear into □.

So at the time "1),3) and 5)..." , 凸 will be able to recognize itself.

On the other hand, we can imagine another person who holds "imaginary cut knife".

Please remember the famous picture of Rene Magritte, " This is not a Pipe".

nepapipe nepapipe posted by (C)天花一海

The person with imaginary cut knife is the same one who indicate "This is not Pipe".

This imaginary person can recognize 凸 and 凹 at the time only as "2) and 4)....".
And at the recognizing moment, 凸 and 凹 will disappear into □.

It is the cause of "the perversion and the mistake" that 凸 and "the imaginary person" cannot recognize 凸 at the same moment.

The recognizing moment is absolutely different between 凸 and "the imaginary person"

Sometimes we say "the imaginary person" as God.

『海舌』 the Sea Tongue by Kaisetsu 
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参照1:
原爆ドーム―香椎羊雪集 (論文編3)
著:香椎羊雪
出版社:(株) 近代文藝社

商品レビュー

1 Introduction―The Testment by Prof.Tadao Yanaihara
2 D.H.ロレンスの『アポカリプス』の宗教融合についての一考察―エーリヒ・ザウアーの贖罪論を中心として
3 D.H.ロレンスの『聖霊』についての宗教社会学的考察―ロレンスの聖霊降誕(ペンテコステ)の解釈の問題点を中心として
4 現代キリスト教に見られる儀文的傾向
5 The Dragon and the Holy Spirit:A Note on Lawrence’s
6 The Symbolic Meaning of Ise Shrine:Ise Shrine in Japan and Tabernacle in Ancient Israel

[要旨]
神道は縄文時代の共生と循環の思想を根底としていて、21世紀の重要な思想となり得る。その時代の人間は自然を畏敬し動物にも植物にも宿る神々がいると恐れた。D.H.ロレンスはキリスト教国、英国に生き動き存在した人間だから、これを「キリストの聖霊が宿る」と解釈した。彼の思想と日本の神道思想との接点である。贖罪によるきよめと再生について本論文は言及している。
http://books.livedoor.com/item/405228
参照2:
ファシズム的連続的全体主義からトランス・モダンの差異共振意識へ
テーマ:D.H.Lawrenceの『死んだ男』
これは、論文のテーマの一つであるが、D.H.ロレンスは、同時代の全体主義的潮流に近づいた時期があった。

しかし、ハイデガーとは異なり、それを乗り越えて、トランス・モダンの差異共立ないし差異共振の意識へと進展したと考えられる。

興味深いのは、「隠れた神」と「脊椎的意識」を述べていることである。前者が「精神」であるが、後者が民衆・衆生の身体である。

ロレンスは、この両者が必要であると言っている。ちょうど、大乗仏教の発想と似ているのである。すなわち、前者が悟りであり、後者が衆生救済である。

問題は、後者に関して、極性があると述べていることである。それは、「愛」と「力」の極性である。そして、「現代」は「力」の時代であると述べるのである。「力」は連続的同一性による暴力と言えるのではないだろうか。

ここにおいて、ロレンスは、全体主義的傾向を帯びたのである。

問題は、一見、「隠れた神」と「脊椎的意識」は同一であると思われるのであるから、それを分化しているのは、意外なのである。

これは、天と地と言い換えることができるだろう。

そう、ロレンスは、いみじくも、「隠れた神」の志向をニルヴァーナと言っているのである。

大乗仏教ならば、衆生への志向性をもつのである。

そう、直観では、ロレンスは、大乗仏教的発想に近いのである。

思うに、「隠れた神」が虚数軸・超越界であり、「脊椎的意識」とは、実数軸・現象界ではないだろうか。

ならば、「脊椎的意識」の極性とは、+1と-1のことになるのであはないだろうか。

「愛」が+1で、「力」が-1ではないだろうか。

思うに、「隠れた神」がiで、「脊椎的意識」が-iかもしれない。

これで、天と地とになる。

なにか、ロレンスの考えは、混乱しているように思える。

「隠れた神」=i=天、「脊椎的意識」=-i=地とすると、この両者がロレンスは必要であると述べているのは、i*(-i)のことを言っているように思える。元知と元身体の共振である。

そして、「脊椎的意識」に極性があるというのは、共振性と非共振性ではないのか。

共振性は、⇒+1であり、非共振性は、⇒-1であろう。

「愛」と「力」である。

そして、「現代」は、後者の時代であると説いているのである。これは、ファシズム・全体主義に通じると言えよう。

これは、今日の日本で言えば、従軍慰安婦は、日本軍に強制されなかったという「力」=暴力の発想と共通だろう。

個ではなく、連続的同一性(国家民族主義)に拠る集合的発想である。

ロレンスは、結局、この発想を乗り越えて、+1の思想に到達するのである。差異即非共振の観念である(『死んだ男』)。

ロレンスのコスモスの思想もそういうものだろうし、最晩年の『黙示録論』も、-1を否定して、+1を説いていると言えよう。

思えば、ロレンスには、父権的意識が強いのである。否、母権的意識である。これは、-i*(-i)⇒-1であろう。

ロレンスの言う「力」とは、近代合理主義への反動であろう。だから、等価になってしまうのだろう。

ちょうど、ロマン主義的反動である。

イギリス・ロマン主義の詩人ワーズワースは、underpower下部の力を説いたが、同じであろう。

身体性の反動である。

そう、現代日本の問題はこれであろう。身体の反動である。小泉にしろ、石原にしろ、東国原にしろ、身体性の反動だと思う。

主人への反抗なのである。叛乱なのである。反逆なのである。一種左翼的なのである。

非合理主義なのである。

生の哲学である。

ハイデガー哲学である。

しかし、これは、同時に、i*-(-i)⇒-1でもあろう。

とにかく、連続的同一性主義である。

エネルゲイアというよりは、フォースである。

物質的暴力である。

現代日本の場合、近代主義への反動としての倒錯があると思う。戦後を否定するのは、ある意味では正しいが、それが、反動となり、極端となり、同一になっているのである。

やはり、-i*(-i)⇒-1であろう。

だから、全体主義・ファシズムなのである。

欠落しているのは、差異共振性である。

メディア・ポイントの明晰判明な知性である。

メディア・ポイントの叡知である。

メディア・ポイント・クロス(十字架)の叡知である。
http://ameblo.jp/renshi/entry-10028092189.html
http://ameblo.jp/renshi/theme-10000374060.html
Japonesian Trans-Apocalypse:Trans-Modern New Platonic Trans-Creation


検討課題:フォルムと同一性:ディオニュソスとアポロ:差異と同一性
先に、視覚と同一性の連関に関して検討したが、特に、視覚だけが同一性に関係するのではなく、言語が同一性に関係すると述べた。
 しかしながら、現象界における物のフォルム、つまり、輪郭を見ると、それが、同一性の単位ではないのかと思った。
 例えば、車がある。車のフォルムがある。そのフォルムと車という同一性が結びつくのではないのか。
 即非現象の場合、「車」はフォルムをもつものの、他者、絶対的他者、絶対的差異となるのである。その時のフォルムは確かにフォルムとしてあるが、もはや、「車」のフォルムではない。
 とまれ、視覚現象において、物や人のフォルムがあり、それが、物と人の同一性を形成するのではないのか。
 鏡像の場合、そのフォルムによって、「わたし」の同一性が形成されるだろう。
 思うに、⇒+1の+1はフォルムも意味すると考えられよう。つまり、形態である。これは、アリストテレスの形相(エイドス)と関係しよう。(また、ニーチェが問題とした感覚の問題がここにあると言えよう。因みに、イデアはMedia Point[⇒]に存すると言えるが、形相は思うに、⇒の先端にあり、その結果がフォルムであろう。)
 つまり、形相(エイドス)⇒フォルム(形態、輪郭)ということになる。
 結局、同一性認識とは、エイドス⇒フォルムに拠るのではないだろうか。そして、これは、固定したものであり、二項対立的になるだろう。つまり、フォルムは物の同一性を決める根拠であり、ここにおいて、他者と背反の関係になるのである。例えば、「花」のフォルムがあり、それは、「石」のフォルムとは絶対的に異なり、両者は区別されるのであり、一如となることはありえない。「花」は「花」であり、「石」は「石」である。
 このフォルム的同一性が、物質の根拠となるのではないだろうか。本来、物とは、即非現象であり、物質ではないのである。
 結局、フォルム的同一性という視覚が、支配的になり、超越性を喪失させると考えられる。イタリア・ルネサンスにおいて、遠近法が発達するが、これは、正に、フォルム的同一性を構築するものではないだろうか。そして、デカルト哲学によって、近代合理主義が生まれてくるのである。(もっとも、デカルト哲学は Media Pointをもつが。)
 結局、フォルム的視覚が同一性主義、物質主義の根拠になると考えられる。言語も同一性主義の根拠の一つではあるが、フォルム的視覚の方が、言語よりも、主導的であると考えられる。
 そう、端的に、言語には、内面性を志向する側面があるからである。
 
追記:ニーチェの「アポロ」は、二面性をもっていると考えられる。一つは、⇒+1としての「アポロ」(光)であり、一つは、以上のフォルム的同一性としての「アポロ」である。
 そして、これは、ある意味で当然ながら古代ギリシアの二面性に通じよう。つまり、古代ギリシアはディオニュソス的な差異共振性をもっていると同時に、フォルム的同一性の「アポロ」をもっていたのである。つまり、差異と同一性の大矛盾が古代ギリシアに存したのである。これは、プラトンとアリストテレスの対立に見ることができよう。
 注意すべきは、差異共振・即非現象としてのアポロ、⇒+1である。これは、超越性の背景があると言えよう。しかし、同一性のアポロは+1で、もはや、超越性は消えている。
 思うに、ヘルダーリンやシェリングは超越性を志向したのであり、ヘーゲルとは対峙する。
 また、ディオニュソスであるが、それは、Media Pointと見るべきであろう。私はプラトンとニーチェは意外に似ていると言ったが、それは、ここから説明できる。つまり、両者ともに、Media Pointにおいて、超越性を説いていたのである。
 ところで、ニーチェの説いた「大地」とは何だろうか。地上性は何だろうか。後で検討したい。


参考:
形相
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形相(けいそう ギリシャ語 エイドス)とは、哲学用語で質料 に対置して使われる用語。日本語としては、「ぎょうそう」とも読めるが、哲学用語として使う時には「けいそう」と読む。
アリストテレス哲学における「形相」 [編集 ]

「質料」(ヒュレー)と「形相」(エイドス)を対置して、内容、素材とそれを用いてつくられたかたちという対の概念として初めて用いた人は、古代ギリシアの哲学者アリストテレス である。彼の『形而上学 』の中にこういう概念枠組みが登場する。

プラトンが観念実在論を採り、あるものをそのものたらしめ、そのものとしての性質を付与するイデアを、そのものから独立して存在する実体として考えたのに対し、アリストテレスは、あるものにそのものの持つ性質を与える形相(エイドス)は、そのもののマテリアルな素材である質料(ヒュレー)と分離不可能で内在的なものであると考えた。

プラトンは元来イデアを意味するのにエイドスという言葉も使っていたのだが、アリストテレスが師の概念と区別してこの言葉を定義した。

大雑把に言えばプラトンのイデアは判子のようなものであるが、アリストテレスのエイドスは押された刻印のようなものである。イデアは個物から独立して離在するが、エイドスは具体的な個物において、しかもつねに質料とセットになったかたちでしか実在し得ない。

エイドスが素材と結びついて現実化した個物をアリストテレスは現実態(エネルゲイヤ)と呼び、現実態を生み出す潜在的な可能性を可能態(デュナミス )と呼んだ。今ある現実態は、未来の現実態をうみだす可能態となっている。このように、万物はたがいの他の可能態となり、手段となりながら、ひとつのまとまった秩序をつくる。

アリストテレスはまた、「魂とは可能的に生命をもつ自然物体(肉体)の形相であらねばならぬ」と語る。ここで肉体は質料にあたり、魂は形相にあたる。なにものかでありうる質料は、形相による制約を受けてそのものとなる。いかなる存在も形相のほかに質料をもつ点、存在は半面においては生成でもある。

質料そのもの(第一質料)はなにものでもありうる(純粋可能態)。これに対し形相そのもの(第一形相)はまさにあるもの(純粋現実態)である。この不動の動者(「最高善」=プラトンのイデア)においてのみ、生成は停止する。

すなわち、万物はたがいの他の可能態となり、手段となるが、その究極に、けっして他のものの手段となることはない、目的そのものとしての「最高善」がある。この最高善を見いだすことこそ人生の最高の価値である、としたのである。
関連項目 [編集 ]

* 質料
* デュナミス
* イデア論

執筆の途中です この「形相」は、哲学 に関連した書きかけ項目 です。この記事を加筆・訂正 して下さる協力者を求めています 。(Portal:哲学 )
「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%A2%E7%9B%B8 」より作成
カテゴリ : 哲学の概念 | 形而上学

第一章 宇宙(世界)と人間
2.(2) 理想世界の追求−現実の分析からの世界。

アリストテレスが世界を考える場合、彼はプラトンの弟子として、当然、プラトンのイデア論を引き継いでいます。彼もまた、理想世界を追う点では、プラトンに劣らぬものがありました。

ただ、彼はプラトンに比べると現実主義的でした。プラトンが現実の世界をイデアの影のようだと見なしたことには、納得がいかなかったのです。

彼にとっての世界は、自分が現実に存在する世界以外の何ものでもありませんでした。彼は、現実を見つめ、現実を分析し、さらにこれを統合しようとしました。

そこには、プラトンのようにイデアの世界に住むことができないアリストテレスの厳しい現実があったのかもしれません。人が運命に翻弄されるように生きなければならないとき、人はその現実の厳しさを見つめなければならないからです。

ともあれ、彼は、現実に存在しているものを見つめ、これを、プラトンの用語法にならって、しかも、プラトンとは異なった考えであることを示すために、「形相(イデア=物事の本質)」と「質料(ものごとを形作っている材料)」に分けて考えました。

ものが存在しているのは、「形相」が「質料」をとって、それが一つになって形を取っているからであると考えたのです。

物事のイデアはある。しかし、プラトンが主張したようにイデア=形相は、どこか他のところにあるのではなく、存在している物事のその中にある、というのです。

哲学用語を塚っていえば、形相=イデアは、超越しているのではなく、内在しているということになります。

「本当のこと」はわたしの外にあるのではなく、わたしの内にある、といってもいいかもしれません。

感覚できる現実の世界は、形相と質料が一つになった世界であり、形相は、その世界のそれぞれの事物の中にあり、質料は、デモクリトスらの原子論者の言う「原子」でもあります。

たとえば「木」を考えてみましょう。アリストテレスは、現実に存在している「木」は、そのどれをとっても「木」であるとうい「木」の形相=イデアを備えています。「木」をみれば、どこでも「木」の特徴である「木の形相」を見出すことができます。だから私たちは、そこにあるのが、「木」であると知ることとそれを分類することができます。

そして、私たちが見ているのは、「ある特定の木」です。それは「木の形相」が、特定の質料を取るから、「特定の木」になって、現実に存在している、というのです。

この木は、やがて木の板になり、家具になります。ここでは、木は質料となり、家具は、その木が現実のもので現したい「形相」になります。

「形相」は、どこまでいっても変化はしませんが、それが質料を取ることによって、様々な特定のものに変わり、さらに、現実に存在する木は、新しい家具の質料となって、「家具の形相」を現すものになります。

良く例に出される彫刻家の例では、たとえば、プラトンの場合は、イデアをもつ彫刻家は大理石とは別に存在し、独立して自由でした。彼は自分のイデアに従って大理石を彫ります。

アリストテレスの場合は、彫刻家と大理石は一つです。彼が彫ろうとする石像のイデアは、実は大理石の中にあり、彼はそのイデアに従って、のみをふるうだけです。

石をじっと見つめていると、そこに彫るべき像が見えてくる。こういう、いわば石と一体になった名人の姿、これが世界であるというわけです。

分かり易くするために、後世で問題になったことを引き出して、たとえば、「真理」とか「神」とかについて言ってみましょう。

プラトンは、「真理」は世界の「外」にあると考え、アリストテレスは、「真理」は世界の内にある、と考えたと言えます。あるいは、プラトンは、「神」は、あらゆるものを越えて、「外」にあるものだが、アリストテレスは、「神」は、あらゆる事物の中にある、と言ったとも言えるでしょう。

この両者の違いは、生き方においても決定的に違ってきます。プラトン的な生き方は、常に外なるものに向かって求めていきますし、アリストテレス的生き方は内なるものに向かい、現実に存在しているものに向かいます。

ともあれ、アリストテレスは、この質量から形相、そしてその形相が作るものによる新しい形相へと運動が無限に繋がり、いろいろと違ったものができる、と考えたのです。

そして、質料は常に新しい形相になろうとして運動するし、この運動によって宇宙のすべてが説明できると考えました。

この「世界を運動によって理解する」こと、これがアリストテレスが、これまでのギリシャ思想を統合して新しく提示したことでした。

これについては、次回触れることにしましょう。今回はこれまでです。
http://homepage.mac.com/berdyaev/mm/prmnd/utyu/prmnd15.html

「思想の世界」Vol.2 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆No.15 _____ 2001.1.10
西洋思想の散歩道(第 15 回配信) -A Promenade of Western Thought- K. Wiseman, O. Mai 著


the imaginary action that creates trans-modern
以下、Akehino(Kaisetsu)氏の説明はすばらしい。PS理論のエッセンスが簡潔に視覚的にわかるように説かれている。
 とりわけ、

It is the imaginary action that creates 凸 from □.

And □ is a media point.

のthe imaginary actionが利いている。
 近代はこれを否定したために、混乱してしまったのである。

It is the very imaginary action that will create

trans-modearn.

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What is imaginary number?

This article follows 2009.12.23 Wednesday Minus1 is 凹. and what is "1"?



凸 is myself.

As long as I remains myself,I cannot recognize myself.

So only when 凸 meets 凹, 凸 can recognize 凸-self. And at the same time, 凸 will disappear into □.

But if another person is above, the person can see their behaviors.

The "behaviors of 凹 and 凸" are horizontal.

And we can imagine another person as vertical.

This vertical concept item is the imaginary number.

And □ needs to be divided once more for "myself = 凸" to recognize myself.

And for dividing action, another person is necessary above horizontal □ field.

We need to cut a cake vertically.

It is the imaginary action that creates 凸 from □.

And □ is a media point.

Akehino (Kaisetsu)

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プラトニック・シナジー理論

http://blog.kaisetsu.org/?eid=810595
『海舌』 the Sea Tongue by Kaisetsu 


2009年12月23日(Wed)▲ページの先頭へ
思考実験:性欲とジェンダー:対の構造の意味:二元論と極性:トランス・セクシュアリティ?
以下は思考実験である。

例えば、女性を+i、男性を-iに、あるいは、逆に、女性を-i、男性を+iと仮定することができる。この超越的即非共振エネルギーが根源にあると考えられる。
 つまり、原点として、対差異即非共振エネルギーがあり、これは、女性であれ、男性であれ、それ自身においては、他者としての異性が存していると考えられる。
 例えば、女性の場合(性的意識、つまり、ジェンダーの問題に限定する)、内的異性としての他者の男性が存するのである。そして、男性の場合も同様である。内的異性としての女性が存するのである。
 しかしながら、二元論的な性差構造があると思われる。これは、極性ではなく、二元論である。女性か、男性のどちらかであり、この二元論構造(一種、二項対立、二値性)が、いわば、先験的にあるために、女性は外的男性に、男性は外的女性に、性欲を、一般的には、もつのである。
 つまり、ここには矛盾・齟齬があるのである。内的には、本質的には、対差異即非共振性があるが、外的、身体的には、雌雄二元論があるのであり、内的本質と外的身体において、齟齬が生じるのである。
 前者は差異であり、後者は同一性ないしは構造性であり、動物性とも言えよう。それは、構造的強制性をもっている。
 整理すると、本来、雌雄は即非共振様態であり、「わたし」は女性であり、男性ではないが、同時に、男性である。
 しかし、身体的雌雄構造はそれを否定して、「わたし」は女性であり、男性ではない。絶対的に女性であり、男性ではない、ということになる。
 思うに、精神的な異性性があり、また、身体的な異性性があるのであり、両者はまったく異質であると考えられる。
 後者はプラス1ではないだろうか。思うに、男性の場合、即非共振の牽引と反発の極性において、牽引に傾斜しているのではないだろうか。その為に、マイナス1を抑圧して、プラス1に没入すると思われるのである。このプラス1の傾斜が、いわば、プラス1の構造、二元論構造、二項対立構造を形成するのではないだろうか。
 これが、マイナス1を抑圧して、意識を同一性化するのではないだろうか。つまり、雌雄の区別を形成するのである。
 結局、女性には、男性のような二項対立的区別はないのではないだろうか。対差異即非共振があるのではないだろうか。
 思うに、牽引への傾斜が男性を形成し、二項対立構造を先験的に形成し、異性愛が本質であるかのように思わせるのではないだろうか。
 性欲とは、だから、この牽引への傾斜による同一性欲望と言えよう。差異への道が性欲を喪失させていくだろう。
 トランス・モダンとは、トランス・セクシュアリティを意味するのではないだろうか。
 後で再考し、整理したい。


マイナス1とプラス1とゼロ
以下、Kaisetsu氏がマイナス1について、興味深い説明をしている。
 マイナス1が背景であり、プラス1が「私自身」あるいは「それ自身」ということであり、両者が同じレベルにあると、両者は差異の区別のラインを喪失して、和となり、ゼロになるということである。
 私は先に、マイナス1が知であり、プラス1が感性・身体と言ったが、それらは、区別されるものであり、また、共立しているもので、端的には、即非状態にあるが、近代的自我/近代合理主義は、その区別がなく、マイナス1がプラス1に自己投影し、没入した状態にあると言えよう。それは、これまで述べたように、連続的同一性の状態であり、それは直近では、+i=+1の錯誤状態としたが、和のゼロとして、表記するのは明快である。
 後で、さらに考察したい。

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2009.12.23 Wednesday
What is minus 1?

What is minus 1?

Minus1 is a background.
Plus1 is myself or itself.

If both myself and background are on same level, both myself and background disappear because of losing the difference division line.

This calculation is: "plus1 + minus1 = 0"

Akehino(Kaisetsu) has already explained:


"Media point line(space)= arther(luminiferous aether)


" is consisted of "minus1".

reference:2009.12.22 Tuesday
【仮説】 エーテル(arther, luminiferous aether) は「マイナス1」の空間(Media Point空間)



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プラトニック・シナジー理論


『海舌』 the Sea Tongue by Kaisetsu 



2009年12月21日(Mon)▲ページの先頭へ
検討問題:ヘーゲルの理性
ヘーゲルは『精神現象学』で理性とはすべての存在(実在)であるという確信であると述べていた。
 問題は、「確信」である。いったい、「確信」とはどこから生まれるのか。これは、「信」の問題である。つまり、ヘーゲルの理性は、「信」の範疇なのである。これは今さらながら驚くべきことである。
 端的に、「確信」ないしは「信」はどこから生まれるのか。
 直感では、-iからである。つまり、知とは、+iであるが、「確信」ないしは「信」は、-iに拠ると思える。ヘーゲルの「確信」であるが、それは、思うに、+iと-iとの衝突に拠るが、しかし、積への傾斜によって、+1の様態になっている場合ではないだろうか。
 有り体に言えば、短絡である。(端的には、連続化である。)知+iと信(感)-i が連続化しているのある。知=信(感)になっているのである。(思うに、これが、父権的「理性」である。)
 これは、⇒+1への傾斜に拠るものと思われる。「陽光」への傾斜であるし、父権的傾斜である。
 とまれ、ヘーゲルの理性とは、超越性の同一性傾斜であると言えよう。これは、一神教的発想である。
 哲学史的には、シェリング(追記:同一哲学と皮相に、また、誤って呼ばれている。シェリング哲学の核心には、Media Pointが存する。)、キルケゴール、ニーチェの批判が起きるのは当然である。結局、彼らは、「差異」を唱えたのである。それも、絶対的差異である。(途中であるが、ここで留める。)
 
追記:端的に、ヘーゲルの理性とは近代的合理性であり、近代的自我を形成するものであり、私が狂気と呼ぶものである。パラノイア的狂気である。
 つまり、ヘーゲルはいみじくも近代的合理主義、近代的自我が狂気であることを提示しているのである。
 ヘーゲル主義を唯物論的に引き継いだマルクス、エンゲルス、レーニン等は、狂気でもって左翼理論を形成したということになる。
 近代的合理主義、近代的自我は、パラノイア的狂気と一体であり、悪魔(ルシファー/アンラ・マンユ)的なのである。
 疾く、トランス・モダンへと飛翔する必要がある。後で、丁寧に述べたい。

追記2:今日のあらゆる狂気の根因はここにある。日本社会の崩壊の原因もここにある。うつ病や凶悪・猟奇犯罪等の根因もここにある。

参考:
フリードリヒ・シェリング
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曖昧さ回避
シェリングは、この項目へ転送 されています。その他の用法については「シェリング (曖昧さ回避) 」をご覧ください。
シェリングの肖像

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヨーゼフ・(フォン・)シェリング(独 : Friedrich Wilhelm Joseph von Schelling, 1775年 1月27日 、レオンベルク 、ドイツ- 1854年 8月20日 、バート・ラガーツ 、スイス )はドイツ の哲学者 である。ドイツ観念論 の代表的な思想家のひとり。
年譜 [編集 ]

* 1775年1月27日 、プロイセン王国 、レオンベルクで誕生。シェリングの父はルーテル教会 の神学者・東洋学者・教育者であり、シュヴァーベン 敬虔主義 の支持者だった。シェリングは家庭の知的また宗教的雰囲気に強く影響されて育ち、早熟な天才ぶりをみせる。ベーベンハウゼン のドイツ語学校およびニュルティンゲン のラテン語学校で学んだシェリングは、10代前半でギリシア語 ・ラテン語 ・ヘブライ語 に通じた。
* 1790年、テュービンゲン神学校(テュービンゲン大学 の付属機関)に特例により15歳で入学を許された(規定では20歳から入学)。同神学校には2年前、彼より5歳年上のゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル 、フリードリヒ・ヘルダーリン が入学しており、シェリングは寮で二人と同室になった。彼らは、フランス革命 に熱狂し、イマヌエル・カント に代表される新しい時代の哲学に関心を示し、進歩と自由を渇望し、そして牧師 にはならず、思想あるいは文学の道へ進んでいく。そしてこの時期のシェリングが特に傾倒したのは、ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ であり、またスピノザ であった。卒業後、家庭教師をしながら哲学著述を続けていた。
* 1792年、『悪の起源について』著述。
* 1793年、『神話について』著述。
* 1794年、『ティマイオス草稿』執筆、雑誌に『哲学の諸形式』投稿掲載。
* 1795年、雑誌に「自我について」投稿掲載。
* 1796年、ライプツィヒ 大学で自然学の講義を聴講を始める。
* 1797年、『イデーン』など自然哲学の著述を始める。
* 1798年、イェーナ 大学の助教授に就任する。『世界霊について』(1798年)がヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ に認められたことが招聘のきっかけとなった。
* 1799年、フィヒテがイェーナ大学を辞職し、シェリングは哲学の正教授となった。
* 1800年、『超越論的観念論の体系』著述。ヘーゲルをイェーナ大学の私講師として推挙。
* 1802年、『ブルーノ (対話篇) 』著述。アウグスト・ヴィルヘルム・フォン・シュレーゲル の妻であるカロリーネ との恋愛事件およびイェーナでの保守派との対立した。
* 1803年、シュレーゲルと協議離婚したカロリーネを伴い、シェリングはイェーナを退去した。ヴュルツブルク で結婚した。同大学に在籍。
* 1804年、『哲学と宗教』著述。
* 1806年ミュンヘン に移住する。シェリングはバイエルン科学アカデミー総裁に就任した。
* 1809年、妻カロリーネが療養先のマウルブロン で死去。このとき、シェリングはミュンヘンで『人間的自由の本質』を執筆中だった。『世界諸世代』著述。
* 1812年、対話篇『クラーラ』執筆。
* 1813年、ゲーテの紹介でパウリーネ・ゴッターと再婚する。
* 1820年、エアランゲン 大学哲学教授。
* 1827年、ミュンヘン大学創立に伴い、哲学教授に就任、この時期、シェリングはバイエルン王太子マクシミリアン の家庭教師を務め、国政にも参画した。のちにその功績をもって貴族に叙された。
* 1841年、ベルリン大学 哲学教授。
* 1845年、同教授職を辞任した。ベルリン大学より引退した後、シェリングは以後公開の講義を行わなくなった。
* 1854年8月20日、療養に出かけたスイス のバート・ラガーツ で病を悪化させ、家族に見守られて生涯を終えた。

思想 [編集 ]
時期区分 [編集 ]

シェリング思想の時期区分には諸説あるが、『人間的自由の本質』(1809年、以下『自由論』と略す)以降を中期または後期思想とみなし、それまでの時期を前期思想と呼ぶのが一般的である。前期思想は、さらに自然哲学期(1897年から1800年頃まで)と同一哲学期(1800年頃から1809年まで)に細分されることが多い。中期思想という区分を立てる場合には、『自由論』『世界諸世代』(1813年)の時期を中期、『神話の哲学』『啓示の哲学』を後期とする。また論者によっては『自由論』を独立した時期とみなすものもある。

後年、1830年代のシェリング自身は自分の前期哲学を消極哲学、後期哲学を積極哲学と呼び、ヘーゲルら他の哲学者は消極哲学にのみ携わっているとみなしている。彼によれば消極哲学は "das Was" あるものがなんであるか にのみかかわっており、"das Dass" あるとはどのような事態であるかについて答えていない。そして彼の後期の営みこそ、後者の問いに答える哲学であるとしている。

シェリングは、終始一貫した特長をもった思想家だったのか、それとも「プロテウス ・シェリング」(クーノー・フィッシャー )、一貫した核をもたず変転する思想家だったのかは、哲学史上シェリングが注目されるようになって、絶えず問題とされてきた。19世紀後半から20世紀前半における、新カント主義ならびに新ヘーゲル主義の哲学史観においてはその変転が強調されることが多かった。一方、1956年以降のシェリング研究は、むしろ彼の思想の核に一定の関心と問題意識があり、その動径に彼の思想の全展開を考える傾向を示している。

後者の主張によれば、シェリングの思想は古代的なものへの関心と理性的なものへの志向、そして両者の緊張と差異が高次の同一性に支えられているという確信によって特徴付けられている。
前期(-1809年) [編集 ]
最初期 [編集 ]

前期シェリングに大きな影響を及ぼした思想家として、プラトン 、カント 、フィヒテ 、スピノザ 、ライプニッツ が挙げられる。カントの影響については議論があり、フィヒテを介した影響をより重視する論者と、カントからの直接の影響をより重視する論者がに分かれる。

ルター派正統神学の牙城であったチュービンゲン神学校で、シェリングは、友人ヘルダーリンやヘーゲルとともに、むしろ政治および思想上の進歩的動向に共感し、神学からは遠ざかり哲学へと転向する。神学校の監視の下で、当時進行中だったフランス革命に、またカントやフィヒテといった新しい哲学の動向に彼らは刺激され、時にはその言動について学校側から指導を受けることすらあった。神学校在学中のシェリングの著作、マギステル論文『悪の起源について』(1792年)、『神話について』(1793年)にも彼の非正統派的志向が表れている。

神学校卒業後、シェリングは立て続けに著作を刊行し、注目を集める。この時期シェリングはヨハン・ゴットリープ・フィヒテ の知識学 を知り、フィヒテの紹介者として文壇に登場した。1794年以降、雑誌に『哲学の諸形式』(1794年)、『自我について』(1795年)、『哲学的書簡』などの論文を発表するシェリングは、フィヒテからも公衆からも、フィヒテの忠実な紹介者、支持者と思われていた。
自然哲学期 [編集 ]

しかしすでにこのころから、シェリングはバールーフ・デ・スピノザ やゴットフリート・ライプニッツ にも関心を示し、フィヒテとは独自の路線を歩みだしつつあった。「ぼくはスピノザ主義者になった」と宣言するヘーゲル宛書簡はよく知られている。また早くから親しんでいた古代哲学、とりわけプラトン の自然観 も、シェリングの思想の展開に大きく寄与したことが、『ティマイオス草稿』(1794年)などから伺える(一方フィヒテは、生涯を通じて、哲学の対象としての自然に関心をもたなかった)。1796年から1798年、シェリングはライプツィヒ に滞在し、同大学の講義を聴講し、当時はまだ「自然学」「自然哲学」などと呼ばれていた当時の自然科学に接した。生物学や化学、物理学について当時最新の知見を得た経験に刺激されたシェリングは、1797年以降、『イデーン』をはじめとして自然の形而上学的根拠付けについての著作を精力的に発表する。ここでシェリングの自然哲学の中心概念となるのが有機体 である。当時急速に増しつつあった生化学上の知見は、デカルト以来の機械論的自然観に対抗する有機体的自然の観念に注目を集めていた。シェリングは有機体を自然の最高の形態とみなし、それをモデルとして、力学等を含めた自然の全現象を動的な過程として把握する図式を提起しようとした。ここでシェリングの有機体理解に大きく寄与したと思われるのはライプニッツで、『イデーン』(1797年)には『単子論』への言及が多くなされている。

また神学校卒業後、離れ離れになった仲間とシェリングは、相互に思想的影響を及ぼしあっていた。彼らは文通を交わし、お互いの仕事の進展や新しい着想を伝え合った。そのような思想的交流のひとつの産物として知られるのが、1795年から1796年のある時点にヘーゲルの手で筆記された執筆者不明の草稿、通称『ドイツ観念論の最古の体系計画 』である。著者問題についてはここでは論じないが、この草稿に出てくる概念のうち「新しい神話」はシェリングの大著『超越論的観念論の体系』(1800年)でも登場し、また同一哲学期にはシェリング芸術哲学の基本的概念のひとつとなる。
同一哲学期 [編集 ]

1801年、研究者によっては1800年に、シェリング哲学の新たな時期がはじまる。無差別同一性を原理とし、絶対者の自己展開の叙述の学として遂行される哲学、いわゆる「同一哲学」である。

ところで研究者によっては同一哲学の端緒に分類される『超越論的観念論の体系』は、フィヒテとシェリングの間に、重大な亀裂を生じせしめるに至った。もともとフィヒテはシェリングの自然哲学への関心を好意的には受け止めていなかったのであるが、いまやシェリングは自然哲学と超越論的哲学を併置する。そのようなシェリングに対し、自然を他我とみなし従って哲学の対象とは原理的にみなさないフィヒテは、シェリングにあてた書簡等でシェリングの哲学理解に危惧を表明した。自著『私の哲学体系の叙述』(1801年)にフィヒテが加えた批判を契機に、シェリングのほうでも次第にフィヒテと自己との哲学的差異を自覚し、両者は完全に決裂する。フィヒテの転居を期にはじまったふたりの文通は1801年をもって止み、シェリングは対話篇『ブルーノ 』(1802年)等の公刊著作で暗にフィヒテを批判した。1806年にはシェリングは名指しでフィヒテを批判するようになる。

同一哲学期にも、シェリングは自然哲学に関する著作を続けたが、それに加えて、芸術についての哲学的思索が集中的になされた。すでに『超越論的観念論の体系』で、芸術は超越論的哲学の系列の終極に位置づけられ、「哲学の真のまた永遠の証書であり機関」と呼ばれている。『ブルーノ』『学問論第14 講』(1802/3年夏講義)『芸術の哲学 』(1802/3 年冬講義)では、この立場が、同一哲学の理論的前提の上で改めて展開されてくる。観念的なものの系列において、主観的な学、客観的な行為に対し、芸術は観念的なものの絶対的なポテンツとして、「芸術の宇宙において全を展示する」。このような芸術は、実在的な自然に対しては観念的な自然の像として優越性を保ちつつ併置され、また絶対的な哲学に対しては対像としてその完成の姿に予示を与える、いわば人間の最高の精神的所産かつ生産活動として理解される。そのような最高度の芸術は、ただ自然の十分な把握からのみ可能であるとシェリングは考え、古代人がもっていたそして近代人にとっては失われている神話に換わるものとして(シェリングはここで神話の理想的な姿をギリシア神話のうちに見出す)、まだ生み出されていない「新しい神話」を要請する。ここでの新しい神話の内実には諸説があるが、山口和子 は、教訓詩としての自然哲学にその可能性をみており、またシェリングが自身そのような自然哲学を完成させる意欲をもっていたとしている(山口和子『未完の神話』晃洋書房)
同一期への移行:有限性の導出根拠をめぐって [編集 ]

1800年、シェリングは、友人ヘーゲルが私講師としてイェーナ大学で教えるよう推挙した。1800年はまた、ヘーゲルの著書『フィヒテ哲学とシェリング哲学の差異』が刊行された年でもあった。シェリングは『ブルーノ』のなかで、ヘーゲルの就職論文『天体運動論』を全面的に借用している。また二人は 1802年から共同で雑誌『哲学批判雑誌』を刊行した。この雑誌は主に自然哲学を扱い、1803年、シェリングがイェーナから転居したことを切っ掛けに廃刊になった。シェリングとヘーゲルの協力関係は、このころをもって終わったと考えられている。

カロリーネと結婚した1804年は、シェリングにとって私生活だけではなく、哲学上の転機の年ともなった。エッシェンマイヤー に「差別/有限性はどのようにして無差別から導出されるのか」と批判されたシェリングは、その問いに答える必要を感じ、『哲学と宗教』(1804年)を著した。そこでは彼の古い関心、「悪の起源の問題」が再び取り上げられており、有限性の生起は本来同一であるものの頽落(Abfall)によるとされた(なお、この著作自体の構想は1802年にはすでにあり、本来は『ブルーノ』の第2部として構想されていた。しかしシェリングとしてはなるべく早くこの問題を論じることを必要と感じ、著作を対話編としてではなく散文の論文で発表した)。しかしなぜ頽落が起こるのか、そのことはここでは十全には論じられていない(本著作のこの欠点はヘルマン・ツェルトナー らによって指摘されている)。この問題は、1809年の『自由論』で再び大きく取り上げられることになる。

バイエルン王立アカデミーの総裁として、シェリングは、1807年、講演『造形芸術の自然への関係』を行った。この講演で、シェリングは同一哲学に立脚し、当時盛んだったヴィンケルマン の新古典主義的美術観に一定の価値を認めながら、しかし自然であれ古代芸術であり外的な「死んだ形態」ではなく、そこに形態として現れてくる精神そのもの、「生きた自然」を把握し、表現するべきであると説いた。これは同地では非常に好評を博したが、しかしこの講演の内容を入手したヘーゲルはA・W・シュレーゲル宛て書簡で皮肉を交えた痛烈な批判を行った。少年時代からの二人の友情はいまや終わりに近づいていた。

同じ1807年に刊行されたヘーゲルの『精神現象学 』でシェリングの同一哲学が批判された。シェリングにおいて絶対者は直観によって把握されるが、ヘーゲルはその無媒介性を批判し、むしろ概念による哲学を主張した。研究者によってはここで批判されているのは、シェリングではなくその追随者であるシェリング主義者であるとする(ヘーゲルも同様の釈明をシェリングあて書簡で行っている)が、「ピストルからずどんと飛び出す直観」「すべての牛を黒く塗りつぶす闇夜」などの表現がシェリングとその直観概念に結びつけられており、シェリングはこれを非常に心外に感じた。これをもってテュービンゲン以来の両者の友情は終焉し、以後ヘーゲルはシェリングにとってもっとも重要な論敵のひとりとなった。
中・後期(1809年-) [編集 ]

1809年に出版された『人間的自由の本質 』は、シェリングの思想の大きな転換点とみなされている。

シェリングはこの著作で人間的自由の根拠を問い、悪への積極的な可能性を人間のうちにみる。シェリングによれば、人間は悪を行う自由をもっている、それが人間的自由の本質であり、もって人間をすべての存在者の頂点においている。これはキリスト教また西洋思想における「悪をしない自由」としての自由把握とは正反対にある。そのような自由が人間に可能である根拠として、シェリングは神の存在様態について考える(神はここで人間の存在根拠に他ならない)。神のうちには、神の部分であって神そのものではない「神のうちの自然」があり、神自身と対立している。自らを隠し閉ざそうとする神のうちの自然は、自らを現そうとする神自身にとっての「根底」(Grund)であって、生まれ出ようとする憧憬と隠れようとする力との二つの方向性が神のうちに相争う。神は、自身のうちなるこの対立を自ら克服し、愛をもってこれを覆う。かくして神とその被造物は顕れ出る。そして被造物の頂点である人間のなかに、この目もくらむ対立は自由の可能性として再び現れてくるのである。

ここでシェリングは、彼がそれまで積極的に肯定してこなかった神の人格性を強く主張している。また、いまやシェリングにとって、必然性と自由の対立は、同一期においてそうであったように、たんに絶対者において、したがって本質においては無差別である観念的対立とはいわれていない。実在するもののうちにたしかに対立はあって、その対立を可能にする場とそのありよう、さらにはそのような対立を超えるものの可能性が、いまや問題とされてくるのである。

『自由論』は、シェリングがエーティンガー およびカトリック神学者フランツ・フォン・バーダー を介して知ったヤーコプ・ベーメ の思想に大きく影響されているといわれる。『自由論』の術語「神のうちの自然」「根底」「無底(底なし)」はベーメの用語法に由来する。シェリングは神秘思想には比較的好意的で、すでに同一哲学期から新プラトン主義との近親性も指摘されている(『ブルーノ』など)。また1812年の未発表の対話篇『クラーラ』では、エマヌエル・スヴェーデンボリ の思想を好意的に紹介している。しかしシェリングはあくまでも神秘主義を全肯定しているのではなく、悟性的・論弁的理性主義が把握できない前理性的ないし非合理なものを神秘思想家が保持していることを評価し、しかし同時に、そのような表現自体は哲学の立場からみて限界があると考えていた。

シェリングは『世界諸世代』(未完)をはじめとする未刊行草稿の著述に努めるとともに、いくつかの講義を行っている。シュトゥットガルト私講義、エアランゲン講義などは、この時期のシェリングの体系を知る上で重要な意義をもつ。この時期、シェリングは『自由論』の思想を発展させ、神そのものの生成と自己展開の歴史としての世界叙述という壮大な構想に取り組んでいた。『世界諸世代』は世界の歴史をその原理である神の歴史として「神になる前の神」である「プリウス」(Prius)から説き起こす試みであり、過去・現在・未来の三部構成からなる予定であったが、実際に書かれたのは過去篇だけであった。過去篇の草稿は複数あることが現在知られている。いわば挫折したこの構想は、しかし後期哲学の『神話の哲学』『啓示の哲学』へとつながっていく。 

1841年に、ヘーゲルの死後空席となったベルリン大学 哲学教授として招聘され、同地で『啓示の哲学』等を講じた。シェリングは保守的な思想家と考えられており、ヘーゲル主義者による急進的思想に対するいわば防壁となることをプロイセン王家は期待していたと考えられている。しかし思想界では実証科学が隆盛に向かい、ヘーゲル主義哲学が広まっていた当時のベルリンの思想界に、シェリングは実質的な影響を与えなかった。彼の『啓示の哲学』をエンゲルスとキェルケゴールが聴講していたことが知られているが、二人とも、違った観点から、失望を表明している。キェルケゴールの失望に関しては、キェルケゴールが関心をもっていたのは人間の実存であるが、シェリングの関心は神の実存にのみあった、とも評される。

シェリングの後期思想は、同時代人にはほとんど理解者をもたず、ベルリンの彼の講義にはほとんど聴講者がいなかった。その後期思想が評価されるのは、ほぼ100年を待たねばならない。
テキスト [編集 ]
主要著作 [編集 ]

* 『悪の起源について』(1792年)
* 『神話について』(1793年)
* 『哲学の諸形式』(1794年)
* 『自我について』(1795年)
* 『自然哲学についての諸考案』(1797年)
* 『世界霊について』(1797年)
* 『超越論的観念論の体系』(1800年)
* 『私の哲学体系の叙述』(1801年)
* 『ブルーノ』(1802年)
* 『芸術の哲学』(1802/3年、講義)
* 『哲学と宗教』(1804年)
* 『全哲学、とりわけ自然哲学の体系』(1804年、遺稿)
* 『造形芸術の自然への関係』(1807年、講演)
* 『人間的自由の本質について』(1809年)
* 『世界諸世代』(1811年、遺稿、他にいくつか改稿された版あり)
* 『クラーラ』(1812年)
* 『サモトラケの神々について』(1815年、講演)
* 『神話の哲学』(1842年、講義)
* 『啓示の哲学』(1854年、講義)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0


2009年12月19日(Sat)▲ページの先頭へ
検討問題:即非共振(共鳴)の生起するMedia Point・精神的フィルター:光の二重性
だんだん仕事が片づきつつあるが、まだ気を抜けない。
 とまれ、今朝目覚めて、本件のことが浮かんだ。すなわち、差異共振とは、牽引と反発の両面があるのであり、それが、±1に現れるのではないのかということである。
 連続化は、+1ではないだろうか。不連続化は-1ではないだろうか。即非の即が⇒+1で、非が⇒-1ではないだろうか。それが同時生起するのが、即非共振ということだろう。
 しかしながら、一般に、連続性が支配して、非の側面が喪失されるのである。つまり、光現象の世界に没入して、自己同一性を形成するのである。例えば、対象Aは「山」であるというのが、同一性認識である。つまり、本来、対象Aは、対象Aであり、「山」ではないのであるが、人間はそれを「山」として、同一性化するのである。正しくは、「山」ではないということがポイントである。言い換えると、「山」は「山」ではないということが正しい視点である。(そうすると、当然、「わたし」は「わたし」ではないということにもなる。)
 思うに、もし、⇒+1を光の世界(現象)とするなら、⇒-1は何なのだろうか。闇の世界だろうか。
 これは、思うに、ダーク・マターの「ダーク」とすべきかもしれない。
 とは言え、正しくは、⇒-1も光の一部ではないだろうか。
 つまり、光は二重であるのであり、一面・表面が⇒+1であり、他面・裏面が⇒-1ではないだろうか。
 ということは、光とは即非光と言うべきということではないだろうか。
 連続化された世界では、光をいわば同一性光、ないしは、物質光にしているのである。しかし、本来の世界では、即非光、差異光と考えられる。同一性光、物質光が、アンラ・マンユ化されたルシファーであろう。
 この光の二重性を正しく視覚し、認識することがトランス・モダン認識のためには必要である。
 とまれ、光の二重性とは、端的にどう説明すべきか。わかりやくする為に、例えば、陰陽で説明するといいかもしれない。
 いわゆる、顕在的な側面を陽とすれば、隠在的な側面は陰となる。つまり、いわば、「陽光」と「陰光」があるのである。そして、両者は一如である。また、一般に視覚は「陰光」を無視しやすいのである。
 思うに、言語とは、「陽光」の側面で形成されるのである。「陽光」で照らされる対象Aがあるが、それが、「山」なのである。しかしながら、「陰光」に「感受」される対象Aがあるのであり、そこにおいては、対象Aは「山」ではないのである。非「山」である。
 結局、近代合理主義とは、「陽光」中心主義(当然、同一性主義、ロゴス中心主義)なのである。(しかし、ロマン主義は、「陽光」を否定して、「陰光」に没入して、反動的に同一性主義になったと言えよう。)
 とまれ、「陽光」と「陰光」のバランスを取ることが正しいことであり、それが、即非共振性というものである。
 それは、また、Media Point・精神的フィルターの認識であり、また、超越性、虚数性の認識なのである。
 最後に、連続性、連続的同一性の力学について考えたい。+1に没入するとはどういう力学なのか。これは、ヘーゲルが『精神現象学』で述べる「理性」の状態である。即ち、「わたしは全体として一(いつ)である」というようなことである。
 つまり、超越性ないしは即非共振性が一(いつ)、+1と一致することである。ここには、「力」、暴力があるだろう。本来、異なるものを一致させるのだから。
 では、この「力」は何なのか。それは、作業仮説するに、陽化の力である。+1を志向する力である。そして、これが、父権的力(暴力)ではないだろうか。それに対して、母権的エネルギーとは、本来、即非共振エネルギーであり、±1、即ち、陰陽エネルギーではないだろうか。
 今はここで留めたい。


2009年12月15日(Tue)▲ページの先頭へ
小沢一郎氏は、政治主導のパフォーマンスをしている:どうも戦争屋路線に乗せられているようだ
私は、鳩山首相がロックフェラー路線(戦争屋路線)で、小沢一郎氏が「ロックフェラー」(ロスチャイルド)路線(トランス・モダン)と思っていたが、どうやら、両者、ロックフェラー路線(戦争屋路線)の洗脳によってマインド・コントロール状態になっているのでは思えてきた。
 米国と対立し、また、中国と対立し、戦争へと突き進むような感じである。戦前的である。
 鳩山氏も小沢氏も勘違いしているのは、表面的な事象や言辞に囚われて、本質を見失っていることである。
 つまり、表面的には、脱官僚依存、政治主導、普天間基地移設の自主路線、アジア共同体主義、これは、まさに、言葉の同一性形式であり、本質は逆である。
 これは、左派的発想であり、物事の本質を直感していないのである。そう、まったきポスト・モダン反動路線であり、日本を奈落の底へ突き落とすだろう。
 参院選挙では、民主党を敗北させないといけない。

追記:鳩山氏と小沢氏は小泉元首相と同一性路線では似ている。

*************************
天皇特例会見:小沢氏発言、さらに波紋 外国要人会見、国事行為か否か

 宮内庁の「1カ月ルール」の慣例を守らない特例となった天皇陛下と中国の習近平国家副主席の会見。陛下の「政治利用」を否定し、今回の会見を「天皇陛下の国事行為」と主張した民主党の小沢一郎幹事長の発言がさらに波紋を広げている。

 静岡福祉大学の高橋紘教授(現代史皇室研究)は「外国要人との会見は、憲法が定める天皇陛下の国事行為に含まれていない。小沢幹事長の発言は『入り口論』から問題」と指摘。「内閣の助言と承認で行われるなら、勝手に何でもできてしまう」と批判した。また「天皇陛下のお体が優れないなら、優位性の低い行事はお休みになればいい」との発言に対しては、「順番付けを行うもので、まさしく政治利用だ」と話している。

 一方、法政大の永井憲一名誉教授(憲法学)は「憲法7条には外国の大使、公使を接受することが国事行為として明記されており、外国の要人との会見を内閣が要請し天皇陛下が認めたならば問題はない。宮内庁長官が1カ月ルールという内規から『いけない』と言うのももっともだが、その上位にある憲法上の問題はなく、内閣の判断を尊重すべきだ」と話している。

毎日新聞 2009年12月15日 東京夕刊

http://mainichi.jp/select/seiji/news/20091215dde001010030000c.html


天皇特例会見:小沢氏の会見(要旨)

 14日の小沢幹事長の記者会見で、天皇陛下と中国の習近平国家副主席との会見を巡る発言の要旨は次の通り。

    ◇

 (ルールは)誰が作ったの? 法律で決まっているわけでも何でもないでしょ、そんなもん。日本国憲法を読んでるかね? 天皇の行為は何て書いてある? (天皇の)国事行為は内閣の助言と承認で行われるんだよ。天皇陛下の行為は国民が選んだ内閣の助言と承認で行われる、すべて。それが日本国憲法の理念であり本旨だ。

 だから、何とかという宮内庁の役人が、どうだこうだ言ったそうだが、まったく日本国憲法、民主主義を理解してない人間の発言としか私は思えない。

 しかも内閣の一部局じゃないですか、政府の。一部局の一役人が、内閣が決定したことについて会見し、方針をどうだこうだ言うのは日本国憲法の精神、理念を、民主主義を理解してない。どうしても反対なら、辞表を提出した後に言うべきだ。

 マスコミも全然理解せずに、役人の言うとおりの報道ばかりをしてはいけない。天皇陛下のお体が優れないというのなら、それ(習氏との会見)よりも優位性の低い行事はお休みになればいいこと。

 ルールを無視していいと言っているのではない。宮内庁の役人が作ったから「金科玉条で絶対だ」なんてばかな話があるか。天皇陛下ご自身に聞いてみたら必ず、それは手違いで遅れたかもしれないけれども、会いましょうと。天皇陛下は必ずそうおっしゃると思います。

毎日新聞 2009年12月15日 東京朝刊

http://mainichi.jp/select/seiji/news/20091215ddm002010065000c.html


小沢氏「辞表出して言え」=宮内庁長官「辞めるつもりはない」−特例会見で応酬

 民主党の小沢一郎幹事長は14日午後、党本部で記者会見し、天皇陛下と中国の習近平国家副主席の会見が特例的に設定されたことをめぐり、羽毛田信吾宮内庁長官が「天皇の政治利用」に懸念を示したことについて、「役人がどうだこうだ言ったそうだが、全く日本国憲法、民主主義を理解していない人間の発言としか思えない。信じられない。どうしても反対なら、辞表を提出した後に言うべきだ」と厳しく批判した。
 宮内庁は陛下との会見を1カ月前までに申請するようルールを設けているが、小沢氏は「宮内庁の役人が作ったから金科玉条で絶対だなんて、そんなばかな話あるか」と批判。「陛下の体調が優れないならば、優位性の低い行事をお休みになればいい」とし、「陛下ご自身に聞いてみたら、(習副主席と)会いましょうとおっしゃると思う」と語った。
 これに対し、羽毛田氏は同日夜、「私は辞めるつもりはありません」と表明。「ルールに特例を設けることは、国の大小や相手国の政治的重要性を超えてお務めをしてこられた陛下の国際親善の在り方をないがしろにし、非常に懸念の生じること」と指摘した。さらに、「陛下のなさりようを守るのは私の立場。そこに懸念が生じた時に物を言うのは当然のこと」と語った。
 一方、小沢氏は会見実現に小沢氏の関与を指摘する声が出ていることに対し、「私がお会いさせるべきとかさせるべきでないとか言った事実はない」と強調。「天皇の政治利用」との批判については、「(天皇の国事行為は)国民が選んだ内閣の助言と承認で行われるものだ。(政治利用と言われれば)国事行為は全部政治利用になっちゃう」と述べた。 (2009/12/14-22:26)

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&rel=j7&k=2009121400733



2009年12月12日(Sat)▲ページの先頭へ
今や真剣にトランス・モダン経済を考え、実施すべきときである:ver 2
終身雇用制度とは、連続的な共同体経済制度だと思う。
 思うに、マルクスの言ったプロレタリアートとは、本当は、不連続的差異=絶対的差異と見るべきである(追記:これは、理論的に明晰に説明できる。古い共同体的関係から切断されたプロレタリアートとは、「まったき他者」(デリダ)であり、それこそ、Media Point、精神的フィルターが開き、他者との差異共振への志向をもつのである。だから、アナキズムとは、本来、この視点から批判的評価されるべきである。)。
 しかし、マルクスはシュティルナーに似て、それらを連続化、ないしは、連合化してしまったのである。
 マルクスには、キルケゴール/ニーチェの発想が欠けていたのである。これは、プルードンでも同様である。
 端的に、社会主義、共産主義的発想には、絶対的差異の発想が欠落しているのである。
 もっとも、近代資本主義も同様であるが。
 現代、絶対的差異の社会経済が必要なのである。言い換えると、絶対的差異の社会共振経済である。
 ここでは、絶対的差異の価値を単位とするのである。企業の利益は、差異共振的価値そのものであり、例えば、株主の持ち分は、差異共振的価値の一部に妥当するに過ぎない。例えば、株主の収入を一億円とすると、その一億円とは、同一性価値ではなく、差異共振価値の一億円である。社会共同体的負荷のある一億円である。
 第一義的には、企業の従業員の生活を保持すべきような賃金を設定すべきである。
 そう、個的自由共同体としての企業にならなくてはならないのである。共同体である企業である。

後記:ただし、初期マルクス(若きマルクス)をKaisetsu氏や根井康之氏のように評価する視点があることをマルクスのために言っておくべきである。初期マルクスの「共産主義」とは、近代の同一性による「疎外」の克服を目指す共同体主義=自然主義(唯物論ではない)のことである。

補記:ネグリとハートのマルチチュードであるが、それは、まだ、マルクス主義の唯物論とスピノザ哲学の連続性を負っている。それは、やはり、連合主義=連続主義である。

マルチチュード
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マルチチュード(Multitude)とは、マキャベリ によって最初に使用され、その後スピノザ が用いた政治 概念である。最近では、アントニオ・ネグリ とマイケル・ハート の帝国 論を契機として再び注目を集めている。マルティテュード、ムルチチュードとも。ラテン語 では“多数”“民衆”などの意味を持つ概念である。
ネグリ=ハートのマルチチュード論 [編集 ]

マルチチュードとは、政治哲学 者で元パドヴァ大学 政治社会科学研究所教授 であるアントニオ・ネグリとデューク大学 文学部准教授であるマイケル・ハートが、共著『帝国』および『マルチチュード』において地球 規模による民主主義 を実現する可能性として、国境 を越えるネットワーク 上の権力 として提唱している概念 のことである。

ネグリはマルチチュードを、近代 以降に登場した超大国 の覇権 によるグローバル な世界秩序である帝国主義 に対抗し、これからの世界を変革し得る存在としてそれぞれの国家 の国民 や企業 を含む超国家的なネットワーク上の権力として位置付けている。

ネグリはマルチチュードについて、いわゆる19世紀 以降の社会主義 に代表される革命 に見られた多様性 と差異 性を無視したこれまでのありかたとは異なり、統合 されたひとつの勢力 でありながら多様性を失わない、かつ同一性 と差異性の矛盾 を問わぬ存在としている。
参考文献 [編集 ]

* アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート『マルチチュード(上・下)』日本放送出版協会[NHKブックス]、2005年。



追記:

Wed, August 03, 2005 12:16:05
不連続的差異論誕生の経緯
テーマ:不連続的差異論の誕生 過去の記事の補遺を掲載したついでに、約一年前、本理論が生まれる状況を簡単に確認したい。 
 私は、あるMLに参加していて、その関連で、根井康之氏という在野の思想家のことを知り、その多数ある著作の一部(とりわけ、『東西思想の超克』農文協)を読んで、驚嘆した。西洋哲学(マルクス主義を含む)、自然科学、そして、東洋思想(仏教を含む)が、「根源的自然」という視点から、統一的に論じられていたからである。この「根源的自然」という概念が、その時の私にとって、覚醒的であった。私の中で、漠然としてあった宇宙観が、これで整理されたのである。ここに、普遍的な思想空間を見つけたと思ったのである。そして、私自身、感覚的に「大根源界」を確信した。(それは、根井氏の説く華厳的調和宇宙に私はドゥルーズの差異を入れた形のものであり、原不連続的差異論とでも言うべきものである。)
 また、それとほぼ同時期に、樫村晴香氏のドゥルーズ哲学批判を読んだのである。当時の私は、ドゥルーズ哲学からスピノザ哲学へと関心を移行させていた。(以下は記憶があいまいなので、記憶違いがあると思われる。)おそらく、偶然、HPで公開されている樫村氏の論文を見て、読んでみることにしたのだと思う。難しい論文であるが、内容は独創的なドゥルーズ哲学批判であった。私は、最初否定的な印象を受け、ドゥルーズ哲学を擁護する意欲が出たのである。それは、簡単に済む問題ではなかった。なぜなら、樫村氏の批判は、ドゥルーズ哲学の核心の根本的矛盾をついていたからである。
 そして、そのような状況で、本理論の合作者となるODA ウォッチャーズ氏からのブレークスルーとなる連続/不連続性の概念が寄せられた。樫村氏のドゥルーズ哲学批判へ答えようとしていたときのことであり、この不連続性の概念によって、樫村氏の批判の意味とドゥルーズ哲学の骨格が、一挙に、明快になったのである。ここから、不連続的差異論が誕生したのである。(その後は、ODA ウォチャーズ氏の数学的進展によって、本理論は大きく飛躍することになった。とりわけて、差異の境界の問題においてである。) 
 まとめると、根井康之氏の著作、樫村晴香氏の批判、そして、ODA ウォチャーズ氏の不連続性の概念が重なって、本理論が生まれたことになる。よく偶然の一致と言うが、あるいは、共時性とか言われるが、幸運が重なったのである。付け加えると、不思議なことに、それより、10日ほど前に、娘が生まれた夢を見たのである。赤子にしては頭が大きすぎたが、美しい子供であった。その時は、とても幸福な気分に満たされたのである。思うに、この子は、ソフィアであろうか?

参考
根井康之著 『東西思想の超克 現代の課題』農文協
http://shop.ruralnet.or.jp/search_result.php?mode=detail&id=011706&b_no=01_454083021X
http://66.102.7.104/search?q=cache:YrgO1QRnocwJ:blog.melma.com/00122700/20040908153117+%E6%9D%B1%E8%A5%BF%E6%80%9D%E6%83%B3%E3%81%AE%E8%B6%85%E5%85%8B%E3%80%80%E6%A0%B9%E4%BA%95%E5%BA%B7%E4%B9%8B%E3%80%80%E8%BE%B2%E6%96%87%E5%8D%94&hl=ja
http://66.102.7.104/search?q=cache:O3vxX_uhaCYJ:blog.melma.com/00122700/20041013+%E6%9D%B1%E8%A5%BF%E6%80%9D%E6%83%B3%E3%81%AE%E8%B6%85%E5%85%8B%E3%80%80%E6%A0%B9%E4%BA%95%E5%BA%B7%E4%B9%8B%E3%80%80%E8%BE%B2%E6%96%87%E5%8D%94&hl=ja

樫村晴香著 「 ドゥルーズのどこが間違っているか? 
強度=差異、および二重のセリーの理論の問題」
http://www.k-hosaka.com/kashimura/jiru.html

p.s. 樫村氏の批判に対する批判に関しては、当時、私は、知人にメールで通信していたことを述べないといけない。また、それ以前から、私の考察を知人に送り続けていたのであるから、知人の存在も、不連続的差異論誕生の経緯に欠くことはできない。
http://ameblo.jp/renshi/entry-10003249686.html
Japonesian Trans-Apocalypse:Trans-Modern New Platonic Trans-Creation

参考:

『東西思想の超克
現代の課題』
著者 根井康之 著

定価 1,470円(税込)
ISBNコード 9784540830211
発行日 1983/07
出版 農山漁村文化協会(農文協)
判型/頁数 四六 344頁
在庫 あり
解説

理性の立場に立つ西洋の論理だけでは、近代を超克することはできない。理性の否定転換を図る宗教的直観で根源的実相の世界を捉える東洋思想との統合によってこそ、それは可能となる。気鋭の書き下ろし。
解説

第1章 西洋近代の危機と思想の課題
第1節 現代におけるマルクス主義の危機とは何か
第2節 世界史認識の方法概念としてのヨーロッパとアジア

第2章 ヨーロッパ現代思想と東洋思想の遭遇
第1節 東洋思想を排除する静養の伝統思想
第2節 ヨーロッパ現代諸思想の東洋思想への注視

第3章 普遍的思想史への視点
第1節 東洋哲学の起源の同時性
第2節 西洋中心の思想史−その克服の観点

第4章 西洋哲学の伝統の起源−ギリシャ哲学
第1節 自然哲学からプラトン哲学へ
第2節 プラトンのイデア論とアリストテレスの形而上学
第3節 プラトンの場所概念の現代的意義

第5章 近代哲学の展開と限界の露呈
第1節 近代自然科学と西洋近代哲学の形成
第2節 カント哲学における現象と物自体との二元論
第3節 ヘーゲルの形而上学とマルクスの自然主義=人間主義

第6章 西洋哲学の伝統の自己超克を目指す現代西欧哲学
第1節 根源的自然の解明−フッサールの現象学
第2節 自然主義=人間主義の深化−メルロ・ポンティの両義性の哲学
第3節 西洋の形而上学の伝統と対決するハイデガーの存在論

第7章 ブッダの思想とヨーロッパ思想
第1節 東西思想の論理的統合の必要性と可能性
第2節 ブッダの中道思想とフッサールの現象学
第3節 ブッダの無我思想とマルクスの思想

第8章 大乗仏教思想の現代的可能性
第1節 実在論的傾向を強めたアビダルマ哲学
第2節 ナーガルジュナの空の思想・即非の論理
第3節 即非の論理とマルクス論理の統合
第4節 唯識思想における根源的思惟の把握
第5節 唯識思想とフッサールの現象学
第6節 東西の存在論・認識論の統合の視点

第9章 大乗仏教の論理の一大頂点−華厳の思想
第1節 四種法界の存立構造
第2節 華厳の論理と西洋の論理
第3節 事実無礙法界とマルクス共同体論の統合

第10章 空海の大生命哲学とマルクスの自然主義=人間革命の統合
第1節 逆対応する「十住心論」と「精神現象学」
第2節 「精神現象学」批判の現在的視点
第3節 東西の歴史・思想史の統合と世界の論理
http://shop.ruralnet.or.jp/b_no=01_454083021X/


『創造的生命の形而上学
近代科学技術文明の超克』
著者 根井康之 著

定価 4,900円(税込)
ISBNコード 9784540063114
発行日 2007/06
出版 農山漁村文化協会(農文協)
判型/頁数 四六判 414ページ
解説

西洋近代の啓蒙主義的・合理主義的な知を超克した新しい形而上学によって近代科学技術文明を根本的に転換させる根井哲学の到達点。近代の根本的転換と新しい文明・現実秩序の創出を願う人たちへ理論的武器を提供する。
解説
序章 <物質文明>から<創造的生命文明>へ
第1章 四次元統合態としての全現実の存立構造
第1節 絶対無の実在界−宗教的体験の普遍化・論理化
第2節 対自的絶対無の実在界−天台・華厳の縁起世界のとらえ返し
第3節 相対的絶対無の実在界−アインシュタインの宇宙論のとらえ返し
第4節 普遍的本質の実在界−ヘーゲル弁証法のとらえ返し
第5節 派生態の存立構造−近代の自然観・人間観・社会観のとらえ返し

第2章 終末論的危機の時代としての現代
第1節 近代科学技術文明の危機の実相と人間の責任−創造的生命の論理に無自覚な科学的な知
第2節 相対的絶対無の実在界に於ける対立・相剋−自然生態環境・社会文化環境の人間への従属
第3節 普遍的本質の実在界に於ける対立・相剋−自然生態環境・社会文化環境の人間への従属
第4節 有限相対の実在界の外面に於ける対立・相剋−国家への社会の従属
第5節 有限相対派生態に於ける対立・相剋−資本主義的市場経済システムと科学技術文明
第6節 無限絶対の実在界に於ける対立・相剋−フォイエルバッハの宗教批判のとらえ返し
第7節 虚無の主体的体験の実在の主体的体験への転換−ニーチェのニヒリズムのとらえ返し

第3章 近代の根本的転換と新しい文明・現実秩序の創出
第1節 新しい形而上学の構築と創造的生命文明の創出−古代の精神革命への遡源と現代の思想革命
第2節 無限絶対の実在界に於ける宗教的共同体の形成−宗教思想の現代化
第3節 有限相対の実在界に於ける倫理的共同体の形成−カントの目的の王国・ヘーゲルの人倫の体系の現代化
第4節 有限相対の実在界に於ける政治経済法的共同体の形成−自由・平等・博愛という政治的理念の現代化
第5節 有限相対的派生態に於ける政治経済法的共同体の形成

■模式図

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■著者
根井康之(ねい やすゆき)。1946年宮崎県佐土原市生まれ。『市民社会と共同体』 (1979年)を発行以来、『絶対無の哲学』 (2005年)まで14点刊行。
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■編集者より
 前著『絶対無の哲学』 は、近代科学技術文明を超克するにおいて有力な視野を与える西田哲学の核心である絶対無という概念と絶対矛盾的自己同一という論理を立体的に構造化して、4つの次元からなる全実在界という形而上学的世界を提示した。しかし、近代科学技術文明の超克ということ自体は、もはや常識の範囲。それがなぜできないのか。
 本書の課題は、西洋近代の啓蒙主義的・合理主義的な知を超克した「新しい形而上学」によって、近代科学技術文明を根本的に転換させて新たに創出すべき現実秩序の存立構造を具体的なかたちで示すこと。形而上学こそは、哲学の天才が打ち立てたもので、それは人間の最高の智慧。それら古今東西の天才の言説を、独自の模式図(23ある)などによって世界の哲学の流れの中に位置づけ、また、行論には詳細なわかりやすい注記をつけ、「新しい文明・現実秩序の創出」を願っている多くの人に哲学的(理論的)武器を提供している。
http://shop.ruralnet.or.jp/b_no=01_4540063111/
 
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「終身雇用崩壊」は最近の話じゃないぞ! 日本の転職の歴史を振り返る【昭和50〜60年代】

2009年12月11日09時00分 / 提供:CAREERZine
CAREERZine
 「日本型雇用の特徴の1つであった、終身雇用制度もついに崩壊…」とはよく言われることですが、本当に「ついに」なのでしょうか。どうやら30年ほど前にも、そんな話はあったようで…。■バブル期なら転職先も山ほど…と思いきや 前回に続いて、文献から読み解く転職の歴史編です。今回は昭和50〜60年代。

記事全文



2009年12月11日(Fri)▲ページの先頭へ
今や真剣にトランス・モダン経済を考え、実施すべきときである
終身雇用制度とは、連続的な共同体経済制度だと思う。
 思うに、マルクスの言ったプロレアリアートとは、本当は、不連続的差異=絶対的差異と見るべきである。
 しかし、マルクスはシュティルナーに似て、それらを連続化、ないしは、連合化してしまったのである。
 マルクスには、キルケゴール/ニーチェの発想が欠けていたのである。これは、プルードンでも同様である。
 端的に、社会主義、共産主義的発想には、絶対的差異の発想が欠落しているのである。
 もっとも、近代資本主義も同様であるが。
 現代、絶対的差異の社会経済が必要なのである。言い換えると、絶対的差異の社会共振経済である。
 ここでは、絶対的差異の価値を単位とするのである。企業の利益は、差異共振的価値そのものであり、例えば、株主の持ち分は、差異共振的価値の一部に妥当するに過ぎない。例えば、株主の収入を一億円とすると、その一億円とは、同一性価値ではなく、差異共振価値の一億円である。社会共同体的負荷のある一億円である。
 第一義的には、企業の従業員の生活を保持すべきような賃金を設定すべきである。
 そう、個的自由共同体としての企業にならなくてはならないのである。共同体である企業である。
 

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「終身雇用崩壊」は最近の話じゃないぞ! 日本の転職の歴史を振り返る【昭和50〜60年代】

2009年12月11日09時00分 / 提供:CAREERZine
CAREERZine
 「日本型雇用の特徴の1つであった、終身雇用制度もついに崩壊…」とはよく言われることですが、本当に「ついに」なのでしょうか。どうやら30年ほど前にも、そんな話はあったようで…。■バブル期なら転職先も山ほど…と思いきや 前回に続いて、文献から読み解く転職の歴史編です。今回は昭和50〜60年代。

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2009年12月10日(Thu)▲ページの先頭へ
地水火風空(五大)とPS理論
AFN(米軍ネットワーク)で「懐かしい」ピンク・フロイトの曲が流れていた(思うに、ほとんど演歌だ)。
 これは、「水」から生まれていると感じた。それは、Kaisetsu氏の説く「豊穣の海」-iではないかと思った。そう考えて、思考が飛躍した。
 四大、地水火風であるが、「水」が-iならば、+iは「風」であり、「火」は+1であり、「地」は-1ではないかと。
 そして、五大、地水火風空で考えると、以前述べたように、Media Pointないしは精神的フィルターが「空」である。
 思うに、+iを「風」(「神霊」)、-1を「地」とすることがポイントではないか。
 聖書の『創世記』の冒頭は、神霊が水の上を漂っていることを述べていることも考えて、+iを「風」、-iを「水」としたのである。
 思うに、お水取りであるが、それは、「火」と「水」の結合の祭礼であるが、そうではなくて、本来は、「風」と「水」の結合としての「火」(光)の祭礼ではないのだろうか。そうすると、正に、拝火教的になるだろう。東大寺の二月堂だから、そう考える方が妥当だ。

We Dont Need No Education


We don't need no education


修二会
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東大寺二月堂の修二会(お松明)

修二会(しゅにえ)は、日本の仏教寺院で行われる法会のひとつで、 修二月会ともいう。
目次
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* 1 概要
* 2 東大寺修二会(お水取り)
o 2.1 起源
o 2.2 練行衆
o 2.3 別火
o 2.4 本行に入る 
o 2.5 悔過法要
o 2.6 大導師作法と過去帳読誦
o 2.7 咒師作法と達陀の行法
o 2.8 お松明
o 2.9 走りの行法 
o 2.10 お水取り
o 2.11 不退の行法
o 2.12 東大寺の修正会
o 2.13 修二会と芸術
* 3 薬師寺修二会(花会式)
* 4 新薬師寺修二会(おたいまつ)
* 5 法隆寺修二会
* 6 長谷寺修二会(だだおし)
* 7 参考文献
* 8 外部リンク

概要 [編集]

旧暦の二月はインドの正月にあたるので仏への供養を行なうといわれているが、外国には修二会はなく、本当の起源ははっきりしない。また、修二会という言葉が文献に現れるのは平安時代になってからである。なお、旧暦1月に行われる法会は修正会(しゅしょうえ)という。奈良地方の古寺で行われるものが著名で、特に東大寺二月堂の修二会は「お水取り」の通称で知られる。また薬師寺の修二会は「花会式」の通称で知られる。他に法隆寺西円堂で行なわれるもの、長谷寺で行なわれるものがある。いずれの修二会にも共通しているのは、本尊に対する悔過(けか=罪の懺悔告白)であることである。
東大寺修二会(お水取り) [編集]
水取りや 籠りの僧の 沓の音
―芭蕉
火をつける前のお松明

「お水取り」として知られている東大寺の修二会の本行は、かつては旧暦2月1日から15日まで行われてきたが、今日では新暦の3月1日から14日までの2週間行なわれる。二月堂の本尊十一面観音に、練行衆と呼ばれる精進潔斎した行者がみずからの過去の罪障を懺悔し、その功徳により興隆仏法、天下泰安、万民豊楽、五穀豊穣などを祈る法要行事が主体である。修二会と呼ばれるようになったのは平安時代で、奈良時代には十一面悔過法(じゅういちめんけかほう)と呼ばれ、これが今も正式名称となっている。関西では「お松明(おたいまつ)」と呼ばれることが多い。
起源 [編集]

「二月堂縁起」によると、天平勝宝3年(751年)東大寺の開山、良弁僧正(ろうべそうじょう)の弟子の実忠和尚(じっちゅうかしょう)が笠置山の山奥で、天人の住む天界(兜率天 とそつてん)に至り、そこにある常念観音院で天人たちが十一面観音の悔過を行ずるのを見て、これを下界でも行ないたいと願った。しかし兜率天の一日は人間界の四百年にあたるので到底追いつかないと思われた。それで、少しでも兜率天のペースに合わせようと走って行を行なうことを思いついたという。

初めての東大寺の十一面悔過は天平勝宝4年(752年)に行われたと伝えられる。
練行衆 [編集]

修二会を行なう行者は練行衆と呼ばれる11人の僧侶で、三役や仲間(ちゅうげん)、童子(大人である)と呼ばれる人達がこれを補佐する。「練行衆」の僧侶の任命は毎年、東大寺初代別当良弁僧正の御忌日にあたる12月16日早朝、法要開始前に華厳宗管長から発表される。

練行衆のうちでも特に四職(ししき)と呼ばれる4人は上席に当る。四職は次の通りである。

* 和上(わじょう) 練行衆に授戒を行なう。
* 大導師(だいどうし) 行法の趣旨を述べ、祈願を行なう。事実上の総責任者。通称「導師さん」
* 咒師(しゅし) 密教的修法を行う。
* 堂司(どうつかさ)行事の進行と庶務的な仕事を行う。通称「お司」

これ以外の練行衆は「平衆(ひらしゅ)」と呼ばれる。 平衆は次の通り。

* 北座衆之一(きたざしゅのいち)  平衆の主席。
* 南座衆之一(なんざしゅのいち) 平衆の次席。
* 北座衆之二(きたざしゅのに)
* 南座衆之二(なんざしゅのに)
* 中灯(ちゅうどう)       書記役。
* 権処世界(ごんしょせかい)   処世界の補佐役。通称「権処さん」
* 処世界(しょせかい)      平衆の末席。法要の雑用役。

また練行衆を三役(堂童子(どうどうじ)、小綱兼木守(しょうこうけんこもり)駆士(くし))をはじめ、童子、仲間(ちゅうげん)などの人々が支え、行事を進行させてゆく。
別火 [編集]

3月1日の本行に入る前に「別火」と呼ばれる前行がある。戒壇院の庫裡(別火坊)で練行衆が精進潔斎して合宿生活を行うのである。世間の火をいっさい用いず、火打ち石でおこした特別の火だけを利用して生活するのでこのように言われる。

初めての練行衆(新入 しんにゅう)と初めて大導師をつとめる人は2月15日から、それ以外の練行衆は2月20日から別火に入る。

 別火には「試別火」(ころべっか)と「総別火」(そうべっか)の二つの期間がある。試別火の期間は5日(新大導師は10日)であとは「総別火」に入る。

試別火の期間は自坊に物をとりに行く程度は許されているが、勝手な飲食も火にあたることもできない。境内の外に出てもならない。かつては自坊で行なったが、妻帯するようになってから合宿するようになった。

2 月21日は「社参」が行なわれ、新入を除く練行衆が和上を先頭に列を作り、八幡殿、大仏殿、天皇殿、開山堂に参詣し、行の安全を祈願する。途中4箇所で平衆がほら貝を吹く。また、この日、二月堂の湯屋で、「試みの湯」が行われる。「例年の如く御加行なさりょうずるで候や」と問われ、修二会に参加する覚悟を固めるてから入浴する。

2月23日には「花拵え」「燈心揃え」が行なわれる。東大寺修二会では仏前に供える花として造花(椿と南天)を作る。また、この日、灯明に用いる燈芯を作る。この二つの作業に練行衆、三役らが総出で行い、椿400個、南天50個、多くの燈芯を用意する。2月24日には上七日に仏前に供えられる壇供(だんぐ)と呼ばれる厚さ3cm直径15cm程の餅を1000個つく(3月5日にも同数の檀供が下七日の為につかれる)。

試別火の期間中、本行に備えて法具を準備したり、夜は声明(節をつけて経を読む)の練習をする。声明の節は複雑で、すべて暗記せねばならず、特に新入にとっては大変な仕事である。

2月25日(閏年26日)の社参は娑婆との別れの意味を含む

総別火に入るのは2月26日で、順次入浴し、紙衣(かみこ。紙で作った衣)を着る。紙衣は清浄な物と考えられており、行の期間中はこれを着続ける。この期間中は別火坊の大広間のテシマゴザという清浄なゴザのうえ以外に座ってはならず、私語は許されず、火の気は一切ない。湯や茶を勝手に飲むことができず、土の上に降りてはならない。

椿の造花を枝に指したり、紙衣の上に重衣という墨染めの衣を初めて着る「衣の祝儀(2月27日)」などがおこなわれる。また夕刻ほら貝の吹きあわせもする。夜は声明の練習である。

2 月の末日になると、戒壇院の別火坊から本行の行われる二月堂に移動するためあわただしくなる。各種の法具などは香の煙をたきしめて清める「香薫」をしてから外に運び出す。最後に大広間で「大懺悔(おおいさんげ)」を唱えてから、練行衆は二月堂に移る。本行のはじまりである。
本行に入る  [編集]

本行の間に練行衆が寝泊まりするのは二月堂の北側、「登廊」と呼ばれる石段の下の「食堂(じきどう)」・「参籠宿所」と呼ばれる細長い建物である。この建物は鎌倉から室町時代に建てられた重要文化財である。

宿所入り(2月28日。閏年は29日)の夕方、「大中臣の祓い」が行われる。咒師が大中臣祓詞を黙誦し、御幣で練行衆を清める。神道の行事である。東大寺修二会には神道的要素が多く含まれている。

3 月1日の深夜1時から「授戒」が行われる。戒を授けるのは和上で、和上は食堂の賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)に向かって自誓自戒した後、練行衆全員に守るべき八斎戒(殺生、盗み、女性に接することなど)を一条ずつ読み聞かせて「よく保つや否や」と問いかける。大導師以下、練行衆は床から降り、しゃがんで合掌し、戒の一つ一つに対して「よく保つ、よく保つ、よく保つ」と三遍誓う。なお3月8日にも改めて授戒が行われる。

受戒が終わると、1 時40分、「ただいま上堂、ただいま上堂」のかけ声にあわせて練行衆は一団となって二月堂に上堂し、木沓にはきかえ、礼堂の床を踏みならす。これを開白上堂という。内陣の錠があけられ、扉が開くと、練行衆は内陣にかけいり、須弥壇の周囲を3周し、本尊を礼拝し、内陣の掃除や須弥壇の飾り付けを行う。

2時15分ごろ、二月堂内の明かりがすべて消され、扉が閉ざされる。堂童子が火打ち石を切り、火をおこす。この火を一徳火といい、常燈の火種とされる。

2 時30分、初めての悔過法要(開白法要)が行われる。これは3時頃終わり、就寝となる。  明けて正午になると鐘が鳴らされ食堂で「食作法(じきさほう)」が行われる。正午から約30分、大導師が信者の息災、過去者の成仏などを祈願したあと、一汁一菜または二菜の食事(正食)をとる。その給仕の作法は独特のものである。正食の後はその日は食事をとってはならない。この作法は本行の間、連日続く。

二月堂の本尊は「大観音」「小観音」と呼ばれる二体の観音像で、いずれも絶対の秘仏で練行衆も見ることができない。
悔過法要 [編集]

言うまでもなくこの行事の中心部分である。

本行の期間中、日に六回(六時という)、十一面悔過法が行われる。6回の法要にはそれぞれ名前があり、「日中(にっちゅう)」「日没(にちもつ)」「初夜 (しょや)」「半夜(はんや)」「後夜(ごや)」「晨朝(じんじょう)」と呼ばれる。その唱える内容や節回し、所作などは六時それぞれのものがある。平衆が交代で導師をつとめ、その声に唱和して唱句を全員で唱える。この導師を時導師という。

悔過法要は次の通り行われる。

* 散華行道は悔過に先だって道場を荘厳するため、ハゼ(餅)をまきながら須弥壇の周りを回り、観世音菩薩の徳をたたえる。
* 大咒願は大導師が一同を代表して行法の趣旨を表明するものであり、漢音で唱えられる。「南無教主 釈迦如来」は「のうぼうこうしゅ せいきゃじょらい」と読む。
* 悔過は諸仏の名前を唱えた後、十一面観音の姿や功徳を列挙して唱句を斉唱し、一句ごとに礼拝を繰り返す。罪障懺悔の唱句はない。
* 宝号は時導師の音頭で観世音菩薩の名号を唱えては一礼することを繰り返す。

「南無観自在菩薩」を繰り返すうちに、「南無観自在、南無観自在」となり、「南無観、南無観」と短くなってゆき気分が高揚してくる。最後は「南無帰命頂礼大慈大悲観自在尊」と厳かに唱え締めくくる。宝号が終わり近くになると平衆の一人が礼堂に出て五体投地を行い、懺悔の心を体で表現する。そして、大懺悔、後行道と続き回向文でおわる。
大導師作法と過去帳読誦 [編集]

初夜と後夜の悔過は「大時」といわれ特別丁寧に行われ、悔過作法の後に「大導師作法」「咒師作法」をおこなう。

大導師作法は聖武天皇、歴代天皇、東大寺に縁のあった人々、戦争や天災に倒れた万国の人々の霊の菩提を弔うとともに、現職の総理大臣以下の閣僚、最高裁長官などの名を読み上げ、その働きが天下太平、万民豊楽をもたらすよう祈願する。

初夜の大導師作法の間には「神名帳」が読誦される。これも神道の行事である。1万3700余所の神名が読み上げられ呼び寄せる(勧請)。お水取りの起源となった遠敷明神は釣りをしていてこれに遅れたと伝えられている。

また3月5日と12日の2回過去帳読誦が行われる。過去帳では聖武天皇以来の東大寺有縁の人々の名前が朗々と読み上げられる。

これには怪談めいた話がある。鎌倉時代に集慶という僧が過去帳を読み上げていたところ、青い衣を着た女の幽霊が現れ、

「など我が名をば過去帳には読み落としたるぞ」

と言った。なぜ私の名前を読まなかったのかと尋ねたのである。集慶が声をひそめて「青衣の女人(しょうえのにょにん)」と読み上げると女は満足したように消えていった。いまでも、「青衣の女人」を読み上げるときには声をひそめるのが習わしである。
咒師作法と達陀の行法 [編集]

咒師作法(しゅしさほう)は咒師が須弥壇の周りを回りながら、清めの水(洒水)を撒き、印を結んで呪文を唱えるなど、密教的な儀式である。鈴を鳴らして四方に向かって四天王を勧請するのもその一環である。 3月12日以降の3日間は、後夜の咒師作法の間に達陀の行法が行われる。

達陀の行法(だったんのぎょうほう)は、堂司以下8人の練行衆が兜のような「達陀帽」をかぶり異様な風体で道場を清めた後、燃えさかる大きな松明を持った「火天」が、洒水器を持った「水天」とともに須弥壇の周りを回り、跳ねながら松明を何度も礼堂に突き出す所作をする。咒師が「ハッタ」と声をかけると、松明は床にたたきつけられる。修二会の中でもっとも勇壮でまた謎に満ちた行事である。

その日の全ての行法を終えて参籠宿所に戻るときには「ちょうず、ちょうず」と声を掛け合いながら石段を駆け下りる。「ちょうず」とは手洗い、トイレのことである。ある時、行法を終えて帰ると、天狗たちがやってきて行法のまねをしていたことがわかったので、ちょっと手洗いにゆくのだと思わせるためにこういうのだそうである。
お松明 [編集]

修二会のシンボルのような行事に二月堂の舞台で火のついた松明を振り回す「お松明」がある。この松明は上堂の松明といわれ、本来は、初夜の行を始めるために練行衆が登り廊を登るときに道明かりとして焚かれるもので、一人の童子が松明をかざして、後に一人の練行衆が続き、入堂された後に、その松明を舞台(欄干)に回り、火を振り回すのである。その後、裏に回り水槽で消され、上がってきた登り廊を降りていく。本行の期間中連日行われるが、12日は一回り大きな籠松明が出るので見応えがある。また、12日のみ11本の松明が上堂する。他の日は10本である。12日以外の日は、新入は先に上堂して準備をしているため10人、12日だけは準備をしてから一旦下堂するので11人の上堂となる。この籠松明は長さ8m、重さ70kg前後あり、バランスを取るため、根が付けられている。他の日の松明は長さ6〜8m重さ40kg。籠松明以外は、使われる日の早朝に担ぐ童子自身が食堂(じきどう)脇で作る。材料は1〜2年かけて集める。年々材料の調達が難しくなってきている。

お松明の火の粉を浴びると健康になる、あるいは幸せになると信じられている。また燃えかすを持って帰り護符の代わりにする信者も多い。

12日のお松明には年によっては2万人から3万人の人出がある。(ただし12日は非常に混雑するため規制・照明・放送などがあり、雰囲気を味わうには前半に見る方がよい。)
走りの行法  [編集]

走りの行法は3月5日からの3日間、および3月12日からの3日間、後夜の悔過作法の前に行われる。本尊十一面観音の11の面の内の頂上仏面を「南無頂上」「南無最上」などと礼拝し、須弥壇の周りを回りながら一人ずつ礼堂に出て五体投地する。だんだんと歩調が早くなり、はじめは木の沓(さしかけ)を履いているが、やがてそれを脱いでしまいはだしで走るようになる。この行法は前述の実忠和尚の伝説に由来する。
お水取り [編集]

3月12日、後夜の咒師作法の中で(13日午前1時)、咒師は蓮松明という松明に照らされながら5人の練行衆とともに南側の石段を下りて閼伽井屋(あかいや 別名・若狭井)へ向かう。

大勢の参拝者の見守る中、雅楽も奏され、おごそかに行列が進む。途中小さな神社に立ち寄り法要を営んでから数人の童子と閼伽井屋に入り香水をくむ。香水は閼伽桶とよばれる桶に入れられ榊を飾った担い台に載せられ内陣に運ばれる。香水は須弥壇下の香水壺に蓄えられ、本尊に供えられたり、供花の水として用いられたりする。

この水は、若狭の遠敷明神(おにゅうみょうじん)が神々の参集に遅れたお詫びとして二月堂本尊に献じられたと伝えられ、今でも遠敷明神の神宮寺であった若狭小浜市の若狭神宮寺では今もこの井戸に水を送る「お水送り」(3月2日)の行事が行われている。お水取りが終わると咒師作法は再開される。
不退の行法 [編集]

東大寺修二会は752年(天平勝宝4年)始められて以来、現在まで一度も途絶えることなく今日まで伝えられている、東大寺がある限り続く「不退の行法」である。「修二会」は1667年(寛文7年)に二月堂が火災で失われたときも三月堂で行われ、物資難から諸々の行事が中止せざるを得なかった太平洋戦争の戦中戦後も続けられた。2009年の3月に行われたものを含むと現在まで1258年、1258 回を越える。
東大寺の修正会 [編集]

東大寺では修二会のほかに修正会も行っている。1月7日のみの簡単なものであるが、初夜と後夜に別れ、初夜では如意輪観音に悔過し、後夜では礼仏偈ほか多くの法要が行われる。
修二会と芸術 [編集]

* ドイツの作曲家シュトックハウゼンの電子音楽「テレムジーク」は、作曲者によって採集された世界各地の音を電子音と融合させた作品であるが、日本を代表する音として雅楽とお水取りの声明が選ばれている。実際にシュトックハウゼンは1966年に奈良を訪れお水取りに立ち会っている。
* 日本の作曲家、柴田南雄は1978年、「修二會讃」を作曲した。東大寺の修二会の声明のほかに、華厳経の一部や小林一茶、大島蓼太、松尾芭蕉の俳句をテクストに用いたシアターピース(合唱劇)で、委嘱した東京混声合唱団によって同年に初演された。
* 日本のシンガーソングライター、さだまさしは1993年、この行事をテーマにした楽曲「修二会」を製作している(作詩・作曲:さだまさし アルバム『逢ひみての』収録)。さだは日本の古典的、民族的、仏教的なモチーフの作品を数多く作っているが、この曲もその1つである。また、さだは東大寺の管長らとも縁があり、大仏殿の昭和の大修理の際、落慶法要コンサートを行っている。
* 評論家の小林秀雄は達陀の行法に接して一言「バッハだ」と言った[要出典]。
* 画家では杉本健吉や須田剋太などが修二会にちなむ絵を描いている。
* 写真では入江泰吉が1946年ごろから30年以上修二会に通いつめ撮影を行なった。こうした撮影活動の末、入江は写真集『お水取り』1968年三彩社、『東大寺とお水取り』1981年集英社を刊行する。 
* また写真家土門拳は1967年東大寺修二会を撮影し、翌年、平凡社「太陽」1月号に特集記事として掲載された。

薬師寺修二会(花会式) [編集]

通称「花会式(はなえしき)」と呼ばれる薬師寺の修二会は例年、3月30日から4月5日にかけて行われる薬師悔過法である。4月5日は結願法要として、「鬼追い式」が行われている。薬師寺の修二会は、花会式と称されるように、十種の造花が本尊薬師如来にささげられる。

これは嘉承2年(1107年)、堀河天皇の皇后が病気になり、その平癒を薬師寺の本尊に祈願したところ回復したので、これに感謝して修二会に梅、桃、桜など和紙の造花を十種類の造花を供えたのが始まりであるといわれている。

悔過法が終わった5日の夜8時に「鬼追い」がある。松明を持った黒、青、赤の親子の鬼が堂外にあらわれ、大声で叫び堂をかけめぐる。やがて毘沙門天があらわれ鬼を退散させる。修二会の最後に鬼が現れるのは長谷寺のだだおしと共通している。

なお、修正会は1月1日から15日にかけて行われ、吉祥天女を本尊とする吉祥悔過を行う。
新薬師寺修二会(おたいまつ) [編集]

新薬師寺では、本尊薬師如来の縁日である4月8日に薬師悔過が行われる。夕方5時から東大寺の協力を得て11人の僧侶が「日中」の法要を行い、7時から大松明が11本境内を行道する。その後「初夜」の悔過行が行われる。
法隆寺修二会 [編集]

毎年2月1日から3日にかけて西円堂で行なわれる。 弘長元年(1261年)以来続く伝統行事。本尊の薬師如来座像の前で「薬師悔過」を行う。

なお結願の3日、午後7時ごろから追儺式が行われる。西円堂で黒鬼、青鬼、赤鬼が松明を投げ、毘沙門天が現れて鬼を追い払う。薬師寺の修二会と共通するものがある。

なお、毎年1月8日〜14日法隆寺の金堂では修正会も行われている。この行事は神護景雲2年(768年)にはじめて行われて以来続いており、吉祥天に向かって懺悔する吉祥悔過である。7日間にわたり、晨朝、日中、日没、初夜、半夜、後夜の法要が行われ、国家安隠、万民豊楽、寺門興降の祈願を祈願する。
長谷寺修二会(だだおし) [編集]

長谷寺では毎年2月8日から14日まで7日間、本尊十一面観音に対する悔過法要が行なわれる。結願の2月14日、ほら貝や太鼓が響く中、松明をもって本堂の周囲を赤・青・緑の鬼が走り回る「だだおし」が行なわれる。「だだおし」の「だだ」は東大寺で行なわれる「達陀(だったん)」と同語源であるという説がある。
参考文献 [編集]

* 橋本聖円「東大寺と華厳の世界」(春秋社)
* 平岡定海「東大寺辞典」(東京堂)
* 堀池春峰編「東大寺お水取り―二月堂修二会の記録と研究」(小学館)
* 植田英介・川村知行「お水取り」<カラーブックス>保育社 1995年
* 佐藤道子「東大寺お水取り 春を待つ祈りと懺悔の法会」朝日選書、2009年
* 「年中行事大辞典」(吉川弘文館)2009年

外部リンク [編集]

* 華厳宗大本山東大寺公式サイト
* 法相宗大本山薬師寺公式サイト
* 新薬師寺公式サイト
* 法隆寺公式サイト
* 長谷寺公式サイト
* 東大寺二月堂修二会(お水取り)
* 奈良 東大寺二月堂 お水取り
* 二月堂修二会―それぞれの気持ち(奈良新聞)

「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%AE%E4%BA%8C%E4%BC%9A」より作成
カテゴリ: 出典を必要とする記事 | 仏教行事 | 東大寺


2009年12月06日(Sun)▲ページの先頭へ
検討問題:言語的同一性的知覚又は自我的知覚(-1)と光(+1)の重ね合わせ:積-1と和0の生起
最近は忙殺されているので、考察に回す時間がないが、若者のコミュニケーションの発話から、本件が浮かんだ。
 ⇒-1は、言語的同一性フレーム(愚樵氏の言う知的フレームに相当する)と仮説する。これに対して、光現象(⇒+1)がある。
 両者を重ね合わせるときは、先に述べたように、積になるのではないだろうか。
 思うに、精神的フィルターで、積と商が同時に起きるとき、それらも、積になるのではないのか。和ではなくて。
 もっとも、⇒-1(以下、便宜的に-1とする)と⇒+1(以下、+1)は、重ね合わさっているのであり、本当は一致していないのである。これをどう数式的に評価するのかが問題である。
 つまり、-1=+1ではないのであり、両者がいわば、張り付いている状態である。これは、-1*(+1)と表わしていいのだろうか。それとも、(-1)・(+1)だろうか。あるいは、(-1)⇒(+1)だろうか。一種、極限値的な様態である。
 心理的には投影である。-1を+1に投影しているのである。言い換えると、これまで何度も述べた連続的同一性志向性(連続的同一性投影とも呼べよう)である。
 これは、また鏡像的である。思うに、本来、鏡像とは、光現象であるが、それに同一性を投影しているのである。プラトンの洞窟の比喩で言えば、洞窟のスクリーンが投影される同一性(-1)である。本来の光は見るものの背後にあるのである。
 しかしながら、ここでは、正面に光現象があるのに、それに同一性ないしはその影を投影しているのである。
 だから、同一性が抑圧しているものを他者に投影するのであり、例えば、自我の邪悪さを他者に投影するということになるのである。内的他者を否定するのは、邪悪的であるが、その邪悪さを他者に投影するのである。
 本題に戻ると、この重ね合わせ、同一性の投影、連続的同一性志向性とは、確かに、極限値的であり、即ち、-1⇒+1である。思うに、これは、ゼロ化と言えないだろうか。確かに、積の-1以外に、ゼロ化がここでは起きているのではないのか。つまり、差異のゼロ化である。+1という他者がここでは、ゼロ化されるのである。そうすると、和である。
 まとめると、積の-1と和の0がここで生起しているのではないのか。それは、他者・差異をゼロ(無)とする同一性主義ということではないだろうか。
 後でさらに検討したい。


2009年12月04日(Fri)▲ページの先頭へ
検討問題:間接民主主義から個的自由共同代社会へ
優れた哲学者・思想家は、「民主主義」に否定的である。プラトンも、古代ギリシアの政治を考えて、イデア論を説いたのであったし、ニーチェやロレンスは近代民主主義を「愚民」のものとして批判した。
 私はこれまで、民主主義に両義的な態度をとってきたが、トランス・モダン・デモクラシーを唱えた。
 しかし、結局、制度の問題はあるものの、個が原点である。ここから始めると、個が求める共同体が基本的であり、国家制度に基づく「民主主義」社会は二義的なものと言えよう。
 私自身、アナキズムに傾斜している面がある。もっとも、アナキズムの欠点も知っているつもりである。tまり、アナキズムは社会主義と同様に、連続的であることである。思うに、シュティルナーの「アナキズム」は、一見、非連続的に思えよう。しかし、彼の「アナキズム」は、自我中心的であり、その点で、近代主義的でなのである。つまり、自我による欲望が支配しているのである。
 私の想定している自由共同体社会とは、確かに、アナキズム傾斜はあるが、国家制度は否定はしないが、批判的評価をするのである。
 ということは、個的社会と国家的社会の平行した社会を私は想定していることになる。しかし、主は前者であり、後者は従である。ここが絶対的なポイントである。フッサールの生活世界とは、前者ではないかと思う。
 そう、日本文化社会は、本来、自由共同体社会であるが、それが、近代化によって、否定され、国家主義的社会になったのである。
 ところで、個的自由共同体社会において、経済をどうするかが一番の問題である。例えば、その社会が独立して、通貨発行権をもちうるのかが、重要な点である。
 ともあれ、自由共同体の通貨は、兌換制度にすべきである。Kaisetsu氏の唱える銀本位制にすることは、ありえることである。結局、自由共同体通貨であることが、ポイントである。
 私見では、例えば、農業自由共同体、科学自由共同体、文化自由共同体、等々を設けるべきではないかと思われる。そして、それらが、差異共振ネットワークを形成するのである。


   




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